不毛な掲示板 (No.15001〜No.15100)


2016 年 04 月 06 日 08:19:37 (15100) ふもふも館長さんの書き込み JR北海道バスダイヤ改正 http://www.jrhokkaidobus.com/pdf/20160318.pdf ・今回のダイヤ改正で、62系統がなくなりました。地下鉄と並走する区間が  廃止されました。 ・イオンモール札幌発寒には、様々な方面からバスが乗り入れていましたが、  42・宮42を除き、すべて廃止され、これらの路線でしか乗る事ができなかっ  た枝区間も全て整理され、スッキリしてしまいました。 稲敷市公共交通ガイドブック http://www.city.inashiki.lg.jp/data/doc/1428586606_doc_137_0.pdf ・君島線について、5/6供用開始の稲敷市役所に乗り入れるようです。 ・元西高構内のようで、延長区間に乗るだけなら、乗るか・降りるかの一方で  良さそうです。平日3往復、土日は1.5往復です。 東京駅〜河口湖線の改正 http://www.jrbuskanto.co.jp/topics/post_468.html ・東名道経由から中央道経由に変わり、御殿場〜山中湖の路線が廃止されます。 ・この他、鉄鋼ビル乗入、市ヶ尾駅の廃止などもあるようです。
2016 年 03 月 31 日 10:25:59 (15099) 米沢さんの書き込み 三里塚駅の建物が解体されてしまいました。
2016 年 03 月 22 日 22:12:20 (15098) ふもふも館長さんの書き込み ロンドンにあるNational Railに所属する14の鉄道駅について、2016(H28)年1月時点 の概要をまとめた。 0.イギリス鉄道について  ・当初、数々の鉄道会社によって運営されていたが、1923(T12)年に、Southern   Railway (SR), Great Western Railway (GWR), London, Midland & Scottish   Railway (LMS), London & North Eastern Railway (LNER)の4社に強制的に統合   された。  ・1948(S23)年にBritish Rail (BR)が設立、国有化された。  ・1993(H5)年から数年かけ段階的にBRは民営化された。   何をもって始まり、何をもって完了となったのか良くわからない。鉄道設備は、   Railtrack(→Network Rail)、車両保有はリース会社、列車運行はAssociation   of Train Operating Companies (ATOC)という協会に承継、列車運行会社は期間   限定のフランチャイズ契約との事でややこしい。  ・ATOCは、BRのシンボル Double Arrowを承継、National Rail (NR)のブランド名   を持ち、切符販売、時刻案内、全国時刻表の製作を行っている。  ・BritRailというブランドは、海外旅行客向け鉄道パスの名称で使うのみか。  ・Network Rail (NR)は、逆三角形のシンボルを持ち、駅・線路などのインフラを   所有・保守する。規模の大きいロンドン10駅と地方8駅の管理はNetwork Railが、   それ以外の駅の管理は列車運行会社が行っている。  ・列車名が無い列車が多く、列車名がある列車は、Named Trainと呼ばれる。 1.ロンドンブリッジ駅 (London Bridge) (1)概要  ・Network Railの管理駅。近郊列車が多い。  ・大昔は、Charing Cross発着便の大半がCannon Streetに立ち寄り、方向転換して   London Bridgeに向かった。その後、どちらか片方しか立ち寄らなくなった。   現在は、Charing Cross発着便の大半がLondon Bridgeを通過するようになった。  ・駅ホテル Terminal Hotelがあったが廃止された。 (2)歴史  ・1836(天保7)年にLondon & Greenwich Railwayによって開業。(北側/大家/通過)   ->South Eastern Railway (SER) ->SR ->BR Southern ->NR  ・1839(天保10)年にLondon & Croydon Railwayが乗入。(南側/店子/終端)   ->London Brighton & South Coast Railway (LBSCR) ->SR ->BR Southern ->NR (3)列車運行会社  ・Southeastern (SE) <- Connex South Eastern   ◇Cannon Street行、Greenwich経由 Dartford行、Tunbridge Wells行など  ・Southern (SN) <- Connex South Central   ◇Horsham行、Crystal Palace経由 Victoria行など  ・Thameslink (TL) <- First Capital Connect <- Thameslink   ◇Brighton行 ※Blackfriars経由 Bedford行は運休中 (4)訪問記録  ・2016-01-19 Southern : East Croydon ->1740 London Bridge  ・2016-01-19 Southeastern : London Bridge 1750-> Cannon Street 2.キャノンストリート駅 (Cannon Street) (1)概要  ・Network Railの管理駅。近郊列車のみ。  ・駅ホテル Cannon Street Hotelがあったが廃止された。 (2)歴史  ・1866(慶応2)年にSERによって開業。->SR ->BR Southern ->NR (3)列車運行会社  ・Southeastern (SE) <- Connex South Eastern   ◇Greenwich経由 Dartford行、Tunbridge Wells行など (4)訪問記録  ・2016-01-19 Southeastern : London Bridge ->1754 Cannon Street 3.ブラックフライアーズ駅 (Blackfriars) (1)概要  ・Thameslinkの管理駅。近郊列車が多い。  ・St Paul's駅から改称。テムズ川の上に駅舎がある珍しい駅。眺め良し。  ・駅ホテルは無かった模様。 (2)歴史  ・1886(M19)年にLondon, Chatham & Dover Railway (LCDR)によって開業。   ->SR ->BR Southern ->NR  ・当時、Blackfriars Bridge, Ludgate Hill, Holborn Viaductを経て、   Farringdonにて、Metropolitan Railway (MET) City Widened Linesに   接続し、様々な鉄道会社と連絡することができた。 (3)列車運行会社  ・Thameslink (TL) <- First Capital Connect <- Thameslink   ◇Bedford行、Brighton行など  ・Southeastern (SE) <- Connex South Eastern   ◇Ashford International行など (4)訪問記録  ・2016-01-17 Thameslink : Elephant & Castle ->1005 Blackfriars  ・2016-01-17 Thameslink : Blackfriars 1026-> Luton 4.ウォータールー駅 (Waterloo) (1)概要  ・Network Railの管理駅。長距離列車の発着駅。  ・Eurostarの発着駅だったが、2007(H19)年にSt. Pancrasに移転した。  ・駅ホテルは無かった模様。 (2)歴史  ・1848(嘉永1)年にLondon & South Western Railway (LSWR)によって開業。   ->SR ->BR Southern ->NR  ・1869(M2)年にEast駅がSERによって開業。->SR ->BR Southern ->NR  ・1898(M31)年に地下鉄 Waterloo & City線の駅がWaterloo & City Railwayに   よって開業。1994(H6)年にロンドン交通局へ移管されるまでBRの一部だった。  ・1994(H6)年にInternational駅が開業。2007(H19)年に廃止。 (3)列車運行会社  ・South West Trains (SW)   ◇Weymouth行、Portsmouth行など  ・Southeastern (SE) <- Connex South Eastern ※East駅   ◇Charing Cross行、Ashford International経由 Dover Priory行など (4)訪問記録  ・1997-06-17 Eurostar : Paris Gare Du Nord ->1213 Waterloo Int'l  ・2004-05-01 South West Trains : Waterloo 845-> Basingstoke  ・2016-01-19 Southeastern : Charing Cross ->1956 Waterloo East 5.チャリングクロス駅 (Charing Cross) (1)概要  ・Network Railの管理駅。近郊列車が多い。  ・1918(T7)年頃までフランス航路接続列車の発着駅だった。  ・駅ホテル Charing Cross Hotelは、Amba Hotel Charing Crossとして盛業中。 (2)歴史  ・1864(元治1)年にSERによって開業。->SR ->BR Southern ->NR (3)列車運行会社  ・Southeastern (SE) <- Connex South Eastern   ◇Ashford International経由 Dover Priory行など (4)訪問記録  ・2016-01-19 Southeastern : Charing Cross 1954-> Waterloo East 6.ヴィクトリア駅 (Victoria) (1)概要  ・Network Railの管理駅。長距離列車、豪華観光列車の発着駅。  ・フランス航路接続列車、Golden Arrowの発着駅だった。  ・駅ホテル The Grosvenor Hotelは、盛業中。  ・近くにバス駅、Victoria Coach Stationがあり、国際バスが発着する。 (2)歴史  ・1860(万延1)年に停車駅会社、Victoria Station & Pimlico Railwayによって   開業。運河跡に建設した。  ・西側/Brighton駅は、1860(万延1)年にLBSCRが乗入。->SR ->BR Southern ->NR   駅舎にLBSCR時代の路線図(タイル絵)が残っている。  ・東側/Chatham駅は、1862(文久2)年にLCDRが乗入。->SR ->BR Southern ->NR (3)列車運行会社  ・Southern (SN) <- Connex South Central   ◇Brighton行、Portsmouth行、Crystal Palace経由 London Bridge行など  ・Southeastern (SE) <- Connex South Eastern   ◇Dover Priory行、Ramsgate行など  ・Gatwick Express (GX)   ◇Gatwick Airport行、Gatwick Airport経由 Brighton行 (4)訪問記録  ・2004-05-01 Southern : Clapham Junction ->1625 Victoria  ・2016-01-19 Southern : Victoria 1006-> Portsmouth Southsea 7.パディントン駅 (Paddington) (1)概要  ・Network Railの管理駅。長距離列車、ヒースロー空港連絡列車、寝台列車   The Night Riviera、看板列車 Cornish Riviera Expressの発着駅。  ・看板列車 Flying Dutchman の発着駅だった。  ・現在、Crossrailの工事中。完成すると地下経由でStratfordまで直通する。  ・駅構内にタクシー乗り場があったが、Crossrail工事の影響で、2012(H24)年頃   に乗り場が北側へ移転。プラットフォームから遠くなり、不便になった。  ・駅ホテル Great Western Royal Hotelは、Hilton London Paddingtonとして   盛業中。  ・「くまのパディントン」の舞台。駅に銅像(1番線)とショップ(2F)がある。 (2)歴史  ・1838(天保9)年にGWRによって開業。->BR Western ->NR  ・1892(M25)年に、広軌から標準軌に改修された。 (3)列車運行会社  ・Great Western Railway (GW) <- First Great Western   ◇Penzance行、Bristol行、Cardiff行、Swansea行など  ・Great Western Railway (GW) <- First Great Western Link <- Thames Trains   ◇Reading行、Greenford行など  ・Chiltern Railways (CH)   ◇West Ruislip ※平日1往復のみ、免許維持路線か  ・Heathrow Express (HX)   ◇Heathrow Central経由 Heathrow Terminal 5行  ・Heathrow Connect (HC)   ◇Heathrow Central経由 Heathrow Terminal 4行 (4)訪問記録  ・2000-07-10 Heathrow Express : Heathrow Central 1915-> Paddington  ・2002-10-22 Heathrow Express : Heathrow Central -> Paddington  ・2002-10-24 Heathrow Express : Paddington ->657 Heathrow Central  ・2016-01-16 Heathrow Express : Heathrow Central 2110-> Paddington 8.マリルボン駅 (Marylebone) (1)概要  ・Chiltern Railwaysの管理駅。近郊列車が多い。  ・「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」の舞台。Boston Place、駅正面   入口、公衆電話と自販機(場所不詳)、構内コンコース西側、1番線など。  ・駅ホテル Great Central Hotelは、The Landmark Londonとして盛業中。 (2)歴史  ・1899(M32)年にGreat Central Railway (GCR)によって開業。   ->LNER ->BR Eastern ->NR (3)列車運行会社  ・Chiltern Railways (CH)   ◇Birmingham経由 Kidderminster行、Amersham経由 Aylesbury行など (4)訪問記録  ・2016-01-18 Chiltern Railways : Marylebone 1157-> Amersham ※ベイカーストリート駅 (Baker Street)  ・メリルボーン駅から少し離れた所にある、地下鉄Metropolitan線の駅。  ・Metropolitan線とChiltern Railwaysは、Harrow-on-the-Hillまで並走し、   Amershamまで同じ線路を走る。Chiltern Railwaysの時刻表によると、   Baker Street - Aylesburyが1往復だけあるようだ。臨時路線か。  ・「シャーロック・ホームズ」の舞台。駅近くに探偵事務所があったことから、   駅前にホームズの銅像、駅構内にタイル絵がある。 9.ユーストン駅 (Euston) (1)概要  ・Network Railの管理駅。長距離列車、West Coast Main Line、寝台列車   Caledonian Sleeperの発着駅。  ・アイルランド航路接続列車 Irish Mailの発着駅だった。  ・駅ホテル Euston Hotelがあったが廃止された。 (2)歴史  ・1837(天保8)年にLondon & Birmingham Railwayによって開業。   ->London & North Western Railway (LNWR) ->LMS ->BR London Midland ->NR  ・1961(S36)年に新駅舎建設のため旧駅舎を破壊。 (3)列車運行会社  ・Serco Caledonian Sleepers (CS)   ◇Aberdeen行、Fort William行、Inverness行など  ・Virgin Trains (VT)   ◇Glasgow行、Edinburgh行、Liverpool行など  ・London Midland (LM) <- Central Trains   ◇Birmingham行、Stoke-on-Trent経由 Crewe行、Milton Keynes行など  ・London Overground (LO) <- Silverlink   ◇Watford Junction行 (4)訪問記録  ・2016-01-17 London Midland : Euston 1757-> Harrow & Wealdstone 10.セントパンクラス駅 (St. Pancras International) (1)概要  ・Network Railの管理駅。長距離列車、Midland Main Line、High Speed 1の発   着駅。  ・駅ホテル Midland Grand Hotelは、St. Pancras Renaissance London Hotel   として盛業中。 (2)歴史  ・1868(M1)年にMidland Railway (MR)によって開業。   ->LMS ->BR London Midland ->NR  ・2007(H19)年にHigh Speed 1が完成し、St. Pancras Int'lに改称。 (3)列車運行会社  ・East Midlands Trains (EM) <- Midland Mainline   ◇Sheffield行、Nottingham行など  ・Thameslink (TL) <- First Capital Connect <- Thameslink   ◇Bedford行、Brighton行など  ・Eurostar   ◇Paris Gare du Nord行、Bruxelles-Midi行など  ・Southeastern (SE)   ◇Dover Priory行、Faversham行など (4)訪問記録  ・2016-01-17 Thameslink : Luton ->1355 St. Pancras Int'l  ・2016-01-20 Eurostar : St. Pancras Int'l 701-> Paris Gare Du Nord 11.キングスクロス駅 (King's Cross) (1)概要  ・Network Railの管理駅。長距離列車、East Coast Main Lineの発着駅。  ・看板列車 Flying Scotsmanの発着駅だった。  ・駅ホテル Great Northern Hotelは、盛業中。  ・「ハリー・ポッター」の舞台。Hogwarts Expressが、Platform 9 3/4   を発着するが、9番線と8番線を仕切る壁付近に、入口とショップがある。 (2)歴史  ・1852(嘉永5)年にGreat Northern Railway (GNR)によって開業。   ->LNER ->BR Eastern ->NR (3)列車運行会社  ・Virgin Trains East Coast (GR) <- East Coast <- NXEC <- GNER   ◇Inverness行、Aberdeen行、Glasgow行など  ・Grand Central (GC)   ◇Bradford Interchange行、Sunderland行  ・Hull Trains (HT)   ◇Hull行、Beverley行  ・Great Northern (GN) <- First Capital Connect <- WAGN   ◇Peterborough行、King's Lynn行など (4)訪問記録  ・2016-01-17 Great Northern : King's Cross 1452-> Finsbury Park 12.ムアゲート駅 (Moorgate) (1)概要  ・Great Northernの管理駅。近郊列車のみ。  ・駅ホテルは無かった模様。 (2)歴史  <1> City Widened Lines  ・1866(慶応2)年にMET City Widened Linesが完成。St. Pancras - King's Cross   - Farringdon - Moorgateは複々線となり、GNRやMRがMoorgate発着の列車を運   行していたようだ。その後、City Widened Linesは、NRに移管された模様。  ・2009(H21)年に旅客営業を中止。現在も設備は残っているので、休止中か。  <2> Great Northern & City Line  ・1904(M37)年にGreat Northern & City Railwayによって開業。  ・1913(T2)年にMETの傘下に入り、ロンドン地下鉄の一部となる。  ・1976(S51)年にBRへ移管。-> NR (3)列車運行会社  ・Great Northern (GN) <- First Capital Connect <- WAGN   ◇Welwyn Garden City行、Letchworth Garden City行など (4)訪問記録  ・2016-01-17 Great Northern : Winchmore Hill ->1708 Moorgate ※ブロードストリート駅 (Broad Street)  ・リバプールストリート駅の西隣にあった。駅ホテルは無かった模様。  ・1865(慶応1)年にNorth London Railway (NLR)によって開業。後にLNWRも乗入。   ->LMS ->BR London Midland  ・1986(S61)年に廃止。跡地は、Broadgateというモールになっている。  ・「ヤァ!ブロードストリート」の舞台。駅入口、2Fコンコース、2番線ホーム   など、深夜ではあるが閑散とした現役時代の駅がよくわかる。 13.リバプールストリート駅 (Liverpool Street) (1)概要  ・Network Railの管理駅。長距離列車、Great Eastern Main Lineの発着駅。  ・オランダ航路連絡列車、Hook Continentalの発着駅だった。  ・駅ホテル Great Eastern Hotelは、Andaz Liverpool Streetとして盛業中。 (2)歴史  ・1874(M7)年にGreat Eastern Railway (GER)によって開業。   ->LNER ->BR Eastern ->NR (3)列車運行会社  ・Abellio Greater Anglia (LE) <- NXEA <- One <- WAGN   ◇Norwich行、Ipswich行、Harwich行、Cambridge行など   ◇Stansted Airport行 (Stansted Express)  ・TfL Rail (XR)   ◇Shenfield行  ・London Overground (LO) <- Silverlink   ◇Cheshunt行、Enfield Town行、Chingford行  ・c2c (CC) ※限定的   ◇Shoeburyness行など (4)訪問記録  ・2016-01-18 London Overground : Liverpool St 1803-> Walthamstow Central 14.フェンチャーチストリート駅 (Fenchurch Street) (1)概要  ・Network Railの管理駅だったが、現在はc2c管理駅。近郊列車が多い。  ・駅ホテルは無かった模様。 (2)歴史  ・1841(天保12)年にLondon & Blackwall Railway(->GER ->LNER)によって開業。  ・1858(安政5)年にLondon, Tilbury & Southend Railway (LTSR)が乗入。   ->MR ->LMS ->BR London Midland ->NR  ・1948(S23)年にBRに移管。駅構内を管理していたのが旧LNERだった事から   BR Easternに所属するが、直後に旧LNERの旅客営業を中止した事から旧LMSの   列車しか来ない駅になった。結果、BR London Midlandに所管変えとなる。 (3)列車運行会社  ・c2c (CC)   ◇Shoeburyness行、Southend Central行、Grays行など (4)訪問記録  ・2016-01-19 c2c : Fenchurch Street 1816-> Upminster
2016 年 03 月 20 日 11:40:07 (15097) ふもふも館長さんの書き込み 昨日は、鉄道博物館のJRバス展に参加しました。 1.バスツアー ・約20名が参加。代々木[5]、初台、中野長者町入口、C2、5、S5、S2、  新都心西出口、関東マツダ、桜木町4を西、三橋3、国道17号新大宮BP、  三橋5、県道2(旧国道16)、西武バス大宮営業所(通過)、桜木町を直進、  大栄橋を左、右で構内入、高架くぐって左、裏門という経路でした。 ・桜木町4交差点から桜木町交差点は、すぐ近く。時間調整のため、迂回した  との事。西武バス大宮営業所には、西日本JRバスが停車していましたが  特に案内は無かったです。 ・バス撮影タイムは雨でした。 ・フィルム上映は、青い路線と「国鉄フィルム・レポート 十和田南営業所」 2.JRバス展 ・図録(300円)は1階と2階の2箇所で販売していたようですが、肝腎の  パネル展や実車展示している場所では販売せず、案内もしていませんでした。 ・訓練車の内部公開は、12:15〜13:00で、関東の高速訓練車と北海道の  一般路線の訓練車。どちらもじっくり説明していただけるようで、その関係で  数組限定みたい。 3.ミニオフ ・日本食堂にて「つばめあいすろうる」を食べながら談笑しました。 4.ライブラリ特別開架 ・『天竜線のわだち』遠江二俣自動車営業所,S29.3.25という冊子が興味を  ひきました。開通十周年を記念して作られたようです。  S19.3.25 竜山村峰之沢鉱山の鉱石輸送を目的に遠江二俣〜遠江青谷を開業。       ◇峰之沢鉱山の鉱石輸送は民間トラックが実施していたが、徴用        により滞貨していた。       ◇遠江青谷は後に峰之沢口に改称        →峰之沢口は後に青谷に改称         →対岸まで鉱山トラックで輸送?、天竜川は架空?        →瀬尻〜峰之沢の国鉄バス路線は、元国鉄トラックではない?       ◇遠江谷山〜遠江横山は渡船航送        →二俣〜谷山は天竜川左岸、横山〜青谷は天竜川右岸 ・S20.2 峰之沢鉱業所選鉱所火災のため運休 ・S20.9.27 岐阜市戦災復興のため、第9機動隊を編成。要員14名、車両7両。       ◇がれき輸送か? ・S20.12.1 戦災復興材料(木材)の輸送力不足のため、第10機動隊を編成。       浜名郡五島村天竜川〜中野町村製材工場まで原木輸送。       要員7名、車両3両。       ◇山元から天竜川を筏で川下り、河口付近の五島村で陸揚げ? ・S20.12.30 第9機動隊帰区。 ・S21.1.31 第10機動隊帰区。       ◇編成から帰区までの様子がわかる貴重な記録。期間が短い事に驚く。
2016 年 03 月 20 日 01:48:55 (15096) zueignungsabsichtさんの書き込み BRTの駅は「バス駅」と呼ぶべきか「BRTの駅」と呼ぶべきか「駅」と呼ぶべきか悩み中。 http://response.jp/article/2016/03/18/271805.html
2016 年 03 月 18 日 19:59:31 (15095) ふもふも館長さんの書き込み 明日から、鉄道博物館でJRバス展が開催されます。私は、初日に訪問します。 お茶会を考えていますので、もし見かけたら声がけをお願いします〜
2016 年 03 月 11 日 18:07:04 (15094) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【102】空知線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇空知線   空知本線    1 札幌−岩見沢    2 東高前−米里−大麻    3 市営住宅前−流通センター通    4 旭町−新札幌−もみじ台東二丁目−もみじ台団地−青葉町九丁目     −青葉町二丁目−旭町    5 旭町−厚別三区−啓成高校前    6 啓成高校前−厚別三区    7 啓成高校前−野幌森林公園    8 青葉町二丁目−青葉町九丁目−厚別営業所前    9 青葉町二丁目−厚別営業所前−青葉町九丁目    10 大麻駅通−大麻十四丁目−大麻    11 大麻−大麻十五丁目−大麻十一丁目    12 野幌駅通−大麻十一丁目    13 野幌駅通−野幌   共栄線    1 野幌駅通−北の里牧場前   北新線    1 上幌向−新篠津 1.2 路線略図    札幌◎      |      | 東橋  小樽<−+−−○+上白石 菊水元          |小学校 町七条    東栄橋          +−○−−−○−−−−−−○−−−−−−○厚別       東高前○                   |幹線通          |                   |          |                上新川○      白石中央○                   | 宮町西          |                   ・−−○          |                   大麻十|大麻十 大麻十        ・…○市営住宅前              五丁目|四丁目 一丁目        : |                     +○+○+−−○……・        : ○下白石              森林  | | |     :         新篠津        ・…+                 公園  ・−+ |     :          ○      流通セン○        厚別 厚別     ◎  大麻◎ |     :          |      ター通 |        駅通 三区     |      |     :          |   岩見沢          ・        +○−○…………・ |啓成高 大麻|   野幌:  江別      |    ◎           \  釣橋 旭町|  | 野幌橋: |校前  駅通|   駅通:  七丁目 江別  |    |            ・−−○+−○+−−○−−○−+−○−−−−○−++−−−−○−−−○−−−◎−−+◎−−−+−>峰延         大谷地タ / |  | 東商業 |   |      ||    |\ /       上幌向         ーミナル○−−+  | 高校前 |   ・ 開拓   ++    | ◎野幌                |  |     ◎新札幌 \の村         |                |  |ひばり  |     ○       植民社○                |  |が丘中  |青葉町 もみじ台        |                |  |央    |二丁目 団地入口   もみじ台 |                |  ○−−○−−○−−−○−−−−−−○北二丁目 |             厚別営○    /青葉町|   |     /      |             業所前|   / 一丁目|   |    ○もみじ台   |          太洋団   +−−○厚別南  |青葉町○もみじ台|東二丁目   |          地入口  /|   五丁目  ○八丁目|西二丁目|       ○登満別           ○−−・ |        |   |    |       |            \   |        |   ○もみじ台○もみじ    |      東栄通○−−−○−−+−−○−−−−−○青葉町|西七丁目|台団地    |        /   上野幌 | 上野幌    |九丁目|    |       |       /    中央公園| 七丁目    ・−−−○−−−−○    北の里○−>南幌      ○         ・           もみじ台 もみじ台  牧場前|    緑ヶ丘団地        \          南一丁目 南七丁目     |                  ・−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−○−>中央長沼                                          |                                          V                                         北広島 ※大麻十一丁目〜野幌駅通は1977(S52)年12月15日から休止中。 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・空知本線1 岩見沢〜上幌向〜幌向〜江別 ・空知本線1 野幌〜野幌駅通〜大麻駅通〜啓成高校前 ・空知本線5 啓成高校前〜厚別三区〜旭町 ・空知本線4 旭町〜青葉町二丁目 ・空知本線4 青葉町二丁目〜新札幌 ・空知本線2 大麻〜大麻十五丁目〜米里〜東高前 ・空知本線1 東高前〜下白石〜釣橋 2.2 掲載 ・65日目 8/23(金),66日目 8/24(土) S61.9号 12.北海道編(下) 単行本 p301〜307 ・連載誌のみ 岩見沢駅の写真、岩見沢駅前の国鉄バスの写真、大麻駅前国鉄バス  乗り場の写真、521-4075の解説 2.3 行程 ○岩見沢0735→0812江別 空知本線 岩見沢発 新札幌行   537-1001(日野K-RE141) ○野幌0839→0855啓成高校前 空知本線 江別発 札幌行   527-8007(日野RE141) ○啓成高校前0905→0922厚別営業所前 空知本線 江別発 厚別営業所前行                             527-8019(日野RC321) ○厚別営業所前0958→1015新札幌 空知本線 厚別営業所前発 新札幌行                   (青葉町二丁目経由) 527-6017(日野RC320) ○大麻1128→1235札幌 空知本線 大麻十一丁目発 札幌行  531-8016(いすゞBU04) ○新札幌0850→0857旭町 空知本線 新札幌発 札幌行(厚別三区経由)                             527-7005(日野RC320) ○旭町0858→0916大麻駅通 空知本線 札幌発 江別行 527-3071(日野K-RC321) ○大麻1030→1100東高前 空知本線 大麻十一丁目発 札幌行 527-7006(日野RC320) 2.4 エピソード ・啓成高校前で下車し厚別三区経由について尋ねると、ある婦人が「もとは、こ  こから厚別三区に行く線があったんです。今は新札幌が重要な分岐点になりま  したから、新札幌中心に運転されるようになり、路線はどんどん変わっていま  す」と説明してくれた。 ・旭町を通る厚別営業所前行きに乗ると、新札幌駅のバスターミナルに寄り、い  つの間にか厚別営業所前に着いてしまった。運転士の勧めに従って営業所の事  務所に寄る。「厚別三区の経由は朝1本だけだから、ないも同然ですな。新札  幌を8時50分に出る札幌行きが厚別三区を通って旭町へ出るが、乗る人もほと  んどおらんでしょう。」との説明。 ・国道12号線上の大麻駅通は函館本線大麻駅とは別駅。大麻から乗るバスは北側  の駅前から出るが、こちらは鉄道とバスが同一駅という複雑な姿である。 ・新札幌から厚別三区経由札幌行きに乗車。お客は筆者たちの他3人で、国道12  号線の東商業高校前から横道に折れるとすぐ厚別三区。厚別中央四条四丁目で  1人下車し、ほどなく旭町で国道へ戻った。 ・米里経由のバスは住宅地を外れるとのどかな田園地帯を走った。北海道縦貫自  動車道を見て市街地へ近づくにつれてお客がどんどん増えた。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・空知線は、1948(S23)年11月に江別本線江別〜釣橋と共栄線共栄〜植民社が開業  したのがルーツで、その後、1951(S26)年5月に共栄線植民社〜野幌、1957(S32)  年3月に新野幌〜旭町が開業した。同線は、鉄道の補助と江別地帯の産業開拓  促進を使命としていた。なお、札幌〜釣橋は、1947(S22)年3月に長広本線(→  長沼本線)の一部として開業していた(この区間は1958(S33)年12月に空知線に  編入された)。 ・1958(S33)年7月に協和口〜幌向〜江別が、1959(S34)年4月に小野幌〜下野幌  〜登満別及び江別〜公営住宅前が、1960(S35)年10月には下白石〜養護学校前が、  1961(S36)年11月に野幌〜江別二中前〜江別が、1963(S38)年3月に旭町〜野幌  橋〜新開地が、同年5月に三愛女子高前〜野幌〜夕鉄ターミナル前〜江別が、  それぞれ開業した。 ・北海道地方自動車部(1984)「国鉄北海道自動車50年史」によると、1958(S33)年  7月、札幌〜美唄に急行7往復の長距離便を運行開始した。 ・北海道地自前掲書によると、1961(S36)年頃から、空知線札幌〜白石・厚別・  江別間等の増強を図ったと述べられている。同書によると、空知線の区間別運  行回数の推移は次の通りであった。       札幌〜白石・厚別 札幌〜江別 札幌〜岩見沢・美唄    S31年度    86往復     16往復  S36年度    172往復     17往復     10往復  S37年度    171往復     20往復     17往復  S38年度    197往復     26往復     17往復  S39年度    200往復     34往復     23往復  S40年度    220往復     45往復     21往復 ・1964(S39)年9月に札幌〜東二丁目(北回り)、同年12月に新野幌〜大麻十四丁  目〜大麻十二丁目〜大麻十丁目〜江別二中前、1965(S40)年1月に旭町〜ひばり  が丘、1966(S41)年7月に大麻十四丁目〜大朝十五丁目、同年8月に養護学校前  〜北都団地、同年11月にひばりが丘〜下野幌団地通、1967(S42)年12月に下野幌  団地通〜団地中央〜下野幌団地の各区間が開業した。 ・北海道地自前掲書によると、1967(S42)年3月から札幌〜小樽、札幌〜下野幌団  地(→青葉町一丁目)に特急ワンマンカーの運行を開始し、1968(S43)年1月か  ら札幌〜大麻(5区界)他数系統の多区間ワンマンカーの運行を開始した。その  際、ワンマンカー運転士の金線収受業務を軽減し、乗車券の乗車前購入を推進す  るため、札樽線及び空知線の混雑区間に、乗車券発売所及び待合室を設置した。  また、ワンマンカー折り返しのため、乗車券発売所前に回転用地を確保し、誘導  員配置を省く等合理化を実施したと述べられている。 ・1969(S44)年2月、札幌市の人口集中化に伴う輸送体制に対応するため、基地(旧  札幌自営)を札幌自営(手稲)と厚別自営に分割した。 ・1969(S44)年9月に東二丁目〜苗穂、北柏山〜北都団地、江別〜公営住宅前が廃  止された。 ・1970(S45)年5月に東高前〜米里〜上新川〜大麻十五丁目〜大麻〜大麻十二丁目、  同年10月に下野幌団地〜青葉町八丁目が開業した。 ・北海道地自前掲書によると、1970(S45)年5月に札幌〜米里〜大麻十二丁目、1972  (S47)年12月に札幌〜青葉町八丁目・もみじ台団地の各区間で、通勤定期乗車券に  ついて、札幌市交通局との共通乗車を開始した。その後、1984(S59)年時点では、  札幌市交通局と新札幌〜もみじ台団地のみ実施していた。 ・1971(S46)年4月に栗沢〜協和口が廃止され、同年7月に南小野幌〜野幌森林公  園〜新開地、同年12月に青葉町二丁目〜もみじ台北二丁目〜もみじ台団地の各  区間が開業した。 ・1972(S47)年7月、空知本線の白石中央〜白石、下白石〜北柏山、三愛女子高前  〜東野幌〜野幌、野幌〜夕鉄ターミナル前〜江別の各区間、登満別線の小野幌  〜登満別が廃止された。 ・1973(S48)年9月、千歳線の線路変更により新札幌駅が開設されたことに伴い、  同駅への乗入れが開始された(路線名称上は青葉町二丁目〜新札幌が開業)。 ・同年11月にもみじ台北二丁目〜もみじ台東二丁目〜もみじ台団地、1974(S49)年  4月に白石神社前〜南郷通二十丁目〜流通センター通、同年12月に青葉台二丁  目〜もみじ台東二丁目〜もみじ台団地の各区間が開業した。一方、1974(S49)年  10月に江別二中前〜江別、1978(S53)年3月に札幌〜東二丁目(北回り)が廃止  された。 ・1980(S55)年6月に青葉台八丁目〜もみじ台団地が開業した。 ・1982(S57)年3月、札幌市営地下鉄東西線が新さっぽろまで延長された。これに  伴って、国鉄バス空知線も厚別地区の各団地から地下鉄新札幌駅まで短絡輸送を  行う等の路線再編成が実施された。この時に、旭町〜新札幌、青葉町二丁目〜青  葉町九丁目〜厚別営業所前が開業した。 ・北海道地自前掲書によると、地下鉄東西線の延長に伴い、国鉄バスと札幌市営バ  スが競合している地区について、札幌市からの要請を受けて、北海道地自は、本  社及び関係機関の同意を得て、空知線の路線再編成を大幅に行い、その大部分の  運行便を地下鉄新さっぽろ駅に連絡することとし、市営バスと競合しているもみ  じ台団地の利用客に対し、市営バスと同様、地下鉄との乗継乗車による割引運賃、  市営バスとの乗継共通乗車制度を実施したと述べられている。 ・1985(S60)年5月に青葉町二丁目〜厚別営業所前〜青葉町九丁目が開業した。 ・「国鉄バス時刻表空知線」1985(S60)年5月27日改正によると、空知線には次の  系統が設定されていた。   10 札幌〜旭町 上り1本   10 札幌〜厚別三区〜新札幌 上り1本   11 札幌〜ひばりが丘〜新札幌 上り1本   12 もみじ台団地〜新札幌〜中央通〜厚別営業所前 下り6本   12 新札幌〜中央通〜厚別営業所前 下り10本・上り13本(うち日祝運休1本)   13 札幌〜新札幌〜青葉町〜厚別営業所前 下り20本・上り8本   13 新札幌〜青葉町〜厚別営業所前 下り20本(うち日祝運休2本)・上り13本     (うち日祝運休2本)   14 札幌〜新札幌〜青葉町〜もみじ台団地 下り1本・上り3本   14 新札幌〜青葉町〜もみじ台団地 5往復(うち日祝運休1往復)   15 札幌〜新札幌〜もみじ台団地 下り27本・上り21本(うち日祝運休1本)                                                                                                       15 厚別営業所前〜中央通〜新札幌〜もみじ台団地 下り8本   15 新札幌〜もみじ台団地 下り21本(うち日祝運休4本)・上り21本(うち日      祝運休9本)   21 札幌〜新札幌〜森林公園 下り1本(日祝運休)   21 厚別営業所前〜新札幌〜森林公園 下り1本(日祝休校日運休)   21 もみじ台団地〜新札幌〜森林公園 下り3本(日祝休校日運休)   21 札幌〜新札幌〜大麻駅通 下り1本(日祝運休)   21 新札幌〜大麻駅通 下り20本(うち日祝運休2本、日祝休校日運休5本)・      上り21本(うち日祝運休4本、日祝休校日運休5本)   21 札幌〜新札幌〜開拓の村 下り4本・上り7本   21 新札幌〜開拓の村 下り11本(うち日祝運転10本)・上り12本(うち日祝運      転8本)   24 札幌〜新札幌〜大麻十一丁目 下り22本・上り19本   24 厚別営業所前〜新札幌〜大麻十一丁目 下り16本(うち日祝運休2本)・上      り19本(うち日祝運休2本)   24 新札幌〜大麻十一丁目 下り7本(うち日祝運休1本)・上り9本(うち日      祝運休1本)   26 札幌〜新札幌〜江別 下り27本(うち日祝運休1本)・上り26本   26 厚別営業所前〜新札幌〜江別 下り16本(うち日祝運転1本、日祝運休1本、      土曜運転(日祝運休)3本、土日祝運休2本)・上り22本(うち土曜運転      (日祝運休)2本、土日祝運休2本、日祝運休2本)   26 厚別営業所前〜新札幌〜野幌 下り1本(日祝運休)   26 新札幌〜江別 下り3本(うち日祝運休1本)・上り1本(日祝運休)   27 新札幌〜江別〜岩見沢 5往復(うち日祝運休1往復)     新札幌〜青葉町9丁目〜新札幌 循環6回   23 札幌〜米里〜大麻十一丁目 6往復     大麻十一丁目〜大麻〜大麻十六丁目 2往復(日祝運休)     大麻〜大麻十六丁目 4往復     大麻十一丁目〜大麻 上り5本 ・1985(S60)年当時、線内の(自)札幌、市営住宅前、下白石、旭町、(自)江別、  (自)岩見沢、(自)新札幌に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点  として、厚別自動車営業所(厚別営業所前)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年9月に函館本線森林公園駅の開業に伴って啓成高校前〜森林公園が  開業した。 ・1986(S61)年3月に北海道女子短大前〜文京台南町中央〜大麻駅通が開業した。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、もみじ台東二丁目〜も  みじ台団地〜もみじ台東二丁目、啓成高校前〜開拓の村、青葉町二丁目〜青葉町  九丁目〜緑ヶ丘団地、青葉町二丁目〜青葉町九丁目、東栄通〜厚別営業所前の  各区間が認知された。 ・国鉄民営化を経て、空知線はJR北海道に継承された。 ・1987(S62)年11月末から、共栄線の野幌駅通〜二号線が開進経由から体育の里経由  に変更された。また、1988(S63)年7月から共栄線は野幌運動公園乗り入れを開始  した。 ・1991(H3)年4月に厚別東4条4丁目〜小野幌神社前〜大麻十六丁目が開業した。  また、同年12月から北新線が新篠津温泉発着に延伸された。 ・1995(H7)年12月、札幌理工学院前〜若葉5丁目〜野幌駅南口が開業した。 ・札幌圏では1995(H7)年12月及び1996(H8)年3月にダイヤ改正を実施し、主要駅(  手稲・新札幌・北広島等)に短絡する接続便を増強した。 ・1997(H9)年4月、もみじ台団地入口〜もみじ台西2丁目〜もみじ台西7丁目が休止  された一方、テクノパーク〜第二テクノパーク、もみじ台南7丁目〜立命館慶祥高  校の各区間が開業した。 ・1998(H10)年4月、ライフヒルズ南〜平岡緑中学校〜柏葉台団地、もみじ台南1丁  目〜虹ヶ丘中央〜虹ヶ丘東、伊達屋敷通〜札幌理工学院前、野幌七丁目〜野幌の各  区間が開業した。 ・1999(H11)年2月には、青葉町一丁目〜ひばりが丘駅前〜旭町、東商業高校前〜厚  別中央四条四丁目〜厚別駅前〜旭町、札幌理工学院前〜若葉台中央〜伊達屋敷通、  野幌駅通〜野幌七丁目〜野幌の各区間が廃止された。一方、札幌市交通局からの  路線移管に伴って、もみじ台団地入口〜もみじ台西2丁目〜もみじ台西7丁目が  再開された。 ・同年4月から、雇用促進住宅入口〜平岡小学校〜平岡4条3丁目〜東栄通北が開業  した。 ・JR北海道のバス事業は分社化され、2000(H12)年4月からジェイ・アール北海道  バスとして営業を開始した。 ・2000(H12)年4月、札幌市交通局からの路線移管に伴って、東2丁目〜バスセンター  〜菊水2条1丁目〜菊水駅前〜菊水4条2丁目〜菊水7条2丁目〜上白石小学校前、  東10丁目〜菊水5条2丁目〜菊水駅前、幌東中学校前〜菊水5条2丁目、6号幹線  通〜白陵高校前の各区間が開業した。また、同時に、もみじ台南1丁目〜札幌日大  高校前〜虹ヶ丘東も開業した。 ・2002(H14)年4月から新規企画乗車券として、札幌市内及び近郊で利用できる「  一日乗りほーだいキップ」が発売された。 ・同年12月、原始林通経由の新札幌〜厚別中学校〜小野幌神社前〜厚別北2条3丁目、  空知線28系統の野幌延長に伴って大麻十一丁目〜野幌の各区間が開業した。 ・2003(H15)年2月末限りで、空知本線の江別以東、北新線(上幌向〜新篠津温泉)を  含む岩見沢営業所管内の路線が全廃された。一方、同年3月から菊水4条2丁目〜  札幌コンベンションセンター〜西白石が開業した。 ・白石北郷地区より2004(H16)年9月に開通した平和大橋を経由してJR札幌駅への  乗入れ(2004(H16)年12月、札幌北郷線(2系統)の運行開始)に伴い、東橋〜菊水  上町3条2丁目〜菊水上町3条3丁目及び菊水元町2条2丁目〜北郷5条3丁目が  開業した。 ・同年12月に厚別東通線(89系統)の運行開始に伴い、もみじ台南1丁目〜上野幌駅〜  東部緑地入口〜平岡緑中学校〜緑ヶ丘2丁目北〜緑ヶ丘2丁目が開業した。 ・2005(H17)年4月から菊水4条2丁目〜札幌コンベンションセンターが廃止された。  同年6月に厚別北3条3丁目〜タウン中通〜森林公園駅西口が開業した。同年12月  から江別市ゆめみ野地区への乗入れが開始された(新設区間は、江別〜早苗別〜ゆ  めみ野中央〜上江別公園〜ゆめみ野東町〜ゆめみ野中央)。同地区は、江別市内で  宅地造成中であり人口増加が見込めるため、乗り入れを行った。 ・2006(H18)年4月ダイヤ改正から、札幌圏において系統番号及び路線名の変更が  実施された他、全停留所で時刻表を検索できるQRコードの掲示、日中時間帯の  優先席拡大など利便性の向上が図られた。  ◇新札幌線(1JR札幌駅〜新札幌駅,1-1JR札幌駅〜大谷地ターミナル〜新札幌駅)  ◇北郷線(2JR札幌駅〜平和大橋〜北郷5条3)  ◇コンベンション線(3JR札幌駅〜コンベンションセンター)  ◇米里線(5JR札幌駅〜バスセンター〜白陵高校前,バ5バスセンター〜白陵高校前,    6JR札幌駅〜国立病院前〜菊水駅前〜上新川,菊6菊水駅前〜上新川,菊6-1菊水    駅前〜上新川(冬期のみ),7JR札幌駅〜国立病院前〜菊水駅前〜白陵高校前,    菊7菊水駅前〜白陵高校前,菊7-1菊水駅前〜白陵高校前(冬期のみ),8JR札幌    駅〜米里1条2〜大朝11丁目)  ◇エデンの街線(新11新札幌駅〜青葉町〜エデン〜厚別営業所前,新11新札幌駅〜青葉    町〜エデン〜雇用促進住宅入口)  ◇中央通線(新12新札幌駅〜中央通〜厚別営業所前,新12厚別営業所前〜中央通〜新札    幌駅〜もみじ台団地)  ◇上野幌線(循環新12新札幌駅〜中央通先廻り〜新札幌駅,13JR札幌駅〜新札幌駅〜青    葉町〜厚別営業所前,新13新札幌駅〜青葉町〜厚別営業所前,新13新札幌駅〜青葉    町〜雇用促進住宅入口,循環新13新札幌駅〜青葉町先廻り〜新札幌駅)  ◇もみじ台団地線(14JR札幌駅〜新札幌駅〜青葉町〜もみじ台団地,新14新札幌駅〜青    葉町〜もみじ台団地,新14-1新札幌駅〜青葉町〜立命館慶祥高校,15JR札幌駅〜新    札幌駅〜もみじ台団地,新15新札幌駅〜もみじ台団地,新15森林公園駅〜新札幌駅    〜もみじ台団地,新15新札幌駅〜もみじ台団地〜立命館慶祥高校)  ◇緑ヶ丘団地線(新16新札幌駅〜青葉町〜緑ヶ丘団地,新16新札幌駅〜青葉町〜緑ヶ丘    団地東,循環新16新札幌駅〜緑ヶ丘団地〜新札幌駅)  ◇開拓の村線(22JR札幌駅〜新札幌駅〜開拓の村,新22新札幌駅〜開拓の村,新22新札    幌駅〜森林公園駅)  ◇大麻団地線(24JR札幌駅〜新札幌駅〜大麻11丁目,新24新札幌駅〜大麻駅南口,新24    新札幌駅〜大麻11丁目,新24厚別営業所前〜新札幌駅〜大麻11丁目,麻24大麻駅〜    大麻11丁目,新26新札幌駅〜3番通〜野幌駅)  ◇江別線(25JR札幌駅〜新札幌駅〜上江別公園,新25新札幌駅〜ゆめみ野東町,新25新    札幌駅〜上江別公園,江25江別駅〜ゆめみ野東町,江25江別駅〜上江別公園,26JR    札幌駅〜新札幌駅〜江別駅,新26新札幌駅〜江別駅,新26新札幌駅〜野幌駅,新26    厚別営業所前〜新札幌駅〜江別駅)  ◇厚別北線(新27新札幌駅〜森林公園駅西口)  ◇野幌運動公園線(新29新札幌駅〜野幌運動公園,新29新札幌駅〜情報大学前,野29野    幌駅南口〜野幌運動公園)  ◇もみじ台西2丁目線(新70新札幌駅〜もみじ西2〜緑ヶ丘2丁目,循環新71新札幌駅    〜青葉町先廻り〜新札幌駅,循環新72新札幌駅〜もみじ西2先廻り〜新札幌駅)  ◇虹ヶ丘線(新75新札幌駅〜小林橋〜虹ヶ丘東,循環新76新札幌駅〜小林橋〜新札幌駅,    循環新77新札幌駅〜小林橋〜虹ヶ丘東〜新札幌駅)  ◇テクノパーク線(新78新札幌駅〜第二テクノパーク,特急新78新札幌駅〜第二テクノ    パーク,循環新78新札幌駅〜第二テクノパーク〜新札幌駅)  ◇もみじ台テクノパーク線(循環新79新札幌駅〜テクノパーク先廻り〜新札幌駅,循環    新80新札幌駅〜もみじ台先廻り〜新札幌駅)  ◇文京台線(循環新82新札幌駅〜大麻駅南口先廻り〜新札幌駅,循環新83新札幌駅〜文    京台先廻り〜新札幌駅)  ◇共栄線(江92江別駅〜北広島駅,江92江別駅〜北広島駅〜南の里)  ◇新さっぽろ大曲線(新110新札幌駅〜柏葉台団地)  ◇新さっぽろ平岡線(循環新111新札幌駅〜平岡4条3〜新札幌駅) ・2006(H18)年9月に大谷地ターミナル〜旭町が廃止される一方、菊水9条3丁目〜札幌  コンベンションセンターが開業した。 ・2007(H19)年4月から、新札幌地区でこれまでバスの運行していない空白地区に、小野  幌循環バス「このっぴー」が運行開始した。 ・同年12月のダイヤ改正では、JR手稲駅・新札幌駅を中心に、朝・夕の通勤時間帯に  増便が実施された。 ・2008(H20)年12月からJR白石駅周辺の整備に伴い、白石駅北通が供用開始されたため、  北郷線がJR白石駅北口発着に延伸され、北郷地区から札幌・白石へのアクセスが向上  した。 ・2009(H21)年4月から循環新10系統「ひばりが丘線」が運行開始した。 ・同年12月ダイヤ改正では、JR札幌駅〜JR白石駅北口の系統で夕方の時間帯に空白が  あったことから増便がなされ、白石地区から札幌方面への利便性がの向上が図られた。 ・2010(H22)年3月末限りで「もみじ台西2丁目線」のうち、新70系統(新札幌〜もみじ  台西2丁目〜JR上野幌駅〜緑ヶ丘2丁目)が廃止された。「交通年鑑2011年版」に  は、乗降人員が極端に少ない2系統(北広島〜南の里、新札幌駅〜緑ヶ丘2丁目)の  廃止を行ったと述べられている。 ・2011(H23)年4月ダイヤ改正では、厚別地区で他社と相互運行している地区の便数が過  剰となっていたことから、2社計31便を削減した。 ・2012(H24)年3月末限りで「厚別北線」新27系統(新札幌〜タウン中通〜森林公園駅西  口)が廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、空知線は、札幌〜新札幌、新札幌〜江別をはじめ、新札幌、大  麻地区などの路線バスがJR北海道バスによって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、空知線には接続駅(札幌、大  麻、野幌、江別、幌向、上幌向、岩見沢、峰延、美唄、新札幌)の他に、市営  住宅前に第二種委託駅(自動車駅)、旭町に第一種委託駅(自動車駅)が置かれ  ていた。
2016 年 03 月 06 日 20:13:59 (15093) ふもふも館長さんの書き込み 画質は悪いですが、動画2本をYouTubeにアップしました。 イギリスに残るホーバークラフトの船内。ワイト島に上陸する所です。 https://youtu.be/T4xNPeK2Xnc Paris Metro Line 1 Chateau de Vincennes 無人運転の地下鉄。前展望で、地下鉄の車庫に迷い込んだ時の動画です。 深夜に、運転手も車掌も居ない車内に閉じ込められてしまいました。 https://youtu.be/ykQmrppeGOQ
2016 年 03 月 06 日 06:58:53 (15092) ふもふも館長さんの書き込み 鉄道博物館で「JRバス展」が3/19〜21に開催されます。 目玉は、JR北海道バスの北海道新幹線ラッピングバスと訓練車。 訓練車の車内公開は、各車各日限定20名、12:15集合で抽選との事。 北海道エリアの国鉄バスの車両、乗車券を中心にしたパネル展示や ライブラリ特別開架もあるそうです。 同時開催の企画展「海を航る〜船・鉄道・新幹線〜」も興味深い。 今回も3/19(土)にバスツアーがあり、青い路線ほかの貴重な映像を 鑑賞できるとの事。 http://www.railway-museum.jp/press/pdf/160319_JRhp.pdf --- 4/4(月)にバスタ新宿が開業しますが、新宿〜諏訪のJRバスを含む 京王バスについては、降車については現行通りとの事です。 http://www.bus-navi.com/news/1023.pdf
2016 年 03 月 01 日 19:11:04 (15091) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【101】札樽線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇札樽線    1 札幌−小樽    2 上手稲−住吉神社前    3 宮の沢−発寒団地前−手稲    4 手稲町−手稲オリンピア    5 手稲町−手稲−工業大学前    6 稲山通−手稲公営住宅中央    7 手稲工業団地通−曙通−手稲公営住宅中央    8 手稲工業団地通−運転免許試験場    9 曙通−星置通    10 手稲礦山通−手稲礦山 1.2 路線略図                                  手稲公営                               ・−○住宅中央                               | |                             ・−+−+−・                             |     |                             |     | 工業大                          山口 |  稲山通| 学前                     星置通○−−○−○     ○−−○                             |曙通   |                  運転免許試験場○−−−+     |                             |     |                         手稲工業○−−−−−・                          団地通| 手稲 発寒団地前      住吉   小樽          手稲    | ◎−−−−○−−・        琴似       ◎札幌      神社前  築港 朝里町   桂岡 礦山通   | |手稲町    |  上手稲   本通       |  小樽◎−−○−+−◎−−−○−−○−−○−+○−−○−+−+−○+−○−−○−−+○−−○−−○−−・    |          :      張碓町   |  手稲営     |富丘 宮の沢 :  手稲東    |    |           :           |  業所前     |      :          ・−○−−+○−>岩見沢            ・…………………………………………………………………………            西十七 時計                       |          |                  丁目  台前                       ・          ・                      /            \                 手稲礦山○       手稲オリンピア○ ※上手稲〜住吉神社前(札樽バイパス)は1978(S53)年12月1日から休止中。 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・札樽線1 小樽〜住吉神社前〜小樽築港〜張碓町〜星置〜手稲礦山通〜手稲町      〜宮の沢 ・札樽線2 宮の沢〜発寒団地前〜手稲 ・札樽線1 琴似本通〜札幌 2.2 掲載 ・60日目 8/18(日) S61.8号 11.北海道編(上) 単行本 p282〜284 ・連載誌のみ 531-3087の解説 2.3 行程 ○小樽1900→2000上手稲 札樽線 小樽発 札幌行 537-8502(日野RC321P) ○上手稲2008→2025手稲駅南口 札樽線 札幌発 手稲公営住宅中央行                  (発寒団地前経由) 527-8037(日野RE141) ○琴似本通2057→2112札幌 札樽線 手稲鉱山発 札幌行                         531-3087(いすゞK-CJM550) 2.4 エピソード ・小樽駅前の国鉄バスきっぷ売場は「つばめの窓口」とニックネームを掲げ、つ  ばめマークもカラフルで楽しい。多くのバス停にもつばめのイラストが入れて  ある。尤も、この札樽線は、自動車道経由のデラックスバスを頻発している中  央バスに押されていると聞く。 ・札幌行き快速が宮の沢を通るが通過だから上手稲で乗り換えるようにとのこと。  快速便は30分ごとの発車だが客足は良く、ほぼ満席で19時に発車。 ・国道5号線を走り、小樽から7kmほど離れた朝里町で大量下車、張碓町付近は  急カーブが増え、路肩工事を示す赤色灯が送り火のように見える。 ・手稲駅通で運転士がサイドブレーキを引いて下車し時刻表を眺めて乗り継ぎ便  を探してくれる。上手稲で下車すると「国道経由などもありますから、よく気  をつけてください」と運転士はどこまでも親切だった。 ・反対方向の乗り場を探し当てると、すぐ手稲公営住宅中央行きがきた。宮の沢  停留所を右折、函館本線のレールが見えるとその手前を左折。発寒団地前で十  数人が下車し軽装の女の子が大勢乗った。 ・琴似駅と琴似本通駅は同一駅とみなされる特例駅の1つだが、駅員に聞くと「  遠いよう」。歩けば15分ほどかかるとのことで、タクシーを利用。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・札樽線は、1934(S9)年6月に苗穂〜手宮が開業したのがルーツで、鉄道補助を  目的に商港小樽市と札幌市を直結する路線で、交通量が極めて多く、普通便の  他に急行便を運転し、冬季は除雪して通年運行を確保していると述べられてい  た(日本国有鉄道(1958)「鉄道辞典・上巻」による)。 ・北海道地方自動車部(1984)「国鉄北海道自動車50年史」によると、札樽線は、  戦争の激化に伴いガソリン規制が厳しくなり、1944(S19)年4月20日に運休せざ  るを得なくなった(再開は1947(S22)年5月1日)と述べられている。 ・戦後は、1949(S24)年3月に手稲礦山通〜手稲礦山が開業し、1951(S26)年8月  には札幌〜丸井前及び住吉神社前〜小樽、1952(S27)年7月には富丘〜山口通が  それぞれ開業した。 ・1957(S32)年7月から星置〜銭函海水浴場〜銭函が季節路線として開業し、1958  (S33)年7月には朝里町〜朝里温泉郷が開業した(1960(S35)年7月に朝里温泉郷  〜温泉センターを延長)。 ・1962(S37)年5月に手稲町〜稲山通〜南平台、同年12月に手稲追分〜勤労者団地  〜手稲がそれぞれ開業した。1964(S39)年9月に札幌〜市立病院前(北回り)、  同年12月に稲山通〜山口〜星置通〜銭函海水浴場がそれぞれ開業した。 ・北海道地自前掲書によると、1961(S36)年頃から都市間輸送として札幌〜小樽間  の増強、及び札幌市内輸送の充実を行うとある。同書によると、札樽線札幌〜  小樽間は1956(S31)年度38往復、1961(S36)年度40往復、1962(S37)年度52往復、  1963(S38)年度61往復、1964(S39)年度73往復、1965(S40)年度78往復に、同じく  札幌〜手稲間は1956(S31)年度26往復、1961(S36)年度74往復、1962(S37)年度79  往復、1963(S38)年度112往復、1964(S39)年度113往復、1965(S40)年度120往復に  増加した。 ・1967(S42)年12月に稲山通〜手稲公営住宅前、1969(S44)年10月に上手稲〜木工団  地〜発寒団地前、1970(S45)年10月に手稲町〜手稲オリンピア及び手稲公営住宅前  〜手稲公営住宅中央がそれぞれ開業した。1971(S46)年4月に山口〜手稲公営住宅  前が開業して循環線が形成された。 ・1969(S44)年1月1日には、札鉄局と協同で記念乗車券・特殊乗車券の発売と、小  樽・千歳・岩見沢方面からの臨時列車と札幌〜北海道神宮の国鉄バスとの結合輸  送を実施した。(北海道地自前掲書による。) ・1969(S44)年2月、札幌市の人口集中化に伴う輸送体制に対応するため、基地(旧  札幌自営)を札幌自営(手稲)と厚別自営に分割した。 ・1972(S47)年2月3日〜14日に第11回冬季オリンピック札幌大会が開催された。こ  のため、2月12日まで札幌〜手稲山競技場に国鉄バスが臨時運行された。また、  北海道地自前掲書によると、手稲山で開催されたスキー競技に参加する役員及び  選手の輸送を国鉄バスが担当した。北海道地自に輸送対策本部、札幌中央支所に  現地対策本部を設置し、札幌駅前と手稲会場に輸送指令を置いて輸送に当たった。  この輸送には運転士74名(東北地自から7名、信越地自から10名の助勤者を含む)、  営業係(車掌)75名を含む、総勢238名であった。また、 ・1972(S47)年2月に札樽バイパス(現・札樽道)を通る上手稲〜住吉神社前が開業  した。この区間では1971(S46)年12月から臨時免許で札幌〜小樽に特急バス17往復  の運行が行われていた(1978(S53)年12月休止)。 ・1972(S47)年7月、朝里町〜温泉センター前、星置通〜銭函、銭函海水浴場〜星置  の各区間が廃止された。一方、1973(S48)年2月に手稲工業団地通〜厚生年金団地  前〜曙通が開業した。 ・1974(S49)年10月に札幌〜丸井前及び手稲追分〜発寒団地前が、1978(S53)年2月  末限りで札幌〜市立病院前(北回り)が、それぞれ廃止された。 ・座談会「経営改善の第一線から−自動車営業所長大いに語る」(『国鉄線』1978  (S53)年12月号所収)には札幌自営所長が出席しており、次のような発言があった。   ◇札幌地区は北海道の国鉄バスの輸送量の7割を占めており、北海道地自の命    運を決するのは札幌市の都市輸送であると自覚。   ◇札幌〜小樽は、開業当時は札幌が30万人足らず、小樽が20万人ということで    非常にバランスのとれた輸送ができたが、現在は小樽18万人、札幌130万人で    札樽間の都市間輸送というより札幌中心の都市バスという性格に変わってき    ている。   ◇路線のある国道5号線沿いの西区の人口の伸びは札幌市の中で最も著しく、    S35年度に比べて4倍半の伸び。その西区の人口の45%は札樽線を利用してお    り、立派な都市バス路線といえる。   ◇経営成績は、S41年度は収支係数111であったが、S44年に札幌自営と厚別自営    に分かれてからは150〜160と横ばい。これを昔のような黒字線区にするため    には思い切った根本的な合理化をせざるを得ないということになり、今回、    札幌〜小樽間の輸送を見直すことになった。この中には、S46年に開通した    バイパスを走らせていた特急便を全部休止するような見直しも含まれている。 ・1982(S57)年4月、手稲工業団地通〜運転免許試験場が開業した。 ・「国鉄バス時刻表札樽線」1985(S60)年5月27日改正によると、札樽線には次の  系統が設定されていた。    小樽〜札幌(快速便) 下り35本(うち日祝運休3本、日祝運転1本)・     上り32本    小樽〜手稲営業所前 上り2本(日祝運休)    星野中央〜札幌 下り1本・上り1本    手稲鉱山〜札幌 下り24本(うち日祝運休1本)・上り24本(うち日祝運     休2本、土曜運転日祝運休1本)    手稲鉱山〜手稲駅南口 下り4本(うち日祝運休2本)・上り6本(うち     日祝運休1本)    星置通〜札幌 下り9本(うち日祝運休1本、日祝運転1本)・上り12本     (うち土曜運転日祝運休1本、土日祝運休2本)    星置通〜発寒団地〜宮の沢 上り1本(日祝運休)    星置通〜手稲駅南口 下り8本(うち日祝運休1本、土曜運転1本)・上     り6本(うち日祝運転1本、土曜運転日祝運休1本)    手稲鉱山通〜札幌 下り6本(うち日祝運休1本)・上り11本(うち土曜     運転日祝学休日運休1本、土曜運転日祝学休日運休1本、土曜運休1本)    手稲営業所前〜札幌 下り62本(うち日祝運休10本、学休日運休1本、日     祝運転7本、土曜運転日祝運休1本、土曜運転日祝学休日運休1本、土     日祝学休運休2本、日祝学休日運休1本)・上り57本(うち日祝運休10     本、日祝運転4本、土曜運転日祝運休1本、日祝学休日運休2本、土日     祝運休1本、土曜運転日祝学休日運休1本)    手稲営業所前〜琴似本通 下り2本(日祝学休日運休)    手稲公営住宅中央〜発寒団地〜札幌 下り30本(うち日祝運休6本、日祝     運転2本)・上り24本(うち日祝運休学休日運転1本、日祝運休1本、     土日祝運休1本)    手稲公営住宅中央〜手稲駅南口〜札幌 下り6本・上り6本(うち日祝運     休1本)    手稲公営住宅中央〜札幌 下り4本(うち日祝運休1本)    手稲公営住宅中央〜発寒団地〜宮の沢 下り1本・上り2本(日祝運休)    工業大学〜発寒団地〜札幌 下り4本(うち日祝運休2本)・上り2本(     日祝学休日運休)    工業大学〜札幌 下り1本(日祝運休)    運転免許試験場〜手稲駅南口〜札幌 下り10本(うち日祝運休2本)・上     り7本(うち日祝運休1本、土日祝運休1本)    運転免許試験場〜手稲駅南口 下り3本(日祝運休)・上り5本(うち日     祝運休2本、土日祝運休1本)    稲北高校〜手稲駅南口〜札幌 下り2本・上り1本(手稲駅南口経由せず、     日祝運休)    稲北高校〜手稲駅南口 下り1本    稲西高校〜手稲駅南口〜札幌 下り2本・上り4本    手稲駅南口〜発寒団地〜宮の沢 上り1本    手稲公営住宅中央〜稲山通〜手稲駅南口 下り14本(うち土曜運休1本)     ・上り11本    手稲公営住宅中央〜曙通〜手稲駅南口 下り10本(うち日祝運休1本)・     上り17本(うち日祝運休1本)    手稲公営住宅中央〜稲山通〜手稲駅北口 下り6本(うち日祝運休5本、     日祝運転1本)・上り10本(うち日祝運休2本)    手稲公営住宅中央〜曙通〜手稲駅北口 下り6本(うち日祝運休5本)    若松橋〜稲山通〜手稲駅北口 下り2本(うち日祝運転1本)    星置通〜曙通〜手稲駅南口 下り3本(うち休校日運転日祝運休2本、日     祝運転1本)・上り1本(日祝運転)    稲西高校〜曙通〜手稲駅南口 下り2本・上り2本(日祝運転)    工業大学〜稲山通〜手稲駅北口 上り1本(日祝学休日運休)   ・1985(S60)年当時、線内の(自)札幌、手稲東、手稲町及び(自)小樽に自動車駅  が存在した(過去にはこの他、S46年4月に廃止された琴似本通及び手稲追分の両  駅が存在した)。また、国鉄バス運行の拠点として、札幌自動車営業所(手稲営  業所前)、同札幌中央支所(札幌)、同小樽支所(小樽市内)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年11月に星置通〜星置、1986(S61)年3月に聖火台スキー場前〜手稲山  ロープウェイの各区間が開業した。 ・国鉄民営化に伴う新しいバス事業の経営基盤を確立するため、1986(S61)年11月か  ら、札幌〜小樽の特急便(札樽道経由)を再開した。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で手稲工業団地通〜手稲北口、  稲山通〜星置通、星置通〜星置の各区間が認知された。 ・国鉄民営化を経て、札樽線はJR北海道に継承された。 ・1987(S62)年11月、西土木現業所前〜宮の沢団地前〜発寒団地前、手稲工業団地通  〜曙2条4丁目〜運転免許試験場(旧線廃止)が開業した。 ・1990(H2)年11月に工業大学前〜前田中央通〜樽川通が開業した。 ・札樽道の全線開通に伴い、1992(H4)年10月から札幌北IC経由の札幌〜小樽特急便  「高速つばめ号」が運行を開始した。また、同年12月に地下鉄琴似駅前〜琴似が  延長された。 ・1993(H5)年6月に発寒〜宮の沢〜発寒の循環路線が開業した。同年7月に星置〜  おたるドリームビーチが開業し、おたるドリームビーチバスが運行開始した。 ・1995(H7)年3月、星置養護学校前〜ほしみ駅、前田中央通東〜前田森林公園入口  〜前田中央通西、桂岡〜銭函しらかば団地の各区間が開業した。 ・1996(H8)年6月に西宮の沢5条1丁目〜追分通〜宮の沢1条5丁目が開業した。 ・札幌圏では1995(H7)年12月及び1996(H8)年3月にダイヤ改正を実施し、主要駅(  手稲・新札幌・北広島等)に短絡する接続便を増強した。 ・1999(H11)年2月、札幌市営地下鉄東西線が宮の沢に延伸され、地下鉄宮の沢駅  バスターミナル乗り入れが開始された。これに伴って、次の区間が廃止・新設  された。併せて、並行する札幌〜小樽を中心とした札幌圏でダイヤ改正が実施  された。  (廃止区間)    ◇宮の沢1条4丁目〜発寒6条12丁目    ◇西宮の沢5条2丁目〜宮の沢団地前〜宮の沢桜井通    ◇桂岡〜銭函しらかば団地  (新設区間)    ◇地下鉄宮の沢駅前〜西町北20丁目    ◇地下鉄宮の沢駅前〜宮の沢1条4丁目    ◇地下鉄宮の沢駅前〜宮の沢2条1丁目    ◇地下鉄宮の沢駅前〜発寒6条12丁目    ◇地下鉄宮の沢駅前〜発寒6条13丁目〜宮の沢1条5丁目〜西宮の沢5条     1丁目    ◇宮の沢1条5丁目〜西宮の沢4条1丁目〜宮の沢桜井通    ◇地下鉄宮の沢駅前〜琴似工業高校前〜新発寒7条4丁目〜手稲区役所前 ・同年3月、札幌〜小樽の高速便「うしおライナー」の一部便がマイカル小樽経由  に変更された。これに伴って、朝里IC〜マイカル小樽〜奥沢口が開業した(2001  (H13)年3月末限りで休止)。 ・同年10月、発寒駅乗入れが廃止されて稲積一号〜西宮の沢3条1丁目〜西宮の沢  4条1丁目に経路変更されるとともに、前田地区でも大学通東〜前田中学校前〜  前田8条13丁目〜前田中央通東に経路変更がなされた。同年12月には手稲駅南口  〜手稲本町1条1丁目〜富丘2条6丁目〜宮の沢桜井通が新設されるとともに、  手稲山口団地地区で停留所移設・経路変更が行われた。 ・JR北海道のバス事業は分社化され、2000(H12)年4月からジェイ・アール北海道  バスとして営業を開始した。 ・札幌市営バスより3路線の移譲を受け、同年4月から運行開始した。一部は札幌  都心部まで運行区間が延長され、利便性向上が図られた。これに伴って、次の  区間が廃止・新設された。  (廃止区間)    ◇曙口〜運転免許試験場北門前〜星置2条1丁目北    ◇手稲区土木センター〜星置2条3丁目    ◇星置養護学校前〜ほしみ駅    ◇発寒駅〜発寒8条12丁目  (新設区間)    ◇手稲区土木センター〜星置2条1丁目北    ◇発寒14条14丁目〜新発寒5条2丁目〜共栄橋〜工業大学前    ◇共栄橋〜ていねプール前 ・JR手稲駅を起終点に、富丘・高台地区のバス空白地帯を中心に、2000(H12)年  11月より「手稲高台シャトルバス」の試験運行が開始された。 ・2001(H13)年12月から札幌〜小樽の高速バスを北海道中央バスと共同運行を開始  した。1日の便数は往復217便で共同運行系統としては道内一の便数となった。  この時から愛称名を「高速おたる号」に統一した。また、北大経由の系統は、  中央バス札幌ターミナル発着に延伸された。 ・併せて、西稲穂〜手稲稲穂1条7丁目東〜手稲鉱山通が開業した。 ・2002(H14)年4月から新規企画乗車券として、札幌市内及び近郊で利用できる「  一日乗りほーだいキップ」が発売された。 ・札幌市交通局から琴似営業所管内路線の移譲を受け、2003(H15)年4月から琴似  営業所を新設し運行を開始した(19路線38系統)。委譲された系統の系統番号、  路線(系統)名及び区間は次の通りであった。  ◇環12 ロープウェイ線(円山公園駅前〜界川〜南11西22〜円山公園駅前)  ◇環20 山の手環状線(西28丁目駅前〜西高校前〜神宮前〜西28丁目駅前)  ◇環50 山鼻環状線(啓明ターミナル〜幌平橋駅前〜中島公園駅前〜啓明ターミナル)  ◇環50 山鼻環状線(啓明ターミナル〜幌平橋駅前〜中島公園駅前〜ロープウェイ前〜啓明ターミナル)  ◇西11 西25丁目線(円山公園駅前〜南6西25〜南11西22〜啓明ターミナル)  ◇西13 旭山公園線(円山公園駅前〜界川〜旭山公園前)  ◇西14 荒井山線(円山公園駅前〜荒井山〜宮の森シャンツェ前)  ◇西15 動物園線(円山公園駅前〜神宮前〜円山西町2)  ◇西15 動物園線(円山公園駅前〜神宮前〜円山西町神社前)  ◇西21 山の手線(西28丁目駅前〜西野3条2〜宮の沢駅前)  ◇西29 琴似西野線(地下鉄琴似駅前〜山の手橋〜宮の沢駅前)  ◇西31 北7条線(大通西4〜市立病院前〜北7西15〜地下鉄琴似駅前)  ◇西32 北24条線(二十四軒駅前〜南新川〜北24条駅前)  ◇西33 西野第二線(宮の沢駅前〜上手稲神社前〜中洲橋)  ◇西39 琴似発寒線(地下鉄琴似駅前〜発寒8条7〜宮の沢駅前)  ◇西39 琴似発寒線(地下鉄琴似駅前→発寒9条10→宮の沢駅前)  ◇西40 琴似発寒線(地下鉄琴似駅前〜税務大学校前〜宮の沢駅前)  ◇西41 西野福井線(地下鉄琴似駅前〜西野二股〜福井えん堤前)  ◇西41 西野福井線(発寒南駅前〜西野二股〜福井えん堤前)  ◇西42 西野平和線(地下鉄琴似駅前〜西野二股〜平和の滝入口)  ◇西42 西野平和線(発寒南駅前〜西野二股〜平和の滝入口)  ◇西43 西野第二線(地下鉄琴似駅前〜西野3条2〜中洲橋)  ◇西43 西野第二線(発寒南駅前〜西野3条2〜中洲橋)  ◇西52 桑園発寒線(札幌駅前〜桑園駅前〜競馬場正門前〜琴似工業高校前)  ◇西53 啓明線(札幌駅前〜中央区役所前〜啓明ターミナル)  ◇西53 啓明線(大通西4〜中央区役所前〜啓明ターミナル)  ◇西58 北5条線(札幌駅前〜北5西20〜長生園前)  ◇西58 北5条線(札幌駅前〜北5西20〜琴似営業所前)  ◇北46 新琴似線(琴似営業所前〜新川通〜麻生駅前)  ◇北46 新琴似線(地下鉄琴似駅前〜新川通〜麻生駅前)  ◇西42 西野平和線(地下鉄琴似駅前〜西野二股〜西陵高校前(学生便))  ◇西42 西野平和線(発寒南駅前〜西野二股〜西陵高校前(学生便))  ◇西44 工業団地線(発寒南駅前〜天狗橋〜手稲高校前(学生便))  ◇西44 工業団地線(宮の沢駅前〜天狗橋〜手稲高校前(学生便))  ◇北46 新琴似線(西高校前〜地下鉄琴似駅前〜八軒6条東2(学生便)) ・同年12月のダイヤ改正で琴似営業所管内の西野福井地区、中州地区、平和地区の  3線にJR琴似駅から毎週金曜日に深夜バスを新たに運行した。 ・2004(H16)年4月ダイヤ改正から、南新川地区と札幌市立病院の間の循環バス(南  新川線環37系統、新川通〜市立病院前及び新琴似3条1〜北24条西16))、西区  発寒地区と発寒駅を結ぶ循環バス(発寒駅北口循環))の運行を新規に開始した。  また、琴似西野福井地区、中洲地区、平和地区の3線から地下鉄琴似駅までの便  (105便)をJR琴似駅まで延長した。さらに、啓明ターミナル〜大通西4丁目の  15便について、JR札幌駅まで延長運行した。 ・同年12月ダイヤ改正から、新川地区から桑園地区までの既存路線(南新川線環37  系統)が都心部の大通公園まで延長された。 ・2005(H17)年12月ダイヤ改正から、西野及び啓明地区から通勤時間帯の増便、新川  地区で冬季における慢性的な遅れを解消するため、路線を一部変更して定時性の  確保が図られた。 ・2006(H18)年4月ダイヤ改正から、札幌圏において系統番号及び路線名の変更が  実施された他、全停留所で時刻表を検索できるQRコードの掲示、日中時間帯の  優先席拡大など利便性の向上が図られた。  (手稲管内)  ◇山口団地線(循環手40手稲駅北口〜樽川通先廻り〜手稲駅北口,手40手稲駅北    口〜樽川通〜手稲山口団地,循環手41手稲駅北口〜曙通先廻り〜手稲駅北口,    手41手稲駅北口〜曙通〜手稲山口団地,宮45宮の沢駅前〜曙通〜手稲山口団    地,快速95JR札幌駅〜新発寒5条2〜手稲山口団地)  ◇発寒団地線(42JR札幌駅〜発寒団地前〜手稲山口団地,宮42宮の沢駅前〜発寒    団地前〜手稲山口団地)  ◇山口線(宮44宮の沢駅前〜曙通〜稲西高校前,宮44宮の沢駅前〜曙通〜稲北高    校前,手53手稲駅南口〜稲西高校前,手83手稲駅北口〜樽川通〜稲西高校前,    手83手稲駅北口〜樽川通〜稲北高校前,手44手稲駅北口〜曙通〜稲西高校前,    星91星置駅〜稲西高校前)  ◇工業大学線(循環手48手稲駅北口〜工業大学前〜手稲駅北口,手48手稲駅北口    〜工業大学前)  ◇新発寒線(宮49宮の沢駅前〜新発寒5条2〜手稲駅北口,宮49-1宮の沢駅前〜    新発寒5条2〜プール前〜手稲駅北口,宮79宮の沢駅前〜新発寒5条2〜工    業大学前,宮79-1宮の沢駅前〜新発寒5条2〜プール前〜工業大学前,循環    寒46発寒駅北口〜新陵中学校前〜発寒駅北口)  ◇琴似手稲線(琴50JR琴似駅〜宮の沢3条3〜手稲営業所前)  ◇宮丘線(循環宮51宮の沢駅前〜上手稲神社先廻り〜宮の沢駅前,循環宮52宮の    沢駅前〜追分通先廻り〜宮の沢駅前)  ◇手稲線(55JR札幌駅〜宮の沢駅前〜手稲駅南口〜手稲営業所前,宮55宮の沢駅    前〜手稲駅南口〜手稲営業所前,55-1JR札幌駅〜手稲駅南口〜手稲営業所前,    55-1JR札幌駅〜西宮の沢5条2,快速64JR札幌駅〜手稲駅南口〜手稲鉱山通,    快速64JR札幌駅〜手稲駅南口〜手稲稲穂1条7東,快速64-2JR札幌駅〜手稲    稲穂1条7東)  ◇手稲鉱山線(57JR札幌駅〜宮の沢駅前〜手稲駅南口〜手稲鉱山,宮57宮の沢駅    前〜手稲駅南口〜手稲鉱山)  ◇富丘線(宮58宮の沢駅前〜富丘1条4〜手稲駅南口)  ◇星置線(宮59宮の沢駅前〜手稲駅南口〜星置駅,宮59手稲営業所前〜星置駅)  ◇鉄北線(手60手稲駅北口〜手稲営業所前)  ◇小樽線(宮65宮の沢駅前〜小樽駅,66JR札幌駅〜宮の沢駅前〜手稲駅南口〜張    碓,66-1JR札幌駅〜手稲駅南口〜張碓,快速66-2JR札幌駅〜桂岡)  ◇ていね山線(宮70宮の沢駅前〜テイネハイランド(冬期のみ),手70手稲駅南    口〜テイネハイランド,宮70宮の沢駅前〜手稲駅南口〜手稲山ロープウエイ    (夏期のみ))  ◇稲積線(宮74宮の沢駅前〜新発寒7条4〜手稲駅北口)  ◇試験場線(80JR札幌駅〜宮の沢駅前〜運転免許試験場,手81手稲駅北口〜運転    免許試験場〜星置通,手82手稲駅北口〜星置通,手90手稲駅北口〜運転免許    試験場)  ◇富丘高台線(手100手稲駅北口〜手稲高台通〜手稲駅南口)  (琴似管内)  ◇ロープウエイ線(循環円10円山公園駅前〜界川先廻り〜円山公園駅前,循環円    11円山公園駅前〜南11条西22丁目先廻り〜円山公園駅前),西25丁目線(    円11円山公園駅前〜啓明ターミナル)  ◇旭山公園線(円13円山公園駅前〜旭山公園前)  ◇荒井山線(円14円山公園駅前〜宮の森シャンツェ前)  ◇動物園線(円15円山公園駅前〜円山西町2丁目,円15円山公園駅前〜円山西町    神社前,円16円山公園駅前〜動物園正門前〜大倉山競技場前)  ◇山の手線(循環西20西28丁目駅前〜神宮先廻り〜西28丁目駅前,循環西21西28    丁目駅前〜西高先廻り〜西28丁目駅前,西21西28丁目駅前〜宮の沢駅前)  ◇琴似西野線(琴29地下鉄琴似駅前〜山の手橋〜宮の沢駅前)  ◇北7条線(31大通西4丁目〜市立病院前〜地下鉄琴似駅前)  ◇北24条線(軒32二十四軒駅前〜北24条駅前)  ◇南新川線(37大通西4丁目〜市立病院前〜新琴似3条1〜北25西15丁目,37新    川通〜新琴似3条1〜市立病院前〜大通西4丁目)  ◇琴似発寒線(琴38地下鉄琴似駅前〜発寒8条7〜宮の沢駅前,琴39地下鉄琴似    駅前〜発寒9条10〜宮の沢駅前)  ◇琴似八軒線(琴40地下鉄琴似駅前〜八軒5条1〜宮の沢駅前)  ◇西野福井線(琴41JR琴似駅〜地下鉄琴似駅前〜福井えん堤前,琴41地下鉄琴似    駅前〜福井えん堤前,発41発寒南駅前〜福井えん堤前,琴41-1JR琴似駅〜発    寒南駅前〜福井えん堤前(深夜バス))  ◇西野平和線(琴42JR琴似駅〜地下鉄琴似駅前〜平和の滝入口,琴42地下鉄琴似    駅前〜平和の滝入口,発42発寒南駅前〜平和の滝入口,琴42-1JR琴似駅〜発    寒南駅前〜平和の滝入口(深夜バス),琴42地下鉄琴似駅前〜西陵高校前)  ◇西野中洲橋線(宮43宮の沢駅前〜中州橋,琴43JR琴似駅〜地下鉄琴似駅前〜中    洲橋,琴43地下鉄琴似駅前〜中洲橋,発43発寒南駅前〜中洲橋,琴43-1JR琴    似駅〜発寒南駅前〜中洲橋)  ◇新琴似線(北46地下鉄琴似駅前〜麻生駅前,北46琴似営業所前〜地下鉄琴似駅    前〜麻生駅前)  ◇桑園発寒線(52札幌駅前〜競馬場正門前〜琴似工業高校前)  ◇啓明線(53JR札幌駅〜啓明ターミナル,53大通西4丁目〜啓明ターミナル)  ◇北5条線(54札幌駅前〜長生園前,58札幌駅前〜琴似営業所前)  ◇山鼻線(循環啓55啓明ターミナル〜ロープウエイ→南9条先廻り〜啓明ターミ    ナル,循環啓56啓明ターミナル〜南16条先廻り→ロープウエイ〜啓明ターミ    ナル,循環啓65啓明ターミナル〜南9条先廻り〜啓明ターミナル,循環啓66    啓明ターミナル〜南16条先廻り〜啓明ターミナル)  ◇工業団地線(発72発寒南駅前〜手稲高校前,宮72宮の沢駅前〜手稲高校前) ・同年9月にJR札幌駅〜啓明ターミナルの新規路線(啓明線51系統)が開設され、  同年10月には大型商業施設まで既存路線の一部延長が図られた。 ・同年12月ダイヤ改正から、啓明地区〜JR札幌駅の系統を日中及び夕ラッシュ  帯に増便し、利用客の利便性向上が図られた。 ・2008(H20)年4月から、JR札幌駅を起点として、北海道大学・大倉山の観光スポ  ットをレトロ調ボンネットバスで巡る定期観光バス「ぶらりサッポロ観光バス」  を運行した(札幌市内循環線を新設)。 ・同時に、曙7条2丁目〜明日風1丁目〜明日風3丁目東〜明日風3丁目が開業した。 ・同年12月のダイヤ改正では、新発寒線・南新川線・啓明線・北5条線の増便ととも  に、琴似方面の利便性向上のため宮ヶ丘地区で路線変更が行われた。 ・2009(H21)年4月ダイヤ改正から、桑園駅〜円山・啓明地区を運行する全便にバリア  フリー車両が投入された(桑園円山線桑11系統を新設))。また、手稲駅北口〜工  業大学前〜明日風3丁目〜星置駅の系統が運行開始した(これに伴って、曙7条2  丁目〜明日風1丁目〜明日風3丁目東は廃止された)。 ・同年12月ダイヤ改正では、小樽駅前〜宮の沢(国道経由)で札幌都心部まで利用さ  れる旅客の利便性向上のため、平日朝の通勤時間帯にJR札幌駅まで延長し快速便  として運行した。 ・2010(H22)年4月ダイヤ改正から、地下鉄二十四軒駅近隣からJR札幌駅までが空白  地域となっていることから、日中時間帯の買い物客をターゲットに北5条通り経由  JR札幌駅までの新規路線を運行した。併せて、朝夕の通勤時間帯にイオン発寒SC  〜西町北20丁目〜JR札幌駅の新規快速便を運行した。 ・2010(H22)年12月ダイヤ改正から、近年マイカーの高速道路利用者の増加や札幌市内  での利用状況等の変化により、定時運行が難しくなってきていることから、札樽高  速線の高速おたる号の区間時分を変更するとともに、日中時間帯の一部減便が実施  された。 ・2011(H23)年4月ダイヤ改正では、少子高齢化の影響で学校統廃合が進んでいること  から通学生が減少傾向になっており、手稲方面のスクール便の見直しが行われた。 ・2013(H25)年3月末限りで、星置通〜星置通東(旧稲西高校前)が廃止された。 ・2015(H27)年3月末限りで、手稲営業所前〜宮の沢3条3丁目〜地下鉄宮の沢駅前〜  JR琴似駅の系統(琴似手稲線琴40系統)が廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、札樽線は、札幌〜小樽の高速バス及び路線バス、札幌市内  及び西側近郊の路線バスがJR北海道バスによって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、札樽線には接続駅(札幌、琴似  (琴似本通)、手稲、小樽築港、南小樽(住吉神社前)及び小樽)の他に、手稲  東及び手稲町に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ※補足 ニセコスキー客輸送について ・北海道地自前掲書によると、1963(S38)年12月、比羅夫に札幌自営比羅夫派出所が  開設され、比羅夫駅〜山田温泉(5.7km)のスキー客輸送を開始した。開設と同時に  札幌〜狩太(現・ニセコ)にスキー準急列車「銀嶺号」が運転され、鉄道と自動車  の結合輸送を実施した。 ・開設当時は4往復運行であったが、翌1964(S39)年には平日5往復・日祝7往復に  増強された(1966(S41)年3月末限りで廃止)。 ※補足 樺太の省営自動車 ・太平洋戦争の激化に伴い、北辺の鉄道網を強化するため、1943(S18)年4月から樺太  庁鉄道が鉄道省に移管され、樺太鉄道局が置かれた。これに伴って、従来樺太庁鉄道  が経営していた2自動車路線(庁鉄バス)が国鉄に移管された。 ・この2自動車線の概要は次の通りであった。   ◇内恵線 内路〜恵須取(107.3km)        所要5時間25分、運行回数2回        内路自動車区所管   ◇本留線 本斗〜留多加駅前(71.5km)        所要2時間45分、運行回数2回        本斗自動車区所管 ・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車50年史」によると、1944(S19)年夏に様似自動  車区から内路自動車区にバス6両(石炭代用燃料車)が配属替えされた。樺太の豊富  な石炭を配慮しての処置だった。 ・1945(S20)年8月、戦争終結によって樺太はソ連サハリン州となり、鉄道及び自動車  を含め、その支配下に置かれることとなった。なお、内恵線及び本留線は、廃止等の  告示がないまま、1948(S23)年3月、「国営自動車路線名称」(当時)から削られた。
2016 年 02 月 29 日 23:21:39 (15090) 辰巳豚郎さんの書き込み ご無沙汰です。中国地方の話題をふたつ。 浜田営業所で担当している【温泉巡りバス】に乗ってきました。 期間限定運行といいながらも延長を繰返してきましたが、本社 から「もぉ延長しない」旨の通知が来たらしく、ついに3月中旬 で運行を終了する見込みです。 山陰本線代行バスとして、一月末から出雲市‐大田市間を2往復 していますが、広島支店で雲芸南線用に運用されている一般車で 運行されてます(車内の広告や路線図を見て気付きました)。 但し、島根ナンバーで登録しなおしてるところをみると、こちらは 暫く運転が続くものと予想してます。
2016 年 02 月 28 日 17:52:36 (15089) ふもふも館長さんの書き込み イギリスに残るホーバークラフトについて動画と静止画をYouTubeにアップしました。 ワイト島での出航シーンです。鳥さんの動きと、クルクル回る排気口に注目ですよ〜 https://youtu.be/xCaXG_CtNiI https://youtu.be/5r3ics9kQPE おまけとして、大分ホーバークラフトの動画と静止画をYouTubeにアップしました。 ドリフト走行、いいですねぇ。画質が悪いのは、ご容赦いただきたく。 https://youtu.be/8bJXk2aP9-w https://youtu.be/Pz1teWxY2sw
2016 年 02 月 28 日 09:38:21 (15088) ふもふも館長さんの書き込み 道路上を走る軌道系都市交通の歴史について調べた。 時系列に簡単にまとめておく。 1.路面+馬 (1)Swansea & Mumbles Railway  ・世界第一号は、1807(文化4)年に開業したイギリス・スウォンジーの馬車鉄道。 (2)東京馬車鉄道  ・日本第一号は、1882(M15)年に開業した東京馬車鉄道で、汐留〜新橋〜日本橋   〜万世橋〜上野〜雷門、日本橋〜浅草橋〜雷門というルートで、普通鉄道の起   点である汐留と上野を連絡する役目もあったようだ。  ・1903(M36)年に東京電車鉄道と改称、馬車鉄道ではなくなった。 (3)概説  ・欧米の他、日本でも広まるが、馬の糞尿による匂い・汚物処理の他、速度が   遅い事もあり、次第に路面電車に置き換わっていき、1920(T9)年頃までに   大半が廃止された。  ・現在、観光用としていくつか運行されている例がある模様。日本では、北海道   開拓の村で冬季を除き運行されている。 2.路面+蒸気 (1)概説  ・馬車鉄道の次に登場したのが、蒸気鉄道であるが、世界第一号は、良くわから   なかった。日本では導入事例なしか。 3.路面+ケーブル (1)San Francisco Municipal Railway (Muni)  ・世界第一号は、1873(M6)年開業のサンフランシスコ市営鉄道である。 (2)概説  ・都市ケーブルカーは、道路に溝を掘り、市街地に動力室を置き、ケーブルを循   環させ、車両の運転手(Gripman)が、動くケーブルを掴んだり離す事で運転する   仕組み。交走式ではなく、循環式。  ・その後、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカの数都市で開業。  ・ケーブルカーの利点は、車両に動力がいらない事と急坂のある都市でも利用可   能である事であるが、常にケーブルを回し続ける事による運転費用、道路下に   敷設したケーブル滑車の騒音問題、ケーブル交換の手間などの欠点があった。  ・特にケーブルは、常に伸びるため、毎日カットする必要があり、数日おきに   ケーブルを交換する必要もあったようだ。  ・そのため、路面電車に置き換わるなど、1920(T9)年頃までに大半が廃止。メル   ボルンが1940(S15)年、ダニーデンが1957(S32)年に廃止、結果、サンフラン   シスコが唯一となった。なお、日本では導入事例は無かった。 4.路面+電気 (1)Gross Lichterfelde Tramway  ・世界第一号は、1881(M14)年に開業したドイツ・ベルリン郊外にあったリヒター   フェルト鉄道である。 (2)京都電気鉄道  ・日本第一号は、1895(M28)年に開業した京都電気鉄道である。 (3)概説  ・路面電車は、速度が遅いのが欠点。1920(T9)年頃が全盛期で、以降は地下鉄や   バスに置き換わっていった。近年では、LRTへの置き換えも進んでいる。 5.高架+ケーブル (1)West Side & Yonkers Patent Railway (9th Avenue El)  ・1866(M1)年開業のアメリカ・ニューヨークの高架鉄道の例がある。しかし、   実験設備として開業、故障頻発で、数年で廃止になったようだ。  ・実用ケーブルカーの第一号は、1873(M6)年のサンフランシスコで宜しいと思う。 (2)概説  ・この他、1883(M16)年開業のBrooklyn Union Elevated Railroad Brooklyn   Bridge Line(米)、1886(M19)年開業のNorth Hudson Railway Hoboken-Jersey   City Elevated(米)も、開業時はケーブル(後に電化)だった。 6.高架+蒸気 (1)New York Elevated Railroad (9th Avenue El)  ・世界第一号は、1871(M4)年開業のアメリカ・ニューヨークの高架鉄道である。   これは廃止されたWest Side & Yonkers Patent Railwayを買い取って、軌道   強化の上、蒸気機関車で客車をけん引する方式だったようだ。後に電化。  ・ニューヨークの高架鉄道は、後に、地下鉄会社とともにニューヨーク市によっ   て一元化され、マンハッタン島にあった高架鉄道はすべて廃止されたが、   ブロンクス、クイーンズ、ブルックリンで、一部高架区間が現存している。 (2)概説  ・1836(天保7)年開業のLondon & Greenwich Railway、1840(天保11)年開業の   London & Blackwall Railway、1882(M15)年開業のBerlin Stadtbahnを、   高架鉄道と呼ぶ例もあるが、ここでは、盛土やレンガによる高架橋ではなく   既設道路上に鉄製の高架橋を利用した鉄道に限って高架鉄道と呼びたい。  ・1914(T3)年開業の東京市街高架鉄道(新銭座〜永楽町)については、レンガに   よる高架橋のため、ここでは高架鉄道とはしないが、1910(M43)年に竣工し   た呉服橋架道橋など、一部は鉄製の高架橋が使われている。  ・蒸気を使った高架鉄道は、1886(M19)?年開業のカンザス高架鉄道?(米)、   1891(M24)年開業のThe Sioux City Elevated Railway(米)、1892(M25)年開   業のSouth Side Elevated Railroad(米シカゴ)の例があるようだ。 7.高架+電気 (1)The Sioux City Elevated Railway  ・世界第一号は、1892(M25)年に電車に転換したスーシティ高架鉄道と思われる   が、確信が持てない。1900年代初頭に廃止された模様。 (2)Liverpool Overhead Railway  ・世界第一号は、1893(M26)年開業のイギリス・リバプールの鉄道かもしれない。   橋梁のメンテナンス費用を捻出できなかったため、1956(S31)年に廃止。 (3)概説  ・高架鉄道は、路面に比較して速く移動できる利点があるが、鉄骨高架橋のた   め、騒音が酷く、景観上も問題があった。なお、盛土、レンガやコンクリート   で作られた高架橋であれば、騒音は、かなり軽減されるようだ。  ・その後、1901(M34)年開業のBoston Elevated Railway(米)、1907(M40)年開業の   Market - Frankford Subway - Elevated Line(米フィラデルフィア)などがある   が、これらは、都市部は地下鉄、郊外は高架鉄道と使い分けられている。  ・その後、地下鉄化が進み、2004(H16)年にボストンに残っていた高架区間が廃止   された事から、現在残っているのは、ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィア   の3都市のみか。 8.地下+蒸気 (1)Metropolitan Railway  ・世界第一号は、1863(文久3)年開業、ロンドンのメトロポリタン鉄道である。  ・蒸気による地下鉄は、この鉄道が唯一で、後に電化された。 (2)概説  ・排煙のため、線路のところどころに、天井が無い区間があったが、その程度   では十分な排煙が出来ず、乗客の中には気分が悪くなり死亡例もあったようだ。 9.地下+ケーブル (1)Tunel (Istanbul Metropolitan Municipality)  ・このケーブルカーは、トルコのイスタンブールに現存する地下ケーブルカーで、   1875(M8)年に開業。世界で二番目に開業した地下鉄と言われている。  ・ただし、この路線は市街上部と下部を単純往復するものなので、地下鉄とみな   されないケースもある。 (2)Glasgow Subway  ・イギリス・スコットランドのグラスゴーにある地下鉄。1896(M29)年開業。   世界で四番目に開業した地下鉄。当初の動力は循環式ケーブルであったが、   後に電化。 (3)概説  ・ケーブルを使った地下鉄は、この2例のみか? 10.地下+電気 (1)Budapest Metro  ・ハンガリーのブダペスト地下鉄は、1896(M29)年開業で、世界で三番目に   開業した地下鉄。電気で動く地下鉄としては世界最初で、ユーラシア大陸   における最初の本格的地下鉄でもある。 (2)概説  ・地下鉄の開業順は、ロンドン、イスタンブール、ブダベスト、グラスゴー、   ボストン、パリ、ベルリン、ニューヨーク、フィラデルフィア、ハンブルグ、   ブエノスアイレス、マドリッド、バルセロナ、アテネ、シドニー、東京の順   らしい。  ・パリの地下鉄建設に際しては、地下鉄の排煙問題や、高架鉄道の景観・騒音   問題もあり、どちらにすべきか議論があったが、地下鉄を選択、川や鉄道を   跨ぐ区間のみを高架にした。高架区間については、橋脚をコンクリートで作   り、車輪をゴムタイヤにするなど、騒音が出ない工夫がされている。 11.モノレール (1)Wuppertaler Schwebebahn  ・実験的なモノレールが、これ以前にあったが、実用的なモノレールの世界第一   号は、1901(M34)年に開業したドイツ・ヴッパータール空中鉄道と言われている。
2016 年 02 月 25 日 20:54:55 (15087) Y.Matsuuraさんの書き込み JR四国バスの大栃線で5月10日からICカードが使えるようになります。 http://www.yomiuri.co.jp/local/kochi/news/20160224-OYTNT50064.html 対象は現在とさでん交通などで導入されている「ですか」で、全国共通ICカード サービスとは無縁の存在です。 ちなみに、松山高知急行線の高知県側を引き継いだ黒岩観光は、現時点では 「ですか」対応は見送りのようです。
2016 年 02 月 24 日 14:31:10 (15086) ふもふも館長さんの書き込み 引き続き、パリ地下鉄の乗り潰しにも挑戦したので、結果を報告したい。 1.概要 (1)乗り潰しに充てた期間は、1/20(水)〜21(木)の2日間。パリは2回目であるが   前回訪問時は24時間程度しか滞在していなかったので、土地勘はほとんど無く、   地下鉄に対する思い入れも、ほとんどなかった。 (2)リアル乗り潰しよりも、海外駅コレクションの完乗に重きを置いた。リアル   完乗を目標としなかったため、リアル54%、駅コレ100%という結果になった。 (3)使用した切符は、Paris Visiteパス。Zone1-3, 2日間を購入。この切符は、   乗車前に氏名、最初日、最後日を記入する必要があり、ちょっと面倒。 2.ダッシュが含まれる駅 (1)Line 13「Asnieres - Gennevilliers - Les Courtilles駅」は、アニエール   地区とジュヌヴィリエ地区に跨るレ・クルティーユ駅という意味と推察する。   AsnieresとGennevilliersも、駅名の一部とみなされている。    一方、Line 12「Aubervilliers - Front Populaire駅」は、オーベルヴィリ   エ地区のフロン・ポピュレール駅という意味と推測するが、Aubervilliersは、   駅名の一部とはみなされていないようだ。 (2)「Charles de Gaulle - Etoile駅」は、シャルル・ド・ゴール広場と、エト   ワール凱旋門の近くにある。もともとはエトワール駅と呼称していたが、広場   の改称に伴い、両名併記のような駅名になった。    一方、「La Defense - Grande Arche駅」の場合は、新凱旋門(グランダルシュ)   は、副駅名扱いで、駅名の一部とはみなされていないようだ。 (3)ダッシュは、ハイフンより少し長めの記号で、ハイフンとは別記号。一般的な   方法で入力できない事から、改行、空白、ハイフン、ハイフン2個、イコール等   で代用しているようだ。 3.フランス語 (1)アクセント記号は削除した。 (2)ダッシュ記号は、ハイフンと区別するため、スラッシュに変換した。   例:Asnieres/Gennevilliers/Les Courtilles駅 (3)駅の読み方がわからず、綴りも覚えられず、乗換や記録に苦労した。 4.路線図作り (1)パリ交通局で配布している路線図には、地下鉄以外のREPやトラムも掲載され   ている。地下鉄乗り潰しを考えると邪魔なため、画像から削除した。 (2)Grands Boulevards - Republiqueは複々線だが、Line 8と9で別線扱いとした。 (3)Line 10 Auteuil Branchの終点はJavel/Andre Citroenとしたが、実際の分岐   点はMirabeau駅構内にある。 (4)路線名が数字だけというのは無味乾燥に思った。   5.乗り潰し方針 (1)海外駅コレの完乗を最優先とし、リアル完乗は目標にしなかった。 (2)地下区間は駅コレできないと考え、REPやバスを使い、外から攻めた。 (3)初期に建設されたLine 1, 2, 6(CMP)に見どころが多い事に気づき、この3   路線については、リアル完乗を目指した。 6.リアル乗り潰し (1)完乗した路線   ◇Line 1 24区間完乗   ◇Line 2 24区間完乗   ◇Line 3bis 3区間完乗   ◇Line 6 27区間完乗   ◇Line 11 12区間完乗 (2)そこそこ乗った路線   ◇Line 4 26区間中10区間未乗(62%)   ◇Line 5 21区間中9区間未乗(57%)   ◇Line 7 37区間中15区間未乗(69%)   ◇Line 10 23区間中7区間未乗(70%)   ◇Line 12 28区間中13区間未乗(54%) (3)ちょっと乗った路線   ◇Line 3 24区間中16区間未乗(33%)   ◇Line 8 37区間中29区間未乗(22%)   ◇Line 13 31区間中24区間未乗(23%) (4)全く乗っていない路線   ◇Line 7bis 5区間中5区間未乗(0%)   ◇Line 9 36区間中36区間未乗(0%)   ◇Line 14 8区間中8区間未乗(0%) 7.海外駅コレクション  ・リアル乗り潰しは54%、全くの未乗路線が3路線もあるにも関わらず、   戦略により、全駅取得=目標達成できた。
2016 年 02 月 21 日 12:55:23 (15085) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【702】川池線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇川池線   川池本線    1 川之江−阿波池田    2 七田−阿波佐野   三島線    1 上分−伊予三島    2 三島口−伊予三島   新宮線    1 伊予金田−新瀬川   金砂線    1 堀切トンネル口−日浦  ※白地〜白地温泉前、本村〜下川は、路線名称に無い  ※川池本線1は境谷橋経由、川池本線2は境目経由 1.2 路線略図      川之江      +◎ 天生津  金生農協    ・−+−−−○−−○山田井支    |        |所前    |  川之江   |     棒賀○−−○下川    ・−○市民会 ○−・  伊予  /        阿波      |館前  |河原田 半田 / 椿堂      佐野 佐馬地 白地      |    |団地前 ○−+−−○−−○−−○−−○−−○−−○  蓮見町      |  上分|   /       七田\境谷橋/      |\  ○−◎      ・−−−−○−−○伊予金田       \ /       |/  |阿波池田           /    \         境目○   白地温泉前○   ・         /      \                   |  /     柏平田○        \                  ・−○中西        |     堀切トン○  三島本町  |     ネル口  \    ○−−−○三島口        ・−○−−○堂成    |   |            伊予   \  西町○−◎ |            新宮    ○程野    | 伊予|                  |    | 三島|                  ○新瀬川    ・−−−○中央五丁目 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・川池本線1 川之江〜上分 ・三島線1 上分〜妻鳥〜三島口〜西町〜伊予三島 2.2 掲載 ・+4日目 9/20(金) S61.1号 4.四国編 単行本 p344〜345 2.3 行程 ○川之江1745→1800上分 川之江発 阿波池田行 川池本線1 531-8413(いすゞBU10) ○上分1830→1845伊予三島 上分発 伊予三島行 三島線1 331-7012(いすゞCCM410) 2.4 エピソード ・川之江〜阿波池田間のバスは先年乗っており、上分停留所が意外に大きな駅だ  ったのに感心したことだが、今日はそこで降りる。上分駅前では「森永アイス  クリン」を試食。 ・伊予三島行きが来たときはすっかり暗くなり、狭い道を行くと妻鳥と書いた停  留所が現れた。伊予三島の市内を一回りして駅前へ入った。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・川池線は、1934(S9)年3月に川之江〜阿波池田が開業したのがルーツで、1936  (S11)年12月に三島線上分〜伊予三島が開業した。 ・この路線は、予讃本線と土讃本線との短絡路線としての使命を有していた他、  沿線地方の産業文化の発展助長を使命としていた。 ・戦後は、1950(S25)年5月に新宮線伊予金田〜堂成が開業し、1951(S26)年11月  に新宮線中山口〜奥の院が開業した。また、1952(S27)年9月には貨物路線の祖  谷線(三縄〜久保及び祖谷若林〜祖谷小川)が開業した(1966(S41)年6月廃止  公示)。 ・その後、1953(S28)年11月に新宮線伊予新宮〜天日(1960(S35)年2月廃止)、  1954(S29)年7月に新宮線奥の院〜佐々連、1955(S30)年6月に川池本線川之江  〜伊予三島が開業した。 ・1959(S34)年7月に金砂線小川橋〜猿田橋、同年12月に新居浜線(伊予三島〜新  居浜)が開業し、1962(S37)年12月には新居浜線新居浜東城〜伊予西条駅前及び  三島線三島口〜平野山が開業した。 ・1964(S39)年2月に川池本線川之江〜六地蔵〜上分が開業した。また、1967(S42)  年9月に新宮線堂成〜新瀬川が開業した。 ・1970(S45)年1月に川池本線のうち、川之江〜馬場先〜上分、中西〜三縄駅前が  廃止された。1971(S46)年4月に金砂線の平野山〜富郷橋が廃止された。 ・北四国急行線開業(1970(S45)年3月)に伴う民間バスへの見返りとして、川池  線伊予三島〜阿波池田に瀬戸内運輸3往復の乗入れがなされた。 ・1972(S47)年12月に川池本線七田〜境谷橋〜阿波佐野が開業した。 ・1978(S53)年12月に金砂線佐々連鉱業所前〜佐々連が廃止され、1980(S55)年12  月には同線小川橋〜佐々連鉱業所前、1981(S56)年5月末限りで同線日浦〜小川  橋がそれぞれ廃止公示がなされた。 ・1985(S60)年3月末限りで三島線西町〜小川橋及び川之江〜西町の廃止が公示さ  れた。 ・1985(S60)年当時、線内の阿波佐野に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行  の拠点として、川之江自動車営業所(国鉄営業所前)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、川池本線の川之江〜  国鉄営業所前が位置づけされた。 ・1986(S61)年12月28日付けで川池本線の七田〜阿波佐野及び金砂線(堀切トン  ネル口〜日浦)の廃止公示がなされた。 ・国鉄最末期の1987(S62)年2月、川池本線の川之江〜天生津〜上分が開業した。  また、同月には川池本線の白地〜白地温泉前が「国鉄自動車路線名称」に位置  付けられた。 ・同じく1987(S62)年3月29日付けで川池本線の川之江〜国鉄営業所前の廃止が  公示された。 ・国鉄民営化を経て、川池線はJR四国に継承された。 ・1987(S62)年4月、川池本線本村〜下川が開業した。 ・1990(H2)年3月に川之江〜山田井〜上分が廃止され、1991(H3)年4月には新宮  線伊予新宮〜新瀬川が廃止された。同年6月末限りで参川口〜宮原が廃止され  た。 ・「四国旅客鉄道バス川池線時刻表」(1990(H2)年3月10日改正)によると、西  讃線には次のような系統が設定されていた。  (川池本線)    川之江〜阿波池田 9往復(所要1時間)    阿波佐野〜阿波池田 下り5本(うち日祝学休日運休1本、日学休日運行     1本、日祝運休1本)・上り4本(うち日祝運休1本)    川之江〜下川 下り4本(うち土曜運行1本、土曜運休1本)・上り3本     (うち土曜運行1本、土曜運休1本)    上分〜下川 上り1本(所要18分)  (三島線)    川之江〜伊予三島 下り5本(うち日祝運休1本)・上り6本(うち日祝     運休1本)(所要30分)    上分〜伊予三島 下り3本・上り2本     (新宮線)    川之江〜新瀬川 4往復(うち日祝冬休運休1往復、土曜運行1往復、土     曜運休1往復)(所要1時間10分)    川之江〜堂成 下り2本(所要1時間5分)    伊予三島〜堂成 上り2本(所要1時間7分) ・1994(H6)年12月、三島線の三島口〜西町〜伊予三島が廃止された。 ・1999(H11)年3月末限りで、上分〜下川、上分〜伊予新宮、伊予三島〜上分の  各区間が廃止された。 ・2001(H13)年3月末限りで、最後まで残った川之江〜阿波池田及び白地〜白地  温泉が廃止され、川池線は全廃された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、川池線には接続駅(川之江、  阿波池田及び伊予三島)の他、阿波佐野に第一種委託駅(自動車駅)が置かれ  ていた。
