1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 四国地方自動車部
2017-04-13
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【701】西讃線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇西讃線
西讃本線
1 観音寺−琴平
善通寺線
1 一の谷−善通寺大通
仁尾線
1 観音寺−善通寺
2 琴弾公園口−観音寺海水浴場
荘内線
1 仁尾−箱
1.2 路線略図
○箱
/
○肥地木
\
○荘内大浜
\ 善通寺
○名部戸 詫間 国立病
\ 中郷 ◎ 鳥坂 院前
仁尾○−−○−−+−−○−−○−○−○−・
| 西大見 吉原 | 善通寺
| ・−○−−◎
曽保○ |善通寺
| 大日○−・大通
室本○ /
| /
観音寺 |琴弾 田井○ 琴平
海水浴場○−○公園口 / ・−+◎
| 一の谷 / | |
・−◎−−−○−○讃岐笠田 +−・
観音寺 \ ○琴平南口
\ 長瀬橋 上佐文 /
山本町○−−○−−○−−○−・
横谷口
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・西讃線は、1936(S11)年2月25日に観音寺〜琴平及び観音寺〜観音寺海水浴場が
開業したのがルーツで、同年11月21日には豊浜線財田大野〜豊浜が開業し、1937
(S12)年8月1日には善通寺線一の谷〜善通寺、仁尾線仁尾〜善通寺大通及び仁
尾〜蔦島渡船場が開業した。その後、1944(S19)年10月1日に仁尾線琴弾公園〜
仁尾が開業した。
・この路線は、鉄道の補助、地方産業文化の発展助長を使命としていた。
・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(V)戦時期2−」(『東京経大
学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営
自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、仁尾線仁尾〜蔦島渡船場
が1941(S16)年8月10日から、豊浜線財田大野〜豊浜及び善通寺線一ノ谷〜善通
寺が1944(S19)年4月20日から、それぞれ旅客運行が休止された。
・戦後は、1950(S25)年5月10日に川池本線観音寺〜観音寺港(1971(S46)年8月
22日廃止)、1954(S29)年11月1日に六ノ坪〜本山(1962(S37)年11月15日廃止)、
1956(S31)年4月25日に仁尾線仁尾〜生里、同年11月19日に善通寺線一の谷〜六
ノ坪が開業した(1974(S49)年11月10日廃止)。
・1958(S33)年7月15日に荘内線生里〜箱、1960(S35)年1月16日に三豊線(観音寺
〜川之江)が開業した。
・1963(S38)年2月22日、琴平参宮電鉄、高松琴平電鉄両社と運輸協定が成立し、
国鉄バスの高松乗入れが実現した(西讃本線琴平〜善通寺大通、高松線善通寺大
通〜讃岐新宮〜高松が開業)。
・1964(S39)年4月12日、五郷線黒淵〜阿波佐野が開業し、観音寺〜阿波池田の直通
運転が開始された(1971(S46)年8月22日廃止)。
・北四国急行線開業(1970(S45)年3月18日)に伴う民間バスへの見返りとして、
西讃線善通寺〜詫間に琴平参宮電鉄5往復の乗入れがなされた。
・1982(S57)年1月29日に高松線のうち讃岐新宮〜高松が廃止された。同年2月末
限りで西讃本線のうち琴平〜善通寺大通、三豊線(観音寺〜川之江)、善通寺線の
六ツ松〜鳥坂、高松線(善通寺〜讃岐新宮)の各区間の廃止が公示された。
・1983(S58)年3月25日、仁尾線の仁尾〜蔦島渡船場の廃止公示がなされた。
・1985(S60)年3月末限りで豊浜線(山本町〜豊浜)の廃止が公示された。
・1985(S60)年当時、線内の仁尾に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠
点として、観音寺自動車営業所(観音寺)が置かれていた。
2.2 旅から30年
・1986(S61)年12月28日、荘内線(仁尾〜箱)の廃止が公示された。
・国鉄最末期の1987(S62)年2月に西讃本線の鞘橋〜琴平及び仁尾線の松崎〜詫間
が国鉄自動車路線名称に位置付けられた。
・同じく1987(S62)年3月29日付けで仁尾線の琴弾公園口〜観音寺海水浴場の廃止
が公示された。
・国鉄民営化を経て、西讃線はJR四国に継承された。
・「四国旅客鉄道バス西讃線時刻表」(1990(H2)年3月10日改正)によると、西
讃線には次のような系統が設定されていた。
(西讃本線)
観音寺〜琴平 9往復(うち日曜祝日運休1往復)(所要41分)
(善通寺線)
観音寺〜善通寺 2往復(所要40分)
(仁尾線)
観音寺〜善通寺 下り9本・上り10本(所要1時間5分)
観音寺〜詫間 下り4本・上り3本(うち日曜祝日運休1往復)(所要34分)
観音寺〜仁尾 1往復(所要19分)
仁尾〜詫間 上り1本(所要14分)
・1991(H3)年8月末限りで善通寺線(一の谷〜善通寺大通)が廃止された。
・1996(H8)年12月末限りで西讃本線の観音寺〜琴平及び鞘橋〜琴平が廃止された。
・1998(H10)年3月末限りで最後まで残った仁尾線(観音寺〜善通寺及び松崎〜
詫間)が廃止され、西讃線は全廃された。なお、観音寺営業所は貸切(後に高
速も)担当営業所として存続した。
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、西讃線には接続駅(観音寺、
川之江、豊浜、善通寺、高松、詫間及び琴平)の他、仁尾に第一種委託駅(自
動車駅)が置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【702】川池線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇川池線
川池本線
1 川之江−阿波池田
2 七田−阿波佐野
三島線
1 上分−伊予三島
2 三島口−伊予三島
新宮線
1 伊予金田−新瀬川
金砂線
1 堀切トンネル口−日浦
※白地〜白地温泉前、本村〜下川は、路線名称に無い
※川池本線1は境谷橋経由、川池本線2は境目経由
1.2 路線略図
川之江
+◎ 天生津 金生農協
・−+−−−○−−○山田井支
| |所前
| 川之江 | 棒賀○−−○下川
・−○市民会 ○−・ 伊予 / 阿波
|館前 |河原田 半田 / 椿堂 佐野 佐馬地 白地
| |団地前 ○−+−−○−−○−−○−−○−−○−−○ 蓮見町
| 上分| / 七田\境谷橋/ |\ ○−◎
・−−−−○−−○伊予金田 \ / |/ |阿波池田
/ \ 境目○ 白地温泉前○ ・
/ \ | /
柏平田○ \ ・−○中西
| 堀切トン○
三島本町 | ネル口 \
○−−−○三島口 ・−○−−○堂成
| | 伊予 \
西町○−◎ | 新宮 ○程野
| 伊予| |
| 三島| ○新瀬川
・−−−○中央五丁目
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・川池線は、1934(S9)年3月31日に川之江〜阿波池田が開業したのがルーツで、
1936(S11)年12月1日に三島線上分〜伊予三島が開業した。
・この路線は、予讃本線と土讃本線との短絡路線としての使命を有していた他、
沿線地方の産業文化の発展助長を使命としていた。
・戦後は、1950(S25)年5月10日に新宮線伊予金田〜堂成が開業し、1951(S26)年
11月10日に新宮線中山口〜奥の院が開業した。また、1952(S27)年9月1日には
貨物路線の祖谷線(三縄〜久保及び祖谷若林〜祖谷小川)が開業した(1966(S41)
年6月6日廃止公示)。
・その後、1953(S28)年11月5日に新宮線伊予新宮〜天日(1960(S35)年2月25日
廃止)、1954(S29)年7月20日に新宮線奥の院〜佐々連、1955(S30)年6月1日
に川池本線川之江〜伊予三島が開業した。
・1959(S34)年7月5日に金砂線小川橋〜猿田橋、同年12月16日に新居浜線(伊予
三島〜新居浜)が開業し、1962(S37)年12月21日には新居浜線新居浜東城〜伊予
西条駅前及び三島線三島口〜平野山が開業した。
・1964(S39)年2月20日に川池本線川之江〜六地蔵〜上分が開業した。また、1967
(S42)年9月1日に新宮線堂成〜新瀬川が開業した。
・1970(S45)年1月16日に川池本線のうち、川之江〜馬場先〜上分、中西〜三縄駅
前が廃止された。1971(S46)年4月16日に金砂線の平野山〜富郷橋が廃止された。
・北四国急行線開業(1970(S45)年3月)に伴う民間バスへの見返りとして、川池
線伊予三島〜阿波池田に瀬戸内運輸3往復の乗入れがなされた。
・1972(S47)年12月20日に川池本線七田〜境谷橋〜阿波佐野が開業した。
・1978(S53)年12月19日に金砂線佐々連鉱業所前〜佐々連が廃止され、1980(S55)年
12月20日には同線小川橋〜佐々連鉱業所前、1981(S56)年5月末限りで同線日浦
〜小川橋がそれぞれ廃止公示がなされた。
・1985(S60)年3月末限りで三島線西町〜小川橋及び川之江〜西町の廃止が公示さ
れた。
・1985(S60)年当時、線内の阿波佐野に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行
の拠点として、川之江自動車営業所(国鉄営業所前)が置かれていた。
2.2 旅から30年
・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、川池本線の川之江〜
国鉄営業所前が位置づけされた。
・1986(S61)年12月28日付けで川池本線の七田〜阿波佐野及び金砂線(堀切トン
ネル口〜日浦)の廃止公示がなされた。
・国鉄最末期の1987(S62)年2月1日、川池本線の川之江〜天生津〜上分が開業
した。また、同月には川池本線の白地〜白地温泉前が「国鉄自動車路線名称」
に位置付けられた。
・同じく1987(S62)年3月29日付けで川池本線の川之江〜国鉄営業所前の廃止が
公示された。
・国鉄民営化を経て、川池線はJR四国に継承された。
・1987(S62)年4月8日、川池本線本村〜下川が開業した。
・1990(H2)年3月10日に川之江〜山田井〜上分が廃止され、1991(H3)年4月17日
には新宮線伊予新宮〜新瀬川が廃止された。同年6月末限りで参川口〜宮原が
廃止された。
・「四国旅客鉄道バス川池線時刻表」(1990(H2)年3月10日改正)によると、西
讃線には次のような系統が設定されていた。
(川池本線)
川之江〜阿波池田 9往復(所要1時間)
阿波佐野〜阿波池田 下り5本(うち日祝学休日運休1本、日学休日運行
1本、日祝運休1本)・上り4本(うち日祝運休1本)
川之江〜下川 下り4本(うち土曜運行1本、土曜運休1本)・上り3本
(うち土曜運行1本、土曜運休1本)
上分〜下川 上り1本(所要18分)
(三島線)
川之江〜伊予三島 下り5本(うち日祝運休1本)・上り6本(うち日祝
運休1本)(所要30分)
上分〜伊予三島 下り3本・上り2本
(新宮線)
川之江〜新瀬川 4往復(うち日祝冬休運休1往復、土曜運行1往復、土
曜運休1往復)(所要1時間10分)
川之江〜堂成 下り2本(所要1時間5分)
伊予三島〜堂成 上り2本(所要1時間7分)
・1994(H6)年12月3日、三島線の三島口〜西町〜伊予三島が廃止された。
・1999(H11)年3月末限りで、上分〜下川、上分〜伊予新宮、伊予三島〜上分の
各区間が廃止された。
・2001(H13)年3月末限りで、最後まで残った川之江〜阿波池田及び白地〜白地
温泉が廃止され、川池線は全廃された。
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、川池線には接続駅(川之江、
阿波池田及び伊予三島)の他、阿波佐野に第一種委託駅(自動車駅)が置かれ
ていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【703】松山高知急行線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇松山高知急行線
松山高知急行本線
1 松山−高知
2 河原町−道後温泉
3 久万−二瀬橋
八釜線
1 落出−古味
長者線
1 上仁淀−長者
池川線
1 土佐大崎−池川
1.2 路線略図
道後温泉○−・
|
大街道|
松山◎−−○ |
\|
河原町○−+
|
|
| 三坂峠 久万 二瀬橋
砥部○−−○−−○+−−+○−−○御三戸 池川
| | | ・−○
・−−・ | |
| 上仁淀 |
古味○−−−○−−−○−−○−−○−−・
落出 / 引地橋 土佐 |
○別府森 大崎 |
| ○越智
○長者 |
○川内ヶ谷
|
+
|\ 伊野 ◎高知
| \ 駅前 |
佐川◎−−+−○−−○−>土佐山田
播磨
屋橋
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・松山高知急行線は、1934(S9)年3月24日に予土北線の松山〜久万が開業し、1935
(S10)年7月21日に予土北線の久万〜落出、予土南線の落出〜佐川が開業したのが
ルーツである。その後、1951(S26)年4月10日に予土南線の佐川〜高知が開業した
他、支線も1950(S25)年10月16日に富士見町〜古畑及び土佐大崎〜池川、1951(S26)
年2月6日に落出〜古味、1952(S27)年1月27日に上仁淀〜長者が開業した。
・この路線は、高知、佐川と松山を結ぶ鉄道先行・代行路線としての使命を有して
いた他、沿線地方の産業文化の発展助長の使命を有していた。
・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(V)戦時期2−」(『東京経大
