1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 北海道地方自動車部
2017-04-13
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【101】札樽線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇札樽線
1 札幌−小樽
2 上手稲−住吉神社前
3 宮の沢−発寒団地前−手稲
4 手稲町−手稲オリンピア
5 手稲町−手稲−工業大学前
6 稲山通−手稲公営住宅中央
7 手稲工業団地通−曙通−手稲公営住宅中央
8 手稲工業団地通−運転免許試験場
9 曙通−星置通
10 手稲礦山通−手稲礦山
1.2 路線略図
手稲公営
・−○住宅中央
| |
・−+−+−・
| |
| | 工業大
山口 | 稲山通| 学前
星置通○−−○−○ ○−−○
|曙通 |
運転免許試験場○−−−+ |
| |
手稲工業○−−−−−・
団地通| 手稲 発寒団地前
住吉 小樽 手稲 | ◎−−−−○−−・ 琴似 ◎札幌
神社前 築港 朝里町 桂岡 礦山通 | |手稲町 | 上手稲 本通 |
小樽◎−−○−+−◎−−−○−−○−−○−+○−−○−+−+−○+−○−−○−−+○−−○−−○−−・ |
: 張碓町 | 手稲営 |富丘 宮の沢 : 手稲東 | |
: | 業所前 | : ・−○−−+○−>岩見沢
・………………………………………………………………………… 西十七 時計
| | 丁目 台前
・ ・
/ \
手稲礦山○ 手稲オリンピア○
※上手稲〜住吉神社前(札樽バイパス)は1978(S53)年12月1日から休止中。
2.路線解説
2.1 当時の運行状況
・札樽線は、1934(S9)年6月10日に苗穂〜手宮が開業したのがルーツで、鉄道補
助を目的に商港小樽市と札幌市を直結する路線で、交通量が極めて多く、普通
便の他に急行便を運転し、冬季は除雪して通年運行を確保していると述べられ
ていた(日本国有鉄道(1958)「鉄道辞典・上巻」による)。
・北海道地方自動車部(1984)「国鉄北海道自動車50年史」によると、札樽線は、
戦争の激化に伴いガソリン規制が厳しくなり、1944(S19)年4月20日に運休せざ
るを得なくなった(再開は1947(S22)年5月1日)と述べられている。
・戦後は、1949(S24)年3月15日に手稲礦山通〜手稲礦山が開業し、1951(S26)年
8月18日には札幌〜丸井前及び住吉神社前〜小樽、1952(S27)年7月20日には
富丘〜山口通がそれぞれ開業した。
・一方、1952(S27)年3月25日に住吉神社前〜小樽(南小樽経由)が廃止された。
・1957(S32)年7月20日から星置〜銭函海水浴場〜銭函が季節路線として開業し、
1958(S33)年7月20日には朝里町〜朝里温泉郷が開業した(1960(S35)年7月8
日に朝里温泉郷〜温泉センターを延長)。
・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、小樽〜札幌の系統が1日32回、
手稲鉱山〜札幌の系統が同じく18回、上手稲〜札幌の系統が同じく16回運行され
ており、この当時、既に都市型の高頻度運行がなされていた。また、同書の1964
(S39)年版によると、それぞれ1日当たり、55回、14.5回、23回の運行となって
おり、加えて札幌〜手稲町の系統が1日当たり27往復、札幌〜手稲鉱山通の系統
が同じく27回運行されていた。
・「交通年鑑1960年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を
取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ
の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和33年度に次のように急行
便を設定したとある。
札幌〜朝里川温泉 36km 3往復
・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に
も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方
都市間連絡に活躍していると述べられていた。
札幌〜小樽 37km 23往復
・1962(S37)年5月15日に手稲町〜稲山通〜南平台、同年12月10日に手稲追分〜
勤労者団地〜手稲がそれぞれ開業した。1964(S39)年9月15日に札幌〜市立病
院前(北回り)、同年12月1日に稲山通〜山口〜星置通〜銭函海水浴場がそれ
ぞれ開業した。
・北海道地自前掲書によると、1961(S36)年頃から都市間輸送として札幌〜小樽間
の増強、及び札幌市内輸送の充実を行うとある。同書によると、札樽線札幌〜
小樽間は1956(S31)年度38往復、1961(S36)年度40往復、1962(S37)年度52往復、
1963(S38)年度61往復、1964(S39)年度73往復、1965(S40)年度78往復に、同じく
札幌〜手稲間は1956(S31)年度26往復、1961(S36)年度74往復、1962(S37)年度79
往復、1963(S38)年度112往復、1964(S39)年度113往復、1965(S40)年度120往復に
増加した。
・「交通年鑑1964年版」には、道路の改修と自動車の優等化により中長距離客が
増えており、現在国鉄自動車が運行している中長距離路線の他、主として次の
区間で、中長距離系統の新設、急行便の増発、新型車の増備、駅設備の改善を
図り、サービス向上に努めたと述べられている。
札幌〜小樽 37km
札幌〜美唄 63km
福島〜川俣 23km
西那須野〜鬼怒川 37km
土浦〜江戸崎 22km
瀬戸〜名古屋 26km
矢掛〜岡山 42km
山口〜博多 171km
・「交通年鑑1965年版」には、道路整備5箇年計画の進捗により道路が逐次改修
されたことと、自動車工業の発達に伴い、年々中長距離旅行が快適になるにつ
れて旅客の需要も増加してきているので、現在国鉄自動車が運行している中長
距離路線の他、中長距離系統の新設急行便の増発、新型車の増備に努めてサー
ビスを図った、その主なものは次の通りであると述べられていた。
札幌〜中央長沼 37km
札幌〜岩見沢 46km
小樽〜中央長沼 71km
陸中大野〜金田一 40km
宇都宮〜茂木 36km
飯田〜狼煙〜宇出津 103km
京都〜周山 36km
八重〜広島 47km
岩国〜広島センター 40km
西条〜呉 37km
小松港〜小松港 96km
・北海道地自前掲書によると、1967(S42)年3月から札幌〜小樽、札幌〜下野幌団
地(→青葉町一丁目)に特急ワンマンカーの運行を開始し、1968(S43)年1月か
ら札幌〜大麻(5区界)他数系統の多区間ワンマンカーの運行を開始した。その
際、ワンマンカー運転士の金線収受業務を軽減し、乗車券の乗車前購入を推進す
るため、札樽線及び空知線の混雑区間に、乗車券発売所及び待合室を設置した。
また、ワンマンカー折り返しのため、乗車券発売所前に回転用地を確保し、誘導
員配置を省く等合理化を実施したと述べられている。
・1967(S42)年12月13日に稲山通〜手稲公営住宅前、1969(S44)年10月18日に上手稲
〜木工団地〜発寒団地前、1970(S45)年10月8日に手稲町〜手稲オリンピア及び
手稲公営住宅前〜手稲公営住宅中央がそれぞれ開業した。1971(S46)年4月1日
に山口〜手稲公営住宅前が開業して循環線が形成された。
・1969(S44)年1月1日には、札鉄局と協同で記念乗車券・特殊乗車券の発売と、小
樽・千歳・岩見沢方面からの臨時列車と札幌〜北海道神宮の国鉄バスとの結合輸
送を実施した。(北海道地自前掲書による。)
・1969(S44)年2月、札幌市の人口集中化に伴う輸送体制に対応するため、基地(旧
札幌自営)を札幌自営(手稲)と厚別自営(厚別営業所前)に分割した。
・1969(S44)年10月19日に富丘〜手稲稲穂、同年12月9日に小樽〜手宮駅前の各区間
が廃止された。
・1972(S47)年2月3日〜14日に第11回冬季オリンピック札幌大会が開催された。こ
のため、2月12日まで札幌〜手稲山競技場に国鉄バスが臨時運行された。また、
北海道地自前掲書によると、手稲山で開催されたスキー競技に参加する役員及び
選手の輸送を国鉄バスが担当した。北海道地自に輸送対策本部、札幌中央支所に
現地対策本部を設置し、札幌駅前と手稲会場に輸送指令を置いて輸送に当たった。
この輸送には運転士74名(東北地自から7名、信越地自から10名の助勤者を含む)、
営業係(車掌)75名を含む、総勢238名が従事した。
・1972(S47)年2月15日に札樽バイパス(現・札樽道)を通る上手稲〜住吉神社前が
開業した。この区間では1971(S46)年12月から臨時免許で札幌〜小樽に特急バス17
往復の運行が行われていた(1978(S53)年12月休止)。
・1972(S47)年7月14日、朝里町〜温泉センター前、星置通〜銭函、銭函海水浴場〜
星置の各区間が廃止された。一方、1973(S48)年2月6日に手稲工業団地通〜厚生
年金団地前〜曙通が開業した。
・1974(S49)年10月23日に札幌〜丸井前及び手稲追分〜発寒団地前が、1978(S53)年
2月末限りで札幌〜市立病院前(北回り)が、それぞれ廃止された。
・座談会「経営改善の第一線から−自動車営業所長大いに語る」(『国鉄線』1978
(S53)年12月号所収)には札幌自営所長が出席しており、次のような発言があった。
◇札幌地区は北海道の国鉄バスの輸送量の7割を占めており、北海道地自の命
運を決するのは札幌市の都市輸送であると自覚。
◇札幌〜小樽は、開業当時は札幌が30万人足らず、小樽が20万人ということで
非常にバランスのとれた輸送ができたが、現在は小樽18万人、札幌130万人で
札樽間の都市間輸送というより札幌中心の都市バスという性格に変わってき
ている。
◇路線のある国道5号線沿いの西区の人口の伸びは札幌市の中で最も著しく、
S35年度に比べて4倍半の伸び。その西区の人口の45%は札樽線を利用してお
り、立派な都市バス路線といえる。
◇経営成績は、S41年度は収支係数111であったが、S44年に札幌自営と厚別自営
に分かれてからは150〜160と横ばい。これを昔のような黒字線区にするため
には思い切った根本的な合理化をせざるを得ないということになり、今回、
札幌〜小樽間の輸送を見直すことになった。この中には、S46年に開通した
バイパスを走らせていた特急便を全部休止するような見直しも含まれている。
・「国鉄自動車50年史」には、「ベッドタウン造成等に対応した輸送改善例」の1つ
として、札幌圏の輸送改善が次のように述べられている。
◇北海道における札幌市の人口集中はめざましく、人口は48年度に対し、53年度
は115%となり、ベッドタウンの造成、学校の新設等の要素により、札樽・空知
線の輸送量は各年増加している。
◇従って、他路線からの振り替えによる増強を、主として下記の区間を中心に実
施している。
札幌〜手稲公営住宅中央
札幌〜もみじ台団地
札幌〜北広島
・1982(S57)年4月23日、手稲工業団地通〜運転免許試験場が開業した。
・「国鉄バス時刻表札樽線」1985(S60)年5月27日改正によると、札樽線には次の
系統が設定されていた。
小樽〜札幌(快速便) 下り35本(うち日祝運休3本、日祝運転1本)・
上り32本
小樽〜手稲営業所前 上り2本(日祝運休)
星野中央〜札幌 下り1本・上り1本
手稲鉱山〜札幌 下り24本(うち日祝運休1本)・上り24本(うち日祝運
休2本、土曜運転日祝運休1本)
手稲鉱山〜手稲駅南口 下り4本(うち日祝運休2本)・上り6本(うち
日祝運休1本)
星置通〜札幌 下り9本(うち日祝運休1本、日祝運転1本)・上り12本
(うち土曜運転日祝運休1本、土日祝運休2本)
星置通〜発寒団地〜宮の沢 上り1本(日祝運休)
星置通〜手稲駅南口 下り8本(うち日祝運休1本、土曜運転1本)・上
り6本(うち日祝運転1本、土曜運転日祝運休1本)
手稲鉱山通〜札幌 下り6本(うち日祝運休1本)・上り11本(うち土曜
運転日祝学休日運休1本、土曜運転日祝学休日運休1本、土曜運休1本)
手稲営業所前〜札幌 下り62本(うち日祝運休10本、学休日運休1本、日
祝運転7本、土曜運転日祝運休1本、土曜運転日祝学休日運休1本、土
日祝学休運休2本、日祝学休日運休1本)・上り57本(うち日祝運休10
本、日祝運転4本、土曜運転日祝運休1本、日祝学休日運休2本、土日
祝運休1本、土曜運転日祝学休日運休1本)
手稲営業所前〜琴似本通 下り2本(日祝学休日運休)
手稲公営住宅中央〜発寒団地〜札幌 下り30本(うち日祝運休6本、日祝
運転2本)・上り24本(うち日祝運休学休日運転1本、日祝運休1本、
土日祝運休1本)
手稲公営住宅中央〜手稲駅南口〜札幌 下り6本・上り6本(うち日祝運
休1本)
手稲公営住宅中央〜札幌 下り4本(うち日祝運休1本)
手稲公営住宅中央〜発寒団地〜宮の沢 下り1本・上り2本(日祝運休)
工業大学〜発寒団地〜札幌 下り4本(うち日祝運休2本)・上り2本(
日祝学休日運休)
工業大学〜札幌 下り1本(日祝運休)
運転免許試験場〜手稲駅南口〜札幌 下り10本(うち日祝運休2本)・上
り7本(うち日祝運休1本、土日祝運休1本)
運転免許試験場〜手稲駅南口 下り3本(日祝運休)・上り5本(うち日
祝運休2本、土日祝運休1本)
稲北高校〜手稲駅南口〜札幌 下り2本・上り1本(手稲駅南口経由せず、
日祝運休)
稲北高校〜手稲駅南口 下り1本
稲西高校〜手稲駅南口〜札幌 下り2本・上り4本
手稲駅南口〜発寒団地〜宮の沢 上り1本
手稲公営住宅中央〜稲山通〜手稲駅南口 下り14本(うち土曜運休1本)
・上り11本
手稲公営住宅中央〜曙通〜手稲駅南口 下り10本(うち日祝運休1本)・
上り17本(うち日祝運休1本)
手稲公営住宅中央〜稲山通〜手稲駅北口 下り6本(うち日祝運休5本、
日祝運転1本)・上り10本(うち日祝運休2本)
手稲公営住宅中央〜曙通〜手稲駅北口 下り6本(うち日祝運休5本)
若松橋〜稲山通〜手稲駅北口 下り2本(うち日祝運転1本)
星置通〜曙通〜手稲駅南口 下り3本(うち休校日運転日祝運休2本、日
祝運転1本)・上り1本(日祝運転)
稲西高校〜曙通〜手稲駅南口 下り2本・上り2本(日祝運転)
工業大学〜稲山通〜手稲駅北口 上り1本(日祝学休日運休)
・1985(S60)年当時、線内の(自)札幌、手稲東、手稲町及び(自)小樽に自動車駅
が存在した(過去にはこの他、S46年4月に廃止された琴似本通及び手稲追分の両
駅が存在した)。また、国鉄バス運行の拠点として、札幌自動車営業所(手稲営
業所前)、同札幌中央支所(札幌)、同小樽支所(小樽市内)が置かれていた。
2.2 旅から30年
・1985(S60)年11月9日に星置通〜星置、1986(S61)年3月1日に聖火台スキー場前
〜手稲山ロープウェイの各区間が開業した。
・国鉄民営化に伴う新しいバス事業の経営基盤を確立するため、1986(S61)年11月1
日から、札幌〜小樽の特急便(札樽道経由)を再開した。
・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で手稲工業団地通〜手稲北口、
稲山通〜星置通、星置通〜星置の各区間が認知された。
・国鉄民営化を経て、札樽線はJR北海道に継承された。
・1987(S62)年11月30日、西土木現業所前〜宮の沢団地前〜発寒団地前、手稲工業団
地通〜曙2条4丁目〜運転免許試験場(旧線廃止)が開業した。
・1990(H2)年11月13日に工業大学前〜前田中央通〜樽川通が開業した。
・札樽道の全線開通に伴い、1992(H4)年10月1日から札幌北IC経由の札幌〜小樽特急
便「高速つばめ号」が運行を開始した。また、同年12月1日に地下鉄琴似駅前〜琴
似が延長された。
・1993(H5)年6月1日に発寒〜宮の沢〜発寒の循環路線が開業した。同年7月17日に
星置〜おたるドリームビーチが開業し、おたるドリームビーチバスが運行開始した。
・1995(H7)年3月16日、星置養護学校前〜ほしみ駅、前田中央通東〜前田森林公園入
口〜前田中央通西、桂岡〜銭函しらかば団地の各区間が開業した。
・1996(H8)年6月3日に西宮の沢5条1丁目〜追分通〜宮の沢1条5丁目が開業した。
・札幌圏では1995(H7)年12月及び1996(H8)年3月にダイヤ改正を実施し、主要駅(
手稲・新札幌・北広島等)に短絡する接続便を増強した。
・1999(H11)年2月25日、札幌市営地下鉄東西線が宮の沢に延伸され、地下鉄宮の沢駅
バスターミナル乗り入れが開始された。これに伴って、次の区間が廃止・新設された。
併せて、並行する札幌〜小樽を中心とした札幌圏でダイヤ改正が実施された。
(廃止区間)
◇宮の沢1条4丁目〜発寒6条12丁目
◇西宮の沢5条2丁目〜宮の沢団地前〜宮の沢桜井通
◇桂岡〜銭函しらかば団地
(新設区間)
◇地下鉄宮の沢駅前〜西町北20丁目
◇地下鉄宮の沢駅前〜宮の沢1条4丁目
◇地下鉄宮の沢駅前〜宮の沢2条1丁目
◇地下鉄宮の沢駅前〜発寒6条12丁目
◇地下鉄宮の沢駅前〜発寒6条13丁目〜宮の沢1条5丁目〜西宮の沢5条
1丁目
◇宮の沢1条5丁目〜西宮の沢4条1丁目〜宮の沢桜井通
◇地下鉄宮の沢駅前〜琴似工業高校前〜新発寒7条4丁目〜手稲区役所前
・同年3月11日、札幌〜小樽の高速便「うしおライナー」の一部便がマイカル小樽
経由に変更された。これに伴って、朝里IC〜マイカル小樽〜奥沢口が開業した(
2001(H13)年3月末限りで休止)。
・同年10月1日、発寒駅乗入れが廃止されて稲積一号〜西宮の沢3条1丁目〜西宮
の沢4条1丁目に経路変更されるとともに、前田地区でも大学通東〜前田中学校
前〜前田8条13丁目〜前田中央通東に経路変更がなされた。同年12月16日には手
稲駅南口〜手稲本町1条1丁目〜富丘2条6丁目〜宮の沢桜井通が新設されると
ともに、手稲山口団地地区で停留所移設・経路変更が行われた。
・JR北海道のバス事業は分社化され、2000(H12)年4月1日からジェイ・アール
北海道バスとして営業を開始した。
・札幌市営バスより3路線の移譲を受け、同年4月1日から運行開始した。一部は
札幌都心部まで運行区間が延長され、利便性向上が図られた。これに伴って次の
区間が廃止・新設された。
(廃止区間)
◇曙口〜運転免許試験場北門前〜星置2条1丁目北
◇手稲区土木センター〜星置2条3丁目
◇星置養護学校前〜ほしみ駅
◇発寒駅〜発寒8条12丁目
(新設区間)
◇手稲区土木センター〜星置2条1丁目北
◇発寒14条14丁目〜新発寒5条2丁目〜共栄橋〜工業大学前
◇共栄橋〜ていねプール前
・JR手稲駅を起終点に、富丘・高台地区のバス空白地帯を中心に、2000(H12)年
11月1日より「手稲高台シャトルバス」の試験運行が開始された。
・2001(H13)年12月1日から札幌〜小樽の高速バスを北海道中央バスと共同運行を
開始した。1日の便数は往復217便で共同運行系統としては道内一の便数となった。
この時から愛称名を「高速おたる号」に統一した。また、北大経由の系統は、
中央バス札幌ターミナル発着に延伸された。
・併せて、西稲穂〜手稲稲穂1条7丁目東〜手稲鉱山通が開業した。
・2002(H14)年4月から新規企画乗車券として、札幌市内及び近郊で利用できる「
一日乗りほーだいキップ」が発売された。
・札幌市交通局から琴似営業所管内路線の移譲を受け、2003(H15)年4月1日から
琴似営業所を新設し運行を開始した(19路線38系統)。委譲された系統の系統
番号、路線(系統)名及び区間は次の通りであった。
◇環12 ロープウェイ線(円山公園駅前〜界川〜南11西22〜円山公園駅前)
◇環20 山の手環状線(西28丁目駅前〜西高校前〜神宮前〜西28丁目駅前)
◇環50 山鼻環状線(啓明ターミナル〜幌平橋駅前〜中島公園駅前〜啓明ターミナル)
◇環50 山鼻環状線(啓明ターミナル〜幌平橋駅前〜中島公園駅前〜ロープウェイ前〜啓明ターミナル)
◇西11 西25丁目線(円山公園駅前〜南6西25〜南11西22〜啓明ターミナル)
◇西13 旭山公園線(円山公園駅前〜界川〜旭山公園前)
◇西14 荒井山線(円山公園駅前〜荒井山〜宮の森シャンツェ前)
◇西15 動物園線(円山公園駅前〜神宮前〜円山西町2)
◇西15 動物園線(円山公園駅前〜神宮前〜円山西町神社前)
◇西21 山の手線(西28丁目駅前〜西野3条2〜宮の沢駅前)
◇西29 琴似西野線(地下鉄琴似駅前〜山の手橋〜宮の沢駅前)
◇西31 北7条線(大通西4〜市立病院前〜北7西15〜地下鉄琴似駅前)
◇西32 北24条線(二十四軒駅前〜南新川〜北24条駅前)
◇西33 西野第二線(宮の沢駅前〜上手稲神社前〜中洲橋)
◇西39 琴似発寒線(地下鉄琴似駅前〜発寒8条7〜宮の沢駅前)
◇西39 琴似発寒線(地下鉄琴似駅前→発寒9条10→宮の沢駅前)
◇西40 琴似発寒線(地下鉄琴似駅前〜税務大学校前〜宮の沢駅前)
◇西41 西野福井線(地下鉄琴似駅前〜西野二股〜福井えん堤前)
◇西41 西野福井線(発寒南駅前〜西野二股〜福井えん堤前)
◇西42 西野平和線(地下鉄琴似駅前〜西野二股〜平和の滝入口)
◇西42 西野平和線(発寒南駅前〜西野二股〜平和の滝入口)
◇西43 西野第二線(地下鉄琴似駅前〜西野3条2〜中洲橋)
◇西43 西野第二線(発寒南駅前〜西野3条2〜中洲橋)
◇西52 桑園発寒線(札幌駅前〜桑園駅前〜競馬場正門前〜琴似工業高校前)
◇西53 啓明線(札幌駅前〜中央区役所前〜啓明ターミナル)
◇西53 啓明線(大通西4〜中央区役所前〜啓明ターミナル)
◇西58 北5条線(札幌駅前〜北5西20〜長生園前)
◇西58 北5条線(札幌駅前〜北5西20〜琴似営業所前)
◇北46 新琴似線(琴似営業所前〜新川通〜麻生駅前)
◇北46 新琴似線(地下鉄琴似駅前〜新川通〜麻生駅前)
◇西42 西野平和線(地下鉄琴似駅前〜西野二股〜西陵高校前(学生便))
◇西42 西野平和線(発寒南駅前〜西野二股〜西陵高校前(学生便))
◇西44 工業団地線(発寒南駅前〜天狗橋〜手稲高校前(学生便))
◇西44 工業団地線(宮の沢駅前〜天狗橋〜手稲高校前(学生便))
◇北46 新琴似線(西高校前〜地下鉄琴似駅前〜八軒6条東2(学生便))
・同年12月のダイヤ改正で琴似営業所管内の西野福井地区、中州地区、平和地区の
3線にJR琴似駅から毎週金曜日に深夜バスを新たに運行した。
・2004(H16)年4月ダイヤ改正から、南新川地区と札幌市立病院の間の循環バス(南
新川線環37系統、新川通〜市立病院前及び新琴似3条1〜北24条西16))、西区
発寒地区と発寒駅を結ぶ循環バス(発寒駅北口循環))の運行を新規に開始した。
また、琴似西野福井地区、中洲地区、平和地区の3線から地下鉄琴似駅までの便
