川本線(補足事項)
川本線の運行状況の推移
2015-10-28
・川本線は、1947(S22)年5月、川本本線石見大田(→大田市)~大朝(後に石見
川本以北は川本北線)、石見中野~矢上及び中三坂峠~安芸新庄、高原線石見谷
~石見高原~出羽~田所、阿須那線石見高原~阿須那、矢上線矢上~日貫~川戸
(後に江津線)が開業したのがルーツである。
・次いで、1949(S24)年1月に阿須那線阿須那~下口羽(1972(S47)年11月口羽~下
口羽廃止、1974(S49)年4月に羽須美線と改称)、1951(S26)年1月に都賀線八色
石~都賀行、1953(S28)年9月に川本本線上田所~石見市木(後に市木線)、高原
線出羽~石見久喜、有福線市山~堂庭~波子及び堂庭~有福温泉(うち跡内~堂庭、
大峠口~波子は1972(S47)年11月に廃止公示)が開業した。
・さらに、1955(S30)年8月に川本本線皆井田~石見井原、1957(S32)年6月に宇都
井線都賀大橋~今西、日和線矢上~日和~日貫(うち日和~日貫は1972(S47)年11
月に廃止公示)、日貫線日貫~和田本郷及び都川口~岩畳、1959(S34)年11月に日
和線日和~石見川越駅前が開業した。
・川本線(後の川本北線を含む)は、広浜線を通じて中国地方を横断する陰陽短
絡路線であった、また沿線地方の産業・文化の発展助長を使命としていた。「
鉄道辞典・上」(1958(S33)年)では、川本線の特長として、三江線川本駅を
中心として農山村を結ぶ奥地開発路線であり、その延長は350kmに及ぶ、川本
町を中心とする農山村の経済交流は広島依存であるため、石見大田~石見川本
~大朝~広島間1往復及び石見川本~大朝~広島間2往復の直通便を運転して
いると述べられていた。
・中国地自(1980)「国鉄中国自動車30年史」によると、1950(S25)年12月から石見
川本~広島間に直通便の運行が開始された。使用車両は、当時のロングシート
をロマンスシートに改造したものであったが、後にディーゼル車両となり大型化
されていったと述べられている。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1953(S28)年3月号(S27.9.1改正)によると、川本線
の広島直通便として次の1往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島1440→大朝1737→小河内1815→田所1820→矢上1902→1957川本
(上り)
川本0626→矢上0723→田所0803→小河内0808→大朝0856→1145広島
・中国地自前掲書によると、1954(S29)年10月から石見大田(→大田市)~広島間
(川本経由)直通便を運行開始した。この運行便は快速便で優等車を充当した
ため、開業当初から利用者が多く、担当の川本自営も「広島線」と称して職員も
格別な心構えで旅客サービス等に当たって育ててきたと述べられている。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1955(S30)年8月号(3/11改正)によると、川本線の
広島直通便として次の3往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0623→大朝0925→小河内1008→1140川本
広島1018→大朝1315→小河内1353→田所1358→矢上1440→川本1545→1736大田
広島1503→大朝1801→小河内1839→田所1844→矢上1926→2021川本
(上り)
川本0620→矢上0717→田所0800→小河内0805→大朝0850→1143広島
大田0830→川本1030→矢上1127→田所1207→小河内1212→大朝1255→1548広島
川本1225→小河内1402→大朝1455→1747広島
・中国地自前掲書によると、1956(S31)年7月10日から石見大田(→大田市)~広
島間に夜行便を運行開始したが、利用客が少なく、同年9月30日までの運行に
とどまったと述べられている。なお、夜行便実施と同時に、広浜線急行便の急行
料金制度を廃止し、広浜・川本線の直通便、夜行便で広島及び浜田から乗車する
旅客に対して、座席を予約する乗車順位券を無料で交付することとなった。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年10月号(7/10改正)によると、川本線の
広島直通便として次の3往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島0625→大朝0925→小河内1008→1140川本
広島1015→大朝1321→小河内1359→田所1405→川本1530→1721大田
広島1505→大朝1801→小河内1839→田所1846→矢上1929→2023川本
(上り)
