1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 中国地方自動車局
2017-01-02
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【801】美伯線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇美伯線
1 津山−倉吉
2 津山−茅町(南回り)
3 勘平茶屋−三朝温泉
1.2 路線略図
◎倉吉
:
:
勘平茶屋○…○三朝温泉
:
:
:
: 茅町 津山
院庄◎……○……◎−−>大阪
: :
・……・
※津山〜倉吉、勘平茶屋〜三朝温泉は、休止中
※大阪〜津山は、中国高速線
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・美伯線は、1955(S30)年8月16日に津山〜上井(→倉吉)が開業したのがルーツ
である。
・この路線は、姫新線津山駅を起点として岡山県苫田郡奥津村を経由して中国山
脈を横断し、倉吉線倉吉(→打吹)駅を経て山陰本線上井(→倉吉)駅に至る
路線で、鉄道予定線勝山(→中国勝山)〜倉吉(→打吹)の代行的性格を有す
るとともに、鉄道の津山線を通して山陰本線とを結ぶ陰陽連絡線の性格を有し
ていた。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年11月号(11/1訂補)によると、美伯線
には次の2往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
津山0730→1100上井
津山1430→1800上井
(上り)
上井0750→1120津山
上井1615→1845津山
・1958(S33)年5月1日に伯耆若宮〜三朝温泉〜上井(→倉吉)が開業した。
・1960(S35)年4月3日に津山〜院庄が廃止されて、津山〜吹屋町〜院庄、津山
〜津山寺町〜院庄が開業した。
・1965(S40)年12月15日に伯耆若宮〜倉吉(→打吹)、三朝温泉〜上井(→倉吉)
が廃止されて、三朝温泉〜倉吉(→打吹)が開業した。
・1978(S53)年3月10日に興和紡前〜打吹が廃止された。
・美伯線は1985(S60)年4月から津山〜倉吉その他全線が休止された。休止前の
ダイヤを「国鉄監修交通公社の時刻表」1984(S59)年3月号(2/1現在)から拾
うと、次のように3往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
津山0730→0940倉吉
津山1050→1300倉吉
津山1510→1720倉吉
(上り)
倉吉0755→1005津山
倉吉1145→1355津山
倉吉1531→1741津山
・休止前は、岡山自動車営業所津山支所が美伯線の運行を担当していた。同線の
休止に伴って津山支所も廃止された。
3.2 旅から30年
・美伯線は休止中のまま、国鉄民営化及び自動車分離を経て、中国JRバスに継承
された。
・「交通年鑑」の中国JRバスの項にある「営業線区(一般線)」の表には「美伯
線 津山〜倉吉、他1区間、75.2km」と1993(H5)年版(1990(H2)年度末現在)ま
で掲載されていた(1994(H6)年版(1992(H4)年度末現在)以降は美伯線が削られ
ている)。
3.3 旅の考察
・鳥取県バス協会「鳥取県東部版バス総合時刻表」1982(S57)年1月によると、
美伯線の停車駅(停留所)は次の通り。
津山、吹屋町、茅町、津山二宮、院庄、鏡野町役場前、上森原、久田、泉、
落合橋、奥津温泉、上斉原、上斉原学校前、上斉原発電所前、美作石越、
赤和瀬口、高清水高原、栗祖、木地山、加谷、穴鴨、助谷、勘平茶屋、三朝
温泉、興和紡績、倉吉
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、美伯線には接続駅(津山、院
庄及び倉吉)の他に、穴鴨及び三朝温泉の自動車駅(第二種委託駅)が置かれて
いた。
※補足「三朝温泉〜倉吉の路線推移」
※補足「津山〜院庄の路線推移」
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【802】両備線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇両備線
両備本線
1 岡山−玉島バスセンター
2 学園口−清心学園前
3 松島西ノ口−中庄
茶屋町線
1 倉敷−茶屋町
矢掛線
1 倉敷−矢掛
1.2 路線略図
清音 岡山
矢掛○−−−+−◎ バラ園西口 ◎+−・
| 清心学園前・=☆ | |岡山
| 松島 ○ ‖ ‖ 庭瀬 | ○天満
玉島バス | 西ノ口 | ‖ ‖ 本町 | |屋前
センター○………◎−−○−−○−−○−○−−○−−−○−・
倉敷|中庄| 学園 備中 下撫 | 岡山大供
| ・◎ 口 庄 川 |
| ‖ 流通 |
|南‖ 会館前 |
|鳥☆=☆==☆==☆=+=○流通セン
|羽‖イトー コンベ ‖ |ター北口
帯江○=・ピア団 ックス ○−・
| 地入口 岡山前 塚山公園前
|
|
茶屋町◎
※倉敷〜玉島バスセンターは1979(S54).2.15から休止中
※岡山〜岡山大供、庭瀬本町〜塚山公園前は、路線名称に無い
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・茶屋町線1 茶屋町〜倉敷
・矢掛線1 倉敷〜清音
2.2 掲載
・18日目 6/18(火) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p104〜104
・連載誌のみ 茶屋町駅に停まる倉敷行きバスの写真
2.3 行程
○茶屋町1303→1325倉敷 茶屋町線 茶屋町発 倉敷行 534-7405(三菱B800L)
○倉敷1333→1353清音 矢掛線 倉敷発 矢掛行 644-4911(三菱B905N)
2.4 エピソード
・小雨模様の茶屋町からバスで倉敷を目指すと、買い物客の主婦中心に乗り降り
が盛んで本数も多い都市型路線。
・モダンな倉敷駅前の大バスターミナルで矢掛線に乗り継ぐ。各社路線バス発車
前の放送が行われ、乗車便も「清音駅経由備中矢掛行き」と、きちんと紹介さ
れた。
・山陽本線のガード下をくぐり山側へ出て、伯備線の複線踏切を渡ると道が次第
に狭くなる。高梁川左岸の堤防へ上がればさわやかな眺めで、山陽新幹線の鉄
橋下を抜け北上。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・両備線は、1933(S8)年3月30日に倉敷線倉敷〜茶屋町が開業したのがルーツで、
1937(S12)年3月28日に岡山〜倉敷が開業した。この路線は、山陽本線と宇野線
の短絡及び鉄道の補助的使命を有した他、都市交通の使命をも有していた。
・1941(S16)年6月7日に矢掛線(倉敷〜矢掛)が開業した。
・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(V)戦時期2−」(『東京経大
学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営
自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、両備本線倉敷〜岡山が
1944(S19)年4月20日から旅客運行が休止された。
・1944(S19)年11月10日に岡山〜岡南の臨時営業が開始された(1945(S20)年11月
2日廃止)。
・両備線では、1949(S24)年3月に快速便を設定し、さらに1952(S27)年1月に
急行便に変更した。
・1952(S27)年1月8日、国鉄と両備バス(株)との運輸協定(相互乗り入れ)が
認可された。また、この区間には共通乗車制度が適用された。
◇協定区間
起点 岡山県浅口郡金光町占見新田335の2(国鉄金光駅)
終点 岡山市上石井310(国鉄岡山駅)
延長 36.5km
◇協定内容
直通運転回数はそれぞれ10往復以内とし両者が別途協議して決める。
(両備バスの両備本線乗り入れの運転回数は当分の間6往復とする。
国鉄の金光線乗り入れに伴い、両備バスの同線運転回数は当分の間、
倉敷〜玉島町間6往復、玉島町〜金光間3往復とする。
国鉄の金光線運転回数は当分の間、倉敷〜玉島間は概ね10往復、玉
島〜金光間は3往復とする。)
協定区間内の現存停留所は各々が之の使用を認める。
協定区間の乗車券は当該区間相互発着の普通及び回数券利用旅客に限
り相互有効とし、着札計算により毎月分を翌月8日までに精算する。
・このような経緯を経て、1952(S27)年1月21日に倉敷〜金光が開業した。
・1956(S31)年4月1日に矢掛線二万口〜上二万が開業した。
・1958(S33)年3月22日に倉敷線茶屋町〜宇野が開業した。
・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)には、両備線の特長として、玉島〜倉敷
〜岡山及び倉敷〜茶屋町を結ぶ都市交通で交通量が多く、岡山〜倉敷は1日の
運転回数70往復、そのうち快速便14往復を運転しているとあった。
・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、岡山〜倉敷の系統が1日49.5回、
岡山〜金光の系統が同じく8.5回、岡山〜玉島港町の系統が同じく6回運行され
ており、この当時、既に都市型の高頻度運行がなされていた。また、同書の1964
(S39)年版によると、それぞれ1日当たり61.5回、7.5回、5.5回の運行となって
いた。この他、倉敷〜茶屋町の系統は同じく48回運行されていた。
・「交通年鑑1964年版」には、道路の改修と自動車の優等化により中長距離客が
増えており、現在国鉄自動車が運行している中長距離路線の他、主として次の
区間で、中長距離系統の新設、急行便の増発、新型車の増備、駅設備の改善を
図り、サービス向上に努めたと述べられている。
札幌〜小樽 37km
札幌〜美唄 63km
福島〜川俣 23km
西那須野〜鬼怒川 37km
土浦〜江戸崎 22km
瀬戸〜名古屋 26km
矢掛〜岡山 42km
山口〜博多 171km
・1964(S39)年8月12日に倉敷〜酒津口(東回り)が開業した。
・1966(S41)年6月25日に松島北ノ口〜清心学園前、松島北ノ口〜中庄が開業した。
・昭和30年代後半から中国地方自動車局では岡山〜九州間を国道2号線で一貫し
て結ぶ長大路線構想に向けて民営各社との調整が進行していた。両備線でも、
1968(S43)年7月20日に唐船〜福山を延伸し、岡山〜福山に4往復の特急便を
運行した(両備バス、井笠鉄道も同回数を運行)。同年10月1日から両備線
岡山〜福山は「瀬戸内東線」と改称された。
・関口国二(1968年)「幹線道路に進出する国鉄自動車−最近開業した路線につ
いて−」(「国鉄線」1968(S43)年11月号所収)によると、岡山〜福山間特急便
の運行時刻は岡山発0830・1130・1430・1730(福山発も同時刻)、停留所13か
所、所要時間2時間であった。
・交通渋滞による定時性の喪失、山陽本線の整備等の影響から都市間旅客の減少
のため、1971(S46)年6月22日に唐船〜福山が休止された。
・1972(S47)年11月25日に茶屋町〜宇野、二万口〜上二万が廃止された。
・1975(S50)年3月10日の新幹線博多開業に伴うダイヤ改正から瀬戸内東線は両備
線と改称され、1976(S51)年9月1日に玉島専売公社前〜金光、1979(S54)年2月
25日に倉敷〜玉島バスセンターが休止された。
・1977(S52)年3月1日に唐船〜福山、1978(S53)年3月1日に玉島バスセンター
〜金光の各区間が廃止された。
・1984(S59)年2月改正の「両備線時刻表」によると、同線には次のような系統
が設定されていた。
(両備本線)
岡山〜倉敷 下り46本・上り47本
岡山〜中庄 下り6本(うち日祝運休2本)・上り4本(うち日祝運休
1本)
岡山〜下撫川 下り6本・上り7本(うち日祝運休4本)
下撫川〜倉敷 下り7本(うち日祝運休1本)・上り8本(うち日祝運
休1本)
(茶屋町線)
倉敷〜茶屋町 33往復(うち日祝運休1往復)
(矢掛線)
倉敷〜矢掛 23往復
倉敷〜前田西口 1往復(日祝運休)
清音〜矢掛 2往復(日祝運休)
清音〜前田西口 1往復(日祝運休)
・1985(S60)年6月に庭瀬本町〜流通センター入口及び岡山〜岡山大供(カバヤ
前経由)が開業した。これらの区間については、同年8月10日に国鉄自動車
路線名称が改正され、「岡山・岡山大供間、庭瀬本町・塚山公園前間」が追
加された。
・1985(S60)年当時、線内の(自)岡山、(自)倉敷及び矢掛に自動車駅が存在
した。また、国鉄バス運行の拠点として、岡山自動車営業所(下撫川)及び
同倉敷派出所(倉敷)が置かれていた。
3.2 旅から30年
・1986(S61)年4月から庄新町地区乗入れが開始され、同年12月の「国鉄自動車
路線名称」全面改正で下撫川〜バラ園西口〜備中庄が認知された。
・両備線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、中国JRバスに継承された。
・1987(S62)年3月改正の「両備線時刻表」によると、同線には次のような系統
が設定されていた。
(両備本線)
岡山〜倉敷 下り43本(うち日祝運休2本)・上り44本
岡山〜中庄 下り2本(うち日祝運休1本)・上り3本
岡山〜庄新町 下り13本(うち日祝運休3本)・上り11本(うち日祝運
6本)休
岡山〜下撫川 上り1本(日祝運休)
岡山〜流通センター 1往復(日祝運休)
岡山〜天満屋 下り2本(うち日祝運休1本)
下撫川〜倉敷 下り6本(うち日祝運休1本)・上り4本(うち日祝運
休1本)
下撫川〜倉敷(庄新町経由) 下り7本・上り9本
(茶屋町線)
倉敷〜茶屋町 33往復(うち日祝運休1往復)
(矢掛線)
倉敷〜矢掛 22往復
倉敷〜前田西口 1往復(日祝運休)
清音〜矢掛 1往復(日祝運休)
清音〜前田西口 2往復(日祝運休)
・1987(S62)年の民営化前から庭瀬本町〜流通センター北口〜塚山公園前が開業
し、1988(S63)年8月8日から川崎医大乗り入れが開始された。
・1990(H2)年10月8日に塚山公園前〜流通会館前〜岡山コンベックス前〜イトー
ピア団地入口〜鳥羽南〜中庄が開業した。さらに1991(H3)年3月16日に帯江〜
鳥羽南が開業した。
・1991(H3)年3月改正の「両備線時刻表」によると、同線には次のような系統
が設定されていた。
(両備本線)
岡山〜倉敷 下り42本(うち日祝運休2本)・上り48本(うち日祝運休
5本)
岡山〜川崎医大〜中庄 下り3本・上り4本(うち日祝運休1本)
岡山〜流通センター〜中庄 1往復(日祝運休)
岡山〜庄新町 下り7本・上り7本(うち日祝運休4本)
岡山〜下撫川 下り6本(日祝運休)・上り4本(うち日祝運休2本)
下撫川〜倉敷 下り9本(うち日祝運休5本、日祝運行2本)・上り3
本(うち日祝運休、日祝運行各1本)
下撫川〜倉敷(庄新町経由) 下り5本(うち日祝運休1本)・上り6
本(うち日祝運休3本)
流通センター〜中庄 2往復(日祝運休)
川崎医大〜中庄 下り4本(うち日祝運休1本)・上り3本
(茶屋町線)
倉敷〜茶屋町 43往復(うち日祝運休3往復)
茶屋町〜川崎医大・清心学園 5往復
(矢掛線)
倉敷〜矢掛 21往復(うち日祝運休1往復)
倉敷〜前田西口 1往復(日祝運休)
清音〜矢掛 1往復(日祝運休)
清音〜前田西口 2往復(日祝運休)
・中国JRバス(2013年)「中国JRバス25年史」には、創業期(1988(S63)年度
〜1997(H9)年度)において、都市部では両備線、安芸線の交通渋滞が激しく定時
性が保てなくなり旅客は減少の一途を辿ったと述べられている。
・1997(H9)年7月1日から矢掛線は倉敷駅北口に乗入れを開始した。
・1999(H11)年1月11日限りで、井原鉄道の開業に伴って、先行路線であった矢掛
線が廃止された。
・矢掛線が廃止された、1999(H11)年1月改正の「両備線時刻表」によると、同線
には次のような系統が設定されていた。
(両備本線)
(平日)
岡山〜倉敷 下り21本・上り24本
岡山〜中庄 1往復(下り庄新町経由、上り流通センター経由)
岡山〜下撫川 下り24本・上り20本
岡山〜鉄鋼センター 4往復
下撫川〜倉敷 3往復
下撫川〜庄新町〜倉敷 4往復
下撫川〜庄新町〜中庄 下り2本
流通センター〜中庄 上り1本
(土曜)
岡山〜倉敷 下り19本・上り20本
岡山〜下撫川 下り19本・上り18本
下撫川〜倉敷 3往復
下撫川〜庄新町〜倉敷 3往復
下撫川〜庄新町〜中庄 下り2本
流通センター〜中庄 上り1本
(日祝)
岡山〜倉敷 19往復
岡山〜下撫川 19往復
下撫川〜倉敷 3往復
下撫川〜庄新町〜倉敷 下り4本・上り2本
(茶屋町線:全日)
倉敷〜茶屋町 下り33本(うち日祝運休3本)・上り35本(うち日祝運休
6本、土日祝運休1本)
茶屋町〜清心学園・下撫川 下り1本(日祝運休)・上り2本(日祝運休)
・通学輸送のために存続する中庄〜清心学園前を除いて、2003(H15)年3月末限りで、
不採算路線であった両備線は全廃された。なお、中庄〜清心学園前の通学輸送も、
2016(H28)年3月末限りで廃止された。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、両備線には接続駅(岡山、倉
敷、中庄、金光、茶屋町及び清音)の他に、矢掛に自動車駅(第二種委託駅)
が置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【803】雲芸線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇雲芸線
雲芸本線
1 出雲市−三次
2 出雲市−上成橋(南回り)
3 恩谷−波多
(4 潜岩−真木越−呑谷) ※S60.6.1削除
高窪線
1 古城−水越前
里熊線
1 三刀屋−木次
松江線
1 里熊橋−松江
中野線
1 三刀屋上町−六重
須佐線
1 増砂−八幡原
2 朝原口−三槙
3 反辺−上組
4 高西−吉野
吉田線
1 掛合−吉田学校前
2 吉田町−民谷
1.2 路線略図
来待 玉造
駅前 温泉 松江
・−○−−○−−◎
|
加茂柳橋○
大津小 |
体育館前 学校前 里熊橋○−−◎木次
・−○−+−−○−−−・ |
| | | ○下熊谷
出雲市◎−−−○−−−○−−○神立橋 / \
上成橋 鐘紡前 \ / 古城\
・−○−−○−−−○−+
上津 峰寺 / |
馬場 / ○三刀屋 出雲
水越前○−−○−−−○ 三刀屋| 中野
出雲 石峠 上町 ○−−○−−○−−○−○六重
高窪 / 栗谷 飯石
/
○三槙 鍋山○
反返 : |
八幡原○……○……○ 上乙多田○
: 朝原: |\
高西○ 口 : 下多根○−○多根
:: : |
: : ○−−○−−−○増砂
吉野○ ○上組 菅原 松笠 |
| 名古田 吉田町
掛合○+−−−○−−+○−−○吉田学校前
| |
下刀根 | ・−−○−−○民谷
波多○−−○−−○恩谷 梅ヶ峠
|
頓原○
|
来島○
|
潜岩○−−○堂ヶ坂
| |
大田市<−−−+ ○真木
赤名○ |
| |
呑谷○−−○真木越
|
横谷○
|
布野○
|
下布野○
|
日山橋○ 三次小
\ 学校前
大歳町○−○−○巴橋東詰
|
◎三次
※菅原〜八幡原、朝原口〜三槙、反返〜吉野、高西〜上組は1985(S60)年
4月1日から休止中
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・雲芸本線1 三次〜呑谷
・雲芸本線4 呑谷〜真木越〜真木〜潜岩
・雲芸本線1 潜岩〜掛合〜三刀屋
・里熊線1 三刀屋〜里熊橋
・松江線1 里熊橋〜松江
2.2 掲載
・17日目 6/16(月) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p99〜101
・連載誌 宍道湖畔を快走、遅れて出発した松江ゆき(三次駅)、三刀屋駅
2.3 行程
○三次652→946松江 雲芸本線1+里熊線1+松江線1 三次発 松江発
534-6925(三菱B805L)
欠落 雲芸本線4 呑谷〜真木越〜真木〜潜岩 路線廃止
2.4 エピソード
・呑谷〜真木越〜潜岩の迂回線を大回りするはずだったが、5月24日の乗車券購
入7日後の31日限りで廃止となった。出発日の前日限りで消えることを自動車
局情報で知ったのは旅立ちの直前。
・2人しかお客のなかった松江行きは、布野村で通勤通学客が少し乗り降りした。
潜岩を後に掛合付近で乗降が多くなる。三次から2時間、旧道の細長い集落に
入ると三刀屋で3分停車。スイッチバック式の狭い車庫兼駅に入り、運転士が
交替。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・雲芸線は、鉄道の芸備線・木次線の開業が遅く、芸備線は備後庄原までの開通
で陰陽連絡の使命を果たしていなかったため、鉄道の先行として1934(S9)年8
月15日に出雲今市(→出雲市)〜備後十日市(→三次)及び三刀屋〜木次(里
熊線)が開業したのがルーツで、翌1935(S10)年12月25日には木次〜木次町が
延長された。
・この路線は、陰陽連絡の使命を有していた他、沿線地方の産業文化の発展助長
の使命を有していた。
・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(V)戦時期2−」(『東京経大
学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営
自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、里熊線木次〜木次町が
1941(S16)年8月10日から旅客運行が休止された。
・戦後の1950(S25)年6月から、出雲今市〜備後十日市で夜行便(「銀嶺号」、
「わかたか号」)を運行した。この夜行便は、国鉄が出雲市〜三次、広島電鉄
が三次〜広島と三次接続の2社で共同輸送を行ったところ、広島〜松江直通客
に大変好評で盛況であったが、その後一畑電鉄の夜行便運行、引き続き列車「
ちどり号」の夜行運行によって利用客は激減し、国鉄自動車は1954(S29)年8
月に運行廃止した。(中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」によ
る。)
・「日本国有鉄道編集時刻表」1950(S25)年12月号(10/1改正)によると、雲芸線
の急行便は次の2往復が設定されていたことを確認できる。
(下り)
出雲今市1300→赤名1605→1720備後十日市
出雲今市2230→赤名0225→0350備後十日市
(上り)
備後十日市0020→赤名0200→0530出雲今市
備後十日市1440→赤名1605→1900出雲今市
・1950(S25)年8月15日に平岩〜吉田町が開業し、1952(S27)年3月16日に松江線
(里熊橋〜松江)、須佐線(増砂〜朝原口〜東須佐〜反返〜出雲須佐駅前)及
び都賀線(都賀行〜畑田下〜赤名)が開業した。
・1953(S28)年2月1日には栗谷〜飯石〜出雲中野が、同年5月5日には恩谷〜
波多〜上組〜西須佐〜反返が、同年11月24日には志学線(志々別〜志々学校前
〜志津見〜出雲角井)がそれぞれ開業した。
・1954(S29)年12月5日、志学線の出雲角井〜三瓶東口〜志学下町が開業した。
1955(S30)年11月25日には吉田町〜芦谷〜上阿井町が開業し、1956(S31)年4月
8日には須佐線朝原口〜朝原及び波多線西須佐〜藤谷が開業した。さらに、19
58(S33)年9月25日には三刀屋〜出雲高窪が開業した。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年12月号(10/1訂補)によると、雲芸線か
らの広島直通便として次の2往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
掛合0620→赤名0750→三次0925→1250紙屋町
出雲今市1100→掛合1249→赤名1420→三次1608→1933紙屋町
(上り)
紙屋町0845→三次1233→赤名1405→掛合1535→1718出雲今市
紙屋町1152→三次1550→赤名1721→掛合1852→2036出雲今市
・1957(S32)年7月、三瓶温泉(大田線)を国鉄自動車の力で売り出そうと計画し、
国鉄三瓶高原山の家を開設し、三瓶線石見川合〜三瓶温泉を開業して2往復の
運行を行い、また、山陽からは三次からの直通便、山陰からは石見大田からの
直通便で旅客誘致に努めた。(中国地自前掲書による。)
・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、雲芸線の特長として、本路線は本線、
支線を合わせると実に367kmに及ぶ長大路線であると述べられていた。
・1959(S34)年10月20日に出雲中野〜六重〜湯舟谷が開業し、1960(S35)年4月3日
に須佐線朝原〜三槙及び波多線藤谷〜吉野が延長された。同年11月には仁多線吉
