1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 近畿地方自動車局
2016-12-04
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【601】名神高速線
※ドリーム号は、中部地自「東名高速線」に記載
2015-11-03
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇名神高速線
1 名古屋−大阪
2 名神大津−京都
3 京都深草−京都
1.2 路線略図
京阪五条 名神大津
周山<−・ ・−○−+−○−−○−−・
\| | 名神多賀 | 近畿地自
・−◎京都 ・ (多賀SA)−|−−−−−−−−−−
津山 名神茨木 | / ○名神関ヶ原 中部地自
<−−−−+−+○−−+○−−・ \
千里ニュー| ・ 京都深草 \
タウン○・ 名神一宮○
| |\
名神豊中・+ | \
○ |\ | \ 東京
◎・・・・|・◎新大阪 名古屋◎−−−○−−>
神戸 ・ |/ 名古屋
・ + インター
・◎大阪
※東京〜名古屋インター〜名古屋、名古屋インター〜名神一宮は、東名高速線
※大阪〜新大阪〜千里ニュータウン〜津山は、中国高速線
※京都〜周山は、京鶴線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・名神高速線1 千里ニュータウン〜京都深草〜名神大津〜名神一宮〜名古屋
2.2 掲載
・19日目 6/19(水) S61.2号 5.近畿編(上) 単行本 p107〜109
・連載誌 千里ニュータウンバス停
・単行本 千里ニュータウンバス停
2.3 行程
○千里ニュータウン929→1236名古屋 名神高速線1
急行 アロー2便 大阪発 名古屋行 744-2906(三菱K-MS504R)
2.4 エピソード
・千里ニュータウンは、名神・中国ハイウェイバスのほか、鳥取・三朝温泉・米子
ゆき日交バス、三次・千代田・新見・加計・東城ゆきの阪急・広島・中国バス、
福岡ゆき阪急・西鉄夜行便ムーンライトなど、各社のポールが並び壮観だ。
・名古屋行急行は、前4列が禁煙席になっていた。
・千里で5人乗り、10人ちょっとのお客。八日市で7人も下車。
2.5 旅の考察
・広島電鉄の大阪〜加計は、当時、日本最長昼行便だったが、現在は廃止された。
・当時の国鉄ハイウェイバスは、車内前側8席(1〜2番A〜D)が禁煙席だった。現在、
喫煙ができる公共交通は皆無であるので、隔世の感がある。
・片道きっぷであるが、千里ニュータウン〜京都深草は複乗、京都深草〜名神一宮
は3回も乗車している点が興味深い。
3. 路線解説
3.1 S60.6時点の運行状況
・名神高速線は、1964(S39).10.5に名古屋〜神戸、名神豊中〜新大阪として開業し
たのがルーツで、当時は、名古屋〜京都・大阪を運行していた。
・我が国最初の高速バスであったが、現在の一般的な高速バスと異なり、途中停留
所が多数設定されており、短距離利用も可能であったのが特徴。また、国鉄の他、
日本急行バスと名阪近鉄高速バスの計3社で共同運行していたが、民間2社は、
名古屋駅ではなく名鉄バスセンターを発着していた。
・国鉄バスについて、当時の運行系統と本数は、以下の通り。
◇1〜10便 大阪系統 特急1.5往復、急行3.5往復
◇201〜214便 京都系統 急行7往復
◇2001〜4便 京都系統 特急2往復 日祝のみ運転
・(自)名古屋駅東口、(自)京都駅北口、(自)大阪駅表口に自動車駅があった。
・国鉄バスの時刻は、以下の通り。
◇アロー201 名古屋700→948京都 急行
◇2001 名古屋710→939京都 特急(八日市のみ停車) 土休日と8/9〜17運転
◇2003 名古屋800→1029京都 特急 土休日と8/9〜17運転
◇アロー203 名古屋830→1121京都 急行
◇アロー1 名古屋920→1247大阪 急行
◇アロー205 名古屋1000→1251京都 急行
◇アロー207 名古屋1145→1439京都 急行
◇アロー3 名古屋1240→1617大阪 急行
◇アロー209 名古屋1350→1641京都 急行
◇アロー5 名古屋1430→1807大阪 急行
◇アロー211 名古屋1550→1841京都 急行
◇アロー7 名古屋1640→2010大阪 急行
◇アロー213 名古屋1725→2013京都 急行
◇アロー9 名古屋1750→2110大阪 特急
---
◇アロー202 京都800→1044名古屋 急行
◇アロー2 大阪910→1236名古屋 急行
◇アロー204 京都1010→1255名古屋 急行
◇アロー206 京都1100→1345名古屋 急行
◇アロー4 大阪1110→1436名古屋 急行
◇アロー208 京都1230→1515名古屋 急行
◇アロー6 大阪1310→1627名古屋 特急
◇アロー210 京都1400→1646名古屋 急行
◇2002 京都1515→1741名古屋 特急(ノンストップ) 土休日と8/9〜17運転
◇アロー212 京都1530→1816名古屋 急行
◇アロー8 大阪1540→1857名古屋 特急
◇2004 京都1700→1939名古屋 特急 土休日と8/9〜17運転 京阪五条1709発
◇アロー10 大阪1640→2006名古屋 急行
◇アロー214 京都1730→2016名古屋 急行 京阪五条1739発
---
※京阪五条経由は、夕方の片道1便(特定日は2便)しかなかった。
・アロー便は、団体予約が可能という意味しかなく、S61.11.1までに終了した模様。
3.2 旅から30年
・現在、JR東海バス、西日本JRバス、名鉄バス、名阪近鉄バスが運行しており、
他社運行便を記載した時刻表を配布するなど、共同運行がより進行している。
・S60.6以降、以下の大きな変化があった。
◇1990(H2).4.1〜9.30の期間限定で、花博会場へ乗り入れ。
◇2002(H14)年に、都市間輸送に特化するため、途中停車駅を大幅に削減した。
◇2004(H16)年に、神戸系統に再参入。
◇2008(H20)年に、新名神道経由便が登場。
◇2010(H22)年に名古屋駅新幹線口、2011(H23)年に大阪駅JR高速バスターミナル
へ移転した。
◇日本急行バスは、名古屋観光日急を経て、名鉄観光バスに改組され、名神高速
線の運行は、2009(H21)年より名鉄バスに移管された。
◇名阪近鉄高速バスは、1994(H6)年に名阪近鉄バスに改称、2007(H19)年に三重
交通の子会社になった。
◇JRバスについても名鉄バスセンター、OCAT、USJへ延伸。
◇2014(H26).10.5〜2.28の期間限定で、神戸駅へ延伸した。
・2014(H26).10.5現在の、各社運行系統と本数は、以下の通り。
◇1〜26便 大阪系統 超特急11往復、特急2往復
◇101〜112便 神戸系統 超特急6往復
◇201〜232便 京都系統 超特急3.5往復、特急12.5往復
・これを会社別にすると、以下の通り。
◇東海 大阪(超特急3.5、特急1)、神戸(超特急1)、京都系統(超特急1.5、特急1.5)
◇西日 大阪(超特急5.5)、神戸(超特急2)、京都系統(特急4)
◇名鉄 神戸(超特急3)、京都系統(超特急:上り2本、特急:下り5本、上り3本)
◇近鉄 大阪(超特急2、特急1)、京都系統(超特急:下り2本、特急:下り2本、上り4本)
・名神神戸線でポートピアホテルまで運行するのは、名鉄バスのみ。
3.3 旅の考察
※補足「運行状況の推移」
※補足「日本急行バスと日本高速自動車」
※補足「花博会場に乗り入れた名神高速線」
※補足「名神高速線を運行した豪華バス」
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【602】京鶴線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇京鶴線
京鶴本線
1 京都−堀越峠
2 京都−千本丸太町(烏丸通)
3 円町−福王子
4 円町−高鼻町
5 北野−福王子
6 杉阪口−杉阪
7 小野郷−山城大森
8 細野−下長野
9 出口橋−矢代
10 下中−ゼミナールハウス
11 平屋−宮脇−静原
12 田土−丹波福居
山国線
1 周山−灰屋
2 山国−下中
3 井戸−小塩
1.2 路線略図
○堀越峠
丹波福居|
○−○田土
|
○鶴ケ岡
|
○静原
|\
| ○宮脇
|/
○平屋
ゼミナール|
ハウス| 上黒田
○ | ○−○灰屋
\| /
下中○ 井戸○−○小塩
|\ /
矢代○−−○ ○山国
出口橋|/
周山○
|
細野○−−○下長野
|
小野郷○−−○山城大森
|
杉阪口○−−○杉阪
|
○栂ノ尾
|
○山城高雄
|
○高鼻町 竜安 立命館
|\福王子 寺前 大学前
| ○−−○−−○−−○+
| 御室 \ |
| 仁和寺 ・−○−−○北野
| 等持院道| |
| +○−○大将軍
| 府立体| 千本
| 育館前| 丸太町
・−−−−−−−−−−−○−−○−−−○烏丸丸太町
円町 | |
二条◎ |
\ |
四条大宮○ ○四条烏丸
| |
・−◎京都
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・京鶴線は、1937(S12)年3月25日に京都〜鶴ケ岡が開業したのがルーツで、1938
(S13)年7月1日に山国線(周山〜井戸)が開業した。
・戦後は、1946(S21)年1月21日に山国線井戸〜上黒田が開業した。1951(S26)年
11月6日には堀越峠まで開通した。
・京鶴線は、東北丹波の山岳地帯と京都をつなぎ、北丹波交通の根幹として京都
市周辺の産業文化の発展助長、及び沿線の観光ルートとしての使命を有する他、
東海道本線京都から堀越峠で国鉄バス若江線に連なり、小浜線小浜に至る鉄道
短絡路線としての使命も有していた。
・沿線には神社・仏閣多く風光に富み、観光路線としても有名で、秋季の紅葉等
シーズンには特に観光客の輸送のため臨時に増車する等の手配を行ってきた。
・1952(S27)年3月10日に京都〜祇園〜四条大宮が開業した。
・1953(S28)年1月20日に小野郷〜山城大森が開業した。同年5月1日に田土〜丹
波福居が開業し、同年9月1日には出口橋〜矢代、下平屋口〜宮脇〜静原、山国
〜清田、井戸〜小塩の各区間が開業した。
・1955(S30)年3月21日に京都〜烏丸通〜千本丸太町が開業し、京都〜祇園〜四条
大宮が廃止された。
・1956(S31)年7月1日に山国線上黒田〜灰屋が開業した。
・1957(S32)年3月28日に山城中川〜杉阪が開業した。
・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に
も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方
都市間連絡に活躍していると述べられていた。
京都〜鶴ヶ岡 66km 2往復
・「交通年鑑1962年版」には、昭和36年12月1日現在運行中の長距離路線(100km
以上)として、次の運行系統が載っていた。
小浜〜京都 110km
・「交通年鑑1963年版」には、マイクロバスによる座席定員制急行便を設定し、
長距離直通客の利便とともに経営の合理化を図る計画で、予土南北線松山〜
高知間、広浜線広島〜浜田間、雲芸線出雲〜三次間の3路線で実施し、京鶴
・若江線京都〜小浜間、熊野線紀伊田辺〜川湯間の2路線を計画中であると
述べられていた。
・「交通年鑑1965年版」には、道路整備5箇年計画の進捗により道路が逐次改修
されたことと、自動車工業の発達に伴い、年々中長距離旅行が快適になるにつ
れて旅客の需要も増加してきているので、現在国鉄自動車が運行している中長
距離路線の他、中長距離系統の新設急行便の増発、新型車の増備に努めてサー
ビスを図った、その主なものは次の通りであると述べられていた。
札幌〜中央長沼 37km
札幌〜岩見沢 46km
小樽〜中央長沼 71km
陸中大野〜金田一 40km
宇都宮〜茂木 36km
飯田〜狼煙〜宇出津 103km
京都〜周山 36km
八重〜広島 47km
岩国〜広島センター 40km
西条〜呉 37km
小松港〜小松港 96km
・1965(S40)年1月18日に円町〜福王子が開業し、1966(S41)年8月16日に北野〜福
王子が開業した。
・1973(S48)年5月4日に小野郷〜細野が滝ノ町経由に変更された。
・1980(S55)年12月1日に下中〜ゼミナールハウスが開業した。
・1985(S60)年当時、線内に(自)京都及び周山の自動車駅が存在した。また、国
鉄バス運行の拠点として京都自動車営業所(京都)及び同周山支所(周山)が
置かれていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、京鶴線
には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
(京鶴本線)
京都〜鶴ケ岡 5往復
京都〜周山 13往復
京都〜栂ノ尾 12往復
京都〜山城大森 2往復
京都〜杉阪 下り2本・上り4本
(山国線)
周山〜灰屋 下り3本・上り2本
周山〜上黒田 4往復(うち休日運休1往復)
周山〜小塩 2往復
山国御陵〜灰屋 上り1本
3.2 旅から30年
・国鉄末期の1986(S61)年11月1日に小野郷〜山城大森が廃止され、次いで、1987
(S62)年3月15日に田土〜堀越峠が廃止された。
・京鶴線の残された区間は、国鉄民営化及び自動車分離を経て西日本JRバスに
継承された。
・1989(H1)年の「JRバス京鶴線時刻表」によると、次のような系統が設定され
ていた。
(京鶴本線)
京都〜丹波福居 上り1本
京都〜鶴ケ岡 下り5本・上り7本
京都〜ゼミナールハウス 下り2本・上り1本
京都〜周山 下り11本(うち土曜運休1本)・上り10本(うち日祝運休1
本)
京都〜杉阪 下り2本(うち土曜運転1本)・上り5本(うち土曜運転1
本)
京都〜栂ノ尾 下り15本(うち日祝運休3本、土曜運転1本)・上り17本
(うち日祝運休2本、土曜運休1本、日祝前日運転1本)
周山〜丹波福居 下り2本・上り1本(日祝運休)
周山〜鶴ケ岡 下り3本(うち土曜運転、土曜運休各1本)・上り2本(
うち土曜運転1本)
周山〜丹波上川 下り4本(うち日祝運休、土曜運転各1本、土日祝運休
