1985・夏 国鉄バスを使った
最長片道きっぷの旅
四国
2017-03-20
1985・夏 最長片道きっぷの旅【703】松山高知急行線
1. 行程
・+1日目 1985(S60).9.16(月)
○道後温泉1535 →1540大街道 | 松山高知急行線2+1 | 急行なんごく12号 高知発 松山行 | 641-3977 いすゞK-CQA550 |
×大街道→河原町 | | 徒歩 | |
○大街道1637 →1829落出 | 松山高知急行線1 | 松山発 落出行 | 531-9410 いすゞBU10 |
○落出1839 →2035高知(泊) | 松山高知急行線1 | 急行なんごく23号 松山発 高知行 | 641-6905 いすゞBU20KP |
2.乗車券の経路
・松山高知急行本線2 道後温泉〜河原町
・松山高知急行本線1 河原町〜久万〜二瀬橋〜御三戸〜古床〜落出〜上仁淀
〜引地橋〜土佐大崎〜越知〜佐川〜播磨屋橋
3. 路線名称と略図
◇松山高知急行線
松山高知急行本線
1 松山−高知
2 河原町−道後温泉
3 久万−二瀬橋
八釜線
1 落出−古味
長者線
1 上仁淀−長者
池川線
1 土佐大崎−池川
道後温泉○
|
・−・
大街道 |
松山◎−−−○+−+
一番町○ ‖
二丁目| ‖ 当時の
河原町○−・ ‖←なんごく号の
| ‖ ルート?
天山橋○===・
|
・=○南井門
‖ |
・=○供養堂
|
砥部○
|
|
三坂峠○
|
|
久万○…○曙町
| :
| : 瓜生野○ ○樫山
二瀬橋○…○野尻本町 ・ ・
| 石鎚 檜谷○ ○若山橋
大川嶺 |御三戸 土小屋 ・ ・
○・・○・・・○・・○ ・ ○安居
(美川 | 面河 池川○ ・
スキー場)| | ・
古床○・・・○二箆 三叉○・・○
| | 狩山口
古味 合角| 岩川 上仁淀 |
○−○−○−−○−−○−−○−−○土佐大崎
・ 落出 | 引地橋 |
・ 別府森○ |
○ | 桐見川 |
四国カルスト 長者○ ○・・・○越知
・ |
織合橋○ |
古畑 |
○・・・○富士見町
|
○川内ヶ谷
|
柳瀬○ 高知
|\ 日下 伊野 ◎ 土佐
| \ 駅前 駅前 | 山田
佐川◎……+−●−−○−−○−−>
播磨屋橋
※久万〜二瀬橋(旧道)、佐川〜伊野駅前(旧道)は、休止中
※川内ヶ谷〜日下駅前は、路線名称に無い
※播磨屋橋〜土佐山田は、大栃線
4.掲載
4.1 連載誌 S61.1号 4.四国編
◇写真(大街道を走る国鉄バス、高知駅前に停まる「なんごく号」)
4.2 単行本 p.325〜329
5. エピソード
・伊予鉄道後温泉駅前の広場には国鉄バス停のポールがない。伊予鉄バスの運転
士に尋ねると、「国鉄バスは時間になるとここへ入ってきて回りよるよ。停留
所はないようだが、ここから乗る人はないから、いらんのじゃろう。降りる人
がないと向こうをまっすぐ松山駅の方へ行って寄らんこともある」と何とも心
もとないことになった。
・15時35分頃見慣れた国鉄バスが近づいてきて、伊予鉄バス降り場近くに停まり、
4人ほど降りる様子。出入り口に駆け寄ると「乗るんですか?周遊券ですね。
乗ってもいいけど、その代わり」「分かってます。指定料金400円払います」。
・「河原町は行きませんね。あそこは普通便の停留所だし方向も逆です。次に大
街道へ寄ったら、松山駅まで停まりません。」「自動車線普通旅客運賃表」に
は名無し支線の形で「河原町〜道後温泉3.0km」と記してあるが、これは運賃
設定上の措置で、運行系統は別なのだった。
・大街道で下車し裏通りを10分ほど歩くと河原町。松山行きで大街道に戻った。
「なんごく」の大街道停車は上りだけで、高知行きの停留所には「高知行急行
便は当駅に停車しませんので松山駅前からご乗車下さい」の注意書き。
