○○急行バスについて
○岩手急行バス
政宗3号さんの情報
・「岩手急行バス」は、1964年に、岩手中央バス、花巻バス、花巻電鉄、岩手県南
バスの4社が出資して設立した合弁会社です。盛岡〜一関間の路線を運行してい
ましたが、国鉄の電化等の影響もあり、1970年代に入ると路線廃止、貸切専業と
なったようです。
WEライナーさんの情報
・岩手急行バスが、2003.11.1から仙台〜一ノ関線に参入しています。貸切専業では
なくなったようです。
所在地 〒021-0864 岩手県一関市旭町1番15号
○東日本急行
政宗3号さんの情報
・「仙台盛岡急行線」は、国鉄と東日本急行(株)の2社が運行していました。
・東日本急行は、ご指摘の宮城バス、宮城中央交通(いずれも現宮城交通)などの
沿線事業者が出資して設立した、いわゆる合弁会社です。
・1969年4月改正時の「仙台盛岡急行線」のダイヤは以下の通りです。
<下り便>
仙台 古川 築館 沢辺 一関 中尊寺 水沢市 北上市 花巻市 盛岡BC
始発 0630->0743->0813->0827->0858-> 0914->0941-> 1009-> 1026->1115
終発 1630->1743->1813->1827->1858-> 1914->1941-> 2009-> 2026->2115
<上り便>
盛岡BC 花巻市 北上市 水沢市 中尊寺 一関 沢辺 築館 古川 仙台
始発 0625-> 0714-> 0731-> 0759->0826->0852->0914->0930->1000->1108
終発 1625-> 1714-> 1731-> 1759->1826->1852->1914->1930->2000->2108
という形で1〜2時間おきに1日10往復(国鉄4往復、東日本6往復)運行され
ていました。
・一関では「岩手急行バス」の車庫で滞泊しています。
・東日本急行の本社営業所は、仙台市泉区の野村地区ではなかったかと思います。
たしか、七北田、泉中央方面から泉ヶ岳方面に向かう県道沿いにあったと思いま
すが。
・東日本急行は泉パークタウン内にあるホテル(名前は忘れましたが)の送迎バス
の運行も受託していたと思います。
○東北急行バス
政宗3号さんの情報
・本社は、東京都江東区東雲。
・「停留所区間キロ程」を報告させて頂きます。
(◎は運賃区界停留所、●は降車専用停留所(山形県内は下り便から。東京都内は上り
便から。)、△は指定停留所を表します。)
◎浜松町バスターミナル(下4.1、上3.7)東京駅八重洲(下2.5、上2.9)●秋葉原
(1.5)上野(2.2)●浅草(2.6)●南千住(12.0)◎草加(6.9)◎新越谷(23.2)
◎岩槻駅前(194.1)◎須賀川(12.4)◎郡山駅前(52.9)◎福島駅前(34.3)
◎白石(15.2)◎大河原(15.0)◎岩沼(14.3)長町(4.0)仙台駅前(0.4)仙台
(以上仙台線夜行便)
◎福島駅前(28.5)◎栗子(5.1)◎赤浜<下り線(12.0)◎米沢東三丁目(1.9)△米
沢中央待合所(*)/上り線(12.7)米沢営業所(1.6)△米沢中央一丁目(*)
●北産業通り(*)●糠目学校前(*)◎赤湯温泉口(*)●高松葉山温泉(*)
◎上ノ山温泉(*)●山交本社前(*)◎山形
(*米沢中央待合所〜赤湯温泉口間17.7、赤湯温泉口〜米沢中央一丁目間17.3、赤湯
〜上ノ山温泉間19.0、上ノ山温泉〜山形間下13.8・上13.2、いすれの各区間内の
降車専用停留所にはキロ程設定なし。以上山形線夜行便)
◎郡山駅前(下19.2・上18.5)◎磐梯熱海温泉(21.1)◎猪苗代(5.5)◎猪苗代湖畔
(19.2)会津若松(1.2)◎会津若松駅前
(以上会津若松線(季節運行との表示あり))
東京駅八重洲(下369.74・上370.94)仙台駅前 (以上仙台昼行便(高速経由))
東京駅八重洲(下386.96・上389.36)◎山形 (以上山形昼行便(高速経由))
路線図は上記の各停留所間を結んだ概念図のようなものでした。
なお、新庄線や新宿〜仙台線「政宗号」は載っていませんでした。
出典は東北急行バス807号車(いすずLV719R、富士HD-U)車内に掲示の路線図です
(1996年12月調査)。
・東北急行バスの仙台での発着地は、現在は同社仙台営業所(広瀬通り、宮交高速バ
ス案内所の向かい)ですが、1970年代の初め頃までは、仙南交通(現、宮城交通)
の「仙台バスセンター」に発着していました。
同センターは、現「中央警察署商工会議所前」北側の東二番丁通り(国道4号線)
西側に位置していました(現在の小田急仙台ビルの辺り)。
・手許の「交通公社時刻表1964年10月改正号」に東北急行バスの
時刻表(同年9月15日現在)が出ていましたので、運行系統別
の便数等を報告させて頂きます。
