1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 東北地方自動車部

2016-05-15

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【201】下北線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇下北線   下北本線    1 田名部−陸奥脇野沢   安部城線    1 川内町−湯野川温泉 1.2 路線略図        湯野川温泉  大平中 運動          ○    学校前 公園前  源藤城○    |     ○−−○−−・      \   |     |  |  |  陸奥脇野沢○−−○−−○−−◎−−○−−○−−◎田名部      /  川内町 泉沢 大湊 山田 下北  九艘泊○                駅通 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・下北線は、1943(S18)年9月15日に本田名部〜川内町及び下北駅前〜下北(19  72(S47)年10月24日廃止)、同年10月15日に川内町〜陸奥脇野沢が開業したの  がルーツで、その使命は下北地方の交通を確保し、産業の開発振興を図ること  であった。 ・戦後は、1953(S28)年10月14日に大湊〜大湊一本杉〜宇田(1972(S47)年10月廃  止)、川内町〜安部城(後の安部城線)の両区間が開業した。 ・1972(S47)年3月15日に安部城線の安部城〜湯野川温泉が延伸された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年10月号(9/1現在)によると、下北  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (下北本線)    田名部〜陸奥脇野沢 下り6本・上り7本    田名部〜川内町 4往復    田名部〜泉沢 下り2本  (安部城線)    川内町〜湯野川温泉 3往復 ・1985(S60)年当時、線内には(自)田名部、川内町及び陸奥脇野沢に自動車駅  が存在した。また、国鉄バス運行の拠点として大湊自動車営業所(山田)が  置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、陸奥脇野沢〜九艘泊、  下北駅通〜大平中学校前〜大湊、山田〜運動公園前及び陸奥脇野沢〜源藤城  が認知された。 ・下北線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス東北に継承された。 ・1988(S63)年9月22日までにはむつ市内の、運動公園前〜つつじヶ丘団地前、  市役所前〜矢立温泉〜運動公園前及び市役所前〜松山団地入口〜むつ病院前  の各区間が開業した。これらの区間は1992(H4)年の時点では運行がなされて  いたが、1997(H9)年4月1日までには廃止となった模様である。 ・他方、同じくむつ市内区間の第二田名部小学校前〜十二林〜中央町一丁目〜  運動公園前が1997(H9)年4月1日までに開業した。 ・安部城線は1990(H2)年10月に廃止された。 ・1992(H4)年4月改正の大湊管内「JRバス時刻表」によると、下北線には、  次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (下北本線)    田名部〜九艘泊 下り1本・上り2本    田名部〜源藤城 2往復    田名部〜脇野沢 4往復    田名部〜川内町 2往復    田名部〜陸奥泉沢 下り11本(うち日祝運休1本)・上り10本(うち     日祝運休1本)    田名部〜宇曽利川 下り7本(うち日祝運休、日祝学休日運休各1本)     ・上り12本(うち日祝学休日運休2本、土曜運転1本、日祝学休日     土曜運休1本)    田名部〜大湊高校 下り2本(日祝学休日運休)    田名部〜山田 下り2本(うち日祝学休日運休1本)    山田〜脇野沢 下り1本(日祝学休日運休)    山田〜陸奥泉沢 上り1本    山田〜宇曽利川 下り3本(うち土曜運転、日祝学休日運休各1本)・     上り1本(日祝学休日運休)    山田〜大湊高校 下り1本    脇野沢〜九艘泊 下り1本    脇野沢〜源藤城 1往復  (並川町、つつじヶ丘団地)    田名部〜つつじヶ丘〜並川町〜大湊・山田 4往復    田名部〜矢立〜並川町〜大湊〜山田 1往復  (松山団地循環)    田名部〜市役所〜松山団地〜第二田名部小〜田名部 2回 ・末端区間の陸奥脇野沢〜九艘泊は1993(H5)年4月、陸奥脇野沢〜源藤城は  1995(H7)年10月1日に廃止された。 ・2004(H16)年4月改正の大湊管内「JRバス時刻表」によると、下北線には、  次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (下北本線)    田名部〜脇野沢 5往復    田名部〜泉沢 平日7往復、土日祝5往復    田名部〜宇曽利川 平日下り7本・上り9本、土日祝下り4本・上り6本    山田〜宇曽利川 平日1往復、土日祝下り1本       大湊〜宇曽利川 平日上り1本     土曜運休1本)    田名部〜大湊高校 平日3往復    田名部〜山田 平日下り6本・上り5本、土日祝上り1本  (並川町、つつじヶ丘団地)    田名部〜つつじヶ丘〜並川町〜大湊・山田 下り2本(うち土日祝運休1     本)・上り3本(うち土日祝運休2本) ・2006(H18)年9月19日にむつ市脇野沢分庁舎の移転に伴って陸奥脇野沢〜脇野  沢庁舎前が延長された。一方、運動公園前〜大平中学校前〜大湊は2009(H21)  年3月末限りで廃止された。 ・2015(H27)年7月現在、下北線は田名部〜脇野沢庁舎前他がJRバス東北によ  って運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、下北線には接続駅(田名部  及び大湊)の他、川内町及び陸奥脇野沢に自動車駅(第一種委託駅)が置かれ  ていた。 ※補足 民営化後のむつ市内路線略図 ・国鉄民営化以降の1991(H3)年当時のむつ市内の路線略図は、次の通りである。                矢立温泉○    つつじヶ丘団地前○       |            |  ・−−−−+          大平|技術|山田県営 \  むつスイ          中学|専門○住宅前   \ ミングス ・−○松山団地          校前|校 |       \クール前/  |     並川町○−−○+−○+−○−−・   ○  /   |        |      | 運動 |県営 | ○後田  |        |  むつ工業○ 公園 ○住宅 | |    ○第二田名部        |  高校前 | 前  |前  | ○下北文化|小学校前        |      |    |   | |会館前 |     田名部  脇野沢<−−○−−◎−−−○−−−−○−−○+−○−−−−○−−−○−−○        大湊 大湊  山田   下北 合同 市役   むつ  小川町       新町          駅通 庁舎 所前   病院前 二丁目

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【202】十和田北線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇十和田北線   十和田北本線    1 青森−十和田湖    2 電話局前−妙見    3 雲谷−石雲谷    4 城ヶ倉入口−城ヶ倉    5 十和田湖温泉−十和田湖温泉郷   浅虫線    1 堤橋−浅虫 1.2 路線略図  八甲 観光  田丸 物産館   ○=+○+新町     | |一丁目      県立中       青森   青森◎−○−+−・電話   央病院 交通    病院 津軽   浅虫水         | |局前   通り  部前 野内 前  高野山  族館前   新青○===+−○−−○−−+○−−○−−○−−○−+−○−◎−−○   森駅   /  |  |堤橋‖           ‖   浅虫       /八甲田○  |  ・===========・   温泉      / 大橋 |  ○筒井通り     ・     | /      ‖     |/     ‖   妙見○   青森‖     |   空港○=====○津軽横内           |    ねぶたの里入口○=○ねぶたの里           |     青森公立  |     大学前 ○=+           |         雲谷○======・           |  ヴィラ ‖         山吹○−○シティ ○モヤヒルズ           |/ 雲谷  ‖        石雲谷○======・           |       萱野茶屋○           |           ○ロープウェー駅前           |      城ヶ倉入口○−○城ヶ倉           |      酸ヶ湯温泉○           |           |       谷地温泉○           |        蔦温泉○           |十和田湖 十和田市現     十和田湖温泉|温泉郷  代美術館 六戸        郷入口○−○====○===○===○八戸駅西口           |         焼山○           |        石ヶ戸○           |           |        子ノ口○            |        宇樽部○−>田子           |         ・−+         | ‖      瞰湖台○ ‖          \‖           +          /|     十和田湖○ V          十和田南          ・盛岡  ※宇樽部〜田子は、十和田東線  ※十和田湖〜十和田南・盛岡は、十和田南線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・浅虫線1 浅虫〜野内〜堤橋 ・十和田北本線2 堤橋〜電話局前 ・十和田北本線1 電話局前〜妙見〜雲谷 ・十和田北本線3 雲谷〜雲谷スカイランド〜石雲谷 ・十和田北本線1 石雲谷〜萱野茶屋〜城ヶ倉入口〜酸ヶ湯温泉〜十和田湖温泉         〜焼山〜子ノ口〜十和田湖 2.2 掲載 ・55日目 8/13(火) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p259〜259 ・56日目 8/14(水) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p260〜262 ・連載誌のみ 青森駅乗り場の国鉄バスの写真、酸ヶ湯温泉の写真、537-5575の   解説 ・単行本のみ 緑濃い中を行く十和田縦断バスの写真 2.3 行程 ○浅虫2000→2040青森 浅虫・十和田北本線 浅虫発 青森行                          531-0002(いすゞK-CLM500) ○青森0730→1025子ノ口 十和田北本線 青森発 子ノ口行 みずうみ6号(続行便)                          531-7005(いすゞBU10) ○子ノ口1115→1137十和田湖 十和田北本線 十和田湖温泉発 十和田湖行                          537-5575(日野P-HU275AA) 2.4 エピソード ・20時発でも終バスの2本前の浅虫発青森行き国鉄バス。乗り降りも結構あり、  次第にネオンとビルが増えて、堤橋から電話局前を通過し青森駅まで飛び出し  乗車。 ・「みずうみ6号」は、待合室の窓口に乗車券と便指定のバス指定券を示して、  号車番号を手書きしたパンフレットを受け取る仕組みであとは整列乗車。満席  で発車。 ・雲谷スカイランドで小憩。青森市内から青森湾、浅虫温泉を一望。もう1台の  冷房国鉄バスが追いついてきた。運転士によれば、先に出た乗車便の方が臨時  便扱いで、後のバスがダイヤ通り走って途中乗車客を乗せていく。十和田南北  線は今が稼ぎ時で、東北六県からバスと運転士の動員をかけている。この臨時  便も福島辺りからの応援車で、ドライバーも日ごろは事務職員。 ・8時20分に海抜540mの萱野茶屋で休憩。駅名通りの茶屋で麦茶の無料サービス  がある。 ・標高1040mの傘松峠を越えると、温泉が点在し、少しずつお客が降りていく。  その1つの蔦温泉では5分停車。蔦七沼めぐりコースがあり、手荷物を子ノ口  へ回送するとの広告が出ていた。 ・石ケ戸で、きっぷを蔦温泉から子ノ口へ送った手荷物に入れてしまったという  お客がいたが、運転士は「あとで乗るバスに渡してください」とソフトな応対  と観光路線らしい一コマ。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・十和田北線は、1934(S9)年8月5日に青森〜休屋(→十和田湖)〜和井内が十  和田線として開業したのがルーツで、このうち休屋〜和井内は、1935(S10)年  8月1日の和井内〜毛馬内(→十和田南)の開業とともに十和田南線に移管さ  れた。その後、1936(S11)年11月20日に浅虫線(堤橋〜浅虫)が開業した。 ・十和田北本線は北方からの国立公園十和田の観光客輸送、浅虫線は温泉客の輸  送を主たる目的として開設された。また、休屋(→十和田湖)駅で十和田南線  と連繋して観光の利便を図っていた。 ・「国鉄自動車50年史」には、1934(S9)年頃、政府が世界恐慌の影響による経済  不況打開の一環として観光事業の拡大を提唱すると、国鉄自動車も鉄道省とし  ての観光事業開発計画に一役かって、これと一体となり、重要観光路線を選定  方針に加え、1934(S9)年8月に十和田線を開業したと述べられている。 ・「鉄道辞典・下」(1958(S33)年)には、国立公園十和田の特長は、十和田の  湖水美、奥入瀬の渓流美及び八甲田の山岳美からなっていて、この3つを余す  ところなく縦走して観賞できるのが十和田北線の特長であり、併せて、沿線に  は酸ヶ湯温泉をはじめ著名な温泉があって更に景観を添えていると述べられて  いる。 ・「鉄道省編纂汽車時間表」1934(S9)年12月号(8/5開業)によると、十和田線には  次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森〜津軽横内〜酸ヶ湯温泉〜休屋〜和井内 以下の2往復     (下り)      11便 青森0700→休屋1128→1140和井内      13便 青森1340→休屋1808→1820和井内     (上り)      12便 和井内0800→休屋0817→1239青森      14便 和井内1220→休屋1237→1701青森    青森〜津軽横内〜酸ヶ湯温泉 1往復(15〜16便)    青森〜津軽横内 5往復(17〜26便)    休屋〜和井内 1往復(27〜28便) ・JRバス東北青森支店(1994)「地域の信頼明日への希望−十和田北線開業60周  年記念誌−」によると、青森自動車所(→青森自営)で1935(S10)年7月に観光  バスガイドとして女子7名を採用とあり、鉄道省始まって以来初めての女性乗  務員(車掌)が誕生したとされている(戦後は1951(S26)年から女子採用を復活  した)。 ・「鉄道省編纂時間表」1940(S15)年10月号(6/15改正)によると、十和田線には  次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (十和田本線)    青森〜津軽横内〜酸ヶ湯温泉〜休屋 以下の3往復    (下り)     1便 青森0600→1030休屋     3便 青森0830→1300休屋     5便 青森1300→1730休屋    (上り)     2便 休屋0800→1224青森     4便 休屋1220→1644青森     6便 休屋1445→1708青森    青森〜津軽横内〜酸ヶ湯温泉 1往復(所要1時間30分、11〜12便)    青森〜津軽横内 4往復(21〜28便)    休屋〜大湯温泉〜毛馬内 3往復(所要1時間30分、40〜45便)    大湯温泉〜毛馬内 5往復(60〜69便)    休屋〜十和田ホテル前 3往復  (浅虫線)    青森〜堤橋〜浅虫 8往復(所要50分、70〜85便) ・また、青森支店前掲書によると、1941(S16)年に津軽横内〜休屋、1944(S19)年  に青森〜津軽横内及び青森〜浅虫がそれぞれ戦時特令によって休止された(終  戦直後の1945(S20)年9月に青森〜津軽横内、同年10月に津軽横内〜酸ヶ湯温泉、  同年11月に堤橋〜浅虫、1946(S21)年9月に酸ヶ湯温泉〜休屋がそれぞれ運行再  開した)。 ・「鉄道省編纂時間表」1942(S17)年11月号(5/1改正)によると、十和田線には  次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森〜津軽横内 下り5本・上り6本(21〜30・32便)    休屋・和井内〜大湯温泉〜毛馬内 3往復(所要1時間50分、40〜45便)    大湯温泉〜毛馬内 5往復(60〜69便)    休屋・和井内〜十和田ホテル前 2往復(101〜104便)   ※浅虫線は当分の間運転休止との注記あり。 ・「日本国有鉄道編集時刻表」1950(S25)年10月号(10/1改正)によると、十和田  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森〜酸ヶ湯温泉〜休屋 次の下り3本・上り4本    (下り)      青森0600→1055休屋      青森0900→1355休屋      青森1230→1725休屋    (上り)      休屋0830→1320青森      休屋1200→1650青森      休屋1400→1850青森(不定期便)      休屋1500→1950青森    青森〜酸ヶ湯温泉 2往復(所要1時間50分、うち上り1本は不定期便)    青森〜津軽横内 下り12本・上り11本    青森〜浅虫 19往復 ・1955(S30)年11月10日に浅虫〜水族館前が開業した(1972(S47)年10月24日廃止)。  この「水族館」は東北大学付属臨海水族館であった。 ・「国鉄自動車三十年史」によると、1952(S27)年度以降、十和田輸送には営業  開始に間に合うよう4月から新車を漸次配属し、冬季積雪休止とともにローカ  ル輸送に必要な最小限度の運用車のみ残し、東北・信越の自管内から全国各地  自管内の廃車補充用として配属変更する運用方式が採られており、これを俗に  「十和田方式」と呼んでいるとある。その配属車数も1952(S27)年度の37両から  1960(S35)年度には72両と増加し、1959(S34)年度から全車コーチタイプ大型車  となったと述べられている。 ・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、青森〜浅虫の運行回数は27回  であり、この当時、既に都市型の高頻度運行がなされていたのを確認できる。 ・青森支店前掲書によると、1953(S28)年頃は職員の人力によって十和田北線の  除雪作業を行っていたが、1955(S30)年4月、早期開通を図るべく東京操機事  務所の重機による機械除雪を初めて採用したとある。また、1965(S40)年4月  に開業以来初めての開通式が青森県副知事及び国鉄東北地方自動車事務所長の  テープカットで行われたとある(十和田北線の毎年春の開通式は2013(H25)年  まで開催されたが、2014(H26)年以降は一番バスの出発式に縮小されて実施さ  れている)。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1961(S36)年10月号(7/1現在)によると、十和田  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森・浅虫〜酸ヶ湯〜休屋 次の6往復    (下り)      青森0540→1022休屋      青森0630→1112休屋      浅虫0800→1250休屋      青森0850→1320休屋      青森0950→1420休屋      青森1400→1830休屋    (上り)      休屋0800→1220青森      休屋0950→1410青森      休屋1140→1600青森      休屋1320→1800浅虫      休屋1410→1830青森      休屋1525→1945青森    蔦温泉〜休屋 下り1本(所要1時間57分)    子ノ口・宇樽部〜休屋 3往復(所要45分)    青森〜酸ヶ湯 4往復(所要1時間35分)    青森〜津軽横内 30〜60分毎      青森発0640〜1940・津軽横内発0720〜2015    青森〜浅虫水族館 5往復    青森〜浅虫 15〜30分毎(所要50分)      青森発0620〜1935・浅虫発0715〜2025    ・1965(S40)年4月15日に雲谷〜石雲谷(雲谷スカイランド経由)が開業した。  また、1966(S41)年11月10日には城ヶ倉入口〜城ヶ倉が開業した。 ・「交通年鑑」1966年版によると、十和田湖における観光客のピークは8月と  10月に大別されるが、その実績は次の通りである。            8月   10月    1961(S36)年度 263千人 222千人    1962(S37)年度 278千人 249千人    1963(S38)年度 285千人 237千人    1964(S39)年度 294千人 245千人    1965(S40)年度 217千人 200千人 ・青森支店前掲書によると、1969(S44)年1月、酸ヶ湯温泉までの早期開通のため  に除雪隊結成とある。その後、1982(S57)年の青森〜酸ヶ湯温泉間通年運行まで  青森及び十和田土木事務所、国鉄バス除雪隊の努力によって逐年運休期間を短  縮するとある。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1967(S42)年9月号(7/10現在)によると、十和田  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森・浅虫〜休屋 10往復(青森から3時間47分、浅虫から4時間5分)    青森〜浅虫 10〜30分毎(所要45分)     青森発0600〜1930・浅虫発0650〜2025 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1970(S45)年8月号(7/9現在)によると、十和田  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    青森・浅虫〜休屋 次の12往復    (下り)      青森0540→0936休屋 4/25〜11/5運転      青森0635→1035休屋 4/15〜11/10運転      青森0730→1111休屋 4/25〜11/5運転      浅虫0800→1158休屋 4/15〜11/10運転      青森0830→1210休屋 6/1〜10/31運転      浅虫0900→1258休屋 6/1〜10/31運転      青森0920→1300休屋 4/25〜11/5運転      青森1020→1415休屋 4/15〜11/10運転      青森1130→1520休屋 4/25〜11/5運転      青森1210→1550休屋 7/1〜10/31運転      青森1310→1650休屋 6/1〜10/31運転      青森1430→1814休屋 4/15〜11/10運転    (上り)      休屋0745→1113青森 4/15〜11/10運転      休屋0905→1233青森 4/25〜11/5運転      休屋1005→1347青森 7/1〜10/31運転      休屋1105→1447青森 4/25〜11/5運転      休屋1215→1547青森 4/15〜11/10運転      休屋1315→1643青森 4/25〜11/5運転      休屋1315→1701浅虫 4/25〜11/5運転      休屋1355→1723青森 6/1〜10/31運転      休屋1435→1804青森 4/15〜11/10運転      休屋1510→1842青森 6/1〜10/31運転      休屋1620→2002青森 4/15〜11/10運転      休屋1705→2026青森 7/1〜8/23運転    青森〜十和田湖温泉 1往復(7/1〜10/31運転)    蔦温泉〜休屋 1往復(7/1〜10/31運転)    青森〜浅虫 10〜30分毎(所要45分)     青森発0555〜1930・浅虫発0650〜2025 ・1970(S45)年10月1日から十和田北線がマルスに収容され、バス指定券制度が  発足した。横江明「最近における国鉄自動車線の座席予約電算化計画について」  (「国鉄線」1970(S45)年9月号所収)によると、1970(S45)年10月1日発のも  のから、十和田北線の電算化(マルス103系への収容)が実施された。十和田  北線については、国鉄バス利用の十和田観光旅客の60%が青森及び浅虫から入  り込んでおり、そのうちの70%が列車からの周遊旅客であった。そのため、  同線の電算化によって、列車のみならずバスの予約も同時に可能となり旅客サ  ービスの向上が図られるばかりか、電算化によって販売量情報を事前に把握す  ることにより無駄のない輸送手配ができることもメリットに挙げられていた。  収容便は、青森〜休屋間のうち列車接続旅客の多い便を抽出して、青森発7本、  浅虫発2本の計9本を収容した。一方、十和田輸送に充当する車両は、当該年  度の新車を主体に、全国に配属するより先に十和田に供出させている(いわゆ  る十和田方式)。新車は十和田輸送終了後を考え、道路条件等配属先の地域の  輸送に合うように新製するので車種の統一が図れない。従って、収容数は最小  座席の48席を基準とした。  <十和田北線電算収容便及び収容数>          青森発 5/1〜31   6/1〜10/31   2便みずうみ1 0540 18両 864人 18両 864人    4便みずうみ2 0635 14両 672人 14両 672人   6便みずうみ3 0730 12両 576人 12両 576人   8便みずうみ4 0830 −−−−− 10両 480人   10便みずうみ5 0920 11両 528人 11両 528人   12便みずうみ6 1020 12両 576人 12両 576人   14便みずうみ7 1130 6両 288人 6両 288人          浅虫発 5/1〜31   6/1〜10/31  1008便あさむし1 0800 4両 192人 4両 192人  1010便あさむし2 0900 −−−−− 3両 144人     合   計    77両3696人 90両4320人  なお、販売量の情報を輸送日の4日前の10時と前日の10時に受けることとし、  青森自営において4日前に情報を受けその量によって大まかな輸送計画をたて、  前日の情報提供により若干の修正を行っていくシステムとされた。情報ルート  は、中央販売センター所長が発売効率表を出力し、その情況を電話等によって  青森自営所長に伝達することとされた。 ・横山茂三郎「71年は十和田・陸中でかせごう」(「国鉄線」1971年4月号所収)  によると、東京からの最短コースとしてスタートした十和田東線は、沿線に  迷ヶ平以外の景勝地がなく道路事情が悪かったこと等で1965(S40)年開通以来  評判はあまり芳しくなかった。そこで1971(S46)年度は、迷ヶ平経由のルート  とは別に、景勝「白萩平」及び十和田湖三大展望所の1つである発荷峠を経由  して休屋に至るルートを運行することにしたと述べられていた。 ・1971(S46)年4月1日に十和田湖温泉〜十和田湖温泉郷〜焼山が開業した。また、  同年6月21日に青森〜妙見(八甲田大橋経由)が開業した。 ・「観光路線で活躍する国鉄バス」(「国鉄線」1973(S48)年2月号)には、全国  の主要観光路線(8地区)の輸送量と収入が、次のように載せられていた。          走行キロ(千km) 輸送人員(千人) 収入(百万円)          46実績 47見込  46実績 47見込  46実績 47見込   十和田(北南) 1,229 1,255 730 761  317 332   陸中海岸 84 87 72 101 16 23   白樺高原 822 846 627 697 156 183   塩原 360 395 511 562 67 74   志賀草津 1,222 1,321 2,530 2,720 320 440   南房州 437 466 1,285 1,378 83 93   奥能登 324 353 134 142 68 92   桜島 58 65 47 61 11 14  同記事には、十和田北線は、群を抜いて人気の高い十和田湖畔へのメインルート  として、文字通り国鉄バスのドル箱路線となっている、十和田南線は通年運行で、  冬の十和田湖を楽しむ観光客にとって欠くことのできないコースとなっている、  と述べられている。  また、列車との結合輸送には特に重点を置いて、優等列車に接続する国鉄バスの  乗車便予約の電算化(十和田北線)、団体客のみを対象とした青森〜十和田南間  の直通輸送、大館における優等列車「きたぐに」との接続便の設定、「十和田ル  ート周遊券」の発売を実施して旅客誘致に努めていると述べられている。 ・「われら第一線−青森自動車営業所」(「国鉄線」1973(S48)年4月号所収)  には、同自営の除雪隊8名は萱野茶屋を基地として除雪を行っているとある。  十和田北線の特徴は季節波動が大きいことで、1972(S47)年の実績で、10月は  5,281人/日とある。また、「同」(「同」1979(S54)年6月号所収)では、  十和田湖への観光客は年間200万人を越え順調に伸びているがマイカー利用が  多く、国鉄バス利用者は1974(S49)年を境にして減少している、それでも十和  田北線はバス利用者の約半分に当たる40万人余りを輸送しているとあった。 ・青森支店前掲書によると、1975(S50)年2月、東宝映画「八甲田山」現地ロケ  に国鉄バス、同除雪隊が要員(スター、エキストラ)及び撮影機材の長期輸送  に協力したとある。これに関して、神原昭夫「国鉄バス宣伝と映画『八甲田山』  」(「国鉄線」1977(S52)年5月号所収)によると、東宝映画「八甲田山」(  森谷司郎監督、橋本プロダクション作品)の撮影に際して、撮影拠点であった  酸ヶ湯温泉までのロケ隊の移動のため、青森自動車営業所が全面的に除雪の協  力を行う結果となった。映画のタイトルにも「協力−国鉄バス」と挿入される  予定であると述べられていた(実際にエンドロールで「協力−国鉄バス」とク  レジットされていた)。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(4/1,4/15改正)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    休屋・子ノ口〜青森・浅虫 次の12往復    (下り)      休屋0745→1101青森  みずうみ1 4/15〜11/4運転      休屋0910→1222青森  みずうみ3 4/15〜11/10運転      休屋1010→1339青森  みずうみ5 7/1〜10/31運転      子ノ口1204→1456青森 みずうみ7 4/15〜11/10運転      休屋1240→1535青森  みずうみ9 4/25〜11/10運転      子ノ口1414→1651青森 みずうみ11 4/15〜11/10運転      子ノ口1414→1712浅虫 あさむし1 4/25〜11/4運転      子ノ口1454→1732青森 みずうみ13 5/1〜11/4運転      子ノ口1524→1801青森 みずうみ15 4/15〜11/10運転      子ノ口1604→1845青森 みずうみ17 6/1〜11/10運転      子ノ口1644→1914青森 みずうみ19 4/15〜11/4運転      子ノ口1734→2004青森 みずうみ21 7/1〜8/31運転    (上り)      青森0600→0915子ノ口 みずうみ2 4/25〜11/4運転      青森0630→0949子ノ口 みずうみ4 4/15〜11/10運転      青森0730→1108休屋  みずうみ6 4/15〜11/10運転      青森0830→1152休屋  みずうみ8 5/1〜11/4運転      浅虫0800→1131子ノ口 あさむし2 4/15〜11/10運転      青森0940→1234子ノ口 みずうみ10 4/25〜11/10運転      浅虫0920→1236子ノ口 あさむし4 6/1〜10/31運転      青森1035→1415休屋  みずうみ12 4/15〜11/10運転      青森1130→1507休屋  みずうみ14 7/1〜11/4運転      青森1230→1524子ノ口 みずうみ16 4/25〜11/10運転      青森1330→1652休屋  みずうみ18 7/1〜10/31運転      青森1440→1742子ノ口 みずうみ20 4/15〜11/4運転   休屋〜子ノ口(区間運転) 下り6本・上り5本(期間運転)   十和田湖温泉・焼山〜青森 1往復(7/1〜10/31運転)   休屋〜蔦温泉 1往復(7/1〜10/31運転)   酸ヶ湯温泉〜青森 4往復(所要1時間49分、4/14,4/19,4/20まで運転)   酸ヶ湯温泉〜ロープウェー駅前 3往復(4/20まで運転)   雲谷スカイランド〜青森 下り8本・上り7本   青森〜浅虫 10〜30分毎(所要40分)    青森発0600〜1940・浅虫発0650〜2040 ・松本哲一「こちら自動車部長・東北」(「国鉄線」1976(S51)年10月号所収)  によると、十和田湖へは青森、三沢、北福岡、弘前及び十和田南の5ルートが  あるが十和田北線(青森口)が全輸送量の4割を占めていると述べられていた。  十和田輸送は、例年4月中旬に開始されて11月上旬に幕を閉じるが、季節波動  が強く、旅客は8月と10月に集中する。ピーク時には定期便の他臨時便60〜80  往復の増発が必要であり、このため車両は他部局からの借受けと管内操配によ  り増車し、要員は管内総動員態勢をとって最高120名の助勤手配を行うと述べ  られていた。また毎年増加を示した輸送量は1975(S50)年度において対前年2  割減となったとある。なお、青森自営には除雪隊があり、十和田北線の早期開  通のため隊員6名が人里離れた冬山にこもり、除雪車3両を駆使して活躍して  いると述べられていた。 ・実国良弘(1982)「国鉄バスと東北新幹線の連けい輸送」(『国鉄線』1982年7月  号所収)によると、1980(S55)年度の主要観光路線の輸送状況は、次の通りであ  った。      区    間      運行回数 所要時間 輸送人員  収入    青森・浅虫〜十和田湖    12.5往復  3:30   36万人  5.0億円    十和田南・大館〜十和田湖  10.0往復  2:20   27万人  1.8億円     久慈〜盛岡          4.0往復  3:30 16万人 1.6億円    岩泉〜盛岡          2.0往復 3:00 5万人 0.4億円    象潟〜鉾立(鳥海山)     4.0往復 0:50 2万人 0.1億円    小国〜飯豊梅花皮荘(朝日岳) 4.0往復 0:54 4万人 0.1億円    西那須野〜塩原温泉・鬼怒川 27.0往復 2:10 120万人 34.0億円    白石〜磐城角田       10.0往復 0:45 31万人 0.4億円    白河〜磐城棚倉       37.5往復 0:44 149万人 24.0億円 ・「国鉄自動車五十年史」によると、毎年度の新製車は小型車(1・3形車)を  除き、十和田南・北線、白樺高原線、陸中海岸線等の観光路線に一旦充当し、  春・夏・秋の波動輸送で活躍させ、11月頃から一般路線に再配属する仕組みと  なっているとある。1979(S54)年度新製車両の主要観光路線波動輸送充当状況  のうち、十和田北線関係では、第1次配属として青森自営に5形車27両が配属  されたが、最終配属は、青森・古川・沼宮内・遠野・一ノ関に18両、岡山に9  両であった。 ・1984(S59)年10月から定期観光バス「おいらせ号」の運行が開始された。 ・1985(S60)年当時、(自)青森、酸ヶ湯温泉、子ノ口及び十和田湖に自動車駅  が存在した(このうち十和田湖駅は十和田南線所属)。また、国鉄バス運行の  拠点として青森自動車営業所(青森)が置かれていた。 ・なお、「鉄道辞典・下」(1958(S33)年)によると刊行当時、接続駅(青森及び  浅虫)の他、子ノ口に駅員配置駅、津軽横内、酸ヶ湯温泉、焼山及び休屋(→  十和田湖)に業務委託駅が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、十和田  北線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    十和田湖・子ノ口〜青森・浅虫 次の11往復    (下り)      十和田湖0745→1051青森 みずうみ1 4/15〜10/31運転      十和田湖0850→1155青森 みずうみ3 4/28〜11/10運転      十和田湖1000→1321青森 みずうみ5 7/21〜11/4運転      子ノ口1125→1412青森  みずうみ7 4/28〜11/10運転      子ノ口1250→1522青森  みずうみ9 4/15〜10/31運転      十和田湖1315→1625青森 みずうみ11 4/28〜11/10運転      子ノ口1420→1655青森  みずうみ15 4/15〜10/31運転      子ノ口1420→1711浅虫  あさむし1 7/21〜10/31運転      子ノ口1510→1745青森  みずうみ17 4/28〜11/10運転      子ノ口1610→1848青森  みずうみ19 4/15〜11/10運転      子ノ口1725→1957青森  みずうみ21 7/21〜8/31運転    (上り)      青森0600→0911子ノ口  みずうみ2 4/28〜11/4運転      青森0730→1108十和田湖 みずうみ6 4/15〜11/10運転      青森0840→1134子ノ口  みずうみ8 4/15〜10/31運転      浅虫0820→1133子ノ口  あさむし2 4/15〜11/10運転      青森0840→1349子ノ口  定観おいらせ7/31〜10/31運転      青森0930→1221子ノ口  みずうみ10 4/15〜11/10運転      青森1040→1418十和田湖 みずうみ12 4/15〜11/10運転      青森1130→1505十和田湖 みずうみ14 7/21〜10/31運転      青森1230→1521子ノ口  みずうみ16 4/28〜10/31運転      青森1330→1624子ノ口  みずうみ52 7/21〜8/31運転      青森1430→1727子ノ口  みずうみ20 4/15〜10/31運転   十和田湖〜子ノ口(区間運転) 下り7本・上り6本(期間運転)   十和田湖温泉・焼山〜青森 1往復(7/21〜10/31運転)   十和田湖・子ノ口〜蔦温泉 1往復(7/21〜10/31運転)   十和田湖〜十和田湖温泉 1往復(7/21〜10/31運転)   雲谷スカイランド〜青森 9往復(所要37分)   青森〜浅虫 10〜30分毎(所要40分)    青森発0600〜1940・浅虫発0645〜2040 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年4月から定期観光バス「おいらせ号」にパノラマバスが配置された。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、十和田北本線では、浅  虫温泉発着の「あさむし号」専用区間である電話局前〜浅虫温泉(南回り)と、  ねぶたの里入口〜ねぶたの里、浅虫線の栄町二丁目〜交通部前及び浅虫温泉〜  県営水族館前が認知された。(浅虫線の栄町二丁目〜交通部前については、青森  支店前掲書に1982(S57)年3月から浅虫線を県立中央病院前経由とするとの記載  がある。) ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、十和田北線はJRバス東北に継承された。 ・民営化時(1987(S62)年4月1日)に青森〜浪岡が開業した(同年9月29日廃止)。 ・1992(H4)年9月18日に「みずうみ号」の一部が青森空港に乗り入れを開始した(  津軽横内〜青森空港を延伸、「みずうみ号」の青森空港経由は後に廃止)。1993  (H5)年4月1日から青森公立大学への乗り入れを開始した。また、同日から観光  物産館〜青森空港のリムジンバスに参入した。さらに同日、八甲田丸前まで路線  を延伸した(後に廃止)。 ・「JRバス時刻表」1994(H6)年4月号(4/1改正)によると、十和田北線には次の  ような系統が設定されていたのを確認できる。  (十和田北線)    十和田湖・子ノ口〜青森・浅虫 次の下り10本・上り11本(定期観光便含む)    (下り)      十和田湖0735→1035青森 みずうみ1 4/1〜11/10運転      十和田湖0850→1150青森 みずうみ3 4/1〜11/20運転      十和田湖1000→1300青森 みずうみ5 4/1〜11/20運転      十和田湖1135→1435青森 みずうみ7 4/1〜11/10運転      十和田湖1245→1545青森 みずうみ9 4/1〜11/20運転      十和田湖1345→1645青森 みずうみ11 4/1〜10/31運転      十和田湖1440→1740青森 みずうみ13 4/1〜11/20運転       子ノ口1540→1810青森 みずうみ15 4/29〜5/8,7/23〜10/31運転      十和田湖1540→1840青森 みずうみ17 4/1〜11/10運転      十和田湖1630→1930青森 みずうみ19 4/29〜5/8,7/23〜10/31運転    (上り)      青森0730→1035十和田湖 みずうみ2 4/1〜11/10運転      青森0830→1135十和田湖 みずうみ4 4/1〜11/20運転      浅虫0840→1157十和田湖 あさむし2 4/1〜10/31運転      青森0850→1420子ノ口  おいらせ2 4/29〜5/8,7/23〜10/31運転      青森0930→1435子ノ口  おいらせ4 4/29〜5/8,7/23〜10/31運転      青森0950→1255十和田湖 みずうみ6 4/1〜11/20運転      青森1100→1405十和田湖 みずうみ8 4/1〜11/10運転      青森1220→1525十和田湖 みずうみ10 4/29〜5/8,7/23〜10/31運転      青森1340→1645十和田湖 みずうみ12 4/1〜11/20運転      青森1440→1745十和田湖 みすうみ14 4/1〜11/20運転      青森1550→1855十和田湖 みずうみ16 4/1〜11/10運転     ※定期観光バス「おいらせ号」の経路は、青森→ねぶたの里→雪中行軍像      →八甲田ロープウェイ→焼山→石ヶ戸→子ノ口(下車見学有)。    十和田湖〜蔦温泉 1往復(4/29〜10/31運転)    子ノ口〜青森空港 1往復(所要2時間25分、4/1〜5/31運転)    酸ヶ湯温泉〜青森空港 2往復(所要55分、4/1〜5/31運転)    ヴィラシティ雲谷〜青森 10往復  (浅虫線)    青森〜浅虫温泉 約30分毎(所要40〜45分)     青森発0555〜2140・浅虫温泉発0640〜2145 ・1998(H10)年に(雲谷→)モヤ高原〜モヤヒルズ〜(石雲谷→)モヤヒルズ入口  が延伸された(モヤヒルズ〜モヤヒルズ入口は2012(H24)年11月末限りで廃止)。 ・2000(H12)年4月1日から「あさむし号」が廃止されたため、電話局前〜浅虫温泉  (南回り)が廃止された。同年11月11日から「みずうみ号」の東八甲田ルート経  由での運行が開始され(萱野茶屋〜谷地温泉が開業)、十和田北線が通年運行さ  れるようになった。 ・2002(H14)年12月1日、東北新幹線八戸開業に伴って、十和田東線「おいらせ号」  (八戸駅西口〜十和田湖)の運行が始まった(八戸駅西口〜十和田湖温泉郷が延  伸された)。これに伴って、同年の冬季は東八甲田ルートの運行が休止された(  翌年の冬季からは東八甲田ルートの運行を再開)。 ・「JR時刻表」2002(H14)年12月号(12/1改正)によると、十和田北線には次のよ  うな系統が設定されていたのを確認できる。    青森〜酸ヶ湯温泉 2往復(3/31まで運転)    八戸駅西口〜十和田湖 次の1往復      八戸駅西口1315→1530十和田湖      十和田湖0820→1035八戸駅西口 ・青森支店監修「JRバス時刻表」2005(H17)年4月1日改正(夏ダイヤ)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていた。  (十和田北本線)    十和田湖〜青森 次の6往復    (下り)      十和田湖0900→1155青森 みずうみ1 4/1〜11/6運行      十和田湖1030→1325青森 みずうみ3 4/1〜11/6運行      十和田湖1200→1455青森 みずうみ5 4/1〜11/6運行      十和田湖1240→1535青森 みずうみ51            4/29〜5/8、7/16〜8/31、9/17〜11/6運行      十和田湖1330→1625青森 みずうみ7 4/1〜11/6運行      十和田湖1500→1755青森 みずうみ9 4/1〜11/6運行    (上り)      青森0840→1135十和田湖 みずうみ2 4/1〜11/6運行      青森0915→1210十和田湖 みずうみ50            4/29〜5/8、7/16〜8/31、9/17〜11/6運行      青森1010→1305十和田湖 みずうみ4 4/1〜11/6運行      青森1140→1435十和田湖 みずうみ6 4/1〜11/6運行      青森1300→1555十和田湖 みずうみ8 4/1〜11/6運行      青森1420→1715十和田湖 みずうみ10 4/1〜11/6運行    十和田湖〜蔦温泉 1往復(4/1〜11/6運行)    酸ヶ湯温泉〜青森 2往復(うち1往復は4/23〜5/31、7/16〜11/6運行)  (十和田東線)    八戸駅西口〜十和田湖 次の3往復    (下り)      八戸駅西口1015→1235十和田湖 おいらせ1 4/1〜11/6運行      八戸駅西口1115→1335十和田湖 おいらせ3 4/1〜11/6運行      八戸駅西口1515→1735十和田湖 おいらせ5 4/1〜11/6運行    (上り)      十和田湖0810→1030八戸駅西口 おいらせ2 4/1〜11/6運行      十和田湖1210→1430八戸駅西口 おいらせ4 4/1〜11/6運行      十和田湖1510→1730八戸駅西口 おいらせ6 4/1〜11/6運行  (横内線)    モヤヒルズ〜青森 4往復(うち土日祝運休2往復)    ヴィラシティ〜青森 3往復(うち土日祝運休1往復、堤橋経由下り2本・     上り1本)    公立大〜青森 18往復(うち土日祝運休12往復、堤橋経由7往復)  (浅虫線)    青森〜浅虫温泉 11往復(うち土日祝運休5往復) ・2006(H18)年12月1日から国道103号宇樽部バイパスの開通に伴って、冬季は同  バイパス経由(瞰湖台を経由しない)となった。2007(H19)年4月からの夏ダイ  ヤでは瞰湖台経由に戻ったが、2008(H20)年4月1日から夏ダイヤの瞰湖台経由  を廃止した。 ・2007(H19)年3月末限りで浅虫線が廃止された。 ・青森支店監修「JRバス時刻表」2007(H19)年4月1日改正(夏ダイヤ)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていた。  (十和田北本線)    十和田湖〜青森 次の7往復    (下り)      十和田湖0730→1025青森 みずうみ1 4/1〜11/11運行      十和田湖0830→1125青森 みずうみ3 4/1〜11/11運行      十和田湖1030→1325青森 みずうみ5 4/1〜11/11運行      十和田湖1230→1525青森 みずうみ7 4/1〜11/11運行      十和田湖1355→1650青森 みずうみ9 4/1〜11/11運行      十和田湖1455→1750青森 みずうみ11 8/4〜8/19,10/6〜10/28運行      十和田湖1530→1825青森 みずうみ13 4/1〜11/11運行    (上り)      青森0730→1025十和田湖 みずうみ2 4/1〜11/11運行      青森0840→1135十和田湖 みずうみ4 4/1〜11/11運行      青森0950→1245十和田湖 みずうみ6 8/4〜8/19,10/6〜10/28運行      青森1010→1305十和田湖 みずうみ8 4/1〜11/11運行      青森1200→1455十和田湖 みずうみ10 4/1〜11/11運行      青森1340→1635十和田湖 みずうみ12 4/1〜11/11運行      青森1530→1825十和田湖 みずうみ14 4/1〜11/11運行    十和田湖〜蔦温泉 1往復(4/1〜11/11運行)  (十和田東線)    八戸駅西口〜十和田湖 次の4往復    (下り)      八戸駅西口0910→1130十和田湖 おいらせ21 8/4〜8/19,10/6〜10/28運行      八戸駅西口1020→1240十和田湖 おいらせ23 4/1〜11/11運行      八戸駅西口1150→1410十和田湖 おいらせ25 4/1〜11/11運行      八戸駅西口1515→1735十和田湖 おいらせ27 4/1〜11/11運行    (上り)      十和田湖0805→1025八戸駅西口 おいらせ20 4/1〜11/11運行      十和田湖1205→1425八戸駅西口 おいらせ22 4/1〜11/11運行      十和田湖1405→1625八戸駅西口 おいらせ24 8/4〜8/19,10/6〜10/28運行      十和田湖1505→1725八戸駅西口 おいらせ26 4/1〜11/11運行  (横内線)    モヤヒルズ〜青森 4往復(うち土日祝運休2往復)    ヴィラシティ〜青森 3往復(うち土日祝運休2往復、堤橋経由下り1本)    公立大〜青森 14往復(うち土日祝運休7往復、堤橋経由5往復) ・2010(H22)年12月4日、東北新幹線新青森開業に伴って、「みずうみ号」を新青  森駅経由に延伸した。2011(H23)年3月12日の東北新幹線「はやぶさ号」運行開  始に合わせて、「みずうみ号」等に「はやぶさカラーバス」6両(H647-10407・  408、H641-10409〜412)を投入した。 ・「JR時刻表」2010(H22)年12月号(12/4改正、冬ダイヤ)によると、十和田北線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    十和田湖〜酸ヶ湯温泉〜新青森駅〜青森 次の3往復(3/31まで運転、東八    甲田ルート)    (下り)      十和田湖0900→1317新青森→1347青森 みずうみ701      十和田湖1040→1457新青森→1527青森 みずうみ703      十和田湖1330→1747新青森→1817青森 みずうみ705    (上り)      青森0755→新青森0820→1242十和田湖 みずうみ700      青森1155→新青森1220→1642十和田湖 みずうみ702      青森1315→新青森1340→1802十和田湖 みずうみ704    八戸駅西口〜十和田湖 次の2往復(3/31まで運転)    (下り)      八戸駅西口1000→1215十和田湖 おいらせ91      八戸駅西口1315→1530十和田湖 おいらせ93    (上り)      十和田湖0900→1115八戸駅西口 おいらせ90      十和田湖1500→1715八戸駅西口 おいらせ92 ・2011(H23)年4月1日から「みずうみ号」下り便(青森行き)を三内丸山遺跡前  経由に変更する(ヴィラシティ雲谷〜三内丸山遺跡前〜新青森駅が開業)予定で  あったが、同年3月11日に東日本大震災が発生し東北新幹線にも甚大な被害が  生じたとともに燃料不足等により「みずうみ号」も運休となった。同年4月29日  から東北新幹線全線運行再開に合わせて「みずうみ号」も新ルートで運行を再開  した。 ・青森支店監修「JRバス時刻表」2012(H24)年4月1日改正(夏ダイヤ)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていた。  (十和田北本線)    十和田湖〜青森 次の7往復    (下り)      十和田湖0830→1114新青森→1129青森 みずうみ1 4/1〜11/4運行      十和田湖0910→1154新青森→1209青森 みずうみ3                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      十和田湖1020→1304新青森→1319青森 みずうみ5 4/1〜11/4運行      十和田湖1230→1514新青森→1529青森 みずうみ7                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      十和田湖1350→1634新青森→1649青森 みずうみ9 4/1〜11/4運行      十和田湖1500→1744新青森→1759青森 みずうみ11                        4/21〜5/6,7/14〜11/4運行      十和田湖1600→1844新青森→1859青森 みずうみ13 4/21〜11/4運行    (上り)      青森0750→1035十和田湖       みずうみ2 4/1〜11/4運行      青森0905→新青森0925→1213十和田湖 みずうみ4                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      青森1000→新青森1020→1308十和田湖 みずうみ6                        4/21〜5/6,7/14〜11/4運行      青森1120→新青森1140→1428十和田湖 みずうみ8 4/1〜11/4運行      青森1245→新青森1305→1553十和田湖 みずうみ10 4/1〜11/4運行      青森1320→新青森1340→1628十和田湖 みずうみ12                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      青森1515→新青森1535→1823十和田湖 みずうみ14 4/1〜11/4運行    十和田湖〜蔦温泉 1往復(4/1〜11/4運行)  (十和田東線)    八戸駅西口〜十和田湖 次の4往復    (下り)      八戸駅西口0850→1105十和田湖 おいらせ21                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      八戸駅西口1000→1215十和田湖 おいらせ23 4/1〜11/4運行      八戸駅西口1220→1435十和田湖 おいらせ25 4/21〜11/4運行      八戸駅西口1530→1745十和田湖 おいらせ27 4/1〜11/11運行    (上り)      十和田湖0815→1030八戸駅西口 おいらせ20 4/21〜11/4運行      十和田湖1210→1425八戸駅西口 おいらせ22 4/1〜11/4運行      十和田湖1330→1545八戸駅西口 おいらせ24                        7/14〜8/20,9/15〜11/4運行      十和田湖1520→1735八戸駅西口 おいらせ26 4/1〜11/4運行  (横内線)    モヤヒルズ〜青森 3往復(うち土日祝運休1往復)    ヴィラシティ〜青森 2往復(土日祝運休、堤橋経由下り1本)    公立大〜青森 下り13本(うち土日祝運休5本、堤橋経由2本)・上り     12本(うち土日祝運休5本、堤橋経由3本) ・2012(H24)年11月末限りでヴィラシティ雲谷への乗り入れを廃止した。 ・青森支店監修「JRバス時刻表」2013(H25)年12月1日改正(冬ダイヤ)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていた。  (十和田北線)    青森〜十和田湖(東八甲田経由) 次の1往復      青森1125→新青森1145→1547十和田湖 みずうみ700      十和田湖1355→1757新青森→1814青森 みずうみ701    青森〜酸ヶ湯温泉 2往復  (十和田東線)    八戸駅西口〜十和田湖 次の2往復    (下り)      八戸駅西口0940→1155十和田湖 おいらせ91      八戸駅西口1230→1445十和田湖 おいらせ93    (上り)      十和田湖0910→1125八戸駅西口 おいらせ90      十和田湖1600→1815八戸駅西口 おいらせ92  (横内線)    モヤヒルズ〜青森 4往復(うち土日祝運休1往復、堤橋経由下り2本・     上り1本)    公立大学〜青森 下り13本(うち土日祝運休11本、堤橋経由1本)・上り14     本(うち土日祝運休11本、堤橋経由1本) ・青森支店監修「JRバス時刻表」2014(H26)年4月1日改正(夏ダイヤ)によると、  十和田北線には次のような系統が設定されていた。  (十和田北線)    青森〜十和田湖 次の5往復    (上り)      青森0750→1035十和田湖       みずうみ2 4/26〜11/9運行      青森0900→新青森0920→1208十和田湖 みずうみ4             4/26〜5/6、6/18〜6/30、7/19〜8/31、9/13〜11/9運行      青森0950→新青森1010→1258十和田湖 みずうみ6 4/26〜11/9運行      青森1120→新青森1140→1428十和田湖 みずうみ8 4/1〜11/9運行      青森1330→新青森1350→1638十和田湖 みずうみ10 4/26〜11/9運行    (下り)      十和田湖0915→1159新青森→1214青森 みずうみ1 4/26〜11/9運行      十和田湖1020→1304新青森→1319青森 みずうみ3 4/26〜11/9運行      十和田湖1320→1604新青森→1619青森 みずうみ5             4/26〜5/6、6/18〜6/30、7/19〜8/31、9/13〜11/9運行      十和田湖1505→1749新青森→1804青森 みずうみ7 4/26〜11/9運行      十和田湖1600→1844新青森→1859青森 みずうみ9 4/1〜11/9運行    青森〜酸ヶ湯温泉 2往復(4/1〜4/25運行)    蔦温泉〜十和田湖 1往復(下り4/26〜9/30、上り4/26〜11/9運行)    焼山〜十和田湖 3往復(うち2往復は4/26〜11/9運行、1往復は4/26〜5/6、      6/18〜6/30、7/19〜8/31、9/13〜11/9運行)  (十和田東線)    八戸駅西口〜十和田湖 次の3往復    (下り)      八戸駅西口0900→1115十和田湖 おいらせ21 4/1〜11/9運行      八戸駅西口1110→1325十和田湖 おいらせ23 4/1〜11/9運行      八戸駅西口1240→1455十和田湖 おいらせ25             4/26〜5/6、6/18〜6/30、7/19〜8/31、9/13〜11/9運行    (上り)      十和田湖0805→1020八戸駅西口 おいらせ20             4/26〜5/6、6/18〜6/30、7/19〜8/31、9/13〜11/9運行      十和田湖1210→1425八戸駅西口 おいらせ22 4/1〜11/9運行      十和田湖1520→1735八戸駅西口 おいらせ24 4/1〜11/9運行  (横内線)    モヤヒルズ〜青森 5往復(うち土日祝運休2往復、堤橋経由下り2本・     上り1本)    公立大学〜青森 下り10本(うち土日祝運休7本、堤橋経由1本)・上り11     本(うち土日祝運休7本、堤橋経由1本) ・2014(H26)年11月10日から「みずうみ号」(東八甲田ルート)及び「おいらせ号」  は冬季運休となった。 ・2015(H27)年6月現在、十和田北線は、青森〜新青森駅〜酸ヶ湯温泉〜焼山〜十  和田湖、八戸駅西口〜焼山〜十和田湖及び青森市内系統の「横内線」がJRバス  東北によって運行されている。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、十和田北線には接続駅(青森、  野内及び浅虫)の他に酸ヶ湯温泉及び子ノ口に第一種委託駅(自動車駅)が置か  れていた。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【203】八久線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇八久線   八久本線    1 種市−夏井板橋    2 侍浜支所前−侍浜   城内線    1 種市−上大沢 1.2 路線略図              ‖ ・           荒屋敷‖ ・      上大沢○−−○−−−○平内口             \‖ |              \ |             種市◎+              ‖ |              ‖ ・              ‖/          岩手玉川○              |              |           北八木○−・              | |              | ◎陸中八木         中野支所前○              |侍浜              |支所前         侍浜◎−−○−−○北限閣           ・  |           ・  |   金田一・軽米<−○−−○夏井板橋           菱倉 |              V             久慈  ※金田一〜軽米〜菱倉〜夏井板橋〜久慈は、軽米線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・八久本線2 侍浜〜侍浜支所前 ・八久本線1 侍浜支所前〜陸中八木〜種市 2.2 掲載 ・55日目 8/13(火) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p258 ・連載誌のみ 陸中八木駅前のつばめバスの写真 2.3 行程 ○侍浜1600→1700種市 八久本線2+1 久慈発 上大沢行 531-7006(いすゞBU04) 2.4 エピソード ・侍浜駅にバスが来て「北限閣経由上大沢行き」のテープが回る。北限閣は、本当  の侍浜の国民宿舎。2人だけの客を乗せて、高原のような段丘の緑の中を海より  に走って「北限閣」に寄り道。海辺に通ずる国民宿舎横の細道を4km近く飛び出  し復乗した模様。 ・国道45号に戻って、陸中八木駅に寄り、種市駅の手前で踏切を渡って旧道へ入る。 3. 路線解説 3.1 S60.6時点の運行状況 ・八久線は、1951(S26)年11月1日に八戸(→本八戸)〜鮫〜種差〜階上〜種市〜陸中  八木〜侍浜〜菱倉が開業したのがルーツである。八戸(→本八戸)〜侍浜は鉄道に  並行しており、八戸線の輸送力補強及び擁護を使命としていた。 ・1952(S27)年1月訂補ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていたの  を確認できる。  (下り)     八戸0600→0923陸中八木     八戸0940→1203陸中八木     八戸1258→1545中野役場     八戸1708→1900種市    角の浜0825→1113川貫    角の浜1230→1519川貫        角の浜1605→1926川貫     種市0600→0652中野役場     種市1000→1053侍浜  (上り)      種市0620→0812八戸    陸中八木0855→1129八戸    陸中八木1230→1456八戸    中野役場1600→1925八戸      川貫0610→0836種市    中野役場1110→1225角の浜          川貫1200→1505角の浜      川貫1700→1926種市 ・その後、1954(S29)年8月1日に種市〜城内、1957(S32)年4月20日に城内〜上大  沢及び小橋〜石倉〜荒屋敷が開業した(種市〜荒屋敷は1972(S47)年10月24日廃止)。 ・1960(S35)年12月25日、中野役場前〜陸中中野が開業した(1969(S44)年8月末限  り廃止)。 ・1961(S36)年5月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていたの  を確認できる。  (下り)    城内0715→0727上大沢    種市0855→0934城内     種市1305→1356上大沢    種市1543→1634上大沢    種市1755→1834城内    侍浜0715→0729侍浜役場 侍浜0815→0829侍浜役場    侍浜0925→0936侍浜役場    侍浜1110→1124侍浜役場    侍浜1315→1329侍浜役場    侍浜1440→1454侍浜役場    侍浜1625→1639侍浜役場    侍浜1715→1729侍浜役場    侍浜1835→1849侍浜役場    侍浜1930→1947侍浜役場  (上り)    上大沢0730→0821種市     城内1000→1039種市    上大沢1409→1500種市    上大沢1640→1731種市    侍浜役場0650→0704侍浜 侍浜役場0746→0800侍浜    侍浜役場0855→0909侍浜    侍浜役場1010→1024侍浜    侍浜役場1205→1219侍浜    侍浜役場1415→1429侍浜    侍浜役場1540→1554侍浜    侍浜役場1650→1704侍浜    侍浜役場1800→1814侍浜    侍浜役場1905→1922侍浜 ・1968(S43)年4月20日には侍浜〜菱倉が廃止されて、八久本線の終点が夏井板橋に  変更された(侍浜支所前〜北野〜夏井板橋開業)。 ・1976(S51)年9月末限りで平内口〜本八戸が廃止された。 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた  のが確認できる。    久慈〜種市〜上大沢 3.0往復    種市〜上大沢 1.0往復    久慈〜陸中八木 3.5往復(うち侍浜経由0.5往復)    久慈→侍浜→北限閣 0.5往復    北限閣→久慈 0.5往復    侍浜→久慈 0.5往復    久慈→侍浜支所前 0.5往復 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた。    久慈〜種市〜上大沢 3.0往復(うち侍浜・北限閣経由0.5往復)    種市〜上大沢 1.0往復    久慈〜陸中八木 3.0往復    久慈→侍浜→北限閣 0.5往復    北限閣→久慈 0.5往復    久慈〜侍浜 1.0往復    久慈→侍浜支所前 0.5往復 ・1986(S61)年8月19日に八戸〜種市中学校前〜岩手玉川が開業し、八戸〜久慈の  特急バスが1日2往復運行を開始した。バス・ジャパン刊行会(1987)「バス・  ジャパンbR」によると、この特急便の経路は、ほぼ国鉄八戸線と並行するが、  列車ダイヤの空白時間帯を埋めようとするもので、今後の国鉄バスの行き方を  示す例として注目される、と述べられていた(62頁)。 ・この特急便の1987(S62)年1月現在のダイヤ及び関係する八戸線の列車ダイヤは  次の通りであった。  【八久線特急便及び八戸線列車】(特急便関係時間帯)   (上り)     久慈0602→0809八戸 2624D      久慈0630→0800八戸 特急便     久慈0730→0935八戸  630D     久慈1333→1538八戸  648D     久慈1440→1610八戸 特急便     久慈1623→1829八戸  656D   (下り)     八戸0714→0910久慈  625D      八戸0845→1015久慈 特急便     八戸1055→1251久慈  635D     八戸1808→1959久慈 1655D     八戸1910→2040久慈 特急便     八戸2002→2154久慈  659D ・八久線は、国鉄民営化及び自動車分離を経てJRバス東北に継承された。 ・民営化後の1988(S63)年3月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定  されていた。  1) 特急便  (上り)    久慈0640→0810八戸    久慈1210→1340八戸  (下り)    八戸0850→1020久慈    八戸1500→1630久慈   ※1988(S63)年4月に乗車した際の特急便停車停留所は次の通り。     八戸、館花下、角の浜、種市中学校前、岡谷口、北八木、中野支所前、     侍浜支所前、夏井駅前、久慈湊、銀行前、久慈。  2) 普通便    久慈〜種市〜上大沢 3.0往復(うち侍浜・北限閣経由0.5往復)    種市〜上大沢 1.5往復    久慈〜陸中八木 3.0往復    久慈〜侍浜 1.5往復    侍浜→北限閣→久慈 0.5往復    久慈〜侍浜支所前 1.0往復 ・1995(H7)年4月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた。  1) 特急便  (上り)    久慈0640→0810八戸    久慈1140→1310八戸  (下り)    八戸0850→1020久慈    八戸1510→1640久慈  2) 普通便    久慈〜種市〜上大沢 2.0往復(うち侍浜・北限閣経由0.5往復)    種市〜上大沢 1.0往復    久慈〜種市 1.0往復    久慈〜陸中八木 2.0往復    久慈→侍浜 0.5往復    侍浜→北限閣→久慈 0.5往復    久慈→侍浜支所前 0.5往復 ・北八木以北が廃止される直前のダイヤ(2004(H16)年12月改正)では、八久線  には次のような便が設定されていた。  1) 久慈〜八戸系統    久慈1125→1315八戸(岩手県内各駅停車)    八戸1510→1650久慈  2) 種市線  (上り)    久慈 侍浜支所 侍浜 北限閣 陸中八木 種市 おおさわ    0703→ 0724 →0735→ 0749    1230→ 1256 →==→ ==→ 1315 →1335→ 1355 土日祝運休    1530→ 1554 →==→ 1558                        1745→ 1805 土日祝運休    1810→ 1836 →==→ ==→ 1900         土日祝運休  (下り)   おおさわ 種市 陸中八木 北限閣 侍浜 侍浜支所 久慈            0700 → ==→==→ 0720 →0750 土日祝運休                 0749→==→ 0757 →0825    0752 →0818→ 0837 → ==→==→ 0855 →0923 土日祝運休    1359 →1419                     土日祝運休                 1558→1615→ 1623 →1651 ・2005(H17)年3月末限りで、八戸〜北八木、種市〜岩手玉川、種市〜(上大沢  →)アグリパークおおさわの各区間、自治体バスとなっていた侍浜〜侍浜支所  前〜北限閣が廃止された。 ・2007(H19)年4月改正ダイヤでは、八久線には次のような便が設定されていた。  (上り)    久慈1200→1250陸中八木 土日祝運休  (下り)    陸中八木0700→0750久慈 土日祝運休    陸中八木1253→1343久慈 土日祝運休 ・その後、久慈支店管内のローカル線全廃に伴って、残った夏井板橋〜北八木〜  陸中八木も2008(H20)年3月末限りで廃止された。 ・2015(H27)年現在の運行状況は以下の通り。  ◇久慈〜侍浜〜上桑畑 久慈市民バス侍浜線  ◇陸中中野駅〜種市駅〜アグリパーク 洋野町営バス 3.3 旅の考察 ・当時の「国鉄自動車路線名称」や1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」  では、八久本線の侍浜支線の区間は侍浜支所前〜侍浜(3.5km)とされていた。  これは、侍浜支所前〜北限閣の各停留所が侍浜支所前に対する指定停留所であっ  たためで、侍浜支所前〜(北限閣〜侍浜支所前)〜侍浜という区間にしたものと解  される。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【204】盛岡金田一急行線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇盛岡金田一急行線    1 盛岡−金田一温泉プール前 1.2 路線略図         Λ三戸         :         +−−・         |  |      金田一|  ○金田一温泉プール前  (→金田一温泉)◎  |         |  ○金田一温泉(→金田一温泉郷)         |  :      九戸通○−−○−−−>軽米・久慈         |  :陸奥矢沢         |  :      矢沢口○−−○仁左平入口         |  田子中央<−−○堀野         |  浄法寺    |  <−−−○−−◎北福岡(→二戸)   陸奥合川\ |        \|         ○鳥越観音前         |       一戸◎         |     岩手野中○−−−−−−−−−−−・         |           |         +−◎小鳥谷      |         ○小鳥谷駅前      |         :           |         ○道地         |         :           |         ○岩手小繋       |         :           |         ○小繋駅前       |         :           |         ○中山         |         :           |         ○岩手御堂       |         :           |         ○尾呂部        |         :      陸中板橋 |    岩手町大町○−−−−−−−−○−−○−−>葛巻・久慈         |        | 陸中田代    平館<−−◎沼宮内     |         |(→いわて沼宮内)|       野原○−−−−−−−−・         |         ○岩手渋民         |         |  十和田湖<−−◎−−>岩泉営業所前        盛岡  ※岩手町大町〜岩手野中は、休止中  ※金田一〜九戸通〜久慈、金田一〜金田一温泉〜陸奥矢沢〜矢沢口は、軽米線  ※北福岡〜堀野〜田子中央、堀野〜矢沢口〜九戸通は、田子線  ※金田一〜上同心町〜三戸は、十和田東線  ※北福岡〜浄法寺、陸奥合川〜鳥越観音前、北福岡〜岩手野中は、二戸線  ※小鳥谷〜岩手野中〜陸中田代は、小鳥谷線  ※沼宮内〜平館は、平館線  ※盛岡〜沼宮内〜岩手町大町〜葛巻〜茶屋場、野原〜陸中板橋は、沼宮内線  ※盛岡〜岩泉営業所前は、早坂高原線  ※久慈〜茶屋場は、平庭高原線  ※盛岡〜十和田湖は、十和田南線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・盛岡金田一急行線1 鳥越観音前〜北福岡〜堀野〜九戸通〜金田一 2.2 掲載 ・54日目 8/12(月) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p252〜254 2.3 行程 ○鳥越観音前1705→1719北福岡 盛岡金田一急行線1 537-5027(日野RC300) ○北福岡1808→1845金田一温泉プール前 盛岡金田一急行線1            北福岡発 金田一温泉行 521-0002(いすゞK-CLM470) 2.4 エピソード ・4号線の一戸〜北福岡〜金田一は盛岡金田一急行線の本数が多いので気楽。  ただし急行線は線名だけで、かつての急行便は姿を消している。 ・金田一温泉行きに乗り継ぐと、花火大会の飾り付けがにぎやかな商店街を通って  金田一駅へ寄り、国道から右へ外れた温泉へ登る。 ・温泉プール前は「自動車線普通旅客運賃表」によれば、正しくは「金田一温泉  プール前」で盛岡金田一急行線の終点になっているが、バスはさらに奥へ登って  いく。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・盛岡金田一急行線は1971(S46)年9月22日に岩手町役場前(→岩手町大町)〜一戸が  開業し、既設区間を含めて盛岡〜金田一温泉プール前の運行を開始した。本路線  は、東北本線の補完、盛岡〜沼宮内〜一戸〜北福岡の都市間輸送、金田一温泉へ  の観光客輸送を使命としていた。 ・国鉄自動車路線名称では「盛岡・金田一温泉プール前間」とされており、沼宮内  本線(盛岡〜岩手町役場前)、一戸線(一戸〜北福岡)、田子線(北福岡〜九戸通)、  軽米本線(九戸通〜金田一)及び湯田線(金田一〜金田一温泉プール前)と重複(いわ  ゆる「二重戸籍」)していた。 ・開業時の運行系統は、盛岡〜金田一温泉プールで1日3往復の運行だった。1972  (S47)年1月現在のダイヤは次の通りであった。  (下り)    盛岡発:0710・1410・1640  (上り)    金田一温泉発:0710・1030・1735    所要時間2時間20分 ・1975(S50)年12月現在のダイヤでは次の3往復が設定されていた。  (下り)    盛岡0705→1003金田一温泉    盛岡1400→1648金田一温泉    盛岡1620→1906金田一温泉  (上り)    金田一温泉0700→0944盛岡    金田一温泉1042→1330盛岡    金田一温泉1737→2017盛岡 ・その後、1978(S53)年8月現在のダイヤでは次の1往復に減っていた。  (下り)    沼宮内0800→0948金田一温泉  (上り)    金田一温泉1040→1330盛岡 ・盛岡金田一急行線は並行する東北本線の改良によって輸送が移行したため、  1983(S58)年11月に休止されたが、休止直前の同年9月現在のダイヤでは、  沼宮内発着に短縮された次の1往復が設定されていた。  (下り)    沼宮内0743→0928金田一温泉  (上り)    金田一温泉1150→1330沼宮内 ・従って、1984(S59)年当時の「自動車線普通旅客運賃表」の盛岡金田一急行線  の項では、盛岡〜岩手町大町相互間及び小鳥谷駅前〜金田一温泉プール前相互  間の運賃が記載され、岩手町大町〜小鳥谷駅前を跨ぐ運賃は記載されていない。 3.2 旅から30年 ・1983(S58)年11月に長期休止となったまま、国鉄民営化及び自動車分離を経て、  盛岡金田一急行線はJRバス東北に継承されたが運行されることはなく、1991  (H3)年以降は「交通年鑑」の同社路線の一覧からも削除されていた。 ・1991(H3)年4月1日からJRバス東北が東北自動車道経由の盛岡〜金田一温泉  郷(後に二戸に短縮)の高速バス「すーぱー湯〜遊」が運行されているが、この  路線を「盛岡・金田一高速線」と記載した路線図も見られる。 3.3 旅の考察 ・一戸〜金田一温泉は、一戸線・田子線・軽米本線・湯田線と細分化されているが、  当時から一体となって運行している。最長片道きっぷでは、この区間がひとまと  めになった「盛岡金田一急行線」を用いているが、運賃表に運賃が記載されてお  り、間違いとは言えないが、本来の急行線は休止中であるため、この経路表示は  疑問が残る。 ※補足「