2本)・上り3本(うち日祝運休2本、土曜運転1本)
周山〜上弓削 1往復(土曜運転)
周山〜ゼミナールハウス 下り1本・上り2本
鶴ケ岡〜丹波福居 下り1本・上り2本(うち土曜運転1本)
(京鶴支線)
周山〜矢代 4往復(うち日祝運休2往復、土曜運転、土日祝運休各1往復)
周山〜下長野 3往復(うち日祝運休2往復、土曜運転1往復)
(山国線)
京都〜灰屋 上り1本
京都〜上黒田 下り2本
京都〜小塩 上り1本
周山〜灰屋 下り3本・上り2本
周山〜上黒田 3往復
周山〜小塩 下り4本(うち土曜運転、土日祝運休各1本)・上り3本(
うち土曜運転、土日祝運休各1本)
周山〜山の家 1往復
周山〜山国御陵前 1往復(土日祝運休)
山国御陵〜丹波上川 上り1本(土日祝運休)
・1990(H2)年8月1日に京鶴本線の鶴ケ岡〜丹波福居が廃止された後、同年10月
1日、京鶴本線の杉阪口〜杉阪、細野〜下長野及び出口橋〜矢代、山国線の上
黒田〜灰屋が廃止された。
・1994(H6)年9月1日には京鶴本線の丹波上川〜鶴ケ岡及び平屋〜宮脇〜静原が
廃止され、1995(H7)年4月3日に山国線全線(周山〜上黒田及び井戸〜小塩)
が廃止された。また、同年4月1日から路線名が「高雄・京北線」に改称された。
・2001(H13)年4月1日に下中〜丹波上川が廃止され、2003(H15)年4月1日に周
山〜鳥谷及び周山〜府立ゼミナールハウスが廃止された。
・2013(H25)年12月21日には栗尾峠に京北トンネルが開通して経路変更が行われた。
・2015(H27)年7月現在、(京鶴線→)高雄・京北線は京都〜周山(大宮・一条経
由)、京都〜千本丸太町(烏丸経由)、大将軍〜府立体育館前〜等持院道及び
北野〜立命館大学前〜御室仁和寺が西日本JRバスによって運行されている。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、京鶴線には接続駅(京都)
の他、周山に自動車駅(第一種委託駅)が置かれていた。
・「われら第一線 京都自動車営業所−古都を快走する国鉄バス」(「国鉄線」
1985(S60)年12月号所収)によると、毎年10月末から11月いっぱいにかけて、
京都自営最大の行事である観楓輸送がスタートし、人も車両もフル回転で対応
するとともに、現地でも事故がないように職員を派遣し、万全を期して整理に
当たっているとある。現在でも西日本JRバスサイトの高雄・京北線のページ
には「紅葉の季節の週末等では、午前は下り(栂ノ尾行)、午後は上り便(京
都駅行)の臨時便を運行する場合があります。(臨時便は、多客時にダイヤ記
載便の続行便として運行します。)」との注記がなされている。この輸送には
国鉄時代は近畿管内から、民営化以後は西日本JRバスエリア内から応援を得
て行われている。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【603】東大阪線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇東大阪線
1 吹田−松下厨房器前
1.2 路線略図
鴻池新田
(庭窪町→) ・・●・
千里丘 東八雲 門真 ・ ・
+◎−−−○−−○−−○−○・・・●・・●・・・・●八尾
| 鳥飼大 ・ 松下厨 茨田 河内
|◎ 橋北詰 ・ 房器前 橋本
||吹田 ●守口市
++
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・東大阪線は、1958(S33)年6月1日に吹田〜八尾、庭窪町(→東八雲)〜守
口市及び河内橋本〜鴻池新田が開業したのがルーツで、城東貨物線に旅客列
車を運転する代行として、また東海道線吹田、片町線鴻池新田及び関西線八
尾を結ぶ短絡路線としての使命を有していた。
・「交通年鑑1959年版」には、東大阪線の路線設定理由として、次の項目が挙
げられている。
A 城東貨物線に旅客列車運転の要請に対する代行輸送としての使命
B 関西本線、片町線、東海道線相互間の短絡輸送としての使命
C 大阪市郊外の環状道路のうち、特に国有鉄道路線(前記3線)と関連の
深いこの区間を国鉄線との連繋を保ち、併せてこの区間を横断する地方鉄
道(近鉄、阪急、京阪等)に跨り、国有鉄道において統一ある国鉄自動車
の一貫輸送を図ること等
・同じく開業以来4か月間の1日平均営業成績は次の通りであった。(守口、
鴻池新田経由を含む)
吹田〜八尾 31km 15往復 1日平均走行キロ958km 同輸送人員717人
・「交通年鑑1960年版」には、大阪市の衛星都市間を結ぶ大環状道路のうち、
吹田〜八尾間33kmの完成に伴い、国鉄自動車は民間3業者と共に自動車路線
を設定し、環状線の産業発展の一翼を担うこととしたと述べられている。し
かしながら、この沿線は現在発展途上にあるため人口未だ希薄で、その利用
度は少なく、経営的には未だしの感があるが、その将来性については期して
待つべきものがあると思われるとある。
・1965(S40)年1月18日に茨田〜鴻池新田が開業した。
・1975(S50)年2月20日に茨田〜鴻池新田〜河内橋本、東八雲〜守口市が廃止
された。
・1984(S59)年4月1日に松下厨房器前〜八尾が廃止された。
・1985(S60)年6月当時は吹田〜松下厨房器前に路線が短縮されており、国鉄
バス運行の拠点として、京都自動車営業所吹田派出所(吹田)が置かれていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、東大阪
線には、吹田〜松下厨房器に6往復(所要43分)が設定されていたのを確認で
きる。並行して京阪バス、近鉄及び阪急バスが吹田〜千里丘〜門真〜八戸ノ里
〜八尾等に路線バスを運行していた。国鉄バス東大阪線では国鉄及びこれら3
社の間で共通乗車の取扱いを行っていた。
3.2 旅から30年
・東大阪線は、国鉄最後の日の1987(S62)年3月31日限りで全廃された。
・東大阪線末期の運行ダイヤを「国鉄監修交通公社の時刻表」1987(S62)年2月
号(1/8改正)から拾うと次のように4往復が設定されていたのを確認できる。
(下り便)
吹田0800→門真0843→松下厨房器前
吹田1015→門真1058→松下厨房器前
吹田1400→門真1443→松下厨房器前
吹田1610→門真1653→松下厨房器前
(上り便)
松下厨房器前→門真0909→0954吹田
松下厨房器前→門真1119→1204吹田
松下厨房器前→門真1504→1540吹田
松下厨房器前→門真1714→1759吹田
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、東大阪線には接続駅(吹田、
千里丘及び八尾)のみ置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【604】亀草線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇亀草線
亀草本線
1 亀山−草津
2 亀山−上白木
3 亀山−小川
4 沓掛−鈴鹿峠
5 近江土山−青土
6 本水口−新水口
7 新水口−中畑
8 綾野−西水口−三雲−石部
9 東陶前−平山
10 三雲−妙感寺
11 三雲−新吉永−西柑子袋
12 農免柑子袋−柑子袋
13 石部西口−石部
御在所湯の山線
1 近江山内−湯の山温泉
2 黒川−山女原
3 笹路−熊野神社前
4 上ノ平−黒滝
5 鮎河口−野洲川ダム下
柘植線
1 大岡寺−加太−南在家
佐山線
1 新前野−甲南
2 佐山−岩上遊園地
1.2 路線略図
元八幡
Λ 平山
・ ○ 水口 新
\| 伴谷口 綾野 新町 水口
手原 石部 石部 新柑 夏見 新 新 東陶前○−−○−−−−+○−○−−○−>亀山
駅口 西口 口 子袋 新田 夏見 吉永 ++ |\ 酒人口 | | |
小柿○−○−○−−○−−○−−○−−○−−○−−○−+++−−・ ・−○−−○+ | ○本水口
/ 上 |◎石部 三雲| || | 西水口 ○甲賀
草津◎−・ 鈎 ・+ 甲西◎ 小学| |・−◎三雲 /|病院
| | 校前| | / |前
石部町○−・ ・+○+−○++ 里○ ・ V
役場前 \||農免 || | V 甲南
西柑○+柑子 ++ | 貴生川
子袋 袋 妙感寺○
・……○湯の山温泉
:
野洲川ダム下○ :
| ○大河原
|/
+
|
鮎河口○
| ○黒滝
|/
中畑○ 上ノ平○ ○山女原
| 青土○ / /
・岩上 | 田村 黒川○−−○笹路
新水口/ 遊園地 大野 新前野 | 神社前 / /
草津<−○+−○−○−−−○−−○−−+○−−○−○−−○熊野神社前
| 立場山 \ / 近江 近江 \
○ 和野○ / 土山 山内 ○鈴鹿峠
本水口 | ○佐治 /|
|/ 新田 ・ ○伊勢坂下
佐山○ | |
| ・ ○西沓掛 上白木
甲南◎ | \| ○ ○小川
+−−○寺庄駅前 ○沓掛 | |
| | 大岡・ |
V |関西口 寺 \|
甲南新田 ・−○−−○−−−+
・槙山 加太◎ / ◎亀山
南在家○−−−+−−−−・
※大河原〜湯の山温泉は休止中
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・柘植線1 加太〜大岡寺〜亀山
・(亀山〜関)
・亀草本線1 関〜熊野神社前〜近江山内〜新前野〜岩上遊園地〜新水口
・(新水口〜甲賀病院前〜貴生川〜三雲)
・亀草本線8 三雲〜柑子袋〜西柑子袋〜石部
・(石部〜草津)
・亀草本線1 草津〜石部西口〜新柑子袋〜新吉永〜東陶前
2.2 掲載
・28日目 7/8(月) S61.4号 7.中部編(上) 単行本 p143〜146
・連載誌 水口略図
・単行本 水口略図
2.3 行程
×加太→亀山 鉄道
△亀山1245→(1345)本水口 亀草本線1+6
亀山発 大岡寺・関経由 本水口行 534-5021(三菱MR470)
○本水口→1351水口自営/新水口 亀草本線6 回送 534-5021(三菱MR470)
○水口自営/新水口1354→水口新町 伊賀上野線1/亀草本線1
回送 334-3071(三菱K-MK116J)
・(水口新町→貴生川→三雲)
○三雲1816→1835石部 亀草本線11
三雲発 農免・西柑子袋経由 石部行 521-6006(いすゞBU20K)
・(石部→草津)
○草津1924→2000東陶前 亀草本線1
草津発 田村神社前行 531-3484(いすゞK-CJM500改)
欠落 柘植線1 加太〜大岡寺 故意(時間)
欠落 亀草本線8 三雲〜柑子袋〜西柑子袋 路線廃止
2.4 エピソード
・加太では、伊賀上野線の車掌から譲り受けたガリ版刷り時刻表で、亀山行きが
ないのははっきりしており、亀山から逆行しようにも午後の1本だけなので、
「列車代行」にせざるを得ない。
・亀山で本水口行きのバスに乗ったら、待ち受けていたらしい国鉄バス職員の挨
拶を受けた。関を経て坂下宿は旧道を迂回、登り一方通行のバイパスで鈴鹿峠
を越えて、近江土山駅で3分停車。
・水口自営協力の便法で、前便の本水口行きからそのまま営業所まで乗って、営
業所にいる水口新町始発の奈良行きに乗り継いだ。本水口〜営業所の便乗は珍
しくないのか、地元のばあさま2人も一緒だった。運行上新水口に停車しない
代わりにサービスしているのかもしれない。
・三雲からの農免経由の石部行きローカル便は1日1本だけで18時16分まで待た
ねばならない。水田の中の農道をとことこ走り、甲西駅に寄って、針、柑子袋
などローカル色豊かな停留所を通過していく。
・運転士は石部で「そろそろ来られるころだと思っていましたが、私の車に乗っ
ていただけたとは、いい思い出になります」と本水口の下車印を押してくれた。
・草津駅前のバス乗り場は久々の賑わいで、本水口経由田村神社前行きは座席が
ぎっしり埋まる。ネオンの多い国道1号線は渋滞気味。
2.5 旅の考察
・旅の経路である「三雲〜柑子袋〜西柑子袋」は、S60.6.20改正で廃止されたた
め(昭和60年国鉄公示第27号)、S57.6.1に開業した農免経由を利用した。
・S60.6.20改正では、三雲〜石部の農免経由ローカル便が、一日4往復あったが、
石部行の3便、三雲行の1便が、国道三雲を発着、三雲駅には入らなかった。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・亀草線は、1932(S7)年3月25日に亀山〜三雲が亀三線としてが開業したのがル
ーツで、同年5月5日に三雲〜石部が開業、同年12月25日に亀山〜草津が全線
開業した。同線は、鉄道草津線の培養路線としての使命を有していた他、沿線
の地方産業文化の発展助長をも使命としていた。
・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(V)戦時期2−」(『東京経大
学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営
自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、亀草本線三雲〜草津、近
江山内〜黒川が1941(S16)年8月10日から、亀山〜関が1944(S19)年4月20日か
ら旅客運行が休止された。
・1949(S24)年2月15日に佐山線(前野〜深川)が開業し、1950(S25)年5月10日
に黒川〜近江大河原が開業した。
・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、亀草線の特長として、「関西本線亀山
と東海道本線草津を短絡するこの路線は、昔の東海道五十三次の一部であって、
伊勢参宮、参勤交代等の通路であり、浮世絵に見るような風情豊かな街道であ
った。沿線には五十三次の宿駅や名所が多い」と述べられていた。
・1953(S28)年3月11日に佐山口〜佐山、同年4月10日に本水口〜近江下田、同年
5月1日に近江土山〜青土の各区間が開業した。
・1955(S30)年2月11日に亀山〜関、同年3月21日に西水口〜山村天神前、三雲〜
伴中山が開業した。
・1956(S31)年11月19日には、「新国道」経由の田村神社前〜新土山〜新大野〜里
北脇〜石部口〜草津の区間が開業し、1957(S32)年度は田村神社前〜草津(36.1
km)に3往復の急行便が設定されていた。中長距離の急行便の設定は「国鉄自動
