不毛な掲示板 (No.15201〜No.15300)
2017 年 06 月 08 日 23:39:01 (15300) ふもふも館長さんの書き込み GW旅行=日本半周について、まとめます 船 新日本海フェリー 舞鶴〜小樽 あかしあ ・船は、小樽2330→翌2115舞鶴、舞鶴030→2040小樽というダイヤ。 ・出航まで時間があるので、京北線を最終便まで楽しむ手もあったが、日のある 時間帯に若江線に乗車したいと思った。若江線が小浜に到着する頃、日没と なった。 ・小浜から東舞鶴まで列車。当日は東舞鶴駅から前島埠頭まで2205発、2230発の 臨時バスもあったが、時間がたっぷりあったので、のんびり歩いて港に向かった。 ・神戸三宮と大阪なんばOCATから、予約制連絡バスが運行されている。 神戸2000→2210舞鶴、舞鶴2130→2326神戸 \2100 大阪2030→2339舞鶴、舞鶴2130→2339大阪 \2400 ・港に着いた時は、接岸した後で、ちょっと残念。神戸・大阪行と思われる連絡 バスがターミナルに回送されてきたのを見た。 ・船旅の場合、ターミナルに着いたら、まず乗船手続きを行い、乗船開始まで列に 並ぶのが一般的だが、この船ではバーコードでチェックインする仕組みになって おり、全席指定席という事もあり、乗船の列は無かった。ターミナル内の食堂で 夕飯を頂き、2階の待合所で、乗船開始を待った。結果、一番目に乗船。 ・乗船したのは「あかしあ」。船旅で大部屋を選ぶ理由は、経済的理由もあるが、 GPSを置ける窓があり、電気コンセントがあることが大きい。この船は大部屋が なく、安価なツーリストでもベッドになる。事前に座席指定ができたので、窓 側のベットを指定。急ぎ、壁側コンセントを確保したが、ベット内にコンセン トがあったので、壁側コンセントを使う必要は無かった。 ・ツーリストA3の84番は、窓をほぼ占有できるのでオススメ。 http://www.snf.jp/ship/ship_akashia.html ・まずケータイとバッテリーの充電。次に一番風呂。展望風呂は夜間のためカーテン が閉めてあった。オープンデッキで、離岸風景を見学。なお、この船は船外に出れ るのは船尾のオープンデッキしか無く、そこは残念。 ・寝る前にサービス時間をチェック。大浴場は1:30まで、朝は8時から。食堂も8時 から。うつらうつらしていた事もあり、盗れた空は、西舞鶴/赤れんが博物館/舞鶴 大浦半島/今庄/輪島港のみ。6:20頃まで輪島の電波が入るが以降、しばらく圏外。 ・6〜8時は、艦内を散歩。8時は朝食。次に朝風呂。朝は展望を楽しめた。イベント 時間をチェック。9:30 クイズラリー、10:15 姉妹船と行き合い、10:30 ビンゴ大 会、12:00 昼食、13:00 映画1、14:50 大島(松前町)、15:15 カフェでコーヒー、 15:15 船上ショー、15:50 奥尻島、16:00 映画2(不参加)、18:00 夕食と忙しい。 ・クイズラリーは、艦内の様々な場所にクイズがあり、フロントの回答箱に投函する 仕組み。ビンゴ大会は参加費無料で、豪華景品が当たる仕組み。どちらも当選しな かったが、楽しい時間を過ごせた。姉妹船「はまなす」と行き合いは迫力満点で、 あっという間にスライドした。昼食は豚丼。映画は「ヒロイン失格」。 http://www.snf.jp/news/event/2214 http://www.snf.jp/news/topic/1847 http://www.snf.jp/news/event/1938 ・前展望は朝8時からだったと思う。喫煙者向けと嫌煙家向けがある。 ・ケータイは大島に近づいてから使えるようになる。船上ショーは、ジャグリングと マジックで、マジ大道芸人HAMARさんが披露。波静かだが揺れる船内で、良くでき るなと感心。話術巧みで応援したくなった。SNS拡散希望との事だったので、写真 をtwitterにアップした。https://magidaidougeinin.wixsite.com/hamar ・2番目の映画に参加しなかった理由は、国盗りや景色を楽しむため。18時に大浴場 のサービス終了との事であったが、朝風呂に入ったので、夕方は見送り、神威岬を 眺めつつ、夕飯を頂いた。 ・盗れた空は、奥尻島/瀬棚/今金/(港町埠頭)/北檜山/(洞爺湖温泉)/島牧/黒松内/ 積丹/祝津/手宮/小樽。電波の強い地域があったようで、取りこぼしが多かった。 ・小樽 勝納埠頭から21:30発の小樽駅行バスがあるが、45分待つ事になるので、南 小樽駅まで歩き、鉄道で札幌に向かった。なお、このバスに乗車希望の場合は、 下船当日20時までに船内案内所に申し出る必要があり、居ない場合は、ぱるて築港 始発になるらしい。
2017 年 06 月 05 日 22:20:31 (15299) ふもふも館長さんの書き込み ドクターイエローにそっくり、JR東海バスの乗務員訓練車がリニア・鉄道館に 登場します。 開催日時は、7/8(土), 9(日) 1130〜, 1300〜, 1500〜。 館内にて受付、先着順で各回15名程度との事。 http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000034138.pdf この訓練車は、移動会議室としても使えるようです。内部公開されるのでしょうか? http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000033923.pdf
2017 年 06 月 04 日 21:51:57 (15298) zueignungsabsichtさんの書き込み 「奈良県 乗合バス運行 百周年記念乗車券」の発売について http://www.narakotsu.co.jp/news/news_0754.html
2017 年 06 月 02 日 06:53:27 (15297) ふもふも館長さんの書き込み GW旅行=日本半周について、まとめます 16 西日本JRバス 若江線 近江今津〜瓜生〜若狭大森 (小浜行) ・2016.3.26より若江線で経路変更があった。未乗だったため、今回の旅に組み 込んだ。日のある時間帯に乗車したかったため、京北線の旅を切り上げ、京都 から新快速で近江今津に向かった。 ・まず、今津西町〜弘川口の経路変更区間を走った。 廃止:今津西町〜高島高校前〜今津支所前〜弘川口 新設:今津西町〜勤労者体育館〜今津東小学校〜弘川交番西〜弘川口 ・この新設区間は、かつて古野〜今津東小学校のスクール便で使っていた 区間の一部復活を含んでいると思われる。 大 岸 マキノ 海津 床 脇 ざ 役場前 ∧ ・…○…○…・ ぜ ∧ : (こうの) : : ん : : 古 ○梅原 : 草 : 弘川 : 野 : : 前 : 交番西 : <−○−+−○+○−○−○+○−○−−○=○==○今津東小学校 小浜 : 上 梅 上 下 下 弘 : ‖ : :ゆ藺 原 弘 弘 弘 川 ○…>○勤労者体育館 ○…・う生 口 部 部 部 口 今津: ‖(←今津東小学校前) 吹田市 東 支所前:‖ : 自然の家 (ひろべ) + : ‖: 高島 : ‖ :高校前: ‖ ○……+ ‖ : : ‖ ・+ : ・=+ : 今津西町○★旧駅: | : ・−◎ : 近江今津: 自営★: ∨ 浜大津 ・次に、古野〜近江追分の道路付け替え区間を走った。現在、この区間内にバス 停は無いが、かつて北生見バス停があった。陸上自衛隊の饗庭野演習場の拡張 工事に伴う区画整理で、旧道は通行できなくなっている。 http://www.yomiuri.co.jp/local/shiga/feature/CO016491/20150922-OYTAT50026.html 小浜 <−−○近江杉山 | +…・ ○(旧)近江角川 \: : : : :\:水坂トンネル : : 水坂峠: :\ : : ○近江角川 : : | : : | : :| (旧)保坂○ + : | : | :| ○保坂(←角川口) | | ○近江追分 + ‖: ‖ : ★ ‖○(旧)近江追分 追分 + \ 北生見(うみ) +…・ ・○・ \ : : : 古野(こうの) ・=======+−−○−+−−−> ・ ★南生見 :近江今津 : 吹田市自然の家○…・ ・滋賀県から福井県に入る。車窓から若狭熊川宿道の駅や整備された若狭街道旧道が 見えた。機会があれば立ち寄ってみたいと思った。 道の駅 ・……・ 新道口 下新町 若狭熊川 橘町 若狭熊川宿: : 杉山 <−○+−−−○−+−○−−○−−○+−−+−○−−○−+−+−+−○−> 小浜 : : : : 下大杉 天増川口: : 近江 ・…・ ・…………・ ・…・ 今津 ・最後に、瓜生天満前〜若狭大森の新線を走った。 田烏Λ グリーンハイツ 瓜生天満前 関 : ・==○===+○−−−○−−・ : ○ふるさと : | : ‖公園 : (復活) | 新道口 近江今津 +−−○+−−−−−○+=======+○−−−○+−−−> 上中 | 若狭大森 若狭仮屋 :瓜生口 : 病院前○ ・………………………………・ ・…… | : 上中◎……+ | : ∨ : 新平野・小浜 17 西日本JRバス 若江線 (小浜発) 若狭大森〜新道口 (近江今津行) ・計画では歩いて瓜生口に戻り、仮屋経由に乗車することになっていたが、近江 今津行きに乗り継ぐことができたので、車窓から見た若狭街道旧道巡りと道の 駅を訪問することにした。新道口で降りて、旧街道を歩き始めた。 ・1935(S10).12.20 若江線 新平野−若狭熊川が開業、近江今津自動車所開設。 その後、小浜〜新平野、若狭熊川〜近江今津が開業。若狭熊川には、拠点が あったと考えられる。 ・1963(S38)年の航空写真を見ると、この当時でも旧街道しかない。省営バス開業 時は、この旧街道をバスが走っていた事は確実で、若狭熊川のバス駅は、現在、 熊川郵便局がある付近か?と想起しつつ、散歩を楽しんだ。 ・道の駅若狭熊川宿に、資料館が併設していた。様々な鯖街道がある事がパネル 展示でわかった。朝とれたサバを翌朝までに京都に届けるのは大変だが、経路は 何を基準に選んだのか、疑問に思った。JRバス沿線の高雄、周山、安掛、静原、 堀越峠、納田終など懐かしい地名ばかりで嬉しくなる。 http://kumagawa-juku.com/etc/33.jpg 18 西日本JRバス 若江線 (近江今津発) 道の駅若狭熊川宿〜若狭仮屋〜小浜 ・1986(S61).12.11に、若江線の路線名称に、若狭仮屋−瓜生口が追加された。 これが、若狭仮屋〜瓜生天満前〜関〜瓜生口を指すと考えられる。 ・若狭仮屋〜瓜生口の直行コースは、1994(H6).4.1に廃止になった模様。 ・2016.3.26改正で復活した瓜生口〜若狭仮屋に初乗車した。ただし、この区間は 人家が少ない印象で、なぜ復活したのか?と感じた。旧街道に人家が多いので、 その住民に改慮したのかもしれない。なお、瓜生天満前〜若狭仮屋は、この改正 で廃止された。
2017 年 05 月 31 日 07:28:20 (15296) ふもふも館長さんの書き込み まこっさん、コメントありがとうございます。 セレクト成田でご一緒しませんでしたか?と私から挨拶するべきでした。残念。 当日は、BRTを、まちなか陸前高田で降り、市内を散歩しつつ、BRT陸前高田駅から 摺沢駅に向かうつもりでしたが、7-11でコーヒーを飲みつつ、BRTをながめていたら、 自分が乗るべきBRTを見送ってしまい、途方に暮れてしまいました。 幸い、岩手県交通のバスが30分後にあり、予定の臨時バスに始発から乗車することが できましたが、BRT経路変更区間が未乗で残ってしまい、こちらも残念な結果に。 バスにだけに有効な乗車券を販売していたとは気づきませんでした。こちらも コレクション用に買い求めたかったです! なお、私は、臨時バス乗車後、一ノ関行きに乗車、新幹線で帰路につきました。
2017 年 05 月 31 日 00:29:28 (15295) まさんの書き込み こちらこそ...あいさつもしないで、すみませんでしたm(__)m 私が館長を知っていても、館長は私を知りませんよね! 図らずも4/1(土)、ウェルカム成田セレクトツアーバス初日に成田駅までご一緒 したのが、私です(#^.^#) あの日、私は、成田空港での出発式典を途中から(前日、成田空港→八日市場行 最終便に乗車して多古に宿泊;多古台BT始発で成田→管理ビル初便の戻りだった ので...)傍観して、初日のみ使用した23-Bポールから乗車しました(^-^)v GW旅行 日本半周(まだ、ある意味片道f(^_^;)...後半のアップが先になりそう とのことなので、私の得た情報を掲載させていただきます。 館長が乗車した5/6(土)、私は、臨時バスに2往復(全便全区間)乗車しました(^-^)v では、私の臨時バス乗車の行程と入手した情報を紹介させていただきます。 5/5(金)、池袋駅西口(7)2300発の[けせんライナー;岩手県交通]で気仙沼市役所 まで乗車して、降車乗換えの客を見込んで追走してきたタクシーで通り過ぎた 気仙沼駅に戻り、『いわてホリデーパス』を購入してBRTに乗車(初乗車です) しました。4/27(木)開業のまだ整備中の「まちなか陸前高田」を経由して、 盛(さかり)に移動して、825発の[臨時バス]2便摺沢行に乗車しました。 8時過ぎに盛岡支店の貸切車H641-04403が停泊地の大船渡駅前から回送されて、 盛岡支社の職員三人(一人が添乗;二人は臨時バスを追尾)と合流して案内を 始めました。が、乗車は私だけでした。陸前高田市役所近くの陸前高田、 陸前矢作から約5kmも摺沢寄りの矢作二又で一人ずつ乗車があり、摺沢には ほぼ定刻の935に到着しました。 この日の添乗員は、私も猊鼻渓まで乗車した摺沢956発の大船渡線列車で 一ノ関まで行き、ひと仕事してから支社に帰社されるとのことでした。 添乗員は、乗車券の確認をしており、乗車券をもっていないお客さんには バスにだけに有効な乗車券のみ発券していました。乗車券は、月日毎に シリアル番号が印刷された束になっており、1区間(500円;ピンク)、2区間 (1000円;青)、3区間(1500円;浅黄)の3種類を用意していました(全て購入)。 矢作から乗車した女性は、往路にも乗車したとのことで、“このバスは、 カラじゃなくてよかった!”と言っていました。高田からの男性とともに 摺沢で降車して、一ノ関行きに乗換えていました。新幹線乗継ぎのようで、 添乗員が支社に摺沢駅での発券可能券種を確認していましたが、確かな 回答をもらえずに摺沢駅に問合せをしていました。 摺沢駅に到着したバスは、駅横の市営駅前駐車場へ停留するため、駅前の 通りを出て町内を道路転回のようなかたちで回送して、一番奥の線路側に 停留させていました。 盛行は、摺沢1120発と2時間近くあるので、猊鼻渓まで一ノ関行で移動し、 一ノ関から柴宿駅前まで乗車したことのある国鉄バスの遺産がないかと 徒歩で駅前に放置されたポール、東磐交通車庫・猊鼻渓川下り乗り場を 撮影しながら、柴宿(25分;時間の都合もありバイパスを歩行)に移動して、 1057発の気仙沼行のキハ100(3両)で摺沢に戻りました。バイパスを歩いた ので、国鉄時代の遺産は何も見つけられませんでしたf(^_^; ボールが それらしい気もしましたが… ※乗車した気仙沼行は、時刻表・駅待合室の「列車接近案内」の表示は “2両”になっていました。 摺沢1120発[臨時バス]1便は、交替した添乗員、列車からの乗継ぎ客6人で、 盛に向かいました。途中、陸前高田で地元のおじさん2人が降車し、盛では 地元のおばさん2人と旅行者2人が降車しました。 定刻1235に到着したバスは、「権現堂交差点」にあるENEOSで給油してから 大船渡に回送していきました。 盛では、次の[臨時バス]4便の発車まで約3時間あるので、昼食をと思って いたのですが、『1日フリー乗車券(三陸鉄道南リアス線 休日用)』を購入 して、1317発(釜石1432発)で釜石を往復しました。 南リアス線は、かなり久しぶりの乗車でしたが、幼稚園(保育?)児21人を 2人で引率の団体(陸前赤崎で下車)に遭遇したり、恋し浜では撮影のための 停車(約3分)、三陸発車後には、吉浜湾の説明停車があったりと、とても 新鮮でした(#^.^#) 館長も乗車した盛1530発摺沢行[臨時バス]4便は、おばぁさんと趣味者3人 (館長含む)の4人で発車して、途中での乗降もなく全員大船渡線に乗継いだ ようです。バスは、2便と同様に町内を道路転回して、市営駅前駐車場に 停留されました。 摺沢1720発の[臨時バス]3便は、JR社員1人が陸前高田まで乗車しただけで、 一般利用者0で定刻1835に盛に着きました。私と添乗員を降ろしたバスは、 停泊地の大船渡に回送していきました。私は、回送を見送ったあと、高校生 3人を乗せた盛1915発のBRTで大船渡に行き、大船渡駅前ロータリーに停泊の 車両を撮影し、陸前矢作からのBRTで盛に戻り、昼に一往復利用した『1日 フリー乗車券』をさらに使用して、釜石(盛1950発)に移動して、駅前の ローソンでビールと弁当(チャーハン)を仕入れてから、道の駅やまだ発の [遠野・釜石号;国際興業]に釜石駅前(新日鉄側2100発)から乗車して帰路に つきました。上野駅に到着(浦和美園駅を経由しなかったため15分早着の 600着)後、JR線を乗継いで、730には帰宅できました(#^.^#) ・臨時バスについて “新幹線を利用して、一ノ関大船渡(盛)地区の利便性向上を目的に運行して います”と発車直後にアナウンス(あんちょこを見ながら…)があり、併せて アンケートへの協力を依頼していました。アンケート用紙は、はがきサイズ (B6)で、車内で書きやすいように配慮されていましたが、質問内容が乏しく (自由記入欄がない等...)、次回以降の運行に役立つのか心配になるような ものでした。 ☆運用について 運行開始前日の4/28(金)に盛岡から大船渡にバスを回送して前泊し、4/29 (土)から連続勤務。 運行期間中は、交替乗務員が連絡車で前泊し、乗務終了の乗務員は後泊して から、翌朝連絡車で支店に戻り、勤務終了。 大船渡→盛、盛→大船渡は回送。 ※給油…摺沢を1往復したあとに権現堂(国道45と県道230)交差点のENEOS ※乗務員宿泊…大船渡プラザホテル ※車両停留…大船渡駅前ロータリー このGWは、5/7(日)、盛に1835到着後、大船渡へ回送して泊まり。 5/8(月)に車両回送して、勤務終了。 ※結局、10日間を3人で、7泊(5日)/5泊(3日)/4泊(2日)で運用。 ☆添乗員について 支社から列車と連絡車を駆使して、適宜交替(泊りあり)。 ※不測の事態に対応するため、社有車で追走。 ☆乗降について 宣伝がうまくいっていないため、利用は軒並一桁前半で、0の便もあった とのこと(>_<) たまたま乗車できたお客さんから、利用者にわかるような宣伝の要望も あるようで、私は、JR時刻表(本文)に掲載することを提案してみました。 ※5/5(金)の1便(摺沢1320発)13人、2,4便は、0だったそうです。 ☆今後の運行について お盆・年末年始に運行を想定。 ※アンケートは、役に立たないと思いますが...。 支社としては、ダイヤ等を見直して運行する予定のようでした。 せっかく盛(大船渡)に泊まっているので、もう少し朝早い便と夕方の便も 遅く設定したらどうか提案してみました。 以上になります。
2017 年 05 月 29 日 23:40:04 (15294) ふもふも館長さんの書き込み 先日、JRバス関東 新宿君津号に乗車してきました。経路は以下の通りです。 ◇バスタ新宿[乗A3]、バスタ新宿前(交)を左、初台を左、初台南入口、首都高速 中環C2、湾岸線B、アクアライン、連絡道、館山道、木更津羽鳥野BS[降]、君津IC、 君津IC入口(交)を右、市民文化ホール前(交)を右、左で構内入、君津バスター ミナル[降]、直進で構内出、右、市民文化ホール前(交)を直進、三直付近を右、 外箕輪(交)を直進、杢師四丁目[降]、君津市役所[降]、君津駅入口(交)を右、 君津駅南口[降] 木更津羽鳥野BSでは降車がありましたが、君津バスターミナルでは降車ゼロでした。 バスターミナルに入ってくれたので助かりましたが、降車ゼロ時はスキップされる 恐れがあるので、往復もしくは復路での乗車をお勧めします。 経路も内箕輪ではなく、外箕輪経由だった事は予想外でした。 君津駅から木更津駅へは、日東交通 畑沢線で移動しました。 木更津駅から川崎駅へは、小湊鉄道(バス)で移動しました。当日はアクアラインが 渋滞しており、牛込海岸での潮干狩り客が帰る影響もあってか、側道はさらに渋滞 していました。結果、袖ケ浦BT〜木更津金田BTは、MOP木更津の脇を通る迂回を強い られ、木更津金田BTでは側道渋滞に伴い、バスターミナルから出られず、乗客2名が 旅行を断念。結果、1時間40分遅れと、運転士さんもお気の毒。 経路は以下の通りです。 ◇木更津駅[乗]、県道222〜23号、左で国道16号、バスターミナル前(交)を直進、 左で構内入、袖ケ浦BT[乗]、左で構内出、バスターミナル前(交)を左、国道16号、 袖ヶ浦消防署前を左、奈良輪小学校入口を左、キサラピア南西付近を左、 中島付近を右、左、木更津金田IC入口付近を直進、左で構内入、木更津金田BT[乗]、 右で構内出、木更津金田IC入口付近を左、木更津金田IC、アクアライン、海ほたる [乗降]、浮島IC、浮島公園前を左、左で構内入、浮島BT[降]、右で構内出、 浮島公園前を左、大師河原を左、塩浜を右、川崎駅前東を左、川崎駅[降]
2017 年 05 月 28 日 06:50:17 (15293) ふもふも館長さんの書き込み まこっさん、コメントありがとうございます。 京北ふるさと公社に、全区間乗車済みとはビックリです。元JRバス路線でなくとも 魅力的な路線が多いですが、コミバスの中では、運賃は高い方だと思いますし、平日 でないと運行しない路線も多いです。 元々の計画では、折返し便で下中まで戻って、「山国−下中」を徒歩代行する予定 でした。私が車窓から見た丹波マンガン記念館の看板をご覧になっていたのですね。 上佐々江の転回場、ご教示ありがとうございます。上佐々江バス停は、京都市では なく、南丹市だった事を後で知り、位置ゲームの位置登録をするべきだったと後悔 しました。 --- 私が乗車した大船渡線[臨時バス]に、まこっさんもご乗車されていたとは、ご挨拶 しないですいませんでした。乗り継ぎにミスがあって、あやうく乗り損ねるところ でしたが、うまくリカバリでき、無事、始発から乗車できました。後半upは、かなり 先になりそうです...
2017 年 05 月 27 日 18:12:16 (15292) まこっさんの書き込み 後半の前があったのですね!! 長期の旅行だったようで、羨ましいです。 ・京北ふるさと公社・・・これは、最近では、去年の社会実験のときに行きました。 ※全区間乗車済み。 そのときは、山陰線の代行バス(田儀駅への土砂流入により、出雲市←→大田市を島根支店で代行)に [サンライズ出雲]で出雲市に行き、代行バスに2往復乗車したあと、[出雲エクスプレス京都8号]で 京都に移動(650着;約15分早着!!)して、京都650発(館長と同じ始発便)で周山入りしています。 社会実験となる周山発小塩経由灰屋行き、灰屋発小塩経由周山行きに乗車して、時間つぶしに京北 病院玄関口を往復したあと、上佐々江行きに乗車しました。上佐々江の転回は、少し先の南丹市営 バスの停留所手前の三叉路です!! 折返し便で下中まで戻って、私は弓削郵便局でハガキを購入して、 風景印を押してもらいました。たしかに丹波マンガン記念館入口の看板とのぼりが写真で確認でき ました。下中から千谷口(行き先幕は、[周山←→上川])行きに乗車して、折返し便で周山に戻って、 JRバスに乗継いでさらに京都まで戻り、平日のみ運行の立命館大学循環(右回り)を2周したあと、 こちらも社会実験の天神川経由(周山行き)に乗車して、梅ヶ畑清水町で降車、周山からの天神川 経由で京都に戻っています。 JRバスと市バスの連携ということで、社会実験が何らかの結果をもたらしての時刻修正だったのだ と思います。 このペースだと、大船渡線[臨時バス]は、まだまだ先のようですねf(^_^; 楽しみにしています(#^.^#)
2017 年 05 月 25 日 19:50:48 (15291) ふもふも館長さんの書き込み GW旅行=日本半周について、まとめます 7 西日本JRバス 高雄京北線 京都〜周山 ・(自)京都で、周山フリー乗車券 1850円を購入。650発の始発に乗車するため、 フリー切符が購入できるか不安だったが、始発に乗るお客も多く、窓口も開い ていた。 http://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000216583.html ・福王子バス停が「バスの駅」になっていた。「バスの駅」は京都市バスが実施 しているプロジェクトで、土地を所有者から無償提供してもらい、そこに上屋、 ベンチを設置するというものらしい。 http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000155565.html http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000171125.html ・車内で、H29.3.18から市バス8号系統との連携強化の記事を見る。これによると 周山方面の住民向けに、高雄京北線の山城高雄バス停で、四条烏丸〜太秦天神川 駅前〜高雄の市バスと乗換できるようになったとの事。なお、京都市バスのWEB サイトにお知らせは無かった。 ・今回の旅の目的は、京北ふるさとバス 京北1日フリー乗車券を使って、元 国鉄バス路線を探訪すること。周山フリー乗車券を持っていると、500円で 周山バスターミナルで購入できる。 ・ただし、京北ふるさとバスのWEBサイトに窓口は土日祝休、営業時間は830〜 1700と掲載されている。当日は平日であったので、窓口が空いている日だが、 時間通りだと、周山815発に間に合わない。 ・高雄京北線は自然渋滞もあって、若干遅れ気味。京北合同庁舎前で降車すれば 京北ふるさとバスに確実に乗り継げるのだが、一日乗車券を購入する必要があ るため終点まで乗車。急ぎ、下車し、バスターミナルに向かった。 ・運よく窓口が空いていたため、一日乗車券を購入でき、予定の便に乗車するこ とができたが、そもそも土日祝に一日乗車券を購入できるのか疑問に感じた。 京北ふるさとバスの一日券を買って、周山815発に乗車するのは運次第かも。 * 南丹市営バス ・一日乗車券を車内で販売しているらしい。1540円。 http://www.city.nantan.kyoto.jp/www/kurashi/101/011/005/index.html http://www.city.nantan.kyoto.jp/www/kurashi/101/011/005/12968/00032065001.pdf ・元国鉄バス路線は、以下の通り。 ◇京北線(安掛経由) 周山〜丹波上川〜安掛〜和泉 ※神楽坂経由は、元国鉄バス路線ではないので注意。 ※京鶴本線の第一区間の内、平屋〜九鬼ヶ坂〜静原は、代替なし ◇福居線 和泉〜鶴ヶ岡〜丹波福居 ・周山へは平日4往復、土曜3往復、日祝2往復乗入。朝便は周山を9時頃に出発。 元国鉄バス路線を辿るなら、土日祝は大半運休なので、平日でないと厳しい。 8 京北ふるさとバス 矢代線 周山〜浅江 ・S28.9.1開業 京鶴線 出口橋〜矢代 を引き継ぎ、発展させた路線。 ・浅江行と宇野行があるが、宇野行は一日2往復でJRバスとの接続が無い。今回は 浅井行に乗車。なお、宇野坂上り口〜宇野は、国鉄バスとは無関係である。 ・弓削線 京北病院前経由 千谷口行きの後を追っかけて出発。弓削線は、大型 バスで上川行と表示。一方、矢代線はマイクロバス。路線図ではわからないが 周山から周山下町、京北合同庁舎前と迂回し、出口町まで追走。 ・京鶴線時代は、出口橋、ライスセンター前、熊田、天理教前、上熊田、矢代中、 矢代となっていたが、矢代バス停がどこにあるのか見当がつかなかった。 ・車窓を見る限り、国鉄バスを想起させるものは発見できなかった。 ・京北ふるさとバスの矢代中バス停は、新道の交差点にあり、旧道の上にあった。 国鉄バスの矢代中バス停は旧道にあったと思われる。 ・国鉄バス矢代は、矢代中から1.4km先にあった。京北ふるさとバスの西バス停、 もしくは宇野坂上り口バス停か? ・浅江終点まで片道480円。早くも片道1回で、一日券500円の元を取る。 一日券は9/30までなのでお早めに。 9 京北ふるさとバス 矢代線 浅江〜漆谷〜周山 ・復路は、漆谷を経由した。こちら側に、国鉄バス矢代があった可能性もある。 10 京北ふるさとバス 田貫線 周山〜上佐々江 ・周山に戻って、14分後に再び出発。今度は、大型バス。ゼミナールハウスまで は、元国鉄バス路線。京北病院前〜鳥谷は、遅くとも2001.4.6までにJRバスが 開業した区間。鳥谷までJRバス時代に乗車した経験あり。 ・バスを上佐々江で下車。バスはそのまま回送、見えなくなった。この先で時間 調整後、転向した模様。なお、上佐々江バス停は、京都市ではなく、南丹市。 ここまで南丹市営バスの京北線(神楽坂経由)と同じ経路。 11 京北ふるさとバス 田貫線 上佐々江〜ゼミナールハウス (周山行き) ・昼のバスまで時間があったので、ゼミナールハウスと車窓で知った丹波マンガン 記念館を訪問することにした。 ・ゼミナールハウスバス停付近に「弓削地区民の姿像」があった。鉱夫の像に見え たが、旧弓削村に病院、高校、工場を誘致した自治会長の建設現場における雄姿 との事。 ・ゼミナールハウスは、京都府立で「あうる京北」という愛称がある。バス停から 数分歩いた山の上にある。研修施設だが、宿泊のみでもOKみたい。 http://kyosemi.or.jp/ ・丹波マンガン記念館(新大谷鉱山)は、下中バス停から徒歩10分との事だが、荷物 を持っての移動だったので、少し涙目になった。入坑料は若干高めだが、約300m の坑道は当時の様子を残しており、資料館も勉強になりお勧め。 ・マンガンは鉄を加工する時に欠かせない鉱物で、ここから殿田(→日吉)駅に運ん だらしい。 http://tanbamangan.sakura.ne.jp/ 12 京北ふるさとバス 田貫線 京北病院前〜京北合同庁舎 (周山行き) ・下中交差点に京都トヨペットの看板絵が薄く残っていた。車種が気になっていたが、 1964〜70年に販売された、3代目トヨペット・コロナか。「そば京蕪庵」の写真を 外せば、全貌が明らかになると思うので、ぜひ後世に残して欲しいと思った。 ・京北病院前にある薬局を兼ねたヤマザキの店が気に入ってしまい、2回目の来店。 吉野家の牛丼の具を使った「牛パン」、紅ショウガ入りだが旨かった。 ・道の駅で納豆餅を購入。結果的に、これらが昼食となった。 13 京北ふるさとバス 山国・黒田線 (周山発) 京北合同庁舎〜小塩〜灰屋 14 京北ふるさとバス 山国・黒田線 灰屋〜周山 ・沿線は桜の名所で、常照皇寺、黒田百年桜が有名らしい。残念ながら桜の時期は 過ぎていたが、それでも数人の観光客がバスに乗車してきた。 ・灰屋口から国道477号を外れ、山道に入る。終点、灰屋から芹生峠を経て貴船へ 行くこともできるようだ。灰屋口から国道477号を進むと大布施で、狭隘路線で 有名な京都バス32系統 花背線に乗り継ぐこともできるみたい。終点、広河原に はスキー場もあるそうでビックリ。 http://www.hirogawara.com/ ・元国鉄バス 山国線は、周山−灰屋、山国−下中、井戸−小塩であった、この うち、周山〜井戸〜灰屋、井戸〜小塩を乗車することができた。山国〜清田 (〜下中)は、京北ふるさとバスの路線図に無いが、平日限定の夜間便として、 京北病院前1842発 上黒田行で乗車することができる。この便を井戸の手前で 降りれば、最終周山行(京都行き接続)に乗り継げるようだ。 * 京北ふるさとバス (今回、乗車しなかった路線) (1) 弓削線 周山〜下中〜上川〜千谷口 ・周山〜下中〜上川は元国鉄バスで、南丹市営バス 京北線(安掛経由)と同じ経路。 ・上川〜千谷口は、国鉄バスと無関係。 (2) 宇津線 周山〜明石〜柏原〜周山 ・全線、国鉄バスと無関係。 (3) 細野線 周山〜余野公民館〜下長野 ・周山〜細野口〜滝ノ町は、JRバス 京北高雄線と同じ経路。 ・滝ノ町〜余野公民館は、国鉄バスと無関係。 ・滝ノ町〜細野〜下長野は、元国鉄バス。今回、夕方便に乗車することもできたが、 時間の都合、断念した。 15 西日本JRバス 高雄京北線 周山〜京都 ・車内掲示の路線図が、日本語版の他、英語、中国語、韓国語もある事に気づく。 ホームページに掲載すれば、もっと役立つのにと思った。 ・周山フリー乗車券は手元に残るものと思っていたら、京都下車時に回収された。 写真を撮っておけば良かったと後悔。切符を手元に残すには、フリー乗降区間の 北野で降り、ここから別途支払でバスで帰る方法がお勧め。
2017 年 05 月 25 日 12:14:48 (15290) まこっさんの書き込み 館長 GW旅行=日本半周についてのまとめ、興味深く拝見させていただきました。 旅のスタートが、JRバスでも東京/新宿発でないところも、斬新ですね! 伊良湖ライナー・・・懐かしいです。 夜行便で伊良湖岬まで乗車して、海を渡った覚えがあります。 もう10年以上前のことです。 中部国際空港(セントレア)は、名古屋駅から運行されていたときに乗らないうちに なくなってしまったので、中部国際空港にJRバスで行く(アルピコを使ったことあり) チャンスを逃さないようにしたいです。 後半?がアップされるのを楽しみにしています。 特に5/6(土)の臨時バス(私も乗っていました)!!
2017 年 05 月 21 日 23:29:51 (15289) ふもふも館長さんの書き込み GW旅行=日本半周について、まとめます 1 関東バス 新宿・豊橋エクスプレス ほの国 中野駅〜豊橋駅前 ・JR東海バス 伊良湖ライナーの後継バス。そのためか、足柄SAで休憩時は、東名 高速線と同じ場所に停車していたようだ。 ・一号車は関東バス、二号車は豊鉄バス。足柄SAと浜松SAで休憩。 ・以前乗った伊良湖ライナーは豊鉄バスで、豊橋駅前でJR東海バスに乗り換えて 伊良湖岬に向かったような記憶あり。 ・豊川IC〜豊橋駅前は、以下の通り。なお、伊良湖ライナーと同じ経路かどうか は不明。 豊川IC、国道151号、県道31号、本野原[降]、本野ヶ原1を左、末広通4を左、 豊川稲荷前を左、豊川駅前[降]、豊川稲荷前を直進、中央通3を右、県道5号、 豊川市役所前[降]、体育館前を左、県道400号、心道教前[降]、県道387〜496〜 393号、豊橋駅前[降] ・当日は、廃止された豊橋バスターミナルが入居していた名豊ビルの最終営業日。 すでにバスターミナル跡は立入禁止となっていたが、早朝にもかかわらず、ビル 内に入る事ができた。ワイド3・3・SUNフリーきっぷで、名古屋空港に行ったのが、 豊橋バスターミナルを使った最初で最後だったような気がする。 ・豊橋鉄道渥美線の新豊橋駅は2008(H20)年に移転しており、その部分が未乗で あったが、三河田原まで鉄道に乗車。 2 豊鉄バス(渥美) 伊良湖本線 田原駅前〜伊良湖岬 ・三河田原駅は区画整理で、出入口が付け替えられ、バス停の位置も変わっていた。 ・かつて、伊良湖ライナーは、豊橋駅前、植田車庫前、田原駅前、保美、伊良湖 ガーデンホテル、伊良湖岬と停車したが、経路は伊良湖本線と同じか。なお、 伊良湖ガーデンホテルバス停は、伊良湖シーパーク前バス停になっている。 船 名鉄海上観光船 伊良湖岬〜篠島〜師崎 ・船の出港まで1時間以上あるので、伊勢うどんセットを頂き、灯台まで散歩を 楽しむ。 ・以前、乗車した時は、波が高く、ジャンプするような乗り心地であったが、 今回は波静かで、乗り心地も良かった。2階にも席があった事に後で気づく。 ・篠島で乗換のため、15分上陸。今度こそ2階席と思ったら、さきほどより少し 小さい船だったので、2階席が無かった。日間賀島に停車するが、今度は上陸 できず残念に思った。 3 南知多町 海っ子バス西海岸線 師崎港〜内海海岸 ・師崎港で1時間ほど時間があったので、たこめしを頂き、周囲を散歩。バイクの 方が歌碑を撮影していたので、見に行った。「バスの窓を開けたとき〜」で始ま るこの唄は、SKE48「羽豆岬」だそうで、知らなかった。 ・この地のご当地ソングといえば、センチメンタルシティロマンス「内海ラブ」。 現在は「羽豆岬」だそうで、ちょっぴり残念。 ・海っ子バスに乗車してビックリ。車内の運賃箱・窓などにSKE48メンバーの寄せ 書きがあり、メンバーがナレーションを行い、唄も流れた。その筋の方なら楽し めなバスであった。 ・このバスは、師崎港から内海駅経由の河和駅行きであるが、上野間駅から出発 するバスの都合、内海駅で時間が余るので、内海駅手前で降車する予定だった。 内海海岸バス停付近の7-11に、珍しい船が設置してあるのに驚き、ここで下車。 ・セブンイレブン救命艇 みなみちた、と書かれており、調べると津波救命艇で 全国3カ所に設置されている事がわかった。ただ、地面に固定されているので 実際に使う時は、どうやって固定を外すのか?不思議に思った。 http://www.sej.co.jp/dbps_data/_material_/ ・向かいは、知多バス内海管理所(営業所)の跡。中部国際空港と横に書かれた知多 バスが停泊していた。ここから中部国際空港行きがあるのかと思ったが、既に廃止 されていた。 ・内海観光協会WEBサイトに常滑南部線の時刻が残っていた。それによると、一日 3往復で、中部国際空港、上野間駅、南知多ビーチランド前、野間、内海と停車 したようだ。紛らわしいので、削除するべき。 http://utsumikannkou.main.jp/tizu/koutuubasu.htm ・空港線が廃止されたため、ここから常滑方面行きのバスは無い。内海駅まで約800m。 時間はたっぷりあるので、駅までのんびり歩き、上野間駅まで鉄道に乗車。 4 知多バス 上野間駅〜りんくう常滑駅 ・かつて常滑〜南小鈴谷〜内海〜師崎というバス路線があったが、その生き残り。 ・海岸沿いに進む。中部国際空港が遠望でき、驚いた。常滑駅で降りても良かったが りんくう常滑駅で乗降した事がなかったので、先に進む。 ・この先、ボートレース場、コストコ、めんたいパーク、イオンと、車窓ががらりと 変わる。りんくう常滑駅バス停から、イオンに向かい、100円コーヒーで一休みして から、鉄道で空港に向かった。 ・後で、イオンモール常滑から空港まで無料バスが出ていることを知る。この時間 なら20分間隔なので鉄道より代行バスを利用すべきだった。残念。 http://tokoname-aeonmall.com/static/detail/shuttlebus/ 5 JR東海バス 中部国際空港〜金城ふ頭駅 ・金城ふ頭駅行きの最終便。レゴランドやリニア館に行く客は無く、予想通り、 貸切。途中渋滞に逢ったが、2階席の最前列で高速道路の前展望を楽しんだ。 ・名港トリトンから太平洋フェリー「きそ」が出港を待っている様子が見えた。 名古屋 1900発、仙台 翌1940発、苫小牧 翌々日1100着との事。 ・経路は以下の通り。 中部国際空港[乗3]、セントレア東IC、中部国際空港連絡道路、知多横断道路、 知多半島道路、大府西IC、上入道(交)を左、大府IC、伊勢湾岸道、名港中央ICを 右、金城ふ頭駅付近を左、左で構内入、金城ふ頭駅[降] ・運賃は1000円だが「中部国際空港・名古屋駅 連絡きっぷ」1200円を車内で購入 した。これは、あおなみ線の名古屋までセットになっており、リニア館の割引券 もついている。切り離して使うようになっており、名古屋駅で一片回収された。 6 西日本JRバス 名神高速線 超特急29 名古屋〜京都 ・名古屋駅到着後、20分後のバスに空席があったので、切符を購入。4/1に開業した 名古屋駅バスターミナルを見学したかったが、時間が無かった。 ・甲南PAで休憩。この先、火災渋滞12kmとの事だが、20分延で済んだ。
2017 年 05 月 06 日 00:44:25 (15288) JRKさんの書き込み 国道114号線の現況記事を拝見致しました。 当方は、JR福浪線の問屋前〜磐城津島〜浪江が廃止になる数ヶ月前に訪問しました。 今は立入制限されている浪江町津島地域にはかつて磐城津島駅というバス駅がありましたが、 訪問時、その駅舎も見てきました。 私が訪問した時は、磐城津島滞泊運用があり、国道114号脇にあった滞泊所で運転士氏との会話 も楽しみました。 末期まで、朝一の磐城津島始発浪江ゆき・終車の浪江発磐城津島止まりがあったことで、運転 士氏の滞泊があった訳です。 津島の集落には、個人経営のスーパー「国分商店」というところがあって、ここがJRバスの運 転士氏皆様の御用達だったようで、私も一緒におじゃましてお弁当など買ったりしました。 JRバス廃止後にも一度、国分商店にはおじゃましてみたこともありますが、女性店主は私のこ とを覚えていて戴き、お店の中で一緒にご飯を頂くことになった思い出があります。 このとき、地元新聞にJR福浪線の部分廃止日に磐城津島駅で運転士氏に帯して花束を贈った様 子の記事が載ったもののコピーを戴いたりしました。 ・・・懐かしいなぁ。
2017 年 05 月 04 日 21:10:09 (15287) Y.Matsuuraさんの書き込み かつて国鉄〜JRバス福浪線が通っていた国道114号線の現状です。http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201705/20170504_63015.html 「昼曽根」というバス停もありましたね。 一般人が再びトレースできるようになるのは、いつの日でしょうか・・・
2017 年 05 月 04 日 00:17:14 (15286) JRKさんの書き込み 現在、JRバス東北など主催によるスタンプラリーが実施されています。 【東京&きたいわて 列車とバスでめぐろう! ぐるっとスタンプラリー】 <主催(5社共催)> 東京地下鉄(東京メトロ) 三陸鉄道 IGRいわて銀河鉄道 JRバス東北 岩手県北自動車 このスタンプラリーは、「東京ステージ」と「きたいわてステージ」との2期間がある。 <「東京ステージ」開催期間・スタンプポイント駅(4箇所)> H29.4.29〜7.2 茗荷谷・東京・六本木一丁目・岩手県アンテナショップ いわて銀河プラザ(東銀座駅付近) (賞品引換場所は、いわて銀河プラザ) 「東京ステージ」は、全箇所を巡ることが達成条件。 <「きたいわてステージ」開催期間・スタンプポイント駅(4箇所)> H29.7.1〜10.1 久慈・宮古・盛岡・二戸 (賞品引換場所は、きたいわてステージスタンプ設置各駅) 「きたいわてステージ」は、【きたいわてぐるっとパス】を購入した上で、2箇所を巡ることが達成条件。 <「東京ステージ」達成賞賞品> 東京メトロオリジナル手ぬぐい(達成者全員) <「きたいわてステージ」達成賞賞品> エコバッグ(達成賞引換場所ごと先着100名)+達成記念証明書(達成者全員) 他、各ステージごとに抽選で当たる「Wチャンス賞」もある。 ・・・きたいわてステージの【達成記念証明書】とやらがどんなものなのか気になるので、参加してみたいと思います。
2017 年 04 月 30 日 17:15:58 (15285) 武智麻呂さんの書き込み お世話になっております。久しぶりに書き込みます。 当掲示板 (15263) (15274)等でも言及されていました摺沢〜盛間の臨時バスに昨日乗車して きました。 乗車したのは盛発15:30の便で、運行経路は国道45号〜(大船渡碁石海岸IC)〜三陸自動車道 〜(陸前高田IC)〜国道343号経由、車両は盛岡支店の貸切車両(H641-04403)でした。 私は「いわてホリデー・パス」利用でしたが、乗車券は添乗員から購入するスタイルになって いるようです。 気になる乗客数ですが、盛2名、陸前高田1名、矢作二又0の計3名でした。ちなみに、知人が 同じく昨日の摺沢11:20発の便に乗車していましたが、聞いたところやはり乗客数は3名との ことでした。 ということで、昨日の状況を見る限りでは利用はふるわないようですが、鉄道との乗り換え 地点となる摺沢地区では「歓迎」横断幕の設置や乗客へのプレゼントなど力が入っており、 今後の展開ともども複雑な思いでバスを降りました。
2017 年 04 月 29 日 19:55:30 (15284) ふもふも館長さんの書き込み 2017/4/1より、小諸市「愛のりすみれ号」御牧ヶ原線の運行会社が JRバス関東に戻った模様。 http://www.city.komoro.lg.jp/doc/2017032100026/ 運行は月〜金(土日祝・年末年始は運休)で、運賃は200円。 ダイヤは以下の通り。 ◇いちご平 638->707小諸駅 ◇いちご平 732->810市役所 ◇市役所 1514->1552いちご平 ◇市役所 1617->1655いちご平 ◇市役所 1734->1816いちご平 ◇市役所 1841->1923いちご平 (4/1-9/30) 往復乗車できない事から、タクシーもしくは徒歩を利用するしかない。 徒歩の場合、小諸駅の跨線橋、懐古園入口、県道142号戻り橋、上の平バス停、 白山バス停、いちご平という経路で、5.7km 徒歩 1時間20分らしい。 元国鉄バス 山浦〜御牧原〜白山 を歩く手もあり、その場合は、西浦ダムの 天端(歩道)、千曲小学校(山浦)バス停、白山バス停という経路になる。 なお、小諸すみれ号時代は、天池線もJRバス関東の担当だったが、こちらは 復帰しなかった。小諸駅750発と1640発に乗れば、一周して小諸駅まで戻って くることができそうだ。
2017 年 04 月 26 日 17:27:49 (15283) 辰巳豚郎さんの書き込み >>15282 うくにー様 詳細な解説、ありがとうございます。 途中駅から途中駅までの運用(浦川→東栄を客扱・折返し回送) を用意するなんて、結構複雑な運用なんですね。
2017 年 04 月 25 日 20:25:04 (15282) うくにーさんの書き込み >>15281 辰巳豚郎さん 私が飯田線代行に乗ったとき、 JR東海バスの担当は2台目(サブ車輌)の浦川→三河川合でした。 中部天竜→浦川のサブ車輌は浜松バスの「マイクロバス」でした。 なお、中部天竜→三河川合の1台目(メイン車輌)は水窪タクシーの「マイクロバス」でした。 なお、人数的にメイン車輌で事足りたので、サブ車輌は 浜松バス…運休(中部天竜待機)、 JR東海バス…浦川をカラで出発して、東栄で客が居ないことを確認して浦川に引き返し となっていました。 通学輸送があるので、中部天竜→浦川のサブ車輌は当初から決まっていましたが、 通し客がどのくらい居るか、全く読めなかったので、 前日夜に急遽、浦川→三河川合もサブ車輌を設定をしたそうです。
2017 年 04 月 24 日 18:37:37 (15281) 辰巳豚郎さんの書き込み >>15279 うくにーさま、現地情報のレスありがとうございます。 647-13960 は、名古屋のセレガの短尺車ですよね。 ということは、「マイクロバス」と表記されてたJR公式を読んで三菱ローザ等を 想像してたのですが、それよりは大きそうですね。 途中経路の橋の問題で、5型クラスは無理と聞いてたのもんですから・・・ なお、JR公式HPによると、代行運転は28日(金)迄に短縮されました。
2017 年 04 月 23 日 10:20:29 (15280) うくにーさんの書き込み 飯田線代行 昨日はJR東海バス647-13960も走っていました 昨日の昼に翌日の運用表を見せてもらったら、 本日の運用表にJR東海バスは記載されていませんでした。
2017 年 04 月 21 日 17:21:00 (15279) 辰巳豚郎さんの書き込み >>15278 本日午後、JR公式HPで下記の続報が発表されました。 (1)代行バスの運転は4月末まで。 (2)代行バスはマイクロバス。 (3)現在、不通区間を含む乗車券の発売を原則停止中。 バスの定員が少ないので、極力乗らないでほしいという感じですね。 定期券旅客が優先されるでしょうから、やむを得ないでしょう。 当該区間は、小学生ですら電車通学がある模様です。
2017 年 04 月 21 日 12:39:51 (15278) 辰巳豚郎さんの書き込み >>15277 JR公式HPによると、代行輸送は明後日の4月23日(日)迄で、月曜日以降の体制については追って告知する模様です。 前回の台風災害(平成26年秋)のように、JRバスも運転されるのか民間委託だけなのかは不明です。
2017 年 04 月 20 日 07:28:34 (15277) ふもふも館長さんの書き込み 飯田線の早瀬〜下川合に土砂流入があり、三河川合〜中部天竜で代行輸送 を行うようです。 http://traininfo.jr-central.co.jp/sep/pc/senku11/P02.html
2017 年 04 月 16 日 05:52:40 (15276) 各駅倉庫さんの書き込み 館長様,皆様,ご無沙汰しております。 2003-03-01にジェイ・アール北海道バス北新線を継承した新篠津交通北新線 http://www.hokkaido-shinshinotsu.jp/bus_22.html では2016-12-01改正で新篠津村内の停留所の移設と改称がありましたが,先日現地調 査を行いましたのでご紹介します。 ●たっぷの湯 https://goo.gl/maps/zFhvoAVLa7s →2016-12-01改正で「基線」に改称 #位置は従来と同じ ●新篠津温泉 https://goo.gl/maps/aB9E96eKPYF2 →2016-12-01改正で停留所を移設し改称 新停留所名 「しんしのつ温泉たっぷの湯」 新停留所位置 https://goo.gl/maps/KdUUnRNmGKP2
2017 年 04 月 14 日 06:38:21 (15275) ふもふも館長さんの書き込み JRKさん、情報ありがとうございます。 臨時バスは大船渡IC経由ではなく、大船渡碁石海岸IC経由なんですね。 これは乗りに行きたいです! Roughさん、投稿ありがとうございます。 気づかない所で、いろいろ路線改廃があるのですね。 蒙古坦々さん、辰巳豚郎さん 高速バス経路情報、ありがとうございます。すべてのJR高速バスに 乗車するのは難しいので、こういった経路情報は貴重です!
2017 年 04 月 14 日 02:40:14 (15274) JRKさんの書き込み (15263)にてお知らせした、JR大船渡線の短絡バスの運行時刻がJR東日本盛岡支社HPにUPされました。 【運行日】 2017.4.28(金)〜5.7(日) [下り> 摺沢 発V 1120 1720 矢作二又発┃ 1153 1753 陸前高田発┃ 1210 1810 盛 着V 1235 1835 <上り] 盛 発V 0825 1530 陸前高田発┃ 0850 1555 矢作二又発┃ 0903 1608 摺沢 着V 0940 1645
2017 年 04 月 09 日 20:35:31 (15273) Roughさんの書き込み 館長さん 4月からのJRバスの路線改廃ですがまだありますので、書き込みます。 北海道 ポテトライナー 帯広駅〜十勝川温泉 3/31まで 新14 もみじ台団地〜青葉通橋 3/31まで 循環寒46 新発寒小学校〜発寒駅北口(循環) 3/31まで 循環宮46 新発寒小学校〜稲積1号 4/1から運行 関東 常陸太田号 新宿〜常陸太田 3/31まで(茨城交通に移管) 中国 玉造温泉号 広島〜玉造温泉 3/31まで(運行期間終了) なお成田空港T2に乗り入れた一般路線は28-C利用で間違いありません。 千葉交通のホームページにも掲載があります。 http://www.chibakotsu.co.jp/pdf/information/160906HP010.pdf
2017 年 04 月 06 日 17:23:06 (15272) 蒙古坦々さんの書き込み バスタ新宿発着の関越道方面(金沢線は除く)は 下りは甲州街道を西新宿二丁目で右折して 新宿NSビルの前を通って青梅街道に出て 中野坂上を右折して山手通り、新目白通りと 進みます。 上りは山手通りを初台まで進んで甲州街道に 入ります。
2017 年 04 月 06 日 02:37:35 (15271) 辰巳豚郎さんの書き込み >>15270 旧ルートは、新宿−三宅坂JCT−都心環状線−浜崎橋JCT−横羽線−台場線−湾岸線だったと思います。 新ルートは、西新宿JCT−中央環状線−大井JCT−湾岸線で、所要時間が10分短縮されました。 (弊信15268訂正:木更津羽曳野→木更津羽鳥野・君津市役所→君津駅南口) 成田定観については、館長さまのアドバイス通り、早めに乗りたいと思います。 国鉄・JR総じて宣伝下手で、文字通り貸切バス状態の便に乗ったことが数回ありますので。 路線改廃の件で、自分は問題視してないレベルの違いで無視しましたが、岡山−津和野間の都市間急行バス の津山側の発着駅名が津山バスセンターから津山駅に変更されてます。 津山駅に向かうバスが、駅前ロータリーに入るか、道路を挟んで駅前にあるバスセンターに入るかの 違いしかありません。 強いて言うなら発着地の駅名が変わった程度ですが、一応追記しておきます。
2017 年 04 月 05 日 20:05:45 (15270) ふもふも館長さんの書き込み 辰巳豚郎さん 情報ありがとうございます。 新宿〜木更津羽曳野・君津市役所という路線が開業していたこと、 気づきませんでした。 https://www.city.kimitsu.lg.jp/soshiki/7/6355.html 私は新宿なのはな号には、乗ったことがなく、幻の旧ルートも 現行ルートも知らないのですが、どんなルートなんでしょうか。 --- 成田定観ですが、外国人が集まらないと、維持するのは難しいのでは ないかと思います。お早目の乗車をお勧めします〜
2017 年 04 月 05 日 16:00:48 (15269) 辰巳豚郎さんの書き込み ↓の書き込み、投稿者名グランドナインとなってますが、辰巳豚郎です。 さて、館長さまの成田空港発着の定観についてのレポートを興味深く拝読しました。 実際に乗車券を手にしたい場合、現段階では成田駅前観光案内所では購入不可 という 情報は大変ありがたいです。(当日行って買えなかったらショック倍増ですから) せっかくの新規路線ですから、近いうちに乗車したいと思います。 成田といえば、昨秋から今年にかけて関東鉄道と共同運行した社会実験の阿見行きが、 目にあまる低乗車率で当初の期間満了を待たず年末で中止してしまい、乗れなかった という事があったので、いつ廃止されるかという不安が常につきまといます。 大阪港のフェリーターミナル乗入も、突然中止されちゃいましたし・・・
2017 年 04 月 05 日 15:41:14 (15268) グランドナインさんの書き込み >>15267 館長さま、路線改廃情報ありがとうございます。 関東の高速路線で、新宿‐木更津羽曳野‐君津市役所間がありますが、 これは既存区間でしょうか? 最近になって気付いたので、もしやと思った次第です。 蛇足ですが、この路線の開業当初の都心部のルートを走っている JRバスはありますでしょうか? この路線にまだ乗ったことがなくて、認可の関係で現行ルートになる のが遅れた際、一週間ぐらい大丈夫だろうとタカをくくっていたら、 僅か2日で解消して旧ルートに乗りはぐった苦い経験がありまして…
2017 年 04 月 03 日 22:51:06 (15267) ふもふも館長さんの書き込み JRバス各社の4/1改正で、路線廃止・路線開業を伴うものは、以下の通りでしょうか? 北海道 ・北5条西20丁目〜長生園前 3/31限り廃止 [54] ・北5条西24丁目〜西28丁目駅前 4/1開業 [54] 東北 ・川俣鉄炮町〜新中町〜大清水〜福交川俣営業所 3/31限り廃止 [朝1便] 関東 ・芝山千代田駅〜成田空港 3/31限り廃止 [成田空港1750発] ・空港南口〜臨空ビル前〜第2TL〜第1TL〜貨物管理ビル前 4/1開業 ・定期観光 ウエルカム成田セレクトバスツアー 4/1開業 ・伊那地域定住自立圏 伊那本線 赤木駅前〜ベルシャイン伊北店前 4/1開業 東海 ・金城ふ頭駅〜中部国際空港 4/1開業 *天竜峡ライナー 名古屋駅〜天竜峡駅 4/5, 8, 12, 15運行 四国 ・久万高原線 久万高原〜落出 3/31限り廃止
2017 年 04 月 02 日 20:43:25 (15266) ふもふも館長さんの書き込み 4/1より運行開始した定期観光「ウエルカム成田セレクトバスツアー」に参加 したので、関連する過去路線と感想を投稿したい。 この定観は、成田空港・成田駅で乗客を乗せ、午前コースの後、一旦、 空港に戻り、午後コースを経て、成田空港・成田駅で乗客を降ろすという システムになっていた。 切符も購入できるようだが、suicaで決済可能。電話予約は不可。 パンフレットには、JR成田駅観光案内所や空港内で切符も購入できるとあるが 空港発が8:15、成田駅発が9:00なので、空港内訪日旅行センターの営業開始 が8:15なので当日午前コースを売る事ができず、成田駅の観光案内所での販売 は協議中との事。当日に切符を購入するのは実質、難しいようだ。 1.成田空港815〜840頃 成田駅 成田空港の乗り場は、第二ターミナルの28-C乗り場。 同日より、多古線で臨空ビル前〜T2〜T1〜貨物ビル前が開業したが、この路線 も同じバス停と使っているようだった。(未確認) http://www.jrbuskanto.co.jp/topics/jr_10.html 当日は、成田空港で定観開業セレモニーがあったようで、成田駅に到着したバス に予想より多い乗客が乗っていたので驚いた。報道関係者かもしれない。 空港〜成田駅の経路は、帰路と同じと思われる。(未確認) 私は駅から乗車。この間、20分間、車内で駅から乗るお客を待っていたが、それ なら空港発を8:30にするべきではないかと感じた。 車内で米屋の「おつまみ?塩小倉羊羹」の配布があった。米屋では、ひとくち羊羹 という商品もあるようだが、さらに小さいサイズ。食べるのにちょうど良い大きさ なので、お土産にと思ったが、20個1000円しかなかったので買わなかった。 2.成田駅900〜910頃 米屋観光センター 午前コースには、男性ボランティアガイドが乗車。ボランティアガイドと一緒に 駅から参道を歩き、新勝寺を参拝する事も出来る。当日、小雨が降っていた事も あり、歩いたのは半数で、残りは米屋観光センターまで乗車。経路は、成田空港 下を左、成田山入口を左で、米屋観光センターは、成田山前バス停と本町バス停 の中間にあった。 1時間の観光時間があったので新勝寺と成田山公園をのんびり散策。 3.米屋観光センター1010〜1050芝山仁王尊、はにわミューゼアム 経路は、成田山入口を左、寺台ICから空港通り、芝山はにわ道、文化センター 入口を左、小池T字路を右、仁王尊入口を直進。 また空港付近まで戻るが、この経路は、かつての国鉄バス成田空港線と、ほぼ 同一と思われた。千代田付近から(現)多古線と一部、同一区間となる。その後、 空港〜横芝屋形海岸の空港シャトルバスと同一経路となり、道の駅付近から旧道 に入る。途中、芝山町役場で、大崎へ行くウィラーバスを見る事ができた。 http://www.town.shibayama.lg.jp/0000002720.html 駐車場から仁王尊までは少し歩く。かつては成田山新勝寺と同じくらい賑わった との事だが、現在は、訪れる人は少ないようだ。はにわミューゼアムでは、渡来人 の恰好をした埴輪が展示されていて、一見の価値ありと思った。 http://www.niouson.or.jp/ なお、芝山町立「はにわ博物館」とは別物である。 http://www.haniwakan.com/ 4.芝山仁王尊、はにわミューゼアム1140〜1230道の駅 多古あじさい館 小池T字路まで戻り、竜ヶ塚を直進、水戸を直進、広沼を右、空港行きバス停が ある川そばの駐車場に入った。 当地は、山武(当時は さんぶ だが、現在は さんむ)線の沿線だった。 ◇山武本線 多古仲町−成東、切通−島−島入口、金尾−松尾 ◇芝山線 宮台−千代田 ◇布田線 上総山室−東金、古屋−日向 米屋観光Λ 千代田Λ Λ成田空港 Λ多古仲町 センター‖ | ‖ 切通 | ‖ | ‖ ・−○−○消防署前 ‖ | ・ / | | ‖ | ・=○===+=○==○ ‖ | ‖広沼 |多古 道の駅 ‖ | ‖ | ‖ 竜ヶ塚○===========+ | ‖ ‖ 下総水戸○ | ‖ ‖ | | ‖ ‖ 島入口○−−−○島 ‖ ‖ | ‖ ○小池 仁王前 | ・====+ ・−−○−−○−−○牛の尾 ‖ | 上総山中 ・==○==○芝山 上総二川| |(→芝山仁王尊、はにわミューゼアム) | | ※芝山線 芝山古墳前○−−○宮台 | ・−−−−○上総山室 / | 古屋○−◎日向 ○金尾 / /| / / | ◎東金 成東◎ ◎松尾 芝山千代田駅〜松尾駅の芝山ふれあいバスで、代替可能だが、経路変更があった ようで、国鉄バス 小池バス停、芝山バス停には入らなくなってしまったようだ。 http://www.town.shibayama.lg.jp/0000000148.html 多古町循環バス 多古コースで、山中入口までは代替可能。 http://www.town.tako.chiba.jp/news_php/img/junkanjikokuryakuzu.pdf この定観で、山武線が部分復活した事になるので、狂喜した。ただし、遺構は、 ほとんど残っていないようで、竜ヶ塚バス停の待合所だった?と思われる建物が 車窓から見え、水戸バス停を遠望し、多古支所跡の脇を通ったくらい。 道の駅では、定観参加者向けに、おにぎり体験もできたらしいが、当日は体験 できないとの事で、おにぎり2個の配布があった。2階ラウンジで頂いた。 おにぎり体験は、外国人向けだろうか? 5.道の駅 多古あじさい館1230〜1250成田空港 経路は、広沼、染井、白枡で、千代田バス停を遠望し、第6ゲート、空港東通り、 成田空港T2(28-C)で、予定より遅めに到着。午前コースの人とボランティアガイ ドが降車し、午後コースの人と女性案内係が乗車。 6.成田空港1300〜1330香取神宮 新空港IC〜佐原香取ICと高速道路を利用。香取神宮では、偶然、神事が行われて おり、しばし見学した。 7.香取神宮1420〜1430水郷佐原山車会館・佐原散策 佐原高校前バス停を通過。県立佐原病院経由がいまだ未乗である事を思い出す。 バスは下仲町バス停付近の駐車場に停まる。全員で山車会館に入館。ビデオを 見た後、自由解散となった。祭りの映像や、鯉の置物が印象に残った。 その後、街並み交流館、伊能忠敬旧宅、伊能忠敬記念館(500円)を自由見学。 見どころが多いため、散策時間が不足気味だった。 外国人の方は、案内係の方といろいろ散策されたようで、集合時間も遅れ気味。 事前に、散策用の地図を配布して欲しかった。 8.水郷佐原山車会館・佐原散策1540〜1610道の駅 発酵の里こうざき 経路は、香取神宮入口を左、舟戸を左、国道356号。 道の駅 発酵の里こうざきは、発酵をテーマにしているようで、全員に、みそ汁 (商品名は、みそ玉 200円)が提供された。 紙コップの中に、みそ玉とお湯が入っており、棒で味噌を溶かしてから頂くもの で、自分は美味しくいただけた。ここでは、500円で3種のお酒試飲もできたよう で、何人か飲んでいたようだ。道の駅の切符、あり。 http://www.hakkounosato.com/ 9.道の駅 発酵の里こうざき1640〜1700成田空港 神埼IC〜新空港IC、第2ゲート、成田空港T2(28-C)という経路。 趣味者と関係者以外は、全員降車。 10.成田空港1705〜1730JR成田駅 忘れ物対応の影響で、出発が予定より少し遅れ、結果、成田駅1730発の多古線に 乗り継ぐ事が出来なかった。 経路は、空港西通り、空港通り、寺台IC、成田市役所下、と国鉄バス成田空港線 とほぼ同じ経路。なお、同日開業した多古線 貨物管理ビル前バス停は、近くを 通ったはずだが、遠望することができなかった。 --- 米屋の羊羹は別にしても、パンフレットに、おにぎりとお味噌汁が付く事は触れ られていなかったので、嬉しい驚きだった。こういうサプライズは歓迎だが、 定期観光バスとしては準備不足な感じで、その点がやや残念であった。 女性ガイドが、肉声で観光案内するのが一般的な定期観光バスであるが、 女性ガイドは乗務せず、観光案内はテープで多言語放送という珍しい仕組み。 午前コースは、運転手も車内放送をしていたが、男性ボランティアガイドが仕切る 事が多かった。初日という事で、関係者も仕切りを補助していたように見えた。 午後コースは、ボランティアガイドは無し、女性案内係は集合時間を伝えるのみ と、一般的な定観に比較すると、やや寂しい感じ。 一般的な定期観光では、一緒に行動する時と、ここからは自由散策というように、 明確な指示があるが、これが曖昧だった。また、集合時間が守られないというのも 残念な点。バス会社も、集合時間を示したボードや、多言語なハンドマイクで説明 していたので、バス会社を責める気はないが、外国人は時間にルーズなのか。 こうして遅れる事もあるので、パンフレット記載の予定時間は、遅れ前提の余裕を 持った時間にしてほしいと思った。 なお、案内放送で「NAAは、ナリタエアポートを略した愛称です」という放送があり 最後のエーは何なんだと気になったので調べてみた。 NAAは「New tokyo international Airport Authority」の略だったが、民営化した 際、後付けで「NArita Airport」の略としたようだ。そんな雑学、必要でしょうか。 この定観は「ウエルカム成田セレクトバスツアー」だが、バス停は、セレクトを アクセスと誤植していた。アクセス成田と勘違い? そのうちテープで修正される と思われる。 まだ始まったばかりで、どのくらい外国人を集客できるかわからないが、今後の 営業活動と改善に期待したい。
2017 年 04 月 01 日 08:30:59 (15265) JNR上田支店さんの書き込み 「信州デスティネーションキャンペーン」 ラッピング高速バス ジェイアールバス関東 小諸支店 1台
2017 年 03 月 28 日 22:20:57 (15264) zueignungsabsichtさんの書き込み >>JRKさん 参考までに。 http://response.jp/article/img/2017/03/22/292452/1166516.html http://response.jp/article/2017/03/22/292452.html ・・・・・・管理人さんのGW期間中の予定が決まったような気がします。
2017 年 03 月 26 日 03:30:20 (15263) JRKさんの書き込み JR東日本盛岡支社では、2017年のゴールデンウィーク期間中に大船渡線の一部区間を短絡するような臨時バスを運行するようです。 【運行日】 2017.4.28(金)〜5.7(日) 【運行区間・停車駅】 摺沢-矢作二又-陸前高田(BRT駅)-盛 <国道343号経由> 【バス運行会社】 JRバス東北 【運行便数】 2往復の予定(詳細時刻は決定次第JR東日本公式HP内にて改めて掲載するとの事。) 【運賃】 各駅間を1区間とし、各区間あたり500円。(従って、全区間利用の場合は、3区間のため1500円となる計算。) 但し、当該駅相互間を含むJR鉄道線普通乗車券を持つ場合、乗車可。
2017 年 03 月 25 日 10:05:22 (15262) とせんさんの書き込み 伊那市・箕輪町・南箕輪村が連携して取り組む「伊那地域定住自立圏」 の事業として、平成29年4月1日から3市町村を結ぶ新しいバス路線 「伊那本線」を運行するそうです。 このバスの運行は伊那バスとジェイアールバス関東に委託するそうです。 https://www.inacity.jp/koho/pressrelease/pressrelease_201703/PR290307.files/PR290307teijyu.pdf
2017 年 03 月 16 日 21:37:02 (15261) とめさんの書き込み バスタ新宿から関越道系統のルート変わりましたか? 草津温泉行きや伊勢崎行きがバスタを出て左折して初台方向に走って行ったんですが 京王の長野便とかと同じ経路に変更?