小鳥谷〜一戸〜金田一温泉〜三戸の推定路線図
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【205】軽米線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇軽米線   軽米本線    1 金田一−久慈    2 久慈湊−京ノ森−久慈   湯田線    1 金田一−矢沢口   夏井線    1 夏井橋−陸中川代 1.2 路線略図         Λ三戸         :         +−−・         |  |      金田一|  ○金田一温泉プール前  (→金田一温泉)◎  |         |  ○金田一温泉(→金田一温泉郷)         |  : スケート場入口          種市         |  :   ●              Λ         |  :   ‖ 観音林      陸中大野|      九戸通○−−○−−−○−−○−−○−−○−−○−−○夏井板橋         |  :陸奥 青少年  軽米 小玉川    |         |  :矢沢 の家前        ○−−−○夏井橋      矢沢口○+−○−○仁左平        陸中川代 |         ||仁左平入口               ◎陸中夏井         |・−○県立病院              |   田子中央<−○堀野                 ・…○久慈湊         |                   : |         V                京ノ森○ |        北福岡                  : |             盛岡・葛巻・茶屋場<−−−○−−+−+−◎久慈                       川貫(→営業所前)|                               V                             野田・普代  ※久慈湊〜京ノ森〜久慈、金田一温泉〜陸奥矢沢〜仁左平入口は、休止中  ※仁左平入口〜仁左平、矢沢口〜県立病院は、路線名称に無い  ※種市〜夏井板橋は、八久線  ※盛岡〜岩手町大町〜小鳥谷駅前〜金田一温泉プール前は、盛岡金田一急行線  (九戸通〜金田一〜金田一温泉プール前は、軽米線との重複区間)  ※北福岡〜堀野〜田子中央、堀野〜矢沢口〜九戸通は、田子線  ※金田一〜上同心町〜三戸は、十和田東線  ※盛岡〜葛巻〜茶屋場は、沼宮内線  ※久慈〜川貫〜茶屋場は、平庭高原線  ※久慈〜陸中野田駅前〜普代駅前は、陸中海岸線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・盛岡金田一急行線1(軽米本線1) 九戸通〜金田一 ・湯田線1 金田一〜金田一温泉プール前〜金田一温泉〜陸奥矢沢 ・軽米本線1 陸奥矢沢〜軽米〜陸中大野〜夏井駅前 2.2 掲載 ・55日目 8/13(火) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p255〜257 ・連載誌のみ 金田一駅の写真 2.3 行程 ×金田一温泉0855→0905金田一 湯田線1 金田一温泉発 北福岡行 521-5005  ※金田一温泉〜陸奥矢沢(休止区間)が未乗 ○金田一0912→1000軽米 軽米本線1 北福岡発 軽米行 531-1007(いすゞK-CLM500) ○軽米1231→1354久慈 軽米本線1 軽米発 久慈行 537-5001(日野RE100) 2.4 エピソード ・金田一温泉から湯田線で陸奥矢沢に出る路線はないということで、金田一行きと  軽米行きを乗り継ぐ。陸奥矢沢までは運休区間かもしれない。 ・国道395号でゆるやかな猿越峠を越えた、盆地のように開けている軽米は大きな  街で歩行者も多い。軽米の中心部は直角のカーブが多い、宿場町とのこと。 ・2分停車の陸中大野の町も鍵型道路で、軽米と違って人影は少ない。 ・夏井駅前の次が鉄道と同名駅かと思っていたら駅には寄らない。陸中夏井は本線  上になければ少々おかしいが、バス路線が理屈どおりにゆかないのには慣れっこ  になった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・軽米線は、1943(S18)年11月20日に久慈〜小軽米〜軽米〜九戸通が貨物営業を開  始したのがルーツであり、戦後、1947(S22)年3月31日に九戸通〜陸中大野が軽  米西線として、陸中大野〜久慈が軽米東線として旅客を含む一般営業を開始した。  本路線は、東北本線金田一駅と八戸線との短絡を使命としていた。 ・当初、軽米西線は二戸線の支線、軽米東線は沼宮内東線の支線であったが、1957  (S32)年に軽米線として独立した。 ・1948(S23)年2月現在ダイヤでは、陸中大野で金田一・軽米方面からの便と久慈  方面からの便が連絡するダイヤとなっており、軽米線には次の系統が設定されて  いたのを確認できる。   金田一・軽米〜陸中大野 4往復、   陸中大野〜久慈 4往復   (下り)      軽米0530→0552陸中大野0720→0905久慈 201便〜21便     金田一0650→0947陸中大野1005→1150久慈 203便〜23便     金田一0950→1302陸中大野1330→1515久慈 205便〜25便     金田一1335→1702陸中大野1720→1905久慈 207便〜27便   (上り)     久慈0612→0807陸中大野0830→1124金田一 22便〜204便     久慈0947→1142陸中大野1200→1514金田一 24便〜206便     久慈1257→1452陸中大野1510→1809金田一 26便〜208便     久慈1612→1807陸中大野1830→1852金田一 28便〜210便   金田一〜軽米 1往復   陸中夏井〜久慈 5往復 ・1953(S28)年7月5日に陸中夏井〜下夏井(後の夏井線の一部)が開業し、1954  (S29)年9月28日に下夏井〜陸中川代が延長された。 ・1955(S30)年5月改正ダイヤでは、軽米線には次の系統が設定されていたのを  確認できる。   金田一〜久慈〜川貫 2往復   軽米〜久慈〜川貫 2往復   金田一〜陸中大野 1往復   金田一〜小軽米 1往復   金田一〜軽米 下り1本、   川代〜久慈〜川貫 3往復  このうち、金田一・軽米〜久慈系統のダイヤは次の通りであった。   (下り)           軽米0600→大野0659→0821久慈→0828川貫     金田一0705→軽米0814→大野0915→1035久慈→1042川貫           軽米1215→大野1316→1436久慈→1443川貫     金田一1505→軽米1619→大野1726→1846久慈→1851川貫   (上り)     川貫0645→久慈0655→大野0835→0942軽米→1055金田一     川貫1000→久慈1012→大野1134→1233軽米     川貫1410→久慈1422→大野1544→1645軽米→1756金田一     川貫1700→久慈1712→大野1834→1933軽米 ・1956(S31)年10月20日に二戸本線の一部として金田一〜温泉プール前〜陸奥矢沢  〜矢沢口(後の湯田線)が開業した。 ・1957(S32)年4月20日に八久線の一部として中ノ橋〜京の森〜久慈湊が開業した。 ・1960(S35)年8月20日に増子内〜大道口(後の大道口線)が開業した(1977(S52)  年4月末限り廃止)。 ・1967(S42)年7月現在ダイヤでは、軽米線には次の系統が設定されていたのを  確認できる。   北福岡〜久慈 4往復   (下り)     北福岡0635→1026久慈     北福岡1000→1321久慈     北福岡1330→1701久慈     北福岡1530→1858久慈   (上り)     久慈0705→1034北福岡     久慈0900→1230北福岡     久慈1145→1506北福岡     久慈1530→1854北福岡   北福岡〜陸中大野 1往復   北福岡〜軽米 3往復   軽米〜久慈 1往復 ・1973(S48)年から旅客の利用傾向に合わせた観光直通ルート新設の一環として、  十和田湖と陸中海岸の観光直通便が新設された。1976(S51)年ダイヤでは、北山  崎〜休屋(→十和田湖)に「十和田陸中号」が7/20〜10/17の間、次のように1往  復が設定されていた。「十和田陸中号」は金田一〜久慈で軽米線を経由していた  が、「国鉄監修交通公社の時刻表」の軽米線の欄では観音林、小軽米が通過と  表示されており、軽米線内は急行運転を行った模様である。  (下り)   休屋0810→金田一1014→軽米1052→陸中大野1120→久慈1300→1426北山崎  (上り)   北山崎1020→久慈1240→陸中大野1320→軽米1348→金田一1424→1628休屋 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、軽米線には次の系統が設定されていたのを  確認できる。    北福岡〜軽米  下り7本・上り5本    北福岡〜小玉川 下り1本・上り3本    軽米〜久慈   下り2本・上り3本    観音林〜久慈  下り1本 ・1985(S60)年当時、線内の軽米と陸中大野に自動車駅が存在した。また、国鉄バス  運行の拠点として、北福岡自動車営業所(北福岡)、同軽米支所(軽米町内)、  久慈自動車営業所(川貫)が置かれていた。 ・なお、湯田線の金田一温泉(→金田一温泉郷)〜陸奥矢沢〜仁左平入口と、軽米  本線の久慈湊〜京ノ森〜久慈は長期休止中であった模様である。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正ダイヤでは、軽米線には次の系統が設定されていた。    北福岡〜久慈   1往復    北福岡〜小玉川  下り1本・上り3本    北福岡〜軽米   下り6本・上り5本    観音林〜軽米   1往復    軽米新町〜小玉川 下り2本    軽米新町〜久慈  2往復 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、軽米本線では県立青少年  の家前〜スケート場入口が、湯田線では仁左平入口〜仁左平、矢沢口〜県立病院  が認知された。このうち、仁左平入口〜仁左平は1983(S58)年11月の北福岡自営  管内路線図で既に描かれている。 ・軽米線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、長期休止区間を含めてJRバス東北  に継承された。 ・1988(S63)年4月21日〜1990(H2)年7月29日の間には、八戸自動車道の開通を受けて  二戸〜軽米の高速便が運行された。 ・二戸営業所監修「時刻表」1989(H1)年3月11日改正によると、軽米線には次の系統  が設定されていた。  (軽米本線)    二戸〜久慈 1往復(所要2時間33分)    二戸〜小玉川 3往復(所要1時間33分)    二戸〜軽米 普通便6往復(うち日祝学休日運休1往復)(所要1時間6分)          高速便1往復(所要40分)    観音林〜軽米 1往復(日祝学休日運休)(所要24分)    軽米新町〜久慈 2往復(所要1時間36分)  (湯田線)    一戸・二戸〜金田一温泉郷 7往復(うち日祝運休1往復、出校日の土曜のみ     運転1往復)(二戸から所要28分)    一戸・二戸〜金田一温泉 下り7本(うち日祝運休2本、二戸〜金田一日祝運     休1本、同土日祝運休1本)・上り8本(うちに祝運休3本、土日祝運休1     本)(二戸から所要24分)    荒屋新町・一戸・二戸〜仁左平 下り14本(うち日祝運休3本)・上り13本(     うち日祝運休2本)(二戸から所要23分)    浄法寺・一戸・二戸〜東北ハーネス 3往復(二戸から所要24分) ・1990(H2)年7月30日、盛岡駅前〜軽米に高速バス(東北・八戸道経由)がJRバス  東北と岩手県北自動車の共同で運行開始された。この高速バスは、1992(H4)年3月  16日から種市ふるさと館発着に延伸され、「ウインディ」と命名された。ウインデ  ィ号の種市側の滞泊は支所・営業所のある軽米であったため、早朝・深夜に軽米〜  種市ふるさと館に急行バス(出入庫便)が運行されていた(各社1往復)。1996(H  8)年8月16日に種市ふるさと館で採録した掲出時刻表によると、この急行便は当時  次のダイヤであった。  (下り:出庫便)    軽米0505→0558種市ふるさと館    軽米0805→0858種市ふるさと館  (上り:入庫便)    種市ふるさと館1730→1823軽米    種市ふるさと館2030→2123軽米  なお、高速バス「ウインディ」は、2002(H14)年11月末限りで盛岡駅前〜軽米病院  の運行に短縮され、2003(H15)年11月末限りでJRバス東北は撤退した。 ・1996(H8)年2月末限りで夏井線が廃止(自治体バス化)された(自治体バスは、久慈  管内ローカル路線整理に伴って、2005(H17)年3月末限りで廃止された)。 ・1998(H10)年には金田一温泉〜温泉センター〜陸奥矢沢及び陸奥荒田〜雇用促進住宅  前〜仁左平入口が開業した。 ・2000(H12)年4月1日には久慈病院の移転に伴って、久慈市内の新線(元木沢〜市営  球場前〜下新井田〜久慈病院前〜銀行前、新中の橋〜久慈小学校前)が開業した。  2002(H14)年4月から循環運行への経路変更に伴い、市営球場前〜元木沢が廃止され、  消防署前〜市営球場前が開業した。 ・岩手県立福岡病院の隣接地への移転(県立二戸病院に改称)に伴い、2004(H16)年5  月1日に矢沢口〜県立病院が廃止され、矢沢口〜県立二戸病院が開業した。 ・2005(H17)年3月末限りで軽米病院〜陸中大野が廃止されて、軽米線は分断された。  その後、陸中大野〜久慈は2008(H20)年3月末限りで廃止された。 ・2015(H27)年現在の運行状況は以下の通り。  ◇二戸駅〜二戸病院〜金田一温泉駅〜温泉センター〜軽米病院 JRバス東北  ◇軽米インター〜陸中大野 岩手県北バス  ◇陸中大野〜久慈駅 久慈市民バス 大野線  ◇久慈〜夏井橋〜陸中川代 久慈市民バス 川代線 ・ただし、当時に比較し、二戸市内で以下の経路変更があった。  ◇湯田線 金田一温泉〜金田一温泉センターが開業し、旧区間である金田一温泉   〜金田一温泉郷が廃止された。  ◇当時、休止中だった金田一温泉郷〜陸奥矢沢が復活し、軽米線の全便が金田一   温泉センター経由となり、軽米本線 九戸通〜陸奥矢沢は路線廃止となった。  ◇湯田線 仁左平入口〜矢沢口が、田子線 堀野〜九戸通に組み込まれた。 3.3 旅の考察 ・1983(S58)年11月の北福岡自営管内路線図では、夏井駅前の他に八戸線陸中夏井駅  にも北福岡からの営業キロが記載されており、両者の間は0.1kmであることが分か  るが、両者の間は路線で結ばれていない。 ・開業当時は陸中夏井駅まで乗り入れていたが、その後、夏井駅前を新設し、両者の  間を休止したか? ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の軽米線の部には、久慈湊〜京ノ森  〜久慈、金田一温泉〜陸奥矢沢〜矢沢口の運賃が載っておらず、両区間は長期休  止中であったものと解される(後者については上記の北福岡自営管内路線図では  描かれている)。また、運賃表には載っていないが、矢沢口〜仁左平入口〜仁左  平は、当時既に営業されていたものと思われる。 ※補足「
小鳥谷〜一戸〜金田一温泉〜三戸の推定路線図
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【206】田子線 ※北福岡〜堀野〜九戸通は「二戸線」に記載 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇田子線    1 北福岡−田子中央    2 堀野−九戸通 1.2 路線略図    青森     Λ     |  迷ヶ平 清水頭 田子 田子中央 上同心町  宇樽部○………○………○−−−○−○……………○……◎三戸     |          ・  |     :     |         ・   +−○   :金田一(→金田一温泉)     ○十和田湖    ・    |サンモール◎−−・     |(←休屋)   ○     |たっこ  |  |金田一温泉  発荷峠○      ・夏坂    |     |  ○(→金田一温泉郷)     |     ・       |     |  :   中滝○…………○     大平原○  九戸通○−−○−−>軽米・久慈     |   白萩平       |     |  :陸奥矢沢     V             |     |  :   十和田南            |  矢沢口○−−○仁左平入口                   |     |                   | 下斗米 |                上斗米○−−○−−○堀野                   |     |                   |     |             浄法寺<−−○−−−−−◎北福岡(→二戸)                  御返地    |                         V                        一戸  ※田子中央〜サンモールたっこは、路線名称に無かった  ※青森〜宇樽部〜十和田湖は、十和田北線  ※盛岡〜岩手町大町〜小鳥谷駅前〜金田一温泉プール前は、盛岡金田一急行線  (北福岡〜堀野〜九戸通は、田子線との重複区間)  ※金田一〜九戸通〜軽米〜久慈、金田一〜金田一温泉〜矢沢口は、軽米線  ※金田一〜上同心町〜田子中央〜宇樽部、上同心町〜三戸は、十和田東線  ※北福岡〜御返地〜浄法寺、御返地〜上斗米は、二戸線  ※十和田南〜中滝〜十和田湖、中滝〜白萩平〜田子は、十和田南線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・盛岡金田一急行線1(田子線1) 北福岡〜堀野 ・盛岡金田一急行線1(田子線2) 堀野〜九戸通 (以下、盛岡金田一急行線の項を参照。) 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・田子線は、1939(S14)年11月25日に二戸線の一部として福岡長嶺〜北福岡(→二戸)が  開業し、1942(S17)年9月1日に福岡長嶺〜金田一が開業した開業したのがルーツで、  1953(S28)年7月5日に福岡長嶺〜上斗米、1954(S29)年8月1日に上斗米〜田子〜  上田子が開業した。本路線は、東北本線の培養線として沿線地域の産業文化の発展助  長を使命としていた。 ・1954(S29)年8月改正ダイヤでは、田子線には次の系統が設定されていたのを確認  できる。   北福岡〜田子  2往復    (北福岡発0810・1640、田子発0740・1340、所要2時間30分)   北福岡〜上斗米 4往復    (北福岡発0550〜1910、上斗米発0800〜1750、所要1時間) ・1955(S30)年5月改正ダイヤでは、次のように北福岡〜上田子、北福岡〜上斗米が  それぞれ3往復ずつ設定されていた。  (下り)    北福岡0600→0650上斗米    北福岡0815→1028上田子    北福岡1022→1115上斗米    北福岡1330→1543上田子    北福岡1635→1843上田子    北福岡1900→1953上斗米  (上り)    上斗米0605→0658北福岡    上斗米0700→0753北福岡    上田子0750→1003北福岡    上斗米1125→1218北福岡    上田子1220→1433北福岡    上田子1625→1838北福岡 ・田子町サイトの「田子町の年譜」には、1963(S38)年、国鉄バス十和田東線運行  開始とあり、「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号(8/20現在)に  よると、一戸〜北福岡〜上斗米〜田子〜白萩平〜中滝〜発荷峠〜休屋に次の2  往復が設定されていたのを確認できる。  (下り)    北福岡0830→1200休屋     一戸0910→1310休屋  (上り)    休屋1410→1740北福岡    休屋1540→1935一戸 ・1967(S42)年7月現在ダイヤでは、田子線には次の系統が設定されていたのを確  認できる。   北福岡〜福岡川代 2往復   北福岡〜上斗米  6往復   北福岡〜下斗米 下り1本 ・1985(S60)年当時は、北福岡(→二戸)〜堀野〜九戸通が、盛岡金田一急行線と  重複していた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正ダイヤでは、田子線には次の系統が設定されていたのを確  認できる。   北福岡〜田子・清水頭 2往復   (下り)     北福岡0738→0859田子     北福岡1610→1742清水頭   (上り)     清水頭0725→0859北福岡     清水頭1552→1724北福岡   田子〜清水頭 下り2本・上り1本   (下り)     田子0708→0720清水頭     田子1535→1547清水頭   (上り)     清水頭1747→1759田子   北福岡〜金田一川 1往復   北福岡〜上斗米〜福岡川代 2往復、   北福岡〜上斗米 2往復   北福岡〜下斗米 1往復(土日祝学休運休) ・田子線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス東北に継承されたが、最  初に1990(H2)年までに大平原以北が廃止され、1996(H8)年3月末限りで上斗米〜  大平原が廃止された。最後まで残った福岡長嶺〜上斗米も、2008(H20)年3月末  限りで廃止された。 ・1989(H1)年3月改正ダイヤでは、田子線には次の系統が設定されていた。   二戸〜田子・清水頭 1往復   (下り)     二戸1615→田子1739→1751清水頭   (上り)     清水頭0716→田子0730→0855二戸   田子〜清水頭 1往復   (下り)     田子0659→0711清水頭   (上り)     清水頭1756→1808田子   二戸〜大平原 4往復(うち1往復は日祝運休)   二戸〜上斗米〜福岡川代 2往復   二戸〜上斗米 1往復   二戸〜下斗米 1往復(日祝学休運休) ・2015(H27)年現在、JRバス東北が二戸〜堀野〜九戸通〜金田一を軽米線への直  通便を含めて運行している。 ・2015(H27)年現在の運行状況は以下の通り。  ◇二戸駅〜上斗米〜大平原 二戸市バス「にこにこ号」  ◇衣更〜田子 田子町コミュニティバス 3.3 旅の考察 ・二戸市内、馬渕川の渡河地点について、元々は天神橋経由であったが、当時は  斗米橋経由で、その後、天神橋経由に戻った。 ※補足「
二戸市バス「にこにこ号」の推定路線図」 ※補足「小鳥谷〜一戸〜金田一温泉〜三戸の推定路線図
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【207】十和田東線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇十和田東線    1 金田一−宇樽部    2 上同心町−三戸 1.2 路線略図    青森     Λ     |  迷ヶ平 清水頭 田子 田子中央 上同心町  宇樽部○………○………○−−−○−○……………○……◎三戸     |          ・  |     :     |         ・   +−○   :金田一(→金田一温泉)     ○十和田湖    ・    |サンモール◎−−・     |(←休屋)   ○     |たっこ  |  |金田一温泉  発荷峠○      ・夏坂    |     |  ○(→金田一温泉郷)     |     ・       |     |  :   中滝○…………○     大平原○  九戸通○−−○−−>軽米・久慈     |   白萩平       |     |  :陸奥矢沢     V             |     |  :   十和田南            |  矢沢口○−−○仁左平入口                   |     |                   | 下斗米 |                上斗米○−−○−−○堀野                   |     |                   |     |             浄法寺<−−○−−−−−◎北福岡(→二戸)                  御返地    |                         V                        一戸  ※金田一〜上同心町〜田子中央、清水頭〜宇樽部、上同心町〜三戸は、休止中  ※青森〜宇樽部〜十和田湖は、十和田北線  ※盛岡〜岩手町大町〜小鳥谷駅前〜金田一温泉プール前は、盛岡金田一急行線  ※金田一〜九戸通〜軽米〜久慈、金田一〜金田一温泉〜矢沢口は、軽米線  ※北福岡〜堀野〜田子中央、堀野〜九戸通は、田子線  ※北福岡〜御返地〜浄法寺、御返地〜上斗米は、二戸線  ※十和田南〜中滝〜十和田湖、中滝〜白萩平〜田子は、十和田南線 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・十和田東線は、1965(S40)年7月1日に、金田一(→金田一温泉)〜田子〜清水頭〜  迷ヶ平〜宇樽部、上同心町〜三戸として開業したのがルーツで、国立公園十和田  へ東北本線一戸・北福岡・金田一の各駅から直接入る観光ルートの使命を有して  いた。 ・1967(S42)年7月改正ダイヤでは、十和田東線は国鉄バス、南部バスを合わせて、  次のような便が設定されていた。  (下り)    一戸0806→北福岡0826→金田一0844→三戸0908→宇樽部1112→1135休屋★    一戸1408→北福岡1428→金田一1446→三戸1510→宇樽部1714→1737休屋     ★印:時刻表欄外に北福岡0826→1137休屋の便は急行「第3十和田」に        接続しますとの注記あり。    三戸0818→宇樽部1021→1044休屋    三戸0848→宇樽部1051→1114休屋  (上り)    休屋0730→宇樽部0754→三戸0956→金田一1019→北福岡1042→1100一戸    休屋1550→宇樽部1614→三戸1816→金田一1838→北福岡1859→1917一戸    休屋1426→宇樽部1450→1654三戸    休屋1526→宇樽部1550→1754三戸 ・1970(S45)年7月現在ダイヤでは、国鉄バスが3往復設定されていた。  (下り)         北福岡0710→金田一0729→三戸0754→宇樽部0953→1015休屋※    一戸0910→北福岡0930→金田一0949→三戸1014→宇樽部1213→1235休屋         北福岡1502→金田一1533→三戸1558→宇樽部1757→1819休屋  (上り)    休屋0810→宇樽部0833→三戸1031→金田一1055→1112北福岡    休屋1110→宇樽部1133→三戸1358→金田一1422→1439北福岡※    休屋1600→宇樽部1623→三戸1821→金田一1845→1902北福岡     ※印:8/31まで運行。 ・横山茂三郎「71年は十和田・陸中でかせごう」(「国鉄線」1971年4月号所収)  によると、東京からの最短コースとしてスタートした十和田東線は、沿線に  迷ヶ平以外の景勝地がなく道路事情が悪かったこと等で1965(S40)年開通以来  評判はあまり芳しくなかった。そこで1971(S46)年度は、迷ヶ平経由のルート  とは別に、景勝「白萩平」及び十和田湖三大展望所の1つである発荷峠を経由  して休屋に至るルートを運行することにしたと述べられていた。 ・1976(S51)年のダイヤでは、4/27〜11/4の間、次の1往復が運行されていた(復  路は白萩平線経由)。  (下り)    一戸0746→北福岡0805→金田一0825→三戸0850→迷ヶ平1012→宇樽部1033    →1054十和田湖  (上り)    十和田湖1500→発荷峠1525→中滝・白萩平経由→三戸1703→金田一1727→    1745北福岡  加えて、7/20〜10/17の間は陸中海岸と十和田湖を結ぶ「十和田陸中号」が十和  田東線・白萩平線経由で次のように1往復設定されていた。  (下り)    北山崎1020→久慈1240→軽米1348→金田一1424→発荷峠1610→1628休屋  (上り)    休屋0810→発荷峠0835→金田一1014→軽米1052→久慈1300→1426北山崎 ・1980(S55)年の秋季は、9/13〜10/12の間次の1往復が運行されていた(復路は白  萩平線経由)。  (下り)    一戸0746→北福岡0805→金田一0825→三戸0850→迷ヶ平1012→宇樽部1033    →1054十和田湖  (上り)    十和田湖1500→発荷峠1523→中滝・白萩平経由→三戸1703→金田一1727→    1745北福岡 ・「交通年鑑1984年版」によると、1982(S57)年7月から国鉄バスの十和田東線は  長期休止になった。なお、1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の十和  田東線の項には、運賃の記載がなく、長期休止中であると解される。(なお、  十和田東線は1983(S58)年11月1日廃止とする資料もある。) ・以上のように、1985(S60)年当時は、金田一・三戸〜田子中央、清水頭〜宇樽部  が長期休止中であり、田子中央〜田子〜清水頭に北福岡(→二戸)から田子線が  乗り入れていた。 3.2 旅から30年 ・十和田東線は、国鉄民営化を経てJRバス東北に継承されたが、田子中央〜清水  頭を除いて長期休止のままであった。田子中央〜清水頭も1990(H2)年までに廃止  され、同時に十和田東線は全廃された模様である。 ・なお、「交通年鑑1991年版」(時点は1990(H2)年度)のJRバス東北の路線名一  覧には十和田東線が記載されていたが、同書1992年版からは載っていなかった。 ・南部バスでは、三戸駅前〜上同心町〜舌崎〜金田一温泉駅〜一戸駅を運行してい  たが、2006(H18).3.31限りで廃止。県境をバスで越える事は出来なくなった。 ・2015(H27)年現在の運行状況は以下の通り。  ◇三戸駅前〜田子 南部バス  ◇サンモール田子〜清水頭〜椛山 田子町コミュニティバス 3.3 旅の考察 ・1955(S30)年に上田子〜中滝が十和田東線(十和田南線の支線)の名称で開業した  が、本路線の開業に伴って「白萩平線」に改称された。 ※補足「
小鳥谷〜一戸〜金田一温泉〜三戸の推定路線図