車基本方針」(1957(S32)年)にもうたわれており、1960(S35)年度は草津〜亀山
(59km)に5往復が設定されていた。
・1957(S32)年3月10日に亀山〜住山が開業し、同年8月25日に加太線(関〜柘植)、
同年10月1日に本石部〜東寺、同年11月1日に黒滝口〜黒滝口の各区間が開業した。
・1958(S33)年7月15日に三雲〜妙感寺前、同年10月7日に熊野神社前〜山女原、
同年11月15日に住山〜小川の各区間が開業した。
・1959(S34)年12月20日に北在家〜中在家が開業した。
・1960(S35)年7月15日に小柿〜草津が開業した。
・1963(S38)年4月10日に石部西口〜石部が開業した。
・1963(S38)年4月10日から「新国道」経由が第1区間に変更されるとともに、野
村一里塚〜伊勢坂下及び近江土山〜本水口(国道経由の旧第1区間の一部)の廃
止が公示された。1964(S39)年4月8日には、田村神社前〜近江土山〜白川橋(
旧道経由)の廃止が公示された。
・1964(S39)年4月8日に本水口〜中畑が開業した。
・1965(S40)年1月14日に笹路〜黒川が開業した。同年4月1日に本水口〜西水口
が廃止された。同年7月3日に東洋陶器前〜東洋陶器が開業した。
・1965(S40)年1月18日、手原駅口〜名神栗東〜新治田が開業し、前年10月に開業
した名神高速線と亀草本線が接続した(1977(S52)年10月7日に廃止公示)。
・1966(S41)年6月2日に新夏見〜夏見、新柑子袋〜柑子袋が開業した。同年7月
8日に柘植線久我口〜加太が開業した。
・1969(S44)年10月12日に本石部〜東寺、柘植線の久我〜柘植駅前が開業した。
・1970(S45)年3月25日に近鉄水口駅前〜近江下田、伴中山〜伴谷口が廃止された。
・1971(S46)年4月16日に草津〜石部、小柿〜東草津が廃止された。
・1972(S47)年3月15日に市ヶ坂〜大岡寺が廃止された。同年11月9日に沓掛〜鈴
鹿峠が開業した。
・1972(S47)年11月12日には、鈴鹿国定公園を訪れる観光客の利便を図るため、同
年10月に開通した鈴鹿スカイラインを通って、御在所湯の山線(鮎河口〜湯の山
温泉24.6km)が開業し、草津〜湯の山温泉に4往復の運行を開始した。
・1974(S49)年9月1日に新水口〜近鉄水口駅前が廃止された。
・1982(S57)年6月1日から三雲〜新吉永〜西柑子袋(5.9km)が開業し、1985(S60)
年6月20日には「綾野−西水口−三雲−石部間」の一部である三雲〜西柑子袋(
5.4km)が廃止された。
・1983(S58)年12月1日に上白木〜関が廃止された。
・1985(S60)年当時、線内の近江土山及び本水口に自動車駅が存在した。また、国鉄
バス運行の拠点として、水口自動車営業所(新水口)及び同亀山派出所(亀山)
が置かれていた。
・水口自営「国鉄バス時刻表」(1985(S60)年6月20日改正)によると、亀草線には
次の系統が設定されていた。
(亀草本線)
草津〜国道三雲〜水口新町〜近江土山〜田村神社前〜伊勢坂下〜亀山 3往
復(所要1時間54分〜2時間3分)
本水口〜近江土山〜田村神社前〜伊勢坂下〜亀山 上り2本(所要1時間〜
1時間5分)
近江土山〜田村神社前〜伊勢坂下〜亀山 下り1本(所要44分)
伊勢坂下〜草津 5往復(うち土曜運転1往復)(所要27分)
亀山〜上白木 5往復(うち土日祝学校繰上日運転1往復)(所要16分)
亀山〜小川 5往復(所要21分)
草津〜国道三雲〜水口新町〜近江土山〜田村神社前〜伊勢坂下 下り1本(
所要1時間39分)
三雲〜水口新町〜近江土山〜田村神社前〜伊勢坂下 上り1本(所要1時間
5分)
草津〜国道三雲〜水口新町〜近江土山〜田村神社前 下り4本・上り3本(
所要1時間16分)
三雲〜水口新町〜近江土山・田村神社前 2往復(うち日祝運休1往復)
草津〜国道三雲〜水口新町・本水口 7往復(所要55分)
三雲〜水口新町・本水口 下り3本・上り1本(日祝運休)(所要16分)
本水口・新水口〜近江土山・田村神社前 下り6本(うち日祝運休2本、冬
季運転1本)・上り5本(うち日祝運休2本、土日祝運休3本)(所要24
分)
田村神社前・近江土山〜青土 3往復(日祝運休、土曜繰上日運転、土日祝
運休各1往復)(所要9〜12分)
新水口・本水口〜中畑 3往復(日祝運休、土曜繰上日運転、土日祝運休各
1往復)(所要7〜8分)
近江土山〜水口新町〜東陶前〜平山 下り1本(日祝運休)
水口新町〜東陶前〜平山 1往復(日祝運休)
国道三雲〜農免〜石部〜草津 下り1本(日祝運休)(所要56分)
三雲・国道三雲〜農免〜石部 下り3本(うち日祝運休2本)・上り3本(
所要19分)
水口新町〜国道三雲〜農免〜石部 上り1本(日祝運休)(所要31分)
三雲小学校〜石部 下り1本(所要15分)
八島寺口〜石部 1往復(所要7〜8分)
三雲・国道三雲〜妙感寺 2往復(所要8分)
(御在所湯の山線)
草津〜国道三雲〜水口新町〜田村神社前〜大河原・ダム下 下り7本・上り7
本(うち1本はダム下〜田村は日祝運休・夏季運行)(所要1時間39分)
三雲〜水口新町〜田村神社前〜ダム下 上り2本(所要1時間2〜18分)
三雲〜水口新町〜田村神社前〜熊野神社前〜ダム下 上り2本(うち日祝運休
1本)(所要1時間13〜21分)
名坂〜水口新町〜田村神社前〜ダム下 上り1本(ダム下〜田村神社前は土曜
運転)(所要55分)
本水口・新水口〜田村神社前〜大河原・ダム下 下り2本(うち日祝運休1本)
・上り2本(うち1本は日祝運転、1本は土日祝運休・冬季運行)(所要48
〜50分)
田村神社前〜大河原・ダム下 下り1本・上り1本(日祝運休)(所要24分)
本下田〜三雲〜旧道〜本水口〜田村神社前〜熊野神社前〜大河原 下り1本(
本下田〜三雲は日祝運休)(所要1時間47分)
本水口〜田村神社前〜熊野神社前〜ダム下 上り1本(所要55分)
近江土山・田村神社前〜熊野神社前〜大河原 下り2本(うち日祝運休1本)
(所要31〜35分)
近江土山〜田村神社前〜熊野神社前〜山女原 下り1本(所要20分)
名坂〜本水口〜近江土山〜田村神社前〜熊野神社前〜山女原 上り1本(所要
44分)
六角堂〜近江土山〜田村神社前〜熊野神社前〜山女原〜黒滝 上り1本(所要
1時間5分)
三雲〜本水口〜近江土山〜田村神社前〜黒滝 下り1本(日祝運休)(所要1
時間1分)
三雲〜本水口〜近江土山〜田村神社前〜熊野神社前〜黒滝 上り1本(所要1
時間19分)
(柘植線)
亀山〜加太〜南在家 下り2本(土日祝運休、土日祝運転各1本)・上り1本
(所要35分)
加太〜南在家 下り4本・上り5本(うち日祝運休1本)(所要14分)
(佐山線)
田村神社前〜六角堂・寺庄 下り3本・上り2本(所要30分)
近江土山〜六角堂・寺庄 下り1本(日祝運休)・上り5本(うち日祝運休3
本、土日祝運休1本)(所要27分)
前野〜六角堂 下り1本(日祝運休)(所要20分)
前野〜佐山 上り1本(土曜繰上日運転)(所要12分)
本水口〜甲南〜鍵屋の辻 下り1本(所要1時間57分)
本水口・新水口〜六角堂・寺庄 下り4本(うち日祝運休、土日祝運休各1本)、
上り3本(うち日祝運転、日祝運休各1本)(所要23〜26分)
3.2 旅から30年
・1987(S62)年1月28日に甲南〜甲南新田、六角堂〜甲南が廃止された。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、亀草線は西日本JRバスに継承された。
・1989(H1)年3月11日に東陶前〜平山が廃止され、同年11月11日には旧伊賀上野線
の一部である上磯尾〜槙山が廃止された。
・1990(H2)年3月末限りで、亀山〜上白木、亀山〜小川及び新水口〜中畑の各区間
が廃止された。また、同年4月末限りで大河原〜湯の山温泉(休止中)が廃止さ
れた。さらに、同年7月10日には西柑子袋〜三雲小学校前が廃止されるとともに、
7月末限りで旧伊賀上野線の一部である新水口〜上磯尾が廃止された。
・1992(H4)年3月末限りで市場口〜加太〜南在家が廃止されるとともに、同年8月
末限りで、近江土山〜青土、熊野神社前〜山女原、笹路〜黒川、上ノ平〜黒滝の
各区間が廃止された。同年12月1日から貴生川駅乗り入れが開始された。
・1994(H6)年7月末限りで佐山〜六角堂が廃止された。
・1997(H9)年3月末限りで亀山〜熊野神社前が廃止された。
・2002(H14)年9月末限りで、最後まで残った、東陶前〜(国道)〜綾野〜新水口
〜近江土山〜田村神社前〜熊野神社前、東陶前〜西水口〜綾野、西水口〜貴生川、
新水口〜本水口、岩上遊園地〜佐山〜東前野、近江山内〜大河原、鮎河口〜野洲
川ダム下の各区間が廃止され、亀草線は全廃となった。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、当時、亀草線には接続駅(亀山、
関、三雲、石部、草津、加太及び甲南)の他、近江土山及び本水口に第一種委託
駅(自動車駅)が設けられていた。
※補足「亀山〜関の路線推移」
※補足「関〜熊野神社前・柘植の路線推移」
※補足「熊野神社前〜水口の路線推移」
※補足「水口〜三雲・信楽の路線推移」
※補足「三雲〜石部の路線推移」
※補足「石部〜草津の路線推移」
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【605】伊賀上野線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇伊賀上野線
1 新水口−上野西山
2 甲南−甲南新田
3 上野丸之内−鍵屋の辻
1.2 路線略図
新水口
草津<−○−>亀山 上野西山
| ○
甲賀病院前○ |
|\ 甲南 伊賀上野◎
V ・−◎−−・上磯尾 /
貴生川・奈良| ○ +−○鍵屋
| \ 槇山 | |の辻
甲南新田○ ・−○−−○−+
上野
丸之内
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・伊賀上野線1 伊賀上野〜上野丸之内〜佐那具〜槇山〜甲南
・伊賀上野線1 新水口〜甲賀病院前
2.2 掲載
・27日目 7/7(日) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p140〜142
・28日目 7/8(月) S61.4号 7.中部編(上) 単行本 p142〜146
2.3 行程
○伊賀上野1905→1910上野丸之内 伊賀上野線 上野西山発 槇山行
531-6001(いすゞBU04)
○上野丸之内0912→1017甲南 伊賀上野線 鍵屋の辻発 水口新町行
531-6001(いすゞBU04)
○水口営業所1354→1405貴生川 近城本線 水口新町発 奈良行
334-3071(三菱K-MK116J)
2.4 エピソード
・伊賀上野駅で19時05発の槇山行きを捕まえると水口自営の助役が車掌代務で
乗っていたので名刺交換し、上野市の国鉄バスターミナルは上野丸之内である
こと、槇山行きは上野丸之内経由で甲南方面に向かうが途中の槇山が終点で接
続もないこと、甲南へ行くのは丸之内明朝9時04分発の水口新町行きであるこ
とと全容が明らかになった。
・水口新町行きは、1kmほど先の鍵屋の辻始発でお客は総勢9人。城下町らしい
狭い道をジグザグに走って市街地を抜けるが、工事個所の多い難路続き。バス
道路とは思えないような地道に入りこんだり、行き違いに難渋したりしながら
滋賀県へ入る。
・片道きっぷの乗り継ぎルートに関心をみせた車掌から手持ちのガリ版時刻表を
貰い受けた。甲南駅でその車掌の見送りを受けた。
・水口自営協力の便法で、前便の本水口行きからそのまま営業所まで乗って、営
業所にいる水口新町始発の奈良行きに乗り継いだ。本水口〜営業所の便乗は珍
しくないのか、地元のばあさま2人も一緒だった。運行上新水口に停車しない
代わりにサービスしているのかもしれない。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・伊賀上野線は、1949(S24)年2月15日に前野〜深川が佐山線として、1953(S28)
年3月11日に深川〜上野(→伊賀上野)が伊賀上野線として、それぞれ開業し
たのがルーツで、草津線甲南駅と関西本線伊賀上野駅を短絡する使命を有して
いた。
・1957(S32)年8月25日に伊賀上野〜上野西山が開業した。1959(S34)年8月1日
に本水口〜甲賀病院前〜甲南が開業した。
・1962(S37)年3月1日に甲南〜紫香楽宮阯前が開業した。
・伊賀上野線は1963(S38)年に亀草線から分離・独立した。
・1964(S39)年6月20日に車坂東口〜上野本町(東回り)が開業した。
・1965(S40)年10月1日に水口新町〜甲賀病院前が開業した。
・1967(S42)年10月24日に上野本町〜鍵屋の辻が開業した。
・1972(S47)年3月15日に伊賀上野〜伊賀温泉、1973(S48)年5月1日に甲南新田
〜紫香楽宮阯前、1975(S50)年4月1日に農人町〜鍵屋の辻の各区間が廃止さ
れた。
・1985(S60)年当時、線内の上野丸之内に自動車駅が存在した。国鉄バス運行の
拠点は水口自動車営業所(新水口)であった。
・1985(S60)年6月改正の水口自動車営業所管内時刻表によると、伊賀上野線には
次のような系統が設定されていた。
上野西山〜鍵屋の辻 下り3本・上り4本
上野西山〜伊賀上野 下り1本
上野西山〜槙山 下り2本
上野西山〜甲南 上り1本
伊賀上野〜上野丸之内 下り2本・上り1本
鍵屋の辻〜水口新町 下り2本・上り1本
鍵屋の辻〜槙山 上り1本
鍵屋の辻〜甲南 上り1本
佐那具〜甲南 下り1本
槙山〜甲南 1往復
上磯尾〜水口新町 上り1本(土日祝運休)
上磯尾〜甲南 下り2本(うち1本は土日祝運休)・上り1本
甲南〜水口新町 下り2本(うち日祝運転、日祝運休各1本)・上り1本
(土曜運転)
甲南新田〜水口新町 上り1本(土曜運転)
甲南〜甲南新田 下り3本(うち日祝運休、土日祝運休各1本)・上り4
本(うち日祝運休、土曜運転、土日祝運休各1本)
3.2 旅から30年
・伊賀上野線は、国鉄末期の1986(S61)年11月15日に槇山〜上野西山及び上野丸之
内〜鍵屋の辻が廃止され、残された区間は亀草本線に編入された。次いで、1987