(105便)をJR琴似駅まで延長した。さらに、啓明ターミナル〜大通西4丁目の
15便について、JR札幌駅まで延長運行した。
・同年12月ダイヤ改正から、新川地区から桑園地区までの既存路線(南新川線環37
系統)が都心部の大通公園まで延長された。
・2005(H17)年12月ダイヤ改正から、西野及び啓明地区から通勤時間帯の増便、新川
地区で冬季における慢性的な遅れを解消するため、路線を一部変更して定時性の
確保が図られた。
・2006(H18)年4月ダイヤ改正から、札幌圏において系統番号及び路線名の変更が
実施された他、全停留所で時刻表を検索できるQRコードの掲示、日中時間帯の
優先席拡大など利便性の向上が図られた。
(手稲管内)
◇山口団地線(循環手40手稲駅北口〜樽川通先廻り〜手稲駅北口,手40手稲駅北
口〜樽川通〜手稲山口団地,循環手41手稲駅北口〜曙通先廻り〜手稲駅北口,
手41手稲駅北口〜曙通〜手稲山口団地,宮45宮の沢駅前〜曙通〜手稲山口団
地,快速95JR札幌駅〜新発寒5条2〜手稲山口団地)
◇発寒団地線(42JR札幌駅〜発寒団地前〜手稲山口団地,宮42宮の沢駅前〜発寒
団地前〜手稲山口団地)
◇山口線(宮44宮の沢駅前〜曙通〜稲西高校前,宮44宮の沢駅前〜曙通〜稲北高
校前,手53手稲駅南口〜稲西高校前,手83手稲駅北口〜樽川通〜稲西高校前,
手83手稲駅北口〜樽川通〜稲北高校前,手44手稲駅北口〜曙通〜稲西高校前,
星91星置駅〜稲西高校前)
◇工業大学線(循環手48手稲駅北口〜工業大学前〜手稲駅北口,手48手稲駅北口
〜工業大学前)
◇新発寒線(宮49宮の沢駅前〜新発寒5条2〜手稲駅北口,宮49-1宮の沢駅前〜
新発寒5条2〜プール前〜手稲駅北口,宮79宮の沢駅前〜新発寒5条2〜工
業大学前,宮79-1宮の沢駅前〜新発寒5条2〜プール前〜工業大学前,循環
寒46発寒駅北口〜新陵中学校前〜発寒駅北口)
◇琴似手稲線(琴50JR琴似駅〜宮の沢3条3〜手稲営業所前)
◇宮丘線(循環宮51宮の沢駅前〜上手稲神社先廻り〜宮の沢駅前,循環宮52宮の
沢駅前〜追分通先廻り〜宮の沢駅前)
◇手稲線(55JR札幌駅〜宮の沢駅前〜手稲駅南口〜手稲営業所前,宮55宮の沢駅
前〜手稲駅南口〜手稲営業所前,55-1JR札幌駅〜手稲駅南口〜手稲営業所前,
55-1JR札幌駅〜西宮の沢5条2,快速64JR札幌駅〜手稲駅南口〜手稲鉱山通,
快速64JR札幌駅〜手稲駅南口〜手稲稲穂1条7東,快速64-2JR札幌駅〜手稲
稲穂1条7東)
◇手稲鉱山線(57JR札幌駅〜宮の沢駅前〜手稲駅南口〜手稲鉱山,宮57宮の沢駅
前〜手稲駅南口〜手稲鉱山)
◇富丘線(宮58宮の沢駅前〜富丘1条4〜手稲駅南口)
◇星置線(宮59宮の沢駅前〜手稲駅南口〜星置駅,宮59手稲営業所前〜星置駅)
◇鉄北線(手60手稲駅北口〜手稲営業所前)
◇小樽線(宮65宮の沢駅前〜小樽駅,66JR札幌駅〜宮の沢駅前〜手稲駅南口〜張
碓,66-1JR札幌駅〜手稲駅南口〜張碓,快速66-2JR札幌駅〜桂岡)
◇ていね山線(宮70宮の沢駅前〜テイネハイランド(冬期のみ),手70手稲駅南
口〜テイネハイランド,宮70宮の沢駅前〜手稲駅南口〜手稲山ロープウエイ
(夏期のみ))
◇稲積線(宮74宮の沢駅前〜新発寒7条4〜手稲駅北口)
◇試験場線(80JR札幌駅〜宮の沢駅前〜運転免許試験場,手81手稲駅北口〜運転
免許試験場〜星置通,手82手稲駅北口〜星置通,手90手稲駅北口〜運転免許
試験場)
◇富丘高台線(手100手稲駅北口〜手稲高台通〜手稲駅南口)
(琴似管内)
◇ロープウエイ線(循環円10円山公園駅前〜界川先廻り〜円山公園駅前,循環円
11円山公園駅前〜南11条西22丁目先廻り〜円山公園駅前),西25丁目線(
円11円山公園駅前〜啓明ターミナル)
◇旭山公園線(円13円山公園駅前〜旭山公園前)
◇荒井山線(円14円山公園駅前〜宮の森シャンツェ前)
◇動物園線(円15円山公園駅前〜円山西町2丁目,円15円山公園駅前〜円山西町
神社前,円16円山公園駅前〜動物園正門前〜大倉山競技場前)
◇山の手線(循環西20西28丁目駅前〜神宮先廻り〜西28丁目駅前,循環西21西28
丁目駅前〜西高先廻り〜西28丁目駅前,西21西28丁目駅前〜宮の沢駅前)
◇琴似西野線(琴29地下鉄琴似駅前〜山の手橋〜宮の沢駅前)
◇北7条線(31大通西4丁目〜市立病院前〜地下鉄琴似駅前)
◇北24条線(軒32二十四軒駅前〜北24条駅前)
◇南新川線(37大通西4丁目〜市立病院前〜新琴似3条1〜北25西15丁目,37新
川通〜新琴似3条1〜市立病院前〜大通西4丁目)
◇琴似発寒線(琴38地下鉄琴似駅前〜発寒8条7〜宮の沢駅前,琴39地下鉄琴似
駅前〜発寒9条10〜宮の沢駅前)
◇琴似八軒線(琴40地下鉄琴似駅前〜八軒5条1〜宮の沢駅前)
◇西野福井線(琴41JR琴似駅〜地下鉄琴似駅前〜福井えん堤前,琴41地下鉄琴似
駅前〜福井えん堤前,発41発寒南駅前〜福井えん堤前,琴41-1JR琴似駅〜発
寒南駅前〜福井えん堤前(深夜バス))
◇西野平和線(琴42JR琴似駅〜地下鉄琴似駅前〜平和の滝入口,琴42地下鉄琴似
駅前〜平和の滝入口,発42発寒南駅前〜平和の滝入口,琴42-1JR琴似駅〜発
寒南駅前〜平和の滝入口(深夜バス),琴42地下鉄琴似駅前〜西陵高校前)
◇西野中洲橋線(宮43宮の沢駅前〜中州橋,琴43JR琴似駅〜地下鉄琴似駅前〜中
洲橋,琴43地下鉄琴似駅前〜中洲橋,発43発寒南駅前〜中洲橋,琴43-1JR琴
似駅〜発寒南駅前〜中洲橋)
◇新琴似線(北46地下鉄琴似駅前〜麻生駅前,北46琴似営業所前〜地下鉄琴似駅
前〜麻生駅前)
◇桑園発寒線(52札幌駅前〜競馬場正門前〜琴似工業高校前)
◇啓明線(53JR札幌駅〜啓明ターミナル,53大通西4丁目〜啓明ターミナル)
◇北5条線(54札幌駅前〜長生園前,58札幌駅前〜琴似営業所前)
◇山鼻線(循環啓55啓明ターミナル〜ロープウエイ→南9条先廻り〜啓明ターミ
ナル,循環啓56啓明ターミナル〜南16条先廻り→ロープウエイ〜啓明ターミ
ナル,循環啓65啓明ターミナル〜南9条先廻り〜啓明ターミナル,循環啓66
啓明ターミナル〜南16条先廻り〜啓明ターミナル)
◇工業団地線(発72発寒南駅前〜手稲高校前,宮72宮の沢駅前〜手稲高校前)
・同年9月1日にJR札幌駅〜啓明ターミナルの新規路線(啓明線51系統)が開設
され、同年10月には大型商業施設まで既存路線の一部延長が図られた。
・同年12月ダイヤ改正から、啓明地区〜JR札幌駅の系統を日中及び夕ラッシュ
帯に増便し、利用客の利便性向上が図られた。
・2008(H20)年5月1日からJR札幌駅を起点として、北海道大学・大倉山の観光
スポットをレトロ調ボンネットバスで巡る定期観光バス「ぶらりサッポロ観光バ
ス」を運行した(札幌市内循環線を新設)。
・同時に、曙7条2丁目〜明日風1丁目〜明日風3丁目東〜明日風3丁目が開業した。
・同年12月のダイヤ改正では、新発寒線・南新川線・啓明線・北5条線の増便ととも
に、琴似方面の利便性向上のため宮ヶ丘地区で路線変更が行われた。
・2009(H21)年4月1日ダイヤ改正から、桑園駅〜円山・啓明地区を運行する全便に
バリアフリー車両が投入された(桑園円山線桑11系統を新設))。また、手稲駅
北口〜工業大学前〜明日風3丁目〜星置駅の系統が運行開始した(これに伴って、
曙7条2丁目〜明日風1丁目〜明日風3丁目東は廃止された)。
・同年12月ダイヤ改正では、小樽駅前〜宮の沢(国道経由)で札幌都心部まで利用さ
れる旅客の利便性向上のため、平日朝の通勤時間帯にJR札幌駅まで延長し快速便
として運行した。
・2010(H22)年4月ダイヤ改正から、地下鉄二十四軒駅近隣からJR札幌駅までが空白
地域となっていることから、日中時間帯の買い物客をターゲットに北5条通り経由
JR札幌駅までの新規路線を運行した。併せて、朝夕の通勤時間帯にイオン発寒SC
〜西町北20丁目〜JR札幌駅の新規快速便を運行した。
・2010(H22)年12月ダイヤ改正から、近年マイカーの高速道路利用者の増加や札幌市内
での利用状況等の変化により、定時運行が難しくなってきていることから、札樽高
速線の高速おたる号の区間時分を変更するとともに、日中時間帯の一部減便が実施
された。
・2011(H23)年4月ダイヤ改正では、少子高齢化の影響で学校統廃合が進んでいること
から通学生が減少傾向になっており、手稲方面のスクール便の見直しが行われた。
・2013(H25)年3月末限りで、星置通〜星置通東(旧稲西高校前)が廃止された。
・2015(H27)年3月末限りで、手稲営業所前〜宮の沢3条3丁目〜地下鉄宮の沢駅前〜
JR琴似駅の系統(琴似手稲線琴40系統)が廃止された。
・2015(H27)年6月現在、札樽線は、札幌〜小樽の高速バス及び路線バス、札幌市内
及び西側近郊の路線バスがJR北海道バスによって運行されている。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、札樽線には接続駅(札幌、琴似
(琴似本通)、手稲、小樽築港、南小樽(住吉神社前)及び小樽)の他に、手稲
東及び手稲町に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
※補足 ニセコスキー客輸送について
・北海道地自前掲書によると、1963(S38)年12月、比羅夫に札幌自営比羅夫派出所が
開設され、比羅夫駅〜山田温泉(5.7km)のスキー客輸送を開始した。開設と同時に
札幌〜狩太(現・ニセコ)にスキー準急列車「銀嶺号」が運転され、鉄道と自動車
の結合輸送を実施した。
・開設当時は4往復運行であったが、翌1964(S39)年には平日5往復・日祝7往復に
増強された(1966(S41)年3月末限りで廃止)。
※補足 樺太の省営自動車
・太平洋戦争の激化に伴い、北辺の鉄道網を強化するため、1943(S18)年4月から樺太
庁鉄道が鉄道省に移管され、樺太鉄道局が置かれた。これに伴って、従来樺太庁鉄道
が経営していた2自動車路線(庁鉄バス)が鉄道省(省営自動車)に移管された。
・この2自動車線の概要は次の通りであった。
◇内恵線 内路〜恵須取(107.3km)
所要5時間25分、運行回数2回
内路自動車区所管
◇本留線 本斗〜留多加駅前(71.5km)
所要2時間45分、運行回数2回
本斗自動車区所管
・財団法人東亜交通公社「時刻表」1944(S19)年5号によると、内恵線(S19.06.01改正)、
本留線(S19.05.01改正)のダイヤは次の通りであった(冬季間運転休止)。
◇内恵線
(下り)
内路0610→1150恵須取 5便
内路0720→1300恵須取 11便
内路1130→1710恵須取 13便
内路1350→1930恵須取 7便
(上り)
恵須取0630→1210内路 6便
恵須取0830→1410内路 12便
恵須取1230→1810内路 8便
恵須取1400→1940内路 14便
◇本留線
(下り)
本斗0800→遠節0814→1100留多加駅前 9便
本斗0915→遠節0929→1215留多加駅前 1便
本斗1350→遠節1404→1650留多加駅前 3便
(上り)
留多加駅前0800→遠節1046→1100本斗 10便
留多加駅前1010→遠節1256→1310本斗 2便
留多加駅前1435→遠節1721→1735本斗 4便
・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車50年史」によると、1944(S19)年夏に様似自動
車区から内路自動車区にバス6両(石炭代用燃料車)が配属替えされた。樺太の豊富
な石炭を配慮しての処置だった。
・1945(S20)年8月、戦争終結によって樺太はソ連サハリン州となり、鉄道及び自動車
を含め、その支配下に置かれることとなった。なお、内恵線及び本留線は、廃止等の
告示がないまま、1948(S23)年3月、「国営自動車路線名称」(当時)から削られた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【102】空知線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇空知線
空知本線
1 札幌−岩見沢
2 東高前−米里−大麻
3 市営住宅前−流通センター通
4 旭町−新札幌−もみじ台東二丁目−もみじ台団地−青葉町九丁目
−青葉町二丁目−旭町
5 旭町−厚別三区−啓成高校前
6 啓成高校前−厚別三区
7 啓成高校前−野幌森林公園
8 青葉町二丁目−青葉町九丁目−厚別営業所前
9 青葉町二丁目−厚別営業所前−青葉町九丁目
10 大麻駅通−大麻十四丁目−大麻
11 大麻−大麻十五丁目−大麻十一丁目
12 野幌駅通−大麻十一丁目
13 野幌駅通−野幌
共栄線
1 野幌駅通−北の里牧場前
北新線
1 上幌向−新篠津
1.2 路線略図
札幌◎
|
| 東橋
小樽<−+−−○+上白石 菊水元
|小学校 町七条 東栄橋
+−○−−−○−−−−−−○−−−−−−○厚別
東高前○ |幹線通
| |
| 上新川○
白石中央○ | 宮町西
| ・−−○
| 大麻十|大麻十 大麻十
・…○市営住宅前 五丁目|四丁目 一丁目
: | +○+○+−−○……・
: ○下白石 森林 | | | : 新篠津
・…+ 公園 ・−+ | : ○
流通セン○ 厚別 厚別 ◎ 大麻◎ | : |
ター通 | 駅通 三区 | | : | 岩見沢
・ +○−○…………・ |啓成高 大麻| 野幌: 江別 | ◎
\ 釣橋 旭町| | 野幌橋: |校前 駅通| 駅通: 七丁目 江別 | |
・−−○+−○+−−○−−○−+−○−−−−○−++−−−−○−−−○−−−◎−−+◎−−−+−>峰延
大谷地タ / | | 東商業 | | || |\ / 上幌向
ーミナル○−−+ | 高校前 | ・ 開拓 ++ | ◎野幌
| | ◎新札幌 \の村 |
| |ひばり | ○ 植民社○
| |が丘中 |青葉町 もみじ台 |
| |央 |二丁目 団地入口 もみじ台 |
| ○−−○−−○−−−○−−−−−−○北二丁目 |
厚別営○ /青葉町| | / |
業所前| / 一丁目| | ○もみじ台 |
太洋団 +−−○厚別南 |青葉町○もみじ台|東二丁目 |
地入口 /| 五丁目 ○八丁目|西二丁目| ○登満別
○−−・ | | | | |
\ | | ○もみじ台○もみじ |
東栄通○−−−○−−+−−○−−−−−○青葉町|西七丁目|台団地 |
/ 上野幌 | 上野幌 |九丁目| | |
/ 中央公園| 七丁目 ・−−−○−−−−○ 北の里○−>南幌|
○ ・ もみじ台 もみじ台 牧場前|
緑ヶ丘団地 \ 南一丁目 南七丁目 |
・−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−○−>中央長沼
|
V
北広島
※大麻十一丁目〜野幌駅通は1977(S52)年12月15日から休止中。
2.路線解説
2.1 当時の運行状況
・空知線は、1948(S23)年11月3日に江別本線江別〜釣橋と共栄線共栄〜植民社が
開業したのがルーツで、その後、1951(S26)年5月11日に共栄線植民社〜野幌、
1955(S30)年5月20日に上幌向〜栗沢、1957(S32)年3月に新野幌〜旭町が開業
した。同線は、鉄道の補助と江別地帯の産業開拓促進を使命としていた。なお、
札幌〜釣橋は、1947(S22)年3月に長広本線(→長沼本線)の一部として開業
していた(この区間は1958(S33)年12月に空知線に編入された)。
・1958(S33)年7月1日に協和口〜幌向〜江別、1959(S34)年6月5日に小野幌〜
下野幌〜登満別及び江別〜公営住宅前、1960(S35)年10月9日には下白石〜養護
学校前、1961(S36)年11月1日に野幌〜江別二中前〜江別、1963(S38)年3月10
日に旭町〜野幌橋〜新開地、同年5月10日に三愛女子高前〜野幌〜夕鉄ターミ
ナル前〜江別の各区間が開業した。
・北海道地方自動車部(1984)「国鉄北海道自動車50年史」によると、1958(S33)年
7月、札幌〜美唄に急行7往復の長距離便を運行開始した。
・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、札幌〜下白石の系統が1日97回、
札幌〜厚別の系統が同じく12回運行されており、この当時、既に都市型の高頻度
運行がなされていた。また、同書の1964(S39)年版によると、札幌〜新野幌の系統
が同じく65回、札幌〜中白石の系統が同じく62回の運行となっていた。
・北海道地自前掲書によると、1961(S36)年頃から、空知線札幌〜白石・厚別・
江別間等の増強を図ったと述べられている。同書によると、空知線の区間別運
行回数の推移は次の通りであった。
札幌〜白石・厚別 札幌〜江別 札幌〜岩見沢・美唄
S31年度 86往復 16往復
S36年度 172往復 17往復 10往復
S37年度 171往復 20往復 17往復
S38年度 197往復 26往復 17往復
S39年度 200往復 34往復 23往復
S40年度 220往復 45往復 21往復
・1964(S39)年9月15日に札幌〜東二丁目(北回り)、同年12月1日に新野幌〜大
麻十四丁目〜大麻十二丁目〜大麻十丁目〜江別二中前、1965(S40)年1月25日に
旭町〜ひばりが丘、1966(S41)年7月1日に大麻十四丁目〜大朝十五丁目、同年
8月1日に養護学校前〜北都団地、同年10月12日にひばりが丘〜下野幌団地通、
1967(S42)年12月13日に下野幌団地通〜団地中央〜下野幌団地の各区間が開業した。
・「交通年鑑1965年版」には、道路整備5箇年計画の進捗により道路が逐次改修
されたことと、自動車工業の発達に伴い、年々中長距離旅行が快適になるにつ
れて旅客の需要も増加してきているので、現在国鉄自動車が運行している中長
距離路線の他、中長距離系統の新設急行便の増発、新型車の増備に努めてサー
ビスを図った、その主なものは次の通りであると述べられていた。
札幌〜中央長沼 37km
札幌〜岩見沢 46km
小樽〜中央長沼 71km
陸中大野〜金田一 40km
宇都宮〜茂木 36km
飯田〜狼煙〜宇出津 103km
京都〜周山 36km
八重〜広島 47km
岩国〜広島センター 40km
西条〜呉 37km
小松港〜小松港 96km
・北海道地自前掲書によると、1967(S42)年3月から札幌〜小樽、札幌〜下野幌団
地(→青葉町一丁目)に特急ワンマンカーの運行を開始し、1968(S43)年1月か
ら札幌〜大麻(5区界)他数系統の多区間ワンマンカーの運行を開始した。その
際、ワンマンカー運転士の金銭収受業務を軽減し、乗車券の乗車前購入を推進す
るため、札樽線及び空知線の混雑区間に、乗車券発売所及び待合室を設置した。
また、ワンマンカー折り返しのため、乗車券発売所前に回転用地を確保し、誘導
員配置を省く等合理化を実施したと述べられている。
・1969(S44)年2月、札幌市の人口集中化に伴う輸送体制に対応するため、基地(旧
札幌自営)を札幌自営(手稲)と厚別自営(厚別営業所前)に分割した。
・1969(S44)年9月1日に東二丁目〜苗穂、北柏山〜北都団地、江別〜公営住宅前が
廃止された。
・1970(S45)年5月1日に東高前〜米里〜上新川〜大麻十五丁目〜大麻〜大麻十二丁
目、同年10月8日に下野幌団地〜青葉町八丁目が開業した。
・北海道地自前掲書によると、1970(S45)年5月に札幌〜米里〜大麻十二丁目、1972
(S47)年12月に札幌〜青葉町八丁目・もみじ台団地の各区間で、通勤定期乗車券に
ついて、札幌市交通局との共通乗車を開始した。その後、1984(S59)年時点では、
札幌市交通局と新札幌〜もみじ台団地のみ実施していた。
・1971(S46)年4月1日に栗沢〜協和口が廃止され、同年7月17日に南小野幌〜野幌
森林公園〜新開地、同年12月21日に青葉町二丁目〜もみじ台北二丁目〜もみじ台
団地の各区間が開業した。
・1972(S47)年7月14日、空知本線の白石中央〜白石、下白石〜北柏山、三愛女子高
前〜東野幌〜野幌、野幌〜夕鉄ターミナル前〜江別の各区間、登満別線の小野幌
〜登満別が廃止された。
・1973(S48)年9月9日、千歳線の線路変更により新札幌駅が開設されたことに伴い、
同駅への乗入れが開始された(路線名称上は青葉町二丁目〜新札幌が開業)。
・同年11月10日にもみじ台北二丁目〜もみじ台東二丁目〜もみじ台団地、1974(S49)
年4月4日に白石神社前〜南郷通二十丁目〜流通センター通各区間が開業した。
一方、1974(S49)年10月23日に江別二中前〜江別、1978(S53)年3月1日に札幌〜
東二丁目(北回り)が廃止された。
・「国鉄自動車50年史」には、「ベッドタウン造成等に対応した輸送改善例」の1つ
として、札幌圏の輸送改善が次のように述べられている。
◇北海道における札幌市の人口集中はめざましく、人口は48年度に対し、53年度
は115%となり、ベッドタウンの造成、学校の新設等の要素により、札樽・空知
線の輸送量は各年増加している。
◇従って、他路線からの振り替えによる増強を、主として下記の区間を中心に実
施している。
札幌〜手稲公営住宅中央
札幌〜もみじ台団地
札幌〜北広島
・1980(S55)年6月23日に青葉台八丁目〜もみじ台団地が開業した。
・1982(S57)年3月21日、札幌市営地下鉄東西線が新さっぽろまで延長された。これ
に伴って、国鉄バス空知線も厚別地区の各団地から地下鉄新札幌駅まで短絡輸送を
行う等の路線再編成が実施された。この時に、旭町〜新札幌、青葉町二丁目〜青
葉町九丁目〜厚別営業所前が開業した。
・北海道地自前掲書によると、地下鉄東西線の延長に伴い、国鉄バスと札幌市営バ
スが競合している地区について、札幌市からの要請を受けて、北海道地自は、本
社及び関係機関の同意を得て、空知線の路線再編成を大幅に行い、その大部分の
運行便を地下鉄新さっぽろ駅に連絡することとし、市営バスと競合しているもみ
じ台団地の利用客に対し、市営バスと同様、地下鉄との乗継乗車による割引運賃、
市営バスとの乗継共通乗車制度を実施したと述べられている。
・1985(S60)年5月18日に青葉町二丁目〜厚別営業所前〜青葉町九丁目が開業した。
・「国鉄バス時刻表空知線」1985(S60)年5月27日改正によると、空知線には次の
系統が設定されていた。
10 札幌〜旭町 上り1本
10 札幌〜厚別三区〜新札幌 上り1本
11 札幌〜ひばりが丘〜新札幌 上り1本
12 もみじ台団地〜新札幌〜中央通〜厚別営業所前 下り6本
12 新札幌〜中央通〜厚別営業所前 下り10本・上り13本(うち日祝運休1本)
13 札幌〜新札幌〜青葉町〜厚別営業所前 下り20本・上り8本
13 新札幌〜青葉町〜厚別営業所前 下り20本(うち日祝運休2本)・上り13本
(うち日祝運休2本)