2016 年 02 月 21 日 12:54:21 (15084) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【701】西讃線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇西讃線   西讃本線    1 観音寺−琴平   善通寺線    1 一の谷−善通寺大通   仁尾線    1 観音寺−善通寺    2 琴弾公園口−観音寺海水浴場   荘内線    1 仁尾−箱 1.2 路線略図     ○箱    /   ○肥地木    \     ○荘内大浜      \                 善通寺       ○名部戸   詫間        国立病        \  中郷  ◎    鳥坂  院前       仁尾○−−○−−+−−○−−○−○−○−・          |       西大見   吉原  | 善通寺         |               ・−○−−◎       曽保○               |善通寺         |           大日○−・大通       室本○            /         |           /   観音寺   |琴弾      田井○             琴平   海水浴場○−○公園口      /           ・−+◎         |    一の谷 /            | |         ・−◎−−−○−○讃岐笠田         +−・          観音寺   \              ○琴平南口                 \  長瀬橋   上佐文 /               山本町○−−○−−○−−○−・                       横谷口 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・西讃本線1 琴平〜山本町〜一の谷 ・善通寺線1 一の谷〜善通寺大通 ・仁尾線1 善通寺大通〜詫間〜仁尾〜琴弾公園口〜観音寺 2.2 掲載 ・+4日目 9/20(金) S61.1号 4.四国編 単行本 p341〜343 ・連載誌 観音寺駅前(正しくは琴平駅前)の国鉄バス、琴平駅前 ・単行本 琴平駅前の国鉄バス ・誤記 写真(観音寺駅前) 連載誌のみ 2.3 行程 ○琴平1225→1302一の谷 西讃本線1 琴平発 観音寺行 331-2472(いすゞK-CDM410) ○一の谷1345→1418善通寺大通 善通寺線1 観音寺発 善通寺行                          331-5479(いすゞP-LR312J) ○善通寺大通1442→1451吉原 仁尾線1 善通寺発 詫間・仁尾経由 観音寺行                          331-5478(いすゞP-LR312J) ○吉原1551→1657観音寺 仁尾線1 善通寺発 詫間・仁尾経由 観音寺行                          331-4477(いすゞP-LR312J) 2.4 エピソード ・三角屋根駅舎の前に石燈籠が並ぶ琴平駅前広場をあとに、バスは脇道へ向かっ  た。道が狭いため市街地は上下ルートを変えている。 ・数人の主婦が乗り降りしただけのバスは田畑の中をたんたんと走り、30分足ら  ずで乗り継ぎ地点の一の谷着。観音寺市内とはいえ、一の谷は小さな集落に過  ぎず、待ち合わせ時間は四国霊場七十番札所本山寺を散歩。 ・観音寺から来た善通寺行きバスも閑散。旧道へ入ると、「四国横断道路豊中工  事現場にぶつかり、先ほど「あしずり」から見た五岳山が迫る。細いSカーブ  で小さな大日峠を越え、筆の山の麓を善通寺市街地に下る。 ・仁尾経由観音寺行きは善通寺大通で先客ゼロだったが、お寺近くの大量乗車で  席が埋まり、その後も停留所ごとに続々乗り、立ち客が出た。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・西讃線は、1936(S11)年2月に観音寺〜琴平及び観音寺〜観音寺海水浴場が開業  したのがルーツで、同年11月には豊浜線財田大野〜豊浜が開業し、1937(S12)年  8月には善通寺線一の谷〜善通寺、仁尾線仁尾〜善通寺大通及び仁尾〜蔦島渡  船場が開業した。その後、1944(S19)年10月に仁尾線琴弾公園〜仁尾が開業した。 ・この路線は、鉄道の補助、地方産業文化の発展助長を使命としていた。 ・戦後は、1950(S25)年5月に川池本線観音寺〜観音寺港(1971(S46)年8月廃止)、  1954(S29)年11月に六ノ坪〜本山(1962(S37)年11月廃止)、1956(S31)年4月に  仁尾線仁尾〜生里、同年11月に善通寺線一の谷〜六ノ坪が開業した(1974(S49)  年11月廃止)。 ・1958(S33)年7月に荘内線生里〜箱、1960(S35)年1月に三豊線(観音寺〜川之  江)が開業した。 ・1963(S38)年2月、琴平参宮電鉄、高松琴平電鉄両社と運輸協定が成立し、国鉄  バスの高松乗入れが実現した(西讃本線琴平〜善通寺大通、高松線善通寺大通  〜讃岐新宮〜高松が開業)。 ・1964(S39)年4月、五郷線黒淵〜阿波佐野が開業し、観音寺〜阿波池田の直通運  転が開始された(1971(S46)年8月廃止)。 ・北四国急行線開業(1970(S45)年3月)に伴う民間バスへの見返りとして、西讃  線善通寺〜詫間に琴平参宮電鉄5往復の乗入れがなされた。 ・1982(S57)年1月に高松線のうち讃岐新宮〜高松が廃止された。同年2月末限り  で西讃本線のうち琴平〜善通寺大通、三豊線(観音寺〜川之江)、善通寺線の  六ツ松〜鳥坂、高松線(善通寺〜讃岐新宮)の各区間の廃止が公示された。 ・1983(S58)年3月、仁尾線の仁尾〜蔦島渡船場の廃止公示がなされた。 ・1985(S60)年3月末限りで豊浜線(山本町〜豊浜)の廃止が公示された。 ・1985(S60)年当時、線内の仁尾に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠  点として、観音寺自動車営業所(観音寺)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月、荘内線(仁尾〜箱)の廃止が公示された。 ・国鉄最末期の1987(S62)年2月に西讃本線の鞘橋〜琴平及び仁尾線の松崎〜詫間  が国鉄自動車路線名称に位置付けられた。 ・同じく1987(S62)年3月29日付けで仁尾線の琴弾公園口〜観音寺海水浴場の廃止  が公示された。 ・国鉄民営化を経て、西讃線はJR四国に継承された。 ・「四国旅客鉄道バス西讃線時刻表」(1990(H2)年3月10日改正)によると、西  讃線には次のような系統が設定されていた。  (西讃本線)    観音寺〜琴平 9往復(うち日曜祝日運休1往復)(所要41分)  (善通寺線)    観音寺〜善通寺 2往復(所要40分)  (仁尾線)    観音寺〜善通寺 下り9本・上り10本(所要1時間5分)    観音寺〜詫間 下り4本・上り3本(うち日曜祝日運休1往復)(所要34分)    観音寺〜仁尾 1往復(所要19分)    仁尾〜詫間 上り1本(所要14分) ・1991(H3)年8月末限りで善通寺線(一の谷〜善通寺大通)が廃止された。 ・1996(H8)年12月末限りで西讃本線の観音寺〜琴平及び鞘橋〜琴平が廃止された。 ・1998(H10)年3月末限りで最後まで残った仁尾線(観音寺〜善通寺及び松崎〜  詫間)が廃止され、西讃線は全廃された。なお、観音寺営業所は貸切(後に高  速も)担当営業所として存続した。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、西讃線には接続駅(観音寺、  川之江、豊浜、善通寺、高松、詫間及び琴平)の他、仁尾に第一種委託駅(自  動車駅)が置かれていた。
2016 年 02 月 13 日 15:07:41 (15083) ふもふも館長さんの書き込み ロンドン地下鉄の乗り潰しに挑戦したので、結果を報告したい。 1.概要 (1)乗り潰しに充てた期間は、1/17(日)〜19(火)の3日間。もちろん、これだけを   やっていたわけではないが、2348着の列車や、559発の列車に乗るなど、結構   がんばった。 (2)リアル乗り潰しの他、海外駅コレクションというケータイ位置情報による   乗り潰しにも挑戦。どちらも100%を目指し、出来ると思っていたが、どちらも   途中で断念、リアル83%、駅コレ97%という残念な結果に終わった。 (3)使用した切符は、一日乗車券(Travelcard)ではなく、Oyster Card。この   カードは、daily charging limitがあり、一定額以上は課金されないCapsと   いう仕組みがある。これを利用した結果、誤作動、誤使用により、多額のペナ   ルティーを食らい、帰国後、交渉して£24(約4300円)を返金してくれる事に   なったが、受け取る術がなく泣き寝入りとなった。 2.路線図作り (1)ロンドン交通局で配布している地下鉄路線図には、地下鉄以外の交通機関も   掲載されている。利用者から見るとありがたい事ではあるが、地下鉄乗り潰しを   考えると邪魔なため、画像から削除した。 (2)線路を共有している区間と複々線区間は、歴史的経緯を考慮し、一方のみに   計上する事にして、画像から削除した。具体的には以下の通り。   ◇Circle lineは、丸を構成する2区間を除き、他方に計上   ◇Piccadilly line Rayners Lane以遠、Jubilee line Wembley Park - Finchley    Roadは、Metropolitan lineに計上   ◇Hammersmith & City line Aldgate East以遠、Piccadilly line Barons Court -    Acton Town - Ealing Commonは、District lineに計上   ◇District line(Richmond)のGunnersbury以遠、Bakerloo lineのQueen's Park    以遠は、National Railに計上 (3)Metropolitan line Harrow-on-the-Hill - AmershamをNational Rail(Chiltern   Railways)で乗車した場合、地下鉄乗車とみなす事にした。 (4)路線順は、ABC順ではなく、開業順とした。   3.乗り潰し方針 (1)以前に訪問した時の記録を無視し、まっさらな状態で乗り潰しに挑戦するつ   もりだったが、そうも言ってられなくなったので、以前の乗車記録も含めた。 (2)開業時期が古い路線は、開削工法で建設された事から「surface」、新しい路   線は「tube」と呼んでいる。「surface」については、完乗優先度を高くした。 4.リアル乗り潰し (1)Metropolitan line 33区間中1区間未乗(97%)   ・完乗したつもりでいたら、Finchley Road - Wembley Parkが未乗と判明。   ・この路線は、MaryleboneからChiltern Railwaysに乗って、Amershamに先行    する作戦だったので、この区間も並行している。ただし、この区間を地下鉄    乗車とみなすのは拡大解釈と思った。なお、Harrow-on-the-Hill以遠は、    線路を共同利用しており、車両は異なるが、地下鉄乗車区間とみなした。   ・Amersham Railway Station - Chesham Town Centreは、バスを利用したが、    迂回路線だったため、時間短縮にはならなかった。 (2)Hammersmith & City line 11区間完乗 (3)District line 57区間中2区間未乗(96%)   ・完乗したつもりでいたら、Earl's Court - Barons Courtが未乗と判明。    この区間は、Piccadilly lineもあるが、経路が異なるため、複々線と    みなす事ができないと考えた。 (4)Circle line 2区間完乗   ・駅コレでは35駅。重複区間を除くと、わずか2区間しか残らなかった。 (5)Northern line 51区間中27区間未乗(47%)   ・時間不足のため、多数を残してしまった。 (6)Waterloo & City line 1区間完乗   ・平日限定路線で、前回訪問時は、乗りたくても乗れなかった。   ・途中駅は無く、歴史を感じる。お勧め。 (7)Central line 49区間完乗   ・Woodfordから、Hainault経由で帰路についたが、終電だった。 (8)Bakerloo line 15区間完乗 (9)Piccadilly line 43区間中17区間未乗(60%)   ・Great NorthernでBowes Park駅に着き、Bounds Greenまで歩いて    Piccadilly lineに乗車した所、隣駅で運転打ち切り、バス代行と    なった。日曜日であったが、計画休止ではなかったようだ。   ・そのため、ロンドン交通博物館のあるCovent Garden以遠の大半が    未乗となってしまった。   ・今回、空港線に乗らなかったため、環状部、延伸部も未乗となった。   ・なお、Heathrow Terminals 1, 2, 3駅は、2016年1月までにHeathrow    Terminals 2 & 3駅に改称した模様。 (10)Victoria line 15区間中1区間未乗(93%)   ・終点区間のみ乗り残す。 (11)Jubilee line 20区間中4区間未乗(80%)   ・以前訪問時はCharing Crossが終点だったが、未乗のまま廃止区間となっ    てしまった。前回訪問したCanary Wharf以遠が未乗。 5.海外駅コレクション (1)概況   ・地下鉄内ではケータイが使用できなかった。そのため、単に乗車しただけ    は、駅が盗れないため、いちいち改札を出て、地上まで出る必要があった。    このため、思った以上に時間を取られてしまった。なお、Circle lineなど    途中に開削区間がある路線は、ケータイが時々使えた。   ・郊外では、National Railに乗車した際に、近接する地下鉄駅を盗る事が    できた。 (2)結果   ・Northern line以外は完乗できた。なお、乗車区間内のBelsize Park駅    が未取得で残ってしまった。 6.Oyster Card (1)種類   ・Visitor Oyster Cardは、外人向けのため、英国内では購入できないようだ。   ・Wikiによると、普通版は、2年間利用が無いとチャージ料金が無効になると    あるが、本当だろうか?違いは、デザインとデポジットのみ?   ・入金した分だけ乗車する事を、PAYG(Pay as you go)というようだ。 (2)仕組み   ・帰国後、Oyster onlineに登録。履歴を調べ、仕組みがわかった。    ◇入場時に、Fare cappingを調べ、Cap上限に達しているかを調べる    ◇Cap上限まで、最大片道運賃を引く。     ・鉄道の場合、Off-Peak時間なら£5.30、Peak時間なら£7.70を引き     ・バスの場合、普通運賃£1.50 ※バスは乗るときのみ     ・Cap上限なら、£0    ◇降りるときタッチ。取りすぎた分を返す。 (3)ペナルティー   ・旅行中、何度もお金が不足するので、おかしいとは思っていたが、確かめる    手段がなかった。   ・履歴を見ると[No touch-out]が1回、[No touch-in]が2回あり、それぞれに    最大片道運賃£7.70(約1400円)がひかれていた。3日間ともそれなりに乗車    したのでCap上限に達していたが、この3回分はペナルティー?として、Cap    上限の対象外となっているらしい。   ・3回の内、1回は入場した後、忘れ物を取りに係員に行って改札を開けてもら    い出場し、再入場時に再びタッチした事である事に気づいた。これ以外は、    正しくタッチしたつもりだった。   ・Suicaなら入出場時にロックされ、窓口で精算する事になるが、ロンドンの    場合、無人駅が多いため、このような仕組みになっているのかもしれない。
2016 年 02 月 13 日 08:17:10 (15082) ふもふも館長さんの書き込み 不毛な掲示板が攻撃され、大量の投稿により、昨年9/6以降の投稿データが上書きされ、消失してしまいました。 手元のバックアップから復元しましたが、それでも12/19以降の投稿は復元できませんでした。 今朝、気づいたのですが、昨日、気づいていれば傷は浅かったかもしれません。 慎重に復旧すれば、データ消失は防げたかもしれません。申し訳ありません。
2016 年 02 月 12 日 21:31:05 (15081) Y.Matsuuraさんの書き込み 2/13にいよいよ新東名の浜松いなさ〜豊田東間が開通しますが、JR高速バスの 経路変更が果たしていつから実施されるのかが気になりますね・・・ 所要時間に影響はなく、途中に客扱い停車地もないのでリリースされませんが、  ・新東名スーパーライナー  ・ドリーム号のうち現在新東名を経由する便 は何処かのタイミングで確実に経路変更されるはずですけど。
2015 年 12 月 19 日 23:32:57 (15067) ふもふも館長さんの書き込み 奈良〜加茂の路線推移 1.S34.8.1時点の推定路線図                          中和束  貴生川                           Λ    Λ                           |    |                           |    |                         口畑○    |                           |    |                           |    |                           +・・・・+                           |    |か       ・…………………………………………………+−○−○○み       :                   ・/瓶み井上い       :                   + ノか平井ひ       :                 ・−+ 原の尾平ら       :                 | ・  は 尾お       :                 |・   ら       :       ・−−−−−−−−−◎加茂       :      /          |       :     /          里|       :    /          ・・○−・       :・−−+          ・     \       :|   ・     ・・・+       ・       +◎    ・   ・   ・       |       |木津    ・・・    ・       + くぬぎ   ・   ・             ・      ・ ○櫟坂   ・ ・  \            ・ ・・・・・   ・   ・・・・・・+・・         ・・        |         |           +         ○辻         |           ・         |         |           ・         ○大畑口         |           ・         +    **+−−・           ・        /|    * |               ・      / |    ◎−・                ○−−−−・  ○岩船寺前    奈良               九体寺前      |                     くたいじ      ・−○北  ・1940(S15).11.5に、近城線 加茂〜清水橋を開業。当時の加茂町内の経路は、   線路に沿って進むのではなく、町内を経由していたと推測。  ・1951(S26).5.5に、近城線 加茂〜辻を開業。  ・1953(S28).5.25に、近城線 奈良〜加茂を開業。   奈良駅〜近鉄奈良駅前の経路について、油坂船橋商店街を経由するのが一般   的だが、過去の路線図によると、近鉄奈良駅と奈良駅間で鉤状になっている   ので、上三条町経由と推測した。   開業当時は、近鉄奈良駅前を経由しなかったと思われるので、三条通を一の   鳥居前まで直進していた可能性もある。なお、杉ヶ中町・本子守町経由の道   は、当時は未開通だった模様。  ・1954(S29).10.20に、近城本線 辻〜岩船寺前、瓶ノ原〜石寺〜中和束を開業。  ・1957(S32).2.10に、近城本線 岩船寺前〜北を開業。   北は、奈良市北村にあったと思われる。奈良交通 笠置線 奈良駅〜広岡の便   が、北村バス停を経由しており、一日数便ある。  ・1957(S32).10.1に、近城本線 岩船寺前〜九体寺前を開業。なお、運行期日は   近畿事務所長が定めるとあるので、当時は、通年運行ではなかったようだ。  ・1958(S33).2.15 近城本線 加茂〜瓶ノ原を休止し、木津〜瓶ノ原を開業。   公示では、当分の間休止、加茂〜瓶ノ原間の休止期間中営業とあり、路線名   称の改正は無かった。休止理由は不明。泉大橋(S26架橋)経由と推測。  ・1958(S33).7.1 近城本線 加茂〜瓶ノ原の休止を解除し、木津〜瓶ノ原を廃   止。もともと路線名称に無いので、廃止に伴う改正は無かった。 2.S41.7.8時点の推定路線図                          中和束  貴生川                           Λ    Λ                           |    |                           |    |                         口畑○    |                           |    |                           |    |                           +・・・・+                           |    |       ・…………………………………………………+−○−○○       :                   ・/瓶 井上       :                   + ノ 平井       :                 ・…+ 原 尾平       :                 : ・    尾       :                 :/       :       ・−−−−−−−−−◎加茂       :      /          |       :     /          里|       :    /     山城   ・−○−・       :・−−+      観音寺 /     \       :|   ○     ○−−○二本松    ・       +◎   鹿\   ○   ・       |       |木津  口 ○−・観   ・       +   ・   ・    橋 鹿か 音   ・      ・ ○櫟坂   ・ ・  \     背せ 寺   ・ ・・・・・   ・   ・・・・・・+・・  山や 南   ・・        |         |     ま 口   +         ○辻         |           ・         |         ○手貝町        ・         ○大畑口         |           ・         +    **+○−・           ・        /|    * |近鉄奈良           ・      / |    ◎−・駅前              ○−−−−・  ○岩船寺前    奈良               九体寺前      |                               ・−○北  ・1962(S37).4.16に、近城本線 木津〜里を開業。  ・1962(S37).10.10に、近城本線 加茂〜瓶ノ原を開業。   加茂町内の新経路開業で、中森経由と推測する。  ・1963(S38).2.15に、路線名称「木津−里、加茂−北」を「木津−里−加茂、   里−北」に変更。  ・1963(S38).5.20に、近城本線 加茂〜瓶ノ原を廃止。   加茂町内の旧経路を廃止し、中森経由を第一区間に組み込んだと推測。 3.S60.6.20時点の推定路線図                          中和束  貴生川                           Λ    Λ                           :    |                           : 奥畑口○                         口畑○   井|                        仏生寺○  平平|                           :  岡尾|                       近城岡崎○−−○○+                           |    :       ・…………………………………………………+…○○○○       :                   |:瓶平井上       :               恭仁大橋○ ノ岡平井       :                 ・…+ 原 尾平       :                 : ○中   尾       :                 :/ 森       :       ・−−−−−−−−−◎加茂       :      /          |       :     /          里|       :    /     山城   ・…○−○草畑       :・−−+      観音寺 :     \       :|   ○     ○……○二本松    ・       +◎   鹿○   ○   :       |南加茂台       |木津  口木○…○観   :       ○1丁目   ・   ・    橋津鹿 ゴ音   :      / ●櫟坂   ・ ・  \    高背 ル寺   : ○−○−○   ○尻枝口   ・・・・・・+・・ 校山 フ南   :/塚 南 南   ○下手口         |   前  場口   + 穴 加 加   ○辻         |      前    | 公 茂 茂   ○勝風口         ○手貝町        | 園 台 台   ○大畑口         |           | 前 5 2   ○西畑口    **+○−・         西小○        /|    * |近鉄奈良           \  東小  / |    ◎−・駅前         浄瑠璃寺前○−○−−○  ○岩船寺前    奈良            (九体寺前)     西畑 :                               ・…○北  ・1967(S42).12.21に、近城本線 岩船寺前〜北を廃止。  ・1971(S46).3.7に、路線名称「岩船寺前−九体寺前」を「九体寺口−九体寺   前」に変更。九体寺口の開駅(S44.10.16)に伴う区間変更。  ・1973(S48).11.1に、近城本線 瓶ノ原〜口畑を廃止し、加茂〜近城岡崎〜口   畑を開業。路線名称「瓶ノ原−石寺−中和束」を「加茂−…」に変更。   これは、口畑・石寺経由の分岐を瓶ノ原から恭仁大橋に変更した事に伴うも   ので、廃止区間は瓶ノ原〜近城岡崎、開業区間は恭仁大橋〜近城岡崎と推測。  ・1977(S52).6.10に、近城本線 二本松〜九体寺前を開業。路線名称「木津−里   −加茂、里−岩船寺前、九体寺口−九体寺前」を「木津−二本松、加茂−岩   船寺前、里−二本松−西畑口」に変更。九体寺口は、西畑口に改称か。  ・1982(S57).3.1に路線名称「里−二本松−西畑口」を「南加茂台一丁目−浄瑠   璃寺−西畑口」に変更。これは、以下の通りと推測する。   ◇里〜二本松〜西小を廃止し、南加茂台一丁目〜西小を開業か。   ◇九体寺前は、浄瑠璃寺に改称か。   ◇木津〜山城観音寺〜二本松〜加茂のローカル便は、山城観音寺以東を休止    か。なお、木津〜山城観音寺も、S60.6.20までに休止されている。  ・1984(S59).4.1に、近城本線 近城岡崎〜中和束を廃止。路線名称「加茂−石   寺−中和束」を削除。   この時までに、恭仁大橋〜瓶ノ原〜奥畑口を廃止し、近城岡崎〜奥畑口を開   業していたようで、残存区間である「加茂〜近城岡崎」は第一区間に組み込   まれた。  ・1989(H1).11.1に、近城本線 奈良〜木津〜加茂、木津〜二本松を廃止。  ・2002(H14).10.1に、近城本線 加茂〜信楽、加茂〜岩船寺前、南加茂台一丁目   〜浄瑠璃寺〜西畑口を廃止。
2015 年 12 月 19 日 05:15:56 (15066) zueignungsabsichtさんの書き込み 第2回奈良県公共交通基本計画策定委員会を開催しました 議事次第 http://www.pref.nara.jp/secure/150769/2shidai.pdf http://megalodon.jp/2015-1219-0439-49/www.pref.nara.jp/secure/150769/2shidai.pdf 委員名簿 http://www.pref.nara.jp/secure/147582/meibo.pdf http://megalodon.jp/2015-1219-0440-27/www.pref.nara.jp/secure/147582/meibo.pdf 資料1_移動ニーズに応じた交通サービスの実現 http://www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo1.pdf http://megalodon.jp/2015-1219-0447-18/www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo1.pdf 資料2_奈良県公共交通基本計画素案 http://www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo2.pdf http://megalodon.jp/2015-1219-0450-26/www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo2.pdf 資料3_地域公共交通網形成計画素案 http://www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo3.pdf http://megalodon.jp/2015-1219-0454-43/www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo3.pdf 別添1(前半)  http://www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo3-1-1.pdf http://megalodon.jp/2015-1219-0458-07/www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo3-1-1.pdf 別添1(後半)  http://www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo3-1-2.pdf http://megalodon.jp/2015-1219-0459-55/www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo3-1-2.pdf 別添2 http://www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo3-2.pdf http://megalodon.jp/2015-1219-0511-15/www.pref.nara.jp/secure/150769/2shiryo3-2.pdf 議事録 http://www.pref.nara.jp/item/151081.htm#itemid151081
2015 年 12 月 15 日 22:50:28 (15065) ふもふも館長さんの書き込み 2015.10.1より、JRバス関東と小田急箱根高速バスで、東京駅〜御殿場・箱根桃源台 の高速バスを運行しています。キャンペーン価格が12/25までという事もあり、乗車 することにしました。下り便は、下車客が居ないと通過=経由しない可能性があるの で上り便を狙ってみました。 経路は以下の通り。 ◇箱根桃源台[乗2]、県道75号、パレスホテル箱根前[乗]、仙石高原[乗]、  仙郷楼前[乗]、箱根仙石案内所[乗]、仙石原を右、国道138号、(社)品の木を右、  左で構内入、箱根ガラスの森[乗]、構内出て左、、国道138号、金時登山口[乗]、  乙女峠[乗]、県道401号、東田中一丁目を左、右、御殿場駅(乙女口)[乗]、  左、東田中一丁目を右、左で構内入、東名御殿場[乗]、信号右、県道401号、  信号右、御殿場IC、東名道、首都高、霞が関[降]、東京駅日本橋口[降] 経路的に面白いのが、箱根ガラスの森経由便の経路と、御殿場駅への経路。 東田中一丁目交差点から駅に向かう道は、最近出来たみたいで、小田急箱根高速 バスを含めても初体験の区間だったようです。 箱根・仙石原では乗客は少なかったですが、御殿場駅と東名御殿場で乗り込む お客が多く、最終的に座席半分くらい埋まったようです。 --- 新宿〜箱根の小田急箱根高速バスと、東京線との違いをまとめてみました。 ・区間乗車が出来ない ・停留所が少ない、特に東名道内にある停留所には一切停車しない ・箱根フリーパスを持っていると新宿〜御殿場が1580円の所、870円で利用  できるが、東京線はこういった割引サービスは無い ・小田急が無料配布している「箱根の交通時刻表」に記載されていない  ただし、小田急箱根高速バスの羽田線についても、記載がない 新宿〜箱根のバスと差別しないで欲しいです〜
2015 年 12 月 13 日 08:13:51 (15064) ふもふも館長さんの書き込み 伊賀上野線の路線推移 1.S34.8.1時点の推定路線図   山村   天神前                        新 白  草 Λ 水口       ・−−−・・−−−・     前 川  津 | 自営 新水口   |   ||   |     野 橋 亀山  <−○−−☆−○−+−−−+−−−○+−−−++−−−−○−○−−>    |水口    |   |  岩|     |    ・ |  草 |新町  ・−・   ・  上|     ・−−−−○−・  津 |    |    /   遊|        前野|  <−○−−−−○−−−○    園|          |  水口|   本水口 札ノ辻   地|    和野    |  駅通|甲賀            ・−−−−−○  ・−・    ○病院前                 |  |    ・\                   |  |    ・ ・−−−−−・            |  |    ・       |          佐山○−−・    ・       |            |    ・       |            |    ・    稗谷口○            |    ・       |    (←深川)    ○寺庄    ・       |     甲南     |    ◎貴生川    ・−−−−−◎−−−−−−・    |             |    |       ・・・・+−+    |       ・   |*    |       ・・・・+    |       ・   |    |       ・   |    |       ・   |しんじ    |       ・   ○新治    |       ・   |    |       ・   ○下磯尾    |       ・   |    |       ・   ○上磯尾    +・・・・・・・・   |    |           |             伊    |           |             賀    ○紫香楽宮阯前     ○間方           河    |           |             合    ∨奈良       槇山○−−−−−○−−−−−−−○                      神       |                      出       |                              |                              |                              |                              |                              |  上野西山○                       |      |                       |      |      伊賀上野         佐那具 |   鳥居出○ ・    ◎             ◎−−・      | ・   /|             |      ○−+○−+*+             |      西  東   |             |      高  高   +*            |      倉  倉   | *           |             |  *          |             |   *         |           ・−+・・・+         |           | *   ・    伊賀一之宮○           | *   ・         |           ・ *   ・         |          /  *   ・         |         +・・・+・・・・・・・・     |         |   *   ・   ・   西 |         ・   *   ・ 寺 ・   明 |          \  *   ・ 町 ・   寺 |           ・−+−−−○−○−+−−−○−○             * 上野本町       伊賀荒木  ・1932(S7).3.25に、亀三線(後に亀草線) 亀山〜三雲を開業。  ・1943(S18).10.1に、近城線 信楽〜貴生川を開業。  ・1949(S24).2.15に、佐山線 前野〜佐山〜深川を開業。  ・1953(S28).3.11に、伊賀上野線 深川〜伊賀上野を開業。   上野本町〜伊賀上野の経路を示す資料は発見出来なかったが、当時開通して   いた新道ではなく、鍵屋の辻を通る旧道を経由したと推測する。  ・1953(S28).4.10に、亀草本線 本水口〜山村天神前〜近江下田を開業。  ・1956(S31).4.10に、深川を甲南に改称。  ・1956(S31).11.19に、亀草本線 田村神社前〜本水口〜草津(新国道)を開業。  ・1957(S32).8.25に、伊賀上野線 伊賀上野〜上野西山を開業。  ・1959(S34).8.1に、伊賀上野線 本水口〜甲賀病院前〜甲南を開業。 2.S41.7.8時点の推定路線図   山村   天神前                        新 白  草 Λ 水口       ・………・・………・     前 川  津 | 自営 新水口   :   ::   :     野 橋 亀山  <−○−−☆−○−+−−−+○−−○+−−−++−−−−○−○−−>    |水口    |松原町|立 岩|     :    | :  草 |新町  ・−・   ○場 上|     ・…………○…・  津 |    |    / 山 遊|        前野|  <…○…………○−−−○    園|          |  平町|   本水口 札ノ辻   地|    和野    |    |甲賀            ・−−−−−○  ・−・    ○病院前                 |  |    |\                   |  |    | ・−−−−−・            |  |    |       |          佐山○−−・    |       ○稗谷          |    |       |            |    |    稗谷口○            |    |       |    (←深川)    ○寺庄駅前    |       |     甲南     |    ◎貴生川    ・−−−−−◎−−−−−−○六角堂    |             |    |       ・−−−+−+    |       |   |*    |       +・・・+    |     市原○   |    |       |   |    |       |   |    |     杉谷○   ○新治    |       |   |    |  甲南市ノ瀬○   ○下磯尾    |       |   |    | 桜谷 払谷口|   ○上磯尾    +−−○−−○−○   |    |      甲南新田 |             伊    |           |             賀    ○紫香楽宮阯前     ○間方         千 河    |           |           貝 合    ∨奈良       槇山○−−−○−○−−−○−○−○                    下 神   芝   |                    山 出   出 馬場○                              |                           上川合○                              |                           下川合○                              |  上野西山○                    円徳院○      |                       |   寺ノ辻○      伊賀上野         佐那具 |   鳥居出○ ・    ◎             ◎−−〇   木田原○ ・   /|             |山中病院前      ○○+○−+*+             |      西新 東   |             |      高居 高   +*            |      倉学 倉   | *       西方寺前○       校   おた|  *     せんざい |       前   小田|   *    千歳(千才)○           ・−○・・・+         |           | *   ・    伊賀一之宮○           | *   ・         |           ・ *   ・        中○敢国神社前          /  *   ・        瀬|         +・・・+・・・+−−−・ 車  郵|         |   *   |   | 坂 西便○寺田         ・   *   | 寺 | 東 明局|          \  *   | 町 | 口 寺前|           ・−+−−−○−○−+−○−○〇○伊賀荒木             * 上野本町  ・1962(S37).3.1に、伊賀上野線 甲南〜甲南新田〜紫香楽宮阯前が開業。   開業当時の経路は、深川口経由ではなく深川市場経由と推測する。  ・1963(S38).4.10に、亀草本線 近江土山〜本水口を廃止。近城本線 貴生川〜   甲賀病院前を開業。亀草線から分離し、伊賀上野線の部を新設。  ・1964(S39).6.20に、伊賀上野線 車坂東口〜上野本町(北回り)を開業。   寺町経由が東行一方通行に規制されたため、迂回路として開業したと推測。  ・1965(S40).4.1に、亀草本線 本水口〜西水口を廃止。亀草本線の路線名称「   本水口−伴中山−近江下田」を「新水口−伴中山−近江下田」に変更。伊賀   上野線の路線名称は変更なし。  ・この時点で、伊賀上野線は、本水口〜新水口〜水口新町〜水口駅通経由に変   更され、本水口〜新水口〜水口新町は亀草本線と重複、水口新町〜水口駅通   は亀草本線から伊賀上野線に編入か。  ・1965(S40).10.1に、伊賀上野線の起点を本水口から水口新町に変更。亀草本   線との重複は解消された。 3.S60.6.20時点の推定路線図   山村   天神前                        新 白  草 Λ 水口       ・………・・………・     前 川  津 : 自営 新水口   :   ::   :     野 橋 亀山  <−○−−☆−○−+−○−+○−−○+−−−++−−−−○−○−−>    |水口    |松原町:立 岩|     :    | :  草 |新町  ・−・   ○場 上|     ・…………○…・  津 |    |    : 山 遊|        前野|  <…○…………○………○    園|          |  平町|   本水口 札ノ辻   地|    和野    |    |甲賀            ・−−−−−○  ・−・    ○病院前                 |  |    |\   石倉              |  |    | ・−−○−−○茶農場前        |  |    |       |          佐山○−−・    |       ○稗谷          |    |       |            |    |    稗谷口○            |    |       |    (←深川)    ○寺庄駅前    |       | 八幡前 甲南     |    ◎貴生川  里麦○−−○−−◎−−−−−−○六角堂    |             |    |       ・………+−+    |       :   |*    |    矢川橋○−−−○深川口    |     市原○   |    |   塩野温泉○   ○新治口    |   宮野温泉○   |    |     杉谷○   ○新治    |     南出○   |    |  甲南市ノ瀬○   ○下磯尾    |       |   |    | 桜谷 払谷口|   ○上磯尾    +……○……○…○   |    ●二ツ川橋  甲南新田 ○山生田口         伊    |           |             賀    ○紫香楽宮阯前     ○間方         千 河    |           |           貝 合    ∨奈良       槇山○−○−○−○−○−○−○−○                  谷 下 神 石 芝   |                  川 山 出 川 出 馬場○                  口           |                           上川合○                              |                           下川合○                              |  上野西山○                    円徳院○    中出○                       |   寺ノ辻○ 伊賀温泉 伊賀上野         佐那具 |   鳥居出○ ○    ◎             ◎−−●   木田原○ :   /|             |山中病院前      ○○○○○+*+             |      西新温東東  |        府中神社前○      高居泉高出  +*            |      倉学口倉   | *       西方寺前○       校     ○小田住宅前        |       前   小田|   *    千歳(千才)○           ・…○−−−+上        |           :西* 上 |野東  伊賀一之宮○           :大* 野 |丸丸       |           ・手* 高 |之之       ○敢国神社前          : 町* 校前|内内 赤坂    |     鍵屋の辻○−−−○−○−○−○−○     |         :   *   |   |   西 ○寺田         ・  産業会館前○ 寺 | 車 明中|          :  *   | 町 | 坂 寺瀬|           ・…+………●−○−○−○−○●○伊賀荒木             * 上野本町 農人町  ・1967(S42).8.22に、伊賀上野線 伊賀上野〜伊賀温泉を開業。  ・1967(S42).10.24に、伊賀上野線 上野本町〜鍵屋の辻を開業。   これは、上野高校前・西大手町経由と推測する。この時点で、上野本町〜鍵   屋の辻(旧道/南回り)は、休止か。  ・1971(S46).3.7に、伊賀上野線の路線名称「農人町−上野本町(北回り)、上野   本町−鍵屋の辻」を「農人町−鍵屋の辻(北回り)」に変更。   この改正により、上野本町〜上野丸之内が路線名称から消えたが、農人町−   鍵屋の辻(北回り)に含まれていた可能性もある。  ・1972(S47).3.15に、伊賀上野線 伊賀上野〜伊賀温泉を廃止。  ・1972(S47).10.15に、伊賀上野線の起点を水口新町から新水口に変更。  ・1973(S48).5.1に、伊賀上野線 甲南新田〜柴香楽宮阯前を廃止。  ・1975(S50).4.1に、伊賀上野線 農人町〜鍵屋の辻を廃止。伊賀上野線の路線   名称「農人町−鍵屋の辻(北回り)」を「農人町−上野丸之内」に変更。   これは、第一区間である上野本町〜鍵屋の辻(旧道/南回り)を廃止し、上野   丸之内〜鍵屋の辻(北回り)を第一区間に編入したと推測する。  ・1980(S55).9.8に、伊賀上野線の路線名称「農人町−上野丸之内」を削り、   「上野丸之内−鍵屋の辻」を追加。   これは、以下の通りと推測する。   ◇「農人町−上野丸之内」を削った理由は、上野本町の廃止に伴い、この区    間内に運賃区界が無くなったからか。   ◇鍵屋の辻〜小田を廃止し、上野丸之内〜小田を開業か。   ◇上記推測は、小田バス停は移転していないという前提だが、小田バス停を    新道に移設し、上野丸之内〜伊賀上野の全区間を新道経由にした可能性も    ある。   ◇上野丸之内〜鍵屋の辻 1.0kmの開業は、S55.7.19とする資料があるが、上    記経路変更の日付であって、この区間の開業日はS42.10.24と推測する。  ・1982(S57)年までに、伊賀上野線 甲南〜甲南新田の経路が深川口経由になっ   たと推測する。  ・1986(S61).11.15に、伊賀上野線 槇山〜上野西山、上野丸之内〜鍵屋の辻を   廃止、残存区間(水口新町〜槇山、甲南〜甲南新田)は亀草本線に編入。  ・1987(S62).1.28に、佐山線 六角堂〜甲南、亀草本線 甲南〜甲南新田を廃止。  ・1990(H2).8.1に、亀草本線 水口新町〜甲賀病院前〜甲南〜上磯尾を廃止。  ・1994(H6).8.1に、佐山線 佐山〜六角堂を廃止。   同日?、佐山を佐山小学校前に改称か。  ・2002(H14).10.1に、亀草線を廃止。
2015 年 12 月 10 日 22:11:12 (15063) ふもふも館長さんの書き込み 熊野神社前〜水口の路線推移 1.S34.8.1時点の推定路線図                               ・・・・・                               ・   ・                               ・   ・                               ・   ・                               ・   ・                               ・                               ・                               ・                               ・                               ・                      (←近江大河原)**+                        野洲川ダム○ ・                             ・ ・       あけびはら                  \・       山女原                     +                               ○近江鮎河                           ****+                     おおづち *    |   黒滝                       青土○  黒滝口○−−−○                         |     |    山                         |     |   ○女       水     大           |     |  / 原     ・ 口   今 野           |   黒川○・○     ・ 新   郷今今       近江平子○     |そ笹\     ・ 城   西郷宿           |     |そ路 ・  月ヶ上○−○−・・○○○・          |     |ろ  |     |  岩||   |          |   田←|  →|     |  上||   |         土|   村田|  熊|   新 |  遊||   | 新   新 白 山|新  神村|  野|  草水 |  園||   | 大   前 川 西|土  社前|  前|熊  津口 |  地||   | 野   野 橋 口|山  前 |   |野  <○−+−−−○+−−−++○−−−○−○−○+○−−○○○○−−○神   ・ |  →|     |    ・ | ||   |蟹近山  |社   ・ |  佐|     |近 大大・前| ||  土|ヶ江中  |前   ・ |  山|    大|江愛野野・野| ||  山|坂山口  ∨   ・ |  口|    野|大宕東市・東| ||  東| 内   亀山  草・ |   |    片|野前口場・口| ||  口|  津・ |   |    町○○○○○○○・ ・+○−○・  <○−○札ノ辻|          |前野   近   本     |     和野 岩室|     江   水     ・−−−−−○  ○−・     土  水口           |  |       山  口            |  |さじ  <−−−・        |  ○佐治新田      |      佐山○−−○小佐治      |        |  ひえだに|        |おき   稗谷口○        ○隠岐      |  (←深川)  |      |   甲南   ○寺庄      ・−−−◎−−−−・          |      ・・+−+      ・ |*      ・・+      ・ |      ・ |      ・ ∨上野西山  ・1932(S7).3.25に、亀三線(後に亀草線) 亀山〜三雲、近江山内〜黒川を開業。  ・1949(S24).2.15に、佐山線 前野〜佐山〜深川を開業。  ・1950(S25).5.10に、亀草本線 黒川〜近江大河原を開業。  ・1953(S28).3.11に、伊賀上野線 深川〜伊賀上野を開業。  ・1955(S30).5.1に、亀草本線 近江土山〜青土を開業。同日、近江大河原を   野洲川ダムに改称。  ・1956(S31).4.10に、深川を甲南に改称。  ・1956(S31).11.19に、亀草本線 田村神社前〜新土山〜新大野〜本水口〜草津   (新国道)を開業。  ・1958(S32).11.1に、亀草本線 黒滝口〜黒滝を開業。  ・1958(S33).3.1に、佐山口を岩上遊園地に改称。  ・1958(S33).10.7に、亀草本線 熊野神社前〜笹路〜山女原を開業。  ・1959(S34).8.1に、伊賀上野線 本水口〜甲賀病院前〜甲南を開業。 2.S41.1.15時点の推定路線図                               ・・・・・                               ・   ・                               ・   ・                               ・   ・                               ・   ・                               ・                               ・                               ・                               ・                               ・                      (←近江大河原)**+                        野洲川ダム○ ・                             ・ ・                              \・                               +                               ○近江鮎河                           ****○鮎河口                          *    |   黒滝                       青土○  黒滝口○−−−○                         |  上ノ平○    山                         |     |   ○女    中畑 水     大        せおと|     |  / 原     Λ 口   今 野 に       瀬音○   黒川○−○     | 新   郷今今 や     近江平子○     | 笹\     | 城   西郷宿 こ     みづつき|     | 路 ・  月ヶ上○…○…・・○○○・う       水月○     |   |     |  岩::   :じ         |   田 |   |     |  上::  大:若 大      土|近  村 |   |   新 |立 遊:: 西野:王新野 市新 白 山|江  神 |   |  草水 |場 園::今今今:寺大東 場前 川 西|土  社 |   |熊  津口 |山 地::郷宿宿:口野口 口野 橋 口|山  前 |   |野  <○−+○−−○+○○○+○○○−○○−○−○+○−−○○○○−−○神   | |   |     :    | : ::   :蟹近山  |社   | |   |     :近 大大|前: ::  土:ヶ江中  |前   | |   |    大:江愛野野|野: ::  山:坂山   ∨   | |   |    野:大宕東市|東: ::  東: 内   亀山  草| |   |    片:野前口場|口: ::  口:  津| |   |    町○○○○○○○・ ・+○…○・  <○−○札ノ辻|          |前野   近   本     |  平野 和野 岩室|     江   水     ・−−○−−○  ○−・     土  水口           |  |       山  口            |  |  <−−−・        |  ○佐治新田      |      佐山○−−○小佐治      ○稗谷      |      |        |   稗谷口○        ○隠岐      |  (←深川)  |      |   甲南   ○寺庄駅前      ・−−−◎−−−−○六角堂          |      ・−+−+      | |*      +・+      | |   紫香楽| |   宮阯前∨ ∨上野西山  ・1962(S37).3.1に、伊賀上野線 甲南〜甲南新田〜紫香楽宮阯前が開業。   開業当時の経路は、深川口経由ではなく深川市場経由と推測する。  ・1963(S38).4.10に、亀草本線 近江土山〜本水口を廃止。同日、路線名称を   以下の通りに変更。   (1) 亀山−草津         <−−新国道経由   (2) 田村神社前−近江土山−白川橋(旧道)    <−−「田村神社前−新土山−新大野−里北脇−石部口−草津(新国道)」       から変更   (3) 新土山−青土        <−−「近江土山−青土」から変更   (4) 立場山−石部−東草津(旧道) <−−「…(新国道)」から変更   (5) 佐山線 新前野−甲南     <−−「前野−甲南」から変更  ・上記に関わる開業区間と廃止区間は、以下の通りと推測する。   ◇白川橋〜立場山付近(旧道)を廃止   ◇立場山付近〜本水口(旧道)は存続   ◇近江土山〜新土山付近は、廃止 ※廃止公示なし   ◇新前野〜前野は、開業 ※開業公示なし  ・1964(S39).4.8に、亀草本線 本水口〜中畑を開業、田村神社前〜白川橋(旧   道)を廃止、新土山を近江土山に改称。  ・1965(S40).1.14に、亀草本線 笹路〜黒川を開業。 3.S60.6.20時点の推定路線図                                 清気橋                           菰野富士○−−−○                               | 栃谷○                               |三之瀬○                               |蒼滝口○                               |   ○                            武平峠○  湯の山                               |  温泉                            深山橋○                               |                          野洲川ダム○                             **+                       野洲川ダム下○ |                        若宮神社前○ ○大河原                              \|                               +                               ○近江鮎河                           ****○鮎河口                          *    |   黒滝                       青土○  黒滝口○−−−○                       中道○  上ノ平○    山                      青土口○  中村口○   ○女    中畑 水     大        東瀬音○     |  / 原     Λ 口   今 野         瀬音○   黒川○−○     | 新   郷今今       近江平子○     | 笹\     | 城   西郷宿        和草野○     | 路 ・  月ヶ上○…○…・・○○○・   油    水月○  土  |   |     |  岩::   :   野      |  山田 |   |     |  上::  大:若 大プ    近土|近 中村 |   |   新松|立 遊:: 西野:王 野レ市新東白江山|江東学神 |   |  草水原|場新園::今今今:寺大東ス場前前川白西|土土校社 |   |熊  津口町|山城地::郷宿宿:口野口前口野野橋川口|山山前前 |   |野  <○○+○○−○+○●○+○○○○○○○○○○○○○○○○○○○−○神   | :   |     :    | : ::吉  :か近山  |社   | :   |     :近 大大|前: ::川 土:に江中  |前   | :   |    大:江愛野野|野: ::  山:が山   ∨   | : 中村○    野:大宕東市|東: ::  東:坂内   亀山  草| :   |    片:野前口場|口: ::  口:  津| :   |    町○○○○○○○・ ・+○…○・  <○…○札ノ辻|          |前野   近   本     |  平野 和野 岩室|     江   水   嵯峨○−−○−−○  ○−○里    土  水口           |  |       山  口  茶農場前 甲賀学園前○  ○善福寺  <−−−○        |  ○佐治新田      |      佐山○−−○小佐治      ○稗谷      ○神保      |        ○打越口   稗谷口○ 八      ○隠岐      | 幡(←深川)  ○砂坂口      | 前 甲南   ○寺庄駅前    里麦○−○−◎−−○−○六角堂          | 稲荷前      ・…+−+      : |*   矢川橋○−○深川口      | |   紫香楽| |   宮阯前∨ ∨上野西山  ・1972(S47).11.12に、御在所湯の山線 近江鮎河〜湯の山温泉を開業。同日、   亀草本線 熊野神社前〜山女原、笹路〜黒川、近江山内〜野洲川ダム下、   上ノ平〜黒滝を御在所湯の山線に移管。  ・1982(S57)年までに、伊賀上野線 甲南〜甲南新田の経路が深川口経由になっ   たと推測する。  ・1982(S57)年までに、御在所湯の山線 大河原〜湯の山温泉を休止したと推測   する。 4.H14.9.30時点の推定路線図                                 清気橋                           菰野富士○………○                               : 栃谷○                               :三之瀬○                               :蒼滝口○                               :   ○                            武平峠○  湯の山                               :  温泉                            深山橋○                               :                          野洲川ダム○                             **+                       野洲川ダム下○ :                        若宮神社前○ ○大河原                              \|                               +                               ○近江鮎河                           ****○鮎河口                          *    |   黒滝                       青土○  黒滝口○………○                       中道○  上ノ平○    山                      青土口○  中村口○   ○女    中畑 水     大        東瀬音○     |  : 原     Λ 口   今 野         瀬音○   黒川○…○     : 新   郷今今       近江平子○     | 笹:     : 城   西郷宿        和草野○     | 路 ・  月ヶ上○…○…・・○○○・   油    水月○     |   :     :  岩::   :   野      :  土田 |   :     :  上::  大:若 大プ    近土:近 山村 |   :   新松:立 遊:: 西野:王新野レ市新東白江山:江東中神 |   :  草水原:場新園::今今今:寺大東ス場前前川白西:土土学社 |   :熊  津口町:山城地::郷宿宿:口野口前口野野橋川口:山山前前 |   :野  <○○+○○−○+○○○+○○○○○○○○○○○○○○○○○○○−○神   | :   |     :    | : ::吉  :か近山  :社   | :   |     :近 大大|前: ::川 土:に江中  :前   | :   |    大:江愛野野|野: ::  山:が山   ∨   | : 中村○    野:大宕東市|東: ::  東:坂内   亀山  草| :   |    片:野前口場|口: ::  口:  津| :   |    町○○○○○○○・ ・+○…○・  <○…○札ノ辻|          |前野   近   本     |  平野 和野 岩室|     江   水   嵯峨○−−○−−○  ○−○里    土  水口           |  |       山  口  茶農場前 甲賀学園前○  ○善福寺  <………○        |  ○佐治新田      :  佐山小学校前○−−○小佐治      ○稗谷      ○神保      :        ○打越口   稗谷口○ 八      ○隠岐      : 幡(←深川)  ○砂坂口      : 前 甲南   ○寺庄駅前    里麦○…○…◎……○…○六角堂          : 稲荷前      ・…+…+      : :*   矢川橋○…○深川口      : :   紫香楽: :   宮阯前∨ ∨上野西山  ・1986(S61).11.15に、伊賀上野線の新水口〜槇山、甲南〜甲南新田を亀草本線   に移管。  ・1987(S62).1.28に、佐山線 六角堂〜甲南、亀草本線 甲南〜甲南新田を廃止。   同日?、佐山を佐山小学校前に改称か。  ・1990(H2).4.1に、亀草本線 松原町〜中畑を廃止。  ・1990(H2).5.1に、御在所湯の山線 大河原〜湯の山温泉を廃止。  ・1990(H2).8.1に、亀草本線 水口新町〜甲賀病院前〜甲南〜上磯尾を廃止。  ・1992(H4).9.1に、亀草本線 吉川〜青土、御在所湯の山線 熊野神社前〜笹路   〜山女原、笹路〜黒川、黒滝口〜黒滝を廃止。  ・1997(H9).4.1に、亀草本線 亀山〜熊野神社前を廃止。  ・2002(H14).10.1に、亀草線を廃止。
2015 年 12 月 05 日 00:25:05 (15062) ふもふも館長さんの書き込み 水口〜三雲・信楽の路線推移 1.S34.8.1時点の推定路線図    Λ元八幡    |   近|近江八田   江○−○−−○近江春日   下|    |                      ・   田|    |   山村天神前              ・    | 伴中山○−−−−−○−−−−−・          ・    |    |   里 |     |          ・  亀山    | ・  | 東 北 |     | 水口    月ヶ上○−−−>    |・   | 泉 脇 | 綾野  | 自営 新水口   |  亀山    +−+−−+−○−○−+−−○−−+−−☆−○−+−−−+−−−>    |  \       |     |      ・   |    |   \      |   水口|    ・・・   ・  <−◎三雲  \     |   駅通|    ・    /  草津  近江柏木○−−−−○−−○−−○−−−−○−−−○            西水口・ 水口北町|   本水口 札ノ辻               ・     |甲賀               ・     ○病院前               ・    ・ \               ・   ・   ・−−−−−・               ・・・・・・・       |                 ・   ・       |                ・    ・       |               ・     ・    稗谷口○               ・     ・       |  (←深川)前               ・  ・・・・       |   甲南 野               ・ 貴生川         ・−−−◎−−>               +−−◎              |               |  *          ・・+−+               ・  ****       ・ |*                \    *       ・・+                 ・−−−+       ・ |                     |       ・ |                     +       ・ ∨上野西山                    /*       ・                 牛飼○ *       ・                    \*       ・                     +       ・                     |       ・                   山上○       ・                    /・       ・                   ・ ・       ・                    \・       ・                     +       ・                     |       ・                宮町○  +・・・・・・・・                  |  |                  |  |                  |  ○紫香楽宮阯前               西出口○  |                  |  |                  ・−−+                    ・|                   ・ |                  +・・◎雲井                   * |                    *|                     +                     ○勅旨                     |                     ○沢出           田代○       |             |       |             |       |             |       |           畑口○−−−○−−−+−−−−◎信楽                二本丸  |                     |                     |                     ∨奈良  ・1932(S7).3.25に、亀三線(後に亀草線) 亀山〜三雲を開業。  ・1932(S7).5.5に、亀三線(後に亀草線) 三雲〜石部を開業。  ・1937(S12).8.11に、八幡線 三雲〜元八幡を開業。  ・1941(S16).11.1に、近城線 清水橋〜信楽を開業。  ・1943(S18).10.1に、信楽線(鉄道)を休止、近城線 信楽〜貴生川を開業。   雲井バス停は、休止中の鉄道駅前まで乗り入れていた可能性もある。  ・1947(S22).7.25に、信楽線(鉄道)の運行を再開。雲井は、信楽線との接続駅。  ・1949(S24).2.15に、佐山線 前野〜佐山〜深川を開業。  ・1953(S28).4.10に、亀草本線 本水口〜山村天神前〜伴中山〜近江下田を開業。  ・1955(S30).3.21に、亀草本線 西水口〜山村天神前、三雲〜伴中山を開業。  ・1956(S31).4.10に、深川を甲南に改称。  ・1956(S31).11.19に、亀草本線 田村神社前〜本水口〜三雲〜草津(新国道)を   開業。  ・1957(S32).11.1に、近城本線 信楽〜田代を開業。  ・1958(S33).8.27に、近城本線 雲井駅前〜宮町を開業。  ・1959(S34).8.1に、伊賀上野線 本水口〜甲賀病院前〜甲南を開業。 2.S41.1.15時点の推定路線図    Λ元八幡    |   近|近江八田   江○−−○−○近江春日   下|伴谷  |   田|小学校前○  西 山村  松  古城         ○中畑    |    |  村 天神前 尾  団地         |    | 伴中山○−−○−−○−−○−−○      古城ヶ丘○   東|平山  |   里 :     |近鉄水口駅前    |  亀山   洋| ○九品○ 東 北 :     ○ 水口    月ヶ上○………>   陶|/ 寺 | 泉 脇 : 綾野  | 自営 新水口   |  亀山   器○−+−−○−○−○−+−−○−−○−−☆−○−+−○−+−○−>   前|  \伴谷口    |     |水口    |松原町| 立    |   \      |   水口|新町  ・−・   ・ 場  <−◎三雲  \     |   駅通|    |    /  山  草津  近江柏木○−−−−○……○……○…………○−−−○            西水口・ 水口北町|   本水口 札ノ辻               ・     |甲賀               ・     ○病院前               ・    / \               ・   /   ・−−−−−・               ・・・/・・・       |              内貴橋○   ・       ○稗谷                /    ・       |               ・     ・    稗谷口○      新               |     ・       |  (←深川)前            東内貴○  ・・・・       |   甲南 野               | 貴生川         ・−−−◎−−>               +−−◎              |               |  *          ・−+−+            三本柳○  ****       | |*                \    *       +・+                 ・−−−+       | |                     |     市原○ |                     +       | ∨上野西山                    /*       |                 牛飼○ *       |                    \*       |                     +       |                     |       ○杉谷                   山上○       |                    /・       |                庚申口○ ・       |                    \・       ○甲南市ノ瀬                     +       |                     | 桜谷 払谷口|                宮町○  +−−○−−○−○甲南新田                  |  |                  |  |                  |  ○紫香楽宮阯前               西出口○  |                  |  |                  ・−−+                    ・|                   ・ |                  ・・・○雲井駅前(←雲井)                   * |                    *|                     +                     ○勅旨                     |                     ○沢出           田代○       |             |       |             |    観光 |             |    会館前○           畑口○−−−○−−○+−−−−◎信楽                二本丸  |                     |                     |                     ∨奈良  ・1962(S37).3.1に、伊賀上野線 甲南〜甲南新田〜紫香楽宮阯前が開業。   開業当時の経路は、深川口経由ではなく深川市場経由と推測する。  ・1962(S37).6.1に、雲井を雲井駅前に改称。この時点で信楽線との接続を解か   れたか。  ・1963(S38).4.10に、亀草本線 近江土山〜本水口を廃止。近城本線 貴生川〜   甲賀病院前を開業。立場山、新水口、東洋陶器前を開駅。同日、路線名称を   以下の通りに変更。   (1) 亀山−草津         <−−新国道経由   (2) 立場山−石部−東草津(旧道) <−−「…(新国道)」から変更   (3) 西水口−綾野        <−−「西水口−山村天神前」から変更   (4) 東洋陶器前−伴中山     <−−「三雲−伴中山」から変更  ・上記に関わる開業区間と廃止区間は、以下の通りと推測する。   ◇近江土山〜立場山付近(旧道)を廃止   ◇立場山付近〜本水口(旧道)は存続   ◇伊賀上野線は、新水口・水口新町(当時未開業)経由に経路変更   ◇本水口〜新水口 0.3km は、伊賀上野線として開業   ◇新水口〜水口新町は、亀草線と伊賀上野線の重複区間   ◇路線名称「西水口−綾野」の追加に伴う新規開業区間は無し   ◇綾野付近〜山村天神前は、廃止 ※廃止公示なし  ・1964(S39).4.8に、亀草本線 本水口〜古城ヶ丘〜中畑を開業。S57年頃の路線   図によると、松原町分岐となっているが、開業時は古城団地付近を経由して   いた可能性もある。推定路線図では、松原町〜月ヶ上〜古城ヶ丘〜中畑と推   測したが、S57路線図では、途中停車バス停は無い。詳細不明。  ・1965(S40).4.1に、亀草本線 本水口〜西水口を廃止。同日、路線名称を以下   の通りに変更。   (1) 立場山−綾野−西水口−石部−東草津(旧道)               <−−「立場山−石部−東草津(旧道)」から変更   (2) 新水口−伴中山−近江下田       <−−「本水口…」から変更  ・この時点で、本水口〜新水口も、亀草線と伊賀上野線の重複区間となったか。  ・1965(S40).7.3に、亀草本線 東洋陶器前〜東洋陶器を開業。従業員専用か。  ・1965(S40).8.1に、東洋陶器を平山に改称か。  ・1965(S40).10.1に、水口新町・伴谷口を開駅。同日、亀草線と伊賀上野線の   路線名称を以下の通りに変更。   (1) 水口新町−伴中山−近江下田  <−−「新水口…」から変更   (2) 伴谷口−伴中山        <−−「東洋陶器前…」から変更   (3) 水口新町−上野西山      <−−「本水口…」から変更  ・この時点で、本水口〜新水口〜水口新町の亀草線との重複を解消か。 3.S60.6.20時点の推定路線図    Λ元八幡    |   近|近江八田   江○……○…○近江春日   下|伴谷  :   田|小学校前○  西 山村  松  古城         ○中畑    |    :  村 天神前 尾  団地         |    | 伴中山○……○……○……○……○      古城ヶ丘○    |平山  :   里 :     :近鉄水口駅前    |  亀山    | ○九品○ 東 北 :     ○ 水口    月ヶ上○………>   東|/ 寺 : 泉 脇 : 綾野  : 自営 新水口   |  亀山   陶○−+−−○−○−○−+−−○−−○−−☆−○−+−○−+−○−>   前|  \伴谷口    |     |水口    |松原町: 立    |   \      ○天神前  |新町  ・−・   ・ 場  <−◎三雲  \     |   平町|    |    :  山  草津  近江柏木○−−−−○……○……○…………○………○            西水口・ 水口北町|   本水口 札ノ辻               ・     |甲賀               ・     ○病院前               ・水口町 / \   石倉               ・役場前○   ・−−○−−○茶農場前               ・・・/・・・       |              内貴橋○   ・       ○稗谷                /    ・       |          川田神社前○     ・    稗谷口○ 八    新               |     ・       | 幡(←深川)前            東内貴○  ・・・・       | 前 甲南 野               | 貴生川       里麦○−○−◎−−>          貴生川駅前○−−◎              |               |  *          ・…+−+            三本柳○  ****       : |*                \    *    矢川橋○−○深川口                 ・−○−+       | |                 東三本柳|     市原○ |                     ○牛飼口    | ∨上野西山                    /*   塩野温泉○                 牛飼○ *       |                    \*       ○宮野温泉                     ○山上口    |                     |       ○杉谷                   山上○       |                    :|       ○南出                庚申口○ |       |                    :|       ○甲南市ノ瀬                  庚申口○       |                     | 桜谷 払谷口|                宮町○  +……○……○…○甲南新田                  :  ●二ツ川橋               中井出○  |                  :  ○紫香楽宮阯前               西出口○  |                  :  ○雲井療養所前               内裏野○……+                    /:                   / :                  +−−○雲井駅前                   * |                    *|                     +                     ○勅旨駅前                     |                     ○沢出           田代○       |             |       ○勅旨口          田代口○     伝統|             |    会館前○           畑口○−−−○−−○+−−○−◎信楽                二本丸  | 信楽                   栄町○ 役場前                     |                     ∨奈良  ・1970(S45).3.1に、東洋陶器前は東陶前に改称。  ・1970(S45).3.25に、亀草本線 近鉄水口駅前〜近江下田、伴中山〜伴谷口を   廃止。  ・1971(S46).3.7に、亀草本線の路線名称を以下の通りに変更。   (1) 新水口−中畑          <−−「本水口…」から変更   (2) 綾野−西水口−石部−草津(旧道) <−−「立場山−綾野…」から変更  ・この時点で、立場山〜本水口(旧道)を廃止か。また、本水口〜新水口が路線   名称から消えた。  ・1973(S48).5.1に、伊賀上野線 甲南新田〜柴香楽宮阯前を廃止。  ・1974(S49).9.1に、亀草本線 新水口〜近鉄水口駅前を廃止。  ・1976(S51).2.1に、亀草本線の路線名称「新水口−中畑」を「新水口−本水口   −中畑」に変更。これで1971(S46).3.7に路線名称から消滅した本水口〜新水   口が復活。なお、後に「本水口−新水口、新水口−中畑」に分離した。  ・1979(S54).7.1に、観光会館前を伝統会館前に改称か。  ・1980(S55)年頃に、雲井駅前付近と庚申口付近で経路変更を行った模様。   甲南新田系統が深川口経由になったのもこの頃と推測する。  ・1985(S60).6.14改正時刻表によると、水口新町1348発は奈良行ではなく、   信楽行(1434着)で、信楽1445発奈良行(1638着)と接続している。車両は通し   でも運賃打切と推測する。奈良発で水口新町まで直通する便は無かった。  ・1985(S60).6.14改正時刻表によると、水口新町〜貴生川は2往復、雲井駅前〜   宮町は休止中、信楽〜田代は3〜4往復、加茂〜奈良は5往復であった。 4.H14.9.30時点の推定路線図    Λ元八幡    |   近|近江八田   江○……○…○近江春日   下|伴谷  :   田|小学校前○  西 山村  松  古城         ○中畑    |    :  村 天神前 尾  団地         :    | 伴中山○……○……○……○……○      古城ヶ丘○    |平山  :   里 :     :近鉄水口駅前    :  亀山    | ○九品○ 東 北 :     ○ 水口    月ヶ上○………>   東|: 寺 : 泉 脇 : 綾野  : 自営 新水口   :  亀山   陶○−+−−○−○−○−+−−○−−○−−☆−○−+−○−+−○−>   前|  \伴谷口    |     :水口    |松原町: 立    |   \      ○天神前  :新町  ・−・   ・ 場  <…◎三雲  \     |   平町:    |    :  山  草津  近江柏木○−−−−○……○……○…………○………○            西水口| 水口北町:   本水口 札ノ辻               |     :甲賀           水口城址○     ○病院前               |水口町 : :   石倉               |役場前○   ・……○……○茶農場前               ・−−+−−○文芸     :              内貴橋○   |会館前    ○稗谷                :    |       :          川田神社前○     ○水口  稗谷口○ 八    新               :     |スポーツの森 : 幡(←深川)前            東内貴○  ◎−−・       : 前 甲南 野               : 貴生川       里麦○…○…◎……>          貴生川駅前○……◎              :               :  *          ・…+…+            三本柳○  ****       : :*                :    *    矢川橋○…○深川口                 ・…○…+       : :                 東三本柳:     市原○ :                     ○牛飼口    : ∨上野西山                    :*   塩野温泉○                 牛飼○ *       :                    :*       ○宮野温泉                     ○山上口    :                     :       ○杉谷                   山上○       :                    ::       ○南出                庚申口○ :       :                    ::       ○甲南市ノ瀬                  庚申口○       :                     : 桜谷 払谷口:                宮町○  +……○……○…○甲南新田                  :  ●二ツ川橋               中井出○  :                  :  ○紫香楽宮阯前               西出口○  :                  :  ○雲井療養所前               内裏野○……+                    ::                   : :                  +……○雲井駅前                   * :                    *:                     +                     ○勅旨駅前                     :                     ○沢出           田代○       :             :       ○勅旨口          田代口○   伝統産業:             :    会館前○           畑口○………○……○+−−○−◎信楽                二本丸  | 信楽                   栄町○ 役場前                     |                     ∨奈良  ・1986(S61).11.15に、伊賀上野線の新水口〜槇山、甲南〜甲南新田を亀草本線   に移管。  ・1987(S62).1.28に、佐山線 六角堂〜甲南、亀草本線 甲南〜甲南新田を廃止。  ・1989(H1).3.11に、亀草本線 東陶前〜平山を廃止。なお、S60.6.20改正時刻   表に、記載なし。  ・1989(H1).12.1に、亀草本線 三雲〜石部、近城線 伝統会館前〜貴生川駅前〜   貴生川、貴生川駅前〜甲賀病院前を休止か。  ・1990(H2).4.1に、亀草本線 松原町〜中畑を廃止。  ・1990(H2).8.1に、亀草本線 水口新町〜甲賀病院前〜甲南〜上磯尾を廃止。  ・1994(H6).8.16改正時刻表に、亀草本線 西水口〜水口スポーツの森〜貴生川   が掲載されている。貴生川方面は、この頃までに、経路を変えて復活か。  ・この頃、伝統会館前を伝統産業会館前に改称か。  ・1996(H8).4.1に、近城線 伝統産業会館前〜田代を廃止。  ・2002(H14).10.1に、亀草線、近城線を廃止。  ・2005(H17).4.1に、八幡線を廃止。
2015 年 12 月 04 日 22:08:28 (15061) ふもふも館長さんの書き込み 江戸崎駅を稲敷市が購入するそうです。土地と駅舎でしょうか? http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14246963285999 稲敷市公共交通ガイドブック JRバス時刻表も含まれます http://www.city.inashiki.lg.jp/data/doc/1421289971_doc_137_0.pdf 銀河鉄道にタダで乗れるそうです。 http://acj1908.web.fc2.com/Kyusha107.pdf
2015 年 11 月 30 日 21:57:36 (15060) ふもふも館長さんの書き込み 関〜熊野神社前・柘植の路線推移 1.S33.11.15時点の推定路線図                       Λ山女原                       |                       |                  草津<−−○熊野神社前(←熊野前)                       |                       |                       ○若宮口                       +                      ・|                     ・ ○鈴鹿峠(←鈴鹿)                     ・ |                     +・+−+−・                     *   ・ ○伊勢坂下                      *  ・ |                       * ・ |                        *+−+                         | |                     くつかけ| |                       沓掛○ ○東沓掛                         |/                         +                       弁天○−−○筆捨山               加            |               太            |    白木  柘植        北  学  梶  か   か  ○市瀬  Λ   ◎        在  校  ヶ  ぶ加 金ね  |いちのせ|  伊|        家  前  坂  と太 場ば  | 地蔵前| 亀山  賀○−○−○−○−+○−−○−−○−+−◎−○−−−○−−○−+−−>  小・ 岡 一ひ不 ・        ・       関\   | 亀山  林・ 鼻 ツと動 ・        ・       西 ・−−◎−−>   ・   家つ滝 ・        ・       口    関   ・    や  ・        ・   ・       ・        ・   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ・1932(S7).3.25に、亀三線(後に亀草線) 亀山〜三雲を開業。  ・1956(S31).11.19に、亀草本線 亀山〜大岡寺〜関〜市瀬〜沓掛〜伊勢坂下   (新国道)を開業。  ・1957(S32).8.25に、加太線 関〜加太〜北在家〜柘植を開業。  ・1958(S33).10.7に、亀草本線 熊野神社前〜笹路〜山女原を開業。 2.S41.7.8時点の推定路線図                       Λ山女原                       |                       |                  草津<−−○熊野神社前(←熊野前)                       |                       |                       ○若宮口                       +                      ・|                     ・ ○鈴鹿峠(←鈴鹿)                     ・ |                     +・+○+−・                     *   ・ ○伊勢坂下                      *  ・ |                       * ・ |                        *+−○坂下小学校前                         | :                         | :                       沓掛○ ○東沓掛                         |:                         +                       弁天○−−○筆捨山               加            |  (←柘植)     中 東 太    加       |   上白木  柘植駅前     在北北 学  梶 太     越 ○市瀬  Λ   ○       家在在 校  ヶ 駅 加 金 川 |    |  伊|       口家家 前  坂 前 太 場 口 | 地蔵前| 亀山  賀○…○○○…○…○○○−○−−○−○−◎…○…○…○……○…+……>  小| 岡烏一 不 |        |       関\   | 亀山  林| 鼻山ツ 動 ○中在家     |       西 ○−−◎−−>   |  遊家 滝 |        |       口 国道 関   |  園    ○南在家     ○市場口      地蔵前   |  地    |        |              亀山   ・−−−−−−−+−−○−−−−−+−−−−−○−−−−−−−−−>             名阪板屋         久我  ・1959(S34).12.20に、加太線 北在家〜中在家を開業。  ・1962(S37).8.1に、加太線の路線名称「関−柘植」を「関−柘植駅前」に変更。  ・1963(S38).4.10に、亀草本線 野村一里塚〜伊勢坂下(旧道)を廃止。同日、加   太線の路線名称「関−柘植駅前」を「関西口−柘植駅前」に変更。  ・1966(S41).1.21に、加太線 関西口〜加太、北在家〜柘植駅前を廃止、柘植線   国道布気〜久我〜名阪板屋〜柘植駅前、名阪板屋〜中在家〜柘植駅前を開業。   結果、柘植線の路線名称は「国道布気−柘植駅前、名阪板屋−加太」となった。  ・1966(S41).7.8に、柘植線の第一区間上に南在家を開駅、久我〜市場口〜加太   を開業。路線名称「名阪板屋−加太」を「久我−加太−南在家」に変更。 3.S60.6.20時点の推定路線図                       Λ山女原                       |                       |                  草津<−−○熊野神社前(←熊野前)                       |                       |                       ○若宮口                       +                      /|                  鈴鹿峠○ ○鈴鹿峠(←鈴鹿)                     Λ ∨                     +−+○+−・                     *  鈴| ○伊勢坂下                      * 鹿∨ |                       *渓| |                        *+−○西沓掛                         | :(←坂下小学校前)                         | :                       沓掛○ ○東沓掛                         |:                         +                       弁天○−−○筆捨山               加            |  (←柘植)     中 東 太    加       |   上白木  柘植駅前     在北北 学神梶梶 太     越 ○市瀬  Λ   ○       家在在板校ヶ武ヶ市駅 加 金 川 |    :  伊:       口家家屋前坂口坂場前 太 場 口 | 地蔵前: 亀山  賀○…○○○…○…●○○○○○○○○○−◎…○…○…○……○…+……>  小: 岡烏一 不 |        |       関\   : 亀山  林: 鼻山ツ 動 ○中在家     |       西 ○−−◎−−>   :  遊家 滝 |        |       口 国道 関   :  園    ○南在家     ○市場口      地蔵前   :  地    :        |              亀山   ・…………………+……○……………+−−−−−○−−−−−−−−−>             名阪板屋         久我  ・1969(S44).10.12に、柘植線 久我〜名阪板屋〜南在家〜柘植駅前を廃止。   路線名称を「国道布気−久我−加太−南在家」に変更。  ・1971(S46).3.7に、柘植線の路線名称を「大岡寺−久我−加太−南在家」に   変更。  ・1971(S47).11.9に、亀草本線 沓掛〜鈴鹿峠を開業。この区間は、西沓掛と   伊勢坂下を経由しない、現国道の上り線と推測。伊勢坂下発亀山行きか、急   行便で使ったか。  ・1971(S47).11.12に、熊野神社前〜笹路〜山女原を御在所湯の山線に移管。  ・1978(S53).11に、鈴鹿渓〜若宮口に鈴鹿峠バイパスが開通。開業告示等は無   い。それまでの国道を上り専用とし、新道を下り専用とした。なお、鈴鹿峠   バイパスの沓掛→鈴鹿峠(上図の**)は、亀草線での利用は無いと推測。  ・1983(S58).12.1に、亀草本線 上白木〜関を廃止。  ・1984(S59).4.1に、柘植線の路線名称を「大岡寺−加太−南在家」に変更。  ・1992(H4).4.1に、柘植線 大岡寺〜加太〜南在家を廃止か。  ・1992(H4).9.1に、御在所湯の山線 熊野神社前〜笹路〜山女原を廃止。  ・1997(H9).4.1に、亀草本線 亀山〜熊野神社前を廃止。  ・2002(H14).10.1に、亀草線を廃止。
2015 年 11 月 29 日 22:27:13 (15059) zueignungsabsichtさんの書き込み 北オホーツクライナー号 http://www.gutabi.jp/pickup/detail/1537 ひがし北海道エクスプレスバス http://www.doto2016.com/imgs/pdf/access1.pdf http://www.easthokkaido.com/bus/#timeTableArea >>各駅倉庫さんへ 高速えりもひろお号( http://www.jrhokkaidobus.com/topics/topics3584/ )が運行されるみたいですね。 私にとっては、高速流氷もんべつ号がジェイ・アール北海道バス株式会社さんでの運行便で一度乗車してみたい路線です。 また、JR札幌駅−苫小牧東港( http://www.jrhokkaidobus.com/pdf/20151125.pdf )も気になる路線です。 当面、乗車出来得る状況には無いのですが、一度は乗ってみたいものです。