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【208】二戸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇二戸線   二戸本線    1 北福岡−荒屋新町    2 陸奥合川−鳥越観音前   足沢線    1 御返地−上斗米    2 川代口−福岡川代   一戸線    1 北福岡−岩手野中   女鹿線    1 女鹿口−女鹿新田 1.2 路線略図                        Λ三戸                        :              金田一(→金田一温泉)◎−−・                        |  |金田一温泉                        |  ○(→金田一温泉郷)                        |  :                     九戸通○−−○−−>軽米・久慈                        |  :陸奥矢沢                        |  :                田子中央 矢沢口○−−○仁左平入口                   Λ    |                   |    |                   ○上斗米 |                  / \ |                 /   ・−−○福岡長嶺          岩手足沢○−○岩手蒔前   |                |       |         浄法寺○−○−○御返地 陸奥 |           / 天台寺 \   合川 |      陸奥樋口○     似鳥○−−○−−◎北福岡(→二戸)         /            \ |     中佐井○              \○鳥越観音前       /                +  荒屋新町◎                 |                        |                        ◎一戸                        |                女鹿新田○−−−○女鹿口                        |                    岩手野中○−>葛巻                        |                        ◎小鳥谷                        |                        V                      岩手町大町                       ・盛岡  ※岩手町大町〜小鳥谷駅前は、1983(S58)年11月1日から休止中  ※盛岡〜岩手町大町〜小鳥谷駅前〜金田一温泉プール前は、盛岡金田一急行線  (岩手野中〜一戸〜北福岡は、二戸線との重複区間)  ※金田一〜九戸通〜久慈、金田一〜金田一温泉〜矢沢口は、軽米線  ※北福岡〜福岡長嶺〜上斗米〜田子中央、堀野〜九戸通は、田子線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・一戸線1 岩手野中〜女鹿口〜一戸 ・二戸本線1 荒屋新町〜浄法寺〜陸奥合川 ・二戸本線2 陸奥合川〜鳥越観音前 ・盛岡金田一急行線1(一戸線1) 鳥越観音前〜北福岡 2.2 掲載 ・53日目 8/11(日),54日目 8/12(月) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p272〜273 2.3 行程 ○葛巻1230→1344一戸 小鳥谷・一戸線 葛巻発 一戸行 521-6003(いすゞBU10) ○荒屋新町1430→1505浄法寺 二戸本線 荒屋新町発 浄法寺行                           527-7023(日野RC300) ○浄法寺1521→1557北福岡 二戸本線 浄法寺発 北福岡行 537-8008(日野RE101) ×陸奥合川→鳥越観音前 タクシー ○鳥越観音前1705→1719北福岡 一戸線 発 行 537-5027(日野RC300) 2.4 エピソード ・国道4号線に出ると、青函フェリーの広告看板が見え、いよいよ北海道が近づ  く。 ・北福岡行きに乗り継ぐとやがて右手に渓流が寄り添って鳥越観音前へ乗り換え  の陸奥合川となったが、運転士は接続便なしというので北福岡駅へ直行。 ・陸奥合川〜鳥越観音前間1.4kmを経由するバスは朝夕2本だけらしく、タクシー  代行で細道の路線をたどり、国道4号線沿いの鳥越観音前で下車。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・二戸線は、1939(S14)年11月25日に福岡長嶺〜北福岡〜荒屋新町が開業したのが  ルーツで、東北本線金田一・北福岡と花輪線湯瀬・荒屋新町方面の交通短絡を  図ることを使命としていた。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)の二戸線の項には、本路線は一戸で小鳥谷  線に、陸中大野で八軽線、軽米東線と結ぶ(注:当時、軽米西線は二戸線の支線  であった。)国鉄自動車路線網の一環をなすもので、鉄道に恵まれない岩手県東  北部の、いわゆるチベット高原地帯の交通網を形成している意義は大きい、と述  べられていた。 ・1948(S23)年3月13日に一戸線(一戸〜北福岡)が開業した。 ・1955(S30)年6月15日には大柳〜湯瀬(後の湯瀬線)が開業し(1970(S45)年10月  15日廃止)、1957(S32)年7月20日に御返地〜岩手蒔前〜上斗米、1959(S34)年7  月30日に陸奥合川〜鳥越観音前、1960(S35)年8月20日に女鹿口〜上女鹿(後の  女鹿線)(1965(S40)年12月1日に女鹿新田まで延伸)、1963(S38)年11月25日に  足沢線川代口〜福岡川代の各区間が開業した。 ・1984(S59)年3月末限りで岩手蒔前〜上斗米及び川代口〜福岡川代が休止された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、二戸線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    北福岡〜荒屋新町 下り4本・上り7本    北福岡〜浄法寺 下り7本・上り4本    浄法寺〜荒屋新町 1往復 ・1985(S60)年当時、線内の浄法寺に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として、北福岡自動車営業所(北福岡)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・「北福岡自営管内時刻表」1986(S61)年3月3日改正によると、二戸線には次の  ような系統が設定されていた。  (二戸本線)    北福岡〜荒屋新町 下り3本・上り6本    浄法寺〜荒屋新町 下り4本・上り2本    北福岡〜浄法寺 下り8本・6本    一戸〜浄法寺(北福岡経由せず) 1往復  (足沢線)    北福岡〜御返地〜足沢 2往復    北福岡〜上斗米〜川代 2往復  (一戸線)    一戸〜金田一(北福岡入らず) 下り1本    一戸〜北福岡〜金田一 下り1本・上り2本    一戸〜北福岡〜金田一温泉 1往復    一戸〜北福岡〜仁左平 下り1本・4本    一戸〜北福岡 下り10本・上り5本  (女鹿線)    北福岡〜一戸〜女鹿新田 下り3本(うち出校日の土曜運転、出校日の土曜     運休各1本)    一戸〜女鹿新田 下り2本・上り5本(うち出校日の土曜運転、出校日の土     曜運休各1本) ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、二戸線はJRバス東北に継承された。 ・民営化以後に保土沢〜新安比温泉が開業したが、1995(H7)年10月に廃止された。 ・「二戸営業所管内時刻表」1989(H1)年3月11日改正によると、二戸線には次の  ような系統が設定されていた。  (二戸本線)    二戸〜荒屋新町 下り6本(うち新安比経由1本)・上り7本(うち新安比     経由3本)    浄法寺〜荒屋新町 下り2本(新安比経由)・上り1本(新安比経由)    二戸〜浄法寺 下り7本・上り7本(うちハーネス行2本)    一戸〜二戸〜浄法寺 上り1本(日曜祭日運休)  (足沢線)    二戸〜御返地〜足沢 2往復    二戸〜上斗米〜川代 2往復  (一戸線)    一戸〜二戸〜金田一温泉 下り2本(うち二戸以遠日曜祭日運休、同出校日     の土曜日曜祭日運休各1本)・上り2本    一戸〜二戸〜金田一温泉郷 1往復    一戸〜二戸〜ハーネス 下り1本    一戸〜二戸〜仁左平 下り1本・上り5本(うち日曜祭日運休2本)    一戸〜二戸 下り12本(うち日曜祭日運休2本、出校日の土曜運転1本)・     上り5本  (女鹿線)    二戸〜一戸〜女鹿新田 下り4本(うち出校日の土曜運転、出校日の土曜     運休各1本)    一戸〜女鹿新田 下り1本・上り5本(うち出校日の土曜運転、出校日の土     曜運休各1本)  ※このダイヤでは、陸奥合川〜鳥越観音前の短絡線を経由する便が設定されてい   ない。 ・1996(H8)年3月末限りで御返地〜岩手蒔前〜上斗米、岩手蒔前〜岩手足沢及び川  代口〜福岡川代、女鹿線(女鹿口〜女鹿新田)が廃止された。 ・2000(H12)年4月に諏訪野(一戸〜西法寺間の新設停留所)〜一戸病院〜保健福祉  センターが延伸された。2005(H17)年4月に一戸病院〜保健福祉センターを廃止し  て一戸ショッピングセンター「イコオ」への乗り入れを開始した。 ・2008(H20)年3月末限りで浄法寺〜荒屋新町のローカル便、一戸病院〜イコオが廃  止された。 ・2015(H27)年6月現在、二戸〜浄法寺、二戸〜一戸〜岩手野中がJRバス東北に  よって運行されている。 ・2015(H27)年現在の運行状況は以下の通り。  ◇一戸病院前〜二戸駅〜金田一温泉駅〜金田一温泉センター JRバス東北 ・ただし、当時に比較し、鳥越観音前〜二戸、堀野〜九戸通で経路変更があった。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、二戸線には接続駅(北福岡、  荒屋新町及び一戸)の他に、浄法寺に第一種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ※補足「
小鳥谷〜一戸〜金田一温泉〜三戸の推定路線図」 ※補足「二戸市バス「にこにこ号」の推定路線図
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【209】小鳥谷線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇小鳥谷線    1 小鳥谷−陸中田代 1.2 路線略図      北福岡          江刈川      一戸     市 上 古 葛巻       Λ 姉 冬 部 前 川 Λ       | 帯 部 内 里 戸 |   岩手野中○−○−○−○−○−○−○陸中田代       |           |       +−◎小鳥谷      |       :           |       :           |  岩手町大町○−−−−−−−−−−−・       |       V      沼宮内  ※岩手町大町〜小鳥谷駅前は、1983(S58)年11月1日から休止中  ※盛岡〜岩手町大町〜小鳥谷駅前〜金田一温泉プール前は、盛岡金田一急行線  (岩手町大町〜小鳥谷駅前を除いて二戸・田子・軽米線との重複区間)  ※北福岡〜一戸〜岩手野中は、二戸線  ※沼宮内〜岩手町大町〜陸中田代〜葛巻〜江刈川は、沼宮内線  ※江刈川〜茶屋場は、平庭高原線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・小鳥谷線1 陸中田代〜岩手野中 2.2 掲載 ・53日目 8/11(日)S60.10号 10.東北編(上) 単行本 p250 2.3 行程 ○葛巻1230→1339一戸 沼宮内本線1+小鳥谷線1+一戸線1                     葛巻発 一戸行 521-6003(いすゞBU10) 2.4 エピソード ・一戸行きはローカル便。茅葺屋根が並ぶ垂柳を過ぎ、トウキビ畑の中を行くうち  アカシヤ並木に迎えられた。お客は5、6人程度が乗ったり降りたり。青刈峠を  越えれば杉林と車窓が変化に富む。 ・東北本線の踏切を渡って、何度目かの国道4号線へ合流して岩手野中から小鳥谷  駅前へ寄り道。 3. 路線解説 3.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・小鳥谷線は、1943(S18)年11月20日に沼宮内線の支線として貨物営業を開始し、  戦後の1948(S23)年3月13日に旅客営業を含む一般路線として開業した。 ・本路線は、沼宮内線、平庭高原線、岩泉線(→早坂高原線)とともに、東北本線・  八戸線・山田線相互間の短絡及び沿線地域の産業・文化の発展助長を使命として  いた。 ・1949(S24)年9月現行ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。  (下り)    一戸0750→0950葛巻 81便    一戸1145→1355葛巻 83便    一戸1605→1815葛巻 85便    一戸1810→2010葛巻 87便  (上り)    葛巻0500→0700一戸 82便    葛巻0820→1030一戸 84便    葛巻1210→1420一戸 86便    葛巻1450→1650一戸 88便 ・1956(S31)年9月改正ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。  (下り)    市部内0652→0740葛巻     一戸0800→0940葛巻     一戸1040→1220葛巻     一戸1300→1440葛巻     一戸1600→1740葛巻     一戸1750→1930葛巻  (上り)     葛巻0550→0730一戸     葛巻0810→0950一戸     葛巻1020→1200一戸     葛巻1330→1510一戸     葛巻1530→1710一戸     葛巻1830→1918市部内 ・1957(S32)年に小鳥谷線は沼宮内西線から分離した。 ・1961(S36)年5月改正ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。  (下り)    一戸0610→0750葛巻    一戸0750→0930葛巻    一戸1040→1217葛巻    一戸1315→1452葛巻    一戸1535→1715葛巻    一戸1820→1955葛巻  (上り)    葛巻0550→0730一戸    葛巻0810→0950一戸    葛巻1108→1245一戸    葛巻1328→1505一戸    葛巻1600→1740一戸    葛巻1810→1945一戸 ・1967(S42)年7月現在ダイヤでは、小鳥谷線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。  (下り)    一戸0630→0753葛巻    一戸0850→1013葛巻    一戸1100→1223葛巻    一戸1405→1528葛巻    一戸1705→1828葛巻    一戸1805→1928葛巻  (上り)    葛巻0600→0723一戸    葛巻0800→0923一戸    葛巻1100→1223一戸    葛巻1410→1533一戸    葛巻1620→1743一戸    葛巻1740→1903一戸 ・1985(S60)年12月改正ダイヤでは、小鳥谷線に次のような便が設定されていたの  を確認できる。   一戸〜葛巻・江刈川 4往復   (下り)     一戸0815→0929葛巻     一戸1140→1254葛巻     一戸1550→1704葛巻→1722江刈川     一戸1740→1854葛巻   (上り)            葛巻0610→0724一戸     江刈川0754→葛巻0810→0925一戸           葛巻1230→1344一戸           葛巻1530→1644一戸   冬部〜江刈川 1往復   上前里〜葛巻・江刈川 3往復   古川戸〜葛巻 1往復 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正ダイヤでは、小鳥谷線に次のような便が設定されていた。   一戸〜葛巻・江刈川 4往復   (下り)     一戸0815→0923葛巻     一戸1140→1247葛巻     一戸1550→1659葛巻→1721江刈川     一戸1740→1847葛巻     一戸1820→1927葛巻   (上り)           葛巻0610→0719一戸     江刈川0803→葛巻0818→0927一戸           葛巻1230→1339一戸           葛巻1530→1639一戸           葛巻1701→1810一戸    冬部〜江刈川 1往復    上前里〜葛巻・江刈川 2往復    古川戸〜葛巻 1往復 ・小鳥谷線は、国鉄民営化を経てJRバス東北に継承され、2015(H27)年6月現在、  1985(S60)年当時と変わらない運行が続けられている。 ・2015(H27)年12月1日改正ダイヤでは、小鳥谷線に次の系統が設定されていた。   金田一温泉・二戸〜葛巻・葛巻病院 2往復(土日祝運休)   冬部〜葛巻・葛巻病院 5往復(土日祝運休) 3.3 旅の考察 ・最長片道きっぷの経路は、岩手野中から二戸線の部一戸線で一戸に向かうが、  葛巻発一戸行きのバスは小鳥谷駅に寄り道した。これは、区間外への飛び出し  乗車の扱いである。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【210】平館線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇平館線   平館本線    1 沼宮内−平館    2 久保口−子抱    3 久保口−岩手町役場前    4 上寺田−寺田新田   大更線    1 一方井−大更 1.2 路線略図                  岩手町        寺田新田      役場前  城山・葛巻         ○         ○   Λ         |    一方井  |   |  平館◎−−−−○−−−○−○−−−○−−−◎沼宮内        上寺田 上一 |   |久保口|            方井 |   ○   V          大更◎−−○中関 子抱  盛岡  ※盛岡〜沼宮内〜葛巻は、沼宮内線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・大更線1 大更〜一方井 ・平館本線1 一方井〜上寺田〜平館 2.2 掲載 ・ 53日目 8/11(日) 54日目 8/12(月) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p251〜252 ・連載誌のみ 平館駅の写真 2.3 行程 ○大更1733→1830沼宮内 大更線 大更発 城山行 521-9003(いすゞBU04) ○一方井1240→1300平館 平館本線 沼宮内発 平館行 537-8001(日野RE141) 2.4 エピソード ・平館駅で大更線までの待ち合わせ時間に「みずうみ」のバス指定券予約を試みる。  みどりの窓口のない小駅でバス指定券の性格から講義することとなった。 ・大更線バスは上下列車を受けているがだれも乗らない。 ・バスは上一方井の転回場で一服したから田んぼの中に立つ。 ・管理局のクルマで一方井へ送っていただけたので1本早い平館行き直通がつかま  った。上寺田の三差路をすぎると次第にお客が増え、昨日の大更線とは大違い。  地震直後の平館駅に到着した。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・平館線は、1943(S18)年11月20日に沼宮内〜平館が貨物営業を開始し、翌1944(S19)  年4月25日に沼宮内〜平館で旅客を含む一般営業を開始したのがルーツで、東北  本線と花輪線の短絡と沿線地方の産業文化の発展助長を使命としていた。 ・1948(S23)年2月現在ダイヤでは、次のように沼宮内〜平館3往復、沼宮内〜  一方井1往復が設定されていたのが確認できる。  (下り)    沼宮内0658→0718一方井 91便    沼宮内0755→0901平館  41便    沼宮内1125→1231平館  43便    沼宮内1620→1726平館  45便  (上り)    一方井0721→0741沼宮内 92便     平館0935→1041沼宮内 42便     平館1315→1421沼宮内 44便     平館1825→1931沼宮内 46便 ・平館線は、1957(S32)年に沼宮内西線から分離した。 ・1959(S34)年2月8日に大更線(横田橋〜大更駅前、陸中渋川〜平館郵便局前、  中関〜好摩口)が開業し、同年10月5日に久保口〜沼宮内高校前が開業した。 ・1967(S42)年3月5日に上寺田〜寺田新田が開業した一方、同年10月24日に好摩  〜好摩口、陸中渋川〜山崎が廃止された。 ・1967(S42)年7月現在ダイヤでは、平館線には次の系統が設定されていたのを  確認できる。  (平館本線)    沼宮内〜平館 下り4本・上り5本    沼宮内〜陸中寺田 下り1本  (大更線)    沼宮内〜大更 1往復    沼宮内〜岩手浮島 2往復 ・1979(S54)年11月1日に中関〜好摩が廃止された。 ・最長片道切符の旅当時に近い1985(S60)年12月改正の沼宮内自営管内時刻表では、  平館線に次のような系統が設定されていた。平館口の区間便も設定されていた。  (平館本線)    城山・沼宮内〜平館 5往復    上寺田〜平館 3往復    寺田新田〜平館 下り2本(うち休日運休1本)・上り3本(うち休日運休     1本)    城山・沼宮内〜上一方井 下り5本(うち休日運休1本)・上り7本(うち     休日休校日運休1本)    城山〜役場前 下り1本(休日休校日運休)    平館〜役場前 上り1本(休日運休)    子抱〜城山 上り1本(休日休校日運休)  (大更線)    城山・沼宮内〜大更 2往復 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、沼宮内自動車営業所(沼宮内)  が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正の沼宮内自営管内時刻表では、平館線に次のような系統が  設定されていた。  (平館本線)    城山・沼宮内〜平館 5往復    上寺田〜平館 4往復    城山・沼宮内〜上一方井 下り9本(うち休日運休1本)・上り7本(う     ち休日運休1本)    城山〜役場前 下り1本(休日休校日運休)    子抱〜城山 上り1本(休日休校日運休)  (大更線)    城山・沼宮内〜大更 2往復 ・平館線は、1986(S61)年12月28日に一方井〜黒石温泉が開業し、国鉄民営化及び  自動車分離を経て、JRバス東北に継承された。 ・民営化後は、1990年代に大更線、上寺田〜寺田新田が廃止された後、1995(H7)  年度に久保口〜子抱、上一方井〜平館が廃止された。その他の残された区間も  岩手支所管内ローカル路線廃止によって2004(H16)年3月末限りで全廃された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月「駅営業範囲一覧」によると、平館線には接続駅(沼宮内、  平館、大更及び好摩)のみが置かれていた。 ・平館線の便の多くは、岩手(沼宮内)町内便として城山発着で運行されていた。  沼宮内〜城山(特急便は城山通)では特急便を含めて10分〜2時間の間隔での  運行だった。 ・沼宮内自営と盛岡支所に係る組織の変遷は、次の通りであった。  ◇1988(S63)年4月1日のJRバス東北発足時には、沼宮内営業所と同盛岡   支所であった。  ◇1989(H1)年4月1日の組織改正で、沼宮内営業所は岩手営業所に改称、盛岡   支所を分離し盛岡営業所として独立した。  ◇1990(H2)年7月20日に盛岡営業所は盛岡支店に昇格した。  ◇1996(H8)年12月1日に岩手営業所は盛岡支店岩手支所に格下げされた。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【211】沼宮内線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇沼宮内線   沼宮内本線    1 盛岡−名目入   下屋敷線    1 野原−陸中板橋 1.2 路線略図         Λ一戸         |     岩手野中○−−−−−−−−−−−・         +◎小鳥谷       |         :           |         : 城山通  陸中板橋 | 葛巻 茶屋場    岩手町大町○−−○−−−−−○−−○−−○−−○−−○−−>久慈         |        | 陸中田代   | 江刈川    平館<−−◎沼宮内     |        |         |(→いわて沼宮内)|     荒沢口○==●大平橋       野原○−−−−−−−−○陸中大渡    |         |                 ○上国境         ○岩手渋民             |         |                 |    畜産試験場○=●産業文化センター       ○横道         |                 |      岩泉  十和田湖<−−◎−−−−−−−−○−−−○−−−−○−−−−−>営業所前        盛岡       岩洞湖 早坂高原 名目入     岩手中野  ※岩手町大町〜岩手野中は、休止中  ※盛岡〜岩手町大町〜小鳥谷駅前〜金田一温泉プール前は、盛岡金田一急行線  (盛岡〜岩手町大町は、沼宮内線との重複区間)  ※一戸〜岩手野中は、二戸線  ※小鳥谷〜岩手野中〜陸中田代は、小鳥谷線  ※沼宮内〜平館は、平館線  ※盛岡〜名目入〜岩泉営業所前〜岩手中野は、早坂高原線  ※久慈〜茶屋場は、平庭高原線  ※盛岡〜十和田湖は、十和田南線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・沼宮内本線1 茶屋場〜葛巻〜陸中田代 2.2 掲載 ・53日目 8/11(日) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p249〜250 2.3 行程 ○久慈1000→1145葛巻 平庭高原本線1+沼宮内本線1            臨時特急「白樺」久慈発 盛岡行 647-2975(日野K-RC721P) ○葛巻1230→1339一戸 沼宮内本線1+小鳥谷線1+一戸線1                     葛巻発 一戸行 521-6003(いすゞBU10) 2.4 エピソード ・下りにかかり、久々に信号機が見えると、葛巻町の長い商店街になった。きっぷ  売場もある葛巻駅で小鳥谷線一戸行きに乗り換え。駅横の食堂はラーメンとすし  のセットを売り物にしており、右へ倣えして「中華ざるA」750円也を注文。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・沼宮内線は、岩手県内最初の国鉄自動車として1939(S14)年11月25日に沼宮内西線  沼宮内〜茶屋場が開業したのがルーツで、戦後の1947(S22)年12月25日に江刈線(  →沼宮内線)茶屋場〜国境峠、岩泉線(→早坂高原線)国境峠〜名目入〜岩手落合〜  岩泉〜岩手中野が開業した。 ・沼宮内線は、沼宮内東線(→平庭高原線)、岩泉線(→早坂高原線)とともに、東北  本線、八戸線及び山田線をつなぎ、岩手県内陸部と太平洋岸を直結して、文化産  業の交流を図る、陸上交通の動脈路線としての使命を有していた。 ・1940(S15)年7月改正ダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた  のを確認できる。    沼宮内〜葛巻・茶屋場 4往復(所要2時間)    葛巻〜茶屋場 上り2本    沼宮内〜城山通 6往復 ・1948(S23)年2月現行ダイヤでは、沼宮内西線(沼宮内〜葛巻)には次のような  便が設定されていたのを確認できる。    沼宮内〜葛巻 5往復(所要1時間48分)    沼宮内〜城山通 6往復 ・1952(S27)年1月開業ダイヤでは、沼宮内西線(盛岡〜沼宮内〜葛巻)には次の  ような便が設定されていたのを確認できる。    盛岡〜葛巻 下り2本・上り3本    (下り)      盛岡1000→1316葛巻      盛岡1530→1846葛巻    (上り)      葛巻0520→0836盛岡      葛巻0830→1146盛岡      葛巻1520→1836盛岡    盛岡〜城山通 下り1本(所要1時間30分)    沼宮内〜葛巻 下り5本・上り4本(所要1時間36分)    沼宮内0630→0906葛巻  葛巻0600→0821沼宮内    沼宮内〜城山通 下り14本・上り11本 ・1952(S27)年2月9日に盛岡〜沼宮内の開業が公示された。 ・1953(S28)年1月改正ダイヤでは、盛岡〜岩泉の直通便をはじめ、沼宮内線及び  岩泉線には次のような便が設定されていたのを確認できる。    盛岡〜城山通・葛巻・岩泉 5往復    (下り)      盛岡0800→1428岩泉      盛岡1000→1332葛巻      盛岡1410→2033岩泉      盛岡1620→1946葛巻      盛岡2000→2132城山通    (上り)      城山通0600→0732盛岡       葛巻0600→0926盛岡       岩泉0600→1226盛岡       葛巻1140→1517盛岡       葛巻1520→1846盛岡    沼宮内〜葛巻 1往復(所要1時間1分)    葛巻〜岩泉 4往復(所要1時間27分)    沼宮内〜城山通 下り11本・上り12本    岩手小川〜岩泉 1往復(所要1時間20分) ・1953(S28)年5月28日、盛岡市平戸〜同市日影門外小路〜同市新田町が開業した。  なお、「国鉄自動車路線名称」においては、このような表記方をした区間は他に  存在しなかった。 ・1954(S29)年5月改正ダイヤでは、盛岡〜陸中野田(久慈経由)の直通便をはじめ、  沼宮内線及び岩泉線には次のような便が設定されていたのを確認できる。    盛岡〜城山通・葛巻・岩泉・陸中野田 下り6本・上り7本    (下り)      盛岡0800→1401岩泉      盛岡1030→1626岩泉      盛岡1230→1941小本      盛岡1520→2109岩泉      盛岡1620→2217野田      盛岡2030→2200城山通    (上り)      城山通0600→0730盛岡       葛巻0620→0919盛岡       岩泉0500→1052盛岡       野田0553→1149盛岡       岩泉0753→1342盛岡       岩泉1248→1847盛岡       岩泉1513→2104盛岡    沼宮内〜岩泉 下り1本    (下り)      沼宮内0705→1141岩泉    葛巻〜岩泉 下り1本・上り2本(所要2時間58分)    岩手小川〜岩泉 下り1本(所要2時間20分)    沼宮内〜城山通 11往復 ・1957(S32)年7月18日、滝沢〜柳沢(後の岩手登山線)が開業した(1972(S47)  年10月24日廃止)。 ・1958(S33)年2月21日に陸中板橋〜下屋敷(後の下屋敷線の一部)が開業し、  1961(S36)年5月1日に下屋敷〜陸中大渡(同)が延長され、1965(S40)年12月  12月16日に陸中大渡〜野原が延長されて下屋敷線が全通した。 ・1961(S36)年5月改正ダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていた のを確認できる。    盛岡〜葛巻・岩泉・久慈 6往復    (下り)      盛岡0700→1204久慈      盛岡0805→1345岩泉      盛岡1050→1630岩泉      盛岡1310→1845岩泉      盛岡1515→2021岩泉      盛岡1620→2122久慈    (上り)      葛巻0610→0904盛岡      岩泉0450→0950盛岡      久慈0645→1152盛岡      岩泉0813→1350盛岡      岩泉1310→1850盛岡      久慈1600→2104盛岡    沼宮内・葛巻〜岩泉 1往復    (下り)      沼宮内0650→1110岩泉    (上り)      岩泉1520→1756葛巻    名目入〜岩泉 2往復    沼宮内〜下屋敷 2往復 ・1971(S46)年9月から盛岡〜久慈特急便「白樺号」が運行開始。同年12月現在  のダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されていたのを確認できる。  1) 特急便「しらかば号」 2往復(※急行料金50円との注記あり。)    (下り)      盛岡0820→葛巻1039→1208久慈      盛岡1430→葛巻1647→1816久慈    (上り)      久慈0810→葛巻0944→1156盛岡      久慈1437→葛巻1613→1825盛岡  2) 普通便    盛岡〜沼宮内・葛巻 7往復(葛巻まで所要2時間28分、沼宮内まで55分)    沼宮内〜葛巻 下り3本・上り2本(所要1時間20分)    葛巻〜岩泉 3往復(所要2時間37分) ・「国鉄線」1973(S48)年3月号によると、1972(S47)年3月15日ダイヤ改正で  廃止された、盛岡〜久慈間の急行「うみねこ」(1970(S45)年10月改正で特急  「はつかり」の増発により、急行「三陸」の上野〜盛岡間廃止によって誕生  した。)に代わる陸中の新路線として、平庭高原線に特に力を入れ、特急バス  「白樺号」を昨年より2往復増便したと述べられている。 ・末期(1972(S47)年1月20日訂補)の急行「うみねこ」のダイヤは次の通りで  あった。   (下り)     盛岡1740→2105久慈 109D〜2609D   (上り)     久慈0705→1038盛岡 2602D〜102D ・1972(S47)年11月現在のダイヤでは、沼宮内線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「しらかば号」(12/14までのダイヤ) 4往復    (下り)      盛岡0645→葛巻0844→0954久慈      盛岡0920→葛巻1119→1229久慈      盛岡1530→葛巻1729→1839久慈      盛岡1730→葛巻1929→2039久慈    (上り)      久慈0700→葛巻0815→1009盛岡      久慈0810→葛巻0925→1119盛岡      久慈1300→葛巻1415→1604盛岡      久慈1510→葛巻1625→1819盛岡   ※急行料金50円との注記あり。  2) 普通便    盛岡〜葛巻 下り2本・上り3本(所要2時間8分)    盛岡〜沼宮内 下り2本(所要57分)    沼宮内〜葛巻 下り3本・上り1本(所要1時間2分)    葛巻〜岩泉 3往復(所要2時間4分) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1975(S50)年3月号(1/10現在)によると、  沼宮内線には次の系統が設定されていたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」 久慈3往復・葛巻1往復    (下り)      盛岡0725→葛巻0944→1116久慈      盛岡0930→葛巻1152→1324久慈      盛岡1500→葛巻1717→1849久慈      盛岡1725→1942葛巻    (上り)           葛巻0810→1022盛岡      久慈0805→葛巻0947→1159盛岡      久慈1210→葛巻1349→1601盛岡      久慈1520→葛巻1659→1914盛岡   ※急行料金80円との注記あり。  2) 普通便    盛岡〜葛巻 下り1本・上り4本(所要2時間24分)    盛岡〜沼宮内 下り3本(所要55分)    沼宮内〜葛巻 下り3本・上り1本(所要1時間15分)    葛巻〜岩泉 3往復(所要1時間36分) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1976(S51)年4月号(4/1改正)によると、沼宮内  線には次の系統が設定されていたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」 4往復    (下り)      盛岡0650→1009久慈      盛岡0930→1249久慈      盛岡1445→1807久慈      盛岡1730→2054久慈    (上り)      久慈0700→1019盛岡      久慈0810→1129盛岡      久慈1250→1612盛岡      久慈1510→1832盛岡   ※急行料金80円との注記あり。   ※以上の他、7/20〜8/31・9/13〜24に特急便「平庭陸中号」が次のように設    定されていたのを確認できる。    (下り)      盛岡0820→久慈1150→1316北山崎    (上り)      北山崎1545→久慈1710→2024盛岡  2) 普通便    盛岡〜葛巻 下り2本・上り3本(所要2時間26分)    盛岡〜沼宮内 下り1本(所要1時間2分)    沼宮内〜葛巻 下り3本・上り2本(所要1時間4分)    葛巻〜岩泉 3往復(所要2時間3分) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1978(S53)年10月号(8/11現在)によると、沼宮内  線には次の系統が設定されていたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」    (下り)      盛岡0650→1009久慈      盛岡0930→1249久慈      盛岡1445→1807久慈      盛岡1730→2057久慈    (上り)      久慈0700→1019盛岡      久慈0805→1124盛岡      久慈1250→1612盛岡      久慈1510→1832盛岡   ※急行料金100円との注記あり。  2) 普通便    盛岡〜葛巻 下り2本・上り3本(所要2時間26分)    盛岡〜沼宮内 下り1本(所要1時間2分)    沼宮内〜葛巻 下り3本・上り2本(所要1時間4分)    葛巻〜岩泉 3往復(所要2時間3分) ・実国良弘(1982)「国鉄バスと東北新幹線の連けい輸送」(『国鉄線』1982年7月  号所収)によると、1980(S55)年度の主要観光路線の輸送状況は、次の通りであ  った。      区    間      運行回数 所要時間 輸送人員  収入    青森・浅虫〜十和田湖    12.5往復  3:30   36万人  5.0億円    十和田南・大館〜十和田湖  10.0往復  2:20   27万人  1.8億円     久慈〜盛岡          4.0往復  3:30 16万人 1.6億円    岩泉〜盛岡          2.0往復 3:00 5万人 0.4億円    象潟〜鉾立(鳥海山)     4.0往復 0:50 2万人 0.1億円    小国〜飯豊梅花皮荘(朝日岳) 4.0往復 0:54 4万人 0.1億円    西那須野〜塩原温泉・鬼怒川 27.0往復 2:10 120万人 34.0億円    白石〜磐城角田       10.0往復 0:45 31万人 0.4億円    白河〜磐城棚倉       37.5往復 0:44 149万人 24.0億円 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1982(S57)年12月号(11/1現在)によると、沼宮内  線には次の系統が設定されていたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」 4往復    (下り)      盛岡0650→1009久慈      盛岡0930→1249久慈      盛岡1450→1812久慈      盛岡1710→2037久慈    (上り)      久慈0630→0949盛岡      久慈0740→1059盛岡      久慈1250→1612盛岡      久慈1510→1832盛岡   ※急行料金100円との注記あり。   ※以上の他、11/20・21・27に特急便「三陸観光1号」が次のように設定され    ていたのを確認できる(同2号は早坂高原線経由)。      盛岡1050→久慈1427→1727島ノ越港  2) 普通便    盛岡〜葛巻 下り3本・上り2本(所要2時間16分)    沼宮内〜葛巻 下り2本・上り3本(所要1時間4分)    葛巻〜岩泉 3往復(所要1時間46分) ・最長片道切符の旅当時に近い1985(S60)年12月改正ダイヤでは、沼宮内本線には、  平庭高原線と直通して盛岡〜久慈を結ぶ特急便「白樺号」6往復、盛岡・沼宮内  〜葛巻の普通便4往復、葛巻〜岩泉営業所の普通便3往復、葛巻〜上荒沢口・  大平橋の普通便5往復、下屋敷線循環2往復の他、岩手町内の沼宮内〜城山の  区間便等が設定されていた。 ・1985(S60)年当時、沼宮内〜城山(特急便は城山通)では特急便を含めて10分〜2時  間の間隔での運行だった。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、沼宮内本線の畜産試験  場〜産業文化センター、荒沢口〜大平橋が認知された。両区間を加えた沼宮内線  は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス東北に承継された。 ・民営化後は、1995(H7)年度内に盛岡〜沼宮内から普通便が姿を消し、普通便のみ  が経由していた、畜産試験場前〜産業文化センター、盛岡〜大通二丁目〜中央通  〜夕顔瀬橋が廃止された。 ・盛岡〜久慈の特急便「白樺号」には、1999(H11)年4月1日〜2003(H15)年11月末の  間、盛岡IC〜滝沢ICを東北道経由とした「スーパー白樺号」が運行されていた。 ・岩泉営業所監修「JRバス時刻表」2002(H14)年4月1日改正によると、沼宮内  線(岩泉管内分)には次の系統が設定されていた。   岩泉営業所前〜葛巻 1往復(所要1時間30分)   龍泉洞前・岩泉営業所前〜上国境 4往復(うち下り1本は学休日運休、上り    1本は土日祝運休)(所要49分)   小川中学校〜上国境 上り1本(土日祝運休) ・久慈支店監修「JRバス時刻表」2002(H14)年4月1日改正によると、沼宮内線  には次の系統が設定されていた。  1) 特急便「白樺号」 8往復    (下り)      盛岡0620→0900久慈(白樺号)      盛岡0840→1110久慈(スーパー白樺号)      盛岡1030→1300久慈(スーパー白樺号)      盛岡1200→1440久慈(白樺号)      盛岡1350→1620久慈(スーパー白樺号)      盛岡1450→1735久慈(白樺号)      盛岡1615→1900久慈(白樺号)      盛岡1900→2140久慈(白樺号)    (上り)      久慈0600→0845盛岡(白樺号)      久慈0700→0930盛岡(スーパー白樺号)      久慈0950→1230盛岡(白樺号)      久慈1100→1340盛岡(白樺号)      久慈1230→1500盛岡(スーパー白樺号)      久慈1440→1725盛岡(白樺号)      久慈1550→1835盛岡(白樺号)      久慈1715→1945盛岡(スーパー白樺号)  2) 高速便「スーパー久慈号」 1往復    (下り)      盛岡1800→2007久慈→2027野田駅    (上り)      野田駅0755→久慈0820→1027盛岡 ・その後、2003(H15)年3月末限りで岩泉管内のローカル路線全廃に伴ってに荒沢口  〜名目入が廃止され、2004(H16)年3月末限りで下屋敷線(野原〜陸中板橋)が廃止  された。 ・2015(H27)年6月現在、盛岡〜沼宮内〜葛巻〜茶屋場に久慈発着の「白樺号」が、  葛巻町内の葛巻病院・葛巻〜大平橋に普通便が、それぞれJRバス東北によって  運行されている。 3.3 旅の考察 ・乗車券の経由欄には「沼宮内線」の文字が見当たらないが、当時の「自動車線普  通旅客運賃表」の「平庭高原線」の部には葛巻、陸中田代、沼宮内、盛岡の欄が  並び(「茶屋場・盛岡間は沼宮内線」の注記あり)、「小鳥谷線」の部には葛巻  の欄もある(「陸中田代・葛巻間は沼宮内線」の注記あり)ため、あえて沼宮内  線を入れなかったのかも知れない。 ※補足「