2017 年 03 月 11 日 20:49:49 (15260) ふもふも館長さんの書き込み http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/ 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室では、JRバス展を3/14(火)〜6/25(日)に開催する。 貨物輸送や、汐留の自動車修理専門工場なども紹介。 過去3回実施された鉄道博物館「JRバス展」を再編し、一部展示を追加した。 約80枚のパネルと設計図・部品・模型などを展示。 後援 JR東日本、協力 JRバス関東 --- http://www.railway-museum.jp/press/pdf/150723JRhp.pdf 2015-08-29/30 はやぶさカラーバス こまちカラーバス http://www.railway-museum.jp/press/pdf/160319_JRhp.pdf 2016-03-19/21 北海道のJRバスが海を航る 東北・関東で夢の競演 http://www.railway-museum.jp/news/pdf/20160614_2.pdf 2016-06-25/26 東西のJRバスが共演
2017 年 03 月 11 日 18:47:19 (15259) ふもふも館長さんの書き込み 不毛板(15132, 14381〜397)で、瀬戸南線関係の謎解きに挑戦してきたが、 今昔マップの活用などで、いくつか未解決事項が解決出来たので披露したい。 http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html 1.1930(S5).12.20 岡多線開業当時の経路は? ・開業時のバス停は、以下の通り。 ◇岡崎、紡績前、明大寺、岡崎康生町、岡崎本町、神明社前、伊賀八幡、井田町、 大樹寺前、三河岩津、天神橋、下渡刈、上渡刈、下市場、樹木、挙母西町、 挙母昭和町、挙母北口、挙母梅ヶ坪、上原、四郷、下伊保、殿貝津、伊保堂、 上伊保、保見篠原、保見大畑、八草、南山口、北山口、殿川町、瀬戸記念橋、 瀬戸公園、品野口、品野坂上、品野本町、品野、上半田川口、下半田川、 市之倉、笠原口、下ノ町、多治見昭和橋、多治見 ◇瀬戸記念橋、瀬戸電前、瀬戸京町、中水野、東谷山前、十軒家、鹿乗橋、 高蔵寺本町、高蔵寺 ・岡崎〜天神橋は、経路変更は無いようだが、天神橋の位置は今より約50m北に あったようだ。 ・天神橋〜上渡刈は、矢作川沿いの道。上渡刈は豊田東IC付近。 ・上渡刈〜下市場は、1938(S13)年のトヨタ自動車工業 挙母工場(現 本社工場) の操業で、道筋が大きく変化した模様。トヨタ南交差点の東側に、国鉄バス 南豊田駅(←南挙母←豊田工場前)があった。その先、当時の道筋は失われて いるが、真北に向かい、本社工場内で北東に折れ、トヨタ北交差点に向かった ようだ。その先、旧道は北西に向かい、下市場に至った。 ・1920(T9)年頃の道筋は、金谷町5丁目付近から三光寺、勝手神社の前を通って いたようだが、1930(S5)年頃のバス通りは、上挙母駅の東、水音寺の東を 経て、樹木バス停で、西、北と進んだと推測。挙母西町バス停は、西町2丁目 交差点付近か。挙母昭和町駅は名鉄トヨタホテル付近か。 ・昭和町2丁目交差点を東、竹生町2丁目交差点付近が挙母北口か。陣中町1丁目 北交差点を北。庚申寺の西が、梅坪(←豊田梅ヶ坪←挙母梅ヶ坪)と推測。 ここから旧道は東に折れ、庚申寺の北東で真北に折れたと思われるが、その 道筋は区画整理で消えている。透玄寺の東が、上原バス停と推測。籠川の 手前で東、北と折れ、以降は現道と同じか。 2.挙母昭和町駅・東豊田駅 ・豊田市中央図書館にあった蔵書(本名失念)に、S30年頃の挙母昭和町駅の 写真が掲載されて、以下のような記述があった。 ◇挙母昭和町駅は、東海銀行豊田支店の北、昭和町通りにあった。 ◇その後、国道153号沿いに移転。現在の光明堂仏壇店あたりにあった。 場所が変わっても駅名がそのままなのは利用者のなじみを考慮したせいか。 ◇その後、100m北に移転し、東豊田に改称。 ・1953(S28).4.25に、下林が開駅。この日に、新道に経路変更か。 ・1955(S30).4.1から、挙母昭和町を東挙母に改称との事。※不毛板(14397) ・1960(S35).11.1までに、南挙母、東挙母は、南豊田、東豊田に改称。 ・1966(S46).3.7に、路線名称「東小学校前〜豊田保健所前」(後の挙母小学前 〜若宮町)が登場。東豊田〜東小学校前で経路変更か。 ・1978(S53)年の明細地図「豊田市中心編」に、東豊田のバス駅が掲載。 いつまで当地にバス駅があったかは不明。 ・位置別に整理すると、以下の通りか。 (1)1930(S5).12.20〜1953(S28).4.24? 挙母昭和町 (2)1953(S28).4.25〜1978(S53)年頃? 挙母昭和町→東挙母→東豊田 (3)1978(S53)年頃 〜1991(H3).12.25 東豊田 ※バス停 3.推定路線図 (1)1940(S15).9.1時点 Λ瀬戸記念橋 ・ | ・ | ・・・・・・・・ ・ | ・ ・ | ・・・・・・・・・・・・・ ・ | ・ ・ | 上 ・ 殿 下 ・・・・・・・ | 伊 ・ 貝 伊 ・ | 保 ・ 津 保 ・ +−○−−−○−−−−○−−−○−−−−−−−−−○四郷 ・・ ・伊 | ・ ・保 | ・ ・堂 | ・ ・ | ・ ・ | ・ ・ ・ | ・ ・・・・・・・・ ・−+ ・ ・ ・ | ・ ・ ・ ・ 上原○ ・ ・ ・ |・ ・ ・ | ・ ・ ・| ・ ・ ・ | ・ ・ ・ | ・ ・ 挙母梅ヶ坪○−・ ・ ・ | ・ ・ 挙 | ・・・・・・・・・・ 母 + ・ 北 /・ ・・ 口/ ・ ・・・・・○・・・ ・ ・ | ・ ・ ・ | ・ ・ ・・・+・・・ ・ 挙母| ・ ・ 昭和町○ ・ | ・ 挙母西町○ ・ | ・ | ・ 樹木 | ・ ○−・ ・ | ・ | ・ 上挙母駅☆ ・ ・ \ ・ \ ・ 下市場○ ・ \・ + /・ ・ ・ | ・ ・ | ・ ・ |・ ・・・・・○豊田工場前 | ∨岡崎 (2)1964(S39).4.1時点 Λ瀬戸記念橋 Λ柿野 | 本徳 加納 | | ○−−−−−−○ 白川○ | 伊 伊保堂公民館前 | | | 保 ○−−−−−−−−−−−○乙部 四郷 三河飯野○ | 小 | 天道 | 北 | 上 学 | 殿 下 亀 下 ○−−○−−○ 上伊保○ 伊 校 | 貝 伊 首 古 | 御 西 | 保 前 | 津 保 口 屋 | 船 広 +−○−○−○−−−−○−−−○−−−○−−○−−○ 駅 瀬 ・| ・伊 四郷| 前 + ・保 | \ ・堂 | / ・ 伊 | + ・ 保 | ・ \ ・ 原 | ・ ・−+−+○−○東伊保原 ・…+ ・ ・ \ : | ・ ・ ○大清水 上原○ ○上原 ・ | :/ ・ | / ・ | /: ・ | ・ : ・ | | : ・ 園芸試験場前○ 豊田梅ヶ坪○…・ ・ | | ・ 豊田西山○ 東 挙 | ・・・・・・・・・+ 小 母 ○陣中 妙玄○ 学 北 :| ・\前 口: | ・・○・・○・・○久保町 ・ | : | ・ | : | 豊田保健所前○−−+−−+ ・ 挙母: ○東豊田 ・ 昭和町○ | : ○豊田本町 挙母西町○ | : | : ○体育館前 樹木 : | ○…・ | : ○豊田警察署前 : | 上挙母駅☆ ・ | : ○下林 : | 下市場○ ○下市場 :| + :| ・ ○トヨタ工場前 : | ・ : ○トヨタ本社前 ・ :/ ・・・・・○南豊田 | ∨岡崎 ※第一種委託駅:南豊田、東豊田 第二種委託駅:四郷、上伊保 ※1959(S34)年改正版国鉄バス時刻表によると、東挙母〜伊保原〜上伊保について 東挙母〜西山が4往復、西山〜伊保原が1往復、伊保原〜上伊保は休止の模様。 (3)1983(S57).2.10時点 Λ瀬戸記念橋 Λ柿野 | 本徳 加納 | | ○−−−−−−○ 白川○ | 伊 伊保堂公民館前 | | | 保 ○−−−−−−−−−−−○乙部 四郷 三河飯野○ | 小 | 天道 | | 保 学 |休 貝 伊 亀 下 ○−−○−−○ 大井橋○ 見 校 |止 津 保 首 古 |休 御 西 | 町 前 | 町 町 口 屋 |止 船 広 +−○−○−○−−−−○−−−○−−−○−−○−−○ 駅 瀬 ・| |東 浄 四郷| 前 + |保 水 | 休\ |見 公 | 止/ 浄|町 民 | + 水| 館 | ・ \ 口| 前 | ・ ・−○−+○−○原山 ・…+ ・ | \ : | ・ 浄水駅○ ○上豊田 上原○ ○上原 ・ | :/ ・ 上原口○ / ・ | /: ・ 医療センター○ ・ : ・ | | : ・ 高専前○ 梅坪○…・ ・ | 挙 | ・ 交通公園○ 母 挙 | ・・・・・・・・・+ 小 母 ○陣中 栄町○ 学 北 :| ・\前 口: | +−○−−●−−○久保町 | | : | |若|休止: ○東豊田 |宮○……+……+ |町 挙母: ●東豊田 新豊田◎ 昭和町○ | : ○豊田本町 挙母西町○ | : | : ○体育館前 樹木 : | ○…・ | : ○豊田警察署前 : | 上挙母駅☆ ・ | : ○下林 : | 下市場○ ○下市場 :| + :| ・ ○トヨタ工場前 : | 三河豊田◎ : ○トヨタ本社前 | :/ ・−○−−○南豊田 トヨタ病院前 | ∨岡崎 ※1966(S46).3.7に、東豊田〜東小学校前で経路変更を行ったと推測。この時、 東豊田〜若宮町は廃止されたが、東小学校前〜若宮町は残された模様。 ※1979(S54).7.29に、浄水公民館前〜浄水駅、浄水口〜伊保堂が開業。 ※1985(S60).3.14に、医療センター〜東保見町、浄水公民館前〜浄水駅を廃止。 (4)ドリームとよた Λ名古屋 Λ柿野 | 本徳 加納 : | ○………………○ 白川○ | 伊 伊保堂公民館前 : : | 保 ○……………………………○乙部 四郷 三河飯野○ | 小 : 天道 : | 保 学 : 貝 伊 亀 下 ○……○……○ 大井橋● 見 校 : 津 保 首 古 : 御 西 | 町 前 : 町 町 口 屋 : 船 広 +…○…○…○…………○………○………○……○……○ 駅 瀬 \: :東 浄 四郷: 前 + :保 水 : \ :見 公 : / 浄:町 民 : + 水: 館 : / : 口: 前 : ・ ・…○…+○…○原山 ・…+ | : : : : | 浄水駅○ ○上豊田 上原○ ○上原 | : :: | 上原口○ : | : :: | 医療センター○ ・ : ・ : : : \ 高専前○ 梅坪○…・ \ : 挙 : \ 交通公園○ 母 挙 : ・−−−−−−−−+ 小 母 ○陣中 栄町● 学 北 :: |:前 口: : +−●−−●−−●久保町 | : : | |若: : ●東豊田 |宮○……+……+ |町 挙母: ●東豊田 新豊田駅○ 昭和町○ | : ●豊田本町 挙母西町○ | : | : ●体育館前 樹木 : | ○…・ | : ●豊田警察署前 : | 上挙母駅☆ ・ | : ●下林 : | 下市場○ ●下市場 :| + :| ・ ●トヨタ工場前 : | 三河豊田駅○ : ●トヨタ本社前 | :/ ・−●−−●南豊田 トヨタ病院前 | ∨岡崎
2017 年 03 月 05 日 11:30:58 (15258) とおやまさんの書き込み ジェイアールバス関東が運行する高遠線で3月4日に ダイヤ改正があり伊那市街地循環の運行がなくなりました。 https://www.inacity.jp/kurashi/kotsu_jikokuhyo/bus_rosenjikokuhyo/busjikokuhyo/bus_takato-hase/bus_takatosen.html
2017 年 03 月 04 日 19:48:13 (15257) 観音寺(自営)さんの書き込み 既報しました通り、昭和11年開設の「観音寺自動車営業所」 (ジェイアール四国バス高松支店観音寺営業所)が、営業所としては2月28日をもって廃止されました。 引き続き、車庫・乗務員宿泊所やバスプラザとしての機能は残りますが、 乗務員宿泊所やバスプラザは道路寄りの新築建屋に映され、 現行の建屋はまもなく取り壊されるようです。
2017 年 02 月 26 日 11:27:32 (15256) JRKさんの書き込み 福浪線の大清水回りが廃止ですか・・・。 当方は、2010年3月に利用したことがあります((13958)にて、簡単なご報告を致しました。) 通学生が減ってしまったのでしょうか? この便だけは、川俣高校前のJRバス車庫内に一回立ち寄ってUターンする便でしたね。
2017 年 02 月 25 日 23:29:47 (15255) とみさんの書き込み JRバス東北のサイトに福浪線(福島=川俣)4月1日のダイヤ改正情報が掲載されていました。 http://www.jrbustohoku.co.jp/route/detail/?PID=6&RID=10&BID=447 上りの日和田始発便が無くなり、川俣高校始発に短縮されるようですね。
2017 年 02 月 04 日 20:52:53 (15254) ふもふも館長さんの書き込み 不毛板(13003)で、小国駅周辺図を推測したが、納得できる仮説が出来たので披露 したい。間違っていたら、ご指摘ください。 1.1966(S41).3.10時点 Λ五味沢 | 二本柳○ | 高稲場○ | 電興診療所前○−−○電興前 | \ 立岩 光岳寺前 | \ <−○−−○−−−−−−○−−・ ○病院前 ◎小国駅 泡ノ湯温泉 ・ 飯綱橋・ | | ・| ・ ・ |本町| ・ | ・ ・・・○−−+−−○−−+−○営林署前 ・ ・ 中央通 ・ \ ・ ・ \ ・ ・ \小国温泉口 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・○ | ○町原 | +−−−> ・ 大石沢 ・ ・S41.3.10の改キロによって認知された第2区間「小国〜二本柳」は、電興前 経由と推測する。 2.1971(S46).7.17時点 Λ五味沢 | 二本柳○ | 高稲場○ | 電興診療所前○−−○電興前 | \ 立岩 光岳寺前 | \ <−○−−○………………○……・ ○病院前 ◎小国駅 泡ノ湯温泉 \ 飯綱橋| : | ・| \ | :本町| ・ | \ +−−○−−+−−○−−+−○営林署前 \ / 中央通 ・ \ + ・ \ ・ ・ \小国温泉口 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・○ | ○町原 | +−−−> ・ 大石沢 ・ ・S46.7.17に、小国〜飯綱橋〜片岩を廃止、小国〜飯綱橋と小国〜光岳寺前〜 片岩を開業。これは、本町〜飯綱橋〜光岳寺前を廃止、本町〜飯綱橋、本町 〜光岳寺前の開業(経路変更)ではないかと推測する。 3.1995(H7).3.31時点 Λ朝日平 | 二本柳○ | 高稲場○ | 電興診療所前○−−○電興前 | \ 立岩 光岳寺前 | \ <−○−−○………………○……・ ○病院前 ◎小国駅 新潟 \ 飯綱橋| : | /| 飯豊梅花皮荘 \ | :本町| Λ | \ +−−○−−+−−○<−+…○営林署前 \ / 中央通 | : + | : \ | :小国温泉口 ・−−−−−−−−−−−△−−−−−● 緑町(交) | ●町原 | +−−−> : 仙台 上大滝∨ 大石沢 ・小国駅〜中央通は、上図のような一方通行であったと推測する。 ・WEライナーは、緑町(交)〜小国駅の単純往復であった模様。 4.参考:新潟交通 Zao号 万代シテイバスセンター〜山形駅前 ・ ・ <−−−−+・・・・・・・・・・ ・ ◎小国駅 新潟 \ ・ ・ ・ ・・ \ ・ ・ ・ ・ ・ \ +○−+・・・・・・・・・・・ \ /小国町| ・ ・ 小坂町(交)△ 役場前| ・ ・ ・ | ・ ・ ・・・+−−−−−−−−+−−−−−+ | ∨山形
2017 年 01 月 26 日 18:43:48 (15253) ふもふも館長さんの書き込み AAAさん。投稿ありがとうございます。タイムリーな話題でビックリしました。 額縁に時刻表を飾っていたのは、元関係者かもしれませんね。お亡くなりになり 遺品整理でお店に渡ったものの、売れないため、破棄されたと想像しました。 もしくは故人の想い出として家族が額に飾ったものかもしれません。 それにしても、新地行が6:20の一本だけなのが気になります。原釜経由のはず ですが、その旨、記載がありません。新地発着のバス送り込みのためのバスで 相馬からバスで新地に向かうには、原釜で乗換なのかな?と想像しました。 新地〜原釜も、どんなダイヤだったのか気になります。
2017 年 01 月 20 日 12:39:09 (15252) AAAさんの書き込み 昭和13年 「中村駅(現:相馬駅)発列車及自動車時刻表」を写真掲載しているブログがありました。 http://blogs.yahoo.co.jp/the_third_bus_fan_club/13504293.html このような資料を図書館なり資料館が保管してくれればいいんですけどもったいない。
2017 年 01 月 15 日 16:44:16 (15251) ふもふも館長さんの書き込み 相馬駅・松川浦付近の想定路線図を描いてみた。 1.1951(S26).4.1時点 ◎新地 | ・−−○釣師 | ○相馬今泉 | | | ・・・・・・・・| ・ ○北原釜 ・ | 角田 ・ + < ・ ・ ○原釜海水浴場前 \ ・ ・ + 中村\ 荒井町 ・ ・ / \ 一中前○・・・○−−+◎中村 ・ ・ ○原釜 ・ \ | ・ ・ ・ | | ・−○ ・ ・ ・ + 中村柳橋| ・ 細田 ・築港道 / |・ ・−−○−−○−○−−○−−○青年の家前| ・ 中村大町| 下り松 \ | ・ | ・−−−−−−○−+−+−○ | 松川港・ ・松川浦 | ・・・ | ・−○−−−○−−−○−−−○ 百槻 南飯渕 長老前 岩ノ子 ※当時は、中村駅。駅周辺の経路も末期と異なる。 ※原釜は第一種委託駅、松川港は第二種委託駅だった。松川港〜原釜は、S52 時点で休止中で、経路は末期とやや異なる。この間にバス停があったかは不 明。原釜駅は転向可能。 2.1984(S59).4.1時点 ◎新地 : ・……○釣師 : ○相馬今泉 : : : ・・・・・・・・: ・ ○北原釜 ・ : 角田 ・ + < ・ / ○相馬港南 \ ・ 相馬港○ + 中村\ 荒井町 ・ / : \ 一中前○−−−○−−+◎相馬 ・ / ○原釜 ○大津 ・ : | ・ / : | ・…○ | + ・ ○二合田 中村柳橋: | 細田 /築港道 : :\ ・……○−−○−○−−○……○青年の家前: ○原釜 中村大町| 下り松 \ : | | ・−−−−−−○−+−+…○ | 松川港| |松川浦 | ・−○ | ・−○−−−○−−−○−−−○ 百槻 南飯渕 長老前 岩ノ子 ※相馬駅周辺の経路は、S47までに整理されたと推測。 ※S59.4.1の循環運転開始に伴い、転向不要な位置に松川浦を移設か。 ※このタイミングで、原釜海水浴場前を相馬港南に改称と推測。 ※松川浦と相馬港南の間の3つのバス停は、短期間で改名された模様。 原釜バス停が松川港の近くにあって違和感がある。 3.1999(H11).3.31時点 ◎新地 : ・……○釣師 : ○相馬今泉 : 相馬火力発電前○ | 東京有機化学前○−−−−−−−+ | ○北原釜 | : 角田 亘理(代行バス) | + < Λ | / ○相馬港南 \ ・ | 相馬港○ + 中村\ 荒井町 ・ | / : \ 一中前○−−−○−−+◎相馬 ・ / ○原釜 ○原釜 ・ : | \ / : | ・…○ | + ・ ○尾浜 中村柳橋: | 細田 /築港道 : :\ ・……○−−○−○−−○……○青年の家前: ○相馬船越 中村大町: 下り松 \ : | : ・−−−−−−○−+−+…○ : 松川港| |松川浦 : ・−○ : ・…○………○………○………○ ・百槻 南飯渕 長老前 岩ノ子 ・ ∨ 原ノ町(代行バス) ※下り松〜相馬火力発電所前は、これより前に廃止されていたかも。 −−− JRバス松川浦バス停は、津波に耐え、奇跡的に残った。誰かが元の場所に戻した と推測される。2011年11月のGoogle Street Viewで確認できるが、2015年8月の 撮影では撤去され、その向かいに福島交通のバス停が設置された事がわかる。 JRバス運行当時と廻り方が逆になった? 現役のバス停と誤解されるから、撤去は妥当だと思うが、趣味者の立場から残念 である。 https://www.google.co.jp/maps/preview https://www.google.co.jp/maps/preview
2017 年 01 月 14 日 07:53:06 (15250) Y.Matsuuraさんの書き込み 2015年に閉鎖されたもと名金線の牧戸駅の駅舎ですが、町内会による保存活動の 結果、産業記憶遺産として整備されました。待合室には国鉄バス当時の史料やパ ネルが展示され、いつでも見学できるようです。 http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20170114/CK2017011402000047.html
2017 年 01 月 11 日 03:05:28 (15249) JRKさんの書き込み ちょっと前の話になりますが、H28.10.16に、JR軽米本線で【カルマイトッキュー!819号】とい う臨時便が運転され、これに乗ってみました。 <便名> 【カルマイトッキュー!819号】 <運行区間> 二戸〜軽米病院 (二戸病院・金田一温泉・温泉センター・軽米経由) <運行ダイヤ(抄)> (下り)二戸 0935発 (上り)軽米病院1640発 <使用車輌> H641-09405 車輌側面には【カルマイトッキュー!819号】という大型ステッカー掲示。 <停車駅> 各駅停車 ※「カルマイトッキュー!」とありますが、【特急】ではなく、【特級(→普段よりも豪華なハ イデッカー車)】という意味らしいです(笑) 軽米町は、バレーボールを扱ったマンガ「ハイキュー!!」の登場舞台によく似た風景がある 場所として、同作品のファンが実際に訪れることが増えました。 (何よりも、ハイキュー!!作者が軽米町出身。) 最近は、マンガやアニメに登場する街に実際にファンが訪れることを【聖地巡礼】と言ったり しますが、この【カルマイトッキュー!819号】は軽米町への聖地巡礼の足を確保する狙いで運 行されたものです。 当日の軽米町では、【食フェスタinかるまい】と【岩手県立軽米高等学校文化祭】も開催され ていました。 使用車輌は高速バス用ハイデッカー車で、軽米本線の長閑な風景の中を路線バスとして走るの は贅沢そのもの。普段の中型車とは違った趣でJRバスの旅を楽しみました。 車内は「ハイキュー!!」で登場するキャラのぬいぐるみで飾られ、また、乗車記念品として 先着100人につばめがワンポイントのバレーボール形ピンバッチほかノベルティーが配られまし た。 ・・・とは言え、往復ともに利用客は20人弱程度。下りは二戸で8人の乗車。残りは温泉センタ ーから乗り込みました。 帰り(上り)便での車内の会話を耳にすると、川崎や厚木など関東から来ている方が多かったよ うです。(そういう自分も神奈川) JRバス東北の公式HPにカルマイトッキュー!819号運転の情報が出たのは、運転日の約1カ月前程 度だったにもかかわらず、これだけ遠くの人が軽米町に訪れるキッカケとなったのは、スゴい ことだと思いました。 また、かつてのJRバス駅【軽米駅】が駅員無配置化されてから、今も駅舎は現存。(「軽米駅」 と示されていた駅舎看板は塗り潰されていましたが。) 今でも車内運賃表示機や車内放送では 「軽米駅」と表現されているのは嬉しいものでした。 そんな中で、軽米仲町にある【軽米町物産交流館】が現在事実上のバス駅。建物横に廻ると「J Rバス・南部バス バス乗車券発売所」と記された出札窓口と、しっかりした待合室があります。 (営業時間 平日9〜18時・日祝9〜17時・土曜日定休) 取扱券は現在は回数券のみの様子。 【軽米仲町駅】なんて看板を掲げてくれないかな〜(笑)
2017 年 01 月 09 日 17:11:00 (15248) JRKさんの書き込み 本日(H29.1.9(月・祝))に、「毎月曜日(祝日含む)」だけ運転されるJR東北本線(宇都宮線)列車代行バスに乗ってみました。 H27.5.11〜H29.12月頃見込みで、黒磯駅信号・電力設備改良工事が実施されています。 これに伴い、期間中の「毎月曜日」に黒磯0527発の東北本線上り初電【普通・528Mレ】上野ゆき (祝日は上野東京ライン南行 初電【普通・1535Eレ】小田原ゆき)の、黒磯→那須塩原 間が運休。同区間はバス代行が行われています。 <列車代行バス運行会社> JRバス関東(西那須野支店) <停車駅(運行区間)> ・黒磯 0500発 ↓ ・那須塩原 0520着 (一駅区間の運行。途中駅なし。) <代行バス指定運行コース> ・黒磯駅(タクシーのりば) ↓県道235号線 【黒磯駅前(交)】左折 ↓県道303号線(旧国道4号線) 【文化会館(交)】右折 ↓市道 黒磯文化会館北側にある【(交)】左折 ↓市道 ファミリーマート那須塩原前弥六店(那須塩原市北弥六1-1)先にある【(交)】左折 ↓県道53号線 ・那須塩原駅(塩原本線乗降場) 本日利用した車両は、L327-02504。LED行先方向幕は【列車代行】表示。 乗降場は既存路線バス乗場は使用せず、駅舎に横付け。 (駅舎を左前方に出ると、駅舎横付けでタクシー乗場がありますが、列車代行バスはそこから発車。) 普通乗車券での利用の際には、黒磯駅自動改札機にて改札を受けて鉄道駅構内に一旦入場し、そしてすぐ脇の有人通路から出 場してからバスに乗車の旨案内がありました。 (SuicaなどのICカード乗車券も同様の取り扱い) ※駅貼付のポスターにも、上記の利用方法で示されている。 バス全面ガラス部分にも、簡易サボが立てられ・・・ ┏ ┃黒磯駅 5:00発 ┃↓ ┃那須塩原駅 ┃ ┃黒磯駅改札を通過後、ご乗車下さい。 ┗ ・・・ということが記されていました。 利用旅客は休日ともあり自分だけ。 運転士氏はこの後、平日はゆ〜バス行路・祝日は塩原本線行路に入るということでした。
2017 年 01 月 08 日 17:16:47 (15247) ふもふも館長さんの書き込み ふもふも館長です。今年もよろしくお願いします。年末旅行の報告をします。 1.プレミアム中央ドリーム号 東京駅→大阪駅 ・地元の「国立府中IC〜谷保駅」が未乗だったため、この便を選択。 ・Premium Dream車両に乗るのは初めて。プライベートカーテンとコンセントが付い た3列スーパーシート・窓側・後ろ階段で快適だった。ただし、隣の人が休憩時に 外出しない方だったので、出る時・戻る時に苦労した。 ・この便が今年のJRバス納めとなった。かなり離れていたが、梅田スカイビル付記 にあるウィラートラベルカフェで朝食を頂く。 2.東神戸フェリーターミナル跡 http://www.graphkobe.jp/detail/006.html ・青木(おおぎ)駅から海に向かって真っすぐ歩いていくと、KFCのロゴがある神戸 フェリーセンターのビルに突き当たる。当時の建物が残っていたが、ビル内に入 る事は出来なかった。覗き見ると、当時のまま残っているような雰囲気。 ・当時、西から5(長距離用)・1・2・3・4バースとなっており、1・2バースの待合所 のみ現存。5バースの待合所は、魚崎南臨時シャーシ・プール(KFC管理の空き地)、 3バースの待合所は、サンシャインワーフ神戸のサンシャインガーデン、4バース の待合所は、同 East ZONE(ヤマダ電機)に変貌。2〜3バース付近の岸壁は、歩く ことができた。 ・『1991下期 全国フェリー・旅客船ガイド』からバースを推測してみた。 1=川之江・新居浜(四国中央フェリーボード = バンパックフェリー) 1=甲浦・足摺(室戸汽船 = フェリーむろと) 2=徳島(共同汽船・共正汽船・関西汽船 = 徳島/阪神フェリー) 3=今治・松山(愛媛阪神フェリー・三宝海運) 3=日向(シーコムフェリー) 4=高松(関西汽船・加藤汽船 = ジャンボフェリー) 4=高松(日本海運・四国フェリー = ニュージャンボ神高フェリー) 5=既に廃止 ※かつて新門司(阪九フェリー)で使っていたようだ 3.神戸フェリーバス 阪神御影→六甲船客ターミナル http://www.kobe-ferrybus.co.jp/ http://www.kobe-fc.co.jp/ ・フェリー会社から、阪神御影駅から六甲船客ターミナル行きのバスに乗るよう案 内があったが、バス会社やバス乗り場の案内は無かった。駅前の市バス乗り場を 探すも六甲船客ターミナル行きのバス乗り場が見つからず、青くなってしまう。 ・駅から150m先にようやくバス停を見つけて安心。KFBのロゴがあるので、神戸フェ リーセンターの関連会社と思われる。 ・ここで時間を取られてしまい、昼食を食べる時間を失い、阪神百貨店 阪急OASIS で昼食と今晩以降の食材を購入する。 ・アイランド北口から乗降する場合は無料だが、各船社が負担するとの事なので、 この区間について、非船客は利用不可なのかもしれない。 ・六甲アイランドのバースは、西から以下の通りと思われる。 R-F1=大分(フェリーさんふらわあ) ※今治・松山(愛媛阪神フェリー)は廃止 R-F2=新門司(阪九フェリー) R-F3=新居浜(四国開発フェリー = オレンジフェリー) ※2350着110発 R-NO=奄美・那覇(マルエーフェリー) ※那覇(関西汽船)は廃止 ・バスは船の時間に合わせて運行されるため、各社の船着場に直行するようだ。 ただし、オレンジフェリーは貨物メインの深夜便のため、バスは無い。 ・マルエーフェリー行バスは、六甲船客ターミナルの正面に着いたが、バス停は 無かった。道路上に「フェリー連絡バスのりば」の看板が残されていたので、 以前は、道路上で客扱いしていたと推測する。 4.マルエーフェリー 神戸・大阪→奄美・沖縄 琉球エキスプレス (1)神戸→大阪 ・六甲船客ターミナルは、1階に売店x2、大島運輸(→マルエーフェリー)の券売 コーナー、2階に関西汽船の券売コーナー、神戸市の案内コーナー、喫茶、送迎 デッキがあったが、これらは全て廃止、1階と2階のトイレ、2階の待合ロビーと 乗船設備のみ現役であった。 ・この船は、レストランが無く、自動販売機があるのみ。この旅客ターミナル内や 周辺にも、売店が無く、事前に購入した昼食を2階待合ロビーで頂いた。 ・乗船手続きは、13時より1階の事務所で、乗船開始は13時30分頃、出航は14時予 定であったが少し遅れた。ここから乗船したのは私を含め5名程度だったが、自分 に割り当てられた2等和室は自分ひとりであった。 ・ここからコースは、泉大津方面に進路を取り、大阪沖埋立処分地付近で、大阪南 港に進路を変えた。途中、以下の停泊しているフェリーを見た。 F1(南港フェリーターミナル)=新門司(名門大洋フェリー = シティライン) F3(南港フェリーターミナル)=東予(四国開発フェリー = オレンジフェリー) F4(南港フェリーターミナル)=新門司(名門大洋フェリー = シティライン) F7(かもめフェリーターミナル)=志布志(フェリーさんふらわあ) ・フェリーさんふらわあは、1/31から大阪南港コスモ第二フェリーターミナル(R岸 壁)に変更されるとの事。かもめフェリーターミナルは、那覇(有村産業)、宮崎( 宮崎カーフェリー)が既に撤退しているため、1/30の到着後、閉鎖される見込み。 かもめフェリーターミナルを目に焼き付けることができてよかった。 http://osakaharbor-info.com/html3/kouro_shunichi/kouro_shunichi.pdf http://www.ferry-sunflower.co.jp/news/article/20160627.html http://www.city.osaka.lg.jp/port/cmsfiles/contents/0000150/150021/2016_7.pdf http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/port/0000250236.html ・大阪南港には、B岸壁(B-1/2)に着岸。隣のA-7/8には、琉球海運 わかなつ も荷役 中だった。1500着1830発と長時間停泊。この間、夕食とシャワーを楽しむ。 (2)大阪→名瀬 ・船内に貼り出された「航海予定表」に通過予定時刻が掲載されていた。 ◇大阪港外 1903、友ヶ島(紀淡海峡) 2034、伊島(四国最東端の島) 2201、 室戸岬 0040、足摺岬 0409、細島(日向市) 0732、都井岬(串間市) 1042、 喜志鹿崎(種子島) 1231、安房(屋久島) 1429、中之島(トカラ列島) 1653、 名瀬港外 2120 ・SBケータイ電波の入り具合は、以下の通り。 ◇関空沖から室戸岬は、電波が入らないが、友ヶ島・伊島・室戸岬に近づくと、 電波が入った。足摺岬付近も電波が入るはずだが、寝過ごしてしまう。 ◇日向沖から陸地に沿って進み、シーガイアがはっきり見えるが、ケータイ電波 が入らない。ケータイが使えたのは、青島沖〜都井岬まで。 ◇種子島付近〜屋久島付近は電波が入った。屋久島は雲に隠れて頂上を拝めず。 ◇屋久島付近〜奄美大島付近は、トカラ列島を遠望するが、電波は入らない。 (3)名瀬→亀徳→伊延 ・奄美大島の名瀬港外までは定刻に着いたが、他船の荷扱いが遅延しているとの事 で、着岸できず、結果、2157/2222と、入港・出港とも20分延。 ・徳之島の亀徳港は、134/154と入港24分延、出港34分延。 ・沖永良部島の東岸、和泊に入港の予定であったが「和泊港内状況悪いため」、 西岸の伊延港へ変更となる。343/355と入港33分延、出港35分延。風が強いため? ・伊延港は定期船が無い港だが、フォークリフトが待っていた。和泊港から自走? (4)伊延→那覇 ・出港後、鹿児島の主が居る知名の空が盗れた。また、伊延港に変更された事で、 航路が西寄りになり、連続して、沖縄の主が居る伊平屋島の空が盗れた。 ・遅れを取り戻す事ができず、入港は906と36分延。ふ頭入口バス停は、902発の後 は1507発までなく、荷物を持って約30分、安謝橋まで歩く。牧志経由に乗るべき ところ、久茂地経由に乗ってしまい、宿まで歩く距離がさらに増えた。 ・前回、東京航路に乗った時は早朝だったため、乗客は迎えの車かタクシーだった。 今回は、遅れが無ければ、バスで市内に向かう事ができたのだが、ここからバス で市内に向かうのは一般的ではないようだ。 5.沖縄中央観光 やんばる急行バス 泊高橋→名護市役所前 ・沖縄に3泊。初日と二日目はレンタルバイクで、A&W新店と、前回、時間の関係で 通過してしまった勝連城跡、伊計ビーチ、玉泉洞などの観光地を観て廻る。 ・三日目は、国盗りを兼ねて、久米島まで日帰りする予定で、とまりんへ。すると 風の影響で、午前便が欠航となり、日帰りが出来ない。代案を考えたが、粟国島 行は全便欠航、レンタルバイクは返却済、県立図書館は休館日とついてない。 ・バス停に行ってみると、やんばる急行バスに乗る乗客がバスを待っていた。沖縄 のバスは、ほとんど乗った事が無いので、三日目は、バス旅を楽しむことにした。 ・沖縄の高速バスといえば、4社共同運行の111番 那覇空港〜名護BTが有名である が、新規参入のやんばる急行バスも勢力を伸ばしているみたい。111番と少しルー トが異なるようだが、こちらは111番に比較して値段も安く、名護以遠の観光地、 沖縄美ら海水族館などに直接行けるため、観光客には便利。 ・バスは、泊高橋から上之屋交差点を右、おもろまち駅前から国道330号、西原ICよ り高速道に入った。高速道内にもバス停がいくつかあるが、東名高速線のように 乗降が多いようで、嬉しくなってしまう。なお、共同運行のしがらみが無いため か、沖縄市の池武当以遠の高速道バス停には停車しなかった。 ・池武当で、補助席を含め、満席となりビックリ。乗車した便は、満席になる事が 多いみたいで、予約専用便もあるとの事。 ・伊芸SAで10分休憩。111番バスは途中休憩が無いようなので、こちらをお勧め。 ・名護市役所前で下車。市役所で地図を頂き、図書館で調べ物の後、名護BTへ。 6.沖縄バス 120番 名護BT→那覇空港国際線 ・名護バスターミナルは、名護市街の西端にあり、中心部にあると思い込んでいた ので少し驚く。バス会社窓口、食堂、売店もあるのに、待合室が無い事に驚く。 食堂は調理に時間が掛かるとの事で、お弁当を購入し、食堂で頂く。 ・名護から那覇には、上記の高速便の他、下道を走る名護東線と名護西線があるよ うで、高速線と景色が重ならない名護西線を選択。約30分間隔で運行されている。 沖縄バスと琉球バス交通の共同運行。全線乗り通すと、約2時間30〜50分掛かる。 ・高速線もあるため、名護から下道を走るバスに乗る人は居ないと思っていたら、 那覇市内まで乗車する客も居たので驚いた。観光シーズンでは無いので、ビーチ で乗降するケースは少なかったが、そこそこ乗り降りがあり、那覇市内に近づく とほぼ満員になった。 ・国際通りをバスで通り抜けたのは初めて。那覇バスターミナルは工事中だったが、 工事中でなくても、構内に入らず、旭橋経由かもしれない。 ・終点に拘り、国際線まで乗車。渋滞もあり、3時間5分のバス旅であった。図書館 で、ゆいレール資料館の事を知り、訪問。船・バス関係の展示は無かったが、戦 前の鉄道線や、国鉄関係の展示もあり楽しめた。 7.マリックスライン 那覇→鹿児島 クイーンコーラル8 ・前回訪問時は、530頃に、久茂地よりタクシーで港に向かい、マルエーフェリー で鹿児島に向かった。今回は、別会社をあえて選択。前回は、お盆で満席、乗船 手続きの列ができていた。今回も、ゆいレールの始発で旭橋下車。この時点で604 だったので、歩いて港に着いた時には、乗船が始まっており、乗船手続きの列も 短かった。今回は、鹿児島まで行く客は少なかったようで、二等和室の窓側エリ アの指定を受けることができ、コンセントも確保できた。 ・持参した3ツ又プラグで、他の人と電源を共有したが、OAコードを2つ繋げている 強者も居た。プラグで電源共有すると、ケータイ充電コードが短い事から、自エリ アで横になる事ができなくなる可能性が高いので、OAコードで共有というのは賢い 方法だと思った。多客時ではあったが、満席ではなかったようで、隣は空席。 ・阪神航路と異なり、レストランがあり嬉しいが、こちらもシャワーのみで風呂が 無く残念。マルエーと異なり、フリーWiFiの設備があるが、DoCoMoの回線を使って いるようで、ケータイの繋がりが悪い区間は、WiFiも繋がりが悪かった。 ・船は那覇港を700出港、沖縄本島の本部新港に900/920。瀬底大橋の下を通ると期 待したが、瀬底島を迂回する形で与論島に向かった。なお、伊江島連絡船は瀬底 大橋の下を通るようだ。船の大きさで通れないのか? ・伊是名島の電波は掴むが、伊平屋島の電波は掴めなかった。与論島に1150/1210。 フォークリフトを見ると、(A)マークの有村運送店でビックリ。有村商事の関連 会社ではないようなので、有村産業の関連会社か? 嬉しくなってしまう。 ・沖永良部島の和泊港に1410/1440。船の前方にあるクレーンで20ftコンテナ2個を 4本ワイヤーで吊って積降している光景を眺める。船のクレーンを使っている光景 を眺めるのは多分初めて。フックは下から棒でつついて外す事もできるようだが、 フックはコンテナ上部で人が掛ける必要があり、そのため、フォークの爪に人が 乗りコンテナ上部に上がる光景も目撃。なるほど〜 ・徳之島の亀徳港に1630/1700のところ、出港20分延。奄美大島の名瀬港には、定刻 2030/2120のところ、入港13分延、出港32分延。 ・名瀬出港後、船長より、時化のため揺れが予想される旨、放送があり、青くなる が、予想より揺れはひどくなく、船酔いせすにすんだ。 ・お楽しみの洋上レストランは、与論島でチキン南蛮定食、徳之島で鶏飯を頂き、 佐多岬を船上から眺めた後、朝食洋食Bセットを頂いた。レストラン営業時間は、 昼は1200頃(メモ失念)、夜は1700-1740、朝650-730と短い。 ・鹿児島新港は、830入港の所、15分延。着岸シーンを船上から眺めていたため、 退船の列に並ぶのが遅れ、退船に時間が掛かり、バスに乗ったのが900頃。 鹿児島新港ポートライナー(いわさきバス)は、ほぼ満員で、すぐ出発。積み残し があったと思われるが続行便で対応?これが昨年のバス納めとなった。
2017 年 01 月 02 日 10:10:23 (15246) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【807】西条線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇西条線 西条本線 1 広交叉点−西条 2 中黒瀬−切田−深谷 3 切田−郷原 4 津江口−上条 5 賀茂病院口−賀茂病院前 6 助実−西条 7 西条栄町−国療広島病院前 安浦線 1 上黒瀬−安浦 郷田線 1 樋ノ詰橋−郷田−西条東 2 中郷−下見 3 大学会館前−卯之留 4 下見大池−八本松 1.2 路線略図 国療広島 ◎西条 病院前 | ○ +−・西条 \ 西条東 | |朝日町 ・−+○−−○−+−○−・ | 西条 | | | 栄町 ○法務 | | +局前 | | \ | | ・−+ | 鏡山公 ○助実 | 園入口 | |池ノ上 ○ | |学生宿 / \ ○卯之留 |舎前 ○ ・−+ 下見○ | ○御薗宇 八本松◎ +−○−+−○がが | | 鴻の巣○鴻の巣 |ら口 ○水源地前 記念橋○ | 大学○ | \ | 会館| | ・−−○−−○−−○−−+ ○三升原 千野 下見 二神山 \ | 丸 大池 郷田○ ○大沢 \| ○樋ノ詰橋 安芸 | 頓原 上黒瀬○−−○−−○−○ | 長貫 鍬原 | | ・−◎安浦 賀茂病院前○−○賀茂病院口 | ○乃美尾 | ○中黒瀬 切田/ \ 深谷○−−○ ○市飯田 : | 上条○……○津江口・ : / : ○八幡橋 :/ ○郷原 | 広島・ 広二級峡○ 海田市 | Λ 徳丸○ | | 呉◎ 塩焼○ | 中畑 | 四ツ道路○−−−○−−○ 中新開○ 呉本通 \ | 六丁目 ・−○−−○−・ 阿賀 広 | 新開 交叉点◎広 ※切田〜郷原及び津江口〜上条は1981(S56).7.21休止 ※広島〜呉〜広交叉点〜広は安芸線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・西条本線1 西条〜助実〜卯之留 ・郷田線3 卯之留〜大学会館前 ・郷田線2 大学会館前〜下見 ・郷田線1 下見〜下見大池〜郷田〜樋ノ詰橋 ・西条本線1 樋ノ詰橋〜乃美尾〜広交叉点 2.2 掲載 ・14日目 6/14(金) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p86〜88 ・連載誌 郷田線略図、西条駅前の広ゆきバス ・単行本 郷田線略図 ・誤記 郷田線略図(下見の位置と方位) 2.3 行程 ○西条1259→1323樋ノ詰橋 西条本線1+7+郷田線1 西条発 下見大池経由 乃美尾行 534-6926(三菱B805L) △樋ノ詰橋1340→1404西条 郷田線1+2+西条本線7+1 乃美尾発 大学会館前・下見経由 西条行 534-6926(三菱B805L) ○西条1411→1518広 西条本線1+安芸線1 西条発 呉行 534-2474(三菱K-MP118M) 欠落 郷田線3 卯之留〜宮本谷〜鏡山公園入口〜山中池(〜大学会館前) 失念 2.4 エピソード ・西条駅前に停まっていた乃美尾行きバスに乗ったが、裏道の郷田線経由だった。 バスは市街地を抜け、姿のよい松林が開発の荒波にさらされたり、沼を埋めた ばかりの泥土が広がる中を走る。 ・引き返してきたバスで、広島大工学部のキャンパスはじめ、短大、高校も多い、 通称「大学道路」を通って学園都市の片鱗を見たものの、一筆書きコースはが たがた。卯之留は未見なので、あらためて西条本線広経由呉行きで卯之留を通 ったが、卯之留〜大学会館前4.4kmは乗らずじまい。 ・賀茂病院口で乗務員交替。交替運転士が黒瀬自営の車で来ており、降りたドラ イバーが運転していく模様。 2.5 旅の考察 ※補足「西条〜樋ノ詰橋のコース」 (1) 郷田線略図 ・本誌記載の郷田線略図は、下見の位置が間違っており、方位も正確でない。 ・S60.6時点の路線図は、以下の通りと推測する。 ◎西条 ・−+ 国療広島病院前 | ‖ Λ +−+ 西条 \ | | 朝日町 西条東○−○−+−○−・ |西条 | | 1:法務局前(→西条昭和町) |栄町 | | | ○−−−○助実 | ‖法務 | 八本松 | ‖局前1| Λ 下見○ 江熊☆ ○卯之留 | / ‖ | 下見大池○−−−−○+鴻の巣 +−●−+===> | ○ / 宮本谷| 東広島 |広大中央口| / | +===☆=+−−○ | | |鏡山公園入口 ・ 二神山○ 山中池● / | | / +−−○−−●かがら口 / |大学会館前‖ / 中郷○ ・ / | ・==○==>東広島 郷田○ /三升原 呉・広 | / <−−−○−−−−○−−−−−−・ 乃美尾 樋ノ詰橋 (のみのお)(ひのつめばし) (2) 路線名称と運行系統 ◇西条本線1:西条〜栄町〜朝日町〜助実〜卯之留〜樋ノ詰橋〜(略)広交叉点 ・西条〜樋ノ詰橋以遠便の本線 ・西条〜助実は、西条本線6(1.5)より西条本線1(1.8)の方が長い ◇西条本線6:西条〜法務局前〜助実〜卯之留 ◇郷田線3:卯之留〜宮本谷〜鏡山公園入口〜山中池〜大学会館前 ・当時の西条〜広島大学便の経路だったと推測する。 ・現在は、ブールバールが西条駅まで延伸された事もあり、西条駅から江熊を 経て、広大中央口→二神山→大学会館前→山中池の順に停車し、広大行は山 中池止まり、広大発は広大中央口が起点になる。 ◇郷田線1:(西条〜栄町〜)西条東〜下見〜鴻の巣〜下見大池〜二神山〜中郷 (〜郷田〜樋ノ詰橋) ・西条〜樋ノ詰橋以遠便の下見大池・郷田経由 ◇郷田線2:(西条〜栄町〜西条東〜)下見〜鴻の巣〜山中池〜大学会館前〜中郷 (〜郷田〜樋ノ詰橋) ・当時は、西条〜樋ノ詰橋以遠便の下見・大学会館前・郷田経由があった。 ・現在は、大学会館前と中郷以遠を結ぶバス路線は無い。 (3) 最長片道きっぷの経路 ◇西条本線1 西条〜助実〜卯之留 ・西条発 卯之留経由 樋ノ詰橋以遠便に乗ればよい。 ◇郷田線3 卯之留〜大学会館前 ・西条発 卯之留経由 広島大学行に乗ればよかったと思われる。 ◇郷田線2 大学会館前〜下見 ・広島大学発 下見経由 西条行に乗ればよかったと思われる。 ・大学会館前〜山中池は、複乗となる。 ◇郷田線1 下見〜下見大池〜郷田〜樋ノ詰橋 ・西条発 下見大池経由 樋ノ詰橋以遠便に乗ればよい。 ・下見〜鴻の巣は、複乗となる。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・西条線は、1943(S18)年8月1日に広交叉点〜西条が開業したのがルーツで、 山陽本線と呉線との短絡の使命を有する他、沿線地方を海岸線に直結して産 業文化の発展助長に寄与する使命を有していた。 ・戦後は、1946(S21)年11月5日から安浦線(上黒瀬〜安浦)が開業した。その後、 1950(S25)年9月11日に西条〜国立広島療養所が開業し、1951(S26)年4月1日 に郷原〜津江口〜中黒瀬、1953(S28)年12月21日に津江口〜上条がそれぞれ開業 した。1954(S29)年2月15日には樋ノ詰橋〜郷田〜西条が開業した。1955(S30)年 8月1日には下見大池〜八本松が開業した。 ・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、西条線の特長として、本路線は山陽 本線西条駅と呉線広駅を結ぶ路線であるが、旅客の利便を図り安芸線の呉まで 延長運転していると述べられていた。 ・「交通年鑑1965年版」には、道路整備5箇年計画の進捗により道路が逐次改修 されたことと、自動車工業の発達に伴い、年々中長距離旅行が快適になるにつ れて旅客の需要も増加してきているので、現在国鉄自動車が運行している中長 距離路線の他、中長距離系統の新設急行便の増発、新型車の増備に努めてサー ビスを図った、その主なものは次の通りであると述べられていた。 札幌〜中央長沼 37km 札幌〜岩見沢 46km 小樽〜中央長沼 71km 陸中大野〜金田一 40km 宇都宮〜茂木 36km 飯田〜狼煙〜宇出津 103km 京都〜周山 36km 八重〜広島 47km 岩国〜広島センター 40km 西条〜呉 37km 小松港〜小松港 96km ・1965(S40)年12月15日には郷田線の支線である下見大池〜八本松ゴルフ場〜原村 (八本松ゴルフ場〜原村は1974(S49)年6月末限りで廃止)、1966(S41)年6月 25日には小多田〜保田、1970(S45)年10月1日には賀茂療養所口(→賀茂病院口) 〜賀茂療養所(→賀茂病院前)がそれぞれ開業した。 ・1977(S52)年3月1日に下見大池〜八本松ゴルフ場が廃止された。 ・1981(S56)年7月30日に切田〜深谷、1982(S57)年3月31日に助実〜西条、中郷〜 大学会館前〜助実及び大学会館前〜下見がそれぞれ開業した。他方、1983(S58)年 3月に小多田〜保田が廃止された。 ・1985(S60)年当時、線内の乃美尾に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の 拠点として、黒瀬自動車営業所(賀茂病院前)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年6月10日、切田〜郷原及び津江口〜上条の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、西条線は中国JRバスに継承された。 ・1988(S63)年3月13日、山陽新幹線東広島駅開設に伴い、西条線も東広島駅乗入 れを開始した(卯之留〜東広島〜三升原が開業)。 ・1989(H1)年9月20日、黒瀬団地乗入れを開始した(中黒瀬〜中黒瀬小学校前〜庚、 庚〜松ヶ丘団地〜康成病院前〜市飯田の2区間が開業)。 ・1992(H4)年4月1日、池ノ上学生宿舎前〜広大中央口〜二神山が開業した。 ・1993(H5)年3月、安浦線(上黒瀬〜安浦)が休止された。同月18日、ブールバー ル経由の法務局前〜西条小学校前〜中央図書館前〜鏡山公園入口が開業した。 ・1995(H7)年4月6日、呉大学乗入れを開始した。 ・1998(H10)年4月9日、広島国際大学乗入れを開始した。 ・1999(H11)年3月末限りで呉〜広島空港の空港連絡バスが廃止された。 ・2002(H14)年10月5日に中黒瀬〜切田〜深谷が廃止された。 ・2003(H15)年3月15日、ブールバール経由の西条〜法務局前が開業した。2014(H16 )年5月15日から西条駅前土地区画整理事業に伴う西条〜西条栄町の一方通行化に より、同区間で経路変更が行われた。 ・2008(H20)年10月1日、広島大学〜東広島系統の経路変更に伴って、ががら口〜東 広島運動公園〜三升原が一般路線としても開業した。 ・2015(H27)年6月現在、西条線は、西条〜広交差点(〜広〜呉)、西条〜広島大学 他の路線が中国JRバスによって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、当時西条線には接続駅(西条、 安浦及び八本松)の他、乃美尾に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2017 年 01 月 02 日 10:09:18 (15245) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【806】安芸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇安芸線 1 広島−広 2 海田−海田新開 3 坂横浜−鯛尾 1.2 路線略図 高陽団地 Λ 合同 向洋 横川 | 庁舎前 広島 駅前 海田 海田市駅 <−++−○−−◎−−○+−−○+−+=○ 広島セ|| / ‖広島 | | ンター○| / ‖ガス前○ | <−−○−○八丁堀 ‖ | | 紙屋町‖ ‖ 海田○ | ‖ ‖ 新開‖ | ‖ ‖ ☆=○牛の首 ‖ ‖ 東部流 | 中電前☆ ‖ 通団地 | ‖ ・=====+ ‖ | ‖ 鯛尾○−−○坂横浜 ‖ | 体育館前 西条 ・==============|=+=☆ Λ | ‖ ‖ | 広 ○−+−◎−−○−−○−◎・・○ 呉ポー 呉 呉本通 広交 仁方 トピア 六丁目 叉点 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・安芸線1 広島〜海田〜呉 ・安芸線1 広交叉点〜広 2.2 掲載 ・13日目 6/13(木) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p85〜85 ・14日目 6/14(金) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p88〜88 2.3 行程 ○広島1610→1710呉 安芸線 広島センター発 呉本通六丁目行 634-4908(三菱B805N) 2.4 エピソード ・広島駅に荷物を預け、頻発の安芸線で呉へ。快速と普通便があるが、「道路の 状況次第で快速も普通と変わらなくなるから、呉なら、きた方に乗ればいい」 と切符売場の話。かなりくたびれた普通便のバスは満員で、若い女性客も多い。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・安芸線は、1942(S17)年7月1日に広島〜呉〜仁方が開業したのがルーツで、 戦時中の工員輸送の目的で、鉄道の補助・培養の使命をもって発足したが、昭 和30年代に入って都市交通の使命をも有するようになっていた。 ・国鉄中国地方自動車局(1980年)「国鉄中国自動車30年史」には、安芸線は、 呉海軍工廠が生産拡大を行うため、学徒動員、徴用工員等の宿舎を小屋浦、 吉浦地区に建築を始め、この地区から呉までの輸送を呉線の複線化で補う計画 であったが、膨大な資金と月日を要するため間に合わず、急きょ国鉄自動車の 開業が決定されたものと述べられている。 ・1951(S26)年12月11日、国鉄と呉市、広島電鉄(株)との運輸協定(相互乗り入 れ)が認可された。また、この区間には共通乗車制度が適用された。 ◇協定区間 起点 呉市本通十三丁目16(呉市本通十三丁目) 終点 広島市基町94(広島市紙屋町) ◇協定内容 運行系統 呉市本通十三丁目〜広島市紙屋町間 運行回数 呉市及び広島電鉄(株)とも1日5往復。なお、国鉄に対する 運行回数は拘束されない。 取扱旅客 国鉄に対しては 紙屋町〜広島駅間相互発着及び汐見町〜本通十三丁目間相互発 着の呉市営の乗車券は無効。 紙屋町〜矢野間相互発着の広島電鉄(株)の乗車券は無効。 呉市に対しては 紙屋町〜広島駅間相互発着の国鉄バスの乗車券は無効。 汐見町〜本通十三丁目間相互発着の国鉄バス及び広島電鉄(株) の乗車券は無効。 広島電鉄(株)に対しては 紙屋町〜矢野間相互発着の国鉄バスの乗車券は無効。 汐見町〜本通十三丁目間相互発着の呉市営の乗車券は無効。 運賃 国鉄既定運賃による。但し、呉市については、呉市内特定運賃区 間(市内10円均一)はその特定運賃を、広島駅〜紙屋町間(広島 電鉄(株)は現行10円、国鉄は5円)については呉市及び広島電鉄 (株)運賃を当分の間適用する。 停留所 本協定により運転する自動車便に限り、全区間国鉄既設の停車 場以外は停車しない。 ・1951(S26)年9月15日、呉市営及び広島電鉄が安芸線に5往復ずつ乗入れを開始 した。この時の運輸協定で、両社と紙屋町(→広島バスセンター)〜本通十三 丁目(→呉本通六丁目)で共通乗車を行った。(中国地方自動車局(1980)「国 鉄中国自動車30年史」による) ・その後、1955(S30)年には安芸線に急行便20往復設定し、快速便(1947(S22)年 から設定)を16往復増回した。昭和30年代は輸送需要が高まる中、安芸線では 呉〜広島の直通客を中心に増加したため、民営2社とともに直通便の増回を図 る他、1958(S33)年10月10日に、同線における国鉄の主体性維持と直通便利用者 へのサービスを図るため、広島駅〜呉駅間ノンストップ特急便「ひかり号」を 運転し、直通客の集約輸送と運転時分の短縮を行った。(中国地自前掲書による) ・この間、1952(S27)年11月から岩益線から安芸線への乗り入れを開始(1972(S47 )年12月廃止)するとともに、1962(S37)年2月には光線から安芸線への乗り入れ を開始し、同年6月から下松〜呉本通十三丁目の直通便を運行開始した(1972 (S47)年12月廃止)。 ・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、安芸線の特長として、紙屋町(広 浜線)〜本通十三丁目は7時から22時まで15分毎に普通便、30分毎に急行便・ 快速便を交互に運転し、紙屋町〜呉〜黒瀬(西条線)、紙屋町〜呉〜仁方及び 紙屋町〜海田は概ね5分毎に運転し、紙屋町〜海田の1日の往復回数は実に 160余回に及ぶ、と述べられていた。 ・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、紙屋町〜呉本通十三丁目の系統 が1日64.5回、紙屋町〜広の系統が同じく6.5回、紙屋町〜仁方の系統が同じく 11回、紙屋町〜海田の系統が同じく91回運行されており、この当時、既に都市型 の高頻度運行がなされていた。また、同書の1964(S39)年版によると、広島セン ター〜呉本通十三丁目の系統が同じく92回、広島センター〜坂横浜港の系統が同 じく30.5回、広島センター〜海田の系統が同じく59回、広島センター〜海田新開 の系統が同じく28回の運行となっていた。 ・「交通年鑑1960年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を 取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和33年度に次のように急行 便を設定したとある。 広島センター〜呉本通十三丁目 28km 16往復 ・1960(S35)年8月25日に海田〜広島ガス前〜海田新開、1961(S36)年3月10日に坂 横浜〜坂横浜港、同年11月5日に仁方〜仁方桟橋の各区間が開業した。 ・1966(S41)年9月20日、広島センター〜呉十三丁目間特急便でワンマンカーを運行 開始した。(中国地自前掲書による) ・「交通年鑑1967(S42)年版」には、現在ワンマンカーを運行している区間は次の 通りであり、今後とも乗務員の節減、営業事務の軽減簡素化を図るため、ワン マンカーの導入を推進するよう努めていると述べられていた。 運行区間 往復回数 実施年月 十和田南〜大湯温泉 20 S41.7 長野原〜草津温泉 9 S41.6 京都〜栂ノ尾 9 S41.9 五条〜城戸 5 S41.10 高松〜松山 1 S41.11 高松〜松山 5 S41.11 広島センター〜呉本通13丁目 24 S41.9 光〜光警察署前 2.5 S41.9 光〜光警察署前(高校前経由) 2.5 S41.9 光〜室積 16 S41.9 防府〜山口〜湯田温泉 3 S41.9 防府〜山口〜湯田温泉(県庁前経由) 3.5 S41.9 防府〜山口 2 S41.9 防府〜山口(県庁前経由) 5.5 S41.9 嬉野温泉〜武雄 22 S41.8 嬉野温泉〜彼杵 17 S41.8 新大阪〜名古屋 5 S39.10 ・1969(S44)年2月1日に坂横浜港〜鯛尾が開業した。 ・中国JRバス(1998年)「中国ジェイアールバス10年のあゆみ」によると、国 鉄時代の安芸線は、昭和40年代前半まではバスを走らせれば乗ってもらえると いう全国一のドル箱路線であり、特急・急行・快速・普通と運行種別の異なる 便を1日150往復運行していたが、昭和40年代末期から50年代に入るとマイカー の普及で渋滞が始まり、バスの定時性が保てなくなり利用者の減少傾向が年々 進み、ダイヤの削減を余儀なくされたと述べられている。 ・1977(S52)年3月1日に広〜仁方桟橋が廃止された。 ・1984(S59)年5月現在の「広島県内バス総合時刻表」によると、国鉄バス安芸線 には次のような系統が設定されていた。(※) (平日) 呉本通六丁目・広〜広島センター 快速 下り14本・上り19本 普通 下り49本・上り43本 呉本通六丁目・広〜海田 下り1本・上り2本 鯛尾〜広島センター・横川 下り42本・上り41本 海田新開〜広島センター・横川 下り48本・上り56本 (日祝) 呉本通六丁目・広〜広島センター 特急 下り2本・上り1本 快速 下り12本・上り18本 普通 下り47本・上り43本 呉本通六丁目・広〜海田 上り1本 鯛尾〜広島センター・横川 下り33本・上り36本 海田新開〜広島センター・横川 下り38本・上り43本 呉本通六丁目〜広島センターの所要時間は、特急便1時間10分、快速便1時間 9分〜1時間20分、普通便1時間5分〜1時間27分。 ・1985(S60)年当時、線内の広島ガス前、(自)呉及び呉本通六丁目に自動車駅が 存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、海田市自動車営業所(海田、海 田車庫)、同呉派出所(本通六丁目)、同広派出所(広)及び同広島センター 派出所(広島センター)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年4月から東部流通団地への乗り入れを開始し、同年12月の「国鉄自 動車路線名称」全面改正で牛の首〜東部流通団地が認知された。 ・安芸線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て中国JRバスに継承された。 ・中国JRバス(1998年)「中国ジェイアールバス10年のあゆみ」によると、都 市地区でも、広島〜呉間国道31号線の交通渋滞が一段と激しくなり、バスの定 時性が全く保てなくなったため利用客が激減し、平成に入って3回の減便を行 うなど、安芸線の凋落が当社の経営を圧迫する大きな要素の1つになっている と述べられている。 ・また、中国JRバス(2013年)「中国JRバス25年史」には、1988(S63)年4月 に76行路を有していた海田市営業所は、1989(H1)年2月に14行路削減、1990(H2) 年12月に広島〜呉直通便の一部を天応バイパスに載せ替えるとともに12行路削減、 1992(H4)年12月に24行路削減の大規模なダイヤ改正を行い、1997(H9)年度末現在 で輸送規模は26行路まで縮小したと述べられている。 ・1989(H1)年3月改正の「安芸線時刻表」によると、同線には次のような系統が 設定されていた。特急便、快速便の設定はなくなっており、全て普通便だった。 (全日) 呉本通六丁目・広〜広島センター 下り35本・上り38本 呉本通六丁目・広〜海田 下り3本 (平日) 鯛尾〜広島センター・横川 下り52本・上り56本 東部流通団地〜広島センター・横川 下り7本・上り1本 海田新開〜広島センター・横川 下り40本・上り38本 海田車庫〜広島センター・横川 下り42本・上り45本 (日祝) 鯛尾〜広島センター・横川 下り45本・上り50本 東部流通団地〜広島センター・横川 下り2本 東部流通団地〜海田車庫 上り1本 海田新開〜広島センター・横川 下り38本・上り39本 海田車庫〜広島センター・横川 下り43本・上り39本 ・1989(H1)年4月6日に広島女子商学園乗り入れが開始された(1992(H4)年12月 1日廃止)。 ・1990(H2)年12月15日から広島センター〜呉本通六丁目の一部便を広島大橋・天 応バイパス経由に変更された。 ・1990(H2)年12月改正の「安芸線時刻表」によると、同線には次のような系統が 設定されていた。 (全日) 呉本通六丁目〜広島センター(天応バイパス・広島大橋経由)5往復 (下り) 呉本通六丁目0900→0955広島センター 呉本通六丁目1000→1055広島センター 呉本通六丁目1200→1255広島センター 呉本通六丁目1430→1525広島センター 呉本通六丁目1730→1825広島センター (上り) 広島センター1300→1355呉本通六丁目 広島センター1500→1555呉本通六丁目 広島センター1630→1725呉本通六丁目 広島センター1930→2025呉本通六丁目 広島センター2130→2225呉本通六丁目 呉本通六丁目・広〜広島センター 下り18本・上り21本 呉本通六丁目・広〜海田車庫 下り3本 (平日) 鯛尾〜広島センター・横川 下り40本・上り41本 鯛尾〜海田車庫 上り1本 広島女子商〜広島センター・横川 上り1本 東部流通団地〜広島センター・横川 下り5本・上り1本 海田新開〜広島センター・横川 下り38本・上り36本 海田車庫〜広島センター・横川 下り38本・上り43本 (日祝) 鯛尾〜広島センター・横川 下り32本・上り37本 東部流通団地〜広島センター・横川 下り2本 東部流通団地〜海田車庫 上り1本 海田新開〜広島センター・横川 下り33本・上り34本 海田車庫〜広島センター・横川 下り26本・上り20本 ・1993(H5)年10月1日改正から亀石(呉ポートピア)〜呉他が休止されて、広島 〜呉の直通系統が廃止された。 ・1995(H7)年11月1日改正から広島大橋〜天応バイパス経由の区間が再開されて、 この区間を経由する広島〜呉の直通急行便が運行再開した。この時の「安芸線 時刻表によると、同線には次のような系統が設定されていた。 呉〜広島センター(天応バイパス・広島大橋経由)急行便5往復 (下り) 呉0700→0749広島センター 呉1100→1149広島センター 呉1520→1609広島センター 呉1800→1849広島センター 呉2040→2129広島センター (上り) 広島センター0915→1006呉 広島センター1410→1501呉 広島センター1640→1731呉 広島センター1920→2011呉 広島センター2150→2241呉 亀石〜広島センター・横川 下り6本(うち日祝運休1本)・上り4本 亀石〜海田車庫 上り2本(うち日祝運休1本) 鯛尾〜広島センター・横川 下り19本(うち日祝運休4本)・上り18本(う ち日祝運休6本) 鯛尾〜海田車庫 下り4本(うち日祝運休2本、日祝運転1本)・上り5本 (うち日祝運休3本) 東部流通団地〜広島センター・横川(海田新開経由) 下り12本(うち日祝 運休3本)・上り9本(うち日祝運休3本) 東部流通団地〜海田車庫 下り3本・上り5本(うち日祝運休3本) 海田車庫〜広島センター・横川 下り40本(うち日祝運休6本、日祝運転7 本)・上り47本(うち日祝運休10本、日祝運転6本) ・1996(H8)年8月31日、広島・呉道路(自動車専用道路)が開通し、従来から安 芸線乗り入れを行っていた3社により1日25往復(JRバス8往復)の準高速 線「クレアライン」を運行開始した。利用状況が好調であったため、1997(H9) 年6月に7往復の増回(JRバス2往復増回)、1998(H10)年6月に11往復の 増回(JRバス3往復増回)を行った。 ・1999(H11)年4月20日に海田市駅乗り入れを開始するとともに、坂横浜〜呉ポ ートピアが廃止された。この改正ダイヤでは、安芸線に次のような系統が設定 されていた。 海田市駅循環(海田市駅〜海田新開〜東部流通団地〜矢野〜海田市駅) 海田新開先回り 5回(うち日祝第2・4土曜運休1回) 矢野大浜先回り 4回 海田市駅〜鯛尾 14往復 鯛尾〜広島センター・横川 下り2本(うち日祝第2・4土曜運休1本) ・上り3本 東部流通団地〜広島センター・横川(海田新開経由) 下り10本・上り 10本(うち日祝第2・4土曜運休1本) 船越(海田車庫)〜広島センター・横川 下り13本(うち日祝第2・4 土曜運休1本)・上り12本(うち日祝第2・4土曜運休1本) ・準高速線「クレアライン」を除く安芸線は、2003(H15)年3月末限りでの路線 整理によって全廃された。2015(H27)年6月現在、安芸線では「クレアライン」 のみが中国JRバス他によって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、安芸線には接続駅(広島及び 呉)の他、呉本通六丁目に第一種委託駅、広島ガス前に第二種委託駅(いずれ も自動車駅)が置かれていた。 ※謝辞 1984(S59)年5月現在「広島県内バス総合時刻表」の安芸線他の時刻表データを 愉会三丁目様にご提供頂きました。感謝申し上げます。
