不毛な掲示板 (No.14801〜No.14900)


2015 年 03 月 26 日 00:00:55 (14900) ふもふも館長さんの書き込み 先日、虎姫駅から旧浅井町方面に散歩する機会があり、この辺りに国鉄バスが 走っていたはずと思い、調べてみた。 1.1957(昭和32)年9月11日現在 国鉄バス路線名称館〜昭和32年 国鉄自動車路線図 (あいうえお順)の52番目に 若江線の部が掲載されている。 http://www.inv.co.jp/~fumo/jrb0000.html この頃の若江線の部、各線の第一区間は、以下の通りだったようだ。 若江線の部  若江本線1   阿納尻−甲ヶ崎−上竹原−小浜−湯岡−東市場−新平野−上中−若狭熊川−弘川口   −近江今津−浜大津駅前  北川線1   上竹原−井根山−上中  琵琶湖線1   弘川口−蛭口−西浜−海津−塩津北口−賎ヶ岳口−木ノ本−田部−阿弥陀橋−伊部  敦賀線1   塩津北口−敦賀  浅井線1   近江山本−虎姫−伊部−高畑−小室−近江高山  名田庄線1   小浜−神田橋−湯岡−口名田−中井−桂−谷口−納田終−堀越峠                         敦賀◎   ○中河内  阿納尻○       本 田烏   北      |   |     |       保 ○    牧 ○路原  | 賎C○−○菅並  甲ヶ崎○       ○ |    野 |    | ヶ |     |       | |井   ○−○小荒路 | 岳 | 田  上竹原○−−−−−−−+−○根   |  \   | 口 | 部 土倉    /|       | |山 牧野○ 海津○−−○−○−◎−○−○    \|     東 | |    |  /  塩津 | 木 |   小浜◎−+湯  市 | |  蛭口○−○西浜  北口| ノ |     | |岡  場 | |    | |      | 本 |阿  神田橋○−○−−−○−◎−◎−○−−○−◎近     |   |弥     | |   | 新 上 若  弘 |江  西阿閉○−◎−○陀     |A○−+ | 平 中 狭  川 |今     | 高 |橋     | | | ○ 野   熊  口 |津 近江山本○ 月 |  谷田部○−○B| 池     川    |      |   |       | | 河          |    虎姫◎−−−○伊部      桂○−+ 内  A:口名田   |          |       |      B:中井    |        高畑○  小屋○−−○谷口    C:中ノ郷   |          |\       |              |          |/       ○納田終           |        小室○       |              |          |  京鶴本線←○堀越峠      浜大津駅前○      近江高山○ <考察> (1)この頃の路線名称は、運行系統おかまいなしに、より長く設定されている   ようで、阿納尻〜浜大津駅前、弘川口〜伊部、近江山本〜近江高山と、   路線図なしでは、どこを走る路線か見当もつかない。 (2)浅井線は、S27.4.5 近江山本〜虎姫〜伊部〜近江高山 開業がルーツ。   その後、S30.12.13 賎ヶ岳口〜近江山本 開業するが、この区間は浅井線   ではなく、琵琶湖線とされた。そのため、浅井線の起点が、近江山本のまま   残された。 (3)虎姫〜伊部の間に、三川大師前というバス停があった。先日、散歩した   道は県道275号だったのだが、三川公会堂付近で写真を撮った。この付近の   玉泉寺が通称、三川大師なので、国鉄バス路線跡を歩いていたようだ。 2.米原線開業 ・S36.5.22 米原線の部 米原線 木ノ本−米原 開業。この路線は、国道8号経由  だったようで、賎ヶ岳口〜近江山本と田部〜伊部の間を並行に走り、既存路線  と交点は無かった。※のちに、浅井線と馬渡橋で接続した。 ・不毛板(14882)「1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 琵琶湖線」によると、  1961(S36)年7月現在のダイヤで、近江今津〜木ノ本〜米原という便があった  事がわかる。 ・S37.11.1に路線名称の改訂があり、米原線・若江線の部は、米原線・琵琶湖線  ・杉津線・若江線・名田庄線の部に分割された。米原線の部は、以下の通り。 米原線の部  米原本線   木ノ本−米原  杉野線   木ノ本−土倉  中河内線   木ノ本−中河内、中ノ郷駅前−菅並  浅井線   賎ヶ岳口−近江高山、西阿閉−高月駅前、伊部−田部、阿弥陀橋−高月駅前、   高畑−小室(北回り) 3.浅井線廃止 ・S41.8.1 賎ヶ岳口〜近江高山、高畑〜近江北野〜小室、近江北野〜近江谷口 廃止 ・S41.9.29 西阿閉〜高月駅前、伊部南口〜田部、阿弥陀橋〜高月駅前 廃止 4.名神彦根延伸 ・S40.3.6現在と思われる日本高速自動車の名神高速線時刻表によると、名神彦根の  料金所前から近江鉄道バス市内(彦根城下)廻り国鉄彦根行きが出ており、国道8号  線(料金所から約1キロ)まで行くと、京都、浜大津行、米原、木ノ本行のバスがある  との事。木ノ本行のバスとは、国鉄バスだった可能性も? ・S43.12.18 米原〜名神彦根 開業。国道彦根から1キロ先に名神彦根があるので、  名神高速線のバス停付近まで、国鉄バスが乗り入れた事になる。 ・不毛板(14882)「1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 琵琶湖線」によると、  1970(S45)年7月現在のダイヤで、名神彦根〜木ノ本〜敦賀という便があった  事がわかる。 ・1971(昭和46)年3月7日現在の路線名称によると、米原線の部は、浅井線の廃止と、  中河内線が柳ヶ瀬線に編入された事もあり、以下のように淋しいものになった。 米原線の部  米原本線   木ノ本−名神彦根  杉野線   木ノ本−土倉 5.その後の米原線 ・不毛板(14884)「1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 米原線」を参照。  ◇S50.8.1 米原〜名神彦根 廃止  ◇S51.2.1 木ノ本〜米原 廃止、杉野線が米原線を襲名
2015 年 03 月 25 日 07:31:05 (14899) ふもふも館長さんの書き込み 不毛板(14894)でご紹介した3/21 JRバス関東の新宿→鉄道博物館の主催旅行、 「JRバスに乗って働く自動車展を観に行こう」の目玉が、国鉄バス記録映画 「青い路線」の上映だったのですが、参加された方はおられますか? ※自分は、京都バスのイベント?に参加していました... 不毛板(10990)に、1957(S32)年に制作された「青い路線」の見どころ等を記載して ありますので、ご参考に。その中で、広浜線急行バスに乗って、浜田漁港から 広島駅表口に向かうシーンがあり、「乗り換え 和田本郷」と看板があるバス駅 が登場します。これは、石見今市駅と思われます。 ふたえやんさんのレポートでは、かなり改装されているとの事ですが、現存とは 凄い事です。映画のシーンがキャプチャできれば、当時との比較が出来たと思う のですが。
2015 年 03 月 24 日 19:27:58 (14898) ふたえやんさんの書き込み ご無沙汰しておりました。 気まぐれに広浜線をクルマで辿り、 各自動車駅を訪ねてきたのでレポを。 1.石見今福 今福郵便局そば、広島方から見て左手に駅舎現存。 現在も今福バス停とベンチが敷地内にあります。 運よく持ち主から話を聞くことが出来ました。 一階が土間の待ち合い室、その中に切符売り場、 そして土間から上がって奥に食堂があったそうです。 今は新聞販売店。 二階は乗務員宿泊室で、浜田と広島から二人ずつ 泊まっていました。車両は駅の向かいと、やや浜田寄りに 2ヶ所、分散して留置していました。(話の年代は不明) 今は住居の居室になっています。 石見今福駅舎は、当初から通じて隣家の持ち物だそうで、 駅務の受託も行っていました。 2.石見今市 旧旭町唯一?の信号交差点角に現存。 ただしかなり改装されて民家となり、 駅時代の面影はほぼなし。 当時を知る人とは会えず。 3.西都川 都川小学校近辺にて、広電バスの聞き込み中に 存在を知る。場所は特定出来ませんでした。 車庫もあったらしいですが、駅も含めて宅地に なったとの由。 4.越木 石見今市と同じ、県道同士の交差点角に現存。 専用駅舎ではなく商店受託だったそうです。 名残は敷地内のバス停以外にはなし。 持ち主は居合わせてはいたようですが、 家のなかにいらっしゃったため話は聞けず。 5.石見市木 県道沿いに現存。開業当初から存在するそうです。 現所有者の祖父は広浜線の開業時に市木村の村長で、 省営バス用の待ち合い室、窓口を含む住宅を新築しました。 従って専用駅舎ではありません。 小荷物取扱もあり、「国鉄のトラック」が浜田と広島を 1日1往復していたとの証言。 以上です。自動車駅は建物としての限界を迎えるものも 増えており、また主要道路沿いにあるため拡幅の影響を 受けやすいため、早めの記録が必要です。
2015 年 03 月 16 日 00:21:22 (14897) JRKさんの書き込み 昨日(H27.3.15)に【JR石巻線列車代行バス】(浦宿-女川)に乗ってきました。 浦宿駅の鉄道駅前には、国道398号線を挟んだ向こう側に列車代行バスの仮設転向場があり、ここで待機していたJRバスの窓に は「あ」「り」「が」「と」「う」「女」「川」という張紙が掲出されていました。まもなく列車代行バスの運行を終える上 で、JRバスの方が女川町の方々に向けたメッセージでしょうか? 鉄道駅舎は、H27.3.21に震災前の所在地からは内陸に移設の上で再開されます。これに伴い、JRバス東北(古川)が担当してきた 列車代行バスの運行が終了する予定です。 鉄道運行が再開すると、現在の代行バス女川駅が所在する高台の女川運動公園付近の仮設住宅に住む方々からは、「ちょっと 不便になる。」との声もあるようですね。 因みに、列車代行バス車内では【バス代行区間乗車駅証明書】が発行されます。 (以下は券面の文章です。)       バス代行区間乗車駅証明書 東北地方太平洋沖地震のバス代行区間を乗車したことを 証明いたします。 列車内又は駅の係員に乗車駅をお申し出のうえ、運賃を お支払いください。 東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社 ・・・券面に、特定の乗車「駅」の表示が無く、そこは自己申告のようなので、厳密に言えば乗車「駅」証明書じゃないような文章ですね。
2015 年 03 月 15 日 23:01:15 (14896) ふもふも館長さんの書き込み 古川線について、S60.6当時の路線名称と運賃表を見比べてみた所、 路線名称の第三区間が「金成反町−沢辺(旧国道)」となっているのに、 運賃表の第一区間に旧国道に位置する金成が掲載されている事に気づきました。 当該区間は、S41.11.20に、金成反町(3.1)沢辺 として開業。当時の古川線では 新国道が開通すると、路線名称の第一区間に新国道を組み込み、旧国道を外出し にするルールだったようで、「金成反町−沢辺(旧国道)」が追加されました。 当時の「自動車線普通旅客運賃表」は見たことがありませんが、S51.2.1現在を 見てみると、第一区間に「金成反町(1.3)金成(1.6)沢辺」、第三区間に「金成 反町(3.1)沢辺」となっていますので、S41当時から、路線名称と運賃表の不整合 があったのではないかと考えます。 つまり、金成反町〜沢辺について、路線名称を基準にするなら、第一区間はバイパス 経由で、第三区間は旧国道/金成経由であるので、運賃表の記載が間違っている事に なります。沢辺〜金成反町は、古川本線3=旧国道/金成経由(2.9)より、古川本線1= バイパス経由(3.1)の方が長いようです。 なお、第六区間「陸前羽黒−竹ノ花」について、(旧国道)の表示がありません。当初 「陸前羽黒−竹ノ花(旧国道)」でしたが、S51.2.1「陸前羽黒−陸前荒谷−竹ノ花」 に変更され、S59.4.1に経由表示を変更したようで、こちらも旧国道を意味します。
2015 年 03 月 13 日 13:55:25 (14895) 山城こうじ国鉄周遊券育ちさんの書き込み 今日は、明日3月14日ダイヤ改正、 なくなる列車の惜別ツアーで 南房総に来ています。 「東京都区内発、南房総フリー乗車券」利用です。 新宿なのはな号ですが、 明日の改正日から 中央環状線経由を予定していましたが、 認可の手続きの関係から、 しばらくの間、都心環状線経由で走る とのことです。 ソースは館山駅JRバス窓口の掲示です。 館山駅JRバス窓口に、 「高速バスネット乗車券販売機」が 設置されました。 東京駅八重洲口と同じものですが、 買えるのは「房総なのはな号」と「新宿なのはな号」 のみです。
2015 年 03 月 13 日 10:18:37 (14894) ふもふも館長さんの書き込み 「青い路線」の特別上映会があるようです! http://www.jrbuskanto.co.jp/bus_tour/tour/post_407.html
2015 年 03 月 09 日 00:25:59 (14893) ふもふも館長さんの書き込み 山鹿線菊池温泉付近の古地図を見る機会があり、経路の変遷について 推理してみました。間違い指摘と補足コメント、お助けお願いします。           ・              ・           ・              ・           ・  ・・・・・・・・・・・・・  山鹿  菊池温泉口・  ・           ・  <−−○−−−○−+……+(←ショッピング   ・   羽手の木    |  : センター前)    ・       菊池産交○  : 中央通り   立町 ・立町     (空港便のみ)+−−+−−○−−>−−○−−△−−−+・・           |  :           ・   |           |  :           +−・・|           |  :           | | ★           |  :           | +○+菊池温泉           |  :菊池迎町       | : ・           |  ○……………………………+…+・・           |  :           |           |  :           |        ・・・+−−+−−<−−○−−−−−△・・・・・・           |  :    菊池栄町   ・正観寺         北原○  ○北原         ・           |  +           ・        大琳寺○ :・           ・           |: ・           ・           +  ・        北宮/|         ○ |      瀬高∨  ∨熊本空港 1.S10.8.21開業時は、隈府。菊池電気軌道の隈府駅構内にあったと推測。   なお、S17に菊池電気鉄道に、S23に熊本電気鉄道に改称している。 2.S27.3.1「停車場一覧」によると、隈府駅前に改称、熊本電気鉄道との接続を   中止した模様。駅構内から移転か。時期はS21.3.31以降と思われる。 3.S32.11.1現在の路線図には、隈府温泉と記載されている。改名した模様。   なお、熊本電気鉄道の隈府駅は、S33年に菊池駅に改称している。 4.S34.12.16に隈府〜隈府温泉が開業。この時、隈府温泉を隈府に改称か。   S37当時の国鉄隈府駅の写真が残っている。場所は不明だが、菊池駅構内で   ない事は明らかで、駅付近と思われる。   https://bp.kumanichi.com/photo/images/files/1962/1962100067.jpg   開業区間の経路は、菊池迎町から温泉街に向かったと推測。   なお、隈府温泉は、S37.5.15に菊池温泉に改称している。 5.S41.3.1に隈府から菊池温泉口に改称。S47当時の写真が残っている。   場所は不明だが、隣に米屋があり、S37当時の隈府駅とも異なるようだ。   http://ekimei.exblog.jp/1585650 6.時期不明だが、菊池迎町を通る旧道ルートを廃止し、菊池温泉へは循環線と   なったようだ。 7.S57以降、時期不明だが、菊池駅から南に向かう道が、駅構内を通って北へ   延伸された。このタイミングで菊池駅舎を新設したと思われる。国鉄バス駅は   再び駅構内に移転か。停留所には、菊池駅と描かれていたらしい。 8.S61.2.15限で熊本電気鉄道の御代志〜菊池を廃止。菊池駅は、菊池プラザに改称。   JRバス駅として、H2頃まで営業していたようだが、いつまで営業していたか不明。   JRバス駅は菊池プラザ内にあったか。 9.JRバス撤退後、菊池温泉バス停の位置が、湯元旅館と旅館進都の間から、熊本   電鉄の菊池温泉案内所(現 望月旅館駐車場、上図★)に移転した模様。
2015 年 03 月 08 日 17:13:18 (14892) ふもふも館長さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 園福線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇園福線   園福本線    1 園部−福知山    2 新須知−何鹿神社前−檜山    3 何鹿神社前−光久    4 丹波町役場前−丹波長野    5 丹波高原−下山    6 常照寺下−檜山    7 檜山−妙楽寺−丹波大身    8 妙楽寺−行仏−下山    9 丹波三ノ宮−戸津川    10 檜山−小野    11 丹波梅田−鎌谷奥    12 細見千束−細見中出    13 丹波新橋−丹波大原    14 丹波岩崎−丹波田野    15 丹波岩崎−長田野−土師新町    16 丹波土師−福知山(南回り)   有路線    1 福知山−南有路 1.2 路線略図               ○戸津川               |            丹波 |  福知山 丹波大身  三ノ宮| 水呑 行仏 下山  <−○−−○−−−−−−−○……○−−○−−◎    菟原 |       |  |     |       |       |  |     | ★:現在は       |    妙楽寺○−−・     |   瑞穂病院前バス停       |       |        |       |       |        ○丹波長野       |     ・=○丹波和田    |\       園部       |出口妙見前‖ |   常照寺下 | \  新須知 河原町   丹波梅田○−−○−−+−−−+−−○−−○+−+○−−○−−−○−−◎       |  :    | |  :  丹波 ‖丹波町|   | 園部       |  ・    ★−・  ・  高原 ‖役場前|   |       |   ・   |   ・      ☆   ・   ∨       |  大朴○−−○……・ ☆:現在は    /   篠山口       |    |  |檜山  丹波公園センター/       |    |  ・−−−−−−−−−−−○何鹿神社前       |    |              |       |    |              |    鎌谷奥○  小野○            光久○      ○南有路      |      |      ○筈巻      |     ※(農協センター前→)農協支所前      |      (→福知山ロイヤルホテル前→ロイヤルヒルホテル前)    ・−・      とバス停名称が変遷した模様    |福知山  ・−◎−−・       農協  |    |  土師新町 支所前※  長田野          丹波大原  ・−●−−+−○−−○−−●−+−−−−○−・      ・−−−−○   緑ヶ丘 丹波土師  ・   |      |     /              ・  +==・   |    ・               ・ |  ‖   |丹波岩崎|細見千束  園部                ・○−−+−○−+−○−−○−−○−−○−>               養老水公園 下六人部 |丹波新橋 | 菟原                          |     |                        ・…○丹波田野 ○細見中出                        :                        :                        ◎丹波竹田 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・園福線は、1934(S9)年の園篠線の園部延伸を経て、1939(S14)年に園部河原町〜  福知山を開業したのがルーツ。その後、園篠線から独立し、園部〜園部河原町も  園福線に移管された。 2.2 旅から30年 ・2015(H27)年現在、枝線の大半は廃止もしくは町営バス等に移管されているが、  本線は現在も西日本JRバスによって運行されている。 ・2015(H27)年7月に、京都縦貫自動車道 丹波IC〜京丹波わちICが開通見込みで、  檜山バス停の裏手に高速道が通り、何鹿神社前付近にPAに併設した道の駅「京丹  波 味夢の里」が開業する。園福線の脅威にならないか心配である。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.3号 6.近畿編(下) 24日目 7/4(木) ・連載誌のみ 新須知のバス(534-3077)写真 (2) 単行本 ・24日目 7/4(木) p121〜127 3.2 乗車券の経路 ・園福本線8 下山−行仏−妙楽寺 ・園福本線7 妙楽寺−檜山 ・園福本線2 檜山−何鹿神社前−新須知 ・園福本線1 新須知−丹波町役場前−丹波高原−常照寺下−丹波梅田−丹波岩崎       −下六人部−丹波土師−福知山 3.3 行程 ・下山1254→1312檜山 園福本線5+1+6=丹波高原経由 534-2073 ◇檜山1430→1443新須知 園福本線6+1=本線 534-2073 ◇新須知1642→1658檜山 園福本線2=何鹿神社前経由 534-3077 ◇檜山1700→1735下山 園福本線7+8=行仏経由 534-6003 ・下山1802→1820檜山 園福本線5+4+1+6=国道27号経由 534-6004 ◇檜山1902→2007福知山 園福本線6+1=下六人部経由 534-8003 3.4 エピソード ・檜山のそばのX地点=交差部分に駅がなく、片道で発券してもらえた。 ・檜山は車庫に接して広々とした屋根付きホームがあり、きっぷ売場から待合室ま  でそろった大駅である。待合所にスーツケースを置いて身軽になった。 ・下山1802発は「27号経由」と放送し、本線の須知高校前に寄り道した。時刻表に  載っていない運行系統である。 3.5 旅の考察 ・常照寺下〜檜山〜出口妙見前については、1972(S47)年にバイパスが完成、1983  (S58)年に旧道経由を廃止した。この時点で、檜山は第一区間から外れ、バイパス  から最短経路で檜山に入る経路が開通したのではと推測する。現在は、瑞穂病院前  バス停が出来、丹波和田からバイパスに入る経路も出来、経路が様変わりしている。 ・丹波町役場前〜丹波高原は園福本線1(2.5)より丹波長野経由(3.8+2.5)が長い。 ・丹波岩崎〜丹波土師は園篠本線1=下六人部経由(5.9)より園篠本線15=長田野経由  (6.1)が長い。 ・丹波土師〜福知山は園篠本線1(2.4)より園篠本線16=南回り(5.1)が長い。
2015 年 03 月 08 日 16:04:24 (14891) まこっさんの書き込み 小塚大師臨時便情報!! 毎年、初大祭の1/21のみ運行される小塚大師の臨時便ですが、 今年は、「開創1200年 記念大祭」ということで、3/21〜3/31にも運行されます。 [運行時刻] ・3/21(土・祝)  館山900→930小塚大師  館山1100→1130小塚大師  小塚大師1300→1330館山 ・3/22(日)〜3/31(火)  館山900→930小塚大師  小塚大師1055→1125館山 ただし、小塚大師発は、1/21の臨時便のように豊房経由ではなく、往復ともに犬石経由です。 なお、フラワー(館山〜休暇村〜洲の崎灯台〜南房パラダイス〜野島崎灯台〜安房白浜)も 2、3月の土日祝日のみ運行しています。
2015 年 03 月 03 日 23:29:23 (14890) ふもふも館長さんの書き込み http://www.k4.dion.ne.jp/~desktopt/index.htm デスクトップ鉄のデータルーム・別館〜旅規ポータルから 「旅客営業規則」1958(S33).10.01新設〜2001(H13).07.01削除 第17条 自動車線駅と鉄道駅との特殊取扱 「次の自動車線の駅は、鉄道駅と同一の駅とみなして旅客の取扱をする」の対象駅の 推移をまとめました。 1958(S33) ・好摩口、岩沼町、夏井駅前、小野上駅前、中之条駅前、川原湯駅前、津幡駅前、  塩津駅前、筑前土井を追加 <--最初に追加された9駅 1959(S34) ・鵜川口を追加 ・好摩口を削除 <--最初に削除された駅 1960(S35) ・開聞駅前、東入野、頴娃町、中居南口、比良駅前、矢波駅前、波並駅前、藤波駅口、  宇出津駅前を追加 1961(S36) ・垂水駅前を追加 1962(S37) ・岩沼町を岩沼北町に変更 1963(S38) ・湯田温泉通、松波駅前、小木駅前、枕崎駅前を追加 ・中居南口、比良駅前、矢波駅前、波並駅前、藤波駅口を削除 1964(S39) ・鵜川口、松波駅前を削除、本蛸島を追加 1965(S40) ・坂出駅前、丸亀駅前、豊浜駅前、川之江駅前、伊予三島駅前、小松駅前を追加 1966(S41) ・前ノ輪、共和駅前、大府駅口、大滝温泉駅前、琴似本通、住吉神社前、大谷地通、  上野幌駅通、大山駅前、幸袋本町を追加 ・垂水駅前、夏井駅前を削除 ・前ノ輪を大高駅前に変更 1967(S42) ・箱崎八幡を箱崎宮前に変更 1968(S43) ・中尊寺を追加 1969(S44) ・幸袋本町を削除 1970(S45) ・大屋駅前、岐阜駅前を追加 ・箱崎宮前を箱崎駅前に変更 1972(S47) ・岩泉駅前、越前朝日を追加 1973(S48) ・大谷地通を削除 ・岩沼町を岩沼中央三丁目に変更 1974(S49) ・小野上駅前、中之条駅前、川原湯駅前を削除 1975(S50) ・陸中野田駅前、普代駅前を追加 1976(S51) ・板野駅南を追加 <--最後の追加駅 1979(S54) ・坂出駅前、丸亀駅前、豊浜駅前、川之江駅前、伊予三島駅前、小松駅前を削除 1984(S59) ・陸中野田駅前、普代駅前を削除 1987(S62) ・中尊寺、大高駅前、共和駅前、大府駅口、津幡駅前、塩津駅前を削除 1988(S63) ・宇出津駅前、本蛸島、小木駅前、岩泉駅前、岩沼中央三丁目、大滝温泉駅前、  大屋駅前、九頭竜湖駅前、岐阜駅前、湯田温泉通を削除 1999(H11) ・板野駅南を削除 2000(H12) ・琴似本通、住吉神社前、上野幌駅通、開聞駅前、東入野、頴娃町、枕崎駅前、  大山駅前を削除 2001(H13) ・筑前土井、箱崎駅前を削除 <--最後まで残った駅 1-1 札樽線 琴似本通 函館本線 琴似 S41.04.01改訂-H12.04.01改訂 1-2 札樽線 住吉神社前 函館本線 南小樽 S41.04.01改訂-H12.04.01改訂 2-1 空知線 大谷地通 千歳線 大谷地 S41.04.01改訂-S48.09.01改訂 3-1 長沼線 上野幌駅通 千歳線 上野幌 S41.04.01改訂-H12.04.01改訂 4-1 沼宮内西本線 好摩口 東北本線 好摩 S33.10.01施行-S34.02.08改訂 5-1 早坂高原線 岩泉駅前 岩泉線 岩泉 S47.02.06改訂-S63.04.01改訂 6-1 陸中海岸線 陸中野田駅前 久慈線 陸中野田 S50.07.20改訂-S59.04.01改訂 6-2 陸中海岸線 普代駅前 久慈線 普代 S50.07.20改訂-S59.04.01改訂 7-1 仙台盛岡急行線 中尊寺 東北本線 平泉 S43.08.01改訂-S62.04.01施行 8-1 仙台南線 岩沼町→岩沼北町→岩沼中央三丁目 東北本線 岩沼 S33.10.01施行-S63.04.01改訂 9-1 大館線 大滝温泉駅前 花輪線 大滝温泉 S41.03.10改訂-S63.04.01改訂 10-1 桶売線 夏井駅前 磐越東線 夏井 S33.10.01施行-S41.09.01改訂 11-1 和田峠北本線 大屋駅前 信越本線 大屋 S45.02.16改訂-S63.04.01改訂 12-1 吾妻本線→渋川線 小野上駅前 長野原線→吾妻線 小野上 S33.10.01施行-S49.12.12改訂 12-2 吾妻本線→渋川線 中之条駅前 長野原線→吾妻線 中之条 S33.10.01施行-S49.12.12改訂 12-3 吾妻本線→渋川線 川原湯駅前 長野原線→吾妻線 川原湯 S33.10.01施行-S49.12.12改訂 13-1 名古屋線→瀬戸南線 前ノ輪→大高駅前 東海道本線 大高 S41.02.05改訂-S62.04.01施行 13-2 名古屋線→瀬戸南線 共和駅前 東海道本線 共和 S41.02.05改訂-S62.04.01施行 13-3 名古屋線→瀬戸南線 大府駅口 東海道本線 大府 S41.02.05改訂-S62.04.01施行 14-1 大野線 越前朝日→九頭竜湖駅前 越美北線 九頭竜湖 S47.12.15改訂-S63.04.01改訂 15-1 名金線 岐阜駅前 東海道本線 岐阜 S45.07.01改訂-S63.04.01改訂 16-1 宝達線 津幡駅前 北陸本線 津幡 S33.10.01施行-S62.04.01施行 17-1 敦賀線 塩津駅前 北陸本線 近江塩津 S33.10.01施行-S62.04.01施行 18-1 奥能登本線 中居南口 能登線 中居 S35.04.17改訂-S38.01.10改訂 18-2 奥能登本線 比良駅前 能登線 比良 S35.04.17改訂-S38.01.10改訂 18-3 奥能登本線 鵜川口 能登線 鵜川 S34.06.15改訂-S39.09.21改訂 18-4 奥能登本線 矢波駅前 能登線 矢波 S35.04.17改訂-S38.01.10改訂 18-5 奥能登本線 波並駅前 能登線 波並 S35.04.17改訂-S38.01.10改訂 18-6 奥能登本線 藤波駅口 能登線 藤波 S35.04.17改訂-S38.01.10改訂 18-7 奥能登本線 宇出津駅前 能登線 宇出津 S35.04.17改訂-S63.03.25改訂 18-8 奥能登本線 松波駅前 能登線 松波 S38.10.01改訂-S39.09.21改訂 18-9 奥能登本線 本蛸島 能登線 蛸島 S39.09.21改訂-S63.03.25改訂 19-1 小木線 小木駅前 能登線 能登小木 S38.10.01改訂-S63.03.25改訂 20-1 北四国急行線 坂出駅前 予讃本線 坂出 S40.03.18改訂-S54.07.22改訂 20-2 北四国急行線 丸亀駅前 予讃本線 丸亀 S40.03.18改訂-S54.07.22改訂 20-3 北四国急行線 豊浜駅前 予讃本線 豊浜 S40.03.18改訂-S54.07.22改訂 20-4 北四国急行線 川之江駅前 予讃本線 川之江 S40.03.18改訂-S54.07.22改訂 20-5 北四国急行線 伊予三島駅前 予讃本線 伊予三島 S40.03.18改訂-S54.07.22改訂 20-6 北四国急行線 小松駅前 予讃本線 伊予小松 S40.03.18改訂-S54.07.22改訂 21-1 阿波本線 板野駅南 高徳本線 板野 S51.01.15改訂-H11.06.10改訂 22-1 秋吉本線 湯田温泉通 山口線 湯田温泉 S38.07.01改訂-S63.04.01改訂 23-1 直方本線 筑前土井 香椎線 土井 S33.10.01施行-H13.07.01改訂 23-2 直方本線 箱崎八幡→箱崎宮前→箱崎駅前 鹿児島本線 箱崎 S42.06.01改訂?-H13.07.01改訂 24-1 飯塚線 幸袋本町 幸袋線 幸袋 S41.12.28改訂-S44.12.08改訂 25-1 山川本線 開聞駅前 指宿線→指宿枕崎線 開聞 S35.03.22改訂-H12.05.30改訂 25-2 山川本線 東入野 指宿線→指宿枕崎線 入野 S35.03.22改訂-H12.05.30改訂 25-3 山川本線 頴娃町 指宿線→指宿枕崎線 頴娃 S35.03.22改訂-H12.05.30改訂 25-4 山川本線 枕崎駅前 指宿枕崎線 枕崎 S38.10.31改訂-H12.05.30改訂 26-1 川尻線 大山駅前 指宿枕崎線 大山 S41.12.26改訂-H12.05.30改訂 27-1 国分本線 垂水駅前 古江線 垂水 S36.04.13改訂-S41.03.01改訂
2015 年 02 月 23 日 23:37:10 (14889) ふもふも館長さんの書き込み 不毛板(14766)で紹介した、東京〜大阪「高速バス開業50周年記念きっぷ」を購入。 片道×2しか乗車しなかったが、乗車経路を報告する。 1.西日本JRバス 東海道昼特急 東京→大阪 ・以下の経路であった。  東京駅八重洲南口[乗8]、構内出て右、外堀通り、鍛冶橋を右、鍛冶橋通り、  馬場先門を左、日比谷通り、日比谷を右、晴海通り、祝田橋を直進、内堀通り、  半蔵門を左、新宿通り、四ッ谷4を直進、新宿御苑トンネル、新宿4を左、明治通り、  千駄ヶ谷5を右、右、左で構内入、新宿駅新南口[乗]、構内出て左、左、明治通り、  新宿4を左、国道20号、初台を左、山手通り、初台南入口、首都高速中央環状線、  大橋JCT、首都高速3号渋谷線、東名道、東名向ヶ丘[乗]、東名江田[乗]、  東名大和[乗]、東名厚木[乗]、東名御殿場[乗]、足柄SA[休憩]、東名富士[乗]、  東名静岡[乗]、東名浜松北[乗]、浜名湖SA[休憩]、三ヶ日[乗務員交代]、  伊勢湾岸道、東名阪道、新名神道、甲南PA[休憩]、名神道、京都深草[降]、  名神大山崎[降]、名神高槻[降]、吹田IC、中央環状線、千里IC、新御堂筋、  千里ニュータウン[降]、曾根崎東を右、阪神前を右、芝田を左、構内入、  大阪駅JR高速BT[降9] ・首都高速中央環状線(初台南入口〜大橋JCT)は、初体験。 2.JRバス関東 中央道昼特急 大阪→東京 ・以下の経路であった。  湊町BT(OCAT)[乗4]、構内出て左、左、四ツ橋筋、大阪駅前西を右、阪神前を左、  芝田を左、構内入、大阪駅JR高速BT[乗1]、構内出て左、大阪駅前西を左、  阪神前を直進、曾根崎東を左、新御堂筋、千里ニュータウン[乗]、千里IC、  中央環状線、吹田IC、名神道、名神高槻[乗]、名神大山崎[乗]、京都深草[乗]、  名神八日市[乗]、多賀SA[休憩]、中央道、中津川インター[降]、小黒川PA[休憩]、  境川PA[休憩]、中央道八王子[降]、中央道日野[降]、中央道府中[降]、中央道  深大寺[降]、中央道三鷹[降]、首都高速4号新宿線、新宿出口、新宿中央公園北を右、  コクーンタワー西付近を左、新都心歩道橋下を直進、新宿大ガード東を右、Uターン、  新宿駅東口[降はとバス4]、新宿大ガード東を右、靖国通り、富久町西を右、  外苑西通り、四ッ谷4を東、新宿通り、半蔵門を右、内堀通り、祝田橋を直進、  晴海通り、日比谷を左、日比谷通り、大手町を右、永代通り、右で構内、  東京駅日本橋口[降] ・新名神を経由する高速バスが増え、米原JCT経由に久々に乗車した。 ・東京→新宿は何度も乗車したが、新宿→東京は初体験。新宿駅東口のUターンに  ビックリ。新宿−靖国通り−外苑西通り−四ッ谷4までが初体験区間。 3.レンタルバイク ・箕面市にあるレンタルバイク屋で24時間契約でバイクを借りた。 ・訪問地は、以下の通り。  ◇江坂 ダスキン本社、リオちゃん、カーニバルプラザ跡地  ◆高槻市出灰 雪のため、ここで引き返す 高槻市営バスの路線網に驚愕  ◆名神豊中、新大阪駅、大阪駅 名神高速線の旧経路をトレース  ◆中央環状線 国鉄東大阪線のトレースは実施せず  ◆富田林の塔 予備知識なく驚愕 近くまで行くが、入口がわからず、参拝は断念  ◆金剛山ロープウェイ  ◆大阪外環状線  ◆万博外周道路、万博公園 EXPO'70 パビリオン、日本庭園、ソラード  ◆星見台第二商店街・空見台 高野台小学校付近、五月ヶ丘付近を彷徨う  ◇十三駅名物ポテそば、阪神スナックパーク、EXPO CAFE
2015 年 02 月 22 日 14:12:20 (14888) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 長恵線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇長恵線   長恵本線    東町−漁町    東町−富志戸−開拓通    東舞鶴−南長都    下山口−島松    漁橋−南九号−下島松   古山線    長勝寺前−東長沼 1.2 路線略図               ながぬま温泉                ○            東町  |富志戸      中央長沼<−○+−−○−−・          長沼 ○ 長勝  |          高校前| 寺前  |             ・−○−○−○東長沼               | 山根|               | 排水+−○ハイジ牧場             共和○   ○開拓通               |            南長沼○               |東舞鶴          北恵庭  ○−−−○−−○遠軽団地         ・−○−・ |   |繁殖橋         |   | |大学橋○         |南15号○−○漁太 |      南9号○   | |   ○南長都         |   | |      下島松○−−−○−○下山口            |  漁橋 |         |     |    北広島<−◎島松 ○−○上山口         |   |中恵庭         V恵庭 |           <−○−>恵庭          島松 漁町   2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・長恵線は、1949(S24)年に長広線(→長沼線)の支線長恵線として、中央長沼〜  漁(→漁町)が開業したのがルーツで、長沼地区の開拓を促進し、交通に恵まれ  ない長沼周辺町村と鉄道線との短絡を使命としていた。 ・1986(S61)年3月末限りで恵庭市内の区間(東舞鶴〜漁町、下山口〜島松、漁橋  南九号〜下島松)が休廃止されるとともに、長沼町内でも国鉄バス4路線(ハ  イジ牧場前〜開拓通、長勝寺前〜東長沼、東舞鶴〜恵庭と長沼線の中央長沼〜  希望の模様)が廃止された。長恵線のこれらの区間は同年12月の「国鉄自動車  路線名称」全面改正で削除された。 2.2 旅から30年 ・存続した長沼町内の区間は、国鉄民営化を経てJR北海道に継承された。国鉄  最後の日の1987(S62).3.31に長沼温泉への乗り入れが始まった。その後、国鉄  時代から札幌始発で季節運行されていたハイジ牧場便が2000(H12)年に廃止され、  最後まで残った高校前〜南長都、繁殖橋〜遠軽団地(国鉄時代から冬季のみ季節  運行していた)が2003(H15)年に廃止された。 ・2015(H27)年現在、東町〜長沼高校前で北広島方面からの直通便がJR北海道バス  によって運行されている。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.9号 12.北海道編(下) 66日目 8/24(土) (2) 単行本 ・66日目 8/24(土) p309〜311 3.2 乗車券の経由欄 ・「東町、長恵線、東長沼、長勝寺前、下山口、漁橋、南九号、島松、長沼線、  恵庭」 3.3 行程 ◇東町1623→1631東長沼 長恵本・古山線中央長沼発 開拓通行(山根排水経由)                         537-5503(日野RC320P) ◇東長沼1644→1658中央長沼 長恵本線 開拓通発 中央長沼行(富志戸経由)                         537-5503(日野RC320P)   ◇中央長沼1750→1809東舞鶴 長恵本線 中央長沼発 南長都行                         537-1011(日野K-RE141)   ◇東舞鶴1812→1835恵庭 長恵本・恵庭線 東舞鶴発 恵庭行                         537-1008(日野K-RE141)                            3.4 エピソード ・中央長沼で逆まわりの開拓通行きがあったので時間節約のため利用。東長沼  〜開拓通を折り返して東町経由中央長沼まで戻り、行きは山根排水経由、  帰りは富志戸経由と一周できるからそのまま乗り込む。 ・隣の席のおばさんに「中国から来たのか」と尋ねられて驚く。 ・長勝寺前からのルートは農道のような感じで途中から道路の舗装が途切れ、  凹凸が激しい。 ・きっぷの経路を通る恵庭発着の循環系統は最終便が出た後。明日は日曜日で  朝便は運休のため断念。 3.5 旅の考察 ・最長片道きっぷの経路は「下山口、漁橋、南九号、島松」とあり、当時の  「自動車線普通旅客運賃表」の長恵線の項にも漁橋7.3南九号5.1下島松と  いう区間が載っているが、当時は漁橋〜南十五号を通るバスはなかった模様  である。1983(S58).5.16改正ダイヤでは恵庭〜南九号循環系統は漁橋〜  南十五号を経由していたが、1983(S58).12.12改正ダイヤでは漁橋〜下山口  〜漁太〜西一線〜南十五号経由に変更されていた。
2015 年 02 月 22 日 14:07:38 (14887) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 伊達線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇伊達線   伊達本線    伊達紋別−日赤前−東雲町−大岸市街    東雲町−洞爺村   黄金線    日赤前−黄金    開拓記念館前−上弄月−萩原−網代町   壮瞥線    日赤前−西関内   喜門別線    末永町−喜門別川−西関内 1.2 路線略図      ○洞爺村      |        西関内      |         ○−−○喜門別川      |         |  |      |      末永変|  |      |      電所前○−−+      |         |  |伊達高 上弄月      ○小花井   末永町○−−○校前 ・−○−・  大岸  |         |      |   |  市街  |         |日赤前   |   |   ○−−○−−◎−−◎−−−○−+−○−−○−+−○萩原   | 東雲町 洞爺 有珠  | |開拓記 舟岡| |   ◎            | |念館前 町 | |   大岸        網代町○−+○−−+  | |                |  旭町公+−○+−○下萩原                |  営住宅 見晴団地前            伊達紋別◎  前 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・伊達線は、1955(S30)年に羊蹄線の支線として、豊浦〜虻田(→洞爺)〜伊達紋別  〜萩原〜稀府、網代町〜西関内〜壮瞥が開業したのがルーツで、国道37号沿線の  地域輸送を使命としていた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、伊達本線には伊達紋別〜大岸3往復、伊達  紋別〜舟見町3.5往復、伊達紋別〜萩原5.5往復、舟見町〜洞爺村2往復が設定さ  れていたのが確認できる。    伊達紋別0637→0716舟見町  舟見町0732→0818伊達紋別        0910→1012大岸   舟見町0847→0936        1115→1201舟見町   大岸1020→1121        1256→1358大岸   舟見町1212→1300        1550→1652大岸    大岸1415→1516        1720→1808舟見町   大岸1710→1813                  舟見町1820→1903    伊達紋別0646→0701萩原    萩原0701→0722伊達紋別        1150→1207        0738→0801        1430→1447        1207→1228        1625→1643        1447→1508        1840→1855        1643→1703                     1855→1916    舟見町0650→0737洞爺村   洞爺村0745→0834舟見町       1705→1754         1805→1854 ・1986(S61)年6月改正ダイヤでは、伊達本線は伊達紋別〜舟見町の運行となり  6往復が設定されていた。1986(S61)年8月改正ダイヤでは、黄金線は循環便  が9回、営業所前発着は出庫便が5回、入庫便が1回、壮瞥・喜門別線は  循環便が6回、伊達紋別〜高校前の通学便が1.5往復がそれぞれ設定されていた。 ※補足 ・伊達・豊浦地区における最初の国鉄自動車路線は、1948(S23)年に豊浦〜京極、  幸町〜向洞爺が開業した羊蹄線であった。同線は、羊蹄山麓地帯の産業開拓  促進と、真狩地区から室蘭本線への短絡を使命としていた。羊蹄線は、1971  (S46)年に真狩〜京極、1972(S47)年に大和〜真狩、1981(S56)年に小花井〜大和  が廃止され、残った区間も1985(S60)年に廃止された。 2.2 旅から30年 ・羊蹄線の廃止に伴って伊達本線に移管された東雲町〜洞爺村は1985(S60)年3月  末限りで休廃止されたが、1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正  で削除された。 ・当時、伊達本線は大岸まで運行されていたが、同じく「国鉄自動車路線名称」全  面改正で舟見町〜大岸が削除された。 ・国鉄民営化を経て、伊達線はJR北海道に継承された後、1988(S63)年に舟見町  〜豊浦が延長された。その後、1996(H8)年に伊達線は全廃された。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.8号 11.北海道編(上) 60日目 8/18(日) ・連載誌のみ 有珠停留所の写真、伊達紋別駅の写真 (2) 単行本 ・60日目 8/18(日) p279〜281 ・単行本のみ つばめマーク入り有珠バス停の写真 3.2 乗車券の経由欄 ・「有珠 伊達線 日赤前 上弄月 萩原 旭町公営住宅前 伊達紋別」 3.3 行程 ◇有珠0908→0936伊達紋別 伊達本線 521-9002(いすゞBU04)                           舟見町発 伊達紋別行 ◇伊達紋別1015→1023開拓記念館前 黄金線 527-9015(日野RE101)                          伊達紋別発 伊達紋別行 ◇開拓記念館前1158→1228伊達紋別 黄金線(上弄月経由)               521-9002(いすゞBU04)伊達紋別発 伊達紋別行 3.4 エピソード ・国鉄バスのつばめマーク入りの有珠停留所は駅からちょっと離れた国道沿い  にある。 ・日赤前で黄金線に乗り換える経路だが、乗り継ぎ時間があるとの運転士情報  で伊達紋別まで飛び出し乗車。お客のほとんどが日赤前で下車してしまい、  伊達市街の中心部らしかった。 3.5 旅の考察 ・室蘭本線有珠駅と伊達本線有珠停留所は場所が離れているが、同一駅(接続  駅)とされていた。
2015 年 02 月 22 日 11:20:44 (14886) 山城こうじ国鉄周遊券育ちさんの書き込み 政宗3号さんの、 「種村直樹さん、国鉄最長乗車券」の検証、 興味深く読んでいます。 僕も国鉄バスに対する興味、 あの紀行の影響を受けましたから。 「国鉄バスセット回数券」ですが、 当時、関西圏の学生だった僕が、 購入して、使用していたのは、 京都の京鶴線、丹波の園篠線と園福線、 奈良の阪本線などですが、 これらの地区で購入したものは、 すべて同じ様式で、 使用可能エリアを制限する表記はなく、 種村さんの「どこでも使える」の記述に、 何も疑問を感じなかったことを、 記憶しています。 実は、同じレベルのこと、 JRバスの時代になっても変化はなく、 JRバス関東、古河地区のコンビニで購入した、 (現在も発売しているかどうかは未確認) \10000で販売、\12100分使えるセット回数券、 JRバス関東、ほぼ全域で使ったことがありますが、 運転手さんに疑問に思われることはなく、 「ああ、セット券ですね。 ウチでは売っていないのですが、 使う分は、どこでも使えます」 という対応をされます。 分割民営化時に、 国鉄バスセット回数券、民営化後の 取扱いについてたずねましたが、 「民営化後の各社、 (一般路線)すべて制限なく使える。 その期限の制限はない」 でしたので、現在でも使えると思います。 ほとんどの人は、記念に置いておくでしょうが。
2015 年 02 月 11 日 22:11:28 (14885) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 杉津線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇杉津線    敦賀−新保    今庄−大桐 1.2 路線略図   ◎−−−○−−−○   ○−−−◎   敦賀  葉原  新保  大桐  今庄 2. 路線解説 2.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・杉津線は、北陸本線北陸トンネル(敦賀〜今庄)の開通に伴い、同区間の旧線(  1日8往復のローカル列車が運行)の代替輸送を行うために、1962(S37)年に、  旧線廃止と同時に敦賀〜新保駅前、今庄〜下新道が開業した。 ・杉津線は、1962(S37)年の北陸本線旧線廃止と同時に既設の道路により、敦賀〜新  保駅前(9往復)、今庄〜下新道(4往復)の代行輸送を開始した。その後、  1963(S38)年に軌道撤去後の道床は福井県道となり改修工事が完成したので、  路線変更を行い、敦賀〜新保、今庄〜大桐の運行を開始した。停留所は敦賀〜  新保に14か所、今庄〜大桐に9か所設置された。 ・1979(S54)年当時の運行回数は、敦賀〜新保8往復、敦賀〜葉原4往復、今庄〜大  桐8往復となっていた。国鉄最後のダイヤ改正であった1986(S61)年11月改正  ダイヤでは、敦賀〜新保9往復、敦賀〜葉原1往復が設定されていた。 ・1986(S61)年に今庄〜大桐の廃止公示が出された。 ※補足 杉津線の運行状況の推移 ・国鉄監修交通公社時刻表1964(S39)年9月号では、杉津線に次のような便が設定さ  れていたことが確認できる。    敦賀0606→0630新保  新保0634→0701敦賀      0650→0714      0710→0748      0930→0957      1003→1030      1400→1427      1432→1459      1610→1637      1642→1709      1730→1757      1802→1826 2.2 旅から30年 ・国鉄民営化を経て、敦賀〜新保は西日本JRバスに継承されたが、2002(H14)年に  廃止された。 ・民営化後の1997(H9)年3月改正ダイヤでは、敦賀〜新保に8往復(うち日祝運休  3往復、土日祝運休1往復、土日祝運転1往復)が設定されていた。
2015 年 02 月 11 日 22:09:18 (14884) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 米原線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇米原線    木ノ本−土倉 1.2 路線略図   ◎−−−−−−○−−−○  木ノ本    金居原  土倉  ※金居原〜土倉は1982(S57)年6月時点で既に長期休止中。 2. 路線解説 2.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・米原線は、1949(S24)年に琵琶湖線の支線として木ノ本〜土倉が開業したのが  ルーツで、1962(S37)年に米原線の支線である杉野線となった。その後、1976  (S51)年に米原本線(木ノ本〜米原)の廃止に伴って、新たに米原線と改称さ  れた。同線は、沿線地方の産業・文化の発展助長を使命としていた。 ・1976(S51)年の時点では(自)木ノ本が自動車駅として存在していた。また、  1985(S60)年当時、バス運行の拠点として木ノ本に近江今津自営木ノ本支所が  置かれていた。 ※ 補足 米原線の運行状況の推移 ・1949(S24)年9月現在のダイヤでは、米原線(木ノ本〜土倉)には次のような  便が設定されていた。    木ノ本0610→0725土倉  土倉0615→0715木ノ本       1550→        1615→       1835→1939    木ノ本〜近江川合 1.0往復    木ノ本〜金居原 1.0往復    木ノ本〜杉野 3.0往復    木ノ本〜古橋 3.0往復 ・1952(S27)年4月訂補のダイヤでは、米原線(木ノ本〜土倉)には次のような  便が設定されていたのを確認できる。    木ノ本0625→0735土倉  土倉0740→0845木ノ本       1010→1120      1125→1230       1500→1610      1615→1720    木ノ本〜近江川合 2.0往復    木ノ本〜金居原 1.0往復    木ノ本〜杉野 2.0往復 ・1954(S29)年9月訂補のダイヤでは、米原線(木ノ本〜土倉)には次のような  便が設定されていたのを確認できる。    木ノ本0630→0730土倉  土倉0732→0832木ノ本       1240→1340      1342→1442       1510→1610      1615→1715    木ノ本〜金居原 2.0往復    木ノ本〜杉野 1.0往復 ・1955(S30)年5月改正のダイヤでは、米原線(木ノ本〜土倉)には次のような  便が設定されていたのを確認できる。    木ノ本0555→0710土倉  土倉0715→0834木ノ本       1230→1345      1450→1604       1510→1624      1645→1759    木ノ本〜金居原 2.0往復    木ノ本〜近江川合 3.0往復 ・1956(S31)年4月訂補のダイヤでは、米原線(木ノ本〜土倉)には次のような  便が設定されていたのを確認できる。    木ノ本0640→0734土倉  土倉0740→0834木ノ本       1220→1314      1330→1424       1455→1549      1553→1647    木ノ本〜金居原 2.0往復    木ノ本〜杉野 2.0往復 ・1959(S34)年5月訂補のダイヤでは、米原線(木ノ本〜土倉)には次のような  便が設定されていたのを確認できる。    木ノ本0620→0715土倉  土倉0720→0820木ノ本       0700→0755      1035→1130       0910→1005      1305→1400       1205→1300      1615→1710       1515→1610      1825→1920       1720→1820    木ノ本〜金居原 下り1本・上り2本 ・1961(S36)年7月現在のダイヤでは、米原線(木ノ本〜土倉)には次のような  便が設定されていたのを確認できる。    木ノ本0630→0720土倉  土倉0725→0820木ノ本       0715→0805      0842→0932       0900→0950      1015→1105       1205→1255      1310→1400       1500→1550      1600→1650       1922→2012    木ノ本〜金居原 2.0往復    木ノ本〜川合 上り1本 ・国鉄監修交通公社時刻表1964(S39)年9月号では、米原線(木ノ本〜土倉)には  次のような便が設定されていたのを確認できる。    木ノ本0632→0720土倉  土倉0725→0815木ノ本       0700→0748      0755→0845       0900→0950      1040→1130       1035→1125      1230→1320       1325→1415      1425→1515       1530→1620      1625→1713    木ノ本〜金居原 下り3本・上り2本 2.2 旅から30年 ・米原線は、国鉄民営化を経て、長期休止中の金居原〜土倉を含めて西日本JR  バスに継承された後、。1995(H7)年に廃止された。