・落出行き普通便は、ちょうど座席が埋まる乗り具合。河原町を左折して狭い商
店街を走る。用務客ばかりで観光色は全くない。5分停車の久万で高校生が大
勢乗り、立ち客でいっぱいになった。停留所ごとに高校生が下車し、美川村の
中心でお客は数人に減った。大街道から約2時間の寂しい集落、落出で乗り換え。
・道端に出ていないと通過してしまうよとの運転士の注意に従って待つこと10分、
高知行き急行「なんごく23号」が4分遅れで到着。20人ほどの乗り。家族連れ、
大きな荷物の人もいて、普通便とは客層が違い、ほとんどが居眠りしている。
・高知県境を越したとのテープ案内があり、19時10分頃、引地橋で8分停車。ド
ライブインが店を開けており、山菜うどんとおでんが気持ちよく売れる。
・土讃本線連絡の佐川でようやく1人下車。高知市内へ入ると下車が増え、ネオ
ン街を左折して川の消えたはりまや橋に停車。終着高知駅前は人通りが少なく
ひっそりとしていた。
6. 旅の考察
・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の松山高知急行線の項には、「な
んごく号」に乗車となる場合は、バス指定料金(400円)を別途収受する、との
注記がなされている。ちなみに、同じ運賃表の十和田北線の項には、「みずう
み号」、「あさむし号」に青森、浅虫、子ノ口及び十和田湖の各駅から乗車とな
る場合は、バス指定料金(200円)を別途収受する、と注記されている。なお、
同じ運賃表の平庭高原線の項には、急行便「白樺号」(盛岡・久慈間)に乗車の
場合は、自動車急行料金(大人100円、小児50円)を別途収受すると注記されて
いる。
※路線解説【703】松山高知急行線
1985・夏 最長片道きっぷの旅【---】北四国急行線
◎・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・◎
松 松 大 川 小 西 新 土 伊 川 豊 国 金 丸 坂 県 高
山 山 街 内 松 条 居 居 予 之 浜 道 蔵 亀 出 庁 松
市 道 駅 常 浜 町 三 江 駅 観 寺 駅 駅 通
駅 前 心 東 島 駅 前 音 町 前 前
条 駅 前 寺
前
※路線解説【---】北四国急行線
1985・夏 最長片道きっぷの旅【706】大栃線
1. 行程
・+2日目 1985(S60).9.17(火)
○高知0909 →0954土佐山田 | 大栃線 | 高知発 大栃行 | 531-1420 いすゞK-CJM470 |
〒 高知、土佐山田 |
2.乗車券の経路
・大栃線1 播磨屋橋〜後免駅前〜二ツ川〜土佐山田
3. 路線名称と略図
◇大栃線
1 播磨屋橋−岡の内
2 神母ノ木−東佐岡
3 神母ノ木−竜河洞
4 岩改口−岩改
5 美良布−永野
6 土佐小川−千萱
7 大栃−影
影
○−−○高井
土佐 |
河口 永野 猪野 |
・・・○−−○・・○々口 ○五王堂
・ 岩 | |
後 東佐岡 ・ 改 | 土佐 ・・ |
高知 免 土佐山田 ○・・ 口 | 小川 ・ ・|
松 ◎ 駅 ◎ | 神母 ○−○−○−−○−−○−○大栃
山 | 前 | | ノ木 /| 美 \ 蕨野 大 |
<−○−−○−−○−+−−○−○−・ | 良 ・ 栃 |
播 二つ川 談 | ○ 布 | 橋 ○佐岡口
磨 義 ・ 岩改 ○ |
屋 所 \ 千萱 |
橋 ○ ○岡の内
竜河洞 ・
・
土佐別府○
※松山〜播磨屋橋〜高知は、松山高知急行線
4.掲載
4.1 連載誌 S61.1号 4.四国編
◇写真(大街道を走る国鉄バス、高知駅前に停まる「なんごく号」)
4.2 単行本 p.329〜330
5. エピソード
・大栃行きバスは、全くお客のないまま定刻1分前の9時09分にアクセルをふか