学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営
自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、予土線富士見町〜西佐川
1944(S19)年4月20日から旅客運行が休止された。
・1951(S26)年4月に高知乗入れが実現し、松山〜高知間の急行便の運行を開始し
た。1956(S31)年7月から松山〜高知間に夜間急行便1往復の運行を開始した。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1952(S27)年5月号(S26.11.1訂補)によると、予土
南北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる(「本表の他区間
運転あり」との注記あり)。
松山〜高知 急行便 次の2往復
(下り)
松山0830→1430高知
松山1200→1800高知
(上り)
高知0800→1400松山
高知1200→1800松山
松山〜佐川 下り3本・上り4本(所要5時間35分〜6時間25分)
松山〜落出 2往復(所要3時間5分)
松山〜西之谷 上り1本(所要3時間26分)
松山〜面河 1往復(所要3時間45〜55分)
松山〜久万 下り3本・上り1本(所要1時間50分)
池川〜佐川 下り1本(所要1時間38分)
長者〜佐川 下り2本・上り1本(所要2時間5〜8分)
落出〜佐川 下り1本・上り2本(所要2時間35〜45分)
落出〜古味 2往復(所要1時間)
土佐大崎〜池川 5往復(所要25分)
佐川〜古畑 5往復(所要37分)
・1953(S28)年2月10日に越知〜桐見川、池川〜用居が開業した。
・1955(S30)年6月1日に池川〜安居が開業した。同年10月20日に大街道〜道後(
→道後温泉)、御三戸〜面河が開業した。
・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年12月号(7/27改正)によると、予土南北
線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
松山〜高知 急行便 次の2往復
(下り)
松山0830→1502高知
松山2330→0625高知
(上り)
高知0800→1432松山
高知2300→0539松山
松山〜佐川 4往復(所要5時間27分〜7時間33分)
松山〜落出 下り3本・上り4本(うち1本休日運休)(所要3時間)
松山〜西之谷 1往復(所要3時間26分)
松山〜面河 1往復(所要3時間50分)
松山〜久万 下り3本・上り1本(所要1時間45分)
久万〜東明神 3往復(所要15分)
池川〜佐川 下り4本・上り3本(所要1時間38分)
用居〜佐川 1往復(所要2時間8分)
越知〜佐川 9往復(所要24分)
佐川〜桐見川 3往復(所要1時間10分)
落出〜古味 3往復(所要1時間)
佐川〜安居 上り2本(所要2時間)
土佐大崎〜安居 下り2本(所要50分)
土佐大崎〜池川 1往復(所要25分)
土佐大崎〜長者 3往復(所要1時間)
佐川〜古畑 3往復(所要37分)
佐川〜松の木 2往復(所要29分)
・1958(S33)年5月1日に大街道〜立花町、同年7月15日に富士見町〜川内ヶ谷〜
越知、池川線用居〜桧谷の各区間が開業した。
・「交通年鑑1959年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を
取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ
の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和32年度に次のように急行
便を設定したとある。
松山〜高知 113.0km 1往復
・「交通年鑑1960年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を
取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ
の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和33年度に次のように急行
便を設定したとある。
松山〜高知 132km 2往復
・1960(S35)年8月25日に長者〜織合橋が開業した。
・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に
も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方
都市間連絡に活躍していると述べられていた。
松山〜高知 132km 6往復
松山〜佐川 103km 1往復
・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年9月号(4/25改正)によると、予土南北
線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
松山〜高知 急行便 次の7往復
(下り)
松山0730→1318高知
松山0830→1423高知
松山1000→1553高知
松山1200→1746高知
松山1330→1921高知
松山1500→2051高知
松山2343→0537高知
(上り)
高知0700→1258松山
高知0830→1433松山
高知1000→1603松山
高知1200→1803松山
高知1400→2003松山
高知1500→2108松山
高知2300→0539松山
松山〜落出 下り7本・上り8本(所要2時間52分)
松山〜面河 1往復(所要3時間45分)
松山〜久万 下り3本・上り2本
越知〜佐川 約30〜60分
越知発0654〜2151・佐川発0635〜2131
佐川〜桐見川 3往復(所要1時間)
佐川〜織合橋 下り2本(所要1時間53分)
土佐大崎〜織合橋 下り1本・上り3本(所要1時間11分)
落出〜古味 3往復(所要1時間)
土佐大崎〜安居 3往復(所要50分)
土佐大崎〜檜谷 2往復(所要1時間20分)
土佐大崎〜池川 4往復(所要25分)
佐川〜古畑 4往復(所要30分)
・1961(S36)年8月、松山〜高知間に全国初のマイクロバス(ワンマンカー)によ
る特急便2往復を新設した。松山と高知を8時と14時30分の同時刻に発車し、
所要時間は4時間30分で、中間地点の落出で10分の休憩時間があった。停車駅
は、下りが乗車駅を松山、道後温泉とし下車駅を五丁目、播磨屋橋、高知とした。
上りは乗車駅が高知、下車駅は立花町、大街道、道後温泉、松山であった。
・JR四国(1989)「四鉄史」によると、開業後1年間では、利用客のうち30%が
地元民、県外から40%、四国島外から30%で、島外からの旅客は東京・大阪方面
からの周遊券利用が大半を占めた。旅行目的は、公商用旅客が70%、観光旅客は
10%程度。特に日帰り旅行に利用している人が半数近くいることが注目されると
述べられている。
・「交通年鑑1962年版」には、昭和36年12月1日現在運行中の長距離路線(100km
以上)として、次の運行系統が載っていた。
松山〜高知 131km
・また、同書には、ワンマンカーの採用について次のように述べられていた。
◇予土南北線松山〜高知間には現在7往復の急行便を運行しているが、周遊・観
光客の著しい増加に対応して、昭和36年8月8日からマイクロ特急バス(ワン
マンカー)を2往復運転して、直通旅客の利便を図ることとした。
◇これは、いすゞBL171型ライト車で乗客定員20名を12名乗りに改造して快適度
を高め、松山〜高知間を4時間30分と従来の急行便より1時間30分も短縮した。
◇また、鉄道に比較しても同じく1時間30分早く、運賃は鉄道1,000円に比べ、
635円と安く、非常に好評を博している。
・「交通年鑑1963年版」には、マイクロバスによる座席定員制急行便を設定し、
長距離直通客の利便とともに経営の合理化を図る計画で、予土南北線松山〜
高知間、広浜線広島〜浜田間、雲芸線出雲〜三次間の3路線で実施し、京鶴
・若江線京都〜小浜間、熊野線紀伊田辺〜川湯間の2路線を計画中であると
述べられていた。
・1963(S38)年7月10日に富士見町〜土佐中山〜越知が廃止された。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)によると、予土南
北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
松山〜高知 特急便 次の5往復 ※座席指定制、定員14名
(下り)
松山0800→1235高知 くろしお1
松山0900→1335高知 くろしお2
松山0930→1405高知 くろしお3
松山1400→1835高知 くろしお4
松山1530→2005高知 くろしお5
(上り)
高知0800→1245松山 いでゆ1
高知0900→1345松山 いでゆ2
高知1330→1815松山 いでゆ3
高知1430→1915松山 いでゆ4
高知1530→2015松山 いでゆ5
松山〜高知 直通便 次の7往復 ※乗車前日から乗車順位券配布(無料)
(下り)
松山0700→1239高知
松山0830→1414高知
松山1000→1544高知
松山1200→1737高知
松山1340→1920高知
松山1500→2042高知
松山2330→0515高知
(上り)
高知0700→1254松山
高知0830→1424松山
高知1000→1554松山
高知1200→1754松山
高知1340→1934松山
高知1500→2059松山
高知2300→0457松山
松山〜落出 7往復(所要2時間52分)
松山〜面河 2往復(うち1往復は11/26〜3/19及び6・9月運休)(所要
3時間6分)
松山〜御三戸 下り1本・上り2本(所要1時間56分)
松山〜久万 下り2本・上り1本(所要1時間17分)
越知〜佐川 約30〜60分
越知発0654〜2151・佐川発0635〜2131
佐川〜桐見川 3往復(所要1時間)
佐川〜織合橋 1往復(所要2時間11分)
土佐大崎〜織合橋 1往復(所要1時間16分)
落出〜古味 4往復(所要55分)
土佐大崎・池川〜安居 3往復(所要50分)
土佐大崎〜檜谷 1往復(所要1時間10分)
土佐大崎〜池川 下り3本・上り4本(所要23分)
佐川〜古畑 3往復(所要33分)
・交通協力会「交通年鑑」1966(S41)年版には、予土南北線は当初小型バスで運行
していたが、1955(S30)年に大型バスを投入し6時間半程度で結んだが1963(S38)
年には増回した、またマイクロバスによる特急便を設定し4時間半程度で走るよ
うになった、1965(S40)年7月に道路の拡張もありマイクロバス(定員14人)を
大型冷暖房車(定員40人)に置き換える等によって特急便の輸送量は飛躍的に増
大しているとある。
(特急便の運輸成績)
走行キロ 輸送人員 輸送人キロ 収入
1964(S39)年度 460千km 41千人 5,366千人km 27,659千円
1965(S40)年上半期 221千km 32千人 3,959千人km 29,851千円
・1965(S40)年8月25日に池川線安居〜樫山が開業した。
・国鉄四国支社監修「時刻表」1965(S40)年11月1日現在によると、予土南北線には
次のような系統が設定されていた。
松山〜高知 特急便 次の5往復 ※座席指定制、定員40名
(下り)
松山0800→1255高知 1便
松山0900→1355高知 3便
松山1200→1655高知 5便
松山1300→1755高知 7便
松山1430→1925高知 9便
(上り)
高知0800→1307松山 2便
高知0900→1407松山 4便
高知1100→1607松山 6便
高知1300→1807松山 8便
高知1430→1937松山 10便
松山〜高知 急行便 次の7往復
(下り)
松山0700→1220高知 11便
松山0830→1350高知 13便
松山1000→1515高知 15便
松山1100→1615高知 17便
松山1330→1845高知 19便
松山1500→2015高知 21便
松山2330→0458高知 23便
(上り)
高知0700→1233松山 12便
高知0830→1403松山 14便
高知1000→1533松山 16便
高知1200→1733松山 18便
高知1330→1903松山 20便
高知1500→2038松山 22便
高知2310→0456松山 24便
松山〜佐川 1往復(所要4時間47分)
松山〜伊予旭 1往復(所要3時間2分)
久万〜伊予旭 下り1本(所要1時間12分)
松山〜落出 下り6本・上り7本(所要2時間37分)
松山〜面河 2往復(うち1往復は3/20〜5/31,7/1〜8/31及び10/1〜11/25の間
運転)(所要3時間6分)
松山〜御三戸 上り1本(所要2時間11分)
松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間35分)
松山〜大平 1往復(所要48分)
松山〜供養堂 1往復(学休日運休)(所要32分)
落出〜佐川 1往復(所要2時間17分)
土佐大崎〜佐川 下り4本・上り3本(所要51分)
越知〜佐川 14往復(うち学休日運休3往復)(所要16分)
久万〜東明神 2往復(所要15分)
落出〜古味 4往復(所要55分)
佐川〜織合橋 2往復(所要2時間)
佐川〜長者 1往復(所要1時間38分〜50分)
土佐大崎〜樫山 1往復(所要1時間8分)
池川〜樫山 上り1本(所要45分)
土佐大崎〜安居 下り1本(所要48分)
佐川〜大西 下り2本(池川〜大西間学休日運休)・上り1本(同左)
佐川〜檜谷 1往復(所要2時間9分)
池川〜檜谷 1往復(所要48分)
佐川〜池川 下り2本・上り3本(所要1時間18分)
佐川〜桐見川 3往復(所要58分)
佐川〜古畑 3往復(所要33分)
佐川〜松の木 2往復(所要27分)