東京〜仙台線(昼行便2.5往復 夜行便1.5往復)
東京 仙台 仙台 東京
1000→1945 0800→1745
1100→2045 1000→1945
1300→2240 2130→0626
2100→0600 2330→0844
東京〜仙台経由松島線(昼行便1往復、夜行便2往復)
東京 松島 松島 東京
0745→1830 1200→2221
2200→0755 2100→0656
2300→0855 2200→0802
東京〜山形線(昼行便・夜行便各1往復)
東京 山形 山形 東京
0800→1843 1015→2042
2130→0730 2000→0606
東京〜会津若松線(昼行便・夜行便各1往復)
東京 若松 若松 東京
0900→1723 1300→2105
2330→0716 2200→0546
東京〜福島線(夜行便1往復)
東京 福島 福島 東京
2400→0652 2348→0641
併せて、東京〜松島線昼行便の途中駅発車時刻を紹介させて頂きます。
東京 宇都宮 西那須野 黒磯 白河 郡山 福島 白石 仙台 塩釜 松島
下り便 0745→1100→ 1209 →1232→1314→1415→1525→1620→1730→1810→1830
上り便 2221←1940← 1821 ←1803←1721←1625←1510←1420←1300←1220←1200
東武指令さんの情報
昭和37年8月1日より営業開始。
当時の出資会社は次ぎの通りです。
東武鉄道、仙南交通、会津乗合自動車、関東自動車、
福島電気鉄道、東野鉄道、山形交通、以上7社。
山形、仙台、会津若松に路線を展開。
営業所は中央区月島8-7-8
本社機能もここにあった模様です。
宇都宮に出張所があった模様。
東武鉄道宇都宮駅構内南側とありますが、現在の宇都宮東武百貨店の
場所と思われます。
37年12月1日改正のダイヤ
東京 仙台 仙台 東京
0900=====>1910 0900=====>1910
1000=====>2010 1000=====>2010
1100=====>2110 1300=====>2255
1300=====>2310 2130=====>0722
2100=====>0725 2200=====>0752
2200=====>0755 2230=====>0830
2300=====>0845 2300=====>0900
東京 若松 若松 東京
0930=====>1805 0930=====>1805
2230=====>0640 1100=====>1935
2400=====>0810 2200=====>0610
東京 山形 山形 東京
0800=====>1930 0940=====>2110
2030=====>0750 2240=====>1010
以上のダイヤにて運行された様です。
その後38年9月頃に松島延長の申請が出される。
仙台市五番町<===>松島ヘルスセンター間 27.6km
7往復の便の内3本を延長する予定と記載されております。
実際の開始は現在調べ中です。
38年11月20日から大河原、岩沼の停留所を新設。
白石===大河原 15.2km
大河原===岩沼 15.2km
岩沼===仙台 17.5km
同時にスピードアップを実施。
昼行便で25分、夜行便で50分の短縮。
○東武急行バス(俗称・廃止)
・東武鉄道(東武バス)が運行していた群馬県と東京を結んでいた急行バスの俗称。
社内では、東京急行(または上越急行)と呼ばれていたようだ。
(1) 東京(広沢)桐生天神町 109.7 1953. 3. 1〜1971. 7. 1 3→5→10.5→6→3
(2) 東京(足利)桐生天神町 118.7 1953. 3. 1〜1969. 7. 1 3→6→0.5
(3) 東京−伊香保温泉 144.0 1961. 6. 1〜1967. 3. 1 5→3
(4) 東京−前橋(県庁前) 116.6 1961. 6. 1〜1967. 5.16 4→1
(5) 東京−猿ヶ京 172.3 1962. 4. 1〜1967. 5.16 2
(6) 東京−谷川ロープウェイ駅 180.5 1962.12. 1〜1967. 5.16 1
(7) 東京−苗場スキー場 192.6 1962.12.22〜1970. 3.末 1
・東京は「東京駅(八重洲口)」で、東武観光センター前(東京・八重洲通駅)にあった。
・東京方の経路は、以下の通り。
東京−日本橋三越前−神田駅前−万世橋−後楽園前(後楽園球場前)−巣鴨駅前
−浦和県庁裏−大宮駅入口(大宮、大宮桜木町)−鴻巣駅入口(鴻巣)−吹上駅
−筑波町−熊谷駅入口(熊谷 休憩)
※時代により、停車駅と経路が微妙に違っていたようです。
※県庁前−大宮駅東口−上尾車庫のバス路線と重なっていると思っていたのです
が、浦和方は別ルートのようですね。
・熊谷以北の経路は、以下の通り。