2017 年 01 月 02 日 10:08:14 (15244) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【805】雲芸南線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇雲芸南線 1 三次−広島 2 高陽車庫−近隣センター前−岩の上 3 近隣センター前−真亀 4 牛田新町一丁目−広島センター 1.2 路線略図 出雲市 Λ | 三次◎…………………………………・ : 玖村 : 駅前 上井原○ ・−○ | 中山 / \近隣セン 井原| 公園前○ 真亀 ○ター前 市町○ | ・−○−+−○ | |/ /下深川 志和| +−−−−−+ 駅前 口駅○ | 地区セン○ 入口| 広島北 | ター / | インター 翠光台 北+−−−+ 中三田○ Λ ・−・ ○ 山○ / 高陽中 駅前 | | / \ | 橋| ・ 学校前 | 不動院○+−○+−−○−−+○−++−○−○+−|−+−−○+−○−+−−○ / 下小田 上小田 矢口| 岩 諸| | ○高陽 |上深川| 狩留家 牛田新町○ ・−+ の 木| ・−+車庫 |駅前 | 一丁目 | 工兵橋 | | 上 |浄水場| ○ ○ +−−○−−・ ・−○矢口 ○入口 ・ 深川台 研創前 | \饒津 が丘 \ / 横川・大朝 ○白島 ○−+ ○ Λ |北町 大須| ◎広島新幹線口 養護学校前 | 基町○ 合同 賀町○−◎広島 | | 庁舎前 |\ 広瀬町○−−−−+−+−○−−○−−+ +−>海田・呉 | 広島セ| | 女学院 | | ンター○ | 前 | 広島 ○−−−○−−+−−○−−−−・ 十日市 紙屋町 八丁堀 ※上井原〜三次は1985(S60).3.14から休止中 ※路線図で真亀は「近隣センター前(真亀)」と表記されていた 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・雲芸南線は、1952(S27)年5月1日、雲芸本線の一部として備後十日市(→三 次)〜広島が開業したのがルーツで、陰陽連絡と鉄道補完輸送を使命としていた。 ・中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」には、広島〜三次の路線は 戦後、合同自動車(株)が運行していたが、経営不振を理由に手放すことになっ たので、1952(S27)年5月、既存業者の車両8両、三次の車庫、路線を買収し、 併せて乗務員も譲り受けて、出雲及び広島自営で運行開始したとある。 ・1958(S33)年7月、雲芸南線は出雲自営から広島自営に移管された。 ・1963(S38)年4月に雲芸南線は、雲芸線から独立した。 ・中国地自前掲書には、広島〜出雲市の直通運行のためには、芸備線の踏切11か所 や幅員の狭隘な箇所があったため、道路改修をまってようやく1964(S39)年9月 広島〜出雲市及び広島〜石見大田に直通特急便の運行が開始されたと述べられて いた。 ・「鉄道辞典補遺版」(1966(S41)年)では、雲芸南線の特長として、広島〜出雲 市、広島〜石見大田(→大田市)に特急便を運行し陰陽連絡のスピードアップ を図るとともに、芸備線の補完輸送に寄与していると述べられていた。 ・中国地自前掲書には、雲芸南線では団地輸送という新しい輸送需要が発生し、 この対処に取り組むこととなったとあり、1970(S45)年以降、広島市周辺の人口 はドーナツ化現象が起こり、北部方面も団地造成が進み次第に人口が増え、1971 (S46)年5月に矢口・岩の上地区の輸送需要に対応するため7往復増回、1972(S4 7)年は10往復増回したと述べられていた。 ・1973(S48)年6月19日、安芸庄原〜安芸中深川〜高陽中学校前〜諸木が開業し、 旧線(安芸庄原〜中深川駅前〜諸木)は廃止された。 ・1976(S51)年4月5日に岩の上〜真亀(2.1km)が開業した。同年8月24日には三次 〜岩の上(旧線)の廃止が公示され、同年8月25日から三次〜向原農協前〜岩の 上、向原農協前〜向原町及び牛田新町一丁目〜広島センターの各区間の開業が公 示された。 ・1977(S52)年4月、矢口〜翠光台(1.2km)が開業した。 ・座談会「経営改善の第一線から−自動車営業所長大いに語る」(「国鉄線」1978 (S53)年12月号所収)に広島自営所長が出席しており、次のような発言があった。 ◇広島自営は2つの異なった路線を持っている。1つは広島と浜田を結ぶ118km の広浜本線であり、もう1つは三次と広島を結ぶ雲芸南S年であるが、この路 線の途中に広島市のニュータウンとして急激に大きくなりつつある高陽団地が あり、広島市との間の団地輸送を担当。 ◇この団地輸送が非常に実績を上げており、現在でも(広浜)本線のカバーをこ の南線でやっているという実情。1977(S52)年度末にニュータウン内の3,500m2 の駐車場用地を購入していただいたこともあって、職員の気持ちとしても、こ の南線を広島自営の顔にしたい、経営的にも1980(S55)年度に収支係数を100に したいと、皆一生懸命やっている。 ◇広告収入の増収対策は「なりふり構わず」をモットーとしている。現在1両で 最高46枚の広告を出しているが、内容は車内8枚、車内に貼るステッカー29枚、 外側に9枚。「そこまでやっては」という気持ちが(所長にも職員にも)あっ たが、実際やってみて、あまりみじめでもなければ恥ずかしいものでもないと いう気持ちである。 ・1979(S54)年3月に向原町〜向原農協前が休止された。同年8月20日に高陽車庫 〜近隣センター前(2.7km)が開業した。 ・広島県住宅供給公社の高陽団地造成が逐次完成し、1975(S50)年8月に広島交通 はB団地へ、1976(S51)年4月に国鉄はA1団地へ乗入れを開始した。1979(S54) 年8月には運行路線の持ち替えを行い、国鉄と広島交通はそれぞれ33往復でA1、 A2住区の輸送を、広島バスはB住区の輸送を行うこととなった。1980(S55)年10 月現在、各社の総運行回数は、国鉄87往復、広島交通120往復、広島バス35.5往 復と、中国地自前掲書には述べられていた。 ・1983(S58)年3月末限りで向原町〜向原駅前の廃止が公示された。 ・1985(S60)年当時、線内の真亀(近隣センター前)、広島新幹線口及び広島セン ターに自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、広島自動車営 業所(広島新幹線口)及び同高陽派出所(高陽車庫)が置かれていた。 ・広島自営「国鉄バス雲芸南線時刻表」(1985(S60)年3月14日改正)によると、 雲芸南線には次の系統が設定されていた。 広島・センター〜井原市町 下り5本(うち団地入らず2本)・上り4本(う ち団地入らず3本) 広島・センター〜志和口駅前 下り1本(団地入らず)・上り1本 広島・センター〜白木山口 下り10本(うち団地入らず4本)・上り11本(う ち団地入らず6本、日祝運休1本) 広島・センター〜安芸中深川 下り15本(うち団地入らず7本、日祝運休3本、 日祝運転1本)・上り15本(うち団地入らず9本、日祝運休4本、日祝運転 1本) 広島・センター〜高陽車庫(団地入らず) 下り8本(うち日祝運休3本)・ 上り8本(うち日祝運休3本) 広島・センター〜近隣センター前〜地区センター〜高陽車庫 下り79本(うち 日祝運休12本、日祝運転2本)・上り67本(うち日祝運休8本、日祝運転1 本) 翠光台〜近隣センター前〜地区センター〜高陽車庫 下り1本(日祝運休) 高陽車庫〜井原市町 下り2本・上り1本 この時刻表には、真亀駅(A1近隣商店街内)及び真亀駅第2切符売場(地区セン ター駅)の広告が掲載されている。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、高陽車庫〜養護学校前 〜玖村駅前〜近隣センター前、諸木〜地区センター、岩の上〜翠光台、矢口〜 矢口が丘、饒津〜広島新幹線口の各区間が認知された。 ・国鉄末期の1987(S62)年2月15日に近隣センター前〜岩の上の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、雲芸南線は中国JRバスに継承された。 ・民営化以降1992(H4)年までに研創入口〜研創前が開業した。 ・1996(H8)年6月に深川台への乗り入れを開始(高陽中学校前〜深川台開業)する とともに、同年7月1日に高陽台団地への乗り入れを開始した(岩の上〜高陽台 開業)。 ・1997(H9)年10月31日、矢口バイパス経由の急行便を運行開始し、これに伴って、 矢口〜下小田の直行経路が開業した。 ・1999(H11)年4月20日に岩の上〜翠光台が休止された。 ・2003(H15)年3月末限りで研創入口〜上井原が廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、雲芸南線は、広島センター・広島〜高陽団地・研創前及び その他の枝線が中国JRバスによって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、雲芸南線には接続駅(三次及び 広島)の他、真亀に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ※補足 高陽団地内の路線名称上の区間(1987(S62).02.15)と経路について ・雲芸南線に係る国鉄時代最後の路線名称(1987(S62)年2月15日改正)と路線図を 基に、停留所間キロ程から各区間の経由停留所を整理すると、次の通りであった と解される。 1「三次・広島間」 三次〜上深川駅前〜安芸庄原〜安芸中深川〜高陽中学校前〜諸木峠〜諸木〜岩の上 〜広島 2「高陽車庫−近隣センター前−諸木間」 高陽車庫〜奥田橋〜地区センター〜西山公園前〜下深川駅前〜下庄〜堂願橋〜近隣 センター前(真亀)〜落合中学校前〜寺迫公園前〜寺迫公園〜柳ヶ迫〜北山橋〜諸 木〜岩の上 3「高陽車庫−養護学校前−地区センター−玖村駅前−近隣センター前間」 高陽車庫〜高陽車庫上〜倉掛センター前〜倉掛小学校前〜防災センター入口〜養護 学校前〜浄水場入口〜高陽東高校前〜諸木陸橋〜北山橋〜柳ヶ迫〜地区センター〜 郵便局前〜寺迫公園〜グランド下〜落合東小学校前〜中山公園前〜県営17号館前〜 新玖村橋〜玖村駅前〜近隣センター前(〜近隣センター前(真亀)) ・この当時の路線略図は次の通りである。なお、この略図では、●は乗降場を、▲は 指定停留所を表している。 新玖村橋●−−○−・ / 玖村駅前\近隣センター前 / ○ 県営17号館前● ・−○−−+−●堂願橋 /落合中 /近隣センター \ 中山公園前○ 学校前● 前(真亀) ●下庄 | | / 落合東 ● | ○下深川駅前 小学校前| 寺迫 | / | 公園前● 郵便 ●西山公園前 | | 局前 / グランド下●−−●−+−●−−+ 寺迫公園/ / ● / / ○地区センター ・−+−−−+ 安 上 柳ヶ迫● | 中 高 憩 芸 安 深 | 諸 | 深 学陽 の 中 芸 上 川 北山橋▼ 木 | 川 校中 森 隠 深 庄 庄 駅 | 峠 | 口 前 口 地 川 原 原 前 広島<−○−○+−●−|−+−●−○+−●−●−○−○−●−○−+−>上井原 岩 諸| 奥田● | | | の 木| 橋 | ○高陽 ●第三公園前 ○研創入口 上 ●諸木 ・−+車庫 | | |陸橋 高陽| ●深川台中 ○ 光掛中● 車庫● | 研創前 | 上 | ○深川台 | | 高陽東高校前● ●倉掛センター前 | | 浄水場入口● ●倉掛小学校前 \ / 養護学校前○−●防災センター入口
2017 年 01 月 02 日 10:07:12 (15243) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【804】大田線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇大田線 1 大田市−赤名 1.2 路線略図 ◎大田市 | ○大田栄町 出雲市・松江 /|\ Λ ・ ○ \ 湯抱温泉口 | |国立 ○−−−○−−◎−−◎−−−−○赤名 |病院 忍原町 粕淵 浜原 | V V 石見川本 三次・広島 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・大田線1 大田栄町〜粕淵〜浜原 2.2 掲載 ・16日目 6/16(日) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p97〜97 2.3 行程 ○大田栄町1418→1505浜原 大田線 大田市発 赤名行 334-0017(三菱K-MK116H) 2.4 エピソード ・湯抱温泉口で当時客が降りると、宿の名を聞いた運転士は「そこの石段を上が ってください」と丁寧に案内。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・大田線は、1935(S10)年9月28日に石見大田(→大田市)〜赤名が開業したのが ルーツで、雲芸線と連なり陰陽連絡の使命を有していた他、沿線地方の産業文化 の発展助長を使命としていた。 ・戦後は、1954(S29)年10月21日に粕淵〜志学温泉が開業した。 ・1957(S32)年2月15日に君谷別府〜櫨谷が開業した。同年6月20日に志学北線( 石見川合〜志学温泉)が開業した。 ・1957(S32)年7月、三瓶温泉(大田線)を国鉄自動車の力で売り出そうと計画し、 国鉄三瓶高原山の家を開設し、三瓶線石見川合〜三瓶温泉を開業して2往復の 運行を行い、また、山陽からは三次からの直通便、山陰からは石見大田からの 直通便で旅客誘致に努めた。(中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年 史」による。) ・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、三次〜石見大田(75.0km、所要 3時間27分)1往復、三次〜志学温泉(53.0km、所要3時間4分)2往復がそれ ぞれ設定されていた。 ・中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」によると、大田線には次の ような特急、急行便が運行されていた。 ◇1964(S39)年9月16日 石見大田〜広島間直通特急便運行開始。 ◇1969(S44)年3月1日 直通特急便を廃止し、石見大田〜三次間急行便運行 開始。 ◇1972(S47)年3月15日 石見大田〜三次間急行便を廃止し、石見大田〜三次 間(三瓶経由)特急便運行開始。 ・1984(S59)年3月1日に三瓶線石見川合〜国民宿舎前が廃止された。 ・1985(S60)年4月1日に三瓶線三瓶山口〜国民宿舎前が廃止された。同年6月 1日に赤名千束〜畑田下が廃止された。 ・1985(S60)年当時、線内の赤名に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の 拠点として、出雲自動車営業所大田派出所(大田市)及び同赤名派出所(赤名) が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、大田線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 大田市〜赤名 6往復 大田市〜粕淵 3往復 大田市〜忍原町 3往復 3.2 旅から30年 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、大田線は中国JRバスに継承された。 ・1990(H2)年6月1日から大田国立病院への乗り入れを開始した。 ・2003(H15)年3月末限りで大田栄町〜赤名が廃止された。この時、大田市〜大田 栄町は広島〜大田市(石見川本経由)の高速バスが残ったため存続した。 ・2005(H17)年6月末限りに広島〜大田市の高速バスが廃止されたことに伴って、 大田市〜大田栄町も廃止された。 3.3 旅の考察 ・大田市〜大田神田橋は上下便で経路が分かれていたが、路線名称や自動車線普通 旅客運賃表では別区間とは扱われていなかった。 ◎大田市 /↑ ・→+→●北八幡宮前 ↑ ↓(下り) 北八幡宮前● ↓ (上り)↑ ↓ 大正東町○ ○大正東町 (上り)+←+(下り) 大田神田橋○ | V 大田栄町 キロ程は、下りが大田市0.5北八幡宮前0.2大正東町0.3大田神田橋、上りが大田 神田橋0.3大正東町0.3北八幡宮前0.9大田市、である。自動車線普通旅客運賃表 は下り経路のキロ程を載せている。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、大田線には接続駅(大田市、 粕淵及び浜原)の他、石見川合、君谷別府及び九日市に第二種委託駅が、赤名 に第一種委託駅が置かれていた。
2017 年 01 月 02 日 10:06:03 (15242) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【803】雲芸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇雲芸線 雲芸本線 1 出雲市−三次 2 出雲市−上成橋(南回り) 3 恩谷−波多 (4 潜岩−真木越−呑谷) ※S60.6.1削除 高窪線 1 古城−水越前 里熊線 1 三刀屋−木次 松江線 1 里熊橋−松江 中野線 1 三刀屋上町−六重 須佐線 1 増砂−八幡原 2 朝原口−三槙 3 反辺−上組 4 高西−吉野 吉田線 1 掛合−吉田学校前 2 吉田町−民谷 1.2 路線略図 来待 玉造 駅前 温泉 松江 ・−○−−○−−◎ | 加茂柳橋○ 大津小 | 体育館前 学校前 里熊橋○−−◎木次 ・−○−+−−○−−−・ | | | | ○下熊谷 出雲市◎−−−○−−−○−−○神立橋 / \ 上成橋 鐘紡前 \ / 古城\ ・−○−−○−−−○−+ 上津 峰寺 / | 馬場 / ○三刀屋 出雲 水越前○−−○−−−○ 三刀屋| 中野 出雲 石峠 上町 ○−−○−−○−−○−○六重 高窪 / 栗谷 飯石 / ○三槙 鍋山○ 反返 : | 八幡原○……○……○ 上乙多田○ : 朝原: |\ 高西○ 口 : 下多根○−○多根 :: : | : : ○−−○−−−○増砂 吉野○ ○上組 菅原 松笠 | | 名古田 吉田町 掛合○+−−−○−−+○−−○吉田学校前 | | 下刀根 | ・−−○−−○民谷 波多○−−○−−○恩谷 梅ヶ峠 | 頓原○ | 来島○ | 潜岩○−−○堂ヶ坂 | | 大田市<−−−+ ○真木 赤名○ | | | 呑谷○−−○真木越 | 横谷○ | 布野○ | 下布野○ | 日山橋○ 三次小 \ 学校前 大歳町○−○−○巴橋東詰 | ◎三次 ※菅原〜八幡原、朝原口〜三槙、反返〜吉野、高西〜上組は1985(S60)年 4月1日から休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・雲芸本線1 三次〜呑谷 ・雲芸本線4 呑谷〜真木越〜真木〜潜岩 ・雲芸本線1 潜岩〜掛合〜三刀屋 ・里熊線1 三刀屋〜里熊橋 ・松江線1 里熊橋〜松江 2.2 掲載 ・17日目 6/16(月) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p99〜101 ・連載誌 宍道湖畔を快走、遅れて出発した松江ゆき(三次駅)、三刀屋駅 2.3 行程 ○三次652→946松江 雲芸本線1+里熊線1+松江線1 三次発 松江発 534-6925(三菱B805L) 欠落 雲芸本線4 呑谷〜真木越〜真木〜潜岩 路線廃止 2.4 エピソード ・呑谷〜真木越〜潜岩の迂回線を大回りするはずだったが、5月24日の乗車券購 入7日後の31日限りで廃止となった。出発日の前日限りで消えることを自動車 局情報で知ったのは旅立ちの直前。 ・2人しかお客のなかった松江行きは、布野村で通勤通学客が少し乗り降りした。 潜岩を後に掛合付近で乗降が多くなる。三次から2時間、旧道の細長い集落に 入ると三刀屋で3分停車。スイッチバック式の狭い車庫兼駅に入り、運転士が 交替。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・雲芸線は、鉄道の芸備線・木次線の開業が遅く、芸備線は備後庄原までの開通 で陰陽連絡の使命を果たしていなかったため、鉄道の先行として1934(S9)年8 月15日に出雲今市(→出雲市)〜備後十日市(→三次)及び三刀屋〜木次(里 熊線)が開業したのがルーツで、翌1935(S10)年12月25日には木次〜木次町が 延長された。 ・この路線は、陰陽連絡の使命を有していた他、沿線地方の産業文化の発展助長 の使命を有していた。 ・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(III)戦時期2−」(『東京経大 学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営 自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、里熊線木次〜木次町が 1941(S16)年8月10日から旅客運行が休止された。 ・戦後の1950(S25)年6月から、出雲今市〜備後十日市で夜行便(「銀嶺号」、 「わかたか号」)を運行した。この夜行便は、国鉄が出雲市〜三次、広島電鉄 が三次〜広島と三次接続の2社で共同輸送を行ったところ、広島〜松江直通客 に大変好評で盛況であったが、その後一畑電鉄の夜行便運行、引き続き列車「 ちどり号」の夜行運行によって利用客は激減し、国鉄自動車は1954(S29)年8 月に運行廃止した。(中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」によ る。) ・「日本国有鉄道編集時刻表」1950(S25)年12月号(10/1改正)によると、雲芸線 の急行便は次の2往復が設定されていたことを確認できる。 (下り) 出雲今市1300→赤名1605→1720備後十日市 出雲今市2230→赤名0225→0350備後十日市 (上り) 備後十日市0020→赤名0200→0530出雲今市 備後十日市1440→赤名1605→1900出雲今市 ・1950(S25)年8月15日に平岩〜吉田町が開業し、1952(S27)年3月16日に松江線 (里熊橋〜松江)、須佐線(増砂〜朝原口〜東須佐〜反返〜出雲須佐駅前)及 び都賀線(都賀行〜畑田下〜赤名)が開業した。 ・1953(S28)年2月1日には栗谷〜飯石〜出雲中野が、同年5月5日には恩谷〜 波多〜上組〜西須佐〜反返が、同年11月24日には志学線(志々別〜志々学校前 〜志津見〜出雲角井)がそれぞれ開業した。 ・1954(S29)年12月5日、志学線の出雲角井〜三瓶東口〜志学下町が開業した。 1955(S30)年11月25日には吉田町〜芦谷〜上阿井町が開業し、1956(S31)年4月 8日には須佐線朝原口〜朝原及び波多線西須佐〜藤谷が開業した。さらに、19 58(S33)年9月25日には三刀屋〜出雲高窪が開業した。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年12月号(10/1訂補)によると、雲芸線か らの広島直通便として次の2往復が設定されていたのを確認できる。 (下り) 掛合0620→赤名0750→三次0925→1250紙屋町 出雲今市1100→掛合1249→赤名1420→三次1608→1933紙屋町 (上り) 紙屋町0845→三次1233→赤名1405→掛合1535→1718出雲今市 紙屋町1152→三次1550→赤名1721→掛合1852→2036出雲今市 ・1957(S32)年7月、三瓶温泉(大田線)を国鉄自動車の力で売り出そうと計画し、 国鉄三瓶高原山の家を開設し、三瓶線石見川合〜三瓶温泉を開業して2往復の 運行を行い、また、山陽からは三次からの直通便、山陰からは石見大田からの 直通便で旅客誘致に努めた。(中国地自前掲書による。) ・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、雲芸線の特長として、本路線は本線、 支線を合わせると実に367kmに及ぶ長大路線であると述べられていた。 ・1959(S34)年10月20日に出雲中野〜六重〜湯舟谷が開業し、1960(S35)年4月3日 に須佐線朝原〜三槙及び波多線藤谷〜吉野が延長された。同年11月には仁多線吉 田町〜梅ヶ峠〜民谷が開業した。1961(S36)年3月10日には尾関公園〜三次小学 校前〜十日市本町が開業し、1962(S37)年12月5日に潜岩〜真木が開業した。 ・「交通年鑑1962年版」には、昭和36年12月1日現在運行中の長距離路線(100km 以上)として、次の運行系統が載っていた。 出雲〜三次 106km ・収支改善の立場から、雲芸線三次〜出雲市、広浜線広島〜浜田において、1962(S 37)年8月、当時としては画期的なマイクロバスによる特急ワンマンカーの運行 を開始した。車両は20人乗りで、中ドアから旅客は乗降し、車内案内は運転士が 携行しているカセットの操作で行った。この特急便の輸送規模は次の通りであっ た。この運行便の愛称は広く一般から募集し、雲芸線「しらさぎ」、広浜線「ふ たば」と名付けられた。(中国地自前掲書による。) 雲芸線 3行路 仕業車2両 運用車4両 走行キロ423.0km 広浜線 3行路 仕業車2両 運用車3両 走行キロ491.6km このワンマン特急便は、長距離運行としての車両性能等に問題があり、1964(S39) 年9月から大型車に取り替えられた。(以上中国地自前掲書による。) ・「交通年鑑1963年版」には、マイクロバスによる座席定員制急行便を設定し、 長距離直通客の利便とともに経営の合理化を図る計画で、予土南北線松山〜 高知間、広浜線広島〜浜田間、雲芸線出雲〜三次間の3路線で実施し、京鶴 ・若江線京都〜小浜間、熊野線紀伊田辺〜川湯間の2路線を計画中であると 述べられていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、雲芸線 の出雲市・松江〜三次には次の5往復半が設定されていたのを確認できる。 (下り) 出雲市0705→赤名1035→1157三次 出雲市0805→赤名1042→1146三次 特急便(座席指定) 松江0953→赤名1335→1457三次 出雲市1235→赤名1600→1722三次 出雲市1500→赤名1735→1839三次 特急便(座席指定) 出雲市1515→赤名1848→2010三次 (上り) 三次0535→赤名0721→1031出雲市 三次0815→赤名0946→1322松江 三次0950→赤名1056→1329出雲市 特急便(座席指定) 三次1229→赤名1355→1705出雲市 三次1448→赤名1554→1827出雲市 特急便(座席指定) ・広島〜三次の雲芸南線(合同自動車(株)を買収)の運行開始後、広島〜出雲市の 直通運行のためには、路線内に芸備線の踏切11箇所や幅員の狭隘な箇所があった ため、道路改修をまってようやく1964(S39)年9月から広島〜出雲市及び広島〜 石見大田に直通特急便の運行が開始された。(中国地自前掲書による。) ・1964(S39)年4月25日に須佐線出雲須佐駅前〜八幡原が延長された。同年12月10日 には晴雲隧道口〜花栗口〜頓原が開業した。1967(S42)年7月18日には真木〜真木 越〜板屋橋、高窪線出雲高窪〜水越前がそれぞれ開業した。1969(S44)年2月1日 には三刀屋〜下津原が開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、雲芸線 の出雲市・松江〜三次には次の4往復半が設定されていたのを確認できる。 (下り) 出雲市0815→赤名1036→1138三次 出雲市1000→赤名1205→1303三次 松江1020→赤名1325→1436三次 出雲市1422→赤名1640→1742三次 出雲市1520→赤名1827→1938三次 (上り) 三次0615→赤名0722→0943出雲市 三次0945→赤名1048→1334松江 三次1400→赤名1502→1703出雲市 三次1507→赤名1617→1839出雲市 ・中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」によると、雲芸線には次の ような特急、急行便が運行されていた。 ◇1964(S39)年9月16日 出雲市〜広島間直通特急便運行開始。 ◇1969(S44)年3月1日 直通特急便を廃止し、出雲市〜三次間急行便運行開始。 ◇1972(S47)年3月15日 出雲市〜三次間特急便運行開始。 ・1972(S47)年11月25日に栗谷〜下津原が、1973(S48)年3月10日に波多〜穴見口、 1974(S49)年6月末限りで大歳町〜巴橋(北回り)がそれぞれ廃止された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、雲芸線 の出雲市・松江〜三次系統には次の6往復が設定されていたのを確認できる。 (下り) 出雲市0616→赤名0755→0836三次 特急・急行便 出雲市0908→赤名1125→1225三次 出雲市1155→赤名1343→1427三次 特急・急行便 松江1235→赤名1506→1606三次 出雲市1434→赤名1625→1709三次 特急・急行便 出雲市1601→赤名1827→1922三次 (上り) 三次0623→赤名0710→0901出雲市 特急・急行便 三次0948→赤名1034→1220出雲市 特急・急行便 三次1137→赤名1240→1504松江 三次1407→赤名1453→1609出雲市 特急・急行便 三次1641→赤名1746→2002出雲市 三次1830→赤名1913→2050出雲市 特急・急行便 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、雲芸線 の出雲市・松江〜三次系統には次の6往復が設定されていたのを確認できる。 (下り) 出雲市0610→赤名0749→0834三次 特急便(広島行き急行たいしゃく1号に連絡) 出雲市0910→赤名1117→1217三次 快速便 出雲市1151→赤名1339→1427三次 急行便 松江1235→赤名1506→1606三次 出雲市1425→赤名1615→1703三次 急行便 出雲市1600→赤名1826→1921三次 (上り) 三次0620→赤名0710→0901出雲市 急行便 三次0948→赤名1038→1224出雲市 急行便 三次1145→赤名1248→1512松江 三次1407→赤名1457→1643出雲市 急行便 三次1515→赤名1618→1840出雲市 三次1830→赤名1917→2054出雲市 特急便(広島発急行たいしゃく4号から連絡) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(8/12現在)によると、雲芸線 の出雲市・松江〜三次系統には次の6往復が設定されていたのを確認できる。 (下り) 出雲市0610→赤名0749→0834三次 特急便(広島行き急行たいしゃく1号に連絡) 出雲市0910→赤名1117→1217三次 快速便 出雲市1151→赤名1339→1427三次 急行便 松江1235→赤名1506→1606三次 出雲市1425→赤名1615→1703三次 急行便 出雲市1600→赤名1826→1921三次 (上り) 三次0620→赤名0710→0901出雲市 急行便 三次0948→赤名1038→1224出雲市 急行便 三次1145→赤名1248→1512松江 三次1407→赤名1457→1643出雲市 急行便 三次1515→赤名1618→1840出雲市 三次1841→赤名1928→2105出雲市 特急便(広島発急行たいしゃく4号から連絡) ・1982(S57)年11月15日に三瓶東線(下刀根〜志学下町)が廃止された。1983(S58)年 3月末には、中野線六重〜湯舟谷、須佐線上組〜大川西平、吉田線吉田学校前〜上 阿井町の各区間が廃止された。翌1984(S59)年3月1日には里熊線の木次〜木次町 が廃止された。 ・1985(S60)年3月末限りで晴雲隧道口〜頓原が、同年5月末限りで潜岩〜真木越〜 呑谷が廃止された。 ・「国鉄バス雲芸線時刻表」1985(S60)年4月20日一部改正によると、当時、雲芸線 には次の系統が設定されていた。 (雲芸本線) 出雲市〜三次 特急・急行便として次の2往復、普通便下り1本・上り3本 (下り) 出雲市0610→赤名0743→0826三次 特急便(0847発広島行き急行に連絡) 出雲市1151→赤名1330→1417三次 急行便(1433発広島行き急行に連絡) (上り) 三次1410→赤名1458→1637出雲市 急行便(1400着広島発急行から連絡) 三次1845→赤名1929→2101出雲市 特急便(1840着広島発急行から連絡) 松江〜三次 下り2本・上り1本(所要2時間54分) 三刀屋〜三次 下り1本(所要2時間) 赤名〜三次 3往復(所要50分) 便坂〜三次 2往復(うち日祝日運休1往復)(所要26分) 出雲市〜三刀屋 5往復(所要41分) 出雲市〜掛合 下り2本・上り3本(所要1時間6分) 出雲市〜赤名 1往復(上り便は三刀屋〜出雲市間急行)(所要1時間49分) 三刀屋〜掛合 上り1本(所要24分) (吉田線) 出雲市〜吉田学校前 下り3本・上り1本(所要1時間24分) 松江〜吉田学校前 上り1本(所要1時間34分) 掛合〜吉田学校前 上り1本(所要15分) 三刀屋〜民谷 1往復(所要1時間14分) 掛合〜民谷 1往復(所要49分) 掛合〜波多 1往復(所要25分) (松江線) 松江〜三次 下り2本・上り1本(所要2時間54分)(再掲) 松江〜三刀屋 上り1本(所要53分) (中野線) 三刀屋〜六重 下り4本(うち日祝日運休2本)・上り6本(うち日祝日運休 2本)(所要25分) 木次〜六重 下り2本(所要36分) (里熊線) 木次〜三刀屋 下り6本・上り7本(所要10分) 木次〜出雲市 下り1本・上り2本(所要55分) 木次〜掛合 下り1本(所要35分) (高窪線) 木次〜水越前 上り1本(所要41分) 三刀屋〜水越前 下り3本・上り2本(所要20分) (須佐線) 掛合〜菅原 3往復(所要20分) ・1985(S60)年当時、線内の三刀屋、掛合、赤名に自動車駅が存在した。また、国鉄 バス運行の拠点として、出雲自動車営業所(出雲市)、同三刀屋支所(三刀屋)、 同赤名派出所(赤来町内)及び同三次派出所(三次市内)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月31日、須佐線の菅原〜八幡原、朝原口〜三槙、反返〜上組、高西 〜吉野の各区間の廃止が公示された。 ・1986(S61)年5月22日から、出雲市〜広島新幹線口の特急便「高速バス350」が 運行開始され(1往復)、これに伴って中国自動車道経由の三次〜広島北インター が開業した。この特急便のダイヤは次の通りであった。 (下り) 出雲市0700→赤名0823→0902三次0907→可部上市1004→1048広島 (上り) 広島1445→可部上市1534→1631三次1636→赤名1715→1838出雲市 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、上成橋〜神立橋(9号線) 及び峰寺馬場〜サンラインが認知された。 ・国鉄最後の日の1987(S62)年3月末限りで、恩谷〜波多、吉田線吉田町〜民谷の廃 止が公示された(なお、この廃止公示が国鉄公示の最終号であった)。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、雲芸線は中国JRバスに継承された。 ・1990(H2)年3月から特急便「みこと号」(広島新幹線口〜出雲市)の広島センター 〜広島北インターを横川〜可部駅前経由から祇園新道〜広島IC〜広島道経由に経路 変更した。 ・1990(H2)年12月1日から上津地区への乗入れを開始した(上乗寺前〜上津公民館前 〜森坂が開業した模様)。 ・1991(H3)年5月から、出雲市〜広島新幹線口の特急便を準高速線「みこと」号と して運行を開始した。一畑電鉄との共同運行で4往復、うちJR便は次の2往復 であった。 (下り) 出雲市0700→赤名0833→三次0906→1030広島 出雲市1030→赤名1203→三次1236→1400広島 (上り) 広島1445→三次1613→赤名1657→1819出雲市 広島1845→三次2013→赤名2057→2219出雲市 ・1992(H4)年3月末限りで、高窪線(古城〜水越前)及び須佐線(増砂〜菅原)が 廃止された。 ・1994(H6)年7月から、出雲市〜広島新幹線口の高速バス「みこと」号にノンスト ップ便を運行開始した。 ・1994(H6)年9月末限りで、吉田線(掛合〜吉田学校前)が廃止された。 ・「JRバス時刻表雲芸線」1997(H9)年3月22日改正によると、雲芸線には次の系 統が設定されていた。 (高速バス「みこと」)一畑電鉄と共同運行で8往復、うちJR便は次の4往復 (下り) 出雲市0700→赤名0833→三次0906→1030広島 出雲市0830→→→→→→→→→→→1140広島 ノンストップ 出雲市1000→赤名1133→三次1206→1430広島 出雲市1130→→→→→→→→→→→1440広島 ノンストップ (上り) 広島1415→三次1543→赤名1627→1749出雲市 広島1525→→→→→→→→→→→1840出雲市 ノンストップ 広島1655→三次1823→赤名1907→2029出雲市 広島1845→→→→→→→→→→→2200出雲市 ノンストップ (雲芸本線) 出雲市〜三次 下り2本・上り3本 出雲市〜赤名 1往復 出雲市〜掛合 下り4本(うち日祝運休2本)・上り6本(うち日祝運休3本) 出雲市〜三刀屋 下り5本(うち日祝運休1本)・上り2本(うち日祝運行1本) 出雲市〜木次 上り2本(うち日祝運休1本) 三刀屋〜木次 上り1本(日祝運休) 松江〜赤名 1往復 松江〜掛合 1往復 (里熊線) 木次〜六重 1往復(日祝運休) 木次〜三刀屋 下り4本(うち日祝運休1本、日祝運行2本)・上り4本(うち 日祝運休1本) (中野線) 木次〜六重 1往復(日祝運休) 三刀屋〜六重 3往復(日祝運休) ・1999(H11)年8月末限りで、松江線(里熊橋〜松江)及び萱野口〜下多根〜多根が 廃止された。 ・2000(H12)年3月末限りで、三刀屋〜木次及び三刀屋上町〜六重が廃止された。 ・2003(H15)年3月末限りで出雲市〜赤名〜三次のローカル便が廃止され、これに伴 って、出雲市〜上成橋(南回り)、上成橋〜神立橋(旧道経由)、上乗寺前〜上ケ 入口〜森坂、日山橋〜巴橋東詰〜三次の各区間が廃止された。 ・ローカル便廃止直前の「JRバス雲芸線時刻表」2001(H13)年7月20日改正によると、 雲芸線のローカル便には次の系統が設定されていた。 出雲市〜赤名 (平日、1,3,5土曜ダイヤ)1往復 出雲市〜掛合 (平日、1,3,5土曜ダイヤ)下り3本・上り2本 (日祝、2,4土曜ダイヤ) 2往復 出雲市〜三刀屋(平日、1,3,5土曜ダイヤ)上り1本 三刀屋〜掛合 (平日、1,3,5土曜ダイヤ)上り1本 赤名〜三次 (平日、1,3,5土曜ダイヤ)4往復 (日祝、2,4土曜ダイヤ) 2往復 ・2013(H25)年4月から広島新幹線口〜出雲市の高速バス「みこと号」を三次IC〜下 熊谷バスセンターで中国横断道尾道松江線経由に変更した。これに伴って、三次 〜布野〜赤名〜掛合経由の国道54号線ルートが廃止され、三次インター(新設停 留所)〜道の駅たかの〜たたらば壱番地〜下熊谷バスセンターが開業した。 ・2015(H27)年6月現在、雲芸線には高速バス「みこと号」が中国JRバスによって 運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、当時雲芸線には接続駅(出雲市、 三次、木次及び松江)の他、三刀屋、掛合及び赤名に第一種委託駅(自動車駅)が、 頓原、来島、布野、東須佐及び吉田町に第二種委託駅(自動車駅)がそれぞれ置か れていた。
2017 年 01 月 02 日 10:04:38 (15241) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【802】両備線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇両備線 両備本線 1 岡山−玉島バスセンター 2 学園口−清心学園前 3 松島西ノ口−中庄 茶屋町線 1 倉敷−茶屋町 矢掛線 1 倉敷−矢掛 1.2 路線略図 清音 岡山 矢掛○−−−+−◎ バラ園西口 ◎+−・ | 清心学園前・=☆ | |岡山 | 松島 ○ ‖ ‖ 庭瀬 | ○天満 玉島バス | 西ノ口 | ‖ ‖ 本町 | |屋前 センター○………◎−−○−−○−−○−○−−○−−−○−・ 倉敷|中庄| 学園 備中 下撫 | 岡山大供 | ・◎ 口 庄 川 | | ‖ 流通 | |南‖ 会館前 | |鳥☆=☆==☆==☆=+=○流通セン |羽‖イトー コンベ ‖ |ター北口 帯江○=・ピア団 ックス ○−・ | 地入口 岡山前 塚山公園前 | | 茶屋町◎ ※倉敷〜玉島バスセンターは1979(S54).2.15から休止中 ※岡山〜岡山大供、庭瀬本町〜塚山公園前は、路線名称に無い 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・茶屋町線1 茶屋町〜倉敷 ・矢掛線1 倉敷〜清音 2.2 掲載 ・18日目 6/18(火) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p104〜104 ・連載誌のみ 茶屋町駅に停まる倉敷行きバスの写真 2.3 行程 ○茶屋町1303→1325倉敷 茶屋町線 茶屋町発 倉敷行 534-7405(三菱B800L) ○倉敷1333→1353清音 矢掛線 倉敷発 矢掛行 644-4911(三菱B905N) 2.4 エピソード ・小雨模様の茶屋町からバスで倉敷を目指すと、買い物客の主婦中心に乗り降り が盛んで本数も多い都市型路線。 ・モダンな倉敷駅前の大バスターミナルで矢掛線に乗り継ぐ。各社路線バス発車 前の放送が行われ、乗車便も「清音駅経由備中矢掛行き」と、きちんと紹介さ れた。 ・山陽本線のガード下をくぐり山側へ出て、伯備線の複線踏切を渡ると道が次第 に狭くなる。高梁川左岸の堤防へ上がればさわやかな眺めで、山陽新幹線の鉄 橋下を抜け北上。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・両備線は、1933(S8)年3月30日に倉敷線倉敷〜茶屋町が開業したのがルーツで、 1937(S12)年3月28日に岡山〜倉敷が開業した。この路線は、山陽本線と宇野線 の短絡及び鉄道の補助的使命を有した他、都市交通の使命をも有していた。 ・1941(S16)年6月7日に矢掛線(倉敷〜矢掛)が開業した。 ・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(III)戦時期2−」(『東京経大 学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営 自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、両備本線倉敷〜岡山が 1944(S19)年4月20日から旅客運行が休止された。 ・1944(S19)年11月10日に岡山〜岡南の臨時営業が開始された(1945(S20)年11月 2日廃止)。 ・両備線では、1949(S24)年3月に快速便を設定し、さらに1952(S27)年1月に 急行便に変更した。 ・1952(S27)年1月8日、国鉄と両備バス(株)との運輸協定(相互乗り入れ)が 認可された。また、この区間には共通乗車制度が適用された。 ◇協定区間 起点 岡山県浅口郡金光町占見新田335の2(国鉄金光駅) 終点 岡山市上石井310(国鉄岡山駅) 延長 36.5km ◇協定内容 直通運転回数はそれぞれ10往復以内とし両者が別途協議して決める。 (両備バスの両備本線乗り入れの運転回数は当分の間6往復とする。 国鉄の金光線乗り入れに伴い、両備バスの同線運転回数は当分の間、 倉敷〜玉島町間6往復、玉島町〜金光間3往復とする。 国鉄の金光線運転回数は当分の間、倉敷〜玉島間は概ね10往復、玉 島〜金光間は3往復とする。) 協定区間内の現存停留所は各々が之の使用を認める。 協定区間の乗車券は当該区間相互発着の普通及び回数券利用旅客に限 り相互有効とし、着札計算により毎月分を翌月8日までに精算する。 ・このような経緯を経て、1952(S27)年1月21日に倉敷〜金光が開業した。 ・1956(S31)年4月1日に矢掛線二万口〜上二万が開業した。 ・1958(S33)年3月22日に倉敷線茶屋町〜宇野が開業した。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)には、両備線の特長として、玉島〜倉敷 〜岡山及び倉敷〜茶屋町を結ぶ都市交通で交通量が多く、岡山〜倉敷は1日の 運転回数70往復、そのうち快速便14往復を運転しているとあった。 ・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、岡山〜倉敷の系統が1日49.5回、 岡山〜金光の系統が同じく8.5回、岡山〜玉島港町の系統が同じく6回運行され ており、この当時、既に都市型の高頻度運行がなされていた。また、同書の1964 (S39)年版によると、それぞれ1日当たり61.5回、7.5回、5.5回の運行となって いた。この他、倉敷〜茶屋町の系統は同じく48回運行されていた。 ・「交通年鑑1964年版」には、道路の改修と自動車の優等化により中長距離客が 増えており、現在国鉄自動車が運行している中長距離路線の他、主として次の 区間で、中長距離系統の新設、急行便の増発、新型車の増備、駅設備の改善を 図り、サービス向上に努めたと述べられている。 札幌〜小樽 37km 札幌〜美唄 63km 福島〜川俣 23km 西那須野〜鬼怒川 37km 土浦〜江戸崎 22km 瀬戸〜名古屋 26km 矢掛〜岡山 42km 山口〜博多 171km ・1964(S39)年8月12日に倉敷〜酒津口(東回り)が開業した。 ・1966(S41)年6月25日に松島北ノ口〜清心学園前、松島北ノ口〜中庄が開業した。 ・昭和30年代後半から中国地方自動車局では岡山〜九州間を国道2号線で一貫し て結ぶ長大路線構想に向けて民営各社との調整が進行していた。両備線でも、 1968(S43)年7月20日に唐船〜福山を延伸し、岡山〜福山に4往復の特急便を 運行した(両備バス、井笠鉄道も同回数を運行)。同年10月1日から両備線 岡山〜福山は「瀬戸内東線」と改称された。 ・関口国二(1968年)「幹線道路に進出する国鉄自動車−最近開業した路線につ いて−」(「国鉄線」1968(S43)年11月号所収)によると、岡山〜福山間特急便 の運行時刻は岡山発0830・1130・1430・1730(福山発も同時刻)、停留所13か 所、所要時間2時間であった。 ・交通渋滞による定時性の喪失、山陽本線の整備等の影響から都市間旅客の減少 のため、1971(S46)年6月22日に唐船〜福山が休止された。 ・1972(S47)年11月25日に茶屋町〜宇野、二万口〜上二万が廃止された。 ・1975(S50)年3月10日の新幹線博多開業に伴うダイヤ改正から瀬戸内東線は両備 線と改称され、1976(S51)年9月1日に玉島専売公社前〜金光、1979(S54)年2月 25日に倉敷〜玉島バスセンターが休止された。 ・1977(S52)年3月1日に唐船〜福山、1978(S53)年3月1日に玉島バスセンター 〜金光の各区間が廃止された。 ・1984(S59)年2月改正の「両備線時刻表」によると、同線には次のような系統 が設定されていた。 (両備本線) 岡山〜倉敷 下り46本・上り47本 岡山〜中庄 下り6本(うち日祝運休2本)・上り4本(うち日祝運休 1本) 岡山〜下撫川 下り6本・上り7本(うち日祝運休4本) 下撫川〜倉敷 下り7本(うち日祝運休1本)・上り8本(うち日祝運 休1本) (茶屋町線) 倉敷〜茶屋町 33往復(うち日祝運休1往復) (矢掛線) 倉敷〜矢掛 23往復 倉敷〜前田西口 1往復(日祝運休) 清音〜矢掛 2往復(日祝運休) 清音〜前田西口 1往復(日祝運休) ・1985(S60)年6月に庭瀬本町〜流通センター入口及び岡山〜岡山大供(カバヤ 前経由)が開業した。これらの区間については、同年8月10日に国鉄自動車 路線名称が改正され、「岡山・岡山大供間、庭瀬本町・塚山公園前間」が追 加された。 ・1985(S60)年当時、線内の(自)岡山、(自)倉敷及び矢掛に自動車駅が存在 した。また、国鉄バス運行の拠点として、岡山自動車営業所(下撫川)及び 同倉敷派出所(倉敷)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年4月から庄新町地区乗入れが開始され、同年12月の「国鉄自動車 路線名称」全面改正で下撫川〜バラ園西口〜備中庄が認知された。 ・両備線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、中国JRバスに継承された。 ・1987(S62)年3月改正の「両備線時刻表」によると、同線には次のような系統 が設定されていた。 (両備本線) 岡山〜倉敷 下り43本(うち日祝運休2本)・上り44本 岡山〜中庄 下り2本(うち日祝運休1本)・上り3本 岡山〜庄新町 下り13本(うち日祝運休3本)・上り11本(うち日祝運 6本)休 岡山〜下撫川 上り1本(日祝運休) 岡山〜流通センター 1往復(日祝運休) 岡山〜天満屋 下り2本(うち日祝運休1本) 下撫川〜倉敷 下り6本(うち日祝運休1本)・上り4本(うち日祝運 休1本) 下撫川〜倉敷(庄新町経由) 下り7本・上り9本 (茶屋町線) 倉敷〜茶屋町 33往復(うち日祝運休1往復) (矢掛線) 倉敷〜矢掛 22往復 倉敷〜前田西口 1往復(日祝運休) 清音〜矢掛 1往復(日祝運休) 清音〜前田西口 2往復(日祝運休) ・1987(S62)年の民営化前から庭瀬本町〜流通センター北口〜塚山公園前が開業 し、1988(S63)年8月8日から川崎医大乗り入れが開始された。 ・1990(H2)年10月8日に塚山公園前〜流通会館前〜岡山コンベックス前〜イトー ピア団地入口〜鳥羽南〜中庄が開業した。さらに1991(H3)年3月16日に帯江〜 鳥羽南が開業した。 ・1991(H3)年3月改正の「両備線時刻表」によると、同線には次のような系統 が設定されていた。 (両備本線) 岡山〜倉敷 下り42本(うち日祝運休2本)・上り48本(うち日祝運休 5本) 岡山〜川崎医大〜中庄 下り3本・上り4本(うち日祝運休1本) 岡山〜流通センター〜中庄 1往復(日祝運休) 岡山〜庄新町 下り7本・上り7本(うち日祝運休4本) 岡山〜下撫川 下り6本(日祝運休)・上り4本(うち日祝運休2本) 下撫川〜倉敷 下り9本(うち日祝運休5本、日祝運行2本)・上り3 本(うち日祝運休、日祝運行各1本) 下撫川〜倉敷(庄新町経由) 下り5本(うち日祝運休1本)・上り6 本(うち日祝運休3本) 流通センター〜中庄 2往復(日祝運休) 川崎医大〜中庄 下り4本(うち日祝運休1本)・上り3本 (茶屋町線) 倉敷〜茶屋町 43往復(うち日祝運休3往復) 茶屋町〜川崎医大・清心学園 5往復 (矢掛線) 倉敷〜矢掛 21往復(うち日祝運休1往復) 倉敷〜前田西口 1往復(日祝運休) 清音〜矢掛 1往復(日祝運休) 清音〜前田西口 2往復(日祝運休) ・中国JRバス(2013年)「中国JRバス25年史」には、創業期(1988(S63)年度 〜1997(H9)年度)において、都市部では両備線、安芸線の交通渋滞が激しく定時 性が保てなくなり旅客は減少の一途を辿ったと述べられている。 ・1997(H9)年7月1日から矢掛線は倉敷駅北口に乗入れを開始した。 ・1999(H11)年1月11日限りで、井原鉄道の開業に伴って、先行路線であった矢掛 線が廃止された。 ・矢掛線が廃止された、1999(H11)年1月改正の「両備線時刻表」によると、同線 には次のような系統が設定されていた。 (両備本線) (平日) 岡山〜倉敷 下り21本・上り24本 岡山〜中庄 1往復(下り庄新町経由、上り流通センター経由) 岡山〜下撫川 下り24本・上り20本 岡山〜鉄鋼センター 4往復 下撫川〜倉敷 3往復 下撫川〜庄新町〜倉敷 4往復 下撫川〜庄新町〜中庄 下り2本 流通センター〜中庄 上り1本 (土曜) 岡山〜倉敷 下り19本・上り20本 岡山〜下撫川 下り19本・上り18本 下撫川〜倉敷 3往復 下撫川〜庄新町〜倉敷 3往復 下撫川〜庄新町〜中庄 下り2本 流通センター〜中庄 上り1本 (日祝) 岡山〜倉敷 19往復 岡山〜下撫川 19往復 下撫川〜倉敷 3往復 下撫川〜庄新町〜倉敷 下り4本・上り2本 (茶屋町線:全日) 倉敷〜茶屋町 下り33本(うち日祝運休3本)・上り35本(うち日祝運休 6本、土日祝運休1本) 茶屋町〜清心学園・下撫川 下り1本(日祝運休)・上り2本(日祝運休) ・通学輸送のために存続する中庄〜清心学園前を除いて、2003(H15)年3月末限りで、 不採算路線であった両備線は全廃された。なお、中庄〜清心学園前の通学輸送も、 2016(H28)年3月末限りで廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、両備線には接続駅(岡山、倉 敷、中庄、金光、茶屋町及び清音)の他に、矢掛に自動車駅(第二種委託駅) が置かれていた。
2017 年 01 月 02 日 10:03:42 (15240) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【801】美伯線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇美伯線 1 津山−倉吉 2 津山−茅町(南回り) 3 勘平茶屋−三朝温泉 1.2 路線略図 ◎倉吉 : : 勘平茶屋○…○三朝温泉 : : : : 茅町 津山 院庄◎……○……◎−−>大阪 : : ・……・ ※津山〜倉吉、勘平茶屋〜三朝温泉は、休止中 ※大阪〜津山は、中国高速線 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・美伯線は、1955(S30)年8月16日に津山〜上井(→倉吉)が開業したのがルーツ である。 ・この路線は、姫新線津山駅を起点として岡山県苫田郡奥津村を経由して中国山 脈を横断し、倉吉線倉吉(→打吹)駅を経て山陰本線上井(→倉吉)駅に至る 路線で、鉄道予定線勝山(→中国勝山)〜倉吉(→打吹)の代行的性格を有す るとともに、鉄道の津山線を通して山陰本線とを結ぶ陰陽連絡線の性格を有し ていた。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年11月号(11/1訂補)によると、美伯線 には次の2往復が設定されていたのを確認できる。 (下り) 津山0730→1100上井 津山1430→1800上井 (上り) 上井0750→1120津山 上井1615→1845津山 ・1958(S33)年5月1日に伯耆若宮〜三朝温泉〜上井(→倉吉)が開業した。 ・1960(S35)年4月3日に津山〜院庄が廃止されて、津山〜吹屋町〜院庄、津山 〜津山寺町〜院庄が開業した。 ・1965(S40)年12月15日に伯耆若宮〜倉吉(→打吹)、三朝温泉〜上井(→倉吉) が廃止されて、三朝温泉〜倉吉(→打吹)が開業した。 ・1978(S53)年3月10日に興和紡前〜打吹が廃止された。 ・美伯線は1985(S60)年4月から津山〜倉吉その他全線が休止された。休止前の ダイヤを「国鉄監修交通公社の時刻表」1984(S59)年3月号(2/1現在)から拾 うと、次のように3往復が設定されていたのを確認できる。 (下り) 津山0730→0940倉吉 津山1050→1300倉吉 津山1510→1720倉吉 (上り) 倉吉0755→1005津山 倉吉1145→1355津山 倉吉1531→1741津山 ・休止前は、岡山自動車営業所津山支所が美伯線の運行を担当していた。同線の 休止に伴って津山支所も廃止された。 3.2 旅から30年 ・美伯線は休止中のまま、国鉄民営化及び自動車分離を経て、中国JRバスに継承 された。 ・「交通年鑑」の中国JRバスの項にある「営業線区(一般線)」の表には「美伯 線 津山〜倉吉、他1区間、75.2km」と1993(H5)年版(1990(H2)年度末現在)ま で掲載されていた(1994(H6)年版(1992(H4)年度末現在)以降は美伯線が削られ ている)。 3.3 旅の考察 ・鳥取県バス協会「鳥取県東部版バス総合時刻表」1982(S57)年1月によると、 美伯線の停車駅(停留所)は次の通り。 津山、吹屋町、茅町、津山二宮、院庄、鏡野町役場前、上森原、久田、泉、 落合橋、奥津温泉、上斉原、上斉原学校前、上斉原発電所前、美作石越、 赤和瀬口、高清水高原、栗祖、木地山、加谷、穴鴨、助谷、勘平茶屋、三朝 温泉、興和紡績、倉吉 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、美伯線には接続駅(津山、院 庄及び倉吉)の他に、穴鴨及び三朝温泉の自動車駅(第二種委託駅)が置かれて いた。 ※補足「三朝温泉〜倉吉の路線推移」 ※補足「津山〜院庄の路線推移」
2016 年 12 月 25 日 23:47:05 (15239) JRKさんの書き込み 本日(H28.12.25)をもって、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)を活用した高速バス運行実証実験 が繰り上げ終了となりました。 運行最終日となった今日、JRバス便にて乗り歩きをしてました。 ・圏央道北東エリア高速バス(なりたちばらき高速バス)【実証実験号】 <運行会社> JRバス関東(土浦支店) 関東鉄道(土浦営業所) <停車駅> ・成田空港第一ターミナル ・道の駅 発酵の里こうざき ・稲敷美浦バスターミナル ・あみプレミアム・アウトレット <系統> (下り) ・成田空港第一ターミナル→あみプレミアム・アウトレット ・成田空港第一ターミナル→稲敷美浦バスターミナル (上り) ・あみプレミアム・アウトレット→成田空港第一ターミナル ・稲敷美浦バスターミナル→成田空港第一ターミナル ※「上り」「下り」の区別について。 本日私が乗車したJRバスが成田空港第一ターミナルでの発車準備の際、車内自動放送の音声で 本放送部分の前にある業務放送部分を耳にすることが出来、ハッキリと「この放送は、下り 成 田空港第一ターミナルから あみプレミアム・アウトレットゆきのものです。」というようなニ ュアンスの音声が流れたことに基づきます。 圏央道の道路としての「下り」は外回り線に該当する為、道路としての起終点概念とは逆にな りますが、その理由は謎。 今日は朝から全系統を乗り潰すべく、早朝の稲敷美浦バスターミナルへ車で乗りつけ・・・ (1)稲敷美浦バスターミナル0700発 成田空港第一ターミナルゆき (2)成田空港第一ターミナル0745発 稲敷美浦バスターミナルゆき (3)あみプレミアム・アウトレット0905発 成田空港第一ターミナルゆき (4)成田空港第一ターミナル1005発 あみプレミアム・アウトレットゆき ・・・の4便を端から端まで乗ってきました。 利用した車両はH658-04419 (以前は2台のバスを運行実験専属車としていたそうですが、内一台が離脱し、ここのところはH 658-04419を専用車にしていた模様。) (1)では、私の他に1名、稲敷美浦バスターミナルから成田空港第一ターミナルまであり。「バ スは、いつまででしたっけ?」「今日までですよ」といった問答がその乗客と運転士との間で ありました。 (2)では、私の他に1名、成田空港第一ターミナルから道の駅発酵の里こうざきまで乗車。 (3)(4)は、ともに私だけの乗車でした。 <整理券について> この路線は、途中駅相互間の利用も可能であった為、乗車駅を示す整理券が車内発行されてい ました。 バスには整理券発行機が無い為、運転席に常備の軟券にて対応。 整理券は、縦2.5cm・横7.5cm大。駅名ごと冊子状になった束を計4種類持ち、乗車時に乗車駅に 応じた冊子から1枚づつ剥がして渡す方式。券は駅名ごとに色分けされ・・・ (薄青色)→成田空港第一ターミナル (薄黄色)→道の駅 発酵の里こうざき (薄緑色)→稲敷美浦バスターミナル (薄桃色)→あみプレミアム・アウトレット ・・・を示す券となっていました。 今日は天気もよく、あみプレミアム・アウトレット方面ゆきでは神崎ICを過ぎたあたりの田園 地帯からはクッキリと筑波山が見えて綺麗でした。しかしながら、利用客が少なすぎる現状で は、公共交通機関の新規定着が難しい地域なのでしょうか。 【稲敷美浦バスターミナル】は、かつてのJRバス常磐高速江戸崎線の起終点駅だった「江戸崎 (パンプ)」から数十メートルだけ阿見方へ行ったところの市有地。 広大な砂利の広場は、舗装の予定があったようですが、結局はそのままになってしまいました。 高速バスは、砂利の駐車場には入らず、県道に面したバスベイからの発着でした。 江戸崎付近のJR高速バスの起終点駅は、【江戸崎(パンプ)】・【関鉄江戸崎】・【稲敷美浦バ スターミナル】とがありましたが、どれもあっと言う間に風のように去り、過去帳入りですね。