(S62)年1月28日に甲南〜甲南新田が廃止された。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、旧伊賀上野線の存続区間である、新水口〜
甲南〜槇山は西日本JRバスに継承されたが、1989(H1)年11月1日に上磯尾〜
槇山が、1990(H2)年8月1日に新水口〜上磯尾が廃止された。
3.3 旅の考察
・1985(S60)年6月改正の水口自動車営業所管内時刻表によると、伊賀上野1905発
の槙山行きに乗ると槙山2009着。翌朝の甲南方面始発は槙山0619発の甲南行き。
仮に槙山近辺に宿泊ができた場合には実際の行程よりも3時間半前に甲南に着
けたことにはなる。
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、伊賀上野線には接続駅(甲南、
佐那具及び伊賀上野)の他、第1種委託駅として上野丸ノ内駅が存在した。
※補足「伊賀上野線の路線推移」
※補足「上野本町・上野丸之内・鍵屋の辻に関する考察」
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【606】八幡線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇八幡線
1 東陶前−近江八幡−小幡町−元八幡
2 近江下田−本下田−竜王ダイハツ前
3 近江八幡−出町南−元八幡
4 土田口−出町南
1.2 路線略図
元八幡
小幡町○−−○−−○上筋
| |
| |
土田口○−−−−−○出町南
| |
教習所前○−−○−−+
| 八幡 |
| 病院前 |
近江八幡◎ |
近江八幡○ |
南口 // |
// |
六枚橋○−−−−−○金剛寺前
|
近江岩倉○
|
+=○駕与町口
竜王小○ |
学校 +=+
// ○川守
田中○ |
// ○名神竜王口
// |
医科診// | +=○長峰集
療所前○=+ // //会所前
| // //
山之上○==○=+
| 宮川
| 水口
竜王ダイ○ 綾野 新町
ハツ前 + 名坂 ○−−○−○−>田村神社前
|\ 日電前| | 亀山
中山口○ + | ○西水口
| ○本下田 伴谷口○ |
下田口○ + | ○近江柏木
|/団地 | /
近江下田○ 中央 |/
+−○−○−−○−−○東陶前
\ /にご 岩根 |
○ り池 東口 ○国道三雲
若竹町 |\
V ◎三雲
石部北口
・草津
※亀山〜田村神社前〜綾野〜名坂日電前〜東陶前〜国道三雲〜石部北口〜草津、
綾野〜西水口〜東陶前、国道三雲〜三雲は亀草線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・八幡線1 東陶前〜近江下田〜下田口〜竜王ダイハツ前〜近江八幡
2.2 掲載
・28日目 7/8(月) S61.4号 7.中部編 単行本 p147〜147
2.3 行程
○東陶前2028→2112近江八幡 八幡線 水口新町発 近江八幡行
534-2472(三菱K-MP118K)
2.4 エピソード
・乗り継ぎ地点の東陶前は真っ暗で、大型車が行き交う三差路を用心しながら、
近江八幡行きの停留所に移動。「TOTO」のネオンだけが大きく輝く。
・20時28分、近江八幡行き最終バスがやってきた。水口新町始発で三雲駅を経由
してきた運行系統もなじみになった地名ばかり。お客は数人だけで、ほどなく
筆者一人になった。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・八幡線は、亀草線の支線として1937(S12)年8月11日に東陶前〜元八幡が開業し
たのがルーツで、1958(S33)年10月7日に近江八幡〜小幡町〜元八幡及び土田口
〜保健所前、1965(S40)年7月1日に保健所前〜土田口が開業した。
・本路線は、1963(S38)年8月、亀草線から分離した。
・八幡線は、東海道本線近江八幡駅と草津線三雲駅を結ぶ短絡路線として、地域
開発の使命を有していた。
・1965(S40)年4月8日から名神高速線名神竜王駅に乗入れを開始した(山之上〜
名神竜王〜近江岩井が開業)。(1977(S52)年10月7日に廃止公示)
・1976(S51)年10月31日に団地中央〜竜王ダイハツ前が廃止され、同年11月1日に
団地中央〜近江下田〜竜王ダイハツ前、近江下田〜本下田が開業した。
・1977(S52)年6月22日に本下田〜竜王ダイハツ前が開業した。
・1985(S60)年当時、線内の元八幡に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の
拠点として、水口自動車営業所(新水口)及び同元八幡派出所(元八幡)が置か
れていた。
・水口自営「国鉄バス時刻表」1985(S60)年6月20日改正によると、八幡線には次
のような系統が設定されていた。
本水口・水口新町〜三雲〜近江下田〜近江八幡〜元八幡 下り6本・上り
5本
本水口・水口新町〜三雲〜本下田〜近江八幡〜元八幡 下り5本・上り6
本(うち1本は元八幡〜三雲日祝運休)
水口新町〜東陶前〜近江下田〜近江八幡〜元八幡 下り1本
水口新町〜東陶前〜本下田〜近江八幡〜元八幡 上り3本
三雲〜本下田〜近江八幡〜元八幡 下り3本
三雲〜近江下田〜近江八幡〜元八幡 上り2本(うち日祝運休1本)
水口新町〜三雲〜近江下田〜山之上 上り2本
三雲〜近江下田〜山之上 下り1本(日祝運休)
本水口〜三雲〜本下田 下り3本(うち1本は三雲〜本下田日祝運休)・
上り3本(うち日祝運行1本)
草津〜東陶前〜本下田 下り1本(日祝運休)
大河原〜本水口〜三雲〜本下田 上り1本(本下田〜三雲日祝運休)
田村神社前〜東陶前〜近江下田 下り1本(日祝運休)・上り1本
水口新町〜三雲〜近江下田 下り1本
水口新町〜東陶前〜近江下田 下り1本(日祝運休)
三雲〜本下田 下り2本・上り3本(うち日祝運休2本)
三雲〜近江下田 下り2本(うち土曜運行1本)・上り2本
三雲〜近江下田〜下田口 上り1本
近江下田〜近江八幡〜元八幡 2往復
近江八幡〜元八幡 下り30本(うち日祝運休4本、土曜運転2本、土日祝
運休2本、土日祝運転1本、日祝運転1本)・上り33本(うち日祝運休
10本、土曜繰上日運転2本、日祝運転1本)
3.2 旅から30年
・国鉄最末期の1987(S62)年1月末限りで、近江八幡〜小幡町〜元八幡、近江八幡
〜出町南〜元八幡、土田口〜出町南の廃止が公示された。また、同年2月15日に
六枚橋〜近江八幡南口が開業した。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、八幡線は西日本JRバスに継承された。
・「西日本ジェイアールバス25年史」(2013年)の年表には、1992(H4)年8月3日
から竜王町内一部迂回運行開始とあり、川守〜綾戸〜駕与町口(1998(H10)年10
月廃止)がこれに該当する。
・1992(H4)年12月1日から長峰団地乗入れ、若竹町乗入れを開始した。
・2002(H14)年9月当時の水口営業所「西日本JRバス八幡線時刻表」によると、
八幡線には次のような系統が設定されていた。
三雲〜近江八幡 12往復(うち休日運休下り1本、旧道経由下り5本・上り
3本、若竹町旧道経由下り2本・上り3本)
新道下田〜近江八幡 1往復(うち休日運休上り1本)
三雲〜八幡南口 下り6本(うち長峰経由1本、若竹町旧道経由1本)・
上り8本(うち休日運休1本、旧道若竹町経由3本、長峰旧道経由2本)
三雲〜山之上 1往復(うち上りは休日運休・旧道若竹町経由)
三雲〜下田口 上り1本(休日運休)
三雲〜本下田 下り12本(うち旧道経由8本、旧道若竹町経由4本)・上り
11本(うち学休を除く平日運転1本、旧道経由11本)
・2005(H17)年3月末限りで八幡線は全廃され(最後まで残った区間は、三雲〜近
江八幡、近江下田〜本下田〜竜王ダイハツ前、にごり池〜若竹町〜近江下田、
山之上〜長峰北口〜山之上、六枚橋〜近江八幡南口)、併せて、水口営業所も
廃止された。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、八幡線には接続駅(近江八幡)
の他に、元八幡に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
・民営化時(1987(S62)年4月1日)の「自動車線普通旅客運賃表」の八幡線の項
では、近江八幡は接続駅であるが、近江八幡南口は接続駅にはなっていなかった。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【607】近城線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇近城線
近城本線
1 奈良−貴生川
2 伝統会館前−信楽
3 貴生川−甲賀病院前
4 木津−二本松
5 加茂−岩船寺前
6 南加茂台一丁目−浄瑠璃寺−西畑口
7 清水橋−小杉
8 朝宮−杉山−杉山口
9 江田−多羅尾
10 江田−南新田東
11 伝統会館前−田代
12 雲井駅前−宮町
石山線
1 石倉橋−石山
1.2 路線略図
水口新町
Λ
|
甲賀病院前○−>槙山
|
|
+−◎貴生川
|
|
宮町○−−○雲井駅前
|
田代○−−○−◎信楽
|伝統
|会館前
江田○−−○南新田東
/ \
/ \
杉山口○−・ ○多羅尾
石山 | |
◎ +−○杉山
| 朝宮○
| |
○−−−−○石倉橋
鹿跳橋 |
清水橋○−○小杉
|
|
中和束○ 辻
| ・−○
| / \
加茂◎−−○ ○−○岩船寺前
|南加茂\ /西畑
|台一丁 ○−○ 口
|目 西小 浄瑠璃寺
|
木津◎−−○二本松
|
|
奈良◎
※1985(S60)年当時、木津〜二本松は休止中
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・石山線 石山〜石倉橋
・近城本線1 石倉橋〜加茂
・近城本線3 甲賀病院前〜貴生川
2.2 掲載
・27日目 7/7(日) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p137〜140
・28日目 7/8(月) S61.4号 7.中部編(上) 単行本 p145〜146
・連載誌のみ 石倉橋停留所の写真、「かやの木」の写真
2.3 行程
○石山0813→0901石倉橋 石山線 石山発 信楽行 334-3073(三菱K-MK116J)
○石倉橋1514→1604加茂 近城本線 信楽発 加茂行 334-0021(三菱K-MK116H)
○水口営業所1354→1405貴生川 近城本線 水口新町発 奈良行
334-3071(三菱K-MK116J)
2.4 エピソード
・石山駅前バス乗り場の、近江、京阪、帝産バスは繁しく発着する中に国鉄バス
の乗り場もあった。別ルートで信楽と結ぶ帝産バスは1時間に1〜2本なのに、
国鉄は朝、午後、夕に1本ずつ。小ぶりなバスがやってきて5〜6人乗りこむ。
・鹿跳橋から国道422号の1車線やっとの細道になる。やがて茶畑が増え、宮尻
は朝宮茶の産地と地元の人に聞く。宮尻で3分ほど時間調整。
・石倉橋に着くと、信楽派出所で教えてくれた10時11分の加茂行きは無情にも日
祝運転休止。タクシーが通る気配もなく公衆電話もない。
・信楽方面へ少し歩くと木づくりの喫茶兼レストラン「かやの木」。コーヒーを
頼みマスターに事情を話して6時間滞在の許可を受け、ベランダの机に原稿を
広げた。
・ようやく時が来て、加茂行きバスで出発。狭い地方道の県境を越えて京都府に
入ると、ダム建設反対の立札が目立つ。和束の集落を抜けて加茂に下る。お客
は少なく、運転士は分割民営で本当に国鉄は立ち直るのだろうかと独り言のよ
うに不安を訴えた。
・水口自営協力の便法で、前便の本水口行きからそのまま営業所まで乗って、営
業所にいる水口新町始発の奈良行きに乗り継いだ。本水口〜営業所の便乗は珍
しくないのか、地元のばあさま2人も一緒だった。運行上新水口に停車しない
代わりにサービスしているのかもしれない。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・近城線は、1940(S15)年11月5日に加茂〜清水橋が、翌1941(S16)年11月1日に
清水橋〜信楽が開業したのがルーツで、信楽〜加茂は鉄道敷設法予定線の先行
路線としての使命を有する他、奈良〜貴生川を結ぶ沿線の産業文化の発展助長
も使命としていた。
・その後、1943(S18)年10月1日に信楽〜貴生川が開業した。
・戦後は、1950(S25)年5月10日に石倉橋〜宮尻、江田〜多羅尾が開業した。
・1951(S26)年5月5日に加茂〜辻、1953(S28)年5月25日に奈良〜加茂、1954(S
29)年10月20日に辻〜岩船寺前、瓶ノ原〜中和束の各区間が開業した。
・1955(S30)年12月27日に瀬田線宮尻〜鹿跳橋、1957(S32)年2月10日に岩船寺前
〜北、同年10月1日に期間限定運行の岩船寺前〜九体寺前、同年11月1日に信
楽〜田代の各区間が開業した。
・1962(S37)年4月16日に木津〜里、同年10月10日に加茂〜瓶ノ原(1963(S38)年
5月20日廃止)が開業した。
・1963(S38)年4月10日に貴生川〜甲賀病院前が開業した。
・1965(S40)年5月20日に石山線鹿跳橋〜石山が開業した。
・1967(S42)年12月21日に岩船寺前〜北が廃止された。
・1977(S52)年6月10日に二本松〜九体寺前、同年12月10日に朝宮〜杉山〜杉山口、
1984(S59)年2月1日に江田〜南新田東の各区間が開業した。
・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、加茂自動車営業所(加茂)、同
信楽派出所(信楽)が置かれていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、近城線
には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
奈良〜水口新町 上り2本
奈良〜信楽 下り2本・上り1本
奈良〜清水橋 下り1本
奈良〜小杉 1往復
奈良〜原山 上り1本
奈良〜加茂 下り1本
加茂〜貴生川 下り1本
加茂〜信楽 1往復
加茂〜清水橋 2往復
加茂〜小杉 下り4本・上り3本
加茂〜原山 下り1本・上り2本