し、あわてて飛び乗る。厳密にははりまや橋まで復乗。
・妙な場所に停留所のある後免駅前を経て旧道を行くうち左手に土讃本線が並走。
僅かなままのお客のうち3人は病院通いで、土佐山田町内になると、揃って
下車。
・バスは空の状態で土佐山田駅前に入ったが、ここには数人待っていた。
※路線解説【706】大栃線
土佐山田〜阿波池田〜佃〜穴吹
1985・夏 最長片道きっぷの旅【705】阿波線
1. 行程
・+2日目 1985(S60).9.17(火)
○穴吹1404 →1414脇町 | 阿波本線1+2 | 穴吹発 脇町行 | 524-9401 三菱MP107K |
×脇町1641 →1650拝原西 | 阿波本線2 | 脇町発 穴吹行 | 524-9401 三菱MP107K |
○拝原西1707 →1715阿波用水 | 阿波本線1 | 穴吹発 鴨島行 | 524-9401 三菱MP107K |
○阿波用水1745 →1812阿波病院北入口 | 阿波山手線1+3 | 穴吹発 鴨島行 | 334-6004 三菱MK103H |
○阿波病院北入口1911 →1915市場町 | 阿波山手線3 +阿波本線1 | 鴨島発 阿波病院 経由 市場町行 | 331-0403 いすゞK-CCM410 |
○市場町1928 →1950鴨島 | 阿波本線1 +三本松線1 | 穴吹発 一本杉経由 鴨島行 | 334-6003 三菱MK103H |
×鴨島→徳島(泊) | 徳島本線 +高徳本線 | | |
〒 穴吹、脇町、岩倉(脇町) |
・+3日目 1985(S60).9.18(水)
×徳島→鴨島 | 高徳本線 +徳島本線 | | |
○鴨島955 →1015一本杉 | 三本松線1 +阿波本線1 | 鴨島発 穴吹行 | 不明 |
○一本杉1020 →1037鍛冶屋原西 | 阿波山手線2+1 | 鴨島発 法林寺・ 阿波吉田経由 鍛冶屋原行 | 331-0404 いすゞK-CCM410 |
欠落(57) 鍛冶屋原西〜鍛冶屋原 | 阿波山手線1 +阿波本線1 | 故意 | |
代行(57) なし | | | |
○鍛冶屋原西1037 →1100鴨島 | 阿波本線1 +三本松線1 | 鍛冶屋原発 北二条経由 鴨島行 | 524-9401 三菱MP107K |
〒 鴨島 |
| | | |
2.乗車券の経路
・阿波本線1 穴吹〜拝原西〜阿波用水
・阿波山手線1 阿波用水〜土柱入口〜下喜来
・阿波山手線3 下喜来〜阿波病院前
・阿波本線1 阿波病院前〜市場町〜一本杉
・阿波山手線2 一本杉〜法林寺
・阿波山手線1 法林寺〜阿波吉田〜鍛冶屋原
・阿波本線1 鍛冶屋原〜北二条
・三本松線1 北二条〜鴨島
3. 路線名称と略図
◇阿波線
阿波本線
1 板野駅南−穴吹
2 拝原西−脇町
阿波山手線
1 鍛冶屋原−下喜来−阿波用水
2 法林寺−一本杉
3 下喜来−阿波病院前
三本松線
1 鴨島−阿波吉田
三本松◎
・ 鍛
・阿 冶 鍛
下 阿波 法 平○波 屋 冶
喜 病院北 林 間・吉 原 屋
来 入口 寺 ・田 西 原
土柱入口○−○−○−○−−○−−○−−○−○−−◎板野駅南
| |市場町筋| | / (板野)
拝原西 | | | |/
脇町○−−○−−○−−−○−○−−○−−○北二条
| 阿波 阿波 市 一本杉 |
| 用水 病院 場 |
穴吹◎ 前 町 ・−◎鴨島
4.掲載
4.1 連載誌 S61.1号 4.四国編
◇写真(鴨島駅前で発車を待つ穴吹行きバス)
4.2 単行本 p.332〜339
5. エピソード
・発車待ちの運転士同士が「分割民営反対の署名がいろいろありすぎて、前のも
全体にゆき渡らないまま保留になっている。こんなことでいいのか」などと話
し合っているのをもれ聞いた。