14 札幌〜新札幌〜青葉町〜もみじ台団地 下り1本・上り3本
14 新札幌〜青葉町〜もみじ台団地 5往復(うち日祝運休1往復)
15 札幌〜新札幌〜もみじ台団地 下り27本・上り21本(うち日祝運休1本)
15 厚別営業所前〜中央通〜新札幌〜もみじ台団地 下り8本
15 新札幌〜もみじ台団地 下り21本(うち日祝運休4本)・上り21本(うち日
祝運休9本)
21 札幌〜新札幌〜森林公園 下り1本(日祝運休)
21 厚別営業所前〜新札幌〜森林公園 下り1本(日祝休校日運休)
21 もみじ台団地〜新札幌〜森林公園 下り3本(日祝休校日運休)
21 札幌〜新札幌〜大麻駅通 下り1本(日祝運休)
21 新札幌〜大麻駅通 下り20本(うち日祝運休2本、日祝休校日運休5本)・
上り21本(うち日祝運休4本、日祝休校日運休5本)
21 札幌〜新札幌〜開拓の村 下り4本・上り7本
21 新札幌〜開拓の村 下り11本(うち日祝運転10本)・上り12本(うち日祝運
転8本)
24 札幌〜新札幌〜大麻十一丁目 下り22本・上り19本
24 厚別営業所前〜新札幌〜大麻十一丁目 下り16本(うち日祝運休2本)・上
り19本(うち日祝運休2本)
24 新札幌〜大麻十一丁目 下り7本(うち日祝運休1本)・上り9本(うち日
祝運休1本)
26 札幌〜新札幌〜江別 下り27本(うち日祝運休1本)・上り26本
26 厚別営業所前〜新札幌〜江別 下り16本(うち日祝運転1本、日祝運休1本、
土曜運転(日祝運休)3本、土日祝運休2本)・上り22本(うち土曜運転
(日祝運休)2本、土日祝運休2本、日祝運休2本)
26 厚別営業所前〜新札幌〜野幌 下り1本(日祝運休)
26 新札幌〜江別 下り3本(うち日祝運休1本)・上り1本(日祝運休)
27 新札幌〜江別〜岩見沢 5往復(うち日祝運休1往復)
新札幌〜青葉町9丁目〜新札幌 循環6回
23 札幌〜米里〜大麻十一丁目 6往復
大麻十一丁目〜大麻〜大麻十六丁目 2往復(日祝運休)
大麻〜大麻十六丁目 4往復
大麻十一丁目〜大麻 上り5本
・1985(S60)年当時、線内の(自)札幌、市営住宅前、下白石、旭町、(自)江別、
(自)岩見沢、(自)新札幌に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点
として、厚別自動車営業所(厚別営業所前)が置かれていた。
2.2 旅から30年
・1985(S60)年9月13日に函館本線森林公園駅の開業に伴って啓成高校前〜森林公園
が開業した。
・1986(S61)年3月1日に北海道女子短大前〜文京台南町中央〜大麻駅通が開業した。
・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、もみじ台東二丁目〜も
みじ台団地〜もみじ台東二丁目、啓成高校前〜開拓の村、青葉町二丁目〜青葉町
九丁目〜緑ヶ丘団地、青葉町二丁目〜青葉町九丁目、東栄通〜厚別営業所前の
各区間が認知された。
・国鉄民営化を経て、空知線はJR北海道に継承された。
・1987(S62)年11月末から、共栄線の野幌駅通〜二号線が開進経由から体育の里経由
に変更された。また、1988(S63)年7月16日から共栄線は野幌運動公園乗り入れを
開始した。
・1991(H3)年4月8日に厚別東4条4丁目〜小野幌神社前〜大麻十六丁目が開業した。
また、同年12月1日から北新線が新篠津温泉発着に延伸された。
・1995(H7)年12月4日、札幌理工学院前〜若葉5丁目〜野幌駅南口が開業した。
・札幌圏では1995(H7)年12月及び1996(H8)年3月にダイヤ改正を実施し、主要駅(
手稲・新札幌・北広島等)に短絡する接続便を増強した。
・1997(H9)年4月1日、もみじ台団地入口〜もみじ台西2丁目〜もみじ台西7丁目
が休止された一方、テクノパーク〜第二テクノパーク、もみじ台南7丁目〜立命
館慶祥高校の各区間が開業した。
・1998(H10)年4月11日、ライフヒルズ南〜平岡緑中学校〜柏葉台団地、もみじ台南
1丁目〜虹ヶ丘中央〜虹ヶ丘東、伊達屋敷通〜札幌理工学院前、野幌七丁目〜野幌
の各区間が開業した。
・1999(H11)年2月25日には、青葉町一丁目〜ひばりが丘駅前〜旭町、東商業高校前
〜厚別中央四条四丁目〜厚別駅前〜旭町、札幌理工学院前〜若葉台中央〜伊達屋敷通、
野幌駅通〜野幌七丁目〜野幌の各区間が廃止された。一方、札幌市交通局からの
路線移管に伴って、もみじ台団地入口〜もみじ台西2丁目〜もみじ台西7丁目が
再開された。
・同年4月1日から、雇用促進住宅入口〜平岡小学校〜平岡4条3丁目〜東栄通北が
開業した。
・JR北海道のバス事業は分社化され、2000(H12)年4月1日からジェイ・アール北海道
バスとして営業を開始した。
・2000(H12)年4月1日、札幌市交通局からの路線移管に伴って、東2丁目〜バスセ
ンター〜菊水2条1丁目〜菊水駅前〜菊水4条2丁目〜菊水7条2丁目〜上白石小
学校前、東10丁目〜菊水5条2丁目〜菊水駅前、幌東中学校前〜菊水5条2丁目、
6号幹線通〜白陵高校前の各区間が開業した。また、同時に、もみじ台南1丁目〜
札幌日大高校前〜虹ヶ丘東も開業した。
・2002(H14)年4月から新規企画乗車券として、札幌市内及び近郊で利用できる「
一日乗りほーだいキップ」が発売された。
・同年12月1日、原始林通経由の新札幌〜厚別中学校〜小野幌神社前〜厚別北2条3
丁目、空知線28系統の野幌延長に伴って大麻十一丁目〜野幌の各区間が開業した。
・2003(H15)年2月末限りで、空知本線の江別以東、北新線(上幌向〜新篠津温泉)を
含む岩見沢営業所管内の路線が全廃された。一方、同年3月3日から菊水4条2丁目
〜札幌コンベンションセンター〜西白石が開業した。
・白石北郷地区より2004(H16)年9月に開通した平和大橋を経由してJR札幌駅への
乗入れ(2004(H16)年12月1日、札幌北郷線(2系統)の運行開始)に伴い、東橋〜
菊水上町3条2丁目〜菊水上町3条3丁目及び菊水元町2条2丁目〜北郷5条3丁目
が開業した。
・同年12月2日に厚別東通線(89系統)の運行開始に伴い、もみじ台南1丁目〜上野幌
駅〜東部緑地入口〜平岡緑中学校〜緑ヶ丘2丁目北〜緑ヶ丘2丁目が開業した。
・2005(H17)年4月1日に菊水4条2丁目〜札幌コンベンションセンターが廃止された。
同年6月1日に厚別北3条3丁目〜タウン中通〜森林公園駅西口が開業した。同年12
月1日から江別市ゆめみ野地区への乗入れが開始された(新設区間は、江別〜早苗別
〜ゆめみ野中央〜上江別公園〜ゆめみ野東町〜ゆめみ野中央)。同地区は、江別市内
で宅地造成中であり人口増加が見込めるため、乗り入れを行った。
・2006(H18)年4月1日ダイヤ改正から、札幌圏において系統番号及び路線名の変更が
実施された他、全停留所で時刻表を検索できるQRコードの掲示、日中時間帯の優先
席拡大など利便性の向上が図られた。
◇新札幌線(1JR札幌駅〜新札幌駅,1-1JR札幌駅〜大谷地ターミナル〜新札幌駅)
◇北郷線(2JR札幌駅〜平和大橋〜北郷5条3)
◇コンベンション線(3JR札幌駅〜コンベンションセンター)
◇米里線(5JR札幌駅〜バスセンター〜白陵高校前,バ5バスセンター〜白陵高校前,
6JR札幌駅〜国立病院前〜菊水駅前〜上新川,菊6菊水駅前〜上新川,菊6-1菊水
駅前〜上新川(冬期のみ),7JR札幌駅〜国立病院前〜菊水駅前〜白陵高校前,
菊7菊水駅前〜白陵高校前,菊7-1菊水駅前〜白陵高校前(冬期のみ),8JR札幌
駅〜米里1条2〜大朝11丁目)
◇エデンの街線(新11新札幌駅〜青葉町〜エデン〜厚別営業所前,新11新札幌駅〜青葉
町〜エデン〜雇用促進住宅入口)
◇中央通線(新12新札幌駅〜中央通〜厚別営業所前,新12厚別営業所前〜中央通〜新札
幌駅〜もみじ台団地)
◇上野幌線(循環新12新札幌駅〜中央通先廻り〜新札幌駅,13JR札幌駅〜新札幌駅〜青
葉町〜厚別営業所前,新13新札幌駅〜青葉町〜厚別営業所前,新13新札幌駅〜青葉
町〜雇用促進住宅入口,循環新13新札幌駅〜青葉町先廻り〜新札幌駅)
◇もみじ台団地線(14JR札幌駅〜新札幌駅〜青葉町〜もみじ台団地,新14新札幌駅〜青
葉町〜もみじ台団地,新14-1新札幌駅〜青葉町〜立命館慶祥高校,15JR札幌駅〜新
札幌駅〜もみじ台団地,新15新札幌駅〜もみじ台団地,新15森林公園駅〜新札幌駅
〜もみじ台団地,新15新札幌駅〜もみじ台団地〜立命館慶祥高校)
◇緑ヶ丘団地線(新16新札幌駅〜青葉町〜緑ヶ丘団地,新16新札幌駅〜青葉町〜緑ヶ丘
団地東,循環新16新札幌駅〜緑ヶ丘団地〜新札幌駅)
◇開拓の村線(22JR札幌駅〜新札幌駅〜開拓の村,新22新札幌駅〜開拓の村,新22新札
幌駅〜森林公園駅)
◇大麻団地線(24JR札幌駅〜新札幌駅〜大麻11丁目,新24新札幌駅〜大麻駅南口,新24
新札幌駅〜大麻11丁目,新24厚別営業所前〜新札幌駅〜大麻11丁目,麻24大麻駅〜
大麻11丁目,新26新札幌駅〜3番通〜野幌駅)
◇江別線(25JR札幌駅〜新札幌駅〜上江別公園,新25新札幌駅〜ゆめみ野東町,新25新
札幌駅〜上江別公園,江25江別駅〜ゆめみ野東町,江25江別駅〜上江別公園,26JR
札幌駅〜新札幌駅〜江別駅,新26新札幌駅〜江別駅,新26新札幌駅〜野幌駅,新26
厚別営業所前〜新札幌駅〜江別駅)
◇厚別北線(新27新札幌駅〜森林公園駅西口)
◇野幌運動公園線(新29新札幌駅〜野幌運動公園,新29新札幌駅〜情報大学前,野29野
幌駅南口〜野幌運動公園)
◇もみじ台西2丁目線(新70新札幌駅〜もみじ西2〜緑ヶ丘2丁目,循環新71新札幌駅
〜青葉町先廻り〜新札幌駅,循環新72新札幌駅〜もみじ西2先廻り〜新札幌駅)
◇虹ヶ丘線(新75新札幌駅〜小林橋〜虹ヶ丘東,循環新76新札幌駅〜小林橋〜新札幌駅,
循環新77新札幌駅〜小林橋〜虹ヶ丘東〜新札幌駅)
◇テクノパーク線(新78新札幌駅〜第二テクノパーク,特急新78新札幌駅〜第二テクノ
パーク,循環新78新札幌駅〜第二テクノパーク〜新札幌駅)
◇もみじ台テクノパーク線(循環新79新札幌駅〜テクノパーク先廻り〜新札幌駅,循環
新80新札幌駅〜もみじ台先廻り〜新札幌駅)
◇文京台線(循環新82新札幌駅〜大麻駅南口先廻り〜新札幌駅,循環新83新札幌駅〜文
京台先廻り〜新札幌駅)
◇共栄線(江92江別駅〜北広島駅,江92江別駅〜北広島駅〜南の里)
◇新さっぽろ大曲線(新110新札幌駅〜柏葉台団地)
◇新さっぽろ平岡線(循環新111新札幌駅〜平岡4条3〜新札幌駅)
・2006(H18)年9月1日に大谷地ターミナル〜旭町が廃止される一方、菊水9条3丁目〜
札幌コンベンションセンターが開業した。
・2007(H19)年4月1日から、新札幌地区でこれまでバスの運行していない空白地区に、
小野幌循環バス「このっぴー」が運行開始した。
・同年12月のダイヤ改正では、JR手稲駅・新札幌駅を中心に、朝・夕の通勤時間帯に
増便が実施された。
・2008(H20)年12月16日からJR白石駅周辺の整備に伴い、白石駅北通が供用開始された
ため、北郷線がJR白石駅北口発着に延伸され、北郷地区から札幌・白石へのアクセス
が向上した。
・2009(H21)年4月1日から循環新10系統「ひばりが丘線」が運行開始した。
・同年12月ダイヤ改正では、JR札幌駅〜JR白石駅北口の系統で夕方の時間帯に空白が
あったことから増便がなされ、白石地区から札幌方面への利便性がの向上が図られた。
・2010(H22)年3月末限りで「もみじ台西2丁目線」のうち、新70系統(新札幌〜もみじ
台西2丁目〜JR上野幌駅〜緑ヶ丘2丁目)が廃止された。「交通年鑑2011年版」に
は、乗降人員が極端に少ない2系統(北広島〜南の里、新札幌駅〜緑ヶ丘2丁目)の
廃止を行ったと述べられている。
・2011(H23)年4月ダイヤ改正では、厚別地区で他社と相互運行している地区の便数が過
剰となっていたことから、2社計31便を削減した。
・2012(H24)年3月末限りで「厚別北線」新27系統(新札幌〜タウン中通〜森林公園駅西
口)が廃止された。
・2015(H27)年6月現在、空知線は、札幌〜新札幌、新札幌〜江別をはじめ、新札幌、大
麻地区などの路線バスがJR北海道バスによって運行されている。
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、空知線には接続駅(札幌、大
麻、野幌、江別、幌向、上幌向、岩見沢、峰延、美唄、新札幌)の他に、市営
住宅前に第二種委託駅(自動車駅)、旭町に第一種委託駅(自動車駅)が置かれ
ていた。
※補足「空知線の路線名称遷移」
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【103】岩見沢線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇岩見沢線
岩見沢本線
1 岩見沢−稔神社前−北村東校前
2 元町−稔口
3 緑校前−青木神社前
月形線
1 中央通−峰岡−石狩月形
2 峰岡−美唄
1.2 路線略図
石狩月形◎ 月形小
| 学校前
月形市街○−○−>浦臼・滝川
|
北村 |
東校前 |
・−−○ ○新中小屋
| |
蕨ヶ丘○ |
桜木 | ○第二幹線橋
一条 ○大願 |
青木 緑校 七丁 稔神 二分|橋 |
神社前 /\ 前 目 社前 水 | |
○−−○−−○−−○−○−−○−−○−○稔口 |
西川 西新 | | | | |
中央 橋 | |北本町東 | | |
○−○四丁目 ○−○ |
岩見沢◎ |元町 東橋 東岡 |
| | 鉄橋 | 峰延 美唄
札幌<−−−−−−−+−○−−−−−−−○−−○−−−−○−◎……○……◎
中央通 岡山橋 峰岡 峰延 光珠内
市街 駅前
※峰延〜美唄は1970(S45)年12月28日から休止中
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・岩見沢線は、空知線として、1948(S23)年11月3日に月形市街〜岩見沢、1951(S
26)年9月25日に岩見沢〜北村が開業したのがルーツで、空知地区及び岩見沢地
帯の産業開拓促進と、札沼線石狩月形方面と岩見沢方面との短絡を使命として
いた。後に岩見沢線となる区間は、1958(S33)年に空知線の支線である北新線、
青木線、大願線、月形線に編成されたが、1965(S40)年に岩見沢線の部に再編成
された。
・この間、1959(S34)年7月30日に北新線北幌橋〜幌向、青木線北村〜北村大願、
北村農協前〜北村役場前、同年10月9日に北新線北新〜新篠津の各区間が開業
した。
・1961(S36)年11月1日に赤川線岩見沢〜青木入口、1962(S37)年9月1日に大願
線東岡鉄橋〜中央通の各区間が開業した。
・1969(S44)年10月19日に峰延〜三笠駅前が廃止された。
・1971(S46)年4月1日に北新線幌向〜北幌橋、本線青木入口〜北村大願の各区間
が廃止された。
・1972(S47)年7月14日に岡山橋〜東岡鉄橋、青木線岩見沢〜北新、青木神社前〜
青木入口の各区間が廃止された。
・「国鉄バス時刻表岩見沢線」1981(S56)年11月10日改正によると、岩見沢線には
次のような系統が設定されていた。
(大願線・稔線)
岩見沢〜緑校前〜北村東校 3往復
岩見沢〜北本町〜北村東校 2往復
岩見沢〜緑校前〜蕨ヶ丘 2往復(上り1本は日祝学休日運休)
岩見沢〜北本町〜蕨ヶ丘 1往復(日祝学休日運休)
(青木線)
岩見沢〜緑校前〜青木神社前 6往復
岩見沢〜緑校前〜西川中央 3往復(うち日祝運休1往復)
(月形線)
岩見沢〜石狩月形〜浦臼 1往復
岩見沢〜石狩月形〜石狩新宮 1往復
岩見沢〜石狩月形 2往復
岩見沢〜大富 2往復
2.2 旅から30年
・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、元町〜桜木一条七丁目、
西新橋〜青木神社前及び二分水〜稔口が認知された。
・国鉄民営化を経て、岩見沢線はJR北海道に継承された。
・「JR北海道バス時刻表岩見沢線」1992(H4)年7月1日改正によると、岩見沢
線には次のような系統が設定されていた。
(大願線・稔線)
岩見沢〜緑校前〜北村東校 2往復(うち東岡鉄橋経由1往復)
(青木線)
岩見沢〜緑校前〜青木神社前 5往復(うち北本町経由下り3本・上り1
本)
岩見沢〜緑校前〜西川中央 下り7本(うち日祝運休2本、うち北本町
経由6本)・上り8本(うち日祝運休1本、うち北本町経由7本)
(月形線)
岩見沢〜石狩月形・月形温泉 2往復
・1997(H9)年3月末限りで蕨ヶ丘〜北村東校前及び二分水〜稔口(直行経路)が
廃止された。
・「JR北海道バス時刻表岩見沢線」1997(H9)年4月1日改正によると、岩見沢
線には次のような系統が設定されていた。
(大願線・稔線)
岩見沢〜緑校前〜蕨ヶ丘 1往復(東岡鉄橋経由)
(青木線)
岩見沢〜緑校前〜青木神社前 5往復(うち北本町経由下り3本・上り1
本)
岩見沢〜緑校前〜西川中央
平日 下り7本(うち北本町経由6本)・上り9本(うち北本町経由8
本)
日祝 下り3本(北本町経由)・上り4本(北本町経由)
(月形線)
岩見沢〜石狩月形 2往復
・2003(H15)年2月末限りで、岩見沢〜蕨ヶ丘、元町〜桜木一条七丁目、緑校前
〜青木神社前、西新橋〜青木神社前、中央通〜峰岡〜石狩月形及び峰岡〜峰延
の各区間が廃止され、岩見沢線は全廃となった。併せて、岩見沢営業所も廃止
された。
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、岩見沢線には接続駅(岩見沢、
石狩月形及び峰延)のみ置かれていた。
・月形線の第1区間と第2区間の実際の分岐点は峰延市街であるが、この停留所
は乗降場であるので、きっぷの経路は第1区間と第2区間を峰岡(無人駅)で
乗り継ぐこととなっている。本来、峰岡〜峰延市街は復乗区間となる。
・民営化当初の「自動車線普通旅客運賃表」及び北海道地自「国鉄自動車路線図」
1985(S60)年10月によると、「国鉄自動車路線名称」全面改正で認知された区間
の経路は次の通りである。
元町〜桜木一条七丁目:元町〜北本町東四丁目〜桜木公園通〜桜木一条七
丁目
西新橋〜青木神社前:西新橋〜(別線)〜西川中央〜青木神社前
二分水〜稔口:二分水〜東橋〜東岡鉄橋〜稔口
※補足 札幌〜美唄間急行便の系譜
・1957(S32)年に出された「国鉄自動車基本方針」で「既設の旅客路線は自動車輸
送の最近の輸送要請に対応して、逐次都市間を直送する中長距離運転系統、特に
急行バスの設定等に重点を置いて調整を図らなければならない」と取り上げられ
たことを契機として、急行便の設定が全国的に増加した。
・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車五十年史」によると、道路網の整備等を背
景として、1958(S33)年7月から札幌〜美唄に急行7往復の長距離便を運転開始
したと述べられている。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1958(S33)年11月号(5/1改正)によると、札幌〜美唄
に次の7往復が設定されていたのを確認できる。
両地発 0800,1000,1100,1300,1400,1600,1700 所要2時間15分
・「交通年鑑1960年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を
取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ
の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和33年度に次のように急行
便を設定したとある。
札幌〜美唄 63km 7往復
・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に
も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方
都市間連絡に活躍していると述べられていた。
札幌〜美唄 63km 7往復
・「交通年鑑1964年版」には、道路の改修と自動車の優等化により中長距離客が
増えており、現在国鉄自動車が運行している中長距離路線の他、主として次の
区間で、中長距離系統の新設、急行便の増発、新型車の増備、駅設備の改善を
図り、サービス向上に努めたと述べられている。
札幌〜小樽 37km
札幌〜美唄 63km
福島〜川俣 23km
西那須野〜鬼怒川 37km
土浦〜江戸崎 22km
瀬戸〜名古屋 26km
矢掛〜岡山 42km
山口〜博多 171km
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(8/1改正)によると、札幌〜美
唄に次のように10往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
札幌0830→1014美唄
0930→1114
1030→1214
1130→1317
1230→1417
1330→
1430→
1530→1714
1630→1814
1730→1914
(上り)
美唄0900→1044札幌
1000→1144
1100→1244
1200→1344
1300→1444
1400→
1500→
1600→1744
1700→1844
1800→1944
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、札幌〜美
唄に次のように8往復が設定されていたのを確認できる。
(下り)
札幌0930→1116美唄
1030→1219
1130→1319
1230→1419
1350→1536
1530→1716
1630→1816
1730→1916
(上り)
美唄0900→1046札幌
1000→1146
1200→1346
1300→1446
1400→1546
1500→1646
1600→1746
1800→1946
・北海道地自前掲書によると、峰延〜美唄は1970(S45)年12月28日から休止されてい
るので、札幌〜美唄の直通便もこのタイミングで廃止された模様である。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【104】長沼線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇長沼線
長沼本線
1 釣橋−東町
2 厚別営業所前−流通センター通
3 中央長沼−希望
南幌線
1 共栄−南幌
2 夕張太−千歳橋
恵庭線
1 広島市街−恵庭
1.2 路線略図
・>江別
/
○
/旭町 ○南幌
流通セ 釣橋+ \
ンター ○ ○南旭町 ・
通 /|/ \ |
札幌<−○−・ + ○厚別営 役場前○
: / |業所前 |
・…○ ・ 空知大野○
