不毛な掲示板 (No.14901〜No.15000)


2015 年 09 月 06 日 22:01:05 (15000) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【108】日勝線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇日勝線   日勝本線    1 静内−広尾    2 日高三石−上富沢    3 一中前−目名太    4 浦河開建前−浦河営業所前    5 東町−浦河老人ホーム前    6 様似−様似営業所前    7 様似中学校通−様似小学校前    8 広尾六丁目−広尾(町道)   野深線    1 荻伏市街−上野深   杵臼線    1 日高幌別−地震観測所前    2 杵臼−東幌別   えりも線    1 歌別−岬市街−えりも岬−千平口 1.2 路線略図                           目名太○    浦河老人                              |    ホーム前                  上野深○        |     ○                     |        ○向別   |            上富沢○     |   浦河営  |     |   日高月寒               |  荻伏 ◎荻伏 業所前○−○浦河 東町○−−>様似            春立 |  築港 |        |開建前 /   古川町○−−◎−−◎−−◎−−○−−○−−−○−−−−○−−−○浦河五丁目     /  東静内    日高   荻伏  絵笛   一中前  静内◎          三石   市街                               広尾                               六丁目                         広尾◎−−−+○−・                            \ /    \                             ○      ○音調津                           国保病院前     \                                      ○日勝目黒          地震観測所前○                      \               /                        ○庶野           上杵臼○                         |         西舎  /                     庶野学校前○        ・−○−○杵臼    様似小学校前 様似営業所前       ・|     日高 |   |           ○ ○         千平○ |  東町 月寒 |   |    鵜苫 様似  |/           / \|  静内<−○−+−−−○東幌別  ◎  ◎  ○様似中学校通  上歌別○   ○千平口        |    \   / \ | /           /    |    日高幌別◎     ・−○   ・++−−○−−○−−○−−○歌別   ○百人浜               鵜苫       幌満 笛舞 えりも  \    |               市街                   \   ○岬市街                                     \ /|                                    油駒○ ○えりも岬 ※静内〜日高三石は1984(S59).12.10から休止 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・日勝本線1 広尾〜庶野〜千平口 ・えりも線1 千平口〜えりも岬〜岬市街〜歌別 ・日勝本線1 歌別〜えりも〜様似 ・杵臼線2 鵜苫〜東幌別 ・杵臼線1 東幌別〜杵臼 ・日勝本線1 杵臼〜日高幌別 ・日勝本線1 日高幌別〜東町〜浦河駅通〜一中前〜荻伏市街 ・野深線1 荻伏市街〜荻伏 2.2 掲載 ・68日目 8/26(月),69日目 8/27(火) S61.9号 12.北海道編(下) 単行本 p272〜273 ・連載誌のみ 百人浜経由えりも岬行急行便(広尾駅前)の写真,537-7012の解説,   日高幌別駅の写真,様似駅前の国鉄バス乗り場の写真 2.3 行程 ○広尾0830→0920百人浜 日勝本・えりも線 広尾発 えりも岬行 急行                           537-5021(日野) ○百人浜1133→1147えりも岬 えりも線 広尾発 えりも岬行 急行                           537-1104(日野K-RE141) ○えりも岬1255→1322えりも えりも・日勝本線 えりも岬発 様似行                           537-7012(日野RC320) ○えりも1400→1435様似 日勝本線 えりも岬発 様似行 急行                           537-2574(日野K-RC321P) ○鵜苫1540→1547日高幌別 日勝本線 様似営業所前発 上野深行                           537-6027(日野RC320) ○日高幌別1615→1629上杵臼 杵臼線 日高幌別発 上杵臼農協行(東幌別経由)                           537-8004(日野RE141) ○上杵臼1651→1713日高幌別 杵臼線 上杵臼発 日高幌別行(西舎経由)                           537-8004(日野RE141) ○日高幌別1727→1745公営住宅前 日勝本線 浦河営業所前発 様似営業所前行                           537-0007(日野K-RE141) ○様似0800→0817日高幌別 日勝本線 様似営業所前発 浦河営業所前行                           537-0004(日野K-RE141) ○日高幌別0917→0948荻伏 日勝本・野深線 様似営業所前発 上野深行                           537-7014(日野RC320) 2.4 エピソード ・普通便は千平口から内陸に入ってしまうが、季節運転の急行便は百人浜の海岸  線を走る。お客は十数人に過ぎず、早朝のせいもあるが北海道観光のピークは  過ぎた。このバスの運転士は肉声で黄金道路などの案内をしてくれるので親し  みが持てる。 ・日高幌別から経路どおり東幌別、杵臼を通る上杵臼農協行きは1日1本だけ。  16時15分発(土曜は13時25分発)でちょうど間に合う。上杵臼農協行きは、高  校生ら30人余りを乗せ、国道336号線を東幌別まで戻って左折、牧場の中をゆ  っくり登る。杵臼で西舎経由日高幌別行きに乗り換えだが、雨足が強くなり、  運転士に雨宿りのできそうな所と聞いた上杵臼まで飛び出し乗車。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・日勝線は、1943(S18)年に本様似〜庶野、1946(S21)年に庶野〜広尾が開業した  のがルーツで、その後、1949(S24)年に本様似〜荻伏築港、1950(S25)年に静内  〜荻伏築港及び荻伏市街〜上野深が開業した。十勝・日高の両国を結ぶ本様似  〜広尾は鉄道先行路線として、静内〜本様似は鉄道補助の使命をもって開設さ  れた。 ・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車五十年史」には、日勝線本様似〜庶野及  び歌別〜襟裳は軍事輸送の目的で開業したとある。既存の民営バス業者(日高  自動車)が日華事変の進展で燃料・部品の確保が困難となる一方、全路線が重  要軍事輸送路に指定されたのを契機に省営自動車が会社を買収したものである。 ・1954(S29)年に日高三石〜上富沢が、1955(S30)年に(浦河)一中前〜向別〜目  名太が開業した。また、1957(S32)年に襟裳線(→えりも線)の襟裳(→岬市街  )〜百人浜〜庶野及び襟裳〜襟裳灯台(→えりも岬)が開業し、この区間の運  行期日は北海道地方自動車事務所長が定めるとされ、期間限定運行だった。 ・北海道地自前掲書によると、1961(S36)年から「えりもシーライン」(様似〜  襟裳岬〜広尾)の輸送を開始したとある。秘境ブームを呼んだ1972(S47)年頃が  輸送のピークで輸送人員13万5千人を数え、この輸送期間中は、道内各自営か  ら車両と人員の助勤を得て取り組まれたと述べられている。さらに1961(S36)  年7月1日〜9月10日の間、準急えりも号(札幌〜様似)〜国鉄バス〜準急ひ  ろお号(後に大平原号、広尾〜帯広)を結んで列車とバスの座席指定(結合輸  送)を行った(1973(S48)年限りで座席指定制結合輸送を中止)。えりもシーラ  インの輸送人員も1980(S55)年度は4万3千人とピーク時の3分の1となった。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年9月号には、「列車とバスの通し座席  指定」として、「9月10日まで日高本線と広尾線を結ぶ国鉄バス日勝線との通  し座席指定制を実施します。座席指定券は北海道内の各駅・営業所で発売いた  します」とあり、次のダイヤが掲載されていた。    札幌0716→1112様似1119→(襟裳1251/1321)→1500広尾1510→1636帯広    帯広1055→1239広尾1310→(襟裳1449/1540)→1712様似1800→2213札幌     ※札幌〜様似は準急「えりも」、広尾→帯広は準急  また、同号によると、日勝線には次のような系統が設定されていたのを確認で  きる。    静内〜庶野 上り1本    静内〜幌泉 1往復    静内〜様似 下り1本    静内〜一中前 下り2本    荻伏市街〜広尾 下り1本・上り2本    荻伏市街〜幌泉 上り1本    一中前〜広尾 3往復    日勝目黒〜広尾 上り1本    一中前〜様似 下り7本・上り5本    様似〜幌泉 下り6本・上り3本    幌泉〜襟裳 5往復    様似〜(襟裳灯台・百人浜)〜広尾 6往復(9/10まで運転)    一中前〜上杵臼 下り4本・上り7本    三石築港〜上富沢 3往復    荻伏市街〜上野深 5往復 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号にも、「えりも岬観光に便  利な座席指定券発売」と題して、「札幌〜様似〜えりも灯台〜広尾〜糠平間の  急行えりも号と大平原に国鉄バスを結合した通しの座席指定券が発売されます。  期間:7/25〜8/16、発売個所:道内の国鉄各駅及び日本交通公社、日本旅行、  近畿日本ツーリストの各営業所」とあり、次のダイヤが掲載されていた。  (下り)    札幌0710(えりも1号)様似1140(301便)1257えりも灯台1355(401便)    広尾1545(大平原)1843糠平  (上り)    糠平0805(大平原)広尾1105(402便)1229えりも灯台1500(302便)様似    1718(えりも3号)2144札幌  また、同号によると、日勝線には次のような系統が設定されていたのを確認で  きる。    様似〜襟裳灯台 6往復(6/28〜9/154往復、6/1〜10/111往復、7/5〜     8/311往復)    襟裳灯台〜広尾 下り8本(6/14〜9/271本、6/28〜9/151本、7/5〜8/31     1本、7/12〜8/312本、7/19〜8/311本、9/1〜9/151本、9/1〜10/111     本)・上り7本(6/1〜10/111本、6/14〜9/271本、6/28〜9/152本、     7/5〜8/311本、7/12〜8/311本、7/26〜8/311本)    様似〜広尾 4往復    様似〜庶野 1往復    様似〜襟裳灯台 下り4本・上り2本    様似〜襟裳 下り2本    様似〜幌泉 下り6本・上り8本    幌泉〜襟裳灯台 下り1本・上り2本    幌泉〜襟裳 下り1本・上り3本    静内〜様似 下り1本・上り2本    静内〜一中前 下り3本・上り2本    静内〜日高三石 下り1本    日高三石〜一中前 下り2本・上り1本    荻伏市街〜様似 下り1本・上り3本    荻伏市街〜一中前 4往復    一中前〜様似 下り12本・上り9本  ・1985(S60)年2月に日勝本線の千平〜庶野学校前が廃止された。 ・1985(S60)年当時、日勝本線の浦河五丁目及びえりも、えりも線のえりも岬に  自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として様似自動車営業所(様  似営業所前)及び同浦河支所(浦河営業所前)、帯広自動車営業所広尾支所(  広尾営業所前)が置かれていた。なお、広尾支所は1985(S60)年度内に様似自営  に移管された。 ・「国鉄バス時刻表日勝線」1985(S60)年7月6日改正によると、日勝線には次の  ような系統が設定されていた。  (日勝本線:様似以西)    上富沢〜老人ホーム 下り1本(日祝運休)・上り2本(土曜運転学休期     間の土曜運休、土日祝運休学休期間の土曜運転各1本)    上富沢〜日高三石 下り2本(土曜運転学休期間の土曜運休、土日祝運休     学休期間の土曜運転各1本)・上り1本(日祝運休)    浜荻伏公住〜様似営業所 上り1本    浜荻伏公住〜老人ホーム 下り3本・上り2本    浜荻伏公住〜浦河一中前 下り1本    浦河営業所〜様似営業所 下り14本(うち土曜運転学休期間の土曜運休、     土日祝運休各1本)・上り10本(うち日祝学休日運休1本)    浦河営業所〜老人ホーム 下り15本(うち日祝学休日運休1本、日祝運転     1本、日祝運休1本、土曜運転学休期間の土曜運休2本、土日祝運休学     休期間の土曜運転2本)・上り16本(うち日祝学休日運休2本、日祝運     休1本、土日祝運休学休期間の土曜運転1本)  (目名太支線)    老人ホーム〜目名太 下り2本(土曜運転学休期間の土曜運休、土日祝運     休学休期間の土曜運転各1本)・上り2本(日祝運休、土日祝運休学休     期間の土曜運転各1本)    浦河一中前〜目名太 下り1本(日祝運休)・上り1本(土曜運転学休期     間の土曜運休)  (野深線)    様似営業所〜上野深 下り3本・上り1本    老人ホーム〜上野深 下り1本(日祝運休)・上り3本(うち日祝学休日     運休1本)    浦河営業所〜上野深 下り1本    浦河一中前〜上野深 上り1本(日祝運休)  (杵臼線)    浦河営業所〜上杵臼(西舎経由) 3往復    様似営業所〜上杵臼農協(南杵臼経由) 上り1本(日祝運休)    様似〜上杵臼農協(南杵臼経由) 下り2本(土曜運転学休期間の土曜運     休、土日祝運休学休期間の土曜運転各1本)  (日勝本線:様似以東)    様似営業所〜庶野 4往復    庶野〜広尾営業所 5往復(うち2往復は7/16〜9/16の間えりも岬発着百     人浜経由)  (えりも線)    様似営業所〜えりも岬 5往復    様似営業所〜えりも灯台口 上り1本(日祝学休日はえりも始発)    様似営業所〜しゃくなげ公園 下り2本    様似〜しゃくなげ公園 上り2本(日祝学休日運休)    えりも〜えりも岬 下り1本(日祝学休日運休)・上り1本     ※えりも灯台口〜えりも岬は12/1〜3/31の間運休 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年12月に杵臼線の上杵臼農協前〜地震観測所前の廃止が公示された。 ・1986(S61)年5月1日から静内〜様似〜えりも岬に上下各1本の特急バスを次  のように運行開始した。同年3月改正で日高本線静内〜様似の急行2本が廃止  され、沿線住民から特急バスの運行を強く要望したことを受けたもの。(なお、  「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11月現在によると、静内〜浜荻伏公住  前は1986(S61)年11月1日から休止とあるので、この時に特急便は廃止された  模様である。)    様似1230→1352静内1550→1823えりも岬 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、日高三石〜上富沢が  削除され、一中前(→浦河堺町西一)〜目名太が一中前〜浦河営業所前(→浦  河堺町西五)に変更される(浦河開建前〜目名太は1986(S61)年7月末限りで  廃止されたが官報公示は出されなかった)とともに、広尾〜広尾営業所前が認  知された。 ・国鉄最末期の1987(S62)年2月から広尾〜広尾営業所前が休止された。 ・国鉄民営化を経て、日勝線はJR北海道に継承された。 ・民営化後、道南バスの高速「ペガサス」号(札幌〜浦河ターミナル)の下り最  終便と上り始発便に東町(日赤前)で接続する深夜・早朝便が東町〜えりもに  運行された。「JR北海道バス時刻表日勝線」1988(S63)年4月25日改正では  次の1往復が設定されていた。  (上り)    えりも0503→0555東町(各駅乗車のみ。東町0605発ペガサスに接続)  (下り)    東町2030→2122えりも(東町着ペガサスから接続。各駅降車のみ)  この「ペガサス」号接続便は2004(H16)年4月29日改正から廃止された。  ・1990(H2)年までに浦河開建前〜浦河堺町西五が廃止され、浦河開建前〜向別が  開業(再開)された。 ・2015(H27)年6月現在、日勝本線の浜荻伏公住前〜浦河堺町西一〜様似〜えりも  〜庶野〜広尾、浦河堺町西一〜向別、東町〜老人ホーム他、えりも線、上野深  線がJR北海道バスによって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、日勝線には接続駅(静内、東  静内、春立、日高三石、浦河、日高幌別、鵜苫、様似、広尾及び荻伏)の他に、  えりも本町に第一種委託駅(自動車駅)、浦河五丁目、幌満、笛舞、庶野、日  勝目黒、音調津、岬市街及びえりも岬に第二種委託駅(自動車駅)が置かれて  いた。
2015 年 09 月 06 日 19:27:30 (14999) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【302】鳥海線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇鳥海線    1 象潟−鉾立    2 象潟−浜山    3 浜山−御嶽公園    4 梨ノ木台−羽後小滝−横岡    5 羽後小滝−羽後長岡 1.2 路線略図              ・−−−−○新町             /役場前  |          浜山○−−○−+−+            |    | ◎象潟            |中学校前|        体育館前○−○−−○TDK前           /|       汐見町○ |           \|            ○御嶽公園            |            ○梨ノ木台           / \      羽後小滝○   ○新羽後小滝          |   |      白滝館前○−−−+−○−−○羽後長岡          |  / 学校前          ・−+           /           /     奈曽滝前○        / \       ・   ○羽後本郷       |    \     霊峰○     ○横岡       |       |     鉾立○ 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・鳥海線は、1944(S19)年に象潟〜横岡、象潟〜百目木が原産地(貨物)路線とし  て開業したのがルーツで、その後バスを運行し、象潟を中心とした観光開発及  び地方産業文化の発展助長を使命としていた。 ・国鉄新潟支社(1967)「三十年史」によると、鳥海線は鳥海山麓に散在する褐鉄  輸送の使命を帯びて誕生したと述べられている。また、戦後、交通機関に恵ま  れない沿線住民からトラックによる人員輸送の要請が出され、幾多の経緯をへ  てその容貌に応え、1948(S23)年7月からトラックによる人員輸送を開始した  とある。これが鳥海線の旅客輸送の起源となったと述べている。 ・象潟町(2001)「象潟町史・通史編下」によると、路線開設の目的は小滝鉱山等  の鳥海山麓の資源開発や産業振興にあり、当初は代用燃料(木炭)トラック8  両と要員38名で褐鉄鉱等を輸送したと述べられている。また、太平洋戦争の終  結後は幌付きトラックに住民を乗せて運行するようになり、1950(S25)年8月に  は木炭代用燃料バス3両が導入されたとある。 ・1959(S34)年に西本郷〜霊峰が、1960(S35)年に霊峰〜木立ヶ原がそれぞれ開業  し、1961(S36)年に木立ヶ原〜鉾立が延伸された。いずれも運行期日は信越地方  自動車事務所長が定めるとされ、期間限定の運行だった模様である。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年9月号(7/1訂補)によると、鳥海線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    象潟〜鉾立 2往復(9/10まで運転)     象潟発0736,1226 鉾立発1020,1500 所要1時間20分    象潟〜横岡 7往復    象潟〜長岡 下り2本・上り3本    象潟〜小滝 1往復 ・信越地方自動車部の廃止に伴って、1985(S60)年3月に鳥海線は東北地方自動車  部に移管された。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として象潟自動車営業所(象潟町内)が  置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、鳥海線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    象潟〜鉾立 3往復(10/20まで運転、うち1往復は8/25〜10/20の休日運転)    象潟〜横岡 9往復(うち1往復は10/20まで運転) 3.2 旅から30年 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、鳥海線はJRバス東北に継承された。 ・「JR時刻表」1995(H7)年3月号(2/1現在)によると、鳥海線には次のような系統  が設定されていたのを確認できる。    象潟〜横岡 下り7本(うち休日運休2本)・上り8本(うち休日運休3本)    ※象潟〜鉾立は運休中との注記あり。 ・1995(H7)年に羽後本郷〜本郷〜西本郷、西本郷〜象潟病院前を含めて、鳥海線は  全廃となった。 ・象潟町前掲書によると、昭和後半のマイカー普及で年々乗車率が下がり、JRバ  ス東北では既に1993(H5)年に象潟営業所と鳥海線の廃止を決定したと述べられて  いる。廃止に先立って1995(H7)年3月4日夜、象潟町横岡集落穀物倉庫で住民ら  約30人による「さよならパーティー」が開催され、この席には国鉄バスOBも招  待されたとある。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、鳥海線には接続駅(象潟)の  み置かれていた。 ・1983(S58)年9月現在の鳥海線路線図及び1984(S59)年頃の自動車線普通旅客運賃  表の営業キロから見て、各区間の経路は次の通りと解される。   第1区間 象潟〜役場前〜浜山〜体育館前〜御嶽公園〜梨ノ木台〜新羽後小滝        〜新農協前〜奈曽滝前〜鉾立   第2区間 象潟〜新町〜浜山   第3区間 浜山〜体育館前〜汐見町〜御嶽公園   第4区間 梨ノ木台〜羽後小滝〜白滝館前〜農協前〜奈曽滝前〜横岡   第5区間 羽後小滝〜白滝館前〜学校前〜羽後長岡  なお、象潟〜中学校前〜体育館前に相当する区間は、当時の国鉄自動車路線名称  には見当たらない。 ・1983(S58)年9月現在の鳥海線路線図によると、鉾立及び羽後本郷に簡易委託販売  所が設置されていた。
2015 年 08 月 25 日 01:42:00 (14998) 各駅倉庫さんの書き込み ふもふも館長様,皆様,こんばんは。 各駅倉庫のリンク先で最近,国鉄バスの過去の改正記事が追加されたようですのでご紹介します。 「北海道中央バスファンクラブ」では北海道中央バスに関連する改正記事を集積した 「最新NEWS」  http://kskpro.web.fc2.com/news/index.htm というコンテンツがありますが,1950〜1960年代のページ  http://kskpro.web.fc2.com/news/satsu1960.htm で他社の改正記事が追加されたようです。国鉄バスに関しては札樽線・空知線につい て記事が追加された他,日勝線の記事もありました(1961年12月1日の項目)。
2015 年 08 月 24 日 20:33:25 (14997) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【523】和田峠南線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇和田峠南線   和田峠南本線    1 下諏訪−上和田    2 萩倉口−八島    3 西餅屋−東餅屋   扉峠線    1 扉峠口−扉峠 1.2 路線略図                                  ・−>山本小屋                               扉峠/                          ・−−−−−○                         /      | 美ヶ原落合                                       +・   男女 |   Λ        岡谷      萩倉口  西餅屋||   倉口 |   |        Λ  注連掛○−−○−−−−○−|+○−−○−−○−−−○−>上田        |    /    \斧立  \・東餅屋/  扉峠口 上和田   下諏訪◎−○大社通/      ○   /\  /        +−−・        \ ・  ・○男女倉       /             \|      ・               ○八島      |               |      V               V   上諏訪・白狐入口          霧ヶ峰 ※白狐入口〜岡谷は諏訪本線、小諸〜霧ヶ峰〜東餅屋〜扉峠〜美ヶ原落合〜山本小屋〜美  ヶ原美術館は白樺高原本線、上和田〜上田及び上和田〜美ヶ原落合は和田峠北本線 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・和田峠南線は、1933(S8)年に和田峠線として下諏訪〜上和田が開業したのがル  ーツで、上田丸子電鉄丸子町と中央本線下諏訪を結ぶ鉄道短絡路線としての使  命を有した他、美ヶ原等の観光開発及び地方産業文化の発展助長をも使命とし  ていた。1934(S9)年に和田峠線は諏訪線の部に支線として編入された。1965(S  40)年8月に和田峠南線として独立した。 ・下諏訪自営(1983)「諏訪線50年のあゆみ」によると、1933(S8)年の開業当時、  上和田及び長久保(駅員配置駅)の他に、樋橋、唐沢、下和田上組、大門落合、  長窪古町及び武石に業務委託駅が置かれていた。 ・下諏訪自営前掲誌によると、1952(S27)年12月から萩倉口〜大平の臨時営業が  開始された(1957(S32)年9月本開業)。また、1957(S32)年9月に扉峠線が開  業した。さらに1959(S34)年6月に大平〜八島が開業し、八島駅の簡易委託が  開始された。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(5/1改正等)によると、和田峠  南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    下諏訪〜丸子町 7往復    下諏訪〜大平〜八島 5往復(うち休日運転1往復)    下諏訪〜大平 2往復 ・下諏訪自営前掲誌によると、1970(S45)年5月に大平〜八島が休止され、同年8  月からビーナスライン八島〜霧ヶ峰の臨時運行が開始された(1971(S46)年8月  本開業)。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/19改正等)によると、和田  峠南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    下諏訪〜丸子町・上田 7往復    下諏訪〜萩倉口〜八島 6往復(うち8月中の土日運転1往復)    下諏訪〜東餅屋〜扉峠口〜上和田〜扉峠口〜扉峠 1往復(8/2〜21運転) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、和田峠  南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    下諏訪〜丸子町・上田 5往復    下諏訪〜東餅屋〜八島〜霧ヶ峰 2往復(うち休日運転1往復) ・ビーナスラインを通る路線(白樺高原本線の一部)は、1977(S52)年7月に東餅  屋〜扉峠、1981(S56)年8月に扉峠〜山本小屋がそれぞれ開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、和田峠  南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    下諏訪〜丸子町・上田 5往復    下諏訪〜東餅屋〜八島〜霧ヶ峰 下り3本(うち1本は11/5までの土曜休日     運転)・上り2本(うち1本は11/2までの土曜休日を除く毎日運転)    下諏訪〜東餅屋〜扉峠 1往復(11/5までの土曜休日運転) ・新和田トンネルの開通に伴って、1978(S53)年12月に男女倉口〜男女倉が廃止さ  れるとともに、西餅屋〜男女倉口が開業した。その後、1982(S57)年5月に東餅  屋〜男女倉口の廃止が公示された。 ・「われら第一線 下諏訪自動車営業所」(「国鉄線」1982(S57)年7月号所収)  によると、下諏訪自営は、職員数80人程度、配置車両25両と規模は大きくない  ものの、霧ヶ峰線を中心とする観光路線でも、一般の生活路線でも、民間バス  との競争の中で営業しており、職員の企業意識も高く、全員参加で旅客サービ  スに当たっていると述べられている。また、輸送人員は年間215万人で約4億円  の旅客収入を上げるが、その40%は7〜8月の夏季輸送で稼ぐとある。 ・1985(S60)年当時、線内の上和田に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として、下諏訪自動車営業所(下諏訪)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/19改正)によると、和田峠  南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    下諏訪〜丸子町・上田 5往復    下諏訪〜東餅屋〜霧ヶ峰 3往復(うち上り2本は特定日※運行)    下諏訪〜東餅屋 2往復(9/16まで運行)     ※特定日:9/16までの毎日と9/21〜11/4の土曜休日 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、萩倉口〜八島が萩倉口  〜斧立に変更された。 ・国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に扉峠線(扉峠口〜扉峠)の廃止公示がなさ  れた。 ・1987(S62)年3月、和田峠南線は中部地自から関東地自に移管された。その後、  国鉄民営化及び自動車分離を経て、この路線はJRバス関東に継承された。 ・1990(H2)年に西餅屋〜男女倉が廃止された。1997(H9)年に上和田〜男女倉が廃止  された。 ・2004(H16)年の夏季限りで下諏訪〜東白樺湖(ビーナスライン経由)の運行が終  了し、これに伴って樋橋〜西餅屋〜東餅屋が廃止された。残された下諏訪〜樋橋  及び萩倉口〜斧立も2008(H20)年3月末限りで廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、和田峠南線には接続駅(下諏  訪)の他、上和田に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2015 年 08 月 24 日 20:32:31 (14996) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【407】南筑波線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇南筑波線    1 亀城公園前−古河 1.2 路線略図       久能 大綱 松本  古河◎−−○−−○−−○−−○下妻上町                |                ○吉沼                |                ○篠崎                |                ○常陸大曽根                |                ○常陸栄                |             虫掛橋○                 \             亀城公園前○−>常陸寺前                  |                  ◎土浦                 /                ・                |                V             江戸崎・佐原 ※土浦〜亀城公園前〜常陸寺前は山ノ荘線、土浦〜江戸崎〜佐原は霞ヶ浦本線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・南筑波線1 亀城公園前〜下妻上町〜古河 2.2 掲載 ・40日目 7/20(金) S61.5号 8.関東・信越編(上) 単行本 p192〜p193 2.3 行程 ○土浦1520→1635下妻上町 南筑波線 土浦発 下妻上町行 527-9022(日野RE101) ○下妻上町1649→1749古河 南筑波線 下妻上町発 古河行 521-8009(いすゞBU04改) 2.4 エピソード ・下妻上町行きは土浦市街地の商店街の真ん中を抜け、立ち客を大勢乗せて巨大  なコンクリート橋高架下に出た。やがて桜村となり、稲、ネギ、トウキビ畑と  住宅地が共存している狭い道をのどかに走る。 ・突然という感じで左手に筑波大学が現れ、車内に空席ができた。その後はずっ  と田園地帯が続き、古びた蔵造りの残る下妻市の中心へ入っていく。 ・下妻上町で古河行きに乗り換えると雲行きが怪しくなった。次第に路面が濡れ  てきて、雨水に洗われている十字路にかかる。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・南筑波線は、1951(S26)年に霞ヶ浦線の支線として亀城公園前〜古河が開業した  のがルーツで、東北本線古河駅と常磐線土浦駅とを結ぶ短絡線としての使命を  有していた。この路線は1962(S37)年11月に霞ヶ浦線から分離した。 ・1966(S41)年5月に古河〜古河西口が開業した(1970(S45)年10月に廃止公示)。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、南筑波  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    土浦〜古河 下り5本・上り7本    土浦〜下妻上町 下り6本・上り5本    下妻上町〜古河 上り1本 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(3/2現在)によると、南筑波  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    土浦〜下妻上町 13往復    下妻上町〜古河 10往復 ・1985(S60)年当時、線内の下妻上町に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行  の拠点として、土浦自動車営業所(霞ヶ浦本線富士崎町)、同古河派出所(古  河)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、南筑波  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    土浦〜下妻上町 下り11本・上り10本    下妻上町〜古河 7往復 3.2 旅から30年 ・土浦自営「国鉄バス時刻表」1987(S62)年2月改正によると、南筑波線には次  のような系統が設定されていた。    土浦〜古河 2往復    土浦〜下妻上町 7往復    土浦〜八幡転向場 下り1本・上り2本    土浦〜篠崎転向場 下り8本(うち休校日運休、日祭日運休各1本)・     上り9本(うち休校日運休1本、日祭日運休2本)    土浦〜八竜神転向場 9往復(うち休校日運休、土曜運転、土曜休校日     運休、日祭日運休各1往復)    篠崎転向場〜下妻上町 下り1本(休校日運休)    篠崎転向場〜総上 上り1本(休校日運休)    篠崎転向場〜八幡転向場 1往復    西高野転向場〜下妻上町 下り3本(休校日運休、土曜運転、土曜休校     日運休各1本)・上り2本(土曜運転、土曜休校日運休各1本)    西高野転向場〜総上 上り1本(休校日運休)    下妻上町〜古河 4往復    松本〜古河 下り7本(うち日祭日運休1本)・上り6本    大綱〜古河 下り17本(うち日祭日運休2本、休校日運休1本)・上り     16本(うち日祭日運休、休校日運休各1本) ・南筑波線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス関東に継承された。 ・1996(H8)年にテクノパーク桜への乗り入れが開始されて、北柴崎〜しらかし  通り東〜陽の見公園前〜北柴崎の循環経路が開業した。 ・2000(H12)年、古河三中前〜駐屯地正門〜久能が開業した。 ・2002(H14)年に古河支店及び同大綱営業所が発足し、大綱発着便を営業所(  旧転向場)発着に延長した。 ・2005(H17)年にテクノパーク桜乗り入れが廃止された。 ・2006(H18)年に篠崎転向場〜下妻上町〜松本が、2008(H20)年に下虫掛〜篠崎  転向場がそれぞれ廃止された。同年、古河口で北利根工業団地経由の系統が  新設された(2013(H25)年廃止)。 ・2009(H21)年に土浦〜イオンショッピングセンターのシャトルバスを運行開始  した。 ・2014(H26)年に土浦〜下虫掛が廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、古河〜大綱〜松本が「東古河線」として、JRバス関  東によって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、接続駅(古河)の他、下妻  上町に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2015 年 08 月 24 日 20:31:39 (14995) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【814】川本北線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇川本北線   川本北本線    1 大田栄町−石見川本    2 瀬戸口−祖式   君谷線    1 石見多田−枦谷   三原線    1 石見川本−木谷−石見三谷−川本大橋    2 石見三谷−大渡 1.2 路線略図   温泉津●                   大田市◎      :                     /   福光市●…●温泉津中学校前           /      :                 ・−○      ・                / 大田\       ・           大森町○  栄町 ・      大渡○            /      |         \          /       V          \    祖式○−○瀬戸口     赤名        ・−−+       |       /   ○石見三谷   ・  石見三原○    |      /    ○枦谷      |    |     ○下郷   |    田原○    ○三俣  /|     ○京覧原      |    |    \|     |      ・    |     ○柿ノ木  ・       \   |     |原口  /   江津<−−○−−○川本大橋 ○−−−○小谷口      木谷|   \   /石見多田        |石見川本◎−・        |   /      因原◎−−○石見谷        |   \        V    ・      大朝・広島  V石見高原 ※石見三谷〜大渡は1985(S60)年3月14日から休止中 ※大田市〜大田栄町〜赤名は大田線、石見川本〜石見谷〜因原〜大朝は川本本線  (石見谷〜因原は1985(S60)年3月14日から休止中) 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・川本北本線1 石見川本〜大田栄町 2.2 掲載 ・16日目 6/16(日) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p96〜p97 2.3 行程 ○田所1219→1357大田栄町 川本・川本北本線 広島新幹線口発 大田市行 特急                          644-3975(三菱K-MS613N) 2.4 エピソード ・石見川本で乗務員交替のため5分停車。交替運転士が待っており、ハンマーで  タイヤを叩いて点検。 ・引き継ぎを終えた運転士は、かばん、運賃箱、座布団を抱えて。ラジオのスイ  ッチをひねってNHK第一放送を流した。 ・因原ですいた車内は川本でまたお客が減った。道路は261号線を外れた因原から  格段に悪くなっており、川本からの地方道も大型バスには窮屈な細道。 ・大森町は古い大きな集落だが、ひっそり静まり返っている。石見銀山公園、石  見銀山資料館などの案内標が見えるものの、観光客の姿はない。 ・大田栄町で下車。「そのきっぷは話に聞いとったんでねえ」と運転士は目を細  め、赤名行きが約20分待ちと教えてくれた。「このまま大田市まで乗って行っ  ても間に合うんだがな」と名残惜しそう。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・川本北線は、1935(S10)年に石見大田(→大田市)〜大田栄町が大田線の一部と  して開業し、1947(S22)年に大田栄町〜石見川本が川本線の支線として開業した  のがルーツで、山陰本線と三江北線(→三江線)の短絡及び地方産業文化の発  展助長を使命としていた。この路線は、1963(S38)年4月に川本線から分離した。 ・「鉄道辞典補遺版」(1966年)には、川本北線の特長として、広島〜石見大田  の特急便を運行し山陽・山陰間の連絡を図るとともに、島根県邑智郡の中心地  川本町から放射状路線を出し地方開発に寄与していると述べられていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、川本北  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    広島〜大田市 特急便1往復    石見川本〜大田市 4往復    石見川本〜京覧原〜福原口 2往復    石見川本〜三原〜温泉津 1往復    三原〜温泉津 2往復 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(3/2現在)によると、川本北  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    広島〜大田市 特急便1往復    石見川本〜大田市 4往復 ・1985(S60)年当時、三原線内の石見三原に自動車駅が存在した。また、国鉄バス  運行の拠点として、川本自動車営業所(川本町内)及び出雲自動車営業所大田  派出所(大田市)が置かれていた。 ・「国鉄バス川本線時刻表」1985(S60)年3月改正によると、川本北線には次のよ  うな系統が設定されていた。  (川本北本線)    広島新幹線口〜大田市 特急便1往復、急行便上り1本    石見川本〜大田市 下り4本・上り3本  (君谷線)    石見川本〜枦谷 3往復  (三原線)    石見川本→三俣→石見三原→木谷→石見川本 6回(うち土曜運行、土日     祭休校日運休各1回)    石見川本→木谷→石見三原→三俣→石見川本 6回(うち土曜運休、土曜     運行、土日祭休校日運休、日祭休校日運休各1回)    石見川本〜木谷〜石見三原 1往復(日祭休校日運休)  (温泉津線)    大渡〜温泉津 2往復    大渡〜福光市 上り1本(学校休校前日運行)    福光市〜温泉津 下り1本(月曜のみ運行(休校の翌日を含む)) ・1985(S60)年6月に温泉津線大渡〜温泉津及び福光市〜温泉津中学校前の廃止が  公示された。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月末限りで三原線石見三谷〜大渡の廃止が公示された。また、国  鉄最後の日の1987(S62)年3月末限りで君谷線(石見多田〜枦谷)の廃止が公示  された。 ・川本北線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、中国JRバスに継承された。 ・「JRバス時刻表川本線」1989(H1)年3月改正によると、川本北線には次のよ  うな系統が設定されていた。  (川本北本線)    広島新幹線口〜大田市 特急便1往復、急行便上り1本    石見川本〜大田市 下り4本・上り3本  (三原線)    石見川本→三俣→石見三原→木谷→石見川本 5回(うち土日祭運休1回)    石見川本→木谷→石見三原→三俣→石見川本 4回(うち土曜運行、日祭     運休各1回) ・1994(H6)年3月末限りで三原線が廃止された。 ・1999(H11)年、福田バイパスの開通に伴って、白坏〜バイパス福田口〜上佐摩(  特急便の経路)が開業した。 ・「JRバス時刻表川本線」2002(H14)年2月改正によると、川本北線には次のよ  うな系統が設定されていた。    広島新幹線口〜大田市 特急便3往復    石見川本〜大田市 3往復(うち柿ノ木原経由1往復) ・2003(H15)年3月末限りで大田市〜大田栄町〜石見川本の普通便が廃止され、こ  の区間は高速道路経由の特急便のみが運行されることとなった。これに伴って、  川本営業所が廃止された。 ・2005(H17)年6月末限りで広島新幹線口〜大田市(千代田IC経由、瑞穂IC経由)  が廃止され、川本北線も全廃された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、川本北線には接続駅(大田市、  石見川本、温泉津、粕淵、因原及び川戸)の他、大森町に第一種委託駅(自動車  駅)、石見水上、祖式、京覧原及び石見三原に第二種委託駅(自動車駅)が置か  れていた。
2015 年 08 月 24 日 20:30:38 (14994) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【517】若江線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇若江線   若江本線    1 小浜−近江今津    2 小浜−神田橋−湯岡橋−羽賀寺    3 木崎橋−多田寺    4 木崎橋−若狭の里−東市場    5 遠敷−下根来    6 神宮寺−万徳寺    7 東市場−池河内    8 保坂−近江角川    9 上藺生−自然の家    10 弘川口−近江今津   北川線    1 小浜−上野木−田烏    2 平野口−本保   西津線    1 小浜−犬熊 1.2 路線略図        ○犬熊       /                        ○田烏   阿納尻○                         |      |                         |      ○甲ヶ崎口 羽賀寺           ○本保   ○若狭   小浜 |      ○            |     |黒田   新港 |乗船場前  |羽賀口      上野木|     |    ○=○−−−−○−○−−−−−−−−−−−−○−・   ○大鳥羽     /|    丸山|    若狭の里    | |   |駅前  神田○−◎−−・湯岡 ・   ・−○−・ 東市 | |   |  橋 |\小浜 |橋 /   /  遠敷 \場  | |上中 |  青井○−○−−+−○−−−○−−−○−−−○+−○−+◎−+○上吉田    | 伏原   | 木崎|   |    |平野口 若狭|    |      | 橋 ○ 神宮○−○  |    仮屋○−・    V      V  多田 寺 |万徳寺 ○      | ○関   谷田部    口田縄 寺    |   池河内  瓜生口○−・          納田終      ○           |                  下根来          |                           若狭熊川○                               |                               ○保坂                               |                            角川口○−−○近江角川                               |                               |                         自然の家○−○上藺生                               |                               |                            弘川口○                               +−・今津東                          今津西町 | ○小学校                            ○−−+−・前                            |                        近江今津◎ ※小浜〜神田橋〜湯岡橋、小浜〜上野木〜上中、小浜〜伏原は1982(S57)年6月で既に  休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・若江本線1 小浜〜湯岡橋〜木崎橋〜東市場〜上中 2.2 掲載 ・25日目 7/5(金) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p129〜p130 ・連載誌のみ 小浜駅の写真、537-8901の解説 2.3 行程 ○小浜0935→0955上中 若江本線 小浜発 近江今津行 537-8901(日野RC301P) 2.4 エピソード ・小浜〜上中は、小浜線は10.7km、バスの若江本線は11.1km。小浜駅前のバス乗  り場には鉄道とどちらが本家かわからないような大看板がある。 ・近江今津行きバスは、冷房車で禁煙、テープの非常扉案内、沿線ガイドと、こ  までの国鉄バスと違った点があった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・若江線は、1935(S10)年に新平野〜若狭熊川、1936(S11)年に小浜〜新平野が開  業し、1937(S12)年に若狭熊川〜近江今津が開業したのがルーツで、小浜線小浜  から江若鉄道を通して東海道本線大津を結ぶ鉄道短絡路線としての使命を有し  た他、観光開発及び地方産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・1956(S31)年には、江若鉄道に並行する近江今津〜浜大津駅前が開業した(1978  (S53)年3月廃止)。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(7/5現在)によると、若江線に  は、次のような系統が設定されていたのを確認できる。    小浜〜近江今津〜浜大津 1往復    小浜〜近江今津 下り1本・上り2本    小浜〜熊川 下り1本    上中〜近江今津 下り3本・上り2本    上中〜熊川 2往復    小浜〜下根来 3往復    小浜〜池河内 3往復    小浜〜本保 2往復    小浜〜阿納尻 4往復    小浜〜甲ヶ崎 3往復    小浜〜西津 8往復  ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、若江線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    小浜〜近江今津 5往復    上中〜近江今津 1往復  この他に、江若交通が小浜〜近江今津〜浜大津に2往復運行されていたのを確  認できる。  ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年2月号(1/1改正)によると、若江線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    近江今津〜小浜 9往復 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、若江線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。なお、国鉄湖西線は1974  (S49)年7月に開業(新快速、普通列車のみ運転)し、特急・急行列車の運転は  1975(S50)年3月10日のダイヤ改正からであった。    近江今津〜小浜 12往復(うち快速便4往復)    小浜〜阿納 3往復    小浜〜福谷 9往復  また、同じく1976(S51)年4月号(3/20改正)によると、若江線には次のような  系統が設定されていたのを確認できる。    近江今津〜小浜 12往復(うち快速便下り4本・上り3本)    小浜〜阿納 3往復    小浜〜福谷 9往復 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、近江今津自動車営業所(近江今  津)及び同小浜支所(小浜)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/23改正)によると、若江線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    近江今津〜小浜 15往復    小浜〜阿納 4往復    小浜〜福谷 8往復  また、定期観光バス「若狭国宝めぐり」が3/21〜11/30の間、次のように運行さ  れていた。   Aコース(1回)    小浜→羽賀寺→円照寺→妙楽寺→多田寺→小浜→神宮寺→万徳寺→国分寺    →明通寺→めのう工場→小浜   Bコース(1回) Aコースの前半   Cコース(1回) Aコースの後半 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年1月に、若江本線の小浜〜伏原、北川線の丸山〜上中及び平野口〜  本保の廃止が公示された。 ・小浜支所「国鉄バス時刻表」1986(S61)年3月改正によると、若江線には次のよ  うな系統が設定されていた。  (若江本線)    小浜新港・小浜〜近江今津 16往復(うち特定日運転1往復)    小浜〜小浜新港 1往復(日祝運休)    小浜〜下根来 4往復    小浜〜池河内 4往復(うち若狭の里経由1往復)    小浜〜遠敷 2往復  (北川線)    小浜〜遠敷〜田烏 1往復    上中〜田烏 2往復  (西津線)    小浜〜阿納 4往復    小浜〜甲ヶ崎口転向場 8往復 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、若狭仮屋〜瓜生口が認  知された。 ・1987(S62)年2月に、若江本線の神宮寺〜下根来の廃止が公示された。 ・若江線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに継承された。 ・1991(H3)年から小浜〜犬熊〜矢代、小浜〜阿納尻〜堅海にスクールバスの運行を  開始した。1994(H6)年に木崎橋〜若狭の里〜東市場、上中〜田烏〜田烏自然の家、  若狭仮屋〜瓜生口(直行経路)が廃止された。1997(H9)年に上藺生〜自然の家が  廃止された。 ・2001(H13)年12月の定期観光「若狭国宝めぐり」号の運行終了に伴って、湯岡橋  〜羽賀寺〜西津公民館前、木崎橋〜多田寺、若狭東高校〜神宮寺〜万徳寺が廃止  された。 ・2002(H14)年3月末限りで、小浜〜小浜新港、東市場〜池河内及び小浜〜甲ヶ崎  口が廃止された。これに伴って、近江今津営業所小浜支所も廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、小浜〜上中〜近江今津が西日本JRバスによって運行さ  れている。 3.3 旅の考察 ・最長片道きっぷの旅本文では、小浜〜上中は11.1kmであることから若江本線第1  区間を経由したものと思われるが、木崎橋〜東市場は第1区間では2.7kmのところ、  第4区間(若狭の里)経由では3.3kmであり後者の方が0.6km長かった。なお、  1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の若江線の頁の北川線小浜〜丸山〜  上野木〜上中に小浜及び上中からの運賃が記載されており、このルートを経由す  ると小浜〜上中は12.9kmであることから、若江本線第1区間経由よりも1.8km長か  ったことになる。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、若江線には接続駅(小浜、上中  及び近江今津)の他、若狭熊川に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2015 年 08 月 16 日 08:44:57 (14993) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【518】名田庄線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇名田庄線    1 湯岡橋−堀越峠    2 湯岡橋−妙楽寺    3 若狭尾崎−円照寺    4 口田縄−中井    5 小浜−伏原−青井−上中井    6 谷口−小屋 1.2 路線略図      小浜新港・甲ヶ崎口          Λ          |        小浜◎−−・          |  |       ・−−・  |       |  湯岡橋○−−>上中・近江今津     伏原○     |\       |     | ○妙楽寺       |     |       | 若狭尾崎○−○円照寺     青井○     |        \    |         \   ○口田縄          \ /|         中井○ |            \|             ○上中井             |             |       小屋○−−−○谷口             |             |             ○井上             |             |             ○納田終            /           /       堀越峠○          |          V        周山・京都 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・名田庄線は、1944(S19)年に湯岡橋〜納田終が開業したのがルーツで、1951(S26)  年に納田終〜堀越峠が開業して京鶴線と接続した。この路線は、小浜と京都の  短絡及び沿線地域の開発を使命としていた。名田庄線は、1962(S37)年11月に  若江線から分離した。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1952(S27)年5月号(4/1改正)によると、次のよう  に京都・鶴ケ岡〜小浜の直通便が4往復設定されていたのを確認できる。  (下り)    京都0610→鶴ケ岡0804→納田終0914→1030小浜         鶴ケ岡0934→納田終1044→1200小浜    京都1130→鶴ケ岡1500→納田終1619→1735小浜    京都1300→鶴ケ岡1635→納田終1749→1905小浜  (上り)    小浜0740→納田終0900→鶴ケ岡1010→1330京都    小浜0900→納田終1020→鶴ケ岡1130→1450京都    小浜1335→納田終1451→鶴ケ岡1601→1920京都    小浜1530→納田終1646→鶴ケ岡1800→2120京都 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、次の  ように京都〜小浜の直通便が2往復設定されていたのを確認できる。  (下り)    京都0620→鶴ケ岡0936→納田終1045→1145小浜    京都1300→鶴ケ岡1555→納田終1650→1750小浜  (上り)    小浜0930→納田終1030→鶴ケ岡1202→1509京都    小浜1400→納田終1500→鶴ケ岡1552→1859京都  なお、「国鉄監修交通公社の時刻表」1965(S40)年11月号には、既に京都〜小  浜の直通便は掲載されていない。 ・1985(S60)年当時、線内の久坂に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として、近江今津自動車営業所小浜支所(小浜市内)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、小浜〜  納田終に6往復(うち休日運休1往復)が設定されていたのを確認できる。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年1月、納田終〜堀越峠及び口田縄〜中井の廃止公示がなされた。 ・小浜支所「国鉄バス時刻表」1986(S61)年3月改正によると、名田庄線には次  のような系統が設定されていた。    小浜〜納田終 6往復(うち日祝運休1往復)    小浜〜井上 5往復    小浜〜下 1往復    小浜〜名田庄中学 上り1本(日祝学休日運休)    小浜〜小屋 6往復(うち日祝運休2往復)    小浜〜桂 下り2本(日祝運休、日祝学休日運休各1本)・上り3本(     うち日祝学休日運休2本) ・1987(S62)年3月、名田庄線は、中部地自から近畿地自に移管された。その後、  国鉄民営化及び自動車分離を経て、同線は西日本JRバスに継承された。 ・1996(H8)年10月に井上〜納田終が廃止された。2001(H13)年12月には定期観光  「若狭国宝めぐり号」の運行終了に伴い、定観専用区間の湯岡橋〜妙楽寺及び  若狭尾崎〜円照寺が廃止された。 ・2001(H13)年12月当時の小浜支所管内時刻表によると、名田庄線には次のよう  な系統が設定されていた。    小浜〜井上 12往復(うち日祝学休日運休1往復、日祝運休下り1本)    小浜〜小屋 7往復(うち土日祝学休日運休1往復、土日祝学休日運転1     往復)    小浜〜桂 下り1本(指定日運行)・上り1本(日祝学休日運休) ・最後まで残った湯岡橋〜井上、小浜〜伏原〜上中井及び谷口〜小屋も2002(H14)  年に廃止され、名田庄線は全廃となった。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、名田庄線には久坂に第一種  委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2015 年 08 月 16 日 08:43:26 (14992) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【810】坂上線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇坂上線   坂上本線    1 西栄−小郷橋   秋中線    1 鮎谷−秋中釜ヶ原   賀見畑線    1 下畑出合−周防片山 1.2 路線略図             下多田        小郷橋  岩国◎−−−−−−−−−○−−−−−−−−−−○−>六日市          |          \        /   ・日原    |           ・  下畑出合○−−○賀見畑    |           |      |   \    |           ・    鮎谷○    ○周防片山    |            \    / \  西栄○−◎−−−○−−−○−−−○−−○   \ 秋中    | 大竹 上木野 下安条 中垣内 周防   ・−○−○    V                坂上       秋中   小方・西                       釜ケ原   広島駅前 ※西広島駅前〜小方〜西栄〜岩国〜下多田〜小郷橋〜六日市〜日原、  下多田〜中垣内は岩益本線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・坂上本線1 大竹〜下畑出合〜小郷橋 2.2 掲載 ・11日目 6/11(金) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p75〜78 2.3 行程 ○大竹1840→1937鮎谷 坂上本線 大竹発 鮎谷行 334-6005(三菱MK103H) △鮎谷2000頃→2025頃 タクシー(小郷橋経由) 2.4 エピソード ・大竹駅前で鮎谷行きの運転士から「小郷橋への連絡はないが、鮎谷から小郷橋  まではいくらもないし、タクシーで走っても大したことはないでしょう。小郷  橋へ出れば岩益線の最終に間に合うのでは」と知恵を授けられた。 ・広島岩国道路の工事現場を過ぎて、小瀬川堤防から旧道へ下り悪路になったと  思ったら、目の前に断崖と錯覚しかけたコンクリート壁が広がり、立派な路面  へ急転した。左手の谷底がオレンジに光った。追い込みの突貫工事中の弥栄ダ  ムであった。 ・バスは湖底に沈む弥栄峡の旧道へ下り、畑だったに違いない階段状の区画が雑  草に覆われているのが夜目に見て取れた。新しい付け替え道路に上がると、盆  地の中に新築の豪邸が軒を並べている。 ・鮎谷からは7時15分に小郷橋経由上椋野行きがあるから、泊まろうと思ったも  のの、旅館・民宿は逆方向の集落にしかないという。タクシーの営業所は存在  するので前に進む。 ・小郷橋も何もない三差路で岩国行き最終バスは1時間も前に出たあと。西岩国  までタクシーで走った。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・坂上線は、1950(S25)年に岩日線(→岩益線)の支線として、坂上線(岩国〜  大竹〜鮎谷〜小郷橋)、秋中線(鮎谷〜秋中)、賀見畑線(下畑出合〜周防片  山)が開業したのがルーツで、鉄道培養及び沿線地域の産業文化の発展助長を  使命としていた。この路線は、1963(S38)年に岩益線から独立した。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年9月号(3/1訂補)によると、次のよう  に広島〜鮎谷の直通便が2往復設定されていたのを確認できる。  (下り)    広島1625→センター1638→大竹1743→1906鮎谷    広島1722→センター1735→大竹1846→2003鮎谷  (上り)    鮎谷0600→大竹0723→センター0828→0836広島    鮎谷0657→大竹  →センター0922→0930広島  なお、「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号及び1967(S42)年9月  号には広島〜坂上線方面の直通便は載っていない。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、次のよ  うに広島センター〜鮎谷・秋中の直通便が下り4本・上り3本設定されていた  のを確認できる。  (下り)    広島センター1340→1555鮎谷    広島センター1607→  秋中    広島センター1625→  鮎谷    広島センター1720→1930鮎谷  (上り)    鮎谷0602→0814広島センター    鮎谷0702→0914広島センター    秋中0715→1004広島センター ・また、「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年2月号(12/21現在)によると、  次のように広島センター〜鮎谷・秋中の直通便が3往復設定されていたのを確  認できる。  (下り)    広島センター1340→  鮎谷    広島センター1625→  秋中    広島センター1720→1929鮎谷  (上り)    鮎谷0600→0824広島センター    鮎谷0705→0914広島センター    秋中0718→1004広島センター  なお、「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号以降には広島〜坂上  線方面の直通便は載っていない。また、岩益線広島十日市〜小方は、1980(S55)  年3月21日から休止された。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、岩国自動車営業所(岩益線西  岩国)が置かれていた。 ・「国鉄バス岩益線時刻表」1985(S60)年4月改正によると、坂上線には次のよ  うな系統が設定されていた。  (坂上本線)    錦帯橋・西岩国・岩国〜鮎谷 下り6本(うち西岩国〜岩国日祝運転1本、     西岩国〜大竹日祝運転2本)・上り5本(うち大竹〜西岩国日祝運転1     本)    錦帯橋・西岩国・岩国〜下安条 下り3本(うち日祝運休2本)・上り2     本(うち日祝運休1本)    錦帯橋・西岩国・岩国〜上木野 下り2本・上り4本(うち上木野〜大竹     日祝運休、全区間日祝運休各1本)    大竹〜鮎谷 下り2本・上り1本    大竹〜下安条 下り1本・上り1本(日祝運休)    大竹〜上木野 下り7本(うち日祝運休4本)・上り6本(うち日祝運休     3本)    西岩国〜小方 下り2本(うち土曜運転、日祝運休各1本)・上り1本(     日祝運休)    小方〜大竹 下り2本(日祝運休)・上り1本(日祝運休)    小方〜下安条 上り1本(大竹〜小方日祝運休)    小方〜鮎谷 上り1本(大竹〜小方日祝運休)    小方〜小郷橋〜上椋野 下り1本(土曜運転)    周防坂上〜小郷橋〜上椋野 下り1本(土日祝運休)・上り2本(うち日     祝運休、土日祝運休各1本)    鮎谷〜小郷橋〜上椋野 下り1本(日祝運休)・上り1本(土曜運転)    周防坂上〜鮎谷 下り2本(うち日祝運休1本)    岩国〜阿品〜鮎谷 3往復  (賀見畑線)    錦帯橋・西岩国〜周防片山 下り2本(うち土曜運休1本)・上り1本    小方〜周防片山 下り1本(小方〜大竹日祝運休)    大竹〜周防片山 上り1本    周防坂上〜周防片山 上り1本(鮎谷〜周防坂上土日祝運休)      鮎谷〜周防片山 下り2本(うち土曜運転1本)・上り1本  (秋中線)    西岩国・岩国〜秋中 下り1本(鮎谷〜秋中土曜運休)・上り2本    大竹〜秋中 上り1本    周防坂上〜釜ヶ原 1往復    鮎谷〜秋中 下り4本(うち土曜運転1本)・上り1本 3.2 旅から30年 ・国鉄最後の日の1987(S62)年3月31日限りで賀見畑線全線の廃止公示がなされた。 ・「JRバス時刻表岩益線坂上線」1991(H3)年3月改正によると、坂上線には次の  ような系統が設定されていた。  (坂上本線)    西岩国〜小郷橋〜上椋野 上り1本    錦帯橋・西岩国〜長野団地 1往復    北河内・錦帯橋・西岩国〜鮎谷 2往復    西岩国〜下安条 上り1本(大竹〜西岩国日祝運休)    錦帯橋〜前渕渡 下り1本・上り1本(大竹〜錦帯橋日祝運休)    大竹〜長野団地 下り2本(うち日祝運休1本)・上り1本    大竹〜鮎谷 下り4本・上り7本(うち日祝運休2本)        大竹〜下安条 下り2本・上り2本(うち日祝運休1本)    大竹〜前渕渡 4往復    岩国〜大竹 下り1本(日祝運休)    錦帯橋〜小方 上り1本(日祝運休)    小方〜大竹 上り1本(日祝運休)    小方〜下安条 下り1本(小方〜大竹日祝運休)・上り1本(日祝運休)    周防坂上〜小郷橋〜上椋野 1往復(土日祝休校日運休)    鮎谷〜小郷橋〜上椋野 1往復(土曜運転休校日運休)    周防坂上〜鮎谷 上り1本(土日祝休校日運休)    岩国〜阿品〜鮎谷 3往復  (秋中線)    大竹〜秋中 下り1本(鮎谷〜秋中土曜運休)    周防坂上〜釜ヶ原 1往復    鮎谷〜秋中 下り1本(土曜運転休校日運休)・上り2本(うち土曜運休、     土曜運転休校日運休各1本) ・1991(H3)年に秋中線が廃止され、1997(H9)年に坂上線長野団地〜小郷橋が廃止  された。 ・2002(H14)年に残された西栄〜大竹〜鮎谷〜長野団地も廃止され、坂上線は全廃  となった。 3.3 旅の考察 ・「国鉄バス岩益線時刻表」1985(S60)年4月改正によると、岩益線小郷橋の上り  最終岩国行きは18時53分発(六日市始発17時53分)で、その後の天尾橋(小郷橋  から岩国寄り4分の停留所)始発の最終岩国行きも19時30分発であった。 ・1977(S52)年8月の駅営業範囲一覧」によると、坂上線には接続駅(大竹)の  他に、鮎谷に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2015 年 08 月 16 日 08:41:57 (14991) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【521】高遠線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇高遠線   高遠本線    1 伊那北−茅野    2 伊那北−中央病院    3 入舟−伊那市    4 上大島−笠原−笠原口    5 高遠本町−河南学校前−大明神    6 河南学校前−上新山    7 伊那藤沢−松倉    8 関屋橋−伊那宮原   伊那里線    1 高遠本町−杉島    2 非持−入笠山    3 伊那美和−小黒    4 戸台口−黒川口 1.2 路線略図                            ◎茅野                            |                        ・−○−・                       / 安国寺                   杖突峠○                      |       ・−○入笠山                   古屋敷○      /                      |     ○柴平  伊那  中央病院        伊那藤沢○−○松倉 |  中央  (→JRバ            |     ○荊口  病院  ス支店)            |     |  ○==+−○=・         関屋橋○−−−−−○伊那宮原  //  |   //            |     ・  //  ◎伊那北//     笠原 さくら |      \     小黒○  ○  |   //     ○−・の湯○=+   花 大 \      |  上伊那|   //     | |    |   畑 明神 ・     |  農高 +−○−++○−○−○−○−−○−○−+−○−○−−○     ○戸台     | 入  //新 美 上 笠 高遠 高遠|さくら| 非持\ 津郷 |  伊那市◎ 舟  //子 篶 大 原    本町|○H |  伊那○−○−○黒川口     //    //    島 口      |//  |  美和 \|/     //    //        河南学校前○+○−・    戸台○     ・○===・             |西勝間     口 |     伊那市役所              |          |                     上新山○       伊那里○−−○杉島 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・高遠本線1 茅野〜杖突峠〜関屋橋〜高遠本町〜高遠〜笠原口 ・高遠本線4 笠原口〜笠原〜上大島 ・高遠本線1 上大島〜伊那北 2.2 掲載 ・34日目 7/14(日) 35日目 7/15(月) S61.4号 7.中部編 単行本 p167〜168 ・連載誌のみ 高遠駅の写真 2.3 行程 ○茅野1823→1929高遠 高遠本線 茅野発 高遠行 538-0003(日デK-U31K) ○高遠1000→1030伊那北 高遠本線 高遠発 伊那北行(笠原経由)                            538-4008(日デU20H) 2.4 エピソード ・高遠駅と行先幕を出したバスは、狭い商店街を抜け、中央自動車道をくぐって  Sカーブの登り。夕暮れの杖突峠は涼風が吹き、あちこちで窓が閉る。峠を境  にバス停についている旧国名が諏訪から伊那に変わり、高遠の町へ入ってゆく。 ・高遠地区を一回りしてキロ数をのばす経路をとれたことがわかるが、一部のバ  スに「スクール」の表示があったりして判然としない。 ・笠原迂回路ではお年寄り3人が乗ったが、いずれも病院通い。伊那盆地に入る  と急に民家が増え、乗降も多くなった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・高遠線は、1943(S18)年に北山線(茅野〜糸萱、信濃松原〜信濃湯川)が原産地  路線として貨物輸送を目的として開業したが、その後、1948(S23)年に高遠本線  (茅野〜伊那北)が開業し、中央本線と飯田線とを結ぶ鉄道短絡路線としての  使命とともに、地方産業文化の発展助長をも使命としていた。 ・1985(S60)年当時、高遠本線には入舟、高遠及び伊那藤沢、伊那里線には伊那美  和及び伊那里の各駅が自動車駅として存在した。また、国鉄バス運行の拠点と  して、伊那自動車営業所(中央病院)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、高遠線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    伊那北〜茅野3往復及び高遠〜茅野1往復は次の通り。    (下り)      伊那北0553→0724茅野       高遠0810→0924      伊那北1045→1226         1507→1650    (上り)      茅野0820→1001伊那北        0940→1121        1330→1513        1823→1929高遠    伊那北・伊那市〜高遠は次の始発帯、終発帯の間は約30分毎と標記。    (下り)      始発帯       伊那北0552→0615高遠          0553→0616          0614→0637      終発帯       伊那北2015→2043高遠          2045→2108          2100→2128          2150→2218    (上り)      始発帯       高遠0550→0613伊那市         0612→0640伊那北         0652→0720      終発帯       高遠2023→2051伊那北         2118→2141         2150→2213    伊那北・伊那市〜伊那赤坂・伊那宮原・荊口は次のように6往復    (下り)      伊那北0552→0637宮原         0614→0705荊口         0804→0933         1500→1610赤坂         1735→1855荊口         1840→1954    (上り)      宮原0642→0754伊那北      荊口0715→0838        0943→1058      赤坂1621→1657      荊口1901→2018        1959→2055伊那市    伊那北〜戸台は次のように3往復    (下り)      伊那北0620→0735戸台         1130→1249         1525→1644    (上り)      戸台0750→0911伊那北        1348→1513        1703→1825    伊那北・伊那市〜上新山は次のように3往復    (下り)      伊那市0635→0719上新山      伊那北1445→1529   (休日運休)         1715→1804    (上り)      上新山0729→0830伊那北         1539→1623         1814→1903    伊那北・伊那市〜伊那里・杉島 11往復 3.2 旅から30年 ・1986(S61)6月に高遠本線の伊那小原〜上新山が廃止された。 ・「国鉄バス高遠線時刻表」1986(S61)年11月改正によると、高遠線には次のよう  な系統が設定されていた。    中央病院・伊那北・伊那市〜高遠 下り23本(うち休日運休1本)・上り     25本(うち休日運休2本)    中央病院・伊那北・伊那市〜笠原〜高遠 下り4本(うち休日運休1本)     ・上り4本    伊那北〜茅野 下り4本・上り3本    中央病院・伊那北〜古屋敷 下り6本(うち休日運休1本)・上り6本(     うち休日運休、松倉経由各1本)    伊那北〜松倉 1往復    伊那北〜藤沢 下り1本(休日運休)・上り2本(うち休日運休1本)    高遠〜茅野 上り1本    高遠〜古屋敷 下り4本(うちスクール3本)・上り3本(うちスクール     2本)    高遠〜藤沢 下り2本・上り1本    伊那北〜杉島 下り4本(うち南郷経由1本)・上り4本(うち南郷・勝間     経由、南郷経由各1本)    伊那北〜伊那里 下り5本(うち休日運休1本、土曜杉島延長(勝間・南郷     経由)1本)・上り5本(うち休日運休1本、土曜杉島始発(南郷経由)     1本)    伊那北・伊那市〜高遠高校 下り2本(休日高遠止)・上り2本(高遠高校     〜高遠土曜運転・土日祝運休各1本)    伊那北〜板山口〜伊那宮原 下り1本(休日運休)    伊那北〜花畑〜伊那宮原 上り1本    伊那北〜勝間〜伊那宮原 下り2本・上り1本(休日運休)    高遠〜杉島 1往復    高遠〜花畑〜伊那里 下り1本    高遠〜勝間〜伊那里 上り1本    高遠〜板山口〜伊那宮原 下り1本    高遠〜花畑〜伊那宮原 上り2本    高遠〜板山口〜荊口 下り1本(スクール)・上り2本(スクール) ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、伊那里線の非持〜入笠  山が非持〜荊口に変更された。国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に伊那里線の  戸台〜小黒の廃止公示がなされた。 ・1987(S62)年3月に高遠線は、中部地自から関東地自に移管された。 ・高遠線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス関東に継承された。 ・1990(H2)年に関屋橋〜伊那宮原と伊那里線非持〜荊口が廃止された。1993(H5)  年には、伊那里線の伊那里〜杉島、伊那美和〜戸台口、津郷〜戸台、戸台口〜  黒川口が廃止された。 ・1995(H7)年に高遠本町〜花畑〜大明神が休止され、翌年に廃止された。 ・2000(H12)年に高遠〜さくらの湯、伊那北〜上農高校前が開業した。2001(H13)  年に高遠さくらホテル乗り入れが開始された。また、同年には高遠発着の伊那  市内循環バスの運行を開始した。 ・2004(H16)年から伊那里線を長谷村循環バス(運行はJRバス関東が受託)に  移管した。 ・2015(H27)年6月現在、JRバス伊那支店〜伊那北〜伊那市〜高遠〜茅野ほか  をJRバス関東が運行している。このうち、古屋敷〜茅野は季節運行となって  いる。 3.3 旅の考察 ・きっぷの経路は関屋橋〜高遠本町を直行(4.5km)しているが、関屋橋〜板山口  〜伊那宮原〜非持〜高遠本町(3.3+7.2+4.1=14.6km)の方が10.1km長かった。  前掲の「国鉄バス高遠線時刻表」によると、高遠0711(板山口経由)0729伊那宮  原0739(非持経由)0805高遠が毎日運行で非スクール便であった。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、高遠線には接続駅(伊那北、  茅野及び伊那市)の他に、高遠、伊那藤沢及び伊那里に第一種委託駅(自動車  駅)、入舟、長藤及び伊那美和に第二種委託駅(自動車駅)、蟹沢に車扱貨物  (鉄道にまたがるものに限る)を扱う無人駅が置かれていた。 ・高遠城址は桜の名所であり、高遠地区の交通規制に合わせて、毎年(既に2001  (H13)年には実施)4月には「お花見循環バス」及び「駐車場シャトルバス」を  運行している。中央道支店が総出で当たる他、JRバス関東エリア内の各支店  からの応援を得て運行されてきている。
2015 年 08 月 15 日 17:15:38 (14990) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【406】水都西線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇水都西線   水都西本線    1 宇都宮−鐺山−氷室−芳賀三日市−長倉宿    2 宇都宮−作新正門前    3 工学部前−工学部正門    4 鐺山−道場宿−芳賀三日市    5 刈沼−東部団地−東中の島    6 西中台−北氷室    7 氷室−上赤羽−下野原    8 上赤羽−上根新田    9 市貝町役場前−市塙   桑島線    1 石井局前−下桑島   板戸線    1 道場宿−板戸   道地線    1 祖母井−給部   八ツ木線    1 刈沼−給部 1.2 路線略図                                              長倉宿                                       長倉小学校前○−○                                             | |                                             +−○                            ・−−−−−○給部      茂垣○ 長倉                板戸○     東野高谷/      |          | 宿入  作新             |        ○       |      那珂川橋○ 口  正門             |道場宿  刈沼/  芳賀三日市 |          |  前    宇都宮 工学部   ○−−−−−−○−−−−−○−−−○祖母井    勘七坂○  ○−○−+−◎  正門    |  清陵高校|\東部団地|   |          |   宇都宮|     ○ 石井 |   ○  | ○−・ |   |      烏山<−+   東武駅|     | 局前 | 清陵|  |    \|東中 |    烏山    ◎茂木   前  ・−○−○−○−○−−○ 高校○−−○−○−−−○の島 ○下野原  Λ 市貝町|        簗 宇 工 | 鐺山\入口|清原| |氷室 |   |\    | 役場前|        瀬 大 学 |    ・ ・中央| |中の ○ニュー| ・小貝口○−−○−・           町 前 部 ○下桑島 |/ 公園| |島 ・+タウン| |  /   |            前      ○−−−−○−○  ||七区 | | ○−−○−◎市塙                  鐺山東   西 氷\ ・・   | |/荒宿 市貝                        中 室 ・−−−−−○−○    小学                        台       上赤羽 上根   校前                                    新田 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・水都西本線1 宇都宮〜鐺山〜西中台〜氷室〜北氷室〜東中の島 ・水都西本線5 東中の島〜東部団地〜刈沼 ・水都西本線4 刈沼〜芳賀三日市 ・水都西本線1 芳賀三日市〜祖母井〜下野原〜上根新田〜小貝口 ・水都西本線1 茂木〜市貝町役場前 ・水都西本線9 市貝町役場前〜市塙 2.2 掲載 ・45日目 8/1(木) S61.6号 9.関東・信越編(下) 単行本 p212〜214 2.3 行程 ○宇都宮0823→0852氷室 水都西本線 東武駅前発 給部行 521-0009(いすゞK-CLM500) ○氷室0934→0957刈沼 水都西本線 発 東部団地行 527-8031(日野RE101) ○刈沼1121→1155小貝口付近(荒宿) 水都西本線 東武駅前発 茂木行 527-8019(日野RE101) △小貝口付近→小貝口 徒歩 ○茂木1420→1434市貝町役場前 水都西本線 茂木発 東武駅前行 527-8016(日野RE101) △市貝町役場前→市塙 徒歩 2.4 エピソード ・鬼怒川をトラスの美しい橋で渡り、鐺山を過ぎると急に道が狭まった。氷室で  降りるとき、きっぷを見て運転士が「九州から来た方ですか」と問いかける。 ・次のバスは造成中の東部団地を一周して、都合よく刈沼を通った。宇都宮市郊  外の新開地でこぎれいな喫茶店があったので小休止。 ・茂木行きは小貝口のそばから茂木へ抜けてしまうそうで「小貝口ならここがい  い」と運転士に教えられて降りたのは何もない三差路近くだった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・水都西線は、1935(S10)年に茂木〜御前山が開業し、1937(S12)年に茂木〜宇都  宮、下野原〜氷室、1938(S13)年に川向郵便局前〜宇都宮一条町〜宇都宮が開業  したのがルーツで、水都東線を介して東北本線と常磐線とを結ぶ短絡線の使命  を有していた。線名は水戸〜宇都宮連絡を表して、その1字ずつをとったとさ  れている。 ・1955(S30)年に水都東本線(初代。水戸西線に由来する現在の水都東線とは別路  線)水戸〜御前山が開業し、宇都宮〜水戸の国鉄バス路線がつながった。「日本  国有鉄道監修時刻表」1955(S30)年8月号(7/1改正)によると、宇都宮〜水戸の  直通便は次のように3往復設定されていたのを確認できる。  (下り)    一条町0610→宇都宮0618→祖母井0705→茂木0843→御前山0928→1030水戸    一条町0830→宇都宮0838→祖母井0930→茂木1013→御前山1058→1200水戸    一条町1430→宇都宮1438→祖母井1530→茂木1613→御前山1658→1800水戸  (上り)    水戸1000→御前山1102→茂木1150→祖母井1230→宇都宮1322→1330一条町    水戸1330→御前山1432→茂木1520→祖母井1600→宇都宮1652→1700一条町    水戸1600→御前山1702→茂木1750→祖母井1830→宇都宮1922→1930一条町 ・1975(S50)年に刈沼〜東部団地〜氷室中の島が開業し、後に水都西線が都市郊外  路線の性格を持つ契機となった。 ・1980(S55)年に水都西本線那珂川大橋〜赤沢及び水都東本線水戸〜赤沢が廃止さ  れ、宇都宮〜水戸を結んだ国鉄バス路線が途切れることとなった。宇都宮〜水戸  の直通便の末期の様子については、「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年  10月号(8/11現在)では次の1往復になっていたのを確認できる。  (下り)    東武駅前1440→宇都宮1448→祖母井1532→茂木1605→長倉宿1631→1744水戸  (上り)    水戸0930→長倉宿1043→茂木1112→祖母井1141→宇都宮1224→1232東武駅前 ・1985(S60)年当時、水都西線には、(自)宇都宮、祖母井及び(自)茂木の各駅  が自動車駅として存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、宇都宮自動車  営業所(作新正門前)及び同茂木支所(茂木)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、水都西  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    東武駅前〜茂木 14往復    東武駅前〜祖母井 下り22本(うち休日運休、休日休校日運休各1本)・     上り20本(うち休日運休、休日休校日運休各1本)    茂木〜長倉宿 7往復 3.2 旅から30年 ・国鉄宇都宮自営監修「国鉄バス時刻表」1986(S61)年4月改正によると、水都西  線には次のような系統が設定されていた。    作新・東武駅前〜道場宿〜祖母井〜茂木 下り9本・上り8本    作新・東武駅前〜氷室〜水橋〜祖母井〜茂木 下り3本・上り4本    作新・東武駅前〜氷室〜水橋〜(直行)〜茂木 下り2本・上り3本(うち     日祝運休、日祝運転各1本)    作新・東武駅前〜道場宿〜刈沼〜八ツ木〜給部 下り2本・上り3本    作新・東武駅前〜道場宿〜東部団地〜祖母井〜給部 下り1本    作新・東武駅前〜氷室〜水橋〜祖母井〜給部 下り1本    作新・東武駅前〜氷室〜氷室中の島〜祖母井〜給部 上り1本    作新・東武駅前〜道場宿〜祖母井〜給部 上り1本    作新・東武駅前〜道場宿〜祖母井 下り8本(うち日祝運休2本)・上り     8本    作新・東武駅前〜氷室〜水橋〜祖母井 下り13本・上り14本(うち日祝運休、     日祝運転各1本)    作新・東武駅前〜氷室〜氷室中の島〜祖母井 下り1本    作新・東武駅前〜道場宿〜祖母井〜上根新田 下り1本(日祝運転)・上     り1本    作新・東武駅前〜氷室〜七区〜東部団地 下り7本(うち日祝運休1本)     ・上り6本    作新・東武駅前〜清陵高校〜東部団地 下り2本・上り3本    作新・東武駅前〜道場宿〜刈沼〜東部団地 下り10本・上り8本(うち日祝     運休1本)    作新・東武駅前〜氷室〜工業団地〜東部団地 上り1本    作新・東武駅前〜清陵高校 下り2本(うち土日祝休校日運休、平日運転各     1本)・上り3本(うち日祝休校日運休、土曜運転、平日運転各1本)    作新・東武駅前〜下桑島 9往復(うち日祝運休1往復)    作新・東武駅前〜工学部 15往復    祖母井〜給部 下り3本・上り2本    茂木〜長倉宿 8往復(うち日祝休校日運休土曜運転1往復)    茂木〜勘七坂 2往復(うち日祝休校日運休、土日祝日運休各1往復)    ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、荒宿〜市貝小学校前〜  市塙及び茂垣〜長倉宿が認知された。 ・水都西線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス関東に継承された。 ・1989(H1)年に道地線(祖母井〜給部)及び八ツ木線の東野高谷〜給部が休止さ  れて、翌年廃止された。1991(H3)年に桑島線(石井局前〜下桑島)が廃止され  た。1993(H5)年に茂木〜長倉宿及び茂垣〜長倉宿が廃止された。1994(H6)年に  は八ツ木線の刈沼〜東野高谷が廃止された。 ・1997(H9)年から茂木〜ツインリンクもてぎが開業した(2011(H23)年6月から  定期運行はなくなったが、2015(H27)年現在、レース開催日等の特定日運行と  なっている)。 ・2000(H12)年に簗瀬町〜宇都宮駅東口〜刈沼が開業した。2001(H13)年には裁判  所前(桜小学校入口)〜関東自動車整備前〜JRバス宇都宮支店、作新正門前  〜JRバス宇都宮支店、芳賀工業団地西〜本田技研正門前〜北梨の木原が開業  するとともに、西中台〜清原中央公園、氷室〜氷室中の島が廃止された。 ・2003(H15)年に刈沼〜産業創造プラザ〜本田技研高根沢工場前が開業し、2004(  H16)年に工学部正門〜陽東桜が丘(ベルモール)が延長した。2006(H18)年に  は上赤羽〜上ノ原、芳賀工業団地西〜芳賀工業団地南、桜小学校入口〜作新正  門前〜JRバス宇都宮支店が廃止された。 ・2013(H25)年には鐺山東〜芳賀水橋〜下野原、清原中央公園〜刈沼が廃止され、  宇都宮支店の芳賀町移転に伴って、芳賀バスターミナルを設置し、刈沼〜芳賀  バスターミナルをバイパス経由に変更した。 ・2015(H27)年6月現在、作新学院前〜宇都宮〜鐺山〜道場宿〜芳賀バスターミ  ナル〜芳賀温泉〜茂木他がJRバス関東によって運行されている。 3.3 旅の考察 ・きっぷの経路は刈沼〜芳賀三日市〜祖母井〜下野原〜上根新田(4.2+6.3=  10.5km)であるが、刈沼〜給部〜祖母井〜下野原〜上赤羽〜上根新田(10.6+  5.9+1.0+1.8+1.8=21.1km)の方が距離が10.5kmほど長かった。 ・著者が小貝口の近くと案内されてバスを降りた停留所は、水都西本線の小貝口  経由の経路と市貝小学校前経由の経路が分岐する、荒宿停留所であったと推測  される。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、水都西線には接続駅(宇都宮、  市塙及び茂木)の他に、祖母井及び宇都宮一条町に第一種委託駅(自動車駅)が  置かれていた。