田町〜梅ヶ峠〜民谷が開業した。1961(S36)年3月10日には尾関公園〜三次小学
校前〜十日市本町が開業し、1962(S37)年12月5日に潜岩〜真木が開業した。
・「交通年鑑1962年版」には、昭和36年12月1日現在運行中の長距離路線(100km
以上)として、次の運行系統が載っていた。
出雲〜三次 106km
・収支改善の立場から、雲芸線三次〜出雲市、広浜線広島〜浜田において、1962(S
37)年8月、当時としては画期的なマイクロバスによる特急ワンマンカーの運行
を開始した。車両は20人乗りで、中ドアから旅客は乗降し、車内案内は運転士が
携行しているカセットの操作で行った。この特急便の輸送規模は次の通りであっ
た。この運行便の愛称は広く一般から募集し、雲芸線「しらさぎ」、広浜線「ふ
たば」と名付けられた。(中国地自前掲書による。)
雲芸線 3行路 仕業車2両 運用車4両 走行キロ423.0km
広浜線 3行路 仕業車2両 運用車3両 走行キロ491.6km
このワンマン特急便は、長距離運行としての車両性能等に問題があり、1964(S39)
年9月から大型車に取り替えられた。(以上中国地自前掲書による。)
・「交通年鑑1963年版」には、マイクロバスによる座席定員制急行便を設定し、
長距離直通客の利便とともに経営の合理化を図る計画で、予土南北線松山〜
高知間、広浜線広島〜浜田間、雲芸線出雲〜三次間の3路線で実施し、京鶴
・若江線京都〜小浜間、熊野線紀伊田辺〜川湯間の2路線を計画中であると
述べられていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、雲芸線
の出雲市・松江〜三次には次の5往復半が設定されていたのを確認できる。
(下り)
出雲市0705→赤名1035→1157三次
出雲市0805→赤名1042→1146三次 特急便(座席指定)
松江0953→赤名1335→1457三次
出雲市1235→赤名1600→1722三次
出雲市1500→赤名1735→1839三次 特急便(座席指定)
出雲市1515→赤名1848→2010三次
(上り)
三次0535→赤名0721→1031出雲市
三次0815→赤名0946→1322松江
三次0950→赤名1056→1329出雲市 特急便(座席指定)
三次1229→赤名1355→1705出雲市
三次1448→赤名1554→1827出雲市 特急便(座席指定)
・広島〜三次の雲芸南線(合同自動車(株)を買収)の運行開始後、広島〜出雲市の
直通運行のためには、路線内に芸備線の踏切11箇所や幅員の狭隘な箇所があった
ため、道路改修をまってようやく1964(S39)年9月から広島〜出雲市及び広島〜
石見大田に直通特急便の運行が開始された。(中国地自前掲書による。)
・1964(S39)年4月25日に須佐線出雲須佐駅前〜八幡原が延長された。同年12月10日
には晴雲隧道口〜花栗口〜頓原が開業した。1967(S42)年7月18日には真木〜真木
越〜板屋橋、高窪線出雲高窪〜水越前がそれぞれ開業した。1969(S44)年2月1日
には三刀屋〜下津原が開業した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、雲芸線
の出雲市・松江〜三次には次の4往復半が設定されていたのを確認できる。
(下り)
出雲市0815→赤名1036→1138三次
出雲市1000→赤名1205→1303三次
松江1020→赤名1325→1436三次
出雲市1422→赤名1640→1742三次
出雲市1520→赤名1827→1938三次
(上り)
三次0615→赤名0722→0943出雲市
三次0945→赤名1048→1334松江
三次1400→赤名1502→1703出雲市
三次1507→赤名1617→1839出雲市
・中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」によると、雲芸線には次の
ような特急、急行便が運行されていた。
◇1964(S39)年9月16日 出雲市〜広島間直通特急便運行開始。
◇1969(S44)年3月1日 直通特急便を廃止し、出雲市〜三次間急行便運行開始。
◇1972(S47)年3月15日 出雲市〜三次間特急便運行開始。
・1972(S47)年11月25日に栗谷〜下津原が、1973(S48)年3月10日に波多〜穴見口、
1974(S49)年6月末限りで大歳町〜巴橋(北回り)がそれぞれ廃止された。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、雲芸線
の出雲市・松江〜三次系統には次の6往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
出雲市0616→赤名0755→0836三次 特急・急行便
出雲市0908→赤名1125→1225三次
出雲市1155→赤名1343→1427三次 特急・急行便
松江1235→赤名1506→1606三次
出雲市1434→赤名1625→1709三次 特急・急行便
出雲市1601→赤名1827→1922三次
(上り)
三次0623→赤名0710→0901出雲市 特急・急行便
三次0948→赤名1034→1220出雲市 特急・急行便
三次1137→赤名1240→1504松江
三次1407→赤名1453→1609出雲市 特急・急行便
三次1641→赤名1746→2002出雲市
三次1830→赤名1913→2050出雲市 特急・急行便
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、雲芸線
の出雲市・松江〜三次系統には次の6往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
出雲市0610→赤名0749→0834三次 特急便(広島行き急行たいしゃく1号に連絡)
出雲市0910→赤名1117→1217三次 快速便
出雲市1151→赤名1339→1427三次 急行便
松江1235→赤名1506→1606三次
出雲市1425→赤名1615→1703三次 急行便
出雲市1600→赤名1826→1921三次
(上り)
三次0620→赤名0710→0901出雲市 急行便
三次0948→赤名1038→1224出雲市 急行便
三次1145→赤名1248→1512松江
三次1407→赤名1457→1643出雲市 急行便
三次1515→赤名1618→1840出雲市
三次1830→赤名1917→2054出雲市 特急便(広島発急行たいしゃく4号から連絡)
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(8/12現在)によると、雲芸線
の出雲市・松江〜三次系統には次の6往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
出雲市0610→赤名0749→0834三次 特急便(広島行き急行たいしゃく1号に連絡)
出雲市0910→赤名1117→1217三次 快速便
出雲市1151→赤名1339→1427三次 急行便
松江1235→赤名1506→1606三次
出雲市1425→赤名1615→1703三次 急行便
出雲市1600→赤名1826→1921三次
(上り)
三次0620→赤名0710→0901出雲市 急行便
三次0948→赤名1038→1224出雲市 急行便
三次1145→赤名1248→1512松江
三次1407→赤名1457→1643出雲市 急行便
三次1515→赤名1618→1840出雲市
三次1841→赤名1928→2105出雲市 特急便(広島発急行たいしゃく4号から連絡)
・1982(S57)年11月15日に三瓶東線(下刀根〜志学下町)が廃止された。1983(S58)年
3月末には、中野線六重〜湯舟谷、須佐線上組〜大川西平、吉田線吉田学校前〜上
阿井町の各区間が廃止された。翌1984(S59)年3月1日には里熊線の木次〜木次町
が廃止された。
・1985(S60)年3月末限りで晴雲隧道口〜頓原が、同年5月末限りで潜岩〜真木越〜
呑谷が廃止された。
・「国鉄バス雲芸線時刻表」1985(S60)年4月20日一部改正によると、当時、雲芸線
には次の系統が設定されていた。
(雲芸本線)
出雲市〜三次 特急・急行便として次の2往復、普通便下り1本・上り3本
(下り)
出雲市0610→赤名0743→0826三次 特急便(0847発広島行き急行に連絡)
出雲市1151→赤名1330→1417三次 急行便(1433発広島行き急行に連絡)
(上り)
三次1410→赤名1458→1637出雲市 急行便(1400着広島発急行から連絡)
三次1845→赤名1929→2101出雲市 特急便(1840着広島発急行から連絡)
松江〜三次 下り2本・上り1本(所要2時間54分)
三刀屋〜三次 下り1本(所要2時間)
赤名〜三次 3往復(所要50分)
便坂〜三次 2往復(うち日祝日運休1往復)(所要26分)
出雲市〜三刀屋 5往復(所要41分)
出雲市〜掛合 下り2本・上り3本(所要1時間6分)
出雲市〜赤名 1往復(上り便は三刀屋〜出雲市間急行)(所要1時間49分)
三刀屋〜掛合 上り1本(所要24分)
(吉田線)
出雲市〜吉田学校前 下り3本・上り1本(所要1時間24分)
松江〜吉田学校前 上り1本(所要1時間34分)
掛合〜吉田学校前 上り1本(所要15分)
三刀屋〜民谷 1往復(所要1時間14分)
掛合〜民谷 1往復(所要49分)
掛合〜波多 1往復(所要25分)
(松江線)
松江〜三次 下り2本・上り1本(所要2時間54分)(再掲)
松江〜三刀屋 上り1本(所要53分)
(中野線)
三刀屋〜六重 下り4本(うち日祝日運休2本)・上り6本(うち日祝日運休
2本)(所要25分)
木次〜六重 下り2本(所要36分)
(里熊線)
木次〜三刀屋 下り6本・上り7本(所要10分)
木次〜出雲市 下り1本・上り2本(所要55分)
木次〜掛合 下り1本(所要35分)
(高窪線)
木次〜水越前 上り1本(所要41分)
三刀屋〜水越前 下り3本・上り2本(所要20分)
(須佐線)
掛合〜菅原 3往復(所要20分)
・1985(S60)年当時、線内の三刀屋、掛合、赤名に自動車駅が存在した。また、国鉄
バス運行の拠点として、出雲自動車営業所(出雲市)、同三刀屋支所(三刀屋)、
同赤名派出所(赤来町内)及び同三次派出所(三次市内)が置かれていた。
3.2 旅から30年
・1986(S61)年3月31日、須佐線の菅原〜八幡原、朝原口〜三槙、反返〜上組、高西
〜吉野の各区間の廃止が公示された。
・1986(S61)年5月22日から、出雲市〜広島新幹線口の特急便「高速バス350」が
運行開始され(1往復)、これに伴って中国自動車道経由の三次〜広島北インター
が開業した。この特急便のダイヤは次の通りであった。
(下り)
出雲市0700→赤名0823→0902三次0907→可部上市1004→1048広島
(上り)
広島1445→可部上市1534→1631三次1636→赤名1715→1838出雲市
・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、上成橋〜神立橋(9号線)
及び峰寺馬場〜サンラインが認知された。
・国鉄最後の日の1987(S62)年3月末限りで、恩谷〜波多、吉田線吉田町〜民谷の廃
止が公示された(なお、この廃止公示が国鉄公示の最終号であった)。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、雲芸線は中国JRバスに継承された。
・1990(H2)年3月から特急便「みこと号」(広島新幹線口〜出雲市)の広島センター
〜広島北インターを横川〜可部駅前経由から祇園新道〜広島IC〜広島道経由に経路
変更した。
・1990(H2)年12月1日から上津地区への乗入れを開始した(上乗寺前〜上津公民館前
〜森坂が開業した模様)。
・1991(H3)年5月から、出雲市〜広島新幹線口の特急便を準高速線「みこと」号と
して運行を開始した。一畑電鉄との共同運行で4往復、うちJR便は次の2往復
であった。
(下り)
出雲市0700→赤名0833→三次0906→1030広島
出雲市1030→赤名1203→三次1236→1400広島
(上り)
広島1445→三次1613→赤名1657→1819出雲市
広島1845→三次2013→赤名2057→2219出雲市
・1992(H4)年3月末限りで、高窪線(古城〜水越前)及び須佐線(増砂〜菅原)が
廃止された。
・1994(H6)年7月から、出雲市〜広島新幹線口の高速バス「みこと」号にノンスト
ップ便を運行開始した。
・1994(H6)年9月末限りで、吉田線(掛合〜吉田学校前)が廃止された。
・「JRバス時刻表雲芸線」1997(H9)年3月22日改正によると、雲芸線には次の系
統が設定されていた。
(高速バス「みこと」)一畑電鉄と共同運行で8往復、うちJR便は次の4往復
(下り)
出雲市0700→赤名0833→三次0906→1030広島
出雲市0830→→→→→→→→→→→1140広島 ノンストップ
出雲市1000→赤名1133→三次1206→1430広島
出雲市1130→→→→→→→→→→→1440広島 ノンストップ
(上り)
広島1415→三次1543→赤名1627→1749出雲市
広島1525→→→→→→→→→→→1840出雲市 ノンストップ
広島1655→三次1823→赤名1907→2029出雲市
広島1845→→→→→→→→→→→2200出雲市 ノンストップ
(雲芸本線)
出雲市〜三次 下り2本・上り3本
出雲市〜赤名 1往復
出雲市〜掛合 下り4本(うち日祝運休2本)・上り6本(うち日祝運休3本)
出雲市〜三刀屋 下り5本(うち日祝運休1本)・上り2本(うち日祝運行1本)
出雲市〜木次 上り2本(うち日祝運休1本)
三刀屋〜木次 上り1本(日祝運休)
松江〜赤名 1往復
松江〜掛合 1往復
(里熊線)
木次〜六重 1往復(日祝運休)
木次〜三刀屋 下り4本(うち日祝運休1本、日祝運行2本)・上り4本(うち
日祝運休1本)
(中野線)
木次〜六重 1往復(日祝運休)
三刀屋〜六重 3往復(日祝運休)
・1999(H11)年8月末限りで、松江線(里熊橋〜松江)及び萱野口〜下多根〜多根が
廃止された。
・2000(H12)年3月末限りで、三刀屋〜木次及び三刀屋上町〜六重が廃止された。
・2003(H15)年3月末限りで出雲市〜赤名〜三次のローカル便が廃止され、これに伴
って、出雲市〜上成橋(南回り)、上成橋〜神立橋(旧道経由)、上乗寺前〜上ケ
入口〜森坂、日山橋〜巴橋東詰〜三次の各区間が廃止された。
・ローカル便廃止直前の「JRバス雲芸線時刻表」2001(H13)年7月20日改正によると、
雲芸線のローカル便には次の系統が設定されていた。
出雲市〜赤名 (平日、1,3,5土曜ダイヤ)1往復
出雲市〜掛合 (平日、1,3,5土曜ダイヤ)下り3本・上り2本
(日祝、2,4土曜ダイヤ) 2往復
出雲市〜三刀屋(平日、1,3,5土曜ダイヤ)上り1本
三刀屋〜掛合 (平日、1,3,5土曜ダイヤ)上り1本
赤名〜三次 (平日、1,3,5土曜ダイヤ)4往復
(日祝、2,4土曜ダイヤ) 2往復
・2013(H25)年4月から広島新幹線口〜出雲市の高速バス「みこと号」を三次IC〜下
熊谷バスセンターで中国横断道尾道松江線経由に変更した。これに伴って、三次
〜布野〜赤名〜掛合経由の国道54号線ルートが廃止され、三次インター(新設停
留所)〜道の駅たかの〜たたらば壱番地〜下熊谷バスセンターが開業した。
・2015(H27)年6月現在、雲芸線には高速バス「みこと号」が中国JRバスによって
運行されている。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、当時雲芸線には接続駅(出雲市、
三次、木次及び松江)の他、三刀屋、掛合及び赤名に第一種委託駅(自動車駅)が、
頓原、来島、布野、東須佐及び吉田町に第二種委託駅(自動車駅)がそれぞれ置か
れていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【804】大田線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇大田線
1 大田市−赤名
1.2 路線略図
◎大田市
|
○大田栄町 出雲市・松江
/|\ Λ
・ ○ \ 湯抱温泉口 |
|国立 ○−−−○−−◎−−◎−−−−○赤名
|病院 忍原町 粕淵 浜原 |
V V
石見川本 三次・広島
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・大田線1 大田栄町〜粕淵〜浜原
2.2 掲載
・16日目 6/16(日) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p97〜97
2.3 行程
○大田栄町1418→1505浜原 大田線 大田市発 赤名行 334-0017(三菱K-MK116H)
2.4 エピソード
・湯抱温泉口で当時客が降りると、宿の名を聞いた運転士は「そこの石段を上が
ってください」と丁寧に案内。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・大田線は、1935(S10)年9月28日に石見大田(→大田市)〜赤名が開業したのが
ルーツで、雲芸線と連なり陰陽連絡の使命を有していた他、沿線地方の産業文化
の発展助長を使命としていた。
・戦後は、1954(S29)年10月21日に粕淵〜志学温泉が開業した。
・1957(S32)年2月15日に君谷別府〜櫨谷が開業した。同年6月20日に志学北線(
石見川合〜志学温泉)が開業した。
・1957(S32)年7月、三瓶温泉(大田線)を国鉄自動車の力で売り出そうと計画し、
国鉄三瓶高原山の家を開設し、三瓶線石見川合〜三瓶温泉を開業して2往復の
運行を行い、また、山陽からは三次からの直通便、山陰からは石見大田からの
直通便で旅客誘致に努めた。(中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年
史」による。)
・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、三次〜石見大田(75.0km、所要
3時間27分)1往復、三次〜志学温泉(53.0km、所要3時間4分)2往復がそれ
ぞれ設定されていた。
・中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」によると、大田線には次の
ような特急、急行便が運行されていた。
◇1964(S39)年9月16日 石見大田〜広島間直通特急便運行開始。
◇1969(S44)年3月1日 直通特急便を廃止し、石見大田〜三次間急行便運行
開始。
◇1972(S47)年3月15日 石見大田〜三次間急行便を廃止し、石見大田〜三次
間(三瓶経由)特急便運行開始。
・1984(S59)年3月1日に三瓶線石見川合〜国民宿舎前が廃止された。
・1985(S60)年4月1日に三瓶線三瓶山口〜国民宿舎前が廃止された。同年6月
1日に赤名千束〜畑田下が廃止された。
・1985(S60)年当時、線内の赤名に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の
拠点として、出雲自動車営業所大田派出所(大田市)及び同赤名派出所(赤名)
が置かれていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、大田線
には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
大田市〜赤名 6往復
大田市〜粕淵 3往復
大田市〜忍原町 3往復
3.2 旅から30年
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、大田線は中国JRバスに継承された。
・1990(H2)年6月1日から大田国立病院への乗り入れを開始した。
・2003(H15)年3月末限りで大田栄町〜赤名が廃止された。この時、大田市〜大田
栄町は広島〜大田市(石見川本経由)の高速バスが残ったため存続した。
・2005(H17)年6月末限りに広島〜大田市の高速バスが廃止されたことに伴って、
大田市〜大田栄町も廃止された。
3.3 旅の考察
・大田市〜大田神田橋は上下便で経路が分かれていたが、路線名称や自動車線普通
旅客運賃表では別区間とは扱われていなかった。
◎大田市
/↑
・→+→●北八幡宮前
↑ ↓(下り)
北八幡宮前● ↓
(上り)↑ ↓
大正東町○ ○大正東町
(上り)+←+(下り)
大田神田橋○
|
V
大田栄町
キロ程は、下りが大田市0.5北八幡宮前0.2大正東町0.3大田神田橋、上りが大田
神田橋0.3大正東町0.3北八幡宮前0.9大田市、である。自動車線普通旅客運賃表
は下り経路のキロ程を載せている。
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、大田線には接続駅(大田市、
粕淵及び浜原)の他、石見川合、君谷別府及び九日市に第二種委託駅が、赤名
に第一種委託駅が置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【805】雲芸南線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇雲芸南線
1 三次−広島
2 高陽車庫−近隣センター前−岩の上
3 近隣センター前−真亀
4 牛田新町一丁目−広島センター
1.2 路線略図
出雲市
Λ
|
三次◎…………………………………・
:
玖村 :
駅前 上井原○
・−○ |
中山 / \近隣セン 井原|
公園前○ 真亀 ○ター前 市町○
| ・−○−+−○ |
|/ /下深川 志和|
+−−−−−+ 駅前 口駅○
| 地区セン○ 入口|
広島北 | ター / |
インター 翠光台 北+−−−+ 中三田○
Λ ・−・ ○ 山○ / 高陽中 駅前 |
| / \ | 橋| ・ 学校前 |
不動院○+−○+−−○−−+○−++−○−○+−|−+−−○+−○−+−−○
/ 下小田 上小田 矢口| 岩 諸| | ○高陽 |上深川| 狩留家
牛田新町○ ・−+ の 木| ・−+車庫 |駅前 |
一丁目 | 工兵橋 | | 上 |浄水場| ○ ○
+−−○−−・ ・−○矢口 ○入口 ・ 深川台 研創前
| \饒津 が丘 \ /
横川・大朝 ○白島 ○−+ ○
Λ |北町 大須| ◎広島新幹線口 養護学校前
| 基町○ 合同 賀町○−◎広島
| | 庁舎前 |\
広瀬町○−−−−+−+−○−−○−−+ +−>海田・呉
| 広島セ| | 女学院 |
| ンター○ | 前 |
広島 ○−−−○−−+−−○−−−−・
十日市 紙屋町 八丁堀
※上井原〜三次は1985(S60).3.14から休止中
※路線図で真亀は「近隣センター前(真亀)」と表記されていた
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・雲芸南線は、1952(S27)年5月1日、雲芸本線の一部として備後十日市(→三
次)〜広島が開業したのがルーツで、陰陽連絡と鉄道補完輸送を使命としていた。
・中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」には、広島〜三次の路線は
戦後、合同自動車(株)が運行していたが、経営不振を理由に手放すことになっ
たので、1952(S27)年5月、既存業者の車両8両、三次の車庫、路線を買収し、
併せて乗務員も譲り受けて、出雲及び広島自営で運行開始したとある。
・1958(S33)年7月、雲芸南線は出雲自営から広島自営に移管された。
・1963(S38)年4月に雲芸南線は、雲芸線から独立した。
・中国地自前掲書には、広島〜出雲市の直通運行のためには、芸備線の踏切11か所
や幅員の狭隘な箇所があったため、道路改修をまってようやく1964(S39)年9月
広島〜出雲市及び広島〜石見大田に直通特急便の運行が開始されたと述べられて
いた。
・「鉄道辞典補遺版」(1966(S41)年)では、雲芸南線の特長として、広島〜出雲
市、広島〜石見大田(→大田市)に特急便を運行し陰陽連絡のスピードアップ
を図るとともに、芸備線の補完輸送に寄与していると述べられていた。
・中国地自前掲書には、雲芸南線では団地輸送という新しい輸送需要が発生し、
この対処に取り組むこととなったとあり、1970(S45)年以降、広島市周辺の人口
はドーナツ化現象が起こり、北部方面も団地造成が進み次第に人口が増え、1971
(S46)年5月に矢口・岩の上地区の輸送需要に対応するため7往復増回、1972(S4
7)年は10往復増回したと述べられていた。
・1973(S48)年6月19日、安芸庄原〜安芸中深川〜高陽中学校前〜諸木が開業し、
旧線(安芸庄原〜中深川駅前〜諸木)は廃止された。
・1976(S51)年4月5日に岩の上〜真亀(2.1km)が開業した。同年8月24日には三次
〜岩の上(旧線)の廃止が公示され、同年8月25日から三次〜向原農協前〜岩の
上、向原農協前〜向原町及び牛田新町一丁目〜広島センターの各区間の開業が公
示された。
・1977(S52)年4月、矢口〜翠光台(1.2km)が開業した。
・座談会「経営改善の第一線から−自動車営業所長大いに語る」(「国鉄線」1978