2015 年 02 月 11 日 22:08:04 (14883) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 柳ヶ瀬線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇柳ヶ瀬線    木ノ本−敦賀    木ノ本−坂口    中ノ郷−菅並    雁ヶ谷−中河内    宮前橋−杉箸 1.2 路線略図     ◎敦賀     |     |             ○中河内   鳩原○      ○杉箸   /     |曽々木  /     /   疋田○−○−−○−○刀根 ○椿坂     |  \宮前橋 \ /     V   ・ 雁ヶ谷○   下丹生    小荒路  |     \   ○−−○菅並    海津   V      ・ /        塩津北口    |/             中ノ郷○                |                |       海津・塩津北口<−◎木ノ本                |                ・−>金居原・土倉 2. 路線解説 2.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・柳ヶ瀬線は、1951(S26)年に琵琶湖線の部敦賀線(塩津北口〜敦賀)の一部とし  て曽々木〜敦賀が開業し、1954(S29)年に琵琶湖線の支線(後に中河内線)とし  て木ノ本〜菅並が開業したのがルーツである。1956(S31)年には中ノ郷〜中河内  が開業した。 ・1957(S32)年に北陸本線木ノ本〜敦賀に新ルートで線路を増設し電化開業したが、  旧線は柳ヶ瀬線(鉄道)と改称し気動車運行を行った。しかし、沿線過疎化に  よる鉄道経営の悪さは甚だしく、1963(S38)年に疋田〜敦賀の鉄道営業を休止し  国鉄バスで代行したのを手始めに、1964(S39)年5月に柳ヶ瀬線(鉄道)を廃止  し、敦賀〜刀根、木ノ本〜雁ヶ谷を一般道利用により国鉄自動車が代行輸送を  開始した。同年11月軌道撤去後の専用道路改修工事の完了に伴い、同年12月から  国鉄バス柳ヶ瀬線として木ノ本〜敦賀の直通運行8往復を含め運行を開始した。 ・このように柳ヶ瀬線は、鉄道柳ヶ瀬線の撤去代行路線として、沿線地方の産業の  発展助長を使命としていた。 ・1979(S54)年の時点で、路線の道路種別は柳ヶ瀬隧道のみ専用道で、他の専用道路  部分は一般道路化していた。この時点の運行系統別運行回数は次の通りで  あった。    敦賀〜木ノ本 7.0往復    敦賀〜刀根 5.0往復    敦賀〜杉箸 6.0往復    敦賀〜疋田 1.0往復    木ノ本〜中河内 3.0往復    木ノ本〜椿坂 6.0往復    木ノ本〜柳ヶ瀬 3.0往復    木ノ本〜菅並 8.0往復    木ノ本〜中ノ郷 2.0往復 ・当時の自動車駅として中ノ郷駅が存在したが、1976(S51)年の時点では(自)木ノ  本、(自)敦賀の各駅も存在していた。また、バス運行の拠点として木ノ本に  に近江今津自営木ノ本支所が、敦賀に同自営敦賀派出所が置かれていた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、柳ヶ瀬線の木ノ本〜敦賀の直通運行便が次  のように7往復設定されていたのを確認できる。    木ノ本0700→0756敦賀  敦賀0728→0824木ノ本       1000→1056      0940→1036       1225→1321      1040→1136       1310→1410      1310→1414       1635→1735      1630→1738       1720→1816      1725→1821       1940→2036      1900→1956 ※ 補足 柳ヶ瀬線の運行状況の推移 ・1958(S33)年4月訂補のダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    木ノ本0905→0940柳ヶ瀬  柳ヶ瀬0715→0750木ノ本       1210→1237今市      0945→1020           1500→1608中河内  中河内1612→1720       1725→1800柳ヶ瀬  中ノ郷1846→1905    木ノ本〜菅並 2.0往復 ・1959(S34)年5月訂補のダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    木ノ本0900→0931小谷   中河内0640→0748木ノ本       1205→1238柳ヶ瀬   小谷0945→1015           1455→1601中河内  柳ヶ瀬1322→1355       1720→1839中河内  中河内1605→1711    柳ヶ瀬1841→1921中河内  中ノ郷1944→2003    木ノ本〜菅並 3.0往復 ・1961(S36)年7月現在のダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    木ノ本0900→0918中ノ郷  中河内0640→0746木ノ本       1205→1238柳ヶ瀬  中ノ郷0957→1015           1455→1601中河内  中ノ郷1337→1355       1720→1839中河内  中ノ郷1421→1440       1922→1941中ノ郷  中河内1605→1711                 中ノ郷1944→2003    木ノ本〜菅並 3.0往復 ・国鉄監修交通公社時刻表1964(S39)年9月号では、柳ヶ瀬線に次のような便が  設定されていたのを確認できる。    木ノ本0653→0724柳ヶ瀬  雁ヶ谷0611→0648木ノ本       0920→0957雁ヶ谷  中河内0640→0740       1240→1317雁ヶ谷  柳ヶ瀬0729→0800       1420→1457雁ヶ谷  雁ヶ谷1010→1047       1540→1640中河内  雁ヶ谷1330→1407       1720→1802雁ヶ谷  雁ヶ谷1510→1547       1820→1920中河内  中河内1645→1745       2017→2054雁ヶ谷  雁ヶ谷1812→1849       2235→2312雁ヶ谷  雁ヶ谷2109→2146    木ノ本〜菅並 5.0往復    敦賀〜出合橋 13.0往復 ・1967(S42)年7月現在のダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    木ノ本0654→0750敦賀  敦賀0719→0815木ノ本       0850→0948      0930→1026       1010→1106      1050→1146       1225→1321      1235→1331       1525→1621      1530→1626       1720→1816      1720→1816       1935→2031      1900→1956    疋田〜敦賀 2.0往復    木ノ本〜椿坂 5.0往復    木ノ本〜中河内 2.0往復    中ノ郷〜柳ヶ瀬 1.0往復 ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。        木ノ本0654→0750敦賀  敦賀0730→0820木ノ本           0915→1011      0910→1008(1106名神彦根)           1025→1121      1040→1130   (名神彦根1125)1225→1321      1245→1348(1441名神彦根)   (名神彦根1620)1720→1816      1430→1530           1940→2036      1720→1818                      1850→1946    木ノ本〜椿坂 下り6本・上り4本    木ノ本〜中河内 下り1本・上り2本 ・1972(S47)年1月現在のダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。        木ノ本0654→0750敦賀  敦賀0730→0825木ノ本           0915→1011      0910→1006           1025→1121      1040→1136           1225→1321      1245→1343(1441名神彦根)           1620→1716      1430→1526   (名神彦根1620)1720→1816      1720→1816           1940→2036      1855→1951    木ノ本〜椿坂 4.0往復    木ノ本〜中河内 3.0往復 ・1972(S47)年11月現在のダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。        木ノ本0654→0750敦賀  敦賀0730→0825木ノ本           0915→1011      0910→1006           1025→1121      1040→1136           1225→1321      1245→1355(1453名神彦根)           1620→1716      1430→1526   (名神彦根1620)1725→1821      1720→1816           1940→2036      1855→1951    木ノ本〜椿坂 4.0往復    木ノ本〜中河内 3.0往復 ・1974(S49)年12月現在のダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    木ノ本0654→0750敦賀  敦賀0728→0824木ノ本       0915→1011      0910→1006       1025→1121      1040→1136       1235→1331      1215→1311       1620→1716      1430→1526       1725→1821      1720→1816       1940→2036      1855→1951    木ノ本〜椿坂 5.0往復    木ノ本〜中河内 2.0往復 ・1976(S51)年3月改正ダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    木ノ本0654→0750敦賀  敦賀0728→0824木ノ本       0915→1011      0910→1006       1025→1121      1040→1136       1235→1331      1215→1311       1615→1711      1425→1521       1725→1821      1720→1816       1940→2036      1855→1951 ・1978(S53)年8月改正ダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    木ノ本0654→0750敦賀  敦賀0728→0824木ノ本       0915→1011      0910→1006       1025→1121      1040→1136       1235→1331      1215→1311       1615→1711      1425→1521       1725→1821      1720→1816       1940→2036      1855→1951 ・1980(S55)年8月改正ダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    木ノ本0654→0750敦賀  敦賀0728→0824木ノ本       0915→1011      0910→1006       1025→1121      1040→1136       1235→1331      1215→1311       1620→1716      1425→1521       1725→1821      1720→1816       1940→2036      1855→1951 ・1982(S57)年11月改正ダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    木ノ本0700→0756敦賀  敦賀0728→0824木ノ本       1000→1056      0940→1036       1225→1321      1030→1126       1300→1400      1300→1404       1620→1730      1625→1729       1725→1821      1720→1816       1940→2036      1900→1956 ・1983(S58)年9月現在のダイヤでは、柳ヶ瀬線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    木ノ本0700→0756敦賀  敦賀0728→0824木ノ本       1000→1056      0940→1036       1225→1321      1030→1126       1310→1410      1310→1414       1635→1735      1630→1738       1720→1816      1725→1821       1940→2036      1900→1956 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、琵琶湖線の支線マキノ  線の小荒路口〜疋田のうち、疋田〜駄口が柳ヶ瀬線に編入された。 ・国鉄最末期の1987(S62).3.29に椿坂〜中河内の廃止公示がなされた。 ・これ以外の区間は、国鉄民営化を経て西日本JRバスに継承された。1990(H2)年  には疋田〜駄口が休止された(1992(H4)年廃止)。翌1991(H3)年には、木ノ本〜  柳ヶ瀬〜雁ヶ谷、中ノ郷〜菅並、雁ヶ谷〜椿坂の各区間が廃止された。1992(H4)  年に雁ヶ谷〜刀根が廃止され、最後まで残った敦賀〜宮前橋〜刀根、宮前橋〜杉  箸も2002(H14)年に廃止されて、柳ヶ瀬線は全廃となった。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.3号 6.近畿編(下) 25日目 7/5(金) ・連載誌のみ 柳ヶ瀬線バスの写真、岡山停留所とバスの写真 (2) 単行本 ・25日目 7/5(金) p130〜132 3.2 乗車券の経由欄 ・「敦賀、柳ヶ瀬線、疋田」 3.3 行程 ◇敦賀1310→1328疋田 柳ヶ瀬線 敦賀発 木ノ本行 531-0406(いすゞK-CJM520) ◇疋田1500→1509岡山 柳ヶ瀬線 ?発 敦賀行 531-0406(いすゞK-CJM520)                              ◇岡山1605→1640小荒路 柳ヶ瀬・マキノ線 敦賀発 近江今津行(疋田経由)                           537-6411(日野RC300) 3.4 エピソード ・学校帰りの中学生で満員になった疋田行きバスは、左右に北陸本線の上下線を  従え、やがてループにかかる上り線の下をくぐって国道8号線を行く。疋田の  バス停はブリキ張りの掘立小屋のよう。検問所があり大型トラックがひっきり  なしに行きかう殺伐とした所だが、ちょっと引っ込んだ駐在所前に北陸本線  旧線の疋田駅跡がはっきり残っていた。 ・疋田からドライブインが見えた岡山まで引き返すと、園福線の車内で買った  金券回数券がすんなり使えた。 3.5 旅の考察 ・本文では「園福線車内で買った金券回数券が使えた」とあるが、園福線は近畿  地方自動車局管内であったのに対し、柳ヶ瀬線は当時中部地方自動車局管内で  あった。当時、東北地方で発売された「国鉄バスセット回数券」には、東北地  方自動車部管内の国鉄バス路線全線に有効である旨の注意書きがあったが、  本文の場合は、果たして有効だったのだろうか疑問が残る。なお、同じ時期に  関東地方で発売された国鉄バス回数券にはそのような注意書きはなかった。
2015 年 02 月 11 日 21:52:14 (14882) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 琵琶湖線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇琵琶湖線   琵琶湖本線    弘川口−木ノ本    北深清水−近江中庄駅前−知内    西浜−知内−近江今津    近江大浦−菅浦    黒山口−永原駅前    八田部口−塩津北口   マキノ線    マキノ役場前−北マキノ−海津    小荒路−疋田   敦賀線    塩津北口−曽々木 1.2 路線略図                          疋田  曽々木                      敦賀<−○−−−−○−>木ノ本                          |    |                        駄口○    |                          |    |                        国境○    |                          |    |                北マキノ○−・   ・    |                    +  \ /     |                   /|   ○小荒路   |               マキノ/ |   |      |      上中・小浜    栗園○  |   |      |        Λ       /   ○上開田|      |        |北深清水  /   /    |      |     弘川口○−○−+−+−○−+     |      |        |   |  マキノ|     | 永原   |  近江今津◎−+近江中○  役場前|     | 駅前   |        |庄駅前|     ○マキノ  ・  ○ 八田|        |   |知内   |駅前  /   | 部口|        ・−−−+−○−−−○   ○海津  ○−○−○塩津北口                 西浜\ /|北口 /黒 |/|                    ○ ・−−○ 山 ・ | Λ曽々木                    海津  近江\口   | |                        大浦 \   ・−◎木ノ本                            ○菅浦  |                                 V                                金居原                                土倉 ※琵琶湖本線の西浜〜知内〜近江今津及び八田部口〜塩津北口、敦賀線全線は、  1982(S57)年6月時点で既に長期休止中。 2. 路線解説 2.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・琵琶湖線は、1940(S15)年に若江線の支線として弘川口〜木ノ本、蛭口〜北牧野  が開業したのがルーツである。戦後の1951(S26)年に敦賀線塩津北口〜敦賀が開  業し、翌1952(S27)年に近江今津〜知内〜西浜、北牧野〜海津が開業した。1954  (S29)年に剣熊役場前(→小荒路)〜路原、1965(S40)年に路原〜疋田が開業し  た。 ・琵琶湖線は、1962(S37)年に若江線から分離したが、湖西線開業前は北陸本線と  湖西地方とを連絡する唯一の交通機関として、地方産業・文化の発展助長を使命  としていた。 ・当時の自動車駅として近江大浦駅が存在したが、1976(S51)年の時点では(自)  木ノ本、(自)近江今津の各駅も存在していた。また、バス運行の拠点として  近江今津に近江今津自動車営業所が、木ノ本に木ノ本支所が置かれていた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、琵琶湖線には次のような便が設定されてい  たのを確認できる。    近江今津0630→0710国境   敦賀0820→0935近江今津    近江今津1020→1135敦賀     1600→1708    近江今津1300→1413木ノ本 木ノ本1105→1218近江今津    近江今津〜海津 5.5往復    木ノ本〜菅浦 4.5往復    木ノ本〜近江大浦 2.5往復 ※ 補足 琵琶湖線の運行状況の推移 ・1940(S15)年8月開業時のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されて  いた。    近江今津0800→1005木ノ本 671便  木ノ本0805→1010近江今津 670便        1015→1220    673便     1020→1225     672便        1332→1537    675便     1325→1530     674便        1540→1748    677便     1619→1815     676便        1715→1928    679便     1815→2020     678便    近江今津〜海津 3.0往復    近江今津〜北牧野 3.0往復    木ノ本〜岩熊 1.0往復 ・1948(S23)年2月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた。    近江今津0715→0934木ノ本55便  木ノ本0830→1024近江今津56便        0910→1116   61便     1010→1232    62便        1230→1449   65便     1300→1448    68便                       1640→1859    76便    近江今津〜蛭口・海津 8.0往復     塩津浜〜木ノ本 6.0往復 ・1949(S24)年9月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた。    近江今津0635→0825木ノ本  木ノ本0730→0920近江今津        0900→1050        0930→1120            1310→1502        1330→1520            1620→1810        1715→1905        近江今津〜海津 5.5往復    近江今津〜北牧野 2.5往復    近江大浦→蛭口 0.5往復    蛭口→北牧野 0.5往復     塩津浜〜木ノ本 5.0往復    近江大浦〜木ノ本 1.0往復 ・1952(S27)年4月訂補のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0700→0840木ノ本  木ノ本0715→0855近江今津        0910→1050        1230→1410            1240→1420        1520→1700            1435→1615        1700→1840        1620→1800        近江今津〜海津 6.5往復    塩津浜〜木ノ本 下り2本・上り4本    木ノ本→海津 0.5往復     木ノ本0830→0956敦賀  敦賀0820→0950木ノ本       1522→1653      1430→1605     ※塩津浜、沓掛、麻生口経由    木ノ本〜沓掛 2.0往復    麻生口〜敦賀 3.0往復 ・1952(S27)年12月訂補のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0700→0840木ノ本  木ノ本0715→0855近江今津        0910→1050        1015→1155            1130→1312        1230→1410            1435→1615        1520→1700        1620→1800        1700→1840    近江今津〜海津 6.5往復    近江大浦〜木ノ本 1.0往復    木ノ本0845→1011敦賀  敦賀0820→0950木ノ本       1522→1653      1500→1630     ※塩津浜、沓掛、麻生口経由    木ノ本〜沓掛 3.0往復    麻生口〜敦賀 3.0往復 ・1954(S29)年9月訂補のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0655→0830木ノ本  木ノ本0735→0910近江今津        0900→1035        1100→1235            1130→1305        1240→1425            1445→1620        1510→1645        1720→1855        1705→1840    近江今津〜海津 下り6本・上り4本    近江大浦〜木ノ本 1.0往復    塩津浜〜木ノ本 上り1本    木ノ本0855→1011敦賀  敦賀0710→0822木ノ本       1240→1352      1225→1339       1535→1647      1500→1630     ※塩津浜、沓掛、麻生口経由    木ノ本〜沓掛 下り1本    木ノ本〜集福寺 下り1本・上り3本    奥麻生口〜敦賀 2.0往復 ・1955(S30)年5月改正のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0630→0810木ノ本  木ノ本0725→0905近江今津        0840→1020        0910→1050            0955→1137        1050→1230        1125→1305        1340→1523            1445→1625        1510→1650        1710→1850        1705→1845    近江今津〜北牧野 下り1本    近江今津〜海津 3.0往復    近江大浦〜木ノ本 1.0往復    塩津浜〜木ノ本 上り1本    木ノ本1050→1210敦賀  敦賀1015→1137木ノ本       1340→1500      1310→1430     ※塩津浜、沓掛、麻生口経由    木ノ本〜集福寺 4.0往復    奥麻生口〜敦賀 下り3本・上り4本    市橋〜敦賀 下り1本 ・1956(S31)年4月訂補のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0635→0815木ノ本  木ノ本0725→0905近江今津        0830→1010        0910→1050            0955→1135        1050→1235        1125→1305        1335→1520            1445→1625        1500→1640        1710→1850        1715→1855    近江今津〜路原 下り1本・上り2本    近江今津〜牧野 1.0往復    近江今津〜小荒路口 下り1本    近江今津〜海津 下り4本・上り3本    近江大浦〜木ノ本 2.0往復    木ノ本1040→1203敦賀  敦賀1000→1123木ノ本       1335→1458      1305→1425     ※塩津浜、沓掛、麻生口経由    木ノ本〜集福寺 4.0往復    奥麻生口〜敦賀 3.0往復    市橋〜敦賀 1.0往復 ・1958(S33)年4月訂補のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0630→0820木ノ本  木ノ本0720→0912近江今津        0830→1010        0910→1050            1110→1250        1210→1350            1445→1625        1520→1700        1720→1900        1725→1907    近江今津〜海津 9.0往復    塩津北口〜木ノ本 1.0往復    木ノ本1040→1158敦賀  敦賀1030→1148木ノ本     ※塩津浜、沓掛、麻生口経由    木ノ本〜塩津北口 2.0往復    木ノ本〜沓掛 2.0往復    麻生口〜敦賀 4.0往復 ・1959(S34)年5月訂補のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0630→0820木ノ本  木ノ本0720→0910近江今津        0825→1005        0910→1050            1215→1355        1205→1345            1455→1645        1520→1700        1720→1900        1725→1900    近江今津〜海津 9.0往復    近江今津〜路原 下り1本    塩津北口〜木ノ本 1.0往復    木ノ本1010→1128敦賀  敦賀1010→1128木ノ本     ※塩津浜、沓掛、麻生口経由    麻生口〜敦賀 4.0往復    市橋〜敦賀 下り3本・上り2本 ・1961(S36)年7月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0627→0800木ノ本       木ノ本0735→0908近江今津        0700→0825(0916米原) (米原0720)0811→0936        0805→0940(1022米原)       0910→1043            1004→1129(1220米原) (米原0925)1016→1141            1215→1350(1432米原) (米原1130)1214→1347        1325→1450(1541米原)       1500→1633        1525→1700(1742米原) (米原1650)1734→1907        1720→1853       (米原1710)1801→1926                    (米原1830)1914→2047    近江今津〜海津 5.0往復    木ノ本1050→1202敦賀  敦賀1010→1122木ノ本     ※塩津浜、沓掛、麻生口経由    麻生口〜敦賀 3.0往復    市橋〜敦賀 4.0往復 ・国鉄監修交通公社の時刻表1964(S39)年9月号では、琵琶湖線に次のような便が  設定されていたのを確認できる。    近江今津0650→0813木ノ本(0857米原) 木ノ本0740→0901近江今津        0716→0831(0913米原) (米原0817)0900→1014        0820→0943(1027米原) (米原1000)1046→1207            1046→1200(1243米原) (米原1047)1130→1244            1220→1341(1427米原) (米原1130)1216→1337        1346→1500(1543米原) (米原1347)1430→1544        1520→1641(1727米原)       1535→1656        1646→1800(1843米原) (米原1630)1716→1837        1730→1851       (米原1717)1800→1914 ・1967(S42)年7月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0650→0813木ノ本(0857米原) 木ノ本0730→0851近江今津        0820→0943(1027米原)       1005→1126            1230→1351(1437米原) (米原1020)1106→1227        1415→1538(1622米原) (米原1130)1216→1337        1555→1719(1803米原)       1530→1651        1730→1851       (米原1655)1741→1901    近江今津1015→1130敦賀         敦賀0820→0935近江今津        1555→1710             1740→1855 ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0700→0812木ノ本(0910彦根) 木ノ本0725→0835近江今津        0855→1005             1010→1120            1230→1340       (彦根0948)1048→1158        1500→1631             1235→1345        1600→1710(1810彦根)       1530→1640        1730→1840             1725→1835                    (彦根1850)1950→2022近江大浦 (名神彦根1310)木ノ本1410→1512敦賀 敦賀1020→1124木ノ本(1222名神彦根)     ※国道8号線経由     近江今津1015→1131敦賀         敦賀0820→0936近江今津        1550→1706             1740→1855 ・1972(S47)年1月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0655→0803木ノ本      木ノ本0705→0813近江今津        0855→1008(1054米原)      0900→1008            1055→1203            1013→1121        1230→1338      (米原1137)1225→1333        1455→1603            1425→1546        1600→1708            1533→1641        1730→1838            1725→1833    近江今津1010→1126敦賀        敦賀0820→0936近江今津        1540→1656            1730→1846 ・1972(S47)年11月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0653→0801木ノ本      木ノ本0700→0808近江今津        0855→1008(1054米原)      0900→1008            1055→1203            1025→1133        1230→1338      (米原1144)1235→1343        1455→1603            1400→1508        1555→1703            1533→1641        1730→1838            1725→1833    近江今津1010→1126敦賀        敦賀0820→0936近江今津        1540→1656            1730→1846 ・1975(S50)年1月改正のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0705→0817木ノ本      木ノ本0700→0812近江今津        1050→1202            0855→1007        1450→1602            1025→1137        1735→1847            1725→1837    近江今津〜海津 下り8本・上り7本    近江大浦〜木ノ本 6.0往復    近江今津1012→1127敦賀        敦賀0820→0935近江今津        1540→1655            1730→1845 ・1976(S51)年3月改正のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0705→0817木ノ本      木ノ本0700→0812近江今津        1232→1347            0845→0957        1540→1652            1025→1137        1735→1847            1725→1837    近江大浦〜木ノ本 6.0往復    近江今津1015→1111敦賀        敦賀0820→0935近江今津        1540→1655            1730→1845 ・1978(S53)年8月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0700→0813木ノ本      木ノ本0717→0830近江今津        1235→1347            0843→0956        1540→1652            1025→1137        1730→1842            1725→1838    近江今津〜海津 1.0往復    近江大浦〜木ノ本 6.0往復    近江今津1015→1130敦賀        敦賀0820→0935近江今津        1550→1705            1730→1845 ・1980(S55)年8月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0700→0813木ノ本      木ノ本0720→0835近江今津        1235→1348            0910→1025        1540→1653            1025→1138        1820→1933            1725→1838    近江今津〜海津 3.0往復    近江大浦〜木ノ本 2.0往復    近江今津1015→1130敦賀        敦賀0820→0935近江今津        1415→1550            1600→1715 ・1982(S57)年11月改正のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0700→0815木ノ本      木ノ本0725→0840近江今津        1235→1348            0843→0956        1545→1658            1025→1138        1745→1858            1725→1838    近江今津〜海津 下り3本・上り5本    近江大浦〜木ノ本 6.0往復    近江今津1015→1130敦賀        敦賀0820→0935近江今津        1400→1515            1600→1715 ・1983(S58)年9月現在のダイヤでは、琵琶湖線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    近江今津0700→0815木ノ本      木ノ本0725→0840近江今津        1235→1348            0843→0958        1545→1658            1025→1138        1745→1858            1725→1840    近江今津〜海津 下り3本・上り5本    近江大浦〜木ノ本 6.0往復    近江今津1015→1130敦賀        敦賀0820→0935近江今津        1400→1515            1600→1715 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、マキノ線の小荒路口  〜疋田が小荒路口〜国境に変更され、疋田〜駄口は柳ヶ瀬線に編入された。  この時点までに国境〜疋田が廃止されたものと思われる(同区間の廃止公示は  見当たらない)。 ・併せて、この全面改正では、マキノ線のマキノ役場前〜マキノ栗園〜北マキノ  が認知された。 ・それ以外の区間は、長期休止中の区間を含めて、国鉄民営化を経て西日本JR  バスに継承された。1989(H1)年には、琵琶湖本線の木ノ本〜近江大浦、近江大浦  〜菅浦及び黒山口〜永原駅前と敦賀線の塩津北口〜曽々木が廃止された(この  ときの連絡運輸基準規程別表「自動車線普通旅客運賃表」改正の通達では、  長期休止区間である、北深清水〜近江中庄駅前〜知内、西浜〜知内〜近江今津、  八田部口〜塩津北口の各区間も削除されていることから、これらの長期休止区間  もこの時点までに廃止されたものと解される)。 ・翌1990(H2)年には海津〜近江大浦が廃止され、1992(H4)年にはマキノ線の小荒  路口〜国境が廃止された。その後、1996(H8)年にマキノ線の残存区間である  マキノ役場前〜北マキノ〜海津とマキノ役場前〜マキノ栗園〜北マキノの両区間  が廃止された。さらに、1997(H9)年に最後まで残った弘川口〜海津が廃止され、  琵琶湖線は全廃となった。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.3号 6.近畿編(下) 25〜26日目 7/5(金)〜7/6(土) (2) 単行本 ・25〜26日目 7/5(金)〜7/6(土) p130〜136 3.2 乗車券の経由欄 ・「疋田、琵琶湖線、小荒路、北マキノ、マキノ役場前、塩津北口、木ノ本」 3.3 行程 ◇岡山1605→1640小荒路 柳ヶ瀬・マキノ線 敦賀発 近江今津行(疋田経由)                            537-6411(日野RC300) ◇小荒路1711→1730マキノ役場前 マキノ線 国境発 近江今津行(北マキノ経由)                          538-5473(日産デP-U32L) ◇マキノ役場前1320→1413木ノ本 琵琶湖本線 近江今津発 木ノ本行                         531-2974(いすゞK-CJA520) 3.4 エピソード ・近江今津行きバスは旧道へ寄って小荒路三差路にかかると、運転手がブレーキ  を踏んだ。「本当は本線のバスは、ちょっと先の小荒路まで停留所はないんだ  が、北マキノ経由はここで曲がって小荒路口に停まるから降りた方がいい。」  三差路で分かれる県道は新しく、小荒路からの旧道を付け替えたのに、マキノ  線メインルートのバス停手直しがなされていなかった。 ・木ノ本行きバスのお客は数えるほど。海津北口から湖岸に沿い、国道303号線  を行く。湖と別れる近江大浦からは木ノ本と結ぶ区間便が多くなった。賤ヶ岳  トンネルを抜けて大病院前の乗り場に寄ると、少しずつ増えていたお客が大量  下車。 3.5 旅の考察 ・小荒路口停留所の手直しに関しては、1985(S60)年10月に国鉄自動車路線名称  の改正公示がなされており、小荒路〜疋田が小荒路口〜疋田に変更されていた。  なお、小荒路口の開駅公示は見当たらない。 ・1985(S60)年当時は、マキノ線のマキノ役場前〜マキノ栗園〜北マキノは「自  動車線普通旅客運賃表」には載っていなかった。なお、マキノ役場前〜北マキ  ノは、マキノ線本線経由(3.9km)の方がマキノ栗園経由(3.5km)よりも長か  った。
2015 年 02 月 11 日 18:19:32 (14881) 政宗3号さんの書き込み こんばんは。 最長片道きっぷの旅の経由欄ですが、古川線の「祇園社前、古川十日町」は 複数の経路があるので、本来「祇園社前、三日町、古川十日町」となるのが 正当であったと思います。 単純な記入漏れのような気がします。
2015 年 02 月 11 日 17:03:56 (14880) ふもふも館長さんの書き込み 最長片道きっぷの旅は、1985(S60).5.24に発券された乗車券を使っていますが、 日肥線 人吉〜湯前の経路と運行系統が謎です。 (1) 経路 乗車券の経由欄は「人吉、日肥線、湯前、村所、穂北駅前、高鍋」となっており 人吉〜湯前は鉄道ではなく、バスで移動することになっています。 上村〜小田橋は、路線名称の第一区間は東方経由、第六区間は肥後瀬戸口経由で ある事が判明しています。 この間のキロ程ですが、東方経由が3.5km、肥後瀬戸口経由が3.0kmであるので、 最長片道きっぷは、第一区間を経由して発券されるべきだと思うのですが、 乗車券の経由欄を見る限り、どちらを経由することを意図して発券されているのか わかりません。「どちらの経由でも可能」という事でしょうか? (2) 運行系統 1985(S60).3.14改正の日肥線時刻表によると、湯前〜人吉は、以下のダイヤでした。 湯前750-857人吉920-1012堂山1020-1115人吉1215-1322湯前1455-1602人吉1615-1722湯前 このダイヤでは、上村〜小田橋は一日2往復しかなく、時刻表上に途中経路の記載が 無く、東方経由なのか肥後瀬戸口経由なのか判別できません。おそらく、この頃までに どちらか一方の経路が休止されたのではないかと想像します。経由地を特定できる方は 教えていただけないでしょうか。 なお、両ルートともS28.7.23開業で、湯前〜人吉は、1986(S61).10.31から休止中だった ようです。路線名称には1998年まで残っていたようですが、書類上の廃止は肥後瀬戸口 経由の方が数ヶ月早かったように見えます。
2015 年 02 月 10 日 21:16:11 (14879) ふもふも館長さんの書き込み 最長片道きっぷの旅で使われた切符の経路を解読しました。解読ミスが ないか、入力ミスがないか、確認していただけると幸いです。 1 記載事項 ・出札補充券(片道券) 冊0019-25 \230,450 竹下町から鵡川まで 経由(別紙)  発売日共153日間有効 昭和60年5月24日 蒲田駅旅セ発行 ・出補 第19-25号冊 別紙に、経由が記載されている。 2 乗車券の経由欄  嬉野線、嬉野温泉、彼杵、諫早、肥前山口、佐世保線、早岐、  平戸口、筑肥線、唐津線、神崎、鳥栖、博多、篠栗、桂川、飯塚、  上山田線、豊前川崎、添田、夜明、羽犬塚、瀬高、山鹿線、山鹿中央、  石淵、菊池温泉口、肥後大津、鹿児島本線、西鹿児島、北薩線、桜島桟橋、  鹿児島、帖佐、加治木線、蒲生町、牟多田、北薩線、入来、山崎町、宮之城、  薩摩大口、栗野、隼人、国分線、大隅西山、大隅広瀬、唐仁町、検校川、垂水、  国分、今町、志布志、飫肥、都城線、高岡口、都城、宮崎、宮林線、  福島町、西の原、日向川口、堀切口、野尻町、高崎新田、吉松、  人吉、日肥線、湯前、村所、穂北駅前、高鍋、臼杵、臼三線、三重町、中判田、  佐賀関線、坂ノ市、日豊本線、城野、田川伊田、金田、田川後藤寺、  新飯塚、直方、赤池、直方線、勘六橋、宮田町、下有木、福丸、下鉛、筑前下、  小金原、黒目橋、清水口、脇田温泉、箱崎、門司、幡生、小串、長門市、美祢、  秋吉線、美祢中央、大嶺、南大嶺、秋吉線、厚狭、目出、居能、宇部、小郡、  秋吉線、秋芳洞、湯田温泉通、防長線、山口市民会館前、山口県庁前、日赤口、  佐々並、東萩、浜田、広浜線、都川、大朝、川本線、鳴滝、安芸新庄、  広浜線、鈴張、可部、可部線、大竹、坂上線、下畑出合、小郷橋、岩益線、  東錦見、西岩国、岩国、大畠、光線、柳井、田布施、光、光線、下松、櫛ケ浜  川西、錦町、岩益線、出合橋、六日市、石見朝倉、旭橋、津和野、山口、防長線、  防府、徳山、新幹線、広島、安芸線、呉、海田市、西条、西条線、卯之留、  大学会館前、下見、下見大池、樋ノ詰橋、乃美尾、広、糸崎、府中、備後落合、  木次、出雲市、江津、川本線、因原、皆井田、石見中野、石見井原、  田所、出羽、石見谷、石見川本、川本北線、大田栄町、太田線、浜原、三次、  雲芸線、呑谷、真木、潜岩、三刀屋、里熊橋、松江、倉吉、鳥取、因美線、  姫新線、有年、岡山、茶屋町、両備線、倉敷、清音、岩山、津山、中国高速線、  千里ニュータウン、名神高速線、名古屋、四日市、津、新宮、五新線、熊野本宮、熊野線、  栗栖川、紀伊田辺、和歌山、和歌山線、高田、桜井線、(関)郡山、天王寺、  大阪環状線、四条畷、宇治、京都、ドリーム号、東京、ドリーム号、大阪、新大阪、  新幹線、新明石、尼崎、篠山口、園篠線、宇土観音、篠山本町、城北口、本篠山、  細工所、福住、園部、下山、園福線、行仏、妙楽寺、檜山、何鹿神社前、新須知、  丹波町役場前、常照寺下、丹波梅田、下六人部、丹波土師、福知山、山陰本線、  豊岡、宮津、東舞鶴、小浜、若江線、上中、敦賀、柳ヶ瀬線、疋田、琵琶湖線、  小荒路、北マキノ、マキノ役場前、塩津北口、木ノ本、永原、山科、石山、近城線、  石倉橋、加茂、伊賀上野、伊賀上野線、甲南、加太、亀草線、大岡寺、亀山、  関、亀草線、新水口、伊賀上野線、甲賀病院前、近城線、貴生川、三雲、亀草線、  柑子袋、西柑子袋、石部、草津、草亀線、東陶前、八幡線、下田口、近江八幡、岐阜、  名金線、美濃白鳥、向小駄良、大野線、中休、中の出、君ヶ代橋、越前大野、金沢、  名金線、堅田町、千谷口、鳴瀬、福光、富山、高山本線、太多線、高蔵寺、瀬戸西線、  志多見支所前、松原町、中水野、瀬戸追分、瀬戸記念橋、瀬戸北線、品野、  中馬線、明知、山岡、恵那線、遠山追分、上切、恵那富田、岩村、美乃坂本、  恵那線、恵那駒場、中津川、塩尻、諏訪線、諏訪今井、岡谷市役所前、  岡谷、下諏訪、諏訪線、長地学校前、横河川橋、東山田、大社通、上諏訪、  白樺高原線、霧ヶ峰、東餅屋、扉峠、美ヶ原落合、和田峠北線、上和田、大門落合、  白樺高原線、西白樺湖、東白樺湖、南平、蓼科牧場、芦田、長窪古町、和田峠北線、  信濃松島、中立岩、大屋、小海線、茅野、高遠線、高遠、笠原、伊那北、  水窪、天竜線、水窪町、西渡、中部天竜、二川、浜名線、東山口、高師原口、  久保田、神鋼電機前、上細谷、白須賀、潮見坂、大倉戸、新居役場前、浜名湖競艇場、  新居町、三ヶ日、宮口、西天竜線、西鹿島、袋井、浜松、東名高速線、静岡、  身延線、高尾、町田、新横浜、新幹線、小田原、沼津、御殿場、国府津、大船、桜木町、  横浜、新川崎、品川、川崎、南武線、立川、武蔵野線、松戸、尾久、赤羽、田端、  池袋、代々木、御茶ノ水、神田、秋葉原、錦糸町、木更津、館山、南房州線、西岬、  洲の崎灯台前、小沼、安房神戸、砂取、野島崎灯台、安房白浜、南房定観、安房小湊、  茂原、東金、成東、山武線、金尾、松尾、松岸、佐原、多古線、高根、多古仲町、  山武線、下総水戸、上総二川、千代田、多古線、整備地区、寺台、東町、成田、成田線、  土浦、南筑波線、古河、大宮、川越、寄居、高崎、新幹線、越後湯沢、上越線、  只見線、喜多方、加茂、長岡、新幹線、新潟、越後線、塚山、越後川口、飯山線、高田、  糸魚川、大糸線、篠ノ井、上田、鹿沢菅平線、万座・鹿沢口、浅間白根火山線、白根火山、  志賀草津高原線、草津温泉、長野原、渋川線、渋川、両毛線、宇都宮、  水都西線、氷室、東中の島、刈沼、祖母井、上根新田、小貝口、常野線、  芳賀黒田、茂木、水都西線、市貝町役場前、市塙、新治、友部、柿岡線、  羽鳥、飯沼、水都東線、赤塚、水戸、川尻、北常陸線、常陸川上、安良川、  高萩、大心苑、石打場、南中郷、赤井、夏井、磐城北線、小野新町、神俣、  磐城北線、本町、石川新町、磐城南線、磐城石川、磐城浅川、磐城南線、  浅川駅前、大草口、岡田、岡田口、棚倉古町、磐城棚倉、常陸大子、常野線、小川辻町、  烏山、矢板、塩原線、関谷宿、千本松、筋違橋、三島農場、那須塩原、  新白河、白棚線、南湖公園、緑ヶ丘、白河、松川、川俣線、遠西、福浪線、浪江上町、  南幾世橋、浪江、岩沼、角田線、槻木、丸森、角田線、小斉口、小斉線、  三月殿、東町、角田線、磐城角田、船岡、福島、新幹線、仙台、古川線、祇園社前、  古川十日町、沢辺、大沢田、有壁、上湧谷、気仙沼線、竹駒、遠野線、  岩手上郷、釜石、岩泉線、二升石、早坂高原線、沢廻、岩手中野、陸中海岸線、  平井賀、田野畑、陸中一ノ渡、普代駅前、久慈、平庭高原線、葛巻、陸中田代、  小鳥谷線、岩手野中、二戸線、一戸、大更、平館線、一方井、平館、荒屋新町、  二戸線、陸奥合川、鳥越観音前、盛岡金田一急行線、金田一、軽米線、金田一温泉、  軽米、陸中夏井、侍浜、八久線、陸中八木、種市、陸奥市川、浅虫、十和田北線、  電話局前、雲谷スカイランド、十和田湖、十和田南線、大湯温泉、新町、陸中花輪、十和田南、  十和田南線、バスターミナル、大館、弘前、十和田南線、盛岡、田沢湖線、横手、  北上線、前沢、一ノ関線、才田、母体、柴宿、一ノ関、新幹線、古川、陸羽東線、  新庄、米沢、米坂線、小国、小国線、玉川口、坂町、羽越本線、東能代、五能線、  浪岡、青森、函館本線、有珠、伊達線、日赤前、上弄月、萩原、旭町公営住宅前、  伊達紋別、胆振線、小樽、札樽線、宮の沢、発寒住宅前、手稲、琴似、  札樽線、札幌、桑園、浦臼、石狩線、月形市街、石見沢線、峰岡、峰延、  奈井江、石狩線、黄臼内、橋本町、大和市街、四線三号、熊見坂、堺線、  石狩沼田、留萌本線、羽幌線、南稚内、天北線、名寄、名寄本線、湧網線、  釧網本線、標茶、中標津、厚床、根室本線、池北線、北見、石北本線、旭川、  滝川、根室本線、新得、石勝線、室蘭本線、岩見沢、空知線、江別、野幌、  空知線、啓成高校前、厚別三区、旭町、青葉町二丁目、新札幌、大麻、空知線、  大麻十五丁目、東高前、釣橋、長沼線、上野幌、北広島、長沼線、広島市街、  共栄、夕張太、千歳橋、東町、長恵線、東長沼、長勝寺前、下山口、漁橋、  南九号、島松、長沼線、恵庭、苫小牧、日高町、日勝高原線、帯広、広尾、日勝線、  千平口、えりも岬、歌別、様似、鵜苫、日勝線、杵臼、日高幌別、荻伏市街、荻伏
2015 年 02 月 09 日 09:56:23 (14878) 産交フリークさんの書き込み 宮崎〜別府・大分線のダイヤ等が宮崎交通HPに掲載されています。 http://www.miyakoh.co.jp/news/ JR九州バスとしては大分新川までの運行となります。隔日や週単位での持ち回りで もない様でちょっと残念なところ。 宮崎交通は嘗ての延岡〜大分線「わかあゆ」、またPDFにもある様に38年前の宮崎〜 大分線「はまゆう」でも大分バスのみがパートナーになっており、当時の大分バス 大分営業所(金池ターミナル)が折り返しの休憩地となっていましたが、今回は新 川発着という事もあり大分交通大分営業所(5号地)での休憩となるのでしょうか。
2015 年 02 月 08 日 10:12:11 (14877) ふもふも館長さんの書き込み 米国Los Angeles(LA)周辺の鉄道・バスを視察してきたので、報告する。 1.今回乗車した乗り物 R1 普通鉄道 (1) Amtrak Pacific Surfliner : Los Angeles Union Station - Chatsworth (2) Metrolink San Bernardino Line : Los Angeles Union Station - Pomona North R2 都市型鉄道 (1) Metro Red Line : Union Station - North Hollywood (2) Metro Purple Line : Wilshire/Vermont - Wilshire/Western R3 LRT (1) Metro Expo Line : Expo Park/USC - Culver City R4 保存鉄道 (1) The Port of LA Waterfront Red Car Line : Cruise Center - Ports O'Call B1 準高速バス (1) LAX FlyAway : Union Station - LAX Terminal B (2) Metro Express 450 : Flower/7th - San Pedro 5th/Pacific (3) Metro Express 534 : Culver City - Santa Monica Ocean/Broadway (4) Foothill Transit Silver Streak : Grand/9th - Pomona Transit Center B2 快速バス (1) Metro Rapid 710 : Wilshire/Western - Torrance Crenshaw/Redondo Beach (2) Metro Rapid 720 : Wilshire/Vermont - Santa Monica Broadway/3rd B3 一般バス (1) Foothill Transit 291 : Pomona Transit Center - Bonita/Garey (2) Foothill Transit 482 : Pomona Transit Center - Temple/S. Campus B4 BRT (1) Metro Orange Line : North Hollywood - Warner Center, Canoga - Chatworth (2) Metro Silver Line : Figueroa/7th - Harbor Gateway TransCenter B5 送迎バス (1) Bronco Express Route A : University Village - CLA 2.LA〜Pomona〜San Bernardinoについて (1) San Bernardino ・San Bernardinoは、LAの西方にある交通の要衝で、SP, ATSF, LASL, PEの鉄道4社  が乗り入れていた。 ・現在は、Metrolink San Bernardino Lineと、Amtrak Southwest Cheif、Amtrak  Sunset Limited/Texas Eagleが運行している。この区間を走るAmtrakは、長距離  夜行列車で一日1往復である。 (2) Southern Pacific (SP→UP) ・Sunset Routeと呼ばれており、Los Angeles Union Passenger Terminal(LAUPT),  Alhambra(Pasadena), El Monte, Bassett, Pomona, Coltonという経路であった。 ・1968年時点で、LA - New OrleansのSunsetが走っていた。 ・現在、LA - New Orleans/ChicagoのAmtrak Sunset Limited/Texas Eagleが走って  いるが、Alhambra付近は貨物線となっており、LA - El Monteは旧PEを経由して  いる。また、Colton旅客駅は廃止されている。 (3) Atchison, Topeka and Santa Fe Railway (ATSF→BNSF) ・Passenger Mainlineと呼ばれており、LAUPT, Pasadena, Arcadia, Azusa, San  Dimas, Pomona, Claremont, Fontana, San Bernardinoという経路であった。  なお、貨物列車は、Fullerton, Riverside経由で運転されていた。 ・1968年時点で、LA - ChicagoのEl Captain/The Super Chiefと、LA - Chicagoの  普通列車が走っていた。 ・1994年に、LA〜Arcadiaが廃止され、LA - ChicagoのAmtrak Southwest Cheifは、  Fullerton, Riverside経由に変更、残存区間は、Metrolink(SCAX)に売却された。 ・現在、Metrolink San Bernardino Lineが、Claremont - San Bernardinoを運行中。  廃止区間は、LRTのMetro Gold Lineへの転換が進んでいる。 (4) Los Angeles and Salt Lake Railroad (LASL→UP) ・Salt Lake Routeと呼ばれており、LAUPT, East Los Angeles, Pico Rivera, City  of Industry, Pomona, Riverside, Colton, San Bernardinoという経路であった。 ・1968年時点で、LA - Chicago/St. LouisのCity of Los Angeles/Challenger/City  of St. LouisとLA - Omahaの普通列車が走っていた。 ・現在、Metrolink Riverside Lineが、この区間を運行中。Amtrak Pomona駅(SP)に  隣接して、Metrolink Downtown Pomona駅がある。 (5) Pacific Electric (PE) ・San Bernardino Lineと呼ばれており、Los Angeles Main St Station, El Monte,  Covina, North Pomona, Upland, Fontana, San Bernardinoという経路であった。 ・世界最大の電気鉄道であったが、この区間は1946年に廃止、鉄道事業も1961年には  全廃されてしまった。PEは、路面区間も多かったようだ。線路跡は、宅地・道路化  された他、普通鉄道やLRTとして復活した区間、自転車道(Fontana付近)になった区  間もあった。 (6) Pomona ・Pomonaは、LA郡の西端で、LA〜San Bernardinoの中間にある街。上記4社について  も、異なる位置に、それぞれのPomona駅があった。 ・街の中心部(Downtown)と北部に駅があり、SPとLASLがDowntown、ATSFとPEが北部に  あった。なお、PEの支線がSPのPomona駅付近まで伸びていたようだ。 ・AmtrakのPomona駅はSP駅であるが、1994年まではAmtrak Southwest Chief/Desert  WindがATSF駅に停車していた。Amtrakで同じ名前の駅が2つあった事になる。 ・MetrolinkのPomona駅は、PE上に開業したが、後にLASL上にも駅が出来たため、  Pomona(North)駅と、Downtown Pomona駅と呼び分けている。 3.鉄道 3.1 普通鉄道 (1) Amtrak Pacific Surfliner ・今回、Chatworth -> LAに乗車した。 ・Amtrak Pacific Surflinerは未乗車であったが、LA - Burbankは、Metrolinkで  既乗なので、初乗区間はBurbank - Chatworthであった。推進運転で、2階建て  SURFLINER車両が入線。 ・Metrolink Ventura Country Lineと並行区間のため、Metrolink運賃で乗車。  ただし、券売機が故障中のため、車掌に運賃を払った。Amtrak車内補充券を期待  したが、切符は作られなかった。ラウンジカーでは売店も営業しており、旅気分を  満喫した。 ・元SPの線路で運転。Amtrakではあるが、Amtrak時刻表に記載されていない駅、  NorthridgeやDowntown BurbankといったMetrolinkの駅で客扱いするのが面白い。  Glandaleの先、Metrolink Yard(←SP Taylor Yard)を過ぎると、貨物線と分岐し、  ロサンゼルス川を渡り、Mission TowerからLos Angeles Union Passenger Terminal  (LAUPT)の構内に入った。 ・Union Stationに到着時、向いのホームには、Coast Starlightが停車しており、  最後尾に、元Burlington(CBQ -> BNSF)のSilver SplendorというDome Carが連結  されており、狂喜した。なぜ、ここにあるのか理由がわからなかったが、後で  調べた所、LA Rail社の貸切ツアーだったようだ。  http://www.larail.com/cars/silversplendor.html ・Union Stationでは、開業時の待合所が現役で使われており、年代ものシートに座  り、嬉しくなる。現在使われていない切符売場とFred Harvey食堂跡が残っていた。 (2) Metrolink San Bernardino Line ・今回、Los Angeles Union Station -> Pomona Northに乗車した。 ・Metrolinkは、南カリフォルニア地域鉄道局(SCAX)が運行する通勤列車。郊外を朝に  出て、夜戻るパターンが多く、土日や平日昼間は、激減もしくは運休というパターン  が多い。今回乗車した、San Bernardino Lineは、1〜2時間間隔なので、比較的乗車  しやすい。以前、Antelope Valley Line, San Bernardino Line, Riverside Lineに  乗車した事があり、再訪になる。 ・LA〜El monteは、元PEのSan Bernardino Lineを経由。この区間は、もともと複々線  だったと思われるが、高速道路(I-10)に付随するEl Monte Buswayの建設時に剥がさ  れ、現在、単線となっている。 ・El Monte以遠は、元SPを経由するが、Metrolinkは、BassettでSP Sunset Routeから  分岐し、SPの枝線に入る。Covinaの先、San Dimas Jctから元PEの線路に復帰し、  Metrolink Pomona(North)駅に着いた。この駅に隣接して元ATSFのPomona駅舎が残っ  ていた。Santa Feのロゴも健在。 3.2 都市型鉄道 (1) Metro Red Line/Purple Line ・Metroは、LA郡都市圏交通局(LACMTA)が運営している。乗車するには、払い戻しが  できないTAPカードを購入の上、運賃をチャージし、乗車駅で改札機にタップする  必要がある。なお、降車時は、改札をそのまま出れば良く、タップする必要はない。 ・只乗りがしやすい仕組みのためか、Metro Red Lineで車内検札があった。車掌に  TAPカードを渡し検査していた。 ・Metro Red Line/Purple Lineは、いわゆる地下鉄に相当。 ・今回乗車した区間の内、Union Station - Wilshire/Vermont - Wilshire/Western  が再訪で、Wilshire/Vermont - North Hollywoodが初乗車。Hollywood以遠は、  郊外区間になるので、地上に出ると思ったが、全線が地下区間だった。 3.3 LRT (1) Metro Expo Line ・今回、Expo Park/USC -> Culver Cityに初乗車。今回、乗車した区間には、路面  区間は無かったが、大きな道路と交差する時は、道路が優先、駅構内に入る時も  横断する歩行者が優先と路面電車の雰囲気を感じた。 ・ホーム入口にタップする機械があり、タップしてホームに入る。 ・この区間は、元PEのため、新設したホームにPEのロゴや当時の切符デザインを埋め  込んでいた。この路線も元PEに沿ってSanta Monicaまで延伸する工事が進んでいる。 3.4 保存鉄道 (1) The Port of LA Waterfront Red Car Line ・運営主体が良くわからないが、LA市港湾局がお金を出しているのは間違いないよう  だ。LA市港湾局のWEBサイトが、公式サイトか?  http://www.portoflosangeles.org/recreation/waterfront_rcl.asp  http://www.railwaypreservation.com/page8.html ・運行時間は、金〜日の12〜21時。運転ダイヤは明らかにされていないが、Marina駅  を起点に20〜30分間隔で運転していると推測。駅にも掲示が無い。運賃は、車掌か  ら一日乗り放題切符を1ドルで購入する仕組み。 ・車両は、500, 501, 1058の3両あるようだ。1058は、1907年製の大型車両だが、  1963年にハンドル・タイヤ・ガソリンエンジンを架装し、バス化!され、イベント  時に活躍していたらしい。2002年に鉄道車両に復帰したそうで、なんとも残念。  500/501は路面電車タイプ。2003年製造のレプリカ。外装・内装・運転台も当時の  ものを使っているように見えたが、実際の所はどうなんだろう。 ・PE当時のSan Pedro駅(終点)は、フェリー乗り場(→LA Maritime Museum)付近、  現Downtown駅付近にあったようだが、駅舎はすでに無い。現在運行している区間は、  当時の旅客線区間と貨物線区間で半々のようだ。 ・今回、Cruise Center -> Ports O'Callに乗車。全線乗車するつもりだったが、終点  の1駅手前で降りてしまい、後悔なう。 ・今回乗車した車両は、PE500。帰国するまで、PE当時の車両と信じて疑わなかった。  車内には当時の広告が貼ってあり、雰囲気は抜群。金曜の夕方なので、誰も乗って  こないだろうと思ったら、2組もお客が居て驚いた。 4 バス 4.1 準高速バス (1) LAX FlyAway ・LA空港が運営しているようにみえる。今回、Union Stationまで往復乗車。  http://www.lawa.org/FlyAway/ ・各空港ターミナルに停車。Union Stationは、Patsaouras Bus Plaza内にバス停が  ある。窓口は、空港になく、運賃は降車後、Patsaouras Bus Plaza端にあるチケ  ット売場でクレジットカードで精算後、切符を見せて荷物を受け取る仕組み。 ・Union Stationから乗車する時は、切符を買ってから乗車。 ・乗車時間は、渋滞が無かった事もあり、30〜40分であった。経路は、以下の通り。  Union Station, US 101(Santa Ana Freeway), I-110(Harbor Freeway), I-105(  Century Freeway), SR 1(Sepulveda Boulevard), LAX Terminal B ・I-110では、Metro Silver Lineの37th Street/USC - Harbor Freewayと並走。  I-105では、Metro Green LineのHarbor Freeway - Aviation/LAXと並走。 (2) Metro Express 450 : Flower/7th - San Pedro 5th/Pacific ・Downtown LAとSan PedroをI-110(Harbor Freeway)経由で結ぶバス。  Metro Silver LineのFlower/7th - Harbor Gateway Transit Centerと並走する  が、Harbor Freeway駅以外の駅には進入しない。 ・朝と夕方はDowntown LAに直行するが、昼と夜は、Harbor Gateway TC止となり、  ここでMetro Silver Lineと乗り換えることになる。 (3) Metro Express 534 : Culver City - Santa Monica Ocean/Broadway ・I-10(Santa Monica Freeway)を経由した。 (4) Foothill Transit Silver Streak : Grand/9th - Pomona Transit Center ・今回、Pomona Transit Center -> Grand/9thを乗車した。経路は、以下の通り。  Pomona TC, W Commercial St, N White Av, I-10(San Bernardino Freeway),  Vincent Av, W Covina Pkwy, I-10, Santa Anita Av, El Monte Stn, El Monte  Busway, Union Station, Arcadia St, Spring St, W 1st St, Grand Av ・I-10(El Monte Buswway)では、Metro Silver LineのGrand/3rd - El Monteと  同一経路で、共同運行を行っているようだ。 ・車両は専用の連接バスが用意されているが、普通のバスの時もあるようだ。 ・Azusa Avenue ServiceとPuente Avenue Serviceという高速道路の側道上にある  バス停で客扱いする。以前は無かったように記憶している。 ・El Monte Stationは、Metrolink(SP)駅とは離れた場所にある。2012年に新装、  2階建てバスターミナルに生まれ変わった。地下に1〜17バース、地上に18〜29  バースあるようだ。 ・El Monte Buswayに入ると、Express Lane(FasTrak)を走行。この車線は、有料ら  しいが、ノロノロ運転の隣車線に比較して、スイスイ走行する。Cal State LA駅  は対面式ホーム、USC Medical Center駅は島式ホームとなっている。右側通行の  所、バス停だけ左側通行にして島式ホームを設置するなど、Buswayを工夫して引  き込んであり面白い。 ・1998年当時、Foothill Transit 480(Montclair - Cal Poly Pomona TransCenter  - El Monte - Union Stn - Wilshire/Union)を利用する場合、El Monte以東から  乗車する場合は、高速券を車内で購入し、El Monte到着時、これを回収された。  Silver Streakは、この路線の発展形のようだ。 ・「El Monte Buswayこそ、世界最古のBRT」とする説もあるようだ。未検証。  http://metroprimaryresources.info/ 4.2 快速バス (1) Metro Rapid 710 : Wilshire/Western - Torrance Crenshaw/Redondo Beach (2) Metro Rapid 720 : Wilshire/Vermont - Santa Monica Broadway/3rd ・停車するバス停を絞って運行するので、Localより早く目的地に到着する。しかし  時刻表を見るだけでは、どの停留所に停まるのか、通過するのかが判明しない。 4.3 一般バス (1) Foothill Transit 291 : Pomona Transit Center - Bonita/Garey (2) Foothill Transit 482 : Pomona Transit Center - Temple/S. Campus ・今回、Metro Localは乗る機会が無かった。バスは、現金でも乗車可能なようだ。 4.4 BRT (1) Metro Orange Line ・今回、North Hollywood -> Warner Center -> Canoga -> Chatworthに乗車。  バス停に改札機があり、TAPカードをタップ後、ホームからバスに乗る仕組み。 ・道路は、元SPをOrange Line専用道路に改修している。他のバスは、この道路を  走らない。ホームは対面式。 ・Canoga駅は乗換駅であるが、構内は専用となっており、TAPカードをタップせず  とも乗り換えが可能となっている。Warner Center駅は一般道にあるバス停だが、  改札機があり、TAPカードをタップしてバスを待つようになっている。 ・便数は頻発しているが、Warner CenterとChatworthを結ぶシャトルだけは通勤時  間限定となっている。 ・車両は専用の連接バスであるが、シャトルバスについては普通のバスだった。 (2) Metro Silver Line ・今回、Harbor Gateway TransCenter -> Figueroa/7thと、南側だけに乗車したが、  Foothill Transit Silver Streakで、東側も乗車しているので、大甘だが、完乗  した事にしてしまう。 ・この路線は、Downtown LAを中心に南側(I-110)と東側(I-10)を結ぶ路線で、高速  道路では半専用レーンを、Downtown LAでは一般道のバス停を使う。そのため、  運賃はバス車内でTAPカードをタップする仕組みとなっている。 ・こちらもExpress Lane(FasTrak)が適用されている。バス停へのアプローチ部は、  バス専用車線になるが、それ以外は一般車両も通行可能。 ・南側(I-110)のバス停は、高速道路中央部に対面式ホームを設置して、Silver Line  以外のバスは進入しないようにしている。しかし、Harbor Freeway駅に限っては、  Silver Line以外のバスも停車する。この駅は、島式ホームとなっているため、駅の  前後に平面交差で上下線がクロスする危険な構造となっている。 ・便数は頻発しており、車両は銀色の特別車両を使っている。 4.5 送迎バス (1) Bronco Express Route A : University Village - CLA ・Cal Poly Pomonaが運営する本格的送迎バス。1998年当時もあったが、トラクター  で客車を引っ張るような簡素な乗り物だった記憶がある。 5 感想 (1) バスの遅延 ・1998年当時も感じたが、時刻表があってもバスは時間から平気で遅れる事に驚いた。  今回、10分以上の遅延が3回もあった。 ・Metro Orange Lineは、BRTらしく、バス停に電光掲示板で時間と行先を表示してい  るが、時間になっても入線せず、遅れて入線しても何の挨拶もない。 ・Foothill 482の遅延時は、代替があるので、さほど慌てなかったが、Metro Express  450の遅延時は、夜間であった事、代替となるバスが無い事から心底慌てた。 (2) BRTの定義 ・今回、2種類のBRTに乗車したが、BRT的な特長は、以下の通り。  ◇Orange Line:乗客多・頻発・速い・専用車両・専用道(鉄道跡)・駅で運賃収受  ◇Silver Line:乗客多・頻発・速い・専用車両・半専用道(高速道路) ・BRTの定義とは何だろう?と考えさせられた。言ったもん勝ちか。 (3) 鉄道車両からバスへ転換 ・路面電車を模したバスは、良くある話だが、鉄道車両をバスに改造した話は初耳で  驚いた。他に例があれば、教えていただきたい。