2015 年 08 月 15 日 17:14:34 (14989) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【402】白棚線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇白棚線    1 磐城棚倉−白河    2 南湖公園−緑ヶ丘−白河高校前    3 南湖公園−新白河 1.2 路線略図           白河◎−>白女高       |\       白河高校前○ ・−>金沢内  白河         |         Λ  新白河◎−+    磐城金山 |   磐城逆川       ++−○−−−○−−○−・−−−●−・      / |南湖公園   金沢内 \     \  緑ヶ丘○−−・            \ 檜木  ・                      ・−○−−+                           +−◎磐城棚倉                           |                           V                          祖父岡 ※磐城棚倉〜磐城逆川〜金沢内は磐城南線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・白棚線3 新白河〜南湖公園 ・白棚線2 南湖公園〜緑ヶ丘〜白河高校前 ・白棚線1 白河高校前〜白河 2.2 掲載 ・49日目 8/7(水) S61.6号 9.関東・信越編(下) p227-p228 ・連載誌のみ 白河駅バス乗り場の写真、新白河駅の写真、527-7010の解説 2.3 行程 ◇新白河0719→0729白河 白棚線 磐城棚倉発 白河行 527-2081(日野K-RC321改) ◇白河0758→0815南湖公園 白棚線 白河発 関山口行(緑ヶ丘経由)                         521-2084(いすゞK-CJM550) ◇南湖公園0829→0836新白河 白棚線 磐城棚倉発 白河行 527-7010(日野RC320) 2.4 エピソード ・白河〜新白河の白河高校前近くでほんの少しだけかつての鉄道線路専用道を通  り、緑ヶ丘を迂回。緑ヶ丘は町工場のある新開地。南湖公園から満員の下り便  で新白河へ戻る。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・白棚線は、戦時中戦力増強のために撤去した鉄道線(磐城棚倉〜白河)の路盤  を活用して国鉄自動車専用道路を整備し、1957(S32)年に白棚高速線磐城棚倉〜  白河、南湖〜西郷として開業した路線である。 ・東北新幹線の開業に伴って1982(S57)年に新白河駅への乗り入れが開始された。 ・1985(S60)年当時、(自)磐城棚倉、磐城金山及び(自)白河に自動車駅が存在し  ていた。また、国鉄バス運行の拠点として棚倉自動車営業所(磐城棚倉)及び同  白河派出所(白河)が置かれていた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、祖父岡・東白農商前・磐城棚倉〜白河に下30  上32本が設定されており、6〜21時台に1時間2本以上が運転されていた。 3.2 旅から30年 ・白棚線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス関東に継承された。 ・1997(H9)年につつじが丘〜旭高校前〜白河の別線が開業し、1999(H11)年に専用  道路区間のうち金沢内〜檜木〜磐城棚倉が休止された(翌年廃止)。 ・2000(H12)年には三森〜磐城金山を並行する国道289号を経由した通学便が運行  を開始した(2007(H15)年廃止)。 ・2003(H15)年〜2005(H17)年の間、新白河〜西郷バスストップに「西郷シャトル」  が運行された。 ・2015(H27)年6月現在、白棚線はほぼ当時のルートでJRバス関東によって運行  されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、白棚線には接続駅(磐城棚倉  及び白河)の他、磐城金山に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、白棚線の磐城金山、南湖  公園の両駅は途中下車駅とされていた。 ・1986(S61)年1月に乗車した際には、磐城棚倉側から、浅川口〜檜木〜金沢内、三  森の白河寄り〜高木〜磐城金山〜古関〜関辺〜実業高校前の2区間が国鉄自動車  専用道路となっていた。2014(H26)年現在では、三森の白河寄り〜高木〜表郷庁舎  前、松上の棚倉寄り〜古関〜関辺の2区間がJRバス専用道路となっている。
2015 年 08 月 10 日 19:33:13 (14988) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【522】諏訪線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇諏訪線   諏訪本線    1 白狐入口−岡谷    2 上諏訪清水町−上諏訪    3 上諏訪−浜沢    4 大社通−東山田−横河川橋    5 長地学校前−諏訪今井−岡谷市役所前   塩尻線    1 諏訪今井−塩尻 1.2 路線略図        塩尻◎          |          |       下柿沢○          |          |       塩尻峠○          |          |      諏訪今井○ 横河         / \川橋        /   ○−−・  岡谷◎−−○−−○ |  |      岡谷 小口\|長地○東山田      市役 薬師 ○学校|      所前 前  |前 ○宮前            |  |       下諏訪◎−+  +−>上和田            ○−−・            |大社通         東高木○            |            ○浜沢           /|       湖岸通○ |          | ◎上諏訪       衣の渡○ |          +−+          | |       日赤前○ ○角間橋          | |          ・−○上諏訪清水町            |      白狐入口○−・          |          V         霧ヶ峰 ※下諏訪〜大社通〜上和田は和田峠南線、上諏訪(白狐入口)〜霧ヶ峰は霧ヶ峰線  (白狐入口〜上諏訪は霧ヶ峰線との重複区間) 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・塩尻線1 塩尻〜塩尻峠〜諏訪今井 ・諏訪本線5 諏訪今井〜岡谷市役所前 ・諏訪本線1 岡谷市役所前〜岡谷 ・諏訪本線1 下諏訪〜長地学校前〜横河川橋 ・諏訪本線4 横河川橋〜東山田〜大社通 ・諏訪本線1 大社通〜上諏訪 2.2 掲載 ・32日目 7/12(金) S61.4号 7.中部編 単行本 p160〜160 2.3 行程 ○塩尻1425→1510岡谷 塩尻・諏訪本線 塩尻発 岡谷行 331-6007(いすゞBA05N) ○下諏訪1714→1722長地学校前 諏訪本線 発 行 528-7010(日デU30H) ○長地学校前1730→1733横河川橋 諏訪本線 発 行 538-8501(日デUA30H) ○横河川橋1813→1830大社通 諏訪本線 発 行 331-7022(いすゞCCM410) ○大社通1842→1857上諏訪 諏訪本線 発 行 538-8502(日デUA30H) 2.4 エピソード ・塩尻線で通過した諏訪今井と、約3時間後に乗り換えた横河川橋が目と鼻の先  だったり、一回りした大社通が下諏訪駅前なのにあきれたりしながら、同じ線、  同じ停留所を二度通らずに抜けた。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・諏訪線は、1933(S8)年に下諏訪〜岡谷が開業し、翌1934(S9)年に上諏訪清水町  〜下諏訪、長地学校前〜諏訪今井、次いで諏訪今井〜塩尻及び諏訪今井〜岡谷  市役所前が開業したのがルーツで、中央本線上諏訪〜塩尻の鉄道培養路線の性  格を持っていた。 ・下諏訪自営(1983)「諏訪線50年のあゆみ」によると、1973(S48)年5月に衣  の渡線休止とあり、諏訪本線第3区間の上諏訪〜浜沢を指すと解される。また、  1982(S57)年4月に塩尻新駅移転に伴い塩尻車庫撤去とある。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、下諏訪自動車営業所(下諏訪)  が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、諏訪本線の白狐入口  〜岡谷が上諏訪〜岡谷に変更された。国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に、  諏訪本線の上諏訪清水町〜上諏訪、上諏訪〜浜沢の廃止が公示された。 ・「諏訪線時刻表」1987(S62)年2月改正によると、諏訪線には次のような系統  が設定されていた。    上諏訪清水町〜小口薬師〜岡谷 下り18本(うち休日運休1本)・上り     17本(うち休日運休2本)    上諏訪清水町〜諏訪今井〜岡谷 10往復(うち休日運休1往復)    上諏訪清水町〜上田 下り1本     上諏訪清水町〜下諏訪 1往復    下諏訪〜小口薬師〜岡谷 下り1本・上り3本(うち休日運休1本)    下諏訪〜諏訪今井〜岡谷 1往復    下諏訪〜東山田〜岡谷 3往復    下諏訪〜諏訪今井〜塩尻 上り2本    岡谷〜塩尻 下り3本・上り1本    岡谷〜塩尻峠 1往復 ・1987(S62)年3月、諏訪線は中部地自から関東地自に移管された。その後、国鉄  民営化及び自動車分離を経て、JRバス関東に継承された。 ・1990(H2)年までに大社通〜東山田〜横河川橋及び塩尻線が廃止になった。 ・2005(H17)年に上諏訪清水町〜上諏訪〜小口薬師前〜岡谷及び長地学校前〜諏訪  今井〜岡谷市役所前が廃止されて、諏訪線は全廃となった。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、諏訪線には接続駅(茅野、  上諏訪、下諏訪、岡谷及び塩尻)の他に、北山線(貨物路線)の信濃山寺、  信濃玉川、泉野及び信濃湯川に第二種委託駅(自動車駅)、同じく矢ヶ崎、  信濃松原、糸萱、蓼科及び池ノ平に車扱貨物(鉄道にまたがるものに限る)  を取り扱う無人駅が置かれていた。 ・諏訪本線の第2区間である上諏訪清水町〜上諏訪は日赤前経由、第3区間の  上諏訪〜浜沢は衣の渡〜湖岸通経由である。
2015 年 08 月 10 日 12:21:09 (14987) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【112】美瑛線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇美瑛線   美瑛本線    1 美瑛−望岳台    2 白金温泉−国立大雪青年の家   朗根内線    1 美瑛−朗根内−中俵真布 1.2 路線略図                    ・−−○−−−○中俵真布                  /  朗根内              ・              |    美進   旭川●…………・ 下宇○…………●………●藤山          :   |    :            : 錦町○−・ ・●………●新三ノ宮              :   | | :向上       ○国立大雪青年の家     北瑛第一 :   | | :  新三笠   /  上 ・…●…・ :高校前○ +−○−−−○−−−○−−○望岳台  夕張:   : :   | | 丸山     白金  ・…●………●…+………+ |        温泉  :   美瑛大久保   | |  新生  :       美瑛◎−+−○………●……・  ●五稜         |丸山公園前   :            ・…+        :  千代田            : ○憩町    間宮●………●            :     拓新  ・ ・  :            ・……●……●……・   ・…●               福富         千代田                          分館前 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・美瑛線は、1948(S23)年に美瑛〜新三ノ宮、丸山〜新三笠、美瑛〜千代田が開業  したのがルーツで、大雪山麓地帯の開拓促進を図るために開設された。美瑛自営  は、バス開業以前の1947(S22)年12月に設置された美瑛自動車区が起源であり、  当初は終戦後の国家再建施策として復興資材等のトラック輸送を行っていた。 ・1951(S26)年に新三笠〜白金温泉、1956(S31)年に白金温泉〜望岳台、1958(S33)  年に望岳台〜噴火口下及び美瑛〜旭川がそれぞれ開業した。また、1953(S28)年  〜1960(S35)年にかけて、支線となる五稜線(美瑛〜五稜)、聖和線(美瑛大久  保〜聖和)等が開業した。 ・国鉄美瑛自動車営業所記念誌協賛会(1986)「創業38年記念誌−噴煙と共に−」  によると、1954(S29)年7月から白金温泉〜望岳台にGMCトラックによる登山  バス代行運転を開始した(1955(S30)年6月から登山バス代行トラックをバス輸  送に切り替え)。 ・前掲誌によると、1980(S55)年11月から旭川〜美瑛の4往復を2往復に輸送力調  整し、旭川派出所が廃止された。 ・1981(S56)年5月改正「国鉄バス時刻表美瑛線」によると、美瑛線には次のよう  な系統が設定されていた。    旭川〜白金温泉・青年の家 2往復    (下り)      旭川0925→美瑛1009→1050青年の家      旭川1600→美瑛1645→1720白金温泉    (上り)      白金温泉0712→0749美瑛→0835旭川      青年の家1336→1435美瑛→1519旭川    美瑛〜青年の家 下り5本・上り3本    美瑛〜白金温泉 下り4本・上り6本    白金温泉〜青年の家 上り2本    白金温泉〜望岳台 7往復(うち不定期2往復)    美瑛〜中俵真布 4往復    美瑛〜藤山 3往復    美瑛〜新三ノ宮 3往復    美瑛〜五稜 下り4本(うち北瑛経由2本)・上り4本(うち北瑛経由2本)    美瑛〜千代田 下り4本(うち福富経由1本、土日祝休校日運休1本)・上     り4本(うち福富経由3本(うち福富経由1本)) ・美瑛町(1991)「美瑛町史第5巻」によると、1982(S57)年冬ダイヤから町内循環線  (本通・美沢通・環状通・丸山通)が新設された。次いで1983(S58)年12月からは  憩町線が運行開始された(「国鉄自動車路線名称」には載っていなかった)。 ・1984(S59)年5月改正「国鉄バス時刻表美瑛線」によると、美瑛線には次のよう  な系統が設定されていた。    美瑛〜青年の家 3往復    美瑛〜白金温泉 5往復(うち期間限定便1往復)    白金温泉〜望岳台 下り3本・上り5本    青年の家〜望岳台 下り2本    美瑛〜中俵真布 3往復    美瑛〜藤山 3往復    美瑛〜新三ノ宮 3往復    美瑛〜五稜 下り3本(うち北瑛経由2本)・上り3本(うち北瑛経由1本)    美瑛〜千代田 下り3本(うち福富経由1本)・上り3本(うち福富経由2     本)    美瑛町内循環 7回(うち日祝運休2回)    美瑛〜憩町 5往復(うち日祝運休1往復) ・1985(S60)年2月、美瑛本線旭川〜美瑛(1981(S56)年11月から休止中)、三ノ宮  線向上〜美進が廃止され、同年4月に美瑛本線丸山公園前〜間宮、五稜線(美瑛  〜五稜及び美瑛大久保〜上夕張)、千代田線(美瑛〜千代田及び間宮〜千代田)、  宇莫別線(下宇〜藤山)及び三ノ宮線(丸山〜新三ノ宮)が廃止された。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として美瑛自動車営業所(美瑛町内)が  置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年8月に美瑛本線白金温泉〜望岳台(休止中)が廃止され、翌1961(S61)  年4月に朗根内線、町内循環線及び憩町線が廃止された。残された美瑛本線の美瑛  〜国立大雪青年の家も同年10月末限りで廃止され、美瑛自営も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、美瑛線には接続駅(旭川及び  美瑛)の他、白金温泉に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ※補足 当麻線の運行状況 ・美瑛自営には当麻支所が存在し、国鉄バス当麻線の運行を担当していた。当麻支所  は、1948(S23)年11月に当麻自動車区として発足し、1949(S24)年9月に美瑛自営の  派出所(1970(S45)年2月に当麻支所となる)となった。 ・当麻線は、1948(S23)年11月に当麻〜新二股、新清水〜上開明及び当麻〜新北星が  開業したのがルーツで、旭川地帯の開拓促進を図るために開設された路線であった。 ・「国鉄バス時刻表当麻線」1983(S58)年5月改正によると、当麻線には次のような  系統が設定されていた。    当麻〜鍾乳洞 3往復(うち期間限定便1往復)    当麻〜上開明 5往復(うち日祝休校日運休、日祝運休各1往復)    当麻〜スポーツガーデン 2往復    当麻〜新二股 4往復(うち日祝休校日運休1往復)    当麻〜精南 4往復(うち土日祝休校日運休、土日祝休校日運転各1往復) ・この時の路線略図は次の通り。                         ○鍾乳洞              ・−○新二股     |             /         ・−+−○上開明      25丁目○−−○9条4丁目     |        /          石渡口 |    下北星○      ○スポーツ ○−−○新当麻       |     / ガーデン |       ・−+−−・       |         |       ・−−○朝日         | ◎当麻  / ○−−−−−○精南         | |   /  |岩見橋         ・−+−−○−−−・            中央12区 ・当麻線は、1984(S59)年3月末で全廃され、美瑛自営当麻支所も廃止された。
2015 年 08 月 10 日 12:20:11 (14986) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【113】厚岸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇厚岸線    1 厚岸−標茶    2 厚岸−国泰寺 1.2 路線略図       虹別       Λ              真竜中  標茶   |              学校前  高校前<−+◎標茶           ・○・  ◎厚岸        |          大別 | |  |        ・−−○−−○−−○−−○−○−○−−+−−○−−−○          上知 中知 下新   開発 太田   厚岸大 国泰寺          安別 安別 拓    出張 口    橋前                     所前 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・厚岸線は、1951(S26)年に浜厚岸駅前〜厚岸〜太田が開業したのがルーツで、  1953(S28)年に太田〜標茶〜標茶農高前(→標茶高校前)が開業した。この  路線は、根釧原野、標茶地区の開拓促進を図るとともに、根室本線と釧網  本線との短絡を使命として開設された。 ・1972(S47)年12月に厚岸大橋〜国泰寺が開業し、厚岸〜国泰寺に8往復の運  行を開始した。これは、厚岸町真竜町と対岸の本町は従来からフェリーボ  ートで結ばれていたが、同年10月に厚岸湾に海上橋(厚岸大橋)が完成した  ことに伴い地域の利用者の利便を図るためバス路線を延長したものである。 ・「弘済会の道内時刻表」1984(S59)年3月号(2/5現在)によると、厚岸線には  次のような系統が設定されていたのを確認できる。    厚岸〜標茶 2往復    厚岸〜大別 2往復(休日運休)    厚岸〜太田 2往復    厚岸〜開発出張所前 4往復(休日休校日運休)    厚岸〜国泰寺 9往復(うち休日運休、休日休校日運休、休日休校日     運行各1往復) ・1985(S60)年当時、国泰寺、太田口及び開発出張所前に乗車券簡易販売所(  簡易委託)が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、厚岸自動車営業  所(厚岸)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、厚岸線では太田口  〜開発出張所前が認知された。 ・厚岸線は、国鉄民営化を経てJR北海道に継承された。 ・「弘済会の道内時刻表」1988(S63)年8月号(7/1現在)によると、厚岸線には  次のような系統が設定されていたのを確認できる。    厚岸〜標茶 2往復    厚岸〜太田 4往復(うち休日休校日運休、休日休校日運行各1往復)    厚岸〜開発出張所前 4往復(うち休日休校日運休1往復、土曜運行2     往復)    厚岸〜国泰寺 8往復(うち休日運休、休日休校日運休各1往復) ・1993(H5)年に下新拓〜標茶が廃止され、残された標茶〜下新拓、太田口〜  真竜中学校前〜開発出張所前及び標茶〜国泰寺も1997(H9)年に廃止され、  厚岸自営も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、厚岸線には接続駅(厚岸及  び標茶)のみ置かれていた。
2015 年 08 月 08 日 09:56:00 (14985b) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【910】国分線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇国分線   国分本線    1 国分−鹿屋    2 国分−大隅西山    3 国分−郡田    4 国分−松永口    5 国分−隼人    6 唐仁町−上小川−大隅広瀬    7 銅田駅前−萩ノ元    8 検校川−上之段   浜ノ市線    1 検校川−隼人塚   百引線    1 牛根−百引   桜島線    1 桜島口−桜島港 1.2 路線略図  鹿児島空港○==○姫城温泉    郡田○         /|         /   松永口○−・ |     国分高/ 萩ノ元  隼人      | 旭通  校前/城山 ○  ◎   国分◎−+−−○−+−○==○/ 上之段  |隼人塚    |唐仁町 //Aコー /   ○  ・−○−−○−−+−○==○プ前 /後川内/    | ソニー | |\  \ /   ○=○テクノ    | 国分前 | ・ ・−−○銅田 /   パーク    ・−−○−−○・ \ 上  \ /福山役場前      浜ノ 大隅|  ○小川  ○−−−○−−・      市  西山|   \  /検校川    |           ・−−−−○・        |               大隅広瀬     牛根○−−○百引                          |                   東桜島    |            桜島港○−○−−○−−○−−○桜島口                 薩摩   古里  |  垂水                 赤水   温泉  |  中央                        海潟○−−○……○鹿屋                             //                             ○垂水港                             //                       垂水中央病院○ 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・国分本線5 隼人〜大隅西山〜大隅広瀬 ・国分本線6 大隅広瀬〜上小川〜唐仁町 ・国分本線1 唐仁町〜検校川〜垂水駅前 2.2 掲載 ・5日目 6/5(水) S60.10号 1.九州編(上) 単行本 p35〜37 2.3 行程 ○隼人0718→0732大隅広瀬 浜ノ市線 隼人発 大隅広瀬行                         331-1412(いすゞK-CCM410) ○大隅広瀬0802→0813唐仁町 国分本線 大隅広瀬発 国分行 上小川経由                           531-5403(いすゞBU10) ○唐仁町0947→1040桜島口 国分本線 国分発 桜島口行                          534-2987(三菱K-MP518M) ○桜島口1040→1105垂水駅前 国分本線 桜島港発 垂水中央行                         531-1412(いすゞK-CLM500) 2.4 エピソード ・稀少価値のある大隅広瀬行きバスの乗客は筆者だけ。「調査ですか」と運転士  に怪訝な顔をされながら到着した終点は、住宅地の倉庫の隣のような所。隼人  行きとなる帰路には数人の定期客が乗るそうで、その人たちを迎えにきた回送  便のような性格だった。 ・大隅広瀬バス停には国労の掲示板があり、署名陳情運動等の結果、通称「上小  川線」が廃止を免れた経過を報告するビラが貼ってある。廃止対象線にしては  上小川経由国分行きの乗りはよく、パートに出かけるおばさんなど十数人が利  用した。 ・畑の中を何度も曲がって国分市街に近い唐仁町で乗り継ぎ。 ・桜島口行きは本線だけあって利用者も多い。錦江湾沿いに鉄道の大隅線の外側  を国道220号線でたどる。垂水方面乗り継ぎとなる桜島口は熔岩を前にした殺風  景なところで、灰だらけの頑丈なコンクリート製待合室が垂水市の緊急避難壕  を兼ねている。 ・大隅線との接続駅垂水は、なぜかバスが駅へ入らず垂水駅前を名乗っており、  運賃表と食い違っているがそこで降りる。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・国分線は、1935(S10)年に隼人〜国分〜古江が開業したのがルーツで、1936(S11)  年に浜ノ市線隼人〜浜ノ市〜敷根町が開業し、1944(S19)年に桜島線桜島口〜  袴腰(→桜島港)が開業した。戦後の1954(S29)年には古江〜鹿屋が開業した。 ・この路線は、隼人〜古江が鉄道敷設法予定線に該当し、鉄道の先行路線であり  培養路線であった。大隅半島の幹線動脈を形作り、同地方の産業の発展、資源  の開発に寄与するところが大きいと言われていた。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年11月号(5/1改正)によると、桜島定期  観光バスとして垂水発1330の1回、袴腰(→桜島港)発1000・1400の2回が設  定されていたのを確認できる。 ・1985(S60)年当時、線内の垂水中央、桜島港に自動車駅が存在した。また、国鉄  バス運行の拠点として、鹿児島自動車営業所国分支所(国分)及び同桜島派出所  (桜島港)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、国分線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    国分〜桜島口 下り7本・上り8本    国分〜下境 下り1本    国分〜磯脇 下り3本(うち休日運休1本)・上り3本    国分〜脇元 下り1本    桜島港〜垂水中央 下り15本・上り14本    桜島港〜桜島口 2往復    桜島口〜垂水中央 下り1本  また、桜島定期観光が桜島港〜桜岳陶芸〜林芙美子文学碑〜溶岩展望所〜桜島港  を3回運行していた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で国分高校前〜城山公園  が認知された。 ・国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に垂水中央〜垂水港〜垂水中央病院、旭通  〜迫田の開業公示がなされた。 ・国分線は、国鉄民営化を経てJR九州に継承された。1987(S62)年12月に桜島  定期観光バス(B、桜島港発着)が新コースで運行開始したのに伴い、桜島口  〜埋没鳥居及び薩摩赤水〜湯平展望所が開業した。 ・1988(S63)年に百引線(牛根〜百引)が廃止された。 ・1989(H1)年3月に深迫口〜テクノパーク、同年4月に国分〜鹿児島空港が開業  した。 ・1990(H2)年4月から桜島定期観光バス(A)を西鹿児島(→鹿児島中央)発着  で運行開始した。 ・1994(H6)年に休止中の垂水中央〜鹿屋が廃止された。 ・「弘済出版社の九州・中国版小型時刻表」1994(H6)年10月号(9/1現在)では、  国分線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    国分〜垂水中央・垂水港 下り9本・上り8本    国分〜桜島口 1往復    国分〜桜島港 下り2本・上り3本    桜島港〜垂水中央・垂水港 下り10本・上り11本  (エアポートバス(特急便))    鹿児島空港〜垂水中央 4往復    鹿児島空港〜国分 2往復  また、桜島定期観光バスとして、西鹿児島発着のAコース(鹿児島市内・桜島  一周)が1回、桜島港発着のBコース(桜島一周)が2回運行されていた。 ・1996(H8)年に国分高校前〜郡田、銅田〜萩ノ元及び検校川〜上ノ段の各区間が  廃止された。 ・1997(H9)年3月改正の国分線時刻表によると、国分線には次のような系統が設  定されていた。    空港〜垂水中央・垂水港 下り4本・上り6本    空港〜桜島口 下り1本    空港〜国分 下り4本・上り3本    国分〜垂水中央・垂水港 下り5本(うち日祝運休1本)・上り3本(う     ち日祝運休1本)    国分〜桜島港 1往復    国分〜桜島口 下り1本(日祝運休)・上り2本(うち日祝運休1本)    国分〜下境 2往復(うち日祝運休1往復)    国分〜脇元 下り1本    桜島港〜垂水中央・垂水港 下り8本・上り7本    桜島港〜桜島口 8往復    桜島港〜文学碑 2往復    垂水中央〜中央病院 上り1本    国分〜脇元(自衛隊経由) 上り1本    国分〜脇元(上小川経由) 1往復    国分〜隼人(ソニー経由) 下り2本(うち日祝運休1本)・上り1本    国分〜隼人(浜ノ市経由) 上り1本(日祝運休) ・1999(H11)年に桜島定期観光(B)が廃止された。また、同年には桜島線(桜島  口〜桜島港)が廃止された。 ・残された鹿児島空港〜垂水港他の区間も2000(H12)年に廃止され、国分線は全廃  となった。併せて、国分営業所も廃止された。 ・なお、2015(H27)年6月現在、鹿児島中央発着で桜島定期観光バス(市街・桜島  ぐるっと一周コース、市街・桜島よかとこ早回りコース)がJR九州バスによ  って運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、国分線には接続駅(国分、垂  水、鹿屋及び隼人)の他、垂水中央に第一種委託駅(自動車駅)、牛根、百引  及び桜島港に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・1987(S62)年3月に第二次特定地方交通線であった国鉄大隅線が廃止された。特  定地方交通線の転換バスは原則として国鉄以外の事業者が運営したが、大隅線  沿線は国鉄バスのエリアであったため、国鉄(JR)バスが唯一転換バスの運営  に当たった。
2015 年 08 月 08 日 09:54:49 (14985a) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【811】光線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇光線   光本線    1 岩国−光−徳山−防府    2 光警察署前−光市役所前(南回り)   室積線    1 戸仲−江の浦    2 室積−室積公園口   岩狩線    1 筒井−岩狩 1.2 路線略図                     周防     Λ小方                     錦橋 御庄橋 |             日原・六日市<−○−−−○−−◎岩国                     :   |  :                     :新岩国◎  :              高森     :    大畠◎−>         ・…………●………………・      |         :                柳井◎         :                  |         :    岩狩○      鮎返○−−◎         :      | 光市 光警  | 田布施     防府  : 下松 光 | 役所 察署  |   <−◎…◎−○−◎−−◎−○−−○−−○−−○戸仲   山口 徳山 遠石    筒井  |  |  |         八幡        ・−−・室積○−○江の浦                         |                         ○室積公園口 ※岩国〜大畠、徳山〜防府は1978(S53).12.20から休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・光本線1 大畠〜柳井〜田布施 ・光本線1 光〜下松 2.2 掲載 ・12日目 6/12(水) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p78〜79 ・連載誌のみ 柳井駅前の写真 2.3 行程 ○大畠0816→0835柳井 光本線 周防油宇発 大畠行 334-9012(三菱MK115H) △柳井0940→1000田布施 防長バス ○光1104→1117下松 光本線 室積発 下松行 534-4484(三菱P-MP118M) 2.4 エピソード ・大畠から柳井までは大島から直通してくる便が細々と走るが、その割にお客は  多い。柳井で降車時に運転士がきっぷを手に絶句し、乗客の柳井駅職員に助け  を求めると、一通り眺めて、間違いなく大畠〜柳井の国鉄バスに乗れるから、  このまま降りてもらえばいいと保証した後、興味を示しコピーを希望したので  それに応じた。 ・柳井〜田布施の国鉄バスは0640発の後夕方までなく、同じ路線を防長交通バス  が盛んに走っているので社線バス代行とした。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・光線は、光海軍工廠の工員輸送確保の目的で、1942(S17)年に光〜室積が開業し  たのがルーツで、都市交通の使命を有していた。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)では、光線の特長として、光市は旧海軍工  廠等の施設を利用して工業が発達しているため、通勤・通学等定期客が多いと  述べていた。 ・1962(S37)年から安芸線への乗り入れが開始され、下松〜呉本通十三丁目の直通  便が運行開始した(安芸線への乗り入れは1972(S47)年廃止)。 ・関口国二(1968)「幹線道路に進出する国鉄自動車−最近開業した路線につい  て−」(「国鉄線」1968(S43)年11月号所収)によると、1968(S43)年10月1日  から瀬戸内西線に呉〜徳山、岩国〜湯田温泉の2系統が運行を開始した。呉〜  徳山は両地区の最短ルートである国道2号線で直通運行して旅客の利便を図る  ため、岩国〜湯田温泉は両地区間の交流旅客が防府又は小郡で乗り換える不便  を解消するために開業したものと述べられている。両系統の運行時刻は以下の  通りであった。    呉本通十三丁目〜徳山(高森経由) 3往復    (下り)      呉本通十三丁目0915→1257徳山             1245→1640             1420→1800    (上り)      徳山0800→1148呉本通十三丁目        0930→1310        1440→1850    岩国〜湯田温泉通(柳井経由) 6往復    (下り)      岩国0740→1122湯田温泉通        0830→1212        0918→1302        1430→1814        1530→1914        1640→2022    (上り)      湯田温泉通0710→1054岩国           0800→1144           0930→1312           1240→1622           1430→1814           1530→1914 ・1968(S43)年10月1日から岩益・光・防長線の一部である広島〜岩国〜周防錦  橋〜徳山〜防府〜山口を「瀬戸内西線」と改称した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1972(S47)年12月号(11/9現在)によると、瀬戸  内西線には次のような直通急行便が設定されていたのを確認できる。  (下り)    下松0720→0907湯田温泉通    柳井0825→1107湯田温泉通    広島0810→1210湯田温泉通(高森経由)    広島1025→1357徳山    広島1200→1507下松    広島1410→1740徳山    広島1430→1835湯田温泉通(高森経由)    広島1500→1949湯田温泉通  (上り)       徳山0710→1040広島    湯田温泉通0648→1144広島    湯田温泉通0800→1207広島(高森経由)       徳山1030→1352広島    湯田温泉通1428→1828広島(高森経由)       徳山1533→1903広島    湯田温泉通1500→1743柳井    湯田温泉通1615→1757下松 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、瀬戸  内西線には次のような直通便が設定されていたのを確認できる。  (下り)    光警察署前0651→0907湯田温泉通       柳井0817→1107湯田温泉通       広島0855→1229徳山       岩国1205→1408下松       広島1410→1746徳山       岩国1616→2001湯田温泉通       広島1515→1920湯田温泉通(高森経由)  (上り)       徳山0720→0939岩国    湯田温泉通0654→1151広島    湯田温泉通0755→1207広島(高森経由)       徳山1120→1338岩国       徳山1550→1925広島    湯田温泉通1500→1715室積    湯田温泉通1615→1820光警察署前 ・1975(S50)年3月10日の新幹線博多開業に伴って、新岩国〜徳山系統を運行開  始した。この時に周防錦橋〜遠石八幡前が休止された。また、この時から瀬戸  内西線を岩益線及び光線に改称した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(3/2現在)によると、光線に  は次のような直通便が設定されていたのを確認できる。  (下り)     室積1104→1318湯田温泉通    新岩国0950→1229徳山    新岩国1140→1419徳山    新岩国1342→1620徳山    新岩国1508→1749徳山     柳井1718→2000湯田温泉通  (上り)        光0646→0902新岩国       徳山0715→1002新岩国    湯田温泉通0654→0901室積       徳山0830→1109新岩国       徳山1025→1305新岩国    湯田温泉通1615→1827室積 ・1978(S53)年12月20日から岩国〜大畠及び徳山〜防府を休止した。 ・1985(S60)年当時、線内の室積に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として光自動車営業所が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、光線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    柳井〜下松 上り1本    柳井〜光 下り2本・上り1本    田布施〜下松 下り2本    田布施〜光 下り6本・上り8本    室積公園口〜徳山 1往復    室積〜徳山 2往復    室積公園口〜下松 下り5本(うち土曜運転1本)・上り6本(うち休日     運休1本)    室積公園口〜光 上り17本(うち休日運休5本)    室積〜光 下り0557〜2143に約15分毎・上り0603〜2122に約15分毎    室積〜下松 下り0637〜1852に約40分毎・上り〜1946に約40分毎 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年10月から柳井〜田布施が休止された。 ・光線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、中国JRバスに継承された。 ・1988(S63)年7月19日から光警察署前〜湯田温泉通を山陽自動車道(徳山西〜  防府東)経由で結ぶ「周防ライナー」を運行開始した(1993(H5)年9月末限り  で休止)。 ・1994(H6)年に光本線の田布施〜戸仲及び下松〜徳山が休止された。 ・「弘済出版社の九州・中国版小型時刻表」1994(H6)年10月号(8/20改正)では、  光線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    岩狩〜光 下り12本(うち休日運休3本)・上り11本(うち休日運休2本)    公園口〜下松 7往復(うち休日運休下り1本)    室積〜下松 7往復(うち休日運休下り1本・上り2本) ・1998(H10)年に岩狩線の木下橋〜岩狩他が休止され(光〜岩狩系統の廃止)、  光市循環バス「ひかりぐるりんバス」の運行が開始した(2000(H12)年8月に  「ひかりぐるりんバス」を子会社の西日本バスネットサービスに移管した)。 ・2002(H14)年に大島線からの直通便が廃止されたため、光本線の大畠〜柳井が  廃止された。 ・2003(H15)年3月改正「JRバス光線時刻表」によると、光線には次のような  系統が設定されていた。  (平日)    江の浦〜光 下り2本・上り1本    公園口〜下松 下り3本・上り4本    公園口〜光 下り29本(うち休校日運休5本)・上り30本(うち休校日     運休7本)    室積〜下松 下り1本    室積〜光 下り9本・上り10本  (土曜日曜祝日)    江の浦〜光 上り2本    公園口〜下松 2往復    公園口〜光 下り19本・上り17本    室積〜光 下り8本・上り7本 ・2015(H27)年に下松〜下松タウンセンター、西新開〜千坊台、江の浦〜かんぽ  の宿光の各区間が開業した。同年6月現在、これらの区間とともに、室積公園  口〜室積〜光〜下松、ひかりぐるりんバスが中国JRバス及び西日本バスネッ  トサービスによって運行されている。 3.3 旅の考察 ・「最長片道きっぷの旅」本文では、大畠〜柳井を大島本線と記述しているが、  当時の「国鉄自動車路線名称」によると、同区間を含む岩国〜光〜徳山〜防府  は光本線の第1区間となっている。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、光線には接続駅(岩国、徳山、  防府、山口、大畠、柳井、田布施、光、下松及び岩田)の他に、室積に自動車  駅(第一種委託駅)が置かれていた。
2015 年 08 月 08 日 09:53:42 (14984) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【520】奥能登線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇奥能登線   奥能登本線    1 穴水−輪島    2 穴水−河内    3 穴水−城山住宅前−北七海    4 松波本町−松波駅前−恋路浜    5 南鵜飼−見付海岸    6 能登飯田−珠洲−野々江    7 上時国−南惣   門前線    1 穴水栄町−総持寺前   太田原線    1 下出−太田原−能登瑞穂   神和住線    1 辺田の浜−中斉−能登上   小木線    1 宇出津駅前−小木町−松波本町   小屋線    1 南鵜飼−白山神社前   東山中線    1 正院大町−能登折戸 1.2 路線略図               ○南惣               能登                \上時国    大谷   木ノ浦 折戸   輪島◎−−−−−−−−−−−○−−−−−−○−−−−−○−−○−・                                 | |            能登上○          白山神社前  | |                \上町         ○    | |   総持寺前     太田原  ○          |    | ○狼煙     ○−・   ・−○−・ |宇出津 松波 南鵜 ・    | |       |北七海|   | |駅前  本町 飼 /  珠洲 | |   穴水◎−○−○−○−−−○−○−◎−−−○−−○−−○−◎−○−○葭ヶ浦     |穴水 |下出  能登 辺田|遠島山|小木|  能登  正院     |栄町 |    瑞穂 の浜|公園 |駅前○  飯田  大町     ・−○−・         | ○ ○  見付     城山住宅前         |/  |\ 海岸                 棚木○−−○・ ○                     小木町 北九十九 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・奥能登線は、1935(S10)年に穴水〜能登飯田が開業したのがルーツで、1938(S1  3)年に宇出津北口〜小木町、1942(S17)年に小木町〜能登松波が開業し、終戦  後の1946(S21)年に能登飯田〜狼煙が開業した。この路線は、穴水〜能登折戸  の鉄道の先行路線としての使命を有していた他、鉄道の補助及び培養路線とし  て金沢(金白北線→名金線)〜穴水を運営し、その他地方産業文化の発展助長  をも使命としていた。 ・1955(S30)年〜1974(S49)年の間、能登飯田から奥能登線、金白北線(→名金線  )を通って金沢まで、毎日1往復の夜行急行便「のと号」を運行していた。こ  の急行便には自動車急行料金が設けられていた。 ・1960(S35)年4月15日に鉄道能登線鵜川〜宇出津が開業したが、鉄道は旅客のみ  を取扱い、手小荷物及び貨物は国鉄自動車で輸送する、気動車は朝夕4往復の  み運転しその他の時間帯は国鉄バスで輸送する、自動車線有効の定期乗車券所  持の旅客は鉄道にも乗車できる、といった鉄道との共同輸送を行っていた。 ・1964(S39)年10月に能登線の鉄道建設が終わり気動車の運行が開始されて、建設  線の代行という国鉄自動車の使命は終わったが、バス利用者の便宜を考えて、  バス運行を継続した。 ・1965(S40)年4月に能登飯田〜輪島が開業し、国鉄バスも北陸鉄道と共同で能登  半島めぐり定期観光バスの運行を開始した。それ以前は北陸鉄道の奥能登めぐり  定期観光バスへの連絡便を国鉄バスが運行していた。「国鉄監修交通公社の時刻  表」1967(S42)年9月号には国鉄バス便として次のような便が載っていた。  (Aコース)和倉温泉〜輪島〜曽々木〜真浦〜狼煙〜飯田〜小木〜宇出津    つくも3 宇出津1040→1810輪島(泊)0910→1445和倉温泉       つくも4 宇出津1310→1755曽々木・真浦(泊)0840→1630和倉温泉    みつけ2 宇出津1440→1655飯田(泊)0800→1900和倉温泉    みつけ1 飯田0800→1010  (Cコース)輪島〜曽々木〜真浦〜狼煙〜飯田〜小木から宇出津    そそぎ2 輪島0730→1425宇出津    そそぎ3 輪島0820→1545宇出津    つくも2 宇出津0935→1700輪島    つくも3 宇出津1040→1810輪島    つくも4 宇出津1310→1813曽々木    つくも5 宇出津1440→1655飯田 ・1985(S60)年当時、線内の宇出津駅前、能登飯田に自動車駅が存在した。また、  国鉄バス運行の拠点として、穴水自動車営業所(穴水)及び同能登飯田支所(  北方)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、奥能登  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    能登飯田〜木の浦 下り7本・上り8本    能登飯田〜狼煙 1往復    宇出津〜能登飯田 下り6本・上り7本    宇出津〜小木駅前 下り9本・上り8本    穴水〜宇出津 下り8本・上り9本  また、定期観光バス「おくのと号」は次のような系統が設定されていた。  (下り)   5号 穴水0815→宇出津0930→飯田1148→狼煙1323→時国家1539→1640輪島   7号      宇出津1035→飯田1318→狼煙1433→時国家1638→1739輪島  (上り)   2号 輪島0725→時国家0907→狼煙1113→飯田1200→宇出津1455→1600穴水    ※2号は運休中。   4号 輪島0810→時国家0937→狼煙1113→飯田1240→宇出津1451 3.2 旅から30年 ・1985(S60)年9月1日に門前線(穴水栄町〜総持寺前)が廃止された。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、小木線の棚木〜遠島山  公園及び小木駅前〜北九十九が認知され、小屋線を南鵜飼〜泥ノ木大町に変更  した。 ・国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に、奥能登本線の穴水〜河内、神和住線の上  町〜能登上、小屋線の南鵜飼〜泥ノ木大町口の各区間の廃止公示がなされた。 ・奥能登線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに継承された。 ・1990(H2)年に神和住線の斉和農協前〜上町が休止された。 ・1990(H2)年3月改正の「JRバス奥能登線時刻表」によると、奥能登線には次の  ような系統が設定されていたのを確認できる。  (奥能登本線)    穴水〜宇出津 下り8本(うち日祝運休1本、快速1本)・上り7本(うち     快速1本)     ※快速は下りは3/1〜11/30運転、上りは3/10〜10/31と11月の金土日祝運      転。停車駅は下出、下曽山、本木、瑞穂及び鵜川口。    穴水〜鵜川口 上り2本    宇出津〜珠洲 下り3本(うち日祝運休1本)・上り6本    宇出津〜松波 下り2本    松波〜珠洲 下り1本    北方・珠洲〜木の浦 下り3本・上り2本    北方〜折戸 上り1本(日祝運休)    北方〜狼煙 1往復    北方〜寺家 4往復    狼煙〜折戸・木の浦 2往復(うち土曜運転1往復、土日祝運休1往復)  (城山線)    穴水〜高校前〜穴水 4回  (太田原線)    穴水〜宇出津 1往復(下りは日祝運転)    穴水〜鵜川口 下り1本    穴水〜瑞穂 下り2本(うち日祝運休1本)・上り2本  (神和住線)    宇出津〜上町 上り1本    宇出津〜斉和農協前 下り2本・上り1本    宇出津〜上曽又 2往復    上曽又〜上町 下り1本  (小木線)    宇出津〜珠洲 下り3本(不定期)・上り1本(不定期)    宇出津〜松波 下り4本・上り5本  (東山中線)    北方〜木の浦 下り3本・上り3本(うち土曜運休1本、土日祝運転1本)    北方〜折戸 上り2本(うち土曜運転1本、土日祝運休1本) ・「JR時刻表」1994(H6)年11月号によると、定期観光バス「おくのと号」(J  R便)は次のような系統が設定されていた。  (下り)   7号 穴水1000→宇出津1115→飯田1353→狼煙1505→時国家1653→1840輪島    ※3/10〜11/30運転  (上り)   2号 輪島0830→時国家1022→狼煙1225→飯田1306→宇出津1512→1610穴水    ※3/10〜11/30運転 ・1995(H7)年に定期観光便「おくのと号」の廃止に伴い、木の浦〜輪島、上時国〜  南惣、宝立小学校前〜見付海岸、小木駅前〜北九十九、本小浦〜姫口、高瀬口〜  小木駅前及び能登飯田〜野々江の各区間が廃止された。同年、神和住線の上曽又  〜斉和農協前〜上町が廃止された。 ・2001(H13)年3月改正の「JRバス奥能登線時刻表」によると、奥能登線には次の  ような系統が設定されていたのを確認できる。  (奥能登本線)    穴水〜宇出津 7往復(うち日祝運休2往復)    宇出津〜珠洲 下り3本・上り5本(うち日祝運休1本)    宇出津〜松波 下り2本(うち日祝運休1本)・上り1本(日祝運休)    北方・珠洲〜木の浦 下り3本・上り2本    北方〜折戸 下り2本(うち日祝運休1本)・上り1本(日祝運休)    北方〜狼煙 3往復    北方〜寺家 2往復    狼煙〜折戸・木の浦 2往復(日祝運休)  (城山線)    穴水〜高校前〜穴水 3回  (太田原線)    穴水〜宇出津 下り2本(うち日祝運転1本)・上り1本    穴水〜瑞穂 下り2本(うち日祝運休1本)・上り2本  (神和住線)    宇出津〜上曽又 4往復(うち日祝運休1往復)  (小木線)    宇出津〜珠洲 下り3本(うち日祝運休1本)・上り1本    宇出津〜松波 下り3本・上り4本    宇出津〜越坂 1往復  (東山中線)    北方・珠洲〜木の浦 下り3本・上り4本(うち日祝運休2本)    北方〜折戸 上り2本(日祝運転) ・残された区間も2002(H14)年に廃止され、奥能登線は全廃となった。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、奥能登線には接続駅(穴水、  宇出津(宇出津駅前)、珠洲、蛸島、能登小木(小木駅前)及び輪島)の他に、  能登飯田及び小木町に第一種委託駅(自動車駅)、能登瑞穂、松波本町及び南  鵜飼に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
2015 年 08 月 08 日 09:38:55 (14983) 政宗3号さんの書き込み 「1985・夏 国鉄バスネットワークの記録」の古川線補足資料です。長文投稿 失礼いたします。 (補足資料)古川線急行便の系譜 <前史> 1942(S17).06.20 古川線一ノ関・古川間(67km)、椚崎・有壁間(1km)、築館町・築館間(1km)及び古川十日町・陸前古川間(1km)開業(S17.06.13鉄道省告示125号)。古川自動車区開設。 <正史> 仙台鉄道株式会社は昭和26(1951)年7月、国鉄バス(吉岡駅前〜築館間40.7km)と仙台鉄道の仙台〜吉岡間21.6kmの相互乗入運転を計画し、市営バスに対して北仙台〜仙台駅前間3.1kmの国鉄バス乗入れについて同意を求めてきたので、クローズド・ドア制、有償乗入れの条件で承認した。これにより仙台〜築館間直通バスが7月10日より1日1往復半、仙台〜古川間1往復半、仙台鉄道と国鉄バスによる市内乗入れが実施されるに至った。(仙台市交通局三十年史(1956)) 国鉄バスは前述のごとく仙台鉄道株式会社との相互乗入れにより築館〜仙台間の運転を開始し、昭和26年7月10日より市内乗入れ運転を実施していた。その後10月に至り槻木〜仙台間、吉岡〜仙台間の路線免許を申請した。(仙台市交通局三十年史(1956年)) 1951(S26).12.20 古川線吉岡・仙台間(25km)開業。吉岡(6)富谷(15)北仙台(4)仙台(S26.12.20国鉄公示346号) 国立公文書館デジタルアーカイブで公開されている、S27.4.22付け仙陸自旅第459号(仙台陸運局長から運輸省自動車局長への進達)には、「仙台築館間は国鉄、仙台鉄道の両社相互乗り入れの形で客年12月20日から直通運行を開始したものであるが、当初は免許申請書記載の事業計画どおり各1.5回ずつを隔日交互にダイヤを替えて同一条件により運行していた。然るに国鉄においてはローカル便の客が直通便に転化してきたとの理由により運行回数を3回増強し本年1月26日から実施した。仙台鉄道は事業計画の変更については知事の認可を必要とするので今回の申請となったものであるが、国鉄は本申請の認可あり次第その半数(1.5回)を仙台鉄道に運行せしめる旨別紙(S27.4.1付け東北自営第285号(東北地方自動車事務所長から宮城県陸運事務所長あて回答))の通り意思表示をしている。」とある。 1952(S27).04.25改正古川線時刻表では、仙台〜築館町間に急行便6往復、仙台〜陸前古川間に急行便3往復。(国鉄、仙台鉄道計) (下り便)            (上り便)    仙台0700→築館町0919      築館町0730→仙台0949    仙台0900→築館町1119      築館町0820→仙台1039    仙台1120→築館町1339      築館町1105→仙台1324    仙台1400→築館町1619      築館町1400→仙台1619    仙台1630→築館町1849      築館町1530→仙台1749    仙台1800→築館町2019      築館町1815→仙台2034    仙台0810→陸前古川0943     陸前古川0700→仙台0833    仙台1530→陸前古川1700     陸前古川1040→仙台1213    仙台1830→陸前古川2003     陸前古川1730→仙台1903 1953(S28).01.20訂補古川線時刻表では、仙台〜築館町間に急行便(陸前古川のみ停車)2往復(陸前乗合)・急行便6往復、仙台〜陸前古川間に急行便3往復。(国鉄、仙台鉄道計) (下り便)            (上り便)    仙台0700→築館町0919      築館町0700→仙台0900*    仙台0900→築館町1119      築館町0730→仙台0949    仙台1120→築館町1329      築館町0820→仙台1039    仙台1400→築館町1619      築館町0900→仙台1100*    仙台1600→築館町1800*     築館町1105→仙台1324    仙台1630→築館町1849      築館町1400→仙台1619    仙台1730→築館町1930*     築館町1530→仙台1749    仙台1800→築館町2019      築館町1815→仙台2034     *印は陸前古川のみ停車。    仙台0810→陸前古川0943     陸前古川0700→仙台0833    仙台1530→陸前古川1703     陸前古川1040→仙台1213    仙台1840→陸前古川2013     陸前古川1730→仙台1903 1954(S29).05.01訂補古川線時刻表では、仙台〜築館町間に急行便6往復、仙台〜陸前古川間に急行便3往復。(国鉄、仙台鉄道計) (下り便)            (上り便)    仙台0700→築館町0919      築館町0730→仙台0949    仙台0900→築館町1119      築館町0820→仙台1039    仙台1120→築館町1339      築館町1105→仙台1324    仙台1400→築館町1619      築館町1400→仙台1619    仙台1630→築館町1849      築館町1530→仙台1749    仙台1800→築館町2019      築館町1815→仙台2034    仙台0810→陸前古川0943     陸前古川0700→仙台0833    仙台1530→陸前古川1703     陸前古川1040→仙台1213    仙台1840→陸前古川2013     陸前古川1730→仙台1903 1955(S30).05.01改正古川線時刻表では、仙台〜築館町間に急行便(仙台〜陸前古川間無停車)2往復・急行便下り5本・上り7本、仙台〜陸前古川間に急行便下り7本・上り5本。(国鉄分か、仙台鉄道・陸前乗合を含む合計かどうかは不明。) (下り便)            (上り便)    仙台0700→築館町0916      築館町0650→仙台0850*    仙台0800→築館町1016      築館町0710→仙台0926    仙台1110→築館町1326      築館町0800→仙台1000*    仙台1310→築館町1526      築館町0830→仙台1046    仙台1450→築館町1650*     築館町0930→仙台1146    仙台1600→築館町1816      築館町1040→仙台1256    仙台1720→築館町1920*     築館町1400→仙台1616                     築館町1600→仙台1816                     築館町1800→仙台2016     *印は仙台〜陸前古川間無停車。    仙台0900→陸前古川1027     陸前古川0700→仙台0827    仙台1010→陸前古川1137     陸前古川1100→仙台1227    仙台1400→陸前古川1527     陸前古川1300→仙台1427    仙台1630→陸前古川1757     陸前古川1730→仙台1857    仙台1800→陸前古川1927     陸前古川2030→仙台2157    仙台1900→陸前古川2027    仙台2030→陸前古川2157 1956(S31).07.01改正古川線時刻表では、仙台〜一ノ関間に急行便下り2本・上り3本。仙台〜築館町間に急行便下り9本・上り7本。仙台〜陸前古川間に急行便下り3本・上り4本。(国鉄分か、仙台鉄道・陸前乗合を含む合計かどうかは不明。) 1956(S31).11.19改正古川線時刻表では、仙台〜一ノ関間に特急便(仙台〜陸前高清水間無停車)下り1本、急行便下り4本・上り3本。仙台〜金成間に特急便仙台〜陸前高清水間無停車)上り1本。仙台〜沢辺間に急行便下り1本。仙台〜築館町間に特急便(仙台〜陸前高清水間無停車)上り1本、急行便下り5本・上り6本。仙台〜陸前古川間に急行便3往復。(国鉄分か、仙台鉄道・陸前乗合を含む合計かどうかは不明。) 1958(S33).05.01訂補古川線(急行便)時刻表では、仙台〜築館町間に特急便2往復(仙台〜陸前古川間無停車)、急行便下り7本・上り5本。仙台〜陸前古川間に急行便下り5本・上り7本。(国鉄分か、仙台鉄道・陸前乗合を含む合計かどうかは不明。) 1959(S34).02.08 古川線大衡役場前・吉岡町間(新国道)開業。大衡役場前(3)吉岡町(S34.02.07国鉄公示36号) 1959(S34).05.01訂補古川線(急行便)時刻表では、仙台〜築館町間に特急便2往復(仙台〜陸前古川間無停車)、急行便下り7本・上り6本。仙台〜陸前古川間に急行便下り5本・上り6本。(国鉄分か、仙台鉄道・陸前乗合を含む合計かどうかは不明。) 全国バス路線便覧昭和34年版(S34.06.21改訂)では、関係系統の諸元は次の通り。  ・築館町〜仙台(67.0km)、所要2:00、運賃190円、始発0650、終発1800、3回  ・陸前古川〜仙台(45.0km)、所要1:28、運賃150円、始発0700、終発2030、2.5回 1961(S36).09.01訂補古川線(急行便)時刻表では、仙台〜築館町間に特急便2往復(途中無停車)・特急便2往復(仙台〜陸前高清水間無停車)、急行便7往復。仙台〜陸前古川間に急行便7往復。(国鉄分か、仙台鉄道・陸前乗合を含む合計かどうかは不明。) 仙台自動車営業所は(中略)昭和36年12月からは古川線(仙台〜築館間)、角田線(仙台〜磐城大内間)の一般乗合旅客自動車運送事業を開始しました。(仙台自動車営業所開設40周年記念乗車券(S61.11.03発行)) 1962(S37).05.25 古川線築館町・照越間(新国道)及び古川十日町・沖稲葉間(大崎大通)開業。築館町(3)照越、古川十日町(2)沖稲葉(S37.05.21国鉄公示209号) 1964(S39).02.05 古川線陸前神田−照越−八沢間、陸前羽黒・竹ノ花間及び後田・江合間開業。陸前神田(0.6)照越(0.8)八沢、陸前羽黒(1.7)竹ノ花、後田(1.3)江合(S39.02.03国鉄公示36号) 1964(S39).02.05 古川線築館町・沢入間(新国道)開業(旧線廃止)。築館町(1.8)沢入(S39.02.03国鉄公示37号) 全国バス路線便覧昭和39年版(S39.07.15発行)では、関係系統の諸元は次の通り。  ・築館町〜仙台(65.9km)、所要2:05、運賃230円、始発上り0650下り0700、終発上り1840下り1900、4回  ・陸前古川〜仙台(43.8km)、所要1:14、運賃170円、始発上り0630下り0630、終発上り2100下り2100、8回 1964(S39).08.20現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜築館町間に特急便下り2本・上り1本(途中無停車)・特急便下り1本・上り2本(仙台〜陸前高清水間無停車)、急行便9往復。(国鉄分か、宮城バス・宮城中央交通を含む合計かどうかは不明。) 1965(S40).10.01改正古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間に特急便(仙台〜築館町間無停車)2往復・急行便3往復(全便国鉄)。仙台〜築館町間に急行便4往復(宮城バス担当分を含む)。  (下り便)            (上り便)    仙台0700→一ノ関0948急行    一ノ関0555→仙台0844急行    仙台1000→一ノ関1238特急    一ノ関0900→仙台1137特急    仙台1300→一ノ関1548急行    一ノ関1155→仙台1444急行    仙台1600→一ノ関1838特急    一ノ関1500→仙台1737特急    仙台1900→一ノ関2148急行    一ノ関1755→仙台2044急行 1966(S41).11.20 古川線県界・萩中前間(新国道)(旧線廃止)、金成反町・沢辺間及び陸前城生野・留場間開業。県界(2.8)萩中前、金成反町(3.1)沢辺、陸前城生野(4.0)留場(S41.11.15国鉄公示721号) 1967(S42).07.10現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間に特急便(仙台〜陸前古川間無停車)2往復・急行便3往復。仙台〜築館町間に急行便10往復、仙台〜陸前古川間に急行便上り1本(宮城バス・宮城中央バス担当分)。  (下り便)            (上り便)    仙台0700→一ノ関0940急行    一ノ関0604→仙台0844急行    仙台1000→一ノ関1229特急*   一ノ関0909→仙台1137特急    仙台1300→一ノ関1540急行    一ノ関1204→仙台1444急行    仙台1600→一ノ関1829特急    一ノ関1509→仙台1737特急*    仙台1900→一ノ関2140急行    一ノ関1804→仙台2044急行     *印は陸前高清水通過。 1968(S43).08.01改正古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1240     一ノ関0607→仙台0844    仙台1600→一ノ関1840     一ノ関0907→仙台1144    仙台1900→一ノ関2140     一ノ関1507→仙台1744    仙台0700→陸前古川       陸前古川0700→仙台    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1640→陸前古川       陸前古川1500→仙台  ※1969(S44).04.10改正古川線(急行便)時刻表でも同じ。 1970(S45).07.09現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1240     一ノ関0607→仙台0844    仙台1600→一ノ関1840     一ノ関0907→仙台1144    仙台1855→一ノ関2135     一ノ関1507→仙台1744    仙台0700→陸前古川       陸前古川0700→仙台    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1640→陸前古川       陸前古川1500→仙台 1972(S47).01.07現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1246     一ノ関0607→仙台0906    仙台1600→一ノ関1852     一ノ関0907→仙台1152    仙台1855→一ノ関2144     一ノ関1507→仙台1756    仙台0700→陸前古川       陸前古川0700→仙台    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1640→陸前古川       陸前古川1500→仙台 1972(S47).01.14現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1246     一ノ関0607→仙台0906    仙台1600→一ノ関1852     一ノ関0907→仙台1152    仙台1900→一ノ関2144     一ノ関1507→仙台1756    仙台0700→陸前古川       陸前古川0700→仙台    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1640→陸前古川       陸前古川1500→仙台 1972(S47).11.10現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1246     一ノ関0607→仙台0906    仙台1600→一ノ関1852     一ノ関0907→仙台1152    仙台1855→一ノ関2144     一ノ関1507→仙台1756    仙台0700→陸前古川       陸前古川0700→仙台    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1640→陸前古川       陸前古川1500→仙台 1974(S49).12.20現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1246     一ノ関0607→仙台0906    仙台1600→一ノ関1852     一ノ関0907→仙台1152    仙台1900→一ノ関2144     一ノ関1507→仙台1756    仙台0700→陸前古川       陸前古川0700→仙台    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1640→陸前古川       陸前古川1500→仙台 ※1975(S50).01.10現在古川線(急行便)時刻表でも同じ。 1976(S51).03.02現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1246     一ノ関0607→仙台0906    仙台1600→一ノ関1852     一ノ関0907→仙台1152    仙台1900→一ノ関2144     一ノ関1507→仙台1756    仙台0700→陸前古川       陸前古川0700→仙台    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1640→陸前古川       陸前古川1500→仙台 1978(S53).06.01改正現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)            (上り便)    21便 仙台1000→一ノ関1254   22便 一ノ関0607→仙台0906    23便 仙台1610→一ノ関1913   24便 一ノ関0907→仙台1201    25便 仙台1855→一ノ関2154   26便 一ノ関1500→仙台1802    31便 仙台0700→陸前古川0826  32便 陸前古川0700→仙台0825    33便 仙台1300→陸前古川1427  34便 陸前古川0900→仙台1026    35便 仙台1650→陸前古川1819  36便 陸前古川1500→仙台1623 1978(S53).08.11現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1254     一ノ関0607→仙台0906    仙台1600→一ノ関1913     一ノ関0907→仙台1200    仙台1900→一ノ関2144*    一ノ関1507→仙台1802     *印は陸前高清水を通過(経由せずの表記)。    仙台0700→陸前古川0816     陸前古川0700→仙台0825    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1650→陸前古川       陸前古川1500→仙台 1978(S53).12.01現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1254     一ノ関0607→仙台0906    仙台1610→一ノ関1913     一ノ関0907→仙台1200    仙台1855→一ノ関2144     一ノ関1500→仙台1802    仙台0700→陸前古川0816    陸前古川0700→仙台0825    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1650→陸前古川       陸前古川1500→仙台  ※1979(S54).01.05現在、1979(S54).02.01現在の古川線(急行便)時刻表でも同じ。 1979(S54).04.02現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜陸前古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1254     一ノ関0607→仙台0906    仙台1610→一ノ関1913     一ノ関0907→仙台1200    仙台1855→一ノ関2144     一ノ関1500→仙台1802    仙台0700→陸前古川0826    陸前古川0700→仙台0828    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1650→陸前古川       陸前古川1500→仙台 1979(S54).07.02現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1254     一ノ関0607→仙台0906    仙台1610→一ノ関1913     一ノ関0907→仙台1200    仙台1855→一ノ関2144     一ノ関1500→仙台1802    仙台0700→陸前古川0826    陸前古川0700→仙台0828    仙台1300→陸前古川       陸前古川0900→仙台    仙台1650→陸前古川       陸前古川1500→仙台  ※1979(S54).12.10改正、1980(S55).08.12現在の古川線(急行便)時刻表でも同じ。 1982(S57).07.01現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1000→一ノ関1257     一ノ関0607→仙台0909    仙台1610→一ノ関1913     一ノ関0907→仙台1203    仙台1855→一ノ関2147     一ノ関1500→仙台1805    仙台0700→古川0827      古川0700→仙台0830    仙台1300→古川         古川0900→仙台    仙台1650→古川         古川1500→仙台  ※1983(S58).03.01現在古川線(急行便)時刻表でも同じ。 1983(S58).04.01現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間3往復(全便国鉄)、仙台〜古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台0930→一ノ関1228     一ノ関0607→仙台0910    仙台1000→一ノ関1258     一ノ関0907→仙台1203    仙台1610→一ノ関1914     一ノ関1350→仙台1649    仙台0700→古川0827      古川0700→仙台0831    仙台1300→古川         古川0900→仙台    仙台1650→古川         古川1500→仙台  ※1983(S58).12.01改正、1984(S59).08.06現在の古川線(急行便)時刻表でも同じ。 1984(S59).09.01現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間2往復(全便国鉄)、仙台〜築館町間1往復、仙台〜古川間3往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台0930→築館町1140     一ノ関0607→仙台0910    仙台1000→一ノ関1258     一ノ関0907→仙台1203    仙台1610→一ノ関1914     築館町1430→仙台1642    仙台0700→古川0827      古川0700→仙台0831    仙台1300→古川         古川1250→仙台    仙台1650→古川         古川1500→仙台1631  ※1984(S59).12.01現在、1984(S59).12.26現在(S60.03.14時刻改正予定とある)の古川線(急行便)時刻表でも同じ。 1985(S60).03.14改正古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間2往復、一ノ関→古川上り1本(全便国鉄)、仙台〜築館町間1往復、仙台〜古川間2往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)                    一ノ関0557→古川0723    仙台0930→築館町1140     一ノ関0907→仙台1203    仙台1530→一ノ関1823     一ノ関0955→仙台1248    仙台1650→一ノ関1956     築館町1420→仙台1632    仙台0700→古川0828      古川0700→仙台0831    仙台1000→古川1121      古川1300→仙台1428 1985(S60).11.05改正古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間2往復、一ノ関→古川上り1本(全便国鉄)、仙台〜築館町間1往復、仙台〜古川間4往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)                    一ノ関0557→古川0723    仙台1250→築館町1455     一ノ関0908→仙台1200    仙台1520→一ノ関1812     一ノ関0958→仙台1250    仙台1650→一ノ関1951     築館町1615→仙台1828    仙台0700→古川0828      古川0700→仙台    仙台0850→古川         古川0730→仙台    仙台0950→古川         古川0905→仙台    仙台1450→古川         古川1330→仙台 1986(S61).01.20から運輸上の都合により、次の便は古川〜築館間高速道経由に変更。これにより、陸前荒谷、陸前高清水及び通揚は経由せず、時刻を変更。    仙台発(旧)1650→(新)1700 一ノ関行き急行便 1986(S61).03.03改正古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便)2往復、仙台〜築館町間(古川経由)1往復、仙台〜古川間4往復(国鉄担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1140→一ノ関1338     一ノ関0850→仙台1042    仙台1800→一ノ関1952     一ノ関1450→仙台1642    仙台0700→古川0828      古川0700→仙台0830    仙台0905→古川1025      古川0730→仙台0900    仙台1030→古川1150      古川0905→仙台1042    仙台1250→築館町1455     古川1100→仙台1220    仙台1450→古川1610      築館町1615→仙台1820 1987(S62).04.01改正古川線(急行便)時刻表(高速特急便はS62.03.02現在)では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便)2往復、仙台〜築館町間(古川経由)1往復、仙台〜古川間4往復(JR担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1140→一ノ関1332     一ノ関0850→仙台1042    仙台1800→一ノ関1952     一ノ関1450→仙台1642    仙台0700→古川0828      古川0700→仙台0830    仙台0905→古川1025      古川0730→仙台0900    仙台1030→古川1150      古川0905→仙台1025    仙台1250→築館町1455     古川1100→仙台1220    仙台1450→古川1610      築館町1615→仙台1828 1988(S63).01.04現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便)2往復、仙台〜築館町間(古川経由)1往復、仙台〜古川間4往復(JR担当分)。  (下り便)             (上り便)    仙台1140→一ノ関1332       一ノ関0850→仙台1042    仙台1800→一ノ関1952       一ノ関1450→仙台1642    仙台0700→古川0828(休日運休)  古川0700→仙台0830    仙台0905→古川1025        古川0730→仙台0900    仙台1030→古川1150        古川0905→仙台1025    仙台1250→築館町1455       古川1100→仙台1220(休日運休)    仙台1450→古川1610        築館町1615→仙台1828 1989(H01).01.09現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便)2往復、仙台〜古川間5往復(JR担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1140→一ノ関1332     一ノ関0850→仙台1042    仙台1800→一ノ関1952     一ノ関1450→仙台1642    仙台0700→古川0828      古川0700→仙台0830    仙台0905→古川1025      古川0730→仙台0900    仙台1030→古川1150      古川0905→仙台1025    仙台1250→古川1410      古川1100→仙台1220    仙台1450→古川1610      古川1700→仙台1828 1990(H02).03.10改正仙台〜一ノ関間急行便時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便)2往復(一ノ関担当)、仙台〜古川間下り5本・上り4本(古川担当)(JR担当分)。  (下り便)           (上り便)    仙台1140→一ノ関1332     一ノ関0850→仙台1042    仙台1800→一ノ関1952     一ノ関1450→仙台1642    仙台0655→古川0809      古川0700→仙台0830    仙台0905→古川1025      古川0730→仙台0900    仙台1250→古川1410      古川0900→仙台1020    仙台1450→古川1610      古川1700→仙台1828    仙台2115→古川2230 1991(H03).01.16現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便)2往復、仙台〜古川間下り5本・上り4本(JR担当分)。  (下り便)            (上り便)    仙台1140→一ノ関1332      一ノ関0850→仙台1042    仙台1800→一ノ関1952      一ノ関1450→仙台1642    仙台0655→古川0823       古川0700→仙台0830    仙台0905→古川1025       古川0730→仙台0900    仙台1250→古川1410       古川0900→仙台1020    仙台1450→古川1610       古川1700→仙台1828    仙台2115→古川2230(休日運休) 1991(H03).06.01現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便)2往復(一部便は築館町〜一ノ関間各駅停車)、仙台〜古川間下り5本・上り4本(JR担当分)。  (下り便)            (上り便)    仙台1140→一ノ関1343※     一ノ関0835→仙台1042※    仙台1800→一ノ関1952      一ノ関1450→仙台1642     ※印は築館町〜一ノ関間各駅停車で運転。    仙台0655→古川0823(休日運休) 古川0700→仙台0830    仙台0905→古川1025       古川0730→仙台0900    仙台1250→古川1410       古川0900→仙台1020    仙台1450→古川1610       古川1700→仙台1828    仙台2115→古川2230(休日運休) 1992(H04).03.14改正古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便)2往復(一部便は築館町〜一ノ関間各駅停車)、仙台〜古川間下り5本・上り4本(JR担当分)。  (下り便)            (上り便)    仙台1140→一ノ関1343※     一ノ関0837→仙台1042※    仙台1800→一ノ関1952      一ノ関1450→仙台1642     ※印は築館町〜一ノ関間各駅停車で運転。    仙台0655→古川0821(休日運休) 古川0700→仙台0830(休日運休)    仙台0905→古川1025       古川0730→仙台0900    仙台1250→古川1410       古川0900→仙台1020    仙台1450→古川1610       古川1700→仙台1828    仙台2115→古川2230(休日運休)  ※1992(H04).05.01現在古川線(急行便)時刻表でも同じ。 1992(H04).12.01改正から、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便)はJR便2往復とも築館町〜一ノ関間各駅停車に変更。 1993(H05).01.25現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便、築館町〜一ノ関間各駅停車)2往復、仙台〜古川間下り5本・上り4本(JR担当分)。  (下り便)            (上り便)    仙台1150→一ノ関1355      一ノ関0836→仙台1042    仙台1800→一ノ関2005      一ノ関1436→仙台1642    仙台0655→古川0821(休日運休) 古川0700→仙台0830(休日運休)    仙台0905→古川1025       古川0730→仙台0900    仙台1250→古川1410       古川0900→仙台1020    仙台1450→古川1610       古川1700→仙台1828    仙台2115→古川2230(休日運休) 1993(H05).09.01現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便、築館町〜一ノ関間各駅停車)2往復、仙台〜古川間4往復(JR担当分)。  (下り便)            (上り便)    仙台1140→一ノ関1345      一ノ関0836→仙台1042    仙台1800→一ノ関2005      一ノ関1436→仙台1642    仙台0655→古川0821(休日運休) 古川0700→仙台0830(休日運休)    仙台0905→古川1025       古川0730→仙台0900    仙台1250→古川1410       古川0900→仙台1020    仙台1450→古川1610       古川1700→仙台1828 1994(H06).04.01改正古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便、築館町〜一ノ関間各駅停車)2往復、仙台〜古川間下り4本・上り3本(JR担当分)。  (下り便)            (上り便)    仙台1140→一ノ関1345      一ノ関0836→仙台1042    仙台1800→一ノ関2004      一ノ関1436→仙台1642    仙台0655→古川0821(休日運休) 古川0700→仙台0830(休日運休)    仙台0905→古川1025       古川0730→仙台0900    仙台1250→古川1410       古川0900→仙台1020    仙台1450→古川1610  ※1994(H06).07.01現在、1994(H06).10.01現在の古川線(急行便)時刻表でも同じ。 1997(H09).08.01現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜一ノ関間(高速経由特急便、築館町〜一ノ関間各駅停車)2往復、仙台〜古川間2往復(JR担当分)。  (下り便)            (上り便)    仙台1140→一ノ関1348      一ノ関0836→仙台1042    仙台1800→一ノ関2004      一ノ関1434→仙台1642    仙台0905→古川1025       古川0730→仙台0900(休日運休)    仙台1450→古川1610       古川0900→仙台1020 1999(H11).03.31限りで古川線一ノ関〜宮野町尻間を廃止。仙台〜一ノ関間(高速経由特急便)は1999(H11).04.01から仙台〜築館町間に短縮して2往復運転。(不毛掲示板1231,1246) 1999(H11).07.01現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜築館町間(高速経由特急便)2往復、仙台〜古川間2往復(JR担当分)。  (下り便)            (上り便)    仙台1140→築館町1248      築館町0935→仙台1042    仙台1640→築館町1748      築館町1500→仙台1607    仙台1000→古川1120(休日運休) 古川0700→仙台0830(休日運休)    仙台1450→古川1610       古川0900→仙台1020 1999(H11).07.27改正から仙台〜築館町間(高速経由特急便)を2往復から1往復に減便(築館町1500→仙台1607、仙台1640→築館町1748を廃止)。同日から仙台〜古川間高速便(6往復)を運行開始。(不毛掲示板2128,2134) 1999(H11).12.01現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜築館町間(高速経由特急便)1往復、仙台〜古川間2往復(JR担当分)。  (下り便)            (上り便)    仙台1140→築館町1248      築館町0935→仙台1042    仙台1000→古川1120(休日運休) 古川0700→仙台0830(休日運休)    仙台1450→古川1610       古川0900→仙台1020 2000(H12).04.01改正から仙台〜築館町間(高速経由特急便)を1往復から上り1本に減便(仙台1140→築館町1248が廃止)。 (参考) 2000(H12).04.01改正から仙台〜古川間高速便を下り9本・上り8本に増便。 2000(H12).12.01改正から築館町→仙台間(高速経由特急便)上り1本を泉IC経由から仙台宮城IC経由(七北田、北仙台、県庁前経由せず)に変更。(不毛掲示板3554,5061) (参考) 2000(H12).12.01改正から仙台〜古川間高速便を下り12本・上り11本に増便。 2001(H13).03.01現在古川線(急行便)時刻表では、仙台〜築館町間(高速経由特急便)上り1本、仙台〜古川間1往復(JR担当分)。  (下り便)            (上り便)                     築館町0935→仙台1035(宮城IC経由)    仙台1410→古川1530※      古川0700→仙台0830※     ※印は休日と第1・3土曜運休。  ※2001(H13).07.02現在、2001(H13).08.31現在の古川線(急行便)時刻表でも同じ。 2001(H13).12.01改正から築館町→仙台間高速経由特急便を休止。(不毛掲示板6711,6721) (参考) 2001(H13).12.01改正から仙台〜古川間高速便を平日17往復・土休日16往復に増便。 2001(H13).12.01改正古川線(急行便)時刻表では、仙台〜古川間1往復(JR担当分)。  (下り便)              (上り便)    仙台1200→古川1320(土休日運休)  古川0700→仙台0830(土休日運休) ※2002(H14).02.01現在、2002(H14).04.01改正、2002(H14).06.01現在、2002(H14).08.31現在の古川線(急行便)時刻表でも同じ。 ※2002(H14).11.01現在古川線(急行便)時刻表でも同じ。「JR便は11/30まで運転」との注記あり。 2002(H14).12.01から古川線仙台〜古川間急行便を廃止。古川線大衡農協前〜仙台間廃止。 <参考> 2002(H14).12.01改正から仙台〜古川間高速便を平日18往復・土休日17往復に増便。 2003(H15).04.01改正から仙台〜古川間高速便を平日20往復・土休日17往復に増便。 2004(H16).12.01改正から仙台〜古川間高速便を平日24往復・土休日18往復に増便。 2005(H17).04.15改正から仙台〜古川間高速便を平日26往復・土休日21往復に増便。野球開催日のみ上り便の一部を仙台〜フルキャストスタジアム宮城間延長運転開始。 2005(H17).12.01改正から仙台〜古川間高速便を平日27往復・土休日22往復に増便。 2008(H20).04.01改正から仙台〜古川間高速便の一部を営業所前(大崎タイムス前)発着に延長。 2009(H21).04.01改正から仙台〜古川間高速便を平日31往復・土休日25往復に増便。