大谷地タ \ 野幌 / \
−ミナル 上野幌○ Λ 鶴城○ \
駅通 \ |北の里 / ○南十八線
西の里○ |牧場前 / /
| ○−−−○夕張太 /
椴山○ | | /
\|南鶴沼○−−−○瑞穂 ○中央長沼
共栄○ / 基線通|
| ○−−−○−−−○−−○−○中央長沼
広島|/千歳 西長沼 稲穂 | \市街
市街○ 橋 | \
| 新光○ ○東町
北広島◎−+ | |\
| 西南○ V ・−>長沼温泉
・ | 東舞鶴 開拓通
/ 希望○ ・漁町
南の里○
| 南九号
十八号線○ Λ
| 島松 ・ 恵み野南 東舞鶴
| 本町/ 三丁目 中恵庭
島松◎−○+−○−−○ Λ 恵庭
| 北高 | 柏陽 有明 有明 | ◎
寿町○−−・ 校前 | 会館 橋 町 |相生町|住吉町
\ 二十 ○恵み ○−−○−−○−−+−○−+−○+
\三号 |野 / |市民○ | |
○−−−−+−+ 大町 |会館| 恵庭|和光○
| 会館前 | | 駅通○会館|
柏木○−−−○−−−○−−○−−−+ ○和光町
大町 漁町 | |
桜町○ |
/ ○駒場町
恵庭公園前○−−○−+
|青年の家前
|
南高校前○−○南部隊前
\
○西白樺
※札幌〜流通センター通〜釣橋〜旭町〜江別は空知本線
※野幌〜北の里牧場前は共栄線
※東町〜東舞鶴〜中恵庭〜市民会館前〜漁町は長恵線
※流通センター通〜大谷地ターミナルはS58.12.12から休止中
※基線通〜希望はS62.02.25から休止
※南鶴沼〜瑞穂〜南十八線〜空知大野、島松本町〜北高校前〜恵み野南三丁目〜恵
み野、(恵み野〜)柏陽会館〜有明橋〜有明町〜相生町〜住吉町〜和光会館〜和
光町〜駒場町〜駒場町〜青年の家前〜恵庭公園前、有明町〜大町、恵庭駅通〜桜
町〜恵庭公園前〜南高校前〜西白樺、南高校前〜南部隊前は路線名称にない
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・長沼線は、1947(S22)年3月20日、長広線として札幌〜釣橋〜広島市街〜中央
長沼〜由仁、恵庭線広島市街〜北広島、柏木〜恵庭が開業したのがルーツで、
続いて、1951(S26)年8月18日に恵庭線北広島〜柏木及び島松〜下山口、同年
12月8日に三川線千歳橋〜三川、1952(S27)年10月10日に三川線三川〜追分、
1953(S28)年11月28日に南幌向線(→南幌線)行幸橋〜幌向市街、1956(S31)年
10月10日に三川線本安平〜登川、1957(S32)年2月10日に夕張太〜千歳橋が開業
した。
・長沼線は、長沼地帯の開拓を促進し、交通に恵まれない長沼及び広島周辺町村
と札幌との直結、その他鉄道線の短絡を使命としていた。
・「鉄道辞典・下」(1958(S33)年)には、長沼線の特長として、路線のほとんど
が石狩平野を運行しているので、輸送物資は米穀類が多いが、現状では旅客輸送
に重点が置かれている、特にこの路線の開設により札幌市との交通が短縮された
ので利用客が多い、と述べられていた。
・1960(S35)年4月15日に南幌向線行幸橋〜北の里が廃止された。
・1960(S35)年10月9日に恵庭線島松〜補給処前(西回り)が開業した。
・「交通年鑑1965年版」には、道路整備5箇年計画の進捗により道路が逐次改修
されたことと、自動車工業の発達に伴い、年々中長距離旅行が快適になるにつ
れて旅客の需要も増加してきているので、現在国鉄自動車が運行している中長
距離路線の他、中長距離系統の新設急行便の増発、新型車の増備に努めてサー
ビスを図った、その主なものは次の通りであると述べられていた。
札幌〜中央長沼 37km
札幌〜岩見沢 46km
小樽〜中央長沼 71km
陸中大野〜金田一 40km
宇都宮〜茂木 36km
飯田〜狼煙〜宇出津 103km
京都〜周山 36km
八重〜広島 47km
岩国〜広島センター 40km
西条〜呉 37km
小松港〜小松港 96km
・1965(S40)年4月、追分線(1958(S33)年12月に三川線から改称)の三川〜追分を
追分本線に改称し、支線として登川線(本安平〜登川駅前)を所属させて、追分
線の部を新編した。
・1967(S42)年5月20日に恵庭線島松〜二十三号通〜柏木が開業した。
・1974(S49)年10月23日、恵庭線の寿町〜補給処前〜柏木及び寿町〜補給処前(西
回り)の廃止が公示された。これに伴って、寿町〜二十三号通〜柏木は恵庭線の
第1区間に編入された。
・1982(S57)年3月21日、長沼本線の厚別営業所前〜大谷地ターミナル〜流通セン
ター通が開業した。北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車50年史」には、札幌市
営地下鉄東西線の新札幌延長を受けて、国鉄自動車も厚別地区の各団地から地下
鉄新札幌駅への短絡輸送を行う等の路線再編成を行っているところである、と述
べられている。
・1985(S60)年1月末限りで長沼本線希望〜水の里、三川線(千歳橋〜三川、1961(
S36).12.1から休止)、追分本線(三川〜追分、1957(S32).11.21から休止)及び
登川線(本安平〜登川駅前、1957(S32).11.21から休止)の廃止が公示された。
・1985(S60)年6月当時、線内の中央長沼に自動車駅が存在した。また、国鉄バス
運行の拠点として、厚別自動車営業所長沼支所(長沼町内)及び同恵庭支所(恵
庭市内)が置かれていた。
・「国鉄バス時刻表長沼線」1985(S60)年5月27日改正によると、長沼線には次の
ような系統が設定されていた。
(長沼本線)
札幌〜中央長沼〜ハイジ牧場 1往復(11/4までの日祝休校日運転)
札幌〜大谷地タ〜中央長沼
快速便 下り6本・上り7本(うち11/4までの日祝休校日運休1本)
普通便 下り8本(うち11/4までの日祝休校日運休1本)・上り7本
札幌〜大谷地タ〜北広島
快速便 下り4本(うち日祝休校日運休1本)・上り2本
普通便 下り4本(うち土曜運転(祝日運休)、土日祝運休各1本)・
上り6本(うち土曜運転(祝日運休)、土日祝運休各1本)
札幌〜大谷地タ〜椴山 下り1本(日祝休校日運休)・上り2本(うち日
祝運休1本)
大谷地タ〜北広島〜中央長沼・東町 下り5本(うち日祝休校日運休1本)
上り5本(うち日祝運休、日祝休校日運休各1本)
大谷地タ〜北広島 下り3本・上り6本
大谷地タ〜椴山 下り7本(うち日祝休校日運休6本)・上り2本(うち
日祝運休、日祝休校日運休各1本)
大谷地タ〜北広島〜長沼高校 下り1本(日祝日運休)
中央長沼〜西長沼〜北の里〜共栄〜長沼高校 下り1本(日祝学休日運休)
手稲追分〜時計台前〜大谷地タ〜厚別営業所前 上り1本(日祝休校日運休)
(南幌線)
札幌〜大谷地タ〜西幌〜南幌
快速便 下り3本・上り1本
札幌〜大谷地タ〜北の里〜南幌
快速便 下り3本(うち18線経由1本)・上り4本(うち18線経由1本)
普通便 下り5本(うち日祝運休1本)・上り3本
大谷地タ〜共栄〜北の里〜南幌 下り4本(うち日祝運休1本)・上り5本
(日祝運休2本)
大谷地タ〜共栄〜西幌〜南幌 上り2本
(恵庭線)
大谷地タ〜北広島〜恵み野駅〜柏木〜大町〜漁町〜恵庭 1往復(日祝運休)
※下りは23号経由・上りは恵み野団地経由
江別〜野幌〜北広島〜恵み野駅〜23号〜柏木〜大町〜漁町〜恵庭 2往復
東舞鶴〜下山口〜島松〜23号〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭
上り1本
島松〜団地〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭〜桜町〜西白樺 下
り1本
島松〜団地〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭〜和光町〜西白樺
下り1本
島松〜23号〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭〜和光町〜西白樺
上り2本
島松〜団地〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭 下り4本・上り1本
島松〜23号〜恵み野駅〜有明橋〜市民会館〜漁町〜恵庭 上り3本
柏陽会館〜有明橋〜児童館〜相生町〜恵庭〜桜町〜南部隊前〜西白樺 下り
1本(日祝運休)
恵庭〜桜町〜西白樺 下り1本・上り5本(うち日祝運休2本、土曜運転1本、
日祝休校日運休1本)
恵庭〜桜町〜南部隊前〜西白樺 下り1本(日祝運休)
市民会館〜漁町〜桜町〜南部隊前〜西白樺 下り1本(土曜運転)
市民会館〜漁町〜桜町〜西白樺 下り2本(うち日祝休校日運休1本)・上
り1本(日祝運休)
恵庭→漁町→大町→柏木→恵み野駅→23号→島松→南9号→漁橋→下島松→
島松→23号→恵み野駅→柏木→大町→漁町→恵庭→桜町→南部隊前→西白
樺 1回(日祝運休)
西白樺→和光町→恵庭→漁町→市民会館→有明橋→恵み野駅→23号→島松→
下島松→漁橋→漁太→南9号→下島松→島松→団地→恵み野駅→有明橋→
市民会館→漁町→恵庭 1回
恵庭→漁町→大町→柏木→恵み野駅→23号→島松→下島松→漁橋→漁太→南
9号→下島松→島松→団地→恵み野駅→有明橋→市民会館→漁町→恵庭
1回
(共栄線)
南の里〜北広島〜野幌〜江別 下り4本(うち日祝運休1本)・上り5本
北広島〜野幌〜江別 下り3本・上り1本
北広島〜野幌 上り1本(日祝運休)
2.2 旅から30年
・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、長沼本線の厚別営業所
前〜釣橋が認知されるとともに、恵庭線が「広島市街−北広島−恵庭間」に変更
され、旧長恵線のうち漁町〜北黄金が恵庭線に編入された。
・国鉄最末期の1987(S62)年3月16日、長沼本線西の里〜北広西高、南幌線南鶴沼
〜空知大野、恵庭線の島松〜恵み野三丁目〜漁町、有明橋〜漁町〜西白樺及び南
高校前〜南部隊前が開業したとある(「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11
月現在による)。
・国鉄民営化を経て、長沼線はJR北海道に継承された。
・1987(S62)年11月30日、南幌線の空知大野〜役場前を妙華寺前経由から南幌公民
館前経由に変更するとともに、同線の南鶴沼〜空知大野(南十八線経由)、恵庭
線の有明〜大町が休止された。
・1993(H5)年12月1日、南幌〜大谷地ターミナル系統が北広島駅乗入れを開始する
とともに、北広島駅〜稲穂9丁目の循環バスを運行開始した。
・1995(H7)年12月4日、恵庭線の恵み野地区で経路変更がなされるとともに、「恵
庭循環線」(テクノ循環)が運行開始した(※補足「島松・恵み野地区の路線変
遷」及び「恵庭市内の路線変遷」を参照)。
・2000(H12)年4月1日、長沼本線の北広島地区で経路変更がなされる(※補足「
北広島地区の路線変遷」を参照)とともに、南幌線空知大野〜役場前を南幌ビュ
ーロー経由に経路変更、恵庭線の南の里〜島松本町(寿町経由)が廃止、同線の
恵み野地区で経路変更、南高校前〜西白樺及び「恵庭循環線」(テクノ循環)の
廃止がなされた(※補足「島松・恵み野地区の路線変遷」及び「恵庭市内の路線
変遷」を参照)。
・2001(H13)年6月29日、ながぬま温泉〜ユンニの湯に臨時路線を開設した。
・2009(H21)年4月1日から恵庭駅〜大町〜島松駅の系統の運行を取りやめた。これ
に伴って、中島町5〜柏陽町3〜柏木〜大町会館前〜大町〜漁町の区間が休廃止
された。
・2010(H22)年9月末限りで北広島〜南の里が廃止された。同年10月から南幌線の
南幌町内の経路を変更して南幌ビューロー発着での運行を開始した。
・同年12月1日からの「えにわコミュニティバス」実証運行に伴い、恵庭線(恵庭
市内線)が同年11月末限りで休止された(休止区間は恵庭駅〜有明〜島松駅及び
恵庭駅〜南部隊前)。(当該区間は2011(H23)年3月末限りで廃止。)
・2015(H27)年6月現在、長沼線は、(札幌〜)釣橋・大谷地ターミナル・新札幌
〜北広島〜ながぬま温泉・南幌ビューローがJR北海道バスによって運行されて
いる。
3.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、当時長沼線には接続駅(上野幌
(上野幌駅通)、北広島、島松、恵庭及び三川)の他に、中央長沼に第一種委託駅
(自動車駅)が置かれていた。
※補足 北広島地区の路線変遷
・北海道地自「国鉄自動車路線図」1985(S60)年10月現在における路線略図は、
次の通りであった。
釣橋 野幌 南幌
Λ Λ Λ
| | |
行幸橋○−−○共栄 +・・・・・・・・・・・+−−○+−>長沼
| ●東共栄2丁目 | 千歳橋
北の台○ ・ 東の里|
| ●東部中学校 +−○−+
| ・入口 |
|東共栄● |
広島市街○−−−+−−−○−−−+
| ・ 公民 東栄・
|元町通・ 館前 通 ・
+・●・+−●・●・●・+
| ・稲穂 公民 ・
| ・通 館前 ●稲穂8丁目
| ・ ・
東部小| ●稲穂2丁目 ●稲穂9丁目
学校前○ ・ ・
| ・ ・
北広島◎−−+・・・●・・・・・・・●稲穂11丁目
| 稲穂4丁目
○北広島
|駅通
V
南の里
・JR北海道自動車事業部「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11月現在に
おける路線略図は、次の通りであった。
釣橋 野幌 南幌
Λ Λ Λ
| | |
行幸橋○−−○共栄 +・・・・・・・・・・・+−−○+−>長沼
| ●東共栄2丁目 | 千歳橋
北の台○ ・ 東の里|
| ●東部中学校 +−○−+
| ・入口 |
|東共栄● |
広島市街○………+………●………+
| ・ 公民 東栄|
|元町通・ 館前 通 |
+−○−+−○−○−○−+
| ・稲穂 公民 ・
| ・通 館前 ●稲穂8丁目
| ・ ・
東部小| ●稲穂2丁目 ●稲穂9丁目
学校前○ ・ ・
| ・ ・
北広島◎−−+・・・●・・・・・・・●稲穂11丁目
| 稲穂4丁目
○北広島
|駅通
V
南の里
*広島市街〜(旧)公民館前〜東の里は1987(S62).11.30から休止中
・1989(H1)年11月改正「長沼線時刻表」から稲穂2丁目経由の記載が確認さ
れる(同年7月1日改正には記載なし)。
釣橋 野幌 南幌
Λ Λ Λ
| | |
行幸橋○−−○共栄 +・・・・・・・・・・・+−−○+−>長沼
| ●東共栄2丁目 | 千歳橋
北の台○ ・ 東の里|
| ●東部中学校 +−○−+
| ・入口 |
|東共栄● |
広島市街○………+………●………+
| ・ 公民 東栄|
|元町通・ 館前 通 |
+−○−+−○−○−○−+
| |稲穂 公民 ・
| |通 館前 ●稲穂8丁目
| | ・
東部小| ○稲穂2丁目 ●稲穂9丁目
学校前○ | ・
| | ・
北広島◎−−+−−−○・・・・・・・●稲穂11丁目
| 稲穂4丁目
○北広島
|駅通
V
南の里
・1993(H5)年12月1日改正から北広島〜稲穂9丁目循環が開業(経路は北広
島→稲穂11→稲穂9→稲穂8→東栄通→稲穂通→稲穂4→北広島)。
釣橋 野幌 南幌
Λ Λ Λ
| | |
行幸橋○−−○共栄 +・・・・・・・・・・・+−−○+−>長沼
| ●東共栄2丁目 | 千歳橋
北の台○ ・ 東の里|
| ●東部中学校 +−○−+
| ・入口 |
|東共栄● |
広島市街○………+………●………+
| ・ 公民 東栄|
|元町通・ 館前 通 |
+−○−+−○−○−○−+
| |稲穂 公民 |
| |通 館前 ○稲穂8丁目
| | |
東部小| ○稲穂2丁目 ○稲穂9丁目
学校前○ | |
| | |
北広島◎−−+−−−○−−−−−−−○稲穂11丁目
| 稲穂4丁目
○北広島
|駅通
V
南の里
・2000(H12)年4月1日改正から長沼線の北広島地区の経路を変更し、広島
市街〜元町通〜稲穂通、東栄通〜東の里〜千歳橋及び稲穂通〜稲穂2丁目
〜稲穂4丁目の各区間を廃止。稲穂通〜東部中学校入口〜東共栄2丁目〜
千歳橋が開業。
釣橋 野幌 南幌
Λ Λ Λ
| | |
行幸橋○−−○共栄 +−−−−−−−−−−−+−−○+−>長沼
| ○東共栄2丁目 ・ 千歳橋
北の台○ | 東の里・
| ○東部中学校 ・・●・・
| |入口 ・
|東共栄○ ・
広島市街○・・・+・・・●・・・+
| | 公民 東栄・
|元町通| 館前 通 ・
+・●・+−○−○−○−+
| ・稲穂 公民 |
| ・通 館前 ○稲穂8丁目
| ・ |
東部小| ●稲穂2丁目 ○稲穂9丁目
学校前○ ・ |
| ・ |
北広島◎−−+−−−○−−−−−−−○稲穂11丁目
| 稲穂4丁目
○北広島
|駅通
V
南の里
※補足 長沼町内の路線変遷
・北海道地自「国鉄自動車路線図」1985(S60)年10月現在における路線略図は、
次の通りであった。
中央 中央長
長沼 沼市街
○−−−○−−○−>東町
/ 役場前
/
○基線通
/|
/ |
千歳橋<・ V
希望
・JR北海道自動車事業部「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11月現在に
おける路線略図は、次の通りであった。
中央 中央長
長沼 沼市街
+○−−−○−−○−>東町
錦町○ / 役場前
| /
あかね団地○−○基線通
/:
/ :
千歳橋<・ V
希望
※補足 島松・恵み野地区の路線変遷
・北海道地自「国鉄自動車路線図」1985(S60)年10月現在における路線略図は、
次の通りであった。
十八号 下島松
Λ Λ
|二十号 |
+−○−・ |島松
寿町・ |島松 |本町 北高校前
・・・・●−−−◎−−−−○−−○
島松 ・ |島松鈴蘭 ・ | 恵み野
保育所前● ●団地前 東町● | 東7
・ | ・ ・−−−○−+
+・●・+・・・・・・・・・ ●恵み野東2
寿町2| |
| 図書館前 | 恵み野東3
二十三○ 恵み野西5●・・●・・●・・+……●・
号 | ・ 恵み野 ○恵み野:
| 恵み野西4● 中学校前|南3 :
| ・ | :
+−●−−−◎−−+−−−−−+○−○恵み野●保健セン
|恵み野 恵み野 ・ ・恵み 小学校・ター前
・駅西口 ●恵み野 ・野南 前 ・
\ ・・・・・西2 ・2 ・
\ ・ +・・・・・・・
\ ・ 中島町5丁目●
\・ ・柏陽町 有明橋
+−−−−○−−−−+−○−−−−○−−>相生町
| 柏陽会館 ・ | ・恵庭
○柏木中央 ●柏陽町3丁目|
| ・ |
+−−−−−−−−−○柏木 |
\ |
○−−−−○−−>漁町・
大町会館 大町 恵庭駅通
・JR北海道自動車事業部「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11月現在に
おける路線略図は、次の通りであった。
十八号 下島松
Λ Λ
| ・
二十号○・・・・ ・島松
| ・島松 ・本町 北高校前
+−−−○・・・◎−−−−○−−○
島松 | 寿町|島松鈴蘭 | | 恵み野
保育所前○ ●団地前 東町○ | 東7
| | | ・−−−○−+
+−○−+−−−−−−−−・ ●恵み野東2
寿町2| |
| 図書館前 | 恵み野東3
二十三○ 恵み野西5●・・●・・●・・+……●・
号 | ・ 恵み野 ○恵み野:
| 恵み野西4● 中学校前|南3 :
| ・ | :
+−○−−−◎−−+−−−−−+○−○恵み野●保健セン
|恵み野 恵み野 ・ ・恵み 小学校・ター前
・駅西口 ●恵み野 ・野南 前 ・
\ ・・・・・西2 ・2 ・
\ ・ +・・・・・・・
\ ・ 中島町5丁目●
\・ ・柏陽町 有明橋
+−−−−○−−−−+−○−−−−○−−>相生町
| 柏陽会館 ・ : ・恵庭
○柏木中央 ●柏陽町3丁目:
| ・ :
+−−−−−−−−−○柏木 :
\ :
○−−−−○−−>漁町・
大町会館 大町 恵庭駅通
*有明〜有明橋〜大町は1987(S62).11.30から休止中
・1990(H2)年11月13日改正「恵庭線時刻表」では、寿町〜二十三号〜恵み野
駅西口が描かれておらず、同区間は休廃止された模様である。
十八号 下島松
Λ Λ
| ・
二十号○・・・・ ・島松
| ・島松 ・本町 北高校前
+−−−○・・・◎−−−−○−−○
島松 | 寿町|島松鈴蘭 | | 恵み野
保育所前○ ○団地前 東町○ | 東7
| | | ・−−−○−+
+−○−+−−−−−−−−・ ○恵み野東2
寿町2・ |
・ 図書館前 | 恵み野東3
二十三● 恵み野西5●・・●・・●・・+・・●・
号 ・ ・ 恵み野 ○恵み野・
・ 恵み野西4● 中学校前|南3 ・
・ ・ | ・
+−○−−−◎−−+−−−−−+○−○恵み野●保健セン
|恵み野 恵み野 ・ ・恵み 小学校・ター前
・駅西口 ●恵み野 ・野南 前 ・
\ ・・・・・西2 ・2 ・
\ ・ +・・・・・・・
\ ・ 中島町5丁目●
\・ ・柏陽町 有明橋
+−−−−○−−−−+−○−−−−○−−>相生町
| 柏陽会館 ・ ・ ・恵庭
○柏木中央 ●柏陽町3丁目・
| ・ ・
+−−−−−−−−−○柏木 ・
\ ・
○−−−−○−−>漁町・
大町会館 大町 恵庭駅通
・1992(H4)年12月1日改正「恵庭線時刻表」の路線案内図では、恵み野〜恵み
野駅西口〜柏木中央が描かれておらず、恵み野〜恵み野西2〜柏陽会館/柏
木中央に変更されていた。(※恵庭市サイトの「恵庭市の沿革」には、同年
10月27日に恵庭バイパス恵み野跨線橋開通とある。)
十八号 下島松
Λ Λ
| ・
二十号○・・・・ ・島松
| ・島松 ・本町 北高校前
+−−−○・・・◎−−−−○−−○
島松 | 寿町|島松鈴蘭 | | 恵み野
保育所前○ ○団地前 東町○ | 東7
| | | ・−−−○−+
+−○−+−−−−−−−−・ ○恵み野東2
寿町2・ |
・ 図書館前 | 恵み野東3
二十三● 恵み野西5●・・●・・●・・+・・●・
号 ・ ・ 恵み野 ○恵み野・
・ 恵み野西4● 中学校前|南3 ・
・ ・ | ・
+・●・・・◎−−+−−−−−+○−○恵み野●保健セン
・恵み野 恵み野 | ・恵み 小学校・ター前
・駅西口 ○恵み野 ・野南 前 ・
・ +−−−+西2 ・2 ・
・ | +・・・・・・・
・ | 中島町5丁目●
・| ・柏陽町 有明橋
+−−−−○−−−−+−○−−−−○−−>相生町
| 柏陽会館 ・ ・ ・恵庭
○柏木中央 ●柏陽町3丁目・
| ・ ・
+−−−−−−−−−○柏木 ・
\ ・
○−−−−○−−>漁町・
大町会館 大町 恵庭駅通
・1995(H7)年12月4日改正「恵庭線時刻表」では、恵庭線では次のように
経路が変更された。
@ 島松〜寿町〜島松の循環便がなくなり、寿町〜島松鈴蘭団地〜東町
は休廃止された模様である。
A 恵み野〜柏陽会館/柏木中央を恵み野西2丁目経由から、恵み野西