・交通協力会「交通年鑑」1967(S42)年版によると、予土南北線は直通便12往復の
他ローカル便があるが、1966(S41)年7月から特急便5往復・急行便3往復・快
速便4往復を運行しており、1967(S42)年12月から快速便2往復を急行便に置き
換える計画であると述べている。1965(S40)年度の特急便の輸送成績は次の通り
であった。
(S40年度予土南北線特急便輸送成績)
走行キロ 輸送人員 収入
マイクロバス運行 137千km 12千人 8,248千円 4/1〜7/14
大型冷房車投入後 298千km 66千人 45,593千円 7/15〜3/31
直通の特急便だけをみるとS40年度収入の4,560万円に対し、経費は2,600万円で
営業係数57となっているとある。
・国鉄四国支社監修「時刻表」1966(S41)年10月1日現在によると、予土南北線には
次のような系統が設定されていた。
松山〜高知 特急・急行便 次の8往復 ※座席指定制、定員40名
(下り)
松山0700→1115高知 特急1便
松山0800→1223高知 急行3便
松山0900→1323高知 急行5便
松山1100→1515高知 特急9便
松山1200→1620高知 特急11便
松山1400→1815高知 特急15便
松山1500→1915高知 特急17便
松山1730→2148高知 急行19便
(上り)
高知0700→1130松山 急行2便
高知0800→1227松山 特急4便
高知0900→1327松山 特急6便
高知1100→1527松山 特急10便
高知1300→1735松山 急行14便
高知1400→1827松山 特急16便
高知1500→1927松山 特急18便
高知1730→2200松山 急行20便
松山〜佐川・高知 快速便 次の5往復
(下り)
松山0830→1323高知 31便
松山0930→1418高知 33便
松山1230→1718高知 35便
松山1330→1818高知 37便
松山1600→1959佐川 39便
(上り)
高知0830→1330松山 32便
佐川1024→1418松山 34便
高知1220→1720松山 36便
高知1430→1930松山 38便
高知1600→2100松山 40便
松山〜伊予旭 1往復(所要3時間5分)
久万〜伊予旭 下り1本(所要1時間5分)
松山〜落出 下り6本・上り7本(うち1往復は急行便)(所要2時間37分)
松山〜面河 2往復(うち1往復は閑散期に運休の場合あり)(所要3時間12分)
松山〜御三戸 上り1本(所要2時間51分)
松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間31分)
落出〜佐川 2往復(所要2時間17分)
土佐大崎〜佐川 下り3本・上り6本(所要51分)
越知〜佐川 13往復(うち土曜運転1往復)(所要16分)
久万〜東明神 2往復(所要15分)
落出〜古味 4往復(所要55分)
佐川〜織合橋 2往復(所要2時間)
佐川〜長者 1往復(所要1時間31分〜34分)
佐川〜樫山 下り1本(所要2時間3分)
土佐大崎〜樫山 上り1本(所要1時間8分)
池川〜樫山 上り1本(所要45分)
佐川〜安居 下り1本(所要1時間34分)
池田役場前〜安居 上り1本(所要27分)
佐川〜大西 下り1本(所要1時間31分)
池田役場前〜大西 1往復(所要16分)
池川〜檜谷 1往復(所要48分)
池田役場前〜檜谷 1往復(所要48分)
佐川〜池川 下り4本・上り5本(所要1時間6分)
佐川〜桐見川 3往復(所要58分)
佐川〜古畑 2往復(所要33分)
佐川〜松の木 2往復(所要27分)
・「東西南北−松山自動車営業所」(「国鉄線」1967(S42)年5月号所収)には、
掲載当時四国最大の営業拠点として総勢160名を擁していること、近年運輸収入
が著しく向上し全国でも数少ない黒字営業所で年間走行キロは232万km、収入は
2億8千万円であること、経営合理化の一環として松山〜高松間のワンマン運行
を行っているが、国道33号線の道路整備の完成を待って予土南北線(→松山高知
急行線)のワンマン化も実現させること、予土南北線の運転時分は現在3時間35
分であるが中間地のバイパス完成の暁にはさらに短縮することが述べられている。
・当初、落出を境に松山側を「予土北線」、佐川・高知側を「予土南線」と称して
いたが、1967(S42)年8月に松山〜高知を通して「松山高知急行線」と改称され
た。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、松山高知
急行北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
松山〜高知 特急便 次の12往復 ※座席指定制、定員40名
(下り)
松山0700→1040高知 第1くろしお
松山0800→1140高知 第3くろしお
松山0900→1240高知 第5くろしお
松山1000→1335高知 第7くろしお
松山1100→1435高知 第9くろしお
松山1200→1535高知 第11くろしお
松山1300→1635高知 第13くろしお
松山1400→1735高知 第15くろしお
松山1500→1835高知 第17くろしお
松山1600→1935高知 第19くろしお
松山1700→2035高知 第21くろしお
松山1800→2135高知 第23くろしお
(上り)
高知0700→1047松山 第2いでゆ
高知0800→1147松山 第4いでゆ
高知0900→1247松山 第6いでゆ
高知1000→1347松山 第8いでゆ
高知1100→1447松山 第10いでゆ
高知1200→1547松山 第12いでゆ
高知1300→1647松山 第14いでゆ
高知1400→1747松山 第16いでゆ
高知1500→1847松山 第18いでゆ
高知1600→1947松山 第20いでゆ
高知1700→2047松山 第22いでゆ
高知1800→2147松山 第24いでゆ
松山〜佐川 5往復(所要3時間20分〜37分)
松山〜落出 6往復(所要2時間16分)
松山〜面河 2往復(所要2時間55分)
松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間29分)
佐川〜桐見川 3往復(所要1時間)
佐川〜織合橋 2往復(所要2時間13分)
佐川〜土佐大崎 1往復(所要43分)
落出〜古味 4往復(所要55分)
土佐大崎〜安居 下り1本(所要50分)
土佐大崎〜樫山 下り2本・上り1本(所要1時間8分)
土佐大崎〜檜谷 1往復(所要1時間15分〜20分)
土佐大崎〜池川 3往復(所要23分)
土佐大崎〜大西 1往復(所要47分)
佐川〜古畑 2往復(所要33分)
・交通協力会「交通年鑑」1968(S43)年版によると、S42年8月に予土南北線を松山
高知急行線と改称した、松山〜高知間の需要の伸びが著しく、S41年12月に2往復、
S42年4月に更に2往復増便し現在12往復を運行している、道路整備の進展により
運転時分を45分短縮し3時間50分で運行しているとある。
(松山高知急行線輸送成績)
輸送人員 輸送人キロ 走行キロ 平均乗車キロ 収入
S40年度 78千人 9,164千人km 298千km 117km 45,593千円
S41年度 180千人 19,451千人km 748千km 108km 125,488千円
S42年度 302千人 33,324千人km 1,178千km 111km 210,082千円
※S40.7.15にマイクロバスから大型冷房バスへ置換え5往復。
S41年7月3往復、同年12月2往復増強。S42年4月2往復増強。
・1967(S42)年10月10日に二箆線古床〜二箆が開業した。
・交通協力会「交通年鑑」1969(S44)年版によると、年々増加する松山〜高知間の輸
送需要に対応して、特急便のみについてみると、S40年度に比較してS41年度には
7月と12月に合わせて5往復を増強し、さらにS42年度には松山〜高知間に特急便
3往復と松山〜佐川間に特急便2往復の増強を行ったと述べられている。現在、
特急便は松山〜高知間13往復と松山〜佐川間2往復を運行しており、道路整備の
進捗ににより運転時分を3時間35分に短縮したとある。特に松山〜佐川間特急便
は1968(S43)年10月1日から佐川〜高知間の列車との結合輸送を実施している。
(松山高知急行線輸送成績(特急便))
輸送人員 直通人員 直通率 走行キロ 平均乗車キロ 収入
S41年度 180千人 134千人 75% 748千km 108km 125,488千円
S42年度 320千人 239千人 75% 1,227千km 111km 225,889千円
S43年度 411千人 −− −− 1,589千km 110km 292,304千円
(見込)
※S41.7.10特急便3往復増強、S41.12.10特急便2往復増強し10往復となる。
S42.4.1特急便2往復増強、S43.3.15に特急便1往復、松山〜佐川間特急便
2往復増強。S43年度は松山〜高知間特急便13往復、松山〜佐川間特急便2
往復設定。
・「国鉄バス松山・高知急行線の電算発売について」(「国鉄線」1969(S44)年3
月号所収)によると、松山〜高知間国鉄バスの急行券(座席指定制)の販売方
式近代化のため、これを電算(マルス)収容することになった。1両当たりの
定員48名中、電算発売の対象となるのは40席で、残り8席については自由席扱い
としている。上下計30本の1,680席を収容するが、時間帯の良い便については、
続行便方式を取り入れている。4/15に松山及び高知(一部佐川)を始発駅発と
なる便から電算発売を開始する。従来の下り便名(愛称名)の「くろしお」は
紀勢線特急と同一名で旅客・係員双方にとって紛らわしいので、2月1日発と
なるものから「なんごく○号」に改正された。(JR四国(1989)「四鉄史」に
よると、同年5月5日乗車となるものから電算機に収容されることとなったと
ある。)
・JR四国(1989)「四鉄史」によると、自動化した本数は松山〜高知間急行便13
往復(なんごく1号〜13号)、松山〜佐川間急行便2往復(なんごく21号〜22
号)で、なんごく23号は手作業により発売したとある。また、季節波動輸送体
制は次の通りであった。
1両運行:なんごく1〜13号、21〜22号は通年運行
2両運行:なんごく3・4・8・9号の年間282日(4/1〜5/19,7/21〜8/31,
10/1〜11/30,12/26〜3/31)
3両運行:なんごく3・8号の年間24日(4/29〜5/6,8/10〜8/16,12/28〜
1/5)
自動化した座席数は、松山〜高知間急行便が1両運行40席・2両運行80席・3
両運行120席、松山〜佐川間急行便が32席(結合列車座席確保数も32席)。
・1970(S45)年1月16日に富士見町〜西佐川駅前が開業した。同年4月1日に池川
線若山橋〜土佐樫山が廃止され、桧谷〜土佐瓜生野が開業した。また、同年8月
20日に横倉口〜越知〜上川内ヶ谷が開業した。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、松山高
知急行線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
松山〜高知 急行便 次の13往復 ※座席指定制、定員40名
(下り)
松山0730→1055高知 なんごく1
松山0800→1130高知 なんごく2
松山0900→1225高知 なんごく3
松山1000→1325高知 なんごく4
松山1100→1425高知 なんごく5
松山1200→1525高知 なんごく6
松山1300→1630高知 なんごく7
松山1400→1725高知 なんごく8
松山1500→1825高知 なんごく9
松山1600→1925高知 なんごく10
松山1700→2025高知 なんごく11
松山1800→2130高知 なんごく12
松山1830→2155高知 なんごく13
(上り)
高知0730→1107松山 なんごく1
高知0800→1137松山 なんごく2
高知0900→1237松山 なんごく3
高知1000→1337松山 なんごく4
高知1100→1437松山 なんごく5
高知1200→1537松山 なんごく6
高知1300→1637松山 なんごく7
高知1400→1737松山 なんごく8
高知1500→1837松山 なんごく9
高知1600→1937松山 なんごく10
高知1700→2037松山 なんごく11
高知1800→2137松山 なんごく12
高知1830→2207松山 なんごく13
松山〜佐川 急行便 次の2往復 ※佐川〜高知間国鉄列車利用の旅客は座席
が確保されている。
(下り)
松山0830→1109佐川(1118→1203高知)なんごく21
松山0950→1229佐川(1245→1321高知)なんごく22
(上り)
(高知1056→1137)佐川1141→1432松山 なんごく21
(高知1335→1415)佐川1421→1712松山 なんごく22
松山〜佐川 3往復(所要3時間20分〜37分)
松山〜落出 下り6本・上り7本(所要2時間16分)
松山〜面河 2往復(所要2時間34分)
松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間29分)
落出〜佐川 1往復(所要1時間23分)
・1971(S46)年4月16日に面河線面河〜石鎚土小屋が開業した。同年12月19日に横倉口
〜上川内ヶ谷(旧道)が廃止された。
・座談会「レールのよきパートナーとして−自動車営業所長大いに語る−」(
「国鉄線」1973(S48)年8月号所収)には松山自営所長が出席しており、次の
ような内容の発言があった。
◇松山高知急行線は昨年(1972年)は急行便で約46万5千人を輸送し、その
75%が直通客で1人平均乗車キロも107kmと長く、乗車効率も63%、キロ当た
り収入も233円と高く、年間収入は3億9,500万円。経費は管理費込みで3億
4,700万円で営業係数88という収益路線である。