2015 年 08 月 05 日 21:51:17 (14982) ふもふも館長さんの書き込み 鉄道博物館では、8/29(土)〜30(日)の2日間、「JRバス展」を 実施するようです。 http://www.railway-museum.jp/press/pdf/150723JRhp.pdf 今回は、パネル展示とギャラリートークがあるそうで、どなたが どんな話を聞かせてくれるのか楽しみだったりします。 これを記念して、久々に、8/30(日)の午後、不毛なミニオフ会を 実施したいと思います。ふもふも館長は、新宿から参加する予定 で、午前中は館内をぶらぶらし、お弁当を食べてから、退場し、 ニューシャトル大宮駅付近の喫茶店で、どうかな?と考えています。 夏休み最後の日曜日になります。夏休みの宿題で忙しいかもしれま せんが、よろしければご参加ください。お問い合わせは、ふもふも 館長まで。当日の飛び入り参加も歓迎します。
2015 年 08 月 02 日 13:13:44 (14981) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【421】東京湾岸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇東京湾岸線    1 東京−東京ディスニーランド 1.2 路線略図        東京  名古屋<−−◎−−+==◎上野           |           |           |           ○東京ディズニーランド 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・1983(S58).4.15に開園した東京ディズニーランドに、全国各地から東京駅を経  由して向かう旅客にとって、地下鉄東西線浦安駅からシャトルバスに乗り継ぐ  複雑なアプローチが開園前から懸念されていたが、この不便さを解消するとと  もに、レールとバスの一貫輸送体制を整備するため(国鉄の企画商品設定を可  能にするため)、1983(S58)年7月1日から東京〜東京ディズニーランド(21.8  km)の直通バスを運行開始した。このバスは、国鉄20往復、東京空港交通35往復  の2者による共同運行であった。 ・この路線の輸送成績が好調で、1983(S58)年度の利用者数が両社で106万人に上  ったため、サービス改善と輸送力増強を図る目的で、1983(S58)年12月に定員60  人の新製車を投入し、1984(S59)年4月20日に国鉄バス5往復を増回して25往復  となった(両社で60往復)。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、東京湾岸  線は以下の時間帯に「約10分毎」に運転されているとあった。  (下り)    始発 東京0800→0835東京ディズニーランド    終発   1910→1940  (上り)    始発 東京ディズニーランド0845→0935東京    終発           2000→2050 ・なお、梅原康三(1986)「東京ディズニーランド直通バス”上野湾岸線”開業」  (「国鉄線」1986(S61)年3月号所収)によると、1985(S60)年度の国鉄バスの  輸送実績は74万人であった。 3.2 旅から30年 ・東北・上越新幹線上野開業に伴い、上野駅から東京ディズニーランドを訪れる  旅客の利便を図り、東京ルートと上野ルートへ旅客を分散するとともに輸送力  を増強するため、1985(S60)年12月20日に上野湾岸線(上野〜東京ディズニー  ランド(17.7km))が開業した。運行回数は、国鉄バス22往復、京成バス23往復  の計45往復が設定された。 ・なお、この時に、東京〜東京ディズニーランドの営業キロが21.8km→15.3kmに  変更された。 ・東京湾岸線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス関東に継承された。 ・1989(H1)年10月20日から、東名・名神高速線から東京湾岸線に乗り入れる形で  東京ディズニーランド〜京都(東京経由)(522.8km)に西日本JRバスと共同  で夜行便1往復の運行を開始した。次いで同年12月25日から同じく東京ディズ  ニーランド〜大阪(東京経由)(566.3km)に西日本JRバスと共同で夜行便1  往復の運行を開始した。 ・1990(H2)年3月10日の鉄道京葉線東京乗り入れ・全通に伴って、同日から、東  京〜東京ディズニーランドを25往復→10往復(両社計で60往復→20往復)に減  回するとともに、二階建てバス「ファンタジア号」(640-2201〜2203.のちに  1両増車・改番を経てD640-81504,82501〜82503)を投入した。また、同年9月  10日から、上野〜東京ディズニーランドを22往復→12往復(両社計で45往復→  下り24本・上り25本)に減回した。 ・1992(H4)年2月までに上野〜東京ディズニーランドを12往復→6往復(両社計  で下り24本・上り25本→下り12本・上り13本)に減回した。(※) ・1994(H6)年7月16日までに東京〜東京ディズニーランドを10往復→下り7本・  上り6本(両社計で20往復→下り14本・上り12本)に減回した。(※) ・東京湾岸線は、JR京葉線の開通により路線使命を終えたとして、1995(H7)年  5月8日に上野〜東京ディズニーランドを、同年7月1日に東京〜東京ディズ  ニーランドを廃止した。これによって、東京湾岸線には京都、大阪方面からの  夜行便ドリーム号のみが乗り入れることとなった。 ・2000(H12)年4月20日から新宿駅発着の夜行便「ニュードリーム号」の出入庫運  用を活用するなどして新宿駅新南口〜東京ディズニーランドを開業した。翌年  9月4日から新宿便、夜行便を東京ディズニーシー発着に延長した。 ・2015(H27)年6月現在、新宿〜東京ディズニーランド〜東京ディズニーシーと、  京阪神方面のドリーム号の一部、ドリーム松山号がJRバス関東等によって東  京ディズニーリゾート発着で運行されている。 3.3 旅の考察 ・東京湾岸線は、東京及び上野にて乗降の際に運賃、乗車券の収受を行っていた。  また、国鉄発売のバス乗車券で国鉄バス・東京空港交通・京成バスに乗車可能  とする共通乗車の取扱いを行っていた。なお、ジャパンレールバスは、国鉄バ  スに限り有効となっていた。 ※謝辞  民営化後の東京湾岸線の減便時期について、愉会三丁目様とくろこのへや様か  らご教示を頂きました。感謝申し上げます。
2015 年 08 月 01 日 12:33:20 (14980) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【802】両備線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇両備線  両備本線    1 岡山−玉島バスセンター    2 学園口−清心学園前    3 松島西ノ口−中庄   茶屋町線    1 倉敷−茶屋町   矢掛線    1 倉敷−矢掛 1.2 路線略図             清音             岡山     矢掛○−−−+−◎      バラ園西口   ◎+−・           |   清心学園前・=○      | |岡山           | 松島  ○  // // 庭瀬   | ○天満   玉島バス    | 西ノ口 |  // // 本町   | |屋前   センター○………◎−−○−−○−−○−○−−○−−−○−・         倉敷|中庄| 学園 備中 下撫 |  岡山大供           | ・◎ 口  庄  川  |           | //      流通   |           |南//      会館前  |           |鳥○=○==○==○=+=○流通セン           |羽//イトー コンベ  // |ター北口          帯江○=・ピア団 ックス  ○−・            |  地入口 岡山前 塚山公園前           |           |        茶屋町◎ ※倉敷〜玉島バスセンターは1979(S54).2.15から休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・茶屋町線1 茶屋町〜倉敷 ・矢掛線1 倉敷〜清音 2.2 掲載 ・18日目 6/18(火) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p104〜104 ・連載誌のみ 茶屋町駅に停まる倉敷行きバスの写真 2.3 行程 ○茶屋町1303→1325倉敷 茶屋町線 茶屋町発 倉敷行 534-7405(三菱B800L) ○倉敷1333→1353清音 矢掛線 倉敷発 矢掛行 644-4911(三菱B905N) 2.4 エピソード ・小雨模様の茶屋町からバスで倉敷を目指すと、買い物客の主婦中心に乗り降り  が盛んで本数も多い都市型路線。 ・モダンな倉敷駅前の大バスターミナルで矢掛線に乗り継ぐ。各社路線バス発車  前の放送が行われ、乗車便も「清音駅経由備中矢掛行き」と、きちんと紹介さ  れた。 ・山陽本線のガード下をくぐり山側へ出て、伯備線の複線踏切を渡ると道が次第  に狭くなる。高梁川左岸の堤防へ上がればさわやかな眺めで、山陽新幹線の鉄  橋下を抜け北上。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・両備線は、1933(S8)年に倉敷線倉敷〜茶屋町が開業したのがルーツで、1937  (S12)年に岡山〜倉敷が開業した。この路線は、山陽本線と宇野線の短絡及び  鉄道の補助的使命を有した他、都市交通の使命をも有していた。 ・両備線では、1949(S24)年3月に快速便を設定し、さらに1952(S27)年1月に  急行便に変更した。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)には、両備線の特長として、玉島〜倉敷  〜岡山及び倉敷〜茶屋町を結ぶ都市交通で交通量が多く、岡山〜倉敷は1日の  運転回数70往復、そのうち快速便14往復を運転しているとあった。 ・昭和30年代後半から中国地方自動車局では岡山〜九州間を国道2号線で一貫し  て結ぶ長大路線構想に向けて民営各社との調整が進行していた。両備線でも、  1968(S43)年7月に唐船〜福山を延伸し、岡山〜福山に4往復の特急便を運行  した(両備バス、井笠鉄道も同回数を運行)。同年10月、両備線岡山〜福山は  「瀬戸内東線」と改称された。 ・交通渋滞による定時性の喪失、山陽本線の整備等の影響から都市間旅客の減少  のため、1971(S46)年6月に唐船〜福山が休止された。1975(S50)年3月の新幹  線博多開業に伴うダイヤ改正から瀬戸内東線は両備線と改称され、1976(S51)  年9月に玉島バスセンター〜金光、1979(S54)年2月に倉敷〜玉島バスセンター  が休止された。 ・1984(S59)年2月改正の「両備線時刻表」によると、同線には次のような系統  が設定されていた。  (両備本線)    岡山〜倉敷 下り46本・上り47本    岡山〜中庄 下り6本(うち日祝運休2本)・上り4本(うち日祝運休     1本)    岡山〜下撫川 下り6本・上り7本(うち日祝運休4本)    下撫川〜倉敷 下り7本(うち日祝運休1本)・上り8本(うち日祝運     休1本)  (茶屋町線)    倉敷〜茶屋町 33往復(うち日祝運休1往復)  (矢掛線)    倉敷〜矢掛 23往復    倉敷〜前田西口 1往復(日祝運休)    清音〜矢掛 2往復(日祝運休)    清音〜前田西口 1往復(日祝運休) ・1985(S60)年6月に庭瀬本町〜流通センター入口及び岡山〜岡山大供(カバヤ  前経由)が開業した。これらの区間については、同年8月に国鉄自動車路線  名称が改正され、「岡山・岡山大供間、庭瀬本町・塚山公園前間」が追加さ  れた。 ・1985(S60)年当時、線内の(自)岡山、(自)倉敷及び矢掛に自動車駅が存在  した。また、国鉄バス運行の拠点として、岡山自動車営業所(下撫川)及び  同倉敷派出所(倉敷)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年4月から庄新町地区乗入れが開始され、同年12月の「国鉄自動車  路線名称」全面改正で下撫川〜バラ園西口〜備中庄が認知された。 ・両備線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、中国JRバスに継承された。 ・1987(S62)年3月改正の「両備線時刻表」によると、同線には次のような系統  が設定されていた。  (両備本線)    岡山〜倉敷 下り43本(うち日祝運休2本)・上り44本    岡山〜中庄 下り2本(うち日祝運休1本)・上り3本    岡山〜庄新町 下り13本(うち日祝運休3本)・上り11本(うち日祝運     6本)休    岡山〜下撫川 上り1本(日祝運休)    岡山〜流通センター 1往復(日祝運休)    岡山〜天満屋 下り2本(うち日祝運休1本)    下撫川〜倉敷 下り6本(うち日祝運休1本)・上り4本(うち日祝運     休1本)    下撫川〜倉敷(庄新町経由) 下り7本・上り9本  (茶屋町線)    倉敷〜茶屋町 33往復(うち日祝運休1往復)  (矢掛線)    倉敷〜矢掛 22往復    倉敷〜前田西口 1往復(日祝運休)    清音〜矢掛 1往復(日祝運休)    清音〜前田西口 2往復(日祝運休) ・1987(S62)年の民営化前から庭瀬本町〜流通センター北口〜塚山公園前が開業  し、1990(H2)年に塚山公園前〜流通会館前〜岡山コンベックス前〜イトーピア  団地入口〜鳥羽南〜中庄が開業した。さらに1991(H3)年に帯江〜鳥羽南が開業  した。 ・1991(H3)年3月改正の「両備線時刻表」によると、同線には次のような系統  が設定されていた。  (両備本線)    岡山〜倉敷 下り42本(うち日祝運休2本)・上り48本(うち日祝運休     5本)    岡山〜川崎医大〜中庄 下り3本・上り4本(うち日祝運休1本)    岡山〜流通センター〜中庄 1往復(日祝運休)    岡山〜庄新町 下り7本・上り7本(うち日祝運休4本)    岡山〜下撫川 下り6本(日祝運休)・上り4本(うち日祝運休2本)    下撫川〜倉敷 下り9本(うち日祝運休5本、日祝運行2本)・上り3     本(うち日祝運休、日祝運行各1本)    下撫川〜倉敷(庄新町経由) 下り5本(うち日祝運休1本)・上り6     本(うち日祝運休3本)    流通センター〜中庄 2往復(日祝運休)    川崎医大〜中庄 下り4本(うち日祝運休1本)・上り3本  (茶屋町線)    倉敷〜茶屋町 43往復(うち日祝運休3往復)    茶屋町〜川崎医大・清心学園 5往復  (矢掛線)    倉敷〜矢掛 21往復(うち日祝運休1往復)    倉敷〜前田西口 1往復(日祝運休)    清音〜矢掛 1往復(日祝運休)    清音〜前田西口 2往復(日祝運休) ・中国JRバス(2013年)「中国JRバス25年史」には、創業期(1988(S63)年度  〜1997(H9)年度)において、都市部では両備線、安芸線の交通渋滞が激しく定時  性が保てなくなり旅客は減少の一途を辿ったと述べられている。 ・1997(H9)年から矢掛線は倉敷駅北口に乗入れを開始した。1999(H11)年1月には  井原鉄道の開業に伴って先行路線であった矢掛線を廃止した。 ・通学輸送のために存続する中庄〜清心学園前を除いて、2003(H15)年に、不採算  路線であった両備線は全廃された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、両備線には接続駅(岡山、倉  敷、中庄、金光、茶屋町及び清音)の他に、矢掛に自動車駅(第二種委託駅)  が置かれていた。 ・矢掛線が廃止された、1999(H11)年1月改正の「両備線時刻表」によると、同線  には次のような系統が設定されていた。  (両備本線)   (平日)     岡山〜倉敷 下り21本・上り24本     岡山〜中庄 1往復(下り庄新町経由、上り流通センター経由)     岡山〜下撫川 下り24本・上り20本     岡山〜鉄鋼センター 4往復     下撫川〜倉敷 3往復     下撫川〜庄新町〜倉敷 4往復     下撫川〜庄新町〜中庄 下り2本     流通センター〜中庄 上り1本   (土曜)     岡山〜倉敷 下り19本・上り20本     岡山〜下撫川 下り19本・上り18本     下撫川〜倉敷 3往復     下撫川〜庄新町〜倉敷 3往復     下撫川〜庄新町〜中庄 下り2本     流通センター〜中庄 上り1本   (日祝)     岡山〜倉敷 19往復     岡山〜下撫川 19往復     下撫川〜倉敷 3往復     下撫川〜庄新町〜倉敷 下り4本・上り2本  (茶屋町線:全日)     倉敷〜茶屋町 下り33本(うち日祝運休3本)・上り35本(うち日祝運休      6本、土日祝運休1本)     茶屋町〜清心学園・下撫川 下り1本(日祝運休)・上り2本(日祝運休)
2015 年 08 月 01 日 12:32:14 (14979) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【210】平館線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇平館線   平館本線    1 沼宮内−平館    2 久保口−子抱    3 久保口−岩手町役場前    4 上寺田−寺田新田   大更線    1 一方井−大更 1.2 路線略図                  岩手町              寺田新田      役場前  城山・葛巻         ○         ○   Λ         |    一方井  |   |  平館◎−−−−○−−−○−○−−−○−−−◎沼宮内        上寺田 上一 |   |久保口|            方井 |   ○   V          大更◎−−○中関 子抱  盛岡 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・大更線1 大更〜一方井 ・平館本線1 一方井〜上寺田〜平館 2.2 掲載 ・ 53日目 8/11(日) 54日目 8/12(月) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p251〜252 ・連載誌のみ 平館駅の写真 2.3 行程 ○大更1733→1830沼宮内 大更線 大更発 城山行 521-9003(いすゞBU04) ○一方井1240→1300平館 平館本線 沼宮内発 平館行 537-8001(日野RE141) 2.4 エピソード ・平館駅で大更線までの待ち合わせ時間に「みずうみ」のバス指定券予約を試みる。  みどりの窓口のない小駅でバス指定券の性格から講義することとなった。 ・大更線バスは上下列車を受けているがだれも乗らない。 ・バスは上一方井の転回場で一服したから田んぼの中に立つ。 ・管理局のクルマで一方井へ送っていただけたので1本早い平館行き直通がつかま  った。上寺田の三差路をすぎると次第にお客が増え、昨日の大更線とは大違い。  地震直後の平館駅に到着した。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・平館線は、1943(S18)年に沼宮内〜平館が貨物営業を開始し、翌1944(S19)年に  沼宮内〜平館で旅客を含む一般営業を開始したのがルーツで、東北本線と花輪  線の短絡と沿線地方の産業文化の発展助長を使命としていた。 ・平館線は、1957(S32)年に沼宮内西線から分離した。 ・最長片道切符の旅当時に近い1985(S60)年12月改正の沼宮内自営管内時刻表では、  平館線に次のような系統が設定されていた。平館口の区間便も設定されていた。  (平館本線)    城山・沼宮内〜平館 5往復    上寺田〜平館 3往復    寺田新田〜平館 下り2本(うち休日運休1本)・上り3本(うち休日運休     1本)    城山・沼宮内〜上一方井 下り5本(うち休日運休1本)・上り7本(うち     休日休校日運休1本)    城山→役場前 下り1本(休日休校日運休)    平館→役場前 上り1本(休日運休)    子抱→城山 上り1本(休日休校日運休)  (大更線)    城山・沼宮内〜大更 2往復 ・当時、国鉄バス運行の拠点として、沼宮内自動車営業所(沼宮内)が置かれて  いた。 ※補足 平館線の運行状況の推移 ・1948(S23)年2月現在ダイヤでは、次のように沼宮内〜平館3往復、沼宮内〜  一方井1往復が設定されていたのが確認できる。    沼宮内0658→0718一方井91便 一方井0721→0741沼宮内92便       0755→0901平館 41便  平館0935→1041   42便       1125→1231   43便    1315→1421   44便       1620→1726   45便    1825→1931   46便 ・1952(S27)年12月改正ダイヤでは、城山通・沼宮内〜平館3往復、城山通・沼宮  内〜陸中寺田1往復、城山通・沼宮内〜一方井4往復が設定されていたのが確  認できる。 ・1967(S42)年7月現在ダイヤでは、平館本線が沼宮内〜平館下4・上5、沼宮内  →陸中寺田1、大更線が沼宮内〜大更1往復、沼宮内〜岩手浮島2往復設定さ  れていたのが確認できる。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正の沼宮内自営管内時刻表では、平館線に次のような系統が  設定されていた。  (平館本線)    城山・沼宮内〜平館 5往復    上寺田〜平館 4往復    城山・沼宮内〜上一方井 下り9本(うち休日運休1本)・上り7本(う     ち休日運休1本)    城山→役場前 下り1本(休日休校日運休)    子抱→城山 上り1本(休日休校日運休)  (大更線)    城山・沼宮内〜大更 2往復 ・平館線は、1986(S61)年12月に一方井〜黒石温泉が開業し、国鉄民営化及び自動  車分離を経て、JRバス東北に継承された。 ・民営化後は、1990年代に大更線、上寺田〜寺田新田が廃止された後、1995(H7)  年に久保口〜子抱、上一方井〜平館が廃止された。その他の残された区間も  2004(H16)年に全廃された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月「駅営業範囲一覧」によると、平館線には接続駅(沼宮内、  平館、大更及び好摩)のみが置かれていた。 ・平館線の便の多くは、岩手(沼宮内)町内便として城山発着で運行されていた。  沼宮内〜城山(特急便は城山通)では特急便を含めて10分〜2時間の間隔での  運行だった。
2015 年 08 月 01 日 12:31:10 (14978) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【602】京鶴線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇京鶴線   京鶴本線    1 京都−堀越峠    2 京都−千本丸太町(烏丸通)    3 円町−福王子    4 円町−高鼻町    5 北野−福王子    6 杉阪口−杉阪    7 小野郷−山城大森    8 細野−下長野    9 出口橋−矢代    10 下中−ゼミナールハウス    11 平屋−宮脇−静原    12 田土−丹波福居   山国線    1 周山−灰屋    2 山国−下中    3 井戸−小塩 1.2 路線略図       ○堀越峠   丹波福居|     ○−○田土       |       ○鶴ケ岡       |       ○静原       |\       | ○宮脇       |/       ○平屋  ゼミナール|    ハウス|    上黒田     ○ |     ○−○灰屋      \|    /     下中○ 井戸○−○小塩       |\ /   矢代○−−○ ○山国     出口橋|/      周山○       |      細野○−−○下長野       |    小野郷○−−○山城大森       |    杉阪口○−−○杉阪       |       ○栂ノ尾       |       ○山城高雄       |       ○高鼻町   竜安 立命館       |\福王子  寺前 大学前       | ○−−○−−○−−○+       |  御室 \     |       |  仁和寺 ・−○−−○北野       |    等持院道|  |       |        +○−○大将軍        |        府立体| 千本        |        育館前| 丸太町       ・−−−−−−−−−−−○−−○−−−○烏丸丸太町                  円町  |   |                    二条◎   |                       \  |                    四条大宮○ ○四条烏丸                        | |                        ・−◎京都 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・京鶴線は、1937(S12)年に京都〜鶴ケ岡が開業したのがルーツで、1951(S26)に  は堀越峠まで開通した。京鶴線は、東北丹波の山岳地帯と京都をつなぎ、北丹  波交通の根幹として京都市周辺の産業文化の発展助長、及び沿線の観光ルート  としての使命を有する他、東海道本線京都から堀越峠で国鉄バス若江線に連な  り、小浜線小浜に至る鉄道短絡路線としての使命も有していた。 ・沿線には神社・仏閣多く風光に富み、観光路線としても有名で、秋季の紅葉等  シーズンには特に観光客の輸送のため臨時に増車する等の手配を行ってきた。 ・当時、線内に(自)京都及び周山の自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行  の拠点として京都自動車営業所(京都)及び同周山支所(周山)が置かれてい  た。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、京鶴線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (京鶴本線)    京都〜鶴ケ岡 5往復    京都〜周山 13往復    京都〜栂ノ尾 12往復    京都〜山城大森 2往復    京都〜杉阪 下り2本・上り4本  (山国線)    周山〜灰屋 下り3本・上り2本    周山〜上黒田 4往復(うち休日運休1往復)    周山〜小塩 2往復    山国御陵〜灰屋 上り1本 3.2 旅から30年 ・国鉄末期の1986(S61)年に小野郷〜山城大森が廃止され、次いで1987(S62)年に  田土〜堀越峠が廃止された。京鶴線の残された区間は、国鉄民営化及び自動車  分離を経て西日本JRバスに継承された。 ・1989(H1)年の「JRバス京鶴線時刻表」によると、次のような系統が設定され  ていた。  (京鶴本線)    京都〜丹波福居 上り1本    京都〜鶴ケ岡 下り5本・上り7本    京都〜ゼミナールハウス 下り2本・上り1本    京都〜周山 下り11本(うち土曜運休1本)・上り10本(うち日祝運休1     本)    京都〜杉阪 下り2本(うち土曜運転1本)・上り5本(うち土曜運転1     本)    京都〜栂ノ尾 下り15本(うち日祝運休3本、土曜運転1本)・上り17本     (うち日祝運休2本、土曜運休1本、日祝前日運転1本)    周山〜丹波福居 下り2本・上り1本(日祝運休)    周山〜鶴ケ岡 下り3本(うち土曜運転、土曜運休各1本)・上り2本(     うち土曜運転1本)    周山〜丹波上川 下り4本(うち日祝運休、土曜運転各1本、土日祝運休     2本)・上り3本(うち日祝運休2本、土曜運転1本)    周山〜上弓削 1往復(土曜運転)    周山〜ゼミナールハウス 下り1本・上り2本    鶴ケ岡〜丹波福居 下り1本・上り2本(うち土曜運転1本)  (京鶴支線)    周山〜矢代 4往復(うち日祝運休2往復、土曜運転、土日祝運休各1往復)    周山〜下長野 3往復(うち日祝運休2往復、土曜運転1往復)  (山国線)    京都〜灰屋 上り1本    京都〜上黒田 下り2本    京都〜小塩 上り1本    周山〜灰屋 下り3本・上り2本    周山〜上黒田 3往復    周山〜小塩 下り4本(うち土曜運転、土日祝運休各1本)・上り3本(     うち土曜運転、土日祝運休各1本)    周山〜山の家 1往復    周山〜山国御陵前 1往復(土日祝運休)    山国御陵〜丹波上川 上り1本(土日祝運休) ・1990(H2)年に京鶴本線の鶴ケ岡〜丹波福居が廃止された後、同年、京鶴本線の  杉阪口〜杉阪、細野〜下長野及び出口橋〜矢代、山国線の上黒田〜灰屋が廃止  された。 ・1994(H6)年には京鶴本線の丹波上川〜鶴ケ岡及び平屋〜宮脇〜静原が廃止され、  1995(H7)年に山国線全線(周山〜上黒田及び井戸〜小塩)が廃止された。また、  同年から路線名が「高雄・京北線」に改称された。 ・2001(H13)年に下中〜丹波上川が廃止され、2003(H15)年に周山〜鳥谷及び周山  〜府立ゼミナールハウスが廃止された。 ・2013(H25)年には栗尾峠に京北トンネルが開通して経路変更が行われた。2015  (H27)年7月現在、(京鶴線→)高雄・京北線は京都〜周山(大宮・一条経由)、  京都〜千本丸太町(烏丸経由)、大将軍〜府立体育館前〜等持院道及び北野〜  立命館大学前〜御室仁和寺が西日本JRバスによって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、京鶴線には接続駅(京都)  の他、周山に自動車駅(第一種委託駅)が置かれていた。 ・「われら第一線 京都自動車営業所−古都を快走する国鉄バス」(「国鉄線」  1985(S60)年12月号所収)によると、毎年10月末から11月いっぱいにかけて、  京都自営最大の行事である観楓輸送がスタートし、人も車両もフル回転で対応  するとともに、現地でも事故がないように職員を派遣し、万全を期して整理に  当たっているとある。現在でも西日本JRバスサイトの高雄・京北線のページ  には「紅葉の季節の週末等では、午前は下り(栂ノ尾行)、午後は上り便(京  都駅行)の臨時便を運行する場合があります。(臨時便は、多客時にダイヤ記  載便の続行便として運行します。)」との注記がなされている。この輸送には  国鉄時代は近畿管内から、民営化以後は西日本JRバスエリア内から応援を得  て行われている。
2015 年 08 月 01 日 12:30:04 (14977) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【806】安芸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇安芸線    1 広島−広    2 海田−海田新開    3 坂横浜−鯛尾 1.2 路線略図    高陽団地     Λ 合同     向洋  横川 | 庁舎前 広島 駅前  海田 海田市   <−++−○−−◎−−○+−−○−・=○  広島セ||   /    //海田| |  ンター○|  /     //新開○ |   <−−○−○八丁堀   //    |   紙屋町//        //  ○=○牛の首      //        //東部流 |   中電前○        //通団地 |      //        ・====+      //        鯛尾○−−○坂横浜      //             |          西条      ・=============|=+==○体育館前 Λ                    |//   //     | 広                    ○−−−−◎−−○−−○−◎…●                   呉ポー   呉 本通六 広交  仁方                   トピア     丁目  叉点 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・安芸線1 広島〜海田〜呉 ・安芸線1 広交叉点〜広 2.2 掲載 ・13日目 6/13(木) S60.12号 3.中国編(上) 単行本 p85〜85 ・14日目 6/14(金) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p88〜88 2.3 行程 ○広島1610→1710呉 安芸線 広島センター発 呉本通六丁目行                            634-4908(三菱B805N) 2.4 エピソード ・広島駅に荷物を預け、頻発の安芸線で呉へ。快速と普通便があるが、「道路の  状況次第で快速も普通と変わらなくなるから、呉なら、きた方に乗ればいい」  と切符売場の話。かなりくたびれた普通便のバスは満員で、若い女性客も多い。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・安芸線は、1942(S17)年に広島〜呉〜仁方が開業したのがルーツで、戦時中の  工員輸送の目的で、鉄道の補助・培養の使命をもって発足したが、昭和30年代  に入って都市交通の使命をも有するようになっていた。 ・国鉄中国地方自動車局(1980年)「国鉄中国自動車30年史」には、安芸線は、  呉海軍工廠が生産拡大を行うため、学徒動員、徴用工員等の宿舎を小屋浦、  吉浦地区に建築を始め、この地区から呉までの輸送を呉線の複線化で補う計画  であったが、膨大な資金と月日を要するため間に合わず、急きょ国鉄自動車の  開業が決定されたものと述べられている。 ・1951(S26)年9月、呉市営及び広島電鉄が安芸線に5往復ずつ乗入れを開始した。  この時の運輸協定で、両社と紙屋町(→広島バスセンター)〜本通十三丁目(  →呉本通六丁目)で共通乗車を行った。 ・その後、1955(S30)年には安芸線に急行便20往復設定し、快速便(1947(S22)年  から設定)を16往復増回した。昭和30年代は輸送需要が高まる中、安芸線では  呉〜広島の直通客を中心に増加したため、民営2社とともに直通便の増回を図  る他、1958(S33)年10月に、同線における国鉄の主体性維持と直通便利用者へ  のサービスを図るため、広島駅〜呉駅間ノンストップ特急便「ひかり号」を運  転し、直通客の集約輸送と運転時分の短縮を行った。 ・この間、1952(S27)年11月から岩益線から安芸線への乗り入れを開始(1972(S47  )年12月廃止)するとともに、1962(S37)年2月には光線から安芸線への乗り入れ  を開始し、同年6月から下松〜呉本通十三丁目の直通便を運行開始した(1972  (S47)年12月廃止)。 ・「鉄道辞典・上巻」(1958(S33)年)には、安芸線の特長として、紙屋町(広  浜線)〜本通十三丁目は7時から22時まで15分毎に普通便、30分毎に急行便・  快速便を交互に運転し、紙屋町〜呉〜黒瀬(西条線)、紙屋町〜呉〜仁方及び  紙屋町〜海田は概ね5分毎に運転し、紙屋町〜海田の1日の往復回数は実に  160余回に及ぶ、と述べられていた。 ・中国JRバス(1998年)「中国ジェイアールバス10年のあゆみ」によると、国  鉄時代の安芸線は、昭和40年代前半まではバスを走らせれば乗ってもらえると  いう全国一のドル箱路線であり、特急・急行・快速・普通と運行種別の異なる  便を1日150往復運行していたが、昭和40年代末期から50年代に入るとマイカー  の普及で渋滞が始まり、バスの定時性が保てなくなり利用者の減少傾向が年々  進み、ダイヤの削減を余儀なくされたと述べられている。 ・1984(S59)年5月現在の「広島県内バス総合時刻表」によると、国鉄バス安芸線  には次のような系統が設定されていた。(※)  (平日)    呉本通六丁目・広〜広島センター 快速 下り14本・上り19本                    普通 下り49本・上り43本    呉本通六丁目・広〜海田 下り1本・上り2本    鯛尾〜広島センター・横川 下り42本・上り41本    海田新開〜広島センター・横川 下り48本・上り56本  (日祝)    呉本通六丁目・広〜広島センター 特急 下り2本・上り1本                    快速 下り12本・上り18本                    普通 下り47本・上り43本    呉本通六丁目・広〜海田 上り1本    鯛尾〜広島センター・横川 下り33本・上り36本    海田新開〜広島センター・横川 下り38本・上り43本   呉本通六丁目〜広島センターの所要時間は、特急便1時間10分、快速便1時間   9分〜1時間20分、普通便1時間5分〜1時間27分。 ・1985(S60)年当時、線内の広島ガス前、(自)呉及び呉本通六丁目に自動車駅が  存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、海田市自動車営業所(海田、海  田車庫)、同呉派出所(本通六丁目)、同広派出所(広)及び同広島センター  派出所(広島センター)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年4月から東部流通団地への乗り入れを開始し、同年12月の「国鉄自  動車路線名称」全面改正で牛の首〜東部流通団地が認知された。 ・安芸線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て中国JRバスに継承された。 ・中国JRバス(1998年)「中国ジェイアールバス10年のあゆみ」によると、都  市地区でも、広島〜呉間国道31号線の交通渋滞が一段と激しくなり、バスの定  時性が全く保てなくなったため利用客が激減し、平成に入って3回の減便を行  うなど、安芸線の凋落が当社の経営を圧迫する大きな要素の1つになっている  と述べられている。 ・また、中国JRバス(2013年)「中国JRバス25年史」には、1988(S63)年4月  に76行路を有していた海田市営業所は、1989(H1)年2月に14行路削減、1990(H2)  年12月に広島〜呉直通便の一部を天応バイパスに載せ替えるとともに12行路削減、  1992(H4)年12月に24行路削減の大規模なダイヤ改正を行い、1997(H9)年度末現在  で輸送規模は26行路まで縮小したと述べられている。 ・1989(H1)年3月改正の「安芸線時刻表」によると、同線には次のような系統が  設定されていた。特急便、快速便の設定はなくなっており、全て普通便だった。  (全日)    呉本通六丁目・広〜広島センター 下り35本・上り38本    呉本通六丁目・広〜海田 下り3本  (平日)    鯛尾〜広島センター・横川 下り52本・上り56本    東部流通団地〜広島センター・横川 下り7本・上り1本    海田新開〜広島センター・横川 下り40本・上り38本    海田車庫〜広島センター・横川 下り42本・上り45本  (日祝)       鯛尾〜広島センター・横川 下り45本・上り50本    東部流通団地〜広島センター・横川 下り2本    東部流通団地〜海田車庫 上り1本    海田新開〜広島センター・横川 下り38本・上り39本    海田車庫〜広島センター・横川 下り43本・上り39本 ・1990(H2)年12月改正の「安芸線時刻表」によると、同線には次のような系統が  設定されていた。  (全日)    呉本通六丁目〜広島センター(天応バイパス・広島大橋経由)5往復    (下り)      呉本通六丁目0900→0955広島センター            1000→1055            1200→1255            1430→1525            1730→1825    (上り)      広島センター1300→1355呉本通六丁目            1500→1555            1630→1725            1930→2025            2130→2225    呉本通六丁目・広〜広島センター 下り18本・上り21本    呉本通六丁目・広〜海田車庫 下り3本  (平日)    鯛尾〜広島センター・横川 下り40本・上り41本    鯛尾〜海田車庫 上り1本    広島女子商〜広島センター・横川 上り1本    東部流通団地〜広島センター・横川 下り5本・上り1本    海田新開〜広島センター・横川 下り38本・上り36本    海田車庫〜広島センター・横川 下り38本・上り43本  (日祝)       鯛尾〜広島センター・横川 下り32本・上り37本    東部流通団地〜広島センター・横川 下り2本    東部流通団地〜海田車庫 上り1本    海田新開〜広島センター・横川 下り33本・上り34本    海田車庫〜広島センター・横川 下り26本・上り20本 ・1993(H5)年10月改正から亀石(呉ポートピア)〜呉他が休止されて、広島〜呉  の直通系統が廃止された。 ・1995(H7)年11月改正から広島大橋〜天応バイパス経由の区間が再開されて、こ  の区間を経由する広島〜呉の直通急行便が運行再開した。この時の「安芸線時  刻表によると、同線には次のような系統が設定されていた。    呉〜広島センター(天応バイパス・広島大橋経由)急行便5往復    (下り)      呉0700→0749広島センター       1100→1149       1520→1609       1800→1849       2040→2129    (上り)      広島センター0915→1006呉            1410→1501            1640→1731            1920→2011            2150→2241    亀石〜広島センター・横川 下り6本(うち日祝運休1本)・上り4本    亀石〜海田車庫 上り2本(うち日祝運休1本)    鯛尾〜広島センター・横川 下り19本(うち日祝運休4本)・上り18本(う     ち日祝運休6本)    鯛尾〜海田車庫 下り4本(うち日祝運休2本、日祝運転1本)・上り5本     (うち日祝運休3本)    東部流通団地〜広島センター・横川(海田新開経由) 下り12本(うち日祝     運休3本)・上り9本(うち日祝運休3本)    東部流通団地〜海田車庫 下り3本・上り5本(うち日祝運休3本)    海田車庫〜広島センター・横川 下り40本(うち日祝運休6本、日祝運転7     本)・上り47本(うち日祝運休10本、日祝運転6本) ・1996(H8)年8月、広島・呉道路(自動車専用道路)が開通し、従来から安芸線  乗り入れを行っていた3社により1日25往復(JRバス8往復)の準高速線「  クレアライン」を運行開始した。利用状況が好調であったため、1997(H9)年6  月に7往復の増回(JRバス2往復増回)、1998(H10)年6月に11往復の増回  (JRバス3往復増回)を行った。 ・1999(H11)年4月に海田市駅乗り入れを開始するとともに、坂横浜〜呉ポートピ  アが廃止された。この改正ダイヤでは、安芸線に次のような系統が設定されて  いた。    海田市駅循環(海田市駅〜海田新開〜東部流通団地〜矢野〜海田市駅)      海田新開先回り 5回(うち日祝第2・4土曜運休1回)      矢野大浜先回り 4回    海田市駅〜鯛尾 14往復    鯛尾〜広島センター・横川 下り2本(うち日祝第2・4土曜運休1本)     ・上り3本    東部流通団地〜広島センター・横川(海田新開経由) 下り10本・上り     10本(うち日祝第2・4土曜運休1本)    船越(海田車庫)〜広島センター・横川 下り13本(うち日祝第2・4     土曜運休1本)・上り12本(うち日祝第2・4土曜運休1本) ・準高速線「クレアライン」を除く安芸線は、2003(H15)年の路線整理でに全廃  された。2015(H27)年6月現在、安芸線では「クレアライン」のみが中国JR  バス他によって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、安芸線には接続駅(広島及び  呉)の他、呉本通六丁目に第一種委託駅、広島ガス前に第二種委託駅(いずれ  も自動車駅)が置かれていた。 ※謝辞  1984(S59)年5月現在「広島県内バス総合時刻表」の安芸線他の時刻表データを  愉会三丁目様にご提供頂きました。感謝申し上げます。
2015 年 08 月 01 日 09:39:48 (14976) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【816】大島線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇大島線   大島本線    1 大畠−周防油宇   安下庄線    1 東瀬戸−安下庄−佐連−周防平野    2 屋代口−奥畑    3 安高−土居口    4 外入−下田口    5 沖家室大橋−沖家室 1.2 路線略図          周防 周防 土居   周防 周防      東瀬戸 椋野 久賀 口    下田 平野 伊保田  大畠◎−−○−−○−−○−−○−−○−○−−○−−−○−−○周防由宇       |        | /下田口  |       |     奥畑 |・      |    小松港○   ○−−○ | \     |        \ /大島町  |  ・    |      屋代口○ 役場前  |  | ○−−○沖家室大橋         |   安下庄|  |/佐連 |         ・−○−+○+○−−○    ○沖家室           沖浦// //安高 外入             ・+・              //        大島中部病院○        3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・大島線は、1948(S23)年に島嶼部唯一の国鉄自動車路線として、大島本線小松港  〜久賀(→周防久賀)〜周防下田〜伊保田、安下庄線小松港〜安下庄〜外入〜  周防下田及び屋代口〜奥畑他が開業したのがルーツである。この路線は、大畠  〜小松港の国鉄大島航路により鉄道との一貫輸送の使命を有する他、大島の産業  開発・文化の向上発展の使命を有していた。 ・大島島内は国鉄自動車一社が路線を有していたが、国鉄バスの瀬戸内長大路線構  想のための路線開設の交換条件として、1968(S43)年から防長交通に大島線の運行  を折半した。 ・1976(S51)年の大島架橋開通による大島航路の廃止に伴い、従前の一貫輸送ルー  ト(鉄道〜航路〜国鉄バス)を継続するため、大島島内で運行していた国鉄バス  大島線を新設の大島架橋を利用して山陽本線大畠駅まで延長し、鉄道との一貫輸  送を確保した。 ・1985(S60)年当時、大島本線の周防久賀及び周防下田、安下庄線の小松港及び安  下庄に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として大島自動車営業所  (小松港)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、大島線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。(以下の他、区間運転あり  との注記あり。)    大畠〜小松港 下り11本・上り12本    大畠〜安下庄〜周防下田 下り2本・上り4本    大畠〜安下庄 下り7本・上り4本    柳井〜大畠〜周防油宇 下り2本・上り1本    大畠〜周防油宇 下り2本・上り4本    柳井〜大畠〜森野 1往復    大畠〜森野 下り2本・上り3本    大畠〜奥畑 8往復 3.2 旅から30年 ・大島線は、国鉄民営化と自動車分離を経て中国JRバスに継承された。1992(H4)  年には安下庄線の安高〜佐連〜周防平野、外入〜下田口及び沖家室大橋〜沖家室  が休廃止された。 ・1999(H11)年には屋代口〜奥畑の大島町役場前〜奥畑が廃止された。2002(H14)年  には大島本線を防長交通が、安下庄線を中国JRバスが運行するというすみわけ  を行い、これに伴って大島本線(東瀬戸〜周防由宇)及び安下庄線の安下庄〜安  高〜土居口が廃止された。 ・この間、2000(H12)年に安下庄線を安下庄大島中部病院経由に経路変更した。 ・残った区間も2007(H19)年に廃止され、大島線は全廃となった。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、大島線には接続駅(大畠)の  他、小松港及び安下庄に第一種委託駅(自動車駅)が、三蒲、周防久賀、周防  土居、周防下田、森野、周防和田、伊保田、沖浦、佐連及び周防屋代に第二種  委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・瀬戸内海沿岸の国鉄バス長距離路線構想の実現に向けた各社との折衝の中で、  岩益線周防錦橋〜徳山〜防府については、防長交通の路線であり折衝を重ねる  中で、広島〜呉への代替乗り入れ案が出たが、呉市営との関係もあって結局  大島線に乗り入れることになって、1968(S43)年10月に乗り入れ実施となった。  走行キロの分担は国鉄バス55.4%、防長交通44.6%で運行の主体性を国鉄が  保有するとともに、共通乗車の取扱いが行われた。 ・2002(H14)年4月から補助金対応の目的で、大島線では防長交通と路線を棲み分け  して(大島本線を防長、安下庄線をJR)運行を行ってきたが、大島島内各町  と協議が整い、2007(H19)年10月1日、完全に撤退し大島線59年の歴史に幕を  閉じた。
2015 年 08 月 01 日 02:36:35 (14975) 各駅倉庫さんの書き込み ふもふも館長様,皆様,こんばんは。 大変遅くなりましたが「ぶらりサッポロ観光バス」の運行について確認しました。 今年は運行しないそうです。 同路線については運行時に各停車箇所で  http://kakusoko.sakura.ne.jp/photo/ph000/2012_chuo/201207_odorin04c.html のような専用標柱が設置されますが,今年は動物園正門前や大倉山競技場前でも標 柱は見当たりませんでした。また円山バスターミナル等では運行しない旨の掲示も 特に出ていないようでした。 ちなみにジェイ・アール北海道バスの2015-04-01改正路線図  http://www.jrhokkaidobus.com/timetable/route01.html では,従来は左下隅の「快速便停車停留所」の横に掲載されていた「札幌市内循環 線 ぶらりサッポロ観光バス」(JR札幌駅−円山公園駅前−動物園正門前−大倉 山競技場前)の路線図がありません。 なお「ぶらりサッポロ観光バス」の経路・停車箇所については概ね,7月25日から 運行している北海道中央バスの「さっぽろ散策バス」がカバーしています(円山公 園駅前に代えて円山第一鳥居に停車)。  http://teikan.chuo-bus.co.jp/cmn/pdf/sansaku_time.pdf
2015 年 07 月 27 日 20:03:03 (14974) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【212】早坂高原線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇早坂高原線   早坂高原本線    1 盛岡−大通三丁目−岩手中野    2 岩手落合−浅内    3 上岩泉−岩泉駅前   有芸線    1 乙茂−上有芸 1.2 路線略図   十和田湖      沼宮内   沼宮内       葛巻          龍泉洞前  平井賀    Λ      早坂 Λ 岩手 岩手     Λ     Λ    |      高原 | 小川 落合 上岩泉 | 乙茂  |  盛岡◎−○−−○−○−−○−−○−−○−−○−−○−−○−−○岩手中野     大通 岩洞湖  名目入    |  | 沢廻  |  |     三丁目            ◎  ◎     |  V                   浅内 岩泉駅前   ○  小本                            上有芸 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・早坂高原本線1 二升石〜上岩泉〜岩泉営業所前〜沢廻〜乙茂〜岩手中野 2.2 掲載 ・52日目 8/10(土) 53日目 8/11(日) S61.7 10.東北編(上) p245〜p248 ・連載誌のみ 647-4971の解説、岩泉営業所前の写真 2.3 行程 ○二升石1940→1955岩泉営業所前 早坂高原本線 盛岡発 岩泉営業所前行                          647-4971(日野P-RU606AA) ○岩泉営業所前0705→0803田野畑 早坂高原本・陸中海岸本・田野畑線              岩泉営業所前発 田野畑駅行 531-9004(いすゞBU10) 2.4 エピソード ・二升石バス停はすぐそば。久々のデラックスバスで大半のお客は居眠りをして  おり、夜汽車に似た感じ。空気も淀んでいる。運転手席の後ろにビデオはある  が消えている。終着近く、停留所ごとに1人2人と降りる。「おじいちゃん、  お帰り」と迎えに出ている孫が見えるなど、地元に溶け込んでいるデラバス。 ・田野畑駅行きに乗ったのは、大荷物を持ったおやじさんら地元の人ばかり6人。 ・立派な三陸鉄道北リアス線の築堤が現れ、ガードをくぐって小本駅に寄る。旧道  へ入ったところが岩手中野。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・早坂高原線は、1947(S22)年に沼宮内西線(→沼宮内線)に接続して岩泉線国境  峠〜名目入〜岩手落合〜岩泉〜岩手中野が開業したのがルーツで、1967(S42)年  に大通二丁目〜権現の早坂高原経由のルートが開業した。1972(S47)年に鉄道岩  泉線開業に伴い上岩泉〜岩泉駅前が開業するとともに、早坂高原線の部として  独立した。 ・国鉄バスにおける鉄道と直結した観光路線の輸送改善の1つとして、1974(S49)  年度に、東北本線盛岡駅から陸中海岸観光ルートの整備として、バスダイヤを  再編成し、平庭高原線及び早坂高原線から観光地(北山崎)へ直接入る直通運  行系統を設けた。 ・1982(S57)年6月23日の東北新幹線大宮〜盛岡間開業に伴い、新幹線と観光地と  の直通バスの一環として、盛岡〜平庭高原〜久慈〜北山崎展望台〜島ノ越港〜  岩泉〜龍泉洞〜早坂高原〜盛岡を結ぶ、陸中海岸観光バス「三陸観光号」(盛  岡→久慈→島ノ越港(片道1回)、島ノ越港→岩泉→盛岡(片道1回))を運  行した。 ・当時、線内の岩手小川及び岩泉駅前に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運  行の拠点として、岩泉自動車営業所(岩泉営業所前)が置かれていた。 ・最長片道切符の旅当時に近い1985(S60)年8月現在のダイヤでは、長距離便とし  て盛岡〜岩泉営業所・龍泉洞前に国鉄・県交通各2往復の他、10/10まで運転の  急行「竜泉号」が国鉄・県交通各1往復設定されていた。  岩泉以東については、岩泉駅前・岩泉営業所〜小本・大牛内に下り2本・上り  3本、岩泉駅前・岩泉営業所〜小本駅前〜陸中海岸線方面に4往復、岩泉営業所  〜普代駅前・久慈の「リアス観光号」(10/10まで運転)3往復がそれぞれ設定  されていたのを確認できる。 ※補足 早坂高原線の運行状況の推移 ・1967(S42)年7月現在のダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定され  ていたのを確認できる(国鉄、岩手中央)。    盛岡0720→1134岩泉  岩泉0600→1010盛岡      0930→1339      0820→1230      1330→1744      1410→1820      1630→2044      1620→2030 ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定され  ていたのを確認できる(国鉄、岩手中央)。    盛岡0730→1132岩泉  岩泉0620→1033盛岡      0940→1342      0945→1343      1340→1742      1405→1803      1630→2032      1605→2003 ・1972(S47)年11月現在のダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定され  ていたのを確認できる(12/14まで運行、*印岩手中央バス)。    盛岡0730→1113岩泉* 岩泉0745→1124盛岡*      0940→1323      1225→1604      1410→1753*     1350→1729*      1655→2038      1620→1959 ・1976(S51)年4月改正ダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定されてい  たのを確認できる。(国鉄、岩手中央)    盛岡0735→1048岩泉  岩泉0600→0907盛岡      0940→1253      1233→1540      1345→1656      1400→1712      1655→2001      1610→1917   ※以上の他、7/20〜9/24に「竜泉号」が次のように設定されていたのを確認    できる。竜泉号に盛岡及び龍泉洞前から乗車する場合は「バス指定券」(    大人、小人共100円)が必要。     盛岡0635→0929龍泉洞前       0700→0954     龍泉洞前1150→1444盛岡         1255→1549 ・1978(S53)年8月現在のダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。(*印岩手県交通)    盛岡0735→1041岩泉* 岩泉0600→0907盛岡*      0940→1246      1233→1540      1330→1656*     1400→1707*      1710→2011      1610→1917 ・1980(S55)年8月現在のダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。(*印岩手県交通)(岩泉営業所前〜龍泉洞前は9/25まで  運転)    盛岡0735→1050龍泉洞前*      0940→1255*      1350→1656岩泉      1710→2011    岩泉  0600→0907盛岡    龍泉洞前1221→1540        1352→1707*        1602→1917*  この他、急行「竜泉号」(急行料金100円)が次のように設定されていたのを確  認できる(9/25まで運転)    盛岡0700→0951龍泉洞前      0835→1126*    龍泉洞前1152→1443盛岡        1257→1548* ・1982(S57)年11月現在のダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。(*印岩手県交通)    盛岡0750→1046岩泉*      1050→1346*      1500→1756      1700→1951    岩泉0600→0855盛岡      1200→1455      1400→1655*      1600→1855*   ※以上の他、11/28までの日月曜に急行便「三陸観光2号」が次のように設定    されていたのを確認できる(同1号は平庭高原線経由)。(急行料金100円    との注記あり。)    島ノ越港0940→龍泉洞前1200→1455盛岡 3.2 旅から30年 ・早坂高原線(本線、有芸線)は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス  東北に継承された。 ・民営化後は、1988(S63)年に有芸線上有芸〜栃の木が延長されたが、1996(H8)に  有芸線は廃止された。その後、2003(H15)年に岩泉中学校前(←沢廻)〜岩手中  野、岩手落合〜浅内、上岩泉〜岩泉駅前が廃止された。これに伴って岩泉営業所  も廃止された。 ・盛岡〜岩泉・龍泉洞前は存続したが、2007(H19)年に盛岡市内の経路変更、2009  (H21)年に岩泉町内の経路変更が行われ、2007(H19)年には早坂トンネルの開通に  伴って経路変更が行われた(早坂高原を通らなくなり、休憩個所を道の駅三田貝  分校に変更)。 ・2015(H27)年6月現在、盛岡〜龍泉洞前がJRバス東北によって運行されている。 3.3 旅の考察 ・最長片道きっぷの旅では、岩泉線から二升石で早坂高原線に乗り換えているが、  浅内〜二升石は鉄道線が2.8kmであるのに対し、自動車線では浅内1.3岩手落合  2.5二升石の計3.8kmであることから、浅内乗り換えの方が1.0km長かった。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、早坂高原線には接続駅(二升  石、岩泉(岩泉駅前)及び浅内)の他に、岩手小川に自動車駅(第二種委託駅)  が置かれていた。 ・当時の「自動車線普通旅客運賃表」の「早坂高原線」の部によると、岩洞湖、  早坂高原、岩泉営業所前及び小本の各駅は途中下車駅とされていた。また、急行  便「竜泉号」(盛岡・龍泉洞前間)に乗車の場合は、自動車急行料金(大人100  円、小児50円)を別途収受すると記載されていた。
2015 年 07 月 27 日 20:01:10 (14973) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【908】宮林線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇宮林線   宮林本線    1 宮崎−吉松    2 宮崎−大工町−西の原    3 生目−穆佐校前    4 柏原口−宮水流    5 宮水流−穆佐校前−日向高岡    6 新赤谷−日向川口−梁瀬口    7 上田ノ平−瀬越    8 久木野口−堀切口−紙屋大橋    9 漆野原−一里山    10 上の原−宮原−栗下   日向高崎線    1 野尻町−高崎新田    2 東原口−高原 1.2 路線略図                                    小林          堀切口  瀬越           高校○        ・−○−・ ○     新赤      栗下 上の原 | 小林 野尻町 |漆野原| | 梁瀬口 谷   吉松◎−−○−−○−−○−◎−−−○−−○−○−○−○−−○−−−○−>宮崎       |  | 市役     | 紙屋 |久木 上田 |   |        ・○−・ 所下     | 大橋 ○野口 ノ平 ・−○−・         宮原      東原口○−・ 一里山      日向川口                   | |             高崎新田◎−・ ◎高原             日向 宮水 柏原  西の  大工       高岡 流/\口   原   町  小林<−−○−−○−−○−○−−○−−○−+−−◎宮崎       |  |   /生目 |    |       ・−○+−−・    ・−○−−○南詰        穆佐校前      福島町\/ ※小林〜吉松は1983(S58).12.26から休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・宮林本線1 宮崎〜福島町〜西の原〜生目〜日向高岡〜新赤谷 ・宮林本線6 新赤谷〜日向川口〜梁瀬口 ・宮林本線1 梁瀬口〜久木野口 ・宮林本線8 久木野口〜堀切口〜紙屋大橋 ・宮林本線1 紙屋大橋〜野尻町 ・日向高崎線1 野尻町〜東原口〜高崎新田 2.2 掲載 ・6日目 6/6(木) S60.11号 2.九州編(下) 単行本 p43〜48 ・連載誌のみ 日向高岡駅の写真 2.3 行程 ○宮崎1140→1210日向高岡 宮林本線 宮崎発 小林行 631-4902(いすゞBU15KP) ○日向高岡1256→1317漆野原 宮林本線 宮崎発 一里山行 331-9409(いすゞCCM410) △紙屋大橋1332→1440郵便局前 宮林本線 発 宮崎行             堀切口・日向川口・福島町経由 331-9404(いすゞCCM410) ×宮崎1520→1554生目 宮林本線 宮崎発 行 331-9404(いすゞCCM410) ×生目1623→1630日向高岡 宮林本線 宮崎発 小林行 534-0405(三菱K-MP118M) ○日向高岡1721→1758野尻町 宮林本線 宮崎発 小林行 534-0404(三菱K-MP118M) ○野尻町1820→1856高崎新田 日向高崎線 発 高崎新田行 331-9405(いすゞCCM410) 2.4 エピソード ・急行に乗っているだけでは支線の迂回コースに寄ってくれそうもなく、日向川口  や堀切口などの停留所は案内テープからは聞かれず、運転士は「堀切口なら日向  高岡で乗り継げばよい」と教えてくれて、高岡に下車。 ・日向高岡駅で時刻表を貰って検討すると、紙屋大橋1332頃通過の堀切口経由宮崎  行きが乗って路線を観察する唯一のチャンス。しかも日向川口も大回りする裏街  道ルートで、宮崎市内の福島町経由も含め、逆コースながら一挙に片付いてしま  うのだった。 ・この後の枝線に入るバスに乗り、漆野原着が1317、めざすバスの紙屋大橋発が32  分ごろなので徒歩連絡を計画する。休憩中の運転士に計画を話すと「小走りに行  けば大丈夫でしょう」との返事。5分遅れの下り便運転士に声をかけて計画を伝  えてくれた。下り便は遅れ回復し漆野原に1分早着。国道沿いに歩くとあと1分  というところで橋が尽き、バスが向こうから現れて乗り継ぎ成功。 ・日向高崎線バスでは運転士が「組合で沿線の1軒1軒に利用を呼びかけ、役場や  公民館などに廃止反対の署名を頼んで廃止を食い止めてきた。役場は定期券・回  数券の半額を補助する施策まで打ちだしたが客足に結び付かない」と苦しい背景  を語ってくれた。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・宮林線は、1934(S9)年に宮崎〜小林町(→小林)が開業したのがルーツで、戦後  の1954(S29)年には日向高崎線野尻町〜高崎新田が開業するとともに、宮林本線  小林〜吉松が開業し鹿児島県内に達した。宮崎〜小林は鉄道敷設法の予定線に  該当し鉄道の代行路線であり、吉都線及び日豊線を宮崎駅及び小林駅で連絡する  鉄道の短絡路線としての使命を有していた。 ・当時、線内の日向高岡及び野尻町に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として、宮崎自動車営業所(宮崎)及び同小林支所(小林)が置かれて  いた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、宮林線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    宮崎〜小林 13往復    紙屋〜小林 下り1本    一里山〜小林 上り1本   (この他、宮崎〜日向高岡、野尻町〜小林に区間運転ありと注記) 3.2 旅から30年 ・宮林線は、国鉄民営化を経てJR九州に継承された。1988(S63)年に小林高校への  乗り入れが開始(休止中の小林〜市役所下は再開)された一方、日向高崎線の東  原口〜高崎新田、内畑〜東原口〜高原が順次廃止された。また、同年には休止中  の上の原〜宮原〜栗下も廃止された。 ・1989(H1)年には休止中の市役所下〜吉松が廃止された。1991(H3)年に日向高崎駅  及び野尻町駅が停留所化(委託駅廃止)された。1992(H4)年には宮水流〜穆佐校  前〜日向高岡が廃止された。 ・「JR九州バス宮林線時刻表」1997(H9)年11月改正によると、宮林線には次のよ  うな系統が設定されていた。    宮崎〜小林高校(大橋・堀切経由) 下り1本(日祝運休)    宮崎〜小林高校(大橋経由)急行 上り1本(日祝運休、小林高校〜小林は     土曜運休)    宮崎〜小林(大橋経由)特急 1往復    宮崎〜小林(大橋経由)急行 下り7本(うち日祝運休3本)・上り10本(     うち日祝運休3本)    宮崎〜小林(南詰経由) 下り2本    宮崎〜小林(南詰・堀切経由) 1往復    宮崎〜一里山(南詰経由) 1往復    宮崎〜一里山(南詰・瀬越経由) 下り3本(土曜運行、2・4土曜日祝     運休、土日祝運休各1本)・上り4本(うち一里山〜日向高岡間2・4     土曜日祝運休、土曜運行、土曜日祝運休(日向高岡〜宮崎間2・4土曜     日祝運休)、土曜日祝運休各1本)    宮崎〜日向高岡(南詰経由) 上り1本(日祝運休)    日向高岡〜一里山 下り1本(2・4土曜日祝運休)    一里山〜小林 下り1本    野尻町〜小林高校 下り1本(2・4土曜日祝運休)    野尻町〜小林 下り4本(うち土曜運行(2・4運休)、土曜運行各1本)・     上り6本(2・4土曜日祝運休2本、土曜運行(2・4運休)、土曜運行、     日祝運行各1本)    小林〜小林高校 下り4本(うち2・4土曜日祝運休2本、土曜日祝運休2本)     ・上り5本(2・4土曜日祝運休4本、土曜日祝運休1本)    野尻町〜内畑 3往復(2・4土曜日祝運休、土曜運行(2・4運休)、土曜     日祝運休各1往復) ・残された区間も2004(H16)年に廃止されて、宮林線は全廃となった。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、宮林線には接続駅(宮崎、  小林、吉松、高崎新田及び高原)の他、日向高岡及び野尻町に自動車駅(第  一種委託駅)が置かれていた。 ・運行末期の2003(H15)年の主要駅時刻表によると、宮林線には次のような系統が設  定されていた。  (平日)    宮崎〜小林高校(大橋経由)急行 上り2本    宮崎〜小林(大橋経由)急行 下り10本・上り8本    宮崎〜小林高校(大橋・堀切経由)下り1本    宮崎〜小林(大橋経由) 上り1本    宮崎〜一里山(大橋・瀬越経由) 下り2本    宮崎〜一里山(大橋経由) 上り1本    宮崎〜一里山(南詰経由) 上り1本    一里山〜小林高校 1往復    野尻町〜小林 1往復    野尻町〜内畑 1往復  (日宿)    宮崎〜小林(大橋経由)急行 9往復    宮崎〜一里山(大橋経由) 上り1本    宮崎〜一里山(南詰経由) 下り1本 ・1989(H1)年の路線図によると、宮林線関係の宮崎交通との運輸協定・覚書には次  のようなものがあった。    宮崎〜西ノ原 双方とも橘橋経由の路線を宮崎大橋経由に変更する場合は、     回数増加が伴わない限り、お互いに同意すること。但し、国鉄は宮交の市     内均一運賃(定期運賃を含む)と同一区間については同一運賃とする     こと。     (S33.12.19覚書)    宮崎〜日向高岡 宮崎〜高岡間の一般乗合旅客自動車運送事業については、     その運行時刻を設定するとき又は今後これを改正する場合は両者協議の上     決定する。(S30.8.15覚書)    宮崎〜小林 宮交は日向川口〜小林間6往復。停留所は国鉄に同調。(S39.4     .13協定書、S39.4.14覚書)    日向川口〜小林 宮交の運行回数6往復を8往復とする。但し増便を行う場     合は国鉄の了解を得るものとする。(S61.2.28覚書)
2015 年 07 月 27 日 19:57:38 (14972) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【215】安家線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇安家線   安家本線    1 久慈−沢廻    2 田高−小久慈焼    3 堀−陸中白山   日蔭線    1 久慈−日吉町−堀   三沢線    1 夏節口−陸中一ノ渡 1.2 路線略図              金田一・種市                 Λ                 |             葛巻<−+−◎久慈                   |          小久慈焼○−○−−○本町               /田高/ \              /  /○久慈・             /通学+=+商業|            / 橋○ // 高校|           /  +−+    |          /  // ○日吉神社前|         ・  // /      |        堀○−+−○日吉町    |         | //         |      岩瀬張○ ○陸中白山     |         +−+         |         |           |    新山根○=+           ○普代駅前    温泉   ○山根         |         |           ・          |          / \       安家○         / 黒崎○−○黒崎灯台         |        ・  入口|      下江川○・・      |    |         |  ・ 陸中  ・ 北山崎|         |   ・一の渡/   入口○−○北山崎灯台      夏節口○−−−○−−○     /         | 田代口  |    /         |   田野畑○−−−○平井賀            |      |  /     龍泉洞前○  島ノ越口○−○島ノ越港         |      |     <−−−○−−−−−−○岩手中野       岩泉  沢廻     |     営業所前       V              小本・田老 ※山根〜安家は長期休止中、田高〜小久慈焼は観光便「三陸観光号」の専用区間 ※久慈〜普代駅前〜黒崎入口〜北山崎入口〜平井賀〜島ノ越港〜島ノ越口〜田老  は陸中海岸本線、普代駅前〜田野畑は普代線、平井賀〜田野畑〜島ノ越口は田  野畑線 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・安家線は、1950(S25)年に普代線の支線として久慈〜陸中白山が開業したのが  ルーツで、1953(S28)年に陸中白山〜安家〜岩泉三本松(→岩泉営業所前)が  開業した。この路線は、岩手チベット高原(「鉄道辞典」上巻9頁)の開拓  路線で、遠野線とともに岩手東部未開発地帯縦断路線の一環となり、また八戸  市方面から宮古、釜石方面への短絡コースとしての使命を有していた。 ・当時、線内の(自)久慈に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点  として、久慈自動車営業所(久慈〜安家を所管。川貫)及び岩泉自動車営業所  (沢廻〜安家を所管。岩泉営業所前)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、安家線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    岩泉・岩泉営業所前〜安家 2往復    久慈〜山根 3往復 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正の久慈自営管内「国鉄バス時刻表」によると、安家線(久  慈口)には次のような系統が設定されていた。    久慈〜山根 3往復    久慈〜滝 1往復    久慈〜白山 7往復    久慈〜日吉町 3往復    久慈〜岩瀬張(日吉町経由) 下り1本 ・国鉄末期の1986(S61)年に三沢線(夏節口〜陸中一の渡)が廃止された。 ・安家線は長期休止区間を含めて、国鉄民営化及び自動車分離を経てJRバス東北  に継承された。 ・1988(S63)年3月改正の久慈営業所管内「JRバス時刻表」によると、安家線(  久慈口)には次のような系統が設定されていた。    久慈〜山根 4往復    久慈〜滝 1往復    久慈〜白山 7往復    久慈〜日吉町 3往復    久慈〜岩瀬張(日吉町経由) 下り1本 ・1995(H7)年4月改正の久慈営業所管内「JRバス時刻表」によると、安家線(  久慈口)には次のような系統が設定されていた。    久慈〜山根 3往復    久慈〜滝 2往復    久慈→岩瀬張→白山→日吉町→久慈 2回(日祝運休)    久慈→日吉町→久慈 1回    久慈→久慈商業→日吉町→白山→岩瀬張→久慈 1回(日祝学休運休)    久慈→日吉町→白山→岩瀬張→久慈 1回    久慈→久慈商業→久慈 1回(祝学休以外の土曜運転)    久慈→日吉町→久慈商業→久慈 2回 ・1996(H8)年に岩泉口の安家〜龍泉洞前が廃止された。また同年、久慈口では新山  根温泉に乗入れを開始した。 ・2005(H17)年に岩瀬張〜新山根温泉〜山根、長内中学校前〜幸橋〜日吉神社前、  幸橋〜久慈商業高校、通学橋〜稲村団地〜中里が廃止された。 ・2007(H19)年には残された、久慈〜田高〜堀〜岩瀬張〜白山〜日吉町〜長内中学校  前〜久慈が廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、安家線には接続駅(久慈)のみ  置かれていた。 ・民営化後の平成初期に久慈市内の日蔭線は、長内中学校前〜幸団地〜日吉神社前、  幸橋〜久慈商業高校、通学橋〜稲村団地〜中里〜陸中白山が開業し、日吉町〜堀  の一部が廃止された。その路線略図は次の通りである。           ・>小袖          /      本町 /長内橋   久慈<−○+−−○−>陸中野田      / \   \   田高○ 新開○   ・−−○久慈商業高校     | 橋  \     //  小久慈○     \ 幸橋 //  焼前 |   長内中○=○=+     |   学校前|   ○幸団地     |      |鹿糠口//     |   通学橋○−○−+     |      //   ○日吉神社前|     |  稲村団地○   |     |      //   |    堀○………………+−−−○日吉町     |    中里○     |      //  岩瀬張○−−○===・     | 陸中白山     V     山根
2015 年 07 月 27 日 19:56:22 (14971) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【705】阿波線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇阿波線   阿波本線    1 板野駅南−穴吹    2 拝原西−脇町   阿波山手線    1 鍛冶屋原−下喜来−阿波用水    2 法林寺−一本杉    3 下喜来−阿波病院前   三本松線    1 鴨島−阿波吉田 1.2 路線略図               阿波病               院北      阿波                  下喜来 入口 法林寺 吉田       土柱入口○−○−○−−−−○−−○−−+−○−−◎板野駅南           |   |    |  | / 鍛冶屋  (板野)       拝原西 |   |市場町 |  |/   原   脇町○−−○−−○−−−○−○−−○−−○        | 阿波  阿波   一本杉 |北二条        | 用水  病院       |      穴吹◎     前        ・−◎鴨島 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・阿波本線1 穴吹〜拝原西〜阿波用水 ・阿波山手線1 阿波用水〜土柱入口〜下喜来 ・阿波山手線3 下喜来〜阿波病院前 ・阿波本線1 阿波病院前〜市場町〜一本杉 ・阿波山手線2 一本杉〜法林寺 ・阿波山手線1 法林寺〜阿波吉田〜鍛冶屋原 ・阿波本線1 鍛冶屋原〜北二条 ・三本松線1 北二条〜鴨島 2.2 掲載 ・+2日目 9/17(火),+3日目 9/18(水) S61.1号 4.四国編 単行本 p332〜339 ・連載誌のみ 鴨島駅前で発車を待つ穴吹行きバスの写真 2.3 行程 ○穴吹1404→1414脇町 阿波線 穴吹発 脇町行 524-9401(三菱MP107K) △脇町1641→1650拝原西 阿波線 脇町発 穴吹行 524-9401(三菱MP107K) ○拝原西1707→1715阿波用水 阿波線 穴吹発 鴨島行 524-9401(三菱MP107K) ○阿波用水1745→1812阿波病院北入口 阿波線 穴吹発 鴨島行                           334-6004(三菱MK103H) ○阿波病院北入口1911→1915市場町 阿波線 鴨島発 市場町行                         331-0403(いすゞK-CCM410) ○市場町1928→1950鴨島 阿波線 穴吹発 鴨島行 334-6003(三菱MK103H) ○一本杉1020→1037鍛冶屋原西 阿波線 鴨島発 鍛冶屋原行          北二条・法林寺・阿波吉田経由 331-0404(いすゞK-CCM410) ○鍛冶屋原西1037→1100鴨島 阿波線 鍛冶屋原発 鴨島行 北二条経由                           524-9401(三菱MP107K) 2.4 エピソード ・発車待ちの運転士同士が「分割民営反対の署名がいろいろありすぎて、前のも  全体にゆき渡らないまま保留になっている。こんなことでいいのか」などと話  し合っているのをもれ聞いた。 ・山手線はいくぶんこぶりなボディー1台がやっと通れる程度の細いくねくねし  た道をたどって田畑の中を走り、山すその土柱入口を通る。 ・阿波病院北入口から乗ったバスの運転士の開設によれば、もともとこの系統は  市場町筋折り返しだったが、ワンマン化に当たって回転場がないため市場町へ  回送する短絡線として設けられたとのこと。 ・一本杉から乗った鍛冶屋原行きは、法林寺から右へ折れ、三木武夫元首相の生  家を見るうち、これ以上狭くてはクルマが通れないようなSカーブやカギ形に  おれる難所にかかった。こちらはボディーもこぶりだが、道を知り尽くしてい  る運転士だけにハンドルさばきは見事。路上駐車のクルマがいて、どうみても  通り抜けられないような空間を静々とすり抜け、かすりもしない。 ・時刻表上では乗り継げそうもない便に間に合わせてくれた。鍛冶屋原の手前に  時刻表には載っていない鍛冶屋原西停留所があって、鍛冶屋原西〜鍛冶屋原は  本線、山手線とも同じ道を走り、たいてい鍛冶屋原西あたりですれ違うからな  んとかなると保証してくれ、その通りになった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・阿波線は、1943(S18)年に板西(→板野)〜鍛冶屋原が鍛冶屋原線として開業  したのがルーツで、戦後の1946(S21)年に鍛冶屋原〜市場町〜拝原西〜穴吹が  開業して阿波線となった。この路線は、戦時中板西〜鍛冶屋原の鉄道が撤去  され、その代行路線として開業し、沿線の産業文化の発展助長の使命を有して  いた。 ・国鉄(鉄道)鍛冶屋原線は戦時中撤去されたが、終戦後の1947(S22)年から再開  となっていたが、1970(S45)年度の収支係数679と悪化したため、並行道路にバス  運行を行っている徳島バス(30往復)、国鉄バス(1往復)に輸送を委ねるべく  地元折衝を行った。バス増便が条件となったため、国鉄バス3往復、徳島バス  43往復が1972(S47)年1月16日から鉄道代替バスとして運行開始した。 ・当時、線内の市場町及び脇町に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点  として、鍛冶屋原自動車営業所(鍛冶屋原)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、阿波線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    穴吹〜脇町 下り22本・上り23本    穴吹〜鴨島(市場町経由) 下り5本・上り4本    穴吹〜鴨島(土柱入口経由) 下り3本・上り4本    穴吹〜市場町 下り1本    市場町〜鴨島 8往復    脇町〜鴨島 1往復    脇町〜市場町 上り2本    市場町〜鍛冶屋原 下り1本・上り1本    鴨島〜鍛冶屋原 下り10本・上り9本    北二条〜鍛冶屋原 2往復    鍛冶屋原〜板野 3往復 3.2 旅から30年 ・国鉄末期の1986(S61)年に阿波山手線の市場町筋〜阿波用水が廃止された。その  他の区間は、国鉄民営化を経てJR四国に継承された。 ・「四国旅客鉄道バス阿波線時刻表」1990(H2)年3月改正によると、阿波線には次  のような系統が設定されていた。    穴吹〜脇町 下り25本・上り24本    穴吹〜鴨島 下り3本・上り2本    市場町〜鴨島(本線経由) 下り3本・上り5本    市場町〜鴨島(山手線経由) 下り5本・上り2本    脇町〜鴨島 下り3本・上り4本    市場町〜鍛冶屋原 上り1本    鴨島〜鍛冶屋原(本線経由) 下り3本・上り2本    鴨島〜鍛冶屋原(山手線経由) 下り2本・上り3本    鴨島〜鍛冶屋原(法林寺〜山手線経由) 下り2本・上り1本    鍛冶屋原〜板野 3往復 ・1990(H2)年に阿波山手線の鍛冶屋原〜市場町筋〜阿波病院前及び法林寺〜一本杉、  三本松線の北二条〜讃岐吉田が廃止となった。 ・1996(H8)年には鍛冶屋原〜板野駅南が廃止された。 ・最後まで残った区間(鍛冶屋原〜穴吹、拝原西〜脇町及び北二条〜鴨島)も1999  (H11)年に廃止され、阿波線は全廃となった。 ・1990(H2)年に鍛冶屋原自動車営業所は徳島自動車営業所に改称された。1998(H10)  年に本四・淡路高速線の基地として同佐古営業所が開設された。1999(H11)年の阿  波線全廃後も徳島自動車営業所は存続し、2004(H16)年のJR四国バス発足時に、  徳島自営佐古営業所を徳島支店とし、徳島自営は徳島支店鍛冶屋原営業所となっ  た。鍛冶屋原営業所は京阪神〜四国の高速バスの乗り継ぎ基地の役割を担ってき  たが、2011(H23)年に徳島支店に統合された。 3.3 旅の考察 ・代替輸送とは、1968(S43)年9月の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル線撤去  に伴い、鉄道路盤と並行する一般道路を運行し、運賃は一般のバス賃率を適用し  ている路線の輸送であり、阿波線(鉄道鍛冶屋原線)を含め5路線を国鉄自動車  が担当していた。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、阿波線には接続駅(板野、穴吹  及び鴨島)の他、市場町及び脇町に自動車駅(第一種委託駅)が置かれていた。