・山手線はいくぶんこぶりなボディー1台がやっと通れる程度の細いくねくねし
た道をたどって田畑の中を走り、山すその土柱入口を通る。
・阿波病院北入口から乗ったバスの運転士の開設によれば、もともとこの系統は
市場町筋折り返しだったが、ワンマン化に当たって回転場がないため市場町へ
回送する短絡線として設けられたとのこと。
・一本杉から乗った鍛冶屋原行きは、法林寺から右へ折れ、三木武夫元首相の生
家を見るうち、これ以上狭くてはクルマが通れないようなSカーブやカギ形に
おれる難所にかかった。こちらはボディーもこぶりだが、道を知り尽くしてい
る運転士だけにハンドルさばきは見事。路上駐車のクルマがいて、どうみても
通り抜けられないような空間を静々とすり抜け、かすりもしない。
・時刻表上では乗り継げそうもない便に間に合わせてくれた。鍛冶屋原の手前に
時刻表には載っていない鍛冶屋原西停留所があって、鍛冶屋原西〜鍛冶屋原は
本線、山手線とも同じ道を走り、たいてい鍛冶屋原西あたりですれ違うからな
んとかなると保証してくれ、その通りになった。
※路線解説【705】阿波線
鴨島〜佐古〜池谷〜板野〜三本松〜高松〜宇多津〜多度津〜善通寺〜琴平
※高松〜洲本〜神戸〜京都(泊)〜岡山〜宇野〜高松
〒 高松、鳴門、京都山科川田、京都北花山、山科
1985・夏 最長片道きっぷの旅【701】西讃線
1. 行程
・4日目 1985(S60).9.20(金)
○琴平1225 →1302一の谷 | 西讃本線1 | 琴平発 観音寺行 | 331-2472 いすゞK-CDM410 |
○一の谷1345 →1418善通寺大通 | 善通寺線1 | 観音寺発 善通寺行 | 331-5479 いすゞP-LR312J |
○善通寺大通1442 →1451吉原 | 仁尾線1 | 善通寺発 詫間・ 仁尾経由 観音寺行 | 331-5478 いすゞP-LR312J |
○吉原1551 →1657観音寺 | 仁尾線1 | 善通寺発 詫間・ 仁尾経由 観音寺行 | 331-4477 いすゞP-LR312J |
○観音寺→川之江 | 予讃本線 | | |
〒 琴平、榎井、本山、善通寺、善通寺吉原 |
2.乗車券の経路
・西讃本線1 琴平〜山本町〜一の谷
・善通寺線1 一の谷〜善通寺大通
・仁尾線1 善通寺大通〜詫間〜仁尾〜琴弾公園口〜観音寺
3. 路線名称と略図
◇西讃線
西讃本線
1 観音寺−琴平
善通寺線
1 一の谷−善通寺大通
仁尾線
1 観音寺−善通寺
2 琴弾公園口−観音寺海水浴場
荘内線
1 仁尾−箱
○箱
/
○肥地木 高松
\ ・・・・・・・・・>
○荘内大浜 ・
\ ・善通寺
○名部戸 詫間 ・ 国立病
\ 中郷 ◎ 鳥坂・ 院前
仁尾○−−○−−+−−○−−○−○−○−・
| 西大見・ 吉原 | 善通寺 高松
| ・ ・−○−−◎・・・>
曽保○ ・ |善通寺
| ・ 大日○−・大通
室本○ ・ /
| ・ /
観音寺 |琴弾 ・田井○ 琴平
海水浴場○−○公園口 ・ / ・−+◎
| 一の谷 ・/ | |
+−◎−−○−−○六ツ松 +−・
・ 観音寺 ・\ ○琴平南口
・・・・・・・ \ 長瀬橋 上佐文 /
川之江・ 山本町○−−−○−−○−−○−・
<・・ 横谷口
4.掲載
4.1 連載誌 S61.1号 4.四国編
◇写真(観音寺駅前(正しくは琴平駅前)の国鉄バス、琴平駅前)
◇誤記(観音寺駅前の写真)
4.2 単行本 p.341〜343
◇写真(琴平駅前の国鉄バス)
5. エピソード
・三角屋根駅舎の前に石燈籠が並ぶ琴平駅前広場をあとに、バスは脇道へ向かっ
た。道が狭いため市街地は上下ルートを変えている。
・数人の主婦が乗り降りしただけのバスは田畑の中をたんたんと走り、30分足ら
ずで乗り継ぎ地点の一の谷着。観音寺市内とはいえ、一の谷は小さな集落に過