2015 年 11 月 29 日 18:49:23 (15058) ふもふも館長さんの書き込み 亀山〜関の路線推移 1.S33.11.15時点の推定路線図                             ○小川                 しらき         |            上白木 下白木          |     白木一色○−−−○−−−○−−−・       ・ 住         |            \       \山 亀       えげ|             \       ○ 田       会下○              \       \丘         |              野\       ○ 本   草津    |          伊   村 \      | 菰    Λ    |関 関       勢 東 一 中\     | 野    |    |中 東   ・・・ 布ふ布 里 野 +・・+・+−>  柘植| 地蔵前|町 口  ・ ・ ・気け気 塚 村 |  ・ |  <−+−−○−+○−○−○−−−○−○−○−○−○−○−−+−・     \   |   /小野橋・大た \      市  |      ・−−◎−−・    ・岡い  \     ヶ・・+         関       ・寺こ   \    坂・ |                 ・ う    ・−−+・+ ・                ・  じ        \・/  ・・・・・・・・・・・・・・             ◎                             亀山  ・1932(S7).3.25に、亀三線(後に亀草線) 亀山〜三雲を開業。  ・1946(S23).1.30に、区間貨物運輸 鈴鹿市神戸萱町〜亀山町〜菰野町を開業。   鈴鹿市、亀山、深井沢に貨物取扱所を設置した。深井沢取扱所は、現在の鈴   鹿IC付近にあったと思われる。  ・1952(S27).9.1に、区間貨物運輸を廃止し、亀山線 亀山〜境町〜本菰野、   境町〜鈴鹿市を開業(貨物専用)する。境町は、亀山市和田付近にあった模様。  ・1956(S31).11.19に、亀草本線 亀山〜大岡寺〜関〜沓掛〜伊勢坂下(新国道)   を開業。大岡寺は既設停留所なので、布気〜小野橋は旧道経由と推測。 2.S41.7.8時点の推定路線図                             ○小川                             |            上白木 下白木 小川口 野    |     白木一色○−−−○−−−○−−−○  村  今福○ 住         |            \ 北     \山 亀         |             \口      ○ 田       会下○              ○       \丘         |              野\  市    ○ 本   草津    |          伊   村 \ ヶ    | 菰    Λ    |関 関       勢 東 一 中\坂    | 野    |    |中 東   ・+・ 布 布 里 野 ○−−+−○…>  柘植| 地蔵前|町 口  / | \気 気 塚 村 |  ・ |亀  <…○……○…+○…○…○……|○…○−○−○−○−●……+−・山    関\   |   /小野橋|大 国\      市  |  郵   に西 ・−−◎−−・    |岡 道 \     ヶ・−+  便   し口    関       |寺 布  \    坂| :  局   ぐ             ・  気   ・−○+−+ ・  前   ち            /         中国:|:  <−−−−−−−−−−−−・          野道 ◎  柘植                      村  亀山  ・1959(S34).6.1に、亀草本線 亀山〜大岡寺〜関(新国道)を廃止し、亀山〜関   (新国道)を開業。これは、布気〜小野橋の新国道開業と推測する。  ・1961(S36).7.15に、亀山線を廃止。  ・1963(S38).4.10に、亀草本線 野村一里塚〜伊勢坂下(旧道)を廃止。同日、   路線名称を以下の通りに変更。   (1) 亀山−草津        <−−新国道経由   (2) 亀山−国道中野村(南回り) <−−旧道+新国道経由   (3) 亀山−小野橋       <−−旧道+新国道経由   (4) 亀山−小川   (5) 市ヶ坂−下白木−関    <−−亀山〜市ヶ坂の重複を解消  ・旧道廃止に伴い、旧道経由便の伊勢布気以遠は、新国道経由となったが、   国道布気バス停に停車しない事から、亀山方面と関方面で、二つの路線名称   を持つ事になったと推測。  ・1965(S40).10.1に、亀山郵便局前が開駅し、路線名称が変更された。   ◇「亀山−国道中野村(南回り)」を削除   ◇「亀山−小川」を「亀山郵便局前−小川」に変更  ・これは、亀山発 旧道経由 亀山行の運行終了と、亀山〜小野橋(旧道経由)の   経路が、亀山郵便局前(→東丸)経由に切り替えられた事に伴うと推測。  ・1966(S41).1.21に、加太線 関西口〜加太を廃止、柘植線 国道布気〜柘植駅   前を開業。  ・この頃、亀山駅前に県道が整備された事に伴い、新国道・旧道経由ともに、   経路を変更したと推測する。 3.S60.6.20時点の推定路線図                             ○小川                             |            上白木 下白木 小川口 野    |     白木一色○………○−−−○−−−○  村  今福○ 住         :            \ 北     \山 亀         :             \口      ○ 田       会下○              ○       \丘         :      朝 大     野\  市    ○ 本   草津 関  :      明 岡     村 \ ヶ 亀山市| 菰    Λ 学校前○関 関   山 寺   東 一 中\坂 役所前| 野    |    :中 東   ○+○   布 里 野 ○−−○…○…>  柘植| 地蔵前:町 口  / | \  気 塚 村 :  | |東  <…○……○…+○…○…○……|○…○…○…○…○…○……+−・丸    関\   :   /小野橋|大 布\      市  |    西 ○−−◎−−○    |岡 気 ○     ヶ・−○亀山口    口 国道 関 関東口   |寺   東\    坂| :      地蔵前        ・    布 ・−○+−+ ・                /     気   中 :|:  <−−−−−−−−−−−−・          野  ◎  柘植                      村  亀山  ・1971(S46).3.7に、路線名称が変更された。  ◇「亀山−小野橋」を「亀山−大岡寺」に変更  ◇「国道布気−久我−加太−南在家」を「大岡寺−久我−加太−南在家」に変更  ・1972(S47).3.15に、亀草本線 市ヶ坂〜大岡寺を廃止。残存区間である   亀山〜市ヶ坂は、白木区間に編入。  ・1974(S49).4.21に、路線名称「亀山郵便局前−小川」が「東丸−小川」に変   更された。亀山郵便局前を東丸に改称か。  ・1979(S54).8.1に、路線名称「東丸−小川」が「亀山−小川」に変更された。   白木区間の東丸経由を中止し、亀山市役所前への直行ルートに経路変更か。  ・1983(S58).12.1に、亀草本線 上白木〜関を廃止。  ・1990(H2).4.1に、亀草本線 亀山〜上白木、亀山〜小川を廃止。  ・1992(H4).4.1に、柘植線 大岡寺〜加太〜南在家を廃止か。  ・1997(H9).4.1に、亀草本線 亀山〜熊野神社前を廃止。
2015 年 11 月 26 日 00:04:05 (15057) 各駅倉庫さんの書き込み ふもふも館長様,皆様,こんばんは。 ジェイ・アール北海道バスでは高速おたる号などの高速バスと深名線を除き, 2015.12.1改正は実施しないようです。   http://www.jrhokkaidobus.com/pdf/20151117.pdf 流氷もんべつ号については,2月に運行していた臨時直行便2往復が運行終了とな るようです。   http://www.chuo-bus.co.jp/main/feature/dia/wnt/index_2.php また札幌キロロ線については今シーズンから予約制となり,ジェイ・アール北海道 バスは運行しないようです。   http://www.chuo-bus.co.jp/main/feature/dia/wnt/index_2.php   http://www.chuo-bus.co.jp/main/feature/dia/wnt/pdf/kiroro.pdf   http://www.kiroro.co.jp/jp/getting-here/
2015 年 11 月 24 日 23:31:56 (15056) ふもふも館長さんの書き込み 石部〜草津の路線推移 1.S35.7.15時点の推定路線図                                ・                                ・                                ・                   手原駅口         ・  三雲                ・−−+−○−−−−−○−−−−−−+−>               /手原 ・       高野   ・  ・              /  ◎ ・            ・   ・             /   | ・手原口   善光寺道  ・  石部            /  ・−+−−−○−−○−−○−−○−−−−−>           ・   |   ・    葉山   伊勢落・           |   |   ・            ・           |   |   ・            ・           ・   |   ・            ・          /    |   ・           ・         /     |   ・          ・      小柿○      |   ・・・・・・・・・・・       /    ・−−○治田 ・  草 >−+     |      ・  津/  |     ○目川    ・  ◎−<−+     |      ・  |   ・     |      ・  ・−−−+−−○−−・      ・      ・ 新屋敷        ・      ・            ・  ・・・・・            ・                   ・  ・1932(S7).12.25に、亀草線 石部〜草津を開業。  ・1956(S31).11.19に、田村神社前〜三雲〜石部駅口〜草津(新国道)を開業。  ・1960(S35).7.15に、小柿〜草津(北回り)を開業。一方通行に伴うものか。 2.S40.10.1時点の推定路線図                               名古屋                              新 Λ                              伊 |                        葉 高   勢 |                   手原駅口 山 野   落 |石部西口                ・−−+−○−−○−○−−−○−|−○−>               /手原 |            |  \              /  ◎ |            |   >             /   | |      善光寺道  |  石部            /  ・−+−|−○−−○−−○−−○−|−−−>        新上鈎○   |   |手原口 葉山  東伊勢落|           |   ○上鈎 |            |           |   |   |            |        新治田○   |   ○名神栗東        ・          /    ○川辺 ○栗東         /         /     |   |          /      小柿○      |   △−−−−−−−−−・       /    ・−−○坊袋 |栗東IC  草 ・>+     |      |  津/  |     ○目川    |  ◎−−<○東草津  |      |  :   |     |      |  ・………+−−○−−○岡     |      ・ 新屋敷        |      ・            |  ・・・・・            ∨                 神戸・新大阪  ・1963(S38).4.10に、石部西口〜石部を開業。同日、路線名称の改訂があり、   第一区間が旧道経由から新国道経由に切り替え、旧道経由は「立場山−石部   −東草津(旧道)」とされた。   この事から、新屋敷〜草津は、この頃までに東草津経由に経路変更されたと   推測される。  ・1963(S38).7.16に、名神高速道路 栗東IC〜尼崎ICが開通。名神道最初の開業   区間。  ・1964(S39).10.5に、名神高速線 名古屋〜神戸、名神豊中〜新大阪を開業。   当時の栗東バス停は、特急停車駅で、IC内にバス停があり、一般路線バスと   簡単に乗り換えが出来た。  ・1965(S40).1.18に、手原駅口〜名神栗東〜新治田を開業。当時の名神栗東バ   ス停は、現在の栗東IC料金所付近にあり、下図のようになっていた。     −−−−>+−料金所−+−−>           \   /        名神栗東○ ○栗東(S39〜S62頃)           /   \     <−−☆−+−料金所<+−−−     栗東(S62頃〜H14)       (歩道橋)        ★:栗東バスターミナル(S50頃?〜H2〜H23) 3.S60.6.20時点の推定路線図                            八  名古屋                            州   Λ                            工 伊 |                        葉 高 業 勢 |                   手原駅口 山 野 前 落 |石部西口                ・−−+−○−−○−○−○−○−|−○−>               /手原 :            |  \              /  ◎ :            |   >             /   : :      善光寺道  |  石部            /  ・…+…:…○……○……○……○…|………>         上鈎○   :   :手原口 葉山  東伊勢落|           |   ○上鈎 :            |           |   :   :            |         治田○   :   ○名神栗東        ・    国     /    ○川辺 ○栗東         /    道    /     :   |          /    草 小柿○      :   △−−−−−−−−−・    津  /    ・……○坊袋 |栗東IC  草 ○>+     :      |  津/  |     ○目川    |  ◎−○<●東草津  :      |  :   :     :      |  ・………+……○……○岡     |      ・ 新屋敷        |      ・            |  ・・・・・            ∨                 神戸・新大阪  ・1971(S46).3.7に、路線名称「小柿−草津(北回り)」を「小柿−東草津」に   変更。意味不明だが、小柿〜東草津のキロ程を設定するためか。  ・1971(S46).4.16に、石部〜草津(旧道)を廃止。同日、路線名称「小柿−東草   津」を削除。意味不明だが、東草津の廃駅に伴う措置で、廃止区間は無しか。  ・1977(S52).10.7に、手原駅口〜名神栗東〜上鈎を廃止。 4.H27.8.1時点の推定路線図                            八  名古屋                            州   Λ                            工 伊 |                        葉 高 業 勢 |                   手原駅口 山 野 前 落 |石部西口                ・−−+…○……○…○…○…○…|…○…>               /手原 |            |  :              /  ◎ |            |   >             /   : |      善光寺道  |  石部            /  ・…+…|…○……○……○……○…|………>         上鈎●   :   |手原口 葉山  東伊勢落|           |   ○上鈎 |            |           |   :   |            |         治田●   :   ●名神栗東        ・    国     /    ○川辺 ●栗東         /    道    /     :   |          /    草 小柿●      :   △−−−−−−−−−・    津  /    ・……○坊袋 |栗東IC  草 ●>△国道大路 :      |  津/  |     ○目川    |  ◎−●<△草津駅口 :      |  :   |     :      |  ・………+……○……○岡     |      | 新屋敷        |      |            |  <−−−△草津3         ∨  京都・大津          大阪・京都  ・1987(S62).4.1現在の運賃表に運賃の記載が無い事から、この時までに、新   吉永〜草津、石部西口〜石部は休止された模様。  ・1987(S62)年頃に、栗東ICの改造があり、バス停位置が変更された模様。  ・2002(H14).6.1に、名神高速線の急行便が廃止となり、栗東バス停を廃止。  ・2008(H20).4.22に、びわこドリーム号「大宮・池袋〜浜大津」を開業。草津   駅東口バス停を新設。  ・2015(H27).8.1に、びわこドリーム号の浜大津を廃止、京都駅を新設。
2015 年 11 月 24 日 23:31:26 (15055) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【805】雲芸南線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇雲芸南線    1 三次−広島    2 高陽車庫−近隣センター前−岩の上    3 近隣センター前−真亀    4 牛田新町一丁目−広島センター 1.2 路線略図                               出雲市                                Λ                                |                              三次◎…………………………………・                                                  :                                  玖村          :                                  駅前       上井原○                                 ・−○          |                            中山  /   \近隣セン   井原|                            公園前○  真亀 ○ター前   市町○                               | ・−○−+−○      |                               |/     /下深川  志和|                               +−−−−−+ 駅前   口駅○                               | 地区セン○      入口|            広島北                | ター /         |            インター         翠光台  北+−−−+       中三田○             Λ    ・−・     ○   山○  /  高陽中   駅前 |             |   /   \    |   橋| ・   学校前      |         不動院○+−○+−−○−−+○−++−○−○+−|−+−−○+−○−+−−○           /  下小田 上小田  矢口|  岩 諸| | ○高陽 |上深川| 狩留家      牛田新町○            ・−+  の 木| ・−+車庫 |駅前 |      一丁目 | 工兵橋        | |  上  |浄水場|   ○   ○          +−−○−−・      ・−○矢口   ○入口 ・  深川台 研創前          |      \饒津      が丘    \ /   横川・大朝  ○白島     ○−+            ○     Λ    |北町   大須| ◎広島新幹線口    養護学校前     |  基町○  合同 賀町○−◎広島     |    |  庁舎前    |\  広瀬町○−−−−+−+−○−−○−−+ +−>海田・呉        | 広島セ| |   女学院 |     | ンター○ |    前  |  広島 ○−−−○−−+−−○−−−−・  十日市   紙屋町   八丁堀 ※上井原〜三次は1985(S60).3.14から休止中 ※路線図で真亀は「近隣センター前(真亀)」と表記されていた 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・雲芸南線は、1952(S27)年5月、雲芸本線の一部として備後十日市(→三次)〜  広島が開業したのがルーツで、陰陽連絡と鉄道補完輸送を使命としていた。 ・中国地方自動車局(1980)「国鉄中国自動車30年史」には、広島〜三次の路線は  戦後、合同自動車(株)が運行していたが、経営不振を理由に手放すことになっ  たので、1952(S27)年5月、既存業者の車両8両、三次の車庫、路線を買収し、  併せて乗務員も譲り受けて、出雲及び広島自営で運行開始したとある。 ・1958(S33)年7月、雲芸南線は出雲自営から広島自営に移管された。 ・1963(S38)年4月に雲芸南線は、雲芸線から独立した。 ・中国地自前掲書には、広島〜出雲市の直通運行のためには、芸備線の踏切11か所  や幅員の狭隘な箇所があったため、道路改修をまってようやく1964(S39)年9月  広島〜出雲市及び広島〜石見大田に直通特急便の運行が開始されたと述べられて  いた。 ・「鉄道辞典補遺版」(1966(S41)年)では、雲芸南線の特長として、広島〜出雲  市、広島〜石見大田(→大田市)に特急便を運行し陰陽連絡のスピードアップ  を図るとともに、芸備線の補完輸送に寄与していると述べられていた。 ・中国地自前掲書には、雲芸南線では団地輸送という新しい輸送需要が発生し、  この対処に取り組むこととなったとあり、1970(S45)年以降、広島市周辺の人口  はドーナツ化現象が起こり、北部方面も団地造成が進み次第に人口が増え、1971  (S46)年5月に矢口・岩の上地区の輸送需要に対応するため7往復増回、1972(S4  7)年は10往復増回したと述べられていた。 ・1973(S48)年6月、安芸庄原〜安芸中深川〜高陽中学校前〜諸木が開業し、旧線  (安芸庄原〜中深川駅前〜諸木)は廃止された。 ・1976(S51)年4月に岩の上〜真亀(2.1km)が開業した。同年8月には三次〜岩の上  (旧線)の廃止が公示され、同日から三次〜向原農協前〜岩の上、向原農協前〜  向原町及び牛田新町一丁目〜広島センターの各区間の開業が公示された。 ・1977(S52)年4月、矢口〜翠光台(1.2km)が開業した。 ・座談会「経営改善の第一線から−自動車営業所長大いに語る」(「国鉄線」1978  (S53)年12月号所収)に広島自営所長が出席しており、次のような発言があった。  ◇広島自営は2つの異なった路線を持っている。1つは広島と浜田を結ぶ118km   の広浜本線であり、もう1つは三次と広島を結ぶ雲芸南S年であるが、この路   線の途中に広島市のニュータウンとして急激に大きくなりつつある高陽団地が   あり、広島市との間の団地輸送を担当。  ◇この団地輸送が非常に実績を上げており、現在でも(広浜)本線のカバーをこ   の南線でやっているという実情。1977(S52)年度末にニュータウン内の3,500平米   の駐車場用地を購入していただいたこともあって、職員の気持ちとしても、こ   の南線を広島自営の顔にしたい、経営的にも1980(S55)年度に収支係数を100に   したいと、皆一生懸命やっている。  ◇広告収入の増収対策は「なりふり構わず」をモットーとしている。現在1両で   最高46枚の広告を出しているが、内容は車内8枚、車内に貼るステッカー29枚、   外側に9枚。「そこまでやっては」という気持ちが(所長にも職員にも)あっ   たが、実際やってみて、あまりみじめでもなければ恥ずかしいものでもないと   いう気持ちである。 ・1979(S54)年3月に向原町〜向原農協前が休止された。同年8月に高陽車庫〜近  隣センター前(2.7km)が開業した。 ・広島県住宅供給公社の高陽団地造成が逐次完成し、1975(S50)年8月に広島交通  はB団地へ、1976(S51)年4月に国鉄はA1団地へ乗入れを開始した。1979(S54)  年8月には運行路線の持ち替えを行い、国鉄と広島交通はそれぞれ33往復でA1、  A2住区の輸送を、広島バスはB住区の輸送を行うこととなった。1980(S55)年10  月現在、各社の総運行回数は、国鉄87往復、広島交通120往復、広島バス35.5往  復と、中国地自前掲書には述べられていた。 ・1983(S58)年3月末限りで向原町〜向原駅前の廃止が公示された。 ・1985(S60)年当時、線内の真亀(近隣センター前)、広島新幹線口及び広島セン  ターに自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、広島自動車営  業所(広島新幹線口)及び同高陽派出所(高陽車庫)が置かれていた。 ・広島自営「国鉄バス雲芸南線時刻表」(1985(S60)年3月14日改正)によると、  雲芸南線には次の系統が設定されていた。   広島・センター〜井原市町 下り5本(うち団地入らず2本)・上り4本(う    ち団地入らず3本)   広島・センター〜志和口駅前 下り1本(団地入らず)・上り1本   広島・センター〜白木山口 下り10本(うち団地入らず4本)・上り11本(う    ち団地入らず6本、日祝運休1本)   広島・センター〜安芸中深川 下り15本(うち団地入らず7本、日祝運休3本、    日祝運転1本)・上り15本(うち団地入らず9本、日祝運休4本、日祝運転    1本)   広島・センター〜高陽車庫(団地入らず) 下り8本(うち日祝運休3本)・    上り8本(うち日祝運休3本)   広島・センター〜近隣センター前〜地区センター〜高陽車庫 下り79本(うち    日祝運休12本、日祝運転2本)・上り67本(うち日祝運休8本、日祝運転1    本)   翠光台〜近隣センター前〜地区センター〜高陽車庫 下り1本(日祝運休)   高陽車庫〜井原市町 下り2本・上り1本  この時刻表には、真亀駅(A1近隣商店街内)及び真亀駅第2切符売場(地区セン  ター駅)の広告が掲載されている。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、高陽車庫〜養護学校前  〜玖村駅前〜近隣センター前、諸木〜地区センター、岩の上〜翠光台、矢口〜  矢口が丘、饒津〜広島新幹線口の各区間が認知された。 ・国鉄末期の1987(S62)年2月に近隣センター前〜岩の上の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、雲芸南線は中国JRバスに継承された。 ・民営化以降1992(H4)年までに研創入口〜研創前が開業した。 ・1996(H8)年6月に深川台への乗り入れを開始(高陽中学校前〜深川台開業)する  とともに、同年7月に高陽台団地への乗り入れを開始した(岩の上〜高陽台開業)。 ・1997(H9)年10月、矢口バイパス経由の急行便を運行開始し、これに伴って矢口〜  下小田の直行経路が開業した。 ・1999(H11)年4月に岩の上〜翠光台が休止された。 ・2003(H15)年3月末限りで研創入口〜上井原が廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、雲芸南線は、広島センター・広島〜高陽団地・研創前及び  その他の枝線が中国JRバスによって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、雲芸南線には接続駅(三次及び  広島)の他、真亀に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ※補足 高陽団地内の路線名称上の区間(1987(S62).02.15)と経路について ・雲芸南線に係る国鉄時代最後の路線名称(1987(S62)年2月15日改正)と路線図を  基に、停留所間キロ程から各区間の経由停留所を整理すると、次の通りであった  と解される。 1「三次・広島間」  三次〜上深川駅前〜安芸庄原〜安芸中深川〜高陽中学校前〜諸木峠〜諸木〜岩の上  〜広島 2「高陽車庫−近隣センター前−諸木間」  高陽車庫〜奥田橋〜地区センター〜西山公園前〜下深川駅前〜下庄〜堂願橋〜近隣  センター前(真亀)〜落合中学校前〜寺迫公園前〜寺迫公園〜柳ヶ迫〜北山橋〜諸  木〜岩の上 3「高陽車庫−養護学校前−地区センター−玖村駅前−近隣センター前間」  高陽車庫〜高陽車庫上〜倉掛センター前〜倉掛小学校前〜防災センター入口〜養護  学校前〜浄水場入口〜高陽東高校前〜諸木陸橋〜北山橋〜柳ヶ迫〜地区センター〜  郵便局前〜寺迫公園〜グランド下〜落合東小学校前〜中山公園前〜県営17号館前〜  新玖村橋〜玖村駅前〜近隣センター前(〜近隣センター前(真亀)) ・この当時の路線略図は次の通りである。なお、この略図では、●は乗降場を、▲は  指定停留所を表している。         新玖村橋●−−○−・            /  玖村駅前\近隣センター前           /        ○    県営17号館前●    ・−○−−+−●堂願橋         /落合中 /近隣センター  \   中山公園前○ 学校前● 前(真亀)    ●下庄        |    |         /    落合東 ●    |        ○下深川駅前    小学校前| 寺迫 |       /        | 公園前● 郵便   ●西山公園前        |    | 局前  /   グランド下●−−●−+−●−−+        寺迫公園/    /            ●    /          /    ○地区センター         ・−+−−−+            安     上        柳ヶ迫●   |   中  高 憩   芸 安   深           | 諸 |   深 学陽 の   中 芸 上 川        北山橋▼ 木 |   川 校中 森 隠 深 庄 庄 駅           | 峠 |   口 前  口 地 川 原 原 前    広島<−○−○+−●−|−+−●−○+−●−●−○−○−●−○−+−>上井原        岩 諸| 奥田● |    |             |        の 木| 橋 | ○高陽  ●第三公園前        ○研創入口        上  ●諸木 ・−+車庫  |             |           |陸橋 高陽|    ●深川台中         ○        光掛中●   車庫●    |            研創前           |   上 |    ○深川台           |     |     高陽東高校前●     ●倉掛センター前           |     |      浄水場入口●     ●倉掛小学校前            \   /        養護学校前○−●防災センター入口
2015 年 11 月 23 日 17:18:58 (15054) ふもふも館長さんの書き込み 三雲〜石部の路線推移 1.S31.11.19時点の推定路線図                              近江八幡Λ                                  |  石部   新     甲西     新           +−+  駅口   柑子袋   中学前    夏見         /| |  <−−−+−○−−−−−○−−−−−−○−−−+−−−++・|・+−>      ・(こうじぶくろ)       ・   ・   ・  |  水口      ・      ・       ・   ・   ・  |    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・   +−○−+−−◎    ・ ・           ・  ・ 甲賀|岩根口   三雲  石部・ ・柑子袋        ・  ・ 吉永|  <−+−+−○−−○−−−○−−+−−○−○−+           近江  針    夏見    ・           平松              ・                           ・                           ・                          ・                         ・                        ・                       ・  草津        石部駅口                新夏見  <−−−+−−−−−−○−−−−−○−−−−−−−−−−−−−−>       ・   石部     石部口  <−−−−−+   ◎  草津     \ /                   ・・・・          +−−−−−・              ・                |              ・ 三雲                ・−○−−+−−−−−−−−−+−−>                 本石部  ・                       ・                       ・                       ・                       ・                       ・・・  ・1932(S7).5.5に、亀三線(後に亀草線) 三雲〜石部を開業。  ・1932(S7).12.25に、亀草線 石部〜草津を開業。  ・1956(S31).11.19に、田村神社前〜三雲〜石部駅口〜草津(新国道)を開業。 2.S41.6.2時点の推定路線図                              近江八幡Λ                                  |  石部   新     甲西     新  新     三雲 +…+東陶  駅口   柑子袋   中学前    夏見 吉永    駅前/| |前  <−−−+−○−−−−−○−−−−−−○−○−+−−−+○−−−○−>      |              |   ・   ・  |  水口      |      ・       |   ・   ・  |    ・・+・・・・・・・・・・・・・・+   +−○−+−−◎    ・ |           ・  |   |妙感寺口  三雲  石部・ |柑子袋        ・  | 吉永|  <−○−+−○−−○−−−○−−+−−○−○−+    西      近江  針    夏見    \    柑      平松              ○里口    子                      |    袋                      ・                          /                         /                        /                       ○妙感寺  草津 石部西口   石部駅口                新夏見  <−−−○−−−−−−○−−−−−○−−−−−−−−−−−−−−>       \   石部     石部口  <−−−−−+   ◎  草津     \ /                   ・・・・          +−−−−−・              ・                |              ・ 三雲                ・−○−−+−−−−−−−−−○−−>                 本石部  \        西                       ○日本精工前  柑                       |       子                    西寺口○       袋                       |                       ・−○東寺  ・1957(S32).10.1に、本石部〜東寺を開業。  ・1958(S33).7.15に、三雲〜妙感寺前を開業。  ・1961(S36).11に、横田橋が完成。東陶前〜三雲で経路変更か。なお、東陶前   は、S38.4.10に東洋陶器前として開駅で、改称時期不明。  ・1963(S38).4.10に、石部西口〜石部を開業。  ・1966(S41).6.2に、新夏見〜夏見、新柑子袋〜柑子袋を開業。 3.S60.6.20時点の推定路線図                              近江八幡Λ                                  |  石部   新   美 甲西  夏見 新  新  田川 国道 +…+東陶  駅口   柑子袋 松 中学前 新田 夏見 吉永 橋  三雲/| |前  <−−−+−○−−○−−○−−○−−−○−○−+−○−+○−−−○−>      :農免    甲西  三雲小 |   |   |  |  水口  八島寺口:柑子袋   ◎   学校前 |農免 |   |  |    ・−○−○−−○−+−○−−○−−○夏見 +…○…+−−◎    | |    近江 新針  |  |   |妙感寺口  三雲  石部| |柑子袋 平松     |  | 吉永|  <−○−○…○……○………○……○−−○…○…○下町    西 旧道   近江  針 旧道  旧道   \    柑 八島寺口 平松    三雲小 夏見    ○里(←里口)    子            学校前       |    袋                      ○勅旨野                          /                         ○西山団地                        /                       ○妙感寺  草津 石部西口   石部駅口                新夏見  <−−−○−−−−−−○−−−−−○−−−−−−−−○−−−−−>       \   石部     石部口      落合川橋  <……………+   ◎ 新                 新夏見  草津     \ /  平野町              ・−−>          +−−−○−・   石部小    宮の森 |                |   学校前 古宮 住宅前 | 三雲                ・−○−−○−−−○−−○−−○−−>                 石部町  :        西                 役場前   ○日本精工前  柑                       :       子                    西寺口○       袋                       :                       ・…○東寺  ・1969(S44).10.12に、本石部〜東寺を廃止。  ・1971(S46).4.16に、石部〜草津(旧道)を廃止。  ・1972(S47).10.1に、路線名称「新夏見−夏見」を「新吉永−夏見」に変更。  ・1974(S49).6.26に、路線名称「新吉永−夏見」を「新吉永−三雲小学校前」   に変更。  ・1982(S57).6.1に、三雲〜新吉永〜西柑子袋(農免経由)を開業。この時、   三雲〜田川橋が開業か。  ・1983(S58).4.1に、路線名称「新吉永−三雲小学校前」を削り、「新柑子袋   −柑子袋」を「農免柑子袋−柑子袋」に変更。新柑子袋〜八島寺口を廃止か。  ・1985(S60).6.20に、三雲〜西柑子袋(旧道)を廃止。路線名称「三雲−新吉永   −西柑子袋」は「綾野−西水口−三雲−石部」に置換され削除、「農免柑子   袋−柑子袋」は「農免柑子袋−西柑子袋」に変更。  ・田川橋〜下町の開業は、この時か。 4.1985(S60).6.20改正時刻表に関する考察 (1) 農免夏見〜旧道夏見〜旧道三雲小学校前〜三雲小学校前  ・国鉄末期の路線図に、この区間が残っているが、運行実態が不明である。  ・1983(S58).4.1に、路線名称「新吉永−三雲小学校前」を削ったが、この区   間が残っているため、削除する理由がわからない。  ・S60.6.20改正時刻表にある、三雲小1525発 石部行が、旧道三雲小、旧道夏   見、農免夏見、三雲小と大回りした上で、石部に向かったか。 (2) 八島寺口〜旧道八島寺口〜西柑子袋  ・国鉄末期の路線図に、この区間が残っているが、運行実態が不明である。  ・S60.6.20改正時刻表にある、石部1732発 八島寺口行、八島寺口1742発 石部   行が、往路または復路で経由したか。 (3) 石部西口〜石部  ・S60.6.20改正時刻表にある、国道三雲622発 農免・石部経由 草津行 (日祝   運休) のみが、この区間を経由するようだ。
2015 年 11 月 21 日 03:06:41 (15053) MIRAGEさんの書き込み 宇都宮支店管内で12月1日から「芳賀温泉ロマンの湯」発着便を「芳賀町役場前(新設)」に変更 芳賀町役場入口〜芳賀町役場間が新規開業となります。(わずか数百メートルですが) なお,茂木系統は役場前に乗り入れないようです。    芳 祖  上 賀 母 祖   延 温 井 母  生 泉 西 井 −○−○−○−○        |        ○芳賀町体育館前        |      ◎=○芳賀町役場入口      芳 |      賀 ○下野原      町  \      役      場      前
2015 年 11 月 15 日 17:35:29 (15052) 政宗3号さんの書き込み いつもお世話になっております。 「1985・夏〜」の遠野線について、現地を訪問した結果を踏まえて加筆 修正しましたので、投稿させていただきます。 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【216】 遠野線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇遠野線   遠野本線    遠野−陸前高田    陸前高田−高田松原   来内線    遠野−切掛   遠野北線    上組町−恩徳    八幡神社前−飯豊−福泉寺口    岩手和野−岩手山口   大洞線    上有住支所前−上有住 1.2 路線略図            上            八  高田松原      有     〆   遠  幡  福  岩   ○     世 支住     田   野  神  泉  手   |  竹  田 所   ・−−○…+ ◎  社  寺  和   |  駒  米 前   |    +…+  前  口  野   ◎−−◎−−○−−○−−○−◎−−−−○−−○−−○−−○−−−○   陸前       |  切 岩   上組町 | /   |   恩徳   高田  岩手八日町○  掛 手       |/    |            |    上       ○     ○            ◎    郷       飯豊   岩手山口          上有住 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・遠野本線1 竹駒〜世田米〜上有住支所前〜切掛〜岩手上郷 2.2 掲載 ・52日目 8/10(土) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p242〜243 ・連載誌のみ 大船渡線竹駒駅の写真 2.3 行程 ○竹駒1009→1138上郷町 遠野本線 陸前高田発 遠野行 537-0014(日野K-RE101) 2.4 エピソード ・バスはさらりと席が埋まり、お年寄り主体だが途中停留所の乗降も多い。岩手  横田を過ぎると道幅はますます狭くなり離合ができない。 ・七夕の飾りつけが美しい商店街に入ると住田町の中心世田米で、時間調整停車。 ・道路はひときわ険しくなりSカーブの急坂を上って赤羽根峠を越える。峠の途  中で老人3人、中年女性1人が乗車。 ・運転士から鉄道乗り換えを案内されて下車したのは上郷町。300m裏道を歩くと  駅に出る。上郷町〜岩手上郷0.4kmは不乗となった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・遠野線は1947(S22)年に遠野〜陸前高田が開業したのがルーツで、1950(S25)年  に岩手八日町〜上有住(後に大洞線)、1952(S27)年に上組町〜恩徳〜岩手小国  〜陸中川井駅前〜茂市(後に遠野北線)が開業した。 ・遠野線は、岩手県東部山間地帯を縦断して大船渡線、釜石線を短絡し、地方交  通の確保と産業開発を使命としていた。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)では遠野線の特長として、大船渡線の盛・  陸前高田方面と遠野市及びこれと茂市・宮古方面との交通短絡線として重要な  役割を持っていると述べられていた。 ・その後、1956(S31)年9月に青笹駅前〜飯豊〜岩手須崎、同年10月に茂市〜岩手  和井内駅前〜町(後に和井内線。1966(S41)年10月末限りで廃止)、1957(S32)  年7月に期間運行の陸前高田〜高田松原、同年8月に遠野〜上宮守〜日詰町〜  盛岡が開業し、盛岡と遠野〜陸前高田が直結した。 ・さらに、1959(S34)年9月から来内線の遠野〜〆田〜平倉、同年10月に遠野北線  の岩手小国〜大仁田(後に大仁田線。1974(S49)11月に廃止)、1963(S38)年2月  に遠野本線八幡神社前〜八幡住宅前〜飯豊が開業した(同時に須崎線青笹駅前〜  岩手須崎が廃止された)。また、1964(S39)年5月から盛岡市内の大通二丁目〜  呉服町が開業した。 ・この間の1962(S37)年10月から、遠野線の部から遠野北線の部が独立した。 ・1972(S47)年3月、大通二丁目〜遠野、大通二丁目〜鐘紡前(北回り)が廃止さ  れて、遠野線の盛岡乗り入れが終了した。同年11月には遠野北線の陸中川井〜  茂市が廃止された。 ・座談会「経営改善の第一線から−自動車営業所長大いに語る−」(「国鉄線」  1978(S53)年11月号所収)には遠野自営所長が出席し、次のような発言があった。  ◇終戦後遠野市を中心として、市町村から地方開発・産業開発を目的として大船   渡線と釜石線を短絡する鉄道建設の強い要望があり、鉄道の代わりに昭和22年   に国鉄バスが遠野〜陸前高田51kmを開業したのが遠野自営の出発点で、これが   今の遠野本線。  ◇昭和27年には地域住民の強い要望で釜石線と山田線を結ぶ鉄道短絡線として   遠野から川井・茂市まで開業した。これが現在の遠野北線。この他に枝線が   8路線開業したが、現在ではその枝線は3路線だけ残って、あとは全部廃止   となった。  ◇自家用車の普及の他に、特に目立つのは工場や会社がマイクロバスを購入する、   あるいは大型バスを購入して通勤や行楽に活用している。これが遠野自営の収   入減につながっているという問題がある。こうした中で職員は企業意欲に燃え   ており、貸切とワンマン化(現在47%のワンマン化率を70〜80%に引き上げ)   で増収を図るように努力中。  ◇遠野北線の恩徳〜川井(31.8km)を(1978(S53)年)10月1日限りで休止した。   ここで一番心配されたのは、部外の関係もさることながら部内のコンセンサス   の問題で、職場が縮小される、先が暗くなるという職員感情が問題であり心配   だった。そこで今年3月頃から、路線再編成や合理化について職員に積極的に   話しかける努力をして、あるいは決められて時間以内に現協が終わった場合に   はそういった話をしながら、路線削減についての理解を求めてコンセンサスを   得た。そういったことで意外にスムーズに10月2日から休止することができた。   とりもなおさず職員との日常の接触が一番大事であると考えている。  ◇国鉄ファンの利用客もいて、地域とは密着している感はある。そこで私たちと   しても遠野市や住田町の広報紙を利用して、我々のいろいろな情報を提供して   できるだけ多く国鉄バスを利用してもらう方法も取っている。道路の問題など   お願いすることもあり、月に1度は必ず町村の役場に顔を出すようにしている。   その時に国鉄の経営の現状について理解を求めるよう努力するとともに、町長   さんや村長さんも国鉄バスを利用するような体制にもっていってもらうように   努力している。  ◇やはり、お客様が乗ってくれたという場合の職員の喜びは、隠し切れないもの   と思う。ワンマン行路を終わって運賃箱が軽いか重いかによって仕事に非常に   喜びを感じているのを目の当たりにする。 ・1979(S54)年1月末限りで遠野北線の恩徳〜陸中川井が廃止される一方、同年3  月に遠野北線岩手和野〜岩手山口が開業した。1980(S55)年3月には遠野北線の  飯豊〜福泉寺口が開業した。 ・1979(S54)年3月から、遠野北線の部は再び遠野線の部に吸収された。 ・1985(S60)年当時、線内の陸前高田、竹駒、岩手上郷、遠野、上有住が鉄道線と  の接続駅で、(自)遠野、岩手八日町、世田米に自動車駅(バス切符売場)が  存在した。また、国鉄バス運行の拠点として遠野自動車営業所(営業所前)及び  同世田米支所(世田米)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/5改正)によると、遠野線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    遠野〜恩徳 4往復(所要29〜38分)    遠野〜一ノ渡 1往復(所要23〜33分)    遠野〜岩手山口 下り4本・上り5本(うち休日運休1本)(所要18〜33分)    遠野〜陸前高田 1往復(所要1時間56〜57分)    遠野〜岩手八日町・世田米 2往復(所要1時間17分)    遠野〜〆田 下り3本(所要27〜30分)    上家〜陸前高田 上り1本(休日運休)(所要1時間21分)    竹の原〜陸前高田 1往復(竹の原〜世田米休日運休)(所要53分)    岩手八日町・世田米〜陸前高田 下り4本・上り5本(うち休日運休1本)     (所要1時間〜1時間6分)    上有住〜陸前高田 下り3本(うち休日運休1本)・上り2本(所要1時間     19〜35分)    上有住〜岩手八日町・世田米 1往復(所要45分) 3.2 旅から30年 ・遠野自営監修「国鉄バス時刻表」1985(S60)年12月15日改正によると、遠野線に  は次のような系統が設定されていた。  (遠野本線)    陸前高田〜遠野 1往復(所要2時間9分)    陸前高田〜上家 1往復(日祝運休)(所要1時間21分)    陸前高田〜八日町 2往復(うち上り1本は世田米〜高田日祝運休)(所要     1時間6〜10分)    陸前高田〜竹の原 1往復(世田米〜竹の原日祝運休)(所要54分)    陸前高田〜世田米 下り4本(うち日祝運休1本)・上り3本(うち学休日     運転1本)(所要35〜44分)    陸前高田〜横田 上り1本(日祝学休日運休)(所要21分)    西宿〜横田 下り1本(日祝学休日運休)(所要5分)    田谷前〜向川口 下り1本(日祝学休日運休)(所要19分)    世田米〜遠野 下り2本・上り1本(県立病院行き・世田米〜県病日祝運休)     (所要1時間26〜28分)    世田米大崎〜上家 上り1本(世田米〜大崎学休日運休)(所要39分)    県立病院〜八日町 上り1本(世田米〜県病日祝運休)(所要28分)    世田米〜八日町 上り1本(所要23分)    八日町〜遠野 上り1本(所要1時間8分)    〆田〜上郷町〜遠野 3往復(所要28〜30分)    上郷町・岩手上郷〜遠野 1往復(所要20分)  (大洞線)    陸前高田〜上有住 下り2本・上り3本(所要1時間30〜45分)    世田米〜上有住 1往復(所要49〜52分)    八日町〜上有住 下り1本(所要30分)  (遠野北線)    遠野〜恩徳 4往復(うち1往復は一ノ渡〜恩徳日祝運休)(所要33〜41分)    遠野〜一ノ渡 1往復(所要26〜33分)    遠野〜似田貝〜山口 下り3本・上り2本(所要20〜27分)    遠野・白岩〜飯豊〜山口 下り2本(うち飯豊〜山口日祝学休日運休1本、日     祝日学休日運休1本)・上り2本(うち日祝学休日運休1本)(所要30〜32     分)    遠野〜飯豊 1往復(所要16〜19分)    遠野〜松山 2往復(所要10〜12分)    遠野〜県病前 5往復(うち下り1本は日祝運休) ・1986(S61)年3月現在の遠野自営路線図では、来内線遠野〜〆田は休止中となっ  ていた。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、遠野本線の新張〜岩手  前川原、遠野北線の岩手須崎〜水光園が認知された。 ・国鉄最後の日の1987(S62)年3月末限りで、来内線遠野〜〆田の廃止公示がなさ  れた(この公示は、国鉄公示として最終のものであった)。 ・上記区間を除いて遠野線は、国鉄民営化及び自動車分離を経てJRバス東北に  継承された。 ・1989(H1)年1月入手の遠野営業所監修「バス時刻表(列車ダイヤ付)」によると、  遠野線には次のような系統が設定されていた。  (遠野本線)    陸前高田〜遠野 2往復(うち上り1本は世田米〜高田日祝運休)(所要1     時間50分〜2時間4分)    陸前高田〜上家 下り3本(うち日祝運休1本)・上り4本(うち1本は上     家〜世田米日祝運休)(所要1時間15〜20分)    陸前高田〜八日町 下り2本・上り1本(所要1時間〜1時間10分)    陸前高田〜竹の原 下り1本(日祝運休)(所要47分)    陸前高田〜世田米 3往復(うち日祝運休1往復)(所要32〜40分)    西宿〜世田米 上り1本(日祝運休)(所要20分)    西宿〜向川口 下り1本(所要35分)    住田病院〜世田米〜遠野 1往復(所要1時間15〜22分)    県立病院〜八日町 上り1本(所要27分)    〆田〜上郷町〜遠野 下り1本(日祝運休)・上り2本(日祝運休)(所要     30分)    岩手上郷〜遠野 1往復(所要20〜23分)  (大洞線)    陸前高田〜上有住 2往復(所要1時間30分)    世田米〜上有住 1往復(所要50〜51分)    八日町〜上有住 1往復(所要29〜30分)  (遠野北線)    遠野〜恩徳 3往復(うち1往復は飯豊経由)(所要30〜45分)    遠野〜一ノ渡 2往復(うち下り1本は飯豊経由)(所要27〜40分)    遠野・営業所〜似田貝〜山口 4往復(うち下り2本、上り全便日祝運休)(     所要22〜27分)    遠野・営業所〜飯豊〜山口 下り2本(日祝運休)・上り2本(所要30分)    遠野〜松山 下り1本(日祝運休)・上り2本(日祝運休)(所要12分)    遠野〜県病前 下り1本(日祝運休) ・1990年代前半に来内線〆田〜切掛、大洞線、遠野北線が廃止され、最後まで残っ  た遠野〜陸前高田、上有住支所前〜岩手八日町も2004(H16)年に廃止されて、遠野  線は全廃された。 3.3 旅の考察 ・遠野線の部のうち、遠野北線は恩徳から先の岩手小国〜陸中川井〜茂市まで路  線が伸びていた。さらに鉄道小本線に沿って茂市〜岩手清水の路線があった(  1966(S41)年廃止公示)。「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号で  は次のようなダイヤが設定されていた。なお、遠野北線陸中川井〜茂市は1972  (S47)年に、恩徳〜陸中川井は1984(S59)年に廃止された。    遠野0820→1042陸中川井  陸中川井1300→1518遠野    茂市0830→0905町  町0700→0740茂市      1435→1510    0930→1005      1653→1728    1515→1550      1715→1750    1631→1706 ・1957(S32)年に遠野本線遠野〜盛岡が開業し、盛岡〜陸前高田の急行便が運行  された。1958(S33)年8月現在のダイヤでは次の4往復が設定されていた(岩手  中央バスと相互乗り入れ)。    盛岡0630→遠野0905→1100陸前高田0645→遠野0845→1115盛岡    盛岡0900→遠野1135→1330陸前高田0830→遠野1030→1300盛岡    盛岡1340→遠野1615→1810陸前高田1300→遠野1500→1730盛岡    盛岡1620→遠野1855→2050陸前高田1650→遠野1850→2120盛岡 ・盛岡〜陸前高田の直通急行便は、「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9  月号では次の1往復が設定されていた。その後、遠野〜盛岡は1972(S47)年に廃  止された。    盛岡1425→遠野1720→1946陸前高田0720→遠野0955→1240盛岡 ・終戦直後の時期は国鉄バス進出に伴う地元バス事業者等との軋轢が各地で発生  していたが、遠野線に隣接する陸前高田〜長部港で1949(S24)年に6往復を運行  を始めたと言われる。1950(S25)年に国鉄は陸前高田〜福伏の事業経営承認を申  請した(屈指のいわし水揚地である長部港の労務者輸送の確保と沿道民の利便  性確保が理由)が、既に民営事業者において輸送需要を満たしているとして、  承認が却下された。 ・国鉄遠野自営では1985(S60)年7月から会員制定期観光バス「遠野物語めぐり号」  の運行を行っていた。運行開始時のダイヤは次の通りであった。    遠野0840→五百羅漢→千葉家→続石→福泉寺→水光園→伝承寺→1500遠野    →1510遠野博物館 ・「遠野物語めぐり号」は国鉄民営化以降もJRバス東北において運行が継承さ  れた。1992(H4)年ダイヤでは次の延べ4便(コース)が運行されていた。   1号:遠野0840→五百羅漢→千葉家→続石→伝承園→博物館→1252遠野   3号:遠野1015→博物館→八幡宮→福泉寺→伝承園→千葉家→五百羅漢→1515遠野   5号:遠野1130→八幡宮→福泉寺→伝承園→千葉家→五百羅漢→1515遠野   7号:遠野1310→伝承園→千葉家→五百羅漢→博物館→1637遠野 ・「遠野物語めぐり号」は2004(H16)年の遠野線全廃とともに、早池峰バスに移管  された。
2015 年 11 月 15 日 09:50:36 (15051) ふもふも館長さんの書き込み 若江線の謎 1.近江今津付近 路線図           大 岸       マキノ       海津           床 脇    ざ← 役場前       ∧         ・−○−○−・  ぜ宮 ∧         :  (こうの)   |     |  ん西 :         :    古    ○梅原   |  草前 :         :    野    |     |  前← :(ひろかわぐち)  :  <−○−+−○+○−○−○+○−○−−○弘川口      :  小浜  : 上 梅 上 下 下     \        :      :ゆ藺 原 弘 弘 弘      ○−>○今津東 :    ○…・う生 口 部 部 部  今津支所前\ |小学校前:   吹田市          東 (←今津役場前)\∨    :   自然の家        (ひろべ)       +    :                           \   :                            +……+                       高島高校前○  :                            |  :                           ++  :                       今津西町○★旧駅:                           |   :                           ・−◎ :                           近江今津:                            自営★:                               ∨                              浜大津 2.様々な謎 (1)Lコース  ・手元にある若江線時刻表(S61.3.10改正/H9.3.8改正)には、小浜〜京都・大阪   湖西線乗継時刻表に、Lコースという愛称名が記載されていた。H13.3.3現在の   時刻表には、Lコースという愛称名は記載されていなかった。  ・Lコースの意味・由来は何だろう。呼称時期は、いつからいつまで?  ・L特急に由来? 国宝めぐり定期観光「A〜Eコース」呼称のパロディ?  ・下図のように、Lの字に似ているためか?      大阪○        |        |      京都○        |        |        |    ○小浜        |    |    近江今津○−−−−○上中 (2)近江今津駅の移転  ・江若鉄道の近江今津駅は、1931(S6).1.1に開業し、1969(S44).11.1に廃止さ   れた。駅は、今津西町バス停付近にあり、駅舎は、癒しの温 岩陶浴ありあけ   今津店として利用されていたが、現在は閉店となっている。  ・線路跡地は、JR社宅になった模様。  ・1937(S12).12.21に、若江線の近江今津が開業。この時は江若鉄道の駅だった。  ・1974(S49).7.20に、湖西線の近江今津駅が開業。同日、若江線 弘川口−近江   今津で1.5kmへの改キロを実施。S49.9.7以降に発行された路線図によると、   1974(S49).7.20に、今津西町〜近江今津 0.6km開業とある。  ・以上から、(旧)近江今津を今津西町に改称の上、今津西町〜近江今津を延伸開   業したと思われる。  ・こういったケースの場合、鉄道開業日と同時に移転するのではなく、若江線の   近江今津駅は、事前に移転するのが自然に思うが、どうだろうか。 (3)営業所の移転  ・1935(S10).12.20 若江線 新平野−若狭熊川が開業、近江今津自動車所開設。  ・この時は、まだ近江今津まで延伸していないが、当初から営業所が今津にあっ   たのは何故だろう。また、現在の営業所は、滋賀県高島保健所の向かいにある   ので、当時とは場所が違うと思われる。開設当時の営業所は、どこにあって、   いつ移転したのだろうか。  ・その後、小浜〜新平野、若狭熊川〜近江今津が開業するが、部分開業を急いだ   のは、何か理由があったのだろうか。 (4)今津東小学校前  ・今津支所前〜今津東小学校前〜高島高校前という隠れた路線がある。  ・S49.9.7以降に発行された路線図によると、1967(S42).6.5に、弘川口〜今津   西町 1.0km開業とある。また、1969(S44).10.16に路線名称「弘川口−近江   今津」が追加された。しかし、対応する開業告示は見つけられなかった。  ・なお、この路線図以外では、この区間は路線図に記載されなかったようだ。  ・不毛板(11120)によると、この区間を通るのは、古野〜今津東小学校のスクー   ル便のみで、古野行き2本、東小学校前行き1本が運行されていた。  ・2005(H17).3.1から、若江線のバス停名が3/1から改称される旨の告知があり、   この中で、4/1から、臨時スクールバス停の下弘部東を常設に昇格する事と、   (今津支所付近交差点)〜今津東小学校 0.1km と描かれた路線図が公開された。  ・2005(H17).10.28改正時刻表は、スクール便が記載されていないものと記載さ   れたものがある。スクール便は、以下の通り。   ◇岸脇747→大床経由→751古野、古野753→805今津東小学校   ●今津東小学校1200→1212古野、古野1214→大床経由→1226今津東小学校   ◇今津東小学校1530→1542古野、古野1544→大床経由→1556今津東小学校   ◇今津東小学校1620→1632古野、古野1634→大床経由→1646今津東小学校   ※ ◇=土曜休日学休運休、●=指定日のみ運行  ・なお、時刻表に「スクール便」の記載は無く、一般も乗車できるのか不明。   なお、この時刻表により、上藺生〜大床〜下弘部東の枝線が存在する事が   明らかになった。  ・2005(H17).10.28改正時刻表(一般向け)には、土曜休日学休運休の近江杉山   708発近江今津行と今津支所前1849発近江杉山行が記載され、「今津支所前   1849発近江杉山行バスの行き先表示がスクールになっていますが、一般の方   も乗車いただけます」との注記がある。  ・その後、発行された時刻表や路線図には、スクール便について記載が無く、   現存するのか、廃止時期についても不明である。  ・また、経路は、上図記載の通り、上り下りで異なっていたのか? (5)浜大津線の経路  ・1956(S31).5.1に近江今津〜浜大津が開業。開業時は、江若鉄道の近江今津駅   である。  ・近江今津からキロ程は、近江今津(3)木津で、後に近江今津(0.5)今津郵便局前   (2.0)木津に改キロされた。この事から、現近江今津駅から南下するのではな   く、高島高校前を経由後、南下したのではないかと推測する。 (6)自然の家  ・1984(S59).4.1に、若江線の路線名称に、上藺生−自然の家が追加された。   ただし、対応する開業告示は見つけられなかった。  ・手元にある「S57.6現在」と書かれた手書き路線図には、「吹田市自然の家」   となっている。正式な施設名は、吹田市「少年自然の家」の模様。  ・一般が利用できる施設ではなく、付近に民家もないことから、吹田市向け貸   切バス専用の区間と推察。 (7)近江角川付近の経路変更  ・1985(S60).6.21に、保坂−近江角川が廃止され、路線名称からも削除された。   しかし、路線図には近江角川が本線上のバス停として残っている。何故だろう。  ・当時は、近江杉山〜保坂〜角川口〜近江追分が本線で、角川口〜近江角川が枝   線だった。水坂トンネルが開通し、近江角川付近を通ることから、水坂峠経由   と角川枝線を廃止し、水坂トンネル経由を本線とし、保坂と近江角川を本線上   に移したと推測。   小浜Λ     |     ○近江杉山     |     +…・ ○(旧)近江角川      \: :       : :       :\:水坂トンネル       : :    水坂峠: :\       : : ○近江角川       : : |       : : |       :  :|   (旧)保坂○   +        :  |         : |          :|           ○保坂(←角川口)           |       近江今津∨ (8)天満・関経由・江若バス  ・1986(S61).12.11に、若江線の路線名称に、若狭仮屋−瓜生口が追加された。   対応する開業告示は無いが、若狭仮屋〜瓜生天満前〜関〜瓜生口を指す模様。  ・手元にある若江線時刻表(S61.3.10改正)では、江若バスを示す枠はあるが、   天満・関経由の記載はない。  ・H5.3.18改正では、天満・関経由は一日4往復、江若バスは一日2往復であった。  ・H9.3.8改正では、枠のみが残り、天満・関経由と江若バスの記載が無い。  ・若狭仮屋〜瓜生口の直行コースは、1994(H6).4.1に廃止になった模様。   江若バスの天満・関経由はあったのか?撤退時期は?       瓜生天満前 関       ・−○−−−○−・       |       |  近江   小浜  |       |  今津   <−−○+…………………+○−−>     若狭仮屋      瓜生口 (9)北川線の経路変更    阿納尻Λ    ○羽賀寺     Λ本保      Λ田烏  西津   | 定観 |        :        |   公民館前○−−−−+        :   若狭下吉田●−・  (うんぴん)|  丸山|羽賀口     :        : |     雲浜○……●−●……………………○………○…●……・ ○若狭       |  |       上野木:  堤口 :井根山 |上吉田     城内○  |          :     :    |       |  |(たわら)・……………+     :    |   乗船場前○……●上竹原 :  新平野:     :    |      :|  |    :   ◎ :     :    |    旧: |新 |定   :   : :     :    |    道: |道 |観   : ・…○…+     :上中  |      :|  |    ::新平野駅前:    :(←三宅)|       ◎−−○−−−−○−−−○−−−+○−−+−◎−−+      小浜 湯岡橋 平野口 新平野駅口 野木口      |                            近江今津∨  ・1951(S26).5.5に、若江本線 小浜〜上竹原〜雲浜〜甲ヶ崎、小浜〜上竹原が   開業。この区間は、1962(S37).11.1に西津線として独立する。第一区間は   旧道・上竹原・丸山経由、第二区間は新道経由か。  ・1951(S26).5.5に、上竹原〜三宅、新平野〜本保が開業。  ・1953(S28).8.15に、井根山〜若狭下吉田〜田烏が開業。  ・1956(S31).4.10に、三宅を上中に改称。  ・1957(S32).10.1に、路線名称の改正。   ◇若江本線2「小浜−上竹原」→「小浜−城内」   ◇北川線1 「上竹原−上野木−上中」→「城内−上野木−上中」  ・乗船場前〜上竹原〜丸山を廃止、乗船場前〜城内〜雲浜〜丸山を開業か。  ・1960(S35).8.25限で、城内〜丸山、井根山〜若狭下吉田を廃止。   →雲浜〜丸山の廃止、井根山〜若狭下吉田の直行ルートを廃止か。  ・1960(S35).8.25に、小浜〜丸山、上中〜若狭上吉田〜若狭下吉田を開業。   →乗船場前〜上竹原〜丸山の復活か。  ・1960(S35).8.25に、路線名称の改正。   ◇北川線1 「城内−上野木−上中」→「小浜−上野木−井根山−田烏」   →新道・上竹原・丸山・上中経由か。  ・1961(S36).3.1に、若江線・北川線に新平野駅前を開駅。北川線2の路線名称   を「新平野−本保」から「新平野駅前−本保」に変更。   →駅前に入らなくなったか。  ・1967(S42).9.21に、若江線・北川線に平野口を開駅。北川線2の路線名称   を「新平野駅前−本保」から「平野口−本保」に変更。   →駅前ルートから、駅前を通らない経路に変更か。  ・1972(S47).8.10に、丸山〜羽賀寺が開業。  ・1981(S56).12.3に、丸山〜羽賀寺が若江本線へ編入され、路線名称「小浜   −神田橋−湯岡橋−羽賀寺」の一部となる。湯岡橋〜上竹原を開業か。  ・1982(S57).6現在の路線図に、上竹原・丸山の記載がなく、羽賀口〜上中は、   休止と記載されている。定観専用ルートになったか。  ・1986(S61).1.24に、丸山〜上中、平野口〜本保を廃止。北川線の残存区間は   若江線へ編入。  ・1991(H3)以降に、乗船場前〜上竹原を廃止、羽賀寺〜西津公民館前を開業。  ・2001(H13).12.1に、湯岡橋〜羽賀寺〜西津公民館前を廃止。
2015 年 11 月 11 日 21:56:40 (15050) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【505】瀬戸西線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇瀬戸西線   瀬戸西本線    1 瀬戸記念橋−造形短大口    2 瀬戸追分−さつき台−南山中学前    3 上水野−品野    4 上水野−穴田−品野    5 鹿乗−下半田川    6 鹿乗−東谷橋    7 鹿乗橋−尾張西尾    8 玉野−石尾台六丁目−尾張細野   陶都線    1 瀬戸記念橋−名古屋    2 北脇町−松原町−中水野    3 瀬戸追分−瀬戸市    4 松原町−苗場町−南山中学前    5 南山中学前−水野団地    6 志段味支所前−神領    7 志段味支所前−高蔵寺 1.2 路線略図           造形短大口○             ○尾張西尾                |              \         大池住宅前○−○大草             ○尾張細野             /             石尾台 /|        尾張下原○              六丁目○ ○外之原            |                  \|          多治見         東野町○           高蔵寺◎    ○玉野  定光 尾張  Λ            |              | 鹿乗橋|    寺口 沓掛  |            |      神領  +−−−+−−○−・  ・−−○−−○−−○下半田川         乙輪町○−+     ◎ ○大留  |  |鹿乗 /         |            |  \    |/     ○−−○−−・   曽野  品川 |         春日井◎   ○−−−○  中志 /東谷  \     稲荷前 鉱山 |               関田  神領\ 段味○ 橋    ○中水野  ○−−○  |                   駅前 \ /      / \   /    \ |                 志段味支所前○      /   \ /      \|                      /| 水野+−○すみ   ○水野支所前 品野○−>明知                     / | 団地○ |れ台    \      /               尾張竜泉寺○  +−○   + さつ 上水野○−○−−+    京都             /   森林| 南山| き台    | 穴田 ○品野    美濃白鳥  大曽  守山自 ○緑地  公園| 中学○−○−+−○−+    |坂上     Λ    根町  衛隊前 |公園前   | 前/|  西| 市民|上松  |     | 愛知 ○−○−−○−−○    南山○ ○ |  松○ 公園○山町  |     | 県庁前| 東大   尾張    町 |/山手|苗 山 \ /     |  名古屋◎−−○−+ 曽根   小幡    松原○ 町 ○場 町  ○松山町   |      \                町 |   |町    |      |       +−>東京             +−○−○−−−+−+ 瀬戸   ・                          北山町:水南 | | 駅前  /                             :町  ○ ○−−○−○瀬戸記念橋                             :  瀬戸市:瀬戸:  \                          效範町○…○………・追分:   +                             :北脇町     :   |                             ○…………○………○   V                             瀬戸  瀬戸市 瀬戸  新豊田                             今村  役所前 新開地 岡崎 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・陶都線7 高蔵寺〜志段味支所前 ・陶都線1 志段味支所前〜松原町 ・陶都線2 松原町〜南山中学前〜中水野 ・瀬戸西本線1 中水野〜水野支所前〜上水野〜瀬戸追分〜瀬戸記念橋 2.2 掲載 ・31日目 7/11(木) S61.4号 7.中部編 単行本 p156〜157 2.3 行程 △高蔵寺1316→1333志段味支所前 名鉄バス 高蔵寺発 名鉄バスセンター行 ○志段味支所前1350→1404松原町 陶都線 名古屋発 瀬戸追分行                           528-8406(日デU30L) ○松原町1543→1555水野支所前 陶都線 発 曽野稲荷前行 528-0005(日デU31L) ○水野支所前1603→1630瀬戸記念橋 瀬戸西本線 発 瀬戸記念橋行                          528-5473(日デP-U32L) 2.4 エピソード ・高蔵寺から志段味支所へ出るバス陶都線の枝線は1日3本で16時半までないが、  同支所までは30分おき発車の名鉄バスセンター行き名鉄バスがあったのを幸い、  代行乗車。 ・乗り換えた瀬戸追分行きは名古屋からのメインルートで30分ヘッド。緑の森林  公園を抜ける素晴らしい路線。松原町で裏街道へ入らねばならず下車。 ・松原町では中水野経由のバス停捜しにひと汗をかく。狭い十字路なので行先別  に同名の停留所がかなり離れて点在。 ・曽野稲荷前行きでうねうねした住宅地の細道を揺られ、突然広い道路へ出ると  難産中学前。古い住宅地と新開地のような所らしい。岡多線延長工事区間の高  架をくぐって水野支所前。 ・瀬戸記念橋行きに乗り継ぐと、この旅始まって以来の超満員。下校生に加えて  買い物の主婦も混じる。名鉄瀬戸線の踏切を渡り、瀬戸追分で半数が降りた。  瀬戸駅前でも大量下車したのに、さらりと座席に残ったお客はよその国鉄バス  平均乗客数より多かった。 ・瀬戸記念橋には、お客が絶えず出入りし、バスも繁く発着しており、国鉄バス  発祥の地では市民の足を担って活躍していることが分かる。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・瀬戸西線は、1930(S5)年12月20日に省営自動車(→国鉄自動車)最初の路線で  ある岡多線の支線、高蔵寺線(瀬戸記念橋〜高蔵寺岡崎〜多治見)として開業  したのがルーツである。瀬戸西線を含む岡多線は、東海道本線岡崎と中央本線  多治見を結ぶ短絡路線としての使命を有していた他、地方産業文化の発展助長  をも使命としていた。 ・戦後は、1952(S27)年2月に十軒家〜北脇〜曽野〜品野〜岩屋堂、同年7月に  瀬戸記念橋〜陶原町〜共栄通〜瀬戸追分及び下半田川〜尾張沓掛〜定光寺橋〜  玉野〜鹿乗橋(玉野〜定光寺口は1972(S47)年7月に廃止公示)、同年10月に  高蔵寺〜大留〜春日井が開業した。1953(S28)年11月には北脇町〜森林公園〜  中志段味〜神領、同年12月には玉野〜木附〜外之原〜尾張細野の各区間が開業  した。 ・1955(S30)年12月、陶都線志段味支所前〜尾張竜泉寺〜尾張小幡〜尾張守山(  →守山自衛隊前)〜矢田町〜古出来町〜東桜通〜名古屋が開業し、瀬戸地区と  名古屋が直結した。併せて、同線志段味支所前〜高蔵寺も開業した。陶都線の  矢田町〜古出来町〜東桜通は1957(S32)年8月に廃止され、代わりに矢田町〜  東大曽根〜大曽根町〜愛知県庁前〜東桜通が開業した。 ・1956(S31)年7月に春日井〜尾張下原、1957(S32)年8月に陶都線水南町〜瀬戸  追分、1959(S34)年11月に上水野〜北脇(十軒家〜北脇廃止)が開業した。 ・1958(S33)年7月に愛岐線東谷橋〜多治見が開業し、これに伴って陶都線のうち  名古屋〜東谷橋が愛岐線に移管された。 ・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、岡多線は国鉄自動車最初の路線として  その歴史的意義は極めて深い、当時はバス13・トラック9の計22両で、岡崎と  多治見及び瀬戸記念橋と高蔵寺とを結ぶ路線のみであったが、1951(S26)年以来  今日まで営業キロ程は倍も伸び、殊に瀬戸を中心とした路線網は発展の一途を  たどっている、と述べられていた。 ・「国鉄バス時刻表」1959(S34)年改正版(のりあいアーカイブス(2015)「愛知県  ・岐阜県のバス時刻表ライブラリー」所収)の陶都線・中馬線時刻表によると、  名古屋〜明知を高蔵寺・穴田経由(瀬戸市内を通らない)で運行する直通便が  次のように2往復運行されていた。  (下り)    名古屋0915→志段味支所前1000→高蔵寺1009→品野1036→1221明知    名古屋1625→志段味支所前1712→高蔵寺1721→品野1748→1933明知  (上り)    明知0800→品野0945→高蔵寺1012→志段味支所前1021→1106名古屋    明知1240→品野1425→高蔵寺1452→志段味支所前1501→1546名古屋 ・1960(S35)年8月に尾張細野〜尾張西尾、1961(S36)年9月に勝川〜尾張下原〜  大草〜坂下町(尾張下原〜勝川は1980(S55)年5月廃止公示)、1962(S37)年4  月に陶都線水南町〜南山中学校前〜中水野、1963(S38)年4月に水南町〜三郷、  同年5月に春日井〜守山駅前(1980(S55)年5月に春日井〜矢田町廃止公示)が  開業した。 ・1965(S40)年1月、高蔵寺線は岡多線の部から独立して高蔵寺線の部が編成され  た。その後、1970(S45)年10月から高蔵寺線は「瀬戸西線」に改称された。 ・1972(S47)年7月、愛岐線定光寺口〜多治見が廃止されて愛岐線の部が削除され  たことに伴い、名古屋〜東谷橋を陶都線、東谷橋〜定光寺口を瀬戸西本線に編入  した。 ・1973(S48)年1月に三郷〜森林公園口〜森林公園前、1977(S52)年12月に瀬戸追分  〜さつき台〜南山中学校前が開業した。 ・座談会「つばめのマークは今日も行く−自動車営業所長大いに語る−」(「国鉄線」  1976(S51)年11月号所収)には瀬戸自営所長が出席し、次のような発言があった。   ◇今年(1976年)の4月26日にレールの方の岡多線が新豊田駅まで開通し、国鉄    バスは鉄道の先行路線ということであったのでバスを減便した。ただ、今回    鉄道が走り始める路線と既にバスが走っている路線が距離的に大分離れてい    る点、鉄道が部分開業である点、停留所の数が問題にならないほどバスの方    が多い点、お客さんの利用実態をみてもレールを利用されるような直通のお    客さんが非常に少ない点(バスの場合、途中の乗り降りが圧倒的に多い点)    から、レールが開通してもバス路線を全面的に廃止するわけにはいかないと    いう現実問題があった。   ◇瀬戸の場合は通勤・通学輸送が主体なので、増収を図る上で、利用者にとっ    て価値ある商品になっているかどうかが一番重要と考えた。現在、瀬戸の場    合、平日ダイヤ・土曜ダイヤ・休日ダイヤの3種類に分かれており、要員を    有効に使うため日曜日等は行路数を減らしている。それを貸切なり他の面に    使うということにしている。ダイヤも、レールが修正されれば、すぐそれに    合わすということで、お客さんの利用実態を常に眺めていて、お客さんの少    なくなったところはやめて多い方へ振り向けるということをしょっちゅう行    って、収入の確保を図っている。これは大変だが、これをやっていかないと    瀬戸では生きる道はないのでやっている。   ◇確かに経営能率を向上させる中での路線やダイヤの見直しは難しい問題。例    えば、団地を控えての輸送になると、どうせても通勤の時間波動があって、    ダイヤの組み方もある程度のロスを覚悟せざるを得ない。そうすると現在あ    る他の路線を振り替えてやりくりしていくという苦労をすることになる。と    ころが、過疎地の路線へ行けば行くほど便数の削減が非常に難しい。いろい    ろと専門的に試算した数字で説明するものの、地元の方は数字の問題ではな    く感情問題で、よほど上手に説明していかないと難しい問題になる。 ・1984(S59)年4月、玉野〜石尾台六丁目〜尾張細野及び陶都線の南山中学前〜水  野団地が「国鉄自動車路線名称」に追加された(同区間が開業の模様)。 ・1985(S60)年3月に南山町〜三郷〜森林公園前が廃止される一方、同年4月に大  池住宅前〜造形短大口が開業した(同時に大池住宅前〜坂下町の廃止が公示され  た)。 ・1985(S60)年当時、線内の瀬戸追分及び(自)名古屋に自動車駅が存在した。また、  国鉄バス運行の拠点として、瀬戸自動車営業所(瀬戸追分)及び名古屋自動車営  業所(名古屋市内)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、瀬戸西線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    名古屋〜森林公園〜瀬戸追分・瀬戸記念橋 下り27本(うち休日運休3本)     ・上り28本(うち休日運休3本)(所要1時間13〜44分(追分)、1時間     20〜51分(記念橋)) 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、西松山町〜市民公園  〜上松山町が認知されるとともに、上水野〜品野が上水野〜曽野稲荷前(曽野稲  荷前〜品野が廃止の模様)に変更され、鹿乗橋〜尾張西尾が鹿乗橋〜尾張細野に  変更された(尾張細野〜尾張西尾が廃止の模様)。 ・国鉄最末期の1987(S62)年2月から西松山町〜中水野が開業した。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、瀬戸西線はJR東海バスに継承された。 ・1987(S62)年5月に市民公園〜中水野、同年9月にききょう台〜中水野(小田妻  西経由)が開業した。 ・1991(H3)年8月までに次の区間が開業した(※補足「1991(H3)年8月時点の瀬戸  西線」を参照)。    尾張細野〜植物園    十軒家〜中水野駅前〜中水野北〜上水野北〜穴田    中水野〜中水野北    上水野〜上水野北    公民館前〜水野団地 ・1996(H8)年3月末限りで、中水野北〜上水野北〜穴田及び上水野〜上水野北が  廃止された。 ・JR東海バス(1998)「JR東海バス10年史」には、一般線の輸送の変遷について、  瀬戸地区関係では次のように述べられていた。   ◇1988(S63)年4月の営業開始直前の同年1月に愛知環状鉄道が新豊田〜高蔵寺    を結び全線開通したことにより、当社のドル箱路線である瀬戸南線、瀬戸西    線が大きな影響を受けた中でのスタートだった。   ◇1988(S63)年3月に東海道新幹線三河安城駅の開業に当たって、三河安城駅〜    新豊田駅間の路線を運行開始したが、マイカーの利用が多く、バスの利用客    が伸びず、1991(H3)年3月に運行を休止した。   ◇一般線の効率化案件     S63年1月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎)     H元年3月 ダイヤ改正(瀬戸・新居町)     H元年7月 安城〜刈谷休止     H2年4月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎)     H3年3月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎・中津川・遠江二俣・美濃白鳥)     H3年3月 三河安城〜新豊田休止     H3年12月 八草〜新豊田休止     H4年3月 ダイヤ改正(新居町・岡崎・中津川・美濃白鳥)     H4年4月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋)、大曽根駅乗入れ     H5年3月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎・中津川・美濃白鳥)     H5年7月 ダイヤ改正(瀬戸)     H6年3月 ダイヤ改正(瀬戸・新居町・岡崎・中津川)     H6年12月 ダイヤ改正(新居町・岡崎・中津川)     H7年4月 ダイヤ改正(瀬戸・美濃白鳥)     H8年4月 ダイヤ改正(瀬戸・遠江二俣) ・1999(H11)年1月末限りで、上水野〜穴田〜品野火の見下、神領駅口〜志段味  支所前、中水野〜市民公園口〜西松山町〜松山町、松原町〜山手町〜南山中学  校前、十軒家〜中水野駅前〜中水野北〜中水野、南山中学校前〜さつき台〜市  民公園口〜市民公園〜市民公園前、中水野〜小田妻〜すみれ台の各区間が休止  された。 ・瀬戸支店「瀬戸〜高蔵寺時刻表」2000(H12)年8月入手によると、瀬戸西線には  次のような系統が設定されていた。    瀬戸市〜苗場町〜南山中学〜水野団地〜小田妻西〜中水野〜鹿乗〜高蔵寺     下り13本(うち土日祝運休1本、日祝運休2本)・上り13本(うち日祝     運休4本、日祝運行2本)(所要21〜23分)    瀬戸市〜上松山町〜上水野〜水野支所〜中水野〜鹿乗〜高蔵寺 下り4本     ・上り7本(うち日祝運休、日祝運行各1本)(所要23〜28分) ・瀬戸支店「水野団地・曽野稲荷時刻表」2000(H12)年8月入手によると、瀬戸西  線には次のような系統が設定されていた。    瀬戸市→上松山町→市民公園前→上水野→水野支所→中新田→中水野→小     田妻西→ききょう台→水野団地→南山中学→苗場町→瀬戸市 13回(う     ち土日祝運休2回、日祝運休3回)(所要24分)    瀬戸市→苗場町→南山中学→水野団地→ききょう台→小田妻西→中水野→     中新田→水野支所→上水野→市民公園前→上松山町→瀬戸市 17回(う     ち日祝運休4回、日祝運行2回、土日祝運休1回)(所要24分)    記念橋→瀬戸市→上松山町→市民公園前→上水野→水野支所→中新田→中     水野→小田妻西→ききょう台→水野団地→南山中学→苗場町→瀬戸市→     記念橋 3回(所要45分)    記念橋→瀬戸市→苗場町→南山中学→水野団地→ききょう台→小田妻西→     中水野→中新田→水野支所→上水野→市民公園前→上松山町→瀬戸市→     記念橋 8回(所要45分)    追分〜瀬戸市〜苗場町〜南山中学〜すみれ台〜ききょう台〜小田妻西〜中     水野〜中新田〜水野支所〜曽野稲荷前 下り3本・上り4本(所要24分) ・瀬戸支店「春日井線時刻表」2000(H12)年8月入手によると、瀬戸西線には次の  ような系統が設定されていた。    春日井〜大池住宅前〜造形大学 下り6本・上り9本(うち土日祝運休2     本)(所要22〜30分)    春日井〜大池住宅前 下り31本(うち土日祝運休3本)・上り32本(うち     土日祝運休6本)(所要15〜17分)    春日井〜神領駅口〜高蔵寺 下り1本(土日祝運休)(所要18分) ・瀬戸支店「名古屋・大曽根〜瀬戸方面時刻表」1999(H11)年2月2日改正による  と、陶都線には次のような系統が設定されていた。    名古屋〜大曽根町〜志段味支所前〜瀬戸追分 下り16本(うち日祝運休1     本)・上り19本(うち日祝運休5本、日祝運行3本)(所要1時間16〜     45分)    大曽根町〜志段味支所前〜瀬戸追分 下り7本(うち日祝運休1本)・上     り6本(所要51〜53分)    名古屋〜大曽根町〜志段味支所前〜高蔵寺 下り2本・上り1本(日祝運     休)(所要1時間3〜8分)    大曽根町〜志段味支所前〜高蔵寺 上り1本(日祝運休)(所要40分) ・2001(H23)年3月23日から名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」が開  業し、JR東海バスも大曽根〜高蔵寺・中志段味・瀬戸みずの坂の運行を開始  した。これに伴って、同線と並行する陶都線の小幡緑地〜名古屋が廃止された  一方、乗馬倶楽部前〜水野団地、ききょう台〜瀬戸みずの坂、中志段味〜雨池  の各区間が開業した。 ・2002(H14)年3月から高蔵寺〜玉野台団地に循環バスの運行を開始した。また、  同年4月からゆとりーとラインの一般道区間に志段味スポーツランド前経由の  経路が新設された。 ・同年9月末限りで、大池住宅前〜(造形短大口→)造形大学、春日井〜神領駅  口〜高蔵寺、玉野〜外之原〜尾張細野の各区間が廃止された。 ・2003(H15)年9月末限りで、中水野〜鹿乗橋、鹿乗〜東谷橋、公民館前〜すみ  れ台〜小田妻西、水野支所前〜曽野稲荷前の各区間が廃止された。他方、同年  10月から中水野〜中水野駅が開業した。 ・2006(H18)年9月、ゆとりーとラインの高蔵寺発着便が減便の上全て名鉄バス  になり、中志段味〜高蔵寺が廃止された。この他、「瀬戸循環線」の中水野駅  発着系統の廃止によって(中水野→)本郷町〜中水野駅が、瀬戸追分〜中志段  味系統の廃止によって松ヶ丘住宅前〜乗馬倶楽部前及び雨池〜中志段味が、そ  れぞれ廃止された。 ・2007(H19)年3月末限りで高蔵寺〜石尾台〜植物園系統が廃止され、押沢台五  丁目〜植物園が廃止された。 ・2009(H21)年9月末限りで瀬戸支店管内の全線が廃止され、JR東海バスの一  般路線は全廃された。最後まで残った運転系統は次の5路線13系統であった(  「交通新聞」2008(H20)年9月1日による)。  ◇春日井線    春日井〜東野町〜大池住宅前(系統キロ4.9km)  ◇玉野台循環線    高蔵寺〜玉野台団地〜高蔵寺(同9.3km)  ◇瀬戸循環線    瀬戸市〜上水野〜水野団地〜瀬戸市(水野循環)(同7.6km)    瀬戸市〜水野団地〜東山町〜瀬戸市(やまて循環)(同7.0km)  ◇瀬戸北線    瀬戸市〜瀬戸駅前〜品野〜上品野(同9.1km)    瀬戸市〜瀬戸駅前〜品野(同6.9km)    瀬戸追分〜瀬戸駅前〜品野〜上品野(同8.5km)    瀬戸追分〜瀬戸駅前〜品野(同6.3km)    瀬戸駅前〜品野〜上品野(同6.6km)    瀬戸駅前〜品野(同4.4km)  ◇小幡緑地線    小幡緑地〜西小学校〜志段味支所前〜瀬戸みずの坂(同11.8km)    小幡緑地〜西小学校〜中志段味(同9.5km)    小幡緑地〜志段味スポーツランド〜中志段味(同5.3km) 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、瀬戸西線には接続駅(勝川、  高蔵寺、春日井及び名古屋)の他に、瀬戸追分に第二種委託駅(自動車駅)が  置かれていた。 ※補足 瀬戸西線各区間の経由地について ・上記の瀬戸西線の路線名称上の各区間について、途中経由地を整理すると、次  の通りであった。  ◇瀬戸西本線    1 瀬戸記念橋−造形短大口      瀬戸記念橋〜瀬戸追分〜松山町〜上松山町〜市民公園前〜上水野〜水      野支所前〜中水野〜鹿乗〜鹿乗橋〜高蔵寺〜大留〜神領駅前〜関田〜      乙輪町〜春日井〜乙輪町〜尾張下原〜大池住宅前〜造形短大口    2 瀬戸追分−さつき台−南山中学前      瀬戸追分〜松山町〜西松山町〜市民公園口〜さつき台〜南山中学前    2-2 西松山町−市民公園−上松山町(※国鉄自動車路線名称全面改正によ      り認知された区間)      西松山町〜市民公園口〜瀬戸市民公園〜市民公園前〜上松山町    3 上水野−品野      上水野〜水野支所前〜北脇〜曽野〜曽野稲荷前〜品川鉱山〜品野    4 上水野−穴田−品野      上水野〜穴田〜品野陶磁器センター前〜品野火の見下〜品野本町〜品野    5 鹿乗−下半田川      鹿乗〜定光寺口〜尾張沓掛〜下半田川    6 鹿乗−東谷橋      鹿乗〜東谷橋    7 鹿乗橋−尾張西尾      鹿乗橋〜玉野〜自衛隊前〜木附〜外之原〜尾張細野〜尾張西尾    8 玉野−石尾台六丁目−尾張細野      玉野〜自衛隊前〜押沢台五丁目〜石尾台六丁目〜石尾台三丁目〜尾張細野  ◇陶都線    1 瀬戸記念橋−名古屋      瀬戸記念橋〜瀬戸新開地〜瀬戸市役所前〜瀬戸今村〜效範町〜北脇町〜      瀬戸追分〜水南町〜北山町〜松原町〜南山町〜松ヶ丘住宅前〜乗馬倶楽      部前〜森林公園〜志段味支所前〜竜泉寺〜緑地公園前〜尾張小幡〜守山      自衛隊前〜矢田町〜東大曽根〜大曽根町〜愛知県庁前〜東桜通〜長者町      〜名古屋    2 北脇町−松原町−中水野      北脇町〜松原町〜山手町〜南山中学前〜公民館前〜すみれ台〜小田妻〜      中水野    3 瀬戸追分−瀬戸市      瀬戸追分〜瀬戸市    4 松原町−苗場町−南山中学前      松原町〜苗場町〜南山中学前    5 南山中学前−水野団地      南山中学前〜公民館前〜すみれ台〜ききょう台〜水野団地    6 志段味支所前−神領      志段味支所前〜新外〜神領駅前〜神領    7 志段味支所前−高蔵寺      志段味支所前〜中志段味〜上志段味〜東谷橋〜高蔵寺 ※補足 1991(H3)年8月時点の瀬戸西線 ・1991(H3)年8月の瀬戸営業所管内・名古屋営業所管内路線図(車内掲示用)によると、  瀬戸西線の路線略図は次の通りである。この路線図では、尾張細野〜植物園が延長さ  れた他、十軒家〜中水野駅前〜中水野北〜上水野北〜穴田、中水野〜中水野北、上水  野〜上水野北、中水野〜市民公園口、中水野〜小田妻西〜ききょう台、公民館前〜水  野団地が新設されている。                            植物園○                               |                           尾張細野○−−・                               |  |                         石尾台六丁目○  ○外之原                               |  |                         押沢台五丁目○  ○押沢台口                               |  |     造形短大口○                  自衛○−−○木附          |          高蔵寺◎    隊前|     大草農協前○             | 鹿乗橋  |          |        大留○−−+−−○−−−○玉野     大池住宅前○         /   |  |          |        / 東谷橋○−−○鹿乗      尾張下原○       ○神領  /    \十軒家 中水野駅前          |      /|駅口 /  小田  ○−−−−−○          |     / |  /   妻西  |中水野   \中水野       乙輪町○−−○−・  | /     ○−−○−−−+−−−○北  ○−−○曽野     多治見          |  関田   |/   ききょ|  |\   \   \ /北脇  稲荷前     Λ       春日井◎       ○志段味 う台 ○−−○ \ 水野○−−−+             |                 /|支所前    |すみ|  \支所前\   ○上水野北        |品野                / |       |れ台|   \   \ / \           ○−>片草            竜泉寺○  ○南原   水野○−−○公民  ・   ○−−−○穴田       品|               |  |     団地   |館前  | 市民|上水野 \        野|               |  |        南山|    | 公園|     \ 品野陶磁器 本|  岩屋          緑地公園前○  ○森林公園    中学○−○−−○−○−○市民公園前 ○センター前 町○−>堂温               |   \        /|さつ 市|   |       \     /   泉               |    ○乗馬倶楽部 / |き台 民|西松 |上松      \   ○品野火           尾張小幡○     \ 前  ・  |   公○山町 ○山町       \ / の見下              /       \   |山 |   園 \ /           +             /      東山町○  ○手 |   口  ○松山町         |       矢田町○−○守山自衛隊前     \ |町 ○苗場町   |   瀬戸   品野坂上○          |              \|  |      |   記念橋      |    東大曽根○−+               ○−−○−−+−−−○−−○−○−−−−−−−・        | ◎大曽根            松  水  |   瀬  瀬  \        |                 原  南  ○   戸  戸   ・   愛知県庁前○                 町  町 瀬戸市  追  駅   V        |                           分  前  新豊田     東桜通○        |     名古屋◎ ※補足 国鉄バス愛岐線について ・愛岐線は、1958(S33)年7月1日に東谷橋〜多治見が開業し、同日から名古屋〜多治見で  急行バスの運行を開始した(岡多線の部から独立)。その使命は中央線の補完であり、  中部地方最初の有料道路として建設された愛岐道路を運行していた。 ・1957(S32)年8月に発表された「国鉄自動車の基本方針」では、既設の旅客路線について  は中長距離運転系統、特に急行バスの設定を重点事項としており、その一環として、名古  屋〜多治見の直通急行バスが開設された。 ・交通協力会「交通年鑑」1959(S34)年版には、愛岐線について次のように述べられていた。  ◇愛岐道路は、愛知・岐阜両県に跨り多治見市と名古屋市を結ぶ有料道路で、S32年7月   20日に完成した。この道路の延長キロは僅か11.7kmであるが、従来の峻険から脱け出て   安全な運行を確保し、運行時分の短縮とともに輸送力の増強に寄与し、沿道の開発は勿   論、定光寺・古虎渓一体の観光客誘致に貢献することとなった。  ◇国鉄自動車は多治見〜名古屋間を東濃笠原線道路を利用して既設運行していたが、愛岐   道路経由によって結ぶ場合は、運転時分が著しく短縮され、又観光客輸送に当たっては   乗り換えの不便も解消され、旅客の利便は実に大きいので、この道路を運行する東谷橋   〜多治見(15km)にS33.7.1より一般乗合旅客運送事業を開始した。  ◇開業以来の営業成績は次の通り。    区間:名古屋〜多治見間 営業キロ:35km    1日平均 走行キロ:501km         輸送人員:431人    車キロ収入:41円40銭(注:「国鉄自動車50年史」によると昭和33年度の旅客車キロ     当たり収入は国鉄自動車平均で64円24銭であった。) ・「国鉄バス時刻表」1959(S34)年改正版(のりあいアーカイブス(2015)「愛知県・岐阜県  のバス時刻表ライブラリー」所収)の愛岐線時刻表によると、同線は、国鉄バス、名鉄  バス、東鉄バスの3者が共同で16往復運行していた。このうち国鉄は、次の7往復を運  行していた。  (下り)    名古屋0710→0827多治見    名古屋0910→1027多治見    名古屋1050→1207多治見    名古屋1350→1507多治見    名古屋1650→1807多治見    名古屋1810→1927多治見    名古屋1950→2107多治見  (上り)    多治見0740→0857名古屋    多治見0840→0957名古屋    多治見1040→1157名古屋    多治見1220→1337名古屋    多治見1520→1637名古屋    多治見1820→1937名古屋    多治見1940→2057名古屋  また、途中停留所は次の通りであった。    長者町、東桜通、県庁前、山口町、森下、大曽根、東大曽根、三菱前、矢田町、矢田    橋、守山、小幡、竜泉寺、吉根、志段味支所前、上志段味、東谷橋、志段味口、玉野    発電所、定光寺、半ノ木口、古虎渓、金山鉱泉、桜木町、末広町、多治見橋、弁天町 ・1972(S47)年7月、愛岐線定光寺口〜多治見が廃止され、愛岐線の部が削除された。これに  伴って、名古屋〜東谷橋は陶都線、東谷橋〜定光寺口は瀬戸西本線に編入された。