2015 年 07 月 26 日 11:03:22 (14970) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【611】阪本線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇阪本線    1 五条−城戸 1.2 路線略図       五条◎         |         ○賀名生         |         ○城戸         |         |       折立○         |         V      熊野本宮・新宮   ※五条〜新宮は五新線(五条〜城戸は阪本線との重複区間) 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・1937(S12)年に鉄道建設線に決定された五条〜阪本は、戦争により工事中断を  はさみ、1960(S35)年に五条〜城戸の路盤工事が完成したが、1962(S37)年に  国鉄自動車専用道として運行することが決定された。このため、1963(S38)年  から専用道の工事に着工し、1965(S40)年に五条〜城戸が開業した。 ・開業当時は、バスストップを11か所設け、片道26分の所要時分で、1日17往復  を運行した。その後、1979(S54)年度は五条〜城戸24往復及び五条〜生子2往復  が運行されていた。 ・1969(S44)年11月1日から五新線の五条〜城戸(国道168号線)が廃止され、  城戸(阪本線既設停車場)〜阪本に五新線が開業した(国鉄公示第338・339  号)。なお、この時に国鉄自動車路線名称の改正は行われず、五条〜城戸は  五新線と阪本線の重複区間となった。 ・1985(S60)年当時、線内に自動車駅として城戸駅が存在した。また、国鉄バス  運行の拠点として、加茂自動車営業所五条支所(五条)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、阪本線  は五条〜城戸に20往復が運行されていたのを確認できる。 3.2 旅から30年 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、阪本線は西日本JRバスに継承された。 ・2002(H14)年に阪本線は全廃され、加茂営業所五条派出所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・国鉄バスの専用道による代行輸送には、鉄道建設予定線敷を運行する建設代行  と、鉄道線を撤去したあとの線路敷を運行する撤去代行とがあり、前者には白  棚線、阪本線が、後者には杉津線、柳ヶ瀬線があった。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、阪本線には接続駅(五条)の  他、第1種委託駅として城戸駅が存在した。なお、五新線にも城戸駅が存在し  ていたが、営業範囲(後者は荷物を取り扱わない)や参照公示が異なっており、  同一の駅を意味しているのかどうかは明確でない。 ・1983(S58)年に五条支所は、紀伊田辺自動車営業所から加茂自動車営業所へ移管  されている。
2015 年 07 月 26 日 11:02:09 (14969) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【610】五新線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇五新線    1 五条−新宮    2 請川−静川 1.2 路線略図             五条◎               |               |             城戸○               |               |               |             折立○               |          十津川温泉○               |            熊野萩○               |          本宮大社前○               |      将監ノ峰○−−○−○熊野本宮         /| 湯峰 |  紀伊田辺<−・ | 温泉 |        渡瀬○    |        温泉 \   |            ○−−○請川           /川湯 |          / 温泉 |       静川○     ○志古               |               |               |            権現前○                   /|           丹鶴町○ |            /  |         新宮◎−−−○登坂 ※五条〜城戸は阪本線との重複区間、熊野本宮以西及び川湯温泉〜将監ノ峰は  熊野線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・五新線1 新宮〜請川〜熊野本宮 2.2 掲載 ・20日目 6/20(木) S61.2号 5.近畿編(上) 単行本 p110〜111 2.3 行程 ○新宮0600→0725本宮大社前 五新線 新宮発 折立行 534-4478(三菱P-MP118K) 2.4 エピソード ・新宮市内を一回りして何人かお客を拾い、熊野川右岸に沿う杉林の168号線を  遡る。早朝の山中なのにところどころで1人、2人と乗り降りして、運転士  と世間話をしていく。 ・熊野本宮で乗換えだが100円払って本宮大社前まで乗り越し。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・五新線は、1958(S33)年に請川〜新宮が川丈線として開業したのがルーツで、  1963(S38)年に五条〜八木尾が開業して五条〜新宮が全通した。五新線は、  紀勢本線と和歌山線を結ぶ短絡路線を形成し、この区間の先行路線としての  使命を有していた。また、この路線は熊野の山岳地帯を越えて、太平洋岸の  新宮に至る長距離路線であり、沿線の風景は変化に富み、多くの史跡や温泉  郷を持っていると言われた。、 ・1969(S44)年11月1日から五新線の五条〜城戸(国道168号線)が廃止され、  城戸(阪本線既設停車場)〜阪本に五新線が開業した(国鉄公示第338・339  号)。なお、この時に国鉄自動車路線名称の改正は行われず、五条〜城戸は  五新線と阪本線の重複区間となった。 ・このうち、五条側の折立以北は、1978(S53)年までに国鉄バスの運行が休止  されていた。 ・当時、線内の熊野本宮に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点と  して、紀伊田辺自動車営業所新宮支所(新宮)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、五新  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    新宮〜折立 1往復    新宮〜十津川温泉 2往復(うち快速便1往復)    新宮〜本宮大社前 上り1本    新宮〜熊野本宮 下り4本・上り3本    請川〜湯ノ峰温泉 上り1本 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年の国鉄自動車路線名称の全面改正で、五新線の第1区間は五条〜  城戸が削られて「城戸・新宮間」となった。 ・国鉄再末期の1987(S62)年に川湯温泉〜静川が廃止された。それ以外の五新線  の区間は、国鉄民営化及び自動車分離を経て西日本JRバスに継承された。 ・1991(H3)年に折立〜七色及び休止区間の折立以北が廃止されて、十津川村から  JRバスが姿を消した。 ・残された七色以南の区間(新宮〜熊野本宮〜七色及び請川〜川湯温泉)は、  2002(H14)年に廃止されて五新線は全廃となった。紀伊田辺営業所新宮派出所  も廃止となった。 3.3 旅の考察 ・馬渡一真「つばめバス十津川郷をゆく−五新線開業す−」(『国鉄線』1963(S38)  年5月号所収)によると、五条〜新宮の直通バス路線は5社(奈良交通、熊野  交通、国鉄、南海、近鉄)競願となったが、1962(S37)年11月に国鉄は五条〜  新宮1往復(申請は3往復)、奈交は奈良〜新宮2往復、熊交は橋本〜新宮2  往復が許可され南海と近鉄は却下された。認可後のこの路線の運営に当たっては  三者相互の協調・協力が第一とされ、停留所(21か所)は全部同一位置で標柱も  共用する、車両故障その他の事故の場合には旅客の便宜を第一義に考えて現場同  士で相互に救済し合うという取り決めを交わす等がなされた。ダイヤの設定に当  たっては五条、新宮とも各社共通のダイヤで1時間おきに発車することでまとま  り、どの時間帯を選ぶかについては、国鉄が1往復しかないことから希望のスジ  に落ち着いた(新宮発7:00、五条発11:20で途中休憩時間30分を含めて7時間  運転)。国鉄バス五新線では、開業以来無事故に終始した尾鷲営業所の乗務員、  紀勢線全通まで矢の川峠の峻嶮を越えてきた人たちがそのままこの路線を担当  した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(3/2現在)によると、国鉄の  五条〜新宮直通便は次の1往復が設定されていた。    新宮0700→熊野本宮0813→十津川温泉0851→折立0858→1239五条    五条1147→折立1533→十津川温泉1540→熊野本宮1630→1733新宮 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、五新線には接続駅(五条及び  新宮)の他、第1種委託駅として城戸及び熊野本宮の各駅が存在した。なお、  阪本線にも城戸駅が存在していたが、営業範囲(五新線駅は荷物を取り扱わない  )や参照公示が異なっており、同一の駅を意味しているのかどうかは明確で  ない。  なお、この資料に五新線城戸駅が載っていることから、1977(S52)年8月の時点  では国鉄バスの五条〜新宮の運行があったと解される。 ・国鉄バスの五条〜折立間休止時期については、1978(S53).10.2から休止とする  資料もあるが、「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)  には既に国鉄の五条〜新宮直通便は載っていない。 ・1996(H8)年から2002(H14)年の間、大阪(のちに京都)〜新宮(紀伊田辺経由)  に夜行バス「ルナメール号」が運行されていた。この路線は紀伊田辺営業所新宮  派出所の担当であったが、2002(H14)年に五新線全廃とともに新宮派出所も廃止  されるため、この夜行バスも休止となった。
2015 年 07 月 26 日 10:59:46 (14968) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【609】熊野線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇熊野線   熊野本線    1 紀伊田辺−熊野本宮    2 紀伊田辺−鶴ヶ丘    3 鮎川新橋−城ノ浦    4 清姫−一願地蔵前    5 紀伊中川−紀伊小松原    6 将監ノ峯−川湯温泉   富里線    1 滝尻−苔口 1.2 路線略図                           五条                           Λ                           |                         折立○                           |                      十津川温泉○                           |                        熊野萩○                           |                      本宮大社前○           紀伊小松原           |             ○    将監ノ峰○−−○−○熊野本宮              \  +=+ /| 湯峰 |           紀伊中川○−+○+・ | 温泉 |              /  高尾 渡瀬○    |          栗栖川○   隧道 温泉 \   |             |          ○−−○請川           滝尻○−−−○−○苔口 /川湯 |             | 打越・    / 温泉 |      一願地蔵前○−○清姫 ・ 静川○     ○志古             |   ・         |         鮎川新橋○−○・・         V             | 城ノ浦         新宮             |             ◎朝来        鶴ケ丘 /  紀伊田辺◎−−○−・      | /      +・ ※五条〜新宮及び請川〜静川は五新線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・熊野本線1 熊野本宮〜将監ノ峯〜栗栖川〜鶴ヶ丘〜紀伊田辺 2.2 掲載 ・20日目 6/20(木) S61.2号 5.近畿編(上) 単行本 p110〜112 2.3 行程 ○熊野本宮0935→1001請川 熊野本線 熊野本宮発 新宮行(湯ノ峰温泉経由)                        334-8404(三菱MK115H改) ×請川→湯ノ峰温泉 タクシー ○湯ノ峰温泉1226→1500紀伊田辺 熊野本宮発 紀伊田辺行                        334-8403(三菱MK115H改) 2.4 エピソード ・路線の戸籍と運転系統がかなり違っており、紀伊田辺行きはさっき通った  五新線を請川へ戻ったのち川湯温泉を回り、湯ノ峰温泉を往復して田辺へ  向かう。きっぷの経路は戸籍上の熊野本線をまっすぐ湯ノ峰温泉へ行かね  ばならず、そのコースを通るのは新宮行きの一部だった。 ・湯ノ峰温泉経由の新宮行きに乗ってみると、Sカーブ連続登りの悪路。対  向車が来るたび、行き違いできないのでどちらかがバックする。 ・12時26分に熊野本宮から請川を回ってきた紀伊田辺行きが到着、将監ノ峰  まで戻って、国道とは名ばかりの311号線を行く。細いカーブを上り下り  するかと思うと、吊り橋のある集落へ出たり、車窓は美しく、変化がある。  13時半ごろ近露で7分休憩。 ・1車線ぎりぎりで、中ほどに行き違い所のある逢坂トンネルを抜け、14時  過ぎの栗栖川でも5分停車。 ・「自動車線普通旅客運賃表」によれば、田辺市内の鶴ケ丘〜紀伊田辺間は  本線が1.1kmで、0.1km長い別線もあるから、別線経由できっぷを買ったの  だが、運転士に聞くとその間の路線は1本だというし、後に紀伊田辺営業  所へ電話で尋ねても同じような答えしか返って来ず釈然としない。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・熊野線は、1947(S22)年に紀伊田辺〜熊野本宮〜請川が開業したのがルーツで、  沿線の地方産業文化及び吉野熊野国立公園の観光開発を使命としていた。開通  当時は、富田川に沿い熊野の山また山を越えて奥熊野の仙境に至るこの路線は  運転に特別の技術と注意を要する難所が多いと言われていた。 ・当時、線内には自動車駅として栗栖川及び熊野本宮駅が存在した。また、国鉄  バス運行の拠点として、紀伊田辺自動車営業所(紀伊田辺)と栗栖川、熊野本  宮の両派出所が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、熊野線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    紀伊田辺〜熊野本宮 3往復    紀伊田辺〜高尾隧道 上り1本    紀伊田辺〜紀伊中川 2往復    紀伊田辺〜栗栖川 下り12本・上り11本 3.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1987(S62)年に紀伊中川〜紀伊小松原が廃止された。その他の区間  は国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに継承された。 ・1990(H2)年に支線の鮎川新橋〜城ノ浦及び富里線全線が廃止され、翌1991(H3)  年に清姫〜一願地蔵前が廃止された。 ・1999(H11)年には小広峠の新道開通に伴って経路変更が行われ、旧道区間のうち  高尾隧道〜小広峠が廃止になった。 ・2002(H14)年に栗栖川以東の栗栖川〜宮の上〜渡瀬温泉〜湯ノ峰温泉〜熊野本宮、  宮の上〜高尾隧道及び渡瀬温泉〜川湯温泉が廃止された。残された紀伊田辺〜  栗栖川(紀伊田辺〜鶴ケ丘の別線を含む)は2009(H21)年に廃止され、熊野線は  全廃となった。同時に紀伊田辺営業所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、熊野線には接続駅(紀伊田辺、  紀伊新庄及び朝来)の他、第1種委託駅として栗栖川及び熊野本宮の両駅が置か  れていた。両駅では特別扱小荷物(新聞輸送)が行われていた。 ・1997(H9)年3月改正の「JRバス熊野線時刻表」によると、熊野線には次のよう  な系統が設定されていた。    紀伊田辺〜本宮大社前 3往復    紀伊田辺〜高尾隧道 下り2本・上り3本    紀伊田辺〜近露 下り1本(土日祝学休は栗栖川止)    紀伊田辺〜栗栖川 下り9本(うち日祝学休運休1本)・上り9本(うち日     祝運休、日祝学休運休各1本)    栗栖川〜高尾隧道 下り1本    栗栖川〜近露 上り2本(日祝学休運休、土日祝学休運休各1本)    栗栖川〜福定 下り1本(土曜運転学休運休)    熊野大瀞〜熊野本宮 下り1本(日祝運休)
2015 年 07 月 25 日 10:39:54 (14967) 政宗3号さんの書き込み (補足資料)仙台南線(角田本線直通急行便)の系譜 <前史> 1935(S10).10.17 白中線白石−中村−原釜間(48km)開業(S10.10.15鉄道省告示461号)。角田自動車所開設。 1937(S12).09.01 船岡線磐城角田・船岡間開業(S12.08.25鉄道省告示284号) 1938(S13).08.01 白中線一本木・槻木間(10km)開業(S13.07.30鉄道省告示174号) <正史> 国鉄バスは前述のごとく仙台鉄道株式会社との相互乗入れにより築館〜仙台間の運転を開始し、昭和26年7月10日より市内乗入れ運転を実施していた。その後10月に至り槻木〜仙台間、吉岡〜仙台間の路線免許を申請した。国鉄バスはこれより先仙南交通の角田〜槻木間の路線を買収していたがこれを角田〜江尻〜大河原〜槻木〜仙台間(37.8km)に延長して1日3往復の運行をなさんとする計画であった。しかるにこの路線は仙南交通が市営バスとの乗入れ協定により直通バスを運行している路線でもあるので、市営バスとしてはこれに反対の態度を示したのであったが、遂に免許を得るに至り運行を開始した。(仙台市交通局三十年史(1956年)) 1952(S27).05.25 槻木線槻木・仙台間(24km)開業。槻木(7)岩沼町(17)仙台(S27.05.24国鉄公示165号) 1952(S27).12.25訂補白中線時刻表では、仙台〜磐城大内間に急行便2往復。  (下り便)            (上り便)    仙台1030→磐城大内1230     磐城大内0630→仙台0830    仙台1700→磐城大内1903     磐城大内0950→仙台1150 1954(S29).04.22訂補白中線時刻表では、仙台〜磐城大内間に急行便2往復。  (下り便)            (上り便)    仙台1040→磐城大内1243     磐城大内0630→仙台0830    仙台1800→磐城大内2003     磐城大内0950→仙台1150 1955(S30).05.01改正白中線時刻表では、仙台〜金山町・磐城大内間に急行便4往復。  (下り便)            (上り便)    仙台1040→磐城大内1249     磐城大内0625→仙台0835    仙台1400→磐城大内1609     金山町0750→仙台0945    仙台1615→磐城大内1824     磐城大内0950→仙台1155    仙台1800→磐城大内2009     磐城大内1522→仙台1730 1956(S31).05.18訂補白中線時刻表では、仙台〜金山町・磐城大内間に急行便4往復。  (下り便)            (上り便)    仙台1040→磐城大内1249     磐城大内0625→仙台0835    仙台1400→磐城大内1609     金山町0750→仙台0945    仙台1600→磐城大内1809     磐城大内0950→仙台1155    仙台1800→磐城大内2009     磐城大内1520→仙台1730 1958(S33).05.01改正白中線時刻表では、仙台〜金山町・磐城大内・中村間に急行便4往復。  (下り便)            (上り便)    仙台1040→磐城大内1248     磐城大内0615→仙台0825    仙台1400→磐城大内1606     金山町0750→仙台0945    仙台1600→磐城大内1813     中村0915→仙台1200    仙台1800→磐城大内2008     磐城大内1520→仙台1730 1959(S34).06.01改正白中線時刻表では、仙台〜磐城角田・磐城大内・中村間に急行便下り5本・上り6本。  (下り便)            (上り便)    仙台0900→磐城大内1108     磐城大内0620→仙台0825    仙台1040→磐城大内1248     磐城大内0737→仙台0945    仙台1400→中村1649       磐城角田0940→仙台    仙台1600→中村1852       中村0915→仙台1200    仙台1800→磐城大内2008     磐城大内1310→仙台1520                     磐城大内1520→仙台1730   ※仙台着発は三越前迄延長4分との注記あり。 全国バス路線便覧昭和34年版(S34.06.21改訂)では、関係系統の諸元は次の通り。  ・磐城大内〜仙台(54.0km)、所要2:08、運賃170円、始発0722、終発1520、   3.5回 1961(S36).05.01改正白中線時刻表では、仙台〜磐城角田・磐城大内・相馬間に急行便6往復。  (下り便)            (上り便)    仙台0915→相馬1207       磐城大内0615→仙台0820    仙台1040→磐城大内1248     磐城大内0737→仙台0945    仙台1400→相馬1649       相馬0813→仙台1100    仙台1600→磐城大内1813     相馬0915→仙台1200    仙台1800→磐城大内2008     磐城大内1310→仙台1520    仙台1950→磐城角田2110     磐城大内1520→仙台1730 仙台自動車営業所は(中略)昭和36年12月からは古川線(仙台〜築館間)、角田線(仙台〜磐城大内間)の一般乗合旅客自動車運送事業を開始しました。(仙台自動車営業所開設40周年記念乗車券(S61.11.03発行)) 全国バス路線便覧昭和39年版(S39.07.15発行)では、関係系統の諸元は次の通り。  ・磐城大内〜三越前(56.0km)、運賃200円、始発上り0550下り0850、   終発上り1642下り1750、6回  ・金山町〜三越前(51.0km)、運賃180円、始発上り0705下り0650、   終発上り1825下り1550、3回  ・磐城角田〜三越前(39.0km)、運賃130円、始発上り1400下り1950、1回 1964(S39).08.20現在角田線時刻表では、仙台〜金山町・磐城大内・相馬間に急行便下り9本・上り10本。  (下り便)            (上り便)    仙台0900→相馬1152       磐城大内0550→仙台0755    仙台1100→磐城大内1308     磐城大内0620→仙台0825    仙台1300→磐城大内1508     磐城大内0742→仙台0950    仙台1400→磐城大内1613     磐城大内1110→仙台1320    仙台1500→磐城大内1708     磐城大内1315→仙台1520    仙台1800→磐城大内2005     磐城大内1512→仙台1720                     磐城大内1642→仙台1850    仙台0700→金山町         金山町0710→仙台    仙台1600→金山町         金山町0925→仙台    仙台1700→金山町         金山町1825→仙台 1965(S40).10.01改正角田線時刻表では、仙台〜金山町・磐城大内・相馬間に急行便9往復。  (下り便)    仙台0700→槻木町0752→磐城角田0830→金山町0900    仙台0900→槻木町0952→磐城角田1030→相馬1152    仙台1100→槻木町1152→磐城角田1225→磐城大内1308    仙台1300→槻木町1352→磐城角田1425→磐城大内1508    仙台1400→槻木町1452→磐城角田1530→磐城大内1613    仙台1500→槻木町1552→磐城角田1626→磐城大内1708    仙台1600→槻木町1652→磐城角田1725→金山町1755    仙台1700→槻木町1752→磐城角田1825→金山町1852    仙台1800→槻木町1852→磐城角田1925→磐城大内2005  (上り便)    磐城大内0550→磐城角田0635→槻木町0701→仙台0755    磐城大内0615→磐城角田0700→槻木町0726→仙台0825    磐城大内0742→磐城角田0830→槻木町0858→仙台0950    相馬0820→→→磐城角田1000→槻木町1028→仙台1120    磐城大内1110→磐城角田1200→槻木町1226→仙台1320    磐城大内1315→磐城角田1400→槻木町1426→仙台1520    磐城大内1512→磐城角田1600→槻木町1626→仙台1720    磐城大内1642→磐城角田1730→槻木町1756→仙台1850    相馬1710→→→磐城角田1900→槻木町1926→仙台2015 1967(S42).07.10現在角田線時刻表では、仙台〜金山町・磐城大内・相馬間に急行便下り9本・上り8本。  (下り便)    仙台0700→槻木町0752→磐城角田0825→相馬0920(磐城大内通過)    仙台0900→槻木町0952→磐城角田1030→相馬1150    仙台1100→槻木町1152→磐城角田1225→磐城大内1306    仙台1300→槻木町1352→磐城角田1425→磐城大内1506    仙台1400→槻木町1452→磐城角田1530→磐城大内1613    仙台1500→槻木町1552→磐城角田1625→磐城大内1708    仙台1600→槻木町1652→磐城角田1725→金山町1755    仙台1700→槻木町1752→磐城角田1825→金山町1852    仙台1800→槻木町1852→磐城角田1925→磐城大内2004  (上り便)    磐城大内0550→磐城角田0635→槻木町0701→仙台0755    磐城大内0615→磐城角田0700→槻木町0726→仙台0825    磐城大内0742→磐城角田0830→槻木町0858→仙台0950    磐城大内1110→磐城角田1200→槻木町1226→仙台1320    磐城大内1315→磐城角田1400→槻木町1426→仙台1520    磐城大内1512→磐城角田1600→槻木町1626→仙台1720    磐城大内1642→磐城角田1730→槻木町1756→仙台1850    金山町1828→→磐城角田1900→槻木町1926→仙台2015 1970(S45).07.09現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便10往復。  (下り便)    仙台0700→槻木町0747→磐城角田0825→金山町0848    仙台0900→槻木町0952→磐城角田1030→磐城大内1107    仙台1100→槻木町1154→磐城角田1224→磐城大内1300    仙台1300→槻木町   →磐城角田  →磐城大内    仙台1400→槻木町   →磐城角田  →磐城大内    仙台1500→槻木町   →磐城角田  →磐城大内    仙台1600→槻木町1655→磐城角田1730→金山町1801    仙台1700→槻木町1755→磐城角田1828→磐城大内1902    仙台1800→槻木町1855→磐城角田1925→磐城大内1959    仙台2000→槻木町2049→磐城角田2113  (上り便)    磐城大内0554→磐城角田0635→槻木町0700→仙台0752    磐城大内0620→磐城角田0700→槻木町0725→仙台0827    金山町0709→→磐城角田0740→槻木町0805→仙台0900    磐城大内0735→磐城角田0825→槻木町0850→仙台0945    金山町0927→→磐城角田1000→槻木町1025→仙台1120    磐城大内1132→磐城角田   →槻木町  →仙台    磐城大内1324→磐城角田   →槻木町  →仙台    磐城大内1507→磐城角田1550→槻木町1615→仙台1717    磐城大内1645→磐城角田1730→槻木町1755→仙台1848    金山町1832→→磐城角田1900→槻木町1925→仙台2015 1972(S47).01.07現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便下り10本・上り9本。  (下り便)    仙台0700→槻木町0747→磐城角田0825→金山町0848    仙台0900→槻木町0952→磐城角田1030→磐城大内1109    仙台1100→槻木町1154→磐城角田1224→磐城大内1301    仙台1300→槻木町   →磐城角田    仙台1400→槻木町   →磐城角田  →磐城大内    仙台1500→槻木町   →磐城角田    仙台1600→槻木町1655→磐城角田1730→金山町1801    仙台1700→槻木町1755→磐城角田1828→磐城大内1902    仙台1800→槻木町1855→磐城角田1925→磐城大内1959    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2109  (上り便)    磐城大内0546→磐城角田0635→槻木町0700→仙台0752    磐城大内0620→磐城角田0700→槻木町0726→仙台0837    金山町0707→→磐城角田0740→槻木町0805→仙台0905    磐城大内0738→磐城角田0825→槻木町0850→仙台0947    金山町0932→→磐城角田1000→槻木町1025→仙台1120    磐城大内1130→磐城角田   →槻木町  →仙台    磐城大内1506→磐城角田1550→槻木町1618→仙台1725    磐城大内1645→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1902    金山町1832→→磐城角田1900→槻木町1925→仙台2015 1972(S47).11.10現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便10往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0737→磐城角田0820→金山町0845    仙台0900→槻木町0954→磐城角田1030→磐城大内1113    仙台1100→槻木町1154→磐城角田1228→磐城大内1305    仙台1300→槻木町1354→磐城角田1430→金山町1459    仙台1400→槻木町1454→磐城角田1530→磐城大内1613    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1628→磐城大内1715    仙台1600→槻木町1655→磐城角田1730→金山町1803    仙台1700→槻木町1757→磐城角田1828→磐城大内1911    仙台1800→槻木町1857→磐城角田1930→磐城大内2007    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0545→磐城角田0630→槻木町0655→仙台0754    磐城大内0614→磐城角田0700→槻木町0726→仙台0837    金山町0700→→磐城角田0740→槻木町0805→仙台0905    磐城大内0732→磐城角田0825→槻木町0850→仙台0949    金山町0926→→磐城角田1000→槻木町1025→仙台1121    磐城大内1127→磐城角田1211→槻木町1239→仙台1334    磐城大内1315→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1526    金山町1514→→磐城角田1550→槻木町1618→仙台1725    磐城大内1635→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1902    金山町1840→→磐城角田1910→槻木町1935→仙台2027 1974(S49).12.20現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便10往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0737→磐城角田0820→金山町0844    仙台0900→槻木町0954→磐城角田1030→磐城大内1110    仙台1100→槻木町1154→磐城角田1228→磐城大内1303    仙台1300→槻木町1354→磐城角田1430→磐城大内1510    仙台1400→槻木町1454→磐城角田1530→磐城大内1610    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1628→磐城大内1712    仙台1600→槻木町1655→磐城角田1730→金山町1802    仙台1700→槻木町1757→磐城角田1834→磐城大内1914    仙台1800→槻木町1857→磐城角田1930→磐城大内2006    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0544→磐城角田0630→槻木町0655→仙台0754    磐城大内0614→磐城角田0700→槻木町0726→仙台0837    金山町0700→→磐城角田0740→槻木町0805→仙台0905    磐城大内0735→磐城角田0830→槻木町0855→仙台0954    金山町0926→→磐城角田1000→槻木町1025→仙台1121    磐城大内1128→磐城角田1211→槻木町1239→仙台1334    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1526            磐城角田1550→槻木町1618→仙台1725    磐城大内1635→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1902    金山町1840→→磐城角田1910→槻木町1935→仙台2027 1975(S50).01.10現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便10往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0737→磐城角田0820→金山町0844    仙台0900→槻木町0954→磐城角田1030→磐城大内1110    仙台1100→槻木町1154→磐城角田1228→磐城大内1303    仙台1300→槻木町1354→磐城角田1430→磐城大内1510    仙台1400→槻木町1454→磐城角田1530→磐城大内1610    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1628→磐城大内1712    仙台1600→槻木町1655→磐城角田1730→金山町1802    仙台1700→槻木町1757→磐城角田1834→磐城大内1914    仙台1800→槻木町1857→磐城角田1930→磐城大内2006    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0544→磐城角田0630→槻木町0655→仙台0754    磐城大内0614→磐城角田0700→槻木町0726→仙台0837    金山町0700→→磐城角田0740→槻木町0805→仙台0905    磐城大内0735→磐城角田0830→槻木町0855→仙台0954    金山町0926→→磐城角田1000→槻木町1025→仙台1121    磐城大内1128→磐城角田1211→槻木町1239→仙台1334    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1526            磐城角田1550→槻木町1618→仙台1725    磐城大内1635→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1902    金山町1840→→磐城角田1910→槻木町1935→仙台2027  ※1975(S50).07.02現在角田線時刻表でも同じ。 1975(S50).12.13改正角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便10往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0737→磐城角田0820→金山町0844    仙台0900→槻木町0954→磐城角田1030→磐城大内1110    仙台1100→槻木町1154→磐城角田1228→磐城大内1303    仙台1300→槻木町1354→磐城角田1430→磐城大内1510    仙台1400→槻木町1454→磐城角田1530→磐城大内1610    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1628→磐城大内1712    仙台1600→槻木町1655→磐城角田1730→金山町1802    仙台1700→槻木町1757→磐城角田1834→磐城大内1914    仙台1800→槻木町1857→磐城角田1930→磐城大内2006    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0544→磐城角田0630→槻木町0655→仙台0754    磐城大内0614→磐城角田0700→槻木町0726→仙台0837    金山町0700→→磐城角田0740→槻木町0805→仙台0905    磐城大内0735→磐城角田0830→槻木町0855→仙台0954    金山町0926→→磐城角田1000→槻木町1025→仙台1121    磐城大内1128→磐城角田1211→槻木町1239→仙台1334    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1526            磐城角田1550→槻木町1618→仙台1725    磐城大内1635→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1902    金山町1840→→磐城角田1910→槻木町1935→仙台2027  ※1976(S51).03.02現在、1976(S51).04.02現在、1976(S51).07.01現在、1976(S51).09.02現在、1977(S52).04.02現在、1977(S52).05.02現在の角田線時刻表でも同じ。 1978(S53).08.11現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便10往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0744→磐城角田0820→金山町0844    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1030→磐城大内1110    仙台1100→槻木町1157→磐城角田1228→磐城大内1303    仙台1300→槻木町1354→磐城角田1430→磐城大内1510    仙台1400→槻木町1457→磐城角田1530→磐城大内1610    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1628→磐城大内1712    仙台1600→槻木町1657→磐城角田1735→金山町1804    仙台1700→槻木町1800→磐城角田1837→磐城大内1914    仙台1800→槻木町1900→磐城角田1933→磐城大内2008    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0544→磐城角田0630→槻木町0656→仙台0805    磐城大内0616→磐城角田0700→槻木町0727→仙台0837    金山町0700→→磐城角田0740→槻木町0805→仙台0905    磐城大内0735→磐城角田0830→槻木町0855→仙台1002    金山町0930→→磐城角田1000→槻木町1026→仙台1126    磐城大内1133→磐城角田1216→槻木町1244→仙台1342    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1530            磐城角田1550→槻木町1618→仙台1722    磐城大内1635→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1902    金山町1840→→磐城角田1910→槻木町1932→仙台2030 1979(S54).07.02現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便10往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0744→磐城角田0822→金山町0846    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1030→磐城大内1110    仙台1100→槻木町1157→磐城角田1228→磐城大内1303    仙台1300→槻木町1354→磐城角田1430→磐城大内1510    仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1628→磐城大内1712    仙台1600→槻木町1657→磐城角田1735→金山町1804    仙台1710→槻木町1810→磐城角田1844→磐城大内1921    仙台1800→槻木町1900→磐城角田1933→磐城大内2008    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0550→磐城角田0630→槻木町0656→仙台0805    磐城大内0615→磐城角田0655→槻木町0722→仙台0832    金山町0700→→磐城角田0735→槻木町0800→仙台0905    磐城大内0735→磐城角田0830→槻木町0855→仙台1002    金山町0930→→磐城角田1000→槻木町1026→仙台1126    磐城大内1133→磐城角田1216→槻木町1244→仙台1342    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1530            磐城角田1550→槻木町1618→仙台1722    磐城大内1635→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1902    金山町1840→→磐城角田1910→槻木町1932→仙台2030  ※1979(S54).08.02現在、1979(S54).09.01現在、1979(S54).11.01現在、1979(S54).12.05改正、1980(S55).03.01現在、1980(S55).06.02現在、1980(S55).10.01改正の角田線時刻表でも同じ。 1981(S56).02.02現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便10往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0744→磐城角田0822→金山町0846    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1030→磐城大内1110    仙台1100→槻木町1157→磐城角田1228→磐城大内1303    仙台1300→槻木町1354→磐城角田1430→磐城大内1510    仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1628→磐城大内1712    仙台1600→槻木町1657→磐城角田1735→金山町1804    仙台1710→槻木町1810→磐城角田1850→磐城大内1927    仙台1800→槻木町1900→磐城角田1933→磐城大内2008    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0550→磐城角田0630→槻木町0656→仙台0805    磐城大内0615→磐城角田0655→槻木町0722→仙台0832    金山町0700→→磐城角田0735→槻木町0800→仙台0905    磐城大内0735→磐城角田0830→槻木町0855→仙台1002    金山町0930→→磐城角田1000→槻木町1026→仙台1126    磐城大内1133→磐城角田1216→槻木町1244→仙台1342    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1530            磐城角田1550→槻木町1618→仙台1722    磐城大内1635→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1902    金山町1840→→磐城角田1910→槻木町1932→仙台2030  ※1981(S56).05.02現在、1981(S56).12.15改正、1982(S57).02.02現在、   1982(S57).03.01現在、1982(S57).05.01現在、1982(S57).07.01現在、   1982(S57).09.14現在(11/15改正予定とある)の角田線時刻表でも同じ。 1982(S57).11.14時点の仙台南線時刻表では、仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便10往復。(参考:不毛掲示板7853,7855)  (下り便)    1021便(仙台)仙台0650→槻木町0744→磐城角田0822→金山町0846    1023便(仙台)仙台0900→槻木町0957→磐城角田1030→磐城大内1110    1025便(仙台)仙台1100→槻木町1157→磐城角田1228→磐城大内1303    1027便(角田)仙台1300→槻木町1354→磐城角田1430→磐城大内1510    1029便(仙台)仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523    1031便(角田)仙台1500→槻木町1554→磐城角田1628→磐城大内1712    1033便(仙台)仙台1600→槻木町1657→磐城角田1735→金山町1804    1035便(仙台)仙台1710→槻木町1810→磐城角田1850→磐城大内1927    1037便(仙台)仙台1800→槻木町1900→磐城角田1933→磐城大内2008    1039便(角田)仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    1022便(仙台)磐城大内0550→磐城角田0630→槻木町0656→仙台0805    1024便(仙台)磐城大内0615→磐城角田0655→槻木町0722→仙台0832    1026便(角田)金山町0700→→磐城角田0735→槻木町0800→仙台0905    1028便(角田)磐城大内0735→磐城角田0830→槻木町0855→仙台1002    1030便(仙台)金山町0930→→磐城角田1000→槻木町1026→仙台1126    1032便(仙台)磐城大内1133→磐城角田1216→槻木町1244→仙台1342    1034便(仙台)磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1530    1036便(仙台)        磐城角田1550→槻木町1618→仙台1722    1038便(角田)磐城大内1635→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1902    1040便(仙台)金山町1840→→磐城角田1910→槻木町1932→仙台2030 1982(S57).11.15改正仙台南線運転時刻表(観音堂停車場に掲出)では、仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便8往復。  (下り便)    1021便(仙台)仙台0650→槻木町0744→磐城角田0813/0822→金山町0847    1023便(仙台)仙台0930→槻木町0957→磐城角田1024/1030→磐城大内1106    1025便(仙台)仙台1100→槻木町1157→磐城角田1222(丸森町行き接続)    1029便(仙台)仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523(磐城大内行き接続)    1031便(角田)仙台1500→槻木町1554→磐城角田1621(金山町行き接続)    1033便(仙台)仙台1600→槻木町1657→磐城角田1727(磐城大内行き接続)    1037便(仙台)仙台1740→槻木町1841→磐城角田1909/1914→磐城大内1949    1039便(角田)仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    1024便(仙台)磐城大内0558→磐城角田0633/0635→槻木町0702→仙台0813    1028便(角田)磐城大内0740→磐城角田0820/0830→槻木町0855→仙台1003    1030便(仙台)金山町0935→→磐城角田1000/1005→槻木町1031→仙台1132    1032便(仙台)磐城大内1133→磐城角田1210/1216→槻木町1244→仙台1343    1034便(仙台)          磐城角田1405→槻木町1430→仙台1531    1036便(仙台)          磐城角田1550→槻木町1618→仙台1723    1038便(角田)磐城大内1642→磐城角田1722/1730→槻木町1801→仙台1903    1040便(仙台)          磐城角田1850→槻木町1912→仙台2010 1983(S58).01.08現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便8往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0744→磐城角田0822→金山町0846    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1030→磐城大内1110    仙台1100→槻木町1157→磐城角田1228→磐城大内1302    仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1626→磐城大内1700    仙台1600→槻木町1657→磐城角田1727    仙台1740→槻木町1841→磐城角田1914→金山町1937    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0558→磐城角田0635→槻木町0702→仙台0813    磐城大内0740→磐城角田0830→槻木町0855→仙台1002    金山町0935→磐城角田1005→槻木町1031→仙台1132    磐城大内1133→磐城角田1216→槻木町1244→仙台1343    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1531    磐城角田1550→槻木町1618→仙台1723    磐城大内1642→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1903    磐城角田1850→槻木町1912→仙台2010 1983(S58).03.01現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便8往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0744→磐城角田0822→金山町0846    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1030→磐城大内1110    仙台1100→槻木町1157→磐城角田1228→磐城大内1302    仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1626→磐城大内1700    仙台1600→槻木町1657→磐城角田1727    仙台1740→槻木町1841→磐城角田1914→磐城大内1951    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0558→磐城角田0635→槻木町0702→仙台0813    磐城大内0743→磐城角田0830→槻木町0855→仙台1002    金山町0935→磐城角田1005→槻木町1031→仙台1132    磐城大内1133→磐城角田1216→槻木町1244→仙台1343    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1531    磐城角田1550→槻木町1618→仙台1723    磐城大内1642→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1903    磐城角田1850→槻木町1912→仙台2010 1983(S58).04.01現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便8往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0744→磐城角田0822→金山町0846    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1030→磐城大内1110    仙台1100→槻木町1157→磐城角田1228→磐城大内1303    仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1626→磐城大内1700    仙台1600→槻木町1657→磐城角田1727    仙台1740→槻木町1841→磐城角田1914→磐城大内1951    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0558→磐城角田0635→槻木町0702→仙台0813    磐城大内0743→磐城角田0830→槻木町0855→仙台1002    金山町0935→磐城角田1005→槻木町1031→仙台1132    磐城大内1133→磐城角田1216→槻木町1244→仙台1343    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1531    磐城角田1550→槻木町1618→仙台1723    磐城大内1642→磐城角田1730→槻木町1801→仙台1903    磐城角田1850→槻木町1912→仙台2010 1983(S58).06.01現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内・相馬間に急行便8往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0744→磐城角田0822→金山町0847    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1030→磐城大内1106→相馬1126    仙台1100→槻木町1157→磐城角田1228→磐城大内1303    仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1631→磐城大内1705    仙台1605→槻木町1702→磐城角田1732    仙台1740→槻木町1837→磐城角田1914→磐城大内1949    仙台2000→槻木町2054→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0553→磐城角田0635→槻木町0702→仙台0813    金山町0750→磐城角田0830→槻木町0855→仙台1002    金山町0935→磐城角田1005→槻木町1031→仙台1132    磐城大内1133→磐城角田1216→槻木町1244→仙台1343    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1531    磐城角田1550→槻木町1610→仙台1723    磐城大内1647→磐城角田1727→槻木町1806→仙台1908    磐城角田1850→槻木町1912→仙台2010  ※1983(S58).07.01現在、1983(S58).09.01現在、1983(S58).11.08現在、1983(S58).11.29現在の角田線時刻表でも同じ。 1984(S59).02.01現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内・相馬間に急行便8往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0744→磐城角田0822→金山町0847    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1030→磐城大内1106→相馬1126    仙台1100→槻木町1157→磐城角田1228→磐城大内1303    仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523    仙台1500→槻木町1554→磐城角田1631→磐城大内1705    仙台1605→槻木町1702→磐城角田1732    仙台1740→槻木町1844→磐城角田1918→磐城大内1953    仙台2000→槻木町2054→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0605→磐城角田0650→槻木町0721→仙台0832    金山町0750→磐城角田0830→槻木町0855→仙台1002    金山町0935→磐城角田1005→槻木町1031→仙台1132    磐城大内1133→磐城角田1216→槻木町1244→仙台1343    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1531    磐城角田1550→槻木町1610→仙台1723    磐城大内1647→磐城角田1727→槻木町1806→仙台1908    磐城角田1850→槻木町1912→仙台2010  ※1984(S59).04.02現在角田線時刻表でも同じ。 1984(S59).07.02現在角田線時刻表では仙台〜磐城角田・金山町・磐城大内間に急行便8往復。  (下り便)    仙台0650→槻木町0744→磐城角田0822→金山町0847    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1036→磐城大内1106    仙台1100→槻木町1157→磐城角田1228→磐城大内1303    仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523    仙台1500→槻木町1559→磐城角田1631→磐城大内1705    仙台1605→槻木町1702→磐城角田1732    仙台1740→槻木町1844→磐城角田1918→磐城大内1953    仙台2000→槻木町2050→磐城角田2119  (上り便)    磐城大内0600→磐城角田0650→槻木町0720→仙台0832    金山町0750→磐城角田0830→槻木町0855→仙台1003    金山町0935→磐城角田1005→槻木町1031→仙台1132    磐城大内1133→磐城角田1216→槻木町1244→仙台1343    磐城大内1318→磐城角田1405→槻木町1430→仙台1531    磐城角田1550→槻木町1618→仙台1723    磐城大内1647→磐城角田1727→槻木町1806→仙台1908    磐城角田1850→槻木町1912→仙台2010  ※1984(S59).08.06現在、1984(S59).09.01現在、1984(S59).10.08現在、1984(S59).11.01現在の角田線時刻表でも同じ。 1985(S60).03.14改正角田線時刻表では、仙台〜磐城角田・磐城大内間に急行便3往復。(全便仙台自営担当:不毛掲示板7855)  (下り便)    仙台0640→槻木町0733→磐城角田0810→磐城大内0846    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1034→磐城大内1110    仙台1400→槻木町1457→磐城角田1523(休日運休)  (上り便)    磐城大内0920→磐城角田1000→槻木町1026→仙台1127    磐城大内1140→磐城角田1220→槻木町1248→仙台1347    磐城角田1640→槻木町1708→仙台1813(休日運休) 1986(S61).07.01改正仙台南線時刻表では、仙台〜磐城角田・磐城大内間に急行便3往復。  (下り便)    仙台0640→槻木町0733→磐城角田0803/0810→磐城大内0846(休日運休)    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1024/1034→磐城大内1110    仙台1405→槻木町1502→磐城角田1528  (上り便)    磐城大内0920→磐城角田0957/1000→槻木町1026→仙台1127(休日運休)    磐城大内1140→磐城角田1210/1215→槻木町1242→仙台1342    磐城角田1700→槻木町1728→仙台1833 1987(S62).04.01改正角田線時刻表では、仙台〜磐城角田・磐城大内間に急行便下り3本・上り2本。  (下り便)    仙台0640→槻木町0733→磐城角田0810→磐城大内0846(休日運休)    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1029→磐城大内1110    仙台1405→槻木町1502→磐城角田1528  (上り便)    磐城大内0920→磐城角田1000→槻木町1026→仙台1127(休日運休)    磐城大内1140→磐城角田1215→槻木町1243→仙台1342 1988(S63).01.04現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田・磐城大内間に急行便下り3本・上り2本。  (下り便)    仙台0640→槻木町0733→磐城角田0810→磐城大内0846(休日運休)    仙台0900→槻木町0957→磐城角田1029→磐城大内1105    仙台1405→槻木町1502→磐城角田1528  (上り便)    磐城大内0920→磐城角田1000→槻木町1026→仙台1127(休日運休)    磐城大内1140→磐城角田1215→槻木町1243→仙台1342 1989(H01).01.09現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田・丸森町・磐城大内間に急行便4往復。  (下り便)    仙台0640→槻木町0733→磐城角田0810→磐城大内0843     (4/1〜11/30運転、休日運休)    仙台0910→槻木町1004→磐城角田1039→丸森町1103    仙台1500→槻木町1553→磐城角田1623    仙台2230→槻木町2310→磐城角田2340  (上り便)    磐城大内0920→磐城角田1000→槻木町1030→仙台1127     (4/1〜11/30運転、休日運休)    丸森町1108→→磐城角田1200→槻木町1230→仙台1327    磐城角田1740→槻木町1810→仙台1913    磐城角田2040→槻木町2105→仙台2200 1991(H03).01.16現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田間1往復。  (下り便)          (上り便)    仙台2210→磐城角田2320   磐城角田0550→仙台0700  ※当日のブルーシティ号(仙台駅前0750→1245青森1710→2205仙台駅前)   の出入庫便。 1991(H03).06.01現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田間1往復。  (下り便)          (上り便)    仙台0835→磐城角田0955   磐城角田1930→仙台2040  ※上り便は翌日のブルーシティ号(仙台駅前0750→青森1230)の出庫便、   下り便は前日のブルーシティ号(青森1610→仙台駅前2050)の入庫便。 1992(H04).01.16現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田間1往復。  (下り便)          (上り便)    仙台2100→磐城角田2210   磐城角田1915→仙台2025  ※上り便は翌日のブルーシティ号(仙台駅前0750→青森1245)の出庫便、   下り便は当日のブルーシティ号(青森1610→仙台駅前2105)の入庫便。 1992(H04).05.01現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田間1往復。  (下り便)          (上り便)    仙台0850→磐城角田1000   磐城角田0600→仙台0710  ※1992(H04).06.01現在仙台南線時刻表でも同じ。  ※上り便は当日のブルーシティ号(仙台駅前0850→青森1340)の出庫便、   下り便は前日のブルーシティ号(青森1720→仙台駅前2210)の入庫便。 1993(H05).01.25現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田間1往復。  (下り便)          (上り便)    仙台0640→磐城角田0750   磐城角田1900→仙台2010  ※上り便は翌日のブルーシティ号(仙台駅前0850→青森1355)の出庫便、   下り便は前日のブルーシティ号(青森1720→仙台駅前2225)の入庫便。 「ブルーシティ号」については、角田からそのまま6型車で仙台に行って青森に向かうのと、角田〜仙台間は2型で走り、仙台で車両交換するという2通りのパターンがありました。特に、ワンマンで花輪交替(十和田南の乗務員と)するようになってからは、後者のパターンが多くなったように記憶しています。(不毛掲示板14445) 1993(H05).09.01現在角田線時刻表では、仙台〜磐城角田間1往復。  (下り便)          (上り便)    仙台0620→磐城角田0730   磐城角田1900→仙台2010  ※1993(H05).12.01現在仙台南線時刻表でも同じ。  ※上り便は翌日のブルーシティ号(仙台駅前0750→青森1240(冬季1255))   の出庫便、下り便は前日のブルーシティ号(青森1610→仙台駅前2100   (冬季2115))の入庫便。 1994(H06).03.01仙台南線(江尻〜仙台間)廃止。
2015 年 07 月 25 日 10:33:23 (14966) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【220】角田線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇角田線   角田本線    1 船岡−相馬    2 丸森橋−丸森   仙台南線    1 江尻−仙台   白石線    1 天神町−白石蔵王    2 天神町−角田−馬場内 1.2 路線略図                        仙台◎                         /                        /                              ◎岩沼中央                  槻木◎ / 三丁目                    |/  (岩沼)             船岡◎ 槻木町○                \   |                 \  |                江尻○−・                  |        白坂        ○一本木   白石◎−−○−−−○馬場内 /     | /     |  /     |/  角田◎−+−○天神町     ◎       |   白石蔵王      ○磐城角田             |    三月殿           東町○−−−−−○−−○−>坂元             |     |  河原             ○館矢間  |             |     ○小斉             ○丸森橋  |             |  小斉口|         丸森◎−○−−−○−・            丸森町  |                 ○金山町                 |                 ○磐城大内                 |                 |                 ○南菅谷                  \  相馬                   ・−◎−>松川浦・原釜 ※東町以東、小斉口以東は小斉線、相馬以東は相馬海岸線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・仙台南線1 岩沼中央三丁目〜槻木 ・角田本線2 丸森〜丸森橋 ・角田本線1 丸森橋〜丸森町〜小斉口 ・角田本線1 東町〜磐城角田〜天神町〜江尻〜船岡 2.2 掲載 ・50日目 8/8(木) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p232〜235 ・連載誌のみ 岩沼駅の写真、丸森駅の写真、磐城角田駅の写真 2.3 行程 ○岩沼中央三丁目0714→0738槻木町 仙台南線 仙台発 磐城大内行 531-8003                             (いすゞK-CLM500) ×丸森0850→0852丸森橋 宮城交通バス ×丸森橋0853→0906磐城角田 角田本線 丸森町発 磐城角田行 △磐城角田0945→1000丸森町 角田本線 磐城角田発 相馬行                         531-0010(いすゞK-CLM500) ×丸森町→小斉口 タクシー ○小斉口1114→1142磐城角田 小斉本線 金山町発 磐城角田行                         331-2072(いすゞK-CDM410) ○磐城角田1320→1348船岡 角田本線 磐城角田発 船岡行 537-5007(日野) 2.4 エピソード ・岩沼駅には同一駅であるはずの岩沼中央三丁目の案内はない。通行人に2度も  道を尋ね、駅前通りを5分はたっぷり歩き、仙台市交、宮城交通、東北急行と  共用の停留所を見つけた。 ・磐城大内行きのバスは定刻に現れたが、常磐線の下をくぐって阿武隈川左岸の  堤防脇に出ると渋滞。槻木駅ならここだと教えられたのは槻木町停留所だった。 ・狭い商店街を少し歩くと東北本線槻木駅に突き当たり、別系統で駅へ入るバス  が6往復あることが分かったが、槻木町〜槻木間0.3kmは徒歩連絡とする。 ・国鉄バスで丸森駅に発着するのは朝夕1本ずつ、丸森線ディーゼルカーを降り  て2分接続できっぷのコース通りの大回りルートを走るバスがあった。 ・磐城角田駅待合室の片隅に荷物を留守番させ、バスにタクシーを交えた小刻み  乗り継ぎで一周。小斉口から小さな峠を越えて田園地帯を行くと、セミの鳴き  声がバスの中まで降ってくる。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・角田線は、1935(S10)年に白石〜磐城角田〜中村(→相馬)〜原釜が白中線と  して開業したのがルーツで、1937(S12)年に磐城角田〜船岡が、1938(S13)年に  一本木〜槻木が開業した。その使命は、東北本線と常磐線の短絡及び仙南地方  の交通を確保し、産業文化の開発に寄与することであった。昭和30年代からは  磐城大内から角田・槻木を経て仙台まで急行バスを運転していた。 ・当時、線内に自動車駅として磐城角田、丸森町、金山町及び磐城大内の各駅が  存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、角田自動車営業所(角田市役所  前)及び同相馬支所(相馬)、仙台自動車営業所(仙台市内)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、角田線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    仙台〜磐城大内 2往復    仙台〜磐城角田 1往復    磐城角田〜相馬 下り7本・上り6本    磐城角田〜磐城大内 6往復    磐城角田〜丸森町 下り2本・上り1本    船岡〜磐城角田 12往復    白石蔵王〜磐城角田 6往復    白石〜磐城角田 3往復 3.2 旅から30年 ・国鉄末期の1986(S61)年に白石線白坂〜白石蔵王(直行ルート)が開業した。 ・角田線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス東北に継承された。  民営化直後の1987(S62)年に、「角田循環線」(一本木〜角田女子高前〜磐城  角田)及び「北郷線」(角田市役所前〜左関中央〜磐城横倉、後沖〜北郷小学  校前)が開業した。 ・その後、1990(H2)年に一本木〜角田女子高前、1991(H3)年に「北郷線」全線及  び白石線白坂〜白石蔵王(直行ルート)が廃止された。1994(H6)年には仙台南  線が廃止され、1996(H8)年に白石線が廃止された。 ・最後まで残った区間(船岡〜相馬、梶賀〜磐城角田、磐城角田〜角田女子高前、  丸森橋〜丸森及び天神町〜角田)は1999(H11)年に廃止され、角田営業所も廃止  された。 3.3 旅の考察 ・1952(S27)年に槻木線槻木〜仙台が開業すると、国鉄バスは仙台〜磐城大内の  直通急行バスの運行を開始した。1959(S34)年には仙台側を古川線に乗り入れて  三越前停留所まで延長したが、競合する仙南交通が東二番丁の仙台バスセンター  発着であったためにサービス改善策として実施されたものと思われる。1961  (S36)年からは仙台自動車営業所もこの急行バスの運行に参画した。1985(S60)年  3月改正で仙台地区に「国電型ダイヤ」が実施され、仙台直通が3往復に減らさ  れる(仙台発着の減便分は槻木発着で以南の運行を存置)まで9〜10往復程度が  設定されていた。(補足資料参照) ・丸森線第3セクター化(阿武隈急行開業)に伴う国鉄バス増発ダイヤ改正 (1)国鉄丸森線の角田駅及び丸森駅には国鉄バスが乗り入れていたが、このうち、  角田駅からは1985(S60)年3月改正ダイヤでは次の5本が設定されていた。    0645磐城角田行    0838 〃    1429磐城大内行    1638磐城角田行    1850河原行  また、丸森駅からは丸森町方面に朝夕の2本が設定されていた。 (2)1986(S61)年7月1日から国鉄丸森線を引き継いだ阿武隈急行線が開業すると、  国鉄バスもダイヤ改正を行って角田、丸森両駅の発着便を増発した。このうち、  角田駅については磐城角田〜角田に18往復が設定された。また、丸森駅につい  ては、丸森〜丸森町に下り6本・上り7本、丸森〜金山町が下り1本、磐城角  田〜丸森町・金山町・磐城大内のうち丸森に寄る便が下り6本・上り8本が設  定された。 (3)1986(S61)年7月1日改正の角田自動車営業所管内時刻表によると、角田線等に  は次のような系統が設定されていた。  (角田本線)    磐城角田〜相馬 4往復    磐城角田〜磐城大内 7往復(うち日祝運休1往復、仙台直通2往復を     含む)    磐城角田〜金山町 上り2本    磐城角田〜丸森町 下り11本・上り10本    丸森〜丸森町 下り6本・上り7本    丸森〜金山町 下り1本    磐城大内〜相馬 1往復    南菅谷〜相馬 6往復(うち日祝運休1往復)    船岡〜磐城角田 17往復  (仙台南線)    仙台〜磐城角田 3往復(うち日祝運休1往復、磐城大内直通2往復     を含む)    槻木〜磐城角田 2往復  (白石線)    白石蔵王〜磐城角田 5往復(うち下り2本・上り3本は直通便)    白石〜磐城角田 7往復    角田〜磐城角田 18往復  (小斉線)    磐城角田〜小斉〜金山町 6往復    磐城角田〜河原 3往復  (相馬海岸線)    相馬→松川浦→相馬港→相馬 20本  (岩の子線)    相馬〜岩の子 3往復 ・民営化前後から経営基盤の確立と折からの高速道路の延伸を背景として、国鉄  バス・JRバスの高速路線が急速に拡大した。1989(H1)年から仙台〜青森の高  速バス「ブルーシティー」が運行開始するが、開業当時JRバス東北は角田営  業所が担当になった。このため、仙台南線が1996(H8)年に廃止されるまでは、  同線に高速用6型車が充当され、ダイヤも高速線の出入庫に合わせたものと  なっていた。(補足資料参照)  
2015 年 07 月 25 日 10:31:47 (14965) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【201】下北線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇下北線   下北本線    1 田名部−陸奥脇野沢   安部城線    1 川内町−湯野川温泉 1.2 路線略図        湯野川温泉  大平中 運動          ○    学校前 公園前  源藤城○    |     ○−−○−−・      \   |     |  |  |  陸奥脇野沢○−−○−−○−−◎−−○−−○−−◎田名部      /  川内町 泉沢 大湊 山田 下北  九艘泊○                駅通 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・下北線は、1943(S18)年9月に本田名部〜川内町、同年10月に川内町〜陸奥脇  野沢が開業したのがルーツで、その使命は下北地方の交通を確保し、産業の  開発進行を図ることであった。 ・当時、線内には(自)田名部、川内町及び陸奥脇野沢に自動車駅が存在した。  また、国鉄バス運行の拠点として大湊自動車営業所(山田)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年10月号(9/1現在)によると、下北  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (下北本線)    田名部〜陸奥脇野沢 下り6本・上り7本    田名部〜川内町 4往復    田名部〜泉沢 下り2本  (安部城線)    川内町〜湯野川温泉 3往復 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、陸奥脇野沢〜九艘泊、  下北駅通〜大平中学校前〜大湊、山田〜運動公園前及び陸奥脇野沢〜源藤城  が認知された。 ・下北線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス東北に継承された。  1988(S63)年にはむつ市内の、運動公園前〜つつじヶ丘団地前、市役所前〜  矢立温泉〜運動公園前及び市役所前〜松山団地入口〜むつ病院前の各区間が  開業した。これらの区間は1992(H4)年の時点では運行がなされていたが、19  97(H9)年までには廃止となった模様である。他方、同じくむつ市内区間の第  二田名部小学校前〜十二林〜中央町一丁目〜運動公園前が1997(H9)年までに  開業している。 ・安部城線は1990(H2)年に廃止され、末端区間の陸奥脇野沢〜九艘泊は1993(H  5)年、陸奥脇野沢〜源藤城は1995(H7)年に廃止された。 ・2006(H18)年にむつ市脇野沢分庁舎の移転に伴って陸奥脇野沢〜脇野沢庁舎前  が延長された。一方、運動公園前〜大平中学校前〜大湊は2009(H21)年に廃止  された。 ・2015(H27)年7月現在、下北線は田名部〜脇野沢庁舎前他がJRバス東北によ  って運行されている。 3.3 旅の考察 ・1992(H4)年4月改正の大湊管内「JRバス時刻表」によると、下北線には、  次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (下北本線)    田名部〜九艘泊 下り1本・上り2本    田名部〜源藤城 2往復    田名部〜脇野沢 4往復    田名部〜川内町 2往復    田名部〜陸奥泉沢 下り11本(うち日祝運休1本)・上り10本(うち     日祝運休1本)    田名部〜宇曽利川 下り7本(うち日祝運休、日祝学休日運休各1本)     ・上り12本(うち日祝学休日運休2本、土曜運転1本、日祝学休日     土曜運休1本)    田名部〜大湊高校 下り2本(日祝学休日運休)    田名部〜山田 下り2本(うち日祝学休日運休1本)    山田〜脇野沢 下り1本(日祝学休日運休)    山田〜陸奥泉沢 上り1本    山田〜宇曽利川 下り3本(うち土曜運転、日祝学休日運休各1本)・     上り1本(日祝学休日運休)    山田〜大湊高校 下り1本    脇野沢〜九艘泊 下り1本    脇野沢〜源藤城 1往復  (並川町、つつじヶ丘団地)    田名部〜つつじヶ丘〜並川町〜大湊・山田 4往復    田名部〜矢立〜並川町〜大湊〜山田 1往復  (松山団地循環)    田名部〜市役所〜松山団地〜第二田名部小〜田名部 2回 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、下北線には接続駅(田名部  及び大湊)の他、川内町及び陸奥脇野沢に自動車駅(第一種委託駅)が置かれ  ていた。
2015 年 07 月 22 日 21:15:14 (14964) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【801】美伯線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇美伯線    1 津山−倉吉    2 津山−茅町(南回り)    3 勘平茶屋−三朝温泉 1.2 路線略図       ◎倉吉       |       |   勘平茶屋○−○三朝温泉       |       |       |       |  茅町     院庄◎−−○−−◎津山          |  |          ・−−・ 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・美伯線は、1955(S30)年に津山〜上井(→倉吉)が開業したのがルーツである。  この路線は、姫新線津山駅を起点として岡山県苫田郡奥津村を経由して中国山  脈を横断し、倉吉線倉吉(→西倉吉)駅を経て山陰本線上井(→倉吉)駅に至  る路線で、鉄道予定線勝山(→中国勝山)〜倉吉(→西倉吉)の代行的性格を  有するとともに、鉄道の津山線を通して山陰本線とを結ぶ陰陽連絡線の性格を  有していた。 ・美伯線は1985(S60)年4月から津山〜倉吉その他全線が休止された。休止前の  ダイヤを「国鉄監修交通公社の時刻表」1984(S59)年3月号(2/1現在)から拾う  と、次のように3往復が設定されていたのを確認できる。  (下り)    津山0730→0940倉吉      1050→1300      1510→1720  (上り)    倉吉0755→1005津山      1145→1355      1531→1741 ・休止前は、岡山自動車営業所津山支所が美伯線の運行を担当していた。同線の  休止に伴って津山支所も廃止された。 3.2 旅から30年 ・美伯線は休止中のまま、国鉄民営化及び自動車分離を経て、中国JRバスに継承  された。「交通年鑑」の中国JRバスの項にある「営業線区(一般線)」の表に  は「美伯線 津山〜倉吉、他1区間、75.2km」と1993(H5)年版(1990(H2)年度末  現在)まで掲載されていた(1994(H6)年版(1992(H4)年度末現在)以降は美伯線  が削られている)。 3.3 旅の考察 ・鳥取県バス協会「鳥取県東部版バス総合時刻表」1982(S57)年1月によると、  美伯線の停車駅(停留所)は次の通り。   津山、吹屋町、茅町、津山二宮、院庄、鏡野町役場前、上森原、久田、泉、   落合橋、奥津温泉、上斉原、上斉原学校前、上斉原発電所前、美作石越、   赤和瀬口、高清水高原、栗祖、木地山、加谷、穴鴨、助谷、勘平茶屋、三朝   温泉、興和紡績、倉吉 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、美伯線には接続駅(津山、院  庄及び倉吉)の他に、穴鴨及び三朝温泉の自動車駅(第二種委託駅)が置かれて  いた。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年11月号(11/1訂補)によると、美伯線には  次の2往復が設定されていたのを確認できる。  (下り)    津山0730→1100上井      1430→1800  (上り)    上井0750→1120津山      1615→1845
2015 年 07 月 22 日 21:14:00 (14963) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【804】大田線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇大田線    1 大田市−赤名 1.2 路線略図      ◎大田市      |      ○大田栄町           出雲市・松江     /|\                Λ    ・ ○ \  湯抱温泉口        |    |国立  ○−−−○−−◎−−◎−−−−○赤名    |病院 忍原町     粕淵 浜原   |    V                   V   石見川本               三次・広島 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・大田線1 大田栄町〜粕淵〜浜原 2.2 掲載 ・16日目 6/16(日) S61.2号 5.中国編(下) 単行本 p97〜97 2.3 行程 ○大田栄町1418→1505浜原 大田線 大田市発 赤名行 334-0017(三菱K-MK116H) 2.4 エピソード ・湯抱温泉口で当時客が降りると、宿の名を聞いた運転士は「そこの石段を上が  ってください」と丁寧に案内。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・大田線は、1935(S10)年に石見大田(→大田市)〜赤名が開業したのがルーツで、  雲芸線と連なり陰陽連絡の使命を有していた他、沿線地方の産業文化の発展助長  を使命としていた。 ・当時、線内の赤名に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、  出雲自動車営業所大田派出所(大田市)及び同赤名派出所(赤名)が置かれて  いた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、大田線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    大田市〜赤名 6往復    大田市〜粕淵 3往復    大田市〜忍原町 3往復 3.2 旅から30年 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、大田線は中国JRバスに継承された。 ・1990(H2)から大田国立病院への乗り入れを開始した。 ・2003(H15)年に大田栄町〜赤名が廃止された。この時、大田市〜大田栄町は広島  〜大田市(石見川本経由)の高速バスが残ったため存続した。 ・2005(H17)年に広島〜大田市の高速バスが廃止されたことに伴って、大田市〜大  田栄町も廃止された。 3.3 旅の考察 ・大田市〜大田神田橋は上下便で経路が分かれていたが、路線名称や自動車線普通  旅客運賃表では別区間とは扱われていなかった。        ◎大田市       /↑      ・→+→●北八幡宮前        ↑ ↓(下り)   北八幡宮前● ↓    (上り)↑ ↓    大正東町○ ○大正東町    (上り)+←+(下り)   大田神田橋○        |        V       大田栄町  キロ程は、下りが大田市0.5北八幡宮前0.2大正東町0.3大田神田橋、上りが大田  神田橋0.3大正東町0.3北八幡宮前0.9大田市、である。自動車線普通旅客運賃表  は下り経路のキロ程を載せている。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、大田線には接続駅(大田市、  粕淵及び浜原)の他、石見川合、君谷別府及び九日市に第二種委託駅が、赤名  に第一種委託駅が置かれていた。