ぎず、待ち合わせ時間は四国霊場七十番札所本山寺を散歩。
・観音寺から来た善通寺行きバスも閑散。旧道へ入ると、「四国横断道路豊中工
事現場にぶつかり、先ほど「あしずり」から見た五岳山が迫る。細いSカーブ
で小さな大日峠を越え、筆の山の麓を善通寺市街地に下る。
・仁尾経由観音寺行きは善通寺大通で先客ゼロだったが、お寺近くの大量乗車で
席が埋まり、その後も停留所ごとに続々乗り、立ち客が出た。
※路線解説【701】西讃線
1985・夏 最長片道きっぷの旅【702】川池線
1. 行程
・4日目 1985(S60).9.20(金)
○川之江1745 →1800上分 | 川之江発 阿波池田行 | 川池本線1 | 531-8413 いすゞBU10 |
○上分1830 →1845伊予三島 | 上分発 伊予三島行 | 三島線1 | 331-7012 いすゞCCM410 |
2.乗車券の経路
・川池本線1 川之江〜上分
・三島線1 上分〜妻鳥〜三島口〜西町〜伊予三島
3. 路線名称と略図
◇川池線
川池本線
1 川之江−阿波池田
2 七田−阿波佐野
三島線
1 上分−伊予三島
2 三島口−伊予三島
新宮線
1 伊予金田−新瀬川
金砂線
1 堀切トンネル口−日浦
※白地〜白地温泉前、本村〜下川は、路線名称に無い
※川池本線1は境谷橋経由、川池本線2は境目経由
川之江
+◎ 天生津 金生農協
・−+−−−○−−○山田井支
| |所前
| 川之江 | 棒賀○−−○下川
・−○市民会 ○−・ 伊予 / 阿波
|館前 |河原田 半田 / 椿堂 佐野 佐馬地 白地
| |団地前 ○−+−−○−−○−−○−−○−−○−−○ 蓮見町
| 上分| / 七田\境谷橋/ |\ ○−◎
・−−−−○−−○伊予金田 \ / |/ |阿波池田
/ \ 境目○ 白地温泉前○ ・
/ \ | /
柏平田○ \ ・−○中西
| 堀切トン○
三島本町 | ネル口 \
○−−−○三島口 ・−○−−○堂成
| | 伊予 \
西町○−◎ | 新宮 ○程野
| 伊予| |
| 三島| ○新瀬川
・−−−○中央五丁目
4.掲載
4.1 連載誌 S61.1号 4.四国編
4.2 単行本 p.344〜345
5. エピソード
・川之江〜阿波池田間のバスは先年乗っており、上分停留所が意外に大きな駅だ
ったのに感心したことだが、今日はそこで降りる。上分駅前では「森永アイス
クリン」を試食。
・伊予三島行きが来たときはすっかり暗くなり、狭い道を行くと妻鳥と書いた停
留所が現れた。伊予三島の市内を一回りして駅前へ入った。
※路線解説【702】川池線
伊予三島〜松山〜伊予長浜〜伊予大洲
※伊予三島〜高松(泊)〜伊予三島
1985・夏 最長片道きっぷの旅【704】南予線
1. 行程
・5日目 1985(S60).9.21(土)
○伊予大洲615 →710蔵川 | 南予本線1+2 | 伊予大洲発 伊予大川経由 蔵川行 | 331-6017 いすゞBA05N |
×蔵川721 →738伊予大川 | 南予本線2 | 蔵川発 伊予大洲行 | 331-6017 いすゞBA05N |
○伊予大川800 →925野村町 | 南予本線1 +卯之町線1 | 伊予大洲発 栗の木・ 坂石経由 卯之町行 | 331-4480 いすゞP-LR312J |
○野村町1028 →1055卯之町 | 卯之町線1+2+1 | 野村町発 下宇和経由 卯之町行 | 531-9427 いすゞBU04 |
〒 坂石、野村、宇和、宇和加茂(#1098) |
2.乗車券の経路
・南予本線1 伊予大洲〜大洲本町〜伊予大川〜鹿野川〜伊予大谷〜栗の木
・卯之町線1 栗の木〜荷刺〜野村町〜下宇和口〜卯之町
3. 路線名称と略図
◇南予線
南予本線
1 伊予大洲−宇和島
2 伊予大川−蔵川