2015 年 02 月 01 日 20:16:29 (14876) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 浅間白根火山線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇浅間白根火山線    白根火山−万座温泉−鬼押出し−中軽井沢    表万座スキー場入口−表万座スキー場 1.2 路線略図           白根火山       湯田中<−○−>草津温泉・長野原            |    万座プリンス○−+      ホテル前  ○万座温泉            |            |      表万座スキー○−○表万座スキー場      場入口   |            |        上州三原○−>上州大津・長野原            |        上田<−◎万座・鹿沢口            |            |            ○鬼押出し            |            |            ◎中軽井沢 2. 路線解説 2.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・浅間白根火山線は、1972(S47)年に白根火山〜中軽井沢が開業した。草津・白根  地区と軽井沢地区は国鉄旅客営業にとって重要な観光地であり、地元の西武バス  (株)と提携して、信越本線中軽井沢駅と吾妻線万座・鹿沢口、長野原両駅とを  結ぶ鉄道とバスの一貫輸送体制を確立して観光客の誘致を一層増進することを  目的に開業されたものであった。 ・1985(S60)年当時、白根火山、万座温泉及び上州三原に自動車駅が存在した。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、浅間白根火山線には次のように長野原〜中  軽井沢に3往復、鬼押出し〜中軽井沢に2往復が設定されていた(この他、西武  バスが草津温泉〜軽井沢に白根火山経由3往復、草津温泉〜万座・鹿沢口直行6  往復が設定)。    長野原0750→草津温泉0845→万座・鹿沢口1025→1124中軽井沢       0915→    0945→      1125→1224       1140→    1210→      1350→1449    中軽井沢0938→万座・鹿沢口1105→草津温泉1250→1315長野原        1235→      1339→    1520→1545        1415→      1519→    1700→1725    鬼押出し0852→0928中軽井沢  中軽井沢0814→0848鬼押出し        1630→1706          1545→1619 ※ 補足 浅間白根火山線の運行状況の推移 ・1972(S47)年7月の開業時は、浅間白根火山線に次のような便が設定されて  いた。    長野原〜中軽井沢 2.0往復    草津温泉〜万座・鹿沢口 1.0往復    鬼押出し〜中軽井沢 1.5往復 ・1975(S50)年1月現在のダイヤでは、浅間白根火山線のほとんどの区間は  冬季運休中であるが、万座・鹿沢口〜万座温泉で次のように2往復が運行  されていた(他に社線バスが6往復)のを確認できる。    万座・鹿沢口0954→1049万座温泉 万座温泉1100→1200万座・鹿沢口          1223→1318         1400→1500 ・1976(S51)年4月改正ダイヤでは、浅間白根火山線に次のような便が設定  されていたのを確認できる。    長野原0820→草津温泉0850→万座・鹿沢口1030→1129中軽井沢       0930→    1005→      1145→1244       1212→    1242→      1422→1521    中軽井沢1030→万座・鹿沢口1134→草津温泉1320→1345長野原        1240→      1344→    1529→1554        1350→      1454→    1634→1659    鬼押出し0920→0954中軽井沢   中軽井沢0840→0912鬼押出し        1640→1714(7/20〜8/31)     1600→1632(7/20〜8/31) ・1978(S53)年8月現在ダイヤでは、浅間白根火山線に次のような便が設定  されていたのを確認できる。    長野原0815→草津温泉0845→万座・鹿沢口1025→1124中軽井沢       0930→    1005→      1145→1244       1212→    1242→      1422→1521    中軽井沢1030→万座・鹿沢口1134→草津温泉1320→1345長野原        1240→      1344→    1529→1554        1350→      1454→    1635→1700    鬼押出し0920→0954中軽井沢   中軽井沢0840→0912鬼押出し        1640→1714(10/20まで運転)    1600→1632(10/20まで運転) ・1980(S55)年8月現在のダイヤでは、浅間白根火山線に次のような便が設定  されていたのを確認できる。    長野原0815→草津温泉0845→万座・鹿沢口1025→1124中軽井沢       0920→    0950→      1130→1229       1214→    1245→      1427→1526    中軽井沢1030→万座・鹿沢口1134→草津温泉1314→1339長野原        1330→      1434→    1614→1639        1406→      1510→    1650→1715    鬼押出し0900→0936中軽井沢   中軽井沢0815→0849鬼押出し        1645→1721(9/27〜10/12)     1600→1634(9/27〜10/12) ・1982(S57)年11月改正ダイヤでは、浅間・白根火山ルートは運休中であるが、  浅間白根火山線は、万座・鹿沢口〜万座温泉で次のように1.5往復が運行  されていた(他に西武バスが3往復)のを確認できる。    万座・鹿沢口1355→1440万座温泉 万座温泉1115→1208万座・鹿沢口                        1510→1603 ・1983(S58)年9月改正ダイヤでは、浅間白根火山線に次のような便が設定さ  れていたのを確認できる。    長野原0815→草津温泉0845→万座・鹿沢口1025→1124中軽井沢       0915→    0945→      1125→1224       1145→    1215→      1355→1454    中軽井沢1000→万座・鹿沢口1105→草津温泉1250→1315長野原        1220→      1329→    1510→1535        1405→      1509→    1650→1715    鬼押出し0900→0936中軽井沢   中軽井沢0815→0849鬼押出し        1625→1701(9/23〜10/2)      1540→1612(9/23〜10/2) ・1984(S59)年2月現在のダイヤでは、浅間・白根火山ルートは運休中である  が、浅間白根火山線は、万座・鹿沢口〜万座温泉で次のように1.5往復が運  行されていた(他に西武バスが下5・上2)のを確認できる。    万座・鹿沢口1400→1455万座温泉 万座温泉1115→1208万座・鹿沢口                        1540→1640 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年4月改正のダイヤでは、浅間白根火山線には次のように長野原〜中  軽井沢に3往復、鬼押出し〜中軽井沢に1往復が設定されていた(この他、西武  バスが草津温泉〜軽井沢に白根火山経由3往復が設定)。    長野原0815→草津温泉0845→万座・鹿沢口1025→1124中軽井沢       0915→    0945→      1125→1224       1309→    1344→      1519→1618    中軽井沢1000→万座・鹿沢口1105→草津温泉1245→1310長野原        1312→      1416→    1556→1621        1415→      1519→    1700→1725    鬼押出し0852→0928中軽井沢  中軽井沢0814→0848鬼押出し ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、万座温泉〜万座  プリンスホテル前が認知された。 ・浅間白根火山線は、国鉄民営化を経てJRバス関東に継承された。1997(H9)  年に長野新幹線の開業に伴って中軽井沢〜軽井沢が延長された。また、2001  (H13)年には軽井沢〜北軽井沢〜草津温泉(草軽線)に参入した。しかし、  2004(H16)年シーズン限りで浅間・白根火山ルート及び草軽線からJRバス  関東が撤退し、浅間白根火山線は廃止された。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.6号 9.関東・信越編(下) 43〜44日目 7/23(火)〜24(水) (2) 単行本 ・43〜44日目 7/23(火)〜24(水) p205〜207 3.2 乗車券の経由欄 ・「万座・鹿沢口、浅間白根火山線、白根火山」 3.3 行程 ◇万座・鹿沢口1700→1752万座プリンスホテル前 浅間白根火山線     万座・鹿沢口発 万座プリンスホテル前行 西武バス(国鉄共通乗車) ◇万座プリンスホテル前0900→0915白根火山 浅間白根火山線           万座・鹿沢口発 草津温泉行 西武バス(国鉄共通乗車) 3.4 エピソード ・どこからか硫黄臭が漂ってくると万座温泉だった。西武バスだから西武系列の  プリンスホテル前が終点で、万座温泉停留所を左折して急坂をのぼる。 ・下車時の乗車券チェックも券番と発行駅を書き写しただけで簡単に済んだ。 ・万座・鹿沢口からきたバスには旅館のお手伝いさんと分かる女性が2人乗って  いるだけだったが、ホテルから若い女の子グループらが加わり、はなやいだ。  バスのテープガイドも流れ出す。 3.5 旅の考察 ・上州三原〜万座・鹿沢口は、浅間白根火山線と鹿沢菅平線との二重戸籍の区間  であった。 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、浅間白根火山線の万座  温泉、鬼押出し、峰の茶屋の各駅は途中下車駅であり、浅間白根火山線は乗車券  の有効期間が2日間の区間であった。
2015 年 02 月 01 日 20:15:17 (14875) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 志賀草津高原線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇志賀草津高原線   志賀草津高原本線    長野原−湯田中    運動茶屋−草津温泉(北回り)    蓮池−蓮池ロープウェイ   花敷線    長野原−野反湖    花敷温泉口−花敷温泉 1.2 路線略図        蓮池ロープ          ウェイ                   ○     白根      渋温泉 |  渋峠 火山    ○−−○−−○−−○−−○−・   湯田中    蓮池    |  \                V   ○殺生河原    野反湖              万座・鹿沢口 \        ○              中軽井沢    ・       |                      |       |               天狗山スキー場○       |                      |   花敷○−○花敷                 ・−○+−+   温泉  ・温泉口                / 運動 \|      /               ・  茶屋  ○草津温泉 /               |           ○           草津田所○          /六合               |         / 山荘           吾妻立石○      太子○               | 長野原   /               | 役場前  /長野原    上田、万座・鹿沢口<−○−−○−−○−−◎−>渋川              上州大津  須川橋 2. 路線解説 2.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・志賀草津高原線は、1935(S10)年に吾妻線の支線上州草津線として上州大津〜  上州草津(→草津温泉)が開業したのがルーツである。1962(S37)年に草津温泉  〜殺生河原(〜白根鉱山)が延長され、1965(S40)年に白根高原口〜白根火山  〜万座温泉口〜山田峠、山田峠〜渋峠が延長された。草津温泉と志賀高原を結ぶ  観光道路の開通に伴って、1966(S41)年に渋峠〜湯田中が開業した。 ・志賀草津高原線は、両毛吾妻地区と長野地区を短絡するとともに、草津温泉郷  と志賀高原・山ノ内温泉郷を結合する観光路線としての使命を有していた。 ・1985(S60)年当時、草津温泉と白根火山に自動車駅が存在した。このうち草津  温泉駅は草津温泉バスターミナルとして現存している。また、バス運行の拠点  として、線内の長野原役場前に長野原自動車営業所が置かれていた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、志賀草津高原線には次のような便が設定  されていたのを確認できる。    長野原〜湯田中 3.0往復(他に社線バスが長野原・草津温泉〜湯田中に            5.0往復設定)      長野原0900→1105湯田中   湯田中1215→1425長野原         0952→1157         1310→1520         1130→1335(9/15〜10/10)   1440→1650(9/15〜10/10)    長野原〜草津温泉 下り32本・上り30本    長野原〜野反湖 2.0往復    長野原〜花敷温泉 8.0往復    長野原〜国鉄六合山荘 2.0往復 ※ 補足 上州草津線〜志賀草津高原線の運行状況の推移 ・1940(S15)年7月改正ダイヤでは、上州草津線に次のような便がが設定されてい  た。    渋川0710→長野原0924→1014上州草津 1便      0835→   1049→1139     3便      1035→   1249→1339     5便      1240→   1454→1544     7便      1420→   1634→1724     9便      1600→   1814→1904     11便      1700→   1919→2009     13便    上州草津0650→長野原0740→0949渋川 2便        0900→   0950→1159   4便        1040→   1130→1339   6便        1220→   1310→1519   8便        1345→   1435→1644   10便        1630→   1720→1929   14便 ・1950(S25)年10月改正ダイヤでは、上州草津線に次のような便が設定されていた  のを確認できる(この他区間運転ありとの注記が付されていた)。    渋川1150→長野原1345→1430上州草津      1420→   1615→1700      1750→   1945→2030    上州草津0750→長野原0830→1020渋川        1040→   1120→1310        1340→   1420→1610        1520→   1600→1750    長野原〜上州草津 8.5往復 ・1956(S31)年11月改正ダイヤでは、上州草津線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    渋川1010→長野原1215→1310上州草津      1530→   1735→1830      1630→   1835→1935    上州草津0550→長野原0655→0900渋川        0720→   0835→1040        1210→   1315→1520    長野原〜上州草津 8.0往復 ・1958(S33)年5月改正ダイヤでは、上州草津線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    長野原〜上州草津 11.5往復    長野原〜野反湖 1.0往復    太子〜花敷温泉 1.0往復    太子〜野反湖 1.0往復    上州草津〜鈴蘭口 2.0往復 ・1959(S34)年5月改正ダイヤでは、上州草津線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    長野原〜草津 11.5往復    長野原〜花敷温泉 1.0往復    太子〜花敷温泉 2.0往復    上州草津〜鈴蘭口 2.0往復 ・1961(S36)年5月改正ダイヤでは、上州草津線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    長野原〜草津 18.0往復    長野原〜野反湖 2.0往復    長野原〜花敷温泉 1.0往復    太子〜野反湖 1.0往復    太子〜鈴蘭口〜草津 2.0往復 ・1964(S39)年8月現在のダイヤでは、上州草津線に次のような便が設定されてい  たのを確認できる。    渋川〜草津温泉 2.5往復    長野原〜草津温泉 21.0往復    長野原〜野反湖 2.0往復    長野原〜花敷温泉 1.0往復    太子〜野反湖 1.0往復    太子〜鈴蘭口〜上州草津 2.0往復    草津温泉〜白根高原口 3.0往復    草津温泉〜白根鉱山 4.0往復    草津温泉〜殺生 14.5往復 ・1965(S40)年9月改正ダイヤでは、上州草津線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    渋川〜草津温泉 2.5往復    長野原〜草津温泉 21.0往復    長野原〜花敷温泉 3.0往復    草津温泉〜渋峠 4.0往復(草軽・西武を含む)    草津温泉〜白根火山 8.0往復    草津温泉〜殺生河原 20〜30分毎運転 ・1966(S41)年6月の志賀草津高原線全線開業時のダイヤでは、次のような便が  設定されていたのを確認できる。    長野原〜湯田中 4.0往復(他に長野原〜湯田中5.0往復、草津温泉〜湯田中            1.0往復を長野電鉄及び草軽交通が運行)      長野原0750→1040湯田中 401便  湯田中0710→1000長野原 402便         0900→1155    403便     1140→1430    404便         1025→1315    405便     1340→1630    406便         1420→1710    407便     1425→1715    408便    長野原〜草津温泉 32.0往復    草津温泉〜白根火山 20.0往復(社線バスを含む)   ※本路線は、国鉄・長野電鉄・草軽交通・西武自動車が運行便の時間調整を    行って旅客の利便を図るので、普通乗車券所持の旅客に限り共通乗車の取    扱を行う(長野原〜湯田中:国鉄・長電、草津温泉〜湯田中:国鉄・長電    ・草軽、草津温泉〜白根火山:国鉄・長電・草軽・西武)。 ・1967(S42)年7月改正のダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定され  ていたのを確認できる。    長野原・草津温泉〜湯田中 8.5往復(社線バスを含む)    草津温泉〜白根火山 11.0往復(社線バスを含む)    草津温泉〜万座温泉 4.0往復(社線バスを含む)    草津温泉→渋川 上り2本    長野原〜草津温泉 30〜50分毎運転    長野原〜野反湖 2.5往復    長野原〜花敷温泉 1.0往復    太子〜野反湖 1.0往復 ・1970(S45)年7月改正ダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜湯田中 下り4本・上り2本(社線バスを含む)    長野原〜渋峠 2.0往復(社線バスを含む)    長野原〜白根火山 1.0往復(社線バスを含む)    草津温泉〜白根火山 13.0往復(社線バスを含む)    草津温泉〜万座温泉 4.5往復(社線バスを含む)    長野原〜草津温泉 下り19本・上り24本    長野原〜野反湖 3.5往復    長野原〜花敷温泉 1.0往復 ・1972(S47)年1月現在ダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜白根火山・渋峠・湯田中 4月下旬まで運休中    草津温泉〜白根火山・万座温泉 4月下旬まで運休中    草津温泉〜殺生河原 12.0往復(社線バスを含む)    長野原〜草津温泉 下り19本・上り24本    長野原〜花敷温泉 3.0往復    長野原〜小雨 2.0往復    長野原→鈴蘭口→草津温泉 下り1本    太子〜鈴蘭口〜草津温泉 1.0往復 ・1972(S47)年11月改正ダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜白根火山・渋峠・湯田中 4/25まで運休中    草津温泉〜白根火山・万座温泉 運休中    草津温泉〜殺生河原 6.0往復(他に社線バス12.0往復)    長野原〜草津温泉 下り18本・上り28本    長野原〜花敷温泉 3.0往復    長野原〜小雨 2.0往復    長野原→鈴蘭口→草津温泉 下り1本    太子〜鈴蘭口〜草津温泉 1.0往復 ・1975(S50)年1月現在ダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜白根火山・渋峠・湯田中 4月下旬まで運休中    草津温泉〜白根火山・万座温泉 運休中    草津温泉〜殺生河原 21.0往復(社線バスを含む)3/9まで運転    長野原〜草津温泉 下り27本・上り28本    長野原〜花敷温泉 3.0往復    長野原〜小雨 2.0往復    太子〜鈴蘭口〜草津温泉 1.0往復 ・1976(S51)年4月改正ダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜湯田中 4.0往復(他に社線バス5往復、草津温泉〜湯田中1往復)      長野原0805→1010湯田中  湯田中1115→1325長野原         0855→1105        1225→1437         0943→1148        1300→1510         1000→1210        1320→1530    草津温泉〜天狗山スキー場 6.0往復(他に社線バス12往復)4/26まで運転    長野原〜草津温泉 下り30本・上り32本    長野原〜花敷温泉 3.0往復    長野原〜小雨 2.5往復 ・1978(S53)年8月現在ダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜湯田中 4.0往復(他に社線バス5往復、草津温泉〜湯田中1往復)      長野原0805→1010湯田中  湯田中1115→1325長野原         0855→1105        1235→1445         0943→1148        1300→1510         1000→1210        1320→1530    長野原〜草津温泉 30.0往復    長野原〜花敷温泉 3.0往復    長野原〜小雨 2.0往復    小雨〜鈴蘭口〜草津温泉 1.0往復 ・1980(S55)年8月現在のダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜湯田中 4.0往復(他に社線バス5往復、草津温泉〜湯田中1往復)      長野原0750→1010湯田中  湯田中1113→1323長野原         0900→1105        1227→1437         0944→1149        1238→1445         1000→1210        1324→1539    長野原〜草津温泉 下り31本・上り33本    長野原〜花敷温泉 3.5往復    長野原〜小雨 2.0往復    長野原→鈴蘭口→草津温泉 下り1本    小雨〜鈴蘭口〜草津温泉 1.0往復 ・1982(S57)年11月改正ダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜湯田中 運休中(4月下旬運転再開予定)    草津温泉〜殺生河原 9.0往復(社線バスを含む)2/27まで運転    長野原〜草津温泉 32.0往復    長野原〜花敷温泉 3.0往復    長野原〜小雨 2.0往復    長野原→鈴蘭口→草津温泉 下り1本    小雨〜鈴蘭口〜草津温泉 1.0往復 ・1983(S58)年9月現在のダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜湯田中 4.0往復(他に社線バス5往復、草津温泉〜湯田中1往復)      長野原0750→1010湯田中  湯田中1135→1345長野原         0900→1105        1215→1425         0955→1200        1250→1500         1025→1230        1315→1525     ※志賀草津高原ルートは11月上旬まで運転予定との注記あり。    長野原〜草津温泉 下り32本・上り35本    長野原〜花敷温泉 3.0往復    長野原〜小雨 2.0往復    長野原→鈴蘭口→草津温泉 下り1本    小雨〜鈴蘭口〜草津温泉 1.0往復 ・1984(S59)年2月現在のダイヤでは、志賀草津高原線に次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜湯田中 運休中(4月下旬運転再開予定)    草津温泉〜殺生河原 平日9.0往復・休日13.0往復(社線バスを含む)    長野原〜草津温泉 下り33本・上り35本    長野原〜花敷温泉 3.0往復    長野原〜国鉄六合山荘 1.0往復    長野原〜小雨 1.0往復    長野原→鈴蘭口→草津温泉 下り1本    小雨〜鈴蘭口〜草津温泉 1.0往復 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年4月改正ダイヤでは、志賀草津高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    長野原〜湯田中 3.0往復(他に社線バスが長野原・草津温泉〜湯田中に            5.0往復設定)(4/25〜11/3運転)      長野原0855→1105湯田中   湯田中1210→1425長野原         0949→1157         1310→1520         1150→1355※        1450→17000※       ※印は7/27〜8/24・9/14〜10/12運転    長野原〜草津温泉 下り36本・上り37本    長野原〜花敷温泉 8.0往復    長野原〜国鉄六合山荘 2.0往復 ・志賀草津高原線は、国鉄民営化を経てJRバス関東に継承された。1989(H1)年に  白根火山〜湯田中及び蓮池〜蓮池ロープウェイが休止(1991(H3)年廃止)され  た。  他方、2002(H14)年に西吾妻福祉病院への乗り入れを開始した。その後、2009  (H21)年に花敷線が全廃された。 ・2015(H27)年6月現在、長野原〜草津温泉〜白根火山がJRバス関東によって運行  されている。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.6号 9.関東・信越編(下) 44日目 7/24(水) ・連載誌のみ 長野原駅バス乗り場の写真 (2) 単行本 ・44日目 7/24(水) p207〜208 3.2 乗車券の経由欄 ・「白根火山、志賀草津高原線、草津温泉、長野原」 3.3 行程 ◇白根火山1000→1030草津温泉 志賀草津高原本線 白根火山発 草津温泉行                         西武バス(国鉄共通乗車) ◇草津温泉1150→1220長野原 志賀草津高原本線 草津温泉発 長野原行                          647-2983(日野K-RC721P) 3.4 エピソード ・白根火山から志賀草津道路を草津温泉へ下ったバスも西武。この付近は西武圏で  国鉄バスは添え物の感がある。 ・草津温泉では行先別の改札があり、長い経路のきっぷを見せているうちに長野電  鉄バスに間に合わなくなった。日交観職員らしき改札氏によれば、長野電鉄に乗  るには乗車券を呈示して「共通券」と引き換えなければならないそう。大駅にな  ると話が面倒になる。なにしろ、みどりの窓口があり、1番線から12番線まで並  ぶ本格的な駅である。 ・プランニング段階で「自動車線普通旅客運賃表」には志賀草津高原本線の運動茶  屋〜草津温泉間0.4kmの他に0.7kmの大回り枝線がみつかり、枝線経由を希望した  が、一方通行のための路線設定で草津温泉から運動茶屋方向へは経由できないと  の回答だった。温泉中心部の道路が狭いので特別措置をとっているようだ。 3.5 旅の考察 ・志賀草津高原本線の運動茶屋〜草津温泉は、本線経由と運動茶屋〜草津温泉(北  回り)の2つの経路があるが、その位置関係は次の通りである。               Λ白根火山               |               ○天狗山スキー場       運動      |       茶屋 0.05+0.35 |1.6   長野原<−○−+−−−−+           \ ← |            ・↓↑|0.3     0.05+0.05+0.3  \ |              \|               ○草津温泉  この付近の一方通行は上図の通りであり、長野原行きは草津温泉付近のループ区  間を1周+αして運動茶屋に向かうため、本線経由の一部と北回り支線を通る。  国鉄時代の資料によると運動茶屋〜草津温泉、草津温泉〜天狗山スキー場の運賃  計算キロ程は次の通りとされていた。   草津温泉〜運動茶屋 {(0.05+0.05+0.3)+(0.3+0.35+0.05)}/2=0.6km    草津温泉〜天狗山スキー場{(1.6+0.35+0.05+0.3)+(0.3+1.6)}/2=2.1km
2015 年 02 月 01 日 10:23:14 (14874) 山城こうじ国鉄周遊券育ちさんの書き込み こんにちは。 洲の崎線の安房白浜直通便、 今日に、公式の時刻表に出ました。 実は、先日の房総訪問のとき、 館山駅バス窓口、安房白浜駅窓口で、 尋ねてみて、 「今年も走る予定です」とは、 聞いたのですが、 確証がないため、書かずにおきました。
2015 年 01 月 31 日 19:02:06 (14873) ふもふも館長さんの書き込み 国鉄バス西天竜線の原田橋が崩落したようです。 天竜川右岸の崖が土砂崩れを起こし、その影響で原田橋と建設中の新橋が崩落した ようです。なお、国鉄バス原田橋バス停は、左岸にあったようです。 http://www.at-s.com/news/detail/1174164113.html http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/douro/traffic/bridgekisei/index.html http://kintsuri.main.jp/A93_harada.html 年末に近くまで訪問していましたが、調査不足で原田橋までは行きませんでした。 趣ある橋だったようで、事前に調べておけば訪問可能だっただけに悔やまれます。 不毛板(14863)(14853)(14852)(14795)も参照ください。
2015 年 01 月 30 日 06:28:10 (14872) 山城こうじ国鉄周遊券育ちさんの書き込み 毎度読ませていただいております。 先日の1月21日、初めて、 千葉県館山の小塚大師祭礼の輸送を 体験してきました。 運行は、おおむね公式サイトで分かりますが、 気づいた点を書いておきます。 まず、この臨時路線、 あくまで、「一般路線」らしく、 クローズドドア扱いではありません。 往路の南房州線ルート上では、 デジタル運賃表の運賃が、 バス停ごとに動きます。 復路は、バス運行の一方通行の関係で、 もと豊房線ルートを走ります。 こちらもクローズドドア扱いではありませんが、 下車可能なバス停は、 南房州線ルート上に戻ってからの バス停のみです。 車両は、館山の一般車両と、 なのはな号用ハイデッカーの古いタイプ、 でした。 「南房総フリー乗車券」で乗車できます。 バスファンの訪問も多いので、 係員さんに疑問がられることもありません。 硬券の記念乗車券はもちろん利用可能で、 実際のところ、 バスファンとは関係ない一般の方の 往復乗車券として、 多数、売れていました。
2015 年 01 月 28 日 10:35:47 (14871) 産交フリークさんの書き込み 取り敢えずプレスリリースが出ましたので投稿します。 宮崎〜大分・別府線運行開始予定 http://www.jrkbus.co.jp/pdf/20150127ooita.pdf JR九州バスが別府まで行くのかどうか、といった詳細はまだ不明です。 大分県内では臼三線廃止以来8年ぶり、大分市内では坂ノ市線、佐賀関線廃止以来 12年ぶりのJR九州バス路線となります。 一緒に掲載されていますが、北九州〜別府・大分線も開通予定。此方は一時期試行 運行で大分バスを除く3社で運行されていました。前回は本運行となりませんでした が今回はどうなりますやら。 板14867で書き込みがありました「ふくま〜る」の廃止も掲載されていましたので追 記しておきます。 http://www.jrkbus.co.jp/pdf/hukuma_ru_haishi_oshirase.27.01.pdf
2015 年 01 月 27 日 11:47:15 (14870) JRKさんの書き込み ふもふも館長さま 鴨川日東バスに乗っていると、東京湾フェリー・保田中央側から→「金束」→「金束駅」→の順に案内がありました。 1停留所区間だけ隣にあります。 金束駅舎は、ガレージと駅務室とが併設されたような構造です。 (JRバス駅で例えれば、塩原温泉駅や伊那藤沢駅・伊那里駅の駅舎みたいな構造。) ボロボロになりながらも現存していてくれて、嬉しくなりました。
2015 年 01 月 27 日 06:07:34 (14869) ふもふも館長さんの書き込み 奇遇にも、昨年バイクで当地を訪問しており、金束バス停の写真が残っていました。 ただ写真は待合所を写しており、調べてみるとここに転向場があったようで、これ とは別の所に金束駅があったようですね。バス駅跡があると知っていれば立ち寄っ たのですが、なんとも残念。 http://jnr103.at.webry.info/201004/article_3.html
2015 年 01 月 25 日 18:26:54 (14868) JRKさんの書き込み 昨日、かつての日東交通線の自動車駅を幾つか訪問して来ました。 手元には、集英社「週刊 鉄道 絶景の旅」創刊号付録の【日本国有鉄道営業局編集 旅客事務用鉄道線路図 昭和35年3月10日現 在(複製)】があり、これによると、連絡社線(自動車線)として、日東交通線の記載があります。 当時は、上総湊〜安房鴨川の運行で、途中駅として 「環駅(たまき)」 「関豊駅(せきとよ)」 「金束駅(こづか)」 「吉尾駅(よしお)」 「主基駅(すき)」 という自動車駅があったようです。 平成27年現在では、上総湊〜安房鴨川の通しでの運行は無く、 ≪西側≫【天羽日東バス 戸面原線】上総湊駅-環駅-関豊駅-戸面原ダム ≪東側≫【鴨川日東バス 金谷線】東京湾フェリー-保田中央-金束駅-吉尾駅-主基駅-鴨川駅-鴨川シーワールド-亀田病院 (≪東側≫【鴨川日東バス 長狭線】平塚本郷-金束駅-吉尾駅-主基駅-鴨川駅-鴨川シーワールド-亀田病院も運行) とに分断され、関豊駅〜金束駅の間が路線断絶しています。 今回は、鴨川日東バス 金谷線を利用し、東京湾フェリー金谷港から安房鴨川駅にかけての3駅(金束・吉尾・主基)を見てきまし た。 駅舎が現存するのは、金束駅のみのようで、吉尾駅・主基駅についてはポールに駅名が記されている他は何も確認出来ませんでした。 次回訪問した時には、駅舎跡地(もしも駅舎があったのであれば)を特定したいと思います。
2015 年 01 月 15 日 16:51:06 (14867) 山城こうじ国鉄周遊券育ちさんの書き込み しばらく読んでばかりでしたが、 また書き込みに参加します。 ニュース1 JR九州バス、ふくまーる、 廃止だそうです。 ソースは公式ですが、 一見すると分かりにくいところに あります。 ニュース2 中国JRバス、防長本線「はぎ号」、 1月9日より、 今までのハイデッカーによる運行を中止、 中乗り前降り車による運行となります。 ソースは新山口駅新幹線口バス窓口の掲示です。
2015 年 01 月 06 日 20:27:09 (14866) ふもふも館長さんの書き込み 八ッ場ダム本体建設工事に伴い、014-11-18より、旧川原湯温泉駅を含む、 国道145号の第一小学校入口〜吾妻峡橋分岐が通行止めになっています。 http://www.pref.gunma.jp/06/h2800043.html この他、旧川原湯温泉駅から川原湯へ至るメインストリートについても 旧川原湯温泉駅〜大沢橋が通行止めになっています。 https://www.google.co.jp/maps/ 不毛板(14724-14)にて、渋川線 川原湯−川原湯温泉 の路線跡をバイクで探索した 話を投稿し、川原湯温泉バス停は、共同浴場「王湯」の前と推理しました。 https://www.google.co.jp/maps/ --- 吾妻線の経路変更に伴い、先日、電車で再訪しました。新しい川原湯温泉駅に、 付近の地図がホワイトボードに記載されており、共同浴場「王湯」は、川原湯温泉 トンネルの先に移転している事が書かれています。 駅前には、豊田乳業の直売店があります。もともと山奥にありましたが、新道開通に 伴い、駅前一等地になったようです。その先、旧鉄道駅に向かうメインストリートが 延びています。王湯も移転していましたので、いつまで通行可能かわかりません。 移転した共同浴場「王湯」は、駅からのんびり歩いて片道15分ですが、トンネル側道 が舗装されていないので、足場は悪いです。次の電車まで約1時間あれば、徒歩往復で 入浴・休憩が可能です。
2015 年 01 月 03 日 07:58:54 (14865) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 平庭高原線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇平庭高原線   平庭高原本線    久慈−茶屋場    平庭高原−平庭山頂   津内口線    久慈荒町−津内口    羽黒山前−森前   陸中小国線    陸中山形−陸中小国 1.2 路線略図             久慈              ◎−>普代          八戸<−+              |          ・−−−+          |   ○久慈荒町          |   |      高校入口○−−−+          |   |        畑田○   ○碁石前          |   |      羽黒山前○−−−○森前          |   |       津内口○   |              ○戸呂町口              |              |          陸中山形○−−−−−○陸中小国              |              |        平庭山頂○−○平庭高原              |              ○江刈川              |              |           茶屋場○−>名目入・岩泉              |              V            葛巻・沼宮内  ※平庭高原〜平庭山頂は「三陸観光号」専用区間で、当時は休止中であった   模様。 2. 路線解説 2.1 S60.6時点の運行状況 ・平庭高原線は、1943(S18)年に久慈〜茶屋場が沼宮内本線として開業したのが  ルーツである。本路線は、1962(S37)年に沼宮内東線及び沼宮内西線から分離  した。平庭高原線は沿線地方の産業文化の発展助成を使命としていた他、沼  宮内線と接続して八戸線と東北本線との短絡の役割を果たしていた。 ・1982(S57)年に平庭高原〜平庭山頂が開業したが、東北新幹線(大宮〜盛岡)  開業に伴って新設された、陸中海岸観光バス「三陸観光号」(盛岡→平庭高原  →久慈→島ノ越港→岩泉→早坂高原→盛岡)の専用区間だった模様である。 ・1985(S60)年当時、(自)久慈と陸中山形に自動車駅が存在していた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定され  ていたのを確認できる。  1) 特急「白樺号」    盛岡0710→0959久慈  久慈0700→0950盛岡      1035→1325      0805→1055      1240→1530      0940→1230      1440→1740      1250→1540      1640→1940      1450→1740      1800→2100      1650→1940   ※1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」には、「急行便「白樺号」    に乗車の場合は、自動車急行料金(大人100円、小児50円)を別途収受    する」との注記がある。  2) 普通便    久慈1100→1217陸中小国 陸中小国0659→0815久慈      1740→1857         1247→1402 ※ 補足 平庭高原線の運行状況の推移 ・1944(S19)年10月改正ダイヤでは、沼宮内線(久慈〜葛巻)には次のような便  が設定されていたのを確認できる。    陸中山形0615→0734久慈 31便  久慈0640→0810陸中山形 30便      葛巻0730→1010   33便    1400→1705葛巻   32便      葛巻1430→1710   35便    1635→1650大川目  34便     大川目1700→1715   37便    1730→1859陸中山形 36便 ・1947(S22)年8月改正ダイヤでは、沼宮内東線、沼宮内西線(陸中山形〜葛巻)  には次のような便が設定されていたのを確認できる。    久慈〜陸中山形 5.0往復(30〜39便、1時間43分)    久慈〜大川目 6.0往復(150・152〜161・163便、19分)    久慈〜川貫 8.0往復    葛巻0630→0808陸中山形  陸中山形0830→1023葛巻      1100→1238          1300→1458      1520→1658          1720→1813 ・1953(S28)年1月改正ダイヤでは、沼宮内東線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    久慈〜陸中山形 4.0往復(1時間30分)    久慈〜大川目 下り6本・上り8本(21分) ・1954(S29)年9月改正ダイヤでは、沼宮内東線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    久慈〜陸中山形 5.0往復(1時間13分)    久慈〜大川目 4.5往復(17分) ・1955(S30)年5月改正ダイヤでは、沼宮内東線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    盛岡0640→葛巻1000→1202久慈  久慈0640→0843葛巻→1147盛岡      1620→  1927→2130      1540→1742  →2057    久慈〜陸中山形 4.0往復(1時間13分)    久慈〜大川目 1.5往復(17分) ・1956(S31)年9月改正ダイヤでは、沼宮内東線、沼宮内西線(陸中山形〜葛巻)  には次のような便が設定されていたのを確認できる。    盛岡0640→葛巻0953→1155久慈  久慈0650→0855葛巻→1201盛岡      1620→  1926→2127      1610→1832    久慈〜陸中山形 4.5往復(1時間8分)    久慈〜大川目 8.0往復(17分) ・1958(S33)年5月改正ダイヤでは、沼宮内東線、沼宮内西線(陸中山形〜葛巻)  には次のような便が設定されていたのを確認できる。    久慈0650→0855葛巻  葛巻0940→1140久慈      1545→1745      1913→2126    久慈〜陸中小国 2.0往復(2時間7分)    久慈〜陸中山形 1.0往復(1時間8分)    久慈〜大川目 下り7本・上り10本(17分)    新町→久慈 上り1本(28分) ・1959(S34)年5月改正ダイヤでは、沼宮内東線、沼宮内西線(陸中山形〜葛巻)  には次のような便が設定されていたのを確認できる。    盛岡0635→葛巻0936→1139久慈  久慈0705→0915葛巻→1205盛岡      1610→  1910→2113      1545→1749    久慈〜陸中小国 2.0往復(2時間)    久慈〜陸中山形 1.0往復(1時間7分)    久慈〜新町 下り2本・上り4本(26分)    久慈〜大川目 下り7本・上り5本(16分)    久慈〜枝成沢 5.0往復(22分) ・1961(S36)年5月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    盛岡0700→葛巻1004→1204久慈  久慈0645→葛巻0900→1152盛岡      1620→  1922→2122      1600→  1810→2104    久慈〜陸中小国 2.0往復(1時間58分)    久慈〜陸中山形 1.0往復(1時間5分)    久慈〜新町 下り3本・上り4本(26分)    久慈〜大川目 下り7本・上り6本(16分)    久慈〜津内口 4.0往復(27分) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号では、平庭高原線には次の  ような便が設定されていたのを確認できる。    盛岡0650→1134久慈  久慈0720→1208盛岡      1600→2046      1555→2038    久慈〜陸中小国 2.0往復(1時間58分)    久慈〜陸中山形 1.0往復(1時間7分)    久慈〜大川目 2.0往復(16分) ・1967(S42)年7月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定され  ていたのを確認できる。    盛岡0705→葛巻0941→1133久慈  久慈0725→葛巻0932→1208盛岡      1620→  1851→2041      1530→  1738→2001    久慈〜陸中小国 2.0往復(1時間56分)    久慈〜陸中山形 1.0往復(1時間3分) ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定され  ていたのを確認できる。    盛岡0650→葛巻0903→1030久慈  久慈0810→葛巻0946→1152盛岡      1630→  1857→2022      1538→  1707→1915    久慈〜陸中小国 2.0往復(1時間33分)    久慈〜陸中山形 1.0往復(48分)    久慈〜森前 下り9本・上り10本(15分) ・1971(S46)年9月から盛岡〜久慈特急便「白樺号」が運行開始。1971(S46)年12  月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されていたのを確認  できる。  1) 特急便「しらかば号」    盛岡0820→葛巻1039→1208久慈  久慈0810→葛巻0944→1156盛岡      1430→  1647→1816      1437→  1613→1825   ※急行料金50円との注記あり。  2) 普通便    久慈〜陸中小国 2.0往復(1時間48分)    久慈・川貫〜森前 8.0往復(16分) ・1975(S50)年1月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0725→0944葛巻→1116久慈       葛巻0810→1022盛岡      0930→1152  →1324    久慈0805→  0947→1159      1500→1717  →1849      1210→  1349→1601      1725→1942           1520→  1659→1914   ※急行料金80円との注記あり。  2) 陸中小国線    久慈1100→1243陸中小国  陸中小国0642→0826久慈      1730→1914          1315→1458 ・1976(S51)年4月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されてい  たのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0650→1009久慈  久慈0700→1019盛岡      0930→1249      0810→1129      1445→1807      1250→1612      1730→2054      1510→1832   ※急行料金80円との注記あり。   ※以上の他、7/20〜8/31・9/13〜24に特急便「平庭陸中号」が次のように設    定されていたのを確認できる。     盛岡0820→久慈1150→1316北山崎1545→久慈1710→2024盛岡  2) 陸中小国線    久慈1125→1252陸中小国  陸中小国0658→0827久慈      1730→1859          1322→1449 ・1978(S53)年8月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0650→1009久慈  久慈0700→1019盛岡      0930→1249      0805→1124      1445→1807      1250→1612      1730→2057      1510→1832   ※急行料金100円との注記あり。  2) 陸中小国線    久慈1125→1250陸中小国  陸中小国0700→0827久慈      1730→1857          1320→1445 ・1980(S55)年8月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0650→1009久慈  久慈0700→1019盛岡      0930→1249      0805→1124      1445→1807      1250→1612      1730→2057      1510→1832   ※急行料金100円との注記あり。  2) 陸中小国線    久慈1125→1250陸中小国  陸中小国0700→0827久慈      1730→1857          1320→1445 ・1982(S57)年11月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0650→1009久慈  久慈0630→0949盛岡      0930→1249      0740→1059      1450→1812      1250→1612      1710→2037      1510→1832   ※急行料金100円との注記あり。   ※以上の他、11/20・21・27に特急便「三陸観光1号」が次のように設定され    ていたのを確認できる(同2号は早坂高原線経由)。     盛岡1050→久慈1427→1727島ノ越港  2) 陸中小国線    久慈1127→1247陸中小国  陸中小国0700→0820久慈      1730→1851          1314→1433 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されてい  たのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0710→1010久慈     久慈0700→0950盛岡      0940→1230         0805→1055      1140→1430         0940→1230      1340→1630(7/20〜8/31)   1040→1330(7/20〜8/31)      1440→1730         1250→1540      1640→1930         1450→1740      1800→2050         1650→1940  2) 普通便    久慈〜陸中小国 2.0往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回    久慈〜森前 4.0往復    久慈〜津内口 5.0往復    久慈〜川貫 5.5往復 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、津内口線の畑田〜  久慈荒町、森前〜生出町が認知された。 ・平庭高原線は、国鉄民営化を経てJRバス東北に継承されたが、1996(H8)年  に陸中小国線が廃止(自治体バス化)された。2005(H17)年に自治体バスと  なっていた津内口線の羽黒山前〜津内口が廃止された。さらに、2008(H20)  年に久慈管内ローカル線全廃に伴って、津内口線の残存区間と自治体バスと  なっていた陸中小国線が廃止された。 ・民営化後の1988(S63)年3月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定  されていた。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0710→1000久慈  久慈0550→0840盛岡      0940→1230      0650→0940      1140→1430      0850→1140      1340→1630      1050→1340      1440→1730      1250→1540      1640→1930      1450→1740      1840→2130      1650→1940  2) 普通便    久慈〜陸中小国 3.0往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回    久慈〜森前 4.0往復    久慈〜津内口 5.0往復 ・1995(H7)年4月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いた。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0710→1000久慈  久慈0550→0840盛岡      0940→1230      0650→0940      1155→1445      0950→1240      1350→1640      1050→1340      1450→1740      1240→1530      1650→1940      1440→1730      1840→2130      1640→1930  2) 高速便「スーパー久慈」    盛岡1750→久慈2005→2025野田 野田0750→久慈0820→1035盛岡  3) 普通便    久慈〜陸中小国 2.0往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回    久慈〜森前 2.0往復    久慈〜津内口 3.0往復 ・2003(H15)年4月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いた。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0620→1000久慈   久慈0600→0830盛岡◎      0910→1140  ◎    0655→0925  ◎      1140→1410  ◎    0920→1150  ◎      1350→1620  ◎    1020→1250  ◎      1450→1720  ◎    1230→1500  ◎      1640→1910  ◎    1420→1650  ◎      1900→2130  ◎    1710→1950     ◎印はスーパー白樺号(盛岡IC〜滝沢IC東北道経由)  2) 高速便「スーパー久慈」    盛岡1800→久慈2007→2027野田 野田0735→久慈0800→1017盛岡  3) 普通便    久慈〜陸中小国 2.0往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回    久慈〜津内口 3.0往復 ・津内口線の末端区間が廃止される直前のダイヤ(2004(H16)年12月改正)では、  平庭高原線には次のような便が設定されていた。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0620→0910久慈  葛巻0700→0846盛岡      0900→1150    久慈0700→0950      1105→1355      0900→1150      1305→1555      1100→1350      1500→1750      1300→1550      1700→1950      1500→1750      1900→2046葛巻    1710→2000  2) 高速便「スーパー久慈」    盛岡1800→久慈2007→2037野田 野田0730→久慈0800→1017盛岡  3) 普通便    久慈〜陸中小国 2.0往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回    久慈〜津内口 3.0往復 ・2005(H17)年4月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いた。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0630→0910久慈  葛巻0700→0840盛岡      0900→1140    久慈0700→0940      1105→1345      0900→1140      1305→1555      1100→1340      1500→1740      1300→1540      1700→1940      1500→1740      1900→2037葛巻    1720→2000  2) 高速便「スーパー久慈」    盛岡1800→久慈2007→2027野田 久喜浜0727→久慈0800→1007盛岡  3) 普通便    久慈〜陸中小国 2.0往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回 ・2007(H19)年4月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた。  1) 特急便「白樺号」    盛岡0630→0912久慈  久慈0655→0937盛岡      1015→1257      0930→1212      1305→1547      1230→1512      1500→1742      1400→1642      1800→2042      1710→1952  2) 高速便「スーパー久慈」    盛岡1730→久慈1937  久喜浜0727→久慈0800→1007盛岡  3) 普通便    久慈〜陸中小国 2.0往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回 ・2015(H27)年6月現在、平庭高原線は久慈〜茶屋場がJRバス東北によって  運行されている。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.7号 10.東北編(上) 53日目 8/11(日) ・連載誌のみ 久慈駅前から発車する「白樺号」の写真 (2) 単行本 ・53日目 8/11(日) p249 3.2 乗車券の経由欄 ・「久慈、平庭高原線、葛巻」 3.3 行程 ◇久慈1000→1145葛巻 平庭高原・沼宮内線 臨時特急「白樺」久慈発 盛岡行                           647-2975(日野K-RC721P) 3.4 エピソード ・窓口で100円の急行券を買うと、宣伝上の名称は「特急」なのに、払うのは急行  料金。冷房デラバスに乗ったのは10人ほど。「ビデオテレビ装置車」なのだが  ビデオは切ってあり、高校野球のラジオが流れている。 ・久慈渓流に沿う国道281号は濃い緑一色。平庭高原へ出れば白樺林が広がった。  冬はスキー場になる高原の中心で、交通安全のPRが行われている。 3.5 旅の考察 ・最長片道切符の経路は、久慈から平庭高原線を直進するため久慈〜森前は5.8km  であるが、「自動車線普通旅客運賃表」によれば、津内口線を経由すると、  久慈1.0久慈荒町3.9羽黒山前3.0森前と7.9kmになって2.1kmの増となる。 ・当時の「国鉄自動車路線名称」には津内口線の久慈荒町〜羽黒山前〜森前の各  区間は明示されており、1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」にも久慈  荒町3.9羽黒山前3.0森前は記載されているので、この迂回ルートをとることは  可能であったと解される。 ・上記の「自動車線普通旅客運賃表」の平庭高原本線の欄には、久慈荒町駅が載  っていないため(久慈2.4碁石前3.4森前…となっている)、ルート検討段階で  迂回ルートを見落としたのではないかと思われる。