2015 年 07 月 22 日 21:12:27 (14962) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【607】近城線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇近城線   近城本線    1 奈良−貴生川    2 伝統会館前−信楽    3 貴生川−甲賀病院前    4 木津−二本松    5 加茂−岩船寺前    6 南加茂台一丁目−浄瑠璃寺−西畑口    7 清水橋−小杉    8 朝宮−杉山−杉山口    9 江田−多羅尾    10 江田−南新田東    11 伝統会館前−田代    12 雲井駅前−宮町   石山線    1 石倉橋−石山 1.2 路線略図           水口新町            Λ            |       甲賀病院前○−>槙山            |            |            +−◎貴生川            |            |       宮町○−−○雲井駅前            |       田代○−−○−◎信楽            |伝統            |会館前          江田○−−○南新田東           / \          /   \      杉山口○−・   ○多羅尾   石山    | |    ◎    +−○杉山    |  朝宮○      |    |    ○−−−−○石倉橋   鹿跳橋   |      清水橋○−○小杉         |         |      中和束○      辻         |    ・−○         |   /   \       加茂◎−−○     ○−○岩船寺前         |南加茂\   /西畑         |台一丁 ○−○ 口         |目   西小 浄瑠璃寺         |       木津◎−−○二本松         |         |       奈良◎ ※1985(S60)年当時、木津〜二本松は休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・石山線 石山〜石倉橋 ・近城本線1 石倉橋〜加茂 ・近城本線3 甲賀病院前〜貴生川 2.2 掲載 ・27日目 7/7(日) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p137〜140 ・28日目 7/8(月) S61.4号 7.中部編(上) 単行本 p145〜146 ・連載誌のみ 石倉橋停留所の写真、「かやの木」の写真 2.3 行程 ○石山0813→0901石倉橋 石山線 石山発 信楽行 334-3073(三菱K-MK116J) ○石倉橋1514→1604加茂 近城本線 信楽発 加茂行 334-0021(三菱K-MK116H) ○水口営業所1354→1405貴生川 近城本線 水口新町発 奈良行                        334-3071(三菱K-MK116J) 2.4 エピソード ・石山駅前バス乗り場の、近江、京阪、帝産バスは繁しく発着する中に国鉄バス  の乗り場もあった。別ルートで信楽と結ぶ帝産バスは1時間に1〜2本なのに、  国鉄は朝、午後、夕に1本ずつ。小ぶりなバスがやってきて5〜6人乗りこむ。 ・鹿跳橋から国道422号の1車線やっとの細道になる。やがて茶畑が増え、宮尻  は朝宮茶の産地と地元の人に聞く。宮尻で3分ほど時間調整。 ・石倉橋に着くと、信楽派出所で教えてくれた10時11分の加茂行きは無情にも日  祝運転休止。タクシーが通る気配もなく公衆電話もない。 ・信楽方面へ少し歩くと木づくりの喫茶兼レストラン「かやの木」。コーヒーを  頼みマスターに事情を話して6時間滞在の許可を受け、ベランダの机に原稿を  広げた。 ・ようやく時が来て、加茂行きバスで出発。狭い地方道の県境を越えて京都府に  入ると、ダム建設反対の立札が目立つ。和束の集落を抜けて加茂に下る。お客  は少なく、運転士は分割民営で本当に国鉄は立ち直るのだろうかと独り言のよ  うに不安を訴えた。 ・水口自営協力の便法で、前便の本水口行きからそのまま営業所まで乗って、営  業所にいる水口新町始発の奈良行きに乗り継いだ。本水口〜営業所の便乗は珍  しくないのか、地元のばあさま2人も一緒だった。運行上新水口に停車しない  代わりにサービスしているのかもしれない。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・近城線は、1940(S15)年に加茂〜清水橋が、翌1941(S16)年に清水橋〜信楽が開  業したのがルーツで、信楽〜加茂は鉄道敷設法予定線の先行路線としての使命  を有する他、奈良〜貴生川を結ぶ沿線の産業文化の発展助長も使命としていた。 ・当時、国鉄バス運行の拠点として、加茂自動車営業所(加茂)、同信楽派出所  (信楽)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、近城線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    奈良〜水口新町 上り2本    奈良〜信楽 下り2本・上り1本    奈良〜清水橋 下り1本    奈良〜小杉 1往復    奈良〜原山 上り1本    奈良〜加茂 下り1本    加茂〜貴生川 下り1本    加茂〜信楽 1往復    加茂〜清水橋 2往復    加茂〜小杉 下り4本・上り3本    加茂〜原山 下り1本・上り2本    加茂〜浄瑠璃寺 下り4本(うち1本は特定日運行、1本は岩船寺前〜      浄瑠璃寺は特定日運行)・上り3本(うち1本は特定日運行)    加茂〜岩船寺前 下り5本(うち1本は休日運休、2本は特定日運行)      ・上り6本(うち1本は休日運休、2本は特定日運行) ・なお、1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、雲井駅前〜宮町  には運賃の記載がなく、同区間は休止中であったと解される。 3.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1986(S61)年に朝宮〜杉山口の直行経路が廃止された。その他の  区間は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに継承された。 ・1989(H1)年には奈良〜加茂、木津〜二本松、貴生川〜貴生川駅前及び東三本柳  〜伝統会館前が廃止された。その後、1996(H8)年に江田〜南新田東及び信楽〜  田代が廃止された。 ・残った区間(加茂〜信楽、加茂〜岩船寺前〜加茂、清水橋〜小杉、石倉橋〜石  山及び江田〜多羅尾)も2002(H14)年に廃止され、近城線は全廃となった。 ・なお、奈良〜加茂の間に位置する平城山駅から2007(H19)年〜2009(H21)年の間、  「平城山駅アクセスバス」(平城山駅〜青山住宅、平城山駅〜左京・朱雀〜平  城山駅)が西日本JRバスによって運行された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、近城線には接続駅(奈良、木  津、加茂、信楽、貴生川及び石山)のみ置かれていた。 ・1987(S62)年7月13日から国鉄(→JR)信楽線が廃止され信楽高原鉄道が開業  したが、その前後でのJRバスダイヤの変化を見ると次の通りである。 (1)開業前のダイヤについては、「JNR編集時刻表」1987(S62)年4月号(3/2現在)  では、近城線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    奈良〜水口新町 上り2本    奈良〜信楽 下り2本・上り1本    奈良〜清水橋 下り1本    奈良〜小杉 1往復    奈良〜原山 1往復    加茂〜信楽 下り2本・上り1本    加茂〜清水橋 下り1本・上り2本    加茂〜小杉 下り6本・上り3本    加茂〜原山 1往復    清水橋〜信楽 上り1本    信楽〜水口新町 下り2本    加茂〜浄瑠璃寺 下り5本・上り3本    加茂〜岩船寺前 下り4本・上り5本  鉄道並行区間の信楽〜貴生川を運行するのは2往復であったことを確認できる。 (2)開業後のダイヤについて、「JR編集時刻表」1988(S63)年3月号(1/4現在)  では、近城線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    奈良〜水口新町 上り1本    奈良〜信楽 下り2本・上り1本    奈良〜清水橋 1往復    奈良〜小杉 1往復    奈良〜原山 1往復    加茂〜信楽 2往復    加茂〜清水橋 下り1本・上り2本    加茂〜小杉 下り6本・上り3本    清水橋〜信楽 上り1本    信楽〜水口新町 下り2本    加茂〜浄瑠璃寺 下り3本(うち土曜運転、秋季運転、土曜運休各1本)・      上り1本    加茂〜岩船寺前 5往復(うち休日運休、秋季運転各1往復)  鉄道並行区間の信楽〜貴生川を運行するのは下り2本・上り1本であったことを  確認できる。従って、信楽線の第3セクター転換に当たっては、元々鉄道並行区  間の本数が少ないこともあってか、漸減したにとどまっていた。
2015 年 07 月 22 日 21:09:54 (14961) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【906】佐賀関線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇佐賀関線   佐賀関本線    1 幸崎−佐賀関   坂ノ市線    1 上幸崎−中判田    2 宮下−東高校前    3 豊後佐野−鶴崎 1.2 路線略図         ◎鶴崎             |       中判田 延命寺| 宮下 坂ノ市 上幸崎   佐賀関   ◎−−○−−○−−○−−◎−−−○−−○−−○==○         豊後 |      | 大志生木  佐賀関         佐野 ○      ◎       高校           東高校     幸崎 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・坂ノ市線1 中判田〜坂ノ市 2.2 掲載 ・8日目 6/8(金) S60.10号 2.九州編(下) 単行本 p58〜58 2.3 行程 ○中判田1655→1743坂ノ市 坂ノ市線 中判田発 坂ノ市行 331-1414                            (いすゞK-CCM410) 2.4 エピソード ・中判田駅で約2週間後に乗る京都からの「ドリーム4号」の指定券を頼んで  みる。どこかへ電話手配して席番を取り寄せるが、相手に「ドリーム」の知  識がないらしく、発券まで30分余りかかった。 ・坂ノ市行きバスで窓から外を眺めていたら、下校生の中から声がかかった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・佐賀関線は、1933(S8)年に幸崎〜佐賀関が開業したのがルーツで、同区間は  鉄道敷設法の予定線に該当し鉄道の代行路線であった。その後、1950(S25)  年に本幸崎〜中判田が開業した。 ・当時、佐賀関に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、臼  杵自動車営業所坂ノ市支所(坂ノ市)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、佐賀関  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    坂ノ市〜中半田 4往復    坂ノ市〜佐賀関 下り22本・上り21本  また、この他幸崎〜佐賀関に区間運転がある旨の注記がなされていた。 3.2 旅から30年 ・佐賀関線は国鉄民営化を経てJR九州に継承された。1987(S62)年に佐賀関  〜佐賀関高校が開業した。 ・1990(H2)年には国鉄時代から休止中だった、坂ノ市線の豊後佐野〜鶴崎が  廃止された。1994(H6)年には坂ノ市線延命寺〜中判田が廃止された。 ・2002(H14)年から大分支店(旧坂ノ市自動車営業所)において、JR利用者  専用周遊バス「あそ・ゆふ高原バス」の運行を開始した。 ・2003(H15)年に佐賀関線(本線、坂ノ市線)全線が廃止され、大分支店も  廃止された(臼杵支店が新たに大分支店と改称された)。「あそ・ゆふ高原  バス」も新・大分支店に移管された。 3.3 旅の考察 ・佐賀関線においては、1963(S38)年に佐賀関〜大志生木で特定旅客運送事業  の開始が官報公示されていた。日本鉱業佐賀関鉱業所関連の輸送であると  思われる。 ・1977(S52)年の「駅営業範囲一覧」によると、佐賀関線には接続駅(幸崎、  中判田、坂ノ市及び鶴崎)の他に、自動車駅(第1種委託駅)として佐賀関  駅が置かれていた。 ・「停車場一覧」1985(S60)年6月によると、日豊本線鶴崎の接続線名の欄に  は「(自)佐賀関線」との標記はないので、この時点までに豊後佐野〜鶴崎  は休止されたものと解される。
2015 年 07 月 17 日 19:47:56 (14960) グランドナインさんの書き込み ご無沙汰しております。 今年も、茅野−高遠本線・伊那里線(現:長谷循環線)経由−仙流荘間を直通 する【南アルプスジオライナー】が7月18日(土)〜11月3日(火)の土曜・ 休日及び8月3日〜14日の毎日運行されます。 運賃は片道¥1750ですが、車内で往復乗車券を購入すると、先着400枚 のみ¥1000相当の「いな街ぶらり商品券」が付いてます。 時刻は、茅野10:15−高遠11:05−仙流荘11:30/17:00−高遠17:15−茅野18:15 となります。 運賃は、伊那へGO!!という事でこの金額に設定してるそうです。
2015 年 07 月 16 日 22:12:03 (14959) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【911】加治木線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇加治木線    1 加治木−藺牟田−牟多田    2 加治木本町−嶽    3 永原−菖蒲谷−竹山口    4 帖佐−船津−簡原    5 楠田−薄原    6 真黒口−真黒    7 藺牟田池口−藺牟田池 1.2 路線略図        米ノ津港         Λ         |     屋地本町○−◎宮之城         |         |         ○山崎町    ●いこいの村         |       ‖   副田小学校前○・○入来温泉 ‖         | ・ 藺牟田池○−−○−−○藺牟田       入来◎・・       /藺牟田|         |  藺牟田温泉 / 池口 |      牟多田○−−−○−−−○・・・・・○浦川内    (→日の丸)|   ・   洗出    |         |   ・         |         |   ・  真黒 真黒口 |      山ノ口○−−−○−−○−−−○==○塞瀬戸         | 北薩長野  \ / \ |         |        ○楓  \|         |        |    ○楠田         |        ○薄原  |         |       /     |         |      ○酒屋段   |   転向場   |     /       ○蒲生町    ●    |    ○良久      |    ‖    |    |        |    ○薩摩大浦|    ○岩戸      |      嶽○  ○竹山    |    |    |        ○蒲生上町   |  |    |茄子田下○====○岩戸口    / \   竹山口○−−○上鶴原    |    |    |      /   \     |  |    | 花尾口○−−−−○花尾   ○都迫   ○簡原  |  ○鶴原    |    |    |    /     / \菖蒲口○  |    |    |    |   /     ・   \  |  ○大宮路    | 油須木○ 永山口○−−・      |  老神○ ・  |    |    +    |       船津○    |  \ |    |    ‖\賦合 |         |    ・ 永原○+    |    ‖ ○−−○東俣       |   /    | 加治木    |    ‖/   |         ・−−○帖佐橋  ・  ◎    ・−−−−○    |            |    /  /     薩摩郡山|    ・       帖佐十文字○−−−○−−○         |   /             |  向江町 加治木         |  /            帖佐◎      本町     薩摩塚田○−・         |         |         V      西鹿児島・鹿児島 ※牟多田以遠、真黒以西、薄原以南、蒲生上町以西は、北薩線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・加治木線1 帖佐〜蒲生町〜牟多田 2.2 掲載 ・4日目 6/4(火) S60.10号 1.九州編(上) 単行本 p32〜33 2.3 行程 ○帖佐1258→1405入来 加治木・北薩本線 帖佐発 入来行 531-5903(いすゞ) 2.4 エピソード ・途中の蒲生町でお客が1人だけになったバスは小さな集落へ寄るため杉林の  細い旧道を大回りするが、人家はほとんどなく乗降ゼロ。 ・ひっそりした藺弁田の中心部へ入ると驚くほど立派な生垣の家が並ぶ。鹿児  島からまっすぐ通じている国道へ出て、ようやくお客が2人乗ったのでほっ  とする。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・加治木線は、1935(S10)年に加治木〜帖佐〜蒲生町〜牟多田〜入来が開業した  のがルーツで、宮之城線と日豊本線とを国鉄自動車北薩線を介して連絡する  鉄道の短絡路線としての使命を有していた。また、姶良郡・薩摩郡地帯の産業  開発路線であり、沿線地方の交通文化に寄与するところが大きいと期待されて  いた。 ・当時、自動車駅として蒲生町駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として  鹿児島自動車営業所蒲生支所(蒲生町)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、加治木  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    加治木〜入来 下り2本・上り3本    帖佐〜入来 下り2本(うち1本は帖佐〜蒲生町休日運休)・上り1本    藺牟田〜入来 下り2本(休日運休)・上り2本(うち1本は休日運休)    加治木〜蒲生町 下り7本・上り6本    帖佐〜蒲生町 下り8本(うち2本は休日運休)・上り9本(うち3本     は休日運休) 3.2 旅から30年 ・加治木線は国鉄民営化を経てJR九州に継承されたが、民営化前後の1987(S62)年  に加治木本町〜嶽、永原〜菖蒲谷〜竹山口及び上鶴原〜竹山が廃止された。翌  1988(S63)年に帖佐橋〜船津〜簡原が廃止された。1989(H1)年には酒屋段〜良久が  廃止された。 ・1995(H7)年には加治木〜帖佐十文字、蒲生町〜日の丸及び塞瀬戸〜酒屋段が廃止  され、加治木線は帖佐〜蒲生町に短縮した。この時に自動車駅である蒲生町駅が  廃止されて停留所化された。 ・1997(H9)年に加治木線は全廃され、蒲生営業所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、加治木線には接続駅(加治木及  び帖佐)の他に、第1種委託駅として蒲生町駅が置かれていた。 ・加治木線では民営化後の1987(S62)〜1988(S63)年頃に藺牟田池〜いこいの村を  延長した模様である(1989(H1)当時の「自動車線普通旅客運賃表」にはいこいの  村までの区間が掲載されている)。「弘済会の小型時刻表中国・九州版」1994  (H6)年10月号によると、藺牟田〜藺牟田池(いこいの村は記載されていなかっ  た)は夏季のみの運行と注記されていた。
2015 年 07 月 16 日 22:07:47 (14958) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【608】紀南線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇紀南線    1 新宮−大又大久保 1.2 路線略図                   上北山● 大又     岡崎                      ・ 大久保    野田   熊野本宮・五条            ・  ○・・●・・●・・●尾鷲      Λ               ・ /  矢の川 ・      |       (紀伊木本→) ・/    峠  ・   権現前○−・       熊野市   ○        ●    ・−+ |        ◎   /紀伊小坂     九鬼    | | |        |  /  新宮◎−・ ・−−○−−○−−+−○         阿田和 神志山  鬼ヶ城          駅前  駅前  口 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・紀南線は、1936(S11)年に尾鷲〜紀伊小坂が開業し、1940(S15)年に上木本〜紀  伊木本(→熊野市)が開業、1950(S25)年に上木本〜紀伊小坂が開業して尾鷲  〜紀伊木本が全通した。開業当時は、紀勢東線尾鷲と紀勢西線紀伊木本を結ぶ  鉄道代行線としての使命を有していた他、九鬼線(岡崎野田〜九鬼)をはじめ  沿線地方の産業文化の発展助長、北山周辺の木材輸送をも使命としていた。 ・尾鷲〜紀伊木本は、熊野の険しい山岳を曲折の多い坂路によって乗り越える区  間で、途中海抜808mの矢の川峠を頂点とし、その前後の急坂と曲路は運転に特  に注意を要する個所と言われていた。 ・1959(S34)年7月15日に紀勢本線が全通し、紀南線尾鷲〜大又大久保と九鬼線が  廃止された。その後、1961(S36)年に紀南線は新宮〜熊野市が開業した。 ・新宮〜熊野市〜大又大久保は1984(S59)年2月から休止された。休止前のダイヤ  を「国鉄監修交通公社の時刻表」1983(S58)年10月号(9/1現在)から拾うと、紀  南線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    新宮〜大又大久保 下り1本・上り2本(所要1時間33〜37分)    新宮〜熊野市 下り1本(所要50分)    熊野市〜大又大久保 下り6本・上り5本(所要34分) ・休止前は、紀伊田辺自動車営業所新宮支所が紀南線の運行を担当していた。 3.2 旅から30年 ・紀南線は休止中のまま、国鉄民営化及び自動車分離を経て、西日本JRバスに  継承された。「交通年鑑」の西日本JRバスの項にある「営業線区と営業キロ」  の表には、紀伊田辺営業所の所管として紀南線が1998(H10)年版(1997(H9)年11  月現在)まで掲載されていた(1999(H11)〜2000(H12)年版は紀伊田辺営業所の  所管に紀南線の文字はあるが営業キロが「0.0km」となっていた。2001(H13)年  版以降は紀南線が削られている)。 3.3 旅の考察 ・紀勢本線全通前の紀南線のダイヤを「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年11  月号(4/1改正)から拾うと、次のような系統が設定されていたのを確認できる。    尾鷲〜紀伊木本 4往復(所要2時間45分)    大久保〜紀伊木本 1往復(所要1時間)    上橋〜紀伊木本 3往復(所要57分)    紀伊小坂〜紀伊木本 1往復(所要40分)    尾鷲〜松本 6往復(所要25分)    尾鷲〜九鬼 3往復(所要1時間30分) ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、紀南線には接続駅(新宮及び  熊野市)のみ置かれていた。
2015 年 07 月 16 日 22:06:27 (14957) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【605】伊賀上野線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇伊賀上野線    1 新水口−上野西山    2 甲南−甲南新田    3 上野丸之内−鍵屋の辻 1.2 路線略図       新水口    草津<−○−>亀山            上野西山        |                  ○   甲賀病院前○                  |        |\ 甲南          伊賀上野◎        V ・−◎−−・上磯尾       /      貴生川・奈良|   ○      +−○鍵屋            |    \ 槇山  | |の辻        甲南新田○     ・−○−−○−+                      上野                      丸之内 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・伊賀上野線1 伊賀上野〜上野丸之内〜佐那具〜槇山〜甲南 ・伊賀上野線1 新水口〜甲賀病院前 2.2 掲載 ・27日目 7/7(日) S61.3号 6.近畿編(下) 単行本 p140〜142 ・28日目 7/8(月) S61.4号 7.中部編(上) 単行本 p142〜146 2.3 行程 ○伊賀上野1905→1910上野丸之内 伊賀上野線 上野西山発 槇山行                           531-6001(いすゞBU04) ○上野丸之内0912→1017甲南 伊賀上野線 鍵屋の辻発 水口新町行                           531-6001(いすゞBU04) ○水口営業所1354→1405貴生川 近城本線 水口新町発 奈良行                        334-3071(三菱K-MK116J) 2.4 エピソード ・伊賀上野駅で19時05発の槇山行きを捕まえると水口自営の助役が車掌代務で  乗っていたので名刺交換し、上野市の国鉄バスターミナルは上野丸之内である  こと、槇山行きは上野丸之内経由で甲南方面に向かうが途中の槇山が終点で接  続もないこと、甲南へ行くのは丸之内明朝9時04分発の水口新町行きであるこ  とと全容が明らかになった。 ・水口新町行きは、1kmほど先の鍵屋の辻始発でお客は総勢9人。城下町らしい  狭い道をジグザグに走って市街地を抜けるが、工事個所の多い難路続き。バス  道路とは思えないような地道に入りこんだり、行き違いに難渋したりしながら  滋賀県へ入る。 ・片道きっぷの乗り継ぎルートに関心をみせた車掌から手持ちのガリ版時刻表を  貰い受けた。甲南駅でその車掌の見送りを受けた。 ・水口自営協力の便法で、前便の本水口行きからそのまま営業所まで乗って、営  業所にいる水口新町始発の奈良行きに乗り継いだ。本水口〜営業所の便乗は珍  しくないのか、地元のばあさま2人も一緒だった。運行上新水口に停車しない  代わりにサービスしているのかもしれない。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・伊賀上野線は、1949(S24)年に前野〜深川が佐山線として、1953(S28)年に深川  〜上野(→伊賀上野)が伊賀上野線として、それぞれ開業したのがルーツで、  草津線甲南駅と関西本線伊賀上野駅を短絡する使命を有していた。伊賀上野線  は1963(S38)年に亀草線から分離・独立した。 ・当時、線内の上野丸之内に自動車駅が存在した。国鉄バス運行の拠点は水口自  動車営業所(新水口)であった。 ・1985(S60)年6月改正の水口自動車営業所管内時刻表によると、伊賀上野線には  次のような系統が設定されていた。    上野西山〜鍵屋の辻 下り3本・上り4本    上野西山〜伊賀上野 下り1本    上野西山〜槙山 下り2本    上野西山〜甲南 上り1本    伊賀上野〜上野丸之内 下り2本・上り1本    鍵屋の辻〜水口新町 下り2本・上り1本    鍵屋の辻〜槙山 上り1本    鍵屋の辻〜甲南 上り1本    佐那具〜甲南 下り1本    槙山〜甲南 1往復    上磯尾〜水口新町 上り1本(土日祝運休)    上磯尾〜甲南 下り2本(うち1本は土日祝運休)・上り1本    甲南〜水口新町 下り2本(うち日祝運転、日祝運休各1本)・上り1本      (土曜運転)    甲南新田〜水口新町 上り1本(土曜運転)    甲南〜甲南新田 下り3本(うち日祝運休、土日祝運休各1本)・上り4      本(うち日祝運休、土曜運転、土日祝運休各1本) 3.2 旅から30年 ・伊賀上野線は、国鉄末期の1986(S61)年に槇山〜上野西山及び上野丸之内〜鍵屋  の辻が廃止され、残された区間は亀草本線に編入された。次いで1987(S62)年に  甲南〜甲南新田が廃止された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、旧伊賀上野線の存続区間である、新水口〜  甲南〜槇山は西日本JRバスに継承されたが、1989(H1)年に上磯尾〜槇山が、  1990(H2)年に新水口〜上磯尾が廃止された。 3.3 旅の考察 ・1985(S60)年6月改正の水口自動車営業所管内時刻表によると、伊賀上野1905発  の槙山行きに乗ると槙山2009着。翌朝の甲南方面始発は槙山0619発の甲南行き。  仮に槙山近辺に宿泊ができた場合には実際の行程よりも3時間半前に甲南に着  けたことにはなる。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、伊賀上野線には接続駅(甲南、  佐那具及び伊賀上野)の他、第1種委託駅として上野丸ノ内駅が存在した。
2015 年 07 月 16 日 22:05:01 (14956) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【603】東大阪線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇東大阪線    1 吹田−松下厨房器前 1.2 路線略図                    鴻池新田        (庭窪町→)      ・・●・   千里丘    東八雲 門真    ・  ・   +◎−−−○−−○−−○−○・・・●・・●・・・・●八尾   |   鳥飼大 ・   松下厨  茨田 河内   |◎  橋北詰 ・   房器前     橋本   ||吹田    ●守口市   ++ 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・東大阪線は、1958(S33)年に吹田〜八尾、庭窪町(→庭窪郵便局前)〜守口市  及び河内橋本〜鴻池新田が開業したのがルーツで、城東貨物線に旅客列車を  運転する代行として、また東海道線吹田、片町線鴻池新田及び関西線八尾を  結ぶ短絡路線としての使命を有していた。 ・1985(S60)年6月当時は吹田〜松下厨房器前に路線が短縮されており、国鉄  バス運行の拠点として、京都自動車営業所吹田派出所(吹田)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、東大阪  線には、吹田〜松下厨房器に6往復(所要43分)が設定されていたのを確認で  きる。並行して京阪バス、近鉄及び阪急バスが吹田〜千里丘〜門真〜八戸ノ里  〜八尾等に路線バスを運行していた。国鉄バス東大阪線では国鉄及びこれら3  社の間で共通乗車の取扱いを行っていた。 3.2 旅から30年 ・東大阪線は、国鉄最後の日の1987(S62).3.31限りで全廃された。 3.3 旅の考察 ・東大阪線は、1975(S50)年に東八雲〜守口市及び茨田〜鴻池新田〜河内橋本が  廃止され、1984(S59)年に松下厨房器前〜八尾が廃止された。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、東大阪線には接続駅(吹田、  千里丘及び八尾)のみ置かれていた。 ・東大阪線末期の運行ダイヤを「国鉄監修交通公社の時刻表」1987(S62)年2月  号(1/8改正)から拾うと次のように4往復が設定されていたのを確認できる。  (下り便)    吹田0800→門真0843→松下厨房器前    吹田1015→門真1058→松下厨房器前    吹田1400→門真1443→松下厨房器前    吹田1610→門真1653→松下厨房器前  (上り便)    松下厨房器前→門真0909→0954吹田    松下厨房器前→門真1119→1204吹田    松下厨房器前→門真1504→1540吹田    松下厨房器前→門真1714→1759吹田
2015 年 07 月 14 日 22:58:00 (14955) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【907】臼三線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇臼三線    1 臼杵−三重町    2 上臼杵駅前−上臼杵    3 清太郎−臼杵商業高校    4 南野津−細枝    5 三重高校前−片内 1.2 路線略図                        臼杵商                   臼杵石仏 業高校      三重高          (→石仏 ○ 上臼杵      校前 /\   南野津 野津 入口)| 駅前 三重町◎−−○・−−・○−−○−−○−−○−−○−−○−−◎臼杵       |  鼓石|  |     || 清太郎  \       |    ・==○細枝   ○       ◎上臼杵       ○片内          臼杵石仏 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・臼三線1 臼杵〜三重町 2.2 掲載 ・8日目 6/8(土) S60.10号 2.九州編(下) 単行本 p57〜57 ・掲載誌のみ 三重町駅前の写真 2.3 行程 ○臼杵1128→1243三重町 臼三線 臼杵発 三重町行 531-0418                         (いすゞK-CJA500) 2.4 エピソード ・臼杵市内の乗降は多く、臼杵石仏が近づくころにはばあさまばかりに  なった。 ・途中、野津から十数人が乗り、活気を取り戻す。 ・野津から三重町は、雑木の多い地方道を行くが、1日に3本、さらに  その裏道を少しずつ経路を変えて大回りするバスがあることが判明。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・臼三線は、1935(S10)年に臼杵〜三重町が開業したのがルーツで、日豊  本線と豊肥本線を連絡する鉄道の短絡路線を使命としていた。また、  臼杵〜三重町は鉄道敷設法の予定線に該当し鉄道の代行路線でもあった。 ・当時、線内に自動車駅として野津駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として、臼杵自動車営業所(臼杵)、同三重町派出所(三重町)が  置かれていた。 ・1985(S60)年8月現在の「国鉄監修交通公社の時刻表」によると、臼三  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    臼杵〜三重町 下り8本・上り9本    臼杵〜野津 3往復    臼杵〜臼杵石仏 1往復   、野津〜三重町 下り3本・上り1本 3.2 旅から30年 ・国鉄末期の1986(S61)年に柳井瀬〜三重病院〜三重ノ原が開業した。また、 「最長片道きっぷの旅」本文で大回り区間とされたもののうち、1986(S61)  年の国鉄自動車路線名称の全面改正で「鼓石・権現堂間」が追加された。 ・国鉄民営化を経て臼三線はJR九州に継承されたが、1987(S62)年に下小  坂入口〜中小坂〜中小坂入口が廃止された。翌1988(S63)年には上鷲谷〜  片内、三重高校前〜上鷲谷が順次廃止された。 ・1995(H7)年には石仏入口〜臼杵石仏が延長されるとともに、柳井瀬〜三重  病院で経路変更が行われた。 ・2007(H19)年に臼三線は全線廃止され、貸切バス事業(「あそ・ゆふ高原  バス」を含む)を含め、JRバスは大分県内から撤退した。 3.3 旅の考察 ・「最長片道きっぷの旅」本文で言及された南野津〜三重町の大回り区間  について、民営化後の路線図その他の資料に基づいて整理すると次の通り  である。       権現堂 三重ノ原 柳井瀬    三重町<−○−−−○−−−○         \      |     中小坂入口○     ・          |\下小坂  \鼓石 南野津       中小坂○−○入口   ○−−○−>野津             \   /   |              ○−○田中入口|             入北 |    |             入口 ・−○−−・                  細枝  南野津〜細枝〜田中入口(8.0km)のうち、南野津〜細枝は当初から国鉄  自動車路線名称に位置づけられていた。鼓石〜田中入口〜下小坂入口〜  中小坂入口〜権現堂(5.6km)は1986(S61)年の国鉄自動車路線名称全面  改正で「鼓石・権現堂間」として追加された。以上の2区間は2007(H9)年  の臼三線全線廃止まで運行がなされていた。他方、下小坂入口〜中小坂〜  中小坂入口(3.5km)は国鉄自動車路線名称に位置づけられることなく、  1987(S62)年に廃止された。 ・これらの大回り区間を経由する便は、1997(H9)年11月29日改正時刻表に  よると次の通り。  (下り便)   野津0644→0717三重町(鼓石〜入北入口経由、日祝運休)   臼杵1255→1423三重町(細枝〜鼓石経由、日祝運休)   臼杵1619→1754三重町(細枝〜鼓石経由)  (上り便)   三重町0657→0826臼杵(入北入口〜細枝経由)   三重町1303→1415臼杵(入北入口〜鼓石経由、日祝運休)   三重町1608→1720臼杵(入北入口〜鼓石経由) ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、臼杵石仏(臼杵  から6.3km)は途中下車駅とされていた。 ・1977(S52)年「駅営業範囲一覧」によると、臼三線には接続駅(臼杵、三  重町及び上臼杵)の他に、自動車駅(第1種委託駅)として野津駅が置か  れていた。
2015 年 07 月 14 日 22:56:43 (14954) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【909】都城線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇都城線   都城本線    1 都城−油津港    2 広口−西都城    3 上白木俣−上新村   末吉線    1 高岡口−末吉 1.2 路線略図         ◎都城         |    西都城◎−○広口         |         |安久温泉場     安久温泉○=○         |    ○上新村     本町  |    |  飫肥  油津  末吉◎−○−−○−−−−○−−−◎−−◎      || 高岡口 上白木俣     |      ○              ○油津港     福祉セン     ター前 ※1985(S60)年6月当時、油津〜油津港及び上白木俣〜上新村は休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・都城本線1 飫肥〜高岡口〜都城 2.2 掲載 ・6日目 6/6(木) S60.10号 2.九州編(下) 単行本 p40〜43 ・連載誌のみ 飫肥駅の写真 2.3 行程 ○飫肥0832→1022都城 小国線 油津発 都城行 334-8032                          (三菱MK115H) 2.4 エピソード ・町並みを抜けるとうっそうとした杉林の旧道へ分け入る。幼稚園の  通園バスの役割が主な仕事のようで、停留所ごとに3人、4人と  園児を乗せて進む。 ・円のすぐ前にある停留所で黄色いバッグを持ち上げては「ありがとう」  と叫んで一斉に降りた。バッグの外側に定期券入れが作り付けに  なっており、固定された定期券を示しているのだった。 ・園児がいなくなるとお客は3人だけになった。バスの自由乗降区間  になったが、杉林の中でカーブをたどるだけで人家は見当たらない。 ・都城側に出たとたん高原状の集落が開け、老人の乗ったり下りたりが  始まった。 ・市街地で少しずつ増えていったお客は、ほとんど西都城で降りて  しまった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・都城線は、1935(S10)年に都城〜飫肥、1940(S15)年に飫肥〜油津が開業したの  がルーツであり、日豊本線と志布志線を連絡する鉄道の短絡路線とともに地方  の産業開発、交通発展に寄与することを使命としていた。 ・当時、国鉄バス運行の拠点として、都城自動車営業所(都城)及び同飫肥派出  所(飫肥)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、都城線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    都城〜油津 1往復    都城〜上尾平野 下り2本・上り3本    都城〜高岡口 下り2本・上り1本    都城〜安久温泉 下り7本・上り6本    都城〜末吉1往復    高岡口〜末吉4往復    上白木俣〜油津10往復 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年の国鉄自動車路線名称の全面改正で、都城本線に「安久温泉・安久  温泉場間」、末吉線に「本町・福祉センター間」がそれぞれ追加された。 ・都城線は国鉄民営化を経てJR九州に継承された。国鉄時代からの休止区間に  ついては、1988(S63)年に上白木俣〜上新村が廃止された一方、同年に油津〜油  津港が再開された。 ・1994(H6)年に末吉線が廃止された。1995(H7)年には上尾平野〜上白木俣が新道の  開通に伴って経路変更された。 ・都城線の残された区間も1998(H10)年に全廃され、都城営業所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年の「駅営業範囲一覧」によると、都城線には接続駅(都城、西都城、  飫肥、油津及び末吉)のみ置かれていた。 ・油津〜油津港は1984(S59)年2月1日から休止されていた。「国鉄監修交通公社  の時刻表」1983(S58)年10月号(9/1現在)では運行があるのに対し、同1984(S59)  年3月号(2/1改正)では油津港の欄が削られている。 ・油津〜油津港の休止前のダイヤを「国鉄監修交通公社の時刻表」1983(S58)年10  月号(9/1現在)から拾うと次の通りである。  (下り便)    上新村0652→駅前通り0750→0754油津港   上白木俣0836→駅前通り0928→0932油津港(休日運休)     都城0744→駅前通り1002→1006油津港   上白木俣1549→駅前通り1641→1645油津港   上白木俣1712→駅前通り1804→1808油津港  (上り便)   油津港0721→油津0725  →0817上白木俣(休日運休)   油津港1738→駅前通り1742→1834上白木俣   油津港1820→駅前通り1824→1916上白木俣 ・油津〜油津港付近の路線略図は次の通りである。       飫肥・都城         Λ         |         ○平野         |   油津◎−○−○駅前通      昭和 |      通り ○山形屋前         |         ○材木町         |         ○春日町         |         ○上町         |         ○−○油津港        海岸通 ・上白木俣〜上新村は1985(S60)年3月14日から休止中であった。
2015 年 07 月 14 日 22:55:25 (14953) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【912】日肥線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇日肥線   日肥本線    1 宮崎−東方−人吉    2 北校前−山路    3 一ノ瀬−尾吐    4 越野尾−仲入    5 鶴瀬−日向折戸    6 上村−小田橋    7 人吉−温泉町   高鍋線    1 穂北駅前−高鍋   椎葉線    1 村所−下ノ原 1.2 路線略図               大河内○             肥後         |大河 仲入     高鍋       瀬戸口   下ノ原○−○内橋 ○ ○尾吐  ◎      +−○−+       |   | |    |北校  人吉  |   |上村  鶴瀬 |   | | 杉安 | 前 妻   ◎−−○−○−○−−◎−−○−+○−−○−○−−◎−○−○−◎   | 小田 東方   湯前 | 村所 越野 一ノ  穂北 | |   ○ 橋          ○    尾  瀬   駅前 ○ ○佐土  温泉町          日向折戸           山路 |原町                                 |                                 ◎宮崎 ※宮崎〜妻、人吉〜温泉町は1984(S59)年1月末から休止中 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・日肥本線1 人吉〜小田橋〜東方〜上村〜湯前〜村所〜杉安〜穂北駅前 ・高鍋線1 穂北駅前〜高鍋 2.2 掲載 ・7日目 6/7(金) S60.10号 2.九州編(下) 単行本 p51〜54 ・8日目 6/8(土) S60.10号 2.九州編(下) 単行本 p55〜55 ・連載誌のみ 131-9004の解説、人吉駅の写真、湯前駅の写真、ライトバス  車内の写真、一ノ瀬ダムを走る日肥線のバス,331-8004の解説、高鍋駅の  写真 ・単行本のみ 妻行きミニバスの写真 2.3 行程 ○人吉1215→1322湯前 日肥本線 人吉発 湯前行 331-9013(いすゞK-CCM410) ○湯前1525→1615村所 日肥本線 湯前発 村所行 331-9013(いすゞK-CCM410) ○村所1635→1810妻 日肥本線 村所発 妻行 131-9004(いすゞDBR370) ○穂北駅前0647→0725高鍋 高鍋線 妻発 高鍋行 331-8004(いすゞCCM410) 2.4 エピソード ・1日2本の湯前行きバスに乗ると雨脚が強くなりお客は数えるほど。国道  219号線を1時間に2本の頻度で走る九州産交バスに対し、国鉄バスは細々  と旧道を行く。 ・湯前では国鉄バス妻営業所湯前支所の助役さんが現れ挨拶。国鉄本社自動  車曲輸送課から「通路故障なく旅行させ」といった事務連絡を流している  ようだ。おかげで業務用時刻表と路線図を貰えた。 ・猪鹿倉を過ぎるとお客は筆者の他1人になる。吊り橋の見えた村所橋で、  黙って乗り続けてきたおやじさんが雨に濡れながら降りていく。 ・村所から乗り継いだ妻行きバスはマイクロのような車で、気分的には旅館  の送迎バスのようである。 ・廃止になった妻線の終着駅、杉安駅舎は空き家のままだった。構内は雑草  が生い茂っている。 ・穂北駅が消えてもバスの停留所の名称はもとのまま。ここがきっぷの経路  上の乗り換え地点だが、今日はもうバスがなく雨も上がらないので、その  まま終点の妻まで120円払って飛び出し乗車した。 ・穂北駅前からバスに乗り前方左の席に座った途端、「今日は穂北からです  か」と運転士から声がかかる。昨日、村所からミニバスを運転してきて、  宿を教えてくれた人だった。 ・バスはすぐに横道に入り、1車線ぎりぎりの裏道を右へ左へと走る。高鍋  の市街地に近づくと、通学バスにパートのおばさん輸送をミックスした形  になり、町はずれの高鍋駅前まで乗りとおしたのは筆者一人だった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・日肥線は、1946(S21)年に妻〜湯前(1944(S19)年開業の原産地(貨物)路線  の米良線妻〜湯前を旅客化)、1953(S28)年に湯前〜人吉が開業したのが  ルーツで、杉安〜湯前は鉄道敷設法予定線に該当し鉄道の先行路線であった。 ・当時、線内の村所に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、  妻自動車営業所(妻)及び同湯前支所(湯前)が置かれていた。 ・1985(S60)年3月14日改正の妻自動車営業所「国鉄バス主要駅時刻表」による  と日肥本線には次のような系統が設定されていた。    妻〜村所5往復    妻〜瓢丹渕1往復(日祝運休)    妻〜越野尾下り1本    妻〜一ノ瀬上り1本    一ノ瀬〜村所上り1本    村所〜湯前3往復    村所〜荒谷1往復    湯前〜人吉2往復    堂山〜人吉1往復  同じく支線には次のような系統が設定されていた。    椎葉線 村所〜大河内4往復        大河内〜下ノ原3往復(うち日祝休校日運休、土日祝休校日運休、         土曜運行が各1往復)    高鍋線 高鍋〜妻5往復(うち日祝運休1往復)        茶臼原〜妻下り1本(日祝休校日運休)   「板谷線」鶴瀬〜日向折戸3往復(うち日祝運休、土曜運行各1往復)   「銀鏡線」一ノ瀬〜尾吐2往復   「小川線」越野尾〜仲入1往復 3.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1987(S62)年に北校前〜山路が廃止された。残った区間は国鉄民  営化を経てJR九州に継承された。1987(S62)年に椎葉線のうち大河内橋〜下  ノ原が廃止された一方、国鉄時代から休止中だった宮崎〜妻の運行が再開さ  れた。 ・1988(S63)年に椎葉線のうち大藪橋〜大河内が廃止された他、日肥本線の上村  〜肥後瀬戸口〜小田橋、国鉄時代から休止中だった湯前〜人吉が廃止された。 ・1994(H6)年には高鍋線が全線廃止されるとともに、日肥本線の越野尾〜仲入、  一ノ瀬〜尾吐及び椎葉線の全線が廃止された。 ・1996(H8)年に熊本県側の村所〜湯前及び鶴瀬〜日向折戸は廃止された。 ・最後まで残った宮崎〜妻〜村所も1998(H10)年に廃止され、日肥線は全廃とな  り、妻営業所も廃止となった。 3.3 旅の考察 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、一ツ瀬ダム(妻から  24.3km)は途中下車駅とされていた。 ・1977(S52)年の「駅営業範囲一覧」によると、日肥線には接続駅(宮崎、妻、  杉安、湯前、人吉及び高鍋)の他に、自動車駅(第1種委託駅)として村所  駅が置かれていた。 ・日肥本線宮崎〜妻は1984(S59)年1月末限りで休止されたが、休止前のダイヤ  を「国鉄監修交通公社の時刻表」1983(S58)年10月号(9/1現在)から拾うと  次の3往復が設定されていた。  (下り便)   宮崎1110→妻1207→1347村所   宮崎1530→妻1624→1804村所   宮崎1650→妻1744→1924村所  (上り便)   村所0655→妻0837→0929宮崎   村所0940→妻1125→1217宮崎(休日運転)   村所1200→妻1345→1437宮崎 ・日肥本線の宮崎市内区間の路線略図は次の通りである。      妻      Λ      |      ○神宮駅前      |      ○江平二丁目      |      ○江平一丁目      |      ○橘通四丁目      |  小林<=○======◎宮崎      |デパート前 |      ○橘通三丁目 |      |      |      ○橘通二丁目 |      |      |      ○−−−−−−・    橘通一丁目 ※細線は日肥線、二重線は宮林線を表す。
2015 年 07 月 11 日 20:59:22 (14952) 政宗3号さんの書き込み いつも楽しく拝見しています。 国会図書館で複写した「国鉄(JR)気動車客車編成表(情報)」の 国鉄(JR)バス営業所別両数表その他の資料を基に、国鉄末期から 民営化初期の国鉄自動車〜JRバスの営業所等の改廃を以下のように まとめてみましたので、ご笑覧頂けると幸甚です。 <1972年度〜1979年度> 1972.01.20昇格 小諸自営本郷派出所→小諸自営松本支所 1972.07.21廃止 宮崎自営高千穂支所 1973.10.01廃止 両国自営(→新橋自営両国支所) 1974.08.01昇格 名古屋自営静岡支所→静岡自営 1976.08.15廃止 妻自営人吉支所、同湯前在勤 1976.08.15開設 妻自営湯前支所 1977.02.10変更 出雲自営赤名支所→同赤名派出所 1978.01.20開設 八日市場自営成田支所 1979.02.01廃止 新橋自営両国支所 1979.03.10変更 山口自営東萩在勤→同萩在勤(※萩駅構内に移転改称) 1979.10.01廃止 新橋自営東神奈川派出所 1979.12.20廃止 厚岸自営標茶派出所 <1980年度> 1980.10.01廃止 大阪自営(→京都自営福島支所、吹田派出所は京都自営へ)、  新潟自営(→象潟自営新潟支所、小国支所は象潟自営へ)、小倉自営(→直方  自営小倉支所) 1980.10.01廃止 山口自営防府在勤 1980.10月末現在 現業機関一覧表(82自動車営業所55支所39派出所)   北海道地方自動車部所管(8自動車営業所8支所3派出所)     札幌自動車営業所(以下「自営」という)、同小樽支所、同札幌中央支     所、厚別自営、同長沼支所、同岩見沢支所、同恵庭支所、滝川自営、     伊達自営、同豊浦派出所、様似自営、同浦河支所、帯広自営、同広尾     支所、同大樹派出所、美瑛自営、同当麻支所、同旭川派出所、厚岸自営   東北地方自動車部所管(12自動車営業所6支所1派出所)     大湊自営、青森自営、久慈自営、北福岡自営、同軽米派出所、沼宮内     自営、同葛巻支所、岩泉自営、遠野自営、同世田米支所、一ノ関自営、     古川自営、同築館支所、仙台自営、角田自営、同相馬支所、福島自営、     同浪江支所、同川俣支所   信越地方自動車部所管(3自動車営業所4支所)     十和田南自営、象潟自営、同小国支所、同新潟支所、小諸自営、同長久保     支所、同松本支所   関東地方自動車局所管(13自動車営業所10支所9派出所)     西那須野自営、同塩原支所、同鬼怒川派出所、同矢板派出所、棚倉自営、     同小野新町支所、同白河派出所、烏山自営、同馬頭派出所、宇都宮自営、     同茂木支所、土浦自営、同江戸崎支所、同古河派出所、同佐原派出所、     長野原自営、同渋川支所、同真田支所、同草津派出所、八日市場自営、     同多古支所、同成田支所、館山自営、同安房白浜支所、水戸自営、     同高萩支所、同羽鳥派出所、東京自営、同八重洲派出所、新橋自営、     新宿自営、上野自営   中部地方自動車局所管(12自動車営業所5支所6派出所)     静岡自営、新居町自営、瀬戸自営、同岡崎支所、同明知支所、同中津川     派出所、遠江二俣自営、同水窪派出所、美濃白鳥自営、大野自営、     同芦原派出所、金沢自営、同福光派出所、近江今津自営、同小浜支所、     同木ノ本支所、同敦賀派出所、穴水自営、同能登飯田支所、同能登宇出津     派出所、伊那自営、下諏訪自営、名古屋自営   近畿地方自動車局所管(6自動車営業所6支所7派出所)     京都自営、同周山支所、同大阪支所、同吹田派出所、同福島支所、同神戸     派出所、水口自営、同亀山派出所、同元八幡派出所、加茂自営、同信楽     派出所、紀伊田辺自営、同新宮支所、同五条支所、同熊野本宮派出所、     同栗栖川派出所、福知山自営、同檜山支所、篠山自営   四国地方自動車部所管(8自動車営業所1支所)     観音寺自営、川之江自営、松山自営、佐川自営、伊予大洲自営、同伊予     日吉支所、鍛冶屋原自営、土佐山田自営、窪川自営   中国地方自動車局所管(11自動車営業所5支所11派出所)     岡山自営、同倉敷支所、同岡山駅前派出所、同矢掛派出所、同津山支所、     出雲自営、同三刀屋支所、同赤名派出所、同三次派出所、同大田派出所、     川本自営、黒瀬自営、海田市自営、同広派出所、同広島センター派出所、     同呉派出所、広島自営、同大朝支所、同浜田派出所、岩国自営、     同六日市支所、同周防広瀬派出所、同鮎谷派出所、大島自営、光自営、     山口自営、秋吉自営   九州地方自動車部所管(9自動車営業所10支所2派出所)     直方自営、同福丸支所、同博多支所、同小倉支所、山鹿自営、鹿児島     自営、同宮之城支所、同国分支所、同桜島支所、同蒲生支所、山川自営、     嬉野自営、臼杵自営、同坂ノ市支所、同三重町派出所、宮崎自営、同小林     支所、都城自営、同飫肥派出所、妻自営、同湯前支所   ※上記のうち国鉄バス営業所別両数表(S56.3.31現在)で配置のなかった派出    所     鬼怒川、佐原、草津、八重洲、神戸(貨物車は不詳)、元八幡、熊野     本宮、栗栖川、呉、広島センター、鮎谷の各派出所   ※上記の他国鉄バス営業所別両数表(S56.3.31現在)で配置のあった個所(    在勤等)     浄法寺、佐賀関、野津、村所、郡山、垂水の各在勤等 1980.11.17廃止 美瑛自営旭川派出所 1981.02.28限り廃止 伊達自営豊浦派出所(→同豊浦在勤) <1981年度> 1982.03.31限り廃止 北福岡自営浄法寺在勤(車両配置あり) <1982年度> 1982年廃止 象潟自営新潟支所 <1983年度> 1983.04.01廃止 新橋自営(→東京自営新橋支所)、新宿自営、上野自営 1983.04.01移管 紀伊田辺自営五条支所→加茂自営五条支所 1983.05.25廃止 小諸自営松本支所(1982.11.14から冬季運休、1983.03.31限で   運行廃止) 1983.11.30限り廃止 伊達自営豊浦在勤(車両配置あり) 1984.03.10廃止 四国地方自動車部(→四国総局自動車管理室(四国総局の内部機   構)) 1984.03.31限り廃止 美瑛自営当麻支所 <1984年度> 1984.05.31限り廃止 帯広自営大樹派出所 1984年開設 沼宮内自営盛岡在勤 1984年廃止 烏山自営馬頭派出所 1985.01.31限り廃止 東京自営新橋支所 1985.03.20廃止 信越地方自動車部(小諸自営は関東地方自動車局所管へ、十和田   南自営及び象潟自営は東北地方自動車部所管へ変更) 1985年廃止 西那須野自営矢板派出所、同鬼怒川派出所、岡山自営津山支所 本年度内に車両配置なし 出雲自営赤名派出所 本年度内に廃止 出雲自営三次派出所、臼杵自営三重町派出所、鹿児島自営垂水在   勤(車両配置あり) 1985.03月末現在 現業機関一覧表(79自動車営業所49支所25派出所)   北海道地方自動車部所管(8自動車営業所7支所)     札幌自動車営業所(以下「自営」という)、同小樽支所、同札幌中央     支所、厚別自営、同長沼支所、同岩見沢支所、同恵庭支所、滝川自営、     伊達自営、様似自営、同浦河支所、帯広自営、同広尾支所、美瑛自営、     厚岸自営   東北地方自動車部所管(14自動車営業所7支所1派出所)     大湊自営、青森自営、十和田南自営、象潟自営、同小国支所、久慈自営、     北福岡自営、同軽米派出所、沼宮内自営、同葛巻支所、岩泉自営、     遠野自営、同世田米支所、一ノ関自営、古川自営、同築館支所、     仙台自営、角田自営、同相馬支所、福島自営、同浪江支所、同川俣支所   関東地方自動車局所管(11自動車営業所11支所5派出所)     西那須野自営、同塩原支所、棚倉自営、同小野新町支所、同白河派出所、     烏山自営、宇都宮自営、同茂木支所、水戸自営、同高萩支所、     同羽鳥派出所、土浦自営、同江戸崎支所、同古河派出所、同佐原派出所、     長野原自営、同渋川支所、同真田支所、同草津派出所、八日市場自営、     同多古支所、同成田支所、館山自営、同安房白浜支所、小諸自営、     同長久保支所、東京自営   中部地方自動車局所管(12自動車営業所5支所)     静岡自営、新居町自営、瀬戸自営、同岡崎支所、同明知支所、遠江二俣     自営、美濃白鳥自営、大野自営、金沢自営、近江今津自営、同小浜支所、     同木ノ本支所、穴水自営、同能登飯田支所、伊那自営、下諏訪自営、     名古屋自営   近畿地方自動車局所管(6自動車営業所5支所4派出所)     京都自営、同周山支所、同大阪支所、同吹田派出所、水口自営、同亀山     派出所、同元八幡派出所、加茂自営、同五条支所、同信楽派出所、     紀伊田辺自営、同新宮支所、福知山自営、同檜山支所、篠山自営   中国地方自動車局所管(11自動車営業所5支所6派出所)     岡山自営、同倉敷支所、同津山支所、出雲自営、同三刀屋支所、同赤名派     出所、同大田派出所、川本自営、黒瀬自営、海田市自営、同広派出所、     同広島センター派出所、広島自営、同大朝支所、同浜田派出所、     岩国自営、同六日市支所、同周防広瀬派出所、大島自営、光自営、     山口自営、秋吉自営   四国総局自動車管理室所管(8自動車営業所1支所)     観音寺自営、川之江自営、松山自営、佐川自営、伊予大洲自営、同伊予     日吉支所、鍛冶屋原自営、土佐山田自営、窪川自営   九州地方自動車部所管(9自動車営業所8支所2派出所)     直方自営、同福丸支所、同博多支所、山鹿自営、鹿児島自営、同国分     支所、同桜島支所、同蒲生支所、山川自営、嬉野自営、臼杵自営、     同坂ノ市支所、同三重町派出所、宮崎自営、同小林支所、都城自営、     同飫肥派出所、妻自営、同湯前支所 <1985年度> 1985年昇格 瀬戸自営中津川在勤→瀬戸自営中津川支所 1985年廃止 瀬戸自営明知支所 本年度内に移管 帯広自営広尾支所→様似自営広尾支所 本年度内に車両配置なし 出雲自営三刀屋支所、海田市自営広派出所 本年度内に廃止 北福岡自営軽米派出所、岡山自営矢掛派出所 <1986年度> 1986.07.31限り廃止 様似自営広尾支所(→同広尾在勤)、同浦河支所 1986.11.01廃止 美瑛自営、大野自営(→金沢自営大野支所)、同芦原派出所   (→金沢自営大野支所芦原在勤) 1987.01.31限り廃止 金沢自営大野支所、金沢自営大野支所芦原在勤(車両配    置あり) 1987.02.01廃止 様似自営広尾在勤(車両配置あり) 1987.03.01移管 伊那自営(中部→関東)、下諏訪自営(同)、金沢自営(本所・   福光派出所、中部→近畿)、近江今津自営(本所・小浜支所・木ノ本支所・   敦賀派出所、同)、穴水自営(本所・能登飯田支所・能登宇出津派出所、同) 本年度内に開設 沼宮内自営盛岡支所、伊那自営高遠在勤(車両配置あり) 本年度内に車両配置 静岡自営、出雲自営赤名派出所 本年度内に車両配置なし 岡山自営倉敷支所、出雲自営大田派出所、広島自営大朝   支所、岩国自営周防広瀬派出所 本年度内に廃止 水戸自営羽鳥派出所、八日市場自営成田支所、遠江二俣自営水窪   派出所、穴水自営能登宇出津派出所、臼杵自営佐賀関在勤(車両配置あり)、   宮崎自営小林支所、都城自営飫肥派出所、鹿児島自営宮之城支所 <1987年度> 1987.04.01民営化   北海道旅客鉄道自動車事業部(7自動車営業所5支所)     札幌自動車営業所、同中央支所、同小樽支所、厚別自動車営業所、     同長沼支所、同恵庭支所、同岩見沢支所、滝川自動車営業所、伊達     自動車営業所、様似自動車営業所、帯広自動車営業所、厚岸自動車営業所   東日本旅客鉄道自動車事業部(東北自動車部)(14自動車営業所8支所)     大湊自動車営業所、青森自動車営業所、十和田南自動車営業所、象潟     自動車営業所、同小国支所、久慈自動車営業所、二戸自動車営業所、     沼宮内自動車営業所、同葛巻支所、同盛岡支所、岩泉自動車営業所、     遠野自動車営業所、同世田米支所、一ノ関自動車営業所、古川自動車     営業所、同築館支所、仙台自動車営業所、角田自動車営業所、     同相馬支所、福島自動車営業所、同川俣支所、同浪江支所   東日本旅客鉄道自動車事業部(13自動車営業所9支所3派出所1在勤)     棚倉自動車営業所、同小野新町支所、同白河派出所、西那須野自動車     営業所、同塩原支所、烏山自動車営業所、宇都宮自動車営業所、     同茂木派出所、土浦自動車営業所、同江戸崎支所、同古河派出所、     長野原自動車営業所、同渋川支所、同真田支所、小諸自動車営業所、     同長久保支所、八日市場自動車営業所、同多古支所、館山自動車営業所、     同安房白浜支所、水戸自動車営業所、同高萩支所、東京自動車営業所、     伊那自動車営業所、同高遠在勤、下諏訪自動車営業所   東海旅客鉄道自動車事業部(6自動車営業所2支所)     名古屋自動車営業所、静岡自動車営業所、瀬戸自動車営業所、同岡崎支所、     同中津川支所、新居町自動車営業所、遠江二俣自動車営業所、美濃白鳥     自動車営業所   西日本旅客鉄道自動車事業部(10自動車営業所7支所4派出所)     金沢自動車営業所、同福光派出所、穴水自動車営業所、同能登飯田支所、     近江今津自動車営業所、同小浜支所、同木ノ本支所、同敦賀派出所、     水口自動車営業所、同亀山派出所、京都自動車営業所、同周山支所、     加茂自動車営業所、同五条支所、同信楽派出所、福知山自動車営業所、     同桧山支所、大阪自動車営業所、篠山自動車営業所、紀伊田辺自動車営業     所、同新宮支所   西日本旅客鉄道自動車事業部(中国自動車部)                     (11自動車営業所1支所11派出所)     岡山自動車営業所、同倉敷派出所(車両配置なし)、出雲自動車営業所、     同三刀屋派出所(車両配置なし)、同赤名派出所、川本自動車営業所、     同田所派出所(車両配置なし)、同矢上派出所(車両配置なし)、     黒瀬自動車営業所、同西条派出所(車両配置なし)、海田市自動車営業所、     同広派出所(車両配置なし)、広島自動車営業所、同大朝支所(車両配置な     し)、同浜田派出所、同高陽派出所(車両配置なし)、岩国自動車営業所、     同六日市支所、同周防広瀬派出所(車両配置なし)、大島自動車営業所、     光自動車営業所、山口自動車営業所、秋吉自動車営業所   四国旅客鉄道自動車事業部(8自動車営業所1支所2在勤)     観音寺自動車営業所、川之江自動車営業所、松山自動車営業所、佐川自動車     営業所、同高知駅在勤(車両配置なし)、伊予大洲自動車営業所、同伊予日     吉支所、鍛冶屋原自動車営業所、同市場町駅在勤(車両配置なし)、土佐山     田自動車営業所、窪川自動車営業所   九州旅客鉄道自動車事業部(9自動車営業所3支所2派出所3在勤)    直方自動車営業所、同福丸支所、同博多支所、山鹿自動車営業所、鹿児島自    動車営業所、同国分支所、同蒲生派出所、桜島在勤、郡山在勤、山川自動車    営業所、嬉野自動車営業所、臼杵自動車営業所、同坂ノ市派出所、    野津在勤、宮崎自動車営業所、都城自動車営業所、妻自動車営業所 本年度内に車両配置なし 古川自営築館支所、伊那自営高遠在勤 本年度内に廃止 鹿児島自営桜島在勤(車両配置あり)、同郡山在勤(車両配置あり) <1988年度(1989.04.01を含む)> 1988.04.01本州自動車分離   ジェイアールバス東北(14営業所8支所)    大湊営業所、青森営業所、十和田南営業所、象潟営業所、同小国支所、久慈    営業所、二戸営業所、沼宮内営業所、同葛巻支所、同盛岡支所、岩泉営業    所、遠野営業所、同世田米支所、一関営業所、古川営業所、同築館支所(車    両配置なし)、仙台営業所、角田営業所、同相馬支所、福島営業所、同川俣    支所、同浪江支所   ジェイアールバス関東(13営業所9支所3派出所1在勤)    棚倉営業所、同小野新町支所、同白河派出所、西那須野営業所、同塩原支    所、烏山営業所、同茂木派出所、宇都宮営業所、土浦営業所、同江戸崎支    所、同古河派出所、長野原営業所、同渋川支所、同真田支所、小諸営業所、    同長久保支所、八日市場営業所、同多古支所、館山営業所、同安房白浜支    所、水戸営業所、同高萩支所、東京営業所、伊那営業所、同高遠在勤、    下諏訪営業所   ジェイアール東海バス(6自動車営業所2支所)    名古屋自動車営業所、静岡自動車営業所、瀬戸自動車営業所、同岡崎支所、    同中津川支所、新居町自動車営業所、遠江二俣自動車営業所、美濃白鳥自動    車営業所   西日本ジェイアールバス(10営業所7支所4派出所)    金沢営業所、同福光派出所、穴水営業所、同能登飯田支所、近江今津営業    所、同小浜支所、同木ノ本支所、同敦賀派出所、水口営業所、同亀山派出    所、京都営業所、同周山支所、加茂営業所、同五条支所、同信楽派出所、    福知山営業所、同桧山支所、大阪営業所、篠山営業所、紀伊田辺営業所、    同新宮支所   中国ジェイアールバス(11営業所1支所11派出所)    岡山営業所、同倉敷派出所、出雲営業所、同三刀屋派出所、同赤名派出所、    川本営業所、同田所派出所、同矢上派出所、黒瀬営業所、同西条派出所、    海田市営業所、同広派出所、広島営業所、同大朝支所、同浜田派出所、    同高陽派出所、岩国営業所、同六日市支所、同周防広瀬派出所、大島営業    所、光営業所、山口営業所、秋吉営業所 1988.04.01開設 高松自動車営業所 1988.04.01変更 伊予大洲自動車営業所伊予日吉支所→伊予日吉自動車営業所 本年度内に車両配置なし 沼宮内営業所葛巻支所、遠野営業所世田米支所、角田営   業所相馬支所、福島営業所浪江支所、同川俣支所、水口営業所亀山派出所、   近江今津営業所木ノ本支所 1989.04.01昇格 札幌自動車営業所中央支所→札幌中央自動車営業所、厚別自動車   営業所長沼支所→長沼自動車営業所 1989.04.01改称 沼宮内営業所→岩手営業所 1989.04.01昇格 象潟営業所小国支所→小国営業所、沼宮内営業所盛岡支所→盛岡   営業所 1989.04.01変更 篠山営業所→福知山営業所篠山支所 長文失礼しました。 (参考資料) 「交通年鑑」1988年版〜2010年版、交通新聞社 「国鉄気動車客車編成表」1981年版〜1983年版、ジェーアールアール 「国鉄気動車客車情報」1984年版〜1986年版、ジェーアールアール 「JR気動車客車情報」1987年版〜1989年版、ジェーアールアール 「JR気動車客車編成表」1990年版〜2010年版、ジェーアールアール モータービークル臨時増刊「日本のバス1988」九段書房1987年 JR東海バス「ジェイアール東海バス10年のあゆみ」1998年 中国JRバス「中国ジェイアールバス10年史」1998年 四国旅客鉄道「JR四国20年のあゆみ」2007年 九州旅客鉄道「JR九州20年史:1987−2006」2007年
2015 年 07 月 10 日 21:25:17 (14951) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【512】宝達線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇宝達線   宝達本線    1 森本−七尾   羽咋線    1 高松−今浜支所前    2 高松−高松町    3 八野−木ノ窪    4 河原−宝達口 1.2 路線略図          ・−−−◎七尾         /        ・   今浜支所前|  河原     ○−−+◎−○−−−○宝達口       / 宝達|      ・    |   高松町|高松  |  上河合    ○−◎−−−−○−−−○−−○木ノ窪      |    八野      |      |      |      |      ◎森本 ※当時、森本〜七尾は長期休止中の模様 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・宝達線は、1957(S32)年に、羽咋線高松〜宝達〜羽咋、高松〜高松町、八野  〜上河合として開業したのがルーツで、併せて、1955(S30)年に開業した森  本〜七尾が奥能登線から分離されて宝達本線となった。宝達線は、七尾線の  補完と沿線地域の開発を使命としていた。 ・当時は、森本〜七尾、高松〜高松町、宝達〜今浜支所前は長期休止中の模様  で(宝達〜今浜支所前は1978(S53)年3月1日から休止※)、1986(S61)年の 「国鉄自動車路線名称」全面改正でこれらの区間は削除されていた。 ※補足 夜行急行バス「のと号」と宝達線の推移 ・森本〜七尾は、金沢〜能登飯田の夜行急行バス「のと号」の運行開始に合わ  せて1955(S30)年3月1日に開業し、途中停留所は津幡駅前のみ設置された。  同区間では、1957(S32)年6月1日(羽咋線の開業日と同じ)に、森本〜津幡  駅前の間に森本大橋、加賀今町、利屋町の3か所、津幡駅前〜七尾の間に本  津幡口、本宇野気、遠塚、加賀木津、高松の5か所の停車場が設置された。 ・1960(S35)年6月の金沢鉄道管理局監修時刻表の国鉄自動車線の頁には、「夜  間急行バスのと号」のダイヤが次のように載っていた。   金沢2300→津幡駅前2333→七尾0128→0258穴水0308→宇出津駅前0433→    松波0533→0600能登飯田   能登飯田2300→松波2327→宇出津駅前0029→0152穴水0202→七尾0337→    津幡駅前0528→0600金沢 ・同じ時刻表では、金沢〜森本〜高松・今浜支所前の普通便として次の2往復が  夜間に設定されていた。   金沢2115→森本2136→津幡駅前2153→本宇野気2216→2232高松                          (2316今浜支所前)     2210→  2231→    2248→    2311→2327   高松2100→本宇野気2116→津幡駅前2139→森本2156→2218金沢     2130→    2146→    2203→  2226→2248 ・宝達線の運行は当初金沢自動車営業所(本所)が担当し、上記の夜間普通便  は出入庫便を兼ねた運用と思われる。宝達線のバス運行拠点として、1966(S41)  年5月26日に金沢自営高松在勤が設けられた(※)。宝達線の全廃とともに、  高松在勤も1987(S62)年3月20日に廃止された(※)。 3.2 旅から30年 ・宝達線は、国鉄最末期の1987(S62).3.20に全廃された(※)。なお、廃止公  示は3/28になされた。 ※ 謝辞 ・金沢自営高松在勤の設置及び廃止、宝達線の一部休止、宝達線の全線廃止日  について、もりさけてん様からご教示を頂きました。感謝申し上げます。
2015 年 07 月 10 日 21:24:17 (14950) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【206】田子線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇田子線    1 北福岡−田子中央    2 堀野−九戸通 1.2 路線略図            サンモール             たっこ                 ○         清水頭    |     宇樽部<−○−−−○−○−−>三戸・金田一           /田子|田子        <−・   |中央       白萩平    |   金田一       中滝     ○大平原 Λ              |    |              | 九戸通○−>陸奥矢沢・軽米・久慈           上斗米○    |              | 矢沢口○−>陸奥矢沢・金田一              |    |           下斗米○−−−−○堀野                   |              北福岡  ○岩谷橋             (→二戸) |               ◎−+−+                      | |            浄法寺<−・ V                   一戸      2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・盛岡金田一急行線1(田子線1) 北福岡〜堀野 ・盛岡金田一急行線1(田子線2) 堀野〜九戸通 (2.は以下、盛岡金田一急行線の項を参照。) 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・田子線は、1939(S14)年に二戸線の一部として福岡長嶺〜北福岡(→二戸)が開業  し、1942(S17)年に福岡長嶺〜金田一が開業した開業したのがルーツで、1953(S  28)年に福岡長嶺〜上斗米、1954(S29)年に上斗米〜田子〜上田子が開業し、東北  本線の培養線として沿線地域の産業文化の発展助長を使命としていた。 ・当時は、北福岡(→二戸)〜堀野〜九戸通が盛岡金田一急行線と重複していた。 ※補足 田子線の運行状況の推移 ・1954(S29)年8月改正ダイヤでは、北福岡〜田子が2往復(北福岡発0810・1640、  田子発0740・1340、所要2時間30分)、北福岡〜上斗米が4往復(北福岡発0550  〜1910、上斗米発0800〜1750、所要1時間)設定されていた。 ・1955(S30)年5月改正ダイヤでは、次のように北福岡〜上田子、北福岡〜上斗米が  それぞれ3往復ずつ設定されていた。    北福岡0600→0650上斗米            上斗米0605→0658北福岡       0815→0908   →1028上田子         0700→0753       1022→1115         上田子0750→   0910→1003       1330→1423   →1543            1125→1218       1635→1728   →1843      1220→   1340→1433       1900→1953            1625→   1745→1838 ・1967(S42)年7月現在ダイヤでは、北福岡〜福岡川代2往復、北福岡〜上斗米6  往復、北福岡→下斗米1本の設定が確認できる。 ・1986(S61)年3月改正ダイヤでは、北福岡〜田子・清水頭が2往復、田子〜清水  頭が下2上1、北福岡〜金田一川が1往復、北福岡〜上斗米〜福岡川代が2往  復、北福岡〜上斗米が2往復、北福岡〜下斗米が1往復(土日祝学休運休)設定  されていた。    北福岡0738→0859田子1535→1547清水頭1552→1724北福岡    北福岡1610→1742清水頭1747→1759田子    田子0708→0720清水頭0725→0859北福岡 3.2 旅から30年 ・田子線は、国鉄民営化を経てJRバス東北に継承されたが、最初に1990(H2)年ま  でに大平原以北が、1995(H7)年に上斗米〜大平原がそれぞれ廃止され、2008(H20  )年に福岡長嶺〜上斗米が廃止された。 ・国鉄民営化後の1989(H1)年3月改正ダイヤでは、二戸〜田子・清水頭が1往復、  田子〜清水頭が1往復、二戸〜大平原が4往復(うち1往復は日祝運休)、二戸  〜上斗米〜福岡川代が2往復、二戸〜上斗米が1往復、二戸〜下斗米が1往復(  日祝学休運休)設定されていた。    二戸1615→田子1739→1751清水頭1756→1808田子    田子0659→0711清水頭0716→田子0730→0855二戸 ・2015(H27)年現在、JRバス東北が二戸〜堀野〜九戸通〜金田一を軽米線への直  通便を含めて運行している。
2015 年 07 月 10 日 21:07:04 (14949) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【211】沼宮内線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇沼宮内線   沼宮内本線    1 盛岡−名目入   下屋敷線    1 野原−陸中板橋 1.2 路線略図        一戸      小鳥谷        Λ    陸中  Λ     岩手町|城山通 板橋  |葛巻 茶屋場      大町○−○−−○−−−○−○−○−>久慈        |    |  陸中   |     沼宮内◎    |  田代   ○荒沢口        |    |       |      野原○−−−−○陸中大渡   ○上国境        |            |        |            ○横道    岩手渋民○            |        |   盛岡・早坂高原<−○−>岩手中野        |           名目入  十和田湖<−◎−>早坂高原・名目入        盛岡 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・沼宮内本線1 茶屋場〜葛巻〜陸中田代 2.2 掲載 ・53日目 8/11(日) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p249〜250 2.3 行程 ◇久慈1000→1145葛巻 平庭高原・沼宮内線 臨時特急「白樺」久慈発 盛岡行                           647-2975(日野K-RC721P) ◇葛巻1230→1339一戸 沼宮内・小鳥谷・一戸線 葛巻発 一戸行                            521-6003(いすゞBU10) 2.4 エピソード ・下りにかかり、久々に信号機が見えると、葛巻町の長い商店街になった。きっぷ  売場もある葛巻駅で小鳥谷線一戸行きに乗り換え。駅横の食堂はラーメンとすし  のセットを売り物にしており、右へ倣えして「中華ざるA」750円也を注文。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・沼宮内線は、岩手県内最初の国鉄自動車として1939(S14)年に沼宮内西線沼宮内  〜茶屋場が開業したのがルーツで、戦後の1947(S22)年に江刈線(→沼宮内線)  茶屋場〜国境峠、岩泉線(→早坂高原線)国境峠〜名目入〜岩手落合〜岩泉〜  岩手中野が開業した。 ・沼宮内線は、沼宮内東線(→平庭高原線)、岩泉線(→早坂高原線)とともに  東北本線、八戸線及び山田線をつなぎ、岩手県内陸部と太平洋岸を直結して、  文化産業の交流を図る、陸上交通の動脈路線としての使命を有していた。 ・最長片道切符の旅当時に近い1985(S60)年12月改正ダイヤでは、沼宮内本線には、  平庭高原線と直通して盛岡〜久慈を結ぶ特急便「白樺号」6往復、盛岡・沼宮内  〜葛巻の普通便4往復、葛巻〜岩泉営業所の普通便3往復、葛巻〜上荒沢口・  大平橋の普通便5往復、下屋敷線循環2往復の他、岩手町内の沼宮内〜城山の  区間便等が設定されていた。 ※補足 沼宮内線の運行状況の推移 ・1940(S15)年7月改正ダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。    沼宮内0610→0813茶屋場 1便  葛巻0600→0802沼宮内 2便       0850→1053    3便    0850→1052    4便       1435→1638    5便    1300→1500    6便       1740→1938葛巻  7便 茶屋場1639→1852    8便    葛巻〜茶屋場 上り2本(104、106便)    沼宮内〜城山通 6往復 ・1942(S17)年9月改正ダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。    沼宮内0813→1029茶屋場 1便  葛巻0800→1010沼宮内 2便       1325→1541    3便    1100→1310    4便       1738→1951葛巻  5便    1640→1850    6便    葛巻〜茶屋場 上り2本(102、106便)    沼宮内〜城山通 6往復(30〜39、103、104便) ・1948(S23)年2月現行ダイヤでは、沼宮内西線(沼宮内〜葛巻)には次のような  便が設定されていたのを確認できる。    沼宮内0615→0803葛巻 1便  葛巻0555→0743沼宮内 2便       0820→1008   3便    0900→1048    4便       1220→1438   5便    1120→1308    6便       1500→1648   7便    1510→1723    8便       1745→1933   9便    1730→1918    10便    沼宮内〜城山通 6往復(60〜71便) ・1952(S27)年1月開業ダイヤでは、沼宮内西線(盛岡〜沼宮内〜葛巻)には次の  ような便が設定されていたのを確認できる。    盛岡1000→1316葛巻   葛巻0520→0836盛岡      1530→1846       0830→1146      2000→2130城山通    1520→1836    沼宮内0630→0906葛巻  葛巻0600→0821沼宮内       0912→1148      1030→1301           1245→1521      1330→1601           1517→1753      1630→1901           1735→2011        沼宮内〜城山通 下り14本・上り11本 ・1953(S28)年1月改正ダイヤでは、沼宮内線及び岩泉線には次のような便が設定  されていたのを確認できる。     盛岡0800→1428岩泉   城山通0600→0732盛岡       1000→1332葛巻    葛巻0600→0926       1410→2033岩泉    岩泉0600→1226       1620→1946葛巻    葛巻1140→1517       2000→2132城山通     1520→1846    沼宮内0630→0831葛巻    葛巻1820→2021沼宮内     葛巻0710→1042岩泉    岩泉0753→1125葛巻           1350→1727        0953→1305           1550→1922        1138→1510           1735→2011        1523→1811    沼宮内〜城山通 下り11本・上り12本    岩手小川〜岩泉 1.0往復(1時間20分) ・1954(S29)年5月改正ダイヤでは、沼宮内線及び岩泉線には次のような便が設定  されていたのを確認できる。     盛岡0800→1401岩泉   城山通0600→0730盛岡       1030→1626      葛巻0620→0919       1230→1941小本    岩泉0500→1052       1520→2109岩泉  陸中野田0553→1149       1620→2217陸中野田  岩泉0753→1342       2030→2200城山通     1248→1847                    1513→2104    沼宮内0705→1141岩泉     葛巻0630→0928岩泉    岩泉1003→1301葛巻                        1713→1954         小川0600→0820小本        沼宮内〜城山通 11.0往復 ・1955(S30)年5月改正ダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     盛岡0640→1202久慈    寺田0615→0813盛岡       0840→1433岩泉    葛巻0620→0922       1100→1653      岩泉0510→1103       1210→1756    陸中野田0553→1147       1500→2043      岩泉0753→1343       1620→2212陸中野田    0958→1552       1650→1853一方井     1253→1847       1940→2149寺田      1503→2057    沼宮内0705→1130岩泉     葛巻0650→0929岩泉    岩泉1733→2012葛巻     ・1956(S31)年9月改正ダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     盛岡0640→1155久慈    葛巻0610→0913盛岡       0800→1400岩泉    岩泉0510→1103       1100→1700      久慈0650→1201       1300→1957小本    小本0650→1353       1510→2100岩泉    岩泉1143→1735       1620→2127久慈      1313→1905       1940→2118沼宮内     1543→2135    沼宮内0705→1257小本     葛巻0700→0939岩泉    岩泉1743→2022葛巻     権現0505→0817小本    小本1730→2037権現    岩泉〜小本 下り1本・上り2本 ・1958(S33)年5月改正ダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     盛岡0630→0931葛巻    葛巻0620→0921盛岡       0750→1346岩泉    岩泉0515→1115       1050→1658      葛巻0900→1158       1310→1913      岩泉0758→1345       1520→2108        1106→1701       1615→1916葛巻      1256→1846       1820→2039一方井     1506→2056    沼宮内0710→1145岩泉     葛巻0730→1022岩泉    岩泉1725→2006葛巻    岩手小川〜岩泉 下り2本・上り1本    権現〜岩泉 上り1本    城山通〜下屋敷 3往復 ・1959(S34)年5月改正ダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     盛岡0635→1139久慈    葛巻0630→0924盛岡       0805→1347岩泉    岩泉0454→0948       1110→1704      久慈0705→1208       1310→1847      岩泉0803→1335       1500→2006      葛巻1610→1903       1610→2113久慈    岩泉1520→2059    沼宮内0705→0836葛巻    岩泉1150→1604沼宮内     葛巻0750→1025岩泉    岩泉1750→2025葛巻    沼宮内〜下屋敷 2往復 ・1961(S36)年5月改正ダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     盛岡0700→1204久慈    葛巻0610→0904盛岡       0805→1345岩泉    岩泉0450→0950       1050→1630      久慈0645→1152       1310→1845      岩泉0813→1350       1515→2021        1310→1850       1620→2122久慈    久慈1600→2104    沼宮内0650→1110岩泉    岩泉1520→1756葛巻    名目入〜岩泉 2往復    沼宮内〜下屋敷 2往復 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号では、沼宮内線には次の  ような便が設定されていたのを確認できる。     盛岡0650→1134久慈    葛巻0647→0926盛岡       0820→1326岩泉    岩泉0551→1048       1120→1626      久慈0720→1208       1440→1940      岩泉0835→1338       1600→2046久慈    葛巻1305→1538       1740→2021葛巻    岩泉1205→1708                  葛巻1630→1903                  久慈1555→2038     葛巻0800→1020岩泉    岩泉1540→1757葛巻    名目入〜岩泉 下り1本 ・1967(S42)年7月現在のダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     盛岡0705→1133久慈    久慈0725→1153盛岡       1105→1330葛巻      1530→2001       1620→2041久慈    沼宮内0650→0813葛巻     葛巻0815→1035岩泉    岩泉0700→0920葛巻     葛巻1648→1847浅内   名目入1614→1730葛巻 ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     盛岡0650→1030久慈    葛巻0644→0900盛岡       0725→0825沼宮内  沼宮内0925→1025       0930→1144葛巻    久慈0810→1152       1130→1344     沼宮内1130→1227        1330→1427沼宮内   葛巻1147→1400       1420→1634葛巻      1434→1647       1630→2022久慈   沼宮内1635→1735       1715→1820沼宮内   久慈1538→1915       1850→1947      葛巻1801→2012     葛巻0840→1102岩泉    岩泉0705→0922葛巻       1400→1639        1010→1242       1645→1902        1520→1731 ・1971(S46)年9月から盛岡〜久慈特急便「白樺号」が運行開始。1971(S46)年12  月現在のダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていたのを確認で  きる。  1) 特急便「しらかば号」    盛岡0820→葛巻1039→1208久慈  久慈0810→葛巻0944→1156盛岡      1430→  1647→1816      1437→  1613→1825   ※急行料金50円との注記あり。  2) 普通便     盛岡0710→0810沼宮内   葛巻0630→0904盛岡       1030→1258葛巻   沼宮内0844→0939       1410→1507沼宮内     1207→1302       1540→1638      葛巻1240→1507         1640→1735     沼宮内1457→1555        1710→1945葛巻    葛巻1535→1803       1845→1943沼宮内  沼宮内1909→2004    沼宮内0655→0817葛巻    葛巻1035→1201沼宮内       0825→0945        1740→1859       1515→1635     葛巻0750→1027岩泉    岩泉0715→0955葛巻       1325→1602        1240→1517       1645→1937        1550→1842 ・1972(S47)年11月現在のダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「しらかば号」(12/14までのダイヤ)    盛岡0645→葛巻0844→0954久慈  久慈0700→葛巻0815→1009盛岡      0920→  1119→1229      0810→  0925→1119      1530→  1729→1839      1300→  1415→1604      1730→  1929→2039      1510→  1625→1819   ※急行料金50円との注記あり。  2) 普通便     盛岡1120→1328葛巻    葛巻0635→0849盛岡       1500→1708        1110→1318       1600→1657沼宮内     1250→1458       1915→2011      沼宮内0653→0800葛巻    葛巻1755→1849沼宮内       0945→1047       1740→1842     葛巻0805→1009岩泉    岩泉0655→0904葛巻       1415→1601        0955→1208       1729→1935        1530→1734 ・1975(S50)年1月現在のダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0725→0944葛巻→1116久慈       葛巻0810→1022盛岡      0930→1152  →1324    久慈0805→  0947→1159      1500→1717  →1849      1210→  1349→1601      1725→1942           1520→  1659→1914   ※急行料金80円との注記あり。  2) 普通便     盛岡1120→1344葛巻    葛巻0630→0901盛岡       1400→1455沼宮内     0947→1159       1530→1628        1220→1443       1815→1913        1520→1746    沼宮内0704→0826葛巻    葛巻1740→1855沼宮内       1522→1638       1740→1842     葛巻0805→1041岩泉    岩泉0655→0942葛巻       1354→1623        0940→1216       1705→1939        1555→1840 ・1976(S51)年4月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されてい  たのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0650→1009久慈  久慈0700→1019盛岡      0930→1249      0810→1129      1445→1807      1250→1612      1730→2054      1510→1832   ※急行料金80円との注記あり。   ※以上の他、7/20〜8/31・9/13〜24に特急便「平庭陸中号」が次のように設    定されていたのを確認できる。     盛岡0820→久慈1150→1316北山崎1545→久慈1710→2024盛岡  2) 陸中小国線    久慈1125→1252陸中小国  陸中小国0658→0827久慈      1730→1859          1322→1449 ・1978(S53)年8月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0650→1009久慈  久慈0700→1019盛岡      0930→1249      0805→1124      1445→1807      1250→1612      1730→2057      1510→1832   ※急行料金100円との注記あり。  2) 陸中小国線    久慈1125→1250陸中小国  陸中小国0700→0827久慈      1730→1857          1320→1445 ・1980(S55)年8月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0650→1009久慈  久慈0700→1019盛岡      0930→1249      0805→1124      1445→1807      1250→1612      1730→2057      1510→1832   ※急行料金100円との注記あり。  2) 陸中小国線    久慈1125→1250陸中小国  陸中小国0700→0827久慈      1730→1857          1320→1445 ・1982(S57)年11月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0650→1009久慈  久慈0630→0949盛岡      0930→1249      0740→1059      1450→1812      1250→1612      1710→2037      1510→1832   ※急行料金100円との注記あり。   ※以上の他、11/20・21・27に特急便「三陸観光1号」が次のように設定され    ていたのを確認できる(同2号は早坂高原線経由)。     盛岡1050→久慈1427→1727島ノ越港  2) 陸中小国線    久慈1127→1247陸中小国  陸中小国0700→0820久慈      1730→1851          1314→1433 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、沼宮内本線の畜産試験  場〜産業文化センター、荒沢口〜大平橋が認知された。両区間を加えた沼宮内線  は、国鉄民営化を経て、JRバス東北に継承された。 ・民営化後は、1996(H8)年までに盛岡〜沼宮内から普通便が姿を消し、普通便のみ  が経由していた、畜産試験場前〜産業文化センター、盛岡〜大通二丁目〜中央通  〜夕顔瀬橋が廃止された。その後、2003(H15)年に荒沢口〜名目入、2004(H16)年  に下屋敷線(野原〜陸中板橋)が廃止された。 ・盛岡〜久慈の特急便「白樺号」には、1999(H11)年〜2003(H15)年の間、盛岡IC〜  滝沢ICを東北道経由とした「スーパー白樺号」が運行されていた。 ・2015(H27)年6月現在、盛岡〜沼宮内〜葛巻〜茶屋場に久慈発着の「白樺号」が、  葛巻町内の葛巻病院・葛巻〜大平橋に普通便が、それぞれJRバス東北によって  運行されている。 3.3 旅の考察 ・乗車券の経由欄には「沼宮内線」の文字が見当たらないが、当時の「自動車線普  通旅客運賃表」の「平庭高原線」の部には葛巻、陸中田代、沼宮内、盛岡の欄が  並び(「茶屋場・盛岡間は沼宮内線」の注記あり)、「小鳥谷線」の部には葛巻  の欄もある(「陸中田代・葛巻間は沼宮内線」の注記あり)ため、あえて沼宮内  線を入れなかったのかも知れない。 ・沼宮内〜城山(特急便は城山通)では特急便を含めて10分〜2時間の間隔での  運行だった。