(S53)年12月号所収)に広島自営所長が出席しており、次のような発言があった。
◇広島自営は2つの異なった路線を持っている。1つは広島と浜田を結ぶ118km
の広浜本線であり、もう1つは三次と広島を結ぶ雲芸南線であるが、この路
線の途中に広島市のニュータウンとして急激に大きくなりつつある高陽団地が
あり、広島市との間の団地輸送を担当。
◇この団地輸送が非常に実績を上げており、現在でも(広浜)本線のカバーをこ
の南線でやっているという実情。1977(S52)年度末にニュータウン内の3,500u
の駐車場用地を購入していただいたこともあって、職員の気持ちとしても、こ
の南線を広島自営の顔にしたい、経営的にも1980(S55)年度に収支係数を100に
したいと、皆一生懸命やっている。
◇広告収入の増収対策は「なりふり構わず」をモットーとしている。現在1両で
最高46枚の広告を出しているが、内容は車内8枚、車内に貼るステッカー29枚、
外側に9枚。「そこまでやっては」という気持ちが(所長にも職員にも)あっ
たが、実際やってみて、あまりみじめでもなければ恥ずかしいものでもないと
いう気持ちである。
・1979(S54)年3月に向原町〜向原農協前が休止された。同年8月20日に高陽車庫
〜近隣センター前(2.7km)が開業した。
・広島県住宅供給公社の高陽団地造成が逐次完成し、1975(S50)年8月に広島交通
はB団地へ、1976(S51)年4月に国鉄はA1団地へ乗入れを開始した。1979(S54)
年8月には運行路線の持ち替えを行い、国鉄と広島交通はそれぞれ33往復でA1、
A2住区の輸送を、広島バスはB住区の輸送を行うこととなった。1980(S55)年10
月現在、各社の総運行回数は、国鉄87往復、広島交通120往復、広島バス35.5往
復と、中国地自前掲書には述べられていた。
・1983(S58)年3月末限りで向原町〜向原駅前の廃止が公示された。
・1985(S60)年当時、線内の真亀(近隣センター前)、広島新幹線口及び広島セン
ターに自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、広島自動車営
業所(広島新幹線口)及び同高陽派出所(高陽車庫)が置かれていた。
・広島自営「国鉄バス雲芸南線時刻表」(1985(S60)年3月14日改正)によると、
雲芸南線には次の系統が設定されていた。
広島・センター〜井原市町 下り5本(うち団地入らず2本)・上り4本(う
ち団地入らず3本)
広島・センター〜志和口駅前 下り1本(団地入らず)・上り1本
広島・センター〜白木山口 下り10本(うち団地入らず4本)・上り11本(う
ち団地入らず6本、日祝運休1本)
広島・センター〜安芸中深川 下り15本(うち団地入らず7本、日祝運休3本、
日祝運転1本)・上り15本(うち団地入らず9本、日祝運休4本、日祝運転
1本)
広島・センター〜高陽車庫(団地入らず) 下り8本(うち日祝運休3本)・
上り8本(うち日祝運休3本)
広島・センター〜近隣センター前〜地区センター〜高陽車庫 下り79本(うち
日祝運休12本、日祝運転2本)・上り67本(うち日祝運休8本、日祝運転1
本)
翠光台〜近隣センター前〜地区センター〜高陽車庫 下り1本(日祝運休)
高陽車庫〜井原市町 下り2本・上り1本
この時刻表には、真亀駅(A1近隣商店街内)及び真亀駅第2切符売場(地区セン
ター駅)の広告が掲載されている。
3.2 旅から30年
・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、高陽車庫〜養護学校前
〜玖村駅前〜近隣センター前、諸木〜地区センター、岩の上〜翠光台、矢口〜
矢口が丘、饒津〜広島新幹線口の各区間が認知された。
・国鉄末期の1987(S62)年2月15日に近隣センター前〜岩の上の廃止が公示された。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、雲芸南線は中国JRバスに継承された。
・民営化以降1992(H4)年までに研創入口〜研創前が開業した。
・1996(H8)年6月に深川台への乗り入れを開始(高陽中学校前〜深川台開業)する
とともに、同年7月1日に高陽台団地への乗り入れを開始した(岩の上〜高陽台
開業)。
・1997(H9)年10月31日、矢口バイパス経由の急行便を運行開始し、これに伴って、
矢口〜下小田の直行経路が開業した。
・1999(H11)年4月20日に岩の上〜翠光台が休止された。
・2003(H15)年3月末限りで研創入口〜上井原が廃止された。
・2015(H27)年6月現在、雲芸南線は、広島センター・広島〜高陽団地・研創前及び
その他の枝線が中国JRバスによって運行されている。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、雲芸南線には接続駅(三次及び
広島)の他、真亀に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
※補足 高陽団地内の路線名称上の区間(1987(S62).02.15)と経路について
・雲芸南線に係る国鉄時代最後の路線名称(1987(S62)年2月15日改正)と路線図を
基に、停留所間キロ程から各区間の経由停留所を整理すると、次の通りであった
と解される。
1「三次・広島間」
三次〜上深川駅前〜安芸庄原〜安芸中深川〜高陽中学校前〜諸木峠〜諸木〜岩の上
〜広島
2「高陽車庫−近隣センター前−諸木間」
高陽車庫〜奥田橋〜地区センター〜西山公園前〜下深川駅前〜下庄〜堂願橋〜近隣
センター前(真亀)〜落合中学校前〜寺迫公園前〜寺迫公園〜柳ヶ迫〜北山橋〜諸
木〜岩の上
3「高陽車庫−養護学校前−地区センター−玖村駅前−近隣センター前間」
高陽車庫〜高陽車庫上〜倉掛センター前〜倉掛小学校前〜防災センター入口〜養護
学校前〜浄水場入口〜高陽東高校前〜諸木陸橋〜北山橋〜柳ヶ迫〜地区センター〜
郵便局前〜寺迫公園〜グランド下〜落合東小学校前〜中山公園前〜県営17号館前〜
新玖村橋〜玖村駅前〜近隣センター前(〜近隣センター前(真亀))
・この当時の路線略図は次の通りである。なお、この略図では、●は乗降場を、▲は
指定停留所を表している。
新玖村橋●−−○−・
/ 玖村駅前\近隣センター前
/ ○
県営17号館前● ・−○−−+−●堂願橋
/落合中 /近隣センター \
中山公園前○ 学校前● 前(真亀) ●下庄
| | /
落合東 ● | ○下深川駅前
小学校前| 寺迫 | /
| 公園前● 郵便 ●西山公園前
| | 局前 /
グランド下●−−●−+−●−−+
寺迫公園/ /
● /
/ ○地区センター
・−+−−−+ 安 上
柳ヶ迫● | 中 高 憩 芸 安 深
| 諸 | 深 学陽 の 中 芸 上 川
北山橋▼ 木 | 川 校中 森 隠 深 庄 庄 駅
| 峠 | 口 前 口 地 川 原 原 前
広島<−○−○+−●−|−+−●−○+−●−●−○−○−●−○−+−>上井原
岩 諸| 奥田● | | |
の 木| 橋 | ○高陽 ●第三公園前 ○研創入口
上 ●諸木 ・−+車庫 | |
|陸橋 高陽| ●深川台中 ○
光掛中● 車庫● | 研創前
| 上 | ○深川台
| |
高陽東高校前● ●倉掛センター前
| |
浄水場入口● ●倉掛小学校前
\ /
養護学校前○−●防災センター入口
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【806】安芸線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇安芸線
1 広島−広
2 海田−海田新開
3 坂横浜−鯛尾
1.2 路線略図
高陽団地
Λ 合同 向洋
横川 | 庁舎前 広島 駅前 海田 海田市駅
<−++−○−−◎−−○+−−○+−+=○
広島セ|| / ‖広島 | |
ンター○| / ‖ガス前○ |
<−−○−○八丁堀 ‖ | |
紙屋町‖ ‖ 海田○ |
‖ ‖ 新開‖ |
‖ ‖ ☆=○牛の首
‖ ‖ 東部流 |
中電前☆ ‖ 通団地 |
‖ ・=====+
‖ |
‖ 鯛尾○−−○坂横浜
‖ | 体育館前 西条
・==============|=+=☆ Λ
| ‖ ‖ | 広
○−+−◎−−○−−○−◎・・○
呉ポー 呉 呉本通 広交 仁方
トピア 六丁目 叉点
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・安芸線1 広島〜海田〜呉
・安芸線1 広交叉点〜広
2.2 掲載
・13日目 6/13(木) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p85〜85
・14日目 6/14(金) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p88〜88
2.3 行程
○広島1610→1710呉 安芸線 広島センター発 呉本通六丁目行
634-4908(三菱B805N)
2.4 エピソード
・広島駅に荷物を預け、頻発の安芸線で呉へ。快速と普通便があるが、「道路の
状況次第で快速も普通と変わらなくなるから、呉なら、きた方に乗ればいい」
と切符売場の話。かなりくたびれた普通便のバスは満員で、若い女性客も多い。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・安芸線は、1942(S17)年7月1日に広島〜呉〜仁方が開業したのがルーツで、
戦時中の工員輸送の目的で、鉄道の補助・培養の使命をもって発足したが、昭
和30年代に入って都市交通の使命をも有するようになっていた。
・国鉄中国地方自動車局(1980年)「国鉄中国自動車30年史」には、安芸線は、
呉海軍工廠が生産拡大を行うため、学徒動員、徴用工員等の宿舎を小屋浦、
吉浦地区に建築を始め、この地区から呉までの輸送を呉線の複線化で補う計画
であったが、膨大な資金と月日を要するため間に合わず、急きょ国鉄自動車の
開業が決定されたものと述べられている。
・1951(S26)年12月11日、国鉄と呉市、広島電鉄(株)との運輸協定(相互乗り入
れ)が認可された。また、この区間には共通乗車制度が適用された。
◇協定区間
起点 呉市本通十三丁目16(呉市本通十三丁目)
終点 広島市基町94(広島市紙屋町)
◇協定内容
運行系統 呉市本通十三丁目〜広島市紙屋町間
運行回数 呉市及び広島電鉄(株)とも1日5往復。なお、国鉄に対する
運行回数は拘束されない。
取扱旅客
国鉄に対しては
紙屋町〜広島駅間相互発着及び汐見町〜本通十三丁目間相互発
着の呉市営の乗車券は無効。
紙屋町〜矢野間相互発着の広島電鉄(株)の乗車券は無効。
呉市に対しては
紙屋町〜広島駅間相互発着の国鉄バスの乗車券は無効。
汐見町〜本通十三丁目間相互発着の国鉄バス及び広島電鉄(株)
の乗車券は無効。
広島電鉄(株)に対しては
紙屋町〜矢野間相互発着の国鉄バスの乗車券は無効。
汐見町〜本通十三丁目間相互発着の呉市営の乗車券は無効。
運賃 国鉄既定運賃による。但し、呉市については、呉市内特定運賃区
間(市内10円均一)はその特定運賃を、広島駅〜紙屋町間(広島
電鉄(株)は現行10円、国鉄は5円)については呉市及び広島電鉄
(株)運賃を当分の間適用する。
停留所 本協定により運転する自動車便に限り、全区間国鉄既設の停車
場以外は停車しない。
・1951(S26)年9月15日、呉市営及び広島電鉄が安芸線に5往復ずつ乗入れを開始
した。この時の運輸協定で、両社と紙屋町(→広島バスセンター)〜本通十三
丁目(→呉本通六丁目)で共通乗車を行った。(中国地方自動車局(1980)「国
鉄中国自動車30年史」による)
・その後、1955(S30)年には安芸線に急行便20往復設定し、快速便(1947(S22)年
から設定)を16往復増回した。昭和30年代は輸送需要が高まる中、安芸線では
呉〜広島の直通客を中心に増加したため、民営2社とともに直通便の増回を図
る他、1958(S33)年10月10日に、同線における国鉄の主体性維持と直通便利用者
へのサービスを図るため、広島駅〜呉駅間ノンストップ特急便「ひかり号」を
運転し、直通客の集約輸送と運転時分の短縮を行った。(中国地自前掲書による)
・この間、1952(S27)年11月から岩益線から安芸線への乗り入れを開始(1972(S47
)年12月廃止)するとともに、1962(S37)年2月には光線から安芸線への乗り入れ
を開始し、同年6月から下松〜呉本通十三丁目の直通便を運行開始した(1972
(S47)年12月廃止)。
・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、安芸線の特長として、紙屋町(広
浜線)〜本通十三丁目は7時から22時まで15分毎に普通便、30分毎に急行便・
快速便を交互に運転し、紙屋町〜呉〜黒瀬(西条線)、紙屋町〜呉〜仁方及び
紙屋町〜海田は概ね5分毎に運転し、紙屋町〜海田の1日の往復回数は実に
160余回に及ぶ、と述べられていた。
・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、紙屋町〜呉本通十三丁目の系統
が1日64.5回、紙屋町〜広の系統が同じく6.5回、紙屋町〜仁方の系統が同じく
11回、紙屋町〜海田の系統が同じく91回運行されており、この当時、既に都市型
の高頻度運行がなされていた。また、同書の1964(S39)年版によると、広島セン
ター〜呉本通十三丁目の系統が同じく92回、広島センター〜坂横浜港の系統が同
じく30.5回、広島センター〜海田の系統が同じく59回、広島センター〜海田新開
の系統が同じく28回の運行となっていた。
・「交通年鑑1960年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を
取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ
の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和33年度に次のように急行
便を設定したとある。
広島センター〜呉本通十三丁目 28km 16往復
・1960(S35)年8月25日に海田〜広島ガス前〜海田新開、1961(S36)年3月10日に坂
横浜〜坂横浜港、同年11月5日に仁方〜仁方桟橋の各区間が開業した。
・1966(S41)年9月20日、広島センター〜呉十三丁目間特急便でワンマンカーを運行
開始した。(中国地自前掲書による)
・「交通年鑑1967(S42)年版」には、現在ワンマンカーを運行している区間は次の
通りであり、今後とも乗務員の節減、営業事務の軽減簡素化を図るため、ワン
マンカーの導入を推進するよう努めていると述べられていた。
運行区間 往復回数 実施年月
十和田南〜大湯温泉 20 S41.7
長野原〜草津温泉 9 S41.6
京都〜栂ノ尾 9 S41.9
五条〜城戸 5 S41.10
高松〜松山 1 S41.11
高松〜松山 5 S41.11
広島センター〜呉本通13丁目 24 S41.9
光〜光警察署前 2.5 S41.9
光〜光警察署前(高校前経由) 2.5 S41.9
光〜室積 16 S41.9
防府〜山口〜湯田温泉 3 S41.9
防府〜山口〜湯田温泉(県庁前経由) 3.5 S41.9
防府〜山口 2 S41.9
防府〜山口(県庁前経由) 5.5 S41.9
嬉野温泉〜武雄 22 S41.8
嬉野温泉〜彼杵 17 S41.8
新大阪〜名古屋 5 S39.10
・1969(S44)年2月1日に坂横浜港〜鯛尾が開業した。
・中国JRバス(1998年)「中国ジェイアールバス10年のあゆみ」によると、国
鉄時代の安芸線は、昭和40年代前半まではバスを走らせれば乗ってもらえると
いう全国一のドル箱路線であり、特急・急行・快速・普通と運行種別の異なる
便を1日150往復運行していたが、昭和40年代末期から50年代に入るとマイカー
の普及で渋滞が始まり、バスの定時性が保てなくなり利用者の減少傾向が年々
進み、ダイヤの削減を余儀なくされたと述べられている。
・1977(S52)年3月1日に広〜仁方桟橋が廃止された。
・1984(S59)年5月現在の「広島県内バス総合時刻表」によると、国鉄バス安芸線
には次のような系統が設定されていた。(※)
(平日)
呉本通六丁目・広〜広島センター 快速 下り14本・上り19本
普通 下り49本・上り43本
呉本通六丁目・広〜海田 下り1本・上り2本
鯛尾〜広島センター・横川 下り42本・上り41本
海田新開〜広島センター・横川 下り48本・上り56本
(日祝)
呉本通六丁目・広〜広島センター 特急 下り2本・上り1本
快速 下り12本・上り18本
普通 下り47本・上り43本
呉本通六丁目・広〜海田 上り1本
鯛尾〜広島センター・横川 下り33本・上り36本
海田新開〜広島センター・横川 下り38本・上り43本
呉本通六丁目〜広島センターの所要時間は、特急便1時間10分、快速便1時間
9分〜1時間20分、普通便1時間5分〜1時間27分。
・1985(S60)年当時、線内の広島ガス前、(自)呉及び呉本通六丁目に自動車駅が
存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、海田市自動車営業所(海田、海
田車庫)、同呉派出所(本通六丁目)、同広派出所(広)及び同広島センター
派出所(広島センター)が置かれていた。
3.2 旅から30年
・1986(S61)年4月から東部流通団地への乗り入れを開始し、同年12月の「国鉄自
動車路線名称」全面改正で牛の首〜東部流通団地が認知された。
・安芸線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て中国JRバスに継承された。
・中国JRバス(1998年)「中国ジェイアールバス10年のあゆみ」によると、都
市地区でも、広島〜呉間国道31号線の交通渋滞が一段と激しくなり、バスの定
時性が全く保てなくなったため利用客が激減し、平成に入って3回の減便を行
うなど、安芸線の凋落が当社の経営を圧迫する大きな要素の1つになっている
と述べられている。
・また、中国JRバス(2013年)「中国JRバス25年史」には、1988(S63)年4月
に76行路を有していた海田市営業所は、1989(H1)年2月に14行路削減、1990(H2)
年12月に広島〜呉直通便の一部を天応バイパスに載せ替えるとともに12行路削減、
1992(H4)年12月に24行路削減の大規模なダイヤ改正を行い、1997(H9)年度末現在
で輸送規模は26行路まで縮小したと述べられている。
・1989(H1)年3月改正の「安芸線時刻表」によると、同線には次のような系統が
設定されていた。特急便、快速便の設定はなくなっており、全て普通便だった。
(全日)
呉本通六丁目・広〜広島センター 下り35本・上り38本
呉本通六丁目・広〜海田 下り3本
(平日)
鯛尾〜広島センター・横川 下り52本・上り56本
東部流通団地〜広島センター・横川 下り7本・上り1本
海田新開〜広島センター・横川 下り40本・上り38本
海田車庫〜広島センター・横川 下り42本・上り45本
(日祝)
鯛尾〜広島センター・横川 下り45本・上り50本
東部流通団地〜広島センター・横川 下り2本
東部流通団地〜海田車庫 上り1本
海田新開〜広島センター・横川 下り38本・上り39本
海田車庫〜広島センター・横川 下り43本・上り39本
・1989(H1)年4月6日に広島女子商学園乗り入れが開始された(1992(H4)年12月
1日廃止)。
・1990(H2)年12月15日から広島センター〜呉本通六丁目の一部便を広島大橋・天
応バイパス経由に変更された。
・1990(H2)年12月改正の「安芸線時刻表」によると、同線には次のような系統が
設定されていた。
(全日)
呉本通六丁目〜広島センター(天応バイパス・広島大橋経由)5往復
(下り)
呉本通六丁目0900→0955広島センター
呉本通六丁目1000→1055広島センター
呉本通六丁目1200→1255広島センター
呉本通六丁目1430→1525広島センター
呉本通六丁目1730→1825広島センター
(上り)
広島センター1300→1355呉本通六丁目
広島センター1500→1555呉本通六丁目
広島センター1630→1725呉本通六丁目
広島センター1930→2025呉本通六丁目
広島センター2130→2225呉本通六丁目
呉本通六丁目・広〜広島センター 下り18本・上り21本
呉本通六丁目・広〜海田車庫 下り3本
(平日)
鯛尾〜広島センター・横川 下り40本・上り41本
鯛尾〜海田車庫 上り1本
広島女子商〜広島センター・横川 上り1本
東部流通団地〜広島センター・横川 下り5本・上り1本
海田新開〜広島センター・横川 下り38本・上り36本
海田車庫〜広島センター・横川 下り38本・上り43本
(日祝)
鯛尾〜広島センター・横川 下り32本・上り37本
東部流通団地〜広島センター・横川 下り2本
東部流通団地〜海田車庫 上り1本
海田新開〜広島センター・横川 下り33本・上り34本
海田車庫〜広島センター・横川 下り26本・上り20本
・1993(H5)年10月1日改正から亀石(呉ポートピア)〜呉他が休止されて、広島
〜呉の直通系統が廃止された。
・1995(H7)年11月1日改正から広島大橋〜天応バイパス経由の区間が再開されて、
この区間を経由する広島〜呉の直通急行便が運行再開した。この時の「安芸線
時刻表によると、同線には次のような系統が設定されていた。
呉〜広島センター(天応バイパス・広島大橋経由)急行便5往復
(下り)
呉0700→0749広島センター
呉1100→1149広島センター
呉1520→1609広島センター
呉1800→1849広島センター
呉2040→2129広島センター
(上り)
広島センター0915→1006呉
広島センター1410→1501呉
広島センター1640→1731呉
広島センター1920→2011呉
広島センター2150→2241呉
亀石〜広島センター・横川 下り6本(うち日祝運休1本)・上り4本
亀石〜海田車庫 上り2本(うち日祝運休1本)
鯛尾〜広島センター・横川 下り19本(うち日祝運休4本)・上り18本(う
ち日祝運休6本)
鯛尾〜海田車庫 下り4本(うち日祝運休2本、日祝運転1本)・上り5本
(うち日祝運休3本)
東部流通団地〜広島センター・横川(海田新開経由) 下り12本(うち日祝
運休3本)・上り9本(うち日祝運休3本)
東部流通団地〜海田車庫 下り3本・上り5本(うち日祝運休3本)
海田車庫〜広島センター・横川 下り40本(うち日祝運休6本、日祝運転7
本)・上り47本(うち日祝運休10本、日祝運転6本)
・1996(H8)年8月31日、広島・呉道路(自動車専用道路)が開通し、従来から安
芸線乗り入れを行っていた3社により1日25往復(JRバス8往復)の準高速
線「クレアライン」を運行開始した。利用状況が好調であったため、1997(H9)
年6月に7往復の増回(JRバス2往復増回)、1998(H10)年6月に11往復の
増回(JRバス3往復増回)を行った。
・1999(H11)年4月20日に海田市駅乗り入れを開始するとともに、坂横浜〜呉ポ
ートピアが廃止された。この改正ダイヤでは、安芸線に次のような系統が設定
されていた。
海田市駅循環(海田市駅〜海田新開〜東部流通団地〜矢野〜海田市駅)
海田新開先回り 5回(うち日祝第2・4土曜運休1回)
矢野大浜先回り 4回
海田市駅〜鯛尾 14往復
鯛尾〜広島センター・横川 下り2本(うち日祝第2・4土曜運休1本)
・上り3本
東部流通団地〜広島センター・横川(海田新開経由) 下り10本・上り
10本(うち日祝第2・4土曜運休1本)
船越(海田車庫)〜広島センター・横川 下り13本(うち日祝第2・4
土曜運休1本)・上り12本(うち日祝第2・4土曜運休1本)
・準高速線「クレアライン」を除く安芸線は、2003(H15)年3月末限りでの路線
整理によって全廃された。2015(H27)年6月現在、安芸線では「クレアライン」
のみが中国JRバス他によって運行されている。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、安芸線には接続駅(広島及び
呉)の他、呉本通六丁目に第一種委託駅、広島ガス前に第二種委託駅(いずれ
も自動車駅)が置かれていた。
※謝辞
1984(S59)年5月現在「広島県内バス総合時刻表」の安芸線他の時刻表データを
愉会三丁目様にご提供頂きました。感謝申し上げます。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【807】西条線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇西条線
西条本線
1 広交叉点−西条
2 中黒瀬−切田−深谷
3 切田−郷原
4 津江口−上条
5 賀茂病院口−賀茂病院前
6 助実−西条
7 西条栄町−国療広島病院前
安浦線
1 上黒瀬−安浦
郷田線
1 樋ノ詰橋−郷田−西条東
2 中郷−下見
3 大学会館前−卯之留
4 下見大池−八本松
1.2 路線略図
国療広島 ◎西条
病院前 |
○ +−・西条
\ 西条東 | |朝日町
・−+○−−○−+−○−・