(1) 熊谷−妻沼−高林−太田−矢田堀−広沢−桐生
(2) 熊谷−妻沼−高林−太田−足利−山前−葉鹿−小俣−桐生
(3) 熊谷−深谷市役所−深谷相生町−岡部役場前−本庄城下町−本庄照若町
−高崎駅前−高崎富士銀行前−本町三丁目(高崎本町)−金古四ツ角−渋川四ツ角
−伊香保ゴルフ場−見晴下−伊香保温泉
(4) 熊谷−深谷市−本庄市−堀口−川久保町−伊勢崎本町−新町(日赤前)
−商工会議所−曲輪町−前橋(県庁前)
(5) 熊谷−本庄−前橋−渋川−沼田−後閑−猿ヶ京
(6) 熊谷−本庄−前橋−渋川−沼田−後閑−水上−湯檜曽−谷川岳
(7) 上記(5)とほぼ同様と思われるが、途中停車バス停は不明
○常磐急行交通(廃止)
政宗3号さんの情報
・「常磐急行バス」は1962年12月に新橋〜日立間で運行を開始しましたが、当初か
ら利用はあまり伸びなかった模様です。一時は仙台までの延長も企図したようで
すがかなわず、1977年に廃止、会社は解散となったとのことです。
・交通公社時刻表復刻版(1967年)を見ていたら、常磐急行バスの時刻表がありま
した。
新橋駅 水戸駅 日立駅 日立駅 水戸駅 新橋駅
始発 0800 -> 1112 -> 1210 0600 -> 0643 -> 1000
終発 2000 -> 2251 -> 2335 1900 -> 1944 -> 2240
で、1日8往復も運転されていました。
たからさんの情報
・会社名は正式には常磐急行交通(株)で、昭和37年11月に設立、
同年12月1日より長距離急行バスを運行し、昭和53年3月に解散したようです。
東武指令さんの情報
昭和37年8月6日に免許が発起人代表・川崎千春氏(当時の京成電鉄社長)に
公布された。
出資会社は京成電鉄、東武鉄道、鹿島参宮、茨城交通、常総筑波、日立電鉄
の6社が出資。
新橋駅から日立駅まで158kmを一日4回と途中東海村原研前を経由する2回の
運行(166km)を申請。
片道400円とあります。
昭和37年の12月1日より運行開始。
新橋発 0800、0900、1000、1300、1500、2100
この内2本は東海原研経由と思われるが表記はなし。
○茨城急行自動車
・東武鉄道系列。本社は埼玉県松伏町。栗橋〜古河〜下妻や岩井〜野田〜北越谷と
いった路線バスを運行。
・JRバス関東の南筑波線と同じ様なコースを通るが、こちらは国道125号経由。
東武指令さんの情報
@初代・茨城急行自動車
この会社、戦前と戦後で全く違う会社でして、商号が同じと言う複雑な歴史を持
ちます。
詳細は不明なのですが、昭和初期に個人経営の路線バスが乱立した時代があり、
買収に次ぐ買収により勢力を増した会社の中に、初代・茨城急行自動車と名乗る会
社がありました。
エリアを見ますと、埼玉の杉戸、栗橋そして茨城の古河、境、五霞、下妻、下館、
笠間、結城、真壁、岩井、栃木の小山などの地域をテリトリーにしてました。
既に撤退した東武バスの茨城県エリアをそのまま経営した様な営業エリアですが、
水戸には顔を出しません。
その後、俗に言う戦時下統合により昭和18年11月25日に東武自動車(後の東武バ
ス)に合併されて、一度姿を消します。このエリアも、翌昭和19年12月に常総鉄道
に買収されます。
そして終戦後の昭和22年7月に東武鉄道に再譲渡され東武バスがエリアを引き継ぐ
事になりまして、しばらく茨城急行の名前が消える事になります。
@2代目・茨城急行自動車の誕生
昭和25年6月16日、茨城県の下妻に内山運輸と言うバス会社が誕生します。
土地柄もあり、その後の昭和36年6月に東武鉄道のグループ会社になり、周辺で
貸切・路線バスを運行します。
そして、昭和38年に動きが出ます。
まず、4月に貸切部門を分離する事になり、内山観光に譲渡します。
残った乗合部門が、翌5月に商号を変更して、2代目・茨城急行自動車が誕生しま
す。以降、乗合バス部門専業の会社として現在に至ります。
現在は茨城県西部、埼玉県都東部を営業エリアとして乗合事業、自動車修理業を
経営。本社が埼玉県の松伏町、その他営業所が茨城県の結城市北茂呂に、自動車修
理業を下妻にて行っております。
元々は名前のごとしと言う会社でしたが、次第に東武寄りの埼玉に移った事にな
ります。
○房総急行バス(俗称・廃止)
・京成電鉄、小湊鉄道、日東交通の3社で運行していた「新橋〜館山」バスの総称。
S38.12に開始。S48に廃止。
・新橋(駅前ビル)〜八重洲通り〜浅草橋〜亀戸駅前〜船橋ヘルスセンター入口〜
谷津遊園〜稲毛海岸〜京成千葉駅(現千葉中央駅)〜・・・
○東名急行バス(廃止)
B906Rさんの情報
・B906Rで運行していました。
・乗務員の制服も、茶色と黄色がベースのかっこいい物と記憶します(冬服は革
ジャン?)
・東京方の基地は、環六(山手通り)の中目黒付近に(晩年は東急大橋営業所?)