2015 年 11 月 09 日 22:38:10 (15049) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【503】瀬戸南線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇瀬戸南線   瀬戸南本線    1 岡崎−瀬戸記念橋    2 三河岩津−東名岩津    3 天神橋−鴛鴨    4 国江−三河上郷    5 天神橋−尾崎    6 南豊田−三河豊田    7 久保町−医療センター    8 挙母小学前−若宮町    9 挙母小学前−新豊田    10 東保見町−加納    11 保見町−浄水口    12 保見大畑−西広見    13 上八草−愛工大前    14 宝ヶ丘−聖霊学園前    15 宝ヶ丘−菱野団地−御殿橋   蒲郡線    1 岡崎−蒲郡   安城線    1 岡崎−坂戸−大高駅前    2 安城郵便局前−藤藪    3 東刈谷駅口−東刈谷駅前   藤岡線    1 四郷−柿野 1.2 路線略図               高蔵寺                      Λ      +>品野・多治見    品野<−○−>明知                |     /               :柿野           名古屋<−○−−○−○瀬戸記念橋      土岐上切○               瀬戸 瀬戸 |              :               追分 駅前 ○萩殿町          :                     |            ○西市野々                     ○御殿橋         :                    /|            ○北曽木               菱野団地○ |            :                    \|            :                  宝ヶ丘○−○聖霊学園前     ○折平                     |            :                  南山口○            :                     |            :                  上八草○−○愛工大前      ○北一色                     |            :                     | 西広見        :                 保見大畑○……○         ○西広瀬                     |     ○加納   :                  保見町○    :     ○東山口                     |\  :伊保町  :                     |・+○−−○−−○四郷                      浄水口○ 東保見    |                      ・ 町     |                       ・      ○豊田                        ・     |梅ヶ坪                      医療セ○ 挙母 |                      ンター \小学前|                           ○−−○久保町   京都                     /|  |   美濃白鳥               若宮町○ ・  ○東豊田    Λ                     /   |    | +>高蔵寺           新豊田○    |    |/                        |    ◎−>東京                 三河○−○南豊田    ・名古屋                  豊田  |    ・                         ○藤薮    ・                         |\    ●西大須                    弥栄○ \上渡刈    ・                         |  ○    東名    ・                      +……○鴛鴨|    岩津    ・                    永覚○  |  |名古<−○−>東京    ●神宮前                   :  |  |屋  /    ・                  和会○−○−−○−−○−−+    ・                    | 三河 国江 :天神○三河岩津    ・                    | 上郷    :橋 |  笠寺●                    |       :  ○大樹寺  駅前・       中手山          |曲尺   尾崎:  |    ・    横根○−○       東刈谷 ○手 ○・・・・○・・○岡崎中央    ・      : |電装前 刈谷 駅前  | ・ 出郷     |    ◎……○……○+ +−○−+◎   ○  |◎安城       ○明大寺   大高 共和 大府     /     |  ||    渡町   |   駅前 駅前 駅口    +  ○−−−○−−○+−−○−−○−−−+            刈谷市○−−+  東刈谷 安城 坂戸      |            駅前    刈谷 駅口  郵便       岡崎◎                  南口     局前         :                                  上地○                                    :                                  高力○                                    :                                  幸田◎                                    :                               三河天王山○                                    :                                 竹の谷○                                    :                                  蒲郡◎ ※瀬戸記念橋〜品野〜多治見は瀬戸北線、瀬戸記念橋〜瀬戸追分〜高蔵寺は瀬戸西  本線、瀬戸追分〜名古屋は陶都線、東京〜東名岩津〜名古屋は東名高速線 ※名古屋〜大高駅前、安城〜出郷〜尾崎〜岡崎中央は名古屋線、名古屋〜高蔵寺は  陶都・瀬戸西線、名古屋〜美濃白鳥は名金急行線、名古屋〜京都は名神高速線 ※1982(S57)年2月10日時点で、瀬戸南本線の天神橋〜尾崎、東保見町〜加納、保見  大畑〜西広見、蒲郡線(岡崎〜蒲郡)、安城線の横根〜大高駅前、三河上郷〜永  覚〜鴛鴨、藤岡線(四郷〜柿野)は休止中 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・瀬戸南線は、1930(S5)年12月20日に省営自動車(→国鉄自動車)最初の路線で  ある岡多線(岡崎〜多治見)の一部として開業したのがルーツである。瀬戸南  線を含む岡多線は、東海道本線岡崎と中央本線多治見を結ぶ短絡路線としての  使命を有していた他、地方産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・戦後は、1951(S26)年に安城線上渡刈〜上郷(→三河上郷)〜安城、1953(S28)  年4月に安城線安城〜刈谷、同年12月に天神橋〜鴛鴨、1954(S29)年12月に挙母  昭和町(→東豊田)〜伊保原〜上伊保(→保見町)、1956(S31)年4月に四郷〜  柿野(後の藤岡線)、1958(S33)年11月に天神橋〜荒居〜安城、1959(S34)年6月  に保見大畑〜西広見、同年7月に岡崎〜三河三谷〜海の家(期間限定運行、三河  三谷〜海の家は1966(S41)年7月廃止、同日から三河三谷〜三谷乗船場開業)、  1960(S35)年に伊保堂(→東保見町)〜加納がそれぞれ開業した。 ・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、岡多線は国鉄自動車最初の路線として  その歴史的意義は極めて深い、当時はバス13・トラック9の計22両で、岡崎と  多治見及び瀬戸記念橋と高蔵寺とを結ぶ路線のみであったが、1951(S26)年以来  今日まで営業キロ程は倍も伸び、殊に瀬戸を中心とした路線網は発展の一途を  たどっている、と述べられていた。 ・その後、1961(S36)年5月に蒲郡線(岡崎〜蒲郡)及び南豊田〜鴛鴨、1963(S38)  年2月に天神橋〜上郷(→三河上郷)が開業した。また、1961(S36)年5月には、  名古屋線(名古屋線の部)名古屋〜笠寺駅前〜共和駅前〜横根〜刈谷及び尾崎〜  暮戸〜岡崎中央が開業し、安城線から刈谷〜安城を、岡多本線から安城〜尾崎を  編入して、路線名称上は名古屋〜尾崎〜岡崎中央となった。 ・1968(S43)年4月に上八草〜愛工大前、1970(S45)年5月に三河岩津〜東名岩津及  宝ヶ丘〜聖隷学園前がそれぞれ開業した。同年7月に名古屋線名古屋〜大高駅前  が廃止されて岡崎中央〜尾崎〜大高駅前は安城線に編入された(名古屋線は削除  された)。また、同年10月に岡多線は「瀬戸南線」と「瀬戸北線」に分割された  (鉄道岡多線(貨物)岡崎〜北野桝塚間開業に伴う)。  1971(S46)年3月には東小学前〜豊田保健所前(→若宮町)が開業した。 ・1975(S50)年2月に安城線岡崎〜渡町〜安城及び刈谷市役所前〜刈谷市駅前〜東  陽町、東刈谷駅口〜東刈谷駅前が開業した(同時に岡崎中央〜安城及び刈谷市役  所前〜東陽町は廃止)。 ・1976(S51)年4月26日に南豊田〜三河豊田及び東小学校前〜新豊田が開業し、鉄道  岡多線の駅に乗り入れた。同日、宝ヶ丘〜菱野団地〜萩殿町も開業した。 ・「国鉄自動車50年史」(1980(S55)年)では、鉄道新線の開業計画に合わせ、鉄道  線の先行線としての役割を果たしたバス路線を再編成することとした、と述べられ  ており、その一例として、岡多線岡崎〜新豊田の開業に合わせた瀬戸南線のダイヤ  削減(S51年4月実施)が挙げられている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(4/1現在)によると、瀬戸南線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    岡崎〜東豊田 15〜45分毎(所要約55分)      岡崎発0623(休日0640)〜2025      東豊田発0710〜2058     ※瀬戸追分方面は東豊田のりかえとの注記あり。    東豊田〜瀬戸記念橋・瀬戸追分 下り19本(うち休日運休3本)・上り20本     (うち休日運休3本)(所要51〜52分)    岡崎〜東名岩津 下り11本(うち休日運休1本)・上り14本(うち休日運休     4本)(所要27分) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、瀬戸南線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    新豊田〜瀬戸追分 下り20本(うち休日運休3本)・上り17本(うち休日運     休1本)(所要59〜1時間2分)    三河豊田〜瀬戸追分 3往復(うち休日運休1往復)    岡崎〜東名岩津 下り9本(うち休日運休2本)・上り11本(うち休日運休     5本)(所要31分) ・座談会「つばめのマークは今日も行く−自動車営業所長大いに語る−」(「国鉄線」  1976(S51)年11月号所収)には瀬戸自営所長が出席し、次のような発言があった。   ◇今年(1976年)の4月26日にレールの方の岡多線が新豊田駅まで開通し、国鉄    バスは鉄道の先行路線ということであったのでバスを減便した。ただ、今回    鉄道が走り始める路線と既にバスが走っている路線が距離的に大分離れてい    る点、鉄道が部分開業である点、停留所の数が問題にならないほどバスの方    が多い点、お客さんの利用実態をみてもレールを利用されるような直通のお    客さんが非常に少ない点(バスの場合、途中の乗り降りが圧倒的に多い点)    から、レールが開通してもバス路線を全面的に廃止するわけにはいかないと    いう現実問題があった。   ◇瀬戸の場合は通勤・通学輸送が主体なので、増収を図る上で、利用者にとっ    て価値ある商品になっているかどうかが一番重要と考えた。現在、瀬戸の場    合、平日ダイヤ・土曜ダイヤ・休日ダイヤの3種類に分かれており、要員を    有効に使うため日曜日等は行路数を減らしている。それを貸切なり他の面に    使うということにしている。ダイヤも、レールが修正されれば、すぐそれに    合わすということで、お客さんの利用実態を常に眺めていて、お客さんの少    なくなったところはやめて多い方へ振り向けるということをしょっちゅう行    って、収入の確保を図っている。これは大変だが、これをやっていかないと    瀬戸では生きる道はないのでやっている。   ◇確かに経営能率を向上させる中での路線やダイヤの見直しは難しい問題。例    えば、団地を控えての輸送になると、どうせても通勤の時間波動があって、    ダイヤの組み方もある程度のロスを覚悟せざるを得ない。そうすると現在あ    る他の路線を振り替えてやりくりしていくという苦労をすることになる。と    ころが、過疎地の路線へ行けば行くほど便数の削減が非常に難しい。いろい    ろと専門的に試算した数字で説明するものの、地元の方は数字の問題ではな    く感情問題で、よほど上手に説明していかないと難しい問題になる。 ・1979(S54)年7月に浄水公民館前〜浄水駅及び浄水口〜伊保堂(→東保見町)が  開業した。 ・1985(S60)年3月、医療センター〜東保見町及び浄水公民館前〜浄水駅の両区間の  廃止が公示された。同年6月、藤岡線(四郷〜柿野)の廃止が公示された。 ・1985(S60)年6月当時、線内の瀬戸記念橋に自動車駅が存在した。また、国鉄バス  運行の拠点として、瀬戸自動車営業所(瀬戸追分)及び同岡崎支所(北羽根)が  置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、瀬戸南線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    岡崎〜新豊田 下り15本(うち休日運休4本)・上り15本(うち休日運休3     本)(所要1時間〜1時間13分)    新豊田〜瀬戸記念橋〜瀬戸追分 下り18本(うち休日運休1本)・上り18本     (うち休日運休2本)(所要59分〜1時間20分)    岡崎〜東名岩津 下り16本(うち休日運休3本)・上り17本(うち休日運休     5本)(所要24〜31分) 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、天神橋〜尾崎、久保町  〜医療センター、挙母小学前〜若宮町、挙母小学前〜新豊田、東保見町〜加納、  保見大畑〜西広見の各区間が削除され、久保町〜新豊田が付け加えられた(久保町  〜挙母小学前〜新豊田を除く、前記各区間が廃止された模様)。また、この改正で  蒲郡線(岡崎〜蒲郡)が削除されるとともに、安城線の第1区間が「岡崎−坂戸−  横根間」に変更された(蒲郡線全線と安城線横根〜大高駅前は廃止された模様)。 ・国鉄最末期の1987(S62)年1月末限りで保見町〜浄水口の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、瀬戸南線はJR東海バスに継承された。 ・1988(S63)年3月、東海道新幹線三河安城駅開業に伴い、新豊田〜三河安城の運行  を開始した(「三河安城線」明治川神社前〜新安城北口〜三河安城が開業)。 ・1989(H1)年7月から安城線の安城〜刈谷(東刈谷駅口〜東刈谷駅前も含まれる模様)  が休止された。なお、1986(S61)年当時の瀬戸自営管内路線図には、安城線は安城  〜刈谷及び東刈谷駅口〜東刈谷駅前のみ描かれていた。 ・1991(H3)年3月から新豊田〜三河安城が休止された(休止区間は、瀬戸南本線の藤  薮〜久保町〜新豊田、安城線の藤薮〜明治川神社前、三河安城線明治川神社前〜新  安城北口〜三河安城の模様)。同年12月から瀬戸南本線の八草〜新豊田が休止され  た。 ・JR東海バス(1998)「JR東海バス10年史」には、一般線の輸送の変遷について、  瀬戸地区関係では次のように述べられていた。   ◇1988(S63)年4月の営業開始直前の同年1月に愛知環状鉄道が新豊田〜高蔵寺    を結び全線開通したことにより、当社のドル箱路線である瀬戸南線、瀬戸西    線が大きな影響を受けた中でのスタートだった。   ◇1988(S63)年3月に東海道新幹線三河安城駅の開業に当たって、三河安城駅〜    新豊田駅間の路線を運行開始したが、マイカーの利用が多く、バスの利用客    が伸びず、1991(H3)年3月に運行を休止した。   ◇一般線の効率化案件     S63年1月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎)     H元年3月 ダイヤ改正(瀬戸・新居町)     H元年7月 安城〜刈谷休止     H2年4月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎)     H3年3月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎・中津川・遠江二俣・美濃白鳥)     H3年3月 三河安城〜新豊田休止     H3年12月 八草〜新豊田休止     H4年3月 ダイヤ改正(新居町・岡崎・中津川・美濃白鳥)     H4年4月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋)、大曽根駅乗入れ     H5年3月 ダイヤ改正(瀬戸・名古屋・新居町・岡崎・中津川・美濃白鳥)     H5年7月 ダイヤ改正(瀬戸)     H6年3月 ダイヤ改正(瀬戸・新居町・岡崎・中津川)     H6年12月 ダイヤ改正(新居町・岡崎・中津川)     H7年4月 ダイヤ改正(瀬戸・美濃白鳥)     H8年4月 ダイヤ改正(瀬戸・遠江二俣) ・1995(H7)年4月から南山口〜上之山団地〜上之山町が開業した。 ・1999(H11)年3月末限りで、長期休止中の安城線岡崎〜横根(東刈谷駅口〜東刈谷駅  前も含まれる模様)が廃止された。 ・瀬戸支店「瀬戸市〜聖霊学園・愛工大方面時刻表」1999(H11)年2月2日改正による  と、瀬戸南線には次のような系統が設定されていた。    瀬戸市・追分〜記念橋〜菱野団地〜上之山三丁目〜愛工大 下り10本・上り15     本(うち土日祝運休1本、土曜運転1本、日祝運休2本)(所要27分)    瀬戸市・追分〜記念橋〜菱野団地〜上之山団地〜愛工大 下り6本(うち日祝     運休1本)・上り4本(所要30分)    瀬戸市・追分〜記念橋〜宝ヶ丘〜聖霊学園 下り6本(日祝運休)・上り10本     (うち土曜運転3本、日祝運休1本、土日祝運休6本)(所要18分)    瀬戸市・追分〜記念橋〜菱野団地〜宝ヶ丘〜聖霊学園 上り2本(日祝運休)     (所要22分)    瀬戸駅前〜記念橋〜宝ヶ丘〜聖霊学園 上り2本(土曜運転、土日祝運休各1     本)(所要12分) ・2002(H14)年3月末限りで、瀬戸南本線の岡崎地区(岡崎〜三河岩津〜天神橋〜国江  〜三河上郷及び三河岩津〜東名岩津)、上八草〜宝ヶ丘、上八草〜愛工大前が廃止  された。これに伴って、岡崎営業所は愛知貸切営業所に組織が変更された。 ・2007(H19)年3月末限りで、宝ヶ丘〜瀬戸記念橋、宝ヶ丘〜菱野団地〜御殿橋、宝ヶ  丘〜(聖霊学園前→)南山学園が廃止されて、瀬戸南線は全廃された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、瀬戸南線には接続駅(岡崎、新  豊田、三河上郷、三河豊田、安城、刈谷、幸田及び蒲郡)の他に、南豊田及び瀬戸  記念橋に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ※補足 国鉄バス名古屋線について ・名古屋線は、1961(S36)年5月10日に名古屋〜刈谷及び尾崎〜岡崎中央が開業し、  安城線から刈谷〜安城を、岡多本線から安城〜尾崎を編入して、路線名称上は名古  屋〜尾崎〜岡崎中央となった(岡多線の部から独立)。 ・同線は、東海道本線の補完及び沿線地域の産業文化の発展助長を使命としていた。  「鉄道辞典補遺版」(1966(S41)年)には、名古屋線の特長として、路線の一部は  国道1号線上を運行しており、沿線に熱田神宮があると述べられていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(7/10現在)によると、名古屋線  には次のように名古屋〜刈谷に13往復運行されていたのを確認できる。  (下り)    名古屋0640→0755刈谷     この間名古屋発0740,0830,0925,1045,1135,1240,1420,1530,1640,1730,1850    名古屋1950→2105刈谷  (上り)    刈谷0710→0825名古屋     この間刈谷発0755,0921,1005,1111,1217,1340,1501,1614,1701,1803,1917    刈谷2006→2121名古屋 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、名古屋線  には次のように名古屋〜刈谷に3往復運行されていたのを確認できる。  (下り)    名古屋0625→0738刈谷    名古屋1240→1356刈谷    名古屋1510→1629刈谷  (上り)    刈谷1135→1251名古屋    刈谷1610→1729名古屋    刈谷1835→1951名古屋 ・1970(S45)年7月に同年7月に名古屋〜大高駅前が廃止され、名古屋線の部は削除  された。残った岡崎中央〜尾崎〜大高駅前は安城線に編入された。
2015 年 11 月 09 日 21:42:55 (15048) ふもふも館長さんの書き込み 小荒路口の謎解き 1.行程の解釈  ◇旧道へ寄って、小荒路三差路にかかり、ブレーキを踏んだ   →近江野口は、旧道。その先は、新道を走ったか   →停車地点は、小荒路交差点を渡った後、現在、高島市コミュニティバス    国境線の小荒路バス停がある位置か  ◇本線のバスは、ちょっと先の小荒路まで停留所はない   →交差点の先に小荒路バス停がある  ◇北マキノ経由はここで曲がって小荒路口に停まる   →小荒路交差点を西に折れた先に、小荒路口バス停がある 2.路線図 (1)国鉄時代   ・小荒路口が掲載された路線図を見たことがない。 (2)JR時代   ・小荒路口が掲載された路線図があるが、小荒路で分岐    するように描かれており、小荒路と海津北口の間に、    小荒路口が描かれている。 (3)高島市コミュニティバス   ・小荒路で分岐するように描かれており、小荒路口は無い。 (4)考察   ・JR時代に、(旧)小荒路を小荒路口に改称(後に廃止)    (旧)小荒路口を小荒路に改称したのではないか。 3.運賃表 (1)S59.4.1現在   ◇マキノ役場前(3.9)北マキノ(-9.3)小荒路(-11.8)海津   ◇小荒路(15.1)疋田 (2)S60.10.1現在   ◇マキノ役場前(3.9)北マキノ(-9.5)小荒路口(-12.0)海津   ◇小荒路口(15.1)疋田 (3)考察   ・北マキノから見ると、(旧道)小荒路より(新道)小荒路口の方が0.2km長い   ・海津から見ると、(旧道)小荒路と(新道)小荒路口で、距離の差は無い   ・疋田から見ると、(旧道)小荒路と(新道)小荒路口で、距離の差は無い 4.推定路線図          国境・駄口・疋田・敦賀               Λ               |               +               ・\               ・ ○近江野口               ・/               +               |:               | :            上ノ山○  ○上ノ山               |  :             田谷○  ○田谷  北マキノ         |  :  近江今津    小荒路口+2|  :  <−−−−−○−−+−−○+・・:       マキノ北 :  ☆+3 :       学校前   : | :              :|:               ○小荒路(こあらじ)+1               |               ∨           海津北口・近江今津  +1=小荒路(→小荒路口→廃止)  +2=小荒路口(→廃止) ※国境から北マキノ方面に向かう系統廃止  +3=当時はバス停なし (→小荒路口→小荒路)
2015 年 11 月 08 日 20:21:12 (15047) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【509】名金線(2) 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇名金線(2)   名金急行線    1 鳩ケ谷−金沢    4 福光−荒田町島    5 福光西町−土山−上砂子谷    6 湯谷温泉口−国見ヒュッテ    7 鳴瀬−中尾    8 桐山−千の杉    9 堅田町−千谷口    10 森本−才田    11 鳴和−金沢    12 山の上−小二又    13 金沢−北安江   太美山線    1 天神町−下刀利   医王山線    1 古屋谷−加賀二俣−武蔵ヶ辻    2 医王口−見上山荘 1.2 路線略図               津幡・高松                         Λ            ○中尾                 |    加賀   千谷口|             才田○ |    朝日○−−−○−○北千谷口               | |      |    /             八田○ |   千の杉○   /              /  | 四王寺 /|小 ○朝日牧             ○大場 ・  ○−・ ○池/          森本 |  / 深谷|   |/          支所前○−+  元湯○ 桐山○        上砂 小森 宝竜              ◎+   /   /         子谷 谷口 寺             森本+−−○−−−○     砂子谷○−○−−○−−○  福光               | 堅田町 鳴瀬\      / \       \ 西町            法光寺○        \  東原/ 土山○  湯谷   +○+−◎福光               |      古屋谷○−−○     \ 温泉口 /  | |               ○東金沢       \    小又西口○−○−○ 天神○ |               |駅口         \        / 法林 町/ \|                +  星稜     直江野○      /  寺  /   ○越中高宮             鳴和○\ 高校前       | 国見ヒ /     ○西太美 |\               +−○−○        | ュッテ○     /  東太美○ ・            ・−−+大樋町 \   加賀市瀬○         ○太美山  /  |           /   |  長江口○      |         |    ○−−+◎城端          / 山の上○     |    加賀○     越中吉見○    立美/|   北安江○   /     |     ○東長江 二俣|         |      \|     |金沢/      ○橋場町   \     |      立野脇○     荒田○   広岡○ ◎−○本町 ○−+       \    ○田の島      |     町島|     | | |  /尾張|      小二又○  |      下刀利○       |     ・−○−+−○ 町 ○兼六          |               越中○      六枚町  武蔵  |園下          ○戸室清水           中尾|           ヶ辻  ・  十全  加賀   /                  ・                \ 病院前 田上  /                  /              小立野○−○−−○−−○−−−○見上山荘          /                        医王口             細尾峠○                                           |                                           |                        飛騨      境川         ○下梨                萩町 鳩ヶ谷  下田  成出  橋詰 西赤尾    /            名古屋<−○−−○−−−○−−−○−−−○−−−○−−−−○上梨 ※鳩ヶ谷〜福光は1979(S54)年6月から休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・名金急行線1 金沢〜鳴和〜森本〜堅田町 ・名金急行線9 堅田町〜千の杉〜千谷口 ・名金急行線7 千谷口〜桐山〜鳴瀬 ・名金急行線1 鳴瀬〜古屋谷〜上砂子谷〜福光西町〜福光 2.2 掲載 ・30日目 7/10(水) S61.4号 7.中部編 単行本 p151〜154 ・連載誌のみ 527-8027の解説 2.3 行程 ○金沢1255→1320森本 名金急行線 発 行 527-0019(日野K-RC301) ○森本1420→1505加賀朝日 名金急行線 発 加賀朝日行(深谷元湯経由)                            528-1002(日デK-U31K) ×加賀朝日1515→1541鳴和 名金急行線 加賀朝日発 金沢行                            528-1002(日デK-U31K) △鳴和1628→1710中尾 名金急行線 金沢発 中尾行(小池経由)                            528-1002(日デK-U31K) ○中尾1725→1743鳴瀬 名金急行線 中尾発 金沢行(千谷口・今泉経由)                            528-1002(日デK-U31K) ○鳴瀬1803→1810古屋谷 名金急行線 発 古屋谷行 527-4471(日野P-HT225AA) ○古屋谷1820→1850福光 名金急行線 金沢発 福光行 527-8027(日野RE121/RC301) 2.4 エピソード ・森本までは5〜10分ヘッドの頻発で、森本駅前に大きなバス乗り場があり、こ  の先は運行系統が複雑に分かれる。 ・加賀朝日行きバスは、右に北陸自動車道を見てメインルートの堅田町から狭い  カーブを登り、深谷温泉を通って台地へ出た。 ・加賀朝日から金沢行きになって折り返すバスで適当な所まで戻る。このバスが  運転士共々中尾行きとなって引き返してくるそうなので、スーツケースを置か  せてもらえないかと頼んでみる。「間違いなく、また乗るなら構わんよ。前へ  出しておいて。いたずらされても悪いし、他のお客さんが忘れ物と思ってもい  かんからなあ。あんたも全部乗る人?たまに、こんな所までワイド周遊券で乗  りに来てくれる人もあるよ。この辺りのバスはワイドならどこでもええ、ミニ  では乗れんと、こう覚えてるんです。」 ・中尾行きは深谷経由と別ルートの小池を通ったが、どの道も狭い。乗り継ぎ地  点の北千谷口は何もない三差路なので、終点の中尾まで乗り越す。杉林と笹の  間に目を凝らすと、農家が数十軒固まっている様子だが、富山側に出ると散居  村になるという。 ・今泉経由ルートは数か所で土砂崩れに見舞われて修復したばかり。「不通のた  め路線変更」の貼り紙があちこちの停留所に残っており、午前中は通れなかっ  た模様。 ・本線ルートへ出た鳴瀬で福光行きを待つと、車の往来は実に激しい。 ・福光行きは高校生と勤め帰りの人で満員。上り下りするうち、県境手前の東原  で大量下車が見られたが、十数人は乗り通す。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・名金線(鳩ヶ谷以北)は、1935(S10)年に金沢〜古屋谷が金福線として開業し  たのがルーツで、1938(S13)年に古屋谷〜総平、1939(S14)年に総平〜福光が開  業した。 ・名金線(鳩ヶ谷以北)の大要を占めていた金白北線の区間は、北陸本線金沢と  城端線城端とを結ぶ鉄道代行路線としての使命を有していた他、城端から金白  南線美濃白鳥を結ぶ鉄道短絡路線及び地方産業文化の発展助長をも使命として  いた。 ・戦後は、1948(S23)年9月に古屋谷〜加賀二俣、1950(S25)年11月に深谷鉱泉口  (→堅田町)〜四王寺、1951(S26)年3月に福光〜井波駅前(後の井波線)及び  福光〜越中吉見(後の太美山線)、1952(S27)年8月に小坂神社前〜小二又、同  年10月に福光〜飛野〜経塚(→東太美)〜城端が開業した。 ・1953(S28)年12月には、金白北本線福光〜越中高宮〜城端〜上梨〜西赤尾〜境川  橋詰が開業して、同日に鳩ヶ谷〜境川橋詰が開業した金白南本線とつながった。  併せて、同日から井波駅前〜小牧堰堤が開業した(井波線福光〜小牧堰堤は1970  (S45)年7月廃止)。なお、この時から金福線は「金白北線」と改称された。 ・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、金白北線の特長として、金沢から境川  橋詰を通って金白南線美濃白鳥まで162kmの全行程を9時間余で毎日直通便を運  転しているが、冬季は雪のため城端以遠は運転を休止すること、金沢〜美濃白鳥  で1日2往復バスの車体に郵便ポストを取り付けて郵便物の速達を図り、利用者  から好評を得ていること、加越能鉄道と金沢〜椿原及び福光〜小牧堰堤に限り、  普通乗車券及び回数乗車券所持の旅客に共通乗車の取扱いをしていること、と述  べられていた。 ・1955(S30)年10月、医王山線武蔵ヶ辻〜小立野〜医王口〜田の島〜加賀二俣が  開業した。1957(S32)年4月、四王寺〜加賀朝日〜南千谷が開業し、翌1958(S3  3)年2月に森本〜才田、1959(S34)年10月に金沢〜北安江、1960(S35)年5月に  福光東町〜開発〜西太美、同年7月に医王山線医王口〜見上山荘、1961(S36)  年5月に鳴瀬〜中尾がそれぞれ開業した。 ・その後、1963(S38)年3月に太美山線越中吉見〜下刀利、1965(S40)年12月に千  の杉〜小池〜桐山、1966(S41)年5月に湯谷温泉口〜国見ヒュッテがそれぞれ  開業した。 ・1966(S41)年11月1日から金白南・北線は名金急行線と改称され、名古屋〜金沢  に直通便が運行開始した。1967(S42)年11月15日から直通急行便の専用区間とし  て荒田町島〜城端及び東金沢駅口〜金沢の直行経路が開業した。 ・1977(S52)年12月に南千谷〜千谷口が開業した。 ・座談会「自動車営業最前線−営業所長大いに語る−」(「国鉄線」1981(S56)  年11月号所収)には金沢自営所長が出席し、次のような発言があった。   ◇金沢自営の輸送範囲は、石川県と富山県にわたっており、石川県は金沢市    を主体とした市内路線と、山岳地方の小規模な観光路線、それから富山県    に向けては名金線の金沢から福光まで、これは富山県との交流のためにも    なっている。また、飛び地にあるため乗車効率のあまり良くない宝達線。    以上のような路線となっている。なお、特殊な問題として減価償却費が多    いことによる収支悪化がある。   ◇富山県福光町は国鉄協力会の方がいらして元々好意的だったが、当初保育    園等の野外散歩や老人ホームから温泉に行く場合、町のマイクロバスを使    っていたが、いろいろ話をした結果、この4月から国鉄バスでやらせても    らえるようになった。   ◇この9月1日から11月30日まで「くつろぎの加賀 能登路」キャンペーン    が実施されているが、現在七尾線が列車本数、種類の関係で、座席指定を    して一貫した旅行をするのには必ずしも向いていないことに着目し、能登    の玄関口である金沢駅からぜひ国鉄バスでやらせて貰おうと考えた。そこ    でレール側に対し、民営バスとの違いを説明し、例えば国鉄バスの貸切乗    車券を発行すれば取扱い収入がレール側に入るという有利な点や、鉄道と    バスとの通し運送による輸送手配も可能である点など、国鉄の中で鉄道と    バスが互いに協力していけば、その方がレールにとっても民営バスと組む    より有利であることを説明して、このキャンペーンに取り入れてもらうよ    うに進めた。そしてさらに進んで、金沢自営を中心として、付近の穴水自    営、大野自営と共同輸送をやるということで、貸切のコース・日程・運賃    も決め、団体の会員募集に全力を集中しているところ。   ◇この冬の対策として、結婚式場と契約して、5〜10kmの範囲内で送迎を任    され、各所にお客様を配っていくということを考えている。   ◇金沢自営も代行輸送の実施により、金沢駅や局の旅客課と関係が密接にな    った。最近は、局の現場長会議に金沢自営所長も出席させていただき、国    鉄バスの貸切誘致もしている。駅や旅行センターとの関係では、最近は大    阪の旅行センターと連携をとるようになったし、各駅の旅行会を活用させ    ていただいて会員制の企画もやれるようになった。 ・金沢自営「国鉄バス時刻表」1983(S58)年4月によると、名金線(2)には次のよ  うな系統が設定されていた。    金沢〜森本〜古屋谷〜東原〜福光 9往復(所要1時間15〜20分)    金沢〜森本〜古屋谷〜東原 上り1本(所要1時間)    金沢〜森本〜古屋谷 3往復(所要35〜40分)    金沢〜森本〜古屋谷〜北方〜二俣〜田の島 下り2本・上り4本(所要1     時間〜1時間10分)    金沢〜森本〜古屋谷〜北方〜二俣 下り9本・上り8本(所要50〜55分)    金沢〜森本〜古屋谷〜北方 上り2本(うち日祝運休1本)(所要55分)    金沢〜森本〜鳴瀬〜今泉〜中尾 1往復(所要45分〜1時間)    金沢〜森本〜鳴瀬〜小池〜中尾 2往復(所要1時間)    金沢〜森本〜鳴瀬〜小池〜朝日 下り1本(所要45分)    金沢〜森本〜堅田町〜深谷〜朝日〜中尾 上り1本(所要55分)    金沢〜森本〜堅田町〜深谷〜朝日 下り2本・上り3本(所要50分)    金沢〜森本〜大場〜才田 下り21本(うち日祝運休3本、日祝森本〜才田     運休2本)・上り22本(うち日祝運休2本、日祝才田〜森本運休3本)     (所要35〜40分)     金沢〜森本〜大場 下り2本(日祝運休、日祝森本〜大場運休各1本)     (所要35分)    金沢〜森本 下り40本(うち日祝運休12本)・上り34本(うち日祝運休11     本)(所要25〜30分)    広岡〜金沢〜森本 上り3本(うち日祝運休1本)    金沢〜鳴和〜東長江〜牧〜小二又 5往復(所要30〜40分)    金沢〜鳴和〜東長江〜牧 下り7本・上り8本(所要30〜35分)    金沢〜鳴和〜東長江 3往復(うち日祝運休2往復)(所要30分)    金沢〜小立野〜医王口〜見上山荘 2往復(医王口〜見上山荘冬季運休)     (所要45分)    金沢〜小立野〜医王口 3往復(所要35分) ・1985(S60)年3月に太美山線西太美〜福光(開発経由)の廃止が公示された。 ・1985(S60)年6月当時、線内の(自)金沢、(自)森本、橋場町及び加賀二俣  に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、金沢自動車営業所  (広岡)及び同福光派出所(福光町内)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、名金線  (2)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    金沢〜森本〜福光 9往復(所要1時間15〜25分)    金沢〜森本〜深谷元湯 下り3本・上り4本(所要28〜35分)    金沢〜森本 5〜15分毎(所要20分)     金沢発 始発帯 0610,0635,0650,0710,0730         終発帯 2000,2010,2025,2045,2100,2130     森本発 始発帯 0648,0706,0712,0720,0726         終発帯 2018,2021,2044,2056,2103,2141    金沢〜医王口〜見上山荘 2往復(所要45分)       金沢〜医王口 3往復(所要35〜40分) 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年12月に高田〜山王町2丁目〜東長江が開業した。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、福光西町〜土山〜上  砂子谷が上砂子谷〜小又西口に変更され(小又西口〜湯谷温泉口〜福光西町は  これまでに廃止された模様)、森本〜才田が森本〜才田〜八田(末端がループ  状となった。補足「民営化直後の才田地区の路線」を参照)に、金沢〜北安江  が金沢〜広岡(広岡〜北安江は廃止)にそれぞれ変更された。また、太美山線  は「福光・立野脇間」となり立野脇以遠が削除された(併せて、名金急行線の  福光〜荒田町島が削除され、起点が福光となった)。さらに医王山線では十全  病院前〜小立野が認知された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、名金急行線はJR東海バス及び西日本JR  バス(形式上は名古屋〜金沢は両社の共管)に継承された。 ・民営化当時(1987(S62)年4月1日)の「自動車線普通旅客運賃表」の医王山線  の項には古屋谷〜加賀二俣〜田の島のみ掲載されており、田の島〜医王口〜小立  野〜武蔵ヶ辻及び医王口〜見上山荘の両区間はこの時までに廃止された模様で  ある。(注:1988(S63)年3月に「橋場町〜医王山口〜見上山荘」休止とする文  献(同人誌)もあるが、他資料に基づく内容と整合しないので誤りと解する。) ・1987(S62)年6月に八田北〜農業試験場前が開業した。 ・1990(H2)年4月末限りで福光〜城端が休止された。 ・1991(H3)5月に広岡発着便が金沢駅西口に乗入れを開始した。同年12月に西太美  〜アローザスキー場が開業した。 ・1994(H6)年9月末限りで上砂子谷〜小又西口が廃止された。 ・2001(H13)年12月、福光〜立野脇及び西太美〜アローザスキー場が廃止された。 ・2003(H15)年12月から農業試験場前系統は全て才田経由となって試験場口は廃止  された(八田北〜試験場口〜農業試験場前が廃止され、才田〜農業試験場前が  開業)。 ・2004(H16)年6月、御所新橋の開通に伴って鳴和〜星稜高校〜御所町〜高田の  経路が新設された。他方、2005(H17)年3月から長江口〜東長江の運行がなく  なった(小二又方面は全便が山王団地経由となった)。 ・2007(H19)年3月から金沢地区でオンデマンドバスの運行が開始された。これに  伴ってオンデマンドルートとして、高田〜星稜女子短期大学前〜御所一丁目〜  御所町会館前〜御所一丁目、福久東〜金沢サティ前〜大場新町の各区間が開業  した。同時に古屋谷〜田の島及び東長江〜小二又が全便デマンド化された。ま  た、堅田町〜中尾〜小池〜鳴瀬間の昼間の便がデマンド化された。 ・同年9月から2008(H20)年3月まで「東金沢駅周辺100円バス」が運行された。  2008(H20)年3月から「牧線」の一部便が東金沢駅乗入れを開始した。 ・同年4月から「金沢ショッピングライナーまちバス」の運行(土日祝日のみ)  を開始した。同年11月からは「金沢ふらっとバス」の長町ルートの運行を開始  した。 ・2011(H23)年4月に武蔵ヶ辻〜香林坊〜広坂〜兼六園下〜兼六元町〜橋場町が  開業した。また、このダイヤ改正からオンデマンド予約を廃止し、旧オンデマ  ンドルートも予約なしで乗車できるようになった。 ・2015(H27)年1月から金沢〜香林坊〜兼六園下〜橋場町〜山の上〜東山〜橋場  町〜尾張町〜金沢の循環バスが運行開始した。 ・2015(H27)年6月現在、名金線(2)は、金沢〜福光の他、牧方面、才田方面、中  尾方面及び田の島方面等の枝線が西日本JRバスによって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、名金線(2)には接続駅(城端、  福光、森本及び金沢)の他に、橋場町、太美山及び加賀二俣に第二種委託駅(  自動車駅)が置かれていた。 ※補足 民営化直後の才田地区の路線 ・1987(S62)年6月頃の「名金線路線図」には、才田地区の路線は次のように描  かれていた。(この路線図には八田北〜農業試験場前は1987(S62).6.1開業と  あるので、1987(S62)年6月頃のものと推定した。)      ○農業試験場前      |  試験場口○      +−−○−−○才田口   八田北○  才田 |      |     ○忠縄      |     |  加賀八田○−−−−−○寿光苑前      |     ・      |     ・ 湖陽住宅   八田東○・・・・・・・・●・・・      |   ・       ・      |   ・・・・・●・・・    大場○       湖陽一丁目      | 福久東  大場新町○−−○−−○森本支所前            |         森本◎+−>福光            |            V           金沢  この路線図によると、加賀八田〜寿康苑前〜才田は1986(S61).11.20開業、八  田北〜農業試験場前は1987(S62).6.1開業とあった。 ・1991(H3)年頃の「名金線停留所一覧」には、才田地区の路線は次のように描か  れていた。(この路線図には、金沢駅西口(1991(H3).5.27開業)は載っている  が、アローザスキー場(1991(H3).12.21開業)が載っていないので、1991(H3)  年頃のものであると推定した。)      ○農業試験場前      |  試験場口○      +−−○−−○才田口   八田北○  才田 |      |     ○忠縄      |     |  加賀八田○−−−−−○寿光苑前      |     |      |     | 湖陽住宅   八田東○−−−+−+−−○−−・      |   |       |      |   ・−−−−○−−・    大場○       湖陽一丁目      | 福久東  大場新町○−−○−−○森本支所前            |         森本◎+−>福光            |            V           金沢
2015 年 11 月 06 日 22:43:23 (15046) ふもふも館長さんの書き込み 新宮周辺の路線推移 1.最末期の推定路線図                      熊野市・大又大久保・尾鷲                           Λ                           :                 成川        :                  ○……………………○矢淵                  :                  :市民会館前 登坂               権現前○−−○−+−○−・                  |    |   |                  | 丹鶴町○   ○旭町                  |(たんかく)\  |                  |      ・ ∨                  |      Λ |                  |      ・−◎新宮                  |    ★  五条         水源地前 |    新宮派出所  熊野本宮    ・・   ○・・○高校前  請川     ・  ・ ・   |(←大道←新宮高校前)  <−−−○−+−−−・−+−−−△(おおみち)     桧杖  ===・=・ 橋本|    (ひづえ)     ・    |                  ∨京都 ルナメール 2.路線推移 ・S33.5.15 川丈線 開業 請川〜檜杖(4)新宮高校前(2)新宮、新宮高校前(2)新宮  新宮高校前〜新宮が重複するが、これは、丹鶴町経由と登坂経由の事を指すと  推測する。丹鶴町経由が旧道、登坂経由が新道である事から、第一区間は丹鶴  町経由か。 ・S36.7.1 紀南線 開業 新宮(1)成川〜熊野市  新宮〜権現前で川丈線と重複するが、まだ権現前は開駅していない。 ・S38.1.15 紀南線 改キロ&開駅 新宮(1.0)権現前(1.6)矢淵  S38.3.1 川丈線を五新線に改称、新宮高校前を大道に改称か  S38.4.15 五新線 改キロ&開駅 檜杖(3.2)大道(1.1)権現前(1.0)新宮  S38.4.15 五新線の路線名称から「大道−新宮」が削除される  紀南線の権現前が開業したので、紀南線の起点を権現前にするべきだった。  五新線の第三区間「大道−新宮(→権現前〜新宮)」は、廃止告示なしに削除さ  れた事から、紀南線の第一区間に編入されたと推測する。 ・S39.4.1「自動車線営業キロ程表」によると、新宮〜権現前の距離は、五新線・  紀南線とも同じ1.0km。丹鶴町経由と登坂経由について、五新線と紀南線のどち  らに所属するか考察した。旧道・新道・開業時期を考慮すると、丹鶴町経由は  五新線に所属するのが相応しい。ただし、路線名称の起点終点を考慮すると、  五新線は五条→新宮で、紀南線は新宮→大又大久保なので、丹鶴町経由は紀南  線に所属するのが相応しい。 ・S39.10.1 五新線 改キロ 檜杖(1.9)大道  S40.9.1 五新線 開駅 檜杖(1.5)水源地前(0.4)大道  当時の橋本〜檜杖ルートは、旧越路トンネル経由だったようだ。 ・S48.3.10 五新線 廃止 桧杖〜権現前  S48.3.10 五新線 開業 桧杖(1.3)越路(0.8)高校前(1.1)権現前  これは、越路トンネル開通に伴う経路変更と思われる。なお、H21(2009)年に  越路トンネルの隣に、新越路トンネルが開通した。 ・S59.2から、紀南線が休止されるが、新宮〜権現前は、五新線が引き続き運行  していた事から、廃止できなかったと推測する。 ・H14年 五新線全廃とともに夜行バス「ルナメール号」も休止となった。
2015 年 11 月 05 日 20:37:56 (15045) ふもふも館長さんの書き込み 中国運輸局の許可等処分状況のお知らせ(H27.10)に、JRバス関係が 2件でています。 https://wwwtb.mlit.go.jp/chugoku/jidousha/joukyou001_k.html http://wwwtb.mlit.go.jp/chugoku/jidousha/joukyou001_k271001.pdf 中国ジェイアールバス 浜田エクスプレス 路線延長 ・島根県浜田市原井町982−4地先 (浜田・三隅道路 原井IC) ・島根県浜田市西村町1315地先 (浜田・三隅道路 西村IC) 8.4km 中国ジェイアールバス 岡山エクスプレス津山号 路線延長 ・岡山県岡山市北区中山下2丁目1−1地先 (郵便局前交差点) ・岡山県岡山市北区中山下2丁目8−1地先 (田町交差点) 0.2km 現在の岡山エクスプレス津山号の経路は、こんな感じでしょうか?  岡山駅西口  ・       ・    Λ    ・岡山駅前   ・柳川     \   △−−−>−−−△・・      \  |       |       ・−+       |         |       |郵便局前         +・・・・・・・△−>・         |       ‖  |         |       ‖  ○天満屋         |       ‖  |         +−−−<−−−△<−・         ・       ・田町         ・       ・
2015 年 11 月 05 日 20:27:18 (15044) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【104】長沼線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇長沼線   長沼本線    1 釣橋−東町    2 厚別営業所前−流通センター通    3 中央長沼−希望   南幌線    1 共栄−南幌    2 夕張太−千歳橋   恵庭線    1 広島市街−恵庭 1.2 路線略図                ・>江別               /              ○             /旭町            ○南幌      流通セ 釣橋+                \      ンター  ○ ○南旭町             ・       通  /|/ \               |   札幌<−○−・ +   ○厚別営        役場前○       :  /    |業所前           |       ・…○     ・          空知大野○        大谷地タ    \    野幌      / \        −ミナル  上野幌○   Λ    鶴城○   \              駅通  \  |北の里  /     ○南十八線                西の里○ |牧場前 /     /                   | ○−−−○夕張太  /                 椴山○ |   |    /                    \|南鶴沼○−−−○瑞穂    ○中央長沼                   共栄○  /        基線通|                     | ○−−−○−−−○−−○−○中央長沼                   広島|/千歳 西長沼 稲穂  |  \市街                   市街○ 橋          |   \                     |          新光○    ○東町                北広島◎−+            |    |\                      |          西南○    V ・−>長沼温泉                     ・            |   東舞鶴   開拓通                    /           希望○   ・漁町                南の里○                   |   南九号               十八号線○    Λ                   | 島松 ・ 恵み野南         東舞鶴                   | 本町/  三丁目          中恵庭                 島松◎−○+−○−−○            Λ   恵庭                      | 北高 |   柏陽 有明 有明 |   ◎                 寿町○−−・ 校前 |   会館 橋  町  |相生町|住吉町                    \ 二十   ○恵み ○−−○−−○−−+−○−+−○+                     \三号   |野 /      |市民○   |  |                      ○−−−−+−+  大町   |会館| 恵庭|和光○                             |  会館前  |  | 駅通○会館|                           柏木○−−−○−−−○−−○−−−+  ○和光町                                     大町 漁町  |  |                                          桜町○  |                                           /   ○駒場町                                     恵庭公園前○−−○−+                                          |青年の家前                                          |                                      南高校前○−○南部隊前                                           \                                            ○西白樺 ※札幌〜流通センター通〜釣橋〜旭町〜江別は空知本線 ※野幌〜北の里牧場前は共栄線 ※東町〜東舞鶴〜中恵庭〜市民会館前〜漁町は長恵線 ※流通センター通〜大谷地ターミナルはS58.12.12から休止中 ※基線通〜希望はS62.02.25から休止 ※南鶴沼〜瑞穂〜南十八線〜空知大野、島松本町〜北高校前〜恵み野南三丁目〜恵  み野、(恵み野〜)柏陽会館〜有明橋〜有明町〜相生町〜住吉町〜和光会館〜和  光町〜駒場町〜駒場町〜青年の家前〜恵庭公園前、有明町〜大町、恵庭駅通〜桜  町〜恵庭公園前〜南高校前〜西白樺、南高校前〜南部隊前は路線名称にない 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・長沼本線1 釣橋〜厚別営業所前〜上野幌駅通 ・恵庭線1 北広島〜広島市街 ・長沼本線1 広島市街〜共栄 ・南幌線1 共栄〜夕張太 ・南幌線2 夕張太〜千歳橋 ・長沼本線1 千歳橋〜中央長沼〜東町 ・長恵本線2 東町〜富志戸〜東長沼 ・恵庭線1 島松〜漁町〜恵庭 2.2 掲載 ・66日目 8/24(土) S61.9号 12.北海道編(下) 単行本 p307〜309 ・連載誌のみ 521-4075の解説、537-5501の解説 2.3 行程 ○東高前1132→1200上野幌駅通 長沼本線 札幌発 東町行 521-4075                             (いすゞP-LV314N) ○北広島1232→1237共栄 恵庭・長沼本線 北広島発 札幌行 537-7003(日野RC320) ○共栄1324→1330夕張太 南幌線 札幌発 南幌行 527-6501(日野) ○夕張太1519→1528千歳橋 南幌線 南幌発 札幌行 537-8016(日野RE101) ○千歳橋1531→1553東町 長沼本線 札幌発 東町行 537-5501(日野RC320P) ○東舞鶴1812→1835恵庭 長恵本・恵庭線 東舞鶴発 恵庭行 537-1008                               (日野K-RE141) 2.4 エピソード ・東高前は停留所の位置が分かりにくくひと汗かいた後、長沼本線の南幌行きを  捕まえた。釣橋から右へ折れると、ここからが戸籍上の長沼本線。新開地を行  き、大谷地ターミナルへ寄る。札幌市営地下鉄東西線連絡ターミナルで、バス  が着くと待合室のドアが自動的に開きテープ放送が流れる最新設備だった。 ・上野幌駅通は上野幌の高架駅と少し離れており駅名も異なるが、同一駅とみな  す特例駅の1つ。 ・国道274号線と地方道の交差点というだけの殺風景な共栄に下車。共栄13時18分  のバスは6分遅れでやってきた。下校高校生の立ち客が多く、乗り降りに手間  取っているのだった。 ・夕張太は広々とした畑の真ん中で道路が直角に交わっている。農家が点在する  だけで食堂、喫茶の類は全く見当たらない。唯一、農協スーパー「Aコープ」  だけが堂々とした構えを誇っている。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・長沼線は、1947(S22)年3月、長広線として札幌〜釣橋〜広島市街〜中央長沼〜  由仁、恵庭線広島市街〜北広島、柏木〜恵庭が開業したのがルーツで、続いて  1951(S26)年8月に恵庭線北広島〜柏木及び島松〜下山口、同年12月に三川線  千歳橋〜三川、1952(S27)年に三川線三川〜追分、1953(S28)年に南幌向線(→  南幌線)行幸橋〜幌向市街、1956(S31)年に三川線本安平〜登川、1957(S32)年  に夕張太〜千歳橋が開業した。   ・長沼線は、長沼地帯の開拓を促進し、交通に恵まれない長沼及び広島周辺町村  と札幌との直結、その他鉄道線の短絡を使命としていた。 ・「鉄道辞典・下」(1958(S33)年)には、長沼線の特長として、路線のほとんど  が石狩平野を運行しているので、輸送物資は米穀類が多いが、現状では旅客輸送  に重点が置かれている、特にこの路線の開設により札幌市との交通が短縮された  ので利用客が多い、と述べられていた。 ・1960(S35)年に恵庭線島松〜補給処前(西回り)が開業した。 ・1965(S40)年4月、追分線(1958(S33)年12月に三川線から改称)の三川〜追分を  追分本線に改称し、支線として登川線(本安平〜登川駅前)を所属させて、追分  線の部を新編した。 ・1967(S42)年に恵庭線島松〜二十三号通〜柏木が開業した。 ・1974(S49)年10月、恵庭線の寿町〜補給処前〜柏木及び寿町〜補給処前(西回り)  の廃止が公示された。これに伴って、寿町〜二十三号通〜柏木は恵庭線の第1区  間に編入された。 ・1982(S57)年3月、長沼本線の厚別営業所前〜大谷地ターミナル〜流通センター  通が開業した。北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車50年史」には、札幌市営  地下鉄東西線の新札幌延長を受けて、国鉄自動車も厚別地区の各団地から地下鉄  新札幌駅への短絡輸送を行う等の路線再編成を行っているところである、と述べ  られている。 ・1985(S60)年1月末限りで長沼本線希望〜水の里、三川線(千歳橋〜三川、1961(  S36).12.1から休止)、追分本線(三川〜追分、1957(S32).11.21から休止)及び  登川線(本安平〜登川駅前、1957(S32).11.21から休止)の廃止が公示された。 ・1985(S60)年6月当時、線内の中央長沼に自動車駅が存在した。また、国鉄バス  運行の拠点として、厚別自動車営業所長沼支所(長沼町内)及び同恵庭支所(恵  庭市内)が置かれていた。 ・「国鉄バス時刻表長沼線」1985(S60)年5月27日改正によると、長沼線には次の  ような系統が設定されていた。  (長沼本線)    札幌〜中央長沼〜ハイジ牧場 1往復(11/4までの日祝休校日運転)    札幌〜大谷地タ〜中央長沼     快速便 下り6本・上り7本(うち11/4までの日祝休校日運休1本)     普通便 下り8本(うち11/4までの日祝休校日運休1本)・上り7本    札幌〜大谷地タ〜北広島     快速便 下り4本(うち日祝休校日運休1本)・上り2本     普通便 下り4本(うち土曜運転(祝日運休)、土日祝運休各1本)・         上り6本(うち土曜運転(祝日運休)、土日祝運休各1本)    札幌〜大谷地タ〜椴山 下り1本(日祝休校日運休)・上り2本(うち日     祝運休1本)    大谷地タ〜北広島〜中央長沼・東町 下り5本(うち日祝休校日運休1本)     上り5本(うち日祝運休、日祝休校日運休各1本)    大谷地タ〜北広島 下り3本・上り6本    大谷地タ〜椴山 下り7本(うち日祝休校日運休6本)・上り2本(うち     日祝運休、日祝休校日運休各1本)       大谷地タ〜北広島〜長沼高校 下り1本(日祝日運休)    中央長沼〜西長沼〜北の里〜共栄〜長沼高校 下り1本(日祝学休日運休)    手稲追分〜時計台前〜大谷地タ〜厚別営業所前 上り1本(日祝休校日運休)  (南幌線)    札幌〜大谷地タ〜西幌〜南幌     快速便 下り3本・上り1本    札幌〜大谷地タ〜北の里〜南幌     快速便 下り3本(うち18線経由1本)・上り4本(うち18線経由1本)     普通便 下り5本(うち日祝運休1本)・上り3本    大谷地タ〜共栄〜北の里〜南幌 下り4本(うち日祝運休1本)・上り5本     (日祝運休2本)    大谷地タ〜共栄〜西幌〜南幌 上り2本  (恵庭線)    大谷地タ〜北広島〜恵み野駅〜柏木〜大町〜漁町〜恵庭 1往復(日祝運休)     ※下りは23号経由・上りは恵み野団地経由    江別〜野幌〜北広島〜恵み野駅〜23号〜柏木〜大町〜漁町〜恵庭 2往復    東舞鶴〜下山口〜島松〜23号〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭     上り1本    島松〜団地〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭〜桜町〜西白樺 下     り1本       島松〜団地〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭〜和光町〜西白樺      下り1本       島松〜23号〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭〜和光町〜西白樺      上り2本       島松〜団地〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭 下り4本・上り1本    島松〜23号〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭 上り3本    柏陽会館〜有明橋〜児童館〜相生町〜恵庭〜桜町〜南部隊前〜西白樺 下り     1本(日祝運休)    恵庭〜桜町〜西白樺 下り1本・上り5本(うち日祝運休2本、土曜運転1本、     日祝休校日運休1本)    恵庭〜桜町〜南部隊前〜西白樺 下り1本(日祝運休)    市民会館〜漁町〜桜町〜南部隊前〜西白樺 下り1本(土曜運転)    市民会館〜漁町〜桜町〜西白樺 下り2本(うち日祝休校日運休1本)・上     り1本(日祝運休)    恵庭→漁町→大町→柏木→恵み野駅→23号→島松→南9号→漁橋→下島松→     島松→23号→恵み野駅→柏木→大町→漁町→恵庭→桜町→南部隊前→西白     樺 1回(日祝運休)       西白樺→和光町→恵庭→漁町→市民会館→有明橋→恵み野駅→23号→島松→     下島松→漁橋→漁太→南9号→下島松→島松→団地→恵み野駅→有明橋→     市民会館→漁町→恵庭 1回    恵庭→漁町→大町→柏木→恵み野駅→23号→島松→下島松→漁橋→漁太→南     9号→下島松→島松→団地→恵み野駅→有明橋→市民会館→漁町→恵庭     1回  (共栄線)    南の里〜北広島〜野幌〜江別 下り4本(うち日祝運休1本)・上り5本    北広島〜野幌〜江別 下り3本・上り1本    北広島〜野幌 上り1本(日祝運休) 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、長沼本線の厚別営業所  前〜釣橋が認知されるとともに、恵庭線が「広島市街−北広島−恵庭間」に変更  され、旧長恵線のうち漁町〜北黄金が恵庭線に編入された。 ・国鉄最末期の1987(S62)年3月16日、長沼本線西の里〜北広西高、南幌線南鶴沼  〜空知大野、恵庭線の島松〜恵み野三丁目〜漁町、有明橋〜漁町〜西白樺及び南  高校前〜南部隊前が開業したとある(「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11  月現在による)。 ・国鉄民営化を経て、長沼線はJR北海道に継承された。 ・1987(S62)年11月、南幌線の空知大野〜役場前を妙華寺前経由から南幌公民館前  経由に変更するとともに、同線の南鶴沼〜空知大野(南十八線経由)、恵庭線の  有明〜大町が休止された。 ・1993(H5)年12月、南幌〜大谷地ターミナル系統が北広島駅乗入れを開始するとと  もに、北広島駅〜稲穂9丁目の循環バスを運行開始した。 ・1995(H7)年12月、恵庭線の恵み野地区で経路変更がなされるとともに、「恵庭循  環線」(テクノ循環)が運行開始した(※補足「島松・恵み野地区の路線変遷」  及び「恵庭市内の路線変遷」を参照)。 ・2000(H12)年4月、長沼本線の北広島地区で経路変更がなされる(※補足「北広島  地区の路線変遷」を参照)とともに、南幌線空知大野〜役場前を南幌ビューロー  経由に経路変更、恵庭線の南の里〜島松本町(寿町経由)が廃止、同線の恵み野  地区で経路変更、南高校前〜西白樺及び「恵庭循環線」(テクノ循環)の廃止が  なされた(※補足「島松・恵み野地区の路線変遷」及び「恵庭市内の路線変遷」  を参照)。 ・2001(H13)年6月、ながぬま温泉〜ユンニの湯に臨時路線を開設した。 ・2009(H21)年4月から恵庭駅〜大町〜島松駅の系統の運行を取りやめた。これに  伴って、中島町5〜柏陽町3〜柏木〜大町会館前〜大町〜漁町の区間が休廃止  された。 ・2010(H22)年9月末限りで北広島〜南の里が廃止された。同年10月から南幌線の  南幌町内の経路を変更して南幌ビューロー発着での運行を開始した。 ・同年12月からの「えにわコミュニティバス」実証運行に伴い、恵庭線(恵庭市内  線)が同年11月末限りで休止された(休止区間は恵庭駅〜有明〜島松駅及び恵庭  駅〜南部隊前)。(当該区間は2011(H23)年3月末限りで廃止。) ・2015(H27)年6月現在、長沼線は、(札幌〜)釣橋・大谷地ターミナル・新札幌  〜北広島〜ながぬま温泉・南幌ビューローがJR北海道バスによって運行されて  いる。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、当時長沼線には接続駅(上野幌  (上野幌駅通)、北広島、島松、恵庭及び三川)の他に、中央長沼に第一種委託駅  (自動車駅)が置かれていた。 ※補足 北広島地区の路線変遷 ・北海道地自「国鉄自動車路線図」1985(S60)年10月現在における路線略図は、  次の通りであった。    釣橋  野幌                  南幌     Λ  Λ                   Λ     |  |                   |  行幸橋○−−○共栄 +・・・・・・・・・・・+−−○+−>長沼        |   ●東共栄2丁目     | 千歳橋     北の台○   ・        東の里|        |   ●東部中学校  +−○−+        |   ・入口     |        |東共栄●       |    広島市街○−−−+−−−○−−−+        |   ・  公民 東栄・        |元町通・  館前 通 ・        +・●・+−●・●・●・+        |   ・稲穂 公民  ・        |   ・通  館前  ●稲穂8丁目        |   ・       ・     東部小|   ●稲穂2丁目  ●稲穂9丁目     学校前○   ・       ・        |   ・       ・  北広島◎−−+・・・●・・・・・・・●稲穂11丁目        |    稲穂4丁目        ○北広島        |駅通        V       南の里 ・JR北海道自動車事業部「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11月現在に  おける路線略図は、次の通りであった。    釣橋  野幌                  南幌     Λ  Λ                   Λ     |  |                   |  行幸橋○−−○共栄 +・・・・・・・・・・・+−−○+−>長沼        |   ●東共栄2丁目     | 千歳橋     北の台○   ・        東の里|        |   ●東部中学校  +−○−+        |   ・入口     |        |東共栄●       |    広島市街○………+………●………+        |   ・  公民 東栄|        |元町通・  館前 通 |        +−○−+−○−○−○−+        |   ・稲穂 公民  ・        |   ・通  館前  ●稲穂8丁目        |   ・       ・     東部小|   ●稲穂2丁目  ●稲穂9丁目     学校前○   ・       ・        |   ・       ・  北広島◎−−+・・・●・・・・・・・●稲穂11丁目        |    稲穂4丁目        ○北広島        |駅通        V       南の里 *広島市街〜(旧)公民館前〜東の里は1987(S62).11.30から休止中 ・1989(H1)年11月改正「長沼線時刻表」から稲穂2丁目経由の記載が確認さ  れる(同年7月1日改正には記載なし)。    釣橋  野幌                  南幌     Λ  Λ                   Λ     |  |                   |  行幸橋○−−○共栄 +・・・・・・・・・・・+−−○+−>長沼        |   ●東共栄2丁目     | 千歳橋     北の台○   ・        東の里|        |   ●東部中学校  +−○−+        |   ・入口     |        |東共栄●       |    広島市街○………+………●………+        |   ・  公民 東栄|        |元町通・  館前 通 |        +−○−+−○−○−○−+        |   |稲穂 公民  ・        |   |通  館前  ●稲穂8丁目        |   |       ・     東部小|   ○稲穂2丁目  ●稲穂9丁目     学校前○   |       ・        |   |       ・  北広島◎−−+−−−○・・・・・・・●稲穂11丁目        |    稲穂4丁目        ○北広島        |駅通        V       南の里 ・1993(H5)年12月1日改正から北広島〜稲穂9丁目循環が開業(経路は北広  島→稲穂11→稲穂9→稲穂8→東栄通→稲穂通→稲穂4→北広島)。    釣橋  野幌                  南幌     Λ  Λ                   Λ     |  |                   |  行幸橋○−−○共栄 +・・・・・・・・・・・+−−○+−>長沼        |   ●東共栄2丁目     | 千歳橋     北の台○   ・        東の里|        |   ●東部中学校  +−○−+        |   ・入口     |        |東共栄●       |    広島市街○………+………●………+        |   ・  公民 東栄|        |元町通・  館前 通 |        +−○−+−○−○−○−+        |   |稲穂 公民  |        |   |通  館前  ○稲穂8丁目        |   |       |     東部小|   ○稲穂2丁目  ○稲穂9丁目     学校前○   |       |        |   |       |  北広島◎−−+−−−○−−−−−−−○稲穂11丁目        |    稲穂4丁目        ○北広島        |駅通        V       南の里 ・2000(H12)年4月1日改正から長沼線の北広島地区の経路を変更し、広島  市街〜元町通〜稲穂通、東栄通〜東の里〜千歳橋及び稲穂通〜稲穂2丁目  〜稲穂4丁目の各区間を廃止。稲穂通〜東部中学校入口〜東共栄2丁目〜  千歳橋が開業。    釣橋  野幌                  南幌     Λ  Λ                   Λ     |  |                   |  行幸橋○−−○共栄 +−−−−−−−−−−−+−−○+−>長沼        |   ○東共栄2丁目     ・ 千歳橋     北の台○   |        東の里・        |   ○東部中学校  ・・●・・        |   |入口     ・        |東共栄○       ・    広島市街○・・・+・・・●・・・+        |   |  公民 東栄・        |元町通|  館前 通 ・        +・●・+−○−○−○−+        |   ・稲穂 公民  |        |   ・通  館前  ○稲穂8丁目        |   ・       |     東部小|   ●稲穂2丁目  ○稲穂9丁目     学校前○   ・       |        |   ・       |  北広島◎−−+−−−○−−−−−−−○稲穂11丁目        |    稲穂4丁目        ○北広島        |駅通        V       南の里 ※補足 長沼町内の路線変遷 ・北海道地自「国鉄自動車路線図」1985(S60)年10月現在における路線略図は、  次の通りであった。        中央 中央長        長沼 沼市街        ○−−−○−−○−>東町           /  役場前          /         ○基線通        /|       / |  千歳橋<・  V         希望 ・JR北海道自動車事業部「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11月現在に  おける路線略図は、次の通りであった。        中央 中央長        長沼 沼市街       +○−−−○−−○−>東町     錦町○   /  役場前       |  /  あかね団地○−○基線通        /:       / :  千歳橋<・  V         希望 ※補足 島松・恵み野地区の路線変遷 ・北海道地自「国鉄自動車路線図」1985(S60)年10月現在における路線略図は、  次の通りであった。                                十八号      下島松          Λ        Λ                        |二十号     |                        +−○−・    |島松                    寿町・   |島松  |本町 北高校前             ・・・・●−−−◎−−−−○−−○             島松  ・   |島松鈴蘭    ・  |  恵み野        保育所前●   ●団地前   東町●  |  東7             ・   |        ・  ・−−−○−+           +・●・+・・・・・・・・・        ●恵み野東2       寿町2|                 |               |          図書館前   | 恵み野東3       二十三○   恵み野西5●・・●・・●・・+……●・        号 |        ・    恵み野 ○恵み野:          |   恵み野西4●    中学校前|南3 :          |        ・        |   :          +−●−−−◎−−+−−−−−+○−○恵み野●保健セン          |恵み野 恵み野 ・     ・恵み 小学校・ター前          ・駅西口     ●恵み野  ・野南 前  ・              \   ・・・・・西2   ・2     ・               \  ・         +・・・・・・・                \ ・   中島町5丁目●                        \・         ・柏陽町  有明橋                 +−−−−○−−−−+−○−−−−○−−>相生町               |   柏陽会館  ・      |   ・恵庭               ○柏木中央     ●柏陽町3丁目|                 |         ・      |                 +−−−−−−−−−○柏木    |                            \     |                             ○−−−−○−−>漁町・                          大町会館  大町  恵庭駅通 ・JR北海道自動車事業部「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11月現在に  おける路線略図は、次の通りであった。                                十八号      下島松          Λ        Λ                        |        ・                     二十号○・・・・    ・島松                      |   ・島松  ・本町 北高校前             +−−−○・・・◎−−−−○−−○             島松  | 寿町|島松鈴蘭    |  |  恵み野        保育所前○   ●団地前   東町○  |  東7             |   |        |  ・−−−○−+           +−○−+−−−−−−−−・        ●恵み野東2       寿町2|                 |               |          図書館前   | 恵み野東3       二十三○   恵み野西5●・・●・・●・・+……●・        号 |        ・    恵み野 ○恵み野:          |   恵み野西4●    中学校前|南3 :          |        ・        |   :          +−○−−−◎−−+−−−−−+○−○恵み野●保健セン          |恵み野 恵み野 ・     ・恵み 小学校・ター前          ・駅西口     ●恵み野  ・野南 前  ・              \   ・・・・・西2   ・2     ・               \  ・         +・・・・・・・                \ ・   中島町5丁目●                        \・         ・柏陽町  有明橋                 +−−−−○−−−−+−○−−−−○−−>相生町               |   柏陽会館  ・      :   ・恵庭               ○柏木中央     ●柏陽町3丁目:                 |         ・      :                 +−−−−−−−−−○柏木    :                            \     :                             ○−−−−○−−>漁町・                          大町会館  大町  恵庭駅通  *有明〜有明橋〜大町は1987(S62).11.30から休止中 ・1990(H2)年11月13日改正「恵庭線時刻表」では、寿町〜二十三号〜恵み野  駅西口が描かれておらず、同区間は休廃止された模様である。                                十八号      下島松          Λ        Λ                        |        ・                     二十号○・・・・    ・島松                      |   ・島松  ・本町 北高校前             +−−−○・・・◎−−−−○−−○             島松  | 寿町|島松鈴蘭    |  |  恵み野        保育所前○   ○団地前   東町○  |  東7             |   |        |  ・−−−○−+           +−○−+−−−−−−−−・        ○恵み野東2       寿町2・                 |               ・          図書館前   | 恵み野東3       二十三●   恵み野西5●・・●・・●・・+・・●・        号 ・        ・    恵み野 ○恵み野・          ・   恵み野西4●    中学校前|南3 ・          ・        ・        |   ・          +−○−−−◎−−+−−−−−+○−○恵み野●保健セン          |恵み野 恵み野 ・     ・恵み 小学校・ター前          ・駅西口     ●恵み野  ・野南 前  ・              \   ・・・・・西2   ・2     ・               \  ・         +・・・・・・・                \ ・   中島町5丁目●                        \・         ・柏陽町  有明橋                 +−−−−○−−−−+−○−−−−○−−>相生町               |   柏陽会館  ・      ・   ・恵庭               ○柏木中央     ●柏陽町3丁目・                 |         ・      ・                 +−−−−−−−−−○柏木    ・                            \     ・                             ○−−−−○−−>漁町・                          大町会館  大町  恵庭駅通 ・1992(H4)年12月1日改正「恵庭線時刻表」の路線案内図では、恵み野〜恵み  野駅西口〜柏木中央が描かれておらず、恵み野〜恵み野西2〜柏陽会館/柏  木中央に変更されていた。(※恵庭市サイトの「恵庭市の沿革」には、同年  10月27日に恵庭バイパス恵み野跨線橋開通とある。)                                十八号      下島松          Λ        Λ                        |        ・                     二十号○・・・・    ・島松                      |   ・島松  ・本町 北高校前             +−−−○・・・◎−−−−○−−○             島松  | 寿町|島松鈴蘭    |  |  恵み野        保育所前○   ○団地前   東町○  |  東7             |   |        |  ・−−−○−+           +−○−+−−−−−−−−・        ○恵み野東2       寿町2・                 |               ・          図書館前   | 恵み野東3       二十三●   恵み野西5●・・●・・●・・+・・●・        号 ・        ・    恵み野 ○恵み野・          ・   恵み野西4●    中学校前|南3 ・          ・        ・        |   ・          +・●・・・◎−−+−−−−−+○−○恵み野●保健セン          ・恵み野 恵み野 |     ・恵み 小学校・ター前          ・駅西口     ○恵み野  ・野南 前  ・              ・   +−−−+西2   ・2     ・               ・  |         +・・・・・・・                ・ |   中島町5丁目●                        ・|         ・柏陽町  有明橋                 +−−−−○−−−−+−○−−−−○−−>相生町               |   柏陽会館  ・      ・   ・恵庭               ○柏木中央     ●柏陽町3丁目・                 |         ・      ・                 +−−−−−−−−−○柏木    ・                            \     ・                             ○−−−−○−−>漁町・                          大町会館  大町  恵庭駅通 ・1995(H7)年12月4日改正「恵庭線時刻表」では、恵庭線では次のように  経路が変更された。  (1) 島松〜寿町〜島松の循環便がなくなり、寿町〜島松鈴蘭団地〜東町   は休廃止された模様である。  (2) 恵み野〜柏陽会館/柏木中央を恵み野西2丁目経由から、恵み野西   5〜図書館前〜恵み野中学校〜恵み野東3〜保健センター前〜柏陽町   3〜柏木〜柏木中央〜柏陽会館という経路に変更した(これに伴って   恵み野〜恵み野西2〜柏陽会館の区間が廃止され、恵み野〜恵み野西   5〜図書館前〜恵み野中学校〜恵み野東3〜保健センター前〜柏陽町   3丁目〜柏木及び柏木中央〜柏陽会館の各区間が新設された)。                                十八号      下島松          Λ        Λ                        |        ・                     二十号○・・・・    ・島松                      |   ・島松  ・本町 北高校前             +−−−○・・・◎−−−−○−−○             島松  | 寿町・島松鈴蘭    |  |  恵み野        保育所前○   ●団地前   東町○  |  東7             |   ・        |  ・−−−○−+           +−○−+−−−−−−−−・        ○恵み野東2       寿町2・                 |               ・          図書館前   | 恵み野東3       二十三●   恵み野西5○−−○−−○−−+−−○+        号 ・        |    恵み野 ○恵み野|          ・   恵み野西4●    中学校前|南3 |          ・        |        |   |          +・●・・・◎−−+−−−−○+○−○恵み野○保健セン          ・恵み野 恵み野 ・     ・恵み 小学校|ター前          ・駅西口     ●恵み野  ・野南 前  |              ・   +・・・+西2   ・2     |               ・  ・         +−−−−−−+                ・ ・   中島町5丁目●                        ・・         |柏陽町  有明橋                 +−−−−○−−−−+−○−−−−○−−>相生町               |   柏陽会館  |      ・   ・恵庭               ○柏木中央     ○柏陽町3丁目・                 |         |      ・                 +−−−−−−−−−○柏木    ・                            \     ・                             ○−−−−○−−>漁町・                          大町会館  大町  恵庭駅通 ・2000(H12)年4月1日から、恵庭線では次のように経路が変更された。  (1) 南の里〜島松間の運行がなくなり、南の里〜十八号〜二十号〜寿町〜保   育所前〜寿町2〜東町〜島松本町の区間が廃止された。  (2) 恵み野東2〜柏陽町/柏陽町3を、(旧)恵み野南3〜恵み野小学校前   〜(旧)恵み野南2〜恵み野〜恵み野西5〜図書館前〜恵み野中学校前〜   保健センター前経由から、(新)恵み野南3〜恵み野中学校前〜図書館前   〜恵み野西5〜恵み野西4(新設)〜恵み野〜(新)恵み野南2〜中島町   5丁目経由に変更された。(これに伴って、(新)恵み野南3〜恵み野小   学校前〜(旧)恵み野南2〜恵み野、恵み野中学校前〜恵み野東3〜保健   センター前〜中島町5、柏木〜柏木中央〜柏陽会館〜柏陽町の各区間が廃   止された。一方、(新)恵み野南3〜恵み野中学校前、恵み野〜(新)恵   み野南2〜中島町5の各区間が新設された。)                                十八号      下島松          Λ        Λ                        ・        ・                     二十号●・・・・    ・島松                      ・   ・島松  ・本町 北高校前             ・・・・●・・・◎−−−−○−−○             島松  ・ 寿町・島松鈴蘭    ・  |  恵み野        保育所前●   ●団地前   東町●  |  東7             ・   ・        ・  ・−−−○−+           ・・●・+・・・・・・・・・        ○恵み野東2       寿町2・                 |               ・          図書館前   | 恵み野東3       二十三●   恵み野西5○−−○−−○−−○・・●・        号 ・        |    恵み野 ・恵み野・          ・   恵み野西4○    中学校前・南3 ・          ・        |        ・   ・          +・●・・・◎−−+−−−−−+・・●   ●保健セン          ・恵み野 恵み野 ・恵み 恵み○ 恵み野  ・ター前          ・駅西口     ●野西 野南| 小学校前 ・              ・   +・・・+2  2 |      ・               ・  ・         +・・・・・・・                ・ ・   中島町5丁目○                        ・・         |柏陽町  有明橋                 +・・・・●・・・・+−○−−−−○−−>相生町               ・   柏陽会館  |      ・   ・恵庭               ●柏木中央     ○柏陽町3丁目・                 ・         |      ・                 +・・・・・・・・・○柏木    ・                            \     ・                             ○−−−−○−−>漁町・                          大町会館  大町  恵庭駅通 ※補足 恵庭市内の路線変遷 ・北海道地自「国鉄自動車路線図」1985(S60)年10月現在における路線略図は、  次の通りであった。                                       東舞鶴                                        Λ               島松                       ・               Λ                        ・               |  恵み野       中恵庭●・・・・・・・・●上山口               |  東7           ・        ・               ・−−−○−・         ・        ・                     |恵み野東2    ・        ●二十二号                     ○     天融寺前●総合      ・              図書館前   | 恵み野東3   ・体育館 西1線 ・  二十三  恵み野西5●・・●・・●・・+・・●・     +・●・・・●・・●二十四号   号        ・    恵み野 |恵み野・     ・        ・   Λ   恵み野西4●    中学校前○南3 ・     ●恵明中     ●基線25号   |        ・        |   ・     ・学校前     ・   +−●−−−◎−−+−−−−−+−−○   ●保健セン ・        +・・・・   |恵み野 恵み野駅:     ・ 恵み野  ・ター前  ○北黄金→黄金  ・   ・   |駅西口     ●恵み野  ・ 小学校前 ・     |北3丁目    ・   ●テクノ中央   ・    ・・・・・西2   ・      ・     |    黄金町 ・   ・    \   ・         +・・・・・・・     |     ●・・●・●・・     \  ・   中島町5丁目●            |  恵庭駅・二十・ テクノ西      \ ・         ・            |   ◎・・六号・       \・         ・柏陽町  有明橋    |相生町|住吉町 ・        +−−−−○−−−−+−○−−−−○−−−−−+−○−+−○+ ・           |   柏陽会館  ・      |  市民 ○   |  | ・        |         ・      |  会館前|   +・・○・・        ○柏木中央     ●柏陽町3丁目|     |   |  |和光        |         ・      |     |   |  |会館        +−−−−−−−−−○柏木    |     |   |  |                     \     |     |漁町 |  ○和光町                    ○−−−−○−−−−−+○−−○恵庭|                   大町会館  大町        |駅通|                                 桜町○  ○駒場町                                   |  |                              恵庭公園前○−○+                                   |青年の家前                                   |                               南高校前○−○南部隊前                                   |                                西白樺○ ・JR北海道自動車事業部「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11月現在に  おける路線略図は、次の通りであった。                                       東舞鶴                                        Λ               島松                       ・               Λ                        ・               |  恵み野       中恵庭●・・・・・・・・●上山口               |  東7           ・        ・               ・−−−○−・         ・        ・                     |恵み野東2    ・        ●二十二号                     ○     天融寺前●総合      ・              図書館前   | 恵み野東3   ・体育館 西1線 ・  二十三  恵み野西5●・・●・・●・・+・・●・     +・●・・・●・・●二十四号   号        ・    恵み野 |恵み野・     ・        ・   Λ   恵み野西4●    中学校前○南3 ・     ●恵明中     ●基線25号   |        ・        |   ・     ・学校前     ・   +−○−−−◎−−+−−−−−+−−○   ●保健セン ・        +・・・・   |恵み野 恵み野 ・     ・ 恵み野  ・ター前  ●北黄金→黄金  ・   ・   |駅西口     ●恵み野  ・ 小学校前 ・     ・北3丁目    ・   ●テクノ中央   ・    ・・・・・西2   ・      ・     ・    黄金町 ・   ・    \   ・         +・・・・・・・     ・     ●・・●・●・・     \  ・   中島町5丁目●            ・  恵庭駅・二十・ テクノ西      \ ・         ・            ・   ◎・・六号・       \・         ・柏陽町  有明橋    ・相生町|住吉町 ・        +−−−−○−−−−+−○−−−−○−−−−−+・●・+・●+ ・           |   柏陽会館  ・      :  市民 ○   |  ・ ・        |         ・      :  会館前|   +・・●・・        ○柏木中央     ●柏陽町3丁目:     |   |  ・和光        |         ・      :     |   |  ・会館        +−−−−−−−−−○柏木    :     |   |  ・                     \     :     |漁町 |  ●和光町                    ○−−−−○−−−−−+○−−○恵庭・                   大町会館  大町        |駅通・                                 桜町○  ●駒場町                                   |  ・                              恵庭公園前○・●+                                   |青年の家前                                   |                               南高校前○−○南部隊前                                   |                                西白樺○  *有明〜有明橋〜大町は1987(S62).11.30から休止中 ・1995(H7)年12月4日改正から「恵庭循環便」(恵庭〜和光会館〜テクノ中央  〜恵明中学校前〜市民会館前〜漁町〜恵庭)が開業した(2000(H12)年3月末  限りで廃止)。                                       東舞鶴                                        Λ               島松                       ・               Λ                        ・               |  恵み野       中恵庭●・・・・・・・・●上山口               |  東7           ・        ・               ・−−−○−・         ・        ・                     |恵み野東2    ・        ●二十二号                     ○     天融寺前●総合      ・              図書館前   | 恵み野東3   ・体育館 西1線 ・  二十三  恵み野西5○−−○−−○−−+−−○+     +−○−−−○−−●二十四号   号        |    恵み野 |恵み野|     |        |   Λ   恵み野西4●    中学校前○南3 |     ○恵明中     ○基線25号   ・        |        |   |     |学校前     |   +・●・・・◎−−+−−−−−+−−○   ○保健セン |        +−−−+   ・恵み野 恵み野 ・     ・ 恵み野  |ター前  ○北黄金→黄金  ・   |   ・駅西口     ●恵み野  ・ 小学校前 |     |北3丁目    ・   ○テクノ中央   ・    ・・・・・西2   ・      |     |    黄金町 ・   |    ・   ・         +−−−−−−+     |     ●・・●−○−+     ・  ・   中島町5丁目●            |  恵庭駅・二十| テクノ西      ・ ・         |            |   ◎・・六号|       ・・         |柏陽町  有明橋    |相生町|住吉町 |        +−−−−○−−−−+−○−−−−○−−−−−+・●・+・●+ |           |   柏陽会館  |      ・  市民 ○   |  ・ |        |         |      ・  会館前|   +−−○−+        ○柏木中央     ○柏陽町3丁目・     |   |  ・和光        |         |      ・     |   |  ・会館        +−−−−−−−−−○柏木    ・     |   |  ・                     \     ・     |漁町 |  ●和光町                    ○−−−−○−−−−−+○−−○恵庭・                   大町会館  大町        |駅通・                                 桜町○  ●駒場町                                   |  ・                              恵庭公園前○・●+                                   |青年の家前                                   |                               南高校前○−○南部隊前                                   |                                西白樺○ ※補足 三川線・追分線の運行推移について ・「日本国有鉄道監修時刻表」1953(S28)年3月号(S27.12.15訂補)によると、  三川線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    札幌〜千歳橋〜追分 3往復    (下り)      札幌0720→千歳橋0812→0920追分      札幌1010→千歳橋1102→1210追分      札幌1740→千歳橋1832→1940追分    (上り)      追分0620→千歳橋0728→0820札幌      追分0950→千歳橋1058→1150札幌      追分1600→千歳橋1708→1800札幌 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年12月号(11/19改正)によると、追分  線・登川線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    札幌〜追分〜登川 2往復    札幌〜追分 1往復    (下り)      札幌0700→登川      札幌1600→登川      札幌1720→追分    (上り)      追分0600→札幌      登川0810→札幌      登川1500→札幌 ・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車50年史」によると、追分本線(三川〜  追分)及び登川線(本安平〜登川)は1957(S32).11.21から休止された。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(5/1改正)によると、三川線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    札幌〜三川 2往復    (下り)      札幌0820→1000三川      札幌1430→1610三川    (上り)      三川1030→1210札幌      三川1705→1845札幌 ・北海道地自前掲書によると、三川線(千歳橋〜三川)は1961(S36).12.1から  休止された。
2015 年 11 月 03 日 00:20:27 (15043) zueignungsabsichtさんの書き込み ■計画変更の概要(富雄庄田A) http://www.pref.nara.jp/secure/136910/siryou5-2-p3tomiosyoudasen.pdf http://megalodon.jp/2015-0414-1611-05/www.pref.nara.jp/secure/136910/siryou5-2-p3tomiosyoudasen.pdf ………やっぱり「富雄駅−富雄駅西口」や「学研北生駒駅−学研北生駒駅(おりば)」にキロ数設定あったのか。    あと、往路と復路でキロ数が違うのはよくある事ですが、JRバス各社の乗りつぶしをされている方は、どう処理されているのでしょうか?    共同運行の場合には別会社での運行となるため、少なくとも二往復はなされているのでしょうか?
2015 年 11 月 03 日 00:14:26 (15042) zueignungsabsichtさんの書き込み ■第2回 奈良県公共交通基本計画策定委員会の開催について 平成27年10月13日 http://www.pref.nara.jp/secure/144836/%E5%A0%B1%E9%81%93%E8%B3%87%E6%96%99.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2231-09/www.pref.nara.jp/secure/144836/%E5%A0%B1%E9%81%93%E8%B3%87%E6%96%99.pdf ………「傍聴を希望される方は、10月15日(木)12:00までに、住所・氏名・連絡先をご記入の上、    下記の問い合わせ先にFAX又はEメールにてお申し込み下さい。」って、    募集期間が短すぎる様に思うが、皆さんはどう思われます?
2015 年 11 月 03 日 00:13:45 (15041) zueignungsabsichtさんの書き込み ■生活交通改善事業計画<利用環境改善促進等事業>(案) 「平成27年度で奈良交通ICカード車載器設置全車両(618両)での全国相互利用対応(ICカード利用可能路線で100%)を目標とする。 http://www.pref.nara.jp/secure/136910/siryou6.pdf http://megalodon.jp/2015-0414-1609-18/www.pref.nara.jp/secure/136910/siryou6.pdf         ↓ 本来使用できないICカードで運賃精算した件について 平成27年9月24日 http://www.narakotsu.co.jp/news/pdf/2015ICcard-seisan.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2348-44/www.narakotsu.co.jp/news/pdf/2015ICcard-seisan.pdf ………乗車券発券窓口における高速バスやリムジンバスなどの乗車券や、各種一日乗車券の購入の際に、    VISA/Master/JCB/J-Debit/臺灣金融&#21345;が使えないのも見直してもらいたいものです。
2015 年 11 月 03 日 00:13:14 (15040) zueignungsabsichtさんの書き込み ■八木新宮線への新デザイン車両導入について 2015/10/27 http://www.narakotsu.co.jp/rosen/yagi-shingu/index.html http://megalodon.jp/2015-1102-2221-23/www.narakotsu.co.jp/rosen/yagi-shingu/index.html ………本当に「高速道路を使わない路線では、日本一の走行距離を誇る路線バス」なのかはさておき、    この距離でノンステップバスは背もたれが低くてしんどそうなのもさておき、    車体のデザインはこうじゃないと思う。 >参考 奈良交通株式会社八木新宮線 http://www.pref.nara.jp/secure/136910/siryou1-2.pdf http://megalodon.jp/2015-0414-1542-26/www.pref.nara.jp/secure/136910/siryou1-2.pdf 阿寒バス株式会社釧路羅臼線 http://www.akanbus.co.jp/localbu/kirotei/senra.pdf http://www.akanbus.co.jp/localbu/senra.htm
2015 年 11 月 03 日 00:12:24 (15039) zueignungsabsichtさんの書き込み ■要望等の記録一覧表(平成26年6月分) No.17 「奈良交通西千代ヶ丘バスターミナルに設置されていたバス乗務員用トイレが撤去された」         ↓ 「バス乗務員の方は、近鉄学園前駅北側にあるバス乗務員休憩所を利用していただくようお願いします。 」 http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1308211537415/files/gaiyo2606.pdf http://megalodon.jp/2015-0411-1732-01/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1308211537415/files/gaiyo2606.pdf
2015 年 11 月 03 日 00:11:56 (15038) zueignungsabsichtさんの書き込み ■南部地域連携コミュニティバス(R169ゆうゆうバス)  [下桑原→大淀バスセンター/大淀バスセンター→下桑原]  http://www.narakotsu.co.jp/news/pdf/news_0610/04_nanbuchiikirenkei.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2328-44/www.narakotsu.co.jp/news/pdf/news_0610/04_nanbuchiikirenkei.pdf 奈良県東部・中南部地域の一部路線の再編について―平成27年10月1日(木)― http://www.narakotsu.co.jp/news/news_0610.html http://megalodon.jp/2015-1102-2353-57/www.narakotsu.co.jp/news/news_0610.html ………熊野線、結局こうなったか。
2015 年 11 月 03 日 00:11:12 (15037) zueignungsabsichtさんの書き込み ■市町村におけるコミュニティバス等の運行状況(平成24年4月20日現在) http://www.pref.nara.jp/secure/84020/bus.pdf http://megalodon.jp/2015-1103-0004-35/www.pref.nara.jp/secure/84020/bus.pdf         ↓ ■市町村におけるコミュニティバス等の運行状況(平成25年4月1日現在) http://www.pref.nara.jp/secure/84020/130401.pdf http://megalodon.jp/2015-1103-0002-23/www.pref.nara.jp/secure/84020/130401.pdf         ↓ ■市町村におけるコミュニティバス等の運行状況(平成26年4月1日現在) http://www.pref.nara.jp/secure/84020/h25commubus.pdf http://megalodon.jp/2015-1103-0000-24/www.pref.nara.jp/secure/84020/h25commubus.pdf http://www.pref.nara.jp/dd.aspx?itemid=84020         ↓ ………一部文字が途切れて読めない箇所があるんだよな。あと、平成27年分はまだ?