川本0620→矢上0718→田所0800→小河内0805→大朝0848→1139広島
大田0830→川本1031→矢上1127→田所1209→小河内1214→大朝1307→1558広島
川本1225→田所1357→小河内1402→大朝1453→1740広島
・1964(S39)年8月に馬野原線馬野原口~石見高原が開業した。1966(S41)年4月に
高原線石見久喜~大林が開業した。
・中国地自前掲書によると、1964(S39)年9月から石見大田(→大田市)~広島間
(川本経由)に特急便を運行開始した。また、広島直通の陰陽連絡便は川本線
に定着し、1965(S40)年9月に直通便の冷房化が実施され、1977(S52)年11月には
増回されたと述べられている。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、川本線の
広島直通便として次の4往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島1023→大朝1229→小河内1252→田所1256→川本1350→1512大田 特急便
広島1511→大朝1731→小河内1803→田所1808→矢上1848→1939川本
広島1721→大朝1950→小河内2022→田所2027→2052石見高原
広島1856→大朝2120→小河内2152→田所2159→矢上2237→2327川本
(上り)
川本0450→田所0549→小河内0554→大朝0633→0846広島
石見高原0613→田所0638→小河内0643→大朝0720→0942広島
川本0650→矢上0743→田所0821→小河内0826→大朝0905→1112広島
大田0848→川本1015→田所1102→小河内1106→大朝1139→1336広島 特急便
・1968(S43)年4月に江津線川戸~川平駅口~石見江津(→江津)が開業した。1969
(S44)年2月に戸川線戸川~中戸川が開業した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、川本線の
広島直通便として次の3往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
広島1004→大朝1202→田所1222→石見川本1309→1424大田市 特急便
広島1509→大朝1717→田所1743→矢上1813→1852石見川本 快速便
広島1712→大朝1930→田所1956→矢上2026→2105石見川本 快速便
(上り)
石見川本0510→田所0558→大朝0629→0842広島 快速便
石見川本0750→矢上0832→田所0902→大朝0933→1124広島 快速便
大田市0902→石見川本1024→田所1106→大朝1136→1321広島 特急便
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(3/2現在)によると、川本線の
広島直通便として次の3往復が設定されていたのを確認できる。広島は新幹線口
に発着。
(下り)
広島1004→大朝1204→田所1224→石見川本1311→1426大田市 特急便
広島1509→大朝1711→田所1737→矢上1807→1846石見川本 特急便
広島1708→大朝1924→田所1957→矢上2027→2106石見川本 特急便
(上り)
石見川本0510→田所0558→大朝0629→0846広島 急行便
石見川本0745→矢上0827→田所0857→大朝0928→1121広島 特急便
大田市0900→石見川本1020→田所1103→大朝1132→1320広島 特急便
・座談会「自動車営業最前線-営業所長大いに語る-」(「国鉄線」1976(S51)年11
月号所収)には川本自営所長が出席しており、次のような内容を発言していた。
◇川本自営は、昭和22年5月、地元の切実な要望により島根県邑智郡川本町を
本拠地として開業し、現在では営業キロ371kmとなり、クモの巣を張ったよう
な路線が形成されている。収入規模は年間3億1,000万円弱である。
◇川本町は人口約7,000人であるが、過疎化に加えて自家用車の激増によって、
輸送人員が激減し経営状態は非常に悪化しており、路線の見直しを行って、
経営の健全化を図りながら、親しまれる国鉄バスとして過疎地域の輸送に寄与
している。
◇昭和54年10月1日から大田市~広島間の特急便に「川本号」という愛称を付け
て走らせている。これは一種の広告としてネームプレート(=ヘッドマーク)
をバスの前面に付けているもので、ネームプレートの製作費は町持ちで、その
代わり図案は公序良俗に反しない範囲で町の自由にしてもらっている。
◇自由乗降は、儲けになるかどうかというより、利用者サイドに立ったサービス
として職員の協力でスムーズにできた。おかげで老人や婦人の方に、特に雪や
雨の日には歓迎されている。実施に当たっては安全面が一番の問題で、公安委
員会から認めて貰えない個所には矢印の標識を道路に立てて、ここからここの