あったようです。
政宗3号さんの情報
(日本バス友の会編「高速バスのすべて」(平成4年)の記述等を参考)
・1967(昭和42)年8月に沿線事業者の出資により資本金5,000万円で設立されました。
出資事業者は次の12社です。
東京急行電鉄、小田急電鉄(神奈川中央交通、箱根登山鉄道、小田急バスを含
む)、名古屋鉄道(豊橋鉄道を含む)、伊豆箱根鉄道、東海自動車、大井川鉄
道、山梨交通、京浜急行電鉄、富士急行、遠州鉄道、相模鉄道、静岡鉄道
出資比率は、東急が13.6%、小田急・名鉄が各13.5%、その他の事業者が各6.6%と
いうことです。
・1969年6月に運行開始。当時は従業員205人、車両50両でスタートした。
1975年3月に路線廃止、会社は解散となったとのことです。
・このように、東名急行バス出資12社中、8社までが独自に区間高速バスを運行し
ており、このことも東名急行バスが短命に終わった要因の一つとも言われている
ようです。
・「交通公社時刻表1972年3月号」に東名急行バスの時刻表がありましたので、
運行系統別の便数などを報告させて頂きます(1972年1月14日現在)
東名急行バス 参考:国鉄東名高速線
渋谷駅〜名鉄BC 特急 9往復 東京駅〜名古屋駅 特急 9往復(1〜18便)
特急不定期1往復 特急不定期2.5往復(51〜55便「ブルー1〜5号」)
急行 11往復 急行 11往復(101〜122便)
渋谷駅〜浜松 快速 6往復 東京駅〜浜松駅 急行 1往復(201,202便)
快速 6往復(251〜262便)
渋谷駅〜新静岡 急行 東京駅〜静岡駅 急行 6往復(301〜312便)
快速 計12往復 快速 6往復(351〜362便)
渋谷駅〜東名静岡 快速 1往復
渋谷駅〜沼津駅 快速 10往復 東京駅〜沼津駅 快速 10往復(401〜420便)
新静岡〜名鉄BC 快速 2往復 静岡駅〜名古屋駅 快速 2往復(501〜504便)
浜松〜名鉄BC 快速 1往復 浜松駅〜名古屋駅 快速 2往復(601〜604便)
東京駅〜神戸駅 夜行 1往復(701,702便「ドリーム9・10号」)
東京駅〜大阪駅 夜行 2往復(801〜804便「ドリーム1〜4号」)
東京駅〜京都駅 夜行 1往復(901,902便「ドリーム5・6号」)
東京駅〜名古屋駅 夜行 1往復(951,952便「ドリーム7・8号」)
黒瀬 康彦さんの情報
・手持ちの東名急行バス時刻表(昭和48年4月1日実施)に基づいて、
運行区間別の便数を報告いたします。
特急 渋谷〜名鉄BC 9往復
季節特急 渋谷〜名鉄BC(運転日8月1日〜8月20日)
急行 渋谷〜名鉄BC 11往復
急行 渋谷〜新静岡 往7復6往復
快速 渋谷〜浜松 3往復
快速 東名静岡〜浜松 復のみ1往復(浜松方面はなし)
快速 渋谷〜新静岡 往8復6 往復
快速 渋谷〜御殿場駅経由〜東名静岡 1往復
快速 渋谷〜東名静岡 復のみ3往復(静岡方面はなし)
快速 渋谷〜沼津駅北口 10往復
快速 渋谷〜東名横浜 3往復 このほかに2往復は土曜・日曜及び祭日とその前日と
3月21日〜4月10日と7月21日〜8月31日運行
停車駅 基本的には国鉄と同じだが、次の点の相違がある。
快速 渋谷〜沼津線のみ駒門に停車する
急行 渋谷〜東名静岡・新静岡線のみ由比に停車する
季節特急はブルー号と停車駅が同じ
○ラビット急行
・ラビット急行株式会社では、貸切バスに「ラビット急行バス」と命名しているよ
うです。静岡県浜松市の業者です。
・全国旅行業協会の正会員:登録日 平06.07.11
○名飯急行バス(俗称・廃止)
・名古屋と飯田を国道153号線(飯田街道)を経由して結んでいた急行バスの俗称。
昭和13(1938)年5月10日 三社で運行開始(信南交通websiteでは、S12開始)
昭和16(1941)年8月31日 ガソリン統制により休止
昭和27(1952)年7月25日 名古屋鉄道と信南交通により、運行再開
昭和50(1975)年8月24日 中央道(小牧〜駒ヶ根)併用開始に伴い、高速バスに
置換・廃止。
・S16発行の名古屋鉄道「沿線案内」に記載されたバス停を拾ってみると、
東田町、赤池、米野木、四郷、平戸橋、追分、足助、新盛、明川、稲武、根羽、飯田
と書かれています。(印刷不鮮明箇所は、推定)
・東田町とは、飯田街道の広小路葵交差点〜菊里町交差点(JR中央線との交差点)の
通りを指す地名で、バス停は、広小路葵交差点付近(現在の新栄町バス停付近)
ではなかったかと推測します。
・S25の名古屋鉄道「沿線案内」には、根羽〜飯田のバス路線が記載されていません。
(当時、休止中)
ただし、S16の沿線案内で記載のなかった「東田町〜新名古屋」のバス路線が記載
されています。
・S30年代の道路地図によると、国鉄千種駅が現在より500m程度金山方にあったようで
バス路線も、菊里町交差点から飯田街道を離れ、千種駅前、千郷町交差点を経て、