2015 年 11 月 03 日 00:07:59 (15036) zueignungsabsichtさんの書き込み ■第7回「奈良県地域交通改善協議会」(平成27年6月9日(火)) 議事次第 http://www.pref.nara.jp/secure/141713/gijisidai.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2345-11/www.pref.nara.jp/secure/141713/gijisidai.pdf 委員・出席者名簿 http://www.pref.nara.jp/secure/141713/meibo.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2344-40/www.pref.nara.jp/secure/141713/meibo.pdf 資料1 懸案となっている路線一覧 http://www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo1.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2344-00/www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo1.pdf 資料2-1 路線別検討会議での意見(表紙) http://www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo2-1.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2343-28/www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo2-1.pdf 資料2-2 路線別検討会議での意見 http://www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo2-2.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2342-37/www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo2-2.pdf 資料2-3 路線協議順リスト http://www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo2-3.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2342-09/www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo2-3.pdf 資料3-1 公共交通基本計画及び地域公共交通網形成計画の策定方針 http://www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo3-1.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2341-14/www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo3-1.pdf 資料3-2 人とまち、未来をつなぐネットワーク〜地域公共交通活性化再生法の一部改正〜 http://www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo3-2.pdf http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.pref.nara.jp%2Fsecure%2F141713%2Fshiryo3-2.pdf 資料4 地域交通改善協議会の体制 http://www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo4.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2339-38/www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo4.pdf 資料5 生活交通確保維持改善計画等について http://www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo5.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2338-42/www.pref.nara.jp/secure/141713/shiryo5.pdf 議事録 http://www.pref.nara.jp/secure/141713/gijiroku.pdf http://megalodon.jp/2015-1102-2337-50/www.pref.nara.jp/secure/141713/gijiroku.pdf
2015 年 11 月 01 日 21:03:46 (15035) ふもふも館長さんの書き込み 三朝温泉〜倉吉の路線推移 1.最末期の推定路線図             ◎倉吉(←上井)  うつぶき       |   あげい  打吹(←倉吉)     |   ◎………+−−−−−△竹田橋東       |     :       ○興和紡前 :       |     :       ・     :        \    :         \   :      大原橋西△−−△大原橋東          :  |          :  |          :  |勘平茶屋          :  ・−−○−−−−−・          :     |     |          :     |     ○三朝温泉        今泉△−−−−−●          |    本泉          |          ○伯耆若宮          |          ○助谷          |          ○穴鴨          |          ∨        奥津温泉・津山 2.路線推移 ・1955(S30).8.16に、津山〜上井として開業。当時の停車駅は、穴鴨、本泉、  倉吉、上井だった模様。 ・1958(S33).5.1に、伯耆若宮〜三朝温泉〜上井が開業。開業区間は、勘平茶屋  〜三朝温泉、勘平茶屋〜上井と思われるが、当時、勘平茶屋は未開業。 ・1961(S36).4.1現在「美伯線路線略図」によると、当時の停車駅は、穴鴨、  伯耆若宮、三朝温泉、倉吉、上井で、上図記載の路線がすべて生きているよ  うに見える。なお、本泉は記載なしのため、停車取扱をやめた模様。 ・1965(S40).12.15に、伯耆若宮〜倉吉、三朝温泉〜上井が廃止され、三朝温泉  〜倉吉が開業した。これは、全便が三朝温泉と倉吉経由となり、三朝温泉を  経由せず倉吉に至る経路と、三朝温泉から倉吉を経由せずに上井に向かう経路  を廃止した事を意味する。 ・1972(S47).1.10に、倉吉は打吹に改称。同年、2.14に上井は倉吉に改称。 ・1972(S47).8.26に、興和紡前が開駅し、本線上にあった打吹を本線から外し、  路線名称に「興和紡前−打吹」を追加した。ただし、この区間は、翌年3.10に  廃止される事から、S47当時から打吹区間は休止中だったかもしれない。 ・1981(S56).6.17に、本線上にあった三朝温泉を本線から外し、路線名称に「勘  平茶屋−三朝温泉」を追加した。勘平茶屋の開駅時期は不明だが、この頃まで  に開駅したようだ。 ・1985(S60).4.1から全線休止。 --- 津山〜院庄の路線推移 1.最末期の推定路線図  奥津温泉・倉吉  <   \    ・−◎−・  <+++□++\++++ 二宮  新見  院庄   ・−○−−△−・          津山二宮 ‖  \         (→津山車庫)‖   \茅町 津山寺町              +‖    ○……○……+              +‖     \    :本町二丁目              +‖中国    \   +…○・               +‖高速線    \  :  :   中国              +‖        \ :  ・…・ 高速線              +‖         \: 吹屋町:  大阪              +‖          +−−○−+−−−>              +‖  津山パー    |    |    岡山EXP津山号     ‖  キング 井ノ口 |    |    岡山天満屋BT <===△====☆=☆===+−−−−◎  姫路              一方  +++++++++++++□+++>                              津山 2.路線推移 ・1955(S30).8.16に、津山〜上井として開業。当時の停車駅は、津山、院庄で、  その間の停車駅は確認できない。 ・1958(S33).5.1に、本町二丁目が開駅する。この事から、当時のルートは、  津山〜本町二丁目〜津山寺町〜茅町〜津山二宮〜院庄だったと推測する。 ・1960(S35).4.3に、津山〜院庄の本町二丁目経由を廃止し、吹屋町経由と津山  寺町経由を開業する。同日、路線名称が以下の通り、改正された。 ◇美伯線    1 津山−吹屋町−院庄−上井    2 津山−津山寺町−院庄    3 伯耆若宮−三朝温泉−上井 ・1961(S36).4.1現在「美伯線路線略図」によると、当時の停車駅は、津山→吹  屋町→院庄、院庄→津山寺町→津山で途中で交差するように描かれている。  以上から、以下のルートだったと推測する。  奥津温泉・倉吉  <   \    ・−◎−・  <+++□++\++++  新見  院庄   ・−☆−−−−・          津山二宮+   \              +    \茅町 津山寺町              +     ☆−>○−−+              +      \    |本町二丁目              +       \   +…○・               +        <  |  :              +         \ ∨  ・…・              +          \| 吹屋町:              +           +−<○−+              +           |    |              +           |    |              +           ・−>−−◎  姫路               ++++++++++++++++□+++>                              津山 ・1963(S38).2.15に、路線名称が以下の通り、改正された。改正理由は、津山寺  町経由を廃止したからと推測する。なお、南回りは吹屋町を経由しないルート  と思われるが、津山行の一方通行かどうかは不明。 ◇美伯線    1 津山−上井    2 津山−院庄(南回り)    3 伯耆若宮−三朝温泉−上井 ・1963(S38).10.1に、津山二宮が開駅する。なお、路線名称第二区間の改正は、  1965(S40).12.15と遅れた。 ・1969(S44).12.5に、茅町が開駅する。同日、路線名称第二区間も改正された。 ・1985(S60).4.1から全線休止。この頃は、南回りに一本化されたのか、北回りも  残っていたのか不明。 3.JR以降の路線推移 ・1991(H3).8.1に、中国高速線 津山〜井ノ口〜津山車庫が開業。一部区間が  美伯線と重なるが、大半が新設区間となる。津山車庫バス停は、美伯線の津山  二宮と同一と思われる。2003(H15).8.1に、同区間を廃止。 ・2013(H25).12.1に、岡山エクスプレス津山号が開業。津山市内は、津山バス  センター、津山パーキングに停車。津山駅の乗降場が異なるが、H15に廃止さ  れた中国高速線 津山〜井ノ口〜津山車庫のルートと同じ。
2015 年 10 月 24 日 23:50:08 (15034) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【815】川本線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇川本線   川本本線    1 石見川本−大朝    2 皆井田−石見中野−石見井原    3 鳴滝−安芸新庄   江津線    1 因原−江津    2 桜江大橋−川戸    3 川戸−石見中野   戸川線    1 日貫−戸川−和田本郷    2 戸川−中戸川   長谷線    1 市山−長谷   市木線    1 上田所−岩ヶ迫   高原線    1 石見谷−石見高原−田所    2 八色石−布施    3 出羽−大林    4 出羽−田所   羽須美線    1 石見高原−口羽 1.2 路線略図                        石見三原   大渡                          Λ     Λ                     大貫   ・   川本|                     橋     \  大橋| 石見         大橋 川平 桜江    ○−−○−−−○−−−○ 川本         東詰 駅口 大橋   /  川越   |木谷 +−◎−>大田栄町        ・−○−−○−−○+−・   大橋   |     |        |        |        因原◎−−○−−○−−○市井原      江津◎      川戸◎−・        | 石見 石見谷 |                  /    因原公園前○ 日向     ○石見長原           長谷  市山/         /        /            ○−−−○       獺越○        /                |         |    八色石○−○布施              石見|      断魚渓○       |              中山○         |       ○恵梨口        中戸川○    |      石見 ○皆井田    |                \   |      中野/|       ○荻原      和田本郷○−−○−−○−−−○−−−○ |       |  浜田<・   /  戸川 日貫  矢上    \|石見 石見高原○−−○今西      \ /                 ○井原     |   \       ○石見今市              |   下鰐  ○原口橋 ○阿須那町        \                 ○臼谷 淵   |    |   ◎口羽         \                | ・−○−○−○出羽  |  /          \               |/    淀田|    ○−○羽須美           ・            田所○−−−○−−−○出羽 上口羽 役場前           |             /   瑞穂中  |八日市           |岩ヶ          ○小河内 学校前  ・           |迫  生家 中の谷  /         智教\       石見市木○−○−−○−−○−−○上田所       寺口 ○−○大林              \       |               \      |                ・     ○三坂口                |     |                ・   鳴滝○                 \   /|安芸                  \ / |新庄                 大朝○−−○−>広島 ※広島〜安芸新庄〜大朝〜岩ヶ迫〜石見市木〜石見今市〜浜田、石見今市〜和田  本郷は広浜線 ※石見川本〜川本大橋〜石見三谷〜大渡〜石見三原〜木谷は三原線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・川本本線1 大朝〜鳴滝 ・川本本線3 鳴滝〜安芸新庄 ・(安芸新庄〜可部〜横川〜津和野〜防府〜福山〜宍道〜江津) ・江津線1 江津〜因原 ・川本本線1 因原〜皆井田 ・川本本線2 皆井田〜石見中野〜石見井原 ・川本本線1 石見井原〜田所 ・高原線1 田所〜出羽〜石見高原〜石見谷 ・川本本線1 石見谷〜石見川本 2.2 掲載 ・11日目 6/11(火) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p73〜74 ・16日目 6/16(日) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p93〜p96 ・連載誌 大朝略図、江津号のマーク、川本略図、644-3978の解説、田所駅 ・単行本 大朝略図、川本略図 2.3 行程 ○大朝1405→1410鳴滝 川本本線1 特急江津号 広島新幹線口発 江津行                          644-3979(三菱K-MS613N) ○鳴滝1415→1425安芸新庄 川本本線3 タクシー ・(安芸新庄→可部→横川→津和野→防府→福山→宍道→江津) ○江津752→853石見井原 江津線1+川本本線1 江津発 広島新幹線口行                          644-3978(三菱K-MS613N) △石見井原904→957石見川本 川本本線2+江津線3+川本本線2+1+江津線1+三原線1        広島新幹線口発 石見中野・矢上・皆井田・因原経由 石見川本行                          644-3980(三菱K-MS613N) △石見川本1000→1100田所 川本本線1+高原線1 石見川本発 出羽経由 小河内行                          331-1006(いすゞK-CCM410) ○田所1219→1357大田栄町 川本本線1+江津線1+三原線1+川本北本線1            特急 広島新幹線口発 大田市行 644-3975(三菱K-MS613N) 2.4 エピソード ・大朝駅で尋ねても川本本線の鳴滝と安芸新庄を結ぶ261号線経由の系統が判然と  しない。切符売場の老人は「あそこは朝夕学生便が走っているだけだ。新庄へ  行くなら広島行きに乗ればいい」と繰り返すばかり。車庫裏の大朝支所を訪ね  てようやくはっきりしたが、ここでも時間がかかった。 ・鳴滝〜安芸新庄間は朝の石見川本発安芸新庄経由大朝行きと、夕方の大朝発逆  コースの片道1本ずつしか走っていない。それだけのことがなかなか分からな  いのは、大朝は広島営業所所管、鳴滝〜安芸新庄は川本本線の支線で、地理的  には近くても「よそ」の路線だった。 ・江津行きは「特急高速道 江津」のヘッドマークを付けたデラックスバスだっ  た。お客の乗車率もいい。どうしてこんなところで降りるのかと怪訝な顔をし  ている運転士にきっぷを見せて慌ただしく僅か5分の鳴滝に下車。これまた、  なぜバスを追いかけねばならないのか不得要領のままついてきたタクシーに乗  り移る。 ・復乗個所がやたらと多いが、経路通りだと8時38分着の因原で下車後、皆井田、  石見中野、石見井原経由の田所方面行きは15時37分までない、田所着が16時39  分、18時08分の出羽経由で石見川本に19時20分に着いたところで立ち往生にな  るが、コースの組み換えで17時すぎには三次の宿に入れる。現金払い区間が増  えるので、車内売りの1000円セット回数券を求める。 ・江の川に沿って三江線対岸の261号線を行く「江津」は、途中駅からどんどん座  席が埋まり、因原で満席になった。どこかで学校の先生の集会があるとみえ、  校長、教頭タイプのお客があちこちで挨拶を交わす。 ・因原からは渓流沿いに山間へはいり、断魚渓を通るとテープ案内が流れた。  石見井原で乗り換え。ここでもバス待ちの人が大勢いて立ち客が出た。待合室  には、5月末限りとなった温泉津線など3線休止の「お知らせ」が貼ってある。 ・江津線、川本本線は幹線だったが、乗り継いだ石見中野経由石見川本行きは全  くのローカル線。3人だけ乗せて、石見中野から行き止まりの矢上を往復運転  する。断魚渓で途中で乗ってきたお年寄りが一斉に降りた。老人会の集いがあ  るらしい。因原で左手からレールが近づくと「三江線の乗り換え駅です」の案  内があった。 ・石見川本から小ぶりな高原線バスに乗り換え、今度は山越え。峠を越えた石見  高原で「口羽方面はお乗り換えです」とテープが回るが、ここで降りても14時  09分まで口羽行きはない。出羽では突然という感じでくすんだ商店街を通った  がやはり人影はない。 ・「これから広島ですか、ほう川本から大田へ行かれる、御苦労さんです。御覧  の通りの寂しい線でね。いえ、平日でも乗りませんなあ。よく乗って4〜5人  というところです」と田所で下車の際、回数券を運賃箱に入れたら運転士が半  ば独り言のようにつぶやいた。 ・大田市行き特急は幹線なので、デラックスバスに二十数人とまずまずの乗り。  過疎線との差が甚だしい。石見川本でようやく逆行復乗乗り継ぎを駆使した難  路から抜け出す。 2.5 旅の考察 ・最長片道きっぷの旅当時の1985(S60)年3月14日改正ダイヤによると、江津〜  石見川本をきっぷの順路通りに進む場合は次のような行程になる。    江津0752→0838因原 江津線 特急広島新幹線口行き    因原1537→1639田所 川本本線 石見中野・矢上経由小河内行き    田所1808→1904石見川本 高原線 出羽・石見高原・八色石・石見谷経由              石見川本行き    石見川本0630→大田栄町 川本北線 大田市行き ・高原線の田所〜出羽には、瑞穂役場前経由と瑞穂中学校前経由の2つの経路が  あったが、1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、前者は2.9km、  後者は3.1kmで後者の方が長かった。筆者が乗車した石見川本1000発高原線経由  小河内行きは瑞穂役場前経由であった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・川本線は、1947(S22)年5月、川本本線石見大田(→大田市)〜大朝(後に石見  川本以北は川本北線)、石見中野〜矢上及び中三坂峠〜安芸新庄、高原線石見谷  〜石見高原〜出羽〜田所、阿須那線石見高原〜阿須那、矢上線矢上〜日貫〜川戸  (後に江津線)が開業したのがルーツである。 ・次いで、1949(S24)年1月に阿須那線阿須那〜下口羽(1972(S47)年11月口羽〜下  口羽廃止、1974(S49)年4月に羽須美線と改称)、1951(S26)年1月に都賀線八色  石〜都賀行、1953(S28)年9月に川本本線上田所〜石見市木(後に市木線)、高原  線出羽〜石見久喜、有福線市山〜堂庭〜波子及び堂庭〜有福温泉(うち跡内〜堂庭、  大峠口〜波子は1972(S47)年11月に廃止公示)が開業した。 ・さらに、1955(S30)年8月に川本本線皆井田〜石見井原、1957(S32)年6月に宇都  井線都賀大橋〜今西、日和線矢上〜日和〜日貫(うち日和〜日貫は1972(S47)年11  月に廃止公示)、日貫線日貫〜和田本郷及び都川口〜岩畳、1959(S34)年11月に日  和線日和〜石見川越駅前が開業した。 ・川本線(後の川本北線を含む)は、広浜線を通じて中国地方を横断する陰陽短  絡路線であった、また沿線地方の産業・文化の発展助長を使命としていた。「  鉄道辞典・上」(1958(S33)年)では、川本線の特長として、三江線川本駅を  中心として農山村を結ぶ奥地開発路線であり、その延長は350kmに及ぶ、川本  町を中心とする農山村の経済交流は広島依存であるため、石見大田〜石見川本  〜大朝〜広島間1往復及び石見川本〜大朝〜広島間2往復の直通便を運転して  いると述べられていた。 ・中国地自(1980)「国鉄中国自動車30年史」によると、1950(S25)年12月から石見  川本〜広島間に直通便の運行が開始された。使用車両は、当時のロングシート  をロマンスシートに改造したものであったが、後にディーゼル車両となり大型化  されていったと述べられている。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1953(S28)年3月号(S27.9.1改正)によると、川本線  の広島直通便として次の1往復が設定されていたのを確認できる。  (下り)    広島1440→大朝1737→小河内1815→田所1820→矢上1902→1957川本  (上り)    川本0626→矢上0723→田所0803→小河内0808→大朝0856→1145広島 ・中国地自前掲書によると、1954(S29)年10月から石見大田(→大田市)〜広島間  (川本経由)直通便を運行開始した。この運行便は快速便で優等車を充当した  ため、開業当初から利用者が多く、担当の川本自営も「広島線」と称して職員も  格別な心構えで旅客サービス等に当たって育ててきたと述べられている。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1955(S30)年8月号(3/11改正)によると、川本線の  広島直通便として次の3往復が設定されていたのを確認できる。  (下り)    広島0623→大朝0925→小河内1008→1140川本    広島1018→大朝1315→小河内1353→田所1358→矢上1440→川本1545→1736大田    広島1503→大朝1801→小河内1839→田所1844→矢上1926→2021川本  (上り)    川本0620→矢上0717→田所0800→小河内0805→大朝0850→1143広島    大田0830→川本1030→矢上1127→田所1207→小河内1212→大朝1255→1548広島    川本1225→小河内1402→大朝1455→1747広島 ・中国地自前掲書によると、1956(S31)年7月10日から石見大田(→大田市)〜広  島間に夜行便を運行開始したが、利用客が少なく、同年9月30日までの運行に  とどまったと述べられている。なお、夜行便実施と同時に、広浜線急行便の急行  料金制度を廃止し、広浜・川本線の直通便、夜行便で広島及び浜田から乗車する  旅客に対して、座席を予約する乗車順位券を無料で交付することとなった。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年10月号(7/10改正)によると、川本線の  広島直通便として次の3往復が設定されていたのを確認できる。  (下り)    広島0625→大朝0925→小河内1008→1140川本    広島1015→大朝1321→小河内1359→田所1405→川本1530→1721大田    広島1505→大朝1801→小河内1839→田所1846→矢上1929→2023川本  (上り)    川本0620→矢上0718→田所0800→小河内0805→大朝0848→1139広島    大田0830→川本1031→矢上1127→田所1209→小河内1214→大朝1307→1558広島    川本1225→田所1357→小河内1402→大朝1453→1740広島 ・1964(S39)年8月に馬野原線馬野原口〜石見高原が開業した。1966(S41)年4月に  高原線石見久喜〜大林が開業した。 ・中国地自前掲書によると、1964(S39)年9月から石見大田(→大田市)〜広島間  (川本経由)に特急便を運行開始した。また、広島直通の陰陽連絡便は川本線  に定着し、1965(S40)年9月に直通便の冷房化が実施され、1977(S52)年11月には  増回されたと述べられている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、川本線の  広島直通便として次の4往復が設定されていたのを確認できる。  (下り)    広島1023→大朝1229→小河内1252→田所1256→川本1350→1512大田 特急便    広島1511→大朝1731→小河内1803→田所1808→矢上1848→1939川本    広島1721→大朝1950→小河内2022→田所2027→2052石見高原    広島1856→大朝2120→小河内2152→田所2159→矢上2237→2327川本  (上り)    川本0450→田所0549→小河内0554→大朝0633→0846広島    石見高原0613→田所0638→小河内0643→大朝0720→0942広島    川本0650→矢上0743→田所0821→小河内0826→大朝0905→1112広島    大田0848→川本1015→田所1102→小河内1106→大朝1139→1336広島 特急便 ・1968(S43)年4月に江津線川戸〜川平駅口〜石見江津(→江津)が開業した。1969  (S44)年2月に戸川線戸川〜中戸川が開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、川本線の  広島直通便として次の3往復が設定されていたのを確認できる。  (下り)    広島1004→大朝1202→田所1222→石見川本1309→1424大田市 特急便    広島1509→大朝1717→田所1743→矢上1813→1852石見川本  快速便    広島1712→大朝1930→田所1956→矢上2026→2105石見川本  快速便  (上り)    石見川本0510→田所0558→大朝0629→0842広島       快速便    石見川本0750→矢上0832→田所0902→大朝0933→1124広島  快速便    大田市0902→石見川本1024→田所1106→大朝1136→1321広島 特急便 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(3/2現在)によると、川本線の  広島直通便として次の3往復が設定されていたのを確認できる。広島は新幹線口  に発着。  (下り)    広島1004→大朝1204→田所1224→石見川本1311→1426大田市 特急便    広島1509→大朝1711→田所1737→矢上1807→1846石見川本  特急便    広島1708→大朝1924→田所1957→矢上2027→2106石見川本  特急便  (上り)    石見川本0510→田所0558→大朝0629→0846広島       急行便    石見川本0745→矢上0827→田所0857→大朝0928→1121広島  特急便    大田市0900→石見川本1020→田所1103→大朝1132→1320広島 特急便 ・座談会「自動車営業最前線−営業所長大いに語る−」(「国鉄線」1976(S51)年11  月号所収)には川本自営所長が出席しており、次のような内容を発言していた。   ◇川本自営は、昭和22年5月、地元の切実な要望により島根県邑智郡川本町を    本拠地として開業し、現在では営業キロ371kmとなり、クモの巣を張ったよう    な路線が形成されている。収入規模は年間3億1,000万円弱である。   ◇川本町は人口約7,000人であるが、過疎化に加えて自家用車の激増によって、    輸送人員が激減し経営状態は非常に悪化しており、路線の見直しを行って、    経営の健全化を図りながら、親しまれる国鉄バスとして過疎地域の輸送に寄与    している。   ◇昭和54年10月1日から大田市〜広島間の特急便に「川本号」という愛称を付け    て走らせている。これは一種の広告としてネームプレート(=ヘッドマーク)    をバスの前面に付けているもので、ネームプレートの製作費は町持ちで、その    代わり図案は公序良俗に反しない範囲で町の自由にしてもらっている。   ◇自由乗降は、儲けになるかどうかというより、利用者サイドに立ったサービス    として職員の協力でスムーズにできた。おかげで老人や婦人の方に、特に雪や    雨の日には歓迎されている。実施に当たっては安全面が一番の問題で、公安委    員会から認めて貰えない個所には矢印の標識を道路に立てて、ここからここの    区間は停められませんよ、と一般のお客様にも分かるように標示した。   ◇非常に乗車密度の低い路線が多く収入があがらないため、各町村へ国鉄バスの    実情の理解と協力をお願いして回ったところ、町村側でも理解してくれて、利    用者増につながる方法としてセット回数券の購入について検討を始めて頂ける    こととなった。   ◇昭和47年に江川が氾濫し、鉄道の三江線が不通となって、その代行輸送を2年    半にわたって実施した。そのため、レール側の私どもに対する認識が深まり、    また好意的になり、いろいろな意味で列車代行というものは自動車を理解して    頂くメリットがあった。 ・1977(S52)年4月に高原線出羽〜田所(瑞穂中学校前経由)が開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、川本線の  広島直通便として次の4往復が設定されていたのを確認できる。広島は新幹線口  に発着。10/2一部時刻改正予定と注記あり。  (下り)    広島0609→大朝0839→田所0907→矢上0938→石見川本1023→1136大田市 普通便    広島1004→大朝1204→田所1225→石見川本1315→1419大田市 特急便    広島1509→大朝1711→田所1739→矢上1810→1850石見川本  特急便    広島1708→大朝1931→田所1959→矢上2030→2110石見川本  特急便  (上り)    石見川本0510→田所0559→大朝0632→0849広島       特急便    石見川本0745→矢上0828→田所0859→大朝0932→1125広島  特急便    大田市0915→石見川本1025→田所1111→大朝1141→1329広島 特急便    大田市1535→石見川本1654→田所1743→大朝1816→2009広島 特急便 ・中国地自前掲書によると、1979(S54)年10月から広島〜石見大田(→大田市)間  特急便に「かわもと号」の愛称広告を掲出した。また、同書刊行当時、陰陽連絡  便は、川本線の総走行キロの29.3%によって全体収入の42.3%を占める路線とな  っていると述べられていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(10/1改正)によると、川本線の  広島直通便として次の4往復が設定されていたのを確認できる。広島は新幹線口  に発着。  (下り)    広島0609→大朝0839→田所0907→矢上0938→石見川本1020→1133大田市 普通便    広島1004→大朝1204→田所1225→石見川本1312→1416大田市 特急便かわもと号    広島1509→大朝1711→田所1739→矢上1810→1847石見川本  特急便    広島1708→大朝1931→田所1959→矢上2030→2107石見川本  特急便  (上り)    石見川本0513→田所0559→大朝0632→0849広島       特急便    石見川本0748→矢上0828→田所0859→大朝0932→1125広島  特急便    大田市0920→石見川本1028→田所1111→大朝1141→1329広島 特急便    大田市1540→石見川本1657→田所1743→大朝1816→2009広島 特急便 ・1981(S56)年1月に江津線川戸〜木谷が開業した。 ・1982(S57)年11月、都賀東線畑田下〜都賀大橋、江津線石見中学校前〜中野診療所  前、日和線日和〜日和局前〜石見川越駅前、馬野原線馬野原口〜石見高原、都賀  西線布施〜都賀大橋、宇都井線都賀大橋〜宇都井湊の各区間の廃止公示がなされた。 ・1983(S58)年1月に長谷線長谷〜跡市、同年3月末限りで戸川線戸川〜岩畳、1984  (S59)年2月末限りで日和線矢上〜日和及び羽須美線今西〜宇都井湊の廃止が公示  された。 ・1985(S60)年当時、川本本線の田所、江津線の矢上に自動車駅が存在した。また、  国鉄バス運行の拠点として、川本自動車営業所(川本町内)、同田所在勤(田所  付近)及び同矢上在勤(矢上付近)が置かれていた(「中国ジェイアールバス25  年史」(2015(H27)年)による)。 ・川本自営「国鉄バス川本線時刻表」1985(S60)年3月14日改正によると、川本線に  は次のような系統が設定されていた。  (川本本線)    広島新幹線口〜大朝〜石見川本〜大田市      特急便 1往復(所要3時間57分〜4時間1分)      急行便 上り1本(所要4時間26分)    広島新幹線口〜大朝〜石見川本      特急便 下り1本(所要2時間50分)      普通便(矢上経由) 1往復(所要3時間48〜55分)    広島新幹線口〜大朝〜矢上 普通便 1往復(所要3時間9〜20分)    広島新幹線口〜大朝〜田所 普通便 1往復(所要2時間39〜55分)    大朝〜田所〜因原〜石見川本(安芸新庄経由) 下り1本(所要1時間16分)    大朝〜田所〜石見高原〜石見川本 上り1本(所要1時間26分)    大朝〜田所〜出羽(安芸新庄経由) 上り1本(日祭休校日運休)(所要39分)    大朝〜田所 下り1本(日祭休校日運休)(所要24分)    三坂口〜田所〜石見高原〜布施 下り1本(日祭は小河内始発)(所要48分)    三坂口〜田所 上り3本(うち日祭休校日運休、土曜運行各1本)    小河内〜田所〜石見井原〜石見中野〜矢上〜石見中野〜因原〜石見川本 上り     1本(所要1時間17分)    小河内〜田所〜石見井原〜因原〜石見川本 上り1本(所要48分)    田所〜石見井原〜石見中野〜矢上 2往復(うち日祭休校日運休1往復)(所     要29分)    石見井原〜因原〜石見川本 1往復(所要28分)    矢上〜石見井原〜因原〜石見川本 下り1本(所要41分)    因原〜石見川本 下り6本(うち日祭休校日運休1本)・上り5本(うち日祭     休校日運休1本)    石見井原〜矢上 下り7本・上り6本(所要13分)  (江津線)    広島新幹線口〜大朝〜因原〜江津 特急便 2往復(所要3時間13〜19分)    石見川本〜木谷〜川戸〜江津(261号) 2往復(所要1時間2〜6分)  (長谷線)    長谷〜市山〜川戸 3往復(うち下り1本は船坂経由)(所要26分)    市山〜川戸 1往復(所要7分)  (戸川線)    矢上〜日貫〜今市〜浜田 1往復(所要1時間35分)    矢上〜日貫 3往復(所要18分)  (市木線)    石見市木〜上田所〜田所 1往復(所要36分)  (高原線)    石見川本〜芋畑口〜石見高原〜出羽〜田所・小河内 下り3本(所要1時間6分)     ・上り5本(うち土曜運休、土曜運行各1本、布施経由3本(所要1時間6〜     18分)    石見川本〜芋畑口 2往復(うち日祭休校日運休1往復)(所要16分)    布施〜八色石〜石見高原〜出羽〜田所〜小河内 1往復(所要38分)    口羽〜石見高原〜出羽〜田所・小河内 2往復(所要54分〜1時間)    八色石〜石見高原〜出羽〜田所〜小河内 1往復(所要34分)    出羽〜田所〜小河内 下り1本(土曜運行)    三坂口・小河内・田所〜出羽〜大林 4往復(うち土曜運行、土日祭休校日運休     各1往復)(所要30〜40分)  このうち、広島直通便のダイヤは次の通りであった。  (下り)    広島0602→大朝0822→田所0848→矢上0919→0957石見川本  普通便    広島1004→大朝1201→田所1219→石見川本1238→1405大田市 特急便    広島1221→大朝1405→田所1423→1536江津     特急便ごうつ号    広島1427→大朝1652→田所1718→1747矢上         普通便    広島1514→大朝1709→田所1728→1804石見川本       特急便    広島1720→大朝1908→田所1927→2039江津     特急便ごうつ号    広島1746→大朝2017→2041田所              普通便  (上り)    矢上0515→田所0546→大朝0615→0824広島         急行便    江津0752→田所0906→大朝0928→1105広島     特急便ごうつ号    石見川本0731→矢上0811→田所0842→大朝0911→1119広島  普通便    大田市0925→石見川本1034→田所1112→大朝1134→1322広島 特急便    江津1250→田所1404→大朝1426→1603広島     特急便ごうつ号    大田市1600→石見川本1717→田所1803→大朝1832→2028広島 急行便 3.2 旅から30年 ・国鉄末期の1986(S61)年3月末に川本本線石見谷〜因原及び江津線市山〜日貫の  廃止が公示された。同年6月には長谷線(川戸〜長谷)及び市木線(上田所〜  岩ヶ迫)の廃止公示がなされた。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、川本線は中国JRバスに継承された。 ・1987(S62)年11月から邑智病院乗入れを開始した(開業区間は石見中学校前〜邑智  病院)。 ・民営化以後1989(H1)年までに羽須美線(石見高原〜口羽)が廃止された。 ・1991(H3)年11月末限りで石見今市〜矢上が廃止された(廃止区間は、広浜本線石見  今市〜和田本郷、戸川線日貫〜戸川〜和田本郷、川本本線矢上〜日貫)。同時に、  戸川線支線の戸川口〜中戸川も廃止された。 ・1992(H4)年3月末限りで高原線芋畑口〜石見高原〜田所が廃止された。同時に高原  線八色石〜布施、出羽〜智教寺前(1990(H2)年12月までに智教寺前〜大林は廃止の  模様)、出羽〜田所(瑞穂中学校前経由)も廃止された模様である。 ・2001(H13)年3月末限りで鳴滝〜安芸新庄(新庄上市経由)が廃止された。 ・「JRバス川本線時刻表」2002(H14)年2月1日改正によると、川本線には次のよう  な系統が設定されていた。    広島新幹線口〜大朝〜石見川本〜大田市 特急便 下り3本・上り2本(所要     3時間13分)    広島新幹線口〜大朝〜因原〜石見川本 特急便 1往復(所要2時間14分)    広島新幹線口〜瑞穂インター〜石見川本 特急便 上り1本(所要1時間58分)    広島新幹線口〜大朝〜因原〜江津 特急便 下り2本・上り1本(所要2時間     52分)    三坂口〜小河内〜田所〜石見井原〜石見中野〜矢上〜石見中野〜皆井田〜因原     〜石見川本 1往復(うち下り便は邑智病院経由・日祝第2・4土曜運休)     (所要1時間17分)    三坂口〜小河内〜田所〜石見井原〜皆井田〜因原〜石見川本 上り1本(所要     49分)    三坂口〜小河内〜田所〜石見井原〜石見中野〜矢上 上り2本(日祝第2・4     土曜運休)(所要35〜39分)    石見井原〜矢上〜石見中野〜石見井原〜因原〜石見川本 下り3本(うち2本     は邑智病院経由・日祝第2・4土曜運転)    矢上〜石見中野〜石見井原〜皆井田〜因原〜石見川本 上り1本(所要36分)    矢上〜邑智病院〜石見中野〜皆井田〜因原〜石見川本 上り1本(所要32分)    因原〜石見川本 下り4本・上り3本(所要9分)    因原〜江津 上り1本(所要43分)    石見井原〜石見中野〜矢上 下り4本(うち邑智病院経由2本)・上り4本     (うち邑智病院経由3本、日祝第2・4土曜運休1本)  このうち、広島直通便のダイヤは次の通りであった(全便特急便)。  (下り)    広島新幹線口0705→大朝0829→0844田所0849→0920石見川本0923→1018大田市    広島新幹線口0840→大朝1004→1019田所1024→因原1048→1131江津    広島新幹線口1100→大朝1224→1239田所1244→1314石見川本1317→1412大田市    広島新幹線口1248→大朝1412→1427田所1432→因原1457→1540江津    広島新幹線口1535→大朝1659→1714田所1719→1749石見川本1752→1856大田市    広島新幹線口1720→大朝1844→1859田所1904→1934石見川本  (上り)    石見川本0710→0740田所0745→大朝0801→0922広島新幹線口    石見川本0810→瑞穂IC0848→大朝IC0900→1008広島新幹線口    大田市0832→0927石見川本0930→1000田所1005→大朝1021→1142広島新幹線口    大田市1002→1057石見川本1100→1130田所1135→大朝1151→1312広島新幹線口    江津1315→因原1400→1422田所1427→大朝1443→1604広島新幹線口    大田市1702→1757石見川本1800→1831田所1836→大朝1852→2013広島新幹線口 ・中国JRバスは、2002(H14)年6月1日から支店制度を取り入れ、川本営業所は支所  化され「島根支店浜田営業所川本支所」となった。従前、川本営業所の管下にあった  浜田支所は「島根支店浜田営業所」となった。 ・2003(H15)年3月末限りで川本営業所管内の高速便以外の系統が全廃された。これに  伴う廃止区間は、川本本線の皆井田〜石見中野〜石見井原、石見中野〜矢上、石見  中学校前〜邑智病院、因原〜因原公園前〜小川の各区間。同時に、浜田営業所川本  支所及び矢上派出所も廃止された。 ・2005(H17)年6月末限りで、広島新幹線口〜千代田IC〜江津、広島新幹線口〜千代田  IC〜大田市及び広島新幹線口〜瑞穂IC〜大田市の高速バスが廃止された。これに伴っ  て、川本本線石見川本〜大朝、皆井田〜中野元町〜石見町役場〜瑞穂インター、江津  線の木谷〜江津及び桜江大橋〜川戸の各区間が廃止された。 3.3 各種考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、川本線には接続駅(石見川本、  因原、川戸、江津及び口羽)の他に、田所、大朝及び矢上に第一種委託駅(自動  車駅)、石見中野、石見井原、日貫、八色石、石見高原、出羽、都賀大橋、阿須  那町及び根布に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ※補足「川本本線の第一区間・第二区間の遷移について」 ・1947(S22).5.24に、川本本線 石見大田−石見中野−大朝、石見中野−矢上 が  開業。これは、後に第一区間から外される石見谷経由・石見中野経由である。 ・1955(S30).8.1に、皆井田−石見井原 が開業し、第二区間になる。これは、後  に第一区間となる宮の原経由である。 ・1963(S38).4.10に、石見大田〜石見川本が川本北線へ編入され、石見川本−石  見中野−大朝 に変更。 ・1983(S58).3.31に、石見川本−大朝、皆井田−石見中野−石見井原 に変更。  これは、第二区間(宮の原経由)と第一区間(大竹橋経由)の入れ替えである。 ・1985(S60).3.31に、第一区間の石見川本〜石見谷〜因原を休止した。  1983(S56).3.23改正時刻表によると、石見川本〜因原は、川本中学校前を経由  する便が半数を占めているが、川本線の広島便(特急・準急・急行便停車駅)は  石見谷に停車していた。  しかし、1983(S58).12.20改正時刻表によると、全便が川本中学校前経由となっ  ており、実際の休止日は、1983(S58).12.20か、それ以前と推測される。 ・1986(S61).3.31に、第一区間の内、石見川本〜石見谷〜因原を、石見川本〜木  原〜因原に変更した。  この結果、石見川本〜石見谷は高原線に編入、石見谷〜因原は廃止、石見川本  〜木原は三原線から編入、木原〜因原は江津線から編入となった。 ※補足「江津線の第一区間の遷移について」 ・江津線は、1947(S22).5.24 川本本線 石見中野−矢上 開業がルーツである。 ・1948(S23).12.26に延伸、矢上線 石見中野−川戸 として独立。この経路は、  石見中野〜矢上〜日貫〜市山〜川戸であった。 ・1963(S38).4.10に、有福線 市山〜長谷〜跡市〜堂庭〜大峠口〜波子、堂庭〜  有福温泉 が開業。この時点で、山陰本線波子駅までつながった。なお、後に、  跡市〜堂庭、大峠口〜波子を廃止し、長谷線と有福線に分割された。 ・1968(S43).4.13に、江津まで延伸、江津線 石見中野−川戸−石見江津(→江津)  となる。 ・1981(S56).1.22に、後に第一区間となる三原線 川戸〜木谷が開業。 ・1983(S58).3.31に、第一区間を 因原〜江津 に変更。川戸〜石見中野を第二区  間に移し、三原線 川戸〜木谷を編入。 ・1986(S61).3.31に、第一区間を 木原〜江津 に変更。木原〜因原は川本本線へ  編入された。
2015 年 10 月 24 日 19:06:51 (15033) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【704】南予線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇南予線   南予本線    1 伊予大洲−宇和島    2 伊予大川−蔵川    3 伊予大谷−伊予白石    4 土居古市−寺野   小田町線    1 伊予大洲−宮原    2 五十崎駅前−五十崎町    3 五十崎駅前−中土橋    4 内子本町−内子駅前    5 大瀬−村前    6 河口橋−程内   八幡浜線    1 大洲本町−大洲病院前   中筋線    1 荷刺−下舟原    2 伊予中筋−榎   神納線    1 鹿野川−一ノ瀬   卯之町線    1 栗の木−卯之町    2 下宇和口−下宇和   伊予大村線    1 伊予日吉−伊予大村 1.2 路線略図                               内子               駅前○      ○程内                |内子     \ 河口      参川                |本町 中土橋  \橋  突合   口           五十崎・−○−−+−○−−○−○−−○−−○−○−−○宮原           駅前 | | /    大瀬\     小田町    若宮○−−○−−○−○−+○知清橋     \      | 矢落橋   |竜王          ○村前      +−−○寺野  伊予◎−+       |温泉口                 ///  大洲  |   五十崎町○          ○一ノ瀬  土居町○ // 伊予○=○屋敷      |                 /          +・ 大川|  大洲本町○     伊予         ○出合        // \   |     / \ 菅田 大川   鹿野川  /     魚成橋○−○−−−○−−○伊予  ○−+   ○−○−−○−○−−○−−○        / 城川  土居  |日吉  大洲   小倉口   | 鳥首  \ 岩谷    坂石○  役場前 古市  |  病院前        |      \  三石橋  /         大滝○           蔵川○       ○−−○−−○栗の木       橋 |                    /伊予   /             ○延川               伊予白石○ 大谷  ○荷刺           /                        / \           ○藤野々                  下舟原○−○   ○野村町       |                      /伊予  |          ○岩谷橋                    榎○ 中筋  ○渓筋        |                          /           +=○国道                      下宇 ○明間        出目◎ //出目                      和口/             | //                   ◎−−−○            近永◎ //                  卯之町  |              | ○国道                       ◎下宇和        近永小○// 近永                                   学校前+                                      |                                    成川○                                      |                                    柿原○                                      |                                   宇和島◎ 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・南予本線1 伊予大洲〜大洲本町〜伊予大川〜鹿野川〜伊予大谷〜栗の木 ・卯之町線1 栗の木〜荷刺〜野村町〜下宇和口〜卯之町 2.2 掲載 ・+5日目 9/21(土) S61.1号 4.四国編 単行本 p345〜349 ・連載誌 伊予大洲駅前の早起きバス、卯之町ゆきバス(伊予大川)、野村町駅 ・単行本 伊予大川 2.3 行程 ○伊予大洲615→710蔵川 南予本線1+2 伊予大洲発 伊予大川経由 蔵川行                          331-6017(いすゞBA05N) ×蔵川721→738伊予大川 南予本線2 蔵川発 伊予大洲行                          331-6017(いすゞBA05N) ○伊予大川800→925野村町 南予本線1+卯之町線1       伊予大洲発 栗の木・坂石経由 卯之町行 331-4480(いすゞP-LR312J) ○野村町1028→1055卯之町 卯之町線1+2+1           野村町発 下宇和経由 卯之町行 531-9427(いすゞBU04) 2.4 エピソード ・南予の国鉄バスは早起きで、蔵川行きの前に内子方面路木行きが発車して行っ  た。お客はほとんどいない。 ・蔵川行きバスも貸切状態。「蔵川のお客を迎えに行くのだから、この便に乗る  人は年に何人もいない」と運転士がもらす。「渡し場」で肱川を渡ると、夏場  は賑わう鵜飼舟がもやっている。川沿いの悪路が続き、桑畑と栗林が増える。 ・伊予大川から右へとると、到底バス道とは思えないような、狭く急なSカーブ  の登り。ときどき乗用車やバンが、バスと譲り合いながら坂を下っていく、奥  の集落から大洲方面へ通勤通学する人たちが知人の車に相乗りしているようだ。  「このバスに乗ってくれるのは10人までだな。あんな風に先へ行ってしまうし、  工場あたりは専用の車でパートさんを迎えに来る。昔はこのバスも満員で、路  線もずっち長かった。」 ・峠を越えて数軒の民家が見えると蔵川だった。農協から小学校まであった。 ・卯之町行きはまずまずの利用者があった。鹿野川辺りから肱川の渓谷美が開け、  やがて鹿野川ダムにかかった。ダムのほとりを迂回して走り、栗の木の三差路  で197号線に沿ってバスは左折し、坂石の集落へ寄り十数分の休憩となる。卯之  町行きバスは坂石へ寄った後、栗の木へ戻って卯之町線の地方道を進むとみえる。  坂石が事実上の南予本線と卯之町線のジャンクションになっており、この便は  伊予日吉から来るバスと接続をとる。 ・鹿野川でがら空きになっていた卯之町行きは、坂石から再び賑やかになり、国道  197号より堂々とした地方道を下った。突然市街が開けると野村町駅で途中下車。 ・野村町からの区間運転バスは大型になり、いくつかトンネルを抜けて、また下る。  明間という途中の集落は地名通りに明るく穏やか。左に予讃本線のレールが見え、  下宇和駅前へ寄ったけれど、鉄道接続駅ではない。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・南予線は、1936(S11)年に魚成橋〜近永及び土居古市〜土居町、1938(S13)年に  伊予大洲〜魚成橋が開業したのがルーツで、1941(S16)年5月に卯之町線坂石〜  卯之町、同年7月にに小田町線伊予大洲〜参川口が開業した。 ・戦後は、1950(S25)年6月に伊予大川〜蔵川、同年12月に中筋線伊予中筋〜荷刺、  同年12月に肱川線鹿野川〜神納、1951(S26)年7月に近永〜宇和島、同年8月に  八幡浜線大洲本町〜八幡浜港(1963(S38)年12月香田〜八幡浜港廃止、1973(S48)  年3月末限りで平野〜香田廃止、1982(S57)年7月鉄砲町〜平野廃止)、同年10  月に土居町〜三滝、1952(S27)年4月に伊  予日吉〜父野川、1953(S28)年12月に小田町線大瀬〜村前、1956(S31)年2月に  卯之町線貝吹〜野村町及び野村中学校前〜荷刺(両区間とも1962(S37)年11月廃  止)、同年3月に小田町線河口橋〜程内、同年4月に伊予大谷〜伊予白石、1957  (S32)年2月に田処線矢落橋〜田処(1969(S44)年5月廃止)、同年5月に中筋線  蔵川〜伊予中筋(1982(S57)年7月伊予宮野〜下舟原廃止、1984(S59)年7月末限  りで蔵川〜伊予宮野廃止)が開業した。   ・南予線は、予讃本線伊予大洲駅から宇和島線(→予土線)出目及び近永駅に至る  短絡路線であって、昭和26年に宇和島市へ乗入れ延長され、沿線地方の産業文化  の発展助長を使命としていた。 ・「鉄道辞典・下」(1958(S33)年)には、南予線の特長として、この路線は鉄道が  宇和島市に延長されるまでは、唯一の陸路(街道筋)として交通頻繁であって、  路線内の坂石、日吉等は当時の宿場であったと伝えられると述べられていた。 ・1985(S60)年当時、南予本線の伊予日吉及び卯之町線の野村町に自動車駅が存在  した。また、国鉄バス運行の拠点として、大洲自動車営業所(大洲市内)及び  同日吉支所(伊予日吉)が置かれていた。 ・四国総局自動車管理室「国鉄バス四国時刻表」1985(S60)年4月1日によると、  南予線には次のような系統が設定されていた。  (南予本線)    伊予大洲〜鹿野川〜坂石〜伊予日吉 2往復(所要2時間4分)    伊予大洲〜鹿野川 下り1本(所要55分)    伊予大洲〜伊予大川〜蔵川 3往復(所要56分)    伊予大洲〜鹿野川〜伊予白石 上り1本(所要1時間30分)    鹿野川〜伊予白石 下り2本・上り1本(所要30分)    伊予日吉〜土居町〜寺野 2往復(所要37分)※4/16改正ダイヤ    三滝〜寺野 1往復(所要5分)※4/16改正ダイヤ    坂石〜伊予日吉 4往復(所要44分)※4/16改正ダイヤ    伊予日吉〜近永〜宇和島 9往復(所要1時間14〜21分)※4/16改正ダイヤ    伊予日吉〜近永 3往復(所要42分)※4/16改正ダイヤ  (中筋線)    野村町〜伊予中筋〜榎〜下舟原 下り2本・上り1本(所要42分)    野村町〜伊予中筋〜下舟原 下り1本・上り2本(所要25分)    野村町〜伊予中筋 2往復(所要15分)  (神納線)    伊予大洲〜鹿野川〜一ノ瀬 1往復(所要2時間3分)    伊予大洲〜鹿野川〜河辺役場前 1往復(所要1時間23分)  (卯之町線)    伊予大洲〜鹿野川〜坂石〜野村町〜下宇和〜卯之町 3往復(所要2時間26     〜31分)    伊予大洲〜鹿野川〜坂石〜野村町 下り1本・上り2本(所要1時間47分)    伊予大洲〜鹿野川〜栗の木〜伊予中筋 上り1本(所要1時間30分)    鹿野川〜栗の木〜野村町〜下宇和〜卯之町 下り1本(所要1時間26分)    坂石〜野村町〜下宇和〜卯之町 下り5本(うち下宇和通らず2本)・上り     4本(所要1時間)    野村町〜下宇和〜卯之町 下り6本・上り8本(うち下宇和通らず1本)(     所要34分)    坂石〜野村町 下り2本・上り3本(所要21分)  (伊予大村線)    伊予日吉〜伊予大村 3往復(うち土学休日運転、土学休日運休各1往復)     (所要32分)※4/16改正ダイヤ  (小田町線)    大洲本町〜伊予大洲〜大瀬車庫〜参川口〜宮原 2往復(所要1時間33〜     40分)    大洲本町〜伊予大洲〜大瀬車庫〜参川口 3往復(所要1時間27〜38分)    大洲病院前・大洲本町〜伊予大洲〜大瀬車庫〜程内 下り3本・上り2本     (所要1時間11〜22分)    大瀬車庫〜程内 上り1本(所要18分)    大洲病院前・大洲本町〜伊予大洲〜大瀬車庫〜村前 下り3本・上り4本     (所要1時間8分〜19分)    大瀬車庫〜村前 下り1本(所要15分)    大洲病院前・伊予大洲〜大瀬車庫〜路木 1往復(日祭運休)(所要1時間)    大洲本町〜伊予大洲〜大瀬車庫 2往復(所要45分)    大洲病院前・大洲本町〜伊予大洲〜内子橋 1往復(所要32分)    大洲病院前〜伊予大洲 2往復(所要11分) 3.2 旅から30年 ・国鉄末期の1986(S61)年3月に小田町線竜王温泉口〜内子が開業した。同年12月  には、南予本線伊予大川〜蔵川、小田町線大瀬〜村前及び河口橋〜程内、中筋  線伊予中筋〜下舟原、並びに神納線河辺役場前〜一ノ瀬の各区間の廃止が公示  された。一方、同日、南予本線出目〜近永小学校前(国道)が開業した。その  後、国鉄最末期の1987(S62)年2月から伊予大村線伊予大村〜屋敷が開業した。  同時に「国鉄自動車路線名称」の南予本線の項に三島橋〜土居町が追加された。  さらに、同年3月に小田町線竜王温泉口〜中土橋及び内子本町〜内子駅前の廃  止が公示された。 ・国鉄民営化を経て、南予線はJR四国に継承された。 ・伊予日吉自営「四国旅客鉄道バス南予線時刻表」1990(H2)年3月10日改正によ  ると、南予本線坂石〜宇和島、卯之町線及び関係支線には次のような系統が設  定されていた。  (南予本線・卯之町線)    伊予日吉〜国道出目〜国道近永〜宇和島 急行便 1往復(所要1時間)     ※急行便は、堀切、長瀬、川上横山、小越、下古用、日切地蔵前、下      清詰、利根口、藤野々、市ヶ成橋、芳組、出目新田、横吹、鮎返、      須賀川ダム、公務員住宅前、和霊中町には停車しない。    伊予日吉〜出目〜近永〜宇和島 6往復(所要1時間13分)    伊予日吉〜出目〜近永 2往復(うち日祝学休運休1往復)(所要45分)    宝泉坊〜伊予日吉〜出目〜近永〜宇和島 1往復(所要1時間19分)    野村〜坂石〜伊予日吉〜出目〜近永〜宇和島 下り1本(所要2時間2     分)    卯之町〜野村〜坂石〜伊予日吉〜出目〜近永〜宇和島 上り1本(所要     2時間33分)    卯之町〜野村〜坂石〜伊予日吉 3往復(所要1時間18分)    卯之町〜野村〜坂石 下り4本(うち野村〜坂石日祝運休、野村〜坂石     土曜のみ運行各1本)・上り4本(うち坂石〜野村土曜のみ運行1本)    卯之町〜野村 2往復(所要30分)    野村〜坂石 1往復(日祝運休)(所要18分)  (大村線)    伊予日吉〜屋敷 3往復(うち土曜のみ運行1往復)(所要32分)  (寺野線)    伊予日吉〜土居町〜三滝〜寺野 2往復(うち日祝運休1往復)(所要     32分)    三滝〜寺野 1往復(所要5分)  (中筋・榎線)    野村〜中筋〜榎 3往復(所要22分)  (三石線)    坂石〜栗の木〜三石橋 3往復(うち日祝運休下り2本・上り1本、土     曜のみ運行1往復)(所要9分) ・1990(H2)年7月から小田町線参川口〜宮原が休止された。同年12月、同線突合  〜参川口が休止された(1991(H3)年12月廃止)。 ・1991(H3)年7月、神納線(鹿野川〜河辺役場前)、南予本線伊予大谷〜伊予白  石が廃止された。 ・1992(H4)年5月、南予本線大洲本町〜鳥首が廃止され、南予線は大洲地区と日  吉地区とが分断された。 ・1994(H6)3月、南予本線鳥首〜三石橋が廃止された。同年3月末限りで小田町  線が全廃された。廃止区間は大洲新町〜突合、竜王温泉口〜五十崎町、(竜王  温泉口〜)新廿日市〜内子の各区間。 ・1995(H7)年3月末限りで伊予大洲〜大洲本町〜大洲病院が廃止され、大洲管内  は全廃となった。 ・1997(H9)年3月末限りで、南予本線三石橋〜栗の木、(城川役場前〜)下相上  組〜上伏越〜土居古市、三島橋〜下土居(〜土居町)、土居町〜寺野、伊予大  村線(伊予日吉〜)幸田〜屋敷の各区間が廃止された。 ・同年9月末限りで、最後まで残った、南予本線栗の木〜城川役場前(〜下相上  組)、土居古市〜伊予日吉〜近永〜宇和島、土居古市〜三島橋、下土居〜土居  町、三島橋〜土居町、土居町〜下土居〜城川公園〜下相上組(〜城川役場前)、  出目〜国道近永〜近永小学校前、卯之町線(坂石〜)栗の木〜卯之町及び下宇  和口〜下宇和、中筋線(荷刺〜榎)が廃止され、南予線は全廃となった。 3.3 旅の考察 ・本文で筆者は下宇和が鉄道接続駅ではないと述べているが、1984(S59)年頃の「  自動車線普通旅客運賃表」の南予線の部卯之町線の項では、下宇和(下宇和口  から0.2km)は鉄道接続駅とされていた。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、南予線には接続駅(伊予大洲、  出目、近永、宇和島、下宇和及び卯之町)の他に、伊予日吉及び野村町に第一種  委託駅(自動車)、大洲本町及び鹿野川に第二種委託駅(自動車駅)が置かれて  いた。
2015 年 10 月 21 日 22:06:26 (15032) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【706】大栃線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇大栃線    1 播磨屋橋−岡の内    2 神母ノ木−東佐岡    3 神母ノ木−竜河洞    4 岩改口−岩改    5 美良布−永野    6 土佐小川−千萱    7 大栃−影 1.2 路線略図                                   影                                   ○−−○高井                           土佐         |                           河口  永野  猪野 |                         ・・・○−−○・・●々口 ○五王堂                        ・   |         |                土佐 東佐岡 ・ 岩改 | 土佐   ・・ |      高知        山田  ○・・  口  | 小川  ・  ・|      ◎  後免     ◎   | 神母  ○−○−○−−○−−○−○大栃      |  駅前     |   | ノ木 /| 美良 \ 蕨野 大栃|  松山<−○−−−○−−○−−+−−−○−○−・ | 布   ・   橋 |  佐川  播磨    二つ川    談義 |   ○     |     ○佐岡口      屋橋           所  ・   岩改    ○     |                       \        千萱    |                        ○             ○岡の内                       竜河洞            ・                                      ・                                      ●土佐別府 ※松山〜佐川〜播磨屋橋〜高知は松山高知急行線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・大栃線1 播磨屋橋〜後免駅前〜二ツ川〜土佐山田 2.2 掲載 ・+2日目 9/17(火) S61.1号 4.四国編 単行本 p329〜330 2.3 行程 ○高知0909→0954土佐山田 大栃線 高知発 大栃行 531-1420(いすゞK-CJM470) 2.4 エピソード ・大栃行きバスは、全くお客のないまま定刻1分前の9時09分にアクセルをふか  し、あわてて飛び乗る。厳密にははりまや橋まで復乗。 ・妙な場所に停留所のある後免駅前を経て旧道を行くうち左手に土讃本線が並走。  僅かなままのお客のうち3人は病院通いで、土佐山田町内になると、揃って  下車。 ・バスは空の状態で土佐山田駅前に入ったが、ここには数人待っていた。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・大栃線は、1935(S10)年に土佐山田〜大栃が開業したのがルーツで、戦後は、  1950(S25)年に楠目(→談義所)〜東佐岡、神母ノ木〜竜河洞口(→竜河洞)、  1952(S27)年に大栃〜五王堂、1953(S28)年に東佐岡〜猪野々、美良布〜土佐河  口、蕨野〜大栃橋、1954(S29)年に播磨屋橋〜土佐山田、大栃〜岡の内、五王  堂〜影が開業した。 ・この路線は、沿線の産業開発・文化の向上発展の使命を有していた。「鉄道辞  典・上」(1958(S33)年)には、土佐山田〜高知の開通後は都市交通の使命を  も有するに至ったと述べられている。 ・JR四国(1989)「四鉄史」によると、大栃線は、当時、鉄道建設予定線(蕨野  線)の先行路線として開業したと述べられている。 ・1985(S60)年4月、岡の内〜土佐別府、蕨野〜永瀬〜大栃、東佐岡〜土佐河口、  永野〜猪野々口の廃止が公示された。 ・1985(S60)年当時、線内の美良布及び大栃に自動車駅が存在した。また、国鉄  バス運行の拠点として、土佐山田自動車営業所(土佐山田町内)が設置されて  いた。 ・四国総局自動車管理室「国鉄バス四国時刻表」1985(S60)年4月1日によると、  大栃線(同年4月16日改正ダイヤ)には次のような系統が設定されていた。    高知〜土佐山田〜美良布〜大栃 7往復(所要1時間33〜38分)    土佐山田〜美良布〜大栃 下り8本・上り7本(所要46分)    土佐山田〜美良布〜小吉野 上り1本(小吉野〜美良布日祝学休日運休)     (所要33分)    土佐山田〜美良布 下り6本(うち日祝運休、日祝学休日運休各1本)・     上り7本(うち日祝運休、日祝学休日運休各1本)(所要25分)    美良布〜大栃 上り1本(所要21分)    土佐山田〜美良布〜千萱 下り2本・上り1本(所要44〜59分)    美良布〜千萱 上り1本(所要19分)    土佐山田〜岩改 1往復(所要29〜31分)    美良布〜岩改 2往復(所要12分)    土佐山田〜神母ノ木〜龍河洞 11往復(所要21〜23分)    土佐山田〜談義所〜東佐岡 5往復(所要16分)    美良布〜永野 3往復(所要15分)    大栃〜岡の内 6往復(所要22分)    大栃〜安丸〜影 4往復(所要49分)    大栃〜安丸 1往復(所要15分) 3.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1987(S62)年2月、「国鉄自動車路線名称」に山田駅前〜土佐山  田が位置づけられた。その後、国鉄民営化を経て、大栃線はJR四国に継承  された。 ・1990(H2)年7月に美良布〜永野が廃止され、1991(H3)年3月末限りで談義所  〜東佐岡が、同年4月に岩改口〜岩改がそれぞれ廃止された。 ・1992(H4)年3月末限りで大栃〜岡の内が廃止された。 ・1997(H9)年3月に播磨屋橋〜山田駅前が、同年3月末限りで神母ノ木〜竜河  洞及び大栃〜影がそれぞれ廃止された。 ・2000(H12)年10月、大宮停留所(美良布の1つ土佐山田寄りの停留所)を「  アンパンマンミュージアム前」に改称した。 ・2015(H27)年6月現在、大栃線は、土佐山田〜大栃がJR四国バスによって  運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、大栃線には接続駅(土佐山  田)の他、美良布及び大栃に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2015 年 10 月 21 日 22:05:17 (15031) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【504】瀬戸北線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇瀬戸北線    1 瀬戸記念橋−多治見    2 品野−岩屋堂温泉    3 上半田川口−榎戸    4 市之倉−古虎渓駅前 1.2 路線略図             多治見              ◎              |        古虎渓   |         駅前○−−○市之倉              |       下半田川○−−○下半田川口           |  //           |  //上半           |  //田川        余床口○−−○−−○榎戸              |     ○名学大前              | 上品 /              | 野口/上品野 片草            品野○−−○−−○−−○−>明知       高蔵寺    |        中水野  品野○−−−○岩屋堂温泉前        Λ   本町|        |     ○火の見下     上水野○−−○−−+        |  穴田 ○品野坂上        |     |        |     |     松山町○ 瀬戸  ○古瀬戸        | 記念橋 |  瀬戸市<−−○−−○−−・       瀬戸  |       追分  V          新豊田          ・岡崎 ※下半田川口〜下半田川は路線名称にはない ※品野〜明知、上品野口〜名学大前は中馬線 ※岡崎・新豊田〜瀬戸記念橋は瀬戸南線 ※高蔵寺〜中水野〜上水野〜瀬戸追分〜瀬戸記念橋、瀬戸市〜瀬戸追分、上水野〜  穴田〜品野本町は瀬戸西線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・瀬戸北線1 瀬戸記念橋〜品野 2.2 掲載 ・31日目 7/11(木) S61.4号 7.中部編 単行本 p156〜158 2.3 行程 ○瀬戸記念橋1826→1955明知 瀬戸北・中馬線 名古屋発 明知行                           538-2473(日デK-U31L) 2.4 エピソード ・瀬戸記念橋からの明知行きもぎっしり。市内の停留所に停まるたび下校生と勤  め帰りの人たちでますます込み、やがて品野近くから下車客が増えていった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・瀬戸北線は、日本最初の省営自動車路線である岡多線(岡崎〜多治見)の一部  として、1930(S5)年12月20日に瀬戸記念橋〜多治見が開業したのがルーツで、  1952(S27)年に下半田川〜鹿乗橋、(十軒家〜)品野〜岩屋堂(→岩屋堂温泉前)、  1953(S28)年に上半田川口〜上半田川が開業した。 ・瀬戸北線を含む岡多線は、東海道本線岡崎と中央本線多治見を結ぶ短絡路線と  しての使命を有した他、地方産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、瀬戸北線を含む岡多線の特長として、  S5.12.20開業した国鉄自動車最初の路線としてその歴史的意義は極めて深い、  当時はバス13、トラック9、計22両で、東海道本線岡崎と中央本線多治見及び  瀬戸記念橋と中央本線高蔵寺とを結ぶ路線のみであったが、S26年以来営業キロ  程は2倍も伸び、殊に瀬戸を中心とした路線網は発展の一途をたどっていると  述べられていた。 ・瀬戸北線は、1970(S45)年10月に岡多線の部から独立した。 ・1985(S60)年当時、線内の瀬戸記念橋及び市之倉に自動車駅が存在した。また、  国鉄バス運行の拠点として、瀬戸自動車営業所(瀬戸追分)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、瀬戸北  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    瀬戸追分〜多治見 下り11本・上り12本(うち休日運休1本)(所要47〜     55分) 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、下半田川口〜下半田川  が認知された。同時に市之倉〜古虎渓駅前が削除された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、瀬戸北線はJR東海バスに継承された。 ・瀬戸支店「瀬戸追分・下半田川〜多治見」時刻表2000(H12)年12月4日改正によ  ると、瀬戸北線には次のような系統が設定されていた。    瀬戸市・瀬戸追分〜下半田川〜多治見 下り5本(うち日祝運休1本、土日     祝運休1本)・上り7本(うち日祝運休1本、土日祝運休2本、土日祝運     転1本)    下半田川〜多治見 下り29本(うち土日祝運休4本、日祝運休2本)・上り     27本(うち土日祝運休3本、日祝運休2本) ・瀬戸支店「瀬戸市〜品野・多治見方面」時刻表2001(H13)年3月23日改正による  と、瀬戸北線には次のような系統が設定されていた。    瀬戸市・瀬戸追分〜多治見 下り5本(うち日祝運休1本、土日祝運休1本)     ・上り7本(うち日祝運休1本、土日祝運休2本、土日祝運転1本)    瀬戸市〜榎戸 下り2本・上り3本    瀬戸市〜岩屋堂温泉 2往復(日祝運転)    瀬戸市〜片草 下り5本(うち土日祝運休1本、土日祝運転1本)・上り4     本(うち土日祝運休1本)    瀬戸市〜上品野 下り31本(うち土曜運転1本、土日祝運転12本、土日祝運     休9本)・上り28本(うち土日祝運休8本、土曜運転1本、土日祝運転9     本)    瀬戸市〜名学大前 下り18本(うち土日祝運休5本、日祝運休2本、土日祝     運転1本)・上り17本(うち土日祝運休5本、日祝運休2本、土日祝運転     1本)    瀬戸市〜品野 下り2本(土日祝運休)・上り3本(うち土日祝運休1本、     日祝運休2本) ・2002(H14)年3月末限りで、品野〜多治見、品野〜岩屋堂温泉前、上半田川口〜  榎戸、下半田川口〜下半田川が廃止された。 ・瀬戸支店管内の一般路線全廃に伴い、最後まで残った瀬戸記念橋〜品野も2009  (H21)年9月末限りで廃止された。併せて、瀬戸支店も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、瀬戸北線には接続駅(多治見)  の他に、市之倉に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・愛知・岐阜県境区間の上半田川口〜市之倉は、1976(S51)年4月1日現在の中部  地自管内路線図では上半田川口〜余床口〜下半田川〜妻之神〜南市之倉〜市之倉  という経路であったが、1986(S61)年の「瀬戸自動車営業所路線図」では上半田  川口〜蛇が洞橋〜かみ田〜下半田川口〜南市之倉〜市之倉という経路で、下半田  川口〜妻之神〜下半田川は枝線になっている。従って、この間に国道248号線の  新道が開通し経路変更が行われた模様である(この経路変更に伴う改キロ等の国  鉄公示はなされていない)。この区間の路線略図は次の通り。               多治見                Λ                |                ○市之倉                |                ○南市之倉            妻之神 |      下半田川○−−○−−○下半田川口          |     //          |     ○かみ田          |     //          |     ○蛇が洞橋          |     //       余床口○−−−−−○−−−○−−○榎戸             上半田|  上半田             川口 |  川                V              品野・瀬戸              記念橋
2015 年 10 月 20 日 00:20:13 (15030) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【408】霞ヶ浦線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇霞ヶ浦線   霞ヶ浦本線    1 土浦−佐原    2 土浦−大岩田二区    3 谷津入−一本松    4 姥神−信太古渡    5 伊佐部−押砂    6 水郷大橋−佐原   山ノ荘線    1 土浦−ゆう・もあ村    2 笠師−馬立口−常陸寺前   君島線    1 阿見−君島−江戸崎高校前    2 霞台−阿見役場前    3 竹来−竹来下    4 追原辻−島津    5 布佐橋−大形    6 江戸崎西高前−江戸崎高校前   安中線    1 木原−安中    2 大山−大谷   十余島線    1 江戸崎高校前−阿波−押砂−東役場前    2 神宮寺−高田須賀    3 下阿波−甘田−水神    4 脇川−神崎大橋   浮島線    1 古渡−浮島 1.2 路線略図        ゆう・        もあ村○           |        山ノ荘○           |       常陸寺前○          / \       道知○   ○粟野          \ /         笠師○           |       亀城  ○中並木       公園前 |    古河<−○−−○土浦一高前        |  富士崎町○−◎土浦      | |  小松坂下○−○蓮河原       \   土浦三高下○         \      霞台○−○阿見       /|  \   阿見 ○ ○竹来 ・   役場前  |  /     掛馬台○−○竹来下        |  \     追原辻○−−−○島津        |   |      君島○   ・        |    \    大形○−○布佐橋  \        |    木原○−−−○大塚     一本松○ 美駒   |   |       / \寮前   |   ○馬掛  江戸崎 /   ○−○−−○谷津入|  西高前/ 小角/ 美浦トレ|   |    ○−−−○  セン前 ○−−−○−○安中    |   |      |大谷 大山  常陸○   ○佐倉原 姥神○  犬塚|   |     /|    ○−−−+−−−−・ ・   愛宕下   |吹上   /        ○−−−−○信太古渡   江戸崎 /     |   高校前○    古渡○−−○−−○浮島      |     /  桜川村   江戸崎○    ・   役場前      | 常陸岡|  高田須賀○−−○−○神宮寺              |    |    阿波崎   上須田      | 下阿波○−○−−−○−−−−−○      |    | 甘田      伊佐部\水神    浦向○−−−−○−−−−−−−−−−○−−○ 東役          常陸\         |   \場前          幸田 \        ○佐原組 ○−−○西代              ○脇川 ・   |新田 /   |               \ /|下橋向|  /  水郷|                +○−−○−○−・   大橋○−−−−−−・                橋向|/  押砂      |  ◎佐原 |                  ○         佐原○  +   ○佐原市                  神崎        女子 \ |\  |役所前                  大橋        高校  ・+−+−+                                 |   |                                 ○−−−○                                諏訪神 中宿                                社前 ※亀城公園前〜古河は南筑波線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・山ノ荘線1 土浦〜亀城公園前 2.2 掲載 ・40日目 7/20(金) S61.5号 8.関東・信越編(上) 単行本 p192〜p193 2.3 行程 ○土浦1520→1635下妻上町 南筑波線 土浦発 下妻上町行 527-9022(日野RE101) 2.4 エピソード ・下妻上町行きは土浦市街地の商店街の真ん中を抜けて、立ち客を大勢乗せて巨  大なコンクリート橋高架下へ出た。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・霞ヶ浦線は、1947(S23)年3月に土浦〜阿見〜木原〜姥神〜江戸崎〜浦向〜常陸  幸田〜石納〜西代〜佐原が開業したのがルーツで、1949(S24)年1月に大谷〜安  中(後の安中線の一部)、江戸崎高校前〜信太古渡〜古渡〜阿波〜常陸幸田(  後の十余島線の一部)、1951(S26)年2月に常陸幸田〜橋向〜石納(→東役場前)  (後の十余島線の一部)、1952(S27)年に南筑波線の支線として土浦〜道知〜山  ノ荘(後の山ノ荘線)が開業した。 ・この路線は、東北本線(当初南筑波線は霞ヶ浦線の支線であった)・常磐線及び  成田線を短絡する使命を有した他、観光路線としての使命も有していた。 ・1954(S29)年1月に姥神〜信太古渡及び古渡〜浮島が開業し、同年2月には舟島  村役場前(→島津)〜追原辻〜君島〜常陸犬塚〜江戸崎(後の君島線の一部)が  開業した。 ・1955(S30)年11月、木原〜大山(後の安中線の一部)、高田須賀〜常陸岡〜神宮  寺(後の十余島線支線)、阿波〜甘田〜須賀津(後の浮島線の一部、1979(S54)  年4月廃止公示)が開業した。 ・1957(S32)年8月には阿波〜甘田〜阿波崎〜水神(後の十余島線支線)、同年9  月に阿見〜曙町〜追原辻(後の君島線の一部)が開業した。 ・1960(S35)年12月、山ノ荘線の山ノ荘〜東城寺及び中並木〜永井〜常陸寺前が開  業した。1962(S37)年4月には本新開拓口〜本新支所前〜西代が開業し(1979(S  54)年4月廃止公示)、同年6月に姥神〜野原〜佐倉新田(1979(S54)年4月廃止  公示)及び伊佐部〜佐倉組新田〜曲淵が開業した。 ・1964(S39)年7月に浮島線浮島〜浮島水泳場が開業した(1982(S57)年2月に廃止  公示)。1967(S42)年4月に君島線の霞台〜阿見役場前及び君島天神〜大形が開業  した。1968(S43)年11月に十余島線脇川〜神崎大橋〜神崎役場前が開業した。 ・1978(S53)年4月、宮地〜美浦トレセン前〜土屋及び大谷〜美浦トレセン前が開業  した。1981(S56)年2月には山ノ荘線東城寺〜ゆう・もあ村及び君島線竹来〜竹来  下が開業した。1982(S57)年10月には十余島線神崎大橋〜下総神崎及び神崎農協前  〜神崎橋の廃止が公示された。 ・1985(S60)年当時、線内の(自)土浦、江戸崎及び(自)佐原に自動車駅が存在  した。また、国鉄バス運行の拠点として、土浦自動車営業所(富士崎町)及び同  江戸崎支所(江戸崎支所前)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年4月、君島線の霞台〜阿見役場前、竹来〜竹来下及び追原辻〜島津  の廃止が公示された。次いで同年8月末限りで安中線木原〜大山の廃止が公示さ  れた。 ・土浦自営「国鉄バス時刻表」1986(S61)年4月7日改正によると、霞ヶ浦線には  次のような系統が設定されていた。  (霞ヶ浦本線)    土浦〜木原〜阿波〜水神〜東役場前〜佐原 急行便1往復    (下り)      土浦1735→1858佐原    (上り)      佐原0648→0808土浦    土浦〜木原〜阿波〜水神〜東役場前〜佐原 普通便 上り1本    土浦〜木原〜江戸崎〜浦向〜水神〜東役場前〜佐原 下り5本・上り3本    土浦〜木原〜大谷〜江戸崎 下り26本(うち休校日運休2本)・上り28本     (うち休校日運休2本、日祭運休1本)    土浦〜木原〜トレセン〜大谷〜江戸崎 下り4本・上り3本    土浦〜木原〜トレセン〜小角〜江戸崎 下り1本(日祭運休)    土浦〜木原〜トレセン 下り9本(うち富士崎町始発1本)・上り9本    江戸崎〜浦向〜水神〜東役場前〜佐原 下り5本・上り7本    江戸崎〜浦向〜幸田 下り2本(うち休校日運休1本)・上り1本    東幸田〜水神〜東役場前〜佐原 上り1本    江戸崎〜浦向〜幸田〜橋向〜東役場前 上り1本  (十余島線)    江戸崎〜古渡〜阿波〜幸田〜橋向〜東役場前〜佐原 下り1本    江戸崎〜古渡〜阿波〜幸田〜橋向〜東役場前 下り7本・上り6本    江戸崎〜古渡〜阿波〜幸田 下り2本・上り3本(うち休校日運休1本)    幸田〜橋向〜東役場前 下り1本    江戸崎支所〜古渡〜神宮寺 下り1本(休校日運休)    江戸崎〜岡〜神宮寺 上り1本(休校日運休)    江戸崎〜岡〜阿波〜阿波崎〜水神〜東役場前〜佐原 下り1本    江戸崎〜古渡〜阿波〜阿波崎〜水神〜東役場前〜佐原 下り1本    江戸崎〜古渡〜阿波〜阿波崎〜水神〜東役場前〜西代 上り1本(休校日運休)    江戸崎〜岡〜阿波〜阿波崎〜水神〜東役場前〜西代 上り1本    江戸崎〜岡〜阿波〜阿波崎〜水神〜東役場前 1往復    上須田〜水神〜東役場前〜西代 下り1本(休校日運休)    神宮寺〜阿波〜阿波崎〜水神〜東役場前〜西代 下り2本・上り1本    神宮寺〜阿波〜阿波崎〜水神〜東役場前 1往復    神宮寺〜阿波〜阿波崎〜水神〜東役場前〜女子高〜佐原 上り1本    江戸崎〜浦向〜幸田〜下橋向 2往復(土曜運転、土曜休校日運休各1往復)    東幸田〜伊佐部〜佐原組新田〜押砂〜東役場前 下り1本    伊佐部〜佐原組新田〜押砂〜橋向〜押砂〜東役場前 上り1本  (君島線)    土浦〜君島〜江戸崎西高〜江戸崎 下り6本・上り7本    土浦〜君島〜トレセン 下り3本(うち富士崎町始発1本)・上り3本    土浦〜君島〜大形 下り3本(うち富士崎町始発1本)・上り3本    花指大師〜江戸崎西高〜江戸崎 1往復(休校日運休)    土浦〜掛馬台 下り6本(うち休校日運休1本、富士崎町始発土曜運転2本、     富士崎町始発土曜休校日運休3本)・上り7本(うち休校日運休1本、土曜     運転2本、土曜休校日運休3本)    土浦駅東口〜掛馬台 下り1本    江戸崎〜小角〜江戸崎西高 下り5本(うち休校日運休2本、土曜運転1本、     土曜休校日運休2本)・上り10本(うち学校指定便3本、土曜運転3本、     土曜休校日運休3本、休校日運休1本)    江戸崎〜犬塚〜江戸崎西高 下り1本(休校日運休)    支所前〜小角〜江戸崎西高 下り7本(うち学校指定便3本、土曜運転2本、     土曜休校日運休1本、休校日運休1本)・上り3本(休校日運休)  (安中線)    土浦〜木原〜大谷〜安中 下り3本(うち富士崎町始発1本)・上り2本    江戸崎〜大谷〜安中 下り2本・上り3本    大谷〜安中 2往復  (浮島線)    土浦〜木原〜大谷〜古渡〜浮島 下り3本・上り4本  (山ノ荘線)    土浦〜道知〜寺前〜ゆう・もあ村 下り5本・上り3本    土浦〜永井〜寺前〜ゆう・もあ村 下り4本・上り6本    土浦〜道知〜寺前 下り5本(うち日祭運休2本、土曜運転1本)・上り5     本(うち日祭運休1本、土曜運転1本)    土浦〜永井〜寺前 下り5本(うち日祭運休1本、土曜運転1本)・上り5     本(うち日祭運休2本、土曜運転1本)    土浦〜中都公民館 4往復(うち日祭運休1往復、土曜休校日運休1往復)     ※土浦〜寺前は往路道知・復路永井経由又は往路永井・復路道知経由で      循環運転 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、霞ヶ浦本線の美浦トレ  セン前〜小角が認知された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、霞ヶ浦線はJRバス関東に継承された。 ・1990(H2)年3月、君島線布佐橋〜大形、十余島線神宮寺〜高田須賀が休止された  (翌年3月廃止)。1991(H3)年3月には安中線大谷〜安中が休止された(翌年3  月廃止)。 ・1994(H6)年3月から君島線がガーデンシティ湖南へ乗入れを開始した(池の台〜  南平台東開業)。同年9月、本線の伊佐部〜押砂が休止された(翌年9月廃止)。 ・1995(H7)年9月末限りで、十余島線の常陸幸田〜橋向〜東役場前、下阿波〜甘田  〜水神及び脇川〜神崎大橋〜下橋向が廃止された。 ・1996(H8)年10月、土浦〜ガーデンシティ湖南系統に東京医大経由便が運行を開始  した(阿見〜東京医大前〜阿見中央〜曙町が開業)。 ・1997(H9)年3月、山ノ荘線の常陸寺前〜ゆう・もあ村が廃止された。 ・土浦支店「JRバス関東時刻表」1997(H9)年3月22日改正によると、霞ヶ浦線に  は次のような系統が設定されていた。    土浦〜木原〜阿波〜水神〜東役場前〜佐原 1往復    土浦〜木原〜江戸崎〜浦向〜水神〜東役場前〜佐原 下り2本・上り3本    土浦〜木原〜大谷〜江戸崎 下り27本(うち休校日日祝2・4土曜運休4本、     日祝2・4土曜運休5本)・上り31本(うち休校日日祝2・4土曜運休5     本、日祝2・4土曜運休6本、日祝2・4土曜運転1本)    土浦〜木原〜トレセン〜大谷〜江戸崎 下り10本(うち日祝2・4土曜運休     1本)・上り5本    土浦〜木原〜トレセン〜小角〜江戸崎 下り1本(日祝2・4土曜運休)・     上り1本    土浦〜木原〜トレセン 下り4本・上り7本    江戸崎〜浦向〜水神〜東役場前〜佐原 下り6本・上り5本(うち日祝2・     4土曜運休1本)    江戸崎〜浦向〜幸田 下り2本(休校日日祝2・4土曜運休)・上り1本(     休校日日祝2・4土曜運休)  (十余島線)    江戸崎〜古渡〜阿波〜幸田〜橋向〜東役場前〜佐原 下り3本(うち休校日     日祝2・4土曜運休1本、営業所始発日祝2・4土曜運休1本)・上り3     本(うち女子高経由休校日日祝2・4土曜運休1本)    江戸崎〜古渡〜阿波〜幸田 下り7本・上り9本(うち休校日日祝2・4土     曜運休2本)  (君島線)    土浦〜君島〜江戸崎西高〜江戸崎 下り8本(うち富士崎町始発休校日日祝     2・4土曜運休1本、日祝2・4土曜運休1本)・上り5本(うち日祝2     ・4土曜運休1本)    土浦〜君島〜トレセン 下り3本(うち日祝2・4土曜運休1本)・上り5     本(うち日祝2・4土曜運休2本)    土浦〜君島 下り1本・上り2本(うち土日祝運休1往復、日祝2・4土曜     運休上り1本)    土浦〜工業団地 上り1本(休校日日祝2・4土曜運休)    土浦駅東口〜工業団地 下り1本(休校日日祝2・4土曜運休)    土浦〜ガーデンシティ湖南 下り18本(うち南平台南止2本、医大経由2本)     ・上り20本(うち地区センター始発2本、地区センター始発日祝2・4土     曜運休1本)     ※土浦〜ガーデンシティ湖南は、ガーデンシティ内(地区センター→南平      台東→南平台南)循環し土浦行きとなる。    江戸崎〜小角〜江戸崎西高 6往復(うち休校日日祝2・4土曜運休1往復、     土曜運転2往復、土曜休校日運休3往復)  (浮島線)    土浦〜木原〜大谷〜古渡〜浮島 3往復(うち日祝2・4土曜運休1往復)  (山ノ荘線)    土浦〜道知〜寺前 下り8本(うち川口町始発日祝2・4土曜運休1本、     休校日日祝2・4土曜運休1本)・上り9本    土浦〜永井〜寺前 下り9本・上り8本(うち日祝2・4土曜運休1本、     休校日日祝2・4土曜運休1本)    土浦〜中都公民館 下り4本(うち日祝2・4土曜運休3本)・上り4本     (日祝2・4土曜運休)     ※土浦〜寺前は往路道知・復路永井経由又は往路永井・復路道知経由で      循環運転 ・2000(H12)年7月に君島線の池の台〜追原〜追原辻が開業した。同年9月、高速  バス「いたこ・あそう号」の江戸崎営業所出入庫便を活用して「麻生リレー号」  (江戸崎営業所〜麻生役場前)が運行開始した(新規区間として阿波〜東町役場  〜麻生役場前が開業)。また、同年9月限りで霞ヶ浦線の佐原乗入れが廃止され、  常陸幸田までの運転となった(常陸幸田〜伊佐部〜東役場前〜西代〜水郷大橋〜  佐原及び水郷大橋〜佐原女子高前〜佐原が廃止)。 ・2001(H13)年6月、茨城観光自動車の廃業に伴って、竜ケ崎〜美浦村の代替運行(  貸切免許による乗合輸送)を開始した(新規区間として山戸丁〜君島天神〜正直  〜竜ケ崎駅が開業。運行系統は竜ケ崎駅〜君島天神〜山戸丁〜美浦中学前〜谷津  入〜大谷〜馬見山〜大谷〜谷津入〜トレセン前〜布佐橋、木原・馬見山〜谷津入  〜トレセン前〜君島天神〜竜ケ崎駅)。 ・2002(H14)年11月限りで「麻生リレー号」が廃止された(阿波〜東町役場〜麻生  役場前廃止)。 ・2004(H16)年4月から竜ケ崎〜美浦村線を竜ケ崎高校まで延伸した(竜ケ崎駅〜  竜ケ崎高校が開業)。同年6月、本線の江戸崎〜浦向〜常陸幸田、十余島線の  江戸崎高校前〜信太古渡及び羽生入口〜阿波〜常陸幸田が廃止され、JRバス  は江戸崎までの運行となった。同年10月末限りで美浦トレセン前〜小角が廃止  された。 ・2007(H19)年3月に小角経由の江戸崎西高便が廃止となり、江戸崎西高前〜小角  〜吹上が廃止された。同年10月1日深夜(暦上は2日未明)から深夜バス「土浦  リレー号」(取手駅西口〜土浦駅東口(下り便)、土浦駅東口〜ひたち野うしく  駅(上り便))の運行を開始した。 ・2008(H20)年3月末限りで、本線の姥神〜信太古渡〜古渡(羽生入口)、浮島線  (古渡(羽生入口)〜浮島)、山ノ荘線(亀城公園前〜永井〜常陸寺前、笠師〜  今泉〜常陸寺前)が廃止された。同年7月、深夜バス「土浦リレー号」の牛久駅  乗入れを開始した。 ・2010(H22)年9月末限りで竜ケ崎〜美浦村線が廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、霞ヶ浦線は土浦〜阿見〜木原〜江戸崎、阿見〜君島〜江  戸崎高校前、池の台〜南平台東、谷津入〜トレセン前等がJRバス関東によって  運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、霞ヶ浦線には接続駅(土浦、  佐原及び下総神崎)の他に、江戸崎に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・霞ヶ浦本線の第2区間(土浦〜大岩田二区)の土浦は土浦駅東口の停留所であり、  その他の土浦は土浦駅西口の自動車駅である(両者は同一駅扱い)。 ・関東地自(1957)「沿革と経営の記録」によると、国鉄自動車による新聞輸送の一  環として、1951(S26)年9月30日から土浦駅中継で、土浦〜江戸崎〜鹿島〜鉾田  〜玉造〜小川町(137.3km)の通称「霞ヶ浦参宮線」の運行を開始した。中継駅積込  開始が23時35分で、車庫帰着が翌6時1分であった。
2015 年 10 月 20 日 00:18:27 (15029) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【417】多古線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇多古線   多古本線    1 八日市場−成田    2 飯笹−中五辻    3 千代田−寺台   豊栄線    1 八日市場−田久保−多古仲町   栗源線    1 高根−佐原    2 御所台−本五辻    3 下仲町−佐原(南回り)   神崎線    1 五辻−原宿 1.2 路線略図                    ・−−−−−・                   /       \                  / 成田 管理 貨物・京成      成田       寺台○  空港 ビル 地区|空港駅      山前 東町     / \  ○−−○−−○+−○      ○−−○−−−+−○ 法華○           \ 日航オペ  薬師 /|     / 松原 塚 |            ○セン入口  堂前○ |市役  /       |            |    | ○所前 /        |      公団工事局前○  成田◎−+−−・      大清水○           /     \|            |    ・−−○−−○整備地区      ○京成成田        | 千代田| 空港南口                三里塚○−−−−○                        |\                        V ・−>多古仲町                      上総二川   八日市場                      佐原 江戸崎             佐原女子高<   ◎   Λ                   \  +−+ |                    ・−+−+−++                   諏訪 |    |                   神社前○−−○−+−○下仲町           ○原宿           中宿   \           |                   \           ○一鍬田 御料地  下総         ○九美上      成田空港 |    入口   二本松        |      寺台   ○−−−−−○−−−−○         ・       Λ   |本五辻        \       /       | 中五○−−・         \   栗源○       | 辻 |  |          \   /  三里塚<−○−−−○−−○−・         \ /  成田   |千代 五辻 飯笹 \   多古    ○御所台       |田       染井○  新町    |       V           +−−○−・  |      上総二川          \   |  |高根                     ○−−○−−○                    /多古 多古  \ 下総             上総二川<−+ 仲町 本町   \吉田                   |          ○−−○匝瑳高校下                 多古○−−−−−−−○吉田   |                           |下    ○田町                           |     |                        田久保○   上 +−○東本町                            |   出羽○ |                         豊栄○−−○−−+−◎八日市場                             西八日                             市場 ※成田〜(松原〜寺台)〜貨物地区〜管理ビル〜成田空港は成田空港線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・栗源線1 佐原〜栗源仲町〜高根 ・多古本線1 高根〜多古仲町 ・多古本線3 千代田〜整備地区〜寺台 ・多古本線1 寺台〜東町〜成田 2.2 掲載 ・40日目 7/20(土) S61.5号 8.関東・信越編(下) 単行本 p190〜192 ・連載誌のみ 成田駅の写真 2.3 行程 ○佐原0720→0823多古仲町 栗源・多古本線 佐原発 多古行                            527-8001(日野RE101) ○多古仲町1206→1259成田 山武本・多古本線 八日市場発 成田行               (千代田・整備地区経由) 527-9002(日野RE141) 2.4 エピソード ・佐原発7時20分の多古仲町行きは総勢5人を乗せ緑濃い丘陵にカーブを描く道を  進み、工事中の東関東自動車道を渡る。次第に高校生が増え、里芋畑を抜けた栗  源で立ち客も出た。通学バスそのものでやがて幼稚園児も加わる。 ・多古仲町12時06分発の整備地区経由成田行きに乗り、運転士に頼み千代田で停ま  ってもらってスーツケースを積み込む。バスは成田空港の金網に沿って木の根地  区を通り、検問所を通過して京成空港駅に寄った。 ・厳重な鉄柵の検問ゲートを出て空港取付け道路を淡々と走ったバスは、成田市内  へ入って国道51号線へ降りた。成田山山門前から京成成田駅を経て国鉄成田駅に  着くと13時近い。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・多古線は、1944(S19)年1月から八日市場〜成田で貨物営業を開始し、同年4月  から旅客営業を含む一般運輸営業を開始したのがルーツである。この路線は、  戦時中、戦力増強のために成田鉄道を撤去したことに伴って、その撤去代行の  使命を有した他、沿線地方の産業・文化の発展助長の使命をも有していた。 ・1946(S21)年1月から染井〜千代田を千代田橋経由から廃線敷を利用した専用道  路(五辻経由)に変更した。 ・その後、1947(S22)年3月に栗源線佐原〜多古が開業し、1948(S23)年7月に多古  仲町〜多古が開業した。1952(S27)年12月に八日市場〜豊栄〜吉田下〜多古(後  の豊栄線)に開業した。 ・1948(S23)年12月に栗源線栗源〜山倉(後の山倉線の一部)が開業し、1952(S27)  年9月に山倉線山倉〜小見川が開業した(山倉線は1972(S47)年4月末限りで廃止  が公示された。また、1955(S30)年3月に飯倉線匝瑳高校下〜栗源が開業した(  1972(S47)年4月末限りで廃止公示)。 ・1955(S30)年3月に五辻〜本五辻(後の神崎線の一部)が開業し、1956(S31)年11  月に神崎線本五辻〜神崎渡船場が開業した(同線は1974(S49)年4月に原宿〜下総  神崎の廃止が公示された)。 ・1957(S32)年4月から三里塚〜久能〜日吉倉〜成田が開業した(後の久能線、同線  は1984(S59)年7月末限りで廃止が公示された)。 ・1965(S40)年6月に栗源線御所台〜下総二本松〜御料地入口〜本五辻が開業した。 ・同年9月に寺台〜成田(北回り)が開業し、同年10月の東成田停車場設置に伴って  東成田〜成田(東回り)に変更された(1984(S59)年7月末限りで寺台〜東成田〜  成田の廃止が公示されたが、本区間も含まれると解される)。 ・1973(S48)年4月に寺台〜東町〜成田が開業した。 ・成田空港が開港した1978(S53)年5月に千代田〜整備地区〜京成空港駅〜寺台が開  業した。 3.2 旅から30年 ・八日市場自営「国鉄バス時刻表」1986(S61)年3月3日改正によると、多古線には  次のような系統が設定されていた。  (多古本線)    八日市場〜多古仲町・新町〜三里塚〜成田 下り14本・上り11本(所要1時間     28〜30分)    八日市場〜多古仲町・新町〜空港駅〜成田 2往復(所要1時間26〜30分)    八日市場〜多古新町〜三里塚 上り1本(所要1時間01分)    八日市場〜多古・多古新町 下り1本・上り2本(所要35分)    多古仲町・新町〜三里塚〜成田 下り5本・上り7本(所要46〜51分)    多古仲町・新町〜空港駅〜成田 下り1本・上り2本(所要48〜51分)    三里塚〜成田 下り6本・上り8本(所要28分)  (豊栄線)    八日市場〜豊栄〜多古新町・仲町 2往復(休校日運休)(所要30分)  (栗源線)    多古・多古仲町〜栗源〜佐原 14往復(うち休校日運休2往復)(所要55分〜     1時間)    多古・多古新町・仲町〜栗源 2往復(所要25分)  (神崎線)    多古仲町〜一鍬田 6往復(うち休校日運休2往復、土曜休校日運休1往復)     (所要25分)   ・1986(S61)年10月末限りで豊栄線八日市場〜田久保〜多古の廃止が公示された(多  古〜多古仲町は山武本線に編入)。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、高根〜染井が認知された。  これは、多古町内の一方通行に伴う上り線の経路(多古新町経由)と解される。 ・国鉄最末期の1987(S62)年1月末限りで、多古本線飯笹〜中五辻、栗源線御所台〜  本五辻、神崎線一鍬田〜原宿の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、多古線はJRバス関東に継承された。 ・2000(H12)年7月から多古線に特急便が設定され、八日市場〜吉田〜多古〜染井が  開業した(特急便は2007(H19)年3月廃止)。 ・八日市場支店「JRバス時刻表」2000(H12)年7月20日改正によると、多古線には  次のような系統が設定されていた。  (多古本線)    八日市場〜多古仲町・新町〜三里塚〜成田    (平日、第1・3・5土曜日)      特急便 下り1本・上り2本(所要1時間)       ※特急便の停車駅は成田〜染井間各駅、多古、吉田      普通便 下り7本・上り8本(うち多古中央病院経由1往復)(所要1時          間20分)    (休日、第2・4土曜日)      普通便 下り5本・上り6本    (学校休校期間の平日)      特急便 上り1本      普通便 下り6本・上り7本(うち多古中央病院経由1往復)    八日市場〜多古仲町・新町〜空港    (平日、第1・3・5土曜日)      1往復(所要50分)    (休日、第2・4土曜日)      1往復    (学校休校期間の平日)      1往復    八日市場〜多古    (平日、第1・3・5土曜日)      2往復(所要30〜32分)    多古〜三里塚〜成田    (平日、第1・3・5土曜日)      下り3本・上り1本(所要50〜52分)    (休日、第2・4土曜日)      下り2本    (学校休校期間の平日)      下り3本・上り1本    三里塚〜成田    (平日、第1・3・5土曜日)      37往復(所要25分)    (休日、第2・4土曜日)      下り20本・上り21本    (学校休校期間の平日)      下り36本・上り37本  (栗源線)    多古〜栗源〜佐原 7往復(うち休日、第2・4土曜日及び学校休校期間運休     3往復、多古中央病院経由1往復)(所要50分)    多古〜本三倉 上り1本(休日、第2・4土曜日及び学校休校期間運休)(所     要25分)  (神崎線)休日、第2・4土曜日及び学校休校期間中は全面運休    八日市場〜多古新町〜一鍬田 上り1本(所要50分)    多古仲町〜一鍬田 下り3本(うち土曜運転、土曜運休各1本)・上り1本(     所要20分) ・2002(H14)年3月に成田山前停留所を移設の上、上り便(三里塚方面)の経路を、  下り便(成田行き)の経路(但し、京成成田は経由せず、市役所前は停車しない)  に変更した(成田山前〜薬師堂前〜成田が廃止となった)。 ・同年10月、芝山鉄道の開業に伴って芝山千代田駅への乗入れを開始するとともに、  成田空港南ゲートの開設に伴って千代田〜成田空港で経路変更が行われた(千代田  〜東成田駅〜管理ビル前〜成田空港を廃止し、千代田〜芝山千代田駅〜成田空港が  開業した)。 ・2003(H15)年3月、空港公団管理用道路(旧国道296号線)の切り替えに伴って、住  宅入口〜空港南口を日航グランド前経由から航空博物館北経由に変更した。 ・2007(H19)年9月末限りで神崎線五辻〜一鍬田が廃止された。 ・2009(H21)年9月から栗源線を県立佐原病院経由に変更した。 ・2015(H27)年3月に住宅入口〜航空博物館正門〜航空博物館前(同年6月廃止)、  遠山農協前〜さくらの山〜法華塚が開業した。同年6月に八日市場支店の多古町内  移転(東関東支店を新設)に伴って、多古仲町〜多古台バスターミナル〜染井が開  業した。 ・2015(H27)年6月現在、多古線(多古本線及び栗源線)はJRバス関東によって運行  が継続されている。 3.3 旅の考察 ・関東地自(1957)「沿革と経営の記録」には、多古線染井〜千代田の国鉄自動車専用  道の沿革について、次のように述べられている。  ◇S18年12月、成田鉄道は南方作戦遂行に呼応して、国鉄成田駅〜三里塚〜多古〜   総武本線八日市場駅の全線の軌条及び鋼橋を撤去した。一方、省営自動車は、   S19年4月1日、成田駅より旧成田鉄道にほぼ沿った県道を三里塚、千代田、加茂   を経て、旧成田鉄道を横断する染井より多古、借当、生尾等の部落を縫って八日   市場駅に至る多古線を旧成田鉄道の代行線として開業した。  ◇ところが、千代田〜染井間にある菱田、五辻、飯笹の各部落は旧成田鉄道の沿線   に点在し、省営自動車路線とは丘陵を隔てて遠く離れているため、しばしば軌道   撤去後の省営自動車専用道化の陳情切なるものがあった。  ◇そこで、審議の結果、人家の少ない勾配線の加茂回りを廃止し、千代田〜飯笹〜   染井間延長7.1kmの旧鉄道敷用地46.181坪を成田鉄道より借用し、省営自動車専用   道として運営することとなった。  ◇東京鉄道局施設部保線課において、S19年8月1日に工事に着手し、同年9月30日   の工事完成を待って10月1日開通となった。 ・2015(H27)年6月現在、多古線は染井貝塚〜千代田で廃線敷を転用した道路(県道)  を通っている。 ※補足 寺台〜成田の路線変遷について  ・1982(S57)年頃の関東地自「自動車線駅及び乗降場一覧」には、寺台〜成田には次  の3つの経路が載っている。  1)「八日市場・成田間」の一部(S19.4.1開業)    寺台0.2接骨院前0.6東成田0.5成田山前0.4薬師堂前0.6成田  2)「東成田・成田間(東回り)」(S40.9.1開業)    東成田0.5成田山前0.8市役所前0.1京成成田0.1成田  3)「成田・寺台間」(S48.4.5開業)    成田0.1京成成田0.1市役所前0.8成田山前0.4東町0.5松原0.9寺台   (※路線名称上寺台が起点のはずだが、上記資料にはこのように載っている。)  この資料では、成田山前〜市役所前〜京成成田〜成田は、2)と3)とが重複(二重  戸籍)している。なお、寺台〜成田の自動車線駅は寺台、東成田、成田及び東町  であり、これら以外は乗降場であった。 ・上記区間の路線略図は次の通りになると解される(二重線は成田空港線の区間)。             接骨     ・−>成田空港        東成田  院前    /         ○−−−−○−−−○寺台    成田  /        / \    山前 / 東町     /   \      ○−−○−・   ○     ・  薬師 /|     \ /松原    |  堂前○ |市役    +       V    | ○所前   //       三里塚   成田◎=+====・        八日市場     \|          ○京成成田 ・S40.9.1に寺台〜成田(北回り)が開業し、S40.10.5に東成田が停車場になったため、  国鉄自動車路線名称上、この区間は東成田〜成田(東回り)になったものと考えられ  る(上記資料で「東成田・成田間(東回り)」が「寺台・成田間(北回り)」の開業  日を引き継いでいることから、本稿では寺台〜成田(北回り)は市役所前〜京成成田  経由であったと解することとする)。 ・S59.8.1に寺台〜東成田〜成田の廃止が公示(第44号)されたが、この区間は寺台〜  接骨院前〜東成田〜成田山前〜市役所前〜京成成田〜成田であると解される。このう  ち、成田山前〜成田については重複していた一方の区間が廃止された(=重複が解消  された)ものである。 ・S59.8.1には同時に、国鉄自動車路線名称から「東成田・成田間(東回り)」のみなら  ず、「寺台−東町−成田間」も削除されたが(公示第45号)、これは、寺台〜松原〜  東町〜成田山前が第1区間の「八日市場・成田間」に編入されたものと解される。  なお、当時から成田山前〜成田については、下り便(成田行き)が市役所前〜京成成  田経由、上り便(三里塚・多古・八日市場方面行き)は薬師堂前経由であったが、この  上下線の経路違いは路線名称上各別の区間とは扱われなかった。 ・なお、2002(H14)年2月末までは、日祭日には成田山前〜薬師堂前〜成田が歩行者天国  となるため、当該日の日中の上下便は成田空港線と同じ経路で成田〜松原を直行して  いた(下り便は京成成田に停車)。