3 伊予大谷−伊予白石
4 土居古市−寺野
小田町線
1 伊予大洲−宮原
2 五十崎駅前−五十崎町
3 五十崎駅前−中土橋
4 内子本町−内子駅前
5 大瀬−村前
6 河口橋−程内
八幡浜線
1 大洲本町−大洲病院前
中筋線
1 荷刺−下舟原
2 伊予中筋−榎
神納線
1 鹿野川−一ノ瀬
卯之町線
1 栗の木−卯之町
2 下宇和口−下宇和
伊予大村線
1 伊予日吉−伊予大村
内子
駅前○ ○程内
|内子 \ 河口 参川
|本町 中土橋 \橋 突合 口
五十崎・−○−−+−○−−○−○−−○−−○−○−−○宮原
駅前 | | / 大瀬\ 小田町
若宮○−−○−−○−○−+○知清橋 \
| 矢落橋 |竜王 ○村前 +−−○寺野
伊予◎−+ |温泉口 ///
大洲 | 五十崎町○ ○一ノ瀬 土居町○ // 伊予○=○屋敷
| / +・ 大川|
大洲本町○ 伊予 ○出合 // \ |
/ \ 菅田 大川 鹿野川 / 魚成橋○−○−−−○−−○伊予
○−+ ○−○−−○−○−−○−−○ / 城川 土居 |日吉
大洲 小倉口 | 鳥首 \ 岩谷 坂石○ 役場前 古市 |
病院前 | \ 三石橋 / 大滝○
蔵川○ ○−−○−−○栗の木 橋 |
/伊予 / ○延川
伊予白石○ 大谷 ○荷刺 /
/ \ ○藤野々
下舟原○−○ ○野村町 |
/伊予 | ○岩谷橋
榎○ 中筋 ○渓筋 |
/ +=○国道
下宇 ○明間 出目◎ //出目
和口/ | //
◎−−−○ 近永◎ //
卯之町 | | ○国道
◎下宇和 近永小○// 近永
学校前+
|
成川○
|
柿原○
|
宇和島◎
4.掲載
4.1 連載誌 S61.1号 4.四国編
◇写真(伊予大洲駅前の早起きバス、卯之町ゆきバス(伊予大川)、野村町駅)
4.2 単行本 p.345〜349
◇写真(伊予大川)
5. エピソード
・南予の国鉄バスは早起きで、蔵川行きの前に内子方面路木行きが発車して行っ
た。お客はほとんどいない。
・蔵川行きバスも貸切状態。「蔵川のお客を迎えに行くのだから、この便に乗る
人は年に何人もいない」と運転士がもらす。「渡し場」で肱川を渡ると、夏場
は賑わう鵜飼舟がもやっている。川沿いの悪路が続き、桑畑と栗林が増える。
・伊予大川から右へとると、到底バス道とは思えないような、狭く急なSカーブ
の登り。ときどき乗用車やバンが、バスと譲り合いながら坂を下っていく、奥
の集落から大洲方面へ通勤通学する人たちが知人の車に相乗りしているようだ。
「このバスに乗ってくれるのは10人までだな。あんな風に先へ行ってしまうし、
工場あたりは専用の車でパートさんを迎えに来る。昔はこのバスも満員で、路
線もずっち長かった。」
・峠を越えて数軒の民家が見えると蔵川だった。農協から小学校まであった。
・卯之町行きはまずまずの利用者があった。鹿野川辺りから肱川の渓谷美が開け、
やがて鹿野川ダムにかかった。ダムのほとりを迂回して走り、栗の木の三差路
で197号線に沿ってバスは左折し、坂石の集落へ寄り十数分の休憩となる。卯之
町行きバスは坂石へ寄った後、栗の木へ戻って卯之町線の地方道を進むとみえ
る。坂石が事実上の南予本線と卯之町線のジャンクションになっており、この
便は伊予日吉から来るバスと接続をとる。
・鹿野川でがら空きになっていた卯之町行きは、坂石から再び賑やかになり、国道
197号より堂々とした地方道を下った。突然市街が開けると野村町駅で途中下車。
・野村町からの区間運転バスは大型になり、いくつかトンネルを抜けて、また下る。
明間という途中の集落は地名通りに明るく穏やか。左に予算本線のレールが見え、
下宇和駅前へ寄ったけれど、鉄道接続駅ではない。
※路線解説【704】南予線
卯之町〜下宇和〜北宇和島〜近永〜出目〜江川崎〜若井〜窪川(泊)