加茂〜浄瑠璃寺 下り4本(うち1本は特定日運行、1本は岩船寺前〜
浄瑠璃寺は特定日運行)・上り3本(うち1本は特定日運行)
加茂〜岩船寺前 下り5本(うち1本は休日運休、2本は特定日運行)
・上り6本(うち1本は休日運休、2本は特定日運行)
・なお、1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、雲井駅前〜宮町
には運賃の記載がなく、同区間は休止中であったと解される。
3.2 旅から30年
・国鉄最末期の1986(S61)年3月3日に朝宮〜杉山口の直行経路が廃止された。
その他の区間は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに継承さ
れた。
・1989(H1)年11月1日に奈良〜加茂、木津〜二本松、同年12月1日には貴生川〜
貴生川駅前、東三本柳〜伝統会館前の各区間が廃止された。その後、1996(H8)
年4月8日に江田〜南新田東及び信楽〜田代が廃止された。
・残った区間(加茂〜信楽、加茂〜岩船寺前〜加茂、清水橋〜小杉、石倉橋〜石
山及び江田〜多羅尾)も2002(H14)年9月末限りで廃止された。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、近城線には接続駅(奈良、木
津、加茂、信楽、貴生川及び石山)のみ置かれていた。
・1987(S62)年7月13日から国鉄(→JR)信楽線が廃止され信楽高原鉄道が開業
したが、その前後でのJRバスダイヤの変化を見ると次の通りである。
(1)開業前のダイヤについては、「JNR編集時刻表」1987(S62)年4月号(3/2現在)
では、近城線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
奈良〜水口新町 上り2本
奈良〜信楽 下り2本・上り1本
奈良〜清水橋 下り1本
奈良〜小杉 1往復
奈良〜原山 1往復
加茂〜信楽 下り2本・上り1本
加茂〜清水橋 下り1本・上り2本
加茂〜小杉 下り6本・上り3本
加茂〜原山 1往復
清水橋〜信楽 上り1本
信楽〜水口新町 下り2本
加茂〜浄瑠璃寺 下り5本・上り3本
加茂〜岩船寺前 下り4本・上り5本
鉄道並行区間の信楽〜貴生川を運行するのは2往復であったことを確認できる。
(2)開業後のダイヤについて、「JR編集時刻表」1988(S63)年3月号(1/4現在)
では、近城線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
奈良〜水口新町 上り1本
奈良〜信楽 下り2本・上り1本
奈良〜清水橋 1往復
奈良〜小杉 1往復
奈良〜原山 1往復
加茂〜信楽 2往復
加茂〜清水橋 下り1本・上り2本
加茂〜小杉 下り6本・上り3本
清水橋〜信楽 上り1本
信楽〜水口新町 下り2本
加茂〜浄瑠璃寺 下り3本(うち土曜運転、秋季運転、土曜運休各1本)・
上り1本
加茂〜岩船寺前 5往復(うち休日運休、秋季運転各1往復)
鉄道並行区間の信楽〜貴生川を運行するのは下り2本・上り1本であったことを
確認できる。従って、信楽線の第3セクター転換に当たっては、元々鉄道並行区
間の本数が少ないこともあってか、漸減したにとどまっていた。
※補足 JR平城山駅鉄道アクセス輸送について
・JR西日本と西日本JRバスが連携して、JRの既存駅或いは新駅と最寄りの
住宅街・商業地域を結び、通勤通学又は買い物客を対象に一定の輸送量の見込
める路線を検討した結果、JR平城山駅と青山住宅、朱雀・左京循環の2路線
を開設することとされた。
・他社とのダイヤ調整が難航したため予定の時期に運行開始できず、2007(H19)年
3月18日からようやく運行開始した。運行に当たっては、京都営業所平城山派
出所を奈良電車区構内に新設した。運行系統と本数は次の通りであった(運用
車6両)。
平城山駅〜青山住宅(5.6km)19往復
平城山駅〜朱雀・左京循環(7.2km)19回
・しかし利用が少なく、2008(H20)年3月15日から大幅に減便するとともに、出
退勤箇所を京都営業所に変更し(京都営業所からバスを回送して運行)、これ
に伴って平城山派出所は廃止された。運行系統と本数は次の通りとなった(運
用車3両)。
平城山駅〜青山住宅 10往復
平城山駅〜朱雀・左京循環 13回
・さらに、同年10月18日から早朝・深夜時間帯を減便し効率化を図ったが、採算
はとれず、2009(H21)年3月13日限りで廃止された。なお、廃止時の運行系統と
本数は次の通りであった(運用車1両)。
平城山駅〜青山住宅 4往復
平城山駅〜朱雀・左京循環 6回
※補足「水口〜三雲・信楽の路線推移」
※補足「奈良〜加茂の路線推移」
※補足「平城山線・奈良駅周辺に関する考察」
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【608】紀南線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇紀南線
1 新宮−大又大久保
1.2 路線略図
上北山● 大又 岡崎
・ 大久保 野田
熊野本宮・五条 ・ ○・・●・・●・・●尾鷲
Λ ・ / 矢の川 ・
| (紀伊木本→) ・/ 峠 ・
権現前○−・ 熊野市 ○ ●
・−+ | ◎ /紀伊小坂 九鬼
| | | | /
新宮◎−・ ・−−○−−○−−+−○
阿田和 神志山 鬼ヶ城
駅前 駅前 口
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・紀南線は、1936(S11)年10月6日に尾鷲〜紀伊小坂が開業し、1940(S15)年8月
8日に上木本〜紀伊木本(→熊野市)が開業、1950(S25)年3月4日に上木本〜
紀伊小坂が開業(同時に紀伊佐田〜上木本(詮議峠経由)が廃止された)して
尾鷲〜紀伊木本が全通した。
・開業当時は、紀勢東線尾鷲と紀勢西線紀伊木本を結ぶ鉄道代行線としての使命
を有していた他、九鬼線(岡崎野田〜九鬼)をはじめ、沿線地方の産業文化の
発展助長、北山周辺の木材輸送をも使命としていた。
・尾鷲〜紀伊木本は、熊野の険しい山岳を曲折の多い坂路によって乗り越える区
間で、途中海抜808mの矢の川峠を頂点とし、その前後の急坂と曲路は運転に特
に注意を要する個所と言われていた。
・1952(S27)年1月25日に九鬼線(岡崎野田〜九鬼)が開業し、同年9月1日に貨
物路線の上北山線(紀伊小坂〜上北山)が開業した。
・紀勢本線全通前の紀南線のダイヤを「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年11
月号(4/1改正)から拾うと、次のような系統が設定されていたのを確認できる。
尾鷲〜紀伊木本 4往復(所要2時間45分)
大久保〜紀伊木本 1往復(所要1時間)
上橋〜紀伊木本 3往復(所要57分)
紀伊小坂〜紀伊木本 1往復(所要40分)
尾鷲〜松本 6往復(所要25分)
尾鷲〜九鬼 3往復(所要1時間30分)
・1957(S32)年3月10日に九鬼線九鬼町〜九鬼が延伸された。
・1959(S34)年7月15日に紀勢本線が全通し、紀南線尾鷲〜大又大久保と九鬼線、
上北山線が廃止された。その後、1961(S36)年7月1日に紀南線は新宮〜熊野市
が開業した。
・1968(S43)年4月17日に上木本〜鬼ヶ城口が廃止されて、熊野市〜鬼ヶ城口が開
業した。
・1971(S46)年1月27日に熊野市〜上木本が廃止された。
・新宮〜熊野市〜大又大久保は1984(S59)年2月から休止された。休止前のダイヤ
を「国鉄監修交通公社の時刻表」1983(S58)年10月号(9/1現在)から拾うと、紀
南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
新宮〜大又大久保 下り1本・上り2本(所要1時間33〜37分)
新宮〜熊野市 下り1本(所要50分)
熊野市〜大又大久保 下り6本・上り5本(所要34分)
・休止前は、紀伊田辺自動車営業所新宮支所が紀南線の運行を担当していた。
3.2 旅から30年
・紀南線は休止中のまま、国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに
継承された。「交通年鑑」の西日本JRバスの項にある「営業線区と営業キロ」
の表には、紀伊田辺営業所の所管として紀南線が1998(H10)年版(1997(H9)年11
月現在)まで掲載されていた(1999(H11)〜2000(H12)年版は紀伊田辺営業所の
所管に紀南線の文字はあるが営業キロが「0.0km」となっていた。2001(H13)年
版以降は紀南線が削られている)。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、紀南線には接続駅(新宮及び
熊野市)のみ置かれていた。
※補足「新宮周辺の路線推移」
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【609】熊野線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇熊野線
熊野本線
1 紀伊田辺−熊野本宮
2 紀伊田辺−鶴ヶ丘
3 鮎川新橋−城ノ浦
4 清姫−一願地蔵前
5 紀伊中川−紀伊小松原
6 将監ノ峯−川湯温泉
富里線
1 滝尻−苔口
1.2 路線略図
五条
Λ
|
折立○
|
十津川温泉○
|
熊野萩○
|
本宮大社前○
紀伊小松原 |
○ 将監ノ峰○−−○−○熊野本宮
\ +=+ /| 湯峰 |
紀伊中川○−+○+・ | 温泉 |
/ 高尾 渡瀬○ |
栗栖川○ 隧道 温泉 \ |
| ○−−○請川
滝尻○−−−○−○苔口 /川湯 |
| 打越・ / 温泉 |
一願地蔵前○−○清姫 ・ 静川○ ○志古
| ・ |
鮎川新橋○−○・・ V
| 城ノ浦 新宮
|
◎朝来
鶴ケ丘 /
紀伊田辺◎−−○−・
| /
+・
※五条〜新宮及び請川〜静川は五新線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・熊野本線1 熊野本宮〜将監ノ峯〜栗栖川〜鶴ヶ丘〜紀伊田辺
2.2 掲載
・20日目 6/20(木) S61.2号 5.近畿編(上) 単行本 p272〜273
・連載誌のみ 小国駅の写真
2.3 行程
○熊野本宮0935→1001請川 熊野本線 熊野本宮発 新宮行(湯ノ峰温泉経由)
334-8404(三菱MK115H改)
×請川→湯ノ峰温泉 タクシー
○湯ノ峰温泉1226→1500紀伊田辺 熊野本宮発 紀伊田辺行
334-8403(三菱MK115H改)
2.4 エピソード
・路線の戸籍と運転系統がかなり違っており、紀伊田辺行きはさっき通った
五新線を請川へ戻ったのち川湯温泉を回り、湯ノ峰温泉を往復して田辺へ
向かう。きっぷの経路は戸籍上の熊野本線をまっすぐ湯ノ峰温泉へ行かね
ばならず、そのコースを通るのは新宮行きの一部だった。
・湯ノ峰温泉経由の新宮行きに乗ってみると、Sカーブ連続登りの悪路。対
向車が来るたび、行き違いできないのでどちらかがバックする。
・12時26分に熊野本宮から請川を回ってきた紀伊田辺行きが到着、将監ノ峰
まで戻って、国道とは名ばかりの311号線を行く。細いカーブを上り下り
するかと思うと、吊り橋のある集落へ出たり、車窓は美しく、変化がある。
13時半ごろ近露で7分休憩。
・1車線ぎりぎりで、中ほどに行き違い所のある逢坂トンネルを抜け、14時
過ぎの栗栖川でも5分停車。
・「自動車線普通旅客運賃表」によれば、田辺市内の鶴ケ丘〜紀伊田辺間は
本線が1.1kmで、0.1km長い別線もあるから、別線経由できっぷを買ったの
だが、運転士に聞くとその間の路線は1本だというし、後に紀伊田辺営業
所へ電話で尋ねても同じような答えしか返って来ず釈然としない。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・熊野線は、1947(S22)年6月21日に紀伊田辺〜熊野本宮〜請川が開業したのが
ルーツで、沿線の地方産業文化及び吉野熊野国立公園の観光開発を使命として
いた。開通当時は、富田川に沿い熊野の山また山を越えて奥熊野の仙境に至る
この路線は運転に特別の技術と注意を要する難所が多いと言われていた。
・1950(S25)年5月10日に熊野本宮〜熊野萩(→五新線)、1951(S26)年10月1日
に請川〜川湯温泉、富里線(滝尻〜打越)の各区間が開業した。
・1953(S28)年2月11日に紀伊中川〜紀伊小松原、1955(S30)年3月15日に鮎川新
橋〜打越、1956(S31)年12月25日に富里線打越〜苔口、1958(S33)年5月15日に
熊野萩〜八木尾(→五新線)、同年8月27日に清姫〜西谷の各区間が開業した。
・「交通年鑑1963年版」には、マイクロバスによる座席定員制急行便を設定し、
長距離直通客の利便とともに経営の合理化を図る計画で、予土南北線松山〜
高知間、広浜線広島〜浜田間、雲芸線出雲〜三次間の3路線で実施し、京鶴
・若江線京都〜小浜間、熊野線紀伊田辺〜川湯間の2路線を計画中であると
述べられていた。
・1965(S40)年6月24日に白浜線(田鶴口〜白浜湯崎温泉)が開業した(1978(S53)
年4月1日休止、1979(S54)年4月1日廃止)。
・「国鉄自動車50年史」(1980年)によると、国鉄自動車問題調査会の答申に基
づき、国鉄バス沿線の観光地への旅客を列車・バスを通じて座席指定制により
一貫輸送する結合輸送を推進し好評を博したとある。1966(S41)年度における
主な結合輸送の1つに白浜線が挙げられていた。
列 車 バ ス
第2きのくに号(天王寺〜新宮) 熊野線(紀伊田辺〜白浜湯崎温泉)
第2きのくに号(白浜〜天王寺) 熊野線(白浜湯崎温泉〜紀伊田辺)
第3きのくに号(天王寺〜椿) 熊野線(紀伊田辺〜白浜湯崎温泉)
第3きのくに号(白浜〜天王寺) 熊野線(白浜湯崎温泉〜紀伊田辺)
第1きのくに号(椿〜天王寺) 熊野線(白浜湯崎温泉〜紀伊田辺)
第4きのくに号(新宮〜天王寺) 熊野線(白浜湯崎温泉〜紀伊田辺)
・1977(S52)年1月10日に渡瀬温泉〜川湯温泉が開業した。
・1985(S60)年1月15日に富里線城ノ浦〜打越が廃止された。
・1985(S60)年当時、線内には自動車駅として栗栖川及び熊野本宮駅が存在した。