| 西条 | |
| 栄町 ○法務 |
| +局前 |
| \ |
| ・−+
| 鏡山公 ○助実
| 園入口 |
|池ノ上 ○ |
|学生宿 / \ ○卯之留
|舎前 ○ ・−+
下見○ | ○御薗宇
八本松◎ +−○−+−○がが |
| 鴻の巣○鴻の巣 |ら口 ○水源地前
記念橋○ | 大学○ |
\ | 会館| |
・−−○−−○−−○−−+ ○三升原
千野 下見 二神山 \ |
丸 大池 郷田○ ○大沢
\|
○樋ノ詰橋 安芸
| 頓原
上黒瀬○−−○−−○−○
| 長貫 鍬原 |
| ・−◎安浦
賀茂病院前○−○賀茂病院口
|
○乃美尾
|
○中黒瀬
切田/ \
深谷○−−○ ○市飯田
: |
上条○……○津江口・
: /
: ○八幡橋
:/
○郷原
|
広島・ 広二級峡○
海田市 |
Λ 徳丸○
| |
呉◎ 塩焼○
| 中畑 |
四ツ道路○−−−○−−○ 中新開○
呉本通 \ |
六丁目 ・−○−−○−・
阿賀 広 |
新開 交叉点◎広
※切田〜郷原及び津江口〜上条は1981(S56).7.21休止
※広島〜呉〜広交叉点〜広は安芸線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・西条本線1 西条〜助実〜卯之留
・郷田線3 卯之留〜大学会館前
・郷田線2 大学会館前〜下見
・郷田線1 下見〜下見大池〜郷田〜樋ノ詰橋
・西条本線1 樋ノ詰橋〜乃美尾〜広交叉点
2.2 掲載
・14日目 6/14(金) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p86〜88
・連載誌 郷田線略図、西条駅前の広ゆきバス
・単行本 郷田線略図
・誤記 郷田線略図(下見の位置と方位)
2.3 行程
○西条1259→1323樋ノ詰橋 西条本線1+7+郷田線1
西条発 下見大池経由 乃美尾行 534-6926(三菱B805L)
△樋ノ詰橋1340→1404西条 郷田線1+2+西条本線7+1
乃美尾発 大学会館前・下見経由 西条行 534-6926(三菱B805L)
○西条1411→1518広 西条本線1+安芸線1 西条発 呉行 534-2474(三菱K-MP118M)
欠落 郷田線3 卯之留〜宮本谷〜鏡山公園入口〜山中池(〜大学会館前) 失念
2.4 エピソード
・西条駅前に停まっていた乃美尾行きバスに乗ったが、裏道の郷田線経由だった。
バスは市街地を抜け、姿のよい松林が開発の荒波にさらされたり、沼を埋めた
ばかりの泥土が広がる中を走る。
・引き返してきたバスで、広島大工学部のキャンパスはじめ、短大、高校も多い、
通称「大学道路」を通って学園都市の片鱗を見たものの、一筆書きコースはが
たがた。卯之留は未見なので、あらためて西条本線広経由呉行きで卯之留を通
ったが、卯之留〜大学会館前4.4kmは乗らずじまい。
・賀茂病院口で乗務員交替。交替運転士が黒瀬自営の車で来ており、降りたドラ
イバーが運転していく模様。
2.5 旅の考察
※補足「西条〜樋ノ詰橋のコース」
(1) 郷田線略図
・本誌記載の郷田線略図は、下見の位置が間違っており、方位も正確でない。
・S60.6時点の路線図は、以下の通りと推測する。
◎西条
・−+
国療広島病院前 | ‖
Λ +−+ 西条
\ | | 朝日町
西条東○−○−+−○−・
|西条 | |
1:法務局前(→西条昭和町) |栄町 | |
| ○−−−○助実
| ‖法務 |
八本松 | ‖局前1 |
Λ 下見○ 江熊☆ ○卯之留
| / ‖ |
下見大池○−−−−○+鴻の巣 +−●−+===>
| ○ / 宮本谷| 東広島
|広大中央口| / |
+===☆=+−−○ |
| |鏡山公園入口 ・
二神山○ 山中池● /
| | /
+−−○−−●かがら口 /
|大学会館前‖ /
中郷○ ・ /
| ・==○==>東広島
郷田○ /三升原
呉・広 | /
<−−−○−−−−○−−−−−−・
乃美尾 樋ノ詰橋
(のみのお)(ひのつめばし)
(2) 路線名称と運行系統
◇西条本線1:西条〜栄町〜朝日町〜助実〜卯之留〜樋ノ詰橋〜(略)広交叉点
・西条〜樋ノ詰橋以遠便の本線
・西条〜助実は、西条本線6(1.5)より西条本線1(1.8)の方が長い
◇西条本線6:西条〜法務局前〜助実〜卯之留
◇郷田線3:卯之留〜宮本谷〜鏡山公園入口〜山中池〜大学会館前
・当時の西条〜広島大学便の経路だったと推測する。
・現在は、ブールバールが西条駅まで延伸された事もあり、西条駅から江熊を
経て、広大中央口→二神山→大学会館前→山中池の順に停車し、広大行は山
中池止まり、広大発は広大中央口が起点になる。
◇郷田線1:(西条〜栄町〜)西条東〜下見〜鴻の巣〜下見大池〜二神山〜中郷
(〜郷田〜樋ノ詰橋)
・西条〜樋ノ詰橋以遠便の下見大池・郷田経由
◇郷田線2:(西条〜栄町〜西条東〜)下見〜鴻の巣〜山中池〜大学会館前〜中郷
(〜郷田〜樋ノ詰橋)
・当時は、西条〜樋ノ詰橋以遠便の下見・大学会館前・郷田経由があった。
・現在は、大学会館前と中郷以遠を結ぶバス路線は無い。
(3) 最長片道きっぷの経路
◇西条本線1 西条〜助実〜卯之留
・西条発 卯之留経由 樋ノ詰橋以遠便に乗ればよい。
◇郷田線3 卯之留〜大学会館前
・西条発 卯之留経由 広島大学行に乗ればよかったと思われる。
◇郷田線2 大学会館前〜下見
・広島大学発 下見経由 西条行に乗ればよかったと思われる。
・大学会館前〜山中池は、複乗となる。
◇郷田線1 下見〜下見大池〜郷田〜樋ノ詰橋
・西条発 下見大池経由 樋ノ詰橋以遠便に乗ればよい。
・下見〜鴻の巣は、複乗となる。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・西条線は、1943(S18)年8月1日に広交叉点〜西条が開業したのがルーツで、
山陽本線と呉線との短絡の使命を有する他、沿線地方を海岸線に直結して産
業文化の発展助長に寄与する使命を有していた。
・戦後は、1946(S21)年11月5日から安浦線(上黒瀬〜安浦)が開業した。その後、
1950(S25)年9月11日に西条〜国立広島療養所が開業し、1951(S26)年4月1日
に郷原〜津江口〜中黒瀬、1953(S28)年12月21日に津江口〜上条がそれぞれ開業
した。1954(S29)年2月15日には樋ノ詰橋〜郷田〜西条が開業した。1955(S30)年
8月1日には下見大池〜八本松が開業した。
・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、西条線の特長として、本路線は山陽
本線西条駅と呉線広駅を結ぶ路線であるが、旅客の利便を図り安芸線の呉まで
延長運転していると述べられていた。
・「交通年鑑1965年版」には、道路整備5箇年計画の進捗により道路が逐次改修
されたことと、自動車工業の発達に伴い、年々中長距離旅行が快適になるにつ
れて旅客の需要も増加してきているので、現在国鉄自動車が運行している中長
距離路線の他、中長距離系統の新設急行便の増発、新型車の増備に努めてサー
ビスを図った、その主なものは次の通りであると述べられていた。
札幌〜中央長沼 37km
札幌〜岩見沢 46km
小樽〜中央長沼 71km
陸中大野〜金田一 40km
宇都宮〜茂木 36km
飯田〜狼煙〜宇出津 103km
京都〜周山 36km
八重〜広島 47km
岩国〜広島センター 40km
西条〜呉 37km
小松港〜小松港 96km
・1965(S40)年12月15日には郷田線の支線である下見大池〜八本松ゴルフ場〜原村
(八本松ゴルフ場〜原村は1974(S49)年6月末限りで廃止)、1966(S41)年6月
25日には小多田〜保田、1970(S45)年10月1日には賀茂療養所口(→賀茂病院口)
〜賀茂療養所(→賀茂病院前)がそれぞれ開業した。
・1977(S52)年3月1日に下見大池〜八本松ゴルフ場が廃止された。
・1981(S56)年7月30日に切田〜深谷、1982(S57)年3月31日に助実〜西条、中郷〜
大学会館前〜助実及び大学会館前〜下見がそれぞれ開業した。他方、1983(S58)年
3月に小多田〜保田が廃止された。
・1985(S60)年当時、線内の乃美尾に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の
拠点として、黒瀬自動車営業所(賀茂病院前)が置かれていた。
3.2 旅から30年
・1986(S61)年6月10日、切田〜郷原及び津江口〜上条の廃止が公示された。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、西条線は中国JRバスに継承された。
・1988(S63)年3月13日、山陽新幹線東広島駅開設に伴い、西条線も東広島駅乗入
れを開始した(卯之留〜東広島〜三升原が開業)。
・1989(H1)年9月20日、黒瀬団地乗入れを開始した(中黒瀬〜中黒瀬小学校前〜庚、
庚〜松ヶ丘団地〜康成病院前〜市飯田の2区間が開業)。
・1992(H4)年4月1日、池ノ上学生宿舎前〜広大中央口〜二神山が開業した。
・1993(H5)年3月、安浦線(上黒瀬〜安浦)が休止された。同月18日、ブールバー
ル経由の法務局前〜西条小学校前〜中央図書館前〜鏡山公園入口が開業した。
・1995(H7)年4月6日、呉大学乗入れを開始した。
・1998(H10)年4月9日、広島国際大学乗入れを開始した。
・1999(H11)年3月末限りで呉〜広島空港の空港連絡バスが廃止された。
・2002(H14)年10月5日に中黒瀬〜切田〜深谷が廃止された。
・2003(H15)年3月15日、ブールバール経由の西条〜法務局前が開業した。2014(H16
)年5月15日から西条駅前土地区画整理事業に伴う西条〜西条栄町の一方通行化に
より、同区間で経路変更が行われた。
・2008(H20)年10月1日、広島大学〜東広島系統の経路変更に伴って、ががら口〜東
広島運動公園〜三升原が一般路線としても開業した。
・2015(H27)年6月現在、西条線は、西条〜広交差点(〜広〜呉)、西条〜広島大学
他の路線が中国JRバスによって運行されている。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、当時西条線には接続駅(西条、
安浦及び八本松)の他、乃美尾に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【808】広浜線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇広浜線
広浜本線
1 広島−浜田
2 上行森−広島北インター−上水崎
3 石見今市−和田本郷
4 美又温泉口−追原
5 雲城口−雲城
美和線
1 大朝−大前原
木田線
1 石見柳−木田
柚根線
1 久佐郷口−浄光寺前
1.2 路線略図
美又転 木田○ 戸川口○+−○中戸川
向場前 / / |
追原○…○ 下木田○ 石見○−−○−−○ ・−>日貫・矢上
| | 重富| 和田 戸川
石見 美又 ○ 下久佐 ○旭温泉 | 本郷
浜田◎ 浜田国 辻堂 温泉前| ○ | ○
|\ 立病院 ○ 雲城口 ○皆合/ \ ○岩地谷 /石見
浜田| \ 前 /| ○ 石見 久佐 | / \| / 和田 越木 岩ヶ迫
朝日○−−+○−・ | /|\今福 郷口 |/ 石見柳○−−○ ○−−○−−○−○
町 \ |/ | ○−−○−−○美又温 石見\ /都川 石見 |
・−○ | | 泉口 今市 \ / 市木 +−>上田所
下佐野 ○金城中 ○槙ヶ原 坂本○ |
/ 学校前 | 丸瀬橋○
雲城○ ○下久佐 |
| 高原口○
山根原○ |
| 上大塚○
浄光寺前○ |
大前原○……○−>石見川本
大朝|
|
安芸新庄○−>石見川本
千代田 /
薮谷 丸押 本地 千坊 役場前 八重 上水崎 蔵迫 /
○−−○−−○−−○−−○−−○−−○−−−+○−−○−・
/ 城ヶ峠 /
/ ・−−−−−−−−−−−○−−○−・
関ノ城○ / 千代田 八重
/ / 役場前
/ /
鈴張○ ・
/ |
/ |広島北
杉ノ迫○ ○インター
\ 本飯室 \ 上勝木 可部 八木峠
下烏帽子○−−○−−○−+−○−−○−−○−−○−○−−○ 高陽
広島北 上行森 可部 文教女 \ Λ
インタ 上市 子大前 ○祇園出 |
ー入口 |張所前 ・
| /
| +−+−◎広島新幹線口
| | |
横川◎ +−+−◎広島
| | |
広瀬町○−−+−+−+
|広島○ | |
|センター| |
広島十日市○−−○−+−○八丁堀
紙屋町
※美又転向場前〜追原は1985(S60).3.14休止、大朝〜大前原は1985(S60).4.1休止
※和田本郷〜中戸川〜日貫〜矢上は戸川線、岩ヶ迫〜上田所は市木線、大朝・安芸
新庄〜石見川本は川本線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・広浜本線1 浜田〜都川〜大朝
・(大朝〜鳴滝〜安芸新庄)
・広浜本線1 安芸新庄〜鈴張〜可部
2.2 掲載
・11日目 6/11(火) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p71〜75
・連載誌 大朝略図、644-4976の解説
・単行本 大朝略図
2.3 行程
○浜田1041→1210大朝 快速 広浜本線1 浜田発 広島新幹線口行
644-4976(三菱P-MS713N)
・(大朝→鳴滝→安芸新庄)
○安芸新庄1526→1645可部駅前 広浜本線1 大朝発 広島新幹線口行
644-4914(三菱B905N)
2.4 エピソード
・広島行き快速バスは赤いリクライニングシートのデラックスタイプで座席ベル
トも付いていた。テープ放送の後、運転士がマイクを持ち肉声で挨拶。
・大朝町へ向かう地方道は幅員が狭く険しい。急カーブも多いがバスはびゅんび
ゅん飛ばす。商用風の中年男が目立つ20人ほどのお客は雑誌などを広げ、これ
までの国鉄バスとはかなり雰囲気が違う。
・前方の窓に黒くもが厚くなったと思う間もなく、大粒の雨が激しく叩きつけた。
雷もなっている。それでも運転士はスピードを落とさず左へ右へと大きなボデ
ィーを巧みに操り、時々対向車と出合頭の急傾斜となる。広島県で「青い暴走
族」の異名をとったとの噂もむべなるかな。
・安芸新庄からは大朝始発の広島行き普通便。中国自動車道に沿いながら豊かそ
うな盆地の集落をたどり、保育園児を拾っていく気分もよい。
・緩やかな明神峠を越えて広島市域に入り、石積みの段々畑や小さく区画された
水田の中を大きくカーブして鈴張へ下る。中国道をくぐって南下、狭い街並み
の飯室を過ぎれば、今度は広島道の広島北ICをかすめる。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・広浜線は、広浜鉄道の先行として1934(S9)年3月に広島〜亀山北口(→上行森)
が開業したのがルーツで、広島〜浜田間の道路改修に合わせて、同年6月に上
行森〜大朝が、同年9月に大朝〜浜田朝日町がそれぞれ開業した。広浜線は、
陰陽連絡並びに沿線地方の産業・文化の発展助長の使命を有していた。
・戦時中、国策輸送を遂行する中で、1945(S20)年8月6日、広島市中心部に原子
爆弾が投下され、一瞬にして焼野原となった。このため、広島市内にあった横
川自動車区が被災したので、一時、大朝支区で執務に当たり、運行便も広島市
内が廃墟となったため乗入れ不能となり、併せて、同年9月の豪雨によって太
田川が氾濫し、可部〜太田川橋の道路が流失したため、1946(S21)年秋まで広島
〜可部は不通となった。(中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」
による。)
・戦後は、1948(S23)年6月、広島〜浜田の陰陽連絡便として急行便を設定した。
急行便に充当する車両は、ロマンスシートでカーテン付きという当時としては
豪華な車両で、普通運賃の他に全国最初の急行料金制を採用した。運行便は、
広島及び浜田をそれぞれ午前と午後に発車する2往復で、この便に乗務する車
掌及び運転士は特定な人に指定され、車掌は白い手袋で沿線の名所旧跡、峠、
四季の風景など沿線120kmにわたる観光案内を行うなどサービスに努めたので、
利用者から大変好評であった。(中国地自前掲書による。)
・「日本国有鉄道編集時刻表」1950(S25)年12月号(10/1改正)によると、広浜線
の急行便は次の2往復が設定されていたことを確認できる。
(下り)
広島0805→大朝1058→1333浜田
広島1200→大朝1408→1728浜田
(上り)
浜田0820→大朝1105→1348広島
浜田1230→大朝1515→1758広島
・1948(S23)年12月に石見今市〜和田本郷が開業した。次いで、1953(S28)年9月
に、大朝〜大前原〜安芸美和(大前原〜安芸美和は1985(S60)年3月末限りで廃
止公示)、美又口〜追原、石見今福〜山根原、石見今福〜雲城の各区間が開業
した。1954(S29)年10月には浜田〜大峠口が開業した。1956(S31)年10月には越
木〜福田屋原が開業した。
・さらに、1952(S27)年5月、広島〜浜田を夜行便(愛称「明星号」)による運行
を行った。運行時間は、広島及び浜田をそれぞれ23時頃発車し、翌朝4〜5時
に到着して、昼行便と併せて日帰り輸送を目的として設定したもので、乗務員
は大朝で交替し、深夜勤務の緩和を図った。この運行は、沿線利用者からも非
常に喜ばれ、夏季の土曜日や日祝日には続行便を必要とし、特に盆及び年末に
は2〜3両の続行便で帰省客輸送を行った。(中国地自前掲書による。)
・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年12月号(7/10改正)によると、広浜線
の快速便は次の2往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0730→大朝1025→1310浜田
広島2215→大朝0124→0403浜田
(上り)
浜田0820→大朝1112→1357広島
浜田2230→大朝0129→0415広島
・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、広浜線の特長として、島根県と広島
県境の三坂峠は海抜550mで冬期は積雪多量のため約1か月不通となる、旅客の
利便を図るため広島・浜田間に夜行便1往復と昼間に急行便1往復を運転して
おり、途中の幕の内トンネルは全国でも珍しく有料である、またこの路線内の
大朝町からは国鉄自動車川本線に連絡し、山陰線石見大田駅に出られ、大田・
大朝・広島間の直通運転1日2往復が運転されている、と述べられていた。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1958(S33)年11月号(10/1改正)によると、広浜線
の広島〜浜田系統は次の5往復半が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0610→大朝0911→1153浜田
広島0750→大朝1055→1339浜田
広島0905→大朝1200→1442浜田
広島1407→大朝1713→1957浜田
広島2210→大朝0115→0354浜田
(上り)
浜田0715→大朝1010→1247広島センター
浜田0820→大朝1112→1407広島
浜田1023→大朝1315→1552広島センター
浜田1225→大朝1517→1807広島
浜田1425→大朝1717→1956広島センター
浜田2335→大朝0229→0517広島
・1959(S34)年10月、石見柳〜木田及び山根原〜柚根が開業した。1964(S39)年10
月から横川〜七軒茶屋前を下古市経由に経路変更した(新線開業)。1965(S40)
年6月には浜田元浜町〜浜田が開業した。
・収支改善の立場から、雲芸線三次〜出雲市、広浜線広島〜浜田において、1962(S
37)年8月、当時としては画期的なマイクロバスによる特急ワンマンカーの運行
を開始した。車両は20人乗りで、中ドアから旅客は乗降し、車内案内は運転士が
携行しているカセットの操作で行った。この特急便の輸送規模は次の通りであっ
た。この運行便の愛称は広く一般から募集し、雲芸線「しらさぎ」、広浜線「ふ
たば」と名付けられた。(中国地自前掲書による。)
雲芸線 3行路 仕業車2両 運用車4両 走行キロ423.0km
広浜線 3行路 仕業車2両 運用車3両 走行キロ491.6km
このワンマン特急便は、長距離運行としての車両性能等に問題があり、1964(S39)
年9月から大型車に取り替えられた。(以上中国地自前掲書による。)
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、広浜線
の広島〜浜田系統は次の8往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0614→大朝0856→1132浜田
広島0731→大朝1010→1246浜田
広島0804→大朝1005→1215浜田 特急便
広島0906→大朝1145→1421浜田
広島1216→大朝1459→1736浜田
広島1426→大朝1711→1947浜田
広島1609→大朝1819→2020浜田 特急便
広島2242→大朝0114→0342浜田
(上り)
浜田0715→大朝1005→1223広島センター
浜田0840→大朝1051→1250広島 特急便
浜田0905→大朝1148→1417広島
浜田1100→大朝1356→1625広島
浜田1255→大朝1542→1818広島
浜田1450→大朝1737→2013広島
浜田1540→大朝1751→1950広島 特急便
浜田2345→大朝0223→0443広島
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、広浜線
の広島〜浜田系統は次の7往復半が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0614→大朝0847→1107浜田
広島0805→大朝1011→1211浜田 特急便
広島0906→大朝1135→1359浜田
広島1123→大朝1329→1529浜田 特急便
広島1218→大朝1445→1710浜田
広島1431→大朝1705→1929浜田
広島1605→大朝1814→2014浜田 特急便
広島2242→大朝0110→0334浜田
(上り)
浜田0800→大朝1007→1205広島 特急便
浜田1115→大朝1345→1603広島
浜田1200→大朝1407→1605広島 特急便
浜田1300→大朝1531→1758広島
浜田1510→大朝1745→2005広島
浜田1555→大朝1802→2000広島 特急便
浜田2355→大朝0226→0441広島
・1975(S50)年3月、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズで山陽新幹線が博多ま
で開業したが、これに対応して中国地自管内では、在来線のダイヤ削減調整を
行う中で陰陽連絡便等を増強して運行することとなった。運行経路は、(1)広島
〜浜田、(2)新岩国〜津和野・益田、(3)小郡〜東萩(はぎ号)、(4)秋芳洞観光輸
送の小郡〜秋芳洞、(5)徳山〜新岩国の5路線で、増強した走行キロは全て既設
線のダイヤ見直しの中で生み出したものを充当した。新幹線接続については、
各民営バスと協議を行い、全駅とも新幹線口まで乗入れ、車両は高速用の冷房
車を充当した。広浜、岩益線については従来の運行回数を増回し、特急・急行
便で運行した。(中国地自前掲書による。)
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、広浜線
広島〜浜田系統には次の7往復半が設定されていたのを確認できる。(注:3/10
改正ダイヤの誤植ではないかと思われる。)
(下り)
広島0611→大朝0837→1039浜田
広島0820→大朝1019→1150浜田 特急便
広島0859→大朝1130→1332浜田
広島1049→大朝1244→1415浜田 特急便
広島1209→大朝1432→1637浜田
広島1424→大朝1631→1833浜田 快速便
広島1559→大朝1800→1933浜田 急行便
広島1934→大朝2141→2322浜田 快速便
(上り)
浜田0820→大朝1002→1153広島 急行便
浜田1005→大朝1214→1411広島 快速便
浜田1130→大朝1308→1453広島 特急便
浜田1300→大朝1442→1633広島 急行便
浜田1330→大朝1539→1747広島
浜田1520→大朝1729→1936広島
浜田1630→大朝1845→2036広島 快速便
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(3/10改正、主要幹線連絡早
見表)によると、新幹線連絡の広浜線広島〜浜田系統には次の5往復が設定され
ていたのを確認できる。
(下り)
広島0820→大朝1019→1150浜田 3001便
広島1049→大朝1244→1415浜田 3003便
広島1424→大朝1631→1833浜田 1001便
広島1559→大朝1800→1933浜田 2001便
広島1934→大朝2141→2322浜田 1003便
