若江線(補足事項)
若江線の謎
2015-11-16
1.近江今津付近 路線図
(1)2005(H17).4.1時点
大 岸 マキノ 海津
北 床 脇 ざ← 役場前 ∧
近 生 ・−○−○−・ ぜ宮 ∧ :
江 見 (こうの)| | ん西 : :
小 追 ○ 古 ○梅原 | 草前 : :
浜 分 / \ 野 | | 前← :(ひろかわぐち) :
<−○+………+○+○+○−○−○+○−○−−○弘川口 :
旧道 :上 梅 上 下 下 \ :
:藺 原 弘 弘 弘 ○−>○今津東 :
○…・生 口 部 部 部 今津支所前\ |小学校前:
吹田市(ゆう) 東 (←今津役場前)\∨ :
自然の家 (ひろべ) + :
\ :
+……+
高島高校前○ :
| :
++ :
今津西町○★旧駅:
| :
・−◎ :
近江今津:
自営★:
∨
浜大津
(2)2016(H28).3.26時点
大 岸 マキノ 海津
北 床 脇 ざ 役場前 ∧
近 生 ・…○…○…・ ぜ ∧ :
江 見 : : ん 弘: :
小 追 ○ 古 ○梅原 : 草 川: 弘川 :
浜 分 : : 野 : : 前 口: 交番西 :
<−○+−−−+○+○+○−○−○+○−○−−○−−○−○今津東小学校
新道 :上 梅 上 下 下 : | :
:藺 原 弘 弘 弘 ○……○勤労者体育
○…・生 口 部 部 部 今津支所前: |センター前
吹田市 東 :| :
自然の家 + :
|: :
| +……+
| ○高島高校前
| : :
+++ :
今津西町○★旧駅:
| :
・−◎ :
近江今津:
自営★:
∨
浜大津
2.様々な謎
(1)Lコース
・手元にある若江線時刻表(S61.3.10改正/H9.3.8改正)には、小浜〜京都・大阪
湖西線乗継時刻表に、Lコースという愛称名が記載されていた。H13.3.3現在の
時刻表には、Lコースという愛称名は記載されていなかった。
・Lコースの意味・由来は何だろう。呼称時期は、いつからいつまで?
◇運行本数が多いという意味のL特急に由来?
◇国宝めぐり定期観光「A〜Eコース」呼称のパロディ?
◇下図のように、Lの字に似ているためか?
大阪○
|
|
京都○
|
|
| ○小浜
| |
近江今津○−−−−○上中
(2)近江今津駅の移転
・江若鉄道の近江今津駅は、1931(S6).1.1に開業し、1969(S44).11.1に廃止さ
れた。駅は、今津西町バス停付近にあり、駅舎は、癒しの温 岩陶浴ありあけ
今津店として利用されていたが、現在は閉店となっている。
・線路跡地は、JR社宅になった模様。
・1937(S12).12.21に、若江線の近江今津が開業。この時は江若鉄道の駅だった。
・1974(S49).7.20に、湖西線の近江今津駅が開業。同日、若江線 弘川口−近江
今津で1.5kmへの改キロを実施。S49.9.7以降に発行された路線図によると、
1974(S49).7.20に、今津西町〜近江今津 0.6km開業とある。
・以上から、(旧)近江今津を今津西町に改称の上、今津西町〜近江今津を延伸開
業したと思われる。
・こういったケースの場合、若江線の近江今津駅は、鉄道開業日と同時に移転
するのではなく、事前に移転するのが自然に思うが、どうだろうか。
(3)営業所の移転
・1935(S10).12.20 若江線 新平野−若狭熊川が開業、近江今津自動車所開設。
・この時は、まだ近江今津まで延伸していないが、当初から営業所が今津にあっ
たのは何故だろう。また、現在の営業所は、滋賀県高島保健所の向かいにある
ので、当時とは場所が違うと思われる。開設当時の営業所は、どこにあって、
いつ移転したのだろうか。
・その後、小浜〜新平野、若狭熊川〜近江今津が開業するが、部分開業を急いだ
のは、何か理由があったのだろうか。
(4)今津東小学校前
・今津支所前〜今津東小学校前〜高島高校前という隠れた路線がある。
・S49.9.7以降に発行された路線図によると、1967(S42).6.5に、弘川口〜今津
西町 1.0km開業とある。また、1969(S44).10.16に路線名称「弘川口−近江
今津」が追加された。しかし、対応する開業告示は見つけられなかった。