広小路通を通って広小路葵交差点に向かっていたようです。
・昭和46年7月時点の名鉄バス情報によると、名飯線に関連する路線は、以下の通り。
名飯線 名鉄バスセンター、今池、足助、平谷、駒場、飯田 146.3km
足助線 名鉄バスセンター、今池、八事、平針、米野木、猿投、平戸橋 35.5km
足助線 今池、八事、平針、米野木、猿投、平戸橋、香嵐渓、足助 44.4km
・また路線図も掲載されており、名飯線の経路を以下のように推定しました。
(経路であって停車駅ではない。印刷不鮮明箇所は推定。一部略。)
名鉄バスセンター、白川公園、伏見町、長者町、東桜通、東田町、今池、
阿由知通り、川名、八事(やごと)、八事裏山、名城大学前、塩釜口、植田、
植田東口、平針西口、平針中町、平針、赤池、浅田西口、浅田、米野木、
三本木、田籾、大井橋、上伊保、伊保堂、殿貝津、下伊保、四郷、猿投、平戸橋、
西中金、白鷺温泉口、香嵐渓、足助、新盛、明川、稲武、根羽(ねば)、
平谷、治部坂高原、浪合、小野川、駒場、飯田駅前、飯田
※大井橋〜四郷は、国鉄バス(岡崎〜瀬戸記念橋の一部)と重なっていた。
あんみつ坊主さんの情報です
・愛知県内の本格的な乗合自動車事業は、尾三自動車(株)初代社長の本多松三郎
氏が同社設立前から始めたもののようです。平戸橋−東田町間営業認可申請は
1912(T元)年で、翌年8月18日に許可を受け事業を開始し、営業成績好調のため
1914(T3)年9月22日に尾三自動車(株)を設立した、と「名古屋鉄道社史(1961)」
にあります。
・なお、省営自動車発祥の地が愛知県(と岐阜県)であることはよく知られていま
すが、乗合自動車営業取締規則を最初に公布したのも愛知県だったそうです
(1903年8月20日公布、同月29日施行)。
京都で最初の路線バスが開業したとされる日のちょうど1ヶ月前です。
・で、名古屋−飯田間急行バスですが、開業は1938(S13)年5月10日、名鉄自動車
(旧・愛知電気鉄道の子会社を昭和11年に改称)と尾三自動車、南信自動車(現・
信南交通)の共同運行で開業しました。1日3往復(各社1往復)、所要6時間弱
だったそうです。しかし、1941(S16)年8月31日、ガソリン統制により休業して
しまいます。
・戦後の復活は1952(S27)年7月25日です。名鉄バスセンターが1967年に開業するま
では名古屋駅前発着で、運行本数は戦前と同じ3往復(名鉄2、信南1)でした。
(以上名古屋鉄道社史より)
その後、同路線は1975(S50)年8月24日の名鉄バスセンター−飯田間中央道特急バ
ス運行開始に伴い、同日付で廃止されました。(名古屋鉄道百年史(1994)より)
きゆろひさんの情報
・現在でも足助〜稲武〜根羽〜飯田間は路線バスが健在ですので、多少なりとも往
時を偲ぶことができるかもしれません。とはいっても、足助〜稲武〜根羽間は、
数年前に名鉄が路線を廃止し、今では稲武町が80条代替バスを運行しています。
根羽〜飯田間は信南交通です。
※ルートは異なりますが、名鉄バスで、星ヶ丘〜豊田市〜足助と乗り継げるようで
す。根雨から飯田行は朝だけ、飯田からは夕方だけ?(ふもふも館長)
中日本車体工業さんの情報
・手元にある 愛知県バス協会発行の1995年版「愛知県バス路線図」によると
足助線の今池〜東桜通間に休止の破線でしっかりと東田町と記載されてます。
確か赤池〜名鉄バスセンターの系統は平成の始めに廃止になり現在は運行されて
いません。
・名鉄バスセンター〜東桜通・赤池〜三本木(県道58)は現存しており、問題の
東田町ですが、高校生の頃 末期の 赤池〜名鉄バスセンターの系統によく乗車
しました。今池・東桜通の間に東田町ならぬ東新町のバス停が広小路通のCBC
の斜め向いにありました。
末期には現在の地名である東新町に変わったものの館長さまの推測どうりではな
いでしょうか?
特急こまがねさんの情報
・現在、稲武町営で運行しているバスのうち、稲武〜根羽間は、稲武町にある県立
田口高校の稲武校舎の通学の足として実質機能しています。
しかしながら、愛知県の高校配置の見直しで稲武校舎が存廃の危機に陥っています。
根羽村にすれば、県内で一番近い高校は30km近くも離れた阿智村までなく、飯田
市の高校へは下宿必至で、隣町の稲武校舎は自宅から通える貴重な学び舎になっ
ています。
そうした実情を考えると、校舎の廃止はちょっと解せないところがあります。
・蛇足ですが、稲武町は長年属していた北設楽郡から離脱し、東加茂郡の町になり
ました。町内は北設楽郡の豊橋ナンバーでなく三河ナンバー地域である等、西三
河の生活圏でしたが、これで郡名と生活圏が一致することになります。ただ、NTT
の市外局番は、北設楽郡の番号のままです。
○日本急行バス (→名古屋観光日急 →名鉄観光バス)
・昭和39年10月5日 名神高速線を開業
・名鉄・京阪・阪急の3社?