また、国鉄バス運行の拠点として、紀伊田辺自動車営業所(紀伊田辺)と栗栖川、
熊野本宮の両派出所が置かれていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、熊野線
には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
紀伊田辺〜熊野本宮 3往復
紀伊田辺〜高尾隧道 上り1本
紀伊田辺〜紀伊中川 2往復
紀伊田辺〜栗栖川 下り12本・上り11本
3.2 旅から30年
・国鉄最末期の1987(S62)年2月15日に紀伊中川〜紀伊小松原が廃止された。その
他の区間は国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに継承された。
・1990(H2)年3月末限りで支線の鮎川新橋〜城ノ浦及び富里線全線が廃止され、
翌1991(H3)年3月末限りでに清姫〜一願地蔵前が廃止された。
・1997(H9)年3月改正の「JRバス熊野線時刻表」によると、熊野線には次のよう
な系統が設定されていた。
紀伊田辺〜本宮大社前 3往復
紀伊田辺〜高尾隧道 下り2本・上り3本
紀伊田辺〜近露 下り1本(土日祝学休は栗栖川止)
紀伊田辺〜栗栖川 下り9本(うち日祝学休運休1本)・上り9本(うち日
祝運休、日祝学休運休各1本)
栗栖川〜高尾隧道 下り1本
栗栖川〜近露 上り2本(日祝学休運休、土日祝学休運休各1本)
栗栖川〜福定 下り1本(土曜運転学休運休)
熊野大瀞〜熊野本宮 下り1本(日祝運休)
・1999(H11)年3月には小広峠の新道開通に伴って経路変更が行われ、旧道区間の
うち高尾隧道〜小広峠が廃止になった。
・2002(H14)年3月末限りで栗栖川以東の栗栖川〜宮の上〜渡瀬温泉〜湯ノ峰温泉
〜熊野本宮、宮の上〜高尾隧道及び渡瀬温泉〜川湯温泉が廃止された。
・残された紀伊田辺〜栗栖川(紀伊田辺〜鶴ケ丘の別線を含む)も2009(H21)年9
月末限りで廃止された。同時に紀伊田辺営業所も廃止された。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、熊野線には接続駅(紀伊田辺、
紀伊新庄及び朝来)の他、第1種委託駅として栗栖川及び熊野本宮の両駅が置か
れていた。両駅では特別扱小荷物(新聞輸送)が行われていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【610】五新線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇五新線
1 五条−新宮
2 請川−静川
1.2 路線略図
五条◎
|
|
城戸○
|
|
|
折立○
|
十津川温泉○
|
熊野萩○
|
本宮大社前○
|
将監ノ峰○−−○−○熊野本宮
/| 湯峰 |
紀伊田辺<−・ | 温泉 |
渡瀬○ |
温泉 \ |
○−−○請川
/川湯 |
/ 温泉 |
静川○ ○志古
|
|
|
権現前○
/|
丹鶴町○ |
/ |
新宮◎−−−○登坂
※五条〜城戸は阪本線との重複区間、熊野本宮以西及び川湯温泉〜将監ノ峰は
熊野線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・五新線1 新宮〜請川〜熊野本宮
2.2 掲載
・20日目 6/20(木) S61.2号 5.近畿編(上) 単行本 p110〜111
2.3 行程
○新宮0600→0725本宮大社前 五新線 新宮発 折立行 534-4478(三菱P-MP118K)
2.4 エピソード
・新宮市内を一回りして何人かお客を拾い、熊野川右岸に沿う杉林の168号線を
遡る。早朝の山中なのにところどころで1人、2人と乗り降りして、運転士
と世間話をしていく。
・熊野本宮で乗換えだが100円払って本宮大社前まで乗り越し。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・五新線は、1950(S25)年5月10日に熊野線の一部として熊野本宮〜熊野萩、
1958(S33)年5月15日に同じく熊野萩〜八木尾、川丈線として請川〜新宮が
それぞれ開業したのがルーツで、1963(S38)年3月1日に五条〜八木尾が開
業して五条〜新宮が全通した。
・五新線は、紀勢本線と和歌山線を結ぶ短絡路線を形成し、この区間の先行路
線としての使命を有していた。また、この路線は熊野の山岳地帯を越えて、
太平洋岸の新宮に至る長距離路線であり、沿線の風景は変化に富み、多くの
史跡や温泉郷を持っていると言われた。、
・「交通年鑑1964年版」には、鉄道線の建設代行輸送に関して、五新線につい
て次のように述べられていた。
◇和歌山線五条と紀勢本線新宮の間は、将来鉄道が建設される計画であるが、
さしあたって、国鉄自動車により旅客輸送を行うことになり、昭和38年3
月から五条〜新宮間149.1kmに1日1往復、座席指定のバスを運転して、
1日平均70人の旅客を輸送している。(5月分実績)
・1966(S41)年12月28日に川湯温泉〜静川が開業した。
・1969(S44)年11月1日から五新線の五条〜城戸(国道168号線)が廃止され、
城戸(阪本線既設停車場)〜阪本に五新線が開業した(国鉄公示第338・339
号)。なお、この時に国鉄自動車路線名称の改正は行われず、五条〜城戸は
五新線と阪本線の重複区間となった。
・1973(S48)年3月10日に桧杖〜権現前が廃止され、桧杖〜高校前〜権現前が
開業した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(3/2現在)によると、国鉄の
五条〜新宮直通便は次の1往復が設定されていた。
新宮0700→熊野本宮0813→十津川温泉0851→折立0858→1239五条
五条1147→折立1533→十津川温泉1540→熊野本宮1630→1733新宮
・五新線のうち、五条側の折立以北は、1978(S53)年までに国鉄バスの運行が
休止された。
・国鉄バスの五条〜折立間休止時期については、1978(S53).10.2から休止とする
資料もあるが、「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)
には既に国鉄の五条〜新宮直通便は載っていない。
・1985(S60)年当時、線内の熊野本宮に自動車駅が存在した。また、国鉄バス
運行の拠点として、紀伊田辺自動車営業所新宮支所(新宮)が置かれていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、五新
線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
新宮〜折立 1往復
新宮〜十津川温泉 2往復(うち快速便1往復)
新宮〜本宮大社前 上り1本
新宮〜熊野本宮 下り4本・上り3本
請川〜湯ノ峰温泉 上り1本
3.2 旅から30年
・1986(S61)年12月の国鉄自動車路線名称の全面改正で、五新線の第1区間は五条
〜城戸が削られて「城戸・新宮間」となった。
・国鉄再末期の1987(S62)年2月15日に川湯温泉〜静川が廃止された。それ以外の
五新線の区間は、国鉄民営化及び自動車分離を経て西日本JRバスに継承された。
・1991(H3)年1月21日に折立〜七色及び休止区間の折立以北が廃止されて、十津川
村からJRバスが姿を消した。
・「五新線時刻表」1996(H8)年9月1日改正によると、五新線には次の系統が設定
されていた。
新宮〜七色 1往復(所要1時間39分)
新宮〜本宮大社 4往復(所要1時間24分)
新宮〜熊野本宮 1往復(所要1時間22分)
熊野本宮〜七色 下り1本(所要17分)
静川〜七色 上り1本(所要21分)
・残された七色以南の区間(新宮〜熊野本宮〜七色及び請川〜川湯温泉)は、2002
(H14)年3月末限りで廃止されて五新線は全廃となった。これに伴い、紀伊田辺
営業所新宮派出所も廃止となった。
3.3 旅の考察
・馬渡一真「つばめバス十津川郷をゆく−五新線開業す−」(『国鉄線』1963(S38)
年5月号所収)によると、五条〜新宮の直通バス路線は5社(奈良交通、熊野
交通、国鉄、南海、近鉄)競願となったが、1962(S37)年11月に国鉄は五条〜
新宮1往復(申請は3往復)、奈交は奈良〜新宮2往復、熊交は橋本〜新宮2
往復が許可され南海と近鉄は却下された。認可後のこの路線の運営に当たっては
三者相互の協調・協力が第一とされ、停留所(21か所)は全部同一位置で標柱も
共用する、車両故障その他の事故の場合には旅客の便宜を第一義に考えて現場同
士で相互に救済し合うという取り決めを交わす等がなされた。ダイヤの設定に当
たっては五条、新宮とも各社共通のダイヤで1時間おきに発車することでまとま
り、どの時間帯を選ぶかについては、国鉄が1往復しかないことから希望のスジ
に落ち着いた(新宮発7:00、五条発11:20で途中休憩時間30分を含めて7時間運転)。
国鉄バス五新線では、開業以来無事故に終始した尾鷲営業所の乗務員、紀勢線全通
まで矢の川峠の峻嶮を越えてきた人たちがそのままこの路線を担当した。
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、五新線には接続駅(五条及び
新宮)の他、第1種委託駅として城戸及び熊野本宮の各駅が存在した。なお、
阪本線にも城戸駅が存在していたが、営業範囲(五新線駅は荷物を取り扱わない
)や参照公示が異なっており、同一の駅を意味しているのかどうかは明確でない。
なお、この資料に五新線城戸駅が載っていることから、1977(S52)年8月の時点
では国鉄バスの五条〜新宮の運行があったと解される。
・1996(H8)年から2002(H14)年の間、大阪(のちに京都)〜新宮(紀伊田辺経由)
に夜行バス「ルナメール号」が運行されていた。この路線は紀伊田辺営業所新宮
派出所の担当であったが、2002(H14)年に五新線全廃とともに新宮派出所も廃止
されるため、この夜行バスも休止となった。
※補足「新宮周辺の路線推移」
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【611】阪本線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇阪本線
1 五条−城戸
1.2 路線略図
五条◎
|
○賀名生
|
○城戸
|
|
折立○
|
V
熊野本宮・新宮
※五条〜新宮は五新線(五条〜城戸は阪本線との重複区間)
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・1937(S12)年に鉄道建設線に決定された五条〜阪本は、戦争により工事中断を
はさみ、1960(S35)年に五条〜城戸の路盤工事が完成したが、1962(S37)年に
国鉄自動車専用道として運行することが決定された。このため、1963(S38)年
から専用道の工事に着工し、1965(S40)年7月10日に五条〜城戸が開業した。
営業キロ11.2kmのうち専用道区間は8.2kmであった。
・開業当時は、バスストップを11か所設け、片道26分の所要時分で、1日17往復
を運行した。その後、1979(S54)年度は五条〜城戸24往復及び五条〜生子2往復
が運行されていた。
・1969(S44)年11月1日から五新線の五条〜城戸(国道168号線)が廃止され、
城戸(阪本線既設停車場)〜阪本に五新線が開業した(国鉄公示第338・339
号)。なお、この時に国鉄自動車路線名称の改正は行われず、五条〜城戸は
五新線と阪本線の重複区間となった。
・1985(S60)年当時、線内に自動車駅として城戸駅が存在した。また、国鉄バス
運行の拠点として、加茂自動車営業所五条支所(五条)が置かれていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、阪本線
は五条〜城戸に20往復が運行されていたのを確認できる。
3.2 旅から30年
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、阪本線は西日本JRバスに継承された。
・五新鉄道の阪本以遠については、1996(H8)年2月に国鉄清算事業団が大塔村、
西吉野村に財産を無償譲渡した。これを受けて、同年11月に本路線の使命で
あった建設代行としての役割がなくなったこと及び路線の収支が悪化してい
る(年間約3,000万円の赤字)ことから、路線廃止について五条市及び西吉
野村に申し入れた。
・2002(H14)年9月末限りでに阪本線は全廃され、加茂営業所五条派出所も廃止
された。
・廃止直前の「JRバス阪本線時刻表」2002(H14).03.23改正によると、阪本線
には次の系統が設定されていた。
五条〜城戸 下り15本(うち土日祝運休2本)・上り16本(うち土日祝
運休3本)(所要27分)
五条〜生子 1往復(所要14分)
3.3 旅の考察
・国鉄バスの専用道による代行輸送には、鉄道建設予定線敷を運行する建設代行
と、鉄道線を撤去したあとの線路敷を運行する撤去代行とがあり、前者には白
棚線、阪本線が、後者には杉津線、柳ヶ瀬線があった。
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、阪本線には接続駅(五条)の
他、第1種委託駅として城戸駅が存在した。なお、五新線にも城戸駅が存在し
ていたが、営業範囲(後者は荷物を取り扱わない)や参照公示が異なっており、
同一の駅を意味しているのかどうかは明確でない。
・1983(S58)年に五条支所は、紀伊田辺自動車営業所から加茂自動車営業所へ移管
されている。
・1988(S63)年4月のバス事業分離の際に、阪本線のバス運行のみ西日本JRバス
が引き継ぎ、専用道財産はJR西日本がそのまま保有するとともに、その維持
管理も同社が行うこととなった。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【612】園篠線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇園篠線
園篠本線
1 園部河原町−篠山口
2 原山口−奥原山
3 東本荘−奥県守
4 本篠山−小枕口
5 本篠山−風深−宇土観音
6 城北口−瀬利