区間は停められませんよ、と一般のお客様にも分かるように標示した。
◇非常に乗車密度の低い路線が多く収入があがらないため、各町村へ国鉄バスの
実情の理解と協力をお願いして回ったところ、町村側でも理解してくれて、利
用者増につながる方法としてセット回数券の購入について検討を始めて頂ける
こととなった。
◇昭和47年に江川が氾濫し、鉄道の三江線が不通となって、その代行輸送を2年
半にわたって実施した。そのため、レール側の私どもに対する認識が深まり、
また好意的になり、いろいろな意味で列車代行というものは自動車を理解して
頂くメリットがあった。
・1977(S52)年4月に高原線出羽~田所(瑞穂中学校前経由)が開業した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、川本線の
広島直通便として次の4往復が設定されていたのを確認できる。広島は新幹線口
に発着。10/2一部時刻改正予定と注記あり。
(下り)
広島0609→大朝0839→田所0907→矢上0938→石見川本1023→1136大田市 普通便
広島1004→大朝1204→田所1225→石見川本1315→1419大田市 特急便
広島1509→大朝1711→田所1739→矢上1810→1850石見川本 特急便
広島1708→大朝1931→田所1959→矢上2030→2110石見川本 特急便
(上り)
石見川本0510→田所0559→大朝0632→0849広島 特急便
石見川本0745→矢上0828→田所0859→大朝0932→1125広島 特急便
大田市0915→石見川本1025→田所1111→大朝1141→1329広島 特急便
大田市1535→石見川本1654→田所1743→大朝1816→2009広島 特急便
・中国地自前掲書によると、1979(S54)年10月から広島~石見大田(→大田市)間
特急便に「かわもと号」の愛称広告を掲出した。また、同書刊行当時、陰陽連絡
便は、川本線の総走行キロの29.3%によって全体収入の42.3%を占める路線とな
っていると述べられていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(10/1改正)によると、川本線の
広島直通便として次の4往復が設定されていたのを確認できる。広島は新幹線口
に発着。
(下り)
広島0609→大朝0839→田所0907→矢上0938→石見川本1020→1133大田市 普通便
広島1004→大朝1204→田所1225→石見川本1312→1416大田市 特急便かわもと号
広島1509→大朝1711→田所1739→矢上1810→1847石見川本 特急便
広島1708→大朝1931→田所1959→矢上2030→2107石見川本 特急便
(上り)
石見川本0513→田所0559→大朝0632→0849広島 特急便
石見川本0748→矢上0828→田所0859→大朝0932→1125広島 特急便
大田市0920→石見川本1028→田所1111→大朝1141→1329広島 特急便
大田市1540→石見川本1657→田所1743→大朝1816→2009広島 特急便
・1981(S56)年1月に江津線川戸~木谷が開業した。
・1982(S57)年11月、都賀東線畑田下~都賀大橋、江津線石見中学校前~中野診療所
前、日和線日和~日和局前~石見川越駅前、馬野原線馬野原口~石見高原、都賀
西線布施~都賀大橋、宇都井線都賀大橋~宇都井湊の各区間の廃止公示がなされた。
・1983(S58)年1月に長谷線長谷~跡市、同年3月末限りで戸川線戸川~岩畳、1984
(S59)年2月末限りで日和線矢上~日和及び羽須美線今西~宇都井湊の廃止が公示
された。
・1985(S60)年当時、川本本線の田所、江津線の矢上に自動車駅が存在した。また、
国鉄バス運行の拠点として、川本自動車営業所(川本町内)、同田所在勤(田所
付近)及び同矢上在勤(矢上付近)が置かれていた(「中国ジェイアールバス25
年史」(2015(H27)年)による)。
・川本自営「国鉄バス川本線時刻表」1985(S60)年3月14日改正によると、川本線に
は次のような系統が設定されていた。
(川本本線)
広島新幹線口~大朝~石見川本~大田市
特急便 1往復(所要3時間57分~4時間1分)
急行便 上り1本(所要4時間26分)
広島新幹線口~大朝~石見川本
特急便 下り1本(所要2時間50分)
普通便(矢上経由) 1往復(所要3時間48~55分)
広島新幹線口~大朝~矢上 普通便 1往復(所要3時間9~20分)
広島新幹線口~大朝~田所 普通便 1往復(所要2時間39~55分)
大朝~田所~因原~石見川本(安芸新庄経由) 下り1本(所要1時間16分)
大朝~田所~石見高原~石見川本 上り1本(所要1時間26分)
大朝~田所~出羽(安芸新庄経由) 上り1本(日祭休校日運休)(所要39分)
大朝~田所 下り1本(日祭休校日運休)(所要24分)