2015 年 10 月 17 日 12:36:45 (15028) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【606】八幡線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇八幡線    1 東陶前−近江八幡−小幡町−元八幡    2 近江下田−本下田−竜王ダイハツ前    3 近江八幡−出町南−元八幡    4 土田口−出町南 1.2 路線略図         元八幡    小幡町○−−○−−○上筋       |     |       |     |    土田口○−−−−−○出町南       |     |   教習所前○−−○−−+       | 八幡  |       | 病院前 |   近江八幡◎     |   近江八幡○     |   南口  ‖     |       ‖     |    六枚橋○−−−−−○金剛寺前       |   近江岩倉○       |     +=○駕与町口  竜王小○ |  学校 +=+     ‖ ○川守   田中○ |     ‖ ○名神竜王口     ‖ |  医科診‖ |  +=○長峰集  療所前○=+  ‖ ‖会所前       |  ‖ ‖    山之上○==○=+       |  宮川       |              水口   竜王ダイ○           綾野 新町   ハツ前 +      名坂 ○−−○−○−>田村神社前       |\     日電前|  |    亀山    中山口○ +       |  ○西水口       | ○本下田 伴谷口○  |    下田口○ +       |  ○近江柏木       |/団地      | /   近江下田○ 中央      |/       +−○−○−−○−−○東陶前        \ /にご 岩根 |         ○ り池 東口 ○国道三雲        若竹町      |\                 V ◎三雲               石部北口                ・草津 ※亀山〜田村神社前〜綾野〜名坂日電前〜東陶前〜国道三雲〜石部北口〜草津、  綾野〜西水口〜東陶前、国道三雲〜三雲は亀草線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・八幡線1 東陶前〜近江下田〜下田口〜竜王ダイハツ前〜近江八幡 2.2 掲載 ・28日目 7/8(月) S61.4号 7.中部編 単行本 p147〜147 2.3 行程 ○東陶前2028→2112近江八幡 八幡線 水口新町発 近江八幡行                          534-2472(三菱K-MP118K) 2.4 エピソード ・乗り継ぎ地点の東陶前は真っ暗で、大型車が行き交う三差路を用心しながら、  近江八幡行きの停留所に移動。「TOTO」のネオンだけが大きく輝く。 ・20時28分、近江八幡行き最終バスがやってきた。水口新町始発で三雲駅を経由  してきた運行系統もなじみになった地名ばかり。お客は数人だけで、ほどなく  筆者一人になった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・八幡線は、亀草線の支線として1937(S12)年に東陶前〜元八幡が開業したのが  ルーツで、1958(S33)年に近江八幡〜小幡町〜元八幡、1965(S40)年に保健所前  〜土田口が開業した。本路線は、1963(S38)年8月、亀草線から分離した。 ・この路線は、東海道本線近江八幡駅と草津線三雲駅を結ぶ短絡路線として、地  域開発の使命を有していた。 ・1965(S40)年4月から名神高速線名神竜王駅に乗入れを開始した(山之上〜名神  竜王〜近江岩井が開業)。(1977(S52)年10月に廃止公示) ・1985(S60)年当時、線内の元八幡に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として、水口自動車営業所(新水口)及び同元八幡派出所(元八幡)が置か  れていた。 ・水口自営「国鉄バス時刻表」1985(S60)年6月20日改正によると、八幡線には次  のような系統が設定されていた。    本水口・水口新町〜三雲〜近江下田〜近江八幡〜元八幡 下り6本・上り     5本    本水口・水口新町〜三雲〜本下田〜近江八幡〜元八幡 下り5本・上り6     本(うち1本は元八幡〜三雲日祝運休)    水口新町〜東陶前〜近江下田〜近江八幡〜元八幡 下り1本    水口新町〜東陶前〜本下田〜近江八幡〜元八幡 上り3本    三雲〜本下田〜近江八幡〜元八幡 下り3本    三雲〜近江下田〜近江八幡〜元八幡 上り2本(うち日祝運休1本)    水口新町〜三雲〜近江下田〜山之上 上り2本    三雲〜近江下田〜山之上 下り1本(日祝運休)    本水口〜三雲〜本下田 下り3本(うち1本は三雲〜本下田日祝運休)・     上り3本(うち日祝運行1本)    草津〜東陶前〜本下田 下り1本(日祝運休)    大河原〜本水口〜三雲〜本下田 上り1本(本下田〜三雲日祝運休)    田村神社前〜東陶前〜近江下田 下り1本(日祝運休)・上り1本    水口新町〜三雲〜近江下田 下り1本    水口新町〜東陶前〜近江下田 下り1本(日祝運休)    三雲〜本下田 下り2本・上り3本(うち日祝運休2本)    三雲〜近江下田 下り2本(うち土曜運行1本)・上り2本    三雲〜近江下田〜下田口 上り1本    近江下田〜近江八幡〜元八幡 2往復    近江八幡〜元八幡 下り30本(うち日祝運休4本、土曜運転2本、土日祝     運休2本、土日祝運転1本、日祝運転1本)・上り33本(うち日祝運休     10本、土曜繰上日運転2本、日祝運転1本) 3.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1987(S62)年1月末限りで、近江八幡〜小幡町〜元八幡、近江八幡  〜出町南〜元八幡、土田口〜出町南の廃止が公示された。また、同年2月に六  枚橋〜近江八幡南口が開業した。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、八幡線は西日本JRバスに継承された。 ・民営化以後に山之上〜長峰北口〜山之上、川守〜綾戸〜駕与町口(1998(H10)年  10月廃止)が開業した(1992(H4)年8月から竜王町内一部迂回運行開始とする  資料があるのでこのいずれか又は両方かも知れない)。 ・2002(H14)年9月当時の水口営業所「西日本JRバス八幡線時刻表」によると、  八幡線には次のような系統が設定されていた。    三雲〜近江八幡 12往復(うち休日運休下り1本、旧道経由下り5本・上り     3本、若竹町旧道経由下り2本・上り3本)    新道下田〜近江八幡 1往復(うち休日運休上り1本)    三雲〜八幡南口 下り6本(うち長峰経由1本、若竹町旧道経由1本)・     上り8本(うち休日運休1本、旧道若竹町経由3本、長峰旧道経由2本)    三雲〜山之上 1往復(うち上りは休日運休・旧道若竹町経由)    三雲〜下田口 上り1本(休日運休)    三雲〜本下田 下り12本(うち旧道経由8本、旧道若竹町経由4本)・上り     11本(うち学休を除く平日運転1本、旧道経由11本) ・2005(H17)年3月末限りで八幡線は全廃され(最後まで残った区間は、三雲〜近  江八幡、近江下田〜本下田〜竜王ダイハツ前、にごり池〜若竹町〜近江下田、  山之上〜長峰北口〜山之上、六枚橋〜近江八幡南口)、併せて、水口営業所も  廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、八幡線には接続駅(近江八幡)  の他に、元八幡に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・民営化時(1987(S62)年4月1日)の「自動車線普通旅客運賃表」の八幡線の項  では、近江八幡は接続駅であるが、近江八幡南口は接続駅にはなっていなかった。
2015 年 10 月 14 日 21:38:54 (15027) 政宗3号さんの書き込み 館長さん お世話になっております。松山高知急行線の路線図を修正して頂き 有難うございます。過去路線の充実ぶりが分かりますね。 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【612】園篠線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇園篠線   園篠本線    1 園部河原町−篠山口    2 原山口−奥原山    3 東本荘−奥県守    4 本篠山−小枕口    5 本篠山−風深−宇土観音    6 城北口−瀬利    7 篠山本町−産業高校前    8 杉−小枕奥    9 篠山口−味間奥   園篠南線    1 福住清水−本篠山    2 福住−西能勢    3 城東日置−後川下    4 厄神前−曽地奥   大芋線    1 細工所−藤坂奥    2 多紀福井−市野々    3 岩屋−奥山   畑線    1 和田−火打岩 1.2 路線略図                            藤坂奥       ○奥山                   火打岩       ○       /                    ○         \   ・−○岩屋                    |          \ /  |               鳳鳴   |     奥県守   ○多紀 ○市野々    福知山               高校前  |      ○   / 福井         ・檜山      産業高校前○ 篠山 ○−−−○瀬利    |  ・              Λ            \本町 |   |      |  |              |          ・−−○−−○城北口|   東本荘○−−○細工所  奥原山○   ・−○−>園部          |     |   |     /   |       /   / 園部          |     |京口橋|般若寺 /    | 福住   /   /  河原町          +−○−+−○−○−○−○−・     ○−−○−−○−−−○          | 風深|本篠山 \和田  城東   /福住  \原山口  瑠璃          |   |     \   日置  / 清水   \    渓口      宇土観音○   |      ○−−−○−・      摂津○         /    |     八上   |        天王|       杉○−−−−−○小枕口  本町   |          |    ○−−−+     |          ○厄神前       ・   味間奥  |     |         / \          \        ◎     ○小枕奥     ○   \          \       篠山口            曽地奥   ○後川下    西能勢○ 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・園篠本線1 篠山口〜宇土観音〜篠山本町〜城北口〜本篠山〜和田〜細工所〜福住       〜園部河原町 2.2 掲載 ・24日目 7/4(木) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p122〜123 2.3 行程 ○篠山口1028→1043本篠山 園篠本線 篠山口発 本篠山行(篠山本町経由)                          334-0003(三菱K-MK116H改) ×本篠山1050→1200園部 園篠本線 本篠山発 園部行(城東日置経由)                          331-6011(いすゞBA05N) 2.4 エピソード ・篠山口に降りると、篠山本町経由本篠山行きが待っていた。細かい雨が降り出  す中を、両側にめちゃくちゃ停車の車をよけながら、バスは篠山の市街地を抜  けて行く。 ・本篠山口駅で1年余り前の「園篠線開業50周年記念乗車券」等を求めると、窓  口にすわっていた愛想の良いおばさんが車内用路線図をプレゼントしてくれた。 ・動き出した両側1人がけの小型バスの中でテープ案内を聞いていると、「南ま  わり城東日置経由福住から園部行き」という。きっぷの経由欄を眺めると「本  篠山、細工所、福住、園部」とある。「北まわり」の本数はごく少なく、雨足  は強まっており、途中で降りるのは気が進まない。 ・「北まわり」は4年前(1981年6月の篠山線跡のルポ)の印象が鮮やかなので  経由違いに目をつむりこのまま進む。 ・旧福住駅はバスの回転場になっており、墓標をかたどった駅跡の碑が見えた。  乗り降りのほとんどないまま、山陰本線の園部駅前に着いた。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・園篠線は、1934(S9)年3月に原山口〜福住〜日置辻〜本篠山〜篠山(→篠山口)、  同年7月に園篠本線園部〜原山口及び城北線福住清水〜村雲〜東本荘〜本篠山  が開業したのがルーツで、戦時中の1944(S19)年3月に、園篠本線の福住清水〜  日置辻〜本篠山が廃止され、城北線福住清水〜村雲〜東本荘〜本篠山が園篠本線  に編入された。同時に貨物専用路線として、般若寺〜火打岩〜畑山、火打岩〜鰐  市谷、本篠山〜篠山が開業した。 ・戦後、1948(S23)年3月に本篠山〜篠山が廃止された一方、1950(S25)年7月に  福住〜日置辻〜本篠山が開業(復活)した。 ・園篠線は、 鉄道の先行及び輸送力補強を使命とした他、沿線地方の産業文化  の発展助長をも使命としていた。 ・「鉄道辞典・上」(1958(S33)年)には、この路線は山陰本線園部と福知山線篠山  口・谷川を結ぶ本線とその支線からなり、園福線とともに丹波高原を横断し、  従来交通機関に恵まれなかった丹波奥地と、京都・大阪方面との交通は著しく  便利になったと述べられていた。 ・1968(S43)年9月の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル線撤去に伴い、鉄道  路盤と並行する一般道路を運行し、運賃は一般のバス賃率を適用している路線の  輸送を「代替輸送」といい、園篠線もその1つであった。 ・国鉄篠山線(篠山口〜福住)は、1970(S45)年度の収支係数が1,090を示し、国  鉄諮問委員会が廃止を勧告した83線区の中でも11番目に悪い線区であった。福  知山鉄道管理局は、大衆説得方式という住民1人1人と膝を交えて話をする方  法で協力をとりつけ、1972(S47)年3月1日の同線廃止と同時に国鉄自動車によ  る代替輸送が開始された。移行時点における国鉄バスの運行回数は、次の通り  であった。                           (単位:往復)           本線    南線関係      北線関係          篠山口  本篠山〜 城東日置 本篠山  細工所          〜本篠山 城東日置  〜福住 〜細工所  〜福住  代替輸送開始前  41.0   17.5   13.5   17.5   7.5  代替輸送開始後     3/1改正   52.0   24.0   19.0   20.0   8.0     3/15改正  55.0   24.5   20.5   21.5   8.0 ・1980(S55)年現在の運行系統別運行回数は次の通りである(総運行回数 114.5往  復)。    篠山口〜本篠山  45.0往復    篠山口〜城東日置 23.0往復    城東日置〜福住  19.5往復    本篠山〜細工所  17.0往復    細工所〜福住   10.0往復 ・1985(S60)年当時、線内の本篠山及び篠山本町に自動車駅が存在した。また、  国鉄バス運行の拠点として、福知山自動車営業所篠山支所(本篠山)が置かれ  ていた。 3.2 旅から30年 ・篠山口駅監修「列車バス時刻表」1986(S61)年11月1日改正によると、園篠線  には次のような系統が設定されていた。(※福住〜西能勢の便は掲載されて  いなかった。)    篠山口〜本篠山(篠山本町経由)下り18本・上り20本(うち休日運休1往復)    篠山口〜本篠山(南バイパス(風深)経由)3往復     ※篠山口〜本篠山は神姫バスと国鉄バスの両者が発売する普通乗車券、      回数乗車券及び定期乗車券はいずれのバスにも乗車することができま      すとの注記あり(共通乗車の取扱)    本篠山〜細工所〜福住〜園部 5往復(所要1時間2分)    本篠山〜細工所〜福住 下り2本・上り3本(うち奥県守経由1往復)(     所要24分、奥県守経由35分)    本篠山〜城東日置〜福住〜園部 1往復(所要1時間4分)    本篠山〜城東日置〜福住 下り11本・上り10本(所要24分)    福住〜園部 1往復(所要37分)    本篠山〜細工所〜大芋〜市野々 下り8本(うち休日運休1本、藤坂奥・     奥山経由1本)・上り10本(うち休日運休1本、藤坂奥・奥山経由土曜     運行1本、藤坂奥・奥山経由土曜運休1本、土曜運休1本、土曜運行1     本)(所要30分、藤坂奥・奥山経由1時間10分)    本篠山〜細工所〜大芋 2往復(所要25分)    本篠山〜城東日置〜後川下 4往復(所要30分)    城東日置〜後川下 1往復(所要21分)    本篠山〜城東日置〜曽地奥 1往復(所要22分)    本篠山〜城北口〜火打岩 下り3本・上り4本(所要17分)    本篠山〜和田〜火打岩 下り1本(所要18分)    篠山口〜味間奥 2往復(所要11分)    篠山口〜小枕奥 3往復(所要13分)    福住〜奥原山 下り2本・上り1本(所要17分) ・国鉄最末期の1987(S62)年1月に本線の原山口〜奥原山、大芋線の多紀福井〜  藤坂奥及び岩屋〜奥山の廃止が公示され、同年2月に園篠南線の福住〜西能勢  の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、園篠線は西日本JRバスに継承された。 ・1989(H1)年3月に本線の東本荘〜奥県守が廃止された。同年11月に本線の杉〜  小枕奥、篠山口〜味間奥が廃止された。 ・1997(H9)年5月に、篠山口駅橋上化に伴ってバスターミナルが西口へ移設され  た(新設区間として宇土観音〜大沢〜篠山口が開業)。1998(H10)年4月、畑  線の和田〜瀬利が廃止された。 ・篠山口駅監修「列車バス時刻表」2001(H13)年3月3日改正によると、園篠線  には次のような系統が設定されていた。    篠山口〜本篠山(篠山本町経由)下り18本(うち日祝運休2本)・上り19     本(うち日祝運休2本、日祝運行1本)(所要20分)    篠山口〜本篠山(南バイパス(風深)経由)下り4本・上り2本(うち日     祝運休1本)(所要16分)    篠山口〜鳳鳴高校 下り2本(風深経由・直行各1本、日祝運休)・上り     3本(土曜運行、日祝運休、土日祝運休各1本)    本篠山〜鳳鳴高校 下り1本(日祝運休)・上り2本(土曜運行、土日祝     運休各1本)    篠山口〜産業高校 下り1本(日祝運休)・上り3本(土曜運行、日祝運     休、土日祝運休各1本)    本篠山〜細工所〜福住〜園部 下り2本(所要1時間2分)    本篠山〜細工所〜福住 下り1本(土曜運休)・上り1本(所要23分)    本篠山〜城東日置〜福住〜園部 下り3本・上り5本(うち土曜運休、土     曜運行各1本)(所要1時間)    本篠山〜城東日置〜福住 下り6本・上り8本(うち日祝運休1本)(所     要23分)    福住〜園部 下り1本・上り2本(うち日祝運休1往復)(所要37分)    本篠山〜城東日置〜福住〜原山口 下り1本(日祝運休)・上り1本(原     山口〜福住は土曜のみ運行)(所要31分)    福住〜原山口 下り1本(土曜運行)・上り1本(日祝運休)(所要7分)    本篠山〜細工所〜大芋〜市野々 下り7本(うち日祝運休2本、土曜運行     1本、日祝運行1本)・上り8本(うち日祝運休3本、土曜運行1本)     (所要32分)    本篠山〜細工所〜大芋 下り3本(うち日祝運休1本)・上り2本(うち     日祝運休1本)(所要23分)    本篠山〜城東日置〜後川下 下り5本(うち日祝運休、土日祝運休、土曜     運行、日祝運行各1本)・上り3本(うち日置〜本篠山日祝運行、日祝     運休各1本)(所要30分)    城東日置〜後川下 下り3本(うち土曜運行、土日祝運休各1本)・上り     2本(うち日祝運休、日祝運行各1本)(所要19分)    本篠山〜城東日置〜曽地奥 下り2本(うち土曜運行、土日祝運休各1本)     ・上り1本(日祝運休)(所要22分)    本篠山〜城北口〜火打岩 5往復(うち日祝運休3往復、日祝運行2往復)     (所要17分) ・2002(H14)年3月末限りで、本線の福住〜細工所〜本篠山、城北口〜篠山本町  〜宇土観音〜篠山口、宇土観音〜篠山口(西口)、宇土観音〜風深〜本篠山、  篠山本町〜産業高校前、園篠南線福住清水〜城東日置〜本篠山、城東日置〜  厄神前〜後川下、大芋線細工所〜市野々が廃止された。 ・本線・畑線の本篠山〜城北口〜瀬利〜畑、園篠南線の厄神前〜曽地奥は、代替  運行の調整を終えた、同年8月末限りで廃止された。残された本線の園部河原  町〜福住も同年9月末で廃止され、園篠線は全廃となった。併せて、篠山営業  所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・篠山口〜和田のきっぷの経路は、篠山口〜宇土観音〜篠山本町〜城北口〜本篠  山〜和田(9.1km)であるが、篠山口0.7杉3.6小枕口1.5本篠山3.6宇土観音3.5城  北口4.0瀬利1.9和田であれば18.8kmとなり、きっぷの経路の2倍以上の距離と  なる。篠山口駅監修「列車バス時刻表」1986(S61)年11月1日改正によると、  杉〜小枕口、城北口〜瀬利及び瀬利〜和田にはバスの運行を確認できるが、小  枕口〜本篠山はバス運行がなく(休止中)、後者の経路は採れなかった模様で  ある。 ・それでも城北口〜和田を後者の経路にすると4.9kmとなり、きっぷの経路(3.8km)  よりも1.1km長くなった。但し、前掲時刻表によると、和田〜瀬利を通る便は1日  片道1本でしかも和田→瀬利という方向のみであった。 ・また、城北口〜福住清水を城北口4.0瀬利1.9和田3.1本篠山5.5城東日置5.1福住  清水という経路を採れば19.6kmとなり、きっぷの経路(8.9km)よりも10.7km長く  なった。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、園篠線には接続駅(篠山口)  の他、本篠山及び篠山本町に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2015 年 10 月 13 日 07:11:48 (15026) ふもふも館長さんの書き込み 政宗3号さん ヤングメイト号と美川スキー場について、情報ありがとうございました。 松山高知急行線の路線図について、過去路線を含める形に、作り直してみました。 ついでに、ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第17弾(山口駅→室戸岬)で、 話題になった「狩山口」と、つい最近まで抜けられた「織合橋」について も記載しました。現在、佐川〜伊野は、バスが無いようです。          道後温泉○              |            ・−・        大街道 |   松山◎−−−○+−+       一番町○ ‖       二丁目| ‖ 当時の     河原町○−・ ‖←なんごく号の        |   ‖ ルート?     天山橋○===・        |      ・=○南井門      ‖ |      ・=○供養堂        |      砥部○        |        |     三坂峠○        |        |      久万○…○曙町        | :        | :      瓜生野○  ○樫山     二瀬橋○…○野尻本町     ・  ・        |     石鎚  檜谷○  ○若山橋    大川嶺 |御三戸  土小屋   ・  ・     ○・・○・・・○・・○    ・  ○安居   (美川   |   面河    池川○  ・    スキー場)|           |  ・      古床○・・・○二箆   三叉○・・○ →伊野へ        |           | 狩山口   古味 合角| 岩川 上仁淀    |    ○−○−○−−○−−○−−○−−○土佐大崎    ・  落出     | 引地橋 |    ・      別府森○     |    ○         | 桐見川 |  四国カルスト    長者○ ○・・・○越知              ・     |           織合橋○     |                古畑  |              ↓ ○・・・○富士見町            津野町へ    |            路線廃止    ○川内ヶ谷                    |                  柳瀬○         高知                    |\  日下 伊野  ◎ 土佐                    | \ 駅前 駅前  | 山田                  佐川◎……+−●−−○−−○−−>                              播磨屋橋
2015 年 10 月 12 日 17:19:15 (15025) 政宗3号さんの書き込み お世話になっております。 四国の「ヤングメイト号」と美川スキー場について、「国鉄線」1977年 8月号所収の「われら第一線 松山自動車営業所」に次のように記述が ありましたので、補足させて頂きます。 ◇松山と高知のほぼ中間地点に標高1,450mの四国カルストがあって、夏・秋に  は雄大な展望が楽しめる。国鉄バスも松山から四国カルストまで所要時間4  時間の「ヤングメイト号」をシーズン中に運転している。今年は7月24日か  ら8月28日までの毎日と9月4日から11月3日までの休日に運転する。 ◇松山から2時間半ほど行った美川スキー場へは、12月27日から3月28日まで  の日曜・祝日に1日1往復スキーバスを運転する。 よろしくお願いします。
2015 年 10 月 12 日 16:49:23 (15024) ふもふも館長さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 九州地自について、乗車されたバス情報と、2015(H27)年時点の運行状況を 記載しました。補足があれば、コメントお願いします。 http:‖www.magame.jp/fumo/jnrbus.html --- ・1963(S38)年「国鉄四国 ポケット時刻表」によると、松山〜御三戸〜大川嶺へ  キャンプ・スキーの季節便があったようです。美川スキー場は、1960(S35)年に、  愛媛県スキー連盟、愛媛山岳会、国鉄バスにより開設されたようです。 ・『柳谷村誌』によると、落出〜古味の先、地芳峠?五段城?姫鶴平?まで、  国鉄の臨時バス「ヤングメイト号」が運行していた事もあったようです。  http:‖ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp  http:‖ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp
2015 年 10 月 12 日 13:00:53 (15023) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【703】松山高知急行線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇松山高知急行線   松山高知急行本線    1 松山−高知    2 河原町−道後温泉    3 久万−二瀬橋   八釜線    1 落出−古味   長者線    1 上仁淀−長者   池川線    1 土佐大崎−池川 1.2 路線略図   道後温泉○−・         |      大街道|  松山◎−−○ |        \|    河原町○−+       |       |       | 三坂峠 久万  二瀬橋     砥部○−−○−−○+−−+○−−○御三戸       池川              |  |   |         ・−○              ・−−・   |         |                     |  上仁淀    |               古味○−−−○−−−○−−○−−○−−・                     落出 /  引地橋 土佐 |                       ○別府森    大崎 |                       |          ○越智                       ○長者        |                                  ○川内ヶ谷                                  |                                  +                                  |\  伊野  ◎高知                                  | \ 駅前  |                                佐川◎−−+−○−−○−>土佐山田                                         播磨                                         屋橋 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・松山高知急行本線2 道後温泉〜河原町 ・松山高知急行本線1 河原町〜久万〜二瀬橋〜御三戸〜古床〜落出〜上仁淀〜引地橋           〜土佐大崎〜越知〜佐川〜播磨屋橋 2.2 掲載 ・+1日目 9/16(月) S61.1号 4.四国編 単行本 p325〜329 ・連載誌のみ 大街道を走る国鉄バスの写真、高知駅前に停まる「なんごく号」   の写真 2.3 行程 ○道後温泉1535→1540大街道 松山高知急行線 高知発 松山行 急行なんごく12号                         641-3977(いすゞK-CQA550) ×大街道1550→1550河原町 徒歩 △河原町1612→1617大街道 松山高知急行線 久万発 松山行 ○大街道1637→1829落出 松山高知急行線 松山発 落出行 531-9410(いすゞBU10) ○落出1839→2035高知 松山高知急行線 松山発 高知行 急行なんごく23号                          641-6905(いすゞBU20KP) 2.4 エピソード ・伊予鉄道後温泉駅前の広場には国鉄バス停のポールがない。伊予鉄バスの運転  士に尋ねると、「国鉄バスは時間になるとここへ入ってきて回りよるよ。停留  所はないようだが、ここから乗る人はないから、いらんのじゃろう。降りる人  がないと向こうをまっすぐ松山駅の方へ行って寄らんこともある」と何とも心  もとないことになった。 ・15時35分頃見慣れた国鉄バスが近づいてきて、伊予鉄バス降り場近くに停まり、  4人ほど降りる様子。出入り口に駆け寄ると「乗るんですか?周遊券ですね。  乗ってもいいけど、その代わり」「分かってます。指定料金400円払います」。 ・「河原町は行きませんね。あそこは普通便の停留所だし方向も逆です。次に大  街道へ寄ったら、松山駅まで停まりません。」「自動車線普通旅客運賃表」に  は名無し支線の形で「河原町〜道後温泉3.0km」と記してあるが、これは運賃  設定上の措置で、運行系統は別なのだった。 ・大街道で下車し裏通りを10分ほど歩くと河原町。松山行きで大街道に戻った。  「なんごく」の大街道停車は上りだけで、高知行きの停留所には「高知行急行  便は当駅に停車しませんので松山駅前からご乗車下さい」の注意書き。 ・落出行き普通便は、ちょうど座席が埋まる乗り具合。河原町を左折して狭い商  店街を走る。用務客ばかりで観光色は全くない。5分停車の久万で高校生が大  勢乗り、立ち客でいっぱいになった。停留所ごとに高校生が下車し、美川村の  中心でお客は数人に減った。大街道から約2時間の寂しい集落、落出で乗り換え。 ・道端に出ていないと通過してしまうよとの運転士の注意に従って待つこと10分、  高知行き急行「なんごく23号」が4分遅れで到着。20人ほどの乗り。家族連れ、  大きな荷物の人もいて、普通便とは客層が違い、ほとんどが居眠りしている。 ・高知県境を越したとのテープ案内があり、19時10分頃、引地橋で8分停車。ド  ライブインが店を開けており、山菜うどんとおでんが気持ちよく売れる。 ・土讃本線連絡の佐川でようやく1人下車。高知市内へ入ると下車が増え、ネオ  ン街を左折して川の消えたはりまや橋に停車。終着高知駅前は人通りが少なく  ひっそりとしていた。 2.5 旅の考察 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の松山高知急行線の項には、「な  んごく号」に乗車となる場合は、バス指定料金(400円)を別途収受する、との  注記がなされている。ちなみに、同じ運賃表の十和田北線の項には、「みずう  み号」、「あさむし号」に青森、浅虫、子ノ口及び十和田湖の各駅から乗車とな  る場合は、バス指定料金(200円)を別途収受する、と注記されている。なお、  同じ運賃表の平庭高原線の項には、急行便「白樺号」(盛岡・久慈間)に乗車の  場合は、自動車急行料金(大人100円、小児50円)を別途収受すると注記されて  いる。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・松山高知急行線は、1934(S9)年に予土北線の松山〜久万が開業し、1935(S10)年  に予土北線の久万〜落出、予土南線の落出〜佐川が開業したのがルーツである。  その後、1951(S26)年に予土南線の佐川〜高知が開業した他、支線も1950(S25)年  に土佐大崎〜池川、1951(S26)年に落出〜古味、1952(S27)年に上仁淀〜長者が  開業した。 ・この路線は、高知、佐川と松山を結ぶ鉄道先行・代行路線としての使命を有して  いた他、沿線地方の産業文化の発展助長の使命を有していた。 ・1951(S26)年4月に高知乗入れが実現し、松山〜高知間の急行便の運行を開始し  た。1956(S31)年7月から松山〜高知間に夜間急行便1往復の運行を開始した。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1952(S27)年5月号(S26.11.1訂補)によると、予土  南北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる(「本表の他区間  運転あり」との注記あり)。    松山〜高知 急行便 次の2往復    (下り)      松山0830→1430高知      松山1200→1800高知    (上り)      高知0800→1400松山      高知1200→1800松山    松山〜佐川 下り3本・上り4本(所要5時間35分〜6時間25分)    松山〜落出 2往復(所要3時間5分)    松山〜西之谷 上り1本(所要3時間26分)    松山〜面河 1往復(所要3時間45〜55分)    松山〜久万 下り3本・上り1本(所要1時間50分)    池川〜佐川 下り1本(所要1時間38分)    長者〜佐川 下り2本・上り1本(所要2時間5〜8分)    落出〜佐川 下り1本・上り2本(所要2時間35〜45分)    落出〜古味 2往復(所要1時間)    土佐大崎〜池川 5往復(所要25分)    佐川〜古畑 5往復(所要37分) ・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年12月号(7/27改正)によると、予土南北  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    松山〜高知 急行便 次の2往復    (下り)      松山0830→1502高知      松山2330→0625高知    (上り)      高知0800→1432松山      高知2300→0539松山    松山〜佐川 4往復(所要5時間27分〜7時間33分)    松山〜落出 下り3本・上り4本(うち1本休日運休)(所要3時間)    松山〜西之谷 1往復(所要3時間26分)    松山〜面河 1往復(所要3時間50分)    松山〜久万 下り3本・上り1本(所要1時間45分)    久万〜東明神 3往復(所要15分)    池川〜佐川 下り4本・上り3本(所要1時間38分)    用居〜佐川 1往復(所要2時間8分)    越知〜佐川 9往復(所要24分)    佐川〜桐見川 3往復(所要1時間10分)    落出〜古味 3往復(所要1時間)    佐川〜安居 上り2本(所要2時間)    土佐大崎〜安居 下り2本(所要50分)    土佐大崎〜池川 1往復(所要25分)    土佐大崎〜長者 3往復(所要1時間)    佐川〜古畑 3往復(所要37分)    佐川〜松の木 2往復(所要29分) ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年9月号(4/25改正)によると、予土南北  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    松山〜高知 急行便 次の7往復    (下り)      松山0730→1318高知      松山0830→1423高知      松山1000→1553高知      松山1200→1746高知      松山1330→1921高知      松山1500→2051高知      松山2343→0537高知    (上り)      高知0700→1258松山      高知0830→1433松山      高知1000→1603松山      高知1200→1803松山      高知1400→2003松山      高知1500→2108松山      高知2300→0539松山    松山〜落出 下り7本・上り8本(所要2時間52分)    松山〜面河 1往復(所要3時間45分)    松山〜久万 下り3本・上り2本    越知〜佐川 約30〜60分     越知発0654〜2151・佐川発0635〜2131    佐川〜桐見川 3往復(所要1時間)    佐川〜織合橋 下り2本(所要1時間53分)    土佐大崎〜織合橋 下り1本・上り3本(所要1時間11分)    落出〜古味 3往復(所要1時間)    土佐大崎〜安居 3往復(所要50分)    土佐大崎〜檜谷 2往復(所要1時間20分)    土佐大崎〜池川 4往復(所要25分)    佐川〜古畑 4往復(所要30分) ・1961(S36)年8月、松山〜高知間に全国初のマイクロバス(ワンマンカー)によ  る特急便2往復を新設した。松山と高知を8時と14時30分の同時刻に発車し、  所要時間は4時間30分で、中間地点の落出で10分の休憩時間があった。停車駅  は、下りが乗車駅を松山、道後温泉とし下車駅を五丁目、播磨屋橋、高知とした。  上りは乗車駅が高知、下車駅は立花町、大街道、道後温泉、松山であった。 ・JR四国(1989)「四鉄史」によると、開業後1年間では、利用客のうち30%が  地元民、県外から40%、四国島外から30%で、島外からの旅客は東京・大阪方面  からの周遊券利用が大半を占めた。旅行目的は、公商用旅客が70%、観光旅客は  10%程度。特に日帰り旅行に利用している人が半数近くいることが注目されると  述べられている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、予土南  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    松山〜高知 特急便 次の5往復 ※座席指定制、定員14名    (下り)      松山0800→1235高知 くろしお1      松山0900→1335高知 くろしお2      松山0930→1405高知 くろしお3      松山1400→1835高知 くろしお4      松山1530→2005高知 くろしお5    (上り)      高知0800→1245松山 いでゆ1      高知0900→1345松山 いでゆ2      高知1330→1815松山 いでゆ3      高知1430→1915松山 いでゆ4      高知1530→2015松山 いでゆ5    松山〜高知 直通便 次の7往復 ※乗車前日から乗車順位券配布(無料)    (下り)      松山0700→1239高知      松山0830→1414高知      松山1000→1544高知      松山1200→1737高知      松山1340→1920高知      松山1500→2042高知      松山2330→0515高知    (上り)      高知0700→1254松山      高知0830→1424松山      高知1000→1554松山      高知1200→1754松山      高知1340→1934松山      高知1500→2059松山      高知2300→0457松山    松山〜落出 7往復(所要2時間52分)    松山〜面河 2往復(うち1往復は11/26〜3/19及び6・9月運休)(所要     3時間6分)    松山〜御三戸 下り1本・上り2本(所要1時間56分)    松山〜久万 下り2本・上り1本(所要1時間17分)    越知〜佐川 約30〜60分     越知発0654〜2151・佐川発0635〜2131    佐川〜桐見川 3往復(所要1時間)    佐川〜織合橋 1往復(所要2時間11分)    土佐大崎〜織合橋 1往復(所要1時間16分)    落出〜古味 4往復(所要55分)    土佐大崎・池川〜安居 3往復(所要50分)    土佐大崎〜檜谷 1往復(所要1時間10分)    土佐大崎〜池川 下り3本・上り4本(所要23分)    佐川〜古畑 3往復(所要33分) ・交通協力会「交通年鑑」1966(S41)年版には、予土南北線は当初小型バスで運行  していたが、1955(S30)年に大型バスを投入し6時間半程度で結んだが1963(S38)  年には増回した、またマイクロバスによる特急便を設定し4時間半程度で走るよ  うになった、1965(S40)年7月に道路の拡張もありマイクロバス(定員14人)を  大型冷暖房車(定員40人)に置き換える等によって特急便の輸送量は飛躍的に増  大しているとある。  (特急便の運輸成績)            走行キロ 輸送人員 輸送人キロ  収入   1964(S39)年度   460千km  41千人 5,366千人km 27,659千円   1965(S40)年上半期 221千km  32千人 3,959千人km 29,851千円 ・国鉄四国支社監修「時刻表」1965(S40)年11月1日現在によると、予土南北線には  次のような系統が設定されていた。    松山〜高知 特急便 次の5往復 ※座席指定制、定員40名    (下り)      松山0800→1255高知 1便      松山0900→1355高知 3便      松山1200→1655高知 5便      松山1300→1755高知 7便      松山1430→1925高知 9便    (上り)      高知0800→1307松山 2便      高知0900→1407松山 4便      高知1100→1607松山 6便      高知1300→1807松山 8便      高知1430→1937松山 10便    松山〜高知 急行便 次の7往復    (下り)      松山0700→1220高知 11便      松山0830→1350高知 13便      松山1000→1515高知 15便      松山1100→1615高知 17便      松山1330→1845高知 19便      松山1500→2015高知 21便      松山2330→0458高知 23便    (上り)      高知0700→1233松山 12便      高知0830→1403松山 14便      高知1000→1533松山 16便      高知1200→1733松山 18便      高知1330→1903松山 20便      高知1500→2038松山 22便      高知2310→0456松山 24便    松山〜佐川 1往復(所要4時間47分)    松山〜伊予旭 1往復(所要3時間2分)    久万〜伊予旭 下り1本(所要1時間12分)    松山〜落出 下り6本・上り7本(所要2時間37分)    松山〜面河 2往復(うち1往復は3/20〜5/31,7/1〜8/31及び10/1〜11/25の間     運転)(所要3時間6分)    松山〜御三戸 上り1本(所要2時間11分)    松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間35分)    松山〜大平 1往復(所要48分)    松山〜供養堂 1往復(学休日運休)(所要32分)    落出〜佐川 1往復(所要2時間17分)    土佐大崎〜佐川 下り4本・上り3本(所要51分)    越知〜佐川 14往復(うち学休日運休3往復)(所要16分)    久万〜東明神 2往復(所要15分)    落出〜古味 4往復(所要55分)    佐川〜織合橋 2往復(所要2時間)    佐川〜長者 1往復(所要1時間38分〜50分)    土佐大崎〜樫山 1往復(所要1時間8分)    池川〜樫山 上り1本(所要45分)    土佐大崎〜安居 下り1本(所要48分)    佐川〜大西 下り2本(池川〜大西間学休日運休)・上り1本(同左)    佐川〜檜谷 1往復(所要2時間9分)    池川〜檜谷 1往復(所要48分)    佐川〜池川 下り2本・上り3本(所要1時間18分)    佐川〜桐見川 3往復(所要58分)    佐川〜古畑 3往復(所要33分)    佐川〜松の木 2往復(所要27分) ・交通協力会「交通年鑑」1967(S42)年版によると、予土南北線は直通便12往復の  他ローカル便があるが、1966(S41)年7月から特急便5往復・急行便3往復・快  速便4往復を運行しており、1967(S42)年12月から快速便2往復を急行便に置き  換える計画であると述べている。1965(S40)年度の特急便の輸送成績は次の通り  であった。  (S40年度予土南北線特急便輸送成績)            走行キロ 輸送人員 収入   マイクロバス運行 137千km  12千人  8,248千円 4/1〜7/14   大型冷房車投入後 298千km  66千人 45,593千円 7/15〜3/31  直通の特急便だけをみるとS40年度収入の4,560万円に対し、経費は2,600万円で  営業係数57となっているとある。 ・国鉄四国支社監修「時刻表」1966(S41)年10月1日現在によると、予土南北線には  次のような系統が設定されていた。    松山〜高知 特急・急行便 次の8往復 ※座席指定制、定員40名    (下り)      松山0700→1115高知 特急1便      松山0800→1223高知 急行3便      松山0900→1323高知 急行5便      松山1100→1515高知 特急9便      松山1200→1620高知 特急11便      松山1400→1815高知 特急15便      松山1500→1915高知 特急17便      松山1730→2148高知 急行19便    (上り)      高知0700→1130松山 急行2便      高知0800→1227松山 特急4便      高知0900→1327松山 特急6便      高知1100→1527松山 特急10便      高知1300→1735松山 急行14便      高知1400→1827松山 特急16便      高知1500→1927松山 特急18便      高知1730→2200松山 急行20便    松山〜佐川・高知 快速便 次の5往復    (下り)      松山0830→1323高知 31便      松山0930→1418高知 33便      松山1230→1718高知 35便      松山1330→1818高知 37便      松山1600→1959佐川 39便    (上り)      高知0830→1330松山 32便      佐川1024→1418松山 34便      高知1220→1720松山 36便      高知1430→1930松山 38便      高知1600→2100松山 40便    松山〜伊予旭 1往復(所要3時間5分)    久万〜伊予旭 下り1本(所要1時間5分)    松山〜落出 下り6本・上り7本(うち1往復は急行便)(所要2時間37分)    松山〜面河 2往復(うち1往復は閑散期に運休の場合あり)(所要3時間12分)    松山〜御三戸 上り1本(所要2時間51分)    松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間31分)    落出〜佐川 2往復(所要2時間17分)    土佐大崎〜佐川 下り3本・上り6本(所要51分)    越知〜佐川 13往復(うち土曜運転1往復)(所要16分)    久万〜東明神 2往復(所要15分)    落出〜古味 4往復(所要55分)    佐川〜織合橋 2往復(所要2時間)    佐川〜長者 1往復(所要1時間31分〜34分)    佐川〜樫山 下り1本(所要2時間3分)    土佐大崎〜樫山 上り1本(所要1時間8分)    池川〜樫山 上り1本(所要45分)    佐川〜安居 下り1本(所要1時間34分)    池田役場前〜安居 上り1本(所要27分)    佐川〜大西 下り1本(所要1時間31分)    池田役場前〜大西 1往復(所要16分)    池川〜檜谷 1往復(所要48分)    池田役場前〜檜谷 1往復(所要48分)    佐川〜池川 下り4本・上り5本(所要1時間6分)    佐川〜桐見川 3往復(所要58分)    佐川〜古畑 2往復(所要33分)    佐川〜松の木 2往復(所要27分) ・「東西南北−松山自動車営業所」(「国鉄線」1967(S42)年5月号所収)には、  掲載当時四国最大の営業拠点として総勢160名を擁していること、近年運輸収入  が著しく向上し全国でも数少ない黒字営業所で年間走行キロは232万km、収入は  2億8千万円であること、経営合理化の一環として松山〜高松間のワンマン運行  を行っているが、国道33号線の道路整備の完成を待って予土南北線(→松山高知  急行線)のワンマン化も実現させること、予土南北線の運転時分は現在3時間35  分であるが中間地のバイパス完成の暁にはさらに短縮することが述べられている。 ・当初、落出を境に松山側を「予土北線」、佐川・高知側を「予土南線」と称して  いたが、1967(S42)年8月に松山〜高知を通して「松山高知急行線」と改称され  た。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、松山高知  急行北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    松山〜高知 特急便 次の12往復 ※座席指定制、定員40名    (下り)      松山0700→1040高知 第1くろしお      松山0800→1140高知 第3くろしお      松山0900→1240高知 第5くろしお      松山1000→1335高知 第7くろしお      松山1100→1435高知 第9くろしお      松山1200→1535高知 第11くろしお      松山1300→1635高知 第13くろしお      松山1400→1735高知 第15くろしお      松山1500→1835高知 第17くろしお      松山1600→1935高知 第19くろしお      松山1700→2035高知 第21くろしお      松山1800→2135高知 第23くろしお    (上り)      高知0700→1047松山 第2いでゆ      高知0800→1147松山 第4いでゆ      高知0900→1247松山 第6いでゆ      高知1000→1347松山 第8いでゆ      高知1100→1447松山 第10いでゆ      高知1200→1547松山 第12いでゆ      高知1300→1647松山 第14いでゆ      高知1400→1747松山 第16いでゆ      高知1500→1847松山 第18いでゆ      高知1600→1947松山 第20いでゆ      高知1700→2047松山 第22いでゆ      高知1800→2147松山 第24いでゆ    松山〜佐川 5往復(所要3時間20分〜37分)    松山〜落出 6往復(所要2時間16分)    松山〜面河 2往復(所要2時間55分)    松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間29分)    佐川〜桐見川 3往復(所要1時間)    佐川〜織合橋 2往復(所要2時間13分)    佐川〜土佐大崎 1往復(所要43分)    落出〜古味 4往復(所要55分)    土佐大崎〜安居 下り1本(所要50分)    土佐大崎〜樫山 下り2本・上り1本(所要1時間8分)    土佐大崎〜檜谷 1往復(所要1時間15分〜20分)    土佐大崎〜池川 3往復(所要23分)    土佐大崎〜大西 1往復(所要47分)    佐川〜古畑 2往復(所要33分) ・交通協力会「交通年鑑」1968(S43)年版によると、S42年8月に予土南北線を松山  高知急行線と改称した、松山〜高知間の需要の伸びが著しく、S41年12月に2往復、  S42年4月に更に2往復増便し現在12往復を運行している、道路整備の進展により  運転時分を45分短縮し3時間50分で運行しているとある。  (松山高知急行線輸送成績)       輸送人員 輸送人キロ  走行キロ 平均乗車キロ 収入   S40年度  78千人  9,164千人km  298千km 117km     45,593千円   S41年度 180千人 19,451千人km  748千km 108km    125,488千円   S42年度 302千人 33,324千人km 1,178千km 111km    210,082千円    ※S40.7.15にマイクロバスから大型冷房バスへ置換え5往復。     S41年7月3往復、同年12月2往復増強。S42年4月2往復増強。 ・交通協力会「交通年鑑」1969(S44)年版によると、年々増加する松山〜高知間の輸  送需要に対応して、特急便のみについてみると、S40年度に比較してS41年度には  7月と12月に合わせて5往復を増強し、さらにS42年度には松山〜高知間に特急便  3往復と松山〜佐川間に特急便2往復の増強を行ったと述べられている。現在、  特急便は松山〜高知間13往復と松山〜佐川間2往復を運行しており、道路整備の  進捗ににより運転時分を3時間35分に短縮したとある。特に松山〜佐川間特急便  は1968(S43)年10月1日から佐川〜高知間の列車との結合輸送を実施している。  (松山高知急行線輸送成績(特急便))       輸送人員 直通人員 直通率 走行キロ 平均乗車キロ 収入   S41年度 180千人  134千人 75%  748千km  108km   125,488千円   S42年度 320千人  239千人 75% 1,227千km  111km   225,889千円   S43年度 411千人   −− −−  1,589千km  110km   292,304千円    (見込)    ※S41.7.10特急便3往復増強、S41.12.10特急便2往復増強し10往復となる。     S42.4.1特急便2往復増強、S43.3.15に特急便1往復、松山〜佐川間特急便     2往復増強。S43年度は松山〜高知間特急便13往復、松山〜佐川間特急便2     往復設定。 ・「国鉄バス松山・高知急行線の電算発売について」(「国鉄線」1969(S44)年3  月号所収)によると、松山〜高知間国鉄バスの急行券(座席指定制)の販売方  式近代化のため、これを電算(マルス)収容することになった。1両当たりの  定員48名中、電算発売の対象となるのは40席で、残り8席については自由席扱い  としている。上下計30本の1,680席を収容するが、時間帯の良い便については、  続行便方式を取り入れている。4/15に松山及び高知(一部佐川)を始発駅発と  なる便から電算発売を開始する。従来の下り便名(愛称名)の「くろしお」は  紀勢線特急と同一名で旅客・係員双方にとって紛らわしいので、2月1日発と  なるものから「なんごく○号」に改正された。(JR四国(1989)「四鉄史」に  よると、同年5月5日乗車となるものから電算機に収容されることとなったと  ある。) ・JR四国(1989)「四鉄史」によると、自動化した本数は松山〜高知間急行便13  往復(なんごく1号〜13号)、松山〜佐川間急行便2往復(なんごく21号〜22  号)で、なんごく23号は手作業により発売したとある。また、季節波動輸送体  制は次の通りであった。   1両運行:なんごく1〜13号、21〜22号は通年運行   2両運行:なんごく3・4・8・9号の年間282日(4/1〜5/19,7/21〜8/31,    10/1〜11/30,12/26〜3/31)   3両運行:なんごく3・8号の年間24日(4/29〜5/6,8/10〜8/16,12/28〜    1/5)  自動化した座席数は、松山〜高知間急行便が1両運行40席・2両運行80席・3  両運行120席、松山〜佐川間急行便が32席(結合列車座席確保数も32席)。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、松山高  知急行線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    松山〜高知 急行便 次の13往復 ※座席指定制、定員40名    (下り)      松山0730→1055高知 なんごく1      松山0800→1130高知 なんごく2      松山0900→1225高知 なんごく3      松山1000→1325高知 なんごく4      松山1100→1425高知 なんごく5      松山1200→1525高知 なんごく6      松山1300→1630高知 なんごく7      松山1400→1725高知 なんごく8      松山1500→1825高知 なんごく9      松山1600→1925高知 なんごく10      松山1700→2025高知 なんごく11      松山1800→2130高知 なんごく12      松山1830→2155高知 なんごく13    (上り)      高知0730→1107松山 なんごく1      高知0800→1137松山 なんごく2      高知0900→1237松山 なんごく3      高知1000→1337松山 なんごく4      高知1100→1437松山 なんごく5      高知1200→1537松山 なんごく6      高知1300→1637松山 なんごく7      高知1400→1737松山 なんごく8      高知1500→1837松山 なんごく9      高知1600→1937松山 なんごく10      高知1700→2037松山 なんごく11      高知1800→2137松山 なんごく12      高知1830→2207松山 なんごく13    松山〜佐川 急行便 次の2往復 ※佐川〜高知間国鉄列車利用の旅客は座席                     が確保されている。    (下り)      松山0830→1109佐川(1118→1203高知)なんごく21      松山0950→1229佐川(1245→1321高知)なんごく22    (上り)     (高知1056→1137)佐川1141→1432松山 なんごく21     (高知1335→1415)佐川1421→1712松山 なんごく22    松山〜佐川 3往復(所要3時間20分〜37分)    松山〜落出 下り6本・上り7本(所要2時間16分)    松山〜面河 2往復(所要2時間34分)    松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間29分)    落出〜佐川 1往復(所要1時間23分) ・座談会「レールのよきパートナーとして−自動車営業所長大いに語る−」(  「国鉄線」1973(S48)年8月号所収)には松山自営所長が出席しており、次の  ような内容の発言があった。   ◇松山高知急行線は昨年(1972年)は急行便で約46万5千人を輸送し、その   75%が直通客で1人平均乗車キロも107kmと長く、乗車効率も63%、キロ当た   り収入も233円と高く、年間収入は3億9,500万円。経費は管理費込みで3億   4,700万円で営業係数88という収益路線である。   ◇過疎地で何とか営業増進をということで、落出から奥に入った所に五段高   原という標高1,100〜1,400mが延長25km続くスケールの大きな高原で有名な   所があり、そこへ7月25日から8月一杯季節臨時便を運行する計画を立てて   いる。また面河渓へ納涼バスという企画商品の設定も考えている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年2月号(12/21現在)によると、松山高  知急行線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    松山〜高知 急行便 次の13往復 ※座席指定制 ※国道佐川経由    (下り)      松山0730→1054高知 なんごく1      松山0800→1133高知 なんごく2 佐川駅経由      松山0900→1224高知 なんごく3      松山1000→1324高知 なんごく4      松山1100→1424高知 なんごく5      松山1200→1524高知 なんごく6      松山1300→1633高知 なんごく7 佐川駅経由      松山1330→1654高知 なんごく8      松山1400→1724高知 なんごく9      松山1500→1824高知 なんごく10      松山1600→1924高知 なんごく11      松山1700→2024高知 なんごく12      松山1800→2133高知 なんごく13 佐川駅経由    (上り)      高知0730→1106松山 なんごく1      高知0800→1136松山 なんごく2      高知0900→1240松山 なんごく3 佐川駅経由      高知1000→1336松山 なんごく4      高知1100→1440松山 なんごく5 佐川駅経由      高知1200→1536松山 なんごく6      高知1300→1645松山 なんごく7      高知1330→1706松山 なんごく8      高知1400→1736松山 なんごく9      高知1500→1840松山 なんごく10      高知1600→1936松山 なんごく11      高知1700→2036松山 なんごく12      高知1800→2140松山 なんごく13 佐川駅経由    松山〜佐川 下り3本・上り2本(所要3時間35分〜59分)    松山〜落出 下り6本・上り8本(所要1時間57分〜2時間8分)    松山〜石鎚土小屋 1往復(面河〜石鎚土小屋は3/31まで運休)(所要     3時間25分)    松山〜面河 1往復(所要2時間34分)    松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間17分〜24分)    落出〜佐川 下り2本・上り3本(所要1時間32分) ・「われら第一線−松山自動車営業所−」(「国鉄線」1977(S52)年8月号所収)  によると、松山自営は営業キロ283.3km、配置車両43両、職員数145名で、1日  平均6,010kmを走り約3,000人のお客さんを運ぶ、1975(S50)年度には営業所全体  で5億8,400万円の収入をあげたと述べられている。また、松山高知急行線は、  1日13往復の「なんごく号」が松山と高知を結び、1975(S50)年度実績で輸送人  員約28万人、収入約3億8,000万円、収支係数91.9と黒字経営で松山自営のドル  箱路線となっているとある。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(10/2改正)によると、松山高  知急行線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    松山〜高知 急行便 次の13往復 ※座席定員制 ※国道佐川経由    (下り)      松山0730→1110高知 なんごく1      松山0800→1149高知 なんごく3 佐川駅経由      松山0900→1240高知 なんごく5      松山1000→1340高知 なんごく7      松山1100→1440高知 なんごく9      松山1200→1540高知 なんごく11      松山1300→1649高知 なんごく13 佐川駅経由      松山1330→1710高知 なんごく15      松山1400→1749高知 なんごく17 佐川駅経由      松山1500→1840高知 なんごく19      松山1600→1940高知 なんごく21      松山1700→2040高知 なんごく23      松山1800→2140高知 なんごく25    (上り)      高知0730→1122松山 なんごく2      高知0800→1157松山 なんごく4 佐川駅経由      高知0900→1252松山 なんごく6      高知1000→1356松山 なんごく8 佐川駅経由      高知1100→1452松山 なんごく10      高知1200→1556松山 なんごく12 佐川駅経由      高知1300→1657松山 なんごく14 佐川駅経由      高知1330→1722松山 なんごく16      高知1400→1752松山 なんごく18      高知1500→1852松山 なんごく20      高知1600→1956松山 なんごく22 佐川駅経由      高知1700→2056松山 なんごく24 佐川駅経由      高知1800→2156松山 なんごく26 佐川駅経由    松山〜落出 8往復(所要1時間56分〜2時間8分)    松山〜石鎚土小屋 1往復(所要3時間35分)    松山〜面河 1往復(所要2時間43〜46分分)    松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間17分〜24分)    落出〜佐川 5往復(所要1時間35分)    土佐大崎〜織合橋 3往復(所要56分)    落出〜古味 3往復(所要50分) ・座談会「経営改善の第一線から−自動車営業所長大いに語る−」(「国鉄線」  1978(S53)年12月号所収)には松山自営所長が出席しており、次のような内容の  発言があった。    S36年に松山〜高知をマイクロバスで結ぶ特急便を始めて、それが現在大型   の冷暖房車による13往復の急行便となっている。松山高知急行線は鉄道短絡   路線であるが性格としては観光路線で、年間を通していろいろな波動輸送に   対応している。    四国の中で松山自営の占めるウエイトは、収入その他大体34〜35%を受け   持っており、松山の収入が四国の国鉄自動車の収入を支えている。    問題だった高松〜松山の国道11号線を通っている北四国急行線は、S40年3   月に6往復で開業したが、次第に利用客が減ってきたため今年の4月に運行   休止となった。    今後の課題は松山高知急行線のワンマン化があり、これを早急に実施して   黒字の営業所にしていきたい。    今年初めての試みで閑散期の定期便の増収策として防予汽船とタイアップ   して、高知地区からうちの本便で運んで、それから広島付近の観光地で1泊   して帰って、またうちの定期便で高知まで帰るということをやったら、現在   まで約250万円の収入を上げている。これを機会に地自部でも水中翼船の利用   客がどの程度うちの急行便を利用しているのか、実態を調べている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(8/12現在)によると、松山高  知急行線には次のような系統が設定されていたのを確認できる(10/1時刻改正  予定との注記あり)。    松山〜高知 急行便 次の13往復 ※座席定員制 ※国道佐川経由    (下り)      松山0730→1123高知 なんごく1 佐川駅経由      松山0800→1153高知 なんごく3 佐川駅経由      松山0900→1253高知 なんごく5 佐川駅経由      松山1000→1340高知 なんごく7      松山1100→1453高知 なんごく9 佐川駅経由      松山1200→1540高知 なんごく11      松山1300→1640高知 なんごく13      松山1330→1710高知 なんごく15      松山1400→1740高知 なんごく17      松山1500→1840高知 なんごく19      松山1600→1940高知 なんごく21      松山1700→2040高知 なんごく23      松山1800→2140高知 なんごく25    (上り)      高知0730→1122松山 なんごく2      高知0800→1157松山 なんごく4      高知0900→1252松山 なんごく6      高知1000→1356松山 なんごく8 佐川駅経由      高知1100→1452松山 なんごく10      高知1200→1556松山 なんごく12 佐川駅経由      高知1300→1657松山 なんごく14      高知1330→1722松山 なんごく16 佐川駅経由      高知1400→1752松山 なんごく18 佐川駅経由      高知1500→1852松山 なんごく20      高知1600→1956松山 なんごく22 佐川駅経由      高知1700→2056松山 なんごく24 佐川駅経由      高知1800→2156松山 なんごく26 佐川駅経由    松山〜佐川 下り1本(所要3時間11分)    松山〜落出 下り7本・上り8本(所要1時間53分〜2時間5分)    松山〜石鎚土小屋 1往復(所要3時間23分)    松山〜面河 1往復(所要2時間33分〜36分)    松山〜久万 下り7本・上り6本(所要1時間16分)    落出〜佐川 下り4本・上り5本(所要1時間28分〜35分)    名野川〜佐川 下り2本(所要57分〜1時間19分)    土佐大崎〜織合橋 4往復(所要50分)    落出〜古味 3往復(所要45分) ・1981(S56)年4月、面河線のうち面河〜石鎚土小屋の廃止が公示された。 ・1983(S58)年3月、古畑線(富士見町〜古畑)の廃止が公示された。 ・「国鉄バス松山高知急行線時刻表」1984(S59)年2月改正によると、松山高知  急行線には次のような系統が設定されていた。  (松山高知急行本線)    松山〜高知 急行便 次の13往復 ※便指定制(座席定員制)    (下り)      松山0730→1118高知 なんごく1      松山0800→1148高知 なんごく3      松山0900→1243高知 なんごく5 ※2両運行      松山1000→1343高知 なんごく7      松山1100→1448高知 なんごく9      松山1200→1543高知 なんごく11      松山1300→1643高知 なんごく13      松山1330→1713高知 なんごく15      松山1400→1743高知 なんごく17      松山1500→1843高知 なんごく19      松山1600→1943高知 なんごく21      松山1700→2043高知 なんごく23      松山1800→2143高知 なんごく25    (上り)      高知0730→1125松山 なんごく2      高知0800→1157松山 なんごく4      高知0900→1255松山 なんごく6      高知1000→1355松山 なんごく8      高知1100→1455松山 なんごく10      高知1200→1555松山 なんごく12      高知1300→1655松山 なんごく14      高知1330→1725松山 なんごく16      高知1400→1755松山 なんごく18 ※2両運行      高知1500→1855松山 なんごく20      高知1600→1955松山 なんごく22      高知1700→2055松山 なんごく24      高知1800→2155松山 なんごく26    松山〜伊予旭 上り1本(所要1時間15分)    久万〜伊予旭 下り1本(所要49分)    松山〜落出 下り9本・上り8本(所要1時間53分〜2時間5分)    松山〜久万 下り4本・上り5本(所要1時間16分)    久万〜馬門 1往復(学休日運休)(所要26分)    落出〜佐川 5往復(所要1時間25分)    土佐大崎〜佐川 下り2本・上り3本(所要41分)    越知〜佐川 11往復(うち日祝学休日運休3往復)(所要16分)  (面河線)    松山〜面河 下り2本・上り1本(所要2時間36分〜41分)    久万〜面河 上り1本(所要1時間14分)  (二箆線)    落出〜二箆 2往復(所要37分)  (八釜線)    落出〜古味 3往復(所要46分)    落出〜永野 2往復(学休日運休)(所要11分)  (長者線)    織合橋〜佐川 下り4本・上り3本(所要1時間23分〜50分)     川渡〜佐川 下り1本・上り2本(所要1時間)    織合橋〜土佐大崎 上り1本(所要43分)    川渡〜土佐大崎 下り1本(所要20分)  (桐見川線)    桐見川〜佐川 3往復(所要51分)  (池川線)    若山橋〜佐川 1往復(所要1時間46分)    瓜生野〜佐川 下り2本・上り1本(所要1時間44分)    池川〜佐川 下り4本・上り5本(所要55分)    池川〜土佐大崎 下り1本(所要15分)    家古家〜土佐大崎 上り1本(所要16分)    若山橋〜家古家 上り1本(所要31分)    若山橋〜池田役場前 下り1本(所要34分)    瓜生野〜池田役場前 上り1本(所要43分) ・1984(S59)年8月、面河線(御三戸〜面河)、二箆線(古床〜二箆)、長者線の  うち長者〜織合橋、池川線のうち三叉〜土佐瓜生野及び池川〜若山橋、桐見川  線(越知〜桐見川)の廃止が公示された。 ・交通協力会「交通年鑑」1987(S62)年版によると、松山高知急行線のスピードア  ップを図るため、1985(S60)年3月から松山〜高知間を3時間12分で結ぶ特急便  を2往復新設し、輸送実績も好調であるため、1986(S61)年11月1日ダイヤ改正  時には特急便を5往復とする輸送改善を行ったと述べられている。 ・1985(S60)年当時、(自)松山、久万、落出、土佐大崎、越知及び(自)高知に  自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、松山自動車営業所(  松山市内)及び佐川自動車営業所(佐川)が置かれていた。 ・四国総局自動車管理室「国鉄バス四国時刻表」1985(S60)年4月1日現在による  と、松山高知急行線には次のような系統が設定されていた。  (松山高知急行本線)    松山〜高知 特急便 次の2往復 ※便指定制(座席定員制)             (途中停車駅は大街道(上り便のみ)、久万、引地橋)    (下り)      松山0900→1230高知 特急なんごく5      松山1400→1730高知 特急なんごく17    (上り)      高知0900→1230松山 特急なんごく6      高知1400→1730松山 特急なんごく18    松山〜高知 急行便 次の13往復 ※便指定制(座席定員制)    (下り)      松山0730→1118高知 なんごく1      松山0800→1148高知 なんごく3      松山0900→1243高知 なんごく5      松山1000→1343高知 なんごく7      松山1100→1448高知 なんごく9      松山1200→1543高知 なんごく11      松山1300→1643高知 なんごく13      松山1330→1713高知 なんごく15      松山1400→1743高知 なんごく17      松山1500→1843高知 なんごく19      松山1600→1943高知 なんごく21      松山1700→2043高知 なんごく23      松山1800→2143高知 なんごく25    (上り)      高知0730→1125松山 なんごく2      高知0800→1157松山 なんごく4      高知0900→1255松山 なんごく6      高知1000→1355松山 なんごく8      高知1100→1455松山 なんごく10      高知1200→1555松山 なんごく12      高知1300→1655松山 なんごく14      高知1330→1725松山 なんごく16      高知1400→1755松山 なんごく18      高知1500→1855松山 なんごく20      高知1600→1955松山 なんごく22      高知1700→2055松山 なんごく24      高知1800→2155松山 なんごく26    松山〜伊予旭 上り1本(所要1時間17分)    久万〜伊予旭 下り1本(所要47分)    松山〜落出 下り9本・上り8本(所要1時間58分〜2時間7分)    久万〜落出 上り1本(所要37分)    松山〜久万 下り4本・上り3本(所要1時間16分)    松山〜馬門 上り1本(馬門〜久万は日祝学休日運休)(所要1時間49分)    久万〜馬門 下り2本・上り1本(日祝学休日運休)(所要28分)    落出〜佐川 5往復(所要1時間25分)    土佐大崎〜佐川 下り5本・上り3本(所要39分)    越知〜佐川 11往復(うち日祝学休日運休3往復)(所要16分)  (八釜線)    落出〜古味 3往復(所要46分)    落出〜永野 2往復(日祝学休日運休)(所要11分)  (長者線)    長者〜佐川 4往復(所要1時間8分〜30分)     川渡〜佐川 1往復(所要1時間2分)    川渡〜土佐大崎 1往復(所要20分)  (池川線)    池川〜佐川 下り7本・上り8本(所要51分〜1時間2分)    池川〜土佐大崎 下り2本・上り1本(所要15分) 3.2 旅から30年 ・鈴木文彦「南国の空の下に『つばめ』舞う」(鉄道ジャーナル別冊No.16「人気  列車全国大追跡」(1986(S61)年3月)所収)には、当時の松山高知急行線の状  況が次のようには述べられている。  ◇同線は年間約150万kmを走り、39万人を輸送。1日平均1,065人、1便平均41人   という好調ぶりで(S58年度)、年間収入は約10億円で四国の国鉄バス全体の   37%に当たるという超ドル箱路線で、四国島内(レールを含め)唯一の黒字   路線である。  ◇2年ごとに行われる利用者アンケートによると、観光客が約38%、私用、ビジ   ネスがそれぞれ30%となっていて(S59年実施分)、ビジネス客は増加傾向に   ある。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で川内ヶ谷〜日下駅前が認  知された。1987(S62)年2月に南井門〜供養堂の開業が公示された。 ・国鉄最末期の1987(S62)年3月28日に久万〜二瀬橋の廃止が公示された。 ・国鉄民営化を経て、松山高知急行線はJR四国に継承された。 ・「四国旅客鉄道バス松山高知急行線時刻表」1989(H1)年7月22日改正によると、  松山高知急行線には次のような系統が設定されていた。  (松山高知急行本線)    松山〜高知 特急便・急行便 次の15往復 ※便指定制(座席定員制)    (下り)      松山0700→1012高知 特急なんごく1      松山0800→1120高知 なんごく3      松山0900→1204高知 特急なんごく5 引地橋のみ停車      松山0900→1220高知 なんごく5      松山1000→1312高知 特急なんごく7      松山1100→1420高知 なんごく9      松山1200→1512高知 特急なんごく11      松山1300→1620高知 なんごく13      松山1400→1704高知 特急なんごく15 引地橋のみ停車      松山1400→1720高知 なんごく15      松山1500→1820高知 なんごく17      松山1600→1912高知 特急なんごく19      松山1700→2020高知 なんごく21      松山1800→2120高知 なんごく23      松山1900→2212高知 特急なんごく25    (上り)      高知0700→1012松山 特急なんごく2      高知0800→1120松山 なんごく4      高知0900→1204松山 特急なんごく6 久万のみ停車      高知0900→1232松山 なんごく6      高知1000→1312松山 特急なんごく8      高知1100→1432松山 なんごく10      高知1200→1512松山 特急なんごく12      高知1300→1632松山 なんごく14      高知1400→1704松山 特急なんごく16 久万のみ停車      高知1400→1732松山 なんごく16      高知1500→1832松山 なんごく18      高知1600→1912松山 特急なんごく20      高知1700→2020松山 なんごく22      高知1800→2120松山 なんごく24      高知1900→2212松山 特急なんごく26    松山〜伊予旭 下り1本・上り2本(所要2時間7分)    久万〜伊予旭 下り1本(所要47分)    松山〜落出 下り8本・上り10本(所要1時間58分〜2時間7分)    松山〜久万 下り3本・上り2本(所要1時間16分)    落出〜佐川 4往復(所要1時間25分)    土佐大崎〜佐川 3往復(所要35分)    越知〜佐川 5往復(うち日祝学休日運休2往復)(所要15分)  (八釜線)    落出〜古味 3往復(所要37分)    落出〜永野 1往復(学休日運休)(所要11分)  (長者線)    長者〜佐川 3往復(所要57分)     川渡〜佐川 2往復(所要50分)  (池川線)    池川〜佐川 5往復(所要46分)    池川〜土佐大崎 1往復(所要11分) ・1990(H2)年4月末限りで八釜線(落出〜古味)が廃止された。同年6月末限りで  長者線のうち別府森〜長者が廃止された。 ・「JR時刻表」1994(H6)年4月号(特急・急行便3/1現在、普通便4/1改正)による  と、松山高知急行線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (松山高知急行本線)    松山〜高知 特急便・急行便 次の15往復 ※便指定制(座席定員制)    (下り)      松山0700→1012高知 特急なんごく1      松山0800→1120高知 なんごく3      松山0900→1204高知 特急なんごく105 引地橋のみ停車      松山0900→1220高知 なんごく5      松山1000→1312高知 特急なんごく7      松山1100→1420高知 なんごく9      松山1200→1512高知 特急なんごく11      松山1300→1620高知 なんごく13      松山1400→1704高知 特急なんごく115 引地橋のみ停車      松山1400→1720高知 なんごく15      松山1500→1820高知 なんごく17      松山1600→1912高知 特急なんごく19      松山1700→2020高知 なんごく21      松山1800→2120高知 なんごく23      松山1900→2212高知 特急なんごく25    (上り)      高知0700→1012松山 特急なんごく2      高知0800→1120松山 なんごく4      高知0900→1204松山 特急なんごく106 久万のみ停車      高知0900→1232松山 なんごく6      高知1000→1312松山 特急なんごく8      高知1100→1432松山 なんごく10      高知1200→1512松山 特急なんごく12      高知1300→1632松山 なんごく14      高知1400→1704松山 特急なんごく116 久万のみ停車      高知1400→1732松山 なんごく16      高知1500→1832松山 なんごく18      高知1600→1912松山 特急なんごく20      高知1700→2020松山 なんごく22      高知1800→2120松山 なんごく24      高知1900→2212松山 特急なんごく26    松山〜落出 9往復(うち上り2本は休日運休)(所要1時間47分〜52分)    松山〜久万 2往復(うち1往復は休日運休)(所要1時間11分)    落出〜佐川 2往復(所要1時間7分)    土佐大崎〜佐川 4往復(所要34分)    越知〜佐川 3往復(うち休日運休1往復)(所要14分)  (長者線)    別府森〜佐川 3往復(所要47分)   (池川線)    池川〜佐川 4往復(所要45分) ・1997(H9)年3月に長者線の残存区間上仁淀〜別府森、池川線(土佐大崎〜池川)  が廃止された。 ・「JR時刻表」1997(H9)年9月号(8/1現在)によると、松山高知急行線には次の  ような系統が設定されていたのを確認できる。    松山〜高知 特急便・急行便 次の13往復 ※便指定制(座席定員制)    (下り)      松山0700→1012高知 特急なんごく1      松山0800→1120高知 なんごく3      松山0900→1212高知 特急なんごく5      松山1000→1312高知 特急なんごく7      松山1100→1420高知 なんごく9      松山1200→1512高知 特急なんごく11      松山1300→1620高知 なんごく13      松山1400→1712高知 特急なんごく15      松山1500→1820高知 なんごく17      松山1600→1912高知 特急なんごく19      松山1700→2020高知 なんごく21      松山1800→2120高知 なんごく23      松山1900→2212高知 特急なんごく25    (上り)      高知0700→1012松山 特急なんごく2      高知0800→1120松山 なんごく4      高知0900→1212松山 特急なんごく6      高知1000→1312松山 特急なんごく8      高知1100→1432松山 なんごく10      高知1200→1512松山 特急なんごく12      高知1300→1632松山 なんごく14      高知1400→1712松山 特急なんごく16      高知1500→1832松山 なんごく18      高知1600→1912松山 特急なんごく20      高知1700→2020松山 なんごく22      高知1800→2120松山 なんごく24      高知1900→2212松山 特急なんごく26    松山〜落出 9往復(所要1時間47分〜52分)    松山〜久万 2往復(うち1往復は休日運休)(所要1時間11分)    土佐大崎〜佐川 7往復(うち休日運休1往復)(所要34分)    越知〜佐川 5往復(うち休日運休は下り2本・上り3本)(所要14分) ・1998(H10)年11月末限りで佐川〜越知・土佐大崎間の普通便が系統廃止され、これ  に伴って佐川〜川内ヶ谷が区間廃止された。 ・「JR時刻表」2001(H13)年12月号(11/1現在)によると、松山高知急行線には次の  ような系統が設定されていたのを確認できる。    松山〜高知 急行便 次の13往復 ※便指定制(座席定員制)    (下り)      松山0700→1017高知 なんごく1      松山0800→1117高知 なんごく3      松山0900→1217高知 なんごく5      松山1000→1317高知 なんごく7      松山1100→1417高知 なんごく9      松山1200→1517高知 なんごく11      松山1300→1617高知 なんごく13      松山1400→1717高知 なんごく15      松山1500→1817高知 なんごく17      松山1600→1917高知 なんごく19      松山1700→2017高知 なんごく21      松山1800→2117高知 なんごく23      松山1900→2217高知 なんごく25    (上り)      高知0700→1017松山 なんごく2      高知0800→1117松山 なんごく4      高知0900→1217松山 なんごく6      高知1000→1317松山 なんごく8      高知1100→1417松山 なんごく10      高知1200→1517松山 なんごく12      高知1300→1617松山 なんごく14      高知1400→1717松山 なんごく16      高知1500→1817松山 なんごく18      高知1600→1917松山 なんごく20      高知1700→2017松山 なんごく22      高知1800→2117松山 なんごく24      高知1900→2217松山 なんごく26    松山〜落出 下り6本・上り7本(うち休日運休1往復、久万高原〜落出間     休日運休下り1本・上り2本、松山〜久万高原間休日運休上り1本)(所     要1時間39分〜50分)    松山〜久万 下り3本・上り2本(うち休日運休下り2本・上り1本)(所     要1時間11分) ・高速道経由の「なんごくエクスプレス」(松山〜高知)が運行開始したのに伴い、  2001(H13)年12月から急行便「なんごく号」を3往復に減便し、2002(H14)年8月  末限りで「なんごく号」は廃止された。これにより、大街道〜天山橋(国道経由)、  南井門〜供養堂(バイパス経由)及び落出〜高知が廃止された。 ・「JR時刻表」2002(H14)年3月号(2/1現在)によると、松山高知急行線には次の  ような系統が設定されていたのを確認できる。    松山〜高知 急行便 次の3往復    (下り)      松山0730→1047高知 なんごく1      松山1230→1547高知 なんごく3      松山1730→2047高知 なんごく5    (上り)      高知0730→1047松山 なんごく2      高知1230→1547松山 なんごく4      高知1630→1947松山 なんごく6    松山〜落出 下り6本・上り7本(うち休日運休1往復、久万高原〜落出間     休日運休下り1本・上り2本、松山〜久万高原間休日運休上り1本)(所     要1時間39分〜50分)    松山〜久万 下り3本・上り2本(うち休日運休下り2本・上り1本)(所     要1時間11分) ・JR四国(2007)「JR四国20年のあゆみ」には、国鉄バス当時から続く国道33号  線経由松山〜高知間の「なんごく号」は、2001(H13)年に松山・高知自動車道経由  で同区間を結ぶ「なんごくエクスプレス」が開業し、2002(H14)年に増便されたた  め休止し、松山〜落出間のみのローカル路線とした、と述べられている。 ・2015(H27)年6月現在、松山〜落出が「久万高原線」としてJR四国バスによって  運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、松山高知急行線には接続駅(  松山、佐川及び高知)の他、久万、落出、土佐大崎及び越知に第一種委託駅(自  動車駅)が置かれていた。 ・松山〜高知間の急行便には、運行開始当時から自動車急行券が設定されていた。  1974(S49)年10月1日から自動車指定券制度が設定されたことに伴って、自動車指  定券に変更された。始発駅及び一部便の佐川乗車の場合、自動車指定券は、国鉄  各駅、みどりの窓口、交通公社等で乗車日の1か月1日前から発売されたが、途  中駅乗車の場合は当日車内で支払うこととされていた。 ※補足 北四国急行線について ・国鉄自動車の基本的なあり方を明確にするため、1957(S32)年7月に「国鉄自動車  の基本方針」が国鉄理事会で決定された。この基本方針に基づき各地の国鉄自動車  は、中距離都市間を直結するバスの運行と、急行便の設定に重点が置かれ、道路整  備に合わせて幹線道路に進出することとなった。 ・この一環として、1965(S40)年3月18日に北四国急行線(高松〜松山)が開業した。  この背景をJR四国(1989)「四鉄史」に基づいて整理すると次の通りである。  ◇当時の国鉄予讃線は多度津以西は線路容量も細く、運行面、設備面で十分に増大   する需要に応じられるものではなかった。他方、高松〜松山を結ぶ国道11号線は   S37年度を初年度とする道路改修工事が始まり、S39年度にほぼ完成が見込まれた。  ◇予讃線利用客の傾向が中長距離で、急行2本・準急7本の各列車の混雑が130〜   150%といわれる中で、改修後の国道11号を利用したバス輸送で鉄道輸送力の補完   と混雑緩和を狙い、もって利用客の各方面への接続の利便性を図ることとなった。 ・路線開設に当たっては四国急行バス(株)と調整がなされたが、国鉄の進出と民間バ  スへの見返りとして、次のように国鉄既存路線への民間バス乗り入れが認められた。  ◇西讃線善通寺〜詫間へ琴平参宮電鉄5往復  ◇予土北線松山〜久万へ伊予鉄道6往復  ◇川池線伊予三島〜阿波池田へ瀬戸内運輸3往復 ・開業当時の運行内容は次の通りであった。  ◇運行回数 国鉄6往復、四国急行11往復(うち各1往復は特急便)  ◇運行時刻 始発6時〜終発20時(高松、松山とも同時刻)  ◇所要時間 特急便3時間55分、急行4時間20分  このうち、国鉄便のダイヤは次の通り。  (下り)   1便 高松0800→0847丸亀駅前49→0950川之江駅前55→1103小松駅前05→1210松山    3便 高松0830→1013川之江駅前18→1225松山(特急便)   5便 高松1000→1047丸亀駅前49→1150川之江駅前55→1303小松駅前05→1410松山    7便 高松1400→1447丸亀駅前49→1550川之江駅前55→1703小松駅前05→1610松山    9便 高松1600→1647丸亀駅前49→1750川之江駅前55→1903小松駅前05→2010松山    11便 高松1800→1847丸亀駅前49→1950川之江駅前55→2103小松駅前05→2210松山   (上り)   2便 松山0800→0905小松駅前07→1015川之江駅前20→1121丸亀駅前23→1210高松     4便 松山1100→1205小松駅前07→1315川之江駅前20→1421丸亀駅前23→1510高松     6便 松山1400→1505小松駅前07→1615川之江駅前20→1721丸亀駅前23→1810高松   8便 松山1630→1837川之江駅前42→2025高松(特急便)     10便 松山1700→1805小松駅前07→1915川之江駅前20→2021丸亀駅前23→2110高松     12便 松山2000→2105小松駅前07→2215川之江駅前20→2321丸亀駅前23→0010高松    ◇運賃 高松〜松山間640円(座席指定料金80円を含む)  ◇車両設備 定員40人、リクライニングシート付、冷暖房車  ◇四国急行バスと運輸協定を結び、線内相互発着の旅客に共通乗車の取扱を行う。 ・1975(S50)年12月のダイヤ改正では、北四国急行線の利用の衰退を反映して、国鉄は  1往復を減便して4往復となった。四国急行バスは同年9月から10往復を5往復に  減便した。 ・1977(S52)年1月に四国急行バスは運行を廃止した。これには予讃線の急行の増発、  1972(S47)年5月の特急列車の登場等によるバス輸送人員の減少があった。開業時  に年間12万8,000人の利用客も1976(S51)年度には4万4,000人に減少した。他方、  マイカーの急増により国道11号線はバス運行に定時性が保てないほどの混雑を呈し、  ダイヤ改正で所要時分を伸ばしたものの、20〜30分の遅れが常態化していた。 ・こうして北四国急行線は、予讃線の補完的使命を終えたことから1979(S54)年7月  22日に廃止され14年余りの幕を閉じた。 ※補足 夜行バス「いよじ」(高松松山線)・「とさじ」(高松高知線)について ・JR四国の都市間バスは、高松〜松山・高知で運転されていた夜行列車に代わっ  て、1989(H1)年7月1日から高松松山線「いよじ」及び高松高知線「とさじ」の  運行を開始した。これらの路線は、各系統別に他社と1日1往復交互運行を行う  夜行バスであり、高松〜松山間及び高松〜高知間の主なJR鉄道駅をバス停留所  としていた(全便座席指定制)。 ・運行開始当時の「いよじ」・「とさじ」のダイヤは次の通りであった。両系統と  も坂出駅で、岡山からの新幹線の始発・最終列車に連絡するマリンライナーに接  続するようになっていた。  ◇高松〜松山「いよじ」   (下り)     高松2330→0010坂出0045→0130観音寺0135→0250新居浜0310→0420今治     0430→0530松山   (上り)     松山2330→0030今治0040→0150新居浜0210→0325観音寺0345→0430坂出     0450→0530高松  ◇高松〜松山「とさじ」   (下り)     高松2330→0010坂出0050→琴平0120→0205阿波池田0230→0335大杉0355     →0450土佐山田0505→0530高知   (上り)     高知2330→2355土佐山田0010→0105大杉0125→0230阿波池田0255→琴平     0340→0410坂出0450→0530高松 ・1992(H4)年10月の高知自動車道川之江JCT〜大豊IC間開通で所要時間が短縮され  「とさじ」は休止され、替わって昼行高速便「黒潮エクスプレス」の運行を開始  した。また、「いよじ」も1994(H6)年11月の松山自動車道いよ西条IC〜川内IC間  開通で、昼行高速便「坊ちゃんエクスプレス」に替わった。
2015 年 10 月 10 日 15:55:52 (15022) ふもふも館長さんの書き込み 九州旅行記番外=鹿児島編(つづき) ※いまから1年前の旅行記ですが、不毛板(14791)の続編を塩漬けにしていました。  賞味期限が切れていますが、もったいないので投稿します。 5 (参考)指宿スカイライン ・指宿・知覧観光バスで、指宿スカイライン(指宿有料道路)を走行した。興味が  わき、調べてみた。 ・指宿スカイラインの歴史は、以下の通りか?  ◇1969(S44).2.28 指宿スカイライン1期? (喜入−池田湖)開通   ⇒『日本観光史』〜鹿児島県 1969.2.28「指宿有料道路開通」    http:‖web2.nazca.co.jp/xu3867/page106.html    http:‖web2.nazca.co.jp/kk36zx/page269.html   ⇒喜入〜頴娃ICは、後に指定を外れる? 頴娃IC〜大迫ICは、当時は有料?   →ここでいう「喜入」とは、国道226号との交点?小田代(交)?  ◇1977(S52).4.1 指宿スカイライン2期 (頴娃IC〜谷山IC) 開通。  ◇1988(S63).3.29 指宿スカイライン3期 (谷山IC〜鹿児島IC) 開通。   http:‖www.kagoshimaken-dourokousha.or.jp/outline.html ・上記推測が正しいなら、指宿・知覧観光バスは、指宿スカイライン1期である  大迫IC→頴娃IC→小田代(交)を走破した事になる。 ・指宿・知覧観光バスは、知覧観光後、平川駅付近で海沿いの国道に戻り、谷山  IC〜鹿児島ICは、指宿スカイライン3期(有料道路・高規格)を通った。 ・指宿スカイラインを走る路線バスは、他にないか調べてみた。 (1)鹿児島〜加世田・枕崎直行バス (2)鹿児島中央駅前→加世田 (スーパー特急)  ・直行バスは加世田まで無停車、スーパー特急は錫山入口まで無停車で、   南薩横断道路経由である事がわかっている。  ・「いばらき路線バス案内所」によると、武岡TN・指宿スカイライン経由との事。   http:‖www.bus-ibaraki.jp/busmap-plus/kagoshimaK.html  ・以上から、指宿スカイライン3期 (谷山IC〜鹿児島IC)を経由する事は確実。  ・指宿スカイライン2期の錫山ICにも近いが、ここは経由していないと推測。 (3)29系統 皇徳寺五区〜谷山電停・イオンモール鹿児島  ・谷山IC入口〜谷、谷山IC入口〜スポーツランドで、指宿スカイライン3期(谷山   IC〜中山IC)を経由する模様。 ・指宿スカイライン2期 (頴娃IC〜谷山IC) を通る路線バスは無しか? 6 鹿児島交通 準急 加世田行 山形屋バスセンター→鹿児島中央駅 ・今度は、むじゃきで白熊を食べ、お土産屋を巡って、山形屋に戻ってきた。 ・せっかくなので、今度は、山形屋バスセンター発のバスに乗ろうと思った。  すでに入線しているため、あわてて飛び乗ったが、あわてる必要は無かった。 ※わずか1年後、山形屋バスセンターが無くなるとは思わなかった。 ・準急 加世田行(急行?)と普通 枕崎行が同じ時間に発車するようで、車両は  枕崎行きの方が高級っぽい雰囲気。経路は、構内出て右、右、朝日通り(交)を  右であった。停車する停留所は加世田行の方が少なかったが、結果的に枕崎  行きの方が、ほんのわずかであるが先着した。 ・前日開業したばかりのプレミアム館をひやかし、ホテルに戻った。 7 いわさきバス 霧島神宮駅→霧島いわさきホテル ・これから乗車するバスは、国分駅始発であるが、接続時間が短いため、しぶしぶ  霧島神宮駅から乗車する事にした。 ・霧島「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券は、\1000でお買い得。  鹿児島中央駅でも売っていたようだが、宣伝していないため、わからなかった。  霧島神宮駅バス停にも案内がなく、鉄道駅で聞くと、ここで売っていると発券  してくれた。でてきた切符が、マルス券でビックリ。切符と一緒に、霧島遊めぐり  バスマップを頂けると思っていたので、もらえずガッカリする。 ・霧島・えびの高原 定期観光バスが入線してきた。乗車する予定が無かったため、  不意に現れたので驚く。外国人が一般路線バスと勘違いし、行先等を尋ねていた。  一日乗車券や定期観光バスがある事を、もっと宣伝すべきと感じた。 ・定期観光バスが出発後、一般路線バスが入線。外国人の一行は、霧島神宮で降りた。  観光したかったが、先を急ぐ。ここから、宮交で都城・イオンモール行に乗継可能。 ・バスは、この先、高度を上げ、眺めの良い道を進む。終点は、丸尾交差点付近では  なく、さらにその先にあった。霧島いわさきホテルは、旧 ホテル林田温泉で、  山中にあるにも関わらず路線バス車両が何台も停まっていて驚く。 8 いわさきバス 霧島連山周遊バス 霧島いわさきホテル→えびの高原 ・えびの高原付近には、以下の有料道路があったようだ。  ◇1957(S32).11.19 南霧島道路 開通   ⇒区間は、林田温泉〜新湯温泉入口〜高千穂河原か?  ◇1958(S33).8.20 北霧島道路(→えびのスカイライン) 開通   ⇒区間は、小林〜えびの高原  ◇1961(S36).10.27 霧島道路(→霧島スカイライン) 開通   ⇒区間は、新湯温泉入口〜えびの高原(現 県道1号)か?  ◇林田バス有料道路   ⇒区間は、霧島神宮〜高千穂河原か?詳細不明。 ・バスは、霧島スカイラインに入った。しばらくすると携帯電話が圏外となる。  えびの高原に入ると、道路脇に停めてある自家用車が数台あった。 ・バス停付近にコインロッカーは無く、荷物を抱えてどうしようかと青くなったが、  荷物を預かってくれる店があり、身軽になってハイキングと温泉を楽しむことが  できた。六観音御池までハイキングするつもりだったが、入浴時間も確保したかっ  たので、不動池までの往復に留めた。不動池には、宮崎交通のバス停があった。  http:‖www.trekking-ebinokogen.com/course/images/01_map_b.jpg ・不動池までのハイキングルートと並走する県道1号は、えびのスカイラインである。 ・バス停向いの駐車場には、霧島神宮駅で見送った定期観光バスが停まっていた。  この定期観光バスは、霧島いわさきホテルが始発で、霧島神宮駅を出発すると、  霧島神宮、高千穂河原、えびの高原の下車観光を経て、霧島いわさきホテル、  丸尾、嘉例川駅、鹿児島空港と降車するようだ。魅力的なコースだが、一般路線  バスと融合させれば、えびの高原での散策時間も増えるので残念に思った。 ・バス停の向いに足湯もあったが、えびの高原荘の日帰り温泉を利用した。  霧島高原ホテル→えびの高原ホテル→国民宿舎えびの高原荘と変遷したようで、  現在は、宮交グループみたい。 9 (参考) 宮交 りんどう号 ・えびの高原荘へ向かう道の途中に、宮崎行りんどう号と小林行路線バスが、間隔を  空けて停まっていた。 ・りんどう号の車両は、青バスで、りんどう号のヘッドマークがついた専用車。  SUNQパスのシールが見えなかったが、使えるはず。 ・宮交バス停は、小林行のみ時刻掲載されていた。4/27〜11/30の日祝運行、1往復。  りんどう号は、運行案内すら無かった。 ・りんどう号は、九州のバス時刻表にも掲載されていない。なぜか?  http:‖www.miyakoh.co.jp/bus/extra/download/2014-04-09.pdf ・りんどう号の運行日は、7/6〜21の日祝、7/26〜11/30の土日祝。 ・停車するバス停は、以下の通り。  ◇ニトリ宮崎店、宮交シティ、(各停)、ボンベルタ橘前(MRT前)、西の原、   高岡、萩の茶屋、野尻、小林BC、小林駅、小林IC前、生駒高原、不動池、   韓国岳登山口、えびの高原  ※ニトリ宮崎店〜高岡間は、宮崎発乗車のみ、えびの高原発降車のみ  ※1年前の情報です。念のため。 ・JRバス宮林線と大半かぶっているようで、興味深い。 10 いわさきバス 霧島連山周遊バス えびの高原→高千穂河原→丸尾 ・さきほど乗ってきたバス経路に加えて、新湯温泉入口〜高千穂河原の往復がつい  てきた。余計に時間が掛かる事なるが、景色を楽しむ事が出来、大満足。 ・乗車した区間は(旧)南霧島道路で、その先は(旧)林田バス有料道路と思われる。  現在は、さきほどの定期観光バスしか走っていないようだ。 ・丸尾バス停は、交差点を中心に複数あるので、乗換時は、注意が必要。交差点付  近は、コンビニ、カジロが湯(日帰り温泉)、霧島温泉市場などがある。 10 いわさきバス 丸尾→鹿児島空港 ・塩浸温泉は、坂本龍馬が新婚旅行で訪問した地だそうで、塩浸温泉龍馬公園が  車窓から見えた。時間があれば、途中下車したかった。 ・塩浸発電所前と嘉例川の間に、ラムネ温泉という分岐バス停があるはずだが、  交差点が狭いためか、バス停が無く、車窓からも見学できず、がっかり。 ・木造駅舎で有名な嘉例川駅にも入らず、そのまま空港直行となった。