沼宮内線の運行状況の推移
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【212】早坂高原線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇早坂高原線   早坂高原本線    1 盛岡−大通三丁目−岩手中野    2 岩手落合−浅内    3 上岩泉−岩泉駅前   有芸線    1 乙茂−上有芸 1.2 路線略図   十和田湖      沼宮内   沼宮内       葛巻          龍泉洞前  平井賀    Λ      早坂 Λ 岩手 岩手     Λ     Λ    |      高原 | 小川 落合 上岩泉 | 乙茂  |  盛岡◎−○−−○−○−−○−−○−−○−−○−−○−−○−−○岩手中野     大通 岩洞湖  名目入    |  | 沢廻  |  |     三丁目            ◎  ◎     |  V                   浅内 岩泉駅前   ○  小本                            上有芸  ※盛岡〜沼宮内〜葛巻〜名目入は、沼宮内線  ※平井賀〜岩手中野〜小本は、陸中海岸線  ※龍泉洞前〜沢廻は、安家線  ※盛岡〜十和田湖は、十和田南線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・早坂高原本線1 二升石〜上岩泉〜岩泉営業所前〜沢廻〜乙茂〜岩手中野 2.2 掲載 ・52日目 8/10(土) 53日目 8/11(日) S61.7 10.東北編(上) p245〜p248 ・連載誌のみ 647-4971の解説、岩泉営業所前の写真 2.3 行程 ○二升石1940→1955岩泉営業所前 早坂高原本線 盛岡発 岩泉営業所前行                          647-4971(日野P-RU606AA) ○岩泉営業所前0705→0803田野畑 早坂高原本・陸中海岸本・田野畑線              岩泉営業所前発 田野畑駅行 531-9004(いすゞBU10) 2.4 エピソード ・二升石バス停はすぐそば。久々のデラックスバスで大半のお客は居眠りをして  おり、夜汽車に似た感じ。空気も淀んでいる。運転手席の後ろにビデオはある  が消えている。終着近く、停留所ごとに1人2人と降りる。「おじいちゃん、  お帰り」と迎えに出ている孫が見えるなど、地元に溶け込んでいるデラバス。 ・田野畑駅行きに乗ったのは、大荷物を持ったおやじさんら地元の人ばかり6人。 ・立派な三陸鉄道北リアス線の築堤が現れ、ガードをくぐって小本駅に寄る。旧道  へ入ったところが岩手中野。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・早坂高原線は、1947(S22)年12月25日に沼宮内西線(→沼宮内線)に接続して、  岩泉線国境峠〜名目入〜岩手落合〜岩泉〜岩手中野及び宇津野〜岩手落合が開業  したのがルーツである。 ・1953(S28)年11月28日に大渡〜釜津田、名目入〜権現、乙茂〜猿沢の各区間が  開業した。 ・1956(S31)年10月20日に猿沢〜上有芸(後の有芸線)が開業した。 ・1967(S42)年7月現在のダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定され  ていたのを確認できる(国鉄、岩手中央の各2往復)。  (下り)    盛岡0720→1134岩泉    盛岡0930→1339岩泉    盛岡1330→1744岩泉    盛岡1630→2044岩泉  (上り)    岩泉0600→1010盛岡    岩泉0820→1230盛岡    岩泉1410→1820盛岡    岩泉1620→2030盛岡 ・1967(S42)年8月1日に大通二丁目〜権現(早坂高原経由)が開業した。 ・1972(S47)年2月6日に鉄道岩泉線開業に伴い、上岩泉〜岩泉駅前が開業すると  ともに、早坂高原線の部として独立した。 ・1972(S47)年11月現在のダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定され  ていたのを確認できる(12/14まで運行、*印岩手中央バス)。  (下り)    盛岡0730→1113岩泉*    盛岡0940→1323岩泉     盛岡1410→1753岩泉*    盛岡1655→2038岩泉   (上り)    岩泉0745→1124盛岡*    岩泉1225→1604盛岡    岩泉1350→1729盛岡*    岩泉1620→1959盛岡 ・国鉄バスにおける鉄道と直結した観光路線の輸送改善の1つとして、1974(S49)  年度に、東北本線盛岡駅から陸中海岸観光ルートの整備として、バスダイヤを  再編成し、平庭高原線及び早坂高原線から観光地(北山崎)へ直接入る直通運  行系統を設けた。 ・また、同年11月22日、盛岡市内の経路を大通三丁目経由に変更した。 ・1980(S55)年8月現在のダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。(*印岩手県交通)(岩泉営業所前〜龍泉洞前は9/25まで  運転)  1) 盛岡〜岩泉営業所・龍泉洞前 国鉄・県交通各2往復   (下り)     盛岡0735→1050龍泉洞前*     盛岡0940→1255龍泉洞前*     盛岡1350→1656岩泉営業所前     盛岡1710→2011岩泉営業所前   (上り)     岩泉営業所前0600→0907盛岡     龍泉洞前1221→1540盛岡     龍泉洞前1352→1707盛岡*     龍泉洞前1602→1917盛岡*  2) 急行便「竜泉号」 国鉄・県交通各1往復    上記の他、急行「竜泉号」(急行料金100円)が次のように設定されていた   のを確認できる(9/25まで運転)   (下り)     盛岡0700→0951龍泉洞前     盛岡0835→1126龍泉洞前*   (上り)     龍泉洞前1152→1443盛岡     龍泉洞前1257→1548盛岡* ・実国良弘(1982)「国鉄バスと東北新幹線の連けい輸送」(『国鉄線』1982年7月  号所収)によると、1980(S55)年度の主要観光路線の輸送状況は、次の通りであ  った。      区    間      運行回数 所要時間 輸送人員  収入    青森・浅虫〜十和田湖    12.5往復  3:30   36万人  5.0億円    十和田南・大館〜十和田湖  10.0往復  2:20   27万人  1.8億円     久慈〜盛岡          4.0往復  3:30 16万人 1.6億円    岩泉〜盛岡          2.0往復 3:00 5万人 0.4億円    象潟〜鉾立(鳥海山)     4.0往復 0:50 2万人 0.1億円    小国〜飯豊梅花皮荘(朝日岳) 4.0往復 0:54 4万人 0.1億円    西那須野〜塩原温泉・鬼怒川 27.0往復 2:10 120万人 34.0億円    白石〜磐城角田       10.0往復 0:45 31万人 0.4億円    白河〜磐城棚倉       37.5往復 0:44 149万人 24.0億円 ・1982(S57)年6月23日の東北新幹線大宮〜盛岡間開業に伴い、新幹線と観光地と  の直通バスの一環として、盛岡〜平庭高原〜久慈〜北山崎展望台〜島ノ越港〜  岩泉〜龍泉洞〜早坂高原〜盛岡を結ぶ、陸中海岸観光バス「三陸観光号」(盛  岡→久慈→島ノ越港(片道1回)、島ノ越港→岩泉→盛岡(片道1回))を運  行した。 ・1982(S57)年11月現在のダイヤでは、早坂高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。(*印岩手県交通)   (下り)     盛岡0750→1046岩泉*     盛岡1050→1346岩泉*     盛岡1500→1756岩泉     盛岡1700→1951岩泉   (上り)     岩泉0600→0855盛岡     岩泉1200→1455盛岡     岩泉1400→1655盛岡*     岩泉1600→1855盛岡*  ※以上の他、11/28までの日月曜に急行便「三陸観光2号」が次のように設定さ   れていたのを確認できる(同1号は平庭高原線経由)。(急行料金100円)   (上り)     島ノ越港0940→龍泉洞前1200→1455盛岡 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、長距離便として盛岡〜岩泉営業所・龍泉洞  前に国鉄・県交通各2往復の他、10/10まで運転の急行「竜泉号」が国鉄・県交  通各1往復設定されていた。  岩泉以東については、岩泉駅前・岩泉営業所〜小本・大牛内に下り2本・上り  3本、岩泉駅前・岩泉営業所〜小本駅前〜陸中海岸線方面に4往復、岩泉営業所  〜普代駅前・久慈の「リアス観光号」(10/10まで運転)3往復がそれぞれ設定  されていたのを確認できる。 ・1985(S60)年当時、線内の岩手小川及び岩泉駅前に自動車駅が存在した。また、  国鉄バス運行の拠点として、岩泉自動車営業所(岩泉営業所前)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・早坂高原線(本線、有芸線)は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス  東北に継承された。 ・民営化後は、1988(S63)年9月1日に有芸線上有芸〜栃の木が延長されたが、1996  (H8)年2月末限りで有芸線は廃止された。その後、2003(H15)年3月末限りで岩泉  中学校前(←沢廻)〜岩手中野、岩手落合〜浅内、上岩泉〜岩泉駅前が廃止された。  これに伴って岩泉営業所も廃止された。 ・岩泉営業所監修「JRバス時刻表」2002(H14)年4月1日改正によると、早坂高原  線には次の系統が設定されていた。   盛岡〜岩泉営業所前・龍泉洞前 国鉄・県交通各3往復(うち国鉄1往復は4/27    〜5/6,8/1〜8/31運行、県交通1往復は4/27〜10/31運行)(所要2時間22分)   岩泉営業所前〜葛巻 1往復(所要1時間30分)   龍泉洞前・岩泉営業所前〜上国境 4往復(うち下り1本は学休日運休、上り    1本は土日祝運休)(所要49分)   小川中学校〜上国境 上り1本(土日祝運休)(所要19分)   岩泉・営業所前〜大牛内 3往復(うち土日祝運休1往復)(所要1時間12分)   岩泉・営業所前〜小本 4往復(所要47分)   岩泉〜小本駅 1往復(所要43分)   岩泉〜営業所前 2往復(うち下り1本は土日祝運休)(所要5分)   岩手日向〜小本駅・小本 2往復(学休日運休)(所要11分) ・盛岡〜岩泉・龍泉洞前は存続したが、2004(H16)年3月末限りで岩手県交通が撤退  し、JRバス東北の単独運行(4往復)となった。 ・2007(H19)年10月9日に盛岡市内の経路変更、同時に、早坂トンネルの開通に伴っ  て経路変更が行われた(早坂高原を通らなくなり、休憩個所を道の駅三田貝分校  に変更)。 ・2009(H21)年12月1日に岩泉町内の経路変更が行われて、岩泉三本松(旧岩泉営業  所前)を経由しなくなった。 ・2015(H27)年6月現在、盛岡〜龍泉洞前がJRバス東北によって運行されている。 3.3 旅の考察 ・最長片道きっぷの旅では、岩泉線から二升石で早坂高原線に乗り換えているが、  浅内〜二升石は鉄道線が2.8kmであるのに対し、自動車線では浅内1.3岩手落合  2.5二升石の計3.8kmであることから、浅内乗り換えの方が1.0km長かった。 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、早坂高原線には接続駅(二升  石、岩泉(岩泉駅前)及び浅内)の他に、岩手小川に自動車駅(第二種委託駅)  が置かれていた。 ・当時の「自動車線普通旅客運賃表」の「早坂高原線」の部によると、岩洞湖、  早坂高原、岩泉営業所前及び小本の各駅は途中下車駅とされていた。また、急行  便「竜泉号」(盛岡・龍泉洞前間)に乗車の場合は、自動車急行料金(大人100  円、小児50円)を別途収受すると記載されていた。 ※補足 押角線(原産地路線)について ・岩泉自動車営業所の前身は、1944(S19)年5月1日に開設された大渡自動車区で  あった。これは、大渡鉱山の耐火粘土を搬出するため、原産地路線である押角線  (押角〜大渡)の基地として開設されたものであった。 ・また、同日から、鉄道小本線(→岩泉線)の岩手和井内〜押角間開通(同年7月  20日までの間、同区間を自動車による臨時運輸営業(貨物)が行われた。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【213】平庭高原線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇平庭高原線   平庭高原本線    1 久慈−茶屋場    2 平庭高原−平庭山頂   津内口線    1 久慈荒町−津内口    2 羽黒山前−森前   陸中小国線    1 陸中山形−陸中小国 1.2 路線略図             久慈              ◎−>普代      金田一・種市<−+              |          ・−−−+          |   ○久慈荒町          |   |          |   ○営業所前(←川貫)          |   |      高校入口○−−−+          |   |        畑田○   ○生出町          |   |      羽黒山前○−−−○森前          |   |       津内口○   |              |        二戸<===○戸呂町口              |              |          陸中山形○−−−−−○陸中小国              |              |        平庭山頂○…○平庭高原              |              ○江刈川              |              |           茶屋場○−>名目入・岩泉営業所前              |              V            葛巻・沼宮内  ※畑田〜久慈荒町は、路線名称に無い  ※平庭高原〜平庭山頂は、休止中  ※種市〜夏井板橋は、八久線  ※金田一〜夏井板橋〜久慈は、軽米線  ※沼宮内〜葛巻〜茶屋場〜名目入は、沼宮内線  ※名目入〜岩泉営業所前は、早坂高原線  ※久慈〜普代駅前は、陸中海岸線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・平庭高原本線1 久慈〜陸中山形〜平庭高原〜茶屋場 2.2 掲載 ・53日目 8/11(日) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p249 ・連載誌のみ 久慈駅前から発車する「白樺号」の写真 2.3 行程 ◇久慈1000→1145葛巻 平庭高原・沼宮内線 臨時特急「白樺」久慈発 盛岡行                           647-2975(日野K-RC721P) 2.4 エピソード ・窓口で100円の急行券を買うと、宣伝上の名称は「特急」なのに、払うのは急行  料金。冷房デラバスに乗ったのは10人ほど。「ビデオテレビ装置車」なのだが  ビデオは切ってあり、高校野球のラジオが流れている。 ・久慈渓流に沿う国道281号は濃い緑一色。平庭高原へ出れば白樺林が広がった。  冬はスキー場になる高原の中心で、交通安全のPRが行われている。 3. 路線解説 3.1 1985(S60)年当時の運行状況 ・平庭高原線は、1943(S18)年11月20日に久慈〜茶屋場が沼宮内本線として開業  したのがルーツである。本路線は、1962(S37)年に沼宮内東線及び沼宮内西線  から分離した。 ・平庭高原線は、沿線地方の産業文化の発展助成を使命としていた他、沼宮内線  と接続して、八戸線と東北本線との短絡の役割を果たしていた。 ・1944(S19)年10月改正ダイヤでは、沼宮内線(久慈〜葛巻)には次のような便  が設定されていたのを確認できる。  (下り)    陸中山形0615→0734久慈 31便      葛巻0730→1010久慈 33便      葛巻1430→1710久慈 35便     大川目1700→1715久慈 37便  (上り)    久慈0640→0810陸中山形 30便    久慈1400→1705葛巻   32便    久慈1635→1650大川目  34便    久慈1730→1859陸中山形 36便 ・1947(S22)年8月改正ダイヤでは、沼宮内東線、沼宮内西線(陸中山形〜葛巻)  には次のような便が設定されていたのを確認できる。   久慈〜陸中山形 5往復(30〜39便、所要1時間43分)   久慈〜大川目 6往復(150・152〜161・163便、所要19分)   久慈〜川貫 8往復   葛巻〜陸中山形 3往復   (下り)     葛巻0630→0808陸中山形     葛巻1100→1238陸中山形     葛巻1520→1658陸中山形   (上り)     陸中山形0830→1023葛巻     陸中山形1300→1458葛巻     陸中山形1720→1813葛巻 ・1955(S30)年5月改正ダイヤでは、沼宮内東線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。   盛岡〜久慈 2往復   (下り)     盛岡0640→葛巻1000→1202久慈     盛岡1620→葛巻1927→2130久慈   (上り)     久慈0640→0843葛巻→1147盛岡     久慈1540→1742葛巻→2057盛岡   久慈〜陸中山形 4往復(所要1時間13分)   久慈〜大川目 1.5往復(所要17分) ・支線については、1956(S31)年10月20日に陸中山形〜陸中小国(後の陸中小国線)  が開業した。また、1957(S32)年4月20日に羽黒山前〜森前、久慈〜津内口(後  の津内口線)が開業した。 ・1959(S34)年5月改正ダイヤでは、沼宮内東線、沼宮内西線(陸中山形〜葛巻)  には次のような便が設定されていたのを確認できる。   盛岡〜久慈 1.5往復   (下り)     盛岡0635→葛巻0936→1139久慈     盛岡1610→葛巻1910→2113久慈   (上り)     久慈0705→0915葛巻→1205盛岡     久慈1545→1749葛巻   久慈〜陸中小国 2往復(所要2時間)   久慈〜陸中山形 1往復(所要1時間7分)   久慈〜新町 下り2本・上り4本(所要26分)   久慈〜大川目 下り7本・上り5本(所要16分)   久慈〜枝成沢 5往復(所要22分) ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号では、平庭高原線には次の  ような便が設定されていたのを確認できる。   盛岡〜久慈 2往復   (下り)     盛岡0650→1134久慈     盛岡1600→2046久慈   (上り)     久慈0720→1208盛岡     久慈1555→2038盛岡   久慈〜陸中小国 2往復(所要1時間58分)   久慈〜陸中山形 1往復(所要1時間7分)   久慈〜大川目 2往復(所要16分) ・1971(S46)年9月から盛岡〜久慈特急便「白樺号」が運行開始。1971(S46)年12  月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されていたのを確認  できる。  1) 特急便「しらかば号」 2往復   (下り)     盛岡0820→葛巻1039→1208久慈     盛岡1430→葛巻1647→1816久慈   (上り)     久慈0810→葛巻0944→1156盛岡     久慈1437→葛巻1613→1825盛岡   ※急行料金50円との注記あり。  2) 普通便    久慈〜陸中小国 2往復(所要1時間48分)    久慈・川貫〜森前 8往復(所要16分) ・「国鉄線」1973(S48)年3月号によると、1972(S47)年3月15日ダイヤ改正で  廃止された、盛岡〜久慈間の急行「うみねこ」(1970(S45)年10月改正で特急  「はつかり」の増発により、急行「三陸」の上野〜盛岡間廃止によって誕生  した。)に代わる陸中の新路線として、平庭高原線に特に力を入れ、特急バス  「白樺号」を昨年より2往復増便したと述べられている。 ・末期(1972(S47)年1月20日訂補)の急行「うみねこ」のダイヤは次の通りで  あった。   (下り)     盛岡1740→2105久慈 109D〜2609D   (上り)     久慈0705→1038盛岡 2602D〜102D ・1972(S47)年11月現在のダイヤでは、平庭高原線線には次のような便が設定さ  れていたのを確認できる。   特急便「しらかば号」(12/14までのダイヤ) 4往復    (下り)      盛岡0645→葛巻0844→0954久慈      盛岡0920→葛巻1119→1229久慈      盛岡1530→葛巻1729→1839久慈      盛岡1730→葛巻1929→2039久慈    (上り)      久慈0700→葛巻0815→1009盛岡      久慈0810→葛巻0925→1119盛岡      久慈1300→葛巻1415→1604盛岡      久慈1510→葛巻1625→1819盛岡   ※急行料金50円との注記あり。 ・「観光路線で活躍する国鉄バス」(「国鉄線」1973(S48)年2月号)には、全国  の主要観光路線(8地区)の輸送量と収入が、次のように載せられていた。          走行キロ(千km) 輸送人員(千人) 収入(百万円)          46実績 47見込  46実績 47見込  46実績 47見込   十和田(北南) 1,229 1,255 730 761  317 332   陸中海岸 84 87 72 101 16 23   白樺高原 822 846 627 697 156 183   塩原 360 395 511 562 67 74   志賀草津 1,222 1,321 2,530 2,720 320 440   南房州 437 466 1,285 1,378 83 93   奥能登 324 353 134 142 68 92   桜島 58 65 47 61 11 14  同記事には、廃止された盛岡〜久慈間急行「うみねこ」にかわる陸中の新路線  として平庭高原線に特に力を入れ、特急バス「白樺号」を昨年より2往復増便  した、この路線は高原路線でありながら、通年運行も可能であるだけに、陸中  への最短路線としてますます脚光を浴びてくることだろう、と述べられていた。 ・1975(S50)年1月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」 盛岡〜葛巻・久慈 4往復   (下り)     盛岡0725→0944葛巻→1116久慈     盛岡0930→1152葛巻→1324久慈     盛岡1500→1717葛巻→1849久慈     盛岡1725→1942葛巻   (上り)          葛巻0810→1022盛岡     久慈0805→葛巻0947→1159盛岡     久慈1210→葛巻1349→1601盛岡     久慈1520→葛巻1659→1914盛岡   ※急行料金80円との注記あり。  2) 陸中小国線 久慈〜陸中小国 2往復   (下り)     久慈1100→1243陸中小国     久慈1730→1914陸中小国   (上り)     陸中小国0642→0826久慈     陸中小国1315→1458久慈 ・1976(S51)年4月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されてい  たのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」 4往復   (下り)     盛岡0650→1009久慈     盛岡0930→1249久慈     盛岡1445→1807久慈     盛岡1730→2054久慈   (上り)     久慈0700→1019盛岡     久慈0810→1129盛岡     久慈1250→1612盛岡     久慈1510→1832盛岡   ※急行料金80円との注記あり。   ※以上の他、7/20〜8/31・9/13〜24に特急便「平庭陸中号」が次のように設    定されていたのを確認できる。    (下り)      盛岡0820→久慈1150→1316北山崎    (上り)      北山崎1545→久慈1710→2024盛岡  2) 陸中小国線 2往復   (下り)     久慈1125→1252陸中小国     久慈1730→1859陸中小国   (上り)     陸中小国0658→0827久慈     陸中小国1322→1449久慈 ・1978(S53)年8月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」 4往復   (下り)     盛岡0650→1009久慈     盛岡0930→1249久慈     盛岡1445→1807久慈     盛岡1730→2057久慈   (上り)     久慈0700→1019盛岡     久慈0805→1124盛岡     久慈1250→1612盛岡     久慈1510→1832盛岡   ※急行料金100円との注記あり。  2) 陸中小国線 2往復   (下り)     久慈1125→1250陸中小国     久慈1730→1857陸中小国   (上り)     陸中小国0700→0827久慈     陸中小国1320→1445久慈 ・実国良弘(1982)「国鉄バスと東北新幹線の連けい輸送」(『国鉄線』1982年7月  号所収)によると、1980(S55)年度の主要観光路線の輸送状況は、次の通りであ  った。      区    間      運行回数 所要時間 輸送人員  収入    青森・浅虫〜十和田湖    12.5往復  3:30   36万人  5.0億円    十和田南・大館〜十和田湖  10.0往復  2:20   27万人  1.8億円     久慈〜盛岡          4.0往復  3:30 16万人 1.6億円    岩泉〜盛岡          2.0往復 3:00 5万人 0.4億円    象潟〜鉾立(鳥海山)     4.0往復 0:50 2万人 0.1億円    小国〜飯豊梅花皮荘(朝日岳) 4.0往復 0:54 4万人 0.1億円    西那須野〜塩原温泉・鬼怒川 27.0往復 2:10 120万人 34.0億円    白石〜磐城角田       10.0往復 0:45 31万人 0.4億円    白河〜磐城棚倉       37.5往復 0:44 149万人 24.0億円 ・1982(S57)年6月23日に平庭高原〜平庭山頂が開業したが、東北新幹線(大宮〜  盛岡)開業に伴って新設された、陸中海岸観光バス「三陸観光号」(盛岡→平庭  高原→久慈→島ノ越港→岩泉→早坂高原→盛岡)の専用区間だった模様である。 ・1982(S57)年11月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いたのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」 4往復   (下り)     盛岡0650→1009久慈     盛岡0930→1249久慈     盛岡1450→1812久慈     盛岡1710→2037久慈   (上り)     久慈0630→0949盛岡     久慈0740→1059盛岡     久慈1250→1612盛岡     久慈1510→1832盛岡   ※急行料金100円との注記あり。   ※以上の他、11/20・21・27に特急便「三陸観光1号」が次のように設定され    ていたのを確認できる(同2号は早坂高原線経由)。   (下り)     盛岡1050→久慈1427→1727島ノ越港  2) 陸中小国線 2往復   (下り)     久慈1127→1247陸中小国     久慈1730→1851陸中小国   (上り)     陸中小国0700→0820久慈     陸中小国1314→1433久慈 ・1985(S60)年8月現在のダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定され  ていたのを確認できる。  1) 特急「白樺号」 6往復   (下り)     盛岡0710→0959久慈     盛岡1035→1325久慈     盛岡1240→1530久慈     盛岡1440→1740久慈     盛岡1640→1940久慈     盛岡1800→2100久慈   (上り)     久慈0700→0950盛岡     久慈0805→1055盛岡     久慈0940→1230盛岡     久慈1250→1540盛岡     久慈1450→1740盛岡     久慈1650→1940盛岡   ※1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」には、「急行便『白樺号』    に乗車の場合は、自動車急行料金(大人100円、小児50円)を別途収受    する」との注記がある。  2) 普通便 久慈〜陸中小国 2往復   (下り)     久慈1100→1217陸中小国     久慈1740→1857陸中小国   (上り)     陸中小国0659→0815久慈     陸中小国1247→1402久慈 ・1985(S60)年当時、(自)久慈と陸中山形に自動車駅が存在していた。また、  国鉄バス運行の拠点として、久慈自動車営業所(川貫→営業所前)が置かれ  ていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されてい  たのを確認できる。  1) 特急便「白樺号」 7往復(うち季節運行1往復)   (下り)     盛岡0710→1010久慈     盛岡0940→1230久慈     盛岡1140→1430久慈     盛岡1340→1630久慈(7/20〜8/31運行)     盛岡1440→1730久慈     盛岡1640→1930久慈     盛岡1800→2050久慈   (上り)     久慈0700→0950盛岡     久慈0805→1055盛岡     久慈0940→1230盛岡     久慈1040→1330盛岡(7/20〜8/31)     久慈1250→1540盛岡     久慈1450→1740盛岡     久慈1650→1940盛岡  2) 普通便    久慈〜陸中小国 2往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回    久慈〜森前 4往復    久慈〜津内口 5往復    久慈〜川貫 5.5往復 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正では、津内口線の畑田〜  久慈荒町、森前〜生出町が認知された。 ・平庭高原線は、国鉄民営化及び自動車分離を経てJRバス東北に継承されたが、  1996(H8)年2月末限りで陸中小国線が廃止(自治体バス化)された。2005(H17)  年3月末限りで、自治体バスとなっていた津内口線の羽黒山前〜津内口が廃止  された。さらに、2008(H20)年3月末限りで久慈管内ローカル線全廃に伴って、  津内口線の残存区間と自治体バスの陸中小国線が廃止された。 ・民営化後の1988(S63)年3月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便  が設定されていた。  1) 特急便「白樺号」 7往復   (下り)     盛岡0710→1000久慈     盛岡0940→1230久慈     盛岡1140→1430久慈     盛岡1340→1630久慈     盛岡1440→1730久慈     盛岡1640→1930久慈     盛岡1840→2130久慈   (上り)     久慈0550→0840盛岡     久慈0650→0940盛岡     久慈0850→1140盛岡     久慈1050→1340盛岡     久慈1250→1540盛岡     久慈1450→1740盛岡     久慈1650→1940盛岡  2) 普通便    久慈〜陸中小国 3往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回    久慈〜森前 4往復    久慈〜津内口 5往復 ・1990(H2)年12月15日に盛岡〜久慈(盛岡IC〜九戸IC間高速経由)の高速便「  スーパー久慈」1往復が運行開始した(2009(H21)年2月末限りで廃止)。 ・1995(H7)年4月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いた。  1) 特急便「白樺号」 7往復   (下り)     盛岡0710→1000久慈     盛岡0940→1230久慈     盛岡1155→1445久慈     盛岡1350→1640久慈     盛岡1450→1740久慈     盛岡1650→1940久慈     盛岡1840→2130久慈   (上り)     久慈0550→0840盛岡     久慈0650→0940盛岡     久慈0950→1240盛岡     久慈1050→1340盛岡     久慈1240→1530盛岡     久慈1440→1730盛岡     久慈1640→1930盛岡  2) 高速便「スーパー久慈」 1往復   (下り)     盛岡1750→久慈2005→2025野田   (上り)     野田0750→久慈0820→1035盛岡  3) 普通便    久慈〜陸中小国 2往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回    久慈〜森前 2往復    久慈〜津内口 3往復 ・2003(H15)年4月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いた。  