◇過疎地で何とか営業増進をということで、落出から奥に入った所に五段高
原という標高1,100〜1,400mが延長25km続くスケールの大きな高原で有名な
所があり、そこへ7月25日から8月一杯季節臨時便を運行する計画を立てて
いる。また面河渓へ納涼バスという企画商品の設定も考えている。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年2月号(12/21現在)によると、松山高
知急行線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
松山〜高知 急行便 次の13往復 ※座席指定制 ※国道佐川経由
(下り)
松山0730→1054高知 なんごく1
松山0800→1133高知 なんごく2 佐川駅経由
松山0900→1224高知 なんごく3
松山1000→1324高知 なんごく4
松山1100→1424高知 なんごく5
松山1200→1524高知 なんごく6
松山1300→1633高知 なんごく7 佐川駅経由
松山1330→1654高知 なんごく8
松山1400→1724高知 なんごく9
松山1500→1824高知 なんごく10
松山1600→1924高知 なんごく11
松山1700→2024高知 なんごく12
松山1800→2133高知 なんごく13 佐川駅経由
(上り)
高知0730→1106松山 なんごく1
高知0800→1136松山 なんごく2
高知0900→1240松山 なんごく3 佐川駅経由
高知1000→1336松山 なんごく4
高知1100→1440松山 なんごく5 佐川駅経由
高知1200→1536松山 なんごく6
高知1300→1645松山 なんごく7
高知1330→1706松山 なんごく8
高知1400→1736松山 なんごく9
高知1500→1840松山 なんごく10
高知1600→1936松山 なんごく11
高知1700→2036松山 なんごく12
高知1800→2140松山 なんごく13 佐川駅経由
松山〜佐川 下り3本・上り2本(所要3時間35分〜59分)
松山〜落出 下り6本・上り8本(所要1時間57分〜2時間8分)
松山〜石鎚土小屋 1往復(面河〜石鎚土小屋は3/31まで運休)(所要
3時間25分)
松山〜面河 1往復(所要2時間34分)
松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間17分〜24分)
落出〜佐川 下り2本・上り3本(所要1時間32分)
・横江明「国鉄自動車(その6)−シリーズ 営業を考える−」(「国鉄線」
1976(S51)年8月号所収)には、観光路線の輸送手配について、次のように
述べられていた。
「旅客の集中する時期においては、その観光路線を担当する一地方局・部
の輸送能力では、輸送力的に対応できず、本社の輸送手配によって、輸
送力を整備充実させているのが現状である。」
「現在、本社手配によって輸送力を集中させている箇所としては、国鉄自
動車最大の観光路線である十和田南・北線、白樺高原線がある。また、
地方局・部独自に輸送力の集中手配を行っている路線としては、北海道
のえりも観光の日勝線、東北のリアス海岸観光の陸中海岸線、関東の草
津温泉を中心とした志賀草津高原線、もみじラインの塩原線、南房観光
の南房州線、能登観光の奥能登線、小浜観光の若江線、高雄のもみじラ
イン観光の京鶴線、奥熊野観光の熊野線、松山高知観光の松山高知急行
線、陰陽連絡の防長線、秋芳洞観光の秋吉線、桜島観光の桜島線等があ
げられる。」
「このような路線についての手配を車両でいうと、新製車両を重点的にこ
うした観光路線に配属し、ピーク輸送終了後、各営業所に再配属すると
いう輸送手配である。」
・「われら第一線−松山自動車営業所−」(「国鉄線」1977(S52)年8月号所収)
によると、松山高知急行線をはじめとする松山自営管内の路線について、次の
ように述べられている。
◇松山自営は営業キロ283.3km、配置車両43両、職員数145名で1日平均6,010km
を走り、約3,000人のお客さんを運ぶ。松山高知急行線と松山〜高松間の北
四国急行線が主な路線で、他に松山から面河を経て石鎚山方面に快速便が運
転されている。1975(S50)年度には営業所全体で5億8,400万円の収入をあげた。
◇松山高知急行線は、1日13往復の「なんごく号」が松山と高知を結び、1975
(S50)年度実績で輸送人員約28万人、収入約3億8,000万円、収支係数91.9と
黒字経営で、松山自営のドル箱路線となっている。
◇松山と高知のほぼ中間地点に標高1,450mの四国カルストがあって、夏・秋に
は雄大な展望が楽しめる。国鉄バスも松山から四国カルストまで所要時間4
時間の「ヤングメイト号」をシーズン中に運転している。今年は7月24日か
ら8月28日までの毎日と9月4日から11月3日までの休日に運転する。
◇松山から2時間半ほど行った美川スキー場へは、12月27日から3月28日まで
の日曜・祝日に1日1往復スキーバスを運転する。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(10/2改正)によると、松山高
知急行線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
松山〜高知 急行便 次の13往復 ※座席定員制 ※国道佐川経由
(下り)
松山0730→1110高知 なんごく1
松山0800→1149高知 なんごく3 佐川駅経由
松山0900→1240高知 なんごく5
松山1000→1340高知 なんごく7
松山1100→1440高知 なんごく9
松山1200→1540高知 なんごく11
松山1300→1649高知 なんごく13 佐川駅経由
松山1330→1710高知 なんごく15
松山1400→1749高知 なんごく17 佐川駅経由
松山1500→1840高知 なんごく19
松山1600→1940高知 なんごく21
松山1700→2040高知 なんごく23
松山1800→2140高知 なんごく25
(上り)
高知0730→1122松山 なんごく2
高知0800→1157松山 なんごく4 佐川駅経由
高知0900→1252松山 なんごく6
高知1000→1356松山 なんごく8 佐川駅経由
高知1100→1452松山 なんごく10
高知1200→1556松山 なんごく12 佐川駅経由
高知1300→1657松山 なんごく14 佐川駅経由
高知1330→1722松山 なんごく16
高知1400→1752松山 なんごく18
高知1500→1852松山 なんごく20
高知1600→1956松山 なんごく22 佐川駅経由
高知1700→2056松山 なんごく24 佐川駅経由
高知1800→2156松山 なんごく26 佐川駅経由
松山〜落出 8往復(所要1時間56分〜2時間8分)
松山〜石鎚土小屋 1往復(所要3時間35分)
松山〜面河 1往復(所要2時間43〜46分分)
松山〜久万 下り5本・上り4本(所要1時間17分〜24分)
落出〜佐川 5往復(所要1時間35分)
土佐大崎〜織合橋 3往復(所要56分)
落出〜古味 3往復(所要50分)
・座談会「経営改善の第一線から−自動車営業所長大いに語る−」(「国鉄線」
1978(S53)年12月号所収)には松山自営所長が出席しており、次のような内容の
発言があった。
S36年に松山〜高知をマイクロバスで結ぶ特急便を始めて、それが現在大型
の冷暖房車による13往復の急行便となっている。松山高知急行線は鉄道短絡
路線であるが性格としては観光路線で、年間を通していろいろな波動輸送に
対応している。
四国の中で松山自営の占めるウエイトは、収入その他大体34〜35%を受け
持っており、松山の収入が四国の国鉄自動車の収入を支えている。
問題だった高松〜松山の国道11号線を通っている北四国急行線は、S40年3
月に6往復で開業したが、次第に利用客が減ってきたため今年の4月に運行
休止となった。
今後の課題は松山高知急行線のワンマン化があり、これを早急に実施して
黒字の営業所にしていきたい。
今年初めての試みで閑散期の定期便の増収策として防予汽船とタイアップ
して、高知地区からうちの本便で運んで、それから広島付近の観光地で1泊
して帰って、またうちの定期便で高知まで帰るということをやったら、現在
まで約250万円の収入を上げている。これを機会に地自部でも水中翼船の利用
客がどの程度うちの急行便を利用しているのか、実態を調べている。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1980(S55)年10月号(8/12現在)によると、松山高
知急行線には次のような系統が設定されていたのを確認できる(10/1時刻改正
予定との注記あり)。
松山〜高知 急行便 次の13往復 ※座席定員制 ※国道佐川経由
(下り)
松山0730→1123高知 なんごく1 佐川駅経由
松山0800→1153高知 なんごく3 佐川駅経由
松山0900→1253高知 なんごく5 佐川駅経由
松山1000→1340高知 なんごく7
松山1100→1453高知 なんごく9 佐川駅経由
松山1200→1540高知 なんごく11
松山1300→1640高知 なんごく13
松山1330→1710高知 なんごく15
松山1400→1740高知 なんごく17
松山1500→1840高知 なんごく19
松山1600→1940高知 なんごく21
松山1700→2040高知 なんごく23
松山1800→2140高知 なんごく25
(上り)
高知0730→1122松山 なんごく2
高知0800→1157松山 なんごく4
高知0900→1252松山 なんごく6
高知1000→1356松山 なんごく8 佐川駅経由
高知1100→1452松山 なんごく10
高知1200→1556松山 なんごく12 佐川駅経由
高知1300→1657松山 なんごく14
高知1330→1722松山 なんごく16 佐川駅経由
高知1400→1752松山 なんごく18 佐川駅経由
高知1500→1852松山 なんごく20
高知1600→1956松山 なんごく22 佐川駅経由
高知1700→2056松山 なんごく24 佐川駅経由
高知1800→2156松山 なんごく26 佐川駅経由
松山〜佐川 下り1本(所要3時間11分)
松山〜落出 下り7本・上り8本(所要1時間53分〜2時間5分)
松山〜石鎚土小屋 1往復(所要3時間23分)
松山〜面河 1往復(所要2時間33分〜36分)
松山〜久万 下り7本・上り6本(所要1時間16分)
落出〜佐川 下り4本・上り5本(所要1時間28分〜35分)
名野川〜佐川 下り2本(所要57分〜1時間19分)
土佐大崎〜織合橋 4往復(所要50分)
落出〜古味 3往復(所要45分)
・1981(S56)年4月16日、面河線のうち面河〜石鎚土小屋の廃止が公示された。
・1983(S58)年3月25日、古畑線(富士見町〜古畑)の廃止が公示された。
・「国鉄バス松山高知急行線時刻表」1984(S59)年2月改正によると、松山高知
急行線には次のような系統が設定されていた。
(松山高知急行本線)
松山〜高知 急行便 次の13往復 ※便指定制(座席定員制)
(下り)
松山0730→1118高知 なんごく1
松山0800→1148高知 なんごく3
松山0900→1243高知 なんごく5 ※2両運行
松山1000→1343高知 なんごく7
松山1100→1448高知 なんごく9
松山1200→1543高知 なんごく11
松山1300→1643高知 なんごく13
松山1330→1713高知 なんごく15
松山1400→1743高知 なんごく17
松山1500→1843高知 なんごく19
松山1600→1943高知 なんごく21
松山1700→2043高知 なんごく23
松山1800→2143高知 なんごく25
(上り)
高知0730→1125松山 なんごく2
高知0800→1157松山 なんごく4
高知0900→1255松山 なんごく6
高知1000→1355松山 なんごく8
高知1100→1455松山 なんごく10
高知1200→1555松山 なんごく12
高知1300→1655松山 なんごく14
高知1330→1725松山 なんごく16
高知1400→1755松山 なんごく18 ※2両運行
高知1500→1855松山 なんごく20
高知1600→1955松山 なんごく22
高知1700→2055松山 なんごく24
高知1800→2155松山 なんごく26
松山〜伊予旭 上り1本(所要1時間15分)
久万〜伊予旭 下り1本(所要49分)
松山〜落出 下り9本・上り8本(所要1時間53分〜2時間5分)
松山〜久万 下り4本・上り5本(所要1時間16分)
久万〜馬門 1往復(学休日運休)(所要26分)
落出〜佐川 5往復(所要1時間25分)
土佐大崎〜佐川 下り2本・上り3本(所要41分)
越知〜佐川 11往復(うち日祝学休日運休3往復)(所要16分)
(面河線)
松山〜面河 下り2本・上り1本(所要2時間36分〜41分)
久万〜面河 上り1本(所要1時間14分)
(二箆線)
落出〜二箆 2往復(所要37分)
(八釜線)
落出〜古味 3往復(所要46分)
落出〜永野 2往復(学休日運休)(所要11分)
(長者線)
織合橋〜佐川 下り4本・上り3本(所要1時間23分〜50分)
川渡〜佐川 下り1本・上り2本(所要1時間)
織合橋〜土佐大崎 上り1本(所要43分)
川渡〜土佐大崎 下り1本(所要20分)
(桐見川線)
桐見川〜佐川 3往復(所要51分)
(池川線)
若山橋〜佐川 1往復(所要1時間46分)
瓜生野〜佐川 下り2本・上り1本(所要1時間44分)
池川〜佐川 下り4本・上り5本(所要55分)
池川〜土佐大崎 下り1本(所要15分)
家古家〜土佐大崎 上り1本(所要16分)
若山橋〜家古家 上り1本(所要31分)
若山橋〜池田役場前 下り1本(所要34分)
瓜生野〜池田役場前 上り1本(所要43分)
・1984(S59)年8月1日、面河線(御三戸〜面河)、二箆線(古床〜二箆)、長