5〜図書館前〜恵み野中学校〜恵み野東3〜保健センター前〜柏陽町
3〜柏木〜柏木中央〜柏陽会館という経路に変更した(これに伴って
恵み野〜恵み野西2〜柏陽会館の区間が廃止され、恵み野〜恵み野西
5〜図書館前〜恵み野中学校〜恵み野東3〜保健センター前〜柏陽町
3丁目〜柏木及び柏木中央〜柏陽会館の各区間が新設された)。
十八号 下島松
Λ Λ
| ・
二十号○・・・・ ・島松
| ・島松 ・本町 北高校前
+−−−○・・・◎−−−−○−−○
島松 | 寿町・島松鈴蘭 | | 恵み野
保育所前○ ●団地前 東町○ | 東7
| ・ | ・−−−○−+
+−○−+−−−−−−−−・ ○恵み野東2
寿町2・ |
・ 図書館前 | 恵み野東3
二十三● 恵み野西5○−−○−−○−−+−−○+
号 ・ | 恵み野 ○恵み野|
・ 恵み野西4● 中学校前|南3 |
・ | | |
+・●・・・◎−−+−−−−○+○−○恵み野○保健セン
・恵み野 恵み野 ・ ・恵み 小学校|ター前
・駅西口 ●恵み野 ・野南 前 |
・ +・・・+西2 ・2 |
・ ・ +−−−−−−+
・ ・ 中島町5丁目●
・・ |柏陽町 有明橋
+−−−−○−−−−+−○−−−−○−−>相生町
| 柏陽会館 | ・ ・恵庭
○柏木中央 ○柏陽町3丁目・
| | ・
+−−−−−−−−−○柏木 ・
\ ・
○−−−−○−−>漁町・
大町会館 大町 恵庭駅通
・2000(H12)年4月1日から、恵庭線では次のように経路が変更された。
@ 南の里〜島松間の運行がなくなり、南の里〜十八号〜二十号〜寿町〜保
育所前〜寿町2〜東町〜島松本町の区間が廃止された。
A 恵み野東2〜柏陽町/柏陽町3を、(旧)恵み野南3〜恵み野小学校前
〜(旧)恵み野南2〜恵み野〜恵み野西5〜図書館前〜恵み野中学校前〜
保健センター前経由から、(新)恵み野南3〜恵み野中学校前〜図書館前
〜恵み野西5〜恵み野西4(新設)〜恵み野〜(新)恵み野南2〜中島町
5丁目経由に変更された。(これに伴って、(新)恵み野南3〜恵み野小
学校前〜(旧)恵み野南2〜恵み野、恵み野中学校前〜恵み野東3〜保健
センター前〜中島町5、柏木〜柏木中央〜柏陽会館〜柏陽町の各区間が廃
止された。一方、(新)恵み野南3〜恵み野中学校前、恵み野〜(新)恵
み野南2〜中島町5の各区間が新設された。)
十八号 下島松
Λ Λ
・ ・
二十号●・・・・ ・島松
・ ・島松 ・本町 北高校前
・・・・●・・・◎−−−−○−−○
島松 ・ 寿町・島松鈴蘭 ・ | 恵み野
保育所前● ●団地前 東町● | 東7
・ ・ ・ ・−−−○−+
・・●・+・・・・・・・・・ ○恵み野東2
寿町2・ |
・ 図書館前 | 恵み野東3
二十三● 恵み野西5○−−○−−○−−○・・●・
号 ・ | 恵み野 ・恵み野・
・ 恵み野西4○ 中学校前・南3 ・
・ | ・ ・
+・●・・・◎−−+−−−−−+・・● ●保健セン
・恵み野 恵み野 ・恵み 恵み○ 恵み野 ・ター前
・駅西口 ●野西 野南| 小学校前 ・
・ +・・・+2 2 | ・
・ ・ +・・・・・・・
・ ・ 中島町5丁目○
・・ |柏陽町 有明橋
+・・・・●・・・・+−○−−−−○−−>相生町
・ 柏陽会館 | ・ ・恵庭
●柏木中央 ○柏陽町3丁目・
・ | ・
+・・・・・・・・・○柏木 ・
\ ・
○−−−−○−−>漁町・
大町会館 大町 恵庭駅通
※補足 恵庭市内の路線変遷
・北海道地自「国鉄自動車路線図」1985(S60)年10月現在における路線略図は、
次の通りであった。
東舞鶴
Λ
島松 ・
Λ ・
| 恵み野 中恵庭●・・・・・・・・●上山口
| 東7 ・ ・
・−−−○−・ ・ ・
|恵み野東2 ・ ●二十二号
○ 天融寺前●総合 ・
図書館前 | 恵み野東3 ・体育館 西1線 ・
二十三 恵み野西5●・・●・・●・・+・・●・ +・●・・・●・・●二十四号
号 ・ 恵み野 |恵み野・ ・ ・
Λ 恵み野西4● 中学校前○南3 ・ ●恵明中 ●基線25号
| ・ | ・ ・学校前 ・
+−●−−−◎−−+−−−−−+−−○ ●保健セン ・ +・・・・
|恵み野 恵み野駅: ・ 恵み野 ・ター前 ○北黄金→黄金 ・ ・
|駅西口 ●恵み野 ・ 小学校前 ・ |北3丁目 ・ ●テクノ中央
・ ・・・・・西2 ・ ・ | 黄金町 ・ ・
\ ・ +・・・・・・・ | ●・・●・●・・
\ ・ 中島町5丁目● | 恵庭駅・二十・ テクノ西
\ ・ ・ | ◎・・六号・
\・ ・柏陽町 有明橋 |相生町|住吉町 ・
+−−−−○−−−−+−○−−−−○−−−−−+−○−+−○+ ・
| 柏陽会館 ・ | 市民 ○ | | ・
| ・ | 会館前| +・・○・・
○柏木中央 ●柏陽町3丁目| | | |和光
| ・ | | | |会館
+−−−−−−−−−○柏木 | | | |
\ | |漁町 | ○和光町
○−−−−○−−−−−+○−−○恵庭|
大町会館 大町 |駅通|
桜町○ ○駒場町
| |
恵庭公園前○−○+
|青年の家前
|
南高校前○−○南部隊前
|
西白樺○
・JR北海道自動車事業部「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11月現在に
おける路線略図は、次の通りであった。
東舞鶴
Λ
島松 ・
Λ ・
| 恵み野 中恵庭●・・・・・・・・●上山口
| 東7 ・ ・
・−−−○−・ ・ ・
|恵み野東2 ・ ●二十二号
○ 天融寺前●総合 ・
図書館前 | 恵み野東3 ・体育館 西1線 ・
二十三 恵み野西5●・・●・・●・・+・・●・ +・●・・・●・・●二十四号
号 ・ 恵み野 |恵み野・ ・ ・
Λ 恵み野西4● 中学校前○南3 ・ ●恵明中 ●基線25号
| ・ | ・ ・学校前 ・
+−○−−−◎−−+−−−−−+−−○ ●保健セン ・ +・・・・
|恵み野 恵み野 ・ ・ 恵み野 ・ター前 ●北黄金→黄金 ・ ・
|駅西口 ●恵み野 ・ 小学校前 ・ ・北3丁目 ・ ●テクノ中央
・ ・・・・・西2 ・ ・ ・ 黄金町 ・ ・
\ ・ +・・・・・・・ ・ ●・・●・●・・
\ ・ 中島町5丁目● ・ 恵庭駅・二十・ テクノ西
\ ・ ・ ・ ◎・・六号・
\・ ・柏陽町 有明橋 ・相生町|住吉町 ・
+−−−−○−−−−+−○−−−−○−−−−−+・●・+・●+ ・
| 柏陽会館 ・ : 市民 ○ | ・ ・
| ・ : 会館前| +・・●・・
○柏木中央 ●柏陽町3丁目: | | ・和光
| ・ : | | ・会館
+−−−−−−−−−○柏木 : | | ・
\ : |漁町 | ●和光町
○−−−−○−−−−−+○−−○恵庭・
大町会館 大町 |駅通・
桜町○ ●駒場町
| ・
恵庭公園前○・●+
|青年の家前
|
南高校前○−○南部隊前
|
西白樺○
*有明〜有明橋〜大町は1987(S62).11.30から休止中
・1995(H7)年12月4日改正から「恵庭循環便」(恵庭〜和光会館〜テクノ中央
〜恵明中学校前〜市民会館前〜漁町〜恵庭)が開業した(2000(H12)年3月末
限りで廃止)。
東舞鶴
Λ
島松 ・
Λ ・
| 恵み野 中恵庭●・・・・・・・・●上山口
| 東7 ・ ・
・−−−○−・ ・ ・
|恵み野東2 ・ ●二十二号
○ 天融寺前●総合 ・
図書館前 | 恵み野東3 ・体育館 西1線 ・
二十三 恵み野西5○−−○−−○−−+−−○+ +−○−−−○−−●二十四号
号 | 恵み野 |恵み野| | |
Λ 恵み野西4● 中学校前○南3 | ○恵明中 ○基線25号
・ | | | |学校前 |
+・●・・・◎−−+−−−−−+−−○ ○保健セン | +−−−+
・恵み野 恵み野 ・ ・ 恵み野 |ター前 ○北黄金→黄金 ・ |
・駅西口 ●恵み野 ・ 小学校前 | |北3丁目 ・ ○テクノ中央
・ ・・・・・西2 ・ | | 黄金町 ・ |
・ ・ +−−−−−−+ | ●・・●−○−+
・ ・ 中島町5丁目● | 恵庭駅・二十| テクノ西
・ ・ | | ◎・・六号|
・・ |柏陽町 有明橋 |相生町|住吉町 |
+−−−−○−−−−+−○−−−−○−−−−−+・●・+・●+ |
| 柏陽会館 | ・ 市民 ○ | ・ |
| | ・ 会館前| +−−○−+
○柏木中央 ○柏陽町3丁目・ | | ・和光
| | ・ | | ・会館
+−−−−−−−−−○柏木 ・ | | ・
\ ・ |漁町 | ●和光町
○−−−−○−−−−−+○−−○恵庭・
大町会館 大町 |駅通・
桜町○ ●駒場町
| ・
恵庭公園前○・●+
|青年の家前
|
南高校前○−○南部隊前
|
西白樺○
※補足 三川線・追分線の運行推移について
・「日本国有鉄道監修時刻表」1953(S28)年3月号(S27.12.15訂補)によると、
三川線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
札幌〜千歳橋〜追分 3往復
(下り)
札幌0720→千歳橋0812→0920追分
札幌1010→千歳橋1102→1210追分
札幌1740→千歳橋1832→1940追分
(上り)
追分0620→千歳橋0728→0820札幌
追分0950→千歳橋1058→1150札幌
追分1600→千歳橋1708→1800札幌
・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年12月号(11/19改正)によると、追分
線・登川線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
札幌〜追分〜登川 2往復
札幌〜追分 1往復
(下り)
札幌0700→登川
札幌1600→登川
札幌1720→追分
(上り)
追分0600→札幌
登川0810→札幌
登川1500→札幌
・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車50年史」によると、追分本線(三川〜
追分)及び登川線(本安平〜登川)は1957(S32).11.21から休止された。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(5/1改正)によると、三川線
には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
札幌〜三川 2往復
(下り)
札幌0820→1000三川
札幌1430→1610三川
(上り)
三川1030→1210札幌
三川1705→1845札幌
・北海道地自前掲書によると、三川線(千歳橋〜三川)は1961(S36).12.1から
休止された。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【105】長恵線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇長恵線
長恵本線
1 東町−漁町
2 東町−富志戸−開拓通
3 東舞鶴−南長都
4 下山口−島松
5 漁橋−南九号−下島松
古山線
1 長勝寺前−東長沼
1.2 路線略図
ながぬま温泉
○
東町 |富志戸
中央長沼<−○+−−○−−・
長沼 ○ 長勝 |
高校前| 寺前 |
・−○−○−○東長沼
| 山根|
| 排水+−○ハイジ牧場
共和○ ○開拓通
|
南長沼○
|東舞鶴
北恵庭 ○−−−○−−○遠軽団地
・−○−・ | |繁殖橋
| | |大学橋○
|南15号○−○漁太 |
南9号○ | | ○南長都
| | |
下島松○−−−○−○下山口
| 漁橋 |
| |
北広島<−◎島松 ○−○上山口
| |中恵庭
V恵庭 |
<−○−>恵庭
島松 漁町
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・長恵線は、1949(S24)年3月15日に長広線(→長沼線)の支線長恵線として、中央
長沼〜漁(→漁町)が開業したのがルーツで、長沼地区の開拓を促進し、交通に
恵まれない長沼周辺町村と鉄道線との短絡を使命としていた。
・1955(S30)年9月5日に長勝寺前〜東長沼〜古山、1957(S32)年2月10日に東舞
鶴〜大学橋、1958(S33)年6月10日に東町〜富志戸〜東長沼〜新光〜西長沼、
水の里〜希望〜新光〜中央長沼の各区間が開業した。
・1960(S35)年11月5日に中恵庭〜漁橋〜北恵庭〜下島松が開業した。
・1962(S37)年12月21日に大学橋〜南長都が開業した。
・1971(S46)年7月17日に古山線東長沼〜多良津、1972(S47)年10月9日に西長沼
〜開拓通の各区間が廃止された。
・1985(S60)年2月1日に中恵庭〜漁橋、上山口〜恵庭の各区間が廃止された。
・「国鉄バス時刻表長沼線」1985(S60)年5月27日改正によると、長恵線には次の
ような系統が設定されていた。
(長恵線)
恵庭〜東舞鶴 3往復(所要29分)
中央長沼〜東舞鶴〜南長都 4往復(所要39分)
中央長沼〜東舞鶴 1往復(所要22分)
中央長沼〜開拓通 3往復(所要17分)
中央長沼〜希望 3往復(所要15分)
札幌〜中央長沼〜ハイジ牧場 1往復(11/4までの日祝休校日運転)
恵庭→漁町→大町→柏木→恵み野駅→23号→島松→南9号→漁橋→下島松→
島松→23号→恵み野駅→柏木→大町→漁町→恵庭→桜町→南部隊前→西白
樺 1回(日祝運休)
西白樺→和光町→恵庭→漁町→市民会館→有明橋→恵み野駅→23号→島松→
下島松→漁橋→漁太→南9号→下島松→島松→団地→恵み野駅→有明橋→
市民会館→漁町→恵庭 1回
恵庭→漁町→大町→柏木→恵み野駅→23号→島松→下島松→漁橋→漁太→南
9号→下島松→島松→団地→恵み野駅→有明橋→市民会館→漁町→恵庭
1回
・1986(S61)年3月末限りで恵庭市内の区間(東舞鶴〜漁町、下山口〜島松、漁橋
南九号〜下島松)が休廃止されるとともに、長沼町内でも国鉄バス4路線(ハ
イジ牧場前〜開拓通、長勝寺前〜東長沼、東舞鶴〜恵庭と長沼線の中央長沼〜
希望の模様)が廃止された。長恵線のこれらの区間は同年12月の「国鉄自動車
路線名称」全面改正で削除された。
2.2 旅から30年
・存続した長沼町内の区間は、国鉄民営化を経てJR北海道に継承された。国鉄
最後の日の1987(S62)年3月31日に長沼温泉への乗り入れが始まった。その後、
国鉄時代から札幌始発で季節運行されていたハイジ牧場便が2000(H12)年10月
15日に廃止され、最後まで残った高校前〜南長都、繁殖橋〜遠軽団地(国鉄時
代から冬季のみ季節運行していた)が2003(H15)年2月末限りで廃止された。
・2015(H27)年現在、東町〜長沼高校前で北広島方面からの直通便がJR北海道
バスによって運行されている。
2.3 旅の考察
・最長片道きっぷの経路は「下山口、漁橋、南九号、島松」とあり、当時の
「自動車線普通旅客運賃表」の長恵線の項にも漁橋7.3南九号5.1下島松と
いう区間が載っているが、当時は漁橋〜南十五号を通るバスはなかった模様
である。1983(S58).5.16改正ダイヤでは恵庭〜南九号循環系統は漁橋〜
南十五号を経由していたが、1983(S58).12.12改正ダイヤでは漁橋〜下山口
〜漁太〜西一線〜南十五号経由に変更されていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【106】石狩線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇石狩線
石狩本線
1 滝川−石狩月形
2 新十津川役場前−新十津川
3 下四号線−砂川
4 黄臼内−奈井江
5 月形市街−石狩当別
沼田線
1 橋本町−石狩沼田
2 大和市街−四線三号−上三号
3 熊見坂−堺線−十三戸
4 碧水市街−美葉牛
川上線
1 雨竜市街−第二新竜橋
1.2 路線略図
◎石狩沼田
|
○本願寺駅逓前
/|
口美北線○ ○口美葉牛
\|
美葉牛○−−−○碧水市街
|
○和市街
|
十三戸○−・
| |
牧岡○ ○堺線
| |
熊見坂○−・
|
○追分市街
|
第二新竜橋○−−−−○雨竜市街
|
四線三号○−○上三号
| |
・−○大和市街
|
橋本町○−−−−+−・
| | |
新十津川役場前○ 温水プ○ |
/| −ル前 ◎滝川
新十津川◎ |
○菊水町
|
下四号線○−−−−−◎砂川
|
○花月市街
|
黄臼内○−−−−−◎奈井江
|
浦臼◎−+
|
○札比内駅前
|
・−○北農場
月形刑務所前○ |
・−○官舎前
|
+−>岩見沢
|
石狩月形◎−○月形市街
|
|
石狩当別◎−・
※月形市街〜石狩当別は1959(S34)年から長期休止中。
2. 路線解説
2.1 1985(S60)年当時の運行状況
・石狩線は、戦時中の札沼線一部撤去に伴う国鉄自動車による代行路線として、
1943(S18)年10月1日に石狩月形〜石狩追分及び橋本町〜滝川が、翌1944(S19)年
7月21日に石狩当別〜石狩月形及び石狩追分〜石狩沼田がそれぞれ開業したのが
ルーツである。
・戦後、鉄道が復元された後でも、鉄道の機能補充、輸送力補助の使命で自動車
の経営が継続された。また、滝川、砂川方面との短絡交通機関という使命も有
していた。
・1953(S28)年3月1日に石狩当別〜石狩月形が廃止された。一方、同年10月14日
に下四号線〜砂川が開業した。
・1954(S29)年9月30日に下徳富市街〜下徳富、1955(S30)年11月10日に石狩金比羅
前〜十五号及び石狩渡船場〜奈井江(中間の区間は渡船連絡の模様)の各区間が
開業した。
・1956(S31)年6月15日に雨竜〜第二新竜橋が開業した。
・1958(S33)年12月10日に当別線(月形市街〜石狩川大橋、西小川口〜石狩当別)
が開業した。
・1959(S34)年6月5日に下徳富〜大富町、1960(S35)年6月14日に十五号〜奈井江
大橋、当別線南耕地〜月形鉱業所前(1970(S45)年12月16日廃止)、同年11月1日
に川上線第二新竜橋〜尾白利加ダムの各区間が開業した。
・1962(S37)年12月21日に上徳富市街〜二線一号〜四線三号、上徳富市街〜山三線
〜四線三号の各区間が開業した。
・1964(S39)年3月19日に九号線〜東十二区が開業した。
・1968(S43)年9月の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル線撤去の一環として、
1972(S47)年6月18日限りで札沼線新十津川〜石狩沼田が廃止され、国鉄自動車
による代替輸送が開始された。開業時の運行系統別運行回数は次の通りであった。
滝川〜石狩沼田 7.5往復
滝川〜新十津川〜石狩沼田 4.5往復
滝川〜奥美葉牛 0.5往復
滝川〜渭ノ津市街〜奥美葉牛 5.5往復
滝川〜和市街 0.5往復
滝川〜暑寒ダム 4.0往復
滝川〜四線三号 2.0往復
・札沼線新十津川〜石狩沼田間の廃止に伴って、1972(S47)年6月18日に大和市街〜
二線一号〜二線三号が廃止され、同年6月19日に碧水市街〜奥美葉牛、面白内〜
十三戸、二線三号〜杉岡町の各区間が開業した。
・同年10月9日に花月市街〜大富町、九号線〜東十二区の各区間が廃止された。
・1973(S48)年2月6日に西小川口〜石狩川大橋が廃止された。
・1985(S60)年2月1日に川上線第二新竜橋〜暑寒ダムが廃止された。
・1985(S60)年当時、(自)滝川に自動車駅が存在し、札比内駅前、浦臼役場前、
花月市街、新十津川役場前、大和市街、雨竜市街、追分市街、碧水市街に乗車
券簡易販売所が設けられていた。また、石狩線バス運行の拠点として、滝川自
営と同自営浦臼在勤が置かれていた。
・1985(S60)年5月改正ダイヤでは、石狩線には次のような便が設定されていた。
1) 沼田線
滝川〜石狩沼田 7.5往復(1〜15便)
滝川〜渭ノ津十字街〜美馬牛・和市街 6.5往復(701〜710、712便)
滝川〜第二新竜橋 4.0往復(401、402、405〜408、3405、3406便)
菊水町〜大和循環 1.5往復(404、409、2409便)
2) 石狩本線
石狩新宮・浦臼・花月市街・砂川〜滝川 20.0往復(101〜139、228便)
菊水町〜滝川 6.0往復(201〜207、209〜212、2210便)
石狩月形〜浦臼 2.0往復(301〜304便)
3) 石狩本線(支線)
浦臼・花月市街〜砂川 下3本・上5本(502〜506、509、512〜514便)
浦臼〜奈井江 4.0往復(601〜606、608、609便)
2.2 旅から30年
・1986(S61)年3月1日に石狩本線北農場〜石狩月形(本線とは別経路)が開業
した一方、同年11月1日に沼田線の大和市街〜四線三号〜上三号、碧水市街〜
美葉牛及び川上線全線が廃止された。
・これら以外の区間は、長期休止区間も含めて、国鉄民営化を経てJR北海道
に継承されたが、2003(H15)年2月末限りで滝川営業所の廃止に伴って、石狩
線は全廃された。
・廃止当時のダイヤ(1999(H11)年5月改正)では、石狩線には次のような便が
設定されていた。
1) 沼田線
滝川〜石狩沼田 6.0往復(1〜12便、うち1.5往復は渭ノ津十字街経由)
滝川〜碧水市街 1.0往復(101〜102便、上り便は渭ノ津十字街経由)
滝川〜和市街 1.5往復(901〜903便、下り便は渭ノ津十字街経由)
2) 石狩本線
石狩月形〜滝川 3.0往復(700〜705便)
石狩新宮〜滝川 1.5往復(301、302、304便)
浦臼〜滝川 4.0往復(400〜407便)
菊水町〜滝川 8.0往復(201、203〜217便)
3) 石狩本線(支線)
滝川・花月市街〜砂川 5.0往復(800〜809便)
浦臼〜奈井江 3.0往復(600〜605便、他にスクール下り1便)
滝川〜温水プール 2.0往復(500〜503便)
2.3 旅の考察
・「国鉄北海道自動車50年史」によると、滝川自営管内の業務委託駅の推移は次の
通りである(1984(S59)年現在)。
(自)滝川 1952(S27)年4月〜
(自)砂川 1958(S33)年10月〜1970(S45)年3月
雨竜市街 1952(S27)年4月〜
和市街 1972(S47)年6月〜
・1985(S60)年10月現在の北海道地方自動車部管内路線図には、当時、路線名称上
明示されていなかった、次の区間が載っていた。
石狩本線 北農場〜石狩月形、滝川〜温水プール前
沼田線 碧水市街〜口美北線〜本願寺駅逓前
このうち、碧水市街〜本願寺駅逓前は、本線(口美葉牛)経由3.2kmのところ、
迂回線(口美北線)経由では4.5kmであり、最長片道切符のルートに組み込めれば
1.3kmほどキロ程が伸びたはずであった。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」では、鉄道の札沼線の時刻表に国鉄バス石狩線の
時刻が併載されていた時期がある。1975(S50)年3月号(新幹線博多開業)では