7 篠山本町−産業高校前
8 杉−小枕奥
9 篠山口−味間奥
園篠南線
1 福住清水−本篠山
2 福住−西能勢
3 城東日置−後川下
4 厄神前−曽地奥
大芋線
1 細工所−藤坂奥
2 多紀福井−市野々
3 岩屋−奥山
畑線
1 和田−火打岩
1.2 路線略図
藤坂奥 ○奥山
火打岩 ○ /
○ \ ・−○岩屋
| \ / |
鳳鳴 | 奥県守 ○多紀 ○市野々 福知山
高校前 | ○ / 福井 ・檜山
産業高校前○ 篠山 ○−−−○瀬利 | ・ Λ
\本町 | | | | |
・−−○−−○城北口| 東本荘○−−○細工所 奥原山○ ・−○−>園部
| | | / | / / 園部
| |京口橋|般若寺 / | 福住 / / 河原町
+−○−+−○−○−○−○−・ ○−−○−−○−−−○
| 風深|本篠山 \和田 城東 /福住 \原山口 瑠璃
| | \ 日置 / 清水 \ 渓口
宇土観音○ | ○−−−○−・ 摂津○
/ | 八上 | 天王|
杉○−−−−−○小枕口 本町 | |
○−−−+ | ○厄神前 ・
味間奥 | | / \ \
◎ ○小枕奥 ○ \ \
篠山口 曽地奥 ○後川下 西能勢○
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・園篠本線1 篠山口〜宇土観音〜篠山本町〜城北口〜本篠山〜和田〜細工所〜福住
〜園部河原町
2.2 掲載
・24日目 7/4(木) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p122〜123
2.3 行程
○篠山口1028→1043本篠山 園篠本線 篠山口発 本篠山行(篠山本町経由)
334-0003(三菱K-MK116H改)
×本篠山1050→1200園部 園篠本線 本篠山発 園部行(城東日置経由)
331-6011(いすゞBA05N)
2.4 エピソード
・篠山口に降りると、篠山本町経由本篠山行きが待っていた。細かい雨が降り出
す中を、両側にめちゃくちゃ停車の車をよけながら、バスは篠山の市街地を抜
けて行く。
・本篠山口駅で1年余り前の「園篠線開業50周年記念乗車券」等を求めると、窓
口にすわっていた愛想の良いおばさんが車内用路線図をプレゼントしてくれた。
・動き出した両側1人がけの小型バスの中でテープ案内を聞いていると、「南ま
わり城東日置経由福住から園部行き」という。きっぷの経由欄を眺めると「本
篠山、細工所、福住、園部」とある。「北まわり」の本数はごく少なく、雨足
は強まっており、途中で降りるのは気が進まない。
・「北まわり」は4年前(1981年6月の篠山線跡のルポ)の印象が鮮やかなので
経由違いに目をつむりこのまま進む。
・旧福住駅はバスの回転場になっており、墓標をかたどった駅跡の碑が見えた。
乗り降りのほとんどないまま、山陰本線の園部駅前に着いた。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・園篠線は、1934(S9)年3月28日に原山口〜福住〜日置辻〜本篠山〜篠山(→篠山
口)、同年7月11日に園篠本線園部〜原山口及び城北線福住清水〜村雲〜東本荘
〜本篠山が開業したのがルーツであった。
・1940(S15)年11月1日に大芋線村雲〜大芋が開業した。
・園篠線は、鉄道の先行及び輸送力補強を使命とした他、沿線地方の産業文化の
発展助長をも使命としていた。
・戦時中の1944(S19)年3月21日に、園篠本線の福住清水〜日置辻〜本篠山が廃止
され、城北線福住清水〜村雲〜東本荘〜本篠山が園篠本線に編入された。同時に
貨物専用路線として、般若寺〜火打岩〜畑山、火打岩〜鰐市谷、本篠山〜篠山の
各区間が開業した。
・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(V)戦時期2−」(『東京経大
学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営
自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、園篠本線本篠山〜篠山口、
大芋線村雲〜大芋で1944(S19)年3月21日から旅客運行が休止された。
・戦後、1948(S23)年3月24日に本篠山〜篠山が廃止された一方、貨物専用路線の
般若寺〜八上が同年3月23日に開業した。また、1950(S25)年7月1日に福住〜
日置辻〜本篠山が開業(復活)した。
・1951(S26)年4月11日に篠山口〜味間奥が開業した。同年5月5日に園篠南線
八上新〜後川が開業した。
・1952(S27)年1月25日に下立町〜瀬利、大芋線大芋〜大朴、大芋〜市野々の各
区間が開業した。
・1953(S28)年8月11日に西脇線(篠山本町〜西脇)が開業した。また、同年9
月5日に園篠南線後川〜後川下が開業した。
・1954(S29)年3月16日に園篠南線福住〜西能勢が開業した。
・1956(S31)年3月1日に西脇線谷川〜西脇が廃止された。
・1957(S32)年3月28日に篠山口〜母子、谷川線大山下〜西古佐、同年11月1日
に東本荘〜奥県守が開業した。
・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、この路線は山陰本線園部と福知山線篠山
口・谷川を結ぶ本線とその支線からなり、園福線とともに丹波高原を横断し、
従来交通機関に恵まれなかった丹波奥地と、京都・大阪方面との交通は著しく
便利になったと述べられていた。
・1959(S34)年2月10日に大芋線藤坂〜藤坂奥が開業した。
・1968(S43)年9月の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル線撤去に伴い、鉄道
路盤と並行する一般道路を運行し、運賃は一般のバス賃率を適用している路線の
輸送を「代替輸送」といい、園篠線もその1つであった。
・国鉄篠山線(篠山口〜福住)は、1970(S45)年度の収支係数が1,090を示し、国
鉄諮問委員会が廃止を勧告した83線区の中でも11番目に悪い線区であった。福
知山鉄道管理局は、大衆説得方式という住民1人1人と膝を交えて話をする方
法で協力をとりつけ、1972(S47)年3月1日の同線廃止と同時に国鉄自動車によ
る代替輸送が開始された。移行時点における国鉄バスの運行回数は、次の通り
であった。
(単位:往復)
本線 南線関係 北線関係
篠山口 本篠山〜 城東日置 本篠山 細工所
〜本篠山 城東日置 〜福住 〜細工所 〜福住
代替輸送開始前 41.0 17.5 13.5 17.5 7.5
代替輸送開始後
3/1改正 52.0 24.0 19.0 20.0 8.0
3/15改正 55.0 24.5 20.5 21.5 8.0
・1980(S55)年現在の運行系統別運行回数は次の通りである(総運行回数 114.5往
復)。
篠山口〜本篠山 45.0往復
篠山口〜城東日置 23.0往復
城東日置〜福住 19.5往復
本篠山〜細工所 17.0往復
細工所〜福住 10.0往復
・1985(S60)年当時、線内の本篠山及び篠山本町に自動車駅が存在した。また、
国鉄バス運行の拠点として、福知山自動車営業所篠山支所(本篠山)が置かれ
ていた。
3.2 旅から30年
・篠山口駅監修「列車バス時刻表」1986(S61)年11月1日改正によると、園篠線
には次のような系統が設定されていた。(※福住〜西能勢の便は掲載されて
いなかった。)
篠山口〜本篠山(篠山本町経由)下り18本・上り20本(うち休日運休1往復)
篠山口〜本篠山(南バイパス(風深)経由)3往復
※篠山口〜本篠山は神姫バスと国鉄バスの両者が発売する普通乗車券、
回数乗車券及び定期乗車券はいずれのバスにも乗車することができま
すとの注記あり(共通乗車の取扱)
本篠山〜細工所〜福住〜園部 5往復(所要1時間2分)
本篠山〜細工所〜福住 下り2本・上り3本(うち奥県守経由1往復)(
所要24分、奥県守経由35分)
本篠山〜城東日置〜福住〜園部 1往復(所要1時間4分)
本篠山〜城東日置〜福住 下り11本・上り10本(所要24分)
福住〜園部 1往復(所要37分)
本篠山〜細工所〜大芋〜市野々 下り8本(うち休日運休1本、藤坂奥・
奥山経由1本)・上り10本(うち休日運休1本、藤坂奥・奥山経由土曜
運行1本、藤坂奥・奥山経由土曜運休1本、土曜運休1本、土曜運行1
本)(所要30分、藤坂奥・奥山経由1時間10分)
本篠山〜細工所〜大芋 2往復(所要25分)
本篠山〜城東日置〜後川下 4往復(所要30分)
城東日置〜後川下 1往復(所要21分)
本篠山〜城東日置〜曽地奥 1往復(所要22分)
本篠山〜城北口〜火打岩 下り3本・上り4本(所要17分)
本篠山〜和田〜火打岩 下り1本(所要18分)
篠山口〜味間奥 2往復(所要11分)
篠山口〜小枕奥 3往復(所要13分)
福住〜奥原山 下り2本・上り1本(所要17分)
・国鉄最末期の1987(S62)年1月28日に本線の原山口〜奥原山、大芋線の多紀福井
〜藤坂奥及び岩屋〜奥山の廃止が公示され、同年2月1日に園篠南線の福住〜
西能勢の廃止が公示された。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、園篠線は西日本JRバスに継承された。
・1989(H1)年3月11日に本線の東本荘〜奥県守が廃止された。同年11月1日に本線
の杉〜小枕奥、篠山口〜味間奥が廃止された。
・同年4月1日から篠山営業所は、福知山営業所篠山支所となった。
・1997(H9)年5月11日、篠山口駅橋上化に伴ってバスターミナルが西口へ移設され
た(新設区間として宇土観音〜大沢〜篠山口が開業)。1998(H10)年4月、畑線の
和田〜瀬利が廃止された。
・篠山口駅監修「列車バス時刻表」2001(H13)年3月3日改正によると、園篠線
には次のような系統が設定されていた。
篠山口〜本篠山(篠山本町経由)下り18本(うち日祝運休2本)・上り19
本(うち日祝運休2本、日祝運行1本)(所要20分)
篠山口〜本篠山(南バイパス(風深)経由)下り4本・上り2本(うち日
祝運休1本)(所要16分)
篠山口〜鳳鳴高校 下り2本(風深経由・直行各1本、日祝運休)・上り
3本(土曜運行、日祝運休、土日祝運休各1本)
本篠山〜鳳鳴高校 下り1本(日祝運休)・上り2本(土曜運行、土日祝
運休各1本)
篠山口〜産業高校 下り1本(日祝運休)・上り3本(土曜運行、日祝運
休、土日祝運休各1本)
本篠山〜細工所〜福住〜園部 下り2本(所要1時間2分)
本篠山〜細工所〜福住 下り1本(土曜運休)・上り1本(所要23分)
本篠山〜城東日置〜福住〜園部 下り3本・上り5本(うち土曜運休、土
曜運行各1本)(所要1時間)
本篠山〜城東日置〜福住 下り6本・上り8本(うち日祝運休1本)(所
要23分)
福住〜園部 下り1本・上り2本(うち日祝運休1往復)(所要37分)
本篠山〜城東日置〜福住〜原山口 下り1本(日祝運休)・上り1本(原
山口〜福住は土曜のみ運行)(所要31分)
福住〜原山口 下り1本(土曜運行)・上り1本(日祝運休)(所要7分)
本篠山〜細工所〜大芋〜市野々 下り7本(うち日祝運休2本、土曜運行
1本、日祝運行1本)・上り8本(うち日祝運休3本、土曜運行1本)
(所要32分)
本篠山〜細工所〜大芋 下り3本(うち日祝運休1本)・上り2本(うち
日祝運休1本)(所要23分)
本篠山〜城東日置〜後川下 下り5本(うち日祝運休、土日祝運休、土曜
運行、日祝運行各1本)・上り3本(うち日置〜本篠山日祝運行、日祝
運休各1本)(所要30分)
城東日置〜後川下 下り3本(うち土曜運行、土日祝運休各1本)・上り
2本(うち日祝運休、日祝運行各1本)(所要19分)
本篠山〜城東日置〜曽地奥 下り2本(うち土曜運行、土日祝運休各1本)
・上り1本(日祝運休)(所要22分)
本篠山〜城北口〜火打岩 5往復(うち日祝運休3往復、日祝運行2往復)
(所要17分)
・2002(H14)年3月末限りで、本線の福住〜細工所〜本篠山、城北口〜篠山本町
〜宇土観音〜篠山口、宇土観音〜篠山口(西口)、宇土観音〜風深〜本篠山、
篠山本町〜産業高校前、園篠南線福住清水〜城東日置〜本篠山、城東日置〜
厄神前〜後川下、大芋線細工所〜市野々が廃止された。
・本線・畑線の本篠山〜城北口〜瀬利〜畑、園篠南線の厄神前〜曽地奥は、代替
運行の調整を終えた、同年8月末限りで廃止された。残された本線の園部河原
町〜福住も同年9月末で廃止され、園篠線は全廃となった。併せて、篠山営業
所も篠山貸切センターに変更された(2003(H15)年3月1日廃止)。
3.3 旅の考察
・篠山口〜和田のきっぷの経路は、篠山口〜宇土観音〜篠山本町〜城北口〜本篠
山〜和田(9.1km)であるが、篠山口0.7杉3.6小枕口1.5本篠山3.6宇土観音3.5城
北口4.0瀬利1.9和田であれば18.8kmとなり、きっぷの経路の2倍以上の距離と
なる。篠山口駅監修「列車バス時刻表」1986(S61)年11月1日改正によると、
杉〜小枕口、城北口〜瀬利及び瀬利〜和田にはバスの運行を確認できるが、小
枕口〜本篠山はバス運行がなく(休止中)、後者の経路は採れなかった模様で
ある。
・それでも城北口〜和田を後者の経路にすると4.9kmとなり、きっぷの経路(3.8km)
よりも1.1km長くなった。但し、前掲時刻表によると、和田〜瀬利を通る便は1日
片道1本でしかも和田→瀬利という方向のみであった。
・また、城北口〜福住清水を城北口4.0瀬利1.9和田3.1本篠山5.5城東日置5.1福住
清水という経路を採れば19.6kmとなり、きっぷの経路(8.9km)よりも10.7km長く
なった。
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、園篠線には接続駅(篠山口)
の他、本篠山及び篠山本町に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【613】園福線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇園福線
園福本線
1 園部−福知山
2 新須知−何鹿神社前−檜山
3 何鹿神社前−光久
4 丹波町役場前−丹波長野
5 丹波高原−下山
6 常照寺下−檜山
7 檜山−妙楽寺−丹波大身
8 妙楽寺−行仏−下山