者線のうち長者〜織合橋、池川線のうち三叉〜土佐瓜生野及び池川〜若山橋、
桐見川線(越知〜桐見川)の廃止が公示された。
・交通協力会「交通年鑑」1987(S62)年版によると、松山高知急行線のスピードア
ップを図るため、1985(S60)年3月から松山〜高知間を3時間12分で結ぶ特急便
を2往復新設し、輸送実績も好調であるため、1986(S61)年11月1日ダイヤ改正
時には特急便を5往復とする輸送改善を行ったと述べられている。
・1985(S60)年当時、(自)松山、久万、落出、土佐大崎、越知及び(自)高知に
自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として、松山自動車営業所(
松山市内)及び佐川自動車営業所(佐川)が置かれていた。
・四国総局自動車管理室「国鉄バス四国時刻表」1985(S60)年4月1日現在による
と、松山高知急行線には次のような系統が設定されていた。
(松山高知急行本線)
松山〜高知 特急便 次の2往復 ※便指定制(座席定員制)
(途中停車駅は大街道(上り便のみ)、久万、引地橋)
(下り)
松山0900→1230高知 特急なんごく5
松山1400→1730高知 特急なんごく17
(上り)
高知0900→1230松山 特急なんごく6
高知1400→1730松山 特急なんごく18
松山〜高知 急行便 次の13往復 ※便指定制(座席定員制)
(下り)
松山0730→1118高知 なんごく1
松山0800→1148高知 なんごく3
松山0900→1243高知 なんごく5
松山1000→1343高知 なんごく7
松山1100→1448高知 なんごく9
松山1200→1543高知 なんごく11
松山1300→1643高知 なんごく13
松山1330→1713高知 なんごく15
松山1400→1743高知 なんごく17
松山1500→1843高知 なんごく19
松山1600→1943高知 なんごく21
松山1700→2043高知 なんごく23
松山1800→2143高知 なんごく25
(上り)
高知0730→1125松山 なんごく2
高知0800→1157松山 なんごく4
高知0900→1255松山 なんごく6
高知1000→1355松山 なんごく8
高知1100→1455松山 なんごく10
高知1200→1555松山 なんごく12
高知1300→1655松山 なんごく14
高知1330→1725松山 なんごく16
高知1400→1755松山 なんごく18
高知1500→1855松山 なんごく20
高知1600→1955松山 なんごく22
高知1700→2055松山 なんごく24
高知1800→2155松山 なんごく26
松山〜伊予旭 上り1本(所要1時間17分)
久万〜伊予旭 下り1本(所要47分)
松山〜落出 下り9本・上り8本(所要1時間58分〜2時間7分)
久万〜落出 上り1本(所要37分)
松山〜久万 下り4本・上り3本(所要1時間16分)
松山〜馬門 上り1本(馬門〜久万は日祝学休日運休)(所要1時間49分)
久万〜馬門 下り2本・上り1本(日祝学休日運休)(所要28分)
落出〜佐川 5往復(所要1時間25分)
土佐大崎〜佐川 下り5本・上り3本(所要39分)
越知〜佐川 11往復(うち日祝学休日運休3往復)(所要16分)
(八釜線)
落出〜古味 3往復(所要46分)
落出〜永野 2往復(日祝学休日運休)(所要11分)
(長者線)
長者〜佐川 4往復(所要1時間8分〜30分)
川渡〜佐川 1往復(所要1時間2分)
川渡〜土佐大崎 1往復(所要20分)
(池川線)
池川〜佐川 下り7本・上り8本(所要51分〜1時間2分)
池川〜土佐大崎 下り2本・上り1本(所要15分)
2.2 旅から30年
・鈴木文彦「南国の空の下に『つばめ』舞う」(鉄道ジャーナル別冊No.16「人気
列車全国大追跡」(1986(S61)年3月)所収)には、当時の松山高知急行線の状
況が次のようには述べられている。
◇同線は年間約150万kmを走り、39万人を輸送。1日平均1,065人、1便平均41人
という好調ぶりで(S58年度)、年間収入は約10億円で四国の国鉄バス全体の
37%に当たるという超ドル箱路線で、四国島内(レールを含め)唯一の黒字
路線である。
◇2年ごとに行われる利用者アンケートによると、観光客が約38%、私用、ビジ
ネスがそれぞれ30%となっていて(S59年実施分)、ビジネス客は増加傾向に
ある。
・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で川内ヶ谷〜日下駅前が認
知された。1987(S62)年2月に南井門〜供養堂の開業が公示された。
・国鉄最末期の1987(S62)年3月28日に久万〜二瀬橋の廃止が公示された。
・国鉄民営化を経て、松山高知急行線はJR四国に継承された。
・「四国旅客鉄道バス松山高知急行線時刻表」1989(H1)年7月22日改正によると、
松山高知急行線には次のような系統が設定されていた。
(松山高知急行本線)
松山〜高知 特急便・急行便 次の15往復 ※便指定制(座席定員制)
(下り)
松山0700→1012高知 特急なんごく1
松山0800→1120高知 なんごく3
松山0900→1204高知 特急なんごく5 引地橋のみ停車
松山0900→1220高知 なんごく5
松山1000→1312高知 特急なんごく7
松山1100→1420高知 なんごく9
松山1200→1512高知 特急なんごく11
松山1300→1620高知 なんごく13
松山1400→1704高知 特急なんごく15 引地橋のみ停車
松山1400→1720高知 なんごく15
松山1500→1820高知 なんごく17
松山1600→1912高知 特急なんごく19
松山1700→2020高知 なんごく21
松山1800→2120高知 なんごく23
松山1900→2212高知 特急なんごく25
(上り)
高知0700→1012松山 特急なんごく2
高知0800→1120松山 なんごく4
高知0900→1204松山 特急なんごく6 久万のみ停車
高知0900→1232松山 なんごく6
高知1000→1312松山 特急なんごく8
高知1100→1432松山 なんごく10
高知1200→1512松山 特急なんごく12
高知1300→1632松山 なんごく14
高知1400→1704松山 特急なんごく16 久万のみ停車
高知1400→1732松山 なんごく16
高知1500→1832松山 なんごく18
高知1600→1912松山 特急なんごく20
高知1700→2020松山 なんごく22
高知1800→2120松山 なんごく24
高知1900→2212松山 特急なんごく26
松山〜伊予旭 下り1本・上り2本(所要2時間7分)
久万〜伊予旭 下り1本(所要47分)
松山〜落出 下り8本・上り10本(所要1時間58分〜2時間7分)
松山〜久万 下り3本・上り2本(所要1時間16分)
落出〜佐川 4往復(所要1時間25分)
土佐大崎〜佐川 3往復(所要35分)
越知〜佐川 5往復(うち日祝学休日運休2往復)(所要15分)
(八釜線)
落出〜古味 3往復(所要37分)
落出〜永野 1往復(学休日運休)(所要11分)
(長者線)
長者〜佐川 3往復(所要57分)
川渡〜佐川 2往復(所要50分)
(池川線)
池川〜佐川 5往復(所要46分)
池川〜土佐大崎 1往復(所要11分)
・1990(H2)年4月末限りで八釜線(落出〜古味)が廃止された。同年6月末限りで
長者線のうち別府森〜長者が廃止された。
・「JR時刻表」1994(H6)年4月号(特急・急行便3/1現在、普通便4/1改正)による
と、松山高知急行線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
(松山高知急行本線)
松山〜高知 特急便・急行便 次の15往復 ※便指定制(座席定員制)
(下り)
松山0700→1012高知 特急なんごく1
松山0800→1120高知 なんごく3
松山0900→1204高知 特急なんごく105 引地橋のみ停車
松山0900→1220高知 なんごく5
松山1000→1312高知 特急なんごく7
松山1100→1420高知 なんごく9
松山1200→1512高知 特急なんごく11
松山1300→1620高知 なんごく13
松山1400→1704高知 特急なんごく115 引地橋のみ停車
松山1400→1720高知 なんごく15
松山1500→1820高知 なんごく17
松山1600→1912高知 特急なんごく19
松山1700→2020高知 なんごく21
松山1800→2120高知 なんごく23
松山1900→2212高知 特急なんごく25
(上り)
高知0700→1012松山 特急なんごく2
高知0800→1120松山 なんごく4
高知0900→1204松山 特急なんごく106 久万のみ停車
高知0900→1232松山 なんごく6
高知1000→1312松山 特急なんごく8
高知1100→1432松山 なんごく10
高知1200→1512松山 特急なんごく12
高知1300→1632松山 なんごく14
高知1400→1704松山 特急なんごく116 久万のみ停車
高知1400→1732松山 なんごく16
高知1500→1832松山 なんごく18
高知1600→1912松山 特急なんごく20
高知1700→2020松山 なんごく22
高知1800→2120松山 なんごく24
高知1900→2212松山 特急なんごく26
松山〜落出 9往復(うち上り2本は休日運休)(所要1時間47分〜52分)
松山〜久万 2往復(うち1往復は休日運休)(所要1時間11分)
落出〜佐川 2往復(所要1時間7分)
土佐大崎〜佐川 4往復(所要34分)
越知〜佐川 3往復(うち休日運休1往復)(所要14分)
(長者線)
別府森〜佐川 3往復(所要47分)
(池川線)
池川〜佐川 4往復(所要45分)
・1997(H9)年3月22日に長者線の残存区間上仁淀〜別府森、池川線(土佐大崎〜
池川)が廃止された。
・「JR時刻表」1997(H9)年9月号(8/1現在)によると、松山高知急行線には次の
ような系統が設定されていたのを確認できる。
松山〜高知 特急便・急行便 次の13往復 ※便指定制(座席定員制)
(下り)
松山0700→1012高知 特急なんごく1
松山0800→1120高知 なんごく3
松山0900→1212高知 特急なんごく5
松山1000→1312高知 特急なんごく7
松山1100→1420高知 なんごく9
松山1200→1512高知 特急なんごく11
松山1300→1620高知 なんごく13
松山1400→1712高知 特急なんごく15
松山1500→1820高知 なんごく17
松山1600→1912高知 特急なんごく19
松山1700→2020高知 なんごく21
松山1800→2120高知 なんごく23
松山1900→2212高知 特急なんごく25
(上り)
高知0700→1012松山 特急なんごく2
高知0800→1120松山 なんごく4
高知0900→1212松山 特急なんごく6
高知1000→1312松山 特急なんごく8
高知1100→1432松山 なんごく10
高知1200→1512松山 特急なんごく12
高知1300→1632松山 なんごく14
高知1400→1712松山 特急なんごく16
高知1500→1832松山 なんごく18
高知1600→1912松山 特急なんごく20
高知1700→2020松山 なんごく22
高知1800→2120松山 なんごく24
高知1900→2212松山 特急なんごく26
松山〜落出 9往復(所要1時間47分〜52分)
松山〜久万 2往復(うち1往復は休日運休)(所要1時間11分)
土佐大崎〜佐川 7往復(うち休日運休1往復)(所要34分)
越知〜佐川 5往復(うち休日運休は下り2本・上り3本)(所要14分)
・1998(H10)年11月末限りで佐川〜越知・土佐大崎間の普通便が系統廃止され、これ
に伴って佐川〜柳瀬が区間廃止された。
・「JR時刻表」2001(H13)年12月号(11/1現在)によると、松山高知急行線には次の
ような系統が設定されていたのを確認できる。
松山〜高知 急行便 次の13往復 ※便指定制(座席定員制)
(下り)
松山0700→1017高知 なんごく1
松山0800→1117高知 なんごく3
松山0900→1217高知 なんごく5
松山1000→1317高知 なんごく7
松山1100→1417高知 なんごく9
松山1200→1517高知 なんごく11
松山1300→1617高知 なんごく13
松山1400→1717高知 なんごく15
松山1500→1817高知 なんごく17
松山1600→1917高知 なんごく19
松山1700→2017高知 なんごく21
松山1800→2117高知 なんごく23
松山1900→2217高知 なんごく25
(上り)
高知0700→1017松山 なんごく2
高知0800→1117松山 なんごく4
高知0900→1217松山 なんごく6
高知1000→1317松山 なんごく8
高知1100→1417松山 なんごく10
高知1200→1517松山 なんごく12
高知1300→1617松山 なんごく14
高知1400→1717松山 なんごく16
高知1500→1817松山 なんごく18
高知1600→1917松山 なんごく20
高知1700→2017松山 なんごく22
高知1800→2117松山 なんごく24
高知1900→2217松山 なんごく26
松山〜落出 下り6本・上り7本(うち休日運休1往復、久万高原〜落出間
休日運休下り1本・上り2本、松山〜久万高原間休日運休上り1本)(所
要1時間39分〜50分)
松山〜久万 下り3本・上り2本(うち休日運休下り2本・上り1本)(所
要1時間11分)
・高速道経由の「なんごくエクスプレス」(松山〜高知)が運行開始したのに伴い、
2001(H13)年12月から急行便「なんごく号」を3往復に減便し、2002(H14)年8月
末限りで「なんごく号」は廃止された。これにより、大街道〜天山橋(国道経由)、