バスダイヤの併載はなかったが、1976(S51)年4月号では廃止された新十津川〜
石狩沼田間のバスダイヤ(連絡時刻)が掲載されていたのを確認できる(1978(
S53)年10月号も同じ)。1980(S55)年10月号(千歳・室蘭線電化開業)では石狩
月形〜浦臼間のバスダイヤが併載されていたのを確認できる。1987(S62)年2月
号では同様に石狩月形〜浦臼間のバスダイヤが掲載されていた。なお、「JNR
編集時刻表」1987(S62)年4月号(JRグループ発足時)でも、石狩月形〜浦臼
間のバスダイヤが併載されていたのを確認できる。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【107】伊達線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇伊達線
伊達本線
1 伊達紋別−日赤前−東雲町−大岸市街
2 東雲町−洞爺村
黄金線
1 日赤前−黄金
2 開拓記念館前−上弄月−萩原−網代町
壮瞥線
1 日赤前−西関内
喜門別線
1 末永町−喜門別川−西関内
1.2 路線略図
○洞爺村
| 西関内
| ○−−○喜門別川
| | |
| 末永変| |
| 電所前○−−+
| | |伊達高 上弄月
○小花井 末永町○−−○校前 ・−○−・
大岸 | | | |
市街 | |日赤前 | |
○−−○−−◎−−◎−−−○−+−○−−○−+−○萩原
| 東雲町 洞爺 有珠 | |開拓記 舟岡| |
◎ | |念館前 町 | |
大岸 網代町○−+○−−+ | |
| 旭町公+−○+−○下萩原
| 営住宅 見晴団地前
伊達紋別◎ 前
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・伊達線は、1955(S30)年9月5日に羊蹄線の支線として、伊達線(豊浦〜虻田(
→洞爺)〜伊達紋別〜萩原〜稀府)及び壮瞥線(網代町〜西関内〜壮瞥)が開業
したのがルーツで、国道37号沿線の地域輸送を使命としていた。
・1957(S32)年3月1日に稀府〜黄金、山下町〜網代町、網代町〜喜門別が開業した。
・1961(S36)年4月20日に伊達紋別〜製糖工場前〜館山下、喜門別線伊達高校前〜
伊達中学校前、伊達高校前〜松ヶ枝町〜東紋別学校前の各区間が開業した。
・1962(S37)年9月1日に有珠〜有珠展望台が開業した。
・1965(S40)年1月25日に網代町〜日赤前〜砂鉄工場前、黄金線日赤前〜開拓記念
館前〜舟岡町〜萩原が開業した。
・1969(S44)年12月9日に壮瞥線西関内〜五軒沢が開業した一方、伊達高校前〜日
赤病院前〜日赤前、伊達高校前〜開拓記念館前、伊達紋別〜錦町〜網代町、伊達
紋別〜製糖工場前〜山下町の各区間が廃止された。
・1972(S47)年4月26日に有珠〜有珠展望台前、有珠〜北工前、壮瞥線奥西関内〜
壮瞥、喜門別線東紋別学校前〜竹原町の各区間が廃止された。
・1974(S49)年10月23日に山下町〜館山下が廃止された。
・1985(S60)年2月1日に大岸市街通〜礼文駅前、豊泉〜大岸市街、壮瞥線西関内
〜五軒沢、喜門別線喜門別川〜喜門別の各区間が廃止された。同年8月10日には
黄金線萩原〜黄金が廃止された。
・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、伊達本線には伊達紋別〜大岸3往復、伊達
紋別〜舟見町3.5往復、伊達紋別〜萩原5.5往復、舟見町〜洞爺村2往復が設定さ
れていたのが確認できる。
(伊達本線)
(上り)
伊達紋別0637→0716舟見町
伊達紋別0910→1012大岸
伊達紋別1115→1201舟見町
伊達紋別1256→1358大岸
伊達紋別1550→1652大岸
伊達紋別1720→1808舟見町
(下り)
舟見町0732→0818伊達紋別
舟見町0847→0936伊達紋別
大岸1020→1121伊達紋別
舟見町1212→1300伊達紋別
大岸1415→1516伊達紋別
大岸1710→1813伊達紋別
舟見町1820→1903伊達紋別
(黄金線)
(下り)
伊達紋別0646→0701萩原
伊達紋別1150→1207萩原
伊達紋別1430→1447萩原
伊達紋別1625→1643萩原
伊達紋別1840→1855萩原
(上り)
萩原0701→0722伊達紋別
萩原0738→0801伊達紋別
萩原1207→1228伊達紋別
萩原1447→1508伊達紋別
萩原1643→1703伊達紋別
萩原1855→1916伊達紋別
(羊蹄線)
(下り)
舟見町0650→0737洞爺村
舟見町1705→1754洞爺村
(上り)
洞爺村0745→0834舟見町
洞爺村1805→1854舟見町
・1986(S61)年6月改正ダイヤでは、伊達本線は伊達紋別〜舟見町の運行となり
6往復が設定されていた。1986(S61)年8月改正ダイヤでは、黄金線は循環便
が9回、営業所前発着は出庫便が5回、入庫便が1回、壮瞥・喜門別線は
循環便が6回、伊達紋別〜高校前の通学便が1.5往復がそれぞれ設定されていた。
2.2 旅から30年
・羊蹄線の廃止に伴って伊達本線に移管された東雲町〜洞爺村は1985(S60)年3月
末限りで休廃止されたが、1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正
で削除された。
・当時、伊達本線は大岸まで運行されていたが、同じく「国鉄自動車路線名称」全
面改正で舟見町〜大岸が削除された。
・国鉄民営化を経て、伊達線はJR北海道に継承された。
・1987(S62)年6月13日に農機工場前〜見晴公営住宅前、1988(S63)年6月13日に舟
岡町〜萩原(農機工場前経由)、元町〜網代町、末永変電所前〜上末永の各区間
が休止された。
・1988(S63)年に舟見町〜豊浦が延長された。
・その後、1996(H8)年3月末限りでに伊達線は全廃された。
2.3 旅の考察
・室蘭本線有珠駅と伊達本線有珠停留所は場所が離れているが、同一駅(接続
駅)とされていた。
※補足 喜茂別・豊浦を中心とする国鉄バス
・伊達・豊浦地区における最初の国鉄自動車路線は、1948(S23)年11月3日に豊浦
〜京極、幸町〜向洞爺が開業した羊蹄線であった。同線は、羊蹄山麓地帯の産業
開拓促進と、真狩地区から室蘭本線への短絡を使命としていた。
・1957(S32)年5月18日に幸町〜礼文、美和〜下山梨、洞爺線小花井〜大和が開業
した。
・1958(S33)年12月10日に山梨線新山梨〜新山梨校前、1962(S37)年5月5日に同線
新山梨校前〜奥新山梨が開業した。
・1969(S44)年9月1日に山梨線酪農道路〜奥新山梨が開業した。
・1972(S47)年7月15日に礼文線豊泉〜大岸市街通が開業した。
・羊蹄線は、1971(S46)年7月17日に真狩〜京極、1972(S47)年4月26日に大和〜真
狩、1981(S56)年6月21日に小花井〜大和、山梨線新山梨〜山梨学校前の各区間が
廃止され、残った区間も1985(S60)年2月1日に廃止された。
※補足「羊蹄線・伊達線の路線名称遷移」
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【108】日勝線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇日勝線
日勝本線
1 静内−広尾
2 日高三石−上富沢
3 一中前−目名太
4 浦河開建前−浦河営業所前
5 東町−浦河老人ホーム前
6 様似−様似営業所前
7 様似中学校通−様似小学校前
8 広尾六丁目−広尾(町道)
野深線
1 荻伏市街−上野深
杵臼線
1 日高幌別−地震観測所前
2 杵臼−東幌別
えりも線
1 歌別−岬市街−えりも岬−千平口
1.2 路線略図
目名太○ 浦河老人
| ホーム前
上野深○ | ○
| ○向別 |
上富沢○ | 浦河営 | | 日高月寒
| 荻伏 ◎荻伏 業所前○−○浦河 東町○−−>様似
春立 | 築港 | |開建前 /
古川町○−−◎−−◎−−◎−−○−−○−−−○−−−−○−−−○浦河五丁目
/ 東静内 日高 荻伏 絵笛 一中前
静内◎ 三石 市街
広尾
六丁目
広尾◎−−−+○−・
\ / \
○ ○音調津
国保病院前 \
○日勝目黒
地震観測所前○ \
/ ○庶野
上杵臼○ |
西舎 / 庶野学校前○
・−○−○杵臼 様似小学校前 様似営業所前 ・|
日高 | | ○ ○ 千平○ |
東町 月寒 | | 鵜苫 様似 |/ / \|
静内<−○−+−−−○東幌別 ◎ ◎ ○様似中学校通 上歌別○ ○千平口
| \ / \ | / / |
日高幌別◎ ・−○ ・++−−○−−○−−○−−○歌別 ○百人浜
鵜苫 幌満 笛舞 えりも \ |
市街 \ ○岬市街
\ /|
油駒○ ○えりも岬
※静内〜日高三石は1984(S59).12.10から休止
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・日勝線は、1943(S18)年8月1日に本様似〜庶野及び歌別〜襟裳、1946(S21)年
11月25日に庶野〜広尾が開業したのがルーツで、その後、1949(S24)年3月15日
に本様似〜荻伏築港、1950(S25)年9月2日に静内〜荻伏築港及び荻伏市街〜上
野深が開業した。
・本路線は、十勝・日高の両国を結ぶ本様似〜広尾は鉄道先行路線として、静内
〜本様似は鉄道補助の使命をもって開設された。
・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車五十年史」には、日勝線本様似〜庶野及
び歌別〜襟裳は軍事輸送の目的で開業したとある。既存の民営バス業者(日高
自動車)が日華事変の進展で燃料・部品の確保が困難となる一方、全路線が重
要軍事輸送路に指定されたのを契機に省営自動車が会社を買収したものである。
・1951(S26)年9月25日に日高幌別〜杵臼(後の杵臼線の一部)が開業し、1954
(S29)年6月30日に日高三石〜上富沢、1955(S30)年3月25日に(浦河)一中前
〜向別〜目名太の各区間が開業した。
・また、1957(S32)年3月18日に襟裳線(→えりも線)の襟裳(→岬市街)〜百人
浜〜庶野及び襟裳〜襟裳灯台(→えりも岬)が開業し、この区間の運行期日は
北海道地方自動車事務所長が定めるとされ、期間限定運行だった。
・1959(S34)年6月5日に杵臼線杵臼〜上杵臼農協前、1960(S35)年12月10日には
同線西舎口〜西舎一区及び杵臼〜東幌別の各区間が開業した。
・「交通年鑑1960年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を
取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ
の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和33年度に次のように急行
便を設定したとある。
様似〜広尾(百人浜経由) 82km 2往復
・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に
も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方
都市間連絡に活躍していると述べられていた。
様似〜広尾 84km 6往復
・北海道地自前掲書によると、1961(S36)年から「えりもシーライン」(様似〜
襟裳岬〜広尾)の輸送を開始したとある。秘境ブームを呼んだ1972(S47)年頃が
輸送のピークで輸送人員13万5千人を数え、この輸送期間中は、道内各自営か
ら車両と人員の助勤を得て取り組まれたと述べられている。さらに1961(S36)
年7月1日〜9月10日の間、準急えりも号(札幌〜様似)〜国鉄バス〜準急ひ
ろお号(後に大平原号、広尾〜帯広)を結んで列車とバスの座席指定(結合輸
送)を行った(1973(S48)年限りで座席指定制結合輸送を中止)。えりもシーラ
インの輸送人員も1980(S55)年度は4万3千人とピーク時の3分の1となった。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年9月号には、「列車とバスの通し座席
指定」として、「9月10日まで日高本線と広尾線を結ぶ国鉄バス日勝線との通
し座席指定制を実施します。座席指定券は北海道内の各駅・営業所で発売いた
します」とあり、次のダイヤが掲載されていた。
札幌0716→1112様似1119→(襟裳1251/1321)→1500広尾1510→1636帯広
帯広1055→1239広尾1310→(襟裳1449/1540)→1712様似1800→2213札幌
※札幌〜様似は準急「えりも」、広尾→帯広は準急
また、同号によると、日勝線には次のような系統が設定されていたのを確認で
きる。
静内〜庶野 上り1本
静内〜幌泉 1往復
静内〜様似 下り1本
静内〜一中前 下り2本
荻伏市街〜広尾 下り1本・上り2本
荻伏市街〜幌泉 上り1本
一中前〜広尾 3往復
日勝目黒〜広尾 上り1本
一中前〜様似 下り7本・上り5本
様似〜幌泉 下り6本・上り3本
幌泉〜襟裳 5往復
様似〜(襟裳灯台・百人浜)〜広尾 6往復(9/10まで運転)
一中前〜上杵臼 下り4本・上り7本
三石築港〜上富沢 3往復
荻伏市街〜上野深 5往復
・「交通年鑑1963(S38)年版」には、旅客の結合輸送について、次のように述べ
られていた。
◇鉄道・自動車とも座席確保の上、旅客を目的地まで輸送する、いわゆる
結合輸送をサービス向上と旅客誘致の面から実施している。
◇本年度においては、襟裳を中心の「えりも号」、塩原を中心の「なすの
号」「奥塩原号」、草津を中心に「草津1・2号」「草津いでゆ号」と、
房総白浜海岸を中心に「房総1号」「京葉1号」と、御母衣ダムを中心
に「御母衣号」との間に結合輸送を実施した。
・1963(S38)年6月1日に東町〜第二会館前、1964(S39)年3月15日に広尾六丁目
〜広尾、同年6月10日に千平〜千平口の各区間が開業した。
・「交通年鑑1966(S41)年版」には、国鉄自動車の特性を生かした制度として、
結合輸送が昭和35年以来実施されていると述べられていた。これは、国鉄バス
沿線の観光地への旅客を、列車・バスを通じて、座席指定制によって一貫輸送
するもので、現在では次の各地で実施されているとあった。
観光地 列車の愛称 運転期間
襟裳岬 えりも号 7・8月
安房白浜 内房2号 毎日
草津温泉 草津いでゆ号 毎日
塩原温泉 なすの号 3〜11月
白浜温泉 きのくに号 毎日
(上り第1〜第3、
下り第2〜第4)
秋芳洞 山陽号・出島号・青島号 日曜祝日
結合輸送を利用すれば座席の心配もなく手軽に安心して旅行を楽しむことがで
きるため、広く一般の好評を博し、利用客は逐年増加しているとあった。
・1970(S45)年1月29日に杵臼線上杵臼農協前〜上杵臼小学校前が開業した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号にも、「えりも岬観光に便
利な座席指定券発売」と題して、「札幌〜様似〜えりも灯台〜広尾〜糠平間の
急行えりも号と大平原に国鉄バスを結合した通しの座席指定券が発売されます。
期間:7/25〜8/16、発売個所:道内の国鉄各駅及び日本交通公社、日本旅行、
近畿日本ツーリストの各営業所」とあり、次のダイヤが掲載されていた。
(下り)
札幌0710(えりも1号)様似1140(301便)1257えりも灯台1355(401便)
広尾1545(大平原)1843糠平
(上り)
糠平0805(大平原)広尾1105(402便)1229えりも灯台1500(302便)様似
1718(えりも3号)2144札幌
また、同号によると、日勝線には次のような系統が設定されていたのを確認で
きる。
様似〜襟裳灯台 6往復(6/28〜9/154往復、6/1〜10/111往復、7/5〜
8/311往復)
襟裳灯台〜広尾 下り8本(6/14〜9/271本、6/28〜9/151本、7/5〜8/31
1本、7/12〜8/312本、7/19〜8/311本、9/1〜9/151本、9/1〜10/111
本)・上り7本(6/1〜10/111本、6/14〜9/271本、6/28〜9/152本、
7/5〜8/311本、7/12〜8/311本、7/26〜8/311本)
様似〜広尾 4往復
様似〜庶野 1往復
様似〜襟裳灯台 下り4本・上り2本
様似〜襟裳 下り2本
様似〜幌泉 下り6本・上り8本
幌泉〜襟裳灯台 下り1本・上り2本
幌泉〜襟裳 下り1本・上り3本
静内〜様似 下り1本・上り2本
静内〜一中前 下り3本・上り2本
静内〜日高三石 下り1本
日高三石〜一中前 下り2本・上り1本
荻伏市街〜様似 下り1本・上り3本
荻伏市街〜一中前 4往復
一中前〜様似 下り12本・上り9本
・1974(S49)年10月23日に様似中学校前〜岡田が廃止された。
・1975(S50)年1月13日に絵笛口〜浦河営業所前、様似中学校通〜様似小学校前、
1976(S51)年6月1日に様似中学校通〜様似営業所前の各区間が開業した。
・横江明「国鉄自動車(その6)−シリーズ 営業を考える−」(「国鉄線」
1976(S51)年8月号所収)には、観光路線の輸送手配について、次のように
述べられていた。
「旅客の集中する時期においては、その観光路線を担当する一地方局・部
の輸送能力では、輸送力的に対応できず、本社の輸送手配によって、輸
送力を整備充実させているのが現状である。」
「現在、本社手配によって輸送力を集中させている箇所としては、国鉄自
動車最大の観光路線である十和田南・北線、白樺高原線がある。また、
地方局・部独自に輸送力の集中手配を行っている路線としては、北海道
のえりも観光の日勝線、東北のリアス海岸観光の陸中海岸線、関東の草
津温泉を中心とした志賀草津高原線、もみじラインの塩原線、南房観光
の南房州線、能登観光の奥能登線、小浜観光の若江線、高雄のもみじラ
イン観光の京鶴線、奥熊野観光の熊野線、松山高知観光の松山高知急行
線、陰陽連絡の防長線、秋芳洞観光の秋吉線、桜島観光の桜島線等があ
げられる。」
「このような路線についての手配を車両でいうと、新製車両を重点的にこ
うした観光路線に配属し、ピーク輸送終了後、各営業所に再配属すると
いう輸送手配である。」
・1985(S60)年2月1日に日勝本線の千平〜庶野学校前が廃止された。
・1985(S60)年当時、日勝本線の浦河五丁目及びえりも、えりも線のえりも岬に
自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として様似自動車営業所(様
似営業所前)及び同浦河支所(浦河営業所前)、帯広自動車営業所広尾支所(
広尾営業所前)が置かれていた。なお、広尾支所は1985(S60)年度内に様似自営
に移管された。
・「国鉄バス時刻表日勝線」1985(S60)年7月6日改正によると、日勝線には次の
ような系統が設定されていた。
(日勝本線:様似以西)
上富沢〜老人ホーム 下り1本(日祝運休)・上り2本(土曜運転学休期
間の土曜運休、土日祝運休学休期間の土曜運転各1本)
上富沢〜日高三石 下り2本(土曜運転学休期間の土曜運休、土日祝運休
学休期間の土曜運転各1本)・上り1本(日祝運休)
浜荻伏公住〜様似営業所 上り1本
浜荻伏公住〜老人ホーム 下り3本・上り2本
浜荻伏公住〜浦河一中前 下り1本
浦河営業所〜様似営業所 下り14本(うち土曜運転学休期間の土曜運休、
土日祝運休各1本)・上り10本(うち日祝学休日運休1本)
浦河営業所〜老人ホーム 下り15本(うち日祝学休日運休1本、日祝運転
1本、日祝運休1本、土曜運転学休期間の土曜運休2本、土日祝運休学
休期間の土曜運転2本)・上り16本(うち日祝学休日運休2本、日祝運
休1本、土日祝運休学休期間の土曜運転1本)
(目名太支線)
老人ホーム〜目名太 下り2本(土曜運転学休期間の土曜運休、土日祝運
休学休期間の土曜運転各1本)・上り2本(日祝運休、土日祝運休学休
期間の土曜運転各1本)
浦河一中前〜目名太 下り1本(日祝運休)・上り1本(土曜運転学休期
間の土曜運休)
(野深線)
様似営業所〜上野深 下り3本・上り1本
老人ホーム〜上野深 下り1本(日祝運休)・上り3本(うち日祝学休日
運休1本)
浦河営業所〜上野深 下り1本
浦河一中前〜上野深 上り1本(日祝運休)
(杵臼線)
浦河営業所〜上杵臼(西舎経由) 3往復
様似営業所〜上杵臼農協(南杵臼経由) 上り1本(日祝運休)
様似〜上杵臼農協(南杵臼経由) 下り2本(土曜運転学休期間の土曜運
休、土日祝運休学休期間の土曜運転各1本)
(日勝本線:様似以東)
様似営業所〜庶野 4往復
庶野〜広尾営業所 5往復(うち2往復は7/16〜9/16の間えりも岬発着百
人浜経由)
(えりも線)
様似営業所〜えりも岬 5往復
様似営業所〜えりも灯台口 上り1本(日祝学休日はえりも始発)
様似営業所〜しゃくなげ公園 下り2本
様似〜しゃくなげ公園 上り2本(日祝学休日運休)
えりも〜えりも岬 下り1本(日祝学休日運休)・上り1本
※えりも灯台口〜えりも岬は12/1〜3/31の間運休
2.2 旅から30年
・1985(S60)年12月15日に杵臼線の上杵臼農協前〜地震観測所前の廃止が公示された。
・1986(S61)年5月1日から静内〜様似〜えりも岬に上下各1本の特急バスを次
のように運行開始した。同年3月改正で日高本線静内〜様似の急行2本が廃止
され、沿線住民から特急バスの運行を強く要望したことを受けたもの。(なお、
「JR北海道バス路線図」1988(S63)年11月現在によると、静内〜浜荻伏公住
前は1986(S61)年11月1日から休止とあるので、この時に特急便は廃止された
模様である。)
様似1230→1352静内1550→1823えりも岬
・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、日高三石〜上富沢が
削除され、一中前(→浦河堺町西一)〜目名太が一中前〜浦河営業所前(→浦
河堺町西五)に変更される(浦河開建前〜目名太は1986(S61)年7月末限りで
廃止されたが官報公示は出されなかった)とともに、広尾〜広尾営業所前が認
知された。
・国鉄最末期の1987(S62)年2月1日から広尾〜広尾営業所前が休止された。
・国鉄民営化を経て、日勝線はJR北海道に継承された。
・民営化後、道南バスの高速「ペガサス」号(札幌〜浦河ターミナル)の下り最
終便と上り始発便に東町(日赤前)で接続する深夜・早朝便が東町〜えりもに
運行された。「JR北海道バス時刻表日勝線」1988(S63)年4月25日改正では
次の1往復が設定されていた。
(上り)
えりも0503→0555東町(各駅乗車のみ。東町0605発ペガサスに接続)
(下り)
東町2030→2122えりも(東町着ペガサスから接続。各駅降車のみ)