三坂口~田所~石見高原~布施 下り1本(日祭は小河内始発)(所要48分)
三坂口~田所 上り3本(うち日祭休校日運休、土曜運行各1本)
小河内~田所~石見井原~石見中野~矢上~石見中野~因原~石見川本 上り
1本(所要1時間17分)
小河内~田所~石見井原~因原~石見川本 上り1本(所要48分)
田所~石見井原~石見中野~矢上 2往復(うち日祭休校日運休1往復)(所
要29分)
石見井原~因原~石見川本 1往復(所要28分)
矢上~石見井原~因原~石見川本 下り1本(所要41分)
因原~石見川本 下り6本(うち日祭休校日運休1本)・上り5本(うち日祭
休校日運休1本)
石見井原~矢上 下り7本・上り6本(所要13分)
(江津線)
広島新幹線口~大朝~因原~江津 特急便 2往復(所要3時間13~19分)
石見川本~木谷~川戸~江津(261号) 2往復(所要1時間2~6分)
(長谷線)
長谷~市山~川戸 3往復(うち下り1本は船坂経由)(所要26分)
市山~川戸 1往復(所要7分)
(戸川線)
矢上~日貫~今市~浜田 1往復(所要1時間35分)
矢上~日貫 3往復(所要18分)
(市木線)
石見市木~上田所~田所 1往復(所要36分)
(高原線)
石見川本~芋畑口~石見高原~出羽~田所・小河内 下り3本(所要1時間6分)
・上り5本(うち土曜運休、土曜運行各1本、布施経由3本(所要1時間6~
18分)
石見川本~芋畑口 2往復(うち日祭休校日運休1往復)(所要16分)
布施~八色石~石見高原~出羽~田所~小河内 1往復(所要38分)
口羽~石見高原~出羽~田所・小河内 2往復(所要54分~1時間)
八色石~石見高原~出羽~田所~小河内 1往復(所要34分)
出羽~田所~小河内 下り1本(土曜運行)
三坂口・小河内・田所~出羽~大林 4往復(うち土曜運行、土日祭休校日運休
各1往復)(所要30~40分)
このうち、広島直通便のダイヤは次の通りであった。
(下り)
広島0602→大朝0822→田所0848→矢上0919→0957石見川本 普通便
広島1004→大朝1201→田所1219→石見川本1238→1405大田市 特急便
広島1221→大朝1405→田所1423→1536江津 特急便ごうつ号
広島1427→大朝1652→田所1718→1747矢上 普通便
広島1514→大朝1709→田所1728→1804石見川本 特急便
広島1720→大朝1908→田所1927→2039江津 特急便ごうつ号
広島1746→大朝2017→2041田所 普通便
(上り)
矢上0515→田所0546→大朝0615→0824広島 急行便
江津0752→田所0906→大朝0928→1105広島 特急便ごうつ号
石見川本0731→矢上0811→田所0842→大朝0911→1119広島 普通便
大田市0925→石見川本1034→田所1112→大朝1134→1322広島 特急便
江津1250→田所1404→大朝1426→1603広島 特急便ごうつ号
大田市1600→石見川本1717→田所1803→大朝1832→2028広島 急行便
・国鉄末期の1986(S61)年3月末に川本本線石見谷~因原及び江津線市山~日貫の
廃止が公示された。同年6月には長谷線(川戸~長谷)及び市木線(上田所~
岩ヶ迫)の廃止公示がなされた。
・国鉄民営化及び自動車分離を経て、川本線は中国JRバスに継承された。
・1987(S62)年11月から邑智病院乗入れを開始した(開業区間は石見中学校前~邑智
病院)。
・民営化以後1989(H1)年までに羽須美線(石見高原~口羽)が廃止された。
・1991(H3)年11月末限りで石見今市~矢上が廃止された(廃止区間は、広浜本線石見
今市~和田本郷、戸川線日貫~戸川~和田本郷、川本本線矢上~日貫)。同時に、
戸川線支線の戸川口~中戸川も廃止された。
・1992(H4)年3月末限りで高原線芋畑口~石見高原~田所が廃止された。同時に高原
線八色石~布施、出羽~智教寺前(1990(H2)年12月までに智教寺前~大林は廃止の
模様)、出羽~田所(瑞穂中学校前経由)も廃止された模様である。
・1999(H11).3.31改正では、以下の動きがあった。
(1) 瑞穂インター~矢上を経由する高速便を新設
広島駅新幹線口~矢上(石見町役場)~石見川本の高速便を新設した。
石見川本発8:00、広島駅新幹線口発18:35の1往復。
瑞穂IC~中野元町(原山トンネル経由)が新設区間。
(2) バイパス断魚渓~断魚いわみ荘前~獺越を廃止
一日1往復しかなった断魚旧道経由が廃止された。
(3) 新庄経由、柿ノ木原経由、皆井田~石見中野は、生き残った。
新庄経由:矢上発715~安芸新庄~805大朝 (日祝、第2,4土曜運休)
柿木原経由:石見川本1433~柿ノ木原~1455横谷口 (学校休校日運休)
石見川本1725~1739柿ノ木原 (日祝、第2,4土曜運休)
皆井田~石見中野:石見川本733 (平日?) , 石見川本1542 (全日)
三坂口712 (平日?) , 矢上935 (平日?)