南井門〜供養堂(バイパス経由)及び落出〜高知が廃止された。
・「JR時刻表」2002(H14)年3月号(2/1現在)によると、松山高知急行線には次の
ような系統が設定されていたのを確認できる。
松山〜高知 急行便 次の3往復
(下り)
松山0730→1047高知 なんごく1
松山1230→1547高知 なんごく3
松山1730→2047高知 なんごく5
(上り)
高知0730→1047松山 なんごく2
高知1230→1547松山 なんごく4
高知1630→1947松山 なんごく6
松山〜落出 下り6本・上り7本(うち休日運休1往復、久万高原〜落出間
休日運休下り1本・上り2本、松山〜久万高原間休日運休上り1本)(所
要1時間39分〜50分)
松山〜久万 下り3本・上り2本(うち休日運休下り2本・上り1本)(所
要1時間11分)
・JR四国(2007)「JR四国20年のあゆみ」には、国鉄バス当時から続く国道33号
線経由松山〜高知間の「なんごく号」は、2001(H13)年に松山・高知自動車道経由
で同区間を結ぶ「なんごくエクスプレス」が開業し、2002(H14)年に増便されたた
め休止し、松山〜落出間のみのローカル路線とした、と述べられている。
・松山〜落出間のみのローカル路線となった後、久万高原線と改称された。
・2015(H27)年時点の運行状況は以下の通り。
◇松山〜砥部〜久万高原〜落出 JR四国バス
◇久万営業所〜面河〜石鎚土小屋 伊予鉄南予バス
◇落出〜ごうかく〜古味 久万高原町営バス
◇落出〜高瀬口〜大崎〜越知〜佐川駅 黒岩観光
◇佐川駅〜越知〜大崎〜(旧池川町)役場前〜狩山口 黒岩観光
◇越知〜大桐〜桐見川 黒岩観光 平日
◇(文化センター〜西佐川駅〜)富士見町〜古畑 黒岩観光 平日
◇池川総合支所前〜桧谷〜折尾 仁淀川町民バス 平日
◇池川総合支所前〜若山橋 仁淀川町民バス 平日
◇大崎〜森〜織合橋 仁淀川町民バス 平日
◇(狩山口〜)仁淀川橋東詰〜伊野駅〜高知駅(〜一宮高知営業所) とさでん交通
※佐川駅〜岩目地〜仁淀川橋東詰は、バス無し
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、松山高知急行線には接続駅(
松山、佐川及び高知)の他、久万、落出、土佐大崎及び越知に第一種委託駅(自
動車駅)が置かれていた。
・松山〜高知間の急行便には、運行開始当時から自動車急行券が設定されていた。
1974(S49)年10月1日から自動車指定券制度が設定されたことに伴って、自動車指
定券に変更された。始発駅及び一部便の佐川乗車の場合、自動車指定券は、国鉄
各駅、みどりの窓口、交通公社等で乗車日の1か月1日前から発売されたが、途
中駅乗車の場合は当日車内で支払うこととされていた。
※補足 北四国急行線について
・国鉄自動車の基本的なあり方を明確にするため、1957(S32)年7月に「国鉄自動車
の基本方針」が国鉄理事会で決定された。この基本方針に基づき各地の国鉄自動車
は、中距離都市間を直結するバスの運行と、急行便の設定に重点が置かれ、道路整
備に合わせて幹線道路に進出することとなった。
・この一環として、1965(S40)年3月18日に北四国急行線(高松〜松山)が開業した。
この背景をJR四国(1989)「四鉄史」に基づいて整理すると次の通りである。
◇当時の国鉄予讃線は多度津以西は線路容量も細く、運行面、設備面で十分に増大
する需要に応じられるものではなかった。他方、高松〜松山を結ぶ国道11号線は
S37年度を初年度とする道路改修工事が始まり、S39年度にほぼ完成が見込まれた。
◇予讃線利用客の傾向が中長距離で、急行2本・準急7本の各列車の混雑が130〜
150%といわれる中で、改修後の国道11号を利用したバス輸送で鉄道輸送力の補完
と混雑緩和を狙い、もって利用客の各方面への接続の利便性を図ることとなった。
・路線開設に当たっては四国急行バス(株)と調整がなされたが、国鉄の進出と民間バ
スへの見返りとして、次のように国鉄既存路線への民間バス乗り入れが認められた。
◇西讃線善通寺〜詫間へ琴平参宮電鉄5往復
◇予土北線松山〜久万へ伊予鉄道6往復
◇川池線伊予三島〜阿波池田へ瀬戸内運輸3往復
・開業当時の運行内容は次の通りであった。
◇運行回数 国鉄6往復、四国急行11往復(うち各1往復は特急便)
◇運行時刻 始発6時〜終発20時(高松、松山とも同時刻)
◇所要時間 特急便3時間55分、急行4時間20分
このうち、国鉄便のダイヤは次の通り。
(下り)
1便 高松0800→0847丸亀駅前49→0950川之江駅前55→1103小松駅前05→1210松山
3便 高松0830→1013川之江駅前18→1225松山(特急便)
5便 高松1000→1047丸亀駅前49→1150川之江駅前55→1303小松駅前05→1410松山
7便 高松1400→1447丸亀駅前49→1550川之江駅前55→1703小松駅前05→1610松山
9便 高松1600→1647丸亀駅前49→1750川之江駅前55→1903小松駅前05→2010松山
11便 高松1800→1847丸亀駅前49→1950川之江駅前55→2103小松駅前05→2210松山
(上り)
2便 松山0800→0905小松駅前07→1015川之江駅前20→1121丸亀駅前23→1210高松
4便 松山1100→1205小松駅前07→1315川之江駅前20→1421丸亀駅前23→1510高松
6便 松山1400→1505小松駅前07→1615川之江駅前20→1721丸亀駅前23→1810高松
8便 松山1630→1837川之江駅前42→2025高松(特急便)
10便 松山1700→1805小松駅前07→1915川之江駅前20→2021丸亀駅前23→2110高松
12便 松山2000→2105小松駅前07→2215川之江駅前20→2321丸亀駅前23→0010高松
◇運賃 高松〜松山間640円(座席指定料金80円を含む)
◇車両設備 定員40人、リクライニングシート付、冷暖房車
◇四国急行バスと運輸協定を結び、線内相互発着の旅客に共通乗車の取扱を行う。
・1975(S50)年12月のダイヤ改正では、北四国急行線の利用の衰退を反映して、国鉄は
1往復を減便して4往復となった。四国急行バスは同年9月から10往復を5往復に
減便した。
・1977(S52)年1月に四国急行バスは運行を廃止した。これには予讃線の急行の増発、
1972(S47)年5月の特急列車の登場等によるバス輸送人員の減少があった。開業時
に年間12万8,000人の利用客も1976(S51)年度には4万4,000人に減少した。他方、
マイカーの急増により国道11号線はバス運行に定時性が保てないほどの混雑を呈し、
ダイヤ改正で所要時分を伸ばしたものの、20〜30分の遅れが常態化していた。
・こうして北四国急行線は、予讃線の補完的使命を終えたことから1979(S54)年7月
22日に廃止され14年余りの幕を閉じた。
※補足 夜行バス「いよじ」(高松松山線)・「とさじ」(高松高知線)について
・JR四国の都市間バスは、高松〜松山・高知で運転されていた夜行列車に代わっ
て、1989(H1)年7月1日から高松松山線「いよじ」及び高松高知線「とさじ」の
運行を開始した。これらの路線は、各系統別に他社と1日1往復交互運行を行う
夜行バスであり、高松〜松山間及び高松〜高知間の主なJR鉄道駅をバス停留所
としていた(全便座席指定制)。
・運行開始当時の「いよじ」・「とさじ」のダイヤは次の通りであった。両系統と
も坂出駅で、岡山からの新幹線の始発・最終列車に連絡するマリンライナーに接
続するようになっていた。
◇高松〜松山「いよじ」
(下り)
高松2330→0010坂出0045→0130観音寺0135→0250新居浜0310→0420今治
0430→0530松山
(上り)
松山2330→0030今治0040→0150新居浜0210→0325観音寺0345→0430坂出
0450→0530高松
◇高松〜松山「とさじ」
(下り)
高松2330→0010坂出0050→琴平0120→0205阿波池田0230→0335大杉0355
→0450土佐山田0505→0530高知
(上り)
高知2330→2355土佐山田0010→0105大杉0125→0230阿波池田0255→琴平
0340→0410坂出0450→0530高松
・1992(H4)年10月の高知自動車道川之江JCT〜大豊IC間開通で所要時間が短縮され
「とさじ」は休止され、替わって昼行高速便「黒潮エクスプレス」の運行を開始
した。また、「いよじ」も1994(H6)年11月の松山自動車道いよ西条IC〜川内IC間
開通で、昼行高速便「坊ちゃんエクスプレス」に替わった。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【704】南予線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇南予線
南予本線
1 伊予大洲−宇和島
2 伊予大川−蔵川
3 伊予大谷−伊予白石
4 土居古市−寺野
小田町線
1 伊予大洲−宮原
2 五十崎駅前−五十崎町
3 五十崎駅前−中土橋
4 内子本町−内子駅前
5 大瀬−村前
6 河口橋−程内
八幡浜線
1 大洲本町−大洲病院前
中筋線
1 荷刺−下舟原
2 伊予中筋−榎
神納線
1 鹿野川−一ノ瀬
卯之町線
1 栗の木−卯之町
2 下宇和口−下宇和
伊予大村線
1 伊予日吉−伊予大村
1.2 路線略図
内子
駅前○ ○程内
|内子 \ 河口 参川
|本町 中土橋 \橋 突合 口
五十崎・−○−−+−○−−○−○−−○−−○−○−−○宮原
駅前 | | / 大瀬\ 小田町
若宮○−−○−−○−○−+○知清橋 \
| 矢落橋 |竜王 ○村前 +−−○寺野
伊予◎−+ |温泉口 ///
大洲 | 五十崎町○ ○一ノ瀬 土居町○ // 伊予○=○屋敷
| / +・ 大川|
大洲本町○ 伊予 ○出合 // \ |
/ \ 菅田 大川 鹿野川 / 魚成橋○−○−−−○−−○伊予
○−+ ○−○−−○−○−−○−−○ / 城川 土居 |日吉
大洲 小倉口 | 鳥首 \ 岩谷 坂石○ 役場前 古市 |
病院前 | \ 三石橋 / 大滝○
蔵川○ ○−−○−−○栗の木 橋 |
/伊予 / ○延川
伊予白石○ 大谷 ○荷刺 /
/ \ ○藤野々
下舟原○−○ ○野村町 |
/伊予 | ○岩谷橋
榎○ 中筋 ○渓筋 |
/ +=○国道
下宇 ○明間 出目◎ //出目
和口/ | //
◎−−−○ 近永◎ //
卯之町 | | ○国道
◎下宇和 近永小○// 近永
学校前+
|
成川○
|
柿原○
|
宇和島◎
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・南予線は、1936(S11)年3月1日に魚成橋〜近永及び土居古市〜土居町、1938(S
13)年12月1日に伊予大洲〜魚成橋が開業したのがルーツで、1941(S16)年5月
21日に卯之町線坂石〜卯之町、同年7月5日に小田町線伊予大洲〜参川口が開
業した。
・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(V)戦時期2−」(『東京経大
学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営
自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、南予本線出目〜近永が
1941(S16)年8月10日から旅客運行が休止された。
・戦後は、1950(S25)年6月1日に伊予大川〜蔵川、同年12月1日に中筋線伊予中
筋〜荷刺、同年12月5日に肱川線鹿野川〜神納、1951(S26)年7月10日に近永〜
宇和島、同年8月10日に八幡浜線大洲本町〜八幡浜港(1963(S38)年12月25日香
田〜八幡浜港廃止、1973(S48)年3月末限りで平野〜香田廃止、1982(S57)年7月
20日鉄砲町〜平野廃止)、同年10月1日に土居町〜三滝、1952(S27)年4月5日
に伊予日吉〜父野川、1953(S28)年12月1日に小田町線大瀬〜村前、1956(S31)年
2月1日に卯之町線貝吹〜野村町及び野村中学校前〜荷刺(両区間とも1962(S37)
年11月廃止)、同年3月15日に小田町線河口橋〜程内、同年4月25日に伊予大谷
〜伊予白石、1957(S32)年2月20日に田処線矢落橋〜田処(1969(S44)年5月廃止)、
同年5月10日に中筋線蔵川〜伊予中筋(1982(S57)年7月20日伊予宮野〜下舟原
廃止、1984(S59)年7月末限りで蔵川〜伊予宮野廃止)が開業した。
・南予線は、予讃本線伊予大洲駅から宇和島線(→予土線)出目及び近永駅に至る
短絡路線であって、昭和26年に宇和島市へ乗入れ延長され、沿線地方の産業文化
の発展助長を使命としていた。
・1957(S32)年12月25日に高川〜川津南、父野川〜伊予大村が開業した。
・「鉄道辞典・下」(1958(S33)年)には、南予線の特長として、この路線は鉄道が
宇和島市に延長されるまでは、唯一の陸路(街道筋)として交通頻繁であって、
路線内の坂石、日吉等は当時の宿場であったと伝えられると述べられていた。
・「交通年鑑1959年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を
取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ
の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和32年度に次のように急行
便を設定したとある。
日吉〜宇和島 38.0km 1往復
・1962(S37)年11月15日に貝吹〜野村町、野村中学校前〜荷刺が廃止された。一方、
1963(S38)年7月15日に伊予中筋〜榎が開業した。
・1964(S39)年5月1日に神納線神納〜一ノ瀬、同年11月21日に神納線出合〜山王、
1965(S40)年2月1日に八幡浜線鉄砲町〜大洲病院前、同年9月15日に三滝〜寺