(上り)
浜田0820→大朝1002→1153広島 1002便
浜田1130→大朝1308→1453広島 3002便
浜田1300→大朝1442→1633広島 2004便
浜田1630→大朝1845→2036広島 1004便
・1977(S52)年2月末限りで浜田〜浜田元浜町及び有福線(浜田〜有福温泉)が
廃止された。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、広浜線
広島〜浜田系統には次の7往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0820→大朝1023→1157浜田 特急便
広島0857→大朝1131→1328浜田
広島1049→大朝1248→1414浜田 特急便
広島1217→大朝1444→1655浜田
広島1417→大朝1644→1841浜田
広島1559→大朝1804→1937浜田 急行便
広島1934→大朝2124→2312浜田 快速便
(上り)
浜田0638→大朝0818→1012広島 急行便
浜田0700→大朝0907→1115広島
浜田0820→大朝1000→1154広島 急行便
浜田1020→大朝1217→1416広島 快速便
浜田1205→大朝1402→1601広島 快速便
浜田1335→大朝1539→1749広島
浜田1525→大朝1732→1940広島
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(10/1改正)によると、広浜線
広島〜浜田の直通便は次の3往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0820→大朝1023→1157浜田 特急便
広島1337→大朝1542→1725浜田 急行便
広島1559→大朝1804→1954浜田 急行便
(上り)
浜田0643→大朝0823→1017広島 急行便
浜田1036→大朝1217→1416広島 快速便
浜田1545→大朝1726→1927広島 快速便
この他に大朝乗り継ぎの普通便が3往復設定されていたのを確認できる。
・1983(S58)年9月から中国自動車道を経由する上行森〜広島北インター〜上水崎
が開業した。これによって、広島北IC〜千代田ICを高速道経由で広島新幹線口
〜浜田を結ぶ特急便が次のように2往復運行を開始した。
(下り)
広島0826→大朝1010→1132浜田
広島1614→大朝1758→1920浜田
(上り)
浜田0645→大朝0812→0949広島
浜田1545→大朝1712→1849広島
同日改正ダイヤでは、広島新幹線口〜浜田の直通便(全区間一般道経由)が1往
復(下りは急行便、上りは快速便)設定されていた。
この他、同日から同じく広島北IC〜千代田ICを高速道経由で広島新幹線口〜江津
を結ぶ特急便も1往復運行を開始した。
・1984(S59)年2月末限りで柚根線のうち浄光寺前〜柚根の廃止が公示された。
1985(S60)年3月末限りで美和線のうち大前原〜安芸美和、来尾線(越木〜福田
屋原)の廃止が公示された。他方、同年8月から下烏帽子〜森城団地中央〜杉
ノ迫が開業した。
・「国鉄バス広浜線時刻表」1985(S60)年3月14日改正によると、広浜線には
次のような系統が設定されていた。
(広浜本線)
広島新幹線口〜浜田 次のように特急(中国自動車道経由)2往復、急行
下り1本、快速上り1本、普通(夜行便)1往復(本改正で新設)が設
定されていた。
(下り)
広島0823→大朝1010→1132浜田 特急便(中国道経由)
広島1256→大朝1457→1630浜田 急行便(大朝から快速便)
広島1559→大朝1745→1907浜田 特急便(中国道経由)
広島2210→大朝0016→0151浜田 普通便
(上り)
浜田0340→大朝0520→0713広島 普通便
浜田0645→大朝0812→0949広島 特急便(中国道経由)
浜田1041→大朝1215→1414広島 快速便
浜田1530→大朝1657→1834広島 特急便(中国道経由)
※夜行(普通便)は、下り便がひかり29号(東京1700発)から、上り便は
ひかり20号(東京1234着)へ、それぞれ連絡しており、「広浜線夜行便
&新幹線きっぷ」という企画商品も設定された。
広島新幹線口〜大朝 下り8本・上り7本(所要2時間22分)
広島新幹線口〜鈴張 下り10本・上り9本(所要1時間22分)
広島新幹線口〜大朝〜川本線直通便
特急便(中国道経由)2往復
特急便 下り2本・上り1本
急行便 上り2本
普通便 下り3本・上り2本
広島新幹線口〜上大塚 上り1本(所要2時間17分)
鈴張〜上大塚 下り1本(所要1時間2分)
大朝〜上大塚 2往復(うち日祝運休1往復)(所要6分)
大朝〜浜田 下り3本・上り2本(所要1時間53分)
岩ヶ迫〜浜田 1往復(所要1時間28分)
石見今市〜浜田 下り3本・上り2本(所要48分)
美又温泉〜浜田 下り3本・上り1本(所要45分)
石見今市〜美又温泉 下り3本・上り2本(所要25分)
石見今福〜美又温泉 1往復(所要12分)
雲城〜美又温泉 上り1本(所要30分)
矢上〜浜田 1往復(所要1時間35分)
中戸川〜浜田 1往復(所要1時間8分)
和田本郷〜浜田 上り1本(所要1時間)
石見今市〜和田本郷 下り1本(日祝運休)・上り2本(うち日祝運休1
本)(所要12分)
石見今市〜木田 下り2本(うち日祝運休1本)・上り2本(日祝運転、
日祝運休各1本)(所要16分)
中戸川〜木田 1往復(所要36分)
和田本郷〜木田 下り1本(所要28分)
浄光寺前〜雲城 下り1本(所要20分)
石見今福〜雲城 2往復(所要11分)
・1985(S60)年当時、線内の(自)広島新幹線口、広島センター、鈴張、八重、
大朝、越木及び石見今市に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点と
して、広島自動車営業所(広島新幹線口)、同大朝支所(大朝)及び同浜田派
出所(浜田)が置かれていた。
3.2 旅から30年
・1986(S61)年3月末に美又転向場前〜追原、美和線(大朝〜大前原)の廃止が
公示された。他方、同年9月から広島自動車道を経由する西広島駅前〜広島北
インターが開業した。
・「国鉄バス広浜線時刻表」1986(S61)年9月1日改正によると、広浜線の広島新
幹線口〜浜田の直通便は、次のように特急(中国自動車道経由)3往復、普通
(夜行便)1往復(本改正で新設)が設定されていた。
(下り)
広島0823→大朝1010→1132浜田 特急便(可部上市〜中国道経由)
広島1257→大朝1429→1602浜田 特急便(五日市IC〜中国道経由)
広島1558→大朝1745→1907浜田 特急便(可部上市〜中国道経由)
広島2210→大朝0016→0151浜田 普通便(ひかり29号から連絡)
(上り)
浜田0340→大朝0520→0713広島 普通便(ひかり20号へ連絡)
浜田0645→大朝0812→0949広島 特急便(中国道〜可部上市経由)
浜田1140→大朝1314→1440広島 特急便(中国道〜五日市IC経由)
浜田1530→大朝1657→1834広島 特急便(中国道〜可部上市経由)
・同年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、広島〜合同庁舎前〜広島セン
ター〜横川、下佐野〜浜田国立病院(186号線)、大朝〜寒曳山スキー場の各
区間が認知された。
・国鉄末期の1987(S62)年2月に、丸瀬橋〜瑞穂ハイランドスキー場が開業した。
・「国鉄バス広浜線時刻表」1987(S62)年3月1日改正によると、広島新幹線口
〜浜田の普通便(夜行便)は、冬季(1/10〜3/9の間)は大朝〜浜田が休止とな
った。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、広浜線は中国JRバスに継承された。
・1989(H1)年8月から特急便の広島センター〜広島北インターを祇園新道〜広島
IC〜広島道経由に経路変更した。また、同年9月のダイヤ改正で広島〜浜田の
夜行便が廃止された。
・1990(H2)年3月から特急便「みこと号」(広島新幹線口〜出雲市)の広島セン
ター〜広島北インターを横川〜可部駅前経由から祇園新道〜広島IC〜広島道経
由に経路変更した。
・1991(H3)年6月から星が丘団地乗入れを開始した。
・「JRバス時刻表−広浜線−」1991(H3)年6月28日改正によると、広島新幹線
口〜浜田の直通便は、次のように中国自動車道経由の特急便5往復が設定され
ていた。なお、1990(H3)年3月改正ダイヤでは既に特急便が石見今市〜浜田を
中国自動車道(高速金城)経由で運行されていた。
(下り)
広島0825→大朝0953→1109浜田 特急便(祇園新道〜中国道経由)
広島1257→大朝1429→1555浜田 特急便(五日市IC〜中国道経由)
広島1412→大朝1536→1650浜田 G特急(祇園新道〜中国道経由)
広島1600→大朝1728→1844浜田 特急便(祇園新道〜中国道経由)
広島1957→大朝2121→2235浜田 G特急(祇園新道〜中国道経由)
(上り)
浜田0651→大朝0812→0931広島 特急便(中国道〜祇園新道経由)
浜田0900→大朝1019→1136広島 G特急(中国道〜祇園新道経由)
浜田1148→大朝1314→1439広島 特急便(中国道〜五日市IC経由)
浜田1430→大朝1549→1706広島 G特急(中国道〜祇園新道経由)
浜田1536→大朝1657→1816広島 特急便(中国道〜祇園新道経由)
・1991(H3)年12月から広島〜浜田系統の特急便等を浜田自動車道経由に経路変更
する形で、高速バス「いさりび号」(広島新幹線口〜浜田)を開業した。併せ
て、三坂峠を越える広浜本線上大塚〜丸瀬橋を休止するとともに、支線の石見
柳〜木田、石見今市〜和田本郷〜日貫〜矢上の両区間が廃止された。
・1991(H3)年12月8日改正ダイヤでは「いさりび号」13往復が設定されたが、J
R5往復、広島電鉄4往復(有福系統2往復含む)、石見交通4往復の配分で
あった。このうちJR便のダイヤは次の通りであった。
(下り)
広島0858→1053浜田 ノンストップ便
広島1003→1203浜田
広島1258→1458浜田
広島1813→2013浜田
広島1953→2153浜田
(上り)
浜田0540→0735広島
浜田0740→0935広島
浜田1240→1435広島
浜田1340→1530広島 ノンストップ便
浜田1640→1835広島
・1993(H5)年3月までに広島北ICから上がる高速便がなくなり、上行森〜広島北
インターが廃止された模様である。同じく五日市IC〜広島JCT経由の高速便が
なくなり、西広島駅前〜広島北インターが廃止された模様である。
・1998(H10)年3月末限りで大朝〜上大塚が廃止された。
・1999(H11)年3月に「石見樹海ロード」経由の川本線特急便の開設に伴って、
瑞穂インター〜石見町役場〜中野元町が開業した。同年4月には、大朝インタ
ー〜新庄西口及び杉の迫〜槙原橋〜上烏帽子が廃止された。同時に、千代田町
役場前〜千代田インター、蔵迫下〜バイパス蔵迫〜下打道及び蔵迫下〜バイパ
ス蔵迫〜蔵迫が開業した。
・2001(H13)年4月には、雲城口〜雲城、柚根線(久佐郷口〜浄光寺前)及び蔵迫
下〜バイパス蔵迫の各区間が廃止されるとともに、上佐野〜国道辻堂〜浜田病
院前(かつての特急便ルートの復活か)が開業した。
・2002(H14)年2月から「いさりび号」ノンストップ便を広島高速4号線〜大塚駅
経由に経路変更し、これに伴って、広島センター〜大塚駅〜西風新都IC〜千代田
が開業した。
・2003(H15)年3月末限りでローカル便の区間であった、浜田〜石見辻堂〜瑞穂イ
ンター入口及び浜田国立病院前〜国道辻堂〜下佐野の両区間が廃止された。
・広浜線浜田口のローカル便廃止直前の、2002(H14)年2月1日改正ダイヤでは、
当該区間に次の系統が設定されたいた。
瑞穂インター入口〜浜田 下り7本(うち日祝第2・4土曜運休2本(国道
辻堂経由)、日祝第2・4土曜運転1本(国道辻堂経由)、土日祝運休1
本)・上り5本(うち日祝第2・4土曜運休2本(うち国道辻堂経由1本)
、国道辻堂経由1本)
石見今市〜浜田 下り3本(うち日祝第2・4土曜運休(国道辻堂経由)1
本、日祝第2・4土曜運転1本)・上り3本(うち日祝第2・4土曜運休
(国道辻堂経由)1本、日祝第2・4土曜運転1本、国道辻堂経由1本)
・同年4月、大朝駅の新築移設に伴って、(新)大朝、大朝車庫(旧大朝駅)付近
で経路変更が行われた。
・2004(H16)年4月から千代田インター停留所を新設の道の駅「舞ロード千代田」
に移設し、これに伴って新設区間が生じた。
・2005(H17)年6月末限りで川本線に直通する特急便「銀山号」(広島新幹線口〜
石見川本〜大田市)及び「江津号」(広島新幹線口〜因原〜江津)が廃止され、
これに伴って両系統の専用区間であった、千代田インター〜バイパス千代田町
役場〜バイパス八重〜上水崎、蔵迫下〜バイパス蔵迫〜下打道の両区間が廃止
された。
・2015(H27)年6月現在、広浜線は、広島〜横川〜可部駅前〜鈴張〜大朝車庫他の
普通便と、浜田自動車道経由の高速便「いさりび号」(広島新幹線口〜浜田)
が中国JRバスによって運行されている。
3.3 各種考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、当時広浜線には接続駅(広
島、横川、可部及び浜田)の他に、八重、大朝及び石見今市に第一種委託駅(
自動車駅)、本飯室、鈴張、本地、蔵迫、石見市木、越木、都川及び石見今福
に第二種委託駅(自動車駅)がそれぞれ置かれていた。
※謝辞
広島〜浜田特急便の石見今市〜浜田間を高速道に載せ替えた時期について、
のりあいアーカイブスさんよりご教示を頂きました。改めて御礼を申し上げ
ます。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【809】岩益線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇岩益線
岩益本線
1 広島十日市−益田
2 東錦見−西岩国
3 下多田−中垣内
4 上阿品−下阿品
5 御庄橋−新岩国
6 天尾口−二鹿上
7 本郷口−河山
8 出合橋−錦中学校前
9 錦町−錦中央病院前
10 五味−周防大久保
11 木部谷橋−石見中間
本郷線
1 本郷口−周防本谷
高根線
1 下出市−寂地登山口
2 高根−柱ヶ瀬
3 向峠口−向峠
蔵木線
1 六日市−向峠
2 星坂口−星坂−初見新田
朝倉線
1 立戸−石見朝倉−上七日市
2 石見朝倉−捨河内
3 蓼野−石見河山
高尻線
1 下七日市−上高尻
椛谷線
1 柿木−鈴ヶ谷
津和野線
1 旭橋−津和野
1.2 路線略図
青原 石見横
日原 旭橋 駅前 田駅前
津和野◎−−◎−−○−○−−○−−−○−−−◎益田
|口家橋
日原町○
|
左鐙○ 広島十日市○
| :
| :
・……○柿木 :
: \ :
: 木部谷橋○………○石見中間 ○小方
・ | |
: | 大竹◎−+
: 石見田丸○ / ○西栄
○ / \ ・ |
鈴ヶ谷 七村橋○ ○高尻口 初見新田○−−○深谷大橋 V ○大竹栄町
\ / /| : 鮎谷 |
下七日市○−−○−−○上高尻 星坂口○ | : ・……○寂地登山口 ○栄橋
| 下高尻 / \| : : |
上七日市○ 蔵木○ ○ :: ○新港
/ \ / 星坂 ○向峠口 |
坂折口○ ○立戸 六日市 / | |
| |\ ○+−○九郎原 高根○−−○−−○羅漢高原 ◎岩国
石見朝倉○−−−○ \ / | / 柱ヶ瀬 |
| 注連川 ○ | / |
| 大新田 ○傍示 下須川○ 東錦見○
・−−○蓼野 \ / ○周防本谷 |\
| | \ / / | ◎西岩国
○ | 大野橋○ ○柿木原 / 中垣内 |/
石見河山 ○ | / ○周防本郷 鮎谷<−○−>大竹 ○裁判所前
捨河内 |/ | | |
下出市○ | | 岩国新町○
| 周防大久保 ○波野原 上長谷○ /
五味○−−−○ / \ ○錦帯橋
錦町◎ | / 下阿品○−○上阿品/
周防広瀬○−−++−−○出合橋 ○周防赤瀬 鮎谷 \ /
| | \ / Λ ○下多田
錦中央病院前○+−○−・ \ / 上椋野| 天尾口 御庄橋/
/ 広瀬 本郷口○−+−−○−−○−○−−+○−−○−−○+
錦中学校前○ 高校前 | 南桑 小郷橋 : 周防 |
河山◎ 本町 : 錦橋 ◎
: 新岩国
二鹿上○
※広島十日市〜小方は1980(S55).3.21から休止中、天尾口〜二鹿上は1985(S60)
.3.14から休止中、向峠口〜寂地登山口及び向峠口〜深谷大橋は1985(S60).4.1
から休止中、木部谷橋〜石見中間は1985(S60).4.1から休止中、柿木〜鈴ヶ谷
は1985(S60).4.1から休止中
※西栄〜大竹〜中垣内〜鮎谷〜小郷橋は坂上線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・岩益本線1 小郷橋〜東錦見
・岩益本線2 東錦見〜西岩国
・(西岩国〜岩国〜光〜櫛ケ浜〜川西〜錦町)
・岩益本線8 錦町〜出合橋
・岩益本線1 出合橋〜六日市〜立戸
・朝倉線1 立戸〜石見朝倉〜上七日市
・岩益本線1 上七日市〜旭橋
・津和野線1 旭橋〜津和野
2.2 掲載
・11〜13日目 6/11(火)〜6/13(木) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p77〜84
・連載誌 334-1009の解説、国鉄バス六日市駅
・単行本 六日市駅
2.3 行程
○鮎谷2000頃→2025頃西岩国 坂上本線1+岩益本線1+2 タクシー 小郷橋経由
・(西岩国→岩国→光→櫛ケ浜→川西)
×川西→西岩国→東錦見→川西 徒歩
・(川西→錦町)
×錦町→周防広瀬 徒歩
○周防広瀬1720→1725出合橋 岩益本線8 錦中学校前発 大久保着
334-1009(三菱K-MK116H改)
○出合橋1725→1747六日市 岩益本線1 錦中学校前発 六日市行
334-8046(三菱MK115H)
○六日市726→753下七日市 岩益本線1+朝倉線1+岩益本線1 大野橋発 益田行
334-8046(三菱MK115H)
○下七日市928→1034津和野 岩益本線1+津和野線1 急行 岩国発 津和野行
641-3979(いすゞK-CQA550)
2.4 エピソード
・錦町駅前に国鉄バス乗り場があるが、岩国から六日市、日原町方面へ向かう岩
益本線の急行などは駅へ寄らない。錦町駅へ入る系統は支線で、ローカル便に
乗って本線の出合橋へ出れば乗り継げるし、六日市までの区間運転もあったが、
21時過ぎの六日市行き最終まで錦町で過ごさねばならないように錯覚。
・たまたま目に入った国鉄バス周防広瀬駅の待合室で一服しようとしたら、目の
前を六日市行きのバスが発車していく。すぐ後ろから来た周防大久保行きに飛
び乗り、錦町駅でスーツケースを回収。「出合橋の先まで3kmほどは同じ道を
行くんで、橋の手前の信号で引っかかってくれたら大丈夫なんだがね」と運転
士。
・カーブを曲がると前方に橋が見え、六日市行きが道路工事の赤信号に引っかか
っていた。「それ、早く乗り換えて。運賃はいい、あっちでまとめて払えば」
六日市行きの左側に回り込むように橋の上で停めた運転士がドアを開けてくれ
た。隣の運転士も不審そうな様子もなくドアを開く。六日市行きに乗り遅れた
お客を大久保行きが追跡するのは、さほど珍しいことではないのかも知れない。
・旧道経由のバスは停留所ごとに次々高校生を乗せ、ほぼ満員になった。廃止予
定線と聞いているが予想以上の利用率。
・この後は1日1本だけの津和野行き急行便。柿木村の柿木温泉老人福祉センタ
ーへ出かけるお年寄りが顔を会わせる。左鐙では旧道へ寄ったりしながら、改
修途上の187号線を川沿いに走ったバスは、日原町から9号線へ左折して津和野
へ向かった。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・岩益線は、岩日鉄道の先行として、1934(S9)年3月に西岩国〜小郷橋が岩日線
として開業したのがルーツで、同年7月に岩国〜西岩国及び小郷橋〜周防広瀬
が、同年9月に出合橋〜日原がそれぞれ開業した。岩益線は、陰陽連絡及び鉄
道先行の使命を有していた。また、「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、
同線の特長として、地方の交通網を整備し本線支線合わせて357kmに及ぶ長大路
線である、と述べられていた。
・戦後は、1948(S23)年2月、本郷線(上宮串〜河山鉱山〜周防本郷)、高根線
(下出市〜高根〜周防宇佐)、蔵木線(六日市〜石見田野原)が開業した。
同年9月には日原〜津和野が開業した。
・1949(S24)年1月には立戸〜石見朝倉〜上七日市が開業し、1950(S25)年11月に
は蔵木線石見田野原〜初見が開業した。
・1951(S26)年5月には、石見朝倉〜蓼野、高尻線(上七日市〜上高尻)、椛谷
線(柿木〜椛谷)が開業した。1952(S27)年6月には本郷線周防本郷〜周防本谷、
が開業し、同年11月には紙屋町〜宮島口〜警察学校前、日原町〜石見益田の各
区間が開業した。1953(S28)年2月には本郷線河山鉱山〜周防本山、同年5月に
は五味〜周防大久保が開業した。
・岩益線(当時は岩日線)には、石見交通から益田〜広島の直通運行便の申出が
あり、国鉄自動車としては反対を続けたが、この運行には地元益田氏や関係機
関の強い要請もあって遂に乗入れを認めることとなり、国鉄自動車も益田〜日
原及び大竹〜広島を延長し、石見交通と同様、益田〜広島の直通便を1952(S27)
年11月から運行開始した。この運行系統は148.7kmで、当時、中国管内で最長の
運行系統となった。(中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」によ
る。)
・1954(S29)年10月には、下多田〜上阿品〜下阿品、周防広瀬〜木谷原が開業した。
1955(S30)年3月には津和野〜鷲原公園、次いで同月に渡里橋〜玖珂鉱山、同年
8月には御庄橋〜柱野中学校前がそれぞれ開業した。
・1956(S31)年3月に大野町〜玖波駅前(新道経由)が開業し、同年6月には蓼野
〜捨河内、高根線上須川〜石見田野原、高尻線上高尻〜折元が開業した。1957(
S32)年2月には高根線高根〜高根大原、高根〜向峠が開業した。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年12月号(9/5改正)によると、岩日線から
の広島直通便として次の5往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0716→1335日原
広島0821→1158広瀬
広島1246→1651宇佐郷
広島1611→1910本郷口
広島1753→2118広瀬
(上り)
広瀬0545→0913広島
広瀬0620→0948広島
宇佐郷1050→1525広島
河山鉱山1342→1651広島
益田1112→1853広島
・「日本国有鉄道監修時刻表」1958(S33)年11月号(4/28改正)によると、岩日線から
の広島直通便として次の6往復半が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0705→1344日原
広島0811→ 河山鉱山
広島1225→ 南桑
広島1456→1949向峠
広島1530→ 河山鉱山
広島1624→2142柿木
広島1742→2121広瀬
(上り)
広瀬0545→0908広島センター
広瀬0620→1005広島
柿木0622→1111広島
南桑1237→1531広島
河山鉱山1342→1651広島
益田1128→1916広島
・1960(S35)年6月から合ノ本〜須金が開業した。
・鉄道岩日線(西岩国〜錦町)の開業に伴って、1960(S35)年11月から自動車「岩
日線」は「岩益線」に改称された。
・1960(S35)年11月に本郷口〜河山、次いで同月に左鐙〜下横道〜上横道が開業し、
1961(S36)年5月に天尾口〜二鹿上が、1962(S37)年5月には蓼野〜石見河山、
椛谷線椛谷〜鈴が谷がそれぞれ開業した。
・1963(S38)年10月から津和野〜広島センターの特急便を運行開始した。同年11月
からは柿木〜広島センターの特急便を運行開始した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、岩益線
の広島センター〜津和野・石見益田には次の4往復が設定されていたのを確認
できる。
(下り)
広島センター0600→六日市0857→1028津和野
広島センター1130→六日市1425→1556津和野
広島センター1530→六日市1825→1956津和野
広島センター1700→六日市1955→2149石見益田
(上り)
津和野0537→六日市0713→1005広島センター
石見益田0646→六日市0843→1135広島センター
津和野1107→六日市1243→1535広島センター
津和野1637→六日市1813→2105広島センター