1) 特急便「白樺号」 7往復   (下り)     盛岡0620→1000久慈     盛岡0910→1140久慈◎     盛岡1140→1410久慈◎     盛岡1350→1620久慈◎     盛岡1450→1720久慈◎     盛岡1640→1910久慈◎     盛岡1900→2130久慈◎   (上り)     久慈0600→0830盛岡◎     久慈0655→0925盛岡◎     久慈0920→1150盛岡◎     久慈1020→1250盛岡◎     久慈1230→1500盛岡◎     久慈1420→1650盛岡◎     久慈1710→1950盛岡     ◎印はスーパー白樺号(盛岡IC〜滝沢IC間東北道経由)  2) 高速便「スーパー久慈」   (下り)     盛岡1800→久慈2007→2027野田   (上り)     野田0735→久慈0800→1017盛岡  3) 普通便    久慈〜陸中小国 2往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回    久慈〜津内口 3往復 ・津内口線の末端区間が廃止される直前のダイヤ(2004(H16)年12月改正)では、  平庭高原線には次のような便が設定されていた。  1) 特急便「白樺号」 7往復   (下り)     盛岡0620→0910久慈     盛岡0900→1150久慈     盛岡1105→1355久慈     盛岡1305→1555久慈     盛岡1500→1750久慈     盛岡1700→1950久慈     盛岡1900→2046葛巻   (上り)     葛巻0700→0846盛岡     久慈0700→0950盛岡     久慈0900→1150盛岡     久慈1100→1350盛岡     久慈1300→1550盛岡     久慈1500→1750盛岡     久慈1710→2000盛岡  2) 高速便「スーパー久慈」 1往復   (下り)     盛岡1800→久慈2007→2037野田   (上り)     野田0730→久慈0800→1017盛岡  3) 普通便    久慈〜陸中小国 2往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回    久慈〜津内口 3往復 ・2005(H17)年4月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いた。  1) 特急便「白樺号」 7往復   (下り)     盛岡0630→0910久慈     盛岡0900→1140久慈     盛岡1105→1345久慈     盛岡1305→1555久慈     盛岡1500→1740久慈     盛岡1700→1940久慈     盛岡1900→2037葛巻   (上り)     葛巻0700→0840盛岡     久慈0700→0940盛岡     久慈0900→1140盛岡     久慈1100→1340盛岡     久慈1300→1540盛岡     久慈1500→1740盛岡     久慈1720→2000盛岡  2) 高速便「スーパー久慈」   (下り)     盛岡1800→久慈2007→2027野田   (上り)     久喜浜0727→久慈0800→1007盛岡  3) 普通便    久慈〜陸中小国 2往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回 ・2007(H19)年4月改正ダイヤでは、平庭高原線には次のような便が設定されて  いた。  1) 特急便「白樺号」 5往復   (下り)     盛岡0630→0912久慈     盛岡1015→1257久慈     盛岡1305→1547久慈     盛岡1500→1742久慈     盛岡1800→2042久慈   (上り)     久慈0655→0937盛岡     久慈0930→1212盛岡     久慈1230→1512盛岡     久慈1400→1642盛岡     久慈1710→1952盛岡  2) 高速便「スーパー久慈」 1往復   (下り)     盛岡1730→1937久慈   (上り)     久喜浜0727→久慈0800→1007盛岡  3) 普通便    久慈〜陸中小国 2.0往復    久慈〜久慈新町〜高校前〜久慈 外回り3回・内回り2回 ・2015(H27)年6月現在、平庭高原線は久慈〜茶屋場がJRバス東北によって  運行されている。 3.3 旅の考察 ・最長片道切符の経路は、久慈から平庭高原線を直進するため久慈〜森前は5.8km  であるが、「自動車線普通旅客運賃表」によれば、津内口線を経由すると、  久慈1.0久慈荒町3.9羽黒山前3.0森前と7.9kmになって2.1kmの増となる。 ・当時の「国鉄自動車路線名称」には津内口線の久慈荒町〜羽黒山前〜森前の各  区間は明示されており、1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」にも久慈  荒町3.9羽黒山前3.0森前は記載されているので、この迂回ルートをとることは  可能であったと解される。 ・上記の「自動車線普通旅客運賃表」の平庭高原本線の欄には、久慈荒町駅が載  っていないため(久慈2.4碁石前3.4森前…となっている)、ルート検討段階で  迂回ルートを見落としたのではないかと思われる。 ※補足 新幹線リレーバス「スワロー号」について ・2002(H14)年12月1日の東北新幹線八戸開業に伴って、同日から二戸〜久慈を  おりつめトンネル経由で結ぶ直行便「スワロー」11往復の運行を開始した。 ・2005(H17)年3月末限りで1往復を廃止した。 ・2006(H18)年4月1日から8往復に減便された。 ・2011(H23)年3月11日の東日本大震災に伴う東北新幹線の運休等により、「ス  ワロー」も運休した。東北新幹線全線運転再開に伴って、同年4月29日から  4往復で運行を再開した。 ・同年8月8日から6往復運行となった(2015(H27)年12月現在7往復)。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【214】陸中海岸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇陸中海岸線   陸中海岸本線    1 久慈−田老    2 長内橋−久慈商業高校前    3 陸中野田駅前−南浜    4 陸中野田駅前−久喜浜    5 黒崎入口−黒崎小学校前−南黒崎    6 黒崎入口−黒崎燈台    7 北山崎入口−北山崎展望台    8 北山崎入口−机−机浜    9 真崎入口−真崎    10 田老中町−三王閣前−真崎   久慈海岸線    1 長内橋−小袖   普代線    1 普代駅前−田野畑   田野畑線    1 平井賀−田野畑−島ノ越口 1.2 路線略図           金田一・種市              Λ              | 久慈          葛巻<−+−◎                |              ・−−○本町            /   |  玉ノ脇           /  ○−○−−−○−・          / 久慈商業|長内橋  |       山根○   高校前|     ○小袖        ・       |     ‖       ・  陸中野田駅前○−−−−−○久喜浜      ・        /|      :        \|      :         ○南浜      :         |   安家 :     普代駅前○   ○−−○安家洞前    / \ 黒崎入口      |       /   ・−○−○黒崎燈台      |      ・     /|      |      | 黒崎小○ ○陸中黒崎      |      | 学校前 \|      |      |      ○南黒崎      |      | 北山崎入口|   下江川○      |    ・−○−○北山崎展望台      |・     |    | |      | ・    |   机○ ○北山浜      |  ・   |陸中  | |      |   ○−−○一ノ渡 ・−○机浜      |  /田代口|      |      | /    |      ○田野畑駅前      |/     |      |   夏節口○   田野畑○−−−−−−○平井賀      |      |     /      | 陸中十文字○    ○島ノ越駅前      |      |    |  龍泉洞前○  島ノ越口○−−−−○島ノ越港      |      |      |      ○大牛内      |      |  <−−−○−−−−−−○岩手中野  岩泉  沢廻     |  営業所前       ○小本             |         真崎入口○−−−−○真崎             |山王閣前|         田老中町○−○−−・             |             ○田老  ※山根〜安家は、休止中  ※種市〜夏井板橋は、八久線  ※金田一〜夏井板橋〜久慈は、軽米線  ※岩泉営業所前〜沢廻〜岩手中野は、早坂高原線  ※久慈〜山根〜安家洞〜沢廻、夏節口〜陸中一ノ渡は、安家線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・陸中海岸本線1 岩手中野〜島ノ越口〜島ノ越港〜平井賀 ・田野畑線1 平井賀〜田野畑 ・普代線1 田野畑〜陸中一ノ渡〜普代駅前 ・陸中海岸本線1 普代駅前〜陸中野田駅前〜長内橋〜久慈 2.2 掲載 ・53日目 8/11(日) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p247〜249 2.3 行程 ◇岩泉営業所前0705→0803田野畑 早坂高原・陸中海岸・田野畑線             岩泉営業所前発 田野畑駅行 531-9004 (いすゞBU10) ◇田野畑0815→1004久慈 普代・陸中海岸本線 陸中十文字発 久慈行                          331-9005 (いすゞCCM410) 2.4 エピソード ・田野畑は同名の三陸鉄道田野畑駅とは遠く離れた山側の田野畑村役場近くな  のに、バスの運行系統は陸中海岸沿いの観光路線中心になっている。幸い岩  泉営業所前0705の田野畑駅行き一番バスに乗れば田野畑で乗り継げるが、そ  の代わり途中の島ノ越口〜田野畑間迂回ルート(平井賀経由)をカットせざ  るを得ない。 ・田野畑駅行きに乗ったのは、大荷物を持ったおやじさんら地元の人ばかり6  人。小本駅で三鉄乗り継ぎ客が5人下車。バスは小本の集落にも寄る。 ・久慈行きバスの始発となる陸中十文字は何もない所なので田野畑まで乗った  が、そこも国道沿いに立っていないと置いて行かれそうなバス停だった。 ・久慈行きは、陸中一の渡などで少しずつ乗り降りがある。周囲は緑ばかりで  ほとんど家が見えないような所で、1日2本だけのバスを待つ人がいる。腰  が直角に近いほど曲がったおばあさんがステップにへ上がるのに手を貸した  が1停留所だけで降りる。2〜3分の乗車のために30分ほど立ち尽くしてい  たようだ。普代で先生を残して全員下車。正面に太平洋が姿を見せ、車窓が  変わった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・陸中海岸線は、1943(S18)年11月20日に原産地路線として普代線久慈〜普代の  貨物営業を開始(1947(S22)年3月31日に旅客営業を含む一般路線化)したの  がルーツで、沿線地方の産業文化の発展助長を使命としていた。 ・1950(S25)年7月20日に普代線の支線として、長内橋〜玉ノ脇が開業した。そ  の後、1953(S28)年10月31日に玉ノ脇〜大尻、陸中野田〜久喜浜が開業した。  さらに、1957(S32)年4月20日に大尻〜小袖が開業した。 ・一方、後に陸中海岸本線となる区間は、1957(S32)年5月18日に普代線として  普代〜机、1959(S34)年9月に島ノ越線として島ノ越〜平井賀、1963(S38)年  5月1日に陸中休石〜平井賀、1970(S45)年10月15日に小本〜田老が開業し、  久慈〜田老がつながった。この間、1957(S32)年10月から陸中海岸線は沼宮内  線の部から独立した。 ・普代以南の内陸側経路は、1953(S28)年10月14日に普代線として普代〜陸中一  の渡〜甲地、1962(S37)年5月15日に岩泉本線として岩手中野〜清水野、1964  (S39)年7月29日に陸中海岸線として平井賀〜田野畑板橋〜陸中一の渡、1966  (S41)年4月24日に普代線として平波沢〜陸中十文字〜清水野の各区間が開業  した。 ・「観光路線で活躍する国鉄バス」(「国鉄線」1973(S48)年2月号)には、全国  の主要観光路線(8地区)の輸送量と収入が、次のように載せられていた。          走行キロ(千km) 輸送人員(千人) 収入(百万円)          46実績 47見込  46実績 47見込  46実績 47見込   十和田(北南) 1,229 1,255 730 761  317 332   陸中海岸 84 87 72 101 16 23   白樺高原 822 846 627 697 156 183   塩原 360 395 511 562 67 74   志賀草津 1,222 1,321 2,530 2,720 320 440   南房州 437 466 1,285 1,378 83 93   奥能登 324 353 134 142 68 92   桜島 58 65 47 61 11 14 ※補足 陸中海岸線の運行状況の変遷  陸中海岸線は、国鉄久慈線・宮古線、後に三陸鉄道北リアス線と鉄道線が開業 延伸するにつれて、運行系統などが大きく変化してきた。その変遷を概観すると、 次の通りであった。 (1) 国鉄久慈線開業前後 ・国鉄バスでは、鉄道新線の開業計画に合わせ、鉄道線の先行線としての役割  を果たしたバス路線を再編成してきており、この一環として、1975(S50)年の  久慈線(久慈〜普代)開通に伴い陸中海岸線のダイヤ削減を行った。 ・国鉄久慈線開業(1975(S50)年7月)半年前の同年1月現在ダイヤでは、陸中  海岸線に次のような系統が設定されていたのが確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越港〜平井賀・北山崎展望台 2往復    島ノ越港〜明戸口 下り1本    島ノ越港〜平井賀 上り1本    平井賀〜北山崎展望台〜普代 下り1本    平井賀〜北山崎展望台〜普代〜久慈 上り1本    北山崎展望台〜普代〜久慈 下り1本    北山崎展望台〜普代 上り1本    黒崎灯台〜普代〜久慈 上り1本    黒崎灯台〜普代 下り1本    普代〜久慈 5往復  2) 久慈海岸線    久慈〜小袖 3往復  3) 普代線    陸中十文字〜普代・久慈 2往復  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜平井賀 下り3本・上り2本    岩泉〜田野畑〜平井賀〜明戸口 上り1本 ・国鉄久慈線開業の翌年の1976(S51)年4月改正ダイヤでは、陸中海岸線に次の  ような系統が設定されていたのが確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜小本〜田老 季節便1往復(他に県北も季節便1往復)    岩泉〜島ノ越港〜北山崎展望台・黒崎灯台           下り5本(うち季節便4本)・上り4本(うち季節便2本)    岩泉〜島ノ越港〜平井賀 1往復    島ノ越港〜平井賀 下り1本    平井賀〜北山崎展望台 1往復    北山崎展望台〜普代〜久慈        下り6本(うち季節便4本(十和田陸中号、平庭陸中号を含む))        上り7本(うち季節便5本(十和田陸中号、平庭陸中号を含む))    北山崎展望台〜普代 下り4本・上り5本    黒崎灯台〜普代〜久慈 下り1本    黒崎灯台〜普代 1往復    普代〜久慈 上り2本  2) 久慈海岸線    久慈〜小袖 4往復    久慈〜久喜浜 上り3本    陸中野田〜久喜浜 下り5本・上り3本  3) 普代線    陸中十文字〜普代・久慈 2往復  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜北山崎展望台・黒崎灯台 下り2本・上り4本    田野畑〜平井賀〜明戸口 上り1本    田野畑〜平井賀 下り1本 (2) 東北新幹線開業直後 ・1982(S57)年の東北新幹線(大宮〜盛岡)開業に合わせて、国鉄バスも新幹線  のフィーダーサービス網の一環を形成し、鉄道と結合した輸送サービスを提供  することとした。こうした施策の1つとして、陸中海岸観光バス「三陸観光号」  を次のように新設した。  1) 運行経路 盛岡〜平庭高原〜久慈〜北山崎展望台〜島ノ越港〜岩泉〜         龍泉洞〜早坂高原〜盛岡  2) 運行系統 盛岡1050→久慈→1730島ノ越港 片道1回         島ノ越港0940→岩泉→1455盛岡 片道1回  3) 主要停留所(各箇所には観光時間を設けている)      平庭高原(昼食)、久慈(小久慈焼)、黒崎灯台、北山崎展望台、      島ノ越港(観光船)、龍泉洞  4) 利用方法 盛岡〜島ノ越港〜盛岡の1泊コース、あるいは盛岡〜島ノ越港、      島ノ越港〜盛岡の区間利用も可能。 ・1982(S57)年11月改正ダイヤでは、「三陸観光号」を含めて陸中海岸線に次の  ような系統が設定されていたのが確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越港〜北山崎展望台 下り2本・上り1本    岩泉〜島ノ越港〜平井賀 1往復    島ノ越港〜北山崎展望台 1往復    北山崎展望台〜普代駅前〜久慈 2往復    北山崎展望台〜普代駅前 下り3本・上り4本    黒崎灯台〜普代駅前〜久慈 下り1本    黒崎灯台〜普代駅前 1往復    普代駅前〜久慈 1往復    盛岡→久慈→普代駅前→北山崎展望台→島ノ越港 上り1本    島ノ越港→龍泉洞前→盛岡 上り1本  2) 久慈海岸線    久慈〜小袖 3往復    久慈〜久喜浜 4往復  3) 普代線    陸中十文字〜普代駅前・久慈 2往復  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜北山崎展望台・北山崎入口 下り3本・上り4本 ・1983(S58)年9月改正ダイヤでは、陸中海岸線に次のような系統が設定されて  いたのが確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越港〜北山崎展望台・北山崎入口 下り3本・上り1本    岩泉〜島ノ越港〜平井賀 1往復    島ノ越港〜北山崎展望台 1往復    北山崎展望台〜普代駅前〜久慈 下り3本・上り2本    北山崎展望台・北山崎入口〜普代駅前 下り4本・上り5本    黒崎灯台〜普代駅前〜久慈 下り1本    普代駅前〜久慈 上り1本  2) 久慈海岸線    久慈〜小袖 2往復    久慈〜久喜浜 4往復  3) 普代線    陸中十文字〜普代駅前・久慈 2往復  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜北山崎展望台・北山崎入口 下り3本・上り4本 (3) 三陸鉄道開業前後 ・三陸鉄道開業(1983(S58)年4月)直前の同年2月現在改正ダイヤでは、陸中  海岸線に次のような系統が設定されていたのが確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜清水野 1往復    岩泉〜島ノ越港〜北山崎展望台 1往復    岩泉〜島ノ越港〜平井賀 1往復    島ノ越港〜北山崎入口 1往復    北山崎展望台〜普代駅前〜久慈 2往復    北山崎展望台・北山崎入口〜普代駅前 3往復    普代駅前〜久慈 下り2本・上り1本  2) 久慈海岸線    久慈〜小袖 2往復    久慈〜久喜浜 4往復  3) 普代線    陸中十文字〜普代駅前〜久慈 上り2本  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜平井賀 3往復 ・1985(S60)年8月現在ダイヤでは、陸中海岸線に次のような系統が設定されて  いたのを確認できる。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越港〜平井賀・田野畑駅前 下り2本・上り1本    岩泉〜島ノ越港〜田野畑駅前〜北山崎展望台〜普代駅前・久慈 3往復     (季節便「リアス観光号」、10/10まで運転)    平井賀・田野畑駅前〜北山崎展望台・机 下り3本・上り1本    北山崎展望台・北山崎入口・黒崎燈台〜普代駅前 下り7本・上り6本    普代駅前〜久慈 1往復 2) 久慈海岸線    久慈〜舟渡 7往復    久慈〜久喜浜 4往復  3) 普代線    陸中十文字〜普代駅前・久慈 2往復  4) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前 下り2本    北山崎展望台・机〜田野畑駅前〜田野畑〜岩泉 上り3本    陸中十文字〜田野畑駅前・机 下り2本・上り1本 ・1985(S60)年当時(自)久慈、陸中野田駅前、普代駅前に自動車駅が存在した。  また、国鉄バス運行の拠点として、久慈自動車営業所(川貫)及び岩泉自動車  営業所(岩泉営業所前)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・最長片道きっぷの旅翌年の1986(S61)年3月改正ダイヤでは、陸中海岸線には  次のような系統が設定されていた。なお、このダイヤには普代線普代駅前〜  田野畑を運行する便は載っておらず、同区間は既にこの時点で休止されていた  可能性がある。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越駅〜田野畑駅前〜北山崎展望台 下り1本    岩泉〜島ノ越駅〜田野畑駅前 上り1本    岩泉〜島ノ越駅〜平井賀 1往復    岩泉〜島ノ越駅〜田野畑駅前〜北山崎展望台〜普代駅前・久慈 3往復     (季節便、4/25〜5/6・7/20〜10/12の間運転)    田野畑駅前〜北山崎展望台 4往復    北山崎展望台〜普代駅前 6往復    普代駅前〜久慈 3往復    普代駅前〜陸中宇部 下り1本  2) 久慈海岸線    久慈〜舟渡〜小袖海岸〜久喜浜〜久慈 外回り5本・内回り4本    久慈〜舟渡 下り3本・上り4本    久慈〜玉ノ脇 下り3本・上り4本  3) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前〜北山崎展望台 下り1本・上り2本    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前〜机 上り1本    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前 下り1本    陸中十文字〜田野畑駅前〜机 1往復 ・普代線普代駅前〜田野畑は1986(S61)年7月末に廃止公示が出された一方、同時  に久慈海岸線小袖海岸〜久喜浜が延長し久慈海岸線は循環経路となった。 ・陸中海岸本線の全区間、延長後の久慈海岸線、田野畑線は、国鉄民営化及び自  動車分離を経て、JRバス東北に継承された。 ・民営化後の1989(H61)年3月改正ダイヤでは、陸中海岸線には次のような系統が  設定されていた。  1) 陸中海岸本線    岩泉〜島ノ越駅〜田野畑駅前 下り2本・上り1本    岩泉〜島ノ越駅〜田野畑駅前〜北山崎展望台〜普代駅前・久慈 3往復     (季節便、4/25〜5/5・7/26〜8/31の間運転)    田野畑駅前〜北山崎展望台 5往復    北山崎展望台〜普代駅前 5往復    普代駅前〜久慈 3往復  2) 久慈海岸線    久慈〜舟渡〜小袖海岸〜久喜浜〜久慈 外回り5本・内回り4本    久慈〜舟渡 下り3本・上り4本    久慈〜玉ノ脇 下り3本・上り4本  3) 田野畑線    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前〜机 下り1本    岩泉〜田野畑〜田野畑駅前 下り1本・上り4本    田野畑〜田野畑駅前 下り1本 ・その後、本線区間では、1992(H4)年7月末に大牛内〜島ノ越口〜島ノ越港  〜平井賀〜北山崎入口が廃止され、1995(H7)年2月末限りでに陸中野田駅  前〜普代駅前〜北山崎入口〜北山崎展望台、黒崎入口〜黒崎燈台が廃止さ  れた。 ・次いで、1996(H8)年2月末限りで小本以南の区間も廃止された。小本側で  最後まで残った大牛内〜岩手中野〜小本も2003(H15)年3月末限りで廃止  された。 ・一方、久慈側で最後まで残った久慈〜陸中野田駅前も、久慈海岸線とともに  2008(H20)年3月末限りで廃止された。 ・支線区間では、田野畑線が1992(H4)年7月末までに廃止された他、久慈海岸  線が久慈管内ローカル路線全廃によって、2008(H20)年3月末限りで廃止さ  れた。 3.3 旅の考察 ・当時のダイヤによると、最長片道きっぷの経路を忠実に回ろうとすると、島  ノ越港を経由するのは岩泉営業所前0840の「リアス観光号」。田野畑駅前09  59着だが、田野畑線は1648発の陸中十文字行きまでなく、この便に乗れば陸  中十文字1719発の普代駅前行きに間に合うが、普代駅前1755着で足止めにな  ってしまう。 ・1986(S61)年に久慈海岸線久喜浜〜小袖海岸が開業したため、以後であれば  陸中野田駅前〜久慈の最長片道きっぷのルートは、次のように変わったと解  される。    陸中野田駅前3.6久喜浜7.4小袖海岸8.5長内橋0.5久慈 計20.0km   (陸中野田駅前3.4宇部支所前8.1長内橋0.5久慈 計12.0kmより8.0km増) ※補足 陸中海岸本線第1区間の変遷  陸中海岸線は、1957(S32)年10月15日に沼宮内東線の部普代線から新設された。 その後の国鉄時代における第1区間の変遷は次の通りであった。 ・1957(S32).10.15 久慈・机間 ・1963(S38).05.01 久慈・乙茂間(陸中休石〜平井賀開業。平井賀〜乙茂を   島ノ越線から編入) ・1964(S39).07.29 久慈・沢廻間(平井賀〜陸中一の渡、甲地〜夏節口開業。   夏節口〜沢廻を安家線から編入。平井賀〜乙茂は島の越線に編入。) ・1972(S47).02.06 久慈・田老間(平井賀〜島ノ越口を島の越線から、島ノ  越口〜岩手中野を普代線から、岩手中野〜田老を岩泉本線から編入。)

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【215】安家線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇安家線   安家本線    1 久慈−沢廻    2 田高−小久慈焼    3 堀−陸中白山   日蔭線    1 久慈−日吉町−堀   三沢線    1 夏節口−陸中一ノ渡 1.2 路線略図              金田一・種市                 Λ                 |             葛巻<−+−◎久慈                   |          小久慈焼○−○−−○本町               /田高/ \              /  /○久慈・             /通学+=+商業|            / 橋○ // 高校|           /  +−+    |          /  // ○日吉神社前|         ・  // /      |        堀○−+−○日吉町    |         | ‖         |      岩瀬張○ ○陸中白山     |         +−+         |         |           |    新山根○=+           ○普代駅前    温泉   ○山根         |         :           ・          :          / \     安家○−○安家洞前     / 黒崎○−○黒崎灯台         |        ・  入口|      下江川○・・      |    |         |  ・ 陸中  ・ 北山崎|         |   ・一の渡/   入口○−○北山崎灯台      夏節口○−−−○−−○     /         | 田代口  |    /         |   田野畑○−−−○平井賀            |      |  /     龍泉洞前○  島ノ越口○−○島ノ越港         |      |     <−−−○−−−−−−○岩手中野       岩泉  沢廻     |     営業所前       V              小本・田老  ※山根〜安家は、休止中  ※田高〜小久慈焼は、観光便「三陸観光号」の専用区間  ※種市〜夏井板橋は、八久線  ※金田一〜夏井板橋〜久慈は、軽米線  ※岩泉営業所前〜沢廻〜岩手中野は、早坂高原線  ※久慈〜葛巻は、平庭高原線  ※久慈〜田老、普代駅前〜田野畑、平井賀〜田野畑〜島ノ越口は、陸中海岸線 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・安家線は、1950(S25)年7月20日に普代線の支線として久慈〜陸中白山が開業  したのがルーツで、1953(S28)年9月1日に陸中白山〜安家〜岩泉三本松(→  岩泉営業所前)が開業した。 ・この路線は、岩手チベット高原(「鉄道辞典」上巻9頁)の開拓路線で、遠野  線とともに岩手東部未開発地帯縦断路線の一環となり、また八戸市方面から宮  古、釜石方面への短絡コースとしての使命を有していた。 ・1960(S35)年12月25日に田野畑沼袋〜下江川(後の田代線)が開業した。 ・1962(S37)年12月1日に久慈〜通学橋〜堀が開業した。1964(S39)年7月29日に  甲地〜三沢峠〜夏節口(後の三沢線)が開業した。 ・1977(S52)年4月末限りで田代線(下江川〜田代口)が廃止された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、安家線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    岩泉・岩泉営業所前〜安家 2往復    久慈〜山根 3往復 ・1985(S60)当時、線内の(自)久慈に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行  の拠点として、久慈自動車営業所(久慈〜安家を所管。川貫)及び岩泉自動車  営業所(沢廻〜安家を所管。岩泉営業所前)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年3月改正の久慈自営管内「国鉄バス時刻表」によると、安家線(久  慈口)には次のような系統が設定されていた。    久慈〜山根 3往復    久慈〜滝 1往復    久慈〜白山 7往復    久慈〜日吉町 3往復    久慈〜岩瀬張(日吉町経由) 下り1本 ・国鉄末期の1986(S61)年7月末限りで三沢線(夏節口〜陸中一の渡)の廃止が公示  された。 ・安家線は長期休止区間を含めて、国鉄民営化及び自動車分離を経てJRバス東北  に継承された。 ・1988(S63)年3月改正の久慈営業所管内「JRバス時刻表」によると、安家線(  久慈口)には次のような系統が設定されていた。    久慈〜山根 4往復    久慈〜滝 1往復    久慈〜白山 7往復    久慈〜日吉町 3往復    久慈〜岩瀬張(日吉町経由) 下り1本 ・1995(H7)年4月改正の久慈営業所管内「JRバス時刻表」によると、安家線(  久慈口)には次のような系統が設定されていた。    久慈〜山根 3往復    久慈〜滝 2往復    久慈→岩瀬張→白山→日吉町→久慈 2回(日祝運休)    久慈→日吉町→久慈 1回    久慈→久慈商業→日吉町→白山→岩瀬張→久慈 1回(日祝学休運休)    久慈→日吉町→白山→岩瀬張→久慈 1回    久慈→久慈商業→久慈 1回(祝学休以外の土曜運転)    久慈→日吉町→久慈商業→久慈 2回 ・1996(H8)年2月末限りで岩泉口の安家〜龍泉洞前が廃止された。また同年8月  1日に、久慈口では新山根温泉に乗入れを開始した。 ・2005(H17)年3月末限りで、岩瀬張〜新山根温泉〜山根、長内中学校前〜幸橋〜  日吉神社前、幸橋〜久慈商業高校、通学橋〜稲村団地〜中里の各区間が廃止さ  れた。 ・2008(H20)年3月末限りで、最後まで残った、久慈〜田高〜堀〜岩瀬張〜白山〜  日吉町〜長内中学校前〜久慈が廃止された。 3.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、安家線には接続駅(久慈)のみ  置かれていた。 ・民営化後の平成初期に久慈市内の日蔭線は、長内中学校前〜幸団地〜日吉神社前、  幸橋〜久慈商業高校、通学橋〜稲村団地〜中里〜陸中白山が開業し、日吉町〜堀  の一部が廃止された。その路線略図は次の通りである。           ・>小袖          /      本町 /長内橋   久慈<−○+−−○−>陸中野田      / \   \   田高○ 新開○   ・−−○久慈商業高校     | 橋  \     ‖  小久慈○     \ 幸橋 ‖  焼前 |   長内中○=○=+     |   学校前|   ○幸団地     |      |鹿糠口‖     |   通学橋○−○−+     |      ‖ ○日吉神社前|     |  稲村団地○   |     |      ‖   |    堀○………………+−−−○日吉町     |    中里○     |      ‖  岩瀬張○−−○===・     | 陸中白山     V     山根