・名古屋〜大阪・神戸の高速バスを営業中。
・2001年4月に名古屋観光自動車・日本急行バス・ドラゴンツアーズと合併し、
名古屋観光日急となった。
○日本高速自動車 (→名阪近鉄高速バス →名阪近鉄バス)
・昭和40年3月6日 日本高速自動車、名神高速線を開業。名古屋の乗り場は、堀内町(桜通り)。
・昭和42年6月2日 名古屋の乗り場を、名鉄バスセンターに移転。
・昭和43年4月26日 大阪の乗り場を、梅田阪急三番街に移転。
・昭和49年10月1日 大阪の乗り場を、国鉄大阪駅に移転。
・昭和58年12月1日 名古屋近鉄バスと合併、名阪近鉄高速バスとなる。
・昭和59年7月1日 名古屋の乗り場を、名古屋バスターミナルに移転。
・平成3年 大阪〜伊吹山の直通バスを運転開始。
・平成6年7月1日 名阪近鉄バスに社名変更。
・日本高速自動車は、近鉄50%、南海と阪神が25%。その後、近鉄が100%に。
・名神ハイウェイバスを運行。大垣支社は、一般路線バスも運行。
・伊吹山ドライブウェイという自動車道路も経営。
○名神高速自動車(未開業)
・昭和36年の名神高速バス事業の免許申請・公聴会に名前が挙がる。正体不明。
○関西高速自動車(未開業)
・昭和36年の名神高速バス事業の免許申請・公聴会に名前が挙がる。正体不明。
○三重急行自動車
・三重交通系。本社は、松坂市。鳥羽〜磯部の路線バスを運行。
・かつては、名古屋−賢島を運行。
・南紀特急バスの廃止以降、大杉線(松阪駅前〜シャープ正門前間)のみ運行。
○白浜急行バス (→南海白浜急行バス→御坊南海バス→熊野御坊南海バス)
Y.Matsuuraさんの情報
・白浜急行バスは、60〜70年代に南海和歌山市駅〜白浜の路線を運行しました。
↓
・御坊周辺の路線を運行していた「南海バス」と合併して「南海白浜急行バス」に。
・1975年の時刻表に御坊駅〜道成寺、御坊駅〜アメリカ村・日の岬パーク、
和歌山市駅〜御坊〜湯崎(白浜湯崎温泉)という路線が掲載されている。
↓
・路線部門を分離して「御坊南海バス」に(この時点で和歌山市駅〜白浜は既に廃止)
↓
・残りの貸切部門を南海電鉄バスの和歌山地区の貸切部門と統合して「和歌山南海
観光バス」に
と推移しています。現在御坊南海バスが運行している「和歌山市駅〜湯浅」の路
線は、白浜急行バスの忘れ形見です。(2009年廃止)
KENさんの情報
昭和32(1957)年10月20日(社)日本乗合自動車協会発行の「バス事業五十年史」の
第四十六章第五節「バス路線の長距離化」によると、昭和29(1954)年 5月末現在で、
会社名 区間 粁程 所要時分 運賃 回数
白浜急行バス 大阪−白浜 196.0粁 7時間00分 700円 3回
という路線が運行されていたようです。
○日本西部急行バス(未開業)
KENさんの情報
昭和39年5月頃、関西・中国地域のバス事業者のうち26社の出資により設立さ
れた会社について公にされた資料「日本西部急行バスの概要(大阪−岡山−広島−
下関)」の写を先日入手しました。
昭和38年に国道2号線が完全舗装されたのを機に目論まれた長距離バスを運行する
会社、というのが、日本西部急行バス(株)の位置付けだったようです。
実際の運行には至らなかったのだとは思いますが、当初の運行計画は、
大阪〜広島系統 1日4往復(うち夜行便2往復)
粁程345.2粁 所要 昼便 9時間30分・夜便 9時間
大阪〜下関系統 1日2往復(夜行便)
粁程547.3粁 所要 夜便14時間
岡山〜下関系統 1日2往復
粁程369.3粁 所要 昼便 9時間25分
と、書かれています。
申請路線図に記載の停車場は…
大阪 尼崎 西宮 芦屋 神戸三の宮 明石 姫路 相生 備前町 岡山 倉敷
玉島 笠岡 福山 尾道 広島 宮島口 岩国 徳山 小郡 下関
出資会社26社は…
阪神電気鉄道 山陽電気鉄道 神姫自動車 同和鉱業 宇野自動車 両備バス
岡山電気軌道 中国鉄道 下津井電鉄 井笠鉄道 備北乗合 鞆鉄道
ニコニコバス 尾道鉄道 芸陽バス 広島電鉄 広島交通 備北交通 船木鉄道
長鉄バス 山陽電気軌道 山陽急行バス 日ノ丸自動車 沢タクシー
一畑電気鉄道 石見交通
○中国急行バス(未開業)
KENさんの情報
古い資料「廣島陸運局報(號外)」(昭和27年 3月20日付)の「公聽会公告」で、
△一般乗合旅客自動車運送事業
(中略)
18 中国急行バス株式会社(発起人)
三次町―広島市松原町間外3路線 315.6粁 (広島県)
(後略)
というのがありました。
実際にこの会社によりこの路線が運行されたのか否かは確認できませんでした。
○山陽急行バス(廃止)
・下関−小野田−宇部−小郡−山口−東萩を運行していた。
・同社貸切部門は、サンキュウ観光バス(下関市)として現存。
サンデン交通グループ。
○四国高速バス
・本社は高松市。高松〜松山・高知・大阪・横浜・新宿を運行。
○瀬戸大橋高速バス(解散)
・本社は高松市。高松〜横浜を運行していた?