・岩益線には、寂地峡、深谷大橋を訪れる観光客の利便を図るため、錦町駅から
寂地峡入口、深谷大橋の定期観光便を1964(S39)年7月から日曜・祝日運行で
開始した。(中国地自前掲書による。)
・1965(S40)年6月に本郷線周防本山〜本山上、同年12月に高根線周防宇佐〜寂地
登山口、同向峠〜深谷大橋〜初見〜長瀬峡が開業するとともに、同年12月、高根
線上須川〜星坂が廃止された。
・1967(S42)年7月、朝倉線捨河内〜周防長野〜鹿野が、同年11月には椛谷線鈴が
谷〜黒淵が開業した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、岩益線
の広島センター〜津和野・石見益田には次の5往復が設定されていたのを確認
できる。
(下り)
広島センター0630→六日市0927→1058津和野 特急便
広島センター0940→六日市1327→1544石見益田
広島センター1130→六日市1425→1556津和野 特急便
広島センター1530→六日市1825→1956津和野 特急便
広島センター1700→六日市1955→2142石見益田 特急便
(上り)
津和野0545→六日市0718→1010広島センター 特急便
石見益田0722→六日市0913→1205広島センター 特急便
津和野0858→六日市1106→1430広島センター
津和野1137→六日市1313→1605広島センター 特急便
津和野1639→六日市1815→2105広島センター 特急便
・1969(S44)年2月に上阿品〜長谷畑が開業し、1970(S45)年6月には木部谷橋〜七
瀬が開業した。
・1969(S44)年11月から、広島センター〜津和野・益田の特急便を急行便に変更した。
・1972(S47)年11月、捨河内〜鹿野、渡里橋〜玖珂鉱山、周防広瀬〜錦国保病院、
本山口〜本山上、津和野役場前〜鷲原公園の各区間が廃止された。1973(S48)年
3月には木谷原〜木谷及び新田〜折元が廃止された。
・山陽新幹線博多開業の1975(S50)年3月、御庄橋〜新岩国、周防広瀬〜錦中学校
前、七瀬〜石見中間の各区間が開業した。
・1975(S50)年3月、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズで山陽新幹線が博多ま
で開業したが、これに対応して中国地自管内では、在来線のダイヤ削減調整を
行う中で陰陽連絡便等を増強して運行することとなった。運行経路は、(1)広島
〜浜田、(2)新岩国〜津和野・益田、(3)小郡〜東萩(はぎ号)、(4)秋芳洞観光輸
送の小郡〜秋芳洞、(5)徳山〜新岩国の5路線で、増強した走行キロは全て既設
線のダイヤ見直しの中で生み出したものを充当した。新幹線接続については、
各民営バスと協議を行い、全駅とも新幹線口まで乗入れ、車両は高速用の冷房
車を充当した。広浜、岩益線については従来の運行回数を増回し、特急・急行
便で運行した。(中国地自前掲書による。)
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、岩益線
広島〜岩国〜津和野・益田系統(急行便)には次の5往復が設定されていたの
を確認できる。(注:3/10改正ダイヤの誤植ではないかと思われる。)
(下り)
岩国0750→新岩国0816→六日市0923→日原1023→1038津和野
広島0800→岩国0950→新岩国1013→六日市1128→日原1230→1245津和野
岩国1240→新岩国1303→六日市1410→日原1510→1525津和野
岩国1450→新岩国1513→六日市1620→日原1720→1735津和野
岩国1650→新岩国1716→六日市1823→1952益田
(上り)
津和野0555→日原0610→六日市0713→新岩国0820→0840岩国
益田0730→六日市0902→新岩国1009→1029岩国
津和野1250→日原1305→六日市1408→新岩国1515→1535岩国
津和野1438→日原1453→六日市1600→新岩国1711→岩国1739→1915広島
津和野1640→日原1655→六日市1758→新岩国1905→1925岩国
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(3/10改正、主要幹線連絡早
見表)によると、新幹線連絡の岩益線新岩国〜津和野・益田系統には次の5往
復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
新岩国0816→日原1023→1038津和野 2001便
新岩国1013→日原1230→1245津和野 2003便
新岩国1303→日原1510→1525津和野 2005便
新岩国1513→日原1720→1735津和野 2007便
新岩国1716→1952益田 2009便
(上り)
津和野0555→日原0610→0817新岩国 2002便
益田0730→1006新岩国 2004便
津和野1250→日原1305→1512新岩国 2006便
津和野1438→日原1453→1708新岩国 2008便
津和野1640→日原1655→1902新岩国 2010便
・1977(S52)年2月末限りで御庄橋〜柱野中学校前が廃止され、同年11月に舟津〜
広瀬原が廃止された。他方、同年12月、錦町〜錦中央病院前及び錦中学校前〜
広瀬原が開業した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、岩益線
広島〜岩国〜津和野・益田系統(急行便)には次の3往復が設定されていたの
を確認できる。
(下り)
岩国0845→新岩国0908→六日市1020→日原1122→1137津和野
岩国1450→新岩国1513→六日市1620→1757益田
広島1503→岩国1650→新岩国1716→六日市1825→1851柿木
(上り)
柿木0624→六日市0652→新岩国0759→岩国0830→1007広島
益田0725→六日市0902→新岩国1009→1032岩国
津和野1505→日原1520→六日市1627→新岩国1734→1800岩国
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(8/12現在)によると、岩益線
岩国〜津和野系統(急行便)は次の1往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
岩国0848→新岩国0911→六日市1023→日原1125→1140津和野
(上り)
津和野1430→日原1445→六日市1552→新岩国1659→1725岩国
・1983(S58)年3月末に、須金線(合ノ本〜須金)、蔵木線の初見〜長瀬峡、笹山
線(石見福川〜津和野)の各区間が廃止された。
・1985(S60)年3月末限りで錦中学校前〜木谷原、左鐙〜上横道、高尻線の上高尻
〜新田、椛谷線の鈴ヶ谷〜黒淵の廃止が公示された。
・「国鉄バス岩益線時刻表」1985(S60)年4月1日改正によると、岩益線には次の
ような系統が設定されていた。
(岩益本線)
岩国〜津和野 急行便1往復
(下り)
岩国0742→新岩国0805→六日市0917→日原1019→1034津和野
(上り)
津和野1430→日原1445→六日市1552→新岩国1659→1725岩国
岩国〜益田 急行便1往復
(下り)
岩国1732→新岩国1755→六日市1907→日原2009→2045益田
(上り)
益田0720→日原0756→六日市0903→新岩国1010→1033岩国
大野橋〜六日市〜朝倉・横立〜益田 下り1本(所要2時間)
六日市〜朝倉・横立〜益田 上り1本(所要1時間58分)
六日市〜益田 1往復(所要1時間45分)
柿木〜日原 1往復(所要37分)
六日市〜日原 下り3本・上り1本(所要1時間5分)
六日市〜横立〜日原 1往復(所要1時間7分)
六日市〜朝倉・横立〜日原 上り1本(所要1時間18分)
六日市〜朝倉〜日原 上り1本(所要1時間16分)
柿木〜左鐙 上り1本(所要16分)
六日市〜朝倉・横立〜左鐙 下り1本(所要57分)
岩国〜柿木 1往復(所要2時間2分)
六日市〜柿木 上り1本(所要28分)
六日市〜下七日市 下り2本・上り1本(所要13分)
六日市〜朝倉〜下七日市 下り1本(所要24分)
岩国〜六日市 4往復(所要1時間43分)
錦中学校前〜六日市 3往復(所要32分)
岩国〜錦町・錦中学校前 1往復(所要1時間24分)
岩国・西岩国〜天尾口 下り8本(うち日祝運休1本)・上り9本(うち日祝運休2
本)(所要42分)
岩国〜下多田〜阿品〜鮎谷 3往復(所要56分)
岩国〜下多田〜上阿品 1往復(所要25分)
岩国・西岩国〜錦帯橋 下り10本・上り12本(所要17分)
岩国〜西岩国 下り20本(うち日祝運休3本、日祝運転1本)・上り30本(うち日祝
運休4本、日祝運転4本、土曜運転1本、土曜運休1本)(所要8分)
(高尻線)
六日市〜朝倉〜下七日市〜上高尻 上り1本(所要55分)
六日市〜下七日市〜上高尻 上り2本(所要34分)
下七日市〜上高尻 下り2本(所要21分)
(蓼野線)
六日市〜朝倉〜捨河内 下り1本(日祝運休)(所要41分)
六日市〜下七日市〜広尾〜朝倉〜河山〜捨河内 上り1本(日祝運休)(所要1時間
11分)
六日市〜下七日市〜捨河内 上り1本(土曜運休各1本)(所要46分)
下七日市〜広尾〜朝倉〜蓼野 下り2本(土曜運休、土曜運転各1本)(所要23分)
下七日市〜朝倉〜蓼野 上り2本(土曜運休、土曜運転各1本)(所要17分)
下七日市〜広尾〜蓼野〜河山〜捨河内 下り2本(土曜運休、土曜運転各1本)(所
要55分)
下七日市〜蓼野〜捨河内 上り2本(土曜運休、土曜運転各1本)(所要31分)
(蔵木線)
六日市〜深谷大橋 3往復(所要26分)
(高根線)
錦中学校前〜羅須 下り1本(土日祝運休)(所要25分)
錦町〜羅須 上り1本(土日祝運休)(所要19分)
錦中学校前〜高根 下り2本(うち土曜運転1本)・上り3本(うち日祝運休1本)
(所要45分)
錦町〜高根 下り3本(うち日祝運休2本)・上り2本(日祝運休、土曜運転各1本)
(所要39分)
錦中学校前〜羅漢高原 下り3本・上り2本(所要1時間14分)
錦町〜羅漢高原 上り1本(所要1時間8分)
(府谷線)
錦中学校前・錦町〜大久保 3往復(うち土曜運転1往復、土曜運休1往復)
・1985(S60)年当時、線内の六日市及び周防広瀬に自動車駅が存在した。また、国
鉄バス運行の拠点として、岩国自動車営業所(西岩国)、同六日市支所(六日市
)及び同周防広瀬派出所(周防広瀬)が置かれていた。
3.2 旅から30年
・1985(S60)年9月末限りで蔵木線の蔵木口〜深谷大橋及び星坂口〜星坂〜初見新
田(存続区間は高根線へ編入)、朝倉線の石見朝倉〜捨河内及び蓼野〜石見河山
の各区間の廃止が公示された。
・1986(S61)年3月末に、北河内駅前〜二鹿上、木部谷橋〜石見中間、高根線の高
根〜寂地登山口及び向峠口〜深谷大橋、椛谷線(柿木〜鈴ヶ谷)の各区間の廃止
が公示された。
・同年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、岩益本線の西岩国〜裁判所前
及び下七日市〜石見田丸、高根線の柱ヶ瀬〜羅漢高原(延長)が認知された。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1987(S62)年2月号(1/9現在)によると、岩益線
には、急行便として次の2往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0710→岩国0842→新岩国0904→六日市1009→日原1103→1115津和野
岩国1640→新岩国1700→六日市1805→1925益田
(上り)
益田0740→六日市0905→新岩国1005→1025岩国
津和野1445→日原1457→六日市1556→新岩国1656→岩国1725→1848広島
・国鉄最末期の1987(S62)年3月、高根線(高根〜羅漢高原)及び高尻線(下七日
市〜上高尻)の廃止が公示された。国鉄最終日の同年3月末限りで五味〜周防大
久保の廃止が公示された(なお、この公示は国鉄公示の最終号であった)。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、岩益線は中国JRバスに継承された。
・1988(S63)年11月ダイヤ改正から岩国〜益田の急行便が廃止された。
・1990(H2)年4月から広島〜津和野の急行便がアルパーク乗入れを開始した。
・「JRバス時刻表−岩益線・坂上線−」1991(H3)年3月16日改正によると、岩益
線の広島新幹線口〜津和野急行便が次の1往復が設定されていた。
(下り)
広島0710→宮島口0806→岩国0846→新岩国0908→六日市1013→1119津和野
(上り)
津和野1445→六日市1556→新岩国1656→岩国1725→宮島口1800→1850広島
・1991(H3)年9月から広島〜津和野の急行便が廿日市IC〜岩国ICを広島岩国道路(
山陽自動車道)経由に経路変更され、従来の経路のうち廿日市町〜小方が休止さ
れた。
・同年9月末限りで、本郷線(本郷口〜周防本谷)及び高根線(下出市〜高根)が
廃止された。
・「JRバス時刻表−岩益線・坂上線−」1992(H4)年3月14日改正によると、岩益
線の広島新幹線口〜津和野急行便(山陽自動車道経由)が次のように1往復設定
されていた。
(下り)
広島0828→廿日市0909→(山陽道)→新岩国0946→六日市1057→1203津和野
(上り)
津和野1445→六日市1556→新岩国1704→(山陽道)→廿日市1738→1818広島
・1993(H5)年3月ダイヤ改正から広島〜津和野の急行便が休止され、西広島駅前〜
アルパーク〜廿日市町〜御庄橋(山陽自動車経由)及び津和野線のうち日原〜津
和野の両区間が休止された。
・「JRバス時刻表−岩益線・坂上線−」1993(H5)年3月18日改正によると、岩益
線には次の系統が設定されていた。
六日市〜益田 1往復(下りは朝倉・横立経由、上りは朝倉経由)
六日市〜日原 5往復(うち日祝運休1往復、朝倉・横立経由1往復、朝倉
経由1往復)
六日市〜左鐙 下り1本
六日市〜下七日市 2往復(うち日祝運休1往復、朝倉経由1往復)
岩国〜日原 下り1本・上り2本
岩国〜六日市 下り1本
錦中学前〜六日市 3往復(うち日祝運休1往復)
小郷橋〜南桑本町 下り1本(日祝学休運休)・上り1本(土曜運転・日祝
学休運休)
岩国・西岩国〜北河内駅 下り9本(うち日祝運休1本)・上り7本
岩国〜新岩国 4往復(うち日祝運休1往復)
岩国〜阿品〜鮎谷 3往復
岩国〜上阿品 1往復
岩国〜錦帯橋 下り3本・上り2本
岩国〜西岩国 下り3本・上り4本
・1997(H9)年9月末限りで、日原(口家橋)〜益田及び天尾橋〜出合橋が廃止され、
岩益線は岩国地区と六日市地区とが分断された。
・1998(H10)年3月末限りで六日市地区の路線(錦町〜日原他)が全廃され、岩国営
業所六日市支所も廃止された。
・1999(H11)年6月末限りで西栄〜小方が廃止された。
・2001(H13)年3月末限りで、下多田〜天尾口〜北河内駅前及び御庄橋〜新岩国が廃
止された。
・2002(H14)年6月末限りで、最後まで残った、西栄〜岩国〜下多田〜中垣内、東錦
見〜西岩国〜裁判所前が廃止され、岩益線は全廃となった。併せて、岩国営業所も
廃止された。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、当時岩益線には接続駅(宮島口、
岩国、西岩国、新岩国、益田、河山、錦町、日原及び津和野)の他、六日市及び周
防広瀬に第一種委託駅(自動車駅)、南桑本町、下七日市、柿木、左鐙及び周防本
郷に第二種委託駅(自動車駅)がそれぞれ置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【810】坂上線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇坂上線
坂上本線
1 西栄−小郷橋
秋中線
1 鮎谷−秋中釜ヶ原
賀見畑線
1 下畑出合−周防片山
1.2 路線略図
大畠・光
Λ ◎西岩国
: | 下多田 小郷橋
岩国◎−−○−−−−−−○−−−−−−−−−−○−−>六日市・日原
| 東錦見 \ /
| ・ 下畑出合○−−○賀見畑
| | | \
| ・ 鮎谷○ ○周防片山
| \ / \
西栄○−◎−−−○−−−○−−−○−−○ \ 秋中
| 大竹 上木野 下安条 中垣内 周防 ・−○−○
V 坂上 秋中釜ケ原
小方・西広島駅前
※岩国〜大畠は、休止中
※西広島駅前〜小方〜西栄〜岩国〜下多田〜小郷橋〜六日市〜日原、東錦見〜
西岩国、下多田〜中垣内は、岩益線
※岩国〜大畠〜光は、光線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・坂上本線1 大竹〜鮎谷〜下畑出合〜小郷橋
2.2 掲載
・11日目 6/11(火) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p75〜78
2.3 行程
○大竹1840→1937鮎谷 坂上本線1 大竹発 鮎谷行 334-6005(三菱MK103H)
○鮎谷2000→2025西岩国 坂上本線1+岩益本線1+2 小郷橋経由 タクシー
2.4 エピソード
・大竹駅前で鮎谷行きの運転士から「小郷橋への連絡はないが、鮎谷から小郷橋
まではいくらもないし、タクシーで走っても大したことはないでしょう。小郷
橋へ出れば岩益線の最終に間に合うのでは」と知恵を授けられた。
・広島岩国道路の工事現場を過ぎて、小瀬川堤防から旧道へ下り悪路になったと
思ったら、目の前に断崖と錯覚しかけたコンクリート壁が広がり、立派な路面
へ急転した。左手の谷底がオレンジに光った。追い込みの突貫工事中の弥栄ダ
ムであった。
・バスは湖底に沈む弥栄峡の旧道へ下り、畑だったに違いない階段状の区画が雑
草に覆われているのが夜目に見て取れた。新しい付け替え道路に上がると、盆
地の中に新築の豪邸が軒を並べている。
・鮎谷からは7時15分に小郷橋経由上椋野行きがあるから、泊まろうと思ったも
のの、旅館・民宿は逆方向の集落にしかないという。タクシーの営業所は存在
するので前に進む。
・小郷橋も何もない三差路で岩国行き最終バスは1時間も前に出たあと。西岩国
までタクシーで走った。
2.5 旅の考察
・「国鉄バス岩益線時刻表」1985(S60)年4月改正によると、岩益線小郷橋の上り
最終岩国行きは18時53分発(六日市始発17時53分)で、その後の天尾橋(小郷橋
から岩国寄り4分の停留所)始発の最終岩国行きも19時30分発であった。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・坂上線は、1950(S25)年に岩日線(→岩益線)の支線として、坂上線(岩国〜
大竹〜鮎谷〜小郷橋)、秋中線(鮎谷〜秋中)、賀見畑線(下畑出合〜周防片
山)が開業したのがルーツで、鉄道培養及び沿線地域の産業文化の発展助長を
使命としていた。この路線は、1963(S38)年に岩益線から独立した。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年9月号(3/1訂補)によると、次のよう
に広島〜鮎谷の直通便が2往復設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島1625→センター1638→大竹1743→1906鮎谷
広島1722→センター1735→大竹1846→2003鮎谷
(上り)
鮎谷0600→大竹0723→センター0828→0836広島
鮎谷0657→大竹 →センター0922→0930広島
なお、「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号及び1967(S42)年9月
号には広島〜坂上線方面の直通便は載っていない。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、次のよ
うに広島センター〜鮎谷・秋中の直通便が下り4本・上り3本設定されていた
のを確認できる。
(下り)
広島センター1340→1555鮎谷
広島センター1607→ 秋中
広島センター1625→ 鮎谷
広島センター1720→1930鮎谷
(上り)
鮎谷0602→0814広島センター
鮎谷0702→0914広島センター
秋中0715→1004広島センター
・また、「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年2月号(12/21現在)によると、
次のように広島センター〜鮎谷・秋中の直通便が3往復設定されていたのを確
認できる。
(下り)
広島センター1340→ 鮎谷
広島センター1625→ 秋中
広島センター1720→1929鮎谷
(上り)
鮎谷0600→0824広島センター
鮎谷0705→0914広島センター
秋中0718→1004広島センター
なお、「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号以降には広島〜坂上
線方面の直通便は載っていない。また、岩益線広島十日市〜小方は、1980(S55)
年3月21日から休止された。
・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、岩国自動車営業所(岩益線西
岩国)が置かれていた。
・「国鉄バス岩益線時刻表」1985(S60)年4月改正によると、坂上線には次のよ
うな系統が設定されていた。
(坂上本線)
錦帯橋・西岩国・岩国〜鮎谷 下り6本(うち西岩国〜岩国日祝運転1本、
西岩国〜大竹日祝運転2本)・上り5本(うち大竹〜西岩国日祝運転1
本)
錦帯橋・西岩国・岩国〜下安条 下り3本(うち日祝運休2本)・上り2
本(うち日祝運休1本)
錦帯橋・西岩国・岩国〜上木野 下り2本・上り4本(うち上木野〜大竹
日祝運休、全区間日祝運休各1本)
大竹〜鮎谷 下り2本・上り1本
大竹〜下安条 下り1本・上り1本(日祝運休)
大竹〜上木野 下り7本(うち日祝運休4本)・上り6本(うち日祝運休
3本)
西岩国〜小方 下り2本(うち土曜運転、日祝運休各1本)・上り1本(
日祝運休)
小方〜大竹 下り2本(日祝運休)・上り1本(日祝運休)
小方〜下安条 上り1本(大竹〜小方日祝運休)
小方〜鮎谷 上り1本(大竹〜小方日祝運休)
小方〜小郷橋〜上椋野 下り1本(土曜運転)
周防坂上〜小郷橋〜上椋野 下り1本(土日祝運休)・上り2本(うち日
祝運休、土日祝運休各1本)
鮎谷〜小郷橋〜上椋野 下り1本(日祝運休)・上り1本(土曜運転)
周防坂上〜鮎谷 下り2本(うち日祝運休1本)
岩国〜阿品〜鮎谷 3往復
(賀見畑線)
錦帯橋・西岩国〜周防片山 下り2本(うち土曜運休1本)・上り1本
小方〜周防片山 下り1本(小方〜大竹日祝運休)
大竹〜周防片山 上り1本
周防坂上〜周防片山 上り1本(鮎谷〜周防坂上土日祝運休)
鮎谷〜周防片山 下り2本(うち土曜運転1本)・上り1本
(秋中線)
西岩国・岩国〜秋中 下り1本(鮎谷〜秋中土曜運休)・上り2本
大竹〜秋中 上り1本
周防坂上〜釜ヶ原 1往復
鮎谷〜秋中 下り4本(うち土曜運転1本)・上り1本
3.2 旅から30年
・国鉄最後の日の1987(S62)年3月31日限りで賀見畑線全線の廃止公示がなされた。
・「JRバス時刻表岩益線坂上線」1991(H3)年3月改正によると、坂上線には次の
ような系統が設定されていた。
(坂上本線)
西岩国〜小郷橋〜上椋野 上り1本
錦帯橋・西岩国〜長野団地 1往復
北河内・錦帯橋・西岩国〜鮎谷 2往復
西岩国〜下安条 上り1本(大竹〜西岩国日祝運休)
錦帯橋〜前渕渡 下り1本・上り1本(大竹〜錦帯橋日祝運休)
大竹〜長野団地 下り2本(うち日祝運休1本)・上り1本
大竹〜鮎谷 下り4本・上り7本(うち日祝運休2本)
大竹〜下安条 下り2本・上り2本(うち日祝運休1本)
大竹〜前渕渡 4往復
岩国〜大竹 下り1本(日祝運休)
錦帯橋〜小方 上り1本(日祝運休)
小方〜大竹 上り1本(日祝運休)
小方〜下安条 下り1本(小方〜大竹日祝運休)・上り1本(日祝運休)
周防坂上〜小郷橋〜上椋野 1往復(土日祝休校日運休)
鮎谷〜小郷橋〜上椋野 1往復(土曜運転休校日運休)
周防坂上〜鮎谷 上り1本(土日祝休校日運休)
岩国〜阿品〜鮎谷 3往復
(秋中線)
大竹〜秋中 下り1本(鮎谷〜秋中土曜運休)
周防坂上〜釜ヶ原 1往復
鮎谷〜秋中 下り1本(土曜運転休校日運休)・上り2本(うち土曜運休、
土曜運転休校日運休各1本)
・1991(H3)年に秋中線が廃止され、1997(H9)年に坂上線長野団地〜小郷橋が廃止
された。
・2002(H14)年に残された西栄〜大竹〜鮎谷〜長野団地も廃止され、坂上線は全廃
となった。
3.3 各種考察
・1977(S52)年8月の駅営業範囲一覧」によると、坂上線には接続駅(大竹)の
他に、鮎谷に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【811】光線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇光線