2015 年 07 月 10 日 21:05:32 (14948) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【106】石狩線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇石狩線   石狩本線    1 滝川−石狩月形    2 新十津川役場前−新十津川    3 下四号線−砂川    4 黄臼内−奈井江    5 月形市街−石狩当別   沼田線    1 橋本町−石狩沼田    2 大和市街−四線三号−上三号    3 熊見坂−堺線−十三戸    4 碧水市街−美葉牛   川上線    1 雨竜市街−第二新竜橋 1.2 路線略図              ◎石狩沼田              |              ○本願寺駅逓前             /|        口美北線○ ○口美葉牛             \|       美葉牛○−−−○碧水市街              |              ○和市街              |           十三戸○−・                | |            牧岡○ ○堺線              | |           熊見坂○−・              |              ○追分市街              |    第二新竜橋○−−−−○雨竜市街              |        四線三号○−○上三号            | |            ・−○大和市街              |           橋本町○−−−−+−・              |    | |       新十津川役場前○ 温水プ○ |             /| −ル前  ◎滝川        新十津川◎ |              ○菊水町              |          下四号線○−−−−−◎砂川              |              ○花月市街              |           黄臼内○−−−−−◎奈井江              |          浦臼◎−+              |              ○札比内駅前              |            ・−○北農場      月形刑務所前○ |            ・−○官舎前              |              +−>岩見沢              |        石狩月形◎−○月形市街              |              |        石狩当別◎−・  ※月形市街〜石狩当別は1959(S34)年から長期休止中。     2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・石狩本線1 浦臼〜月形市街 ・石狩本線4 奈井江〜黄臼内 ・石狩本線1 黄臼内〜下四号線〜新十津川役場前〜橋本町 ・沼田線1 橋本町〜大和市街 ・沼田線2 大和市街〜四線三号〜上三号 ・沼田線1 上三号〜雨竜市街〜熊見坂 ・沼田線3 熊見坂〜堺線〜十三戸 ・沼田線1 十三戸〜碧水市街〜石狩沼田 2.2 掲載 ・61日目 8/19(月) S61.8号 11.北海道編(上) 単行本 p285〜288 ・連載誌のみ 浦臼駅前のつばめバスの写真、527-0007の解説 2.3 行程 ◇浦臼0802→0840石狩月形 石狩本線 浦臼発 石狩月形行 531-3072(いすゞK-CJM550) ◇奈井江1235→1248黄臼内 石狩本線 奈井江発 浦臼行 527-0001(日野K-RE141) ◇黄臼内1305→1329橋本町 石狩本線 浦臼発 滝川行 527-0001(日野K-RE141) ◇橋本町1448→1531碧水市街 沼田線 滝川発 美葉牛行 537-7008(日野RC320) ◇碧水市街1620→1640石狩沼田 沼田線 滝川発 石狩沼田行 527-0007(日野K-RE141) 2.4 エピソード ・石狩月形行きバスは、鉄道の駅近くには停留所があるが、名称が微妙に異なる。  札的は「駅通」、晩生内は「市街」、札比内は「駅前」、豊ヶ岡は「駅通」、  接続駅は鉄道と同じ駅名の浦臼、石狩月形だけ。高校生が停留所ごとに増えて  きた。 ・黄臼内からの滝川行きは、沿道の家並みが途切れず、乗り降りは多い。新十津川  市街に入ると目立って乗客が増えた。 ・きっぷの経路は四線三号を経由するが1日2本だけで、ここをカットすれば  南稚内へ入れるので直行した。 ・美葉牛行きの運転手に四線三号の所在を尋ねると、「ほら、この左手ね。通学  路線だよ」と大和市街を過ぎてから畑の向こうを指差す。 ・雨竜市街の乗降は多く、面白内から右へ275号線をはずれ農道を走った。国道へ  戻った碧水市街で石狩沼田行きに乗り継ぎ。 3. 路線解説 3.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・石狩線は、戦時中の札沼線一部撤去に伴う国鉄自動車による代行路線として、  1943(S18)年に石狩月形〜石狩追分及び橋本町〜滝川が、翌1944(S19)年に石狩  当別〜石狩月形及び石狩追分〜石狩沼田がそれぞれ開業したのがルーツである。  戦後、鉄道が復元された後でも、鉄道の機能補充、輸送力補助の使命で自動車  の経営が継続された。また、滝川、砂川方面との短絡交通機関という使命も有  していた。 ・1968(S43)年9月の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル線撤去の一環として、  1972(S47)年6月に札沼線新十津川〜石狩沼田が廃止され、国鉄自動車による  代替輸送が開始された。開業時の運行系統別運行回数は次の通りであった。    滝川〜石狩沼田 7.5往復    滝川〜新十津川〜石狩沼田 4.5往復    滝川〜奥美葉牛 0.5往復    滝川〜渭ノ津市街〜奥美葉牛 5.5往復    滝川〜和市街 0.5往復    滝川〜暑寒ダム 4.0往復    滝川〜四線三号 2.0往復 ・1985(S60)年当時、(自)滝川に自動車駅が存在し、札比内駅前、浦臼役場前、  花月市街、新十津川役場前、大和市街、雨竜市街、追分市街、碧水市街に乗車  券簡易販売所が設けられていた。また、石狩線バス運行の拠点として、滝川自  営と同自営浦臼在勤が置かれていた。 ・1985(S60)年5月改正ダイヤでは、石狩線には次のような便が設定されていた。  1) 沼田線    滝川〜石狩沼田 7.5往復(1〜15便)    滝川〜渭ノ津十字街〜美馬牛・和市街 6.5往復(701〜710、712便)    滝川〜第二新竜橋 4.0往復(401、402、405〜408、3405、3406便)    菊水町〜大和循環 1.5往復(404、409、2409便)  2) 石狩本線    石狩新宮・浦臼・花月市街・砂川〜滝川 20.0往復(101〜139、228便)     菊水町〜滝川 6.0往復(201〜207、209〜212、2210便)    石狩月形〜浦臼 2.0往復(301〜304便)  3) 石狩本線(支線)    浦臼・花月市街〜砂川 下3本・上5本(502〜506、509、512〜514便)    浦臼〜奈井江 4.0往復(601〜606、608、609便) 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月に石狩本線北農場〜石狩月形(本線とは別経路)が開業した  一方、同年11月に沼田線の大和市街〜四線三号〜上三号、碧水市街〜美葉牛  及び川上線全線が廃止された。 ・これら以外の区間は、長期休止区間も含めて、国鉄民営化を経てJR北海道  に継承されたが、2003(H15)年に滝川営業所の廃止に伴って、石狩線は全廃さ  れた。 ・廃止当時のダイヤ(1999(H11)年5月改正)では、石狩線には次のような便が  設定されていた。  1) 沼田線    滝川〜石狩沼田 6.0往復(1〜12便、うち1.5往復は渭ノ津十字街経由)    滝川〜碧水市街 1.0往復(101〜102便、上り便は渭ノ津十字街経由)    滝川〜和市街 1.5往復(901〜903便、下り便は渭ノ津十字街経由)  2) 石狩本線    石狩月形〜滝川 3.0往復(700〜705便)    石狩新宮〜滝川 1.5往復(301、302、304便)    浦臼〜滝川 4.0往復(400〜407便)     菊水町〜滝川 8.0往復(201、203〜217便)  3) 石狩本線(支線)    滝川・花月市街〜砂川 5.0往復(800〜809便)    浦臼〜奈井江 3.0往復(600〜605便、他にスクール下り1便)    滝川〜温水プール 2.0往復(500〜503便) 3.3 旅の考察 ・「国鉄北海道自動車50年史」によると、滝川自営管内の業務委託駅の推移は次の  通りである(1984(S59)年現在)。    (自)滝川 1952(S27)年4月〜    (自)砂川 1958(S33)年10月〜1970(S45)年3月     雨竜市街 1952(S27)年4月〜     和市街  1972(S47)年6月〜 ・1985(S60)年10月現在の北海道地方自動車部管内路線図には、当時、路線名称上  明示されていなかった、次の区間が載っていた。    石狩本線 北農場〜石狩月形、滝川〜温水プール前    沼田線 碧水市街〜口美北線〜本願寺駅逓前  このうち、碧水市街〜本願寺駅逓前は、本線(口美葉牛)経由3.2kmのところ、  迂回線(口美北線)経由では4.5kmであり、最長片道切符のルートに組み込めれば  1.3kmほどキロ程が伸びたはずであった。
2015 年 07 月 04 日 21:39:58 (14947) ふもふも館長さんの書き込み JRバス多古線と成田空港は関わりが深いので、成田空港について調べてみた。 1.成田空港 略歴 (1) 開港まで ・1966(S41).7.4 成田市三里塚に空港を建設することを閣議決定 ・1969(S44).8.18 宮内庁下総御料牧場の閉場式 これ以降、本格着工 ・1972(S47).4 A滑走路が完成 ・1978(S53).3.30 開港予定日 成田空港管制塔占拠事件により延期 ・1978(S53).5.20 開港 到着便は21日から 出発便は22日から (2) 第2ターミナル供用開始まで ・1985(S60).10.20 反対派による大規模闘争 これ以降、反対運動は沈静化 ・1986(S61).11.26 二期工事開始 ・1991(H3).3.19 成田空港高速鉄道開業、成田駅・京成空港駅からの連絡バス廃止 ・1992(H4).12.3 空港第2ビル駅開設 ・1992(H4).12.6 第2ターミナル供用開始、第1ターミナル北ウィング閉鎖 (3) B滑走路供用開始・芝山鉄道開業まで ・1994(H6).10.11 成田空港問題円卓会議終了 これ以降、反対運動は軟化 ・1999(H6).3.16 第1ターミナル北ウィング供用再開、南ウィング閉鎖 ・1999(H11).12.3 B滑走路の工事着工 ・2002(H14).2.21 B滑走路の供用開始 ・2002(H14).10.27 芝山鉄道開業 (4) 第3ターミナル供用開始まで ・2004(H16).4.1 新東京国際空港公団が成田国際空港株式会社に改組 ・2005(H17)頃? 第1ターミナルの駐車場拡大に伴い、11番バス停閉鎖 ・2006(H18).6.2 第1ターミナル南ウィング供用再開 ・2010(H22).7.17 成田スカイアクセス線開業 ・2012(H24).7.3 京成バス「東京シャトル」開業 ・2013(H25).9.26 第2ターミナルのシャトルシステムを廃止 ・2015(H27).3.30 正午に空港検問を廃止 ・2015(H27).4.8 第3ターミナル供用開始 2.1978(S53).5.21時点の推定路線図                        五辻  千代田橋                         ∧   ∧                         |   :                    芝山   |   ○−−>芝山線                    千代田駅 |千代田|                 公団  ★   ・−○−+  寺台         /\  工事局前/\      |  −>+−−−+−>−+  ○−・  ○  ○−−−○−+−●−+・・・    |   ∧   ∨ 日航オペ\/  整備地区 空港:空港 |  ・    ∨   +−○−・ セン前          南口:南口 |航空・  寺台|   京成空港駅            ・   :   |博物・  <−+−○−−−○−+−−>−−・  三里塚ゴルフ場前●日航グ●館北●    貨物地区 管理ビル\   /           :ランド|  ・              \ /        ・   :前  |  ・               ○           桜台○中之台●  ・              成田空港       ・   :   | ・                             :   |・     ●さくらの山    成田鉄道三里塚駅跡★    +−●−・     ・                ・      |住宅入口  法華塚・        大清水  ・         |   ○−+−−−−−−−−−○−−−−−−−−○−−−−○三里塚   |        ・(←遠山国民学校前) 三里塚   |   ∨      ・            小学校   ∨  寺台    ・                   久能線 3.JRバスの動向(その1) (1) 1969(S44).8以降 多古本線1 千代田〜三里塚 経路変更 ・旧線は、千代田〜(社)三里塚ゴルフ場前〜桜台〜三里塚か。 ・桜台は、1965(S40).10.5に開駅。千代田から0.9km、三里塚まで1.5kmの地点。  (社)三里塚ゴルフ場前とほぼ同じ位置か。 ・新線は、千代田〜空港南口〜日航グランド前〜(社)中之台〜住宅入口〜三里塚か。 ・経路変更当時は、空港南口・日航グランド前・住宅入口は未開業と思われる。 ・空港南口バス停は北と南に2箇所あるが、南ゲート付近(北側)が正しい位置で、  南側のバス停は、便宜上、後から設置したと推測。 (2) 1978(S53).5.21 成田空港線1「成田−成田空港」開業 ・経路は、成田〜(社)栄町〜松原〜寺台〜貨物地区〜管理ビル〜成田空港で、松原  と寺台には停車しなかった模様。 ・新設区間は、成田〜松原、寺台〜成田空港。 (3) 1978(S53).5.21 多古本線3「千代田−寺台」開業 ・経路は、千代田〜空港南口〜整備地区〜公団工事局前〜日航オペセン前〜京成空  港駅〜寺台。 ・全区間が新設区間だが、京成空港駅〜寺台の大半は成田空港線と二重戸籍。 ・運行実態不明。いつまで運行していたのか? (4) 1989(H1).4.28 ONライナー号(大宮駅西口〜成田空港) 開業 ・経路は、東関道〜成田JCT〜新空港道〜第1ゲート〜成田空港と推測。 ・降り場は4階、乗り場は1階5番だった模様。 (5) 1991(H3).3.18限 成田空港線 休止 (6) 1991(H3).3.19 多古本線 東成田駅〜成田空港 開業?、東成田駅〜寺台 廃止? ・H3.10.1付タリフに掲載されている事から、実施日はH3.3.19と推測。 4.1991(H3).3.19時点の推定路線図                        五辻  千代田橋                         ∧   ∧                         |   :                    芝山   |   ○−−>芝山線                    千代田駅 |千代田|                 公団  ★   ・−○−+                 工事局前/\      |  ……+………+−>−+−−−−・  ○  ○−−−○−+−○−+・・・    :   ∧   ∨     \/  整備地区 空港:空港 |  ・    :   +−○−・              南口:南口 |  ・  大宮:   |東成田駅                    ∨  <=:===|=====+==>==・           三里塚    :   |     ∧     ‖  ……+…○…+−○−+−‖−>−・ ・    貨物地区 管理ビル\‖   |/              +   +  ※東成田駅の回り方はこれで良い?               \ /                ○              成田空港 5.JRバスの動向(その2) (1) 1992(H4).12.6? ONライナーが第2ターミナル経由に (2) 1995(H7).4.1 高速八日市場線 成田IC経由で開業 (3) 1996(H8).3.1 高速八日市場線 富里IC経由に経路変更 (4) 2001(H13).2 ONライナー下り便の一部が、ホリデイ・イン東武成田ホテル経由に ・新設区間は、成田IC→国道295号→ホリデイ・イン東武成田ホテル→第2ゲートか。 (5) 2002(H14).10.27 多古線 千代田〜成田空港 経路変更 ・廃止区間:千代田←整備地区←公団工事局前←東成田駅←管理ビル←成田空港 ・新設区間:千代田←芝山千代田駅←成田空港 ・芝山鉄道の開業と、成田空港南ゲート開設に伴う経路変更。東成田駅を通らず、  空港内道路を通って、芝山千代田駅付近の路線バス専用ゲートより空港連絡道に  出るよう経路が変わった。 ・現在、路線バス専用ゲートは廃止されたようなので、第6ゲート経由に経路が変  わっていると思うが、確証なし。                         五辻                    芝山   ∧                    千代田駅 |千代田                公団     ○ ・−○−+                工事局前   |     |  ……+………+………+…………○……+−−●−−−●−+−○−+・・・    :   :   :       | 整備地区 空港・空港 |  ・    :   +…○…・  路線バス △      南口・南口 |  ・    :   :東成田駅  専用ゲート|        ・   ∨    :   :    ・−−−−−−+・・・・・・・・△  三里塚    :   :    |             第6ゲート  ……+…○…+…○……+    貨物地区 管理ビル|             ○成田空港 (6) 2003(H15).5.15 多古線 住宅入口〜空港南口 経路変更 ・廃止区間:住宅入口〜日航グランド前〜空港南口 ・新設区間:住宅入口〜航空博物館北〜空港南口 ・空港拡張に伴う国道296号の切り替えに伴い経路変更。 (7) 2005(H17)頃? 多古線の成田空港バス停を11番?から30番に変更 (8) 2009(H19).3.31限   ONライナー号(さいたま新都心駅〜大宮駅西口〜成田空港)から撤退 (9) 2015(H27).3.26 多古線 法華塚〜さくらの山、住宅入口〜航空博物館前 開業 (10) 2015(H27).6.20   多古線 住宅入口〜航空博物館前 廃止、住宅入口〜航空科学博物館 開業  寺台                   成田空港 :   ∧                    ∧   +−○芝山千代田駅   |成田鉄道三里塚駅跡           |   |   |   ★  ・  ・  ・  ・  ・ | ・ | ・ ・−−>五辻   |                    |   |   |   |                第6ゲート△   |   ○千代田   |三里塚          桜台      \  |   |  …○−−−−+………………………○……●…………・−+−−−+…+…        |         (社)三里塚ゴルフ場前|     :    住宅入口○                   ○空港南口        |      (社)中之台 日航グランド前|        +………………………●……………○………+        |                   |        |           航空      |        |           博物館北    |        |           +○−−−−−−+        |          /|        |         ・ ○航空科学博物館        |         |        |         | 航空博物館前        |         |[乗]○…+…○[降]        |         |    :        |         |    :        |         +…………○        |         | 航空博物館入口        |         |        ・−−−−−−−−−・ 訂正・補足を歓迎します〜
2015 年 07 月 03 日 00:04:22 (14946) ふもふも館長さんの書き込み 『鉄道ジャーナル』1981(S56).8号に、成田空港の連絡鉄道・地上アクセスに関する 特集記事が掲載されていた。この記事から、空港アクセスバスに関する情報を抽出・ 考察してみた。  なお、成田空港の開業は、1978(S53).5.20で、記事の発表月である1981(S56).8と 3年の差があるが、バス関係に限っては、開業時点と差がないと想像した。 1.バス乗降場 1−1.成田空港 (1) 記事 ・1階(到着フロア)バス乗り場は、北から南へ番号が振られていたが、バス進路から  見ると逆になる。  南ウィング なし  中央ビル  5番:国鉄成田駅(国鉄バス・千葉交通)  北ウィング 4番:京成空港駅、3番:ホテル、2番:羽田空港・YCAT、1番:TCAT  ※3番乗り場の位置は推測(写真不鮮明) ・中央ビルに「国鉄きっぷうりば」があり、みどりの窓口がある。国鉄と近ツリの  職員が切符類の発売とインフォメーションにあたっている。 (2) 考察 ・4階(出発フロア)バス降車場については、記事が無く不明。 ・バス降車場については、空港もバス会社も積極的に案内しておらず、現在、降車  場のポール番号を案内しているのは、THEアクセス成田が唯一かもしれない。 ・1階(到着フロア)バス乗り場は、TCAT(新宿)行、羽田空港(YCAT)行、京成成田空港  駅行、成田駅行と少ない。当時は近郊路線バスは乗り入れていなかったようだ。 ・1989(H1).4.28開業のONライナーも5番乗り場だった。 (3) 参考「TERMINAL GUIDE 新東京国際空港案内」1993(H5)年頃 ・1階(到着フロア)バス乗り場について、以下の通り。  ◇1,2,3,11 リムジンバス  ◇4,8 エアポートシャトル  ◇5 JR東日本バス・千葉交通 ※JRバス関東の間違い  ◇6,7 高速バス  ◇9,10 タクシー  ◇12 クルーバス  ◇0 第2ターミナル連絡バス  ◇14 近郊ホテル行きバス ・中央ビル出入口の先に、タクシー乗り場とバス乗り場(9-14)があった。13番は欠  番か。 ・リムジンバス(1-3,11)・エアポートシャトル(4,8)・高速バス(6,7)が、具体的に  何を指すのか不明。東京空港交通が11番を使った事は無いのでは。 ・多古線が成田空港に乗り入れたのはJRになってから?乗り場は11番だったか?  11番乗り場は、地上ではなく、地下1階から向かったように記憶している。 ・5番乗り場の位置が、中央ビルから北ウィングに移動しているように見える。 (3) 参考「成田国際空港フロアガイド 第1ターミナル」2015.4 ・1階(到着フロア)バス乗り場について、以下の通り。  ◇1-5,7-9,10-13,31 高速バス  ◇6 ターミナル連絡バス  ◇15 タクシー  ◇16 空港周辺ホテルバス  ◇17 民間駐車場(送迎バス)  ◇20 レンタカー(送迎バス)  ◇30 航空科学博物館・AMB南三里塚、八日市場、イオンモール成田、     酒々井プレミアム・アウトレット、千葉駅 方面 ・クルーバスについて、記載なし。14,18,19,21-29は欠番か。 ・多古線は30番乗り場へ変更。H5年頃の11番乗り場は駐車場に変貌した。 ・ONライナーについて、JRは撤退し、乗り場も5番から7番に変更された。 1−2.京成成田空港駅 (1) 記事 ・京成成田空港駅のプラットフォームは地下2階。改札階は地下1階。正面出入口が  地上階。左手の検問所(テント)で手荷物検査。その後、バスに乗り込む。 ・出札口の裏、北西側の階段を上ると検問所がある。駅から空港まで歩いて10分。 (2) 考察 ・多古線や千葉交通の路線バスが、京成成田空港駅に乗り入れていたが、記事にな  い。詳細は「千葉交通・調査日誌」を参照されたい。  http://greast.cocolog-nifty.com/greast/2015/03/post-5054.html ・バス乗客向け検問所は第4ゲート(未使用?)、歩行者向け検問所は第5ゲートとして  現存するが手荷物検査は実施していない。 ・空港行きの連絡バスに乗る場合は、手荷物検査後にバスに乗っていたようだ。 ・多古線を含む一般路線バスの場合、バス降車場はセキュリティエリア外なので、  バス降車時・乗車時は手荷物検査なしだったと思われる。空港行きのバスに限っ  て、バス乗降後、第4ゲート前で停止し、検問を受け、空港構内に入ったか? 1−3 東京シティエアターミナル(TCAT) (1) 記事 ・1階は航空会社カウンター、2階はバス切符売場、3階がバス発着場となっている。  携行荷物検査とボディチェックを受けてからバスに乗る。 (2) 考察 ・記事には出国審査について記載が無い。当時は出国審査は行っていなかったか。  また成田空港からの降り場、東京駅行・羽田空港行についても記事が無い。 (3) 乗り場の変遷 ・1990(H2)年「箱崎シティターミナル」  ◇3F東は成田空港行一般バス(ノンチェックインバス)乗り場。3F北(東)は成田空   港からの降り場で到着ロビーがあった。3F北(中央)は貸切バス乗り場。3F北(西)   はTCATでチェックインした客向けの成田空港行チェックインバス乗り場。  ◇1F南(東)は東京駅からの降り場。1F東は東京駅行乗り場。  ◇羽田空港行については記載が無い。この頃は休止していた? ・1993(H5)年「成田でなんにも並ばずにすむ法」  ◇3F東は成田空港行ノンチェックインバス乗り場。3F北(中央)は貸切バス乗り場。   3F北(西)は成田空港行チェックインバス乗り場。  ◇1F南(東)は東京駅・羽田空港からの降り場。1F北(中央)は東京駅・羽田空港行   乗り場、成田空港からの降り場。 ・1996(H8)年「リムジンバス時刻表」  ◇3F北(中央)は貸切バス乗り場。3F北(西)は成田空港行乗り場。  ◇1F北(西)は羽田空港行乗り場。1F北(中央)は東京駅乗降場、成田空港からの降   り場。  ◇羽田空港からの降り場については記載が無い。 ・1998(H10)年「リムジンバス時刻表」  ◇3F北(中央)は貸切バス乗り場。3F北(西)は成田空港行乗り場。  ◇1F南(東)は羽田空港からの降り場。1F北(中央)は東京駅乗降場、成田空港から   の降り場。1F北(西)は羽田空港行乗り場。 ・2000(H12)年にTCATを利用した。乗車券に「JL-401-41B」と乗車便と席番が印字さ  れていた。なお、パスポート出国印は「NARITA」で、(1)(2)は無かった。 ・2002(H14).7.15限りで出国審査が終了。2002(H14).12.31限で搭乗手続きも終了。  この頃のバス乗降場は、1998(H10)年と変更が無いようだが、TCAT〜臨海副都心が  この頃までに開業していたようだ。乗降場は羽田空港行と同じ? ・2003(H15)〜2005(H17)年の間に、成田空港行き切符売場が、2階から3階に移転。 ・2005(H17).7.1から羽田空港行きが1F北(中央)5番乗り場に変更された。 ・2008(H20).9.11限りで、TCAT〜東京駅が廃止。 ・2013(H25).12.15限りで、TCAT〜臨海副都心が廃止。2013.7に乗車した時は、TCAT  →東京ビッグサイトの片運行で、羽田空港行と同じ、1F北(中央)乗り場だった。 ・2015(H27)年「T-CATフロアガイド」  ◇3F北(中央)は貸切バス乗り場。3F北(西)は成田空港行乗り場。  ◇1F北(中央)は全ての降り場、羽田空港行乗り場。 2.バス路線 2−1.京成空港駅〜成田空港 (成田空港交通) (1) 記事 ・行き先は、4階・出発階と1階・到着階があり、所要時間は約6分。運賃130円。 (2) 考察 ・バスの運行頻度、帰り便に関する記事なし。1階行きと4階行きがあったので、  空港4階に見送り・出迎え人が帰るためのバス乗り場があった可能性が高い。 ・いつまで、1階行きと4階行きがあったのか? ・成田空港高速鉄道開業に伴い、1991(H3).3.18限りで廃止。 2−2.国鉄成田駅〜成田空港 (国鉄バス・千葉交通) (1) 記事 ・成田駅2番乗り場を使用。国鉄バスと千葉交通が交互に発着。国鉄バスは急行バス  として空港構内までノンストップであるのに対し、千葉交通は成田ニュータウン  発着の一般バスで途中バス停に停車する。 ・空港ゲートで乗客はすべて降ろされ、荷物検査を受ける。 ・空港構内に、貨物地区・管理所前というバス停がある。 ・6〜26分間隔。運賃300円、共通切符が発行され、どちらのバスでも使用可。 ・成田空港の乗り場は5番。 ・「成田空港行バス ご利用上のお願い」 国鉄バス・千葉交通  1.空港までの途中で検問のため、一旦下車していただきますので、ご承知くだ    さい。  2.検問所で下車の際、目的地までの運賃及びきっぷを運賃箱に入れていただき    ます。  3.検問後、管理ビル・空港までおいでの方は、検問所先のバスに再乗車下さい。  4.検問により入場できない方についても運賃を正規にいただくことになります    ので、あらかじめご承知下さい。 (2) 考察 ・所要時間、降車場に関する記事なし。降車場は乗り場と同じ1階(到着フロア)だっ  たと推測する。 ・ゲートは、取香橋の南にある国道295号が折り返す橋の真南、Cargo4ビルの前。  現在、第3ゲート(出口専用)として運用中。検問所建屋は現存する。 ・「成田空港行バス ご利用上のお願い」を読む限り、貨物地区に行く客は、バスに  再乗車しないように求めているので、検問所が貨物地区バス停だったようだ。 ・空港行きは強制下車させる関係で、数mのバスに乗れない区間が発生した。 ・バス停「管理所前」は、手元の国鉄資料では「管理ビル」となっている。 ・国鉄バス成田空港線の切符は、(自)成田や成田空港「国鉄きっぷうりば」で購入  できたのか? ・成田空港高速鉄道開業に伴い、1991(H3).3.18限りで成田空港線は休止。 ・2015/4/8より、千葉交通で京成成田駅430発成田空港455着の路線バスを運行開始  した。早朝片運行で構内経路が異なるが、成田空港線跡をトレースできそうだ。  http://www.chibakotsu.co.jp/rosen/pdf/knari/03.pdf 2−3.TCAT〜成田空港 (リムジンバス) (1) 記事 ・左1列、右2列の30人乗り。定員厳守で定員超過時は続行便、もしくは次の便に指  定される。 ・TCAT便は244本、経路は京葉道路経由であるが、渋滞時は湾岸道路を走る。 ・成田空港では4階(出発フロア)で降車。運賃2300円。 ・床下ホールドには、カウンターで預けた手荷物が搭載。輸送する側の責任で運ば  れるので、旅客は自分の手荷物がどのバスで運ばれたかわからない。チェックイン  できない航空会社の場合は手荷物を旅客自身が運ぶことになるが、そのための便  も指定されており、その便を使えば、そのバスの床下ホールドを使える。 (2) 考察 ・TCAT〜成田空港に限って、空港構内の検問は省略されていたようだが、この特殊  取扱はいつまで継続したのか? ・1982(S57).4.27 浦安〜市川〜宮野木が開通。それ以降、湾岸道にシフトした模様。 ・乗り場は、3F北(東)と3F東の2箇所あったが、H8頃に3F北(東)に一本化された。 ・降り場は、3F北(西)であったが、H5頃に福住出口経由の1F北に変更された。 ・TCAT〜成田空港の運賃は、THEアクセス成田と比較すると、運賃3倍と割高感があ  るが、TCATを20時以降に出発する便に限って1000円で乗車できる。 2−4.成田空港→TCAT→新宿地区 (リムジンバス)     新宿地区→TCAT (リムジンバス) (1) 記事 ・空港→TCAT→新宿便は13本。新宿バスターミナル・京王プラザホテル・ホテルセン  チュリーハイアットに直通。新宿地区発はTCAT行きしかない。 (2) 考察 ・新宿地区→TCATという路線があった事を知り驚いた。この区間のみの乗車は可能  だったか?成田空港まで切符を買う必要があった?いつまであったか? 2−5.東京駅〜TCAT (リムジンバス) (1) 記事 ・東京〜TCATが10〜20分間隔で所要時間10分。運賃190円。 (2) 考察 ・乗り場は、1F東であったが、H5年頃に1F北(中央)に変更された。 ・降り場は、1F南(東)であったが、H8年頃に1F北(中央)に変更された。 ・2002(H14)年にTCATでの搭乗手続きが終了すると、このシャトルバスは存在意義を  失い、2008(H20).9.11限で廃止。末期は、空港発TCAT経由東京駅行や、空港発東  京駅行きの折返便に便乗する形をとっていたようだ。 2−6.羽田空港〜成田空港 (リムジンバス) 2−7.YCAT〜成田空港 (リムジンバス・京浜急行バス) (1) 記事 ・羽田空港便は48本、国内線乗継を考慮し、空港ターミナル別館(到着客の出口)前  と羽田東急ホテルに発着する。 ・羽田空港を経由する便と羽田空港を経由しない便がある。 ・TCAT便と違い、空港ゲートで全員降車、荷物検査とボディチェックがあった。 (2) 考察 ・この空港ゲートとは、新空港道にある現第1ゲートの事と思われる。当時の検問は、  全員降車とかなり厳しかったようだ。
2015 年 07 月 01 日 23:39:44 (14945) ふもふも館長さんの書き込み まこっさん、投稿ありがとうございます。 「航空博物館北」停留所ですが、高速バスの停留所としては廃止されましたが、多 古本線のバス停としては現役です。ポールもありますし、時刻表に記載もあります。 http://www.jrbuskanto.co.jp/topics03/post_421.html 多古あじさい祭りについては、迂回する必要がないと私も感じました。 多古町ホームページで、交通規制の案内が出ていましたが、仲町の交通規制で 染井・染井貝塚が利用できないとウソの発表がされていました。こんな記事より お祭り期間中は、空港シャトルバスが多古町役場前で運転打ち切りになるという 情報を掲載して欲しかったです。 http://www.town.tako.chiba.jp/eventfile/file/27a-koutuukisei.pdf 支店の看板は、確かに見かけませんでした。ホームページでは、確かに東関東支店 に改称されていますが、交通新聞に掲載される人事情報で、東関東支店を見かけた 記憶がありません。ひょっとすると、組織上は、八日市場支店がまだ生きており、 その関係で、看板を掲げられないのかもしれません。 京北トンネル経由、いいですね。私は、いまだ未体験です。
2015 年 07 月 01 日 23:00:53 (14944) まこっさんの書き込み 館長、掲示板をご覧のみなさま 大変ご迷惑をおかけしました。 産交フリークさん 今後の投稿も楽しみにしていますので、これからもよろしく お願いします。 それでは、長文になりますが...、わたしも投稿させていただきます。 館長の書き込み(14940)の 『4.多古本線 三里塚→航空科学博物館』記載の「航空博物館北」停留所は、 残念ながら“廃止”です。ポールは、6/20(土)東京7:20発の[航空科学博物館] 行きで到着したときには、まだ撤去されていませんでしたが...。 ・参考(5.バス停の新設及び廃止)  …http://www.jrbuskanto.co.jp/topics01/post_426.html   (【東京〜富里・多古・八日市場駅・匝瑳市役所】ダイヤ改正実施) 多古あじさい祭りの迂回は、佐原⇔多古台では実施されたようですが、仲町の 一方通行部分の規制の関係で、迂回する必要がない判断があり、事前に車内に お知らせを掲示していたにもかかわらず、実施されなかったとのことです。 ☆記念乗車券情報☆ 6/26(金)22:50発のグランドリーム25号で出かけてしまったので、購入すること ができなかったのですが、 「ありがとう八日市場支店 記念乗車券」 ※八日市場→成田の硬券(2016年3月31日まで有効)つき 一部1,200円 を6/27(土)から販売開始するチラシが掲出されていました。 チラシに「7/20に営業開始…」と誤記されていたので指摘したところ、修正中 とのことでしたが、すぐに6/20に修正されたチラシと差替えられました。 昨日もJRバス関東のHPを確認していましたが、記事に掲載されていませんが、 今日、『新着トピックス』-その他-に2015年6月27日でアップされていました。  …http://www.jrbuskanto.co.jp/topics03/post_433.html また、復刻デザインバスのさよなら運転、展示イベント(茂木駅)情報もアップ されていましたので、ぜひ確認してみてください。  …http://www.jrbuskanto.co.jp/topics/201507sayonara.pdf ☆乗車報告1☆ 6/20(土)に東関東支店(多古台BT)に行ってきました。支店の看板が見当たりま せんでしたが、館長が21(日)に行ったときにはいかがでしたか?まさか看板が 間に合わなかったのでしょうか?かけ忘れた? 支店の窓口を訪ねてくるお客様もおらず、まだ引越し真っ最中でバタバタして いたので声をかけづらく、気づいてもらえないうちに多古台BT始発の東京行き 時刻が迫ってきたので、この記念乗車券が東関東支店で発売されることも含め て、何も情報収集することができませんでした。多古台に拠点が移ったことで、 実車で成田・八日市場への始発、成田・八日市場からの終着が設定されたので、 今後、利用増加が期待されます。 航空科学博物館のターミナル(転回場・待機場)には、東関東支店持ちのの成田 空港便も待機するとのことで、実際に回送して待機しているのを確認しました。 ☆乗車報告2☆ 前述のグランドリームを京都で下車、周山を往復(京北トンネル経由初乗車)後、 神戸アンパンマンミュージアム前(モザイク前)発の「阿波エクスプレス」と翌 日曜(最終運行日)の「高松エクスプレス」の神戸アンパンマンミュージアム前 行きに乗車してきました。神戸アンパンマンミュージアム前は片ポール(乗車・ 降車が同一)なので、往路・復路ともに乗車しました。 どちら(徳島発着・高松発着)も、土休日のみの延長運転とはいえ、案内が殆ど 無い状態でした。高松駅高速BTの時刻表は、路線名が掲示されているだけで、 行き先は案内放送のみでした。廃止(延長運転区間)の案内は徳島の7/1改正の お知らせにあるだけで、おとな1名往復7,400円(通常)を払って、アンパンマン ミュージアムに行く家族は多くなかったことが伺われます。では、何のために 運行したのかという疑問も残りますが...。 長文失礼しました。 たまに投稿させていただきますので、よろしくお願いします。
2015 年 07 月 01 日 02:21:58 (14943) ふもふも館長さんの書き込み 西武バスより、プレスリリースが出ています。8/1(土)からです。 http://www.seibubus.co.jp/Topics/news20150619/20150619.pdf http://www.seibubus.co.jp/whatsNew/news20150630/20150630_1.pdf http://www.seibubus.co.jp/whatsNew/news20150630/20150630_2.pdf 1.京阪神ドリームさいたま号 ・ドリームさいたま号に改称。 ・ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに乗り入れ、三宮バスターミナルは廃止 ・和光市駅南口に乗り入れ 2.びわこドリーム号 ・京都駅に乗り入れ、浜大津は廃止 --- 廃止区間・新設区間 ◆大宮駅西口〜東所沢駅 ◇大宮駅西口〜和光市駅南口〜東所沢駅 ◆大津駅前北口〜浜大津 ◇大津駅前北口〜京都駅烏丸口 ◆大阪駅JR高速BT〜三ノ宮BT ◇大阪駅JR高速BT〜ユニバーサル・スタジオ・ジャパン 注目すべきは、大宮駅〜和光市駅〜東所沢駅と大津駅〜京都駅です。 交差点基準では、以下の通りと推理しました。 ◆英(はなぶさ)IC〜国道463号〜埼大通り を廃止 ◇英IC〜国道254号〜駅入口〜和光市駅南口〜外環道側道〜美女木JCT下  〜国道17号〜埼大通り を新設 ◆浜大津アークス付近〜浜大津 を廃止 ※大津駅〜島の関西は同じ ◇浜大津アークス付近〜大津港口〜国道161号〜国道1号〜京都東IC付近  〜国道1号〜烏丸五条〜京都駅烏丸口 を新設 大阪→大宮の場合、和光市駅で降車が無い場合、そのまま国道463号を 直行してしまう危険性がありますね。 さて、正解は?
2015 年 06 月 29 日 23:26:07 (14942) ふもふも館長さんの書き込み 産交フリークさん、乗車記ありがとうございます。 どちらも未乗ですので、経路情報は助かります。 1.広福ライナー ・私も雲芸南線は久しく乗車していませんが、先日、広浜線 紙屋町経由を横川駅→  広島駅に乗車しましたが、八丁堀から稲荷町を左、駅前大橋南詰左、駅前大橋渡っ  てすぐ左、広島駅南口(エールエールA館裏)[着] でした。 ・広福ライナーに乗った記憶も記録もないので、多分、乗った事がないと思います。 ・夜行便が福山東IC〜福山駅前を走っていますが、1998年にメイプル・ハーバー(  広島→横浜)に乗車、おそらく福山西IC〜福山駅前〜福山東ICを乗車しており、  それで乗車不要と考えたのかもしれません。 2.福岡・周南ライナー ・2003年に、光市役所前→福岡駅交通センターを乗車しましたが、経路を記録して  いませんでした。 ・それ以降は、乗車していないのですが、経路が大部変わったようなので、乗りたく  なりました。
2015 年 06 月 29 日 11:41:27 (14941) 産交フリークさんの書き込み 久々にJRバス乗りに出かけました。東九州道関連の「ひむか」「パシフィックライ ナー」も道路自体が未通行ですので迷ったのですが、JR九州バスの本州路線に久々 乗る事に。 ・JR九州バス「広福ライナー2号」 644-14552(福岡230あ4452:博多) 経路は以下のとおり。 博多バスターミナル35(発)、博多BT出構右、大博通り、蔵本右、昭和通り、呉服 町ランプ、福岡都市高速2号太宰府(環状)線、千鳥橋JCT、1号香椎線、貝塚JCT、4 号粕屋線、福岡IC、九州道、小倉南インターチェンジ(乗)、吉志PA(休)、関門 道、中国道、山口JCT、山陽道、下松SA(休)、広島岩国道路、山陽道、五日市IC、 出口左、県道71、広域公園前(通過)、大塚駅北右、大塚駅(降)、沼田料金所、 広島高速4号線、中広、城南通り、県立総合体育館前右、広島バスセンター到着3( 降)、県立総合体育館前右、城南通り、駅前大橋南詰左、駅前大橋渡ってすぐ左、 広島駅南口(エールエールA館裏)(着)。 10年以上ご無沙汰しての乗車。前回は広島IC経由の広島BC止め。98MC→02MCのマス ク改造を施した西工C-IのUDが専用車でしたが、乗車便は昨年導入のエアロエース。 縦9列で最後尾全面がトイレになった仕様でした。 嘗ては美東SAで休憩1回のみでしたが、規制対応で2回に。五日市IC〜広島BCはJR九 州バスでは初乗車でしたが、中国ジェイアールバス「ふくふく広島」や広交観光 「別府ゆけむり」で乗車した事があり、広島から西へ向かう路線ではメジャーな経 路。 一方広島駅南口は個人的には想定外だったのですが、雲芸南線の広島バスセンター 〜合同庁舎前〜広島の降車場所は同じ所なのでしょうか。 ダイヤに余裕があるのか、10分早着。広島BCから渋滞してのもので、広島BCでは20 分早着でした。 広島に降りたのは恐らく8年ぶり、しかも前回は「富士」「はやぶさ」お別れ乗車で のトランジット。日帰りで余裕はないのですが、広島バスで栄橋経由でまた驚いて 女学院前。白島線〜本線直通便の八丁堀の渡り線を初体験し、広電宮島口。往路で 宮島松大汽船、復路でJR西日本宮島フェリーと宮島往復。宮島滞在15分は…。 宮島駅で連絡運輸の切符を購入し、宮島口、岩国、下松。試運転と思しき227系も見 かけましたが、色や車内は変われど115系が健在で小一時間車窓と共に堪能。 ・JR九州バス「福岡・防府・周南ライナー9号」 644-08559(福岡230あ4859:博多) 経路は以下のとおり。 下松市役所前(発)、ザ・モール周南西(平田)(通過)、美里町右、県道41、サ ンリブ南左、R188、下松東中村(サンリブ下松西)(通過)、末武中直進、R2、馬 屋(通過)、周陽町中央病院入口(停車)、東辻(乗)、動物園文化会館入口(通 過)、徳山高校付近交差点を左、徳山駅前入構、徳山駅前1(乗)、徳山高校付近交 差点まで戻って左、R2、新南陽高校前(通過)、福川駅入口(通過)、戸田駅前( 国道)(通過)、湯野温泉口(通過)、富海付近県道58へ、末田(通過)、沖今宿 二丁目直進、牟礼(通過)、西国衙(にしこくが)(通過)、天神入口左、国府橋 北右、防府駅てんじんぐち左、防府駅前4(乗)、防府駅てんじんぐち直進、県道54、 戎町左、八王子右、千日町(通過)、沖高井左、R2防府バイパス、防府西インター チェンジ(通過)、防府西IC、山陽道、山口JCT、中国道、美東SA(休)、美祢IC、 美祢インターチェンジ(停車)、美祢IC、中国道、関門道、九州道、福岡IC、福岡 都市高速4号粕屋線、貝塚JCT、1号香椎線、千鳥橋JCT、2号太宰府(環状)線、呉服 町ランプ、昭和通り、蔵本左、大博通り、呉服町(通過)、博多バスターミナル前 直進入構、博多バスターミナル24(着)。 此方も約10年ぶり。当時は光市役所前発着で、防府東IC〜徳山西ICも高速経由で、 富海PAで休憩していましたが、今は下松から防府まで延々と下道。新南陽や福川の 辺りも殆どがR2経由に変わっており、ほぼ新規区間。 下松市役所前は上り(到着)便の方が若干長く、下りバス停から大手町左、県道63 で市役所の正門側にあるバス停に到着します。 徳山〜防府、特に戸田付近はR2の通行量も少なく、夕暮れの山陽道を西下して行く のはなかなかのもの。ローカルバスにでも乗っている気分になります。 美祢インターチェンジは中国JRの置き土産の様に停車しており、前回福岡・山口ラ イナー臨時便のエアロキングに乗車した際は1名乗車がありましたが、この日は乗車 なし。 なかなかアグレッシブな走り。中国道では広福ライナー15号を追い越し(あちらも それなりに先行していた様子)、九州道に入ってからは西鉄バスを追い越しつつ、 結果10分以上早着。 長文、駄文、お許し願いたく。
2015 年 06 月 25 日 23:31:32 (14940) ふもふも館長さんの書き込み THEアクセス成田の未乗区間、多古線の新規開業区間の体験を目的に、再び成田市を 訪問した。 1 JRバス関東 THEアクセス成田 東京駅→第3ターミナル ・未乗区間は、T1-4F-15〜T3-12であった。予想経路は空港西通り4から空港東通り4  を経て、空港東通りを通るであったが、空港西通り4から空港西通り3に進み、東  成田駅前を通って空港東通りに出た。これは定位なのか? ・結果、国鉄バス成田空港線 成田空港→管理ビル のルートを通った。 2.京成空港駅→管理ビル→貨物地区 ・第2ゲートからセキュリティエリアを出て、空港連絡道を通って、東成田駅に来た。 ・第4ゲートからセキュリティエリアに入ると、空港連絡バスが運行していたようで、  おそらく多古本線「千代田〜京成空港駅〜寺台、京成空港駅〜成田空港」が、ここ  を発着していたと思われるが、現在、ここを発着するバスは無く、第4ゲートは使  われていないように見えた。 ・駅構内に入り、第5ゲートから再びセキュリティエリアに入り、空港西通りに出た。 ・京成空港駅〜管理ビル〜成田空港のバス路線は、JRになってから開業か? ・さきほどバスで通り過ぎた管理ビルバス停跡を見て、貨物地区へ向かった。 ・茨城交通の水戸・日立行が、空港西通り2交差点を曲がって、新空港道に入ったよ  うに見えたが、これも定位なのか? ・貨物地区バス停(成田行)があったと思われる場所に、屋根の跡があった。 ・貨物地区バス停(空港行)は、検問所を兼ねていたと思われる。検問所建屋が残っ  ているが、現在は、ここから入場することはできず、駐車場に変貌していた。 ・現在、第3ゲートは出口専用となっている。ここから出て、やや距離があるが、  さくらの山に向かって歩いた。さくらの山は航空写真を撮る人で賑わっていた。 3.多古本線 さくらの山→三里塚御料 ・三里塚記念公園は、宮内庁下総御料牧場の一部で、貴賓館と防空壕が当時のまま  残っていた。なお、記念館は公園化された際に当時を模して建てられたようだ。 ・記念館では、牧場時代の写真・展示物、DC-8-55の調度品、当時と現在の航空写真  など興味深い展示がある。貴賓館は入る事はできないが、外から解説していただ  いた。防空壕は、案内人と一緒に入洞するスタイル。 ・三里塚バス駅の建屋は、健在で社員が休憩?で使っているようだったが、施錠さ  れ、一般人が立ち入る事はできなかった。木陰に国鉄バスのポールが残っていた。 4.多古本線 三里塚→航空科学博物館 ・不毛板(14933)で予想した通り、住宅入口〜航空博物館入口〜航空博物館前は廃止  となり、航空科学博物北〜航空科学博物館が新設された。時刻表では「航空科学  博物館」であるが、バス停には「航空博物館」と科学が抜け落ちている。 ・航空科学博物北バス停の近くなので、こんなに近いなら北バス停を廃止しても良  いのではと思った。 ・航空科学博物館の屋外展示を見るだけでも入場料が必要なため、成田空港 空と大  地の歴史館(入場無料)の資料室で、時間まで本を読んだ。 5.多古本線 航空科学博物館→多古本町 ・土休日ダイヤだと、航空科学博物館から多古方面に向かう便が7:30の次は13:10  まで無い。この間隔の長さは異様だ。もっと怒っていいのでは?と思ったら、  ここから多古方面に向かう乗客はゼロだった。多古の人々は、空港シャトルがあ  るから、多古線は不要と考えているように感じた。 ・当日は、ふるさと多古町あじさい祭りが開催され、多古仲町が通行できなくなる。  この便は、多古新町・多古本町・中央病院を通過し、迂回運転する予定だったが、  なぜか通常経路で運行。迂回ルートを体験することは出来なかった。 ・多古台BT→仲町→成田と、成田→仲町→多古台BTについて、仲町バス停が別の所  建っていると仮説したが、既存の仲町バス停に時刻が掲載されているので、新町  経由(停車はしない)と考えたが、どうか? ・歩いて、多古台BTに向かった。高野前バス停付近に旧多古郵便局を見た。旧高野前  バス停は撤去されず、新高野前バス停は「臨時」と表示されていた。なぜ? ・BT付近の営業所内に「きっぷうりば」があった。営業時間は9〜17時との事。 6.多古あじさい祭り 送迎バス メイン駐車場→リバーサイド会場 ・多古台BTの手前にある多古こども園がメイン駐車場になっていた。ここから成田  セントラル観光が受託した送迎バスで会場に向かった。以前、運行していた多古  本線 高野前付近〜役場前〜多古中央病院の経路を通った。 ・会場には遊覧船が運航しており、300円で川面からあじさいを眺める事ができた。  なお、3社運行しており、うち1台はモーターボートだった。 ・道の駅多古は、東京行の高速バスの他、空港行きシャトルバス、多古町循環バス  とあるが、乗り場がマチマチで案内もない。多古町循環バスのバス停は駅の駅建  屋の前、高速バスのバス停は国道沿い、空港行きシャトルバスのバス停が一番わ  かりにくく、道の駅建屋から見て、国道を渡って、駐車場に降りる坂の下にある。  http://www.town.tako.chiba.jp/news_php/img/airportshuttle.pdf ・当日は、多古あじさい祭りのため、道の駅〜多古町役場は運休だそうで、やむな  く、JRバスの多古駅跡と国鉄バス記念碑を経由して、町役場まで歩いた。 ・ヤックスドラッグ多古店には「バス発着場 一般車両進入禁止 八日市場支店」とか、 「多古営業センター」の文字が残り、薬局脇には、JRバス関東の部屋が残っていた。  警備会社のシールが貼ってあり、ポストもあるが、さすがにもう使っていないと  思われた。多古バス停跡は、ベンチのみ残っていた。 ・国鉄バス記念碑は、国道・多古バス停から北に少し歩いた所にある。銘文を解読  してみた。  https://www.google.co.jp/maps/@35.732633,140.468052  国鉄バス開通十周年記念碑  この碑の建てられたわけ    千葉県が地方開発の目的で成田町から遠山千代田中吉田豊  栄の各町村を経て八日市場町に至る県営の軽便鉄道を敷設  したのは明治四十四年であったがこの鉄道は大正十四年広  軌鉄道に改装されるとともに千葉県営から私鉄成田鉄道会  社に移され沿線町村民は一層の利便を受けることになった   たまたま過般の世界大戦に際しこの鉄道は軍部に譲渡さ  れ施設の一切を撤去セレベス島に移設されざるを得なくな  った その結果沿線民の不便は想像に絶するものとなった  が当時の貴族院議員菅澤重雄翁は沿線民の苦境にいたく同  情され撤去の代償として国営バスの運行を決意された さ  っそく関係地元民諸君の熱烈な声にこたえ地元代表ととも  に或いは当時の運輸大臣八田嘉明氏に或いは当時の企画院  総裁鈴木貞一氏当時の運輸省陸運総局長官長崎惣之助氏ら  に連続折衝を続けたがついにこの運動が功を奏し成田八日  市場間に国営バスの運転とトラックによる国営の貨物輸送  が実現を見るに至った これを記念するため多古町におい  て盛大な開通の式典が行われたのは実に昭和十九年一月の  ことであった その後この路線は多古町を中心に佐原市に  成東町に小見川町にと延びこれとともに装備の改善も着々  と進められたが今日では関東最長の路線を有する一大交通  機関の盛況を呈するに至っている これは沿線町村民の失  せざる熱意と菅澤重雄翁のたゆみなき努力の結果にほかな  らない    地方産業経済の発展は交通機関の完備にまたねばならぬ   われわれは今日の運輸当局がこの路線の完備に最善を尽さ  れつつある努力を多とするとともにこの路線が更に延長さ  れ施設設備がさらに改善されるために出来るだけの力を注  がねばならない 今年はあたかも国営バス開通の十周年に  あたる 菅澤翁は八十四歳の高齢を以て今なお矍鑠たるも  のがあるが当時血気の地元代表者中には漸く齢を重ね円熟  の境に達せられた者もあり今日の盛況を見ずに他界された  者もある われわれはうたた当時を回想しつつ菅澤翁の功  を偲びこの碑を建て路線開通を永遠に記念するものである                              衆議院議員竹尾 式撰文  昭 和 二 十 八 年 六 月               総水 太田滋雄 書    佐原市白鳥三治郎刻 7 多古町空港シャトルバス 多古町役場前→成田空港第2PTB ・このバスは、以前あった加茂(←国鉄バス 千代田橋)や千代田を経由するが停車  せず、第6ゲートを通って空港に入る。お客も結構乗っていた。 8 KBS 東京シャトル 成田空港T2[19]→東京駅 ・せっかくなのでライバル会社のバスに乗車。満席のため、T2-19から出るバスを  1本見送ったが、T2-2から出るバスなら切符が取れたかもかもしれない。乗り場が  指定されているので、T2-19発の切符ではT2-2からは乗れないようだ。 ・早く来て並べばほぼ確実に乗れるTHEアクセス成田の方がありがたいと思った。
2015 年 06 月 22 日 11:19:21 (14939) つばめのジャーニーさんの書き込み ご無沙汰しております。 館長さんが2007 年 09 月 02 日 23:14:06 (12712)に書かれた、 国鉄バス豊田前線の一部代替であったブルーライン交通 厚保本郷〜豊田町西市が2013年9月末で廃止になっているそうです。
2015 年 06 月 15 日 21:22:54 (14938) ふもふも館長さんの書き込み JRバス多古線と成田鉄道は関わりが深いので、成田鉄道について調べてみた。 1.成田鉄道 略歴 (1) 1911(M44)年 成宗電気軌道 宗吾〜成田駅前〜成田山門 開業  ・この路線は成田駅〜成田山新勝寺、成田駅〜宗吾霊堂の旅客輸送を目的とした   路面電車。鉄道敷設に門前町が反対したため、成田駅前〜不動尊はトンネルを   含む新設された軌道を通っていた。  ・1916(T5)年に成田電気軌道に改称、1924(T13)年に、京成グループになる。   1927(S2)年に成田鉄道 宗吾線に改称。 (2) 1911(M44)年 千葉県営鉄道 多古線 成田〜三里塚〜多古 開業  ・千葉県は県内交通ネットワーク構築のため、軽便鉄道を陸軍鉄道連隊に演習を   兼ね敷設させ、これを借り上げる計画を立てた。  ・軌間は600mm。この軌間を選んだ理由は、鉄道連隊がドイツ陸軍より野戦軽便鉄   道の施設を輸入・保有しており、多古線建設時に流用したからと推測する。  ・敷設は軌匡(レールと枕木がセット)を用いたか。これなら短期間に施工できる。  ・成田〜多古に1時間45分も掛り、時速12km/hだったらしい。  ・陸軍よりこれ以上の借用延長が出来ない旨、通告があった事もあり、1917(T6)   年に、鉄道施設が千葉県に移管された。 (3) 1914(T3)年 千葉県営鉄道 八街線 三里塚〜八街 開業  ・陸軍鉄道連隊は、1913(T2)年に千葉〜三里塚の鉄道敷設大演習を実施する。   演習は翌年までに終了するが、この時、敷設した八街〜三里塚を県が借り受け   八街線を開業する。  ・この大演習時のルートは、鉄道連隊演習線 習志野線の作草部で分岐、下志津、   四街道、八街、三里塚で、演習終了後、四街道〜八街は撤去された模様。  ・多古線同様、1917(T6)年に、鉄道施設が千葉県に移管された。  ・1913(T2)年に千葉県に免許が与えられている事から、この路線も県が陸軍に敷   設を働きかけた路線と推測する。 (4) 1926(T15)年 千葉県営鉄道 多古線 多古〜八日市場 開業  ・千葉県は、成田〜銚子の鉄道が無いため、多古線を八日市場へ延伸させ、省営   総武本線で銚子へ乗り入れる計画を立てた。※成田線全通は1933(S8)年  ・軌間は1,067ミリ。この軌間を選んだ理由は、貨車を省線へ直通させるためか。  ・この時点では、軌間が異なる事から、成田〜八日市場を直通することができず、   多古で乗り換える必要があった。 (5) 1927(S2)年 成田鉄道(←成田電気軌道)へ移管  ・千葉県は、多古線・八街線を成田電気軌道へ売却。成田電気軌道は、非電化鉄   道が加わる事もあり、成田鉄道に改称する。  ・結果、成田鉄道は、宗吾線・多古線・八街線の3線を経営することになる。  ・多古線・八街線の営業成績が良くないため、民営化で経営立て直しを計画した   と考えられるが、成田電気軌道は、買収後、積極経営に転じる。 (6) 1928(S3)年 多古線の軌間を600mmから1067mmに改軌  ・成田〜多古で改軌を行うが、その際、成田〜三里塚、千代田〜多古で線形改良   を目的に経路変更を行い、結果、スピードアップを実現した。  ・桜の季節には、上野と両国から三里塚まで省線臨時列車の乗り入れもあった。 (7) 1940(S15).5.14 八街線 廃止  ・陸軍下志津陸軍飛行学校の八街分教場が建設される事に伴い、廃止になった。 (8) 1944(S19).1.11 多古線 休止  ・S18.12.4に、国から鉄道休止を命じられ、S18.12.18に親会社である京成本社   で、多古線を休止する事が決まる。  ・多古線の貨物開業が、S19.1.11なので、鉄道運行はS19.1.10限か。  ・廃止でなく休止を選んだのは、時局好転後は復活させたいという意志があった   からと思われるが、会社は1946(S21)年に廃止の道を選んだ。  ・インドネシアのセレベス島(→スラウェシ島)鉄道敷設向け資材供出が目的とさ   れているが、戦局の悪化に伴い、セレベス島に向けて輸送されたのかどうかも   定かではない。当時、南部にマカッサル、北部にマナドという都市があるが、   旅客鉄道や農業鉄道とは思えないので、石油か鉱山があったのかもしれない。   なお、当地は陸軍第2方面軍が終戦まで駐在していたようだ。 (9) 1944(S19).12.11 宗吾線 廃止  ・不要不急線として廃止された。  ・成田鉄道は、鉄道路線を持たなくなった事から、後に成田バスを経て、千葉交   通に改称した。 2.成田鉄道の経路 (1) 宗吾線 成田駅前〜不動尊  ・成田駅前〜不動尊(←成田山門前)は、「電車通」として道路転用された。  ・トンネルを含むこの区間は、専用軌道だった?ため、廃止直後は、歩行者や自   動車の通行は出来なかったと推測する。  ・国鉄バスがこの区間を走るのは、1965(S40).9.1からと推測する。  ・不動尊駅は、現在の成田山前バス停、信徒会館前付近にあったらしい。   http://www.city.narita.chiba.jp/DAT/09-1101-2-13.pdf (2) 多古線 成田〜東成田  ・旧線は、成田線に沿って北上後、成田中学校の西で徐々に東に分かれ、イオン   モール成田付近で国道408号に呑み込まれる。  ・新線は、成田中学校の北を敷地に沿って進み、国道408号に向かう。県道18号、   千葉交通 二部内バス停付近に、鉄道の橋台が残っている。  ・東成田駅は、成田市コミュニティバス JA成田市バス停付近と思われ、国鉄バス   東成田バス停とは位置が異なる。この区間は、JRバスとの関連は無い。 (3) 多古線 東成田〜千代田  ・旧線は、寺台バス停(成田行)付近で、根木名川を渡り、JRバス経路である県道   44号より南側の道路を進み、法華塚バス停の南付近で、京成電鉄線を跨ぎ、大   清水バス停付近でJRバス路線と交差した模様。  ・新線は、インターナショナルガーデンホテル成田付近から、旧道南側の道を進   み、遠山中学校付近で合流したと思われる。  ・三里塚小学校バス停から北東に向かう道路が、三里塚駅に向かう道路だったよ   うだ。八街線は、宮下バス停と三里塚小学校バス停の間で交差していた模様。  ・三里塚〜千代田は、成田空港に変わり、トレースする事は出来ない。なお、三   里塚駅の南西にある円形道路は、競馬場の跡。 (4) 多古線 千代田〜染井  ・千代田バス停は、県道106号と県道北側の道路の間に位置するが、この道路は、   千代田駅に向かう道路だったようで、県道北側の道路と交差する付近に駅が   あったようだ。  ・省営バス開業時、この区間は千代田橋経由だった。千代田橋バス停は、千葉交   通 加茂バス停か?なお、この区間は、S21.1.20限りで廃止され、翌日より成田   鉄道跡を国鉄バス専用道に変更し、運行を開始している。専用道を一般道に変   更した時期は不明。  ・旧線は、県道北側の道路を進み、菱田バス停付近から神崎線 中五辻バス停付   近を経て、わせがく高校の西を進んだようだ。  ・新線は、現在のJRバスルートである。 (5) 多古線 染井〜多古  ・JRバスは染井交差点から東に進む。省営バス開業時の多古バス停は、現在の高   根バス停だったようで、S23.7.19に「多古を高根に改める」と告示された。  ・鉄道は染井交差点を南東に進んだ。この付近も改軌時に直線化するなど、旧線   と新線で若干経路が異なる模様。  ・新線 多古駅は、国鉄バス多古支所になったが、現在は廃止され、多古バス停   が残るのみ。ここまでの区間は国鉄バスが走る事は無かったが、現在、高速線   ルートとしてJRバスが運行中。なお、S23.7.19に多古仲町〜多古が開業。  ・旧線 多古駅は、ここから北上し、JRバス役場前バス停があった交差点付近に   あったようだ。新線 多古駅〜旧線 多古駅は、JRバスが走った事は無い。役場   前バス停は高野前バス停の東にあったが、H16.4.1に廃止されている。 (6) 多古線 多古〜八日市場  ・線路跡は国道296号となり、S27.12.21より国鉄バス 豊栄線が走り始めたが、   並行する一般道が無いため、こちらはバス専用道にはならなかったようだ。  ・豊栄線はS61.11.1に廃止されたが、高速線ルートとして復活、運行中。 3.成田鉄道多古線の代替に省営バスが決まった背景  ・『多古線敷設秘話史』山崎峰水 に詳しい。  ・これによると、沿線16ヶ町村から代表を東京に送り、鉄道存続を陳情したが、   国賊とみなされ佐倉憲兵隊が派遣されるなど、反対運動は厳しいものであった。  ・供出した芋が駅頭で滞貨している状態で鉄道を廃止するのは政府方針と矛盾す   る旨、訴えた所、省営バスで代替する旨の回答を引き出すことに成功した。  ・三里塚に宮内庁下総御料牧場があった事も省営バスによる代替に成功した理由   の一つだったのかもしれない。  ・こういった経緯があったため、多古に「国鉄バス開通記念碑」が建てられた。 4.国鉄バス路線で成田鉄道跡を走る区間 (1) 多古本線  ◇染井〜飯笹〜五辻〜千代田  ◇成田山前〜市役所前〜京成成田  ◇(西八日市場)〜吉田〜多古〜染井 (特急便) (2) 豊栄線  ◇西八日市場〜田久保〜多古 (3) 高速線  ◇(染井交差点)〜多古〜道の駅多古〜吉田〜(西八日市場) 参考文献 ・千葉県の戦争遺跡〜鉄道連隊の戦争遺跡〜三里塚、成田の鉄道連隊の戦争遺跡  http://www.geocities.jp/takechan_mori/ ・Rail and Bikes〜廃線レポート〜御料牧場の台地を行く/八日市場を目指して  http://hkuma.com/rail/narita.html ・まちづくりテラスの会〜軽便鉄道のこと  http://machitera.sakura.ne.jp/keibenn.html ・『100年の歩み 北総地域とともに一世紀』千葉交通
2015 年 06 月 13 日 10:27:16 (14937) ふもふも館長さんの書き込み 不毛板(13020)(13045)で、成田駅周辺の経路遷移を推理したが、ようやく納得でき る仮説ができたので、これらを撤回、新たな仮説をご披露させていただく。 1.現在の運行経路                                 成田空港線                                  成田空港                              寺台IC△………>                                ・ 多古本線                 東成田   接骨院前    ・   三里塚              ・………○………………○…………+−○−−−−>       (旧)成田山前・               / 寺台(三里塚方面)      ・………○…+             寺台○      :   :  ・             /(成田行)      :   +−−−+           /      :   ○成田山前\         /      :   |     \       /      :   |      ○東町   /  薬師堂前○   △東町入口   \   ○松原      :   |        \ /      :   |         +      :   ○市役所前    ・  成田  :   |(成田行のみ) ・   ◎−−+−>−+………△……+      |   |   栄町  ・      ∧   ∨        ・ 久能線      ・−○−・         >北大和・三里塚・松尾      京成成田(京成駅前) 2.運行経路の遷移に関する推測  空港 三里塚      久能線  (1) 1944(S19).1.11時点   ∧  ∧        ∧   ・多古線開業。成田鉄道多古線が鉄材供出   ・  ‖        ・    で廃止方針が示された時、鉄道の燃料不   ・寺台‖ 松原     ・    足のため、芋が滞貨している事を訴えた   ・・・○・○・・・・・・・    所、省営バスで代替する事が決まった。      ‖   ・    △栄町 ・貨物開業が先なのは、芋輸送を優先した  整骨院前○ 東町○・・  ・    ためと推測する。      ‖   ・ ・ 市・京成 ・開業時は、薬師堂経由と推測する。   東成田○===○・○・○・・○          旧‖ 成  ・ ・ ・「連絡線の起点は、格上の接続駅」とい          ○====+・・  うルールのため、総武本線所属の八日市         薬師堂前  ‖    場が起点(上り)になったと推測する。               ◎成田   空港 三里塚      久能線  (2) 1957(S32).4.1時点   ∧  ∧        ∧   ・多古本線3「三里塚−久能−成田」開業。   ・  ‖        |   ・当時は、成田駅前から栄町に直進する道   ・寺台‖ 松原     |    は無く、京成駅前経由だったと推測。   ・・・○・○・・・・・・+   ・この区間は、S37に久能線として独立、      ‖   ・    △栄町  山武線松尾まで直通した時期もあった。  整骨院前○ 東町○・・  |         ‖   ・ ・ 市|京成 ・久能線が、栄町や京成成田で停車してい   東成田○===○・○・○+−○  たか不明だが、少なくとも京成成田での         旧‖ 成  ・ |  降車は可能だったと推測する。          ○====+−・          薬師堂前  ‖                  ◎成田   空港 三里塚      久能線  (3) 1965(S40).9.1時点   ∧  ∧        ∧   ・多古本線3「寺台−成田(北回り)」開業。   ・  ‖        |    開業区間は、成田山前〜市役所前〜京成   ・寺台‖ 松原     |    成田と推測する。この区間は本線から見   ・・・○・○・・・・・・+    て東回りであるが、本社担当者が左の略      ‖   ・    △栄町  図を見て、北回りと誤解したと推測する。  整骨院前○ 東町○・・  |   ・この改正から成田山前〜成田で、上下別      ‖   ・ ・ 市|京成  線(一方通行)が始まったと推測。   東成田○===○=○>○+=○          旧‖ 成  ・ ‖ ・S40.10.5に、東成田を運賃区界停留所に          ○==<=+=・  格上げ、多古本線3を「東成田−成田(東         薬師堂前  ‖    回り)」に改正。これにより、北回りの               ◎成田  誤謬を東回りに訂正したと推測する。  空港 三里塚      久能線  (4) 1973(S48).4.5時点   ∧  ∧        ∧   ・多古本線4「寺台−東町−成田」開業。   ・  ‖        |    開業区間は、寺台〜松原〜東町〜成田山   ・寺台‖ 松原     |    前と推測する。   ・・・○=○=・・・・・+   ・この改正以降、東成田経由は徐々に東町      ‖   ‖    △栄町  経由にシフトしていったと推測する。  整骨院前○ 東町○・・  |         ‖   ‖ ・ 市|京成    東成田○===○=○>○+=○          旧‖ 成  ・ ‖           ○==<=+=・          薬師堂前  ‖                  ◎成田   空港 三里塚      久能線  (5) 1978(S53).5.21時点   ∧  ∧        ∧   ・成田空港線1「成田−成田空港」開業。   |  ‖        |    開業区間は、成田〜(栄町)〜松原、寺台   |寺台‖ 松原     |    〜貨物地区〜管理ビル〜成田空港と推測   ・−−○=○=+−−−−+    する。なお松原と寺台には停車しない。      ‖   ‖    △栄町 ・同日、多古本線3「千代田−寺台」開業。  整骨院前○ 東町○・・  |    開業区間は、千代田〜空港南口〜整備地      ‖   ‖ ・ 市|京成  区〜公団工事局前〜日航オペセン前〜京   東成田○===○=○>○+=○  成空港駅〜寺台と推測する。         旧‖ 成  | ‖           ○==<=+=・ ・この改正により、成田山混雑時の迂回ルー         薬師堂前  ‖    トである栄町経由が開業したが、多古線               ◎成田  としての開業公示は無かった。  空港 三里塚      久能線  (6) 1984(S59).8.1時点   ∧  ∧        ∧   ・多古本線 寺台〜東成田〜成田と久能線が   |  ‖        :    廃止。これらの区間は、すでに休止区間   |寺台‖ 松原     :    だったと推測する。   ・−−○=○=+−−−−+         :   ‖    △栄町 ・路線名称から、旧多古本線4「東成田−  整骨院前○ 東町○・・  |    成田(東回り)」と旧多古本線5「寺台−      :   ‖ ・ 市|京成  東町−成田」が削除された。東町経由が   東成田○………○=○>○+>○  多古本線1に組み込まれたようだ。         旧‖ 成  | ‖           ○==<=+=・ ・久能線の廃止に伴い、京成駅前〜成田も         薬師堂前  ‖    一方通行区間となったと推測する。               ◎成田   空港 三里塚      久能線  (7) 2002(H14).3.1時点   ∧  ∧        ∧   ・東町〜成田山前〜薬師堂前〜成田を廃止、   :  ‖        :    成田山前バス停を移設、付近を経路変更。   :寺台‖ 松原     :   ・この改正から、上下別線区間が成田山前   ・……○=○=+…………+    〜成田から市役所前〜成田に短縮された。      :   ‖    △栄町   整骨院前○ 東町○=・  :   ・成田空港線は1991年に廃止。      :   : ‖ 市:京成 ・日曜祭日の10時〜17時の間は、栄町経由   東成田○………○…○=○+>○  で成田山付近を迂回運行していたが、こ         旧: 成  ‖ ‖  の改正以降、栄町経由の運行実績は不明。          ○…………+=・          薬師堂前  ‖                  ◎成田
2015 年 06 月 11 日 20:15:18 (14936) ふもふも館長さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【903】北薩線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇北薩線   北薩本線    1 鹿児島−米ノ津港    2 鹿児島−桜島桟橋−西鹿児島    3 鹿児島−桜島桟橋−鹿児島    4 西鹿児島−玉江校前    5 薩摩郡山−薩摩大浦    6 賦合−東俣    7 鹿原−登尾   北薩東線    1 薩摩塚田−花尾−薄原−山ノ口    2 永山口−蒲生町    3 花尾−花尾口 1.2 路線略図         ○米ノ津港         |         ◎米ノ津         |         ◎出水         |         |         ○定ノ段        /:  登尾○−−○ :      鹿原\:         ○尾座原         |         |     屋地本町○−◎宮之城         |         |         ○山崎町    ●いこいの村         |       ・   副田小学校前○…○入来温泉 ・         | : 藺牟田池○−−○−−○藺牟田       入来◎…・       /藺牟田|         |  藺牟田温泉 / 池口 |      牟多田○−−−○−−−○……………○浦川内    (→日の丸)|   :   洗出    |         |   :         |         |   :  真黒 真黒口 |      山ノ口○−−−○−−○−−−○・・○塞瀬戸         | 北薩長野  \ / \ |         |        ○楓  \|         |        |    ○楠田         |        ○薄原  |         |       /     |         |      ○酒屋段   |   転向場   |     /       ○蒲生町    ●    |    ○良久      |    ・    |    |        |    ○薩摩大浦|    ○岩戸      |    |    |    |        ○蒲生上町    |茄子田下○・・・・○岩戸口    / \    |    |    |      /   \    | 花尾口○−−−−○花尾   ○都迫   ∨    |    |    |    /    帖佐・加治木    |    |    |   /    | 油須木○ 永山口○−−・    |    +    |    |    ・\賦合 |    |    ・ ○−−○東俣    |    ・/   |    ・−−−−○    |     薩摩郡山|    ・  ※牟多田以東、真黒以東、須須原以東、         |   /    蒲生町以南・以北は、加治木線         |  /     薩摩塚田○−・         |         |      ・・・○伊敷町     ・   |     ・   ○玉江校前     ・   +      ・ /|       ◎−+−−−−+−+−◎鹿児島     西鹿児島     | |    (→鹿児島中央)   ・○・              桜島桟橋 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S60.10号 1.九州編(上) 4日目 6/4(火) (2) 単行本 ・4日目 p31〜34 3.2 乗車券の経路 ・北薩本線2 西鹿児島〜桜島桟橋〜鹿児島 ・北薩本線1 牟多田〜入来〜山崎町〜宮之城 3.3 行程 ◇西鹿児島821→833鹿児島 北薩本線 534-2988 桜島桟橋経由 鹿児島行 ◇帖佐1258→1405入来 加治木・北薩本線 531-5903 入来行 ◇入来1429→1452宮之城 北薩本線 534-3972 宮之城行 3.4 エピソード ・桟橋に寄らず鹿児島駅に直行する便もある。(→桟橋経由の方が多かった?) ・国鉄バスは早発は許されない。民間バスは通過予定表だが、国鉄バスは時刻表。 ・鹿児島自営は荒廃職場といわれているが、この運転手はきびきびしている。 3.5 旅の考察 ・当時の時刻表が無いため、休止区間の把握が出来ていないが、仮に上記、路線図  通りだったとすると、加治木線 蒲生町〜楠田は、蒲生町〜永山口〜薩摩塚田〜  山ノ口〜楠田が長い。 (補足事項) 薩摩郡山付近の経路の変遷    薩摩大浦・転向場         宮之城      Λ               Λ      :               |      :               ○油須木      :              /      :             +      :            ・ \      :           ・   \      :          ・     \      : (旧)      ・(←郡山局前) ・      : 郡山麓 郡山麓 :郡山支所前  |賦合      ○………○…○−−−+○−−−−+−○………>東俣    郡山農協前 : |   ○郡山鹿銀前: :   (←郡山役場前): |明桜館|      …          : |高校前○−−−○明桜館高校          ・ |(←※)|    (←甲陵高校)           ・|   ○上園        薩摩郡山○−−−+                ○柿木平  ※甲陵高校前                |                ∨             小山田・鹿児島 1.開業時の経路は、柿木平〜薩摩郡山〜(旧)郡山麓〜郡山局前〜旧道〜賦合〜   油須木だったようだ。 2.路線名称には出てこないが、その後、柿木平〜甲陵高校前〜郡山局前、   郡山局前〜油須木(賦合を経由しない)、甲陵高校前〜甲陵高校が開業した   模様。 3.薩摩郡山付近で区画整理があり、自動車駅はほぼ同じ場所に改築された。これ   に伴う経路変更があり、郡山麓バス停も若干移転した模様。
2015 年 06 月 10 日 07:25:01 (14935) ふもふも館長さんの書き込み まこっさん、コメントありがとうございます! 東雲イオンの件、JRに騙されてました〜 成田IC近くの駐車場は、Google Street Viewによると日の丸自動車興業 になっていました。買収したのかもしれませんね。 --- THEアクセス成田 成田空港側路線図を3種類描いてみました。 1 交差点基準の路線図         ・−→−・        /     \  T2-3F-2 T2-3F-17       ・   ・→−−−−○−−−○−−・       ↑  /    | T2-1F-2 T2-1F-19 \       +→+…+→−−−−○−−−○−−+→+       |   ↑   |        | |       |   +   |        | |   第2ゲート↑  /↑T3-12 ↓  空港東通り | ↓空港東通り4       | ○ ○−−−▲←−−−−−−−|←▲  東京   |T3-2  第2ゲート南付近     ↓ |空港西通り4  <−−−−▲←−−−−−−−−−−−−−−←+ ▲→−−−−・      新空港IC      東関道     ↑ |空港西通り5 \                        | ・−−▲→−・ ・                        |   /   ↓ ↓                      ・−−−→・T1-1F-31○ ○T1-4F-15                      | |       | |                      ・ ・−−−←−−−・ ・                       \         /                        ・−−−←−−−・  ・私のJRバス未乗区間は、以下の通りです。   ◇T1-4F-15→空港西通り5交差点   ◇空港東通り4→第2ゲート南付近 ※ターミナル連絡バスで何度も乗った区間  ・第1ターミナルの出発フロアである4階から1階に降りる道路は、近年、付け変   わったように感じます。この道路は、多分未体験です。  ・深夜便でしか乗る事ができない区間は、以下の通りです。   ◇第2ゲート→第2ゲート南付近   ◇T3-12→T2-2からの出発便の交点 ※バスターミナル構内のわずか数m 2 階数を意識し、乗り場を無視した路線図             T2-3F          ・−−→○−・         /  T2-1F   \        /  ・→○−・  \       ・  /  |  \  ・       | ・   |   ・ |       | |   |   | ↓       +→○←−−|−−−−−○T1-4F  東京   ↑ T3   ↓   ↓  <−−−−▲←−−−−+←−−○T1-1F      新空港IC  ・私のJRバス未乗区間について、この路線図だとT1-4F→T3となります。 3 乗り場・階数を無視した路線図           T2       ・→+→○−・       | ↑ | ↓       +→○←|−○T1  東京   ↑ T3 ↓ |  <−−−−▲←−−+←・      新空港IC  ・私のJRバス未乗区間について、この路線図だとT1→T3となります。
2015 年 06 月 08 日 09:00:36 (14934) まこっさんの書き込み 少しコメントさせていただきます。 JRバスにしか興味がないので、連絡バスは… まず、Theアクセス成田に中央道支店(伊那)が2往復運行しています。 うち、成田空港第3ターミナル14:45発は、東雲イオン前行きです(この便のみ)。 JRバス関東のHPからデジタル(ではなくなった)時刻表をみると、 東京駅・銀座駅行きしかないように思えますが、第3ターミナル発と 第2ターミナル発の時刻を混ぜて掲載しているズボラなためで、 ビーのサイトの時刻表ではしっかりわかります。 騙されないように!! 成田IC近くの駐車場は、ビーのTheアクセス成田専用駐車場です。 第3ターミナル発着用の駐車スペースが3台分しかないので、 時間によっては、JRバスも複数台駐車しているようです。 あと、スカイツリー線の東京9:40発の直行便は、ドリーム(二階建て)での運用とのことです。 新ルートの研修省略のためですかね!!