・瀬戸大橋特急バスは、JR四国バス、中国JRバス、瀬戸大橋高速バス、下津井
電鉄、両備バスの5社で営業していた。
系統は、倉敷〜高松、倉敷〜琴平、岡山〜高松、岡山〜琴平の4系統であった。
以下の停留所があったようだ。
倉敷〜大原美術館〜倉敷市役所〜金田口〜/
天満屋バスセンター〜岡山駅前〜/
早島IC〜有城南〜水島IC〜稗田〜鷲羽山北〜岩黒島〜与島〜
/両影橋〜入船町〜高松駅(〜琴電瓦町駅前)
/坂出グランドホテル〜ゴールドタワー〜競艇場入口〜丸亀駅通り〜
善通寺赤門前〜琴電琴平駅前(〜レオマワールド)
・瀬戸大橋特急線は、1998年4月10日に、瀬戸大橋の開通と同時に開業した。
開業時のJR担当は次の便でした。
倉敷発 9:00(中国JR) 18:00(JR四国)
瓦町発 12:00(中国JR) 15:30(JR四国)
(何分か誤差があるかもしれません)
JR四国の路線名称(1998年6月?)によると、以下の通り。
瀬戸大橋特急線 琴平,瓦町駅前−早島IC−倉敷駅前
※琴電の琴平駅には停車したようだが、JRの琴平駅は停車したのか?
※中国JRバス側も瀬戸大橋特急線と呼称していたようだが、瀬戸大橋高速線と
記載した資料もある(倉敷〜高松 68.2km -> 65.7km)
※倉敷〜瓦町 68.8km
(中国JRバス 平成2年10月1日現在)
倉敷〜高松(往68.2km復68.9km):1往復
・1991年3月21日に中国JRバスが撤退。JR四国バス、両備バスの2社に減った。
1992年4月1日、与島フィッシャーマンズワーフ前に路線延長。6月1日、高松自動
車道へ経路変更。
この頃、高松駅〜琴電瓦町駅前を廃止、琴平〜レオマワールドを延伸した。
岡山〜高松 75.5km、倉敷〜琴平 72.5km
平成3年の改正(中国JRバスの撤退)からJR四国も岡山〜高松、岡山・倉敷
〜レオマ系統の担当が始まり、平成4年の改正(両備、四国のみが運行)以降も
続いた模様です。(政宗3号さん)
平成3年及び平成4年の秋時点での四国担当便の状況は次の通りです。
(平成3年10月1日現在)
岡山〜高松 (往75.6km復75.5km):1.5〜2往復
岡山〜レオマ(往88.8km復89.1km):0.5往復(偶数月のみ)
倉敷〜レオマ(往81.4km復82.5km):0.5往復(偶数月のみ)
倉敷〜高松 (往68.2km復68.9km):1.5〜2往復
(平成4年10月1日現在)
岡山〜高松駅前(往76.6km復76.5km):2往復
倉敷〜高松駅前(往69.2km復69.9km):倉敷発1便
倉敷〜レオマ(復77.1km) :レオマ発1便
岡山駅前〜高松駅前(復75.3km) :高松発1便
岡山駅前〜レオマ(往82.3km) :岡山駅前発1便
1993年12月1日より休止した模様。
倉敷駅前 岡山駅前 天満屋BC
○ ○−−−−○
| 早島IC |
・−−−○−−−・
|
|
与島○−○与島フィッシャーマンズワーフ
|
ゴールドタワー| 高松駅前
・−−−○−−−△−−−−−−−−○
| 坂出北IC |
| |
○琴電琴平駅前 ○琴電瓦町駅前
|
・−−−○
レオマワールド
○四国急行バス(廃止)
・国鉄と共同運行で、北四国急行線(高松−松山)を運行していた。
・北四国急行バスとも言う?