光本線
1 岩国−光−徳山−防府
2 光警察署前−光市役所前(南回り)
室積線
1 戸仲−江の浦
2 室積−室積公園口
岩狩線
1 筒井−岩狩
1.2 路線略図
大竹・広島・呉
周防 Λ
錦橋 御庄橋 |
日原・六日市<−○−−−○−−◎岩国
・ | :
・新岩国◎ :周防油宇
高森 ・ 大畠◎−−−>
・・・・・○・・・・・・・・・ |
・ 国道2号 柳井◎
・ |
・ 岩狩○ 鮎返○−−◎−●土井ノ内
・ | 光市 光警 | 田布施・
防府 徳山・ 下松 光 | 役所 察署 | ・
<−◎……◎−○−◎−−◎−○−−○−−○−−○戸仲 ○平生町
山口 遠石 筒井 | | | ・
湯田温泉通 八幡 正門町○−−○室積○−○・・・
沖場 |江の浦
○
室積公園口
※岩国〜大畠、徳山〜防府は、休止中
※広島〜呉は、安芸線
※広島〜広島十日市は、広浜線
※広島十日市〜岩国〜周防錦橋〜六日市〜日原、御庄橋〜新岩国は、岩益線
※湯田温泉通〜山口〜防府は、防長線
※大畠〜周防油宇は、大島線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・光本線1 大畠〜柳井〜田布施
・(田布施〜光)
・光本線1 光〜下松
2.2 掲載
・12日目 6/12(水) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p78〜79
・連載誌 柳井駅前
2.3 行程
○大畠816→835柳井 光本線1 周防油宇発 大畠行 334-9012(三菱MK115H)
○柳井940→1000田布施 光本線1 防長交通
・(田布施→光)
○光1104→1117下松 光本線1 室積発 下松行 534-4484(三菱P-MP118M)
2.4 エピソード
・大畠から柳井までは大島から直通してくる便が細々と走るが、その割にお客は
多い。柳井で降車時に運転士がきっぷを手に絶句し、乗客の柳井駅職員に助け
を求めると、一通り眺めて、間違いなく大畠〜柳井の国鉄バスに乗れるから、
このまま降りてもらえばいいと保証した後、興味を示しコピーを希望したので
それに応じた。
・柳井〜田布施の国鉄バスは640発の後夕方までなく、同じ路線を防長交通バス
が盛んに走っているので社線バス代行とした。
2.5 旅の考察
・「最長片道きっぷの旅」本文では、大畠〜柳井を大島本線と記述しているが、
当時の「国鉄自動車路線名称」によると、同区間を含む岩国〜光〜徳山〜防府
は光本線の第1区間となっている。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
Λ広島・呉本通十三丁目
湯田温泉通 周防錦橋 |
山口 益田<−−○−−+−−◎岩国
Λ 遠石 | ◎ |
| 八幡 国道2号 高森| 新岩国 | 周 周 周
◎−−◎−○−−−−−−−−−−○ | 防 防 防
防府 徳山| | 久 下 油
| 島田◎ 岩田 田布施 | 賀 田 宇
| 岩狩○+ ◎ ・−◎−◎−◎−+−○+−+○+−○
下松◎ | | | | 柳 大 | | | |
\ ・+ 鮎返○−・ | 井 畠 +− +−+−+
\ || | 室積| | | |
光◎○○++−○−○−・ ・−−○ ○
筒島++ 戸 | 安下庄 沖家室
井田 仲 ○室積公園口
市
・光線は、光海軍工廠の工員輸送確保の目的で、1942(S17)年に光〜室積が開業し
たのがルーツで、都市交通の使命を有していた。
・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)では、光線の特長として、光市は旧海軍工
廠等の施設を利用して工業が発達しているため、通勤・通学等定期客が多いと
述べていた。
・1962(S37)年から安芸線への乗り入れが開始され、下松〜呉本通十三丁目の直通
便が運行開始した(安芸線への乗り入れは1972(S47)年廃止)。
・関口国二(1968)「幹線道路に進出する国鉄自動車−最近開業した路線につい
て−」(「国鉄線」1968(S43)年11月号所収)によると、1968(S43)年10月1日
から瀬戸内西線に呉〜徳山、岩国〜湯田温泉の2系統が運行を開始した。呉〜
徳山は両地区の最短ルートである国道2号線で直通運行して旅客の利便を図る
ため、岩国〜湯田温泉は両地区間の交流旅客が防府又は小郡で乗り換える不便
を解消するために開業したものと述べられている。両系統の運行時刻は以下の
通りであった。
呉本通十三丁目〜徳山(高森経由) 3往復
(下り)
呉本通十三丁目0915→1257徳山
1245→1640
1420→1800
(上り)
徳山0800→1148呉本通十三丁目
0930→1310
1440→1850
岩国〜湯田温泉通(柳井経由) 6往復
(下り)
岩国0740→1122湯田温泉通
0830→1212
0918→1302
1430→1814
1530→1914
1640→2022
(上り)
湯田温泉通0710→1054岩国
0800→1144
0930→1312
1240→1622
1430→1814
1530→1914
・1968(S43)年10月1日から岩益・光・防長線の一部である広島〜岩国〜周防錦
橋〜徳山〜防府〜山口を「瀬戸内西線」と改称した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1972(S47)年12月号(11/9現在)によると、瀬戸
内西線には次のような直通急行便が設定されていたのを確認できる。
(下り)
下松0720→0907湯田温泉通
柳井0825→1107湯田温泉通
広島0810→1210湯田温泉通(高森経由)
広島1025→1357徳山
広島1200→1507下松
広島1410→1740徳山
広島1430→1835湯田温泉通(高森経由)
広島1500→1949湯田温泉通
(上り)
徳山0710→1040広島
湯田温泉通0648→1144広島
湯田温泉通0800→1207広島(高森経由)
徳山1030→1352広島
湯田温泉通1428→1828広島(高森経由)
徳山1533→1903広島
湯田温泉通1500→1743柳井
湯田温泉通1615→1757下松
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、瀬戸
内西線には次のような直通便が設定されていたのを確認できる。
(下り)
光警察署前0651→0907湯田温泉通
柳井0817→1107湯田温泉通
広島0855→1229徳山
岩国1205→1408下松
広島1410→1746徳山
岩国1616→2001湯田温泉通
広島1515→1920湯田温泉通(高森経由)
(上り)
徳山0720→0939岩国
湯田温泉通0654→1151広島
湯田温泉通0755→1207広島(高森経由)
徳山1120→1338岩国
徳山1550→1925広島
湯田温泉通1500→1715室積
湯田温泉通1615→1820光警察署前
・1975(S50)年3月10日の新幹線博多開業に伴って、新岩国〜徳山系統を運行開
始した。この時に周防錦橋〜遠石八幡前が休止された。また、この時から瀬戸
内西線を岩益線及び光線に改称した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(3/2現在)によると、光線に
は次のような直通便が設定されていたのを確認できる。
(下り)
室積1104→1318湯田温泉通
新岩国0950→1229徳山
新岩国1140→1419徳山
新岩国1342→1620徳山
新岩国1508→1749徳山
柳井1718→2000湯田温泉通
(上り)
光0646→0902新岩国
徳山0715→1002新岩国
湯田温泉通0654→0901室積
徳山0830→1109新岩国
徳山1025→1305新岩国
湯田温泉通1615→1827室積
・1978(S53)年12月20日から岩国〜大畠及び徳山〜防府を休止した。
・1985(S60)年当時、線内の室積に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の
拠点として光自動車営業所が置かれていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、光線に
は次のような系統が設定されていたのを確認できる。
柳井〜下松 上り1本
柳井〜光 下り2本・上り1本
田布施〜下松 下り2本
田布施〜光 下り6本・上り8本
室積公園口〜徳山 1往復
室積〜徳山 2往復
室積公園口〜下松 下り5本(うち土曜運転1本)・上り6本(うち休日
運休1本)
室積公園口〜光 上り17本(うち休日運休5本)
室積〜光 下り0557〜2143に約15分毎・上り0603〜2122に約15分毎
室積〜下松 下り0637〜1852に約40分毎・上り〜1946に約40分毎
3.2 旅から30年
・1985(S60)年10月から柳井〜田布施が休止された。
・光線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、中国JRバスに継承された。
・1988(S63)年7月19日から光警察署前〜湯田温泉通を山陽自動車道(徳山西〜
防府東)経由で結ぶ「周防ライナー」を運行開始した(1993(H5)年9月末限り
で休止)。
・1994(H6)年に光本線の田布施〜戸仲及び下松〜徳山が休止された。
・「弘済出版社の九州・中国版小型時刻表」1994(H6)年10月号(8/20改正)では、
光線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
岩狩〜光 下り12本(うち休日運休3本)・上り11本(うち休日運休2本)
公園口〜下松 7往復(うち休日運休下り1本)
室積〜下松 7往復(うち休日運休下り1本・上り2本)
・1998(H10)年に岩狩線の木下橋〜岩狩他が休止され(光〜岩狩系統の廃止)、
光市循環バス「ひかりぐるりんバス」の運行が開始した(2000(H12)年8月に
「ひかりぐるりんバス」を子会社の西日本バスネットサービスに移管した)。
・2002(H14)年に大島線からの直通便が廃止されたため、光本線の大畠〜柳井が
廃止された。
・2003(H15)年3月改正「JRバス光線時刻表」によると、光線には次のような
系統が設定されていた。
(平日)
江の浦〜光 下り2本・上り1本
公園口〜下松 下り3本・上り4本
公園口〜光 下り29本(うち休校日運休5本)・上り30本(うち休校日
運休7本)
室積〜下松 下り1本
室積〜光 下り9本・上り10本
(土曜日曜祝日)
江の浦〜光 上り2本
公園口〜下松 2往復
公園口〜光 下り19本・上り17本
室積〜光 下り8本・上り7本
・2015(H27)年に下松〜下松タウンセンター、西新開〜千坊台、江の浦〜かんぽ
の宿光の各区間が開業した。同年6月現在、これらの区間とともに、室積公園
口〜室積〜光〜下松、ひかりぐるりんバスが中国JRバス及び西日本バスネッ
トサービスによって運行されている。
3.3 各種考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、光線には接続駅(岩国、徳山、
防府、山口、大畠、柳井、田布施、光、下松及び岩田)の他に、室積に自動車
駅(第一種委託駅)が置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【812】防長線
2015-07-06
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇防長線
防長本線
1 小郡−東萩
2 山口市民会館前−日赤口
3 山口県庁前−山口−防府
4 山口市民会館前−自動車試験場前
5 八反田−棯畑
長小野線
1 佐々並−長小野
1.2 路線略図
新川○
|\
萩吉田町○−◎東萩
|
○萩市(→萩バスセンター)
|
萩◎−+
‖\
‖ ○長門峡北口
‖/
蔵屋○
|\ バイパス
明木○ ○明木
|/
下菅蓋○
|
|
○………○佐々並
長小野 |
|
|
・−○日赤口
| |
山口県庁前○−+−◎山口 ○棯畑
| | | :
・−○ | :
山口市民会館前+−+−○−−−−−−○−−−◎防府
(山口センタービル前)|自動車試験場前 八反田
| (→宮島町)
|
○湯田温泉通
大田中央 中尾口|
<−−−○−○−○山口市交通局前
綾木\ |(→下湯田)
\ |
\|
+
|
◎
小郡(→新山口駅新幹線口)
※八反田〜稔畑、佐々並〜長小野は、休止中
※下菅蓋〜バイパス明木〜蔵屋、萩吉田町〜東萩は、路線名称に無い
※山口市交通局前以西、綾木〜小郡は、秋吉線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・防長本線1 山口市交通局前〜湯田温泉通〜山口市民会館前
・防長本線2 山口市民会館前〜山口県庁前〜日赤口
・防長本線1 日赤口〜佐々並〜明木〜萩〜萩市〜東萩
・(東萩〜浜田〜横川〜櫛ケ浜〜川西〜錦町〜津和野〜山口)
・防長本線3 山口〜防府
2.2 掲載
・10〜11日目 6/10(月)〜6/11(火) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p69〜71
・13日目 6/13(木) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p84
・連載誌 山口略図、東萩駅、531-7422の解説
・単行本 山口略図
・誤記 山口略図(山口市民会館前〜山口県庁前が欠落)
2.3 行程
○秋芳洞1740→1838山口市民会館前 秋吉本線2+1+防長本線1 美祢発 山口行
534-4488(三菱P-MP118M)
○米屋町618→744東萩 防長本線2+1 普通便 山口発 県庁前経由 東萩行
531-7417(いすゞBU10)
・(東萩→浜田→横川→櫛ケ浜→川西→錦町→津和野→山口)
○山口1305→1340(1342)防府 防長本線3 荒高発 県庁前経由 防府行
531-7422(いすゞBU10)
欠落 防長本線2 山口市民会館前(中電前)〜白石〜山口県庁前 不認識
2.4 エピソード
・東萩行一番バスは、山口市民会館前と停留所名が異なる米屋町から乗車した。
・山口〜防府は30分に一本程度の都市型路線。262号線のグリーンベルトが美しい。
2.5 旅の考察
・当時、山口周辺のバス路線図は以下の通りで、山口センタービル前(小郡・秋吉
方面)と中電前(県庁前方面)は、山口市民会館前(山口駅方面)と同一バス停とみ
なされていた。
山口県庁前
・−−−−○−−−−○山口自衛隊前
| | |
白石○ ○美術館前|
| | |
中電前| |山口 |
↑○ |市役所前|
湯田温泉通<−−○−+−−○+○−−−+−○−−○−−−−>東萩
商工 |センタ 市民会 | 日赤口
会館前| ← → ○米屋町
○荒高 |
| |
+−−−−−−−−+
| ◎山口
自動車試験場前○
(→宮島町)|
∨防府
・先生は、市民会館前で降りて、米屋町から県庁前経由の東萩行に乗車されたが、
米屋町〜県庁前が路線名称の第三区間「山口−山口県庁前」の一部であるため、
路線名称の第二区間「山口市民会館前−山口県庁前」と等しい中電前〜白石〜県
庁前に乗車するのが正当。具体的には、以下の通り。
◇中電前642→644県庁前 急行便 湯田温泉通発 県庁前経由 防府行
◇県庁前656→819東萩 防長本線 普通便 山口発 県庁前経由 東萩行
・はぎ号は、普通便と経路が異なる区間が2箇所(現在は3箇所)あるが、当時の路線
名称・「自動車線普通旅客運賃表」には未掲載だったため、最長切符に組み込め
なかった。
◇下菅蓋〜明木〜蔵屋 普通便の方が0.1km長い
◇蔵屋〜萩駅前 当時は同一であったが、現在は、鹿背トンネル経由となり、
また萩駅にも入らなくなっている。
◇萩吉田町〜東萩 普通便は新川経由で、0.9q長い。
・S60.3.14改正で特記すべき事項は、以下の通り。
◇バス種別が、はぎ号、特急、急行、快速、普通と5種類もあった。
◇荒高〜自動車試験場前は、防府1850発荒高経由山口行快速の片道1本。
◇市役所前〜日赤口は、はぎ号の他、東萩を午後に出発する山口行普通便のみ。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・1933(S8)年に、三田尻(→防府)〜山口〜東萩として開業したのがルーツ。
山陽本線・山口線・山陰線の短絡、萩の観光を使命としていた。
・当時、(自)小郡新幹線口、湯田温泉通、佐々並、萩市、(自)山口に自動車駅が
あった。
3.2 旅から30年
・現在、引き続き中国JRバスが運行している。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【813】秋吉線
2015-10-13
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇秋吉線
秋吉本線
1 山口市交通局前−美祢
2 随徳−秋吉台−大正洞
3 秋芳洞−黒谷口
4 秋吉台−秋吉台口
5 秋芳洞−(有料道路)−秋吉台
岩永線
1 野崎−丸山−岩永−岩永下郷
小郡線
1 綾木−小郡
厚狭線
1 美祢−厚狭
豊田前線
1 美祢中央−保保
1.2 路線略図
大正洞○
: 山口
秋吉台○ Λ
美 美 /| 大 |
豊 祢 祢 丸山 \| 田 ○湯田温泉通
田 大 中 ◎ 野 ○ 岩 秋 ○秋芳洞 中 |
前 嶺 央 | 崎/ \永 吉 |\ 央 中尾口|山口市
○−◎−○−○−○−−−○−−○−○−○−−○−○−○−○交通局前
: |市役所前 \ 随 秋 綾木\ |(→下湯田)
○保保 ◎ ○ 徳 吉 \ |
厚・ |南大嶺 岩永下郷 小 \|
保・ | 前 +
本○−○−◎四郎ヶ原 |
郷|厚保駅前 ◎
| 小郡
◎厚狭 (→新山口駅新幹線口)
※秋吉台〜大正洞、豊田前〜保保は、休止中
※秋吉小学校前〜秋芳洞は、路線名称に無い
※小郡〜山口市交通局前〜湯田温泉通〜山口は、防長線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・厚狭線1 美祢〜美祢中央
・豊田前線1 美祢中央〜大嶺
・(大嶺〜南大嶺)
・厚狭線1 南大嶺〜厚狭
・(厚狭〜居能〜小野田〜小郡)
・小郡線1 小郡〜綾木
・秋吉本線1 綾木〜随徳
・秋吉本線2 随徳〜秋芳洞
・秋吉本線2 秋芳洞〜随徳
・秋吉本線1 随徳〜大田中央〜綾木〜山口市交通局前
2.2 掲載
・10日目 6/10(月) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p66〜70
・連載誌 秋芳洞ゆき特急バス、大嶺略図、大嶺駅
・単行本 大嶺駅、大嶺略図
2.3 行程
×美祢→大嶺 タクシー
・(大嶺→南大嶺 鉄道) [C→D]
×南大嶺1056→1101美祢中央 サンデン交通 急行 下関発 秋芳洞行
×美祢中央→美祢 徒歩
○美祢1215→1230大嶺 厚狭線1+豊田前線1 美祢発 豊田前行 [A→B→C]
331-7006(いすゞCCM410)
×大嶺→南大嶺 タクシー
○南大嶺1315→1340厚狭 厚狭線1 美祢発 厚狭行 [D→] 331-7007(いすゞCCM410)
・(厚狭→居能→小野田→小郡)
○小郡1630→1710秋芳洞 小郡線1+秋吉本線1+2 特急 小郡発 秋芳洞行
534-8004(三菱MP117K)
○秋芳洞1740→1838山口市民会館前 秋吉本線2+1+防長本線1 美祢発 山口行
534-4488(三菱P-MP118M)
2.4 エピソード
・[A→B→C]のバスを待つと[C→D]が4時間待ちのため、乗車順序を変更した。
大嶺(C) |美祢(A)
◎ ◎=+
‖\ ‖
+=====○美祢中央(B)
・ \ ・
・・◎南大嶺(D)
‖
・小郡発特急便はノンストップで綾木に停車しないので、経由が秋芳洞に。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・1946(S21)年に、山口〜吉則(→美祢)、随徳−秋芳洞として開業したのがルーツ。
山口線と美祢線の短絡、秋芳洞等の観光を使命としていた。
・当時、(自)小郡新幹線口、大田中央、秋芳洞、秋吉に自動車駅があった。
3.2 旅から30年
・2015(H27)年時点の運行状況は以下の通り。
◇山口駅〜大田中央〜秋芳洞〜秋吉〜美祢駅 中国JRバス
◇秋芳洞〜黒谷口〜秋吉台〜秋芳洞 中国JRバス
◇(東萩駅〜長門峡北入口〜)大正洞〜秋吉台〜秋芳洞 防長バス
◇秋芳洞〜秋吉〜美祢駅〜厚保駅(〜下関駅) サンデン交通
◇美祢駅〜豊田前(〜豊田町西市) ブルーライン交通
3.3 各種考察
・南大嶺バス停は、経路変更を行ったため、鉄道駅から離れた位置にあった。
‖
・−・
/ ‖ \
・ ・………+−−>美祢中央
| :□
| ◎□ 南大嶺
◎ :□
\:‖
+‖
|‖
∨厚狭
・秋芳洞付近のバス路線図は以下の通りと推測する。
秋吉本線
2 随徳−秋吉台−大正洞 ⇒ 随徳〜秋芳洞〜秋吉台〜大正洞
3 秋芳洞−黒谷口
4 秋吉台−秋吉台口
5 秋芳洞−(有料道路)−秋吉台
Λ大正洞
(初代)秋吉台 :
(→妙見原) 秋吉 ・−+
○ 展望台前 / |
: ●−>+ |
: Λ ○秋吉台|旧有料道路
+−>−・ | : |
秋芳洞黒谷入口 | | +……・ ・
★| | |秋吉台口 /
黒谷口○−<−●−+−○ /
(←黒谷洞) |三本松 ★/秋芳洞
| / エレベータ入口
・ /
\ /
秋芳洞正面入口☆・ +
・ / Λ防長はぎ号
秋芳洞○ ・
/ \ ・
随徳○−○−+ ・美東中学校前
/ 下随徳 \ +……○
秋吉○ \ :
/ \ :
+・・・・・・・・・・・○−−−−○大田中央
| 秋吉小学校前 |
○旦 ★ |綾木 山口
| 秋吉自動車営業所 ○−−−−>
畜産試 | (→秋吉乗務員宿泊所→廃止)|
験場前 |岩永 |
河原町○−−○−−○−−−○…………………○…………○柿木原
| | 岩永下郷 御坊 |
○丸山 | |
美祢 | | |
<−−○−−−−−○ ∨
野崎 上曽原 小郡
・黒谷・秋吉台方面は、秋芳洞→黒谷口→秋吉台→秋芳洞の循環路線だった。
・小郡ノンストップ便と山口方面の急行・特急については、随徳を経由せず、その
まま秋吉小方面に抜けた模様。先生は「この区間は完全な復乗」と書かれたが、
帰路は普通便なので随徳経由だったはずだ。
・S60.3.14改正で特記すべき事項は、以下の通り。
◇岩永〜岩永下郷は、秋吉台循環とセットで運用されていたと推測。また秋吉台口
に入る便は、朝1便のみであったと推測。
秋小前 岩永下郷 秋芳洞 黒谷口 秋吉台 秋芳洞 岩永下郷 秋小前
725 740・745 801
806 (台口)814 818・821 829
1035 1045 1052・1055 1103
(記載省略)
季 1550 1600 1607・1610 1618
1715 1731・1736 1751
◇秋小前〜畜試前〜美祢は、以下の通り。
秋小前 畜試前 美祢 美祢 畜試前 秋小前
※613 626 643 ※735 752
※757 816 1210 1227 1240
1532 1549 1510 1527
1734 1751 1710 1729
1848 1905 1918
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【814】川本北線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇川本北線
川本北本線
1 大田栄町−石見川本
2 瀬戸口−祖式
君谷線
1 石見多田−枦谷
三原線
1 石見川本−木谷−石見三谷−川本大橋
2 石見三谷−大渡
1.2 路線略図
温泉津 ・・◎温泉津 大田市◎
中学校前・ |
○・○福光市 |
・ 大森町○−−−−−○大田栄町
○津淵 / |
・ ・ 福原口○ |
・ ○大渡 / ・ 石見川合○・・・
・・・ : / ・ |
・・・・ : 祖式○−○瀬戸口・ |
・ ・−−−+ | ・ |
・/ ○石見三谷 ・ 枦谷○・・・・・・○君谷別府
石見三原○ | / | |
| | ○下郷 | |
田原○ ○三俣 /| 京覧原○・・・・・・○灰屋
| | \| | |
・ 川本中| ○柿ノ木 ・ |
\ 学校前| |原口 / |
江津<−−○−○−○川本大橋 ○−−−○小谷口 |
木谷| \ /石見多田 |三瓶山口
| 石見川本◎−+・・・・・・・・・・・・・・○・・・
| / |
因原◎………○石見谷 ◎粕淵
| \ |
V ・ V
田所・大朝・広島 V石見高原・田所 赤名
※石見三谷〜大渡、石見谷〜因原は、休止中
※大田市〜大田栄町〜赤名は、大田線
※石見川本〜石見谷〜因原〜大朝、因原〜木谷〜江津は、川本線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・(温泉津〜江津〜田所〜石見川本)
・川本北本線1 石見川本〜大田栄町
2.2 掲載
・15〜16日目 6/15(土)〜16(日) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p92,96〜97
・連載誌 温泉津駅と町営バス、川本略図、644-4976の解説
・単行本 川本略図
2.3 行程
×温泉津駅→温泉前? 温泉津町営バス
×温泉前?→温泉津駅 バス?/タクシー?