2015 年 10 月 10 日 09:11:34 (15021) ふもふも館長さんの書き込み 国分線の国分駅周辺図を描いてみました。  鹿児島           Λ郡田  空港   実業       :  松永口  高校前   国分 :   <−−−−●    高校前○……>城山        |国分     :  隼人  国分|市場前  旭通: 東馬場   ◎   ◎+−●+−○−−○−−○−−○夕日ヶ丘   |       |たばこ産業前    |   | 国分市役所前○          |  隼|  (←向花橋)|郵便局前  唐仁町 ○Aコープ前  人○−−−○−−−+−○−−○−−○−−+  塚| ソニー国分 |   中馬場 |   ○迫田   |  自衛隊前 |       |    \     萩の元   |   ○−−−○大隅福島   ○上小川  ○………………>   |   |           |    銅田\   |   |  広瀬西      |       \  上ノ段   ○−−−○−−−○−−−−−−−○−−−−−−−−○………>  浜ノ市 大隅西山       大隅広瀬    検校川|                            |                            ○脇元                            |                            |                            ∨垂水 私の乗車記録を調べてみると、1996年と2000年の2回しか訪問していなかった ようです。 当時、松永口、郡田、城山、萩の元、上ノ段方面は、廃止済でしたが、 垂水中央病院1104発、国分(夕日ヶ丘経由)1325発、国分(自衛隊経由)1445発、 脇元(上小川経由)1510発、隼人(ソニー経由)1230発に乗る事ができ、未乗は 隼人塚〜浜ノ市〜大隅西山でした。 この未乗区間を走るバスは、隼人(浜ノ市経由)平日809発のみ。
2015 年 10 月 05 日 21:29:52 (15020) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【508】名金線(1) 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇名金線(1)   名金急行線    1 名古屋−鳩ケ谷    2 正ヶ洞−鷲見    3 大日岳スキー場口−大日岳スキー場   那留線    1 美濃白鳥−奥大間見   白鷲線    1 四辻−牛道    2 牛道学校前−阿多岐   石徹白南線    1 前谷−上在所 1.2 路線略図                                福光・金沢                                  Λ                                  :                            上梨○………◎城端                              :                              :                           西赤尾○                              :                              :                              :                              ○鳩ヶ谷                              |                              |                              ○白山登山口                ○上在所          |                |     大日岳ス    ○御母衣ダム           朝日橋<−○下在所  キー場     |                |      ○  蛭ヶ野 |                | 正ヶ洞  |  高原  |            北濃◎−○−−○−−−○−−−○−−○牧戸          向小 /  前谷 |  大日岳     九頭竜湖 駄良/      ・  スキー     駅前  <−○−◎美濃白鳥  \ 場入口             |・・     \          白鳥 | ・      ○−−−○鷲見          役場前○ ・  牛道  ・高鷲            / \・  学校前 ・役場前     美濃弥富駅前○   ○−−−○−−○           |・  |四辻 | 阿多岐        郡上八| ・ |   |        幡駅前○  ・|   ○牛道   岐阜駅前   /    ○      ◎−−○    奥大間見      | 美濃市      | 役所前   尾張一○   宮駅前|      |   名古屋◎−>高蔵寺       \        ・−>東京 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・名金急行線1 岐阜駅前〜美濃白鳥〜向小駄良 2.2 掲載 ・29日目 7/9(火) S61.4号 7.中部編 単行本 p148〜149 2.3 行程 ○岐阜駅前1035→1230美濃白鳥 名金急行線 名古屋発 鳩ヶ谷行                         531-1414(いすゞK-CJM520) 2.4 エピソード ・定刻10時27分に8分遅れて鳩ヶ谷行きが到着。1日1往復で、線名は名金急行  線でも金沢へ直通するのは1時間前に出ている名鉄バス1往復(夏から秋にか  けて運行)だけ。国鉄バスは鳩ヶ谷〜福光間57.1kmが長期運休中。 ・バスは長良川沿いに遡るが水量は少ない。美濃市のはずれで10分休憩し、長良  川、越美南線ともつれるように郡上八幡を抜け、美濃白鳥へ。ここで15分ほど  時間調整して運転士が交替。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・名金線(南部)は、1931(S8)年に美濃白鳥〜牧戸が白城線として開業したのが  ルーツで、1948(S23)年に牧戸〜鳩ヶ谷が延長され、1953(S28)年に金白南線の  鳩ヶ谷〜境川橋詰、金白北線の福光〜境川橋詰が開業して、美濃白鳥と金沢が  国鉄バスで結ばれた。 ・この路線は、越美南線美濃白鳥と城端線城端とを結ぶ鉄道の短絡路線としての  使命を有していた他、中部日本の秘境といわれる白川郷、五箇山を探勝する観  光路線及び地方産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1952(S27)年5月号(S26.11.1改正)によると、白城  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 4往復(所要3時間24〜31分)    美濃白鳥〜牧戸 1往復(所要1時間45〜49分)    美濃白鳥〜正ヶ洞 下り1本・上り2本(所要37分)    牧戸〜鳩ヶ谷 1往復(所要1時間31〜40分) ・「日本国有鉄道監修時刻表」1954(S29)年10月号(7/1改正)によると、金白南線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    美濃白鳥〜金沢 2往復(所要9時間27分〜10時間)    美濃白鳥〜福光 1往復(所要7時間37分〜8時間15分)    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 2往復(所要3時間12〜23分)    美濃白鳥〜平瀬 1往復(所要2時間30分)    美濃白鳥〜牧戸 (所要1時間35分)    美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(所要36分)    牧戸〜鳩ヶ谷 1往復(所要1時間35分)    鳩ヶ谷〜金沢 1往復(所要5時間51分〜6時間12分)    美濃白鳥〜牛道 7往復(所要25分) ・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、1953(S28)年に鳩ヶ谷と金白北線の  福光が結ばれ、美濃白鳥と金沢を直結する直通便を運転しているが、冬季は雪  のため鳩ヶ谷以遠を休止する、美濃白鳥から金沢まで1日2往復、バスの車体  に郵便ポストを取り付けて郵便物の速達を図っていると述べられている。 ・その後、1966(S41)年に名古屋〜美濃白鳥が開業し、名古屋〜美濃白鳥〜福光〜  金沢を「名金急行線」と改称した。 ・「国鉄バス名金急行線の誕生」(「国鉄線」1967(S42)年2月号所収)には、  国鉄バス長距離ベストワン(名神高速線名古屋〜神戸間215.5km)を更に上回る  名金急行線名古屋〜金沢間266.4kmが1966(S41)年12月1日から運行開始したこと、  この路線の開業に伴い北陸・飛騨・郡上・美濃地方と中京地区との交流旅客の  利便が向上し産業・観光資源の開発が期待されること、沿線には白川郷・五箇山  の他、御母衣ダム、蛭ヶ野高原等の豊富な観光資源が存在し、観光路線としても  有望視されていること、使用する車両は中長距離の冷暖房車で、座席はリクライ  ニングシートのデラックスバスであること、運行回数は2往復で名鉄も名古屋〜  金沢の運行を2往復行うので共通乗車の取扱いをしていることが述べられている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、名金線  (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    名古屋〜金沢 次の2往復    (下り)      名古屋0800→白鳥1114→平瀬1246→西赤尾1421→福光1628→1730金沢      名古屋0930→白鳥1245→平瀬1417→西赤尾1531→福光1738→1840金沢    (上り)      金沢0800→福光0902→西赤尾1114→平瀬1254→白鳥1435→1740名古屋      金沢0930→福光1032→西赤尾1319→平瀬1426→白鳥1605→1910名古屋    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り2本    美濃白鳥〜牧戸 1往復    美濃白鳥〜福光 上り1本 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/25改正)によると、名金線  (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    名古屋〜金沢 次の2往復    (下り)      名古屋0800→白鳥1114→鳩ヶ谷1316→西赤尾1422→福光1628→1730金沢      名古屋0930→白鳥1245→鳩ヶ谷1447→西赤尾1532→福光1738→1840金沢    (上り)      金沢0800→福光0904→西赤尾1113→鳩ヶ谷1244→白鳥1445→1750名古屋      金沢0930→福光1032→西赤尾1318→鳩ヶ谷1405→白鳥1605→1910名古屋    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り4本(所要2時間28分)    美濃白鳥〜平瀬 下り1本(所要1時間54分)    美濃白鳥〜牧戸 1往復(所要1時間11分)    美濃白鳥〜蛭ヶ野高原 下り2本・上り4本(所要54分)    美濃白鳥〜正ヶ洞 下り4本(所要28分)    平瀬〜鳩ヶ谷 下り1本(所要30分)    蛭ヶ野高原〜牧戸 下り1本(所要26分) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年2月号(12/21現在)によると、名金線  (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる(鳩ヶ  谷〜福光間は降雪期間中(4月下旬ないし5月上旬まで)運休との注記あり)。    名古屋〜牧戸・鳩ヶ谷 次の2往復    (下り)      名古屋0800→白鳥1114→1321鳩ヶ谷      名古屋0930→白鳥1240→1342牧戸    (上り)      鳩ヶ谷1220→白鳥1430→1735名古屋      牧戸 1448→白鳥1605→1910名古屋    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り4本(所要2時間30分)    美濃白鳥〜平瀬 下り1本(所要2時間1分)    美濃白鳥〜牧戸 2往復(所要1時間15分)    美濃白鳥〜西洞 下り2本・上り1本(所要44分)    美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(所要30分)    平瀬〜鳩ヶ谷 下り1本(所要33分)    美濃白鳥〜上在所 運休中 ・1977(S52)年10月、那留線四辻〜美濃白鳥(3.6km)(大島団地経由)が開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、名金線  (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    名古屋〜金沢 次の2往復    (下り)      名古屋0750→白鳥1115→鳩ヶ谷1320→福光1551→1653金沢      名古屋0920→白鳥1245→鳩ヶ谷1455→福光1730→1849金沢    (上り)      金沢0840→福光0955→鳩ヶ谷1220→白鳥1430→1745名古屋      金沢0950→福光1052→鳩ヶ谷1355→白鳥1605→1920名古屋    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り4本(所要2時間15分)    美濃白鳥〜牧戸 2往復(所要1時間5分)    美濃白鳥〜あやめ沢 下り1本・上り2本(所要51分)    美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(所要25分) ・1970年代以降の輸送量の低減傾向に伴う長距離路線の再編成策の1つとして、  長距離旅客の輸送使命を果たした名金急行線鳩ヶ谷〜福光を1979(S54)年6月に  休止した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(8/12現在)によると、名金線  (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    名古屋〜鳩ヶ谷 次の2往復    (下り)      名古屋0750→白鳥1115→1312鳩ヶ谷      名古屋0920→白鳥1245→1442鳩ヶ谷    (上り)      鳩ヶ谷1220→白鳥1430→1745名古屋      鳩ヶ谷1355→白鳥1605→1920名古屋    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り4本(所要2時間15分)    美濃白鳥〜牧戸 下り4本(うち1本は正ヶ洞〜牧戸は10/31まで運転)・     上り2本(所要1時間5分)    美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(所要25分)    牧戸〜鳩ヶ谷 下り1本(所要1時間5分)    美濃白鳥〜上在所 3往復(所要1時間5分) ・美濃白鳥自営「国鉄バス名金急行線時刻表」1981(S56)年4月改正によると、名  金線(名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていた。  (名金急行線)    名古屋〜鳩ヶ谷(「国鉄特急」) 次の2往復    (下り)      名古屋0750→1105白鳥1115→1209牧戸1212→1312鳩ヶ谷      名古屋0920→1235白鳥1245→1339牧戸1342→1442鳩ヶ谷    (上り)      鳩ヶ谷1220→1317牧戸1320→1417白鳥1430→1745名古屋      鳩ヶ谷1355→1452牧戸1455→1552白鳥1605→1920名古屋    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り3本・上り4本(所要2時間17分)    美濃白鳥〜牧戸 下り4本(うち1本は正ヶ洞〜牧戸は5/1〜8/31運転)・     上り2本(所要1時間5分)    美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(所要25分)    牧戸〜鳩ヶ谷 下り1本(所要1時間5分)  (鷲見線)    美濃白鳥〜正ヶ洞〜鷲見 3往復(うち土曜のみ運転1往復)(所要50分)  (白鷲線)    美濃白鳥〜阿多岐 4往復(うち1往復は白中半休日運転)(所要27分)    美濃白鳥〜牛道 4往復(所要27分)    美濃白鳥〜大島団地〜牛道 4往復(うち日祭運休2往復)(所要29分)  (那留線)    美濃白鳥〜大島団地〜奥大間見 4往復(うち日祭運休1往復)(所要25分)    美濃白鳥〜奥大間見 1往復(所要23分)  (石徹白南線)    美濃白鳥〜上在所 3往復(所要1時間5分) ・1983(S58)年6月末限りで那留線の美濃弥富駅前〜奥大間見、四辻〜美濃白鳥  (1.9km)(大藪経由)の廃止が公示された。 ・1985(S60)年当時、(自)名古屋、牧戸及び鳩ヶ谷に自動車駅が存在した。また、  国鉄バス運行の拠点として、名古屋自動車営業所(名古屋市内)及び美濃白鳥  自動車営業所が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、名金線  (名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    名古屋〜鳩ヶ谷 次の1往復    (下り)      名古屋0920→白鳥1245→1442鳩ヶ谷    (上り)      鳩ヶ谷1220→白鳥1430→1745名古屋    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り4本・上り5本    美濃白鳥〜牧戸 下り3本・上り2本    牧戸〜鳩ヶ谷 下り1本    美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(休日運休)    美濃白鳥〜上在所 3往復 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年6月に正ヶ洞〜鷲見の廃止が公示された。 ・美濃白鳥自営「国鉄バス名金急行線時刻表」1986(S61)年4月1日改正によると、  名金線(名古屋〜鳩ヶ谷)には次のような系統が設定されていた。  (名金急行線)    名古屋〜鳩ヶ谷(「国鉄特急」) 次の1往復      名古屋0920→1237白鳥1245→1339牧戸1342→1437鳩ヶ谷      鳩ヶ谷1230→1324牧戸1327→1422白鳥1430→1747名古屋    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り4本・上り5本(所要2時間4分)    美濃白鳥〜牧戸 下り3本・上り2本(所要1時間5分)    美濃白鳥〜正ヶ洞 2往復(うち日祭運休1往復)(所要23分)    牧戸〜鳩ヶ谷 下り1本(所要59分)(4/2より運転)  (白鷲線)    美濃白鳥〜大島団地〜阿多岐 4往復(うち土曜運転1往復)(所要27分)    美濃白鳥〜大島団地〜牛道  8往復(うち日祭運休2往復)(所要29分)  (那留線)    美濃白鳥〜大島団地〜奥大間見 4往復(うち土日祭運休1往復)(所要     25分)  (石徹白南線)    美濃白鳥〜上在所 3往復(所要1時間5分) ・国鉄末期の1986(S61)年12月28日に那留線四辻〜奥大間見及び石徹白南線前谷〜  上在所の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、名金急行線はJR東海バス及び西日本JR  バス(形式上は名古屋〜金沢は両社の共管)に継承された。 ・1994(H6)年4月、名古屋〜鳩ヶ谷の「特急白川郷」を各務原IC〜美並IC間東海  北陸自動車道経由に経路変更した。 ・1995(H7)年8月末限りで白鷲線(美濃白鳥〜牛道、牛道学校前〜阿多岐)が廃  止された。 ・1998(H10)年4月、「特急白川郷」を一宮木曽川IC〜白鳥IC間東海北陸自動車  道経由に経路変更した。これに伴い、名古屋〜尾張一宮駅前〜岐阜駅前〜郡上  八幡駅前〜下剣〜美濃白鳥の旧経路が廃止され、名古屋・岐阜駅前〜高速郡上  八幡が開業した。 ・美濃白鳥営業所「JR名金線バス時刻表」2000(H12)年4月15日改正によると、  名金急行線には次のような系統が設定されていた。    名古屋〜鳩ヶ谷(特急「白川郷」) 次の1往復     名古屋0830→郡上八幡駅1003→1031美濃白鳥1036→1130牧戸1133→      1227鳩ヶ谷     鳩ヶ谷1410→1504牧戸1507→1601美濃白鳥1606→郡上八幡駅1634→      1817名古屋     ※4月第3土曜日〜11/30運転    岐阜駅〜鳩ヶ谷(高速経由) 次の1往復     岐阜駅1200→高速郡上八幡1305→1330美濃白鳥1340→1434牧戸1437→      1531鳩ヶ谷     牧戸0700→0754美濃白鳥0800→高速郡上八幡0825→0930岐阜駅    美濃白鳥〜鳩ヶ谷 下り2本・上り3本(所要1時間51分)    美濃白鳥〜牧戸 下り1本(所要54分)    美濃白鳥〜正ヶ洞 1往復(日祝第2・4土運休)(所要20分) ・2002(H14)9月末限りで鳩ヶ谷以南の名金急行線は全廃された(名古屋〜鳩ヶ谷、  岐阜駅前〜高速各務原及び高速郡上八幡〜郡上八幡駅前が廃止)。併せて、美  濃白鳥営業所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、名金急行線(名古屋〜鳩ヶ谷)  には接続駅(名古屋、岐阜(岐阜駅前)、美濃白鳥及び北濃)の他、牧戸に第  一種委託駅(自動車駅)、正ヶ洞、平瀬及び鳩ヶ谷に第二種委託駅(自動車駅)  が置かれていた。 ・最長片道きっぷの旅本文では、美濃市の外れで10分間休憩したとあるが、中村  儀朋「さくら道」(後述の補足参照)161頁で、岐阜県美濃市でドライブインを  経営する方が「ドライブインを始めた時から国鉄バスが家の前に停まってくれる  ようになりましてね」と話しており、この地点が休憩地ではないかと推測する。 ※補足 「桜紀行・名金線もう1つの旅」、「さくら道」について ・1984(S59)年5月17日、NHK名古屋放送局が制作したドキュメンタリー、北陸  東海「桜紀行・名金線もう1つの旅」が中部地方で放映された。この番組の内容  をNHKアーカイブスのサイトから引用すると次の通りである。  「名古屋と金沢を結ぶ国鉄バス名金線。その沿線に桜を植え、太平洋と日本海を   花で結ぶのを夢みていた国鉄バス車掌・佐藤良二さんは、志半ばの昭和52年、   47歳でこの世を去った。しかし佐藤さんが12年間に植え続けた2,000本の桜は、   今も名金線の沿線に見事な花を咲かせている。佐藤さんを桜のとりこにした   御母衣ダムの荘川桜と名金線沿線に咲く桜を訪ね、関係者の話を交えながら   佐藤さんが桜に寄せた夢のあとをたどる。」 ・この番組の制作に携わった中村儀朋氏は、佐藤さんの膨大な手記等に基づいて、  1987(S62)年に小説「さくら道」を上梓した。この小説の一部は、1987(S62)年  〜1992(H4)年にかけて、「太平洋と日本海を桜で結ぼう」という題名で中学校  の教科書(光村図書出版「国語1」)に掲載された。また、「さくら道」を原作  とした映画「さくら」に1994(H6)年に劇場公開された。 ・これ以降、佐藤さんや名金線沿線に対する世間の注目が高まった。JR東海バス  も、桜の開花時期に名古屋から旧名金線沿線の桜の名所を巡り福光まで北上する  ツアーバス(さくら道「名金線」の旅)を運行していた。
2015 年 10 月 04 日 10:35:40 (15019) ふもふも館長さんの書き込み 山川線(補足事項)「1986(S61).12.1改正時刻表に関する考察」 1.運行図           ・・・・・・・・          営 山           ・   長  ・   大 上 山  業 川           ・   崎  ・ 鰻 成 井 川  所 港    漁           ・   鼻 徳・ 入 校 手 ◎  ○−○−+−○協           ・   口 光・ 口 前 方 |成 |  郵| |前  ○−○−○−○−○+−○−○−○+−○−○−○−○川 |  便○−・  枕 東 西 西 開  開 | ・  | |/  |浜 |  前|  崎 白 門 頴 聞  聞 ○ ・  ○ ○   ○−●+−○−○  駅 沢 之 娃 駅  山 長 ・  大 山   造 浦  山 ・役場前  前   浦   前  麓 崎 ・  山 川   船 向  下 ・               鼻 ・  駅 中   所    町 ・                 ・  前 学          ・                 ・  ・ 校          ・                 ・  ・ 前  竹山口     ・                 ・・・○・・・・・○・・・・・・○天神坂                   浜児ヶ水 2.特徴 (1)山川港〜山川駅  ・役場前経由と直行便(営業所発着)があった。  ・役場前経由は、時刻表からは判断できないが、不毛板(3784)から推測すると、   朝・夕の山川駅方面の一部が、漁協前を経由したようだ。  ・H5.3.18改正時刻表によると、役場前経由の全便が営業所発着となっている   ので、当時の役場前経由も、時刻表では山川港発着となっているが、全便が   営業所発着ではなかったか。  ・S61.12.11改正の路線名称と対比すると、    第一区間 山川港〜営業所〜山川駅(〜枕崎高校前)    第五区間 山川港〜山川郵便局前〜山川役場前(〜天神坂〜徳光)    第六区間 (山川港〜)営業所〜山下町〜山川役場前(〜天神坂)   に相当する模様で、山川港〜漁協前〜山川郵便局前は、路線名称に無かった。  ・1957(S32).11.01「九州地自路線図」によると、山川港、大黒町、車庫前、   浦向、網代浜、成川浜、山川 となっている。車庫前→営業所前、網代浜→   造船所前と考えるので、当時は、(社)浦向に、国鉄バスも停車したようだ。 (2)上井手方〜山川中学校前〜大成校前  ・以下の便が該当した。   ◇山川港741-山川駅753-800大成校前 (日,祝日,学校休み運休)   ◇山川駅753-800大成校前      (日,祝日,学校休み運休)  ・以下の便は、山川中学校前始発で、山川駅方面まで通し運転だったか?   ◇大成校前1241-1245大山駅 (土曜日,試験日のみ運転)   ◇大成校前1626-1630大山駅 (日,祝日,学校休み運休) (3)鰻入口〜小川〜大山駅前  利永  開聞岳  <…………………………・             :  敬吾         :  開聞岳 大瀬切坂?  :東大山 鰻入口 大成校前  <・・・・●−−+−−○−−−−−−○−−○−−○−−>山川駅・山川港       |   : :     /   | /上井手方       |    ::    /    |/       |     +−−−○小川   ○       |     |       山川中学校前       |     ○大山駅前       |     ・       |     ・     徳光|     ・  (とっこう)○……………○………………………………………>竹山口・山川港  東川尻  |    浜児ヶ水(はまちょがみず)  開聞岳  |  <−−−−○長崎鼻口       |       ○長崎鼻  ・以下の便が該当した。   ◇大山駅730-741山川駅          (日,祝日,学校休み運休)   ◇大成校前1241-1245大山駅        (土曜日,試験日のみ運転)   ◇         大山駅1251-1307山川港 (土曜日,試験日のみ運転)   ◇大成校前1626-1630大山駅        (日,祝日,学校休み運休)   ◇         大山駅1634-1650山川港 (日,祝日,学休日,土,試験日運休)  ・大山駅前を通る国鉄バスは、1961(S36).7.1に、東大山〜大山駅前〜浜児ヶ水   として開業するが、1974(S49).2.1に廃止されている。部分復活と考えられる。 (4)長崎鼻口〜長崎鼻  ・時刻表では、経由便を「長崎鼻」、経由しない便を「川尻」と表示していた。  ・早朝と夕方以降は、経由しなかったようだが、山川港1531-1716枕崎や開門   山麓1047-1122山川港など、日中時間帯にも関わらず経由しない便もあった。 (5)開聞山麓・開聞駅前・西頴娃  ・山川港〜東川尻以遠便は、開聞山麓 3往復、開聞駅前 9往復、西頴娃 1往復、   枕崎駅前 2往復となっており、西頴娃〜西門之浦を通る便は、山川港〜枕崎   駅前の2往復のみである。 (6)西門之浦・東白沢・枕崎駅前  ・一方、枕崎駅前の発着便では、東白沢 2往復、西門之浦 3往復、山川港 2往   復となっていた。 (7)JR以降の路線改廃  ・1993(H5).3.18改正時刻表によると、枕崎高校前発着便が日祝運休で1往復ある。   どこかのタイミングで復活した模様。  ・1996(H8)年頃?に、ウエルフェア九州病院に乗り入れた模様。休止中の第一   区間の部分復活と思われる。なお、バス停表記は「ウェル」だったようだ。             Λ薩摩別府・尾之上・枕崎駅前             |   南板敷 ウエルフェア|   尾之上 九州病院  +   枕崎駅前 ○   /|   <…………+−−+…○−−−○−>西門之浦・東大川・西頴娃・山川            西白沢 東白沢
2015 年 10 月 02 日 23:50:24 (15018) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【904】山川線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇山川線   山川本線    1 山川港−利永−薩摩別府−枕崎高校前    2 山川港−徳光    3 西白沢−尾之上   川尻線    1 東大山−川尻港−開聞岳    2 長崎鼻口−長崎鼻 1.2 路線略図         薩摩         別府     板敷○−−○     石垣       |  | 中塩屋 駅前    尾之上○−−○−−○−−−○−−・           鰻  ◎山川       | 西白沢         \   利永 東大山 入口 |       |           頴娃町○   ○−−○−−○−−+     枕崎駅前○              |開聞岳|  |\/   +−○山川港       |              ・−○−・  |/\ 大山|/  枕崎高校前○                |    +  ○駅前+                        |    |     ○天神坂                        |  徳光○−−−○−+                        |   /   竹山口                     川尻港○−−○長崎鼻口                           |                           ○長崎鼻 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・山川線は、1935(S10)年に山川港〜利永〜薩摩別府〜枕崎が開業したのがルーツ  で、1938(S13)年に東大山〜川尻港〜開聞岳が開業し、1951(S26)年に西白沢〜  尾之上、1956(S31)年に山川港〜竹山口〜徳光及び長崎鼻口〜長崎鼻が開業した。 ・この路線は、国鉄指宿線(→指宿枕崎線)山川駅と南薩鉄道(→鹿児島交通)  枕崎駅とを結ぶ鉄道敷設法予定線に該当し、鉄道の先行・短絡路線であった。 ・交通協力会「交通年鑑」1961(S36)年版によると、鉄道枕崎線山川〜西頴娃間(  17.7km)は1960(S35)年3月に開業したが、次の要領で国鉄バス(山川線)との  協同輸送を行っていた。   ア 旅客のみ取扱い、手小荷物及び貨物は国鉄バスによって従来通り輸送   イ 気動車は通勤通学時間帯のみ朝夕2往復ずつで、その他の時間帯は国    鉄バスで輸送   ウ 自動車線有効の定期乗車券所持の旅客は鉄道との共同輸送ができる   エ 特別運賃を設定し割増した計算キロ程を定め、鉄道運賃が自動車運賃    より高い場合は調整している   ・座談会「営業所長増収について大いに語る」(「国鉄線」1971(S46)年10月号所  収)には山川自営所長が出席しており、次のような内容を発言していた。   今年の夏場は、貸切収入の増加、周遊客の増加、日本一のソーメン流し唐船   峡に定期便を乗入れ及び土日に臨時便を設定して対前年10%の増収を図ること   を目標としたが、2度の台風で実質3日間の全面運休を余儀なくされ、対前年   102%に終わった。 ・1985(S60)年当時、線内の山川港に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として山川自動車営業所(営業所前)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、山川線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    山川港・営業所〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜枕崎駅前 3往復(所要1     時間54分)    山川港・営業所・山川〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜開聞駅前 6往復(     所要53分)    山川港・営業所〜東大山〜長崎鼻口〜開聞山麓 下り6本・上り5本(所     要41分) 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、山川本線の鰻入口〜  徳光、東大山〜大山駅前、仙田〜唐船峡及び山川港〜天神坂が認知された。  (1989(H1)年頃のJR九州自動車路線図所収の「開業年月日一覧表」によると、  鰻入口〜徳光及び東大山〜大山駅前は1985(S60)年3月14日開業とある。) ・国鉄民営化を経て、山川線はJR九州に継承された。 ・1988(S63)年11月に東大山〜利永〜仙田〜開聞岳が廃止された。 ・1989(H1)年頃のJR九州自動車路線図には、天神坂〜竹山口〜徳光、仙田〜唐  船峡は描かれていないので、民営化後この時までに廃止された模様である。 ・九州旅行案内社「総合時間表」1994(H6)年7月号(H5.8.1現行)によると、山川  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (平日ダイヤ)    営業所・山川〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜枕崎駅前 2往復(所要1時     間41分)    営業所〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜西頴娃 1往復(所要47分)    営業所・山川〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜開聞駅前 6往復(所要44分)    営業所〜山川 5往復(所要10分)(うち下り1本学休日運休)  (休日ダイヤ)    営業所・山川〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜枕崎駅前 下り2本・上り1     本(所要1時間41分)    営業所・山川〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜開聞駅前 5往復(所要44分)    営業所〜山川 3往復(所要10分) ・2000(H12)年5月30日に上記以外の山川線全線が廃止され、併せて、山川営業所  も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、山川線には接続駅(山川、  開聞(開聞駅前)、東入野(入野)、頴娃(頴娃町)、西頴娃及び枕崎(枕  崎駅前))の他、山川港、開聞岳、石垣駅前、中塩屋及び川尻港に第二種委  託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・1989(H1)年頃のJR九州自動車路線図所収の「運輸協定路線一覧表」による  と、1956(S31)年7月18日付けの鹿児島交通との覚書で、山川港〜浜児ヶ水〜  長崎鼻間の運転回数は両者とも2往復とするとされていた。
2015 年 09 月 29 日 20:42:45 (15017) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【525】恵那線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇恵那線   恵那本線    1 明知−中津川    2 遠山追分−上切−恵那富田    3 橋場−阿木    4 根之上−根之上高原    5 中京短大口−中京短大   坂本線    1 恵那駒場−美乃坂本 1.2 路線略図                       恵那                辻原口 後田 尾崎   中津川                  ○−−○−−○ 恵那  ◎                 |  |   \駒場 /             美乃坂本◎  ・−−−−○−・                         |                   中京短大○−○中京短                         |大口                         |                         |                  根之上高原○−○根之上                         |                         |                         ・                    阿木◎ /                      |/           上切         ○橋場       ・−−−○−−−−−・   /       |          \ /   遠山追分○−◎−−−◎岩村   ○恵那富田       | 山岡   \   /       |       ○−・  品野<−−◎明知     殿町 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・恵那本線1 山岡〜遠山追分 ・恵那本線2 遠山追分〜上切〜恵那富田 ・恵那本線1 恵那富田〜岩村 ・坂本線1 美乃坂本〜恵那駒場 ・恵那本線1 恵那駒場〜中津川 2.2 掲載 ・31日目 7/11(木) 32日目 7/12(金) S61.4号 7.中部編 単行本 p158〜160 2.3 行程 ×山岡2030頃→2035頃遠山追分(2050頃明知) タクシー ○明知0717→0806岩村 恵那本線「本郷線」 明知発 岩村行(上切経由)                         331-4076(いすゞP-LR312J) ○美乃坂本0937→1013中津川 坂本・恵那本線 発 中津川行                            538-6003(日デU20H) 2.4 エピソード ・山岡バス停からきっぷの経路の遠山追分を通るバスは10時09分発の明知行き1  本だけで、やむなく明知のタクシー会社の車に山越えで来てもらい明知の宿に  入った。途中で遠山追分を確認し明知〜遠山追分(0.6km)はタクシー代行。 ・明知0717発の岩村行きバスには瀬戸自営の職員らしき乗降調査マンが乗ってい  た。「少なくとも1人はお客さんが増えた」と運転士は喜んでくれたが、その  後さっぱり地元の人が乗らない。「本郷線」と呼ばれる裏道にかかると、運転  士は人のいない停留所に停まったり、徐行したり。「ここらで2人はいつも乗  るんやが。雨の日に調査してくれたら絶対増える。もう一度やり直してくれん  かな」と半ば本気のような冗談を口にする。乗降人員と整理券、定期券発行枚  数、現金などが合わないといけないそうだ。 ・上切の近くで保育園児が10人ほど手に手に定期をかざしながら、ようやくまと  めて乗った。「この子たちのために来るようなもんだわ」と運転士がつぶやく。  飯羽間駅近くを大回りしたバスは小学生、高校生を何人か乗せたり降ろしたり  しながら岩村に着いた。 ・坂本線のバスで大回り。道の悪い所ばかり寄って走るような路線だが、恵那地  区とはうって変わって利用が多い。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・恵那線は、中馬線の支線として、1952(S27)年に明知〜中津川が開業したのが  ルーツで、1953(S28)年に中津川〜美乃坂本(→坂本線)、1954(S29)年に根之  上〜根之上高原、1955(S30)年に橋場〜阿木、遠山追分〜上切〜恵那富田が開業  した。 ・この路線は、沿線地方の産業文化の発展助長を図る他、根之上高原、保土沼等  の観光開発をも使命としていた。 ・1962(S37)年10月に恵那線は中馬線の部から独立し、恵那線の部(恵那本線及び  坂本線から構成)が編成された。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、瀬戸自動車営業所明知支所(  明知)及び同中津川派出所(中津川市内)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年11月16日、恵那本線の明知〜根之上、遠山追分〜上切〜恵那富田  及び橋場〜阿木の廃止が公示された。併せて、同日、瀬戸自営明知支所が廃止  された。同年12月10日、瀬戸自営中津川派出所が同中津川支所に昇格した。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、坂本線の恵那駒場〜後  田が認知された。 ・民営化時(1987(S62)年4月1日)に山手町〜松源寺が開業した。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、恵那線はJR東海バスに継承された(この  時点で中京短大口〜根之上高原は休止中であった)。 ・1989(H1)年に中津川市民病院乗入れが開始され、松源寺〜市民病院、恵那追分  〜市民病院〜星ヶ見〜辻原口が開業した。 ・「自動車線普通旅客運賃表」の恵那線の項には、1989(H1).4.1から実施のもの  では中津川から根之上、根之上高原までの運賃が載っているが、1991(H3).12.1  から実施のものではこれらの区間の運賃が載っていない。従って、中京短大口  〜根之上〜根之上高原はこの間に休止されたと解される。 ・1998(H10)年に市民病院〜星ヶ見〜辻原口、三菱工場前〜後田(大峡経由)が  廃止された。 ・「JR時刻表」2001(H13)年12月号(11/1現在)によると、恵那線には次のような  系統が設定されていたのを確認できる。なお、「各線区間便多数あり」「土休  日は中津川〜市民病院、中津川〜上手賀野の区間便のみ運転」との注記が付さ  れていた。  (平日時刻)    中津川〜市民病院〜美乃坂本 下り2本・上り3本(土休日は上り1本の     み運転)    中津川〜中京学院大学 2往復 ・2002(H14)年1月末限りで恵那線(中津川〜中京短大、三菱工場前〜美乃坂本、  後田〜市民病院前〜恵那追分)は全廃され、路線は北恵那交通(株)に移管され  た。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、恵那線には接続駅(明知、山  岡、岩村、中津川、阿木及び美乃坂本)のみ置かれていた。
2015 年 09 月 29 日 20:41:19 (15016) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【524】中馬線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇中馬線    1 明知−品野    2 上品野口−名学大前 1.2 路線略図                             中津川                             岩村                     十三塚     遠山追分                    ・−○−−○    Λ   多治見   名学大前      /    陶町\   |    Λ   ・−○   ・−○−・        ・−−◎明知    |  /上品野  / 柿野  品野○−○−−○−−○  温泉    | 上品   片草    V 野口   瀬戸   記念橋 ※瀬戸記念橋〜品野〜多治見は瀬戸北線、明知〜遠山追分〜岩村〜中津川は恵那線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・中馬線1 品野〜上品野口〜片草〜柿野温泉〜明知 2.2 掲載 ・31日目 7/11(木) S61.4号 7.中部編 単行本 p156〜158 2.3 行程 ○瀬戸記念橋1826→1955明知 瀬戸北・中馬線 名古屋発 明知行                          538-2473(日デK-U31L) 2.4 エピソード ・瀬戸記念橋からの明知行きもぎっしり。市内の停留所に停まるたび下校生と勤  め帰りの人たちでますます込み、やがて品野近くから下車客が増えていった。  瀬戸市から岐阜県に入ると嘘のように閑散。峠を越えて柿野温泉で5分間休憩。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・中馬線は、1951(S26)年4月に品野〜上品野、同年6月に明知〜上品野が開業し  たのがルーツで、沿線地方の産業文化の発展助長を図ることを使命としていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1984(S59)年3月号(2/1現在)によると、中馬線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    名古屋〜瀬戸記念橋〜上品野〜明知 2往復    (下り)      名古屋1125→  明知      名古屋1655→2002明知    (上り)      明知0730→1039名古屋      明知1300→1609名古屋    名古屋〜瀬戸記念橋〜上品野 下り3本・上り5本(うち1本は上品野〜     瀬戸追分休日運休)    名古屋〜瀬戸記念橋〜名学大 4往復(うち上り2本は休日運休) ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、瀬戸自動車営業所明知支所(  明知)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、中馬線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    名古屋〜瀬戸記念橋〜上品野〜明知 下り2本    名古屋〜瀬戸記念橋〜名学大 上り1本 3.2 旅から30年 ・1985(S60).11.16に瀬戸自営明知支所が廃止された。 ・1986(S61).11.1に片草〜明知が廃止された。(「JR東海バス10年史」による) ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、中馬線はJR東海バスに継承された。 ・2000(H12)年10月1日改正の時刻表によると、中馬線には次のような系統が設定  されていた。  (平日)    瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜片草 4往復    瀬戸市・追分〜品野〜上品野 下り16本・上り17本    瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜名学大 下り18本・上り16本  (第1・3土曜)    瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜片草 下り4本・上り3本    瀬戸市・追分〜品野〜上品野 下り20本・上り19本    瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜名学大 下り14本・上り12本  (日祝、第2・4土曜)    瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜片草 下り4本・上り3本    瀬戸市・追分〜品野〜上品野 下り19本・上り18本    瀬戸市・追分〜品野〜上品野〜名学大 下り12本・上り10本 ・2002(H14)年3月末限りで上品野〜片草が廃止された。 ・2009(H21)年9月末限りで瀬戸支店管内一般路線全廃に伴って、最後まで残った  品野〜上品野も廃止された。併せて、(瀬戸自営→)瀬戸支店も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、中馬線には接続駅(明知)の  み置かれていた。
2015 年 09 月 27 日 18:47:42 (15015) 山城こうじ国鉄周遊券育ちさんの書き込み 政宗3号さんの書き込みを拝見しています。 長野県、霧ヶ峰地区について思うこと。 提示して下さる路線図からは、 地元事業者「諏訪バス」と、 いかに確執があったか読み取れます。 現在のアルピコ交通のメインルート、 152号線大門街道、 ビーナスライン南部、 県道40号線の上諏訪〜霧ヶ峰などに、 国鉄バス運行がまったくなく、 諏訪バス側は、当時の花形輸送を、 国鉄に譲歩することなく、 徹底的に死守したことが分かります。
2015 年 09 月 27 日 14:06:41 (15014) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【707】窪川線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇窪川線    1 窪川−仁井田−土佐興津    2 窪川−志和    3 窪川−窪川中学校前    4 仁井田−床鍋    5 襟−飯野川    6 襟−神野々    7 帰全農場前−奈路 1.2 路線略図                       床鍋○                         |                     影野駅前○                         |                         ○六反地                     仁井田/ 駅前                窪川中    ◎         土佐大越●  学校前   +             ・   ○   / \神野々  飯野川    土佐 ●     ・    \ /   ○−○奈路 ○    下津井・  瓜生野●     ◎窪川  | |\ /       ・      ・南川口・ \   | | + 志和峠       ・       ●・・ 見付○−−○−○−○−−○−−○志和       ・      ・        本|帰全 襟        +●・・・●秋丸       堂|農場前  ●・・・・・ 土佐  ・          ・ 江川崎     田野々 ・           \             ・            ○興津峠             ・            |             ●日の谷         |                          ・−○土佐興津 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・窪川線2 窪川〜本堂〜襟 ・窪川線6 襟〜神野々 ・窪川線1 神野々〜仁井田 2.2 掲載 ・+6日目 9/22(日) S61.1号 4.四国編 単行本 p352〜354 ・連載誌のみ 飯野川回転場の写真 2.3 行程 ○窪川0942→1027志和 窪川線 窪川発 志和行 331-6027(いすゞBA05N) ○志和1041→1107襟 窪川線 志和発 窪川行 331-6027(いすゞBA05N) ○襟1139→1145飯野川 窪川線 窪川発 飯野川行 331-6025(いすゞBA05N) ○飯野川1151→1210仁井田 窪川線 飯野川発 窪川行 331-6025(いすゞBA05N) 2.4 エピソード ・9時15分ごろ、窪川駅前に貸切表示の国鉄バスが2両停まった。観光バススタ  イルの641-5901と小型の331-1407で不揃いの上、6形には女性ガイドが乗り、  3形には男性の国鉄職員が添乗。窪川自営には貸切に使っても恥ずかしくない  6形は1両だけで、ガイドも日頃は事務の女性職員1人だけで、お客が多いと  こんな状態になるという。 ・本堂では「興津方面へお乗り換えの方は、整理券に乗り換え印をもらって、そ  のままお待ちください」と放送が流れ、しばらく停車。すると左手の辻から、  窪川を5分前に出た土佐興津行きがやってきた。2つの路線が十文字に交差し  ていて相互に乗り換えができ、運賃は通算するダイヤだった。 ・集落の中の狭い道を抜けて襟を過ぎると、「志和峠、海抜260m」の立て札が見  え、すごいSカーブを下り出す。遥か右下の谷あいに集落がのぞき、右遠くに  入り江がちらりと見えた。漁村へ下りて防波堤にぶつかった所が終点志和。興  津系統も似たような難路とのこと。 ・襟は全く何もない三差路。飯野川行きは飯野川で仁井田経由窪川行きとなるの  で飯野川まで乗りとおすと、ほとんど人影のない細道を行き、先客の中学生も  飯野川で座ったまま。仁井田方面へ行く場合、弘見〜飯野川の区間外乗車が認  められているようだ。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・窪川線は、1945(S20)年に床鍋〜窪川〜土佐田野々〜江川崎〜吉野生が開業した  のがルーツで、1949(S24)年に土佐田野々〜大奈路、1950(S25)年に仁井田〜土  佐興津、窪川〜本堂、1952(S27)年に大奈路〜下道口、本堂〜志和が開業した。 ・この路線は、土讃線と宇和島線を結ぶ鉄道先行並びに代行路線として開設され、  沿線地方の産業開発・文化の発展助長の使命をも有していた。 ・「国鉄四国支社監修時刻表」1965(S40)年11月1日によると、窪川線には次のよ  うな系統が設定されていた。    窪川〜田野々〜十川〜江川崎 下り6本・上り7本(所要3時間10分)    窪川〜田野々〜十川 下り1本(所要2時間13分)    窪川〜田野々 3往復(所要1時間5分)    窪川〜日の谷口 3往復(所要47分)    窪川〜折合 2往復(所要1時間)    十川〜江川崎 下り1本(所要55分)    田野々〜下津井 2往復(所要1時間20分)    窪川〜仁井田〜本堂〜上ノ加江 1往復(所要1時間28分)    窪川〜仁井田〜本堂〜種畜場前 下り1本(所要32分)    窪川〜見付〜本堂〜種畜場前 下り1本・上り2本(所要24分)    窪川〜仁井田〜本堂〜志和 上り1本(所要1時間9分)    窪川〜見付〜本堂〜志和 下り3本・上り2本(所要1時間4分)    窪川〜仁井田〜本堂 2往復(所要28分)    窪川〜仁井田〜土居〜本堂 1往復(所要48分)    窪川〜見付〜本堂 下り2本・上り1本(所要20分)    仁井田〜本堂 上り1本(所要15分)    仁井田〜土居〜本堂 1往復(所要35分)    窪川〜仁井田 上り1本(所要13分)    窪川〜西見付 2往復(所要5分)    窪川〜仁井田〜床鍋 2往復(所要37分)    窪川〜仁井田〜本堂〜興津 下り3本・上り2本(所要1時間23分)    窪川〜見付〜本堂〜興津 下り1本・上り2本(所要1時間15分) ・国鉄予土線(窪川〜江川崎)の開業に伴って、1974(S49)年3月28日から、窪川  本線の窪川〜江川崎、南川口〜土佐大越及び秋丸〜日の谷口、梼原線(田野々  本町〜土佐下津井)が休止され、1975(S50)年3月1日に廃止された。 ・「国鉄バス窪川線時刻表」1983(S58)年4月5日によると、窪川線には次のよう  な系統が設定されていた。    窪川〜仁井田〜本堂〜興津 5往復(所要1時間12分)    窪川〜見付〜本堂〜興津 1往復(所要1時間9分)    窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前〜襟〜志和 5往復(所要59分)    窪川〜仁井田〜土居〜弘見〜飯野川 下り2本・上り1本(所要35分)    窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前〜襟〜弘見〜飯野川 下り1本・上り2本     (所要29分)    窪川〜仁井田〜奈路〜土居〜弘見 下り1本(所要33分)    窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前〜襟〜弘見 1往復(所要27分)    仁井田〜奈路〜帰全農場前 下り1本(所要16分)    仁井田〜奈路〜土居〜弘見 上り1本(所要23分)       窪川〜仁井田〜奈路〜帰全農場前 上り1本(所要26分)    窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前 1往復(所要23分)    窪川〜仁井田〜床鍋 3往復(所要22分)    窪川〜仁井田 1往復(学休日運休)    窪川〜西見付 1往復(土日祝学休日運休)    窪川〜窪川中学校前 3往復(日祝学休日運休、うち1往復は土曜運行) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、窪川線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    窪川〜飯野川 下り2本・上り3本(所要21分)    窪川〜志和 4往復(所要45分)    窪川〜土佐興津 5往復(所要57分) 3.2 旅から30年 ・国鉄末期の1986(S61)年12月28日、襟〜飯野川、襟〜神野々及び帰全農場前〜  奈路の廃止が公示された。 ・国鉄民営化を経て、窪川線はJR四国に継承された。 ・「四国旅客鉄道バス窪川線時刻表」1990(H2)年3月10日改正によると、窪川線  には次のような系統が設定されていた。    窪川〜仁井田〜本堂〜興津 下り5本・上り4本(所要54分)    窪川〜見付〜本堂〜興津 下り2本・上り3本(所要48分)    窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前〜襟〜志和 5往復(所要41分)    窪川〜仁井田〜本堂〜帰全農場前〜襟 上り1本(所要22分)    窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前〜襟 下り2本・上り1本(所要16分)    窪川〜仁井田〜床鍋 3往復(うち日祝学休日運休2往復、土曜運行学休     日運休1往復)(所要22分)    窪川〜窪川中学校前 5往復(日祝学休日運休、うち2往復は土曜運行) ・1993(H5)年3月末限りで窪川〜本堂〜襟〜志和、仁井田〜床鍋が廃止された。  同年9月末限りで窪川〜窪川中学校前が廃止された。 ・最後まで残った窪川〜仁井田〜土佐興津が1994(H6)年3月末限りで廃止され、  窪川線は全廃となった。併せて窪川営業所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・エピソードの冒頭に登場した、641-5901は1975(S50)年式のいすゞBU15KP(富士  重工車体)で経年の貸切車(エアサス、冷房車)、331-1407は1981(S56)年式の  いすゞK-CCM410で冷房こそ装備されているが2扉の路線車である。
2015 年 09 月 27 日 12:41:50 (15013) ふもふも館長さんの書き込み 報告が遅くなったが、8月末の大船渡線BRT・気仙沼線BRT再訪について報告する。 大船渡線BRT・気仙沼線BRTの路線図 http:‖www.magame.jp/fumo/jrbrt.html 前回訪問は、2013年GWで、この時の様子は、不毛板(14587)(14593)で報告済。 この時は、釜石から盛のサンリアSC前まで、岩手県交通の釜石大船渡線に乗車して いるが、三陸鉄道の復旧に伴い、2014-04-05限りで廃止。結果、上大畑〜大石線 荒川〜越喜来線 越喜来は、バスが無くなったようだ。 http:‖www.iwatekenkotsu.co.jp/%E8%B7%AF%E7%B7%9A%E5%9B%B3/kamaisi.pdf http:‖www.iwatekenkotsu.co.jp/%E8%B7%AF%E7%B7%9A%E5%9B%B3/oohunato.pdf 今回は、東北急行 仙台線スイート号、宮城交通 仙台−気仙沼線を乗り継いで 盛に入った。陸前高田市役所前〜商人橋〜盛駅前は、BRTルートと異なり、 鳴石団地付近から、廃止された大船渡線BRTの2014年冬季ルートを通り、旧遠野線 大石沖バス停付近から、さきほど通った道で、奇跡の一本松バス停付近まで戻り 国道45号〜高田道路を経て、大船渡市役所付近まで、国道を通った。 なお、岩手県交通の一関大船渡線も、同じルートを走ると推測する。この路線の 特筆すべき点は、以下の通り。 ◇大船渡線BRTの廃止ルート:陸前高田〜鳴石団地付近〜馬場前付近  ※特に、鳴石団地付近〜馬場前付近は、冬季限定ルートだった区間 ◇陸前高田の海岸ルート:奇跡の一本松付近〜高田病院分岐点  ※車窓から津波を受けたアパート跡を見る事ができた ◇高田道路:通岡IC〜大船渡碁石海岸IC  ※厳密には、廃止された大船渡線BRT通岡峠ルートとは異なる 盛から陸前高田までBRTに乗車。大船渡駅付近の専用道が、一部廃止され、 一般道経由になっており、驚いた。この付近は、区画整理が進んでおり、 航空写真と地図を比較すると、変更されたルートは、既存の一般道の東に新たに 作られた道である事がわかる。 前回乗車時は、一般道であった大船渡〜小友が、バス専用道になっていた。 高田病院バス停は、前回訪問時も同じ位置であったが、その先、鳴石団地へ向かう 途中で南に折れ、2014-12-11開業区間に入った。海岸に近くなると、さきほど、 車窓から見た津波を受けたアパート跡が見えてきて、右折。新設された高田高校前 バス停を通る。この付近は、もともと真っ直ぐだった道が、S字カーブな線形に 改良されている。 このあたりから嵩上げ工事が進み、工場地帯にいるような錯覚を感じる。馬場前 バス停跡付近から、旧陸前高田駅が望めるはずだが、通過した事に気づかなかった。 移設された陸前高田も初体験。2分乗り換えで、観光型(海)に乗り、高田高校前 まで戻る。車内は、天井窓があり、海岸や貝殻を模したオブジェがあり、シート柄 も海の家みたいで楽しい。ここから奇跡の一本松バス停まで、約1時間をねん出。 旧市街地に行く道は、2015-02-10から立ち入り禁止となっていた。さきほど、 見た被災アパートの近くまで移動。5階建てアパートだが、14.5m(5階30cm程度?) まで津波が来たようで、津波の高さを示す看板が付けてあった。 ここから、誰も歩いていない国道を通り、復興まちづくり情報館を見学。急ぎ、 奇跡の一本松まで行こうと走るも、バス停から意外に距離があり、奇跡の一本松を 臨める、希望のかけ橋付近で折り返し、BRTで気仙沼に向かった。鹿折唐桑からの 専用道も初体験。この付近にあった漂流船は撤去されたようだ。 気仙沼駅付近で昼食と思っていたが、市内観光循環バスが運行していたので、これ に乗車し、気仙沼海の市・観光サービスセンター前(シャークミュージアム)で 下車。わずか30分の滞在であったが、美味しいお昼を頂くことができた。 ここからe-BRTに乗る予定であったが、普通車両が来てガッカリしてしまう。前回 訪問時は、駅前から一般道であったが、今回は駅から専用道で、ここも初体験。 大谷海岸で下車。10分折り返しで、今度は、観光型(旅)で、陸前階上まで戻る。 車内は、天井窓があり、森の住民?やキノコのオブジェがあり、こちらも楽しい 車両であった。陸前階上は、プラットフォームや跨線橋が残り、鉄道駅の雰囲気を 残していた。 最後は、前谷地行の終バス。蔵内〜歌津の専用道は初体験であったが、10-05より 工事のため、一般道経由に戻るらしく、タイミングが良かった。清水浜〜志津川の 専用道は、今回も乗車できなかった。志津川市内も区画整理があり、前回訪問時の ルートと比較すると、旧街なか交流館付近を中心に、南東と北西に張り出すように 道路線形が改良されたようだ。旧志津川駅付近も、交差点の付け替え等があった。 志津川〜陸前戸倉の専用道も初体験。 柳津から前谷地に向かうルートも初体験。陸前階上の乗車時は、ほぼ満席であった が、柳津までに降りてしまい、これより先は貸切に。ルートは県道61号〜21号を 基本としつつ、桃生豊里IC付近を通るなど、想定外ルートであった。
2015 年 09 月 27 日 06:07:30 (15012) MIRAGEさんの書き込み JRバス関東の旧国鉄バス塗装復刻車ですが,現在も宇都宮支店で運行されています。
2015 年 09 月 26 日 17:51:25 (15011) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【304】白樺高原線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇白樺高原線   白樺高原本線    1 小諸−望月−西白樺湖−霧ヶ峰−東餅屋−扉峠−美ヶ原落合−山本小屋     −美ヶ原美術館    2 小諸−県立農大前−芦田−長窪古町    3 小諸大久保−保養センター    4 鴇久保口−山浦    5 観音坂−東塩沢    6 立科野方−宇山    7 西白樺湖−大門落合    8 大門追分−鷹山   蓼科高原線    1 蓼科牧場−南平−蓼科温泉    2 南平−東白樺湖   霧ヶ峰線    1 霧ヶ峰−上諏訪 1.2 路線略図                            ○山本小屋                  下諏訪       | 上諏訪              西餅屋       +−○美ヶ原  ◎−>岡谷            Λ        |  美術館  |        霧ヶ峰  八島 |    扉峠  |  ○上諏訪  池の  ○ ・−○−−−−+−−○−−−○美ヶ原落合  |清水町  くるみ |/     |/      /  ○−−−○−−○−−○      ○東餅屋   / 普門寺 霧ヶ峰   /霧ヶ峰インター 西餅屋<−○上和田     農場   / チェンジ    下諏訪  |    長窪         ○車山             |長久保 古町         |高原  姫木平 鷹山  ・−−○−○−−○−>丸子町・上田     西白樺湖○   ○中央  ○  /  大門   /         |\  |   /  /   落合  /      東白樺湖○ ・−+−−○−−○入大門    /        /|     大門追分   宇山○−・    奥白樺○ |蓼科           /|蓼科      保育      保養セ      /  |牧場        芦田/ ○高校  西塩  所前      ンター   南平○−○−○−−○−−○−−○−−○  |前  ○沢  ・−○    鴇久 ○    / 小松川  女神湖 雨境 芦田 |\ |  /|  /  |    保口 |   /  寮入口         古町 | ・○−○−○−・ 御牧○  県立 ○−○−・  ○                  | 立科 東塩 観音 上  \ 農大/|小諸 | 蓼科温泉             茂田井○ 野方 沢  坂      ○−○ ○大久保|高峰                      \            いち  山浦   |温泉                       \           ご平     小諸◎−>                        ○望月                 |                         \         塩名田      |                          ・−−−−−−−−−○−−−−−−−・ ※下諏訪〜西餅屋〜東餅屋は和田峠南線、上和田〜大門落合〜長窪古町〜丸子町〜  上田、上和田〜美ヶ原落合は和田峠北線 ※白樺高原本線の西白樺湖〜霧ヶ峰〜東餅屋〜山本小屋〜美ヶ原美術館は、関東地自  (小諸自営)及び中部地自(下諏訪自営)の共管区間。霧ヶ峰線は中部地自(下諏  訪自営)所管。それ以外の区間は関東地自(小諸自営)所管。 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・霧ヶ峰線1 上諏訪〜上諏訪清水町〜白狐入口〜池のくるみ〜霧ヶ峰 ・白樺高原本線1 霧ヶ峰〜東餅屋〜扉峠〜美ヶ原落合 ・白樺高原本線7 大門落合〜西白樺湖 ・白樺高原本線1 西白樺湖〜東白樺湖 ・蓼科高原線2 東白樺湖〜南平 ・蓼科高原線1 南平〜蓼科牧場 ・白樺高原本線1 蓼科牧場〜芦田 ・白樺高原本線2 芦田〜長窪古町 2.2 掲載 ・33日目 7/13(土) S61.4号 7.中部編 単行本 p161〜164 ・単行本のみ 山本小屋バス停の写真 2.3 行程 ○上諏訪0800→0847霧ヶ峰 霧ヶ峰線 上諏訪発 東白樺湖行 538-5471(日デP-U32K) ○霧ヶ峰0905→1019山本小屋 白樺高原本線 霧ヶ峰発 山本小屋行                            538-1901(日デK-UA31L) ○山本小屋1110→1315東白樺湖 和田峠北・白樺高原本線 山本小屋発 東白樺湖行                            538-6006(日デUA30H) ○東白樺湖1408→1453芦田 白樺高原本線 東白樺湖発 芦田行                            648-5971(日デP-RA52R) ○芦田1541→1610長久保 白樺高原本線 芦田発 長久保行 538-5901(日デUA30L) 2.4 エピソード ・上諏訪からの東白樺湖行きは観光ルートなので、列車から降りた10人ぐらいの  女の子たちが乗ってきた。霧ヶ峰までは悪路なので誘導員と呼ばれる係員がつ  く。途中のバス停には新聞受けの箱が備えており、誘導員がビニール包みを入  れていく。 ・霧ヶ峰で降りる時丸い途中下車印が押された。霧ヶ峰・白樺湖地区の国鉄バス  は、かねてから下車印が徹底しており、運転台に10個ほどの印が並べて置いて  ある。 ・雨足は弱まらず山本小屋行きでビーナスラインをたどると、運転士は黄色いセ  ンターラインが頼りのよう。東餅屋の名物力餅も店を閉じている。雨は弱まっ  たが視界を奪われたまま山本小屋へ5分延着。乗降のないこの便が遅れたのは  よほど走りにくかった証拠。 ・長久保経由東白樺湖行きには年かさの女性車掌と見えた誘導員が乗っていた。  長久保で25分の大休止、運転士の勧めに従って、待ち時間中に駅隣の食堂で昼  食を済ませる。ここでお客もがらりと替わり、土曜なので下校高校生、途中か  ら保育園児も乗り、山間の集落に散っていく。ペンション村のような姫木平を  一回りしてS字カーブをたどると西白樺湖。 ・南平経由は20日から8月末までの盛夏だけの運転なのでカット。 ・芦田からは丘陵地帯の生活路線で、小さな峠を越えて長窪古町へ。学者村など  の別荘地、民宿の看板が現れ、高校生がぱらぱら降りる。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・白樺高原線は、1940(S15)年に白樺湖線(諏訪線の支線)大門落合〜入大門が  開業(1952(S27)年に白樺湖まで延伸)し、1955(S30)年に白樺湖線白樺湖〜  芦田〜長窪古町が開業し、1957(S32)年に小諸本線小諸〜県営農場前(→県営  農大前)〜芦田が開業したのがルーツで、同時に小諸線の部に再編成された。 ・小諸線は諏訪線(→和田峠南線)と連絡し中央線と信越線を短絡する使命を  有していた。また、その開業により、霧ヶ峰高原、蓼科高原、白樺湖及び美  ヶ原高原等の一連の観光地帯への連絡が容易にできるようになり、観光路線  の使命を帯びるに至った。その後1969(S44)年に小諸〜望月〜芦田が開業した。  さらに、1972(S47)年に小諸線は白樺高原線に改称された。 ・「国鉄自動車三十年史」(1961(S36)年)には、美ヶ原、白樺湖の季節輸送につ  いても、その遊覧客の増加とともに信越地自管内のみでは運用車の余裕がない  ので、十和田に準じた措置がとられていると述べられている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、小諸  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (小諸本線)    小諸〜白樺湖 下り7本・上り8本(所要2時間15分)    丸子町〜大門落合〜白樺湖 下り3本・上り4本(所要1時間22〜40分)    山本小屋〜白樺湖 下り6本・上り5本(所要2時間半)    小諸〜長久保〜上和田〜下諏訪 1往復(所要4時間5〜55分)    小諸〜長久保 下り2本・上り1本(所要1時間40分)  (霧ヶ峰線)    上諏訪〜霧ヶ峰 3往復(所要約1時間12分)  (美ヶ原線)    浅間温泉〜天狗の露地 6往復(うち1往復は10/1から土日運転)(所要     1時間30〜35分) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/20改正)によると、小諸  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (小諸本線)    小諸〜望月〜芦田〜東・西白樺湖 4往復(所要1時間49分)    小諸〜望月〜春日〜東白樺湖 2往復(所要3時間5分)     小諸〜農大〜芦田〜東・西白樺湖 1往復(所要約1時間55分)    小諸〜農大〜芦田 7往復    下諏訪〜東餅屋〜上和田〜扉峠口〜扉峠 1往復(8/2〜21運転)(所要     2時間14分)    上田〜長久保〜大門落合〜東白樺湖 下り5本・上り4本(所要1時間48分)    山本小屋〜上和田〜長久保〜東白樺湖  下り5本(うち8/31まで運転3     本)・上り4本(うち8/31まで運転3本)(所要2時間8分)  (蓼科高原線)    東白樺湖〜蓼科温泉 6往復(うち8/31まで運転4往復)  (霧ヶ峰線)    東白樺湖〜霧ヶ峰〜池のくるみ〜上諏訪 5往復(所要約1時間26分) ・「トピック・コーナー−白樺高原線−」(「国鉄線」1972(S47)年8月号所収)  には、白樺高原に入るには、現時点では中央線口からの入込が圧倒的に多いが、  将来は信越線口からの入込客の増加が予想されている。それはS47年度から小諸  〜白樺湖間(43.4km)に大型リアーエンジンバス638形高性能車を投入して13分  の時間短縮を図った結果、信越線経由の所要時間が中央線経由と全く同じにな  ったからであると述べている。また、国鉄では高性能車両投入を機会に、白樺  湖を車両基地とした夏山輸送体制を整えるともある。 ・「観光路線で活躍する国鉄バス」(「国鉄線」1973(S48)年2月号所収)には、  道路改善によって小諸〜白樺湖間が13分短縮されて小諸から白樺湖まで1時  間20分となった。その結果、上野から小諸経由で白樺湖まで3時間49分となり  新宿から中央線、茅野経由での所要時間に比べて17分短縮された。この輸送  改善によって小諸口からの観光客が大幅に増加しているとある。また「ビー  ナスライン」も霧ヶ峰から八島高原まで延長され将来は美ヶ原を経由して松  本まで全通の予定と述べられている。  (白樺高原線の輸送量と収入)             輸送人員 収入    1971(S46)年度実績 627千人 156百万円    1972(S47)年度見込 697千人 182百万円 ・座談会「レールのよきパートナーとして−自動車営業所長大いに語る」(「国  鉄線」1973(S48)年8月号所収)には、小諸自営所長の発言として、次のような  内容が載っている。   当自営管内では白樺高原線がドル箱で7〜8月の2か月間に自営全収入の40   %、約1億円を稼がなければならないので作戦を練っている。   夏の陣にあっては、観光直通便の設定(妙高1号・あさま51号とのタイアッ   プで上田〜白樺湖を直通輸送、妙高2号を小諸で受けて白樺湖直通便を運行)   と白樺湖を中心として蓼科牧場、霧ヶ峰方面への循環臨時便を設定して増収   を図る。   白樺湖に夏季車両基地を設置して車両3両、要員6名を配置し、臨時便運行   による小諸〜東白樺湖の回送ロスをなくす。これによる走行キロ削減が約63   00kmと見込まれる。   ガイドは、元職員で今はママさんになっている人によくお願いして、うちの   臨雇に来て下さいということでママさん8名、他臨雇関係30名を目下募集中。   あと管理職、助勤手配の20名で今夏を乗り切ろうとしている。 ・「われら第一線−小諸自動車営業所−」(「国鉄線」1976(S51)年8月号所収)  には、小諸自営(本所、長久保支所、松本支所)は職員数108名、配置車両49  両、年間輸送人員173万人に上っているとある。自営で最も忙しくなる時期が  夏山の輸送時期であり、この時期に本所の年間収入の6割近くの収入を上げて  いる。本所には30名の運転係がいるがうち12名が営業係兼務で、ピーク時は  運転士としてハンドルを持つがその他の時期は車掌をすると述べられている。  それでも夏山の時期は人手が足らなくて自営にいる職員総出でお客さんの整理  誘導に当たることもある。小諸〜東白樺湖間の「しらかばこ号」は、S50年5  月1日からマルスによる座席予約が始まり、乗車人員の把握に役立ち夏の波動  対策の一翼を担っている。現在の東白樺湖駅は近い将来、道路を隔てた斜め向  かいの建物の一角に移転する予定で、新駅舎には派出所が置かれ、助役1名、  営業デスク1名を常駐させてバス回送によるロスをなくし運行効率を上げる予  定と述べられている。 ・座談会「つばめのマークは今日も行く−自動車営業所長大いに語る」(「国鉄  線」1976(S51)年11月号所収)には、小諸自営所長の発言として、ピークの夏  山輸送は要員が足りないので、新潟鉄道管理局から最大15名程度の応援を得て  対応しているとある。 ・1977(S52)年8月にビーナスラインを通る東餅屋〜扉峠が開業し、1982(S57)  年に扉峠〜美ヶ原落合及び山本小屋〜美ヶ原美術館が開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、白樺  高原線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (白樺高原本線)    小諸〜望月〜芦田〜東・西白樺湖 5往復(うち「しらかばこ号」2往     復)(所要1時間27分)    小諸〜農大〜芦田〜東・西白樺湖 4往復(所要約1時間35分)    下諏訪〜東餅屋〜扉峠 1往復(11/5までの土休日運転)(所要65分)    下諏訪〜東餅屋〜霧ヶ峰 下り3本(うち11/5までの土休日運転が1本)     ・上り2本(うち11/2までの土休日を除く毎日運転が1本)(所要1     時間14分)    東白樺湖〜霧ヶ峰〜東餅屋〜上和田〜山本小屋 2往復(11/5まで運転     )(所要3時間15〜35分)    東白樺湖〜長久保〜上和田〜山本小屋 下り1本(11/5まで運転)(所要     2時間20分)    東白樺湖〜霧ヶ峰 上り1本(所要26分)    霧ヶ峰〜東餅屋〜扉峠 下り2本・上り1本(11/5までの土休日運転)     (所要45〜55分)    長久保〜西白樺湖〜東白樺湖 下り4本・上り3本(所要43分)  (蓼科高原線)    東白樺湖〜蓼科温泉 3往復(11/5まで運転)  (霧ヶ峰線)    東白樺湖〜霧ヶ峰〜池のくるみ〜上諏訪 5往復(所要約1時間25分)    霧ヶ峰〜池のくるみ〜上諏訪 下り3本(うち11/5までの土休日運転が     2本)・上り2本(うち11/5までの土休日運転が1本) ・「国鉄自動車五十年史」には、鉄道と直結する観光路線は一般的に収益性も  高いので、当該年度の新製車両も全面的に観光路線を中心に投入することと  したと述べられている。また、1975(S50)年度から白樺高原線の座席予約の  電算化(マルス化)を実施し鉄道との通し旅客の誘致とサービス向上を図っ  たとある。なお、ピーク期間中車両を集中して輸送力の増加を図る観光路線  の1つに白樺高原線(白樺湖・山本小屋輸送)が挙げられている。1979(S54)  年度における新製車両の主要観光路線波動輸送充当状況をみると、白樺高原  線については、第1次配属として小諸自営に5形車16両、下諏訪自営に5形  車4両の計20両が配属され、最終配属は小諸の16両のうち9両が京都自営、  7両が松山自営、下諏訪の4両は全車新居町自営であった。 ・信越地方自動車部の廃止に伴って、1985(S60)年3月に白樺高原線は関東地方  自動車局に移管された。 ・1985(S60)年3月に蓼科牧場〜大河原峠の廃止公示がなされ、同年4月に御牧  上〜畔田の廃止が公示された。 ・1985(S60)年当時、(自)小諸、芦田、蓼科牧場、東白樺湖、西白樺湖及び県  立農大前に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、小諸自  動車営業所(小諸市内)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、白樺  高原線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (白樺高原本線)    小諸〜望月〜芦田〜東白樺湖 3往復(うち11/4まで運転、8/31まで運     転各1往復)(所要1時間27分)    小諸〜農大〜芦田〜東・西白樺湖 下り7本(うち8/31まで運転1本)     ・上り6本(所要約1時間35分)    小諸〜農大〜芦田 4往復(所要約45分)    下諏訪〜東餅屋〜山本小屋 下り1本(9/1〜16の土休日運転)・上り     2本(うち9/16まで運転、8/31まで運転各1本)    東白樺湖〜霧ヶ峰〜東餅屋〜山本小屋 3往復(うち11/4まで運転が     2往復、8/31まで運転1往復)(所要1時間38〜44分)    東白樺湖〜長久保〜上和田〜山本小屋 上り1本(8/31まで運転)(所要     2時間5分)    東白樺湖〜霧ヶ峰 1往復(8/31まで運転)(所要49分)    霧ヶ峰〜東餅屋〜山本小屋 下り5本(うち9/16まで運転3本、8/31ま     で運転1本、9/16まで毎日と9/21〜11/4の土休日運転1本)・上り4     本(うち9/16まで運転2本、9/1〜16の土休日運転1本、9/16まで毎     日と9/21〜11/4の土休日運転1本)(所要1時間14分)    長久保〜西白樺湖〜東白樺湖 下り3本・上り4本(所要45分)  (蓼科高原線)    東白樺湖〜蓼科温泉 3往復  (霧ヶ峰線)    東白樺湖〜霧ヶ峰〜池のくるみ〜上諏訪 5往復(所要約1時間20分)    霧ヶ峰〜池のくるみ〜上諏訪 3往復(うち9/16まで運転が下り2本、     9/1まで毎日と9/7〜16の土休日運転が上り1本) 3.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1987(S62)年1月に鷹山〜鷹山スキー場が開業した。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、白樺高原線はJRバス関東に継承された。 ・1988(S63)年に小諸〜望月〜芦田が廃止された。1991(H3)年に霧ヶ峰線霧ヶ峰  池のくるみ〜上諏訪が廃止された。1992(H4)年に蓼科高原線(蓼科牧場〜南平  〜蓼科温泉及び南平〜東白樺湖)が廃止された。 ・小諸営業所管内「JRバス時刻表」1992(H4)年4月25日改正(11/4迄のダイヤ)  によると、白樺高原線には次のような系統が設定されていた。    小諸〜農大〜芦田〜東白樺湖 6往復(うち7/19〜8/23運転1往復、下り     2本・上り3本は塩沢新田経由)(所要約1時間半)    小諸〜農大〜芦田〜蓼科牧場 1往復(塩沢新田経由)(所要1時間19分)    小諸〜農大〜芦田 2往復(うち下り1本は土日祭休校日以外山浦経由、     下り1本・上り2本は塩沢新田経由)    小諸〜農大〜いちご平 下り4本(うち土曜運転休校日運休、土日祭休校     日運休各1本)・上り4本(うち日祭休校日運休、土曜運転休校日運休、     土日祭休校日運休各1本)    女神湖〜蓼科牧場〜東白樺湖 1往復(7/19〜8/23運転) ・1994(H6)年に立科野方〜蓼科高校前及び芦田〜宇山が廃止された。 ・1996(H8)年3月末限りで観音坂〜東塩沢(直行ルート)が、同年10月に大門追  分〜姫木平中央がそれぞれ廃止された。 ・北陸(長野)新幹線開業に伴って、1997(H9)年10月から白樺高原線(白樺湖系  統)を佐久平駅に乗り入れ開始した(佐久平駅〜望月〜芦田が開業(望月〜芦  田は再開))。同時に「御牧原線」の保育所前以遠(保育所前〜観音坂〜塩沢  新田〜東塩沢〜立科野方〜芦田)が廃止された。 ・小諸支店「白樺高原線時刻表」2002(H14)年9月1日改正によると、白樺高原  線には次のような系統が設定されていた。    佐久平駅〜望月〜芦田〜蓼科牧場〜東白樺湖 2往復    (下り)      佐久平駅1550→1659東白樺湖      佐久平駅1745→1854東白樺湖    (上り)      東白樺湖0710→0819佐久平駅      東白樺湖1710→1819佐久平駅    佐久平駅〜望月〜芦田〜蓼科牧場 1往復(土日祝は芦田〜蓼科牧場運休)      佐久平駅1830→1930蓼科牧場      蓼科牧場0615→0715佐久平駅 ・小諸支店「御牧原線時刻表」2002(H14)年4月1日改正によると、御牧原線に  は次のような系統が設定されていた。    小諸〜農大〜保育所前 3往復(うち土日祝運休2往復、日祝運休1往復)    小諸〜農大〜いちご平 下り5本(うち日祝運休、2・4土日祝運休各1     本)・上り6本(うち日祝運休1本、土日祝運休2本、土日祝運転1本、     2・4土日祝運休1本) ・2002(H14)年に「御牧原線」をいちご平発着に短縮した(いちご平〜保育所前  を廃止)。 ・2004(H16)年12月、同年度の夏季運行をもって、佐久平駅〜望月〜芦田〜東白  樺湖、東白樺湖〜霧ヶ峰〜東餅屋〜山本小屋〜美ヶ原美術館及び西白樺湖〜姫  木平中央を廃止した。 ・小諸市コミュニティバス「小諸すみれ号」の運行開始に伴って、2007(H19)年  9月末限りで「御牧原線」(小諸〜県立農大前〜いちご平、小諸大久保〜山浦  及び中山団地前〜あぐりの湯)が廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、白樺高原線には接続駅(小  諸)の他、県営農場前、芦田、蓼科牧場、東白樺湖及び西白樺湖に第二種委託  駅(自動車駅)が、入大門に貨物を扱う無人駅が置かれていた。 ※補足 国鉄バス「美ヶ原高原線」について ・国鉄バス「美ヶ原高原線」は、小諸自営松本支所(その起源は区間貨物運輸の  基地として1947(S22)年12月20日に開設された明科自動車区)が浅間温泉〜天狗  の露地(→美ヶ原高原)で運行(臨時経営)していた路線である。後述のよう  に毎年シーズンごとに臨時経営承認を得て運行した路線であることから、この  路線は「国鉄自動車路線名称」に登載されたことがなかった。また、路線の改  廃に関して公示されることもなかった。 ・その開設経緯を、国鉄新潟支社(1967)「三十年史」に基づいて概観すると、  1956(S31)年、本郷村森林組合が美鈴湖〜武石峠に開削した林道を利用して、  美ヶ原高原登山客の利便を図るため、同区間の国鉄バス運行を地元から陳情  されたのが発端である。この区間には林道と旧県道が並行している個所があり、  林道か県道かで紛争を起こし、関係官庁・関係業者と折衝の結果、1957(S32)  年12月に上浅間〜武石峠間の臨時経営(期間はS32.12.10〜S33.3.31)が承認  された。その後シーズン毎に臨時経営の手続きを経ているが、本免許について  関係業者である松本電鉄と基本的了解が成立(1961(S36)年12月)し、松本〜  美ヶ原〜長久保〜小諸間を運行することとなったが、なお話し合いに食い違い  があって実施が遅れていると述べられていた。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(8/28訂補)によると、「美ヶ原  線」には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (下り)    浅間温泉0800→0940天狗の露地    浅間温泉0900→1040天狗の露地    浅間温泉1320→1500天狗の露地  (上り)    天狗の露地1100→1235浅間温泉    天狗の露地1300→1435浅間温泉    天狗の露地1600→1735浅間温泉 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、「美  ヶ原線」のダイヤは次の通りであった。  (下り)    浅間温泉0630→0805天狗の露地 10/1から土日運転    浅間温泉0800→0935天狗の露地    浅間温泉0900→1035天狗の露地    浅間温泉1000→1135天狗の露地    浅間温泉1230→1405天狗の露地    浅間温泉1320→1455天狗の露地  (上り)    天狗の露地0815→0945浅間温泉 10/1から土日運転    天狗の露地1030→1200浅間温泉    天狗の露地1130→1300浅間温泉    天狗の露地1230→1400浅間温泉    天狗の露地1430→1600浅間温泉    天狗の露地1600→1730浅間温泉 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/19改正)によると、「美  ヶ原高原線」のダイヤは次の通りであった。  (下り)    浅間温泉0800→0920天狗の露地    浅間温泉0900→1020天狗の露地    浅間温泉1100→1220天狗の露地    浅間温泉1200→1320天狗の露地    浅間温泉1300→1420天狗の露地    浅間温泉1430→1550天狗の露地  (上り)    天狗の露地1000→1115浅間温泉    天狗の露地1100→1215浅間温泉    天狗の露地1300→1415浅間温泉    天狗の露地1400→1515浅間温泉    天狗の露地1500→1615浅間温泉    天狗の露地1630→1745浅間温泉 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、「美  ヶ原高原線」のダイヤは次の通りであった(3/1〜4/26運転)。  (下り)    浅間温泉0900→0918美鈴湖    浅間温泉1000→1018美鈴湖    浅間温泉1340→1358美鈴湖  (上り)    美鈴湖0934→0954浅間温泉    美鈴湖1130→1150浅間温泉    美鈴湖1500→1520浅間温泉 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S353)年10月号(8/11現在)によると、「美  ヶ原高原線」のダイヤは次の通りであった(11/6時刻改正予定)。  (下り)    浅間温泉0800→0910美ヶ原高原    浅間温泉0900→1010美ヶ原高原    浅間温泉1120→1230美ヶ原高原    浅間温泉1250→1400美ヶ原高原    浅間温泉1350→1500美ヶ原高原  (上り)    美ヶ原高原1000→1105浅間温泉    美ヶ原高原1100→1205浅間温泉    美ヶ原高原1300→1405浅間温泉    美ヶ原高原1430→1535浅間温泉    美ヶ原高原1530→1635浅間温泉 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1982(S57)年12月号(11/1現在)によると、「美  ヶ原高原線」のダイヤは次の通りであった。「全便11/23まで運転(11/24から  運休)」との注記が付されていた。  (下り)    浅間温泉0800→0910美ヶ原高原 休日運転    浅間温泉0900→1010美ヶ原高原    浅間温泉1150→1300美ヶ原高原    浅間温泉1350→1500美ヶ原高原  (上り)    美ヶ原高原0940→1045浅間温泉 休日運転    美ヶ原高原1040→1145浅間温泉    美ヶ原高原1330→1435浅間温泉    美ヶ原高原1530→1635浅間温泉 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1983(S58)年10月号には「美ヶ原高原線」は、既  に掲載されていなかった。
2015 年 09 月 26 日 17:50:12 (15010) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【418】成田空港線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇成田空港線    1 成田−成田空港 1.2 路線略図                    ・−−−−−・                   /       \                  / 成田 管理 貨物・京成      成田       寺台○  空港 ビル 地区|空港駅      山前 東町     / \  ○−−○−−○+−○      ○−−○−−−+−○   ・           \ 日航オペ  薬師 /|     / 松原   |            ○セン入口  堂前○ |市役  /       |            |    | ○所前 /        |      公団工事局前○  成田◎−+−−・         |           /     \|            |    ・−−○−−○整備地区      ○京成成田        | 千代田| 空港南口                三里塚○−−−−○                        |\                        V ・−>多古仲町                      上総二川   八日市場 ※八日市場〜多古仲町〜千代田〜三里塚〜寺台〜松原〜東町〜成田山前〜市役所  前〜京成成田〜成田、成田〜薬師堂前〜成田山前、寺台〜京成空港駅〜千代田  は多古線 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・成田空港線は、新東京国際空港(→成田空港)の開港に伴い、国鉄の列車・バ  ス一体となったアクセスルート(総武線ルート、常磐線ルート)の一環として、  開港日の翌日である1978(S53)年5月21日から成田〜成田空港(9.5km)が開業  した(以下「成田空港へのアクセス」(「国鉄線」1978(S53)年5月号所収)  に基づく)。 ・成田空港線は、渋滞する成田市内を避け、成田駅駅前広場から空港アクセス用  に建設された都市計画街路を直進し、国道51号線、東関東自動車道に並行する  国道295号線を経て成田空港に至るルートで、国鉄バスが1日35往復運行する  他、地元のバス事業者である千葉交通バスも1日65往復運行し、成田発0630〜  2131の間概ね6〜10分間隔の高頻度で、列車に接続した鉄道・バス一貫輸送が  行われていた。 ・利用客の利便を図るため、鉄道の首都圏管内各駅で鉄道+バスの通し乗車券を  発売する一方、空港内の旅行センターに自動券売機を設置してバスと鉄道の通  し乗車券を発売していた。これらの乗車券は千葉交通バスにも利用できる共通  乗車の取扱いを行っていた。 ・車両は、乗車定員80人のワンマン用新車8両を使用し、ワンマン放送テープや  行先表示幕に英文を併用していた。 ・なお、これより先、1971(S46)年9月に東京〜新東京国際空港の経営許可を申請  していたが、1977(S52)年8月に申請を取り下げた。これは新東京国際空港の開  港に合わせて、成田新幹線の先行と在来鉄道線の補完を目的に、東京駅〜新空港  の直通旅客輸送を行うべく許可申請を行ったものである。しかし、申請後5年余  の間に、鉄道線の輸送状況、道路事情等諸情勢が大幅に変化し、申請時の輸送目  的が果たせないとして取り下げを行ったものである。 ・1985(S60)年当時、(自)成田に自動車駅が存在した。この他、成田空港に旅行  センターが設けられており、自動券売機でバス・鉄道通し乗車券を発売する他、  国鉄乗車券類及び旅館券の発売や各種案内業務が行われていた(自動車局所管  の自動車駅とは別扱いであった)。また、国鉄バス運行の拠点として、八日市場  自動車営業所成田支所(成田)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、成田空港  線は成田〜成田空港に、国鉄バスが18往復、千葉交通が下り32本・上り33本の計  下り50本・上り51本が設定されていたのを確認できる。 3.2 旅から30年 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、成田空港線はJRバス関東に継承された。 ・「JR時刻表」1991(H3)年3月号(1/16現在)によると、成田空港線は成田〜成田  空港に次のようなダイヤが設定されていたのを確認できる(3月時刻改正予定と  注記あり)。  (下り)    成田発0630〜2115に7〜30分毎に運転    このうち始発・終発時間帯のJRバス便は次の通り。     始発帯 0630,0730,0755,0844,1037     終発帯 1825,1920,2038  (上り)    成田空港発0705〜2142に9〜35分毎に運転    このうち始発・終発時間帯のJRバス便は次の通り。     始発帯 0705,0805,0830,0915     終発帯 1830,1900,1955,2113 ・JR成田線の成田空港乗入れに伴って、成田空港線は1991(H3)年3月19日に休止  され、同年4月23日に廃止された。 3.3 旅の考察 ・成田空港線の開業と同時に、多古本線千代田〜整備地区〜京成空港駅〜寺台が  1978(S53)年5月21日に開業した。京成空港駅と貨物地区の中間から寺台〜松原  までは成田空港線と同じ道路を走るが、成田空港線には成田〜貨物地区間には  停留所がなく、この間に多古本線との接続駅はなかった。
2015 年 09 月 26 日 09:36:09 (15009) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【420】南房州線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇南房州線   南房州本線    1 館山−千倉    2 館山−鏡ヶ浦−宮城    3 砂取−安房白浜    4 安房横渚−安房白浜    5 南千倉−誕生寺   豊房線    1 館山−長尾橋   洲の崎線    1 潮留橋−西川名−安房神戸    2 西岬−小沼    3 加賀名−西岬小学校入口    4 洲の崎燈台前−洲の崎燈台    5 伊戸−安房自然村 1.2 路線略図                                        誕生寺○                                          /                                       安房◎                  館山◎                  小湊|                     \                   |                  ・−−−+−−・             安房◎               鏡ヶ浦|   |  |             鴨川|                 ○+ 電話○南町○        ◎千倉    ・              市営  | 局前|  |        |     /              住宅前 |   |  |来福      +−○−−○瀬戸             ・−○−−○−−−○−−○寺前      |役場前 |川橋            /     宮城 /潮留  \       |    |         西岬○        ・ 橋    \      |    |          / \西岬小学   |       ・  南千倉○−−−−+      加賀名○   ○校入口   |       |     | 南千倉○         +−○−+      |     豊房○     | 海岸 |        / 西岬小 \  砂山 |       |  本千倉○    |     坂田○  学校前  ○−○−−○安房     |      \ 汐湊○      /       /小沼   |神戸     |       \ /  洲の崎○−−−−−−−○    犬石○−−○小塚  |    安房平磯○  灯台前|      伊戸\     |   大師  |        |     ○         ・−○−−○相の浜    ○上神余     |    洲の崎        南房パラ |       |        |    灯台         ダイス  ○安房自然村  |        ・                    |       |       /                    ・     長尾| 安房   ○安房白浜                     \砂取  橋 | 横渚  /                      ○−−○−−○−−○−○                        白浜\    | |野島崎                        中学校・−−−+ |灯台口                                \|                                 ○野島崎灯台            2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・南房州本線1 館山〜潮留橋 ・洲の崎線1 潮留橋〜西岬〜加賀名〜名郷浦〜洲の崎灯台前〜西川名〜伊戸〜小沼       〜砂山〜安房神戸 ・南房州本線1 安房神戸〜犬石〜安房自然村〜砂取 ・南房州本線3 砂取〜野島崎灯台〜安房白浜 ・南房州本線1 安房白浜〜南千倉 ・南房州本線5 南千倉〜安房小湊 2.2 掲載 ・39日目 7/19(金) S61.5号 8.関東・信越編(上) 単行本 p184〜188 ・連載誌のみ 641-0913の解説、安房小湊駅の写真 ・連載誌、単行本とも 南房号のバスガイドの写真 2.3 行程 ○館山0810→0845伊戸 「砂山線」 館山発 伊戸行 537-5402(日野RC300) ○伊戸0908→0943館山郵便局前 洲の崎線 伊戸発 館山行                         531-2477(いすゞK-CJM500) ○館山1015→1039犬石 南房州本線 館山発 安房白浜行                         537-4974(日野P-HU225AA) ○犬石1057→1128安房白浜 南房州本線 館山発 安房白浜行                         537-4975(日野P-HU225AA) ○安房白浜1150→1615安房小湊 南房定期観光 館山発 安房小湊行 「南房1号」                         641-0913(いすゞK-CPA550) 2.4 エピソード ・館山駅前の国鉄バス乗り場は5番線までずらりと並び、向かい側には南房定期  観光バスが発車する7番線もあって、隣の車庫から次々バスが出入りし壮観。 ・8時10分には4本のバスが発車。同じ伊戸行きでも朝2本の砂山・小沼経由ロ  ーカル便に乗ってしまったが、逆コースで一回りする。安房神戸手前を右折し  てゴルフ場とホテルにはさまれた細道を進む。 ・洲の崎灯台経由は20人ほどのばあさまが乗り込み、賑やか。名護浦辺りからど  んどんお客が増え、住民に根付いている路線。 ・きっぷの経路は野島崎灯台へ寄り道するが、白浜行きの灯台経由は午後1本し  かなく「南房1号」に間に合わないからカット。 ・定期観光バス「南房1号」には国鉄職員の女性ガイドが乗務していた。お客は  10人ほど。太海フラワーセンターで45分休憩だが、昼食タイムで2階の食堂へ  直行。安房鴨川駅で下車希望がなかったので鴨川シーワールドへ直行し、1時  間40分の自由見学。最終コースは日蓮生誕の地という誕生寺に寄って安房小湊  駅に入った。バスは行きに駅へ寄らないので、安房小湊〜誕生寺間1.8kmを区間  外復乗したような恰好になった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・南房州線は、1933(S8)年に関東地方最初の省営バス路線として、北倉線の部北  倉本線館山〜千倉、豊房線潮留橋〜長尾橋及び西岬線潮留橋〜西岬が開業した  のがルーツで、鉄道の培養路線としての使命の他、観光路線としての使命も有  していた。 ・北倉線は、1959(S34)年1月から南房州線に改称された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、南房  州線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (南房州本線)    館山〜安房神戸〜安房白浜 下り27本・上り30本(所要48分)    安房白浜〜千倉 下り27本・上り24本(所要35分)    館山〜富崎〜洲の崎灯台 下り4本(うち休日運休、土曜運転各1本)・     上り5本(うち休日運転、土休日運転各1本)  (豊房線)    館山〜豊房〜安房白浜 下り19本・上り17本(所要41分)  (洲の崎線)    館山〜坂田/伊戸〜西川名 下り23本(うち土曜運転1本)・上り25本     (うち休日運休1本)(所要41分)    館山〜坂田 下り8本・上り7本(所要33分)  (房州海岸めぐり定期観光)    館山→洲の崎灯台→砂山→安房白浜(定期便)千倉     館山発0940・1120(休日運転)・1240(土休日運転)     白浜まで2時間 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、南房州  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。なお「7/20〜8/20夏  期増発があります」との注記がある。  (南房州本線)    館山〜安房自然村〜安房白浜 下り33本・上り34本(所要45〜50分)    野島崎灯台〜安房白浜〜千倉 下り6本・上り3本(所要37分)    安房白浜〜千倉 下り21本・上り25本(所要32分)  (豊房線)    館山〜豊房〜安房白浜 6往復(所要43分)  (洲の崎線)    館山〜洲の崎灯台〜西川名 15往復(所要38分)    館山〜伊戸〜西川名 12往復(所要38分)  (南房州海岸めぐり定期観光)    急行うち房1号接続 館山0930→1005洲の崎灯台1035→1130野島崎灯台    急行うち房3号接続 館山1100→1135洲の崎灯台1205→1300野島崎灯台    急行うち房5号接続 館山1250→1325洲の崎灯台1355→1500野島崎灯台                              (土休日運転) ・交通協力会「交通年鑑」1972年版には、1970(S45).10.1に南房州線南千倉〜誕  生寺間36.1km開業とあり、運行系統は館山〜安房白浜〜誕生寺〜安房小湊間75  .1kmで1日1往復、日東交通(株)と国鉄が循環ダイヤで運行している、この路  線の実現に当たっては南千倉〜安房小湊を運営する日東交通と館山〜南千倉を  運営する国鉄とが相互乗入れによって実現したと述べられている。 ・「観光路線で活躍する国鉄バス」(「国鉄線」1973(S48)年2月号所収)には、  花と黒潮の岬を回るフラワーライン、夏の海水浴客と南房州は東京から近いこ  ともあって入込客が急増し、昨年7月に房総線の輸送改善が実施されたのに伴  い、列車体系にマッチした輸送体制を整え30分間隔のネットダイヤの設定、館  山〜安房白浜間観光急行「フラワー号」の1日2往復増便を行ったとある。  (南房州線の輸送量と収入)             輸送人員  収入    1971(S46)年度実績 1,285千人 83百万円    1972(S47)年度見込 1,378千人 92百万円 ・「われら第一線−館山自動車営業所−」(「国鉄線」1976(S51)年3月号所収)  には、2月から5月にかけて館山自営は「花輸送」で忙しい、花を運ぶのでは  なく、花に誘われて南房総を訪れる人を運ぶのであると述べられている。当時  の館山自営は職員数156名、配置車両52両、1日当たりの輸送人員は17千人に  のぼっていた。こうした生活路線の役割とともに、関東では長野原・西那須野  と並ぶ観光路線をも有している。道路整備に伴って観光バスにも進出し、1970  (S45)年10月に南房総定期観光バスが館山〜安房小湊に運行を開始した。日東  観光との相互発着を行っており、館山と安房小湊でそれぞれ特急さざなみ号・  わかしお号と接続している。定期観光バスの指定券はこの3月1日から全国の  みどりの窓口で発売されることとなり、年間4万人の利用者に隔日で快適な  旅行を約束できるとともに、輸送手配の効率化が図られた。館山自営には25名  の女子車掌がおり観光客の案内に活躍しており、今年ははるか十和田南自営か  らも3名の運転士が助勤者として活躍している。南房総は夏の海水浴シーズン  と2〜5月の花輸送の2つがピークで波動が大きく、年間を通じて南房総を訪  れてもらう方法がないか知恵をしぼっているとある。 ・座談会「つばめのマークは今日も行く−自動車営業所長大いに語る」(「国鉄  線」1976(S51)年11月号所収)には、館山自営所長の発言として、次のような  内容が載っている。   館山自営では南房州線の特殊事情が、花輸送と夏輸送という形で現れている。   館山の花輸送は12月下旬からGWまでの間で、特にピークは3〜4月である。   夏輸送が年間におけるピークで、輸送対策として定期便の他に相当な増便を   行って対応している。レールも特急9本・急行3本の他臨時列車が大分増発   になるので、バスもこれに対応してダイヤを全部組み替えて海水浴輸送に当   たり増収に励んでいる。   館山〜白浜には3ルートあるが、特急が到着する時間帯には職員がお客さん   に声をかけて、風景のよい海岸回りを案内するようにしている。   3月から南房総定期観光バスにマルスが導入されて、マルスの発売状況に基   づいて輸送計画を立てられるようになった。現在のところ、70〜80%のお客   さんがマルス発売の切符を買って来られるようである。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、南房州  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (急行「フラワー号」)    館山〜南房パラダイス〜野島崎灯台〜安房白浜 7往復(うち土休日運転     1往復)(所要1時間)  (南房州本線)    館山〜安房自然村〜安房白浜 下り33本・上り31本(所要45分)    野島崎灯台〜安房白浜〜千倉 3往復(所要37分)    安房白浜〜千倉 下り28本・上り32本(所要32分)  (豊房線)    館山〜豊房〜安房白浜 下り16本・上り15本(所要36分)  (洲の崎線)    館山〜洲の崎灯台〜伊戸 下り21本・上り26本(所要40分)    館山〜小沼〜伊戸 下り9本・上り4本(所要36分)    館山〜坂田 下り4本・上り5本(所要32分)  (南房総めぐり定期観光)    南房1号 館山0940→白浜フラワーパーク→野島崎灯台→安房白浜→太海         フラワーセンター→安房鴨川→鴨川シーワールド→安房小湊→         誕生寺→1615安房小湊    南房2号 安房小湊0925→(南房1号と逆コース)→1640館山 ・「国鉄自動車五十年史」には、鉄道と直結する観光路線は一般的に収益性も  高いので、当該年度の新製車両も全面的に観光路線を中心に投入することと  したと述べられている。また、1975(S50)年度から南房州線の座席予約の電算  化(マルス化)を実施し鉄道との通し旅客の誘致とサービス向上を図ったとあ  る。なお、ピーク期間中車両を集中して輸送力の増加を図る観光路線の1つに  南房州線(南房総輸送)が挙げられている。1979(S54)年度における新製車両の  主要観光路線波動輸送充当状況をみると、南房州線には第1次配属として館山  自営に5形車2両が配属され、最終配属もそのまま館山であった。 ・1985(S60)年当時、(自)館山、安房自然村及び安房白浜に自動車駅が存在した。  また、国鉄バス運行の拠点として、館山自動車営業所(館山)及び同安房白浜  支所(安房白浜)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、南房州  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (急行「フラワー号」)    館山〜南房パラダイス〜野島崎灯台〜安房白浜 下り9本・上り8本(う     ち土休日運転2往復)(所要1時間7分)  (南房州本線)    館山〜安房自然村〜安房白浜 下り33本・上り32本(所要45分)    野島崎灯台〜安房白浜〜千倉 下り3本・上り4本(うち土曜運転1本)     (所要37分)    安房白浜〜千倉 下り30本・上り28本(所要32分)  (豊房線)    館山〜豊房〜安房白浜 下り12本・上り17本(所要36分)  (洲の崎線)    館山〜洲の崎灯台〜伊戸 下り23本(うち土休日休校日運休2本)・上り     16本(所要40分)    館山〜小沼〜伊戸 下り13本(うち休日休校日運休1本)・上り18本(う     ち土休日休校日運休2本)(所要36分)    館山〜小沼〜洲の崎灯台〜伊戸 上り1本(所要37分)    館山〜坂田 下り1本    館山〜小沼〜安房自然村 上り2本(所要47分)  (南房総めぐり定期観光)    南房1号 館山0940→白浜フラワーパーク→野島崎灯台→安房白浜→太海         フラワーセンター→安房鴨川→鴨川シーワールド→誕生寺→         1615安房小湊    南房2号 安房小湊0925→(南房1号と逆コース)→1640館山 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年7月に安房平磯〜南千倉海岸〜千倉が開業した。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、南房州本線の潮留橋  〜青柳及び犬石〜小塚大師が認知された。 ・国鉄最末期の1987(S62)年2月に洲の崎灯台前〜洲の崎灯台が、同年3月に鴨  川シーワールド〜誕生寺がそれぞれ廃止公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、南房州線はJRバス関東に継承された。 ・1988(S63)年3月末限りで野島崎灯台を経由する、砂取〜安房白浜及び安房横  渚〜安房白浜が廃止され、同時に4月からフラワーパーク〜野島崎灯台〜白浜  農協前、砂取〜七島橋及び安房横渚〜野島崎灯台〜安房白浜が開業した。 ・1991(H3)年1月に砂取〜七島橋及び安房横渚〜野島崎灯台〜安房白浜が廃止さ  れた。一方、同年6月に「メディカル急行くろしお号」(安房白浜〜亀田病院)  が運行開始した(鴨川シーワールド〜亀田病院が開業)。 ・1992(H4)年に安房平磯〜南千倉海岸〜千倉が休止され、翌年廃止された。1993  (H5)年7月に潮留橋〜青柳が休止された(翌年7月廃止)。1994(H6)年3月に  小沼〜東光寺が休止された(翌年3月廃止)。 ・2002(H14)年5月末限りで南房総定期観光バス「南房号」が廃止された(定期観  光専用区間の、館山〜宮城(旧鏡ケ浦経由)、小戸海岸〜潮騒王国及び千歳駅前  〜ローズマリー公園〜南三原郵便局前が廃止)。 ・2005(H17)年4月から館山支店管内の一部路線を館山日東バスに移管し、これに  伴い安房白浜〜千倉、本千倉〜亀田病院及び館山〜豊房〜長尾橋が廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、南房州線には接続駅(館山、  千倉及び安房小湊)の他に、安房自然村及び安房白浜に第二種委託駅(自動車  駅)が置かれていた。