・北四国急行線の開業は、昭和40年3月18日。当時の停留所は
高松、坂出駅前、丸亀駅前、豊浜駅前、川之江駅前、伊予三島駅前、
新居浜東城、西条常心、小松駅前、川内、大街道一丁目、松山
・北四国急行線の場合、鉄道接続駅は高松と松山のみで、それ以外の鉄道駅
至近の自動車駅はすべて別駅扱いとなっており、公示上も「○○駅前」と
なっていました。(坂出駅前、丸亀駅前、豊浜駅前、川之江駅前、伊予三
島駅前、小松駅前の6自動車駅)
・昭和41年7月15日に土居町を開駅した。
(7月8日付け国鉄公示121号。伊予三島駅前から12.1km,新居浜東城まで12.1km)
・昭和49年8月30日に、西条常心から国道西条に改称。(8月28日付け公示142号)
・後に停留所を増やし、昭和50年の資料によると
高松駅、五番町、坂出、丸亀、金蔵寺町、国道高瀬、国道観音寺、豊浜、川之江、
伊予三島、新居浜東城、西条常心、伊予小松、川内、松山市駅、松山駅
・昭和54年7月22日付けで廃止になった。
ルートは高速ですが、現在は「坊ちゃんエクスプレス」に発展しました。
今は無き、四国急行バスをご存じですか?(伊予鉄)
角田線さんの情報
新橋某書店で、北四国急行線の乗車券が売っていました。
売られていた乗車券の駅名は(売られていたもののみです)
(讃)高松、丸亀駅前、金蔵寺町、国道観音寺、川之江駅前、伊予三島駅前、
土居町、新居浜東城、国道西条、小松駅前、がありました。
政宗3号さんの情報
北四国急行線の場合、鉄道接続駅は高松と松山のみで、それ以外の鉄道駅至近の
自動車駅はすべて別駅扱いとなっており、公示上も「○○駅前」となっていまし
た。(坂出駅前、丸亀駅前、豊浜駅前、川之江駅前、伊予三島駅前、小松駅前の
6自動車駅)
◆ 国鉄の北四国急行線への進出に伴う民間バスへの見返りとして、次のような既
存(国鉄)路線への乗り入れが認められたとのことです。
・ 西讃線(善通寺・詫間間) 琴平参宮電鉄5往復
・ 予土北線(松山・久万間) 伊予鉄道6往復
・ 川池線(伊予三島・阿波池田間) 瀬戸内運輸3往復
これらの路線には既にJRが撤退し民間バスのみが残っているところも見られ、
昭和40年当時とは隔世の感があります。
◆ 同急行線の開業当時(昭和40年3月18日)の運行内容は次のとおりです。
・ 運行回数 国鉄6往復、四国急行11往復(うち各1往復は特急便)
・ 運行時刻 始発6時〜終発20時に相互発車
・ 所要時間 特急便3時間55分、急行便4時間10分
◆ 昭和41年7月改正で松山の発着駅を四国急行と統一し、同時に、県庁通、金蔵
寺、観音寺、土居の4駅を増設。(公示によると昭和41年7月15日付けで大街道
一丁目〜松山間を廃止し、大街道一丁目(1.1)松山市駅(1.5)松山を開業。)
◆ 昭和50年12月改正で国鉄便1往復減(四国急行は50年9月から10往復を5往復
に減)。その後、四国急行は昭和52年1月で運行を廃止し、国鉄も昭和54年7月
22日に路線廃止に至ったという経緯のようです。
(資料:四国旅客鉄道編「四鉄史」(平成元年6月))
○南四国急行バス(廃止)
高松〜高知の急行バス。1967(S42)〜1975(S50)の8年間だけ存在。高松琴平電気鉄
道・琴平参宮電鉄・高知県交通・土佐電気鉄道・四国交通の5社共同出資。
http://blognews.facm.net/?eid=1238028
政宗3号さんの情報
・交通公社時刻表復刻版1968年10月号、1969年5月号に掲載されていました。
高松〜高知(堺町)間の運行で、8時頃〜18時頃まで1時間ヘッドで
運行されていました。
○関門急行バス(廃止)
・国鉄と関門急行線(山口〜博多)を共同運行。
1958年8月、西鉄・山陽電軌・防長交通・山陽急行バス・関門海峡汽船の
5社出資で発足。
明知営業所さんの情報
・支線を発見。1969年現在、下関駅−門司駅間、8往復。
○九州急行バス
・41.7.6 九州急行バス(株)設立。開業時点の停車駅は、以下の通り。
天神、博多駅、二日市、鳥栖、日達原、神崎駅通り、片皿江、山口駅、武雄駅前
嬉野、大村、諫早、昭和町、長崎駅前
・本社は福岡市。福岡〜長崎の高速バスのみ。
西鉄・長崎県・祐徳・西肥・昭和の合弁。長崎県が出資。
・2002年3月1日改正で、高速各停便が廃止された。
政宗3号さんの情報
・3列シート、マルチステレオ装備のHD車(MS725、MS726など)
○西日本特急バス(未開業)
KENさんの情報
昭和38年の、手許の資料によると、福岡−長崎間を九州急行バス(発起人)、
日本国有鉄道(国鉄自動車)、および西日本特急バス(新規参入を目論む会社)の
3者が競願したとあります。
言うまでもなく現在は九州急行バスが運行していますが、競願後の顛末や、「西日
本特急バス」とはどのような会社だったのかなど、興味をそそられます(が、手許
に詳しい資料なし)。
「西日本特急バス」は“西日本”が付きますが、西日本鉄道が九州急行バスへの出
資者なので、西日本鉄道と西日本特急バスとは当然無関係(むしろ競っていた)と
見られますし…。
○南九州高速バス(解散)
・本社は、鹿児島市。鹿児島〜熊本・宮崎の高速バスのみ。1982年に設立。
鹿児島交通(現いわさきコーポレーション)・南国交通・林田産業交通(現林田
バス)の合弁。
・九州新幹線の延長に伴い、2004.3.12限りで清算される。
鹿児島−宮崎線は、宮崎交通単独で存続。
鹿児島−熊本線は、鹿児島空港−人吉に短縮の上、鹿児島県内3社と九州産交の
子会社が新たに共同運行協定を結び、運行する見込み。
※東京急行、京浜急行、千葉急行電鉄、富士急行、伊豆急行、北大阪急行電鉄は、
趣旨と反するので、対象外にしました。あっ、鉄道専業会社もありますね。
JRバス資料館に戻る 不毛企画 乗り物館に戻る
\ \
o o
-
ふもふも館長 お問い合わせ