1985・夏 最長片道きっぷの旅【707】窪川線
1. 行程
・6日目 1985(S60).9.22(日)
○窪川0942 →1027志和 | 窪川線2 | 窪川発 志和行 | 331-6027 いすゞBA05N |
○志和1041 →1107襟 | 窪川線2 | 志和発 窪川行 | 331-6027 いすゞBA05N |
○襟1139 →1145飯野川 | 窪川線5 | 窪川発 飯野川行 | 331-6025 いすゞBA05N |
○飯野川1151 →1210仁井田 | 窪川線5+6+1 | 飯野川発 窪川行 | 331-6025 いすゞBA05N |
2.乗車券の経路
・窪川線2 窪川〜本堂〜襟
・窪川線6 襟〜神野々
・窪川線1 神野々〜仁井田
3. 路線名称と略図
◇窪川線
1 窪川−仁井田−土佐興津
2 窪川−志和
3 窪川−窪川中学校前
4 仁井田−床鍋
5 襟−飯野川
6 襟−神野々
7 帰全農場前−奈路
土佐久礼◎
・
・
床鍋○(窪4)
|
影野駅前○
|
○六反地駅前
折合○ (窪1,4) ・
土佐下津井○ ・ (窪3) 仁井田/(窪1,6)
・ ・ 窪川中 ◎ 神 (窪6,7) (窪5,6)
・土佐大越○ 学校前 + 野 奈 弘
下道口○ ・ ○ / \々 路 見 飯野川(窪5)
・ ・ \ / ○−○−−○−−○
吉野生 ・ 瓜生野○ (窪1,2,3)◎窪川 | | |
◎ 大奈路○ ・南川口・ \ | | | 志和峠 (窪2)
・ ・ ○・・ 見付○−−○−○−−○−−○−−○
・ 十川 ・ ・ 本|帰全 襟 志和
◎・・○・・○・○・・○秋丸 堂|農場前 (窪2,5,6)
江川崎 大正橋 土佐 ・ (窪1,2)|(窪2,7)
田野々・ |
・ ○興津峠
・ |
○日の谷口 |
・−○土佐興津(窪1)
4.掲載
4.1 連載誌 S61.1号 4.四国編
◇写真(飯野川回転場)
4.2 単行本 p.352〜354
5. エピソード
・9時15分ごろ、窪川駅前に貸切表示の国鉄バスが2両停まった。観光バススタ
イルの641-5901と小型の331-1407で不揃いの上、6形には女性ガイドが乗り、
3形には男性の国鉄職員が添乗。窪川自営には貸切に使っても恥ずかしくない
6形は1両だけで、ガイドも日頃は事務の女性職員1人だけで、お客が多いと
こんな状態になるという。
・本堂では「興津方面へお乗り換えの方は、整理券に乗り換え印をもらって、そ
のままお待ちください」と放送が流れ、しばらく停車。すると左手の辻から、
窪川を5分前に出た土佐興津行きがやってきた。2つの路線が十文字に交差し
ていて相互に乗り換えができ、運賃は通算するダイヤだった。
・集落の中の狭い道を抜けて襟を過ぎると、「志和峠、海抜260m」の立て札が見
え、すごいSカーブを下り出す。遥か右下の谷あいに集落がのぞき、右遠くに
入り江がちらりと見えた。漁村へ下りて防波堤にぶつかった所が終点志和。興
津系統も似たような難路とのこと。
・襟は全く何もない三差路。飯野川行きは飯野川で仁井田経由窪川行きとなるの
で飯野川まで乗りとおすと、ほとんど人影のない細道を行き、先客の中学生も
飯野川で座ったまま。仁井田方面へ行く場合、弘見〜飯野川の区間外乗車が認
められているようだ。
6. 旅の考察
・エピソードの冒頭に登場した、641-5901は1975(S50)年式のいすゞBU15KP(富士
重工車体)で経年の貸切車(エアサス、冷房車)、331-1407は1981(S56)年式の
いすゞK-CCM410で冷房こそ装備されているが2扉の路線車である。
※路線解説【707】窪川線
仁井田〜佐川
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