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【216】 遠野線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇遠野線  遠野本線  遠野−陸前高田  陸前高田−高田松原  来内線  遠野−切掛  遠野北線  上組町−恩徳  八幡神社前−飯豊−福泉寺口  岩手和野−岩手山口  大洞線  上有住支所前−上有住 1.2 路線略図            上            八  高田松原      有     〆   遠  幡  福  岩   ○     世 支住     田   野  神  泉  手   |  竹  田 所   ・−−○…+ ◎  社  寺  和   |  駒  米 前   |    +…+  前  口  野   ◎−−◎−−○−−○−−○−◎−−−−○−−○−−○−−○−−−○   陸前       |  切 岩   上組町 | /   |   恩徳   高田  岩手八日町○  掛 手       |/    |            |    上       ○     ○            ◎    郷       飯豊   岩手山口          上有住 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・遠野本線1 竹駒〜世田米〜上有住支所前〜切掛〜岩手上郷 2.2 掲載 ・52日目 8/10(土) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p242〜243 ・連載誌のみ 大船渡線竹駒駅の写真 2.3 行程 ○竹駒1009→1138上郷町 遠野本線 陸前高田発 遠野行 537-0014(日野K-RE101) 2.4 エピソード ・バスはさらりと席が埋まり、お年寄り主体だが途中停留所の乗降も多い。岩手  横田を過ぎると道幅はますます狭くなり離合ができない。 ・七夕の飾りつけが美しい商店街に入ると住田町の中心世田米で、時間調整停車。 ・道路はひときわ険しくなりSカーブの急坂を上って赤羽根峠を越える。峠の途  中で老人3人、中年女性1人が乗車。 ・運転士から鉄道乗り換えを案内されて下車したのは上郷町。300m裏道を歩くと  駅に出る。上郷町〜岩手上郷0.4kmは不乗となった。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・遠野線は1947(S22)年2月18日に遠野〜陸前高田が開業したのがルーツで、1950  (S25)年10月18日に岩手八日町〜上有住(後に大洞線)、1952(S27)年6月2日に  上組町〜恩徳〜岩手小国〜陸中川井駅前〜茂市(後に遠野北線)が開業した。 ・遠野線は、岩手県東部山間地帯を縦断して大船渡線、釜石線を短絡し、地方交  通の確保と産業開発を使命としていた。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)では遠野線の特長として、大船渡線の盛・  陸前高田方面と遠野市及びこれと茂市・宮古方面との交通短絡線として重要な  役割を持っていると述べられていた。 ・その後、1956(S31)年9月に青笹駅前〜飯豊〜岩手須崎(1963(S38)年2月10日  廃止)、同年10月20日に茂市〜岩手清水(後の和井内線。1966(S41)年10月末  限りで廃止)、1957(S32)年7月18日に陸前高田〜高田松原(期間限定運行)、  同年8月21日に遠野〜上宮守〜日詰町〜盛岡の各区間が開業した。こうして、  盛岡と遠野〜陸前高田が直結した。 ・さらに、1959(S34)年9月1日に来内線遠野〜〆田〜平倉、同年10月5日に遠野  北線岩手小国〜大仁田(後の大仁田線。1974(S49)12月15日廃止)の各区間が開  業した。 ・1963(S38)年2月20日に遠野北本線八幡神社前〜八幡住宅前〜飯豊が開業した(  同時に須崎線青笹駅前〜岩手須崎が廃止された)。また、同年5月1日に盛岡市  内の大通二丁目〜呉服町が開業した。 ・この間の1962(S37)年10月から、遠野線の部から遠野北線の部が独立した。 ・1972(S47)年3月31日、大通二丁目〜遠野、大通二丁目〜鐘紡前(北回り)が廃止  されて、遠野線の盛岡乗り入れが終了した。同年11月21日には遠野北線の陸中川井  〜茂市が廃止された。 ・座談会「経営改善の第一線から−自動車営業所長大いに語る−」(「国鉄線」  1978(S53)年11月号所収)には遠野自営所長が出席し、次のような発言があった。  ◇終戦後遠野市を中心として、市町村から地方開発・産業開発を目的として大船   渡線と釜石線を短絡する鉄道建設の強い要望があり、鉄道の代わりに昭和22年   に国鉄バスが遠野〜陸前高田51kmを開業したのが遠野自営の出発点で、これが   今の遠野本線。  ◇昭和27年には地域住民の強い要望で釜石線と山田線を結ぶ鉄道短絡線として   遠野から川井・茂市まで開業した。これが現在の遠野北線。この他に枝線が   8路線開業したが、現在ではその枝線は3路線だけ残って、あとは全部廃止   となった。  ◇自家用車の普及の他に、特に目立つのは工場や会社がマイクロバスを購入する、   あるいは大型バスを購入して通勤や行楽に活用している。これが遠野自営の収   入減につながっているという問題がある。こうした中で職員は企業意欲に燃え   ており、貸切とワンマン化(現在47%のワンマン化率を70〜80%に引き上げ)   で増収を図るように努力中。  ◇遠野北線の恩徳〜川井(31.8km)を(1978(S53)年)10月1日限りで休止した。   ここで一番心配されたのは、部外の関係もさることながら部内のコンセンサス   の問題で、職場が縮小される、先が暗くなるという職員感情が問題であり心配   だった。そこで今年3月頃から、路線再編成や合理化について職員に積極的に   話しかける努力をして、あるいは決められて時間以内に現協が終わった場合に   はそういった話をしながら、路線削減についての理解を求めてコンセンサスを   得た。そういったことで意外にスムーズに10月2日から休止することができた。   とりもなおさず職員との日常の接触が一番大事であると考えている。  ◇国鉄ファンの利用客もいて、地域とは密着している感はある。そこで私たちと   しても遠野市や住田町の広報紙を利用して、我々のいろいろな情報を提供して   できるだけ多く国鉄バスを利用してもらう方法も取っている。道路の問題など   お願いすることもあり、月に1度は必ず町村の役場に顔を出すようにしている。   その時に国鉄の経営の現状について理解を求めるよう努力するとともに、町長   さんや村長さんも国鉄バスを利用するような体制にもっていってもらうように   努力している。  ◇やはり、お客様が乗ってくれたという場合の職員の喜びは、隠し切れないもの   と思う。ワンマン行路を終わって運賃箱が軽いか重いかによって仕事に非常に   喜びを感じているのを目の当たりにする。 ・1979(S54)年1月末限りで遠野北線の恩徳〜陸中川井が廃止される一方、同年3  月5日に遠野北線岩手和野〜岩手山口が開業した。1980(S55)年3月15日には遠  野北線の飯豊〜福泉寺口が開業した。 ・1979(S54)年3月から、遠野北線の部は再び遠野線の部に吸収された。 ・1985(S60)年当時、線内の陸前高田、竹駒、岩手上郷、遠野、上有住が鉄道線と  の接続駅で、(自)遠野、岩手八日町、世田米に自動車駅(バス切符売場)が  存在した。また、国鉄バス運行の拠点として遠野自動車営業所(営業所前)及び  同世田米支所(世田米)が置かれていた。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/5改正)によると、遠野線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    遠野〜恩徳 4往復(所要29〜38分)    遠野〜一ノ渡 1往復(所要23〜33分)    遠野〜岩手山口 下り4本・上り5本(うち休日運休1本)(所要18〜33分)    遠野〜陸前高田 1往復(所要1時間56〜57分)    遠野〜岩手八日町・世田米 2往復(所要1時間17分)    遠野〜〆田 下り3本(所要27〜30分)    上家〜陸前高田 上り1本(休日運休)(所要1時間21分)    竹の原〜陸前高田 1往復(竹の原〜世田米休日運休)(所要53分)    岩手八日町・世田米〜陸前高田 下り4本・上り5本(うち休日運休1本)     (所要1時間〜1時間6分)    上有住〜陸前高田 下り3本(うち休日運休1本)・上り2本(所要1時間     19〜35分)    上有住〜岩手八日町・世田米 1往復(所要45分) 3.2 旅から30年 ・遠野自営監修「国鉄バス時刻表」1985(S60)年12月15日改正によると、遠野線に  は次のような系統が設定されていた。  (遠野本線)    陸前高田〜遠野 1往復(所要2時間9分)    陸前高田〜上家 1往復(日祝運休)(所要1時間21分)    陸前高田〜八日町 2往復(うち上り1本は世田米〜高田日祝運休)(所要     1時間6〜10分)    陸前高田〜竹の原 1往復(世田米〜竹の原日祝運休)(所要54分)    陸前高田〜世田米 下り4本(うち日祝運休1本)・上り3本(うち学休日     運転1本)(所要35〜44分)    陸前高田〜横田 上り1本(日祝学休日運休)(所要21分)    西宿〜横田 下り1本(日祝学休日運休)(所要5分)    田谷前〜向川口 下り1本(日祝学休日運休)(所要19分)    世田米〜遠野 下り2本・上り1本(県立病院行き・世田米〜県病日祝運休)     (所要1時間26〜28分)    世田米大崎〜上家 上り1本(世田米〜大崎学休日運休)(所要39分)    県立病院〜八日町 上り1本(世田米〜県病日祝運休)(所要28分)    世田米〜八日町 上り1本(所要23分)    八日町〜遠野 上り1本(所要1時間8分)    〆田〜上郷町〜遠野 3往復(所要28〜30分)    上郷町・岩手上郷〜遠野 1往復(所要20分)  (大洞線)    陸前高田〜上有住 下り2本・上り3本(所要1時間30〜45分)    世田米〜上有住 1往復(所要49〜52分)    八日町〜上有住 下り1本(所要30分)  (遠野北線)    遠野〜恩徳 4往復(うち1往復は一ノ渡〜恩徳日祝運休)(所要33〜41分)    遠野〜一ノ渡 1往復(所要26〜33分)    遠野〜似田貝〜山口 下り3本・上り2本(所要20〜27分)    遠野・白岩〜飯豊〜山口 下り2本(うち飯豊〜山口日祝学休日運休1本、日     祝日学休日運休1本)・上り2本(うち日祝学休日運休1本)(所要30〜32     分)    遠野〜飯豊 1往復(所要16〜19分)    遠野〜松山 2往復(所要10〜12分)    遠野〜県病前 5往復(うち下り1本は日祝運休) ・1986(S61)年3月現在の遠野自営路線図では、来内線遠野〜〆田は休止中となっ  ていた。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、遠野本線の新張〜岩手  前川原、遠野北線の岩手須崎〜水光園が認知された。 ・国鉄最後の日の1987(S62)年3月末限りで、来内線遠野〜〆田の廃止公示がなさ  れた(この公示は、国鉄公示として最終のものであった)。 ・上記区間を除いて遠野線は、国鉄民営化及び自動車分離を経てJRバス東北に  継承された。 ・1989(H1)年1月入手の遠野営業所監修「バス時刻表(列車ダイヤ付)」によると、  遠野線には次のような系統が設定されていた。  (遠野本線)    陸前高田〜遠野 2往復(うち上り1本は世田米〜高田日祝運休)(所要1     時間50分〜2時間4分)    陸前高田〜上家 下り3本(うち日祝運休1本)・上り4本(うち1本は上     家〜世田米日祝運休)(所要1時間15〜20分)    陸前高田〜八日町 下り2本・上り1本(所要1時間〜1時間10分)    陸前高田〜竹の原 下り1本(日祝運休)(所要47分)    陸前高田〜世田米 3往復(うち日祝運休1往復)(所要32〜40分)    西宿〜世田米 上り1本(日祝運休)(所要20分)    西宿〜向川口 下り1本(所要35分)    住田病院〜世田米〜遠野 1往復(所要1時間15〜22分)    県立病院〜八日町 上り1本(所要27分)    〆田〜上郷町〜遠野 下り1本(日祝運休)・上り2本(日祝運休)(所要     30分)    岩手上郷〜遠野 1往復(所要20〜23分)  (大洞線)    陸前高田〜上有住 2往復(所要1時間30分)    世田米〜上有住 1往復(所要50〜51分)    八日町〜上有住 1往復(所要29〜30分)  (遠野北線)    遠野〜恩徳 3往復(うち1往復は飯豊経由)(所要30〜45分)    遠野〜一ノ渡 2往復(うち下り1本は飯豊経由)(所要27〜40分)    遠野・営業所〜似田貝〜山口 4往復(うち下り2本、上り全便日祝運休)(     所要22〜27分)    遠野・営業所〜飯豊〜山口 下り2本(日祝運休)・上り2本(所要30分)    遠野〜松山 下り1本(日祝運休)・上り2本(日祝運休)(所要12分)    遠野〜県病前 下り1本(日祝運休) ・1990年代前半に来内線〆田〜切掛、大洞線、遠野北線が廃止され、最後まで残っ  た遠野〜陸前高田、上有住支所前〜岩手八日町も2004(H16)年3月末限りでに廃  止されて、遠野線は全廃された。 3.3 旅の考察 ・遠野線の部のうち、遠野北線は恩徳から先の岩手小国〜陸中川井〜茂市まで路  線が伸びていた。さらに鉄道小本線に沿って茂市〜岩手清水の路線があった(  1966(S41)年廃止公示)。「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9月号で  は次のようなダイヤが設定されていた。なお、遠野北線陸中川井〜茂市は1972  (S47)年に、恩徳〜陸中川井は1984(S59)年に廃止された。    遠野0820→1042陸中川井  陸中川井1300→1518遠野    茂市0830→0905町  町0700→0740茂市      1435→1510    0930→1005      1653→1728    1515→1550      1715→1750    1631→1706 ・1957(S32)年に遠野本線遠野〜盛岡が開業し、盛岡〜陸前高田の急行便が運行  された。1958(S33)年8月現在のダイヤでは次の4往復が設定されていた(岩手  中央バスと相互乗り入れ)。    盛岡0630→遠野0905→1100陸前高田0645→遠野0845→1115盛岡    盛岡0900→遠野1135→1330陸前高田0830→遠野1030→1300盛岡    盛岡1340→遠野1615→1810陸前高田1300→遠野1500→1730盛岡    盛岡1620→遠野1855→2050陸前高田1650→遠野1850→2120盛岡 ・盛岡〜陸前高田の直通急行便は、「国鉄監修交通公社の時刻表」1964(S39)年9  月号では次の1往復が設定されていた。その後、遠野〜盛岡は1972(S47)年に廃  止された。    盛岡1425→遠野1720→1946陸前高田0720→遠野0955→1240盛岡 ・終戦直後の時期は国鉄バス進出に伴う地元バス事業者等との軋轢が各地で発生  していたが、遠野線に隣接する陸前高田〜長部港で1949(S24)年に6往復を運行  を始めたと言われる。1950(S25)年に国鉄は陸前高田〜福伏の事業経営承認を申  請した(屈指のいわし水揚地である長部港の労務者輸送の確保と沿道民の利便  性確保が理由)が、既に民営事業者において輸送需要を満たしているとして、  承認が却下された。 ・国鉄遠野自営では1985(S60)年7月から会員制定期観光バス「遠野物語めぐり号」  の運行を行っていた。運行開始時のダイヤは次の通りであった。    遠野0840→五百羅漢→千葉家→続石→福泉寺→水光園→伝承寺→1500遠野    →1510遠野博物館 ・「遠野物語めぐり号」は国鉄民営化以降もJRバス東北において運行が継承さ  れた。1992(H4)年ダイヤでは次の延べ4便(コース)が運行されていた。   1号:遠野0840→五百羅漢→千葉家→続石→伝承園→博物館→1252遠野   3号:遠野1015→博物館→八幡宮→福泉寺→伝承園→千葉家→五百羅漢→1515遠野   5号:遠野1130→八幡宮→福泉寺→伝承園→千葉家→五百羅漢→1515遠野   7号:遠野1310→伝承園→千葉家→五百羅漢→博物館→1637遠野 ・「遠野物語めぐり号」は2004(H16)年の遠野線全廃とともに、早池峰バスに移管  された。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録【217】一ノ関線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇一ノ関線   一ノ関本線    1 一ノ関−前沢    2 才田−母体   摺沢線    1 前沢−摺沢    2 本町橋−猊鼻渓口 1.2 路線略図             前沢           +−◎−+        陸中 |   |  一ノ関   箱石 |   | 紙生里 本町橋  摺沢   ◎−−○−○−−○−−−○−−○−−○−−○……◎      岩手   才田  母体    |  柴宿      長島             |                     ○                    猊鼻渓口 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・一ノ関本線1 前沢〜才田 ・一ノ関本線2 才田〜母体 ・摺沢線1 母体〜本町橋〜柴宿駅前 2.2 掲載 ・58日目 8/16(金) S61.8号 11.東北編(下) 単行本 p270〜271 ・連載誌のみ 前沢駅の写真、柴宿駅 2.3 行程 ◇前沢641→740柴宿 摺沢線 331-9004(いすゞCCM410) 前沢発 柴宿駅前行 2.4 エピソード ・才田〜母体は道路工事中のため通れず、乗車距離が0.3km短くなった。 ・車内で若い運転士の「ローカルを整理して高速やろうと提案しても実現しない。  高速やらせたら稼いでやるがなあ」の発言に意表を突かれた。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・一ノ関線は、1952(S27)年2月3日に一ノ関〜前沢、前沢〜摺沢が開業したのが  ルーツで、地方交通の確保と鉄道の機能補充を目的に開設された路線で、東北  本線と大船渡線の短絡線の性格も持っていた。 ・翌1953(S28)年10月14日に赤生津〜目呂木〜前沢が開業した。 ・一関自動車営業所「国鉄バス時刻表」1985(S60)年9月21日改正によると、一ノ関  線には次の系統が設定されていた。    一ノ関〜目呂木〜前沢 7往復(うち日祭運休1往復)(所要50分)    一ノ関〜母体〜前沢 上り1本(所要1時間3分)    一ノ関〜岩手長島 下り3本(うち日祭運休2本)(所要30分)    一ノ関〜岩手長島〜野村 上り2本(日祭運休)(所要31分)    前沢〜母体〜才田〜目呂木〜前沢 下り4本(所要34分)    前沢〜母体〜才田 上り1本(所要24分)    前沢〜猊鼻渓口〜柴宿 2往復(所要59分)    前沢〜猊鼻渓口 2往復(所要49分) ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、一関自動車営業所(一ノ関)が  置かれていた。 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、摺沢線の長坂学校前〜  柴宿駅前が認知された。 ・1985(S60)年当時、柴宿〜摺沢間は長期休止中であったが、国鉄最後の日の1987  (S62)年3月31日限りで廃止された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、一ノ関線はJRバス東北に継承された。 ・1990(H2)年3月末限りでに母体〜猊鼻渓口が廃止(本町橋〜柴宿駅前はそれ以前  に廃止)され、1991(H3)年3月16日に前沢〜母体〜才田、1992(H4)年3月14日に  陸中箱石〜前沢の各区間が廃止された。 ・1993(H5)年1月26日付けで連絡運輸基準規程から一ノ関線が削除されており、  この時までに一ノ関線は全廃された。 ・なお、一関営業所は貸切事業の営業所として存続したが、2003(H15)年11月末限  りで廃止された。 3.3 旅の考察 ・当時の自動車線普通旅客運賃表に「柴宿」と表記されているが、接続駅を示す下  線が付されていないのは誤植か(廃止時の国鉄公示や民営化当初の自動車線普通  旅客運賃表には「柴宿駅前」とあり大船渡線柴宿駅とは別駅の扱い)。旅客営業  規則の自動車線駅と鉄道駅との特殊取扱の対象には挙げられていない。なお、停  車場一覧(S60.6.1現在、日本交通公社)の大船渡線の頁では、摺沢が自動車一  ノ関本線との接続駅と記載されているが柴宿は接続駅とはされておらず、柴宿接  続の通し乗車券が発行できるのか疑問が残る。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【218】古川線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇古川線   古川本線    1 一ノ関−仙台    2 大沢田−有壁    3 金成反町−沢辺(旧国道)    4 陸前城生野−陸前宮野−留場(旧国道)    5 陸前神田−八沢(旧国道)    6 陸前羽黒−竹ノ花    7 後田−江合(旧国道)    8 古川十日町−三日町−祇園社前    9 古川十日町−古川    10 大衡農協前−吉岡   石越線    1 築館町−石越 1.2 路線略図                  栄町団地              西新井 ○        吉岡     入口/|三日町        陸前荒谷 陸前        ○−+ 陸前  ○ +−○+古川 +−+ +−○−+ 高清  仙台      | 三本木 | |  |十日町| | |   | 水   ◎−−○−−○−○−−○−−○−○−−○−+−○−○−○−−−○−○−*    七北 吉岡 大衡   沖稲 祇園 | | 江 後 竹ノ 陸前    田  町  農協前  葉  社前 | | 合 田 花  羽黒                   ・−+−○                   |  合同庁舎前                   ◎古川    陸前  照越       陸前宮野    高清 +○−+     +−○−+      金成    水  |  | 築館町 |   |      反町 大沢田  *−○−−○−−○−−○−−○−−−○−−○−+○−○−−○−−◎      八沢 陸前  |  留場 陸前 沢辺 |金成|  | 一ノ関         神田  |     城生野   +−−+  ○             ◎石越               有壁 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・古川本線1 仙台〜七北田〜吉岡町〜大衡農協前〜陸前三本木〜祇園社前 ・古川本線8 祇園社前〜三日町〜古川十日町 ・古川本線1 古川十日町〜江合〜後田〜竹ノ花〜陸前羽黒〜陸前高清水〜八沢       〜陸前神田〜築館町〜留場〜陸前宮野〜陸前城生野〜沢辺 ・古川本線3 沢辺〜金成〜金成反町 ・古川本線1 金成反町〜大沢田 ・古川本線2 大沢田〜有壁 2.2 掲載 ・50〜51日目 8/8(木)〜9(金) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p235〜240 ・連載誌のみ 仙台駅七夕最終日の写真、東日本急行の解説 2.3 行程 ・仙台1720頃→1735頃県庁・市役所前 東日本急行バス ・県庁・市役所前1812→1930頃古川十日町 宮城交通バス ◇祇園社前738→755古川 古川本線 吉岡発 古川行 三日町・古川十日町経由                            537-9006(日野RE101) ◇古川828→924築館町 古川本線 古川発 築館町行 古川十日町経由                            521-5006(いすゞBU10) ◇築館町1030→1113有壁 古川本線 古川発 一ノ関行 531-8008(いすゞBU10) ・有壁→大沢田→有壁 タクシ― 2.4 エピソード ・七夕で混雑の仙台から高速道特急に乗るが、築館まで停まらないとの案内に県庁  ・市役所前で下車(誤乗扱いで運賃は請求されなかった)。宮城交通との共通乗  車は共通区間内相互発着か鉄道区間内発共通区間内着の乗車券類に限られるため  断念して、会社線代行とする。 ・祇園社前では十日町南経由古川行の後に三日町経由古川行が続行しうっかりする  と乗り違えるところ。 ・有壁へは大沢田の手前から直行したため、タクシー代行で大沢田に立つ。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・古川線は、1942(S17)年6月20日に、一ノ関〜吉岡、椚崎〜有壁、築館町〜築館  (1958(S33)年2月末限り廃止)、古川十日町〜陸前古川(→古川)が開業した  のがルーツで、一ノ関〜古川〜仙台の鉄道短絡線、往時の街道筋の地方交通・  産業開発を使命としていた。 ・戦後は、1951(S26)年12月20日に吉岡〜仙台が開業し、仙台鉄道(→宮城交通)  と共同で、仙台〜陸前古川・築館町の直通急行バスの運行を開始した。 ・1954(S29)年12月10日に築館町〜石越(後の石越線)、陸前高清水〜瀬峰、陸前三  本木〜陸前高倉の各区間が開業した。1955(S30)年9月2日には金成〜有賀分校前  〜若柳仲町が開業した。 ・国道4号線のバイパス開通に伴い、1959(S34)年2月8日に大衡役場前〜吉岡町(  新国道)、1962(S37)年5月25日に築館町〜照越(新国道)、古川十日町〜沖稲葉  (大崎大通)が開業した。同じく1964(S39)年2月5日には、築館町〜沢入(新国  道)、陸前神田〜照越〜八沢、陸前羽黒〜竹ノ花、後田〜江合の各区間が開業した。  さらに、同じく1966(S41)年11月20日に、県界〜萩中前(新国道)、金成反町〜沢  辺、陸前城生野〜留場の各区間が開業した。 ・国鉄自動車局(1961)「国鉄自動車30年史」によると、当時、古川線では次の区間で  共通乗車の取扱いが行われていた。  ◇仙台鉄道株式会社、陸前乗合自動車株式会社    共通乗車区間:築館町・仙台間及び古川十日町・陸前古川間    共通乗車旅客の範囲:普通乗車券又は回数乗車券を所持する旅客  ◇陸前乗合自動車株式会社    共通乗車区間:築館町・石越間    共通乗車旅客の範囲:普通乗車券、回数乗車券又は定期乗車券を所持する旅客 ・1968(S43)年8月1日、仙台盛岡急行線の開業に伴う民営バス事業者への見返りと  して、瀬峰線(陸前高清水〜瀬峰)が宮城中央バス(→宮城交通)、陸前三本木〜  陸前高倉が宮城バス(→宮城交通)に移管された。 ・1972(S47)年10月24日に吉岡上町〜吉岡町(大和町吉岡地内の旧道区間)が廃止され、  同年12月15日に金成線(金成〜若柳仲町)が廃止された。 ・1985(S60)年8月現在ダイヤで古川線急行便(仙台〜古川・築館町・一ノ関)は、  共通乗車の宮城交通を含めて16往復運行されていたが、国鉄バスは次の7往復で  あった。  (下り)    仙台0700→古川    仙台0850→古川    仙台0950→古川    仙台1250→築館町    仙台1450→古川    仙台1520→一ノ関    仙台1650→一ノ関  (上り)    古川0700→仙台    古川0730→仙台    古川0905→仙台    一ノ関908→仙台    一ノ関0958→仙台    古川1330→仙台    築館町1615→仙台 ・同じく普通便は、次の系統が設定されていた。  (古川以北)    古川〜一ノ関 下り3本・上り4本    古川〜築館町 下り11本・上り14本    築館町〜一ノ関 下り5本・上り3本  (古川以南)    吉岡〜古川 6往復    座付〜古川 1往復(土休日学休運休)    混内山〜古川 下り14本・上り13本 ・1985(S60)年当時、金成、築館町、陸前高清水、陸前三本木、仙台(西口バスプー  ル)に自動車駅(バス切符売場)が存在したが、国鉄民営化以後に廃止された。一部  の建物は現存している。また、沢辺は栗原電鉄(当時)駅窓口でバスの切符を販売  していた。 ・一方、国鉄バス運行の拠点として、一関自動車営業所(一ノ関)、古川自動車営  業所(古川市内)、同築館支所(築館町)、仙台自動車営業所(仙台市内)が置  かれていた。 3.2 旅から30年 ・「古川線国鉄バス時刻表」1986(S61)年11月1日改正によると、古川線(普通便)  には次の系統が設定されていた。  (古川以北)    古川〜一ノ関 3往復(所要1時間52分)    古川〜金成 下り1本(所要1時間24分)    古川〜沢辺 上り1本(所要1時間21分)    古川〜宮野町尻 下り1本・上り4本(うち町尻〜築館間土曜運転(学休日     運休)1本、町尻〜築館間土日祝学休日運休2本)(所要1時間6分)    高清水〜宮野町尻 下り1本(日祝学休日運休)(所要34分)    古川〜築館町 下り10本(うち日祝運休1本)・上り9本(うち日祝運休2     本)(所要56分)    通揚〜築館町 下り1本(日祝運休)(所要32分)    築館町〜一ノ関 4往復(所要1時間)    築館町〜沢辺 下り1本(所要22分)    沢辺〜一ノ関 1往復(所要40分)  (古川以南)    吉岡〜古川 7往復(所要50分)    座付〜古川 下り2本(うち日祝運休1本、土日祝学休日運休1本)・上り     1本(土日祝学休日運休)(所要40分)    混内山〜古川 下り12本(うち日祝学休日運休2本、日祝運休2本)・上り     11本(うち日祝学休日運休1本、日祝運休1本)(所要28分) ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、混内山〜混内山団地が  認知された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、古川線はJRバス東北に継承された。 ・1985(S60)年当時、石越線は長期休止中であったが、1990(H2)年3月10日に東北  新幹線くりこま高原駅が開業すると一部区間を再開し同駅に乗り入れた(1994(  H6)年3月末限り廃止)。 ・1999(H11)年3月末限りで一ノ関〜留場、陸前城生野〜宮野町尻が廃止された。  この時から一ノ関〜仙台の特急便(築館〜泉間東北道経由)は、築館町〜仙台に  短縮して存続した(2001(H13)年11月末限りで休止)。 ・2002(H14)年11月末限りで仙台乗入れ(古川〜仙台急行便)が廃止され、大衡農協  前〜仙台が廃止された。この時に宮城交通との共通乗車制も廃止された。 ・2004(H16)年3月末限りで、古川十日町〜大衡農協前〜吉岡、古川十日町〜三日町  〜祇園社前、古川〜古川駅南口〜古川高校前、テレトラック三本木入口〜カウボ  ーイ、混内山〜混内山団地〜三本木町役場前の各区間が廃止された。 ・2005(H17)年3月末限りで、最後まで残った栗原中央病院〜留場〜築館町〜古川が  廃止された。 ・2015(H27)年6月現在、古川〜仙台間急行バスの後身である、仙台〜古川間高速  バス(東北自動車道経由)がJRバス東北によって運行されている。 3.3 旅の考察 ・乗車券の経由欄には「祇園社前、古川十日町」とあるが、この区間は第1区間(  一ノ関〜仙台)の一部(自動車線普通旅客運賃表に記載はないが十日町南経由。  1.7km)と第8区間(古川十日町〜三日町〜祇園社前。2.1km)の2つのルートが  ある。このため、この区間に係る経由欄は「祇園社前、三日町、古川十日町」と  すべきであったと思われる。 ・当時、古川市内には沖稲葉〜三日町間の迂回線の南町団地(→栄町団地)経由、  古川〜工業高校前間を直行する経路があったが、路線名称、自動車線普通旅客運  賃表にも載っておらず、把握されていなかった。 ・当時の仙台〜古川の急行便は祇園社前〜十日町南〜古川台町〜古川という経路を  通り古川本線の支線(古川十日町〜古川)との分岐駅である古川十日町には停車  しない。この場合、十日町南と古川十日町を同一駅として扱っていたのか、仙台  〜古川急行便から古川十日町以北(築館町方面)の駅に乗り継ぐ場合、十日町南  〜古川台町〜古川十日町の飛び出し乗車を認める扱いだったのか、はっきりしな  い。また、当時は、三日町経由の吉岡・混内山〜古川の普通便も古川十日町には  停車していないので、同様の問題があったと思われる。            築館町             Λ             |        古川十日町○ 古川台町             |     三日町<−○−−+−−○−>古川         七日町 |             ○十日町南             |             V            祇園社前 ・古川本線で路線名称上「(旧国道)」と付された区間は、次の略図の通りである。  ◇金成反町−沢辺(旧国道)          金成   金成    金成   金成       沢辺 役場前  上町 金成 新町   反町   仙台<−−○−−○−−+=○==○==○=+−○−>一ノ関               \       /                    ・−−○−−・                  金成                (東日本急行)  ◇陸前城生野−陸前宮野−留場(旧国道)            陸前 築館女 宮野    陸前       留場   宮野 子高前 町尻    城生野   仙台<−−○−−+=○==○==○=+−−−−○−>一ノ関            \       /             ・−−−−−・  ◇陸前神田−八沢(旧国道)                陸前       八沢   照越  神田   仙台<−−○−+==○===○+−>一ノ関           \     /            ・−○−・             照越            (急行便)  ◇陸前羽黒−竹ノ花            陸前 荒谷            荒谷 北町          ・==○==○==・         /          \   仙台<−−○−−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−+−>一ノ関       竹ノ花            \      /                       ・==○=・                         陸前                         羽黒  ◇後田−江合(旧国道)           三ツ江         ・==○=・         |     \   仙台<−−○+−−−−−−+○−>一ノ関        江合       後田 ※補足「
古川線急行便の系譜」 ※補足「古川駅周辺の国鉄バス/JRバス路線図
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【219】仙台盛岡急行線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇仙台盛岡急行線    1 仙台−盛岡バスセンター 1.2 路線略図               金成       古川      ・○・               盛岡バス  仙台   十日町     | |   中尊寺   北上市   センター  ◎−−○−−○−−○−−○+−+−◎……○……○……○……○……○    県庁前 | 築館町 沢辺  一ノ関   水沢市   花巻市        ◎古川 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・仙台盛岡急行線は1968(S43)年に一ノ関〜盛岡バスセンターが開業し、既設  区間(仙台〜一ノ関)を含めて仙台〜盛岡バスセンターで特急バスの運行を  開始したもので、東北本線の補完、沿線主要都市間の都市間輸送を使命とし  ていた。 ・国鉄自動車路線名称では「仙台・盛岡バスセンター間」とされており、仙台  〜一ノ関は古川本線と重複(いわゆる「二重戸籍」)していた。 ・仙台盛岡急行線は1968(S43).08.01に一ノ関〜盛岡バスセンター(94.9km)が  開業し、仙台〜盛岡バスセンターに特急バスを運行開始(国鉄4往復、東日本  急行6往復)。    仙台0730→一ノ関0955→盛岡BC1215 盛岡BC0725→一ノ関0955→仙台1208    仙台0930→一ノ関1155→盛岡BC1413 盛岡BC0925→一ノ関1155→仙台1408    仙台1330→一ノ関1555→盛岡BC1815 盛岡BC1325→一ノ関1555→仙台1808    仙台1530→一ノ関1755→盛岡BC2015 盛岡BC1525→一ノ関1755→仙台2008 ・1974(S49)年12月現在ダイヤでは、国鉄は仙台〜盛岡3往復、仙台〜一ノ関1  往復で、東日本急行は仙台〜盛岡4往復、仙台〜一ノ関2往復であった。    仙台0730→一ノ関1007→盛岡BC1247 盛岡BC0652→一ノ関0947→仙台1212    仙台0930→一ノ関1158       盛岡BC0857→一ノ関1147→仙台1412    仙台1330→一ノ関1607→盛岡BC1847       一ノ関1547→仙台1812    仙台1530→一ノ関1807→盛岡BC2047 盛岡BC1457→一ノ関1747→仙台2012 ・1976(S51)年2月改正では、国鉄は仙台〜盛岡2往復、仙台〜一ノ関2往復に、  東日本急行は仙台〜中尊寺間5往復となった(東日本急行中尊寺〜盛岡バスセ  ンターを休止、1往復休止(6→5往復))。 ・1978(S53)年8月改正では、国鉄は仙台〜盛岡2往復、仙台〜一ノ関2往復が  設定されていた(東日本急行は仙台〜中尊寺間5往復)。  (下り便)   1便 仙台0730→1006一ノ関1015→盛岡BC1255   3便 仙台0930→1206一ノ関   5便 仙台1330→1606一ノ関1615→盛岡BC1855   7便 仙台1530→1807一ノ関  (上り便)   2便 盛岡BC0645→0925一ノ関0940→仙台1215   4便         一ノ関1142→仙台1415   6便         一ノ関1540→仙台1813   8便 盛岡BC1452→1732一ノ関1740→仙台2012 ・1978(S53)年12月に運行系統が仙台〜一ノ関に短縮されたが(一ノ関〜盛岡  バスセンターが長期休止)、本数は1日4往復で維持された。その後、1983  (S58)年が減便され始め、1985(S60)年1月現在ダイヤでは1日1往復となっ  ていた。同年3月ダイヤ改正で仙台〜一ノ関特急便は休止された。 ・1978(S53)年12月改正では、国鉄は仙台〜一ノ関4往復(東日本急行は仙台〜中  尊寺5往復)となり、仙台盛岡急行線一ノ関〜盛岡バスセンターが休止された。    仙台0730→一ノ関1006    一ノ関0940→仙台1215    仙台0930→一ノ関1206    一ノ関1140→仙台1413    仙台1330→一ノ関1606    一ノ関1540→仙台1813    仙台1530→一ノ関1807    一ノ関1740→仙台2012 ・1982(S57)年7月現在ダイヤでは、国鉄は仙台〜一ノ関5往復(東日本急行は仙  台〜中尊寺5往復)が設定されていた。    仙台0730→一ノ関1009    一ノ関0940→仙台1218    仙台0930→一ノ関1209    一ノ関1140→仙台1416    仙台1130→一ノ関1409    一ノ関1400→仙台1636    仙台1330→一ノ関1609    一ノ関1540→仙台1816    仙台1530→一ノ関1810    一ノ関1740→仙台2015 ・1983(S58)年5月改正で、国鉄は仙台〜一ノ関2往復、仙台〜沢辺1往復(東日  本急行は仙台〜中尊寺4往復)に減便された。    仙台0730→一ノ関1010    一ノ関0940→仙台1219    仙台1330→ 沢辺1546    一ノ関1140→仙台1416    仙台1530→一ノ関1811     沢辺1604→仙台1817 ・1983(S58)年8月現在ダイヤでは、国鉄は仙台〜一ノ関2往復に減便された(東  日本急行は仙台〜中尊寺4往復)。    仙台0730→一ノ関1010    一ノ関0940→仙台1219    仙台1530→一ノ関1811    一ノ関1140→仙台1417 ・1984(S59)年9月現在ダイヤでは、国鉄は仙台〜一ノ関1往復に減便された(東  日本急行は仙台〜中尊寺4往復)。    仙台1530→一ノ関1811    一ノ関0940→仙台1219 ・1985(S60)年1月改正では、国鉄は仙台〜一ノ関1往復(古川経由)、東日本急  行は仙台〜中尊寺3往復、仙台〜一ノ関1往復(いずれも古川経由せず)とな  った。東日本急行は仙台〜一ノ関・中尊寺特急バスを東北道(泉〜築館間)経  由に乗せ替えたが、国鉄は古川経由で維持された。その後、同年3月改正で国  鉄の仙台〜一ノ関特急便は廃止された。    仙台1530→一ノ関1811    一ノ関0940→仙台1219 3.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月に仙台盛岡急行線の廃止公示がなされた。 ・1986(S61)年3月ダイヤ改正で古川本線仙台〜一ノ関急行便を東北自動車道  (泉〜築館)経由に変更の上、特急便として運行された(1日2往復)。  この便の運行経路は、古川本線「築館町・七北田間(東北自動車道)」とし  て、同年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で位置づけられた。 3.3 旅の考察 ・仙台盛岡急行線には自動車急行券が設定されていたが、このような制度の差異  のため、仙台〜一ノ関において古川本線と別線扱いにしたものと解される。仙  台盛岡急行線と古川本線とは概ね経路(国道4号線)は一致しているが、前者  が陸前三本木、陸前荒谷、金成を経由しない(三本木バイパス等を経由)とい  う違いがあった。 ・運行系統が仙台〜一ノ関に短縮された以降、「国鉄監修交通公社の時刻表」  では、当該系統を古川線と記載されていたが、「国鉄自動車50年史」では当該  特急便を仙台盛岡急行線と記載している(自動車急行券の設定区間の1つとし  て「仙台盛岡急行線仙台・一ノ関間」とある)ことから、本稿では仙台盛岡急  行線と解する。 ・仙台盛岡急行線は、東日本急行(盛岡バスセンター〜仙台)及び岩手急行バス  (盛岡バスセンター〜一ノ関)との間で普通乗車券、回数乗車券について共通  乗車の取扱いが行われていた。 ・なお、1985(S60)年9月に東日本急行の特急便(東北自動車道経由)に乗車した  際には、車内放送で仙台盛岡急行線とされており、「国鉄バスと共同運行で乗  車券は共通、但し鉄道線との連帯乗車、周遊券、宮城交通の乗車券では利用で  きない」旨案内されていた。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【220】角田線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇角田線   角田本線    1 船岡−相馬    2 丸森橋−丸森   仙台南線    1 江尻−仙台   白石線    1 天神町−白石蔵王    2 天神町−角田−馬場内 1.2 路線略図                        仙台◎                         /                        /                       ◎岩沼中央                  槻木◎ / 三丁目                    |/  (岩沼)             船岡◎ 槻木町○                \   |                 \  |                江尻○−・                  |        白坂        ○一本木   白石◎−−○−−−○馬場内 /     | /     |  /     |/  角田◎−+−○天神町     ◎       |   白石蔵王      ○磐城角田             |    三月殿           東町○−−−−−○−−○−>坂元             |     |  河原             ○館矢間  |             |     ○小斉             ○丸森橋  |             |  小斉口|         丸森◎−○−−−○−・            丸森町  |                 ○金山町                 |                 ○磐城大内                 |                 |                 ○南菅谷                  \  相馬                   ・−◎−>松川浦・原釜  ※東町〜三月殿〜小斉口、三月殿〜河原〜坂元は、小斉線  ※相馬〜松川浦、松川港〜原釜は、相馬海岸線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・仙台南線1 岩沼中央三丁目〜槻木 ・角田本線2 丸森〜丸森橋 ・角田本線1 丸森橋〜丸森町〜小斉口 ・角田本線1 東町〜磐城角田〜天神町〜江尻〜船岡 2.2 掲載 ・50日目 8/8(木) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p232〜235 ・連載誌のみ 岩沼駅の写真、丸森駅の写真、磐城角田駅の写真 2.3 行程 ○岩沼中央三丁目0714→0738槻木町 仙台南線 仙台発 磐城大内行 531-8003                             (いすゞK-CLM500) ×丸森0850→0852丸森橋 宮城交通バス ×丸森橋0853→0906磐城角田 角田本線 丸森町発 磐城角田行 △磐城角田0945→1000丸森町 角田本線 磐城角田発 相馬行 531-0010(いすゞK-CLM500) ×丸森町→小斉口 タクシー ○小斉口1114→1142磐城角田 小斉本線 金山町発 磐城角田行 331-2072(いすゞK-CDM410) ○磐城角田1320→1348船岡 角田本線 磐城角田発 船岡行 537-5007(日野) 2.4 エピソード ・岩沼駅には同一駅であるはずの岩沼中央三丁目の案内はない。通行人に2度も  道を尋ね、駅前通りを5分はたっぷり歩き、仙台市交、宮城交通、東北急行と  共用の停留所を見つけた。 ・磐城大内行きのバスは定刻に現れたが、常磐線の下をくぐって阿武隈川左岸の  堤防脇に出ると渋滞。槻木駅ならここだと教えられたのは槻木町停留所だった。 ・狭い商店街を少し歩くと東北本線槻木駅に突き当たり、別系統で駅へ入るバス  が6往復あることが分かったが、槻木町〜槻木間0.3kmは徒歩連絡とする。 ・国鉄バスで丸森駅に発着するのは朝夕1本ずつ、丸森線ディーゼルカーを降り  て2分接続できっぷのコース通りの大回りルートを走るバスがあった。 ・磐城角田駅待合室の片隅に荷物を留守番させ、バスにタクシーを交えた小刻み  乗り継ぎで一周。小斉口から小さな峠を越えて田園地帯を行くと、セミの鳴き  声がバスの中まで降ってくる。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・角田線は、1935(S10)年17日に白石〜磐城角田〜中村(→相馬)〜原釜が白中線  として開業したのがルーツで、1937(S12)年9月1日に船岡線(磐城角田〜船岡)  が、1938(S13)年8月1日に一本木〜槻木が開業した。 ・本路線の使命は、東北本線と常磐線の短絡及び仙南地方の交通を確保し、産業  文化の開発に寄与することであった。1952(S27)年5月25日には槻木線槻木〜仙  台が開業し、仙台乗り入れが実現した。昭和30年代からは磐城大内から角田・  槻木を経て仙台まで急行バスを運転していた。 ・1955(S30)年9月2日に梁川線(丸森(→丸森町)〜磐城峠〜梁川町)、1957(S  32)年12月22日に旗巻線(磐城大内〜青葉〜黒木)の各線が開業した。 ・1968(S43)年9月17日、鉄道丸森線の開業に伴って、角田、丸森各駅への乗入れ  を開始した(丸森橋〜丸森、白石線天神町〜角田〜馬場内の各区間が開業)。 ・実国良弘(1982)「国鉄バスと東北新幹線の連けい輸送」(『国鉄線』1982年7月  号所収)によると、1980(S55)年度の主要観光路線の輸送状況は、次の通りであ  った。      区    間      運行回数 所要時間 輸送人員  収入    青森・浅虫〜十和田湖    12.5往復  3:30   36万人  5.0億円    十和田南・大館〜十和田湖  10.0往復  2:20   27万人  1.8億円     久慈〜盛岡          4.0往復  3:30 16万人 1.6億円    岩泉〜盛岡          2.0往復 3:00 5万人 0.4億円    象潟〜鉾立(鳥海山)     4.0往復 0:50 2万人 0.1億円    小国〜飯豊梅花皮荘(朝日岳) 4.0往復 0:54 4万人 0.1億円    西那須野〜塩原温泉・鬼怒川 27.0往復 2:10 120万人 34.0億円    白石〜磐城角田       10.0往復 0:45 31万人 0.4億円    白河〜磐城棚倉       37.5往復 0:44 149万人 24.0億円 ・1982(S57)年6月23日、東北新幹線(大宮〜盛岡)開業に伴って、白石蔵王駅  への乗入れを開始した(白石〜白石蔵王を延長開業)。 ・1985(S60)年3月14日に梁川線及び旗巻線の廃止が公示された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、角田線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    仙台〜磐城大内 2往復    仙台〜磐城角田 1往復    磐城角田〜相馬 下り7本・上り6本    磐城角田〜磐城大内 6往復    磐城角田〜丸森町 下り2本・上り1本    船岡〜磐城角田 12往復    白石蔵王〜磐城角田 6往復    白石〜磐城角田 3往復 ・1985(S60)年当時、線内に自動車駅として磐城角田、丸森町、金山町、磐城大内  及び(自)仙台(西口バスプール)の各駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として、角田自動車営業所(角田市役所前)及び同相馬支所(相馬)、仙台  自動車営業所(仙台市内)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・国鉄末期の1986(S61)年3月3日に白石線白坂〜白石蔵王(直行ルート)が開業  した。 ・角田線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス東北に継承された。 ・民営化直後の1987(S62)年6月6日に、「角田循環線」(一本木〜角田女子高前  〜磐城角田)及び「北郷線」(角田市役所前〜左関中央〜磐城横倉、後沖〜北郷  小学校前)が開業した。 ・その後、1990(H2)年3月10日に一本木〜角田女子高前、1991(H3)年4月1日に「  北郷線」全線、同年12月に白石線白坂〜白石蔵王(直行ルート)が廃止された。 ・1994(H6)年3月1日には仙台南線が廃止され、1996(H8)年4月1日に白石線が廃  止された。 ・最後まで残った区間(船岡〜相馬、梶賀〜磐城角田、磐城角田〜角田女子高前、  丸森橋〜丸森及び天神町〜角田)は1999(H11)年3月末限りで廃止され、角田営業  所も廃止された。 3.3 旅の考察 ・1952(S27)年に槻木線槻木〜仙台が開業すると、国鉄バスは仙台〜磐城大内の  直通急行バスの運行を開始した。1959(S34)年には仙台側を古川線に乗り入れて  三越前停留所まで延長したが、競合する仙南交通が東二番丁の仙台バスセンター  発着であったためにサービス改善策として実施されたものと思われる。1961  (S36)年からは仙台自動車営業所もこの急行バスの運行に参画した。1985(S60)年  3月改正で仙台地区に「国電型ダイヤ」が実施され、仙台直通が3往復に減らさ  れる(仙台発着の減便分は槻木発着で以南の運行を存置)まで9〜10往復程度が  設定されていた。(補足資料参照) ※補足 丸森線第3セクター化(阿武隈急行開業)に伴う国鉄バス増発ダイヤ改正 (1)国鉄丸森線の角田駅及び丸森駅には国鉄バスが乗り入れていたが、このうち、  角田駅からは1985(S60)年3月改正ダイヤでは次の5本が設定されていた。    0645磐城角田行    0838 〃    1429磐城大内行    1638磐城角田行    1850河原行  また、丸森駅からは丸森町方面に朝夕の2本が設定されていた。 (2)1986(S61)年7月1日から国鉄丸森線を引き継いだ阿武隈急行線が開業すると、  国鉄バスもダイヤ改正を行って角田、丸森両駅の発着便を増発した。このうち、  角田駅については磐城角田〜角田に18往復が設定された。また、丸森駅につい  ては、丸森〜丸森町に下り6本・上り7本、丸森〜金山町が下り1本、磐城角  田〜丸森町・金山町・磐城大内のうち丸森に寄る便が下り6本・上り8本が設  定された。 (3)1986(S61)年7月1日改正の角田自動車営業所管内時刻表によると、角田線等に  は次のような系統が設定されていた。  (角田本線)    磐城角田〜相馬 4往復    磐城角田〜磐城大内 7往復(うち日祝運休1往復、仙台直通2往復を含む)    磐城角田〜金山町 上り2本    磐城角田〜丸森町 下り11本・上り10本    丸森〜丸森町 下り6本・上り7本    丸森〜金山町 下り1本    磐城大内〜相馬 1往復    南菅谷〜相馬 6往復(うち日祝運休1往復)    船岡〜磐城角田 17往復  (仙台南線)    仙台〜磐城角田 3往復(うち日祝運休1往復、磐城大内直通2往復を含む)    槻木〜磐城角田 2往復  (白石線)    白石蔵王〜磐城角田 5往復(うち下り2本・上り3本は直通便)    白石〜磐城角田 7往復    角田〜磐城角田 18往復  (小斉線)    磐城角田〜小斉〜金山町 6往復    磐城角田〜河原 3往復  (相馬海岸線)    相馬→松川浦→相馬港→相馬 20本  (岩の子線)    相馬〜岩の子 3往復 ・民営化前後から経営基盤の確立と折からの高速道路の延伸を背景として、国鉄  バス・JRバスの高速路線が急速に拡大した。1989(H1)年から仙台〜青森の高  速バス「ブルーシティー」が運行開始するが、開業当時JRバス東北は角田営  業所が担当になった。このため、仙台南線が1996(H8)年に廃止されるまでは、  同線に高速用6型車が充当され、ダイヤも高速線の出入庫に合わせたものと  なっていた。(補足資料参照) ※補足「
仙台南線(角田本線直通急行便)の系譜」 ※補足「角田営業所廃止時点の路線図
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【221】小斉線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇小斉線   小斉本線    1 東町−小斉口   坂元線    1 三月殿−坂元   山下線    1 山下−東街道 1.2 路線略図    磐城角田      Λ               ・−◎山下      |   三月殿     東街道 | ・    東町○−−−−○−−○・・・・○−−・ ・      |    | 河原\      |    |    \      |    ○小斉   ○−−−○−−◎坂元      |    |    小斉峠 館下      | 小斉口|  丸森◎−○−−○−・     丸森町 |         V        金山町  ※河原〜坂元、山下〜東街道は、休止中  ※磐城角田〜東町〜丸森橋〜小斉口〜金山町、丸森橋〜丸森は、角田線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・小斉本線1 小斉口〜三月殿〜東町 2.2 掲載 ・50日目 8/8(木) S61.7号 10.東北編(上) 単行本 p233〜235 2.3 行程 ◇小斉口1114→1142磐城角田 小斉本線(三月殿・東町経由) 金山町発 磐城角田行                          331-2072 (いすゞK-CDM410) 2.4 エピソード ・丸森線を降りて詩的なキャッチフレーズに見とれていなければ、2分接続で0845  の角田行きに乗れ、きっぷ通りの大回りコースを走ってくれたはずだった。 ・小斉口から小さな峠を越えて田園地帯に入ると、バスの車内までセミの鳴き声が  降ってくる。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・小斉線は、1951(S26)年12月7日に白中本線の一部として、東町〜三月殿〜金山  町が開業したのがルーツで、沿線地方の産業文化の発展助成を使命としていた。 ・1954(S29)年4月22日に三月殿〜日高神社前〜小斉峠〜坂元が開業し、1957(S32)  年1月20日に日高神社前〜高瀬峠〜東街道〜山下〜笠野が開業した。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)によると、本路線は、常磐線と東北本線に  囲まれた山間町村を走行しており、角田線とともに地域の住民の重要な足とな  っていると述べられていた。 ・1960(S35)年12月25日に坂元線の磐城田辺〜小斉峠が開業した。 ・小斉線は、1962(S37)年10月1日に白中線から分離・独立した。 ・1973(S48)年3月末から、小斉峠〜磐城田辺、河原〜東街道、山下〜笠野の各  区間が廃止された。これによって、山下線は他の自動車路線とつながらない、  落下傘路線となった。 ・1981(S56)年1月時点の国鉄バス磐城角田駅発車時刻表から、小斉線関係の発車  時刻を抜粋すると次の通りであった。    坂元 0556    金山町0714    丸森町0800    金山町1027     同 1250     同 1423    坂元 1545    丸森町1615    三月殿1730(日祝運休)    金山町1805    三月殿1858 ・1984(S59)年4月1日から、坂元線の河原〜坂元と山下線全線は長期休止中で  あったが、国鉄最後の日の1987(S62)年3月31日限りで廃止された。 ・1985(S60)年3月改正ダイヤでは、小斉線には次の系統が設定されていた。   磐城角田〜金山町 下り5本・上り4本   磐城角田〜丸森町・丸森 下り2本・上り3本   角田・磐城角田〜河原 4往復 3.2 旅から30年 ・国鉄丸森線の阿武隈急行線への転換、列車増発に伴う1986(S61)年7月改正ダイ  ヤでは、小斉線には次の系統が設定されていた。   磐城角田〜小斉〜金山町 6往復   磐城角田〜河原 3往復 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、小斉線の東町〜三月殿〜小斉口及び三月殿  〜河原はJRバス東北に継承された。 ・1994(H6)年4月1日までに三月殿〜河原が廃止(自治体バス化)され、その後、  三月殿〜小斉口も廃止された。自治体バスとして最後まで残った東町〜三月殿  〜河原も、角田営業所の廃止に伴って1999(H11)年3月末限りで廃止された。 3.3 旅の考察 ・1985(S60)年3月改正ダイヤの小斉口の発車時刻表(小斉・磐城角田方面)は、  次の通りであった。    磐城角田0712(丸森町始発)     同上 0923(丸森町始発)     同上 1113     同上 1323    磐城角田1515     同上 1736(丸森町始発)     同上 1850 ・このダイヤによると、丸森0845発の小斉経由角田行きに乗った場合、0950頃まで  には磐城角田に到着しこの区間をクリアできたことになる。 ※補足「
角田営業所廃止時点の路線図
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【222】相馬海岸線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇相馬海岸線    1 相馬−相馬今泉    2 中村大町−岩ノ子    3 築港道−松川浦    4 松川港−原釜 1.2 路線略図                 ○相馬今泉                 :                 :                 ○原釜  磐城角田<−◎相馬     /|        |      / |    中村大町○−−○−−○−−○−○松川浦        | 下り松 築港 松川        |     道  港     南飯淵○        |        |     岩ノ子○  ※原釜〜相馬今泉は、1984(S59)年4月1日から長期休止中。  ※磐城角田〜相馬は、角田線 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・相馬海岸線は、1935(S10)年10月17日に白中線白石〜磐城角田〜磐城大内〜  中村(→相馬)〜原釜の一部として、相馬〜原釜が開業したのがルーツで、  沿線地方の産業文化の発展助長を使命としていた。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)によると、本路線の沿線は、県立公園  松川浦にあって、海水浴・潮干狩り・魚釣り等の行楽に適し、美しい風光を  誇っていると述べられていた。 ・戦後は、1951(S26)年4月1日に松川港〜原釜〜新地、中村大町〜岩ノ子の  両区間が開業した。 ・1961(S36)年7月1日に相馬〜中村大町、1962(S37)年5月15日に松川港〜松  川浦の各区間が開業した。 ・相馬海岸線は、1962(S37)年10月1日に白中線から分離した。 ・1972(S47)年10月24日に中村大町〜中村柳橋が廃止され、1973(S48)年3月末  から新地〜相馬今泉が廃止された。 ・1984(S59)年4月1日から、経路変更による循環運転に伴って、築港道〜原釜  (旧経路)及び原釜〜相馬今泉は長期休止中であったが、後者は国鉄最後の  日の1987(S62)年3月31日限りで廃止された。 ・1985(S60)年8月現在ダイヤでは、相馬海岸線は、相馬→下り松→松川浦→原  釜→下り松→相馬という循環運転を行っていたが、相馬発0620〜1920の間に  20回設定されていた(所要35分)。 ・1985(S60)年当時、国鉄バス運行の拠点として、角田自動車営業所相馬支所(  相馬)が置かれていた。 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年7月改正ダイヤでも、同じく相馬発0620〜1920の間に20回設定さ  れていた(所要35分)。また、このダイヤでは相馬〜岩ノ子が3往復(所要  15分)設定されていた。 ・相馬海岸線は、国鉄民営化及び自動車分離を経て、JRバス東北が継承した。 ・民営化以降は、中村大町〜岩ノ子が1990(H2)年8月頃に廃止され、その後、  1994(H6)年4月までに下り松〜相馬火力発電所前が運行された。 ・相馬海岸線は角田営業所の廃止に伴って、1999(H11)年3月末限り全廃された。 ※補足「
角田営業所廃止時点の路線図
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【223】福浪線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇福浪線   福浪本線    1 福島−浪江    2 川俣鉄砲町−川俣高校前    3 浪江上町−両竹    4 浪江−南幾世橋   大堀線    1 浪江−磐城大堀−浪江 1.2 路線略図      伊         川俣  磐  川  国 浪  南      達     川俣町 高校前 城  房  玉 江  幾   福  葭  遠    ○−−○  津  大  神 上  世 角 両   島  田  西    |  |  島  柿  社 町  橋 畑 竹   ◎−−○−−○−−○−○−−○−−○−−○−−○−○−−○−○−○      |  |  日 川俣 仁井町      | | /      |  |  和 鉄砲町         | |/   ◎−−○−−・  田            ++ ◎浪江   松  |飯野町               | /|   川  |               大堀小|/ |      ◎船引             学校前○−−○磐城大堀  ※伊達葭田〜飯野町〜船引は、船福線  ※松川〜飯野町〜遠西は、川俣線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・福浪本線1 遠西〜川俣鉄砲町〜磐城津島〜浪江上町 ・福浪本線3 浪江上町〜南幾世橋 ・福浪本線4 南幾世橋〜浪江 2.2 掲載 ・49日目 8/7(水) S61.6号 9.関東・甲信越編(下) 単行本 p229〜231 2.3 行程 ◇松川1400→1425川俣日和田 川俣線・福浪本線 537-6022(日野RE100)                            松川発 川俣高校前行 ◇川俣日和田1611→1758浪江上町 福浪本線 531-9003(いすゞBU10) 福島発 浪江行 ・浪江上町→角畑 タクシー ◇角畑1822→1834浪江 福浪本線 331-3081(いすゞK-CDM410) 両竹発 浪江行 2.4 エピソード ・福島から来た浪江行きは川俣の市街地を一回りし、川俣高校前で3分停車。国鉄  バス福島営業所川俣支所がある。 ・磐城津島で5分停車。バスの切符売場、運転士の休息所、食堂を兼ねたなんでも  屋の店先で発車時刻表をメモしていたら、広告入り時刻表をプレゼントされた。 ・浪江上町で迂回ルートの最終が出た後でタクシーを呼んでバスを追いかける。畑  の中に角畑という停留所があり、浪江行きの時刻を確かめて車を帰した。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・福浪線は、1938(S13)年6月20日に福島〜浪江、川俣鉄砲町〜川俣中島及び浪江  上町〜請戸が開業したのがルーツで、東北本線と常磐線を短絡して、地方交通の  確保、産業開発を使命としていた。 ・戦後は、1952(S27)年3月15日に浪江〜丈六公園〜井手〜磐城大堀(後の大堀線)、  1956(S31)年6月16日に浪江〜大堀支所前〜馬場路〜磐城大堀(同)が開業した。  その後、1958(S33)年4月10日に室原〜馬場路が開業した。 ・1969(S44)年9月1日、川俣中島〜川俣高校前が延伸された。 ・1972(S47)年5月14日、国鉄川俣線の廃止とともに、自動車駅として川俣町駅  (川俣鉄砲町から0.5km、川俣中島まで0.4km)が開駅した。 ・1976(S51)年10月1日に、大堀線の磐城大堀〜浪江及び室原〜馬場路が廃止された。  その後、1978(S53)年12月10日、福浪本線請戸〜両竹及び大堀線磐城大堀〜浪江の  両区間が開業した。 ・1985(S60)年当時、(自)福島と川俣町に自動車駅が存在した。また、国鉄バス  運行の拠点として、福島自動車営業所(福島)、同川俣支所(川俣高校前)、  同浪江支所(浪江)が置かれていた。 3.2 旅から30年 ・福島自動車営業所「国鉄バス時刻表」1986(S61)年3月3日改正によると、福  浪線には次の系統が設定されていた。  (福浪本線)    福島〜浪江 5往復(所要2時間19分)    津島〜浪江 1往復(所要50分)    福島〜問屋前 3往復(所要1時間25分)    川高前〜問屋前 1往復(所要30分)    福島〜川高前 16往復(うち日祝運休1往復、日祝学休日運休1往復)     (所要50分)  (請戸線)    浪江〜両竹 7往復(所要20分)  (大堀線)    浪江〜大堀〜浪江 南回り4回・北回り3回(所要35分) ・1986(S61)年9月13日に大堀線大堀小学校前〜国玉神社前が開業した。 ・同年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、福浪本線では川俣高校前〜仁  井町が認知された。 ・国鉄民営化及び自動車分離を経て、福浪線はJRバス東北に継承された。 ・1991(H3)年3月末限りに浪江上町〜両竹及び南幾世橋〜浪江が廃止され、1996  (H8)年3月末限りで大堀線(浪江〜磐城大堀〜浪江、大堀小学校前〜国玉神社  前)が廃止された。 ・1998(H10)年12月8日に福島市内の舟場町〜渡利舟場〜天神渡が開業した。 ・福島支店「JRバス時刻表」2001(H13)年12月1日改正によると、福浪線には  次の系統が設定されていた。    福島〜浪江 4往復    津島〜浪江 1往復    福島〜問屋前 下り2本(うち日祝学休日運休1本)・上り3本(うち     日祝運休1本(問屋前〜川高前は日祝学休日運休)、問屋前〜川高前     間日祝学休日運休1本)    福島〜川高前 下り21本(うち日祝運休5本、日祝学休日運休3本)・      上り20本(うち日祝運休5本、日祝学休日運休3本、学休日運休1本) ・2004(H16)年3月末限りで浪江町内区間の問屋前〜浪江が廃止された。その後、  2008(H20)年3月末限りで川俣高校前(仁井町)〜問屋前が廃止された。 ・2015(H27)年現在、福島〜川俣高校前と川俣鉄砲町〜大清水〜川俣高校前の区  間がJRバス東北によって運行されている。 3.3 旅の考察 ・福島からの浪江行きは川俣高校前を経由しており、川俣鉄砲町〜川俣町〜川俣高  校前〜仁井町という経路を通った模様である。当時、国鉄自動車路線名称、自動  車線普通旅客運賃表では川俣鉄砲町〜川俣高校前は枝線とされており、乗車券の  経路は川俣鉄砲町から仁井町に直行するルートと解される。1986(S61)年の国鉄  自動車路線名称の全面改正で川俣高校前〜仁井町が認知された。川俣町内の実乗  経路は川俣鉄砲町1.9川俣高校前2.0仁井町の3.9kmで、運賃計算経路の川俣鉄砲町  1.1仁井町よりも2.8km長かった。 ・1985(S60)年3月改正の浪江・国鉄バス発車時刻表によると、福島行き6回・川房  大柿1回・磐城津島1回、請戸・両竹7回、磐城大堀7回が設定されていた。なお、  当時の請戸・両竹方面の最終便は、浪江1750→1810両竹1815→1835浪江であった。 ・1985(S60)年当時から福島〜川俣高校前で福島交通と普通乗車券、回数乗車券、通  勤・通学定期乗車券について共通乗車の取扱いを行っていた。 ※補足 二本松線・葛尾線・岩代小浜線について ・福浪線から分岐する国鉄バス路線としては、柴切田から分岐して飯野下町〜岩代  馬場〜太田若宮〜岩代樋ノ口を結んだ岩代小浜線(1960(S35)年12月10日開業〜  1972(S47)年5月14日廃止)、磐城津島から分岐して岩代百目木〜古谷〜新殿大  久保〜岩代樋ノ口〜二本松に至る二本松線(1952(S27)年5月1日開業〜1977(S52)  年4月末限り廃止)、川房大柿から分岐して葛尾〜浜井場〜上移〜新館、葛尾〜天  王平を結ぶ葛尾線(1953(S28)年5月15日開業〜1985(S60)年3月14日全廃)が存在  した。 ・このうち、葛尾線は、1977(S52)年5月1日に曲山線(天王平〜磐城曲山)が廃止  され、次いで1979(S54)年11月25日に葛尾本線の葛尾〜新館が廃止され、最後に、  1985(S60)年3月14日、残された葛尾線川房大柿〜天王平及び葛尾口〜葛尾が廃止  された。 ・これらの路線略図は次の通りである。        伊達葭田         Λ         |          川俣鉄砲町  二本松◎−−−○新殿大久保       Λ         |            |       古谷○−−−○−−−○−−−−○町前         |  岩代  岩代    |         |  百目木 和田    ○磐城津島           |             \         |      磐城      \ 川房         |   上移 曲山 浜井場 葛尾\大柿       新館○−−−−○−−○−−○−−○−−○−−>浪江         |       |     |         V    天王平○−−○−−○葛尾         船引        葛尾   大谷地                   寺ノ下 ・1955(S30)年のダイヤでは葛尾線は浪江〜上移に次の3往復が設定されていた。  (下り)    浪江0620→0848上移      1100→1328      1700→1928  (上り)    上移0630→0858浪江      0920→1148      1510→1738  また、この時のダイヤでは、二本松線は2往復(二本松発1000・1550、磐城津島  発0550・1310)が設定されていた。 ・1967(S42)年のダイヤでは、葛尾線、二本松線には次の便が設定されていた。  (下り)    浪江1400→葛尾1607→1730船引    浪江1710→1903葛尾           二本松1315→1510磐城津島  (上り)         葛尾0543→0705浪江    船引1105→葛尾1227→1349浪江    磐城津島1020→1215二本松

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【224】船福線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇船福線    1 伊達葭田−船引 1.2 路線略図       伊       達   福   葭   島   田   ◎−−−○−−−・       |   |       |飯野町|遠西   ◎−−−○−−−○−−−>川俣町・浪江   松   |   川   |       ○新館       |       |       ◎船引  ※福島〜伊達葭田〜遠西〜川俣町〜浪江は、福浪線  ※松川〜飯野町〜遠西は、川俣線 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・船福線は、1954(S29)年12月28日に福浪線の支線として伊達葭田〜船引が開業  したのがルーツで、東北本線と磐越東線を短絡して、地方交通の確保、産業  開発を使命としていた。 ・1984(S59)年9月末に長期休止となったが、当時、沿線自治体からの要請によ  り、補助を受けて道路運送法第21条(当時)許可路線(いわゆる「自治体バス  」として国鉄バスが運行を行っていた。 3.2 旅から30年 ・福島自動車営業所「国鉄バス時刻表」1986(S61)年3月3日改正によると、船  福線には次の系統が設定されていた。    福島〜船引  2往復    福島〜下田  1往復    福島〜飯野町 1往復 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、船福線は「伊達葭田  ・岩代下田間」とされており、岩代下田〜船引は削除された(この時点では、  福島〜飯野町・岩代下田の系統は事業者路線であったと考えられる)。 ・国鉄最後の日である1987(S62)年3月31日限りで、船福線の廃止が公示された。  なお、この公示は、日本国有鉄道公示の最終号であった。 ・福島支店「JRバス時刻表」2001(H13)年12月1日改正によると、船福線には  次の系統が設定されていた(各系統とも自治体バスであると解される)。    福島〜船引  2往復    福島〜古谷  1往復(日祝学休日は下田〜古谷間運休)    福島〜飯野町 1往復 ・国鉄民営化以後もこのような運行体制が続いたが、2006(H18)年の法令改正に  よって、「旧道路運送法第21条に基づき市町村の要請で貸切事業者が行う乗  合事業」は道路運送法第4条の乗合路線(「みなし4条」という。)となった。  従って、船福線も、こうした「みなし4条」路線となった。 ・その後、2010(H22)年3月末限りで船福線は全廃となった。 3.3 旅の考察 ・上述のように船福線伊達葭田〜船引間は自治体バスとしての運行であり、1986  (S61)年2月に乗車した際には(自)福島では乗車券を発売せず、女性車掌が  乗務して自治体バス用の車内乗車券を発売していた。 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で船福線は「伊達葭田・  岩代下田間」に改められており、福島〜船引間の運行便のみ自治体バスだった  可能性もある(福島〜飯野町・岩代下田間の運行便は国鉄バスの自主運行で  あろうか)。 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」の船福線の部には、福島〜船引間  主要駅の運賃が載っているが、長期休止前のものかも知れない。 ・当時、仮に船福線に係る国鉄乗車券を発行できたとすれば、飯野町〜伊達葭田〜  遠西と迂回することができたと思われる。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録【225】川俣線  1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇川俣線    1 松川−遠西 1.2 路線略図         伊         達   福     葭   島     田   ◎−−−−−○−−−・         |   |      水穴 |飯野町|遠西   ◎−−○−+○−−−○−−○−>川俣高校前・浪江   松  +−+|     川俣日和田   川     |         V船引  ※福島〜伊達葭田〜遠西〜川俣町〜浪江は、福浪線  ※伊達葭田〜飯野町〜船引は、船福線 2. 最長片道きっぷの旅 2.1 乗車券の経路 ・川俣線1 松川〜飯野町〜遠西 2.2 掲載 ・49日目 8/7(水) S61.6号 9.関東・信越編(下) 単行本 p229〜230 ・単行本 松川駅前バス乗り場とバスの写真 2.3 行程 ◇松川1400→1425川俣日和田 川俣線 537-6022(日野RE100) 松川発 川俣高校前行 2.4 エピソード ・川俣線バスが小さな峠を越える時に右手に見える鉄橋跡はかつて歩いて渡った  が、すっかり蔦に覆われていた。 ・福浪本線への乗り換えは、川俣町内の川俣線との重複区間内のどの停留所でも  構わないとの運転士情報。 3. 路線解説 3.1 当時の運行状況 ・国鉄自動車川俣線は、1968(S43)年の国鉄諮問委員会勧告による国鉄ローカル  線撤去(いわゆる「赤字83線」)の一環として廃止された国鉄川俣線(松川  〜岩代川俣)の代替輸送を行うため、1972(S47)年5月14日に開業した。 ・開業時から松川〜川俣高校前を直通運行する他、松川〜飯野町の区間便も設定  されていた。鉄道線岩代飯野駅跡には自動車駅飯野町駅が設けられた。 ・開業時の鉄道と国鉄自動車の輸送サービスを比較すると次の通り。鉄道が3駅  、所要時間24分、1日6.5往復であったのに対し、バスは7停留所を設けて、  松川〜川俣高校前14往復、松川〜飯野町1往復の運行となった。また、鉄道の  廃線敷を利用したバイパスの建設や鉄道駅舎跡の有効利用が行われた。 3.2 旅から30年 ・福島自動車営業所「国鉄バス時刻表」1986(S61)年3月3日改正によると、川  俣線には次の系統が設定されていた。    松川〜川高前 10往復(所要30分)    松川〜明治線〜川高前 2往復(所要33分) ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正から、水穴〜飯野町の別  線(明治小学校前経由。通称「明治線」)が認知された。この路線形態で国鉄  民営化を迎えた。 ・福島支店「JRバス時刻表」2001(H13)年12月1日改正によると、川俣線には  次の系統が設定されていた。    松川〜川高前 7往復(うち日祝運休2往復、日祝学休日運休1往復)    松川〜明治線〜川高前 2往復(うち日祝運休1往復、日祝学休日運休     1往復) ・2005(H17)年3月末限りで川俣線は全廃された。 3.3 旅の考察 ・代替輸送とは、前述の国鉄ローカル線(「赤字83線」)撤去に伴い、鉄道路盤  と並行する一般道路を運行し、一般のバス賃率を適用している路線の輸送のこ  とであり、国鉄自動車は5路線を担当していた。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録に戻る ホームページにもどる