2016 年 12 月 25 日 11:15:56 (15238) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【525】恵那線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇恵那線 恵那本線 1 明知−中津川 2 遠山追分−上切−恵那富田 3 橋場−阿木 4 根之上−根之上高原 5 中京短大口−中京短大 坂本線 1 恵那駒場−美乃坂本 1.2 路線略図 恵那 辻原口 後田 尾崎 中津川 ○−−○−−○ 恵那 ◎ | | \駒場 / 美乃坂本◎ ・−−−−○−・ | 中京短大○−○中京短大口 | | | 根之上高原○−○根之上 : : ○上広岡 阿木◎ / 本郷線 |/ 上切 ↓ ○橋場 ・−−−○−−−−−・ / | \ / 遠山追分○−◎−−−◎岩村 ○恵那富田 | 山岡 \ / | ○−・ 品野<−−◎明知 殿町 ※上広岡〜根之上は、休止中 ※恵那駒場〜後田(大峡経由)は、路線名称に無い ※明知〜品野は、中馬線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・(品野〜明知〜山岡) ・恵那本線1 山岡〜遠山追分 ・恵那本線2 遠山追分〜上切〜恵那富田 ・恵那本線1 恵那富田〜岩村 ・(岩村〜恵那〜美乃坂本) ・坂本線1 美乃坂本〜恵那駒場 ・恵那本線1 恵那駒場〜中津川 2.2 掲載 ・31〜32日目 7/11(木)〜12(金) S61.4号 7.中部編 単行本 p158〜160 2.3 行程 ×山岡2030頃→2035頃遠山追分→2050頃明知 タクシー ○明知0717→0806岩村 恵那本線1+2+1 明知発 岩村行(上切経由) 331-4076(いすゞP-LR312J) ○美乃坂本0937→1013中津川 坂本線1+恵那本線1 美乃坂本発 中津川行 538-6003(日デU20H) 2.4 エピソード ・山岡バス停からきっぷの経路の遠山追分を通るバスは10時09分発の明知行き1 本だけで、やむなく明知のタクシー会社の車に山越えで来てもらい明知の宿に 入った。途中で遠山追分を確認し明知〜遠山追分(0.6km)はタクシー代行。 ・明知0717発の岩村行きバスには瀬戸自営の職員らしき乗降調査マンが乗ってい た。「少なくとも1人はお客さんが増えた」と運転士は喜んでくれたが、その 後さっぱり地元の人が乗らない。「本郷線」と呼ばれる裏道にかかると、運転 士は人のいない停留所に停まったり、徐行したり。「ここらで2人はいつも乗 るんやが。雨の日に調査してくれたら絶対増える。もう一度やり直してくれん かな」と半ば本気のような冗談を口にする。乗降人員と整理券、定期券発行枚 数、現金などが合わないといけないそうだ。 ・上切の近くで保育園児が10人ほど手に手に定期をかざしながら、ようやくまと めて乗った。「この子たちのために来るようなもんだわ」と運転士がつぶやく。 飯羽間駅近くを大回りしたバスは小学生、高校生を何人か乗せたり降ろしたり しながら岩村に着いた。 ・坂本線のバスで大回り。道の悪い所ばかり寄って走るような路線だが、恵那地 区とはうって変わって利用が多い。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・恵那線は、中馬線の支線として、1952(S27)年7月20日に明知〜中津川が開業し たのがルーツで、1953(S28)年10月31日に中津川〜美乃坂本(→坂本線)、1954(S 29)年1月25日に根之上〜根之上高原、1955(S30)年3月25日に橋場〜阿木、同 年12月16日に遠山追分〜上切〜恵那富田が開業した。 ・この間、1952(S27)年9月1日に貨物路線の遠山〜吹越、明知〜殿町が開業した。 ・この路線は、沿線地方の産業文化の発展助長を図る他、根之上高原、保土沼等 の観光開発をも使命としていた。 ・1958(S33)年7月1日に根之上高原〜大井が開業した。 ・1962(S37)年7月15日に中津川〜恵那尾崎が廃止され、恵那駒場〜恵那尾崎が 開業した。 ・1962(S37)年10月に恵那線は中馬線の部から独立し、恵那線の部(恵那本線及び 坂本線から構成)が編成された。 ・「中馬,恵那線概況」S58.4 明知支所 によると、1970(S45)年10月1日に、上広 岡〜根ノ上高原を休止したとの事。 ・1974(S49)年12月11日に根之上高原〜恵那が廃止された。 ・1980(S55)年12月1日に中京短大口〜中京短大が開業した。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、瀬戸自動車営業所明知支所( 明知)及び同中津川派出所(中津川市内)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年11月16日、恵那本線の明知〜根之上、遠山追分〜上切〜恵那富田 及び橋場〜阿木の廃止が公示された。併せて、同日、瀬戸自営明知支所が廃止 された。同年12月10日、瀬戸自営中津川派出所が同中津川支所に昇格した。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、坂本線の恵那駒場〜後 田が認知された。 ・民営化時(1987(S62)年4月1日)に山手町〜松源寺が開業した。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、恵那線はJR東海バスに継承された(この 時点で中京短大口〜根之上高原は休止中であった)。 ・1989(H1)年4月28日に中津川市民病院乗入れが開始され、松源寺〜市民病院、 恵那追分〜市民病院〜星ヶ見〜辻原口が開業した。 ・「自動車線普通旅客運賃表」の恵那線の項には、1989(H1).4.1から実施のもの では中津川から根之上、根之上高原までの運賃が載っているが、1991(H3).12.1 から実施のものではこれらの区間の運賃が載っていない。従って、中京短大口 〜根之上〜根之上高原はこの間に休止されたと解される。 ・1998(H10)年10月19日に市民病院〜星ヶ見〜辻原口、三菱工場前〜後田(大峡経 由)が廃止された。 ・「JR時刻表」2001(H13)年12月号(11/1現在)によると、恵那線には次のような 系統が設定されていたのを確認できる。なお、「各線区間便多数あり」「土休 日は中津川〜市民病院、中津川〜上手賀野の区間便のみ運転」との注記が付さ れていた。 (平日時刻) 中津川〜市民病院〜美乃坂本 下り2本・上り3本(土休日は上り1本の み運転) 中津川〜中京学院大学 2往復 ・2002(H14)年1月末限りで恵那線(中津川〜中京短大、三菱工場前〜美乃坂本、 後田〜市民病院前〜恵那追分)は全廃され、路線は北恵那交通(株)に移管され た。 ・2015(H27)年6月時点の運行状況は以下の通り。 ◇黒羽根〜山岡駅前 恵那市 久保原=上手向線 ※特定日のみ ◇山岡駅前〜落合 恵那市 山田=田沢線 ※平日のみ ◇岩村駅前〜殿町〜富田西〜打杭 恵那市 岩村東線 ※平日のみ ◇塞神〜阿木駅〜阿木事務所〜広岡公民館 中津川市 阿木地区巡回バス ※特定日のみ ◇中津川〜手賀野〜中京学院大 北恵那交通 恵那線 ◇中津川〜市民病院〜美乃坂本 北恵那交通 恵那線 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、恵那線には接続駅(明知、山 岡、岩村、中津川、阿木及び美乃坂本)のみ置かれていた。
2016 年 12 月 25 日 11:15:01 (15237) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【524】中馬線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇中馬線 1 明知−品野 2 上品野口−名学大前 1.2 路線略図 中津川 岩村 十三塚 遠山追分 ・−○−−○ Λ 多治見 名学大前 / 陶町\ | Λ ・−○ ・−○−・ ・−−◎明知 | /上品野 / 柿野 品野○−○−−○−−○ 温泉 | 上品 片草 V 野口 瀬戸 記念橋 ※瀬戸記念橋〜品野〜多治見は瀬戸北線、明知〜遠山追分〜岩村〜中津川は恵那線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・中馬線1 品野〜上品野口〜片草〜柿野温泉〜明知 2.2 掲載 ・31日目 7/11(木) S61.4号 7.中部編 単行本 p156〜158 2.3 行程 ○瀬戸記念橋1826→1955明知 瀬戸北・中馬線 名古屋発 明知行 538-2473(日デK-U31L) 2.4 エピソード ・瀬戸記念橋からの明知行きもぎっしり。市内の停留所に停まるたび下校生と勤 め帰りの人たちでますます込み、やがて品野近くから下車客が増えていった。 瀬戸市から岐阜県に入ると嘘のように閑散。峠を越えて柿野温泉で5分間休憩。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・中馬線は、1951(S26)年4月11日に品野〜上品野、同年6月15日に明知〜上品野 が開業したのがルーツで、沿線地方の産業文化の発展助長を図ることを使命と していた。 ・1952(S27)年9月1日に次のように貨物路線が開業した(1977(S52)年5月1日 廃止)。 中馬本線 十三塚〜瑞浪、明知〜十三塚 恵南線 殿町〜小渡、須淵〜明知 ・1967(S42)年11月7日に名学大口〜名学大前が開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1984(S59)年3月号(2/1現在)によると、中馬線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 名古屋〜瀬戸記念橋〜上品野〜明知 2往復 (下り) 名古屋1125→ 明知 名古屋1655→2002明知 (上り) 明知0730→1039名古屋 明知1300→1609名古屋 名古屋〜瀬戸記念橋〜上品野 下り3本・上り5本(うち1本は上品野〜 瀬戸追分休日運休) 名古屋〜瀬戸記念橋〜名学大 4往復(うち上り2本は休日運休) ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、瀬戸自動車営業所明知支所( 明知)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、中馬線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 名古屋〜瀬戸記念橋〜上品野〜明知 下り2本 名古屋〜瀬戸記念橋〜名学大 上り1本 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年11月16日に瀬戸自営明知支所が廃止された。 ・1986(S61)年11月1日に片草〜明知が廃止された。(「JR東海バス10年史」による) ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、中馬線はJR東海バスに継承された。 ・2000(H12)年10月1日改正の時刻表によると、中馬線には次のような系統が設定 されていた。 (平日) 瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜片草 4往復 瀬戸市・追分〜品野〜上品野 下り16本・上り17本 瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜名学大 下り18本・上り16本 (第1・3土曜) 瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜片草 下り4本・上り3本 瀬戸市・追分〜品野〜上品野 下り20本・上り19本 瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜名学大 下り14本・上り12本 (日祝、第2・4土曜) 瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜片草 下り4本・上り3本 瀬戸市・追分〜品野〜上品野 下り19本・上り18本 瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜名学大 下り12本・上り10本 ・2002(H14)年3月末限りで上品野〜片草が廃止された。 ・2009(H21)年9月末限りで瀬戸支店管内一般路線全廃に伴って、最後まで残った 品野〜上品野も廃止された。併せて、(瀬戸自営→)瀬戸支店も廃止された。 ・2015(H27)年6月時点の運行状況は以下の通り。 ◇(瑞浪駅前〜)大川〜明智駅前 東濃鉄道 明智線 ◇(多治見駅前〜)柿木口〜柿木温泉前〜細野口 東濃鉄道 笠原線 ◇(新瀬戸駅〜瀬戸駅前〜)しなのバスセンター〜上品野 名鉄バス 瀬戸北線 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、中馬線には接続駅(明知)の み置かれていた。
2016 年 12 月 25 日 11:13:58 (15236) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【523】和田峠南線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇和田峠南線 和田峠南本線 1 下諏訪−上和田 2 萩倉口−八島 3 西餅屋−東餅屋 扉峠線 1 扉峠口−扉峠 1.2 路線略図 ・−>山本小屋 扉峠/ ・−−−−−○ / | 美ヶ原落合 +・ 男女 | Λ 岡谷 萩倉口 西餅屋|| 倉口 | | Λ 注連掛○−−○−−−−○−|+○−−○−−○−−−○−>上田 | / \斧立 \・東餅屋/ 扉峠口 上和田 下諏訪◎−○大社通/ ○ /\ / +−−・ \ ・ ・○男女倉 / \| ・ ○八島 | | V V 上諏訪・白狐入口 霧ヶ峰 ※白狐入口〜岡谷は諏訪本線、小諸〜霧ヶ峰〜東餅屋〜扉峠〜美ヶ原落合〜山本小屋〜美 ヶ原美術館は白樺高原本線、上和田〜上田及び上和田〜美ヶ原落合は和田峠北本線 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・和田峠南線は、1933(S8)年10月14日に和田峠線として下諏訪〜上和田が開業した のがルーツで、上田丸子電鉄丸子町と中央本線下諏訪を結ぶ鉄道短絡路線として の使命を有した他、美ヶ原等の観光開発及び地方産業文化の発展助長をも使命と していた。1934(S9)年に和田峠線は諏訪線の部に支線として編入された。1965(S 40)年8月に和田峠南線として独立した。 ・下諏訪自営(1983)「諏訪線50年のあゆみ」によると、1933(S8)年の開業当時、 上和田及び長久保(駅員配置駅)の他に、樋橋、唐沢、下和田上組、大門落合、 長窪古町及び武石に業務委託駅が置かれていた。 ・下諏訪自営前掲誌によると、1952(S27)年12月から萩倉口〜大平の臨時営業が 開始された(1957(S32)年9月15日本開業)。また、1957(S32)年9月16日に扉 峠線が開業した。さらに1959(S34)年6月1日に大平〜八島が開業し、八島駅の 簡易委託が開始された。 ・1959(S34)年12月20日に男女倉口〜男女倉が開業した。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(5/1改正等)によると、和田峠 南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 下諏訪〜丸子町 7往復 下諏訪〜大平〜八島 5往復(うち休日運転1往復) 下諏訪〜大平 2往復 ・下諏訪自営前掲誌によると、1970(S45)年5月に大平〜八島が休止され、同年8 月からビーナスライン八島〜霧ヶ峰の臨時運行が開始された(1971(S46)年8月 1日本開業)。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/19改正等)によると、和田 峠南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 下諏訪〜丸子町・上田 7往復 下諏訪〜萩倉口〜八島 6往復(うち8月中の土日運転1往復) 下諏訪〜東餅屋〜扉峠口〜上和田〜扉峠口〜扉峠 1往復(8/2〜21運転) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、和田峠 南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 下諏訪〜丸子町・上田 5往復 下諏訪〜東餅屋〜八島〜霧ヶ峰 2往復(うち休日運転1往復) ・ビーナスラインを通る路線(白樺高原本線の一部)は、1977(S52)年7月に東餅 屋〜扉峠、1981(S56)年8月に扉峠〜山本小屋がそれぞれ開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、和田峠 南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 下諏訪〜丸子町・上田 5往復 下諏訪〜東餅屋〜八島〜霧ヶ峰 下り3本(うち1本は11/5までの土曜休日 運転)・上り2本(うち1本は11/2までの土曜休日を除く毎日運転) 下諏訪〜東餅屋〜扉峠 1往復(11/5までの土曜休日運転) ・新和田トンネルの開通に伴って、1978(S53)年12月2日に男女倉口〜男女倉が廃止 されるとともに、西餅屋〜男女倉口が開業した。その後、1982(S57)年5月20日に 東餅屋〜男女倉口の廃止が公示された。 ・「われら第一線 下諏訪自動車営業所」(「国鉄線」1982(S57)年7月号所収) によると、下諏訪自営は、職員数80人程度、配置車両25両と規模は大きくない ものの、霧ヶ峰線を中心とする観光路線でも、一般の生活路線でも、民間バス との競争の中で営業しており、職員の企業意識も高く、全員参加で旅客サービ スに当たっていると述べられている。また、輸送人員は年間215万人で約4億円 の旅客収入を上げるが、その40%は7〜8月の夏季輸送で稼ぐとある。 ・1985(S60)年当時、線内の上和田に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の 拠点として、下諏訪自動車営業所(下諏訪)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/19改正)によると、和田峠 南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 下諏訪〜丸子町・上田 5往復 下諏訪〜東餅屋〜霧ヶ峰 3往復(うち上り2本は特定日※運行) 下諏訪〜東餅屋 2往復(9/16まで運行) ※特定日:9/16までの毎日と9/21〜11/4の土曜休日 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、萩倉口〜八島が萩倉口 〜斧立に変更された。 ・国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に扉峠線(扉峠口〜扉峠)の廃止公示がなさ れた。 ・1987(S62)年3月、和田峠南線は中部地自から関東地自に移管された。その後、 国鉄民営化及び自動車分離を経て、この路線はJRバス関東に継承された。 ・1990(H2)年4月25日に西餅屋〜男女倉が廃止された。 ・1997(H9)年3月末限りで上和田〜男女倉が廃止された。 ・2004(H16)年の夏季限りで下諏訪〜東白樺湖(ビーナスライン経由)の運行が終 了し、これに伴って樋橋〜西餅屋〜東餅屋が廃止された(最終運行日は同年8 月22日)。残された下諏訪〜樋橋及び萩倉口〜斧立も2008(H20)年3月末限りで 廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、和田峠南線には接続駅(下諏 訪)の他、上和田に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2016 年 12 月 25 日 11:13:01 (15235) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【522】諏訪線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇諏訪線 諏訪本線 1 白狐入口−岡谷 2 上諏訪清水町−上諏訪 3 上諏訪−浜沢 4 大社通−東山田−横河川橋 5 長地学校前−諏訪今井−岡谷市役所前 塩尻線 1 諏訪今井−塩尻 1.2 路線略図 塩尻◎ | | 下柿沢○ | | 塩尻峠○ | | 諏訪今井○ 横河 / \川橋 / ○−−・ 岡谷◎−−○−−○ | | 岡谷 小口\|長地○東山田 市役 薬師 ○学校| 所前 前 |前 ○宮前 | | 下諏訪◎−+ +−>上和田 ○−−・ |大社通 東高木○ | ○浜沢 /| 湖岸通○ | | ◎上諏訪 衣の渡○ | +−+ | | 日赤前○ ○角間橋 | | ・−○上諏訪清水町 | 白狐入口○−・ | V 霧ヶ峰 ※下諏訪〜大社通〜上和田は和田峠南線、上諏訪(白狐入口)〜霧ヶ峰は霧ヶ峰線 (白狐入口〜上諏訪は霧ヶ峰線との重複区間) 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・塩尻線1 塩尻〜塩尻峠〜諏訪今井 ・諏訪本線5 諏訪今井〜岡谷市役所前 ・諏訪本線1 岡谷市役所前〜岡谷 ・諏訪本線1 下諏訪〜長地学校前〜横河川橋 ・諏訪本線4 横河川橋〜東山田〜大社通 ・諏訪本線1 大社通〜上諏訪 2.2 掲載 ・32日目 7/12(金) S61.4号 7.中部編 単行本 p160〜160 2.3 行程 ○塩尻1425→1510岡谷 塩尻・諏訪本線 塩尻発 岡谷行 331-6007(いすゞBA05N) ○下諏訪1714→1722長地学校前 諏訪本線 発 行 528-7010(日デU30H) ○長地学校前1730→1733横河川橋 諏訪本線 発 行 538-8501(日デUA30H) ○横河川橋1813→1830大社通 諏訪本線 発 行 331-7022(いすゞCCM410) ○大社通1842→1857上諏訪 諏訪本線 発 行 538-8502(日デUA30H) 2.4 エピソード ・塩尻線で通過した諏訪今井と、約3時間後に乗り換えた横河川橋が目と鼻の先 だったり、一回りした大社通が下諏訪駅前なのにあきれたりしながら、同じ線、 同じ停留所を二度通らずに抜けた。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・諏訪線は、1933(S8)年3月23日に下諏訪〜岡谷が開業し、翌1934(S9)年3月31日 に上諏訪清水町〜下諏訪、長地学校前〜諏訪今井、次いで同年8月15日に諏訪今 井〜塩尻及び諏訪今井〜岡谷市役所前の各区間が開業したのがルーツで、中央本 線上諏訪〜塩尻の鉄道培養路線の性格を持っていた。 ・戦前は、次の期間に上諏訪〜霧ヶ峰の臨時営業が実施された。 1934(S9)年12月28日〜1935(S10)年3月25日 1935(S10)年12月28日〜1936(S11)年3月24日 1936(S11)年9月2日〜1936(S11)年9月10日 1936(S11)年12月25日〜1937(S12)年3月28日 ・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(III)戦時期2−」(『東京経大 学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営 自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、諏訪本線上諏訪清水町〜 上諏訪、上諏訪〜岡谷、塩尻線長地学校前〜塩尻、諏訪今井〜岡谷市役所前の 各区間で1941(S16)年8月10日から旅客運行が休止された。 ・1943(S18)年8月5日に原産地路線(貨物)の北山線(茅野〜糸萱、信濃松原〜 信濃湯川)が開業し、1944(S19)年9月1日に同線茅野〜信濃宮川が開業した( 1983(S58)年4月1日廃止)。 ・戦後は、1954(S29)年5月27日に北山線(貨物路線)の信濃湯川〜蓼科・池の平、 1957(S32)年5月1日に同線矢ヶ崎〜泉野が開業した(1983(S58)年4月1日廃止 )。 ・1958(S33)年2月1日に上諏訪清水町〜上諏訪〜浜沢、1960(S35)年9月1日に上 諏訪清水町〜茅野、同年10月13日に下諏訪〜東山田〜横河川橋、同年12月28日に 霧ヶ峰線(上諏訪清水町〜霧ヶ峰)がそれぞれ開業した。 ・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、上諏訪清水町〜岡谷の系統が1日 31.5回(この他に諏訪今井経由が同じく3回)運行されており、この当時、既に 都市型の高頻度運行がなされていた。また、同書の1964(S39)年版によると、上諏 訪清水町〜岡谷の系統が1日当たり14回、同じく諏訪今井経由が8.5回、同じく衣 の渡経由が1.5回、同じく日赤前経由が3回、上諏訪〜岡谷の系統が2回、同じく 諏訪今井経由が2.5回の運行となっていた。 ・下諏訪自営(1983)「諏訪線50年のあゆみ」によると、1973(S48)年5月に衣 の渡線休止とあり、諏訪本線第3区間の上諏訪〜浜沢を指すと解される。また、 1982(S57)年4月に塩尻新駅移転に伴い塩尻車庫撤去とある。 ・1983(S58)年11月15日に白狐入口〜茅野が廃止された。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、下諏訪自動車営業所(下諏訪) が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、諏訪本線の白狐入口 〜岡谷が上諏訪〜岡谷に変更された。国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に、 諏訪本線の上諏訪清水町〜上諏訪、上諏訪〜浜沢の廃止が公示された。 ・「諏訪線時刻表」1987(S62)年2月改正によると、諏訪線には次のような系統 が設定されていた。 上諏訪清水町〜小口薬師〜岡谷 下り18本(うち休日運休1本)・上り 17本(うち休日運休2本) 上諏訪清水町〜諏訪今井〜岡谷 10往復(うち休日運休1往復) 上諏訪清水町〜上田 下り1本 上諏訪清水町〜下諏訪 1往復 下諏訪〜小口薬師〜岡谷 下り1本・上り3本(うち休日運休1本) 下諏訪〜諏訪今井〜岡谷 1往復 下諏訪〜東山田〜岡谷 3往復 下諏訪〜諏訪今井〜塩尻 上り2本 岡谷〜塩尻 下り3本・上り1本 岡谷〜塩尻峠 1往復 ・1987(S62)年3月、諏訪線は中部地自から関東地自に移管された。その後、国鉄 民営化及び自動車分離を経て、JRバス関東に継承された。 ・1990(H2)年12月29日までに大社通〜東山田〜横河川橋及び塩尻線が廃止された。 ・2005(H17)年4月23日に上諏訪清水町〜上諏訪〜小口薬師前〜岡谷及び長地学校 前〜諏訪今井〜岡谷市役所前が廃止されて、諏訪線は全廃となった。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、諏訪線には接続駅(茅野、 上諏訪、下諏訪、岡谷及び塩尻)の他に、北山線(貨物路線)の信濃山寺、 信濃玉川、泉野及び信濃湯川に第二種委託駅(自動車駅)、同じく矢ヶ崎、 信濃松原、糸萱、蓼科及び池ノ平に車扱貨物(鉄道にまたがるものに限る) を取り扱う無人駅が置かれていた。 ・諏訪本線の第2区間である上諏訪清水町〜上諏訪は日赤前経由、第3区間の 上諏訪〜浜沢は衣の渡〜湖岸通経由である。
2016 年 12 月 25 日 11:12:08 (15234) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【521】高遠線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇高遠線 高遠本線 1 伊那北−茅野 2 伊那北−中央病院 3 入舟−伊那市 4 上大島−笠原−笠原口 5 高遠本町−河南学校前−大明神 6 河南学校前−上新山 7 伊那藤沢−松倉 8 関屋橋−伊那宮原 伊那里線 1 高遠本町−杉島 2 非持−入笠山 3 伊那美和−小黒 4 戸台口−黒川口 1.2 路線略図 上諏訪・白狐入口<・・◎茅野 | ・−○−・ / 安国寺 杖突峠○ | ・…○入笠山 古屋敷○ : | ○芝平(しびら) 伊那 伊那藤沢○−○松倉 : 中央 中央病院 | ○荊口 病院 (→JRバス支店) | | ○==+−○=・ 関屋橋○−−−−−○伊那宮原 ‖ | ‖ | ・ ‖ ◎伊那北‖ 笠原 さくら | \ 小黒○ ○ | ‖ ○−・の湯○=+ 花 大 \ : 上伊那| ‖ | | | 畑 明神 ・ : 農高 +−○−++○−○−○−○−−○−○−+−○−○−−○ 伊那 ○戸台 | 入 ‖新 美 上 笠 高遠 高遠|さくら| 非持\ 南郷 | 伊那市◎ 舟 ‖子 篶 大 原 本町| ○H| 伊那○−○−○黒川口 ‖ ‖ 島 口 | ‖ | 美和 \ | ‖ ‖ 河南学校前○−+−○ 戸台○−○仙流荘 ・○===・ : 西勝間 口| 伊那市役所 : | 上新山○ 伊那里○−−○杉島 ※荊口〜入笠山、戸台〜小黒は、休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・高遠本線1 茅野〜杖突峠〜関屋橋〜高遠本町〜高遠〜笠原口 ・高遠本線4 笠原口〜笠原〜上大島 ・高遠本線1 上大島〜伊那北 2.2 掲載 ・34日目 7/14(日) 35日目 7/15(月) S61.4号 7.中部編 単行本 p167〜168 ・連載誌のみ 高遠駅の写真 2.3 行程 ○茅野1823→1929高遠 高遠本線 茅野発 高遠行 538-0003(日デK-U31K) ○高遠1000→1030伊那北 高遠本線 高遠発 伊那北行(笠原経由) 538-4008(日デU20H) 2.4 エピソード ・高遠駅と行先幕を出したバスは、狭い商店街を抜け、中央自動車道をくぐって Sカーブの登り。夕暮れの杖突峠は涼風が吹き、あちこちで窓が閉る。峠を境 にバス停についている旧国名が諏訪から伊那に変わり、高遠の町へ入ってゆく。 ・高遠地区を一回りしてキロ数をのばす経路をとれたことがわかるが、一部のバ スに「スクール」の表示があったりして判然としない。 ・笠原迂回路ではお年寄り3人が乗ったが、いずれも病院通い。伊那盆地に入る と急に民家が増え、乗降も多くなった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・高遠線は、1943(S18)年6月5日に北山線(茅野〜糸萱、信濃松原〜信濃湯川) が原産地路線として貨物輸送を目的として開業したが、その後、1948(S23)年 1月20日に高遠本線(茅野〜伊那北及び高遠〜伊那里)が開業し、中央本線と 飯田線とを結ぶ鉄道短絡路線としての使命とともに、地方産業文化の発展助長 をも使命としていた。 ・1950(S25)年10月16日に伊那里線伊那里〜杉島が開業し、1951(S26)年2月1日 に高遠本線入舟〜伊那町が開業した。 ・1953(S28)年8月15日に高遠本線伊那北〜中央病院、伊那里線非持〜芝平が開業 した。 ・1954(S29)年5月27日に貨物路線の美篶〜蟹沢が開業した(1983(S58)年4月1 日廃止)。同年9月28日に伊那里線戸台口〜鷹岩が開業した。 ・1955(S30)年8月5日に高遠本町〜上新山が開業した。 ・1956(S31)年6月15日に伊那里線伊那田本〜浦が開業した。 ・1958(S33)年11月15日に伊那里線鷹岩〜小黒が開業した。 ・1959(S34)年4月12日に戸台口〜黒川口が廃止されて、伊那美和〜黒川口が開業 した。また、同年10月5日には河南役場前〜勝間〜大明神が開業した。 ・1960(S35)年9月1日に伊那藤沢〜松倉、1961(S36)年8月21日に栗幅〜伊那宮原 がそれぞれ開業した。 ・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、伊那北〜高遠の系統が1日当たり 21回、伊那市〜高遠が同じく3回、中央病院〜高遠が同じく3回、伊那北〜伊那 里が同じく5.5回運行されており、この当時、既に高頻度運行がなされていた。 また、同書の1964(S39)年版によると、伊那北〜高遠の系統が1日当たり20.5回、 同じく伊那市経由が3回、伊那市〜高遠が同じく3.5回、伊那北〜伊那里方面が 同じく計8回の運行となっていた。 ・1964(S39)年7月28日に伊那里線芝平〜入笠山が開業した。 ・1972(S47)年1月10日に美篶〜笠原〜南割が開業した。 ・1984(S59)年5月10日に伊那里線伊那田本〜浦が廃止された。 ・1985(S60)年当時、高遠本線には入舟、高遠及び伊那藤沢、伊那里線には伊那美 和及び伊那里の各駅が自動車駅として存在した。また、国鉄バス運行の拠点と して、伊那自動車営業所(中央病院)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、高遠線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 伊那北〜茅野3往復及び高遠〜茅野1往復は次の通り。 (下り) 伊那北0553→0724茅野 高遠0810→0924 伊那北1045→1226 1507→1650 (上り) 茅野0820→1001伊那北 0940→1121 1330→1513 1823→1929高遠 伊那北・伊那市〜高遠は次の始発帯、終発帯の間は約30分毎と標記。 (下り) 始発帯 伊那北0552→0615高遠 0553→0616 0614→0637 終発帯 伊那北2015→2043高遠 2045→2108 2100→2128 2150→2218 (上り) 始発帯 高遠0550→0613伊那市 0612→0640伊那北 0652→0720 終発帯 高遠2023→2051伊那北 2118→2141 2150→2213 伊那北・伊那市〜伊那赤坂・伊那宮原・荊口は次のように6往復 (下り) 伊那北0552→0637宮原 0614→0705荊口 0804→0933 1500→1610赤坂 1735→1855荊口 1840→1954 (上り) 宮原0642→0754伊那北 荊口0715→0838 0943→1058 赤坂1621→1657 荊口1901→2018 1959→2055伊那市 伊那北〜戸台は次のように3往復 (下り) 伊那北0620→0735戸台 1130→1249 1525→1644 (上り) 戸台0750→0911伊那北 1348→1513 1703→1825 伊那北・伊那市〜上新山は次のように3往復 (下り) 伊那市0635→0719上新山 伊那北1445→1529 (休日運休) 1715→1804 (上り) 上新山0729→0830伊那北 1539→1623 1814→1903 伊那北・伊那市〜伊那里・杉島 11往復 3.2 旅から30年 ・1986(S61)6月10日に高遠本線の伊那小原〜上新山が廃止された。 ・「国鉄バス高遠線時刻表」1986(S61)年11月改正によると、高遠線には次のよう な系統が設定されていた。 中央病院・伊那北・伊那市〜高遠 下り23本(うち休日運休1本)・上り 25本(うち休日運休2本) 中央病院・伊那北・伊那市〜笠原〜高遠 下り4本(うち休日運休1本) ・上り4本 伊那北〜茅野 下り4本・上り3本 中央病院・伊那北〜古屋敷 下り6本(うち休日運休1本)・上り6本( うち休日運休、松倉経由各1本) 伊那北〜松倉 1往復 伊那北〜藤沢 下り1本(休日運休)・上り2本(うち休日運休1本) 高遠〜茅野 上り1本 高遠〜古屋敷 下り4本(うちスクール3本)・上り3本(うちスクール 2本) 高遠〜藤沢 下り2本・上り1本 伊那北〜杉島 下り4本(うち南郷経由1本)・上り4本(うち南郷・勝間 経由、南郷経由各1本) 伊那北〜伊那里 下り5本(うち休日運休1本、土曜杉島延長(勝間・南郷 経由)1本)・上り5本(うち休日運休1本、土曜杉島始発(南郷経由) 1本) 伊那北・伊那市〜高遠高校 下り2本(休日高遠止)・上り2本(高遠高校 〜高遠土曜運転・土日祝運休各1本) 伊那北〜板山口〜伊那宮原 下り1本(休日運休) 伊那北〜花畑〜伊那宮原 上り1本 伊那北〜勝間〜伊那宮原 下り2本・上り1本(休日運休) 高遠〜杉島 1往復 高遠〜花畑〜伊那里 下り1本 高遠〜勝間〜伊那里 上り1本 高遠〜板山口〜伊那宮原 下り1本 高遠〜花畑〜伊那宮原 上り2本 高遠〜板山口〜荊口 下り1本(スクール)・上り2本(スクール) ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、伊那里線の非持〜入笠 山が非持〜荊口に変更された。国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に伊那里線の 戸台〜小黒の廃止公示がなされた。 ・1987(S62)年3月に高遠線は、中部地自から関東地自に移管された。 ・高遠線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス関東に継承された。 ・1990(H2)年10月9日に関屋橋〜伊那宮原と伊那里線非持〜荊口が廃止された。 1993(H5)年8月1日には、伊那里線の伊那里〜杉島、伊那美和〜戸台口、津郷 〜戸台、戸台口〜黒川口が廃止された。 ・1995(H7)年4月1日に高遠本町〜花畑〜大明神が休止され、翌年4月1日に廃 止された。 ・2000(H12)年6月19日に高遠〜さくらの湯、伊那北〜上農高校前が開業した。 2001(H13)年4月9日に高遠さくらホテル乗り入れが開始された。また、同年 11月1日には高遠発着の伊那市内循環バスの運行を開始した。 ・2004(H16)年10月16日から伊那里線を長谷村循環バス(運行はJRバス関東が 受託)に移管した。 ・2015(H27)年6月現在、JRバス伊那支店〜伊那北〜伊那市〜高遠〜茅野ほか をJRバス関東が運行している。このうち、古屋敷〜茅野は季節運行となって いる。 3.3 旅の考察 ・きっぷの経路は関屋橋〜高遠本町を直行(4.5km)しているが、関屋橋〜板山口 〜伊那宮原〜非持〜高遠本町(3.3+7.2+4.1=14.6km)の方が10.1km長かった。 前掲の「国鉄バス高遠線時刻表」によると、高遠0711(板山口経由)0729伊那宮 原0739(非持経由)0805高遠が毎日運行で非スクール便であった。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、高遠線には接続駅(伊那北、 茅野及び伊那市)の他に、高遠、伊那藤沢及び伊那里に第一種委託駅(自動車 駅)、入舟、長藤及び伊那美和に第二種委託駅(自動車駅)、蟹沢に車扱貨物 (鉄道にまたがるものに限る)を扱う無人駅が置かれていた。 ・高遠城址は桜の名所であり、高遠地区の交通規制に合わせて、毎年(既に2001 (H13)年には実施)4月には「お花見循環バス」及び「駐車場シャトルバス」を 運行している。中央道支店が総出で当たる他、JRバス関東エリア内の各支店 からの応援を得て運行されてきている。
2016 年 12 月 25 日 11:11:12 (15233) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【520】奥能登線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇奥能登線 奥能登本線 1 穴水−輪島 2 穴水−河内 3 穴水−城山住宅前−北七海 4 松波本町−松波駅前−恋路浜 5 南鵜飼−見付海岸 6 能登飯田−珠洲−野々江 7 上時国−南惣 門前線 1 穴水栄町−総持寺前 太田原線 1 下出−太田原−能登瑞穂 神和住線 1 辺田の浜−中斉−能登上 小木線 1 宇出津駅前−小木町−松波本町 小屋線 1 南鵜飼−白山神社前 東山中線 1 正院大町−能登折戸 1.2 路線略図 ○南惣 能登 \上時国 大谷 木ノ浦 折戸 輪島◎−−−−−−−−−−−○−−−−−−○−−−−−○−−○−・ | | 能登上○ 白山神社前 | | \上町 ○ | | 総持寺前 太田原 ○ | | ○狼煙 ○−・ ・−○−・ |宇出津 松波 南鵜 ・ | | |北七海| | |駅前 本町 飼 / 珠洲 | | 穴水◎−○−○−○−−−○−○−◎−−−○−−○−−○−◎−○−○葭ヶ浦 |穴水 |下出 能登 辺田|遠島山|小木| 能登 正院 |栄町 | 瑞穂 の浜|公園 |駅前○ 飯田 大町 ・−○−・ | ○ ○ 見付 城山住宅前 |/ |\ 海岸 棚木○−−○・ ○ 小木町 北九十九 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・奥能登線は、1935(S10)年10月1日に穴水〜能登飯田が開業したのがルーツで、 1938(S13)年7月1日に小木線宇出津北口〜小木町、1942(S17)年5月1日に 小木町〜能登松波が開業し、終戦後の1946(S21)年10月21日に能登飯田〜狼煙 が開業した。 ・この路線は、穴水〜能登折戸の鉄道の先行路線としての使命を有していた他、 鉄道の補助及び培養路線として金沢(金白北線→名金線)〜穴水を運営し、そ の他地方産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・1951(S26)年9月20日に狼煙〜能登折戸が開業し、1952(S27)年3月10日に能登 鵜飼〜能登小屋、正院〜岡田が開業した。 ・1952(S27)年9月1日、次の貨物路線が開業した。 浦上線 穴水〜濁池(1983(S58)年5月21日廃止) 鳳至線 能登瑞穂〜太田原〜能登宇出津 このうち、鳳至線能登瑞穂〜太田原は、同年10月18日に旅客営業を開始した。 ・1954(S29)年1月25日に穴水〜河内が開業した。 ・1955(S30)年〜1974(S49)年の間、能登飯田から奥能登線、金白北線(→名金線 )を通って金沢まで、毎日1往復の夜行急行便「のと号」を運行していた。こ の急行便には自動車急行料金が設けられていた。 ・1956(S31)年5月1日に辺田の浜〜中斉、能登小屋〜泥木が開業した。 ・1959(S34)年1月1日に田鶴浜〜笠師保が能登白浜経由に変更された。また、 同年12月20日に神和住線(中斉〜能登上)が開業した。 ・1960(S35)年4月17日、鉄道の能登線鵜川〜宇出津間延伸に伴って、辺田の浜 〜棚木が宇出津駅前経由に変わるとともに、鵜川口への乗り入れ区間が開業 した。 ・同年7月15日に東山中線岡田〜能登折戸、同年10月13日に鳳至線下出〜太田原 の各区間が開業した。 ・1960(S35)年4月15日に鉄道能登線鵜川〜宇出津が開業したが、鉄道は旅客のみ を取扱い、手小荷物及び貨物は国鉄自動車で輸送する、気動車は朝夕4往復の み運転しその他の時間帯は国鉄バスで輸送する、自動車線有効の定期乗車券所 持の旅客は鉄道にも乗車できる、といった鉄道との共同輸送を行っていた。 ・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方 都市間連絡に活躍していると述べられていた。 能登飯田〜金沢 158km 1往復(夜行便) ・「交通年鑑1962年版」には、昭和36年12月1日現在運行中の長距離路線(100km 以上)として、次の運行系統が載っていた。 金沢〜飯田 166km ・1963(S38)年10月1日、鉄道の能登線宇出津〜松波の延伸に伴って、松波本町〜 松波駅前〜恋路が開業した。1964(S39)年9月1日に穴水〜城山住宅前〜麦ヶ浦、 1965(S40)年4月20日に定期観光路線の能登飯田〜真浦センター前〜曽々木〜上 時国〜輪島の各区間が開業した。 ・1964(S39)年10月に能登線の鉄道建設が終わり気動車の運行が開始されて、建設 線の代行という国鉄自動車の使命は終わったが、バス利用者の便宜を考えて、 バス運行を継続した。 ・「交通年鑑1965年版」には、道路整備5箇年計画の進捗により道路が逐次改修 されたことと、自動車工業の発達に伴い、年々中長距離旅行が快適になるにつ れて旅客の需要も増加してきているので、現在国鉄自動車が運行している中長 距離路線の他、中長距離系統の新設急行便の増発、新型車の増備に努めてサー ビスを図った、その主なものは次の通りであると述べられていた。 札幌〜中央長沼 37km 札幌〜岩見沢 46km 小樽〜中央長沼 71km 陸中大野〜金田一 40km 宇都宮〜茂木 36km 飯田〜狼煙〜宇出津 103km 京都〜周山 36km 八重〜広島 47km 岩国〜広島センター 40km 西条〜呉 37km 小松港〜小松港 96km ・1965(S40)年4月に能登飯田〜輪島が開業し、国鉄バスも北陸鉄道と共同で能登 半島めぐり定期観光バスの運行を開始した。それ以前は北陸鉄道の奥能登めぐり 定期観光バスへの連絡便を国鉄バスが運行していた。「国鉄監修交通公社の時刻 表」1967(S42)年9月号には国鉄バス便として次のような便が載っていた。 (Aコース)和倉温泉〜輪島〜曽々木〜真浦〜狼煙〜飯田〜小木〜宇出津 つくも3 宇出津1040→1810輪島(泊)0910→1445和倉温泉 つくも4 宇出津1310→1755曽々木・真浦(泊)0840→1630和倉温泉 みつけ2 宇出津1440→1655飯田(泊)0800→1900和倉温泉 みつけ1 飯田0800→1010 (Cコース)輪島〜曽々木〜真浦〜狼煙〜飯田〜小木から宇出津 そそぎ2 輪島0730→1425宇出津 そそぎ3 輪島0820→1545宇出津 つくも2 宇出津0935→1700輪島 つくも3 宇出津1040→1810輪島 つくも4 宇出津1310→1813曽々木 つくも5 宇出津1440→1655飯田 ・1966(S41)年2月10日に能登飯田〜珠洲が開業した。同年10月28日に門前線(穴水 栄町〜総持寺前)、同年11月28日に小屋線泥木学校前〜白山神社前が開業した。 ・1967(S42)年4月2日に定期観光路線の能登飯田〜大谷が廃止され、能登折戸〜 木ノ浦〜大谷が開業した。 ・「観光路線で活躍する国鉄バス」(「国鉄線」1973(S48)年2月号)には、全国 の主要観光路線(8地区)の輸送量と収入が、次のように載せられていた。 走行キロ(千km) 輸送人員(千人) 収入(百万円) 46実績 47見込 46実績 47見込 46実績 47見込 十和田(北南) 1,229 1,255 730 761 317 332 陸中海岸 84 87 72 101 16 23 白樺高原 822 846 627 697 156 183 塩原 360 395 511 562 67 74 志賀草津 1,222 1,321 2,530 2,720 320 440 南房州 437 466 1,285 1,378 83 93 奥能登 324 353 134 142 68 92 桜島 58 65 47 61 11 14 同記事には、独特の海岸線が売り物の奥能登方面には、好評の「ふるさと列車」 と結合した奥能登一周定期観光バスを運転している、本年度は更に穴水〜輪島間 に1往復を増便、宇出津〜輪島間の通年運行を実施して輸送力増強に努め、好成 績を収めていると述べられている。 ・1976(S51)年5月27日に定期観光路線として、上時国〜南惣、南鵜飼〜見付海岸 が開業した。 ・横江明「国鉄自動車(その6)−シリーズ 営業を考える−」(「国鉄線」 1976(S51)年8月号所収)には、観光路線の輸送手配について、次のように 述べられていた。 「旅客の集中する時期においては、その観光路線を担当する一地方局・部 の輸送能力では、輸送力的に対応できず、本社の輸送手配によって、輸 送力を整備充実させているのが現状である。」 「現在、本社手配によって輸送力を集中させている箇所としては、国鉄自 動車最大の観光路線である十和田南・北線、白樺高原線がある。また、 地方局・部独自に輸送力の集中手配を行っている路線としては、北海道 のえりも観光の日勝線、東北のリアス海岸観光の陸中海岸線、関東の草 津温泉を中心とした志賀草津高原線、もみじラインの塩原線、南房観光 の南房州線、能登観光の奥能登線、小浜観光の若江線、高雄のもみじラ イン観光の京鶴線、奥熊野観光の熊野線、松山高知観光の松山高知急行 線、陰陽連絡の防長線、秋芳洞観光の秋吉線、桜島観光の桜島線等があ げられる。」 「このような路線についての手配を車両でいうと、新製車両を重点的にこ うした観光路線に配属し、ピーク輸送終了後、各営業所に再配属すると いう輸送手配である。」 ・1985(S60)年当時、線内の宇出津駅前、能登飯田に自動車駅が存在した。また、 国鉄バス運行の拠点として、穴水自動車営業所(穴水)及び同能登飯田支所( 北方)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、奥能登 線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 能登飯田〜木の浦 下り7本・上り8本 能登飯田〜狼煙 1往復 宇出津〜能登飯田 下り6本・上り7本 宇出津〜小木駅前 下り9本・上り8本 穴水〜宇出津 下り8本・上り9本 また、定期観光バス「おくのと号」は次のような系統が設定されていた。 (下り) 5号 穴水0815→宇出津0930→飯田1148→狼煙1323→時国家1539→1640輪島 7号 宇出津1035→飯田1318→狼煙1433→時国家1638→1739輪島 (上り) 2号 輪島0725→時国家0907→狼煙1113→飯田1200→宇出津1455→1600穴水 ※2号は運休中。 4号 輪島0810→時国家0937→狼煙1113→飯田1240→宇出津1451 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年9月1日に門前線(穴水栄町〜総持寺前)が廃止された。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、小木線の棚木〜遠島山 公園及び小木駅前〜北九十九が認知され、小屋線を南鵜飼〜泥ノ木大町に変更 した。 ・国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に、奥能登本線の穴水〜河内、神和住線の上 町〜能登上、小屋線の南鵜飼〜泥ノ木大町口の各区間の廃止公示がなされた。 ・奥能登線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに継承された。 ・1990(H2)年5月1日に神和住線の斉和農協前〜上町が休止された。 ・1990(H2)年3月改正の「JRバス奥能登線時刻表」によると、奥能登線には次の ような系統が設定されていたのを確認できる。 (奥能登本線) 穴水〜宇出津 下り8本(うち日祝運休1本、快速1本)・上り7本(うち 快速1本) ※快速は下りは3/1〜11/30運転、上りは3/10〜10/31と11月の金土日祝運 転。停車駅は下出、下曽山、本木、瑞穂及び鵜川口。 穴水〜鵜川口 上り2本 宇出津〜珠洲 下り3本(うち日祝運休1本)・上り6本 宇出津〜松波 下り2本 松波〜珠洲 下り1本 北方・珠洲〜木の浦 下り3本・上り2本 北方〜折戸 上り1本(日祝運休) 北方〜狼煙 1往復 北方〜寺家 4往復 狼煙〜折戸・木の浦 2往復(うち土曜運転1往復、土日祝運休1往復) (城山線) 穴水〜高校前〜穴水 4回 (太田原線) 穴水〜宇出津 1往復(下りは日祝運転) 穴水〜鵜川口 下り1本 穴水〜瑞穂 下り2本(うち日祝運休1本)・上り2本 (神和住線) 宇出津〜上町 上り1本 宇出津〜斉和農協前 下り2本・上り1本 宇出津〜上曽又 2往復 上曽又〜上町 下り1本 (小木線) 宇出津〜珠洲 下り3本(不定期)・上り1本(不定期) 宇出津〜松波 下り4本・上り5本 (東山中線) 北方〜木の浦 下り3本・上り3本(うち土曜運休1本、土日祝運転1本) 北方〜折戸 上り2本(うち土曜運転1本、土日祝運休1本) ・「JR時刻表」1994(H6)年11月号によると、定期観光バス「おくのと号」(J R便)は次のような系統が設定されていた。 (下り) 7号 穴水1000→宇出津1115→飯田1353→狼煙1505→時国家1653→1840輪島 ※3/10〜11/30運転 (上り) 2号 輪島0830→時国家1022→狼煙1225→飯田1306→宇出津1512→1610穴水 ※3/10〜11/30運転 ・1995(H7)年3月末限りで定期観光便「おくのと号」の廃止に伴い、木の浦〜輪島、 上時国〜南惣、宝立小学校前〜見付海岸、小木駅前〜北九十九、本小浦〜姫口、 高瀬口〜小木駅前及び能登飯田〜野々江の各区間が廃止された。また、同年10月 1日、神和住線の上曽又〜斉和農協前〜上町が廃止された。 ・2001(H13)年3月改正の「JRバス奥能登線時刻表」によると、奥能登線には次の ような系統が設定されていたのを確認できる。 (奥能登本線) 穴水〜宇出津 7往復(うち日祝運休2往復) 宇出津〜珠洲 下り3本・上り5本(うち日祝運休1本) 宇出津〜松波 下り2本(うち日祝運休1本)・上り1本(日祝運休) 北方・珠洲〜木の浦 下り3本・上り2本 北方〜折戸 下り2本(うち日祝運休1本)・上り1本(日祝運休) 北方〜狼煙 3往復 北方〜寺家 2往復 狼煙〜折戸・木の浦 2往復(日祝運休) (城山線) 穴水〜高校前〜穴水 3回 (太田原線) 穴水〜宇出津 下り2本(うち日祝運転1本)・上り1本 穴水〜瑞穂 下り2本(うち日祝運休1本)・上り2本 (神和住線) 宇出津〜上曽又 4往復(うち日祝運休1往復) (小木線) 宇出津〜珠洲 下り3本(うち日祝運休1本)・上り1本 宇出津〜松波 下り3本・上り4本 宇出津〜越坂 1往復 (東山中線) 北方・珠洲〜木の浦 下り3本・上り4本(うち日祝運休2本) 北方〜折戸 上り2本(日祝運転) ・残された区間も2002(H14)年3月末限りで廃止され、奥能登線は全廃となった。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、奥能登線には接続駅(穴水、 宇出津(宇出津駅前)、珠洲、蛸島、能登小木(小木駅前)及び輪島)の他に、 能登飯田及び小木町に第一種委託駅(自動車駅)、能登瑞穂、松波本町及び南 鵜飼に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2016 年 12 月 25 日 11:10:16 (15232) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【519】鹿島線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇鹿島線 1 七尾−穴水 2 田鶴浜福祉センター前−三引口 1.2 路線略図 田鶴浜福祉 三引口 センター前 ◎−−−−−−○−−−−○−−○−−−○−−◎ 穴水 中島駅前 | | 和倉 七尾 ・−−・ 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・鹿島線は、1951(S26)年7月1日に、奥能登本線の一部として穴水〜七尾が開業 したのがルーツで、七尾線の補完と沿線地方の開発を使命としていた。なお、 同線は1963(S38)年に奥能登線から分離した。 ・1960(S35)年6月の金沢鉄道管理局監修時刻表の国鉄自動車の頁から「七尾線」 (穴水〜七尾)の欄を見ると、「夜間急行バスのと号」を含めて次のように5 往復が設定されていた。のと号は「七尾線」内は無停車で運行されていた。 (下り) 金沢2300→七尾0128→0258穴水 急行「のと号」 七尾0630→0810穴水 七尾0925→1105穴水 七尾1230→1410穴水 七尾1720→1900穴水 (上り) 穴水0202→0337七尾→0600金沢 急行「のと号」 穴水0710→0850七尾 穴水1000→1140七尾 穴水1520→1700七尾 穴水1840→2020七尾 ・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方 都市間連絡に活躍していると述べられていた。 能登飯田〜金沢 158km 1往復(夜行便) 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年9月1日に穴水〜中島駅前の廃止公示がなされ、残った七尾〜中 島駅前、田鶴浜福祉センター〜三引口も、国鉄末期の1986(S61)年12月11日に 廃止された。
2016 年 12 月 25 日 11:09:24 (15231) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【512】宝達線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇宝達線 宝達本線 1 森本−七尾 羽咋線 1 高松−今浜支所前 2 高松−高松町 3 八野−木ノ窪 4 河原−宝達口 1.2 路線略図 ・−−−◎七尾 / ・ 今浜支所前| 河原 ○−−+◎−○−−−○宝達口 / 宝達| ・ | 高松町|高松 | 上河合 ○−◎−−−−○−−−○−−○木ノ窪 | 八野 | | | | ◎森本 ※当時、森本〜七尾は長期休止中の模様 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・宝達線は、1957(S32)年6月1日に、羽咋線高松〜宝達〜羽咋、高松〜高松 町、八野〜上河合として開業したのがルーツで、併せて、1955(S30)年3月 1日に開業した森本〜七尾が奥能登線から分離されて宝達本線となった。 ・宝達線は、七尾線の補完と沿線地域の開発を使命としていた。 ・1958(S33)年11月15日に上河合〜木ノ窪が延長された。 ・1963(S38)年5月1日に羽咋線宝達〜宝達口が開業した。 ・1966(S41)年9月15日に森本〜舟橋が加賀二日市経由から津幡駅前経由に変 更された。 ・1971(S46)年6月21日に羽咋線今浜支所前〜羽咋が廃止された。 ・1985(S60)年当時は、森本〜七尾、高松〜高松町、宝達〜今浜支所前は長期 休止中の模様で(宝達〜今浜支所前は1978(S53)年3月1日から休止※)、 1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正でこれらの区間は削除 されていた。 ※補足 夜行急行バス「のと号」と宝達線の推移 ・森本〜七尾は、金沢〜能登飯田の夜行急行バス「のと号」の運行開始に合わ せて1955(S30)年3月1日に開業し、途中停留所は津幡駅前のみ設置された。 同区間では、1957(S32)年6月1日(羽咋線の開業日と同じ)に、森本〜津幡 駅前の間に森本大橋、加賀今町、利屋町の3か所、津幡駅前〜七尾の間に本 津幡口、本宇野気、遠塚、加賀木津、高松の5か所の停車場が設置された。 ・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方 都市間連絡に活躍していると述べられていた。 能登飯田〜金沢 158km 1往復(夜行便) ・1960(S35)年6月の金沢鉄道管理局監修時刻表の国鉄自動車線の頁には、「夜 間急行バスのと号」のダイヤが次のように載っていた。 (下り) 金沢2300→津幡駅前2333→七尾0128→0258穴水0308→宇出津駅前0433→ 松波0533→0600能登飯田 (上り) 能登飯田2300→松波2327→宇出津駅前0029→0152穴水0202→七尾0337→ 津幡駅前0528→0600金沢 ・同じ時刻表では、金沢〜森本〜高松・今浜支所前の普通便として次の2往復が 夜間に設定されていた。 (下り) 金沢2115→森本2136→津幡駅前2153→本宇野気2216→2232高松 (2316今浜支所前) 金沢2210→森本2231→津幡駅前2248→本宇野気2311→2327高松 (上り) 高松2100→本宇野気2116→津幡駅前2139→森本2156→2218金沢 高松2130→本宇野気2146→津幡駅前2203→森本2226→2248金沢 ・宝達線の運行は当初金沢自動車営業所(本所)が担当し、上記の夜間普通便 は出入庫便を兼ねた運用と思われる。宝達線のバス運行拠点として、1966(S41) 年5月26日に金沢自営高松在勤が設けられた(※)。宝達線の全廃とともに、 高松在勤も1987(S62)年3月20日に廃止された(※)。 3.2 旅から30年 ・宝達線は、国鉄最末期の1987(S62)年3月20日に全廃された(※)。なお、廃 止公示は3月28日(3月29日付けで廃止)になされた。 ※ 謝辞 金沢自営高松在勤の設置及び廃止、宝達線の一部休止、宝達線の全線廃止日 について、もりさけてん様からご教示を頂きました。感謝申し上げます。
2016 年 12 月 25 日 11:08:28 (15230) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【511】金津三国線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇金津三国線 1 芦原温泉−芦原湯町 1.2 路線略図 芦原湯町○−−−◎芦原温泉 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・国鉄バス金津三国線は、1968(S43)年の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル 線撤去(いわゆる「赤字83線」)の一環として廃止された国鉄三国線(金津( →芦原温泉)〜芦原(→芦原湯町))の代替輸送を行うため、1972(S47)年3月1日 に開業した。 ・路線の性格は、芦原温泉への湯治客など観光路線的な要素もあるが、生活路線的 な面を兼ねており、朝夕の通勤・通学輸送は活況を呈していたとされる。鉄道線 芦原駅跡には自動車駅芦原湯町駅が設けられた(大野自営芦原派出所を併設)。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、下りが0640〜2150、上りが0645〜2135の間 で7〜19時台は10〜15分毎に運行されていた。始発・終発時間帯の国鉄バス便 は次の通り設定されていた。 始発帯 芦原温泉0700→0710芦原湯町 芦原湯町0645→0655芦原温泉 0730→0740 0715→0725 0730→0740 終発帯 芦原温泉1900→1910芦原湯町 芦原湯町1945→1955芦原温泉 1955→2005 2025→2035 2050→2100 2135→2145 2150→2200 3.2 旅から30年 ・大野自動車営業所(1986(S61)年11月1日から金沢自営大野支所に組織変更し、 併せて大野自営芦原派出所も金沢自営大野支所芦原在勤に変更※)及び管内路 線は、国鉄民営化に先立って1987(S62)年1月末限りで廃止された。 ・1987(S62)年1月末限りで金津三国線は廃止された。 ※ 補足 ・代替輸送とは、前述の国鉄ローカル線(「赤字83線」)撤去に伴い、鉄道路盤 と並行する一般道路を運行し、一般のバス賃率を適用している路線の輸送のこ とであり、国鉄自動車は5路線を担当していた。 ・国鉄三国線(鉄道)の廃止に伴い、並行道路にバス運行を行っている京福電鉄 バスに旅客輸送を委ねるべく地元折衝を行ったが、地元は国鉄バスの運行を強 く要望した。何回か折衝を行った結果、同区間の並行道路に国鉄バス25往復( 新設)、京福電鉄バス35往復(従前より11往復増発)の計60往復が1972(S47)年 3月1日から鉄道代替バスとして運行された。 ・金津三国線(鉄道代行バス)は途中停留所を設けず急行運転だった。 ※ 謝辞 ・1986(S61)年11月1日から、大野自動車営業所を金沢自営大野支所に、大野自営 芦原派出所を金沢自営大野支所芦原在勤に組織変更がなされたこと、1987(S62) 年1月末限りで金沢自営大野支所、金沢自営大野支所芦原在勤が廃止されたこと について、もりさけてん様からご教示を頂きました。感謝申し上げます。
2016 年 12 月 25 日 11:07:31 (15229) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【510】大野線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇大野線 大野本線 1 大野三番−向小駄良 2 君ヶ代橋−中の出−中休 3 谷戸口−中竜 石徹白北線 1 朝日橋−下在所 1.2 路線略図 ○下在所 | 鳩ヶ谷 君ヶ 朝日・ ↑ 越前大野 代橋 中休 谷戸口 橋/ | 美濃白鳥 ○−−◎−−−○−−−○−−○−−◎−○−−○−−○−−−○−> 大野三番 |中の出| | 九頭竜 白馬 油坂峠 向小駄良 ・−○−・ | 湖駅前 洞口 中竜○ ※美濃白鳥〜向小駄良〜鳩ヶ谷は、名金線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・大野本線1 向小駄良〜九頭竜湖駅前〜中休 ・大野本線2 中休〜中の出〜君ヶ代橋 ・大野本線1 君ヶ代橋〜越前大野 2.2 掲載 ・29日目 7/9(火) S61.4号 7.中部編 単行本 p149〜150 ・単行本のみ 九頭竜湖駅前駅の写真 2.3 行程 ◇美濃白鳥1302→1515大野自営 大野線 331-5002(いすゞBA05N) 美濃白鳥発 大野三番行 ◇大野自営1743→1817越前大野 「友兼線」循環 531-604(いすゞBU10P) 大野三番発 大野三番行 2.4 エピソード ・大野三番行きは山村を縫いながら福井県境へ向かって険しい登りで鉄砲水の跡が残る。 油坂峠を越えると改修工事が行われており、夫婦連れが運転士に頼み、峠を越えたと ころで降りた。炭鉱離職者で北海道から工事現場へ出稼ぎに来ているとのこと。 ・九頭竜湖は、渇水期にはダムに沈んだ旧道の橋などが湖底に姿を見せるという。九頭 竜ダム、鷲ダムを見て九頭竜湖駅前で休憩。駅前をあとに谷戸口からトンネルをくぐ り中竜へ寄り道。落石覆いだらけの悪路を行き、三井金属中竜鉱山社宅の人たちの便 をはかるためだが、利用者は2人だけ。 ・「友兼線」は夕方まで便がないとの運転士情報で大野へ向かう。勧められるままに大 野自動車営業所まで乗せてもらい、待ち時間に営業所の自転車を借りて大野市街地を 一回り。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・大野線は、1944(S19)年9月10日に大野口〜越前大谷、谷戸口〜中竜が貨物路線として 開業し、1947(S22)年10月10日に大野三番〜越前朝日〜越前大谷〜美濃白鳥、谷戸口〜 中竜が旅客営業を開始したのがルーツで、京福電鉄大野三番と越美南線美濃白鳥を結ぶ 鉄道先行及び短絡路線としての使命を有する他、地方産業の発展助長も使命としていた。 ・1948(S23)年2月5日から大野町〜西谷村、下穴馬村〜石徹白村の区間貨物運輸が開始 された(1952(S27)年9月1日廃止)。 ・1951(S26)年11月20日に勝原口〜鳩ヶ湯(後の白山線)が開業した。 ・1952(S27)年9月1日、貨物路線として西谷線(大野口〜上秋生、中島〜温見)と石徹白 線(越前朝日〜檜峠)が開業した。石徹白線は1953(S28)年7月5日から朝日橋〜石徹白 で旅客営業を開始した。 ・1955(S30)年8月5日に荷暮口〜池ヶ島、1957(S32)年2月20日に中休〜荒島スキー場前 (期間限定運行)、同年4月12日に越前大谷〜上伊勢の各区間が開業した。 ・1960(S35)年12月15日、鉄道の越美北線(南福井〜越前大野〜勝原)の営業開始と同時に、 春日〜越前大野〜菖蒲池(南回り)が開業し、越前大野駅への乗入れが開始された。 ・「交通年鑑1963(S38)年版」には、旅客の結合輸送について、次のように述べ られていた。 ◇鉄道・自動車とも座席確保の上、旅客を目的地まで輸送する、いわゆる 結合輸送をサービス向上と旅客誘致の面から実施している。 ◇本年度においては、襟裳を中心の「えりも号」、塩原を中心の「なすの 号」「奥塩原号」、草津を中心に「草津1・2号」「草津いでゆ号」と、 房総白浜海岸を中心に「房総1号」「京葉1号」と、御母衣ダムを中心 に「御母衣号」との間に結合輸送を実施した。 ・1963(S38)年10月10日に京福大野〜寺町〜越前大野が開業した。 ・鷲ダム(1968(S43)年5月)、九頭竜ダム(1968(S43)年7月)の竣工に伴い、1968(S43) 年12月26日に、影路〜上半原、越前大谷〜上伊勢、荷暮口〜池ヶ島の各区間が廃止され て、影路〜越前大谷〜白馬洞口〜下半原〜上半原が開業した。 ・1970(S45)年12月23日に、京福大野〜春日〜越前大野(南回り)、春日〜君ヶ代(南回り) が廃止された。 ・1972(S47)年12月15日に越美北線(鉄道)勝原〜九頭竜湖が延伸されたのに伴い、1973(S48) 年5月1日、谷戸口〜朝日橋が廃止され、谷戸口〜九頭竜湖駅前〜朝日橋が開業した。 ・1975(S50)年11月1日に東中〜中挟〜合同庁舎前が開業した。 ・1976(S51)年7月1日に石徹白北線の九頭竜湖駅前〜貝皿が廃止されて、朝日橋〜貝皿が 開業した。同年10月1日に貨物路線の西谷線が廃止された。 ・1977(S52)年1月4日に大野三番〜合同庁舎前が開業した。 ・1979(S54)年4月23日に白山線(勝原口〜鳩ヶ湯)が廃止された。 ・1983(S58)年5月1日、大野三番〜東中、中の出〜荒島の両区間が廃止されて、君ヶ代橋 〜中の出が開業した。 ・1985(S60)年当時、自動車駅として(自)九頭竜湖駅前駅が存在し、越美北線九頭竜湖駅 の業務も行っていた。また、国鉄バス運行の拠点として、大野市内に大野自動車営業所 を設けていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年夏ダイヤでは、大野三番〜美濃白鳥1.5往復、美濃白鳥→九頭竜湖駅前 1本、大野三番〜九頭竜湖駅前1.5往復、大野三番〜勝原遊園2往復、大野三番〜 中休4往復、友兼線循環1.5往復、九頭竜湖駅前〜中竜口5往復、石徹白北線九頭竜 湖駅前〜朝日前坂2往復が設定されていた。 ・国鉄末期の1987(S62)年1月末で大野自動車営業所(1986(S61)年11月1日から金沢 自営大野支所に組織変更※)の廃止に伴って、君ヶ代橋〜中の出〜中休、谷戸口〜 中竜、朝日橋〜朝日前坂が廃止された。存続区間は美濃白鳥自動車営業所に移管さ れたが、国鉄最末期の1987(S62)年3月28日限りで大野三番〜九頭竜湖駅前の廃止 公示がなされた。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、向小駄良〜九頭竜湖駅前、白馬洞口〜白馬洞が JR東海バスに継承され、冬季を除く季節運行が行われてきたが、2002(H14)年9 月末限りで全廃された。 3.3 旅の考察 ・石徹白北線は、1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正により朝日橋〜 朝日前坂に短縮されている。1983(S58)年夏ダイヤで石徹白北線は九頭竜湖駅前〜朝 日前坂に2往復が設定されていたので、この時点で既に朝日前坂〜下在所は長期休 止中の模様である。 ・大野本線白馬洞口〜白馬洞は、同じ「国鉄自動車路線名称」全面改正で認知された。 ・大野自動車営業所では、定期観光バス「奥越秘境めぐり」を運行していた。1986(S61) 年夏ダイヤでは、4/29、5/3〜5、10/19、26の6日間次の行程での運行だった。 越前大野1015→九頭竜峡1035→1100自然木の家1120→1135九頭竜ダム1155→ 1210白馬洞1300→1305夢のかけ橋1325→1331穴馬総社1345→1400穴馬民族館 →グリーンセンター1445→1535越前大野 ※ 謝辞 ・1986(S61)年11月1日の大野自動車営業所から金沢自営大野支所への組織変更、1987 (S62)年1月末限りでの金沢自営大野支所の廃止について、もりさけてん様からご教 示を頂きました。感謝申し上げます。 ※補足 福井豪雨に伴う越美北線代行輸送について ・2004(H16)年7月18日の福井豪雨で足羽川の5つの橋梁が流失したため、越美北線は 越前花堂〜越前大野が不通となった。同年9月11日には不通区間が一乗寺〜美山と なり、越前東郷〜美山に代行バスが運行された。 ・2005(H17)年6月13日から代行輸送は西日本JRバスの担当となり、美山駅構内に 金沢営業所美山派出所を設けて輸送に当たった。 ・約3年にわたる復旧工事を経て、2007(H19)年6月30日に越美北線は全線運転再開 し、その前日限りで代行バスの運行を終えた。