・(温泉津→江津→田所)
○田所1219→1357大田栄町 川本本線1+江津線1+三原線1+川本北本線1
特急 広島新幹線口発 大田市行 644-3975(三菱K-MS613N)
2.4 エピソード
・石見川本で乗務員交替のため5分停車。交替運転士が待っており、ハンマーで
タイヤを叩いて点検。
・引き継ぎを終えた運転士は、かばん、運賃箱、座布団を抱えて。ラジオのスイ
ッチをひねってNHK第一放送を流した。
・因原ですいた車内は川本でまたお客が減った。道路は261号線を外れた因原から
格段に悪くなっており、川本からの地方道も大型バスには窮屈な細道。
・大森町は古い大きな集落だが、ひっそり静まり返っている。石見銀山公園、石
見銀山資料館などの案内標が見えるものの、観光客の姿はない。
・大田栄町で下車。「そのきっぷは話に聞いとったんでねえ」と運転士は目を細
め、赤名行きが約20分待ちと教えてくれた。「このまま大田市まで乗って行っ
ても間に合うんだがな」と名残惜しそう。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・川本北線は、1935(S10)年に石見大田(→大田市)〜大田栄町が大田線の一部と
して開業し、1947(S22)年に大田栄町〜石見川本が川本線の支線として開業した
のがルーツで、山陰本線と三江北線(→三江線)の短絡及び地方産業文化の発
展助長を使命としていた。この路線は、1963(S38)年4月に川本線から分離した。
・「鉄道辞典補遺版」(1966年)には、川本北線の特長として、広島〜石見大田
の特急便を運行し山陽・山陰間の連絡を図るとともに、島根県邑智郡の中心地
川本町から放射状路線を出し地方開発に寄与していると述べられていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、川本北
線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
広島〜大田市 特急便1往復
石見川本〜大田市 4往復
石見川本〜京覧原〜福原口 2往復
石見川本〜三原〜温泉津 1往復
三原〜温泉津 2往復
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(3/2現在)によると、川本北
線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
広島〜大田市 特急便1往復
石見川本〜大田市 4往復
・1985(S60)年当時、三原線内の石見三原に自動車駅が存在した。また、国鉄バス
運行の拠点として、川本自動車営業所(川本町内)及び出雲自動車営業所大田
派出所(大田市)が置かれていた。
・「国鉄バス川本線時刻表」1985(S60)年3月改正によると、川本北線には次のよ
うな系統が設定されていた。
(川本北本線)
広島新幹線口〜大田市 特急便1往復、急行便上り1本
石見川本〜大田市 下り4本・上り3本
(君谷線)
石見川本〜枦谷 3往復
(三原線)
石見川本→三俣→石見三原→木谷→石見川本 6回(うち土曜運行、土日
祭休校日運休各1回)
石見川本→木谷→石見三原→三俣→石見川本 6回(うち土曜運休、土曜
運行、土日祭休校日運休、日祭休校日運休各1回)
石見川本〜木谷〜石見三原 1往復(日祭休校日運休)
(温泉津線)
大渡〜温泉津 2往復
大渡〜福光市 上り1本(学校休校前日運行)
福光市〜温泉津 下り1本(月曜のみ運行(休校の翌日を含む))
・1985(S60)年3月14日から、石見三谷〜大渡、石見谷〜因原を休止。
・1985(S60)年6月に温泉津線大渡〜温泉津及び福光市〜温泉津中学校前の廃止が
公示された。
3.2 旅から30年
・1986(S61)年3月末限りで三原線石見三谷〜大渡の廃止が公示された。また、国
鉄最後の日の1987(S62)年3月末限りで君谷線(石見多田〜枦谷)の廃止が公示
された。
・川本北線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、中国JRバスに継承された。
・「JRバス時刻表川本線」1989(H1)年3月改正によると、川本北線には次のよ
うな系統が設定されていた。
(川本北本線)
広島新幹線口〜大田市 特急便1往復、急行便上り1本
石見川本〜大田市 下り4本・上り3本
(三原線)
石見川本→三俣→石見三原→木谷→石見川本 5回(うち土日祭運休1回)
石見川本→木谷→石見三原→三俣→石見川本 4回(うち土曜運行、日祭
運休各1回)
・1994(H6)年3月末限りで三原線が廃止された。
・1999(H11)年、福田バイパスの開通に伴って、白坏〜バイパス福田口〜上佐摩(
特急便の経路)が開業した。
・「JRバス時刻表川本線」2002(H14)年2月改正によると、川本北線には次のよ
うな系統が設定されていた。
広島新幹線口〜大田市 特急便3往復
石見川本〜大田市 3往復(うち柿ノ木原経由1往復)
・2003(H15)年3月末限りで大田市〜大田栄町〜石見川本の普通便が廃止され、こ
の区間は高速道路経由の特急便のみが運行されることとなった。これに伴って、
川本営業所が廃止された。
・2005(H17)年6月末限りで広島新幹線口〜大田市(千代田IC経由、瑞穂IC経由)
が廃止され、川本北線も全廃された。
3.3 各種考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、川本北線には接続駅(大田市、
石見川本、温泉津、粕淵、因原及び川戸)の他、大森町に第一種委託駅(自動車
駅)、石見水上、祖式、京覧原及び石見三原に第二種委託駅(自動車駅)が置か
れていた。
※補足「温泉津の国鉄バス」
(社)温泉口
温泉津温泉
○・・・○・・○・・>松山団地
| 温泉前 上町
|
小浜温泉●−−−◎−−・
| 温泉津 |
西町○ (ゆのつ) ○
| 願楽寺前
○−−○・・・・・・・・・>堂庭
温泉津 |福光市
中学校前|
∨
(社)願林寺入口
大渡・石見三谷・石見川本
・温泉津駅へ国鉄バスが乗り入れたのは、1954(S29).10.21の三原線 石見三原〜
石見福田〜津淵診療所前〜福光市〜温泉津温泉〜温泉津 が最初である。当時は、
小浜温泉〜温泉津温泉が枝区間で、温泉津温泉まで国鉄バスが入っていた。
・1974(S49).7.1に、西町〜温泉津が0.6kmに改キロされた。遅くとも、この時ま
でに小浜温泉〜温泉津温泉の枝区間は廃止されたようだ。
・1985(S60).3.14に、石見三谷〜大渡が休止され、温泉津線は分断=「落下傘路
線」となった。
・最長片道きっぷの旅の直前である1985(S60).6.1に、温泉津駅から国鉄バスは
撤退した。
・先生は、温泉津町営バスを温泉前バス停で降車されたと思われる。
このバスは、石見交通の代替で、国鉄バスの代替ではないが、温泉津駅〜小浜
温泉は、1985(S60).6.1まで国鉄バスが運行していた区間で、その先、温泉口
までも国鉄バスが運行していた時期がある。
・温泉津町営バスは、大田市生活バスに再編された。
・2015(H27)年時点の運行状況は以下の通り。
◇温泉津駅〜小浜温泉〜温泉津温泉口(〜温泉前〜上町〜松山団地)
大田市生活バス 温泉津線
◇(温泉津支所〜)温泉津駅〜小浜温泉〜福光市〜元井田〜津渕〜願林寺入口
大田市生活バス 井田線
◇石見川本駅〜因原〜石見三原〜井田小学校前〜三谷神社〜石見川本駅
川本町スクールバス 三原線
※井田小(津渕)まで乗り入れるのは、平日川本駅650発のみ
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【815】川本線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇川本線
川本本線
1 石見川本−大朝
2 皆井田−石見中野−石見井原
3 鳴滝−安芸新庄
江津線
1 因原−江津
2 桜江大橋−川戸
3 川戸−石見中野
戸川線
1 日貫−戸川−和田本郷
2 戸川−中戸川
長谷線
1 市山−長谷
市木線
1 上田所−岩ヶ迫
高原線
1 石見谷−石見高原−田所
2 八色石−布施
3 出羽−大林
4 出羽−田所
羽須美線
1 石見高原−口羽
1.2 路線略図
石見三原 石見三谷・大渡
大 Λ Λ
貫 川越 ・ 川本中|川本
橋 大橋 \ 学校前|大橋
大橋 川平 桜江 ○−−○−−−○−○−○ 石見川本
東詰 駅口 大橋 / ・ 木谷| +−◎−>大田栄町
・−○−−○−−○+−・ ・ | |
| | ・ 因原◎……○……○−−○市井原
江津◎ 川戸◎−・ ・ | 石見 石見谷 |
/ ・ 因原公園前○ 日向 ○石見長原
長谷 市山/ ・ / /
波子◎・・・・・・・○−−−○ ・ 獺越○ / 布施 都賀大橋
・ ・有福 | 日和・ | 八色石○−−○・・・○・・
・ ○温泉 石見| ○ 邑智 ○断魚渓 | ・
・ 中山○ ・・ 病院 | ○恵梨口 ・
・ 中戸川○ | ・ ・ ☆ ○皆井田 | ・
・ \ |・ ・ ‖ /| ○荻原 ・
・ 和田本郷○−−○−−○−+−○−+−○ | 石見高原| ・
◎−−・ / 戸川・ 日貫 ‖ 矢上 石見\|石見 ・・・○−−○今西
浜田 \ / ・ ‖ 中野 ○井原 ・ | \
○石見今市 ・ ‖ |・・・ ○原口橋 ○阿須那町
\ ・ ・ 臼谷○ 下鰐淵 | |
\ ・ ‖ | ・−○−○−○出羽 ○上口羽
\ ・ ‖ |/ 淀田| | 根布
岩畳○ ‖ 田所○−−−○−−−○出羽 ○−○−◎口羽
| ‖ / 瑞穂中 |八日市 羽須美
| ‖ ○小河内 学校前 ・ 役場前
|・ 生家 中の谷 / \
石見市木○−○−−○−−○−−○上田所 ○−○大林
岩\ | 智教寺口
ヶ \ |
迫 ・ ○三坂口
| |
・ 鳴滝○
\ /|安芸
\ / |新庄
大朝○−−○−−>広島
※石見谷〜因原は、休止中
※広島〜安芸新庄〜大朝〜岩ヶ迫〜石見市木〜石見今市〜浜田、石見今市〜和
田本郷は、広浜線
※大田栄町〜石見川本、石見川本〜川本大橋〜木谷〜石見三原〜石見三谷〜川
本大橋、石見三谷〜大渡は、川本北線
2. 最長片道きっぷの旅
2.1 乗車券の経路
・川本本線1 大朝〜鳴滝
・川本本線3 鳴滝〜安芸新庄
・(安芸新庄〜可部〜横川〜津和野〜防府〜福山〜宍道〜江津)
・江津線1 江津〜因原
・川本本線1 因原〜皆井田
・川本本線2 皆井田〜石見中野〜石見井原
・川本本線1 石見井原〜田所
・高原線1 田所〜出羽〜石見高原〜石見谷
・川本本線1 石見谷〜石見川本
2.2 掲載
・11日目 6/11(火) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p73〜74
・16日目 6/16(日) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p93〜96
・連載誌 大朝略図、江津号のマーク、川本略図、644-3978の解説、田所駅
・単行本 大朝略図、川本略図
2.3 行程
○大朝1405→1410鳴滝 川本本線1 特急江津号 広島新幹線口発 江津行
644-3979(三菱K-MS613N)
○鳴滝1415→1425安芸新庄 川本本線3 タクシー
・(安芸新庄→可部→横川→津和野→防府→福山→宍道→江津)
○江津752→853石見井原 江津線1+川本本線1 江津発 広島新幹線口行
644-3978(三菱K-MS613N)
△石見井原904→957石見川本 川本本線2+江津線3+川本本線2+1+江津線1+三原線1
広島新幹線口発 石見中野・矢上・皆井田・因原経由 石見川本行
644-3980(三菱K-MS613N)
△石見川本1000→1100田所 川本本線1+高原線1
石見川本発 出羽経由 小河内行 331-1006(いすゞK-CCM410)
○田所1219→1357大田栄町 川本本線1+江津線1+三原線1+川本北本線1
特急 広島新幹線口発 大田市行 644-3975(三菱K-MS613N)
2.4 エピソード
・大朝駅で尋ねても川本本線の鳴滝と安芸新庄を結ぶ261号線経由の系統が判然と
しない。切符売場の老人は「あそこは朝夕学生便が走っているだけだ。新庄へ
行くなら広島行きに乗ればいい」と繰り返すばかり。車庫裏の大朝支所を訪ね
てようやくはっきりしたが、ここでも時間がかかった。
・鳴滝〜安芸新庄間は朝の石見川本発安芸新庄経由大朝行きと、夕方の大朝発逆
コースの片道1本ずつしか走っていない。それだけのことがなかなか分からな
いのは、大朝は広島営業所所管、鳴滝〜安芸新庄は川本本線の支線で、地理的
には近くても「よそ」の路線だった。
・江津行きは「特急高速道 江津」のヘッドマークを付けたデラックスバスだっ
た。お客の乗車率もいい。どうしてこんなところで降りるのかと怪訝な顔をし
ている運転士にきっぷを見せて慌ただしく僅か5分の鳴滝に下車。これまた、
なぜバスを追いかけねばならないのか不得要領のままついてきたタクシーに乗
り移る。
・復乗個所がやたらと多いが、経路通りだと8時38分着の因原で下車後、皆井田、
石見中野、石見井原経由の田所方面行きは15時37分までない、田所着が16時39
分、18時08分の出羽経由で石見川本に19時20分に着いたところで立ち往生にな
るが、コースの組み換えで17時すぎには三次の宿に入れる。現金払い区間が増
えるので、車内売りの1000円セット回数券を求める。
・江の川に沿って三江線対岸の261号線を行く「江津」は、途中駅からどんどん座
席が埋まり、因原で満席になった。どこかで学校の先生の集会があるとみえ、
校長、教頭タイプのお客があちこちで挨拶を交わす。
・因原からは渓流沿いに山間へはいり、断魚渓を通るとテープ案内が流れた。
石見井原で乗り換え。ここでもバス待ちの人が大勢いて立ち客が出た。待合室
には、5月末限りとなった温泉津線など3線休止の「お知らせ」が貼ってある。
・江津線、川本本線は幹線だったが、乗り継いだ石見中野経由石見川本行きは全
くのローカル線。3人だけ乗せて、石見中野から行き止まりの矢上を往復運転
する。断魚渓で途中で乗ってきたお年寄りが一斉に降りた。老人会の集いがあ
るらしい。因原で左手からレールが近づくと「三江線の乗り換え駅です」の案
内があった。
・石見川本から小ぶりな高原線バスに乗り換え、今度は山越え。峠を越えた石見
高原で「口羽方面はお乗り換えです」とテープが回るが、ここで降りても14時
09分まで口羽行きはない。出羽では突然という感じでくすんだ商店街を通った
がやはり人影はない。
・「これから広島ですか、ほう川本から大田へ行かれる、御苦労さんです。御覧
の通りの寂しい線でね。いえ、平日でも乗りませんなあ。よく乗って4〜5人
というところです」と田所で下車の際、回数券を運賃箱に入れたら運転士が半
ば独り言のようにつぶやいた。
・大田市行き特急は幹線なので、デラックスバスに二十数人とまずまずの乗り。
過疎線との差が甚だしい。石見川本でようやく逆行復乗乗り継ぎを駆使した難
路から抜け出す。
2.5 旅の考察
・最長片道きっぷの旅当時の1985(S60)年3月14日改正ダイヤによると、江津〜
石見川本をきっぷの順路通りに進む場合は次のような行程になる。
江津0752→0838因原 江津線 特急広島新幹線口行き
因原1537→1639田所 川本本線 石見中野・矢上経由小河内行き
田所1808→1904石見川本 高原線 出羽・石見高原・八色石・石見谷経由
石見川本行き
石見川本0630→大田栄町 川本北線 大田市行き
・高原線の田所〜出羽には、瑞穂役場前経由と瑞穂中学校前経由の2つの経路が
あったが、1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、前者は2.9km、
後者は3.1kmで後者の方が長かった。筆者が乗車した石見川本1000発高原線経由
小河内行きは瑞穂役場前経由であった。
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・川本線は、1947(S22)年5月、川本本線石見大田(→大田市)〜大朝(後に石見
川本以北は川本北線)、石見中野〜矢上及び中三坂峠〜安芸新庄、高原線石見谷
〜石見高原〜出羽〜田所、阿須那線石見高原〜阿須那、矢上線矢上〜日貫〜川戸
(後に江津線)が開業したのがルーツである。
・1985(S60)年当時、川本本線の田所、江津線の矢上に自動車駅が存在した。また、
国鉄バス運行の拠点として、川本自動車営業所(川本町内)、同田所在勤(田所
付近)及び同矢上在勤(矢上付近)が置かれていた(「中国ジェイアールバス25
年史」(2015(H27)年)による)。
・川本自営「国鉄バス川本線時刻表」1985(S60)年3月14日改正によると、川本線に
は次のような系統が設定されていた。
(川本本線)
広島新幹線口〜大朝〜石見川本〜大田市
特急便 1往復(所要3時間57分〜4時間1分)
急行便 上り1本(所要4時間26分)
広島新幹線口〜大朝〜石見川本
特急便 下り1本(所要2時間50分)
普通便(矢上経由) 1往復(所要3時間48〜55分)
広島新幹線口〜大朝〜矢上 普通便 1往復(所要3時間9〜20分)
広島新幹線口〜大朝〜田所 普通便 1往復(所要2時間39〜55分)
大朝〜田所〜因原〜石見川本(安芸新庄経由) 下り1本(所要1時間16分)
大朝〜田所〜石見高原〜石見川本 上り1本(所要1時間26分)
大朝〜田所〜出羽(安芸新庄経由) 上り1本(日祭休校日運休)(所要39分)
大朝〜田所 下り1本(日祭休校日運休)(所要24分)
三坂口〜田所〜石見高原〜布施 下り1本(日祭は小河内始発)(所要48分)
三坂口〜田所 上り3本(うち日祭休校日運休、土曜運行各1本)
小河内〜田所〜石見井原〜石見中野〜矢上〜石見中野〜因原〜石見川本 上り
1本(所要1時間17分)
小河内〜田所〜石見井原〜因原〜石見川本 上り1本(所要48分)
田所〜石見井原〜石見中野〜矢上 2往復(うち日祭休校日運休1往復)(所
要29分)
石見井原〜因原〜石見川本 1往復(所要28分)
矢上〜石見井原〜因原〜石見川本 下り1本(所要41分)
因原〜石見川本 下り6本(うち日祭休校日運休1本)・上り5本(うち日祭
休校日運休1本)
石見井原〜矢上 下り7本・上り6本(所要13分)
(江津線)
広島新幹線口〜大朝〜因原〜江津 特急便 2往復(所要3時間13〜19分)
石見川本〜木谷〜川戸〜江津(261号) 2往復(所要1時間2〜6分)
(長谷線)
長谷〜市山〜川戸 3往復(うち下り1本は船坂経由)(所要26分)
市山〜川戸 1往復(所要7分)
(戸川線)
矢上〜日貫〜今市〜浜田 1往復(所要1時間35分)
矢上〜日貫 3往復(所要18分)
(市木線)
石見市木〜上田所〜田所 1往復(所要36分)
(高原線)
石見川本〜芋畑口〜石見高原〜出羽〜田所・小河内 下り3本(所要1時間6分)
・上り5本(うち土曜運休、土曜運行各1本、布施経由3本(所要1時間6〜
18分)
石見川本〜芋畑口 2往復(うち日祭休校日運休1往復)(所要16分)
布施〜八色石〜石見高原〜出羽〜田所〜小河内 1往復(所要38分)
口羽〜石見高原〜出羽〜田所・小河内 2往復(所要54分〜1時間)
八色石〜石見高原〜出羽〜田所〜小河内 1往復(所要34分)
出羽〜田所〜小河内 下り1本(土曜運行)
三坂口・小河内・田所〜出羽〜大林 4往復(うち土曜運行、土日祭休校日運休
各1往復)(所要30〜40分)
このうち、広島直通便のダイヤは次の通りであった。
(下り)
広島0602→大朝0822→田所0848→矢上0919→0957石見川本 普通便
広島1004→大朝1201→田所1219→石見川本1238→1405大田市 特急便
広島1221→大朝1405→田所1423→1536江津 特急便ごうつ号
広島1427→大朝1652→田所1718→1747矢上 普通便
広島1514→大朝1709→田所1728→1804石見川本 特急便
広島1720→大朝1908→田所1927→2039江津 特急便ごうつ号
広島1746→大朝2017→2041田所 普通便
(上り)
矢上0515→田所0546→大朝0615→0824広島 急行便
江津0752→田所0906→大朝0928→1105広島 特急便ごうつ号
石見川本0731→矢上0811→田所0842→大朝0911→1119広島 普通便
大田市0925→石見川本1034→田所1112→大朝1134→1322広島 特急便
江津1250→田所1404→大朝1426→1603広島 特急便ごうつ号
大田市1600→石見川本1717→田所1803→大朝1832→2028広島 急行便
※補足「川本線の運行状況の推移」
3.2 旅から30年
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、川本線は中国JRバスに継承された。
・2003(H15)年3月末限りで川本営業所管内の高速便以外の系統が全廃された。これに
伴う廃止区間は、川本本線の皆井田〜石見中野〜石見井原、石見中野〜矢上、石見
中学校前〜邑智病院、因原〜因原公園前〜小川の各区間。同時に、浜田営業所川本
支所及び矢上派出所も廃止された。
・2005(H17)年6月末限りで、広島新幹線口〜千代田IC〜江津、広島新幹線口〜千代田
IC〜大田市及び広島新幹線口〜瑞穂IC〜大田市の高速バスが廃止された。これに伴っ
て、川本本線石見川本〜大朝、皆井田〜中野元町〜石見町役場〜瑞穂インター、江津
線の木谷〜江津及び桜江大橋〜川戸の各区間が廃止された。
※補足「川本線の運行状況の推移」
3.3 各種考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、川本線には接続駅(石見川本、
因原、川戸、江津及び口羽)の他に、田所、大朝及び矢上に第一種委託駅(自動
車駅)、石見中野、石見井原、日貫、八色石、石見高原、出羽、都賀大橋、阿須
那町及び根布に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
※補足「1999(H11).3.31現在 川本線路線図」
※補足「川本本線の第一区間・第二区間の推移」
※補足「江津線の第一区間の推移」
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【816】大島線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇大島線
大島本線
1 大畠−周防油宇
安下庄線
1 東瀬戸−安下庄−佐連−周防平野
2 屋代口−奥畑
3 安高−土居口
4 外入−下田口
5 沖家室大橋−沖家室
1.2 路線略図
岩国
Λ 周防 周防 土居 周防 周防
: 東瀬戸 椋野 久賀 口 下田 平野 伊保田
大畠◎−−−○−−○−−○−−○−−○−○−−○−−−○−−○周防油宇
| | | /下田口 |
| | 奥畑 |・ |
柳井○小松港○ ○−−○ | \ |
| \ /大島町 | ・ |
| 屋代口○ 役場前 | | ○−−○沖家室大橋
∨ | 安下庄| |/佐連 |
田布施・光 ・−○−+○+○−−○ ○沖家室
沖浦‖ ‖安高 外入
・+・
‖
大島中部病院☆
※岩国〜大畠は、休止中
※岩国〜大畠〜柳井〜田布施〜光は、光線
3. 路線解説
3.1 当時の運行状況
・大島線は、1948(S23)年に島嶼部唯一の国鉄自動車路線として、大島本線小松港
〜久賀(→周防久賀)〜周防下田〜伊保田、安下庄線小松港〜安下庄〜外入〜
周防下田及び屋代口〜奥畑他が開業したのがルーツである。この路線は、大畠
〜小松港の国鉄大島航路により鉄道との一貫輸送の使命を有する他、大島の産業
開発・文化の向上発展の使命を有していた。
・大島島内は国鉄自動車一社が路線を有していたが、国鉄バスの瀬戸内長大路線構
想のための路線開設の交換条件として、1968(S43)年から防長交通に大島線の運行
を折半した。
・1976(S51)年の大島架橋開通による大島航路の廃止に伴い、従前の一貫輸送ルー
ト(鉄道〜航路〜国鉄バス)を継続するため、大島島内で運行していた国鉄バス
大島線を新設の大島架橋を利用して山陽本線大畠駅まで延長し、鉄道との一貫輸
送を確保した。
・1985(S60)年当時、大島本線の周防久賀及び周防下田、安下庄線の小松港及び安
下庄に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として大島自動車営業所
(小松港)が置かれていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、大島線に
は次のような系統が設定されていたのを確認できる。(以下の他、区間運転あり
との注記あり。)
大畠〜小松港 下り11本・上り12本
大畠〜安下庄〜周防下田 下り2本・上り4本
大畠〜安下庄 下り7本・上り4本
柳井〜大畠〜周防油宇 下り2本・上り1本
大畠〜周防油宇 下り2本・上り4本
柳井〜大畠〜森野 1往復
大畠〜森野 下り2本・上り3本
大畠〜奥畑 8往復
3.2 旅から30年
・大島線は、国鉄民営化と自動車分離を経て中国JRバスに継承された。1992(H4)
年には安下庄線の安高〜佐連〜周防平野、外入〜下田口及び沖家室大橋〜沖家室
が休廃止された。
・1999(H11)年には屋代口〜奥畑の大島町役場前〜奥畑が廃止された。2002(H14)年
には大島本線を防長交通が、安下庄線を中国JRバスが運行するというすみわけ
を行い、これに伴って大島本線(東瀬戸〜周防由宇)及び安下庄線の安下庄〜安
高〜土居口が廃止された。
・この間、2000(H12)年に安下庄線を安下庄大島中部病院経由に経路変更した。
・残った区間も2007(H19)年に廃止され、大島線は全廃となった。
3.3 各種考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、大島線には接続駅(大畠)の
他、小松港及び安下庄に第一種委託駅(自動車駅)が、三蒲、周防久賀、周防
土居、周防下田、森野、周防和田、伊保田、沖浦、佐連及び周防屋代に第二種
委託駅(自動車駅)が置かれていた。
・瀬戸内海沿岸の国鉄バス長距離路線構想の実現に向けた各社との折衝の中で、
岩益線周防錦橋〜徳山〜防府については、防長交通の路線であり折衝を重ねる
中で、広島〜呉への代替乗り入れ案が出たが、呉市営との関係もあって結局
大島線に乗り入れることになって、1968(S43)年10月に乗り入れ実施となった。
走行キロの分担は国鉄バス55.4%、防長交通44.6%で運行の主体性を国鉄が
保有するとともに、共通乗車の取扱いが行われた。
・2002(H14)年4月から補助金対応の目的で、大島線では防長交通と路線を棲み分け
して(大島本線を防長、安下庄線をJR)運行を行ってきたが、大島島内各町
と協議が整い、2007(H19)年10月1日、完全に撤退し大島線59年の歴史に幕を
閉じた。
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