2015 年 09 月 26 日 09:34:59 (15008) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【305】高峰高原線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇高峰高原線    1 小諸−車坂峠−湯ノ丸    2 浅間橋−浅間山荘前    3 車坂峠−高峰ロッヂ前 1.2 路線略図             農場口              Λ      ○湯ノ丸    |       \      ○農場前        \     ・     高峰温泉○   ・         |  ・      車坂峠○−○高峰ロッヂ前         | (→高峰スキー場)         ・          \        浅間橋○−−○浅間山荘前           |        水源地○           |           |           ○小諸           |善光寺         ・−・         |       荒町○           |  県立農大前<−◎−>望月         小諸 ※高峰温泉〜湯ノ丸は1978(S53).8.11の時点で既に休止中 ※農場口〜農場前〜高峰ロッヂ前〜車坂峠は鹿沢菅平線(農場前〜高峰ロッヂ前  は1972(S47).9.16廃止、高峰ロッヂ前〜車坂峠は高峰高原線に編入) 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・高峰高原線は、1957(S32)年に浅間線(小諸線の支線)小諸〜浅間山荘前が開業  したのがルーツで、1958(S33)年に浅間橋〜車坂峠、1959(S34)年に車坂峠〜高峰  温泉口が開業した。その後、1971(S46)年に高峰温泉口〜湯ノ丸が開業し、1972  (S47)年に高峰高原線に改称された。 ・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、小諸線(浅間線)の開業によって、  浅間登山も簡単にできるようになったと述べられていた。 ・1962(S37)年に吾妻線の支線として浅間北線(→鹿沢菅平線)農場口〜車坂峠が  開業し、小諸方面と上州大津・草津温泉方面が浅間南(→高峰高原線)・北線  を介してつながった(鹿沢菅平線農場前〜高峰ロッヂ前は1972(S47)年9月に廃  止され、残った高峰ロッヂ前〜車坂峠は高峰高原線に編入された)。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、浅間南  ・北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    小諸〜高峰温泉口〜新鹿沢温泉〜長野原 1往復(所要3時間35〜40分)    小諸〜高峰温泉口〜新鹿沢温泉〜草津温泉 1往復(所要4時間9〜39分)    小諸〜高峰温泉口〜新鹿沢温泉〜鹿沢温泉 2往復(所要2時間35分)    小諸〜高峰温泉口〜新鹿沢温泉 1往復(所要2時間15〜20分)    小諸〜浅間山荘 3往復(所要52分) ・国鉄新潟支社(1967)「三十年史」には、関東地自で新鹿沢〜車坂峠の路線を延長  したので、信越地自(小諸自営)と相互に小諸〜新鹿沢〜草津間の直通運行を実  施していると述べられている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/20改正)によると、浅間南線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    小諸〜高峰温泉口 4往復(所要1時間6分)    小諸〜車坂峠 1往復(休日運転)(所要1時間)    小諸〜浅間山荘 3往復(うち休日運転1往復)(所要43分)    小諸〜水源池 5往復(所要20分) ・交通協力会「交通年鑑」1972年版には、1971(S46).7.10に小諸線高峰温泉口〜湯  の丸間7.3km開業とある。運行系統は小諸〜高峰温泉口〜湯の丸で1日2往復運行  していると述べられている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、高峰高原  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    小諸〜高峰温泉口 2往復(所要53分)    小諸〜水源池 下り3本(うち休日運休1本)・上り2本(所要22分) ・信越地方自動車部の廃止に伴って、1985(S60)年3月に高峰高原線は関東地方自  動車局に移管された。 ・1985(S60)年当時、(自)小諸に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠  点として、小諸自動車営業所(小諸市内)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、高峰高原  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    小諸〜高峰温泉口 3往復(所要53分、うち1往復は8/31まで運転)    小諸〜水源池 下り5本・上り6本(うち休日運休1本)(所要19分) 3.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1987(S62)年3月15日に高峰温泉〜湯ノ丸の廃止が公示された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、高峰高原線はJRバス関東に継承された。 ・1994(H6)年に浅間橋〜浅間山荘前が廃止された(後述のように後に再開)。 ・北陸(長野)新幹線の開業に伴って、1997(H9)年に高峰高原線は佐久平駅に乗り  入れを開始した(小諸〜佐久平駅を開業)。 ・1999(H11)年、きのこの森〜菱野温泉が開業するとともに、浅間橋〜浅間山荘が  開業(再開)した。 ・2007(H19)年に小諸市コミュニティバス「小諸すみれ号」の運行開始に伴って、  高峰高原線のきのこの森系統が廃止された(きのこの森〜常盤館前はこの時に  廃止された模様。(浅間橋→)浅間登山口〜浅間山荘は浅間山山開きのみ運転  となった模様)。 ・2015(H27)年6月現在、高峰高原線は佐久平駅〜小諸〜高峰温泉(冬季はアサマ  2000スキー場)がJRバス関東によって運行されている。このうち一部便は新宿  〜小諸の高速バスが小諸以北を一般路線バスとして延長運行されるものである。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、高峰高原線には接続駅(小諸)  のみ置かれていた。
2015 年 09 月 22 日 10:48:47 (15007) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【202】十和田北線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇十和田北線   十和田北本線    1 青森−十和田湖    2 電話局前−妙見    3 雲谷−石雲谷    4 城ヶ倉入口−城ヶ倉    5 十和田湖温泉−十和田湖温泉郷   浅虫線    1 堤橋−浅虫 1.2 路線略図 八甲 観光 田丸 物産館  ○=+○+新町    | |一丁目      県立中       青森  青森◎−○−+−・電話   央病院 交通    病院 津軽   浅虫水        | |局前   通り  部前 野内 前  高野山  族館前  新青○===+−○−−○−−+○−−○−−○−−○−+−○−◎−−○  森駅   /  |  |堤橋|           |   浅虫      /八甲田○  |  ・−−−−−−−−−−−・   温泉     / 大橋 |  ○筒井通り    ・     | /     |     |/    |   妙見○  青森|     |  空港○=====○津軽横内          |   ねぶたの里入口○−○ねぶたの里          |    青森公立  |    大学前 ○=+          |        雲谷○======・          |  ヴィラ ‖        山吹○−○シティ ○モヤヒルズ          |/ 雲谷  ‖       石雲谷○======・          |      萱野茶屋○          |          ○ロープウェー駅前          |     城ヶ倉入口○−○城ヶ倉          |     酸ヶ湯温泉○          |          |      谷地温泉○          |       蔦温泉○          |十和田湖 十和田市現    十和田湖温泉|温泉郷  代美術館 六戸       郷入口○−○====○===○===○八戸駅西口          |                焼山○          |       石ヶ戸○          |          |       子ノ口○          |       宇樽部○−>田子          |        ・−+        | ‖     瞰湖台○ ‖         \‖          +         /|    十和田湖○ V         十和田南         ・盛岡 ※十和田湖〜十和田南・盛岡は十和田南線、宇樽部〜田子は十和田東線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・浅虫線1 浅虫〜野内〜堤橋 ・十和田北本線2 堤橋〜電話局前 ・十和田北本線1 電話局前〜妙見〜雲谷 ・十和田北本線3 雲谷〜雲谷スカイランド〜石雲谷 ・十和田北本線1 石雲谷〜萱野茶屋〜城ヶ倉入口〜酸ヶ湯温泉〜十和田湖温泉         〜焼山〜子ノ口〜十和田湖 2.2 掲載 ・55日目 8/13(火) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p259〜259 ・56日目 8/14(水) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p260〜262 ・連載誌のみ 青森駅乗り場の国鉄バスの写真、酸ヶ湯温泉の写真、537-5575の   解説 ・単行本のみ 緑濃い中を行く十和田縦断バスの写真 2.3 行程 ○浅虫2000→2040青森 浅虫・十和田北本線 浅虫発 青森行                          531-0002(いすゞK-CLM500) ○青森0730→1025子ノ口 十和田北本線 青森発 子ノ口行 みずうみ6号(続行便)                          531-7005(いすゞBU10) ○子ノ口1115→1137十和田湖 十和田北本線 十和田湖温泉発 十和田湖行                          537-5575(日野P-HU275AA) 2.4 エピソード ・20時発でも終バスの2本前の浅虫発青森行き国鉄バス。乗り降りも結構あり、  次第にネオンとビルが増えて、堤橋から電話局前を通過し青森駅まで飛び出し  乗車。 ・「みずうみ6号」は、待合室の窓口に乗車券と便指定のバス指定券を示して、  号車番号を手書きしたパンフレットを受け取る仕組みであとは整列乗車。満席  で発車。 ・雲谷スカイランドで小憩。青森市内から青森湾、浅虫温泉を一望。もう1台の  冷房国鉄バスが追いついてきた。運転士によれば、先に出た乗車便の方が臨時  便扱いで、後のバスがダイヤ通り走って途中乗車客を乗せていく。十和田南北  線は今が稼ぎ時で、東北六県からバスと運転士の動員をかけている。この臨時  便も福島辺りからの応援車で、ドライバーも日ごろは事務職員。 ・8時20分に海抜540mの萱野茶屋で休憩。駅名通りの茶屋で麦茶の無料サービス  がある。 ・標高1040mの傘松峠を越えると、温泉が点在し、少しずつお客が降りていく。  その1つの蔦温泉では5分停車。蔦七沼めぐりコースがあり、手荷物を子ノ口  へ回送するとの広告が出ていた。 ・石ケ戸で、きっぷを蔦温泉から子ノ口へ送った手荷物に入れてしまったという  お客がいたが、運転士は「あとで乗るバスに渡してください」とソフトな応対  と観光路線らしい一コマ。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・十和田北線は、1934(S9)年に青森〜休屋(→十和田湖)〜和井内が十和田線と  して開業したのがルーツで、このうち休屋〜和井内は、1935(S10)年の和井内  〜毛馬内(→十和田南)の開業とともに十和田南線に移管された。その後、19  36(S11)年に浅虫線(堤橋〜浅虫)が開業した。 ・十和田北本線は北方からの国立公園十和田の観光客輸送、浅虫線は温泉客の輸  送を主たる目的として開設された。また、休屋(→十和田湖)駅で十和田南線  と連繋して観光の利便を図っていた。 ・「鉄道辞典・下」(1958(S33)年)には、国立公園十和田の特長は、十和田の  湖水美、奥入瀬の渓流美及び八甲田の山岳美からなっていて、この3つを余す  ところなく縦走して観賞できるのが十和田北線の特長であり、併せて、沿線に  は酸ヶ湯温泉をはじめ著名な温泉があって更に景観を添えていると述べられて  いる。 ・「鉄道省編纂汽車時間表」1934(S9)年12月号(8/5開業)によると、十和田線には  次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森〜津軽横内〜酸ヶ湯温泉〜休屋〜和井内 以下の2往復     (下り)      11便 青森0700→休屋1128→1140和井内      13便 青森1340→休屋1808→1820和井内     (上り)      12便 和井内0800→休屋0817→1239青森      14便 和井内1220→休屋1237→1701青森    青森〜津軽横内〜酸ヶ湯温泉 1往復(15〜16便)    青森〜津軽横内 5往復(17〜26便)    休屋〜和井内 1往復(27〜28便) ・JRバス東北青森支店(1994)「地域の信頼明日への希望−十和田北線開業60周  年記念誌−」によると、青森自動車所(→青森自営)で1935(S10)年7月に観光  バスガイドとして女子7名を採用とあり、鉄道省始まって以来初めての女性乗  務員(車掌)が誕生したとされている(戦後は1951(S26)年から女子採用を復活  した)。 ・「鉄道省編纂時間表」1940(S15)年10月号(6/15改正)によると、十和田線には  次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (十和田本線)    青森〜津軽横内〜酸ヶ湯温泉〜休屋 以下の3往復    (下り)     1便 青森0600→1030休屋     3便 青森0830→1300休屋     5便 青森1300→1730休屋    (上り)     2便 休屋0800→1224青森     4便 休屋1220→1644青森     6便 休屋1445→1708青森    青森〜津軽横内〜酸ヶ湯温泉 1往復(所要1時間30分、11〜12便)    青森〜津軽横内 4往復(21〜28便)    休屋〜大湯温泉〜毛馬内 3往復(所要1時間30分、40〜45便)    大湯温泉〜毛馬内 5往復(60〜69便)    休屋〜十和田ホテル前 3往復  (浅虫線)    青森〜堤橋〜浅虫 8往復(所要50分、70〜85便) ・また、青森支店前掲書によると、1941(S16)年に津軽横内〜休屋、1944(S19)年  に青森〜津軽横内及び青森〜浅虫がそれぞれ戦時特令によって休止された(終  戦直後の1945(S20)年9月に青森〜津軽横内、同年10月に津軽横内〜酸ヶ湯温泉、  同年11月に堤橋〜浅虫、1946(S21)年9月に酸ヶ湯温泉〜休屋がそれぞれ運行再  開した)。 ・「鉄道省編纂時間表」1942(S17)年11月号(5/1改正)によると、十和田線には  次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森〜津軽横内 下り5本・上り6本(21〜30・32便)    休屋・和井内〜大湯温泉〜毛馬内 3往復(所要1時間50分、40〜45便)    大湯温泉〜毛馬内 5往復(60〜69便)    休屋・和井内〜十和田ホテル前 2往復(101〜104便)   ※浅虫線は当分の間運転休止との注記あり。 ・「日本国有鉄道編集時刻表」1950(S25)年10月号(10/1改正)によると、十和田  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森〜酸ヶ湯温泉〜休屋 次の下り3本・上り4本    (下り)      青森0600→1055休屋      青森0900→1355休屋      青森1230→1725休屋    (上り)      休屋0830→1320青森      休屋1200→1650青森      休屋1400→1850青森(不定期便)      休屋1500→1950青森    青森〜酸ヶ湯温泉 2往復(所要1時間50分、うち上り1本は不定期便)    青森〜津軽横内 下り12本・上り11本    青森〜浅虫 19往復 ・「国鉄自動車三十年史」によると、1952(S27)年度以降、十和田輸送には営業  開始に間に合うよう4月から新車を漸次配属し、冬季積雪休止とともにローカ  ル輸送に必要な最小限度の運用車のみ残し、東北・信越の自管内から全国各地  自管内の廃車補充用として配属変更する運用方式が採られており、これを俗に  「十和田方式」と呼んでいるとある。その配属車数も1952(S27)年度の37両から  1960(S35)年度には72両と増加し、1959(S34)年度から全車コーチタイプ大型車  となったと述べられている。 ・青森支店前掲書によると、1953(S28)年頃は職員の人力によって十和田北線の  除雪作業を行っていたが、1955(S30)年4月、早期開通を図るべく東京操機事  務所の重機による機械除雪を初めて採用したとある。また、1965(S40)年4月  に開業以来初めての開通式が青森県副知事及び国鉄東北地方自動車事務所長の  テープカットで行われたとある(十和田北線の毎年春の開通式は2013(H25)年  まで開催されたが、2014(H26)年以降は一番バスの出発式に縮小されて実施さ  れている)。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(7/1現在)によると、十和田  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森・浅虫〜酸ヶ湯〜休屋 次の6往復    (下り)      青森0540→1022休屋      青森0630→1112休屋      浅虫0800→1250休屋      青森0850→1320休屋      青森0950→1420休屋      青森1400→1830休屋    (上り)      休屋0800→1220青森      休屋0950→1410青森      休屋1140→1600青森      休屋1320→1800浅虫      休屋1410→1830青森      休屋1525→1945青森    蔦温泉〜休屋 下り1本(所要1時間57分)    子ノ口・宇樽部〜休屋 3往復(所要45分)    青森〜酸ヶ湯 4往復(所要1時間35分)    青森〜津軽横内 30〜60分毎      青森発0640〜1940・津軽横内発0720〜2015    青森〜浅虫水族館 5往復    青森〜浅虫 15〜30分毎(所要50分)      青森発0620〜1935・浅虫発0715〜2025    ・「交通年鑑」1966年版によると、十和田湖における観光客のピークは8月と  10月に大別されるが、その実績は次の通りである。            8月   10月    1961(S36)年度 263千人 222千人    1962(S37)年度 278千人 249千人    1963(S38)年度 285千人 237千人    1964(S39)年度 294千人 245千人    1965(S40)年度 217千人 200千人 ・青森支店前掲書によると、1969(S44)年1月、酸ヶ湯温泉までの早期開通のため  に除雪隊結成とある。その後、1982(S57)年の青森〜酸ヶ湯温泉間通年運行まで  青森及び十和田土木事務所、国鉄バス除雪隊の努力によって逐年運休期間を短  縮するとある。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、十和田  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森・浅虫〜休屋 10往復(青森から3時間47分、浅虫から4時間5分)    青森〜浅虫 10〜30分毎(所要45分)     青森発0600〜1930・浅虫発0650〜2025 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、十和田  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森・浅虫〜休屋 次の12往復    (下り)      青森0540→0936休屋 4/25〜11/5運転      青森0635→1035休屋 4/15〜11/10運転      青森0730→1111休屋 4/25〜11/5運転      浅虫0800→1158休屋 4/15〜11/10運転      青森0830→1210休屋 6/1〜10/31運転      浅虫0900→1258休屋 6/1〜10/31運転      青森0920→1300休屋 4/25〜11/5運転      青森1020→1415休屋 4/15〜11/10運転      青森1130→1520休屋 4/25〜11/5運転      青森1210→1550休屋 7/1〜10/31運転      青森1310→1650休屋 6/1〜10/31運転      青森1430→1814休屋 4/15〜11/10運転    (上り)      休屋0745→1113青森 4/15〜11/10運転      休屋0905→1233青森 4/25〜11/5運転      休屋1005→1347青森 7/1〜10/31運転      休屋1105→1447青森 4/25〜11/5運転      休屋1215→1547青森 4/15〜11/10運転      休屋1315→1643青森 4/25〜11/5運転      休屋1315→1701浅虫 4/25〜11/5運転      休屋1355→1723青森 6/1〜10/31運転      休屋1435→1804青森 4/15〜11/10運転      休屋1510→1842青森 6/1〜10/31運転      休屋1620→2002青森 4/15〜11/10運転      休屋1705→2026青森 7/1〜8/23運転    青森〜十和田湖温泉 1往復(7/1〜10/31運転)    蔦温泉〜休屋 1往復(7/1〜10/31運転)    青森〜浅虫 10〜30分毎(所要45分)     青森発0555〜1930・浅虫発0650〜2025 ・1970(S45)年10月1日から十和田北線がマルスに収容され、バス指定券制度が  発足した。横江明「最近における国鉄自動車線の座席予約電算化計画について」  (「国鉄線」1970(S45)年9月号所収)によると、1970(S45)年10月1日発のも  のから、十和田北線の電算化(マルス103系への収容)が実施された。十和田  北線については、国鉄バス利用の十和田観光旅客の60%が青森及び浅虫から入  り込んでおり、そのうちの70%が列車からの周遊旅客であった。そのため、  同線の電算化によって、列車のみならずバスの予約も同時に可能となり旅客サ  ービスの向上が図られるばかりか、電算化によって販売量情報を事前に把握す  ることにより無駄のない輸送手配ができることもメリットに挙げられていた。  収容便は、青森〜休屋間のうち列車接続旅客の多い便を抽出して、青森発7本、  浅虫発2本の計9本を収容した。一方、十和田輸送に充当する車両は、当該年  度の新車を主体に、全国に配属するより先に十和田に供出させている(いわゆ  る十和田方式)。新車は十和田輸送終了後を考え、道路条件等配属先の地域の  輸送に合うように新製するので車種の統一が図れない。従って、収容数は最小  座席の48席を基準とした。  <十和田北線電算収容便及び収容数>          青森発 5/1〜31   6/1〜10/31   2便みずうみ1 0540 18両 864人 18両 864人    4便みずうみ2 0635 14両 672人 14両 672人   6便みずうみ3 0730 12両 576人 12両 576人   8便みずうみ4 0830 −−−−− 10両 480人   10便みずうみ5 0920 11両 528人 11両 528人   12便みずうみ6 1020 12両 576人 12両 576人   14便みずうみ7 1130 6両 288人 6両 288人          浅虫発 5/1〜31   6/1〜10/31  1008便あさむし1 0800 4両 192人 4両 192人  1010便あさむし2 0900 −−−−− 3両 144人     合   計    77両3696人 90両4320人  なお、販売量の情報を輸送日の4日前の10時と前日の10時に受けることとし、  青森自営において4日前に情報を受けその量によって大まかな輸送計画をたて、  前日の情報提供により若干の修正を行っていくシステムとされた。情報ルート  は、中央販売センター所長が発売効率表を出力し、その情況を電話等によって  青森自営所長に伝達することとされた。 ・横山茂三郎「71年は十和田・陸中でかせごう」(「国鉄線」1971年4月号所収)  によると、東京からの最短コースとしてスタートした十和田東線は、沿線に  迷ヶ平以外の景勝地がなく道路事情が悪かったこと等で1965(S40)年開通以来  評判はあまり芳しくなかった。そこで1971(S46)年度は、迷ヶ平経由のルート  とは別に、景勝「白萩平」及び十和田湖三大展望所の1つである発荷峠を経由  して休屋に至るルートを運行することにしたと述べられていた。 ・「われら第一線−青森自動車営業所」(「国鉄線」1973(S48)年4月号所収)  には、同自営の除雪隊8名は萱野茶屋を基地として除雪を行っているとある。  十和田北線の特徴は季節波動が大きいことで、1972(S47)年の実績で、10月は  5,281人/日とある。また、「同」(「同」1979(S54)年6月号所収)では、  十和田湖への観光客は年間200万人を越え順調に伸びているがマイカー利用が  多く、国鉄バス利用者は1974(S49)年を境にして減少している、それでも十和  田北線はバス利用者の約半分に当たる40万人余りを輸送しているとあった。 ・青森支店前掲書によると、1975(S50)年2月、東宝映画「八甲田山」現地ロケ  に国鉄バス、同除雪隊が要員(スター、エキストラ)及び撮影機材の長期輸送  に協力したとある。これに関して、神原昭夫「国鉄バス宣伝と映画『八甲田山』  」(「国鉄線」1977(S52)年5月号所収)によると、東宝映画「八甲田山」(  森谷司郎監督、橋本プロダクション作品)の撮影に際して、撮影拠点であった  酸ヶ湯温泉までのロケ隊の移動のため、青森自動車営業所が全面的に除雪の協  力を行う結果となった。映画のタイトルにも「協力−国鉄バス」と挿入される  予定であると述べられていた(実際にエンドロールで「協力−国鉄バス」とク  レジットされていた)。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(4/1,4/15改正)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    休屋・子ノ口〜青森・浅虫 次の12往復    (下り)      休屋0745→1101青森  みずうみ1 4/15〜11/4運転      休屋0910→1222青森  みずうみ3 4/15〜11/10運転      休屋1010→1339青森  みずうみ5 7/1〜10/31運転      子ノ口1204→1456青森 みずうみ7 4/15〜11/10運転      休屋1240→1535青森  みずうみ9 4/25〜11/10運転      子ノ口1414→1651青森 みずうみ11 4/15〜11/10運転      子ノ口1414→1712浅虫 あさむし1 4/25〜11/4運転      子ノ口1454→1732青森 みずうみ13 5/1〜11/4運転      子ノ口1524→1801青森 みずうみ15 4/15〜11/10運転      子ノ口1604→1845青森 みずうみ17 6/1〜11/10運転      子ノ口1644→1914青森 みずうみ19 4/15〜11/4運転      子ノ口1734→2004青森 みずうみ21 7/1〜8/31運転    (上り)      青森0600→0915子ノ口 みずうみ2 4/25〜11/4運転      青森0630→0949子ノ口 みずうみ4 4/15〜11/10運転      青森0730→1108休屋  みずうみ6 4/15〜11/10運転      青森0830→1152休屋  みずうみ8 5/1〜11/4運転      浅虫0800→1131子ノ口 あさむし2 4/15〜11/10運転      青森0940→1234子ノ口 みずうみ10 4/25〜11/10運転      浅虫0920→1236子ノ口 あさむし4 6/1〜10/31運転      青森1035→1415休屋  みずうみ12 4/15〜11/10運転      青森1130→1507休屋  みずうみ14 7/1〜11/4運転      青森1230→1524子ノ口 みずうみ16 4/25〜11/10運転      青森1330→1652休屋  みずうみ18 7/1〜10/31運転      青森1440→1742子ノ口 みずうみ20 4/15〜11/4運転   休屋〜子ノ口(区間運転) 下り6本・上り5本(期間運転)   十和田湖温泉・焼山〜青森 1往復(7/1〜10/31運転)   休屋〜蔦温泉 1往復(7/1〜10/31運転)   酸ヶ湯温泉〜青森 4往復(所要1時間49分、4/14,4/19,4/20まで運転)   酸ヶ湯温泉〜ロープウェー駅前 3往復(4/20まで運転)   雲谷スカイランド〜青森 下り8本・上り7本   青森〜浅虫 10〜30分毎(所要40分)    青森発0600〜1940・浅虫発0650〜2040 ・松本哲一「こちら自動車部長・東北」(「国鉄線」1976(S51)年10月号所収)  によると、十和田湖へは青森、三沢、北福岡、弘前及び十和田南の5ルートが  あるが十和田北線(青森口)が全輸送量の4割を占めていると述べられていた。  十和田輸送は、例年4月中旬に開始されて11月上旬に幕を閉じるが、季節波動  が強く、旅客は8月と10月に集中する。ピーク時には定期便の他臨時便60〜80  往復の増発が必要であり、このため車両は他部局からの借受けと管内操配によ  り増車し、要員は管内総動員態勢をとって最高120名の助勤手配を行うと述べ  られていた。また毎年増加を示した輸送量は1975(S50)年度において対前年2  割減となったとある。なお、青森自営には除雪隊があり、十和田北線の早期開  通のため隊員6名が人里離れた冬山にこもり、除雪車3両を駆使して活躍して  いると述べられていた。 ・実国良弘「国鉄バスと東北新幹線の連けい輸送」(「国鉄線」1982(S57)年8  月号所収)によると、1980(S55)年度の十和田南・北線の輸送状況は次の通り  であった。    (浅虫)青森〜十和田湖      運行回数12.5回、所要3:30、輸送人員36万人、収入5億円    十和田南(大館)〜十和田湖      運行回数10回、10回、所要2:20、輸送人員27万人、収入1.8億円 ・「国鉄自動車五十年史」によると、毎年度の新製車は小型車(1・3形車)を  除き、十和田南・北線、白樺高原線、陸中海岸線等の観光路線に一旦充当し、  春・夏・秋の波動輸送で活躍させ、11月頃から一般路線に再配属する仕組みと  なっているとある。1979(S54)年度新製車両の主要観光路線波動輸送充当状況  のうち、十和田北線関係では、第1次配属として青森自営に5形車27両が配属  されたが、最終配属は、青森・古川・沼宮内・遠野・一ノ関に18両、岡山に9  両であった。 ・1984(S59)年10月から定期観光バス「おいらせ号」の運行が開始された。 ・1985(S60)年当時、(自)青森、酸ヶ湯温泉、子ノ口及び十和田湖に自動車駅  が存在した(このうち十和田湖駅は十和田南線所属)。また、国鉄バス運行の  拠点として青森自動車営業所(青森)が置かれていた。 ・なお、「鉄道辞典・下」(1958(S33)年)によると刊行当時、接続駅(青森及び  浅虫)の他、子ノ口に駅員配置駅、津軽横内、酸ヶ湯温泉、焼山及び休屋(→  十和田湖)に業務委託駅が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、十和田  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    十和田湖・子ノ口〜青森・浅虫 次の11往復    (下り)      十和田湖0745→1051青森 みずうみ1 4/15〜10/31運転      十和田湖0850→1155青森 みずうみ3 4/28〜11/10運転      十和田湖1000→1321青森 みずうみ5 7/21〜11/4運転      子ノ口1125→1412青森  みずうみ7 4/28〜11/10運転      子ノ口1250→1522青森  みずうみ9 4/15〜10/31運転      十和田湖1315→1625青森 みずうみ11 4/28〜11/10運転      子ノ口1420→1655青森  みずうみ15 4/15〜10/31運転      子ノ口1420→1711浅虫  あさむし1 7/21〜10/31運転      子ノ口1510→1745青森  みずうみ17 4/28〜11/10運転      子ノ口1610→1848青森  みずうみ19 4/15〜11/10運転      子ノ口1725→1957青森  みずうみ21 7/21〜8/31運転    (上り)      青森0600→0911子ノ口  みずうみ2 4/28〜11/4運転      青森0730→1108十和田湖 みずうみ6 4/15〜11/10運転      青森0840→1134子ノ口  みずうみ8 4/15〜10/31運転      浅虫0820→1133子ノ口  あさむし2 4/15〜11/10運転      青森0840→1349子ノ口  定観おいらせ7/31〜10/31運転      青森0930→1221子ノ口  みずうみ10 4/15〜11/10運転      青森1040→1418十和田湖 みずうみ12 4/15〜11/10運転      青森1130→1505十和田湖 みずうみ14 7/21〜10/31運転      青森1230→1521子ノ口  みずうみ16 4/28〜10/31運転      青森1330→1624子ノ口  みずうみ52 7/21〜8/31運転      青森1430→1727子ノ口  みずうみ20 4/15〜10/31運転   十和田湖〜子ノ口(区間運転) 下り7本・上り6本(期間運転)   十和田湖温泉・焼山〜青森 1往復(7/21〜10/31運転)   十和田湖・子ノ口〜蔦温泉 1往復(7/21〜10/31運転)   十和田湖〜十和田湖温泉 1往復(7/21〜10/31運転)   雲谷スカイランド〜青森 9往復(所要37分)   青森〜浅虫 10〜30分毎(所要40分)    青森発0600〜1940・浅虫発0645〜2040 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年4月から定期観光バス「おいらせ号」にパノラマバスが配置された。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、十和田北本線では、浅  虫温泉発着の「あさむし号」専用区間である電話局前〜浅虫温泉(南回り)と、  ねぶたの里入口〜ねぶたの里、浅虫線の栄町二丁目〜交通部前及び浅虫温泉〜  県営水族館前が認知された。(浅虫線の栄町二丁目〜交通部前については、青森  支店前掲書に1982(S57)年3月から浅虫線を県立中央病院前経由とするとの記載  がある。) ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、十和田北線はJRバス東北に継承された。 ・民営化時(1987(S62)年4月1日)に青森〜浪岡が開業した(同年9月29日廃止)。 ・1992(H4)年に「みずうみ号」の一部が青森空港に乗り入れを開始した(津軽横内  〜青森空港を延伸、「みずうみ号」の青森空港経由は後に廃止)。1993(H5)年か  ら青森公立大学への乗り入れを開始した。また、同年から観光物産館〜青森空港  のリムジンバスに参入した。さらに同年、八甲田丸前まで路線を延伸した(後に  廃止)。 ・「JRバス時刻表」1994(H6)年4月号(4/1改正)によると、十和田北線には次の  ような系統が設定されていたのを確認できる。  (十和田北線)    十和田湖・子ノ口〜青森・浅虫 次の下り10本・上り11本(定期観光便含む)    (下り)      十和田湖0735→1035青森 みずうみ1 4/1〜11/10運転      十和田湖0850→1150青森 みずうみ3 4/1〜11/20運転      十和田湖1000→1300青森 みずうみ5 4/1〜11/20運転      十和田湖1135→1435青森 みずうみ7 4/1〜11/10運転      十和田湖1245→1545青森 みずうみ9 4/1〜11/20運転      十和田湖1345→1645青森 みずうみ11 4/1〜10/31運転      十和田湖1440→1740青森 みずうみ13 4/1〜11/20運転       子ノ口1540→1810青森 みずうみ15 4/29〜5/8,7/23〜10/31運転      十和田湖1540→1840青森 みずうみ17 4/1〜11/10運転      十和田湖1630→1930青森 みずうみ19 4/29〜5/8,7/23〜10/31運転    (上り)      青森0730→1035十和田湖 みずうみ2 4/1〜11/10運転      青森0830→1135十和田湖 みずうみ4 4/1〜11/20運転      浅虫0840→1157十和田湖 あさむし2 4/1〜10/31運転      青森0850→1420子ノ口  おいらせ2 4/29〜5/8,7/23〜10/31運転      青森0930→1435子ノ口  おいらせ4 4/29〜5/8,7/23〜10/31運転      青森0950→1255十和田湖 みずうみ6 4/1〜11/20運転      青森1100→1405十和田湖 みずうみ8 4/1〜11/10運転      青森1220→1525十和田湖 みずうみ10 4/29〜5/8,7/23〜10/31運転      青森1340→1645十和田湖 みずうみ12 4/1〜11/20運転      青森1440→1745十和田湖 みすうみ14 4/1〜11/20運転      青森1550→1855十和田湖 みずうみ16 4/1〜11/10運転     ※定期観光バス「おいらせ号」の経路は、青森→ねぶたの里→雪中行軍像      →八甲田ロープウェイ→焼山→石ヶ戸→子ノ口(下車見学有)。    十和田湖〜蔦温泉 1往復(4/29〜10/31運転)    子ノ口〜青森空港 1往復(所要2時間25分、4/1〜5/31運転)    酸ヶ湯温泉〜青森空港 2往復(所要55分、4/1〜5/31運転)    ヴィラシティ雲谷〜青森 10往復  (浅虫線)    青森〜浅虫温泉 約30分毎(所要40〜45分)     青森発0555〜2140・浅虫温泉発0640〜2145 ・1998(H10)年に(雲谷→)モヤ高原〜モヤヒルズ〜(石雲谷→)モヤヒルズ入口  が延伸された(モヤヒルズ〜モヤヒルズ入口は2012(H24)年11月末限りで廃止)。 ・2000(H12)年から「あさむし号」が廃止されたため、電話局前〜浅虫温泉(南回  り)が廃止された。同年11月から「みずうみ号」の東八甲田ルート経由での運行  が開始され(萱野茶屋〜谷地温泉が開業)、十和田北線が通年運行されるように  なった。 ・2002(H14)年12月、東北新幹線八戸開業に伴って、十和田東線「おいらせ号」(  八戸駅西口〜十和田湖)の運行が始まった(八戸駅西口〜十和田湖温泉郷が延伸  された。これに伴って同年冬季は東八甲田ルートの運行が休止された(翌年の冬  季からは東八甲田ルートの運行を再開)。 ・「JR時刻表」2002(H14)年12月号(12/1改正)によると、十和田北線には次のよ  うな系統が設定されていたのを確認できる。    青森〜酸ヶ湯温泉 2往復(3/31まで運転)    八戸駅西口〜十和田湖 次の1往復      八戸駅西口1315→1530十和田湖      十和田湖0820→1035八戸駅西口 ・青森支店監修「JRバス時刻表」2005(H17)年4月1日改正(夏ダイヤ)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていた。  (十和田北本線)    十和田湖〜青森 次の6往復    (下り)      十和田湖0900→1155青森 みずうみ1 4/1〜11/6運行      十和田湖1030→1325青森 みずうみ3 4/1〜11/6運行      十和田湖1200→1455青森 みずうみ5 4/1〜11/6運行      十和田湖1240→1535青森 みずうみ51            4/29〜5/8、7/16〜8/31、9/17〜11/6運行      十和田湖1330→1625青森 みずうみ7 4/1〜11/6運行      十和田湖1500→1755青森 みずうみ9 4/1〜11/6運行    (上り)      青森0840→1135十和田湖 みずうみ2 4/1〜11/6運行      青森0915→1210十和田湖 みずうみ50            4/29〜5/8、7/16〜8/31、9/17〜11/6運行      青森1010→1305十和田湖 みずうみ4 4/1〜11/6運行      青森1140→1435十和田湖 みずうみ6 4/1〜11/6運行      青森1300→1555十和田湖 みずうみ8 4/1〜11/6運行      青森1420→1715十和田湖 みずうみ10 4/1〜11/6運行    十和田湖〜蔦温泉 1往復(4/1〜11/6運行)    酸ヶ湯温泉〜青森 2往復(うち1往復は4/23〜5/31、7/16〜11/6運行)  (十和田東線)    八戸駅西口〜十和田湖 次の3往復    (下り)      八戸駅西口1015→1235十和田湖 おいらせ1 4/1〜11/6運行      八戸駅西口1115→1335十和田湖 おいらせ3 4/1〜11/6運行      八戸駅西口1515→1735十和田湖 おいらせ5 4/1〜11/6運行    (上り)      十和田湖0810→1030八戸駅西口 おいらせ2 4/1〜11/6運行      十和田湖1210→1430八戸駅西口 おいらせ4 4/1〜11/6運行      十和田湖1510→1730八戸駅西口 おいらせ6 4/1〜11/6運行  (横内線)    モヤヒルズ〜青森 4往復(うち土日祝運休2往復)    ヴィラシティ〜青森 3往復(うち土日祝運休1往復、堤橋経由下り2本・     上り1本)    公立大〜青森 18往復(うち土日祝運休12往復、堤橋経由7往復)  (浅虫線)    青森〜浅虫温泉 11往復(うち土日祝運休5往復) ・2006(H18)年12月から国道103号宇樽部バイパスの開通に伴って、冬季は同バイパ  ス経由(瞰湖台を経由しない)となった。2007(H19)年4月からの夏ダイヤでは  瞰湖台経由に戻ったが、2008(H20)年4月から夏ダイヤの瞰湖台経由を廃止した。 ・2007(H19)年3月末限りで浅虫線が廃止された。 ・青森支店監修「JRバス時刻表」2007(H19)年4月1日改正(夏ダイヤ)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていた。  (十和田北本線)    十和田湖〜青森 次の7往復    (下り)      十和田湖0730→1025青森 みずうみ1 4/1〜11/11運行      十和田湖0830→1125青森 みずうみ3 4/1〜11/11運行      十和田湖1030→1325青森 みずうみ5 4/1〜11/11運行      十和田湖1230→1525青森 みずうみ7 4/1〜11/11運行      十和田湖1355→1650青森 みずうみ9 4/1〜11/11運行      十和田湖1455→1750青森 みずうみ11 8/4〜8/19,10/6〜10/28運行      十和田湖1530→1825青森 みずうみ13 4/1〜11/11運行    (上り)      青森0730→1025十和田湖 みずうみ2 4/1〜11/11運行      青森0840→1135十和田湖 みずうみ4 4/1〜11/11運行      青森0950→1245十和田湖 みずうみ6 8/4〜8/19,10/6〜10/28運行      青森1010→1305十和田湖 みずうみ8 4/1〜11/11運行      青森1200→1455十和田湖 みずうみ10 4/1〜11/11運行      青森1340→1635十和田湖 みずうみ12 4/1〜11/11運行      青森1530→1825十和田湖 みずうみ14 4/1〜11/11運行    十和田湖〜蔦温泉 1往復(4/1〜11/11運行)  (十和田東線)    八戸駅西口〜十和田湖 次の4往復    (下り)      八戸駅西口0910→1130十和田湖 おいらせ21 8/4〜8/19,10/6〜10/28運行      八戸駅西口1020→1240十和田湖 おいらせ23 4/1〜11/11運行      八戸駅西口1150→1410十和田湖 おいらせ25 4/1〜11/11運行      八戸駅西口1515→1735十和田湖 おいらせ27 4/1〜11/11運行    (上り)      十和田湖0805→1025八戸駅西口 おいらせ20 4/1〜11/11運行      十和田湖1205→1425八戸駅西口 おいらせ22 4/1〜11/11運行      十和田湖1405→1625八戸駅西口 おいらせ24 8/4〜8/19,10/6〜10/28運行      十和田湖1505→1725八戸駅西口 おいらせ26 4/1〜11/11運行  (横内線)    モヤヒルズ〜青森 4往復(うち土日祝運休2往復)    ヴィラシティ〜青森 3往復(うち土日祝運休2往復、堤橋経由下り1本)    公立大〜青森 14往復(うち土日祝運休7往復、堤橋経由5往復) ・2010(H22)年12月、東北新幹線新青森開業に伴って、「みずうみ号」を新青森駅  経由に延伸した。2011(H23)年3月の東北新幹線「はやぶさ号」運行開始に合わ  せて、「みずうみ号」等に「はやぶさカラーバス」6両(H647-10407・408、H6  41-10409〜412)を投入した。 ・「JR時刻表」2010(H22)年12月号(12/4改正、冬ダイヤ)によると、十和田北線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    十和田湖〜酸ヶ湯温泉〜新青森駅〜青森 次の3往復(3/31まで運転、東八    甲田ルート)    (下り)      十和田湖0900→1317新青森→1347青森 みずうみ701      十和田湖1040→1457新青森→1527青森 みずうみ703      十和田湖1330→1747新青森→1817青森 みずうみ705    (上り)      青森0755→新青森0820→1242十和田湖 みずうみ700      青森1155→新青森1220→1642十和田湖 みずうみ702      青森1315→新青森1340→1802十和田湖 みずうみ704    八戸駅西口〜十和田湖 次の2往復(3/31まで運転)    (下り)      八戸駅西口1000→1215十和田湖 おいらせ91      八戸駅西口1315→1530十和田湖 おいらせ93    (上り)      十和田湖0900→1115八戸駅西口 おいらせ90      十和田湖1500→1715八戸駅西口 おいらせ92 ・2011(H23)年4月1日から「みずうみ号」下り便(青森行き)を三内丸山遺跡前  経由に変更する(ヴィラシティ雲谷〜三内丸山遺跡前〜新青森駅が開業)予定で  あったが、同年3月11日に東日本大震災が発生し東北新幹線にも甚大な被害が  生じたとともに燃料不足等により「みずうみ号」も運休となった。同年4月29日  から東北新幹線全線運行再開に合わせて「みずうみ号」も新ルートで運行を再開  した。 ・青森支店監修「JRバス時刻表」2012(H24)年4月1日改正(夏ダイヤ)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていた。  (十和田北本線)    十和田湖〜青森 次の7往復    (下り)      十和田湖0830→1114新青森→1129青森 みずうみ1 4/1〜11/4運行      十和田湖0910→1154新青森→1209青森 みずうみ3                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      十和田湖1020→1304新青森→1319青森 みずうみ5 4/1〜11/4運行      十和田湖1230→1514新青森→1529青森 みずうみ7                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      十和田湖1350→1634新青森→1649青森 みずうみ9 4/1〜11/4運行      十和田湖1500→1744新青森→1759青森 みずうみ11                        4/21〜5/6,7/14〜11/4運行      十和田湖1600→1844新青森→1859青森 みずうみ13 4/21〜11/4運行    (上り)      青森0750→1035十和田湖       みずうみ2 4/1〜11/4運行      青森0905→新青森0925→1213十和田湖 みずうみ4                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      青森1000→新青森1020→1308十和田湖 みずうみ6                        4/21〜5/6,7/14〜11/4運行      青森1120→新青森1140→1428十和田湖 みずうみ8 4/1〜11/4運行      青森1245→新青森1305→1553十和田湖 みずうみ10 4/1〜11/4運行      青森1320→新青森1340→1628十和田湖 みずうみ12                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      青森1515→新青森1535→1823十和田湖 みずうみ14 4/1〜11/4運行    十和田湖〜蔦温泉 1往復(4/1〜11/4運行)  (十和田東線)    八戸駅西口〜十和田湖 次の4往復    (下り)      八戸駅西口0850→1105十和田湖 おいらせ21                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      八戸駅西口1000→1215十和田湖 おいらせ23 4/1〜11/4運行      八戸駅西口1220→1435十和田湖 おいらせ25 4/21〜11/4運行      八戸駅西口1530→1745十和田湖 おいらせ27 4/1〜11/11運行    (上り)      十和田湖0815→1030八戸駅西口 おいらせ20 4/21〜11/4運行      十和田湖1210→1425八戸駅西口 おいらせ22 4/1〜11/4運行      十和田湖1330→1545八戸駅西口 おいらせ24                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      十和田湖1520→1735八戸駅西口 おいらせ26 4/1〜11/4運行  (横内線)    モヤヒルズ〜青森 3往復(うち土日祝運休1往復)    ヴィラシティ〜青森 2往復(土日祝運休、堤橋経由下り1本)    公立大〜青森 下り13本(うち土日祝運休5本、堤橋経由2本)・上り     12本(うち土日祝運休5本、堤橋経由3本) ・2012(H24)年11月末限りでヴィラシティ雲谷への乗り入れを廃止した。 ・青森支店監修「JRバス時刻表」2013(H25)年12月1日改正(冬ダイヤ)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていた。  (十和田北線)    青森〜十和田湖(東八甲田経由) 次の1往復      青森1125→新青森1145→1547十和田湖 みずうみ700      十和田湖1355→1757新青森→1814青森 みずうみ701    青森〜酸ヶ湯温泉 2往復  (十和田東線)    八戸駅西口〜十和田湖 次の2往復    (下り)      八戸駅西口0940→1155十和田湖 おいらせ91      八戸駅西口1230→1445十和田湖 おいらせ93    (上り)      十和田湖0910→1125八戸駅西口 おいらせ90      十和田湖1600→1815八戸駅西口 おいらせ92  (横内線)    モヤヒルズ〜青森 4往復(うち土日祝運休1往復、堤橋経由下り2本・     上り1本)    公立大学〜青森 下り13本(うち土日祝運休11本、堤橋経由1本)・上り14     本(うち土日祝運休11本、堤橋経由1本) ・青森支店監修「JRバス時刻表」2014(H26)年4月1日改正(夏ダイヤ)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていた。  (十和田北線)    青森〜十和田湖 次の5往復    (上り)      青森0750→1035十和田湖       みずうみ2 4/26〜11/9運行      青森0900→新青森0920→1208十和田湖 みずうみ4             4/26〜5/6、6/18〜6/30、7/19〜8/31、9/13〜11/9運行      青森0950→新青森1010→1258十和田湖 みずうみ6 4/26〜11/9運行      青森1120→新青森1140→1428十和田湖 みずうみ8 4/1〜11/9運行      青森1330→新青森1350→1638十和田湖 みずうみ10 4/26〜11/9運行    (下り)      十和田湖0915→1159新青森→1214青森 みずうみ1 4/26〜11/9運行      十和田湖1020→1304新青森→1319青森 みずうみ3 4/26〜11/9運行      十和田湖1320→1604新青森→1619青森 みずうみ5             4/26〜5/6、6/18〜6/30、7/19〜8/31、9/13〜11/9運行      十和田湖1505→1749新青森→1804青森 みずうみ7 4/26〜11/9運行      十和田湖1600→1844新青森→1859青森 みずうみ9 4/1〜11/9運行    青森〜酸ヶ湯温泉 2往復(4/1〜4/25運行)    蔦温泉〜十和田湖 1往復(下り4/26〜9/30、上り4/26〜11/9運行)    焼山〜十和田湖 3往復(うち2往復は4/26〜11/9運行、1往復は4/26〜5/6、      6/18〜6/30、7/19〜8/31、9/13〜11/9運行)  (十和田東線)    八戸駅西口〜十和田湖 次の3往復    (下り)      八戸駅西口0900→1115十和田湖 おいらせ21 4/1〜11/9運行      八戸駅西口1110→1325十和田湖 おいらせ23 4/1〜11/9運行      八戸駅西口1240→1455十和田湖 おいらせ25             4/26〜5/6、6/18〜6/30、7/19〜8/31、9/13〜11/9運行    (上り)      十和田湖0805→1020八戸駅西口 おいらせ20             4/26〜5/6、6/18〜6/30、7/19〜8/31、9/13〜11/9運行      十和田湖1210→1425八戸駅西口 おいらせ22 4/1〜11/9運行      十和田湖1520→1735八戸駅西口 おいらせ24 4/1〜11/9運行  (横内線)    モヤヒルズ〜青森 5往復(うち土日祝運休2往復、堤橋経由下り2本・     上り1本)    公立大学〜青森 下り10本(うち土日祝運休7本、堤橋経由1本)・上り11     本(うち土日祝運休7本、堤橋経由1本) ・2014(H26)年11月から「みずうみ号」(東八甲田ルート)及び「おいらせ号」は  冬季運休となった。 ・2015(H27)年6月現在、十和田北線は、青森〜新青森駅〜酸ヶ湯温泉〜焼山〜十  和田湖、八戸駅西口〜焼山〜十和田湖及び青森市内系統の「横内線」がJRバス  東北によって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、十和田北線には接続駅(青森、  野内及び浅虫)の他に酸ヶ湯温泉及び子ノ口に第一種委託駅(自動車駅)が置か  れていた。
2015 年 09 月 18 日 20:23:28 (15006) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【110】南十勝線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇南十勝線   南十勝本線    1 西十二条−南清川    2 緑南局前−五中前    3 緑南局前−帯広自衛隊前−東官舎前   戸蔦線    1 南清川−中仙境    2 戸蔦−西美栄−西清川    3 二線四十二号−二線三十七号 1.2 路線略図                  北蘭団地                   Λ                   |         市役所前○−+−+−+             | | | |             | ・○・ |      西十二条   |バスター ◎−>東八条  北伏古<−−○−−○−・ミナル  帯広        | 西七条        |        ○緑南郵便局前   帯広自 /|   衛隊前○−○東官舎前         \          \         ・−○農業高校前         |         ○畜産大学前         |         ○畜大農場前         |    川西中○−○川西農協前    学校前|       |    東富士○・・・・・●富士基線       |     ・       |西清川  ・  西美栄○−○−−○−−○・・・・・●中札内市街     |    ・十勝|南清川  ・     |    ・清川|     ・  七線三○ 二線三○  ○三十七号 ●更別  十七号| 十七号|  |      ・     |    |  |       ・  七線四○−−−−○−−○戸蔦      ●忠類  十二号    二線四  \       ・         十二号   \      ・                ○中仙境  ●大樹                      ・                      ・                      ・                      ●広尾 ※帯広〜北蘭団地、帯広〜東八条、帯広〜西十二条〜北伏古は北十勝線 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・南十勝線は、十勝線(→北十勝線)の一部として、1948(S23)年に帯広〜帯広自  衛隊前が開業したのがルーツで、1957(S32)年に東官舎入口〜岩内仙境が開業し  た。1958(S33)年に東富士〜大樹を旧南十勝本線から編入して新たに南十勝線の  部に編成された。1961(S36)年には石坂〜広尾が開業し、南十勝本線は西二条九  丁目〜大樹〜石坂〜広尾をつながった。この路線は、十勝地帯南部の開拓促進を  図るために開設された路線で、帯広市との交通確保を使命としていた。 ・1957(S32)年に出された「国鉄自動車基本方針」で「既設の旅客路線は自動車輸  送の最近の輸送要請に対応して、逐次都市間を直送する中長距離運転系統、特に  急行バスの設定等に重点を置いて調整を図らなければならない」と取り上げられ  たことを契機として、急行便の設定が全国的に増加した。 ・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車五十年史」によると、北海道にあっては、  1965(S40)年に「えりも結合輸送」の十勝口として、帯広〜えりも灯台(140km)  の長距離運行を開始したと述べられている。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、次のよ  うに日勝線〜広尾〜帯広間の直通便が設定されていたのを確認できる。  (下り)    幌泉0700→広尾0950→1200帯広    様似1000→広尾1350→1600帯広  (上り)    帯広0815→広尾1045→1220襟裳灯台    帯広1245→広尾1510→1845様似 ・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車五十年史」によると、南十勝本線のうち、  帯広〜広尾以遠の直行便のみが通っていた、南清川〜更別〜忠類二股〜忠類、  大樹〜石坂〜広尾は1967(S42)年10月1日から休止とあるので、前記直行便は、  このタイミングで廃止された模様である。 ・「国鉄バス時刻表南十勝線」1984(S59)年11月21日改正によると、南十勝線には  次のような系統が設定されていた。    東八条・帯広〜戸蔦 下り2本・上り3本(うち日祝運休1本)    東八条〜十勝清川 下り2本(うち日祝学休日運休、日祝運休学休日運転     各1本)    帯広〜西清川 上り1本    東八条・帯広〜畜大農場前 12往復    東八条・帯広〜東官舎前・自衛隊前 下り41本(うち日祝運休5本、日祝     学休日運休1本、うち緑ヶ丘経由6本)・上り41本(うち日祝運休5本、     日祝学休日運休1本、うち緑ヶ丘経由6本)    東八条〜十勝共栄 上り1本 ・1985(S60)年2月に、南十勝本線の東富士〜忠類及び大樹〜広尾、戸蔦線の二  線三十七号〜十勝清川の廃止公示がなされた。次いで同年8月に戸蔦線の戸蔦  〜中仙峡の廃止が公示された。(東富士〜富士基線〜南清川、十勝清川〜二線  三十七号は1979(S54)年12月18日から休止中であった。) ・1985(S60)年当時、(自)帯広に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として帯広自動車営業所(東八条)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月に、南十勝本線の畜大農場前〜南清川、戸蔦線の南清川〜西  美栄〜西清川及び二線四十二号〜二線三十七号の廃止が公示された。同時に行  われた「国鉄自動車路線名称」全面改正で、南十勝線は北十勝線と統合されて  「十勝線」の部となった。 ・旧南十勝線を含めて、十勝線は国鉄民営化を経てJR北海道に継承された。 ・「JR北海道バス時刻表十勝線」1995(H7)年3月16日改正によると、旧南十  勝線には次のような系統が設定されていた。    東八条・営業所・帯広〜畜大農場前 16往復(うち日祝運休下り1本・上     り2本、日祝学休日運休下り2本    東八条・営業所・帯広〜自衛隊前 下り17本(うち日祝運休10本、うち駅     南経由5本)・上り18本(うち日祝運休11本、うち駅南経由5本) ・1999(H11)年1月18日限りで、旧南十勝線の区間を含めて、十勝線は全廃され、  帯広営業所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、南十勝線には接続駅(忠類、  大樹、石坂及び広尾)のみ置かれていた。 ※補足 大樹を中心とする国鉄バス路線 ・最初に「南十勝線」となった路線は、1948(S23)年11月に開業した大樹〜大正  間であり、国鉄バス運行の拠点として帯広自営大樹支所(→大樹派出所)が  置かれた。 ・その後、1952(S27)年7月に南十勝本線本町〜相保島(→浜大樹)、1953(S28)  年7月に南十勝本線大樹〜旭浜、同年11月に豊頃線駒畠〜池田、1955(S30)年  8月に南十勝本線忠類〜生花苗、1957(S32)年2月に豊頃線協力街道〜勇足、  同年7月に南十勝本線駒畠〜更別がそれぞれ開業した。 ・これらは、十勝南部の開拓促進を図るために開設された。 ・その多くは昭和30〜40年代に廃止され、昭和50年代まで運行していたのは、  生花線(大樹〜忠類〜生花〜晩成、大樹〜忠類は南十勝本線)、浜大樹線(  本町〜浜大樹〜美成)及び旭浜線(大樹〜旭浜)の3路線であった。その路線  略図は次の通りである。           忠類           幌内         ・−○−−−○−−−○生花        /     上生花   \     忠類○             ○晩成     市街|       美成○−+       |         | ○浜大樹       |    芽武   |/     本町○−−−−○−−−−○美成口       |     大樹◎−−○−−−−○−−−○旭浜         暁会館  中島八号     なお、「国鉄自動車路線図」1981(S56)年3月現在によると、大樹、旭浜及び  浜大樹に乗車券委託販売所が存在した。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(5/1現在)によると、「大樹  三線」には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    大樹〜浜大樹 3往復(所要40分)    大樹〜生花苗 2往復(所要1時間10分)    大樹〜旭浜 3往復(所要40分) ・「弘済会の道内時刻表」1984(S59)年3月号(2/5現在)によると、次のような  系統が設定されていたのを確認できる。  (生花線)    大樹0710→忠類0722→0746生花    大樹1605→忠類1619→1644生花    生花0750→忠類0816→0836大樹    生花1650→忠類1715→1728大樹  (旭浜線)    大樹0730→0750旭浜    大樹1230→1250旭浜    大樹1625→1645旭浜    旭浜0755→0815大樹    旭浜1255→1315大樹    旭浜1650→1710大樹  (浜大樹線)    大樹0730→美成0750→浜大樹0800→0824大樹    大樹1230→1252浜大樹1255→1318大樹    大樹1715→浜大樹1737→美成1745→1808大樹 ・これらの3路線も1984(S59)年5月末限りで廃止され、大樹派出所も廃止と  なった。
2015 年 09 月 18 日 20:21:41 (15005) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【109】北十勝線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇北十勝線    1 帯広−北蘭団地    2 帯広−東八条    3 下音更小学校前−中鈴蘭−北蘭団地    4 帯広−北伏古    5 西十九条−大空四丁目 1.2 路線略図                        下音更  病院                        小学校前 入口                 北蘭団地○−−−○−−−○                     |   |   |                     ・   +   ○木野農                      \ / \  |協前                    中鈴蘭○ 鈴蘭○−○鈴蘭公                         公園  |園入口                             ○西二条                             |一丁目                      市役所前   |                       ○+−++−○西二条                      / | | \|九丁目      西二 西十 西十 緑ヶ丘 西十・  ・○・  ◎−−−・      十条 九条 七条 中学校 二条|  バスター 帯広  |  伏古○−−○+−○−−○−−−○−○−・  ミナル      ○   /   |+−+   緑ヶ丘| |            東八条  ・    |  |   大通 ○ ○緑ヶ丘  | 西十号|  |      | |  ○ 五丁目○  |   緑ヶ丘○−○児童会館前  北伏   |  |   六丁目| |  古    ・−−+−−○−−−・ V       自動車| 南五線   畜大農場前       試験場○ 十七条   戸蔦          |      大空  ○運動公園前      八丁目 |        ○−+       /  |      ・   ○大空団地入口   大空 |  /   五丁目○−・ 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・北十勝線は、十勝線として、1948(S23)年に帯広〜木野〜十勝然別〜芽室太〜元  駅逓、芽室太〜芽室、帯広〜帯広自衛隊前が開業したのがルーツで、その後、  1952(S27)年に帯広〜東八条、1956(S31)年に記念碑前〜芽室が開業した。この  路線は、十勝地帯の開拓促進を図るために開設された路線で、帯広市との交通  確保を使命としていた。 ・1972(S47)年には、芽室太〜元駅逓、木野郵便局前〜佐倉、下然別〜芽室、中北  伏古〜芽室が廃止され、1973(S48)年に北伏古〜栄小学校前が、1978(S53)年に  鈴蘭団地〜下然別がそれぞれ廃止された。 ・「国鉄バス時刻表北十勝線」1984(S59)年11月21日改正によると、北十勝線には  次のような系統が設定されていた。    東八条・帯広〜西2条1丁目〜鈴蘭公園/木野農協前〜中鈴蘭〜北蘭団地    〜木野農協前〜西2条1丁目〜帯広・東八条(循環) 29回(うち日祝運     休3回、鈴蘭公園経由6回)    東八条・帯広〜南商業高校(→4線17条)〜西20条〜北伏古 2往復    東八条・帯広〜南商業高校(同)〜自動車試験場前〜大空5丁目 9往復    東八条・帯広〜南商業高校(同)〜西20条4丁目 下り17本(うち日祝学     休運休本)・上り19本(うち日祝運休2本、日祝学休運休1本)    東八条・帯広〜南5線16条〜西20条 9往復(うち日祝運休1往復) ・1985(S60)年当時、(自)帯広に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として帯広自動車営業所(東八条)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・旧北十勝線を含めて十勝線は、国鉄民営化を経て、JR北海道に継承された。 ・民営化時(1987(S62)年4月1日改正)までに、西20条4丁目系統を西20条〜  市営住宅〜西21条〜西20条と末端区間を循環経路に延伸した。次いで。1989(H  1)年8月18日改正までに、西20条〜市営住宅〜西21条〜西20条の末端ループを  西20条〜南商業高校前(移転後)〜西23条〜西23条4丁目〜新緑通23条〜公営  住宅前〜新緑通21条〜西20条の循環経路に延伸した。 ・また、1989(H1)年8月18日改正以後〜1992(H4)年4月1日改正までに、西23条  〜伏古〜北伏古が廃止された。 ・一方、民営化以後〜1989(H1)年8月18日改正までに、運動公園前〜アイスアリ  ーナ前〜運動公園競技場前が延伸されるとともに、西19条6丁目〜自由ヶ丘団  地〜自由ヶ丘6丁目〜西20条6丁目の経路が開業した。 ・「JR北海道バス時刻表十勝線」1995(H7)年3月16日改正によると、旧北十勝  線の区間には次のような系統が設定されていた。    帯広営・帯広〜西2条1丁目〜鈴蘭公園/幼稚園前〜中鈴蘭〜幼稚園前/     鈴蘭公園〜西2条1丁目〜帯広・帯広営(循環) 22回(うち日祝運休     8回、日祝学休運休1回、公園先回り12回、幼稚園先回り10回)    帯広営・帯広〜4線17条〜運動公園〜大空5丁目 13往復(うち日祝運休     2往復)    帯広営・帯広〜南5線18条〜運動公園 下り10本(うち日祝運休1本)・     上り11本(うち日祝運休2本)    帯広営・帯広〜4線17条〜西20条〜西23条4丁目 下り24本(うち日祝学     休運休1本、日祝運休5本、駅南経由2本)・上り21本(うち日祝運休     5本、駅南経由2本)    帯広営・帯広〜南5線18条〜西20条〜西23条4丁目 下り9本(うち日祝     運休1本)・上り11本(うち日祝運休1本)    畜大農場〜4線17条〜西20条〜西23条4丁目 上り1本(日祝学休運休) ・1999(H11)年1月18日限りで、旧北十勝線の区間を含めて、十勝線は全廃され、  帯広営業所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月現在の「駅営業範囲一覧」によると、北十勝線には接続駅(帯  広)のみ置かれていた。 ※補足 帯広、士幌を中心とする国鉄バス ・十勝地方の国鉄バス路線は、戦後の十勝平野の開拓促進を図る目的で、1948(S23)  年に、帯広を中心とする「十勝線」(初代)、士幌を中心とする「北十勝線」(  初代)及び大樹を中心とする「南十勝線」が開設されたことに始まる。 ・このうち、初代の十勝線については上述の通りであるが、初代の北十勝線は十勝  平野北部の開拓促進を図るとともに、士幌線と網走本線(→池北線)との短絡を  使命として、1948(S23)年に士幌〜村山及び士幌市街〜新駒場が開業したのがルー  ツである。 ・国鉄バス路線の開業に先立って、区間貨物輸送(国鉄トラック)の拠点として、  十勝地方には帯広、士幌、本別及び大樹の各自動車区が1947(S22)年に設けられた。  1949(S24)年に帯広及び士幌の各自動車営業所となり、大樹は帯広の、本別は士幌  の支所となった(本別は1950(S25)年に自営となり、士幌は帯広の支所となった)。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(5/1現在)によると、北十勝線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    帯広〜昭和 1往復(所要40分)    帯広〜昭和〜北糖〜士幌 1往復(所要1時間38分)    帯広〜北上〜新田〜士幌 2往復(所要2時間13分)    新田〜士幌 2往復(所要約30分)    士幌〜下居辺市街〜清澄〜高島 2往復(所要1時間30分)    士幌〜下居辺市街〜清澄 2往復(所要45分)    士幌〜上士幌〜中押帯〜勇足 1往復(所要2時間26分)    上士幌〜中押帯〜勇足 下り1本(所要2時間02分)    帯広〜芽室 下り3本・上り2本(所要55分)    帯広〜栄小学校 下り3本・上り4本(所要51分)    帯広〜上渋山学校前 2往復(所要40分)    池田〜第三会館前 2往復(所要57分)    池田〜新田牧場 4往復(所要18分)    本別〜美蘭別 2往復(所要35分) ・1962(S37)年10月1日の時点でこれらの区間は北十勝線及び東十勝線として編成  されていた。この時の路線名称は次の通りであった。 ◇北十勝線   北十勝本線    1 帯広−士幌    2 帯広−東八条    3 鈴蘭−中鈴蘭    4 士幌市街−上士幌   芽室線    1 西二条九丁目−芽室    2 元伏古−栄小学校前   上渋山線    1 芽室高岩−上渋山校前   佐倉線    1 農協前−士幌市街   西士狩線    1 下然別−芽室    2 芽室太−元駅逓    3 祥栄−光勇−元駅逓   松沢線    1 祥栄−御影 ◇東十勝線   東十勝本線    1 本別−佐倉   勇幌線    1 勇足−下押帯−東七線   東台線    1 勇足−協力街道   高島線    1 下居辺市街−池田   豊頃線    1 池田−豊頃 ・1962(S37)年10月1日時点の路線略図は以下の通りである。この時の路線図では、  士幌市街及び下居辺市街に乗車券簡易販売所が置かれていた。                 東七線             上士幌◎−○−−○東居辺                  |   \               士幌界○    ・−−・                  |       ○上押帯              士幌・−・   下居辺 |校前     本別              市街|  佐倉 市街  |   万栄橋  ◎       東瓜幕○−○−−−○−−−○−−○−−○−○−○   /          | 新田  +◎士幌|  |中押帯\美蘭別\ /          |         |  |    \   ○東七線       南音更○      下佐倉○清澄○  下押帯○−−・\          |         |   \         ◎勇足      村山●・○北上       |    \         \        ・  \        ○柏葉   ○共和口   第三会○     元駅逓○   \       |      \     館前 |  西松○−・ |\   ○東士狩   ●新駒場    \       |  沢 | | | ○光勇|      |        ◎高島 東台学○    | ・−○−+  |  鈴蘭  ○北糖       \  校前 |    |   |祥栄  |  入口  |          \    ・    |芽室太○−−−−○−−−○  |         池田◎  /    |   |芽室 下然 農協○−−○下士幌        +−○協力  御影◎+ +◎   別  前 |                 \街道     | ○\\ 元伏古   |帯広           新田牧場口○     |/渋 ・・−○−−+−◎−○                |     ・ 山/   |  |  東八条             十佛◎       /    |  |                    |   上渋山○  栄小学○  V                  豊頃◎   校前    校前   中仙境              ・大樹
2015 年 09 月 18 日 20:10:32 (15004) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【103】岩見沢線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇岩見沢線   岩見沢本線    1 岩見沢−稔神社前−北村東校前    2 元町−稔口    3 緑校前−青木神社前   月形線    1 中央通−峰岡−石狩月形    2 峰岡−美唄 1.2 路線略図                        石狩月形◎ 月形小                            | 学校前                        月形市街○−○−>浦臼・滝川                              |                          北村  |                          東校前 |                        ・−−○  ○新中小屋                        |     |                     蕨ヶ丘○     |                桜木      |     ○第二幹線橋                一条      ○大願   |    青木       緑校 七丁 稔神 二分|橋    |    神社前  /\  前  目  社前 水 |     |     ○−−○−−○−−○−○−−○−−○−○稔口   |        西川 西新 | |     | |     |        中央 橋  | |北本町東 | |     |              ○−○四丁目  ○−○     |         岩見沢◎ |元町    東橋 東岡    |            | |         鉄橋    | 峰延   美唄  札幌<−−−−−−−+−○−−−−−−−○−−○−−−−○−◎……○……◎             中央通     岡山橋 峰岡  峰延   光珠内                             市街   駅前 ※峰延〜美唄は1970(S45)年12月28日から休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・月形線1 月形市街〜新中小屋〜峰岡 ・月形線2 峰岡〜峰延 2.2 掲載 ・61日目 8/19(金) S61.8号 11.北海道編(上) 単行本 p286〜286 2.3 行程 ○石狩月形0945→1012峰延 月形線 石狩月形発 岩見沢行 537-1003(日野K-RE141) 2.4 エピソード ・乗り継ぎ個所の月形市街を通ったが、店が開いていなさそうなのでそのまま石  狩月形まで乗ってみた。 ・月形線の岩見沢行きは、石狩川を渡り、石狩平野北端の緑の中をまっすぐ進む。  どこから来るのか、結構途中の停留所から乗客があるのが不思議。  ・きっぷは峰岡経由となっているが峰延に着くまで峰岡という停留所はなかった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・岩見沢線は、空知線として、1948(S23)年に月形市街〜岩見沢、1951(S26)年に  岩見沢〜北村が開業したのがルーツで、空知地区及び岩見沢地帯の産業開拓促  進と、札沼線石狩月形方面と岩見沢方面との短絡を使命としていた。後に岩見  沢線となる区間は、1958(S33)年に空知線の支線である北新線、青木線、大願  線、月形線に編成されたが、1965(S40)年に岩見沢線の部に再編成された。 ・「国鉄バス時刻表岩見沢線」1981(S56)年11月10日改正によると、岩見沢線には  次のような系統が設定されていた。  (大願線・稔線)    岩見沢〜緑校前〜北村東校 3往復    岩見沢〜北本町〜北村東校 2往復    岩見沢〜緑校前〜蕨ヶ丘  2往復(上り1本は日祝学休日運休)    岩見沢〜北本町〜蕨ヶ丘  1往復(日祝学休日運休)  (青木線)    岩見沢〜緑校前〜青木神社前 6往復    岩見沢〜緑校前〜西川中央  3往復(うち日祝運休1往復)  (月形線)    岩見沢〜石狩月形〜浦臼   1往復    岩見沢〜石狩月形〜石狩新宮 1往復    岩見沢〜石狩月形      2往復    岩見沢〜大富        2往復 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、元町〜桜木一条七丁目、  西新橋〜青木神社前及び二分水〜稔口が認知された。 ・国鉄民営化を経て、岩見沢線はJR北海道に継承された。 ・「JR北海道バス時刻表岩見沢線」1992(H4)年7月1日改正によると、岩見沢  線には次のような系統が設定されていた。  (大願線・稔線)    岩見沢〜緑校前〜北村東校 2往復(うち東岡鉄橋経由1往復)  (青木線)    岩見沢〜緑校前〜青木神社前 5往復(うち北本町経由下り3本・上り1     本)    岩見沢〜緑校前〜西川中央  下り7本(うち日祝運休2本、うち北本町     経由6本)・上り8本(うち日祝運休1本、うち北本町経由7本)  (月形線)    岩見沢〜石狩月形・月形温泉 2往復 ・1997(H9)年3月末限りで蕨ヶ丘〜北村東校前及び二分水〜稔口(直行経路)が  廃止された。 ・「JR北海道バス時刻表岩見沢線」1997(H9)年4月1日改正によると、岩見沢  線には次のような系統が設定されていた。  (大願線・稔線)    岩見沢〜緑校前〜蕨ヶ丘 1往復(東岡鉄橋経由)  (青木線)    岩見沢〜緑校前〜青木神社前 5往復(うち北本町経由下り3本・上り1     本)    岩見沢〜緑校前〜西川中央     平日 下り7本(うち北本町経由6本)・上り9本(うち北本町経由8        本)     日祝 下り3本(北本町経由)・上り4本(北本町経由)  (月形線)    岩見沢〜石狩月形 2往復 ・2002(H14)年2月末限りで、岩見沢〜蕨ヶ丘、元町〜桜木一条七丁目、緑校前  〜青木神社前、西新橋〜青木神社前、中央通〜峰岡〜石狩月形及び峰岡〜峰延  の各区間が廃止され、岩見沢線は全廃となった。併せて、岩見沢営業所も廃止  された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、岩見沢線には接続駅(岩見沢、  石狩月形及び峰延)のみ置かれていた。 ・月形線の第1区間と第2区間の実際の分岐点は峰延市街であるが、この停留所  は乗降場であるので、きっぷの経路は第1区間と第2区間を峰岡(無人駅)で  乗り継ぐこととなっている。本来、峰岡〜峰延市街は復乗区間となる。 ・民営化当初の「自動車線普通旅客運賃表」及び北海道地自「国鉄自動車路線図」  1985(S60)年10月によると、「国鉄自動車路線名称」全面改正で認知された区間  の経路は次の通りである。    元町〜桜木一条七丁目:元町〜北本町東四丁目〜桜木公園通〜桜木一条七     丁目    西新橋〜青木神社前:西新橋〜(別線)〜西川中央〜青木神社前    二分水〜稔口:二分水〜東橋〜東岡鉄橋〜稔口 ※補足 札幌〜美唄間急行便の系譜 ・1957(S32)年に出された「国鉄自動車基本方針」で「既設の旅客路線は自動車輸  送の最近の輸送要請に対応して、逐次都市間を直送する中長距離運転系統、特に  急行バスの設定等に重点を置いて調整を図らなければならない」と取り上げられ  たことを契機として、急行便の設定が全国的に増加した。 ・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車五十年史」によると、道路網の整備等を背  景として、1958(S33)年7月から札幌〜美唄に急行7往復の長距離便を運転開始  したと述べられている。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1958(S33)年11月号(5/1改正)によると、札幌〜美唄  に次の7往復が設定されていたのを確認できる。    両地発 0800,1000,1100,1300,1400,1600,1700 所要2時間15分 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(8/1改正)によると、札幌〜美  唄に次のように10往復が設定されていたのを確認できる。  (下り)    札幌0830→1014美唄      0930→1114      1030→1214      1130→1317      1230→1417      1330→      1430→      1530→1714      1630→1814      1730→1914  (上り)    美唄0900→1044札幌      1000→1144      1100→1244      1200→1344      1300→1444      1400→      1500→      1600→1744      1700→1844      1800→1944 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、札幌〜美  唄に次のように8往復が設定されていたのを確認できる。  (下り)    札幌0930→1116美唄      1030→1219      1130→1319      1230→1419      1350→1536      1530→1716      1630→1816      1730→1916  (上り)    美唄0900→1046札幌      1000→1146      1200→1346      1300→1446      1400→1546      1500→1646      1600→1746      1800→1946 ・北海道地自前掲書によると、峰延〜美唄は1970(S45)年12月28日から休止されてい  るので、札幌〜美唄の直通便もこのタイミングで廃止された模様である。
2015 年 09 月 18 日 18:32:32 (15003) 山城こうじ国鉄周遊券育ちさんの書き込み 政宗3号さんの書き込みを拝見しています。 実体験があるところを付記しておきます。 えりも岬〜様似駅〜静内駅、 1986年、鉄道の「急行えりも」、 代替の役割も兼ねた、 えりも岬〜様似〜静内駅のバスですが、 1986年7月に乗っています。 えりも岬ユースホステルで、 有名な「開所記念日の行事」が終わった翌日、 ユースホステル前の「岬小学校前」バス停から、 静内駅まで乗っています。 記録をつける習慣がない時代で、 メモはありませんが、 運行は、 「岬小学校前→えりも岬→静内駅」だったのは、 間違いありません。 ユースホステルの「大漁旗見送り」の 対象となる便でした。 現地では、「急行バス」と案内していました。 静内〜札幌の鉄道、 「急行えりも号アクセスバス」と 案内では強調していました。 車両も急行バスらしく、 観光バスタイプでした。 (日野スケルトンミドルデッカーと記憶しています) ご多分に漏れず、「北海道ワイド周遊券」 (しかも学割)で、利用しました。 いわゆる、「カニ族」の、 最後の時代でした。
2015 年 09 月 09 日 20:36:06 (15002) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【306】和田峠北線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇和田峠北線    1 上田−上和田    2 中立岩−信濃松島−長窪古町    3 上和田−美ヶ原落合 1.2 路線略図         山本小屋○                   上田◎             +−○美ヶ原                |             |  美術館            大屋駅前◎             |          上余里       /            ・○美ヶ原落合      ●       /           /  \           ・  丸子町○          /    ○和田大石       ・    |         ○東餅屋   \       信濃松島○   ・        /|    扉峠口\          |\ /  下諏訪<−○−|−−○−−○−−○−・       | ○中立岩      西餅屋| 男女倉   上和田 \  長久保 |/         ○八島      大門落合○−−○−−○長窪古町         |            |     |\         V            V     V ○依田窪病院前        霧ヶ峰・         東白樺湖 芦田・小諸        東白樺湖 ※下諏訪〜上和田は和田峠南線、東白樺湖〜霧ヶ峰〜東餅屋〜美ヶ原落合〜  山本小屋、大門落合〜東白樺湖、小諸〜芦田〜長窪古町は白樺高原線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・和田峠北線3 美ヶ原落合〜上和田 ・和田峠北線1 上和田〜大門落合 ・和田峠北線2 長窪古町〜信濃松島〜中立岩 ・和田峠北線1 中立岩〜丸子町〜大屋駅前 2.2 掲載 ・33日目 7/13(土),34日目 7/14(日) S61.4号 7.中部編 単行本 p272〜273 2.3 行程 ○山本小屋1110→1315東白樺湖 和田峠北線 山本小屋発 東白樺湖行(長久保経由)                            538-6006(日デU30H) ○長窪古町1904→1920丸子町 和田峠北線 強清水発 丸子町行(有坂経由)                            538-8902(日デUA30L) ○丸子町1004→1015大屋駅前 和田峠北線 上和田発 上田行 538-6005(日デU30H) 2.4 エピソード ・長久保経由東白樺湖行きは年かさの女性車掌と見えた誘導員が乗ってきた。美  ヶ原落合と中山道を結ぶ山道が1車線ぎりぎりの難路。車内に暖房が入り季節  感がなくなる。 ・バスは長久保で25分の大休止。運転士の薦めに従って、待ち時間中に駅隣の食  堂で昼食を済ませる。ここでお客もがらりと替わり、土曜なので下校高校生、  途中から保育園児も乗り、山間の集落に散っていく。 ・丸子町から大屋駅前経由の上田行きは上田交通が頻発し、千曲バスも健闘、国  鉄バスは添え物のよう。それでも長久保から下って来る便なので、日曜とあっ  て乗り具合は上々。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・和田峠北線は、1933(S8)年に諏訪線の支線和田峠線の一部として上和田〜丸子  町が開業したのがルーツで、上田丸子電鉄丸子町と中央本線下諏訪とを結ぶ鉄  道短絡路線としての使命を有していた他、美ヶ原・白樺湖等の観光開発及び地  方産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年12月号(7/1改正)によると、和田峠北  線(当時は諏訪線)には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    上諏訪・下諏訪〜上和田〜長久保〜丸子町 下り6本・上り5本    丸子町〜大門落合〜白樺湖 2往復    丸子町〜美ヶ原口2往復 ・和田峠線のうち上和田〜長久保〜丸子町他は、1957(S32)年に小諸線の部小諸  本線(→白樺高原本線)に編入され、1960(S40)年の丸子町〜上田間開業を経て、  1965(S40)年に上田〜上和田、中立岩〜上余里、長窪古町〜信濃松島及び上和田  〜山本小屋が和田峠北線として独立した。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(9/1現在)によると、和田峠北  線(当時は小諸線、諏訪線)には次のような系統が設定されていたのを確認で  きる。    小諸〜芦田〜長久保〜下諏訪 下り2本・上り1本    丸子町〜上和田 14往復    丸子町〜長久保 下りは0635〜2150、上りは0600〜2113の間頻繁運転    小諸〜美ヶ原口 2往復    丸子町〜長久保〜上和田〜下諏訪 7往復 ・1970(S45)年に上田〜中之郷〜丸子町が廃止されて、上田〜大屋駅前〜丸子町が  開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/19改正)によると、和田峠  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    上田・丸子町〜長久保〜上和田〜下諏訪 7往復    上田〜丸子町〜長久保〜上和田 下り2本・上り3本    上田〜丸子町〜長久保〜大門落合 下り1本    丸子町〜長久保〜上和田 5往復    丸子町〜長久保〜大門落合 下り1本    下諏訪〜上和田〜山本小屋 2往復    上田〜丸子町〜長久保〜上和田〜山本小屋 3往復(うち下り1本・上り     2本は8/31まで運転)    丸子町〜長久保〜上和田〜山本小屋 1往復(8/31まで運転)    上和田〜山本小屋 2往復 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(9/1改正)によると、和田峠  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    上田・丸子町〜長久保〜上和田〜下諏訪 下り4本・上り5本    長久保〜上和田〜下諏訪 下り1本    上和田〜下諏訪 1往復    上田〜丸子町〜長久保〜上和田 2往復    上田〜丸子町〜長久保〜入大門 下り1本    丸子町〜長久保〜上和田 下り5本・上り6本    丸子町〜長久保 下り1本    長久保〜上和田 下り1本    東白樺湖〜霧ヶ峰〜上和田〜山本小屋 2往復(11/4まで運転)    長久保〜山本小屋 下り1本・上り3本 ・信越地方自動車部の廃止に伴って、1985(S60)年3月に和田峠北線は関東地方自  動車局に移管された。 ・1985(S60)年5月に信濃松島〜上余里の廃止が公示された。 ・1985(S60)年当時、線内の丸子町及び長久保に自動車駅が存在した(上和田駅は  和田峠南線所属)。また、国鉄バス運行の拠点として小諸自動車営業所長久保  支所(長久保)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/19改正)によると、和田峠  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    上田・丸子町〜長久保〜上和田〜下諏訪 5往復    上田〜丸子町〜長久保〜上和田 下り1本    上田〜丸子町〜長久保 2往復    丸子町〜長久保〜上和田 上り2本    丸子町〜長久保 上り3本    丸子町〜長久保〜上和田〜山本小屋 下り1本    長久保〜上和田〜山本小屋 下り3本(うち1本は8/31まで運転)・上り     4本(うち1本は8/31まで運転) 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、長窪古町〜依田窪病院  前が認知された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、和田峠北線はJRバス関東に継承された。 ・1997(H9)年に上和田〜美ヶ原落合が廃止され、1998(H10)年に大門落合〜上和田  が廃止された(これ以降はJRバス関東による貸切代替運行を経て、和田村営  バス、長和町営バス(JRバス関東に委託)となっている)。 ・2015(H27)年6月現在、上田〜丸子町〜長久保〜唐沢がJRバス関東によって運  行されている。また、長久保以西は長和町巡回バス(JRバス関東に委託)が  運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、和田峠北線には接続駅(上田  及び大屋)の他に、長久保に第一種委託駅(自動車駅)、丸子町、武石、長窪  古町、大門落合及び下和田上組に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2015 年 09 月 09 日 20:34:55 (15001) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【208】二戸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇二戸線   二戸本線    1 北福岡−荒屋新町    2 陸奥合川−鳥越観音前   足沢線    1 御返地−上斗米    2 川代口−福岡川代   一戸線    1 北福岡−岩手野中   女鹿線    1 女鹿口−女鹿新田 1.2 路線略図                  田子中央                   Λ   金田一                   |   九戸通                   ○上斗米 Λ                  / \   |                 /   ・−−○福岡長嶺          岩手足沢○−○岩手蒔前   |                |       |         浄法寺○−○−○御返地 陸奥 |           / 天台寺 \   合川 |      陸奥樋口○     似鳥○−−○−−◎北福岡(→二戸)         /            \ |     中佐井○              \○鳥越観音前       /                +  荒屋新町◎                 |                        |                        ◎一戸                        |                女鹿新田○−−−○女鹿口                        |                    岩手野中○−>葛巻                        |                        ◎小鳥谷                        |                        V                      岩手町大町                       ・盛岡 ※北福岡〜福岡長嶺〜上斗米〜田子中央、堀野〜九戸通は田子線 ※盛岡〜岩手町大町〜小鳥谷駅前〜北福岡〜金田一温泉プール前は盛岡金田一  急行線(岩手町大町〜小鳥谷駅前を除いて二戸・田子・軽米線との重複区間) ※岩手町大町〜小鳥谷駅前は1983(S58)年11月1日から休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・一戸線1 岩手野中〜女鹿口〜一戸 ・二戸本線1 荒屋新町〜浄法寺〜陸奥合川 ・二戸本線2 陸奥合川〜鳥越観音前 ・盛岡金田一急行線1(一戸線1) 鳥越観音前〜北福岡 2.2 掲載 ・53日目 8/11(日),54日目 8/12(月) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p272〜273 2.3 行程 ○葛巻1230→1344一戸 小鳥谷・一戸線 葛巻発 一戸行 521-6003(いすゞBU10) ○荒屋新町1430→1505浄法寺 二戸本線 荒屋新町発 浄法寺行                           527-7023(日野RC300) ○浄法寺1521→1557北福岡 二戸本線 浄法寺発 北福岡行 537-8008(日野RE101) ×陸奥合川→鳥越観音前 タクシー ○鳥越観音前1705→1719北福岡 一戸線 発 行 537-5027(日野RC300) 2.4 エピソード ・国道4号線に出ると、青函フェリーの広告看板が見え、いよいよ北海道が近づ  く。 ・北福岡行きに乗り継ぐとやがて右手に渓流が寄り添って鳥越観音前へ乗り換え  の陸奥合川となったが、運転士は接続便なしというので北福岡駅へ直行。 ・陸奥合川〜鳥越観音前間1.4kmを経由するバスは朝夕2本だけらしく、タクシー  代行で細道の路線をたどり、国道4号線沿いの鳥越観音前で下車。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・二戸線は、1939(S14)年に福岡長嶺〜北福岡〜荒屋新町が開業したのがルーツで、  東北本線金田一・北福岡と花輪線湯瀬・荒屋新町方面の交通短絡を図ることを  使命としていた。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)の二戸線の項には、本路線は一戸で小鳥谷  線に、陸中大野で八軽線、軽米東線と結ぶ(注:当時、軽米西線は二戸線の支線  であった。)国鉄自動車路線網の一環をなすもので、鉄道に恵まれない岩手県東  北部の、いわゆるチベット高原地帯の交通網を形成している意義は大きい、と述  べられていた。 ・1955(S30)年には大柳〜湯瀬(後の湯瀬線)が開業し(1970(S45)年廃止)、1957  (S32)年に御返地〜岩手蒔前〜上斗米、1960(S35)年に女鹿口〜上女鹿(後の女鹿  線)が開業した(1965(S40)年に女鹿新田まで延伸)。 ・1984(S59)年3月末限りで岩手蒔前〜上斗米及び川代口〜福岡川代が休止された。 ・1985(S60)年当時、線内の浄法寺に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として、北福岡自動車営業所(北福岡)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、二戸線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    北福岡〜荒屋新町 下り4本・上り7本    北福岡〜浄法寺 下り7本・上り4本    浄法寺〜荒屋新町 1往復 3.2 旅から30年 ・「北福岡自営管内時刻表」1986(S61)年3月3日改正によると、二戸線には次の  ような系統が設定されていた。  (二戸本線)    北福岡〜荒屋新町 下り3本・上り6本    浄法寺〜荒屋新町 下り4本・上り2本    北福岡〜浄法寺 下り8本・6本    一戸〜浄法寺(北福岡経由せず) 1往復  (足沢線)    北福岡〜御返地〜足沢 2往復    北福岡〜上斗米〜川代 2往復  (一戸線)    一戸〜金田一(北福岡入らず) 下り1本    一戸〜北福岡〜金田一 下り1本・上り2本    一戸〜北福岡〜金田一温泉 1往復    一戸〜北福岡〜仁左平 下り1本・4本    一戸〜北福岡 下り10本・上り5本  (女鹿線)    北福岡〜一戸〜女鹿新田 下り3本(うち出校日の土曜運転、出校日の土曜     運休各1本)    一戸〜女鹿新田 下り2本・上り5本(うち出校日の土曜運転、出校日の土     曜運休各1本) ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、二戸線はJRバス東北に継承された。 ・民営化以後に保土沢〜新安比温泉が開業したが、1995(H7)年10月に廃止された。 ・「二戸営業所管内時刻表」1989(H1)年3月3日改正によると、二戸線には次の  ような系統が設定されていた。  (二戸本線)    二戸〜荒屋新町 下り6本(うち新安比経由1本)・上り7本(うち新安比     経由3本)    浄法寺〜荒屋新町 下り2本(新安比経由)・上り1本(新安比経由)    二戸〜浄法寺 下り7本・上り7本(うちハーネス行2本)    一戸〜二戸〜浄法寺 上り1本(日曜祭日運休)  (足沢線)    二戸〜御返地〜足沢 2往復    二戸〜上斗米〜川代 2往復  (一戸線)    一戸〜二戸〜金田一温泉 下り2本(うち二戸以遠日曜祭日運休、同出校日     の土曜日曜祭日運休各1本)・上り2本    一戸〜二戸〜金田一温泉郷 1往復    一戸〜二戸〜ハーネス 下り1本    一戸〜二戸〜仁左平 下り1本・上り5本(うち日曜祭日運休2本)    一戸〜二戸 下り12本(うち日曜祭日運休2本、出校日の土曜運転1本)・     上り5本  (女鹿線)    二戸〜一戸〜女鹿新田 下り4本(うち出校日の土曜運転、出校日の土曜     運休各1本)    一戸〜女鹿新田 下り1本・上り5本(うち出校日の土曜運転、出校日の土     曜運休各1本)  ※このダイヤでは、陸奥合川〜鳥越観音前の短絡線を経由する便が設定されてい   ない。 ・1996(H8)年に御返地〜岩手蒔前〜上斗米、岩手蒔前〜岩手足沢及び川代口〜福岡  川代、女鹿線(女鹿口〜女鹿新田)が廃止された。 ・2000(H12)年に諏訪野(一戸〜西法寺間の新設停留所)〜一戸病院〜保健福祉セン  ターが延伸された。2005(H17)年に一戸病院〜保健福祉センターを廃止して一戸シ  ョッピングセンター「イコオ」への乗り入れを開始した。 ・2008(H20)年に浄法寺〜荒屋新町のローカル便、一戸病院〜イコオが廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、二戸〜浄法寺、二戸〜一戸〜岩手野中がJRバス東北に  よって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、二戸線には接続駅(北福岡、  荒屋新町及び一戸)の他に、浄法寺に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。

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