2016 年 12 月 24 日 14:45:38 (15228) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【509】名金線(2) 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇名金線(2) 名金急行線 1 鳩ケ谷−金沢 4 福光−荒田町島 5 福光西町−土山−上砂子谷 6 湯谷温泉口−国見ヒュッテ 7 鳴瀬−中尾 8 桐山−千の杉 9 堅田町−千谷口 10 森本−才田 11 鳴和−金沢 12 山の上−小二又 13 金沢−北安江 太美山線 1 天神町−下刀利 医王山線 1 古屋谷−加賀二俣−武蔵ヶ辻 2 医王口−見上山荘 1.2 路線略図 津幡・高松 Λ ○中尾 | 加賀 千谷口| 才田○ | 朝日○−−−○−○北千谷口 | | | / 八田○ | 千の杉○ / / | 四王寺 /|小 ○朝日牧 ○大場 ・ ○−・ ○池/ 森本 | / 深谷| |/ 支所前○−+ 元湯○ 桐山○ 上砂 小森 宝竜 ◎+ / / 子谷 谷口 寺 森本+−−○−−−○ 砂子谷○−○−−○−−○ 福光 | 堅田町 鳴瀬\ / \ \ 西町 法光寺○ \ 東原/ 土山○ 湯谷 +○+−◎福光 | 古屋谷○−−○ \ 温泉口 / | | ○東金沢 \ 小又西口○−○−○ 天神○ | |駅口 \ / 法林 町/ \| + 星稜 直江野○ / 寺 / ○越中高宮 鳴和○\ 高校前 | 国見ヒ / ○西太美 |\ +−○−○ | ュッテ○ / 東太美○ ・ ・−−+大樋町 \ 加賀市瀬○ ○太美山 / | / | 長江口○ | | ○−−+◎城端 / 山の上○ | 加賀○ 越中吉見○ 立美/| 北安江○ / | ○東長江 二俣| | \| |金沢/ ○橋場町 \ | 立野脇○ 荒田○ 広岡○ ◎−○本町 ○−+ \ ○田の島 | 町島| | | | /尾張| 小二又○ | 下刀利○ | ・−○−+−○ 町 ○兼六 | 越中○ 六枚町 武蔵 |園下 ○戸室清水 中尾| ヶ辻 ・ 十全 加賀 / ・ \ 病院前 田上 / / 小立野○−○−−○−−○−−−○見上山荘 / 医王口 細尾峠○ | | 飛騨 境川 ○下梨 萩町 鳩ヶ谷 下田 成出 橋詰 西赤尾 / 名古屋<−○−−○−−−○−−−○−−−○−−−○−−−−○上梨 ※鳩ヶ谷〜福光は1979(S54)年6月から休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・名金急行線1 金沢〜鳴和〜森本〜堅田町 ・名金急行線9 堅田町〜千の杉〜千谷口 ・名金急行線7 千谷口〜桐山〜鳴瀬 ・名金急行線1 鳴瀬〜古屋谷〜上砂子谷〜福光西町〜福光 2.2 掲載 ・30日目 7/10(水) S61.4号 7.中部編 単行本 p151〜154 ・連載誌のみ 527-8027の解説 2.3 行程 ○金沢1255→1320森本 名金急行線 発 行 527-0019(日野K-RC301) ○森本1420→1505加賀朝日 名金急行線 発 加賀朝日行(深谷元湯経由) 528-1002(日デK-U31K) ×加賀朝日1515→1541鳴和 名金急行線 加賀朝日発 金沢行 528-1002(日デK-U31K) △鳴和1628→1710中尾 名金急行線 金沢発 中尾行(小池経由) 528-1002(日デK-U31K) ○中尾1725→1743鳴瀬 名金急行線 中尾発 金沢行(千谷口・今泉経由) 528-1002(日デK-U31K) ○鳴瀬1803→1810古屋谷 名金急行線 発 古屋谷行 527-4471(日野P-HT225AA) ○古屋谷1820→1850福光 名金急行線 金沢発 福光行 527-8027(日野RE121/RC301) 2.4 エピソード ・森本までは5〜10分ヘッドの頻発で、森本駅前に大きなバス乗り場があり、こ の先は運行系統が複雑に分かれる。 ・加賀朝日行きバスは、右に北陸自動車道を見てメインルートの堅田町から狭い カーブを登り、深谷温泉を通って台地へ出た。 ・加賀朝日から金沢行きになって折り返すバスで適当な所まで戻る。このバスが 運転士共々中尾行きとなって引き返してくるそうなので、スーツケースを置か せてもらえないかと頼んでみる。「間違いなく、また乗るなら構わんよ。前へ 出しておいて。いたずらされても悪いし、他のお客さんが忘れ物と思ってもい かんからなあ。あんたも全部乗る人?たまに、こんな所までワイド周遊券で乗 りに来てくれる人もあるよ。この辺りのバスはワイドならどこでもええ、ミニ では乗れんと、こう覚えてるんです。」 ・中尾行きは深谷経由と別ルートの小池を通ったが、どの道も狭い。乗り継ぎ地 点の北千谷口は何もない三差路なので、終点の中尾まで乗り越す。杉林と笹の 間に目を凝らすと、農家が数十軒固まっている様子だが、富山側に出ると散居 村になるという。 ・今泉経由ルートは数か所で土砂崩れに見舞われて修復したばかり。「不通のた め路線変更」の貼り紙があちこちの停留所に残っており、午前中は通れなかっ た模様。 ・本線ルートへ出た鳴瀬で福光行きを待つと、車の往来は実に激しい。 ・福光行きは高校生と勤め帰りの人で満員。上り下りするうち、県境手前の東原 で大量下車が見られたが、十数人は乗り通す。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・名金線(鳩ヶ谷以北)は、1935(S10)年10月3日に金沢〜古屋谷が金福線として 開業したのがルーツで、1938(S13)年6月30日に古屋谷〜総平、1939(S14)年9月 1日に総平〜福光が開業した。 ・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(III)戦時期2−」(『東京経大 学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営 自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、金福線金沢〜橋場町が 1943(S18)年7月5日から、橋場町〜森本が1944(S19)年4月20日から旅客運行 が休止された。 ・名金線(鳩ヶ谷以北)の大要を占めていた金白北線の区間は、北陸本線金沢と 城端線城端とを結ぶ鉄道代行路線としての使命を有していた他、城端から金白 南線美濃白鳥を結ぶ鉄道短絡路線及び地方産業文化の発展助長をも使命として いた。 ・戦後は、1948(S23)年9月21日に古屋谷〜加賀二俣、1950(S25)年11月11日に深谷 鉱泉口(→堅田町)〜四王寺、1951(S26)年3月10日に福光〜井波駅前(後の井 波線)及び福光〜越中吉見(後の太美山線)、1952(S27)年8月15日に小坂神社 前〜小二又、同年10月18日に福光〜飛野〜経塚(→東太美)〜城端が開業した。 ・1953(S28)年12月30日には、金白北本線福光〜越中高宮〜城端〜上梨〜西赤尾〜 境川橋詰が開業して、同日に鳩ヶ谷〜境川橋詰が開業した金白南本線とつながっ た。併せて、同日から井波駅前〜小牧堰堤が開業した。なお、この時から金福線 は「金白北線」と改称された。 ・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、金白北線の特長として、金沢から境川 橋詰を通って金白南線美濃白鳥まで162kmの全行程を9時間余で毎日直通便を運 転しているが、冬季は雪のため城端以遠は運転を休止すること、金沢〜美濃白鳥 で1日2往復バスの車体に郵便ポストを取り付けて郵便物の速達を図り、利用者 から好評を得ていること、加越能鉄道と金沢〜椿原及び福光〜小牧堰堤に限り、 普通乗車券及び回数乗車券所持の旅客に共通乗車の取扱いをしていること、と述 べられていた。 ・1955(S30)年10月28日、医王山線武蔵ヶ辻〜小立野〜医王口〜田の島〜加賀二俣 が開業した。1957(S32)年4月12日、四王寺〜加賀朝日〜南千谷が開業し、翌19 58(S33)年2月1日に森本〜才田、1959(S34)年4月12日に上砂子谷〜小又二口〜 福光東町、同年10月5日に金沢〜北安江、1960(S35)年5月に福光東町〜開発〜 西太美、同年7月15日に医王山線医王口〜見上山荘、1961(S36)年5月1日に鳴 瀬〜中尾がそれぞれ開業した。 ・「交通年鑑1962年版」には、昭和36年12月1日現在運行中の長距離路線(100km 以上)として、次の運行系統が載っていた。 金沢〜美濃白鳥 159km 福光〜美濃白鳥 130km ・その後、1963(S38)年3月6日に太美山線越中吉見〜下刀利、1965(S40)年12月2 日に千の杉〜小池〜桐山、1966(S41)年5月18日に湯谷温泉口〜国見ヒュッテが それぞれ開業した。 ・1966(S41)年11月1日から金白南・北線は名金急行線と改称され、名古屋〜金沢 に直通便が運行開始した。1967(S42)年11月15日から直通急行便の専用区間とし て荒田町島〜城端及び東金沢駅口〜金沢の直行経路が開業した。 ・1970(S45)年7月12日に井波線(福光〜小牧堰堤)が廃止された。 ・1977(S52)年12月1日に南千谷〜千谷口が開業した。 ・座談会「自動車営業最前線−営業所長大いに語る−」(「国鉄線」1981(S56) 年11月号所収)には金沢自営所長が出席し、次のような発言があった。 ◇金沢自営の輸送範囲は、石川県と富山県にわたっており、石川県は金沢市 を主体とした市内路線と、山岳地方の小規模な観光路線、それから富山県 に向けては名金線の金沢から福光まで、これは富山県との交流のためにも なっている。また、飛び地にあるため乗車効率のあまり良くない宝達線。 以上のような路線となっている。なお、特殊な問題として減価償却費が多 いことによる収支悪化がある。 ◇富山県福光町は国鉄協力会の方がいらして元々好意的だったが、当初保育 園等の野外散歩や老人ホームから温泉に行く場合、町のマイクロバスを使 っていたが、いろいろ話をした結果、この4月から国鉄バスでやらせても らえるようになった。 ◇この9月1日から11月30日まで「くつろぎの加賀 能登路」キャンペーン が実施されているが、現在七尾線が列車本数、種類の関係で、座席指定を して一貫した旅行をするのには必ずしも向いていないことに着目し、能登 の玄関口である金沢駅からぜひ国鉄バスでやらせて貰おうと考えた。そこ でレール側に対し、民営バスとの違いを説明し、例えば国鉄バスの貸切乗 車券を発行すれば取扱い収入がレール側に入るという有利な点や、鉄道と バスとの通し運送による輸送手配も可能である点など、国鉄の中で鉄道と バスが互いに協力していけば、その方がレールにとっても民営バスと組む より有利であることを説明して、このキャンペーンに取り入れてもらうよ うに進めた。そしてさらに進んで、金沢自営を中心として、付近の穴水自 営、大野自営と共同輸送をやるということで、貸切のコース・日程・運賃 も決め、団体の会員募集に全力を集中しているところ。 ◇この冬の対策として、結婚式場と契約して、5〜10kmの範囲内で送迎を任 され、各所にお客様を配っていくということを考えている。 ◇金沢自営も代行輸送の実施により、金沢駅や局の旅客課と関係が密接にな った。最近は、局の現場長会議に金沢自営所長も出席させていただき、国 鉄バスの貸切誘致もしている。駅や旅行センターとの関係では、最近は大 阪の旅行センターと連携をとるようになったし、各駅の旅行会を活用させ ていただいて会員制の企画もやれるようになった。 ・金沢自営「国鉄バス時刻表」1983(S58)年4月によると、名金線(2)には次のよ うな系統が設定されていた。 金沢〜森本〜古屋谷〜東原〜福光 9往復(所要1時間15〜20分) 金沢〜森本〜古屋谷〜東原 上り1本(所要1時間) 金沢〜森本〜古屋谷 3往復(所要35〜40分) 金沢〜森本〜古屋谷〜北方〜二俣〜田の島 下り2本・上り4本(所要1 時間〜1時間10分) 金沢〜森本〜古屋谷〜北方〜二俣 下り9本・上り8本(所要50〜55分) 金沢〜森本〜古屋谷〜北方 上り2本(うち日祝運休1本)(所要55分) 金沢〜森本〜鳴瀬〜今泉〜中尾 1往復(所要45分〜1時間) 金沢〜森本〜鳴瀬〜小池〜中尾 2往復(所要1時間) 金沢〜森本〜鳴瀬〜小池〜朝日 下り1本(所要45分) 金沢〜森本〜堅田町〜深谷〜朝日〜中尾 上り1本(所要55分) 金沢〜森本〜堅田町〜深谷〜朝日 下り2本・上り3本(所要50分) 金沢〜森本〜大場〜才田 下り21本(うち日祝運休3本、日祝森本〜才田 運休2本)・上り22本(うち日祝運休2本、日祝才田〜森本運休3本) (所要35〜40分) 金沢〜森本〜大場 下り2本(日祝運休、日祝森本〜大場運休各1本) (所要35分) 金沢〜森本 下り40本(うち日祝運休12本)・上り34本(うち日祝運休11 本)(所要25〜30分) 広岡〜金沢〜森本 上り3本(うち日祝運休1本) 金沢〜鳴和〜東長江〜牧〜小二又 5往復(所要30〜40分) 金沢〜鳴和〜東長江〜牧 下り7本・上り8本(所要30〜35分) 金沢〜鳴和〜東長江 3往復(うち日祝運休2往復)(所要30分) 金沢〜小立野〜医王口〜見上山荘 2往復(医王口〜見上山荘冬季運休) (所要45分) 金沢〜小立野〜医王口 3往復(所要35分) ・1985(S60)年3月14日に太美山線西太美〜福光(開発経由)の廃止が公示された。 ・1985(S60)年6月当時、線内の(自)金沢、(自)森本、橋場町及び加賀二俣 に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、金沢自動車営業所 (広岡)及び同福光派出所(福光町内)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、名金線 (2)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 金沢〜森本〜福光 9往復(所要1時間15〜25分) 金沢〜森本〜深谷元湯 下り3本・上り4本(所要28〜35分) 金沢〜森本 5〜15分毎(所要20分) 金沢発 始発帯 0610,0635,0650,0710,0730 終発帯 2000,2010,2025,2045,2100,2130 森本発 始発帯 0648,0706,0712,0720,0726 終発帯 2018,2021,2044,2056,2103,2141 金沢〜医王口〜見上山荘 2往復(所要45分) 金沢〜医王口 3往復(所要35〜40分) 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年12月20日に高田〜山王町2丁目〜東長江が開業した。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、福光西町〜土山〜上 砂子谷が上砂子谷〜小又西口に変更され(小又西口〜湯谷温泉口〜福光西町は これまでに廃止された模様)、森本〜才田が森本〜才田〜八田(末端がループ 状となった。補足「民営化直後の才田地区の路線」を参照)に、金沢〜北安江 が金沢〜広岡(広岡〜北安江は廃止)にそれぞれ変更された。また、太美山線 は「福光・立野脇間」となり立野脇以遠が削除された(併せて、名金急行線の 福光〜荒田町島が削除され、起点が福光となった)。さらに医王山線では十全 病院前〜小立野が認知された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、名金急行線はJR東海バス及び西日本JR バス(形式上は名古屋〜金沢は両社の共管)に継承された。 ・民営化当時(1987(S62)年4月1日)の「自動車線普通旅客運賃表」の医王山線 の項には古屋谷〜加賀二俣〜田の島のみ掲載されており、田の島〜医王口〜小立 野〜武蔵ヶ辻及び医王口〜見上山荘の両区間はこの時までに廃止された模様で ある。(注:1988(S63)年3月に「橋場町〜医王山口〜見上山荘」休止とする文 献(同人誌)もあるが、他資料に基づく内容と整合しないので誤りと解する。) ・1987(S62)年6月1日に八田北〜農業試験場前が開業した。 ・1990(H2)年4月末限りで福光〜城端が休止された。 ・1991(H3)5月27日に広岡発着便が金沢駅西口に乗入れを開始した。同年12月21日 に西太美〜アローザスキー場が開業した。 ・1994(H6)年9月末限りで上砂子谷〜小又西口が廃止された。 ・2001(H13)年12月1日、福光〜立野脇及び西太美〜アローザスキー場が廃止された。 ・2003(H15)年12月1日から農業試験場前系統は全て才田経由となって試験場口は廃 止された(八田北〜試験場口〜農業試験場前が廃止され、才田〜農業試験場前が 開業)。 ・2004(H16)年6月7日、御所新橋の開通に伴って鳴和〜星稜高校〜御所町〜高田の 経路が新設された。他方、2005(H17)年3月7日から長江口〜東長江の運行がなく なった(小二又方面は全便が山王団地経由となった)。 ・2007(H19)年3月1日から金沢地区でオンデマンドバスの運行が開始された。これ に伴って、オンデマンドルートとして、高田〜星稜女子短期大学前〜御所一丁目〜 御所町会館前〜御所一丁目、福久東〜金沢サティ前〜大場新町の各区間が開業した。 同時に、古屋谷〜田の島及び東長江〜小二又が全便デマンド化された。また、堅田 町〜中尾〜小池〜鳴瀬間の昼間の便がデマンド化された。 ・同年9月3日から2008(H20)年3月14日まで「東金沢駅周辺100円バス」が運行され た。また、2008(H20)年3月15日から「牧線」の一部便が東金沢駅乗入れを開始した。 ・同年4月5日から「金沢ショッピングライナーまちバス」の運行(土日祝日のみ) を開始した。同年11月からは「金沢ふらっとバス」の長町ルートの運行を開始した。 ・2011(H23)年4月8日に武蔵ヶ辻〜香林坊〜広坂〜兼六園下〜兼六元町〜橋場町が 開業した。また、このダイヤ改正からオンデマンド予約を廃止し、旧オンデマンド ルートも予約なしで乗車できるようになった。これは、オンデマンドシステムで運 行した結果、各デマンドルートでほとんどの便に運行要請が入り、オンデマンドの メリットである不定期運行にならなかったため、定期運行化したものである。 ・2015(H27)年1月31日から金沢〜香林坊〜兼六園下〜橋場町〜山の上〜東山〜橋場町 〜尾張町〜金沢の循環バスが運行開始した。 ・2015(H27)年6月現在、名金線(2)は、金沢〜福光の他、牧方面、才田方面、中尾方面 及び田の島方面等の枝線が西日本JRバスによって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、名金線(2)には接続駅(城端、 福光、森本及び金沢)の他に、橋場町、太美山及び加賀二俣に第二種委託駅( 自動車駅)が置かれていた。 ※補足 民営化直後の才田地区の路線 ・1987(S62)年6月頃の「名金線路線図」には、才田地区の路線は次のように描 かれていた。(この路線図には八田北〜農業試験場前は1987(S62).6.1開業と あるので、1987(S62)年6月頃のものと推定した。) ○農業試験場前 | 試験場口○ +−−○−−○才田口 八田北○ 才田 | | ○忠縄 | | 加賀八田○−−−−−○寿光苑前 | ・ | ・ 湖陽住宅 八田東○・・・・・・・・●・・・ | ・ ・ | ・・・・・●・・・ 大場○ 湖陽一丁目 | 福久東 大場新町○−−○−−○森本支所前 | 森本◎+−>福光 | V 金沢 この路線図によると、加賀八田〜寿康苑前〜才田は1986(S61).11.20開業、八 田北〜農業試験場前は1987(S62).6.1開業とあった。 ・1991(H3)年頃の「名金線停留所一覧」には、才田地区の路線は次のように描か れていた。(この路線図には、金沢駅西口(1991(H3).5.27開業)は載っている が、アローザスキー場(1991(H3).12.21開業)が載っていないので、1991(H3) 年頃のものであると推定した。) ○農業試験場前 | 試験場口○ +−−○−−○才田口 八田北○ 才田 | | ○忠縄 | | 加賀八田○−−−−−○寿光苑前 | | | | 湖陽住宅 八田東○−−−+−+−−○−−・ | | | | ・−−−−○−−・ 大場○ 湖陽一丁目 | 福久東 大場新町○−−○−−○森本支所前 | 森本◎+−>福光 | V 金沢
2016 年 12 月 24 日 14:44:40 (15227) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【508】名金線(1) 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇名金線(1) 名金急行線 1 名古屋−鳩ケ谷 2 正ヶ洞−鷲見 3 大日岳スキー場口−大日岳スキー場 那留線 1 美濃白鳥−奥大間見 白鷲線 1 四辻−牛道 2 牛道学校前−阿多岐 石徹白南線 1 前谷−上在所 1.2 路線略図 福光・金沢 Λ : 上梨○………◎城端 : : 西赤尾○ : : : ○鳩ヶ谷 | | ○白山登山口 ○上在所 | | 大日岳ス ○御母衣ダム 朝日橋<−○下在所 キー場 | | ○ 蛭ヶ野 | | 正ヶ洞 | 高原 | 北濃◎−○−−○−−−○−−−○−−○牧戸 向小 / 前谷 | 大日岳 九頭竜湖 駄良/ ・ スキー 駅前 <−○−◎美濃白鳥 \ 場入口 |・・ \ 白鳥 | ・ ○−−−○鷲見 役場前○ ・ 牛道 ・高鷲 / \・ 学校前 ・役場前 美濃弥富駅前○ ○−−−○−−○ |・ |四辻 | 阿多岐 郡上八| ・ | | 幡駅前○ ・| ○牛道 岐阜駅前 / ○ ◎−−○ 奥大間見 | 美濃市 | 役所前 尾張一○ 宮駅前| | 名古屋◎−>高蔵寺 \ ・−>東京 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・名金急行線1 岐阜駅前〜美濃白鳥〜向小駄良 2.2 掲載 ・29日目 7/9(火) S61.4号 7.中部編 単行本 p148〜149 2.3 行程 ○岐阜駅前1035→1230美濃白鳥 名金急行線 名古屋発 鳩ヶ谷行 531-1414(いすゞK-CJM520) 2.4 エピソード ・定刻10時27分に8分遅れて鳩ヶ谷行きが到着。1日1往復で、線名は名金急行 線でも金沢へ直通するのは1時間前に出ている名鉄バス1往復(夏から秋にか けて運行)だけ。国鉄バスは鳩ヶ谷〜福光間57.1kmが長期運休中。 ・バスは長良川沿いに遡るが水量は少ない。美濃市のはずれで10分休憩し、長良 川、越美南線ともつれるように郡上八幡を抜け、美濃白鳥へ。ここで15分ほど 時間調整して運転士が交替。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・名金線(南部)は、1931(S8)年9月1日に美濃白鳥〜牧戸が白城線として開業 したのがルーツで、戦時中の1944(S19)年9月10日から原産地路線(貨物)とし て美濃白鳥〜上半原〜越前大谷が開業した。 ・戦後の1948(S23)年12月30日に牧戸〜鳩ヶ谷が延長され、1953(S28)年3月16日 に金白南線の鳩ヶ谷〜境川橋詰、金白北線の福光〜境川橋詰が開業して、美濃 白鳥と金沢が国鉄バスで結ばれた。 ・この路線は、越美南線美濃白鳥と城端線城端とを結ぶ鉄道の短絡路線としての 使命を有していた他、中部日本の秘境といわれる白川郷、五箇山を探勝する観 光路線及び地方産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・1951(S26)年5月5日に美濃白鳥〜牛道が開業した。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1952(S27)年5月号(S26.11.1改正)によると、白城 線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 4往復(所要3時間24〜31分) 美濃白鳥〜牧戸 1往復(所要1時間45〜49分) 美濃白鳥〜正ヶ洞 下り1本・上り2本(所要37分) 牧戸〜鳩ヶ谷 1往復(所要1時間31〜40分) ・「日本国有鉄道監修時刻表」1954(S29)年10月号(7/1改正)によると、金白南線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 美濃白鳥〜金沢 2往復(所要9時間27分〜10時間) 美濃白鳥〜福光 1往復(所要7時間37分〜8時間15分) 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 2往復(所要3時間12〜23分) 美濃白鳥〜平瀬 1往復(所要2時間30分) 美濃白鳥〜牧戸 (所要1時間35分) 美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(所要36分) 牧戸〜鳩ヶ谷 1往復(所要1時間35分) 鳩ヶ谷〜金沢 1往復(所要5時間51分〜6時間12分) 美濃白鳥〜牛道 7往復(所要25分) ・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、1953(S28)年に鳩ヶ谷と金白北線の 福光が結ばれ、美濃白鳥と金沢を直結する直通便を運転しているが、冬季は雪 のため鳩ヶ谷以遠を休止する、美濃白鳥から金沢まで1日2往復、バスの車体 に郵便ポストを取り付けて郵便物の速達を図っていると述べられている。 ・1958(S33)年7月1日に高鷲役場前〜鷲見が開業した。 ・「交通年鑑1962年版」には、昭和36年12月1日現在運行中の長距離路線(100km 以上)として、次の運行系統が載っていた。 金沢〜美濃白鳥 159km 福光〜美濃白鳥 130km ・1962(S37)年10月1日に那留線四辻〜奥大間見〜美濃弥富駅前が開業した。 ・1963(S38)年7月27日に石徹白南線前谷〜下在所、石徹白〜上在所が開業した。 ・その後、1966(S41)年12月1日に名古屋〜美濃白鳥が開業し、名古屋〜美濃白鳥 〜福光〜金沢を「名金急行線」と改称した。 ・「国鉄バス名金急行線の誕生」(「国鉄線」1967(S42)年2月号所収)には、 国鉄バス長距離ベストワン(名神高速線名古屋〜神戸間215.5km)を更に上回る 名金急行線名古屋〜金沢間266.4kmが1966(S41)年12月1日から運行開始したこと、 この路線の開業に伴い北陸・飛騨・郡上・美濃地方と中京地区との交流旅客の 利便が向上し産業・観光資源の開発が期待されること、沿線には白川郷・五箇山 の他、御母衣ダム、蛭ヶ野高原等の豊富な観光資源が存在し、観光路線としても 有望視されていること、使用する車両は中長距離の冷暖房車で、座席はリクライ ニングシートのデラックスバスであること、運行回数は2往復で名鉄も名古屋〜 金沢の運行を2往復行うので共通乗車の取扱いをしていることが述べられている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、名金線 (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 名古屋〜金沢 次の2往復 (下り) 名古屋0800→白鳥1114→平瀬1246→西赤尾1421→福光1628→1730金沢 名古屋0930→白鳥1245→平瀬1417→西赤尾1531→福光1738→1840金沢 (上り) 金沢0800→福光0902→西赤尾1114→平瀬1254→白鳥1435→1740名古屋 金沢0930→福光1032→西赤尾1319→平瀬1426→白鳥1605→1910名古屋 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り2本 美濃白鳥〜牧戸 1往復 美濃白鳥〜福光 上り1本 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/25改正)によると、名金線 (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 名古屋〜金沢 次の2往復 (下り) 名古屋0800→白鳥1114→鳩ヶ谷1316→西赤尾1422→福光1628→1730金沢 名古屋0930→白鳥1245→鳩ヶ谷1447→西赤尾1532→福光1738→1840金沢 (上り) 金沢0800→福光0904→西赤尾1113→鳩ヶ谷1244→白鳥1445→1750名古屋 金沢0930→福光1032→西赤尾1318→鳩ヶ谷1405→白鳥1605→1910名古屋 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り4本(所要2時間28分) 美濃白鳥〜平瀬 下り1本(所要1時間54分) 美濃白鳥〜牧戸 1往復(所要1時間11分) 美濃白鳥〜蛭ヶ野高原 下り2本・上り4本(所要54分) 美濃白鳥〜正ヶ洞 下り4本(所要28分) 平瀬〜鳩ヶ谷 下り1本(所要30分) 蛭ヶ野高原〜牧戸 下り1本(所要26分) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年2月号(12/21現在)によると、名金線 (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる(鳩ヶ 谷〜福光間は降雪期間中(4月下旬ないし5月上旬まで)運休との注記あり)。 名古屋〜牧戸・鳩ヶ谷 次の2往復 (下り) 名古屋0800→白鳥1114→1321鳩ヶ谷 名古屋0930→白鳥1240→1342牧戸 (上り) 鳩ヶ谷1220→白鳥1430→1735名古屋 牧戸 1448→白鳥1605→1910名古屋 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り4本(所要2時間30分) 美濃白鳥〜平瀬 下り1本(所要2時間1分) 美濃白鳥〜牧戸 2往復(所要1時間15分) 美濃白鳥〜西洞 下り2本・上り1本(所要44分) 美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(所要30分) 平瀬〜鳩ヶ谷 下り1本(所要33分) 美濃白鳥〜上在所 運休中 ・1977(S52)年10月15日、那留線四辻〜美濃白鳥(3.6km)(大島団地経由)が開業 した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、名金線 (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 名古屋〜金沢 次の2往復 (下り) 名古屋0750→白鳥1115→鳩ヶ谷1320→福光1551→1653金沢 名古屋0920→白鳥1245→鳩ヶ谷1455→福光1730→1849金沢 (上り) 金沢0840→福光0955→鳩ヶ谷1220→白鳥1430→1745名古屋 金沢0950→福光1052→鳩ヶ谷1355→白鳥1605→1920名古屋 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り4本(所要2時間15分) 美濃白鳥〜牧戸 2往復(所要1時間5分) 美濃白鳥〜あやめ沢 下り1本・上り2本(所要51分) 美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(所要25分) ・1970年代以降の輸送量の低減傾向に伴う長距離路線の再編成策の1つとして、 長距離旅客の輸送使命を果たした名金急行線鳩ヶ谷〜福光を1979(S54)年6月に 休止した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(8/12現在)によると、名金線 (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 名古屋〜鳩ヶ谷 次の2往復 (下り) 名古屋0750→白鳥1115→1312鳩ヶ谷 名古屋0920→白鳥1245→1442鳩ヶ谷 (上り) 鳩ヶ谷1220→白鳥1430→1745名古屋 鳩ヶ谷1355→白鳥1605→1920名古屋 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り4本(所要2時間15分) 美濃白鳥〜牧戸 下り4本(うち1本は正ヶ洞〜牧戸は10/31まで運転)・ 上り2本(所要1時間5分) 美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(所要25分) 牧戸〜鳩ヶ谷 下り1本(所要1時間5分) 美濃白鳥〜上在所 3往復(所要1時間5分) ・美濃白鳥自営「国鉄バス名金急行線時刻表」1981(S56)年4月改正によると、名 金線(名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていた。 (名金急行線) 名古屋〜鳩ヶ谷(「国鉄特急」) 次の2往復 (下り) 名古屋0750→1105白鳥1115→1209牧戸1212→1312鳩ヶ谷 名古屋0920→1235白鳥1245→1339牧戸1342→1442鳩ヶ谷 (上り) 鳩ヶ谷1220→1317牧戸1320→1417白鳥1430→1745名古屋 鳩ヶ谷1355→1452牧戸1455→1552白鳥1605→1920名古屋 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り4本(所要2時間17分) 美濃白鳥〜牧戸 下り4本(うち1本は正ヶ洞〜牧戸は5/1〜8/31運転)・ 上り2本(所要1時間5分) 美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(所要25分) 牧戸〜鳩ヶ谷 下り1本(所要1時間5分) (鷲見線) 美濃白鳥〜正ヶ洞〜鷲見 3往復(うち土曜のみ運転1往復)(所要50分) (白鷲線) 美濃白鳥〜阿多岐 4往復(うち1往復は白中半休日運転)(所要27分) 美濃白鳥〜牛道 4往復(所要27分) 美濃白鳥〜大島団地〜牛道 4往復(うち日祭運休2往復)(所要29分) (那留線) 美濃白鳥〜大島団地〜奥大間見 4往復(うち日祭運休1往復)(所要25分) 美濃白鳥〜奥大間見 1往復(所要23分) (石徹白南線) 美濃白鳥〜上在所 3往復(所要1時間5分) ・1983(S58)年6月末限りで那留線の美濃弥富駅前〜奥大間見、四辻〜美濃白鳥 (1.9km)(大藪経由)、白鷲線阿多岐〜高鷲役場前の廃止が公示された。 ・1985(S60)年当時、(自)名古屋、牧戸及び鳩ヶ谷に自動車駅が存在した。また、 国鉄バス運行の拠点として、名古屋自動車営業所(名古屋市内)及び美濃白鳥 自動車営業所が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、名金線 (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 名古屋〜鳩ヶ谷 次の1往復 (下り) 名古屋0920→白鳥1245→1442鳩ヶ谷 (上り) 鳩ヶ谷1220→白鳥1430→1745名古屋 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り4本・上り5本 美濃白鳥〜牧戸 下り3本・上り2本 牧戸〜鳩ヶ谷 下り1本 美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(休日運休) 美濃白鳥〜上在所 3往復 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年6月25日に正ヶ洞〜鷲見の廃止が公示された。 ・美濃白鳥自営「国鉄バス名金急行線時刻表」1986(S61)年4月1日改正によると、 名金線(名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていた。 (名金急行線) 名古屋〜鳩ヶ谷(「国鉄特急」) 次の1往復 名古屋0920→1237白鳥1245→1339牧戸1342→1437鳩ヶ谷 鳩ヶ谷1230→1324牧戸1327→1422白鳥1430→1747名古屋 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り4本・上り5本(所要2時間4分) 美濃白鳥〜牧戸 下り3本・上り2本(所要1時間5分) 美濃白鳥〜正ヶ洞 2往復(うち日祭運休1往復)(所要23分) 牧戸〜鳩ヶ谷 下り1本(所要59分)(4/2より運転) (白鷲線) 美濃白鳥〜大島団地〜阿多岐 4往復(うち土曜運転1往復)(所要27分) 美濃白鳥〜大島団地〜牛道 8往復(うち日祭運休2往復)(所要29分) (那留線) 美濃白鳥〜大島団地〜奥大間見 4往復(うち土日祭運休1往復)(所要 25分) (石徹白南線) 美濃白鳥〜上在所 3往復(所要1時間5分) ・国鉄末期の1986(S61)年12月28日に那留線四辻〜奥大間見及び石徹白南線前谷〜 上在所の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、名金急行線はJR東海バス及び西日本JR バス(形式上は名古屋〜金沢は両社の共管)に継承された。 ・1994(H6)年4月22日、名古屋〜鳩ヶ谷の「特急白川郷」を各務原IC〜美並IC間 東海北陸自動車道経由に経路変更した。 ・1995(H7)年8月末限りで白鷲線(美濃白鳥〜牛道、牛道学校前〜阿多岐)が廃 止された。 ・1998(H10)年4月18日、「特急白川郷」を一宮木曽川IC〜白鳥IC間東海北陸自 動車道経由に経路変更した。これに伴い、名古屋〜尾張一宮駅前〜岐阜駅前〜 郡上八幡駅前〜下剣〜美濃白鳥の旧経路が廃止され、名古屋・岐阜駅前〜高速 郡上八幡が開業した。 ・美濃白鳥営業所「JR名金線バス時刻表」2000(H12)年4月15日改正によると、 名金急行線には次のような系統が設定されていた。 名古屋〜鳩ヶ谷(特急「白川郷」) 次の1往復 名古屋0830→郡上八幡駅1003→1031美濃白鳥1036→1130牧戸1133→ 1227鳩ヶ谷 鳩ヶ谷1410→1504牧戸1507→1601美濃白鳥1606→郡上八幡駅1634→ 1817名古屋 ※4月第3土曜日〜11/30運転 岐阜駅〜鳩ヶ谷(高速経由) 次の1往復 岐阜駅1200→高速郡上八幡1305→1330美濃白鳥1340→1434牧戸1437→ 1531鳩ヶ谷 牧戸0700→0754美濃白鳥0800→高速郡上八幡0825→0930岐阜駅 美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り2本・上り3本(所要1時間51分) 美濃白鳥〜牧戸 下り1本(所要54分) 美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(日祝第2・4土運休)(所要20分) ・2002(H14)9月末限りで鳩ヶ谷以南の名金急行線は全廃された(名古屋〜鳩ヶ谷、 岐阜駅前〜高速各務原及び高速郡上八幡〜郡上八幡駅前が廃止)。併せて、美 濃白鳥営業所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、名金急行線(名古屋〜鳩ヶ谷) には接続駅(名古屋、岐阜(岐阜駅前)、美濃白鳥及び北濃)の他、牧戸に第 一種委託駅(自動車駅)、正ヶ洞、平瀬及び鳩ヶ谷に第二種委託駅(自動車駅) が置かれていた。 ・最長片道きっぷの旅本文では、美濃市の外れで10分間休憩したとあるが、中村 儀朋「さくら道」(後述の補足参照)161頁で、岐阜県美濃市でドライブインを 経営する方が「ドライブインを始めた時から国鉄バスが家の前に停まってくれる ようになりましてね」と話しており、この地点が休憩地ではないかと推測する。 ※補足 「桜紀行・名金線もう1つの旅」、「さくら道」について ・1984(S59)年5月17日、NHK名古屋放送局が制作したドキュメンタリー、北陸 東海「桜紀行・名金線もう1つの旅」が中部地方で放映された。この番組の内容 をNHKアーカイブスのサイトから引用すると次の通りである。 「名古屋と金沢を結ぶ国鉄バス名金線。その沿線に桜を植え、太平洋と日本海を 花で結ぶのを夢みていた国鉄バス車掌・佐藤良二さんは、志半ばの昭和52年、 47歳でこの世を去った。しかし佐藤さんが12年間に植え続けた2,000本の桜は、 今も名金線の沿線に見事な花を咲かせている。佐藤さんを桜のとりこにした 御母衣ダムの荘川桜と名金線沿線に咲く桜を訪ね、関係者の話を交えながら 佐藤さんが桜に寄せた夢のあとをたどる。」 ・この番組の制作に携わった中村儀朋氏は、佐藤さんの膨大な手記等に基づいて、 1987(S62)年に小説「さくら道」を上梓した。この小説の一部は、1987(S62)年 〜1992(H4)年にかけて、「太平洋と日本海を桜で結ぼう」という題名で中学校 の教科書(光村図書出版「国語1」)に掲載された。また「さくら道」を原作 とした映画「さくら」が1994(H6)年に劇場公開された。 ・これ以降、佐藤さんや名金線沿線に対する世間の注目が高まった。JR東海バス も、桜の開花時期に名古屋から旧名金線沿線の桜の名所を巡り福光まで北上する ツアーバス(さくら道「名金線」の旅)を運行していた。
2016 年 12 月 24 日 14:43:40 (15226) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【507】西天竜線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇西天竜線 西天竜本線 1 宮口−堀谷 2 宮口−鹿島橋 遠三線 1 麁玉中学前−三河大野 2 巣山−細川−三河小野 1.2 路線略図 三河 小野 細川 巣山 三河大野◎−○−−○−−○ \ |\ ・−○−・ \ 遠江 三河阿寺 ○渋川 ○堀谷 \ | \ | 宮口 鹿島橋 ・−○−◎−−−○−>双竜橋 麁玉 | 中学前 V 西鹿島 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・西天竜本線2 宮口〜鹿島橋 2.2 掲載 ・36日目 7/16(火) S61.5号 8.関東・信越編(上) 単行本 p175 2.3 行程 ・宮口→西鹿島 タクシー 2.4 エピソード ・宮口〜西鹿島はバスだが、午前中2本だけのダイヤなのでいかんともしがたく、 タクシーを呼ぶ。遠鉄バスも来ているが浜松に直行し、西鹿島には寄らない。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・西天竜線は、1955(S30)年12月15日に浜松〜宮口〜堀谷〜南石神〜遠江阿寺〜熊 〜遠江渋川及び遠三線(宮口〜三河大野)が開業したのがルーツである。 ・西天竜線の名前が現れたのは、1953(S28)年1月10日に遠江横山〜大地野口〜大 地野峠〜出馬駅口〜川合駅口〜中部駅口〜佐久間、大地野口〜熊が、天竜線の 支線「西天竜線」として開業したのが最初であった。 ・1955(S30)年3月25日に静愛橋〜三河長岡が開業し、同年12月15日には前述の通 り、浜松〜宮口〜遠江阿寺〜熊〜遠江渋川が開業した。 ・1956(S31)年8月16日に遠江横山〜秋葉発電所前〜大倉口が開業した。 ・1957(S32)年2月20日に遠三線三河小野〜細川が開業した。 ・1958(S33)年11月8日に中部天竜〜佐久間ダムが開業した。 ・1962(S37)年11月1日に大倉口〜大白木が開業した。 ・1963(S38)年に西天竜線は天竜線の部から独立し、浜松〜中部駅口、熊〜遠江渋川、 大地野口〜遠江横山他の区間から構成されていた。 ・1965(S40)年10月現在のダイヤでは、西天竜線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 1) 西天竜本線 浜松〜宮口 6往復(所要47分) 宮口〜熊 2.5往復(所要1時間18分) 熊〜浦川 2往復(所要1時間28分) 熊〜東栄 1.5往復(所要52分) 2) 遠三線 宮口〜三河大野 2往復(所要1時間54分) 宮口〜遠江渋川 2往復(所要53分) ・1966(S41)年1月15日に遠三線巣山〜細川が開業した。 ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、西天竜線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 浜松〜三河大野 1往復 浜松0738→宮口0826→遠江渋川0919→一色0942→1022三河大野 三河大野0942→一色1024→遠江渋川1050→宮口1146→1233浜松 浜松〜遠江渋川 1往復 浜松〜久留米木橋 2往復 浜松〜大平 1往復 一色〜三河大野 4往復 阿寺〜三河大野 1往復 ・1971(S46)年9月6日に大地野〜原田橋、静愛橋〜東栄が廃止された。 ・1974(S49)年4月23日に宮口〜鹿島橋が開業した。 ・1976(S51)年4月現在のダイヤでは、西天竜線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 宮口〜三河大野 1往復(宮口1003→1154三河大野0910→1106宮口) 浜松〜遠江二俣 4往復 宮口〜遠江二俣 1往復 浜松〜滝沢口 1往復 浜松〜大平 1往復 一色〜三河大野 4往復 ・1983(S58)年7月1日に堀谷〜熊、熊〜遠江渋川が廃止されるが(同時に熊〜遠江横 山は天竜線に編入)、それに先立って堀谷〜南石神、阿寺東〜熊が休止され、休止 区間に挟まれた南石神〜阿寺東が他の区間とはつながらない「落下傘路線」として 通学輸送を行っていた時期があった。 ・1983(S58)年9月現在のダイヤでは、西天竜線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 遠江二俣・宮口〜三河大野 1往復 (遠江二俣0908→宮口0925→1104三河大野0900→1043宮口) 浜松〜遠江二俣 5往復 浜松〜宮口 1往復 宮口〜遠江二俣 下り2本 浜松〜大平 2往復 一色〜三河大野 3往復 ・その後、同年11月1日には浜松〜宮口本町も廃止された。 静愛橋 原田橋 東栄◎−○−−○−−○−−◎−>西渡 | 出馬駅口 佐久間 | | ○大地野峠 遠江渋川 熊 | 遠江横山 三河大野<−○−−−−○−○−−−−−○−>水窪 | |大地野口 | V | V 宮口 ○阿寺東 遠江二俣 | | ○南石神 | ○堀谷 | 遠江渋川<−○麁玉中学前 | 宮口◎−>鹿島橋 \ \ ◎浜松 ・1985(S60)年当時は、宮口〜堀谷、宮口〜鹿島橋の西天竜本線と麁玉中学前〜三 河大野他の遠三線が運行されていた。S30年代には熊から先、東栄、中部天竜ま で路線が伸びており、東海道本線、二俣線、飯田線の短絡という使命を有して いた時代もあった。 ・1985年(S60)年2月改正の天竜線時刻表によると、西天竜線には次のような便が 設定されていた。 1) 西天竜本線 宮口〜堀谷 3往復 2) 遠三線 遠江二俣〜三河大野 1往復 遠江二俣・宮口〜大平 3往復 一色〜三河大野 3往復 三河大野〜細野広見 1往復 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年11月1日に西天竜本線麁玉中学前〜堀谷の廃止公示がなされた。 ・1986年(S61)年3月改正の天竜線時刻表によると、西天竜線(遠三線)には次の ような便が設定されていた。 遠江二俣〜三河大野 1往復 遠江二俣・宮口〜大平 3往復 一色〜三河大野 3往復 三河大野〜細野広見 1往復 ・1987(S62)年2月1日に遠三線巣山〜三河小野の廃止公示がなされ、国鉄最末期 の同年3月29日に西天竜本線宮口〜鹿島橋、遠三線宮口〜三河大野の廃止が公示 され、西天竜線は全廃された。 3.3 旅の考察 ・1985(S60)当時の自動車線普通旅客運賃表によると、遠三線遠江渋川駅は途中下 車駅とされていた。 ・1985(S60)年2月改正の天竜線時刻表によると、西天竜線遠江二俣〜宮口は下り 1本(遠江二俣0908→0924宮口)、上り2本(宮口0740・1043→0756・1059遠江 二俣)のみの運行であった。
2016 年 12 月 24 日 14:42:40 (15225) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【506】天竜線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇天竜線 天竜本線 1 遠江二俣−池島 2 双竜橋−西鹿島 3 相津−佐久 4 横山町−大白木 5 遠江横山−熊 6 大倉口−月島 7 遠江西川−白倉 8 瀬尻−峰之沢口 9 水窪町−水窪 10 水窪町−有本 東天竜線 1 遠江谷山−東雲名 2 遠江小川−笹合 佐久間線 1 西渡−原田橋 2 中部駅口−中部天竜 1.2 路線略図 ・−−○池島 / 水窪町○−−−−○有本 |\ | ◎水窪 城西駅前○ | ○相月駅前 中部 | 駅口 佐久間 | 原田橋○−−○−−◎−−○西渡 | | 中部天竜◎ | 瀬尻○−−−○峰之沢口 | |遠江 白倉○−−−○西川 | 東雲名 | ○ 熊○−−−−−・ 遠江| | 大倉口\横山| | 大白木○−−○−−○−○横山町| ・−○笹合 / 遠江| |/ 月島○ 谷山○−−−○遠江小川 | 相津○−−○佐久 | | ・−○双竜橋 鹿島橋| | 三河大野・宮口<−○ ◎遠江二俣 | 西鹿島◎−・ 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・天竜本線9 水窪〜水窪町 ・天竜本線1 水窪町〜西渡 ・佐久間線1 西渡〜佐久間〜中部駅口 ・佐久間線2 中部駅口〜中部天竜 ・天竜本線2 鹿島橋〜西鹿島 2.2 掲載 ・35日目 7/15(月) S61.4号 7.中部編 単行本 p170〜171 ・36日目 7/16(火) S61.5号 8.関東・信越編(上) 単行本 p175 2.3 行程 ・水窪〜水窪町 徒歩 ◇水窪町1548→1627西渡 天竜本線 水窪町発 遠江二俣行 431-6005(いすゞBA20) ◇西渡1724→1747中部天竜 佐久間線 遠江二俣発 西渡行 431-6002(いすゞBA20) ・宮口→西鹿島 タクシー 2.4 エピソード ・水窪〜水窪町の天竜本線支線は夕方に1本しかなく、対岸の水窪町まで徒歩。 ・西渡は乗り換えてもバス運賃を通算する乗り継ぎ駅になっており、西渡までの 運賃を支払うと整理券に丸印が押される。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・天竜線は、1944(S19)年3月25日に貨物路線竜山線として遠江二俣〜遠江青谷が 開業したのがルーツで、当初は原産地路線として峰之沢鉱山の鉱石輸送を目的と していた。 ・戦後の1946(S21)年10月10日に同区間を含む遠江二俣〜遠江青谷〜瀬尻〜水窪、 双竜橋〜西鹿島、西渡〜佐久間が天竜線として旅客営業を含む一般営業を開始 した。天竜線は地方産業文化の発展助長を使命としていたが、観光路線として の使命をも有するものと期待された。 ・その後、1954(S29)年4月1日に水窪〜遠江瀬戸野が開業した。 ・1956(S31)年5月1日に遠江西川〜白倉が開業し、同年8月10日に小畑〜下田が 開業した。 ・1958(S33)年9月30日に遠江谷山〜東雲名〜秋葉ダム前〜大輪が開業した。 ・「交通年鑑1959年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を 取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和32年度に次のように急行 便を設定したとある。 遠江二俣〜中部天竜 61.5km 1往復 遠江二俣〜小畑 53.7km 2往復 ・1959(S34)年11月1日に山王峡〜有本が開業した。 ・1960(S35)年10月13日に水窪〜竜戸が開業し、同年12月28日に遠江小川〜門原が 開業した。 ・1962(S37)年11月1日に遠江瀬戸野〜池島、相津〜佐久が開業した。 ・1963(S38)年4月5日に東天竜線門原〜天春橋が開業した。 ・1964(S39)年3月1日に佐久間線中部駅口〜佐久間ダムが廃止される一方、同年 4月8日に大倉口〜月島が開業した。 ・1966(S41)年3月1日に東天竜線天春橋〜秋葉神社前が開業した。 ・1968(S43)年1月28日に瀬尻〜峰之沢が開業した。 ・1977(S52)年10月7日に遠江谷山〜遠江横山が廃止され、遠江谷山〜横山町が開 業した。 ・1983(S58)年7月1日に峰之沢口〜峰之沢、東天竜線の東雲名〜大輪及び笹合〜 秋葉神社前が廃止された。 ・1985年(S60)年2月改正の天竜線時刻表によると、天竜線では支線を含めて次の ような便が設定されていた。 1) 天竜本線 遠江二俣〜水窪町 6.5往復(1〜13便) 遠江二俣〜瀬尻・西渡 6往復(201〜209、211、1002、1006便) 2) 天竜本線各支線 佐久支線 3往復 (遠江二俣→佐久→相津1、遠江横山→佐久→遠江二俣2) 大白木・月島支線 4往復(351〜356、1353〜1354便) 熊支線 遠江二俣・相津・遠江横山〜熊 3往復 (301、303〜306、308便) 石打→遠江横山 上1(302便) 白倉支線 遠江二俣・遠江西川・瀬尻〜白倉 3往復(701〜706便) 峰之沢支線 遠江二俣・瀬尻〜峰之沢口 3往復(1001〜1006便) 有本支線 4往復(601〜608便) 池島支線 4往復(501〜508便) 3) 東天竜線 遠江二俣・遠江谷山・遠江横山〜笹合 5往復 (901〜906、1901〜1904便) 4) 佐久間線 西鹿島・水窪町・西渡〜中部天竜・原田橋 8往復 (51〜57、151〜156、252、253、257便) ・1985(S60)年当時は、遠江横山、遠江西川に自動車駅が存在していた。また、バス 運行の拠点として、遠江二俣に遠江二俣自営が、水窪町に同自営水窪派出所が設 けられていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月1日に水窪町〜有本が廃止された。また、国鉄最末期の1987(S62 )年3月29日、水窪町〜池島、相津〜佐久、遠江横山〜大白木、遠江横山〜熊、大 倉口〜月島、瀬尻〜峰之沢口の各区間及び東天竜線全線の廃止公示がなされた。 なお、これらの区間は、1986(S61)年3月改正の天竜線時刻表では運行がなされて いた。 ・それ以外の区間は、国鉄民営化及び自動車分離を経てJR東海バスに継承された。 ・1994(H6)年9月22日に白倉〜白倉峡が延長された。 ・1996(H8)年3月末限りで佐久間線全線が休止(後に廃止)された。 ・遠江二俣営業所「JR東海バス天竜線・白倉線運行時刻表」平成12年7月1日改正 によると、天竜線には次のような系統が設定されていた。 遠江二俣〜水窪町 5往復(1〜10便)(所要1時間51分) 遠江二俣〜瀬尻 上り1本(202便)(所要1時間31分) 遠江二俣〜白倉峡 1往復(701・702便)(所要55分) 瀬尻〜白倉峡 2往復(うち日祝運休1往復)(703〜706便)(所要36分) 西鹿島〜仲町 1往復(学休日運休)(401・402便(土曜運休)・1402便(土 曜運転)(所要8分) ・遠江二俣営業所管内の全廃により2002(H14)年9月末限りで天竜線は姿を消した。 3.3 旅の考察 ・水窪町1548発のバスは西渡行きの256便で、西渡では5分停車の後、水窪町行き の255便となって折り返す。西渡では遠江二俣行きの208便(遠江二俣からの203 便の折り返し)に2分で接続していた。西渡から中部天竜に向かったバスは、 遠江二俣始発の155便で中部天竜からは西鹿島行き最終の156便となるダイヤで あった。 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の天竜線の頁を見ると、遠江西川、 西渡、水窪本町、遠江横山の各駅は途中下車駅とされていた。