・なお、この路線図以外では、この区間は路線図に記載されなかったようだ。
・不毛板(11120)によると、この区間を通るのは、古野〜今津東小学校のスクー
ル便のみで、古野行き2本、東小学校前行き1本が運行されていた。
・2005(H17).3.1から、若江線のバス停名が3/1から改称される旨の告知があり、
この中で、4/1から、臨時スクールバス停の下弘部東を常設に昇格する事と、
(今津支所付近交差点)〜今津東小学校 0.1km と描かれた路線図が公開された。
・2005(H17).10.28改正時刻表は、スクール便が記載されていないものと記載さ
れたものがある。スクール便は、以下の通り。
◇岸脇747→大床経由→751古野、古野753→805今津東小学校
●今津東小学校1200→1212古野、古野1214→大床経由→1226今津東小学校
◇今津東小学校1530→1542古野、古野1544→大床経由→1556今津東小学校
◇今津東小学校1620→1632古野、古野1634→大床経由→1646今津東小学校
※ ◇=土曜休日学休運休、●=指定日のみ運行
・なお、時刻表に「スクール便」の記載は無く、一般も乗車できるのか不明。
なお、この時刻表により、上藺生〜大床〜下弘部東の枝線が存在する事が
明らかになった。
・2005(H17).10.28改正時刻表(一般向け)には、土曜休日学休運休の近江杉山
708発近江今津行と今津支所前1849発近江杉山行が記載され、「今津支所前
1849発近江杉山行バスの行き先表示がスクールになっていますが、一般の方
も乗車いただけます」との注記がある。
・その後、発行された時刻表や路線図には、スクール便について記載が無く、
現存するのか、廃止時期についても不明である。
・また、経路は、上図記載の通り、上り下りで異なっていたのか?
(5)浜大津線の経路
・1956(S31).5.1に近江今津〜浜大津が開業。開業時は、江若鉄道の近江今津駅
である。
・近江今津からキロ程は、近江今津(3)木津で、後に近江今津(0.5)今津郵便局前
(2.0)木津に改キロされた。この事から、現近江今津駅から南下するのではな
く、高島高校前を経由後、南下したのではないかと推測する。
(6)自然の家
・1984(S59).4.1に、若江線の路線名称に、上藺生−自然の家が追加された。
ただし、対応する開業告示は見つけられなかった。
・手元にある「S57.6現在」と書かれた手書き路線図には、「吹田市自然の家」
となっている。正式な施設名は、吹田市「少年自然の家」の模様。
・一般が利用できる施設ではなく、付近に民家もないことから、吹田市向け貸
切バス専用の区間と推察。
(7)近江角川付近の経路変更
・1985(S60).6.21に、保坂−近江角川が廃止され、路線名称からも削除された。
しかし、路線図には近江角川が本線上のバス停として残っている。何故だろう。
・当時は、近江杉山〜保坂〜角川口〜近江追分が本線で、角川口〜近江角川が枝
線だった。水坂トンネルが開通し、近江角川付近を通ることから、水坂峠経由
と角川枝線を廃止し、水坂トンネル経由を本線とし、保坂と近江角川を本線上
に移したと推測。
小浜Λ
|
○近江杉山
|
+…・ ○(旧)近江角川
\: :
: :
:\:水坂トンネル
: :
水坂峠: :\
: : ○近江角川
: : |
: : |
: :|
(旧)保坂○ +
: |
: |
:|
○保坂(←角川口)
|
近江今津∨
(8)天満・関経由と江若バス
・1986(S61).12.11に、若江線の路線名称に、若狭仮屋−瓜生口が追加された。
対応する開業告示は無いが、若狭仮屋〜瓜生天満前〜関〜瓜生口を指す模様。
・手元にある若江線時刻表(S61.3.10改正)では、江若バスを示す枠はあるが、
天満・関経由の記載はない。
・H5.3.18改正では、天満・関経由は一日4往復、江若バスは一日2往復であった。
・H9.3.8改正では、枠のみが残り、天満・関経由と江若バスの記載が無い。
・若狭仮屋〜瓜生口の直行コースは、1994(H6).4.1に廃止になった模様。
江若バスの天満・関経由はあったのか?撤退時期は?