2015 年 01 月 03 日 07:57:16 (14864) 政宗3号さんの書き込み 新年明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 −−− 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 八久線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇八久線   八久本線    種市−夏井板橋    侍浜支所前−侍浜   城内線    種市−上大沢 1.2 路線略図        荒屋敷 平内口   上大沢○−−○−−−○          \  |           \ |          種市◎+             |             ・            /       岩手玉川○           |           |        北八木○−・           | |           | ◎陸中八木      中野支所前○           |侍浜           |支所前      侍浜◎−−○−−○北限閣            |           |   金田一・軽米<−○夏井板橋           |           V           久慈 2. 路線解説 2.1 S60.6時点の運行状況 ・八久線は、1951(S26)年に八戸(→本八戸)〜鮫〜種差〜階上〜種市〜陸中八木  〜侍浜〜菱倉が開業したのがルーツである。八戸(→本八戸)〜侍浜は鉄道に  並行しており、八戸線の輸送力補強及び擁護を使命としていた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた  のが確認できる。    久慈〜種市〜上大沢 3.0往復    種市〜上大沢 1.0往復    久慈〜陸中八木 3.5往復(うち侍浜経由0.5往復)    久慈→侍浜→北限閣 0.5往復    北限閣→久慈 0.5往復    侍浜→久慈 0.5往復    久慈→侍浜支所前 0.5往復 ※ 補足 八久線の路線展開と運行状況の推移 ・八久線は1951(S26)年に八戸(→本八戸)〜菱倉が開業し、1954(S29)年に種市  〜城内、1957(S32)年に城内〜上大沢他が延長された。1968(S43)年には侍浜〜  菱倉が廃止されて八久本線の終点が夏井板橋に変更された(侍浜支所前〜北野  〜夏井板橋開業)。1976(S51)年には平内口〜本八戸が廃止された。 ・1952(S27)年1月訂補ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていたの  を確認できる。    八戸0600→0923陸中八木   種市0620→0812八戸      0940→1203     陸中八木0855→1129      1258→1545中野役場     1230→1456      1708→1900種市   中野役場1600→1925    角の浜0825→1113川貫    川貫0610→0836種市       1230→1519    中野役場1110→1225角の浜           1605→1926      川貫1200→1505    種市0600→0652中野役場     1700→1926種市    種市1000→1053侍浜 ・1952(S27)年12月訂補ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていたの  を確認できる。    種市0710→0745陸中八木 陸中八木0750→1100八戸    八戸0630→0954中野役場 中野役場1222→1538      1250→1550         1625→1954      1710→1946陸中八木 陸中八木2000→2035種市    侍浜役場1800→1932川貫   川貫0648→0825侍浜役場    侍浜役場0830→0845侍浜   侍浜0850→0905侍浜役場            0910→0925       0950→1005        1115→1130       1150→1205        1315→1330       1340→1355        1410→1425       1435→1450        1625→1640       1650→1705        1715→1730       1740→1755 ・1954(S29)年9月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていたの  を確認できる(八戸〜種市、陸中八木〜侍浜役場前は当分運休と注記あり)。    陸中八木0950→1115城内  城内0600→0725陸中八木        1325→1450      1150→1315        1810→1935      1500→1725    侍浜役場1310・1410→侍浜 ・1955(S30)年5月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていたの  を確認できる。    種市0830→0915城内  城内0730→0815種市      1100→1145      0930→1015      1530→1615      1330→1415      1740→1825      1630→1715    侍浜0730→0745侍浜役場0810→0825侍浜      0850→0905    0910→0925      0950→1005    1110→1125      1150→1205    1310→1325      1340→1355    1410→1425      1440→1455    1610→1625      1650→1705    1710→1725      1740→1755    1800→1825 ・1956(S31)年11月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていたの  を確認できる。    種市0634→0714城内  城内0544→0624種市      1025→1105      0747→0827      1545→1625      1420→1500      1805→1845      1659→1739    侍浜0740→0757侍浜役場0650→0707侍浜      0915→0932    0845→0902      1130→1147    1035→1052      1310→1327    1200→1217      1445→1502    1415→1432      1625→1642    1600→1617      1720→1737    1650→1707      1830→1847    1805→1822      1930→1947    1905→1922 ・1961(S36)年5月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていたの  を確認できる。    城内0715→0727上大沢 上大沢0730→0821種市    種市0855→0934城内   城内1000→1039      1305→1356上大沢 上大沢1409→1500      1543→1634       1640→1731      1755→1834城内    侍浜0715→0729侍浜役場0650→0704侍浜      0815→0829    0746→0800      0925→0936    0855→0909      1110→1124    1010→1024      1315→1329    1205→1219      1440→1454    1415→1429      1625→1639    1540→1554      1715→1729    1650→1704      1835→1849    1800→1814      1930→1947    1905→1922 ・1965(S40)年10月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていたの  を確認できる。    城内0635→0647上大沢 上大沢0650→0737種市    種市0910→0945城内   城内0955→1030      1605→1652上大沢    1400→1435      1825→1900城内  上大沢1657→1744 ・1978(S53)年8月現在のダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた  のが確認できる。    久慈〜種市〜下城内 3.0往復(うち侍浜経由0.5往復)    種市〜上大沢 1.0往復    久慈〜陸中八木 3.0往復    久慈〜侍浜 2.0往復 ・1980(S55)年8月現在のダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた  のが確認できる。    久慈〜種市〜上大沢 3.0往復(うち侍浜経由0.5往復)    種市〜上大沢 1.0往復    久慈〜陸中八木 3.0往復    久慈→侍浜→侍浜支所前 0.5往復    久慈〜侍浜支所前 1.0往復    久慈〜侍浜 1.0往復 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた。    久慈〜種市〜上大沢 3.0往復(うち侍浜・北限閣経由0.5往復)    種市〜上大沢 1.0往復    久慈〜陸中八木 3.0往復    久慈→侍浜→北限閣 0.5往復    北限閣→久慈 0.5往復    久慈〜侍浜 1.0往復    久慈→侍浜支所前 0.5往復 ・1986(S61)年8月に八戸〜種市中学校前〜岩手玉川が開業し、八戸〜久慈の  特急バスが1日2往復運行を開始した。この特急便は次のように八戸線列車  を補完するように設定されていた(1987(S62)年1月現在ダイヤ)。    久慈0630→0800八戸  八戸0845→1015久慈      1440→1610      1910→2040  ※ 参考 特急便関係時間帯の八戸線列車ダイヤ(1987(S62)年1月訂補)    久慈0602→0809八戸 2624D  八戸0714→0910久慈  625D       0730→0935    630D    1055→1251    635D      1333→1538    648D    1808→1959   1655D      1623→1829    656D    2002→2154    659D ・八久線は、国鉄民営化を経てJRバス東北に継承されたが、2005(H17)年に  八戸〜北八木、種市〜岩手玉川、種市〜(上大沢→)アグリパークおおさわ  の各区間と自治体バスとなっていた侍浜〜侍浜支所前〜北限閣が廃止された。  その後、久慈支店管内のローカル線全廃に伴って、残った夏井板橋〜北八木  〜陸中八木も2008(H20)年に廃止された。 ・民営化後の1988(S63)年3月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定  されていた。  1) 特急便    久慈0640→0810八戸  八戸0850→1020久慈      1210→1340      1500→1630   ※1988(S63)年4月に乗車した際の特急便停車停留所は次の通り。     八戸、館花下、角の浜、種市中学校前、岡谷口、北八木、中野支所前、     侍浜支所前、夏井駅前、久慈湊、銀行前、久慈。  2) 普通便    久慈〜種市〜上大沢 3.0往復(うち侍浜・北限閣経由0.5往復)    種市〜上大沢 1.5往復    久慈〜陸中八木 3.0往復    久慈〜侍浜 1.5往復    侍浜→北限閣→久慈 0.5往復    久慈〜侍浜支所前 1.0往復 ・1995(H7)年4月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた。  1) 特急便    久慈0640→0810八戸  八戸0850→1020久慈      1140→1310      1510→1640  2) 普通便    久慈〜種市〜上大沢 2.0往復(うち侍浜・北限閣経由0.5往復)    種市〜上大沢 1.0往復    久慈〜種市 1.0往復    久慈〜陸中八木 2.0往復    久慈→侍浜 0.5往復    侍浜→北限閣→久慈 0.5往復    久慈→侍浜支所前 0.5往復 ・北八木以北が廃止される直前のダイヤ(2004(H16)年12月改正)では、八久線  には次のような便が設定されていた。  1) 久慈〜八戸系統    久慈1125→1315八戸 (岩手県内各駅停車)    八戸1510→1650久慈  2) 種市線    久慈 侍浜支所 侍浜 北限閣 陸中八木 種市 おおさわ    0703→ 0724 →0735→ 0749    1230→ 1256 →==→ ==→ 1315 →1335→ 1355 土日祝運休    1530→ 1554 →==→ 1558                        1745→ 1805 土日祝運休    1810→ 1836 →==→ ==→ 1900         土日祝運休   おおさわ 種市 陸中八木 北限閣 侍浜 侍浜支所 久慈            0700 → ==→==→ 0720 →0750 土日祝運休                 0749→==→ 0757 →0825    0752 →0818→ 0837 → ==→==→ 0855 →0923 土日祝運休    1359 →1419                     土日祝運休                 1558→1615→ 1623 →1651 ・2007(H19)年4月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた。    久慈1200→1250陸中八木 土日祝運休    陸中八木0700→0750久慈 土日祝運休        1253→1343   土日祝運休 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.7号 10.東北編(上) 55日目 8/13(火) ・連載誌のみ 陸中八木駅前のつばめバスの写真 (2) 単行本 ・55日目 8/13(火) p258 3.2 乗車券の経由欄 ・「侍浜、八久線、陸中八木、種市」 3.3 行程 ◇侍浜1600→1700種市 八久本線 久慈発 上大沢行 531-7006(いすゞBU04) 3.4 エピソード ・侍浜駅にバスが来て「北限閣経由上大沢行き」のテープが回る。北限閣は、本当の  侍浜の国民宿舎。2人だけの客を乗せて、高原のような段丘の緑の中を海よりに  走って「北限閣」に寄り道。海辺に通ずる国民宿舎横の細道を4km近く飛び出し  復乗した模様。 ・国道45号に戻って、陸中八木駅に寄り、種市駅の手前で踏切を渡って旧道へ入る。 3.5 旅の考察 ・当時の「国鉄自動車路線名称」や1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」で  は、八久本線の侍浜支線の区間は侍浜支所前〜侍浜(3.5km)とされていた。これ  は、侍浜支所前〜北限閣の各停留所が侍浜支所前に対する指定停留所であったため  で、侍浜支所前〜(北限閣〜侍浜支所前)〜侍浜という区間にしたものと解される。
2014 年 12 月 31 日 15:52:48 (14863) ふもふも館長さんの書き込み 年末は、青春18切符を使った旅行を楽しんできた。簡単に紹介する。 1.神戸駅 ・名神高速線開業50周年を記念して、名神高速線とドリーム号が三宮BT〜神戸駅を  2014(H26).10.5〜2015(H27).2.28の期間限定で延伸する。  http://www.nishinihonjrbus.co.jp/news/show/id/129 ・なかでも、神戸駅810発の超特急102便は、名神高速道路の吹田JCT〜西宮ICと、  阪神高速3号神戸線を日中時間帯に通るので、ぜひ乗車したいと思った。 ・加えて、1934(S9).12.5に完成した3代目神戸駅について、駅構内が相当異なって  いるため、(自)神戸を含め、今どこがどうなっているかを見分したいと思った。  http://akane-dou.com/kobe9.html  http://s.webry.info/sp/mt-rokko.at.webry.info/200604/article_9.html  https://www.jr-odekake.net/eki/img/premises/0610145.pdf ・1957(S32)頃と比較し、以下に変貌したと推察する。※時計回り  ◇中央コンコース →目立った変化なし  ◇神戸駅北口(山側)中央口 →目立った変化なし  ◇貴賓室 →奥の間は目立った変化なし、次の間と広間は、がんこ寿司の客間に        がんこ寿司店内から、ガラス越しに奥の間を見学可  ◇淡路屋 →少し移動したかもしれないが、淡路屋のまま、変化なし  ◇改集札口・1F〜中2Fの階段 →商業施設「プリコ神戸」に 階段は撤去  ◇弘済会 →少し移動したかもしれないが、キオスクのまま、変化なし  ◇みかど食堂 →日本旅行と「プリコ神戸」に  ◇神戸駅南口(海側)中央口    →目前に国鉄バス乗り場があったが、デュオこうべ(浜の手)に至る階段が設     置されたため、バス停は、やや海側に移設。外から見える駅名標と時計は、     階段に邪魔された関係で撤去されたようだ。  ◇(自)神戸 →待合室裏、下関方に張り出して設置されていたが、通路になった  ◇待合室 →2区画は、みどりの窓口に、海側1区画は、通路になった        奥に駅務室がある  ◇出札機室・待合室 →中央改札・1F〜中2Fの階段になった  ◇駅長室 →商業施設「神戸フードテラス」に ・神戸駅1番ホームは、神戸駅を終着・始発する列車に限って使用されている。  ホームへのルートも入口と出口に分離されており、列車が発着しないときは  立ち入れないようだ。中2Fにある通路は、神戸フードテラスの上部にあり、  眺めなど、趣がある通路だが、3代目神戸駅の開業時には無かったと思われる。 ・開業時にあったと思われる中2Fから2Fホームに至る階段は、撤去されていた。  大阪方にある詰所が、その名残か? 2.名神神戸線 西日本JRバス 超特急102便 神戸→名古屋 ・以下の経路であった。  神戸駅[乗]、構内出て右、神戸駅南を左、税関前を左、三宮を右、三宮東を左、  構内入、三ノ宮BT[乗7]、構内出て右、三宮東を左、生田川を右、生田川入口、  阪神高速3号神戸線、西宮IC、名神道、京都深草[乗降]、新名神道、甲南PA[休憩]、  土山バスストップ[乗降]、東名阪道、名古屋西JCT、名古屋高速5号万場線、  烏森出口、黄金跨線橋北を右、則武本通2を右、太閤通口を直進、構内入、  名古屋駅[降6]、構内出て太閤通口を左、太閤1を左、笹島を右、下広井町を右、  構内入、名鉄BC[降10] ・繁忙期のため、予約時点で残1席だった。普段見ることの少ない阪神高速3号神戸線  や西宮IC〜吹田JCTを堪能でき、良かった。名神吹田BS跡を車窓から見学。 ・かつて日急バスのサロン特急では堅焼き八ツ橋がサービスされていたと聞くが、  故事にならって、甲南PAで生八ツ橋を購入し、車内で頂いた。 3.三河大野駅 ・豊橋810発、天竜峡行きの電車に乗った。三河大野駅の車窓から、  「阿寺の七滝 町営バス10分 七滝口下車」という看板が見えた。 ・国鉄バス遠三線は、鳳来町営バスを経て、新城市Sバス秋葉七滝線になっている。  このうち、三河大野〜桐久保が遠三線のようである。  http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/6,13757,174,803,html 4.中部天竜駅 ・中部天竜で約30分停車したので、鉄橋・吊橋経由で散歩してみた。  この鉄橋は、佐久間ダム建設時にセメントサイロに向かう貨物線で使っていた橋を  道路用に転用したものらしい。  http://yamaiga.com/rail/iida_sakuma/main1.html ・がんばれば、原田橋まで往復できたかもしれない。  1953(S28).1.10の西天竜線開業時は、これより50m程度上流にあった旧原田橋を  通っていたが、1961(S31).6.4に現原田橋が架橋され、経路変更された。  現原田橋は、隣に新橋を建設中であったが、2015(H27).1.31に天竜川右岸の崖が  土砂崩れを起こし、その影響で崩落した。 ・飯田線の橋梁は、歩道が併設されているらしい。30分停車なら、歩いて佐久間駅  で待っている事も可能と思われる。   佐久間ダム         ・−−◎−−>西渡     Λ          /: 佐久間     |         / :     |        /  :天竜川橋梁の歩道     |       /   :     |      +    +……     |     /| 鉄橋 :     |    / ○−−−−+     |   ・  |中部駅口|     |   |  |    ◎中部天竜駅     |   |  | 吊橋 :     ・−+−・  +…………・    原田橋:    |     ○…・    ○佐久間病院    / \     |   ★   \    |    \   ・−−−・    ★=H27.1.31崩落現場     ・     |     ∨  東栄・吉沢・熊・浜松 ・駅前に、浜松市が運営し、水窪タクシーが受託している「佐久間ふれあいバス」  のバス停がある。  http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/tn-machi/traffic/unkou/sakuma.html  http://www.misakubo-taxi.com/ ・中部天竜駅から西渡方面に向かう便は、平日6?往復、土2往復、日祝1往復。  平日ダイヤは複雑で、正直よくわからない。旅行者が使えそうなバスは、  中部天竜駅1251→1312西渡と、西渡1328→1348中部天竜駅しかないが、西渡1328  発のバスは日祝運休である。土日祝にふれあいバスを利用する場合、前日までに  予約が必要との事。西渡から西鹿島駅行と水窪町行のバスに乗り換えが可能。 ・中部天竜駅から浦川地区吉沢方面に向かう便が、月・水に2往復あるが、  佐久間協働センター1225発に乗れば、佐久間駅、佐久間病院、吉沢観光トイレ前を  経由し、1419に戻ってくる。このバスは中部天竜駅を経由しない。 ・このバスは、国鉄バス西天竜線とほぼ同じ経路のようだ。 5.遠州鉄道北遠本線 相月駅前→水窪町  http://bus.entetsu.co.jp/rosen_time/20131001/131001_hokuenhonsen.pdf  http://bus.entetsu.co.jp/ticket/coupon/index.html ・本当は、中部天竜→西渡→水窪、というコースに乗りたかったが、時間の都合、  飯田線との並行区間のみ乗車した。 ・JRバス時代に乗車経験があるが、改めて狭い道を走っていた事に驚かされる。  水窪町は、国鉄時代に自動車駅だった場所。バス待合室は、以前は自動扉だった  ようで、貼られた白いシールに「国鉄バス」の文字が残っていた。  https://www.google.co.jp/maps/ ・水窪ふれあいバスの車庫も兼ねているが、こちらでは小畑バス停と名乗っている。 6.水窪駅 ・1時間あったので、旧道を付近を散歩してみた。コースは、水窪町から車道経由で  水窪駅。ここに荷物を置き、歩道経由で水窪協働センターに出て、バスで来た道を  水窪橋手前まで歩いた。途中、水窪本町バス停があったが、周囲に人家が少ない  印象で、坂の上に「本町」があった。旧道は、新道に比較し、標高が高く、人家・  商店が多く、狭隘であった。 ・下図☆付近に、JR東海バス水窪町バス停円盤を展示していた場所があった。あまり  調べずに通り過ぎてしまったが、ここがS21開業時の「水窪」かもしれない。  ※鉄道駅は1955(S30)年に、佐久間〜大嵐の経路変更により開業    Λ池島    |    +−−・    |  |    |  |    |  ○水窪町(小畑)    +−−+−−−−−>有本(白倉線)    ☆  |    |  |水窪駅入口    |  ○−−・    |  |  |    |  |水窪協働センター    |  ○  |    |  +……◎    +−−+ 水窪駅    |  |    |  ○水窪大里    |  |    |  |    ・……○水窪本町     \ |      \|       +−−       ○水窪橋       |       ∨遠江二俣 ・水窪橋〜水窪町のバス停の遷移は、以下の通り。詳細不明。  ◇水窪橋、水窪本町、大里、大里仲町、門前、水窪駅口、水窪町  ◇水窪橋、水窪本町、水窪役場前、門前、水窪駅口、水窪町  ◇水窪橋、水窪本町、水窪大里、水窪協働センター、水窪駅入口、水窪町 6.水窪ふれあいバス  http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/tn-machi/traffic/unkou/misakubo.html ・国鉄バスルートに近い路線は、池島線と白倉線(有本方面)になるが、それぞれ  運行曜日が決まっている。   月=白倉線、火=池島線・白倉線、水=運休、木=池島線・白倉線、   金=白倉線、土=池島線、日=運休 ・旅行者向けダイヤは、池島線が小畑1312発、白倉線が小畑1446発で、火曜か木曜  なら、別料金ではあるが、両方乗車することが可能。 ・水窪ふれあいバスは、水窪商店街を経由するが、このルートは、国鉄バス開業時  のルートと推定する。自由降車できるのかバス停を見つける事が出来なかった。
2014 年 12 月 31 日 09:53:54 (14862) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 浜名線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇浜名線   浜名本線    豊橋−新居町    前田二丁目−豊橋瓦町(南回り)    殿田橋−高師原口(国道)    高師原口−東山口−二川    岩屋観音−川田−神鋼電機前    二川−北裏−二川東町    大脇−神鋼社宅前    潮見坂−白須賀    潮見坂−大倉戸口−新居橋本    新居役場前−浜名湖競艇場−新居町    新居町−新居弁天   小松原線    高師原口−三河小松原−二川中町   細谷線    神鋼電機前−上細谷−南白須賀   鷲津線    南白須賀−鷲津    白須賀−鈴木自動車前 1.2 路線略図                                          神鋼                     社宅前       鷲津                   ○   自鈴 ・−◎    前     東山口   北裏 |   動木 |    田 豊    ○−◎−−○−−○大脇 車  |    二 橋    | |二川   |   前  |  豊 丁 瓦 ・−−+ |   二川|神鋼  ○−○白須賀  橋 目 町 |  | |   中町|電機前   | 潮見坂  ◎−○−○−○−−○−○−○−○−○−−○−−−○−−○−・    | | 殿 高| 岩 荒 | |一里山 南白|  | |    ・−・ 田 師| 屋 古 | |    須賀| 新| ○大倉戸        橋 原| 観   | ・−−○−−−・ 町○ |          口| 音   |   上細谷    口| |           ・−−○−−・           ・−○新居橋本            三河小松原              +−○浜名湖                               |  競艇場                         新居弁天○−◎新居町 2. 路線解説 2.1 S60.6時点の運行状況 ・浜名線は、1933(S8)年に豊橋〜二川〜二川東町が開業したのがルーツで、1937(S  12)年に二川東町〜新居町が開業し、1950(S25)年には新居町〜浜松が開業した。  東海道本線豊橋〜浜松の鉄道の補助及び培養路線としての使命を有する他、沿線  地方の産業文化の発展助長も使命としていた。 ・当時、(自)豊橋に自動車駅が存在し、豊橋〜新居町の直通便と豊橋〜二川・神  鋼電機前などの区間便が運行されていた。前田二丁目〜豊橋瓦町(南回り)と新  居役場前〜浜名湖競艇場は浜名湖競艇場直行の不定期便(途中停車駅は豊橋新川、  豊橋瓦町、高師原口、荒古、南白須賀)が経由した模様である。 ・1982年(S57)年12月改正の浜名線時刻表によると、浜名本線では、豊橋〜二川は5  〜15分間隔で、豊橋〜新居町は10〜30分間隔で運行されていた。東山口経由便は  下り17本・上り19本、神鋼社宅前発着便は7往復、大倉戸経由は上りのみ4本が  設定されていた。支線では、小松原線が4.5往復、細谷線は11往復、鷲津線は9  往復がそれぞれ設定されていた。また、浜名湖競艇開催日に直行バスが運行され  ていた(豊橋発0950〜1140の間に10回)。 ※補足 浜名線岡崎・豊橋〜浜松直通便の運行状況の推移 ・1950(S25)年に浜名線新居町〜浜松が延長され、遠州鉄道と共通乗車の取扱い  をして、豊橋〜浜松の直通便が運行された。1952(S27)年4月改正ダイヤでは  浜松〜豊橋便が次のように設定されていた。    浜松0730→0920豊橋  白須賀0600→0720浜松      0930→1120     豊橋0720→0910      1200→1350       1000→1150      1440→1630       1220→1410      1730→1920       1430→1620      1900→1940新居町    1650→1840  「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号では、浜松〜豊橋便が浜松発  0720〜1950、豊橋発0720〜1905の間に17往復が設定されていた(所要1時間3  〜6分)。1967(S42)年7月現在ダイヤでは、遠州鉄道と合わせて、浜松発0830  〜1830、豊橋発0830〜1800の間に30分間隔で運行されていた(国鉄バスは浜松  発5回、豊橋発7回。所要時間64分)。1970(S45)年7月現在ダイヤでは、浜松  〜豊橋に0830〜1830の間に遠州鉄道と相互30分毎に運行されていた。浜名線新居  町〜浜松は1973(S48)年に廃止されたが、1972(S47)年11月現在ダイヤでは浜松〜  豊橋便は次のように6.5往復設定されていた。    浜松1030→1141豊橋  豊橋0830→0941浜松      1100→1213      0930→1041      1330→1441      1200→1313      1400→1511      1230→1341      1620→1735      1430→1541      1700→1811      1530→1643                 1830→1941 ・1966(S41)年12月に浜名線三谷劇場前〜豊橋が開業し、瀬戸南線の部蒲郡線とつな  がって岡崎〜浜松の直通便が運行を開始した。1967(S42)年7月現在ダイヤでは、  岡崎〜浜松に次のような便が設定されていた。    新居町0725→豊橋0835→0945岡崎  岡崎0815→豊橋0930→1034浜松     浜松1000→  1110→1220      1115→  1230→1334       1100→  1210→1320      1315→  1430→1534       1400→  1510→1620      1415→  1530→1634       1700→  1810→1931      1715→  1830→1934  浜名線蒲郡〜豊橋は1971(S46)年に廃止されるが、1970(S45)年7月現在ダイヤで  は、浜松〜岡崎に次のような便が設定されていた。    浜松1033→豊橋1145→1255岡崎  岡崎1015→豊橋1130→1234浜松           1300→1410      1115→  1230→1336 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の国鉄自動車路線名称の全面改正で、小松原線及び細谷線が削除  されており、この時点までに廃止された模様である(路線廃止に係る官報公示は  出されていない)。 ・それ以外の区間は国鉄民営化を経てJR東海バスに継承されたが、1996(H8)年に  岩屋観音〜荒古〜神鋼電機前が廃止された後、浜名線は2002(H14)年に全廃された。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.5号 8.関東・信越編(上) 36日目 7/16(火) ・連載誌のみ 新居町駅の写真 (2) 単行本 ・36日目 p171〜174 3.2 乗車券の経由欄 ・「二川、浜名線、東山口、高師原口、久保田、神鋼電機前、上細谷、白須賀、   潮見坂、大倉戸、新居役場前、浜名湖競艇場、新居町」 3.3 行程 ◇二川0809→0816高師原口 浜名本線(東山口経由)神鋼電機前発 豊橋行                           538-4472(日デP-U32L) ◇高師原口0825→0841神鋼電機前 浜名本線 538-5506(日デUA30H) ◇二川東町1008→1025南白須賀 浜名本・細谷線 538-8906(日デUA30L) ◇南白須賀1143→1203岩屋観音 浜名本線(久保田経由) 538-8906(日デUA30L) ◇岩屋病院前1215→1247潮見坂 浜名本線 538-5505(日デUA30H) ◇潮見坂1356→1410新居町 浜名本線(大倉戸経由) ・新居町→浜名湖競艇場→新居町 タクシー 3.4 エピソード ・二川からの東山口経由豊橋行きは女子高生に囲まれて緑の住宅地を走り、高師  原口は町はずれの裏道のような所だが、神鋼電機前方面の乗り場を女の子に尋  ねると、かなり離れた国道沿いの三差路にあることが分かる。 ・新居町行きが来たので乗ったら岩屋観音から左に折れ二川駅前に出てしまった。  神鋼電機前で豊橋行きの時刻表を見ると、二川経由がほとんどで国道を直行す  る便にだけ「荒古経由」の注がつき、約3時間後までない。 ・二川東町でつかまえた上細谷経由の細谷線は、田んぼの中にまっすぐ造った立  派な二車線道路を走った。 ・白須賀を通るかと運転士に尋ね、ここですよと教えられた停留所で降りれば、  南白須賀。便宜的に同一駅として扱っているのかもしれない。 ・松並木の名残も見えて、旧街道と分かる家並みの間を大倉戸経由のバスが走る  うち、お葬式にぶつかった。黒服の人の列から1人が離れて手を挙げ、便宜乗  車する。 ・運転士の話では浜名湖競艇場への路線バスはないとのこと。朝のうちに豊橋方  面からの臨時バスが直行するだけだそうで、おそらく競艇臨のために営業キロ  を設定してあるのだろう。タクシーで駅裏の競艇場の前まで行ってみた。 3.5 旅の考察 ・当時の自動車線普通旅客運賃表によると、白須賀(浜名本線の支線潮見坂〜白  須賀と鷲津線(南白須賀〜鷲津)上に位置する)には途中下車駅の記号が付さ  れている。昭和30年代後半の自動車線普通旅客運賃表で既に同駅には途中下車  駅の記号が付されており、民営化時(1987(S62)年)の自動車線普通旅客運賃  表にも付されていた。 −−− 年内は以上です。今年もお世話になりました〜
2014 年 12 月 31 日 09:50:36 (14861) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 鹿沢菅平線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇鹿沢菅平線    上州大津−上田    干俣口−仁田沢    上の貝橋−上の貝−中央干俣    鹿沢温泉口−鹿沢温泉    農場口−農場前    鹿沢休暇村口−鹿沢休暇村    菅平口−菅平高原    菅平−西菅平 1.2 路線略図           長野原            Λ            |      草津温泉<−○上州大津                |            |      白根火山<−○上州三原            |            ◎万座・鹿沢口       中央 上の|       干俣 貝橋|  仁田沢○−−○−○−○干俣口         \|  \       上の貝○   \        鹿沢          |    \  農場前  休暇村   バラギ湖○−−○研修セン ・  ○ 新鹿沢○         /|ター口  |  | 温泉 |   嬬恋スキー○ ○  鹿沢温○−−○−−○−○−○鹿沢温泉   場     研修セ 泉口 | 農場口  鹿沢休         ンター    ○古永井   暇村口                |                |                ○上渋沢             菅平 |      菅平高原○−−○−−○菅平口             |  |          西菅平○  |              ・−○真田              | |        新長小学校前○−○長小学校前                |                |                |                ◎上田                |                V               丸子町     2. 路線解説 2.1 S60.6時点の運行状況 ・鹿沢菅平線は、1935(S10)年に吾妻線渋川〜真田の一部として上州大津〜真田  が開業したのがルーツである。鹿沢菅平線は、鉄道の代行並びに、渋川線(  渋川〜長野原)等とともに上越線と信越線を短絡する他、観光路線としての  使命をも有していた。 ・1985(S60)年当時、上州三原と菅平に自動車駅が存在していた。また、鹿沢菅  平線バス運行の拠点として、長野原自営の他、線内の真田に同自営真田支所が  置かれていた。 ・1986(S61)年4月改正ダイヤでは、鹿沢菅平線には次のような便が設定されて  いた。  1) 長野原〜鹿沢温泉〜上田    草津温泉〜上田 1.0往復    万座・鹿沢口→上田 0.5往復    上田→新鹿沢温泉 0.5往復    鹿沢温泉・新鹿沢温泉〜新長小学校前 1.0往復    長野原、万座・鹿沢口〜鹿沢温泉 11.0往復    長野原、東三原、万座・鹿沢口〜新鹿沢温泉 4.0往復    長野原、役場前、万座・鹿沢口〜仁田沢 3.0往復    長野原、万座・鹿沢口、干俣口〜中央干俣 1.5往復  2) 上田〜菅平高原    上田〜西菅平 3.5往復    真田支所・新長小学校前〜西菅平 1.0往復    役場・真田支所・新長小学校〜上渋沢 5.0往復  3) 鹿沢菅平線支線    農場口〜農場前 4.0往復    干俣口〜中央干俣・仁田沢 6.0往復 ※ 補足 鹿沢菅平線の運行状況の推移 ・1940(S15)年7月改正ダイヤでは、吾妻線(長野原〜真田)に次のような便  が設定されていた。    長野原0720→新鹿沢温泉口0826→菅平口0902→0918真田 71便       1055→      1213→   1249→1305   73便       1400→      1518→   1554→1610   75便       1740→      1858→   1934→1950   77便    真田0630→菅平口0649→新鹿沢温泉口0731→0840長野原 70便      1030→   1049→      1131→1240    72便      1430→   1449→      1531→1640    74便      1740→   1759→      1835→1938    76便 ・1950(S25)年10月改正ダイヤでは、吾妻線(長野原〜真田)に次のような便  が設定されていたのを確認できる(この他区間運転ありとの注記が付されて  いた)。    長野原0735→1045真田  真田0725→1035長野原       0945→1255      0945→1310       1345→1655      1415→1735       1645→1940      1605→1925    長野原1900→2100新鹿沢温泉    長野原1100→1225干俣    嬬恋0535→0740真田  真田1845→2055嬬恋    菅平0630→0720真田  真田0800→0900菅平      0925→1015      1230→1330      1340→1430      1700→1800      1800→1850 ・1961(S36)年5月改正ダイヤでは、吾妻線(長野原〜真田)に次のような便  が設定されていたのを確認できる。  1) 長野原〜鹿沢温泉〜上田    上州草津〜上田 1.5往復    上田→上州三原 0.5往復    上田→新鹿沢温泉 0.5往復    長野原〜鹿沢温泉 3.0往復    長野原〜新鹿沢温泉 7.0往復    長野原→鹿沢温泉口 0.5往復    長野原〜仁田沢 1.0往復    長野原〜干俣口 3.0往復  2) 上田〜菅平    上田〜菅平 3.0往復    真田〜菅平 3.0往復 ・1970(S45)年7月改正ダイヤでは、吾妻線(長野原〜真田)に次のような便  が設定されていたのを確認できる。  1) 長野原〜鹿沢温泉〜上田    草津温泉〜上田 4.0往復    長野原〜真田 1.0往復    新鹿沢温泉〜上田 1.0往復    長野原〜鹿沢温泉 6.5往復    長野原〜新鹿沢温泉 6.5往復    長野原〜中央干俣 2.0往復    長野原→干俣口 0.5往復  2) 上田〜菅平    上田〜西菅平 3.0往復(他に上田交通が上田〜菅平高原7.0往復) ・1980(S55)年8月現在のダイヤでは、鹿沢菅平線に次のような便が設定され  ていたのを確認できる。  1) 長野原〜鹿沢温泉〜上田    草津温泉〜上田 2.0往復    長野原〜真田 1.0往復    長野原、万座・鹿沢口〜鹿沢温泉 7.0往復    長野原、万座・鹿沢口〜新鹿沢温泉 下り7本・上り4本    鹿沢温泉口→長野原 上り2本    長野原〜万座・鹿沢口 1.5往復  2) 上田〜菅平    上田〜西菅平 3.5往復(他に上田交通が上田〜菅平高原7.0往復)    真田〜西菅平 1.5往復 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、鹿沢菅平線に次のような便が設定され  ていたのを確認できる。  1) 長野原〜鹿沢温泉〜上田    草津温泉〜上田 2.0往復    長野原〜真田 1.0往復    長野原、万座・鹿沢口〜鹿沢温泉 9.0往復    長野原、万座・鹿沢口〜新鹿沢温泉 5.0往復    鹿沢温泉口→上州大津 0.5往復  2) 上田〜菅平    上田〜西菅平 3.5往復(他に上田交通が上田〜菅平高原7.0往復)    真田〜西菅平 1.5往復  3) 鹿沢菅平線支線    長野原、万座・鹿沢口〜仁田沢 3.0往復    万座・鹿沢口〜バラギ湖 4.0往復(全便9/1まで運転) 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、鹿沢菅平線では  上の貝〜バラギ湖、研修センター口〜研修センター、研修センター口〜嬬恋  スキー場、真田〜長小学校前の各区間が認知された。 ・国鉄末期の1987(S62)年2月に鹿沢休暇村口〜鹿沢休暇村の廃止公示がなさ  れた。それ以外の区間は、国鉄民営化を経てJRバス関東に継承された。 ・民営化後は、1988(S63)年に中央干俣〜仁田沢が廃止され、1990(H2)年に古  永井〜上渋沢が休止され(翌年廃止)、鹿沢菅平線は上州大津側(鹿沢線)  と上田側(菅平線)に分断された。さらに、1995(H7)年に鹿沢温泉口〜古  永井が休止され(1997(H9)年廃止)、1996(H8)年に農場口〜農場前が廃止  された。 ・2002(H14)年に往訪した際に入手した時刻表には、鹿沢線に次のような便が  設定されていた。  1) 鹿沢線(万座・鹿沢口〜鹿沢温泉):2002(H14)年4月改正    万座・鹿沢口0830→0901鹿沢温泉  51便          1010→1041      53便          1244→1315      55便          1548→1619      57便          1729→1754新鹿沢温泉 59便          1843→1922      61便(中央干俣経由)    新鹿沢温泉0729→0810東三原    52便(中央干俣経由)    鹿沢温泉 0930→1001万座・鹿沢口 54便         1130→1201       56便         1411→1442       58便         1624→1655       60便    新鹿沢温泉1813→1838       62便         1927→2014長野原役場前 64便  2) バラギ線(万座・鹿沢口〜パルコール嬬恋):2001(H13)年12月改正    万座・鹿沢口0804→0839パルコール嬬恋 7301便          1010→1045        7303便          1244→1319        7305便          1450→1525        7307便    パルコール嬬恋0920→0955万座・鹿沢口 7302便           1050→1125       7304便           1410→1445       7306便           1530→1605       7308便    ※2001(H13).12.21〜2002(H14).3.31、2002(H14).8.1〜8.31の間運行  3) 鹿沢線(長野原草津口〜万座・鹿沢口):2001(H13)年12月改正    長野原役場前0740→0802万座・鹿沢口 201便    万座・鹿沢口0820→0845長野原草津口 202便          1510→1535       204便          1715→1740       206便          1952→2014長野原役場前  64便 ・上田側の菅平線は2004(H16)年に廃止され、上州大津側の鹿沢線も2007(H19)  年に季節運行の干俣口〜バラキ湖〜パルコール嬬恋を含めて廃止された。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.6号 9.関東・信越編(下) 43日目 7/23(火) ・連載誌のみ 531-4479の解説 (2) 単行本 ・43日目 7/23(火) p203〜205 3.2 乗車券の経由欄 ・「上田、鹿沢菅平線、万座・鹿沢口」 3.3 行程 ◇上田1345→1507新鹿沢温泉 鹿沢菅平線 上田発 草津温泉行                         531-4479(いすゞP-LV318M) ◇新鹿沢温泉1552→1556鹿沢温泉口 鹿沢菅平線 新鹿沢温泉発 万座・鹿沢口行                         531-6403(いすゞBU20K) ◇鹿沢温泉口1608→1633万座・鹿沢口 鹿沢菅平線 新鹿沢温泉発 万座・鹿沢口行                         531-6403(いすゞBU20K) 3.4 エピソード ・上田発草津温泉行きバスは、黄色い帽子の小学生が大勢乗ったりして生活路線。 ・鳥居峠で時間調整し、高原野菜畑の中を行き、足の悪いおじいさんを古永井集落  にある家のそばに便宜停車して降ろしてあげたりしながら、バスは鹿沢温泉口で  国道をそれ右折した。 ・鹿沢温泉口から10分余り後の万座・鹿沢口行きに乗車したが、新鹿沢温泉から乗  ったバスが古永井集落まで往復してきたのであった。 3.5 旅の考察 ・鹿沢温泉口から乗った万座・鹿沢口行きのバスについて、本文では「新鹿沢温泉  を経由したのが寄り道」とあるが、1985(S60)年8月現在ダイヤを見ると、駅間  所要時間からみて、この便は万座・鹿沢口〜新鹿沢温泉の系統で、往路は直行、  復路が古永井経由で運行された模様である。なお、古永井までのお客は新鹿沢温  泉を跨いで乗車できたものと推測される。    万座・鹿沢口1506→鹿沢温泉口1536→1540新鹿沢温泉1552→鹿沢温泉口1556    →(古永井往復)→鹿沢温泉口→1633万座・鹿沢口
2014 年 12 月 31 日 09:48:34 (14860) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 北常陸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇北常陸線   北常陸本線    川尻海岸−西足    川尻−石滝−安良川    石滝団地口−石滝    石滝団地口−いぶき台団地    常陸川上−高萩   高萩線    高萩−上君田    南中郷駅前−南中郷    高萩−上和野−石打場    高戸入口−高萩中学前 1.2 路線略図        上君田 常陸横川  石打場         ○−−−○−−−−○−−−−−−−−・                  |        |                  |      ◎−○南中郷駅前                  ○上和野  南中郷|                  |        |                  |    ・−−−○高戸入口                  ○大心苑 |   |                  |    +−◎ |                  ・−−−−+高萩 ○高萩中学前                       |                            ・−−−−○安良川                  |    |                  |  石滝○−+ いぶき                  |    | | 台団地                  | 石滝 ○−+−−○               下小幡○ 団地口|                  |    ○愛宕原              ゴルフ場○    |                入口|    |      西足○−−−○−−−○−○−−−−◎−−○川尻海岸            常陸 座禅 常陸   川尻            細田  山 川上   ※北常陸本線川尻〜川尻海岸は、当時、長期休止中の模様。 2. 路線解説 2.1 S60.6時点の運行状況 ・北常陸線は、1951(S26)年に豊浦海岸(→川尻海岸)〜西足〜常陸大子が開業  したのがルーツで、当初は常磐線と水郡線を短絡した他、沿線地方の産業文化  の発展助長を使命としていた。1954(S29)年に常陸川上〜高萩、1956(S31)年に  高萩〜南中郷〜上君田が開業した。 ・当時、川尻〜川尻海岸は長期休止中であったが、国鉄最末期の1987(S62).2.1  に廃止された。また、常陸細田〜西足は1986(S61).9.13に廃止された。 2.2 旅から30年 ・これらを除く区間は、国鉄民営化を経てJRバス関東に継承されたが、1989  (H1)年に座禅山〜常陸細田が、1990(H2)年に高萩線高萩〜上君田他がそれぞれ  廃止された。1991(H3)年に上和野〜関口、1997(H9)年に川尻〜座禅山、座禅山  〜ゴルフ場入口が廃止。その後、1999(H11)年にいぶき台団地〜川尻が廃止さ  れ、JRバスは川尻駅前から姿を消した。2005(H17)年に安良川〜ゴルフ場入口  が廃止されて、最後まで残った区間も2006(H18)年に廃止された。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.6号 9.関東・信越編(下) 46日目8/2(金) ・連載誌のみ 上君田発高萩行きの国鉄バスの写真 (2) 単行本 ・46日目 8/2(金) p217〜218 3.2 乗車券の経由欄 ・「川尻、北常陸線、常陸川上、安良川、高萩、大心苑、石打場、南中郷」 3.3 行程 ◇川尻0700→0740高萩 北常陸本線 527-3082(日野K-RC381) 川尻発 高萩行 ◇高萩0810→0915上君田 高萩線(南中郷経由) 521-8007(いすゞBU04)                            高萩発 上君田行 ◇上君田0940→1040高萩 高萩線(大心苑経由) 521-8007(いすゞBU04)                            上君田発 高萩行 3.4 エピソード ・川尻駅の国鉄バス乗り場は、駅前広場隣の貨物扱い所跡地と思われる一角に設  けてあった。 ・起伏の多り丘陵地を進むうちに通勤客が続々と乗り、立客がぎっしりになって  久々に活気のある路線だった。 ・大心苑〜石打場は一方通行で1日3本だけ石打場から大心苑経由で高萩駅へ入  ることが判明。 ・上君田行きは男性車掌が乗務するツーマンで、常磐線踏切を渡ったとき、ドア  を開けて飛び降り下車誘導をした。 ・逆コースの大心苑経由高萩行きは、この上君田行きが折り返してくるそうで、  大北渓谷の眺めを運転手・車掌ともども自慢するので、そのまま終点まで乗り  通した。 ・車掌は運転手と相談し、一方通行で逆まわりせざるを得なかったのだから、運  賃は石打場〜上君田の往復だけでよいとの結論になった。 ・帰りはしばらく乗降がなかったが、市街地に入るといつの間にか満員で、過疎  路線と市内線を無理やり結びつけたような系統だった。 3.5 旅の考察 ・高萩線の上和野〜石打場は、最長片道きっぷの旅本文では、高萩行きのみが1  日3本運行があるとの記述であるが、この旅の前の1984(S59)年3月改正ダイヤ  では次の高萩行き1本のみが経由する形になっていた(高萩〜上君田3往復の  うち、下りは全便南中郷経由、上りの他2便は南中郷経由)。    上君田0926→常陸横川0949→上和野1022→1038高萩 ・1989(H1)年7月に高萩管内を訪問した際、高萩〜上君田は2往復設定されてい  たが、下り便は全便南中郷経由、上り便は南中郷経由と上和野経由が各1本だ  った模様である。関係する時刻は次の通りである。    高萩→上君田 高萩発0805・1755           南中郷発0820・1815    上君田→高萩 南中郷発0715
2014 年 12 月 31 日 09:47:06 (14859) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 常野線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇常野線   常野本線    常陸大子−茂木    大内−五輪場   来目木線    馬頭−来目木   馬頭線    馬頭田町−烏山仲町   小貝線    芳賀黒田−小貝口 1.2 路線略図    宇都宮     Λ     芳賀    烏山  小川     |     黒田    仲町  辻町  小貝口○−−○−−○−−−+−○−−−○−・     | 田野辺 |   | |     |     V 口   |   ◎ |     |    市塙・茂木  ○須藤 烏山・−−○−−○馬頭田町           |        那須 |        茂木 |        富山 +−−−○来目木   宇都宮<−◎−−・           ○馬頭        |              |        V         五輪場  |  盛泉    常陸大子       長倉宿         ○−−−○−−○−−○−−−◎                       大内   上金沢 2. 路線解説 2.1 S60.6時点の運行状況 ・常野線は、1934(S9)年3月に常陸大子〜烏山、同年8月に烏山〜茂木が開業し  たのがルーツで、鉄道代行路線として真岡線・烏山線と水郡線を短絡した他、  沿線地方の産業文化の発展助長を使命としていた。 ・当時、馬頭、小川辻町、(自)烏山に自動車駅が存在した。常陸大子駅前にも  (自)常陸大子駅の跡が残るが、1983(S58)年6月現在の烏山自営管内路線図  では既に(自)常陸大子駅は描かれていなかった。 ・1985(S60)年8月現在ダイヤでは、常野本線のうち、烏山〜常陸大子8往復、  烏山〜馬頭下6本・上5本、烏山〜茂木5往復が設定されていたのが確認でき  る。馬頭線では烏山〜馬頭4往復(他に東野交通が4往復)が設定されていた  のが確認でき、小貝線では烏山〜市塙に4往復(うち休日休校日運休、土曜運  転、土曜運休が各1往復)が設定されていたのが確認できる。 ・1986(S61)年11月改正ダイヤでは、常野本線では、烏山〜常陸大子8往復、烏山  〜上金沢1往復、烏山〜馬頭車庫下8本・上9本、馬頭車庫〜常陸大子1往復、  上金沢〜常陸大子1往復、上金沢→馬頭車庫上1本が設定されていた。また、  烏山〜茂木4往復、烏山〜須藤1往復が設定されていた。常野本線支線では、  馬頭〜来目木4往復、馬頭〜五輪場3往復が設定されていた。馬頭線では、烏  山〜馬頭4往復(他に東野交通4往復)が設定され、小貝線では、烏山〜市塙  3往復(同上)、烏山〜椎谷口2往復が設定されていた。 2.2 旅から30年 ・常野線全区間は国鉄民営化を経てJRバス関東に継承されたが、1989(H1)年に  大内〜五輪場が、1991(H3)年に馬頭〜来目木がそれぞれ廃止された。本線区間  も1993(H5)年に芳賀黒田〜茂木と小貝線全線が、1994(H6)年に盛泉〜常陸大子  が、1996(H8)年4月に那須藤沢〜盛泉が、同年10月に烏山〜芳賀黒田がそれぞ  れ廃止された。 ・2005(H17)年に馬頭線全線が廃止された一方、2009(H18)年に新那珂橋から若鮎  大橋への経路変更に伴って小川地区で新線が開業した。その後、最後まで残っ  烏山〜小川辻町〜馬頭〜藤沢が2011(H23)年に廃止され、常野線は全廃された。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.6号 9.関東・信越編(下) 45日目 8/1(木)、48日目 8/6(火) (2) 単行本 ・45日目 8/1(木)p213〜214、48日目 8/6(火) p226 3.2 乗車券の経由欄 ・「小貝口、常野線、芳賀黒田、茂木」 ・「常陸大子、常野線、小川辻町、烏山」 3.3 行程 ・小貝口→荒宿横町 徒歩 ・荒宿横町1230→1300茂木 タクシー(芳賀黒田経由) ◇常陸大子1844→2012烏山 常野本線 常陸大子発 烏山行 537-8017(日野RE101) 3.4 エピソード ・小貝口ではバスがなくタクシーのお世話になる。芳賀黒田に着くと殺風景な  所で1450の茂木行きまで待つ気になれず、そのまま茂木まで走った。 ・常陸大子から烏山行きバスに乗ると、最初は勤め帰りの人で混んでいた車内も  峠の手前で空になった。 ・馬頭で久々に1人乗車。長い商店街が伸びているが人通りはない。 3.5 旅の考察 ・当時のダイヤでは、小貝口からの小貝線バスは市塙1706発までなく(土曜日な  らば同1527発がある)、この便に乗ると芳賀黒田は1732着。茂木行きは芳賀黒  田1844発で茂木1908着になる。逆回りコースでは、茂木1340→1404芳賀黒田16  31→1701市塙となる。
2014 年 12 月 28 日 10:54:14 (14858) Y.Matsuuraさんの書き込み 中国JRバスと防長交通は、2015年1月11日〜2016年1月10日の期間限定で、新山口 駅と萩明倫センター(文と萩物語 花燃ゆ大河ドラマ館)との間を直行で1時間で結 ぶ「スーパーはぎ号」を運行します。 http://hagishi.com/upload/files/superhagigou.jikoku.pdf https://www.westjr.co.jp/press/article/items/141219_00_ishin.pdf 1日4往復(両社2往復ずつ)で、中国道〜小郡萩道路経由と推測されます。 ちなみに、運行会社のサイトにはまだ出ていません。