この「ペガサス」号接続便は2004(H16)年4月29日改正から廃止された。
・1990(H2)年までに浦河開建前〜浦河堺町西五が廃止され、浦河開建前〜向別が
開業(再開)された。
・2015(H27)年6月現在、日勝本線の浜荻伏公住前〜浦河堺町西一〜様似〜えりも
〜庶野〜広尾、浦河堺町西一〜向別、東町〜老人ホーム他、えりも線、上野深
線がJR北海道バスによって運行されている。
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、日勝線には接続駅(静内、東
静内、春立、日高三石、浦河、日高幌別、鵜苫、様似、広尾及び荻伏)の他に、
えりも本町に第一種委託駅(自動車駅)、浦河五丁目、幌満、笛舞、庶野、日
勝目黒、音調津、岬市街及びえりも岬に第二種委託駅(自動車駅)が置かれて
いた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」では、鉄道の日高本線の時刻表に国鉄バス日勝
線の時刻が併載されていた時期がある。1975(S50)年3月号(新幹線博多開業)
では静内〜様似間のバスダイヤが掲載されていたのを確認できる。1987(S62)
年2月号では同様に荻伏〜様似間のバスダイヤが掲載されていた。なお、「J
NR編集時刻表」1987(S62)年4月号(JRグループ発足時)でも、荻伏〜様似
間のバスダイヤが併載されていたのを確認できる。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【109】北十勝線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇北十勝線
1 帯広−北蘭団地
2 帯広−東八条
3 下音更小学校前−中鈴蘭−北蘭団地
4 帯広−北伏古
5 西十九条−大空四丁目
1.2 路線略図
下音更 病院
小学校前 入口
北蘭団地○−−−○−−−○
| | |
・ + ○木野農
\ / \ |協前
中鈴蘭○ 鈴蘭○−○鈴蘭公
公園 |園入口
○西二条
|一丁目
市役所前 |
○+−++−○西二条
/ | | \|九丁目
西二 西十 西十 緑ヶ丘 西十・ ・○・ ◎−−−・
十条 九条 七条 中学校 二条| バスター 帯広 |
伏古○−−○+−○−−○−−−○−○−・ ミナル ○
/ |+−+ 緑ヶ丘| | 東八条
・ | | 大通 ○ ○緑ヶ丘
| 西十号| | | |
○ 五丁目○ | 緑ヶ丘○−○児童会館前
北伏 | | 六丁目| |
古 ・−−+−−○−−−・ V
自動車| 南五線 畜大農場前
試験場○ 十七条 戸蔦
|
大空 ○運動公園前
八丁目 |
○−+
/ |
・ ○大空団地入口
大空 | /
五丁目○−・
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・北十勝線は、十勝線として、1948(S23)年11月3日に、十勝本線の帯広〜木野〜
十勝然別〜芽室太〜元駅逓〜村山、芽室太〜芽室、帯広〜工機部前(→帯広自
衛隊前、駒場線(木野〜下士幌〜新駒場)が開業したのがルーツで、その後、
1952(S27)年6月20日に帯広〜東八条、1956(S31)年に記念碑前〜芽室が開業し
た。この路線は、十勝地帯の開拓促進を図るために開設された路線で、帯広市
との交通確保を使命としていた。
・1959(S34)年12月20日に鈴蘭〜中鈴蘭、1967(S42)年12月13日に病院入口〜中
鈴蘭、1972(S47)年12月1日に西十九条〜大空四丁目の各区間が開業した。
・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、東八条〜帯広の系統が1日26.5
回、北帯広〜緑ヶ丘の系統が同じく50.5回、帯広〜鈴蘭が同じく17回運行され
ており、この当時、既に都市型の高頻度運行がなされていた。また、同書の1964
(S39)年版によると、それぞれ1日当たり、83回、17回、42回の運行となっていた。
・1972(S47)年6月6日には芽室太〜元駅逓、祥栄〜光勇〜元駅逓、芽室〜御影、
芽室高岩〜上渋山校前、渋山〜渋山支所前、同年10月9日に木野郵便局前〜佐倉、
下然別〜芽室、中北伏古〜芽室の各区間が廃止され、1973(S48)年5月1日に
北伏古〜栄小学校前が、1978(S53)年3月1日に鈴蘭団地〜下然別がそれぞれ
廃止された。
・「国鉄バス時刻表北十勝線」1984(S59)年11月21日改正によると、北十勝線には
次のような系統が設定されていた。
東八条・帯広〜西2条1丁目〜鈴蘭公園/木野農協前〜中鈴蘭〜北蘭団地
〜木野農協前〜西2条1丁目〜帯広・東八条(循環) 29回(うち日祝運
休3回、鈴蘭公園経由6回)
東八条・帯広〜南商業高校(→4線17条)〜西20条〜北伏古 2往復
東八条・帯広〜南商業高校(同)〜自動車試験場前〜大空5丁目 9往復
東八条・帯広〜南商業高校(同)〜西20条4丁目 下り17本(うち日祝学
休運休本)・上り19本(うち日祝運休2本、日祝学休運休1本)
東八条・帯広〜南5線16条〜西20条 9往復(うち日祝運休1往復)
・1985(S60)年当時、(自)帯広に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の
拠点として帯広自動車営業所(東八条)が置かれていた。
2.2 旅から30年
・旧北十勝線を含めて十勝線は、国鉄民営化を経て、JR北海道に継承された。
・民営化時(1987(S62)年4月1日改正)までに、西20条4丁目系統を西20条〜
市営住宅〜西21条〜西20条と末端区間を循環経路に延伸した。次いで。1989(H
1)年8月18日改正までに、西20条〜市営住宅〜西21条〜西20条の末端ループを
西20条〜南商業高校前(移転後)〜西23条〜西23条4丁目〜新緑通23条〜公営
住宅前〜新緑通21条〜西20条の循環経路に延伸した。
・また、1989(H1)年8月18日改正以後〜1992(H4)年4月1日改正までに、西23条
〜伏古〜北伏古が廃止された。
・一方、民営化以後〜1989(H1)年8月18日改正までに、運動公園前〜アイスアリ
ーナ前〜運動公園競技場前が延伸されるとともに、西19条6丁目〜自由ヶ丘団
地〜自由ヶ丘6丁目〜西20条6丁目の経路が開業した。
・「JR北海道バス時刻表十勝線」1995(H7)年3月16日改正によると、旧北十勝
線の区間には次のような系統が設定されていた。
帯広営・帯広〜西2条1丁目〜鈴蘭公園/幼稚園前〜中鈴蘭〜幼稚園前/
鈴蘭公園〜西2条1丁目〜帯広・帯広営(循環) 22回(うち日祝運休
8回、日祝学休運休1回、公園先回り12回、幼稚園先回り10回)
帯広営・帯広〜4線17条〜運動公園〜大空5丁目 13往復(うち日祝運休
2往復)
帯広営・帯広〜南5線18条〜運動公園 下り10本(うち日祝運休1本)・
上り11本(うち日祝運休2本)
帯広営・帯広〜4線17条〜西20条〜西23条4丁目 下り24本(うち日祝学
休運休1本、日祝運休5本、駅南経由2本)・上り21本(うち日祝運休
5本、駅南経由2本)
帯広営・帯広〜南5線18条〜西20条〜西23条4丁目 下り9本(うち日祝
運休1本)・上り11本(うち日祝運休1本)
畜大農場〜4線17条〜西20条〜西23条4丁目 上り1本(日祝学休運休)
・1999(H11)年1月18日限りで、旧北十勝線の区間を含めて、十勝線は全廃され、
帯広営業所も廃止された。
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月現在の「駅営業範囲一覧」によると、北十勝線には接続駅(帯
広)のみ置かれていた。
※補足 帯広、士幌を中心とする国鉄バス
・十勝地方の国鉄バス路線は、戦後の十勝平野の開拓促進を図る目的で、1948(S23)
年に、帯広を中心とする「十勝線」(初代)、士幌を中心とする「北十勝線」(
初代)及び大樹を中心とする「南十勝線」が開設されたことに始まる。
・このうち、初代の十勝線については上述の通りであるが、初代の北十勝線は十勝
平野北部の開拓促進を図るとともに、士幌線と網走本線(→池北線)との短絡を
使命として、1948(S23)年11月3日に士幌〜村山、士幌市街〜新駒場及び佐倉〜下
居辺が開業したのがルーツである。
・国鉄バス路線の開業に先立って、区間貨物輸送(国鉄トラック)の拠点として、
十勝地方には帯広、士幌、本別及び大樹の各自動車区が1947(S22)年に設けられた。
1949(S24)年に帯広及び士幌の各自動車営業所となり、大樹は帯広の、本別は士幌
の支所となった(本別は1950(S25)年に自営となり、士幌は帯広の支所となった)。
(北十勝線の路線改廃)
・1953(S28)年3月1日に元駅逓〜村山が廃止された。同年12月30日に駒場線栄〜
西昭和〜北糖が廃止されて、栄〜安楽橋〜昭和〜北糖が開業した。
・1954(S29)年9月30日に芽室〜御影、1955(S30)年4月1日に十勝然別〜北上の各
区間が開業した。
・1956(S31)年2月16日に記念碑前〜元伏古〜芽室、元伏古〜新栄校前〜日の出が
開業した。
・1957(S32)年2月10日に本別線蓋派〜東居辺〜上士幌、同年7月1日に上居辺口
〜上居辺学校前〜東七線の各区間が開業した。
・1958(S33)年2月6日に緑ヶ岡〜北緑ヶ岡、同年5月10日に御影〜祥栄、芽室高
岩〜上渋山校前、同年8月15日に日の出〜栄小学校前の各区間が開業した。
・1960(S35)年4月15日に北上〜村山が廃止された。
(東十勝線の路線改廃)
・1953(S28)年11月28日に本別線(下居辺市街〜本別、蓋派〜勇足)、池田線(下
居辺〜高島)、豊頃線(駒畠〜豊頃〜池田)が開業した。
・1955(S30)年11月10日に豊頃線協力街道〜東台学校前が開業し、同年12月15日に
池田線高島〜池田が開業した。
・1957(S32)年2月10日に豊頃線東台学校前〜勇足が開業した。
・1959(S34)年6月5日に勇幌線三十三号線〜上居辺口が廃止され、三十三号線〜
士幌平和〜士幌市街が開業した。
・1960(S35)年4月15日に豊頃線中大川〜駒畠が廃止された。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(5/1現在)によると、北十勝線に
は次のような系統が設定されていたのを確認できる。
帯広〜昭和 1往復(所要40分)
帯広〜昭和〜北糖〜士幌 1往復(所要1時間38分)
帯広〜北上〜新田〜士幌 2往復(所要2時間13分)
新田〜士幌 2往復(所要約30分)
士幌〜下居辺市街〜清澄〜高島 2往復(所要1時間30分)
士幌〜下居辺市街〜清澄 2往復(所要45分)
士幌〜上士幌〜中押帯〜勇足 1往復(所要2時間26分)
上士幌〜中押帯〜勇足 下り1本(所要2時間02分)
帯広〜芽室 下り3本・上り2本(所要55分)
帯広〜栄小学校 下り3本・上り4本(所要51分)
帯広〜上渋山学校前 2往復(所要40分)
池田〜第三会館前 2往復(所要57分)
池田〜新田牧場 4往復(所要18分)
本別〜美蘭別 2往復(所要35分)
・1962(S37)年8月10日に西士狩線祥栄〜元駅逓が開業した
・1962(S37)年10月1日の時点でこれらの区間は北十勝線及び東十勝線として編成
されていた。この時の路線名称は次の通りであった。
◇北十勝線
北十勝本線
1 帯広−士幌
2 帯広−東八条
3 鈴蘭−中鈴蘭
4 士幌市街−上士幌
芽室線
1 西二条九丁目−芽室
2 元伏古−栄小学校前
上渋山線
1 芽室高岩−上渋山校前
佐倉線
1 農協前−士幌市街
西士狩線
1 下然別−芽室
2 芽室太−元駅逓
3 祥栄−光勇−元駅逓
松沢線
1 祥栄−御影
◇東十勝線
東十勝本線
1 本別−佐倉
勇幌線
1 勇足−下押帯−東七線
東台線
1 勇足−協力街道
高島線
1 下居辺市街−池田
豊頃線
1 池田−豊頃
・1962(S37)年10月1日時点の路線略図は以下の通りである。この時の路線図では、
士幌市街及び下居辺市街に乗車券簡易販売所が置かれていた。
東七線
上士幌◎−○−−○東居辺
| \
士幌界○ ・−−・
| ○上押帯
士幌・−・ 下居辺 |校前 本別
市街| 佐倉 市街 | 万栄橋 ◎
東瓜幕○−○−−−○−−−○−−○−−○−○−○ /
| 新田 +◎士幌| |中押帯\美蘭別\ /
| | | \ ○東七線
南音更○ 下佐倉○清澄○ 下押帯○−−・\
| | \ ◎勇足
村山●・○北上 | \ \
・ \ ○柏葉 ○共和口 第三会○
元駅逓○ \ | \ 館前 |
西松○−・ |\ ○東士狩 ●新駒場 \ |
沢 | | | ○光勇| | ◎高島 東台学○
| ・−○−+ | 鈴蘭 ○北糖 \ 校前 |
| |祥栄 | 入口 | \ ・
|芽室太○−−−−○−−−○ | 池田◎ /
| |芽室 下然 農協○−−○下士幌 +−○協力
御影◎+ +◎ 別 前 | \街道
| ○\\ 元伏古 |帯広 新田牧場口○
|/渋 ・・−○−−+−◎−○ |
・ 山/ | | 東八条 十佛◎
/ | | |
上渋山○ 栄小学○ V 豊頃◎
校前 校前 中仙境
・大樹
(北十勝線の路線改廃)
・1964(S39)年3月15日に新田〜士幌高原、同年6月10日に芽室線渋山〜渋山支所前
が開業した。一方、1965(S40)年4月20日に下然別〜東瓜幕が廃止された。
・1970(S45)年10月8日に新田〜東瓜幕、1971(S46)年に松沢線(祥栄〜御影)、1973
(S48)年3月31日に士幌市街〜上士幌、1975(S50)年5月15日に士幌市街〜清澄、士
幌〜士幌高原の各区間が廃止された。
(東十勝線の路線改廃)
・1962(S37)年7月1日に豊頃線豊頃〜中大川が廃止された。
・1964(S39)年3月15日に美蘭別〜上美蘭別が開業した。
・1965(S40)年4月30日に東七線〜熊沢、1970(S45)年10月8日に池田〜清澄、1971
(S46)年4月1日に本別〜東市街、同年7月17日に勇幌線東市街〜熊沢の各区間が
廃止された。
・1972(S47)年1月25日に東台線勇足〜協力街道、豊頃線池田〜豊頃、同年10月9日
に勇足〜下居辺市街、美蘭別〜上美蘭別の各区間が廃止された。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【110】南十勝線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇南十勝線
南十勝本線
1 西十二条−南清川
2 緑南局前−五中前
3 緑南局前−帯広自衛隊前−東官舎前
戸蔦線
1 南清川−中仙境
2 戸蔦−西美栄−西清川
3 二線四十二号−二線三十七号
1.2 路線略図
北蘭団地
Λ
|
市役所前○−+−+−+
| | | |
| ・○・ |
西十二条 |バスター ◎−>東八条
北伏古<−−○−−○−・ミナル 帯広
| 西七条
|
○緑南郵便局前
帯広自 /|
衛隊前○−○東官舎前
\
\
・−○農業高校前
|
○畜産大学前
|
○畜大農場前
|
川西中○−○川西農協前
学校前|
|
東富士○・・・・・●富士基線
| ・
|西清川 ・
西美栄○−○−−○−−○・・・・・●中札内市街
| ・十勝|南清川 ・
| ・清川| ・
七線三○ 二線三○ ○三十七号 ●更別
十七号| 十七号| | ・
| | | ・
七線四○−−−−○−−○戸蔦 ●忠類
十二号 二線四 \ ・
十二号 \ ・
○中仙境 ●大樹
・
・
・
●広尾
※帯広〜北蘭団地、帯広〜東八条、帯広〜西十二条〜北伏古は北十勝線
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・南十勝線は、十勝線(→北十勝線)の一部として、1948(S23)年11月3日に帯広
〜工機部前(→帯広自衛隊前)が開業したのがルーツで、1957(S32)年7月18日
に東官舎入口〜岩内仙境が開業した。
・1958(S33)年に東富士〜大樹を旧南十勝本線から編入して新たに南十勝線の部に
編成された。1961(S36)年12月25日には石坂〜広尾が開業し、南十勝本線は西二
条九丁目〜大樹〜石坂〜広尾をつながった。
・本路線は、十勝地帯南部の開拓促進を図るために開設された路線で、帯広市との
交通確保を使命としていた。
・1958(S33)年12月20日に戸蔦線十勝清川〜戸蔦、1961(S36)年12月25日に同線南清
川〜更別、1962(S37)年5月15日には農学校前〜畜大東門前、戸蔦線岩内仙境〜
中仙境、同年9月1日に富士基線〜二十一号〜二十五号の各区間が開業した。
・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、帯広〜帯広自衛隊前の系統は1日
51回運行されており、この当時、既に都市型の高頻度運行がなされていた。また、
同書1964(S39)年版によると、同系統は1日53回運行となっていた。
・1957(S32)年に出された「国鉄自動車基本方針」で「既設の旅客路線は自動車輸
送の最近の輸送要請に対応して、逐次都市間を直送する中長距離運転系統、特に
急行バスの設定等に重点を置いて調整を図らなければならない」と取り上げられ
たことを契機として、急行便の設定が全国的に増加した。
・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車五十年史」によると、北海道にあっては、
1965(S40)年に「えりも結合輸送」の十勝口として、帯広〜えりも灯台(140km)
の長距離運行を開始したと述べられている。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、次のよ
うに日勝線〜広尾〜帯広間の直通便が設定されていたのを確認できる。
(下り)
幌泉0700→広尾0950→1200帯広
様似1000→広尾1350→1600帯広
(上り)
帯広0815→広尾1045→1220襟裳灯台
帯広1245→広尾1510→1845様似
・北海道地自(1984)「国鉄北海道自動車五十年史」によると、南十勝本線のうち、
帯広〜広尾以遠の直行便のみが通っていた、南清川〜更別〜忠類二股〜忠類、
大樹〜石坂〜広尾は1967(S42)年10月1日から休止とあるので、前記直行便は、
このタイミングで廃止された模様である。
・1967(S42)年2月28日に帯広自衛隊前〜東官舎前が開業した。
・「国鉄バス時刻表南十勝線」1984(S59)年11月21日改正によると、南十勝線には
次のような系統が設定されていた。
東八条・帯広〜戸蔦 下り2本・上り3本(うち日祝運休1本)
東八条〜十勝清川 下り2本(うち日祝学休日運休、日祝運休学休日運転
各1本)
帯広〜西清川 上り1本
東八条・帯広〜畜大農場前 12往復
東八条・帯広〜東官舎前・自衛隊前 下り41本(うち日祝運休5本、日祝
学休日運休1本、うち緑ヶ丘経由6本)・上り41本(うち日祝運休5本、
日祝学休日運休1本、うち緑ヶ丘経由6本)
東八条〜十勝共栄 上り1本
・1985(S60)年2月1日に、南十勝本線の東富士〜忠類及び大樹〜広尾、戸蔦線の
二線三十七号〜十勝清川の廃止公示がなされた。次いで同年8月10日に戸蔦線
の戸蔦〜中仙峡の廃止が公示された。(東富士〜富士基線〜南清川、十勝清川
〜二線三十七号は1979(S54)年12月18日から休止中であった。)
・1985(S60)年当時、(自)帯広に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の
拠点として帯広自動車営業所(東八条)が置かれていた。
2.2 旅から30年
・1986(S61)年12月11日に、南十勝本線の畜大農場前〜南清川、戸蔦線の南清川
〜西美栄〜西清川及び二線四十二号〜二線三十七号の廃止が公示された。同時
に行われた「国鉄自動車路線名称」全面改正で、南十勝線は北十勝線と統合さ
れて「十勝線」の部となった。
・旧南十勝線を含めて、十勝線は国鉄民営化を経てJR北海道に継承された。
・「JR北海道バス時刻表十勝線」1995(H7)年3月16日改正によると、旧南十
勝線には次のような系統が設定されていた。
東八条・営業所・帯広〜畜大農場前 16往復(うち日祝運休下り1本・上
り2本、日祝学休日運休下り2本
東八条・営業所・帯広〜自衛隊前 下り17本(うち日祝運休10本、うち駅
南経由5本)・上り18本(うち日祝運休11本、うち駅南経由5本)
・1999(H11)年1月18日限りで、旧南十勝線の区間を含めて、十勝線は全廃され、
帯広営業所も廃止された。
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、南十勝線には接続駅(忠類、
大樹、石坂及び広尾)のみ置かれていた。
※補足 大樹を中心とする国鉄バス路線
・最初に「南十勝線」となった路線は、1948(S23)年11月3日に開業した大樹〜
大正間であり、国鉄バス運行の拠点として帯広自営大樹支所(→大樹派出所)
が置かれた。
・その後、1952(S27)年7月20日に南十勝本線本町〜相保島(→浜大樹)、1953
(S28)年7月15日に南十勝本線大樹〜旭浜、同年11月28日に豊頃線駒畠〜池田、
1955(S30)年8月5日に南十勝本線忠類〜生花苗、1957(S32)年2月10日までに
豊頃線協力街道〜勇足、同年7月1日に南十勝本線駒畠〜更別がそれぞれ開業
した。1960(S35)年11月1日に生花苗線生花苗〜晩成が延伸された。
・これらは、十勝南部の開拓促進を図るために開設された。
・その多くは昭和30〜40年代に廃止され、昭和50年代まで運行していたのは、
生花線(大樹〜忠類〜生花〜晩成、大樹〜忠類は南十勝本線)、浜大樹線(
本町〜浜大樹〜美成)及び旭浜線(大樹〜旭浜)の3路線であった。その路線
略図は次の通りである。
忠類
幌内
・−○−−−○−−−○生花
/ 上生花 \
忠類○ ○晩成
市街| 美成○−+
| | ○浜大樹
| 芽武 |/
本町○−−−−○−−−−○美成口
|
大樹◎−−○−−−−○−−−○旭浜
暁会館 中島八号
なお、「国鉄自動車路線図」1981(S56)年3月現在によると、大樹、旭浜及び
浜大樹に乗車券委託販売所が存在した。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(5/1現在)によると、「大樹
三線」には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
大樹〜浜大樹 3往復(所要40分)
大樹〜生花苗 2往復(所要1時間10分)
大樹〜旭浜 3往復(所要40分)
・「弘済会の道内時刻表」1984(S59)年3月号(2/5現在)によると、次のような
系統が設定されていたのを確認できる。
(生花線)
大樹0710→忠類0722→0746生花
大樹1605→忠類1619→1644生花