2016 年 12 月 24 日 14:31:40 (15224) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【505】瀬戸西線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇瀬戸西線 瀬戸西本線 1 瀬戸記念橋−造形短大口 2 瀬戸追分−さつき台−南山中学前 3 上水野−品野 4 上水野−穴田−品野 5 鹿乗−下半田川 6 鹿乗−東谷橋 7 鹿乗橋−尾張西尾 8 玉野−石尾台六丁目−尾張細野 陶都線 1 瀬戸記念橋−名古屋 2 北脇町−松原町−中水野 3 瀬戸追分−瀬戸市 4 松原町−苗場町−南山中学前 5 南山中学前−水野団地 6 志段味支所前−神領 7 志段味支所前−高蔵寺 1.2 路線略図 造形短大口○ ○尾張西尾 | \ 大池住宅前○−○大草 ○尾張細野 / 石尾台 /| 尾張下原○ 六丁目○ ○外之原 | \| 多治見 東野町○ 高蔵寺◎ ○玉野 定光 尾張 Λ | | 鹿乗橋| 寺口 沓掛 | | 神領 +−−−+−−○−・ ・−−○−−○−−○下半田川 乙輪町○−+ ◎ ○大留 | |鹿乗 / | | \ |/ ○−−○−−・ 曽野 品川 | 春日井◎ ○−−−○ 中志 /東谷 \ 稲荷前 鉱山 | 関田 神領\ 段味○ 橋 ○中水野 ○−−○ | 駅前 \ / / \ / \ | 志段味支所前○ / \ / \| /| 水野+−○すみ ○水野支所前 品野○−>明知 / | 団地○ |れ台 \ / 尾張竜泉寺○ +−○ + さつ 上水野○−○−−+ 京都 / 森林| 南山| き台 | 穴田 ○品野 美濃白鳥 大曽 守山自 ○緑地 公園| 中学○−○−+−○−+ |坂上 Λ 根町 衛隊前 |公園前 | 前/| 西| 市民|上松 | | 愛知 ○−○−−○−−○ 南山○ ○ | 松○ 公園○山町 | | 県庁前| 東大 尾張 町 |/山手|苗 山 \ / | 名古屋◎−−○−+ 曽根 小幡 松原○ 町 ○場 町 ○松山町 | \ 町 | |町 | | +−>東京 +−○−○−−−+−+ 瀬戸 ・ 北山町:水南 | | 駅前 / :町 ○ ○−−○−○瀬戸記念橋 : 瀬戸市:瀬戸: \ 效範町○…○………・追分: + :北脇町 : | ○…………○………○ V 瀬戸 瀬戸市 瀬戸 新豊田 今村 役所前 新開地 岡崎 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・陶都線7 高蔵寺〜志段味支所前 ・陶都線1 志段味支所前〜松原町 ・陶都線2 松原町〜南山中学前〜中水野 ・瀬戸西本線1 中水野〜水野支所前〜上水野〜瀬戸追分〜瀬戸記念橋 2.2 掲載 ・31日目 7/11(木) S61.4号 7.中部編 単行本 p156〜157 2.3 行程 △高蔵寺1316→1333志段味支所前 名鉄バス 高蔵寺発 名鉄バスセンター行 ○志段味支所前1350→1404松原町 陶都線 名古屋発 瀬戸追分行 528-8406(日デU30L) ○松原町1543→1555水野支所前 陶都線 発 曽野稲荷前行 528-0005(日デU31L) ○水野支所前1603→1630瀬戸記念橋 瀬戸西本線 発 瀬戸記念橋行 528-5473(日デP-U32L) 2.4 エピソード ・高蔵寺から志段味支所へ出るバス陶都線の枝線は1日3本で16時半までないが、 同支所までは30分おき発車の名鉄バスセンター行き名鉄バスがあったのを幸い、 代行乗車。 ・乗り換えた瀬戸追分行きは名古屋からのメインルートで30分ヘッド。緑の森林 公園を抜ける素晴らしい路線。松原町で裏街道へ入らねばならず下車。 ・松原町では中水野経由のバス停捜しにひと汗をかく。狭い十字路なので行先別 に同名の停留所がかなり離れて点在。 ・曽野稲荷前行きでうねうねした住宅地の細道を揺られ、突然広い道路へ出ると 難産中学前。古い住宅地と新開地のような所らしい。岡多線延長工事区間の高 架をくぐって水野支所前。 ・瀬戸記念橋行きに乗り継ぐと、この旅始まって以来の超満員。下校生に加えて 買い物の主婦も混じる。名鉄瀬戸線の踏切を渡り、瀬戸追分で半数が降りた。 瀬戸駅前でも大量下車したのに、さらりと座席に残ったお客はよその国鉄バス 平均乗客数より多かった。 ・瀬戸記念橋には、お客が絶えず出入りし、バスも繁く発着しており、国鉄バス 発祥の地では市民の足を担って活躍していることが分かる。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・瀬戸西線は、1930(S5)年12月20日に省営自動車(→国鉄自動車)最初の路線で ある岡多線の支線、高蔵寺線(瀬戸記念橋〜高蔵寺岡崎〜多治見)として開業 したのがルーツである。瀬戸西線を含む岡多線は、東海道本線岡崎と中央本線 多治見を結ぶ短絡路線としての使命を有していた他、地方産業文化の発展助長 をも使命としていた。 ・戦後は、1952(S27)年2月15日に十軒家〜北脇〜曽野〜品野〜岩屋堂、同年7月 1日に瀬戸記念橋〜陶原町〜共栄通〜瀬戸追分及び下半田川〜尾張沓掛〜定光寺 橋〜玉野〜鹿乗橋(玉野〜定光寺口は1972(S47)年7月5日に廃止公示)、同年 10月18日に高蔵寺〜大留〜春日井が開業した。1953(S28)年11月28日には北脇町 〜森林公園〜中志段味〜神領、同年12月30日には玉野〜木附〜外之原〜尾張細野 の各区間が開業した。 ・1955(S30)年12月16日、陶都線志段味支所前〜尾張竜泉寺〜尾張小幡〜尾張守山 (→守山自衛隊前)〜矢田町〜古出来町〜東桜通〜名古屋が開業し、瀬戸地区と 名古屋が直結した。併せて、同線志段味支所前〜高蔵寺も開業した。陶都線の矢 田町〜古出来町〜東桜通は1957(S32)年8月1日に廃止され、代わりに矢田町〜 東大曽根〜大曽根町〜愛知県庁前〜東桜通が開業した。 ・1956(S31)年7月18日に春日井〜尾張下原、1957(S32)年8月1日に陶都線水南町 〜瀬戸追分、1959(S34)年11月1日に上水野〜北脇(十軒家〜北脇廃止)が開業 した。 ・1958(S33)年7月1日に愛岐線東谷橋〜多治見が開業し、これに伴って陶都線の うち、名古屋〜東谷橋が愛岐線に移管された。 ・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、岡多線は国鉄自動車最初の路線として その歴史的意義は極めて深い、当時はバス13・トラック9の計22両で、岡崎と 多治見及び瀬戸記念橋と高蔵寺とを結ぶ路線のみであったが、1951(S26)年以来 今日まで営業キロ程は倍も伸び、殊に瀬戸を中心とした路線網は発展の一途を たどっている、と述べられていた。 ・「国鉄バス時刻表」1959(S34)年改正版(のりあいアーカイブス(2015)「愛知県 ・岐阜県のバス時刻表ライブラリー」所収)の陶都線・中馬線時刻表によると、 名古屋〜明知を高蔵寺・穴田経由(瀬戸市内を通らない)で運行する直通便が 次のように2往復運行されていた。 (下り) 名古屋0915→志段味支所前1000→高蔵寺1009→品野1036→1221明知 名古屋1625→志段味支所前1712→高蔵寺1721→品野1748→1933明知 (上り) 明知0800→品野0945→高蔵寺1012→志段味支所前1021→1106名古屋 明知1240→品野1425→高蔵寺1452→志段味支所前1501→1546名古屋 ・1960(S35)年8月25日に尾張細野〜尾張西尾、1961(S36)年9月15日に勝川〜尾張 下原〜大草〜坂下町(尾張下原〜勝川は1980(S55)年5月9日廃止公示)、1962( S37)年4月16日に陶都線水南町〜南山中学校前〜中水野、1963(S38)年4月1日に 水南町〜三郷、同年5月に春日井〜守山駅前(1980(S55)年5月9日に春日井〜矢 田町廃止公示)が開業した。 ・「交通年鑑1964年版」には、道路の改修と自動車の優等化により中長距離客が 増えており、現在国鉄自動車が運行している中長距離路線の他、主として次の 区間で、中長距離系統の新設、急行便の増発、新型車の増備、駅設備の改善を 図り、サービス向上に努めたと述べられている。 札幌〜小樽 37km 札幌〜美唄 63km 福島〜川俣 23km 西那須野〜鬼怒川 37km 土浦〜江戸崎 22km 瀬戸〜名古屋 26km 矢掛〜岡山 42km 山口〜博多 171km ・1965(S40)年1月、高蔵寺線は岡多線の部から独立して高蔵寺線の部が編成され た。その後、1970(S45)年10月から高蔵寺線は「瀬戸西線」に改称された。 ・1972(S47)年7月5日、愛岐線定光寺口〜多治見が廃止されて愛岐線の部が削除 されたことに伴い、名古屋〜東谷橋を陶都線、東谷橋〜定光寺口を瀬戸西本線に 編入した。 ・1973(S48)年1月18日に三郷〜森林公園口〜森林公園前、1977(S52)年12月23日に 瀬戸追分〜さつき台〜南山中学校前が開業した。 ・座談会「つばめのマークは今日も行く−自動車営業所長大いに語る−」(「国鉄線」 1976(S51)年11月号所収)には瀬戸自営所長が出席し、次のような発言があった。 ◇今年(1976年)の4月26日にレールの方の岡多線が新豊田駅まで開通し、国鉄 バスは鉄道の先行路線ということであったのでバスを減便した。ただ、今回 鉄道が走り始める路線と既にバスが走っている路線が距離的に大分離れてい る点、鉄道が部分開業である点、停留所の数が問題にならないほどバスの方 が多い点、お客さんの利用実態をみてもレールを利用されるような直通のお 客さんが非常に少ない点(バスの場合、途中の乗り降りが圧倒的に多い点) から、レールが開通してもバス路線を全面的に廃止するわけにはいかないと いう現実問題があった。 ◇瀬戸の場合は通勤・通学輸送が主体なので、増収を図る上で、利用者にとっ て価値ある商品になっているかどうかが一番重要と考えた。現在、瀬戸の場 合、平日ダイヤ・土曜ダイヤ・休日ダイヤの3種類に分かれており、要員を 有効に使うため日曜日等は行路数を減らしている。それを貸切なり他の面に 使うということにしている。ダイヤも、レールが修正されれば、すぐそれに 合わすということで、お客さんの利用実態を常に眺めていて、お客さんの少 なくなったところはやめて多い方へ振り向けるということをしょっちゅう行 って、収入の確保を図っている。これは大変だが、これをやっていかないと 瀬戸では生きる道はないのでやっている。 ◇確かに経営能率を向上させる中での路線やダイヤの見直しは難しい問題。例 えば、団地を控えての輸送になると、どうせても通勤の時間波動があって、 ダイヤの組み方もある程度のロスを覚悟せざるを得ない。そうすると現在あ る他の路線を振り替えてやりくりしていくという苦労をすることになる。と ころが、過疎地の路線へ行けば行くほど便数の削減が非常に難しい。いろい ろと専門的に試算した数字で説明するものの、地元の方は数字の問題ではな く感情問題で、よほど上手に説明していかないと難しい問題になる。 ・1984(S59)年4月、玉野〜石尾台六丁目〜尾張細野及び陶都線の南山中学前〜水 野団地が「国鉄自動車路線名称」に追加された(同区間が開業の模様)。 ・1985(S60)年3月14日に南山町〜三郷〜森林公園前が廃止される一方、同年4月 26日に大池住宅前〜造形短大口が開業した(同時に大池住宅前〜坂下町の廃止が 公示された)。 ・1985(S60)年当時、線内の瀬戸追分及び(自)名古屋に自動車駅が存在した。また、 国鉄バス運行の拠点として、瀬戸自動車営業所(瀬戸追分)及び名古屋自動車営 業所(名古屋市内)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、瀬戸西線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 名古屋〜森林公園〜瀬戸追分・瀬戸記念橋 下り27本(うち休日運休3本) ・上り28本(うち休日運休3本)(所要1時間13〜44分(追分)、1時間 20〜51分(記念橋)) 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、西松山町〜市民公園 〜上松山町が認知されるとともに、上水野〜品野が上水野〜曽野稲荷前(曽野稲 荷前〜品野が廃止の模様)に変更され、鹿乗橋〜尾張西尾が鹿乗橋〜尾張細野に 変更された(尾張細野〜尾張西尾が廃止の模様)。 ・国鉄最末期の1987(S62)年2月1日から西松山町〜中水野が開業した。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、瀬戸西線はJR東海バスに継承された。 ・1987(S62)年5月1日に市民公園〜中水野、同年9月7日にききょう台〜中水野 (小田妻西経由)が開業した。 ・1991(H3)年8月までに次の区間が開業した(※補足「1991(H3)年8月時点の瀬戸 西線」を参照)。 尾張細野〜植物園 十軒家〜中水野駅前〜中水野北〜上水野北〜穴田 中水野〜中水野北 上水野〜上水野北 公民館前〜水野団地 ・1996(H8)年3月末限りで、中水野北〜上水野北〜穴田及び上水野〜上水野北が 廃止された。 ・JR東海バス(1998)「JR東海バス10年史」には、一般線の輸送の変遷について、 瀬戸地区関係では次のように述べられていた。 ◇1988(S63)年4月の営業開始直前の同年1月に愛知環状鉄道が新豊田〜高蔵寺 を結び全線開通したことにより、当社のドル箱路線である瀬戸南線、瀬戸西 線が大きな影響を受けた中でのスタートだった。 ◇1988(S63)年3月に東海道新幹線三河安城駅の開業に当たって、三河安城駅〜 新豊田駅間の路線を運行開始したが、マイカーの利用が多く、バスの利用客 が伸びず、1991(H3)年3月に運行を休止した。 ◇一般線の効率化案件 S63年1月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎) H元年3月 ダイヤ改正(瀬戸・新居町) H元年7月 安城〜刈谷休止 H2年4月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎) H3年3月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎・中津川・遠江二俣・美濃白鳥) H3年3月 三河安城〜新豊田休止 H3年12月 八草〜新豊田休止 H4年3月 ダイヤ改正(新居町・岡崎・中津川・美濃白鳥) H4年4月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋)、大曽根駅乗入れ H5年3月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎・中津川・美濃白鳥) H5年7月 ダイヤ改正(瀬戸) H6年3月 ダイヤ改正(瀬戸・新居町・岡崎・中津川) H6年12月 ダイヤ改正(新居町・岡崎・中津川) H7年4月 ダイヤ改正(瀬戸・美濃白鳥) H8年4月 ダイヤ改正(瀬戸・遠江二俣) ・1999(H11)年1月末限りで、上水野〜穴田〜品野火の見下、神領駅口〜志段味 支所前、中水野〜市民公園口〜西松山町〜松山町、松原町〜山手町〜南山中学 校前、十軒家〜中水野駅前〜中水野北〜中水野、南山中学校前〜さつき台〜市 民公園口〜市民公園〜市民公園前、中水野〜小田妻〜すみれ台の各区間が休止 された。 ・瀬戸支店「瀬戸〜高蔵寺時刻表」2000(H12)年8月入手によると、瀬戸西線には 次のような系統が設定されていた。 瀬戸市〜苗場町〜南山中学〜水野団地〜小田妻西〜中水野〜鹿乗〜高蔵寺 下り13本(うち土日祝運休1本、日祝運休2本)・上り13本(うち日祝 運休4本、日祝運行2本)(所要21〜23分) 瀬戸市〜上松山町〜上水野〜水野支所〜中水野〜鹿乗〜高蔵寺 下り4本 ・上り7本(うち日祝運休、日祝運行各1本)(所要23〜28分) ・瀬戸支店「水野団地・曽野稲荷時刻表」2000(H12)年8月入手によると、瀬戸西 線には次のような系統が設定されていた。 瀬戸市→上松山町→市民公園前→上水野→水野支所→中新田→中水野→小 田妻西→ききょう台→水野団地→南山中学→苗場町→瀬戸市 13回(う ち土日祝運休2回、日祝運休3回)(所要24分) 瀬戸市→苗場町→南山中学→水野団地→ききょう台→小田妻西→中水野→ 中新田→水野支所→上水野→市民公園前→上松山町→瀬戸市 17回(う ち日祝運休4回、日祝運行2回、土日祝運休1回)(所要24分) 記念橋→瀬戸市→上松山町→市民公園前→上水野→水野支所→中新田→中 水野→小田妻西→ききょう台→水野団地→南山中学→苗場町→瀬戸市→ 記念橋 3回(所要45分) 記念橋→瀬戸市→苗場町→南山中学→水野団地→ききょう台→小田妻西→ 中水野→中新田→水野支所→上水野→市民公園前→上松山町→瀬戸市→ 記念橋 8回(所要45分) 追分〜瀬戸市〜苗場町〜南山中学〜すみれ台〜ききょう台〜小田妻西〜中 水野〜中新田〜水野支所〜曽野稲荷前 下り3本・上り4本(所要24分) ・瀬戸支店「春日井線時刻表」2000(H12)年8月入手によると、瀬戸西線には次の ような系統が設定されていた。 春日井〜大池住宅前〜造形大学 下り6本・上り9本(うち土日祝運休2 本)(所要22〜30分) 春日井〜大池住宅前 下り31本(うち土日祝運休3本)・上り32本(うち 土日祝運休6本)(所要15〜17分) 春日井〜神領駅口〜高蔵寺 下り1本(土日祝運休)(所要18分) ・瀬戸支店「名古屋・大曽根〜瀬戸方面時刻表」1999(H11)年2月2日改正による と、陶都線には次のような系統が設定されていた。 名古屋〜大曽根町〜志段味支所前〜瀬戸追分 下り16本(うち日祝運休1 本)・上り19本(うち日祝運休5本、日祝運行3本)(所要1時間16〜 45分) 大曽根町〜志段味支所前〜瀬戸追分 下り7本(うち日祝運休1本)・上 り6本(所要51〜53分) 名古屋〜大曽根町〜志段味支所前〜高蔵寺 下り2本・上り1本(日祝運 休)(所要1時間3〜8分) 大曽根町〜志段味支所前〜高蔵寺 上り1本(日祝運休)(所要40分) ・2001(H23)年3月23日から名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」が開 業し、JR東海バスも大曽根〜高蔵寺・中志段味・瀬戸みずの坂の運行を開始 した。これに伴って、同線と並行する陶都線の小幡緑地〜名古屋が廃止された 一方、乗馬倶楽部前〜水野団地、ききょう台〜瀬戸みずの坂、中志段味〜雨池 の各区間が開業した。 ・2002(H14)年3月1日から高蔵寺〜玉野台団地に循環バスの運行を開始した。 また、同年4月1日からゆとりーとラインの一般道区間に志段味スポーツラン ド前経由の経路が新設された。 ・同年9月末限りで、大池住宅前〜(造形短大口→)造形大学、春日井〜神領駅 口〜高蔵寺、玉野〜外之原〜尾張細野の各区間が廃止された。 ・2003(H15)年9月末限りで、中水野〜鹿乗橋、鹿乗〜東谷橋、公民館前〜すみ れ台〜小田妻西、水野支所前〜曽野稲荷前の各区間が廃止された。他方、同年 10月から中水野〜中水野駅が開業した。 ・2006(H18)年9月、ゆとりーとラインの高蔵寺発着便が減便の上全て名鉄バス になり、中志段味〜高蔵寺が廃止された。この他、「瀬戸循環線」の中水野駅 発着系統の廃止によって(中水野→)本郷町〜中水野駅が、瀬戸追分〜中志段 味系統の廃止によって松ヶ丘住宅前〜乗馬倶楽部前及び雨池〜中志段味が、そ れぞれ廃止された。 ・2007(H19)年3月末限りで高蔵寺〜石尾台〜植物園系統が廃止され、押沢台五 丁目〜植物園が廃止された。 ・2009(H21)年9月末限りで瀬戸支店管内の全線が廃止され、JR東海バスの一 般路線は全廃された。最後まで残った運転系統は次の5路線13系統であった( 「交通新聞」2008(H20)年9月1日による)。 ◇春日井線 春日井〜東野町〜大池住宅前(系統キロ4.9km) ◇玉野台循環線 高蔵寺〜玉野台団地〜高蔵寺(同9.3km) ◇瀬戸循環線 瀬戸市〜上水野〜水野団地〜瀬戸市(水野循環)(同7.6km) 瀬戸市〜水野団地〜東山町〜瀬戸市(やまて循環)(同7.0km) ◇瀬戸北線 瀬戸市〜瀬戸駅前〜品野〜上品野(同9.1km) 瀬戸市〜瀬戸駅前〜品野(同6.9km) 瀬戸追分〜瀬戸駅前〜品野〜上品野(同8.5km) 瀬戸追分〜瀬戸駅前〜品野(同6.3km) 瀬戸駅前〜品野〜上品野(同6.6km) 瀬戸駅前〜品野(同4.4km) ◇小幡緑地線 小幡緑地〜西小学校〜志段味支所前〜瀬戸みずの坂(同11.8km) 小幡緑地〜西小学校〜中志段味(同9.5km) 小幡緑地〜志段味スポーツランド〜中志段味(同5.3km) 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、瀬戸西線には接続駅(勝川、 高蔵寺、春日井及び名古屋)の他に、瀬戸追分に第二種委託駅(自動車駅)が 置かれていた。 ※補足 瀬戸西線各区間の経由地について ・上記の瀬戸西線の路線名称上の各区間について、途中経由地を整理すると、次 の通りであった。 ◇瀬戸西本線 1 瀬戸記念橋−造形短大口 瀬戸記念橋〜瀬戸追分〜松山町〜上松山町〜市民公園前〜上水野〜水 野支所前〜中水野〜鹿乗〜鹿乗橋〜高蔵寺〜大留〜神領駅前〜関田〜 乙輪町〜春日井〜乙輪町〜尾張下原〜大池住宅前〜造形短大口 2 瀬戸追分−さつき台−南山中学前 瀬戸追分〜松山町〜西松山町〜市民公園口〜さつき台〜南山中学前 2-2 西松山町−市民公園−上松山町(※国鉄自動車路線名称全面改正によ り認知された区間) 西松山町〜市民公園口〜瀬戸市民公園〜市民公園前〜上松山町 3 上水野−品野 上水野〜水野支所前〜北脇〜曽野〜曽野稲荷前〜品川鉱山〜品野 4 上水野−穴田−品野 上水野〜穴田〜品野陶磁器センター前〜品野火の見下〜品野本町〜品野 5 鹿乗−下半田川 鹿乗〜定光寺口〜尾張沓掛〜下半田川 6 鹿乗−東谷橋 鹿乗〜東谷橋 7 鹿乗橋−尾張西尾 鹿乗橋〜玉野〜自衛隊前〜木附〜外之原〜尾張細野〜尾張西尾 8 玉野−石尾台六丁目−尾張細野 玉野〜自衛隊前〜押沢台五丁目〜石尾台六丁目〜石尾台三丁目〜尾張細野 ◇陶都線 1 瀬戸記念橋−名古屋 瀬戸記念橋〜瀬戸新開地〜瀬戸市役所前〜瀬戸今村〜效範町〜北脇町〜 瀬戸追分〜水南町〜北山町〜松原町〜南山町〜松ヶ丘住宅前〜乗馬倶楽 部前〜森林公園〜志段味支所前〜竜泉寺〜緑地公園前〜尾張小幡〜守山 自衛隊前〜矢田町〜東大曽根〜大曽根町〜愛知県庁前〜東桜通〜長者町 〜名古屋 2 北脇町−松原町−中水野 北脇町〜松原町〜山手町〜南山中学前〜公民館前〜すみれ台〜小田妻〜 中水野 3 瀬戸追分−瀬戸市 瀬戸追分〜瀬戸市 4 松原町−苗場町−南山中学前 松原町〜苗場町〜南山中学前 5 南山中学前−水野団地 南山中学前〜公民館前〜すみれ台〜ききょう台〜水野団地 6 志段味支所前−神領 志段味支所前〜新外〜神領駅前〜神領 7 志段味支所前−高蔵寺 志段味支所前〜中志段味〜上志段味〜東谷橋〜高蔵寺 ※補足 1991(H3)年8月時点の瀬戸西線 ・1991(H3)年8月の瀬戸営業所管内・名古屋営業所管内路線図(車内掲示用)によると、 瀬戸西線の路線略図は次の通りである。この路線図では、尾張細野〜植物園が延長さ れた他、十軒家〜中水野駅前〜中水野北〜上水野北〜穴田、中水野〜中水野北、上水 野〜上水野北、中水野〜市民公園口、中水野〜小田妻西〜ききょう台、公民館前〜水 野団地が新設されている。 植物園○ | 尾張細野○−−・ | | 石尾台六丁目○ ○外之原 | | 押沢台五丁目○ ○押沢台口 | | 造形短大口○ 自衛○−−○木附 | 高蔵寺◎ 隊前| 大草農協前○ | 鹿乗橋 | | 大留○−−+−−○−−−○玉野 大池住宅前○ / | | | / 東谷橋○−−○鹿乗 尾張下原○ ○神領 / \十軒家 中水野駅前 | /|駅口 / 小田 ○−−−−−○ | / | / 妻西 |中水野 \中水野 乙輪町○−−○−・ | / ○−−○−−−+−−−○北 ○−−○曽野 多治見 | 関田 |/ ききょ| |\ \ \ /北脇 稲荷前 Λ 春日井◎ ○志段味 う台 ○−−○ \ 水野○−−−+ | /|支所前 |すみ| \支所前\ ○上水野北 |品野 / | |れ台| \ \ / \ ○−>片草 竜泉寺○ ○南原 水野○−−○公民 ・ ○−−−○穴田 品| | | 団地 |館前 | 市民|上水野 \ 野| | | 南山| | 公園| \ 品野陶磁器 本| 岩屋 緑地公園前○ ○森林公園 中学○−○−−○−○−○市民公園前 ○センター前 町○−>堂温 | \ /|さつ 市| | \ / 泉 | ○乗馬倶楽部 / |き台 民|西松 |上松 \ ○品野火 尾張小幡○ \ 前 ・ | 公○山町 ○山町 \ / の見下 / \ |山 | 園 \ / + / 東山町○ ○手 | 口 ○松山町 | 矢田町○−○守山自衛隊前 \ |町 ○苗場町 | 瀬戸 品野坂上○ | \| | | 記念橋 | 東大曽根○−+ ○−−○−−+−−−○−−○−○−−−−−−−・ | ◎大曽根 松 水 | 瀬 瀬 \ | 原 南 ○ 戸 戸 ・ 愛知県庁前○ 町 町 瀬戸市 追 駅 V | 分 前 新豊田 東桜通○ | 名古屋◎ ※補足 国鉄バス愛岐線について ・愛岐線は、1958(S33)年7月1日に東谷橋〜多治見が開業し、同日から名古屋〜多治見で 急行バスの運行を開始した(岡多線の部から独立)。その使命は中央線の補完であり、 中部地方最初の有料道路として建設された愛岐道路を運行していた。 ・1957(S32)年8月に発表された「国鉄自動車の基本方針」では、既設の旅客路線について は中長距離運転系統、特に急行バスの設定を重点事項としており、その一環として、名古 屋〜多治見の直通急行バスが開設された。 ・交通協力会「交通年鑑」1959(S34)年版には、愛岐線について次のように述べられていた。 ◇愛岐道路は、愛知・岐阜両県に跨り多治見市と名古屋市を結ぶ有料道路で、S32年7月 20日に完成した。この道路の延長キロは僅か11.7kmであるが、従来の峻険から脱け出て 安全な運行を確保し、運行時分の短縮とともに輸送力の増強に寄与し、沿道の開発は勿 論、定光寺・古虎渓一体の観光客誘致に貢献することとなった。 ◇国鉄自動車は多治見〜名古屋間を東濃笠原線道路を利用して既設運行していたが、愛岐 道路経由によって結ぶ場合は、運転時分が著しく短縮され、又観光客輸送に当たっては 乗り換えの不便も解消され、旅客の利便は実に大きいので、この道路を運行する東谷橋 〜多治見(15km)にS33.7.1より一般乗合旅客運送事業を開始した。 ◇開業以来の営業成績は次の通り。 区間:名古屋〜多治見間 営業キロ:35km 1日平均 走行キロ:501km 輸送人員:431人 車キロ収入:41円40銭(注:「国鉄自動車50年史」によると昭和33年度の旅客車キロ 当たり収入は国鉄自動車平均で64円24銭であった。) ・「国鉄バス時刻表」1959(S34)年改正版(のりあいアーカイブス(2015)「愛知県・岐阜県 のバス時刻表ライブラリー」所収)の愛岐線時刻表によると、同線は、国鉄バス、名鉄 バス、東鉄バスの3者が共同で16往復運行していた。このうち国鉄は、次の7往復を運 行していた。 (下り) 名古屋0710→0827多治見 名古屋0910→1027多治見 名古屋1050→1207多治見 名古屋1350→1507多治見 名古屋1650→1807多治見 名古屋1810→1927多治見 名古屋1950→2107多治見 (上り) 多治見0740→0857名古屋 多治見0840→0957名古屋 多治見1040→1157名古屋 多治見1220→1337名古屋 多治見1520→1637名古屋 多治見1820→1937名古屋 多治見1940→2057名古屋 また、途中停留所は次の通りであった。 長者町、東桜通、県庁前、山口町、森下、大曽根、東大曽根、三菱前、矢田町、矢田 橋、守山、小幡、竜泉寺、吉根、志段味支所前、上志段味、東谷橋、志段味口、玉野 発電所、定光寺、半ノ木口、古虎渓、金山鉱泉、桜木町、末広町、多治見橋、弁天町 ・「交通年鑑1960年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を 取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和33年度に次のように急行 便を設定したとある。 多治見〜名古屋 36km 7往復 ・1972(S47)年7月、愛岐線定光寺口〜多治見が廃止され、愛岐線の部が削除された。これに 伴って、名古屋〜東谷橋は陶都線、東谷橋〜定光寺口は瀬戸西本線に編入された。 ※補足 ドリームとよた号と瀬戸西線 ・1991(H3)年7月26日から東名高速線夜行便「ドリームとよた号」が東京〜名古屋を 岡崎〜康生町〜新豊田〜瀬戸記念橋〜瀬戸市経由で運行開始した。 ・このうち、瀬戸記念橋〜名古屋は、瀬戸西線と並行し一部区間は同じ経路を通ってい るが、次の区間は高速便独自の経路を通っている。 ◇(瀬戸市〜)東松山交差点〜新共栄橋南交差点〜瀬戸街道(県道61号線)〜(尾張旭 駅前)〜瀬戸街道(同)〜小幡駅前(〜名古屋)
2016 年 12 月 24 日 14:30:27 (15223) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【504】瀬戸北線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇瀬戸北線 1 瀬戸記念橋−多治見 2 品野−岩屋堂温泉 3 上半田川口−榎戸 4 市之倉−古虎渓駅前 1.2 路線略図 多治見 ◎ | 古虎渓 | 駅前○−−○市之倉 | 下半田川○−−○下半田川口 | // | //上半 | //田川 余床口○−−○−−○榎戸 | ○名学大前 | 上品 / | 野口/上品野 片草 品野○−−○−−○−−○−>明知 高蔵寺 | 中水野 品野○−−−○岩屋堂温泉前 Λ 本町| | ○火の見下 上水野○−−○−−+ | 穴田 ○品野坂上 | | | | 松山町○ 瀬戸 ○古瀬戸 | 記念橋 | 瀬戸市<−−○−−○−−・ 瀬戸 | 追分 V 新豊田 ・岡崎 ※下半田川口〜下半田川は路線名称にはない ※品野〜明知、上品野口〜名学大前は中馬線 ※岡崎・新豊田〜瀬戸記念橋は瀬戸南線 ※高蔵寺〜中水野〜上水野〜瀬戸追分〜瀬戸記念橋、瀬戸市〜瀬戸追分、上水野〜 穴田〜品野本町は瀬戸西線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・瀬戸北線1 瀬戸記念橋〜品野 2.2 掲載 ・31日目 7/11(木) S61.4号 7.中部編 単行本 p156〜158 2.3 行程 ○瀬戸記念橋1826→1955明知 瀬戸北・中馬線 名古屋発 明知行 538-2473(日デK-U31L) 2.4 エピソード ・瀬戸記念橋からの明知行きもぎっしり。市内の停留所に停まるたび下校生と勤 め帰りの人たちでますます込み、やがて品野近くから下車客が増えていった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・瀬戸北線は、日本最初の省営自動車路線である岡多線(岡崎〜多治見)の一部 として、1930(S5)年12月20日に瀬戸記念橋〜多治見が開業したのがルーツで、 1952(S27)年2月1日に市之倉〜縄手〜池田、同年2月15日に(十軒家〜)品野 〜岩屋堂(→岩屋堂温泉前)、同年7月1日に下半田川〜鹿乗橋、1953(S28)年 12月30日に上半田川口〜上半田川の各区間が開業した。 ・瀬戸北線を含む岡多線は、東海道本線岡崎と中央本線多治見を結ぶ短絡路線と しての使命を有した他、地方産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、瀬戸北線を含む岡多線の特長として、 S5.12.20開業した国鉄自動車最初の路線としてその歴史的意義は極めて深い、 当時はバス13、トラック9、計22両で、東海道本線岡崎と中央本線多治見及び 瀬戸記念橋と中央本線高蔵寺とを結ぶ路線のみであったが、S26年以来営業キロ 程は2倍も伸び、殊に瀬戸を中心とした路線網は発展の一途をたどっていると 述べられていた。 ・1966(S41)年1月15日に上半田川〜榎戸が開業した。 ・瀬戸北線は、1970(S45)年10月に岡多線の部から独立した。 ・座談会「つばめのマークは今日も行く−自動車営業所長大いに語る−」(「国鉄線」 1976(S51)年11月号所収)には瀬戸自営所長が出席し、次のような発言があった。 ◇今年(1976年)の4月26日にレールの方の岡多線が新豊田駅まで開通し、国鉄 バスは鉄道の先行路線ということであったのでバスを減便した。ただ、今回 鉄道が走り始める路線と既にバスが走っている路線が距離的に大分離れてい る点、鉄道が部分開業である点、停留所の数が問題にならないほどバスの方 が多い点、お客さんの利用実態をみてもレールを利用されるような直通のお 客さんが非常に少ない点(バスの場合、途中の乗り降りが圧倒的に多い点) から、レールが開通してもバス路線を全面的に廃止するわけにはいかないと いう現実問題があった。 ◇瀬戸の場合は通勤・通学輸送が主体なので、増収を図る上で、利用者にとっ て価値ある商品になっているかどうかが一番重要と考えた。現在、瀬戸の場 合、平日ダイヤ・土曜ダイヤ・休日ダイヤの3種類に分かれており、要員を 有効に使うため日曜日等は行路数を減らしている。それを貸切なり他の面に 使うということにしている。ダイヤも、レールが修正されれば、すぐそれに 合わすということで、お客さんの利用実態を常に眺めていて、お客さんの少 なくなったところはやめて多い方へ振り向けるということをしょっちゅう行 って、収入の確保を図っている。これは大変だが、これをやっていかないと 瀬戸では生きる道はないのでやっている。 ◇確かに経営能率を向上させる中での路線やダイヤの見直しは難しい問題。例 えば、団地を控えての輸送になると、どうせても通勤の時間波動があって、 ダイヤの組み方もある程度のロスを覚悟せざるを得ない。そうすると現在あ る他の路線を振り替えてやりくりしていくという苦労をすることになる。と ころが、過疎地の路線へ行けば行くほど便数の削減が非常に難しい。いろい ろと専門的に試算した数字で説明するものの、地元の方は数字の問題ではな く感情問題で、よほど上手に説明していかないと難しい問題になる。 ・1975(S50)年8月1日に大畑町〜多治見が陶都大橋経由に変更された。 ・1985(S60)年当時、線内の瀬戸記念橋及び市之倉に自動車駅が存在した。また、 国鉄バス運行の拠点として、瀬戸自動車営業所(瀬戸追分)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、瀬戸北 線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 瀬戸追分〜多治見 下り11本・上り12本(うち休日運休1本)(所要47〜 55分) 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、下半田川口〜下半田川 が認知された。同時に市之倉〜古虎渓駅前が削除された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、瀬戸北線はJR東海バスに継承された。 ・瀬戸支店「瀬戸追分・下半田川〜多治見」時刻表2000(H12)年12月4日改正によ ると、瀬戸北線には次のような系統が設定されていた。 瀬戸市・瀬戸追分〜下半田川〜多治見 下り5本(うち日祝運休1本、土日 祝運休1本)・上り7本(うち日祝運休1本、土日祝運休2本、土日祝運 転1本) 下半田川〜多治見 下り29本(うち土日祝運休4本、日祝運休2本)・上り 27本(うち土日祝運休3本、日祝運休2本) ・瀬戸支店「瀬戸市〜品野・多治見方面」時刻表2001(H13)年3月23日改正による と、瀬戸北線には次のような系統が設定されていた。 瀬戸市・瀬戸追分〜多治見 下り5本(うち日祝運休1本、土日祝運休1本) ・上り7本(うち日祝運休1本、土日祝運休2本、土日祝運転1本) 瀬戸市〜榎戸 下り2本・上り3本 瀬戸市〜岩屋堂温泉 2往復(日祝運転) 瀬戸市〜片草 下り5本(うち土日祝運休1本、土日祝運転1本)・上り4 本(うち土日祝運休1本) 瀬戸市〜上品野 下り31本(うち土曜運転1本、土日祝運転12本、土日祝運 休9本)・上り28本(うち土日祝運休8本、土曜運転1本、土日祝運転9 本) 瀬戸市〜名学大前 下り18本(うち土日祝運休5本、日祝運休2本、土日祝 運転1本)・上り17本(うち土日祝運休5本、日祝運休2本、土日祝運転 1本) 瀬戸市〜品野 下り2本(土日祝運休)・上り3本(うち土日祝運休1本、 日祝運休2本) ・2002(H14)年3月末限りで、品野〜多治見、品野〜岩屋堂温泉前、上半田川口〜 榎戸、下半田川口〜下半田川が廃止された。 ・瀬戸支店管内の一般路線全廃に伴い、最後まで残った瀬戸記念橋〜品野も2009 (H21)年9月末限りで廃止された。併せて、瀬戸支店も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、瀬戸北線には接続駅(多治見) の他に、市之倉に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・愛知・岐阜県境区間の上半田川口〜市之倉は、1976(S51)年4月1日現在の中部 地自管内路線図では上半田川口〜余床口〜下半田川〜妻之神〜南市之倉〜市之倉 という経路であったが、1986(S61)年の「瀬戸自動車営業所路線図」では上半田 川口〜蛇が洞橋〜かみ田〜下半田川口〜南市之倉〜市之倉という経路で、下半田 川口〜妻之神〜下半田川は枝線になっている。従って、この間に国道248号線の 新道が開通し経路変更が行われた模様である(この経路変更に伴う改キロ等の国 鉄公示はなされていない)。この区間の路線略図は次の通り。 多治見 Λ | ○市之倉 | ○南市之倉 妻之神 | 下半田川○−−○−−○下半田川口 | // | ○かみ田 | // | ○蛇が洞橋 | // 余床口○−−−−−○−−−○−−○榎戸 上半田| 上半田 川口 | 川 V 品野・瀬戸 記念橋
2016 年 12 月 24 日 14:28:23 (15222) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【503】瀬戸南線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇瀬戸南線 瀬戸南本線 1 岡崎−瀬戸記念橋 2 三河岩津−東名岩津 3 天神橋−鴛鴨 4 国江−三河上郷 5 天神橋−尾崎 6 南豊田−三河豊田 7 久保町−医療センター 8 挙母小学前−若宮町 9 挙母小学前−新豊田 10 東保見町−加納 11 保見町−浄水口 12 保見大畑−西広見 13 上八草−愛工大前 14 宝ヶ丘−聖霊学園前 15 宝ヶ丘−菱野団地−御殿橋 蒲郡線 1 岡崎−蒲郡 安城線 1 岡崎−坂戸−大高駅前 2 安城郵便局前−藤藪 3 東刈谷駅口−東刈谷駅前 藤岡線 1 四郷−柿野 1.2 路線略図 高蔵寺 Λ +>品野・多治見 品野<−○−>明知 | / :柿野 名古屋<−○−−○−○瀬戸記念橋 土岐上切○ 瀬戸 瀬戸 | : 追分 駅前 ○萩殿町 : | ○西市野々 ○御殿橋 : /| ○北曽木 菱野団地○ | : \| : 宝ヶ丘○−○聖霊学園前 ○折平 | : 南山口○ : | : 上八草○−○愛工大前 ○北一色 | : | 西広見 : 保見大畑○……○ ○西広瀬 | ○加納 : 保見町○ : ○東山口 |\ :伊保町 : |・+○−−○−−○四郷 浄水口○ 東保見 | ・ 町 | ・ ○豊田 ・ |梅ヶ坪 医療セ○ 挙母 | ンター \小学前| ○−−○久保町 京都 /| | 美濃白鳥 若宮町○ ・ ○東豊田 Λ / | | +>高蔵寺 新豊田○ | |/ | ◎−>東京 三河○−○南豊田 ・名古屋 豊田 | ・ ○藤薮 ・ |\ ●西大須 弥栄○ \上渡刈 ・ | ○ 東名 ・ +……○鴛鴨| 岩津 ・ 永覚○ | |名古<−○−>東京 ●神宮前 : | |屋 / ・ 和会○−○−−○−−○−−+ ・ | 三河 国江 :天神○三河岩津 ・ | 上郷 :橋 | 笠寺● | : ○大樹寺 駅前・ 中手山 |曲尺 尾崎: | ・ 横根○−○ 東刈谷 ○手 ○・・・・○・・○岡崎中央 ・ : |電装前 刈谷 駅前 | ・ 出郷 | ◎……○……○+ +−○−+◎ ○ |◎安城 ○明大寺 大高 共和 大府 / | || 渡町 | 駅前 駅前 駅口 + ○−−−○−−○+−−○−−○−−−+ 刈谷市○−−+ 東刈谷 安城 坂戸 | 駅前 刈谷 駅口 郵便 岡崎◎ 南口 局前 : 上地○ : 高力○ : 幸田◎ : 三河天王山○ : 竹の谷○ : 蒲郡◎ ※瀬戸記念橋〜品野〜多治見は瀬戸北線、瀬戸記念橋〜瀬戸追分〜高蔵寺は瀬戸西 本線、瀬戸追分〜名古屋は陶都線、東京〜東名岩津〜名古屋は東名高速線 ※名古屋〜大高駅前、安城〜出郷〜尾崎〜岡崎中央は名古屋線、名古屋〜高蔵寺は 陶都・瀬戸西線、名古屋〜美濃白鳥は名金急行線、名古屋〜京都は名神高速線 ※1982(S57)年2月10日時点で、瀬戸南本線の天神橋〜尾崎、東保見町〜加納、保見 大畑〜西広見、蒲郡線(岡崎〜蒲郡)、安城線の横根〜大高駅前、三河上郷〜永 覚〜鴛鴨、藤岡線(四郷〜柿野)は休止中 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・瀬戸南線は、1930(S5)年12月20日に省営自動車(→国鉄自動車)最初の路線で ある岡多線(岡崎〜多治見)の一部として開業したのがルーツである。瀬戸南 線を含む岡多線は、東海道本線岡崎と中央本線多治見を結ぶ短絡路線としての 使命を有していた他、地方産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(III)戦時期2−」(『東京経大 学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営 自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、岡多本線岡崎〜豊田工場 前が1944(S19)年4月20日から旅客運行が休止された。 ・戦後は、1951(S26)年5月5日に安城線上渡刈〜上郷(→三河上郷)〜安城、 1953(S28)年4月20日に安城線安城〜刈谷、同年12月30日に天神橋〜鴛鴨、 1954(S29)年12月25日に挙母昭和町(→東豊田)〜伊保原〜上伊保(→保見町)、 1956(S31)年4月20日に四郷〜柿野(後の藤岡線)、1958(S33)年11月15日に 天神橋〜荒居〜安城、1959(S34)年6月1日に保見大畑〜西広見、同年7月 19日に岡崎〜三河三谷〜海の家(期間限定運行、三河三谷〜海の家は1966( S41)年7月20日廃止、同日から三河三谷〜三谷乗船場開業)、1960(S35)年 5月27日に伊保堂(→東保見町)〜加納がそれぞれ開業した。 ・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、岡多線は国鉄自動車最初の路線として その歴史的意義は極めて深い、当時はバス13・トラック9の計22両で、岡崎と 多治見及び瀬戸記念橋と高蔵寺とを結ぶ路線のみであったが、1951(S26)年以来 今日まで営業キロ程は倍も伸び、殊に瀬戸を中心とした路線網は発展の一途を たどっている、と述べられていた。 ・その後、1961(S36)年5月10日に蒲郡線(岡崎〜蒲郡)及び南豊田〜鴛鴨、1963 (S38)年2月15日に天神橋〜上郷(→三河上郷)が開業した。また、1961(S36)年 5月10日には、名古屋線(名古屋線の部)名古屋〜笠寺駅前〜共和駅前〜横根〜 刈谷及び尾崎〜暮戸〜岡崎中央が開業し、安城線から刈谷〜安城を、岡多本線か ら安城〜尾崎を編入して、路線名称上は名古屋〜尾崎〜岡崎中央となった。 ・1968(S43)年4月18日に上八草〜愛工大前、1970(S45)年5月1日に三河岩津〜 東名岩津及び宝ヶ丘〜聖隷学園前がそれぞれ開業した。同年7月12日に名古屋 線名古屋〜大高駅前が廃止されて、岡崎中央〜尾崎〜大高駅前は安城線に編入 された(名古屋線は削除された)。また、同年10月、岡多線は「瀬戸南線」と 「瀬戸北線」に分割された(鉄道岡多線(貨物)岡崎〜北野桝塚間開業に伴う)。 1971(S46)年3月には東小学前〜豊田保健所前(→若宮町)が開業した。 ・1975(S50)年2月20日に安城線岡崎〜渡町〜安城及び刈谷市役所前〜刈谷市駅前 〜東陽町、東刈谷駅口〜東刈谷駅前が開業した(同時に岡崎中央〜安城及び刈谷 市役所前〜東陽町は廃止)。 ・1976(S51)年4月26日に南豊田〜三河豊田及び東小学校前〜新豊田が開業し、鉄道 岡多線の駅に乗り入れた。同日、宝ヶ丘〜菱野団地〜萩殿町も開業した。 ・「国鉄自動車50年史」(1980(S55)年)では、鉄道新線の開業計画に合わせ、鉄道 線の先行線としての役割を果たしたバス路線を再編成することとした、と述べられ ており、その一例として、岡多線岡崎〜新豊田の開業に合わせた瀬戸南線のダイヤ 削減(S51年4月実施)が挙げられている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(4/1現在)によると、瀬戸南線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 岡崎〜東豊田 15〜45分毎(所要約55分) 岡崎発0623(休日0640)〜2025 東豊田発0710〜2058 ※瀬戸追分方面は東豊田のりかえとの注記あり。 東豊田〜瀬戸記念橋・瀬戸追分 下り19本(うち休日運休3本)・上り20本 (うち休日運休3本)(所要51〜52分) 岡崎〜東名岩津 下り11本(うち休日運休1本)・上り14本(うち休日運休 4本)(所要27分) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、瀬戸南線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 新豊田〜瀬戸追分 下り20本(うち休日運休3本)・上り17本(うち休日運 休1本)(所要59〜1時間2分) 三河豊田〜瀬戸追分 3往復(うち休日運休1往復) 岡崎〜東名岩津 下り9本(うち休日運休2本)・上り11本(うち休日運休 5本)(所要31分) ・座談会「つばめのマークは今日も行く−自動車営業所長大いに語る−」(「国鉄線」 1976(S51)年11月号所収)には瀬戸自営所長が出席し、次のような発言があった。 ◇今年(1976年)の4月26日にレールの方の岡多線が新豊田駅まで開通し、国鉄 バスは鉄道の先行路線ということであったのでバスを減便した。ただ、今回 鉄道が走り始める路線と既にバスが走っている路線が距離的に大分離れてい る点、鉄道が部分開業である点、停留所の数が問題にならないほどバスの方 が多い点、お客さんの利用実態をみてもレールを利用されるような直通のお 客さんが非常に少ない点(バスの場合、途中の乗り降りが圧倒的に多い点) から、レールが開通してもバス路線を全面的に廃止するわけにはいかないと いう現実問題があった。 ◇瀬戸の場合は通勤・通学輸送が主体なので、増収を図る上で、利用者にとっ て価値ある商品になっているかどうかが一番重要と考えた。現在、瀬戸の場 合、平日ダイヤ・土曜ダイヤ・休日ダイヤの3種類に分かれており、要員を 有効に使うため日曜日等は行路数を減らしている。それを貸切なり他の面に 使うということにしている。ダイヤも、レールが修正されれば、すぐそれに 合わすということで、お客さんの利用実態を常に眺めていて、お客さんの少 なくなったところはやめて多い方へ振り向けるということをしょっちゅう行 って、収入の確保を図っている。これは大変だが、これをやっていかないと 瀬戸では生きる道はないのでやっている。 ◇確かに経営能率を向上させる中での路線やダイヤの見直しは難しい問題。例 えば、団地を控えての輸送になると、どうせても通勤の時間波動があって、 ダイヤの組み方もある程度のロスを覚悟せざるを得ない。そうすると現在あ る他の路線を振り替えてやりくりしていくという苦労をすることになる。と ころが、過疎地の路線へ行けば行くほど便数の削減が非常に難しい。いろい ろと専門的に試算した数字で説明するものの、地元の方は数字の問題ではな く感情問題で、よほど上手に説明していかないと難しい問題になる。 ・1979(S54)年7月29日に浄水公民館前〜浄水駅及び浄水口〜伊保堂(→東保見町) が開業した。 ・1985(S60)年3月14日、医療センター〜東保見町及び浄水公民館前〜浄水駅の両 区間の廃止が公示された。同年6月21日、藤岡線(四郷〜柿野)の廃止が公示 された。 ・1985(S60)年6月当時、線内の瀬戸記念橋に自動車駅が存在した。また、国鉄バス 運行の拠点として、瀬戸自動車営業所(瀬戸追分)及び同岡崎支所(北羽根)が 置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、瀬戸南線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 岡崎〜新豊田 下り15本(うち休日運休4本)・上り15本(うち休日運休3 本)(所要1時間〜1時間13分) 新豊田〜瀬戸記念橋〜瀬戸追分 下り18本(うち休日運休1本)・上り18本 (うち休日運休2本)(所要59分〜1時間20分) 岡崎〜東名岩津 下り16本(うち休日運休3本)・上り17本(うち休日運休 5本)(所要24〜31分) 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、天神橋〜尾崎、久保町 〜医療センター、挙母小学前〜若宮町、挙母小学前〜新豊田、東保見町〜加納、 保見大畑〜西広見の各区間が削除され、久保町〜新豊田が付け加えられた(久保町 〜挙母小学前〜新豊田を除く、前記各区間が廃止された模様)。また、この改正で 蒲郡線(岡崎〜蒲郡)が削除されるとともに、安城線の第1区間が「岡崎−坂戸− 横根間」に変更された(蒲郡線全線と安城線横根〜大高駅前は廃止された模様)。 ・国鉄最末期の1987(S62)年1月末限りで保見町〜浄水口の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、瀬戸南線はJR東海バスに継承された。 ・1988(S63)年3月13日、東海道新幹線三河安城駅開業に伴い、新豊田〜三河安城の 運行を開始した(「三河安城線」明治川神社前〜新安城北口〜三河安城が開業)。 ・1989(H1)年7月から安城線の安城〜刈谷(東刈谷駅口〜東刈谷駅前も含まれる模様) が休止された。なお、1986(S61)年当時の瀬戸自営管内路線図には、安城線は安城 〜刈谷及び東刈谷駅口〜東刈谷駅前のみ描かれていた。 ・1991(H3)年3月18日から新豊田〜三河安城が休止された(休止区間は、瀬戸南本線 の藤薮〜久保町〜新豊田、安城線の藤薮〜明治川神社前、三河安城線明治川神社前 〜新安城北口〜三河安城の模様)。同年12月25日から瀬戸南本線の八草〜新豊田が 休止された。 ・JR東海バス(1998)「JR東海バス10年史」には、一般線の輸送の変遷について、 瀬戸地区関係では次のように述べられていた。 ◇1988(S63)年4月の営業開始直前の同年1月に愛知環状鉄道が新豊田〜高蔵寺 を結び全線開通したことにより、当社のドル箱路線である瀬戸南線、瀬戸西 線が大きな影響を受けた中でのスタートだった。 ◇1988(S63)年3月に東海道新幹線三河安城駅の開業に当たって、三河安城駅〜 新豊田駅間の路線を運行開始したが、マイカーの利用が多く、バスの利用客 が伸びず、1991(H3)年3月に運行を休止した。 ◇一般線の効率化案件 S63年1月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎) H元年3月 ダイヤ改正(瀬戸・新居町) H元年7月 安城〜刈谷休止 H2年4月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎) H3年3月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎・中津川・遠江二俣・美濃白鳥) H3年3月 三河安城〜新豊田休止 H3年12月 八草〜新豊田休止 H4年3月 ダイヤ改正(新居町・岡崎・中津川・美濃白鳥) H4年4月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋)、大曽根駅乗入れ H5年3月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎・中津川・美濃白鳥) H5年7月 ダイヤ改正(瀬戸) H6年3月 ダイヤ改正(瀬戸・新居町・岡崎・中津川) H6年12月 ダイヤ改正(新居町・岡崎・中津川) H7年4月 ダイヤ改正(瀬戸・美濃白鳥) H8年4月 ダイヤ改正(瀬戸・遠江二俣) ・1995(H7)年4月1日から南山口〜上之山団地〜上之山町が開業した。 ・1999(H11)年3月末限りで、長期休止中の安城線岡崎〜横根(東刈谷駅口〜東刈谷駅 前も含まれる模様)が廃止された。 ・瀬戸支店「瀬戸市〜聖霊学園・愛工大方面時刻表」1999(H11)年2月2日改正による と、瀬戸南線には次のような系統が設定されていた。 瀬戸市・追分〜記念橋〜菱野団地〜上之山三丁目〜愛工大 下り10本・上り15 本(うち土日祝運休1本、土曜運転1本、日祝運休2本)(所要27分) 瀬戸市・追分〜記念橋〜菱野団地〜上之山団地〜愛工大 下り6本(うち日祝 運休1本)・上り4本(所要30分) 瀬戸市・追分〜記念橋〜宝ヶ丘〜聖霊学園 下り6本(日祝運休)・上り10本 (うち土曜運転3本、日祝運休1本、土日祝運休6本)(所要18分) 瀬戸市・追分〜記念橋〜菱野団地〜宝ヶ丘〜聖霊学園 上り2本(日祝運休) (所要22分) 瀬戸駅前〜記念橋〜宝ヶ丘〜聖霊学園 上り2本(土曜運転、土日祝運休各1 本)(所要12分) ・2002(H14)年3月末限りで、瀬戸南本線の岡崎地区(岡崎〜三河岩津〜天神橋〜国江 〜三河上郷及び三河岩津〜東名岩津)、上八草〜宝ヶ丘、上八草〜愛工大前が廃止 された。これに伴って、岡崎営業所は愛知貸切営業所に組織が変更された。 ・2007(H19)年3月末限りで、宝ヶ丘〜瀬戸記念橋、宝ヶ丘〜菱野団地〜御殿橋、宝ヶ 丘〜(聖霊学園前→)南山学園が廃止されて、瀬戸南線は全廃された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、瀬戸南線には接続駅(岡崎、新 豊田、三河上郷、三河豊田、安城、刈谷、幸田及び蒲郡)の他に、南豊田及び瀬戸 記念橋に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ※補足 国鉄バス名古屋線について ・名古屋線は、1961(S36)年5月10日に名古屋〜刈谷及び尾崎〜岡崎中央が開業し、 安城線から刈谷〜安城を、岡多本線から安城〜尾崎を編入して、路線名称上は名古 屋〜尾崎〜岡崎中央となった(岡多線の部から独立)。 ・同線は、東海道本線の補完及び沿線地域の産業文化の発展助長を使命としていた。 「鉄道辞典補遺版」(1966(S41)年)には、名古屋線の特長として、路線の一部は 国道1号線上を運行しており、沿線に熱田神宮があると述べられていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(7/10現在)によると、名古屋線 には次のように名古屋〜刈谷に13往復運行されていたのを確認できる。 (下り) 名古屋0640→0755刈谷 この間名古屋発0740,0830,0925,1045,1135,1240,1420,1530,1640,1730,1850 名古屋1950→2105刈谷 (上り) 刈谷0710→0825名古屋 この間刈谷発0755,0921,1005,1111,1217,1340,1501,1614,1701,1803,1917 刈谷2006→2121名古屋 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、名古屋線 には次のように名古屋〜刈谷に3往復運行されていたのを確認できる。 (下り) 名古屋0625→0738刈谷 名古屋1240→1356刈谷 名古屋1510→1629刈谷 (上り) 刈谷1135→1251名古屋 刈谷1610→1729名古屋 刈谷1835→1951名古屋 ・1970(S45)年7月12日に名古屋〜大高駅前が廃止され、名古屋線の部は削除された。 残った岡崎中央〜尾崎〜大高駅前は安城線に編入された。 ※補足 岡崎営業所から愛知貸切営業所へ、及びその後 ・岡崎地区の瀬戸南線廃止に合わせて、貸切事業について、県単位に車両と乗務員を 拠点集約するために、旧岡崎営業所に愛知貸切営業所が新設された。 ・しかし、貸切バスの価格競争の激化による客単価の大きな下落が続く中で、貸切体 制の抜本的見直しを行い、愛知貸切営業所は2005(H17)年9月末をもって瀬戸支店と 名古屋支店に統合された。 ※補足 ドリームとよた号と瀬戸南線 ・1991(H3)年7月26日から東名高速線夜行便「ドリームとよた号」が東京〜名古屋を 岡崎〜康生町〜新豊田〜瀬戸記念橋〜瀬戸市経由で運行開始した。 ・このうち、岡崎〜瀬戸記念橋は、瀬戸南線と並行し一部区間は同じ経路を通ってい るが、次の区間は高速便独自の経路を通っている。 ◇(康生町〜)伊賀町交差点〜錦町交差点〜R248〜トヨタ町交差点(〜新豊田) ◇(新豊田〜)若宮町交差点〜R155〜保見町交差点(〜瀬戸記念橋)
2016 年 12 月 24 日 14:27:30 (15221) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【502】浜名線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇浜名線 浜名本線 1 豊橋−新居町 2 前田二丁目−豊橋瓦町(南回り) 3 殿田橋−高師原口(国道) 4 高師原口−東山口−二川 5 岩屋観音−川田−神鋼電機前 6 二川−北裏−二川東町 7 大脇−神鋼社宅前 8 潮見坂−白須賀 9 潮見坂−大倉戸口−新居橋本 10 新居役場前−浜名湖競艇場−新居町 11 新居町−新居弁天 小松原線 1 高師原口−三河小松原−二川中町 細谷線 1 神鋼電機前−上細谷−南白須賀 鷲津線 1 南白須賀−鷲津 2 白須賀−鈴木自動車前 1.2 路線略図 神鋼 社宅前 鷲津 ○ 自鈴 ・−◎ 前 東山口 北裏 | 動木 | 田 豊 ○−◎−−○−−○大脇 車 | 二 橋 | |二川 | 前 | 豊 丁 瓦 ・−−+ | 二川|神鋼 ○−○白須賀 橋 目 町 | | | 中町|電機前 | 潮見坂 ◎−○−○−○−−○−○−○−○−○−−○−−−○−−○−・ | | 殿 高| 岩 荒 | |一里山 南白| | | ・−・ 田 師| 屋 古 | | 須賀| 新| ○大倉戸 橋 原| 観 | ・−−○−−−・ 町○ | 口| 音 | 上細谷 口| | ・−−○−−・ ・−○新居橋本 三河小松原 +−○浜名湖 | 競艇場 新居弁天○−◎新居町 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・浜名本線4 二川〜東山口〜高師原口 ・浜名本線1 高師原口〜岩屋観音 ・浜名本線5 岩屋観音〜久保田〜川田〜神鋼電機前 ・細谷線1 神鋼電機前〜上細谷〜南白須賀 ・鷲津線1 南白須賀〜白須賀 ・浜名本線8 白須賀〜潮見坂 ・浜名本線1 潮見坂〜大倉戸〜新居橋本〜新居役場前 ・浜名本線10 新居役場前〜浜名湖競艇場〜新居町 2.2 掲載 ・36日目 7/16(火) S61.5号 8.関東・信越編(上) 単行本 p171〜174 ・連載誌のみ 新居町駅の写真 2.3 行程 ◇二川0809→0816高師原口 浜名本線(東山口経由)神鋼電機前発 豊橋行 538-4472(日デP-U32L) ◇高師原口0825→0841神鋼電機前 浜名本線 538-5506(日デUA30H) ◇二川東町1008→1025南白須賀 浜名本・細谷線 538-8906(日デUA30L) ◇南白須賀1143→1203岩屋観音 浜名本線(久保田経由) 538-8906(日デUA30L) ◇岩屋病院前1215→1247潮見坂 浜名本線 538-5505(日デUA30H) ◇潮見坂1356→1410新居町 浜名本線(大倉戸経由) ・新居町→浜名湖競艇場→新居町 タクシー 2.4 エピソード ・二川からの東山口経由豊橋行きは女子高生に囲まれて緑の住宅地を走り、高師 原口は町はずれの裏道のような所だが、神鋼電機前方面の乗り場を女の子に尋 ねると、かなり離れた国道沿いの三差路にあることが分かる。 ・新居町行きが来たので乗ったら岩屋観音から左に折れ二川駅前に出てしまった。 神鋼電機前で豊橋行きの時刻表を見ると、二川経由がほとんどで国道を直行す る便にだけ「荒古経由」の注がつき、約3時間後までない。 ・二川東町でつかまえた上細谷経由の細谷線は、田んぼの中にまっすぐ造った立 派な二車線道路を走った。 ・白須賀を通るかと運転士に尋ね、ここですよと教えられた停留所で降りれば、 南白須賀。便宜的に同一駅として扱っているのかもしれない。 ・松並木の名残も見えて、旧街道と分かる家並みの間を大倉戸経由のバスが走る うち、お葬式にぶつかった。黒服の人の列から1人が離れて手を挙げ、便宜乗 車する。 ・運転士の話では浜名湖競艇場への路線バスはないとのこと。朝のうちに豊橋方 面からの臨時バスが直行するだけだそうで、おそらく競艇臨のために営業キロ を設定してあるのだろう。タクシーで駅裏の競艇場の前まで行ってみた。 3. 路線解説 3.1 S60.6時点の運行状況 ・浜名線は、1933(S8)年3月27日に豊橋〜二川、同年6月10日に二川〜〜二川東町 が開業したのがルーツで、1937(S12)年7月20日に二川東町〜新居町が開業した。 ・この路線は、東海道本線豊橋〜浜松の鉄道の補助及び培養路線としての使命を有 する他、沿線地方の産業文化の発展助長も使命としていた。 ・戦後は、1950(S25)年10月16日に二川〜上細谷〜白須賀(後の細谷線)が開業し、 同年12月5日には新居町〜浜松が開業した。 ・1953(S28)年2月28日に高師原口〜三河小松原〜地原(後の小松原線)が開業し、 1954(S29)年8月20日に白須賀〜鷲津(後の鷲津線)が開業した。 ・1955(S30)年3月25日に新居町〜新居弁天(期間限定運行)、同年12月27日に豊 橋新川〜山中橋(新国道)、岩屋観音〜荒古〜三ツ坂、一里山〜南白須賀〜新居 橋本〜新居町(新国道)の各区間が開業した。 ・1960(S35)年12月10日に山中橋〜高師原口が開業した。 ・1962(S37)年2月20日に高師原口〜北山町〜二川が開業した。 ・1963(S38)年10月10日に弁天島駅前〜篠原中学前〜高塚駅前が開業した。 ・1966(S41)年12月8日に三谷劇場前〜豊橋が開業した。 ・1968(S43)年4月25日に泉町〜中之郷〜浜名湖競艇場〜新居町が開業した。 ・1970(S45)年7月12日に三河三谷〜三谷乗船場、同年12月6日に小殿〜殿田橋、 1971(S46)年5月3日に蒲郡〜豊橋、蒲郡線岡崎〜竹ノ谷、同年12月1日に舞坂 新町〜馬郡〜高塚駅前の各区間が廃止された。 ・1972(S47)年3月15日に二川〜北裏〜二川東町が開業した。 ・1973(S48)年12月20日に大脇〜神鋼住宅前が開業する一方、新居町〜浜松が廃止 された。 ・1976(S51)年4月1日に新居橋本〜泉町〜新居町、一里山〜白須賀、細谷線地原 〜上細谷の各区間が廃止された一方、細谷線神鋼電機前〜上細谷が開業した。 ・1982年(S57)年12月改正の浜名線時刻表によると、浜名本線では、豊橋〜二川は5 〜15分間隔で、豊橋〜新居町は10〜30分間隔で運行されていた。東山口経由便は 下り17本・上り19本、神鋼社宅前発着便は7往復、大倉戸経由は上りのみ4本が 設定されていた。支線では、小松原線が4.5往復、細谷線は11往復、鷲津線は9 往復がそれぞれ設定されていた。また、浜名湖競艇開催日に直行バスが運行され ていた(豊橋発0950〜1140の間に10回)。 ・1985(S60)年当時、(自)豊橋に自動車駅が存在し、豊橋〜新居町の直通便と豊橋 〜二川・神鋼電機前などの区間便が運行されていた。 ・前田二丁目〜豊橋瓦町(南回り)、新居役場前〜浜名湖競艇場は、浜名湖競艇場直 行の不定期便(途中停車駅は豊橋新川、豊橋瓦町、高師原口、荒古、南白須賀) が経由した模様である。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の国鉄自動車路線名称全面改正で、小松原線及び細谷線が削除 されており、この時点までに廃止された模様である(路線廃止に係る官報公示は 出されていない)。 ・それ以外の区間は、国鉄民営化及び自動車分離を経てJR東海バスに継承された。 ・1990(H2)年2月に一里山〜アスモ前(1991(H3)年11月休止)、1991(H3)年1月4 日に大脇〜東海大会ホールの各区間が開業した。 ・1996(H8)年3月に岩屋観音〜荒古〜神鋼電機前が廃止された。 ・末期のダイヤ(新居町営業所「浜名線時刻表」平成10年10月1日改正)によると、 浜名線には次の系統が設定されていた。 <平日ダイヤ> (浜名本線) 新居弁天・新居町〜豊橋 5往復(所要1時間3分) 新居町〜神鋼電機前 上り1本(所要33分) 新居弁天・新居町〜白須賀 3往復(所要16分) 新居弁天〜新居町 下り2本(所要8分) 神鋼電機前〜西口町〜豊橋 下り12本・上り10本(所要36分) 神鋼電機前〜東山口〜豊橋 下り5本・上り7本(所要40分) 神鋼電機前〜二川 上り1本(所要9分) 二川〜西口町〜豊橋 下り6本・上り5本(所要26分) 二川〜東山口〜豊橋 下り5本・上り6本(所要29分) 高師原口〜飯室〜豊橋 下り5本(所要21分) 高師原口〜西口町〜豊橋 上り5本(所要21分) (鷲津線) 新居町〜鷲津 下り2本・上り3本(所要35分) 白須賀〜鷲津 下り2本・上り1本(所要19分) <土日祝ダイヤ> (浜名本線) 新居弁天・新居町〜豊橋 下り3本・上り4本(所要1時間3分) 新居弁天・新居町〜白須賀 下り4本(うち第2・4土曜除く土曜運転1本、 第2・4土曜除く土曜運休1本、第2・4土曜及び日祝日運休1本)・上り 4本第2・4土曜除く土曜運休1本3本、第2・4土曜除く土曜運休1本) (所要16分) 新居弁天〜新居町 下り2本(所要8分) 神鋼電機前〜西口町〜豊橋 下り9本・上り5本(所要36分) 神鋼電機前〜東山口〜豊橋 下り3本・上り4本(所要40分) 神鋼電機前〜二川 下り1本・上り2本(所要9分) 二川〜西口町〜豊橋 下り3本・上り4本(所要26分) 二川〜東山口〜豊橋 下り3本・上り4本(所要29分) 高師原口〜飯室〜豊橋 下り4本(所要21分) 高師原口〜西口町〜豊橋 上り4本(所要21分) (鷲津線) 新居町〜鷲津 下り2本(うち第2・4土曜除く土曜運転1本、第2・4土曜 及び日祝日運転1本)・上り3本(うち第2・4土曜除く土曜運転1本) (所要35分) 白須賀〜鷲津 下り2本(うち第2・4土曜除く土曜運転1本)・上り1本( 第2・4土曜及び日祝日運転)(所要19分) ・残った区間も2002(H14)年9月末限りで廃止され、浜名線は全廃された。 3.3 旅の考察 ・当時の自動車線普通旅客運賃表によると、白須賀(浜名本線の支線潮見坂〜白 須賀と鷲津線(南白須賀〜鷲津)上に位置する)には途中下車駅の記号が付さ れている。昭和30年代後半の自動車線普通旅客運賃表で既に同駅には途中下車 駅の記号が付されており、民営化時(1987(S62)年)の自動車線普通旅客運賃 表にも付されていた。 ※補足 浜名線の浜松乗り入れの推移 ・国鉄自動車の新線開業に関する1949(S24)年12月の運輸省通達を背景として、 民間事業者との相互乗り入れという方針に基づき、浜松〜新居町に遠州鉄道(株) との相互乗り入れを開始したのを手始めに、各地で相互乗り入れが実施された。 ・1950(S25)年2月4日、国鉄と遠州鉄道(株)との運輸協定(相互乗り入れ)が 認可された。また、この区間には共通乗車制度が初めて適用された。 ◇協定区間 遠州鉄道(株) 浜松〜新居町間24.0km 国鉄自動車浜名線 新居町〜豊橋間16.0km ◇協定内容 運行回数 国鉄自動車 1日12回以内 遠州鉄道 1日10回以内 運賃 普通運賃 両者同一運賃 定期運賃 現行通り 国鉄自動車は、当初、運輸協定に基づいて浜松〜新居町間に乗り入れていたが、 その後、同年12月5日に新居町〜浜松の開業が公示された。 ・1952(S27)年4月改正ダイヤでは、浜松〜新居町・白須賀・豊橋に次のように 6往復が設定されていた。 (下り) 浜松0730→0920豊橋 浜松0930→1120豊橋 浜松1200→1350豊橋 浜松1440→1630豊橋 浜松1730→1920豊橋 浜松1900→1940新居町 (上り) 白須賀0600→0720浜松 豊橋0720→0910浜松 豊橋1000→1150浜松 豊橋1220→1410浜松 豊橋1430→1620浜松 豊橋1650→1840浜松 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号では、浜松〜豊橋便が浜松発 0720〜1950、豊橋発0720〜1905の間に17往復が設定されていた(所要1時間3 〜6分)。 ・1967(S42)年7月現在ダイヤでは、遠州鉄道と合わせて、浜松発0830〜1830、豊 橋発0830〜1800の間に30分間隔で運行されていた(国鉄バスは浜松発5回、豊橋 発7回。所要時間64分)。 ・1970(S45)年7月現在ダイヤでは、浜松〜豊橋に0830〜1830の間に遠州鉄道と相互 に30分毎に運行されていた。 ・国鉄自動車50年史によると、輸送量の減少傾向にあって、1970(S45)年以降、鉄道 並行路線の再編成、公民営バスとの競合路線の再編成等による走行キロの削減等が 行われた。この一環として、浜名線の新居町〜浜松は1973(S48)年12月20日に廃止 が公示されたが、末期の1972(S47)年11月現在ダイヤでは、浜松〜豊橋に下り6本 ・上り7本が設定されていた。 (下り) 浜松1030→1141豊橋 浜松1100→1213豊橋 浜松1330→1441豊橋 浜松1400→1511豊橋 浜松1620→1735豊橋 浜松1700→1811豊橋 (上り) 豊橋0830→0941浜松 豊橋0930→1041浜松 豊橋1200→1313浜松 豊橋1230→1341浜松 豊橋1430→1541浜松 豊橋1530→1643浜松 豊橋1830→1941浜松 ※補足 浜名線の岡崎〜豊橋〜浜松直通運行の推移 ・1966(S41)年12月8日に浜名線三谷劇場前〜豊橋が開業し、瀬戸南線の支線であ る蒲郡線とつながり、岡崎〜浜松の直通便が運行を開始した。1967(S42)年7月 現在ダイヤでは、岡崎〜豊橋〜新居町・浜松に次の5往復が設定されていたのを 確認できる。 (下り) 新居町0725→豊橋0835→0945岡崎 浜松1000→豊橋1110→1220岡崎 浜松1100→豊橋1210→1320岡崎 浜松1400→豊橋1510→1620岡崎 浜松1700→豊橋1810→1931岡崎 (上り) 岡崎0815→豊橋0930→1034浜松 岡崎1115→豊橋1230→1334浜松 岡崎1315→豊橋1430→1534浜松 岡崎1415→豊橋1530→1634浜松 岡崎1715→豊橋1830→1934浜松 ・国鉄自動車50年史によると、輸送量の減少傾向にあって、1970(S45)年以降、鉄道 並行路線の再編成、公民営バスとの競合路線の再編成等による走行キロの削減等が 行われた。この一環として、浜名線蒲郡〜豊橋は1971(S46)年5月3日に廃止が公示 されたが、末期の1970(S45)年7月現在ダイヤでは、浜松・豊橋〜岡崎に次の2往復 が設定されていたのを確認できる。 (下り) 浜松1033→豊橋1145→1255岡崎 豊橋1300→1410岡崎 (上り) 岡崎1015→豊橋1130→1234浜松 岡崎1115→豊橋1230→1336浜松 ※補足 新居町営業所から静岡貸切営業所へ、及びその後 ・浜名線の廃止に合わせて、貸切事業について県単位に車両と乗務員を拠点集約する ために、旧新居町営業所に静岡貸切営業所が新設された。 ・しかし、貸切バスの価格競争の激化により客単価の大きな下落が続く中で、貸切体 制の効率化のため、静岡貸切営業所は2004(H16)年6月末をもって廃止された。
2016 年 12 月 24 日 00:40:52 (15220) 譲さんの書き込み 館長さん、こんばんは。 RM MODELS(http://www.rm-models.jp/)が最新号で飯田線を特集しており、入舟駅の写真がありました。 メインは機関車を撮ったものですが、当時の駅の様子も分かるものでしたのでご参考まで。