2014 年 12 月 27 日 21:31:37 (14857) MIRAGEさんの書き込み JRバス関東のホームページでは,一般路線の年末年始の運転情報がわかりませんので, 宇都宮支店の情報をお知らせします。(ソースは車内配布物) 年末年始ダイヤ期間 12/29〜1/4          ベ  ベ  ベ  ベ 道市 ベ 道市 ベ  道  ベ 作新学院   840        1250   1520 1640 1710 1740 東武駅前   847 1000 1050 1150 1257 1350 1527 1647 1717 1747 1950 2050 JR宇都宮駅  859 1012 1102 1202 1309 1402 1539 1659 1729 1759 2002 2057 鐺山     922 1035 1125 1225 1327 1425 1557 1722 1747 1822 2020 2113 芳賀BT   946 1059 1149 1249 1340 1449 1610 1746 1800 1846 2044 2137 芳賀温泉   954 1107 1157 1257 1348 1457 1618   1808   2052 2145 茂木     1023        1419   1649   1837 ツインリンク 1038        道    市道    ベ  ベ  ベ  ベ  ベ  清 市道 清 ツインリンク                          1540 茂木     630    730                  1600 芳賀温泉   656    759   1000 1100 1200 1300 1400 1500 1629 芳賀BT   703 710 806 910 1007 1107 1207 1307 1407 1507 1636 1715 鐺山     715 736 818 936 1033 1133 1233 1333 1433 1536 1648 1744 JR宇都宮駅  736 759 841 959 1102 1202 1302 1402 1502 1559 1711 1807  東武駅前   743 806 848 1006 1109 1209 1309 1409 1509 1606 1718 1814 作新学院   748 814 856                  1726 ベ=ベルモール経由,道=道場宿経由,市=市貝小経由, 清=清陵高校・清原球場経由
2014 年 12 月 27 日 20:45:41 (14856) Y.Matsuuraさんの書き込み 西日本JRバスの金沢地区一般路線へのICカード導入ですが、会社側から正式発表 されました。 http://www.nishinihonjrbus.co.jp/web/uploads/news/ サービス開始は2015年春(具体的な期日は別途発表予定)です。 ちなみに、12月23日時点ではバス側にICカード対応機器は未設置(まちバス用車両 も)でした。
2014 年 12 月 27 日 19:57:54 (14855) ふもふも館長さんの書き込み 新フォーマットに変更し、補足を詰め込みました(^^) --- 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 名神高速線 ※ドリーム号は、中部地自「東名高速線」に記載 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇名神高速線    名古屋−名神一宮−名神大津−京都深草−千里ニュータウン−大阪    名神大津−京都    京都深草−京都 1.2 路線略図               京阪五条 名神大津               ・−○−+−○−−○−−・               |   |  名神多賀 |      近畿地自             ・−◎京都 ・  (多賀SA)−|−−−−−−−−−−  津山    名神茨木 |    /        ○名神関ヶ原 中部地自  <−−−−+−+○−−+○−−・          \  千里ニュー| ・  京都深草             \    タウン○・                 名神一宮○       |                      |\  名神豊中・+                      | \     ● |\                     |  \  東京  ●・・・・|・●新大阪              名古屋◎−−−●−−>  神戸 ・ |/                        名古屋     ・ +                         インター      ・◎大阪 2. 路線解説 2.1 S60.6時点の運行状況 ・名神高速線は、1964(S39).10.5に名古屋〜神戸、名神豊中〜新大阪として開業し  たのがルーツで、当時は、名古屋〜京都・大阪を運行していた。 ・我が国最初の高速バスであったが、現在の一般的な高速バスと異なり、途中停留  所が多数設定されており、短距離利用も可能であったのが特徴。また、国鉄の他、  日本急行バスと名阪近鉄高速バスの計3社で共同運行していたが、民間2社は、  名古屋駅ではなく名鉄バスセンターを発着していた。 ・国鉄バスについて、当時の運行系統と本数は、以下の通り。  ◇1〜10便  大阪系統 特急1.5往復、急行3.5往復  ◇201〜214便 京都系統 急行7往復  ◇2001〜4便 京都系統 特急2往復 日祝のみ運転 ・(自)名古屋駅東口、(自)京都駅北口、(自)大阪駅表口に自動車駅があった。 ・国鉄バスの時刻は、以下の通り。  ◇アロー201 名古屋700→948京都 急行  ◇2001   名古屋710→939京都 特急(八日市のみ停車) 土休日と8/9〜17運転  ◇2003   名古屋800→1029京都 特急 土休日と8/9〜17運転  ◇アロー203 名古屋830→1121京都 急行  ◇アロー1  名古屋920→1247大阪 急行  ◇アロー205 名古屋1000→1251京都 急行  ◇アロー207 名古屋1145→1439京都 急行  ◇アロー3  名古屋1240→1617大阪 急行  ◇アロー209 名古屋1350→1641京都 急行  ◇アロー5  名古屋1430→1807大阪 急行  ◇アロー211 名古屋1550→1841京都 急行  ◇アロー7  名古屋1640→2010大阪 急行  ◇アロー213 名古屋1725→2013京都 急行  ◇アロー9  名古屋1750→2110大阪 特急  ---  ◇アロー202 京都800→1044名古屋 急行  ◇アロー2  大阪910→1236名古屋 急行  ◇アロー204 京都1010→1255名古屋 急行  ◇アロー206 京都1100→1345名古屋 急行  ◇アロー4  大阪1110→1436名古屋 急行  ◇アロー208 京都1230→1515名古屋 急行  ◇アロー6  大阪1310→1627名古屋 特急  ◇アロー210 京都1400→1646名古屋 急行  ◇2002   京都1515→1741名古屋 特急(ノンストップ) 土休日と8/9〜17運転  ◇アロー212 京都1530→1816名古屋 急行  ◇アロー8  大阪1540→1857名古屋 特急  ◇2004   京都1700→1939名古屋 特急 土休日と8/9〜17運転 京阪五条1709発  ◇アロー10 大阪1640→2006名古屋 急行  ◇アロー214 京都1730→2016名古屋 急行 京阪五条1739発  ---  ※京阪五条経由は、夕方の片道1便(特定日は2便)しかなかった。 ・アロー便は、団体予約が可能という意味しかなく、S61.11.1までに終了した模様。 ※補足 名神高速線の運行状況の変遷 (1) 開業時 ・1964(S39).10.5に名古屋〜神戸、名神豊中〜新大阪として開業。我が国最初の  高速バスにも関わらず、開業のわずか4日前に東海道新幹線が開業した事もあり、  JTB時刻表 S39.10号に記載がないなど、現在に比較して、扱いが小さかった。 ・開業時の運行系統と本数は、以下の通り。  ◇新大阪系統 特急10往復、急行7往復、各停3往復  ◇神戸系統  急行10往復 ・新大阪系統の経路は、以下の通りと推測する。  ◇名古屋駅東口[乗降]、国道22号、一宮IC、名神道、豊中IC、府道10号、加島(交)、   府道41号、新北野(交)、西中島南方駅前(交)、新大阪駅正面口1階[乗降]  ※路線名称は、名神豊中(豊中IC)で分岐しているが、バス停設置位置の関係で、   名神豊中に停車する事は出来なかった。  ※当時の新大阪駅バス乗り場は、市バスと名神高速線の2か所で、現在、空港バス   が利用している1番乗り場だったようだ。   http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2008-02-02 ・神戸系統の経路は、以下の通りと推測する。  ◇名古屋駅東口[乗降]、国道22号、一宮IC、名神道、西宮IC、国道43号、三ノ宮駅前、   三宮東(交)、海岸通、神戸駅南口[乗降]  ※当時、阪神高速3号神戸線が未完成のため、国道43号経由だった。 ・吹田JCT〜神戸のバス停は、以下の通り。  ◇名神吹田(吹田市榎阪) ※北大阪急行線との交差地点の東西、階段が残っている  ◇名神豊中(豊中市島田五枚田) ※豊中IC外  ◇名神尼崎(尼崎市尾浜) ※尼崎IC外  ◇名神西ノ宮(西宮市染殿町) ※西宮市民病院前バス停、国道43号染殿(交)付近  ◇(名神芦屋) ※設置予定  ◇三ノ宮駅前(神戸市葺合区小野柄通) ※中央区役所付近で、駅前へ移転折衝中 ・当時、(自)名古屋、(自)新大阪、(自)神戸に自動車駅があった。(自)神戸は、当時  の中央コンコースの海側入口角、待合所裏、下関方に張り出して設置されていた。  なお「神戸駅券売所」の写真が、西日本JRバスが配布した「大阪−名古屋 50%OFF」  パンフ(H26.9)に掲載されている。  http://s.webry.info/sp/mt-rokko.at.webry.info/200604/article_9.html ・運行は、名古屋自営、京都自営が担当していた。新大阪支所は、新幹線北側、  宮原操に向かう線路と在来線に挟まれた場所にあった。 ・神戸側については、当時の明細地図によると、神戸駅の南側に、湊川貨物駅が広  がっており、その構内(現在の湊小学校付近)に「国鉄神戸自動車車庫」、阪神高  速の北側、神戸中央郵便局の南側に「大阪自動車(営)/京都自動車(営)/神戸派出  所/神戸駐在」と記載されているので、それぞれ車庫と詰所が、そこにあったのか  もしれない。http://akane-dou.com/kobe9.html (2) S40.3.6以降 ・1965(S40).3.6に京都深草〜京都を開業、京都系統の運行を開始する。 ・開業区間の経路は、以下の通りと推測する。  ◇(京都深草−)京都南IC、国道1号、京阪国道口(交)、九条油小路(交)、堀川塩小   路(交)、京都駅北口[乗降] ・当時の運行系統と本数は、以下の通り。  ◇1〜30便  新大阪系統 特急7往復、急行6往復、各停2往復  ◇101〜116便 神戸系統  急行8往復  ◇201〜214便 京都系統  急行7往復 ・1966(S41).4.29に、上り用別線である 三ノ宮駅前〜神戸 3.9km が開業した。  三ノ宮駅前の乗車場所が駅前に移転したためではないかと推測する。 ・開業区間の経路は、以下の通りと推測する。  ◇三宮東(交)、三ノ宮駅前[乗]、三宮駅北(交)、県警本部前(交)、楠町6(交)、   東川崎(交)、神戸駅南口[乗] ・推定路線図は、以下の通り。なお、税関前(交)→三宮駅北(交)の区間は、  S49.10.1開業と推測する。    楠町6     県警本部前  三宮駅北     △===>====△===>==△=>・     ‖               |三宮∨    +++++     ‖            ++++□□□++++・     Λ         +++・  |  ○三ノ宮駅前 名古屋     ‖ 神戸駅  +++・     Λ  △−○−−−−−−>  +++++□□□++・        |  |三宮東     ‖  ◎            |  ∨     △==+−−−−−○−−−−−−△−<△浜辺通4    東川崎      中突堤前   税関前 ・開業以降、1968(S43)年までに、以下の駅が開業した。  ◇名神一宮  ◇養老口 ※象鼻山より改称  ◇豊中庄内(豊中市庄内宝町)  ◇十三阪急前(東淀川区十三東之町) ※当時の東淀川区役所前か  ◇名神芦屋 ※国道43号精道交差点付近か  ◇中突堤前 ※下り神戸行降車専用 ・1968(S43).4.26に、名神豊中〜新大阪を廃止、名神豊中〜大阪を開業。  開業区間の経路は、以下の通りと推測する。  ◇(名神豊中−)新北野(交)、国道176号、大阪駅北口[乗降]  廃止区間の経路は、以下の通りと推測する。  ◇(名神豊中−)新北野(交)、十三阪急前[廃]、西中島南方駅前(交)、新大阪駅[廃] ・当時の運行系統と本数は、以下の通り。  ◇1〜28便  大阪系統 特急6往復、急行6往復、普通2往復  ◇101〜116便 神戸系統 急行8往復  ◇201〜216便 京都系統 急行8往復  ◇2001〜4便 京都系統 特急2往復 日祝のみ運転 ・豊中庄内、十三阪急前、新大阪は、この改正で廃止された。 ・菩提寺が改正時刻表に括弧付・時刻なしで記載されたが、許可申請中だったのか、  これ以降、1973(S48).4.1まで記載なしが続く。 ・一宮の表記が「名神一宮」から「名神一ノ宮」に変わっている。改称か? ・西宮の表記か「名神西ノ宮」から「名神西宮」に変わっている。改称か? ・1969(S44).6.10に、東名高速線が開業し、ドリーム号の運行が始まった。  ※ドリーム号については、中部地自「東名高速線」を参照。 (3) S45.3.15以降 ・1970(S45).3.15に、阪神高速3号神戸線への経路変更と万国博開催に伴うダイヤ  改正を実施した。開業区間の経路は、以下の通りと推測する。  ◇西宮IC、阪神高速3号神戸線、摩耶出入口  ◇吹田IC、中央環状線、万国博会場[乗降]  廃止区間の経路は、以下の通りと推測する。  ◇西宮IC、国道42号、名神西宮[廃]、名神芦屋[廃]、摩耶出入口 ・このダイヤ改正の概要は以下の通り。  ◇名神豊中、名神西宮、名神芦屋を廃止  ◇名神尼崎〜三ノ宮駅前のキロ程変更  ◇路線名称「名神豊中−大阪」を「名神吹田−大阪」に変更  ◇万国博会場中央口前に「万国博会場駅」を設置、S45.3.15〜9.13まで取り扱う   名神吹田より7.0、名神茨木から4.0、開業公示なし、名神茨木〜名神吹田は9.4   ※北大阪急行の万博博中央口駅が現中国吹田ICの位置にあり、万国博会場バス    停は、その南北に位置していた。  ◇大阪系統17本、神戸系統14本を万国博会場経由とする   ※万国博会場経由便は、西行ホームを降車用、東行ホームを乗車用にして、    外環状線を利用して吹田ICへ折り返したと思われる  ◇名古屋〜万国博会場に、エキスポ特急4往復を運行  ◇定期便の続行便を増強 ・当時の運行系統と本数は、以下の通り。  ◇1〜24便  大阪系統 特急4往復、急行4往復、準急2往復、普通2往復  ◇101〜114便 神戸系統 急行7往復  ◇201〜216便 京都系統 急行8往復  ◇2001〜4便 京都系統 特急2往復 日祝のみ運転  ◇イ1〜イ8便 エキスポ特急4往復  ※種別「準急・普通」初登場、エキスポ特急の「イ」はEXPOかイロハに由来? ・一宮の表記が「名神一宮」に戻っている。 ・1970(S45).9.14に、名神茨木〜大阪開業。S45.3.15に吹田IC〜中央環状線〜万国  博会場が開業しているため、実質的な開業区間は以下の通りと推測する。  ◇万国博会場[廃]、千里IC、新御堂筋、大阪駅北口[乗降]  大阪系統について、普通便以外は、開業区間へ経路変更を行った。 ・当時の運行系統と本数は、以下の通り。  ◇1〜24便  大阪系統 特急4往復、急行4往復、準急2往復、普通2往復  ◇101〜114便 神戸系統 急行7往復  ◇201〜216便 京都系統 急行8往復  ◇2001〜4便 京都系統 特急2往復 日祝のみ運転 ・1971(S46).4.16に、京都自営新大阪支所を移転し、大阪支所と改称。移転先は  大阪市北区豊崎6、現西日本JRバス大阪北営業所と思われる。 ・1971(S46).9.20にダイヤ改正。当時の運行系統と本数は、以下の通り。  ◇大阪系統 12往復  ◇神戸系統 7往復  ◇京都系統 8往復 ・1971(S46).10.1より「三ノ宮駅前」を「三ノ宮」に改称、鉄道連絡駅となった。 ・1972(S47).2.1に、名神西宮(西宮市今津水波町)が開業。国道42号今津交差点付近?  名神尼崎〜名神西宮〜三ノ宮が開業。開業区間は以下の通りと推測する。  ◇西宮IC、国道42号、西宮出入口  ※S45.3.15で廃止された名神西宮とは、位置が異なる。  ※神戸系統の全便が名神西宮に停車するため、国道42号を経由しない本線は、   ドリーム号のみが経由する事になった。 ・当時の運行系統と本数は、以下の通り。  ◇1〜24便  大阪系統 特急6往復、急行4往復、快速2往復  ◇101〜108便 神戸系統 特急4往復  ◇201〜216便 京都系統 特急8往復  ◇2001〜4便 京都系統 特急2往復 日祝のみ運転  ※種別「快速」初登場、種別「準急・普通」廃止 ・1973(S48).4.1に、菩提寺が開業。運行系統と本数は、以下の通り。  ◇1〜24便  大阪系統 特急6往復、急行4往復、快速2往復  ◇101〜108便 神戸系統 特急4往復  ◇201〜216便 京都系統 特急8往復  ◇2001〜4便 京都系統 特急2往復 日祝のみ運転 ・1973(S48).5.20に、名神大津〜京都が開業。途中無停車の2001〜4便向け経路か?  開業区間は、以下の通りと推測する。  ◇(名神大津−)京都東IC、国道1号、堀川五条(交)、堀川塩小路(交)(−京都) ・1974(S49).10.1に、大阪系統普通便のみが経由していた「名神吹田−大阪」を  廃止。廃止区間の経路は、以下の通りと推測する。  ◇豊中IC、府道10号、加島(交)、府道41号、新北野(交)、国道176号、大阪駅北口 ・同日、千里ニュータウン、中突堤前を開業。天王山を大山崎に改称した。  ※神戸系統の昼行便は、上り下りも中突堤前に停車するようになった事により、   税関前(交)→三宮駅北(交)の区間を新設したと推測する。なお、S41.4.29開業   区間は、神戸発夜行便が引き続き利用していたと推測する。 ・当時の運行系統と本数は、以下の通り。  ◇1〜16便  大阪系統 特急5往復、急行3往復  ◇101〜106便 神戸系統 特急3往復  ◇201〜218便 京都系統 特急4往復、急行5往復  ◇2001〜2便 京都系統 特急1往復 日祝のみ運転  ※種別「快速」廃止、急行便は各駅停車に (4) S52.4.1以降 ・1977(S52).4.1に「名神茨木−神戸」を休止、神戸系統(昼行便・夜行便)が廃止  された。休止区間は、1978(S53).4.1付で廃止された。  ※「名神尼崎−三ノ宮、三ノ宮−神戸」の休止公示は出ていないが、失念か? ・休止区間の経路は、以下の通りと推測する。  ◇(名神茨木−)吹田IC、名神吹田[廃]、名神尼崎[廃]、西宮IC、阪神高速3号   神戸線、西宮出入口、摩耶出入口、三ノ宮[廃]、三宮東(交)、海岸通、   中突堤前[廃]、神戸[廃]  ◇(名神尼崎−)西宮IC、国道42号、名神西宮[廃]、西宮出入口(−三ノ宮)  ◇三宮東(交)、三宮駅北(交)、県警本部前(交)、楠町6(交)、東川崎(交)、   神戸[廃] ・当時の運行系統と本数は、以下の通り。  ◇1〜16便  大阪系統 特急3往復、急行5往復  ◇201〜216便 京都系統 急行8往復  ◇2001〜2便 京都系統 特急1往復 日祝のみ運転 ・1978(S53).10.2に、ダイヤ改正を行い、大阪系統を8往復から6往復に減便した。 ・1979(S54).1.18に、大阪駅北口から大阪駅表口へ移転した。 ・時期不詳であるが、京阪五条を開業した。土休日のみ運行する京都発特急便の一  部が停車した模様。 ・1981(S56).4.24〜9.14に、ドリーム81号「東京→神戸ポート博」の臨時経営を行っ  た。大阪〜神戸ポート博を路線延長した形だが、途中駅では旅客の取扱は行わない  事から、開業区間は、以下の通りと推測する。  ◇吹田IC、名神道、西宮IC、阪神高速3号神戸線、魚崎出口、神戸ポート博[降]  ※ドリーム号については、中部地自「東名高速線」を参照。 (5) 日本急行バスと日本高速自動車について ・名神高速道路の開通に伴い、多くの沿線バス会社が乗り入れを希望した結果、  運輸審議会にて調整が行われ、名神高速線については、国鉄、名鉄を中心とした  日本急行バス、近鉄を中心とした日本高速自動車の3社に免許された。  http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-b22d.html ・1964(S39).10.5の国鉄名神高速線開業時に、日本急行バスが営業開始し、  1965(S40).3.6の国鉄京都系統開業時に、日本高速自動車(日本高速バス)が営業  開始した。 ・運行ダイヤは3社で調整しており、S40.3.6現在と思われる日本高速自動車の時刻  表では、3社の時刻を掲載していたが、これ以外で3社の時刻を掲載した時刻表は  発見できず、各社が配布する時刻表は、自社便のみを掲載していた。 ・当時は、名鉄バスターミナルが工事中であり、日本急行バスは笹島高速センター  (現名鉄レジャック)、日本高速自動車は桜通り、現桜通豊田ビル(←近鉄新名古屋  ビル)付近にバス乗り場があったようだ。  http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2008-02-04 ・民間2社は、名鉄バスセンターが完成すると、同4階に発着地を変更した。 ・1968(S43).4.26に、国鉄は新大阪系統を廃止、大阪系統を開業するが、民間2社  は、梅田・阪急3番街プラザ劇場横に乗入れた模様。 ・S50年代に国鉄「自動車線共通乗車規則」に、日本急行バスと日本高速バスが  加わった模様。3社は、競争から共存へ方針転換したようだ。 ・国鉄は、1979(S54).1.18に大阪駅北口から大阪駅表口へ移転するが、民間2社が  大阪駅に乗り入れるのは、共通乗車の取扱を始めた時か、この時と思われる。 ・日本急行バスは、本社(名古屋)、栗東営業所、大阪支社があった。大阪支社は、  阪急十三駅の近く、当時の東淀川区役所に隣接する線路脇にあったようだ。 ・S50年代には、高速テレビカーを導入し、他社と差別化を図った。 ・S60年代には、コーヒー・紅茶・お茶の無料サービスを始めた。  http://kanko-bus.saloon.jp/ ・日本高速自動車は、本社(名古屋)、大阪支社(近鉄本社内)があった。 ・1983(S58)年までに、日本高速自動車は近鉄単独の子会社になり、同年、名古屋  近鉄バスと合併、名阪近鉄高速バスへ改組した。 2.2 旅から30年 ・現在、JR東海バス、西日本JRバス、名鉄バス、名阪近鉄バスが運行しており、  他社運行便を記載した時刻表を配布するなど、共同運行がより進行している。 ・S60.6以降、以下の大きな変化があった。  ◇1990(H2).4.1〜9.30の期間限定で、花博会場へ乗り入れ。  ◇2002(H14)年に、都市間輸送に特化するため、途中停車駅を大幅に削減した。  ◇2004(H16)年に、神戸系統に再参入。  ◇2008(H20)年に、新名神道経由便が登場。  ◇2010(H22)年に名古屋駅新幹線口、2011(H23)年に大阪駅JR高速バスターミナル   へ移転した。  ◇日本急行バスは、名古屋観光日急を経て、名鉄観光バスに改組され、名神高速   線の運行は、2009(H21)年より名鉄バスに移管された。  ◇名阪近鉄高速バスは、1994(H6)年に名阪近鉄バスに改称、2007(H19)年に三重   交通の子会社になった。  ◇JRバスについても名鉄バスセンター、OCAT、USJへ延伸。  ◇2014(H26).10.5〜2.28の期間限定で、神戸駅へ延伸した。 ・2014(H26).10.5現在の、各社運行系統と本数は、以下の通り。  ◇1〜26便  大阪系統 超特急11往復、特急2往復  ◇101〜112便 神戸系統 超特急6往復  ◇201〜232便 京都系統 超特急3.5往復、特急12.5往復 ・これを会社別にすると、以下の通り。  ◇東海 大阪(超特急3.5、特急1)、神戸(超特急1)、京都系統(超特急1.5、特急1.5)  ◇西日 大阪(超特急5.5)、神戸(超特急2)、京都系統(特急4)  ◇名鉄 神戸(超特急3)、京都系統(超特急:上り2本、特急:下り5本、上り3本)  ◇近鉄 大阪(超特急2、特急1)、京都系統(超特急:下り2本、特急:下り2本、上り4本) ・名神神戸線でポートピアホテルまで運行するのは、名鉄バスのみ。 ※補足 花博会場に乗り入れた名神高速線 ・1990(H2).4.1〜9.30の期間限定で運行されたバスは以下の通り。  ◇名古屋駅〜花博会場 (JR東海バス・名阪近鉄バス)  ◇名鉄BC〜花博会場・大阪ロイヤルホテル (日本急行バス) ※ベンツ特急 ・経路は、吹田JCT、近畿道、門真ICか? バス停は中央ゲート付近の中央ターミナルか? ※補足 名神高速線を運行した豪華バス ・3社のうち、最初に豪華バスを投入したのは日急バスだった。最初は、コーヒー・  紅茶・お茶の無料サービスだったが、後にサロン特急を運行。このサロン特急は  後部座席がフリースペースになっており、八つ橋のサービスもあったらしい。 ・名阪近鉄バスは、超デラックスバス「ポートクイーン」を投入。昼行便ながら、  3列シート車で、コーヒー・電話・ヘッドフォンがあった。 ・民間2社は、こういった差別化で人気を集めたが、国鉄やJR2社は、こういった  サービスをしなかった。何故だろうか。 ・なお、豪華バスの運行は、遅くとも2000年には終焉した模様。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.2号 5.近畿編(上) 19日目 6/19(水) (2) 単行本 ・19日目 p107〜109 3.2 乗車券の経由欄 ・「千里ニュータウン、名神高速線、名古屋」 3.3 行程 ◇千里ニュータウン929→1236名古屋 名神高速線 急行2便 744-2906 3.4 エピソード ・千里ニュータウンは、名神・中国ハイウェイバスのほか、鳥取・三朝温泉・米子  ゆき日交バス、三次・千代田・新見・加計・東城ゆきの阪急・広島・中国バス、  福岡ゆき阪急・西鉄夜行便ムーンライトなど、各社のポールが並び壮観だ。 ・名古屋行急行は、前4列が禁煙席になっていた。 ・千里で5人乗り、10人ちょっとのお客。八日市で7人も下車。 3.5 旅の考察 ・広島電鉄の大阪〜加計は、当時、日本最長昼行便だったが、現在は廃止された。 ・当時の国鉄ハイウェイバスは、車内前側8席(1〜2番A〜D)が禁煙席だった。現在、  喫煙ができる公共交通は皆無であるので、隔世の感がある。 ・片道きっぷであるが、ドリーム号の往復があり、名神一宮〜京都深草を1.5往復し  ている点が興味深い。
2014 年 12 月 27 日 11:55:15 (14854) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 釧根線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇釧根線    標茶−虹別    標茶−標茶高校前 1.2 路線略図         ・−−○虹別        /       /   ○−−◎−−>厚岸  標茶  標茶  高校前 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・釧根線は、1953(S28)年に、標茶〜虹別〜西春別〜上春別〜西別(→別海)  として開業したのがルーツで、根釧原野の開拓促進を図るとともに、標茶と  西別・根室方面の短絡を使命としていた。 ・1985(S60)年当時は、標茶〜虹別に短縮しており、標茶〜標茶高校前ととも  に、通学等の地場輸送を行っていた。1985(S60)年8月現在のダイヤでは、  標茶〜虹別に2往復の運行を確認できる。 ※補足 釧根線の運行状況の推移 ・1954(S29)年5月改正ダイヤでは、釧根線には次のような便が設定されてい  たのを確認できる。    標茶1050→1225西春別  西春別0700→0835標茶      1820→1955        1300→1435    西春別0700→0855西別  西別0910→1105西春別       1150→1345      1355→1550       1610→1805 ・1960(S35)年に西春別〜広野、1965(S40)年に中春別〜尾岱沼、1969(S44)年  に中春別〜別海に定期路線の運行を開始したが、これらの区間はいずれも  1978(S53)年時点で既に休止中であった。 ・1961(S36)年6月現在のダイヤでは、釧根線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。           西春別0720→0845西別    標茶0910→1010西春別1015→1125西別    標茶1300→1400西春別1410→1520西別    標茶1708→1808西春別    西別0920→1030西春別1035→1135標茶    西別1315→1440西春別1445→1545標茶    西別1705→1815西春別 ・1965(S40)年9月現在のダイヤでは、釧根線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。           西春別0715→0826西別    標茶1125→1220西春別1223→1317西別    標茶1707→1807西春別           西春別0703→0803標茶    西別1222→1333西春別1336→1431標茶    西別1721→1806西春別 ・このうち、矢臼別からパイロットファーム(当時国策として開発された一  大酪農事業)を経由して尾岱沼に至るバス路線(尾岱沼線)は、1965(S40)  年に運行が開始された。パイロットファーム経由は、開発途上のため道路  の軟弱と凍上等によって悪条件が続いた。1967(S42)年以降は夏季のみの  運行となり、1969(S44)年からは7/25〜8/24の間に限って臨時列車「尾岱沼  観光号」との連絡輸送を行った。1972(S47)年からはパイロットファーム経  由を廃止し経路変更を行って夏季限定の運行を継続したが、1978(S53)年の  輸送をもって休止した(1985(S60)年廃止公示)。 ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、釧根線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    標茶0640→西春別0737→西別0850→1002尾岱沼               西別1039→1148尾岱沼    標茶1020→西春別1117→西別1230→1342尾岱沼    標茶1610→西春別1650→1719西別    標茶1700→1758西春別               西春別0644→0742標茶    尾岱沼0915→1024西別    尾岱沼1056→西別1230→西春別1325→1420標茶    尾岱沼1208→1317西別    尾岱沼1454→西別1628→西春別1728→1823標茶 ・1976(S51)年3月現在のダイヤでは、釧根線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。    標茶0815→西春別0903→0951西別 西別1420→西春別1510→1556標茶    西別1045→1131尾岱沼 尾岱沼0735→0821西別      1230→1318       1255→1341      1600→1646       1500→1548     ※西別〜尾岱沼は7/11〜8/31運転 ・1977(S52)年末で釧根線のうち、虹別〜別海、北進〜西春別が休止されて、  両区間は1979(S54)年に廃止公示がなされた。 2.2 旅から30年 ・国鉄最後のダイヤ改正と言われた1986(S61)年11月改正ダイヤでは、釧根線に  は次のような便が設定されていた。    標茶0716→0744虹別(日祝学休日運休)      0915→0943  (日祝学休日運転)      1531→1604    虹別0746→0815標茶(日祝学休日運休)      0945→1015  (日祝学休日運転)      1606→1634    標茶0817→0822標茶高校  標茶高校0827→0832標茶      1512→1517          1519→1524 ・釧根線は、国鉄民営化を経てJR北海道に継承された。1993(H5)年に標茶町内  のJRバス路線廃止に伴って、釧根線は全廃された。
2014 年 12 月 27 日 11:46:09 (14853) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 天竜線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇天竜線   天竜本線    遠江二俣−池島    双竜橋−西鹿島    相津−佐久    横山町−大白木    遠江横山−熊    大倉口−月島    遠江西川−白倉    瀬尻−峰之沢口    水窪町−水窪    水窪町−有本   東天竜線    遠江谷山−東雲名    遠江小川−笹合   佐久間線    西渡−原田橋    中部駅口−中部天竜 1.2 路線略図                   ・−−○池島                  /              水窪町○−−−−○有本                 |\                 | ◎水窪             城西駅前○                 |                 ○相月駅前          中部     |          駅口 佐久間 |     原田橋○−−○−−◎−−○西渡           |     |              中部天竜◎     |               瀬尻○−−−○峰之沢口                 |                 |遠江           白倉○−−−○西川                 |  東雲名                 |   ○      熊○−−−−−・ 遠江|   |           大倉口\横山|   |      大白木○−−○−−○−○横山町| ・−○笹合           /   遠江|   |/        月島○    谷山○−−−○遠江小川                 |               相津○−−○佐久                 |                 |               ・−○双竜橋            鹿島橋| |      三河大野・宮口<−○ ◎遠江二俣               |          西鹿島◎−・ 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・天竜線は、1944(19)年に貨物路線竜山線として遠江二俣〜遠江青谷が開業したの  がルーツで、当初は原産地路線として峰之沢鉱山の鉱石輸送を目的としていた。  戦後の1946(S21)年に同区間を含む遠江二俣〜遠江青谷〜瀬尻〜水窪、双竜橋〜  西鹿島、西渡〜佐久間が天竜線として旅客営業を含む一般営業を開始した。天竜  線は地方産業文化の発展助長を使命としていたが、観光路線としての使命をも有  するものと期待された。 ・1985(S60)年当時は、遠江横山、遠江西川に自動車駅が存在していた。また、バス  運行の拠点として、遠江二俣に遠江二俣自営が、水窪町に同自営水窪派出所が設  けられていた。 ・1985年(S60)年2月改正の天竜線時刻表によると、天竜線では支線を含めて次の  ような便が設定されていた。  1) 天竜本線     遠江二俣〜水窪町 6.5往復(1〜13便)     遠江二俣〜瀬尻・西渡 6往復(201〜209、211、1002、1006便)  2) 天竜本線各支線     佐久支線 3往復      (遠江二俣→佐久→相津1、遠江横山→佐久→遠江二俣2)     大白木・月島支線 4往復(351〜356、1353〜1354便)     熊支線 遠江二俣・相津・遠江横山〜熊 3往復                  (301、303〜306、308便)         石打→遠江横山 上1(302便)     白倉支線 遠江二俣・遠江西川・瀬尻〜白倉 3往復(701〜706便)     峰之沢支線 遠江二俣・瀬尻〜峰之沢口 3往復(1001〜1006便)     有本支線 4往復(601〜608便)     池島支線 4往復(501〜508便)  3) 東天竜線     遠江二俣・遠江谷山・遠江横山〜笹合 5往復                  (901〜906、1901〜1904便)  4) 佐久間線     西鹿島・水窪町・西渡〜中部天竜・原田橋 8往復     (51〜57、151〜156、252、253、257便) 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月に水窪町〜有本が廃止された。また、国鉄最末期の1987(S62).  3.29に水窪町〜池島、相津〜佐久、遠江横山〜大白木、遠江横山〜熊、大倉口  〜月島、瀬尻〜峰之沢口の各区間及び東天竜線全線の廃止公示がなされた(これ  らの区間は1986(S61)年3月改正の天竜線時刻表では運行がなされていた)。 ・それ以外の区間は国鉄民営化を経てJR東海バスに継承され、1994(H6)年に白倉  〜白倉峡が延長されたが、1996(H8)年に佐久間線全線が休止(後に廃止)され、  遠江二俣営業所管内の全廃により2002(H14)年に天竜線は姿を消した。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.4号 7.中部編 35日目 7/15(月) (2) 単行本 ・35日目 p170〜171 3.2 乗車券の経由欄 ・「水窪、天竜線、水窪町、西渡、中部天竜」 3.3 行程 ・水窪〜水窪町 徒歩 ◇水窪町1548→1627西渡 天竜本線 431-6005(いすゞBA20)水窪町発 遠江二俣行 ◇西渡1724→1747中部天竜 佐久間線 431-6002(いすゞBA20)遠江二俣発 西渡行 3.4 エピソード ・水窪〜水窪町の天竜本線支線は夕方に1本しかなく、対岸の水窪町まで徒歩。 ・西渡は乗り換えてもバス運賃を通算する乗り継ぎ駅になっており、西渡までの  運賃を支払うと整理券に丸印が押される。 3.5 旅の考察 ・水窪町1548発のバスは西渡行きの256便で、西渡では5分停車の後、水窪町行き  の255便となって折り返す。西渡では遠江二俣行きの208便(遠江二俣からの203  便の折り返し)に2分で接続していた。西渡から中部天竜に向かったバスは、  遠江二俣始発の155便で中部天竜からは西鹿島行き最終の156便となるダイヤで  あった。 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の天竜線の頁を見ると、遠江西川、  西渡、水窪本町、遠江横山の各駅は途中下車駅とされていた。
2014 年 12 月 27 日 11:42:51 (14852) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 西天竜線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇西天竜線   西天竜本線    宮口−堀谷    宮口−鹿島橋   遠三線    麁玉中学前−三河大野    巣山−細川−三河小野 1.2 路線略図        三河        小野 細川 巣山                三河大野◎−○−−○−−○         \    |\            ・−○−・ \ 遠江          三河阿寺   ○渋川  ○堀谷                  \   |                   \  | 宮口 鹿島橋                    ・−○−◎−−−○−>双竜橋                     麁玉     |                     中学前    V                           西鹿島 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・西天竜線は、1955(S30)年に浜松〜宮口〜堀谷〜南石神〜遠江阿寺〜熊〜遠江渋川  が開業したのがルーツで、当時は宮口〜堀谷、宮口〜鹿島橋の西天竜本線と麁玉  中学前〜三河大野他の遠三線が運行されていた。S30年代には熊から先、東栄、  中部天竜まで路線が伸びており、東海道本線、二俣線、飯田線の短絡という使命  を有していた時代もあった。 ・1985年(S60)年2月改正の天竜線時刻表によると、西天竜線には次のような便が  設定されていた。  1) 西天竜本線    宮口〜堀谷 3往復  2) 遠三線    遠江二俣〜三河大野 1往復    遠江二俣・宮口〜大平 3往復    一色〜三河大野 3往復    三河大野〜細野広見 1往復 ※ 補足 西天竜線の路線変遷 ・西天竜線の名前が初めて現れたのは1953(S28)年で、遠江横山〜大地野口〜大地  野峠〜出馬駅口〜川合駅口〜中部駅口〜佐久間、大地野口〜熊が天竜線の支線  西天竜線として開業したのがルーツである。1955(S30)年には浜松〜宮口〜堀谷  〜南石神〜遠江阿寺〜熊、熊〜遠江渋川が開業した。 ・1963(S38)年に西天竜線は天竜線から独立し、浜松〜中部駅口、熊〜遠江渋川、  大地野口〜遠江横山他の区間から構成されていた。 ・1971(S46)年に大地野口以北の区間(大地野口〜原田橋、静愛橋〜東栄)が廃止  された。 ・1983(S58)年8月に堀谷〜熊、熊〜遠江渋川が廃止されるが(同時に熊〜遠江横  山は天竜線に編入)、それに先立って、堀谷〜南石神、阿寺東〜熊が休止され、  休止区間に挟まれた南石神〜阿寺東が他の区間とはつながらない「落下傘路線」  として通学輸送を行っていた時期があった。その後、同年11月には浜松〜宮口  も廃止された。                静愛橋   原田橋             東栄◎−○−−○−−○−−◎−>西渡                 | 出馬駅口  佐久間                 |                 |                 ○大地野峠         遠江渋川  熊 |    遠江横山    三河大野<−○−−−−○−○−−−−−○−>水窪          |      |大地野口 |          V      |     V          宮口     ○阿寺東 遠江二俣                 |                 |                 ○南石神                 |                 ○堀谷                 |           遠江渋川<−○麁玉中学前                 |               宮口◎−>鹿島橋                  \                   \                    ◎浜松 ・1965(S40)年10月現在のダイヤでは、西天竜線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。  1) 西天竜本線    浜松〜宮口 6往復(所要47分)    宮口〜熊 2.5往復(所要1時間18分)    熊〜浦川 2往復(所要1時間28分)    熊〜東栄 1.5往復(所要52分)  2) 遠三線    宮口〜三河大野 2往復(所要1時間54分)    宮口〜遠江渋川 2往復(所要53分) ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、西天竜線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    浜松〜三河大野 1往復      浜松0738→宮口0826→遠江渋川0919→一色0942→1022三河大野      三河大野0942→一色1024→遠江渋川1050→宮口1146→1233浜松    浜松〜遠江渋川 1往復    浜松〜久留米木橋 2往復    浜松〜大平 1往復    一色〜三河大野 4往復    阿寺〜三河大野 1往復 ・1976(S51)年4月現在のダイヤでは、西天竜線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    宮口〜三河大野 1往復(宮口1003→1154三河大野0910→1106宮口)    浜松〜遠江二俣 4往復    宮口〜遠江二俣 1往復    浜松〜滝沢口 1往復    浜松〜大平 1往復    一色〜三河大野 4往復 ・1983(S58)年9月現在のダイヤでは、西天竜線に次のような便が設定されていた  のを確認できる。    遠江二俣・宮口〜三河大野 1往復    (遠江二俣0908→宮口0925→1104三河大野0900→1043宮口)    浜松〜遠江二俣 5往復    浜松〜宮口 1往復    宮口〜遠江二俣 下り2本    浜松〜大平 2往復    一色〜三河大野 3往復 2.2 旅から30年 ・1985(S60)年11月に西天竜本線麁玉中学前〜堀谷の廃止公示がなされた。その後、  1987(S62)年2月に遠三線巣山〜三河小野の廃止公示がなされ、国鉄最末期の同  年3.29に西天竜本線宮口〜鹿島橋、遠三線宮口〜三河大野の廃止公示がなされ、  西天竜線は全廃された。 ・1986年(S61)年3月改正の天竜線時刻表によると、西天竜線(遠三線)には次の  ような便が設定されていた。    遠江二俣〜三河大野 1往復    遠江二俣・宮口〜大平 3往復    一色〜三河大野 3往復    三河大野〜細野広見 1往復 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.5号 8.関東・信越編(上) 36日目 7/16(火) (2) 単行本 ・36日目 p175 3.2 乗車券の経由欄 ・「宮口、西天竜線、西鹿島」 3.3 行程 ・宮口→西鹿島 タクシー 3.4 エピソード ・宮口〜西鹿島はバスだが、午前中2本だけのダイヤなのでいかんともしがたく、  タクシーを呼ぶ。遠鉄バスも来ているが浜松に直行し、西鹿島には寄らない。 3.5 旅の考察 ・当時の自動車線普通旅客運賃表によると、遠三線遠江渋川駅は途中下車駅とさ  れていた。 ・1985(S60)年2月改正の天竜線時刻表によると、西天竜線遠江二俣〜宮口は下り  1本(遠江二俣0908→0924宮口)、上り2本(宮口0740・1043→0756・1059遠江  二俣)のみの運行であった。
2014 年 12 月 20 日 16:19:17 (14851) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 陸中海岸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇陸中海岸線   陸中海岸本線    久慈−田老    長内橋−久慈商業高校前    陸中野田駅前−南浜    陸中野田駅前−久喜浜    黒崎入口−黒崎小学校前−南黒崎    黒崎入口−黒崎燈台    北山崎入口−北山崎展望台    北山崎入口−机−机浜    真崎入口−真崎    田老中町−三王閣前−真崎   久慈海岸線    長内橋−小袖   普代線    普代駅前−田野畑   田野畑線    平井賀−田野畑−島ノ越口 1.2 路線略図      種市・金田一        Λ        | 久慈    葛巻<−+−◎          | 玉ノ脇    久慈商業○−○−−○−・     高校前  |長内   \          |橋     ○小袖      陸中野田○−−○久喜浜      駅前 /|          \|          ○南浜          |      普代駅前○         / \ 黒崎入口        /   ・−○−○黒崎燈台       ・     /|       | 黒崎小○ ○陸中黒崎   夏節口 | 学校前 \|   <−・ |      ○南黒崎      \| 北山崎入口|    陸中 ○    ・−○−○北山崎展望台    一の渡|    | |       |   机○ ○北山浜       |    | |       |    ・−○机浜       |      |       |      ○田野畑駅前       |      |    田野畑○−−−−−−○平井賀       |     /  陸中十文字○    ○島ノ越駅前       |    |    島ノ越○−−−−○島ノ越港    口  |       ○大牛内       |   岩泉<−○岩手中野       |       ○小本       |   真崎入口○−−−−○真崎       |山王閣前|   田老中町○−○−−・       |       ○田老 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・陸中海岸線は、1943(S18)年に原産地路線として普代線久慈〜普代の貨物営業  を開始(1947(S22)年に旅客営業を含む一般路線化)したのがルーツで、沿線  地方の産業文化の発展助長を使命としていた。その後、1957(S32)年に普代線  として普代〜机、1962(S37)年に島ノ越線として大芦〜島ノ越〜平井賀、1963  (S38)年に陸中休石〜平井賀、1970(S45)年に小本〜田老が開業し、久慈〜田老  がつながった。この間、1957(S32)年に陸中海岸線は沼宮内本線から分離した。 ・普代以南の内陸側経路は、1953(S28)年に普代線として普代〜陸中一の渡〜甲  地、1962(S37)年に岩泉本線として岩手中野〜清水野、1964(S39)年に陸中海岸  線として平井賀〜田野畑板橋〜陸中一の渡、1966(S41)年に普代線として平波  沢〜陸中十文字〜清水野が開業した。 ・1985(S60)年当時(自)久慈、陸中野田駅前、普代駅前に自動車駅が存在した。 ・1985(S60)年8月現在ダイヤでは、陸中海岸線に次のような系統が設定されて  いたのを確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越港〜平井賀・田野畑駅前 下2本・上1本    岩泉〜島ノ越港〜田野畑駅前〜北山崎展望台〜普代駅前・久慈 3往復     (季節便「リアス観光号」、10/10まで運転)    平井賀・田野畑駅前〜北山崎展望台・机 下3本・上1本    北山崎展望台・北山崎入口・黒崎燈台〜普代駅前 下7本・上6本    普代駅前〜久慈 1往復  2) 久慈海岸線    久慈〜舟渡 7往復    久慈〜久喜浜 4往復  3) 普代線    陸中十文字〜普代駅前・久慈 2往復  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前 下2本    北山崎展望台・机〜田野畑駅前〜田野畑〜岩泉 上3本    陸中十文字〜田野畑駅前・机 下2本・上1本 ※補足 陸中海岸線の運行状況の変遷 (1) 国鉄久慈線開業前後 ・国鉄バスでは、鉄道新線の開業計画に合わせ、鉄道線の先行線としての役割  を果たしたバス路線を再編成してきており、この一環として、1975(S50)年の  久慈線(久慈〜普代)開通に伴い陸中海岸線のダイヤ削減を行った。 ・国鉄久慈線開業(1975(S50)年7月)半年前の同年1月現在ダイヤでは、陸中  海岸線に次のような系統が設定されていたのが確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越港〜平井賀・北山崎展望台 2往復    島ノ越港〜明戸口 下1本    島ノ越港〜平井賀 上1本    平井賀〜北山崎展望台〜普代 下1本    平井賀〜北山崎展望台〜普代〜久慈 上1本    北山崎展望台〜普代〜久慈 下1本    北山崎展望台〜普代 上1本    黒崎灯台〜普代〜久慈 上1本    黒崎灯台〜普代 下1本    普代〜久慈 5往復  2) 久慈海岸線    久慈〜小袖 3往復  3) 普代線    陸中十文字〜普代・久慈 2往復  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜平井賀 下3本・上2本    岩泉〜田野畑〜平井賀〜明戸口 上1本 ・国鉄久慈線開業の翌年の1976(S51)年4月改正ダイヤでは、陸中海岸線に次の  ような系統が設定されていたのが確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜小本〜田老 季節便1往復(他に県北も季節便1往復)    岩泉〜島ノ越港〜北山崎展望台・黒崎灯台            下5本(うち季節便4本)・上4本(うち季節便2本)    岩泉〜島ノ越港〜平井賀 1往復    島ノ越港〜平井賀 下1本    平井賀〜北山崎展望台 1往復    北山崎展望台〜普代〜久慈        下6本(うち季節便4本(十和田陸中号、平庭陸中号を含む))        上7本(うち季節便5本(十和田陸中号、平庭陸中号を含む))    北山崎展望台〜普代 下4本・上5本    黒崎灯台〜普代〜久慈 下1本    黒崎灯台〜普代 1往復    普代〜久慈 上2本  2) 久慈海岸線    久慈〜小袖 4往復    久慈〜久喜浜 上3本    陸中野田〜久喜浜 下5本・上3本  3) 普代線    陸中十文字〜普代・久慈 2往復  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜北山崎展望台・黒崎灯台 下2本・上4本    田野畑〜平井賀〜明戸口 上1本    田野畑〜平井賀 下1本 (2) 東北新幹線開業直後 ・1982(S57)年の東北新幹線(大宮〜盛岡)開業に合わせて、国鉄バスも新幹線  のフィーダーサービス網の一環を形成し、鉄道と結合した輸送サービスを提供  することとした。こうした施策の1つとして、陸中海岸観光バス「三陸観光号」  を次のように新設した。  1) 運行経路 盛岡〜平庭高原〜久慈〜北山崎展望台〜島ノ越港〜岩泉〜         龍泉洞〜早坂高原〜盛岡  2) 運行系統 盛岡1050→久慈→1730島ノ越港 片道1回         島ノ越港0940→岩泉→1455盛岡 片道1回  3) 主要停留所(各箇所には観光時間を設けている)      平庭高原(昼食)、久慈(小久慈焼)、黒崎灯台、北山崎展望台、      島ノ越港(観光船)、龍泉洞  4) 利用方法 盛岡〜島ノ越港〜盛岡の1泊コース、あるいは盛岡〜島ノ越港、      島ノ越港〜盛岡の区間利用も可能。 ・1982(S57)年11月改正ダイヤでは、「三陸観光号」を含めて陸中海岸線に次の  ような系統が設定されていたのが確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越港〜北山崎展望台 下2本・上1本    岩泉〜島ノ越港〜平井賀 1往復    島ノ越港〜北山崎展望台 1往復    北山崎展望台〜普代駅前〜久慈 2往復    北山崎展望台〜普代駅前 下3本・上4本    黒崎灯台〜普代駅前〜久慈 下1本    黒崎灯台〜普代駅前 1往復    普代駅前〜久慈 1往復    盛岡→久慈→普代駅前→北山崎展望台→島ノ越港 上1本    島ノ越港→龍泉洞前→盛岡 上1本  2) 久慈海岸線    久慈〜小袖 3往復    久慈〜久喜浜 4往復  3) 普代線    陸中十文字〜普代駅前・久慈 2往復  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜北山崎展望台・北山崎入口 下3本・上4本 ・1983(S58)年9月改正ダイヤでは、陸中海岸線に次のような系統が設定されて  いたのが確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越港〜北山崎展望台・北山崎入口 下3本・上1本    岩泉〜島ノ越港〜平井賀 1往復    島ノ越港〜北山崎展望台 1往復    北山崎展望台〜普代駅前〜久慈 下3本・上2本    北山崎展望台・北山崎入口〜普代駅前 下4本・上5本    黒崎灯台〜普代駅前〜久慈 下1本    普代駅前〜久慈 上1本  2) 久慈海岸線    久慈〜小袖 2往復    久慈〜久喜浜 4往復  3) 普代線    陸中十文字〜普代駅前・久慈 2往復  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜北山崎展望台・北山崎入口 下3本・上4本 (3) 三陸鉄道開業前後 ・三陸鉄道開業(1983(S58)年4月)直前の同年2月現在改正ダイヤでは、陸中  海岸線に次のような系統が設定されていたのが確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜清水野 1往復    岩泉〜島ノ越港〜北山崎展望台 1往復    岩泉〜島ノ越港〜平井賀 1往復    島ノ越港〜北山崎入口 1往復    北山崎展望台〜普代駅前〜久慈 2往復    北山崎展望台・北山崎入口〜普代駅前 3往復    普代駅前〜久慈 下2本・上1本  2) 久慈海岸線    久慈〜小袖 2往復    久慈〜久喜浜 4往復  3) 普代線    陸中十文字〜普代駅前〜久慈 上2本  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜平井賀 3往復 2.2 旅から30年 ・最長片道きっぷの旅翌年の1986(S61)年3月改正ダイヤでは、陸中海岸線には  次のような系統が設定されていた。なお、このダイヤには普代線普代駅前〜  田野畑を運行する便は載っておらず、同区間は既にこの時点で休止されていた  可能性がある。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越駅〜田野畑駅前〜北山崎展望台 下1本    岩泉〜島ノ越駅〜田野畑駅前 上1本    岩泉〜島ノ越駅〜平井賀 1往復    岩泉〜島ノ越駅〜田野畑駅前〜北山崎展望台〜普代駅前・久慈 3往復     (季節便、4/25〜5/6・7/20〜10/12の間運転)    田野畑駅前〜北山崎展望台 4往復    北山崎展望台〜普代駅前 6往復    普代駅前〜久慈 3往復    普代駅前〜陸中宇部 下1本  2) 久慈海岸線    久慈〜舟渡〜小袖海岸〜久喜浜〜久慈 外回り5本・内回り4本    久慈〜舟渡 下3本・上4本    久慈〜玉ノ脇 下3本・上4本  3) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前〜北山崎展望台 下1本・上2本    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前〜机 上1本    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前 下1本    陸中十文字〜田野畑駅前〜机 1往復 ・普代線普代駅前〜田野畑は1986(S61)年7月末に廃止公示が出された一方、同時  に久慈海岸線小袖海岸〜久喜浜が延長し久慈海岸線は循環経路となった。 ・陸中海岸本線全区間、延長後の久慈海岸線、田野畑線は、国鉄民営化を経て、  JRバス東北に継承されたが、本線区間では、1992(H4)年に大牛内〜島ノ越口  〜島ノ越港〜平井賀〜北山崎入口が廃止され、1995(H7)年に陸中野田駅前〜普  代駅前〜北山崎入口〜北山崎展望台、黒崎入口〜黒崎燈台が廃止された。次い  で1996(H8)年には小本以南の区間も廃止された。小本側で最後まで残った大牛  内〜岩手中野〜小本も2003(H15)年に廃止された。久慈側で最後まで残った久慈  〜陸中野田駅前も久慈海岸線とともに2008(H20)年に廃止された。 ・支線区間では、田野畑線が1992(H4)年までに廃止された他、久慈海岸線が2008  (H20)年の久慈管内ローカル路線全廃で廃止された。 ・民営化後の1989(H61)年3月改正ダイヤでは、陸中海岸線には次のような系統が  設定されていた。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越駅〜田野畑駅前 下2本・上1本    岩泉〜島ノ越駅〜田野畑駅前〜北山崎展望台〜普代駅前・久慈 3往復     (季節便、4/25〜5/5・7/26〜8/31の間運転)    田野畑駅前〜北山崎展望台 5往復    北山崎展望台〜普代駅前 5往復    普代駅前〜久慈 3往復  2) 久慈海岸線    久慈〜舟渡〜小袖海岸〜久喜浜〜久慈 外回り5本・内回り4本    久慈〜舟渡 下3本・上4本    久慈〜玉ノ脇 下3本・上4本  3) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前〜机 下1本    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前 下1本・上4本    田野畑〜田野畑駅前 下1本 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.7号 10.東北編(上) 53日目 8/11(日) (2) 単行本 ・53日目 8/11(日) p247〜249 3.2 乗車券の経由欄 ・「岩手中野、陸中海岸線、平井賀、田野畑、陸中一の渡、久慈」 3.3 行程 ◇岩泉営業所前0705→0803田野畑 早坂高原・陸中海岸・田野畑線 531-9004                (いすゞBU10) 岩泉営業所前発 田野畑駅行 ◇田野畑0815→1004久慈 普代・陸中海岸本線 331-9005(いすゞCCM410)                           陸中十文字発 久慈行 3.4 エピソード ・田野畑は同名の三陸鉄道田野畑駅とは遠く離れた山側の田野畑村役場近くな  のに、バスの運行系統は陸中海岸沿いの観光路線中心になっている。幸い岩  泉営業所前0705の田野畑駅行き一番バスに乗れば田野畑で乗り継げるが、そ  の代わり途中の島ノ越口〜田野畑間迂回ルート(平井賀経由)をカットせざ  るを得ない。 ・田野畑駅行きに乗ったのは、大荷物を持ったおやじさんら地元の人ばかり6  人。小本駅で三鉄乗り継ぎ客が5人下車。バスは小本の集落にも寄る。 ・久慈行きバスの始発となる陸中十文字は何もない所なので田野畑まで乗った  が、そこも国道沿いに立っていないと置いて行かれそうなバス停だった。 ・久慈行きは、陸中一の渡などで少しずつ乗り降りがある。周囲は緑ばかりで  ほとんど家が見えないような所で、1日2本だけのバスを待つ人がいる。腰  が直角に近いほど曲がったおばあさんがステップにへ上がるのに手を貸した  が1停留所だけで降りる。2〜3分の乗車のために30分ほど立ち尽くしてい  たようだ。普代で先生を残して全員下車。正面に太平洋が姿を見せ、車窓が  変わった。 3.5 旅の考察 ・当時のダイヤによると、最長片道きっぷの経路を忠実に回ろうとすると、島  ノ越港を経由するのは岩泉営業所前0840の「リアス観光号」。田野畑駅前09  59着だが、田野畑線は1648発の陸中十文字行きまでなく、この便に乗れば陸  中十文字1719発の普代駅前行きに間に合うが、普代駅前1755着で足止めにな  ってしまう。 ・1986(S61)年に久慈海岸線久喜浜〜小袖海岸が開業したため、以後であれば  陸中野田駅前〜久慈の最長片道きっぷのルートは、次のように変わったと解  される。    陸中野田駅前3.6久喜浜7.4小袖海岸8.5長内橋0.5久慈 計20.0km   (陸中野田駅前3.4宇部支所前8.1長内橋0.5久慈 計12.0kmより8.0km増)