2015 年 06 月 07 日 23:49:59 (14933) ふもふも館長さんの書き込み 成田空港第3ターミナルの視察を主目的に、乗りバスしたので報告する。 1 JRバス関東 THEアクセス成田 深夜便 銀座駅→第2ターミナル19番 ・不毛板(14902) JRKさんの書き込みで、JRが担当する深夜便の経路が気になった  ので、乗車してみることにした。 ・パンフレットに小さな文字で、深夜便は2000円ですの文字が記載されていた。 ・乗客は少ないだろうと思っていたが、意外に数名乗り込んだので驚いた。なお、  先行する女性専用深夜便は、銀座駅出発時点では乗客は無かったようだ。 ・東京駅では10人以上待っており、こんなに人気があるのかと驚いた。 ・バスは、首都高速7号小松川線を経て、京葉道路に入った。1982(S57).4.27に、  浦安〜市川〜宮野木が開通するまでは、こちらが主経路だったはずで、思いかけ  ず初体験。初めてみる車窓で、目がさえてしまう。 ・なお、2012.1.1より、JRバス鹿島線、八日市場線も、京葉道路経由らしい。 ・酒々井PAで、約50分の運転停車。開放休憩ではないので、外に出れない。 ・バスは、成田空港第2ゲートを通過後、T2方面行き道路を潜り、第2ゲートの南、  空港東通りの手前を右に進み、T3の12番ホームに着いた。第3ターミナルの案内板  によると、12〜19番は、降車専用とあるので、これは正しい運用だと推測する。 ・THEアクセス成田では「深夜便は、第3ターミナル1F 2番」と案内しているものも  あるが、これは間違いではないか。 ・ここで大半が下車するが、数名残っていた。その後、出発フロアであるT2-3階に  向かうべき所、この時間帯は出発ロビーが閉鎖されているため、到着フロアであ  るT2-1階に向かい、2番と19番に停車した。THEアクセス成田のパンフでは、深夜  便も「2番と17番」と書かれているが間違いである。 ・バスは、第1ターミナルに向かわず、ここが終点。3階に出発フロアに向かうと、  4階に24時間コンビニがある都合、通路は通れるようになっていたが、バス停に  向かう通路は閉鎖されていた。調査はあきらめ、徒歩でT3に向かった。 ・ターミナル連絡バスで、T3発は4:30が始発。T3のフードコートは4時開店。それ  まで、時間を潰すが、思ったより空港で夜明かしする人が多く、驚いた。 2〜6 ターミナル連絡バス 1〜5回目 ・時間があった事と興味から、T3→T2とT2→T3を乗車。T3乗り場は、路線バスと異  なり、ターミナルビル真横にあった。乗り場は制限区域にあるようで、自動ドア  で乗降するようになっており、車外に出ることはできないようになっていた。 ・経路は、以下の通り。  ◇T3[乗]、手動ゲート出て左、T2-24[降]  ◇T2-24[乗]、空港東通り4交差点を右、東成田駅[通過]、第2ゲート南付近、   手動ゲート出て右、第2ゲート、左で手動ゲート入、T3[降] ・第2ターミナルの乗り場は、T1行きターミナル連絡バスと異なり、北口1箇所のみ  で、しかも道路を渡った先にある。南口から相当離れているので注意である。 ・T3行きは、かなり迂回して運行するため、時間が掛かる。第2ゲートは3/30から  セキュリティチェックを廃止したが、もし継続していたら、T3行きはさらに運行  時間が伸びたはずで、これがセキュリティチェック廃止の真の理由かもしれない。 ・第2ターミナルの3階(出発フロア)バス乗り場について調べるため、再び、ターミ  ナル連絡バスに乗車し、第2ターミナルに向かった。まだ出発フロアは閉鎖されて  いたが、中央口エレベータからバス降車場に出る事ができた。 ・北から南へ番号が振られており、1番:団体バス、2番:路線バス、3番:クルーバス、  4番:ホテルバス、5番:成田空港交通、6番:京成バス、7〜10番:東京空港交通、11  〜12番:京成バス・千葉交通、13番:団体バス、14番:成田空港交通、15番:ホテル  バス、16番:クルーバス、17番:路線バス、となっていた。 ・THEアクセス成田は「2番と17番」を利用する。ONライナーの降車番線はパンフに  記載が無いので不明だが、12番だったか? ・後述するが、成田空港交通 博物館線が、3階の5番・14番から発車する。3階から  乗車する系統は、これのみと思われる。 ・ターミナル連絡バスに乗車し、今度は、第1ターミナルに向かった。 ・経路は、以下の通り。  ◇T2-8[乗]、空港東通り4交差点を直進、空港西通り4交差点を左、右、T1-6[降] ・第1ターミナルの4階(出発フロア)バス乗り場について調べるため、エスカレーター  で4階に向かった。朝6時を過ぎたせいか、今度は、制限なく入場できた。 ・こちらも北から南へ番号が振られていたが、バス進路から見ると逆になる。  南ウィング 16番(2箇所ある):団体バス、15番:路線バス、14番:クルーバス、        13番:ホテルバス、12〜10番:東京空港交通  中央ビル  9番:成田空港交通、8番:千葉交通、7番:京成バス、5番:ホテルバス  北ウィング 4番:クルーバス、3〜1番:東京空港交通     ※6番は未使用 ・THEアクセス成田は「15番」を利用する。ONライナーの降車番線はパンフに記載が  無いので不明だが、7番だったか? ・ターミナル連絡バスに乗車し、再び、第2ターミナルに戻った。 ・経路は、以下の通り。  ◇T1-6[乗]、空港西通り4交差点を直進、空港左通り4交差点を左、東成田駅[乗降]、   第2ゲート南付近、T2-8[降] ・今回は乗車しなかったが、T1-6→東成田→T3→T2-8というT3経由便もあるらしい。 7 空港シャトルバス 空港第2旅客ターミナル→横芝屋形海岸 8 空港シャトルバス 横芝屋形海岸→空港第2旅客ターミナル ・芝山鉄道延伸連絡協議会(芝山町・横芝光町・山武市)で運営するバスで、全線を  乗りとおすと約55分であるが、運賃はICカード利用で270円と安いのが特徴。  http://www.town.shibayama.lg.jp/0000001252.html ・かつて、国鉄バス 山武本線・芝山線が、千代田〜上総浅川〜小池〜上総二川〜  芝山〜宮台〜山室〜金尾〜松尾と走っていたが、山室交差点で交差するだけで、  経路が全く重ならないのは残念であった。 ・なお、芝山千代田駅〜松尾駅で、芝山ふれあいバスが運行中。但し、日曜運休。  http://www.town.shibayama.lg.jp/0000000148.html  http://www.town.shibayama.lg.jp/0000001362.html ・成田空港付近の経路は、以下の通り。  ◇T2-13[乗]、空港東通り4交差点を直進、空港西通り4交差点を右、第6ゲートを   出て左、空港連絡道路、芝山千代田駅前交差点を右、芝山千代田駅[乗降]  ◇芝山千代田駅[乗降]、芝山千代田駅前交差点を右、空港連絡道路、第2ゲート南   付近、第2ゲート、T2-13[降] ・往路は空港内道路経由、復路が空港連絡道路経由だった。 9 ターミナル連絡バス 6回目 T2→T3 10 サークルバスBルート 東武ホテルエアポート→京成成田駅 ・現在、バスで成田空港から成田駅に向かう事は出来ないが、空港に一番近い東武  ホテルまで歩けば、サークルバスで駅に向かう事ができる。※不毛板(14913)  http://naritatransit.net/bus/ ・サークルバスは、マロウドインターナショナルホテル、東武ホテルエアポート、  ホテル日航、ANAクラウンプラザホテル、エクセル東急、ヒルトンと、ホテルを  巡った後、市内を循環して、またホテルに戻ってくるというルート。「210」と  バス正面に大書きされたバスのようだが、乗車したのは、普通の路線バスだった。 ・ホテル日航→ANAクラウンプラザホテルホテルでは、細い道を通り、JR東日本の  堀之内信号場を脇を通った。またエクセル東急に向かう途中、成田IC付近では  JRバス関東のバス2台が転向場で休んでいる光景を目撃することができた。貸切  バスだったのか、THEアクセス成田の車両かは不明。 ・ホテルのピックアップが終わると、寺台インターまで、空港通りを通った。かつて  国鉄バス 成田空港線 成田駅〜貨物地区・管理ビル・成田空港が走っていた経路  で、一部ではあるが、思いがけず代替することができた。 ・Bルートは、成田山経由で京成成田駅に向かう。途中までJRバスと同じ経路であっ  たが、JR成田駅前交差点を経由し、京成成田駅バス停に着いた。 11 多古本線 成田駅→さくらの山→航空博物館前 ・H27.3.26ダイヤ改正で開業した法華塚〜さくらの山、住宅入口〜航空博物館入口  〜航空博物館前の初乗りを行った。 ・さくらの山の経路については、不毛板(14908)JRKさんの書き込みにある通り。 ・菅生交差点〜X交差点〜さくらの山[乗降]〜さくらの山交差点〜T交差点〜X交差点  〜菅生交差点で、成田市コミュニティバスのさくらの山バス停は、さくらの山交  差点の先にあるようだ。 ・2008年当時の航空科学博物館については、不毛板(13269)で書いていた。  その地図に加筆してみた。                  ∧千代田・多古・八日市場          航空      |          博物館北    |          +○−−−−−−+         /‖  ★成田平和|        ・C◎   佛舎利塔|        | ‖ ★1 A  | ★1:航空科学博物館        | ・◎−+−◎  |         |  B |  ★2| ★2:成田空港 空と大地の歴史館        |    |    |        | 新道 | 旧道 |        +−−−−○・・・・○航空博物館  東京    | 航空博物館入口 |(→岩山)  三里塚・成田|         |  <−−−−−・         |                  |          多古・八日市場                  |            匝瑳市役所                ・・+−−+−−−−−−−○−−−−−>                  ・  ・       白桝                  ・  ・              にしてつ○・・○バンテック                  ・                  ・                  ∨横芝屋形海岸 ・乗車した多古線 航空博物館前行きは、◎Aで降車。バス停ポールは無い。 ・多古線の成田駅行きは、◎Bの位置にある。向いに、成田空港交通 博物館線の  航空科学博物館バス停がある。JRバスと違い「科学」を省略していない。 ・バスの待機場所であるが、多古線は◎C、成田空港交通は◎Aの位置だった。 ・不毛板(14929)に記載の通り、6/20より、東京〜富里・多古・八日市場駅・匝瑳  市役所の高速バスについて、航空博物館北を廃止し、航空博物館前を新設する。  その場所であるが、既設バス停ではなく、◎Cの位置のようだ。 ・航空科学博物館のゲートは、航空博物館北バス停付近にあったが、新しいゲート  がほぼ完成していた。博物館が休館時でも、◎Cまで入れるようになる見込み。 ・同日、多古線もダイヤ改正があり、航空博物館前が終点ではなく、多古台・八日  市場方面も経由するようになる。そうなると、◎B〜◎Cを通過する便も出来そ  うな気がするが、この通路は博物館が営業中でないと通れないと思うので、多古  線のバス停も高速線と同じ◎Cに統一し、航空博物館入口バス停は廃止される可  能性もある。さて、どうなるか? ・成田空港 空と大地の歴史館は、現在も進行中の成田闘争を扱う展示館。特定の  派閥を優遇したり否定したりしないよう配慮されているように感じた。お勧め。 12 成田空港交通 博物館線 航空科学博物館→成田空港第一ターミナル ・時刻表によると、朝2便は航空科学博物館を経由せず、空港内道路(臨空ビル前)  経由のようだが、今回乗車した便は、航空科学博物館始発で、空港連絡道路経由  だった。http://www.nariku.co.jp/time/hakubutsukan-1.htm ・芝山千代田駅以遠の経路は、以下の通り。  ◇芝山千代田駅[乗降]、芝山千代田駅前交差点を右、空港連絡道路、第2ゲート南   付近、第2ゲート、T2-3F-5[降]、T1-30[降] ・成田空港発の場合、時刻表によると、T1-30、T2-3F-5、T2-3F-14の順にピックアッ  プするようだ。 13 ターミナル連絡バス 7回目 T1→T3 ・一日に7回もターミナル連絡バスに乗車!新記録である。 14 JRバス関東 THEアクセス成田 第3ターミナル2番→東京駅 ・THEアクセス成田の切符を、第3ターミナルのGPAサービスカウンターで購入できる  ようだ。SUICAで購入を申し出た所、出来ないとの事で購入を断念。現金で買うべ  きだったと反省。なお、バス待合所にも切符販売機が設置してあったが、THEアク  セス成田の切符は販売していない。 ・いままでは、T2-2→T2-19→T1-31→東京、T2-2→T1-31→東京、T2-19→東京の  3パターンで、T2-19→東京便は、T2-2→T1-31→東京便の後に続くというパターン  だったようだが、T3開業後は、T3-2→T2-2→T2-19→T1-31→東京、T3-2→T2-2→  東京、T2-19→T1-31→東京の3パターンとなり、T3-2→T2-2→東京便は時刻が10分  早くなっている。 ・乗車したバスは、T3-2の次に、T2-2に停車後、T1を経由せず、東関道に入ったので  驚いた。これも初体験。
2015 年 05 月 28 日 20:12:33 (14932) ふもふも館長さんの書き込み 産交フリークさん、代行バスと経路変更情報ありがとうございます! ごかせ号ルート変更は、知りませんでした。 2012年5月に、西鉄 ごかせ号に乗車した時は、逆方向でしたが、たしかに >北小路から松山町までR218、野田町ランプから県道241 というルートでした。※不毛板(14373) 戸畑渡場は西鉄北九州線戸畑駅の跡という事も、全く気づきませんでした。 行きは70、帰りは93なので、行きに線路跡を通っていたのですね。てっきり 70系統は、新道経由かと思っていました。架線柱には気づきませんでした。
2015 年 05 月 28 日 14:45:31 (14931) 産交フリークさんの書き込み ご無沙汰しております。やっと落ち着いてきました。 なかなか旅もままならないのですが、近場でうろうろしています。 ・3月13日〜14日:熊本駅一部高架化に伴う代行バス ちょっと賞味期限切れですが夜勤出撃しておりますので… 3月13日(金)〜14日(土)にかけて、鹿児島本線の熊本駅下り方〜崇城大学前下り 方の高架化工事に伴い熊本→宇土で2本、宇土→熊本で1本、熊本→南熊本で1本が代 行となり、宇土→熊本→南熊本と乗車しました。 貸切が来るものと思っていたら、宇土駅東口には九州産交バスの熊本230あ352。熊 本空港リムジンバスで運用されるユニバースでした。何故路線車が充当されたのか 不明ですが、珍しい運用となりました。因みに電光幕は「臨時」となっていました。 途中駅の富合、川尻へはタクシー代行となっており、バスは直行。10名前後。 宇土駅東口、宇土駅入口左〜R3、世安左、田崎橋、春日六丁目付近を右、新幹線口 右、熊本駅新幹線口。 熊本駅新幹線口は時間帯に似つかわしくなく貸切バスが何台もとまっており、全て 宇土行の代行バスで、前便23:45の後2台の菊南プラザバスが此方と入れ替わる様に 発車、最終便となる0:15発は熊本バス2台、白浜交通2台の4台運行となっていまし た。 宇土からの便がそのまま南熊本行きとなります、との事でそのまま乗車。今度は満 席となりました。 上熊本〜大牟田と平成へはタクシー代行で、状況報告で一番遠くの乗客は長洲まで の様でした。 南熊本行は世安まで戻り、世安直進、南熊本右、駅前の路線バスベイには入らず、 外側を回り駅真正面で降車。nimocaでの乗車でしたので、一旦改札をとおり、出場 処理して帰宅。 ・九州産交バス「やまびこ」「たかちほ」 手近なところから、ルート変更もあったので乗車。 熊本〜大分「やまびこ」は要町停車に伴うルート変更。2月に中九州横断道路大野IC 〜朝地ICが開通しましたが、停車バス停の関係上経路変更は行われていません。 要町は大分駅高速バス乗り場、と銘打ってはいますが、貸切バス駐車場の一角に待 合所はあるものの無人のバス停。福岡線「とよのくに」は付近のルートが大きく変 わりましたが、此方は金池町一丁目交差点から往復する様なルートでした。 金池ターミナル〜佐伯駅は大分バスの急行H73。約15年ぶりの乗車ですが、嘗て「さ ざんか」の愛称で、貸切転用車、高速転用車、またトイレ付の新製車もありました が、今は昔、殆どがノンステップ車に置き換わっており、すれ違う便もノンステ車 ばかりでした。 佐伯から此方も久方ぶりに「にちりん」で宗太郎峠を越えて延岡。 「たかちほ」「ごかせ」は延岡市内を回らないため、「ひむか」とルートが異なっ ています。 延岡駅前バスセンター、出構右、駅前左、幸町一丁目右、高千穂通り(通過)、北 小路西右〜R218、五ヶ瀬大橋北詰左、五ヶ瀬大橋南詰右〜県道241、延岡IC、延岡北 方道路、蔵田交差点直進、R218日之影BP。4月に北方IC〜蔵田交差点が開通し、此方 はルート変更が為されました。 以前乗った際は北小路から松山町までR218、野田町ランプから県道241に入っていま したが、延岡北方道路のルート変更と同時に変更されたのかもしれません。 蔵田交差点はまさに交差点で、高規格道路からランプウェイもなく日之影BPへ直進 する様な形で接続しています。また、この変更で川水流が廃止となり、代替として 早日渡に停車する様になりました。 「たかちほ」の九州産交便は平日と土休日で使用車輛が異なり、平日は「ひのくに」 から転用の西工C-Iトイレ付、土休日は貸切転用のスペースアローで、土休日はご 利用の方が多く、と説明がHPであっていましたが、高千穂から結構な乗車で面目躍 如。一日2便で使い勝手は悪いですが、観光の足としては浸透している様でした。 ・館長さん、九州行お疲れ様です。 24 若戸汽船 私も20数年前一度乗船しており、その時運賃は20円だった気が。今も100円で安いの ですが、当時の20円、インパクトありました。 25 戸畑渡場 戸畑渡場バス停は西鉄北九州線戸畑駅の跡。館長さんが乗車された93:中原経由は 残念ながら通りませんが、中井口経由の70、74は廃線跡を通ります。三六〜小倉高 校下が嘗ての廃線跡:バス専用道路で、特に三六〜中井口は2004年まで残っており、 現在も架線柱が残っていたり、側道と高さの違う道路だったり、と専用道路だった 頃の雰囲気が残っています。 そういえば46 で出てくる信貴山スカイラインの近鉄バスも廃線跡ですね。 44 八興運輸 これは知りませんでした。こんなのに乗れるとは。琉球海運の那覇〜平良〜石垣〜 高雄とかも乗れるの良いんですがね。 因みに日向〜福岡でツアーバスから移行した「ハッコーライナー」を運行するハッ コートラベルは関連会社の様ですね。 http://www.hakko-unyu.co.jp/ 鉄道乗り直し、お疲れ様です。 私は付替や駅移転による延伸は対象としていないのですが、会社が変わった場合は 乗り直し、としており(国鉄→JR、営団→東京地下鉄のみ例外)、北陸新幹線の並 行在来線も乗り直し、阪急や相鉄の持株会社移行に伴う子会社への事業分割も乗り 直しの対象としています。 ま、出かけるきっかけ、理由づけが欲しいだけといえばそうなんですけどね。 おぉ、近鉄も4月の持株会社移行で乗り直しでした…。
2015 年 05 月 28 日 01:12:17 (14930) ふんわりぼんやりさんの書き込み こんばんは。西武バスHPに新宿・池袋〜金沢線『金沢エクスプレス』の運賃制度変更についてお知らせが出ました。 (1) 7/1から幅運賃制を導入。昼行便はT1・T2の2種類、夜行便はS1〜C3の11種類。 (2) 学割・早売5・早売1を設定。往復割引は廃止。 運賃カレンダーはまだ出ていなかったのでJRバス関東のHPを見たところ、なんと『金沢エクスプレス』がデジタル 時刻表から削除されているではありませんか。 『ドリーム金沢号』の時刻表にリンクが貼ってあるのですが、西日本JRバスのHPへ連れて行かれます。まさかJR バス関東は撤退してしまうのでしょうか。 東部湯の丸SAで交代の完全ワンマン運行で効率は良いはずなのですが、現在『金沢エクスプレス』を唯一の職場とする 3列シート車の寿命と関係があるのでしょうか。
2015 年 05 月 27 日 23:50:10 (14929) ふもふも館長さんの書き込み 6/20より、多古台バスターミナルが開業、JRバス関東 東関東支店が営業開始します。 http://www.jrbuskanto.co.jp/topics03/post_421.html これに伴う路線改廃は、以下の通りと推察します。どうでしょうか? 1.開業区間  ◇高野前〜多古台バスターミナル〜染井    ・八日市場→仲町→BT→飯笹→成田    ・成田→飯笹→BT→新町→八日市場  ※高速バスは「高野前〜多古台バスターミナル」を通らない  ※BT−仲町−飯笹は「多古台バスターミナル〜染井」を通らない 2.廃止区間  ◇高野前〜消防署前〜多古  ◇八日市場支店 ※構内に高速バス乗り場 3.経路変更?  ◇航空博物館北〜航空博物館〜白桝  →航空博物館前〜岩山〜白桝  ・航空博物館北バス停と航空博物館前バス停は、位置が少し違う  ・航空博物館バス停は、岩山バス停と同じ位置 ※名称変更  ・経路は、変更なしか  ◇航空博物館北〜芝山千代田駅〜ホテル日航成田  ・高速バスとしては廃止  ・多古本線で2往復「航空博物館北〜芝山千代田駅」経由便が残る  ・「芝山千代田駅〜ホテル日航成田」は、千葉交通 東京2220発のみ
2015 年 05 月 16 日 11:40:40 (14928) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 水都東線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇水都東線   水都東本線    水戸−谷津三叉路    水戸−水戸駅南口    中丸−双葉台二丁目−三夜前    中丸−双葉台五丁目−三夜前   飯沼線    赤塚−飯沼 1.2 路線略図    谷津   三夜前 学    三叉路○−−○  校         /|  口/\        ・ ○−+○  ○双葉台五丁目        | |南| \/        ・+・開|     自由  大工町      双葉台○ 江○老人ホ  ヶ丘○−−○−・      二丁目|  |ーム 赤塚  |    |         ・−−○−−−◎−−−・    ◎水戸            中丸  |  水戸駅○  +−・                |  南口 |  | |                |     ・−−−−・                ○常陸高田    ・−>大貫海岸・涸沼            飯沼  /       羽鳥<−○−−・ 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・水都東線は1959(S34)年に、水戸西線として水戸〜赤塚〜谷津〜石塚上町、谷津  〜杉崎が開業したのがルーツで、沿線地方の産業文化の発展助長を使命としてい  た。水戸西線は1980(S55)年に旧水都東本線の廃止に伴って、新たに水都東線と  して再編成された。 ・当時から(自)水戸に自動車駅が存在しており、高速バス切符売場として現存し  ている。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、三夜前〜済生会病院が  認知された。 2.2 旅から30年 ・国鉄民営化を経て、水都東本線、羽鳥線がJRバス関東に継承された。1991(H3)  年に水戸〜水戸駅南口が休止された(翌年廃止)。本線区間も1992(H4)年に三夜  前〜谷津三叉路が休止(翌年廃止)された。支線区間も1995(H7)年には飯沼線常  陸高田〜飯沼がが廃止された。他方、1999(H11)年には水戸・赤塚〜茨城県庁に  県庁シャトルバスが運行を開始した(2004(H16)年廃止)。その後、2000(H12)年  に飯沼線の残存区間と本線の赤塚以西の区間が廃止された。 ・2015(H27)年現在、水都東線はJRバス関東によって水戸〜赤塚が運行されて  いる。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・連載誌(S61.6) 9.関東・信越編(下) 45日目 8/1(木) (2) 単行本 ・単行本 45日目 8/1(木) p216 3.2 乗車券の経由欄 ・「飯沼、水都東線、赤塚、水戸」 3.3 行程 ◇飯沼転向場2010→2035赤塚 飯沼線 飯沼転向場発 赤塚行                        331-9008(いすゞK-CCM410改) ◇赤塚2044→2100水戸 水都東本線 双葉台五丁目発 一高下行                          527-3083(日野K-RC381) 3.4 エピソード ・飯沼転向場からの赤塚行きは、赤塚から水都東本線の水戸行きにかろうじて  つながっており、転向場を遅れて発車したバスの運転手は「間に合わせまし  ょう」と請け合ってくれる。 3.5 旅の考察 ・乗車券の経由欄には「赤塚、水戸」とあるが、この区間は鉄道(常磐線、6.0  km)と自動車(水都東線、6.2km)の双方があるため、「赤塚、水都東線、  水戸」とするのが正当と思われる。 ・1985(S60)8月改正ダイヤでは、水都東本線の双葉台五丁目・谷津三叉路方面  と水戸南本線の常陸山崎・新興農場・涸沼方面とは半数程度の便が水戸を跨  いで直通運転を行っていた。水戸方面〜谷津三叉路は8往復が設定され、  水戸方面〜双葉台五丁目は6〜20時台に5〜35分間隔で29往復が設定されて  いた。また、飯沼線は水戸・赤塚〜飯沼に6往復が設定されていた。
2015 年 05 月 16 日 11:37:19 (14927) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 水戸南線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇水戸南線   水戸南本線    水戸−大貫海岸    常陸山崎−新興農場   涸沼線    下入野−涸沼 1.2 路線略図      赤塚<−・          |          ◎水戸          +−・          | |   水戸駅南口<−−−・          ・            \            ○酒門坂下            |            |    新興農場○−−−○常陸山崎            |       下石崎  ○−−−○大貫海岸       秋の月 / 下入野  涸沼○−−−○−・ 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・水戸南線は、1953(S28)年に水福線として水戸〜常陸山崎〜涸沼、下入野〜大貫町  が開業したのがルーツで、1954(S29)年に大貫町〜海老沢〜堅倉が、1956(S31)年  に友部線として常陸山崎〜新興農場〜常陸長岡〜内原〜友部がそれぞれ開業  した。  沿線地方の産業文化の発展助長と観光開発を使命としていた。 ・当時から(自)水戸に自動車駅が存在しており、高速バス切符売場として現存し  ている。 ・1985(S60)年8月改正ダイヤでは、水戸南線常陸山崎・新興農場・涸沼方面と、水  都東線双葉台五丁目・谷津三叉路方面とは半数程度の便が水戸を跨いで直通運行  を行っていた。水戸以遠〜大貫海岸5往復、水戸以遠〜新興農場6往復、水戸  以遠〜涸沼7往復がそれぞれ設定されていた。 2.2 旅から30年 ・国鉄民営化を経て、水戸南本線、涸沼線がJRバス関東に継承された。1989(H1)  年に下入野〜大貫海岸が休止(翌年廃止)、1993(H5)年に常陸山崎〜新興農場が  休止(翌年廃止)され、残った区間も1995(H7)年に下石崎秋の月〜涸沼が休止(  翌年廃止)され、最後まで残った水戸〜下石崎秋の月も2003(H15)年に廃止され、  水戸南線は全廃となった。
2015 年 05 月 16 日 11:35:10 (14926) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 渋川線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇渋川線    渋川−長野原    センター入口−温泉センター    川原湯−川原湯温泉 1.2 路線略図  草津温泉  上田          岩島 郷原 原町    塩川 センター  上州大津    川原湯 駅前 駅前  駅前   鉱泉 入口    渋川   <−−−◎−−−◎−−○−−○−−−○−−◎−−○−○−−◎−−−◎      長野原  |           中之条  \| 小野上           ○川原湯温泉            ○                           温泉センター 2. 路線解説 2.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・渋川線は、1935(S10)年に吾妻線渋川〜真田の一部として渋川〜長野原が開業  したのがルーツである。渋川線は、鉄道の代行並びに、鹿沢菅平線(上州大津  〜上田)等とともに上越線と信越線を短絡する他、観光路線としての使命をも  有していた。 ・1985(S60)年当時、渋川線バス運行の拠点として長野原自営の他、線内の渋川  に同自営渋川支所が置かれていた。 ・1986(S61)年4月改正ダイヤでは、渋川線には次のような便が設定されていた。    渋川〜長野原 4.0往復    渋川〜川中温泉口 1.0往復    渋川〜群馬原町 9.0往復    川原湯〜長野原 2.0往復    川原湯〜川原湯温泉 2.0往復 ※ 補足 渋川線の運行状況の推移 ・1940(S15)年7月改正ダイヤでは、吾妻線(渋川〜長野原)に次のような便が  が設定されていた。    渋川0710→長野原0924→1014上州草津 1便      0835→   1049→1139     3便      1035→   1249→1339     5便      1240→   1454→1544     7便      1420→   1634→1724     9便      1600→   1814→1904     11便      1700→   1919→2009     13便    上州草津0650→長野原0740→0949渋川 2便        0900→   0950→1159   4便        1040→   1130→1339   6便        1220→   1310→1519   8便        1345→   1435→1644   10便        1630→   1720→1929   14便    渋川0930→1139長野原 31便  長野原0530→0739渋川 30便      1515→1732    33便     0850→1107   32便    渋川1200→1304群馬原町51便 群馬原町1330→1434渋川 52便      1620→1724    53便     1730→1834   54便      1850→1954    55便     2000→2104   56便    渋川0600→0653中之条 61便  中之条0700→0753   62便 ・1950(S25)年10月改正ダイヤでは、吾妻線(渋川〜長野原)に次のような便  が設定されていたのを確認できる(この他区間運転ありとの注記が付されて  いた)。    渋川1150→長野原1345→1430上州草津      1420→   1615→1700      1750→   1945→2030    上州草津0750→長野原0830→1020渋川        1040→   1120→1310        1340→   1420→1610        1520→   1600→1750    渋川0650→0815本中之条  本中之条0650→0800渋川      1135→1245          0825→0940      1415→1525          1250→1400      1745→1855          1540→1650                     1645→1730 ・1961(S36)年5月改正ダイヤでは、吾妻線(渋川〜長野原)に次のような便  が設定されていたのを確認できる(この他区間運転ありとの注記が付されて  いた)。    渋川〜長野原 1.0往復    渋川〜川中温泉口 1.0往復    渋川〜中之条 5.0往復    中之条〜長野原 2.0往復    川原湯〜川原湯温泉 9.0往復 ・1970(S45)年7月改正ダイヤでは、吾妻線(長野原〜真田)に次のような便  が設定されていたのを確認できる。    渋川〜群馬原町 18.5往復    中之条〜長野原 7.0往復    川原湯〜川原湯温泉 8.5往復 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年2月号では、吾妻線(鉄道)の  欄に列車の空白時間帯の国鉄バス渋川線の一部便が載っていた。この号の  1974(S49)年12月現在ダイヤでは、渋川線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    渋川〜群馬原町 12.5往復    渋川〜川中温泉口 5.5往復    中之条〜長野原 4.0往復    群馬原町→川中温泉口 0.5往復     川原湯〜川原湯温泉 9.0往復 ・1980(S55)年8月現在のダイヤでは、渋川線に次のような便が設定されてい  たのを確認できる。    渋川〜群馬原町 下り11本・上り9本    渋川〜川中温泉口 6.5往復    長野原→渋川 0.5往復    中之条〜長野原 2.5往復    群馬原町→川中温泉口 0.5往復    群馬原町→長野原 0.5往復    群馬原町→川原湯 0.5往復     川原湯〜川原湯温泉 9.0往復 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、渋川線に次のような便が設定されてい  たのを確認できる。    渋川〜群馬原町 12.0往復    渋川〜川中温泉口 2.0往復    群馬原町〜長野原 4.0往復    川原湯〜川原湯温泉 2.0往復 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年2月には温泉センター〜塩川鉱泉が開業し、センター入口〜  温泉センター〜塩川鉱泉が迂回線となった。 ・渋川線は、国鉄民営化を経てJRバス関東に継承されたが、1988(S63)年に  川原湯〜川原湯温泉が廃止された。その後、1994(H6)年に中之条以東(温泉  センター迂回線を含む)が廃止され、1996(H8)年に中之条〜川原湯温泉(  ←川原湯)が廃止された。残った川原湯温泉〜長野原草津口(←長野原)も  1998(H10)年に廃止され、渋川線は全廃となった。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・連載誌(S61.6) 9.関東・信越編(下) 44日目 7/24(水) ・連載誌のみ 長野原駅バス乗り場の写真 (2) 単行本 ・単行本 44日目 7/24(水) p208-p209 3.2 乗車券の経由欄 ・「長野原、渋川線、渋川」 3.3 行程 ◇長野原1355→1437群馬原町 渋川線 長野原発 群馬原町行                         331-4075(いすゞP-LR312J) ◇群馬原町1457→1557渋川 渋川線 群馬原町発 渋川行                         331-4471(いすゞP-LR312J) 3.4 エピソード ・左上にレール、右下に吾妻渓谷がひかえる川原湯付近で景勝と温泉ガイドのテー  プが回る。 ・温泉センターは地元の人の憩いの場とみえ、お年寄りが数人乗った。 ・バスの中に国鉄の求人広告が張り出しており、「長期臨時雇用員」という身分の  バスガイドで18〜35歳の女性なら未経験者でもよく、日当4350円に諸手当となっ  ている。 ・渋川駅前に着くと、運転手がバスの下車印を見つけて「うちにも下車印があった  ような気がする」と事務所へ駆け込んだが、「悪いなあ。やっぱりなかった。こ  んなものを押してきたけどいいかな」と別紙の空白に「長野原自動車営業所渋川  支所」のゴム印が見えた。 3.5 旅の考察 ・渋川線は、鉄道(吾妻線)駅前に停留所が設けられている個所が多いが、1984(S  59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、接続駅は渋川、小野上、中之  条、川原湯、長野原の5駅であった。
2015 年 05 月 06 日 00:14:25 (14925) ふもふも館長さんの書き込み 九州旅行から帰ってきました。 1 東京→金沢 2 西日本JRバス まちバス 金沢駅→金沢駅 ・北陸新幹線の新規開業区間の乗り潰しを考えた。指定席は満席。始発に乗って、  自由席の列に並ぶ。自由席の乗降に時間が掛かり、到着が数分遅延。 ・金沢駅では、北陸鉄道の城下まち金沢周遊バス・兼六園シャトルに長蛇の列。  西日本JRバス まちバスも列ができており、最終的に数名の積み残しが出た。  香林坊〜タテマチ広場〜日銀前(香林坊)が未乗区間のため、一周乗車。北陸鉄道  の1日乗車券を持った外国人が誤乗していた。JAPAN RAIL PASSが使えれば、差別  化できるに...と思った。 ・以前の復路は、六枚町経由だったと思うが、往路と同じくリファーレ前経由。 3 金沢→敦賀→東舞鶴 4 京都交通 東西循環線(左回り) 東舞鶴駅前→西舞鶴駅前 5 京都丹後鉄道 宮舞線・宮豊線 西舞鶴→豊岡 ・金沢滞在は約1時間。特急サンダーバードに乗り継ぎ、敦賀から小浜線。東舞鶴が  終点で、次の西舞鶴へは特急が接続。1駅区間だけに特急料金を払うのがバカバカ  しく、京都交通のバスで移動。東舞鶴〜西舞鶴は普通列車にすべきと思った。 ・北近畿タンゴ鉄道から京都丹後鉄道に運行会社が変わった。運行会社が変わった  だけでなく、駅名や路線名も変更されていたが、それを積極的に告知していない  事に驚いた。改称した駅名も首をかしげるものが多く、改称するメリット・理由  が不明。乗り過ごしてしまうお客も居て、問題だと思った。  http://www.kyoto-np.co.jp/economy/article/20150129000063/1  https://www.city.kyotango.lg.jp/kurashi/oshirase/kikakusomu/kikaku/00088/index.html 6 城崎温泉→浜坂→鳥取(泊)→智頭→津山 ・接続列車まで時間があったので、城崎温泉の足湯を堪能。 ・余部鉄橋は架け替えられた事は知っていたが、詳細は知らなかったので、車窓から  見て驚いた。旧橋脚の一部は保存され、歩けるようになっている。訪問したかった。  https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks05/soranoeki.html ・浜坂駅には、鉄道グッズ館「鉄子の部屋」があるらしいが、開館は16時までとの事。  夜間は、駅員が居ない事に驚く。駅前商店は営業していた。 ・因美線は、急行「砂丘」以来の訪問。智頭〜津山の内、那岐駅で長時間停車があっ  たので下車した。この区間は、他にも趣のある駅舎があるようで、「みまさかス  ローライフ列車」なるものまであるらしい。 7 両備バス 岡山エクスプレス津山 津山バスセンター→岡山天満屋バスセンター 8 岡電ショッピングバス 天満屋→岡山駅前 ・津山駅に「のりかえ 中国ハイウェイーバス 山崎・北条・大阪方面」の看板あり。  長音の表記が凄く気になった。津山には「ハイウェイ・バス」の表記もあった。 ・岡山エクスプレス津山号はキャンペーン期間中は500円で乗車できる。そのせいか  小学生〜高校生と若年層の乗客で長蛇の列。慌てて列に並んだ。自分は席を確保  できたが、満員積み残しで、途中乗車も出来なかった。 ・経路は以下の通り。  津山バスセンター[乗]、国道53号、津山パーキング[乗]、岡山IC、津島京町付近を  左、岡山大学筋[降]、岡大入口付近を右、清心町を直進、右で構内入、岡山駅  西口[降26]、構内出て左、右、岡山駅西口を左、跨線橋、左、岡山駅東口を右、  柳川を右、郵便局前を左、右で構内入、天満屋バスセンター[降16] ・今から岡山駅に向かいたいと、某バス会社の係員に相談すると、駅構内には入ら  ないけど、それで良ければと、他社のバス、岡電ショッピングバスを紹介された。  4月1日運行開始との事。  http://www.okayama-kido.co.jp/bus/rosen_img/okaden_shoppingbus_1504.pdf 9 岡山→広島→岩国 10 いわくにバス JR岩国駅→岩国基地 ・岩国航空祭を見学するため、新幹線で広島に向かい、駅で荷物を預けた。コイン  ロッカーは一杯だったが、(自)新幹線口から見て北側に隠れるように存在する  ロッカーに空きがあって助かった。南岩国行き臨時列車に乗る。 ・フレンドシップデーは、5年ぶり2回目の参加。バスで会場入りするも、バス経路は  ループ橋=三笠橋経由で、基地内に入っても、ウネウネと走り、車窓が興味深い。  以前に比べ、滑走路は沖合に移転したため、歩くより並んででもバスに乗った方が、  早く展示会場に着くようだ。 ・経路は以下の通り。  岩国駅西口[乗]、三笠橋(交)を左、東中学校前(交)を右、岩国空港入口(交)を左、  右で岩国基地北門、陸橋上部で左、駐車場内を左右、検問、右、左、右、トンネル、  海自基地の西、右、旧滑走路を横断、右、観光バス駐車場の東、降車場[降] ・海自飛行艇US-1とオスプレイの展示もあったらしいが、見逃してしまう。残念。 ・航空ショーを見学しつつ、売店を除くが、A&Wの売店は見つけられず。撤退したか?  フードコートCROSSROADSへ移動するも、混雑のため、早々に退散。楽しみにしていた  CLUB岩国であったが、今回開放されていなかった。 ・岩国錦帯橋空港まで歩いた。ここから高速バスに乗る目論見だったが、予想通り、  道路混雑が予想されるとの理由で運休。結局、駅まで歩く。夜は、友人と会食。  当日は宿がいっぱいで、市内カプセルホテルに泊まる。 11 岩国→広島(泊)→可部 12 中国JRバス 広浜線 快速 可部→横川駅 13 中国JRバス 広浜線 紙屋町経由 横川駅→広島駅 ・広浜線の紙屋町経由は未乗だと思われたので、まずは電車で可部へ。可部線 横川  〜長束は、過去2回の経路変更がされており、付近を走る国道も付け替えがあった  ようだ。開業当時の国鉄バス路線が、どの道を走っていたか興味深い。 ・可部駅から広浜線に乗車。快速便は広島BC経由である事を知り、あわてて横川駅で  降りる。駅を散歩し、20分後に来る普通便に乗車。未乗区間をクリアした。 14 めいぷる〜ぷ オレンジルート 広島駅新幹線口→広島城→原爆ドーム前 15 めいぷる〜ぷ グリーンルート 平和公園前→広島東照宮前→広島駅新幹線口 ・路線変更で新設された、広島城経由・広島東照宮前経由に乗車した。 ・当日は、ひろしまフラワーフェスティバルが開催されており、その影響で、10時  以降は、平和公園前とお好み村は停車しない措置が取られていた。運よく切り抜  けたが、事前に周知してほしかった。 16 広島→新山口 17 スーパーはぎ号 新山口駅新幹線口→萩・明倫センター(大河ドラマ館) ・以前は愛称名が無かったが、いつの間にか「スーパーはぎ号」の愛称がついていた。  一日4往復あるが、JRバス便に乗車するため、急ぎ移動。現地に行って気づいたが、  4/1より、国の地域消費喚起型の交付金から助成されるため、運賃\2060が、半額  \1030になっていた。 ・長い列が出来ていた驚いたが、はぎ号の切符を持ったお客も並んでいたためで、  乗車率は6割くらい。誤乗しかかったお客もいた。 ・経路は以下の通り。  新山口駅新幹線口[乗]、構内出て右、イオンタウン付近を右、前田町を右、  国道9号、粟島神社前を直進、小郡IC、中国道、美祢東JCT、小郡萩道路、絵堂IC、  角力場を左、鹿背トンネル、金谷を直進、警察署前を左、御許町を直進、  市民館前を右、右で構内入、萩・明倫センター[降] ・防長はぎ号ともルートは異なるが、大変近い所を走っており、車窓から大田中央  附近を臨むことができる。角力場交差点から、はぎ号と同じルートになるが、  金谷交差点から終点まで、独自ルートとなった。 ・終点の萩・明倫センターは、萩バスセンターまで徒歩15分くらいなので、土地勘が  あるなら、特急はぎ号よりこのバスを選んだ方が安くて便利。GW渋滞の影響で約20  分遅延。もともと少ない観光時間が、完全に無くなってしまった。 18 中国JRバス 防長線 特急はぎ号 萩BC→山口駅 ・特急はぎ号は、H27.1.9より一般路線車で運行することになった。バスは、特急と  書かれた紙が貼ってあり、悲壮感があったが、ヘッドマークがあるなど、かっこ  いい所もあった。車内放送でHighway Busと呼称していたが、経路や車両の面で  違うと感じたた。 ・経路は以下の通り。  萩バスセンター、構内出て右、御許町を直進、椿町を左、金谷を右、鹿背トンネル、  国道262号、角力場を左、国道9号、住吉を直進、山口バイパス、県庁前、山口駅 ・現時点の停車駅は、以下の通り。  東萩駅、萩バスセンター、明木、佐々並、宮野新橋、スポーツの森前、山口県庁前、  山口駅、NTT山口前、湯田温泉通、新山口駅新幹線口 ・手元にある2012.10現在の路線図によると、萩駅前、新切、中作、米屋町、にも  停車していたようだ。いつ削減されたのか? 19 中国JRバス 山口駅→山口宇部空港 ・経路は以下の通り。  山口駅[乗2]、米屋町[乗]、山口県庁前[乗3]、センタービル前[乗]、商工会館前  [乗]、情報芸術センター前[乗]、NTT山口前[乗]、湯田温泉通[乗6]、維新公園前  [乗]、競技場前[乗]、大歳駅前を右、朝田IC、山口宇部道路、長谷IC、粟島神社  前を右、国道9号、前田町を左、イオンタウン付近を左、新山口駅新幹線口[乗]、  構内出て右、イオンタウン付近を右、前田町を左、国道9号、交通センター前を  右、国道2号、嘉川IC、山口宇部道路、宇部南IC、県道220号、草江駅付近を左、  山口宇部空港[降] ・競技場前〜新山口駅新幹線口は、国道9号ではなく、山口宇部道路経由だった。  特急はぎ号の経路は、経路変更しているのかどうか気になった。 20 サンデン交通 山口宇部空港→下関駅 ・空港バスでありながら、フジグラン宇部が起点という変わった空港バス。  経路は、先ほどのルートで宇部JCTまで戻り、山陽道 小月ICから一般道。  高速道上に、宇部IC、小野田IC、周防灘PA、高速小月と4つのバス停があったが  乗降は無かった。空港発で各バス停に停車したという事は、区間利用可か。 21 サンデン交通 水門→下関駅(泊) ・暗い中、国際港、下関貨物駅、彦島水門を散歩した。 ・下関港国際ターミナルは、関釜フェリーはまゆうが、まもなく出航するという  時間だったが、搭乗手続きが終わっている事から、ターミナル内に入る事が出  来なかった。時刻表を入手したかったが、残念。 ・この先、岸壁に向かう線路があったはずだが、剥がされていてわからない。  Google Mapsで確認すると、一部は残っているようだが、大半は撤去済だった。 ・貨物駅入口の直前に、踏切跡を横断。この線路も、すでに使われていないようだ。  山陽本線のガード下を潜り、再び踏切跡を横断すると、彦島水門に出た。 ・彦島水門は、下関漁港閘門が正式名称らしい。時間になると水門(可動橋)が上が  るスタイル。自動車の通れる時間帯が公示されており、今度は自動車が通れない  時間帯に訪問してみたいと思った。 ・閘門の中には、荒川ロックゲート(東京水辺ライン)、東横堀川水門(大阪水上  バス)のように、定期船で体験できるものもある。また、かつて霞ヶ浦本線 西代  〜水郷大橋の間に、閘門バス停(横利根閘門、汽船乗り場)があった。 ・帰りは、バスで駅まで戻った。歩けない距離ではないが、バスがオススメ。 22 下関→小倉 23 西鉄 70 小倉駅入口→若松駅前 24 北九州市営 若戸渡船 若松→戸畑 25 西鉄 93 サンリブ小倉行 戸畑渡場→砂津 ・約20年前に若戸渡船に乗船したことがあったが、再訪したくなった。まず、若戸  大橋を渡る70系統のバスに乗り、次に渡船に乗船した。運賃は100円。 ・戸畑渡場バス停は、渡船場の前にあった。以前は、戸畑バスセンターと名乗って  いたのだろうか。閑散とした雰囲気だが、特定曜日は窓口が開くようだ。  西鉄マークの灰皿に時代を感じた。 26 大分バス 北九州〜別府・大分線 砂津→別府北浜 27 別府→大分 ・経路は以下の通り。  砂津[乗]、鍛冶町2を右、京町4を左、小倉駅前[乗]、左、平和通り、平和通り  [乗]、三萩野[乗]、片野交番前を右、篠崎大橋東を左、篠崎南入口、北九州都市  高速1号、長野出口/小倉東IC、九州道、北九州JCT、東九州道、行橋今川[乗]/  今川PA、椎田南IC、椎田道路、山田交差点、国道10号、豊前IC入口を右、豊前IC、  東九州道、速見IC、大分道、日出JCT、高速別府湾・APU[降]/別府湾SA、別府IC、  別府IC入口を右、鉄輪口[降]、九州横断道路入口を右、国道10号、別府北浜[降] ・曜日によって運賃が変わるようで、平日は安いようだ。GW渋滞で定刻に着かない旨  説明があり、昨日は30分程度遅れたとの事。別府の鉄輪付近と高崎山付近で渋滞す  るとのこと。 ・東九州道に入ってからノロノロ運転となり、中津付近を中心に渋滞が続いた。  大分県内に入るとスムーズになったが、別府湾・APUバス停は、別府湾SA内に  あり、駐車場を探す車で進行が妨げられ、別府IC〜鉄輪付近も渋滞となった。 ・国道10号はスムーズに流れていたが、さきほど運転士が高崎山付近で渋滞と仰って  いたので、念のため、別府北浜で下車、鉄道で大分に向かった。 28 JR九州バス パシフィックライナー 大分(トキハ前)→宮交シティ ・経路は以下の通り。  大分(トキハ前)[乗]、駅前を左、加納西を右、米良南を左、公園西インター入口  を左、右で構内入、パークプレイス大分[乗]、構内出て右、公園東インター入口、  大分南BP、大分宮河内IC、東九州道、北川IC、道の駅北川はゆま[休憩]、北川IC、  東九州道、延岡IC[降]、門川BS[降]、日向IC[降]、西都IC[降]、国富BS[降]、  宮崎BS[降]、宮崎西IC、宮崎西BP、橘通4交差点を直進、カリーノ宮崎前[降]、  宮崎駅交差点を直進、宮崎駅[降]、宮崎駅交差点を左、南宮崎駅交差点を直進、  中村東3付近を右、ラウンドワン付近を右、直進で構内入、右、宮交シティ[降8] ・大分トキハ前からパシフィックライナーに乗車した。そのため、大分新川〜大分が  未乗で残ってしまった。そのまま乗車していたら、パシフィックライナーに間に  合わない可能性もあったが、逆に、大分新川からの始発に間に合ったかもしれない。  JRおおいたシティを見学する予定だったが、またの機会。 ・東九州道はPA/SAの類が少ないようで、バス休憩地点は、道の駅であった。GWという  事もあり、ここも混雑していた。 29 宮崎交通 宮交シティ→宮崎駅 ・パシフィックライナーも渋滞で遅延。予定では、イオンモール宮崎に向かい、シー  ガイアの空(鷹狩り)を盗る予定だったが、時間の都合、断念。宮崎駅に向かう。 30 南国交通 はまゆう 宮崎駅→鹿児島中央駅前(泊) ・経路は、以下の通り。  宮崎駅[乗]、宮崎駅交差点を直進、山形屋前[乗]、橘通4交差点を左、橘通1[乗]、  中村交差点を斜左、県道367号、左で構内入、宮交シティ[乗]、構内出て左、南宮崎  駅交差点を左、中村交差点を左、国道220号、南町3付近を直進、宮崎IC、宮崎道、  清武[乗降]、田野東[乗降]、高城[乗降]、都城北[乗降]、高崎東[乗降]、高原IC  [乗降]、霧島SA[休憩]、小林IC[乗降]、飯野BS[乗降]、えびのJCT、九州道、  えびのIC[乗降]、えびのJCT、吉松[乗降]、鹿児島空港南[降]、溝辺鹿児島空港IC、  空港入口を右、鹿児島空港[降]、左、溝辺鹿児島空港IC、九州道、帖佐[降]、  鹿児島北IC、国道3号、下伊敷[降]、平田橋を左、城山入口を右、桟橋通りを右、  いづろを右、天文館[降]、鹿児島中央駅南を左、左で構内入、鹿児島中央駅前[降] ・鹿児島行き終バスに予定通り乗車でき、小倉〜大分〜宮崎〜鹿児島と1日で乗り  継ぐ事に成功した。 31 レンタサイクル ・朝早く目が覚めたので、ホテルのレンタサイクルで小旅行した。  ◇ザビエル公園、鹿児島自営、南州墓地、祇園之洲、十島村役場、甲突川 ・ザビエル公園は、定観バスで説明があるものの、車窓から見ることができず、気に  なっていた場所。この県道は、バスで通ったことがないので新鮮。 ・南洲墓地は、1990頃〜2001頃、JR定観バスのコースだったらしい。参道の下に自転  車を止めて観光したが、参道上に駐車場があるので、バスはココに停車していたと  思われる。どのような経路だったが、興味深い。 ・市営バス「かごしま歴史探訪コース(市内定期観光コース) 」のコースらしい。  http://www.kotsu-city-kagoshima.jp/tourism/bus-tabi/ ・鹿児島市内の三島村役場と十島村役場付近で、鷹狩りのそれぞれの空が盗れる。  これを盗った後、甲突川に沿ってサイクリングを楽しんだ。 32 南国交通 鹿児島中央駅前→金生町 33 三州自動車 鹿屋直行バス 金生町→航空隊前 34 TAXI 市役所前→鹿屋 ・高見橋バス停から天文館方面に行くバスに乗ろうと思ったら、バス停が廃止され  たようで、中央駅まで歩くことに。その間、何台もバスが通過していく。こんな  ことなら、鍛冶屋町から乗車すべきだったと反省。 ・鹿屋直行バスの時刻を、山形屋バスターミナルで探してみたら無いのであせった。  よく見ると、乗場は金生町[4]と案内があった。ここに、鹿児島交通バス路線図が  掲示されていたが、志布志〜福島今町〜都井岬に線が引いてあり、かつて路線が  あった事が偲ばれた。 ・始発地から数名、中央駅から多数の乗車があった。バスは鴨池港から鴨池・垂水  フェリーに乗船。バス乗客は、運転士から乗車カードを渡され、船内に移動。  おいしいうどんを頂いた。バスに戻る時、乗車カードは回収される。 ・垂水港は1998年頃に移転、それに伴ってJRバス経路変更があったようだが、乗車  記録が無いので、未乗のまま廃止されたようだ。※JRバス路線ニュース#51より                      垂水中         垂水駅前 垂水中央 中町 学校前   港平   国分方面 −−−○−−−○===○+==○=+=+…○…… 鹿屋方面               :    ‖    ‖ ‖               :    ‖    ‖ ○(新)垂水港               :    ‖    ‖               ○…………+−−○−+             (旧)垂水港 :垂水中央:                    : 病院前:                    ・…………・                       -> ・フェリーは、当然、新しい方の垂水港に着眼。国鉄バス国分線は、この先、鹿屋駅  まで延びており、このバスは、その跡をトレースする。 ・鹿屋航空基地史料館を見学するため、航空隊前で下車。同じ目的の人が何人もバス  に乗車していたようだ。今回は、飛行艇に関するパネル展示が目的だったが、辛い  歴史があったことを知り、いろいろ考えさせられた。屋外展示が充実しており、飛  行艇を間近に見ることができた。 ・地図をろくに見ないで、鹿屋市鉄道記念館を目指して歩いたが、かなり遠回りして  しまった。当時の駅舎は、現在の市役所にあったようで、この記念館は線路を90度  引きなおして建てられたようだ。垂水港付近と航空隊前〜鹿屋を正しくトレースで  きていないが、ここまで国鉄バスが来ていたかと思うと感慨深いものがあった。 ・三州自動車の鹿屋バスターミナルは、移転したようで、旧バスターミナルを見学し  た。ローソン裏にあり、現在もバス時間調整で使用している模様。新ターミナルは  マックスバリュー前で、道路脇にある一般的なバス停であった。 35 三州自動車 鹿屋→志布志 ・志布志駅上バス停が近い事を知っていたが、あえて志布志バス停で降りた。特に  窓口等があるわけではなかったが、道路向かい、ドラッグ11付近のバス停に、大隅  交通ネットワーク時代に作ったバス停案内図が貼付してあった。これによると、  近くのENEOS内に、大隅交通ネットワーク志布志営業所はある事になっていた。  見にいくと、なるほど路線バスが給油していたが、特に事務所があるようには見え  なかった。岩崎産業のガソリンスタンドのようだ。 ・志布志は18年ぶりの訪問。前回訪問時は、駅前に旧志布志駅で使っていた跨線橋が  残る寒々しい光景が広がっていたが、ショッピングセンターが出来、道路化されて  いた。その先に、鉄道記念公園があったので、行ってみたが、車両が留置されてい  ただけだった。 ・前回訪問時は、記録によると、宮林線で小林高校、都城線で油津港、日南線で  志布志、鹿児島交通で垂水港、国分線で桜島港、北薩線で薩摩大浦、南海郵船で  垂水港、その後、国分線の枝線を潰したようだ。 ・当時の垂水方面行きは、志布志駅前バス停から出ていたように思うが、現在は、  志布志駅前バス停は鹿児島方面のみで、前述した志布志駅上バス停に行かないと  バスに乗れない。 36 志布志→串間 37 串間市コミバス都井岬線 市民病院→都井岬 38 串間市コミバス都井岬線 都井岬→串間駅 ・位置ゲームの都合、都井岬を訪問することにした。もともと宮崎交通の路線バスが  あったらしいが、現在はコミバスに移管されている。運賃は片道200円なので安い。 ・時間つぶしを兼ね、図書館を訪問しようと思いついたが、持参した地図には、総合  運動公園付近にあるように書いてあった。どうやら誤植だったようで、図書館は駅  裏にあったみたい。 ・始発の市民病院から乗車。丁寧に枝区間にバスが入るが、お客が居ないのが残念な  ところ。終点の都井岬バス停は、都井岬ビジターセンター(うまの館)・民宿海洋荘  に近い所にある。灯台までは遠いが、間近に御崎馬を見る事ができた。なお、ビジ  ターセンターは午後5時まで。訪問時間が遅かった事もあり、見学できなかった。  http://www.iidotown.com/toimisaki/about/index.html ・この地は、かつてS23.1.10から、国有自動車による起動運営が行われていた。  http://www.inv.co.jp/~fumo/kidou00.html ・区間は福島町−都井村、福島仲町貨物取扱所と福島町貨物取扱所が設置され、  福島今町自動車区も設置されている。 ・福島仲町貨物取扱所は、駅構内とあるので、今の串間駅構内と思われる。  福島町貨物取扱所は、福島町大字西方とあるが、福島川河口付近か。  福島今町自動車区は、福島今町駅構内か。 ・コミバスで通ってきた経路は、明らかに新道だった。当時の経路は、福島仲町  貨物取扱所(串間駅)〜福島町貨物取扱所〜海沿いに本城地区〜旧道で都井地区  〜黒井地区だったか。 39 串間→北郷→油津(泊) 40 宮崎交通 油津駅前バスセンター→宮交シティ ・位置ゲームの都合、北郷駅まで行く。飫肥にホテルが見つからなかったため、  泣く泣く油津に泊まる。結果、都城線のトレースは、ほぼ出来なかった。  翌朝は、油津港には行けなかったが、夢見橋、堀川橋など、プチ観光をしつつ、  バスセンターに向かった。 ・飫肥始発の宮崎駅行きは、日南レトロバスと書かれた車両。早朝便のため、「  堀切峠は経由しません」と書かれていた。バスセンターに掲示された路線図は、  油津港が記載されておらず、全便が鵜戸神宮を経由するかのように描かれていた。 ・この便は、吹毛井(ふけい)〜鵜戸神宮を経由せず、堀切トンネル経由のため、  内海港前、道の駅フェニックス、堀切峠も停車しなかった。こんな早朝に観光  客が居るわけないという事だと思うが、車窓から見学したかった。 ・バスは、堀切トンネルを過ぎると、そのまま青島BPを走ったかと思うと、折生迫  (おりゅうざこ)駅の西にある出口から一般道に降りて、青島中入口、青島小前と  停車した。これは堀越峠経由便もそうらしいが、昔の特急バスが走ったルートから  離れたルートを通るとは驚いた。 41 宮崎交通 宮交シティ→高鍋バスセンター ・このバスは宮崎駅・佐土原駅・高鍋駅には入らなかったが、日肥本線 橘通一〜  神宮駅前と、高鍋線 蚊口〜高鍋町をトレースできた。高鍋線のバス停は名称変更  していたが、宮崎交通で現役みたい。高鍋バスセンターは、市街の外れにあった。 42 宮崎交通 高鍋バスセンター→イオンタウン日向 ・高鍋町内の経路は、畑田を右、宮越を左、坂本を右、高河原を左と、高鍋大橋経由  ではなく、坂本経由だった。 ・トロントロンというバス停を通った。川南町コミバスは、トロントロンバス。交差  点の名前もトロントロンだった。諸説あるようだが、由来が気になった。 ・都農〜宮ノ下は、平日1往復の免許維持区間。この区間を、平日のこの時間に通る  よう苦心して行程を考えた。 ・リニア実験センター入口バス停は、百町原に名称が変更されていた。バス停付近  に、ソーラーパネルが設置してあったが、これは宮崎実験センターとは関係ない  ようで、実験センターは、ここから海岸方面へ下った所にある。この道と実験線  側道は、Google Street Viewで確認できる。 ・この先、美々津駅前バス停に下っていくが、残念ながら駅前には入らない。この  先、石並橋を渡る部分のみ国道に戻るが、それ以外は海沿いの旧道を走る。この  先は山間に入って、美々津橋・橋の元を経由すると思ったら、国道に戻って、  美々津大橋・新幸脇経由だった。高鍋発着のみ、立縫の里〜日向サンパーク入口  で経路が違うようだ。 ・「バス路線図 県北版」2013.7.1のよると、美々津駅入口〜三股病院前を直行する  系統がある。web「九州のバス時刻表」は「美:美々津駅経由」と直行系統がある  ように見える。しかし、全便美々津駅経由と思う。直行系統は廃止されたか? ・日向サンパーク温泉バス停は、枝線区間の終点。道の駅から日豊本線跨線橋であ  るサンパーク橋を渡り、しばらくすると、宮崎交通の民宿磯入口バス停があった  が、バスは停車しなかった。バス停を模した看板か?紛らわしいと思った。 ・美砂バス停の先で、旧道に入った。かつての急行バス「宮崎空港〜延岡」は、  国道を進み、この先、往還、日向原町、日向バスセンターに停車し、大王谷入口  バス停で、現在のバス路線と合流するようだ。この国道を通る区間を通るバス路  線は無くなった模様。日向バスセンターは、郵便局向いにあったが、港へ移転し、  現在、跡地は日向署になっている。 ・塩見橋手前で、右左左、商工会館通り、右右、都町、左、北町と進むが、なんで  真っ直ぐ進まないのか謎。昔から、この経路? ・路線バスによる、(都城〜飫肥〜)油津〜宮崎〜高鍋〜日向の乗継ルートと、熊本  〜松橋〜浜町〜高千穂〜延岡〜日向の乗継ルートが、商工会館通りで繋がった。 ・宮崎交通に限定すると、油津〜日向と宮野浦〜日向が繋がった事になるが、今回、  串間〜都井岬に乗っているだけに、油津〜幸島入口の乗り残しが残念。 43 宮崎交通 イオンタウン日向→仙ヶ崎 ・麺勝 日向店で、うどんを頂き、イオンタウンで夕食・朝食を買いだし。 ・前回訪問時は、細島線跡地を歩いて日向市駅に向かったが、今回はバスで移動。 ・細島線跡地の一部は、1993年頃?に「丸太木健康歩道」として約150万円で整備  されたらしい。この区間は、現在、宅地化されたか?  http://hyuga.digital-archives.jp/files/1993/199306.pdf ・SunQパス3日間の旅は、ここで終了。初日は高速バス乗継で、それらしい使い方が  できたが、2-3日は元を取ったか微妙。九州バス旅行で福岡市に立ち寄らなかった  のは、多分初めてか。Web版SunQパスは、窓口に寄らなくて良いので便利だが、  スマホ操作が面倒なので、京王で事前購入し、行程内にバス窓口に立ち寄る時間が  含まれているなら、紙版の方が良いかなと感じた。 44 八興運輸 はっこう21 細島港→堺泉北港 ・日本カーフェリー京浜航路が運航していた時代は、カーフェリーターミナルまで  バス路線があったが、現在は仙ヶ崎バス停から歩くしかない。八興運輸の事務所  は、元ターミナルなので、わかりやすい。切符(というか領収書)もこの事務所内  で購入。 ・RORO船であるが、余席があるときに限って旅客輸送も可能との事。詳細な運航ス  ケジュールは公開されていないので不明だが、日曜に細島港を出航する週3便。  月曜便に限り、どこかに寄港する可能性があるようなので、堺泉北港を月曜日に  出航に乗りたかった。GWは荷量が少ないため運休しており、今回の旅程では、  細島港発に乗るしかなかった。なお、食事は出ないので、持ち込む必要がある。 ・堺泉北港の船着場は、阪九フェリー泉大津ターミナルの道路向かい。八興運輸の  事務所は堺泉北港には無いようで、ここから乗り込む場合は、大変そう。 ・歩いて、阪九フェリーのターミナルに向かうが、北九州からの乗客は到着済で窓  口も閉まっている。歩くつもりだったが、タクシーの世話になった。 ・阪九フェリー泉大津ターミナルは、2001年に移転した。以前のターミナルは、  泉大津大橋を渡らなくて良かったが、移転後は、大橋を渡る必要がある。高さも  あるので、歩道もあるけど、歩くのは大変そうだ。 45 南海高野線・高野山ケーブル・南海りんかんバス ・スルッとKANSAI 2dayチケットを使って、位置ゲーム攻略を進めた。この先は  ほぼ無計画であった。南海支線が和歌山沖から攻略できた。和歌山市まで行き、  なんばまで特急座席指定。車掌が車内限定コンパスカードを売りに来たので、  嬉々として購入。図柄は、わくわく電車らんどだった... ・ホテルに荷を置き、大阪ハイカラうどん180円を攻略。 ・高野山開創1200年特別仕様との事で、特急こうやは、3色(赤こうや/黒こうや/紫  こうや)あるらしい。時間帯が悪く、りんかん号になったが、それでも赤こうや  だったのでゴキゲン。高野山開創1200年で平日にも関わらずお客が多い。橋本駅  で、臨時極楽寺行に接続していたが、天空号なる特別列車がある事を知り、特別  車両に期待して乗車することにした。 ・座席指定を受ける気は無かったが、団体さんでほぼ満席。一方、自由席は普通車  両でガッカリ。しかし、自由席に乗り込んだのは私を含め2名のみで、自由席車両  2両は、それぞれ貸切。結果的には左右の景色を堪能でき、良かった。 ・高野山は約23年ぶり。前回訪問時は、滞在時間10分程度であったが、今回は時間も  あったのでバスで千手院橋に向かい、金剛峰寺を観光した。布教紙芝居なる催しが  あったので、休憩を兼ね、鑑賞。のんびりしていたら寝る時間が無くなるので、  興味深かったが途中退場。足早に観光、下山した。 ・その後は、泉北高速鉄道、近鉄南大阪線(橿原)、田原本線、生駒線、けいはんな線  を再訪。田原本線は、2dayチケットの範囲外のため、コンパスカードを使った。 46 西信貴ケーブル ・翌日は、近鉄大阪線(桔梗が丘)、近鉄天理線、近鉄奈良線、生駒宝山寺線と進み、  近鉄信貴線と西信貴ケーブルに乗車。記憶に無かったが、22年前に訪問しており、  その時は、近鉄バスで信貴山門、奈良交通で信貴山下に抜けていたようだ。今回は  ケーブル山頂の散策に留めた。しかし、ケーブルカーは40分間隔で、山頂は売店も  なく、電波事情も良くなかった。近鉄バス往復でも良かったと思った。 47 神姫ゾーンバス 81 西神中央駅→西盛 ・今後は、神戸市営地下鉄西神線の西神中央へ移動。次に神戸電鉄粟生線に向かうが  どのバスが良いか事前予習をしていなかったので戸惑う。押部谷駅付近に向かう  バスまで、相当待ちそうだったので、付近を経由するバスに乗り、駅まで歩いた。 ・粟生まで乗車後、新開地を経て三ノ宮に戻った。ここで時間切れ。 48 西日本JRバス 京阪神ドリームさいたま2 三ノ宮BT→大宮営業所 ・経路は以下の通り。  三宮バスターミナル[乗7]、構内出て右、三宮東を左、国道2号、国道43号、  東明を右、御影塚町3を斜左、高羽入口、ハーバーハイウェイ、住吉浜入口、  阪神高速5号湾岸線、天保山JCT、阪神高速16号大阪港線、西船場JCT、阪神高速  1号環状線、中之島分岐、阪神高速11号池田線、梅田出口、梅田ランプ東を右、  中央郵便局前を左、阪神前を左、芝田1を左、大阪駅JR高速バスターミナル[乗2]、  梅田ランプ東を左、中央郵便局前を左、阪神前を左、芝田1を直進、済生会病院  前を右、鶴野町北を左、新御堂筋、千里IC、中央環状線、吹田IC、名神道、  京都南IC、国道1号、堀川塩小路を右、右で構内入、京都駅烏丸口[乗]、  構内出て左、右、右、左、堀川塩小路を左、国道1号、京都南IC、名神道、  草津PA/休憩、中央道、恵那峡SA/運転停車、諏訪湖SA/運転停車、談合坂SA/休憩、  八王子IC、国道16号、堂方上を右、新奥多摩街道、日野橋を左、東橋を左、  立川北駅前を左、構内入、立川駅北口[降]、構内出、立川通り、青梅橋を斜左、  左で構内入、東大和市駅[降]、構内出て右、右、青梅橋を左、青梅街道、  小川町を左、府中街道、秋津町3を左、所沢駅東口入口を左、所沢駅東口[降]、  所沢駅東口入口を左、所沢陸橋北を右、小金井街道、愛宕山を斜左、東所沢駅  入口を左、右で構内入、東所沢駅[降]、構内出て右、東所沢駅北入口を右、  国道463号、埼大通りを左、国道17号、与野大宮大通りを右、新都心西出入口  付近を左、マツダ付近を左、桜木町4を右、大宮駅前で転回、大宮駅西口[降]、  桜木町4を右、桜木町を左、右で構内入、構内で転向、大宮営業所[降] ・阪神高速5号湾岸線を走行したので、鷹狩りの空を効率よく盗ることができた。 ・さすがに長旅で疲れが出たのか、草津PA〜談合坂SAは目が覚めなかった。 ・八王子IC〜新都心西出入口付近交差点が、初乗り区間。 49 西武バス 大23 大宮営業所→大宮駅西口 ・旅の終わりは西武バス。 ・今回の旅行で、日本の鉄道は、ほぼ乗り潰したが、未乗区間は以下の通り。  精査した所、10年以上、取りこぼしに気づいていなかった事に気づいた。  付替 1991/10/22 JR北海道 根室本線 野花南〜島ノ下  付替 1994/11/1 JR北海道 室蘭本線 志文〜岩見沢  付替 2001/2/25 熊本電気鉄道 菊池線 須屋〜電波高専前  付替 2003/3/27 名古屋鉄道 上飯田線 上飯田〜味鋺 ◎開業 2003/3/27 名古屋市 上飯田線 平安通〜上飯田 ◎開業 2004/11/26 京都市交通局 東西線 醍醐〜六地蔵  延伸 2008/6/5 豊橋鉄道 渥美線 新豊橋  ---  延伸 2014/3/29 万葉線 高岡軌道線 高岡駅前  付替 2014/10/19 JR東日本 信越本 北新井〜南高田 ◎開業 2015/3/14 富山地方鉄道 市内線 電鉄富山駅〜富山駅〜新富町  付替 2015/3/21 JR東日本 石巻線 浦宿〜女川
2015 年 05 月 05 日 19:25:15 (14924) 辰巳豚郎さんの書き込み >14920 東京スカイツリーシャトル線の改正ダイヤで、JR担当便は下記の通りです。 註:両国=両国・江戸東京博物館、錦糸町=東武ホテルレバント東京 【下り】5本 9:40発=スカイツリータウン直行 11:40・13:40・15:40発=両国経由 17:40発=両国・錦糸町経由 【上り】4本 12:40・14:40発=両国経由 16:40・18:40発=錦糸町・両国経由 一日乗車券は、JRバスの広島市内循環定観バス「めいぷる〜ぷ」のそれと 同様のものらしく、JRBの地紋があるかは不明です。
2015 年 05 月 03 日 07:39:51 (14923) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 小鳥谷線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇小鳥谷線   小鳥谷−陸中田代 1.2 路線略図     一戸・北福岡      葛巻       Λ          Λ       |   冬部 姉帯  |   岩手野中○−−−○−−○−−−○陸中田代       |          |       ・−◎小鳥谷     V                 沼宮内 2. 路線解説 2.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・小鳥谷線は、1943(S18)年に沼宮内線の支線として貨物営業を開始し、戦後の  1948(S23)年に旅客営業を含む一般路線として開業した。1957(S32)年に小鳥谷  線は沼宮内西線から分離した。 ・小鳥谷線は、沼宮内線、平庭高原線、岩泉線(→早坂高原線)とともに、東北  本線・八戸線・山田線相互間の短絡及び沿線地域の産業・文化の発展助長を使命  としていた。 ・1985(S60)年12月改正ダイヤでは、小鳥谷線に次のような便が設定されていた。    一戸0815→0929葛巻         葛巻0610→0724一戸      1140→1254      (江刈川0754)0810→0925      1550→1704(1722江刈川)      1230→1344      1740→1854             1530→1644    冬部〜江刈川 1.0往復    上前里〜葛巻・江刈川 3.0往復    古川戸〜葛巻 1.0往復 ※補足 小鳥谷線の運行状況の推移 ・1949(S24)年9月現行ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。    一戸0750→0950葛巻 81便  葛巻0500→0700一戸 82便      1145→1355   83便    0820→1030   84便      1605→1815   85便    1210→1420   86便      1810→2010   87便    1450→1650   88便 ・1952(S27)年1月改正ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。    一戸0750→1005葛巻  葛巻0510→0727一戸      1045→1300      0730→0945      1310→1532      1010→1225      1545→1805      1245→1500      1825→2042      1535→1750 ・1952(S27)年12月改正ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。    一戸0810→1025葛巻  葛巻0530→0745一戸      1045→1300      0800→1015      1310→1525      1010→1225      1545→1800      1315→1530      1820→2035      1550→1805 ・1954(S29)年5月改正ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。    一戸0740→0930葛巻  葛巻0540→0735一戸      1045→1235      0820→1010      1315→1505      1020→1210      1550→1740      1325→1515      1820→2005      1550→1750 ・1955(S30)年5月改正ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。    一戸0800→0950葛巻  葛巻0540→0730一戸      1035→1225      0800→0950      1250→1440      1010→1200      1550→1740      1320→1510      1815→2005      1600→1750 ・1956(S31)年9月改正ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     一戸0800→0940葛巻  葛巻0550→0730一戸       1040→1220      0810→0950       1300→1440      1020→1200       1600→1740      1330→1510       1750→1930      1530→1710    市部内0652→0740葛巻  葛巻1830→1918市部内 ・1958(S33)年5月改正ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     一戸0600→0750葛巻  葛巻0540→0730一戸       0745→0935      0810→1000       1040→1230      1045→1235       1320→1510      1310→1500       1540→1730      1550→1740       1820→2010      1800→1950 ・1959(S34)年5月改正ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     一戸0600→0745葛巻  葛巻0545→0730一戸       0745→0930      0815→1000       1040→1225      1050→1235       1320→1505      1315→1500       1540→1725      1555→1740       1820→2005      1800→1945 ・1961(S36)年5月改正ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     一戸0610→0750葛巻  葛巻0550→0730一戸       0750→0930      0810→0950       1040→1217      1108→1245       1315→1452      1328→1505       1535→1715      1600→1740       1820→1955      1810→1945 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号では、小鳥谷線には次の  ような便が設定されていたのを確認できる。     一戸0630→0759葛巻  葛巻0600→0729一戸       0800→0929      0700→0829       1100→1229      0810→0939       1235→1404      1100→1229       1550→1719      1310→1439       1700→1829      1600→1729       1805→1931      1800→1926 ・1967(S42)年7月現在ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。     一戸0630→0753葛巻  葛巻0600→0723一戸       0850→1013      0800→0923       1100→1223      1100→1223       1405→1528      1410→1533       1705→1828      1620→1743       1805→1928      1740→1903 2.2 旅から30年 ・小鳥谷線は、国鉄民営化を経てJRバス東北に継承され、2015(H27)年6月現在、  1985(S60)年当時と変わらない運行が続けられている。 ・1986(S61)年3月改正ダイヤでは、小鳥谷線に次のような便が設定されていた。    一戸0815→0923葛巻         葛巻0610→0719一戸      1140→1247      (江刈川0803)0818→0927      1550→1659(1721江刈川)      1230→1339      1740→1847             1530→1639      1820→1927             1701→1810    冬部〜江刈川 1.0往復    上前里〜葛巻・江刈川 2.0往復    古川戸〜葛巻 1.0往復 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・連載誌(S60.10) 10.東北編(上) 53日目 8/11(日) (2) 単行本 ・単行本 53日目 8/11(日) p250 3.2 乗車券の経由欄 ・「陸中田代 小鳥谷線 岩手野中」 3.3 行程 ◇葛巻1230→1339一戸 沼宮内・小鳥谷・一戸線 葛巻発 一戸行                            521-6003(いすゞBU10) 3.4 エピソード ・一戸行きはローカル便。茅葺屋根が並ぶ垂柳を過ぎ、トウキビ畑の中を行くうち  アカシヤ並木に迎えられた。お客は5、6人程度が乗ったり降りたり。青刈峠を  越えれば杉林と車窓が変化に富む。 ・東北本線の踏切を渡って、何度目かの国道4号線へ合流して岩手野中から小鳥谷  駅前へ寄り道。 3.5 旅の考察 ・最長片道きっぷの経路は、岩手野中から二戸線の部一戸線で一戸に向かうが、  葛巻発一戸行きのバスは小鳥谷駅に寄り道した。これは、区間外への飛び出し  乗車の扱いである。