・2001(H13)年3月末限りで鳴滝~安芸新庄(新庄上市経由)が廃止された。
・「JRバス川本線時刻表」2002(H14)年2月1日改正によると、川本線には次のよう
な系統が設定されていた。
広島新幹線口~大朝~石見川本~大田市 特急便 下り3本・上り2本(所要
3時間13分)
広島新幹線口~大朝~因原~石見川本 特急便 1往復(所要2時間14分)
広島新幹線口~瑞穂インター~石見川本 特急便 上り1本(所要1時間58分)
広島新幹線口~大朝~因原~江津 特急便 下り2本・上り1本(所要2時間
52分)
三坂口~小河内~田所~石見井原~石見中野~矢上~石見中野~皆井田~因原
~石見川本 1往復(うち下り便は邑智病院経由・日祝第2・4土曜運休)
(所要1時間17分)
三坂口~小河内~田所~石見井原~皆井田~因原~石見川本 上り1本(所要
49分)
三坂口~小河内~田所~石見井原~石見中野~矢上 上り2本(日祝第2・4
土曜運休)(所要35~39分)
石見井原~矢上~石見中野~石見井原~因原~石見川本 下り3本(うち2本
は邑智病院経由・日祝第2・4土曜運転)
矢上~石見中野~石見井原~皆井田~因原~石見川本 上り1本(所要36分)
矢上~邑智病院~石見中野~皆井田~因原~石見川本 上り1本(所要32分)
因原~石見川本 下り4本・上り3本(所要9分)
因原~江津 上り1本(所要43分)
石見井原~石見中野~矢上 下り4本(うち邑智病院経由2本)・上り4本
(うち邑智病院経由3本、日祝第2・4土曜運休1本)
このうち、広島直通便のダイヤは次の通りであった(全便特急便)。
(下り)
広島新幹線口0705→大朝0829→0844田所0849→0920石見川本0923→1018大田市
広島新幹線口0840→大朝1004→1019田所1024→因原1048→1131江津
広島新幹線口1100→大朝1224→1239田所1244→1314石見川本1317→1412大田市
広島新幹線口1248→大朝1412→1427田所1432→因原1457→1540江津
広島新幹線口1535→大朝1659→1714田所1719→1749石見川本1752→1856大田市
広島新幹線口1720→大朝1844→1859田所1904→1934石見川本
(上り)
石見川本0710→0740田所0745→大朝0801→0922広島新幹線口
石見川本0810→瑞穂IC0848→大朝IC0900→1008広島新幹線口
大田市0832→0927石見川本0930→1000田所1005→大朝1021→1142広島新幹線口
大田市1002→1057石見川本1100→1130田所1135→大朝1151→1312広島新幹線口
江津1315→因原1400→1422田所1427→大朝1443→1604広島新幹線口
大田市1702→1757石見川本1800→1831田所1836→大朝1852→2013広島新幹線口
・中国JRバスは、2002(H14)年6月1日から支店制度を取り入れ、川本営業所は支所
化され「島根支店浜田営業所川本支所」となった。従前、川本営業所の管下にあった
浜田支所は「島根支店浜田営業所」となった。
・2003(H15)年3月末限りで川本営業所管内の高速便以外の系統が全廃された。これに
伴う廃止区間は、川本本線の皆井田~石見中野~石見井原、石見中野~矢上、石見
中学校前~邑智病院、因原~因原公園前~小川の各区間。同時に、浜田営業所川本
支所及び矢上派出所も廃止された。
・2005(H17)年6月末限りで、広島新幹線口~千代田IC~江津、広島新幹線口~千代田
IC~大田市及び広島新幹線口~瑞穂IC~大田市の高速バスが廃止された。これに伴っ
て、川本本線石見川本~大朝、皆井田~中野元町~石見町役場~瑞穂インター、江津
線の木谷~江津及び桜江大橋~川戸の各区間が廃止された。
1999(H11).3.31現在 川本線路線図
2015-10-28
大田
Λ
|
○横谷口
|
○下郷
/|
柿ノ木原○-○柿ノ木
|原口
|
| 粕淵
・-○……>
|川本東大橋
川本大橋 |
温泉津・石見三谷・大渡<………○----◎石見川本
| :
川本中学校前○ 石見谷○……>石見
|(きだに): 高原