2014 年 12 月 18 日 17:21:11 (14850) 産交フリークさんの書き込み 連投で失礼且つJRネタでありませんが最近の乗り歩きより。 両備ホールディングス:犀バス 両備グループ100周年記念で西大寺鉄道キハ7を模して造られたバス。三重交通の神 都バスと違って既存の三菱エアロミディの改造車です。現在西大寺BC〜岡山駅間を 平日ダイヤの月・火曜のみ2.5往復するだけとなっています。 http://www.ryobi-holdings.jp/bus/rosen/pdf/solrve.pdf ノンステップで前向き席は後方のみ、最後列はステップを3段上がった、頭が閊えそ うな車内。改造のアラが目立つ様な…。 中途半端な時間でしたが席が埋まる程乗っており、バス需要の高さも感じましたが、 タネ車が中型車な上、このバスについてはバリアフリーにいまいち対応できていな い感じで一般路線で運用するには矢張り持て余している様でした。 阪神バス:尼宝線 宝塚尼崎電気鉄道の未成線を、吸収合併した阪神国道自動車がバス専用道路に転用、 兵庫県に買収された現兵庫県道42号線を走る路線。 http://www.ne.jp/asahi/mulberry/mt/rail13/amaho.html 兵庫県道になったのも戦前の話で近年の拡幅工事もあり名残りは殆どないのですが、 阪急神戸線をオーバーパスする陸橋の勾配は確かに緩く、ここだけ片側1車線という 事もありそれとなく鉄道感はあります。 何よりも阪急の牙城の一つ、宝塚に阪神バスが乗り入れているのが一番の名残りか と。時代は流れ今や両社グループ会社となりました。 個人的感想ですが、阪神バスの乗務員はアナウンスは良いのですが、運転が荒い。 阪急バス:満願寺線 日本初のトロリーバス、日本無軌道電車の廃線跡。 http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2012/10/post_336.html 個人的思い入れで訪ねました。阪急宝塚線雲雀丘花屋敷駅から乗車しましたが、ど うやってバスが来るのか、という狭さと猫の額の様なバス乗り場に大型車が入って 来るのは異様な感じ。 長崎にはもっと凄い急勾配をバスが走っていますが、遥か80年以上前に日本で初め ての乗り物が日本人の手により開通した、しかも鉄道の範疇に入れられる事もなく。 と単なるノスタルジーなのですが、帰路下り道を歩くと現実の凄さ、ケーブルカー が通っていてもおかしくない様な勾配でした。
2014 年 12 月 18 日 14:15:14 (14849) 産交フリークさんの書き込み ちょっと日が経っていますが、11月に突撃した迂回運行ネタについてレポします。 1.11月3日:鹿児島おはら祭り 毎年恒例の祭りで、おぎおんさぁと並んで年2回天文館近辺が通行止めとなります。 鹿児島市電 郡元〜鹿児島中央駅前〜高見馬場〜交通局前〜郡元〜谷山の臨時系統となり、普段 朝の「臨時便」以外での営業運転がない、高見馬場の鹿児島中央駅前方面〜交通局 前方面の渡り線を通過します。方向幕はどちらからも高見馬場行となっていますが、 直通して乗車可能。高見馬場と鹿児島中央駅前での下車についてはどこから乗って も運賃100円となっていました。均一運賃の点から考えると不公平? 高速バス 熊本線「きりしま」で乗車。「桜島」も同ルートで迂回しています。 鹿児島行は南国交通BT出構、右折、ナポリ通り、パース通り、大門口左折、いづろ 右折、通常ルート復帰。 熊本行は鹿児島本港、南埠頭入口左折、旧中央市場前交差点の一つ海側の交差点右 折、パース通り、ナポリ通り、鹿児島中央駅前左折で通常ルート復帰。 天文館は閉鎖でいづろでも乗降扱いはありませんので、熊本行でのルートで鹿児島 本港へ向かった便もあった様です。因みに本港〜中央駅〜天文館の順番で停車して いた嘗ての「トロピカル」「トワイライト神戸」は鹿児島中央駅前交差点まで熊本 行と同経路、いづろ高速BC発着当時は鹿児島行と同経路を辿っていました。 いづろ高速BCは閉鎖後入居者がいたのかどうか不明ですが、看板が消された以外は 当時と変わらないまま空ビルで残されています。 鹿児島駅方面「民営バス」ルート ※迂回のお知らせに記載のまま表示しています。 南国交通鹿児島中央駅前→花棚(けだな)行他で乗車。 鹿児島中央駅前、高見馬場右折、高見馬場臨停、新屋敷左折、パース通り、大門口 左折、いづろ臨停、いづろ右折、港湾合庁前左折、名山桟橋左折、桟橋通り右折、 水族館口で通常ルート復帰。 いづろは天文館、金生町の振替となっており、山形屋BCも入れなくなっているため、 いづろが振替となっていました。 JRバス・鹿児島市営バスルート 鹿児島駅前→薩摩郡山行(528-2425:鹿児島200か1385)で乗車。 水族館口、桟橋通り右折、裁判所前左折、(社)市役所西口=市役所前振替、中央 公園横、西本願寺鹿児島別院前臨停=金生町振替、(社)ザビエル公園前=天文館 振替、三官橋通り左折、(社)山下小学校前=高見馬場振替、高見馬場右折、通常 ルート復帰。 官民の違いで分けられているのかどうか、経緯は不明ですが、毎年JRと鹿児島市営 はこの経路での迂回となっています。 2.11月24日:福岡ソフトバンクホークス優勝パレード交通規制 天神地区の渋滞でもたまに行われるパターンの迂回ですが、予告もあり熊本〜福岡 線「ひのくに」で突撃。 渡辺通四丁目交差点〜天神橋口交差点が交通規制となり、西鉄天神BC〜天神北ラン プの通行ができなくなるため南行は半道橋ランプより迂回。 福岡行:半道橋ランプ出、R3、豊1丁目左折、空港通り、博多駅東右折、博多BT2階 (博多先停車)、1階降りて外周1周、「フェニックス」福岡行と同経路で西鉄天神 BC終着。 熊本行:西鉄天神BC出、新川橋右折、渡辺通り、日赤通り、清水四ツ角左折、きよ み通り、国際線北口右折、半道橋ランプ 福岡行は補助席まで満席の盛況。博多先停車の迂回と「渋滞により、博多〜天神1時 間以上かかる可能性もあります。お急ぎの方は地下鉄等ご利用下さい。」とアナウ ンスもあり、博多で自分以外全員下車。そんなに混まないとタカを括ったヲタの読 み通り渡辺通りは普段よりスムーズ。 殆どの路線が同じパターンで迂回していましたが、福岡〜長崎線「九州号」は福岡 行もきよみ通り、日赤通り経由で天神に先に停車するパターンで迂回していました。 「桜島」は「ひのくに」と同じ経路で迂回、「フェニックス」は呉服町が閉鎖され ませんでしたので通常経路で運行したものと思われます。 「福岡・山口ライナー」は福岡天神を閉鎖して、呉服町ランプから福岡都市高速へ 入ったと思われますが未確認です。
2014 年 12 月 17 日 22:25:46 (14848) Y.Matsuuraさんの書き込み 2015年春に金沢地区でPiTaPaを導入する西日本JRバスですが、2015年度内には 京都市内の路線でも導入するようです。 http://www.city.kyoto.lg.jp/gyozai/cmsfiles/contents/0000175/175272/07tokei.pdf やはり、京都の構想が先にあったため、金沢地区でもICOCAではなくPiTaPaになった のでしょうね・・・
2014 年 12 月 17 日 08:17:30 (14847) ふもふも館長さんの書き込み 不毛板(14836)の続き 11.JR東海バス 名神高速線(大阪系統) 超特急 大阪→名古屋 ・以下の経路であった。  大阪駅JR高速BT[乗2]、構内出て梅田ランプ東を左、中央郵便局前を左、曾根崎  東を左、新御堂筋、千里ニュータウン[乗]、千里IC、中央環状線、吹田IC、  名神道、名神高槻[乗]、京都深草[乗]、新名神道、甲南PA[休憩]、東名阪道、  名古屋西JCT、名古屋高速5号万場線、烏森出口、黄金跨線橋北を右、則武本通2を  右、太閤通口を直進、構内入、名古屋駅[降5] ・大阪駅の出発案内板に「名神大阪線 超特急」と表示されていた。この旅、初めて  JR東海バスになり、電源付車両で嬉しくなる。 ・名神ハイウェイバス開業50周年で半額謝恩キャンペーンを利用、1500円だった。 ・梅田貨物駅や中央郵便局が更地になっていてビックリ。 12.JR東海バス 東名高速線 特急便 名古屋→東名静岡 ・以下の経路であった。  名古屋駅[乗3]、構内出て太閤通口を左、太閤1を左、広小路通、柳橋を左、  西柳橋を右、錦通、錦通久屋を直進、左で構内入、栄/オアシス21[乗9]、構内出て  左、錦通久屋を左、錦通、新千種橋西を右、千郷橋を左、広小路通、千種駅前[乗]、  本山[乗]、東山通、星ヶ丘[乗]、名古屋インター[乗]、名古屋IC、東名道、東名  日進[乗降]、東名三好[乗降]、東名豊田[乗降]、東名上郷[乗降]、東名岩津[乗降]、  東名岡崎[乗降]、東名本宿[乗降]、東名音羽[乗降]、東名豊川[乗降]、  東名豊橋北[乗降]、東名三ケ日[乗降]、浜名湖SA[休憩]、東名浜名湖[乗降]、  東名舘山寺[乗降]、東名浜松北[乗降]、東名磐田[乗降]、東名袋井[乗降]、  東名岡津[乗降]、東名掛川[乗降]、東名菊川[乗降]、東名牧の原[乗降]、  東名吉田[乗降]、東名大井川[乗降]、東名焼津西[乗降]、東名静岡[乗降2] ・東名ハイウェイバス開業45周年記念 3日間乗り放題きっぷ 3日目。1日目は、東京  →名古屋、2日目は使用せず。そこで、3日目は全バス停を見て回ることに。 ・名古屋〜静岡の区間において、急行便は2往復しかないが、各駅に停車する特急便  が名古屋発1便、東京発2便ある。今回は、特急便に乗車するが、東名静岡までは  各駅に停車する。この区間の各駅停車は初体験。 ・名古屋→浜松で一日3便しか停車しないバス停は、東名三好、東名上郷、東名岩津、  東名音羽、東名豊橋北、東名三ケ日、東名舘山寺である。東名岩津はかつて瀬戸  南線へ乗換駅、バス旅フォトラリーの撮影駅、超特急の停車駅だった事もある。  東名舘山寺は途中下車の指定駅だった事もある。名古屋発だと、925の次は1831ま  でバスが無い。激減ぶりを知らなかったので、驚いた。 ・東名静岡で下車したのは、私の他にもう一人いた。静岡駅まで行きたかったよう  で、タクシー運転手にバス停を尋ねていた。案内が全くないわけではなかったが、  JRバス停は不親切な印象。自分は車窓から見える静岡営業所の建屋を見学した。  あとで気づいたのだが、営業所の裏にJRバス車庫があったようだ。残念。 13.しずてつジャストライン 中原池ヶ谷線 静岡IC入口→新静岡御幸町 ・以下の経路であった。  静岡IC入口[乗降]、南阿倍3を右、馬渕3を左、ガード手前を右、左、常磐町2を右、  国道1号、静岡駅前[乗降]、左、新静岡御幸町[乗降]  http://apps.justline.co.jp/rosen.new/sizusimi08.html ・横断歩道が静岡ICの南側、バス停が静岡ICの北側と、乗換にはやや不便である。  しかし、バス本数は比較的多く、特急静岡相良線の単距離利用もできたようだ。 ・高速バス経路と同じと思っていたが、経路が異なっていた。新静岡もバスターミ  ナルには入らない。 14.JR東海バス 東名高速線急行便 東名静岡→東名向ヶ丘 ・以下の経路であった。   静岡駅北口[乗13]、構内出て左、国道1号、常磐町2を直進、南阿倍を左、   南阿倍3を直進、静岡IC、東名道、東名静岡[乗降2]、東名日本平[乗降]、   東名清水[乗降]、東名興津[乗降]、東名蒲原[乗降]、東名富士川[乗降]、   東名松岡[乗降]、東名富士[乗降]、東名中里[乗降]、愛鷹PA[休憩]、   東名愛鷹[乗降]、東名沼津[乗降]、東名裾野[乗降]、東名御殿場[乗降]、   東名足柄[乗降]、東名小山[乗降]、東名山北[乗降]、東名松田[乗降]、   東名大井[乗降]、東名秦野[乗降]、東名伊勢原[乗降]、東名厚木[乗降]、   東名綾瀬[乗降]、東名大和[乗降]、東名江田[乗降]、東名向ヶ丘[乗降] ・この区間は各駅停車は、東名横浜や東名厚木がIC外にあった時代に体験済だが、  眠らないようにした。蒲原付近の右富士、東名原の跡地を堪能したが、撮影は  うまくできなかった。 ・伊勢原バス停付近から渋滞になり、いつもの事と思ったが、海老名市内に入って  停まってしまった。原因は大和TN手前の玉突き事故で、この区間を過ぎたら、  スムーズに流れだした。約90分延であったが、後続のバスはもっと遅れたようだ。 ・渋滞で遅延しているので、希望すれば用賀PAで降車できるのかな?とも思ったが  JR東海バスの時刻表にも記載がなく、遅延は発生しているが、首都高速が渋滞し  ているわけでもない。希望して降車を断られるのもカッコ悪いので、予定通り  東名向ヶ丘で降車する事にした。このあたりのルールは、どこかに書いておいて  ほしいと思った。渋滞の有無にかかわらず、降車のみのバス停にしてはどうか。 ・東名向ヶ丘から、東名向丘入口バス停に歩き、川崎市バス 溝15で、溝口駅南口  に出た。歩く距離もそんなに離れてなく、頻発しているので、利用価値あり。
2014 年 12 月 17 日 05:51:16 (14846) 各駅倉庫さんの書き込み ふもふも館長様,皆様,お早ようございます。「野幌駅北口」の現地停留所を確認 しましたので,  http://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/uploaded/image/5143.jpg の画像でご紹介します。「駅北広場」と表示されている箇所をご覧下さい。 「駅北広場」の「場」と書かれている場所の右横付近にはジェイ・アール北海道バスの   のりば1 江別駅・ゆめみ野方面 の停留所が,「駅」と書かれている場所から南の方向にはジェイ・アール北海道バスの   のりば2 新札幌・北広島方面 の停留所がそれぞれありました(駅舎正面はタクシーのりば)。 「駅北広場」の「駅」と書かれている場所から西の方向には北海道中央バスの   のりば3 市立病院・あけぼの方面 の停留所が,駅北広場の出口付近には北海道中央バスの   のりば4 大麻駅前・大麻西町方面 の停留所がそれぞれありました。 なお,ジェイ・アール北海道バスの旧「野幌駅」標柱は鉄西通沿い・野幌駅前郵便 局付近(降車場)共に撤去済み,野幌駅前郵便局付近にあった北海道中央バスの 「野幌駅前」標柱はポール式に交換され移設掲示が取り付けてありました。 また鉄西通のうち駅北広場より高砂方向の部分は新たな道路に切替済みでしたが, 駅北広場〜8丁目通間はまだ切替前でやや南方向にずれています。T字路付近にあった 斜めにショートカットしている区間は廃道となっていました。
2014 年 12 月 14 日 01:13:25 (14845) ふもふも館長さんの書き込み JR北海道バスの12/1ダイヤ改正をまとめます http://www.jrhokkaidobus.com/pdf/20141126dia.pdf 札樽線(No.4) ていね山線 ・2014.3.30(日)限で千尺スキー場前、研修センター前を廃止  →ホームページでは、施設の再開が見込めないことから、11/30で廃止との事 空知線(No.9) 米里線 ・「菊7-1 菊水駅前〜白陵高校前(冬期のみ)」の記載なし  →2014.3.31(月)限で、菊水4条2→(豊平1-1)→菊水駅前を廃止か?   平日 白陵高校前発 朝7時台の3便のみの運行だった 空知線(No.10) 江別線・大麻団地線 ・12/1より、野幌駅から野幌駅北口に名称を変更し、駅前広場内へ移設  http://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/uploaded/image/5143.jpg  https://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/uploaded/attachment/10837.pdf ・野幌駅を終着とする便は、野幌公民館・野幌駅通→(中央バスの野幌駅通/イオン  前)→野幌駅/降車専用バス停と迂回していたが、迂回中止となった模様。結果、  イオン前を含む国道12号区間が廃止となったようだ。また、区画整理のため、  将来、野幌駅北口〜野幌七丁目の経路もわずかではあるが経路変更されると  推測する。       Λ大麻       |       ○野幌公民館  廃止区間  札幌   |  イオン前  ↓   野幌七丁目  江別  <−−○−+====☆======+−−○−−−−−>   野幌駅通|          /       |     降車専用+        |        ●‖       |   野幌駅 / ‖←予定道路       +−−+−●−+−−+−       |  ‖   ‖  |          ・=◎=・          野幌駅北口 空知線(No.11) ・タイトルから「新12 中央通 (もみじ台団地発1便のみ)」が削除された  但し、平日 もみじ台団地 722発 新札幌駅・中央通経由 厚別営業所行 は存続
2014 年 12 月 13 日 19:10:47 (14844) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 相馬海岸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇相馬海岸線    相馬−相馬今泉    中村大町−岩ノ子    築港道−松川浦    松川港−原釜 1.2 路線略図                            ○相馬今泉                 |                 |                 ○原釜  磐城角田<−◎相馬     /|        |      / |    中村大町○−−○−−○−−○−○松川浦        | 下り松 築港 松川        |     道  港     南飯淵○        |        |     岩ノ子○ ※相馬海岸線原釜〜相馬今泉は、当時、長期休止中。 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・相馬海岸線は、1935(S10)年に白中線白石〜磐城角田〜磐城大内〜中村(→相  馬)〜原釜の一部として、相馬〜原釜が開業したのがルーツで、沿線地方の  産業文化の発展助長を使命としていた。沿線は県立公園松川浦にあって、海  水浴・潮干狩り・魚釣り等の行楽に適し、美しい風光を誇っていた。 ・相馬海岸線は、1962(S37).10.1に白中線から分離した。 ・1984(S59).4.1から経路変更による循環運転に伴って築港道〜原釜(旧経路)  原釜〜相馬今泉は長期休止中であったが、後者は国鉄最後の日の1987(S62).  3.31限りで廃止された。 ・1985(S60)年8月現在ダイヤでは、相馬海岸線は、相馬→下り松→松川浦→原  釜→下り松→相馬という循環運転を行っていたが、相馬発0620〜1920の間に  20回設定されていた(所要35分)。 ・1986(S61)年7月改正ダイヤでも、同じく相馬発0620〜1920の間に20回設定さ  れていた(所要35分)。また、このダイヤでは相馬〜岩ノ子が3往復(所要  15分)設定されていた。 ※補足 ・相馬海岸線は、1951(S26)年〜1973(S48)年の間、相馬今泉の先、大戸浜を経て  常磐線新地駅まで運行されていた。 2.2 旅から30年 ・上記以外の区間は国鉄民営化を経て、JRバス東北が継承したが、中村大町  〜岩ノ子は1990(H2)年に廃止されたが、その後、1994(H6)年頃に下り松〜相  馬火力発電所前が運行された。相馬海岸線は、1999(H11)年に角田営業所の  廃止に伴って全廃された。
2014 年 12 月 13 日 19:09:43 (14843) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 小斉線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇小斉線   小斉本線    東町−小斉口   坂元線    三月殿−坂元   山下線    山下−東街道 1.2 路線略図   磐城角田     Λ     |    三月殿   東町○−−−−−○−−○−−−○−−−◎坂元     |     |  河原  館下     V     |    丸森町    ○小斉           |        小斉口|    丸森町<−○−・      ○−−−◎山下         |       東街道         V        金山町            ※坂元線河原〜坂元、山下線全線は、当時、長期休止中。 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・小斉線は、1951(S26)年に白中本線の一部として、東町〜三月殿〜金山町が開  業したのがルーツで、沿線地方の産業文化の発展助成を使命としていた。常磐  線と東北本線に囲まれた山間町村を走行しており、角田線とともに地域の住民  の重要な足となっていた。 ・小斉線は、1962(S37).10.1に白中線から分離された。 ・1984(S59).4.1から坂元線の河原〜坂元と山下線全線は長期休止中であったが、  国鉄最後の日の1987(S62).3.31限りで廃止された。 ・1981(S56)年1月時点の国鉄バス磐城角田駅発車時刻表から、小斉線関係の発車  時刻を抜粋すると次の通りであった。    坂元 0556  坂元 1545    金山町0714  丸森町1615    丸森町0800  三月殿1730(日祝運休)    金山町1027  金山町1805     同 1250  三月殿1858     同 1423 ・1985(S60)年3月改正ダイヤでは、小斉線系統の運行回数は、磐城角田〜金山町  が下5上4、磐城角田〜丸森町・丸森が下2上3、角田・磐城角田〜河原が4往  復とそれぞれ設定されていた。 ・国鉄丸森線の阿武隈急行線への転換、列車増発に伴う1986(S61)年7月改正ダイ  ヤでは、小斉線では、磐城角田〜金山町が6往復、磐城角田〜河原が3往復設定  されていた。 ※補足 ・小斉線は1962(S37)年の時点で、小斉本線の他、坂元線三月殿〜坂元、小斉峠〜  磐城田辺(角田線に接続)、山下線河原〜東街道〜山下〜笠野といった路線が  展開されていた。これらの区間のうち、小斉峠〜磐城田辺、河原〜東街道、山下  〜笠野は1973(S48)年に廃止された。これによって、山下線は他の自動車路線と  つながらない、落下傘路線となった。 2.2 旅から30年 ・東町〜三月殿〜小斉口と三月殿〜河原はJRバス東北に継承されたが、1994  (H6)年までに三月殿〜河原が廃止(自治体バス化)され、その後、三月殿〜小  斉口も廃止された。自治体バスとして最後まで残った東町〜三月殿〜河原も、  角田営業所の廃止に伴って1999(H11)年に廃止された。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.7号 10.東北編(上) 50日目 8/8(木) (2) 単行本 ・50日目 p233〜235 3.2 乗車券の経由欄 ・「小斉口、小斉線、三月殿、東町」 3.3 行程 ◇小斉口1114→1142磐城角田 小斉本線(三月殿・東町経由) 331-2072                  (いすゞK-CDM410) 金山町発 磐城角田行 3.4 エピソード ・丸森線を降りて詩的なキャッチフレーズに見とれていなければ、2分接続で0845  の角田行きに乗れ、きっぷ通りの大回りコースを走ってくれたはずだった。 ・小斉口から小さな峠を越えて田園地帯に入ると、バスの車内までセミの鳴き声が  降ってくる。 3.5 旅の考察 ・1985(S60)年3月改正ダイヤの小斉口の発車時刻表(小斉・磐城角田方面)は、  次の通りであった。    磐城角田0712(丸森町始発) 磐城角田1515     同上 0923(丸森町始発)  同上 1736(丸森町始発)     同上 1113         同上 1850     同上 1323 ・このダイヤによると、丸森0845発の小斉経由角田行きに乗った場合、0950頃まで  には磐城角田に到着しこの区間をクリアできたことになる。
2014 年 12 月 13 日 19:08:11 (14842) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 軽米線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇軽米線   軽米本線    金田一−久慈    久慈湊−京ノ森−久慈   湯田線    金田一−矢沢口   夏井線    夏井橋−陸中川代 1.2 路線略図        ・−−・        |  |     金田一|  ○金田一温泉プール前   (→金田一◎  |     温泉)|  ○金田一温泉(→金田一 種市・八戸        |  |温泉郷)        Λ        |  |  観音林 陸中大野  |     九戸通○−−○−−−○−−−○−−−−○夏井板橋        |  |陸奥          |        |  |矢沢  陸中川代○−−−○夏井橋     矢沢口○+−○−○仁左平       |        ||仁左平入口         ◎陸中夏井        |・−○県立病院        |    田子<−○堀野           ・−○久慈湊        |             | |        V          京ノ森○ |       北福岡            | |      (→二戸)       葛巻<−+−+−◎久慈                        |                        V                       野田・普代 ※軽米本線久慈湊〜京ノ森、湯田線金田一温泉〜陸奥矢沢〜仁左平入口は、  当時、長期休止中の模様。 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・軽米線は、1943(S18)年に久慈〜小軽米〜軽米〜九戸通が貨物営業を開始した  のがルーツであり、戦後、1947(S22)年に九戸通〜陸中大野が軽米西線として、  陸中大野〜久慈が軽米東線として旅客を含む一般営業を開始した。同線は東  北本線金田一駅と八戸線との短絡を使命としていた。 ・当初、軽米西線は二戸線の支線、軽米東線は沼宮内東線の支線であったが、  1957(S32)年に軽米線として独立した。 ・当時、軽米と陸中大野に自動車駅が存在した。また、湯田線の金田一温泉(  →金田一温泉郷)〜陸奥矢沢〜仁左平入口口と、軽米本線の久慈湊から京ノ森  〜久慈は長期休止中であった模様である。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、北福岡〜軽米が下7本・上5本、北福岡  〜小玉川が下1本・上3本、軽米〜久慈が下2本・上3本、観音林→久慈が  下1本と、それぞれ設定されていた。 ・1986(S61)年3月改正ダイヤでは、北福岡〜久慈が1往復、北福岡〜小玉川が  下1本・上3本、北福岡〜軽米が下6本・上5本、観音林〜軽米が1往復、  軽米新町→小玉川が下2本、軽米新町〜久慈が2往復と、それぞれ設定されて  いた。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、軽米本線では県立青  少年の家前〜スケート場入口が、湯田線では仁左平入口〜仁左平、矢沢口〜  県立病院が認知された。このうち、仁左平入口〜仁左平は1983(S58)年11月の  北福岡自営管内路線図で既に描かれている。 ※補足 軽米線の運行状況の推移 ・1948(S23)年2月現在ダイヤでは、陸中大野で金田一・軽米方面からの便と  久慈方面からの便が連絡するダイヤとなっており、金田一〜陸中大野4往復、  軽米〜陸中大野1往復、陸中大野〜久慈4往復が設定されていた。この他、  区間便として、金田一〜軽米1往復、陸中夏井〜久慈5往復が設定されていた。     軽米0530→0552陸中大野0720→0905久慈 201便〜21便    金田一0650→0947    1005→1150   203便〜23便       0950→1302    1330→1515   205便〜25便       1335→1702    1720→1905   207便〜27便    久慈0612→0807陸中大野0830→1124金田一 22便〜204便      0947→1142    1200→1514    24便〜206便      1257→1452    1510→1809    26便〜208便      1612→1807    1830→1852    28便〜210便 ・1955(S30)年5月改正ダイヤでは、金田一〜久慈(川貫)2往復、軽米〜久慈  (川貫)2往復、金田一〜大野1往復、金田一〜小軽米1往復、金田一→軽米  1便、川代〜久慈・川貫3往復が設定されているのが確認できる。うち、  金田一・軽米〜久慈系統のダイヤは次の通りであった。          軽米0600→大野0659→0821久慈→0828川貫    金田一0705→  0814→  0915→1035  →1042            1215→  1316→1436  →1443       1505→  1619→  1726→1846  →1851    川貫0645→久慈0655→大野0835→0942軽米→1055金田一      1000→  1012→  1134→1233      1410→  1422→  1544→1645  →1756      1700→  1712→  1834→1933 ・1967(S42)年7月現在ダイヤでは、北福岡〜久慈が4往復、北福岡〜陸中大野が  1往復、北福岡〜軽米が3往復、軽米〜久慈が1往復、それぞれ設定されていた  のが確認できる。このうち、金田一〜久慈系統のダイヤは次の通りであった。    北福岡0635→1026久慈  久慈0705→1034北福岡       1000→1321      0900→1230       1330→1701      1145→1506       1530→1858      1530→1854 ・1973(S48)年から旅客の利用傾向に合わせた観光直通ルート新設の一環として、  十和田湖と陸中海岸の観光直通便が新設された。1976(S51)年ダイヤでは、北山崎  〜休屋(→十和田湖)に「十和田陸中号」が7/20〜10/17の間、1往復設定されて  いた。「十和田陸中号」は金田一〜久慈で軽米線を経由していた。「国鉄監修」  時刻表の軽米線の欄では観音林、小軽米が通過と表示されており、軽米線内は  急行運転を行った模様である。ダイヤは次の通り。    休屋0810→金田一1014→軽米1052→陸中大野1120→久慈1300→1426北山崎    北山崎1020→久慈1240→陸中大野1320→軽米1348→金田一1424→1628休屋 2.2 旅から30年 ・軽米線は、国鉄民営化を経て、長期休止区間を含めてJRバス東北に継承され  た。1988(S63)年〜1990(H2)年の間には八戸自動車道の開通を受けて二戸〜軽米  の高速便が運行された。1996(H8)年に夏井線が廃止(自治体バス化(〜2005(H1  7)年))された。1998(H10)年には金田一温泉〜温泉センター〜陸奥矢沢等が、  2000(H12)年には久慈病院の移転に伴う久慈市内の新線が開業した。2005(H17)  年に軽米病院〜陸中大野が廃止されて軽米線は分断されたが、陸中大野〜久慈  は2008(H20)年に廃止された。 ・2015(H27)年現在、JRバス東北が二戸方面から金田一〜軽米病院及び湯田線を  運行している。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.7号 10.東北編(上) 55日目 8/13(火) ・連載誌のみ 金田一駅の写真 (2) 単行本 ・55日目 p255〜257 3.2 乗車券の経由欄 ・「金田一、軽米線、金田一温泉、軽米、陸中夏井」 3.3 行程 ◇金田一温泉0855→0905金田一 湯田・盛岡金田一急行線 521-5005 金田一温泉発   北福岡行 ◇金田一0912→1000軽米 軽米本線 531-1007(いすゞK-CLM500) 北福岡発 軽米行 ◇軽米1231→1354久慈 軽米本線 537-5001(日野RE100)軽米発 久慈行 3.4 エピソード ・金田一温泉から湯田線で陸奥矢沢に出る路線はないということで、金田一行き  と軽米行きを乗り継ぐ。陸奥矢沢までは運休区間かもしれない。 ・国道395号でゆるやかな猿越峠を越えた、盆地のように開けている軽米は大きな  街で歩行者も多い。軽米の中心部は直角のカーブが多い、宿場町とのこと。 ・2分停車の陸中大野の町も鍵型道路で、軽米と違って人影は少ない。 ・夏井駅前の次が鉄道と同名駅かと思っていたら駅には寄らない。陸中夏井は本線  上になければ少々おかしいが、バス路線が理屈どおりにゆかないのには慣れっこ  になった。 3.5 旅の考察 ・1983(S58)年11月の北福岡自営管内路線図では、夏井駅前の他に八戸線陸中夏井駅  にも北福岡からの営業キロが記載されており、両者の間は0.1kmであることが分か  るが、両者の間は路線で結ばれていない。 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の軽米線の部には、久慈湊〜京ノ森  〜久慈、金田一温泉〜陸奥矢沢〜矢沢口の運賃が載っておらず、両区間は長期休  止中であったものと解される(後者については上記の北福岡自営管内路線図では  描かれている)。また、運賃表には載っていないが、矢沢口〜仁左平入口〜仁左  平は、当時既に営業されていたものと思われる。
2014 年 12 月 13 日 13:01:08 (14841) 政宗3号さんの書き込み こんにちは。 館長さんの修正されたフォーマットで、古川線の部を加筆修正します。 −−− 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 古川線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇古川線   古川本線    一ノ関−大沢田−金成反町−沢辺−陸前城生野−留場−築館町−陸前神田−     八沢−陸前高清水−陸前羽黒−陸前荒谷−竹ノ花−後田−江合−古川十日     町−祇園社前−陸前三本木−大衡農協前−吉岡町−仙台    大沢田−有壁    金成反町−金成−沢辺(旧国道)    陸前城生野−陸前宮野−留場(旧国道)    陸前神田−八沢(旧国道)    陸前羽黒−竹ノ花    後田−江合(旧国道)    古川十日町−三日町−祇園社前    古川十日町−古川    大衡農協前−吉岡   石越線    築館町−石越 1.2 路線略図                  栄町団地              西新井 ○        吉岡     入口/|三日町        陸前荒谷 陸前        ○−+ 陸前  ○ +−○+古川 +−+ +−○−+ 高清  仙台      | 三本木 | |  |十日町| | |   | 水   ◎−−○−−○−○−−○−−○−○−−○−+−○−○−○−−−○−○−*    七北 吉岡 大衡   沖稲 祇園 | | 江 後 竹ノ 陸前    田  町  農協前  葉  社前 | | 合 田 花  羽黒                   ・−+−○                   |  合同庁舎前                   ◎古川    陸前  照越       陸前宮野    高清 +○−+     +−○−+      金成    水  |  | 築館町 |   |      反町 大沢田  *−○−−○−−○−−○−−○−−−○−−○−+○−○−−○−−◎      八沢 陸前  |  留場 陸前 沢辺 |金成|  | 一ノ関         神田  |     城生野   +−−+  ○             ◎石越               有壁 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・古川線は、1942(S17)年に、一ノ関〜吉岡が開業したのがルーツで、1951(S26)年  に仙台まで延長された。一ノ関〜古川〜仙台間の鉄道短絡線、往時の街道筋の地  方交通・産業開発を使命としていた。 ・金成、築館町、陸前高清水、陸前三本木、仙台(西口バスプール)に自動車駅(  バス切符売場)があったが、国鉄民営化以後に廃止された。一部の建物は現存し  ている。また、沢辺は栗原電鉄(当時)駅窓口でバスの切符を販売していた。 ・1985(S60)年8月現在ダイヤで古川線急行便(仙台〜古川・築館町・一ノ関)は、  共通乗車の宮城交通を含めて16往復運行されていたが、国鉄バスは次の7往復で  あった。    仙台0700→古川    古川0700→仙台    仙台0850→古川    古川0730→仙台    仙台0950→古川    古川0905→仙台    仙台1250→築館町  一ノ関0908→仙台    仙台1450→古川   一ノ関0958→仙台    仙台1520→一ノ関   古川1330→仙台    仙台1650→一ノ関  築館町1615→仙台 ・当時、古川以北の普通便は、古川〜一ノ関が下3上4、古川〜築館町が下11上14、  築館町〜一ノ関が下5上3とそれぞれ設定されていた。また、古川以南の普通便  は、吉岡〜古川が6往復、座付〜古川が1往復(土休日学休運休)、混内山〜古  川が下14上13とそれぞれ設定されていた。 2.2 旅から30年 ・当時、石越線は長期休止中であったが、1990(H2)年に東北新幹線くりこま高原駅  が開業すると一部区間を再開し同駅に乗り入れていた時期がある。 ・1999(H11)年に一ノ関〜留場が廃止され、2002(H14)年に大衡農協前〜仙台、2004  (H16)年に古川〜吉岡ほかが廃止され、2005(H17)年に最後まで残った栗原中央病  院〜留場〜築館町〜古川が廃止された。 ・H27.6.1現在、古川〜仙台間急行バスの後身である、仙台〜古川間高速バス(東北  自動車道経由)がJRバス東北によって運行されている。 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.7号 10.東北編(上) 50〜51日目 8/8(木)〜8/9(金) ・連載誌のみ 仙台駅七夕最終日の写真、東日本急行の解説 (2) 単行本 ・50〜51日目 p235〜240 3.2 乗車券の経由欄 ・「仙台、古川線、祇園社前、古川十日町、沢辺、大沢田、有壁」 3.3 行程 ・仙台1720頃→1735頃県庁・市役所前 東日本急行バス ・県庁・市役所前1812→1930頃古川十日町 宮城交通バス ◇祇園社前738→755古川 古川本線 537-9006(日野RE101) 吉岡発 古川行                           三日町・古川十日町経由 ◇古川828→924築館町 古川本線 521-5006(いすゞBU10) 古川発 築館町行                               古川十日町経由 ◇築館町1030→1113有壁 古川本線 531-8008(いすゞBU10) 古川発 一ノ関行 ・有壁→大沢田→有壁 タクシ― 3.4 エピソード ・七夕で混雑の仙台から高速道特急に乗るが、築館まで停まらないとの案内に県庁  ・市役所前で下車(誤乗扱いで運賃は請求されなかった)。宮城交通との共通乗  車は共通区間内相互発着か鉄道区間内発共通区間内着の乗車券類に限られるため  断念して、会社線代行とする。 ・祇園社前では十日町南経由古川行の後に三日町経由古川行が続行しうっかりする  と乗り違えるところ。 ・有壁へは大沢田の手前から直行したため、タクシー代行で大沢田に立つ。 3.5 旅の考察 ・乗車券の経由欄には「祇園社前、古川十日町」とあるが、この区間は第1区間(  一ノ関〜仙台)の一部(自動車線普通旅客運賃表に記載はないが十日町南経由。  1.7km)と第8区間(古川十日町〜三日町〜祇園社前。2.1km)の2つのルートが  ある。このため、この区間に係る経由欄は「祇園社前、三日町、古川十日町」と  すべきであったと思われる。 ・当時、古川市内には沖稲葉〜三日町間の迂回線の南町団地(→栄町団地)経由、  古川〜工業高校前間を直行する経路があったが、路線名称、自動車線普通旅客運  賃表にも載っておらず、把握されていなかった。 ・当時の仙台〜古川の急行便は祇園社前〜十日町南〜古川台町〜古川という経路を  通り古川本線の支線(古川十日町〜古川)との分岐駅である古川十日町には停車  しない。この場合、十日町南と古川十日町を同一駅として扱っていたのか、仙台  〜古川急行便から古川十日町以北(築館町方面)の駅に乗り継ぐ場合、十日町南  〜古川台町〜古川十日町の飛び出し乗車を認める扱いだったのか、はっきりしな  い。また、当時は、三日町経由の吉岡・混内山〜古川の普通便も古川十日町には  停車していないので、同様の問題があったと思われる。            築館町             Λ             |        古川十日町○ 古川台町             |     三日町<−○−−+−−○−>古川         七日町 |             ○十日町南             |             V            祇園社前
2014 年 12 月 13 日 12:09:56 (14840) ふもふも館長さんの書き込み 12/18より、福岡〜鹿児島の高速バス「桜島号」の休憩箇所が、宮原SA(10分)から 北熊本SA(15分)、えびのPA(15分)に変更され、それに伴い到着時間が変更になる。 http://www.jrkbus.co.jp/pdf/20141210sakurajima.pdf 所要時間が20分も延びることになるが、急ぐ人は新幹線だろうから、休憩時間が 増える方が喜ばれると考えたのかも。自分も休憩時間、たっぷりの方が歓迎ですね!
2014 年 12 月 13 日 10:49:23 (14839) ふもふも館長さんの書き込み いままで国鉄バスの地方自動車局については、あまり興味がありませんでしたが、 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録が進行するにつれ、興味が出てきました。 まとめてみましたので、ご確認お願いします。 1.国鉄末期の組織変更 ※『国鉄バス路線図集』「国鉄自動車最後の8年間の変遷」を参考にしました 1984(S59).3.10 ・四国地方自動車部→四国総局自動車管理室 1985(S60).3.20 ・信越地自廃止→十和田南自営、象潟自営は東北地自、小諸自営は関東地自 ・路線名称の順序変更(信越地自) 1986(S61).12.11 ・路線名称の順序変更(長野原、小諸、伊那、下諏訪、穴水、中津川、名神、四国) 1987(S62).3.1 ・伊那自営、下諏訪自営は中部地自から関東地自へ ・近江今津自営、金沢自営、穴水自営は中部地自から近畿地自へ 1987(S62).4.1 ・JR発足 2.地方自動車局の変遷 (1) 北海道地方自動車部  <札幌・厚別・滝川・伊達・様似・帯広・美瑛・厚岸>   →北海道旅客鉄道 自動車事業部   →ジェイ・アール北海道バス  <小樽・手稲・琴似・札幌・厚別・長沼・深川・様似> (2) 東北地方自動車部  <大湊・青森・北福岡・沼宮内・久慈・岩泉・遠野・一ノ関・古川・仙台・角田   ・福島>   →十和田南自営、象潟自営を移管   →東日本旅客鉄道 東北自動車事業部   →ジェイアールバス東北  <青森・大湊・盛岡・二戸・秋田・仙台・古川・白沢・七北田・福島> (3) 信越地方自動車部  <十和田南・象潟・小諸>   →廃止 (4) 関東地方自動車局  <西那須野・棚倉・烏山・宇都宮・土浦・長野原・八日市場・館山・水戸・東京>   →小諸自営、伊那自営、下諏訪自営を移管   →東日本旅客鉄道 関東自動車事業部   →ジェイアールバス関東  <白河・いわき・西那須野・宇都宮・佐野・水戸・土浦・八日市場・館山・東京   ・長野原・小諸・中央道> (5) 中部地方自動車局  <静岡・新居町・瀬戸・遠江二俣・美濃白鳥・大野・金沢・近江今津・穴水・伊那   ・下諏訪・名古屋>   →東海旅客鉄道 自動車事業部   →ジェイアール東海バス  <名古屋・静岡> (6) 近畿地方自動車局  <京都・水口・加茂・紀伊田辺・福知山・篠山>   →近江今津自営、金沢自営、穴水自営を移管   →西日本旅客鉄道 近畿地方自動車事業部   →西日本ジェイアールバス  <金沢・近江今津・京都・梅津・京丹波・大阪高速・大阪北・神戸> (7) 四国地方自動車部  <観音寺・川之江・松山・佐川・伊予大洲・鍛冶屋原・土佐山田・窪川>   →四国総局自動車管理室   →四国旅客鉄道 自動車事業部   →ジェイアール四国バス  <高松・観音寺・松山・徳島・高知> (8) 中国地方自動車局  <岡山・出雲・海田市・黒瀬・広島・岩国・光・山口・秋吉・川本・大島>   →西日本旅客鉄道 中国地方自動車事業部   →中国ジェイアールバス  <岡山・島根・浜田・東広島・広島・山口・周防> (9) 九州地方自動車部  <直方・山鹿・鹿児島・山川・嬉野・臼杵・宮崎・都城・妻>   →九州旅客鉄道 自動車事業部   →ジェイアール九州バス   →JR九州バス  <博多・福岡中部・嬉野・鹿児島・宮崎> 3.地方自動車局の分界 (1) 東北地自(青森自営・北福岡自営)と信越地自(十和田南自営)   ・神田川、十和田郵便局前、十和田湖は、信越地自の所管。   ・田子は、東北地自の所管。   ・十和田北線は神田川に停車せず。   →「十和田南線路線略図」S53.11.1 から、そのように読み取れる。   ※十和田南自営の東北地自移管で分界は消滅。 (2) 信越地自(小諸自営)と関東地自(長野原自営)   ・上田は共管。 →根拠なし   ※小諸自営の関東地自移管で分界は消滅。 (3) 信越地自(小諸自営)と中部地自(下諏訪自営)   ・上和田は、中部地自の所管。茶臼山下、西白樺湖は、信越地自の所管。   →「白樺高原線路線略図」S63.10.28 から、そのように読み取れる。   ※小諸自営と下諏訪自営の関東地自移管で分界は消滅。 (4) 関東地自(東京自営)と中部地自(静岡自営・名古屋自営)   ・東京起点 143.1km地点(=東名富士川)が分界で、東名松岡は、関東地自の所    管、東名富士川は、中部地自の所管。   →『国鉄バス路線図集』資料9に明記   ※静岡自営と名古屋自営の分界は、東名磐田とする路線図もあった。 (5) 中部地自(名古屋自営)と近畿地自(京都自営)   ・名古屋起点 53.6km地点(=県境?)が分界で、名神関ヶ原は、中部地自の所管、    山東は、近畿地自の所管。   →『国鉄バス路線図集』資料9に明記 (6) 中部地自(美濃白鳥自営)と近畿地自(金沢自営)   ・名古屋起点 182.7km地点(=県境?)が分界で、成出は、中部地自の所管、成出    以北は、近畿地自の所管。   →『国鉄バス路線図集』資料9に明記   ・当時、自動車線普通旅客運賃表に岐阜県側の成出は無く、石川県側の西赤尾    を基準とすべきではなかったか。 (7) 中部地自(近江今津自営)と近畿地自(京都自営)   ・堀越峠は共管。 →根拠なし   ※近江今津自営の近畿地自移管で分界は消滅。 --- 中国高速線については、近畿地自(京都自営)と中国地自(岡山自営)の分界がありそ うに思ったが、分界を示す資料を見つけられなかった。 美伯線を運行していた頃は、岡山自営津山支所に、京都自営の中国高速線の車両も 停泊していたと推測する。『国鉄中国自動車30年史』S55頃 によると(自)津山は、 高速線に限った第1種業務委託駅だったようだ。 美伯線休止時に、(自)津山と津山支所は、近畿地自に移管された可能性が高いが、 休止という事であれば、所管は中国地自のまま、近畿地自に貸し出されていた可能 性も否定できない。JR発足後に美伯線が廃止されるが、移管はJR発足時かも?
2014 年 12 月 11 日 23:55:57 (14838) ふもふも館長さんの書き込み フォーマットを少し変更してみました。 --- 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 中国高速線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇中国高速線    大阪−新大阪−千里ニュータウン−津山インター−落合インター    津山インター−津山 1.2 路線略図                     西脇●       少路駅  落合   津山   山崎         ・   宝塚  柴原駅  東京  インター インター インター 北条    ・東条 インター ●  名古屋   ○−−−−○−−−−○−−●−○−+−−+−○−−−○−−+−+−−−>        |      加西SA  ・             |   津山車庫 |           ・     千里ニュータウン○     ●・・◎津山      北条町●             |               (アスティアかさい)          +                                  |\新大阪                                  | ◎                                  |/                                  +                                  ◎大阪 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・中国高速線は、1975(S50)年に大阪〜落合インター、津山インター〜津山として  開業したのがルーツ。姫新線の補完を使命としていた。神姫バスと共同運行。 ・当時、(自)大阪、(自)津山に自動車駅があった。 ・S61.6頃の中国ハイウェイバス時刻表によると、国鉄バスの系統は以下の通り。  ◇急行 大阪〜落合インター 2往復 (神姫 なし)  ◇特急 大阪〜津山 2往復 (神姫 2往復)  ◇急行 大阪〜津山 8往復 (神姫 10往復) 2.2 旅から30年 ・その後、西脇、北条町、津山車庫、USJへの延伸と、津山インター〜落合インター、  津山〜津山車庫の廃止、北条町系統からJRバスの撤退があった。 ・中国高速線の派生路線として、津山エクスプレス京都号・神戸号が新設された。 ・現在も、引き続き西日本JRバスが運行している。 ・H26.7頃の津山方面時刻表によると、JRバスの系統は以下の通り。  ◇超特急 大阪〜津山 1往復(土休日運転)  ◇特急 大阪〜津山 6往復(内、USJ・大阪〜津山 1往復)  ◇快速急行 大阪〜津山 7本/4本  ◇急行 大阪〜津山 0本/3本(内、津山→大阪・USJ 1本)  ◇急行 大阪〜西脇営業所 6往復(内、USJ・大阪〜西脇営業所 1往復) 3. 最長片道きっぷの旅 3.1 掲載 (1) 連載誌 ・S61.2号 5.中国編(下) 18日目 6/18(火) ・連載誌のみ 744-0922の解説、(自)津山の写真、急行バスの写真、称号の解説 (2) 単行本 ・18日目 p103〜107 3.2 乗車券の経由欄 ・「津山、中国高速線、千里ニュータウン」 3.3 行程 ◇津山1830→2147大阪 中国高速線 急行 320便 744-0922(三菱MS504Q) 3.4 エピソード ・乗車便の指定を受けるため、乗車券と経由別紙を差し出す。何か書き込む様子に  経由別紙にと所望したところ「乗車便は乗車券に指定する。別紙は乗車券ではな  いのでダメ。」と、乗車券の裏に、6/18と手書きし、18:30のスタンプが押された。 ・大阪ゆき急行最終便は16名乗車。加西SAで5分休憩。北条〜大阪は禁煙区間と放送  が入る。北条から30名乗り、満員に。 ・大阪駅まで乗り越した。千里ニュータウン〜大阪駅の区間乗車は出来ないので、  運賃を貰いようがないと運転手。津山〜大阪と千里までの差額150円を払った。 3.5 旅の考察 ・経由別紙は乗車券ではないと言い張った日交観職員の論理は正しいか? ・乗り越しで、区間乗車が出来ない区間の運賃を収受する必要がある場合、運賃計  算の正しい方法は?
2014 年 12 月 07 日 17:40:40 (14837) ふもふも館長さんの書き込み 古川駅周辺の国鉄バス/JRバス路線図を作ってみました。 急行便は、下図※1を通っていたようです。※自分自身は未確認 現在運行中の仙台〜古川、東京〜古川(ドリームササニシキ号)は、ニチイ前を通って いるように思うのですが、その理解で正しいでしょうか。 謎の栄町経由は、実態がわかりませんが、路線図を見ると、停留所の名称がコロコロ 変わっているように見えます。同じ場所を指していると思うのですが... その他、間違い等ありましたら、ご指摘ください。             築館町・一ノ関       盛岡・新青森                Λ            Λ                |            §                ○江合団地入口      §                |            §                |            §                +←※2         §         古川工業高校前○\           §                | \          §                |  ○市民会館前    §                |   \        §                |    \  営業所前 §   仙台 古川警察署前    |     +==○   §   <===○========+     |      §新                |合同庁舎前○      §幹           古川十日町○     |※1    §線                |     |↓     §          ・−−○−−+−○−−−+−+−−−−§・          | 七日町 |古川台町 | |    §|駅          |     |     | |    ■|南          | 十日町南○     | |    ■|経          |     | 駅前大通| +→→降 古|由       三日町○    十| 一丁目 ○ ↑ +普+川|          |    日|(ニチイ前)| ↑ +←+駅|   鳴子・新庄  |    町|     ・−+−+急 ■|   陸羽東線   <〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜南|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■■■|■〜〜>小牛田      古川南町○    経|            ■|          |    由|    駅南経由    ■|    南町団地入口|七    +−−−−−−−−−−−−§○古川駅南    (←団地入口)|日    ○古川高校前       § (古川駅南口)    (←栄町入口)○町    |            §    ・−−○−−+経    ・            §    |栄町団地 |由   /             §    |(←栄町) |   /              §   栄|(南町団地)○並柳/               §   町|     | /                §   経|     |/                 §   由|     +                  §    |     |                  §    |     ○祇園社前              §    ○−−−−−+                  §  西新井入口   |                  §          ○沖稲葉               §          |                  §          ∨                  ∨       吉岡・仙台・東京            仙台・東京  不毛板(1334)八木山GPさん作の路線図に加筆しました  不毛板(13584)「古川周辺のJRバス路線」も参考にしました   http://www.google.co.jp/maps?q=http://www.magame.jp/ge/jrbl020.kmz  ※1:「急行便はニチイ前を通らずに、古川台町へ出た後十日町南〜古川高校前     と南下」だそうです。  ※2:「S53-8-11」とメモされた路線図によると、古川工業高校前から陸前古川     (→古川)に直行する路線が描かれており、急行便が経由していた。なお、     その迂回ルート上には停留所は無かったとの事。不毛板(1335)参照。
2014 年 12 月 06 日 11:04:20 (14836) ふもふも館長さんの書き込み 不毛板(14784)に記載したが、東名ハイウェイバス開業45周年記念 3日間乗り放題 きっぷを使ってバス旅行を楽しんだので、報告させていただく。 1.乗り放題切符 ・切符は厚紙。氏名欄と「初回使用時に乗務員が押印」欄がある。 ・切符裏面はバスの写真が入っている。JR東海バス『JRハイウェイバス時刻表』に  に画像入りで紹介されているが、小さくて判読が難しい。11月用は青(B906R型)、  12月用は赤、1月用は黄(エアロキング?)、2月用は緑となっている。 ・購入は、各月、おひとり様1枚限りとの事なので、家族・友人用として複数枚購入  するのは難しそう。毎月1日に発売だが、同日には売り切れてしまうようで、残る  購入機会は、1/1と2/1しか無い。 ・バス指定券は無料で発行してもらえるが、東京駅(JRバス関東)では「高速バス開業  50周年」、静岡駅(JR東海バス)では「乗り放題」のゴム印が押された。 2.JRバス関東 直行 新東名スーパーライナー 東京→名古屋 ・以下の経路であった。  東京駅[乗9]、構内出て右、鍛冶橋を右、馬場先門を左、内幸町を右、財務省上を左、  霞が関入口、首都高速、東名道、足柄SA[休憩]、新東名道、遠州森町PA[休憩]、  東名道、伊勢湾岸道、名古屋南JCT、名古屋高速3号大高線、鶴舞南JCT、名古屋  高速都心環状線、新洲崎JCT、名古屋高速5号万場線、黄金出口、運河通3を右、  黄金跨線橋南を右、黄金跨線橋北を右、則武本通2を右、太閤通口を直進、構内入、  名古屋駅[降6] ・JR東海バスのエアロキング、2階席で電源付を夢見ていたが、JRバス関東の普通の  バスでちょっと残念。 ・経路も車窓も初体験では無かったが、普段、夜行バスで通る事が多いので、久々の  車窓に満足。 3.三重交通 伊賀・名古屋線 伊賀ライナー 名古屋→三交上野車庫 ・以下の経路であった。  名鉄バスセンター[乗1]、構内出て下広井町を直進、名駅南3(交)、若宮北(交)、  若宮南(交)、白川入口、名古屋高速2号東山線、新洲崎JCT、名古屋高速5号万場線、  名古屋西JCT、東名阪道、亀山IC、名阪国道、関IC、関バスセンター[乗降]、関IC、  御代IC、御代インター森精機前[乗降]、御代IC、上野東ICを右、桑町[降]、  銀座4丁目[降]、左、上野市駅[降]、右で駅前を一周、左、丸之内を左、  西大手を直進、鍵屋の辻を直進、左で構内入、三交上野車庫[降] ・若宮交差点でUターンし、名古屋高速へ入る経路が興味深い。奈良行「シルクロマン  号」も同じ経路か。 ・亀山IC〜向井ICは、国鉄バス柘植線のルートと重なる。 ・かつて夜行バスで名阪国道を走行した経験があるが、昼間のバスは初体験。新鮮な  車窓に感激した。走行区間は、亀山IC〜上野東IC。大阪行の忍者ライナーに乗れば  残り区間である上野東IC〜天理ICも体験できそう。なお、土休日に限り1往復だけ  上野市駅〜天理駅前の路線バスが運行される。ただし、この路線バスは、治田IC〜  山添ICは国道経由らしい。上野市1340発、天理1518発。 4 上野市付近 国鉄バス路線巡り ・不毛板(14680)に記した通り、1年前に当地を訪問しているが、今回も急ぎ足では  あったが、若干の視察を行ったので、報告する。 ・国鉄バスの鍵屋の辻車庫は、三重交通の車庫になっており、当時、三重交通の営  業所があった場所は、高速バス乗降所を兼ねた乗客向け駐車場に変貌。 ・S50.4.1 伊賀上野線 農人町〜鍵屋の辻 廃止は、上野本町〜鍵屋の辻(南回り)の  廃止の事と思われるが、この南回り経路である本町通りを歩いてみた。この本町  には、当時、ニチイ(現 上野ふれあいプラザ、スーパーヤオヒコ)やジャスコ(現  駐車場)があり、元国道25号だった区間。ここに上野本町バス駅があったと思われ  るが、遺構は無かった。 ・国鉄バス上野丸之内駅跡は、市営駐車場に変貌。遺構は失われた。 5.三重交通 71 上野名張線 伊賀上野駅前→名張駅前 ・公園東口から、同系統のバスで伊賀上野に向かい、改めて、名張を目指した。 ・伊賀上野駅前〜上野市駅は、国鉄バス伊賀上野線のルートと重なる。 ・バスは、桑町から西へ、八幡から南、国道368号を進む。途中、笠部口〜山出  団地は旧道を経由した。菖蒲池から終点まで、国道を離れ、旧道を進む。 ・桔梗が丘駅で乗降があり、車窓も都市型に。名張駅に近づくとイオン(リバーナ)  が見えたが、駅から遠い事がわかり訪問を断念。 ・伊賀鉄道(←近鉄伊賀線)に、伊賀上野〜伊賀神戸の先、伊賀神戸〜西名張という  廃線区間がある事を、訪問後に知った。今回乗車した区間のうち、西原〜桔梗が  丘駅〜松崎町の区間が近接していたようだ。西名張駅は、イオン、名張産業会館、  西名張郵便局の近くにあったようだ。 ・名張駅周辺で食事処か喫茶店を探すが、居酒屋ばかりでガッカリ。コンビニで  おにぎりを買い、店の裏で夕飯とした。 6.三重交通 31 奥津線 名張駅前→中太郎生→敷津→ ・出発時点で、ほぼ満席であったが、学生が徐々に降りていき、中太郎生までに  一般乗客は、ほぼ降りてしまった。もう真っ暗で車窓から何も見えない状態。  最前列に移動したかったが、敷津まで降りなかった。ここで最前列に移動。 ・中太郎生は、津市美杉町になるが、敷津は、奈良県御杖村になる。敷津を過ぎると、  また三重県津市美杉町に戻る。国盗り的には面白い路線。 ・この時点で残ったのは、私を含めファン3人。これでは路線維持は難しいと感じた。 ・車窓を見る事ができたのは、敷津以遠であったが、かなり狭い道で驚く。この  路線は、日の長い夏に訪問するべきである。 ・GPSログでバスの経路を調べてわかったのだが、中太郎生〜敷津は狭い旧道を走行  しているが、並行して改良された道が開通していた。一方、敷津〜奥津は狭い道  しかない。流動自体が少ないようだ。 ・奥津駅前バス停は、代行バスの発着所から離れている。厚意で乗り場付近まで乗  せていただいた。暗いせいか、鉄道駅の入口がわからない。2つ建物があったが、  ■■で表現した建物が駅舎だろうか?  名張            伊勢奥津駅   家城  <−−+・・・・・+−−−−−−−−−−−−−>      \    |バス ==========>       \   |待機☆ ■■ □□   松阪        \  +−−−+○・・・・         \ ・   ・代行  ○家城駅前          \・   ・バス  |           +−−−+−−−−+・・・・ 7.名松線代行バス(三重交通) 伊勢奥津→家城  http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000018489.pdf ・経路は、以下の通り。  伊勢奥津駅[乗]、右、右、国道368号、奥津を左、県道15号、比津駅[乗降]、右、  信号を右、伊勢八知駅[乗降]、信号を右、鎌倉トンネル手前を右、伊勢鎌倉駅  [乗降]、右、県道15号、竹原付近は新道、踏切の先を右、伊勢竹原駅[乗降]、  踏切の先を右、信号を左、家城駅[降]  ※伊勢竹原駅(バス)は、鉄道駅の手前にある竹原コミセンにある。 ・代行バスが出発するまで時間があったが、厚意でバス車内で待たせていただいた。  JR東海の車掌さんが乗務していた。 ・鹿が出ることもあります。と教わったが、その直後、本当に鹿が道路上に現れ、  驚いた。伊勢八知までの区間、その後も、2〜3頭の群れを見かけた。 ・夜遅い便という事もあり、途中乗降は無く、私を含む趣味者3名は終点まで乗車。  趣味者2名は一志駅で降車したので、近鉄でお帰りだろうか。 ・松阪のホテルで自転車を借り、大口町南交差点で「松阪港」の空を盗った。  後日判明したのだが、この付近に、かつて三重交通大口線という鉄道があった。  自転車で走った経路は、線路跡ではなかったが、近くを走っていたようで残念。  松阪牛コロッケ?でも食べようと思ったが、それも叶わず、残念。 8.貴生川と国鉄バス ・貴生川への国鉄バス乗り入れは、S18.10.1の信楽〜貴生川の鉄道線休止に伴う代替  が最初。次がS38.4.10の貴生川〜甲賀病院前 開業である。当時は貴生川駅南口。 ・両線ともJR以降も残っていたが、いつ頃休止になったのか不明。その後、廃止され  るが、綾野〜西水口〜水口城趾〜スポーツの森〜貴生川というルートで乗り入れが  復活した。この時は、貴生川駅北口。 ・付近の国鉄バス/JRバス路線を図示する。   近江下田<        \   山村天神前                  ○中畑  近江  伴中山○−−−−○−−−−−・              |  八幡     |    |     |近鉄水口駅前        |旧道  <   ○平山|    |     ○              +−>   \ /   |    | 綾野  | 自営 新水口      /  東陶○−+−−○−−−−+−−○−−○−−☆−−○−+−○−−+−−−>   前|  \伴田口   |     |水口新町   |松原町/   亀山    |   \     ○天神前  |    ・−−・  /  <−◎三雲  \    |   平町|    |    /  草津  近江柏木○−−−○−−−−−○−−−−○−−−・           西水口|     |   本水口              |     |          水口城址○     ○甲賀病院前              |水口町 / \              |役場前○   ・−−>甲南・佐那具・伊賀上野              ・−−+−−○文芸             内貴橋○   |会館前               /    |         川田神社前○     ○水口スポーツの森              |     |           東内貴○  ◎−−+              | 貴生川         貴生川駅前○−−◎              |  ‖           三本柳○  ・==・ ←信楽高原鐡道代行バス              ・\    ‖              ・・+−○−+                東三本柳|                    ○牛飼口                   /‖                牛飼○ ‖ ←信楽高原鐡道代行バス                   \‖                    +                    |                    ∨雲井駅前・信楽・加茂・奈良 9.信楽高原鐡道代行バス(滋賀観光) 貴生川→信楽 ・当日、11/29(土)は信楽高原鐡道の運行再開日であった。信楽9:46発が始発列車に  なり、それまでは代行バスが運転された。そのため、信楽8:44発、貴生川9:15発  の 代行バスが終バスとなったようだ。終バスに乗り損ねると怖いので、その前  のバスをめざし、松阪から亀山経由で貴生川に向かった。 ・貴生川駅にまもなく到着するという頃、信楽高原鐡道の試運転列車がちょうど駅  に到着するタイミングで、しばらく並走した。 ・代行バス乗り場は、駅南口の定期バス乗り場ではなく、そこから西に向かった地点  にあった。なんと代行バスは、ほぼ満員。同じような事を考える人がいたようだ。  記念式典に参加する人は別のバス、乗り切れなかった人は2号車に案内された模様。 ・車窓を眺めながら、ルートは微妙に違うが、近城線の代行バスを楽しんだ。 ・雲井付近は、国道307号の牧交差点を左、雲井小学校の角に近い、帝産湖南交通の  雲井バス停で、雲井駅としての乗降を行い、駅前には入らなかった。  http://www.city.koka.lg.jp/secure/9877/shigaraki%20rosenzu.pdf ・国鉄バス雲井駅前も駅前に入らなかったと思われ、国鉄バス停と同じ位置と推測。  国鉄バスなら、国道307号の牧東交差点を左だったと思われ、少し残念。 ・このあたりから、先ほどの見かけた試運転列車と並走するようになり、感激する。  代行バス降り場は、旧JRバス車庫内だった。ここは、甲賀市コミュニティバス=  信楽高原バスの営業所になっているようで、滋賀観光の代行バスと一緒に停泊して  いたようだ。 10.信楽高原鐡道 信楽→貴生川 ・帰りは石山までバスでとも思ったが、せっかくなので運行再開の始発列車の乗車を  目指した。駅構内は、趣味者、地元の方、マスコミと賑わっていたが、発車1時間  前なので、並んでいる人は、まだそんなに多くなかった。 ・改札は30分前に始まった。趣味者と地元の方で、ほぼ満員。貴生川寄りでセレモ  ニーが始まったようだ。そのうち、ぽんぽこちゃん(信楽町観光協会)と忍じゃえもん  (甲賀市商工会)のゆるきゃらが登場。楽団の音楽も鳴り出し、雰囲気が盛り上がって  くる。その後、背広を来たおえらいさん達も乗り込み、徐々にギュウギュウな感じに。 ・結果的に、最終代行バスに乗っても、始発列車には乗れたみたい。ただ、並んだ  おかげで窓側の席に座れた。やがて列車が動き出すと、沿線で横断幕や旗を振る人  が視界に入ってくる。自分は何もしていないけれど、手を振り返してしまう。 ・元代行バスと思われる滋賀観光のバスが並走。写真を撮ると、喜びにあふれた沿線  の人々も一緒に写っていた。 ・紫香楽宮跡を過ぎると、山中を走行。途中、小野谷信号場の跡を確認。貴生川付近  でも沿線住民が横断幕や旗を振って出迎えてくれた。貴生川駅で降車したが、降り  る人はすくなく、大半は、そのまま折り返して信楽に戻るようで、驚く。 ・貴生川駅でもセレモニーを行っており、イコカくんと、キツネくん(詳細不明)も参加。  貴生川発の始発列車を見送りたかったが、草津行列車が来たので、乗り込んだ。