2015 年 05 月 03 日 07:38:00 (14922) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 十和田南線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇十和田南線   十和田南本線    盛岡−十和田インター−十和田湖    十和田インター−弘前バスターミナル    十和田南−川原ノ湯    川原ノ湯−大湯スキー場−四ノ岱   大館線    十和田南駅入口−大館    大館放送局前−バスターミナル−大館栄町   寺坂線    大湯温泉−陸中花輪    花輪中学校前−旭町−陸中花輪   白萩平線    中滝−田子   鉛山線    和井内−滝ノ沢展望台 1.2 路線略図                                十和                            和井内 田湖                    滝ノ沢展望台○−−−○−○−>                              |   青森                           発荷峠○  宇樽部         弘前バス                 |  Λ         ターミナル                |田子|           ○                中滝○−−○−>           |                  |  |三戸         弘前◎           大湯     ・  V           |           スキー場  /   二戸    バス     ・−・  ・−−−+    ○−+○    ターミナル     \/  ◎−○十和田南| |四ノ岱    ・−○−・     /\十和田南|駅入口 | |    |   |    /  \   |    | |  大館○−−−○−−−・    ・  ○−−−−+−○大湯温泉  栄町|  大館放       | /川原ノ湯   |    |  送局前       |/        |  大館◎     十和田インター○         |                 |       ・−○花輪中学校前                 |       | |                 |     旭町○ |                 ○花輪     | |                 |     ◎−+−・                 |    陸中花輪                 |                 ◎盛岡 ※当時、白萩平線全線、鉛山線大川岱桟橋十和田プリンスホテル前〜滝ノ沢展望台  は長期休止中の模様である。 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・十和田南線は、1934(S9)年に十和田線(青森〜和井内)の一部として休屋(→十  和田湖)〜和井内が開業し、翌1935(S10)年に十和田線の一部として和井内〜毛  馬内(→十和田南)が開業したのがルーツで、国立公園十和田湖への南西方面か  らの観光開発路線としての使命の他、地方産業文化の発展助長をも使命としてい  た。なお、観光開発の一環として、戦前の1939(S114)年に鉛山線和井内〜十和田  ホテルが開業している。 ・1961(S36)年には大館線十和田南〜大館が開業し、奥羽本線と大湯・休屋地区が  直結された。 ・1982(S57)年の東北新幹線大宮〜盛岡開業に伴い、新幹線と直結した一環輸送を  行って十和田南・北線の鉄道線培養の使命を果たすため、盛岡〜十和田南〜十和  田湖を直通する(東北道〜R282経由)高速バス「とわだこ号」の運行(国鉄・秋  北・県北各1往復)を開始した。東北道の延伸につれて高速バス「とわだこ号」  は高速道路への載せ替えを行い、1985(S60)年当時は盛岡IC〜十和田ICを東北道  経由で運行していた。 ・なお、1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の鉛山線の項には、滝ノ沢  展望台までの運賃の記載がなく、大川岱〜滝ノ沢展望台は長期休止中であったと  解される。 ・1985(S60)年の東北新幹線上野乗り入れに合わせて、盛岡〜弘前を東北道経由で  結ぶ十和田南線新ルート(高速バス「ヨーデル号」、国鉄3往復、弘南・県北各  2往復、県交1往復の計9往復)を開業した。これによって、首都圏と弘前地区  は新幹線と高速バスを乗り継ぐことで5時間45分で結ばれることとなった。  開業後約半年で民営バスと合わせて既に10万人を輸送したとされる。 ・当時、(自)盛岡、大湯温泉及び十和田湖に自動車駅が存在していたが、このう  ち(自)盛岡と十和田湖の両駅は現存している。 ・1985(S60)年8月現在ダイヤでは、十和田南線では次のような便が設定されてい  たのを確認できる。  1) 十和田湖〜盛岡「とわだこ71〜85号」     国鉄3往復、秋北・県北各2往復の計7往復(301〜315便。77号は欠)。  2) 十和田湖〜十和田南〜大館「とわだこ1〜20号」     十和田湖〜十和田南 国鉄5往復、秋北1往復の計6往復(201〜212      便)。     十和田湖〜大館 国鉄・秋北各2往復の計4往復(101〜108便)。  3) 十和田湖〜大川岱 国鉄2往復(10/31まで運転)。  4) 十和田南〜大湯温泉 国鉄20往復。  5) 大湯温泉〜陸中花輪 国鉄4.5往復(他に秋北4往復)。  6) 盛岡〜弘前バスターミナル「ヨーデル号」     国鉄3往復、弘南・県北各2往復、県交1往復の計9往復。 ※補足 十和田南線の運行状況等の推移 ・1970(S45)年7月現在ダイヤでは、十和田南線に次のような便が設定されてい  たのを確認できる。  1) 休屋〜十和田南・大館     休屋〜十和田南 国鉄4.5往復、秋北1.5往復。     休屋〜大館 国鉄・秋北各3往復の計6往復。  2) 鉛山線     休屋〜滝ノ沢展望台 国鉄2往復。     休屋〜大川岱 国鉄3往復(他に休屋〜十和田ホテルに秋北3往復)。  3) 十和田南〜大湯温泉 国鉄下り0554〜1955上り0615〜2105の間頻繁運転。  4) 大湯温泉〜陸中花輪 国鉄3往復(他に秋北3往復) ・1975(S50)年から十和田南線「とわだこ号」(大館・十和田南〜十和田湖)に  自動車指定券制度が導入され、マルスに収容されていた。 ・1976(S51)年4月改正ダイヤでは、十和田南線に次のような便が設定されてい  たのを確認できる。  1) とわだこ1〜27号     休屋〜十和田南 国鉄・秋北合わせて8往復(201〜216便)。     休屋〜大館 国鉄・秋北合わせて6往復(101〜112便)。  2) 鉛山線     休屋〜滝ノ沢展望台 国鉄・秋北合わせて2往復。     休屋〜大川岱 国鉄・秋北合わせて3往復。  3) 十和田南〜大湯温泉 国鉄17往復  4) 大湯温泉〜陸中花輪 国鉄4往復(他に秋北5往復) ・十和田南線には、十和田北線等とともに新製車両を一旦配属し、春・夏・秋の  波動輸送に充当した後に、11月頃から一般路線に再配属する仕組み(いわゆる  「十和田方式」)が取られていた。例えば、1979(S54)年度には第一次配属と  して十和田南自営に5型車15両が充当された後、最終配属として3両が鍛冶屋  原自営に、10両が2直方・鹿児島両自営に配置された。 ・1980(S55)年8月現在ダイヤでは、十和田南線に次のような便が設定されてい  たのを確認できる。  1) とわだこ1〜27号     十和田湖〜十和田南 国鉄7.5往復、秋北2往復の計9.5往復(201〜216      便、1101便)。     十和田湖〜大館 国鉄・秋北各3往復の計6往復(101〜112便)。  2) 鉛山線     十和田湖〜滝ノ沢展望台 国鉄・秋北合わせて2往復。     十和田湖〜大川岱 国鉄・秋北合わせて3往復。     十和田湖〜十和田ホテル前 国鉄・秋北合わせて3往復。   3) 十和田南〜大湯温泉 国鉄13.5往復  4) 大湯温泉〜陸中花輪 国鉄4往復(他に秋北3往復) ・1982(S57)年4月現在の「十和田東・西・南・北線及び遊覧船時刻表」によると  次のような便が設定されていたのを確認できる。  1) 十和田南本線     大館〜十和田湖 国鉄・秋北各3往復の計6往復(101〜112便)。     十和田南〜十和田湖 国鉄5.5往復、秋北2往復の計8.5往復(201〜216      便。215便は欠)。  2) 鉛山線     十和田湖〜大川岱 国鉄2往復。 ※補足 白萩平線の運行状況 ・1976(S51)年のダイヤでは、4/27〜11/4の間次の1往復が運行されていた(往路  は十和田東線経由)。    一戸0746→北福岡0805→金田一0825→三戸0850→迷ヶ平1012→宇樽部1033     →1054十和田湖    十和田湖1500→発荷峠1525→中滝・白萩平経由→三戸1703→金田一1727→     1745北福岡  加えて、7/20〜10/17の間は陸中海岸と十和田湖を結ぶ「十和田陸中号」が十和  田東線・白萩平線経由で次のように1往復設定されていた。    北山崎1020→久慈1240→軽米1348→金田一1424→発荷峠1610→1628休屋    休屋0810→発荷峠0835→金田一1014→軽米1052→久慈1300→1426北山崎 ・1980(S55)年の秋季は、9/13〜10/12の間次の1往復が運行されていた(往路は十  和田東線経由)。    一戸0746→北福岡0805→金田一0825→三戸0850→迷ヶ平1012→宇樽部1033     →1054十和田湖    十和田湖1500→発荷峠1523→中滝・白萩平経由→三戸1703→金田一1727→     1745北福岡 ・1982(S57)年の「国鉄監修」時刻表では、三戸ルートは南部バスのみの設定とな  っており、この頃に国鉄バスの白萩平線は長期休止になった模様である。なお、  1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の白萩平線の項には、運賃の記載  がなく、長期休止中であると解される。 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年に東北道十和田IC〜碇ヶ関IC開通し、高速バス「ヨーデル号」は、  この区間をR282(坂梨峠)経由から東北道経由に経路変更を行った。 ・十和田南線は長期休止中の区間を含めて、国鉄民営化を経てJRバス東北に継承  された。このうち、高速バスの運行区間は1987(S62)年8月の「あすなろ号」(  観光物産館〜盛岡駅前)開業時に「東北高速線」として再編成された。 ・1990(H2)年には鉛山線(和井内〜滝ノ沢展望台)が休止(後に廃止)されるとと  もに、白萩平線(中滝〜田子)が廃止された。1996(H8)年には大館線が廃止され  大館駅からJRバスが消えた。翌1997(H9)年には寺坂線が廃止された。残された  区間についても、2003(H15)年に十和田南営業所の廃止に伴って高速バス「とわ  だこ号」以外の運行が廃止された。高速バス「とわだこ号」も2006(H18)年から  運行を取りやめ、十和田南地区からJRバスは姿を消した。 ※補足 高速バス「ヨーデル号」「とわだこ号」の系譜 1) 前史:高速とわだこ号 ・1982(S57).06.23 十和田南本線十和田南・盛岡間(100.4km)及び十和田南・  川原ノ湯間(7.2km)開業。東北新幹線開業に伴い盛岡〜十和田湖間に直通便  (高速バス)「とわだこ号」運行開始(国鉄・県北・秋北各1往復の全3往復)。  運行経路は館坂交差点〜R46〜盛岡IC〜東北道〜西根IC〜R282〜花輪〜R282〜  十和田南〜R103〜大湯温泉経由。所要時間3時間55分。十和田南8.7花輪91.7  盛岡(S57.06.23公示第62号)。 ・1982(S57).10.20 十和田南本線盛岡〜花輪間(90.8km)開業(S57.10.12公示  第128号)。西根IC〜東北道〜安代IC〜R282〜花輪経由に経路変更。所要時間  2時間40分に短縮。 ・1983(S58).08.00 ダイヤ改正し4往復増便(国鉄3往復、県北・秋北各2往  復の全7往復)。 ・1983(S58).10.21 十和田南本線盛岡〜花輪間(86.6km)開業(S58.10.19公示  第101号)。安代IC〜東北道〜鹿角八幡平IC〜R282〜花輪経由に経路変更。 ・1984(S59).09.28 十和田南本線盛岡〜大湯温泉間(103.5km)開業。鹿角八幡  平IC〜東北道〜十和田IC〜R103〜大湯温泉経由に経路変更。所要時間2時間15  分に短縮。盛岡86.7花輪9.1十和田インター7.7大湯温泉(S59.09.26公示第73号)。 ・1985(S60).04.15改正ダイヤ(〜同年11.10.国鉄3往復、県北・秋北各2往復  の全7往復) (国鉄便)(下り便)            (上り便)       盛岡0850→十和田湖1105 71号  十和田湖1020→盛岡1235 74号       盛岡1350→十和田湖1605 81号  十和田湖1220→盛岡1435 78号       盛岡1550→十和田湖1805 85号  十和田湖1320→盛岡1535 80号 ・1986(S61).04.15改正ダイヤ(〜同年11.10.国鉄3往復、県北・秋北各2往復、  県交1往復の全8往復) (国鉄便)(下り便)            (上り便)       盛岡0850→十和田湖1105 71号  十和田湖0920→盛岡1135 72号       盛岡1250→十和田湖1505 79号  十和田湖1120→盛岡1335 76号       盛岡1450→十和田湖1705 83号  十和田湖1320→盛岡1535 80号 ・1987(S62).04.15改正ダイヤ(〜同年11.10.JR3往復、県北・秋北各2往復、  県交1往復の全8往復) (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡0850→十和田湖1105 71号  十和田湖1020→盛岡1235 74号       盛岡1350→十和田湖1605 81号  十和田湖1220→盛岡1435 78号       盛岡1550→十和田湖1805 85号  十和田湖1320→盛岡1535 80号 ・1987(S62).08.01 盛岡〜十和田インター間の所属を東北高速線に変更。  (※高速バスあすなろ号の運行開始に伴い,東北高速線の部を創設(盛岡・観  光物産館間及び東北大鰐・弘前バスターミナル間)。) ・1991(H03).04.15改正ダイヤ(〜同年11.10.JR3往復、県北・県交・秋北各  2往復の全9往復) (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡0750→十和田湖1005 69号  十和田湖0920→盛岡1135 72号       盛岡1350→十和田湖1605 81号  十和田湖1120→盛岡1335 76号       盛岡1550→十和田湖1805 85号  十和田湖1220→盛岡1435 78号 ・1992(H04).04.15改正ダイヤ(〜同年11.10.JR3往復、県北・県交・秋北各  2往復の全9往復) (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡0850→十和田湖1105 71号  十和田湖0820→盛岡1035 70号       盛岡1250→十和田湖1505 79号  十和田湖1020→盛岡1235 74号       盛岡1450→十和田湖1705 83号  十和田湖1320→盛岡1535 80号 ・1992(H04).11.11改正から冬季ダイヤでも運行開始(〜1993.04.04.JRのみ  1往復)。 (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡1350→十和田湖1620 81号  十和田湖1020→盛岡1250 74号 ・1993(H05).04.05改正ダイヤ(〜同年11.10.JR3往復、県北・県交・秋北各  2往復の全9往復) (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡0950→十和田湖1205 73号  十和田湖0920→盛岡1135 72号       盛岡1350→十和田湖1605 81号  十和田湖1120→盛岡1335 76号       盛岡1550→十和田湖1805 85号  十和田湖1420→盛岡1635 82号 ・1993(H05).11.11改正から盛岡〜谷地温泉間運行開始(〜1994.03.31.JRのみ  1往復)。翌年から冬季ダイヤでの運行はなし。 (JR便)(下り便)       盛岡1350→十和田湖1620/25→谷地温泉1750 81号      (上り便)       谷地温泉0750→十和田湖0915/20→盛岡1150 72号 ・1994(H06).04.01改正ダイヤ(〜同年11.10.JR3往復、県北・県交・秋北各  2往復の全9往復) (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡1100→十和田湖1315 75号※ 十和田湖0820→盛岡1035 70号       盛岡1300→十和田湖1515 79号  十和田湖1020→盛岡1235 74号       盛岡1500→十和田湖1715 83号  十和田湖1520→盛岡1735 84号※        ※は1994.04.27から運転。 ・1997(H09).04.01改正から3往復減便(〜同年11.10.JR・県交各2往復、  県北・秋北各1往復の全6往復)。 (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡1300→十和田湖1515 79号  十和田湖0920→盛岡1135 72号       盛岡1400→十和田湖1615 81号  十和田湖1020→盛岡1235 76号 ・1998(H10).04.00改正から2往復減便(〜同年11.10.JR・県交・県北・秋北  各1往復の全4往復) (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡1400→十和田湖1615 77号  十和田湖1020→盛岡1235 72号 ・1999(H11).04.01改正ダイヤ(〜同年11.10.JR・県交・県北・秋北各1往復  の全4往復) (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡1300→十和田湖1515 75号  十和田湖0920→盛岡1135 70号 ・2001(H13).04.28改正ダイヤ(〜同年11.11.JR・県交・県北・秋北各1往復  の全4往復) (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡1300→十和田湖1515 75号  十和田湖0920→盛岡1135 70号 ・2002(H14).04.27改正から1往復減便(〜同年05.31・07.20〜11.10運転。JR  ・県交・県北各1往復の全3往復) (JR便)(下り便)            (上り便)       盛岡1400→十和田湖1615 75号  十和田湖0930→盛岡1145 70号 ・2003(H15).10.01改正から盛岡駅西口発着に変更 (JR便) (下り便)             (上り便)   盛岡駅西口1440→十和田湖1652 75号 十和田湖0900→盛岡駅西口1112 70号 ・2005(H17).05.25改正ダイヤ(〜同年05.31・07.06〜11.06運転。JR・県交・  県北各1往復の全3往復) (JR便) (下り便)             (上り便)   盛岡駅西口1440→十和田湖1652 75号 十和田湖0900→盛岡駅西口1112 70号 ・2006(H18).04.01 「高速とわだこ号」廃止(盛岡駅〜十和田湖)。(※2005  年度の運行限りでとわだこ号の運行を終了(最終運行日は2005.11.06)。) 2) 正史:ヨーデル号 ・1985(S60).03.14 十和田南本線十和田インター・弘前バスターミナル間  (54.2km)開業。  東北新幹線上野開業に伴い、盛岡〜弘前バスターミナル間に高速バス「ヨーデ  ル号」を運行開始(国鉄・弘南各3往復、県北2往復、県交1往復の全9往復)。  運行経路は、館坂交差点〜R46〜盛岡IC〜東北道〜十和田IC〜R282(坂梨峠)〜  碇ヶ関IC〜東北道〜大鰐弘前IC経由。十和田インター40.9東北大鰐13.0弘前  0.3弘前バスターミナル(S60.03.09公示第172号) (国鉄便) (下り便)           (上り便)        盛岡0840→弘前BT1125     弘前BT0850→盛岡1135        盛岡1140→弘前BT1425     弘前BT1250→盛岡1535        盛岡2040→弘前BT2325     弘前BT1650→盛岡1935 ・1986(S61).07.31 十和田IC〜東北道〜碇ヶ関IC経由に経路変更。ダイヤ改正  し4往復増便(国鉄・弘南各4往復、県北3往復、県交2往復の全13往復)。  盛岡133.3東北大鰐13.2弘前(S61.07.30公示54号)。 (国鉄便) (下り便)           (上り便)        盛岡0840→弘前BT1055     弘前BT0730→盛岡0945        盛岡1240→弘前BT1455     弘前BT1030→盛岡1245        盛岡1840→弘前BT2055     弘前BT1230→盛岡1445        盛岡2040→弘前BT2255     弘前BT1630→盛岡1845 ・1987(S62).08.01 所属を東北高速線に変更。(※高速バスあすなろ号の運行  開始に伴い,東北高速線の部を創設(盛岡・観光物産館間及び東北大鰐・弘前  バスターミナル間)。) ・1989(H01).05.00 ダイヤ改正し2往復増便(JR・弘南・県北各4往復、県交  3往復の全15往復)。 (JR便) (下り便)           (上り便)        盛岡0840→弘前BT1055     弘前BT0715→盛岡0930        盛岡1240→弘前BT1455     弘前BT1015→盛岡1230        盛岡1840→弘前BT2055     弘前BT1215→盛岡1430        盛岡2040→弘前BT2255     弘前BT1615→盛岡1830 ・1992(H04).06.01現在ダイヤ(JR・弘南・県北各4往復、県交3往復の全15往  復)。 (JR便) (下り便)           (上り便)        盛岡0850→弘前BT1110     弘前BT0710→盛岡0930        盛岡1250→弘前BT1510     弘前BT1010→盛岡1230        盛岡1850→弘前BT2110     弘前BT1210→盛岡1430        盛岡2050→弘前BT2310     弘前BT1610→盛岡1830 ・1995(H07).12.01現在ダイヤ(JR・弘南・県北各4往復、県交3往復の全15往  復)。 (JR便) (下り便)           (上り便)        盛岡0830→弘前BT1050     弘前BT0710→盛岡0930        盛岡1250→弘前BT1510     弘前BT1010→盛岡1230        盛岡1840→弘前BT2100     弘前BT1210→盛岡1430        盛岡2040→弘前BT2300     弘前BT1610→盛岡1830 ・1997(H09).04.01現在ダイヤ(JR・弘南・県北各4往復、県交3往復の全15往  復)。 (JR便) (下り便)           (上り便)        盛岡0845→弘前BT1105     弘前BT0710→盛岡0930        盛岡1250→弘前BT1510     弘前BT1010→盛岡1230        盛岡1840→弘前BT2100     弘前BT1210→盛岡1430        盛岡2020→弘前BT2240     弘前BT1610→盛岡1830 ・2002(H14).12.01改正ダイヤ(JR・弘南・県北各4往復、県交3往復の全15往  復)。 (JR便) (下り便)           (上り便)        盛岡0935→弘前BT1155     弘前BT0650→盛岡0910        盛岡1235→弘前BT1455     弘前BT1050→盛岡1310        盛岡1835→弘前BT2055     弘前BT1350→盛岡1610        盛岡2150→弘前BT0010     弘前BT1650→盛岡1910 ・2003(H15).10.01 盛岡駅→盛岡駅西口に起点を変更。経路は、太田橋北交差点  〜県道1号線〜稲荷町交差点〜R46経由。 (JR便) (下り便)           (上り便)        盛岡駅西口0940→弘前BT1155  弘前BT0655→盛岡駅西口0910        盛岡駅西口1235→弘前BT1450  弘前BT1055→盛岡駅西口1310        盛岡駅西口1835→弘前BT2050  弘前BT1355→盛岡駅西口1610        盛岡駅西口2150→弘前BT0005  弘前BT1655→盛岡駅西口1910 ・2005(H17).12.10改正ダイヤ(JR・弘南・県北各4往復、県交3往復の全15往  復)。 (JR便) (下り便)           (上り便)        盛岡駅西口0940→弘前BT1155  弘前BT0655→盛岡駅西口0910        盛岡駅西口1240→弘前BT1455  弘前BT1055→盛岡駅西口1310        盛岡駅西口1840→弘前BT2055  弘前BT1355→盛岡駅西口1610        盛岡駅西口2150→弘前BT0005  弘前BT1655→盛岡駅西口1910 ・2010(H22).12.01 4往復減便(JR・弘南・県北各3往復、県交2往復の全11  往復)。 ・2011(H23).10.01 3往復減便(JR・弘南・県北・県交各2往復の全8往復)。 (JR便) (下り便)           (上り便)        盛岡駅西口0920→弘前BT1135  弘前BT0855→盛岡駅西口1110        盛岡駅西口1840→弘前BT2055  弘前BT1355→盛岡駅西口1610 ・2014(H26).02.28限りでヨーデル号からJRバス東北が撤退。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・連載誌(S61.7) 10.東北編(上) 56日目8/14(水) ・連載誌(S61.8) 11.東北編(下) 57日目8/15(木) (2) 単行本 ・単行本 56日目8/14(水)p262-p263 ・単行本 57日目8/15(木)p264-p268 3.2 乗車券の経由欄 ・「十和田湖、十和田南線、大湯温泉、新町、陸中花輪」 ・「十和田南、十和田南線、バスターミナル、大館」 ・「弘前、十和田南線、盛岡」 3.3 行程 ◇十和田湖1210→1257大湯温泉 十和田南本線<とわだこ10号> 秋北バス                          十和田湖発 十和田南行 ◇大湯温泉1408→1444陸中花輪 寺坂線 十和田南発 陸中花輪行                         538-0902(日産デK-UA31L) ◇十和田南1727→1830大館 大館線<とわだこ18号> 秋北バス                            十和田湖発 大館行 ◇弘前バスターミナル0600→0845盛岡 十和田南本線 特急<ヨーデル>                  弘南バス 弘前バスターミナル発 盛岡行 3.4 エピソード ・十和田湖からの「とわだこ10号」は「国鉄共通便」と記した秋北バス。 ・大湯温泉で秋北バスの運転手が長い片道切符を見て絶句し、大湯温泉駅の切  符売場に相談。窓口氏が正規の切符で経路も正確である旨保証してくれ、下  車が認められた。 ・十和田南駅の日交観窓口にいた女史が切符を眺め、「周遊券とは別の切符を  持っておられるからよろしく」と運転手に説明してくれた。 ・「ヨーデル号」は国鉄線との通し切符、普通周遊券、ワイド周遊券でも各社  のバスに乗ることができるようになっていた。 ・弘南バスに尋ねると「盛岡に行くならターミナルから乗って下さい」とのこ  となので、弘前バスターミナルから乗車とする。乗車時に改札氏から「周遊  券なら番号を控えますが、これは何を書けばいいのか」、「よそのバスでは  補充券の番号と発行個所、発行日を控えておられようですよ」との問答。 3.5 旅の考察 ・寺坂線の花輪中学校前〜陸中花輪は一方通行の関係で上下で経路が異なるが  営業キロは双方とも2.0kmで同じであった(下り便(陸中花輪行き)が新町  経由、上り便(大湯温泉・十和田南行き)が旭町経由)。 ・大館線の大館栄町〜大館放送局前は直行経路では営業キロ1.4kmのところ、  バスターミナル経由では2.8kmと2倍になっていた。 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、十和田南本線の大湯  温泉、発荷峠、和井内、十和田ユースホステル前、中ノ岱、神田川及び十和田  湖、鉛山線の十和田ホテル前、さざ波山荘前及び大川岱の各駅は途中下車駅と  されていた。 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、「とわだこ1〜21  号」に便の始発駅(大館、十和田南及び十和田湖)から乗車する場合はバス  指定料金(200円)を別途収受するとされている。また、「とわだこ71〜85  号」に盛岡及び十和田湖から乗車となる場合は、バス指定料金(200円)を  別途収受するとされている。なお、「とわだこ71〜85号」は花輪・十和田湖  間内相互発着となる旅客は取扱わないとある。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号の十和田南線「ヨーデル  号」の欄には、「◎各社の乗車券・国鉄線との通しきっぷ、普通周遊券、ワ  イド周遊券は各社共通使用できます。」との注記が付されていた。
2015 年 05 月 03 日 07:35:17 (14921) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 鹿島線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇鹿島線    七尾−穴水    田鶴浜福祉センター前−三引口 1.2 路線略図                田鶴浜福祉            三引口 センター前  ◎−−−−−−○−−−−○−−○−−−○−−◎  穴水    中島駅前  |  |  和倉  七尾              ・−−・ 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・鹿島線は、1951(S26)年に、奥能登本線の一部として穴水〜七尾が開業したのが  ルーツで、七尾線の補完と沿線地方の開発を使命としていた。同線は1963(S38)  年に奥能登線から分離した。 ・1960(S35)年6月の金沢鉄道管理局監修時刻表の国鉄自動車の頁から「七尾線」  (穴水〜七尾)の欄を見ると、「夜間急行バスのと号」を含めて次のように5  往復が設定されていた。のと号は「七尾線」内は無停車で運行されていた。    穴水0202→0337七尾→0600金沢 金沢2300→七尾0128→0258穴水      0710→0850               0630→0810      1000→1140               0925→1105      1520→1700               1230→1410      1840→2020               1720→1900 2.2 旅から30年 ・1985(S60)年に穴水〜中島駅前の廃止公示がなされ、残った七尾〜中島駅前、田  鶴浜福祉センター〜三引口も、国鉄末期の1986(S61)年12月に廃止された。
2015 年 05 月 02 日 04:09:03 (14920) ふもふも館長さんの書き込み http://www.tobu-bus.com/pc/revision/detail.php?key=00396 5/11より、スカイツリーシャトル東京駅線で、両国・江戸東京博物館バス停が 新設され、一日フリー乗車券(紙)も発売開始となるようです。 気になる経路ですが、 ・直行便 1往復 ・両国・江戸東京博物館経由便 ・両国・江戸東京博物館と東武ホテルレバント東京経由便 の3系統らしいので、変更なしでしょうか? 路線図描きました。添削お願いします〜        綾瀬駅               東京スカイ  東京スカイ         Λ                ツリータウン ツリー東(交)         |               ・−−>−−○−−△         ∨  向島出口         |        |\    吾妻橋(交)△   Λ           △−−<−−−−−・ \         |\  |        東京スカイ   押上駅前交番東△    都営浅草駅○ \ ∨        ツリー西(交)  (交)    /  上野駅    |  \|                     /  <−−<−−−△………△……………………………………………………△押上駅前      駒形橋| 吾妻橋1(交)                 |(交)     西詰(交)|                        |         |                        |         |           横川1(交)        |         |             △−−−−>−−−−−△枝川交番前         |             |          |(交)     いわき号|             Λ          |         |            /           |         |    亀沢4(交)  |            |         |      △−−<−△−<+ +−△−−<−−△錦糸公園前         |      |  東武H  +○+ |東武H  |(交)  上野駅    |      |  西付近 東武ホテル|東付近  |   Λ     | 両国・江戸∨     レバント東京Λ     |    \    | 東京博物館|           |     |     \   △−−−○−−△−−−−−−−−−−−△−−−−−△      \ /浅草橋(交) 緑3(交)      江東橋2(交) 錦糸町駅前(交)       /      / \     △新常盤橋(交)      \   \       \   |  池袋駅   +−<−>呉服橋出口  霞が関出口 |  |江戸橋1(交)  <−−−+−△−−△−−−−−−>新木場駅      ◎ |呉服橋(交)     東京駅|      ◎−△−>−>室町入口  新宿駅   |八重洲中央口(交)  六本木・渋谷|  霞が関入口 |  <−−△−−△−>−>京橋入口  東京国|  |鍛冶町(交)  際フォ∨  Λ  西(交)|  ○銀座駅/数寄屋橋     |  |     ・−−△数寄屋橋(交)
2015 年 05 月 01 日 18:55:40 (14919) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 山武線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇山武線   山武本線    多古仲町−成東    切通−島−島入口    金尾−松尾   芝山線    宮台−千代田 1.2 路線略図      成田空港       Λ  成田   |千代田         多古  三里塚<−○−>多古仲町      仲町       |       千代田<−○−>八日市場       |         下総 +○多古   上総浅川○      島入口 水戸|       |   ・−−−−○−○−○切通       |小池 |上総  |   |       ・−○−○二川  ・−○−・          /|      島         ・ ○芝山         | |         ・−○宮台           |           |金尾           ○−−・          /   |     成東◎−・    ◎松尾 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・山武線は、1950(S25)年に、多古線の支線二川線として多古仲町〜成東が  開業したのがルーツで、総武本線成東、松尾両駅と成田線成田駅とを短絡  し、沿線地方の産業開発を使命としていた。 ・1962(S37)年に多古線から分離して山武線となった。 ・当時は、松尾〜成田2往復、松尾〜三里塚1往復、多古〜上総二川〜成田  1往復、多古〜松尾1往復、多古・多古仲町〜成東2往復が運行されてい  た(1985(S60)年8月現在ダイヤ)。 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年11月に金尾〜成東が廃止された後、国鉄民営化を経て、山武線  はJRバス関東に継承されたが、1993(H5)年に多古仲町〜多古を除いて、  山武線は廃止された(多古仲町〜多古は多古線に移管)。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・連載誌(S61.5) 8.関東・信越編(上) 39日目 7/19(金) 40日目 7/20(土) (2) 単行本 ・単行本 39日目 7/19(金) p188-p189      40日目 7/20(土) p190-p192 3.2 乗車券の経由欄 ・「成東 山武線 金尾 松尾」 ・「多古仲町 山武線 下総水戸 上総二川 千代田」 3.3 行程 ◇成東1900→1918金尾 山武本線 成東発 多古行 527-8003(日野RE101) ・金尾→松尾 タクシー ・多古仲町→小池 タクシー ◇小池0845→0910千代田 芝山線 松尾発 成田行 527-0014(日野K-RE101) 3.4 エピソード ・成東では朝夕2本だけの多古行きがあった。金尾〜松尾は終バスが出た  後のようだが、ここに泊まって朝のバスを待つ気にはならず、奥の手に  たよる。 ・成東の国鉄バス乗り場は、京成バスターミナル反対側の便所の前にある  が、タクシー乗り場に隠れて注意深く探さないと見つからない。それで  も発車時刻が近づくと女子高生ら5人が集まってきた。 ・バスはしばらく国道126号線を走り、暮れなずむ田んぼの中を左折、曲  がりくねった小道へ分け入る。金尾の三差路で降りるとなんでも屋さん  の電話を借りて松尾のタクシーを呼ぶ。 ・多古から二川までタクシー代行とするが、上総二川停留所と思しき場所  に行き着く前に成田行きのバスが来る。小池に停まったバスの前に強引  に回り込んで追跡成功。 3.5 旅の考察 ・当時の金尾〜松尾の最終バスは、成田からの松尾1719着と松尾1910発の  三里塚行きになる。 ・成東1900発の多古行きは金尾1919、松尾1910発の三里塚行きも金尾1919  と同時刻発着であった。両バスは金尾〜上総二川は相前後して走り、上  総二川発は多古行きが1930、三里塚行きが1933であった。 ・多古仲町1206→1259成田(千代田、整備地区経由)の便は「山武本、多  古本線」とあるが、「多古本線」が正当であると思われる。 ・切通〜島入口は、島経由1.9kmに対して、下総水戸経由が2.5kmで0.6km  長い(きっぷの経路は下総水戸経由)。
2015 年 05 月 01 日 18:54:19 (14918) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 柿岡線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇柿岡線   柿岡本線    羽鳥−福原    羽鳥−石岡    瓦谷−八郷高校前   友部線    羽鳥−友部    岩間駅口−岩間   羽鳥線    羽鳥−飯沼    羽刈口−北浦団地 1.2 路線略図                  ・−◎友部                  |                  |       ◎福原    岩間駅口○−◎岩間       |          |         赤塚       |          |   ○北浦団地 Λ       |          |   |     |       ・−・     羽鳥 | ・−○−−−−−○飯沼         |  瓦谷 十文字| | 羽刈口   恋瀬小学校前○−−○−−−−−○−◎羽鳥            |     |            |     |     八郷高校前○−○柿岡   ○常陸大谷                  |                  |                  ◎石岡  ※友部線羽鳥〜友部、岩間駅口〜岩間は1985(S60).8.1から長期休止。 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・柿岡線は、1953(S28)年に、水福線石岡〜羽鳥〜瓦谷〜福原、羽鳥〜堅倉、  瓦谷〜柿岡として開業したのがルーツで、常磐線石岡・羽鳥・岩間・友部の  補完と水戸線福原との短絡を使命としていた。 ・1985(S60)年8月改正ダイヤでは、柿岡線に次のような便が設定されていた  のが確認できる。    石岡〜羽鳥 18.0往復    羽鳥〜恋瀬小学校前 10.5往復    羽鳥〜瓦谷 2.0往復 ・1986(S61)年に恋瀬小学校前〜福原と友部線全線の廃止公示がなされたが、  友部線は旅行途中の1985(S60)年8月1日に休止されていた。 ・当時、柿岡線のバス運行拠点として羽鳥に水戸自営羽鳥派出所が設けられて  いた。 2.2 旅から30年 ・国鉄民営化を経て、上記の廃止区間を除いた柿岡本線、羽鳥線がJRバス関東に  継承された。1989(H1)年に瓦谷〜八郷高校前が休止(翌年廃止)、1993(H5)年に  羽刈口〜飯沼が休止(翌年廃止)され、残った区間も1995(H7)年に羽鳥〜恋瀬小  学校前が廃止、羽鳥〜石岡及び羽鳥〜北浦団地が休止(翌年廃止)され、柿岡線  は全廃となった。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・連載誌(S61.6) 9.関東・信越編(下) 45日目 8/1(木) ・掲載誌のみ 527-7020の解説 (2) 単行本 ・単行本 45日目 8/1(木) p215-p216 3.2 乗車券の経由欄 ・「友部 柿岡線 羽鳥 飯沼」 3.3 行程 ◇羽鳥1935→2005飯沼転向場 羽鳥線 羽鳥発 飯沼行 527-7020(日野RE100) 3.4 エピソード ・水戸線福原駅で友部線羽鳥〜友部他1区間を当日(8/1)から廃止する旨の掲示  が出ていた。友部駅の精算窓口に申し立てると、若い精算担当職員はしっかり  しており、「わかりました。鉄道で代行します。そのまま上り電車に乗って  ください」。羽鳥へ降りた時トラブルになっては困るというと、直接伝えて  おきましょうと目の前でダイヤル。羽鳥駅改札口では助役が「バスのお客さん  ですね」とフリーパス。 ・飯沼行きに乗ると、住宅地をまわる停留所ごとにお客が減り、どこへ行くん  ですかと運転手にいぶかしまれながら、飯沼転向場で赤塚行きに乗り継ぎ。 3.5 旅の考察 ・当時、羽鳥十文字が停車場(運賃起算点となるバス停留所で営業キロが設定  されている)であったならば、柿岡線の最長片道ルートは、友部〜友部線〜  羽鳥十文字〜柿岡本線〜石岡〜常磐線(鉄道)〜羽鳥〜羽鳥線〜飯沼となった  可能性がある。この場合、友部15.0羽鳥十字路7.8石岡6.5羽鳥の計29.3kmと  なり、友部15.2羽鳥より14.1km距離が伸びると思われる。但し、この場合に  友部線を鉄道代行にすると、友部〜羽鳥〜羽鳥十文字〜石岡〜羽鳥となって  環状線一周になってしまう。 ・なお、友部〜羽鳥を国鉄バス友部線に乗車した場合、岩間に寄るため、岩間  駅口〜岩間の0.4kmを別途往復することになったと思われる。
2015 年 05 月 01 日 18:48:41 (14917) 政宗3号さんの書き込み いつも楽しく拝見しています。投稿は久しぶりになります。 「1985年・夏 国鉄バスネットワークの記録」について投稿を中断していま したが、書き溜めた分が少々ありますので、引き続き投稿いたします。 今年は、国鉄自動車から続くつばめのバス85周年ですので、少々時間を要し ても「1985年・夏〜」を完結したいと思います。 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 塩原線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇塩原線   塩原本線    西那須野−塩原温泉    那須三島−筋違橋−千本松    三島農場−那須塩原    関谷宿−蟇沼   日塩線    塩原温泉−鬼怒川温泉駅前    逆杉−上塩原温泉    山荘入口−鶏頂山荘   矢板北線    関谷宿−曽根田    上伊佐野−山県農場    泉診療所前−兵庫畑    下太田−長井小学校前 1.2 路線略図                            ◎那須塩原                   蟇沼○      |                     |関谷 千本 | 那須     上塩原温泉 逆杉   福渡温泉 |宿  松  | 三島       ○−−−○−−○−−○−−−○−−−○−−○−○−−◎          /  塩原温泉    |   |三島農場| 西那須野    奥塩原温泉○           |   ・−−○−・        /       山県農場 |     筋違橋       /          ○−−○上伊佐野  山荘入口○−○鶏頂山荘        |      |          兵庫畑 |      ○白滝         ○−−○泉診療所前      |               \      |                \      ○新藤原     長井小学校前○−−○下太田      |                  \   矢板      ○鬼怒川温泉駅前            ・−−◎−−−○曽根田 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・塩原線は、1937(S12)年に西那須野〜塩原古町(→塩原温泉)、関谷宿〜矢板  が開業したのがルーツで、翌1938(S13)年に塩原古町(→塩原温泉)〜鬼怒川  (→鬼怒川温泉駅前)が延伸された。同線は鉄道代行路線であり、また、名勝  地の路線として観光開発を使命としていた。那須野が原から箒川の渓谷に沿っ  て、いわゆる塩原11湯の温泉群に至り、更に日塩街道によって高原山麓を過ぎ  終点鬼怒川に達するが、鬼怒川、川治、塩原の各温泉観光地を短絡する展望雄  大な観光道路を通ると言われていた。 ・当時の自動車駅として、(自)西那須野、関谷宿、福渡温泉、塩原温泉の各駅  が存在し、バス運行の拠点として西那須野駅前に西那須野自動車営業所が、  塩原温泉に塩原派出所が置かれていた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、本線系統は、西那須野〜塩原温泉が21往  復、那須塩原〜塩原温泉が6往復(他に東野交通が逆杉発着で6往復)設定  されていた。  日塩線系統は、西那須野・塩原温泉〜鬼怒川温泉駅前が5往復、塩原温泉〜奥  塩原温泉が5往復、塩原温泉〜上塩原温泉が5往復それぞれ設定されていた。  矢板線は、関谷宿〜矢板が下11上10本設定されていた。 ・支線の設定本数を1986(S61)年4月改正ダイヤから見ると、矢板線は、関谷宿〜  矢板が下11上10、矢板〜兵庫畑が5往復、矢板〜山県農場が5往復それぞれ  設定されていた。塩原本線蟇沼支線は西那須野〜蟇沼3往復、塩原本線三区  経由は西那須野〜千本松4往復がそれぞれ設定されていた。 2.2 旅から30年 ・支線である矢板北線の矢板〜曽根田、下太田〜長井小学校前は1986(S61)年に  廃止公示が出されたが、それ以外の区間は国鉄民営化を経てJRバス関東に  継承された。 ・1988(S63)年に上塩原温泉〜上三依塩原駅が延長されたが、後に自治体バス化  された。1992(H4)年に上伊佐野〜山県農場、泉診療所前〜兵庫畑が、1994(H6)  年に関谷宿〜蟇沼が、1996(H8)年に関谷宿〜矢板がそれぞれ廃止された。他方、  民営化後1999(H11)年までに那須塩原〜関谷上宿の直行経路が開業した(2006  (H18)年廃止)。  日塩線は2005(H17)年に大沼公園入口〜鬼怒川温泉駅前が廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、那須塩原・西那須野〜塩原温泉がJRバス関東によっ  て運行されている他、旧路線の一部が那須塩原市の自治体バス「ゆーばす」  として同社によって運行されている。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・連載誌(S61.6) 9.関東・信越編(下) 49日目 8/7(水) (2) 単行本 ・単行本 49日目 8/7(水) p228-p229 (3) 連載誌と単行本の違い 3.2 乗車券の経由欄 ・「矢板、塩原線、関谷宿、千本松、筋違橋、三島農場、那須塩原」 3.3 行程 ◇矢板0945→1023関谷宿 矢板北線 矢板発 関谷宿行 531-7407(いすゞBU20K) ◇関谷宿1054→1101千本松 塩原本線 塩原温泉発 西那須野行                         531-9402(いすゞBU10K) ◇千本松1136→1200那須塩原 塩原本線 塩原温泉発 那須塩原行                         531-7406(いすゞBU20K)                      3.4 エピソード ・関谷宿で降りるとき、運転手が経由別紙をじっくり眺め、前後の路線にも  目配り。これほどきっちり眺めてくれた国鉄マンは初めて。この運転手は  房総方面の系統にも強く経由をみながらあれこれ評定するので不思議に思  ったら、長年、労組の役員をしていて各地の営業所などをオルグで回った  とのこと。路線通に敬意を表し、経由コピーをプレゼントした。 ・千本松の迂回路線の乗り場は判然とせず、先ほどの運転手も「ここは難物だ。  つながらないかもしれない」ともらしていた個所。国道から千本松牧場方向  へ入った横道に「学童専用」のポールがあって、それらしくも見えるが行先  表示はなく次のバス15:31なので思い切って迂回路をカットした。 3.5 旅の考察 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」を見ると、塩原本線の千本松、  大網温泉、福渡温泉、塩原温泉の各駅は途中下車駅とされていた。また、  塩原線の線内相互発着及び同区間内を発または着となる他の自動車線との  相互間(着駅を金額で表示した乗車券及び車内乗車券を除く)に係る乗車券  の有効期間は2日間であった。 ・最長片道きっぷの旅本文で言及された、学童専用のポールにあった1531の  バスは、1986(S61)年4月改正ダイヤでは千本松1533発となり、これは、三区  経由西那須野行き64便で、登校日の土曜だけ運休とされていた。
2015 年 04 月 28 日 22:47:05 (14916) Y.Matsuuraさんの書き込み 3月から金沢地区一般路線でICカードを導入した西日本JRバスですが、11月末まで に京都府内の一般路線もICカード対応になります。 http://www.kyoto-np.co.jp/economy/article/20150427000168 京都市街地を走る高雄・京北線だけではなく、園福線も対象のようです。
2015 年 04 月 20 日 01:30:58 (14915) JRKさんの書き込み 昨日(H27.4.19)、毎年春に季節運行されるJR茅野・藤沢線のバスを乗り歩いて来ました。 H27年の茅野・藤沢線は、4.10(金)〜23(木)の運転で、4往復(更に4.18(土)〜19(日)は、高遠ゆ き片道1便増便)運行。 今年は全便【快速】にて運転。 高遠発 8:15 10:35 14:40 16:45 茅野発 9:15 10:10(←※) 11:35 15:40 17:45 【停車駅】高遠・高遠本町・弥勒・関屋橋・高遠北小前・伊那藤沢・片倉・古屋敷・守屋登山 口・杖突峠・茅野 ※4.18(土)〜19(日)は、中央本線で臨時列車「【快速】いろどり高遠さくら祭り号」運転に伴 い、増便されました。 当該列車の運行スケジュールは以下の通り。 大船 6:37→茅野 9:47 茅野16:25→大船19:57 【停車駅】大船・戸塚・横浜・府中本町・八王子・大月・甲府・茅野 (因みに、JRバス関東の公式HP上の時刻表では、【快速】の通過駅部分に「||」記号があります が、別線を全く経由するところが無かったので、厳密に言えば、通過を表す「レ」記号で表示 されるのが正しいものと思われます。) JR茅野・藤沢線で【快速】が登場したのは、自分のうろ覚えではありますがH25年頃だったよう に思います。当時は、午前の茅野ゆき2便・午後の高遠ゆき2便が【快速】だったという記憶。( 折返で運行される、午前の高遠ゆき2便・午後の茅野ゆき2便は各々【普通】でした。) 特にバイパスがある訳でもないので、なぜ【快速】として走らせるのか、理由は謎でした。
2015 年 04 月 13 日 23:28:53 (14914) ふもふも館長さんの書き込み 『名金線に夢を追う』岐阜新聞社 H14(2002).3.12 という写真集を拝見する 機会がありました。この本は、佐藤良二さんが撮影された写真を中心とした 本ですが、自分にとって、こんな発見がありました。 1.荘川桜の移植(S35.11〜12.24)を、佐藤さんは個人的に撮影していた。   移植の記録アルバムを米国寄贈するつもりだったが、仲介を依頼した日本の協会   からぜひ当方に寄贈して欲しいとの申し出があり、応じたら桜の苗木を頂いた。   ※手元に本が無いので、うろ覚え   ※公開されている荘川桜の移植記録写真の一部は、佐藤さんが撮影したものかも    しれません。   ※佐藤さんの手記が収録されており、読み応えがあります。 2.太平洋から日本海へ桜を植樹する計画図が載っている。   ◇伊勢神宮、名古屋、稲沢、一の宮、岐阜、みの市、美並村、苅安、深戸、    郡上八幡(大滝苑)会場、白鳥町、蛭ヶ野高原、桜守の舞台(荘川桜)、白川郷、    五ヶ山、城端、福光、金沢、羽咋、輪島、ヘクラ島   …………これが、太平洋から、日本海へと、一連に四百年への巨木の桜トン   ネルを成すとき、これは正に日本民族の夜明けだ!。純粋な大和民族の団結   心の歴史であり、その代表たるさくら花(バナ)が国華として世界に燦然と輝   ける時である。   ※名金線バス停が無い、稲沢・美並村・苅安・深戸といった地名が載って    いる一方、名金線バス停がある牧戸、鳩ヶ谷、西赤尾といった地名がない。   ※路線外の伊勢神宮、羽咋、輪島、舳倉島といった地名も興味深い。夜間急行    のと号が走った穴水や能登飯田も計画に入れてほしかった。   ※郡上八幡の大滝苑を「会場」としているが、桜の名所なのか?   ※佐藤さんの時代を感じるコメントも良いですなぁ 3.写真集には、バス停の写真が1枚、バスの写真も1枚しかない。佐藤さんの   ご自宅には膨大な写真が残されていたそうで、バス停やバスの写真も残って   いるのではないか。見てみたいと思った。 このほか、冬季にバスが運休中、除雪されていない道を集団で歩く人の写真、 舳倉島へ桜を持っていく写真なども掲載されています。 --- 名金線と佐藤さんの略歴をまとめました。 S28.12.30 白城線(美濃白鳥−鳩ヶ谷)を金白南線と改称、      金福線(金沢−井波駅前)を金白北線改称、相互につながる      この頃、佐藤さんは国鉄に入社したらしい S35.06.01 時刻表によると、金沢〜美濃白鳥は一日2往復で、郵便ポストが付いて      いた事を示す〒マークがついている。      金沢735-1630美濃白鳥、金沢935-1835美濃白鳥      美濃白鳥830-1657金沢、美濃白鳥1135-1942金沢 S35.11〜12 佐藤さんは、荘川桜の移植を撮影 S41.12.1 名金急行線と改称、名古屋まで延伸      この頃から、佐藤さんは桜の植樹を始めたらしい S52.1.25 佐藤さんお亡くなりになる。享年47歳。      S51に死亡とか、植樹期間は12年間など、資料によって揺れがある      この頃から、名金線はワンマン化され、車掌が乗務しなくなったらしい S54頃   国鉄バスは、鳩ヶ谷〜福光を休止
2015 年 04 月 12 日 20:16:35 (14913) ふもふも館長さんの書き込み 銀座駅(数寄屋橋)→東雲イオン前 間は、JRバスの運行が無くなるという事で THEアクセス成田の初乗りと、成田空港付近を散歩してきたので、報告する。 なお、第3ターミナル開業前の情報であることに留意されたい。 1.あすか交通 THEアクセス成田 東京駅→第一ターミナル 2.ターミナル連絡バス 第一ターミナル→東成田駅→第二ターミナル 3.成田市コミュニティバス 津富浦ルート  https://www.city.narita.chiba.jp/sisei/sosiki/kotsu/std0008.html ・成田空港からバスで成田駅周辺に出ることができないので、電車で移動。 ・バス停に長蛇の列。なんの列だろうと思ったら、これから乗るコミバスに吸い込  まれたのでビックリ。かつて京丹波町コミバスで積み残された事があったので、  心配したが、詰め合った事もあり、なんとか乗車。 ・国鉄バス久能線と多古本線の間を走った。パイプラインを示す杭があり驚く。 ・途中、さくらの山というバス停で、2名を除き全員下車。桜の名所なんですね。  帰りのバス停を運転手に尋ねる人もいる。中にはJRバスのバス停は?とか聞く人  もいて、JRバスはここは走っていないよと言いたかったが、黙っていた。JRバスも  来るんですね...知りませんでした。 ・新空港道を跨ぐ、取香(とっこう)橋を渡り、その先、開港以前の雰囲気が残る、  東峰・天神峰地区を通る。ここを過ぎると、空港から離れ、津富浦にある大栄  支所が終点。国鉄バス神崎線ルートと一部被っていた。 4.空港付近の散歩 ・花植木センターから、一鍬田に向かって歩いた。国鉄バス神崎線のルートと思って  歩いたが、もっと東側の道だったようだ。一鍬田には、JRバス停があった場所と  おそらく同じ位置に多古町循環バスのバス停があった。道路向かいに、バス待合所と  思われる設備が今も残っていた。  http://www.town.tako.chiba.jp/topics/632-1.html ・同じ道を途中まで戻り、県道44号を西に進んだ。その先、天神峰TN(約700m)がある  が、歩行者・自転車は空港管理用道路も利用できると案内があった。 ・東峰神社の参拝は、万人向けでは無い。警備員と合う事は無かったが、塀の外に  警備員が居たようだ。この付近は、三里塚物産の畑や、反対されている方の住居が  あったりと、いろいろ考えさせられる光景が広がる。 ・東横INN成田空港(アカデミアフォーラム)という変わったデザインのホテルの前を  通った。気になって調べてみると←ホテル日航ウインズ成田←成田ウインズホテル  ←成田プリンスホテルと遷移したようだ。ここから県道を外れ、空港寄りの道を進  むと、側高神社に出る。 ・そのまま県道を進み、成田東武ホテルエアポート(←ホリデイ・イン東武成田)の  前に出た。このホテルは、ONライナーとTHEアクセス成田の降車専用バス停がある。  かつてONライナーでJRバスも停車したはずだが未体験だった。THEアクセス成田の  夜便はJRバスは担当しない。もし担当すれば路線復活になるのだが。 ・成田ホテルバス連合会のサークルバスの停留所もある。これをつかえば、京成成田  駅まで、バスで移動できるようだ。http://naritatransit.net/bus/ ・荷物が少なければ、ここから歩いて空港まで行ける。成田東武ホテルエアポートの  バス停を出ると、取香橋手前の交差点(国道295号)をぶつかるが、橋を渡らず、左に  曲がり、歩道を進む。すると、側高神社に脇を通り、第二ゲートの前に出る。ゲート  での身分証チェックは廃止されたので、そのまま建物脇の歩道を進む。第3ターミナ  ルは目の前である。 5.JRバス関東 THEアクセス成田 第二ターミナル[19]→東京駅→東雲イオン前 ・東京駅方面は、ビィー・トランセグループ(平和交通、あすか交通)+JRバス関東の  THE アクセス成田の他、京成グループ(京成バス、成田空港交通、京成バスシステム、  リムジン・パッセンジャー・サービス)の東京シャトルがある。東京地区の乗り場は  異なるが、空港側は同じバス停を使う。 ・THE アクセス成田はチケット不要、東京シャトルはチケットを買って乗車する必要が  ある。バス停においてて、チケットを持っているか持っていないかで、それぞれの  お客が区別できるため、係員はお互いの乗客を区別して案内し、客の奪い合いを行う  事もなかった。そのため、別会社の係員である事に気づかない乗客も居たはず。 ・ほぼ同じ時刻に、あすか交通も発車しており、こちらは、第二ターミナル[2]→第一  ターミナル[31]と乗客を乗せており、乗車したJR便は、その後ろで待機する感じ。  万が一、あすか交通が満席になった場合は、JR便を案内するのか? ・経路は以下の通り。  第二ターミナル[19乗]、第一ターミナル[31運転停車]、新空港道、東関東道、首都  高速、宝町出口を右、八重洲通り、東京駅[降]、八重洲中央口前を左、外堀通り、  鍛冶橋を右、東京国際フォーラム西を左、左、晴海通り、数寄屋橋を左、外堀通り、  銀座駅/数寄屋橋[降]、鍛冶橋を右、八丁堀を右、入船橋を左、春海橋西を左、晴海  通り、東雲イオン前[降] ・宝町出口を出て、東京駅方面に向かうルートは初体験で驚いた。東京駅は構内に  入らず、降車バス停は、ヤンマービル、京都館の前だった。ライバルの東京シャ  トルの東京駅乗降場は呉服橋交差点に近い位置なので、呉服橋出口を使っている  と思われる。 ・そのまま外堀通りを通ると思ったら、有楽町駅の西側を迂回して、銀座駅バス停へ  入った。乗降場と同一にしたため、迂回ルートになったようだ。ライバルの東京  シャトルの数寄屋橋乗降場は道路向うで、乗車も降車も、東京駅→数寄屋橋の順  に停まるようだ。 ・再び鍛冶橋交差点に戻ってきて、佃大橋通り・晴海通りを経由し、東雲イオンの  構内には入らず、横に到着。出発便のバス停は、道路向うなので、イオンから見  ると歩道橋を渡らないといけない。都バスの東雲橋交差点バス停と東雲一丁目バ  ス停の間に位置する。 6.東雲付近の散歩 ・東雲緑道公園を歩く。線路跡のような気がしたが、もともと何だったか? ・バス停の名称にもなっており、永年気になっていた東雲の都橋を見てみようと思い  探したが、橋は見つからなかった。帰宅後、調べた所、バス停の西、交番附近に  都橋があったようだ。現在、面影は無いようだ。 ・京成バス東雲車庫、都バス深川車庫、東北急行東京営業所を巡って、東雲駅から  鉄道で帰宅した。
2015 年 04 月 10 日 00:14:17 (14912) zueignungsabsichtさんの書き込み 【平成27年度は1年間実施!】奈良県南部・東部地域宿泊者限定 路線バス運賃キャッシュバックキャンペーンを実施します http://www.pref.nara.jp/item/133151.htm#moduleid17288 http://megalodon.jp/2015-0410-0006-46/www.pref.nara.jp/item/133151.htm 参加宿泊施設一覧 http://www.pref.nara.jp/secure/133151/yado-list-4.1.pdf http://megalodon.jp/2015-0410-0008-19/www.pref.nara.jp/secure/133151/yado-list-4.1.pdf 対象バス路線・バス料金・乗車例 http://www.pref.nara.jp/secure/133151/jyousya-rei.pdf http://megalodon.jp/2015-0410-0009-55/www.pref.nara.jp/secure/133151/jyousya-rei.pdf キャンペーンの詳しい説明 http://www.pref.nara.jp/secure/133151/%e3%80%90%e4%b8%80%e8%88%ac%e8%b3%87%e6%96%99%e3%80%91%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%9a%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%81%ae%e6%b5%81%e3%82%8c.pdf http://megalodon.jp/2015-0410-0013-09/goo.gl/TFwFxK
2015 年 04 月 10 日 00:04:06 (14911) zueignungsabsichtさんの書き込み 奈良市コミュニティバス(高樋線代替)の運行について http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1428029364976/index.html http://megalodon.jp/2015-0409-2357-06/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1428029364976/index.html 高樋代替バス時刻表 http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1428029364976/files/jikokuhyou.pdf http://megalodon.jp/2015-0409-2358-36/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1428029364976/files/jikokuhyou.pdf 運行ルート(山村経由) http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1428029364976/files/unkouru-toyamamura.pdf http://megalodon.jp/2015-0409-2359-59/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1428029364976/files/unkouru-toyamamura.pdf 運行ルート(奈良東病院経由) http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1428029364976/files/unkouru-tonarahigasi.pdf http://megalodon.jp/2015-0410-0000-46/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1428029364976/files/unkouru-tonarahigasi.pdf
2015 年 04 月 08 日 19:18:34 (14910) ふもふも館長さんの書き込み 北海道バス協会のホームページでバス路線図が公開されています。 http://www.hokkaido-bus-kyokai.jp/pdf_rosen.html H20.4現在で、一般路線が実線、高速バス等が点線で表記されています。 日勝峠を越える点線バス路線は、オーロラ号だと思うのですが、高速道路に 乗せ換えられていますので、もうここを越えるバスは無いかもしれません。 えりも岬に行くバスは記載が無く、えりも町と広尾に向かう高速バスは 記載があるのは?です。
2015 年 04 月 08 日 11:08:43 (14909) zueignungsabsichtさんの書き込み 「奈良市都祁地域コミュニティバス、奈良都祁線(奈良市都祁交流センターから下水間区間)代替バス運行管理業務委託」について、一般競争入札を実施します (2015年4月1日登録) http://www.city.nara.lg.jp/www/genre/0000000000000/1000000000805/index.html http://megalodon.jp/2015-0408-1104-14/www.city.nara.lg.jp/www/genre/0000000000000/1000000000805/index.html 「奈良市都祁地域コミュニティバス、奈良都祁線(奈良市都祁交流センターから下水間区間)代替バス運行管理業務委託」について、一般競争入札を実施します http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/index.html http://megalodon.jp/2015-0408-1105-13/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/index.html 「奈良市都祁地域コミュニティバス 、奈良都祁線 (奈良市都祁交流センターから下水間区) 代替バス運行管理業務委託」一般競争入札実施要領 http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/files/youryou.pdf http://megalodon.jp/2015-0408-1053-28/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/files/youryou.pdf (別紙1)奈良市都祁地域コミュニティバス運行計画 http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/files/komibasuunnkoukeikaku.pdf http://megalodon.jp/2015-0408-1055-24/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/files/komibasuunnkoukeikaku.pdf (別紙2)都祁地域コミュニティバス運行コース図 http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/files/kousu.pdf http://megalodon.jp/2015-0408-1057-39/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/files/kousu.pdf (別紙3)奈良都祁線代替バス運行計画 http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/files/kousu.pdf http://megalodon.jp/2015-0408-1100-00/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/files/daigaebasukeikaku.pdf (別紙4)奈良都祁線代替バス運行コース http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/files/kousu2.pdf http://megalodon.jp/2015-0408-1101-35/www.city.nara.lg.jp/www/contents/1426740293923/files/kousu2.pdf ※ 平成27年4月1日登録、提出期間が平成27年4月1日(水)から平成27年4月10日(金)(本市の休日を定める条例に規定する市の休日を除く。)までの午前9時から午後5時まで。
2015 年 04 月 07 日 00:37:56 (14908) JRKさんの書き込み JR多古本線のH27.3.26ダイヤ改正にて新たに運行開始した路線(さくらの山経由便)を、4.4に乗り歩いて来ました。 関東では桜の美しいこの季節、その週末を狙い撃ちして旅してみた次第です。 (新規運行系統) 航空博物館前-住宅入口-三里塚-遠山農協前-さくらの山-法華塚-成田 ※「さくらの山」について。 遠山農協前〜法華塚 間の「菅生交差点」から、県道44号線を東へ。成田空港交通の車庫前に、新駅「さくらの山」を開設。 転向場は無く、→さくらの山交差点右折→最初の曲がり角右折→最初の信号左折→菅生交差点→と、ラケット形の循環コースです。 (成田空港交通の車庫を囲むように存在する道を走って行く感じ。) 因みに、新たに開設された「さくらの山」経由便は、航空博物館前〜成田の区間便に限り経由します。 (八日市場・多古〜成田便は経由しない。)
2015 年 04 月 06 日 00:10:05 (14907) ふもふも館長さんの書き込み 多古線の支線、神崎線と久能線について調べてみた。 1.神崎線 (1)バス停一覧(推定) ◇五辻、松ノ木台、中五辻、永井芝、本五辻、一鍬田、  多良貝、川上小学校前、吉岡、吉岡診療所前、津富浦、木浦、久井崎、  原宿、古原、荒神台、郷口、武田、案内、大貫、榎本、  下総神崎←郡、神崎中学校前、神崎農協前、神崎役場前、神崎橋←神崎渡船場 ◇飯笹、椎ノ木、登戸台、中五辻、本五辻 ※多古本線 ◇御所台、高津原、下総二本松、足尾神社前、御料地入口、大堀山入口、本五辻  ※栗源線 ◇脇川、脇川新田、神崎大橋、大橋南、大橋入口、神崎役場前 ※十余島線 (2)略歴 ・S30.3.25 多古本線 五辻〜本五辻 開業がルーツ。 ・S31.11.20 本五辻〜神崎渡船場 開業し、神崎線として独立する。 ・S38.9.2 本五辻〜多良貝で経路変更、一鍬田経由になる。 ・S40.6.15 多古本線 飯笹〜本五辻、栗源線 御所台〜本五辻 開業。 ・S43.11.1 十余島線 脇川〜神崎役場前 開業。       神崎線 下総神崎〜神崎役場前〜神崎橋を十余島線に編入。 ・その後、神崎役場前〜神崎橋を休止、原宿以北を土浦自営の管轄とする。 ・S57.10.30 十余島線 神崎大橋〜下総神崎、神崎農協前〜神崎橋 廃止。 ・日時不詳だが、一鍬田〜原宿、飯笹〜中五辻、御所台〜本五辻 休止。 ・S62.2.1 神崎線 一鍬田〜原宿 廃止。      多古本線 飯笹〜中五辻、栗源線 御所台〜本五辻 廃止。 ・S62.4以降、十余島線 脇川〜神崎大橋 廃止。 ・H19.9.30限 五辻〜一鍬田 廃止。 (3)経路と現状(推定) ・五辻〜一鍬田は、多古町循環バス 多古ルートで代替。JRバス時代の一鍬田行き  は、転向を防ぐため、本五辻から山下向・一鍬田北と迂回し、一鍬田バス停に到  着したような気がする。この廻り方は、多古町循環バスも同様のようだ。 ・一鍬田バス停は、交差点の北東にあるが、交差点の南西に、バス待合所と思われ  る設備が今も残っている。 ・一鍬田〜多良貝〜川上小学校前〜吉岡は、代替なし。 ・吉岡(→吉岡新田)〜津富浦は、千葉交通 成田空港〜栗源線で代替。 ・津富浦〜久井崎は、成田市コミュニティバス 津富浦ルート 津富浦小前〜リバ  ティヒル入口で代替。 ・久井崎〜原宿〜下総神崎〜神崎橋は、神崎町循環バス「きらきら号」北ルート  と中央ルート代替可能だが、経路が異なっている。 ・飯笹〜本五辻は、多古町循環バス 多古ルートで代替。 ・御所台〜御料地入口は、多古町循環バス 久賀ルートで代替。 ・御料地入口〜本五辻は、代替なし。 ・神崎大橋についても、代替なし。 2.久能線 (1)バス停一覧(推定) ◇三里塚、根木名、畑ヶ田口、北大和、久能東口、久能西口、日吉倉坂下、成田 (2)略歴 ・S32.4.1 多古本線 三里塚〜久能〜成田 開業。S37に久能線として独立。 ・S59.8.1 廃止。以前から休止? (3)経路と現状(推定) ・三里塚〜根木名は、JRバス高速線「東京〜富里・多古・八日市場駅」で通過する。 ・根木名〜久能東口は、代替なし。富里市と成田市の境界付近を走っていたようだ。 ・久能東口(→久能)〜成田は、千葉交通 久能・両国線で代替。ただし、H24.9.1より  日吉台地区へ経路を変更したため、国鉄バス路線と経路が異なっている。
2015 年 04 月 05 日 21:11:27 (14906) 山城こうじ国鉄周遊券育ちさんの書き込み 先日、4月3日金曜日、 京都丹波の、西日本JRバス、 園福線に乗ってきました。 驚いたのは、 「車両が全部入れ替わっていた」 ことです。 園部駅東口から乗り、 桧山駅隣接の京丹波営業所に、 ズラリ新しいタイプが並んでいるのを 確認しました。 331(または337)タイプ、 531(または537)タイプの、 ノンステップバスばかりです。 交通新聞社のデータブックに、 JRバス車両配置表が載りますので、 今年からこまめにチェックしようと思います。 ネット参加の90年代末以来、 JRバスに乗ったとき、 一応、乗った車番(JRバスの車番)を、 控えてはいるのですが、 僕は車両の方はあまり得意ではなく、 バスジャパンハンドブックの範囲までしか 分からないので、 乗った車の動向まで調べていません。 これから深入りしようか、と、思います。 たとえば、JR九州バスにたった1台の、 「水戸岡デザイン(外装だけ)の、 真っ赤なエアロキング」 今ごろ、どこに流れたものかな?と、 考えたりします。
2015 年 04 月 04 日 01:05:09 (14905) 各駅倉庫さんの書き込み 館長様,皆様,こんばんは。 ジェイ・アール北海道バスの2015-04-01改正点  http://www.jrhokkaidobus.com/pdf/20150318newdia.pdf のうち,[新22]開拓の村線の停留所についてご紹介します。 ■「啓成高校前」は2009-12-01改正で  http://goo.gl/maps/Oc6Lr に[新13][新15]の到着停留所が新設されましたが,2015-04-01改正で[新22]([22] は廃止)の開拓の村行が新たに停車し,かつ[新22]の新札幌行停留所が  http://goo.gl/maps/lgbj4 に増設されました。 ■「記念館入口」は  http://goo.gl/maps/PRkZV にありましたが,標柱は既に撤去されていました。 ■「北海道博物館」は  http://goo.gl/maps/BMn9f に北行標柱のみが新設され,バスはその先で折り返すようです。 ■「厚別東小学校前」「野幌森林公園」「開拓の村」については変更がないようです。
2015 年 04 月 02 日 20:15:41 (14904) ふたえやんさんの書き込み 今度は松山高知急行線界隈、土佐大崎駅を中心とするエリアを探索してきました。 土佐大崎自動車駅は既報の通り新築されていたほか、 敷地奥にあった車庫上屋が取り壊されて更地に。 この2月、3月ころに老朽化のため、予防的に壊されたそうです。 なお、駅の敷地は当初から町有だったとの由。 支線では池川に、本線では中津に廃車庫を発見できました。 中津車庫は松山へ向けて始発便があり、狭い集落のため 専用の宿泊所は無く、乗務員は近くの民家や旅館に泊まっていたそうです。 池川は若山橋や瓜生野などの末端への運用も含めて3台留置で、 池川バス停が市街地ど真ん中にあるため、ひとつ隣の 集落はずれのバス停の前にあります。こちらも当初は旅館に 泊まっていました。のちに少し離れた場所に宿泊小屋が出来たそうで、 それも現存するらしいですが建物は特定できませんでした。
2015 年 03 月 30 日 08:24:13 (14903) ふもふも館長さんの書き込み 東武指令さん、新基地情報ありがとうございます。 名称は「ジェイアールバス関東 東関東支店」ですか。まだ仮称なのかもしれま せんが、イメージがわきにくい名称ですねぇ。大げさな名称から想像すると、 千葉県や茨城県東部にあるJRバス拠点は、すべて多古の配下になるのでしょうか? 昨日、松伏・岩井・守谷とバスで訪問してみました。岩井は、茨急バス岩井車庫 からヨークタウン坂東店(ビクター岩井工場跡地)まで歩きました。プリオ101が 閉店し、センター商店街は閑散としており、時の流れを感じました。
2015 年 03 月 28 日 02:49:43 (14902) JRKさんの書き込み 【THEアクセス成田】は、成田国際空港第3旅客ターミナル開業に伴うダイヤ改正がH27.4.8に実施されます。 【JR便の旧運行系統と停車駅(H26.12.16〜H27.4.7)】 [下り>  ・銀座駅(数寄屋橋)→(自)東京→成田空港第2ターミナル2番降車場→成田空港第2ターミナル17番降車場→成田空港第1ターミ ナル15番降車場  ・(自)東京→成田空港第2ターミナル2番降車場→成田空港第2ターミナル17番降車場→成田空港第1ターミナル15番降車場 <上り]  ・成田空港第2ターミナル2番乗場→成田空港第2ターミナル19番乗場→成田空港第1ターミナル31番乗場→東京駅八重洲口降車 場→銀座駅(数寄屋橋)  ・成田空港第2ターミナル19番乗場→東京駅八重洲口降車場→銀座駅(数寄屋橋)  ・成田空港第2ターミナル19番乗場→東京駅八重洲口降車場→銀座駅(数寄屋橋)→東雲イオン前 【JR便の新運行系統と停車駅(H27.4.8〜)】 [下り>  ・銀座駅(数寄屋橋)→(自)東京→成田空港第2ターミナル2番降車場→成田空港第2ターミナル17番降車場→成田空港第1ターミ ナル15番降車場→成田空港第3ターミナル降車場  ・(自)東京→成田空港第2ターミナル2番降車場→成田空港第2ターミナル17番降車場→成田空港第1ターミナル15番降車場→成 田空港第3ターミナル降車場  ≪深夜便≫・銀座駅(数寄屋橋)→(自)東京→成田空港第3ターミナル降車場→成田空港第2ターミナル2番降車場→成田空港第2 ターミナル17番降車場 <上り]  ・成田空港第3ターミナル2番乗場→成田空港第2ターミナル2番乗場→成田空港第2ターミナル19番乗場→成田空港第1ターミナ ル31番乗場→東京駅八重洲口降車場→銀座駅(数寄屋橋) ・・・銀座駅(数寄屋橋)→東雲イオン前 間は、JRバスの運行が無くなるようですね。
2015 年 03 月 28 日 01:18:11 (14901) 東武指令さんの書き込み 御無沙汰しております。 小生、東京から千葉県に引っ越しそろそろ7年近くたちます。 県内を移動する事も多い為、最近はよく館山や八日市場のJRバスを見かけます。 さて、先日多古町にある道の駅に出掛けた際に知人から多古にバスの車庫や ターミナルが出来ると言う話を聞き、建設中の現場へ足を延ばしたところ、 「ジェイアールバス関東 東関東支店」建設予定地なる看板を見ました。 八日市場が移転するのか新規なのかはわかりませんし、まだ更地に近い状態 でしたので詳細はわかりません。 久しぶりにそんな目撃をしましたので書込んでみました。 場所は多古町役場に近い多古台と言う場所になります。 それでは。

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