瓜生天満前 関
・−○−−−○−・
| | 近江
小浜 | | 今津
<−−○+…………………+○−−>
若狭仮屋 瓜生口
(9)北川線の経路変更
阿納尻Λ ○羽賀寺 Λ本保 Λ田烏
西津 | 定観 | : |
公民館前○−−−−+ : 若狭下吉田●−・
(うんぴん)| 丸山|羽賀口 : : |
雲浜○……●−●……………………○………○…●……・ ○若狭
| | 上野木: 堤口 :井根山 |上吉田
城内○ | : : |
| |(たわら)・……………+ : |
乗船場前○……●上竹原 : 新平野: : |
:| | : ◎ : : |
旧: |新 |定 : : : : |
道: |道 |観 : ・…○…+ :上中 |
:| | ::新平野駅前: :(←三宅)|
◎−−○−−−−○−−−○−−−+○−−+−◎−−+
小浜 湯岡橋 平野口 新平野駅口 野木口 |
近江今津∨
・1951(S26).5.5に、若江本線 小浜〜上竹原〜雲浜〜甲ヶ崎、小浜〜上竹原が
開業。この区間は、1962(S37).11.1に西津線として独立する。第一区間は
旧道・上竹原・丸山経由、第二区間は新道経由か。
・1951(S26).5.5に、上竹原〜三宅、新平野〜本保が開業。
・1953(S28).8.15に、井根山〜若狭下吉田〜田烏が開業。
・1956(S31).4.10に、三宅を上中に改称。
・1957(S32).10.1に、路線名称の改正。
◇若江本線2「小浜−上竹原」→「小浜−城内」
◇北川線1 「上竹原−上野木−上中」→「城内−上野木−上中」
・乗船場前〜上竹原〜丸山を廃止、乗船場前〜城内〜雲浜〜丸山を開業か。
・1960(S35).8.25限で、城内〜丸山、井根山〜若狭下吉田を廃止。
→雲浜〜丸山の廃止、井根山〜若狭下吉田の直行ルートを廃止か。
・1960(S35).8.25に、小浜〜丸山、上中〜若狭上吉田〜若狭下吉田を開業。
→乗船場前〜上竹原〜丸山の復活か。
・1960(S35).8.25に、路線名称の改正。
◇北川線1 「城内−上野木−上中」→「小浜−上野木−井根山−田烏」
→新道・上竹原・丸山・上中経由か。
・1961(S36).3.1に、若江線・北川線に新平野駅前を開駅。北川線2の路線名称
を「新平野−本保」から「新平野駅前−本保」に変更。
→駅前に入らなくなったか。
・1967(S42).9.21に、若江線・北川線に平野口を開駅。北川線2の路線名称
を「新平野駅前−本保」から「平野口−本保」に変更。
→駅前ルートから、駅前を通らない経路に変更か。
・1972(S47).8.10に、丸山〜羽賀寺が開業。
・1981(S56).12.3に、丸山〜羽賀寺が若江本線へ編入され、路線名称「小浜
−神田橋−湯岡橋−羽賀寺」の一部となる。湯岡橋〜上竹原を開業か。
・1982(S57).6現在の路線図に、上竹原・丸山の記載がなく、羽賀口〜上中は、
休止と記載されている。定観専用ルートになったか。
・1986(S61).1.24に、丸山〜上中、平野口〜本保を廃止。北川線の残存区間は
若江線へ編入。
・1991(H3)以降に、乗船場前〜上竹原を廃止、羽賀寺〜西津公民館前を開業。
・2001(H13).12.1に、湯岡橋〜羽賀寺〜西津公民館前を廃止。
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録