2014 年 12 月 04 日 23:10:30 (14835) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 日勝高原線 (1) 路線名称 ◇日勝高原線   帯広−日高町 (2) 路線略図                   ●十勝清水駅前                   ・   日高町◎−−−−○−−−○−−−+          日勝峠 第一   |          登山口 展望台  |                   ・−−−−●西二条一丁目(無停車)                        |                        ◎帯広 (3) 路線解説 ・日勝高原線は1968(S43)年に帯広〜日高町が開業した。同線は、根室本線と富内  線を短絡し、日高山脈で遮られた道東地区(帯広・釧路)と道南地区(苫小牧・  室蘭)を最短ルートで結ぶことを使命としていた。 ・当時は、夏季のみ国鉄バスが帯広〜日高町を1往復運行していた。 ・日勝高原線は1986(S61)年まで夏季に季節運行していたが、国鉄富内線(鵡川〜  日高町)が1986(S61)年11月に廃止されたため、1987(S62)年は休止し、JR北  海道バスが1998(S63)年から1991(H3)年まで夏季に季節運行を行った。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S61.9) 12.北海道編(下) 67日目 8/25(日) ・単行本 67日目 p311〜314 (5) 乗車券の経由欄 ・「日高町、日勝高原線、帯広」 (6) 行程 ◇日高町1430→1645帯広 日勝高原線 527-3077(日野K-RC321) 日高町発 帯広行 (7) エピソード ・バスに乗ったのは20人ほど。1日1往復だけにしては寂しすぎ、毎年、廃線がう  わさされている。 ・日勝スカイラインと呼ばれる国道274号はあちこちで改修が進んでおり、大規模な  橋で谷を渡る別線工事も行われていた。 ・十勝平野へ降り、右に根室本線を見て国道38号線を快走、帯広には15分早着。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ 日高町駅前の写真、日高町に到着した列車の写真、日勝峠第一展望台  で小憩の写真 ・単行本のみ 日勝峠第一展望台の写真 (9) 考察 ・開業当時の日勝高原線は、停留所を帯広、第一展望台、日勝峠登山口、日高町の  4か所に設置し、国鉄バスは帯広〜日高町に2往復(所要2時間20分)を運行。  国鉄と同時に十勝バス、道南バスも帯広〜日高町の路線が免許され、それぞれ1  往復ずつ運行していた。これら3社で通年運行だった。開業当時は周遊旅客の利  用者が目立って多いと述べられていた。開業当時のダイヤでは次のように便が設  定されていた。    帯広0700→0920日高町 国鉄1002便  日高町0900→1120帯広 道南      0935→1200    十勝        1200→1420   国鉄1001便      1220→1440    国鉄1004便     1435→1705   十勝      1430→1704    道南        1715→1935   国鉄1003便 ・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、次のように3社で4往復が運行されていた。    帯広0700→0920日高町 国鉄  日高町0850→1120帯広 道南      0935→1205    十勝     1150→1410   国鉄※      1220→1440    国鉄※    1435→1705   十勝      1430→1700    道南     1710→1930   国鉄     ※7/18〜8/23は「日高観光号」(日高町1140着・1512発)に接続運転。 ・その後、1971(S46).11.14に道南バスが運行を中止し、1973(S48)年に国鉄バスも  1往復に減便した。同年5月1日から国鉄バスと十勝バスとの間で共通乗車制度  を開始した。 ・一時は「日高観光号」の列車運転もあってこれと連絡し、1969(S44)〜1971(S46)  年には年間1万人台の旅客を輸送し盛況であったが、年々減少を示し、1978(S53)  年7月23日から夏季のみの期間限定輸送とした。 ・1985(S60)年の日勝高原線は、7/20〜9/1の間、次のように国鉄バスが1往復運行  された。    帯広0940→1210日高町  日高町1430→1700帯広 ・JR北海道バスが運行を再開した1988(S63)年以降は、十勝清水駅前停留所が設置  され(日高町方面との乗車のみ取扱い)、日高町以遠は日高町営バスで石勝線占  冠駅への連絡が案内されていた。1988(S63)年のダイヤは次の通りである(7/10〜  9/30の間運行)。   帯広1020→十勝清水1110→1255日高町 日高町1450→1615十勝清水→1725帯広
2014 年 12 月 04 日 23:08:33 (14834) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 十和田東線 (1) 路線名称 ◇十和田東線    金田一−上同心町−田子中央−田子−清水頭−宇樽部    上同心町−三戸 (2) 路線略図    青森     Λ             田子  上同     |  迷ヶ平 清水頭 田子 中央  心町  宇樽部○−−−○−−−○−−−○−○−−−○−−−◎三戸     |          /  |   |     V       <−・   V   |    休屋      白萩平   北福岡  ◎  (→十和田湖)   中滝   (→二戸)金田一(→金田一温泉)  ※当時、金田一−上同心町−田子中央、清水頭−宇樽部、上同心町−三戸は、   休止中だった模様。 (3) 路線解説 ・十和田東線は、1965(S40)年に、金田一(→金田一温泉)〜田子〜清水頭〜迷ヶ平  〜宇樽部、上同心町〜三戸として開業したのがルーツで、国立公園十和田へ東北  本線一戸・北福岡・金田一の各駅から直接入る観光ルートを使命としていた。 ・当時は、金田一・三戸〜田子中央、清水頭〜宇樽部が長期休止中であり、田子  中央〜田子〜清水頭に北福岡(→二戸)から田子線が乗り入れていた。 ・十和田東線は、国鉄民営化を経てJRバス東北に継承されたが、田子中央〜清  水頭を除いて長期休止のままであった。田子中央〜清水頭も1990(H2)までに廃止  され、同時に十和田東線は全廃された模様である。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 (5) 乗車券の経由欄 (6) 行程 (7) エピソード (8) 連載誌と単行本の違い ・当時、十和田東線はほとんどが長期休止中のため、最長片道きっぷの経路には組  み入れられなかった。 (9) 考察 ・1955(S30)年に上田子〜中滝が十和田東線(十和田南線の支線)の名称で開業した  が、本路線の開業に伴って「白萩平線」に改称された。 ・1967(S42)年7月改正ダイヤでは、十和田東線は国鉄バス、南部バスを合わせて、  次のような便が設定されていた。    一戸0806→北福岡0826→金田一0844→三戸0908→宇樽部1112→1135休屋★      1408→   1428→   1446→  1510→   1714→1737    休屋0730→宇樽部0754→三戸0956→金田一1019→北福岡1042→1100一戸      1550→   1614→  1816→   1838→   1859→1917     ★印:時刻表欄外に北福岡0826→1137休屋の便は急行「第3十和田」に        接続しますとの注記あり。    三戸0818→宇樽部1021→1044休屋  休屋1426→宇樽部1450→1654三戸      0848→   1051→1114      1526→   1550→1754 ・1970(S45)年7月現在ダイヤでは、国鉄バスが3往復設定されていた。         北福岡0710→金田一0729→三戸0754→宇樽部0953→1015休屋※    一戸0910→   0930→   0949→  1014→   1213→1235            1502→   1533→  1558→   1757→1819    休屋0810→宇樽部0833→三戸1031→金田一1055→1112北福岡      1110→   1133→  1358→   1422→1439   ※      1600→   1623→  1821→   1845→1902     ※印:8/31まで運行。 ・1976(S51)年のダイヤでは、4/27〜11/4の間次の1往復が運行されていた(復路  は白萩平線経由)。    一戸0746→北福岡0805→金田一0825→三戸0850→迷ヶ平1012→宇樽部1033     →1054十和田湖    十和田湖1500→発荷峠1525→中滝・白萩平経由→三戸1703→金田一1727→     1745北福岡  加えて、7/20〜10/17の間は陸中海岸と十和田湖を結ぶ「十和田陸中号」が十和  田東線・白萩平線経由で次のように1往復設定されていた。    北山崎1020→久慈1240→軽米1348→金田一1424→発荷峠1610→1628休屋    休屋0810→発荷峠0835→金田一1014→軽米1052→久慈1300→1426北山崎 ・1980(S55)年の秋季は、9/13〜10/12の間次の1往復が運行されていた(復路は白  萩平線経由)。    一戸0746→北福岡0805→金田一0825→三戸0850→迷ヶ平1012→宇樽部1033     →1054十和田湖    十和田湖1500→発荷峠1523→中滝・白萩平経由→三戸1703→金田一1727→     1745北福岡 ・1982(S57)年の「国鉄監修」時刻表では、三戸ルートは南部バスのみの設定とな  っており、この頃に国鉄バスの十和田東線は長期休止になった模様である。  なお、1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の十和田東線の項には、  運賃の記載がなく、長期休止中であると解される。
2014 年 11 月 30 日 19:45:55 (14833) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 磐城南線 (1) 路線名称 ◇磐城南線   磐城南本線    磐城棚倉−磐城逆川−磐城浅川−浅川駅前−磐城石川−石川新町    磐城逆川−金沢内駅前−磐城金山−合戦坂−白河    白河−白女高   高野線    磐城棚倉−棚倉古町−鉄砲町−東白農商前−宮下−漆草    棚倉古町−宮下    東白農商前−鉄砲町−祖父岡   鮫川線    棚倉古町−岡田口−大草口−赤坂中野    岡田口−岡田−大草口    大草口−大草−浅川駅前 (2) 路線略図    白河 白女高    磐城 浅川 里白石 磐城   石川 小野     ◎−−○     浅川 駅前 駅口  石川   新町 新町  南 /|         ◎−−○−−○−−◎−−○−−○−−>  湖・ |         |  |       石川小 ・  公● ○合戦坂   大名塚○−−○本町口    学校前 ・  園・ |         |   \    \| 上三森 金沢内 |    \   磐城○−−○−−○−−−○磐城   \   金山 \   / \  |逆川    ○大草       ・●・   ● |      |        三森  桧山\|      |               ◎磐城棚倉  |               |      |               |棚倉    |         漆草 宮下 |古町 岡田口|大草口         ○−−−○−○−−−○−−○−−−○赤坂中野             | |    \ |         東白農商○−○鉄砲町  \|               |      ○            ○−−・      岡田           祖父岡  ※路線名称にない区間として「大名塚−本町口」があった。  ※当時、金沢内〜白河、白河〜白女高は、休止中だった模様。 (3) 路線解説 ・磐城南線は、戦時中戦力増強のために撤去した鉄道線(磐城棚倉〜白河)の代  替輸送を行うため、1944(S19)年に白棚線磐城棚倉〜白河として開業したのが  ルーツで(国鉄専用道路を通る白棚線は1957(S32)年に白棚高速線として開業  した別路線である)、その後、石川〜植田鉄道予定線の先行路線として1952  (S27)年から磐城南線植田〜石川新町を開業し常磐線と水郡線を短絡するなど、  沿線地方の産業文化の発展助長に寄与していた。 ・当時、磐城南本線の金沢内〜白河、白河〜白女高は長期休止中であった。磐城  棚倉〜磐城逆川〜金沢内は国鉄バス白棚線の半数弱の便が運行していた。また、  磐城棚倉〜祖父岡は白棚線からの乗り入れ便が直通運行していた。 ・当時の自動車駅として磐城棚倉駅前に(自)磐城棚倉駅が存在し、バス運行の  拠点として同地に棚倉自動車営業所が、白河に白河派出所が置かれていた。 ・白河〜白女高は国鉄最末期の1987(S62).3.28限りで廃止公示が出された。それ  以外の区間は国鉄民営化を経てJRバス関東に継承されたが、磐城南本線の  磐城逆川〜白河は磐城逆川〜合戦坂のみ継承された。 ・1989(H1)年に三森〜合戦坂とともに高野線宮下〜漆草が廃止された。1994(H6)  年には鮫川線が廃止され、1996(H8)年に磐城逆川〜磐城石川が廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、金沢内〜磐城逆川〜磐城棚倉〜祖父岡が白棚線と一体と  なってJRバス関東によって運行されている。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S61.6) 9.関東・信越編(下) 47〜48日目 8/3(土)、8/6(火) ・単行本 47〜48日目 p220〜225 (5) 乗車券の経由欄 ・「神俣、磐城北線、本町、石川新町、磐城南線、磐城石川」 ・「磐城浅川、磐城南線、浅川駅前、大草口、岡田、岡田口、棚倉古町、磐城棚倉」 (6) 行程 ◇横町1245→1355磐城石川 磐城北・南本線 521-2086(いすゞK-CJM550)                           小野新町発 磐城石川行 ・磐城棚倉→磐城浅川(岡田口・大草口経由) タクシー ・磐城棚倉1550→1624磐城石川→(回送便乗)石川新町付近 磐城南本線 ・石川小学校前1635→1716磐城棚倉 磐城南本線 (7) エピソード ・磐城棚倉駅前のバス切符売り場に路線図と時刻表があり全容は分かったが、  鮫川線の浅川経由大草口行き、岡田口経由鮫川行きとも夕方までなく、タク  シーに援軍を求め、大草口、岡田口で磐城浅川駅までバス道路を走って埋め  合わせをした。 ・磐城棚倉から磐城石川行きのバスに乗車。石川行きの利用者は数えるほどで、  運転士から、兎田以遠を3〜4年前に撤退の話があったが福島交通が先にや  めてしまい廃止できなくなったこと、昔の路線の名残で上下の運行ルートが  少し変わっていること等の話を聞いた。磐城石川でそのまま乗っていればいい  と勧められ、市内を一回りしたが、石川新町は単なる十字路の停留所だった。 ・棚倉に戻って営業所におじゃますると「びっくりきっぷの方ですか」と所長  も顔を見せて談笑し、冊子型の乗務行路表を記念に貰った。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ 磐城浅川駅の写真 (9) 考察 ・かつて磐城南本線は石川新町から先、竹貫〜磐城根岸〜植田まで伸びていた  が、1980(S55)年に石川新町〜植田は廃止された。1978(S53)年8月現在のダ  イヤでは、磐城棚倉〜植田に次の2往復が設定されていた。    磐城棚倉0725→磐城石川0812→竹貫0842→磐城根岸0932→1002植田    磐城棚倉1545→磐城石川1632→竹貫1702→磐城根岸1752→1822植田    植田0620→磐城根岸0650→竹貫0735→磐城石川0840→0920磐城棚倉    植田1315→磐城根岸1345→竹貫1430→磐城石川1510→1550磐城棚倉 ・1986(S61)年1月時点の国鉄バス磐城棚倉発車時刻表によると、白河行きの磐城  逆川経由便は4回、磐城石川・石川小学校前行きは2回、高野線は4回(うち  1回は日祭休校日運休・土曜運転、1回は日祭休校日運転・土曜運休)、鮫川  線は5回(うち1回は日祭休校日運休・土曜運転、1回は日祭休校日運転・土  曜運休、両便を含め岡田経由4回)、「大草線」は大草口→浅川駅1回、浅川  駅→大草口3回(うち1回は日祭休校日運休・土曜運転、1回は日祭休校日運  休・土曜運休)となっていた。 ・国鉄最後のダイヤ改正の1986(S61)年11月改正ダイヤでは、鮫川線(磐城棚倉〜  赤坂中野)が5往復(うち岡田経由4往復、日祭休校日運休・土曜運転1往復、  日祭休校日運転・土曜運休1往復)、「大草線」(磐城棚倉〜磐城浅川〜大草  口〜磐城棚倉)4回(うち日祭休校日運休・土曜運転、日祭休校日運休・土曜  運休各1回)となっていた。
2014 年 11 月 30 日 19:36:25 (14832) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 磐城北線 (1) 路線名称 ◇磐城北線   磐城北本線    石川新町−磐城蓬田−本町−横町−新町仲通−小野新町   川内線    本町−横町−団子田−神俣−芋島−吉間田   桶売線    小野新町−夏井−隠坂−宿−荻−吉間田    隠坂−川羽内    宿−川前 (2) 路線略図                        神俣◎−−・  磐城  石川    磐城           /   |  棚倉  新町    蓬田    本町 横町 /    |  <−●−−○−−○−−○−−○−−○−○−○団子田  |    ・    磐城 ・ 母畑ダム  住宅前   | |     |芋島 ・    石川 ・         新町仲通○−○東馬場  ○−−○吉間田                     |         /                 小野新町◎ 川羽内    ○                     |  ○    /荻                     |  |   /                   夏井◎−−○−−○宿                       隠坂  |                           |                           ◎川前  ※路線名称にない区間として「新町仲通−東馬場−団子田」があった。  ※当時、芋島〜吉間田、宿〜吉間田、宿〜川前は、休止中だった模様。 (3) 路線解説 ・磐城北線は、磐城線(→磐城南線)の支線として、1952(S27)年に小野新町  〜石川新町、1953(S28)年に新町役場前(→新町仲通)〜吉間田〜下川内が  開業したのがルーツで、水郡線と磐越東線を短絡して、沿線地方の産業文化  の発展助長に寄与していた。 ・当時、磐城蓬田に自動車駅が存在し、棚倉自営小野新町支所を新町仲通に設  置していた。磐城北本線の国鉄バスは磐城南線に乗り入れて磐城石川発着で  運行していた。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、磐城北本線が磐城石川〜小野新町に6  往復、川内線が小野新町〜芋島に3.5往復設定されているのが確認できた。  なお川内線芋島〜吉間田は同年9月に廃止公示がなされた(当時から長期休  止中の模様)。 ・国鉄民営化直前の1987(S62).3.28限りで桶売線宿〜吉間田、宿〜川前の廃止  公示がなされたが、当時は既に長期休止中だった模様である。それ以外の区  間はJRバス関東に継承されたが、1990(H2)年に川内線新町仲通〜芋島が廃  止され、1993(H5)年に桶売線宿〜荻が休止された後、1995(H7)年に桶売線が  全廃された。磐城北本線も2007(H19)年に磐城石川〜小野新町が全廃された。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S61.6) 9.関東・甲信越編(下) 46〜47日目 8/2(金)〜8/3(土) ・単行本 46〜47日目 p218〜223 (5) 乗車券の経由欄 ・「夏井、磐城北線、小野新町」 ・「神俣、磐城北線、本町、石川新町、磐城南線、磐城石川」 (6) 行程 ◇夏井1742→1755小野新町 桶売線 527-9017(日野RE101) 荻発 住宅前行 ◇神俣1005→1020横町 川内線 337-6005(日野RL320) 芋島発 小野新町行 ◇横町1245→1355磐城石川 磐城北・南本線 521-2086(いすゞK-CJM550)                           小野新町発 磐城石川行 (7) エピソード ・夏井から4分接続のバスに乗れば貸切状態。このバスは小野新町へ寄った後、  町はずれの住宅地まで行くとのこと。 ・神俣1000発の小野新町行きバスは5分遅れで、「針湯荘」のそばを通って裏道  をたどり小野町の狭い市街へ出た。このバスは本町へ寄らず、横町乗り換えと  の運転士の案内で下車。 ・横町で磐城石川行きバスに乗ったところ、運転士氏から「種村様 母親が急に  病気になりましたので辻さん方に電話入れて下さい 関東地方自動車局渡辺さ  んより連絡あり又辻さんよりも電話ありました」との小野新町支所長のゴム印  のあるメモを手渡された。 ・「お客さん、電話してください。待ってますから。すぐ電話してもらうよう言  われてるんです」と再び運転士。鉄道につながっている磐城石川へ出た方がよ  いと判断、その旨伝えて発車するよう頼んだ。 ・本町に着くと助役らしい人が駆け寄り、窓から首を出した運転士が「乗りまし  たから」と報告。助役氏からも同じ内容のメモを手渡される。 ・あらためて運転士氏によく見つけてくれましたねとお礼をいうと、心持ち胸を  張って「いろいろ言われますが、これが国鉄の組織というもんです」。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ 夏井駅の写真 (9) 考察 ・国鉄最後のダイヤ改正だった1986(S61)年11月改正ダイヤでは、磐城北本線は  小野新町〜磐城石川6往復と小野新町〜磐城蓬田2往復(うち1往復は日祭日  ・休校日運休、川内線は小野新町(下り始発のみ新町仲通)〜芋島4往復、桶  売線が住宅前(下り始発、上り最終は新町仲通)〜荻3往復(うち1往復は日  祭日・休校日は宿〜萩運休)と住宅前〜宿2往復の設定であった。 ・従って、当時は川内線芋島〜吉間田、桶売線の宿〜川前及び荻〜吉間田は長期  休止中であったと解される。 ・川内線は吉間田から先、上川内〜川内役場前〜下川内〜宇津川まで伸びていた  が、1983(S58)年に吉間田以遠の廃止が公示された。廃止直前の同年8月現在の  ダイヤでは次の便が設定されていた。    小野新町0600→0734下川内→0748宇津川   下川内0605→0738小野新町    小野新町1320→1451下川内→1505宇津川0752→下川内0806→1007小野新町    小野新町1726→1859下川内   宇津川1522→下川内1536→1707小野新町 ・当時の国鉄バスにおける組織は、本社には自動車局、地方には4地方自動車局、  3地方自動車部及び1自動車管理室の計8つの地方機関、そして地方機関の下  に全体で79の自動車営業所が存在していた。  <国鉄自動車組織図(1986(S61)年3月)>   理事会−総裁−+−自動車局−−−−−−−−−−−−−−+          |                   |          +−総局(北海道、九州)−地方自動車部−+          |   (四国)−−−−−自動車管理室−+          |                   +−−自動車          +−−−−−−+−−−−−地方自動車局−+  営業所                 |     (関東、中部、|  (79)                 |      近畿、中国)|                 +−−−−−地方自動車部−+                       (東北) ・各地方機関の長は、輸送業務を円滑に遂行するための権限を包括的に持たされ  ていたが、30kmを超える路線の開設、100kmを超える路線の廃止など規模の大き  なものの他、全体的な営業制度の設廃及び車両の投資などについては本社自動車  局が行っていた。
2014 年 11 月 29 日 23:27:36 (14831) Y.Matsuuraさんの書き込み ジェイアールバス関東の多古町の新しいバス基地ですが、11月19日に着工されたそ うです。 http://mainichi.jp/area/chiba/news/20141120ddlk12020227000c.html (閲覧には無料の会員登録要) 名称は「東関東支店」で、台閉鎖する八日市場支店の代わりに高速バスと路線バス の車庫になります。約7650m2の敷地にバス30両を駐車でき、女性乗務員も休養でき る施設も設置するそうです。
2014 年 11 月 29 日 12:03:51 (14830) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 大野線 (1) 路線名称 ◇大野線   大野本線    大野三番−越前大野−君ヶ代橋−中休−谷戸口−九頭竜湖駅前−朝日橋−向小駄良    君ヶ代橋−中の出−中休    谷戸口−中竜   石徹白北線    朝日橋−下在所 (2) 路線略図                        ○下在所                        |      鳩ヶ谷         君ヶ           朝日・       ↑    越前大野 代橋  中休 谷戸口   橋/        | 美濃白鳥   ○−−◎−−−○−−−○−−○−−◎−○−−○−−○−−−○−>  大野三番    |中の出|  | 九頭竜  白馬 油坂峠 向小駄良          ・−○−・  | 湖駅前  洞口               中竜○ (3) 路線解説 ・大野線は、1944(S19)年に大野口〜越前大谷、谷戸口〜中竜が貨物路線として開業  し、1947(S22)年に大野三番〜越前朝日〜越前大谷〜美濃白鳥、谷戸口〜中竜が旅  客営業を開始したのがルーツで、京福電鉄大野三番と越美南線美濃白鳥を結ぶ鉄道  先行及び短絡路線としての使命を有する他、地方産業の発展助長も使命としていた。 ・当時、自動車駅として(自)九頭竜湖駅前駅が存在し、越美北線九頭竜湖駅の業務  も行っていた。また、バス運行の拠点として大野市内に大野自動車営業所を設けて  いた。 ・国鉄末期の1987(S62)年1月末で大野自動車営業所(1986(S61)年11月1日から金沢  自営大野支所に組織変更※)の廃止に伴って、君ヶ代橋〜中の出〜中休、谷戸口〜  中竜、朝日橋〜朝日前坂が廃止された。存続区間は美濃白鳥自動車営業所に移管さ  れたが、国鉄最末期の1987(S62).3.28限りで大野三番〜九頭竜湖駅前の廃止公示が  なされた。 ・国鉄民営化を経て、向小駄良〜九頭竜湖駅前、白馬洞口〜白馬洞がJR東海バスに  継承され、冬季を除く季節運行が行われてきたが、2002(H14)年に全廃された。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S61.4) 7.中部編 29日目 7/9(火) ・単行本 29日目 p149〜150 (5) 乗車券の経由欄 ・「向小駄良、大野線、中休、中の出、君ヶ代橋、越前大野」 (6) 行程 ◇美濃白鳥1302→1515大野自営 大野線 331-5002(いすゞBA05N)                            美濃白鳥発 大野三番行 ◇大野自営1743→1817越前大野 「友兼線」循環 531-604(いすゞBU10P)                            大野三番発 大野三番行 (7) エピソード ・大野三番行きは山村を縫いながら福井県境へ向かって険しい登りで鉄砲水の跡が残る。  油坂峠を越えると改修工事が行われており、夫婦連れが運転士に頼み、峠を越えたと  ころで降りた。炭鉱離職者で北海道から工事現場へ出稼ぎに来ているとのこと。 ・九頭竜湖は、渇水期にはダムに沈んだ旧道の橋などが湖底に姿を見せるという。九頭  竜ダム、鷲ダムを見て九頭竜湖駅前で休憩。駅前をあとに谷戸口からトンネルをくぐ  り中竜へ寄り道。落石覆いだらけの悪路を行き、三井金属中竜鉱山社宅の人たちの便  をはかるためだが、利用者は2人だけ。 ・「友兼線」は夕方まで便がないとの運転士情報で大野へ向かう。勧められるままに大  野自動車営業所まで乗せてもらい、待ち時間に営業所の自転車を借りて大野市街地を  一回り。 (8) 連載誌と単行本の違い ・単行本のみ 九頭竜湖駅前駅の写真 (9) 考察 ・石徹白北線は、1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正により朝日橋〜  朝日前坂に短縮されている。1983(S58)年夏ダイヤで石徹白北線は九頭竜湖駅前〜朝  日前坂に2往復が設定されていたので、この時点で既に朝日前坂〜下在所は長期休  止中の模様である。 ・1986(S61)年夏ダイヤでは、大野三番〜美濃白鳥1.5往復、美濃白鳥→九頭竜湖駅前  1本、大野三番〜九頭竜湖駅前1.5往復、大野三番〜勝原遊園2往復、大野三番〜  中休4往復、友兼線循環1.5往復、九頭竜湖駅前〜中竜口5往復、石徹白北線九頭竜  湖駅前〜朝日前坂2往復が設定されていた。 ・大野自動車営業所では、定期観光バス「奥越秘境めぐり」を運行していた。1986(S61)  年夏ダイヤでは、4/29、5/3〜5、10/19、26の6日間次の行程での運行だった。    越前大野1015→九頭竜峡1035→1100自然木の家1120→1135九頭竜ダム1155→    1210白馬洞1300→1305夢のかけ橋1325→1331穴馬総社1345→1400穴馬民族館    →グリーンセンター1445→1535越前大野 ・大野本線白馬洞口〜白馬洞は、同じ「国鉄自動車路線名称」全面改正で認知された。 ※ 謝辞 ・1986(S61)年11月1日の大野自動車営業所から金沢自営大野支所への組織変更、1987  (S62)年1月末限りでの金沢自営大野支所の廃止について、もりさけてん様からご教  示を頂きました。感謝申し上げます。
2014 年 11 月 28 日 06:08:34 (14829) ふもふも館長さんの書き込み 11/22(土)に開催されたてっぱくツアーに参加しました。 http://www.jrbuskanto.co.jp/topics/45100in.html お客は、お子様連れが多く、20〜30人だったように思います。経路は、八重洲口を 出発後、日本橋口付近のガードを潜り、丸ノ内駅舎や日本郵便の前を通過し、再び ガードを潜り、鍛冶町交差点を左折し、再び八重洲口付近に戻った後、宝町ランプ に至るという経路でした。 見慣れた景色ですが、JRバスの車窓から眺めるのは初体験!いい観光になりました。 日本橋道路元標と書かれた看板の下に「AH1 ASIAN HIGHWAY」の標識があり、ビックリ。 日本区間は、東京〜福岡で、その後は、フェリーで釜山に渡り、板門店・新義州・ 北京・南寧・ハノイ・ホーチミン・プノンペン・タイ・ミャンマー・インド・バング ラデシュ・パキスタン・アフガニスタン・イラン・アンカラ・イスタンブール・ カピキュレに至るようだ。道は、その先、ブルガリア・クロアチア・海路・イタリア ・フランス・スペイン・ポルトガル(リスボン)に続くらしい。 http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/inter/kokusai/AH2005/ 首都高速5号線は、あまり通らないので車窓が新鮮だった。美女木から旧ONライナー と同じ経路で、新都心西出入口、左、桜木町1丁目付近(マツダ付近)交差点を左、 桜木町4丁目交差点を直進、桜木町交差点を右、大栄橋交差点を左、大宮工場の横を 通り、鉄道博物館の裏門?を経て、てっぱく広場で下車、という経路でした。 費用は2980円でしたが、てっぱく入場料(1000円)、お弁当、お土産付で、アーリー チェックインが出来る特典が魅力的でした。東京駅100周年の記念展では学芸員さん の解説付き、貸切ジオラマショーも面白かったです。 鉄道博物館は、シミュレーターが目玉のようで、オープン(10時)と同時に並ぶ人も いると聞きました。そこで、運転には全く興味がないのですが、有料のSLシミュレー ターを含む、全機種に挑戦しましたが、正しい停車位置に停めることができず、惨敗。 JR展は、車両の展示のみで、残念でしたが、つばめマークのスフレロールは良かった です。これは有料でドリンクセット750円でした。鉄道博物館には、鉄道記念物の「 壱岐丸 号鐘」が展示されていますが、自動車関係の常設展示は、秋芳洞行特急バスの 広告でしょうか。何か、常設してくれるとよいのですが。 --- ジェイ・アール北海道バスの本社を、11/23より 大通西1丁目から二十四軒2条7丁目に移転したようです。琴似営業所内でしょうか。 --- ジェイアールバス関東は、多古町に新しいバス基地を建設するようです。竣工は 平成27年5月との事。これに伴い、八日市場支店は閉鎖でしょうか? 基地に隣接して、多古町が、多古台バスターミナルを整備する事になっており、 パーク&ライド=自家用車の駐車場付のようです。詳細は不明です。 http://www.chibanippo.co.jp/news/local/156258 http://www.town.tako.chiba.jp/news_php/img/1302_p0809web.pdf
2014 年 11 月 27 日 20:17:25 (14828) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 金津三国線 (1) 路線名称 ◇金津三国線    芦原温泉−芦原湯町 (2) 路線略図   芦原湯町○−−−◎芦原温泉 (3) 路線解説 ・国鉄バス金津三国線は、1968(S43)年の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル  線撤去(いわゆる「赤字83線」)の一環として廃止された国鉄三国線(金津(  →芦原温泉)〜芦原(→芦原湯町))の代替輸送を行うため、1972(S47)年に開  業した。 ・路線の性格は、芦原温泉への湯治客など観光路線的な要素もあるが、生活路線的  な面を兼ねており、朝夕の通勤・通学輸送は活況を呈していたとされる。鉄道線  芦原駅跡には自動車駅芦原湯町駅が設けられた(大野自営芦原派出所を併設)。 ・1987(S62)年1月末限りで金津三国線は廃止された。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 (5) 乗車券の経由欄 (6) 行程 (7) エピソード (8) 連載誌と単行本の違い ・最長片道きっぷの経路には組み込まれなかった。 (9) 考察 ・代替輸送とは、前述の国鉄ローカル線(「赤字83線」)撤去に伴い、鉄道路盤  と並行する一般道路を運行し、一般のバス賃率を適用している路線の輸送のこ  とであり、国鉄自動車は5路線を担当していた。 ・国鉄三国線(鉄道)の廃止に伴い、並行道路にバス運行を行っている京福電鉄  バスに旅客輸送を委ねるべく地元折衝を行ったが、地元は国鉄バスの運行を強  く要望した。何回か折衝を行った結果、同区間の並行道路に国鉄バス25往復、  京福電鉄バス35往復の計60往復が1972(S47).3.1から鉄道代替バスとして運行  された。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、下りが0640〜2150、上りが0645〜2135の間  で7〜19時台は10〜15分毎に運行されていた。始発・終発時間帯の国鉄バス便  は次の通り設定されていた。    始発帯 芦原温泉0700→0710芦原湯町 芦原湯町0645→0655芦原温泉            0730→0740         0715→0725                          0730→0740    終発帯 芦原温泉1900→1910芦原湯町 芦原湯町1945→1955芦原温泉            1955→2005         2025→2035            2050→2100         2135→2145            2150→2200 ・金津三国線(鉄道代行バス)は途中停留所を設けず急行運転だった。 ・大野自動車営業所(1986(S61)年11月1日から金沢自営大野支所に組織変更し、  併せて大野自営芦原派出所も金沢自営大野支所芦原在勤に変更※)及び管内路  線は、国鉄民営化に先立って1987(S62)年1月末限りで廃止された。 ※ 謝辞 ・1986(S61)年11月1日から、大野自動車営業所を金沢自営大野支所に、大野自営  芦原派出所を金沢自営大野支所芦原在勤に組織変更がなされたこと、1987(S62)  年1月末限りで金沢自営大野支所、金沢自営大野支所芦原在勤が廃止されたこと  について、もりさけてん様からご教示を頂きました。感謝申し上げます。
2014 年 11 月 27 日 20:16:10 (14827) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 福浪線 (1) 路線名称 ◇福浪線   福浪本線    福島−伊達葭田−遠西−川俣鉄砲町−磐城津島−浪江上町−浪江    川俣鉄砲町−川俣町−川俣高校前    浪江上町−南幾世橋−両竹    浪江−南幾世橋   大堀線    浪江−磐城大堀−浪江 (2) 路線略図       伊         川俣  磐  川  国 浪  南       達     川俣町 高校前 城  房  玉 江  幾   福   葭  遠    ○−−○  津  大  神 上  世 角 両   島   田  西    |  |  島  柿  社 町  橋 畑 竹   ◎−−−○−−○−−○−○−−○−−○−−○−−○−○−−○−○−○       |  |  日 川俣 仁井町      | | /       |  |  和 鉄砲町         | |/       V  V  田            ++ ◎浪江      飯野町 飯野町             | /|      船引  松川           大堀小|/ |                       学校前○−−○磐城大堀 (3) 路線解説 ・福浪線は、1938(S13)年に福島〜浪江、川俣鉄砲町〜川俣中島及び浪江上町  〜請戸が開業したのがルーツで、東北本線と常磐線を短絡して、地方交通の  確保、産業開発を使命としていた。 ・当時、(自)福島と川俣町に自動車駅が存在し、福島自営川俣支所を川俣高校前に、  同浪江支所を浪江に設置していた。 ・国鉄民営化により福浪線はJRバス東北に継承されたが、1991(H3)年に浪江  上町〜両竹及び南幾世橋〜浪江が、1996(H8)年に大堀線がそれぞれ廃止され  た。本線区間も2004(H16)年に問屋前〜浪江、2008(H20)年に川俣高校前(仁  井町)〜問屋前が廃止された。 ・2015(H27)年現在、福島〜川俣高校前と川俣鉄砲町〜川俣高校前の別線がJR  バス東北によって運行されている。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌 S61.6 9.関東・甲信越編(下) 49日目 8/7(水) ・単行本 49日目 p229〜231 (5) 乗車券の経由欄 ・「遠西、福浪線、浪江上町、南幾世橋、浪江」 (6) 行程 ◇松川1400→1425川俣日和田 川俣線・福浪本線 537-6022(日野RE100)                            松川発 川俣高校前行 ◇川俣日和田1611→1758浪江上町 福浪本線 531-9003(いすゞBU10) 福島発 浪江行 ・浪江上町→角畑 タクシー ◇角畑1822→1834浪江 福浪本線 331-3081(いすゞK-CDM410) 両竹発 浪江行 (7) エピソード ・福島から来た浪江行きは川俣の市街地を一回りし、川俣高校前で3分停車。国鉄  バス福島営業所川俣支所がある。 ・磐城津島で5分停車。バスの切符売場、運転士の休息所、食堂を兼ねたなんでも  屋の店先で発車時刻表をメモしていたら、広告入り時刻表をプレゼントされた。 ・浪江上町で迂回ルートの最終が出た後でタクシーを呼んでバスを追いかける。畑  の中に角畑という停留所があり、浪江行きの時刻を確かめて車を帰した。 (8) 連載誌と単行本の違い ・なし (9) 考察 ・福島からの浪江行きは川俣高校前を経由しており、川俣鉄砲町〜川俣町〜川俣高  校前〜仁井町という経路を通った模様である。当時、国鉄自動車路線名称、自動  車線普通旅客運賃表では川俣鉄砲町〜川俣高校前は枝線とされており、乗車券の  経路は川俣鉄砲町から仁井町に直行するルートと解される。1986(S61)年の国鉄  自動車路線名称の全面改正で川俣高校前〜仁井町が認知された。川俣町内の実乗  経路は川俣鉄砲町1.9川俣高校前2.0仁井町の3.9kmで、運賃計算経路の川俣鉄砲町  1.1仁井町よりも2.8km長かった。 ・福浪線から分岐する国鉄バス路線としては、柴切田から分岐して飯野下町〜岩代  馬場〜太田若宮〜岩代樋ノ口を結んだ岩代小浜線(1960(S35)〜1972(S47)年)、  磐城津島から分岐して岩代百目木〜古谷〜新殿大久保〜岩代樋ノ口〜二本松に至  る二本松線(1952(S27)〜1977(S52)年)、川房大柿から分岐して葛尾〜浜井場〜  上移〜新館、葛尾〜天王平を結ぶ葛尾線(1953(S28)〜1985(S60)年)が存在した。 ・1955(S30)年のダイヤでは葛尾線は浪江〜上移に次の3往復が設定されていた。    浪江0620→0848上移  上移0630→0858浪江      1100→1328      0920→1148      1700→1928      1510→1738  また、同じダイヤでは二本松線は2往復(二本松発1000・1550、磐城津島発0550  ・1310)が設定されていた。 ・1967(S42)年のダイヤでは、葛尾線、二本松線には次の便が設定されていた。    浪江1400→1607葛尾→1730船引       葛尾0543→0705浪江      1710→1903         船引1105→  1227→1349    二本松1315→1510磐城津島    磐城津島1020→1215二本松 ・1985(S60)年3月改正の浪江・国鉄バス発車時刻表によると、福島行き6・川房  大柿1・磐城津島1、請戸・両竹7、磐城大堀7が設定されていた。なお、当時  の請戸・両竹方面の最終便は、浪江1750→1810両竹1815→1835浪江であった。 ・当時から福島〜川俣高校前で福島交通と普通乗車券、回数乗車券、通勤・通学  定期乗車券について共通乗車の取扱いを行っていた。
2014 年 11 月 26 日 23:49:48 (14826) 政宗3号さんの書き込み 館長さん、お手数をおかけします。 岩手野中の件なのですが、盛岡金田一急行線の開業公示を見ると、 開業区間(=急行線の独自区間)は岩手町役場前〜一戸になって おり、路線名称上は岩手野中を通らない(停まらない)別線扱い のように読めます。 一戸〜小鳥谷駅前/小鳥谷間は、小郡線で綾木に停まらない例の ように、小鳥谷駅前〜一戸〜岩手野中と一筆書きができたのかも しれません。 東北の路線図で「盛岡金田一急行線」としているものも出てきた ので、この区間の線名はどちらなのかわからなくなってきました。
2014 年 11 月 26 日 23:22:57 (14825) ふもふも館長さんの書き込み 政宗3号さん、再投稿ありがとうございます。 ほぼ当時の『自動車線普通旅客運賃表』で、 盛岡金田一急行線と並行する一般路線を比較してみました。 盛岡金田一急行線 ◇盛岡、岩手渋民、川口駅前、野原、沼宮内、岩手町大町、小鳥谷駅前、一戸、  鳥越観音前、北福岡、岩谷橋、福岡長嶺、矢沢口、九戸通、金田一、  金田一温泉プール前 ◇二戸線の部、一戸線  北福岡、鳥越観音前、越田橋、蒔前、一戸本町、一戸、女鹿口、岩手野中 ◇田子線  北福岡、岩谷橋、米沢口、福岡長嶺、堀野、矢沢口、九戸通 ◇軽米本線  金田一、馬場、九戸通 盛岡金田一急行線は、岩手野中を通るのですが、なぜか接続駅になっていません。 不毛板(14819〜20)で記載の通り、小規模なバス停にも停車したようなので、 小鳥谷駅前に停車後、一戸まで無停車とは思えません。不思議ですねぇ
2014 年 11 月 26 日 21:57:25 (14824) 政宗3号さんの書き込み 先日の投稿のうち、盛岡金田一急行線を修正しましたので、以下に差し替え て頂けると幸甚です。 よろしくお願いいたします。 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 盛岡金田一急行線 (1) 路線名称 ◇盛岡金田一急行線    盛岡−沼宮内−一戸−北福岡−九戸通−金田一−金田一温泉プール前 (2) 路線略図         Λ三戸         |         +−−・         |  |      金田一|  ○金田一温泉プール前  (→金田一温泉)◎  |         |  ●金田一温泉(→金田一温泉郷)         |  |      九戸通○−−●−−−>軽米・久慈         | 陸奥矢沢         |    田子<−−○堀野         |  浄法寺    |  <−−−●−−◎北福岡(→二戸)   陸奥合川\ |        \|         ○鳥越観音前         |       一戸◎         |     岩手野中○−−>葛巻         |         +−◎小鳥谷         ○小鳥谷駅前         |         ○道地         |         ○岩手小繋         |         ○小繋駅前         |         ○中山         |         ○岩手御堂         |         ○尾呂部         |    岩手町大町○−−>葛巻         |         ◎沼宮内(→いわて沼宮内)         |         |         ○岩手渋民         |         |         ◎盛岡 (3) 路線解説 ・盛岡金田一急行線は1971(S46)年に岩手町役場前(→岩手町大町)〜一戸が  開業し、既設区間を含めて盛岡〜金田一温泉プール前の運行を開始したもの  で、東北本線の補完、盛岡〜沼宮内〜一戸〜北福岡の都市間輸送、金田一  温泉への観光客輸送を使命としていた。 ・国鉄自動車路線名称では「盛岡・金田一温泉プール前間」とされており、沼  宮内本線(盛岡〜岩手町役場前)、一戸線(一戸〜北福岡)、田子線(北福  岡〜九戸通)、軽米本線(九戸通〜金田一)及び湯田線(金田一〜金田一温  泉プール前)と重複(いわゆる「二重戸籍」)していた。 ・1983(S58)年11月に長期休止となったまま、国鉄民営化を経てJRバス東北に  継承されたが運行されることはなく、1991(H3)年以降は「交通年鑑」の同社  路線の一覧から盛岡金田一急行線は削除されていた。 ・1991(H3)年からJRバス東北が東北自動車道経由の盛岡〜金田一温泉郷(後  に二戸に短縮)の高速バス「すーぱー湯〜遊」が運行されているが、この路  線を「盛岡・金田一高速線」と記載した路線図も見られる。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S61.7) 10.東北編(上) 54日目 8/12(月) ・単行本 54日目 p252〜254 (5) 乗車券の経由欄 ・「鳥越観音前、盛岡金田一急行線、金田一」 (6) 行程 ◇鳥越観音前1705→1719北福岡 盛岡金田一急行線 537-5027(日野RC300) ◇北福岡1808→1845金田一温泉プール前 盛岡金田一急行線             521-0002(いすゞK-CLM470) 北福岡発 金田一温泉行 (7) エピソード ・4号線の一戸〜北福岡〜金田一は盛岡金田一急行線の本数が多いので気楽。  ただし急行線は線名だけで、かつての急行便は姿を消している。 ・金田一温泉行きに乗り継ぐと、花火大会の飾り付けがにぎやかな商店街を  通って金田一駅へ寄り、国道から右へ外れた温泉へ登る。 ・温泉プール前は「自動車線普通旅客運賃表」によれば、正しくは「金田一  温泉プール前」で盛岡金田一急行線の終点になっているが、バスはさらに  奥へ登っていく。 (8) 連載誌と単行本の違い ・なし (9) 考察 ・盛岡金田一急行線は1971(S46).9.22に岩手町役場〜一戸が開業し、運行系統  は盛岡〜金田一温泉プールで1日3往復の運行だった。1972(S47)年1月現在  のダイヤは次の通りであった。    盛岡発:0710・1410・1640、金田一温泉発:0710・1030・1735    所要時間2時間20分 ・1975(S50)年12月現在のダイヤでは次の3往復が設定されていた。    盛岡0705→1003金田一温泉  金田一温泉0700→0944盛岡      1400→1648            1042→1330      1620→1906            1737→2017 ・その後、1978(S53)年8月現在のダイヤでは次の1往復に減っていた。    沼宮内0800→0948金田一温泉  金田一温泉1040→1330盛岡 ・盛岡金田一急行線は並行する東北本線の改良によって輸送が移行したため、  1983(S58)年11月に休止されたが、休止直前の同年9月現在のダイヤでは、  沼宮内発着に短縮された次の1往復が設定されていた。    沼宮内0743→0928金田一温泉  金田一温泉1150→1330沼宮内 ・当時の「自動車線普通旅客運賃表」の盛岡金田一急行線の項では、盛岡〜  岩手町大町相互間及び小鳥谷駅前〜金田一温泉プール前相互間の運賃が記載  され、岩手町大町〜小鳥谷駅前を跨ぐ運賃は記載されていない。 ・連載誌、単行本で「盛岡金田一急行線」と記述された国鉄バス便については  盛岡金田一急行線と一戸線・田子線・軽米本線及び湯田線との二重戸籍区間  であると解される。
2014 年 11 月 24 日 23:46:18 (14823) ふもふも館長さんの書き込み まこっさん、ご指摘ありがとうございました。 棯畑に乗車したことがありますとは、すごいですね。 防長線の時刻表で、S60時刻表より前は所有しておらず、 枝線は、どんなダイヤだったか興味があります。 山口市内も開業当時と現在では道筋が大きく異なっています。 そういう話も考察で加えたかったのですが、今回はカットしています。 細かいご指摘(笑)、お待ちしております〜
2014 年 11 月 24 日 22:54:46 (14822) まこっさんの書き込み 重箱の隅をつついたような指摘のため、お時間をとらせてしまったみたいで、 申し訳ありませんでした。 また細かい指摘をさせていただくかも知れませんが、よろしくお願いします。
2014 年 11 月 24 日 17:10:32 (14821) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 遠野線 (1) 路線名称 ◇遠野線   遠野本線    遠野−上組町−岩手上郷−切掛−上有住支所前−世田米−陸前高田    陸前高田−高田松原   来内線    遠野−〆田−切掛   遠野北線    上組町−八幡神社前−福泉寺口−岩手和野−恩徳    八幡神社前−飯豊−福泉寺口    岩手和野−岩手山口   大洞線    上有住支所前−上有住 (2) 路線略図           上            八 高田松原      有     〆   遠  幡  福  岩  ○     世 支住     田   野  神  泉  手  |  竹  田 所   ・−−○−・ ◎  社  寺  和  |  駒  米 前   |    ・−+  前  口  野  ◎−−◎−−○−−○−−○−○−◎−−○−−○−−○−−○−−−○ 陸前        |  切 上 岩 上組町 | /   |   恩徳  高田  岩手八日町○  掛 郷 手     |/    |           |    町 上     ○     ○           ◎      郷     飯豊   岩手山口          上有住 (3) 路線解説 ・遠野線は1947(S22)年に遠野〜陸前高田が開業したのがルーツで、岩手県東部  山間地帯を縦断して大船渡線、釜石線を短絡し、地方交通の確保と産業開発  を使命としていた。 ・当時、陸前高田、竹駒、岩手上郷、遠野、上有住が鉄道線との接続駅で、  (自)遠野、岩手八日町、世田米に自動車駅が存在した。 ・国鉄最後の日の1987(S62)年3月末限りで来内線遠野〜〆田の廃止公示がなさ  れた他はJRバス東北に継承されたが、1990年代前半に来内線〆田〜切掛、大  洞線、遠野北線が廃止され、最後まで残った遠野〜陸前高田、上有住支所前〜  岩手八日町が2004(H16)年に廃止されて、遠野線は全廃された。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S61.7) 10.東北編(上) 52日目 8/10(土) ・単行本 52日目 p242〜243 (5) 乗車券の経由欄 ・「竹駒、遠野線、岩手上郷」 (6) 行程 ◇竹駒1009→1138上郷町 遠野本線 537-0014(日野K-RE101) 陸前高田発 遠野行 (7) エピソード ・バスはさらりと席が埋まり、お年寄り主体だが途中停留所の乗降も多い。岩手  横田を過ぎると道幅はますます狭くなり離合ができない。 ・七夕の飾りつけが美しい商店街に入ると住田町の中心世田米で、時間調整停車。 ・道路はひときわ険しくなりSカーブの急坂を上って赤羽根峠を越える。峠の途  中で老人3人、中年女性1人が乗車。 ・運転士から鉄道乗り換えを案内されて下車したのは上郷町。300m裏道を歩くと  駅に出る。上郷町〜岩手上郷0.4kmは不乗となった。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ 大船渡線竹駒駅の写真 (9) 考察 ・遠野線の部のうち、遠野北線は恩徳から先の岩手小国〜陸中川井〜茂市まで路  線が伸びていた。さらに鉄道小本線に沿って茂市〜岩手清水の路線があった(  1966(S41)年廃止公示)。「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号で  は次のようなダイヤが設定されていた。なお、遠野北線陸中川井〜茂市は1972  (S47)年に、恩徳〜陸中川井は1984(S59)年に廃止された。    遠野0820→1042陸中川井  陸中川井1300→1518遠野    茂市0830→0905町  町0700→0740茂市      1435→1510    0930→1005      1653→1728    1515→1550      1715→1750    1631→1706 ・1957(S32)年に遠野本線遠野〜盛岡が開業し、盛岡〜陸前高田の急行便が運行  された。1958(S33)年8月現在のダイヤでは次の4往復が設定されていた(岩手  中央バスと相互乗り入れ)。    盛岡0630→遠野0905→1100陸前高田0645→遠野0845→1115盛岡    盛岡0900→遠野1135→1330陸前高田0830→遠野1030→1300盛岡    盛岡1340→遠野1615→1810陸前高田1300→遠野1500→1730盛岡    盛岡1620→遠野1855→2050陸前高田1650→遠野1850→2120盛岡 ・盛岡〜陸前高田の直通急行便は、「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9  月号では次の1往復が設定されていた。その後、遠野〜盛岡は1972(S47)年に廃  止された。    盛岡1425→遠野1720→1946陸前高田0720→遠野0955→1240盛岡 ・終戦直後の時期は国鉄バス進出に伴う地元バス事業者等との軋轢が各地で発生  していたが、遠野線に隣接する陸前高田〜長部港で1949(S24)年に6往復を運行  を始めたと言われる。1950(S25)年に国鉄は陸前高田〜福伏の事業経営承認を申  請した(屈指のいわし水揚地である長部港の労務者輸送の確保と沿道民の利便  性確保が理由)が、既に民営事業者において輸送需要を満たしているとして、  承認が却下された。 ・国鉄遠野自営では1985(S60)年7月から会員制定期観光バス「遠野物語めぐり号」  の運行を行っていた。運行開始時のダイヤは次の通りであった。    遠野0840→五百羅漢→千葉家→続石→福泉寺→水光園→伝承寺→1500遠野    →1510遠野博物館 ・「遠野物語めぐり号」は国鉄民営化以降もJRバス東北において運行が継承さ  れた。1992(H4)年ダイヤでは次の延べ4便(コース)が運行されていた。   1号:遠野0840→五百羅漢→千葉家→続石→伝承園→博物館→1252遠野   3号:遠野1015→博物館→八幡宮→福泉寺→伝承園→千葉家→五百羅漢→      1515遠野   5号:遠野1130→八幡宮→福泉寺→伝承園→千葉家→五百羅漢→1515遠野   7号:遠野1310→伝承園→千葉家→五百羅漢→博物館→1637遠野 ・「遠野物語めぐり号」は2004(H16)年の遠野線全廃とともに、早池峰バスに移管  された。
2014 年 11 月 24 日 14:55:26 (14820) 政宗3号さんの書き込み 館長さん、追記して頂き有難うございます。 北福岡自営の「S58.11 路線図」を確認しました。 この路線図に挙がっている盛岡〜小鳥谷駅前間の各停留所に 盛岡金田一急行線の急行便が停車したのではないかと推測し ます。(この中には「白樺号」は停まらず、沼宮内線の普通 便のみ停車したものも含まれますが、白樺号が特急であるの に対し、急行便ということもありましたので。) 西法寺と一戸病院前(当時)は両方とも旧R4上にありまし たので、実際の運行経路は一戸駅前を通っていたように 思います。駅前広場に入るのを表現したのか、描き間違い のようですね。 これからもよろしくお願いします。
2014 年 11 月 24 日 13:05:25 (14819) ふもふも館長さんの書き込み 政宗3号さん、盛岡金田一急行線ありがとうございました。 勝手ながら、独自区間が岩手町大町〜岩手野中である事がわかるよう、路線略図に、 葛巻への矢印と小鳥谷駅を追記してみました。いかがでしょうか。 北福岡自営「S58.11 路線図」によると、以下のバス停があった事がわかります。 ◇盛岡(略)沼宮内、岩手町大町、尾呂部、岩手御堂、中山、小繋駅前、岩手小繋、  道地、小鳥谷駅前、岩手野中、川又、女鹿口、西法口、一戸、一戸病院前(略) なお、この路線図には、西法口と一戸病院前を一戸を通らず、直接結ぶ線が掛かれ ており、興味深いです。当時の一戸病院前は、現在の向町バス停で、一戸駅を通過 する理由が思いつかないです。手書き路線図ですが、描き間違いでしょうか。 ※不毛板(11317)-5