9 丹波三ノ宮−戸津川
10 檜山−小野
11 丹波梅田−鎌谷奥
12 細見千束−細見中出
13 丹波新橋−丹波大原
14 丹波岩崎−丹波田野
15 丹波岩崎−長田野−土師新町
16 丹波土師−福知山(南回り)
有路線
1 福知山−南有路
1.2 路線略図
○戸津川
|
丹波 |
福知山 丹波大身 三ノ宮| 水呑 行仏 下山
<−○−−○−−−−−−−○・・○−−○−−◎
菟原 | | | |
| | | |
| 妙楽寺○−−・ |
| | |
| | ○丹波長野
| ・=○丹波和田 |\ 園部
|出口妙見前‖ | 常照寺下 | \ 新須知 河原町
丹波梅田○−−○−−+−−−+−−○−−○+−+○−−○−−−○−◎
| ・ 瑞穂 | | ・ 丹波 ‖丹波町| | 園
| ・ 病院前☆−・ ・ 高原 ‖役場前| | 部
| ・ | ・ ☆ ・ ∨
| 大朴○−−○・・・ 丹波公園 / 篠山口
| | |檜山 センター/
| | ・−−−−−−−−−−−○何鹿神社前
| | |
| | |
鎌谷奥○ 小野○ 光久○
○南有路
|
|
○筈巻
| ※(農協センター前→)農協支所前
| (→福知山ロイヤルホテル前→ロイヤルヒルホテル前)
・−・ とバス停名称が変遷した模様
|福知山
・−◎−−・ 農協
| | 土師新町 支所前※ 長田野 丹波大原
・−○−−+○−−○−−○−+−−−−○−・ ・−−−○
緑ヶ丘 丹波土師 ・ | | /
・ +==・ | ・
・ | ‖ |丹波岩崎|細見千束 園部
・○−−+−○−+−○−−○−−○−−○−>
養老水公園 下六人部 |丹波新橋 | 菟原
| |
・・○丹波田野 ○細見中出
・
・
◎丹波竹田
※園部河原町〜篠山口は、園篠線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・園福本線1 園部河原町〜園部
・(園部〜下山)
・園福本線8 下山〜行仏〜妙楽寺
・園福本線7 妙楽寺〜檜山
・園福本線2 檜山〜何鹿神社前〜新須知
・園福本線1 新須知〜丹波町役場前〜丹波高原〜常照寺下〜出口妙見前〜丹波梅
田〜丹波大身〜菟原〜細見千束〜丹波新橋〜丹波岩崎〜下六人部〜
養老水公園〜農協支所前〜丹波土師〜福知山
2.2 掲載
・24日目 7/4(木) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p121〜126
・連載誌 檜山略図、園部駅、新須知のバス(534-3077)
・単行本 檜山略図
2.3 行程
○本篠山1050→1200園部 園篠南線1+園篠本線1+園福本線1
本篠山発 城東日置経由 園部行 331-6011(いすゞBA05N)
・(園部→下山)
×下山1254→1312檜山 園福本線5+1+6
下山発 丹波高原経由 檜山行 534-2073(三菱K-MP118K)
△檜山1430→1443新須知 園福本線6+1 檜山発 園部行 534-2073(三菱K-MP118K)
△新須知1642→1658檜山 園福本線2
何鹿神社前経由 檜山行 534-3077(三菱K-MP118K)
△檜山1700→1735下山 園福本線7+8
檜山発 行仏経由 下山行 534-6003(三菱MR410)
×下山1802→1820檜山 園福本線5+4+1+6
下山発 国道27号経由 檜山行 534-6004(三菱MR410)
○檜山1902→2007福知山 園福本線6+1
下六人部経由 福知山行 534-8003(三菱MP117M)
2.4 エピソード
・檜山のそばのX地点=交差部分に駅がなく、片道で発券してもらえた。
・檜山は車庫に接して広々とした屋根付きホームがあり、きっぷ売場から待合室
までそろった大駅である。待合所にスーツケースを置いて身軽になった。
・下山1802発は「27号経由」と放送し、本線の須知高校前に寄り道した。時刻表
に載っていない運行系統である。
2.5 旅の考察
・丹波町役場前〜丹波高原は園福本線1(2.5)より丹波長野経由(3.8+2.5)が長い。
・丹波岩崎〜丹波土師は園篠本線1=下六人部経由(5.9)より園篠本線15=長田野経
由(6.1)が長い。
・丹波土師〜福知山は園篠本線1(2.4)より園篠本線16=南回り(5.1)が長い。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・園福線は、1934(S9)年の園篠線の園部延伸を経て、1939(S14)年2月1日に園部
河原町〜福知山を開業したのがルーツで、鉄道の培養及び短絡路線としての使命
を有していた他、沿線地方の産業文化の発展助長をも使命としていた。
・戦後は、1948(S23)年12月26日に福知山〜筈巻が開業した。
・1950(S25)年2月、園福線は園篠線から分離独立し、園部〜園部河原町も園福線
に移管された。
・1950(S25)年5月10日に桧山〜妙楽寺〜丹波三ノ宮、同年11月1日に須知〜桧山、
細見千束〜細見中出、1951(S26)年9月20日に有路線筈巻〜南有路の各区間が開
業した。
・1952(S27)年9月1日に貨物専用区間の菟原〜草山、同年10月16日に丹波岩崎〜
田野、1953(S28)年1月20日に丹波高原〜下山、同年8月20日に丹波梅田〜鎌谷
奥の各区間が開業した。
・1955(S30)年6月1日に福知山〜小野脇、1956(S31)年4月25日に丹波新橋〜大原
神社前、同年11月10日に桧山〜質美、丹波三ノ宮〜猪鼻下、1959(S34)年3月26
日に須知〜光久、丹波三ノ宮〜鍾乳洞口の各区間が開業した。
・「交通年鑑1960年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を
取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ
の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和33年度に次のように急行
便を設定したとある。
福知山〜園部 51km 2往復
・1960(S35)年2月1日に園部〜園部宮町〜園部河原町が開業した。
・1961(S36)年7月15日に貨物専用区間の菟原〜草山が廃止された。
・1962(S37)年10月10日に丹波水戸〜新須知〜須知高校前、同年12月25日に丹波土師
〜市役所前〜福知山、同年12月26日に妙楽寺〜水呑、鍾乳洞口〜戸津川の各区間
が開業し、1963(S38)年2月15日園部〜園部河原町が廃止された。
・同年10月15日に丹波田野〜丹波竹田、1964(S39)年2月17日に猪鼻下〜丹波大身、
1965(S40)年10月10日に丹波町役場〜丹波長野の各区間が開業した。
・1966(S41)年1月25日に丹波水戸〜須知〜須知高校前、須知〜何鹿神社前が廃止さ
れて、新須知〜何鹿神社前が開業した。
・同年10月1日に丹波岩崎〜長田野〜土師新町、丹波土師〜福知山が開業した。
・1972(S47)年9月25日に常照寺下〜井尻が開業した。
・1974(S49)年2月1日に水呑〜行仏〜質美〜桧山が開業し、桧山〜質美が廃止され
た。
・1978(S53)年4月1日に福知山〜小野脇が廃止された一方、1979(S54)年6月1日
に小野口〜小野が開業した。また、同年9月1日に小野口〜藤坂が廃止された。
・1980(S55)年10月1日に丹波田野〜丹波竹田、1983(S58)年8月25日に桧山〜出口
妙見が廃止された。
・1985(S60)年当時、線内の園部宮町、新須知、細見千束、丹波萩原、桧山、丹波
大原に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、福知山自動車営
業所(福知山市内)、同桧山支所(桧山)が置かれていた。
3.2 旅から30年
・1986(S61)年9月1日に丹波三ノ宮〜戸津川、丹波和田〜小野、細見千束〜細見
中出が廃止された。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、園福線は西日本JRバスに継承された。
・1990(H2)年4月1日に須知〜何鹿神社前〜桧山、須知〜光久、桧山〜丹波長野の
各区間が廃止された。同年9月1日に丹波岩崎〜丹波田野が廃止され、同年10月
1日に丹波新橋〜丹波大原、筈巻〜南有路が廃止された。
・1991(H3)年11月1日に妙楽寺〜猪鼻〜深山口、丹波和田〜質美〜下山の両区間が
廃止された。
・1992(H4)年1月10日に丹波大身〜深山口が廃止された。
・1994(H6)年4月1日に丹波高原〜下山、同年10月1日に福知山〜筈巻の各区間が
廃止された。
・1995(H7)年10月1日に丹波梅田〜鎌谷奥が廃止された。
・2006(H18)年9月1日に桧山〜常照寺下が瑞穂病院前経由に変更された。
・2007(H19)年3月1日から福知山地区で「オンデマンドバス」を運行開始し、「
オンデマンドルート」として、駒場新町ルート、三俣ルート、菟原ルート(以上
迂回経路)、福知山市内循環ルート(新設)が設定された。
・しかし、デマンド自体の利用が少なく、2012(H24)年3月末でオンデマンドシス
テムに使用していた携帯電話の周波数帯の変更によりサーバー改修に多額の投資
を要することから、オンデマンドシステムの運用を中止し、福知山市内循環ルー
トは定期便化し、その他のオンデマンドルートは廃止された。
・2013(H25)年2月1日に福知山営業所は桧山に移転して「京丹波営業所」に改称
された。
・2015(H27)年現在、枝線の大半は廃止もしくは町営バス等に移管されているが、
本線は現在も西日本JRバスによって運行されている。
・2015(H27)年7月に、京都縦貫自動車道 丹波IC〜京丹波わちICが開通し、檜山バ
ス停の裏手に高速道が通り、何鹿神社前付近にPAに併設した道の駅「京丹波 味
夢の里」が開業した。園福線の脅威にならないか心配である。
3.3 各種考察
・常照寺下〜檜山〜出口妙見前については、1972(S47)年にバイパスが完成、1983
(S58)年に旧道経由を廃止した。この時点で、檜山は第一区間から外れ、バイパ
スから最短経路で檜山に入る経路が開通したのではと推測する。現在は、瑞穂
病院前バス停が出来、丹波和田からバイパスに入る経路も出来、経路が様変わ
りしている。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【614】中国高速線
2015-11-03
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇中国高速線
1 大阪−落合インター
2 津山インター−津山
1.2 路線略図
柴少
西脇☆ 原路
落合 津山 山崎 ‖ 宝塚 駅駅
インター インター インター 北条 ‖東条 インター★★ 名古屋
○−−−−○−−−−○−−★−○−+−+−○−−−○−++−+−−>
| 加西SA ‖ |
津山車庫 | ‖ 千里ニュータウン○
<…☆……◎津山 北条町☆ |
倉吉 ‖ ‖ (アスティアかさい) +
・==・ |\新大阪
| ◎
|/
+
◎大阪
※津山〜倉吉は、休止中
※名古屋〜千里ニュータウン〜大阪は、名神高速線
※津山〜倉吉は、美伯線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・中国高速線2 津山〜津山インター
・中国高速線1 津山インター〜千里ニュータウン
2.2 掲載
・18日目 6/18(火) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p105〜107
・連載誌 744-0922の解説、津山駅前の中国高速バスの窓口、大阪ゆき急行バス、
国鉄バスの種類(称号の解説)、千里ニュータウンバス停
・単行本 千里ニュータウンバス停
2.3 行程
○津山1830→2147大阪 中国高速線2+1 急行 320便 津山発 大阪行
744-0922(三菱MS504Q)
2.4 エピソード
・乗車便の指定を受けるため、乗車券と経由別紙を差し出す。何か書き込む様子に
経由別紙にと所望したところ「乗車便は乗車券に指定する。別紙は乗車券ではな
いのでダメ。」と、乗車券の裏に、6/18と手書きし、18:30のスタンプが押された。
・大阪ゆき急行最終便は16名乗車。加西SAで5分休憩。北条〜大阪は禁煙区間と放送
が入る。北条から30名乗り、満員に。
・大阪駅まで乗り越した。千里ニュータウン〜大阪駅の区間乗車は出来ないので、
運賃を貰いようがないと運転手。津山〜大阪と千里までの差額150円を払った。
2.5 旅の考察
・当時の国鉄ハイウェイバスは、車内前側8席(1〜2番A〜D)が禁煙席で、中国高速線
は大阪〜北条で区間禁煙だった。
・経由別紙は乗車券ではないと言い張った日交観職員の理解は正しいか?
・乗り越しで、区間乗車が出来ない区間の運賃を収受する必要がある場合、運賃計
算の正しい方法は?
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・中国高速線は、1975(S50)年に大阪〜落合インター、津山インター〜津山として
開業したのがルーツ。姫新線の補完を使命としていた。神姫バスと共同運行。
・当時、(自)大阪、(自)津山に自動車駅があった。
・S61.6頃の中国ハイウェイバス時刻表によると、国鉄バスの系統は以下の通り。
◇急行 大阪〜落合インター 2往復 (神姫 なし)
◇特急 大阪〜津山 2往復 (神姫 2往復)
◇急行 大阪〜津山 8往復 (神姫 10往復)
3.2 旅から30年
・その後、西脇、北条町、津山車庫、USJへの延伸と、津山インター〜落合インター、
津山〜津山車庫の廃止、北条町系統からJRバスの撤退があった。
・中国高速線の派生路線として、津山エクスプレス京都号・神戸号が新設された。
・現在も、引き続き西日本JRバスが運行している。
・H26.7頃の津山方面時刻表によると、JRバスの系統は以下の通り。
◇超特急 大阪〜津山 1往復(土休日運転)
◇特急 大阪〜津山 6往復(内、USJ・大阪〜津山 1往復)
◇快速急行 大阪〜津山 7本/4本
◇急行 大阪〜津山 0本/3本(内、津山→大阪・USJ 1本)
◇急行 大阪〜西脇営業所 6往復(内、USJ・大阪〜西脇営業所 1往復)
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