野、同年11月6日に小田町線小田高校前〜南山の各区間が開業した。
・1969(S44)年5月13日に小田町線小田高校前〜南山、田処線(矢落橋〜田処)、
同年10月12日に出目〜江川の各区間が廃止された。
・1970(S45)年1月16日に五十崎町〜中土橋が開業した。
・1972(S47)年4月8日に小田町線参川口〜宮原が開業した。
・1973(S48)年10月1日に小田町線五十崎駅前〜五十崎町が開業した。
・1982(S57)年7月20日に中筋線伊予宮野〜下舟原が廃止された。
・1984(S59)年8月1日に蔵川〜伊予宮野、神納線出合〜山王が廃止された。
・1985(S60)年4月16日に高川〜川津南が廃止された。
・1985(S60)年当時、南予本線の伊予日吉及び卯之町線の野村町に自動車駅が存在
した。また、国鉄バス運行の拠点として、大洲自動車営業所(大洲市内)及び
同日吉支所(伊予日吉)が置かれていた。
・四国総局自動車管理室「国鉄バス四国時刻表」1985(S60)年4月1日によると、
南予線には次のような系統が設定されていた。
(南予本線)
伊予大洲〜鹿野川〜坂石〜伊予日吉 2往復(所要2時間4分)
伊予大洲〜鹿野川 下り1本(所要55分)
伊予大洲〜伊予大川〜蔵川 3往復(所要56分)
伊予大洲〜鹿野川〜伊予白石 上り1本(所要1時間30分)
鹿野川〜伊予白石 下り2本・上り1本(所要30分)
伊予日吉〜土居町〜寺野 2往復(所要37分)※4/16改正ダイヤ
三滝〜寺野 1往復(所要5分)※4/16改正ダイヤ
坂石〜伊予日吉 4往復(所要44分)※4/16改正ダイヤ
伊予日吉〜近永〜宇和島 9往復(所要1時間14〜21分)※4/16改正ダイヤ
伊予日吉〜近永 3往復(所要42分)※4/16改正ダイヤ
(中筋線)
野村町〜伊予中筋〜榎〜下舟原 下り2本・上り1本(所要42分)
野村町〜伊予中筋〜下舟原 下り1本・上り2本(所要25分)
野村町〜伊予中筋 2往復(所要15分)
(神納線)
伊予大洲〜鹿野川〜一ノ瀬 1往復(所要2時間3分)
伊予大洲〜鹿野川〜河辺役場前 1往復(所要1時間23分)
(卯之町線)
伊予大洲〜鹿野川〜坂石〜野村町〜下宇和〜卯之町 3往復(所要2時間26
〜31分)
伊予大洲〜鹿野川〜坂石〜野村町 下り1本・上り2本(所要1時間47分)
伊予大洲〜鹿野川〜栗の木〜伊予中筋 上り1本(所要1時間30分)
鹿野川〜栗の木〜野村町〜下宇和〜卯之町 下り1本(所要1時間26分)
坂石〜野村町〜下宇和〜卯之町 下り5本(うち下宇和通らず2本)・上り
4本(所要1時間)
野村町〜下宇和〜卯之町 下り6本・上り8本(うち下宇和通らず1本)(
所要34分)
坂石〜野村町 下り2本・上り3本(所要21分)
(伊予大村線)
伊予日吉〜伊予大村 3往復(うち土学休日運転、土学休日運休各1往復)
(所要32分)※4/16改正ダイヤ
(小田町線)
大洲本町〜伊予大洲〜大瀬車庫〜参川口〜宮原 2往復(所要1時間33〜
40分)
大洲本町〜伊予大洲〜大瀬車庫〜参川口 3往復(所要1時間27〜38分)
大洲病院前・大洲本町〜伊予大洲〜大瀬車庫〜程内 下り3本・上り2本
(所要1時間11〜22分)
大瀬車庫〜程内 上り1本(所要18分)
大洲病院前・大洲本町〜伊予大洲〜大瀬車庫〜村前 下り3本・上り4本
(所要1時間8分〜19分)
大瀬車庫〜村前 下り1本(所要15分)
大洲病院前・伊予大洲〜大瀬車庫〜路木 1往復(日祭運休)(所要1時間)
大洲本町〜伊予大洲〜大瀬車庫 2往復(所要45分)
大洲病院前・大洲本町〜伊予大洲〜内子橋 1往復(所要32分)
大洲病院前〜伊予大洲 2往復(所要11分)
2.2 旅から30年
・国鉄末期の1986(S61)年3月12日に小田町線竜王温泉口〜内子が開業した。同年
12月28日には、南予本線伊予大川〜蔵川、小田町線大瀬〜村前及び河口橋〜程内、
中筋線伊予中筋〜下舟原、並びに神納線河辺役場前〜一ノ瀬の各区間の廃止が公
示された。一方、同日、南予本線出目〜近永小学校前(国道)が開業した。その
後、国鉄最末期の1987(S62)年2月1日から伊予大村線伊予大村〜屋敷が開業した。
同時に「国鉄自動車路線名称」の南予本線の項に三島橋〜土居町が追加された。
さらに、同年3月29日に小田町線竜王温泉口〜中土橋及び内子本町〜内子駅前の
廃止が公示された。
・国鉄民営化を経て、南予線はJR四国に継承された。
・伊予日吉自営「四国旅客鉄道バス南予線時刻表」1990(H2)年3月10日改正によ
ると、南予本線坂石〜宇和島、卯之町線及び関係支線には次のような系統が設
定されていた。
(南予本線・卯之町線)
伊予日吉〜国道出目〜国道近永〜宇和島 急行便 1往復(所要1時間)
※急行便は、堀切、長瀬、川上横山、小越、下古用、日切地蔵前、下
清詰、利根口、藤野々、市ヶ成橋、芳組、出目新田、横吹、鮎返、
須賀川ダム、公務員住宅前、和霊中町には停車しない。
伊予日吉〜出目〜近永〜宇和島 6往復(所要1時間13分)
伊予日吉〜出目〜近永 2往復(うち日祝学休運休1往復)(所要45分)
宝泉坊〜伊予日吉〜出目〜近永〜宇和島 1往復(所要1時間19分)
野村〜坂石〜伊予日吉〜出目〜近永〜宇和島 下り1本(所要2時間2
分)
卯之町〜野村〜坂石〜伊予日吉〜出目〜近永〜宇和島 上り1本(所要
2時間33分)
卯之町〜野村〜坂石〜伊予日吉 3往復(所要1時間18分)
卯之町〜野村〜坂石 下り4本(うち野村〜坂石日祝運休、野村〜坂石
土曜のみ運行各1本)・上り4本(うち坂石〜野村土曜のみ運行1本)
卯之町〜野村 2往復(所要30分)
野村〜坂石 1往復(日祝運休)(所要18分)
(大村線)
伊予日吉〜屋敷 3往復(うち土曜のみ運行1往復)(所要32分)
(寺野線)
伊予日吉〜土居町〜三滝〜寺野 2往復(うち日祝運休1往復)(所要
32分)
三滝〜寺野 1往復(所要5分)
(中筋・榎線)
野村〜中筋〜榎 3往復(所要22分)
(三石線)
坂石〜栗の木〜三石橋 3往復(うち日祝運休下り2本・上り1本、土
曜のみ運行1往復)(所要9分)
・1990(H2)年7月1日から小田町線参川口〜宮原が休止された。同年12月20日、
同線突合〜参川口が休止された(1991(H3)年12月20日廃止)。
・1991(H3)年7月20日、神納線(鹿野川〜河辺役場前)、南予本線伊予大谷〜
伊予白石が廃止された。
・1992(H4)年5月1日、南予本線大洲本町〜鳥首が廃止され、南予線は大洲地
区と日吉地区とが分断された。
・1994(H6)3月19日、南予本線鳥首〜三石橋が廃止された。同年3月末限りで
小田町線が全廃された。廃止区間は大洲新町〜突合、竜王温泉口〜五十崎町、
(竜王温泉口〜)新廿日市〜内子の各区間。
・1995(H7)年3月末限りで伊予大洲〜大洲本町〜大洲病院が廃止され、大洲管内
は全廃となった。
・1997(H9)年3月末限りで、南予本線三石橋〜栗の木、(城川役場前〜)下相上
組〜上伏越〜土居古市、三島橋〜下土居(〜土居町)、土居町〜寺野、伊予大
村線(伊予日吉〜)幸田〜屋敷の各区間が廃止された。
・同年9月末限りで、最後まで残った、南予本線栗の木〜城川役場前(〜下相上
組)、土居古市〜伊予日吉〜近永〜宇和島、土居古市〜三島橋、下土居〜土居
町、三島橋〜土居町、土居町〜下土居〜城川公園〜下相上組(〜城川役場前)、
出目〜国道近永〜近永小学校前、卯之町線(坂石〜)栗の木〜卯之町及び下宇
和口〜下宇和、中筋線(荷刺〜榎)が廃止され、南予線は全廃となった。
2.3 旅の考察
・本文で筆者は下宇和が鉄道接続駅ではないと述べているが、1984(S59)年頃の「
自動車線普通旅客運賃表」の南予線の部卯之町線の項では、下宇和(下宇和口
から0.2km)は鉄道接続駅とされていた。
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、南予線には接続駅(伊予大洲、
出目、近永、宇和島、下宇和及び卯之町)の他に、伊予日吉及び野村町に第一種
委託駅(自動車)、大洲本町及び鹿野川に第二種委託駅(自動車駅)が置かれて
いた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【705】阿波線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇阿波線
阿波本線
1 板野駅南−穴吹
2 拝原西−脇町
阿波山手線
1 鍛冶屋原−下喜来−阿波用水
2 法林寺−一本杉
3 下喜来−阿波病院前
三本松線
1 鴨島−阿波吉田
1.2 路線略図
阿波病
院北 阿波
下喜来 入口 法林寺 吉田
土柱入口○−○−○−−−−○−−○−−+−○−−◎板野駅南
| | | | / 鍛冶屋 (板野)
拝原西 | |市場町 | |/ 原
脇町○−−○−−○−−−○−○−−○−−○
| 阿波 阿波 一本杉 |北二条
| 用水 病院 |
穴吹◎ 前 ・−◎鴨島
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・阿波線は、1943(S18)年11月1日に板西(→板野)〜鍛冶屋原が鍛冶屋原線と
して開業したのがルーツで、戦後の1946(S21)年12月25日に鍛冶屋原〜市場町
〜拝原西〜穴吹及び姥御前〜一条町が開業して阿波線となった。この路線は、
戦時中板西〜鍛冶屋原の鉄道が撤去され、その代行路線として開業し、沿線の
産業文化の発展助長の使命を有していた。
・1949(S24)年1月30日に拝原西〜脇町が開業した。
・1952(S27)年4月5日に阿波山手線(鍛冶屋原〜西林、市場町筋〜市場町)が
開業した。1954(S29)年9月10日に阿波山手線御所役場前〜広永、土成役場前
〜鴨島が開業した。
・1956(S31)年7月1日に三本松線(御所〜三本松)、阿波本線市場町〜学が開
業した。
・1960(S35)年6月1日に阿波山手線林〜牛島が開業した。1962(S37)年11月15日
に阿波山手線吉野町〜牛島が廃止された。
・1965(S40)年7月1日に三本松線広永〜阿波中村を阿波吉田経由に、成重〜三
本松を白鳥役場前経由に変更した。
・1968(S43)年10月9日に阿波山手線馬場〜西林が廃止され、馬場〜西谷〜切戸
が開業した。
・1969(S44)年10月12日に三本松線平間〜三本松が廃止された。
・国鉄(鉄道)鍛冶屋原線は戦時中撤去されたが、終戦後の1947(S22)年から再開
となっていたが、1970(S45)年度の収支係数679と悪化したため、並行道路にバス
運行を行っている徳島バス(30往復)、国鉄バス(1往復)に輸送を委ねるべく
地元折衝を行った。バス増便が条件となったため、国鉄バス3往復、徳島バス
43往復が1972(S47)年1月16日から鉄道代替バスとして運行開始した。
・1973(S48)年5月1日に市場町〜学、1974(S49)年11月10日に姥御前〜吉野町、
阿波山手線林〜下藤原〜吉野町の各区間が廃止された。
・1976(S51)年1月15日に板野〜鍛冶屋原が廃止されて、板野駅南〜鍛冶屋原が
開業した。一方、同年2月1日に三本松線広永〜阿波吉田が廃止されて、北
二条〜阿波吉田が開業した。
・1977(S52)年11月30日に阿波山手線市場町筋〜市場町が廃止されて、12月1日に
同線下喜来〜阿波病院前が開業した。
・1985(S60)年4月1日に三本松線阿波吉田〜平間が廃止された。
・1985(S60)年当時、線内の市場町及び脇町に自動車駅が存在した。また、国鉄バス
運行の拠点として、鍛冶屋原自動車営業所(鍛冶屋原)が置かれていた。
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、阿波線
には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
穴吹〜脇町 下り22本・上り23本
穴吹〜鴨島(市場町経由) 下り5本・上り4本
穴吹〜鴨島(土柱入口経由) 下り3本・上り4本
穴吹〜市場町 下り1本
市場町〜鴨島 8往復
脇町〜鴨島 1往復
脇町〜市場町 上り2本
市場町〜鍛冶屋原 下り1本・上り1本
鴨島〜鍛冶屋原 下り10本・上り9本
北二条〜鍛冶屋原 2往復
鍛冶屋原〜板野 3往復
2.2 旅から30年
・国鉄末期の1986(S61)年12月28日に阿波山手線の市場町筋〜阿波用水が廃止された。
その他の区間は、国鉄民営化を経てJR四国に継承された。
・「四国旅客鉄道バス阿波線時刻表」1990(H2)年3月改正によると、阿波線には次
のような系統が設定されていた。
穴吹〜脇町 下り25本・上り24本
穴吹〜鴨島 下り3本・上り2本
市場町〜鴨島(本線経由) 下り3本・上り5本
市場町〜鴨島(山手線経由) 下り5本・上り2本
脇町〜鴨島 下り3本・上り4本
市場町〜鍛冶屋原 上り1本
鴨島〜鍛冶屋原(本線経由) 下り3本・上り2本
鴨島〜鍛冶屋原(山手線経由) 下り2本・上り3本
鴨島〜鍛冶屋原(法林寺〜山手線経由) 下り2本・上り1本
鍛冶屋原〜板野 3往復
・1990(H2)年7月1日に阿波山手線の鍛冶屋原〜市場町筋〜阿波病院前及び法林寺〜
一本杉、三本松線の北二条〜讃岐吉田が廃止となった。
・1996(H8)年10月1日には鍛冶屋原〜板野駅南が廃止された。
・最後まで残った区間(鍛冶屋原〜穴吹、拝原西〜脇町及び北二条〜鴨島)も1999
(H11)年3月末限りに廃止され、阿波線は全廃となった。
・1990(H2)年に鍛冶屋原自動車営業所は徳島自動車営業所に改称された。1998(H10)
年に本四・淡路高速線の基地として同佐古営業所が開設された。1999(H11)年の阿
波線全廃後も徳島自動車営業所は存続し、2004(H16)年のJR四国バス発足時に、
徳島自営佐古営業所を徳島支店とし、徳島自営は徳島支店鍛冶屋原営業所となった。
鍛冶屋原営業所は京阪神〜四国の高速バスの乗り継ぎ基地の役割を担ってきたが、
2011(H23)年に徳島支店に統合された。
2.3 旅の考察
・代替輸送とは、1968(S43)年9月の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル線撤去