2014 年 11 月 24 日 12:08:54 (14818) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 仙台盛岡急行線 (1) 路線名称 ◇仙台盛岡急行線    仙台−古川−築館町−一ノ関−盛岡バスセンター (2) 路線略図               金成       古川      ・●・               盛岡バス  仙台   十日町     | |   中尊寺   北上市   センター  ◎−−○−−○−−○−−○+−+−◎−−○−−○−−○−−○−−○    県庁前 | 築館町 沢辺  一ノ関   水沢市   花巻市        ◎古川 (3) 路線解説 ・仙台盛岡急行線は1968(S43)年に一ノ関〜盛岡バスセンターが開業し、既設  区間(仙台〜一ノ関)を含めて仙台〜盛岡バスセンターで特急バスの運行を  開始したもので、東北本線の補完、沿線主要都市間の都市間輸送を使命とし  ていた。 ・国鉄自動車路線名称では「仙台・盛岡バスセンター間」とされており、仙台  〜一ノ関は古川本線と重複(いわゆる「二重戸籍」)していた。 ・1978(S53)年12月に運行系統が仙台〜一ノ関に短縮されたが(一ノ関〜盛岡  バスセンターが長期休止)、本数は1日4往復で維持された。その後、1983  (S58)年が減便され始め、1985(S60)年1月現在ダイヤでは1日1往復となっ  ていた。同年3月ダイヤ改正で仙台〜一ノ関特急便は休止された。 ・1986(S61)年12月に仙台盛岡急行線の廃止公示がなされた。 ・1986(S61)年3月ダイヤ改正で古川本線仙台〜一ノ関急行便を東北自動車道  (泉〜築館)経由に変更の上、特急便として運行された(1日2往復)。  この便の運行経路は、古川本線「築館町・七北田間(東北自動車道)」とし  て、同年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で位置づけられた。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 (5) 乗車券の経由欄 (6) 行程 (7) エピソード (8) 連載誌と単行本の違い ・仙台盛岡急行線は当時長期休止中のため、最長片道きっぷの旅には組み入れ  られなかった。 (9) 考察 ・仙台盛岡急行線は1968(S43).08.01に一ノ関〜盛岡バスセンター(94.9km)が  開業し、仙台〜盛岡バスセンターに特急バスを運行開始(国鉄4往復、東日本  急行6往復)。    仙台0730→一ノ関0955→盛岡BC1215 盛岡BC0725→一ノ関0955→仙台1208    仙台0930→一ノ関1155→盛岡BC1413 盛岡BC0925→一ノ関1155→仙台1408    仙台1330→一ノ関1555→盛岡BC1815 盛岡BC1325→一ノ関1555→仙台1808    仙台1530→一ノ関1755→盛岡BC2015 盛岡BC1525→一ノ関1755→仙台2008 ・1974(S49)年12月現在ダイヤでは、国鉄は仙台〜盛岡3往復、仙台〜一ノ関1  往復で、東日本急行は仙台〜盛岡4往復、仙台〜一ノ関2往復であった。    仙台0730→一ノ関1007→盛岡BC1247 盛岡BC0652→一ノ関0947→仙台1212    仙台0930→一ノ関1158       盛岡BC0857→一ノ関1147→仙台1412    仙台1330→一ノ関1607→盛岡BC1847       一ノ関1547→仙台1812    仙台1530→一ノ関1807→盛岡BC2047 盛岡BC1457→一ノ関1747→仙台2012 ・1976(S51)年2月改正では、国鉄は仙台〜盛岡2往復、仙台〜一ノ関2往復に、  東日本急行は仙台〜中尊寺間5往復となった(東日本急行中尊寺〜盛岡バスセ  ンターを休止、1往復休止(6→5往復))。 ・1978(S53)年8月改正では、国鉄は仙台〜盛岡2往復、仙台〜一ノ関2往復が  設定されていた(東日本急行は仙台〜中尊寺間5往復)。  (下り便)   1便 仙台0730→1006一ノ関1015→盛岡BC1255   3便 仙台0930→1206一ノ関   5便 仙台1330→1606一ノ関1615→盛岡BC1855   7便 仙台1530→1807一ノ関  (上り便)   2便 盛岡BC0645→0925一ノ関0940→仙台1215   4便         一ノ関1142→仙台1415   6便         一ノ関1540→仙台1813   8便 盛岡BC1452→1732一ノ関1740→仙台2012 ・1978(S53)年12月改正では、国鉄は仙台〜一ノ関4往復(東日本急行は仙台〜中  尊寺5往復)となり、仙台盛岡急行線一ノ関〜盛岡バスセンターが休止された。    仙台0730→一ノ関1006    一ノ関0940→仙台1215    仙台0930→一ノ関1206    一ノ関1140→仙台1413    仙台1330→一ノ関1606    一ノ関1540→仙台1813    仙台1530→一ノ関1807    一ノ関1740→仙台2012 ・1982(S57)年7月現在ダイヤでは、国鉄は仙台〜一ノ関5往復(東日本急行は仙  台〜中尊寺5往復)が設定されていた。    仙台0730→一ノ関1009    一ノ関0940→仙台1218    仙台0930→一ノ関1209    一ノ関1140→仙台1416    仙台1130→一ノ関1409    一ノ関1400→仙台1636    仙台1330→一ノ関1609    一ノ関1540→仙台1816    仙台1530→一ノ関1810    一ノ関1740→仙台2015 ・1983(S58)年5月改正で、国鉄は仙台〜一ノ関2往復、仙台〜沢辺1往復(東日  本急行は仙台〜中尊寺4往復)に減便された。    仙台0730→一ノ関1010    一ノ関0940→仙台1219    仙台1330→ 沢辺1546    一ノ関1140→仙台1416    仙台1530→一ノ関1811     沢辺1604→仙台1817 ・1983(S58)年8月現在ダイヤでは、国鉄は仙台〜一ノ関2往復に減便された(東  日本急行は仙台〜中尊寺4往復)。    仙台0730→一ノ関1010    一ノ関0940→仙台1219    仙台1530→一ノ関1811    一ノ関1140→仙台1417 ・1984(S59)年9月現在ダイヤでは、国鉄は仙台〜一ノ関1往復に減便された(東  日本急行は仙台〜中尊寺4往復)。    仙台1530→一ノ関1811    一ノ関0940→仙台1219 ・1985(S60)年1月改正では、国鉄は仙台〜一ノ関1往復(古川経由)、東日本急  行は仙台〜中尊寺3往復、仙台〜一ノ関1往復(いずれも古川経由せず)とな  った。東日本急行は仙台〜一ノ関・中尊寺特急バスを東北道(泉〜築館間)経  由に乗せ替えたが、国鉄は古川経由で維持された。その後、同年3月改正で国  鉄の仙台〜一ノ関特急便は廃止された。    仙台1530→一ノ関1811    一ノ関0940→仙台1219 ・仙台盛岡急行線には自動車急行券が設定されていたが、このような制度の差異  のため、仙台〜一ノ関において古川本線と別線扱いにしたものと解される。仙  台盛岡急行線と古川本線とは概ね経路(国道4号線)は一致しているが、前者  が陸前三本木、陸前荒谷、金成を経由しない(三本木バイパス等を経由)とい  う違いがあった。 ・運行系統が仙台〜一ノ関に短縮された以降、「国鉄監修交通公社の時刻表」  では、当該系統を古川線と記載されていたが、「国鉄自動車50年史」では当該  特急便を仙台盛岡急行線と記載している(自動車急行券の設定区間の1つとし  て「仙台盛岡急行線仙台・一ノ関間」とある)ことから、本稿では仙台盛岡急  行線と解する。 ・仙台盛岡急行線は、東日本急行(盛岡バスセンター〜仙台)及び岩手急行バス  (盛岡バスセンター〜一ノ関)との間で普通乗車券、回数乗車券について共通  乗車の取扱いが行われていた。 ・なお、1985(S60)年9月に東日本急行の特急便(東北自動車道経由)に乗車した  際には、車内放送で仙台盛岡急行線とされており、「国鉄バスと共同運行で乗  車券は共通、但し鉄道線との連帯乗車、周遊券、宮城交通の乗車券では利用で  きない」旨案内されていた。
2014 年 11 月 24 日 11:15:35 (14817) ふもふも館長さんの書き込み まこっさん、情報ありがとうございます。 たしかに、木偏=棯畑(うつぎはた)ですね。確認しました。 http://www.geocities.jp/ja4vne1/utsugihata/utygihata.html ハナショウブ自生地で有名みたいです。 不毛板(14808)「1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 防長線・秋吉線」を早急に 訂正するほか、当ホームページにある路線名称ページ、不毛板バックナンバー等も、 今後、木偏に補正していきたいと思います。 1.国鉄本社の資料 ・「S31.4.25に 八反田〜稔畑 開業、S61.6.10 廃止」で、禾偏のようです。  ※該当『鉄道公報』は未確認  ※『鉄道公報』S46.2.26 公示77号「路線名称の全部改正」では、禾偏を確認。 2.『鉄道辞典』S32発行  http://www.inv.co.jp/~fumo/jrb5703.html ・097:防長線では、路線名称は手偏で、路線図は木偏で表記してありました。  ※禾偏にしたのは、当方のワープロミスでした。 3.路瀬図 ・S36.4.1現在の路線図では木偏で、その後に発行された路線図も、私が確認する  限り木偏でした。しかし、S60.4.1現在の路線図では「S58.10.1休止」の注釈付  で、禾偏でした。 4.地図 ・国土地理院、ゼンリンは、木偏でした。 ・『山口県広域道路地図』(福岡人文社, 平成6年頃)は、禾偏でした(笑) 5.考察 ・路線図は、地元である山口自営が監修していたので、木偏=正しい表記であった。 ・国鉄本社(もしくは中国地自)は、漢字誤りと決めつけ、禾偏で表記したと推測。 ・『鉄道辞典』が手偏(捻=ねじる、ネン)となったのは、原稿や路線図が木偏で表  記されているため、禾偏でない事は理解したもの、活版印刷の活字として、木偏  が無いため、手偏で代用したと推測。 ・S60.4.1現在の路線図で禾偏にした理由は、休止となったため、路線図の該当部分を  一旦削除し、新たに書き直す必要があったためで、山口自営の路線図担当が当時を  知らず、営業所長も確認を怠った(笑)からと推測。
2014 年 11 月 23 日 22:09:11 (14816) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 盛岡金田一急行線 不毛板(14824)参照
2014 年 11 月 23 日 10:41:02 (14815) まこっさんの書き込み 館長書き込み(14808)の防長線支線の八反田−稔畑(路線図では捻畑)は、“棯畑(うつぎはた)”です。 漢字変換できない?みたいですが、“きへん”です。 乗車したことがありますが、とてものどかなところでした。
2014 年 11 月 22 日 22:25:28 (14814) 最寄りは遠江内野さんの書き込み 館長さん。色々と情報有り難うございます。 西天竜線の阿寺東系統は、間違いなく通学便と思われます。 現在の遠鉄バス内野台線の経路について、 宮口駅方面の名残である、浜北西高行き(開校日運行)のみが、内野バス停を通ります。 しかも、下りは内野台を通らず、開業当時の経路を通るということです。 上りは内野古墳から内野台三丁目を通ります。 内野台車庫及びサンストリート浜北行きは、内野古墳からさらに北上し、 内野台北バス停から別の坂を下って内野台車庫に至るため、内野バス停は通りません。 現在の経路については、遠鉄バスのHPに掲載されている路線図を見ていただくと、 わかりやすいかと思います。 また、西天竜線の田町バス停については、遠鉄の名店ビルバス停と同位置と思われます。 当時は小学生でしたが、国鉄バスのバス停が同居していたのを何となく記憶しています。 遠鉄名店ビルというのは、当時遠鉄が経営していたデパートみたいなもので、 浜松駅前に遠鉄百貨店が開業したのと同時期にオフィスビルとなり、その後解体されました。 話は変わりますが、学生時代は福島県にいたため、近くのJRバスに乗りに行ったりしてました。 小国線は廃止直前に訪問しています。まだ廃止まで半月ぐらいあったと思いますが、 既にバス停が全て撤去されていて、何もないところにバスが停まるので驚いた記憶があります。 船福線は残念ながら乗る機会はありませんでした。
2014 年 11 月 21 日 23:33:10 (14813) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 川俣線 (1) 路線名称 ◇川俣線    松川−飯野町−遠西 (2) 路線略図         伊         達   福     葭   島     田   ●−−−−−●−−−・         |   |      水穴 |飯野町|遠西   ◎−−○−+○−−−○−−●−>川俣高校前・浪江   松  +−+|     川俣日和田   川     |         V船引 (3) 路線解説 ・国鉄自動車川俣線は、1968(S43)年の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル  線撤去(いわゆる「赤字83線」)の一環として廃止された国鉄川俣線(松川  〜岩代川俣)の代替輸送を行うため、1972(S47)年に開業した。 ・開業時から松川〜川俣高校前を直通運行する他、松川〜飯野町の区間便も設定  されていた。鉄道線岩代飯野駅跡には自動車駅飯野町駅が設けられた。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正から、水穴〜飯野町の別  線(明治小学校前経由。通称「明治線」)が認知された。この路線形態で国鉄  民営化を迎えた。 ・2005(H17)年3月末限りで川俣線は全廃された。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S61.6) 9.関東・信越編(下) 49日目 8/7(水) ・単行本 49日目 p229〜230 (5) 乗車券の経由欄 ・「松川、川俣線、遠西」 (6) 行程 ◇松川1400→1425川俣日和田 川俣線 537-6022(日野RE100) 松川発 川俣高校前行 (7) エピソード ・川俣線バスが小さな峠を越える時に右手に見える鉄橋跡はかつて歩いて渡った  が、すっかり蔦に覆われていた。 ・福浪本線への乗り換えは、川俣町内の川俣線との重複区間内のどの停留所でも  構わないとの運転士情報。 (8) 連載誌と単行本の違い ・単行本 松川駅前バス乗り場とバスの写真 (9) 考察 ・代替輸送とは、前述の国鉄ローカル線(「赤字83線」)撤去に伴い、鉄道路盤  と並行する一般道路を運行し、一般のバス賃率を適用している路線の輸送のこ  とであり、国鉄自動車は5路線を担当していた。 ・開業時の鉄道と国鉄自動車の輸送サービスを比較すると次の通り。鉄道が3駅  、所要時間24分、1日6.5往復であったのに対し、バスは7停留所を設けて、  松川〜川俣高校前14往復、松川〜飯野町1往復の運行となった。また、鉄道の  廃線敷を利用したバイパスの建設や鉄道駅舎跡の有効利用が行われた。
2014 年 11 月 21 日 20:52:09 (14812) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 船福線 (1) 路線名称 ◇船福線    伊達葭田−飯野町−新館−船引 (2) 路線略図       伊       達   福   葭   島   田   ●−−−○−−−・       |   |       |飯野町|遠西   ●−−−○−−−●−−−>川俣町・浪江   松   |   川   |       ○新館       |       |       ◎船引 (3) 路線解説 ・船福線は、1954(S29)年に福浪線の支線として伊達葭田〜船引が開業したのが  ルーツで、東北本線と磐越東線を短絡して、地方交通の確保、産業開発を使  命としていた。 ・1984(S59)年9月末に長期休止となったが、当時、沿線自治体からの要請によ  り、補助を受けて道路運送法第21条(当時)許可路線(いわゆる「自治体バス  」として国鉄バスが運行を行っていた。 ・国鉄民営化以後もこのような運行体制が続いたが、2006(H18)年の法令改正に  よって道路運送法第4条の乗合路線となった。その後、2010(H22)年3月末限  りで船福線は全廃となった。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 (5) 乗車券の経由欄 (6) 行程 (7) エピソード (8) 連載誌と単行本の違い ・当時、形式上は長期休止中のため、最長片道きっぷの旅には組み入れられな  かった。 (9) 考察 ・上述のように船福線伊達葭田〜船引間は自治体バスとしての運行であり、1986  (S61)年2月に乗車した際には(自)福島では乗車券を発売せず、女性車掌が  乗務して自治体バス用の車内乗車券を発売していた。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で船福線は「伊達葭田・  岩代下田間」に改められており、福島〜船引間の運行便のみ自治体バスだった  可能性もある(福島〜飯野町・岩代下田間の運行便は国鉄バスの自主運行で  あろうか)。 ・国鉄最後の日である1987(S62)年3月末限りで、船福線伊達葭田〜岩代下田の  廃止公示がなされた。 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の船福線の部には、福島〜船引間  主要駅の運賃が載っているが、長期休止前のものかも知れない。 ・当時、仮に船福線に係る国鉄乗車券を発行できたとすれば、飯野町〜伊達葭田〜  遠西と迂回することができたと思われる。
2014 年 11 月 21 日 07:32:10 (14811) ふもふも館長さんの書き込み http://www.jrkbus.co.jp/pdf/20141120shunan.pdf JR九州バス「福岡・防府・周南ライナー」が12/20から延伸です。 下松東中村〜下松市役所前〜ザ・モール周南西
2014 年 11 月 20 日 20:10:19 (14810) ふもふも館長さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 東名高速線・名神高速線 (1) 路線名称 ◇東名高速線    東京−東名御殿場−東名沼津−東名静岡−東名磐田−東名浜松北    −名古屋インター−名古屋    東名沼津−沼津    東名静岡−静岡    東名磐田−浜松    東名浜松北−浜松    名古屋インター−名神一宮 ◇名神高速線    名古屋−名神一宮−名神多賀−名神大津−京都深草−千里ニュータウン−大阪    名神大津−京都    京都深草−京都 (2) 路線略図  名古屋  東名御殿場    東名向ヶ丘 用賀PA  <−−○−−−○−−●−−−−−○−−−−●−−−−+−<−・     |東名   足柄SA              ∨   |     |沼津                 霞が関○ ◎−・   沼津◎                      | |東京                            ・−・   Λ大阪   |                    中部地自|関東地自   ○名神一宮                    |   |\                  静岡◎  |   | \   (三ヶ日) 東名    東名   |  |   東名   |  \    ●  浜松北   磐田   |  |   沼津  東京   ◎−−−○−−−+−−−○−−+−−○−−−○−−−○−−−○−−−>  名古屋 名古屋        /      東名  |東名  |      インター      /       静岡  |松岡  |             浜松◎            |    ◎沼津             京阪五条 名神大津             ・−○−+−○−−○−−+             |   |  名神多賀 |        近畿地自           ・−◎京都 ・  (多賀SA)−|−−−−−−−−−−−−  津山  名神茨木 |    /        ○名神関ヶ原   中部地自  <−−+−○−−−+○−−・          \     |    京都深草             \     ○千里ニュータウン          名神一宮○     |                      |\     +                      | \     |\                     |  \    東京     | ●新大阪              名古屋◎−−−○−−−−>     |/                        名古屋     +                         インター     ◎大阪 (3) 路線解説 ・東名高速線は、1969(S44)年に東京〜名古屋、〜沼津・静岡・浜松・名神一宮と  して開業、名神高速線は、1964(S39)年に名古屋〜神戸、名神豊中〜新大阪とし  て開業したのがルーツ。東海道新幹線の補完を使命としていた。 ・当時、東京、沼津、静岡、浜松、名古屋、京都、大阪に自動車駅があった。 ・現在、引き続きJRバス関東、JRバステック、JR東海バス、西日本JRバスが運行し  ている。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S61.2) 5.近畿編(上) 19日目 6/19(水) ・連載誌(S61.3) 6.近畿編(下) 21〜24日目 6/21(金)〜22(土)、7/3(水)〜4(木) ・連載誌(S61.5) 8.関東・信越編(上) 37日目 7/17(水) ・単行本 19日目 p107〜109、21〜24日目 p115〜121、37日目 p176〜177 (5) 乗車券の経由欄 ・「千里ニュータウン、名神高速線、名古屋」 ・「京都、ドリーム号、東京、ドリーム号、大阪」 ・「浜松、東名高速線、静岡」 (6) 行程 ◇千里ニュータウン929→1236名古屋 名神高速線 急行2便 744-2906 ◇京都2206→643東京 東名高速夜行便 ドリーム4号 744-5955(三菱MS735S) ◇東京2220→715大阪 東名高速夜行便 ドリーム1号 744-5955(三菱MS735S) ◇浜松700→821東名静岡 東名高速線 急行 202便 744-9915(三菱MS504Q) ・東名静岡922頃→932頃静岡 タクシー (7) エピソード ・発券時、東名・名神ハイウェイバスの昼行便と夜行便を独立したものと考えて良  いという運用だったので、最長ルートに組み込むことが出来た。発券を機に再検  討が行われ、S60.6以降は連続切符扱いとなった。 ・名古屋行急行は、前4列が禁煙席になっていた。 ・東京行は3両運転、先生が乗った1号車は新車。二度ほど停車した気がする。  霞が関で1名降車し、東京駅八重洲南口に定刻645に着いた。 ・大阪行も3両運転、先生が乗った3号車は新車。0時頃に足柄SA、3時頃に三ヶ日  ドライブインに停車した。大阪駅には740定刻より14分早着。 ・浜松から急行東京行に乗車、禁煙席1Bに座る。東名牧之原で通勤客が整列乗車  して、ほぼ満員に。 ・東名静岡から908発静岡行に乗り継ぐ予定。921まで待ったが来なかった。  横浜ICが混んでいるので朝の下りは、しばしば遅れる。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ ドリーム号の写真、744-5955の解説 (9) 考察 ・S61.6頃の時刻表で考察する。 ・当時の国鉄ハイウェイバスは、車内前側8席(1〜2番A〜D)が禁煙席で、中国高速線  の大阪〜北条が禁煙区間だった。 ・名神ハイウェイバス、東名ハイウェイバス、ドリーム号の順に考察する。 ◆名神ハイウェイバス◆ ・当時、名神ハイウェイバスは、国鉄の他、名阪近鉄高速バスと日本急行バスが運  行しており、日急バスに限って、名鉄バスセンターを発着していた。日急バスの  一部便では、コーヒー・紅茶・お茶の無料サービスがあった。 ・国鉄バスの時刻は、以下の通り。  ◇アロー201 名古屋700→948京都 急行  ◇2001   名古屋710→939京都 直行(八日市のみ停車) 土休日と8/9〜17運転  ◇2003   名古屋800→1029京都 直行(八日市のみ停車) 土休日と8/9〜17運転  ◇アロー203 名古屋830→1121京都 急行  ◇アロー1  名古屋920→1247大阪 急行  ◇アロー205 名古屋1000→1251京都 急行  ◇アロー207 名古屋1145→1439京都 急行  ◇アロー3  名古屋1240→1617大阪 急行  ◇アロー209 名古屋1350→1641京都 急行  ◇アロー5  名古屋1430→1807大阪 急行  ◇アロー211 名古屋1550→1841京都 急行  ◇アロー7  名古屋1640→2010大阪 急行  ◇アロー213 名古屋1725→2013京都 急行  ◇アロー9  名古屋1750→2110大阪 特急  ---  ◇アロー202 京都800→1044名古屋 急行  ◇アロー2  大阪910→1236名古屋 急行  ◇アロー204 京都1010→1255名古屋 急行  ◇アロー206 京都1100→1345名古屋 急行  ◇アロー4  大阪1110→1436名古屋 急行  ◇アロー208 京都1230→1515名古屋 急行  ◇アロー6  大阪1310→1627名古屋 特急  ◇アロー210 京都1400→1646名古屋 急行  ◇2002   京都1515→1741名古屋 直行 土休日と8/9〜17運転  ◇アロー212 京都1530→1816名古屋 急行  ◇アロー8  大阪1540→1857名古屋 特急  ◇2004   京都1700→1939名古屋 急行 土休日と8/9〜17運転 京阪五条1709発  ◇アロー10 大阪1640→2006名古屋 急行  ◇アロー214 京都1730→2016名古屋 急行 京阪五条1739発 ・アロー便は、団体予約が可能という意味しかなく、S61.11.1までに終了した模様。 ・京阪五条経由は、夕方の片道1便(特定日は2便)しかなかった。 ・現在、引き続きJR東海バスと西日本JRバスが運行しているが、以下の大きな変化  があった。  ◇2002(H14)年に、都市間輸送に特化するため、途中停車駅を大幅に削減した。  ◇2008(H20)年に、新名神道経由便が登場。  ◇2010(H22)年に名古屋駅、2011(H23)年に大阪駅のバス乗り場を変更した。  ◇名阪近鉄高速バスは、1994(H6)年に名阪近鉄バスに改称、2007(H19)年に三重交   通の子会社になった。  ◇日本急行バスは、名古屋観光日急を経て、名鉄観光バスに改組され、名神高速線   の運行は、2009(H21)年より名鉄バスに移管された。 ◆東名ハイウェイバス◆ ・運行形態と本数は、以下の通り。  ◇1〜28便   東京〜名古屋 特急 14往復 一部がエコー便  ◇201〜204便 東京〜浜松 急行 2往復  ◇301〜332便 東京〜静岡 急行 16往復 一部がエコー便  ◇351〜360便 東京〜東名静岡 急行 5往復  ◇401〜408便 東京〜沼津 急行 3.5往復 一部がエコー便 ※408便(沼津行)は無い  ◇451〜458便 東京〜東名富士 急行 2.5往復 ※457便(東名富士行)は無い  ◇501〜508便 静岡〜名古屋 急行 4往復 一部がエコー便  ◇601〜602便 浜松〜名古屋 急行 1往復  ◇5301〜5308便 東京〜東名静岡 急行 4往復 土休日と7/12〜8/31運転          ※5302便は静岡発 ・エコー便は、団体予約が可能という意味しかなく、S61.11.1までに終了した模様。 ・特急便は、東名蒲原以西は各駅に停車する。 ・急行便は、各駅停車だが、以下のバス停には停車しない便が多かった。  ◇東名横浜 S61.6現在は通過する便は無いが、S61.11.1改正では約半数が通過。  ◇東名厚木 16往復のみ停車。  ◇東名駒門 3往復のみ停車。  ◇東名由比 1往復のみ停車。 ・東名横浜と東名厚木は、料金所の外にバス停があり、渋滞のため、バス遅延の原  因となっていた。先生が東名静岡から乗継予定だった便は、東京610発静岡行の  急行301便で、東名厚木を通過するが、東名横浜に停車するため、延着したと推測  する。S61.11改正では、急行301便は東名横浜を通過するよう改善された。 ・路線名称「東名浜松北−浜松」を通る便は、601〜602便(浜松〜名古屋)の1往復  のみであるが、201〜204便(東京〜浜松)も、同じ経路(浜松IC〜浜松)を通るので、  乗り潰し観点では、どちらかに乗車すれば問題ないと思われる。 ・当時、東京駅を発車する便は、東京駅八重洲南口、宝町入口、首都高速環状線、  首都高速渋谷線というルートで、東京駅に到着する便は、首都高速渋谷線、首都  高速環状線、霞が関出口、霞が関、東京駅八重洲南口というルートで上下線で異  なっていた。 ・現在、引き続きJRバス関東、JRバステック、JR東海バスが運行しているが、以下  の大きな変化があった。  ◇東名横浜、東名駒門、東名由比、沼津は廃止、東名厚木は移転した。  ◇東名大井、東名足柄、東名愛鷹、浜松インター、東名浜名湖、本山、栄を新設。  ◇バス種別が、急行、特急、超特急と直行(新東名)に変更された。  ◇2012(H24)年、新東名道経由便が登場。  ◇東京駅発車便についても上り便同様、霞が関入口に経路変更された。到着便に   ついては、日本橋口に変更。  ◇栄乗り入れや、名古屋駅バス乗り場の移転等で、名古屋IC以西の経路が変更。  ◇渋滞時に限り、上り便(東京行)が用賀PAで降車できるようになった。  ◇2005(H17)年より、JRバステックが運行に参入。 ◆ドリーム号◆ ・時刻は、以下の通り。  ◇ドリーム1号 801便 東京2220→740大阪  ◇ドリーム2号 802便 大阪2240→809霞が関、815東京  ◇ドリーム3号 901便 東京2300→745京都  ◇ドリーム4号 902便 京都2200→637霞が関、643東京  ◇ドリーム5号 951便 東京2320→528星ヶ丘、544千種駅前、601名古屋  ◇ドリーム6号 952便 名古屋2320→554霞が関、600東京 ・現在、引き続き西日本JRバス、JR東海バス、JRバス関東が運行しているが、以下  の大きな変化があった。  ◇大阪系統はドリーム大阪号、京都系統はドリーム京都号に改称された後、発展   的解消し、現在は、グランドリーム号、プレミアムドリーム号、青春エコドリ   ーム号などに引き継がれた。  ◇名古屋系統は、ドリームなごや号に改称された。
2014 年 11 月 18 日 18:44:35 (14809) 辰巳豚郎さんの書き込み 来る12月16日(火曜日)から、JRバスが成田空港連絡バスに参入します。 これは、従来から平和交通・あすか交通が東雲イオン‐銀座駅‐東京駅八重洲口‐成田空港間を結んでいる 「The Access 成田」に参入するもので、本日各社公式HPにアップされました。 JRバスの下り便は銀座駅‐東京駅八重洲南口が新規区間。 上り便は東京駅‐銀座駅‐東雲イオン前が新規区間(東雲行きは土曜・休日は銀座止り)で、 東関道成田ジャンクション‐空港間は、恐らく「ONライナー」と同様だと思います。 JRバスの空港側の停車順序は下り便が第2ターミナル・2番→17番→第1ターミナル15番。 上り便が第2ターミナル・2番→19番→第1ターミナル31番(9:50発のみ) その他は第2ターミナル19番始発で東京駅へ直行します。
2014 年 11 月 16 日 14:14:53 (14808) ふもふも館長さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 防長線・秋吉線 (1) 路線名称 ◇防長線   防長本線    小郡−山口市交通局前−湯田温泉通−山口市民会館前−山口−日赤口−佐々並−明木−萩−萩市−東萩    山口市民会館前−山口県庁前−日赤口    山口県庁前−山口−自動車試験場前−八反田−防府    山口市民会館前−自動車試験場前    八反田−棯畑   長小野線    佐々並−長小野 ◇秋吉線   秋吉本線    山口市交通局前−綾木−大田中央−随徳−秋吉−岩永−野崎−美祢    随徳−秋芳洞−秋吉台−大正洞    秋芳洞−黒谷口    秋吉台−秋吉台口    秋芳洞−(有料道路)−秋吉台   岩永線    野崎−丸山−岩永−岩永下郷   小郡線    綾木−小郡   厚狭線    美祢−美祢中央−南大嶺−四郎ヶ原−厚保本郷−厚狭   豊田前線    美祢中央−大嶺−豊田前−保保 (2) 路線略図          新川○            |\            +−◎東萩            |          萩市○            |         萩◎−+            |            |            +            |\          明木○ ○明木            |/            +            |            |        ○−−−○佐々並       長小野  |            |            |          ・−○日赤口          | |     山口県庁前○−+−◎山口      ○棯畑          | | |        |          ・−○ |        |     山口市民会館前+−+−○−−−−−−○−−−◎防府  (山口センタービル前)|自動車試験場前  八反田            | (→宮島町)                   大正洞○           |                      |          −○                   秋吉台○    山口市民会館前+−        美 美          /| (山口センタービル前)|   豊    祢 祢   丸山     \|           |湯田温泉通   田  大 中 ◎  野 ○ 岩    ○秋芳洞        ○   前  嶺 央 |  崎/ \永 秋吉 |\  大田中央 中尾口|山口市   ○−−◎−○−○−−○−−−○−−○−○−○−−○−−○−○−○交通局前   |    |市役所前     \  随徳 秋吉   綾木\  |(→下湯田)   ○保保  ◎          ○    小前      \ |  厚・    |南大嶺     岩永下郷            \|  保・    |                         +  本○−○−−◎四郎ヶ原                     |  郷|厚保駅前                          ◎   |                             小郡   ◎厚狭                    (→新山口駅新幹線口) (3) 路線解説 ・防長線は、1933(S8)年に、三田尻(→防府)〜山口〜東萩として開業、秋吉線は、  1946(S21)年に、山口〜吉則(→美祢)、随徳−秋芳洞として開業したのがルーツ。  山陽本線・山口線・山陰線の短絡、山口線と美祢線の短絡、秋芳洞等の観光を使  命としていた。 ・当時、(自)小郡新幹線口、湯田温泉通、佐々並、萩市、(自)山口、大田中央、秋芳洞、  秋吉に自動車駅があった。 ・現在、引き続き中国JRバスが運行している。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S60.12) 3.中国編(上) 10〜11日目 6/10(月)〜6/11(火)、13日目 6/13(木) ・単行本 10〜11日目 p65〜71、13日目 p84 (5) 乗車券の経由欄 ・「美祢、秋吉線、美祢中央、大嶺」 ・「南大嶺、秋吉線、厚狭」 ・「小郡、秋吉線、秋芳洞、湯田温泉通、防長線、山口市民会館前、山口県庁前、日赤口、佐々並、東萩」 ・「山口、防長線、防府」 (6) 行程 ・美祢903頃→大嶺 タクシー ・大嶺1016→1020南大嶺 鉄道 \140 [C→D] ・南大嶺1056→1101美祢中央 サンデン交通 下関発 秋芳洞行 ・美祢中央1101頃→美祢 徒歩 ◇美祢1215→1230大嶺 厚狭・豊田前線 331-7006 美祢発 豊田前行 [A→B→C] ・大嶺1230頃→南大嶺 タクシー ◇南大嶺1315→1340厚狭 厚狭線 331-7007 美祢発 厚狭行 [D→] ◇小郡1630→1710秋芳洞 小郡・秋吉本線 534-8004 小郡発 秋芳洞行 特急 ◇秋芳洞1740→1838山口市民会館前 秋吉本線 534-4488 美祢発 山口行 ◇米屋町618→744東萩 防長本線 531-7417 山口発 東萩行 県庁前経由 普通便 ◇山口1305→1340(1342)防府 防長本線 531-7422(いすゞBU10) 荒高発 防府行 県庁前経由 (7) エピソード ・[A→B→C]のバスを待つと[C→D]が4時間待ちのため、乗車順序を変更した。   大嶺(C)  |美祢(A)    ◎   ◎=+    ‖\    ‖    +=====○美祢中央(B)     ・ \ ・      ・・◎南大嶺(D)        ‖ ・小郡発特急便はノンストップで綾木に停車しないので、経由が秋芳洞に。 ・東萩行一番バスは、山口市民会館前と停留所名が異なる米屋町乗車となる。 ・山口〜防府は30分に一本程度の都市型路線。262号線のグリーンベルトが美しい。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ 大嶺駅の写真、東萩駅の写真、531-7422の解説 ・連載誌では、山口略図が関係ないページ(p74)に挿入されている。 (9) 考察 ・南大嶺バス停は、経路変更を行ったため、鉄道駅から離れた位置にあった。        ‖       ・−・      / ‖ \     ・ ・………+−−>美祢中央     | :□     | ◎□ 南大嶺     ◎ :□      \:‖       +‖       |‖       ∨厚狭 ・秋芳洞付近のバス路線図は以下の通りと推測する。                          Λ大正洞         (初代)秋吉台           |          (→妙見原)  秋吉     ・−+             ○   展望台前  /  |             :     ●−>+   |             :     Λ  ○秋吉台|旧有料道路             +−>−・ |  :   |     秋芳洞黒谷入口 |   | +……・   ・            ☆|   | |秋吉台口 /          黒谷口○−<−●−+−○  /         (←黒谷洞)   |三本松 ☆/秋芳洞                 |    / エレベータ入口                 ・   /                  \ /       秋芳洞正面入口☆・   +                ・ /         Λ防長はぎ号              秋芳洞○          ・                / \         ・             随徳○−○−+        ・美東中学校前              / 下随徳 \       +……○           秋吉○       \      :            /         \     :           +・・・・・・・・・・・○−−−−○大田中央           |         秋吉小学校前 |           ○旦          ☆    |綾木 山口           |   秋吉自動車営業所     ○−−−−>       畜産試 |   (→秋吉乗務員宿泊所→廃止)|       験場前 |岩永              |  河原町○−−○−−○−−−○………………………………○柿木原     |     |  岩永下郷          |     ○丸山   |                |  美祢 |     |                |  <−−○−−−−−○                ∨     野崎   上曽原               小郡 ・黒谷・秋吉台方面は、秋芳洞→黒谷口→秋吉台→秋芳洞の循環路線だった。 ・小郡ノンストップ便と山口方面の急行・特急については、随徳を経由せず、その  まま秋吉小方面に抜けた模様。先生は「この区間は完全な復乗」と書かれたが、  帰路は普通便なので随徳経由だったはずだ。 ・当時、山口周辺のバス路線図は、以下の通りで、山口市民会館前(山口駅方面)と  同一とみなされていたバス停は、山口センタービル前(小郡・秋吉方面)と中電前  (県庁前方面)であった。                   山口県庁前                ・−−−−○−−−−○山口自衛隊前                |    |    |              白石○    ○美術館前|                |    |    |             中電前|    |山口  |               ↑○    |市役所前|  湯田温泉通<−−○−+−−○+○−−−+−○−−○−−−−>東萩         商工 |センタ 市民会 |   日赤口         会館前|  ← →   ○米屋町            ○荒高      |            |        |            +−−−−−−−−+            |        ◎山口     自動車試験場前○       (→宮島町)|            ∨防府 ・先生は、市民会館前で降りて、米屋町から県庁前経由の東萩行に乗車されたが、  米屋町〜県庁前が路線名称の第三区間「山口−山口県庁前」の一部であるため、  路線名称の第二区間「山口市民会館前−山口県庁前」と等しい中電前〜県庁前に  乗車するのが正当ではなかったか。具体的には、以下の通り。  ◇中電前642→644県庁前 湯田温泉通発 防府行 県庁前経由 急行便  ◇県庁前656→819東萩 防長本線 山口発 東萩行 県庁前経由 普通便 ・はぎ号は、普通便と経路が異なる区間が2箇所(現在は3箇所)あるが、当時の路線  名称・「自動車線普通旅客運賃表」には未掲載だったため、最長切符に組み込め  なかった。  ◆下菅蓋〜明木〜蔵屋 普通便の方が0.1km長い  ◆蔵屋〜萩駅前 当時は同一であったが、現在は、鹿背トンネル経由となり、          また萩駅にも入らなくなっている。  ◆萩吉田町〜東萩 普通便は新川経由で、0.9km長い。 ・当時の時刻は、S60.3.14改正(秋吉線も同一か)であった。この時刻表によると、  八反田〜稔畑、佐々並〜長小野、秋吉台−大正洞、豊田前−保保の記載が無い。 ・この改正で特記すべき事項は、以下の通り。  ◇バス種別が、はぎ号、特急、急行、快速、普通と5種類もあった。  ◇荒高〜自動車試験場前は、防府1850発荒高経由山口行快速の片道1本。  ◇市役所前〜日赤口は、はぎ号の他、東萩を午後に出発する山口行普通便のみ。  ◇岩永〜岩永下郷は、秋吉台循環とセットで運用されていたと推測。また秋吉台口   に入る便は、朝1便のみであったと推測。   秋小前 岩永下郷 秋芳洞 黒谷口 秋吉台 秋芳洞 岩永下郷 秋小前   725  740・745  801             806 (台口)814 818・821 829             1035 1045 1052・1055 1103                 (記載省略)           季 1550 1600 1607・1610 1618                         1715 1731・1736 1751  ◇秋小前〜畜試前〜美祢は、以下の通り。   秋小前 畜試前 美祢  美祢 畜試前 秋小前   ※613  626  643  ※735  752       ※757  816  1210  1227  1240        1532 1549  1510  1527        1734 1751  1710  1729               1848  1905  1918
2014 年 11 月 14 日 20:18:23 (14807) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 小国線 (1) 路線名称 ◇小国線    小国−二本柳−沖庭小学校前−長沢−朝日平    小国−二本柳    沖庭小学校前−金目    長沢−羽前焼山    小国−玉川口−飯豊梅花皮荘    小国−上大滝 (2) 路線略図   羽前焼山 長沢     ○−−○−−−−○朝日平        |    沖庭小前○−−−○金目        |        ○二本柳  玉川口  /|   ◎−−+−◎−−−○町原   |    小   |   |    国   ○上大滝   |   ○長者原   |   ○飯豊梅花皮荘   |   ○飯豊山荘 (3) 路線解説 ・小国線は、1951(S26)年に小国〜荒沢(→長沢)、小国〜長者原が開業したのが  ルーツで、磐梯朝日国立公園・小国郷の観光及び地方産業の開発助長を使命と  していた。 ・当時、飯豊山登山者の足として飯豊梅花皮荘(いいでかいらぎそう)〜飯豊山  荘間はシーズン日のみの運行だった。 ・1995(H7)年に最後まで残った小国〜朝日平・羽前焼山・飯豊山荘が廃止されて  小国線は全廃となった。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S61.8) 11.東北編(下) 58日目 8/16(金) ・単行本 58日目 p272〜273 (5) 乗車券の経由欄 ・「小国、小国線、玉川口」 (6) 行程 ◇玉川口1637→1649小国 小国線 331-7009(いすゞCCM410) 飯豊梅花皮荘発 小国行 (7) エピソード ・玉川口駅で新潟放送のインタビューを受ける間、米坂線上り列車の知りあいの  婦人から声をかけられて手を振られ、録音にしっかりその声が入った。 ・夕暮れの赤芝峡を見やりながら小国に到着。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ 小国駅の写真 (9) 考察 ・米坂線玉川口は自動車小国線の接続駅とされていた。
2014 年 11 月 14 日 20:17:23 (14806) 政宗3号さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 一ノ関線 (1) 路線名称 ◇一ノ関線   一ノ関本線    一ノ関−陸中箱石−才田−前沢    才田−母体   摺沢線    前沢−母体−本町橋−柴宿−摺沢    本町橋−猊鼻渓口 (2) 路線略図             前沢           +−◎−+        陸中 |   |  一ノ関   箱石 |   | 紙生里 本町橋  摺沢   ◎−−○−○−−○−−−○−−○−−○−−○−−◎      岩手   才田  母体    |  柴宿      長島             |                     ○                    猊鼻渓口 (3) 路線解説 ・一ノ関線は、1952(S27)年に一ノ関〜前沢、前沢〜摺沢が開業したのがルーツで、  地方交通の確保と鉄道の機能補充を目的に開設された路線で、東北本線と大船渡  線の短絡線の性格も持っていた。 ・当時、柴宿〜摺沢間は長期休止中であったが、国鉄最後の日の1987(S62).3.31  限りで廃止された。 ・1990(H2)年に母体〜猊鼻渓口が廃止(本町橋〜柴宿駅前はそれ以前に廃止)、  1991(H3)年に前沢〜母体〜才田、1992(H4)年に陸中箱石〜前沢が廃止。その後、  全廃。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S61.8) 11.東北編(下) 58日目 8/16(金) ・単行本 58日目 p270〜271 (5) 乗車券の経由欄 ・「前沢、一ノ関線、才田、母体、柴宿」 (6) 行程 ◇前沢641→740柴宿 摺沢線 331-9004(いすゞCCM410) 前沢発 柴宿駅前行 (7) エピソード ・才田〜母体は道路工事中のため通れず、乗車距離が0.3km短くなった。 ・車内で若い運転士の「ローカルを整理して高速やろうと提案しても実現しない。  高速やらせたら稼いでやるがなあ」の発言に意表を突かれた。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ 前沢駅の写真、柴宿駅 (9) 考察 ・当時の自動車線普通旅客運賃表に「柴宿」と表記されているが、接続駅を示す下  線が付されていないのは誤植か(廃止時の国鉄公示や民営化当初の自動車線普通  旅客運賃表には「柴宿駅前」とあり大船渡線柴宿駅とは別駅の扱い)。旅客営業  規則の自動車線駅と鉄道駅との特殊取扱の対象には挙げられていない。なお、停  車場一覧(S60.6.1現在、日本交通公社)の大船渡線の頁では、摺沢が自動車一  ノ関本線との接続駅と記載されているが柴宿は接続駅とはされておらず、柴宿接  続の通し乗車券が発行できるのか疑問が残る。
2014 年 11 月 14 日 20:15:57 (14805) 政宗3号さんの書き込み ご無沙汰しております。 「1985・夏 国鉄バスネットワークの記録」として、古川線他2線をサンプル として作成しましたので投稿いたします。 ご指摘・ご意見を頂ければ幸甚です。 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 古川線 不毛板(14841)参照
2014 年 11 月 13 日 23:32:34 (14804) ふもふも館長さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 直方線 (1) 路線名称 ◇直方線   直方本線    直方−勘六橋−宮田町−筑前芹田−福丸−黒目橋−小金原−脇田温泉−山の神−中久原−山の鼻−箱崎駅前−千代町−博多    宮田町−筑前中畑−室木−新北−鞍手局−鞍手町立病院前    宮田町−筑前磯光−水町−小竹    筑前磯光−毛勝−筑前中山−幸袋中    筑前中山−七福    筑前芹田−下有木−筑前山崎    福丸−下有木    福丸−筑前下−筑前日吉    小金原−筑前下    黒目橋−清水口−脇田温泉    山の神−猪野    中久原−東久原    山の鼻−蒲田団地    箱崎駅前−千代町   上野線    勘六橋−溝堀三丁目−筑前上境−原田町−上野峡    溝堀三丁目−武谷    筑前上境−福地校前−たかとり園前−内ヶ磯    福地校前−永満寺団地−たかとり園前    永満寺団地−養護学校前    たかとり園前−いこいの村    原田町−赤池   飯塚線    宮田町−千石峡入口−幸袋中−新飯塚   福間線    福丸−原の前−福間    原の前−筑前畑 (2) 路線略図                   福間◎    鞍手町立                     |    病院前        蒲田   猪    筑前畑|筑前山崎 ○         養護学校前        団地   野 清水口 ○−+  ○  |    直       ○ た         ○ 中 ○  ○  黒 |  |  ○室木  方    永満寺| か         | 久 |  |\ 目 |  +  |    ◎     団地○ と     /\  | 原 |  | \橋 | /|  |宮田町 |  上境  /| り  内  ◎−○−−◎−○−○−○−−○−+○−+○−○−−○−−−−○−+−○−○−+−○−○ヶ  博 千  箱 山 | 山  脇 | / 福 筑  |\  勘六橋| |福地校前 |  磯  多 代  崎 の | の  田 |/  丸 前  | \    ○ |     ○    町  駅 鼻 ○ 神  温 ○筑前   芹  |磯光○  武谷 |原田町 いこい       前  東久原   泉 |下    田 幸|  |\    ○−−−−−−−○                  ○       袋○−−○ ○水町 |      上野峡                筑前日吉      中|中山|  \  |                           ◎  ○   ◎ ◎赤池                          新飯塚 七福 小竹 (3) 路線解説 ・直方線は、1943(S18)年に、福間〜福丸〜宮田町〜直方、福丸〜筑前脇田、宮田町  〜新飯塚、博多〜中久原として開業したのがルーツで、鹿児島本線と筑豊本線の  短絡を使命としていた。 ・(自)直方、宮田町、福丸にバス切符売場があった。 ・当時、バスが発着していた直方バス乗り場は、自動車営業所を兼ねた趣ある建物  であったが、近年解体され、現在は鉄道駅付近?にバス乗り場が移転した。 ・当時よりバス路線は縮小傾向にあり、H22年までに大半の枝線が廃止された。 ・H27.6.1現在、引き続きJR九州バスが運行しているが、現在も運行している区間は、  直方〜宮田〜福丸〜博多、宮田〜新飯塚、福丸〜福間の幹線区間のみである。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S60.11) 2.九州編(下) 9日目 6/9(日) ・単行本 9日目 p59〜64 (5) 乗車券の経由欄 ・「赤池、直方線、勘六橋、宮田町、下有木、福丸、下鉛、筑前下、小金原、黒目橋、清水口、脇田温泉、箱崎」 (6) 行程 ・直方930→勘六橋 徒歩 ・勘六橋1000?→直方 直方本線 ?発 直方行 \100 女性車掌 ・直方1116→1129赤池 鉄道 ◇赤池1142-1200上野峡 上野線 531-5901 赤池発 上野峡行 女性車掌 ◇上野峡1210→1237勘六橋 上野線 531-5901 上野峡発 直方行 女性車掌 ◇勘六橋1245→1315福丸 直方本線 534-7413 直方発 ?行 [→A] ◇福丸1345→1359筑前山崎 直方本線 534-6018 福丸発 筑前山崎行 男性車掌 [C←B] ◇筑前山崎1410→1424筑前芹田 直方本線 534-6018 筑前山崎発 ?行 男性車掌 [B←A] ・筑前芹田1425→1429福丸 直方本線 534-7909 直方発 博多行 急行 ◇福丸1600→1610筑前下 直方本線 331-0406 福丸?発 筑前日吉?行 [C→D] ・筑前下1610→小金原 徒歩 ◇小金原1626→1635福丸 直方本線 331-0405 ?発 筑前下経由 ?行 \0 [E←D] ◇福丸1746→1805脇田温泉 直方本線 331-0405 ?発 清水口経由 ?行 [F→G→H] ・脇田温泉1805→福丸 タクシー ◇福丸1833→1930箱崎駅前 直方本線 534-7908 直方発 博多行 急行 [F←E, H→] (7) エピソード ・上野峡行の女性車掌は、バスルートの絵解きと乗継プランを考えてくれた。 ・ツーマンで残る上野線と筑前山崎行は、狭い道を走る。 ・福丸駅切符売場にスーツケースを預かってもらい、きっぷ売場のお姉さんのチエを  借り、ウルトラC級の行程を組み立てた。      G(清水口)黒   ○筑前山崎        ○  目 福 |       / \ 橋 丸 ○B(下有木)      /   \F C/ \  −−−○−−−○−○−○−−−○−−−     H   E\ /    A   (脇田温泉) 小 ○   (筑前芹田)         金 D         原 (筑前下) ・箱崎駅前は旅規17条「自動車線駅と鉄道駅との特殊取扱」で箱崎と同一とみなす。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ 534-6018の解説、国鉄バス福丸駅の写真 ・単行本の福丸付近略図は、黒線のみ左右反転の誤植 (9) 考察 ・S60年前後に、津田町〜鞍手高校前〜鴨生田公園が開業した模様。ただし、二字町  経由の方が距離が長そうである。この区間は、路線名称・「自動車線普通旅客運賃表」に掲載されてい  ないため同区間を切符に組み込む事は出来なかったと推測。                直方◎−−+                     |                     ○津田町          鞍手高校前  殿町  |            ○−−−−○−−−+    直方保健所前 /         ○市役所前  (→西部運動公園)○          |         /           |       バイパス経由  博多    /   打向 二字町   ○勘六橋    もちだんご村  <−−−−○−−○−−○−−○−−○−+−−+・・・・>養護学校前     鴨生田 直方       新町 ・  |     公園  訓練校前        ・  ○溝堀一丁目        (→鴨生田公園入口)    ・  |                        ∨上野峡 ・S60年前後に、黒目橋〜竹原古墳の別区間が開業した模様。ただしキロ程の設定が  ないため、高野橋経由と竹原口経由のどちらの距離が長いのか判明しない。この  区間は、路線名称・「自動車線普通旅客運賃表」に掲載されていない。  もともと黒目橋〜竹原古墳の間にはバス停が無く、この頃バス停が設置され、別  区間も開業したと推測。運行形態も不明である。    竹原古墳       福間  下有木  <−−−○−−○竹原    Λ   Λ  清水口  \  \     |   |     高野橋○  ○竹原口 |   |         \  \   |   |  <−−−−−−−+○−+−−○−−−○−−−−−−>  博多     黒目橋 福丸橋|  福丸 ☆   直方                |    福丸車庫             筑前下∨  (→福岡中部支店)
2014 年 11 月 13 日 23:31:58 (14803) ふもふも館長さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 山鹿線 (1) 路線名称 ◇山鹿線    瀬高−山鹿中央−日置−商工学校前−原部−中富−水島−菊地温泉口−肥後大津    山鹿中央−山鹿温泉    山鹿中央−鹿本高校前−商工学校前    原部−石淵−水島    菊地温泉口−菊地温泉 (2) 路線略図               鹿本高校前       菊地温泉          山鹿 ・−−−○−・         ○−・  瀬高      温泉 |山鹿中央 |   石淵 水島 | | 伊坂  ◎−−−○−−+・○−○−−○−−○−−○−○−○−−○−○−○−−◎     南関  |   | 日置 商工 原部\ /  菊地 北原 肥後大津         ・−−−・    学校前   ○   温泉口                        中富 (3) 路線解説 ・山鹿線は、1935(S10)年に、肥後大津〜南関として開業したのがルーツで、豊肥  本線と鹿児島本線の短絡と観光を使命としていた。 ・山鹿温泉には、バス切符売場があった。 ・菊地温泉口には、バス切符売場があった。場所は、熊本電気鉄道の菊池駅、現在  の菊池プラザの一角にあった。 ・2006(H18)年にJR九州バスが撤退。H27.6.1現在、瀬高〜南関はバスが無く、産交  バスにより南関〜山鹿〜肥後大津について、多少の経路変更があるが運行中。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S60.10) 1.九州編(上) 3日目 6/3(月) ・単行本 3日目 p27〜30 (5) 乗車券の経由欄 ・「瀬高、山鹿線、山鹿中央、石淵、菊池温泉口、肥後大津」 (6) 行程 ◇瀬高640→750山鹿温泉 山鹿線 334-8416 瀬高発 山鹿温泉経由 鹿本高校行 ・山鹿温泉→鹿本高校 山鹿線 334-8416 瀬高発 国道325号経由 鹿本高校行 ・鹿本高校→山鹿温泉 山鹿線 334-8416 鹿本高校発 商工学校前経由 ?行 ◇山鹿温泉930→1047肥後大津 山鹿線 334-8027 ?発 肥後大津行 (7) エピソード ・山鹿中央、石淵、菊池温泉口の所在が判然としない。 ・国営バス前バス停は、国鉄バス営業所前の意味か。 ・山鹿温泉−鹿本高校前の往復は片道130円なので260円払ったが10円返却された。 ・山鹿中央−山鹿温泉往復と山鹿温泉−鹿本高校前−商工学校前−山鹿温泉循環は  行程表から除外する。 ・菊池温泉口は、菊池駅に変身。ただし通称で、正式名称は菊池温泉口のまま。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ 334-8416の解説、山鹿温泉駅の写真、肥後大津行バス、山鹿略図 ・単行本のみ 肥後大津駅の写真 (9) 考察 ・連載誌に記載されていた山鹿略図は、こんな感じ。           |     (西鉄バス) |     国営バス前☆+○国鉄山鹿温泉駅           |           |☆山鹿市役所    温泉   末広|    プラザ前 ☆ |☆九州産交バスセンター  <−−−−○−−−△−−−−−−−−−−−−>  瀬高から  温泉 |上広町十字路  鹿本高校へ        プラザ|           ○山鹿中央  西鉄バスセンター☆|           |☆山鹿郵便局           |           ∨         菊池温泉へ ・山鹿中央〜商工学校前は、肥後古関経由(5.0km)と鹿本高校前経由(4.1km)がある。  最長片道きっぷは、肥後古関経由となるべき。「自動車線普通旅客運賃表」によると山鹿中央〜商工学  校前に記載駅が無いため、経由地が無い=肥後古関経由と解釈すべきか? ・原部〜水島は、中富経由(2.3km)と石淵経由(2.6km)がある。当時の運行状況は不  明だが、その後の時刻表に、中富経由が見当たらない事から、先生が乗車された  バスは石淵経由だったと推測する。 ・菊池温泉は「菊池温泉口〜菊池温泉〜北町」の迂回区間内にあるが、路線名称・  「自動車線普通旅客運賃表」では、菊池温泉口〜菊池温泉の単純往復と解される。最長片道きっぷなら  菊池温泉経由とすべきだが、同区間を切符に組み込む事は出来なかったと推測。 ・乗車券の経由欄「菊池温泉口」は不要では?
2014 年 11 月 13 日 23:31:14 (14802) ふもふも館長さんの書き込み 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 嬉野線 (1) 路線名称 ◇嬉野線    武雄温泉−嬉野温泉−平野橋−彼杵    嬉野温泉−国立病院前    平野橋−牛の岳 (2) 路線略図        牛の岳         ○    国立病院前         |      ○         |      |   竹下町  ◎−−−−−−○−−−−−−○−−−−○−◎  彼杵    平野橋    嬉野温泉   武雄温泉 (3) 路線解説 ・嬉野線は、1942(S17)年に、武雄(→武雄温泉)〜嬉野(→嬉野温泉)〜彼杵として  開業したのがルーツで、佐世保線と大村線の短絡と観光を使命としていた。 ・(自)武雄温泉は、駅北口にあり自動車駅であったが、鉄道が高架になる頃  に廃止・解体され、乗り場も駅南口に移動した。 ・嬉野温泉はバスターミナルになっており、現在も自動車駅である。 ・H27.6.1現在、引き続きJR九州バスが運行している。 (4) 最長片道きっぷの旅 掲載 ・連載誌(S60.10) 1.九州編(上) 1日目 6/1(土) ・単行本 1日目 p16〜19 (5) 乗車券の経由欄 ・「竹下町、嬉野線、嬉野温泉、彼杵」 (6) 行程 ◇竹下町922→954嬉野温泉 嬉野線 534-5915 武雄温泉発 嬉野温泉行 ◇嬉野温泉1020→1045彼杵 嬉野線 644-5094 嬉野温泉発 彼杵行 (7) エピソード ・運転手に断わって記念すべき第一走者の前に立ち、もう一度、記念撮影。 ・嬉野温泉横の十字路を曲がった所で「走り」を撮る。 (8) 連載誌と単行本の違い ・連載誌のみ バスと先生と竹下町の写真、644-5094の写真、彼杵駅の写真 ・単行本のみ 竹下町と先生の写真 (9) 考察 ・乗車券の経由欄「嬉野温泉」は不要では?
2014 年 11 月 11 日 23:13:28 (14801) ふもふも館長さんの書き込み 「1985・夏 国鉄バスネットワークの記録」編集者募集 1.趣旨 ・『さよなら国鉄最長片道きっぷの旅』を、国鉄バスネットワークを記録するとい  う観点で輪読し、コンテンツを作成したいと考えています。 ・1985(S60)年6月1日を基準に、当時運行していた国鉄バス全路線を対象とします。 ・コンテンツは、以下の通りとします。  (1) 路線名称と路線略図  (2) 最長片道きっぷの旅における乗車券の経由欄・行程・エピソード  (3) 最長片道きっぷの旅の連載誌と単行本の違い  (4) 考察 ・種村直樹氏の一周忌、最長片道きっぷの旅から30年後にあたる2015(H27)年秋迄に  完成させることを目標にします。 2.作業と成果 ・編集長はふもふも館長が担当します。 ・コンテンツ編集は「不毛な掲示板」への投稿を主とし、分担して作業します。 ・最終成果物は「不毛企画乗り物館」に共同著作物として発表します。 3.応募 ・「不毛な掲示板」への投稿する等の手段で、ふもふも館長までご連絡ください。

前ページ [No.14701〜No.14800] の閲覧 次ページ [No.14901〜No.15000] の閲覧
掲示板に戻る ホームページにもどる