|木谷 :
石見三原<………○--+-+
| | |
|因原○ ◎因原
江津<----・ ※ \|
※高速便 ○小川
因原インフォメーションセンター前 |
|
○獺越
断魚 ・|(おそごえ)
いわみ荘前○ |
: |
断魚渓○ |
日和 (だんぎょけい)・|バイパス
Λ ○断魚渓
浜田 : 中野元町 |
Λ 鹿・===○======○---○皆井田
| 日 子∥ :石見 ○邑智 | |(みないだ)
| 貫 原∥ :町役場|病院 | |
石見今市○……○……△…○+---+---○---○石見井原
| ひぬい ∥ 矢上 石見中野 |
浜田 | ∥(やがみ) | 石見
Λ |いわがさこ∥ 馬野原口○……>高原
| 岩ヶ迫○ ・===・雲海ロード |(たかはら)
| |/ |
|観音寺原○……………………………・ 田所○……>出羽
瑞穂 | | ・ | (いずは)
インター○====○瑞穂インター入口 ・ |
| :・(丸瀬橋) ・ ・
| : ・ ・ /
・ ○ ・ ・ /
\瑞穂ハイランド・ ○上田所
\ ・ /
\ ・ (なるたき)○三坂口
\ ・ 鳴滝/
\ 上大塚○ ○
\ ・ /|
\ ・ / |
\ 大朝○ |
\ ・ \ |
○……………\………・ 新庄○|
安芸美和 \ 西口 +
\ ・ ○安芸新庄
\ ・ \
\ ・ \
大朝IC○ ・
\ |
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広島 鈴張・広島
川本本線の第一区間・第二区間の推移
2015-10-28
・1947(S22).5.24に、川本本線 石見大田-石見中野-大朝、石見中野-矢上 が
開業。これは、後に第一区間から外される石見谷経由・石見中野経由である。
・1955(S30).8.1に、皆井田-石見井原 が開業し、第二区間になる。これは、後
に第一区間となる宮の原経由である。
・1963(S38).4.10に、石見大田~石見川本が川本北線へ編入され、石見川本-石
見中野-大朝 に変更。
・1983(S58).3.31に、石見川本-大朝、皆井田-石見中野-石見井原 に変更。
これは、第二区間(宮の原経由)と第一区間(大竹橋経由)の入れ替えである。
・1985(S60).3.31に、第一区間の石見川本~石見谷~因原を休止した。
1983(S56).3.23改正時刻表によると、石見川本~因原は、川本中学校前を経由
する便が半数を占めているが、川本線の広島便(特急・準急・急行便停車駅)は
石見谷に停車していた。
しかし、1983(S58).12.20改正時刻表によると、全便が川本中学校前経由となっ
ており、実際の休止日は、1983(S58).12.20か、それ以前と推測される。
・1986(S61).3.31に、第一区間の内、石見川本~石見谷~因原を、石見川本~木
原~因原に変更した。
この結果、石見川本~石見谷は高原線に編入、石見谷~因原は廃止、石見川本
~木原は三原線から編入、木原~因原は江津線から編入となった。
江津線の第一区間の推移
2015-10-28
・江津線は、1947(S22).5.24 川本本線 石見中野-矢上 開業がルーツである。
・1948(S23).12.26に延伸、矢上線 石見中野-川戸 として独立。この経路は、
石見中野~矢上~日貫~市山~川戸であった。
・1963(S38).4.10に、有福線 市山~長谷~跡市~堂庭~大峠口~波子、堂庭~
有福温泉 が開業。この時点で、山陰本線波子駅までつながった。なお、後に、
跡市~堂庭、大峠口~波子を廃止し、長谷線と有福線に分割された。
・1968(S43).4.13に、江津まで延伸、江津線 石見中野-川戸-石見江津(→江津)
となる。
・1981(S56).1.22に、後に第一区間となる三原線 川戸~木谷が開業。
・1983(S58).3.31に、第一区間を 因原~江津 に変更。川戸~石見中野を第二区
間に移し、三原線 川戸~木谷を編入。
・1986(S61).3.31に、第一区間を 木原~江津 に変更。木原~因原は川本本線へ
編入された。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録