2016 年 12 月 23 日 13:36:13 (15219) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【518】名田庄線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇名田庄線 1 湯岡橋−堀越峠 2 湯岡橋−妙楽寺 3 若狭尾崎−円照寺 4 口田縄−中井 5 小浜−伏原−青井−上中井 6 谷口−小屋 1.2 路線略図 小浜新港・甲ヶ崎口 Λ | 小浜◎−−・ | | ・−−・ | | 湯岡橋○−−>上中・近江今津 伏原○ |\ | | ○妙楽寺 | | | 若狭尾崎○−○円照寺 青井○ | \ | \ ○口田縄 \ /| 中井○ | \| ○上中井 | | 小屋○−−−○谷口 | | ○井上 | | ○納田終 / / 堀越峠○ | V 周山・京都 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・名田庄線は、1944(S19)年2月25日に湯岡橋〜納田終が貨物(原産地)路線とし て開業したのがルーツで、戦後の1946(S21)年6月1日に旅客営業が開始された。 ・その後、1951(S26)年11月6日に納田終〜堀越峠が開業して京鶴線と接続した。 この路線は、小浜と京都の短絡及び沿線地域の開発を使命としていた。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1952(S27)年5月号(4/1改正)によると、次のよう に京都・鶴ケ岡〜小浜の直通便が4往復設定されていたのを確認できる。 (下り) 京都0610→鶴ケ岡0804→納田終0914→1030小浜 鶴ケ岡0934→納田終1044→1200小浜 京都1130→鶴ケ岡1500→納田終1619→1735小浜 京都1300→鶴ケ岡1635→納田終1749→1905小浜 (上り) 小浜0740→納田終0900→鶴ケ岡1010→1330京都 小浜0900→納田終1020→鶴ケ岡1130→1450京都 小浜1335→納田終1451→鶴ケ岡1601→1920京都 小浜1530→納田終1646→鶴ケ岡1800→2120京都 ・1953(S28)年10月14日に中井〜谷田部〜神田橋が開業した。 ・1956(S31)年11月29日に口名田〜桂が開業した。 ・名田庄線は、1962(S37)年11月に若江線から分離した。 ・「交通年鑑1962年版」には、昭和36年12月1日現在運行中の長距離路線(100km 以上)として、次の運行系統が載っていた。 小浜〜京都 110km ・「交通年鑑1963年版」には、マイクロバスによる座席定員制急行便を設定し、 長距離直通客の利便とともに経営の合理化を図る計画で、予土南北線松山〜 高知間、広浜線広島〜浜田間、雲芸線出雲〜三次間の3路線で実施し、京鶴 ・若江線京都〜小浜間、熊野線紀伊田辺〜川湯間の2路線を計画中であると 述べられていた。 ・「交通年鑑1964年版」によると、マイクロバスによる特急便の新設運行に関し て、近く京都〜小浜間(111km)でも運行する予定であると述べられていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、次の ように京都〜小浜の直通便が2往復設定されていたのを確認できる。 (下り) 京都0620→鶴ケ岡0936→納田終1045→1145小浜 京都1300→鶴ケ岡1555→納田終1650→1750小浜 (上り) 小浜0930→納田終1030→鶴ケ岡1202→1509京都 小浜1400→納田終1500→鶴ケ岡1552→1859京都 なお、「国鉄監修交通公社の時刻表」1965(S40)年11月号には、既に京都〜小 浜の直通便は掲載されていない。 ・1972(S47)年8月10日に湯岡橋〜妙楽寺が開業した(定期観光路線の模様)。 ・1983(S58)年7月1日に若狭尾崎〜円照寺が開業した(定期観光路線の模様)。 ・1985(S60)年当時、線内の久坂に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の 拠点として、近江今津自動車営業所小浜支所(小浜市内)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、小浜〜 納田終に6往復(うち休日運休1往復)が設定されていたのを確認できる。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年1月24日、納田終〜堀越峠及び口田縄〜中井の廃止公示がなされた。 ・小浜支所「国鉄バス時刻表」1986(S61)年3月改正によると、名田庄線には次 のような系統が設定されていた。 小浜〜納田終 6往復(うち日祝運休1往復) 小浜〜井上 5往復 小浜〜下 1往復 小浜〜名田庄中学 上り1本(日祝学休日運休) 小浜〜小屋 6往復(うち日祝運休2往復) 小浜〜桂 下り2本(日祝運休、日祝学休日運休各1本)・上り3本( うち日祝学休日運休2本) ・1987(S62)年3月、名田庄線は、中部地自から近畿地自に移管された。その後、 国鉄民営化及び自動車分離を経て、同線は西日本JRバスに継承された。 ・1996(H8)年10月1日に井上〜納田終が廃止された。 ・2001(H13)年12月1日には定期観光「若狭国宝めぐり号」の運行終了に伴い、 定観専用区間の湯岡橋〜妙楽寺及び若狭尾崎〜円照寺が廃止された。 ・2001(H13)年12月当時の小浜支所管内時刻表によると、名田庄線には次のよう な系統が設定されていた。 小浜〜井上 12往復(うち日祝学休日運休1往復、日祝運休下り1本) 小浜〜小屋 7往復(うち土日祝学休日運休1往復、土日祝学休日運転1 往復) 小浜〜桂 下り1本(指定日運行)・上り1本(日祝学休日運休) ・最後まで残った湯岡橋〜井上、小浜〜伏原〜上中井及び谷口〜小屋も2002(H14) 年3月末限りで廃止され、名田庄線は全廃となった。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、名田庄線には久坂に第一種 委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2016 年 12 月 23 日 13:35:16 (15218) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【517】若江線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇若江線 若江本線 1 小浜−近江今津 2 小浜−神田橋−湯岡橋−羽賀寺 3 木崎橋−多田寺 4 木崎橋−若狭の里−東市場 5 遠敷−下根来 6 神宮寺−万徳寺 7 東市場−池河内 8 保坂−近江角川 9 上藺生−自然の家 10 弘川口−近江今津 北川線 1 小浜−上野木−田烏 2 平野口−本保 西津線 1 小浜−犬熊 1.2 路線略図 ○犬熊 / ○田烏 阿納尻○ | | | ○甲ヶ崎口 羽賀寺 ○本保 ○若狭 小浜 | ○ | |黒田 新港 |乗船場前 |羽賀口 上野木| | ○=○−−−−○−○−−−−−−−−−−−−○−・ ○大鳥羽 /| 丸山| 若狭の里 | | |駅前 神田○−◎−−・湯岡 ・ ・−○−・ 東市 | | | 橋 |\小浜 |橋 / / 遠敷 \場 | |上中 | 青井○−○−−+−○−−−○−−−○−−−○+−○−+◎−+○上吉田 | 伏原 | 木崎| | |平野口 若狭| | | 橋 ○ 神宮○−○ | 仮屋○−・ V V 多田 寺 |万徳寺 ○ | ○関 谷田部 口田縄 寺 | 池河内 瓜生口○−・ 納田終 ○ | 下根来 | 若狭熊川○ | ○保坂 | 角川口○−−○近江角川 | | 自然の家○−○上藺生 | | 弘川口○ +−・今津東 今津西町 | ○小学校 ○−−+−・前 | 近江今津◎ ※小浜〜神田橋〜湯岡橋、小浜〜上野木〜上中、小浜〜伏原は1982(S57)年6月で既に 休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・若江本線1 小浜〜湯岡橋〜木崎橋〜東市場〜上中 2.2 掲載 ・25日目 7/5(金) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p129〜p130 ・連載誌のみ 小浜駅の写真、537-8901の解説 2.3 行程 ○小浜0935→0955上中 若江本線 小浜発 近江今津行 537-8901(日野RC301P) 2.4 エピソード ・小浜〜上中は、小浜線は10.7km、バスの若江本線は11.1km。小浜駅前のバス乗 り場には鉄道とどちらが本家かわからないような大看板がある。 ・近江今津行きバスは、冷房車で禁煙、テープの非常扉案内、沿線ガイドと、こ までの国鉄バスと違った点があった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・若江線は、1935(S10)年12月20日に新平野〜若狭熊川、1936(S11)年6月15日に 小浜〜新平野が開業し、1937(S12)年12月21日に若狭熊川〜近江今津が開業した のがルーツで、小浜線小浜から江若鉄道を通して、東海道本線大津を結ぶ鉄道 短絡路線としての使命を有した他、観光開発及び地方産業文化の発展助長をも 使命としていた。 ・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(III)戦時期2−」(『東京経大 学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営 自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、若江本線小浜〜三宅が 1944(S19)年4月20日から旅客運行が休止された。 ・戦後は、1949(S24)年1月30日に小浜〜甲ヶ崎、小浜〜上竹原が開業した。 ・1951(S26)年5月5日に北川線上竹原〜三宅、新平野〜本保、1953(S28)年8月 15日に同線井根山〜田烏、1954(S29)年1月25日に東市場〜池河内、同年6月 30日に阿納尻〜甲ヶ崎の各区間が開業した。 ・1956(S31)年5月1日には、江若鉄道に並行する近江今津〜浜大津駅前が開業 した(1978(S53)年3月1日廃止)。 ・1957(S32)年8月8日に遠敷〜下根来が開業した。 ・1960(S35)年8月25日に北川線城内〜丸山、井根山〜若狭下吉田が廃止され、 小浜〜丸山、上中〜若狭下吉田が開業した。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(7/5現在)によると、若江線に は、次のような系統が設定されていたのを確認できる。 小浜〜近江今津〜浜大津 1往復 小浜〜近江今津 下り1本・上り2本 小浜〜熊川 下り1本 上中〜近江今津 下り3本・上り2本 上中〜熊川 2往復 小浜〜下根来 3往復 小浜〜池河内 3往復 小浜〜本保 2往復 小浜〜阿納尻 4往復 小浜〜甲ヶ崎 3往復 小浜〜西津 8往復 ・1966(S41)年1月15日に保坂〜近江角川が開業した。 ・1967(S42)年10月3日に西津線阿納尻〜阿納が開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、若江線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 小浜〜近江今津 5往復 上中〜近江今津 1往復 この他に、江若交通が小浜〜近江今津〜浜大津に2往復運行されていたのを確 認できる。 ・1972(S47)年8月10日に西津線阿納尻〜久須夜岳、阿納〜犬熊、西津〜若狭ぬり 工場、北川線丸山〜羽賀平が開業した(いずれも定期観光路線の模様)。 ・「国鉄自動車50年史」には、1974(S49)年度に、湖西線開通に伴い、鉄道並行路線 の削減を実施する一方、その輸送力で京阪神地区からの若狭湾観光ルートの形成 を図り、鉄道から一貫した観光旅客の誘致に努めたと述べられている。同書によ ると、湖西線開業前後での若江線の運行本数の変化は次の通りであった。 湖西線 開業前 開業後 若江線 近江今津〜小浜 7往復 14往復 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年2月号(1/1改正)によると、若江線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 近江今津〜小浜 9往復 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、若江線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。なお、国鉄湖西線は1974 (S49)年7月に開業(新快速、普通列車のみ運転)し、特急・急行列車の運転は 1975(S50)年3月10日のダイヤ改正からであった。 近江今津〜小浜 12往復(うち快速便4往復) 小浜〜阿納 3往復 小浜〜福谷 9往復 また、同じく1976(S51)年4月号(3/20改正)によると、若江線には次のような 系統が設定されていたのを確認できる。 近江今津〜小浜 12往復(うち快速便下り4本・上り3本) 小浜〜阿納 3往復 小浜〜福谷 9往復 ・横江明「国鉄自動車(その6)−シリーズ 営業を考える−」(「国鉄線」 1976(S51)年8月号所収)には、観光路線の輸送手配について、次のように 述べられていた。 「旅客の集中する時期においては、その観光路線を担当する一地方局・部 の輸送能力では、輸送力的に対応できず、本社の輸送手配によって、輸 送力を整備充実させているのが現状である。」 「現在、本社手配によって輸送力を集中させている箇所としては、国鉄自 動車最大の観光路線である十和田南・北線、白樺高原線がある。また、 地方局・部独自に輸送力の集中手配を行っている路線としては、北海道 のえりも観光の日勝線、東北のリアス海岸観光の陸中海岸線、関東の草 津温泉を中心とした志賀草津高原線、もみじラインの塩原線、南房観光 の南房州線、能登観光の奥能登線、小浜観光の若江線、高雄のもみじラ イン観光の京鶴線、奥熊野観光の熊野線、松山高知観光の松山高知急行 線、陰陽連絡の防長線、秋芳洞観光の秋吉線、桜島観光の桜島線等があ げられる。」 「このような路線についての手配を車両でいうと、新製車両を重点的にこ うした観光路線に配属し、ピーク輸送終了後、各営業所に再配属すると いう輸送手配である。」 ・1982(S57)年3月21日に神宮寺〜万徳寺が開業した(定期観光路線の模様)。 ・1983(S58)年7月1日に西津線西津〜若狭ぬり工場、阿納尻〜久須夜岳が 廃止され、木崎橋〜多田寺、木崎橋〜若狭の里〜東市場が開業した(定期 観光路線)。 ・1985(S60)年6月21日に保坂〜近江角川が廃止された一方、同年9月1日に 小浜〜小浜新港が開業した。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、近江今津自動車営業所(近江今 津)及び同小浜支所(小浜)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/23改正)によると、若江線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 近江今津〜小浜 15往復 小浜〜阿納 4往復 小浜〜福谷 8往復 また、定期観光バス「若狭国宝めぐり」が3/21〜11/30の間、次のように運行さ れていた。 Aコース(1回) 小浜→羽賀寺→円照寺→妙楽寺→多田寺→小浜→神宮寺→万徳寺→国分寺 →明通寺→めのう工場→小浜 Bコース(1回) Aコースの前半 Cコース(1回) Aコースの後半 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年1月24日、若江本線の小浜〜伏原、北川線の丸山〜上中及び平野口 〜本保の廃止が公示された。 ・小浜支所「国鉄バス時刻表」1986(S61)年3月改正によると、若江線には次のよ うな系統が設定されていた。 (若江本線) 小浜新港・小浜〜近江今津 16往復(うち特定日運転1往復) 小浜〜小浜新港 1往復(日祝運休) 小浜〜下根来 4往復 小浜〜池河内 4往復(うち若狭の里経由1往復) 小浜〜遠敷 2往復 (北川線) 小浜〜遠敷〜田烏 1往復 上中〜田烏 2往復 (西津線) 小浜〜阿納 4往復 小浜〜甲ヶ崎口転向場 8往復 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、若狭仮屋〜瓜生口が認 知された。 ・1987(S62)年2月1日に、若江本線の神宮寺〜下根来の廃止が公示された。 ・若江線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに継承された。 ・1991(H3)年4月1日から小浜〜犬熊〜矢代、小浜〜阿納尻〜堅海にスクールバス の運行を開始した。 ・1994(H6)年4月1日に木崎橋〜若狭の里〜東市場、上中〜田烏〜田烏自然の家、 若狭仮屋〜瓜生口(直行経路)の各区間が廃止された。 ・1997(H9)年4月1日に上藺生〜自然の家が廃止された。 ・2001(H13)年11月末限りでの定期観光「若狭国宝めぐり」号の運行終了に伴って、 湯岡橋〜羽賀寺〜西津公民館前、木崎橋〜多田寺、若狭東高校〜神宮寺〜万徳寺 の各区間が廃止された。 ・2001(H13)年12月当時の小浜支所管内時刻表によると、西津線、「池河内線」には 次のような系統が設定されていた。 西津線 小浜〜甲ヶ崎口 下り10本・上り9本(うち日祝運休下り4本・上り3本) (所要時間15分) 「池河内線」 小浜〜池河内 4往復(うち日祝運休上り1本、12/31〜1/3運休1往復) (所要時間23分) 小浜〜東高校 1往復(日祝学休日運休) ・2002(H14)年3月末限りで、小浜〜小浜新港、東市場〜池河内及び小浜〜甲ヶ崎 口が廃止された。これに伴って、近江今津営業所小浜支所も廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、小浜〜上中〜近江今津が西日本JRバスによって運行さ れている。 3.3 旅の考察 ・最長片道きっぷの旅本文では、小浜〜上中は11.1kmであることから若江本線第1 区間を経由したものと思われるが、木崎橋〜東市場は第1区間では2.7kmのところ、 第4区間(若狭の里)経由では3.3kmであり後者の方が0.6km長かった。なお、 1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の若江線の頁の北川線小浜〜丸山〜 上野木〜上中に小浜及び上中からの運賃が記載されており、このルートを経由す ると小浜〜上中は12.9kmであることから、若江本線第1区間経由よりも1.8km長か ったことになる。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、若江線には接続駅(小浜、上中 及び近江今津)の他、若狭熊川に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2016 年 12 月 23 日 13:34:23 (15217) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【516】杉津線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇杉津線 1 敦賀−新保 2 今庄−大桐 1.2 路線略図 敦賀 ◎−−−○−−−○ ○−−−◎ | 葉原 新保 大桐 今庄 | ∨木ノ本 ※木ノ本〜敦賀は、柳ヶ瀬線 3. 路線解説 3.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・杉津線は、北陸本線北陸トンネル(敦賀〜今庄)の開通に伴い、同区間の旧線( 1日8往復のローカル列車が運行)の代替輸送を行うために、1962(S37)年6月 9日に旧線廃止と同時に敦賀〜新保駅前、今庄〜下新道が開業した。 ・西日本ジェイアールバス(2013)「西日本ジェイアールバス25年史」によると、 杉津線の概要は次の通りであった。 ◇杉津線は、1962(S37)年の北陸本線旧線廃止と同時に既設の道路により、敦賀 〜新保駅前(9往復)、今庄〜下新道(4往復)の代行輸送を開始した。その後、 1963(S38)年12月に軌道撤去後の道床は福井県道となり改修工事が完成したので、 路線変更を行い、敦賀〜新保、今庄〜大桐の運行を開始した。停留所は敦賀〜 新保に14か所、今庄〜大桐に9か所設置された。 ◇なお、今庄〜大桐については、今庄駅前に車両を駐車し、運転士は敦賀から 列車便乗で乗務のため今庄に向かう形態とし、車両は検査周期に合わせて敦 賀支所に回送して維持していた。 ・「交通年鑑1964年版」には、鉄道線の撤去代行輸送に関して、杉津線について次 のように述べられていた。 ◇昭和37年度から38年度にかけて、北陸本線は複線化の完成、北陸トンネルの開 通等輸送の近代化が進んだが、一方では鉄道が廃止される地域が生じた。国鉄 自動車は鉄道に代わってこの地域の旅客輸送を行うことになり、37年6月から 今庄〜下新道間3.5km、敦賀〜新保駅前間7.5kmを、レールの道床を自動車専用 道として運行を始めた。 ◇これは、昭和32年4月に開通した白棚高速線に次ぐ、撤去代行輸送である。 ◇昭和37年度撤去代行輸送実績 白棚高速線 白河〜棚倉 28往復 1日平均輸送人員4,600人 杉津線 今庄〜下新道 4往復 敦賀〜新保駅前 7往復 計 743人 柳ヶ瀬線 敦賀〜疋田 18往復 556人 (柳ヶ瀬線はS38.10.1〜10.10までの1日平均輸送人員 ・国鉄監修交通公社時刻表1964(S39)年9月号では、杉津線に次のような便が設定さ れていたことが確認できる。 (下り) 敦賀0606→0630新保 敦賀0650→0714新保 敦賀0930→0957新保 敦賀1400→1427新保 敦賀1610→1637新保 敦賀1730→1757新保 (上り) 新保0634→0701敦賀 新保0710→0748敦賀 新保1003→1030敦賀 新保1432→1459敦賀 新保1642→1709敦賀 新保1802→1826敦賀 ・「交通年鑑1967(S42)版」には、当時の国鉄自動車による代行輸送の諸元が次のよ うに載っている。 1 建設予定線代行 線 名 区 間 区間キロ 回 数 道 路 白棚高速線 白河〜磐城棚倉 23.6km 52往復 専用道 阪本線 五条〜城戸 11.2km 19往復 専用道 2 撤去代行 線 名 区 間 区間キロ 回 数 道 路 杉津線 敦賀〜新保 7.4km 今庄〜大桐 7.0km 計13往復 県 道 柳ヶ瀬線 木ノ本〜敦賀 26.0km 19往復 専用道(15.2km) 県 道(10.8km) ・1979(S54)年当時の運行回数は、敦賀〜新保8往復、敦賀〜葉原4往復、今庄〜大 桐8往復となっていた。 3.2 旅から30年 ・自家用車の普及、過疎化に伴う旅客の減少により、1986(S61)年5月末限りで今庄 〜大桐は廃止された。 ・国鉄最後のダイヤ改正であった1986(S61)年11月改正ダイヤでは、敦賀〜新保9往復、 敦賀〜葉原1往復が設定されていた。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、敦賀〜新保は西日本JRバスに継承された。 ・民営化後の1997(H9)年3月改正ダイヤでは、敦賀〜新保に8往復(うち日祝運休 3往復、土日祝運休1往復、土日祝運転1往復)が設定されていた。 ・その後も旅客の減少は続き、2002(H14)年3月末限りで杉津線は廃止された。
2016 年 12 月 23 日 13:32:45 (15216) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【515】柳ヶ瀬線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇柳ヶ瀬線 1 木ノ本−敦賀 2 木ノ本−坂口 3 中ノ郷−菅並 4 雁ヶ谷−中河内 5 宮前橋−杉箸 1.2 路線略図 敦賀◎−>新保 | 岡山○ | ○中河内 鳩原○ ○杉箸 / | 曽々木 / / 疋田○−−−○−−○−○刀根 ○椿坂 | : 宮前橋 \ / 駄口○ : 雁ヶ谷○ 下丹生 マキノ | ○新道野 | ○−−○菅並 役場前 | : | / <−−−○小荒路: |/ | : 中ノ郷○ 近江 | : | 今津 | : | <−○−+−−−○−−−−−−◎木ノ本 海津 塩津北口 | ・−>金居原・土倉 ※塩津北口〜曽々木は、休止中 ※木ノ本〜金居原〜土倉は、米原線 ※弘川口〜海津〜塩津北口〜木ノ本、マキノ役場前〜小荒路〜海津、小荒路〜 疋田、塩津北口〜曽々木は、琵琶湖線 ※敦賀〜新保は、杉津線 ※弘川口〜近江今津は、若江線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・柳ヶ瀬線1 敦賀〜疋田 2.2 掲載 ・25〜26日目 7/5(金)〜7/6(土) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p130〜132,135 ・連載誌 国道を走る柳ヶ瀬線バス、岡山停留所とバス 2.3 行程 ○敦賀1310→1328疋田 柳ヶ瀬線1 敦賀発 木ノ本行 531-0406(いすゞK-CJM520) ×疋田1500→1509岡山 柳ヶ瀬線1 敦賀行 531-0406(いすゞK-CJM520) ×岡山1605→1640小荒路口 柳ヶ瀬線1+マキノ線2 敦賀発 疋田経由 近江今津行 537-6411(日野RC300) ・(小荒路口→北マキノ→マキノ役場前→マキノ→敦賀) ×敦賀820→小荒路 柳ヶ瀬線1+マキノ線2 敦賀発 近江今津行 2.4 エピソード ・学校帰りの中学生で満員になった疋田行きバスは、左右に北陸本線の上下線を 従え、やがてループにかかる上り線の下をくぐって国道8号線を行く。疋田の バス停はブリキ張りの掘立小屋のよう。検問所があり大型トラックがひっきり なしに行きかう殺伐とした所だが、ちょっと引っ込んだ駐在所前に北陸本線 旧線の疋田駅跡がはっきり残っていた。 ・疋田からドライブインが見えた岡山まで引き返すと、園福線の車内で買った 金券回数券がすんなり使えた。 2.5 旅の考察 ・本文では「園福線車内で買った金券回数券が使えた」とあるが、園福線は近畿 地方自動車局管内であったのに対し、柳ヶ瀬線は当時中部地方自動車局管内で あった。当時、東北地方で発売された「国鉄バスセット回数券」には、東北地 方自動車部管内の国鉄バス路線全線に有効である旨の注意書きがあったが、 本文の場合は、果たして有効だったのだろうか疑問が残る。なお、同じ時期に 関東地方で発売された国鉄バス回数券にはそのような注意書きはなかった。 3. 路線解説 3.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・柳ヶ瀬線は、1951(S26)年10月8日に琵琶湖線の部敦賀線(塩津北口〜敦賀)の 一部として曽々木〜敦賀が開業し、1954(S29)年8月20日に琵琶湖線の支線(後 に中河内線)として木ノ本〜菅並が開業したのがルーツである。1956(S31)年11 月29日には中ノ郷〜中河内が開業した。 ・1957(S32)年に北陸本線木ノ本〜敦賀に新ルートで線路を増設し電化開業したが、 旧線は柳ヶ瀬線(鉄道)と改称し気動車運行を行った。しかし、沿線過疎化に よる鉄道経営の悪さは甚だしく、1963(S38)年に疋田〜敦賀の鉄道営業を休止し 国鉄バスで代行したのを手始めに、1964(S39)年5月に柳ヶ瀬線(鉄道)を廃止 し、敦賀〜刀根、木ノ本〜雁ヶ谷を一般道利用により国鉄自動車が代行輸送を 開始した。 ・同年11月軌道撤去後の専用道路改修工事の完了に伴い、同年12月1日から国鉄 バス柳ヶ瀬線として木ノ本〜敦賀の直通運行8往復を含め運行を開始する(同 日から中河内線坂口〜雁ヶ谷が廃止された)とともに、支線の輸送もより充実 したものとし、合計41往復とした。(西日本ジェイアールバス(2013)「西日本 ジェイアールバス25年史」による。) ・このように柳ヶ瀬線は、鉄道柳ヶ瀬線の撤去代行路線として、沿線地方の産業の 発展助長を使命としていた。 ・「交通年鑑1964年版」には、鉄道線の撤去代行輸送に関して、柳ヶ瀬線について 次のように述べられていた。 ◇昭和37年度から38年度にかけて、北陸本線は複線化の完成、北陸トンネルの開 通等輸送の近代化が進んだが、一方では鉄道が廃止される地域が生じた。国鉄 自動車は鉄道に代わってこの地域の旅客輸送を行うことになった。 ◇昭和38年9月末から敦賀〜疋田間6.5kmの鉄道が運転休止となったので、この間 の旅客を国道上で輸送することになった。更に疋田〜木ノ本間の代行輸送につ いて検討している。 ◇この区間のバス運賃は敦賀〜疋田間について現行鉄道運賃をそのまま据え置き、 また、同一から除雪用特殊自動車(ウニモグ)を購入して、冬期の輸送に万全 を期することとなった。 ◇昭和37年度撤去代行輸送実績 白棚高速線 白河〜棚倉 28往復 1日平均輸送人員4,600人 杉津線 今庄〜下新道 4往復 敦賀〜新保駅前 7往復 計 743人 柳ヶ瀬線 敦賀〜疋田 18往復 556人 (柳ヶ瀬線はS38.10.1〜10.10までの1日平均輸送人員 ・国鉄監修交通公社時刻表1964(S39)年9月号では、柳ヶ瀬線に次のような便が 設定されていたのを確認できる。 木ノ本〜柳ヶ瀬・雁ヶ谷・中河内 9往復 (下り) 木ノ本0653→0724柳ヶ瀬 木ノ本0920→0957雁ヶ谷 木ノ本1240→1317雁ヶ谷 木ノ本1420→1457雁ヶ谷 木ノ本1540→1640中河内 木ノ本1720→1802雁ヶ谷 木ノ本1820→1920中河内 木ノ本2017→2054雁ヶ谷 木ノ本2235→2312雁ヶ谷 (上り) 雁ヶ谷0611→0648木ノ本 中河内0640→0740木ノ本 柳ヶ瀬0729→0800木ノ本 雁ヶ谷1010→1047木ノ本 雁ヶ谷1330→1407木ノ本 雁ヶ谷1510→1547木ノ本 中河内1645→1745木ノ本 雁ヶ谷1812→1849木ノ本 雁ヶ谷2109→2146木ノ本 木ノ本〜菅並 5往復 敦賀〜出合橋 13往復 ・「交通年鑑1967(S42)版」には、当時の国鉄自動車による代行輸送の諸元が次のよ うに載っている。 1 建設予定線代行 線 名 区 間 区間キロ 回 数 道 路 白棚高速線 白河〜磐城棚倉 23.6km 52往復 専用道 阪本線 五条〜城戸 11.2km 19往復 専用道 2 撤去代行 線 名 区 間 区間キロ 回 数 道 路 杉津線 敦賀〜新保 7.4km 今庄〜大桐 7.0km 計13往復 県 道 柳ヶ瀬線 木ノ本〜敦賀 26.0km 19往復 専用道(15.2km) 県 道(10.8km) ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 名神彦根・木ノ本〜敦賀 下り6本・上り7本 (下り) 木ノ本0654→0750敦賀 木ノ本0915→1011敦賀 木ノ本1025→1121敦賀 名神彦根1125→木ノ本1225→1321敦賀 名神彦根1620→木ノ本1720→1816敦賀 木ノ本1940→2036敦賀 (上り) 敦賀0730→0820木ノ本 敦賀0910→1008木ノ本→1106名神彦根 敦賀1040→1130木ノ本 敦賀1245→1348木ノ本→1441名神彦根 敦賀1430→1530木ノ本 敦賀1720→1818木ノ本 敦賀1850→1946木ノ本 木ノ本〜椿坂 下り6本・上り4本 木ノ本〜中河内 下り1本・上り2本 ・1976(S51)年3月改正ダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 木ノ本〜敦賀 7往復 (下り) 木ノ本0654→0750敦賀 木ノ本0915→1011敦賀 木ノ本1025→1121敦賀 木ノ本1235→1331敦賀 木ノ本1615→1711敦賀 木ノ本1725→1821敦賀 木ノ本1940→2036敦賀 (上り) 敦賀0728→0824木ノ本 敦賀0910→1006木ノ本 敦賀1040→1136木ノ本 敦賀1215→1311木ノ本 敦賀1425→1521木ノ本 敦賀1720→1816木ノ本 敦賀1855→1951木ノ本 ・1977(S52)年10月7日に雁ヶ谷〜新麻生口、新麻生口〜宮前橋が廃止された一方、 雁ヶ谷〜刀根〜宮前橋〜新麻生口が開業した。 ・1978(S53)年8月改正ダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 木ノ本〜敦賀 7往復 (下り) 木ノ本0654→0750敦賀 木ノ本0915→1011敦賀 木ノ本1025→1121敦賀 木ノ本1235→1331敦賀 木ノ本1615→1711敦賀 木ノ本1725→1821敦賀 木ノ本1940→2036敦賀 (上り) 敦賀0728→0824木ノ本 敦賀0910→1006木ノ本 敦賀1040→1136木ノ本 敦賀1215→1311木ノ本 敦賀1425→1521木ノ本 敦賀1720→1816木ノ本 敦賀1855→1951木ノ本 ・1979(S54)年の時点で、路線の道路種別は柳ヶ瀬隧道のみ専用道で、他の専用道路 部分は一般道路化していた。この時点の運行系統別運行回数は次の通りであった。 敦賀〜木ノ本 7.0往復 敦賀〜刀根 5.0往復 敦賀〜杉箸 6.0往復 敦賀〜疋田 1.0往復 木ノ本〜中河内 3.0往復 木ノ本〜椿坂 6.0往復 木ノ本〜柳ヶ瀬 3.0往復 木ノ本〜菅並 8.0往復 木ノ本〜中ノ郷 2.0往復 ・1982(S57)年11月改正ダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 木ノ本〜敦賀 7往復 (下り) 木ノ本0700→0756敦賀 木ノ本1000→1056敦賀 木ノ本1225→1321敦賀 木ノ本1300→1400敦賀 木ノ本1620→1730敦賀 木ノ本1725→1821敦賀 木ノ本1940→2036敦賀 (上り) 敦賀0728→0824木ノ本 敦賀0940→1036木ノ本 敦賀1030→1126木ノ本 敦賀1300→1404木ノ本 敦賀1625→1729木ノ本 敦賀1720→1816木ノ本 敦賀1900→1956木ノ本 ・1985(S60)年当時、自動車駅として中ノ郷駅が存在したが、1976(S51)年の時点では (自)木ノ本、(自)敦賀の各駅も存在していた。また、国鉄バス運行の拠点とし て、近江今津自動車営業所木ノ本支所(木ノ本)、同敦賀派出所(敦賀)が置かれ ていた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、柳ヶ瀬線の木ノ本〜敦賀の直通運行便が次 のように7往復設定されていたのを確認できる。 (下り) 木ノ本0700→0756敦賀 木ノ本1000→1056敦賀 木ノ本1225→1321敦賀 木ノ本1310→1410敦賀 木ノ本1635→1735敦賀 木ノ本1720→1816敦賀 木ノ本1940→2036敦賀 (上り) 敦賀0728→0824木ノ本 敦賀0940→1036木ノ本 敦賀1040→1136木ノ本 敦賀1310→1414木ノ本 敦賀1630→1738木ノ本 敦賀1725→1821木ノ本 敦賀1900→1956木ノ本 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年11月1日改正の運行系統別運行回数は次の通りであった。 敦賀〜刀根 13往復 敦賀〜杉箸 3往復 敦賀〜刀根・杉箸 1往復 敦賀〜疋田 3往復 敦賀〜駄口 2往復 近江鉄道バス 敦賀港〜木ノ本(新道野経由) 6往復 近江鉄道バス 敦賀港〜新道野 1往復 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、琵琶湖線の支線マキノ 線の小荒路口〜疋田のうち、疋田〜駄口が柳ヶ瀬線に編入された。 ・国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に椿坂〜中河内の廃止公示がなされた。 ・これ以外の区間は、国鉄民営化及び自動車分離を経て西日本JRバスに継承された。 ・1990(H2)年4月15日に疋田〜駄口が休止された(1992(H4)年3月末限りで廃止)。 翌1991(H3)年6月末限りで、木ノ本〜柳ヶ瀬〜雁ヶ谷、中ノ郷〜菅並、雁ヶ谷〜椿 坂の各区間が廃止された。 ・1992(H4)年5月16日に雁ヶ谷〜刀根が廃止された。 ・「柳ヶ瀬線時刻表」平成9年3月8日改正によると、柳ヶ瀬線には次の系統が設定 されていた。 敦賀〜杉箸 下り2本・上り3本(所要27分) 敦賀〜刀根〜杉箸 下り3本・上り2本(所要29分) 敦賀〜刀根 7往復(うち日祝運休2往復)(所要24分) ・最後まで残った敦賀〜宮前橋〜刀根、宮前橋〜杉箸も2002(H14)年3月末限りで廃止 されて、柳ヶ瀬線は全廃となった。
2016 年 12 月 23 日 13:31:39 (15215) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【514】琵琶湖線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇琵琶湖線 琵琶湖本線 1 弘川口−木ノ本 2 北深清水−近江中庄駅前−知内 3 西浜−知内−近江今津 4 近江大浦−菅浦 5 黒山口−永原駅前 6 八田部口−塩津北口 マキノ線 1 マキノ役場前−北マキノ−海津 2 小荒路−疋田 敦賀線 1 塩津北口−曽々木 1.2 路線略図 疋田 曽々木 敦賀◎−−−○−−−−○−−○刀根 | : | 駄口○ 麻生口○ | | : | 国境○ 新道野○ ○雁ヶ谷 | : | 北マキノ○−・ ・ : | + \ / : | 上中・小浜 /| ○小荒路 : | Λ マキノ/ | | : | | 栗園○ | | : | | / ○上開田| 沓掛○ ○中ノ郷 |北深清水 / / | : | 弘川口○−○−+−+−○−+ | : | | | マキノ| | 永原 : | 近江◎−+近江中○ 役場前| | 駅前 : | 今津 :庄駅前: (←蛭口)○マキノ ・ ○ 八田: | : : |駅前 / | 部口:塩津| <・・・+………+…○………○ ○海津 ○−○−○北口| 浜大津 知内 西浜\ /|北口 /黒 :/| | ○ ・−−○ 山 ○ | | 海津 近江\口 月出| | 大浦 \ ・−−◎木ノ本 ○菅浦 | V 金居原 土倉 ※近江中庄駅前〜知内、西浜〜知内〜近江今津、八田部口〜月出〜塩津北口、 塩津北口〜曽々木は、休止中 ※マキノ役場前〜マキノ栗園〜北マキノは、路線名称に無い ※木ノ本〜金居原〜土倉は、米原線 ※木ノ本〜曽々木〜疋田〜敦賀は、柳ヶ瀬線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・マキノ線2 疋田〜小荒路口〜小荒路 ・マキノ線1 小荒路〜マキノ北学校前〜北マキノ〜マキノ役場前 ・琵琶湖本線1 マキノ役場前〜海津〜近江大浦〜塩津北口〜木ノ本 2.2 掲載 ・25〜26日目 7/5(金)〜7/6(土) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p130〜136 2.3 行程 ○岡山1605→1640小荒路口 柳ヶ瀬線1+マキノ線2 敦賀発 疋田経由 近江今津行 537-6411(日野RC300) ○小荒路口1711→1730マキノ役場前 マキノ線 国境発 近江今津行(北マキノ経由) 538-5473(日産デP-U32L) ・(マキノ役場前→マキノ→敦賀) △敦賀820→小荒路 柳ヶ瀬線1+マキノ線2 敦賀発 近江今津行 ・(小荒路→海津北口→近江今津→マキノ役場前) ○マキノ役場前1320→1413木ノ本 琵琶湖本線 近江今津発 木ノ本行 531-2974(いすゞK-CJA520) ・欠落 マキノ線1 小荒路〜マキノ北学校前 路線廃止(経路変更) 2.4 エピソード ・近江今津行きバスは旧道へ寄って小荒路三差路にかかると、運転手がブレーキ を踏んだ。「本当は本線のバスは、ちょっと先の小荒路まで停留所はないんだ が、北マキノ経由はここで曲がって小荒路口に停まるから降りた方がいい。」 三差路で分かれる県道は新しく、小荒路からの旧道を付け替えたのに、マキノ 線メインルートのバス停手直しがなされていなかった。 ・木ノ本行きバスのお客は数えるほど。海津北口から湖岸に沿い、国道303号線 を行く。湖と別れる近江大浦からは木ノ本と結ぶ区間便が多くなった。賤ヶ岳 トンネルを抜けて大病院前の乗り場に寄ると、少しずつ増えていたお客が大量 下車。 2.5 旅の考察 ・1985(S60)年当時は、マキノ線のマキノ役場前〜マキノ栗園〜北マキノは「自 動車線普通旅客運賃表」には載っていなかった。なお、マキノ役場前〜北マキ ノは、マキノ線本線経由(3.9km)の方がマキノ栗園経由(3.5km)よりも長かった。 3. 路線解説 3.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・琵琶湖線は、1940(S15)年8月10日に若江線の支線として弘川口〜木ノ本、蛭口 〜北牧野が開業したのがルーツである。 ・1940(S15)年8月開業時のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた。 近江今津〜木ノ本 5往復 (下り) 近江今津0800→1005木ノ本 671便 近江今津1015→1220木ノ本 673便 近江今津1332→1537木ノ本 675便 近江今津1540→1748木ノ本 677便 近江今津1715→1928木ノ本 679便 (上り) 木ノ本0805→1010近江今津 670便 木ノ本1020→1225近江今津 672便 木ノ本1325→1530近江今津 674便 木ノ本1619→1815近江今津 676便 木ノ本1815→2020近江今津 678便 近江今津〜海津 3往復 近江今津〜北牧野 3往復 木ノ本〜岩熊 1往復 ・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(III)戦時期2−」(『東京経大 学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営 自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、琵琶湖線蛭口〜北牧野が 1941(S16)年8月10日から旅客運行が休止された。 ・戦後の1949(S24)年9月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定され ていた。 近江今津〜木ノ本 4往復 (下り) 近江今津0635→0825木ノ本 近江今津0900→1050木ノ本 近江今津1310→1502木ノ本 近江今津1620→1810木ノ本 (上り) 木ノ本0730→0920近江今津 木ノ本0930→1120近江今津 木ノ本1330→1520近江今津 木ノ本1715→1905近江今津 近江今津〜海津 5.5往復 近江今津〜北牧野 2.5往復 近江大浦→蛭口 0.5往復 蛭口→北牧野 0.5往復 塩津浜〜木ノ本 5往復 近江大浦〜木ノ本 1往復 ・1951(S26)年10月8日に敦賀線塩津北口〜敦賀が開業し、翌1952(S27)年2月1日 に近江今津〜知内〜西浜、北牧野〜海津が開業した。 ・1952(S27)年4月訂補のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 近江今津〜木ノ本 4.5往復 (下り) 近江今津0700→0840木ノ本 近江今津0910→1050木ノ本 近江今津1240→1420木ノ本 近江今津1435→1615木ノ本 近江今津1620→1800木ノ本 (上り) 木ノ本0715→0855近江今津 木ノ本1230→1410近江今津 木ノ本1520→1700近江今津 木ノ本1700→1840近江今津 近江今津〜海津 6.5往復 塩津浜〜木ノ本 下り2本・上り4本 木ノ本→海津 0.5往復 木ノ本〜敦賀 2.0往復(※塩津浜、沓掛、麻生口経由) (下り) 木ノ本0830→0956敦賀 木ノ本1522→1653敦賀 (上り) 敦賀0820→0950木ノ本 敦賀1430→1605木ノ本 木ノ本〜沓掛 2.0往復 麻生口〜敦賀 3.0往復 ・その後、1954(S29)年2月11日に剣熊役場前(→小荒路)〜路原が開業した。 ・1954(S29)年9月訂補のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 近江今津〜木ノ本 5往復 (下り) 近江今津0655→0830木ノ本 近江今津0900→1035木ノ本 近江今津1130→1305木ノ本 近江今津1445→1620木ノ本 近江今津1720→1855木ノ本 (上り) 木ノ本0735→0910近江今津 木ノ本1100→1235近江今津 木ノ本1240→1425近江今津 木ノ本1510→1645近江今津 木ノ本1705→1840近江今津 近江今津〜海津 下り6本・上り4本 近江大浦〜木ノ本 1往復 塩津浜〜木ノ本 上り1本 木ノ本〜敦賀 3往復(※塩津浜、沓掛、麻生口経由) (下り) 木ノ本0855→1011敦賀 木ノ本1240→1352敦賀 木ノ本1535→1647敦賀 (上り) 敦賀0710→0822木ノ本 敦賀1225→1339木ノ本 敦賀1500→1630木ノ本 木ノ本〜沓掛 下り1本 木ノ本〜集福寺 下り1本・上り3本 奥麻生口〜敦賀 2往復 ・1961(S36)年7月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 近江今津〜木ノ本・米原 下り8本・上り9本 (下り) 近江今津0627→0800木ノ本 近江今津0700→0825木ノ本→0916米原 近江今津0805→0940木ノ本→1022米原 近江今津1004→1129木ノ本→1220米原 近江今津1215→1350木ノ本→1432米原 近江今津1325→1450木ノ本→1541米原 近江今津1525→1700木ノ本→1742米原 近江今津1720→1853木ノ本 (上り) 木ノ本0735→0908近江今津 米原0720→木ノ本0811→0936近江今津 木ノ本0910→1043近江今津 米原0925→木ノ本1016→1141近江今津 米原1130→木ノ本1214→1347近江今津 木ノ本1500→1633近江今津 米原1650→木ノ本1734→1907近江今津 米原1710→木ノ本1801→1926近江今津 米原1830→木ノ本1914→2047近江今津 近江今津〜海津 5往復 木ノ本〜敦賀 1往復(※塩津浜、沓掛、麻生口経由) (下り) 木ノ本1050→1202敦賀 (上り) 敦賀1010→1122木ノ本 麻生口〜敦賀 3往復 市橋〜敦賀 4往復 ・琵琶湖線は、1962(S37)年に若江線から分離したが、湖西線開業前は北陸本線と 湖西地方とを連絡する唯一の交通機関として、地方産業・文化の発展助長を使命 としていた。 ・1963(S38)年12月1日に北深清水〜中庄東口〜知内が開業した。 ・1965(S40)年3月25日に路原〜疋田が開業した。 ・1969(S44)年6月1日に八田部口〜岩熊〜塩津北口が開業した。 ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 近江今津〜木ノ本・彦根 6往復 (下り) 近江今津0700→0812木ノ本→0910彦根 近江今津0855→1005木ノ本 近江今津1230→1340木ノ本 近江今津1500→1631木ノ本 近江今津1600→1710木ノ本→1810彦根 近江今津1730→1840木ノ本 (上り) 木ノ本0725→0835近江今津 木ノ本1010→1120近江今津 彦根0948→木ノ本1048→1158近江今津 木ノ本1235→1345近江今津 木ノ本1530→1640近江今津 木ノ本1725→1835近江今津 近江大浦〜米原・彦根 上り1本 (上り) 彦根1850→木ノ本1950→2022近江大浦 名神彦根・木ノ本〜敦賀 1往復(※国道8号線経由) (下り) 名神彦根1310→木ノ本1410→1512敦賀 (上り) 敦賀1020→1124木ノ本→1222名神彦根 近江今津〜敦賀 2往復 (下り) 近江今津1015→1131敦賀 近江今津1550→1706敦賀 (上り) 敦賀0820→0936近江今津 敦賀1740→1855近江今津 ・1972(S47)年11月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 近江今津〜木ノ本・米原 7往復 (下り) 近江今津0653→0801木ノ本 近江今津0855→1008木ノ本→1054米原 近江今津1055→1203木ノ本 近江今津1230→1338木ノ本 近江今津1455→1603木ノ本 近江今津1555→1703木ノ本 近江今津1730→1838木ノ本 (上り) 木ノ本0700→0808近江今津 木ノ本0900→1008近江今津 木ノ本1025→1133近江今津 米原1144→木ノ本1235→1343近江今津 木ノ本1400→1508近江今津 木ノ本1533→1641近江今津 木ノ本1725→1833近江今津 近江今津〜敦賀 2往復 (下り) 近江今津1010→1126敦賀 近江今津1540→1656敦賀 (上り) 敦賀0820→0936近江今津 敦賀1730→1846近江今津 ・「国鉄自動車50年史」には、1974(S49)年度に、湖西線開通に伴い、鉄道並行路線 の削減を実施する一方、その輸送力で京阪神地区からの若狭湾観光ルートの形成 を図り、鉄道から一貫した観光旅客の誘致に努めたと述べられている。 ・1974(S49)年9月10日に近江大浦〜菅浦が開業した。 ・1975(S50)年1月改正のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 近江今津〜木ノ本 4往復 (下り) 近江今津0705→0817木ノ本 近江今津1050→1202木ノ本 近江今津1450→1602木ノ本 近江今津1735→1847木ノ本 (上り) 木ノ本0700→0812近江今津 木ノ本0855→1007近江今津 木ノ本1025→1137近江今津 木ノ本1725→1837近江今津 近江今津〜海津 下り8本・上り7本 近江大浦〜木ノ本 6往復 近江今津〜敦賀 2往復 (下り) 近江今津1012→1127敦賀 近江今津1540→1655敦賀 (上り) 敦賀0820→0935近江今津 敦賀1730→1845近江今津 ・1978(S53)年8月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 近江今津〜木ノ本 4往復 (下り) 近江今津0700→0813木ノ本 近江今津1235→1347木ノ本 近江今津1540→1652木ノ本 近江今津1730→1842木ノ本 (上り) 木ノ本0717→0830近江今津 木ノ本0843→0956近江今津 木ノ本1025→1137近江今津 木ノ本1725→1838近江今津 近江今津〜海津 1往復 近江大浦〜木ノ本 6往復 近江今津〜敦賀 2往復 (下り) 近江今津1015→1130敦賀 近江今津1550→1705敦賀 (上り) 敦賀0820→0935近江今津 敦賀1730→1845近江今津 ・1982(S57)年11月改正のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた のを確認できる。 近江今津〜木ノ本 4往復 (下り) 近江今津0700→0815木ノ本 近江今津1235→1348木ノ本 近江今津1545→1658木ノ本 近江今津1745→1858木ノ本 (上り) 木ノ本0725→0840近江今津 木ノ本0843→0956近江今津 木ノ本1025→1138近江今津 木ノ本1725→1838近江今津 近江今津〜海津 下り3本・上り5本 近江大浦〜木ノ本 6往復 近江今津〜敦賀 2往復 (下り) 近江今津1015→1130敦賀 近江今津1400→1515敦賀 (上り) 敦賀0820→0935近江今津 敦賀1600→1715近江今津 ・1985(S60)当時の自動車駅として近江大浦駅が存在したが、1976(S51)年の時点で は(自)木ノ本、(自)近江今津の各駅も存在していた。また、国鉄バス運行の拠点 として近江今津に近江今津自動車営業所が、木ノ本に木ノ本支所が置かれていた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、琵琶湖線には次のような便が設定されていた のを確認できる。 近江今津〜国境・敦賀 2往復 (下り) 近江今津0630→0710国境 近江今津1020→1135敦賀 (上り) 敦賀0820→0935近江今津 敦賀1600→1708近江今津 近江今津〜木ノ本 1往復 (下り) 近江今津1300→1413木ノ本 (上り) 木ノ本1105→1218近江今津 近江今津〜海津 5.5往復 木ノ本〜菅浦 4.5往復 木ノ本〜近江大浦 2.5往復 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、マキノ線の小荒路口 〜疋田が小荒路口〜国境に変更され、疋田〜駄口は柳ヶ瀬線に編入された。 この時点までに国境〜疋田が廃止されたものと思われる(同区間の廃止公示は 見当たらない)。 ・併せて、この全面改正では、マキノ線のマキノ役場前〜マキノ栗園〜北マキノ が認知された。 ・それ以外の区間は、長期休止中の区間を含めて、国鉄民営化及び自動車分離を 経て、西日本JRバスに継承された。 ・1989(H1)年7月1日には、琵琶湖本線の木ノ本〜近江大浦、近江大浦〜菅浦及 び黒山口〜永原駅前、敦賀線の塩津北口〜曽々木が廃止された(この時の連絡 運輸基準規程別表「自動車線普通旅客運賃表」改正の通達では、長期休止区間 である、北深清水〜近江中庄駅前〜知内、西浜〜知内〜近江今津、八田部口〜 塩津北口の各区間も削除されていることから、これらの長期休止区間も、この 時点までに廃止されたものと解される)。 ・翌1990(H2)年7月1日には海津〜近江大浦が廃止され、1992(H4)年1月1日に はマキノ線の小荒路口〜国境が廃止された。その後、1996(H8)年4月1日にマ キノ線の残存区間である、マキノ役場前〜北マキノ〜海津と、マキノ役場前〜 マキノ栗園〜北マキノの両区間が廃止された。 ・さらに、1997(H9)年3月末限りで、最後まで残った弘川口〜海津が廃止され、 琵琶湖線は全廃となった。 3.3 各種考察 ・小荒路口停留所の手直しに関しては、1985(S60)年10月に国鉄自動車路線名称 の改正公示がなされており、小荒路〜疋田が小荒路口〜疋田に変更されていた。 なお、小荒路口の開駅公示は見当たらない。 ※補足「小荒路口の謎解き」 ・1985(S60)年当時は、マキノ線のマキノ役場前〜マキノ栗園〜北マキノは「自動車線 普通旅客運賃表」には載っていなかった。なお、マキノ役場前〜北マキノは、マキノ 線本線経由(3.9km)の方がマキノ栗園経由(3.5km)よりも長かった。
2016 年 12 月 23 日 13:29:50 (15214) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【513】米原線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇米原線 1 木ノ本−土倉 1.2 路線略図 Λ敦賀 | 海津 | <−−◎−−−−−−○………○ ・木ノ本 金居原 土倉 ・ ∨米原・名神彦根 ※金居原〜土倉は、休止中 ※海津〜木ノ本は、琵琶湖線 ※木ノ本〜敦賀は、柳ヶ瀬線 3. 路線解説 3.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・滋賀県木ノ本町〜杉野村は、1948(S23)年2月5日〜1949(S24)年3月14日の間、 区間貨物運輸が行われていた。 ・米原線は、1949(S24)年3月15日に琵琶湖線の支線として木ノ本〜土倉が開業 したのがルーツで、1962(S37)年に米原線の支線である杉野線となった。その 後、1976(S51)年2月1日に米原本線(木ノ本〜米原)の廃止に伴って、新たに 米原線と改称された。同線は、沿線地方の産業・文化の発展助長を使命として いた。 ・1949(S24)年9月現在のダイヤでは、米原線(木ノ本〜土倉)には次のような 便が設定されていた。 木ノ本〜土倉 2.5往復(所要1時間) 木ノ本〜近江川合 1.0往復 木ノ本〜金居原 1.0往復 木ノ本〜杉野 3.0往復 木ノ本〜古橋 3.0往復 ・1954(S29)年9月訂補のダイヤでは、米原線(木ノ本〜土倉)には次のような 便が設定されていたのを確認できる。 木ノ本〜土倉 3.0往復(所要1時間) 木ノ本〜金居原 2.0往復 木ノ本〜杉野 1.0往復 ・1961(S36)年7月現在のダイヤでは、米原線(木ノ本〜土倉)には次のような 便が設定されていたのを確認できる。 木ノ本〜土倉 次のように下り6本・上り5本 (下り) 木ノ本0630→0720土倉 木ノ本0715→0805土倉 木ノ本0900→0950土倉 木ノ本1205→1255土倉 木ノ本1500→1550土倉 木ノ本1922→2012土倉 (上り) 土倉0725→0820木ノ本 土倉0842→0932木ノ本 土倉1015→1105木ノ本 土倉1310→1400木ノ本 土倉1600→1650木ノ本 木ノ本1922→2012 木ノ本〜金居原 2.0往復 木ノ本〜川合 上り1本 ・1982(S57)年6月時点で、金居原〜土倉は長期休止中であった。 ・1976(S51)年の時点では(自)木ノ本が自動車駅として存在していた。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、木ノ本に近江今津自営木ノ本 支所が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・米原線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、長期休止中の金居原〜土倉を 含めて西日本JRバスに継承された。 ・その後、米原線は1995(H7)年10月1日に全線廃止された。 ※補足「米原線・浅井線の誕生と終焉」 ・浅井線は、琵琶湖線の支線として、1952(S27)年4月5日に近江山本〜虎姫〜 近江高山が開業したのがルーツで、1955(S30)年8月5日には高畑〜小室(北 回り)が開業した。 ・1962(S37)年11月1日から浅井線は米原線の支線に所属替えされた。 ・1963(S38)年4月20日に、浅井線高畑〜近江谷口が開業した。 ・1966(S41)年9月29日に、浅井線(西阿閉〜高月駅前、伊部南口〜田部、阿弥 陀橋〜高月駅前)は、近江鉄道へ移譲するため廃止された。 ・一方、米原線(初代)は、1961(S36)年5月22日に木ノ本〜米原が開業した。 ・1962(S37)年11月1日から、米原線には琵琶湖線の支線が編入され、杉野線、 中河内線(後に柳ヶ瀬線に編入)、浅井線を擁し、木ノ本〜米原は米原本線 に改称された。 ・1968(S43)年12月16日、米原線米原〜名神彦根が開業した(1975(S50)年7月 31日廃止)。 ・1976(S51)年2月1日に米原本線(木ノ本〜米原)は廃止された。 ※補足 国鉄バス浅井線の譲渡について ・「交通年鑑1967(S42)版」には、民営事業者と競合している路線では、必ずしも 国鉄の経営することを必要とせず、むしろ民営事業者が総合的に経営すること により能率的運営のできる路線については、逐次民営事業者に譲渡する方針に 基づき、昭和41年7月31日付けで浅井線32.5kmを近江鉄道へ譲渡したと述べら れている。 ・「国鉄線寸描−国鉄自動車浅井線の譲渡」(『国鉄線』1966(S41)年10月号所収) によると、かねて協議が進められていた浅井線の譲渡について、相手事業者であ る近江鉄道と利用者である地元住民との三者の間で了解点に達したので、7月31 日限りで国鉄自動車は事業を廃止し、8月1日より近江鉄道が事業を開始し、実 質的に譲渡が成立することとなったとある。 ・これは、名神の公聴会で国鉄総裁が「国鉄は幹線国道を中心としたバス事業を民 営事業者と協調して運営する方針であるが、その際、民営事業者と競合している 路線で国鉄バスの経営を必要とせず、むしろ民営事業者が総合的に経営すること によって能率的な運営ができる路線については、逐次これを民営事業者に譲渡し ていきたいと考えている」との見解を明らかにしたことを受けたものであった。 ・本路線については、沿線地方の中心地は長浜であるのに、浅井線は虎姫までであ るために旅客は北陸本線への乗り換えの不便があること、付近に並行して近江鉄 道のバス路線がありそのほとんどが長浜中心の系統であることから、不採算路線 であった。従って、浅井線についても近江鉄道が吸収して総合的に運営すること が合理的であり、地元住民としても利便性向上となるので、三者で協議を重ね意 見が一致したものである。 ・こうした国鉄自動車路線の民営譲渡は、浅井線が第1号であった。
2016 年 12 月 22 日 22:28:15 (15213) 観音寺(自営)さんの書き込み 館長さまが、久万高原線久万高原〜落出間の廃止について アップされていましたが、一般路線バスはどんどん削減されてしまい 残念なことです。 私の地元にある、ジェイアール四国バス高松支店観音寺営業所についても 廃止の予定です。 なお、車庫としての設備や観音寺バスプラザの機能は残り、 ドリーム高松号や観音寺エクスプレス号も、引き続き観音寺駅発着で 運行される見込みです。
2016 年 12 月 21 日 23:12:23 (15212b) ふもふも館長さんの書き込み 気仙沼線BRTで、志津川駅が移転、経路変更を行います。 大船渡線BRTで、八幡大橋(東陵高校)駅が開業します。 https://www.jr-morioka.com/cgi-bin/pdf/press/pdf_1482213955_1.pdf https://www.jr-morioka.com/cgi-bin/pdf/press/pdf_1482213827_1.pdf https://this.kiji.is/184145445884657667?c=80488020680492539 --- 志津川駅の移転・経路変更は、3/3から。 旧・街なか交流館(南三陸町観光協会)があった付近に移転するようです。 新設経路は、ベイサイドアリーナ駅〜新・志津川駅で、廃止区間は、 南三陸警察署付近〜新・志津川駅と、旧・鉄道駅付近〜現・志津川駅でしょうか。 休止中の専用道区間(清水浜〜志津川)は「一般道迂回中」とされ、今回の 経路変更以降も、休止中のままのようです。 八幡大橋(東陵高校)駅の開業は、4/1からですが、バス停の新設で、経路変更 ではないようです。駅名の()が、正式駅名なのか、副駅名なのか気になります。
2016 年 12 月 18 日 01:35:51 (15212a) みなみさんの書き込み 安房白浜駅の工事の関係で白浜千倉線との乗り継ぎができなくなっていた 南房州本線が12月19日より白浜地域センターまで延長運転されるそうです。
2016 年 12 月 17 日 17:55:45 (15211) ふもふも館長さんの書き込み 久万高原線 久万〜落出は2017年3月末で廃止予定との事です。 https://www.ehime-np.co.jp/article/news201612178709?sns=2 先日、不毛板(15160)に投稿があった通り、来年1月1日から全便三坂道路経由に なるそうで、廃止を見込んだ経路変更だったのでしょうか? http://www.jr-shikoku.co.jp/bus/news/bus/16-11-01/01.htm
2016 年 12 月 11 日 16:26:09 (15210) まこっさんの書き込み 福島の改正は、川俣高校前行(くだり線と表現)の経路を変更して、川俣町役場(新庁舎)側のみに停留所を新たに設置し、既設の川俣町役場前停留所を残すために 川俣郵便局前に変更したことによる時分の修正になります。 したがって、福島駅東口行に関しての変更はありませんが、のぼり線の川俣町役場前を川俣公民館前・川俣町役場入口に変更してもよかったかも知れません。 館長が懸念している平日のみ日和田6:53発福島駅東口行も既存のまま、大清水経由川俣高校前転回で運行されています。 ちなみに… 今回の改正からホームページの時刻表に記載されている内容(停留所・注釈)が詳しくなり、渡利舟場経由便が、平日のみ福島駅東口1500発と1610発に設定されている ことがわかるようになりました。
2016 年 12 月 07 日 00:20:01 (15209) ふもふも館長さんの書き込み 福島−川俣線(←福浪線)は、11/19(土)よりダイヤ改正を行った。 http://www.jrbustohoku.co.jp/topics/?TID=772 油田〜川俣町役場前〜日和田について、以下の変更があった模様。 ・川俣高校行について、川俣町役場前バス停留所を新設 ⇒油田〜(新)川俣町役場前〜日和田が新設区間か ・福島行の川俣町役場前バス停留所は、変更なし ⇒新設区間は通らない ・川俣高校行の(旧)川俣町役場前バス停留所は、川俣郵便局前に改称。 ⇒福島行は停車しない事から、片方向のみ設置 ・平日の日和田653発福島行きがあるので、新中町・大清水経由は健在。