生花0750→忠類0816→0836大樹
生花1650→忠類1715→1728大樹
(旭浜線)
大樹0730→0750旭浜
大樹1230→1250旭浜
大樹1625→1645旭浜
旭浜0755→0815大樹
旭浜1255→1315大樹
旭浜1650→1710大樹
(浜大樹線)
大樹0730→美成0750→浜大樹0800→0824大樹
大樹1230→1252浜大樹1255→1318大樹
大樹1715→浜大樹1737→美成1745→1808大樹
・これらの3路線も1984(S59)年5月末限りで廃止され、大樹派出所も廃止と
なった。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【111】日勝高原線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇日勝高原線
1 帯広−日高町
1.2 路線略図
●十勝清水駅前
‖
日高町◎−−−−○−−−○−−−+
日勝峠 第一 |
登山口 展望台 |
・−−−−○西二条一丁目(無停車)
|
◎帯広
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・日勝高原線は1968(S43)年8月10日に帯広〜日高町が開業した。同線は、根室本線
と富内線を短絡し、日高山脈で遮られた道東地区(帯広・釧路)と道南地区(苫小牧
・室蘭)を最短ルートで結ぶことを使命としていた。
・開業当時の日勝高原線は、停留所を帯広、第一展望台、日勝峠登山口、日高町の
4か所に設置し、国鉄バスは帯広〜日高町に2往復(所要2時間20分)を運行して
いた。
・国鉄と同時に十勝バス、道南バスも帯広〜日高町の路線が免許され、それぞれ1
往復ずつ運行していた。これら3社で通年運行だった。開業当時は周遊旅客の利
用者が目立って多いと述べられていた。開業当時のダイヤでは次のように便が設
定されていた。
(上り)
帯広0700→0920日高町 国鉄1002便
帯広0935→1200日高町 十勝
帯広1220→1440日高町 国鉄1004便
帯広1430→1704日高町 道南
(下り)
日高町0900→1120帯広 道南
日高町1200→1420帯広 国鉄1001便
日高町1435→1705帯広 十勝
日高町1715→1935帯広 国鉄1003便
・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、次のように3社で4往復が運行されていた。
(上り)
帯広0700→0920日高町 国鉄
帯広0935→1205日高町 十勝
帯広1220→1440日高町 国鉄※
帯広1430→1700日高町 道南
(下り)
日高町0850→1120帯広 道南
日高町1150→1410帯広 国鉄※
日高町1435→1705帯広 十勝
日高町1710→1930帯広 国鉄
※7/18〜8/23は「日高観光号」(日高町1140着・1512発)に接続運転。
・その後、1971(S46).11.14に道南バスが運行を中止し、1973(S48)年に国鉄バスも
1往復に減便した。同年5月1日から国鉄バスと十勝バスとの間で共通乗車制度
を開始した。
・一時は「日高観光号」の列車運転もあってこれと連絡し、1969(S44)〜1971(S46)
年には年間1万人台の旅客を輸送し盛況であったが、年々減少を示し、1978(S53)
年7月23日から夏季のみの期間限定輸送とした。
・1985(S60)年当時の日勝高原線は、7/20〜9/1の間、次のように国鉄バスが1往復
運行されていた。
(上り)
帯広0940→1210日高町
(下り)
日高町1430→1700帯広
2.2 旅から30年
・日勝高原線は1986(S61)年まで夏季(1986(S61)年は7/20〜9/30)に季節運行して
いたが、国鉄富内線(鵡川〜日高町)が1986(S61)年11月1日に廃止されたため、
1987(S62)年は休止し、JR北海道バスが1998(S63)年(7/10〜9/30)から1991(H3)
年まで夏季(7/22〜8/18)に季節運行を行った。
2.3 旅の考察
・JR北海道バスが運行を再開した1988(S63)年以降は、十勝清水駅前停留所が設置
され(日高町方面との乗車のみ取扱い)、日高町以遠は日高町営バスで石勝線占
冠駅への連絡が案内されていた。1988(S63)年のダイヤは次の通りである(7/10〜
9/30の間運行)。
(上り)
帯広1020→十勝清水1110→1255日高町
(下り)
日高町1450→1615十勝清水→1725帯広
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【112】美瑛線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇美瑛線
美瑛本線
1 美瑛−望岳台
2 白金温泉−国立大雪青年の家
朗根内線
1 美瑛−朗根内−中俵真布
1.2 路線略図
・−−○−−−○中俵真布
/ 朗根内
・
| 美進
旭川●…………・ 下宇○…………●………●藤山
: | :
: 錦町○−・ ・●………●新三ノ宮
: | | :向上 ○国立大雪青年の家
北瑛第一 : | | : 新三笠 /
上 ・…●…・ :高校前○ +−○−−−○−−−○−−○望岳台
夕張: : : | | 丸山 白金
・…●………●…+………+ | 温泉
: 美瑛大久保 | | 新生
: 美瑛◎−+−○………●……・
●五稜 |丸山公園前 :
・…+ : 千代田
: ○憩町 間宮●………●
: 拓新 ・ ・ :
・……●……●……・ ・…●
福富 千代田
分館前
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・美瑛線は、1948(S23)年11月3日に美瑛〜新三ノ宮、丸山〜新三笠、美瑛〜千代田
が開業したのがルーツで、大雪山麓地帯の開拓促進を図るために開設された。
・美瑛自営は、バス開業以前の1947(S22)年12月に設置された美瑛自動車区が起源で
あり、当初は終戦後の国家再建施策として復興資材等のトラック輸送を行っていた。
・1950(S25)年12月25日、朗根内線(美瑛〜朗根内〜俵真布)、宇莫別線(下宇〜
俵真布)が開業した。
・1951(S26)年12月8日に新三笠〜白金温泉、1956(S31)年6月15日に白金温泉〜望
岳台、1958(S33)年6月20日に望岳台〜噴火口下及び美瑛〜旭川がそれぞれ開業
した。
・また、支線については、1953(S28)年10月14日に美瑛〜五稜(後の五稜線)、1956
(S31)年5月15日に美瑛大久保〜聖和(後の聖和線)の各区間が開業した。
・国鉄美瑛自動車営業所記念誌協賛会(1986)「創業38年記念誌−噴煙と共に−」
によると、1954(S29)年7月から白金温泉〜望岳台にGMCトラックによる登山
バス代行運転を開始した(1955(S30)年6月から登山バス代行トラックをバス輸
送に切り替え)。
・1960(S35)年11月1日に三ノ宮線向上〜美新、本線の製麻前〜間宮が開業した。
・1961(S36)年7月1日に千代田線拓新〜二股学校前が開業した(1972(S47)年6月
6日廃止)。
・1964(S39)年4月20日に聖和線の北瑛第一〜聖和が廃止され、五稜線の北瑛第一〜
夕張中央が開業した。
・1967(S42)年8月23日に白金温泉〜国立青年の家が開業した。一方、1969(S44)年
8月末限りで宇莫別線の藤山〜中俵真布が廃止された。
・1972(S47)年7月15日に千代田線間宮〜千代田分館前〜千代田が開業した。
・1973(S48)年3月末に望岳台〜噴火口下、1974(S49)年10月23日に五稜線水郷口〜
五稜の各区間が廃止された。。
・美瑛自営記念誌協賛会・前掲誌によると、1980(S55)年11月から旭川〜美瑛の4
往復を2往復に輸送力調整し、旭川派出所が廃止された。
・1981(S56)年5月改正「国鉄バス時刻表美瑛線」によると、美瑛線には次のよう
な系統が設定されていた。
旭川〜白金温泉・青年の家 2往復
(下り)
旭川0925→美瑛1009→1050青年の家
旭川1600→美瑛1645→1720白金温泉
(上り)
白金温泉0712→0749美瑛→0835旭川
青年の家1336→1435美瑛→1519旭川
美瑛〜青年の家 下り5本・上り3本
美瑛〜白金温泉 下り4本・上り6本
白金温泉〜青年の家 上り2本
白金温泉〜望岳台 7往復(うち不定期2往復)
美瑛〜中俵真布 4往復
美瑛〜藤山 3往復
美瑛〜新三ノ宮 3往復
美瑛〜五稜 下り4本(うち北瑛経由2本)・上り4本(うち北瑛経由2本)
美瑛〜千代田 下り4本(うち福富経由1本、土日祝休校日運休1本)・上
り4本(うち福富経由3本(うち福富経由1本))
・美瑛町(1991)「美瑛町史第5巻」によると、1982(S57)年冬ダイヤから町内循環線
(本通・美沢通・環状通・丸山通)が新設された。次いで1983(S58)年12月からは
憩町線が運行開始された(「国鉄自動車路線名称」には載っていなかった)。
・1984(S59)年5月改正「国鉄バス時刻表美瑛線」によると、美瑛線には次のよう
な系統が設定されていた。
美瑛〜青年の家 3往復
美瑛〜白金温泉 5往復(うち期間限定便1往復)
白金温泉〜望岳台 下り3本・上り5本
青年の家〜望岳台 下り2本
美瑛〜中俵真布 3往復
美瑛〜藤山 3往復
美瑛〜新三ノ宮 3往復
美瑛〜五稜 下り3本(うち北瑛経由2本)・上り3本(うち北瑛経由1本)
美瑛〜千代田 下り3本(うち福富経由1本)・上り3本(うち福富経由2
本)
美瑛町内循環 7回(うち日祝運休2回)
美瑛〜憩町 5往復(うち日祝運休1往復)
・1985(S60)年2月1日、美瑛本線旭川〜美瑛(1981(S56)年11月から休止中)、
三ノ宮線向上〜美進が廃止され、同年4月1日に美瑛本線丸山公園前〜間宮、
五稜線(美瑛〜五稜及び美瑛大久保〜上夕張)、千代田線(美瑛〜千代田及び
間宮〜千代田)、宇莫別線(下宇〜藤山)及び三ノ宮線(丸山〜新三ノ宮)が
廃止された。
・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として美瑛自動車営業所(美瑛町内)が
置かれていた。
2.2 旅から30年
・1985(S60)年8月10日に美瑛本線白金温泉〜望岳台(休止中)が廃止され、翌1986
(S61)年4月13日に朗根内線、町内循環線及び憩町線が廃止された。残された美瑛
本線の美瑛〜国立大雪青年の家も同年10月末限りで廃止され、美瑛自営も廃止された。
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、美瑛線には接続駅(旭川及び
美瑛)の他、白金温泉に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
・美瑛自営管内の業務委託駅(自動車駅)の推移は次の通りであった(北海道地自
(1984)「国鉄北海道自動車50年史」による)。
(自)旭川 1952(S27)年4月設置、1981(S56)年11月廃止
(自)美瑛 1958(S33)年10月設置
白金温泉 1959(S34)年9月設置、1984(S59)年3月廃止
(自)当麻 1958(S33)年10月設置、1972(S47)年4月廃止
※補足 当麻線の運行状況
・美瑛自営には当麻支所が存在し、国鉄バス当麻線の運行を担当していた。当麻支所
は、1948(S23)年11月3日に当麻自動車区として発足し、1949(S24)年9月に美瑛自
営の派出所(1970(S45)年2月に当麻支所となる)となった。
・当麻線は、1948(S23)年11月3日に当麻〜新二股、新清水〜上開明及び当麻〜新北星
が開業したのがルーツで、旭川地帯の開拓促進を図るために開設された。また、日本
最北の国鉄バス路線であった。
・1954(S29)年8月20日に中央十二区〜精南、袋地〜北星が開業した。
・1957(S32)年2月10日に新二股〜奥二股が開業した。
・1959(S34)年6月5日に上開明〜蟠龍洞、当麻〜当麻中学前〜九条四丁目、新北星
〜伊香牛四線が開業した。
・1963(S38)年5月1日に下北星〜比布が開業した。
・1972(S47)年7月14日に下北星〜比布、二十五丁目〜伊香牛四線、1973(S48)年3月
末に当麻〜九条四丁目、新清水〜袋地の各区間が廃止された。
・「国鉄バス時刻表当麻線」1983(S58)年5月改正によると、当麻線には次のような
系統が設定されていた。
当麻〜鍾乳洞 3往復(うち期間限定便1往復)
当麻〜上開明 5往復(うち日祝休校日運休、日祝運休各1往復)
当麻〜スポーツガーデン 2往復
当麻〜新二股 4往復(うち日祝休校日運休1往復)
当麻〜精南 4往復(うち土日祝休校日運休、土日祝休校日運転各1往復)
・この時の路線略図は次の通り。
○鍾乳洞
・−○新二股 |
/ ・−+−○上開明
25丁目○−−○9条4丁目 |
/ 石渡口 |
下北星○ ○スポーツ ○−−○新当麻
| / ガーデン |
・−+−−・ |
| ・−−○朝日
| ◎当麻 / ○−−−−−○精南
| | / |岩見橋
・−+−−○−−−・
中央12区
・当麻線は、1984(S59)年3月末で全廃され、美瑛自営当麻支所も廃止された。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【113】厚岸線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇厚岸線
1 厚岸−標茶
2 厚岸−国泰寺
1.2 路線略図
虹別
Λ 真竜中
標茶 | 学校前
高校前<−+◎標茶 +○+ ◎厚岸
| 大別 | | |
・−−○−−○−−○−−○−○−○−−+−−○−−−○
上知 中知 下新 開発 太田 厚岸大 国泰寺
安別 安別 拓 出張 口 橋前
所前
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・厚岸線は、1951(S26)年12月12日に浜厚岸駅前〜厚岸〜太田が開業したのが
ルーツで、1953(S28)年11月28日に太田〜標茶〜標茶農高前(→標茶高校前)
が開業した。
・本路線は、根釧原野、標茶地区の開拓促進を図るとともに、根室本線と釧網
本線との短絡を使命として開設された。
・1961(S36)年4月20日に厚岸〜真龍中学前、太田口〜苫多校前が開業した。
・1972(S47)年12月1日に厚岸大橋〜国泰寺が開業し、厚岸〜国泰寺に8往復の
運行を開始した。これは、厚岸町真竜町と対岸の本町は従来からフェリーボ
ートで結ばれていたが、同年10月に厚岸湾に海上橋(厚岸大橋)が完成した
ことに伴い地域の利用者の利便を図るためバス路線を延長したものである。
・1973(S48)年2月6日に門静駅通〜苫多校前、北洋銀行前〜住之江町が廃止
され、同年4月末限りで太田口〜門静駅通が廃止された。
・「弘済会の道内時刻表」1984(S59)年3月号(2/5現在)によると、厚岸線には
次のような系統が設定されていたのを確認できる。
厚岸〜標茶 2往復
厚岸〜大別 2往復(休日運休)
厚岸〜太田 2往復
厚岸〜開発出張所前 4往復(休日休校日運休)
厚岸〜国泰寺 9往復(うち休日運休、休日休校日運休、休日休校日
運行各1往復)
・1985(S60)年当時、国泰寺、太田口及び開発出張所前に乗車券簡易販売所(
簡易委託)が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、厚岸自動車営業
所(厚岸)が置かれていた。
2.2 旅から30年
・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、厚岸線では太田口
〜開発出張所前が認知された。
・厚岸線は、国鉄民営化を経てJR北海道に継承された。
・「弘済会の道内時刻表」1988(S63)年8月号(7/1現在)によると、厚岸線には
次のような系統が設定されていたのを確認できる。
厚岸〜標茶 2往復
厚岸〜太田 4往復(うち休日休校日運休、休日休校日運行各1往復)
厚岸〜開発出張所前 4往復(うち休日休校日運休1往復、土曜運行2
往復)
厚岸〜国泰寺 8往復(うち休日運休、休日休校日運休各1往復)
・1993(H5)年3月末限りで下新拓〜標茶が廃止され、残された標茶〜下新拓、
太田口〜真竜中学校前〜開発出張所前及び標茶〜国泰寺も1997(H9)年12月10
日に廃止され、厚岸自営も廃止された。
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、厚岸線には接続駅(厚岸及
び標茶)のみ置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【114】釧根線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇釧根線
1 標茶−虹別
2 標茶−標茶高校前
1.2 路線略図
・−−○虹別
/
/
○−−◎−−>厚岸
標茶 標茶
高校前
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・釧根線は、1953(S28)年2月22日に、標茶〜虹別〜西春別〜上春別〜西別(
→別海)及び西春別旧市街〜東広野が開業したのがルーツで、根釧原野の
開拓促進を図るとともに、標茶と西別・根室方面の短絡を使命としていた。
・1949(S24)年9月20日から厚岸自動車区(後に厚岸自動車営業所)標茶派出
所が開設され、1979(S54)年12月20日に廃止されるまで、釧根線の運行拠点
となっていた。
・1954(S29)年5月改正ダイヤでは、釧根線には次のような便が設定されてい
たのを確認できる。
標茶〜西春別 2往復
(下り)
標茶1050→1225西春別
標茶1820→1955西春別
(上り)
西春別0700→0835標茶
西春別1300→1435標茶
西春別〜西別 下り3本・上り2本
(下り)
西春別0700→0855西別
西春別1150→1345西別
西春別1610→1805西別
(上り)
西別0910→1105西春別
西別1355→1550西春別
・1960(S35)年に西春別〜広野、1965(S40)年に中春別〜尾岱沼、1969(S44)年
に中春別〜別海に定期路線の運行を開始したが、これらの区間はいずれも
1978(S53)年時点で既に休止中であった。
・1961(S36)年6月現在のダイヤでは、釧根線には次のような便が設定されて
いたのを確認できる。
(下り)
西春別0720→0845西別
標茶0910→1010西春別1015→1125西別
標茶1300→1400西春別1410→1520西別
標茶1708→1808西春別
(上り)
西別0920→1030西春別1035→1135標茶
西別1315→1440西春別1445→1545標茶
西別1705→1815西春別
・1965(S40)年9月現在のダイヤでは、釧根線には次のような便が設定されて
いたのを確認できる。
(下り)
西春別0715→0826西別
標茶1125→1220西春別1223→1317西別
標茶1707→1807西春別
(上り)
西春別0703→0803標茶
西別1222→1333西春別1336→1431標茶
西別1721→1806西春別
・1965(S40)10月18日に尾岱沼線(矢臼別〜尾岱沼)が開業した。この区間は、
矢臼別からパイロットファーム(当時国策として開発された一大酪農事業)
を経由して尾岱沼に至る路線であった。しかし、このパイロットファーム
経由は、開発途上のため道路の軟弱と凍上等によって悪条件が続いた。
1967(S42)年以降は夏季のみの運行となり、1969(S44)年からは7/25〜8/24
の間に限って臨時列車「尾岱沼観光号」との連絡輸送を行った。1972(S47)
年からはパイロットファーム経由を廃止し、経路変更を行って夏季限定の
運行を継続したが、1978(S53)年の輸送をもって休止した(1985(S60)年2月
1日廃止公示)。
・1969(S44)年12月9日に尾岱沼線矢臼別〜西別二号が廃止され、西別〜西別
二号が開業した。
・1970(S45)年7月現在のダイヤでは、釧根線には次のような便が設定されて
いたのを確認できる。
(下り)
標茶0640→西春別0737→西別0850→1002尾岱沼
西別1039→1148尾岱沼
標茶1020→西春別1117→西別1230→1342尾岱沼
標茶1610→西春別1650→1719西別
標茶1700→1758西春別
(上り)
西春別0644→0742標茶
尾岱沼0915→1024西別
尾岱沼1056→西別1230→西春別1325→1420標茶
尾岱沼1208→1317西別
尾岱沼1454→西別1628→西春別1728→1823標茶
・1972(S47)年6月6日、西春別旧市街〜東広野が廃止された。
・1976(S51)年3月現在のダイヤでは、釧根線には次のような便が設定されて
いたのを確認できる。
標茶〜西別 1往復
(下り)
標茶0815→西春別0903→0951西別
(上り)
西別1420→西春別1510→1556標茶
西別〜尾岱沼 3往復(7/11〜8/31運転)
(下り)
西別1045→1131尾岱沼
西別1230→1318尾岱沼
西別1600→1646尾岱沼
(上り)
尾岱沼0735→0821西別
尾岱沼1255→1341西別
尾岱沼1500→1548西別
・1977(S52)年末で釧根線のうち、虹別〜別海、北進〜西春別が休止されて、
両区間は1979(S54)年11月15日に廃止公示がなされた。
・1985(S60)年当時は、標茶〜虹別に短縮しており、標茶〜標茶高校前ととも
に、通学等の地場輸送を行っていた。1985(S60)年8月現在のダイヤでは、
標茶〜虹別に2往復の運行を確認できる。
2.2 旅から30年
・国鉄最後のダイヤ改正と言われた1986(S61)年11月改正ダイヤでは、釧根線に
は次のような便が設定されていた。
標茶〜虹別 2往復
(下り)
標茶0716→0744虹別(日祝学休日運休)
標茶0915→0943虹別(日祝学休日運転)
標茶1531→1604虹別
(上り)
虹別0746→0815標茶(日祝学休日運休)
虹別0945→1015標茶(日祝学休日運転)
虹別1606→1634標茶
標茶〜標茶高校前 2往復
(下り)
標茶0817→0822標茶高校
標茶1512→1517標茶高校
(上り)
標茶高校0827→0832標茶
標茶高校1519→1524標茶
・釧根線は、国鉄民営化を経てJR北海道に継承された。1993(H5)年3月末限り
で標茶町内のJRバス路線廃止に伴って、釧根線は全廃された。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録に戻る
ホームページにもどる