に伴い、鉄道路盤と並行する一般道路を運行し、運賃は一般のバス賃率を適用して
いる路線の輸送であり、阿波線(鉄道鍛冶屋原線)を含め5路線を国鉄自動車が
担当していた。
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、阿波線には接続駅(板野、穴吹
及び鴨島)の他、市場町及び脇町に自動車駅(第一種委託駅)が置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【706】大栃線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇大栃線
1 播磨屋橋−岡の内
2 神母ノ木−東佐岡
3 神母ノ木−竜河洞
4 岩改口−岩改
5 美良布−永野
6 土佐小川−千萱
7 大栃−影
1.2 路線略図
影
○−−○高井
土佐 |
河口 永野 猪野 |
・・・○−−○・・●々口 ○五王堂
・ | |
土佐 東佐岡 ・ 岩改 | 土佐 ・・ |
高知 山田 ○・・ 口 | 小川 ・ ・|
◎ 後免 ◎ | 神母 ○−○−○−−○−−○−○大栃
| 駅前 | | ノ木 /| 美良 \ 蕨野 大栃|
松山<−○−−−○−−○−−+−−−○−○−・ | 布 ・ 橋 |
佐川 播磨 二つ川 談義 | ○ | ○佐岡口
屋橋 所 ・ 岩改 ○ |
\ 千萱 |
○ ○岡の内
竜河洞 ・
・
●土佐別府
※松山〜佐川〜播磨屋橋〜高知は松山高知急行線
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・大栃線は、1935(S10)年1月25日に土佐山田〜大栃が開業したのがルーツで、
戦後は、1950(S25)年9月1日に楠目(→談義所)〜東佐岡、同年12月1日に
神母ノ木〜竜河洞口(→竜河洞)、1952(S27)年1月27日に大栃〜五王堂、19
53(S28)年3月15日に東佐岡〜猪野々、美良布〜土佐河口、蕨野〜大栃橋、19
54(S29)年4月25日に播磨屋橋〜土佐山田、同年5月26日に大栃〜岡の内、同
年12月30日に五王堂〜影が開業した。
・この路線は、沿線の産業開発・文化の向上発展の使命を有していた。「鉄道辞
典・上」(1958(S33)年)には、土佐山田〜高知の開通後は都市交通の使命を
も有するに至ったと述べられている。
・JR四国(1989)「四鉄史」によると、大栃線は、当時、鉄道建設予定線(蕨野
線)の先行路線として開業したと述べられている。
・1956(S31)年2月1日に土佐小川〜千萱、1957(S32)年3月1日に岡の内〜土佐
落合、1958(S33)年5月1日に永瀬〜大栃、北岸線猪野々〜猪野々口、1959(S34)
年5月11日に土佐落合〜土佐別府、1960(S35)年10月15日に岩改口〜岩改の各
区間が開業した。
・「交通年鑑1959年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を
取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ
の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和32年度に次のように急行
便を設定したとある。
大栃〜高知 44.0km 1往復
・1966(S41)年4月5日に土佐別府〜北川(四ツ足トンネル経由)が開業し、1971
(S46)年4月16日に土佐別府〜北川が廃止された。
・1985(S60)年4月16日、岡の内〜土佐別府、蕨野〜永瀬〜大栃、東佐岡〜土佐
河口、永野〜猪野々口の廃止が公示された。
・1985(S60)年当時、線内の美良布及び大栃に自動車駅が存在した。また、国鉄
バス運行の拠点として、土佐山田自動車営業所(土佐山田町内)が設置されて
いた。
・四国総局自動車管理室「国鉄バス四国時刻表」1985(S60)年4月1日によると、
大栃線(同年4月16日改正ダイヤ)には次のような系統が設定されていた。
高知〜土佐山田〜美良布〜大栃 7往復(所要1時間33〜38分)
土佐山田〜美良布〜大栃 下り8本・上り7本(所要46分)
土佐山田〜美良布〜小吉野 上り1本(小吉野〜美良布日祝学休日運休)
(所要33分)
土佐山田〜美良布 下り6本(うち日祝運休、日祝学休日運休各1本)・
上り7本(うち日祝運休、日祝学休日運休各1本)(所要25分)
美良布〜大栃 上り1本(所要21分)
土佐山田〜美良布〜千萱 下り2本・上り1本(所要44〜59分)
美良布〜千萱 上り1本(所要19分)
土佐山田〜岩改 1往復(所要29〜31分)
美良布〜岩改 2往復(所要12分)
土佐山田〜神母ノ木〜龍河洞 11往復(所要21〜23分)
土佐山田〜談義所〜東佐岡 5往復(所要16分)
美良布〜永野 3往復(所要15分)
大栃〜岡の内 6往復(所要22分)
大栃〜安丸〜影 4往復(所要49分)
大栃〜安丸 1往復(所要15分)
2.2 旅から30年
・国鉄最末期の1987(S62)年2月、「国鉄自動車路線名称」に山田駅前〜土佐山
田が位置づけられた。その後、国鉄民営化を経て、大栃線はJR四国に継承
された。
・1990(H2)年7月1日に美良布〜永野が廃止され、1991(H3)年3月末限りで談義
所〜東佐岡が、同年4月16日に岩改口〜岩改がそれぞれ廃止された。
・1992(H4)年3月末限りで大栃〜岡の内が廃止された。
・1997(H9)年3月22日に播磨屋橋〜山田駅前が、同年3月末限りで神母ノ木〜竜
河洞及び大栃〜影がそれぞれ廃止された。
・2000(H12)年10月14日、大宮停留所(美良布の1つ土佐山田寄りの停留所)を
「アンパンマンミュージアム前」に改称した。
・2009(H21)年2月20日、高知支店の移転に伴って、同支店山田営業所が支店本所
に統合されて廃止された。
・2015(H27)年6月現在、大栃線は、土佐山田〜大栃がJR四国バスによって
運行されている。
2.3 旅の考察
・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、大栃線には接続駅(土佐山
田)の他、美良布及び大栃に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【707】窪川線
1. S60.6時点の路線紹介
1.1 路線名称
◇窪川線
1 窪川−仁井田−土佐興津
2 窪川−志和
3 窪川−窪川中学校前
4 仁井田−床鍋
5 襟−飯野川
6 襟−神野々
7 帰全農場前−奈路
1.2 路線略図
床鍋○
|
影野駅前○
|
○六反地
仁井田/ 駅前
窪川中 ◎
土佐大越● 学校前 +
・ ○ / \神野々 飯野川
土佐 ● ・ \ / ○−○奈路 ○
下津井・ 瓜生野● ◎窪川 | |\ /
・ ・南川口・ \ | | + 志和峠
・ ●・・ 見付○−−○−○−○−−○−−○志和
・ ・ 本|帰全 襟
+●・・・●秋丸 堂|農場前
●・・・・・ 土佐 ・ ・
江川崎 田野々 ・ \
・ ○興津峠
・ |
●日の谷 |
・−○土佐興津
2. 路線解説
2.1 当時の運行状況
・窪川線は、1945(S20)年4月29日に貨物路線としてに土佐久礼〜床鍋〜窪川〜
土佐田野々〜江川崎〜吉野生が開業(1946(S21)年5月15日に旅客営業開始)
したのがルーツで、1949(S24)年1月30日に土佐田野々〜大奈路、1950(S25)年
5月10日に仁井田〜土佐興津、窪川〜本堂、1952(S27)年1月27日に大奈路〜
下道口、同年10月25日本堂〜志和が開業した。
・この路線は、土讃線と宇和島線を結ぶ鉄道先行並びに代行路線として開設され、
沿線地方の産業開発・文化の発展助長の使命をも有していた。
・1953(S28)年3月1日に土佐久礼〜床鍋が廃止された。一方、同年8月20日に
襟〜飯野川〜上之加江が開業した。
・1956(S31)年6月21日に秋丸〜日の谷口が開業した。
・1958(S33)年10月10日に梼原線下道口〜土佐下津井が開業した。
・1959(S34)年7月5日に南川口〜折合が開業した。
・1963(S38)年4月20日に志和線襟〜神野々が開業した。
・「国鉄四国支社監修時刻表」1965(S40)年11月1日によると、窪川線には次のよ
うな系統が設定されていた。
窪川〜田野々〜十川〜江川崎 下り6本・上り7本(所要3時間10分)
窪川〜田野々〜十川 下り1本(所要2時間13分)
窪川〜田野々 3往復(所要1時間5分)
窪川〜日の谷口 3往復(所要47分)
窪川〜折合 2往復(所要1時間)
十川〜江川崎 下り1本(所要55分)
田野々〜下津井 2往復(所要1時間20分)
窪川〜仁井田〜本堂〜上ノ加江 1往復(所要1時間28分)
窪川〜仁井田〜本堂〜種畜場前 下り1本(所要32分)
窪川〜見付〜本堂〜種畜場前 下り1本・上り2本(所要24分)
窪川〜仁井田〜本堂〜志和 上り1本(所要1時間9分)
窪川〜見付〜本堂〜志和 下り3本・上り2本(所要1時間4分)
窪川〜仁井田〜本堂 2往復(所要28分)
窪川〜仁井田〜土居〜本堂 1往復(所要48分)
窪川〜見付〜本堂 下り2本・上り1本(所要20分)
仁井田〜本堂 上り1本(所要15分)
仁井田〜土居〜本堂 1往復(所要35分)
窪川〜仁井田 上り1本(所要13分)
窪川〜西見付 2往復(所要5分)
窪川〜仁井田〜床鍋 2往復(所要37分)
窪川〜仁井田〜本堂〜興津 下り3本・上り2本(所要1時間23分)
窪川〜見付〜本堂〜興津 下り1本・上り2本(所要1時間15分)
・1969(S44)年11月1日に土佐大越〜折合、志和線飯野川〜上之加江が廃止された。
・国鉄予土線(窪川〜江川崎)の開業に伴って、1974(S49)年3月28日から翌1975
(S50)年2月28日まで、窪川本線の窪川〜江川崎、南川口〜土佐大越及び秋丸〜
日の谷口、梼原線(田野々本町〜土佐下津井)が休止された。休止後の同区間の
輸送は鉄道線(予土線)・民営バス・村営バスによって代替され、国鉄バスの輸
送使命は鉄道線の開業によって果たされたものとして休止期間の満了とともに19
75(S50)年2月28日限りでに廃止された。なお、休止前の運行系統・回数は次の
通りであった。
窪川〜江川崎 5往復
窪川〜十川 1往復
窪川〜田野々本町 1往復
十川〜江川崎 1往復
窪川〜土佐大越 2往復
窪川〜日の谷口 2往復
窪川〜土佐下津井 2往復
・1975(S50)年4月7日に窪川〜窪川中学校前が開業した。
・「国鉄バス窪川線時刻表」1983(S58)年4月5日によると、窪川線には次のよう
な系統が設定されていた。
窪川〜仁井田〜本堂〜興津 5往復(所要1時間12分)
窪川〜見付〜本堂〜興津 1往復(所要1時間9分)
窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前〜襟〜志和 5往復(所要59分)
窪川〜仁井田〜土居〜弘見〜飯野川 下り2本・上り1本(所要35分)
窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前〜襟〜弘見〜飯野川 下り1本・上り2本
(所要29分)
窪川〜仁井田〜奈路〜土居〜弘見 下り1本(所要33分)
窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前〜襟〜弘見 1往復(所要27分)
仁井田〜奈路〜帰全農場前 下り1本(所要16分)
仁井田〜奈路〜土居〜弘見 上り1本(所要23分)
窪川〜仁井田〜奈路〜帰全農場前 上り1本(所要26分)
窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前 1往復(所要23分)
窪川〜仁井田〜床鍋 3往復(所要22分)
窪川〜仁井田 1往復(学休日運休)
窪川〜西見付 1往復(土日祝学休日運休)
窪川〜窪川中学校前 3往復(日祝学休日運休、うち1往復は土曜運行)
・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、窪川線
には次のような系統が設定されていたのを確認できる。
窪川〜飯野川 下り2本・上り3本(所要21分)
窪川〜志和 4往復(所要45分)
窪川〜土佐興津 5往復(所要57分)
2.2 旅から30年
・国鉄末期の1986(S61)年12月28日、襟〜飯野川、襟〜神野々及び帰全農場前〜
奈路の廃止が公示された。
・国鉄民営化を経て、窪川線はJR四国に継承された。
・「四国旅客鉄道バス窪川線時刻表」1990(H2)年3月10日改正によると、窪川線
には次のような系統が設定されていた。
窪川〜仁井田〜本堂〜興津 下り5本・上り4本(所要54分)
窪川〜見付〜本堂〜興津 下り2本・上り3本(所要48分)
窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前〜襟〜志和 5往復(所要41分)
窪川〜仁井田〜本堂〜帰全農場前〜襟 上り1本(所要22分)
窪川〜見付〜本堂〜帰全農場前〜襟 下り2本・上り1本(所要16分)
窪川〜仁井田〜床鍋 3往復(うち日祝学休日運休2往復、土曜運行学休
日運休1往復)(所要22分)
窪川〜窪川中学校前 5往復(日祝学休日運休、うち2往復は土曜運行)
・1993(H5)年3月末限りで窪川〜本堂〜襟〜志和、仁井田〜床鍋が廃止された。
同年9月末限りで窪川〜窪川中学校前が廃止された。
・最後まで残った窪川〜仁井田〜土佐興津が1994(H6)年3月末限りで廃止され、
窪川線は全廃となった。併せて窪川営業所も廃止された。
2.3 旅の考察
・エピソードの冒頭に登場した、641-5901は1975(S50)年式のいすゞBU15KP(富士
重工車体)で経年の貸切車(エアサス、冷房車)、331-1407は1981(S56)年式の
いすゞK-CCM410で冷房こそ装備されているが2扉の路線車である。
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