2016 年 12 月 03 日 14:35:50 (15208) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【613】園福線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇園福線 園福本線 1 園部−福知山 2 新須知−何鹿神社前−檜山 3 何鹿神社前−光久 4 丹波町役場前−丹波長野 5 丹波高原−下山 6 常照寺下−檜山 7 檜山−妙楽寺−丹波大身 8 妙楽寺−行仏−下山 9 丹波三ノ宮−戸津川 10 檜山−小野 11 丹波梅田−鎌谷奥 12 細見千束−細見中出 13 丹波新橋−丹波大原 14 丹波岩崎−丹波田野 15 丹波岩崎−長田野−土師新町 16 丹波土師−福知山(南回り) 有路線 1 福知山−南有路 1.2 路線略図 ○戸津川 | 丹波 | 福知山 丹波大身 三ノ宮| 水呑 行仏 下山 <−○−−○−−−−−−−○・・○−−○−−◎ 菟原 | | | | | | | | | 妙楽寺○−−・ | | | | | | ○丹波長野 | ・=○丹波和田 |\ 園部 |出口妙見前‖ | 常照寺下 | \ 新須知 河原町 丹波梅田○−−○−−+−−−+−−○−−○+−+○−−○−−−○−◎ | ・ 瑞穂 | | ・ 丹波 ‖丹波町| | 園 | ・ 病院前☆−・ ・ 高原 ‖役場前| | 部 | ・ | ・ ☆ ・ ∨ | 大朴○−−○・・・ 丹波公園 / 篠山口 | | |檜山 センター/ | | ・−−−−−−−−−−−○何鹿神社前 | | | | | | 鎌谷奥○ 小野○ 光久○ ○南有路 | | ○筈巻 | ※(農協センター前→)農協支所前 | (→福知山ロイヤルホテル前→ロイヤルヒルホテル前) ・−・ とバス停名称が変遷した模様 |福知山 ・−◎−−・ 農協 | | 土師新町 支所前※ 長田野 丹波大原 ・−○−−+○−−○−−○−+−−−−○−・ ・−−−○ 緑ヶ丘 丹波土師 ・ | | / ・ +==・ | ・ ・ | ‖ |丹波岩崎|細見千束 園部 ・○−−+−○−+−○−−○−−○−−○−> 養老水公園 下六人部 |丹波新橋 | 菟原 | | ・・○丹波田野 ○細見中出 ・ ・ ◎丹波竹田 ※園部河原町〜篠山口は、園篠線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・園福本線1 園部河原町〜園部 ・(園部〜下山) ・園福本線8 下山〜行仏〜妙楽寺 ・園福本線7 妙楽寺〜檜山 ・園福本線2 檜山〜何鹿神社前〜新須知 ・園福本線1 新須知〜丹波町役場前〜丹波高原〜常照寺下〜出口妙見前〜丹波梅 田〜丹波大身〜菟原〜細見千束〜丹波新橋〜丹波岩崎〜下六人部〜 養老水公園〜農協支所前〜丹波土師〜福知山 2.2 掲載 ・24日目 7/4(木) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p121〜126 ・連載誌 檜山略図、園部駅、新須知のバス(534-3077) ・単行本 檜山略図 2.3 行程 ○本篠山1050→1200園部 園篠南線1+園篠本線1+園福本線1 本篠山発 城東日置経由 園部行 331-6011(いすゞBA05N) ・(園部→下山) ×下山1254→1312檜山 園福本線5+1+6 下山発 丹波高原経由 檜山行 534-2073(三菱K-MP118K) △檜山1430→1443新須知 園福本線6+1 檜山発 園部行 534-2073(三菱K-MP118K) △新須知1642→1658檜山 園福本線2 何鹿神社前経由 檜山行 534-3077(三菱K-MP118K) △檜山1700→1735下山 園福本線7+8 檜山発 行仏経由 下山行 534-6003(三菱MR410) ×下山1802→1820檜山 園福本線5+4+1+6 下山発 国道27号経由 檜山行 534-6004(三菱MR410) ○檜山1902→2007福知山 園福本線6+1 下六人部経由 福知山行 534-8003(三菱MP117M) 2.4 エピソード ・檜山のそばのX地点=交差部分に駅がなく、片道で発券してもらえた。 ・檜山は車庫に接して広々とした屋根付きホームがあり、きっぷ売場から待合室 までそろった大駅である。待合所にスーツケースを置いて身軽になった。 ・下山1802発は「27号経由」と放送し、本線の須知高校前に寄り道した。時刻表 に載っていない運行系統である。 2.5 旅の考察 ・丹波町役場前〜丹波高原は園福本線1(2.5)より丹波長野経由(3.8+2.5)が長い。 ・丹波岩崎〜丹波土師は園篠本線1=下六人部経由(5.9)より園篠本線15=長田野経 由(6.1)が長い。 ・丹波土師〜福知山は園篠本線1(2.4)より園篠本線16=南回り(5.1)が長い。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・園福線は、1934(S9)年の園篠線の園部延伸を経て、1939(S14)年2月1日に園部 河原町〜福知山を開業したのがルーツで、鉄道の培養及び短絡路線としての使命 を有していた他、沿線地方の産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・戦後は、1948(S23)年12月26日に福知山〜筈巻が開業した。 ・1950(S25)年2月、園福線は園篠線から分離独立し、園部〜園部河原町も園福線 に移管された。 ・1950(S25)年5月10日に桧山〜妙楽寺〜丹波三ノ宮、同年11月1日に須知〜桧山、 細見千束〜細見中出、1951(S26)年9月20日に有路線筈巻〜南有路の各区間が開 業した。 ・1952(S27)年9月1日に貨物専用区間の菟原〜草山、同年10月16日に丹波岩崎〜 田野、1953(S28)年1月20日に丹波高原〜下山、同年8月20日に丹波梅田〜鎌谷 奥の各区間が開業した。 ・1955(S30)年6月1日に福知山〜小野脇、1956(S31)年4月25日に丹波新橋〜大原 神社前、同年11月10日に桧山〜質美、丹波三ノ宮〜猪鼻下、1959(S34)年3月26 日に須知〜光久、丹波三ノ宮〜鍾乳洞口の各区間が開業した。 ・「交通年鑑1960年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を 取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和33年度に次のように急行 便を設定したとある。 福知山〜園部 51km 2往復 ・1960(S35)年2月1日に園部〜園部宮町〜園部河原町が開業した。 ・1961(S36)年7月15日に貨物専用区間の菟原〜草山が廃止された。 ・1962(S37)年10月10日に丹波水戸〜新須知〜須知高校前、同年12月25日に丹波土師 〜市役所前〜福知山、同年12月26日に妙楽寺〜水呑、鍾乳洞口〜戸津川の各区間 が開業し、1963(S38)年2月15日園部〜園部河原町が廃止された。 ・同年10月15日に丹波田野〜丹波竹田、1964(S39)年2月17日に猪鼻下〜丹波大身、 1965(S40)年10月10日に丹波町役場〜丹波長野の各区間が開業した。 ・1966(S41)年1月25日に丹波水戸〜須知〜須知高校前、須知〜何鹿神社前が廃止さ れて、新須知〜何鹿神社前が開業した。 ・同年10月1日に丹波岩崎〜長田野〜土師新町、丹波土師〜福知山が開業した。 ・1972(S47)年9月25日に常照寺下〜井尻が開業した。 ・1974(S49)年2月1日に水呑〜行仏〜質美〜桧山が開業し、桧山〜質美が廃止され た。 ・1978(S53)年4月1日に福知山〜小野脇が廃止された一方、1979(S54)年6月1日 に小野口〜小野が開業した。また、同年9月1日に小野口〜藤坂が廃止された。 ・1980(S55)年10月1日に丹波田野〜丹波竹田、1983(S58)年8月25日に桧山〜出口 妙見が廃止された。 ・1985(S60)年当時、線内の園部宮町、新須知、細見千束、丹波萩原、桧山、丹波 大原に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、福知山自動車営 業所(福知山市内)、同桧山支所(桧山)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年9月1日に丹波三ノ宮〜戸津川、丹波和田〜小野、細見千束〜細見 中出が廃止された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、園福線は西日本JRバスに継承された。 ・1990(H2)年4月1日に須知〜何鹿神社前〜桧山、須知〜光久、桧山〜丹波長野の 各区間が廃止された。同年9月1日に丹波岩崎〜丹波田野が廃止され、同年10月 1日に丹波新橋〜丹波大原、筈巻〜南有路が廃止された。 ・1991(H3)年11月1日に妙楽寺〜猪鼻〜深山口、丹波和田〜質美〜下山の両区間が 廃止された。 ・1992(H4)年1月10日に丹波大身〜深山口が廃止された。 ・1994(H6)年4月1日に丹波高原〜下山、同年10月1日に福知山〜筈巻の各区間が 廃止された。 ・1995(H7)年10月1日に丹波梅田〜鎌谷奥が廃止された。 ・2006(H18)年9月1日に桧山〜常照寺下が瑞穂病院前経由に変更された。 ・2007(H19)年3月1日から福知山地区で「オンデマンドバス」を運行開始し、「 オンデマンドルート」として、駒場新町ルート、三俣ルート、菟原ルート(以上 迂回経路)、福知山市内循環ルート(新設)が設定された。 ・しかし、デマンド自体の利用が少なく、2012(H24)年3月末でオンデマンドシス テムに使用していた携帯電話の周波数帯の変更によりサーバー改修に多額の投資 を要することから、オンデマンドシステムの運用を中止し、福知山市内循環ルー トは定期便化し、その他のオンデマンドルートは廃止された。 ・2013(H25)年2月1日に福知山営業所は桧山に移転して「京丹波営業所」に改称 された。 ・2015(H27)年現在、枝線の大半は廃止もしくは町営バス等に移管されているが、 本線は現在も西日本JRバスによって運行されている。 ・2015(H27)年7月に、京都縦貫自動車道 丹波IC〜京丹波わちICが開通し、檜山バ ス停の裏手に高速道が通り、何鹿神社前付近にPAに併設した道の駅「京丹波 味 夢の里」が開業した。園福線の脅威にならないか心配である。 3.3 各種考察 ・常照寺下〜檜山〜出口妙見前については、1972(S47)年にバイパスが完成、1983 (S58)年に旧道経由を廃止した。この時点で、檜山は第一区間から外れ、バイパ スから最短経路で檜山に入る経路が開通したのではと推測する。現在は、瑞穂 病院前バス停が出来、丹波和田からバイパスに入る経路も出来、経路が様変わ りしている。
2016 年 12 月 03 日 14:34:41 (15207) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【612】園篠線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇園篠線 園篠本線 1 園部河原町−篠山口 2 原山口−奥原山 3 東本荘−奥県守 4 本篠山−小枕口 5 本篠山−風深−宇土観音 6 城北口−瀬利 7 篠山本町−産業高校前 8 杉−小枕奥 9 篠山口−味間奥 園篠南線 1 福住清水−本篠山 2 福住−西能勢 3 城東日置−後川下 4 厄神前−曽地奥 大芋線 1 細工所−藤坂奥 2 多紀福井−市野々 3 岩屋−奥山 畑線 1 和田−火打岩 1.2 路線略図 藤坂奥 ○奥山 火打岩 ○ / ○ \ ・−○岩屋 | \ / | 鳳鳴 | 奥県守 ○多紀 ○市野々 福知山 高校前 | ○ / 福井 ・檜山 産業高校前○ 篠山 ○−−−○瀬利 | ・ Λ \本町 | | | | | ・−−○−−○城北口| 東本荘○−−○細工所 奥原山○ ・−○−>園部 | | | / | / / 園部 | |京口橋|般若寺 / | 福住 / / 河原町 +−○−+−○−○−○−○−・ ○−−○−−○−−−○ | 風深|本篠山 \和田 城東 /福住 \原山口 瑠璃 | | \ 日置 / 清水 \ 渓口 宇土観音○ | ○−−−○−・ 摂津○ / | 八上 | 天王| 杉○−−−−−○小枕口 本町 | | ○−−−+ | ○厄神前 ・ 味間奥 | | / \ \ ◎ ○小枕奥 ○ \ \ 篠山口 曽地奥 ○後川下 西能勢○ 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・園篠本線1 篠山口〜宇土観音〜篠山本町〜城北口〜本篠山〜和田〜細工所〜福住 〜園部河原町 2.2 掲載 ・24日目 7/4(木) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p122〜123 2.3 行程 ○篠山口1028→1043本篠山 園篠本線 篠山口発 本篠山行(篠山本町経由) 334-0003(三菱K-MK116H改) ×本篠山1050→1200園部 園篠本線 本篠山発 園部行(城東日置経由) 331-6011(いすゞBA05N) 2.4 エピソード ・篠山口に降りると、篠山本町経由本篠山行きが待っていた。細かい雨が降り出 す中を、両側にめちゃくちゃ停車の車をよけながら、バスは篠山の市街地を抜 けて行く。 ・本篠山口駅で1年余り前の「園篠線開業50周年記念乗車券」等を求めると、窓 口にすわっていた愛想の良いおばさんが車内用路線図をプレゼントしてくれた。 ・動き出した両側1人がけの小型バスの中でテープ案内を聞いていると、「南ま わり城東日置経由福住から園部行き」という。きっぷの経由欄を眺めると「本 篠山、細工所、福住、園部」とある。「北まわり」の本数はごく少なく、雨足 は強まっており、途中で降りるのは気が進まない。 ・「北まわり」は4年前(1981年6月の篠山線跡のルポ)の印象が鮮やかなので 経由違いに目をつむりこのまま進む。 ・旧福住駅はバスの回転場になっており、墓標をかたどった駅跡の碑が見えた。 乗り降りのほとんどないまま、山陰本線の園部駅前に着いた。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・園篠線は、1934(S9)年3月28日に原山口〜福住〜日置辻〜本篠山〜篠山(→篠山 口)、同年7月11日に園篠本線園部〜原山口及び城北線福住清水〜村雲〜東本荘 〜本篠山が開業したのがルーツであった。 ・1940(S15)年11月1日に大芋線村雲〜大芋が開業した。 ・園篠線は、鉄道の先行及び輸送力補強を使命とした他、沿線地方の産業文化の 発展助長をも使命としていた。 ・戦時中の1944(S19)年3月21日に、園篠本線の福住清水〜日置辻〜本篠山が廃止 され、城北線福住清水〜村雲〜東本荘〜本篠山が園篠本線に編入された。同時に 貨物専用路線として、般若寺〜火打岩〜畑山、火打岩〜鰐市谷、本篠山〜篠山の 各区間が開業した。 ・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(III)戦時期2−」(『東京経大 学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営 自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、園篠本線本篠山〜篠山口、 大芋線村雲〜大芋で1944(S19)年3月21日から旅客運行が休止された。 ・戦後、1948(S23)年3月24日に本篠山〜篠山が廃止された一方、貨物専用路線の 般若寺〜八上が同年3月23日に開業した。また、1950(S25)年7月1日に福住〜 日置辻〜本篠山が開業(復活)した。 ・1951(S26)年4月11日に篠山口〜味間奥が開業した。同年5月5日に園篠南線 八上新〜後川が開業した。 ・1952(S27)年1月25日に下立町〜瀬利、大芋線大芋〜大朴、大芋〜市野々の各 区間が開業した。 ・1953(S28)年8月11日に西脇線(篠山本町〜西脇)が開業した。また、同年9 月5日に園篠南線後川〜後川下が開業した。 ・1954(S29)年3月16日に園篠南線福住〜西能勢が開業した。 ・1956(S31)年3月1日に西脇線谷川〜西脇が廃止された。 ・1957(S32)年3月28日に篠山口〜母子、谷川線大山下〜西古佐、同年11月1日 に東本荘〜奥県守が開業した。 ・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、この路線は山陰本線園部と福知山線篠山 口・谷川を結ぶ本線とその支線からなり、園福線とともに丹波高原を横断し、 従来交通機関に恵まれなかった丹波奥地と、京都・大阪方面との交通は著しく 便利になったと述べられていた。 ・1959(S34)年2月10日に大芋線藤坂〜藤坂奥が開業した。 ・1968(S43)年9月の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル線撤去に伴い、鉄道 路盤と並行する一般道路を運行し、運賃は一般のバス賃率を適用している路線の 輸送を「代替輸送」といい、園篠線もその1つであった。 ・国鉄篠山線(篠山口〜福住)は、1970(S45)年度の収支係数が1,090を示し、国 鉄諮問委員会が廃止を勧告した83線区の中でも11番目に悪い線区であった。福 知山鉄道管理局は、大衆説得方式という住民1人1人と膝を交えて話をする方 法で協力をとりつけ、1972(S47)年3月1日の同線廃止と同時に国鉄自動車によ る代替輸送が開始された。移行時点における国鉄バスの運行回数は、次の通り であった。 (単位:往復) 本線 南線関係 北線関係 篠山口 本篠山〜 城東日置 本篠山 細工所 〜本篠山 城東日置 〜福住 〜細工所 〜福住 代替輸送開始前 41.0 17.5 13.5 17.5 7.5 代替輸送開始後 3/1改正 52.0 24.0 19.0 20.0 8.0 3/15改正 55.0 24.5 20.5 21.5 8.0 ・1980(S55)年現在の運行系統別運行回数は次の通りである(総運行回数 114.5往 復)。 篠山口〜本篠山 45.0往復 篠山口〜城東日置 23.0往復 城東日置〜福住 19.5往復 本篠山〜細工所 17.0往復 細工所〜福住 10.0往復 ・1985(S60)年当時、線内の本篠山及び篠山本町に自動車駅が存在した。また、 国鉄バス運行の拠点として、福知山自動車営業所篠山支所(本篠山)が置かれ ていた。 3.2 旅から30年 ・篠山口駅監修「列車バス時刻表」1986(S61)年11月1日改正によると、園篠線 には次のような系統が設定されていた。(※福住〜西能勢の便は掲載されて いなかった。) 篠山口〜本篠山(篠山本町経由)下り18本・上り20本(うち休日運休1往復) 篠山口〜本篠山(南バイパス(風深)経由)3往復 ※篠山口〜本篠山は神姫バスと国鉄バスの両者が発売する普通乗車券、 回数乗車券及び定期乗車券はいずれのバスにも乗車することができま すとの注記あり(共通乗車の取扱) 本篠山〜細工所〜福住〜園部 5往復(所要1時間2分) 本篠山〜細工所〜福住 下り2本・上り3本(うち奥県守経由1往復)( 所要24分、奥県守経由35分) 本篠山〜城東日置〜福住〜園部 1往復(所要1時間4分) 本篠山〜城東日置〜福住 下り11本・上り10本(所要24分) 福住〜園部 1往復(所要37分) 本篠山〜細工所〜大芋〜市野々 下り8本(うち休日運休1本、藤坂奥・ 奥山経由1本)・上り10本(うち休日運休1本、藤坂奥・奥山経由土曜 運行1本、藤坂奥・奥山経由土曜運休1本、土曜運休1本、土曜運行1 本)(所要30分、藤坂奥・奥山経由1時間10分) 本篠山〜細工所〜大芋 2往復(所要25分) 本篠山〜城東日置〜後川下 4往復(所要30分) 城東日置〜後川下 1往復(所要21分) 本篠山〜城東日置〜曽地奥 1往復(所要22分) 本篠山〜城北口〜火打岩 下り3本・上り4本(所要17分) 本篠山〜和田〜火打岩 下り1本(所要18分) 篠山口〜味間奥 2往復(所要11分) 篠山口〜小枕奥 3往復(所要13分) 福住〜奥原山 下り2本・上り1本(所要17分) ・国鉄最末期の1987(S62)年1月28日に本線の原山口〜奥原山、大芋線の多紀福井 〜藤坂奥及び岩屋〜奥山の廃止が公示され、同年2月1日に園篠南線の福住〜 西能勢の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、園篠線は西日本JRバスに継承された。 ・1989(H1)年3月11日に本線の東本荘〜奥県守が廃止された。同年11月1日に本線 の杉〜小枕奥、篠山口〜味間奥が廃止された。 ・同年4月1日から篠山営業所は、福知山営業所篠山支所となった。 ・1997(H9)年5月11日、篠山口駅橋上化に伴ってバスターミナルが西口へ移設され た(新設区間として宇土観音〜大沢〜篠山口が開業)。1998(H10)年4月、畑線の 和田〜瀬利が廃止された。 ・篠山口駅監修「列車バス時刻表」2001(H13)年3月3日改正によると、園篠線 には次のような系統が設定されていた。 篠山口〜本篠山(篠山本町経由)下り18本(うち日祝運休2本)・上り19 本(うち日祝運休2本、日祝運行1本)(所要20分) 篠山口〜本篠山(南バイパス(風深)経由)下り4本・上り2本(うち日 祝運休1本)(所要16分) 篠山口〜鳳鳴高校 下り2本(風深経由・直行各1本、日祝運休)・上り 3本(土曜運行、日祝運休、土日祝運休各1本) 本篠山〜鳳鳴高校 下り1本(日祝運休)・上り2本(土曜運行、土日祝 運休各1本) 篠山口〜産業高校 下り1本(日祝運休)・上り3本(土曜運行、日祝運 休、土日祝運休各1本) 本篠山〜細工所〜福住〜園部 下り2本(所要1時間2分) 本篠山〜細工所〜福住 下り1本(土曜運休)・上り1本(所要23分) 本篠山〜城東日置〜福住〜園部 下り3本・上り5本(うち土曜運休、土 曜運行各1本)(所要1時間) 本篠山〜城東日置〜福住 下り6本・上り8本(うち日祝運休1本)(所 要23分) 福住〜園部 下り1本・上り2本(うち日祝運休1往復)(所要37分) 本篠山〜城東日置〜福住〜原山口 下り1本(日祝運休)・上り1本(原 山口〜福住は土曜のみ運行)(所要31分) 福住〜原山口 下り1本(土曜運行)・上り1本(日祝運休)(所要7分) 本篠山〜細工所〜大芋〜市野々 下り7本(うち日祝運休2本、土曜運行 1本、日祝運行1本)・上り8本(うち日祝運休3本、土曜運行1本) (所要32分) 本篠山〜細工所〜大芋 下り3本(うち日祝運休1本)・上り2本(うち 日祝運休1本)(所要23分) 本篠山〜城東日置〜後川下 下り5本(うち日祝運休、土日祝運休、土曜 運行、日祝運行各1本)・上り3本(うち日置〜本篠山日祝運行、日祝 運休各1本)(所要30分) 城東日置〜後川下 下り3本(うち土曜運行、土日祝運休各1本)・上り 2本(うち日祝運休、日祝運行各1本)(所要19分) 本篠山〜城東日置〜曽地奥 下り2本(うち土曜運行、土日祝運休各1本) ・上り1本(日祝運休)(所要22分) 本篠山〜城北口〜火打岩 5往復(うち日祝運休3往復、日祝運行2往復) (所要17分) ・2002(H14)年3月末限りで、本線の福住〜細工所〜本篠山、城北口〜篠山本町 〜宇土観音〜篠山口、宇土観音〜篠山口(西口)、宇土観音〜風深〜本篠山、 篠山本町〜産業高校前、園篠南線福住清水〜城東日置〜本篠山、城東日置〜 厄神前〜後川下、大芋線細工所〜市野々が廃止された。 ・本線・畑線の本篠山〜城北口〜瀬利〜畑、園篠南線の厄神前〜曽地奥は、代替 運行の調整を終えた、同年8月末限りで廃止された。残された本線の園部河原 町〜福住も同年9月末で廃止され、園篠線は全廃となった。併せて、篠山営業 所も篠山貸切センターに変更された(2003(H15)年3月1日廃止)。 3.3 旅の考察 ・篠山口〜和田のきっぷの経路は、篠山口〜宇土観音〜篠山本町〜城北口〜本篠 山〜和田(9.1km)であるが、篠山口0.7杉3.6小枕口1.5本篠山3.6宇土観音3.5城 北口4.0瀬利1.9和田であれば18.8kmとなり、きっぷの経路の2倍以上の距離と なる。篠山口駅監修「列車バス時刻表」1986(S61)年11月1日改正によると、 杉〜小枕口、城北口〜瀬利及び瀬利〜和田にはバスの運行を確認できるが、小 枕口〜本篠山はバス運行がなく(休止中)、後者の経路は採れなかった模様で ある。 ・それでも城北口〜和田を後者の経路にすると4.9kmとなり、きっぷの経路(3.8km) よりも1.1km長くなった。但し、前掲時刻表によると、和田〜瀬利を通る便は1日 片道1本でしかも和田→瀬利という方向のみであった。 ・また、城北口〜福住清水を城北口4.0瀬利1.9和田3.1本篠山5.5城東日置5.1福住 清水という経路を採れば19.6kmとなり、きっぷの経路(8.9km)よりも10.7km長く なった。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、園篠線には接続駅(篠山口) の他、本篠山及び篠山本町に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2016 年 12 月 03 日 14:33:26 (15206) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【611】阪本線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇阪本線 1 五条−城戸 1.2 路線略図 五条◎ | ○賀名生 | ○城戸 | | 折立○ | V 熊野本宮・新宮 ※五条〜新宮は五新線(五条〜城戸は阪本線との重複区間) 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・1937(S12)年に鉄道建設線に決定された五条〜阪本は、戦争により工事中断を はさみ、1960(S35)年に五条〜城戸の路盤工事が完成したが、1962(S37)年に 国鉄自動車専用道として運行することが決定された。このため、1963(S38)年 から専用道の工事に着工し、1965(S40)年7月10日に五条〜城戸が開業した。 営業キロ11.2kmのうち専用道区間は8.2kmであった。 ・開業当時は、バスストップを11か所設け、片道26分の所要時分で、1日17往復 を運行した。その後、1979(S54)年度は五条〜城戸24往復及び五条〜生子2往復 が運行されていた。 ・1969(S44)年11月1日から五新線の五条〜城戸(国道168号線)が廃止され、 城戸(阪本線既設停車場)〜阪本に五新線が開業した(国鉄公示第338・339 号)。なお、この時に国鉄自動車路線名称の改正は行われず、五条〜城戸は 五新線と阪本線の重複区間となった。 ・1985(S60)年当時、線内に自動車駅として城戸駅が存在した。また、国鉄バス 運行の拠点として、加茂自動車営業所五条支所(五条)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、阪本線 は五条〜城戸に20往復が運行されていたのを確認できる。 3.2 旅から30年 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、阪本線は西日本JRバスに継承された。 ・五新鉄道の阪本以遠については、1996(H8)年2月に国鉄清算事業団が大塔村、 西吉野村に財産を無償譲渡した。これを受けて、同年11月に本路線の使命で あった建設代行としての役割がなくなったこと及び路線の収支が悪化してい る(年間約3,000万円の赤字)ことから、路線廃止について五条市及び西吉 野村に申し入れた。 ・2002(H14)年9月末限りでに阪本線は全廃され、加茂営業所五条派出所も廃止 された。 ・廃止直前の「JRバス阪本線時刻表」2002(H14).03.23改正によると、阪本線 には次の系統が設定されていた。 五条〜城戸 下り15本(うち土日祝運休2本)・上り16本(うち土日祝 運休3本)(所要27分) 五条〜生子 1往復(所要14分) 3.3 旅の考察 ・国鉄バスの専用道による代行輸送には、鉄道建設予定線敷を運行する建設代行 と、鉄道線を撤去したあとの線路敷を運行する撤去代行とがあり、前者には白 棚線、阪本線が、後者には杉津線、柳ヶ瀬線があった。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、阪本線には接続駅(五条)の 他、第1種委託駅として城戸駅が存在した。なお、五新線にも城戸駅が存在し ていたが、営業範囲(後者は荷物を取り扱わない)や参照公示が異なっており、 同一の駅を意味しているのかどうかは明確でない。 ・1983(S58)年に五条支所は、紀伊田辺自動車営業所から加茂自動車営業所へ移管 されている。 ・1988(S63)年4月のバス事業分離の際に、阪本線のバス運行のみ西日本JRバス が引き継ぎ、専用道財産はJR西日本がそのまま保有するとともに、その維持 管理も同社が行うこととなった。
2016 年 12 月 03 日 14:32:17 (15205) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【610】五新線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇五新線 1 五条−新宮 2 請川−静川 1.2 路線略図 五条◎ | | 城戸○ | | | 折立○ | 十津川温泉○ | 熊野萩○ | 本宮大社前○ | 将監ノ峰○−−○−○熊野本宮 /| 湯峰 | 紀伊田辺<−・ | 温泉 | 渡瀬○ | 温泉 \ | ○−−○請川 /川湯 | / 温泉 | 静川○ ○志古 | | | 権現前○ /| 丹鶴町○ | / | 新宮◎−−−○登坂 ※五条〜城戸は阪本線との重複区間、熊野本宮以西及び川湯温泉〜将監ノ峰は 熊野線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・五新線1 新宮〜請川〜熊野本宮 2.2 掲載 ・20日目 6/20(木) S61.2号 5.近畿編(上) 単行本 p110〜111 2.3 行程 ○新宮0600→0725本宮大社前 五新線 新宮発 折立行 534-4478(三菱P-MP118K) 2.4 エピソード ・新宮市内を一回りして何人かお客を拾い、熊野川右岸に沿う杉林の168号線を 遡る。早朝の山中なのにところどころで1人、2人と乗り降りして、運転士 と世間話をしていく。 ・熊野本宮で乗換えだが100円払って本宮大社前まで乗り越し。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・五新線は、1950(S25)年5月10日に熊野線の一部として熊野本宮〜熊野萩、 1958(S33)年5月15日に同じく熊野萩〜八木尾、川丈線として請川〜新宮が それぞれ開業したのがルーツで、1963(S38)年3月1日に五条〜八木尾が開 業して五条〜新宮が全通した。 ・五新線は、紀勢本線と和歌山線を結ぶ短絡路線を形成し、この区間の先行路 線としての使命を有していた。また、この路線は熊野の山岳地帯を越えて、 太平洋岸の新宮に至る長距離路線であり、沿線の風景は変化に富み、多くの 史跡や温泉郷を持っていると言われた。、 ・「交通年鑑1964年版」には、鉄道線の建設代行輸送に関して、五新線につい て次のように述べられていた。 ◇和歌山線五条と紀勢本線新宮の間は、将来鉄道が建設される計画であるが、 さしあたって、国鉄自動車により旅客輸送を行うことになり、昭和38年3 月から五条〜新宮間149.1kmに1日1往復、座席指定のバスを運転して、 1日平均70人の旅客を輸送している。(5月分実績) ・1966(S41)年12月28日に川湯温泉〜静川が開業した。 ・1969(S44)年11月1日から五新線の五条〜城戸(国道168号線)が廃止され、 城戸(阪本線既設停車場)〜阪本に五新線が開業した(国鉄公示第338・339 号)。なお、この時に国鉄自動車路線名称の改正は行われず、五条〜城戸は 五新線と阪本線の重複区間となった。 ・1973(S48)年3月10日に桧杖〜権現前が廃止され、桧杖〜高校前〜権現前が 開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(3/2現在)によると、国鉄の 五条〜新宮直通便は次の1往復が設定されていた。 新宮0700→熊野本宮0813→十津川温泉0851→折立0858→1239五条 五条1147→折立1533→十津川温泉1540→熊野本宮1630→1733新宮 ・五新線のうち、五条側の折立以北は、1978(S53)年までに国鉄バスの運行が 休止された。 ・国鉄バスの五条〜折立間休止時期については、1978(S53).10.2から休止とする 資料もあるが、「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在) には既に国鉄の五条〜新宮直通便は載っていない。 ・1985(S60)年当時、線内の熊野本宮に自動車駅が存在した。また、国鉄バス 運行の拠点として、紀伊田辺自動車営業所新宮支所(新宮)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、五新 線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 新宮〜折立 1往復 新宮〜十津川温泉 2往復(うち快速便1往復) 新宮〜本宮大社前 上り1本 新宮〜熊野本宮 下り4本・上り3本 請川〜湯ノ峰温泉 上り1本 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の国鉄自動車路線名称の全面改正で、五新線の第1区間は五条 〜城戸が削られて「城戸・新宮間」となった。 ・国鉄再末期の1987(S62)年2月15日に川湯温泉〜静川が廃止された。それ以外の 五新線の区間は、国鉄民営化及び自動車分離を経て西日本JRバスに継承された。 ・1991(H3)年1月21日に折立〜七色及び休止区間の折立以北が廃止されて、十津川 村からJRバスが姿を消した。 ・「五新線時刻表」1996(H8)年9月1日改正によると、五新線には次の系統が設定 されていた。 新宮〜七色 1往復(所要1時間39分) 新宮〜本宮大社 4往復(所要1時間24分) 新宮〜熊野本宮 1往復(所要1時間22分) 熊野本宮〜七色 下り1本(所要17分) 静川〜七色 上り1本(所要21分) ・残された七色以南の区間(新宮〜熊野本宮〜七色及び請川〜川湯温泉)は、2002 (H14)年3月末限りで廃止されて五新線は全廃となった。これに伴い、紀伊田辺 営業所新宮派出所も廃止となった。 3.3 旅の考察 ・馬渡一真「つばめバス十津川郷をゆく−五新線開業す−」(『国鉄線』1963(S38) 年5月号所収)によると、五条〜新宮の直通バス路線は5社(奈良交通、熊野 交通、国鉄、南海、近鉄)競願となったが、1962(S37)年11月に国鉄は五条〜 新宮1往復(申請は3往復)、奈交は奈良〜新宮2往復、熊交は橋本〜新宮2 往復が許可され南海と近鉄は却下された。認可後のこの路線の運営に当たっては 三者相互の協調・協力が第一とされ、停留所(21か所)は全部同一位置で標柱も 共用する、車両故障その他の事故の場合には旅客の便宜を第一義に考えて現場同 士で相互に救済し合うという取り決めを交わす等がなされた。ダイヤの設定に当 たっては五条、新宮とも各社共通のダイヤで1時間おきに発車することでまとま り、どの時間帯を選ぶかについては、国鉄が1往復しかないことから希望のスジ に落ち着いた(新宮発7:00、五条発11:20で途中休憩時間30分を含めて7時間運転)。 国鉄バス五新線では、開業以来無事故に終始した尾鷲営業所の乗務員、紀勢線全通 まで矢の川峠の峻嶮を越えてきた人たちがそのままこの路線を担当した。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、五新線には接続駅(五条及び 新宮)の他、第1種委託駅として城戸及び熊野本宮の各駅が存在した。なお、 阪本線にも城戸駅が存在していたが、営業範囲(五新線駅は荷物を取り扱わない )や参照公示が異なっており、同一の駅を意味しているのかどうかは明確でない。 なお、この資料に五新線城戸駅が載っていることから、1977(S52)年8月の時点 では国鉄バスの五条〜新宮の運行があったと解される。 ・1996(H8)年から2002(H14)年の間、大阪(のちに京都)〜新宮(紀伊田辺経由) に夜行バス「ルナメール号」が運行されていた。この路線は紀伊田辺営業所新宮 派出所の担当であったが、2002(H14)年に五新線全廃とともに新宮派出所も廃止 されるため、この夜行バスも休止となった。 ※補足「新宮周辺の路線推移」
2016 年 12 月 03 日 14:31:10 (15204) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【609】熊野線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇熊野線 熊野本線 1 紀伊田辺−熊野本宮 2 紀伊田辺−鶴ヶ丘 3 鮎川新橋−城ノ浦 4 清姫−一願地蔵前 5 紀伊中川−紀伊小松原 6 将監ノ峯−川湯温泉 富里線 1 滝尻−苔口 1.2 路線略図 五条 Λ | 折立○ | 十津川温泉○ | 熊野萩○ | 本宮大社前○ 紀伊小松原 | ○ 将監ノ峰○−−○−○熊野本宮 \ +=+ /| 湯峰 | 紀伊中川○−+○+・ | 温泉 | / 高尾 渡瀬○ | 栗栖川○ 隧道 温泉 \ | | ○−−○請川 滝尻○−−−○−○苔口 /川湯 | | 打越・ / 温泉 | 一願地蔵前○−○清姫 ・ 静川○ ○志古 | ・ | 鮎川新橋○−○・・ V | 城ノ浦 新宮 | ◎朝来 鶴ケ丘 / 紀伊田辺◎−−○−・ | / +・ ※五条〜新宮及び請川〜静川は五新線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・熊野本線1 熊野本宮〜将監ノ峯〜栗栖川〜鶴ヶ丘〜紀伊田辺 2.2 掲載 ・20日目 6/20(木) S61.2号 5.近畿編(上) 単行本 p272〜273 ・連載誌のみ 小国駅の写真 2.3 行程 ○熊野本宮0935→1001請川 熊野本線 熊野本宮発 新宮行(湯ノ峰温泉経由) 334-8404(三菱MK115H改) ×請川→湯ノ峰温泉 タクシー ○湯ノ峰温泉1226→1500紀伊田辺 熊野本宮発 紀伊田辺行 334-8403(三菱MK115H改) 2.4 エピソード ・路線の戸籍と運転系統がかなり違っており、紀伊田辺行きはさっき通った 五新線を請川へ戻ったのち川湯温泉を回り、湯ノ峰温泉を往復して田辺へ 向かう。きっぷの経路は戸籍上の熊野本線をまっすぐ湯ノ峰温泉へ行かね ばならず、そのコースを通るのは新宮行きの一部だった。 ・湯ノ峰温泉経由の新宮行きに乗ってみると、Sカーブ連続登りの悪路。対 向車が来るたび、行き違いできないのでどちらかがバックする。 ・12時26分に熊野本宮から請川を回ってきた紀伊田辺行きが到着、将監ノ峰 まで戻って、国道とは名ばかりの311号線を行く。細いカーブを上り下り するかと思うと、吊り橋のある集落へ出たり、車窓は美しく、変化がある。 13時半ごろ近露で7分休憩。 ・1車線ぎりぎりで、中ほどに行き違い所のある逢坂トンネルを抜け、14時 過ぎの栗栖川でも5分停車。 ・「自動車線普通旅客運賃表」によれば、田辺市内の鶴ケ丘〜紀伊田辺間は 本線が1.1kmで、0.1km長い別線もあるから、別線経由できっぷを買ったの だが、運転士に聞くとその間の路線は1本だというし、後に紀伊田辺営業 所へ電話で尋ねても同じような答えしか返って来ず釈然としない。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・熊野線は、1947(S22)年6月21日に紀伊田辺〜熊野本宮〜請川が開業したのが ルーツで、沿線の地方産業文化及び吉野熊野国立公園の観光開発を使命として いた。開通当時は、富田川に沿い熊野の山また山を越えて奥熊野の仙境に至る この路線は運転に特別の技術と注意を要する難所が多いと言われていた。 ・1950(S25)年5月10日に熊野本宮〜熊野萩(→五新線)、1951(S26)年10月1日 に請川〜川湯温泉、富里線(滝尻〜打越)の各区間が開業した。 ・1953(S28)年2月11日に紀伊中川〜紀伊小松原、1955(S30)年3月15日に鮎川新 橋〜打越、1956(S31)年12月25日に富里線打越〜苔口、1958(S33)年5月15日に 熊野萩〜八木尾(→五新線)、同年8月27日に清姫〜西谷の各区間が開業した。 ・「交通年鑑1963年版」には、マイクロバスによる座席定員制急行便を設定し、 長距離直通客の利便とともに経営の合理化を図る計画で、予土南北線松山〜 高知間、広浜線広島〜浜田間、雲芸線出雲〜三次間の3路線で実施し、京鶴 ・若江線京都〜小浜間、熊野線紀伊田辺〜川湯間の2路線を計画中であると 述べられていた。 ・1965(S40)年6月24日に白浜線(田鶴口〜白浜湯崎温泉)が開業した(1978(S53) 年4月1日休止、1979(S54)年4月1日廃止)。 ・「国鉄自動車50年史」(1980年)によると、国鉄自動車問題調査会の答申に基 づき、国鉄バス沿線の観光地への旅客を列車・バスを通じて座席指定制により 一貫輸送する結合輸送を推進し好評を博したとある。1966(S41)年度における 主な結合輸送の1つに白浜線が挙げられていた。 列 車 バ ス 第2きのくに号(天王寺〜新宮) 熊野線(紀伊田辺〜白浜湯崎温泉) 第2きのくに号(白浜〜天王寺) 熊野線(白浜湯崎温泉〜紀伊田辺) 第3きのくに号(天王寺〜椿) 熊野線(紀伊田辺〜白浜湯崎温泉) 第3きのくに号(白浜〜天王寺) 熊野線(白浜湯崎温泉〜紀伊田辺) 第1きのくに号(椿〜天王寺) 熊野線(白浜湯崎温泉〜紀伊田辺) 第4きのくに号(新宮〜天王寺) 熊野線(白浜湯崎温泉〜紀伊田辺) ・1977(S52)年1月10日に渡瀬温泉〜川湯温泉が開業した。 ・1985(S60)年1月15日に富里線城ノ浦〜打越が廃止された。 ・1985(S60)年当時、線内には自動車駅として栗栖川及び熊野本宮駅が存在した。 また、国鉄バス運行の拠点として、紀伊田辺自動車営業所(紀伊田辺)と栗栖川、 熊野本宮の両派出所が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、熊野線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 紀伊田辺〜熊野本宮 3往復 紀伊田辺〜高尾隧道 上り1本 紀伊田辺〜紀伊中川 2往復 紀伊田辺〜栗栖川 下り12本・上り11本 3.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1987(S62)年2月15日に紀伊中川〜紀伊小松原が廃止された。その 他の区間は国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに継承された。 ・1990(H2)年3月末限りで支線の鮎川新橋〜城ノ浦及び富里線全線が廃止され、 翌1991(H3)年3月末限りでに清姫〜一願地蔵前が廃止された。 ・1997(H9)年3月改正の「JRバス熊野線時刻表」によると、熊野線には次のよう な系統が設定されていた。 紀伊田辺〜本宮大社前 3往復 紀伊田辺〜高尾隧道 下り2本・上り3本 紀伊田辺〜近露 下り1本(土日祝学休は栗栖川止) 紀伊田辺〜栗栖川 下り9本(うち日祝学休運休1本)・上り9本(うち日 祝運休、日祝学休運休各1本) 栗栖川〜高尾隧道 下り1本 栗栖川〜近露 上り2本(日祝学休運休、土日祝学休運休各1本) 栗栖川〜福定 下り1本(土曜運転学休運休) 熊野大瀞〜熊野本宮 下り1本(日祝運休) ・1999(H11)年3月には小広峠の新道開通に伴って経路変更が行われ、旧道区間の うち高尾隧道〜小広峠が廃止になった。 ・2002(H14)年3月末限りで栗栖川以東の栗栖川〜宮の上〜渡瀬温泉〜湯ノ峰温泉 〜熊野本宮、宮の上〜高尾隧道及び渡瀬温泉〜川湯温泉が廃止された。 ・残された紀伊田辺〜栗栖川(紀伊田辺〜鶴ケ丘の別線を含む)も2009(H21)年9 月末限りで廃止された。同時に紀伊田辺営業所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、熊野線には接続駅(紀伊田辺、 紀伊新庄及び朝来)の他、第1種委託駅として栗栖川及び熊野本宮の両駅が置か れていた。両駅では特別扱小荷物(新聞輸送)が行われていた。
2016 年 12 月 03 日 14:30:18 (15203) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【608】紀南線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇紀南線 1 新宮−大又大久保 1.2 路線略図 上北山● 大又 岡崎 ・ 大久保 野田 熊野本宮・五条 ・ ○・・●・・●・・●尾鷲 Λ ・ / 矢の川 ・ | (紀伊木本→) ・/ 峠 ・ 権現前○−・ 熊野市 ○ ● ・−+ | ◎ /紀伊小坂 九鬼 | | | | / 新宮◎−・ ・−−○−−○−−+−○ 阿田和 神志山 鬼ヶ城 駅前 駅前 口 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・紀南線は、1936(S11)年10月6日に尾鷲〜紀伊小坂が開業し、1940(S15)年8月 8日に上木本〜紀伊木本(→熊野市)が開業、1950(S25)年3月4日に上木本〜 紀伊小坂が開業(同時に紀伊佐田〜上木本(詮議峠経由)が廃止された)して 尾鷲〜紀伊木本が全通した。 ・開業当時は、紀勢東線尾鷲と紀勢西線紀伊木本を結ぶ鉄道代行線としての使命 を有していた他、九鬼線(岡崎野田〜九鬼)をはじめ、沿線地方の産業文化の 発展助長、北山周辺の木材輸送をも使命としていた。 ・尾鷲〜紀伊木本は、熊野の険しい山岳を曲折の多い坂路によって乗り越える区 間で、途中海抜808mの矢の川峠を頂点とし、その前後の急坂と曲路は運転に特 に注意を要する個所と言われていた。 ・1952(S27)年1月25日に九鬼線(岡崎野田〜九鬼)が開業し、同年9月1日に貨 物路線の上北山線(紀伊小坂〜上北山)が開業した。 ・紀勢本線全通前の紀南線のダイヤを「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年11 月号(4/1改正)から拾うと、次のような系統が設定されていたのを確認できる。 尾鷲〜紀伊木本 4往復(所要2時間45分) 大久保〜紀伊木本 1往復(所要1時間) 上橋〜紀伊木本 3往復(所要57分) 紀伊小坂〜紀伊木本 1往復(所要40分) 尾鷲〜松本 6往復(所要25分) 尾鷲〜九鬼 3往復(所要1時間30分) ・1957(S32)年3月10日に九鬼線九鬼町〜九鬼が延伸された。 ・1959(S34)年7月15日に紀勢本線が全通し、紀南線尾鷲〜大又大久保と九鬼線、 上北山線が廃止された。その後、1961(S36)年7月1日に紀南線は新宮〜熊野市 が開業した。 ・1968(S43)年4月17日に上木本〜鬼ヶ城口が廃止されて、熊野市〜鬼ヶ城口が開 業した。 ・1971(S46)年1月27日に熊野市〜上木本が廃止された。 ・新宮〜熊野市〜大又大久保は1984(S59)年2月から休止された。休止前のダイヤ を「国鉄監修交通公社の時刻表」1983(S58)年10月号(9/1現在)から拾うと、紀 南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 新宮〜大又大久保 下り1本・上り2本(所要1時間33〜37分) 新宮〜熊野市 下り1本(所要50分) 熊野市〜大又大久保 下り6本・上り5本(所要34分) ・休止前は、紀伊田辺自動車営業所新宮支所が紀南線の運行を担当していた。 3.2 旅から30年 ・紀南線は休止中のまま、国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに 継承された。「交通年鑑」の西日本JRバスの項にある「営業線区と営業キロ」 の表には、紀伊田辺営業所の所管として紀南線が1998(H10)年版(1997(H9)年11 月現在)まで掲載されていた(1999(H11)〜2000(H12)年版は紀伊田辺営業所の 所管に紀南線の文字はあるが営業キロが「0.0km」となっていた。2001(H13)年 版以降は紀南線が削られている)。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、紀南線には接続駅(新宮及び 熊野市)のみ置かれていた。 ※補足「新宮周辺の路線推移」
2016 年 12 月 03 日 14:29:18 (15202) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【607】近城線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇近城線 近城本線 1 奈良−貴生川 2 伝統会館前−信楽 3 貴生川−甲賀病院前 4 木津−二本松 5 加茂−岩船寺前 6 南加茂台一丁目−浄瑠璃寺−西畑口 7 清水橋−小杉 8 朝宮−杉山−杉山口 9 江田−多羅尾 10 江田−南新田東 11 伝統会館前−田代 12 雲井駅前−宮町 石山線 1 石倉橋−石山 1.2 路線略図 水口新町 Λ | 甲賀病院前○−>槙山 | | +−◎貴生川 | | 宮町○−−○雲井駅前 | 田代○−−○−◎信楽 |伝統 |会館前 江田○−−○南新田東 / \ / \ 杉山口○−・ ○多羅尾 石山 | | ◎ +−○杉山 | 朝宮○ | | ○−−−−○石倉橋 鹿跳橋 | 清水橋○−○小杉 | | 中和束○ 辻 | ・−○ | / \ 加茂◎−−○ ○−○岩船寺前 |南加茂\ /西畑 |台一丁 ○−○ 口 |目 西小 浄瑠璃寺 | 木津◎−−○二本松 | | 奈良◎ ※1985(S60)年当時、木津〜二本松は休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・石山線 石山〜石倉橋 ・近城本線1 石倉橋〜加茂 ・近城本線3 甲賀病院前〜貴生川 2.2 掲載 ・27日目 7/7(日) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p137〜140 ・28日目 7/8(月) S61.4号 7.中部編(上) 単行本 p145〜146 ・連載誌のみ 石倉橋停留所の写真、「かやの木」の写真 2.3 行程 ○石山0813→0901石倉橋 石山線 石山発 信楽行 334-3073(三菱K-MK116J) ○石倉橋1514→1604加茂 近城本線 信楽発 加茂行 334-0021(三菱K-MK116H) ○水口営業所1354→1405貴生川 近城本線 水口新町発 奈良行 334-3071(三菱K-MK116J) 2.4 エピソード ・石山駅前バス乗り場の、近江、京阪、帝産バスは繁しく発着する中に国鉄バス の乗り場もあった。別ルートで信楽と結ぶ帝産バスは1時間に1〜2本なのに、 国鉄は朝、午後、夕に1本ずつ。小ぶりなバスがやってきて5〜6人乗りこむ。 ・鹿跳橋から国道422号の1車線やっとの細道になる。やがて茶畑が増え、宮尻 は朝宮茶の産地と地元の人に聞く。宮尻で3分ほど時間調整。 ・石倉橋に着くと、信楽派出所で教えてくれた10時11分の加茂行きは無情にも日 祝運転休止。タクシーが通る気配もなく公衆電話もない。 ・信楽方面へ少し歩くと木づくりの喫茶兼レストラン「かやの木」。コーヒーを 頼みマスターに事情を話して6時間滞在の許可を受け、ベランダの机に原稿を 広げた。 ・ようやく時が来て、加茂行きバスで出発。狭い地方道の県境を越えて京都府に 入ると、ダム建設反対の立札が目立つ。和束の集落を抜けて加茂に下る。お客 は少なく、運転士は分割民営で本当に国鉄は立ち直るのだろうかと独り言のよ うに不安を訴えた。 ・水口自営協力の便法で、前便の本水口行きからそのまま営業所まで乗って、営 業所にいる水口新町始発の奈良行きに乗り継いだ。本水口〜営業所の便乗は珍 しくないのか、地元のばあさま2人も一緒だった。運行上新水口に停車しない 代わりにサービスしているのかもしれない。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・近城線は、1940(S15)年11月5日に加茂〜清水橋が、翌1941(S16)年11月1日に 清水橋〜信楽が開業したのがルーツで、信楽〜加茂は鉄道敷設法予定線の先行 路線としての使命を有する他、奈良〜貴生川を結ぶ沿線の産業文化の発展助長 も使命としていた。 ・その後、1943(S18)年10月1日に信楽〜貴生川が開業した。 ・戦後は、1950(S25)年5月10日に石倉橋〜宮尻、江田〜多羅尾が開業した。 ・1951(S26)年5月5日に加茂〜辻、1953(S28)年5月25日に奈良〜加茂、1954(S 29)年10月20日に辻〜岩船寺前、瓶ノ原〜中和束の各区間が開業した。 ・1955(S30)年12月27日に瀬田線宮尻〜鹿跳橋、1957(S32)年2月10日に岩船寺前 〜北、同年10月1日に期間限定運行の岩船寺前〜九体寺前、同年11月1日に信 楽〜田代の各区間が開業した。 ・1962(S37)年4月16日に木津〜里、同年10月10日に加茂〜瓶ノ原(1963(S38)年 5月20日廃止)が開業した。 ・1963(S38)年4月10日に貴生川〜甲賀病院前が開業した。 ・1965(S40)年5月20日に石山線鹿跳橋〜石山が開業した。 ・1967(S42)年12月21日に岩船寺前〜北が廃止された。 ・1977(S52)年6月10日に二本松〜九体寺前、同年12月10日に朝宮〜杉山〜杉山口、 1984(S59)年2月1日に江田〜南新田東の各区間が開業した。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、加茂自動車営業所(加茂)、同 信楽派出所(信楽)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、近城線 には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 奈良〜水口新町 上り2本 奈良〜信楽 下り2本・上り1本 奈良〜清水橋 下り1本 奈良〜小杉 1往復 奈良〜原山 上り1本 奈良〜加茂 下り1本 加茂〜貴生川 下り1本 加茂〜信楽 1往復 加茂〜清水橋 2往復 加茂〜小杉 下り4本・上り3本 加茂〜原山 下り1本・上り2本 加茂〜浄瑠璃寺 下り4本(うち1本は特定日運行、1本は岩船寺前〜 浄瑠璃寺は特定日運行)・上り3本(うち1本は特定日運行) 加茂〜岩船寺前 下り5本(うち1本は休日運休、2本は特定日運行) ・上り6本(うち1本は休日運休、2本は特定日運行) ・なお、1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、雲井駅前〜宮町 には運賃の記載がなく、同区間は休止中であったと解される。 3.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1986(S61)年3月3日に朝宮〜杉山口の直行経路が廃止された。 その他の区間は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに継承さ れた。 ・1989(H1)年11月1日に奈良〜加茂、木津〜二本松、同年12月1日には貴生川〜 貴生川駅前、東三本柳〜伝統会館前の各区間が廃止された。その後、1996(H8) 年4月8日に江田〜南新田東及び信楽〜田代が廃止された。 ・残った区間(加茂〜信楽、加茂〜岩船寺前〜加茂、清水橋〜小杉、石倉橋〜石 山及び江田〜多羅尾)も2002(H14)年9月末限りで廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、近城線には接続駅(奈良、木 津、加茂、信楽、貴生川及び石山)のみ置かれていた。 ・1987(S62)年7月13日から国鉄(→JR)信楽線が廃止され信楽高原鉄道が開業 したが、その前後でのJRバスダイヤの変化を見ると次の通りである。 (1)開業前のダイヤについては、「JNR編集時刻表」1987(S62)年4月号(3/2現在) では、近城線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 奈良〜水口新町 上り2本 奈良〜信楽 下り2本・上り1本 奈良〜清水橋 下り1本 奈良〜小杉 1往復 奈良〜原山 1往復 加茂〜信楽 下り2本・上り1本 加茂〜清水橋 下り1本・上り2本 加茂〜小杉 下り6本・上り3本 加茂〜原山 1往復 清水橋〜信楽 上り1本 信楽〜水口新町 下り2本 加茂〜浄瑠璃寺 下り5本・上り3本 加茂〜岩船寺前 下り4本・上り5本 鉄道並行区間の信楽〜貴生川を運行するのは2往復であったことを確認できる。 (2)開業後のダイヤについて、「JR編集時刻表」1988(S63)年3月号(1/4現在) では、近城線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。 奈良〜水口新町 上り1本 奈良〜信楽 下り2本・上り1本 奈良〜清水橋 1往復 奈良〜小杉 1往復 奈良〜原山 1往復 加茂〜信楽 2往復 加茂〜清水橋 下り1本・上り2本 加茂〜小杉 下り6本・上り3本 清水橋〜信楽 上り1本 信楽〜水口新町 下り2本 加茂〜浄瑠璃寺 下り3本(うち土曜運転、秋季運転、土曜運休各1本)・ 上り1本 加茂〜岩船寺前 5往復(うち休日運休、秋季運転各1往復) 鉄道並行区間の信楽〜貴生川を運行するのは下り2本・上り1本であったことを 確認できる。従って、信楽線の第3セクター転換に当たっては、元々鉄道並行区 間の本数が少ないこともあってか、漸減したにとどまっていた。 ※補足「水口〜三雲・信楽の路線推移」 ※補足「奈良〜加茂の路線推移」 ※補足「平城山線・奈良駅周辺に関する考察」 ※補足 JR平城山駅鉄道アクセス輸送について ・JR西日本と西日本JRバスが連携して、JRの既存駅或いは新駅と最寄りの 住宅街・商業地域を結び、通勤通学又は買い物客を対象に一定の輸送量の見込 める路線を検討した結果、JR平城山駅と青山住宅、朱雀・左京循環の2路線 を開設することとされた。 ・他社とのダイヤ調整が難航したため予定の時期に運行開始できず、2007(H19)年 3月18日からようやく運行開始した。運行に当たっては、京都営業所平城山派 出所を奈良電車区構内に新設した。運行系統と本数は次の通りであった(運用 車6両)。 平城山駅〜青山住宅(5.6km)19往復 平城山駅〜朱雀・左京循環(7.2km)19回 ・しかし利用が少なく、2008(H20)年3月15日から大幅に減便するとともに、出 退勤箇所を京都営業所に変更し(京都営業所からバスを回送して運行)、これ に伴って平城山派出所は廃止された。運行系統と本数は次の通りとなった(運 用車3両)。 平城山駅〜青山住宅 10往復 平城山駅〜朱雀・左京循環 13回 ・さらに、同年10月18日から早朝・深夜時間帯を減便し効率化を図ったが、採算 はとれず、2009(H21)年3月13日限りで廃止された。なお、廃止時の運行系統と 本数は次の通りであった(運用車1両)。 平城山駅〜青山住宅 4往復 平城山駅〜朱雀・左京循環 6回
2016 年 12 月 03 日 14:28:22 (15201) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【606】八幡線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇八幡線 1 東陶前−近江八幡−小幡町−元八幡 2 近江下田−本下田−竜王ダイハツ前 3 近江八幡−出町南−元八幡 4 土田口−出町南 1.2 路線略図 元八幡 小幡町○−−○−−○上筋 | | | | 土田口○−−−−−○出町南 | | 教習所前○−−○−−+ | 八幡 | | 病院前 | 近江八幡◎ | 近江八幡○ | 南口 // | // | 六枚橋○−−−−−○金剛寺前 | 近江岩倉○ | +=○駕与町口 竜王小○ | 学校 +=+ // ○川守 田中○ | // ○名神竜王口 // | 医科診// | +=○長峰集 療所前○=+ // //会所前 | // // 山之上○==○=+ | 宮川 | 水口 竜王ダイ○ 綾野 新町 ハツ前 + 名坂 ○−−○−○−>田村神社前 |\ 日電前| | 亀山 中山口○ + | ○西水口 | ○本下田 伴谷口○ | 下田口○ + | ○近江柏木 |/団地 | / 近江下田○ 中央 |/ +−○−○−−○−−○東陶前 \ /にご 岩根 | ○ り池 東口 ○国道三雲 若竹町 |\ V ◎三雲 石部北口 ・草津 ※亀山〜田村神社前〜綾野〜名坂日電前〜東陶前〜国道三雲〜石部北口〜草津、 綾野〜西水口〜東陶前、国道三雲〜三雲は亀草線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・八幡線1 東陶前〜近江下田〜下田口〜竜王ダイハツ前〜近江八幡 2.2 掲載 ・28日目 7/8(月) S61.4号 7.中部編 単行本 p147〜147 2.3 行程 ○東陶前2028→2112近江八幡 八幡線 水口新町発 近江八幡行 534-2472(三菱K-MP118K) 2.4 エピソード ・乗り継ぎ地点の東陶前は真っ暗で、大型車が行き交う三差路を用心しながら、 近江八幡行きの停留所に移動。「TOTO」のネオンだけが大きく輝く。 ・20時28分、近江八幡行き最終バスがやってきた。水口新町始発で三雲駅を経由 してきた運行系統もなじみになった地名ばかり。お客は数人だけで、ほどなく 筆者一人になった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・八幡線は、亀草線の支線として1937(S12)年8月11日に東陶前〜元八幡が開業し たのがルーツで、1958(S33)年10月7日に近江八幡〜小幡町〜元八幡及び土田口 〜保健所前、1965(S40)年7月1日に保健所前〜土田口が開業した。 ・本路線は、1963(S38)年8月、亀草線から分離した。 ・八幡線は、東海道本線近江八幡駅と草津線三雲駅を結ぶ短絡路線として、地域 開発の使命を有していた。 ・1965(S40)年4月8日から名神高速線名神竜王駅に乗入れを開始した(山之上〜 名神竜王〜近江岩井が開業)。(1977(S52)年10月7日に廃止公示) ・1976(S51)年10月31日に団地中央〜竜王ダイハツ前が廃止され、同年11月1日に 団地中央〜近江下田〜竜王ダイハツ前、近江下田〜本下田が開業した。 ・1977(S52)年6月22日に本下田〜竜王ダイハツ前が開業した。 ・1985(S60)年当時、線内の元八幡に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の 拠点として、水口自動車営業所(新水口)及び同元八幡派出所(元八幡)が置か れていた。 ・水口自営「国鉄バス時刻表」1985(S60)年6月20日改正によると、八幡線には次 のような系統が設定されていた。 本水口・水口新町〜三雲〜近江下田〜近江八幡〜元八幡 下り6本・上り 5本 本水口・水口新町〜三雲〜本下田〜近江八幡〜元八幡 下り5本・上り6 本(うち1本は元八幡〜三雲日祝運休) 水口新町〜東陶前〜近江下田〜近江八幡〜元八幡 下り1本 水口新町〜東陶前〜本下田〜近江八幡〜元八幡 上り3本 三雲〜本下田〜近江八幡〜元八幡 下り3本 三雲〜近江下田〜近江八幡〜元八幡 上り2本(うち日祝運休1本) 水口新町〜三雲〜近江下田〜山之上 上り2本 三雲〜近江下田〜山之上 下り1本(日祝運休) 本水口〜三雲〜本下田 下り3本(うち1本は三雲〜本下田日祝運休)・ 上り3本(うち日祝運行1本) 草津〜東陶前〜本下田 下り1本(日祝運休) 大河原〜本水口〜三雲〜本下田 上り1本(本下田〜三雲日祝運休) 田村神社前〜東陶前〜近江下田 下り1本(日祝運休)・上り1本 水口新町〜三雲〜近江下田 下り1本 水口新町〜東陶前〜近江下田 下り1本(日祝運休) 三雲〜本下田 下り2本・上り3本(うち日祝運休2本) 三雲〜近江下田 下り2本(うち土曜運行1本)・上り2本 三雲〜近江下田〜下田口 上り1本 近江下田〜近江八幡〜元八幡 2往復 近江八幡〜元八幡 下り30本(うち日祝運休4本、土曜運転2本、土日祝 運休2本、土日祝運転1本、日祝運転1本)・上り33本(うち日祝運休 10本、土曜繰上日運転2本、日祝運転1本) 3.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1987(S62)年1月末限りで、近江八幡〜小幡町〜元八幡、近江八幡 〜出町南〜元八幡、土田口〜出町南の廃止が公示された。また、同年2月15日に 六枚橋〜近江八幡南口が開業した。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、八幡線は西日本JRバスに継承された。 ・「西日本ジェイアールバス25年史」(2013年)の年表には、1992(H4)年8月3日 から竜王町内一部迂回運行開始とあり、川守〜綾戸〜駕与町口(1998(H10)年10 月廃止)がこれに該当する。 ・1992(H4)年12月1日から長峰団地乗入れ、若竹町乗入れを開始した。 ・2002(H14)年9月当時の水口営業所「西日本JRバス八幡線時刻表」によると、 八幡線には次のような系統が設定されていた。 三雲〜近江八幡 12往復(うち休日運休下り1本、旧道経由下り5本・上り 3本、若竹町旧道経由下り2本・上り3本) 新道下田〜近江八幡 1往復(うち休日運休上り1本) 三雲〜八幡南口 下り6本(うち長峰経由1本、若竹町旧道経由1本)・ 上り8本(うち休日運休1本、旧道若竹町経由3本、長峰旧道経由2本) 三雲〜山之上 1往復(うち上りは休日運休・旧道若竹町経由) 三雲〜下田口 上り1本(休日運休) 三雲〜本下田 下り12本(うち旧道経由8本、旧道若竹町経由4本)・上り 11本(うち学休を除く平日運転1本、旧道経由11本) ・2005(H17)年3月末限りで八幡線は全廃され(最後まで残った区間は、三雲〜近 江八幡、近江下田〜本下田〜竜王ダイハツ前、にごり池〜若竹町〜近江下田、 山之上〜長峰北口〜山之上、六枚橋〜近江八幡南口)、併せて、水口営業所も 廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、八幡線には接続駅(近江八幡) の他に、元八幡に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・民営化時(1987(S62)年4月1日)の「自動車線普通旅客運賃表」の八幡線の項 では、近江八幡は接続駅であるが、近江八幡南口は接続駅にはなっていなかった。
[No.15101〜No.15200]へ戻る
[No.15301〜No.15400]へ進む
不毛な掲示板に戻る
不毛企画 乗り物館に戻る